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Final D8000の使いこなしに関する短いメモランダム:リケーブル、制振材、接点改善剤そしてオージオグラム

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革命は些細なことではない。
しかし、それは些細なことから起こる。

アリストテレス


なぜ
ヘッドホン・イヤホン界隈ではD8000の出現を騒がないのだろうか?
皆の態度が不思議に思えるほど、
私にとってFinal D8000の音は革新的なものである。
少なくとも2018年の私のヘッドホンオーディオは
D8000を中心に回ることになるだろう。
たとえHD820がどれほどのものだろうと、
このヘッドホンのポテンシャルを引き出さないことには次へ行ける気がしない。

今年はずっと温めてきた幾つかのオーディオ機器の配備計画を、
このFinal D8000を軸として少しづつ実行に移すつもりだ。
その手始めはD8000のリケーブルの選定である。リケーブルの質を吟味することはD8000を味わい尽くすうえで重要なポイントであることは既に行ったいくつかのテストで分かっているから、これはやるべきことだ。
もちろん、ヘッドホン側の端子はFinal純正の90度ネジるタイプのものを使いたい。
この仕組みはD8000本体にリケーブルのプラグをしっかりと固定できる唯一の方法だからだ。そこにこだわるとFinal純正のシルバーコートリケーブルか、Brise audioのリケーブルしか、今のところ選択枝はない。もちろんD8000にデフォルトでついてくるケーブルもいい。だがこれだとシングルエンド駆動しか選べないし、D8000のクオリティに応えるサムシングが足りないような気がする。アダプターを付けての試用だがBrise audioのUPG001HP Ref.のバランス駆動とは歴然と差が出てしまうのは知っている。
そうこうするうち、特注していたUPG001HP Ref.の3pin XLR×2が到着したので、貸し出して頂いたFinal純正の上位リケーブルである純正のシルバーコートケーブル(4pin XLR~3pin XLR×2への変換アダプターを介してE1xに接続するものと、シングルエンドの端子のついたリケーブル)そしてD8000に同梱のデフォルトのヘッドホンケーブル(シングルエンド)を4本並べて比較することにした。
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D8000に同梱の黒いヘッドホンケーブル
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Brise audioのUPG001HP Ref.の3pin XLR×2
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Final純正のシルバーコートリケーブルの4pin XLRバランス仕様(線体は潤工社製)
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同じくシングルエンド仕様

これらのケーブルの外観について素直に比較すると、
思いがけず1.5mで15万ほどする高価なUPG001HP Ref.の仕上げより、ずっと安価なfinal純正のリケーブルの仕上がりの方がカネがかかっていそうだ。Finalの方は端子や分岐部をすべてオリジナルのアルミの削り出しパーツで固めている。これは価格以上の仕上げだと思う。
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アルジェントオーディオのケーブルを彷彿とさせるFinalの削り出し端子
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分岐部もアルミ削り出しであり、ロゴもプリントされているが、裏で見えない
下はFinalのデフォルトのケーブル(分岐部も端子も造りは良い)
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Brise audioの分岐部(やや簡素な印象)

また線体はFinalの方が太いが、取り回しはより細いBriseのものより悪いとは言えないし、外見も綺麗である。Briseのケーブルは細いが明らかに硬く、微妙にクセがとれにくいようで、見かけのわりには取り回しがよくない。(Brise audioのケーブルテクノロジーのコアとして、カーボンナノチューブの持つ高い物理的な遮蔽能を利用したシールド技術があるらしいが、この高性能なシールドは取り回しについては今一歩かもしれない。)また分岐部は熱収縮ケーブルで締め、ローズウッドのケーブルスタビライザーをあしらってあるだけだ。(実際、全くのオーディオの素人であるウチの家族にこれらのケーブルを見せて聞かせ、どちらが高いと思うか尋ねると全員即座にFinalのケーブルを指した。)恐らくBriseさんは音質上の理由からあえてこうした手法を取っているのだろうが、音質をさらに上げたうえで、外観も良くすることは不可能ではないはずだと言いたくなる。そういう曲芸が当たり前のように出来ているハイエンドケーブルを多数見てきたからだ。

もちろん、こういう分岐部の仕上げなどは音に影響しないのだというケーブル屋さんもおられる。やや昔の話だが、ある高級オーディオケーブルを作る海外メーカーの中の人に、ケーブルの端子や分岐部を削り出して、ロゴをあしらった木材や超ジェラルミンで固めると経験的に音に良いし、高級感がでますよ、と提案したらひどく冷たい態度をとられたことがある。そんなことは、求めるトータルサウンドにとっては些末なことだと言いたげに見えた。私はそれ以上言うのをあきらめ、その場を立ち去った。だがその翌年、偶然にフルリニューアルされた彼のケーブルを手に取る機会があった。なんと提案どおり、分岐部も端子もオリジナルのアルミ製のものに変わっていた。肝心の音も大きく進化していた。(価格も上昇していたが・・・)これが彼の私に対する真の返答だったのだろうか。それとも自意識過剰だろうか。世界中で日本のオーディオファイルと販売店だけが、メーカーに細かいクレームや指導をするというが、私もその数に入っているのかもしれない。

脱線した。
しかしBrise audioにはまだ言いたいことがあるので音質以外の話を続ける。
私はXLR3pin×2をフルテックのカーボン巻の端子で頼んだ。この部分についての話だ。おそらく求める音のため、わざとやっているのだろうと思うが、ケーブルの端はXLR端子の中の電極にしっかりハンダ付けしてあるだけで、線体を端子内で一切固定していない。これは開放的で豊かな響きを得るのには良いと思うが、普通のインターコネクトケーブルより、日常のリスニングでの抜き差しがかなりあると考えられるヘッドホンリケーブルとしては強度の点で心もとないのではないか。これは断線する危険と隣り合わせだろう。何とかしたい。(これは取り回しを重視して細いケーブルを使ったことが裏目に出たということかもしれない。Shinkaiあたりをオーダーすればよかった?しかし、ああいう太いヘッドホンケーブルは卒業したい。)
それから結線の左右に関して、金のロゴのシュリンクが右、銀のロゴのシュリンクが左ということで、通常の赤白(あるいは黒)でないのも指摘したい。これは他のメーカーとの差別化にはなっているが、はっきり言って金銀は暗い場所で区別しにくい。ヘッドホンやイヤホンは夜の暗い室内、視界の良くないバッグの中などでも結線されて使用されるはずである。そういう場所でも確実に左右が分かる工夫がさらに必要である。Finalの端子は赤と黒の帯が、デザインを邪魔しない匙加減で入っていてわかりやすい。
リケーブルは音楽を聴くツールという側面があり、道具として視認性や耐久性をもっと追求すべきだ。そもそもUPG001HP Ref.はラグジュアリーなケーブルであり、外観の美しさも使いやすさも、機能を損なわない範囲でもっと追い求めてよかろう。

肝心の音質についてだが、
流石に高価なUPG001HP Ref.は低域の解像度の高さや音の吹き上がるストレートな勢い、ソリッドで立体的な音の質感、基本的な音のテンションの高さ、音数の多さなどで、Finalのシルバーコートリケーブルの先をゆく。音調としては素のままの音を出す介在感の少ないリケーブルを目指して開発されているように感じる。今までレポートを書いていないものも含めて、より高価なハイエンドリケーブルを使ってきているから、Brise audioの低域の解像力やインパクトはそれらを超えた、スピーカーオーディオ用のスーパーハイエンドケーブルの味わいに近い部分もあると分かる。したがってD8000の長所をよく引き出す優れたリケーブルに仕上がっていると、ひとまずは結論できる。これとの比較だとデフォルトの黒いヘッドホンケーブルは甘く緩い音に聞こえてしまう。

他方、このUPG001HP Ref.に比べるとFinalのシルバーコートリケーブルは、よりオーソドックスでカジュアルな音であるが侮れない。実際は高域方向の音のリバーブのたなびきの美しさや全体的な音の落ち着き・安定感、音のしなやかさ、音場の広がりなどではBrise audioの製品を上回る。またFinalのケーブルの音は明るく開放的、UPG001HP Ref.は陰影があり、密度が高いという具合で全体のキャラクター・方向性に違いがある。これでは甲乙はつけ難いか。いや、約2倍の価格差を考えるとFinalのシルバーコートリケーブルが勝っているかもしれない。宇宙産業用ケーブルとして有名な潤工社のケーブル。安価でも、かなり健闘している。こうなると黙ってFinal純正のシルバーコートリケーブルの方を選ぶ人がいてもおかしくない。D8000に標準でついてくるケーブルも作りはいいし、音もそれだけ聞いていれば悪いとは全然思わないはずだが、シルバーコートリケーブルを聞いてしまうと後には引けまい。そして、これまた予想外だったのだが、シングルエンドの端子のFinalのシルバーコートリケーブルの音の素敵なこと。バランスの方は私自前の簡易なアダプターを介しアンプと接続しているためだろうか、シングルエンド端子を直に挿しているのに比べ、音の広がりや響きが足りない。音が若干鈍ると言ってもいい。これはFinalの銀色に輝くオリジナルのアルミ削り出しのシングルエンド端子の出来の良さが、アダプターを介して劣化したバランス駆動との差を補ってあまりあるということなのか。また、3pin XLR×2を作る予定が今のところないと言ったFinalさんの気持ちも分かった。端子はオリジナルでという開発の方針なので、3pin XLR×2の要望に応えるなら、それを社内で新たに作らなくてはならず、そのコストと売れる数を考えると釣り合わないのかもしれない。
とにかく、Finalはヘッドホン側の専用端子を小売りするだけでなく、他のメーカーのヘッドホン用に、このケーブルと端子をつかったリケーブルを単売するとよろしい。これは意外な掘り出し物だ。ちなみにFinalのリケーブルの価格はシルバコートケーブルーシングルエンド端子/1.5mで55000円ほど4pin XLR/1.5mで70000円ほどだという。私の注文した仕様でのBrise audioのリケーブルは1.5mで155000円くらいであるから、音質のみの比較ではBriseがやや勝る部分があるにしても、Finalさんのコスパは高いようだ。もちろん端子の仕様が違うから大雑把な比較になっていることはご容赦願いたい。XLR3pin2個の端子のリケーブルは今のところBriseさんにしか扱いがないから、そこらへんについては感謝はしているのだが。

おそらくBrise audioは内外からの注文が途切れなくあるうえ、少人数のメーカーでもあるため、大変多忙なのだろう。イヤホン・ヘッドホンのリケーブルについて、現状、世界でもっともエッジなメーカーであることに変わりないが、次の深化を遂げる余裕がまだないのかもしれない。もちろん今のままでも音には価格相応の充実感があることは認めたい。だがFinalやAXIOSなど同業他社のリケーブルの持っている要素をも取り込み、さらに一皮むけた多彩な表現に挑戦してほしいという期待もなくはない。

なお、
今回はUPG001HP Ref.より上のBrise audioのインターコネクトケーブルをほぼそのままヘッドホンケーブルとして使ったモデルを選択することも考えた。だが、これは最上位のMurakumoグレードのリケーブルを他のヘッドホンで聞いた経験を踏まえてパスさせていただいた。まず、取り回しが明らかに悪くなることが一番問題である。また最上位ケーブルは重さもそこそこある。それでなくてもD8000は装着感は重い。これをリケーブルでさらに悪化させたくはない。それから音に関しても過ぎたるはなんとやらというか、もともとスピーカーオーディオのインターコネクト用に設計されたケーブルをほぼそのままヘッドホンケーブルに持ち込むことには若干無理があると感じた。上位リケーブルの音質については、これ以上は言わないが、やはりヘッドホンに特化してチューニングされた後発のUPG001HP Ref.には音の洗練度において一日の長があるのは間違いない。一言で言ってBrise audioのラインナップの中で、これはBrise audioの神髄を受け継ぎつつ、最も大人な、渋い音になっているかもしれない。Brise audioさんの製品やサウンドには賛否両論あり、実は私も中立ではない。しかし、他のメーカーにはできない対応ができること、そしてこのUPG001HP Ref.を聞いて、外観などの細かい点はともかくとして、このケーブルメーカーの良心と誠実、そしていささかの円熟味を感じたことから、意見を変えつつある。私はUPG001HP Ref.の音の方が上位モデルよりおそらく好きだ。関係ないかもしれないが、私も年を取ったのかもしれない。オーディオを始めた頃はなんでも最上位がいいかと思っていたが、今はそうでもない。音をよく聞いたうえで、音以外の側面もよく考えて総合的に買い物を決めるようになった。このブログでは語らないオーディオ以外の多くのモノとの付き合いが私を変えたのだろう。所詮、音の良さなんてことは、モノに備わった多くの属性の一つに過ぎないと悟ったらしい。ただし、それはオーディオ機器においては最大の属性なのだが・・・。

(追伸:ポタ研でこのBrise audioがケーブルの音質評価用に試作した大型のヘッドホンアンプを聞いた。なかなか素晴らしく、マス工房の406を超える出来のようだった。価格はさらに高価になりそうだったが。ズカっとした黒ぃ四角い筐体はシングルエンド、XLR4pin、XLR3pin×2のヘッドホン出力をユニバーサルに備えたうえ、XLR、RCAのトグルスイッチの切り替え式入力がある。幅広い機材に対応できる造りだった。ショートに対するプロテクションが装備されていたのにも驚かされた。ボリュウムの感触も滑らかでなかなか良い。接続されたケーブルとしてはMurakumoクラスの電源ケーブル、インターコネクトを使っていたが、中身はまだBriseのケーブルではないという。内部はもっと煮詰める予定らしい。
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中の人に聞いてみると、このアンプはOJIのものでもヘルタースケルターの製造でもないことも判明。様々なメーカーのアンプの良い点を研究し、総合的な視点から新たに開発されたもののようだ。出音はまさにBrise audioのサウンドというか、クリアかつソリッドでテンションが高く、全帯域で解像度高く鮮烈な音像を生み出す。広がりよりは纏まり、グラデーションの豊かさよりはコントラストの強さを意識させる音でもある。どのヘッドホンで聞いてもシステムトータルとして、Briseの求める世界が体現されたようなサウンドが出ていた。彼らが目指しているものがはっきり見えてきたようで清々しかった。今までこのメーカーがデモで使ってきた様々なアンプではBriseのケーブルの良さは十分に出なかったことも今回分かった。Ojiの最高級モデルよりも音にスピードがあり、マス工房の406よりも音はほぐれていて、SNが高い。ライバルはRe leafくらいだろう。これは本気で欲しいモノだが、販売はあるのだろうか。今後さらなるブラッシュアップありとのことだから次のイベントでの再会に期待しよう。)

こうして
リケーブルの評価を一通り終えたあとで、
私はケーブル端子の接点そのものにも手を入れることにした。
御存知の方もおられるだろうが、接点クリーナー、接点復活剤、接点導通剤とか呼ばれる液状物質が多種市販されている。数えたのであるが自前でも数種類を持っていた。持っているのに“持っていた”と少し婉曲に書いたのはどういう意味かというと一つを除いて、ほとんど使わないで放置していたのだ。もちろんそれらに効果は全くなかったわけではない。少しはあるのだが、この程度では数多くの接点全てに面倒な施術する手間を考えるとずっと使い続ける気分にはならないものばかりだった。例外的に使っている一つというのはアコリバのスプレー式のクリーナーである。これはある録音エンジニアさんからのいただきものである。使いかけを貰ったので、もう中身がなくなりかけている。これをシステムの接点全体にひととおり使うと、音が見違えるほど良くなるわけではないが、微妙にクリアに滑舌が良くなる(ような気がする)。機材をつなぎ変えるときに接点を綺麗にしたくなったら他のクリーナーよりも簡単に使えることもあり、重宝していた。ただ中途半端に使っても効果が明確でない場合もあるので、私のオーディオに関する潔癖症の現れと半ば割り切って、惰性で使っていたとも言える。とにかく接点を掃除したと思うと気持ちがいいから。
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そこに新しい接点クリーナーの試供品が来た。
主にオーディオアクセサリー系製品のプロデュースや販売を業務とするアンダンテラルゴが最近出したトランス ミュージック デバイズ(Trance-Music device、TMD)という製品である。
この製品には他の製品と違う点がいくつかある。
接点クリーナーと接点改善剤の2剤ペアで構成される製品なのだが、水色と白の不透明な色がついた粘性のある液体であること。普通はクリーナーは透明だし、稀に色付きがあっても黒色までは見たことがあるが、水色のものはおそらくない。それから改善剤の方は塗ってから10分放置したあとで拭き取る手順になっていること。この放置時間10分というのも珍しい。そもそも放置時間がない製品がほとんどではないか。
なにか個性的だなと思いながら、あまり期待しないでリケーブルに対してマニュアル通りに使ってみる。まず前段階である接点磨きを付属のスポイトでキムワイプや綿棒に少しだけ取って接点を磨き拭き取る。次に拡張安定剤と言われる本剤を薄く塗って10分置いてから拭き取る。さらに効果を高めたければ24時間後にもう一度拡張安定剤を塗布して同じ手順で拭き取る。この接点改善剤の仕組みは接点にある微小な凹凸に、本剤に含まれるポリマーが浸透し凝固するので接点表面が平らになり、ミクロ的に見て点接触していた部分が面接触するようになると言うものであるが・・・・。実際に表面を顕微鏡で見たわけでもないので本当のところはよく分からない。だが施術した端子を差し込むと以前より若干きつくなっているのは確かだ。なにかが表面に付加されたことが手の感触として伝わってくる。こういうふうに挿入の感触が変わるクリーナーは初めてかもしれない。

問題の音質だが、
結果としてはなかなか気に入った。今まで使ったものの中では一番に効果がハッキリ感じられる。ガラッと音が変わるのではなく、全ての要素をケーブルの持っている方向性はそのままにスッと持ち上げてくれるところがいい感じなのである。UPG001HP Ref.にアコリバのスプレーだといつものように微妙に音が澄んでボーカルの滑舌が良くなるような気がする程度であるが、このアンダンテラルゴの製品はもっとはっきりと音の明瞭さが増す。日本製のアクセサリーによくある変化だが、窓越しに見ていた景色を窓を取り払い、戸外の空気に直接触れながら眺めるような臨場感がある。リケーブルしたD8000は他のヘッドホンに比べて極めて音の分離が良いが、こうするとさらにそこが際立って改善される。ピアノの右手と左手の分離だけではなく、録音さえ良ければマイクがどの旋律を弾いている側に立っているのかがよく分かる。思えば今まで使った接点改善剤は、変化が微妙すぎた。毒にもならないが薬になっていなかった。例えば接点になにかを付加することなく、ただ簡単にクリーニングするだけでも音は変わる。それとどう違うんだと言いたくなる場面も多かった。トランス ミュージック デバイズはそういう可もなく不可もないような弱い製品ではない。

実はヘッドホンのリケーブルではこの手の接点改善剤の効果がシステムの他の部分よりも若干だが感じやすいという話もあり、リケーブルとともに良い製品を探していた矢先だった。試供品は他の接点にも試して、すぐに使い切ったのでオーディオ店で実物を買い求め、調子に乗ってシステム全ての接点に使って満足している。ただし施術はどの改善剤よりも面倒で、少し分析的な音調に偏りがちでもあり、なにより価格の絶対値は安くない。ハイエンドなイヤホン・ヘッドホンのマニアに対してでないと薦める気にならない。
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ところで、
タッピングというオーディオ機器の検査法がある。
ヘッドホンやスピーカーに特に有効な方法なのだが、ヘッドホンだとハウジングやヘッドバンドなどを中指や人差し指の腹で軽く叩いて、その時に出る音と指に跳ね返る感触を確かめることで、材質の違い調べたり、鳴き易い部分を特定する作業である。何を隠そうDmaaのK氏に教わった方法なのだが、これでD8000を調べてみると、結構鳴きそうな部分が多いことがわかる。軽くするため、あるいはコストカットするため、微妙に脆弱なつくりとなっている部分があるらしい。特にヘッドバンドの横の一枚の金属の板が露出している部分やハウジングの中心部付近にあるプラスチック製の薄い円筒状の部分などが、どうも鳴くようだ。私はこういう場合はfoQという日本製の制振材を気になる部位に貼って様子を見る。
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これは黒いシート状の材料で部分的に短冊状にカッティングされたシールのような形態のもの。ユーザーが好きな形に切って鳴き止めにする。アマゾンなどで市販されている。これをヘッドバンドの横の金属の板が露出している部分の裏側に綺麗に目立たないように貼り付けてみた。D8000の場合、スライダーの作りがシンプル過ぎてハウジングがズレやすいので、もともとここには厚みのある両面テープを密かに貼り付けてハウジングの動きを止めていたが、その上にもfoQが貼られる形になった。この制振材は貼り過ぎると音が躍動しなくなるので様子を見ながら、慎重に使うべきなのだが、こうするとD8000の売りのひとつであるSNの高さが顕著になる。音像に精密さが増す。いい塩梅だ。調子が出てきたので、ハウジングの中心部付近にあるプラスチック製の薄い円筒状の部分の外周にもグルリと貼りこむ。すると、もう少し静けさが増して音像がシャープに聞こえる。このへんで良かろうか。D8000はヘッドバンドのつくりなどはまだ完全とは思えないので、このようなチューニングにやりがいはある。

そして、
私事ではあるが、ついに耳鼻科に行くことになってしまった。
D8000は悪くない。私が悪いのである。
一日20時間とかヘッドホンで大音量を聞き続けたら流石に私の耳の方がギブアップしたのである。ある日、両耳の強い耳閉感と耳鳴りが私を襲った。耳閉感はスピーカーばかり聞いていたころにもあったので、それほど驚かなかったが、耳鳴りはヤバかった。ここで一週間の休耳を余儀なくされた。
こんな休暇は大昔、JBL4344を耳から血が出るくらいの大音量で鳴らした時以来なかったことだ。
検査の結果、左右ともに耳の聞こえは正常範囲内で、目視では鼓膜も問題ないとのことだった。検査したのが、かなり回復してきた時期だったこともあるかもしれないが、予想よりは悪くない状況で安心した。
そして以下に公開するグラフのが私の標準純音聴力検査の結果(オージオグラム)である。ティンパノメトリー等とあわせて4000円以上もかかる検査となったが、興味深い結果であった。
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この検査はまず防音室で行う。雑音が全く入らない環境でヘッドホンを装着するのである。そしてオージオメーターという検査機器から送られてくる小さな音を聞く。聞こえた瞬間に手元にあるボタンを押す手筈になっている。この手順で一定の周波数(音の高さ)の音を出しては、それがどれだけ小さくなるまで聞こえるかを調べて記録してゆく。この試行をいくつかの周波数で行って出来上がるグラフがオージオグラムである。つまりこれは各周波数について聞こえる音の閾値(ギリギリ聞こえる音の大きさ)をグラフ化したものである。縦軸は音圧(dB)横軸は周波数である。ほとんど重なっているので見にくいが、○は右耳のグラフ、×は左耳のグラフである。グラフの線が下にくればくるほど耳の聞こえが悪いと思えばよい。正常では0dBから25dBくらいまでのゾーンにグラフがおさまるとのことなので、まあまあの結果である。また、○と×が重なっているということは左右の聞こえに差がないことを意味するからこれもいいことだ。
だが20年位前、オーディオを始めて数年しか経っていない頃に測ったものは完全にフラットなグラフだったと記憶している。今回は4000Hz付近で微妙だが感度が落ちている。やはりな、と思う。これは大音量で音楽を聞く人ではよくある変化だという。落ちたとは言っても正常範囲内には留まっているので支障ないが、この結果は幾つかのことを暗示してもいる。
一つは私が大音量でオーディオをやれる年数はこの先限られているかもしれないということ。聴力の変化は確実に来ているからだ。だからこそヘッドホンをやるのである。スピーカーオーディオにかかるカネから本格的なリスニングに取れる時間まで考えたとき、スピーカー関係だと頂点に近い機材を一巡することさえ、もはや私の年齢と財力では難しいが、ヘッドホンなら思うがまま、頂点のほとんどを味わい尽くせる望みはある。
さらに、オーディオファイルにしろ、オーディオ評論家にしろ、皆の標準純音聴力検査の結果のグラフが皆同じではないということ。このグラフは個人個人で微妙にあるいはかなり異なるのが特徴だ。その人のもともとの聴力、年齢、オーディオ歴、嗜好する音楽、働く環境などでバリエーションが豊富なのである。つまり、同じ音楽を聞いても全く違った聞こえになることがありうるのがグラフを見てわかることになる。この聴力・聴感の個人差は意外に大きく、これに目をつけてその人ごとにイコライジングしてフラットにした音をヘッドホンで聞かせようという試みもあるほどだ。(これについて日本の某メーカー製のシステムを簡易的に試させてもらったことがあるが、今のところあれはまだまだ未完成である。)
こうなると評論家で食べている方などはこの検査を信用のおける専門施設でやってもらって公開してもいいかもしれない。特に聴力の精度管理という観点からは重要だろう。彼らの評論を読むオーディオファイルも自前でこの検査をやっておいて、自分のグラフの形に近い評論家さんの話を優先的に聞くべきなのかもしれない。

何にしても過ぎたるはなお、というところだ。
病院行きはD8000に入れ込み過ぎ、聞き過ぎた結果だろう。
人は必ずその人の所業にふさわしい報いを受けることになるのだ。
だが私にそこまでさせるヘッドホンD8000の魅力には稀有なものがあるとも考えられる。
これは重さや装着感についてはあまり良いモノとは言えないが、
音についてはどうも次元が違う。
オーディオをやる意味というのは、機材の出音が細かい音質の評価項目を満たしているかどうか検証することだけでは無論ない。自分の好きな音楽を聞いて、他の機材に比べてどれくらい官能的な充実感があるかという一見、単純な事こそ大事である。音が正しいか・優秀かどうかというような理屈ではなく、脳の深い所に音楽がダイレクトに届いて心の琴線を弾けるかどうかが重要なのである。まさにこの官能的な充実感という意味において、このD8000というヘッドホンによるリスニングは極めて高い点数をつけられる代物だ。過去の傑作STAX SR009もそういう官能・快感に直接訴える側面を持つヘッドホンなのだが、あれは高域の伸びや美しさ、細部まで整った繊細な音像の描写に拠っていた。極めて軽く薄い振動板にコイルボビンを取り付けることなく駆動できるヘッドホン特有の、このような出音。そこには他機の追随を許さない利点があった。そしてSR009の発売から約7年後にオンステージしたD8000はそれらの要素に低域のインパクトや中域の厚みなど、さらに多彩な長所が加えられた格好となっている。D8000はSR009の不満点を見事に改良したモデルであり、これほどのサウンドを持つヘッドホンは今までなかった。

もう今年で平成も終わる。
敏感なオーディオファイルは誰もが気づいていることだが、昭和期に形成されたハイエンドオーディオのビジネスモデルは、機材の高価格化、旧型のハイエンドオーディオの担い手の高齢化、日本人の生活スタイルと価値観の変化、日本の若年層の貧困化、音楽業界の衰退になどよって、日本では平成期に実質的に崩壊した。とはいえ、このような廃墟であっても多くの人が居残り、そこで商売をし、音を聞いて愉しんでおり、依然としてそこへの出入りがあるのが現実だ。無論、私もそこに留まる一人である。だから、そこで生業を営み、趣味を楽しむことにどうこう言う気はさらさらない。だが、とっくに壊れて終わっているにもかかわらず、前のビジネスモデルがまだ残ってしまっていることには問題もある。それを撤去して新しい仕組みを作ることができない状況を生むからだ。そのせいで、この先も速いスピードで変化してゆく世界の中で、ハイエンドオーディオをどう売っていくのか?そのアイデアは?となると、誰も何も新しく思い浮かばないという手詰まり感がある。これからも富裕層だけに割高な機材を売り続けるしかないのだろうか。今、とても高価なオーディオ機材は、なぜ高価なのかといえば、ひとつには数が売れないからということがある。つまり音のクオリティが高いから高価だとは言い切れないのだ。沢山売れれば、単価はもっと下げられるのであるが、発売前の見積もりとしても多数は売れそうもないし、実際売ってみても昔ほど数が出ないのである。だから初めから高くして売る。そうなるとこの価格設定にはメーカーや代理店側の保険のような意味もありそうだ。本来は音がいいから高価、となるべきなのだが、そういう側面は意外に低く抑えられている。仮に音は良くてもコスパは昔より悪いのだ。

一方で、
昭和期まではオルタナティブな立場に終始し、あくまで脇役でしかなかったイヤホンやヘッドホンが今までのスピーカーオーディオとは別な場所に、新興のデジタルファイルオーディオやアニソンの要素を取り込みつつ、新たな王国を打ち立てつつある。
もちろんこれは伝統があり様々な意味で大規模でもあるスピーカーオーディオの土俵で戦えば、たちまち打ち負かされるようなものかもしれない。だからこそ自分で別な新たな土俵を作り上げたのである。(これはどこか既存の貨幣とビットコインの関係にも似ている。これからは個人が自分の好きな経済圏を選択できたり、跨いだりできる時代となるが、それに似ている。)
この新天地において、もういちどハイエンドオーディオの旗をひるがえすことはできないかと私は模索してきたが、D8000の音を聞いて野望の実現への手掛かりをつかんだ気がする。思えばRe Leaf E1の登場時にもそれに近い手応えを感じたものだ。そしてこのD8000の登場で新しいヘッドホンオーディオの姿が完成した形で見えるまでに整ってきた感がある。もちろん問題も生じてきている。例えばヘッドホン・イヤホン機材も一部は高価格化し、安価で手軽な製品と二極化して、スピーカーオーディオと同じ轍を踏みかねない状況が出来ている。しかし、なにはともあれ、その芽吹きの予感から10年ほどかかって、ヘッドホンやイヤホンの音質がここまで発展して来たことは評価すべきである。レクイエムを歌うにはまだ早いにしても、着実に黄昏を感じるスピーカーオーディオより、よほど前向きな動きだと思う。

何があろうと、
私はこれからしばらく、Final D8000を軸にしてヘッドホンオーディオの可能性を追求していく。この機材はおそらく私のヘッドホンオーディオにおいては画期的な機材であり、時間とカネをかけて仕上げてゆく価値のあるものだろう。
スピーカーオーディオを散々やったあげくに、自分のオーディオにどこか退屈さを感じ始めていて、なにか新しいことに手を出したいけど、ヘッドホンはブームなだけで音質は今一つだから、などと思っている方が日本には多くいるはずだ。そういう方には十分な前段機器と静かな環境というのが前提条件であるが、一度D8000を試してみることをお薦めする。自分の知らなかったオーディオのフロンティアに気付くかもしれない。
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それにしても、
オーディオの世界ではD8000の出現を、
なぜもっと大きく騒がないのか?
今の私には皆の無関心が至極、勿体ないものに映るばかりだ。



by pansakuu | 2018-01-29 16:33 | オーディオ機器

Final D8000 平面磁界型ヘッドホンの私的レビュー:約束の地

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私はαでありΩである。
ヨハネの黙示録より

Introduction:

ふりかえると、
今年という年はそれまでヘッドホン界を包んでいた
異様なほどの熱気が幾分か冷めてきたことをネガティブな要素として感じたものの、
そのせいでむしろ、ニワカは去り、選ばれた本当のファンだけが居残り、製品の方も機能的に高度に洗練されたものや、高い音質への志を持ったプロダクトだけが生き残り、
かえって一つの趣味としては熟成してきたことをポシティブな要素として受け止められた一年だったと思う。

そのような選別、洗練化の流れの中で注目すべき製品として、今年最後のコラムで紹介したいのがFinal D8000というヘッドホンである。これは久しぶりに衝動買いしたオーディオ機器だ。初めに試聴した部屋を出た時には、もう購入の申し込みをしていた。

これは生まれながらに名機としてリスペクトされるべく現れた、運命のヘッドホンである。
私見だが、D8000は音質面に限れば現在、世界にあるヘッドホンの頂点に立つものであり、次世代のリファレンスヘッドホンであり、ヘッドホンの音質を新たな段階へ引き上げる製品であろう。
このヘッドホンを駆使する者は、どのようなスピーカーでも実現不可能な、ハイエンドヘッドホンだけに許されたオーディオの可能性を深く感得することができるだろう。D8000誕生以前のヘッドホンオーディオのスタンダードからすれば、いくら賞賛しても足りないほどの音質がここにある。

D8000が生まれるために必要だったのはいくつかの出会いである。
そもそもオーディオとは人と人との出会いがつくる何かである。
しかし、その出会いがいくら良い出会いであっても、ひとつでは足らないこともある。
幾度もの出会いがなければ、良い製品は生まれない。
多くの才能との一期一会、最初であり最後である出会い達から名機は創生される。D8000のサウンドはFinalという核があってこそ出来たのは確かだが、このメーカーの技術のみでは成就しなかったはずだ。社外の多くのエンジニアたちとの交流なくして、このサウンドはなかった。一人の天才の力だけでは既にどうすることもできないほど、オーディオも社会も発達し複雑化してきている。やはり沢山のいい出会いがなければ、もう素晴らしい製品は生まれない。それを証明した意味でも、このサウンドの意義は大きい。


Exterior:

D8000の実機は重い。LCD4ほどではないが、Utopiaよりも明らかに重たい。装着すると、まあまあ違和感なく収まるし、頭頂部も痛くないが、上体を前に倒すとヘッドホンは前にズレてくる。側圧が少し弱いか。例えばHD660Sを使っているが、こちらは逆に側圧が強いというか、パッドが盛り上がり過ぎているうえ、硬い。反対にD8000はパッドが柔らか過ぎるか。いずれにしろ装着感の改良がさらに必要だ、しかし、このパッドは音質に深く関わるので安易には変更できない。側圧もだ。

以前、Finalのセミナーに出たことがある。社長のH氏が出てきて長い講釈をしてくれた。その時は大学の退屈な講義を思いだして辟易したものだった。こういう場合、Youtubeにでも内容をアップしておいて、説明を字幕で見せながら、製品を試聴させるというのが現代的なやり方だろうと思ったが、まあそれはいい。そこで、Finalはパッドにこだわって音質をチューニングしていますというH氏の発言があり、興味を惹かれたということを私は言いたいのだ。その当時、私はちょうど或る方面からHD650の音質を改善するための別注イヤーパッドの開発について意見を求められていたので、誰しも同じようなことを考えているのだなと思って微笑ましかった。
問題のD8000のイヤーパッドは私が今まで見たヘッドホンのなかで最も複雑な構造をしている。厚めのストッキングのようなサラサラした感触の布でドーナツ型の袋のような形のスキンを作り、その中に二種類の異なる形状・硬さのドーナツ型のスポンジのようなものを入れてある。それらはおそらくあえて接着固定されておらず、しかもその二つのうちヘッドホン側のものには内側に切欠きが入っている。Finalらしいというか、求める音を得るためにかなり入念なチューニングがなされたことが、触れただけで分かろうというものだ。この会社の開発はこういうギミックとか材質の選択には余念がない。
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ハウジングは特殊金属製と推測される黒い円板状のものであり、放射状にリブが入っている。中央部にドーナツ型のメッシュが入ったパンチングメタルのプレートが嵌め込まれているのが目につく。よく見ると小さな穴がびっしりと開けられている。このパーツがこのヘッドホンのキモの部分らしい。それというのも、このヘッドホンは振動板の過剰な動きを的確に制御するため、空気の粘性を利用したブレーキのような仕組みを持っている。これがAFDS、エアフィルムダンピングシステムと名付けられた機構である。この細かい穴の開いた部品は、振動する薄膜がマグネットに接触しないようにブレーキを効かせる際に、空気を適切な時に適切な量だけ外に逃がすように設計されている。このブレーキ・制動の働きの良し悪しは、その形状とメッシュの穴の大きさ・配列にかかっているわけで、その製法の詳細はFinal社の最高機密であろう。そういえばMDR-Z1Rのハウジングにも、内部の圧力をステンレスワイヤーで編んだ網やダクトを使って絶妙に逃がす仕組みがあるが、どちらも特殊なメッシュを使うところに共通項がある。なお、この仕組みはイヤーパッドの側頭部への密着性や圧力の透過率にも依存しているはずで、この意味でイヤーパッドの材質の選択、形状の設計も重要なファクターと推測される。これだけ高額なプレミアムヘッドホンにしてイヤーパッドを革製にしなかったことはその証拠ではないか。
なおこのAFDSという仕組みこそ社外からのアドバイスを取り入れてできたものらしい。後で述べるがD8000のサウンドの素晴らしさ、特に低域のグリップの良さはこの仕組みによるところが大きいようだ。
メーカーのHPにはその他、特殊な製法で作られた振動版のことを含めて、いくつかの技術要素について説明されているが、実機を十分な環境で鳴らすとその程度のことでこのサウンドが完成するとは到底思えない部分がある。隠されたノウハウや互いに関連のない技術の偶然の一致がこのヘッドホンが作られる過程に介在しているに違いない。

またD8000のメッシュの面積はハウジング全体の大きさに比してあまり大きくないので、このヘッドホンはさしあたりライバルの一つと思われるSTAX SR009のような純粋な開放型ではなく、半開放型ぐらいな作りになっている。そのせいかSR009に比べると音漏れは若干少ないし、逆に周囲の音にあれほどは影響されない。

ハウジングの5か所にある放射状のリブは、ハウジングに強度を与えているだけでなく、このヘッドホンのデザインを作っているようにも見える。実際、このリブがあるおかげで、D8000は装着時のルックスがいい。だがこの特殊な金属製のハウジングはやはり重い。同時期に出たオーテクの極めて軽い製品などと比べると、ヘッドホンとしては望ましくないと判定されそうだ。しかし、この重さと剛性はD8000のサウンドの形成に不可欠なものとも思う。LCD-4の時もそうだったが、望む音質を得るためには相応の重量がヘッドホンといえども必要になることがある。
さらに、このハウジングの黒い塗装である。
ライカカメラの軍艦部などの塗装を担当するドイツの会社に特注しているらしい。
ここまで外観の色や質感にこだわったハウジングは久しぶりに見た。TH900の塗装やEditionシリーズのプレミアムウッドなんかを想い起すが、なるほど、この深みある黒はブラッククローム仕上げのライカのようだ。この僅かにざらつきのある鋳鉄のような表面の質感にも、ドイツっぽさ満載である。H氏はあの講義でもライカへの思い入れを語っていたっけ。あのライカのブランドバリューを自社の製品イメージに取り込みたいと言う日本のモノづくり会社の社長さんが少なからず居るが、H氏もその一人らしい。
私もライカが大好きなので、そのへんはよく分かるが、そんな音質に関係ない塗装にカネをかけるよりは安くしてくれーという叫びが若い世代から聞こえてきそうだ。
私としてはブラッククロームができるのだから、ライカのようにクロームシルバーを出してほしい。D8000がいっぱい売れて余裕ができたら、そういう特別モデルを出しても面白い。

D8000のヘッドバンドやスライダーの作りはごく簡素で、例えばMDR-Z1Rなどと比べるとチープである。実際に使っているとスライダーにストッパーがないのでイヤーパッドが決めた位置から少しずつズレてしまう。クリックストップのあるものに変えるべきだろう。私は厚い両面テープをヘッドバンド裏の目立たないところに貼って、ハウジングの位置が動かないようにしている。こうすると音の方も一層安定する。またヘッドバンドの皮革は触ってみるとささくれが微かだがはっきりある。これはわざとなのかクオリティーコントロールの問題か。
ハウジングはヘッドバンドと一点で結合され、その一点を中心にグリグリと動いて側頭部の形状にフィットさせる方式である。よくあるY字型のアームでハウジングを吊る方式ではない。これは他のメーカーはあまりやっていない方法であり、長い目で見て、強度が保てるのかが分からないので少し心配であるが、とりあえず不都合はない。
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D8000、リケーブルはもちろんできるのだが、ここで使われるFinalの純正端子はかなり独特なものだ。端子を決められた方向に90度ねじらないと取れないし、結線することもできない。
私は端子の外側にねじる方向を示す矢印が欲しかった。ねじったあと、これで外れているのかどうか分からないときがあるのだ。
それから、まだ正式なアナウンスもされていない純正としての潤工社製シルバーコートリケーブルを使ってみたいのは山々だが(潤工社のケーブルの音の良さはACデザインの頃から知っているので)、サードパーティのリケーブルも試してみたい。だがこの端子ではなかなか難しいか。私は純正のシルバーコートリケーブルをXLR3pin×2で早急に作ってもらいたかったのだが、問い合わせすると、当面は純正品としてのXLR3pin×2のシルバーコートリケーブルの販売は予定していないとのこと。
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そういうわけで、今回はリケーブルをBrise audio様に頼むことにした。Brise audioはいつも新しい製品への対応が早いが、ここでも素早い反応を見せてくれた。電話で問い合わせるとfinal 専用の端子を使った試聴用のバランス仕様のケーブルはアッという間に届いた。
UPG001HP Ref.と呼ばれるこのモデルはくっきりとした輪郭と豊富な音数を特徴としていると聞いていた。実際このバランスリケーブルを使ってみるとFinal純正のシングルエンドケーブルよりも音像はソリッドになり、音場は広がって、音全体に安定感が出てくる。少なくともヘッドホンに同梱されているケーブルよりは明らかに手持ちのE1xとのマッチングはいい。正直、付属のシングルエンドの純正ケーブルには戻れない。リケーブルとしては、まずはこれで良かろう。


Sound:

さて、ここからは音質の話をする。D8000をいろいろなアンプやDACで鳴らした話は横に置き、私が試した中では一番音のいいシステムでの印象を記す。今回のシステムは無改造のPCとUSBで結線したNagra HD DACにRe leaf E1xをバランス接続、Brise audio様から借りた4pin端子仕様のUPG001HP Ref.にXLR3pin×2のアダプターを取り付けたD8000から成るものである。

それから、以下のインプレッションはこれらの一見オーバーとも取れる機材を前段においてこそ聞こえるものだと思ってもらった方がいい。わざわざここでそんなことを断るのは、D8000はそれほど前段機器の実力をあからさまにするものだからだ。
幾つかのハイエンドヘッドホンアンプを試したがD8000を鳴らすのにRe leaf E1xの右に出るものは見つかっていない。THA2ですらRe leaf E1xにはかなわないのだ。
またいくつかのシステムを試した経験から、DACの能力は高ければ高いほど出音が良くなるのも分かった。それは当たり前と思われるかもしれないが、普通のヘッドホンではハイエンドDACの出してくる情報をさばき切れないものが沢山ある。優れたDACを用いても、システムトータルの音のバランスはかえって悪くなってしまうこともある。だが今回は逆にDAVEやMytek のManhattan2ですらD8000の十分な相棒とは映らなかった。
dcsのRossini+ClockやCHprecision C1+X1、Weiss Medus、Meridian Ultra DAC以上の完成されたサウンドを持つ機材が望ましいと判断する。そのクラスのDACが放つ音を十分に受け止められるだけの性能がこのD8000には備わっている。ヘッドホンではほぼ初めてのことである。このような上位のDACを渡り歩いた後では、それ以下のDACの音では、その実力差が聞こえ過ぎてしまうと私は感じた。こうしてDACの残念なポイントがバレると思うと、D8000を使うことは少し怖い気もする。D8000は場合によってはハイエンドスピーカー以上にDACを厳しく評価してしまう。スピーカーはごまかせてもヘッドホンはごまかせないという名言を吐いた録音エンジニアさんがおられたが、まさにそうなのである。いままでの私の感覚だとハイエンドDACの情報の8割ぐらいしかヘッドホンでは聞けない場合があるので、その目減り分を補うべく、初めからややオーバークオリティのDACを当てたり、HPAの性能を上げたりしていたのだが、D8000では逆の現象が起きている。
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Final D8000を使っていて真っ先に感じるのは、
これまでいくつものハイエンドヘッドホンやスピーカーを、これまたプレミアムなDACやらアンプを使って頑張って鳴らしてきたが、それでも聞けない音があったということである。D8000を組み込んだシステムでは従来のヘッドホンやスピーカーと比較して、全ての帯域で情報量が明らかに増えている。特に低域における情報量の増大に目覚ましいものがある。これはヘッドホンに限らずスピーカーを含めてもかなり情報豊かな低域と言えるのではないか。人として恥ずかしいほどのレベルでヘッドホンやスピーカーに傾倒してきたのに、アンタはなんにも聞けていなかったじゃないかと言われれば返す言葉もない。これではD8000以外のヘッドホンでは特に低域の情報がかなり失われていたと認めざるをえない。どこかでごまかされた、うやむやにされたような音を私は聞かされていたのかもしれない。
D8000の低域はスピード感もインパクトも制動も他のヘッドホンにはないものがある。量感に不足なし、歪みは極小、適切なタイミングで立ち上がり、たちまち消える。こんな低域などほぼ聞いたことはない。良質なダイナミック型を上回るほどのインパクトがありながら巧みに制動が効いた低域でもある。

ヘッドホンシステムを完璧にして初めて聞こえてくる音があると思い知らされるリスニングがD8000が来てからは何日も続く。
聞きなれた録音の中に、こんなに多くの音が潜んでいたとは。
この潜伏音の聞き逃しは、ちょっとしたショックである。
例えばラルフ タウナーのソロアルバムAnthemを聞く。これはタウナーがひたすらにギターを弾いているだけのアルバムなのだが、これまでこれらの曲を、それなりハイエンドシステムで聞くと楽器から出る音に加えて時々タウナーの息遣いがリアルに聞こえたりする。それで十分だったのだ。しかしヘッドホンをD8000に替えると、タウナーが生きている人間であることがもっと切実に意識される。演奏中ずっと彼の呼吸音が聞こえるからである。この呼吸音はかなり小さな音だが、マイクロホンはしっかり捉えていたのである。呼吸音は持続的で時に規則正しく、時に乱れる。タウナーの感興に合わせて変化しているようだ。またタウナーが座っていると思われる椅子がきしむ音も聞こえる。このアルバムは何百回と様々なシステムで聞いているが、そこは初めてはっきり聞こえた。この音の存在はコンピューター上で合成されたサウンドなのか、生きている人間がスタジオに入ってマイクロホンと向き合って一発録音されたもののかを分けるポイントでもある。
そういう重箱の隅の音が聞こえたからなんだ、という意見も出そうだが、私はそうは思わない。朗々と響き渡るギターのつまびきが、いままで聞こえなかった細かな音の情報を伴っているので、従来のよりずっと生々しく鮮烈である。
例えば今はアジアンカンフージェネレーションのソルファを聞いている。音量をすこし上げるとボーカルが本当に目の前にいるようだ。リズムとメロディに合わせて潤いを含んだ口を開けては閉め、周囲の空気を吸い込んで暖かい息を吐き出す。これが生きているボーカリストというものだとリスナーは体感する。細かい音の情報はあくまでつくりものであるはずのヘッドホンサウンドに命を与えてくれる。

小さな音が聞こえることと同値であるが、
D8000のサウンドでは余韻がとても長く、音が消え入る最後の一滴まで耳に届くことが嬉しい。手練れたサイフォニストに淹れてもらったコーヒーのアロマのように長く尾を引いて脳裏に残るといった具合だ。さらに、こんなにもきめ細やかな音の輪郭、丁寧な質感描写もほとんど類例がないレベルだ。近いものがあるとすれば唯一SR009だろうか。SR009にも特筆すべき音の丁寧さ・繊細さがあったが、D8000はそれをそっくり移植したうえで、低域を中心としたもっと明確な実体感をプラスした音を奏でる。

また、D8000は自分の得意とする音場・音源との距離感をリスナーに押し付けない。録音され製品化される過程でエンジニアが音楽に与えた音の広がりをそのまま出してくる。すなわちD8000については出現する音場が広いとも狭いとも言えないのが本当のところだ。様々なジャンル・時代のアルバムをとっかえひっかえ聞いていくと音像の遠近や位置関係が作品ごとに実に多彩であることがわかる。音がほぐれて遠くにいるときもあれば、密集して耳のごく近くに迫ってくるように聞こえる音もある。例えばHD800は普通に使うならよくできたヘッドホンではあるが、これらの距離感がどんな録音でも一様になってしまう。D8000はそこの部分に注意して聞くリスナーに対しては録音のシュチュエーションや音楽制作の過程をどのヘッドホンよりも親切に教えてくれる。これは録音スタジオなどでモニターヘッドホンとしても使えそうだ。
録音状況がよく見えるようになれば演奏の細部も当然よく見えることになる。演奏の溜めの部分、インタープレイの目くばせとそれに対する反応、そして演奏の始まる瞬間に奏者たちが呼吸を合わせる合図が見えるような聞かせ方である。これらは本来DACやアンプに依存する部分が大きいはずだと考えていたが、ヘッドホンが従来よりも小さな音にしっかりとタッチできるようになってこそ、聞こえてくる部分もかなり大きいのだと知った。

それから、意外だったがパワーがかなり入る。ボリュウムを挙げるとさらに情報量が多くなって驚く。大音量だとまるで音が沸き立つように聞こえる。音像がダイナミックに音場一杯に躍動する様子は大音量派のオーディオファイルのリスニングを彷彿とさせた。ここまでアグレッシブにもなれるのに、一方では細部への冷静なまなざしを失わないのも素晴らしい。音楽のノリに流されないで小さな音を常に監視する。
また格別に大音量にせずともこのヘッドホンの出音は頭の一番深いところにまで届いてくる。この鳴りの良さはなんなのだろう?こんなにディープインパクトなサウンドはあり得ないと思っていた。音の直進性と広がりはスピーカーでの評価項目だが、それをあてはめたくなるほど、音がこちらに飛んできたり、広く深く浸透したりするように聞こえる。

D8000の音の出方は耳の上になにもかぶせないで聞いている状態に近い。SR009もなにもない場所から音が立ち上がるような不思議な感覚を持つがそれに近い。頭が重たいのでヘッドホンをしていることは意識できるが、音がそこから出ているようには聞こえない。
よくスピーカーで聞いているように聞こえるヘッドホンとい謳い文句があって、私も使ったことがあるが、ある程度はお世辞が入っていたかもしれないと反省。D8000は世辞抜きでさらにスピーカーに近い音の出方をする。SR009にはここまでの鳴りの良さ、パワフルな音の出方がないのが惜しい。
D8000は楽器と楽器の間にある空間の存在、音が立ち上がる寸前に置かれた静寂の質についても描写を怠らない。実は音がない場所はこの世界にほほとんどない。どのような静寂の中にもエーテルのように微かな音が流れている。それを捉えるには軽い振動版が必要であり、SR009やLCD-4などはそこを狙って工夫をこらすのだろう。だが往々にして完璧にならない。D8000はその方面での稀有な成功例なのだ。こうなると各パートの分離は非常に良好となり、多くの楽器や演奏者を分離して意識することが可能となる。

D8000の出現でハイレゾデータに対する印象も変わる。ただ単に音数が増えるだけでなく、音の密度がグッ上がるのだ。基底データよりも目が詰まった、粒立ちがよく、色彩感にあふれたサウンドになるのが分かる。ハイレゾの情報量をヘッドホンはまだ使い切っていなかったようだ。

D8000のカバーするダイナミックレンジと使える周波数帯域はヘッドホンとしては異例に広い。特に低域の伸びは著しい。高域も自然に伸びていて好ましい。そして特に突出して目立ったり、落ち込んでいる帯域は聴感上はほとんど感じられない。平面磁界型では薄くなりがちな中域に十分な厚みが確保されていることも注目すべきだろう。D8000をつないでいる私のシステムについてはもともと残留雑音(S/N)に関しては極めて優れたものであることは疑っていなかったが、それはD8000を使うことで証明されたように思う。背景の静寂がアルバムごと・録音ごとに感触がちがうこともよく聞こえる。録音に使用した機材、録音された場所・時代の違いが音が出る前に感じられる場合がある。

さて音質に関する御託はこの辺にとどめておいて、他のハイエンドヘッドホンと思いつくままに比較してみよう。あくまで私的なコメントとしてだが。
STAX SR009はこの世界では標準機としての地位を固めているが、このヘッドホンには低域の量感や全帯域にわたってのもう一歩の実体感を求めたかった。D8000にはそれらが完全に備わって不満がない。またSR009は十分にドライブできるヘッドホンアンプがほとんど選べない。T8000とBlue hawaiiくらいしか思いつかない。だがD8000では最適にドライブするHPAを豊富な選択肢から選べる。
Focal Utopiaのサウンドは鳴りがよく、全域にわたり解像度が高い。しかしアンプとの相性は限られ、べリリウム独特の音の密度感や重さを引きずっている。Utpoiaよりもはるかに軽い振動板を使い、低域についての最適解を見出したD8000に勝るとはいえない。また音質とは関係ないが、このメーカーのヘッドホンの内外価格差は正規代理店経由での購入を躊躇させるのに十分なものとも言える。国産のD8000には、その悩みがない。
話題のオーテク ATH-ADX5000。(SS誌がこのヘッドホンを年末のグランプリで唐突に取り上げたことに違和感を感じたことは置いておいて)軽さや装着感などではD8000は完敗である。というか、このヘッドホンはその点で言えば世界のほとんどのハイエンドホンを寄せ付けないものがある。音についても今までの基準を適応するならとても優秀なものである。これは鳴り物入りで来たわりには不人気だったSE-Master1の音質上の問題点を後出しで改良したようなモデルである。オーテクが久々に放つオープンタイプのヘッドホンの自信作、バランスよく開放的な音を奏でる優秀機である。しかし音のひとつひとつの要素を考えると、今までのヘッドホンの枠の外には出ていない。私にしてみれば想定範囲内の優秀機なのである。対するD8000のサウンドは全てにおいて想定外の世界に突入している。またATH-ADX5000の低域については私的には量感やインパクトが足りない。この低域ではまだ空振りしていると私は取る。もちろんD8000出現まではこの程度で良かったのだが・・・・。D8000との間には価格差はあるが、相応の音質差があると見ていい。
ETHER FLOWはD8000ほど鳴りは良くないし、帯域がフラットでなく、固有の響きが見え隠れする。それから音の解像度もATH-ADX5000ほどのものでさえない。これはD8000と比較する前にATH-ADX5000と比較されるべき存在かもしれない。
Sennheiser HD800sについては装着感と音質、価格などを総合して考えるととてもよくできていると思うが、D8000と比べると音質面ではもはや勝負にならない。D8000はHDシリーズとは一世代違うサウンドを奏でるものなのである。さらにSennheiser には、かなり高級なセット品としてのHE-1が切り札としてあるが、こちらは真空管を使うアンプ部が残す音の甘さをどう考えるかが評価の分かれ目となる。外観、ギミック、音に独特の豪華な味わいを求めてHE-1を選ぶのなら理解できる。だが、ヘッドホンから出てくる音の質のみを単純に比較した場合、相応しい前段機器でドライブされるD8000にHE-1システムが勝るものとは私には思えない。

意外なことだがD8000の音の良さのあらましを知るだけなら、AK380などのハイエンドDAPを使えば十分のような気がする。つまり、世の中の平面磁界型ヘッドホンとしては鳴らしやすい部類に属する。SUSVARAのようにOctave V16 SEにSuper Black boxをあてがったり、Goldmund THA2を使ったりしないと実力を測れないような難物でない。つまりSUSVARAはその使いにくさから既にD8000には劣るということだ。SUSVARAの鮮烈な音像の描写と高域の美しさは唯一無二ではあるが、中域・低域の描写力はD8000に劣るし、音場の描き方も十分とは言えない。ついでにいえばSUSVARAはHifimanの中では最も仕上げのいいヘッドホンだが、リケーブルのコネクターの本体への差込み角度のばらつきなどを見ているとまだ完璧ではない。D8000の方は神経の行き届いたしっかりとした造りとなっている。同社のHE1000V2はどうだろう。こちらはD8000と同等の空間表現を備えるが、音像の明確さや音のテクスチャの表現力はやや劣っている。しかもSUSVARA同様、鳴らしにくい。
D8000の真のライバルがいるとしたら最新バージョンのLCD-4だろう。これは軽い振動板をパワフルに鳴らす、究極のヘッドホンを目指して作られた機材であって、D8000と似たコンセプトを持って生まれてきたものである。実際、高域や中域の充実はD8000にそれほど劣らないと思う。LCD-4はしばらくD8000とほぼ同じ環境で使っていたのでよく分かる。だがD8000の方がやはり聞こえる音数がかなり多い。それから低域の充実度もより高いし、鳴りもより良いのでD8000はLCD-4より総合的に勝っている。それから何といっても、D8000はまだ故障していない。audeze lcd4は届いて2週間もたたないうちに本国に修理に出さなくてはならなくなった。


Summary:

大学生の頃、ニューヨークのセントラルパーク沿いのホテルに一か月ほど居たことがある。真夏の緑に染まったセントラルパークを眺めながらゆるやかに過ごした日々。
あれは私の経歴の中で最もヒマで退屈な日々だった。
私はクリスチャンではないが、その当時ミルチア エリアーデに傾倒していたことと、そもそも世界中の主な宗教の経典を一通り読まないと大学の単位が取れそうになかったので、コーランや論語、般若心経や阿含経、いくつかのヴェーダなどに混じって新約聖書を革製のトランクに入れて持ち込んでいた。窓辺の明るい光の中でその中にあるヨハネの黙示録にさしかかったとき、例の有名な一行が目に留まった。
「私はαでありΩである。」
この種の短く重い言葉が多くの解釈を生むことをその時初めて知った。
αとは最初の存在、Ωとは最後を意味しているので、この言葉はすなわち「全て」、ひいては「神」を指しているというのがよくある解釈である。
だが私はこのときαとΩの間にある20数個のギリシャ文字のアルファベットを想起した。一般的な解釈を超えて多くの異なる要素の統一体としての「全てを含む存在」をイメージしたのである。なぜだろう。遠い未来にはD8000を聞いてその勝手な解釈を思い起こすためだったのかもしれない。

Final D8000はヘッドホンに対してハイエンドオーディオが要求する、ほとんど全ての音質的ファクターをほぼ死角なしで揃えた、初めてのヘッドホンである。αからΩまで全ての要素を持っているのである。
またFinal D8000という一つのヘッドホンは多彩な経歴をもつエンジニアたちの知恵が集結したものである。これはヘッドホンオーディオというジャンルが生まれるはるか以前から続く、音響物理の研究成果と高音質を求める情熱、それらを統一した存在と考えられる。D8000はその意味でαでありΩであるモノだと言える。
そしてD8000は最初であり最後でもあるヘッドホンかもしれない。これほどの高性能、各要素のバランスの良さをもつヘッドホンが次々と現れるとは考えにくいからだ。このヘッドホンの技術要素のコアとなる部分について重要な助言をした日本オーディオ界のレジェンドN氏はD8000の完成直後に世を去ってしまわれた。これから先、有能なベテランエンジニア達は消えゆくのみなのだ。こういうヘッドホン・イヤホン隆盛の時代にたまたま出会った、時代を跨ぐ才能のマリアージュが、この素晴らしいサウンドである。ならば、そんな偶然が再び起こるとを安易に期待することはできまい。だからこそ今、このサウンドを味わうべきだ。38万円は高くない。
そして何より、このヘッドホンは私にとっては神の器のごとく有り難いものに思える。
「αでありΩである」という言葉が神を指し示すなら、その意味でもD8000はこの謎めいた言葉に合致する存在だ。ヘッドフォニアたちを約束の地へと導く、ヘッドホンの神がいるなどと想像したこともなかったが、初めてD8000を聞いた時、そんな図式が頭に閃いたことを私は否定しない。

冗談はさておき、
Final D8000の登場はヘッドホンオーディオのスタンダードを一段高いステージへと引き揚げたことは事実である。この複雑で偉大なサウンドを一回の混乱したコラムで語り尽くすことは到底無理だが、私の中ではD8000以前と以後で他の全てのヘッドホンの立ち位置が変わってしまったことだけは確かだ。
いきなりずいぶん高いところに新たな頂点が出現した。
別な例えをするとしたら、100mを8秒台で走るアスリートが突然日本から現れたというところか。
これは最近のスピーカーオーディオで言えばAir force ONEやMSB Select DAC、イヤホン界で言えばAK380、JHのLayraのような画期的な新製品が現れた時に似ている。それらの登場の時と同じくここからオーディオ全体に密やかな影響をおよぼすような変動が始まる予感さえある。もちろんそれは見かけ上小さな変化かもしれない。感覚を研ぎ澄ませ、注意深く耳を澄ましている者にしか知り得ないかもしれない。だが・・・・・・。
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そろそろ宣言してもよかろう。
我々は荒野の果てにある、約束の地と思われる場所に辿り着いた。
αでありΩであるなにかが、そこに私を連れてきたのである。



by pansakuu | 2017-12-31 16:01 | オーディオ機器

Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で

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霧が晴れるのを待っていても仕方がない。
だから、私は霧の中で一人踊るのだ。
カリディアス(作家)



Introduction

オーディオ機器の中で
私が最もファンタジー=幻想性を感じる機材はフォノイコライザーである。
単体でオーディオにおける音の美というものに
これほど貢献する機材を私は他に知らない。
そして、その他を知りたい思わないほど、
私はフォノイコライザーが好きなのである。

フォノイコライザーとは、カートリッジから来た微弱な信号に、あらかじめ決められた再生カーブに従い、低域成分を大きく、高域成分を小さくする補正を施して出力する機械に過ぎない。だが、優れたフォノイコの生み出す音の変化は他のどの機材でも醸し出せないものがある。これはアナログシステムの音色を決めるものである。

先ごろ、私はAudio Noteの最高級システムを詳しく聞く機会に恵まれた。
そこで初めて聞いたコンポーネントといえば、フラッグシップフォノイコライザーであるGE10のみだったが、この秀機を擁するAudio Noteのシステムの出音に、私は強い印象を受けた。
しかし、その感覚を言葉にするのには、しばらく時間が必要だった。
それは物理と数学を基礎とする電気工学の塊から、科学とは無縁のようにみえる幻想的なサウンドが霧のように湧いてくるという矛盾した体験を表現するのに手間取ったからではない。
そのサウンドの外にある、この機材の存在意義について考えていたせいだ。
私は、この体験を表現することに心の奥で戸惑い続けていた。


Exterior

ここで略称するフォノイコライザーGE10の正式名称はGE-10ステレオCRタイプ フォノイコライザーアンプリファイアーである。
試聴時に頂いたカタログの中ではフォノイコライザーという言葉は使われず、フォノアンプという呼称が採られている。イコライザーとつくと信号を補正する機能が前面に押し出された名になり、フォノアンプと言うと信号を増幅する意味が入ってくる。この名付けははたして意図的なものだろうか。実際にGE10を聞いても、なるほど音を増幅する機械としての側面が強く感じられた。

GE10は二筐体から成る。高級機でよくある電源部を別筐体とするものであり、その構成自体は珍しくない。
一般にフォノイコライザーは装置の丈が低く、平らなものが多い気がする。ターンテーブルの真下に薄型の筐体がひっそりと滑り込んでいるようなセッティングの図式を思うものだ。
GE-10については筐体の丈の高さがフォノイコライザーとしてはかなりあるというのが気になった。これは真空管を立てて内蔵したうえ、内部が銅のパネルで仕切られた二階建て構造になっているためらしい。

内部には8本の真空管(E88CC,6072,6CA4)とAudio Noteで手作りされる大型銀箔コンデンサーを含むCR型のイコライザー回路などがシルク巻きの銀線で結線され整然と納まっている。モジュール化されたフォノアンプ部はコンパクトだが、筐体はこれだけの大きさがあり不釣合いな感じもする。パワーアンプのKaguraと異なり、トランスの巻線は銅線であるが、大規模設計のシャント型ヒーター電源回路、大容量のリップルフィルターコンデンサ、片チャンネルあたり二個搭載されるチョークなど、電源部はフォノイコライザーとしては豪華なものである。そして驚くべきは、出てくる音がカタログのスペック欄に記載されている内容から連想されるものより、さらにハイレベルなものであること。カタログでは語られない、多くのノウハウがここには内包されているのだろう。

電源部と本体のフロントパネルには二系統の入力を選択するダイヤルと電源ボタンなどがあるばかりで極めてシンプルである。入力選択の他に機能らしいものといえば、リアパネルに抵抗切り替え式のローカットフィルターが実装されているのみ。ただ、これは操作しやすいものではない。裏にまわって見えにくい場所にあるトグルスイッチを操作するのだから楽じゃない。フロントパネルに多くの機能を集約するEMT JPA66などとは異なる。
そのリアパネルも実にシンプル。RCAの入力が二系統あり、RCAの出力が一系統あるのみ。最近話題のXLRバランス入力も出力もない。これでは他社機との接続をあまり考慮していないと取られてもしかたない。これほど高価なフォノだが、接続の発展性が低いというのはプラスにならない。
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今回の試聴システムはAudio Noteの最上級のコンポーネントを組み合わせたものであり、いわばその総力を結集したものとなる。
アナログプレーヤーはGINGA(写真でみると巨大に見えるが実物はAir Force ONEなどと比べれば以外にコンパクトかつ簡潔なつくり)。
昇圧トランスは純銀線巻のSFz(あまり知られていないことだがGE-10はあえてMM専用のフォノイコライザーとしたのでトランスは必要)。
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プリアンプはG1000(究極ともいわれた先代モデルを超えたと評される素晴らしい音を出すが、これまた機能の少ないプリ)、
パワーアンプはKagura(私が個人的に高く評価するBoulderの2000シリーズのアンプを超えるという話もある素晴らしいアンプ)。
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これらをつなぐケーブル類も銀線を基材としたAudio Note純正のケーブルである。
(ここでは以前大人の事情で紹介できないと書いた、あの電源ケーブルが使われている)
なおレコードカートリッジは私の見立てでは完全な純銀伝送回路を持つIO-Mであり、シェルリードまで純銀製であったようだ。もちろん、これらも全てAudio Noteの純正品である。つまりスピーカーを除く全てのコンポーネントのマッチングがAudio Noteで調整済みの組み合わせなのだ。Audio Noteの製品はもともと純正組み合わせを前提としているようなところがある。それは海外では一般的なオーディオの揃え方であるから、日本以外ではこれでいいのだろう。このメーカーが海外で評価が高いのは純正組み合わせを揃えて聞く習慣とも関連があると思う。
スピーカーはもうかなり前のモデルになるがB&Wのノーチラス801である。こういう古いB&Wを久しぶりに見た。まだ使われているのだなぁと感慨。Audio Noteは今でもこんなに古いスピーカーで音決めをしているのだ。最新のB&Wのシリーズとは全く異なるやや鈍重な38cmウーファーを持つ、いささか古風なスピーカーで音を決めることが良いのかどうかは分からない。Audio Noteユーザーにアンケートでも取って、果たしてこのスピーカーで音決めしていいのか、考えてもいい。38cmウーファーを持つスピーカーのユーザーが多いのなら、この選択は正しいから。
ただ、この試聴室のスピーカーは常にAudio Noteの機材で鳴らされているため、AudioNoteの調子に馴染んでいるようだったのは確かだ。ちょっと出音を聞くだけでも、このスピーカーの使用を頭ごなしに否定できないのは明らかだった。


The sound

試聴して先ず感じたのは、
初めて聞くレベルの音色の濃さである。
これは滅多に聞かないほどの濃厚で鮮やかな色彩感を持つサウンドである。
ふと考えると、聞こえる音に色を感じること自体、とても奇妙なことだ。
オーディオファイルというものはオーディオを始めてしばらくして、音に色というものがあるのを直感的に認識することが多い。この音の色というのは実際のところ、音の勢いや立ち上がりの早さと、音の手触り・テクスチャーから想起されるイメージの総体であり、そのオーディオを聞く個人の音楽的な経験・記憶に由来する感覚である。この音の色あいが、GE-10を擁するシステムでは実に濃厚に感じられる。個人の音楽的な記憶を他の機材より強く呼び覚ますと言ってもよい。
ここでのサウンドは目前にその色を見るというような授動的な感覚を与えるものではなく、手を伸ばせば実物に触れるような距離感をもって、その色をしげしげと注視しているような能動的な感覚を呼び覚ます。
さらに言えば、これは現実の音世界の精密な模写ではない。これはオーディオというもう一つの現実の発露であり、もとになった音の全ての側面がさらに生々しく、鮮烈になって、こちらに迫ってくる。いささか強調感があると言ってしまおう。一般に日本製のオーディオ機器にはこのようなビビッドな音を出すものは少なく、淡白でよく整理された薄味で繊細な音が基調となる場合が多い。考え事の邪魔にならないような控え目な音を出すものが多数派だと思う。だが例外的に、この日本製のGE-10にはヨーロッパ、とくにスイスのスーパーハイエンドプロダクトが出す音に近い面があると思う。Audio Noteのサウンドを日本的で端正な音と表現する評論を時に読むが、同意できない。このメーカーの機材がこれだけ高価にも関わらず、海外市場でコンスタントに売れているのは、欧米人の好む音の調子を持っているからであり、その調子の一部がこの濃厚な音色にあると私は考える。逆に言えば日本人がこのメーカーの機材の導入を躊躇するとすれば、価格や日本でのネームバリューのなさだけでなく、日本のメーカーでありながら、日本的な音ではなく、むしろエキゾチックな雰囲気を醸し出すことに戸惑いを感じるからかもしれない。

なお、試聴中にAudio Noteの下位のフォノであるGE-1を同じシステムで切り替えて聞いた。もちろんこちらをGE-10と比較しないで聞けば十分に音の良い機材だと言い切れる。だが、GE-10と比べると、この音色の濃い味の度合いに圧倒的な差がある。GE-10を聞いた後でGE-1を聞くと“ごく普通の”フォノに聞こえる。GE-1もトランスを含めれば200万近いので相応な凄味を持つのだが、偉大なGE-10の前ではごく普通の人である。恐らく最適に設計された大規模な電源がこの違いを生んだにちがいない。

さらに、極めてハイスピードな音調であることも特筆すべきである。音の動きに緩さや遅さが感じられない。電源部含めて真空管を多用する構成であるが、そのような機材にありがちな眠たい音が一切出て来なかった。音にキツさを感じさせない柔軟さは備わっているが、音のキレは鋭く、動きが大変速い。これはここで使ったプリアンプもそういう音の持ち主なのであるがGE-10を加えることで、尚更研ぎ澄まされた感があった。デジタル機材を送り出しとしてプリアンプとパワーアンプの音を別な場所で確認しているが、その時よりも明らかにいい意味でキレた音になっており感心した。

またウェスタンエレクトリックなど往年の名機を凌ぐほどの音像の実体感にも痺れた。
音像の重心はかなり低く、定位も極めて安定しているうえ、一度きりの演奏が今そこで展開しているという緊迫感も強く意識される。アーティストの肉体の動きや揺らぎを感じる度合いが高い。これは極上の実体感であり、これも日本製の他の機材にはない。実際にリスニングルームには奏者は居ないのだから、それこそありえないことであり、全くのイリュージョンには間違いないのだが・・・・。とてもそうは思えないリアリティがサウンドに漲る。

左右への音場の広がり方、奥行の深さは他社の同価格帯のモノラルパワーを使ったシステムとほとんど変わらない。最近のアナログオーディオ機材には空間再現性を狙った設計のものが多くあり、それらはデジタルオーディオに近いセパレーションの良さを誇示したサウンドを奏でるのだが、一般にどこか薄味な音になりやすい。それはアナログオーディオの良さを、無理に広げた空間再現により、そこなってしまっているケースとういうことになるのだが、GE-10を擁するこのシステムからはそのような欠点は聞こえてこなかった。これは慎重な音作りをしているなと私は捉えた。
さらに、このシステムの音場は殊更に深いとか広いとかは感じないのだが、なにかそこに漂っている空気の温度や成分が他のシステムとは違っているように聞こえた。吸い込む空気の密度が高く、リスニングルームの外の空気にはない、体に良い要素がいっぱい含まれているような雰囲気なのだ。夏の盛りに深い森に入ったとき、吸い込む瑞々しい空気の味わいに近い。緑の葉や柔らかな地面に棲む無数の生物やらが呼吸し代謝する様々な物質が森の空気には含まれており、それらが無機質な都会に住む者に生気を戻してくれることがあるが、Audio Noteのサウンドが創り出すフィールドにはそういう効果がある。これは生物活性が高い音であり、人間の精神や肉体に直接作用する要素を持つフィジカルな音なのである。
実際、試聴を終えた私は疲労するどころか随分とリフレッシュしていた。

SNについては真空管を使ったフォノであるからして、Perseusと比較するとやはり不利である。約600万のフォノとしてはそこはやや不満かもしれない。もっともQualiaのモノブロックフォノやEMT JPA66よりはやや良いようにも思うので、あまり気にしなくていいレベルなのかもしれないが。
このシステムは音の粒立ちや分離感も十分に良いのだが、さらに素晴らしいのは音のハーモニーの表現の独自性であろう。これは単に異なる音が解け合い、一体となって聞こえてくるなどという程度の音ではない。サウンドステージの中の異なる場所から発生した様々な音を収束するレンズのように、オーディオシステムが機能している部分がある。様々な固有の色を持つ音が収束し、輝くビームのようになって鼓膜に向かってくる瞬間が度々あったからだ。ビームが鼓膜を弾いた瞬間、渾然一体となった音達は強烈なインパクトを伴って眼前の空間に炸裂する。これは他のメーカーの機材だと音がリスナー側に勢いよく飛んでくる場合にあたるのだろうが、それよりもっとシャープで輝かしい音の衝撃であり、実に爽快である。このサウンドの素晴らしさは鈍重と思えたノーチラス801をここまで駆動できるKaguraによるところも大きいが、GE-10なしには、この独特の雰囲気は出ないだろう。それはGE-1との比較試聴や、別な場所での異なる送り出しを用いた試聴を想起すれば分かることだ。

このGE-10を加えたAudio Noteのシステムで聞き慣れたヴァイナルに針を落とすと、いつも食べている好物の料理に一味さらに増えたようなお得感があるのも面白い。
高度なデジタルシステムを聞いた時に感じる、今まで聞けなかった隠された微細な音、例えばピアノのペダルを踏む音、プレイヤーの溜息、衣擦れ、そういったものが聞こえてくるばかりではない。むしろそんな枝葉末節ではなく、曲の聞きどころ、楽しみ方を変えてしまうような側面がある。音楽の解釈が変わってくるのだ。ディスクをかけ替えるたびに、そうきたか、こうなるのかと驚くことしきりである。これも上記してきた音の濃さ、高密度性ゆえかもしれない。GE-10は私の知らないオーディオ表現への扉を開く。

こうして四六時中Audio Noteのサウンドのみについてつらつらと考え続けていると、この音は良い意味で現実離れしていると結論できそうに思われてくる。これは現実に存在していた音をAudio Noteの力で増幅し解釈し直した別世界の香りを含んだ音であり、いわば幻想の領域に近づくものだ。

確かに純粋なファンタジーとしてオーディオを語ることはとても難しい。
オーディオの大半の要素は科学という分野に属するものであり、
限りなく理知的な物理と数学が支配する世界のように見えるし、
実際にそこに踏み込み、もがいてみれば、
いかにその鎖が重たいかを思い知るものだ。
しかし、そのオーディオを聞く人間という存在自体は
決して科学で割り切れるものではない。
人間の精神活動そのものは、
むしろ不条理な幻想の世界に多くを割いていると私は信じている。
電気工学と人の精神という、
対立し相反するものが一つに融け合うべき場所、
その一つがオーディオファイルのリスニングルームなのだろう。
そこで科学とファンタジーが歩み寄るためには、
オーディオ機器の側にヒトの感情に寄り添う力が必要になる。
GE-10を擁するAudio Noteの最上級システムはそのような力をふんだんに備えている。

日本で製造されるフォノイコライザー、アンプの中で最も高い芸術性を誇る機材がこのAudio Noteの製品であると私は信じている。日本にはこれ以上、スーパーハイエンドの世界に深く踏み込んだ機材は存在しない。もちろん、先進工業国であり、オーディオ文化がある程度浸透した国である日本なのだから、個性が際立つプロダクト、悪く言えばひとりよがりな製品が突然変異種として現れるのを散見するが、これほどのファンタジーと品格を含んだサウンドを長年にわたりコンスタントに提供し続けるメーカーはない。例えば老舗のアキュフェーズやラックスマンのサウンドとは同じハイエンドでもクラスが明らかに違っていて比較さえ難しい。
以前、フォノイコライザー四天王としてBouderやEMT、Constellation audio、Qualiaのフォノを挙げたが、もちろんGE-10はこの4機と伯仲するか凌駕する実力を持つ。出音の種類や、機能を絞った設計思想に共通点を見出すとすればQualiaのモノブロックと類似がありそうだが、詳しく思い返してみると、やはりGE-10はこの4機のどれとも似ていない。音色の濃さと音のスピードという特徴において唯一無二のフォノイコライザーである。


Summary

確かにAudio Noteの音はすこぶる良いと思う。
だがその製品は高価である。
(例えばMCカートリッジを使うならGE10+Sfzで約600万円かかる。)
これは自分の財政規模とは関係なく、
ハイエンドオーディオファイルの金銭感覚に照らしてという意味で高価だと言っている。
実際、これを買おうかと思って試聴したわけだから、買えなくはないのである。
しかし、なにか釣り合わない感覚が残るのだ。
また、それらの機材の外観や使い勝手については価格に相応するものとは言い切れない。
実物と対峙したあとで、他のジャンルの機械のデザインを検討したりすると、Audio Noteの製品は、やはり昭和的なデザインの古さが払拭しきれていないと感じる。またその中身もAD変換されたデジタル出力などの新奇な機能が付加されているわけではない。
しかし、そのサウンドは全きものである。
これは確かにファンタジーとサイエンスの融合であり、
音楽芸術が抱える幻想とオーディオのメカニズムが拠って立つ理性が一致する場所であるのだが・・・・・
こうして、ハイプライスとスーパーサウンドの双方を行きつ戻りつしながら私は逡巡して悩む。

もちろん、この悩みはハイエンドオーディオ全般にあてはまるものでもある。
繰り返し述べていることだが、
自宅に置くにはあまりにも大きな装置の規模や、
音楽をただ聞くだけの対価として、
あまりに高いプライスタグは問題視されるべきかもしれない。
現在の技術では、この価格を支払わない限り、
このレベルのサウンドは実現しないのだから仕方ない、では済ませたくない気分がある。

現実の話として、自宅で最先端のハイエンドオーディオと十分な自信をもって対峙するために、アクセサリを含めてトータルで4000万円前後、機材に対して振り向ける予算と30畳以上の広さ・4m以上の高さの天井をもつ防音リスニングルームが欲しいところだ。今や、良いスピーカーは高価で大きい。600万出してもセカンドベスト、1000万円オーバーでなければフラッグシップではない場合もある。それらは大音量でスケール豊かに鳴らすことで潜在能力を発揮するので、広大な防音のリスニングルームを必要とするし、一般的には強力なアンプを組み合わせないと十分に鳴らせない。優れたアンプは高価でこれまた大きく、良質な電源も必要とする。さらに送り出しとして万全を期すならアナログ、デジタル両方が必要で、それらを追い込むのに必要なクロックやカートリッジ・アームなどの小物も高価格化が進んでいる。数百万円のクロックやアームがあるが、確かにすこぶる音はいい場合があるので困る。そしてこれらをつなぐケーブルがペアで100万近いものが多く存在する。これらも慎重に選んで使ってみると音の良さは理解できる。
嗚呼、ハイエンドオーディオとは、とにかく物入りだしカネがかかるものだ。

こういう状況になってしまってから、20~30年前のオーディオに遡って考えるなど無意味なのかもしれないが、リスニングルームの広さ・高さ・セッテングの労力はともかく、あの頃はトップエンドの機材でもこんなにカネはかからなかったと懐古する。
それに、あの当時の最高峰の機材を揃えて今、聞いてみると、
得られる感動は現代のシステムと同等以上である。これは気にすべきだ。
これらの音を聞くと、ここ20~30年ほどオーディオはあまり進歩していないと思わざるをえない。特にコストパフォーマンスについては後退したと思う。
いや、コスパを考えなくても、
昔の機材には今の機材にはない音の良さがあるとさえ言いたい。
昔はできたことが、何故か今はできないという気がする。
だから、今でもヴィンテージオーディオが放つ隠然たる光を無視できないのである。
あの頃より良い音を出そうとすると、ありえないほどカネがかかるようになってしまい、
オーディオをやることで得られる音楽の感動とオーディオにかかる出費や労力とのバランスが崩れてしまう。
気取った言い回しを用いるなら、光と闇の平衡が崩れた世界で
我々はオーディオを遂行しなくてはならなくなったと言い放つこともできる。

ところで、さっきから時々言っていることだが、
やはりAudio noteの製品群は機能が少なすぎる。
高音質の追求のみに特化しすぎている。
これはAudio noteに限らず、現代のスーパーハイエンドオーディオの多くのメーカーにもあてはまるクレームだ。
私の経験では、度外れの高音質だけでは早晩、飽きが来る。そこでまだ、その機材を所有し続けたいと思うか否かは、インテリアとしての外見の美しさや、その機材がシステムにおいてどのくらい多彩な役割を発揮しうるかにかかっている。後者については将来のシステム展開の余地を保証するから特に重要。無理すれば普通のオーディオファイルにも手の届く価格にあり、美しく、多機能で高音質な機材が真の銘機だろう。将来、発展的に使える機能を内在させながら音質もよい機材、いわば総合力のあるオーディオ機器を人々は求めている。
例えばGE-10についてはフロントパネルに置かれる遠くからも見やすく大きなミュートスイッチ、細かくインピーダンス調整できるダイヤル、RIAA以外のカーブへの対応、モノラル・ステレオ切り替え、消磁器の内蔵、XLR入出力、デジタル出力、リモコン・タブレットによる操作などなど欲しい。これ全てでなくてもよいから、どれかは付けたほうがいい。音の良さは分かったので次は使いやすさも感じ取りたい。もちろん、それらの機能をつけると音が悪くなるという話はわかる。だが、音質はもうこれ以上は考えにくいのだから、さらにやるべきこととしては、もうそれくらいしかないと返したくなる。
この問題は、よりインテリジェントなアンプの制御システムの採用やデジタルオーディオへの積極的な関与が足りないとも言い換えられるかもしれない。それらはもう一時のトレンドではなく、これから先ずっと要求されつづける常識的な項目となりつつある。
確かにこの点では多くのハイエンドフォノイコライザーにおいて、どこかに問題がある。結局、音以外の面で十全な機材はほとんどない。だからかえって罪滅ぼしのように音を深める方向へ行くのだろうか。
別な視点から見ると、出音を良くすることのできる技術を持つ者と使い勝手を良くする技術を持つ者が同一人物であることは稀だし、小さな会社ではそういう二人が同時に所属すること自体も稀なのかもしれない。だからこうなってしまうのかもしれない。

Audio Noteは究極の音質という命題については、ほぼやり遂げた。
だが、これはまだ私にとっては他人事でしかない。
プライスやデザイン、そして機能にもっと斬新なアイディアが盛り込まれないかぎり、
私はこの手の機材に食指を動かさないだろう。
それではいったい、自分が本当に必要としているフォノとはどのようなものなのか?
例えばEMT JPA66、CHP P1、オーロラサウンドのVIDA supremeやPS audioのNuWave phonoconverter+Direct stream dacあたりは、不完全ながら、この問題を解くヒントとなるだろう。

ここに書いたのは、ハイエンドオーディオにおいては、高い芸術性を持つサウンドが確立されつつあるが、その結果としてオーディオの光と闇のバランスが崩れてしまったという話である。この皮肉な状況のせいで高音質は極まっているにも関わらず、
私のオーディオには深い閉塞感が、澱(おり)のように積もってしまった。
これではGE-10のサウンドについて語ることが、
最後には自分自身の閉塞感を語ることにつながってしまう。
こういう結論へ帰着することを知りながら乱文を綴ることに
私は戸惑っていたのである。
しかし、どんなに割り切れない思いがあるにしろ、
オーディオファイルである限り、
この霧のたちこめる深い森の中を迷いながら進んでいく他はない。
果たして幻想が幻滅に変わる前に、
我々は虚無を希望に換えることができるだろうか。
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GE-10のサウンドの導く先に立ち込める深い霧が晴れる、その時。
その瞬間をおぼろげに脳裏に描いたところで、今夜はひとまず筆を置こうか。



by pansakuu | 2017-12-16 01:25 | オーディオ機器

電池の時代:Stromtank S2500の私的インプレッション

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「小さいことは大きい。」
ある電池開発者の発言



Introduction

マイ電柱を立てた人を一人知っている。

マイ電柱、
つまり個人のオーディオシステム専用に給電する電柱を立てることはオーディオファイルの最後の夢だとか、よく言われる。
でも、それはマニアの間だけで通じる話であって、
オーディオのためだけに、発電所から専用の電気を引くなどという行為自体、一般人にとってはクレージーで意味不明な散財(お布施と揶揄される)にしか見えないはずだ。
そして、この行為の背後に日本人特有の純粋性の信仰、潔癖症を垣間見るのは筆者だけだろうか。
日本のオーディオファイルの神経は世界的に見てもいささか特殊である。
実際、電柱などというものは外国にあまりないせいか、
この手の話を外国のオーディオファイルの間ではあまり聞かない。海外のオーディオファイルは、とても大雑把かつ大らかにオーディオライフを謳歌しているように見えることも多い。
彼らの大半は微に入り細に入り神経質にオーディオの純粋性を突き詰めるような挙動は無意味だと思っているらしい。

立てたばかりのぶっといマイ電柱を頼もしそうにコンコン叩いてから、客たちをリスニングルームに連れ込んだ、あの昭和生まれの日本人の後姿を想起しつつ、
足元に鎮座している大きな箱を筆者は眺めまわした。
舐めるように。
この足下にあるStromtank S2500は革新的な機材だ。
マイ電柱を立てた人には悪いが、
オーディオ専用電柱が最高の電源だった時代は終わった。
これからはおそらく電池の時代。
なにしろ車も、飛行機さえも
電池で動かそうという時代だから、
家電であるオーディオなんて
真っ先にそうなるのは明らかだ。
だが、それだけではあくまで世界の趨勢、
流れに乗っているだけの話にも聞こえなくはない。
そんな話をしたいのではない。
筆者はエコノミストでもエコロジストでもなく
オーディオファイルであるから、
この話の本質はそこにはない。
これから語ろうというのは、
単なる世界のトレンドに関する話ではないと思ってほしい。
このStromtank S2500の話のメインはオーディオの音質に関わる話なのである。


Exterior and feeling

Stromというのはドイツ語で大河の流れを指すとか。
英語で嵐、暴風雨を意味するStormとはスペルが少し違うが、
嵐のようなパワーを秘めた電源というイメージも悪くない。だからストロームタンクであはなく、ストームタンクだと誤解している日本人オーディオファイルは少なくない。
実物を前にすると、かなり堅固な印象を持たせる筐体であり、嵐を閉じ込めておくのに必要な厳重さが確保されているような気配もある。その誤解もあながちハズレではないかもしれない。大きさや重さは重量級のステレオパワーアンプだと思っておれば間違いない。筆者は昔使っていたBoulderの1000シリーズのパワーアンプを連想した。事実、今年のインターナショナルオーディオショウで観察していると、こいつを単なるパワーアンプだと勘違いして話したり質問しているお爺さんたちを見たが、仕方ないことだろう。
分厚いプレートをがっちり組んで作られた筐体の表面は僅かにラメが入ったようなジャーマングレーで、天板にはカーボンを思わせるストライプが見える。この天板の中央には映画のタイトルのようなブランドロゴがあしらわれ、目を引く。それにしても、このロゴのデザイン、かなりお洒落。オーディオでは素人がデザインしたとしか思えないロゴが多い中で、これはプロのデザイナーの仕事と見た。
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フロントパネル中央に座っているグリーンに光るパワーメータ―の中にはLEDの光が、まるでキャプテンアメリカの胸についた星のマークのように放射されている。その下には電池残量を示すバーメーターも緑に輝いている。
こういう好き嫌いを分けるような派手な外観を私は良しとした。
とにかく、全体になんだかカッコ良い。好きにデザインをやっていて気持ちがいい。
見ているだけでワクワクする。
まず外観からハッキリした自己主張とか方針を打ち出す機材を筆者は愛する。
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今回取り上げるS2500は、簡単に言えば2500whの容量のあるインテリジェントなクリーン電源である。この電源は内部に格納されたコンピューターにより制御されており、電池の寿命を短くしない充放電のマネジメントやトラブルへの対応を瞬時に行う。
コンセントはリアパネルに6口ついている。一方、フロントパネルには一つもついていない。(ついていると便利なこともあるのだが・・・・)実際導入するとしたら、いくつかのシステムを部屋の離れた場所で使っている都合上、ここから長い電源ケーブルを引くか、あるいはタップをさらにここにつなぐか考えなくてはならない。タコ足配線になるのは避けたいし、タップを介さない方が音はいいようにも思うが、この重さと大きさのある機材なので設置場所は限られる。どういう配線にするかをよく考えないといけない。
もちろん、出力にはサーマル・マグネティックブレーカーがついていて、不測の事態への備えもある。これは高電流で起こるショートにも低電流で起こるショートにもマグネティック、サーマルそれぞれの特徴を生かして対応するもので信頼性の高い遮断器である。
このStromtankシリーズで面白いのは全機能の起動・停止を切り替えるキースイッチを持つことである。業務用の大きなコンピューターの電源投入スイッチに時にキーを差し込んで回すタイプのものがあるが、まさにそれが使われている。プロ用の電源にもこのスイッチがついているものがある。これは安全のために採用された仕組みなのだろう。だが、それだけでは終わらないような気もする。
キーというものは高度にパーソナルな道具であり、これがただの電源でなく、キーを持つオーナーだけが起動を許されるという意味合いを付加する。オーナーの所有欲を満たすギミックの一つと考えられなくもない。
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なお、リアパネルにはUSB端子やCAN端子も見えるが、これは内部にあるコンピューターのソフトウエアの更新用だという。これもインテリジェントな機材ならではのリア風景だが、確かにこういう端子のついた電源装置はあまり記憶にない。スマート家電が増える中、電源のスマート化もオーディオ界の新しい傾向なのか。

この電源の賢いところはいくつかある。例えばバッテリー残量が低下すると小さくブザーが鳴り、AC電源で充電しながらの運転に瞬時に切り替わる。ユーザーはなにもしなくていい。
また、よくスマートホンなどで、十分に電池が減ってから充電しないと、あとで電池の減り方が速くなるという話がある。Stromtankも基本的にはスマホと同じように、電池を使う機材だから、そういうことがあるのかと疑っていたのだが、心配はいらないらしい。
Stromtankはあくまでインテリジェントな電源装置であり、電池の残りのレベルによって充電の仕方を変えるような仕組みが働き、どこまで電池が減っていても、あるいは逆にそれほど減っていなくても、将来の充放電に問題を起こすことなく、どのような状態でも充電していいという。6000回以上の充放電に耐えるとアナウンスされているのも含めて考えると、さすが330万円の電源装置だと感心する。

内部の電池はLiFePO4であり、正弦波の出力はクオーツ制御されているなど多少の情報はあるが、中身の詳しい説明は調べてもあまり出て来ない。音を聞いてみると、その程度の技術内容では到底実現できそうにない高音質であるから、数々の企業秘密がこの筐体の中に隠されているに違いない。
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550万の上位機S5000は高さ58cm、重量115kgの巨体であり、音の上での威力を知っていても、とても買う気にならない。筆者はよりコンパクトな機材が好きだ。音が良きゃなんでもいいで済むような次元はもうとっくに過ぎている。
こうなるとよりコンパクトなS2500の方が俄然、気になる。

ちなみに昨日、外国人からS2500を大型のキャスターに無造作に積んで、移動している写真を送ってもらった。許可が出なかったので載せられないが、(日本で言う)オフ会に持ち込んだ時の写真だという。こんなユニークなS2500の使い方も面白い。電源環境をまるごと移動できる。マイ電柱と発電所のセットがこんなに小さくなったと考えることもできる。こういう使い方ができるのもStromtankの革新性なのかもしれない。S2500のガタイはそれだけ見ると小さくないが、相対的にはコンパクトなものだと言っていいのである。


The sound 

Stromtank でオーディオシステム全体に給電するようにセッティングしたうえで、バッテリー駆動と通常のAC駆動をフロントパネルのボタンで瞬時に切り替えることができる。
そのビフォーアフターの変化は大きい。
普通、このようなバッテリー系の電源機材だとノイズが減った、SNがよくなった、静かになったとかいう感想がまず出るものだが、ここではまずパワーが一段上がったような印象が来る。顕著にスピーカーからの音離れが良くなる。これほど音の飛びが良くなることは予想していなかった。電源装置を変えて、このような体験をしたことがない。
音の純度は明らかに上がって、大きな音はより繊細となり、細かい音はむしろ力強く聞こえるようになる。ダイナミックな音のうねりが瞬く間に起こり、そのうねりの中に起こる音のしぶきや渦、余韻、音色の変化、音の触感の区別が克明に耳に届き始める。音の立ち上がり、立下りもより適正になるようで好ましい。静かになるのではなく、むしろ正しく美しく騒がしくなる。
この試聴では誇張でなくリスニングルームの空気が完全に入れ替わったように感じた。なにか音波の伝導率の高い、特殊なエアーがリスニングルームに充填されたようなイメージだと思ってもらっていい。
最初に来たこれらの驚きを治め、少し気を落ち着けてから深く聞こうとしたら、ふと音場の広がりと奥行きが自然にスッと拡張されていることに気づいた。こういう俯瞰的な音場の視界の広がりというか、まるで無理のない音の放散の仕方というのは、かなり高度に調整されたオーディオシステムのみに聞かれる変化である。こういう音はスピーカーをかなりグレードアップするか、ルームアコースティックを頑張って詰めるかしないかぎり得られないものだと思っていた。空間の広がりがタップリ入った録音を聞いてみると、天井が高くなったような上方向の音の広がりさえも出てきた。これに気付いたときは、まさに仰天しそうになったものだ。録音の仕方によっては音が上から降ってくるような雰囲気も醸し出されるのである。
こうなると、今まで最高の電源環境を得るために土日の真夜中になってからオーディオを始めたり、あえて田舎にリスニングルームだけ引っ越したり、あげくマイ電柱を立てたりしなくてはいけないのかと思い詰めていたのが嘘のようだ。これほどシステム全体を覚醒させる力を持つ電源は初めてである。

この手の電源装置は導入したことが無意味と思われるほど、音質上の存在感がないモノもあるが、Stromtankはそうではなく、パワーアンプを最良のものに変えたのと似た効果が得られる。いや、330万のパワーアンプでも、このようなオーバーオールな効果は得られないだろう。なにしろ、この機材はシステム全体に対して効かせることができるのだから。大小2モデルあるStromtank のうち、S5000は容量が大きいのでシステム全体に給電したくなるが、S2500の方はパワーアンプにまで使うと、確かに容量をすぐに使い果たすのではないかという不安がある。この場合、遠慮して前段のプレーヤーとプリアンプだけに効かせることもできるが、そういう譲歩した使い方でも全体に給電した場合とそれほど遜色ない改善が得られた。これもStromtankが複数の機材の根本的な部分に介入することには、大きな変わりがないせいだろう。これならヘッドホン関係の機材などは幾つつないでもS2500一台で大丈夫だろう。
まあ、不安な人は複数個こいつを導入すればいいらしい。既にS5000を2台導入した方が日本にいると聞いているし、外国からは3台という声も聞かれた。豪快だな。1500万円のオーディオ用電源装置とは。

この装置から、電源を取ることで素晴らしいと思うのは音質上の副作用がほぼないように感じられることである。度合いの差こそあれ、音の全ての要素が良くなり、悪くなる要素を指摘できなかった。
それに恐らくだが、音調の好き嫌いを分けるようなことも起こりにくいだろう。
この手の電源装置には、必ずなんらかのクセのようなものがあるものだが、それがほぼないからだ。
普通の電源装置というにはノイズが取れて、音楽の背景が静かになったのと同時に、音楽の躍動感が目減りして、音楽自体が大人しく、あるいは小さく、遠く感じられたりする。例としてはA社やL社の電源装置がそうである。
I社の高価なフィルター式電源では音楽がクールになってしまったこともある。
躍動感は担保されるのだが、温度感が下がってしまった。高域も僅かにキンキンするようで、素直な伸びが若干失われていた。Stromtankと違って、そこらへんの改善は少なくともなかったのである。
また、かなり巨大で立派な日本製のトランスを使って、音の純度は明らかに上がったが、音のスピードが落ちてしまったという経験もある。
このような余計な変化がStromtankシリーズで聞こえない。
こういう八方美人な音質改善は滅多にないことである。
現状の出音の特徴はそのままに、良い所を伸ばし、足りないところを補完する。
これほどオールマイティな力を持つオーディオアクセサリーはほとんど記憶にない。
(アクセと呼ぶにはあまりにも巨大で重量級ではあるが・・)

マイ電柱の効果というのは、筆者は一度しか体験したことがない。その試聴で感じたビフォーアフターの変化はこのStromtankのそれに類似していたと記憶している。ただし、音の純度については僅かにStromtankの方が勝るような気がするし、音楽のダイナミズム、力感さえ少し強めに出るような気がする。電柱の方が、そこのところは強そうなのだが、筆者の思い過ごしなのだろうか。少なくとも躍動感はマイ電柱に負けないし、安定感も遜色ない。いったい、どういう設計をした電源なのか分からないが、かなり優れて革新的な機材であることは間違いない。さらに、マイ電柱といえども周囲の家屋や施設の出すノイズからは逃れられぬが、この装置なら影響を受けない。もうひとついいことを挙げるなら、オーディオ用の分電盤を特製する必要もないことだ。あれはあれでカネがかかるし面倒であるから、そこを省けるのは有り難い。

こいつは確かに究極の電源装置かもしれない。
近い効果があると考えられるマイ電柱に比べ、遥かにコンパクトで簡単に使うことが出来る。マイ電柱は想定できる最大のオーディオコンポーネントの一つだろうが、Stromtankは多少大きいにしてもキャスターに乗せて運ぶことが可能だ。
特に、マンションに住んでいるオーディオファイルにとっては、マイ電柱と同じ効果が得られる唯一の方法だろう。
ただ、やはり高価だとは思う。
マイ電柱+専用配電盤の費用は200万位でなんとかなるという話をオーナーから聞いた。これをやると簡単に引っ越せないし、家族の白い目にも耐えなくてはならないようだが、意外に安上がりだという説もある。
それとは別に電源ケーブルやタップに同じだけ凝れば、Stromtankなしでも十分にいい音のするシステムを得ることも不可能ではないと考えることもできる。
当たり前だが、総計して330万もの電源ケーブル、タップ、フィルターを使うとしたら、かなり贅沢なシステムが得られるはずだ。
仮にそんなことをしても、それぞれかなり腕自慢なアクセサリーたちなので、当然強力な個性を持つだろうから、そのせめぎ合いで出音は多少混乱することも予想される。だが、それらを巧く選んで、適材適所に配置、摺り合わせ・エージングを怠らないならば、やはりそれなりの音は出してしまうだろう。そういう高級ケーブルによる音の変化の虜になる人も多いはずで、そこの面白さを知らずに、いきなりStromtankを導入して終わってしまうのがつまらないという見方も成り立つ。
オーディオでは寄り道ほど素敵なものはないのだから、それもいい。
もう寄り道は十分やってきて、そんなリスクを踏むよりはStromtankシリーズでスマートに解決してしまった方がよいと達観した人が、こういう高価かつ効果的な電源を狙うのだろう。事実、S5000を導入した方の感想として、これまで電源ケーブルやインターコネクトケーブルで散々苦労してきたのはなんだったのか分からなくなったという言葉を聞いた。それはケーブルで苦労したからこそ吐けるセリフだと本人は気付いているのだろうか。

それから一応、今回取り上げたS2500の試聴の前に上位のStromtank S5000を使って二つのシステムを既に聞いている。結論から言えば、S2500を使った場合とS5000を使った場合の音質差は筆者にはよく分からなかった。つまり筆者にしてみるとS5000とS2500の差は電池の容量の差、大きさと重さの差、金額の大きな差、メーターのライティングを消すことができるかできないかの差、それぐらいでしかない。
また外国のオーナーも含めて、この製品に詳しい何人かの方に話を伺ったが、異口同音にS2500でも、S5000と基本的にほとんど同じ音で鳴らすことができると言う。電力消費がかなり大きいパワーアンプではS5000がやや有利かもと言う人もいたが、そのアンプは消費電力が大きいことでは有名なEinsteinのパワーアンプであったから例外的なのだろう。違うのはただ電池の持ちのみであるという話が多かった。S5000なら10時間持つシステムでも、S2500は5時間弱しか持たないらしい。もちろん上述のよ電池が切れそうになるとブザーが鳴って、自動的にモードが切り替わり、音楽は継続して鳴ってくれる。このモードでは音が鈍るが聞けなくなるわけではない。


Summary

Stromtankに価格以外に問題があるとすれば、設置や配線を多少考えなくてはならないこと、電池が貯められる電力には限りがあり、一日中鳴らしつづけることはかなわないということ。そしておそらく導入から5年経過する頃には電池を交換しなくてはならなくなる可能性があること。330万という対価は音質的には釣り合うものと考えるが、そういう特殊な制約も考慮すると、この装置の価格の捉え方は人によって異なるだろう。

電気自動車の中古価格が化石燃料車と比べて異様に安いことを御存知の方も多かろう。この種の車はどこでも充電できるわけではないし、電池の交換代金は安くはなく、その交換もディーラーの工場でしかできないため、手数料も割安でない。次にいつ交換することになるのか、明確な見通しも立てにくい。本当にペイするのか分からないのである。
このStromtankにも似た心配があることは否めない。
電池の時代は確かに来ているが、まだまだ円熟には程遠いのである。
しかしこの装置の登場が、電池とは単に便利でエコでコンパクトな手段であるばかりでなく、ハイクォリティを追求する手段にもなりうることを示したのは大きい。
オーディオは新時代に突入しなければならない。音質を向上させながら、よりインテリジェントでスマートな方向性に舵を切らなくてならない。それは険しい道のりだが、誰かが切り開かなくてはならない。
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マイ電柱を立てた人に筆者は昨晩、メールを打った。
「マイ電柱は立てなくて済みそうです。そろそろ貴方も聞いたほうがいいと思います。」

by pansakuu | 2017-10-18 23:31 | オーディオ機器

OCTAVE V16 Single endedの私的インプレッション:多様性を求めて

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進歩が生まれるのは、多様性の中の選択からであって、画一性を保持するからではない。
ジョン・ラスキン(美術評論家・思想家)



Introduction

ここのところのコーヒーブームからか、
コーヒーに関する本を書店でよく見かける。
現今、僕の読んでいる本も、コーヒーに関するインタビューをまとめたもの。
これはバリスタ達がコーヒーにかける思いを語る小さな本である。

さっき読んだこの本の中のある、バリスタの言葉が妙に気になった。

・・・・・「あの人の表現する味って、どんなものなのだろう」という理由でレストランに行きますよね。コーヒーの世界も間違いなくそういう方向に進んでいくんです。それに「あのブランドの豆を使っている」だけでは一瞬で終わってしまいます。三つ星のスターシェフやスターパティシエのように表現者として有名な人が出てきているなかで、お客様はバリスタとして優れた表現者を探すようになる。・・・・・

僕が通うカフェは東京だけでも30軒ほどあり、ほとんど毎日のように、それらのうちのどこかで何か一杯飲んでいるような生活だ。昨今のサードウェーブコーヒーブームとは関わりなく、東京に出てきた頃から、いろいろな店に出向いては店構えとインテリア、接客の態度、コーヒー・紅茶・スィーツの味質をチェツクしている僕であるが、上記のようなことまで考えたことはなかった。フレンチレストランのようにカフェでも自分の味を表現しうるという部分に僕は惹かれた。
それというのも、コーヒーだけでなくオーディオにもこういう要素があることを感じていたから。

例えばマークレビンソンの初期の製品を代表とするプロデューサー・設計者の個性が前面に出たオーディオ製品の魅力というのは、オーディオを趣味とするための主たる動機たり得る。
あの設計者の創り出したサウンドはどのようなものなのか?ここでは、それこそが僕の興味の中心である。

僕がOCTAVEというドイツの真空管アンプメーカーの音を初めて聞いたのは10年以上前だと思う。社長のホフマン氏が決めている、その特徴的なサウンドにはその当時から変わらない、独特の男っぽさや勢いが内在しており、僕の中では、他のアンプメーカーの音といつも一線を画してきた。
彼がここで高級ヘッドホンアンプに手を染めると、僕は夢にも思わなかったが、もうそんな時代になったのだろう。ハイエンドオーディオメーカーもヘッドホンを無視できなくなってきたのである。

OCTAVE V16 Single endedというヘッドホンアンプにSuper black boxという電源オプションを加えたセットを試聴した僕の感想は、ホフマン氏が表現するヘッドホンサウンドとは、今まで慣れ親しんできたOCTAVEの音そのものであるということだ。そして、この音の個性はヘッドホンの世界に初めて持ち込まれるものでもある。これは恐らく万人受けしない音、比較的無個性な音を指向する日本の普通のヘッドフォニアにはウケない音かもしれないが、とにかく斬新かつ容赦のない音であって面白い。僕は聞き入ってしまった。


Exterior and feeling

随分と変わった形のアンプである。フロントがタテに細長い。建築でいうと、繁華街にある雑居ビルのような形だ。こういう建築は最上階は斜めにカットされて日照を確保している場合があるが、そこのデザインまで似ている。上部はスリットの入った真空管の保護カバーであり、一番下に入力切替と大き目のボリュウムノブがある。アンプのカラーはいくつか指定できるようだが、マットブラックよりは、ジャーマンシルバーの方がこのメーカーらしい雰囲気となると僕は思う。また、ホワイトという他の機材ではあまり見ない仕上げも用意されているが、これも捨てがたく綺麗な仕上げだ。全体の大きさとしては意外と小さく、占有する床面積は少ないが高さはあるので、普通のラックの二段目には入りにくそうだ。やはりこれはデスクトップに置くべきアンプだ。

リアパネルでは大きなヒートシンクとL/Rのスピーカー端子がついているのがまず目に付く。こういう類の、普通のスピーカーを鳴らすアンプなのか、ヘッドホンアンプなのか、どちらともつかないようなアンプは、経験上は中途半端な音しか出せず、ほとんどロクなモノはないので、僕は心配になった。だがホフマン氏の説明によるとV16 Single endedはヘッドホンがあくまでメインという話であるから信用することにして試聴に臨んだ。OCTAVEには、かなり立派なスピーカー用のアンプがいくつもラインナップされているから、スピーカーを鳴らしたい人はそっちを買うべきだ。こんなスピーカー“も”鳴らせますよなどという余計な配慮はいらない。
大体、このクラスのヘッドホンアンプを買う人間はそれなりのスピーカーシステムを既に持っているか、少なくともそれは十分に経験済みである場合が多いのではなかろうか。その意味でも中途半端なプリメイン機能は排して、ヘッドホンに全力投球して欲しいものだ。
とにかく今回はこのアンプにはスピーカー端子はないものとして、話を進めたい。
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リアパネルにはRCAとXLR両方の入力端子が備わっており、選択できる。だがV16Single endedというネーミングを考えると、中身はおそらくシングルエンドの構成であろう。XLRは疑似バランスと推測される。したがって今回はRCA入力のみで試聴した。なお送り出しはマランツの中級クラスのSACDプレーヤーであった。

使用できる真空管 としてKT120がデフォルトらしいが、お好みでKT150、KT88、6550、EL34を差し替えて使えるのがまず面白い。替えるとそれぞれで異なる音質傾向が生まれるはずである。ポタアンでオペアンプを入れ替えて愉しむという話があったが、経験的には、真空管の種類を変えることは、オペアンプよりもずっと大きな音質変化を生む場合が多い。もしこのアンプを買ったら、真空管をとっかえひっかえする愉しみは大きいだろう。
OCTAVEと言えばKT120や150などをプッシュプルで使うアンプメーカーというイメージがあるが、このアンプではいつもと違う方式にチャレンジしている。OCTAVEの多くのアンプと異なり、このヘッドホンアンプはシングルエンドのA級動作らしい。ちょっと設計を変えてきている。
また、OCTAVEはトランスから入力ソケットまで多くのパーツを自社で設計製造し、オリジナル部品の比率が高いこと、真空管アンプの長期安定動作のためのソフトスタートと保護機能を完備すること、MOS-FETを使った安定化電源を持つことなどを特徴とするメーカーでもあるが、V16 single endedも、その部分はOCTAVEの他のアンプと同じ内容をもっている。
カタログやネット上の情報からアンプの内容を調べていると、ホフマン氏の真空管に対する思いが伝わる。もともと管球式アンプの設計経験はかなりある会社であるが、真空管をそれらしい懐かしさ満載の音を出すために使っているのではないようだ。あくまで現代のオーディオの水準をクリアし、求める音質を得るために必要なデバイスとして真空管を認めているように見える。特に真空管を動作させる電源部の造りにそういう視点を感じてしまう。

なお、OCTAVEのアンプには以前から外部電源のオプションがあって、BOXの名で呼ばれていた。このBOXの中身は、もともとトランス屋であったOCTAVEがオリジナルで作っている大容量のトランスであり、いくつかグレードがあるのだが、今回はその最上位であるSuper black boxを接続して聞いた。
僕は以前、オクターブの上級クラスのパワーアンプとプリアンプの組を取り寄せて試聴したことがある。この時、Boxの有る無しも比較したが、はっきり差を感じた思い出がある。簡単にいうとBoxを接続すると音がグーンと伸びた。こちらに迫ってくる度合いが明らかに強くなるのだ。
こういうオプションを設けているアンプメーカーはほとんどなく、ユニークなアイデアだと思うのだが、このBoxは結構大きいので、ちょっと困る。これだけでかなり大き目のヘッドホンアンプぐらいの図体である。これをV16 Single endedの脇に置くと大掛かりな印象になる。
また、このBoxの面白いのは外部電源装置ではあるが、そこに直接電源ケーブルを接続する形ではないということだ。アンプのリアパネルに専用端子がありそこにBoxから出ているケーブルの端子を接続するだけである。電源ケーブルはあくまでアンプ本体に挿さっている。内部にあるトランスを増設するような働きがあるのかもしれない。

システム全体の外観としては正直、あまり格好良くない。素人が作ったようなアンプに見える。子供が夏休みの宿題で牛乳パックでつくった工作みたいな、かなり微妙なフォルムである。真空管の美しさを前面に出すわけでもなく、かといって全く見せないようにするわけでもない。中途半端な形。いい音がするように見えない。ただ妙に印象に残ることは確かだ。こんな形のヘッドホンアンプは見たことがないから。だいたいOCTAVEのアンプというのは最上位はともかく、それ以外はどれもデザインらしいものに気を使った形跡がない。OCTAVEは外見で洒落(しゃれ)ようという気があまりなさそうである。
OCTAVEがヘッドホンアンプを出すこと自体は大歓迎であるが、こんな見てくれのアンプが120万円の価値のあるものなのか?この外見ではサウンドがよほどなものでないかぎりは話にならない。

また価格の話はしたくないが、OCTAVEのアンプが日本に紹介された当初はセパレートのプリとパワーあわせても130万円前後という設定だったように記憶している(うろ覚えだが)。今はこの小さなアンプ単体で、それとほぼ同価格である。OCTAVEもいつのまにかかなり高価になってしまった。私の感覚ではOCTVEのサウンドは当初から完成されたものであって、現在にいたるまで大きな変化はないと思う。なのに値段が高くなったのは何故?やはりオーディオは青田買いに限る。


The sound 

OCTAVE V16 Single ended では、4pinのバランス端子とシングルエンドのイヤホンジャックがフロントパネルに見えるが、Single endedと銘打つとおり、中身はシングルエンド構成だろうから、4pinのバランス端子は疑似バランスじゃのないか。それゆえ今回の試聴はRCA端子を入力に使うのと同じ作法で、シングルエンドのイヤホンジャックだけを使い、MDR-Z1R、HD800s、TH900Mk2などを使って音の傾向を探ってみた。
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まずちょっと驚いたのは音を出す前にヘッドホンを装着した瞬間。確認のため幾つかのヘッドホンを接続して、ボリュウムを上げて試してみたりしたのだが、少なくとも僕の使ったヘッドホンについては背景のノイズがほとんど聞こえなかった。例えば、マス工房の406の製品版や改良前のGoldmund THA2などでは、ヘッドホンの能率とゲインの組み合わせの問題なのだろうが、はっきりノイズが聞こえる場合があった。
真空管アンプとは多くの場合、ややノイジーなものであり、SNの面で厳しいところがあるのは常識である。だが、このV16 Single endedはその点でかなり優れる。ライバルとなるFostex HP-V8も真空管アンプとしてノイズが低いが、聴感上はほぼ同等の静けさがある。なお、このような真空管アンプの電源についてはグランド分離によりノイズが減るケースがあるが、今回はそのような仕掛けは用いていない。プレーヤーのPLAYボタンを押し、ボリュウムを上げてゆく。
ハービーハンコックのRockitのイントロが流れる。
これは強い。こんなに音圧があるのか。
辛口の引き締まったサウンドで、真空管アンプとしてまずイメージされる緩くて甘美な音が全然出て来ない。鼓膜にガツンと音波をぶつけるようなダイレクトなサウンド。音が飛んでくる。音離れがいいというのはスピーカーオーディオに使う表現だが、思わずそうつぶやきたくなる。ホーンスピーカーをニアフィールドで聞く快感をヘッドホンで味わえるとは。Rockitにしっくりと来る方向性だ。メリハリ、コントラストの強い立体的な音の塊が鼓膜に次々と迫り、ぶつかり、砕ける。
ここではロックやヘヴィーメタル、ラップはとても新鮮に鳴り、良い結果を出す。だが、クラシックやアニソン、Jポップではどうも合わない曲が多いか?いや、音楽のジャンルで合う合わないがあるというよりは、激しくストレートな訴えかけのある音楽がアンプに合っていて、萌えの要素が強かったり、アンビエンスが豊かに取り込まれた音作りをされた音楽が不得意なのだろう。
このアンプのサウンドは、音像、そして直接音が主眼である。荒々しく、時に暴力的とさえ映る音圧に押し出されてくる音像が刺激的だ。
どんな曲を送り込んでも、明晰さを堅持して、弱音すら克明である。
これは、いわゆる上手い音作りとか無難で万人受けする音を狙ったものではない。あくまでホフマン氏の”オレの音”が出ているように思う。芯のある低域をコアとするドスの効いたサウンドを全身で浴びるようなリスニング。全身などという言葉はヘッドホンではあり得ぬはずだが、なにかこう全身で受け止めざるを得ない気迫が宿っている。こんなに強い音は飽きるのも早いと言い訳をして避けて通りたいと思う心が、ヘッドホンをひとまず外した後の心地よい疲労感によってじわじわと侵食されてゆく。こんな痛快さは久しく聞かなかった。聞き疲れがあるのに病みつきになりそうだ。

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このサウンドには一対一の戦いの兆しが感じられる。真剣で命のやりとりをしそうな覇気がある。こいつはBLEACHのキャラクターである更木剣八のような雰囲気を持つアンプだ。戦いの刹那・刹那だけを愉しむ者であり、危険な遊戯を仕掛けるオーディオマシーンだ。とにかく聞いていてゾクゾクするような嵐の予感が背筋に来る。凄いなと素直に思う。

空間的な見通しは良くはなく、音場の透明感もほぼない。ホールエコーの広がりなどは申し訳程度に聞こえてくるが、背景に空間の広がりを意識しづらい。そのかわり音像の厚みは、ヘッドホンアンプとして異例なほどの分厚さである。この際、空間性の欠如などは捨て置こう。
腰の据わった重たい音が腹に来る。時に邪悪ささえ感じさせる黒っぽいリズムが刻まれる度に、グーンと伸びてくる低域の存在感が際立つ。この低域がサウンドの重心となり、定位に揺るぎは感じない。この低域の分解能はすこぶる高く、この帯域が緩くなるタイプの真空管アンプとはまるで異なる。この低域の充実にはSuper black boxが一役買っているはずだ。だが、普通の真空管アンプファンはこの低域を快く思わないかもしれない。例えばHP-V8の低域のゆとり・ふくよかさとは180度、方向性が違うのである。
(なおSuper black boxを外すと音の伸びは控え目になるが、全体に音が締まるという話もあり、Super black boxなしの音の方を好む方もいるらしい。この試聴記では取り外して試聴しなかったのでわからないが、少なくともホフマン氏はSuper black boxを必ずしも推さなかったとは聞いていた。)(追記:なお、後日、全く別な場所でSuper black boxを外した状態で試聴できたのだが、高域の滲みや粗さが目立ち、低域の伸びやかさ、丁寧さが明らかに劣る印象だった。確かにこの時はKT88が使われていて、先に公開した試聴記で使っていたKT120ではないので一概にBOXがないせいにはできないが、やはりあった方がいいと思う。)
逞しい骨格と筋肉を誇るボディビルダーのようなマッチョなサウンドでありつつも、鈍重さが一切ない。ハイスピードな出音であり、音の瞬発力はかなり高い。現代の最新のアンプに要求されるレスポンスの良さを十二分に備えたアンプだ。スカッとしたヌケの良さが発音の末尾に常に付け加わるような気配もあり、必要以上の音の粘りは感じない。また、音の温度感がやや低く、ことさらに熱気を感じないのは意外だ。クールでサラッとした音である。これはこのアンプの持つスピード感と関連するのだろう。
さらに、やや確信犯的だが、音のエネルギーが中域あるいは中低域にやや集中している。ただし全帯域を少し離れて眺めれば、どうやらナローレンジな音作りにはなっておらず、むしろ真空管アンプとしては高域方向、低域方向にもかなり伸びているワイドレンジな部類らしい。

克明な音像、中低域の力感と高い分解能、反応速度の速さ、鮮度とキレのあるスパイシーな音というのが、このアンプのサウンドを聞いてすぐに思い浮かぶ言葉たちだ。これらは全てOCTAVEのスピーカー用のアンプにもあてはまる特徴である。だが、もう一つの要素がOCTAVEのアンプにはある。力で押す、テンションが張った音の中に、他のアンプには滅多に聞かない、各パートの調和と一体感が表現されている。最新のアンプともなれば各パートの音の分離の良さで性能を誇示するアンプが多い中、このアンプでは逆に渾然一体となった様々な楽器の音を堂々と提示する。この特別な音のブレンド感がV16 Single endedの音に深みを与えている。これがホフマン氏の音の核なのだろう。

このアンプに見合うヘッドホンは何か?その問いに正確に答えるにはまず、このアンプのオーナーになる必要がある。だがそれはなかなか大変なので、私がここで試した限りで選ぶとすると、Audeze LCD-4が最も持ち味を引き出していたようだった。平面磁界・全面駆動のヘッドホンは能率が低いところがいい。このアンプはあまりにもパワフルであるため、能率の高いダイナミック型は粗さが出やすい。また、使い慣れたMDR-Z1Rのような密閉型では、頭の中が拡張された音像でいっぱいになって狭くるしい。開放型の方がいい。またSusvaraを使うと、特徴的な高域がさらに華やかになり、この部分の音色の美しさは比類ないものと取れるが、低域の支えが薄いので好みを分けるような気がした。対するLCD-4は帯域全体のバランスがよく、音質上で欠点を指摘しにくい。MASTER1やFocal utopiaでも試してみたいが、その機会はあるだろうか。とにかく、最新型のLCD-4(初回版から既に5回の振動版の変更を経ており、付属のケーブルもキンバーに似た形のものに変わったが・・・・)は私の聞いた限りではV16とベストマッチと思われた。

妖艶さを盛り込んだ色彩感豊かでしっとりと優しい音というのが、大半の真空管アンプが奏でる音のイメージだが、そのような真空管アンプの標準語の発音・言葉使いとは異なる、いわゆる“方言”を駆使するヘッドホンアンプと言える。このような訛(なま)りを持ち、音に同等の十分な説得力があるヘッドホンアンプをかつて一つだけ知っていたが、V16のサウンドはそれを上回るような、狂おしさ・重苦しさにまでつながるサウンドかもしれない。
かつて、G ride audio GEM-1という個性を手放してしまったのを悔やんできたが、全く同じではないにしろ、多少とも似た雰囲気を持つアンプにやっと出会うことができた。


Summary

人間にはある問題が出会った時に、正解は一つだと考える多少スクエアな人と、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないと柔軟に考える人がいる。
オーディオという趣味は、良い音とは何かという問題の解を求める試行錯誤であると考えることができるが、その始まりは大抵の場合、一つの理想を追う姿勢に終始する。一つのシステムをグレードアップして自分にとっての理想の音に近づけようとするのである。その過程で我々は様々な機材やシステムを通過し見聞を広め、自分で構築したシステムを味わい、味わい尽くしては飽き、システムを入れ替える。
それを繰り返すうち、色々なサウンドを聞いて達観する。理想の音は一つではないと。
つまり絶対的な一つの解があるだろうと考えて追求しているうちに、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないかもしれない、あるいはオーディオとは正解はないが不正解はあるという世界なのでは?という方向に考え方が変わってくる場合があるということだ。つまり多様性に目覚めるのである。

僕がやっている、色々な場所で様々なコーヒーを飲むという行為も、この多様性を求める行動の一環と捉えることができる。
様々な産地、様々な気候・土質そして品種、様々な製法で作られた、多様なコーヒー豆を吟味選択し、バリスタ達はそれぞれに異なる抽出法でもってコーヒーを淹れる。コーヒーの味というのはバリスタごとに異なるし、その日ごとに、一回として全く同じ味で淹れることはできない。これは一期一会がもたらす多様な味の表現なのである。
毎日、その多様性を求めてコーヒースタンド・カフェを渡り歩くことは、まずは究極の一杯に出会うための旅であるし、最後には究極の一杯が複数あることに気付くための旅でもある。
僕のオーディオもコーヒーに似ていて、その中にあるハイエンドヘッドホンというジャンルも、そういう旅のようなコンセプトを持っていると見て差し支えない。
ヘッドホンオーディオを続けるということは、とあるヘッドホンサウンドに出会うための旅であり、また、いくつもの個別なヘッドフォニアの世界があることを認めるための旅なのである。

僕はいつも多様性の中に身を置いていたいと望む。この多様性の前提とは、世界に単に多くのモノがあることだけではなく、互いに明らかに異なる、多くのモノが並立することが重要である。だから僕という人間はいつも自分の知らないモノを求める。自分の知識に既に有るモノとは異なるモノを探している。そして、V16 Single endedは僕が求めるモノに当てはまるのだ。こうして僕は、ヘッドホンサウンドの優れた表現者の一人としてOCTAVEのホフマン氏の名前を新たに記憶に刻むことだろう。

現代は複数同時展開する使徒のごとく、予想外に多くのハイエンドヘッドホン機材が選べ、比較的簡単にそれらと手合わせできる時代である。真空管式のハイエンドヘッドホンアンプに限っても、Fostex HP-V8、STAXのT8000、Sennheiser HE-1、Hifiman Shangri-la、Blue Hawaii、Woo audio WA-234などがあり、どれもマニアの間では、それなりに話題にのぼっている製品だと思う。
またハイエンドに限らなければ、ArtifactNoiseの新作アンプや山本音響工芸HA-02、izo iVHA-1、東京サウンドValveX-SE、Musical SurroundingsのFosgate Signatureなども面白かったし、実際に世話にもなった。僕はWoo audioの製品を除けば、ほぼ全てを聞いているつもりだが、今思えば、どれ一つとして同じ音を出すものはないばかりでなく、それぞれに他とはかなり違った、個性的な音調を発揮しているものが多い。つまり思い返せば、僕の中で真空管式のヘッドホンアンプはソリッドステートのものよりも個性派揃いなのである。ここまであえてやってきた、柔らかくて甘美で艶のある音などという勝手なくくり方をすべきではなかった。
(それは知っていたが、話の流れからすれば、とりあえずそうしておくしかなかった)
そして、その中でも最も個性派と思われるのがこのV16 Single endedである。

V16 Single endedの鉄壁の個性を聞き、ヘッドホンの世界が多様性に溢れ、深く広くひろがりつつあることを僕は改めて確かめた。実際、このジャンルは未開拓であり、発展途上である。遠くまで自由に歩き回るにはまだ障害が多く、この広大な荒地を好き好んで歩く僕のような者もまだ多くない。しかしだからこそ、やりがいがある。このジャンルに十分に投資するメーカーもオーディオファイルも、新世界の開拓者としてオーディオの歴史に名を刻むチャンスがある。対するスピーカーオーディオは、いくら開発費を注ぎ込んでも、音質の向上率が頭打ちのように思えてならない。カネがかなり有り余っている人間でないかぎり、スピーカーによって新しいオーディオの可能性を追求することはできなくなってきている。またスピーカーの世界は年季の入ったハイエンドメーカーやユーザー達がひしめいていて、いくら努力しても、その分野の先駆者として認知されることが難しい。この状況を理解しているならば、僕がスピーカーオーディオの世界からあえて距離を置く理由も分かるはずだ。
OCTAVEのようなスピーカーの世界で定評のあるハイエンドメーカーが、この新世界に参入することを、一人のヘッドフォニア、そして一人のオーディオの観察者として歓迎してやまない。
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by pansakuu | 2017-09-01 00:46 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの

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神話とは、世界の始まりに起こった一回きりの出来事の記録であり、
後世の者が規範として従わねばならぬ、不可侵の物語として位置づけられる。
定義集より



製品の発表から一年あまりを経て、
やっと販売が開始された製品版のSennheiser HE-1を僕は聞いてきた。
ハイエンドなヘッドホンを嗜好し、これを消費する者から見ると、特別に優れたヘッドホンを使いながら、専用のドライブアンプに残念な部分を残していたプロトタイプのHE-1だったが、製品版では細かい欠点を改め、全てのスペックを確定し、完成したハイエンドプロダクトとなって日本に再び上陸してきた。
僕はこの機材のプロトタイプを数回にわたって試聴してきたが、いつも正味5分くらいの短い試聴ばかり、いかんせん製品版でないこともあり、どうも腑に落ちないというか、600万円の対価にふさわしくないシステムだという印象が拭えなかった。
今回の製品版に対する試聴会は、以前のプロトタイプを聞く会と異なっていて、一人当たり30分前後という、音のあらましを掴むのに不十分とは言えない試聴の時間が与えられていた。

そこで僕が聞いたHE-1の音は、かなり良くなっていた。
以前に聞いたプロトタイプに比べて随分と練り込まれたサウンドと感じた。
もう単純に高音質を狙うなどという、ありふれた領域は通り過ぎ、その先の精神的な境地、アートの世界にまで入りつつあるように聞こえた。これはオーディオについての豊かな経験・深い造詣を持たないと創造できない音の骨格、そうでなくては想像することすらできない音の細部を聞かせるシステムだと感じた。

とはいえ慌てて、入手してもいない機材の音質について詳しく話す必要はないし、そういう気分でもない。
それよりも今回は外観などの音質以外の点で新たに分かった、購入の検討の際に役立ちそうなことを中心に書きつらねておく。音質の話などは今は話半分でいいのだ。
ここでは、この途轍もないヘッドホンシステムHE-1のコンセプトを正しく把握することが重要だと思う。
なにしろ単純に音質だけがHE-1の存在意義ではないというのが僕の結論なのだから。
なお、例の如く細かいデジタル入力規格や周波数特性の数値などスペックに関してはゼンハイザージャパンのHPに公開されているので参照してもらうことにして、
ここではそこに書いていないことを中心に話す。

まず耳の痛い、価格に関係した話題から。
白い大理石のシャーシのオプションでヘッドホン一個、リモコン、運搬用コンテナ、マイクロファイバー製のクロス、シルクの手袋、USBに入ったwindows用のドライバー、納入される実機の測定結果を記した書類、ブックレットになっている日本語取説などが付属する標準仕様のHE-1は税込で648万円になると決定している。なお一部で噂はあったが、予備の真空管は付属しない。(追記:最近、ヨドバシのHPで720万円のプライスタグで売られているのを見たが、私がこの文を書いた時は確かに648と聞いた。720では流石に他の選択を考慮せざるをえない。)
日本には一台のデモ機があるのみで在庫はなく、完全受注生産品であるが、台数や受注期間は今のところ限定されていない。
実際の売買はゼンハイザージャパンに直接メールなどで購入の意志を伝え、契約書を取り交わすことから始まる。税抜き代金の20%を前金で支払い、オーダーが成立。ドイツ本国で製造が開始され、約2か月で実機が日本に到着、残金を清算し納品という流れだ。これは高額なオーディオ機器としてはやや異例で、普通は前金や契約書がない場合が多いと思う。
こういった特殊なモノを作る会社は個人でやっている場合も多い。契約書を交わさず、大金を振り込んだあとで、その個人が病気や事故などで突然、生産不能になった場合には、資金の回収できなくなることも考えられる。普通の会社でも倒産はありえないことではない。通常は代理店や販売店が仲介するからいいとはいえ、これだけの現金を戻すのは彼らにとっても楽ではないだろう。やはりこういう契約の締結や前金→後金という慎重な過程を経ることも、現代では必要なことなのかもしれない。
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選択できるオプションとして、二人で同時に聞くために、もう一台ヘッドホンを追加すると約300万ほどかかる。僕はこれを重要な数字と考える。それというのもヘッドホンだけで300万円という話を聞いて初めて、このHE-1の価格設定に納得できたから。HE-1はギミックのあるアンプ部に注目が集まりやすいが、あくまでヘッドホンが主役であるのが、ここで判明したのだ。実際の内訳として150万円のアンプ、150万円のDACに300万円のヘッドホンと考えるとハイエンドオーディオとして一応の筋は通っているかもしれない。もちろん、これはRe leaf E1シリーズやTHA2などの既存のハイエンドヘッドホンアンプの存在意義とその価格を踏まえての話だし、僕がこのHE-1のヘッドホンが300万円すると言われても驚かないという身分不相応な金銭感覚の持ち主であることも考えに入れるべきだろうけれど。

標準仕様は白い大理石のシャーシで設定されるHE-1だが、黒い大理石を選ぶこともできて、その場合はプラス120万とのこと。また黒色の他、赤や黄色の大理石も選べるが、これらはオーダー後の見積もりとのこと。おそらくその場合は200万円前後の割増料金ではないかとのこと。
なにせ大理石のシャーシは歩留りが悪い。自然物を切り出し、削り出すのだから仕方がない。ゼンハイザーの基準に見合うシャーシが低い確率でしか得られないため、捨ててしまうものが多くコストが非常にかかると言う。大理石に浮かび上がる模様はもちろん選べないし、同じものは世界に一つとしてない。
試聴しながら、標準の白い大理石のシャーシを注意深く見ていたのだが、恐らくこのシャーシは大理石を削っただけではなく、なにかで石をコーティーングして割れにくくしているようだ。これは初期のプロトタイプとは異なる仕上げではないか。そういえばRe LeafのE1Rの大理石のボリュウムノブが割れる話を聞いた覚えがあるが、こういう表面の保護もこのクラスの機材には必要なのだろう。

大理石のシャーシの肌理を触っていると、このような威容を誇るオーディオ機器の筐体は稀だと思う。以前、森や川は消滅と再生を繰り返す不滅の存在だが、大理石は変わらない永遠の存在だという文章を読んだことがある。その時、僕は不滅と永遠の違いを知った。
大理石をヘッドホンアンプに用いて、ヘッドホンサウンドにも変わらない永遠の価値を与えたかったのだろう。また、ギリシャのパルテノン神殿の柱は大理石でできているが、大理石というものは西洋では神殿の枕詞のようなもの、ただちに神を意識させるものでもある。
神秘的な雰囲気を、単なる音響家電に与えることを意識して、大理石を使っているのかもしれない。
公式には大理石が放熱に効くという説明がなされているが、後付けのような気がしてならない。
機械的、音質的な影響はともかくとして、ここで外観上は大理石のシャーシを奢ったことは成功だった。大理石シャーシの採用があってはじめて、このヘッドホンシステムがアート・芸術作品という視点から語れるようになる気がする。
このような重厚さ、厳めしさは大理石以外の素材では出しにくい。ハイエンドヘッドホンに絶対的あるいは排他的とも言える威厳を添え、オーナーの所有欲を溢れんばかりに満たし、ハイエンドヘッドホンというジャンルの構築にかける意気込みを示せる。
芸術作品としての品格を備えたオーディオ機器はもともと少ないけれど、そこにヘッドホン専用の機材が含まれるようになったことはとても面白いし、新しい時代の到来を予感させる。

それから、標準の3mのヘッドホンケーブルを5mに変更したい場合は24万ほど加算である。なかなかの価格であり、よほど特殊なケーブルなのかと思う。
また、HE-1は高価で、売り方が少し規格外とはいえ、日本で買おうと思えば誰でも買えるものだから、日本のPSE規格に適合している。よって付属する電源ケーブルはこの規格の関係で汎用品になるが、要望があれば別なケーブルも用意できるとのこと。ここらへんも応相談である。さらに真空管周りのブロックやヘッドホンボックスの色を赤に変えたり、真空管の保護チューブのキャップをゴールドに変えたりすることもできるようだが、その価格は訊かなかった。黒い大理石のシャーシは憧れであるが、その他は自分には関係ないオプションだと思ったからだ。

この製品については、世界で既に30数台が売れており、日本でも一台だけだが売れていて、納品は終わっているとのこと。HE-1は輸送時、木製の大きなコンテナに入っており、日本では専用のリムジンをチャーターして配送される。リムジンの手配はドイツ本国からの指示だという。こういう配送の仕方もハイエンドオーディオ機器としてはあまり類例がないように思う。それから、木製の大きなコンテナは元箱として価格に入っているが、オーナーはこのコンテナの置き場所も考える必要がある。意外に元箱を捨ててしまうオーディオファイルが少なくないが、メンテや故障の場合に役立つので持っている方が僕はいいと思う。なお、HE-1については三年に一度の、本国送りになるかもしれない定期メンテナンスも推奨されているので、その意味でもこの箱の保存は必要だ。なお保証期間は5年。永久保証というわけではない。

製品版のヘッドホンやアンプの外観についてはプロトタイプに比べて目立った変化はない。
ヘッドホンの外観はプロトタイプとほぼ全く同じ。左右のイヤーカップに内蔵される、増幅の最終段としてのA級アンプの内容はともかく、外観上はきっとなにも改良していないのだろう。
アンプの外観についてもボリュウムノブやセレクターの周りにアルミの丸い枠がついたことくらいしか違いがない。
足は平たい4つ足であり金属製のボトムプレートに直接ついており、底に滑り止めのゴムのような材質の円盤が付いている。また、高さを調整する機能はないようである。つまり十分に平らな置き場所が必要だ。これは重心が低いシャーシであり、放熱孔は底面にも表面にもないようである。一方、放熱が必要な真空管は全て石英ガラスのチューブに入れたうえで、向かって右側にあるブロック上に立てて配置される。これらの真空管はスプリングを介してマウントされ、石英のチューブは空気を伝わってくる外部からの振動を防ぐためにあるという。HE-1は真空管まわりについて振動に気をつかった仕組みを持っている。
この構成・位置だと真空管の放熱には良いが、あまりにも剥き出しなので、不意になにかが飛んでくると真空管を直撃することがあり得る。でも条件付きで心配無用というか、御存知のギミックにより、HE-1を起動していない状態であれば、真空管は引っ込んでおり、その危険はない。こうして実際に使うことを考えると、これらのギミックが、まず見栄えのため、それから真空管をスタンバイ状態に持っていくまでの時間を稼ぎ、真空管の寿命を延ばすため以外にも役立つことはありそうだ。
なお、これらの真空管の発生する熱は、アンプが半導体とのハイブリッド式の構成をとることもあって、フルドライブでも問題なく触れるほどのものだった。真空管を容れるチューブの銀色のキャップの部分を触ったが50度くらいだろう。夏でも使える。例えばNagra HD DACでは機材の内部温度測定と内部の真空管に電源投入したトータルタイムを記録する機能があり、内蔵の真空管の寿命をある程度知ることができるが、HE-1にはこのような機能はない。したがってメンテナンス時に真空管についてメーカー側で調べてもらうしかないだろう。ただ、この温度であれば、そう頻繁に真空管を入れ替える必要なないと予想する。
また、真空管の放熱という点に関してHE-1の日本語マニュアルを読むと周囲に5cmくらいの空間が必要とある。Fostex HP-V8でメーカーが推奨している空間の空け方よりもずっと小さく、セッテイングは比較的容易である。

DACやアンプの内部の仕様についてはHP等で発表されている以上の情報は未だにほとんどない。どのように基板がマウントされているのかすら不明。
運良く手に入れたとしても、このシャーシの中身の写真は撮れそうにないというか、撮る勇気はなかなか出ないと思う。大理石は重くてデリケート、モーターによるギミックあり、ヘッドホンボックスの天板はガラス製、真空管に石英のチューブ付きと来たら、内部の仕組みをあらかじめ熟知しないものが、HE-1をひっくり返したり、中を開けてみるのは危険だ。とにかくDACはES9018が片チャンネルごとに4個づつ、パラレルで使用されているということ、真空管とソリッドステートのハイブリッドのヘッドホンアンプ部(HVE1)とヘッドホン本体(HE-1-HP)の二段増幅になっていることぐらいしか、内容について私は知らない。
最近、DACの基板の写真を見て、実際の出音と比べたりしているプロの方のブログを読んで感心したが、オーディオ機器を訳も分からず、ただ使いまくるだけの全くの素人の僕には、ああいう技術的なコメントもできないから、その意味でもHE-1の中身を見るなんて無駄だろう。僕にしてみれば、中身はどうあれ、見てくれと出音が良きゃいいというわけだ。

次は、不要との指摘もある、本機特有のギミックに関して話そう。それにはまず起動の仕方についておさらいする必要がある。背面のメインスイッチが入った状態で、まだ起動されてないHE-1はボリュウムノブとセレクタが引っ込んでフロントパネルとツライチの状態になっている。ボリュウムノブの頭が起動ボタンの役割をしているので、これを軽く押し込むと真空管がせり上がり、ボリュウムノブとセレクターが前にゆっくりと飛び出してくる。同時にヘッドホンケースの蓋が開き、ヘッドホンを受け止めているクッションもせり上がるという具合である。これらの一連の動きが終わるとヘッドホンボックスからヘッドホンを出して聞ける状態になる。また、リスニングが終わったらもう一度ボリュウムノブを押し込むと、上に述べたのと反対の動きで片付けが始まる。
これら全ての動きが内臓された数個のモーターにより自動で進んでゆく。このようにオーナーに、私の音を聞きなさいと促すような動きをするオーディオ機器は初めてである。
この動き自体は音質にあまり関係のないことは間違いないので、最初の試聴の頃、僕はこのギミックを快く思わなかった。だが、何度もこの儀式を眺めているうちに、この動きなくしてHE-1は特別な存在になりえないと思うようになった。

HE-1自体、HifimanのシャングリラあるいはシャングリラJrやRe Leaf E1RやMSB Select DACのSTAX専用システムなどと比較されがちであるが、そういう比較はオーディオを音質という視点からのみ見てしまうという、普通のオーディオファイルにありがちな間違いなのかもしれない。例えば、それらのアンプにはこういう動きの側面がそもそもない。その視点から見ればHE-1は目指した場所、立っている土俵が違う。ヘッドホンやヘッドホンアンプは従来のスピーカーやアンプよりも、よりリスナーに近い位置に置かれることが多い。その状況で機材に動きがあると、スピーカー関係の機材に比して、もっと強くリスナーの音楽を求める衝動に働きかけ、高揚させることができるかもしれない。こういうコンセプトは今までに僕が扱ってきた、どのオーディオ機器にもない側面だろう。
また、このギミックの付加は、優れたオーディオ機器とは、その静的な外観のデザインのみを云々するだけでなく、動的なギミックも含めてデザインとして評価すべきという立場を示しているのではないかとも思う。

製品版HE-1では、金属を切削して作られた、オリジナルデザインのスタイリッシュなリモコンBFI-1が新たに付属している。単体で25万円もするが、上質な仕上がりのコンパクト・スリムなリモコンであり、付いていて腹は立たない。標準のヘッドホンケーブルは3mもあるのだから、遠隔操作ができる装置があっていい。このリモコンでボリュウムの調節、入力選択、クロスフィードのかけ方に強さの3段階の調節ができるだけでなく、ヘッドホンケースの蓋の開閉ができる。(本体に、この機能のあるスイッチがないようだ)
ここは僕にとって、ヘッドホンの価格と並んで、もう一つ重要な点だった。僕は出来るだけ蓋を閉めて、背面にあるもう一つの端子にヘッドホンをつないで聞きたいので、この機能があるかどうかが気になっていた。
今回の試聴で、起動して蓋を開き、ボックス内の端子からヘッドホンを外し、背面の二つ目のヘッドホン端子につないだうえで、リモコンで蓋を閉じてリスニングを没頭するという流れがやっとイメージできた。
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では、ヘッドホンがボックス内の端子に繋がれている状態で、リモコンで蓋を閉じるボタンを押すとどうなるのだろう。ヘッドホンケーブルを蓋が挟んでしまうということにならないか。この場合の対応についてはマニュアルに書いてある。ここでHE-1本体はヘッドホンの接続状態をいわば認識しており、ヘッドホンケーブルを咬む寸前で蓋の下降が止まるという。並みの設計者・メーカーなら箱の縁にケーブルが通る小さな切欠きを入れるだけで解決しようとするだろうが、収納ボックスの美観をそこねる安易な方法はとらないというのだろう。

やや暗い試聴室でオレンジに底光りする真空管の並びと白い大理石のコントラストを眺める。LEDで指標され位置を視覚的に確認しやすいうえ、滑らかに動くボリュウムノブに触れる。この感触もプロトタイプよりも良くなっている。USBなどの入力を切り替えるセレクター、クロスフィードのかかり方を変えるノブのクリック感を指先で味わう。こうしていると、音質以外の点でHE-1の洗練度の高さを感じる。ハイエンドオーディオ機器に備わっているべき心地良い操作感がこのマシーンにはある。
特にボリュウムフィールの心地よさは特筆できる。ここ何年かハイエンドヘッドホンアンプを試してきたが、この感触の良さはE1Rと並んでトップである。他のアンプでは、マス工房のアンプやGOLDMUNDのアンプのように、この部分の感触が考慮されていない場合が多い。
またLEDで光る指標がノブのついているのも嬉しい。これはハイエンドな機材でも意外と見かけない仕様で、オリジナルのノブを削り出しで作る以上の手をかけないとできない。
またヘッドホンの装着感、頭との一体感も上出来。ヘルメットのようにスッポリとかぶる感じ。他のハイエンドヘッドホンと比べても、ここまで頭にシックリとなじむものは珍しい。550gと軽くないヘッドホンだがフィット感の良さからか重いとは感じないので長時間のリスニングも問題なかろう。
なお、このヘッドホンでは珍しく側圧を測定して公表している。4.3Nプラスマイナス0.3Nだそうだ。せっかくだが、こういう数値の表示は比較対象がなく、平均値も知られていないのでほぼ無意味ではないか。ここに数値信仰のピットフォールが露呈しているのかもしれない。
このような数値はおそらくどうでもよい。むしろ、測定できない・数値化できない要素がこのHE-1には盛りだくさんに存在することが素晴らしい。
それこそが僕の望むオーディオ機器の在り方でもある。
ハイエンドオーディオの機材とは、最終的には人間の五感に訴えかけるアートでなくてはならず、計測器にテストされるために存在する科学的な対象ではないとずっと考えてきた。もちろん開発の途中は科学・数字を駆使すべきだ。しかし僕の手元に届いた日からは、音楽のことだけを考えさせてほしい。理系から文系に変わってほしい。数値で記述できる要素は設計者や業界が勝手に設定した基準を満たしておればよい。それを超えたところで、人間がそれを相応の価値あるものと認識できるかは不明、あるいは人それぞれとしか言いようのないことであり、自慢するほどの話ではないからだ。それよりも人間の五感に確かに感じられるが機械で測ることのできない部分を人間側の感覚で十分に磨くことの方が重要と思う。
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音質については、今まで聞いてきたプロトタイプと比べて、明らかに進化した。
音楽に秘められていた活力・生命感が開放され、ほとばしるように振動板から溢れ出て来る。ビビッドでカラフル、しっかりとした輪郭線が目立つ、アピールのあるサウンドである。
ここまで明確な音の打ち出し方はプロトタイプにはなかったように思う。
なによりヘッドホンから放射される音のエネルギーが強い印象であり、これほどの音圧を静電型のヘッドホンで感じたのは初めてである。静電型ヘッドホンのスタンダードであるSTAX SR009は優れたヘッドホンであるが、T8000を用いても、音のエネルギーの強さ、陰影の濃厚さ、低域の量感などで不満がある。僕にとって、あれは淡い音で、音の当たりは気持ちいいのだが、透け透けで頼りない感じが否めない。音に熱っぽさや厚みが必要な音楽では残念な音になりがちである。
HE-1では振動版を大きく強靭にして形も工夫し、さらにイヤーカップ内にA級アンプを内蔵したりして、上記の静電型に起こりやすい欠点を解消しようとしている。
そのせいか、聞く者の心に直接訴えかける、生々しい音が得られている。こういう音だとリスナーは今聞いている音楽の表現や内容に共感しやすい。製品版では、このような音楽性が高い方向にサウンドが転換したような気がすることも見逃せない。

最近、Octaveのヘッドホンアンプ V16 single endedを外部強化電源であるSuper black boxを接続した状態で聞く機会を得た。トータル160万円ほどの高価なアンプシステムである。ヘッドホンは使いなれたMDR-Z1Rなど。そこから聞こえてきた辛口で勢いのある音とHE-1の出音には音のエネルギー感やコントラストの強さなどで相通じるところがあった。やはりドイツという生産国のお国柄と、ともに真空管を採用し、アンプにA級動作させるところなど共通点が多いからだろうか。V16 single endedの音の持つ、僕がいままで聞いたことのないような荒々しさも弱められてはいるが、HE-1のサウンドに織り込まれている。

全般にピークやディップが少ない素直な音で、真空管をこれだけの本数使っていても、なんとなく聞く限りは、響きに癖が少ないと感じる。しかし注意深く聞くと真空管を取り入れた結果として、音の艶や滑らかさ、柔らかさ、華やかな色彩感が嫌味にならない程度、絶妙に混ぜ込まれているのが分かる。HE-1のサウンドは複雑かつ、どこかセクシーである。
また、どんな音楽を聴いても聞き味が大変よい。スルスルと頭の中に極めてスムーズに音楽が流れ込んでくる。これもあえて真空管を使ったことの効能だと思う。
真空管の存在感が強すぎるとHP-V8のように好みを分けてしまうし、真空管の選択で音がガラリと変わり過ぎることもあるが、そういう不安定性とHE-1は訣別している。実際のところ、真空管とソリッドステートのハイブリッド構成でなかったら、こうはいかなかったのかもしれない。

製品版のHE-1が展開する音場は、フルオケの演奏においてリスナーに十分に引いた視線を与える場合もあれば、女性ボーカルのオンマイクな録音で奏者の占める位置を指し示すのみで消極的な広がりに終始することもある。音源を必要以上に遠くしすぎないことに努めながら、音楽の要求する適切な広さを提供するというのが第一印象であった。このシステムの印象から音場の取り扱いに関してHD800でありえるし、HD600でもありえるなと思ったのである。
ただ、私のイメージでは、それが目一杯エクスパンドしたとしても、だだっ広い雪原に似た、平らに、ひたすら広がってゆくような音場にはならなかった。そういう広がりをもつ音場は音楽が演奏される場としては、非現実的なものであり、CGが作り出す仮想空間のようで、音質上、罪のある嘘を含むのではないか。
HE-1の音場は、石造りの建造物の大広間にいるような雰囲気を持っている。静止した空気とニュートラルな温度感を伴う、リアルで安定したサウンドステージである。こうして、どんな音楽に対しても、リアリティを必ず含んだ、安定志向の音作りに専心するあたり、コンシュマー機のみならずスタジオ機器も開発製造するゼンハイザーのポリシーを感じた。

一方、音像についてはシリアスで厳しい側面があってHD600GE Dmaa、HD650GE Dmaaを彷彿とさせる。これはHD800のような、どこか朦朧体の音像ではない。このような音の造形はプロトタイプでも最後のバージョンの段階では出来上がっていたと思う。さらに製品版では、微かではあるが、なにか音に対する執念というか執着心のようなものが、ビターなスパイスとして音に加えられているように思った。国産のヘッドホンアンプではサラッと終わらせてしまう音像の描写を、しつこく追い回しているようなところがある。
そんな風だから、HE-1のサウンドは音を視覚的に解像するという点でも、すこぶる高いものがある。陽光に透かした青葉の葉脈を辿るように音楽の細部が克明に浮かび上がる。この視点では音の拡大鏡としての機能が前景に立っているが、そういう細部への眼差しの中にも、リスナーが楽音の持つ美しさにリスナーが自然と注意を向けてしまうような音調、音のディテールに誘うような聞き味の良さが常に潜んでいる。まるで音楽の持つ文学的な内容が音のディテールにまで沁み込んでいるようだ。俯瞰的にも、微視的にも音楽に没入しやすい。
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様々な音楽をかけかえて試聴を進める。女性ボーカルのくすぐるような柔らかい触感やウッドベースのふくよかな量感と厚み、シンバルの響き線が虚空にたなびく様が見事なイメージとなって脳裏に浮かびあがる。こういう、あやかなものを聞かせつつも、HE-1のサウンドには真空管的な緩さはなく、むしろ硬い岩肌を連想させるような、彫りの深さ、陰影の克明さがある。初期のプロトタイプはこうではなかったので、世界をプロトタイプが行脚してしているうちに、ドイツ本国の開発陣で、なにか方針転換があったのだろう。このようなはっきりとした音の表情のメリハリの付け方、明暗のコントラストの強さは国産のオーディオ機材では聞かないし、ヘッドホンシステム限れば、どの国で作られた製品からも、あまり聞いた覚えのない音である。この音作りの根本にはドイツ的なオーディオの感覚があり、日本人である僕にはエキゾチックに感じられる。

クロスフィードについては、かけ方の強さが2段階に選べる。これはGOLDMUND THA2に使われるジークフリートリンキッシュと類似した効果を狙ったものであるが、この効果に関してはおそらくGOLDMUNDが一段上の位置にあるように思う。HE-1でもデジタル領域で信号の加工をやっているのかどうかは分からないが、自然な定位という点ではジークフリートリンキッシュは今のところ他の追随を許さない。ただGOLDMUNDではかけ方の度合いを変化させることができない。ヘッドホンサウンドをどういう定位の仕方で聞きたいかは曲次第、リスナーのお好み次第というところなので選択肢は多い方がよく、HE-1の方式は歓迎する。

RCA端子からの外部入力の音とUSBでPCと接続した場合も比較した。PCはMacで再生ソフトは分からなかったが、どこかで見たような画面だったからそれほど珍しいものではあるまい。外部の送り出しであるマランツのSACDプレーヤーはSA10あたりだったと記憶するが、あまり関心がなかったので確かではない。
簡単に言えば、USBでPCと接続した場合の方が、音がスッキリして聞きやすくなる。だが、外部入力のプレーヤーに十分な実力がある場合、USBでは情報量が減ったように感じられるのはやむをえない。なにしろ、たかだか150万程度のDACでしかない。内蔵のDACは綺麗に整理整頓された形で音楽の全体像が提示することはできる。したがって、このDACは悪いものとは思えないが、これより良くできたDACは150万円以上の製品にならいくつかあるだろう。例えばコスパのいいDAVEの音質と比べると、多くの点で劣ると思う。
外部入力だと、音楽を聴くのに必ずしも必要のないかもしれない、枝葉末節の情報さえ十分な音楽的分解能をもって、あまねく分離して聞けるようになる。ここでは普段僕が全然評価しないマランツのプレーヤーでも悪くないと思わせる音が出ていた。僕としてはこのHE-1に組み合わせる相手のDACとして、Weiss Medus, dcs Rossini, Nagra HD DACなどを連想した。そのクラスのDACが必要だ。
なお、製品版のHE-1を聞いて、Select DACにはSTAX用の専用アンプを組み合わせるのが恐らくはよかろうと外国の知り合いに僕はメールしておいた。あれはなんとなくHE-1には合わない感じがした。音が平明過ぎるんだよな。

じっくりと手合わせして気づいたのは、HE-1のサウンドには、何気ない一音一音に一筋縄でいかない裏の意味があると思わせる、隠微なニュアンスが宿っているということ。音や音楽そのものに対する深読みを誘い出す複雑さがつきまとう。
汲みつくせない意味、表現しきれない音の模様。
ここには僕のまだ知らないなにかが隠されている。
HE-1にはそういう謎めいた一面がある。
それは人間の精神にとっての毒のようなものか、あるいは人間の奥深くにある性的な官能の動きのようなものか。
許されるなら僕は、そういうHE-1に秘められた思いの正体を知りたい。
秘すれば花。
昔読んだ風姿花伝の一節を不意に思い出す。


僕はプロトタイプのHE-1のサウンドを、手持ちの機材のそれと比べるうちに、どうしてもディスリスペクトせずにはいられなかったが、今回、製品版を聞いて、逆にとても欲しくなった。これなら高価なケーブルやアクセサリーを用いなくても、僕の所有するシステムと同等以上でありながら、異なる音を出せるかもしれない。そう期待させる基本性能の高さと、他のヘッドホンサウンドと一線を画した孤高の音が聞けた。このState of the artというべきレベルの外観とサウンドを合わせ持つ機材はヘッドホンシステムではRe Leaf E1くらいしかないだろう。ただ、HE-1はE1よりも世界のヘッドホン界に与える影響はより大きいので、さらに偉大な存在だ。逆に言えばE1は世界でHE-1ほど有名ではないものの、それほどまでに優れているというわけだが。

今回の試聴全体で感じたことは、ありきたりだが、
HE-1は、その存在そのものがアート・芸術であるということだ。
単にいい音で音楽を聴くための気楽な家電製品を目指したのではなく、最終的に芸術作品を創り出そうとしたのだと思う。だから価格も芸術作品としての値付けだ。それなら分かる。前のモデルであるOrpheusヘッドホンシステムには、これほどの格調の高さはなく、先代と比べて進歩している。先代機は今では幻に近い機材であり、ハイエンドヘッドホンのレガシー・神話として位置付けられているが、HE-1はその立ち位置を継承し、さらに発展させている。

ハイレゾという数値を戴くPCオーディオが発達した結果、現代ではアンプやスピーカーにもその傾向が伝染している。昨今のオーディオは、音以前にスペックの数値を見ないと、良し悪しを判断できないものであるかのようだ。だが、ハイエンドオーディオの始まりの頃は数合わせばかりではなかったと記憶する。僕は25年くらいオーディオをやっているが初期のマークレビンソンやマランツやタンノイ、ゴールドムンド、FMアコーステイック、JBLなど、どれも芸術に対するリスペクトから、芸術的な音調をその出音に潜在させることに腐心していたと思う。そのようにして設計者は自分の中にある芸術の解釈をサウンドに織り込んでいた。
当時の音響特性は現在と比べれば稚拙な面はあれど、今のオーディオ機器には聞かれない麻薬のようなオーディオ的快感・エロス・毒を隠し持っていて、そういう数字で捉えがたいものを受け止める力のある者には、それらを惜しげもなく与えたものだ。それはリスナーの共感を強く呼びこむ、深い音楽性として現れていた。
その魅力は今もハイエンドオーディオの神話として、キャリアの長いオーディオファイルの胸にしまい込まれている。
そういう失われたオーディオの神話の片鱗がHE-1に残っていると僕は信じている。

人間の精神に直接作用して、それを変化させる表現物を一般に芸術とか、芸術作品とか呼ぶ。オーディオは先人の努力によって、あるいは音楽と巧みに一体化することで、単なる音を聞かせる装置から、芸術という驚くべき機能を持つモノへと進化したはずだ。
この成果こそアート・芸術という要素を含んだ、かつてのハイエンドオーディオの最終的な存在意義であった。
全ての趣味と同様に、そこにかける思いと考えが十分に深まれば、あの世界は自然と見えてくるはずなのだが、なぜか現代のオーディオに、そのような神話的世界への志向を感じることは稀である。

ところで、僕がRe Leaf E1、GOLDMUND THA2、Nagra HD DACを並べ、組合わせて毎日聞いていて切実に感じるのは、各々の機材に独自の完成された世界があるということである。
これはアリストテレス的な世界、すなわち名付けうるものの数だけモノが存在するという唯名論的な状況と考えられる。スピーカーオーディオでは複数のシステムをメイン・サブの区別なく駆使できる立場にあるオーディオファイルはほとんど居ないので、どうしてもプラトン的な世界、すなわちイデアという一つの理想的な世界を追求する動きになりやすい。しかし、ヘッドホンオーディオでは、異なる世界を持つ異なるシステムを並列して使うことは容易であり、その意味で全く異なる展開が有りうるし、僕はそのアリステトテレス的世界を現に愉しんでいる。
ヘッドホンオーディオはスピーカーオーディオと単純に音質的に異なる世界を作れるだけでなく、オーディオを聞く様式においてもスピーカーオーディオとは異なる広がりを持つのである。

僕としては、このハイエンドヘッドホンオーディオの広がりをさらに大きくしたい。HE-1のような音の芸術としての存在をこの世界に取り込みたい。誰のためでもなく僕自身のために。だが、この願いは簡単にかないはしない。並び立つそれぞれのシステムが、各々異なる音調・意味をもって僕を楽しませることが必要だからだ。苦労してシステムを整えても、同じようなものが幾つもできるだけでは意味がない。(例えばマス工房の406は素晴らしいが、その製品版を聞くと僕の手持ちの機材とガラッと違う音を出せる自信がない。)
自らが今持っていない音、しかも高い次元で完成したサウンドを僕は求める。
HE-1の音はその条件を満たすだろう。
やはり、この機材はハイエンドヘッドホンのアルファでありオメガでありうる。
これは現時でのハイエンドヘッドホンの究極の一つであるだけでなく、
新しい動きの始まりでもある。
互いの存在・音に刺激を受けつつ、次々に生まれてくるヘッドホンシステムたち。
彼らが繰り広げるオーディオの新たな神話は、
HE-1を結節点として、さらなる展開を見せるだろう。
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この期におよんで、僕のやることは決まっている。
HE-1の姿形・動き、サウンドとその対価が正しく釣り合うのかどうか。
僕はただ、それらの要素を注意深く、心の天秤にかけるだけだ。
(かなり望み薄い比較となりそうだが・・・・)



by pansakuu | 2017-08-20 19:01 | オーディオ機器

マス工房 Model406 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:美しき矛盾

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あらゆる矛盾は一度極限まで行く
    ジョージ ソロス (投資家・投機家・政治運動家)



Introduction

ハイエンドヘッドホンの世界がどうなってゆくのかを見極める。

もう、これは私のライフワークのひとつになってきたのかもしれない

それは不遜な言葉だとは知っていても、

スピーカーオーディオに深い関心を失った今は

そう言うしかない状況でもあ

だから、面白そうなアンプやヘッドホン聞けるイベントがあれば、

できるかぎり出張って行って、それをき込む

とはいえなかなか無いもの

これ欲しいとか、これは凄いとか、

そういう気分にさせてくれるモノなど滅多に

いつも言っていることだが。


ところが、2017年春のヘッドホン祭りの会場の片隅

ひっそりと展示されていたあるアンプが、

そういう私のフラストレーションを吹き飛ばしてくれた

今回はんな話をしよう

このアンプのサウンドは

GOLDMUNDRe Leaf等のハイエンドヘッドホンアンプに慣れ

倦怠気味のの感性を揺さぶったのである



Exterior and feeling


2筐体を要するヘッドホンアンプ、

マス工房 Model406Model405は大規模な構成を取っているが、

その外観の印象はマス工房らしく実にシンプルである

この工房の製品は政府機関、あるいはNHKなどの放送局が採用するもので、

外観にも音にも飾り気は一切ないのが特徴。

最近某国の政府専用機向けの機材の製作の依頼が来たと聞いた

フロントパネルは厚さを確認したくなるほどに薄く、

ソリッドスチール製のクラムシェル型シャーシもシンプル。

100万円を超えるヘッドホン機材というのは、

超高級品であるから、どこか外装に分厚いアルミ材などを使って、

その格を示そうとするメーカーが多いが、

そういうポイントにこだわらないのが、ここのポリシーである。

その代わりに、

ここ数年、国内のハイエンドオーディオメーカーが使い始めている

ハンダの耐久性の低さに着眼、

別な経年劣化の少ないハンダを採用するなど、

見た目の高級感とは全く別の視点からの

高品質・高耐久性へのアプローチがあり、

オーディオファイルとして興味を惹かれる。


このヘッドホンアンプは、ボリュウム調節や入力セレクターを装備するバランスプリアンプModel 405と、スピーカーオーディオで言うパワーアンプにあたるヘッドホンを直接駆動するアンプModel 406の二つの構成要素からなるものであり、単なるヘッドホンアンプというよりはヘッドホンアンプシステムとも呼ぶべき大規模なものである。

プリアンプ部であるModel 405は、従来のヘッドホンアンプの音質劣化の原因の一つと考えられていながら、あまりに根本的なパーツであるがゆえに今まで排することがほとんどできていなかった、ボリュウムをアンプの外に出す、あるいは優秀なプリアンプをユーザーが自由に選択して接続するという発想から生まれたユニットである。このコンセプトはOjiのヘッドホンアンプでも見られたが、果たしてこの音質は、かつてのOjiのスペシャルモデルを超えているのだろうか。

また、このアンプの特徴はスロット式のリアパネルを採用したデザインにもあり、オーナーの求めに応じて、XLRRCAのバランス、アンバランスのライン入出力、デジタル入出力、フォノ入力などを自由に選択できる。全ての入出力モジュールがマス工房製であり、細かく仕様を指定可能である。また、キーパーツであるボリュウムは東京光音の選別品を用いる。なお様々な入力を必要としない場合は、ボリュウムのみを独立させたボリュウムボックスを特別に製作することもできる。

このヘッドホンアンプシステムは高価ではあるが、構成の巧みさにより、一台で様々な使い方が想定でき、将来にわたる発展性があるところに他社機を凌ぐアドバンテージを感じる。これほどのアンプともなれば、安易に高い買い物と言い切ることはできない。


一方、パワーアンプのような意味合いをもつModel406は左右別のヘッドホンアンプ用としては強力なスイッチング電源と、これまた左右別のA級アンプで構成されている。

増幅回路はFMアコーステックスやBoulderViolaのような、小さな四角い箱に単位ごとに封入されたモジュール形式をとり、筐体の中の二枚の基板に収まる。

一枚の基板に片チャンネル用の電源と増幅回路が載っており、LRチャンネル分で二枚の構成とし、これら二枚の基板を二階建ての形でワンシャーシに収める仕組みである。

Model 406の入力はXLR一系統だけだが、Model405との接続のみを意識しているのではない。リアパネルには左右別のゲイン調整スイッチがあり、これによりModel405以外の様々なプリアンプとのスムーズな接続を可能にしている。

ただ、試聴した私の予想ではマス工房が目指す音のトーンを得るにはModel406をペアとすることが必須のように思われた。それというのも、これほどカラーレーションの少ないプリアンプは他に想像がつかないからだ。

またデザインの統一感という意味でも、できればマス工房製で揃えたいところである。

さらにModel 406のフロントパネルにはヘッドホン向けの標準のフォーンジャックと4pin XLRバランス出力の他、LowMidHighとアンプの最終段の増幅率を変えるボタン式のスイッチもついているので、様々なタイプのヘッドホンに対応できる。なお、試聴での印象を先にいうと、このアンプには途轍もないドライブ力が秘められており、それは手持ちのGoldmund THA2を上回るレベルとも聞けた。このアンプでバランス駆動するかぎり、鳴らしにくいといわれるいくつかの平面駆動型のヘッドホンを含むあらゆるヘッドホンを、どのアンプよりも力強く的確にドライブできるのではないかと思われる。ちなみに試聴したHD800の場合はMidでもいいが、Highのポジションだとより御機嫌な音が出ていた。

なにしろ、32Ω負荷で片チャンネルあたり4Wを発生するというのだから、ヘッドホンアンプとしては異例の剛力である。これほどのパワーを秘めたA級アンプであるModel 406には発熱もそれなりにあり、細かい熱対策がなされる。例えば基盤には放熱フィンが林立する。またデモ機は急拵えの4つの薄いゴムフットで支えられていたが、これは放熱のために底面に空間を確保するため、もう少し厚いものに替える予定とのことだ。

それから、ここでのスイッチング電源の採用にも注目。他のハイエンドヘッドホンの多くが一般的なトランスを電源としていることを考えるとこれは異例なことだ。クリーンでカラーレスなマス工房のサウンドの秘密の一端がここにあるような気がする。


ところで、プリアンプModel 405のフロントパネルには、電源スイッチ、ボタン式の入力セレクターとボリュウムノブの他に「バランスエラー」と書かれた見慣れないランプがある。これはModel 406のフロントパネルにもあるものだが、要するに擬似バランス化された入力がされた場合に光るランプである。コネクターは3pin XLRでも、その内実は2pinのアンバランス伝送である場合がままあるが、このような細工をされた擬似バランス入力であることが一見でわかるランプなのだ。擬似バランス化された入力であることをわざわざ暴く必要はないと思うが、マス工房の方はそういう機材を敬遠しているのかもしれない。この辺の設計はやや個性的だと思う。


今回の試聴はAK380を送り出しとして、Model 405の端子に接続、そこから後段であるModel 406XLRケーブルを結線、そこに聞き慣れたSennheiser HD8004pin XLRでバランス接続した状態で聴く。ヘッドホンケーブルはSennheiser純正だが、その他のケーブルはどれも全く普通というか、とても安価なものであった。試聴時はModel405はボリュウムボックスの状態で、中身は未完成だったが、Model406についてはプロトタイプであっても、内容はほぼ確定であり、出音を変える予定はないとのお話を聞いた。そこで私は思い切ってインプレッションを書くことにした。なにより、「マス工房としてもこれ以上の音は出しようがない」というコメントにそそられたのだ。このメーカーがそこまで言うアンプの音を逃したくなかった。AK380はこれほどのシステムに対してはやや役不足な送り出しだが、試聴結果としてほとんど不満を抱かなかったことから、据え置きのハイエンドDACをつないだら、どこまで行けるのかについても、興味を持った。


なお、仮に製品版で大幅に音や仕様が変わるようなことがあって、それがより良い方向ならば、追加でそれについて書くことになるだろう。ただし、それはその製品版の音を十分に吟味した後に書くレポートとなる可能性が高い。これほどのアンプとなれば、ちょとした改変でも大きく音の印象は変わるだろう。これはあくまで現時点での音についてのレビューに過ぎないことは断っておきたい。

(写真はメーカー様のHPより拝借いたしました。ありがとうございました。)



The sound


一聴して、ごくごく普通の音である

特徴がないのが特徴のような。

しかし、常に上を見て感覚を磨いているヘッドフォニアならば

その背後に控えている膨大なパワーの存在に気付くはずだ

このサウンドの背景を見極めようとして感覚を開放した瞬間

今まで経験したことのない形で音楽のリアルが脳裏に拡がるの私は聞いた


このアンプの音を簡潔に言えば、究極に近いほど色付けの少ない音調に、有り余るパワーの裏付けがなされた余裕のサウンドということになる。こういう特徴を持つヘッドホンアンプは今までなかった。これほどカラーレスでありながら、これほど豊かな音は知らない。


これは確かに視覚的な音である。

ヘッドホンサウンドの常としての、拡大鏡で音楽を見つめるような微視のまなざしがまずある。だが、それでは木を見て森を見ない過ちに陥りやすいことをこのアンプは知っている。事実、多くのハイエンドヘッドホン、アンプの音はこの罠にはまっている。試聴を積み重ねれば分かることだが、ほとんどのヘッドホンアンプは、どうやってもそれ単体では、音楽全体を見ようにも、それを俯瞰する視点にまず立てない。なぜなら大概のヘッドホンアンプは全ての帯域にわたって音の伸びが足りず、音楽のスケールを小さくまとめてしまうからだ。


だが、このマス工房のアンプを聞いていて、私の脳裏に広がったのは、普段スピーカーで聞く音楽の大きな全体像にかなり近いものだった。有り余るパワーがそこまでの音の伸びを生むのである。これは珍しくも音楽の正しいスケール感が表現できるヘッドホンアンプなのだ。

音源との距離感や音源の大小の表現が非常に適正かつ絶妙に取れるアンプでもある。近い音と遠い音、大きい音と小さい音、それらの表現が大変精密かつ豊かだ。今まで聞いたアンプで遠近・大小の表現の幅がこれほど広いものはあまり知らない。しかもその能力を必要のないときは決して見せない。必要な時に必要なだけ出す。

いくら聞いても、これ見よがしな低域のアピールを感じないのは、

そういう態度の現れだ。


どんなヘッドホンシステムにも、

それぞれ固有の音響空間の広さというものが存在する。

それが狭ければ狭い程、虫眼鏡的な音楽の聞き方に傾く。

ハイエンドスピーカーを使っていて、ヘッドホンに批判的な人の多くが、そういうヘッドホンサウンドしか聞いたことがなく、ヘッドホンというと「狭い」サウンドしかイメージしてくれない。結果的に細かい音ばかりが聞こえ、

音楽の全体像が見えないと彼らは非難る。

(そういう彼らも細かい音を視覚的に扱えるスピーカーを、いつも求めているのにも関わらず)

しかし、現代の優秀なヘッドホンシステムはもう、そのような音ではない。

もはやスピーカーに近いレベルで森を見ることができる。

このような進化はもちろんヘッドホンの高性能化があるが、

アンプの進化も見逃せない。

特にSNが高く、パワフルなアンプが増えていることが大きい。

そのような高い理想を掲げるヘッドホンアンプのなかでも、極めつけの性能を誇るこのModel406については、ヘッドホンさえ選べば、それが目の前の空間に現に拡散している音ではないという点だけは依然として異なっていても、上手くセッティングしたハイエンドスピーカーとほぼ変わらないスケールのサウンドイメージを脳裏に描けるはずである。


これだけ色付けがない音ということだから、

いわゆる音楽性というものはこのアンプには皆無である。

音の生々しさ、生命感は感じるが、そこに演出がない。

音に傾向のようなものはない。このアンプの色付けの少なさに慣れると、

かなり色付けの少ないと考えられるRNHPですら、うっすら色を感じるほどだ。

例えばハイエンドのアンプになるとSNが滅法良くなるために、

微かな余韻のたなびきもかなり長く持続する。

それにより、美しい女性のアイシャドーを眺めるような、

華やかな色付けを感じることもあるが、

そういう傾向はこのアンプの出音にない。

むしろ、余韻がどこで切れるのかを正確に聞かせようとする。

まるで入力された全ての音声が均一の明るい光の下で公平に明らかにされるようだ。


さらに、スタジオ用の機材を得意とするメーカーらしく、抜群に定位がいい。

いままで聞いてきたハイエンドヘッドホンアンプは

どれも定位はいいはずなのだが、これに比べるとやや劣る。

ここでは音像が動かないというより固定されたように感じる。

また、逆に音源が動くととても敏感に反応する。

視覚の心理学の世界では止まっていて見える風景以外に、動いて初めて見えるものもあるということが示されているが、音の世界も同じであることに気付く。

このような音の動的風景への気づきは音の生々しさを増幅することになるが、それは無いものを付加しているのではなく、有るものを掘り起こしているのである。楽器の置かれた位置からスタジオの壁面までの距離がくっきりと表現されるような、この生々しい感覚は、このシステムならではのものだ。


音像の解像度はすこぶる高いが、それはレンズに喩えるとライカやツァイスのようなアピールする解像度とは違う。イメージとしてはニコンの明るいレンズ、ノクトニッコールなで撮った写真のようだ。鮮鋭さは前面に出ておらず、至極真っ当な音の輪郭、質感、色彩感で見せる。これは積極的に自分をアピールしない音であり、蜷川美花風のカラフルな色彩感なんかを期待するとハズレだ。Re LeafGoldmundのアンプのようにすぐに分かるような音ではない。やはりこれは第三の音である。Re LeafGoldmundによる冒険の成功があったから、その良さを深く理解できる音なのだ。大器晩成と言ってもよいかもしれない。あとあとから分かる音の良さなのである。


Model406のような音の伸びしろ、ヘッドルームの高さを持つアンプは概してその能力の高さに溺れ、

リスナーを強烈な音で押しまくろうとする傾向があるものだが、

このアンプにはそれがない。

なぜか恐ろしく良くコントロールされた音を出す。

自分を出さない音。

一片の私情も感じないサウンド。

他方、現代のオーディオの大勢について考えると、

広告の宣伝文句にあるような

全く足し引きのないサウンドなどというもの

実際のリスニングでは感じ取れず、

それぞれが固有の音質を盛っている場合がほとんど

盛大にドーピングして見せるばかりか、

個性的な音楽表現を行うのが当然となっている。

そういうオーディオ的状況に置かれるうち、

私的には、多くの悟ったオーディオファイルと同じく、

入力された信号をただ忠実に出力するだけでは

音楽にならないと感じるようになったし、

そういうことがなければ、

オーディオをやっていることにもならないかもしれないと思ってきた。

そもそも、そういう完璧に色付けの無いオーディオは

厳密には不可能だと考えている自分がいる。

しかし、Model406ような無私の極致を指向する音を聞いていると、

少なくとも、その勘繰りの一部は過ちであったと認めざるをえない。


欠点もなくはない。ヘッドホンによっては背景に残るノイズが少しうるさく感じられることもある。セカンドベストの394の方がノイズ的には有利なのだが、406ほどのパワーやチャンネルセパレーションがない。また、このノイズはゲインを調整するスイッチを操作すれば随分と聴感上は改善されるようだ。個人的にはこのノイズがさらに小さかったなら、もっと印象は良かったと思う部分もなくはないが、正直、全体の音の良さを考えるとこれは些細なことかもしれない。とはいえModel394を二台買ってパラレル使いする方が面白いのではないかという考えが頭をかすめることもある。やはり、ここは悩みどころかもしれない。



この試聴では市販の無銘の電源ケーブル、例えば2m1000円ぐらいの動作確認用として機材に付属するような普及品のACケーブルが使われていたが、それでも納得できる音が出ていた。

これについて、ひとつ驚いたのはマス工房の主宰のM氏が、このアンプは電源ケーブルを、これより高級なものに替えても音は変わらないと言うのだ。しかもそれは、他のアンプは変わるかもしれないが、ウチのアンプは変わらないというニュアンスを含んだ発言のようだった。実際、ハイエンドケーブルを使って音質変化を確かめる実験もされたようである。すなわち、電源ケーブルで出音が変わりうることをある程度認めたうえで、自社のアンプではそういう現象は起こらないと主張するのだ。電源環境がいい方向に変化しようと悪くなろうと、そこに依存・影響されず一定のトーンで音を出し続けるように設計しているという。どんなアンプについても電源ケーブルで音は変わらないと主張する頑迷な方はいるが、出音を電源状況に関わりなく変えないテクノロジーを持っていると公言するオーディオメーカーはあまり記憶にない。このようなポリシーこそ真のプロフェッショナリズムではないか。製品版でもこの態度を貫いてくれることを望む。


例えば、このアンプの音が持つ余裕に近いものがHP-V8の出音にもある。背景にあるゆとり、どんな音楽でも手のひらの上で転がしているような快感を伴う、凄く上からの目線である。しかしHP-V8Model406Model405に比べて音が緩い。真空管の音触は優美だが、失うものもあると知る。また低域の制動はこのアンプほど効かない。とても高い次元での比較になってしまうが、マス工房のModel406Model405は余裕があるのに緩さがなく、音の立ち上がり・立下りもごくごく自然、各パートの分離もかなり良い

T8000などを聞いても思うのだが、真空管をヘッドホンアンプで使うというのは難しいものだ。真空管を使う時は、少なくともそれを隠し味としてつかうのか、前面に押し出すのかはっきりすべきだが、T8000は真空管の生かし方が中途半端でSNを損なっており、HP-V8では300Bのトーンが前面に出過ぎていて音の好みや似合う音楽が分かれる。HP-V8は素晴らしいアンプだが、結局、優れたソリッドステートアンプと比較したときに、音の味わい以外の点で遅れをとりがちだ。やはり真空管を使ったアンプは、全てが出尽くし、飽きてしまった後のデザートとして位置づけるべきなのかもしれない。


Oji BDI-DC44Aとの比較は、今回の試聴の最後の関門であった。これについては二台並べての一対一での比較はできず、とても難しいが、正直に言えばOji BDI-DC44Aは若干だが不利だろう。あのアンプは設計者の思い入れが空回りしてしまった製品だったような気がする。むしろ通常のモデルの方が音のまとめ方が上手で洗練されていて好ましかったと覚えている。あのアンプが発表された頃はハイエンドヘッドホンの方向性が未だ定まらず、どれくらいのレベルのものが必要とされ、どれくらいの音の品位を目標としたらいいのかを探るための、試行錯誤が始まったばかりの時期だった。そこで先走った機材の完成度が必ずしも高くなかったのは仕方ない。当時の私はハイエンドのスピーカーオーディオを駆使する立場からジャッジして、この方式は音の洗練がまだ足らないなと思った。あの時感じたフラストレーションはずっと私の頭の中に残っていたが、Model406はそれを見事に消し去ってしまうほどの音で驚いた。具体的にはマス工房のアンプの方が音の変化に対する反応がより的確で自然であるように思われる。Ojiのスペシャルモデルは音の動きがわずかに鈍重だった印象がある。また、SNもマス工房のものに比べれば低かったようにも思う。

それから音とは関係ないが、とても自分のラックに置きたくないような大きさとデザインだったのもよく覚えている。ゲイン調節などのアジャスタブルな部分もなかった。BDI-DC44A本当にカスタムメイド品で、ユーザーの設定した条件に鋭く合わせ込むことで音質を上げようとしているようだった。これでは仮に同じレベルの音が出ていたとしても、使い勝手や拡張性など音以外の部分で不利だったと思う。現代の最新のアンプであるModel406Model405Re leafGOLDMUNDが築いたハイエンドヘッドホンアンプのスタンダードを意識して、そのどちらかを超えるべく設計されたものであり、それらの出現前に企画製造されたアンプでは、同じような音の方向性で勝ることは難しいかもしれない。



Summary


から域に至るまで

特定の周波数帯を強調したり弱めたりせず

一切の色付けを排しながら、入力された音を極めて忠実に出力

それがマス工房の機材に共通するサウンドトーンだ。

このフラットを極めた無個性なサウンドは

前のフラッグシップヘッドホンアンプである、

Model394で既に十二分に発揮されていた。

私はこれをしばらく手元で使っていたが、どこか物足りないといつも思っていた。

これほど高次元なサウンドのどこが不満なのか、自分で巧く説明できないもどかしさ。ずっと聞いていると、この先のサウンドがあるはずだと欲求不満になる。こういう説明不可能な不満はOjiの新鋭アンプやSTAXの新型機でも感じるストレスなのだが、なぜかRe LeafやチューニングされたGoldmund THA2では、それを感じない。

この二つのアンプの音の世界は私にとってストレスフリーなのである。

好みの違いと言ってしまえばそれまでだが、これは何処に違いがあるのか。


Re LeafGOLDMUNDのアンプに続く

第三のハイエンド・ヘッドホンサウンドとして

マス工房 Model406Model405を位置づけて、

初めて見えてきたことがある。

私の好むこれらのアンプは、私の耳で聞くと、

他の個体からはっきりと区別される、完全な個性を持っているということだ

この音の個性は、それ以上に分割ることのできない

完結した音の態度であり、これ以上の改良は蛇足にしかならないと

確信させる音の本性である。

何人にも疑念を抱かせないほど、

緻密に完成された個性を持つことが、私の使うアンプには必要だ。

同じクラスのアンプであっても、あえて評価しないモデルは、

その個性の完結度が低いと感じている。

まだこのメーカーのアンプは自分の音を出し尽くしていないと思っている。


ここで興味深いのは、マス工房 Model406Model405については前2者にも増して特殊な本性を持っているということ。それは、強烈な無個性はもはや個性そのものと言わざる得ないというパラドックスである。出音に関して限りなく無個性であり続けることが、むしろ孤高の立場を強め、無個性を他から独立した明らかな個性として昇華させている。これはとてもユニークだ。

このような奇蹟はヘッドホンの世界では起こったことはなく、伝統あるスピーカーオーディオの世界においてもBoulder2000シリーズなどに類似例を見るのみ。

誤解を恐れずに言えば、この態度と結果は恐らく矛盾である。

しかし、この矛盾は確かに美しい。

この矛盾の美に私は心を少なからず動かされたのだと思う。


求める音を得るために、持てるノウハウ、使える物量を全て注ぎ込み、一部の隙もなく組み上げていく能力が発揮されて初めて、この矛盾を超えてオーディオの美へと到達できる。計算通りか、あるいは偶然か、マス工房 Model406Model405は、私の知るヘッドホンアンプの世界で、その境地にたどり着いた三番目のアンプとなった。様々なアンプの試聴を重ねるたびに感じていたフラストレーションが、ここで消えた。


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そういえば、試聴が終わってからマス工房の主宰であるM氏と握手をして別れたのだが、その時の彼の手の印象も忘れがたいものであった。

これほど緻密で細かく調整された機材を作る人のものとは思えないほど、

力強くて大きな指、太い骨格を持つ手が、

私の苦労を知らない弱々しい手を暖かく包み込んだからである。

それは機械式時計のように精巧かつ繊細な電子機器を設計し

組み上げる技術者の手というよりは、

木こりやマグロ漁師や宮大工というような力仕事を連想させる手であった。

そう、その手は、この究極ともいえるアンプの出音に相似した、

美しい矛盾を孕む手だったのである。


by pansakuu | 2017-05-10 23:07 | オーディオ機器

Grado SR225, SR325 octandre Dmaaの私的インプレッション:ヴィンテージと付き合う

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新しくして新しきもの、やがて滅ぶ

古くして古きもの、また滅ぶ

古くして新しきもの、永久に栄える

ドイツの格言


Introduction


古いものはいい。

そういう話を時々耳にする。

だが、一概にそうとも言えまい。

例えば、古くなったコーヒー豆は不味い。

古いコーヒーグラインダーも挽き目が一定しなくて、

美味いコーヒーがなかなかできないことが多いような気もする。

しかし、古いオーディオについては総じてマズいとは言い切れまい。

それどころかスピーカーオーディオには

ヴィンテージというジャンルが確固として存在する。


具体的にはウェスタンエレクトリックや古いタンノイやJBL、アルテック、マランツなどの機材を組んでシステムを作り、大昔のクラシックやJAZZを演奏するオーディオである。こういう流れに乗って、ヴィクトローラ グレデンザやジーメンス オイロダインなどを聞いていると現代のハイエンドオーディオとは隔絶した優雅で力強い世界があることが知れる。オーディオは、これらの機材が作られた頃、既に十分に完成されていたのだ。現代のハイエンドオーディオはその変奏曲に過ぎない。

だが、このヴィンテージオーディオの趣味というのは現代のソースへの対応力は弱く、個体差が大きく、故障も多く、広い部屋とありあまる時間に加えてオーナーの精神的な余裕を要求する。こういうヴィンテージオーディオは今の自分にはとても手に負えない代物であると、私は考えていた。


一方、ヘッドホンオーディオにもヴィンテージの流れが一応はある。希少で高価なSennheiserのオリジナル・オルフェウスまで行かなくとも、古いAKGSONYSTAXなどのヘッドホンを集めて修理しながら聞くコレクターが僅かながら世界中に居る。これらのヘッドホンのメカニカルな美や音の味わいに憑りつかれる方の気持ちを私は理解できるが、そこに一般的な意味での使いやすさ、音の良さを適用できた試しはない。

いつも条件付きで私はそれを受け入れ、現代のヘッドホンとは別個の価値として認めているのみである。


最近、ヘッドホンケーブル絡みでDmaaの方と話し合う機会があり、そこでの雑談の中で珍しいヘッドホンの改造を請け負ったという話を伺った。(Dmaaの方は音に詳しいだけでなく、演奏される音楽自体にも造詣が深く、自らはベースを弾かれるうえ、仕事では様々な機材の修理や取扱いに精通し、ビックリするような海外のビッグアーティストとも仕事をされているので、peripheralな話を伺うだけでも大変に勉強になる)

パリのポンピドゥーセンターに拠点を置く、とある現代音楽の演奏集団から数十台のヴィンテージのGrado SR225Dmaaで改造して欲しいとの依頼があったというのである。具体的にはSR225の出音を、ヤマハの小型モニタースピーカーをニアフィールド・大音量で聞くイメージで、勢いを保ちつつ、誇張なく正確に楽器の音を聞けるように改変してほしいという要望だった。Dmaaではとっくの昔にディスコンとなっているSR225の他、関連モデルであるSR325などのGRADOの実機を入手、時間をかけて材質や構造を分析したうえ、独自の視点から改造を考案・施工して納品、フランスのクライアントに好評を得たという。

また今回の依頼はSR225に関するものだったが、結果的にはSR325についても、同様の改造のレシピが適用できるとのこと。私はこの話を聞いて、なにかピンと来るものがあったので、それらのヘッドホンをぜひ試聴したいと頼んでおいた。ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして聞くための改造が成されている可能性を感じたからだ。

Dmaaはこの件に関してクライアントの了承は得ていたので、程なくして、これらのヘッドホンを私が試聴する手筈と、さらにこちらで現物を用意すれば、同じ改造をする準備もできるという連絡をよこして来た。



Exterior and feeling

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この改造のベースとなるGRADOSR225SR325は古い機材である。これらは後年に発売された改良型ではない。つまり型番の末尾にeisが付かない初代の機種であり、ハウジングの形状などが後継機とは異なる。例えばここで使う初代モデルのハウジングはシンプルな筒型で、eiisが付くモデルのように、辺縁部が広く斜めにカットされたベゼルのような形状にはなっていない。


これらのヘッドホンをヴィンテージと呼ぶかどうかは、ヴィンテージヘッドホンの定義がないのだから、なんとも言えない部分はある。だが実物のSR225SR325を手にして見ると、少なくとも最新のヘッドホンであるSONY MDR-Z1Rなどと比べ、明らかに古臭くてチープなヘッドホンとせざるを得ない。何しろSR225SR325とも1995年頃の発売であるし、実際の価格も必ずしも高価とは言えなかったはずだ。もちろんMade in USAだが、SR225のヘッドバンドなどはただのビニールである。これでは昔のモデルでプレミアがついているGrado HP1000のような高級感は期待できない。つまり、これは20年以上前に出回った、比較的安価な機材ということで、これもう私個人にしてみればヴィンテージヘッドホンの部類に入れたいものである。


さて今回、Dmaaで改変したヘッドホンの名称についてだが、元の形式名のSR225SR325にクライアントが演奏しているエドガー ヴァレーズの曲名にちなんでoctandreというコードネームをその型番の末尾に加えた。すなわち、ここではこれらのヘッドホンをGrado SR225 octandre DmaaあるいはGrado SR325 octandre Dmaaと呼ぶ。

octandreとは植物学の用語であり、8弁の雌雄両性花を指す。

実はヘッドホンの改造の際に、バッフルの特定の位置に、音圧を抜く穴を正確に開ける必要があるのだが、その穴の仕上がりは図らずも8弁の雌雄両性花の蕊(しべ)の位置関係を想起させる。この形態的な特徴も、このoctandreという名付けの由来になっているとDmaaから教わった。偶然の一致にしても随分と凝ったネーミングである。

さて、ここで改造の詳細を述べようかと考えて、Dmaaからお話をうかがったのだが、その概要を正確に書き出すのは難しいと分かった。きっちり同じ技術的な説明をここで繰り返したら、このブログ一回分に許される字数では足りないほど濃厚な内容なのである。

とはいえ、中身についてなにも書かないのも問題があるので、私が理解した範囲で簡潔にその概要を述べておく。

要は、ベースモデルであるSR225SR325の出音の位相乱れやピーク・ディップを起こしている要因を取り去ったうえで、よりワイドレンジで素直な音が出るようにチューニングし直したということだ。

まず元となるヘッドホンを検品して、無改造品として正常に装着できて、音が出ることを確かめる。

次にハウジングを分解し、その中で使われている接着剤を全て除去する。メッシュについている型番の丸いエンブレムも取り去る。これらがSR225SR325の出音の位相を乱す主な原因であると考えるためだ。

それが終わったらドライバーを点検、異常がなければドライバーを固定してあるバッフルに正確に穴を開ける。これが件(くだん)の音圧を抜くための穴であるが、この穴の直径や位置関係により音が変わるため、かなりの試行錯誤を要したらしい。さらに、この穴にDmaaの独自技術であるフィルターを挿入、その挿入の深さで調音を実施する。

さらに、この穴を使ったチューニングとは別に低音を伸ばす工夫もなされる。接着剤を取り去ったハウジングには全周に薄い隙間が生じるが、Dmaaではこの隙間を音道として利用し、低域の再現力を強化するというアイデアを考えついた。これはPMCのスピーカーで採用されているトランスミッションラインと類似した仕組みだ。ただこの工夫はスピーカーの世界でさえ、製造やチューニングが困難なこともあり、PMC以外ではあまり普及していない方式である。Dmaaでは試行錯誤の末、特注した幾つかのパーツを組み合わせることで、この仕組みを形にして、最終的に無改造品より深い低域再生を得たとのこと。本当にPMCFB1のようにGradoが鳴るのか?興味を惹かれるところである。

最後にバイノーラルステレオマイクになっているダミーヘッド(おそらくNeumann製)に装着したヘッドホンからテストトーンを出して計測しながら、左右がほぼ同一かつ理想的な波形になるまでフィルターの挿入の深さなどの調節を行う。いわゆるキャリブレーションという作業である。これは設備と経験が必要な作業であり、おそらくDmaaでしかできないことだと思われる。

こうしてざっと書いてみたが、おそらく不正確な言い回しも多々あろう。素人には解釈が難しい部分もあり、全部をフォローしきれた気がしない。

(この改造の全容を細かく知りたい奇特な方はDmaaに直接問い合わせてみるのが良かろう。)

なおフランスに納品したものについてはGradoのデフォルトのケーブルをそのまま利用しているが、今後発注が有る場合には、専用リケーブルのオプションを提示する予定もありとのこと。このGrado SR225, 325 octandre Dmaaのためのリケーブルについては仕様が確定しており、既にケーブルの製造も発注済みだそうだ。2017年の6月頃には選択可能となるらしい。


完成した試聴用のGrado SR225, 325 octandre Dmaaを手に取ると、やはりというか実に軽く出来ている。現代のヘッドホンは、GRADO製を除けば、大概はこれらに比べて重たく感じざるをえない。さらにこの改造されたGradoのヘッドホンにはシンプルビューティ、ヘッドホンの原点回帰が見て取れる。ヘッドホンに要求されるミニマルな形がこれだと思わせるのだ。例えばMDR-Z1Rにはデカくて現代的なデザインのヘッドホンをスッポリと頭に装着してバーチャルな音世界へダイブするという趣きがあるが、Grado SR225, 325 octandre Dmaaでは頭と耳にちょっとヘッドホンを乗せて気楽に音楽を楽しむという風情がいい。外に対して音響的にも視覚的にも開かれたイメージがある。確かに装着感はいいとは言えない。しかし、これじゃダメ?と言われると、これでいいよと笑って答えたくなる。眼鏡をかけていても使いやすいのもいい。サングラスをかけて大きなヨットの上でこれを聞いていたくなった。

なお、SR325については昔、新品を使った時に側圧が強いと感じたのを想い起すが、今回実物を使っていて、側圧のキツサが全く感じられなかったのは経時変化なのだろうか。なんにしろ、より装着しやすくなったのは喜ぶべきだろう。


貸出機を受領した夜には、Dmaaがこれらのヘッドホンを小さなDAPとポタアンにつないで、カフェでデモをしてくれた。グアテマラのコーヒーを飲みながら私はこれを愉しんだ。Dmaaでは、こういうイヤホンみたいな使い方も想定していたのである。この使い方は私にとって新鮮であることに加え、音自体かなりマニアックでもあり、とても面白く聞いた。実際は音漏れがかなりあるから、オープンなカフェでないと無理なのかもしれないが・・・・。

でもこういう、いわゆる“ガチ”で本格的な部分のあるサウンドをチープな外観で軽快に愉しむというのは、現代の高級イヤホンではむしろできない相談ではないか。あれらは高音質を追求するあまり、音も中身も価格も独特かつ重装備になりすぎていて、むしろ気軽に聞けるイメージがないし、純粋にモニター的な音の要素にしても薄い気がする。要するに、まだまだ発展途上のジャンルなのである。誰かがヴィンテージイヤホンなどというオーディオのジャンルを確立して、趣味としての幅の広さを示すつもりなら、また話は別だが。



The sound

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潔(きよ)い音とでも言おうか。

これらのヘッドホンを聞いていて、

音楽に命を与える、音の勢い・はずみ・推進力・活力、そんな言葉で表しうる、

なんらかの見えない力を感じない人はいないだろう。

このスカッと抜けてエネルギッシュで、臨場感のある音作りは

まぎれもなくGRADOの伝統に由来するものである。

個人的には初めてラモーンズの音楽を聞いた時に覚えたような、

あのキリの良い疾走感が甦ってきて懐かしかった。

これがヴィンテージヘッドホンの良さなのかもしれない。


しかし、GRADOの伝統そのままサウンドというのは、ともすれば気分を盛り上げる脚色、荒さが目立つ音でもあり、音楽を冷静にモニターするという立場からかけ離れていた。

また低音がやや少なかったし、高域は澄んではいるが、あるレベルを超えるとキリキリ言ってしまってやはり刺激的な色付けがあった。音は常に近めなだけで定位感に乏しく、位置関係はあまり整理されていなかった。これらの気になるポイントをDmaaは幾分か現実に引き戻し、音の分離感と音楽に対する客観的な眼差しを加えた音に作り変えている。以前よりずっと品行方正なサウンドに変化している。

だから当然、これではGRADOの音じゃないという意見も出るだろう。

そう、これは半ばGRADOではあるが、半ばDmaaである。

やはり純粋なGRADOのサウンドではない。

そこはヴィンテージヘッドホンをクリエイティブに扱ったことによる変化であり、私がこのヘッドホンを多いに気に入った理由でもある。


Nagra HD DACRe Leaf E1xでバランス駆動されるSR225, 325 octandre Dmaaの共通する印象は以下のとおりである。

まず全体に派手さが抑えられた落ち着いた音調に変わった。このサウンドには改造のベースがヴィンテージのGradoとは思えない部分が多々ある。

例えば改造前に感じたウキウキ感重視のやや浮ついた音調は鳴りを潜める。高域の質感として感じられた独特の煌めきは大幅に後退、全帯域にマットな音の感触に変わっている。音色で言えばモノクロームで地味な要素が多分に入り込んでいる。そのせいなのか、全帯域で音のテクスチャーをより冷静に表現できるようになった。代わりに派手でカラフルだった音色は多少控え目になったように聞こえる。


音の定位や位相についても以前と比べて大幅に正確な表現に修正された。かなり定位や分離が良いHD600GE DmaaHD650GE Dmaaと比べるとやや劣るが、ここではモニター用のヘッドホンとして十分に安定した音像定位が聴き取れる。

こうなると、無論、音色の鳴らし分けの巧さや、各パートの分離、変調の少なさに改造前とは差が出てくる。音楽に含まれる各音は整理され、あるべき位置関係をリスナーに提示しようとしている。


音のコントラスト、音の明暗の対比の落差の大きさは従来通りドラマチックな表現をする場面もあるが、音の強弱の階調性が随分きめ細かくなっていると感じる時もある。大きい音と小さい音の単なる差ではなく階調・濃淡が細かく分かるようになり、より音の印象が繊細になった反面、以前のワイルドな雰囲気は削がれた。

一方であまり変化していない部分もある。例えば、改造前と比べてサウンドステージの表現はあまり変わらない。これを単純に音場が狭いと言うか、物凄く音が近いというかは人それぞれだと思うが、音抜けが良いことと、音場が広いことを混同しないように注意すれば、このヘッドホンの音場は開放型としてはそれほど広い部類には属していない。ただ、本当に音場を広く感じるヘッドホンよりも、広い部屋の中で音楽が鳴っているような錯覚を覚えることはある。それはハウジングの構造やドライバーの素のままの音調が極めて開放的なものだからだろう。音が頭の周りの空間に放散される感覚が、広々とした空間性の認識につながっている。だがそれは、音楽が録音された空間の広さとは関連がない。

確かにこれは、小型のモニタースピーカーを使い、ニアフィールドかつ大音量でモニターしている感覚に近いかもしれない。


ダイナミックレンジも改造前とほとんど変わらない。もともと大きい音も小さい音も十分に識別可能なヘッドホンだった。ただしカバーする周波数帯域は低域方向に拡大しているように聞こえる。以前は50Hz以下の重低音などは明らかに不得手であったが、そういう低域も巧く処理している。GRADOらしい中高域に若干のアクセントはそのままに、低域の伸びが加わったように聞こえるのである。また低域の解像度も増しているが、量感は控えめのままである。

帯域のバランスとしては凄くフラットというものではないというのは相変わらずであり、中高域、そして低域にアクセントの強さは残る。だが、面と向かって“ドンシャリ”と揶揄されるほどの帯域バランスの悪さではなく、よりソースの音を正確に反映する方向に音が振られているのは間違いない。


このヘッドホンのドライバーは高い能率を誇り、スパーンと爽快に鳴るところが魅力であり、その部分に変化はない。そして改造後の音の立ち上がり・立下りのスピード感というのも従来通り素晴らしい。改造前は過剰に速く音が立ち上がる傾向があって、レスポンスの良さをひけらかすような品位の低さにつながっていたが、この過剰さが鳴りを潜めたというか、速くもなく遅くもない適正な音のスピードに修正された。結果的にいささか音は上品になったように感じる。


一般的な話としてDmaaがモディファイしたヘッドホンや製作するケーブルについてコンシュマーオーディオの立場から言うべきことがあるとすれば、やはりこれはスタジオでの仕事の道具としての面が強すぎて、時に素人のオーディオマニアとしてリスニングを楽しめない部分があるということかもしれない。だが、SR225, 325 octandre Dmaaは例外的にコンシュマーオーディオの側に振れた、面白みのある音が出ている。これはGRADOの伝統の気持ちの良い音作りの方針を潰し切っていないからである。これがDmaaの音の匠としての巧みな配慮であるなら、流石としか言い様は無い。


ところで、SR225 octandre DmaaSR325 octandre Dmaaの出音の違いについてだが、これはハウジングの材質の違いによるところが大きい。SR225は厚さ3mm程度のプラスチックのハウジングをかぶせる形で使うが、SR325ではここがそっくりアルミ製に代わっている。二つのヘッドホンの響きはまるで違っており、SR225は柔らかくて、軽く、暖かく明るい音調だが、SR325はややソリッドで、粒立ちが良く、やや冷たく陰影の強い音である。ボーカルの質感などに関して玄人好みと思うのがSR225であるが、あくまで素人であるヘッドフォニアは一聴して高域が少しキラキラしたSR325を選ぶ確率が高いかもしれない。現代のGRADOのサウンドと比較するとPS系はSR325であり、GS系がSR225に相似するというところだろうか。ここはいずれにしろ自分の好みで選ぶだけだ。


なお、これらのヘッドホンが私の愛するHD650 Golden era Dmaaと差別化できるのは有り難い。音楽をモニターしたいときはHD650 Golden era Dmaa、どちらかというと気楽に楽しみたいときはSR325 octandre Dmaaを選べばよいのである。

ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして甦らせるためにはどうしたらよいのか、その取るべき道筋を私はここに聞いた。Grado SR325 octandre Dmaaのサウンドは、いささか複雑な出自を持つ特別な音だが、最新のものから古いものまで、ヘッドホンもスピーカーも数多くこなしてきて、多少のことではもう驚かず、驚きたくもないオーディオファイルが落ち着くべき音のカフェのような存在であろう。


別言すれば、私のような者がオーディオの楽しさの原点にもう一度戻りたくなったとき、そしてそこからまた、新たな場所へ移って行きたくなったときに立つべき場所とも言える。ここには懐かしさと新しさが分かち難く解け合い、基本的にはよく見知っている内容でありながら、その見え方という意味では見知らぬ世界が開けているのである。



Summary


日本で最初となるようだが、

私はGrado SR325 octandre Dmaaをオーダーした。

オーダーの際、SR325をベースにするか、SR225をベースにするかは迷った。柔らかくて軽いSR225(プラスチックハウジング)のサウンドを取るか、解像感が高く音のキレがいいSR325(アルミハウジング)のサウンドを取るかだが、私はSR325をベースモデルとした。とはいえ、その結論に至るまで、長考したのは事実である。例えば少し昔のジャズやロックのボーカル、ビリーホリディやフランク シナトラ、ビートルズなどをそれらしく聴くなどという場合はSR225を選ぶというのは絶対にアリなのであった。告白してしまえば、良い状態のSR225すぐには手配できそうもないと判断、SR225の改造の依頼の方は断念したとった方がいいのかもしれない。今でもSR225でオーダーしたいという希望はもっている。


また、現時点でリケーブルは利用できないのでヘッドホンケーブルは仮のものを使うこととしたが、到着次第そちらに換装するつもりでいる。さしあたりRe Leaf E1xで使う予定なので、端子はXLR3pin×2仕様としたが、Nagra HD DACの内臓ヘッドホンアンプに直接挿すのも面白そうだし、RNHPでも使いたい。その部分は本物のリケーブルが来るまでさらに熟慮しよう。


私の場合はGradoの二台持ちというのは、かさばってどうもすっきりしないので手持ちのGS2000eは売り払ったうえで、ロンドンから状態の良さそうな無印のGrado SR325を取り寄せた。SR225SR325を既にお持ちの方なら、こんな苦労は必要ないだろう。

もちろんGS2000eは素晴らしいヘッドホンではあるが、その気になればいつでも買えるし、Grado好きなら誰でも持っている可能性がある。しかしSR325 octandre Dmaaについては、まだ世界で聞いた人間は数十人にも満たないかもしれないし、持って使っている人間はさらに少ないことだろう。これは世界でほとんど誰も知らない音なのである。簡単に言ってしまえば、そっちの方が面白そうなのだ。そんな子供じみた理由で、高価なオーディオの方針を定めていのかと思うこともあるが、これで間違いないのである。

音の良さの本質には言葉でしか迫れないというドグマを堅持する私であるが、このヘッドホンについては徒に言葉を費やすのは無意味かもしれないと感じている。

聞いてそれと分かるヘッドホンがGRADOだからだ。Dmaaで改造されたにしても、SR325 octandre Dmaaはその気質を色濃く残し、やはり言葉のいらないヘッドホンなのである。

聴けば分かる。

だが、その口調は改造前はっきり異なるものである。もともとのGRADOのサウンドはフリースタイルバトルのラッパーのような刺激的なイメージで魅せたが、少し過剰だったしやや下品だったかもしれない。ここではoctandre Dmaaという冠を得て、彼らは冷静さ、正確さ、そして上品さを身に付けた。今や饒舌でありながらも、言葉慎重に選んでいる作家のように、どこか醒めた語り口にシフトした。


オーディオにおけるヴィンテージ機材は、最新のオーディオ機器と比べれば、音にクセが多かったり、絶対的な性能が低い場合がある。それは意図したわけではないにしろ、独特の味わいを醸し出して、現代の機材の音にはない魅力をもつモノとして認知される。古いオーディオには確かにそういう不思議な音の良さがあるものの、それは現代のオーディオの視点から見れば、欠点の裏返しである場合もある。


このような矛盾を孕んだヴィンテージサウンドにあえて現代的な修正を加え、新たな価値を生み出そうという、Dmaaの試みはとても興味深い。

現代のヘッドホンオーディオ界のダイナミックな創造の動きの中で、この自然発生的な試みがどういう立ち位置になるのか、愚かな私に分かるはずもない。

しかし未来に向かって疾走するヘッドホンのカオス的状況が持続するかぎり、

ヴィンテージヘッドホンもそこに巻き込まれ、

否応なく変わってゆく存在であることを、

これらのヘッドホンに対するDmaaの仕事は予言しているようだ。

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by pansakuu | 2017-04-01 09:33 | オーディオ機器

Dressing APS-DR002, APS-DR003の私的レビュー:自腹を切れ

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黒猫でも白猫でもネズミをとる猫が良い猫である

鄧小平


Introduction


あまり使われない言葉となりつつあるのかもしれませんが、

「騙されたと思って買ってみな」という言い回しがあります。

これは江戸時代の話しことばが初出だろうと思うのですが、

長い間、日本で使われてきた言葉です。

寄席で古典落語なんかを聞いていると時折耳にしますよね。


この言葉には、騙されたかもしれないと思って買った先に、思いもよらぬ新しい世界が広がっている場合があるという、実体験に由来する知識が含まれてはいないでしょうか。この種の知識を我が物とするには、勇気と寛容、もっと簡単に言えば、少々の失敗には懲りない性格を持つ必要がありますが、幸か不幸か、私はそちらの方面には自信があります。


先ごろ、パイオニアさんが、ここで取り上げるDressing APS-DRシリーズの発売を突如として告知した時、私は思わずこの知恵の言葉を呟いていました。

この小さな機材の説明を読むとパソコンやDAPなどのUSBポートにこの小箱を挿すだけで音が良くなるなんて調子のいいことを書いてありますから、多少は揶揄されたり叩かれたりすることを覚悟で挑(いど)んできたのでしょう。そしてこれらを、万単位の金額で売りつけようというのですから、担当者は音によほど自信があるのでしょう。

その意気や良しと。


さらに、この製品にはグレードの違いがあることも驚きでした。DR000からDR003まで4段階もある。この手のオカルトグッズ(失礼)にはグレード別に複数の製品が出される場合は稀なんです。それは、その効果に強弱・高低が付けられるほどの技術があることを意味していますんで。オカルトグッズの多くは思いつきで実験してみたら個人的に音が良いと思ったんで、とりあえず100個作って売り出してみましたっていうノリの、詰めの甘い製品が多いジャンルですから。こういう力加減が出来るってことは、それなりにテクノロジーを掘り下げて製作過程の細部も熟慮しているということでしょうね。やっているメーカーは、最近の業績がいま一つとはいえ天下のパイオニアだし、製品の仕上がりもかなりキレイそうだし。オカルトグッズ(またまた失礼)としては異色で面白いなと思った次第であります。


それにしてもこんなモノ、10万で誰が買うんだ? 

あっ、オレだ。

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Exterior and feeling


とは言うものの先ずは2万円のDR002から買いましたよ。いくら万策堂でもいきなり10万のDR003はやめときました。こういう場合に限ってDR002が良かったらDR003に進もう、などと俄かに計画的な考えを導入したりする。一般常識からすれば理不尽なモノを買う場合も、まるで罪滅ぼしのように理屈を通したくなるのが人間という動物ですね。

届いた小さな黒い箱型のパッケージを開けると、黒い金属でできたUSBメモリーのようなDR002と裏に測定値が手書きされたシリアルナンバーつきの保証書が入っておりました。


ところで、DR002が計測したデータを一個一個につけて出荷しているのは、これがいわゆるオカルトグッズという、おまじないじみた怪しいモノではなく、計測という客観的な視点から見て違いがある、科学的な裏付けのある機材であることを強調したいのでしょう。でも、なんで科学的な裏付けがないとそれを買わないという話になったのか?オーディオは科学だから?裏付けがあろうがなかろうが聞いてどれくらい気持ちいいかが問題ではないかな。むしろDRシリーズに付けられた計測値の紙切れ科学という宗教から派生した、おまじないや免罪符のみたいなものに私には見えてきます。


DR002本体の表面は少しツヤのあるブラックカラーでヘアライン仕上げが全面になされています。持った感じ重くはないのですが、剛性は高そう。このモデルの場合、ロゴは白字で印刷され、僅かに表面から盛り上がっています。DR002のボディケースは二つのパーツからなり、それらは箱とその蓋のような関係です。薄い長方形の箱に蓋をして、その蓋の四隅を小さなネジで止めているような構造です。ひとまず外観は隙のない仕上がり。

試しにパソコンのUSBポートに挿してみたのですが、これはどうも横に出っ張るモノですね。ここにさらにUSBケーブルを挿すと、かなりの出っ張りで邪魔ですな。これじゃUSBポートに不相応に大きなモノを挿してる状態ですから、接続は不安定になるのではないかとも思います。


そこでDR002の下に紫檀とヒッコリーで自作したスペーサ―を取り付けて、常に端子が真っ直ぐにパソコンのUSBポートに安定して入るように工夫しました。机の表面から出た支柱でDR002を支えているような格好です。こうすると出音がピタッと安定します。一般にUSB端子というものはロック機構らしいものが皆無ですから、私は自分の機材のUSB関係の端子全てに、このような下支えの工夫をしています。このささやかな施工はUSBの電極が斜めにポートに入るのを防ぎ、十分な接触面積を稼げるうえ、端子の微振動を止めるのにも役立ちます。


私はDR002の中身を開けて見るなんて失礼で危険なことはしませんが、DR001のプアな中身の写真は見ました。DR002も大したパーツは全く入ってないんでしょうな。類似の機能を持つiFiの製品の中身も見たことがありますが、拍子抜けするほど部品点数は少なく、高級パーツは一つも見当たりませんでした。トランスペアレントのケーブルの謎箱の中身を思い出します。これはハイエンドオーディオじゃよくある話だから、動揺はしませんがね。でもiFiのは威力はあるんですよ。iPurifier2USBケーブルのDAC側につけっぱなしで外せなくなってます。ついでにDC iPurifierRe Leaf E1xの電源側に付きっぱなしです。iFiの機材はどれもだいたい優秀です。これらは音が明瞭になり、音像の曖昧さが排除されるというのが共通した効果です。簡潔な言い方をすれば様々なノイズを取り除くということを主眼にしている。そして、その効力の強さと安定性を価格と秤にかけて考えれば、中身の見かけ上の貧しさなんぞはどうでもよくなってきます。つまり、オーディオは外見や中身を見ただけでは分からないということですな。よく製品を分解しては部品の原価なんかを調べ上げ、実はこんなに安いモンだとか鬼の首でも取ったように騒いでる方もいますけど・・・哀しいですねえ。


後ほど詳しく述べますがDR002を使い、十分な効果があると分かったので、さらに調子に乗ってDR003まで進みました。こちらは値段だけあって流石な代物。USBに付けるアクセサリーでこんなに高価かつ作り込まれたものはほとんどないんじゃないでしょうか。単純にDR002と比べ少しお金がかかっているように思いました。でもパッケージはDR002と同じ。入っている保証書も同じで、マニュアルもないです。桐箱に入っているという情報はデマでありました。ただし測定値の部分はDR002より少し細かく、広い範囲を測定しており、値がDR002よりも良くなっていること、検査をパスした旨のハンコが押してあるところが違います。どちらも検品担当者の名前は同じでしたから、結構忙しいんでしょうね。コレ、品薄状態らしいですから。

DR002と比べてDR003ごくわずかに重く、剛性も微妙に高いような気がします。あくまで気ですがね。これはおそらくDR002とは素材が変わっているのでは?より高価で硬度が高く加工しにくいアルミ素材ではないか、あるいは表面仕上げの違いだけなのか表面は梨地の銀色で黒のヘアライン仕上げと全く違います。さらにロゴは印刷から彫り込みに変わっています。この硬さの金属にこれだけ細かい字を深く掘るのは大変で、カネがかかるでしょうね。地味な話ですが、こういうモノは表面に彫り込みがあるかないかで微妙に音が変わる場合があります。実際、その彫り込みで共振をコントロールしている例もありますね。Boulderのプリアンプの側面なんかがそう。

そうか、サイズが全く同じで、彫ってあるのに重さが僅かに重いということは、材質か部品に変化があるとしか思えないな。

また端子の仕様に変更はないようですが、中身はDR002とは違うらしい。さらにグレードの高いパーツを使っているとのことですがね。果たして音はどう変わるのか?

噂では、DR003については一個一個担当者が聞いて、音に十分な変化がないものは出荷してないそうです。測定値の上にPASSってハンコがありましたね。これは全品検査済みの製品であり、検査の過程で振り落とされるものもあるとのこと。まー10万もするんだから、それくらいやってもらわないと。

とにかく、DR003ほどの意気込みでれたUSBオーディオ関連のグッズは知りません。iFiiPurifier2DR002と効果や仕組みは違いますが、ほぼ同クラスの類似した製品であります。今まで買えたのはここまで。DR003USBオーディオ関連グッズとしてさらなる高みを目指したものと捉えています。

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The sound


私は以前、胡椒の味や香りに凝っていたことがあります。世界の各地でいろいろな品種の胡椒が栽培されていますが、どれも産地ごと、あるいは農園ごとに香りや辛味が異なる。手に入る様々な胡椒の中から私が最後に選んだのはカンボジアで育てられた、ある胡椒の実でした。食事の直前にそれを挽いて料理にふりかけると芳しい香りが辺りに放散されるのですが、その瞬間に驚くほど料理自体の印象が変わります。より豊かで深い味わいはもちろんですが、口に入れる前から既に皿の中に引き込まれるような食欲の高まりを感じます。食を愉しむことにおいて、この胡椒の香りを加えるか加えないかは大きな差となる場合がある。


Dressing APS-DR002, APS-DR003はオーディオにおける胡椒のようなものです。要するに最後の仕上げの調味料。PCオーディオシステムにこのデバイスを加えるか否かは私にとっては大きな差となってしまいました。これを加えるとシステムの音の香りが明らかに違ってくるように思いますので。

音と音の間にある空間が露わになり、音がほぐれ、ひとつひとつが立ち上がってくる。

食材の味を引き立てる香りを加える調味料としての胡椒の役割と類似点があるのです。


まずDR002ですが、USBポートに挿して、その反対側にUSBケーブルを挿すという方式で使うのが最も効果があるようです。実は空いているUSBポートに挿すだけでもある程度効果がありますが、私の場合、よりはっきり音の変化を感じるのはUSBケーブルをDR002に挿す方でした。

なおこのグッズはDAPUSBポートにケーブルを介してつないだり、あるいはDR002,003DR001を挿した状態でPCに挿したりすることでも音質改善の効果があります。これも実際に確認しましたが、どちらの場合もDR003の方が効果がよりはっきり表れますが、DR002でも一応の変化は感じられます。DAPに挿す場合はPCに挿す場合よりも音質がスッキリする度合いがやや強いような気がしましたね。それからDR002,003DR001を挿すこともできますが、こうすると音の強調感が少し減って、なだらかな音になります。DR002単体で使って音がキツいと思った方はこっちの使い方もいいかもしれません。空きのUSBポートがあればの話ですが。それから下位のDR000DR001についても単体で使ってみましたが、こちらは価格相応の効果はないと思いました。これらはDR002DR003と組み合わせる前提なら買う価値もありそうですが、単体ではお薦めできないですね。

なお、今回は普通のWindows10のノートパソコンとJriver、自前のRe leaf E1x, Nagra HD DAC, THA2そしてMDR-Z1Rで聞いています。

パソコンに特別なセッティングはなにもしていません。


実際にUSBケーブルの先にDR002を挿した当初は、アレっというくらい、変化量が小さいものでした。音の輪郭が多少クッキリしたかなぁくらいしか分かりません。これは接続する機材や試聴する楽曲、試聴者の耳の良さの度合いによっては、知覚されない位の小さな違いでしょう。例えばスピーカーだとこの差がはっきりしない場合も多いと思います。ヘッドホンなら、ハイエンドなものならわかると思いますが、プリメインアンプやDACについているオマケ程度のものだとよくわからないという人も居そう。これだとデモじゃ苦労しそうだね。聞かせ方を工夫せんと。

とにかく、そんな程度なんです、初めは。



しかし、一時間、二時間と聴いているとだんだん違いが大きくなってくるのがわかります。まず各楽器・パートの分離がグッと明確になってきます。ゆっくりと霧が晴れて、澄み渡った空の下、清冽な空気を通して風景を眺めるように音がどこに配置され、どういう位置関係にあるのかがはっきりと見えてくると言ってもいい。毎日使い続けて数日経過するとまるで自分の視力が上がったかのように、音楽の構造や細部が詳しく見え、それらは遠近感や立体感をもって眼前に展開するようになります。音の立ち上がりの複雑な姿があらわになり、余韻の滞空時間は驚くほど長くなる。音楽は最後の一滴まで絞りあげられて我々の耳に届くようになります。ここまで聞き続けて初めて効果が実感されました。


もともとDressingという単語には整えるという意味があるそうですが、まさにこの機材は音を整えることに主眼をおいたもののようにも聞こえます。音楽を構成する要素が整理されて、手に取るように見えるようになるのです。別言すればDRシリーズの音作りの本質はかなり視覚的なサウンドに傾いたチューニングにあると言ってもいいでしょう。


試しに攻殻機動隊のサントラを出してきて聞いてみると、十分にエージングされたDR002の威力が良く分かります。シンセから繰り出される何種類もの音が、まではゴチャゴチャに混ざって聞こえていたのですが、DR002を介すると、各音が整然と分離し、在るべき位置に整頓されて聞こえるようになります。前面に出て激しく躍動しているボーカルや楽器に音にかき消され見えなかった、背景のドラムやベース、リズムセクションの響きの線、音の色が初めてくっきりと見えました。

クラシック音楽などでも、曲が始まる瞬間の奏者の呼吸や衣擦れ、フルートのボタンの操作音がよく聞こえるようになります。オーケストラの全員が息を合わせて音楽が始まるのがよく見える。アナ・カラムのボサノバの弾き語りを聞いてみると、彼女の呼吸、指の動きの速度の細かいニュアンスがしっかりと聞き取れるようになります。彼女はこんなにも柔らかく歌っていたのですね。

これは、いわゆる「この曲にはこんな音が入っていたのか」系のサウンドですよ。こんなものが聞こえるのを喜ぶのはオーディオマニアであり、音楽ファンの立場ではないですが、私個人にとっては嬉しい変化でして。また自分のライブラリーの全曲を聞き直さなくてはならないようです


私は既に厳選したUSBケーブルを使い、iFiiPurifier2も接続しておりましたので、これ以上、この分野で改めることは無いように思っていたのですが、そうでもなかったようですね。とにかく私のシステムでは時間をかけて実力を発揮させるなら、DR002iPurifier2よりも効果が高いように感じました。


私がネットワークオーディオをやめて、PCDACUSBで直接つなぐシンプルな方式にした理由はいくつかあるのですが、そのひとつにYou tubeを簡単に視聴できるようにしたいということがあります。KinskyでもYou tubeを聞くことはできますが、やや手続きが煩雑ですし、KLIMAX DS/2を使っていた頃は切り替えが時に不安定でした。You Tube自体の音はたかが圧縮音源なのですが、新しい音楽を真っ先に聴きたいなら、ここを無視することはできません。このDR002を介するとYou Tubeが驚くほど魅力的な音質で鳴ります。PC由来のノイズが大きく低減され、小さな気配成分のような音が聞こえるようになるのです。圧縮音源にもこんなに豊かなニュアンスが出せるとは少しばかり驚きました。ノイズの低減による小さな音の明瞭化はフォーマットの不利を補完するような効果もあります。


DR002の効果をまとめると、出音のSNが明らかに上がり、楽器の分離がかなり良くなって、ダイナミックレンジ若干拡大する。そんなところでしょうか。一方やや音が硬く、音圧が高くなってアタックが強めに感じられるようになった気もしますが、音質的なデメリットとしてはっきりしたものとは思えません。2万円でこの効果ならアリでしょう。

なお、この製品の音質に関して注意すべきは数日聞き続けてから、自分に合うかどうか判断すること。明らかにエージングが必要なのです。それはお前の耳が馴れただけじゃねえかという方もいますが、仮にそうだとしても、それならそれでいいですよね。所詮は自分の耳で聞くものなんだし、結果オーライでしょ。

まあ、私は経験上、機材側でのエージング効果はあるというのは疑ってませんけどね。というのはある機材のエージングが進んだと思った時点で、並行して以前から聞いている機材の音の聞こえが変わってきたという経験はほとんどないですから。

新しい音の側面への気づきというのはあるにしても、聞く人間の側のエージングだけで全ての経時的な音の変化を説明するのには少々無理があるように思います。

それからDR002も003もどこかにきちんと固定した方が音がいいですね。接続の安定が大事だと思います。私は黒檀の材をレールのような形に削って、このデバイスがピタリと嵌め込めるアダプターを作り、デバイスとパソコンの位置関係が常に固定された状態になるようにセッティングしています。こうするとパソコンの差込口にただ挿入されただけの状態よりも、ずっとスッキリと整理された音になります。


ここで苦言を呈するとしたら、このDRシリーズはデモをしている場所も極度に少ないうえ、直販を中心に販売しているので、ヨドバシなどの家電量販店ではDR002,003を注文することすらできないということ。製造している側は証拠までつけてオカルトではないと主張しているし、実際に買って聞けば、十分納得できる音質を備えた製品なのに、なんで堂々と街中でデモして売らないのか?それからもうひとつ、DR002はポートから出っ張り過ぎですね。そもそもUSBケーブルの端子ごとDR002にしちまえばいいのでは?そういうUSBケーブルがあったら欲しいですよね。


さて10万円のDR003の音質ですが、こちらも初めはなにがいいんだか、はっきりしません。DR002の最初と同じ。若干音がはっきりするかなくらい。ただスケール感や音の落ち着き、音のエネルギーの吹き上がりの勇ましさなんかも合わせて感じられるところがちょっと違うのです。DR002とは一味違うのかなと・・・。

案の定、聞き続けるとやはりよく鳴るようになってくる。微妙なニュアンスの表現や楽器の分離感はそのままに、DR002よりも積極的な表現になる。例えば音場の広がりがより強く感じられたり、楽器が強奏される部分、歌手が激しく歌い上げる部分でもっと強い音のエネルギーを感じるようになります。このDR003の表現に比べるとDR002はややこじんまりした音です。それからDR003は音量を上げても、うるさくならないというところもいい。SNDR002よりわずかながら高くなっているように感じます。加えて聞いていると音がこっちに飛んでくるような勢いの良さもある。これもDR002ではあまり感じない特徴かな。

それから音楽のグルーヴというか、流れの表現ですね。DR002だと各音がほぐれてバラバラになることが優先していたそれだと時に各パートが一体となって流れている雰囲気が置き去りにされそうになるのだけれど、DR003はそこも聞こえてくる。素晴らしい。


ただしDR003の音の全貌は、かなりハイエンドな機材でないと見えないのではないかと思います。対象となる音楽持つ固有のスケールがどんな大きさだろうと、受け止められるだけの懐の深い機材が必要というかね。DR003はビッグサウンドなんですよ。システムが広い音場を表現できたり、細かい音だけじゃなく、量感があって太い音なんかもそれらしく聞かせられないとDR002と比較して良さが分かりにくいかも。確かにUSB関連の機材でここまで奥深い表現を加えるものは知りませんから、私はDR003を使い続けることになりますが、まず誰かに薦めるならDR002ですね。これはUSBを使う全てのオーディオマニアに使ってみて欲しい。そして、かなりハイエンドな方向に行こうとしているオーディオマニアで究極のUSBオーディオが欲しいなら、DR003までトライして欲しい。


ちなみにDR002,003による音質の変化については以前、ちょっと取り上げたアコリバのRPC-1と効果が類似した部分もありますね。でも、あちらは24万でコンセントを一個を消費し、使える機材を一台減らしてしまいます。DR003の方は確かに高価ですが、10万どまり。機材を減らす必要もありません。どちらがいいか。私の場合、ノイズ狩りの手始めとしてDR002,003をまず買うことに迷いはありませんでした。


Summary


ぶっちゃけた話、ここで取り上げたDressing APS-DRシリーズは、実際のオーディオの世界ではいわゆるオカルトグッズというモノに分類されてしまっています。

でも、ここで言うオカルトってどういう意味なのでしょう。


一般に科学的に十分に説明がつかないものをオカルトと言いますよね。

私の解釈では、オーディオでオカルトと言われている製品は、まず現物の見掛けと謳っている効果が解離していて、その動作原理があまり聞き慣れないものであるうえ、実際に計測され波形や数値の違いが示されない、そして自腹で購入した素人による信用に足るレビューがない、あるいは少ないというモノです。要は科学的な・客観的な裏付けがないように見えるグッズです。それは外部から見れば、まるで音の良くなるおまじないのように、いい加減なモノに見えるはず。



ここでは「実際に計測される波形や数値の違いが示されない」というところが特に重要でしょうか。そういう意味ではDressing APS-DRシリーズは波形や数値に違いが出ることが示されているので、厳密にはオカルトグッズに入らないはずなのですが・・・。

そういえば、部品の原価が安いのに小売価格が高くて、音質向上が小さい製品もオカルトと一緒にする人がいますが、この場合はそういう使い方なのかもしれません。でもそれってまぎれもない混同ですよね。それは正確にはボッタと言うべきです。(これらは十分な効果はあるから、ボッタでもないんですが・・・。)


いつも言ってますけど、私は波形や計測値は全面的には信用しません。マイクの奥にある薄い金属箔や合成樹脂の振動板を揺らして得られる音波の波形と、耳道というきわめて特殊な材質の音道を通り、人間の鼓膜という生体素材でできた薄膜を震わせてできる波形が同じものである保証はどこにもないし、ましてや人間はその波形を左右で統合し大脳皮質でプロセシングしているわけですから、機械で測った波形や数値など参考ぐらいにしかなりますまい。そもそも計測の仕方が正しいと、測った現場に居合わせなかった者が言い切れるでしょうか?結局、細かく見れば測定自体、結構眉唾ではないか。そう考えると測定値で違いが出ていさえすればオカルトじゃないという立場には立てないですね。


告白してしまえば、万策堂の心の中には真の意味でのオカルトグッズという概念はありません。オーディオの中には人間という、科学で未だ割り切れない要素が存在するからです。すなわちオカルトグッズとはオーディオの実態を反映しないスラングであり、多くの場合、金銭的な余裕がないので試せないものをそう呼んで、購入しないことを正当化しているだけです。

世の中に在るのは音に効くグッズと効かないグッズ、この二つだけです。


ふりかえってみると、私は随分とオカルトグッズと呼ばれるモノを買ってきた覚えがあります。その中には実際に音に効くもの、全く効かないもの、効き過ぎて困るもの、いろいろとあったと思います。

最近で印象にあるのはGe3のエンジェルファーやケブタ、フルテックのコンセントプレートOUTLET 105D NCFあたりでしょうか。特にGe3のエンジェルファーなんかは見てくれも内容もまさにオカルトです。すぐに納得できるような科学的な裏付けはありそうもないですし、波形や計測値の変化さえ示されておりません。聞く前はこれこそおまじないの部類と疑ってかかるのですが、実物を借りてきてスピーカーの前にぶら下げてみると、困ったことにシッカリと音の違いが聞き取れてしまいます。意外なほど柔らかく澄んだ出音に変わる。一般にGe3のグッズは科学的な裏付けを謳っているアクセサリー類よりも、音に効く度合いはむしろ強いと感じることが多いですよ。心理学的な違い、オカルトと言えばそれまでですけど、確かに音を良くしている。しかし見かけが個人的にどうにも馴染めないので、万策堂はそれらを使い続けたことがないというだけなんですね。なんかこの見てくれで、これだけ効いちゃうと怖くないですか。もしこの怖さがオカルトグッズを否定する理由だとしたら、それには同意できなくもないかな。

フルテックのコンセントプレートに至っては、さらにはっきりと分かる音の違いです。ではコンセントプレートの材質や構造を変えるだけで音が変わるのはどうやって説明したらいいのか。エンジェルファーほど難しくはないでしょうけど、こちらもかなり苦しい説明になりそう。でも音は確かに雄大に力強くなったように感じます。分かりやすい違いでした。こちらはエンジェルファーやケブタと違って目立たないので即採用というか、もう外せません。コンセントプレートとしては高いけど、音質の変化を考えると私にとってはコスパは高かったです。



こういう予想外の違いがあることを知るには、まずは無理を言って借りてみるに若くは無い。なんの保障もなく、いきなり買うのは厳しい値段であることが多いですから。しかし借りると言っても期間は限られますし、そもそもデモや貸出しをしない機材の方が多いので、実際の機材の音を知るには、ついに自腹を切るしかないということが圧倒的となる。例えば貸出しのないフルテックのOUTLET 105D NCFなどは、店頭でのデモもしにくいという製品の性質上、ほぼ自腹でしか音質の違いを確かめる方法がない。こんなに怪しげなプレートがこんなに音に効くのというのはある意味、不幸でしょう。罪でしょう。けれど事実なんですよね。


繰り返しますが、オーディオで大切なのは実物に当たり、

自分の目と指と耳でそれをしかと検分することだと万策堂は考えています。

自らの耳で聴いてみて、音が良いなら、オカルトだろうとサイエンスだろうと受け入れる。

そこでは他人の言説や、信用に足るかどうか疑問な測定値なんぞは忘れるべき。

それら全ては現物との実際の対話の後からついて来るものですから。

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とどのつまり、

場合によっては身を切る覚悟でオーディオと対峙しないかぎり、

得られぬ知識もあるということなります。

騙されそうだと思っても、それが面白そうなモノなら、あえて自腹で買ってみるくらいの勇気と心の余裕がなければオーディオは極められないのではないか。

そういう過酷な現実を、高級な胡椒のように芳(かぐわしい)しい音を響かせるDressing APS-DR003をうっとりと聞きながらつくづく思い知る万策堂なのでありました。


Postscript

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ついにというか、

APS-DR002DR003の両方を持っていれば、誰でも考えそうなことをやってみた。

それはAPS-DR002DR003を連結したうえで、USBケーブル端子を挿入するという暴挙に出たのである。経験上、このようなことをしても、過ぎたるは及ばざるが如しという場合が多い。何かを得る代わりに、その瘍張りな行為が内包するアクの強さみたいなものが災いして、癖の強い、バランスの悪い音になってしまうことが多い。

しかし、意外にも今回は例外であった。

もともとDR003単体だと、なにか出音全体の雰囲気が強烈過ぎると感じる場合があり、多少の聞き疲れにつながっていたが、APS-DR002DR003を連結すると、それが随分と軽減されたような音調となる。これは音のエッジが丸くなったというのではない。キチッとエッジは立っていて、今までこのシステムでは聞こえていなかった、多くの小さな音が重層して聞こえるようになっているのだが、その圧倒的な情報量が脳の負担にならなくなった。この状態でNAGRA HD DACRe Leaf E1を使った結果として、今まで20年以上オーディオをやってきた中では一番細かく小さな音をフォローできる状況が出来上がったと思う。ヘッドホンをあえて使うというのは、スピーカーでは聞き逃しがちな小さな音を聞くためという部分が大きい。音楽の細部へ強烈な眼差しを注ぐ顕微鏡のような聴き方をしたいなら、このように多少度を越したようにも見えるセッティングも存外悪くないと報告しておこう。




by pansakuu | 2017-03-23 13:30 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る③:音の「鏡」としてのヘッドホン


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(②からの続き)

Estimation of K power cord.......

GOLDUND THA2というヘッドホンアンプの電源として、最後に手元に残したのは、お察しのとおりS社のK電源ケーブルであった。
略号で示しているが有名なケーブルなので、ケーブルに凝ったことがある方なら名前ぐらいはご存知だろう。これは私が今まで見てきたオーディオケーブルの中で最も手間のかかったものである。高級ケーブルを憎む私でも仕方ないと諦めさせるだけの力を備えた製品でもある。
今まで私の使うケーブルは
JORMA Saideraが主で、時にArgentoNordostCHORDNBSNVSStealthChikumaPADKimber selectBMISiltechTransparentG ride audioDmaaをピンポイントで使うぐらいであって、S社の製品に縁がなかったけれど、とうとう買ってしまった。

シットリとインレットに挿入できるオリジナルのコネクター、持ち上げるのに難儀するほどの太くて重い線体。特殊シールド技術、導体の冶金技術が集約されたこのケーブルは、専用のケーブルインシュレーターを用意しなければ設置できない。

それにしてもこいつは外観も音質もケタ外れの代物だ。正直言って、これはもう電源ケーブルですらないのかもしれない。ケーブルに擬態したアンプのような存在。少なくともケーブルの化け物であって、昔、船乗りたちが恐れた巨大なタコのような海の魔獣Kという命名に恥じない。


ところで、この怪物、寝覚めはひどく悪い。電気を通しっぱなしで数日経たないと実力は出て来ない。だがひとたび実力を発揮すれば、THA2とのコラボによるサウンドは凄い。

例えば、このシステムで聞いていると私の視線は斜め上方を向くことが多くなる。

MDR-Z1Rという密閉型ヘッドホンで聞いているにも関わらず、開放型の中でも最もオープンなサウンドを展開するものと比較しても、勝るとも劣らない広大なサウンドステージが展開されるうえ、四方八方のぐるりから音が飛んでくるように感じられるからである。これは持前の強いドライブ力、つまりヘッドホンの振動板を一切の曖昧さを排してコントロールする能力が、電源の強化により如何なく発揮されるからに違いない。

特にTHA2のバイノーラルモードであるジークフリートリンキッシュをかけたまま、アンビエンスやエコーなどのエフェクトが多くかかった音楽を音量を上げて聞くと、音が真上から降ってくるような錯覚を覚える。空間が前方の左右に広がっているだけでなく、上方・下方にも大きく開いているような心持ちになる。これほどサラウンドな聞こえ方になるのはTHA2の特殊機能であるジークフリートリンキッシュを担う回路にSNに優れた大電力が速やかに供給されるためだろう。

この電源ケーブルを挿すとSNが高まることが異口同音に言われているが、これは本当である。これまで使ってきたあらゆる電源ケーブル、あらゆる電源装置と比べても、その効果はトップクラスにあるばかりでなく、“ごく自然”な静けさという意味でも秀逸。すなわち、強力な電源装置を使うと時に静けさが過剰で、不自然かつ人工的なサイレンスに傾くことがあるが、そういうやり過ぎがこのケーブルにはない。これは外音を強制遮断した無響室で音楽を聞くのと、周りに音を出すものがないために静かになっているオープンスペースで音楽を聞くのとの違いをイメージして頂くとよい。

余韻の滞空時間は明らかに伸び、曲が終わった後の静寂をエンジニアが切った瞬間が明確に聞こえてくる。二段階の静寂。さらに、音像の描写はきめ細やか、音の流れは実にスムーズになって言うこと無しのサウンドとなる。

THA2でのリスニングは音数が多く、この音楽にはこういう音が入っていたのか、こういう楽器の前後関係だったのかと気づかされる瞬間が多い。そういう意味でこのアンプはいわば“気付き”系機材なのだが、その側面がK電源ケーブルを挿すことで、さらに増幅される。そしてこれほど音数は多くありながら、音は痩せず、豊かなボリュウムを維持する。ODINのように音を締め上げ過ぎないところは、ベテラン向きの音作りかもしれない。


実際、このシステムでは本当にヘッドホンで聞いているのだろうかと疑うシーンが数多く展開する。これは並みのヘッドホンの世界をとうに超えた世界である。

特に音のスピード感や立体感の表出、音場の自然な静けさ、音の色彩感などについては、スピーカーシステムからさえあまり聞いたことのないような感覚に陥る。それは単純に優れた音質という意味もあるが、それよりも独特な味わいの音と言ったほうが正確だ。私のカスタムしたTHA2MDR-Z1Rのペアに独特のサウンドの深まりなのか。少なくともNAGRA HD DACRe Leaf E1xDACとアンプがセパレートされたペアのサウンドにはこういう独自のアプローチはない。あちらはむしろ優等生的で簡潔な行儀の良さが前景に立っている。


例えばRe LeafNAGRAのペアは澄み切った冬空を眺めるような透明感、音と私の間に夾雑物が全くないというシンプルさで魅せるが、K電源ケーブルを挿したTHA2では青い湖の底を清らかな青い水を通して見つめるようなイメージとなる。これは実に奇妙な感覚。音と私の間は僅かに色味があり、弾力のある液状のマトリックスで満たされているが、その存在が邪魔ではなく、むしろ思わず涎が流れそうな快感へとつながる。

音に美しい透明感があることは共通だが、その透き通りの印象は異なる。

この水のような独特の透明感は楽音固有の色彩を濃厚かつ高密度なものとして演出する効果もある。THA2の持ち味はこういう意味においても、K電源ケーブルの存在により生かされる。


このTHA2改の能力のハイライトはクラシック音楽、

特にオーケストラ演奏のハイレゾデータの再生だろう。

私の経験では、ハイレゾであることと、再生音が高品質であることは必ずしも関係ない。ハイレゾと一口に言っても、そのパラメーター、製作プロセスは様々で、実に雑多な内容の音楽データを指すものだからである。その雑多なデータを沢山買って聞いた私の見解を言うならば、その90%はハイレゾであることの有り難さを実感しにくいものだということ。CDリッピングよりも若干音がいいかな?ほどの音質向上しか感じないものがほとんどである。この程度の音質向上しかないのに、値段は普通のCDと同じかそれ以上、ライナーノーツもなく、中古販売もなく、売却することもできない。つまり、私はハイレゾを信じていない。

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しかし例外はある。ラトル率いるベルリンフィルが製作したベートーヴェン交響曲全集の24bit 192kHzのハイレゾデータは恐るべき高音質を誇る。このデータのみならず、ベルリンフィル直販のハイレゾデータはどれも絶品。ハイレゾの意味がすんなりと了解される。最近、ダイレクトカットのブラームス全集が話題のベルリンフィルだが、あんなに高価で特殊な音源に手を出す前に、まずここで製作された一連のハイレゾデータのシリーズをダウンロードして聞くことをお薦めする。演奏が素晴らしいだけでなく、はじめから最上級のハイレゾデータでダウンロード販売することを狙って、周到な準備のもとに録音されたに違いない。昔のアナログ録音を高位のハイレゾに焼き直して売りつけるようなものとは違うのだ。


これを手前どものTHA2改システムで堪能する。素晴らしい。各パートの重層性、タイミング、演奏空間のスケールなどが驚くほどの精密さで再生され、ベルリンフィル独特の香り(最近は昔よりも薄まっているけれど)がしかと聴き取れる。GOLDMUNDは元々JAZZやポップスなどよりもオーケストラの演奏の再生が得意なブランドで、私がTHA2を買ったのもそこらへんに一つ理由があった。ここ十年避けてきたクラシック音楽をそろそろ高音質で聞き直してみたくなったのである。この回帰はこのデータの存在なしには達成できなかった。なるほど、サウンドステージの広がりなどではスピーカーに敵わなくても、クローズしたハウジングの中での、耳の直近で発音されることによる音楽描写の緻密さ、曖昧さの少なさではヘッドホンが上回る。聞こえるべきものが全て聞こえる快感。スピーカーはだませてもヘッドホンはだませないとは、よく言ったものだ。

このデータをスピーカーとは違う視点から味わい尽くすのに、

優れたヘッドホンシステムは必須である。


もうひとつ、このデータを楽しみつつ思うのは、ハイレゾというものはフルオケの演奏のような膨大な音数を持つソースに対して、その威力を発揮しやすいということ。もちろん、はじめからハイレゾデータで販売することを考慮したうえで録音されたという前提は必要だが・・・。音源が数個に過ぎず、情報量がそもそも少ない、シンプルなロックバンドの演奏や、もっと音数が少ないクラシックの独奏なんかを、この種のデータで聞いてもハイレゾの有効性は実感しにくい。そういう演奏の細部を掘り返してもなにも出て来ない場合が多いからだ。

やはり音楽の種類によるデータの形式の向き不向きはある。


別言するならTHA2のサウンドは最上級のゴールドムンドのシステムが奏でる音の相似形だ。しかし、細かい所に手を入れ、電源も奢ったうえで、長期間電源は入れっぱなし、またヘッドホンも十分に奢らないと、そう言い切れるような状態に持って行けない。私の経験から言えば、THA2はポン置きで聞いても、その実力の6割程度しか出せていない。つまり、このTHA2は高価なわりにはモノとしての完成度は低いと言わざるをえない。目指す音を得るのに、かなりの投資が必要だからだ。出音のみならず、そういう意味でもRe Leafとは対照的なのである。ただし特殊な例を除けば、その潜在能力自体はE1を含めた今市場にあるどの製品よりも高い部分があるのだから捨て置けない。



About recable......


そろそろTHA2側のチューニングはこれくらいにして、MDR-Z1Rのリケーブルについて考えよう。高級なリケーブルとしてKimber kable AXIOSがメジャーではあるが、BriseSiltechPAD、アコリバでも同じかそれ以上に高価なリケーブルを提案していて無視できぬ。これらを全部買うか、借りるかして試そうとしたところ、既にそれに近いことをやった方から、どれもドングリの背比べであり、どれにもそれぞれ長所と短所があり、総合的に完成度が高いと言い切れるリケーブルがはまだ市場にないので、最終的には純正のケーブルが一番真っ当な選択ではないかというニュアンスの話を伺った。そうか、確かに凄さもないがクセもない純正ケーブルみたいな方向性のリケーブルがいいよね。なにしろMDR-Z1Rは音の鏡だから。でもこのデフォルトのヘッドホンケーブルじゃつまらない。

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私は一計を案じ、いつもお世話になっているDmaaさんに連絡を入れ、あるヘッドホンケーブルを特注した。そのケーブルは二つあるTHA2のヘッドホンジャックの片方を左側、片方に右側のみにあてることで、ジャックの分だけであるが、左右のチャンネルの物理的な干渉を避け、チャンネルセパレーションを良くするのを狙ったものである。ただしTHA2では、二つのジャックそれぞれに別なアンプが当てられているわけではないので、この方式はHPAの回路との兼ね合いでは意味がない。これは少しでも音が良くなるならなんでもやるという私の立場の現れに過ぎない。しかし、こういう小さい違いを積み重ねることにも音質的意義はあると信じる。また、どういう結果になるにしろ世界中でこういう馬鹿なことをやっているのは俺ひとりだろうという阿呆な優越感はオーディオを前に進める原動力でもある。もちろんDmaaがリケーブルで使うフラットケーブルの色付けの少なさも特注した理由に含まれるが・・・。


実物が到着してみると、スイッチクラフト製のヘッドホン側端子にはねじ込み式のロックが装備されており、Dmaaらしい、さりげない作りの良さが見て取れて嬉しかった。

サウンドもイメージ通りであり気に入った。

このリケーブルには音色がない。全く素直に、音を素通しするのみ。誇張のない音場の広がりが得られ、MDR-Z1Rの密閉型らしからぬ音場表現をさりげなくサポートする。多人数のコーラスはナチュラルに響き、一人一人の声質が区別できるような詳細な描写。また定位の良さは秀逸で、音像に安定感が増した。これは料理で言う最後のスパイスの一振り、絵画でいう画龍点睛だろう。

これでいい。システムの完成としよう。

なお、今回のTHA2に関するリケーブルとは別に、各社のリケーブルについてRe Leaf E1xを使って、さらに時間をかけテストする用意もある。いつかそれをレポートとして書く可能性もなくはないだろうが、それは別稿としよう。



Summary


さて、そろそろ散財のアイデアも尽きた頃だし、ゆるゆると締めくくる。

この3回続きの駄文は不敵にもMDR-Z1Rを「鳴らし切る」と題されているが、結局のところは、ヘッドホンアンプを強化し、このヘッドホンの能力を使い切ろうと励めば励むほどに、むしろこのヘッドホンの真の卍解(ばんかい)、すなわち上流を映す「鏡」という能力がクローズアップされてしまった。

これではヘッドホンアンプの能力が変化しながら向上して行くことをつぶさに観察しているだけのことではないか?

MDR-Z1Rを鳴らし切ろうとした結果、「鳴らし切る」というヘッドホンに対する能動的行為とは真逆の構図をここに描かされてしまったようだ。


恐らくMDR-Z1Rは現時点で最も完璧に近い密閉型ヘッドホンであり、このヘッドホンの登場には、かつてHD800という、開放型ハイエンドヘッドホンのde facto standardつまり事実上の標準機が生まれた時と同じくらいのインパクトがある。MDR-Z1Rを聞いていて、このことが分からない場合は、このヘッドホンが生理的に合わないか、あるいは適切なセッティングのもとでドライブされていないかのどちらかだ。

今回のテストを踏まえて、あえてこのヘッドホンへの要望をSONY様に申し上げるとしたら、もっと重量が軽く、もっと能率が高いとなお良いということ。

GRADOのヘッドホンのように、もっと本体が軽く、

もさらに軽々と鳴るような側面があればさらに完璧である。


ここまで来るとFocal UtopiaAudeze LCD-4HE1000など、もっと高性能であるかもしれないヘッドホンたちを差し置いて、何故、SONY MDR-Z1Rに万策堂は固執するのかと訝(いぶか)る向きもあろう。それは確かに傾聴すべき意見だが、私がそれらに背を向けている理由はいくつかある。

まずMDR-Z1Rは実質的に密閉型ヘッドホンである。このヘッドホンは外音をかなりの程度、遮断できる。一方Focal UtopiaAudeze LCD-4HE1000といえどもオープン型であるから、僅かにしろ、それを聞く部屋の環境に左右される。本当にハイエンドなオープン型ヘッドホンを限界まで使いこなしたいなら、部屋の静けさにまでこだわる必要があるが、それではスピーカーシステムと本質的に変わらない。密閉型こそヘッドホンの王道であるべきという理念を、スピーカーに疑問を持つ私が崩さないのは、そういうワケだ。

この周囲の音・部屋の影響を受けにくいというヘッドホンのアドバンテージをMDR-Z1Rはより高価なオープン型ヘッドホンよりも強く享受できる。そこに、現世界にこれ以上の音質を持つ密閉型ヘッドホンは恐らく存在しないという要素を加えれば、

このSONYのヘッドホンに私が執心する理由が見えてくる。


またMDR-Z1RSONYという大家電メーカーが作ったからこの価格帯に留まっているに過ぎない。仮にこれほどの技術内容を持つヘッドホンを中小企業が作れば50万円は軽く超えてしまうだろう。価格帯でUtopiaAudeze LCD-4、あるいはHE1000のグループには入らないが、同等以上の格を持つ機材である。


加えて、UtopiaにしろAudeze LCD-4にしろHE1000にしろ、MDR-Z1Rに比べて幾分鳴らしにくかったり、エージングに時間がかかったり、音の癖が目立ったりもしている。高い潜在能力を持つが、鳴らしにくく、多少クセのあるヘッドホンに投資するより、潜在能力は普通より少し上くらいにしか見えないが、鳴らし易く素直なヘッドホンに大きく投資して、予想外のポテンシャルを引き出す方が、故障率も含めて結果がいい。(Audeze LCD-4HE1000はいまだに故障があると聞く)


最後に反省である。

ここで今回のテストは一応の決着を見たが、

この試行錯誤の手際の悪さはなんたることか。

実はここに詳しく書くほどもなくテストで不採用になったオーディオグッズがいくつもある。T社のカーボン製の板、V社の重たい電源ケーブル、SK社の長い電源フィルター、E社のコンセント、N社の巨大トランス、I社の青いインシュレーター、AC社のクリーン電源、C社の白い電源ケーブルetc・・・。

ことほどさように、オーディオには時間とカネの無駄がつきまとう。

こんな無様を幾晩も徹夜してやっておいて、

果たして私はヘッドホンサウンドの限界点に少しでも近づいたのだろうか。

近づけたのだろうか。

おそらく誰も聞いたことのない音が、二つのシステムをまたぐMDR-Z1Rから聞こえているのは確かだが、これこそまさに唯我独尊というやつじゃないのか・・・・。

疑いは未だ晴れず、自信などこれっぽっちもありはしない。

つまり、私の中に、まるで心の内なる声のように響いてくる、この音が暗示するものについて確かなことは、まだ何も言えぬ。この音が必然の結果なのか、偶然の集合体に過ぎないのかすら私には分からないのだ。ましてやこれが、オーディオの善悪の彼岸に近づいているかどうかなど万策堂如きが知る由もない。

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悲しくも可笑しな話だが、私にできることは、ただこの独特な音と、それを得るまでの杜撰(ずさん)な経緯を記録として残し、他人の嘲笑のネタになることぐらいなのである。


by pansakuu | 2017-02-02 23:42 | オーディオ機器