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Boulder508 フォノイコライザーの私的インプレッション: 裏切りを求めて

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「ブルータスよ、お前もか」

by カエサルあるいはシェイクスピア

Introduction


長年かけて沢山のオーディオ機器の出す音を聞いていると、

なんとなくではあるが

機材の持つ性能や外観と価格の関係の見定めが上手くなってくるものだ。

この価格のアンプであれば、大体このレベルのサウンドが期待されるとか、

あるいは、これくらいの外見と音質を持つデジタルプレーヤーなら、これくらいの価格だろうとか。

25年以上かかって、そういう価格と音質・性能・外観のバランス感覚をつかみ、磨いてきたつもりが、我は有る

だが、時にこのバランスを逸脱するサウンドを聞くことが有る

つまり私が培ってきた経験を裏切る機材が有る

ただ、これについては、

最近は悪い意味で逸脱するものが多くなる傾向があり、

むしろ失望という意味で裏切られることが多いものだ

だが、稀に逆の意味で驚かされることも有る

2018年の海外ショウで発表されたばかりのBoulder508という小さなフォノイコライザーは、その稀なる驚きを我に与えた。

このフォノは2018年に聞いた機材の中で最も強い印象を焼き付けられたものになるか

なにしろ、この大きさ、この設計規模、この価格であってもここまでの音が出せるというエビデンスが得られたのは大きい。の培ってきた価格と音質・性能・外観のバランス感覚を大きく改変したBoulder508のサウンドは素晴らしい。

ここにある機材の価値と価格の新しい関係は、現在行われているオーディオ機器の開発と製品の値付けについて、重要な示唆を与える。

おそらく508は、優れたデバイスを開発したうえで、そこに上手に引き算をして製品を作るというノウハウが生きた実例なのだろう。

が今ここに抱えている大きな、そして不思議なサプライズが薄れるまえに、

地球を覆う電子の網の中にその痕跡を残


Exterior

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Boulder508というモデルのエクステリアは、がこれまで体験してきたどのフォノイコライザーとも異なる。

SS誌の片隅でその姿を写した小さな写真を確認した時に感じた、他の同種の機材との間にある微妙なれど、はっきりとした雰囲気の違い。それはショップに唐突な試聴を申し込むだけの動機たりえるものであった。

一見すると大き目の単行本がそこにおいてあると錯覚するようなサイズの、継ぎ目の少ない四角い箱一つである。よくある、なんの変哲もない少しばかり気取ったフォノとも思われそうだが、そうではない。例えばこの機材は筐体一個のみで成り立っている。つまり外部電源はない。電源内蔵型なのである。それはこのフォノを通すことで発生するノイズレスなアナログサウンドからは想像しにくい構成である。ここですでにの知っているフォノイコライザーの常識がちょっと崩れている。ここまで低ノイズのフォノイコライザーはほぼ全て、別電源を何らかの形で持っているもの。Boulder508にはそれがない。中身を曝した写真が多くないので分からが、使われる素子自体がすでによほど低ノイズであり、さらに筐体内でも区画化された実装が徹底されている可能性が有る

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筐体はBoulderらしいザラッとした表面処理を施したアルミインゴットからの削り出し、上下2ピースの構造である。恐らく天板側に回路が組付けられているのであろう。

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驚くべきはその角のデザインである。筐体の角が斜めに削り落されているのだが、その削り方が左右非対称である。これはオーディオ機材のエクステリアを常に細かく分析する者にしてみればハッとするポイントである。これは共振を避けるためなのだろうが、こういう筐体デザインを持つフォノはこれ以外には知らない。この程度でどれくらいの差が出るのだろうか?しかし、経験がある者が出音を聞けば、このデザインは単なるデザインではなく、出音にとっては意味あるものだろう、と推測するだろう。それほど他とは一線を画するサウンドである。シンプルに見えるが手数は多い。やはりBoulderの主宰ジェフ・ネルソン、只者ではない。Boulder3000シリーズを作っただけのことはある。3000で開発された技術がここにある508に降りてきているのだろう。

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持ち上げるとこの筐体はかなり重い。小さな箱だが片手では結構キツい。

分厚いボトムプレートを見ると硬めのゴムのような材質でできた直径1cmほどの小さな足が四隅に取り付けてある。一見して特殊な足ではなさそうだが、かといってどこかで見覚えのある足でもない。ここでもなにかオリジナリティを感じる。

フロントパネルにはON/OFFをするための太いトグルスイッチとミュートボタンのみがある。508ではインピーダンスは固定だし、サブソニックフィルターも効いたままだし、RIAAカーブ以外のカーブには対応していない。無論、入力のセレクターも無い。以前レポートしたVida supremeとは正反対のコンセプトである。とにかくシンプルに機能を削りに削っている。リアパネルにはよくある主電源のスイッチはなく、唯一スイッチらしいものがあるとすれば、MMMCの切り替えのための小さなトグルのみである。その他にリアにはバランスの入出力端子が一組づつあるのみである。インレットに電源ケーブルの端子を挿しこめば、それで電源はスタンバイ状態になるものなのだろう。恐ろしく簡素な造りであるが、これでよい。いや、これがよい。これ以上簡潔にできないところまで機能を突き詰めたから、この音が出たのだろう。そういう気配がある。もしかするとMMMCの切り替えをつけるかつけないかさえ、散々迷ったのではないか。MCのみというフォノのも少なくない中、なぜこのようなシンプル・イズ・ベスト方針を持ちながら、あえてMMも選択できるようにしたのか。おそらく昇圧トランスを介さない素のままのゲインステージの音を堪能してほしい意図があるのではないか。508Boulderが最近開発した新型のゲインステージモジュールを搭載しているのである。恐らくその部分の音の良さによほどの自信があると見える


508のみならず、インピーダンスを固定して成功した機材を時々に見る。例えばQualiaのモノブロックフォノである。あの機材の場合は機器に使われている素子やその設計にとって最適なインピーダンスの設定があり、そこに数値をあえて固定することで、インピーダンス可変タイプに実現できない高音質を狙。そのような試みの多くは見事に的の真ん中を射ているようであるが、508ではどうか。いずれにしろ、こういうことをあえてやる場合には自分の設計理念、オーディオ観によほどの自信があはそれを信用したい。何故かというと、こういう場合に悪い意味で裏切られた試しが無い


蛇足だが、はスイッチのクリック感が良い機材は音が良いと考えてる。これも経験則。Boulderはスイッチやボタンの押し込みや戻りの感触、動作時の音などが素敵すぎる。508のフロントのMUTEボタンにもそういうカチリとした触感がある。このような感触は他のメーカーにはないものである。

さらに508に使われているトグルスイッチは軸が太く、例によって鏡面仕上げされている。

美しさと確実性、堅実さを兼ね備えるスイッチである

一般にトグルスイッチを使う機材は値段に関わらず、価格を超えた音の良さを持つ場合が有る。トグルはなんとなく採用されることのないパーツであり、使われているとしたら、意図して使う。その目的についてエンジニアは異口同音にその出音への影響について言う。つまり自分の求める音はトグルを使わないと出ないと言うのだ。その差がどこにあるのか。これは素人であるわが思考の守備範囲を超えるが、これも経験では確かにそうである。

508は小さいが細かい設計の妙が凝縮されたエクステリアを持つ機材である。他のメーカー、例えばFM acousticsのアンプ、FM155MK2RFM108MK2を想えば、超小型でありながら実に冴えたサウンドを繰り出している機材もなくはないと思う。だが、それらはFM acousticsの習慣とはいえ200万円以上のプライスタグである。そういう数字を踏まえ、この外観からは少なくとも100万以上の価格と予測した。だが、これは税込みで80万円くらいの機材なのである。とても安い。


若い頃、IWCの時計をひとつ持っていた。小さなイエローゴールドのスクエアケースにレベルソのムーヴを仕込んだもので、イエローゴールドのリーフハンド、レイルウェイインデックスという作りの時計である。わが腕にこれを見つけた女性には、この時計、とても評判が良かったことを記憶している。そしてこれは新品で80万円しなかったことも覚えている。すなわち、ずば抜けてコスパが良かった。あの時計は生産期間短くあっという間にディスコンとなった。後日関係者に聞くと価格設定が安すぎたのですぐにやめたと申していた。もしかするとBoulder508もその類かもしれない。できれば早めに手に入れておきたい。



The Sound

すこぶる良い意味で価格やシンプルすぎる外観を裏切る、優れた音質である。

これほど緻密かつ滑らかで穏やか、そして健(すこ)やかな音質は知らぬ。

これほど基本性能に優れ、ハイセンスなサウンドは200万円以上の価格帯にあるフォノでも少ない。この508は税込み約80万円で販売されるが、私見ではその2倍以上の価格のフォノを凌駕しようか。以前に紹介したVida supuremeなどもコストパフォーマンスが高い部類のフォノだと思うが、少なくとも使い勝手や発展性などを除いた、純粋な音のグレードという意味では、この508はあれを超えている

確かにアナログサウンドには様々な嗜好性があるのは承知と同じ意見を全て聴者が持つとは思え。だが、多くの機材を体験したであればあるほど、その嗜好に関わりなく、このサウンドを支持できるだろう。何よりまず、こんな価格のフォノから、このようなサウンドが出てくることを信じられ

この機材の開発には一説によると構想から16年もの歳月がかかっているという。

この小さな箱にはそれだけの月日の中で、オーディオにかけたひとりの男の思いが凝縮されているとも取れる。


508のサウンドは締まっているが、そのうえで潤いもある。

逆に性的な妖しさや女性的な艶のようなものは感じない。そういう意味では至極、健全な音を出す。

なにか不健康な耽溺や暴力的なニュアンスが音のどこにもない。あくまで礼儀正しい。しかし、Accuphaseのサウンドに代表されるような生真面目さが際立ち、なにかカジュアルでリラックスした雰囲気に欠けるようなことがないのも良い。アメリカ西部の大地主の邸宅に招かれたような、明るくフレンドリーな雰囲気でリスナーを包容してくれる。


また508の出音はとてもシンプルなもので無駄な音はどこにもないという見方も成り立つ。一聴して地味な音と感じる向きもあろうが、この中庸の奥深さと安定感は他では得難い。安定感が良すぎて音が飛び跳ねない、リズムの躍動が前面に出ないようなところが以前Boulderの機材にはあった。また音の立ち上がり・立下りのスピード感に不満があった。いつもちょっと遅い感じがした。だが、新世代のBouderには適切なレベルの躍動感、適切な反応スピードも備わっている。

十全で老練なサウンドであり、バランス感覚に優れ死角がほとんど無い。

聞いていて、殊更に音の鮮度が高いという感じはない。ハンドルをちょっと切ったら直角に近い角度で曲がってしまいそうなスポーツカーのハンドリングのような、過度なダイレクト感がないのである。しかし出音そのものは生々しいというべきレベルには達している。演奏者と適度な距離はありながら、触れようと思えば楽器に触れられそうな感覚がとても嬉しい。


Boulderの優機に特有とも言える、極めて緻密で目の詰んだ音がここにある。

祖父に譲られた古びた脇差の表面を手持ちのローデンシュトックの拡大鏡で眺めると非常に美しい鉄の色や微妙な肌理が眼前に浮かび上がり、目を楽しませてくれるが、このフォノのサウンドにはそういう微視的な音の肌合いの美学を感じる。

それに少し離れた位置からでも見える刀剣の刃紋の美しさのような部分もある。接近してみた時の鉄の結晶体どうしの入り組んだ境界の噛み合い、その宇宙の暗黒と青空の青と深海の闇を混ぜて、昼間の光で透かしたような色相。この色が遠くから白波のような刃紋を透かして見える。さらに刀剣の表にはそれを見る者の眼を映している。これらすべてを静謐な音楽を508で演奏するときに耳を通して感じることができる。


我はBoulder 1010,1060を使ったことがあり、そのうえでほぼ全ての2000シリーズの音を聞き、さらに3000シリーズのパワーアンプも聞き、最新の1100シリーズまで聞いてきている。Boulderの長年のファンでもあるが、今回の508には本当に参った。Boulderといえば常に大きく、高価なモデルの方が音がよかったのだが、今回は違ってる。

508のサウンドの相似形となるイメージを別なフォノイコライザーに求めるとしたら、その探索はBoulder2008という巨大な機材の面影に行き着くはずだ。

508の緻密さ・瑞々しさ・安定感は2008のサウンドをただちに想起させる。

ひょっとすると鮮度感やスピード感は2008を上回るのではないか。

音にもぎたての果実のようなフレッシュネスを私は感じた。

柑橘系のフルーツのそれではない。それは類似の機材ではFM122に感じたものだ。

508の出音は、やや淡泊な甘さのピーチだろうか。

この淡いスィートネスを私は忘れない。

2008は安定感が物凄い分、音のスピードが若干遅かったが、コンパクトになり、回路の長さが短いのか楽音に対する反応性も改善されている。

確かに2008ほどの音のスケール感や豊かさ、盤石さ、低音の深さ、音の透明度は508にはないが、私がこれから買うとしたら2008ではなく508なるだろう。

私が欲しい音はこちらにある。


デジタルでは508のような音を出せる機材はおそらくない。それはもちろん良い意味で。キッチリとクリーニングしたイタミの少ないレコードであれば、508を通すとハイレゾデータと区別がつけにくい場合も多いのではないか。わが経験では古いJAZZの録音を劣化したマスターテープから起こしたハイレゾやSACDをスーパーハイエンドプレーヤーで聞くよりは、状態の良いオリジナル盤のLPHANNLでクリーニングして、キッチリとセッテイングしたアナログプレーヤーで聞いた方が音はいいということになっている。オリジナル盤は劣化する前のマスターテープの音を保持しているからだ。は敢えてモノラルのJAZZをヘッドホンで深夜聞く企画に挑戦中であるが、面白いのなんの。ただConstellation audioPerseusなどの超がつくハイエンドフォノを使うと、そのフォノの個性があまりにも強く出て、モノラルの古いJAZZの音が改変されてしまい往生する。なにか違った音楽になってしまう。はここまでの改変を望ま。音が凄ければよいという次元はもう過ぎた。音楽そのものとがその音楽にもっているイメージとが相談しながら、オーディオを作り上げてゆく過程に参画するのがオーディオシステムなのだから、その中にあるフォノが出過ぎるのは困る。Boulder508あたりが適切なのである。


それにしても、2008という巨大な2筐体構成のフォノアンプが508というコンパクトな箱に凝縮されたと考えたら、それは愉快ではないか。快挙ではないか。そして現代的ではないか。

音質ははるかな高みにあるが、巨大で迷惑な図体を持ち、広大なオーディオルームを要求する機材はもう時代遅れである。そこらへんに老いぼれたリッチたちは気づけぬと見える。昭和はおろか平成が終わる。この時代の転換を意識しないでどうする。目覚めた日本人はハイエンドオーディオでも世界の先端をゆくべきであり、馬鹿デカくて、バカに重たいオーディオ以外の選択肢を発展させるべきだろう。アバンギャルドなオーディオが求めるのではもっとコンパクトでシンプルで、音は良く、ヘッドホンでの鑑賞にも堪えるノイズレスな音を出せるフォノである。508はこれに該当する。


ここに示されたBoulderの技術力は3000番台の開発以降、明らかに高まっており、それはこれから現れるであろう500番台、2100番台のプロジェクトにも反映されるとみられる。近い将来、このサイズで発表されるであろう500シリーズのプリアンプ、パワーアンプがどのようなものになるのか、私には特に興味がある。

これらはニュータイプの機材であり、ハイエンドオーディオの機材を改革する存在のひとつになる可能性を孕む


Summary

Smooth criminalという言葉がある。

粋な犯罪者とでも訳すのだろうか。

純真無垢とも思える508のサウンドにはどこか狡いところがあるような気がする。悪意のない犯罪とでも言おうか。そんな嫉妬の混ぜ込まれた表現を試したくなるほどの音である。

この機材の設計の基本コンセプトはおそらく2000シリーズを超えるべく構想された3000シリーズの開発から生まれた、優れたモジュールの性能をできるだけ修飾なく、シンプルに引き出すというところだろう。無駄な機能はもちろん、普通のフォノに必要と思われる機能さえ大胆に削ったうえで、残された内部の素子が最適に動作するためのパラメーターを探し当て、そこに数値を固定したのだろう。このようなクレバーな設計を手本としてハイエンドオーディオは新たな活路を見出すべきだ。

価格や規模を抑えたうえで、さらに上の価格帯の機材を超える音質を発揮するオーディオ機器の開発が望まれている。新奇で豪勢なアイデアで世界の風景を変えようとするのも良いが、奇をてらわずに予測を裏切ることもできるのである。


随分前に時計の趣味をやめてからも、雑誌を見たり、時計店をのぞいたりすることはやめていない。そういう目で、ここ十年ほどの動きとして感じるのは、一体だれが買うのか、そしてどういう場面で腕に巻くのかよく分からないような高価で豪華な時計があまりにも多く一般の雑誌に載っていることだ。これだけの種類と数があって、それぞれのメーカーが採算が取れるだけ売れるのだろうかと心配になるほどだ。確かに世界的には金持ちの数は増えているし、節税対策等の経済的な意味もあるかもしれないが、これを一般人が目にする意味はほとんどないだろうし、これを購入すべき富豪も他の投資先、他の趣味、他のものを購入する選択枝を増やしている。この高級時計の乱立はいずれは終焉を迎えるだろう。もっと堅実でシンプルだが、値段に見合った高級感があるもの、無意味に高価ではない品が、これらのスノッブ過ぎる贅沢品にとって代わる日が来るだろう


ハイエンドオーディオは高級時計と同じく、生存には関わらない贅沢品であり、それは時代が醸成した価格と価値のバランスの上に立って開発・製造されている。そして当然ながら、時代が変われば、その依って立つバランスは変化することを余儀なくされる。

我々は今、時代の結節点、変わり目の時点に立っていることを常に意識すべきであり、

その意識なしに次に買うコンポーネントの候補を選ぶことは得策ではない。

Boulder508の存在は確かに良い意味での裏切りであろうが、

時代が変わる際に、そういう密やかな暴挙は必要なものだと歴史は教えている。

躊躇なく、着実に、ただしあくまで控えめに

この感覚の裏切りはハイエンドオーディオの世界を変えてゆくだろう。

我にしてみれば必然とも言えるこんな裏切りを

この第二の生を終えるまでの時間の中でいくつ味わえるのだろうか。

昔は永遠とさえ思えた残り時間も半ばを過ぎたらしい。

爽快なる裏切りを求め、そして許しつつ、さらに生き永らえることとしようか。


# by pansakuu | 2018-11-17 22:28 | オーディオ機器

SONY DMP-Z1の私的インプレッション:麒麟を狩る

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西に狩りして麒麟を獲りたり
(魯の国の西で狩りが行われ、麒麟を捕獲した)

春秋の最後の文より



Introduction:

私は古代の中国の書物を繰り返し読む男である。
それらはひどく難解であるが、古代人の考えや想いがストレートに伝わる貴重な史料である。
冒頭にその一部を挙げた春秋という本は魯(ろ)という古代中国にあった小国、小国ではあるが礼節の国として当時有名であった魯の年代記である。孔子が編纂したという。
歴史として魯は結局滅びて終わるのだが、その兆しとしてここに挙げた一文が、その最後に述べられる。
此処で言う麒麟(キリン)とは、もちろんアフリカに生息する首の長い偶蹄目のことではなく、中国人の想像上の動物を指す。中国では国が代わるとき、あるいは時代が変わるとき、人々に目撃されたり、捕獲されたりする珍しい動物と言い伝えられている。

S氏、ついに他界す、の一報に接した後、
私は本能的とも思える行動に出た。
なんのことはない。
銀座の和光のはす向かいの日産のビルの上にあるSONYストアに出向いて、
あるデジタルオーディオプレーヤー(DAP)を聞いたのである。
その日はみゆき通りのL’というレストランで昼食をとる予定だったから、そのついでというのもあったが、レストランを予約した時点では、銀座でその予定は入れてなかった。
そんな大事が起こるとは考えてもいなかったのだ。

S氏が日本のオーディオファイルに示したことの一つは、
オーディオというのは、音楽芸術を再生して聞くために個人がとるスタイルであり、このスタイルはその個人が持つセンスやポリシー、嗜好性によって様々な形態を取りうるという、一見当たり前の事実だった。ただ、そのスタイルの真の姿の中に深い精神性を見ていたところが氏の非凡でユニークな側面なのだろうと思う。
私は彼に対するリスペクトを頭のどこかで意識しながら、いつもオーディオの新しい姿を探ってきて、そのあげく今はヘッドホンというジャンルに取りついている。しかし残念ながら今のところ、氏の論説の中に漂っているような高貴さや芸術性を、そのエクステリアや音で体現したヘッドホンシステムは少ない。

ところが、先ごろオンステージしたSONYのDAP(デジタルオーディオプレーヤー)、DMP-Z1を目にしたとき、彼が求めてきたオーディオの真髄とまでは言わないが、その片鱗が宿ったような見えない光を、その姿に感じたのだ。スペックや技術内容に目を通してゆくと、オーディオ界の中でヘッドホン・イヤホンの格を上げようとする、作り手のただならぬ本気が透けて見えた。
そしてこの製品が彼の死とほぼ時を同じくして現れたという偶然を、単なる偶然とは思えない私がそこにいた。
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私はゆっくりとL’で昼食を取りながら、
ヘッドホンオーディオ、ひいてはオーディオの未来について
足りない頭を巡らせ考えていた。
出て来る皿の上でシェフが与えてくれる小さな驚きに、
その過程は立ち止まってしまうこともあったが・・・。
腹を満たし、勘定を済ませると、
例のごとく大きく開け放たれた、あの背の高いエントランスのドアを出た。
私の足は自然とSONYのショウルームに向いていた。



Exterior:
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DMP-Z1の実機と対峙すると、これは小さいとも言えるし、大きいとも言えるような気がした。なんとあやふやなスケール感だろうか。ポータブルでつかうのか、据え置きでつかうのか。半々というところだろうか。これはワインを一本買ったとき、気の効いた酒屋なら出してくれるであろう、瓶を入れる長細いバッグ、あれにすっぽりと入りそうだ。
重さは約2.5kgと軽いとは思えない。この重さはヘッドホンケーブルを引っ張るとプラグが抜けるような重さ、つまりDAP自体は簡単に動かないと思われる重さであり、まずは据え置きで使う事を前提としているようだ。
これをあえてポータブルで肩からぶら下げて使うことも不可能ではないが、不恰好というよりは滑稽な姿となるだろう。
ただし、これは荷物としてなら持ち歩ける。そういう意味では動きの要素をもっている。
SONYはこれをポータブルではなく、キャリアブルな製品と呼んでいるらしい。
つまり携帯可能というより可搬とするべきモノなのだ。
やはりこれは、セット販売される専用ケースにいれて、旅先に持ち込んで、ホテルの部屋のベランダで星を眺め、地元の酒でも賞しつつ、音楽を聞いたりするためのものだろう。グランピングにでも持ち出すかな。
膨大な音楽ライブラリを何枚かの小さなカードに収め、旅先に移動できるのも、この手のオーディオ機材の大きなメリットである。
そういえばアマンなどの海外のリゾートホテルに行くと、なにもかもそろっているのだが、音楽がいい音で聞けないので困るということをある人から聞いた。そういう時に重宝するのかも。誰もいないプールサイドの日陰で音楽を聞きながらオーディオ雑誌を読むとか?
忙しい私にはそんな暇はありそうにもない。
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フロントパネルに鎮座する磨き上げたゴールド仕上げの大型ボリュウムノブと黒いガラスのようにラップ研磨されたアルミパネル。ゴールドとブラックのコントラストが美しい。
ハイエンドオーディオの愉しみが外観から滲んでいるようだ。大人の使う高級な道具という雰囲気。
トップパネルのラップ研磨は大変手間のかかるもので、オーディオ機器の外装にこんなに堂々と使われたのを初めて見た。
この処理はアルミ板をガラスと錯覚させ、タッチパネルとの統一感を出す効果がある。
こういう外観はデザインの良さで鳴らしたBowテクノロジーのプレーヤーやアンプを私に想起させたが、音本位と言われるオーディオ機器でも外見にこだわることの大切さはS氏が常に説いていたところでもある。思わず駆け寄ってみたくなったり、自然と手が伸びるようなエクステリアの工夫、センスの良さは忘れたくないものだ。
ただ、ハンドルはフロントについており機材を引き出すには向いているが持ち上げるのには不向きだ。サイドパネルは滑り止めなのか少しザラッとした塗装が施してある。だが、ここをつまんで持ち上げるとしてもちょっとやりにくい。完璧な使い勝手とも言い切れないか。天板にネジの頭が見えるのもパーフェクトな外観とは言えない。
だがそれも良しと呟きたくなる重厚な雰囲気があるのは否定できない。

改めて、このデザインやカラーリングを見て行くと、全体に夜の雰囲気を纏う機材だとも思う。そうなるとこれは自宅のベッドサイドに置いて就寝前に音楽を聞くというのもアリか、とまたまた使い道の妄想になる。でも一つのベッドで隣にだれか居た場合に音を聴かせるためのもう一つのジャックがない。
そうなのだ。この機材にはUSB以外の入力がなく(つまりUSB DACヘッドホンアンプとしては使える)、出力も基本、4.4mmの5極バランスジャックと3.5mmのステレオミニアンバランスジャックしかない。確認していないが、おそらく、これらの出力の同時使用はできないのではないか。これはDMP-Z1がオーナーひとり専用、かつ一台完結型の機材であって、無闇な拡張性を拒絶している。
例えばアナログシステムからの入力を受けてレコードをヘッドホンで聞いたりすることはほぼできない。またRCAあるいはXLRの真っ当なアナログ出力が装備されないので、この機材の出音をフルサイズのアンプからスピーカーで聞くことはやや難しいし、できたとしても本領発揮とはいくまい。
この拡張性をあえて拒否したところにこの機材の引き算の美学あるいは孤立の哲学があるようだ。
これは新たなオーディオのスタイルの提案である。こうすることで無二の高音質を狙う意図も垣間見える。

実際にDAPとして天板のタッチパネルを操作してみるが、どうにもこの3.1型パネルの大きさが小さいと思う。SONYのポータブルDAPよりも小さいのではないか。こんなに天板のスペースがあるのに、実際に意味があるのは、その3分の1以下の面積に留まるように見えた。この天板全面を余裕をもって表示や操作に駆使できたら、さらに良かったと思う。ただこのディスプレイの周囲のガラスのような黒い部分は既述のようにラップポリッシュしたアルミ板で、これはこれでかなり凝った外装だし、目指す剛性もこうしないと出ないのかもしれない。UIは1Z等のSONYのDAP・ウォークマン群とほぼ同様のようだ。当たり前だがPAW GOLD Touchのような神速の立ち上がり、ヌルヌルピタリのフィールはないし、表示の細部をチェックしても遊びがなく特に驚かない。
さらに、タッチパネルはあるのだが、プレイボタンと送りのボタンはその下に別個に用意されている。これもどうなのだろう。意図はあるのだろうが、試聴者には伝わってこない。
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一方、ここでのデザインのコアとも言えそうな重厚に金メッキされたアルミ削り出しの大きなボリュウムダイヤルは外見・操作感とも素晴らしい。アルプスのRK501のケースに銅メッキ・金メッキを施した特注品を使ったとのことだ。このDAPの中で最も高価なパーツがこれであり、価格の三分の一近くを占めるという噂もある。これまでRK501をつかったアンプをいくつも触ったり買ったりしてきたが、これはその中で最高の感触なのではないか。ボリュウム自体に十分な重量が与えられており、内部パーツの接触・摩擦も検討が重ねられているのだろう。この安堵感を伴うボリュウム操作は天板のマイナスポイントを補って余りある。ヘッドホン祭りで色々とDAP類やヘッドホンアンプを触ったけれど、こんなに堂々としたフィーリングを持つDMP-Z1の前では全ておもちゃのように思えた。例えばPaw Gold TouchやCayin N8はポータブルDAPとしてとても面白いし優れているが、そういう意味ではDMP-Z1の領域にはまるで届いていない。
またRK501の一部が上からガラス越し見えるのは粋な計らいだとも思う。こんな風にパーツを見せたヘッドホン関係の機材、オーディオ機器がいままであっただろうか。このデザインはとても新しい。ここにはなにか私の知らなかったセンスが存在するのではないか。いつの間にか、子供のようにまっさらな気持ちで私はこのDMP-Z1の姿を見つめていた。
これほど格好の良さ、センスの良い外観をもって登場した小型のデジタル機材やヘッドホンアンプはRe LEAFやDAVEを除けば恐らく初めてだ。例えば今回の祭りで最も隙のない音を奏でていたOjiのHPAの唯一の弱点はデザインだった。STAXのHPAにしろBlue Hawii、Model406にしろ、高度な音を求めたヘッドホン関係の機材にはそそられるデザインが少なすぎる。DMP-Z1の形の持つエレガンスを見習うべきだろう。

足は横長で小さく、二層のソルボセインを組み合わせて滑り止めにしている。ここは筐体全体のデザインを壊さないようにしただけだろうか。いや、そうではなく、この足はサイドパネルのみに結合されており、ボトムパネルには接触していない。音質に向けた意図がちゃんとある足の設計だ。
とはいえ先述の発展性のこともあるが、この機材は音を良くするために換装したり、なにか付加したりする余地はほとんどない。例えばこの長細い筐体だとスパイクフットは不安定になりやすいので付けられるものは限られるだろう。電源ケーブルを奢って音質を上げることもできない。こうなるとオーディオボードに凝るぐらいしかないが、据え置きのスピーカー用のオーディオアンプほどの大きさと重さじゃないから、よく考えなくては。Grandezzaでも使うかな。とかくオーディオマニアは機材を魔改造してさらに音を良くしようとする方向に行きがちだが、そういう道楽が入り込みにくい製品である。想定するユーザーをオーディオマニア以外にも広げたいコンセプトがあるのだろう。

さて、このDAPの公称スペックは以下のようである。
DSD11.2MHz, WAV(384/32bit Integer/Float), FLAC(384kHz/24bit)、MP3、AACを対応フォーマットとするデジタルオーディオプレーヤーであり、MQAのデコードも可能である。ワイヤレス接続環境のためのBluetooth、LDACにも対応する。
また256GBのメモリとマイクロSDスロット2基を内蔵、DACは旭化成の旗艦チップAK4497EQをLR独立で使用、アンプは定評あるテキサス社のTPA6120A2を2基実装する。これらは実際買うと拍子抜けするほど安いパーツだが、この手のチップパーツは恐ろしく大量に、しかもとても小さなものを人の手を介さず流れ作業で作っているから、この価格であることは意識しなくてはならないだろう。その中身は下手なディスクリートでは到底及ばないレベルのモノである。またあえてお家芸S-Masterを採用しなかったのも注目される。なにかS-Masterを超えた音質を狙おうとしたのか。SONYがSONYを超えようとしているのか。

また、この機材にはSONYらしく多くの独自開発の技術が盛り込まれている。
例えば圧縮音源で失われた高域を予測演算し補完するDSEE(デジタルサウンドマスタリングエンジン)の HXバージョン、すなわち搭載されたAIで聞いている音楽の種類を判別しそれに合わせた補完を行う機能や あらゆる形式の音楽データファイルを5.6MHzのDSD信号に変換するDSDマスタリングエンジン、アナログレコードに近似した音質に改変するバイナルプロセッサ、さらには10バンドのイコライザーやトーンコントロール、ゲイン調整までが搭載されており、リスナーはそれぞれの機能をON/OFFしながら気に入った音を探すことができる。
このようなユーザーに選択肢を用意しておいて選ばせるという姿勢もどこかSONYっぽい。
周りの空気を読んで態度を変化させる日本人らしい配慮とも思える。

機材の内部もまた凝っている。
基板からヘッドホン出力に伸びる線材はハイエンドオーディオの世界で定評ある米国キンバー製の4芯構造のものをセレクト。グランドの取り方もLRのグラウンドを完全に分離したりと工夫している。
使用されるコンデンサもニチコンのUFGなどの高級品をチョイスし、回路基板は12層高密度多層基板を用いる。クロックはこれもやや特殊な超低位相ノイズを謳う水晶発振器を採用している。
そういえばこの機材は金・ゴールドが多用されている。ボリュウムノブだけでなくボリュウムのケースと内部パーツにも金メッキ、使われているハンダは金を含有した特殊なものである。
この素材の多用は確実に音に影響する。それは後でも少し述べるが、この機材の音作りにおいて大きな柱となっているように思う。

このDAPはその最大の特徴としてバッテリー駆動という側面を持つ。合計で5個の内蔵バッテリーで駆動され、連続9時間のピュアな再生を可能としているのである。なお充電しながらの再生も可能だが、あくまでピュアな音を目指してノーマルゲインのバッテリー駆動が推奨と。
バッテリーが5つもあると交換や修理が大変そうだが、S2500の例もあり、またRe Leaf等で見られるそれぞれの機能区画に対して専用電源部を置くという方式の成功から見て、複数のバッテリーの内蔵は音を良くするだろうと思われる。これもまたひとつの音作りの柱だろう。
それにしても私がS2500を入れた時期とDMP-Z1の発表がこれほど重なるとは。バッテリーならなんでも良いとは思わないが、これまでになく私の頭の中はバッテリーでいっぱいになっている状態だ。
これらの機構を包み込む筐体はアルミ製で、正面から見てH型のモノコック構造をとっており、通常の箱型筐体よりも剛性が高いつくりになっている。重量があるRK501ボリュウムはH型のシャーシに直接取り付けられて安定化されており、基板にもジャックのあるフロントパネルとも直接干渉しないようにしている。
非常に凝った設計とパーツの選択が次々と現れてフォローするのが大変だが、これだけ盛沢山だからこそ、この価格も納得ゆくというものだ。


The Sound :

これはおそらく万人が良いと言う音だ。
計画的かつ周到に良い音の最大公約数を探ろうとした気配が感じられる。
聞き味の良さと音響的な基本性能を公平にバランスさせようと練りに練ったサウンドのように聞こえる。企画自体は尖っているが、音は尖っていない。むしろリスナーへの配慮に満ちている。

今回はMDR-Z1Rのバランス接続あるいはFinal D8000とシングルエンド接続をして音質を探る。
すぐにはっきりするのは、DMP-Z1は音質の各要素についてかなり高得点を取る優等生であることだ。
例えばこの機材のダイナミックレンジは、このようなハイエンドDAPの中では最高度に広い。
ヘッドホンシステムでオーケストラの出す音を十分に表現することは難しいが、今回のシステムはその課題にかなりの程度答えている。他の機材よりもダイナミックレンジを大きく取れるところが奏功している。
また各帯域の音の密度、スピード、解像度は均一であり、帯域バランスはフラットである。
さらに残留雑音は非常に少ない印象であり、音は澄みに澄んで、雑味がない。
音の背景の闇の黒さ・深さは、ハイエンドDAC中でも極めて高度な部類に入ってくる。この静寂の深さはダイナミックな音の立ち上がりや予想外の音の伸び、そして凡百のDAPとは異なる音像の厚みと巧みなコントラストを形成し、聞く者に忘れがたい印象を残す。この部分は5個のバッテリーによる駆動が上手く効いている。
音の純度がとても高いうえに音が柔らかく、耳当たりが心地よいのもそのせいだろう。
とにかく、このDAPはここの部分でリスナーの好感度を大きく稼いでおり、他の同種の機能を持つ製品を引き離している。この静寂性と音の柔らかさを組み合わせたクレバーな音作りは、どちらかというとカリカリした音の多い現代日本のハイエンドオーディオの中では異端かもしれないが、むしろ求められているものではないだろうか。いいところ突くなと思う。
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音の温度感は人肌というぬくもりで、冷たさを感じない。若干緩い音のように感じるが、逆に言えば刺さるような音を決して出さない。音の立ち上がりと立下りに適切な速度が与えられているため、緩さがさらに進んで、もたついた音にならない。これでいいじゃないか。このサウンドはゆったりとくつろいでいるが、適度な凛々しさをも内包する複雑なものだ。
これも音作りだろうと思う。あえてシャープすぎない傾向に音を振っているようだ。NW-WM1Zの大成功を受け、この製品については一般的なオーディオ開発よりも自由度は大きかったはずである。硬くてキレの良い方向にしようと思えばできたはず。だが、それは現代日本のオーディオファイルにはアピールするかもしれないが、世界にある他の国々のMusic Loverや異なる感性をもつオーディオファイルには受け入れがたいものとなるかもしれない。日本だけでなく世界を見据えた音の作り方なのか。
強いて言えばこれは筐体内、信号経路のある部分に金・ゴールドを多用した場合に起こる音質傾向ではないか。GRADOのEPOCHやクリアーオーディオのゴールドフィンガーといった金線を巻いたカートリッジを使ってレコードを聞いた経験から私はそういう推測をしている。

DMP-Z1は音色や音の質感の鳴らし分けもとても上手であり、各楽器の音の分離も十分である。では逆に音が混じり合いハーモニーを奏でるところではどうだろう。
この部分でDMP-Z1のサウンドがリスナーに与える快感は格別なものがある。
様々な色や質感、大きさを持つ音が重なり合い、思いもしなかった美しいサウンドが紡ぎ出される。そこに倍音成分が煌びやかなベールのように流れかかり、いつまでも聞いていたいと思うほどの音へと仕上げてゆく。
そういう美音ではあるが定位は毅然として揺るがず、点在する音像たちは音場にしっかりとした根を張る。
サウンドステージの広がりはOJIやRe LEAFのアンプで聞かれるような広大なものではないが、
オーケストラの質感はきわめて流麗であり、その全体性、方向性を俯瞰できるような鳴り方をする。こんなに小さく、まとまったDAPに対して望んだ以上の雄大さが表れて私は驚く。
このような堂々としたサウンドはハイエンドポータブルDAPでは聞かれないものだ。
フルサイズのDACで、それも手練れの設計者が時間をかけて成し遂げる音だ。

こうして聞いてゆくとDMP-Z1の出音は、総合的には市場に多くある100万円台の単体DACのサウンドを上回ると思われる。
この製品の価格の絶対値は一見高いようにも思われるが、その内容を様々な角度から吟味すれば高くないどころか、コストパフォーマンスはかなりよい。
例えばこのDAPを他の機材で置き換えるとしよう。まずは100万円台の質の良いDACと50万円以上するHPAを組み合わせたシステムあたりを想定しようとするが、実際にさしあたり思いつくペアを組んで、こんなに心地よい音を必ず出す自信が私にはない。いろいろ考えると、どうしてもDACとHPAの合計で250万くらいになってしまう。CHORD DAVEやMYTEK DigitalのManhattan DAC IIと、OJIのHPA,厳格なトルク管理をして組み立てられた最新モデル BDI-DC24B -G TunedⅡ + SiIB-01 + TM-1(隙のなさという意味ではこれほどのHPAはあるまい)あるいはハイカレントRe Leaf E3 hyrid dcのデュアルモノラル構成(パワーの余裕とサウンドステージの広がりが素晴らしい)あたりを組み合わせないかぎり、確実にDMP-Z1を上回ることはできない。しかもこれらには送り出しとなるパソコンや相応のインターコネクトケーブルや電源環境を必要とするが、DMP-Z1にそれらは要らない。
またDMP-Z1はリスニングルームから比較的容易に運び出し、新しいオーディオのスタイルを探ることもできる。

手持ちのシステム全体の出音とDMP-Z1のサウンドを比較すると、音全体の立体感、分離や、低域の制動力、音全体のダイナミズム、音色や音触の豊かさなどの多くの点で私のシステムが勝る。しかしStromtankが来ていなかったら、かなり良い勝負であったはずだ。やはり税込350万円あまりする電源の威力は凄まじい。
では Re Leaf E1x単体とDMP-Z1を比較するとどうだろう。同じSONYの遺伝子を持つ機材でありながら、音作りには明確な違いがいくつかある。
Re Leaf E1xのサウンドはシャープで幾分ハード、緻密で温度感としてはやや冷たく、全域にわたる解像感の高さが素晴らしい。
DMP-Z1の音は優雅で艶があり人肌のような柔らかさや体温のような温もりを持って、包み込まれるように優しい音を出す。
Re Leaf とDMP-Z1は私のリスニングルームで共存でき、使い分けできる機材である。
GOLDMUND THA2と比べるとどうだろう。私はヘッドホンのドライブ力としてはTHA2が勝ると思うが、音の洗練度はDMP-Z1が上回ると思う。THA2を使っていてもDMP-Z1を使いたいと思うはずだ。
いろいろと述べてはきたが、
ここでDMP-Z1と真に比較すべきは、
dcsが出してきたヘッドホンを意識したDAC、Bartokではないか。
この機材についてはできるだけインプレッションを書きたいと考えているので画策中である。

DMP-Z1は私に言わせれば、ドライブ力はかなりあるが、そこに余裕まであるとは思えない。
例えばSUSVARAなどの鳴らしにくいヘッドホンを悠々と鳴らすパワーまでは備わっていない。そこはマス工房のModel406やOctave V16SE+Superblack boxのような、いわば中二病的に究極を目指したプロダクトでなくてはならないのだろう。
こいつを有効に活用するためには、ヘッドホンは選ぶべきだ。
個人的見解としてはMDR-Z1Rは純正ペアであってもあえてお薦めはしない。
このペアは音が柔らかい方向に傾き過ぎる。聞き味を優先しすぎで、刺激に欠けるのだ。もしこれを使うならKimberケーブル、AXIOSではなくBrise audioのケーブルを使って音をもう少し締めるだろう。
そして私ならもう少し鳴らしやすいFinal D8000を使うとか、
他人とかぶりにくいLCD-4zをあえて使うとか、
キャリアブルということも意識してUltrasoneのEdition15を使うとか色々と考え付く。
特に今回の祭りで10万円以下という海外価格が信じ難かった、Quad ERA-1などは筆頭候補である。(このブツは今までオーディオをやっていて一番コストパフォーマンスがいいと思ったヘッドホンである。造りもシンプルながらしっかりとしているうえ、よく見ると似たようなデザインがあまりない。音はかなり手堅く、欠点が上手く消されている。10万円ちかく上乗せされた日本価格でも納得できるサウンドとエクステリアだ。こいつは感動的である。)

図書館などの静かな場所で使うことを考えるとヘッドホンは密閉型がいいなとも思う。
だが各社のクローズドの旗艦機が出そろった2018年10月末になっても、
決定的な密閉型ヘッドホンは表れていない。
例えばMDR-Z1R、HD820,TH900MK2、AH-D7200、ATH-L5000などは優秀であるが、どれも問題をどこかに残している。誰かが言うように、結局未だにハウジングに由来する音のクセを消せていないのである。そこで私が期待しているのはFit EARが祭りで発表した試作品である。フォスター電機のドライバーのパーツの展示ブースにひっそりと置かれていた。MT050Aという50mmユニットを使って試作されたヘッドホンだ。あれはハウジングの音がキレイに抑え込まれていたと思う。
あのヘッドホンのブラック仕上げとDMP-Z1を組ませてみたい。コンパクトでシンプルな外観も気に入っている。

とにかく純正and純正で終わらせてはつまらない音なのだ。
なにか計算され尽くしていて、製作側の意図にまんまと乗せられるしかない部分が悔しい。
それは一面的な見方であり、異なるヘッドホンで、別な視点からDMP-Z1をそして音楽を眺める余裕が欲しい。
なにしろそのうち買うかもしれないモノだ。
今からよく考えておいた方がいい。



Summary:

SONY DMP-Z1は現代日本のハイエンドオーディオにおける特異点のひとつであり、
日本のオーディオにパラダイムシフトを画策した、野心的でありながらも極度に洗練されたプロダクトである。
この機材の提案する、半分ポータブル、半分据え置きのようなキャリアブルというリスニングスタイルはユニークであり、成長するヘッドホン・イヤホン界隈、そしてオーディオ界全体の動向に一石を投じるものだ。なによりも一つのまとまりとしてパーフェクトに近いと思われるほど練り込まれ、バランス感覚に優れた豪華さを強く感じる音質はDAPのキングとして君臨するに相応しい。

この機材はオーディオファイル向けだけでなく、シンプルに音楽を愛し、それをより優れた音質で聞きたいMusic lover、周囲には音をまき散らしたくないし、いろいろマニアックなグッズを付加して音を良くする努力も面倒だという普通の人にも強くアピールしているモノだと思う。
気まぐれで、小うるさいうえに人数も少なくなっているコアなオーディオファイルをメインターゲットにしたものとは考えにくい。このようなクレバーでニッチなマーケティングの感覚は最近様々な分野で見るものだが、その分野のマニアたちにとってはむしろ新鮮で突き抜けた企画と映ることが多いようだ。

90万円ほどもするDMP-Z1を見た人々はいろいろなことを言う。
よくあるのはこれを買うなら小さなスピーカーシステムをひとつ作った方が良いという意見である。
この見解は様々な意味で的外れである。
まずこのDMP-Z1に匹敵するレベルの音と使いやさを持ったスピーカーシステムは、新品で揃えるとすれば現在、100万円の予算でも構築することが難しい。高品質なオーディオ機材の価格はそれくらい上がってきている。
しかも自由な音量でスピーカーを鳴らせるという前提でなければ、コンポーネントを厳しくチョイスしてシステム構築する意義も半減するが、そういう環境自体、おそらく100万円では手に入らない。
またそれ以上にスピーカーシステムとは別な音楽の楽しみ方を提案しているのがDMP-Z1なのだから、スピーカーと比較すること自体がズレている。立派なスピーカーを持っているオーディオマニアの鑑賞に堪えるサウンドを出先でも密やかに楽しめるスタンドアローンのオーディオシステム。
これはハイエンドスピーカーをたしなむ人にこそ使って欲しいモノなのである。

私はその後もこれを数回試聴した。
そして思った。
もう今となっては、ハイエンドオーディオとは再定義されるべき何かであると。
あるいはハイエンドオーディオ自身が新たな定義づけを必要としていると言い換えてもいい。
dcsがヘッドホンアンプつきのDACを出す。SONYがこんなヘッドホン・イヤホン専用のDAPを出している。FOCALがあのようなヘッドホンを開発した。Sennheiserはあれほど高価なヘッドホンシステムを発売した・・・・。
これらの現象を見ていると、
かつてハイエンドオーディオと呼ばれていた領域と、
それ以外の領域の境界線が溶け始めているのが分かる。

ここでひるがえって、
S氏について思い返すと、決して単純に保守的な方ではなかったように思う。
実際、第一回のヘッドホン祭りに自ら出向いたほど好奇心の豊富な方であり、
それが本当に優れたものと自身で認識すれば、
どんなに歴史の浅いモノに対しても偏見なく面白がってくれていたように思う。
彼がDMP-Z1を見たら、そして聞いたらどう思っただろうか。どう言っただろうか。
平成最後の年も終わりに近づく中、新しいオーディオのスタイルが生まれ、
古いハイエンドオーディオのスタイルは序々にその盤石だった地位を危うくしつつある。
かの人はそれをどんな眼差しで見ていたのだろうか。

腕を組み、猛禽のような眼光で私を睨んだ後でニコリと微笑んだ、
あの時のあなたの表情を
私は今も忘れることはできないのです、S先生。
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思えば平成にオーディオ界に起きた出来事の一部はなにかの兆しだった。
それらは冒頭に挙げた書物の文脈にならえば、
麒麟の目撃のようなものだった。
次の年号を冠される時代にはそれらが単なる兆しではなく、
本格的に現実化するのだろうと私は予測する。
それは偶然ではない。
平成が次の年号に変わろうとする最後の年に
日本のオーディオの最大の、そして最後のカリスマは亡くなり、
それとほぼ時を同じくして、
今までにないオーディオのスタイルが、その姿を現しつつあること。
その先駆けが、今ここに製品として結実したDMP-Z1ではないか。
このような製品は今までは存在しなかったものであり、
見ようによってはオーディオという生態系に現れた変異種、
見たこともない美しい動物のように私には思える。
私たちはここで、図らずも現代における麒麟を捕まえかけているのかもしれない。

リアルに時代は流転する。
私にできることといったら、
年を重ねながら、
呆然と、そして、あえて逆らわず、
その時代の流れの渦に巻き込まれていくことだけなのである。

# by pansakuu | 2018-10-31 23:48 | オーディオ機器

Stromtank S2500の私的レビュー:ブラックアウトを超えて

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どうやら、
お前を仕留めるためには今のままでは不足らしい。
ゆえに俺にはお前を打ち倒すための絶対破壊の一撃が必要だ。

Fate apocryphaより




Stromtank S2500を導入した。
マイ電柱を立てるかわりに、巨大なオーディオ用の電池を使うことにしたのである。
いつかは買うつもりだったが、
伸ばし伸ばしにしていても仕方がないし、
消費税もそのうち上がるらしいので思い切った。
これまで色々と電源関係の機材を試したり買ったりしてきたけれど、Stromtank に出会うまでは、フルテックの一口コンセントを壁コンにして、そこからJormaの電源ケーブルで直にChikumaかORBのタップをつないで、それらから給電する方法が私にとっては常に一番好ましかった。(それにしても一口コンセントの威力ってありますね。)
それまで試した他の機材や方式はシステム全体での音のスピードや力強さ、スタミナなど、どれもどこかに問題を抱えていた。そもそも壁コンに至るまでの配線がオーディオ用ではないし、配電盤もマンションだと変えられない。何をやっても限定的だろう。
それでも試した。
AC社やK社、P社のクリーン電源、N社の巨大なトランス、I社のこれまた大きなフィルター、G社の電源装置、AS社のピカピカのフィルター(これフィルターなんですよね)など、汎用電源装置としては随分と大掛かりなものたちが思い出に残っているが、ここに鎮座するStromtank S2500はそれらよりさらに大袈裟な機材である。なにしろ61kgもある。
こんな電源をヘッドホンのために導入したと言ったら笑われるだろうか。
もちろんスピーカーシステムのパワーアンプ以外の部分にも使えるのだが、
私の今のメインは当然ヘッドホンである。
このブログも最近はヘッドホン専業のような感じだから、
今回はそこにフォーカスして書いていこうと思う。
ベルリン生まれのStromtank S2500を自分の部屋、ヘッドホンシステムの間近に置いてみると、この存在感、いわゆる半端ないというやつである。このイルミネーションの怪しさも極まっている。こういうヒステリックなグリーンやブルーは確かにドイツ人の感性の中では不自然でなく収まるのだろうが、日本人である私にはどうも派手すぎる。だがウラでは、こういうエキゾチックな刺戟が好きなのもまた日本人の特徴なのかも。
余っていたTAOCのボードにちょうどよい大きさのものがあったので、そいつに無造作に乗っけたうえで、家具スベールを使って所定の位置にもって行った。
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次は待ちに待った儀式である。リアパネルにはスイッチキーの鍵穴がある。これにオーナーだけに渡される小さな鍵を差し込んで回すとロックが開放され、電源投入可能な状態となる。このキーを回す儀式をしないと、電源スイッチを入れてもなにも起こらない。
こういう過程を経て起動するオーディオ機材を初めて自分のものとして使った。
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さて、ここで私の使うメインのヘッドホンシステムの概要をおさらいしておきたい。
何故かというと、このあと、巨大でインテリジェントな電池であるStromtank S2500にこのヘッドホンシステム全体をつないで、どれくらいの間もつのか、つまり電池の持ちはどれくらいかという話をするつもりだからである。私のヘッドホンシステムの実物は、電源以外はそれほど大袈裟なものではなく、シンプルなものであり、据え置きのヘッドホンシステムとしては標準的な規模だと思う。

ノートパソコン:VAIO,Macbook Lenovo
(Jriverあるいはaudirvana最新バージョン、オーディオボードはMistral EVA)

Pionner Dressing APS-DR002+APS-DR003
(これをかませたうえで、品質のよいUSBケーブル、優れたDACを使えばJriverでもハイエンドなネットワークプレーヤーを超える音が比較的簡単に出せる。不具合もより少ないし、シンプルなのでトラブルのリカバーも容易である。私は手軽な方式が好きだ)

Orpheus Khole USB(1.5m、比較試聴で1mよりも音が良いような気がしたので1.5m)

Nagra HD DAC
(電源はDA変換部、アナログ出力部で完全に別なコンセントを必要とするため、コンセントは2口必要。オーディオボードはillungo grandezzaCDP)

Dmaa製特注XLRケーブル(ここは0.6mです。ここはあえて短い方が音はいい)

Re Leaf E1x(オーディオボードはilungo grandezzaCDP、フットは四つ足でダイヤモンドコートした無垢のチタン合金)

Brise audio UPG001HP Ref.の3pin XLR×2

Final D8000改(fo.Qにより制振しモディファイ)
(場合によりHD800s,HD820,MDR-Z1R,HD800S,ATH-ADX5000なども使用)

リスニングチェアはYチェア(ハンスJウェグナー)あるいはFj01(フィンユール)
(ヘッドホンリスニングではリスニングチェアは重要。私はヘッドレストがないタイプが好きだ。頭を動かしたときヘッドホンのハウジングがヘッドレストに当たるのが嫌だし、ヘッドレストがついていると、そのまま寝てしまう可能性がある。オフィスで使われるアーロンチェアやゲーミングチェア、エコーネスなども悪くないが、デンマークの椅子は普遍的でくつろいだデザインや適切な硬さのある座り心地が素晴らしく、リスニングに対する集中力とともにイマジネーションを高めてくれる)
以上に対してStromtank S2500より3本のJorma AC LANDA(RHあるいはSG,CUが混在)を通して給電する。なお、PCにもS2500から給電することにした。
こうすることで、家の電源から完全に独立した系となり、後で述べる目論見が現実化するからである。

上記が私の現在構築できる自分にとって最も音の良いヘッドホンシステムである。
S2500にはChikumaやORBのタップもつないだので、コンセントはまだまだ余っている。あと少なくとも二つはコンプリートなシステムを作れるが、そっちはまだ断片的にしかそろっていない。
送り出しのパソコンについては、なにか適切なネットワークトランスポートなどに変えたいような気もしていて、実際いくつも試聴しているが、一つとして心からしっくりくるものがない。どれもまず機能的に完璧なものではなく、それ以上にハイエンドオーディオの意味をよくわかっていない、センスの悪い製品も多いと思う。
例外として以前、試聴したRoon nucleusは良かったが、あれは単体の良さではなくハブの品質やLANケーブルのクォリティと深い関連があるようである。さらにROONがどれくらいこの姿で続くのかもよくわからない。それからそもそも、ROONはいいとは思ったが音に感動まではしたことがない。もう少しよく観察したい。
これに関しては、ヨーロッパのオーディオエンジニアたちが独自に開発したハイセンスなハードウェアがもっと多く出てきて比較検討できるようになるまではダメじゃないだろうか。ここ数年はROONやTIDALなどインターナショナルなソフトウェアやストリーミング、MQAなどの合理性を追求したファイル形式、LANを使用する新たな伝送形式などソフトウェア的な部分では様々な提案が矢継ぎ早だが、肝腎のハードウェアや音楽レーベルの対応が遅れているし、また対応があっても小規模で持続性もない。この界隈の動向が定まり成熟するにはまだまだ時間が必要だと思うので、とりあえずは様子見でよい。
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Stromtank S2500の使い勝手は一度置き場所さえ定めてしまえば、大変ラクである。
リスニングに入っていない時は、フロントの左にあるボタンを押して中央のメーターの照明をブルーにしておく。このモードでは電池が満タンでなければ壁コンセントより充電しつつ、そこからの電気がS2500につながれている電源ケーブルに流れている状態である。
つまり充電作業と単純な電源タップの役割を兼ねている。実はこのモードでもかなり高度な電源タップと比べて遜色ない音が出る。
さてリスニングに入ろうとなる。そこでフロントの左にあるボタンをもう一回押すと中央のメーターの照明がいきなり派手なグリーンに変わり、メーターの文字盤に星のような光跡が浮かび上がる。なおこの派手な照明は右下のボタンで消すことが出来る。
また例えばメーターがブルーの状態で音出ししていて、いきなりグリーンに切り替えることもできるし、その逆もできる。そして、この切り替え時にもほぼ音に継ぎ目や空白が生じない。ここも優れた点だと思う。
肝心のメーターがグリーンになってからの出音については後で詳しく述べるが、一言で言えば素晴らしい音であり陶然とさせられる。
中央のメーターは左に振れている場合は現在流している電流の値を示し、右に振れているときは今充電で流れ込んでいる電流の値を示す。
つまり多くの機材をつないで消費量が多い場合は大きく左に振れ、その後で、そこで使っただけ充電しようとすると大きく右に振れるということである。
さらに重要な情報と思われる電源の残量は、メーターの下に横に並んでいるドットバーの長さで表現される。恐らく、バーのドット一つ一つが内蔵されているバッテリーの区画(セル)を反映しているのだろう。S2500は満タン状態で私の部屋に到着していたので電源を入れると10個のドットが全てグリーンに光っていた。いわゆるオールグリーンである。
その下にある小さな赤ランプは最後まで電池を使い切り、緊急に電源しなくてはならない場合に光るものらしい。そういう状況になるとStromtank S2500は自動的に充電を開始する。この時はブザーが一声鳴るが、やはり音は途切れない。つまり基本的にユーザーは充電と放電を好きに選んでいるだけでよく、とてもラクなのである。これは私のヘッドホンシステムで使うかぎりは、ほぼ発熱しないし、そのAC出力を自身の充電用のAC入力につなぐなどというあからさまな暴挙を除き、禁忌事項もほぼない。

上記のヘッドホンシステムを24時間びっしりと、やや大き目の音量でドライブしてみたが、ドットは3個減っただけだった。つまり24時間で三分の一ほどしか容量を使わなかったことになり、3日近くはつけっぱなしでも、よい音で鳴っている計算になる。また使い切っても自動的にブルーのモード、すなわち充電しながら音出しするモードに途切れなく自動的に切り替わるのだから問題ない。ちなみに中央のメーターはドライブ中に1Aを常に指しており、そこから動く気配はなかった。

このStromtankはあらゆる機材を真名開放させる特殊な宝具と喩えることができる。言わば宝具のため宝具である
この巨大なバッテリーがもたらすのは根本的な音の変化であるが、機材の持つ潜在能力が出し切られていることによるものらしい気配が強く感じられる。それはなにか新しい要素が付加されたのではなく、もともとシステムに秘められていた力の解放なのである。
ヘッドホンにおいて時に鳴らし切るという言葉が使われるが、そのワードをここまでやらなければ使ってはならないとしたら、今までの表現は全て間違いだったのかもしれない。

このサウンドには異次元としか表現しようがない部分がある。使い慣れ、いろいろと高価なケーブルやヘッドホンを試してきた、このシステム。これ以上を望むことはなかなか難しいと思っていた、このシステムから、私の知らなかった世界を引き出した能力とは・・・・言葉を失う。
GOLDMUNDのTHA2やRe Leaf E1、あるいはDMP-Z1などの機材を聞いたときにも、出音にはっきりと新しさを感じたが、ここあるサウンドもまた新しい音には違いない。しかし、その新しさはより根本的かつ本来的なものだというところが異なる。
恐らくどんなハイエンドACケーブルを使おうとこの音は出ないと思う。
恐らく他のどんなクリーン電源やフィルタ-、トランスを使おうと出せない音だろう。
もっと根源的なところからサウンドを改め良くすることがS2500のコンセプトなのだから当然だ。

力が有り余るとはこういうことか。
Stromtank S2500によりバッテリードライブされる、
このヘッドホンサウンドの背後には音の力の奔流が常に渦巻いており、
全ての帯域で音圧を上げている。
音のビームが非常に力強く耳に流れこんでくるのは快感。
脳髄の奥まで純なミネラルウォーターを注入されるような強烈な感覚。
蛇口全開というような姑息な表現は似合わず、
滝水の落下と言いたくなるようなイメージである。
S2500は秘められた海洋のごとき音の水量を小出しにせず、惜しみなく投下してくる。
電源系の機材を変えてこれほど力感や音楽のダイナミズムが亢進する現象は初めてである。
今までどんな電源使っても商用電源すなわち壁コンセントからの電源にこの点では敵わなかったのに。
バックコーラスの滑らかさが変わり、よりスムーズな流れとなって鼓膜に滲みる。
音楽を押し流してゆくエネルギーの大きさがこれまでとは明らかに異なるからだ。
このパワーのお蔭で音はどの帯域においても均等に伸びやかになってゆく。
ヘッドホンをとっかえひっかえしながら、
へえ、こんなにこのヘッドホンは歌えるのかと感嘆。
特に低域の伸びがさらなる高みへと向かっているのが目立つが、
高域、中域に意識を向ければ、これ同様であることが分かる。
ここでのD8000は、限界を試すような低い音を、これまでありえなかった解像度と量感を両立させながら放射させる。中域の濃密さと透明感、高域の確固とした存在感と余韻のたなびき、全帯域に及ぶ鮮やかな色彩感なども美辞麗句で語るのは易いが、今ここにある本物の音の前では空しい。
オーディオは聞くものであり語るものではないというのか。
書く男である万策堂は苦笑いする。

またディストーションが凄く少なくなるのも特筆できる。
音に正確さや自然さが非常に高い度合いで感じられるようになる。
これほど強い音なのだから、自然なものというよりは人工性を感じるべきなのかもしれないが、むしろ、もともと音はこのような強い存在であって、こちらが本来の音の姿、エネルギーレベルなのだと逆に納得させられる。この機材から給電することによって生まれる、音の歪みの少なさがそういう説得力を生む。
時に感じていた機材固有の音のクセがほとんど意識できなくなっているのも見事だ。
つまり今まで機材の出音のクセとして感じていた部分が実は最適化された電源を与えられていなかったことによるものだとわかる。

S2500を使うことで新しい音をさらに発見できるのはいうまでもない。
これはこのDACとアンプのペアで可能な、極限に近いSN良さが成せる技だ。
音場も、音そのものも、途轍もなく純粋となり、ボーカルの生の息遣いや楽器への微妙なタッチがより深く掘り起こされる。これはバッテリー電源の特徴であり、ジェフロウランドのアンプやDMP-Z1で聞かれる音の特徴でもある。
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D8000とRe leaf E1のコンビはこの部分の能力に長けていたが、さらに腕を上げている。また音楽全体の作り方を俯瞰的に見せる意味でも発展がある。こんな音作りをしていたんだと気づく頻度が明らかに増える。そこに意識を向けさえすれば、音に施した加工の質や量が瞬間的に聞き取れる。

S2500の影響下、D8000で聞くヘッドホンサウンドはさらにスケールアップし、疑似的にだが音は左右の広がりを越えて上下にも拡がる。非常にスペイシーなサウンドであり、その広大な景色に素直に感動する。また音にボディがタップリついてくるのも驚きである、複雑な音の色彩や質感、香りのようなものが音の内部に詰まっているとき、そこから生じる音の密度や重みあるいは軽みを私は音のボディとして感じるが、この音のボディを常に意識させるという意味でも、この装置の音質改善は目覚ましいものがある。

さらに音の安定感、スタビリティがとても高い。これもいままで壁コンセントに各種の電源装置が負けていた部分だが、このような盤石さこそはマイ電柱でなければ得られなかったものだ。
また、様々な音楽を聞いているうちには、ヤマトの波動砲や悟空の元気玉に喩えられるような必殺技めいたエネルギーを、音楽がオーディオ装置に要求する瞬間があるものだが、Stromtankを使うと、短い瞬間にそういうサウンドエネルギーを安定して連射できるようになる。電源の余裕・余力がとても大きいためだろう。

この機材に欠点があるとしたら、電源としてはやや巨大であること、高価であること、そして登場したばかりの機材なので長期にわたって安定して稼働するのかどうか誰も知らないことなどだろうか。先々どうなるか分からないものにカネを投入するのは、私の得意技だ。私のような向こう見ずが居なければ世の中はつまらない。
またスピーカーシステム全体をStromtankでカバーしたいと思うとS2500ではおそらく足りない。パワーアンプのためにStromtank S5000が必要となる。S2500はパワーアンプより前の段にのみ給電するのが安全である。ヘッドホンシステムに対して、これは贅沢な選択かもしれないが、本当にハイエンドなスピーカーシステムに対しては容量が足りない。

ところで、マイ電柱とこれとどちらが良いかという問題について。
マイ電柱の問題はマンションだといくら高級でも使えず、持ち家でなきゃならないとかいうことの他に、アースをよほど深く埋めないと効果が低いという話もある。アースをそこまでやって配電盤も屋内配線もオーディオ用としないと完全ではないから、もしかするとトータルではS2500を超える金額かもしれない。また電柱は引っ越しできないが、Stromtankなら可能である。
そして、やるだけやり切ったマイ電柱システムでもまだ問題は残る。
笑い話じゃなく悩んでる人がいた。マイ電柱を立てたとしても、発電所から電柱までのラインは音質対策はされてないという事実をどう考えるかと。
こんな悩みや苦労があるならかなり高価でも自分専用のオーディオ用バッテリー電源を置くのが近道ではないか。現代的ではないか。私はそう考えた。
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ブラックアウト。
これはいい言葉ではない。
だが、そういう停電状態は起こりうることであり、
皮肉なことにオーディオにおいては理想的な環境かもしれない。
なにしろ自分意外にノイズ源は皆無に近いという状況である。
停電対策に使えることを言い訳に買い込んだS2500が来たら、システム全体にそこから通電し、一度は人工的なブラックアウトの中でオーディオを聞く不謹慎を許してもらおう。
私はそう目論んでいたのである。
ある真夜中、私はそれを実行に移した。
グリーンモードのS2500からシステム全体に給電していることを確認し、家のブレーカーを全て落とした。次にD8000を装着、E1xのボリュウムをゆっくりと回した。
聞き始めは期待したほど大きな変化はないかと思った。
音楽の背景の黒さが増している。
これは予想した通りだったが、
楽音自体にはほぼ変化がないようだった。
しかし、音に集中しながら色々なアルバムを試みると
未知の世界が背景の闇の中に開けているのが分かった。
音の背景の質感がアルバムによって如実に違うのは前から知っていた。
無音部分にも質感がある。これは録音に使われた機材の残した指紋のようなものだろう。
しかし、その音の指紋の闇の奥に演奏者以外の人間のものと思われる衣擦れや指を動かす音などの存在音も録音されていたのである。それは考えてみると当たり前にある音なのだが、そこまでは聞こえていなかった。それは闇の中にごく薄く浮き彫りされたレリーフのような音であり、音楽全体の背景に微かに刻まれていた刻印だったのだ。あるアルバムでフェーダーのようなものが滑る微かな音が聞こえたりする。これは幻聴かと疑う。だが、それにしては場の雰囲気とマッチしていてリアルすぎる。NAGRAのメーターも微かに振れている。
こういう音にもならないような音を聞くことはスピーカーでは難しいし、ヘッドホンでもよほど条件が揃わなければダメだろう。そもそもそんな音を聞く意味はないかもしれない。だが掘っても掘っても先があるらしいことを知る、オーディオという趣味の深淵を垣間見るという不思議な満足感はなにものにも代えがたいことは確かだ。

それにしてもブラックアウトでのリスニングは孤独だ。ひたすら孤独な行為だ。
これほど孤立したリスニングは初めてである。
滅亡した世界にただ一人、ヘッドホンシステムとともに取り残され、音楽を聞いているような気分である。この暗闇を占有するのは優越感ではなく寂しさである。こんな侘び寂びの境地までヘッドホンリスニングが、そして私のオーディオが至ったことは我が記憶にとどめていいはずだ。


不謹慎な邪説はこれくらいにして、総括しよう。
Stromtankとはオーディオの力への渇望を満たす最後の仕上げであり、
かつ全てのオーディオ機材の最初に置くべき基盤である。
今まではしっかりしているようで、実はそれほどしっかりしていない土地の上に、大なり小なりのオーディオという建物を立てて悦に入っていたようなものだ。この機材を使っていると自分の長年の間違い、大きな回り道について思いを致さざるをえない。
ヘッドホンのみならず、オーディオにおいて究極のサウンドを求める者はこのバッテリーを避けて通ることはできぬ。
もちろんオーディオには多様な側面があり、Stromtankを使えば全て解決ということはない。だがこれは答えに辿り着くために試さずにはいられないものはずだ。
Stromtankこそ私が求めるオーディオのイデアを仕留めるために必要不可欠な、
絶対の一撃を生みだす原動力となり得るものだったと思う。
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ユーラシア大陸の東の果ての島に棲むハイエンドヘッドファニアたち、
そして今、同じ時代に生き、同じ志を持つオーディオファイルたちよ。
あなた方の召喚した機器は未だその力を発揮してはいない。
それを縛っているものはあなたが使っている電源だ。
当たり前の事実から目をそらしてはならない。
私は、あなた方に
溢れる敬意と僅かながらのユーモアをもって、
このStromtankを捧げよう。


# by pansakuu | 2018-10-25 22:02 | オーディオ機器

巨星墜つ

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ついに菅野沖彦氏が世を去った。
あの時代は終わり、新しいオーディオが始まるのか。

あの時代を通り過ぎた日本のオーディオファイルにとって、
菅野氏は現代に生き残っていた
最後のオーディオのカリスマであった。
彼とその仲間たち、ファンたち、そして彼のアンチを自認していながら、知らず知らずのうちに影響下にあった者たちが日本という国の中に作り出した雰囲気は、長い間、日本のオーディオのメインストリームであった。
かの人の他界、すなわち日本の古いハイエンドオーディオの象徴の退場とともに
日本のオーディオシーンの変化は決定的となるに違いない。

心せよ。
新しい時代の波が日本のハイエンドオーディオに
これから本格的に押し寄せるであろうから。
強い製品が生き残るのではなく、
変化に対応した製品が生き残る。
世界は絶えず変わってゆくが、
人が実際にそれを痛感するのは
なんらかの大きな出来事、節目の事を目の当たりにしたときだけなのだ。

巨星、ついに墜つ。

(TeamLab ボーダレスの展示を見た帰りのタクシーの中で、この知らせを聞く。橋を渡る車の座席に埋もれ、暗い東京湾を眺めつつ、感慨に耐えず一文をしたためた次第なり。)



# by pansakuu | 2018-10-15 17:52 | その他

Nordost Valhalla2 USBケーブルの私的インプレッション:真夜中の虹

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さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つて居ります.

宮沢賢治 詩集 春と修羅より 



Introduction:

12万年ぶりという暑い夏の終わり、
僕は自分のオーディオに
もっともふさわしいケーブルを選ぼうと、
夜な夜な部屋にこもり、
眼を閉じて
静かに考えを巡らせる時間が長かった。

現在の主流であるデジタルオーディオをやるというならば
上流にあたるUSBケーブルか、LANケーブルの選び方が
出てくる音に影響するのは知っている。
そしてヘッドホンはスピーカーよりも敏感に反応するだろう。
もちろんさらに上流にある電源・電源ケーブルの重要性はもっとよく知っているが、
これについては一番元のところから解決する策を見つけ、すでに手を打った。
それについてはいずれ書くことになるだろう。

僕はかつてネットワークオーディオをやっていたので、
LANケーブルを重視してきたのだが、
そうこうするうち、ネットワークオーディオの面倒さに耐えられなくなり、
この方式を捨てた。したがってLANケーブルはいらなくなった。
この方向性で本気を出すと、様々な種類、
全く異なるジャンルの機材を多数集めなくてはならないと知ったからやめたと言える。
音質を意識して開発されたハブやその電源などはその最たるものだが、
それをやればやるほどシンプルにオーディオを済ませることが
難しくなるのが目に見えていた。
しかもそれらは、いかに高価な製品でも暫定的なものであり、
新しい規格が登場するやいなや、陳腐化してしまう宿命にある。

やがて普通のPCとDACをUSBケーブルでつなぐという
幾分シンプルなPCオーディオに僕は転向していった。
こちらの方が少しは楽だろうと。
だがこちらもPCのセッティングなどを詰めるとなると、
かなりの手間や勉強が必要となることがわかってきた。
それを知った時点で私はこちらにも深入りするのもやめた。
要するに僕が怠惰なのかもしれないが、
そういう努力は楽しくないというのが率直な感想だ。
努力すれば確かに音は幾分良くなるが、
その労力に釣り合わないと感じたし、
その努力の中身はオーディオとは直接関係ない部分が大きすぎる。
これはネットワークオーディオをやめた時と同じ図式である。
そういうオーディオそのものとはズレた
果てしない追跡をカネと手間をかけて真面目にやっていると、
オーディオを安心して聞いている暇がないと僕は直感した。

とはいえ、日本でふつうに手に入る音楽再生ソフトは
今試せるものは全て試したつもりだ。
ネットワークオーディオ関連のシステムも一通り聞くだけは聞いてきたと思う。
それらの中で僕にとって一番音が良く、
不具合もほとんどなく、ストレスなく使えるものがあるとしたら、
それはJriverだった。
こんなことを書くと、あのJplayなどを使ったりしている人には異論もあろうか。
でも僕にはあのJplayというのは面倒過ぎた。
システム構築した後もスタックする場面が多すぎた。
もう思い出したくない。

そして僕の場合、
今のPCは改造のない普通のノートパソコンをあえて使っている。
Jplayのセッティングをしてくれた、
その方面に詳しい方から紹介された音楽再生専用のPCなども使ってみたが、
制限が増えて使い勝手が悪くなったわりに、
音質の向上はわずかであった、
あるいは音の良くなるポイントが私の求めるところとズレていた。
彼にその旨を伝え、ひと月持たず売却してしまった。
つまらぬ苦労をするうち、普通のPCでいいのだと達観したようなところもある。
まあAurenderなら使ってもいいが、あれもどうも気が進まない。
それより前にやることが多くあるような気がしてならないのだ。
まずは気楽に音楽が聴きたいだけなのだから。

あとはUSBケーブルを決めるのだが、これにも難渋した。
実はPCや再生ソフトを達観するよりずっと前から
僕はUSBケーブル選びに腐心してきたがなかなかいいのがない。
この顛末の一部については以前ここに書いた思い出もある。
あれはPCやネットワークを構築しテストするよりは簡単だから
やっていただけなのかもしれない。
まあこのケーブルのテストは楽だな。
つなげて聞くだけだから。
複雑なことはなにもない。
そして、その時の結論はOrpheusのKhloe USB2.0が
もっとも素晴らしいというものだった。

ところが、最近これを確実に上回るケーブルを見つけた。
それが今回紹介するNordost Valhalla2 USBである。
簡単にレポートを書いておこうと思う。


Exterior and feeling:


このNordost Valhalla2 USBはしなやかで、取り回しやすく、美しい外観を持っている。
ケーブルに外見の良し悪しなどないという意見もあるだろうが、
これだけ高価なケーブルは音を出していなくても
オーナーを楽しませる義務があると考えるものだから、僕はそこまで気にしている。
僕は今までこんな精密で清々しい外見を持ったUSBケーブルを見たことはない。
1mで40万円くらいするケーブルであり、今まで試用したUSBケーブルにおいてはトップクラスの価格帯に属するが、音を聞く前からそういうクラスのモノとしての雰囲気を漂わせている。
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ケーブルの線体は白色に近い銀色であり、光を当てると少し輝いて見える。
微かに虹色のオーラを帯びた線体はその高性能・高音質を見る者に予感させる。
線体には軽い弾力があり、曲げようとすると反発があるが、硬いというほどではない。
途中にウォルナットでできた例の樽型のパーツもある。これは偽物が多いNordostの高級ケーブルを本物かどうか見分けるためのシリアルナンバーなどを刻印するためにあると聞く。音質には影響ないと言われているがどうなのか。
このケーブルは8N無酸素銅に純銀メッキコーティングを施した10本の導体を使用する。これらを彼らの特許であるデュアル・モノ・フィラメント構造に従ってコーティング、配列させている。要するに10本の導体が律儀にツイストされた状態で絶縁されており、ケーブルがどのような形になっていても常に指定された位置関係を守って配列するよう作られている。
この線体を外部から見た印象はNordostの高級ケーブルのイメージそのものである。
最新型、しかも普通のインターコネクトケーブルやスピーカーケーブルとは異なって、少し新しい分野であるUSBケーブルであってもブランドイメージを保っているように思う。
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コネクターは自社製のものらしい。曲面が多用されコンパクトな外側の形状は今まで他社で見たことのないものである。形からして隣接する他の端子と干渉しそうだが、実際つないでみると、コネクター本体が小さいので、意外に隣のコネクターとぶつかったりすることはなかった。
端子の先端部は金メッキがされていて、機材に挿入するとサクッと入り、パチンと小さな音を立ててしっかりと止まって結合される。ぐらつきはほぼない。
様々なUSBケーブルを使ってきたが、これは今までで一番に確実に結線できるようだ。それでいて抜き差しに特別な力をかける必要もない。取り回しについても接続についてもストレスなく取り扱うことができるケーブルである。
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このUSBケーブルは一年以上前に海外発表されていたが、日本に実物が正式に入ってきたのはごく最近のことである。これを試せる日はいつなのか、随分と気を揉んだ覚えがある。
今回試用したのは2mの個体であり、USBケーブルとしては明らかに長い部類に属する。
自分の経験ではUSBケーブルは1.5mを超えたあたりから、音質がやや劣化し始めるようだ。
これを買うとすると1mのものを買うだろうから、ひょっとするともっと良い音が聞けるのかもしれない。
だが、これ以上音が良くなることを殊更に願う必要のないほど洗練されサウンドに僕は感じ入った。


The sound:

こういう音、
音の芯に軽みがあるが、
その軽みの奥に恐ろしい罪深さを隠しているようなサウンドを僕は久しく聞かなかった。罪深い、つまり魅力的過ぎて人の道を踏み外しそうになるという意味だ。
昔、オリジナルのValhallaのXLRケーブルを聞いた時もこれに近いものをわずかに感じたが、こちらはもっと深みにはまっているし、そもそも基本性能が高くなっている。
これはオリジナルのValhallaよりはORDINに近い部分もあるかもしれない。
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この出音は、まずクリーンで広大なサウンドステージが舞台装置として用意されており、そのうえで肩の力が上手く抜けて、リラックスした音像がそこに明確に定位している。
そして、これらの特徴がひと聞きで意識できるのが面白い。
凄く分かりやすい音でもあるのだ。
特に音の軽みだ。全体に音が身軽になっているのが印象に残る。
フットワークは軽い。リズムも速い。だが品格は損なわれていない。
そんなことは言うまでもなくという感じで、高品位に力みを排しているのだ。
これほど高貴で軽くありながら、
この手の機材から出てくるサウンドとして、
これ以上できないのではないかと疑うほどに広い音である。
左右方向だけでなく奥行き、上方、そして下方にも拡張するスペースに驚く。
特に下方にスペースが存在するように感覚することは、
このケーブルに独特な音の浮遊感、無重力状態を生み出す。
これはPCを使うデジタルオーディオにおいては、
このUSBケーブルを通して初めて聞こえるニュアンスではないか。
音場の視界が開け、録音というある種の引力圏から解放された音像が、
拡大し続ける三次元の音空間に点在し展開する。
これらがイメージとしてありありと脳裏に浮かび上がる視覚的なサウンドと表現してもよろしい。
USBケーブルを変えただけで、こういう音が聞こえることもあるのか。
実際に自分の耳で聞くと驚きがある。

また、僕がこのケーブルで音場や軽さと同様に引き込まれた要素として、
このケーブルの持つ、巧みな音の色彩感がある。
オーディオ機器というのはカラフルで派手な音を出すもの、
そしてモノクロームの写真のような落ち着いた色調や穏やかなコントラストを想起させる音を出すものに分けることができると僕は思い込んでいる。前者の代表はCHprecisionのSACDプレーヤーであり、後者は例えば次回以降のブログで語ろうと企てているBoulderのフォノイコライザーである。
オーディオ機器の一つの機能として、音楽全体に光をあてて、そこに存在するディテールや濃淡の変化、音色をつぶさにリスナーに見せるということがある。
この、いわば音楽に対する光のあて方、あるいはその光自体の性質がサウンドの色を決定する。Valhalla2 USBを通した場合、この光は音楽の色、音色を実にナチュラルで演出感なく浮かび上がらせる。余計な脚色がほぼない。他の多くのハイエンド機材は白熱灯をあてたような色合いに傾くか、反対に蛍光灯をあてたような白っぽく人工的な色彩感になるか、どちらかなのだが、そういう偏りを見事に避けてくる。寒色系のサウンドとか、暖色系のサウンドとか言う区別があるが、このケーブルは音色、あるいは温度感においてとてもニュートラル・中立的な立場にサウンドを振ってくる。これは得難い美徳だと思う。

またこれは全く視覚的なサウンドであり、
ハイエンドヘッドホンシステムに組み込むと
これまた例によって音の拡大鏡のような性質が濃く出る。
入っている音が全くスポイルされることなく全部抽出されてくるイメージである。
いわゆる音の解像度という視点から見て、これほどのサウンドをきかせるPCオーディオ関連機材はほとんどあるまい。ただ細部の情報が湧き上がるように多いので、そこに気を取られて音の骨格が分かりにくい部分はあるかもしれない。
そういう聞かせ方は高級なCDプレーヤーやアナログの独壇場なのか。
いずれにしろ音があるべき場所で、あるべき立体感で鳴ってくれるのが有難い。
異なる出どころを持つ音どうしが混濁せず、重ならずに出てくるが、
その分離の度合いが気持ちいいほど優れているからこうなるのだと思う。
全体にとてもクセが少なく、聞きやすい音でもあり長時間にリスニングが楽しい。
それでいてハイエンドオーディオを聞いているというプレミアムな感覚が占める部分が大きい。
聞きやすい音となると、ただ平明で素朴な貧しいサウンドになりがちだが、そういう方向性とは逆のエキサイティングでゴージャスな要素を含むサウンドである。
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手持ちのOrpheusのKhloe USB2.0と比較すると低域に重さや沈み込みがもう少しあってもいいと思うことはなくはない。だが、低域の解像度は間違いなくVallhala2 USBに軍配が上がる。
ヘッドホンオーディオでは低域の伸びや重み・量感よりも全域にわたる解像度の高さが重要となるので、こちらの方が的確な選択になるかもしれない。Khloe USB2.0は音の分離が他のUSBケーブルに比してずっとよいのだが、Vallhala2 USBはそこがさらに優れる。音の分離が極めてよいことは、ヘッドホンオーディオに向いたケーブルであることを意味するので私にとってはなおさら捨て置けないモノである。
ただ、音のまとまりとしてはKhloe USB2.0はとても巧みで捨てがたいものがあり、価格もVallhala2 USBよりも大幅に安いので、Khloe USB2.0を他人に薦める立場には変わりない。しかし、お金に余裕があるならNordostを選ぶのも面白いはずだ。

このシステムで聞いていると、一本のUSBケーブルがシステムを少しづつだが、あるべき方向へ導いていゆくのが分かる。
広大な三次元空間をリスニングルームとして与えられたような錯覚の中で、僕がこの音楽に求めているサウンドの姿、
すなわち、今ここにある、この音楽が自分にどのような形で聞こえたら心地よいのか、とっさにイメージを捕まえることができるようになる。
普通のオーディオではそれが意識できない。
自分の頭の中にできている答えを自分でスルーしてしまう。
そしてオーディオの迷宮の迷子になってしまうようなところがある。
そこに気付くためのきっかけ、迷宮から逃れる鍵のひとつをこの特別なUSBケーブルに与えられ、僕は救われた。

このケーブルはNordostのフラッグシップであるORDINシリーズではなく、その一つ下のセカンドベストの立ち位置である。このシリーズは以前からあったValhallaシリーズのVer2というよりは、ORDINの低コスト版という意味合いが強い。先代のValhallaシリーズの音質を受け継ぐのではなく、ORDINの音質の真髄を少し手軽に体験できるようにしたモデルなのである。先代のValhallaシリーズと比べて洗練の度合いが一段と高くなっているのは当然だろう。音の力強さの表出こそ、フラッグシップシリーズに一歩ゆずるが、ほぐれてリラックスした雰囲気などはORDINにはない利点であり、高い次元でのコストパフォーマンスを求めるならあえてValhalla2をチョイスするのもアリだと僕は思っていた。ORDINシリーズにUSBケーブルがあるのかどうか知らないが、ORDINのインタコや電源ケーブルを試用した経験で言うと、あれはあまりヘッドホンには向いていない。あれほどの音の勢いや力強さ、ワイドレンジがあってもヘッドホンではそれを十分に生かせないし、そもそもそういうニュアンスを求めてヘッドホンオーディオをやっていない。あれは大型の高性能スピーカーで高音質のソフトを大音量で鳴らすときに生きるケーブルである。実際、小さなスピーカーで小音量で鳴らしても、ORDINとValhalla2の音の差ははっきりしない場合が多いと思う。値段のことを抜きにしてもValhalla2は普通のオーディオファイルにとっては最上の選択の一つだろう。


Summary:

真夏の真夜中の暗闇の中でじっと音楽に耳を傾ける。
あるのはPC,DAC,HPAそしてD8000あるいはHD820、それに電源、
そして最後のオーディオ装置である僕の聴覚だけだ。
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とにかく自分の求めるスタイルはシンプルで不具合が少ない方式だ。
そして故障なく長期にわたって音が安定してよいことが望まれる。
だが、デジタルオーディオでそういうスタイルを維持するのは意外に簡単ではない。
そして音質を良くしようとしてやればやるほど複雑化し、大型化する。
それを知っていれば、
USBケーブル一本がこれほどのサウンドを実現してくれるなら、
これはこれでいいじゃないか、と受け入れる気分になるだろう。

ハイエンドヘッドホンオーディオに適したデジタルオーディオとはなにかと僕は考えてみる。
まず全域にわたって音の解像感が高く、すべての場所にピントが合っているJan van Eyckの細密画のようなサウンドがハイエンドヘッドホンリスニングには必要だ。不要な響きを足さず、鮮やかでありながら脚色は少なく、明らかにスペイシーで、各パートの分離が良い音。低域の量感やインパクトはスピーカーほどには重視しないが、質の良い低域が確保されていて、中域は高密度で、高域はわざとらしくない程度に伸びている。それらを満たしたうえで、音楽に秘められた躍動感や情感を引き出す音楽性を持つサウンド。これらの随分と厳しい音質上での要求を満たしつつ、できるだけコンパクトでシンプルでなくてはならぬ。ヘッドホンというスピーカーに比べてずっと小さい機材とある程度釣り合うような、システム全体としての外観や筐体数、規模が要求されるだろう。Nordost Valhalla2 USBは、こうした諸要素全てを過不足なく盛り込んだシステムの一角を担うだろう。そのようなヘッドホンシステムのイデアはいまだ具現化されてはいない。だが、それが出現する兆しや手ごたえを僕は漠然と感じているし、その予感は年々強まるばかりだ。

この予感に導かれて僕は生まれいづる英雄たち(現行の製品)、そして英霊たち(ヴィンテージオーディオ)をひとつひとつひも解き、吟味したうえ、可能な限り召喚、あげくのはて真名開放まで持って行って、次のステージへとまた昇る。
どうやらこれが僕の天命らしい。
Nordost Valhalla2 USBもバイプレーヤー的な立ち位置ではあるが僕の召喚すべき英雄のひとりに違いない。MSBのDACとの出会い以降、一度は短くなってしまった召喚すべきモノたちのリストは再び長くなりつつある。僕は、このリストの上位に、このケーブルを割り込ませることにした。
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朝方、ボリビアのコーヒー(カルロス イトゥラルデのゲイシャは素晴らしい)を飲み干してから、暗い部屋を抜け出すと、渋谷の空には虹がかかっていた。
昨晩は雨だったのか。
僕はリスニングに没頭していて気づかなかった。
真夏の真夜中の暗闇の中で聞いた音色は
晩夏の晴天を横切るように張られた爽やかな七色によく似ていた。
このような、自然でありながらも人の心をときめかす音色は
なかなか聞けないものだ。
オーディオにはどうしても脚色がつきものだし、
それをあえて自分のオーディオの中心に据えて楽しむこともできる。
だが、本当に色付けの少ないのに
美しい音の素顔に出会ったときの感動は、それを超えている。
真夜中の虹を頭の中にもう一度かけながら、
徹夜明けの僕は、原宿駅を目指して軽い足取りで歩き始めた。


# by pansakuu | 2018-09-17 15:38 | オーディオ機器

Meze audio Empyreanの私的インプレッション: 銀河の調和


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「火と水に調和を」

ペジテの挨拶



Introduction:


現代のハイエンドヘッドホンシーンに足りないものがあるとすれば、それは何だろう。

例えば、フォルムの美しさだけではなく装着感をも含めたプロダクトデザインの妙と、優れて先進的なサウンドとがとけあことだろうか。

それらが高い次元でバランスしている製品を私はまだほとんど見ていないような気がする。


今やUtopia、Susvaraのような10年前の黎明期には想像さえできなかった音の力を持つ高性能機たちが次々と誕生し、昴(すばる)のように輝きを増しはじめている。中にはD8000のようなひときわ明るい光を放つものも現実に存在する。ヴィンテージを含めればもはや数えきれないほどのヘッドホン・イヤホンに関係する機材が、群れをなして輝く様は、かつての大銀河であるスピーカーオーディオから分裂してできた小さな銀河系のように見える。


しかし、その新しい銀河系の中ではオーディオ的な性能の向上ぶりとは裏腹に欠乏や矛盾も生じている。例えば、それを聞く前にヘッドフォニアの心を掴むような、優れたデザインを誇る機材が少ないと私は感じている。さっき挙げた代表機たちを見回しても、音は素晴らしくてもグッドデザイン賞を貰えそうな機材ではない。

メーカーのデザインセンスがどうも硬くて、スクエア過ぎるのかもしれない。あるいはヘッドホン以外のものをデザインした経験がない人が、ヘッドホンのフォルムを決めているからかもしれない。またはヘッドフォニアが多くのハイエンドオーディオファイルと同じく、お洒落に関心がないのかも。

とにかく音の良さに見合うほどのデザインの美しさを備えていない製品が多いよう


また、Final D8000のような圧倒的な高性能を秘めたヘッドホンが現れたからには、それとは全く異なる音質や同等以上の品格を有するカウンターパートが表れ、バランスを取ることが必要という視点からこの界隈を見ることもできる。全く異なる音質的立場に立って相互にバランサーの役割をするようなヘッドホンたちが次々と現れることこそ、私のように先を急ぐヘッドフォニアにとっては望ましい。つまり高音質の独占は望ましくないという考え方である。その種が繁栄しているかどうかは、その種が多様性をどれくらい持っているかで判断するという現代生物学の理屈をオーディオにも採用していると言い換えてもいい。

HE-1のカウンターパートとして、まるで幻のようにShangri-laが出現したように、このクラスにおけるバランサーはもっと必要だ。

例えが突飛なのだが、

アナハイムエレクトロニクスがユニコーンガンダムのカウンターパートとしてネオジオングを建造し袖付きに譲渡したように、我々も新たな切り札を受領すべきだとは思わないか。


ここでは、これまで何度か環境を変えながらプロトタイプの試聴を重ねてきたMeze audio Empyreanのインプレッションとそこから連想される、幾分ステロタイプな取り留めのない話をしようと思う。とにかく独創的なこのヘッドホンを何度か手にするうちにどうしても何かを書きたくなってしまったのである。



Exterior and feeling :


Meze audio Empyreanのハウジンググリルからアーム、スライー、ヘッドバンドに至るデザインの美しさには、どのようなハイエンドヘッドホンも敵わない。

このフォルムの流麗さはスタートレックシリーズ主役U.S.S.エンタープライズを意識したものだと聞く。かつて熱烈なトレッキーであった万策堂にしてみれば、忘れていた血が騒ぐトピックだろう。尖ったスプーンのようなハウジングの形からすればソブリン級の強襲探査艦NCC-1701-E、いわゆるエンタープライズEを参考にしたと取れる。だが、この艦はボーグとの戦闘を考慮して、探査よりは戦闘的な意味合いを込めドーサルネック(第一船体と第二船体をつなぐ首の部分)を省略したデザインであることを思えば、このヘッドホンの形状とは若干異なる。ドーサルネックに相当する部分としてハウジングをまたぐように引き延ばされたような形をしたアーム、あるいはMEZEのエンブレムの刻印されたスライダーがあり辻褄が合わない。やはり銀河を飛ぶ白鳥と評されるU.S.S.エンタープライズD、NCC-1701-Dのストリームラインをも取り入れたものと信じたい。 Empyreanを初めて見た時、くだんのソブリン級 弐番艦の勇姿とともに火星のユートピア・プラニシア造船所にて建造された、このギャラクシー級の参番艦のイメージが私の脳裏にちらついた。

これはトレッキー以外にはどうでもいい話だが、とにかくそういう遠い未来から来た宇宙船・オーパーツのような雰囲気がこのヘッドホンには漂っていると言いたいだけだ。

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また、この先の尖った卵型をしたハウジングからアーム、そしてスライダーからヘッドバンドに至る芸術的な曲線と直線の連続の見事さは最近のヘッドホンオーディオの発展の成果を象徴している。これらが何種かの金属やカーボン、皮革といった異素材の組み合わせで出来ていることもテクノロジーの進歩を示しているはずだ。なお、ここに使われる金属のパーツはダイキャストや3Dプリンターからの出力ではなく必要な硬度を持った金属塊からの削り出しである。日本の組子欄間、あるいはゴヤールの杉綾模様のようなハウジングのグリルさえ単なるパンチングメタルではないらしい。これも必要な剛性を得るために金属の板から削り出されたものだとか。さらに、これら各パーツの結合部はクリアランスを極めて厳しく取って、接着剤なしの直接嵌め込みによって十分な強度を得ているという。 Empyreanの美しいエクステリアは手間のかかった造りが支えている。

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このヘッドホンのヘッドバンドは今までになほど広くて柔らかい。正面から見たときの頭頂部にフワリと乗っかったような形も絶妙なものであり、フカフカして分厚いイヤーパッドとともに、こいつを手に取り、装着する者に忘れがたい印象を残す。

この大きなヘッドバンドは、決して軽いとは言い切れないEmpyreanというヘッドホン本体の重さを頭蓋の表面全体に均等に分散させる。側頭部にストレスをかけないイヤーパッド、ヘッドホンの構造全体が自動的な調整で最適な側圧になるように設計されていることなども巧妙である。実際に装着すれば400gという重さが嘘のようである。デザインが良いだけでなく、装着して実際に体感する重さをいかに軽減するかにも設計の力点が置かれている。

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現代のハイエンドヘッドホンで最も軽いATH-ADX5000は270g、ハイエンドヘッドホンの代表機としてHD800は370g、愛用しているD8000は523g、同じくFinalの密閉型フラッグシップSonourous Xが630g, 重いことで有名なAbyssのAB1266が620g, これまた重くて有名なLCD4は600g、さらにその改良型のLCD4z Magnesiumが450gとされている。こういう中で400gのEmpyreanは重いとすべきか軽いとすべきか、意見は分かれようが、とにかく、Empyreanの場合は装着したときに感じる重さはダイレクトにヘッドホンの重量の数値を反映していない。試聴者が体感する重さはヘッドバンドやアームの設計によっていかようにでも変化しうるものだとEmpyreanは証明している。愛用しているD8000のアーム・ヘッドバンドはデザインにしろ、装着感にしろ、音響に与える影響にしろ、あまり良い点数をあげられるものではない。それでもこれほどの音質とオーナーの満足感を勝ち得ていることは流石だが。

FinalにMAZEのようなデザイン力があったなら、D8000はどんなヘッドホンになっていたのだろう。


イヤーパッドは磁気で本体とくっつく形であり、比較的容易に取り外せる。

デフォルトのイヤパッドはやや厚いので、少し薄いものに換えたい場合に簡単に交換できるかもしれない。なお、このイヤパッドの基部にはフェロ磁性と呼ばれる性質を持つ金属が採用されている。これはドライバーに使われている磁石の磁場によって磁化する金属であり、この仕組みによってイヤーパッドが本体にくっつくわけだが、この仕組みの副産物としてドライバーの磁力も向上し、駆動力が増すという。こういうカラクリも今まであまり聞いたことのないものだ。

Meze audio Empyreanの振動版に用いられるテクノロジーは平面磁界駆動型ドライバーの分野では初登場のものである。この技術自体はMEZEのものではなく、ウクライナのRINAROという会社が開発したものだ。基本的な仕組みは平面駆動型のドライバーに準じるが、上部に低域用のスイッチコイル(登山鉄道のスイッチバックのような形をしている)を、下部に中高域用のスパイラルコイル(渦巻き型のコイルである)を配置する。2つの平面駆動型ドライバーを同一の平面に配置を工夫して並べることで低域の減衰を防ぎ、理想的な周波数バランスを実現しようとしているらしい。ただ、二つの異なる周波数帯域を同じ膜の上でカバーしようとすると、膜が予想もできないたわみ方をして、膜自体が破れてしまうのではないか。この危惧が杞憂かどうかは、Empyreanを自分で買ってテストしてみる他にないような気がする。できればそうするつもりだ。また、この振動版の上に被さるドライバーを支えるフレームは頑丈な削り出しの格子状のパーツであり剛性が高そうである。高域を受け持つスパイラルコイルを覆う部分にはスピーカーのフェイズプラグを思わせるようなパーツが取り付けられており、ここでも入念な設計を伺わせる。

ウクライナのドライバー工場の写真を見ると、その雰囲気はFinalのD8000のドライバーを製造している工場によく似ている。なにか清潔で整理された場所で注意深く作られている印象で、そういう出どころを持つ製品を好ましく思日本人には、ポイントが高いだろう。今までウクライナはオーディオの世界にはあまり登場しない国名であったが、アメリカと競い合っていた頃から旧ソ連の技術革新を支えていたのはロシア本国よりはこの地域であったと聞く。例えば旧ソ連の核ミサイル、核爆弾の重要な部分の開発・製造やメンテナンスはこの国にある企業が請け負っていたと聞いている。東ドイツのカールツアィスイエナ、ラトビアのミノックスなど旧共産圏にあった企業の技術力は侮れないものがあることも想い起こすべきだろう。そういえば、このヘッドホンの製造本体であるMEZEもルーマニアの企業だった。やはりそこらへんの地域性が強いプロダクトようだ。地域は多少ずれるがブルガリアのEBTBという奇抜なスピーカーやエストニアのエストロン、旧東ドイツ出身のゼラトンなど、鉄のカーテンの向こう側で培われた技術の香りを漂わせる機材は今までにもいくつか見て来た。どれにも共通するのはエキゾチックな形と音というところだろうか。Empyreanは日本、中国、ドイツなどが独占しがちなハイエンドヘッドホンの世界に新たな刺激を与えそうな異国情緒のあるプロダクトである。

Empyreanはリケーブルが可能な仕様であり、私が見たところAudeze LCDシリーズの端子と同じ端子を使っているようだ。端子のコネクターはハウジングと一体で削り出されており、Audezeに比べても入念な造りである。このヘッドホンが素で持っている空間性や音の柔らかさ、サウンドのグレードを考えて選ぶなら、Kimber のAXIOS Agaあたりが良さそうだ。これもできたら実行したい。

追記:

価格についてはこのブログを書いた時点では未定であったが、2018年10月17日に見るとメーカー本国HP上ではプレオーダーが2999ドルとある。日本の代理店で買うのとどう違うのかよく分からないが、ここでPaypalで支払うと日本の私の部屋に届くのだろうか。初期不良などがありそうなアイテムでもあり、よくよく考える必要がありそうだ。



The sound:


独創的である。

今まで一度も聞いたことのないサウンドが聞けた。

このやや異質な雰囲気を生産国や外観と重ねてエキゾチックと形容する人もいるかもしれない。十分な環境下でドライブされるEmpyreanは極めて優れた基本性能を発揮すると同時に、このクラスのヘッドホンのサウンドの中では独創性の高いサウンドを奏でる。それでいて個性的すぎて取っつき難いということない。


Empyreanの奏でる音の感触、粒子感、密度、帯域のバランス、音の立ち上がりと立下りのタイミング・スピード、そして音楽性。それら全てが唯一無二の個性的な好ましさを持って、私の前に立ち現れる。この好ましさは音楽が自然に聞こえること、あるいはソースに対して忠実度が高いことからくる歓びとはやや趣を異にする。Empyreanが音を微調整し巧みに再構成したサウンドを愛でている部分が大きい

こうなればどんなに多くのヘッドホンを所有していようと、どんなに多くのヘッドホンサウンドを知り尽くしたマニアであろうと、なにがしかの金を払ってこのヘッドホンをコレクションに加える価値はあろうというものだ。何を聞いても、ほぼ必ず他にはない音調どこかに聞けるからだ。


オーディオにおいてその機材の出す音を表現する際には視覚にまつわる言葉を使うことが最近多い。

例えば音の解像度とか色彩感とかいう単語はそれにあたる。

しかし、これらの言葉はこのEmpyreanというヘッドホンの出音に関する表現では、それはあえて使いたくない。少なくとも前面に出して使うのは憚られる。これは視覚の概念で捉えられない部分を多く持つサウンドである。

これは触覚や味覚、嗅覚などのいままでオーディオを表現するには使われてこなかった感覚を刺激する部分が大きいサウンドではないか。

Empyreanから聞こえてくるのは、まずは練り絹に触れるようなスムースできめ細かい音である。ソフトな装着感とあいまって、リスナーを非常にリラックスした気分にさせてくれる。そしてこれはとても聞き味の良い、悠々としたサウンドである。

音の粒立ちが良く、音が生き生きと立体的に表現されているが、アタック音の耳への当たりが柔らかい。音の輪郭自体はカチッと表現しているにも関わらず、エッジにキツさがない。これは全体にとても有機的なサウンドでもあり、音の体温はまるで人肌のよう、ドライではなく僅かにウエットな傾向を持つ。また空間の余白を埋めつくすような緻密さがあり、そこにスムースで流動的な感触、音色の鮮やかさもある。短い文章では到底言い尽くせないほど多様で複雑な美音である。


Empyreanは現代の幾つかのハイエンドヘッドホンのように音の透明感あるいは解像感で魅せるタイプではない。それ以外の要素、すなわち見事な音の触感・綿密なテクスチャー、目の詰まった中域の密度感や重み、心地良い温度感で惹きこむ。このヘッドホンを聞いていると濃厚なボルドーワインを味わっているような、コッテリした味わいのサウンドと感じる場面多い。これは味覚を刺激する音である。なにか素敵なワインを口に含んで舌で回しているような、マッタリとしたくつろいだ雰囲気がある。


帯域ごとに見ると、濃密で分厚い中域と素直だが、極めて伸びのいい高域が目立っていて、低域は量感・伸びともにやや控えめだ。

この高域にはペパーミントのような清々しいフレーバーが香る。

そして上品な甘さを持ったバニラアイスクリームの一口目のように、あくまでスイートでもある。

高密度で濃厚な中域に感じるのは熟成された赤ワインの風味である。フルボディのワインの味にある微妙な渋みや、その奥にあるコクのようなニュアンスがこの中域には備わっている。私はこの音を聞いていて、昔飲んだコルトン シャルルマーニュというワインの味を思い出した。何にしろ、このワインのような味わいが、このヘッドホンの個性的な音調を主導しているように私には思える。また低域のスピードは速く、もたつきがないが、量感は控え目である。

そして、そこになにか妖艶な雰囲気を感じることは他では得難い特徴だ。香りで言えば火であぶったアンバーグリスの香りのようだ。この香料の別名である龍涎香といえば、嗅ぎ覚えがある方もいるだろう。これはクジラの体内にある結石が偶然海岸に流れ着いたものである。それは古代においては媚薬であり、嗅神経を介して性的な刺激を人間の脳に与える物質が含まれている。こういうくすぐりを誰でも感じるとは思わないが、少なくとも私は大いに意識させられた。私にとってempyreanとはセクシーなヘッドホンなのだ。

こういう忘れかけていた嗅覚や味覚を記憶の底から掘り出してくる異様な力がこのヘッドホンのサウンドには隠されているようだ。


またそれとは別に特異と感じるのは、二つのヘッドホンを同時に鳴らしているような雰囲気が確かにあることだ。注意深く聞いていないとそうは思わないかもしれないが、高域と中低域が時に競って主張しあいながら、聞きなれた曲で聞き覚えのないハーモニーを奏でる場面がある。これはヘッドホンの振動板の構造の特異さに由来するものであることは想像にかたくないが、これを違和感と取るか、他にない醍醐味と取るかは聞く人次第だろう。

こうなると音の鳴らし分けや各パートの分離についても他にはない特徴が出て来る。

例えばD8000の各パート・楽器を各要素の分離は良く、彼はそれを前後関係、左右の関係を明確にしつつ整理して聞かせる。しかしこのEmpyreanはいったん音を各要素に分解した後、再構築してリスナーに掲示する。音楽の中の各パート・各楽器は完全に離れたかたちではなく、互いに緊密に接近しつつ、でも完全にくっつくことなくEmpyreanが指定した位置に定位して聞こえる。ここに録音や音楽のアレンジに対するEmpyreanの解釈のようなものが生じている。


色々な音楽を聞いてみると、はっきり言ってナチュラルな音、自然な定位・響きからかけはなれていると感じる場面もある。だが私はそれを欠点とは受け取っていない。むしろ、そういう解釈を聞かせてくれたことに感謝する。もう既に様々なオーディオに慣れきっていて、単なるHi-Fiでは飽きたらない私にしてみれば、こういうヘッドホンでなければ大金を出して所有する意味がない。


Empyreanのサウンドが持つ、出音のタイミングの取り方やスピードの出し方全体は、独特のタイム感とでも言いかえられるものであり、これも私が今まで聞いたオーディオの中では、あまり覚えがないタイプのものである。

聞き慣れた音楽をEmpyreanを通して聞くと、それぞれの楽曲の持つテンポ、ビートが今までにないほどの余裕を持って楽に聞けることに気付く。楽曲のビートが速くて、感覚が音楽の進行について行かされるような、せかされる印象、強制感が皆無である。音の立ち上がりと立下りのスピードや、音が起こる瞬間のタイミングの取り方は現代の機材においてはどうしても速さ、即時性を重視しがちであり、必要以上に急いで、前のめりで演奏しているように聞こえてしまう場合がある。特にスピード感を重視した固めで強い高域を備えたサウンドを特徴とするヘッドホンでは、このタイム感がかなり早回しになってしまう印象がある。そういう先を急ぎ過ぎている印象がテンポの速い曲からも感じにくい。このヘッドホンでは個々の楽音の変化への反応は素早いのに、音楽全体のテンポはほぼ常に適正と思われる速さに調整されていると感じる。このような調整された時間感覚は音楽の聞き易さへとつながってゆくものだが、これもまたEmpyreanが音楽を再構成した結果だと考えられる。


また音の濃淡の階調性はこれまでになく豊かなのも特筆できる。大きい音と小さい音の単なる差ではなく濃淡がいかに細かく分かるかが、そこが現代のヘッドホンのグレードを分けている要素だと私個人は考えているが、このEmpyreanはその点では最上のレベルにある。様々な音の質感が互いに断絶するのではなく、滑らかに繋がって一つの音楽として聞こえる。それらの間を埋めるように豊かな音の濃淡の階調があり、リスナーは連続する滑らかな音の変化をうっとりと聴くだろう。


このヘッドホンでは音場にたなびく倍音成分にも実体感があり、微かだがなにがしかの量感がある。これもまた他のヘッドホンではあまり感じないことだ。これは幻のようなサウンドではなく、いつでも掴めそうな音である。しかしD8000のように赤裸々で差し迫った音ではない。Empyrean流に再構築され、耳を傷めるような刺激的な成分が抑えられている。


サウンドステージは広さよりも深さを重視したものと聞こえる。

左右方向に拡がるだけではなく、リスナーの前方に深く広がっている空間に音が朗々と響く。また音が前に出過ぎない感じもある。D8000が音をリスナーの方に飛ばしてくるような積極性を感じるYGのSonjaを想い起すサウンドだとすると、このEmpyreanはMagicoのQシリーズの大型機のような一歩引いた音場展開をする。


ここでの試聴結果は言うまでもなく、純正ケーブルのシングルエンド接続によるものでありバランス接続した場合どうなるか、まだ未知数である。それにこのヘッドホンは未だ発売時期すら決定されていない。2018年内というのが目標らしいが、そこは確定していない。とはいえ試聴したプロトタイプでも十分に洗練された機材であり、この存在感の大きさゆえインプレッションを書かずにはいられな

こいつを聞いた後でHD820ですらD8000とEmpyreanの間をつなぐ箸休め的な存在にしか見えないと言い放った人が居るが、そういう意見をあえて叱りつけたりする気おきないほど、私はこのヘッドホンには期待している。

(とりあえずHD820はそのうちここに届くだろうが・・・)

とにかく、それほどまでにEmpyreanの放つ光は私にとってまぶしいものだ。


また、ドライブするアンプにより試聴結果は異なることも分かっている。

あまり言いたくないが、一般論として、いくら優れたDAPであろうとポタアンだろうと、十分な能力を持つ据え置き機と音の細かさやドライブ力などは比ぶるべくもないのに、このような大型で高級なヘッドホンを普通のDAPやポタアンで試聴して評価しようとする人が多すぎると思う。

そういう機材による評価はあながち間違いではないが、少なくとも正解でない可能性は常に疑う必要がある。

このEmpyreanに関しても決してドライブしやすいものとは言えず、ポータブルならせめてHugo2くらいまでは行かないと音質評価は難しいだろう。


Empyreanにあるのは独自のミステリアスな世界観である。

このヘッドホンのサウンドの持つ力は、本質的には思考と感覚の両方を揺さぶる力であり、感覚のみを強烈に震わせるD8000の能力の本質とは異なっているように思える。

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物理的な攻撃とともに心理的な攻撃をも同時に展開する使徒のような特異な存在であり、聞く者がこれを受け入れる特性をもっているなら、彼の脳に強烈なインパクトを与えられる。上手くすればなにか凄く旨い酒を飲んだような程よい酩酊感が得られる。

このようなヘッドホンは他にはない。



Summary:


2018年の夏のポタフェスの会場で、このヘッドホンを誰よりも早く予約する方法を代理店の担当者に尋ね、しつこく詰め寄っていた変な男がいたとしたら、それは万策堂だと思ってもらってよい。

私は無性に、このヘッドホンが欲しくなった。


しかし、そういう状況にあっても私にとってD8000のサウンドは素晴らしいままだ。これはハイエンドヘッドホンというジャンルの確立を決定的にした奇跡の器である。だがそのあまりに唐突な降臨は私の中でいささかの混乱を生みつつもある。カオスを刺激したことが、さらなるカオスを生むように。この混乱の収拾と高音質の独占を阻むのがこのEmpyreanという存在である。


別な視点もある。

このヘッドホンはエクステリアと装着感、サウンドを総合的に見て、真にラグジュアリーな領域に侵攻しえた世界で初めてのヘッドホンであるとも言える。

この機上では元来、互いに全く関連しない各要素がバランスよく配合され、調和している。

いままでのハイエンドヘッドホンは音は良くても、外観は幾分メカメカしく、美術工芸品のような特段の華やかさを感じられなかったり、装着していると重さで疲労がたまったりするものがほとんどであった。

つまり音質以外の意味も含めてオーナーに十分な満足を与える機材が皆無に近かった。Empyreanというヘッドホンのフォルムはそういう長年の憂いを去り、現代的なスポーツカーやグランメゾンの放つファッションと同じ世界にヘッドホンを加えることに成功した例である。近い価格帯にはるUtopiaSusvaraなどとはデザイン、造り、音質などにおいてあまりにも異なるので簡単に比較すべきでないが、まず形の美しさと装着感ではEmpyreanがひとつ抜け出ている。また完成度の高い独創性を備えた音質も今までのハイエンドヘッドホンでは聞けなかったものだ。特に必ずしも自然なものとは言い切れないが妙に嵌ってしまう質感の見事さ、聞き味の良さは他の追随を許すまい。これはヘッドホンの音のバリエーションに新たなレパートリーを加えた作品なのである。


デザインと性能の両立や調和といった難しい問題は指摘するのはたやすいが、解決するのはかなり難しい。しかし、このヘッドホンはこうして見事な解答を示した。それは性能を優先したD8000やUtopia,SR009S,LCD4などがどこかに置き忘れてきたフォルムの美しさや装着感に対する要求を取り戻した結果という見方もできる。ここに至るには、多くの個性的な人々がアイデアを出し合ったに違いない。Final D8000と同じく、社外とのコラボレーションによって生まれた側面は強いようだ。ヘッドホンの銀河系の中で調和を育む存在という意味だけでなく、それ自体の内部においても様々な要素が様々な意味合いで調和したヘッドホンだと思う。


このようにいくつかの意味で素晴らしい調和を感じる機材を手に取ると、もはや卓越した音質を求める強引な意思のみではハイエンドオーディオは成り立っていかないのではないかと切実に感じる。この思いは、機材を使役する側であるオーディオファイルにも内的あるいは外的な調和への意志が必要ではないかという思考の飛躍を促す。ヘッドホン・イヤホンを中心とした領域と、スピーカーを中心とした領域が調和したオーディオの銀河系。そあるべき姿を私は密かに夢想する。


この前、ステレオサウンドに補聴器についての比較的大きな宣伝記事が載ったことに私は目を見張った。

この補聴器の記事は、これまで我らが意識的に話題として遠ざけてきた老人の聴覚の問題とその補助としての補聴器というタブーに自ら踏み込まざるをえなくなったことを意味する。補聴器を使えば自分の耳が老いて、そのままではオーディオを愉しむのに十分な能力を持たないことを認めなくてはならないし、また聞こえる音が大金を出して買ったスピーカーからのものではなく、実際は補聴器からのものであることも認めなければならない。これを今頃になって取り上げたのには諸々の大人の事情があるのだろうが、いずれにしろオーディオファイルの高齢化はそこまで行っているということだ。


この記事が私の推測どおりに補聴器を通してスピーカーの音を聞くという、なにか隔靴掻痒なオーディオスタイルの提案という意味を持っているとしたら、私には別な提案がある。補聴器を使ったスピーカーリスニングではなくハイエンドイヤホンやハイエンドヘッドホンで直接音楽を聴いたらどうかという提案である。その方がダイレクトでロスが少ないのではないか。補聴器にはイヤホンやヘッドホンと類似した側面が多くあり、イヤホンメーカーが補聴器メーカーを兼ねていることも少なくない。恐らく高齢者が良い音をこの先も愉しむために優れたヘッドホンやイヤホン役に立つはずだと私は思う。こうなるとハイエンドイヤホン・ヘッドホンの位置づけは高齢化社会の中で変わりつつあるとも考えられる。


こうして様々な嗜好性、様々な境遇と経験を持った異なる年代・立場の人々が共通して楽しめる機材という位置にヘッドホン・イヤホンは立つべきなのかもしれない。これらの人々が同じくヘッドホン・イヤホンを使うことで共通の話題ができれば、ともすると平行線をたどりやすい、あるいは対立しやすい彼らの立場どうしが調和する方向に行くだろう。

それにはスピーカーを使うオーディオファイルがヘッドホン・イヤホンに関心をもち、

逆にヘッドホン・イヤホンを使う人々もスピーカーに関心を持つというのが望ましい。

例えばここで取り上げているEmpyreanなどはハイエンドオーディオに慣れたベテランのオーディオファイルが手に取って、あるいは音を聞いて、真っ当かつ豪華な高級オーディオ機材として違和感をもたないものだと思う。これはそういう方たちがヘッドホン・イヤホンの世界に関心を持つ契機のひとつになりうるのではないか。この話は調和の片面にすぎないが、なくてはならない側面である。


ヘッドホンやイヤホンが老人の聴覚をアシストするという話だけではない。

この分野はスピーカーオーディオと比べて技術的にも経済的にも伸びが著しく、他の分野への影響や関係も、スピーカーより増えているのは明らかである。

これでも無視できるのだろうか。

激しく回転しながら勢いを増してゆくヘッドホン・イヤホンの小さな銀河系を。この成長する小さな銀河系はハイエンドオーディオの世界から消せないどころではなく、本家のスピーカーオーディオに意外な形で干渉しつつある。

我らに残された時間からすれば、YGのサウンドが是か非か、ヴィンテージオーディオが是か非か、オーディオ雑誌の中身が是か非かなどと、いささかピントのずれた細かい論争をしている暇はない。

曇りなき眼を見開き視界を広げ、積もった埃を掃除をした耳の感度を上げてオーディオの宇宙全体を俯瞰すべきだろう。そして、なによりも自分の好きなスピーカーやプレーヤー、オーディオのスタイルだけが至上のものであるという古い固定観念を捨てるべきだろう。

そのうえで、おおいに聞き、おおいに悩んだうえで、おおいに買うことだ。

我々が救われる方法はおそらくそれしかない。

この世界に足りないのは様々な意味とレベルにおける調和である。

私の愛するEmpyreanがその橋渡しとなり調停者のひとりとなって、オーディオ世界を少しでも明るくするきっかけになればと思う。


# by pansakuu | 2018-07-27 22:59 | オーディオ機器

Speak Low,Speak Raw:オーディオにおける寛容と正直について

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私はほんの少しのことで世界を変えられると、本当に思っています。私たちそれぞれが、ほんの少しだけ自分自身を変え、少しだけもっと親切に、もっと愛情を示し、もっと寛容になれたとしたら・・

レディ ガガ


自分の仕事に、自分の言葉に、そして友人に正直であれ。

ソロー




これから申し上げることは、あくまで個人的な考えである。

また特定のオーディオ雑誌の記事、

あるいはそれに関してネット上に出ている呟き、やりとりとは直接の関係はない。

もし、間接的に関係があったにしても、

それはこの事を書くきっかけになったに過ぎない。

これはずっと前から温めていた話なのだ。



「音は人なり」ということは、

オーディオをやっていると時々に痛感するところだ。

スピーカーから聞こえてくる音には、そのスピーカーを設計・製作した本人そのものが出ている部分があるし、アンプやプレーヤーを作った人の個性や、そのオーディオシステムのオーナーの嗜好も現れている。オーディオとは所詮、ヒトのつくりしものであり、それを創った人の感性の反映そのものである。

そして、人間の感性は共通するところこそあれ、一つとして同じものは存在しない。

これは自然の摂理である。

それらの中身が互いに相反し、相容れない場合も多かろう。

例えば、あるスピーカーシステムの出す音を聞いて、

ある人はとても好ましく思い、隣で聞いていた別な人は少なからず不快感を抱くなどということは普通に起こることである。

なにしろ人間の頭の中身は当人たちが想像する以上に異なっているのだ。

オーディオが異なった感じ方をする人間の脳で認識されるものである以上、

いわゆる音に対する価値観の対立は避けられない。

このようなオーディオにおける対立をどのように処理するか。

それはオーディオの根底に横たわる永遠の課題なのかもしれない。


再び「音は人なり」と言おう。

もしそうなら

今私が聞いているオーディオシステムの音が、私にとって不快である場合、

少なくとも幾分かは、そのシステムのオーナー、あるいはそのスピーカーシステムの製作者、あるいはその音を好む人々と私は意見が合わない、という仕儀になりかねない。

さらに進めば、彼らとは一緒にオーディオを愉しむことはできない間柄だということにもなりうる。お互い経験に培われた自らの感性に自信を持っているなら、さらにその断絶は深まるだろう。もちろん、お互いにそうと分かっていて、それを口に出さずにすれ違うこともできるが、感情的になってどちらかが相手を非難するまでに至ることもあろう。(これら二つの感性を持つ両人を仲介する立場の人が居たとしたら、甚だ迷惑だろう)


さあ、ここで、ひるがえって考えてみよう。

果たして、このようなオーディオの価値観の断絶を放っておいてなにかまれるだろうか?

本人どうしの直接のディスカッションのない、このような内的な争いもしくは無関心はいくら静かであったとしても、生産的な意味はどこにもないと私は思う。

昔は比較的広い年齢層、しかも今より多くの人々が日本でハイエンドオーディオを楽しんでおり、また多くの人の心にはゆとりがあったからか、並存する他の意見を持つ人たちと議論を愉しむ余裕もあった。

しかし今、この素晴らしいハイエンドオーディオの世界を嗜む人の数は日本では確実に減り、メンバーは高齢化し、新参する若い人は少なく、新陳代謝もなくなりつつある。

その狭まってゆくパイの中で価値観の断絶の亀裂が深まっている気配がある

(その断絶の一面が最近ハイエンドオーディオの界隈で少しばかり噂にのぼっている、冒頭に述べたあの出来事なのかもしれない)


もともとそれほど大きくなかったパイを奪い合うように

ハイエンドオーディオメーカーや代理店はオーディオ誌や評論家を使って自社の扱う製品の宣伝をし、異なる嗜好を持つ顧客たちを取りこんできた。だが、そのパイは小さくなってゆくだけでなく、嗜好の断絶によって、ひびわれて、さらに小さく粉々になってしまいそうに私には見える。

もう既に日本のハイエンドオーディオは成熟や爛熟を通り越して、とても小さく老いた市場となってきている。

それがさらにひび割れて粉々となり、アナログとデジタル、PCオーディオとディスクメディア、ヴィンテージオーディオと最新鋭のハイエンドオーディオなどとジャンルごとに別れて小さくなることは避けた方がいいと私は思う。

そのことでそれぞれの分野で顧客が減れば、機器は高価格化し、

さらに市場は狭くなることだろう。

得をする者はどこにも居ないのではないか。

今一度、オーディオには正解がないことを思い起こし、謙虚になるべき時かもしれない。自分の感性の引出しを増やすとき、

異なる価値観を容れるポケットを増やすときがきたのだろうか。

それとも、もう遅いか。


確かに最新鋭の金属製のエンクロージャー・振動板を持つスピーカーと、木目の美しい米松のエンクロージャーと紙の振動板を持つ古いスピーカーが並んで立っている光景を私は個人宅ではほとんど見たことがない。これは財力の問題もあるが、個人が幾つかの嗜好性を同時に持つことの難しさも物語っているだろう。

だがそれはできないことはないはずだ。それぞれ異なる音を出すシステムは、異なる音楽にマッチングを示すはずであり、幅広いジャンルの音楽を聞く人ならば、オーディオシステムを音楽ジャンルにより使い分けられる。

この頃は、小子化で人数の少なくなった異なる地域の学校が合併して一つの学校になったり、女子校と男子校が合併して共学になったりするのを見るが、毎年開かれるオーディオショウも異なるジャンルのオーディオが合併して大きなショウとしてやった方がいいという話は以前からある。外国ではヴィンテージオーディオと最新のハイエンドオーディオ、ヘッドホンオーディオが同時に近い会場でショウをやる場合あると聞く。日本でも異なる分野が互いに緩いリスペクトをもって連合して、オーディオ界を盛り上げてもいいのではないか


様々なオーディオ、様々な音楽に親和性を持ち、多様性とともに生きることが、これからのオーディオファイルやオーディオ評論家には必要となってくるはずだ。言い換えればオーディオを遂行する本人の趣味人としての幅の広さがオーディオの深さも決定するということだ。その意味でも「音は人なり」なのだ。オーディオにおける音の深さの少なくとも一部は、異なる感性・意見を受け入れる寛容の深さなのだろうと私は思う。



もう一つ別な話をしたい。

何年か前に、ある画期的なヘッドホンアンプが発表され、そのプロトタイプが代理店の試聴室で公開されたことがある。何人かのヘッドホンマニアがそれを聞きに行き様々な感想をもったが、そのうちの一人がオーディオ関係のSNSで、このアンプの音について、かなり否定的な見解を衝動的に書いた。厳しい表現が織り込まれたその感想文は、そのアンプの特殊な出自や価格などと相まって、その界隈ではちょっとした物議を醸すこととなった。

結局、それを書いた当人は謝罪し、それ以上の書き込みをやめた。

そのアンプは一定数売れたものの、一年ほどでディスコンになり、幻のアンプと化した。


SNSに、この感想文が出た時、代理店は投稿者を特定しクレームを述べたと聞く。また、この文章を読んだ第三者たちも、これは不快でやりすぎた表現だという意見が多かったと記憶している。それらを踏まえて書いた当人は謝罪し、それ以上の書き込みをやめたのだろう。


これについて当時の私はどう考えたのか。

それを読んで、まず第一にこういう不快な言葉の入った書きぶりには問題があり、書き込みは消去すべきだと思った。しかし、その次に心の中に巻き起こった第二の感想として、初めの嫌悪とは逆に、それほどの衝動を巻き起こすとは、大したサウンドを持つアンプだなという、機材本体にむしろ強い関心を覚えた。さらに、第三の感想として、こんな文章を書いた彼の愚直さとパッション自体は稀有なものであり、それはそれで奇貨として珍重すべきだとも考えた。

つまり、そのアンプの音にかえって関心を強く持つことになって、結局それを買い求めることになったし、彼のやり方自体は全否定だが、最後は自分も正直な情熱にはあやかりたいとすら思ったものだ。


今、ふりかえってあの時の混乱、コップの中の嵐について考えると、あの人はとても軽率であり、関係者に迷惑をかけたかもしれないと思う。これはほぼ救いようのない話だが、ひとつだけ取り柄があるとすれば、彼の言葉に嘘はなかったように見えたということだろう。とても未熟だが純粋な感情が文章に表れていた。

逆に言えば、今日、プロの評論家の書くオーディオ評論を読んでも、失礼ながら、あれに比べるとどうも嘘くさく聞こえる。完璧な製品などどこにもないはずなのに、褒め上げるだけでほとんど欠点を指摘しない。感情のこもった表現も見当たらない。

そういう論調からは彼らのオーディオに対する純粋な思いは伝わってこない。それは煎じ詰めれば、彼らが大抵、自分の本心に正直ではない文章を書いているように見えるからだということになる。


プロの評論家が書くものの多くが雑誌というメーカーの製品の宣伝が大半を占めるメディアに掲載されることや、日本のオーディオ誌がほとんど実際の測定値をもとに評論を進めないこと、格調高い文体で評論が書かれないこと、オーディオ文化全体を俯瞰するような高尚な議論がなされなくなってきたことなど、長らくオーディオ誌を読んできた側から見て、この分野には問題が散見される。しかしやはり私にとって一番大きな問題はそれらではない。

つまりオーディオ雑誌の論評に正直で率直な意見をほとんど見なくなったということが最も残念なのである

読者の多くは機材の音を聞いた評論家の本心の感想が知りたいのだが、

彼らが本心から言っているのかどうかを判断する材料がない。

もしあるとすれば、ほぼ唯一、メーカーやそこに忖度する編集部の意向に反して、あえて彼らが機器の音を批判する動きに出た時だろう。そういう機材の出音に対してのいつもと違うネガティブな評論を見たとき、読者は良かれ悪しかれ、この人は正直者なのだと安心するだろう。読者とは単純な者なのである。


素人がネット上に製品の評価を書くようになって久しいが、それが始まったころから、わざわざお金を払ってオーディオ雑誌を買うことが疑問視され始めたと思う。

(モノにもよるが)ネットを漁れば素人の評価がザクザク出て来る時世に、

雑誌に載っているオーディオ評論にもはや意味はあるのか?

オーディオ雑誌を読みながら、SNS上の素人の書き込みについて思い巡らすとき、

常に頭をもたげてくる疑問だ。

ところで、SNS上の評価の書き込みという素人の行為が定着した後、

そのような読者の疑問を払拭するためにオーディオ誌はなにか工夫をしただろうか?

いやむしろ、ますます忖度臭の強い、当たり障りのない記事に傾倒していっているような気がするのは私だけだろうか。

現代においてはメーカーや代理店から広告費を貰っている雑誌の内容は、オーディオ関係に限らず疑われている。その疑念を振り払えるのは経験豊かな評論家の視点で書かれた正直さを感じる文章である。玄人が書く評論は音を単純な良し悪しで語ったり、個人的な嗜好を押し付けるのであってはならないけれど、忖度抜きにした評論家個人のありのままの思いがほとばしっていて欲しいものだ。


だが、もしかすると、このような批判を受け入れる余裕はもはや日本のオーディオ業界には残っていないのかもしれない。それというのも、以前はある範囲内において批判的な意見を述べてもそれほど問題にならなかったが、今は違うからだ。

昔とは環境が変わったのだろう。

以前の日本のオーディオ界では、引退しつつある評論家のS氏や故人となったY氏、N氏、A氏など皆一癖ある飾り気ない意見を随所で述べていて、それは丁々発止の面白いディスカッションの出発点となっていた。もちろん彼らの文章にしがらみや忖度がなかったとは言わない。しかし評論家としてのプライドや文体の格調の高さはテキストのそこここに普遍的に漂い、幾分か混ぜ込まれた忖度の醜さを覆い隠していたものだ。このプライドや文体を裏打ちするのは、彼らの正直さ・率直さだったと私は思う。しかしもう、日本のハイエンドオーディオにそういう正直さを受け入れるゆとりはないかもしれない。

少しでも高く、そして多く、今のうちに機材を売らなけれならないという空気が拡がっているようで、その流れを遮るものには容赦がなさそうだ。

この状況が長引くにつれて、顧客であるオーディオファイル本人さえ、正直な評価が読める喜び、それを受け入れる寛容を忘れつつある。これは初心を忘れたと言ってもいいかもしれない。

それは老いというものの一つの形にすぎないらしいのだが・・・。


実は、私が本当に危ぶむのは無批判な評論そのものではない。

そういう個々の無批判な文章に対して

無批判になってしまった読み手である我々の態度である。

日本のオーディオ界隈はまだそこまで劣化あるいは老化していないと

信じたいがもはや空しい。

それは私自身がもう老いていつか消え去るのを待つだからだ。

今、日本のハイエンドオーディオ全体にまん延する、どこかヌルい危機感、

そのヌルさの正体はなにかと考えれば、

私の言う空しさの意味はさらに深く理解できよう。

あのヌルさとは恐らく自分たちは逃げ切ったという、

私のようなバブル経験者の狡(ずる)い安心感なのだ。



ここらで二つの話を統合して決着をつけよう。

現代の日本のハイエンドオーディオについて

自分なりに出来ることがあるとすれば、

オーディオについて寛容と正直さを取り戻そうとすることである。

それらは若い人がハイエンドオーディオに入って行きやすい素地を作るのに役立つが、今足りていない要素でもあると思う。例えばアニソンを差別しない寛容(アニソン好きがJAZZを差別しない寛容も含めて)とか、ネガティブな意見でも率直に述べることができる自由な空気あった方が良いということだ

これは対立中の二人が冷静で理知的なディスカッションを、大人としてやりきる基礎が出来ることをも意味する。

(謝る前に、そういう対談を雑誌でやりたいと持ちかけるぐらいのバイタリティがあってよかったのでは)


おそらく寛容がなければ正直さも発揮できないし、正直でなければ、寛容の意味の半減するということがある。

これらはセットで必要なのだ。

我らとそれに続く者たちが、

いまここにある断絶を越え、押し寄せる老化と縮小を超えるために。



この文の表題の前半、Speak Lowとはジャズが好きなオーディオファイルなら誰でも知っているスタンダードの一節であり曲名である。

ビリー ホリディからボズ スキャッグスまで多くのシンガーが歌っている有名曲だ。

この部分の意訳は「愛を囁いて」となるのだろうか。

詩全体の大意は、

時は過ぎ去ってゆくものだから、

早く私に愛を囁いてというものである

そして、聖書にもあるとおり愛とは寛容を指すものでもある。

ここで私は、時は過ぎ去ってゆくものだから、

今こそ私達は寛容にならなくてはならないという意味を込めている

さらに後半のSpeak RawRawには「生の」という意味以外にも

不作法とか不器用という意味もある。

これは多少不器用であっても、正直でありたいという思いを込めた。

Speak Low, Speak Rawと二つ並べて書いてもLRの違いしかないが、

これは単なる繰り返しではなく、意味するところは浅くはない。

題として決して出来がいいとは言えないが、

いきなり硬くて偉そうな表題を書いて始めるよりはいいだろう。

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最後に告白しよう。

私はボズ スキャッグスの歌うSpeak Lowを聞きながら、冒頭に述べた、オーディオ雑誌の記事、あるいはそれに関してネット上に出ている呟き、やり取りを読み、上記のようなことを考えるに至った。

それにしてもこの曲は、いいオーディオで聞くと、

なかなかいい歌だし、いいサウンドだ。

ハイエンドオーディオシステムで、こういう歌を美しく聞く趣味が、

いつまでも日本で続きますようにと思って、私はここまでを書いた。

あとは目立たないよう、

ネットの片隅に、この個人的な考えを、そっと置いておこう。

誰か奇特な人がこれを読んで、微笑(わら)って許してくれることを願いながら。


# by pansakuu | 2018-06-23 20:01 | その他

一億円のオーディオを聞いて:私的ハイエンドヘッドホン分離派宣言

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「君は確かヘッドホンで音楽を聞くのが趣味とか言ったね」
「そのとおりです」
「君はきわめて愚かしい人間のようだ。
いかにも愚かしく見えるし、愚かしい趣味をもっている。
そして愚かしい目的を持ってここに来た」
「なるほど」と私は言った。
「私はたしかに愚かしい。
それが理解できるまで時間がかかったが」

レイモンド チャンドラーの小説のパロディより




詳細は差し控えるが、
最近、トータルで一億円近い価格になるオーディオシステムを聞いた。

今回の場合はそのリスニングルームにある機材全部、電源が入っているものも、入っていないものも含め合計して一億という意味ではない。リアルに信号が通って、スピーカーから音を出す機材の価格のみを合計して一億に近づいているというシステムである。ハイエンダーの方々にはお馴染みのあのメーカーこのメーカーの最新のフラッグシップ機をこれでもかと贅沢に組み合わせたシステム。私の知っているかぎりではあれ以上のラインナップは、あまり考え付かないくらいのものだった。あの広さのリスニングルームを作る費用を加えれば一億円を超える代物だろう。「億り人」などという言葉が誌面に踊る現代なのだから、一億などという金額は世間的には端金(はしたがね)なのかもしれぬが、それは高価格化するハイエンドオーディオの世界でさえ、ほとんど達することのない大台だ。
そこで、スピーカーからどんな音が出るのかと聞いてみると、それはもう素晴らしかった。特に音のスケール感と音の緻密さは特別なものだった。セッティングの苦労の甲斐あってかなり完成度が高い音になっているようで、仮に細かいところをさらに詰められたとしても、大筋でこれ以上の音は出そうもないと思われた。
こんな音は滅多に聞けるものじゃない。

だが、否定的な側面もあった。
部屋を含めて十分にチューンされた、総計一億円近くするスピーカーオーディオシステムというのは、やはりオーディオに求められる全ての要素において完璧であるべきだろう。しかし、実際に聴いてみると、なるほど全体として素晴らしいが、私が一億円の対価として望むような完璧さまでには達していなかった。
つまり、ここでは、高級なヘッドホンなら普通に聞けるような音のディテールが抜け落ちていた。私としては、一億円もかかるオーディオシステムはディスク、データに入っている情報を絞り尽くして、そのすべてを耳に届けなければならないはずだが、そこまではできていなかった。自分が普段聞いているヘッドホンシステムならば聞こえてくるはずの音の細部の情報がいくらかだが、明らかに欠けていたのである。
こうしてみると、
やはりヘッドホンとスピーカーの高いレベルでの棲み分けはできそうだ。スピーカーにしかできないことがある一方で、ヘッドホンにしかできないことがあるのがはっきりしてきたからだ。スピーカーシステムをいかに高度にしても、リスナーには聞こえない音が、ソースの中に入っている。リスニングルームという広い空間を伝播してゆくうちに聞こえなくなってしまう音があるようだし、逆にスピーカーに耳をくっつけて聞いて、健康問題にならないようなボリュウム位置ではスピーカー自体が本領を発揮しないだろう。スピーカーはある程度以上の大音量を出してこそ魅力が発揮できるし、ヘッドホンはそれよりはるかに小音量で、細かい音を丁寧に拾うのに適している。

少し話は変わるが、
この前、あるところで「凄い団塊臭のするシステム」という言葉が使われているのを見た。団塊世代の好む箱型大型スピーカーや巨大で重いパワーアンプを多重使いした重厚長大型のオーディオシステムを指したものだ。この○○臭とか言う言い方に、まさにネガティブな香りを嗅いだのは私だけだろうか。私にとって、ああいう大型システムに、機械の存在感・音を出していない時も含めた所有感を感じるだけで満足できた時代は過去にものである。
偉大な音楽芸術に対する敬意の表れという言い訳をまとった、大袈裟過ぎて滑稽なオーディオシステムに私はもう魅力を感じない。
もうそれはウエスタンの装置やJBLのパラゴン等のヴィンテージスピーカーで既に使い古された魅力であって、現代の豪華なシステムはその技術的な焼き直しである。
日本のアニメのキャラのステロタイプ、銃と剣(あるいは楽器?)を持った美少女に飽きてきたことを薄々自覚していながら、(そんな美少女はこの世にいないと知っていながら)まだそういうキャラの出ているアニメやゲームで自分を慰めている男たちと、現代のハイエンドオーディオにつかまっている老人たちには類似点がある。両者とも最新のモノに接しているつもりだが、実は激しく時代遅れなのだ。
ポストモダンといわれて久しいが、あの単純な進化史観からの脱却から生まれたカオスは過去の遺物たちを着実に葬りつつある。
だから私は多少違和感があっても、新たなオーディオに向かって行かなくてはならない。
私は過去の亡霊が現代に生きつづけることを否定しないが、このままではオーディオに未来はないと思っている。ずっと言い続けていることだが。

私は昼に夜に、様々な場所に出掛けたり、誰かから機材を借りたりして、ヘッドホンサウンドの限界を突き詰めようとしている。そこで得られた経験は、優れたヘッドホンを使えば聞こえるが、スピーカーをつかう限り、たとえ調整された一億円近いスピーカーオーディオシステムからさえ、聞こえてこない音があると私に教えている。
私の思うスピーカーオーディオの欠点を視覚的に捉えたいなら、広大な自然の風景を眺めている人を想像するとよい。スピーカーで音楽を聞くことは、眼前に雄大な景色を前にしても、その中に肉眼では見えないディテールが沢山隠されていることを知らないようなものだ。私が今まで見たなかで最も美しい風景、あのガイランゲル フィヨルド(イメージの湧かない方はNice boat!で背景に出ていたソグネ フィヨルドを想像してもらってもいい)の雄大な景色を現地で眺めても、肉眼では遠い対岸の木の葉一枚一枚が風にそよぐ様子まで細かく見えるわけではない。Nikon WXシリーズのような優れた双眼鏡があれば、広い視野を保ったままで、もっと深く景色を楽しめるのに・・・。オーディオにおいて、あのような強力な双眼鏡と同じ役割を果たすのが、例えばFinal D8000+Re Leaf E1にハイエンドDACをかませたヘッドホンシステムということになる。優れた双眼鏡が人間の視覚を強化・拡張するのと同じく、優れたヘッドホンシステムは人間の聴覚を強化・拡張する。
ヘッドホンシステムは、そういう微細な部分の集合体を一つの完結した世界として聞かせることができる機材になりつつある。それはディテールを緻密に蓄積して描かれた小さな絵画作品のようなものだ。別な言い方をするならハイエンドスピーカーからは聞こえないミクロなサウンド ワールドがあり、それらをすくい上げることのできる目が細かく、しかも十分に大きなオーディオの網が完成したようなものだ。無論、一億円のスピーカーシステムが持つ音の限りない余裕や拡がりのようなものは、このシステムには期待できない。少々重たいものを頭にかぶらなければならない煩わしさもある。だが、それらはシステムの価格差から考えれば十分に納得できる欠点だと思う。私が今使っているヘッドホンシステムなどは高々トータルで600万円程度のモノである。一億と600万との隔たりはかなり大きい。
なおここでは、ヘッドホンの別なメリット、すなわちリスニングルームの音響をあまり考えなくてよいだとか、周囲からの騒音のクレームを気にしなくて良いものだとかいうことはあえて主張しない。私はたとえ完璧な音響特性と防音を持ったリスニングルームのオーナーだったとしても、優れたヘッドホンシステムには存在価値があると考えているからだ。
まあ、こんなこと言っても、一億円のシステムを構築できる人にとって、あえてヘッドホンオーディオを選ぶなどという行為は愚かとしか映らないだろう。これは孤立した見方であり、未だ多くを占める保守的なハイエンドオーディオファイルの賛同を得られないと思う。しかしこれは事実であり、見ようによればむしろ賢いオーディオへの散財の仕方になりえる。


ところで、
万策堂は言うまでもなくフィギュア好きである。(他人の趣味をdisる権利はないな。)私のブログを読んでいる人は、私が掲げる写真の中にフィギュアが時折出て来ることを妙に思うらしいが、これはヘッドホン関係のブログという趣旨に合っている。最近のホットトイズの1/6フィギュアのコンセプトは結構、ハイエンドヘッドホンのコンセプトに似ているからだ。(まあ、これはそもそも自分が映画大好きであるというところから始まっていると考えるのが筋ではあるが。ホットトイズのフィギュア好きは基本的に映画好きでないと)
最近のホットトイズなどハイエンドメーカーの1/6フィギュア、その最新作などを見ていると、実際の人物をそのまま六分の一に縮小したようにしか見えない。
一方、最近のハイエンドヘッドホンから聞こえる音も実際の録音現場で聞こえる音を正確に縮小して聞かせているようなところがある。ここには録音現場の精密な模型を拡大して眺めているような感覚がある。
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これは数年前に香港のホットトイズが映画パイレーツ オブ カリビアンでジョニーデップの演じるジャック スパロウのフィギュアを、それまで有り得なかったクオリティで量産したことに端を発している。全体のプロポーション、版権を取ったデップの顔の表情の豊かさ、肌や目のペイントの質感の確かさ、アクセサリーの充実。1/6に本人をそのまま縮小したとしか思えない不思議な感覚に襲われる製品であって、そのリアリティに当時はかなり驚いたものだ。あの忘れがたい驚きは、初めてAK380やFinal D8000のサウンドに接した時の驚きとよく似ている。
日本はフィギュア大国であるが、その多くは日本でしか公開されていないアニメ作品や日本語でしか読めない漫画のキャラクターのフィギュア化である。これらのフィギュアには明らかな欠点がある。漫画やアニメのキャラは肌に質感がない。目や眼筋の表情にリアルなディテールがない。現実の、あるいはマーベルなどを中心としたSF系の実写映画の中のキャラクターには、たとえつくりものであっても、皮膚の微妙な色彩変化、ほくろや小さな色素斑、身長や体格の違いなどの細部が備わっている場合があり、そのフィギュアは漫画やアニメのキャラから出来たフィギュアよりもはるかに情報量が多くなる。ホットトイズのフィギュア、あるいは私が時々試みるカスタムフィギュアはスクリーンの中にしか存在しないものを実物にかなり近い質感を持って眼の前に立体的に描いて見せる。
これはもう経験しようのない過去の演奏をミニチュアながら、極めて精巧に聞かせるハイエンドヘッドホンの音像に類似する。
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いつも原稿を書いているノートパソコンの周りにはいつも大量のフィギュアがあって、私はそれを眺めながらキーを打つ。こういう異常な没入感を誘い出す触媒のようなものが文章を書くときには必要だと思う。またたこれらが備えている膨大なディテール、質感は映画館のスクリーンやホームシアターのディスプレイの中で動き回るキャラクターにいくら目を凝らしても、捉えきれないものである。人物の精密模型としてのフィギュアはもはや通常の玩具の域を超えて、私の目にしっかりとその細かな印象を焼き付ける。このハイエンドフィギュアというアングラなカルチャーを嗜むことはヘッドホンで音楽を舐めるように聞き尽くす行為と相似する。

変な趣味の話はどうでもいい。

これまでオーディオにかけた年月の中で、現代において究極と思われるスピーカーシステムをいくつか聞いてきた。そのことは私のオーディオ観に大きな影響を与えている。それはまた聞かせてくださった方々への敬意と感謝へと素直に繋がる側面を持ってもいる。反面、そういうスピーカーの世界とは分離独立した、新しいオーディオの世界、ハイエンドヘッドホンの世界が今は必要だと思っている。
この世界はハイエンドオーディオが実質衰退する中で起こるべくして起こったイベントであり、まさに生まれるべくして生まれた世界なのである。
こういう極限に至ったスピーカーシステムを聞いたことを区切りとして、
私はスピーカーオーディオから分離した派閥、
ハイエンドヘッドホン分離派に自分が居ることをはっきりと表明する。
今やハイエンドヘッドホンは諸々の理由でスピーカーが使えない場合の予備、やむをえない第2の手段としての位置づけを離れた。これからハイエンドヘッドホンはスピーカーと轡(くつわ)を並べオーディオの荒野を駆けてゆくだろう。
これはハイエンドオーディオの新しい顔であり、もう一人の主役である。
新参の脇役が主役を食っているドラマを時に見るが、
現代のオーディオではそういうドラマが始まっているらしい。

もちろん、私がこうして叫んでいるハイエンドヘッドホン分離派の「分離」という言葉の意味はスピーカーオーディオに対する意味に留まらない。むしろ、私の求めるスタンダードに至っていない、いわば志の低いイヤホンやヘッドホンにも向けられる、高慢で不遜なニュアンスも持っている。高価でさえあれば、どんなヘッドホン・イヤホン、ヘッドホンアンプでもこの派に入れるわけじゃない。値段は関係ない。その開発のねらいと出音の水準が、スピーカーではできないなにかにタッチできているかどうかが判断の基準となるだろう。
実際のところ、音に対する感受性や良し悪しの判断基準は人によって千差万別なのだから、結局はリスナー一人一人が自分の心の内だけで決めるべきだ。
つまりひとりひとりのヘッドフォニアの中にこの宣言、この派閥の存在意義はあるだけだ。ハイエンドヘッドホン分離派の頭に「私的」と付けたのは、これ自体が私一人が叫ぶ、愚かに孤立した宣言であるという意味合いも含まれている。まあ、いつも私的と付けるのがクセというか、保険のようなものなのだが。

こうして物理的にはともかく、心情的にはますますスピーカーから遠ざかってゆく自分を客観的に見つめると、いままでスピーカーから受けてきた恩のようなものを感じて後ろめたくもある。私にスピーカーを売ったり、また私に自分のスピーカーを聞かせてくれた人たちの情熱と親切を裏切るような物言いは慎むべきだろうか。またこれはスピーカーオーディオの世界から自分が追放されることも意味するのかもしれない。だが、一億円を出そうとも、スピーカーオーディオにはできない何かがヘッドホンにはあるらしいという事実を知ったとき、自分のオーディオのため、過去のしがらみを棄ててヘッドホンの未来に賭けよという声を聴いたような気分になった。

このごろ私は仕事で地方の町に出掛けて、東京に帰ってくることが多い。
その帰りの電車の車窓から日本の街々を眺めていると、人影の途絶えた日本の地方都市から、若い人々が集まる賑やかな首都へ、自動運転の電気自動車に乗ってゆくというような日本の未来が想像される。そうなる頃には、行く先や経由地を無音声入力で告げ、その代金をビットコインで払うのだろうか。このような一連の未来予想図は、私のような古い人間にとってはやや不確かで、どこか不安な将来ではある。だが、これはもはや良し悪しの比較ではなく、常に更新されてゆく世の中の逆らえない流れだろう。紆余曲折を経て、状況が変わってゆくことは避けられない。好むと好まざるとに関わらずオーディオも時代につれて変化するものであり、それを使う主体である我々も、それに対応して変わってゆく。ハイエンドヘッドホン分離派とはそのような変化の中で生まれた、愚かしくも新しきオーディオの一派なのである。

また、日本はこれから冬の時代に向かってゆくと言う人がいる。
人口が減少し、高齢化し、
優位を誇っていた経済規模や技術の面で世界に後れを取り始めているからだ。
しかし日本人には洗練された自由の精神がまだある。
それはこれから誰も知らない新しい時代に世界を導いていくことだろう。
バブル期のように豪華なものばかりがもてはやされた時代は去り、
スマートで合理的であることが至上である時代がやって来る。
この傾向はこれからのオーディオ、
そしてヘッドホンの世界の雰囲気にも重なる。
それは冬のイメージではなくむしろ、
私たちが経験したことのない夏の時代の到来を思わせる。
確かにそれは少々寂しい枯れた夏なのかもしれないが。
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昨日は小袋成彬の「分離派の夏」というアルバムを聞いていた。
これは私の今の気分にぴったりな音楽だ。
すこし青いところも含めて。
この音楽は、孤立することが不幸せでなく、
むしろ静かな幸せとなりうることを謳う。
(心身ともに健康ならば、という条件つきだろうが)
そういえばオーディオも、
あくまで個人が音をどう感じるかが全てである。
オーディオは極めて個人的な趣味であり、
他人とは共有しがたい部分が多い。
この歌を聞いて、そこらへんを思い巡らすうちた
私はこんな混乱した散文を考えつき、ふざけて書いてみた。
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この宣言が虚構であろうが、無意味であろうが、
既に出来上がった集団から離れ、
孤立を愉しむ静かな夏はきっとやって来る。
そこにも私の居場所があることを祈る。

# by pansakuu | 2018-05-24 22:34 | その他

Aurora sound VIDA supreme フォノイコライザーの私的インプレッション:始まりはいつも

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初心者は初心者用を使うべきではない。
荒井 浩二編「無名の人の言葉」(私家版)より


Introduction:

私はこう聞いている。
デジタルファイルばかり聞いてきた若いオーディオファイルに、
いきなりLPを持ってきて聞かせても
彼らはそのサウンドに、
あまり良い印象を持たないことが多いと。

彼らにとって、アナログサウンドはあまりにもノイズにまみれ過ぎていて、
肝心な音楽本体はそのノイズの叢(くさむら)の中に
ちらちら垣間見る程度になってしまうからだとか。
確かに、安価なアナログプレーヤーや
掌に乗るほどの小さなフォノイコなんかで、
古くてクリーニングのされていないLPを聞かされているとそうもなるだろう。
そんな装備では、それなりにアナログサウンドに慣れていない限り、
コレジャナイ感が半端なく強くなってしまうはずだ。
一分の隙もなくクリーンで無機的なデジタルファイルで、
打ち込みのアニソンを聞いてきた彼らにとって、
これでは聞けないという話になるのは当然かもしれない。

だが今なら、
デジタルファイルとまともに対置できるほどのアナログを聞くことも不可能な話ではない。
ただ、そのためには状態の良いレコード、優れたレコードクリーナー、
ノイズが少なくワイドレンジなカートリッジとターンテーブル、
そしてフォノイコへの投資が要る。
特にフォノイコは音質を決定する重要な要素となるだろう。
しかしアナログに関するモノがあふれている今であっても、
誰にでも薦められるフォノを見つけるのは容易でない。
機材がやたらと高価だったり、
重量や占有面積、構成が大規模過ぎては
多くの初心者には薦められないからだ。
例えばコンステレーションのペルセウスなどは第一、高価すぎるし、
ああいう大柄な2筐体構成も好ましくない。
また、あの忌々しいタッチスクリーンを思えば、使い勝手もよくないと言える。
これではいくら音が良くても多くの人に紹介できるような代物じゃない。
それに、音にも独特の雰囲気があるから好みは分かれる。
一般に高級なモデルになればなるほど、
音の独特さは付き物となるから、好き嫌いは出やすくなる。
実際、私のペルセウスを聞いた人達の評価はまさに賛否両論である。
こうなると高級だからと言って誰にでも推すことにならない。
かといって下のモデル、例えばコンステレーションだとアンドロメダなどは
肝腎な音の質的レベルがコストに比して明らかに中途半端であり、ますます薦めない。
理想的には100万円以下で音質が十分に良く、
クセの少ない出音、
そこそこコンパクトで使い勝手の良さが光るフォノイコがいいと私は考えている。
今回のコラムはその条件にピタリとハマるフォノイコ
Aurora sound VIDA supremeについてである。


Exerior:

Aurora sound VIDA supreme フォノイコライザーが入っている段ボール箱は
それなりに大きなものだが、押し入れに入らないほどでもなかった。
私は元箱は必ずとっておく主義だから、
物置に簡単に置けないような大きな元箱が必要な機材は決して買わない。
その意味でこいつは一応、合格とさせていただく。
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箱から出してセッテイングすると、予想したよりやや大きめで重たいフォノイコであった。
だが、ペルセウスよりは明らかに小さいので良しとする。
筐体は白黒ツートンカラーの厚いアルミを組み合わせたもので剛性が高い。
足は4つあり円筒型の金属の底部にフェルトのような材質のシートが貼り付けられている。
このフェルトのようなものにはゴム足のような滑り止め効果はなく、
ケーブルを抜き差しすると比較的簡単に筐体の位置がズレてしまう。
ここはどうもね・・・。
気を取り直して全体を眺める。
まず、このフォノイコの特徴のひとつはモジュール式の構造をとっていること。
この設計は世界中のフォノイコを眺めまわしても珍しいものだ。
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つまり標準で装備されるMM入力と低インピーダンスのMC入力の他に、追加でハイインピーダンスのMCカートリッジ用のモジュール、12段階のインピーダンス切り替えができるMCヘッドアンプモジュール、DACのアナログ出力を入力して“アナログ風”のサウンドとして出力する逆RIAAフィルターモジュールが別売りされている。なお今回のテストでは主に低インピーダンスのMC入力と12段階のインピーダンス切り替えができるMCヘッドアンプモジュールを使用している。これ以外に逆RIAAフィルターモジュールも面白そうなので試したが、別に感動しなかった。これは私個人はなくても困らない。
これ以外にRIAAカーヴ以外の補正カーヴに合わせることができるモジュールがそのうち発売されるらしく、そっちの方が魅力的である。
とにかく、モジュラー形式になっているというのは拡張性において大きなメリットがある。アナログでは何本ものアーム、何基ものターンテーブルを駆使するマニアも少なくないが、そういう方にはかなり魅力的に映る機材だろう。私は12段階のインピーダンス切り替えができるMCヘッドアンプモジュールを2つ増設してアーム3本体制で臨むことを考えている。グランツやSATなんかのアームを想定しているのである。またテクニクスのSL-1000Rを買うという選択枝も考えている。(アームまでついて、あの価格で収まるダイレクトドライブターンテーブルとは大したものだと思わないか、諸君!)
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また天板には二つ小窓がついているが、これはモジュールが正しく挿入されるているか、目視で確認するためのもの。通常のモジュール式機材は内部にレールがあってそれに沿って挿入すれば正しく装着されることになっているものだ。だが、このフォノではあえてレールを廃し、小窓から見ながら確実に挿入されていることを確かめるようにした。通常のモジュール式プリアンプなどで意外ときちんと挿入されたはずなのに、接触が悪いため音が出ないなどのトラブルがある。これはこの手のトラブルへの反省から生まれた方式である。レールがあるとユーザーはレールに頼りがちになるが、あくまで確実な接触があるかどうかは、目視で確認すべきという考え方だ。
ユニークだと思う。

入力された信号はアンプ内部において専用の基板上にモジュール化された増幅回路に導かれる。オーロラアンプモジュールと呼ばれるこのセクションは、この機材のコアとなる部分であるが、ここにテキサスインスツルメンツ製のオペアンプLME49610を使っているのが面白かった。これは確か2008年頃に発売されたパーツだったと思う。多くのアンプで使用例があるが、素直な音質で概ね評判がいいのである。オーロラアンプモジュールは基本的にディスクリートのアンプだが、一部はオペアンプをも使うという、適材適所な設計ということらしい。このオペアンプをフォノに使った例を知らなかったが、なかなか渋い選択だなと思った。

出力にはRCAシングルエンドとXLRバランスがあり、どちらかを選択して使うことになる。両者の同時使用はできない。
私の場合、フォノはターンテーブルの間近に置いて、フォノケーブルの長さをなるべく短くした方が音がいいと思っている。また他方では、ボリュウム操作をするプリは手元に置きたい。そうなると自然、フォノとプリの間に長いケーブルを引きまわすことになる。長い信号の引き回しとなるとやはりXLRケーブルを使いたくなるから、できるだけXLR出力のあるフォノが欲しいのだ。
しかし、現代でもXLRバランス出力がないフォノが多数見られる。これは信号の引き回しの問題のみならず、これだけXLR入力のあるプリが多くなった現状にも合わないと思う。一部のフォノイコライザーのように同社製のプリアンプを接続相手として常に想定しているような場合は仕方ないかもしれないが、プリアンプを開発せず、アナログ機材だけというメーカーもあるから、他社製の機材と組み合わせることを常に想定して欲しいところだ。
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また、実物をハンドリングするとすぐに分かるのだが、このVIDA supremeは内部回路と電源はほぼ完全なデュアルモノ、そして電源部は別筐体というスペシャルな構成である。別筐体の電源は箱一個だが、中に二つの電源が内蔵されている。
高音質を目指すためフォノイコとして何をやるべきかと考えて、知られている定石をほぼ全て押さえた回路設計、筐体構造、パーツ選択をやったフォノである。これが海外製であれば、日本国内では200万円オーバーで販売されるようなものだろう。はっきり言ってコスパは高い。また製造元のオーロラサウンドの機材は故障が少なく安定しているとも聞く。万が一故障しても製造国は日本であり、修理で面倒な本国送りということにはならない。それらの意味でも音は凄いが動作がやや不安定な海外製のスーパーハイエンドフォノに比べてメリットが大きい。
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フロントパネルを眺める。
一番目立つのは左端のLED付きの大きなミュートスイッチである。これは実際にアナログを扱う上でとても便利なものであり、他のメーカーも見習ってほしい。
レコードをかけ替える際に必要な、針の上げ下げという作業は、アナログオーディオでは最もありふれた操作であるが、危険な動きでもある。常に注意深くミュートをして操作を行わないと、スピーカーを壊すかもしれない。また、それ以前に針の上げ下げの時に出るノイズがとても無粋で、機材の操作にユーザーが習熟していない印象を強くさせ、まずみっともない。私はお客がいなくて、一人で聞いている時でもスピーカーからボンボン音がすると自己嫌悪に陥る。このスイッチはそういうちょっとしたトラブルを防ぐのに有効だ。
かなり高級なフォノでも、ミュートスイッチがどこにあるか、どう操作するかが分かりにくいものもあるし、実は装備されていないというフォノも結構ある。ミュートのないフォノを使う場合はプリアンプでミュートをかけるのだが、往々にして忘れがちになりやすい。Vidaのように大きなミュートスイッチがあり、押すと明るく光るようになっていると、事故の頻度は下がる。

その他、フロントパネルではカートリッジの消磁、サブソニックフィルター、ゲインの切り替え、入力切替が操作可能である。カートリッジの消磁はともかく、サブソニックフィルター、ゲインの切り替え、そしてミュートスイッチは個々のレコードの状況に応じて必ず調節する必要があるように思うので、できるだけフロントパネルについていてほしいと思う。ところがこれらが全然ついていなかったり、直感的に操作できなかったりするフォノがある。
個人的には、ここにさらに入力インピーダンス切り替えがあっても良いような気もするが、それはリアパネルにある。メーカー側は音質のために、フロントパネルではなく、リアパネルの入力端子直近に入力インピーダンス切り替えがあった方がいいと考えたらしい。
また、それぞれの入力に対応するカートリッジのインピーダンスの最適値を一度決めたら、それはあまり動かさない人が多いともメーカーは考えているようだ。事実そうかもしれない。
一つのアームでカートリッジをとっかえひっかえするのは、その都度調整が必要になるので便利ではない。やはりアームとカートリッジはペアとして考えてセッティングするのがいいのかもしれない。一つのターンテーブルに対してダブルアーム、トリプルアームとして、使うアームとカートリッジのペアからの出力をフォノのセレクターで選択して使うというのが理想的だと思う。このフォノは最大でMC3系統、MM2系統の計4つの入力を持つことができるから、そういう使い方ができるはずだ。

今回の試聴ではIkeda 9TPというカートrリッジやThales Simplicityを使っているが、その他に新しいレコード用のスタビライザー、つまりレコードの中心を押さえる重りが出ていたので、ついでにテストさせてもらった。これはTechDasのUlitimate Stabilizerという製品で、この手のグッズとしてはあきれるほど高価ながら、実力の高さからアナログを嗜むスーパーハイエンダーたちが次々に導入を決めているという代物である。
実際これで一章を書いてもいいような存在感のある品物だが、面倒だし売れすぎても困る気がするので、ここに簡単に書いておくのみとする。
これは40万円もするレコード用のスタビライザーだが、50万円のケーブルやアンプよりは出音に対する影響力がある。
実物は異常なほど比重の高い材質であるタングステン合金を精密加工したウェイトにすぎないのだが、その硬度などから製造も異常に困難らしい。現在のところ、日本でしか製作できないようだ。
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例の如く、当初は40万のスタビライザーなんてありえないと思って疑いを持ちつつ聞くが、
見事に返り討ちにあってしまうパターンである。私はこのメーカーの前のモデルを愛用していて、そちらの音の良さも知っているのだが、あまりの差の大きさに顎が外れるかと思った。これを自宅試聴して、買わないでいられる人はよほど自分の感情を殺すのが上手いとみえる。とにかく音が良いとしか言いようがない。


The sound:

これはスッキリと爽快なアナログサウンドである。
そしてクセが少なく、飾り気がない音。
ただし、飾り気はないが、
飾り気がないことを殊更に主張しようという気構えが感じられる、
どこかあざとい音とは違う。
某A社の機材などがそうだが、
ああいう機材は徹底的に余計な音を削った結果、
幾分、つまらない音調になっているかもしれない。
そういう質素さを押し付けるような感じが私にはあざとさと映る。
そういう田舎料理みたいなサウンドが気に食わないのだ。
一方、このフォノには、そういう罠に落ち込まないような巧みな音作りがあり、
聞くたびに程良い満腹感、感覚の充足が感じられて好ましい。
これは、このクラスのフォノとしては贅沢で大規模な設計であることが影響していると思う。VIDA supremeは以前に挙げたハイエンドフォノ四天王あるいはGE-10のような度外れな快楽をもたらすものではないが、
ああいうものに飽きて、もうちょっと普通の音が聞きたいという方には向いている。
毎日聞くフォノはこういうものがいい。
もう本当に高いものから安いものまで散々フォノイコを聞いてきた私が言うのだから間違いない。

ところで、オーディオの試聴というのは謎解きのような面がある。
一聴してごく普通だが、どこかそれだけでは済まない、
ただならぬ音の雰囲気、謎のめいた音の香りがあると感じたなら、
ボリュウムを上げたり下げたり、LPをいろいろとかけかえて見たり、
設定をいじってみたりしてみるといい。
そうやって機材を試すとその謎が解ける時がある。
あえてシステムに僅かながらストレスをかけることで、
その真価を探ろうとする試みもそれにあたるだろう。
VIDA supremeはそんな謎解きに手を出してみたくなる、
普通なのに普通じゃないような雰囲気をまとっている。

まず針を上げたままで音量を一杯に上げてみる。
スピーカーからはフーという僅かなノイズが聞こえるだけ。
次に大きなミュートスイッチを押したうえで針を落とし、針先が盤に乗ったらミュートを解除する。
ハウリングがないことを確認しながら、徐々にボリュウムを上げる。
これは500万円のペルセウスのSNとそれほど遜色ない背景ノイズのレベルだ。
真空管を使わない、現代の最新鋭フォノイコであるVIDA supremeのSNはかなりよい。
私はオーテク製のチープなフォノイコを機材の故障時の予備あるいは原因究明用として持っているが、あれだとこの時点で結構なレベルのノイズが出ているはずだ。この手のよくあるコンパクトで手軽に使えるタイプのフォノイコとは比較にならないほどクリアネス、それがVIDA supremeのサウンドの特徴だ。一般的なハイエンドオーディオのフォノであるLuxmanやOctaveの単体モデル、あるいはさらにその上かもしれないPhasemationのフラッグシップと比べても優位性を感じる。最近聞いたEsotericの最新フォノもSNの良さが印象的だったが、あれと同等のレベルだと思う、さらにセッティングを詰めてやれば、SNはもっと良くなるかもしれない。VIDA supremeは電源を別筐体にし、回路に高品質なパーツを厳選して実装しているが、その構成や手間が音にそのまま表れている。

次にレコードを回して、徐々に大音量で聞いてみる。今回は最後には数軒隣から苦情が来てもおかしくない位の大きな音を出すつもりでやる。こうしないとアナログシステムの限界は見えにくい。
ここでは左右にパッと広がった見通しのよいサウンドステージが何の苦も無く現れる。これはチャンネルセパレーションの良さの表れである。このゆとりある音場の広がりは格上のスーパーハイエンドフォノに負けていないと思う。ここでも回路構成、すなわち左右別の電源、左右別の回路基板というコンストラクションが効いている。また音場の中の音像の遠近は明瞭であり、そしてその位置関係は常に安定している。こういう音を定位の良い音と私は考えている。
ダイナミックレンジやカバーする帯域の広さやバランスも、市場にあるフォノイコたち多くより優れているだけでなく、巷のデジタルファイルプレーヤーの出音と比べても遜色のない特性を持っていると思う。現代のアナログサウンドとして模範的だと思う。

音色としてはカラフルで派手な方ではなく、視覚的に喩えるなら精彩なモノクロームの写真を思い起こさせる淡白な音である。だがソフトフォーカスな昔のモノクロ写真というイメージは持たない方がいい。ライカモノクロームと50mmのアポズミクロンのコンビで撮影されたようなシャープで克明な像が立体感や遠近感をもって提示される。
このフォノの音調の特徴を味覚で喩えてもいい。例えばワインの味だと辛口でアッサリしたブルゴーニュの白ワインであろうか。このフォノの音味はボルドー産の赤ワインと聞いて舌の先に現れるような馥郁とした味わいとは異なる。ああいう妖艶でまったりとした気分はEARやBurmesterなどの欧米のフォノのサウンドに通じるもので、端正さを旨とする日本製のフォノのサウンドにはあまり出て来ない風味だ。
またコーヒーで言えばネルドリップで淹れた濃厚な苦みを前面に出したコーヒーよりは、またオープンで明るいサードウェーブ系のカフェでお洒落なバリスタが慎重に落としたペーパードリップのコービーの風味に近い。それは最近出てきた新傾向のコーヒーのように、意図的に浅い焙煎からくる爽やかな果実味や軽い甘味を持った音である。

また、VIDA supremeのサウンドでは、音の細部が精巧な木彫りのレリーフのように立体的に、しかもアナログサウンドとしての滑らかさを保ちながら明瞭に表現されるのが特徴でもある。このような側面は回路にルンダールのトランスを組み込んだことによって強まったのではないかと私は思う。このトランスは楽音の変化に対するスピード感や個々のパートの分離を保ちながらも、出音に豊かな表情を与える。滑らかさと明瞭さの両立はその表現の豊かさの表れなのだろう。このような控え目な“旨味”の要素はデジタルと並列してアナログを導入する理由となる。

このサウンドを聞きながら私は現代的なアナログオーディオの感性をこのVIDA supremeの音に見出して喜んだ。昔風の音を出すのはヴィンテージの機材に任せておけばよい。あれはあれで究極に近い完成度を持っており、いまさら同じ方向性でやろうとしても無駄だ。私にとっては、ヴィンテージの機材が得意ではない、新しい北欧ジャズや打ち込みの多いポップス・アニソンに即応する態勢をVIDA supremeがもっていることに意味を感じる。最新のアニソンも今はアナログレコードで聞ける時代である。名盤 Pure AQUAPLUS LEGEND OF ACOUSTICSのアナログ盤を私はお茶の水のJAZZレコード屋で目撃した。そんな時代なのだから、こういうフォノは必要だ。
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アナログというと、デジタルに比べて特性上で劣る部分を、それを音の独特の味わいで補って聞くような場合が未だに多いと思うし、そういう美しい不足感があってこそアナログだと考えているファンすらいる。だがデジタルファイルやストリーミングで聞く新しい音楽がこれだけある以上、そういう音楽に対する不応性を手放しで認めるわけにはいかない。また、私にはそういう音楽をアナログによって定義しなおしたり、別な視点から眺めたりするためにアナログをやりたい気分もある。デジタルだけじゃ飽きてしまう。私のアナログは音楽に新しい解釈を与えるためのアナログという側面も持っている。

以上は通常私が使っているレコードスタビライザーを使って得られる音質についてである。
ここでさらにUltimate StabilzerをLPにのせてみよう。
相当な音の差が生まれる。
音の重心がグッと下がり、音の表情の彫りが深く、さらに立体的になる。低域の解像度は上がり、定位がさらにしっかりとする。このスタビライザーはあまりにも重たいので盤の上に落としたら悲惨なことになりそうだが、そういう危険があっても買わずに済ませられるようなものじゃない。
まあ、これはそのうち買うだろう。

最後にUltimate Stabilzerは載せたまま、ヘッドホンアンプにつないでヘッドホンで聞いてみる。
私はずっと自分のヘッドホンシステムの中にアナログオーディオを取り込みたいと考えてきた。
さっきの話とは矛盾するかもしれないが、
アナログレコードで聞いて面白いジャンルとして1950年代から1980年代以ぐらいまでのJAZZがある。これらの多くは夜の雰囲気をまとっているため、深夜に聴くとしっくりくるのだが、如何せん深夜に大音量は禁物である。これは防音室と呼ばれるものを持っていても実は同じで、本当に周りが静かになってしまうと、かすかでもしっかりと音漏れがあるものだから、周囲の人々の理解がなければ、うっかり本当の大音量は出せない。それにひきかえヘッドホンはその危険はほとんどない。しかも今はFinal D8000という素晴らしいヘッドホンがあり、これはかなりスピーカーに近い感覚で、音楽を楽しめる機材である。Final D8000で昔のレコードを現代的な音質で聞くというのはマイブームである。
実際にやってみると、これはかなりワクワクさせられる体験である。夜中に目の前で繰り広げられるジャズの巨人たちの演奏を周りに気兼ねなく楽しめるというメリットがある。
Thalesアナログプレーヤー、VIDA supremeとUltimate Stabilzer、Re Leaf E1x、Final D8000らで構成されるシステムはSN、ダイナミックレンジ、帯域のバランス、音の解像度、全体の音の雰囲気など様々な点でかなりの高得点を稼げる。

なお、このメーカーのフォノイコの下位モデルであるVIDAも聞いたことがあるが、
VIDA supremeは、あれとは全く別物であると考えてもらってよい。
音質上は全ての点でVIDA supremeが価格から予想される以上に向上している。
レコードらしい生々しい再生音という点では共通項を持つが、下位のVIDAは音がシンプルすぎると思う。逆に言えばあれが普通のアナログに親しんできた人たちがアナログに期待する音だと思う。しかしあれでは初めからデジタルサウンドしか知らない人々には通用しない可能性がある。



Summary:

先日、或る試聴会に行った。
それはCDからデジタルファイルをリッピングする際、
リッピングに使うCDドライブのグレードにより、
得られるデジタルファイルの再生音質のグレードが異なるという
一見して受け入れがたい事実を、実際に体験しようという会だった。
当然のことながらリッピングに使うCDドライブの種類により、
再生されるファイルの音質に違いがあった。
もちろん私はそのこと自体に別に驚きを感じなかった。
それよりも、
やっとこのことについて、真剣に考える人が増えてきたらしいことに驚いていた。
実際のところ、どれくらい皆が驚いているのか、
見定めるために会に参加したと言ってもよいほどだ。

私は数年前にプレクスターのCDドライブと他のドライブを
リッピングデータの出音で比較していて、
この事に気付いたが、
リッピングされたデータの0101の並びは同じなのに
どうしてこのような差が出るのかは当時、説明が出来なかった。
最近、かないまる氏の懇切な説明を読んで、
ある程度納得したと同時に困惑をより深くした。
つまりPCオーディオとかネットワークオーディオとかいうものの闇は
それが登場する以前のアナログオーディオや
CDプレーヤーによるオーディオのそれと同等か
あるいはそれ以上に深いらしい。
私の記憶が正しければ、
PCオーディオとかネットワークオーディオとかいうものは、
それ以前のオーディオが抱えていた奇妙なしきたりや複雑性を取り払い、
既にこんがらがっていた、CD・SACDシルバーディスクによるデジタルオーディオという様式を
単純明快かつ安価なものに立ち返らせる救世主として迎えられたはずであった。
ところが今になって、
音楽データがメモリから読み出される時のノイズが
DA変換のクロックを揺らし音質を害すると、
かないまる氏は言うのだ。
つまりデータがアナログ出力されるまでの経路に、
素人どころか玄人もよく知らない物理的過程が潜んでいて、
音質を密かに悪くしているらしい。
おそらく、これは一例に過ぎず、
このようなシステムに内在する罠は
かないまる氏が指摘しているもの以外にもあるのかもしれない。
少なくとも私には、もっと多くの厄介な複雑さが
PCオーディオとかネットワークオーディオには潜んでいる予感がする。
試しにPCの内部構造を詳しく検分してみるといい。
アナログプレーヤーや単体のCDプレーヤーよりも遥かに入り組んでいるし、
そこに走るプログラムもまたずっと込み入ったものであって、
音質を害する罠が仕掛けられている余地はより多いと見積もることができる。
私の場合、
テレガートナーのスイッチングハブM12 GOLDを組み入れたシステムを聞いたときに、その予感を強くした。
あのハブの音の良さを、
ある評論家の方はネットワークオーディオの伸びしろと受け取ったようだが、
私にとってそれはデジタルファイルオーディオが、
新たな複雑さ・煩わしさを曝け出した瞬間でもあった。
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ミイラ取りがミイラになるように、
デジタルファイルを使ったハイエンドオーディオは、
それ以前のオーディオと同じく、
細く曲がりくねった見通しの悪い道に入って行こうとしている。
かくしてユーザーフレンドリーなはずの
PCオーディオ・ネットワークオーディオは
音質を深く極めようとすればするほど、
分かりにくく、とっつきにくくなっていく。
人間が頭を使わされるということは
決して無料ではないと考えている私にとって、
これは見過ごすことのできない話である。
私はもっと単純かつ楽に高音質を実現したい。
余計な頭を使わずにシンプルにハイエンドオーディオをやりたい。
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それにひきかえ、かつて面倒と言われていた
アナログプレーヤーシステムの取り扱いはむしろ楽に感じられ、
機材の選択さえ誤らなければ音質もかなりよい。
とにかくアナログは単純かつ明快なのである。
アナログプレーヤーについては、
最初のセッティングはPCやネットワークのそれと異なり、
肉眼や触覚、あるいは水平器や針圧計などで
その中身を確認できる感覚的なものだし、
ひとたびセッテイングしてしまえば、取扱いもシンプルで分かりやすい。
他方、PCやネットワークは肉眼や簡易な器具では中身の様子を確認できないブラックボックスであり、感覚的な操作は通用しない。
中身の様子が肉眼的に分からない箱を相手に
初期セッティングを完遂するストレスは小さくない。
またセッティングが済んで、実際に動かしたとしても、
なんらかの不具合で週に一度くらいは音が出なくなり、
その度ごとに再起動したり接続を点検したりしなくてはならない。
それでも上手くいかないことは往々にしてあるものだし、
仮に動いても、じゃあなぜさっき動かなかったのか原因不明なことも多い。
そういうトラブルが重なると、かなりストレスフルだ。
そんなデジタルファイルオーディオに比べれば、
アナログオーディオはワケの分からない故障が少なく安定している。
基本的に、音を出す仕組みがはるかにシンプルだからだ。
メディアを保管するスペースやその整理整頓の点で大きなメリットはあっても、
間違った操作により一瞬で全データが消滅する危険があり、
手に取れるジャケットもライナーノーツもないデジタルファイルの方に
明らかなアドバンテージがあると言えるだろうか?
(ジャケットはともかくライナーノーツはなぜつかないのか?
ハイレゾファイルはCDより高価な場合もあるけど。)

結局、ハイレゾという新しい器がある以上、
それを自分のシステムから外す気まではないが、
私がデジタルファイルオーディオにストレスと不安を感じていることは事実だ。
(しかしこの先、ストリーミングが主流になったりしたらハイレゾはどうなるのか?
それからストリーミングで本当に音質は担保できるのか?そもそも、マンションに住んでるとインターネットの混雑で突然遅くなるんだが、そういうところで常時ストリーミングで音楽を聞くなんてありえないんじゃないのか?)
少なくともデジタルファイルを使うオーディオシステムに平行して
アナログオーディオシステム、
もしくはCDやSACDのシルバーディスクを直接再生するシステムを持ってはじめて、
24時間365日、この世知辛くて複雑な世界で、
安んじてオーディオを楽しめるんだろうと思う。

やはり歳を取ったのだろうか。
最近シンプルでありながら質の高いものに惹かれることが多い。
そういえばアニメやゲームにうつつを抜かしていた秋葉原のオタクどもにしても
気づけば40,50代に手が届いている。
家族を持っている者もいれば持たない者もいるが、
いずれにしろ歳を取ればシンプルで素朴ながら上品なもの、
より洗練されて大人びたものを愛するようになってくるような気がする。
私の間近に、二次元世界つまりアニメの世界の音楽に別れを告げ、
趣味をJAZZとクラシックのアナログレコードに絞ろうという
ちょっと変わった同年代がいる。
彼のような卒業生が選択すべきフォノイコとしても、
余計な味わいを排し、クリアーなサウンドをもたらす
VIDA supremeが適切だと思うのだが、
果たして彼は気に入ってくれるだろうか。

もし人生が体験したことのないことを減らすゲームのようなものだとしたら、
アナログレコードの素晴らしさを知らずに世を去るのは
オーディオファイルとして敗北を意味するのかもしれない。
でも今更、デジタルからの移行で、
安価なアナログシステムからぼちぼち始めるのは下策だろう。
長くオーディオとともに生きてきた者は存外、回り道を好まない。
そして初心の人の耳を侮ることもないのである。
「いつも、はじめから良いモノを使うこと」
このシンプルなスローガンを芯として
私はこれからも生きてゆくのだろうし
誰に対しても、
その主義を貫きながらアドバイスしようとするだろう。








# by pansakuu | 2018-04-21 23:37 | オーディオ機器

LH labs Vi DACの私的インプレッション:美しき刺客

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皆から狙われるのは・・・・・力を持つ者の証ですから
 暗殺教室 第一巻より


Introduction:

まるで銃器でも収められているかのような、
防水の重厚なヘッドホンケースを提げて、
氷雨の降る夕方、私は池袋駅の東口を出た。
数日前、この街にあるバリュートレードという輸入代理店にコンタクトし、
Vi DACの試聴を申し込んだからである。

このLH labsのVi DACというヘッドホンアンプ付きDACは前回の祭りでほんの少し聞いた時から、かなり気になっていた。
この機材は最近になり、某オーディオ雑誌でも取り上げられたが、そこに書いてあることを鵜呑みにできないという以前に、紹介文を読んだだけでは他の同種の機材と比べて、どれくらいのレベルで音が良いのか分からなかったし、仕様の詳細、価格さえもいまひとつはっきりしなかった。
だが、自分が祭りでほんの少し聞いた時のVi DACのサウンドは、かなりハイレベルなものだった。あの短い試聴時の印象は時間が経っても私の中で、なかなか薄くならない。どうやら心を射抜かれてしまったらしい。冷静に振り返れば、この印象の濃さのワケの中には、このDACの独特の形もあるかもしれないと思ったりはしたが、とにかく、ずっと心の片隅にあのサウンドの残像が居座っていた。なにかそれは街角で驚くほど美しい女性を見かけた時の印象にも似ていた。

いつものことである。
この手の販売店に常設されない機材をゆっくり聞きたいと思っても、代理店への試聴の申し込みの方法が、どこかのHPに詳しく書いてあるわけではない。私のブログに書いてある試聴の半分近くは、私個人が勝手にメーカー様や代理店様に連絡を入れて、試聴の段取りをつけたものである。この手の機材について、個人への貸し出しや試聴専用の申し込みフォームがあったり、フレンドリーな試聴のお誘いのページがあったりすることは多くない。要するに代理店がプロモーションに積極的ではないのだ。Vi DACに関してはそのメーカーの来歴、詳しい仕様や外観の詳細、実際の販路や価格設定等に関する日本語のHPがない状況であった。こういう機材については、自分で果敢に、あるいは強引に動かなければ、特別なイベントでもない限り、ほぼ何も聞けない。
私はVi DACが雑誌に載った時点で正式に輸入されることが決まったと勝手に判断、取扱うバリュートレード様のHPからCONTACTの項目(ttps://v-trade.co.jp/contact/)を選んで、連絡をつけた。期待通り、すぐに試聴の段取りがついた。今回は運がいい。バリュートレード様の対応がスムーズなのだ。いつもこうはいかない。

池袋駅東口から歩き始めて10分もたたないうちに会社の入るビルを見つけることができた。エレベーターで昇階し、ドアの前の呼び鈴を押すと、スタッフの方と海水魚の泳ぐ爽やかな水槽とが迎えてくれた。
やがて居心地のよいソファーのような大きな革張りの椅子がいくつも用意された、暖かい会議室に導かれた。机上にはAudirvanaをインストールしたMacと2機のVi DACが既にスタンバイしていた。この部屋は私とスタッフの方しかいない密室であり、開放型ヘッドホンを使うにも適している。ガヤガヤした祭りや販売店の店頭とは比べものにならないほど環境は良い。なにより椅子がいい。我が社の会議室にある、硬くて安っぽい椅子とはかなり差がある。以前から静かで居心地の良いサロンのような場所に、持ち寄りの寄せ集めではなく、注意深くマッチング・チューニングされたハイエンドヘッドホンシステムを複数置いて、静かに試聴できる場所があるといいと思っていたが、そこには少なくともこれくらいの素敵な椅子が欲しいところだ。


Exterior:

このVi DACは随分と変わったシャーシの形をしている。
日本のような厳しい建築基準のない国の新興都市、上海やドバイに立っている建造物を想い起こさせる不思議な形。このシャーシのデザインは他のスクエアなDACよりも目立つためではなく、向かい合う平行な面を減らし、共振を減らしたうえ、重心を低くし、より安定させるというコンセプトの表れである。またこのシャーシのトップカバーは一体整形されたアルミらしく、材料自体も制振性を持っている。指で叩いてもほとんど鳴かない。シャーシの仕上げはインターネット上ではチタングレー、ゴールド、ブラック、ミラーなどが確認できるが、これらのカラー全てが注文できるのかは不明である。
デイスプレイの窓の形も変わっているが、表示は在り来たりな横一列。データのレゾリューションや選択したデジタルフィルターなどが確認できるのみであり、なにかギミックがあるわけではない。リモコンはついている。アップルの既製品だが。この価格帯では仕方ないことか。フロントパネルにはセレクターの用を足すボタンやダイヤルなどがなく、ヘッドホンのボリュウムノブだけというシンプル構成なので、リモコンは必須である。
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この機材のデジタル入力はUSB2.0、TOS-LINK、RCA coaxial、AES/EBUであり、16/24/32bit、44.1,48,88.2,96,176.4,352.8,384kHzのネイティブPCMフォーマットに対応する。またDSDフォーマットに関しては2.822、3.072、5.644、6.144、11.288MHz/1bitにUSB2.0(Dop1.1とネイティブDSD)で対応する。ただしネイティブDSDに関してはASIOドライバーが必要となる。
つまり、ほとんどの高位のデジタルフォーマットに対処できる現代のDACである。
確かにネットワークオーディオへの対応はないのは、どうかという人もおられるかもしれない。しかしKLIMAX DS2で足を洗った私にはアレはもう過去の話だからな。USB入力があれば使わないので、あってもなくてもいい。
また話題になっているROON Raedyの文字が宣伝文に踊っているわけでもない。
だが個人的にはROONについてもあってもいいが、なくても全然困らないからな・・・。
そういうわけで私には、このVi DACの仕様で十分としか思っていない。
なお、LH Labsの主催であるラリー・ホー氏、元はIntelの技術者でありUSB Class2.0の開発に直接かかわった人物である。ならばUSB経由の音を聞くのが本筋ではないか。

現在、Vi DACには三つのグレードがあり、そのうち最も安価なモデルであるVi DAC pro(別名Vi Tube Infinity)と最上位のVi Tube DAC Signature(別名Vi Tube Infinity Signature Edition)の二種が輸入される予定であって、それらが私の目の前にある格好だ。日本での販売価格はそれぞれ60万円、120万円程度を予定している。事前に海外での価格も調べているが、どちらの国内価格も代理店を通すことで凄く上乗せが来たという感じはない。以前のFocal Utopiaの価格への上乗せなどと比べれば、まだいい方だ。購入後のサポートがあるなら、許せる程度と思う。
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では、ここにある二つのモデルの違いは?
Vi Tube DAC Signature の頭上に蒼く光る、2本の真空管(ジーメンスのE88CC/6992)にまず注目。この管はVi Tube DAC Signatureの方にしかない特別なライン出力部で使われている。この出力は真空管を組み込んでいながら、THD-3dB以下という優れた数値を誇る。なお、これは別名True Output(真の出力)とも呼ばれ、開発者は音質に思い入れがあるそうだ。Signatureモデルの購入者はこの出力をRCA、XLRのどちらかにするかをオーダー時に選択できる。私ならXLRを選ぶが、デモ機はあいにくRCA端子であった。実物はバックパネルに増設されたスロットにから突然RCA端子が出ていて、取って付けたような違和感もある。正直、随分変わった出力だなと私は思った。
この特別なライン出力は使い勝手という点でも一風変わっている。Vi Tube DAC Signatureの背面には、メインの電源スイッチ以外にもう一つ同じような形のスイッチがあり、こちらをONすると、この出力が初めてアクティブになる。出力一系統のためだけの専用スイッチは他ではあまり見たことがない。なお、惜しいことにこの出力は付属するヘッドホンアウトには導かれていない。つまり、この出力の音を聞きたいなら別にヘッドホンアンプを用意する必要がある。True Output専用のスイッチがあるのは、内蔵のヘッドホンアンプを使っている時に無理に真空管に電流を流しておく必要がなく、真空管の寿命などの点で有利と考えたのか。なんにしても、このVi Tube DAC Signatureの全能力を発揮させたいなら、据え置きの優れたHPAやスピーカーシステムが必要なのは明らかだ。このへんはDAVEなどの他のハイエンドDACと同じ話である。

さらに、この出力以外にこれら2モデルの違いとして以下の三点がある。
一つ目はVi Tube DAC Signatureには下位モデルにはない、超低ジッターのフェムトクロックが実装されること。Vi DAC proにおいても既に44.1kHz用と48kHz用にそれぞれに別なクロックをあてるという念の入れようだが、それをさらに高精度なパーツで構成している。
二つ目は同社の上位DAC DaVinci(日本での価格500万円程度)に用いられている、ジッター軽減のためのバッファーが採用されること。下位のVi DAC proにも既に独自技術の3Lバッファー(後述)が搭載されているが、そのスペシャルバージョンが実装されると考えれば良い。
三つ目はデジタルフィルターの機能が他のモデルより強化されていることである。
最後の項目は詳しく書くと面倒だが、全く触れないというわけにも・・・。
仕方ないので、手元の資料にあるデジタルフィルターの概要をごく簡単にメモして勘弁してもらう。
Vi DAC にはどのモデルにも4種のモードを持つデジタルフィルターが実装されている。
1.TCM:Time comprehension modeの略、LH Labsの独自のアルゴリズムにより音楽信号からポストリンギングを除去・時間軸を最適化し、明瞭かつナチュラルなサウンド得る。
2.FRM:Frequency response modeの略。LH Labsで開発したアルゴリズム・デジタルフィルターにより、歪みの少ないスムーズでクリアなサウンドが得られるモード。
3.FTM:Femto Time modeの略。TCMとFRMの利点併せ持つものと説明されている。
今回のVi DAC proの試聴で主に使ったモードである。
4.SSM:Smooth stream modeの略。TIDALやSpotifyで音楽を聞く場合に最適化されたモード。
以上の4つを付属のアップルリモコンによる切り替えで選択できる。
そしてVi Tube DAC SignatureのみFemto Time modeをより高精度なEnhanced femto Time modeとして強化している。上位機の試聴で主に使ったモードはこれである。

今回の試聴では、これだけ多くのフィルターモードがあり、その取り扱いに戸惑ってしまった。Esotericなどでもこういうフィルター選択の余地をあえて残しているが、実際に使ってみて、フィルターによる音質変化が特に面白いとは思ったことはない。使う側は迷うだけ、あるいは結局一つのモードしか使わなくなるだけだと思う。設計者がベストと思うものを一つに絞って出してくれればそれでいいのだが・・・・。実際のVi DACのサウンドではモードごとに音がそれぞれ異なるが、基本的な傾向は変わらない。音質の説明が煩雑になるのを避けたいので、各モードの中で一番普通の音に聞こえたFemto Time modeあるいはEnhanced femto Time modeで試聴した結果を記す。
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さて、このDACの音を聞いたうえで、資料を改めて見返すと、この素晴らしい出音に最も効いている技術は、先に少し出てきた「3Lバッファー」というバッファリングテクノロジーではないかと思えてくる。
LH Labsの主催であるラリー・ホー氏はこのUSB Class2.0を介してハイレゾデジタルファイルを聞く際に出る音切れに完璧に対処するため、CPUとDAC、そしてそれらの中間部の計三箇所にそれぞれバッファーを設ける仕組みを考案した。これが独自技術3Lバッファー(三層バッファー)である。
これほど多くバッファーを備えたDACはあまり見かけないが、CHORDでタップ数を多くしたりする態度と、どこか似ているのかもしれない。
実際のVi DACの出音は非常に滑らかでつながりが良いと感じられたが、これは3Lバッファーの恩恵だろう。
DACチップはES9018AQ2M(9028AQ2Mと同等品)を左右一個づつ使っているのみだが、バッファーやクロック、アナログ出力回路の概要が独特なので、同じチップを使うDACがあっても、それらとは隔絶した音作りになっていると思われる。やはり、音がいいか悪いかは使っているDACチップの性能・世代の問題より、作り手のセンスの方が出音への影響は大きい。

さらに本機の電源については、
左右分離、アナログ段・デジタル段分離構成で、超低ノイズ・リニアな出力を可能としたものであり、音楽信号の変動に最適に対処すると謳われている。特に電源におけるコンデンサーの特性を熟知した巧みな設計が目を引く。電源部が別筐体になっていたりはしないが、この価格帯のDACとしてはかなり念入りだ。
また資料には120Vあるいは240Vのどちらかに対応する電源とも書かれている。さすれば日本に入ってくる個体は、120V仕様の方がそのまま来るのではないか。輸入されてくる海外製オーディオ機材の多くは100Vの日本の電源環境に正確に合わせこんでくるわけではなく、LH Labsも例外ではなかろう。だとすれば、この機材はできれば120V近くまで自己責任で昇圧した電源を投入するとさらに音がいいのかもしれない。もし運よく入手できたらやってみよう。

今回の試聴はVi DAC単体のみ、ヘッドホンのみで行っている。シングルエンドとバランス接続でHD800とMDR-Z1Rの両方を用いた。
別に単体のヘッドホンアンプを用意しなかったし、ましてやスピーカーシステムも使わなかったが、それらはVi DACを楽しむのに必須ではなと思う。直でつないだヘッドホンを聞くだけで十分に音が良く、満足できる。
私は冒頭でVi DACをあえてヘッドホンアンプ付きDACと呼んだ。それは、この機材にアナログ入力がないから、 DAC付きヘッドホンアンプではないという考えから来ている。だがVi DACが内蔵するヘッドホンアンプは、実際の技術内容はともかく、出音のみを評価するとしたら、この手の機材によくあるオマケ的なものでは全くない。CHORD DAVEやMytecのManhattan DAC、Nagra HD DACなどにも、それなりのグレードのヘッドホンアウトが装備されているものの、DAC本体からのラインアウトの持つサウンドの品位を考えれば、あくまで音質確認用のサブ的立場にすぎない。だがこのVi DACのヘッドホンアウトは違う。まず、それらのケースと異なり、シングルエンドと4pinXLRのバランス出力の両方が既に用意されているところが、聴く前から目をひく。ボリュウムノブこそ小さくて控え目だが、この本格的な端子の完備はどうだ。
案の定、Vi DACはヘッドホンアンプ付きDACでありながら、ヘッドホンへの出力を主として開発されたDAC付きヘッドホンアンプと同等以上のヘッドホンサウンドを聞かせる。これは例えばGOLDMUND THA2などのハイエンドなDAC付きヘッドホンアンプさえ脅かす存在である。また音の良さはVi DAC proでもVi Tube DAC Signaturenでも基本的には同じように感じられるが、やはりと言おうか、最上位モデルの出音は下位モデルのそれに比して、明らかなアドバンテージを持っていた。
この分だとVi DACはスピーカーシステムに加えても素晴らしい音を奏でるに違いない。これはアナログのラインアウトのないDAC付きヘッドホンアンプのような、良く言えば「スッキリ」した、悪く言えば用途が限られた機材ではない。スピーカーへの発展性を秘めながらも、単体でもすこぶる優れたヘッドホンシステムを構築できる。そして単体の据え置きHPAがあれば、さらに愉しみの幅は拡がる。DAVEなどでもそのような可能性を感じることはできたが、同等かそれ以上のポテンシャルをVi DACは与えられている。
実はこのVi DACのヘッドホンアウト、その内容としてはテキサス インスツルメンツ製の出来合いのヘッドホンアンプICとアッテネーター組み合わせただけのもので、特段凝ったものでもないらしい。とはいえ、このVi DACの全段デュアルモノラル回路はバランス構成をとるから、バランス入力を前提とする、このテキサスのIC (TPA6120A)の低歪み特性を結果的に上手く生かせるのだろう。

それにしてもなんと複雑な仕様のDACであろうか。このDACの詳細な技術内容は素人には到底フォローしきれないほど多岐に渡る。音質についての記述よりも技術内容の記述の方がどうしても長くなってしまう本末転倒が、このような機材について書くときの悩みである。Vi DACではDACチップ本体こそ、出来合いのものを素直に使っているが、それ以外は全ての部分で独自技術や贅沢な仕様がちりばめられ、デジタルフィルターや入出力の種類も多くて使い方が幅広い。一目で他の機材と区別できる外観を持つこと、汎用のものだがリモコンが使えることなども利点してと数えられる。やはり、かなりマニアックで多才なDACであると言わざるをえない。

なお、日本に輸入される予定のないVi Tube DAC SignatureとVi DAC proの中間にあるモデルは、Vi Tube DAC Signatureから上記の三点の仕組みを除いたものと考えるとよいようだ。そういえば一つのDACに3つも仕様違いがあるなど、あまり聞かないケースかも。LH Labsの製品全体に言えるが、クラウドファンディングによる資金集めや、仕様の細部や販路の記載、各モデルの呼称などが資料ごとに一定していないなど、どこか一般的なオーディオメーカーの製品とは異なる雰囲気がある。それを不確定性と考えネガティブに捉えるか、あるいは個性と考えてリスペクトするかは買う側の感性と度量に委ねられている。


The Sound:

ここにある二種類のVi DACをヘッドホンアンプとして比較すると音質の上で共通するところは多い。しかし、おそらく誰が聞いても程度の差こそあれ、上位モデルVi Tube DAC Signatureの方が音は良いと感じるはず。Vi Tube DAC Signatureは基本モデルであるVi DAC Proの音に幾つかの要素が加わり、さらに高音質となっている。
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両機に共通する長所として、まず音楽の流れの滑らかさがある。
この音の横のつながりの巧みさは、
さらに高価なDACたちを聞いた経験に照らしてもVi DACに特有のアドバンテージと考えられる。
このDACのサウンドにおいて音楽というものは常に流れの速い河のようなものと意識される。
しかも、この流れというのは河面を橋の上から離れて眺めるようなものではなく、
河の中まで自分からどんどん入って行って、その流れの只中で流れを肌で感じつつ、
流れの力と方向に身を任せ、流されていような状態と言った方がいい。
このような音の流れに内在するエネルギー、そこで体感される音の盛り上がりやくぼみ、
まるで竜の胴体が目の前を通過するかのような大きな音のうねり、
そしてそのように様々な姿態を示す音楽が全くシームレスに流れて行く様子を体感するように聞く。音がキレる時の清々しさをウリとするDAVEなどのハイエンドDACとは一線を画すサウンド。
このような音を出すDACを私は他に知らない。
何だろう、この特別な意識や感覚というのはレコードを聞いている時に感じる、音楽がスルスルと紐解かれるような感覚にもどこか似ている。
また真空管アンプの音にある、聴覚よりは触覚に訴えかけるような、ふわりとした圧力が途切れることなく押し寄せてくるような側面もある。
確かにヘッドホンアウトに真空管の出力は来ていないにも関わらず、そこには思わず真空管の光を思い起こさせる人肌の柔らかさが混ぜ込まれているようだ。
ここには多かれ少なかれアナログレコードや真空管に近い感覚がある。
しかし、音の輪郭の強度、あるいは背景のノイズの少なさに目を向ければ、これは紛れもなくデジタルオーディオそのものであり、過去のアナログサウンドへの郷愁めいたものや、真空管アンプへの単純なオマージュは意識されなくなる。
このような二面性がVi DACの美音の個性の正体なのだろう。これはこのDAC独自の音楽性として認識されるものである。

楽曲を変えながら、音質の各要素をざっとチェックしていくと、このVi DACがいかに高性能なものかは自然と見えてくる。
例えば、かそけき音も朗々とした大音量も正確に捉える、律儀なダイナミックレンジの大きさや
カバーする周波数帯域の広さ、バランス良さなどは言うまでもなくハイエンドDACのそれである。また、ハイレゾリューションDACの代表であるCHORD DAVEに近いほどの音像の解像度と残留雑音(S/N)の少なさも特筆すべきである。
だが、過渡特性(トランジェント、立ち上がり・立下り、スピード感)については劣っているわけでもなく優れているわけでもない。違うのである。Vi DACは音の立ち上がりの速さ自体は他のハイエンドDACと同等なのだが、その音の立下り・立下りの感触がDAVEのように鋭角的ではないのである。僅かにカーヴを描くような曲線的な感覚がある。この部分でもなにか個性的な美音に聞こえる。
また音色の鳴らし分けや各パートの分離(変調modulationの少なさ)はこのDACではあまり強調されていない。これもDAVEと異なる。むしろ別々に発生した音が融けあうハーモニクスの表現に重きが置かれている。このDACが出してくる見事なハーモニーのテクスチャーやそこから生まれる倍音成分の存在感と透明性の表現は優れている。これはハーモニーの響きの豊潤さとも言い換えられようが、これも他のDACにはないもので、音楽をより美しく聞かせるのに役立つ。
またこのDACでは大きい音と小さい音の差や音の質感の違い、音の明るさや暗さのコントラストが、細かな階調の差として表現される。音の様々な差異が厳しい断絶としてではなく、緩やかな変化として聞こえる。この音の丁寧さを好ましく感じるのは私だけではあるまい。
さらに音像の定位の良さや位相の正確さ、タイミングの正確さは内臓クロックが優秀なのか、このクラスのハイエンドDACの中ではトップであろうと思う。
もちろん、左右個別に設計された電源や回路のためか、サウンドステージの広がり、チャンネルセパレーションにも不満を感じない。
Vi DACのサウンドの温度は人肌ほどで、やや暖かい。
音像を耳から遠く引き離して整理してみせるような音ではなく、
こちらに寄り添ってきて、近くで音像を見せる音作りであるから、
この温度感が冷たすぎたり、熱すぎたりするのは都合が良くない。
艶めかしい女性が近くにいるような、ほのかな温度感が心地よい。ここには音の艶、音のボディの豊かさなどが備わっており現代にはあまりない官能的あるいは肉感のある出音となっている。演奏する曲の雰囲気によっては、なにか危険な香りさえするような、そんな特別なサウンドになり得る。

以上の両機にほぼ共通する長所に加え、
Vi Tube DAC Signatureではさらに一段と音像のフォーカスが上がり、音の躍動のダイナミズムが増し、一層のデリケートさ、音の質感表現の多様性の幅広さが加算される。音数がさらに多く、解像度のもっと高い音に変化しつつも、音の潤いというか適度な湿度・潤色は保たれるので、キツイ感じのサウンドにはならず聞き味が良い。
また、音が消えゆくとき、つまりコーヒーの味覚で言うアフターの余韻にも、リッチで芳醇な味わいが入る。音の密度は高く、深煎りのコーヒーをネルドリップで淹れるような濃密でやや太い雰囲気持つ部分もあるが、他方、上手なペーパードリップのように音の細部を繊細に描写する能力も十分である。細やかな音の濃淡や、高低のグラデーションの描写のみならず、音の細部への眼差しという意味でVi Tube DAC Signatureのサウンドはより丁寧で緻密なものとなっている。この出音の流麗さ、自然な音像の定位、音の総体としての浸透力。ここまで来ると120万円のDACのものとは思えない。DAVEと同じく、かなり高いコストパフォーマンスがある機材だと私は考える。

なお、アンプの中身はフルバランス仕様なので、やはり4pin XLRバランス出力の方がシングルエンドより音はいい。特に音像の安定感が増してくる。私はFinal D8000を純正のシルバーコートケーブル経由で、このDACにつないだらどんなサウンドが聞けるだろうかと楽しく夢想した。おそらくDAVEのヘッドホンアウトにD8000をつなぐよりも良い結果が得られるに違いない。


Summary:

試聴を終えて外に出ると、すっかり日は落ちていたが氷雨はあがっていた。
池袋の雑多な通りの風景の中に溶け込みながら、
私はCHORD DAVEのサウンドについて思い巡らした。
それはVi Tube DAC SignatureとDAVEに多くの類似を見出していたからだ。
もちろんそれはサウンドそのものではなく、オーディオに取り組む態度という意味で。

現代日本で普通に入手できるDACの中でMytekのManhattan2、マイトナーのMA-1 、そしてCHORDのDAVEがこの100万円前後という価格帯近辺で注目すべきものだと思う。(個人的には、これにNADACを加えたいところだが、これは別電源を付けないと本領を発揮しないらしく、付けると200万オーバーとなり、上の価格帯に入ってしまう。)
これらどのDACにもコストパフォーマンスの良さがあるが、Vi DACではコスパだけでなく、これらのどのDACとも違った、やや個性的なサウンドも備えていることが面白い。
Vi Tube DAC Signature は一聴してそれと分かる特徴を持つのと違い、MytekのManhattan2はクセの少ないとても素直な音で死角が少ないが、やや地味で面白みに欠ける。
マイトナーのMA-1は解像度の高さ・音数の多さと音の滑らかな流れを両立させた、きめ細かなサウンドだがVi Tube DAC Signatureほどの力強さがなく、こちらも個性が目立たない音だ。
やはり同じく個性的なDAVEがVi Tube DAC Signatureの最大のライバルとなるだろう。

DAVEとVi Tube DAC Signature・・・・。
外観も中身も全く違うが、向いている方向性やターゲットとする相手は共通する部分が多い。
その音質は甲乙つけがたく、両者とも優れているが、ブラインドで区別できるほど似ておらぬ。CHORDのDAVEは解像度高く色彩感が豊富で音にキレがあるが、Vi Tube DAC Signatureは音のつながりの良さや湿潤で艶やかな音触で魅せる。
DAVEとVi Tube DAC Signatureの両機の根底に共通するのは、高音質を追い求める情熱と、それに裏打ちされた独自のテクノロジーへのこだわりだ。他社とは違うDAC、今までにないサウンドを創りたいというアグレッシブな意識の高まりに聞き手も昂揚させられる。この敵対意識にも似たモチベーションが日本の多くのメーカーに欠けている。
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進取の気運に溢れ、個性的で、高次元でのコストパフォーマンスがすこぶる良いDACとしてはCHORD DAVEにトドメを刺すかと思われたが、Vi DAC がそのすぐ隣にまで上がってきた。DAVEと真っ向から勝負できるのは、このDACしかない。
この思いを、いつものように奇妙な言い方でまとめるとしたら・・・・。
私の中ではVi Tube DAC SignatureはDAVEを倒すことのできる唯一の刺客のように思えてならない。

そして私は冷たい街の空気を抜けて、自分の部屋へと帰ってきた。
NAGRA HD DACとRe Leaf E1Xに灯をともし、さきほどVi Tube DAC Signatureで聞いたのと同じ曲を復習してみる。流石に二倍以上の価格差があるDAC、さらに優れたヘッドホンアンプであり、音質には差がある。
しかし、Vi Tube DAC Signatureの音の持つ流麗さがここには見当たらない。
流れの速い河の渦、あるいは蒼く鱗を輝かせた竜がうねりながら目の前を通り過ぎてゆくようなイメージ。それがない。
やはり、Vi Tube DAC Signatureの奏でる美しい音の動きは唯一無二のようである。
今夜は、DAVEを脅かす美しい刺客を見た、とだけ試聴メモに残しておくこととしよう。



# by pansakuu | 2018-03-11 00:28 | オーディオ機器

Final D8000の使いこなしに関する短いメモランダム:リケーブル、制振材、接点改善剤そしてオージオグラム

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革命は些細なことではない。
しかし、それは些細なことから起こる。

アリストテレス


なぜ
ヘッドホン・イヤホン界隈ではD8000の出現を騒がないのだろうか?
皆の態度が不思議に思えるほど、
私にとってFinal D8000の音は革新的だ。
少なくとも2018年の私のヘッドホンオーディオは
D8000を中心に回るだろう。
たとえHD820がどれほどのものだろうと、
このヘッドホンのポテンシャルを引き出さずに次へは行けない。

今年はずっと温めてきた幾つかのオーディオ機器に関する計画を、
このFinal D8000を軸として少しづつ実行に移すつもりだ。
その手始めはD8000のリケーブルの選定である。リケーブルの質を吟味することはD8000を味わい尽くすうえで重要なポイントであることは既に行ったいくつかのテストで分かっている。これはやるべきことだ。
もちろん、ヘッドホン側の端子はFinal純正の90度ネジるタイプのものを使いたい。
この仕組みはD8000本体にリケーブルのプラグをしっかりと固定できる唯一の方法だからだ。そこにこだわるとFinal純正のシルバーコートリケーブルか、Brise audioのリケーブルしか、今のところ選択枝はない。もちろんD8000にデフォルトでついてくるケーブルもいい。だがこれだとシングルエンド駆動しか選べないし、D8000のクオリティに応えるサムシングが足りない。アダプターを付けての試用だがBrise audioのUPG001HP Ref.のバランス駆動とは歴然と差が出てしまうのは知っている。
そうこうするうち、特注していたUPG001HP Ref.の3pin XLR×2が到着した。
貸し出して頂いたFinal純正の上位リケーブルである純正のシルバーコートケーブル(4pin XLR~3pin XLR×2への変換アダプターを介してE1xに接続するものと、シングルエンドの端子のついたリケーブル)そしてD8000に同梱のデフォルトのヘッドホンケーブル(シングルエンド)を4本並べて比較することにした。
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D8000に同梱の黒いヘッドホンケーブル
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Brise audioのUPG001HP Ref.の3pin XLR×2
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Final純正のシルバーコートリケーブルの4pin XLRバランス仕様(線体は潤工社製)
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同じくシングルエンド仕様

これらのケーブルの外観について素直に比較すると、
思いがけず1.5mで15万ほどする高価なUPG001HP Ref.の仕上げより、ずっと安価なfinal純正のリケーブルの仕上がりの方がカネがかかっていそうだ。Finalの方は端子や分岐部をすべてオリジナルのアルミの削り出しパーツで固めている。これは価格以上の仕上げだ。
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アルジェントオーディオのケーブルを彷彿とさせるFinalの削り出し端子
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分岐部もアルミ削り出しであり、ロゴもプリントされているが、裏で見えない
下はFinalのデフォルトのケーブル(分岐部も端子も造りは良い)
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Brise audioの分岐部(やや簡素な印象)

また線体はFinalの方が太いが、取り回しはより細いBriseのものより悪いとは言えないし、外見も綺麗である。Briseのケーブルは細いが明らかに硬く、微妙にクセがとれにくいようで、見かけのわりには取り回しがよくない。Brise audioのケーブルテクノロジーのコアとして、カーボンナノチューブの持つ高い物理的な遮蔽能を利用したシールド技術があるらしいが、この高性能なシールドは取り回しについては今一歩かもしれない。また分岐部は熱収縮ケーブルで締め、ローズウッドのケーブルスタビライザーをあしらってあるだけだ。(実際、全くのオーディオの素人であるウチの家族にこれらのケーブルを見せて聞かせ、どちらが高いと思うか尋ねると全員即座にFinalのケーブルを指した。)恐らくBriseさんは音質上の理由からあえてこうした手法を取っているのだろうが、音質をさらに上げたうえで、外観も良くすることは不可能ではないはずだと言いたくなる。そういう曲芸が当たり前のように出来ているハイエンドケーブルを多数見てきたからだ。

もちろん、こういう分岐部の仕上げなどは音に影響しないのだというケーブル屋さんもおられる。やや昔の話だが、ある高級オーディオケーブルを作る海外メーカーの中の人に、ケーブルの端子や分岐部を削り出して、ロゴをあしらった木材や超ジェラルミンで固めると経験的に音に良いし、高級感がでますよ、と提案したらひどく冷たい態度をとられたことがある。そんなことは、求めるトータルサウンドにとっては些末なことだと言いたげに見えた。私はそれ以上言うのをあきらめ、その場を立ち去った。だがその翌年、偶然にフルリニューアルされた彼のケーブルを手に取る機会があった。なんと提案どおり、分岐部も端子もオリジナルのアルミ製のものに変わっていた。肝心の音も大きく進化していた。(価格も上昇していたが・・・)これが彼の私に対する真の返答だったのだろうか。それとも自意識過剰だろうか。世界中で日本のオーディオファイルと販売店だけが、メーカーに細かいクレームや指導をするというが、私もその数に入っているのか。

脱線した。
しかしBrise audioにはまだ言いたいことがあるので音質以外の話を続ける。
私はXLR3pin×2をフルテックのカーボン巻の端子で頼んだ。この部分についての話だ。おそらく求める音のため、わざとやっているのだろうと思うが、ケーブルの端はXLR端子の中の電極にしっかりハンダ付けしてあるだけで、線体を端子内で一切固定していない。これは開放的で豊かな響きを得るのには良いと思うが、普通のインターコネクトケーブルより、日常のリスニングでの抜き差しがかなりあると考えられるヘッドホンリケーブルとしては強度の点で心もとないのではないか。これは断線する危険と隣り合わせだろう。何とかしたい。もっとも、これは取り回しを重視して細いケーブルを使ったことが裏目に出たということかもしれない。Shinkaiあたりをオーダーすればよかった?しかし、ああいう太いヘッドホンケーブルは卒業したい。

それから結線の左右に関して、金のロゴのシュリンクが右、銀のロゴのシュリンクが左ということで、通常の赤白(あるいは黒)でないのも指摘したい。これは他のメーカーとの差別化にはなっているが、はっきり言って金銀は暗い場所で区別しにくい。ヘッドホンやイヤホンは夜の暗い室内、視界の良くないバッグの中などでも結線されて使用されるはずである。そういう場所でも確実に左右が分かる工夫がさらに必要である。Finalの端子は赤と黒の帯が、デザインを邪魔しない匙加減で入っていてわかりやすい。
リケーブルは音楽を聴くツールという側面があり、道具として視認性や耐久性をもっと追求すべきだ。そもそもUPG001HP Ref.はラグジュアリーなケーブルであり、外観の美しさも使いやすさも、機能を損なわない範囲でもっと追い求めてよかろう。

肝心の音質についてだが、
流石に高価なUPG001HP Ref.は低域の解像度の高さや音の吹き上がるストレートな勢い、ソリッドで立体的な音の質感、基本的な音のテンションの高さ、音数の多さなどで、Finalのシルバーコートリケーブルの先をゆく。音調としては素のままの音を出す介在感の少ないリケーブルを目指して開発されているように感じる。今までレポートを書いていないものも含めて、より高価なハイエンドリケーブルも使ってきている。だからBrise audioの低域の解像力やインパクトはそれらを超えた、スピーカーオーディオ用のスーパーハイエンドケーブルの味わいに近い部分もあると分かる。したがってD8000の長所をよく引き出す優れたリケーブルに仕上がっていると、ひとまず結論できる。これとの比較だとデフォルトの黒いヘッドホンケーブルは甘く緩い音に聞こえてしまう。

他方、このUPG001HP Ref.に比べるとFinalのシルバーコートリケーブルは、よりオーソドックスでカジュアルな音であるが侮れない。実際は高域方向の音のリバーブのたなびきの美しさや全体的な音の落ち着き・安定感、音のしなやかさ、音場の広がりなどではBrise audioの製品を上回る。またFinalのケーブルの音は明るく開放的、UPG001HP Ref.は陰影があり、密度が高いという具合で全体のキャラクター・方向性に違いがある。これでは甲乙はつけ難いか。いや、約2倍の価格差を考えるとFinalのシルバーコートリケーブルが勝っているかもしれない。宇宙産業用ケーブルとして有名な潤工社のケーブル。安価でも、かなり健闘している。こうなると黙ってFinal純正のシルバーコートリケーブルの方を選ぶ人がいてもおかしくない。D8000に標準でついてくるケーブルも作りはいいし、音もそれだけ聞いていれば悪いとは全然思わないはずだが、シルバーコートリケーブルを聞いてしまうと後には引けまい。そして、これまた予想外だったのだが、シングルエンドの端子のFinalのシルバーコートリケーブルの音の素敵なこと。バランスの方は私自前の簡易なアダプターを介しアンプと接続しているためだろうか、シングルエンド端子を直に挿しているのに比べ、音の広がりや響きが足りない。音が若干鈍ると言ってもいい。これはFinalの銀色に輝くオリジナルのシングルエンド端子の出来の良さが、アダプターを介して劣化したバランス駆動との差を補ってあまりあるということなのか。また、3pin XLR×2を作る予定が今のところないと言ったFinalさんの気持ちもなんとなく分かった。端子はオリジナルでという開発の方針なので、3pin XLR×2の要望に応えるなら、それを社内で新たに作らなくてはならず、そのコストと売れる数を考えると釣り合わないのかもしれない。
とにかく、Finalはヘッドホン側の専用端子を小売りするだけでなく、他のメーカーのヘッドホン用に、このケーブルと端子をつかったリケーブルを単売するとよろしい。これは意外な掘り出し物だ。ちなみにFinalのリケーブルの価格はシルバコートケーブルーシングルエンド端子/1.5mで55000円ほど4pin XLR/1.5mで70000円ほどだという。私の注文した仕様でのBrise audioのリケーブルは1.5mで155000円くらいであるから、音質のみの比較ではBriseがやや勝る部分があるにしても、Finalさんのコスパは高い。もちろん端子の仕様が違うから大雑把な比較になっていることはご容赦願いたい。XLR3pin2個の端子のリケーブルは今のところBriseさんにしか扱いがないから、そこらへんについては感謝はしているのだが。

おそらくBrise audioは内外からの注文が途切れなくあるうえ、少人数のメーカーでもあるため、大変多忙なのだろう。イヤホン・ヘッドホンのリケーブルについて、現状、世界でもっともエッジなメーカーであることに変わりないが、次の深化を遂げる余裕がまだないのかもしれない。もちろん今のままでも音には価格相応の充実感があることは認めたい。だがFinalやAXIOSなど同業他社のリケーブルの持っている要素をも取り込み、さらに一皮むけた多彩な表現に挑戦してほしいという期待は持っている。

なお、
今回はUPG001HP Ref.より上のBrise audioのインターコネクトケーブルをほぼそのままヘッドホンケーブルとして使ったモデルを選択することも考えた。だが、これは最上位のMurakumoグレードのリケーブルを他のヘッドホンで聞いた経験を踏まえてパスした。まず、取り回しが明らかに悪くなることが一番問題である。また上位ケーブルは重さもそこそこある。それでなくてもD8000は装着感は重い。これをリケーブルでさらに悪化させたくはない。それから音に関しても過ぎたるはなんとやらというか、もともとスピーカーオーディオのインターコネクト用に設計されたケーブルをほぼそのままヘッドホンケーブルに持ち込むことには若干無理があると感じた。やはりヘッドホンに特化してチューニングされた後発のUPG001HP Ref.には音の洗練度において一日の長がある。一言で言ってBrise audioのラインナップの中で、これはBrise audioの神髄を受け継ぎつつ、最も大人な、渋い音になっている。Brise audioさんの製品やサウンドには賛否両論あり、実は私も中立ではない。しかし、他のメーカーにはできない対応ができること、そしてこのUPG001HP Ref.を聞いて、外観などの細かい点はともかくとして、このケーブルメーカーの良心と誠実、そしていささかの円熟味を感じたことから、意見を変えつつある。私はUPG001HP Ref.の音の方が上位モデルよりおそらく好きだ。関係ないかもしれないが、私も年を取ったのか。オーディオを始めた頃はなんでも最上位がいいと思っていたが、今はそうでもない。音をよく聞いたうえで、音以外の側面もよく考えて総合的に買い物を決めるようになった。このブログでは語らないオーディオ以外の多くのモノとの付き合いが私を変えたのだろう。所詮、音の良さなんてことは、モノに備わった多くの属性の一つに過ぎないと悟ったらしい。ただし、それはオーディオ機器においては最大の属性なのだが・・・。

(追伸:ポタ研でこのBrise audioがケーブルの音質評価用に試作した大型のヘッドホンアンプを聞いた。なかなか素晴らしく、マス工房の406を超える出来のようだった。価格はさらに高価になりそうだったが。ズカっとした黒ぃ四角い筐体はシングルエンド、XLR4pin、XLR3pin×2のヘッドホン出力をユニバーサルに備えたうえ、XLR、RCAのトグルスイッチの切り替え式入力がある。幅広い機材に対応できる造りだった。ショートに対するプロテクションが装備されていたのにも驚かされた。ボリュウムの感触も滑らかで良い。接続されたケーブルとしてはMurakumoクラスの電源ケーブル、インターコネクトを使っていたが、中身はまだBriseのケーブルではないという。内部はもっと煮詰める予定らしい。
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中の人に聞いてみると、このアンプはOJIのものでもヘルタースケルターの製造でもないことも判明。様々なメーカーのアンプの良い点を研究し、総合的な視点から新たに開発されたもののようだ。出音はまさにBrise audioのサウンドというか、クリアかつソリッドでテンションが高く、全帯域で解像度高く鮮烈な音像を生み出す。広がりよりは纏まり、グラデーションの豊かさよりはコントラストの強さを意識させる音でもある。どのヘッドホンで聞いてもシステムトータルとして、Briseの求める世界が体現されたようなサウンドが出ていた。彼らが目指しているものがはっきり見えてきたようで清々しかった。今までこのメーカーがデモで使ってきた様々なアンプではBriseのケーブルの良さは十分に出なかったことも分かった。Ojiの最高級モデルよりも音にスピードがあり、マス工房の406よりも音はほぐれていて、SNが高い。ライバルはRe leafくらいだろう。これは本気で欲しいモノだが、販売はあるのだろうか。今後さらなるブラッシュアップありとのことだから次のイベントでの再会に期待しよう。)

こうして
リケーブルの評価を一通り終えたあとで、
私はケーブル端子の接点そのものにも手を入れることにした。
御存知の方もおられるだろうが、接点クリーナー、接点復活剤、接点導通剤とか呼ばれる液状物質が多種市販されている。数えたのであるが自前でも数種類を持っていた。持っているのに“持っていた”と少し婉曲に書いたのはどういう意味か。一つを除いて、ほとんど使わないで放置していたのだ。もちろんそれらに効果は全くなかったわけではない。少しはあるのだが、この程度では数多くの接点全てに面倒な施術する手間を考えると、ずっと使い続ける気分にはならないものばかり。例外的に使っている一つというのはアコリバのスプレー式のクリーナー。これはある録音エンジニアさんからのいただきものである。使いかけを貰ったので、もう中身がなくなりかけている。これをシステムの接点全体にひととおり使うと、音が見違えるほど良くなるわけではないが、微妙にクリアに滑舌が良くなる。機材をつなぎ変えるときに接点を綺麗にしたくなったら他のクリーナーよりも簡単に使えることもあり、重宝していた。ただ中途半端に使っても効果が明確でない場合もあり、私のオーディオに関する潔癖症の現れと半ば割り切って、惰性で使っていたとも言える。とにかく接点を掃除したと思うと気持ちがいいから。
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そこに新しい接点クリーナーの試供品が来た。
主にオーディオアクセサリー系製品のプロデュースや販売を業務とするアンダンテラルゴが最近出したトランス ミュージック デバイズ(Trance-Music device、TMD)という製品である。
この製品には他の製品と違う点がいくつかある。
接点クリーナーと接点改善剤の2剤ペアで構成される製品なのだが、水色と白の不透明な色がついた粘性のある液体であること。普通はクリーナーは透明だし、稀に色付きがあっても黒色までは見たことがあるが、水色のものはおそらくない。それから改善剤の方は塗ってから10分放置したあとで拭き取る手順になっていること。この放置時間10分というのも珍しい。そもそも放置時間がない製品がほとんどではないか。
なにか個性的だなと思いながら、あまり期待しないでリケーブルに対してマニュアル通りに使ってみる。まず前段階である接点磨きを付属のスポイトでキムワイプや綿棒に少しだけ取って接点を磨き拭き取る。次に拡張安定剤と言われる本剤を薄く塗って10分置いてから拭き取る。さらに効果を高めたければ24時間後にもう一度拡張安定剤を塗布して同じ手順で拭き取る。この接点改善剤の仕組みは接点にある微小な凹凸に、本剤に含まれるポリマーが浸透し凝固するので接点表面が平らになり、ミクロ的に見て点接触していた部分が面接触するようになると言うものであるが・・・・。実際に表面を顕微鏡で見たわけでもないので本当のところはよく分からない。だが施術した端子を差し込むと以前より若干きつくなっているのは確かだ。なにかが表面に付加されたことが手の感触として伝わってくる。こういうふうに挿入の感触が変わるクリーナーは初めてかもしれない。

問題の音質だが、
結果としてはなかなか気に入った。今まで使ったものの中では一番に効果がハッキリ感じられる。ガラッと音が変わるのではなく、全ての要素をケーブルの持っている方向性はそのままにスッと持ち上げてくれるところがいい感じなのである。UPG001HP Ref.にアコリバのスプレーだといつものように微妙に音が澄んでボーカルの滑舌が良くなるような気がする程度であるが、このアンダンテラルゴの製品はもっとはっきりと音の明瞭さが増す。日本製のアクセサリーによくある変化だが、窓越しに見ていた景色を窓を取り払い、戸外の空気に直接触れながら眺めるような臨場感がある。リケーブルしたD8000は他のヘッドホンに比べて極めて音の分離が良いが、こうするとさらにそこが際立って改善される。ピアノの右手と左手の分離だけではなく、録音さえ良ければマイクがどの旋律を弾いている側に立っているのかがよく分かる。思えば今まで使った接点改善剤は、変化が微妙すぎた。毒にもならないが薬になっていなかった。例えば接点になにかを付加することなく、ただ簡単にクリーニングするだけでも音は変わる。それとどう違うんだと言いたくなる場面も多かった。トランス ミュージック デバイズはそういう可もなく不可もないような弱い製品ではない。

実はヘッドホンのリケーブルではこの手の接点改善剤の効果がシステムの他の部分よりも若干だが感じやすいという話もあり、リケーブルとともに良い製品を探していた矢先だった。試供品は他の接点にも試して、すぐに使い切ったのでオーディオ店で実物を買い求め、調子に乗ってシステム全ての接点に使って満足している。ただし施術はどの改善剤よりも面倒で、少し分析的な音調に偏りがちでもあり、なにより価格の絶対値は安くない。ハイエンドなイヤホン・ヘッドホンのマニアに対してでないと薦める気にならない。
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ところで、
タッピングというオーディオ機器の検査法がある。
ヘッドホンやスピーカーに特に有効な方法なのだが、ヘッドホンだとハウジングやヘッドバンドなどを中指や人差し指の腹で軽く叩いて、その時に出る音と指に跳ね返る感触を確かめることで、材質の違い調べたり、鳴き易い部分を特定する作業である。DmaaのK氏に教わった方法なのだが、これでD8000を調べてみると、結構鳴きそうな部分が多い。軽くするため、あるいはコストカットするため、微妙に脆弱なつくりとなっている部分があるらしい。特にヘッドバンドの横の一枚の金属の板が露出している部分やハウジングの中心部付近にあるプラスチック製の薄い円筒状の部分などが、どうも鳴くようだ。私はこういう場合はfoQという日本製の制振材を気になる部位に貼って様子を見る。
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これは黒いシート状の材料で部分的に短冊状にカッティングされたシールのような形態のもの。ユーザーが好きな形に切って鳴き止めにする。アマゾンなどで市販されている。これをヘッドバンドの横の金属の板が露出している部分の裏側に綺麗に目立たないように貼り付けてみた。D8000の場合、スライダーの作りがシンプル過ぎてハウジングがズレやすいので、もともとここには厚みのある両面テープを密かに貼り付けてハウジングの動きを止めていたが、その上にもfoQが貼られる形になった。この制振材は貼り過ぎると音が躍動しなくなるので様子を見ながら、慎重に使うべきなのだが、こうするとD8000の売りのひとつであるSNの高さが顕著になる。音像に精密さが増す。いい塩梅だ。調子が出てきたので、ハウジングの中心部付近にあるプラスチック製の薄い円筒状の部分の外周にもグルリと貼りこむ。すると、もう少し静けさが増して音像がシャープに聞こえる。このへんで良かろうか。D8000はヘッドバンドのつくりなどはまだ完全とは思えないので、このようなチューニングにやりがいはある。

そして、
私事ではあるが、ついに耳鼻科に行くことになってしまった。
D8000は悪くない。私が悪い。
一日20時間とかヘッドホンで大音量を聞き続けたら流石に私の耳の方がギブアップした。ある日、両耳の強い耳閉感と耳鳴りが私を襲った。耳閉感はスピーカーばかり聞いていたころにもあったので、それほど驚かなかったが、耳鳴りはヤバかった。ここで一週間の休耳を余儀なくされた。
こんな休暇は大昔、JBL4344を耳から血が出るくらいの大音量で鳴らした時以来なかったことだ。
検査の結果、左右ともに耳の聞こえは正常範囲内で、目視では鼓膜も問題ないとのことだった。検査したのが、かなり回復してきた時期だったこともあるかもしれないが、予想よりは悪くない状況で安心した。
そして以下に公開するグラフのが私の標準純音聴力検査の結果(オージオグラム)である。ティンパノメトリー等とあわせて4000円以上もかかる検査となったが、興味深い結果であった。
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この検査はまず防音室で行う。雑音が全く入らない環境でヘッドホンを装着するのである。そしてオージオメーターという検査機器から送られてくる小さな音を聞く。聞こえた瞬間に手元にあるボタンを押す手筈になっている。この手順で一定の周波数(音の高さ)の音を出しては、それがどれだけ小さくなるまで聞こえるかを調べて記録してゆく。この試行をいくつかの周波数で行って出来上がるグラフがオージオグラムである。つまりこれは各周波数について聞こえる音の閾値(ギリギリ聞こえる音の大きさ)をグラフ化したものである。縦軸は音圧(dB)横軸は周波数である。ほとんど重なっているので見にくいが、○は右耳のグラフ、×は左耳のグラフである。グラフの線が下にくればくるほど耳の聞こえが悪い。正常では0dBから25dBくらいまでのゾーンにグラフがおさまるとのことなので、まあまあの結果である。また、○と×が重なっているということは左右の聞こえに差がないことを意味するからこれもいいことだ。
だが20年位前、オーディオを始めて数年しか経っていない頃に測ったものは完全にフラットなグラフだったと記憶している。今回は4000Hz付近で微妙だが感度が落ちている。やはりな、と思う。これは大音量で音楽を聞く人ではよくある変化だという。落ちたとは言っても正常範囲内には留まっているので支障ないが、この結果は幾つかのことを暗示してもいる。
一つは私が大音量でオーディオをやれる年数はこの先限られているかもしれないということ。聴力の変化は確実に来ているからだ。だからこそヘッドホンをやるのである。スピーカーオーディオにかかるカネから本格的なリスニングに取れる時間まで考えたとき、スピーカー関係だと頂点に近い機材を一巡することさえ、もはや私の年齢と財力では難しいが、ヘッドホンなら思うがまま、頂点のほとんどを味わい尽くせる望みはある。
さらに、オーディオファイルにしろ、オーディオ評論家にしろ、皆の標準純音聴力検査の結果のグラフが皆同じではないということ。このグラフは個人個人で微妙にあるいはかなり異なるのが特徴だ。その人のもともとの聴力、年齢、オーディオ歴、嗜好する音楽、働く環境などでバリエーションが豊富なのである。つまり、同じ音楽を聞いても全く違った聞こえになることがありうるのがグラフを見てわかることになる。この聴力・聴感の個人差は意外に大きく、これに目をつけてその人ごとにイコライジングしてフラットにした音をヘッドホンで聞かせようという試みもあるほどだ。(これについて日本の某メーカー製のシステムを簡易的に試させてもらったことがあるが、今のところあれはまだまだ未完成である。)
こうなると評論家で食べている方などはこの検査を信用のおける専門施設でやってもらって公開してもいいかも。特に聴力の精度管理という観点からは重要だろう。彼らの評論を読むオーディオファイルも自前でこの検査をやっておいて、自分のグラフの形に近い評論家さんの話を優先的に聞くべきなのかもしれない。

何にしても過ぎたるはなお、というところだ。
病院行きはD8000に入れ込み過ぎた結果だろう。
人は必ずその人の所業にふさわしい報いを受ける。
逆に私にそこまでさせるヘッドホンD8000の魅力には稀有なものがあるとも考えられる。
これは重さや装着感についてはあまり良いモノとは言えないが、
音についてはどうも次元が違う。
オーディオをやる意味というのは、機材の出音が細かい音質の評価項目を満たしているかどうか検証することだけでは無論ない。自分の好きな音楽を聞いて、他の機材に比べてどれくらい官能的な充実感があるかという一見、単純な事こそ大事である。音が正しいか・優秀かどうかというような理屈ではなく、脳の深い所に音楽がダイレクトに届いて心の琴線を弾けるかどうかが重要なのである。まさにこの官能的な充実感という意味において、このD8000というヘッドホンによるリスニングは極めて高い点数をつけられる。過去の傑作STAX SR009もそういう官能・快感に直接訴える側面を持つヘッドホンなのだが、あれは高域の伸びや美しさ、細部まで整った繊細な音像の描写に拠っていた。極めて軽く薄い振動板にコイルボビンを取り付けることなく駆動できるヘッドホン特有の、このような出音。そこには他機の追随を許さない利点があった。そしてSR009の発売から約7年後にオンステージしたD8000のサウンドにはそれらの要素に低域のインパクトや中域の厚みなど、さらに多彩な長所が加えられている。D8000はSR009の不満点を見事に改良したモデルであり、これほどのサウンドを持つヘッドホンは今までなかった。

もう今年で平成も終わる。
敏感なオーディオファイルは誰もが気づいていることだが、昭和期に形成されたハイエンドオーディオのビジネスモデルは、機材の高価格化、旧型のハイエンドオーディオの担い手の高齢化、日本人の生活スタイルと価値観の変化、日本の若年層の貧困化、音楽業界の衰退になどよって、日本では平成期に実質的に崩壊した。とはいえ、このような廃墟であっても多くの人が居残り、そこで商売をし、音を聞いて愉しんでおり、依然としてそこへの出入りがあるのが現実だ。無論、私もそこに留まる一人である。だから、そこで生業を営み、趣味を楽しむことにどうこう言う気はさらさらない。だが、とっくに壊れて終わっているにもかかわらず、前のビジネスモデルがまだ残ってしまっていることには問題もある。それを撤去して新しい仕組みを作ることができない状況を生むからだ。そのせいで、この先も速いスピードで変化してゆく世界の中で、ハイエンドオーディオをどう売っていくのか?そのアイデアは?となると、誰も何も新しく思い浮かばないという手詰まり感がある。これからも富裕層だけに割高な機材を売り続けるしかないのだろうか。今、とても高価なオーディオ機材は、なぜ高価なのかといえば、ひとつには数が売れないからということがある。つまり音のクオリティが高いから高価だとは言い切れないのだ。沢山売れれば、単価はもっと下げられるのであるが、発売前の見積もりとしても多数は売れそうもないし、実際売ってみても昔ほど数が出ないのである。だから初めから高くして売る。そうなるとこの価格設定にはメーカーや代理店側の保険のような意味もありそうだ。本来は音がいいから高価、となるべきなのだが、そういう側面は意外に低く抑えられている。仮に音は良くても我々は損をしている。

一方で、
昭和期まではオルタナティブな立場に終始し、あくまで脇役でしかなかったイヤホンやヘッドホンが今までのスピーカーオーディオとは別な場所に、新興のデジタルファイルオーディオやアニソンの要素を取り込みつつ、新たな王国を打ち立てつつある。
もちろんこれは伝統があり様々な意味で大規模でもあるスピーカーオーディオの土俵で戦えば、たちまち打ち負かされるようなものかもしれない。だからこそ自分で別な新たな土俵を作り上げたのである。これはどこか既存の貨幣とビットコインの関係にも似ている。これからは個人が自分の好きな経済圏を選択できたり、跨いだりできる時代となるが、それに似ている。
この新天地において、もういちどハイエンドオーディオの旗をひるがえすことはできないかと私は模索してきた。そして今、D8000の音を聞いて野望の実現への手掛かりをつかんだ気がする。思えばRe Leaf E1の登場時にもそれに近い手応えを感じた。そしてこのD8000の登場をもって新しいヘッドホンオーディオの姿が完成した形で見えるまでに整ってきた感がある。もちろん問題も生じてきている。例えばヘッドホン・イヤホン機材も一部は高価格化し、安価で手軽な製品と二極化して、スピーカーオーディオと同じ轍を踏みかねない状況が出来ている。しかし、なにはともあれ、その芽吹きの予感から10年ほどかかって、ヘッドホンやイヤホンの音質がここまで発展して来たことは評価すべきである。レクイエムを歌うにはまだ早いにしても、着実に黄昏を感じるスピーカーオーディオより、よほど前向きな動きだと思う。

何があろうと、
私はこれからしばらく、Final D8000を軸にしてヘッドホンオーディオの可能性を追求していく。この機材はおそらく私のヘッドホンオーディオにおいては画期的な機材であり、時間とカネをかけて仕上げてゆく価値のあるものだ。
スピーカーオーディオを散々やったあげくに、自分のオーディオにどこか退屈さを感じ始めていて、なにか新しいことに手を出したいけど、ヘッドホンはブームなだけで音質は今一つだから、などと思っている方が多くいるはずだ。そういう方には十分な前段機器と静かな環境というのが前提条件だが、一度D8000を試してみることをお薦めする。自分の知らなかったオーディオのフロンティアに気付くかもしれない。
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それにしても、
オーディオの世界ではD8000の出現を、
なぜもっと大きく騒がないのか?
今の私には皆の無関心が至極、勿体ないものに映るばかりだ。



# by pansakuu | 2018-01-29 16:33 | オーディオ機器

Final D8000 平面磁界型ヘッドホンの私的レビュー:約束の地

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私はαでありΩである。
ヨハネの黙示録より

Introduction:

ふりかえると、
今年という年はそれまでヘッドホン界を包んでいた
異様なほどの熱気が幾分か冷めてきたことをネガティブな要素として感じたものの、
そのせいでむしろ、ニワカは去り、選ばれた本当のファンだけが居残り、製品の方も機能的に高度に洗練されたものや、高い音質への志を持ったプロダクトだけが生き残り、
かえって一つの趣味としては熟成してきたことをポシティブな要素として受け止められた一年だったと思う。

そのような選別、洗練化の流れの中で注目すべき製品として、今年最後のコラムで紹介したいのがFinal D8000というヘッドホンである。これは久しぶりに衝動買いしたオーディオ機器だ。初めに試聴した部屋を出た時には、もう購入の申し込みをしていた。

これは生まれながらに名機としてリスペクトされるべく現れた、運命のヘッドホンである。
私見だが、D8000は音質面に限れば現在、世界にあるヘッドホンの頂点に立つものであり、次世代のリファレンスヘッドホンであり、ヘッドホンの音質を新たな段階へ引き上げる製品であろう。
このヘッドホンを駆使する者は、どのようなスピーカーでも実現不可能な、ハイエンドヘッドホンだけに許されたオーディオの可能性を深く感得することができるだろう。D8000誕生以前のヘッドホンオーディオのスタンダードからすれば、いくら賞賛しても足りないほどの音質がここにある。

D8000が生まれるために必要だったのはいくつかの出会いである。
そもそもオーディオとは人と人との出会いがつくる何かである。
しかし、その出会いがいくら良い出会いであっても、ひとつでは足らないこともある。
幾度もの出会いがなければ、良い製品は生まれない。
多くの才能との一期一会、最初であり最後である出会い達から名機は創生される。D8000のサウンドはFinalという核があってこそ出来たのは確かだが、このメーカーの技術のみでは成就しなかったはずだ。社外の多くのエンジニアたちとの交流なくして、このサウンドはなかった。一人の天才の力だけでは既にどうすることもできないほど、オーディオも社会も発達し複雑化してきている。やはり沢山のいい出会いがなければ、もう素晴らしい製品は生まれない。それを証明した意味でも、このサウンドの意義は大きい。


Exterior:

D8000の実機は重い。LCD4ほどではないが、Utopiaよりも明らかに重たい。装着すると、まあまあ違和感なく収まるし、頭頂部も痛くないが、上体を前に倒すとヘッドホンは前にズレてくる。側圧が少し弱いか。例えばHD660Sを使っているが、こちらは逆に側圧が強いというか、パッドが盛り上がり過ぎているうえ、硬い。反対にD8000はパッドが柔らか過ぎるか。いずれにしろ装着感の改良がさらに必要だ、しかし、このパッドは音質に深く関わるので安易には変更できない。側圧もだ。

以前、Finalのセミナーに出たことがある。社長のH氏が出てきて長い講釈をしてくれた。その時は大学の退屈な講義を思いだして辟易したものだった。こういう場合、Youtubeにでも内容をアップしておいて、説明を字幕で見せながら、製品を試聴させるというのが現代的なやり方だろうと思ったが、まあそれはいい。そこで、Finalはパッドにこだわって音質をチューニングしていますというH氏の発言があり、興味を惹かれたということを私は言いたいのだ。その当時、私はちょうど或る方面からHD650の音質を改善するための別注イヤーパッドの開発について意見を求められていたので、誰しも同じようなことを考えているのだなと思って微笑ましかった。
問題のD8000のイヤーパッドは私が今まで見たヘッドホンのなかで最も複雑な構造をしている。厚めのストッキングのようなサラサラした感触の布でドーナツ型の袋のような形のスキンを作り、その中に二種類の異なる形状・硬さのドーナツ型のスポンジのようなものを入れてある。それらはおそらくあえて接着固定されておらず、しかもその二つのうちヘッドホン側のものには内側に切欠きが入っている。Finalらしいというか、求める音を得るためにかなり入念なチューニングがなされたことが、触れただけで分かろうというものだ。この会社の開発はこういうギミックとか材質の選択には余念がない。
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ハウジングは特殊金属製と推測される黒い円板状のものであり、放射状にリブが入っている。中央部にドーナツ型のメッシュが入ったパンチングメタルのプレートが嵌め込まれているのが目につく。よく見ると小さな穴がびっしりと開けられている。このパーツがこのヘッドホンのキモの部分らしい。それというのも、このヘッドホンは振動板の過剰な動きを的確に制御するため、空気の粘性を利用したブレーキのような仕組みを持っている。これがAFDS、エアフィルムダンピングシステムと名付けられた機構である。この細かい穴の開いた部品は、振動する薄膜がマグネットに接触しないようにブレーキを効かせる際に、空気を適切な時に適切な量だけ外に逃がすように設計されている。このブレーキ・制動の働きの良し悪しは、その形状とメッシュの穴の大きさ・配列にかかっているわけで、その製法の詳細はFinal社の最高機密であろう。そういえばMDR-Z1Rのハウジングにも、内部の圧力をステンレスワイヤーで編んだ網やダクトを使って絶妙に逃がす仕組みがあるが、どちらも特殊なメッシュを使うところに共通項がある。なお、この仕組みはイヤーパッドの側頭部への密着性や圧力の透過率にも依存しているはずで、この意味でイヤーパッドの材質の選択、形状の設計も重要なファクターと推測される。これだけ高額なプレミアムヘッドホンにしてイヤーパッドを革製にしなかったことはその証拠ではないか。
なおこのAFDSという仕組みこそ社外からのアドバイスを取り入れてできたものらしい。後で述べるがD8000のサウンドの素晴らしさ、特に低域のグリップの良さはこの仕組みによるところが大きいようだ。
メーカーのHPにはその他、特殊な製法で作られた振動版のことを含めて、いくつかの技術要素について説明されているが、実機を十分な環境で鳴らすとその程度のことでこのサウンドが完成するとは到底思えない部分がある。隠されたノウハウや互いに関連のない技術の偶然の一致がこのヘッドホンが作られる過程に介在しているに違いない。

またD8000のメッシュの面積はハウジング全体の大きさに比してあまり大きくないので、このヘッドホンはさしあたりライバルの一つと思われるSTAX SR009のような純粋な開放型ではなく、半開放型ぐらいな作りになっている。そのせいかSR009に比べると音漏れは若干少ないし、逆に周囲の音にあれほどは影響されない。

ハウジングの5か所にある放射状のリブは、ハウジングに強度を与えているだけでなく、このヘッドホンのデザインを作っているようにも見える。実際、このリブがあるおかげで、D8000は装着時のルックスがいい。だがこの特殊な金属製のハウジングはやはり重い。同時期に出たオーテクの極めて軽い製品などと比べると、ヘッドホンとしては望ましくないと判定されそうだ。しかし、この重さと剛性はD8000のサウンドの形成に不可欠なものとも思う。LCD-4の時もそうだったが、望む音質を得るためには相応の重量がヘッドホンといえども必要になることがある。
さらに、このハウジングの黒い塗装である。
ライカカメラの軍艦部などの塗装を担当するドイツの会社に特注しているらしい。
ここまで外観の色や質感にこだわったハウジングは久しぶりに見た。TH900の塗装やEditionシリーズのプレミアムウッドなんかを想い起すが、なるほど、この深みある黒はブラッククローム仕上げのライカのようだ。この僅かにざらつきのある鋳鉄のような表面の質感にも、ドイツっぽさ満載である。H氏はあの講義でもライカへの思い入れを語っていたっけ。あのライカのブランドバリューを自社の製品イメージに取り込みたいと言う日本のモノづくり会社の社長さんが少なからず居るが、H氏もその一人らしい。
私もライカが大好きなので、そのへんはよく分かるが、そんな音質に関係ない塗装にカネをかけるよりは安くしてくれーという叫びが若い世代から聞こえてきそうだ。
私としてはブラッククロームができるのだから、ライカのようにクロームシルバーを出してほしい。D8000がいっぱい売れて余裕ができたら、そういう特別モデルを出しても面白い。

D8000のヘッドバンドやスライダーの作りはごく簡素で、例えばMDR-Z1Rなどと比べるとチープである。実際に使っているとスライダーにストッパーがないのでイヤーパッドが決めた位置から少しずつズレてしまう。クリックストップのあるものに変えるべきだろう。私は厚い両面テープをヘッドバンド裏の目立たないところに貼って、ハウジングの位置が動かないようにしている。こうすると音の方も一層安定する。またヘッドバンドの皮革は触ってみるとささくれが微かだがはっきりある。これはわざとなのかクオリティーコントロールの問題か。
ハウジングはヘッドバンドと一点で結合され、その一点を中心にグリグリと動いて側頭部の形状にフィットさせる方式である。よくあるY字型のアームでハウジングを吊る方式ではない。これは他のメーカーはあまりやっていない方法であり、長い目で見て、強度が保てるのかが分からないので少し心配であるが、とりあえず不都合はない。
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D8000、リケーブルはもちろんできるのだが、ここで使われるFinalの純正端子はかなり独特なものだ。端子を決められた方向に90度ねじらないと取れないし、結線することもできない。
私は端子の外側にねじる方向を示す矢印が欲しかった。ねじったあと、これで外れているのかどうか分からないときがあるのだ。
それから、まだ正式なアナウンスもされていない純正としての潤工社製シルバーコートリケーブルを使ってみたいのは山々だが(潤工社のケーブルの音の良さはACデザインの頃から知っているので)、サードパーティのリケーブルも試してみたい。だがこの端子ではなかなか難しいか。私は純正のシルバーコートリケーブルをXLR3pin×2で早急に作ってもらいたかったのだが、問い合わせすると、当面は純正品としてのXLR3pin×2のシルバーコートリケーブルの販売は予定していないとのこと。
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そういうわけで、今回はリケーブルをBrise audio様に頼むことにした。Brise audioはいつも新しい製品への対応が早いが、ここでも素早い反応を見せてくれた。電話で問い合わせるとfinal 専用の端子を使った試聴用のバランス仕様のケーブルはアッという間に届いた。
UPG001HP Ref.と呼ばれるこのモデルはくっきりとした輪郭と豊富な音数を特徴としていると聞いていた。実際このバランスリケーブルを使ってみるとFinal純正のシングルエンドケーブルよりも音像はソリッドになり、音場は広がって、音全体に安定感が出てくる。少なくともヘッドホンに同梱されているケーブルよりは明らかに手持ちのE1xとのマッチングはいい。正直、付属のシングルエンドの純正ケーブルには戻れない。リケーブルとしては、まずはこれで良かろう。


Sound:

さて、ここからは音質の話をする。D8000をいろいろなアンプやDACで鳴らした話は横に置き、私が試した中では一番音のいいシステムでの印象を記す。今回のシステムは無改造のPCとUSBで結線したNagra HD DACにRe leaf E1xをバランス接続、Brise audio様から借りた4pin端子仕様のUPG001HP Ref.にXLR3pin×2のアダプターを取り付けたD8000から成るものである。

それから、以下のインプレッションはこれらの一見オーバーとも取れる機材を前段においてこそ聞こえるものだと思ってもらった方がいい。わざわざここでそんなことを断るのは、D8000はそれほど前段機器の実力をあからさまにするものだからだ。
幾つかのハイエンドヘッドホンアンプを試したがD8000を鳴らすのにRe leaf E1xの右に出るものは見つかっていない。THA2ですらRe leaf E1xにはかなわないのだ。
またいくつかのシステムを試した経験から、DACの能力は高ければ高いほど出音が良くなるのも分かった。それは当たり前と思われるかもしれないが、普通のヘッドホンではハイエンドDACの出してくる情報をさばき切れないものが沢山ある。優れたDACを用いても、システムトータルの音のバランスはかえって悪くなってしまうこともある。だが今回は逆にDAVEやMytek のManhattan2ですらD8000の十分な相棒とは映らなかった。
dcsのRossini+ClockやCHprecision C1+X1、Weiss Medus、Meridian Ultra DAC以上の完成されたサウンドを持つ機材が望ましいと判断する。そのクラスのDACが放つ音を十分に受け止められるだけの性能がこのD8000には備わっている。ヘッドホンではほぼ初めてのことである。このような上位のDACを渡り歩いた後では、それ以下のDACの音では、その実力差が聞こえ過ぎてしまうと私は感じた。こうしてDACの残念なポイントがバレると思うと、D8000を使うことは少し怖い気もする。D8000は場合によってはハイエンドスピーカー以上にDACを厳しく評価してしまう。スピーカーはごまかせてもヘッドホンはごまかせないという名言を吐いた録音エンジニアさんがおられたが、まさにそうなのである。いままでの私の感覚だとハイエンドDACの情報の8割ぐらいしかヘッドホンでは聞けない場合があるので、その目減り分を補うべく、初めからややオーバークオリティのDACを当てたり、HPAの性能を上げたりしていたのだが、D8000では逆の現象が起きている。
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Final D8000を使っていて真っ先に感じるのは、
これまでいくつものハイエンドヘッドホンやスピーカーを、これまたプレミアムなDACやらアンプを使って頑張って鳴らしてきたが、それでも聞けない音があったということである。D8000を組み込んだシステムでは従来のヘッドホンやスピーカーと比較して、全ての帯域で情報量が明らかに増えている。特に低域における情報量の増大に目覚ましいものがある。これはヘッドホンに限らずスピーカーを含めてもかなり情報豊かな低域と言えるのではないか。人として恥ずかしいほどのレベルでヘッドホンやスピーカーに傾倒してきたのに、アンタはなんにも聞けていなかったじゃないかと言われれば返す言葉もない。これではD8000以外のヘッドホンでは特に低域の情報がかなり失われていたと認めざるをえない。どこかでごまかされた、うやむやにされたような音を私は聞かされていたのかもしれない。
D8000の低域はスピード感もインパクトも制動も他のヘッドホンにはないものがある。量感に不足なし、歪みは極小、適切なタイミングで立ち上がり、たちまち消える。こんな低域などほぼ聞いたことはない。良質なダイナミック型を上回るほどのインパクトがありながら巧みに制動が効いた低域でもある。

ヘッドホンシステムを完璧にして初めて聞こえてくる音があると思い知らされるリスニングがD8000が来てからは何日も続く。
聞きなれた録音の中に、こんなに多くの音が潜んでいたとは。
この潜伏音の聞き逃しは、ちょっとしたショックである。
例えばラルフ タウナーのソロアルバムAnthemを聞く。これはタウナーがひたすらにギターを弾いているだけのアルバムなのだが、これまでこれらの曲を、それなりハイエンドシステムで聞くと楽器から出る音に加えて時々タウナーの息遣いがリアルに聞こえたりする。それで十分だったのだ。しかしヘッドホンをD8000に替えると、タウナーが生きている人間であることがもっと切実に意識される。演奏中ずっと彼の呼吸音が聞こえるからである。この呼吸音はかなり小さな音だが、マイクロホンはしっかり捉えていたのである。呼吸音は持続的で時に規則正しく、時に乱れる。タウナーの感興に合わせて変化しているようだ。またタウナーが座っていると思われる椅子がきしむ音も聞こえる。このアルバムは何百回と様々なシステムで聞いているが、そこは初めてはっきり聞こえた。この音の存在はコンピューター上で合成されたサウンドなのか、生きている人間がスタジオに入ってマイクロホンと向き合って一発録音されたもののかを分けるポイントでもある。
そういう重箱の隅の音が聞こえたからなんだ、という意見も出そうだが、私はそうは思わない。朗々と響き渡るギターのつまびきが、いままで聞こえなかった細かな音の情報を伴っているので、従来のよりずっと生々しく鮮烈である。
例えば今はアジアンカンフージェネレーションのソルファを聞いている。音量をすこし上げるとボーカルが本当に目の前にいるようだ。リズムとメロディに合わせて潤いを含んだ口を開けては閉め、周囲の空気を吸い込んで暖かい息を吐き出す。これが生きているボーカリストというものだとリスナーは体感する。細かい音の情報はあくまでつくりものであるはずのヘッドホンサウンドに命を与えてくれる。

小さな音が聞こえることと同値であるが、
D8000のサウンドでは余韻がとても長く、音が消え入る最後の一滴まで耳に届くことが嬉しい。手練れたサイフォニストに淹れてもらったコーヒーのアロマのように長く尾を引いて脳裏に残るといった具合だ。さらに、こんなにもきめ細やかな音の輪郭、丁寧な質感描写もほとんど類例がないレベルだ。近いものがあるとすれば唯一SR009だろうか。SR009にも特筆すべき音の丁寧さ・繊細さがあったが、D8000はそれをそっくり移植したうえで、低域を中心としたもっと明確な実体感をプラスした音を奏でる。

また、D8000は自分の得意とする音場・音源との距離感をリスナーに押し付けない。録音され製品化される過程でエンジニアが音楽に与えた音の広がりをそのまま出してくる。すなわちD8000については出現する音場が広いとも狭いとも言えないのが本当のところだ。様々なジャンル・時代のアルバムをとっかえひっかえ聞いていくと音像の遠近や位置関係が作品ごとに実に多彩であることがわかる。音がほぐれて遠くにいるときもあれば、密集して耳のごく近くに迫ってくるように聞こえる音もある。例えばHD800は普通に使うならよくできたヘッドホンではあるが、これらの距離感がどんな録音でも一様になってしまう。D8000はそこの部分に注意して聞くリスナーに対しては録音のシュチュエーションや音楽制作の過程をどのヘッドホンよりも親切に教えてくれる。これは録音スタジオなどでモニターヘッドホンとしても使えそうだ。
録音状況がよく見えるようになれば演奏の細部も当然よく見えることになる。演奏の溜めの部分、インタープレイの目くばせとそれに対する反応、そして演奏の始まる瞬間に奏者たちが呼吸を合わせる合図が見えるような聞かせ方である。これらは本来DACやアンプに依存する部分が大きいはずだと考えていたが、ヘッドホンが従来よりも小さな音にしっかりとタッチできるようになってこそ、聞こえてくる部分もかなり大きいのだと知った。

それから、意外だったがパワーがかなり入る。ボリュウムを挙げるとさらに情報量が多くなって驚く。大音量だとまるで音が沸き立つように聞こえる。音像がダイナミックに音場一杯に躍動する様子は大音量派のオーディオファイルのリスニングを彷彿とさせた。ここまでアグレッシブにもなれるのに、一方では細部への冷静なまなざしを失わないのも素晴らしい。音楽のノリに流されないで小さな音を常に監視する。
また格別に大音量にせずともこのヘッドホンの出音は頭の一番深いところにまで届いてくる。この鳴りの良さはなんなのだろう?こんなにディープインパクトなサウンドはあり得ないと思っていた。音の直進性と広がりはスピーカーでの評価項目だが、それをあてはめたくなるほど、音がこちらに飛んできたり、広く深く浸透したりするように聞こえる。

D8000の音の出方は耳の上になにもかぶせないで聞いている状態に近い。SR009もなにもない場所から音が立ち上がるような不思議な感覚を持つがそれに近い。頭が重たいのでヘッドホンをしていることは意識できるが、音がそこから出ているようには聞こえない。
よくスピーカーで聞いているように聞こえるヘッドホンとい謳い文句があって、私も使ったことがあるが、ある程度はお世辞が入っていたかもしれないと反省。D8000は世辞抜きでさらにスピーカーに近い音の出方をする。SR009にはここまでの鳴りの良さ、パワフルな音の出方がないのが惜しい。
D8000は楽器と楽器の間にある空間の存在、音が立ち上がる寸前に置かれた静寂の質についても描写を怠らない。実は音がない場所はこの世界にほほとんどない。どのような静寂の中にもエーテルのように微かな音が流れている。それを捉えるには軽い振動版が必要であり、SR009やLCD-4などはそこを狙って工夫をこらすのだろう。だが往々にして完璧にならない。D8000はその方面での稀有な成功例なのだ。こうなると各パートの分離は非常に良好となり、多くの楽器や演奏者を分離して意識することが可能となる。

D8000の出現でハイレゾデータに対する印象も変わる。ただ単に音数が増えるだけでなく、音の密度がグッ上がるのだ。基底データよりも目が詰まった、粒立ちがよく、色彩感にあふれたサウンドになるのが分かる。ハイレゾの情報量をヘッドホンはまだ使い切っていなかったようだ。

D8000のカバーするダイナミックレンジと使える周波数帯域はヘッドホンとしては異例に広い。特に低域の伸びは著しい。高域も自然に伸びていて好ましい。そして特に突出して目立ったり、落ち込んでいる帯域は聴感上はほとんど感じられない。平面磁界型では薄くなりがちな中域に十分な厚みが確保されていることも注目すべきだろう。D8000をつないでいる私のシステムについてはもともと残留雑音(S/N)に関しては極めて優れたものであることは疑っていなかったが、それはD8000を使うことで証明されたように思う。背景の静寂がアルバムごと・録音ごとに感触がちがうこともよく聞こえる。録音に使用した機材、録音された場所・時代の違いが音が出る前に感じられる場合がある。

さて音質に関する御託はこの辺にとどめておいて、他のハイエンドヘッドホンと思いつくままに比較してみよう。あくまで私的なコメントとしてだが。
STAX SR009はこの世界では標準機としての地位を固めているが、このヘッドホンには低域の量感や全帯域にわたってのもう一歩の実体感を求めたかった。D8000にはそれらが完全に備わって不満がない。またSR009は十分にドライブできるヘッドホンアンプがほとんど選べない。T8000とBlue hawaiiくらいしか思いつかない。だがD8000では最適にドライブするHPAを豊富な選択肢から選べる。
Focal Utopiaのサウンドは鳴りがよく、全域にわたり解像度が高い。しかしアンプとの相性は限られ、べリリウム独特の音の密度感や重さを引きずっている。Utpoiaよりもはるかに軽い振動板を使い、低域についての最適解を見出したD8000に勝るとはいえない。また音質とは関係ないが、このメーカーのヘッドホンの内外価格差は正規代理店経由での購入を躊躇させるのに十分なものとも言える。国産のD8000には、その悩みがない。
話題のオーテク ATH-ADX5000。(SS誌がこのヘッドホンを年末のグランプリで唐突に取り上げたことに違和感を感じたことは置いておいて)軽さや装着感などではD8000は完敗である。というか、このヘッドホンはその点で言えば世界のほとんどのハイエンドホンを寄せ付けないものがある。音についても今までの基準を適応するならとても優秀なものである。これは鳴り物入りで来たわりには不人気だったSE-Master1の音質上の問題点を後出しで改良したようなモデルである。オーテクが久々に放つオープンタイプのヘッドホンの自信作、バランスよく開放的な音を奏でる優秀機である。しかし音のひとつひとつの要素を考えると、今までのヘッドホンの枠の外には出ていない。私にしてみれば想定範囲内の優秀機なのである。対するD8000のサウンドは全てにおいて想定外の世界に突入している。またATH-ADX5000の低域については私的には量感やインパクトが足りない。この低域ではまだ空振りしていると私は取る。もちろんD8000出現まではこの程度で良かったのだが・・・・。D8000との間には価格差はあるが、相応の音質差があると見ていい。
ETHER FLOWはD8000ほど鳴りは良くないし、帯域がフラットでなく、固有の響きが見え隠れする。それから音の解像度もATH-ADX5000ほどのものでさえない。これはD8000と比較する前にATH-ADX5000と比較されるべき存在かもしれない。
Sennheiser HD800sについては装着感と音質、価格などを総合して考えるととてもよくできていると思うが、D8000と比べると音質面ではもはや勝負にならない。D8000はHDシリーズとは一世代違うサウンドを奏でるものなのである。さらにSennheiser には、かなり高級なセット品としてのHE-1が切り札としてあるが、こちらは真空管を使うアンプ部が残す音の甘さをどう考えるかが評価の分かれ目となる。外観、ギミック、音に独特の豪華な味わいを求めてHE-1を選ぶのなら理解できる。だが、ヘッドホンから出てくる音の質のみを単純に比較した場合、相応しい前段機器でドライブされるD8000にHE-1システムが勝るものとは私には思えない。

意外なことだがD8000の音の良さのあらましを知るだけなら、AK380などのハイエンドDAPを使えば十分のような気がする。つまり、世の中の平面磁界型ヘッドホンとしては鳴らしやすい部類に属する。SUSVARAのようにOctave V16 SEにSuper Black boxをあてがったり、Goldmund THA2を使ったりしないと実力を測れないような難物でない。つまりSUSVARAはその使いにくさから既にD8000には劣るということだ。SUSVARAの鮮烈な音像の描写と高域の美しさは唯一無二ではあるが、中域・低域の描写力はD8000に劣るし、音場の描き方も十分とは言えない。ついでにいえばSUSVARAはHifimanの中では最も仕上げのいいヘッドホンだが、リケーブルのコネクターの本体への差込み角度のばらつきなどを見ているとまだ完璧ではない。D8000の方は神経の行き届いたしっかりとした造りとなっている。同社のHE1000V2はどうだろう。こちらはD8000と同等の空間表現を備えるが、音像の明確さや音のテクスチャの表現力はやや劣っている。しかもSUSVARA同様、鳴らしにくい。
D8000の真のライバルがいるとしたら最新バージョンのLCD-4だろう。これは軽い振動板をパワフルに鳴らす、究極のヘッドホンを目指して作られた機材であって、D8000と似たコンセプトを持って生まれてきたものである。実際、高域や中域の充実はD8000にそれほど劣らないと思う。LCD-4はしばらくD8000とほぼ同じ環境で使っていたのでよく分かる。だがD8000の方がやはり聞こえる音数がかなり多い。それから低域の充実度もより高いし、鳴りもより良いのでD8000はLCD-4より総合的に勝っている。それから何といっても、D8000はまだ故障していない。audeze lcd4は届いて2週間もたたないうちに本国に修理に出さなくてはならなくなった。


Summary:

大学生の頃、ニューヨークのセントラルパーク沿いのホテルに一か月ほど居たことがある。真夏の緑に染まったセントラルパークを眺めながらゆるやかに過ごした日々。
あれは私の経歴の中で最もヒマで退屈な日々だった。
私はクリスチャンではないが、その当時ミルチア エリアーデに傾倒していたことと、そもそも世界中の主な宗教の経典を一通り読まないと大学の単位が取れそうになかったので、コーランや論語、般若心経や阿含経、いくつかのヴェーダなどに混じって聖書を革製のトランクに入れて持ち込んでいた。窓辺の明るい光の中でその中にあるヨハネの黙示録にさしかかったとき、例の有名な一行が目に留まった。
「私はαでありΩである。」
この種の短く重い言葉が多くの解釈を生むことをその時初めて知った。
αとは最初の存在、Ωとは最後を意味しているので、この言葉はすなわち「全て」、ひいては「神」を指しているというのがよくある解釈である。
だが私はこのときαとΩの間にある20数個のギリシャ文字のアルファベットを想起した。一般的な解釈を超えて多くの異なる要素の統一体としての「全てを含む存在」をイメージしたのである。なぜだろう。遠い未来にはD8000を聞いてその勝手な解釈を思い起こすためだったのかもしれない。

Final D8000はヘッドホンに対してハイエンドオーディオが要求する、ほとんど全ての音質的ファクターをほぼ死角なしで揃えた、初めてのヘッドホンである。αからΩまで全ての要素を持っているのである。
またFinal D8000という一つのヘッドホンは多彩な経歴をもつエンジニアたちの知恵が集結したものである。これはヘッドホンオーディオというジャンルが生まれるはるか以前から続く、音響物理の研究成果と高音質を求める情熱、それらを統一した存在と考えられる。D8000はその意味でαでありΩであるモノだと言える。
そしてD8000は最初であり最後でもあるヘッドホンかもしれない。これほどの高性能、各要素のバランスの良さをもつヘッドホンが次々と現れるとは考えにくいからだ。このヘッドホンの技術要素のコアとなる部分について重要な助言をした日本オーディオ界のレジェンドN氏はD8000の完成直後に世を去ってしまわれた。これから先、有能なベテランエンジニア達は消えゆくのみなのだ。こういうヘッドホン・イヤホン隆盛の時代にたまたま出会った、時代を跨ぐ才能のマリアージュが、この素晴らしいサウンドである。ならば、そんな偶然が再び起こるとを安易に期待することはできまい。だからこそ今、このサウンドを味わうべきだ。38万円は高くない。
そして何より、このヘッドホンは私にとっては神の器のごとく有り難いものに思える。
「αでありΩである」という言葉が神を指し示すなら、その意味でもD8000はこの謎めいた言葉に合致する存在だ。ヘッドフォニアたちを約束の地へと導く、ヘッドホンの神がいるなどと想像したこともなかったが、初めてD8000を聞いた時、そんな図式が頭に閃いたことを私は否定しない。

冗談はさておき、
Final D8000の登場はヘッドホンオーディオのスタンダードを一段高いステージへと引き揚げたことは事実である。この複雑で偉大なサウンドを一回の混乱したコラムで語り尽くすことは到底無理だが、私の中ではD8000以前と以後で他の全てのヘッドホンの立ち位置が変わってしまったことだけは確かだ。
いきなりずいぶん高いところに新たな頂点が出現した。
別な例えをするとしたら、100mを8秒台で走るアスリートが突然日本から現れたというところか。
これは最近のスピーカーオーディオで言えばAir force ONEやMSB Select DAC、イヤホン界で言えばAK380、JHのLayraのような画期的な新製品が現れた時に似ている。それらの登場の時と同じくここからオーディオ全体に密やかな影響をおよぼすような変動が始まる予感さえある。もちろんそれは見かけ上小さな変化かもしれない。感覚を研ぎ澄ませ、注意深く耳を澄ましている者にしか知り得ないかもしれない。だが・・・・・・。
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そろそろ放言してもよかろう。
我々は荒野の果てにある、約束の地と思われる場所に辿り着いた。
αでありΩであるなにかが、そこに私を連れてきたのである。



# by pansakuu | 2017-12-31 16:01 | オーディオ機器

Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で

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霧が晴れるのを待っていても仕方がない。
だから、私は霧の中で一人踊るのだ。
カリディアス(作家)



Introduction

オーディオ機器の中で
私が最もファンタジー=幻想性を感じる機材はフォノイコライザーである。
単体でオーディオにおける音の美というものに
これほど貢献する機材を私は他に知らない。
そして、その他を知りたい思わないほど、
私はフォノイコライザーが好きなのである。

フォノイコライザーとは、カートリッジから来た微弱な信号に、あらかじめ決められた再生カーブに従い、低域成分を大きく、高域成分を小さくする補正を施して出力する機械に過ぎない。だが、優れたフォノイコの生み出す音の変化は他のどの機材でも醸し出せないものがある。これはアナログシステムの音色を決めるものである。

先ごろ、私はAudio Noteの最高級システムを詳しく聞く機会に恵まれた。
そこで初めて聞いたコンポーネントといえば、フラッグシップフォノイコライザーであるGE10のみだったが、この秀機を擁するAudio Noteのシステムの出音に、私は強い印象を受けた。
しかし、その感覚を言葉にするのには、しばらく時間が必要だった。
それは物理と数学を基礎とする電気工学の塊から、科学とは無縁のようにみえる幻想的なサウンドが霧のように湧いてくるという矛盾した体験を表現するのに手間取ったからではない。
そのサウンドの外にある、この機材の存在意義について考えていたせいだ。
私は、この体験を表現することに心の奥で戸惑い続けていた。


Exterior

ここで略称するフォノイコライザーGE10の正式名称はGE-10ステレオCRタイプ フォノイコライザーアンプリファイアーである。
試聴時に頂いたカタログの中ではフォノイコライザーという言葉は使われず、フォノアンプという呼称が採られている。イコライザーとつくと信号を補正する機能が前面に押し出された名になり、フォノアンプと言うと信号を増幅する意味が入ってくる。この名付けははたして意図的なものだろうか。実際にGE10を聞いても、なるほど音を増幅する機械としての側面が強く感じられた。

GE10は二筐体から成る。高級機でよくある電源部を別筐体とするものであり、その構成自体は珍しくない。
一般にフォノイコライザーは装置の丈が低く、平らなものが多い気がする。ターンテーブルの真下に薄型の筐体がひっそりと滑り込んでいるようなセッティングの図式を思うものだ。
GE-10については筐体の丈の高さがフォノイコライザーとしてはかなりあるというのが気になった。これは真空管を立てて内蔵したうえ、内部が銅のパネルで仕切られた二階建て構造になっているためらしい。

内部には8本の真空管(E88CC,6072,6CA4)とAudio Noteで手作りされる大型銀箔コンデンサーを含むCR型のイコライザー回路などがシルク巻きの銀線で結線され整然と納まっている。モジュール化されたフォノアンプ部はコンパクトだが、筐体はこれだけの大きさがあり不釣合いな感じもする。パワーアンプのKaguraと異なり、トランスの巻線は銅線であるが、大規模設計のシャント型ヒーター電源回路、大容量のリップルフィルターコンデンサ、片チャンネルあたり二個搭載されるチョークなど、電源部はフォノイコライザーとしては豪華なものである。そして驚くべきは、出てくる音がカタログのスペック欄に記載されている内容から連想されるものより、さらにハイレベルなものであること。カタログでは語られない、多くのノウハウがここには内包されているのだろう。

電源部と本体のフロントパネルには二系統の入力を選択するダイヤルと電源ボタンなどがあるばかりで極めてシンプルである。入力選択の他に機能らしいものといえば、リアパネルに抵抗切り替え式のローカットフィルターが実装されているのみ。ただ、これは操作しやすいものではない。裏にまわって見えにくい場所にあるトグルスイッチを操作するのだから楽じゃない。フロントパネルに多くの機能を集約するEMT JPA66などとは異なる。
そのリアパネルも実にシンプル。RCAの入力が二系統あり、RCAの出力が一系統あるのみ。最近話題のXLRバランス入力も出力もない。これでは他社機との接続をあまり考慮していないと取られてもしかたない。これほど高価なフォノだが、接続の発展性が低いというのはプラスにならない。
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今回の試聴システムはAudio Noteの最上級のコンポーネントを組み合わせたものであり、いわばその総力を結集したものとなる。
アナログプレーヤーはGINGA(写真でみると巨大に見えるが実物はAir Force ONEなどと比べれば以外にコンパクトかつ簡潔なつくり)。
昇圧トランスは純銀線巻のSFz(あまり知られていないことだがGE-10はあえてMM専用のフォノイコライザーとしたのでトランスは必要)。
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プリアンプはG1000(究極ともいわれた先代モデルを超えたと評される素晴らしい音を出すが、これまた機能の少ないプリ)、
パワーアンプはKagura(私が個人的に高く評価するBoulderの2000シリーズのアンプを超えるという話もある素晴らしいアンプ)。
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これらをつなぐケーブル類も銀線を基材としたAudio Note純正のケーブルである。
(ここでは以前大人の事情で紹介できないと書いた、あの電源ケーブルが使われている)
なおレコードカートリッジは私の見立てでは完全な純銀伝送回路を持つIO-Mであり、シェルリードまで純銀製であったようだ。もちろん、これらも全てAudio Noteの純正品である。つまりスピーカーを除く全てのコンポーネントのマッチングがAudio Noteで調整済みの組み合わせなのだ。Audio Noteの製品はもともと純正組み合わせを前提としているようなところがある。それは海外では一般的なオーディオの揃え方であるから、日本以外ではこれでいいのだろう。このメーカーが海外で評価が高いのは純正組み合わせを揃えて聞く習慣とも関連があると思う。
スピーカーはもうかなり前のモデルになるがB&Wのノーチラス801である。こういう古いB&Wを久しぶりに見た。まだ使われているのだなぁと感慨。Audio Noteは今でもこんなに古いスピーカーで音決めをしているのだ。最新のB&Wのシリーズとは全く異なるやや鈍重な38cmウーファーを持つ、いささか古風なスピーカーで音を決めることが良いのかどうかは分からない。Audio Noteユーザーにアンケートでも取って、果たしてこのスピーカーで音決めしていいのか、考えてもいい。38cmウーファーを持つスピーカーのユーザーが多いのなら、この選択は正しいから。
ただ、この試聴室のスピーカーは常にAudio Noteの機材で鳴らされているため、AudioNoteの調子に馴染んでいるようだったのは確かだ。ちょっと出音を聞くだけでも、このスピーカーの使用を頭ごなしに否定できないのは明らかだった。


The sound

試聴して先ず感じたのは、
初めて聞くレベルの音色の濃さである。
これは滅多に聞かないほどの濃厚で鮮やかな色彩感を持つサウンドである。
ふと考えると、聞こえる音に色を感じること自体、とても奇妙なことだ。
オーディオファイルというものはオーディオを始めてしばらくして、音に色というものがあるのを直感的に認識することが多い。この音の色というのは実際のところ、音の勢いや立ち上がりの早さと、音の手触り・テクスチャーから想起されるイメージの総体であり、そのオーディオを聞く個人の音楽的な経験・記憶に由来する感覚である。この音の色あいが、GE-10を擁するシステムでは実に濃厚に感じられる。個人の音楽的な記憶を他の機材より強く呼び覚ますと言ってもよい。
ここでのサウンドは目前にその色を見るというような授動的な感覚を与えるものではなく、手を伸ばせば実物に触れるような距離感をもって、その色をしげしげと注視しているような能動的な感覚を呼び覚ます。
さらに言えば、これは現実の音世界の精密な模写ではない。これはオーディオというもう一つの現実の発露であり、もとになった音の全ての側面がさらに生々しく、鮮烈になって、こちらに迫ってくる。いささか強調感があると言ってしまおう。一般に日本製のオーディオ機器にはこのようなビビッドな音を出すものは少なく、淡白でよく整理された薄味で繊細な音が基調となる場合が多い。考え事の邪魔にならないような控え目な音を出すものが多数派だと思う。だが例外的に、この日本製のGE-10にはヨーロッパ、とくにスイスのスーパーハイエンドプロダクトが出す音に近い面があると思う。Audio Noteのサウンドを日本的で端正な音と表現する評論を時に読むが、同意できない。このメーカーの機材がこれだけ高価にも関わらず、海外市場でコンスタントに売れているのは、欧米人の好む音の調子を持っているからであり、その調子の一部がこの濃厚な音色にあると私は考える。逆に言えば日本人がこのメーカーの機材の導入を躊躇するとすれば、価格や日本でのネームバリューのなさだけでなく、日本のメーカーでありながら、日本的な音ではなく、むしろエキゾチックな雰囲気を醸し出すことに戸惑いを感じるからかもしれない。

なお、試聴中にAudio Noteの下位のフォノであるGE-1を同じシステムで切り替えて聞いた。もちろんこちらをGE-10と比較しないで聞けば十分に音の良い機材だと言い切れる。だが、GE-10と比べると、この音色の濃い味の度合いに圧倒的な差がある。GE-10を聞いた後でGE-1を聞くと“ごく普通の”フォノに聞こえる。GE-1もトランスを含めれば200万近いので相応な凄味を持つのだが、偉大なGE-10の前ではごく普通の人である。恐らく最適に設計された大規模な電源がこの違いを生んだにちがいない。

さらに、極めてハイスピードな音調であることも特筆すべきである。音の動きに緩さや遅さが感じられない。電源部含めて真空管を多用する構成であるが、そのような機材にありがちな眠たい音が一切出て来なかった。音にキツさを感じさせない柔軟さは備わっているが、音のキレは鋭く、動きが大変速い。これはここで使ったプリアンプもそういう音の持ち主なのであるがGE-10を加えることで、尚更研ぎ澄まされた感があった。デジタル機材を送り出しとしてプリアンプとパワーアンプの音を別な場所で確認しているが、その時よりも明らかにいい意味でキレた音になっており感心した。

またウェスタンエレクトリックなど往年の名機を凌ぐほどの音像の実体感にも痺れた。
音像の重心はかなり低く、定位も極めて安定しているうえ、一度きりの演奏が今そこで展開しているという緊迫感も強く意識される。アーティストの肉体の動きや揺らぎを感じる度合いが高い。これは極上の実体感であり、これも日本製の他の機材にはない。実際にリスニングルームには奏者は居ないのだから、それこそありえないことであり、全くのイリュージョンには間違いないのだが・・・・。とてもそうは思えないリアリティがサウンドに漲る。

左右への音場の広がり方、奥行の深さは他社の同価格帯のモノラルパワーを使ったシステムとほとんど変わらない。最近のアナログオーディオ機材には空間再現性を狙った設計のものが多くあり、それらはデジタルオーディオに近いセパレーションの良さを誇示したサウンドを奏でるのだが、一般にどこか薄味な音になりやすい。それはアナログオーディオの良さを、無理に広げた空間再現により、そこなってしまっているケースとういうことになるのだが、GE-10を擁するこのシステムからはそのような欠点は聞こえてこなかった。これは慎重な音作りをしているなと私は捉えた。
さらに、このシステムの音場は殊更に深いとか広いとかは感じないのだが、なにかそこに漂っている空気の温度や成分が他のシステムとは違っているように聞こえた。吸い込む空気の密度が高く、リスニングルームの外の空気にはない、体に良い要素がいっぱい含まれているような雰囲気なのだ。夏の盛りに深い森に入ったとき、吸い込む瑞々しい空気の味わいに近い。緑の葉や柔らかな地面に棲む無数の生物やらが呼吸し代謝する様々な物質が森の空気には含まれており、それらが無機質な都会に住む者に生気を戻してくれることがあるが、Audio Noteのサウンドが創り出すフィールドにはそういう効果がある。これは生物活性が高い音であり、人間の精神や肉体に直接作用する要素を持つフィジカルな音なのである。
実際、試聴を終えた私は疲労するどころか随分とリフレッシュしていた。

SNについては真空管を使ったフォノであるからして、Perseusと比較するとやはり不利である。約600万のフォノとしてはそこはやや不満かもしれない。もっともQualiaのモノブロックフォノやEMT JPA66よりはやや良いようにも思うので、あまり気にしなくていいレベルなのかもしれないが。
このシステムは音の粒立ちや分離感も十分に良いのだが、さらに素晴らしいのは音のハーモニーの表現の独自性であろう。これは単に異なる音が解け合い、一体となって聞こえてくるなどという程度の音ではない。サウンドステージの中の異なる場所から発生した様々な音を収束するレンズのように、オーディオシステムが機能している部分がある。様々な固有の色を持つ音が収束し、輝くビームのようになって鼓膜に向かってくる瞬間が度々あったからだ。ビームが鼓膜を弾いた瞬間、渾然一体となった音達は強烈なインパクトを伴って眼前の空間に炸裂する。これは他のメーカーの機材だと音がリスナー側に勢いよく飛んでくる場合にあたるのだろうが、それよりもっとシャープで輝かしい音の衝撃であり、実に爽快である。このサウンドの素晴らしさは鈍重と思えたノーチラス801をここまで駆動できるKaguraによるところも大きいが、GE-10なしには、この独特の雰囲気は出ないだろう。それはGE-1との比較試聴や、別な場所での異なる送り出しを用いた試聴を想起すれば分かることだ。

このGE-10を加えたAudio Noteのシステムで聞き慣れたヴァイナルに針を落とすと、いつも食べている好物の料理に一味さらに増えたようなお得感があるのも面白い。
高度なデジタルシステムを聞いた時に感じる、今まで聞けなかった隠された微細な音、例えばピアノのペダルを踏む音、プレイヤーの溜息、衣擦れ、そういったものが聞こえてくるばかりではない。むしろそんな枝葉末節ではなく、曲の聞きどころ、楽しみ方を変えてしまうような側面がある。音楽の解釈が変わってくるのだ。ディスクをかけ替えるたびに、そうきたか、こうなるのかと驚くことしきりである。これも上記してきた音の濃さ、高密度性ゆえかもしれない。GE-10は私の知らないオーディオ表現への扉を開く。

こうして四六時中Audio Noteのサウンドのみについてつらつらと考え続けていると、この音は良い意味で現実離れしていると結論できそうに思われてくる。これは現実に存在していた音をAudio Noteの力で増幅し解釈し直した別世界の香りを含んだ音であり、いわば幻想の領域に近づくものだ。

確かに純粋なファンタジーとしてオーディオを語ることはとても難しい。
オーディオの大半の要素は科学という分野に属するものであり、
限りなく理知的な物理と数学が支配する世界のように見えるし、
実際にそこに踏み込み、もがいてみれば、
いかにその鎖が重たいかを思い知るものだ。
しかし、そのオーディオを聞く人間という存在自体は
決して科学で割り切れるものではない。
人間の精神活動そのものは、
むしろ不条理な幻想の世界に多くを割いていると私は信じている。
電気工学と人の精神という、
対立し相反するものが一つに融け合うべき場所、
その一つがオーディオファイルのリスニングルームなのだろう。
そこで科学とファンタジーが歩み寄るためには、
オーディオ機器の側にヒトの感情に寄り添う力が必要になる。
GE-10を擁するAudio Noteの最上級システムはそのような力をふんだんに備えている。

日本で製造されるフォノイコライザー、アンプの中で最も高い芸術性を誇る機材がこのAudio Noteの製品であると私は信じている。日本にはこれ以上、スーパーハイエンドの世界に深く踏み込んだ機材は存在しない。もちろん、先進工業国であり、オーディオ文化がある程度浸透した国である日本なのだから、個性が際立つプロダクト、悪く言えばひとりよがりな製品が突然変異種として現れるのを散見するが、これほどのファンタジーと品格を含んだサウンドを長年にわたりコンスタントに提供し続けるメーカーはない。例えば老舗のアキュフェーズやラックスマンのサウンドとは同じハイエンドでもクラスが明らかに違っていて比較さえ難しい。
以前、フォノイコライザー四天王としてBouderやEMT、Constellation audio、Qualiaのフォノを挙げたが、もちろんGE-10はこの4機と伯仲するか凌駕する実力を持つ。出音の種類や、機能を絞った設計思想に共通点を見出すとすればQualiaのモノブロックと類似がありそうだが、詳しく思い返してみると、やはりGE-10はこの4機のどれとも似ていない。音色の濃さと音のスピードという特徴において唯一無二のフォノイコライザーである。


Summary

確かにAudio Noteの音はすこぶる良いと思う。
だがその製品は高価である。
(例えばMCカートリッジを使うならGE10+Sfzで約600万円かかる。)
これは自分の財政規模とは関係なく、
ハイエンドオーディオファイルの金銭感覚に照らしてという意味で高価だと言っている。
実際、これを買おうかと思って試聴したわけだから、買えなくはないのである。
しかし、なにか釣り合わない感覚が残るのだ。
また、それらの機材の外観や使い勝手については価格に相応するものとは言い切れない。
実物と対峙したあとで、他のジャンルの機械のデザインを検討したりすると、Audio Noteの製品は、やはり昭和的なデザインの古さが払拭しきれていないと感じる。またその中身もAD変換されたデジタル出力などの新奇な機能が付加されているわけではない。
しかし、そのサウンドは全きものである。
これは確かにファンタジーとサイエンスの融合であり、
音楽芸術が抱える幻想とオーディオのメカニズムが拠って立つ理性が一致する場所であるのだが・・・・・
こうして、ハイプライスとスーパーサウンドの双方を行きつ戻りつしながら私は逡巡して悩む。

もちろん、この悩みはハイエンドオーディオ全般にあてはまるものでもある。
繰り返し述べていることだが、
自宅に置くにはあまりにも大きな装置の規模や、
音楽をただ聞くだけの対価として、
あまりに高いプライスタグは問題視されるべきかもしれない。
現在の技術では、この価格を支払わない限り、
このレベルのサウンドは実現しないのだから仕方ない、では済ませたくない気分がある。

現実の話として、自宅で最先端のハイエンドオーディオと十分な自信をもって対峙するために、アクセサリを含めてトータルで4000万円前後、機材に対して振り向ける予算と30畳以上の広さ・4m以上の高さの天井をもつ防音リスニングルームが欲しいところだ。今や、良いスピーカーは高価で大きい。600万出してもセカンドベスト、1000万円オーバーでなければフラッグシップではない場合もある。それらは大音量でスケール豊かに鳴らすことで潜在能力を発揮するので、広大な防音のリスニングルームを必要とするし、一般的には強力なアンプを組み合わせないと十分に鳴らせない。優れたアンプは高価でこれまた大きく、良質な電源も必要とする。さらに送り出しとして万全を期すならアナログ、デジタル両方が必要で、それらを追い込むのに必要なクロックやカートリッジ・アームなどの小物も高価格化が進んでいる。数百万円のクロックやアームがあるが、確かにすこぶる音はいい場合があるので困る。そしてこれらをつなぐケーブルがペアで100万近いものが多く存在する。これらも慎重に選んで使ってみると音の良さは理解できる。
嗚呼、ハイエンドオーディオとは、とにかく物入りだしカネがかかるものだ。

こういう状況になってしまってから、20~30年前のオーディオに遡って考えるなど無意味なのかもしれないが、リスニングルームの広さ・高さ・セッテングの労力はともかく、あの頃はトップエンドの機材でもこんなにカネはかからなかったと懐古する。
それに、あの当時の最高峰の機材を揃えて今、聞いてみると、
得られる感動は現代のシステムと同等以上である。これは気にすべきだ。
これらの音を聞くと、ここ20~30年ほどオーディオはあまり進歩していないと思わざるをえない。特にコストパフォーマンスについては後退したと思う。
いや、コスパを考えなくても、
昔の機材には今の機材にはない音の良さがあるとさえ言いたい。
昔はできたことが、何故か今はできないという気がする。
だから、今でもヴィンテージオーディオが放つ隠然たる光を無視できないのである。
あの頃より良い音を出そうとすると、ありえないほどカネがかかるようになってしまい、
オーディオをやることで得られる音楽の感動とオーディオにかかる出費や労力とのバランスが崩れてしまう。
気取った言い回しを用いるなら、光と闇の平衡が崩れた世界で
我々はオーディオを遂行しなくてはならなくなったと言い放つこともできる。

ところで、さっきから時々言っていることだが、
やはりAudio noteの製品群は機能が少なすぎる。
高音質の追求のみに特化しすぎている。
これはAudio noteに限らず、現代のスーパーハイエンドオーディオの多くのメーカーにもあてはまるクレームだ。
私の経験では、度外れの高音質だけでは早晩、飽きが来る。そこでまだ、その機材を所有し続けたいと思うか否かは、インテリアとしての外見の美しさや、その機材がシステムにおいてどのくらい多彩な役割を発揮しうるかにかかっている。後者については将来のシステム展開の余地を保証するから特に重要。無理すれば普通のオーディオファイルにも手の届く価格にあり、美しく、多機能で高音質な機材が真の銘機だろう。将来、発展的に使える機能を内在させながら音質もよい機材、いわば総合力のあるオーディオ機器を人々は求めている。
例えばGE-10についてはフロントパネルに置かれる遠くからも見やすく大きなミュートスイッチ、細かくインピーダンス調整できるダイヤル、RIAA以外のカーブへの対応、モノラル・ステレオ切り替え、消磁器の内蔵、XLR入出力、デジタル出力、リモコン・タブレットによる操作などなど欲しい。これ全てでなくてもよいから、どれかは付けたほうがいい。音の良さは分かったので次は使いやすさも感じ取りたい。もちろん、それらの機能をつけると音が悪くなるという話はわかる。だが、音質はもうこれ以上は考えにくいのだから、さらにやるべきこととしては、もうそれくらいしかないと返したくなる。
この問題は、よりインテリジェントなアンプの制御システムの採用やデジタルオーディオへの積極的な関与が足りないとも言い換えられるかもしれない。それらはもう一時のトレンドではなく、これから先ずっと要求されつづける常識的な項目となりつつある。
確かにこの点では多くのハイエンドフォノイコライザーにおいて、どこかに問題がある。結局、音以外の面で十全な機材はほとんどない。だからかえって罪滅ぼしのように音を深める方向へ行くのだろうか。
別な視点から見ると、出音を良くすることのできる技術を持つ者と使い勝手を良くする技術を持つ者が同一人物であることは稀だし、小さな会社ではそういう二人が同時に所属すること自体も稀なのかもしれない。だからこうなってしまうのかもしれない。

Audio Noteは究極の音質という命題については、ほぼやり遂げた。
だが、これはまだ私にとっては他人事でしかない。
プライスやデザイン、そして機能にもっと斬新なアイディアが盛り込まれないかぎり、
私はこの手の機材に食指を動かさないだろう。
それではいったい、自分が本当に必要としているフォノとはどのようなものなのか?
例えばEMT JPA66、CHP P1、オーロラサウンドのVIDA supremeやPS audioのNuWave phonoconverter+Direct stream dacあたりは、不完全ながら、この問題を解くヒントとなるだろう。

ここに書いたのは、ハイエンドオーディオにおいては、高い芸術性を持つサウンドが確立されつつあるが、その結果としてオーディオの光と闇のバランスが崩れてしまったという話である。この皮肉な状況のせいで高音質は極まっているにも関わらず、
私のオーディオには深い閉塞感が、澱(おり)のように積もってしまった。
これではGE-10のサウンドについて語ることが、
最後には自分自身の閉塞感を語ることにつながってしまう。
こういう結論へ帰着することを知りながら乱文を綴ることに
私は戸惑っていたのである。
しかし、どんなに割り切れない思いがあるにしろ、
オーディオファイルである限り、
この霧のたちこめる深い森の中を迷いながら進んでいく他はない。
果たして幻想が幻滅に変わる前に、
我々は虚無を希望に換えることができるだろうか。
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GE-10のサウンドの導く先に立ち込める深い霧が晴れる、その時。
その瞬間をおぼろげに脳裏に描いたところで、今夜はひとまず筆を置こうか。



# by pansakuu | 2017-12-16 01:25 | オーディオ機器

電池の時代:Stromtank S2500の私的インプレッション

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「小さいことは大きい。」
ある電池開発者の発言



Introduction

マイ電柱を立てた人を一人知っている。

マイ電柱、
つまり個人のオーディオシステム専用に給電する電柱を立てることはオーディオファイルの最後の夢だとか、よく言われる。
でも、それはマニアの間だけで通じる話であって、
オーディオのためだけに、発電所から専用の電気を引くなどという行為自体、一般人にとってはクレージーで意味不明な散財(お布施と揶揄される)にしか見えないはずだ。
そして、この行為の背後に日本人特有の純粋性の信仰、潔癖症を垣間見るのは筆者だけだろうか。
日本のオーディオファイルの神経は世界的に見てもいささか特殊である。
実際、電柱などというものは外国にあまりないせいか、
この手の話を外国のオーディオファイルの間ではあまり聞かない。海外のオーディオファイルは、とても大雑把かつ大らかにオーディオライフを謳歌しているように見えることも多い。
彼らの大半は微に入り細に入り神経質にオーディオの純粋性を突き詰めるような挙動は無意味だと思っているらしい。

立てたばかりのぶっといマイ電柱を頼もしそうにコンコン叩いてから、客たちをリスニングルームに連れ込んだ、あの昭和生まれの日本人の後姿を想起しつつ、
足元に鎮座している大きな箱を筆者は眺めまわした。
舐めるように。
この足下にあるStromtank S2500は革新的な機材だ。
マイ電柱を立てた人には悪いが、
オーディオ専用電柱が最高の電源だった時代は終わった。
これからはおそらく電池の時代。
なにしろ車も、飛行機さえも
電池で動かそうという時代だから、
家電であるオーディオなんて
真っ先にそうなるのは明らかだ。
だが、それだけではあくまで世界の趨勢、
流れに乗っているだけの話にも聞こえなくはない。
そんな話をしたいのではない。
筆者はエコノミストでもエコロジストでもなく
オーディオファイルであるから、
この話の本質はそこにはない。
これから語ろうというのは、
単なる世界のトレンドに関する話ではないと思ってほしい。
このStromtank S2500の話のメインはオーディオの音質に関わる話なのである。


Exterior and feeling

Stromというのはドイツ語で大河の流れを指すとか。
英語で嵐、暴風雨を意味するStormとはスペルが少し違うが、
嵐のようなパワーを秘めた電源というイメージも悪くない。だからストロームタンクであはなく、ストームタンクだと誤解している日本人オーディオファイルは少なくない。
実物を前にすると、かなり堅固な印象を持たせる筐体であり、嵐を閉じ込めておくのに必要な厳重さが確保されているような気配もある。その誤解もあながちハズレではないかもしれない。大きさや重さは重量級のステレオパワーアンプだと思っておれば間違いない。筆者は昔使っていたBoulderの1000シリーズのパワーアンプを連想した。事実、今年のインターナショナルオーディオショウで観察していると、こいつを単なるパワーアンプだと勘違いして話したり質問しているお爺さんたちを見たが、仕方ないことだろう。
分厚いプレートをがっちり組んで作られた筐体の表面は僅かにラメが入ったようなジャーマングレーで、天板にはカーボンを思わせるストライプが見える。この天板の中央には映画のタイトルのようなブランドロゴがあしらわれ、目を引く。それにしても、このロゴのデザイン、かなりお洒落。オーディオでは素人がデザインしたとしか思えないロゴが多い中で、これはプロのデザイナーの仕事と見た。
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フロントパネル中央に座っているグリーンに光るパワーメータ―の中にはLEDの光が、まるでキャプテンアメリカの胸についた星のマークのように放射されている。その下には電池残量を示すバーメーターも緑に輝いている。
こういう好き嫌いを分けるような派手な外観を私は良しとした。
とにかく、全体になんだかカッコ良い。好きにデザインをやっていて気持ちがいい。
見ているだけでワクワクする。
まず外観からハッキリした自己主張とか方針を打ち出す機材を筆者は愛する。
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今回取り上げるS2500は、簡単に言えば2500whの容量のあるインテリジェントなクリーン電源である。この電源は内部に格納されたコンピューターにより制御されており、電池の寿命を短くしない充放電のマネジメントやトラブルへの対応を瞬時に行う。
コンセントはリアパネルに6口ついている。一方、フロントパネルには一つもついていない。(ついていると便利なこともあるのだが・・・・)実際導入するとしたら、いくつかのシステムを部屋の離れた場所で使っている都合上、ここから長い電源ケーブルを引くか、あるいはタップをさらにここにつなぐか考えなくてはならない。タコ足配線になるのは避けたいし、タップを介さない方が音はいいようにも思うが、この重さと大きさのある機材なので設置場所は限られる。どういう配線にするかをよく考えないといけない。
もちろん、出力にはサーマル・マグネティックブレーカーがついていて、不測の事態への備えもある。これは高電流で起こるショートにも低電流で起こるショートにもマグネティック、サーマルそれぞれの特徴を生かして対応するもので信頼性の高い遮断器である。
このStromtankシリーズで面白いのは全機能の起動・停止を切り替えるキースイッチを持つことである。業務用の大きなコンピューターの電源投入スイッチに時にキーを差し込んで回すタイプのものがあるが、まさにそれが使われている。プロ用の電源にもこのスイッチがついているものがある。これは安全のために採用された仕組みなのだろう。だが、それだけでは終わらないような気もする。
キーというものは高度にパーソナルな道具であり、これがただの電源でなく、キーを持つオーナーだけが起動を許されるという意味合いを付加する。オーナーの所有欲を満たすギミックの一つと考えられなくもない。
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なお、リアパネルにはUSB端子やCAN端子も見えるが、これは内部にあるコンピューターのソフトウエアの更新用だという。これもインテリジェントな機材ならではのリア風景だが、確かにこういう端子のついた電源装置はあまり記憶にない。スマート家電が増える中、電源のスマート化もオーディオ界の新しい傾向なのか。

この電源の賢いところはいくつかある。例えばバッテリー残量が低下すると小さくブザーが鳴り、AC電源で充電しながらの運転に瞬時に切り替わる。ユーザーはなにもしなくていい。
また、よくスマートホンなどで、十分に電池が減ってから充電しないと、あとで電池の減り方が速くなるという話がある。Stromtankも基本的にはスマホと同じように、電池を使う機材だから、そういうことがあるのかと疑っていたのだが、心配はいらないらしい。
Stromtankはあくまでインテリジェントな電源装置であり、電池の残りのレベルによって充電の仕方を変えるような仕組みが働き、どこまで電池が減っていても、あるいは逆にそれほど減っていなくても、将来の充放電に問題を起こすことなく、どのような状態でも充電していいという。6000回以上の充放電に耐えるとアナウンスされているのも含めて考えると、さすが330万円の電源装置だと感心する。

内部の電池はLiFePO4であり、正弦波の出力はクオーツ制御されているなど多少の情報はあるが、中身の詳しい説明は調べてもあまり出て来ない。音を聞いてみると、その程度の技術内容では到底実現できそうにない高音質であるから、数々の企業秘密がこの筐体の中に隠されているに違いない。
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550万の上位機S5000は高さ58cm、重量115kgの巨体であり、音の上での威力を知っていても、とても買う気にならない。筆者はよりコンパクトな機材が好きだ。音が良きゃなんでもいいで済むような次元はもうとっくに過ぎている。
こうなるとよりコンパクトなS2500の方が俄然、気になる。

ちなみに昨日、外国人からS2500を大型のキャスターに無造作に積んで、移動している写真を送ってもらった。許可が出なかったので載せられないが、(日本で言う)オフ会に持ち込んだ時の写真だという。こんなユニークなS2500の使い方も面白い。電源環境をまるごと移動できる。マイ電柱と発電所のセットがこんなに小さくなったと考えることもできる。こういう使い方ができるのもStromtankの革新性なのかもしれない。S2500のガタイはそれだけ見ると小さくないが、相対的にはコンパクトなものだと言っていいのである。


The sound 

Stromtank でオーディオシステム全体に給電するようにセッティングしたうえで、バッテリー駆動と通常のAC駆動をフロントパネルのボタンで瞬時に切り替えることができる。
そのビフォーアフターの変化は大きい。
普通、このようなバッテリー系の電源機材だとノイズが減った、SNがよくなった、静かになったとかいう感想がまず出るものだが、ここではまずパワーが一段上がったような印象が来る。顕著にスピーカーからの音離れが良くなる。これほど音の飛びが良くなることは予想していなかった。電源装置を変えて、このような体験をしたことがない。
音の純度は明らかに上がって、大きな音はより繊細となり、細かい音はむしろ力強く聞こえるようになる。ダイナミックな音のうねりが瞬く間に起こり、そのうねりの中に起こる音のしぶきや渦、余韻、音色の変化、音の触感の区別が克明に耳に届き始める。音の立ち上がり、立下りもより適正になるようで好ましい。静かになるのではなく、むしろ正しく美しく騒がしくなる。
この試聴では誇張でなくリスニングルームの空気が完全に入れ替わったように感じた。なにか音波の伝導率の高い、特殊なエアーがリスニングルームに充填されたようなイメージだと思ってもらっていい。
最初に来たこれらの驚きを治め、少し気を落ち着けてから深く聞こうとしたら、ふと音場の広がりと奥行きが自然にスッと拡張されていることに気づいた。こういう俯瞰的な音場の視界の広がりというか、まるで無理のない音の放散の仕方というのは、かなり高度に調整されたオーディオシステムのみに聞かれる変化である。こういう音はスピーカーをかなりグレードアップするか、ルームアコースティックを頑張って詰めるかしないかぎり得られないものだと思っていた。空間の広がりがタップリ入った録音を聞いてみると、天井が高くなったような上方向の音の広がりさえも出てきた。これに気付いたときは、まさに仰天しそうになったものだ。録音の仕方によっては音が上から降ってくるような雰囲気も醸し出されるのである。
こうなると、今まで最高の電源環境を得るために土日の真夜中になってからオーディオを始めたり、あえて田舎にリスニングルームだけ引っ越したり、あげくマイ電柱を立てたりしなくてはいけないのかと思い詰めていたのが嘘のようだ。これほどシステム全体を覚醒させる力を持つ電源は初めてである。

この手の電源装置は導入したことが無意味と思われるほど、音質上の存在感がないモノもあるが、Stromtankはそうではなく、パワーアンプを最良のものに変えたのと似た効果が得られる。いや、330万のパワーアンプでも、このようなオーバーオールな効果は得られないだろう。なにしろ、この機材はシステム全体に対して効かせることができるのだから。大小2モデルあるStromtank のうち、S5000は容量が大きいのでシステム全体に給電したくなるが、S2500の方はパワーアンプにまで使うと、確かに容量をすぐに使い果たすのではないかという不安がある。この場合、遠慮して前段のプレーヤーとプリアンプだけに効かせることもできるが、そういう譲歩した使い方でも全体に給電した場合とそれほど遜色ない改善が得られた。これもStromtankが複数の機材の根本的な部分に介入することには、大きな変わりがないせいだろう。これならヘッドホン関係の機材などは幾つつないでもS2500一台で大丈夫だろう。
まあ、不安な人は複数個こいつを導入すればいいらしい。既にS5000を2台導入した方が日本にいると聞いているし、外国からは3台という声も聞かれた。豪快だな。1500万円のオーディオ用電源装置とは。

この装置から、電源を取ることで素晴らしいと思うのは音質上の副作用がほぼないように感じられることである。度合いの差こそあれ、音の全ての要素が良くなり、悪くなる要素を指摘できなかった。
それに恐らくだが、音調の好き嫌いを分けるようなことも起こりにくいだろう。
この手の電源装置には、必ずなんらかのクセのようなものがあるものだが、それがほぼないからだ。
普通の電源装置というにはノイズが取れて、音楽の背景が静かになったのと同時に、音楽の躍動感が目減りして、音楽自体が大人しく、あるいは小さく、遠く感じられたりする。例としてはA社やL社の電源装置がそうである。
I社の高価なフィルター式電源では音楽がクールになってしまったこともある。
躍動感は担保されるのだが、温度感が下がってしまった。高域も僅かにキンキンするようで、素直な伸びが若干失われていた。Stromtankと違って、そこらへんの改善は少なくともなかったのである。
また、かなり巨大で立派な日本製のトランスを使って、音の純度は明らかに上がったが、音のスピードが落ちてしまったという経験もある。
このような余計な変化がStromtankシリーズで聞こえない。
こういう八方美人な音質改善は滅多にないことである。
現状の出音の特徴はそのままに、良い所を伸ばし、足りないところを補完する。
これほどオールマイティな力を持つオーディオアクセサリーはほとんど記憶にない。
(アクセと呼ぶにはあまりにも巨大で重量級ではあるが・・)

マイ電柱の効果というのは、筆者は一度しか体験したことがない。その試聴で感じたビフォーアフターの変化はこのStromtankのそれに類似していたと記憶している。ただし、音の純度については僅かにStromtankの方が勝るような気がするし、音楽のダイナミズム、力感さえ少し強めに出るような気がする。電柱の方が、そこのところは強そうなのだが、筆者の思い過ごしなのだろうか。少なくとも躍動感はマイ電柱に負けないし、安定感も遜色ない。いったい、どういう設計をした電源なのか分からないが、かなり優れて革新的な機材であることは間違いない。さらに、マイ電柱といえども周囲の家屋や施設の出すノイズからは逃れられぬが、この装置なら影響を受けない。もうひとついいことを挙げるなら、オーディオ用の分電盤を特製する必要もないことだ。あれはあれでカネがかかるし面倒であるから、そこを省けるのは有り難い。

こいつは確かに究極の電源装置かもしれない。
近い効果があると考えられるマイ電柱に比べ、遥かにコンパクトで簡単に使うことが出来る。マイ電柱は想定できる最大のオーディオコンポーネントの一つだろうが、Stromtankは多少大きいにしてもキャスターに乗せて運ぶことが可能だ。
特に、マンションに住んでいるオーディオファイルにとっては、マイ電柱と同じ効果が得られる唯一の方法だろう。
ただ、やはり高価だとは思う。
マイ電柱+専用配電盤の費用は200万位でなんとかなるという話をオーナーから聞いた。これをやると簡単に引っ越せないし、家族の白い目にも耐えなくてはならないようだが、意外に安上がりだという説もある。
それとは別に電源ケーブルやタップに同じだけ凝れば、Stromtankなしでも十分にいい音のするシステムを得ることも不可能ではないと考えることもできる。
当たり前だが、総計して330万もの電源ケーブル、タップ、フィルターを使うとしたら、かなり贅沢なシステムが得られるはずだ。
仮にそんなことをしても、それぞれかなり腕自慢なアクセサリーたちなので、当然強力な個性を持つだろうから、そのせめぎ合いで出音は多少混乱することも予想される。だが、それらを巧く選んで、適材適所に配置、摺り合わせ・エージングを怠らないならば、やはりそれなりの音は出してしまうだろう。そういう高級ケーブルによる音の変化の虜になる人も多いはずで、そこの面白さを知らずに、いきなりStromtankを導入して終わってしまうのがつまらないという見方も成り立つ。
オーディオでは寄り道ほど素敵なものはないのだから、それもいい。
もう寄り道は十分やってきて、そんなリスクを踏むよりはStromtankシリーズでスマートに解決してしまった方がよいと達観した人が、こういう高価かつ効果的な電源を狙うのだろう。事実、S5000を導入した方の感想として、これまで電源ケーブルやインターコネクトケーブルで散々苦労してきたのはなんだったのか分からなくなったという言葉を聞いた。それはケーブルで苦労したからこそ吐けるセリフだと本人は気付いているのだろうか。

それから一応、今回取り上げたS2500の試聴の前に上位のStromtank S5000を使って二つのシステムを既に聞いている。結論から言えば、S2500を使った場合とS5000を使った場合の音質差は筆者にはよく分からなかった。つまり筆者にしてみるとS5000とS2500の差は電池の容量の差、大きさと重さの差、金額の大きな差、メーターのライティングを消すことができるかできないかの差、それぐらいでしかない。
また外国のオーナーも含めて、この製品に詳しい何人かの方に話を伺ったが、異口同音にS2500でも、S5000と基本的にほとんど同じ音で鳴らすことができると言う。電力消費がかなり大きいパワーアンプではS5000がやや有利かもと言う人もいたが、そのアンプは消費電力が大きいことでは有名なEinsteinのパワーアンプであったから例外的なのだろう。違うのはただ電池の持ちのみであるという話が多かった。S5000なら10時間持つシステムでも、S2500は5時間弱しか持たないらしい。もちろん上述のよ電池が切れそうになるとブザーが鳴って、自動的にモードが切り替わり、音楽は継続して鳴ってくれる。このモードでは音が鈍るが聞けなくなるわけではない。


Summary

Stromtankに価格以外に問題があるとすれば、設置や配線を多少考えなくてはならないこと、電池が貯められる電力には限りがあり、一日中鳴らしつづけることはかなわないということ。そしておそらく導入から5年経過する頃には電池を交換しなくてはならなくなる可能性があること。330万という対価は音質的には釣り合うものと考えるが、そういう特殊な制約も考慮すると、この装置の価格の捉え方は人によって異なるだろう。

電気自動車の中古価格が化石燃料車と比べて異様に安いことを御存知の方も多かろう。この種の車はどこでも充電できるわけではないし、電池の交換代金は安くはなく、その交換もディーラーの工場でしかできないため、手数料も割安でない。次にいつ交換することになるのか、明確な見通しも立てにくい。本当にペイするのか分からないのである。
このStromtankにも似た心配があることは否めない。
電池の時代は確かに来ているが、まだまだ円熟には程遠いのである。
しかしこの装置の登場が、電池とは単に便利でエコでコンパクトな手段であるばかりでなく、ハイクォリティを追求する手段にもなりうることを示したのは大きい。
オーディオは新時代に突入しなければならない。音質を向上させながら、よりインテリジェントでスマートな方向性に舵を切らなくてならない。それは険しい道のりだが、誰かが切り開かなくてはならない。
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マイ電柱を立てた人に筆者は昨晩、メールを打った。
「マイ電柱は立てなくて済みそうです。そろそろ貴方も聞いたほうがいいと思います。」

# by pansakuu | 2017-10-18 23:31 | オーディオ機器

ヘッドホンに関するフラグメンツ

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・Re Leaf E3 hybridについて。納品が部品調達の遅れから10月頃にずれ込むとのニュースを耳にする。もしかしてガワの話?E1よりは筐体は簡易版だけど結構難しいのか。Re LeafのKさんはこのモデルはできれば作りたくなくて、ずっと超高級路線で行きたいようなニュアンスの話をされてましたが、E3みたいなモデルがないとRe leafの名前が世界に広まらないのではないか。E3は福音。作ってよかったと思う。早くE3量産機を聞いてみたい。

・マス工房のModel406の製品版を聞く。私としては、音についてはプロトタイプの方が好みに合っていたか。またMさんにアルミの足がイマイチだと言ったら、これしか放熱のために適当な高さ(底面にも放熱孔がある)と音質を満たすものが今の所は見つからないけど、ゴム足も検討してみるとのこと。また、マス工房のこのクラスのアンプの筐体は、多くの筐体の専門業者が唸るような技術で製造されているらしい。パッと見は全く普通に見えるが。それからフロントパネルに竜かなんかの彫刻があるスペシャルバージョンも計画中とのこと。実物を見てみたい。

・ナガオカのヘッドホンスタンドを使ってみた。実物はスラリとした曲線美が素敵な製品。横から見える合板の積層が美しい。ヘッドホンを吊るす道具で散々苦労してきたが、これは一つの最終解答かもしれない。だがしかし、あれで手持ちのMDR-Z1Rを吊るとヘッドバンドのところに跡がつきゃしないかな。やっぱり、もう一工夫欲しいかも。

・Chord DAVEの直出しのヘッドホンジャックについて。あれは音がちゃんと出ているかの確認のためについていると思った方がいい。DAVEの実力をあれで測ることはできません。アンプがなくても、とりあえず聞けるというだけの話をしたつもりだったのだが、私があの出力をすごく良いと言ったと言い張る方がいるので否定しておく。

・ブリキャスティのDACは一時間ほど占有して試聴できたが、DAVEを持っているなら、無理して買うほどのものではないと私個人は思った。少し昔風の音なんだよね。昔のマークレビンソンのDACとかCDプレーヤーの音だと思う。ただDAVEと音質傾向は違うし、今あるノーマルのNADACよりはいいと思うので、買いたい方はどうぞ。特に昔のDACのサウンド、WadiaとかマークレビンソンとかSTUDERとかCD12、セータ、ZIAとか知らない方には新鮮に映るかもだし。

・この前、某氏から訊かれたのを思い出したので、この場で答える。O社の滝 Integrated 180 を聞いたことはある。うーん、値段なりの音です。買っても損はしない。だけど、お前は積極的に買うかと言われると、なんか財布の紐を緩めたくなる魅力には欠けるかな。華がないとでもいいますか。まあヘッドホンアウトの音が良かったので、ヘッドホンアンプを真面目に作ってみては?などとこちらの陣営に引きずり込むようなことも言ってみたい。

・SUSVARAを聞いた。Hifimanのネガティヴなイメージとして、故障が多く、細かい部分で仕上げが悪く、デザインがダサいというのがあるけれど、このSUSVARAを使ってみると少なくとも仕上げの問題は解決されてるように思う。故障は使い続けないと分からない。残りはデザインだけど、これは社外にデザインを頼まなきゃだめかな。ニコンがFをジウジアーロにデザイン依頼したみたいに。音の方はかなりいいけど癖はあると思う。中高域に繊細さは比類ないが、低域の量感やインパクトがまだ弱い。かなりいいアンプで鳴らしても私の基準は満たさない。他にもいろいろとヘッドホンはあるから、SUSVRAの新品購入に踏み切るかどうかは微妙だ。例えば最近いくつか見かける中古のFocal Utopiaはいい具合にエージングが進んでいるだろうし、オーテクのフラッグシップも来るし、目移りしてしまう。

・Hifimanのシャングリラを触ってみた。ボリュウムの感触や真空管の保護する部分のデザインとか、外観全体の洗練度が600万の機材としては低いかも。トップパネルは石らしいけど、それらしさをもっと出すべき。ヘッドホン部もアンプ部も詰めが甘いか。また、音は単体で聞くと悪くないが、長く聞いていると、HE-1と比べて細部の描写の甘さが目立つのが分かる。つまり全体にまだ甘いのよ、詰めが。もっと時間をかけて細かいところを改良して600万に見合う機材に仕立てるべき。これはHE-1を意識して出したんですよね。でも、それはちょっとだけ動機は不純では?アイツが出したからオレも出すでは子供の喧嘩じゃないか。そういう気概は買いたいけれど、もっと完成度を上げないと、そういうモノがあったね、で終わっちゃう。Jrを出すみたいだが、そっちにむしろ期待が集まる。

・オーディオテクニカの新製品発表について。あのフラッグシップの据え置きヘッドホンアンプはいつになったら日本で聞けるのか?オーディオテクニカは日本の会社なのに、日本より明らかに外国を重視していると取られても仕方ない。新しいフラッグシップヘッドホンのお披露目もまずは中国だった。販路が中国に太いのかもしれんが、日本のヘッドフォニアを軽視しているように見えなくもない。実は、こういう一見して日本を軽視するように見える日本発のオーディオメーカーは少なくない。これは日本のオーディオファイルや販売店にも責任がある。知名度が低いものに手を出さない、ブランドと先入観ばかりで音を聞かない、そして販売価格の割引の問題。だからそういうことが少ない外国で商売する。でも、やっぱり日本で作っているものは日本でも聞こうよ。こういう形は不自然だし、自分たちが拠って立つ日本という国全体に対して、どこか失礼じゃないかな。なんとかしたい。

・他社にも似たような疑問はある。あるべき場所にあるべきものがないという疑問。例えばFostex HP-V8はTIASでは聞けるのにどうしてヘッドホン祭りでは聞けないのか?確かに中野の店ではHP-V8の取り扱いがない。でもかわりにTIASにHP-V8をもってくるのもどうかな。スピーカー好きの金持ち老人向けのイベントだからね、アレは。

・TIASについて。経験では金曜日は毎回一番混む。一応、土日のほうが少し混雑が少ない。だから私は最近はいつも土日に行く。以前は3日間全部出ていた。展示が日によって違っていることもあるから。TIASは講演があると立ち見になるほど混雑するから、講演を聞きに来たという方が多いのだろうが、オーディオ評論家が高齢化する中で、演者の確保はこの先どうするのか。またしても人手不足なり。
また、ヘッドホン祭りでもこういう講演会をやりたいものだが、ヘッドホンの性質上難しい。これは一人で聞くものだからデモが講演形式でやりづらい。
TIASは以前はアジアで最も重要な新製品発表の場だったが、だんだん香港などにその立ち位置を奪われつつある。本当に最新鋭で最高峰の製品を見たいなら中国で、ということになってくるのだろう。なにせ彼らの方が圧倒的にいいお客さんだから。しかしオーディオのためだけに香港まで時間と飛行機代をかけて行ける、オーディオ好きの暇な日本人の金持ちはこの先何人出て来るのだろうか。TIASの行く末はそのまま日本のハイエンドオーディオの行く末と重なる。だから、ヘッドホン好きの若い人にもっとスピーカーに関心を持ってもらって盛り上げたいのだろうが、この日本の現実ではそうもいかないようだ。

・リケーブルについて。これは個人ごとに好き嫌い・合う合わないがあるから、この話はあまり本気にしないで。個人的にやたらと高価なリケーブルはクセが強いと思っている今日このごろ。腹筋が凄いとか、走らせると100m9秒とかそれぞれ特殊能力があるのだが、アスリートとしては十種競技の選手に比べてバランスが悪いという感じだと思ってほしい。こういうリケーブルは半年使うと飽きてきて別なものに行ってしまう。それを繰り返して数年たつと、こういうハイエンドリケーブル全体に飽きる。で、純正ケーブルに戻るが、耳がそこまでの修行で肥えちゃってるので、ここにも妙なクセを微かに感じたり、情報量が少ないのを嘆いたり。そうこうしているうちに私はDmaaにしかリケーブルを頼まなくなった。私はインタコも一部はDmaaにしている。私にとって一番癖を感じないし、情報量も多いから。しかもかなり安上がり。

・ヘッドホンシステムで使うのにいいインタコ知らない?と訊かれてCHORDのMUSICはいいよと答えるのだが、実際に半年も聞くと、やはりなにか傾向があるのは分かるようになってしまう。このサウンドは自家薬籠中のものとなり、外のシステムを聞いても、MUSICをそこに入れたらどういう音に変わるか想像できるようになる。そうなるってえと売りたくなる。すぐに買い手がついて売り飛ばす。この繰り返し。あとJormaのORIGOあたりもいいと思う。MUSICよりもコスパは上だ。でも、これをまた買ったら、またまた売っちゃいそうだ。

・据え置きヘッドホン専用のオフ会をしたいという要望を、とある方から伺った件について。ポタ研があるのに据え置き研がなぜないのかという愚痴から始まって、そういう話になった。
オフをやるなら、まず形式を考えないと。個人の家に集まって聴くのか、貸会議室のような小さい会場をどこかに借りて、みんなで持ち寄ってやるのか、どちらにするのかを考えないと。
個人宅でスピーカーのオフとか相互訪問みたいのは以前何度もやったことがあるが、アフターの食事会とか交通手段とか互いの家族とかに時間と配慮を取られるし、なにしろ訪れる側は遠慮しまくりになっちゃうから。実際なんの勉強にもならない場合もあった。私としては、ああいう形ではもう二度とやりたくない。見知らぬどうしで集まって、かみ合わない雑談をしながら、お酒を飲んで飯を食うために、オフ会をやるという流れになりやすいから。そんな流れは本末転倒だと思うので、食事は勝手に各自でとってもらって、聞くことに専心するような会がいい。近くにレストランやコーヒーストップがあって、自由に出入りできるような会がいい。
すると会場をどこかに借りるのがいいと思うが、適切な会場があまりない。秋葉原あたりがいいが。祭りとかポタ研にぶつけて同じ日にやるとかね。いい会場なら借りる金は出すけど、そもそも、そういうサロン的な場所がない。できれば深夜まで会をやって、じっくり鳴らしたいのだけれど、それも難しい。理想は交通の便は悪くなく、そこそこの広さがあって、土足で入れる会場。ソファが幾つかあって、コンセントもいくつかあるような場所だ。
まずは、なんとか会場を見つけて確保。同時に据え置きシステムひとつ以上をトータルで出してくれる出展者を何人か募集。さらにシステムは出さないけどヘッドホンを持ってきて聞くだけの参加者も何人か募集。多くても総勢8人以内でやりたい。
出展者ひとりあたりコンセントを一つもらって、そこから自前のタップに電源を引いて、自分が普段聞いている、ひとつか二つのシステムを組んで机の上にひろげて出しておく。私の場合、システムを搬入するとしたら、すこし大変だから、というか今までRe leaf一台とパソコンだけでも、トランクに入れると結構な荷物になったので、車でもチャーターするだろう。聞きたい人は前に座って、それを自分で操作して聞く。出展者は可能なら反対側で間違いのないようにそれを見守るとか。
最近、なるべく話しかけない接客というのがあるそうだが、オフ会も論より証拠で、儀礼的あるいは無粋でオタクなおしゃべりよりも、聞いて考えることに専念したい。ひとしきり聞きまわったあとで、出展者どうしでケーブルやヘッドホンなどの貸し借りをやってまた聞いてみる。おそらく発見があるだろう。そういうことをやると8時間ぐらいはすぐに経ってしまう。終わったら機材の搬出に専念するか、どーしてもやりたいなら、大きいトランクを引きずりながら誰かが設定した飲み会に行くか、参加者・出展者がそれぞれ決めるといい。。
それからオフ会とはいえ、メンバーは大事だと思う。希望するのは、やはりそれなりの機材を提供できる人。それから他人の批判を会場でおおっぴらにはしない人がいい。心身になんらかの不調を抱えている人も、とりあえず遠慮してもらったほうがいい。とにかくメンバーがお互いに不要な配慮をしなくて済むことを希望する。以前、飛び入りで来た、全く知らない70がらみ男が、大声でスピーカーの批判や政治の話を初めて滅茶苦茶になったオフに出た覚えがある。あくまでオーディオシステムを聞きにきたんだから。マイナーなヘッドホンの会はあくまで静かに、少数精鋭でやろう。
インターネットの時代になって交友関係は一見広がったが、人と人のつながり一つ一つはむしろ浅くなり、我等は実はすれ違い、より孤独になった。直に会って言葉を交わしたこともない人と、アナタとつながっているなどと失礼な表示が出る時代。私は、やはり実際に会わないとだめだ。クリス ボッティも言っていたっけ。
とはいえ、いままで会ったことのない人間、年齢も性格も容姿も職業も出身も家族構成もよく知らない人と、東京のど真ん中でいきなり会って、計画を組んでイベントをやるのもなかなか難しいな。例えば、あの70がらみ男といきなり秋葉原で会って、二人で組んで、なにかしろって言われても、厳しいミッションだったと思う。(でも私が相方では、むこうはもっと迷惑かもしれん)
とにかく、まずは場所を見つける。それから信頼に足るメンバー集め。こんなことを言うと、そんなの無理だと言われる。まだまだ難しそうだ。今夜も一人でオフ会やるか。
真夜中の都市を泳ぎながら。
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# by pansakuu | 2017-09-02 23:41 | その他

OCTAVE V16 Single endedの私的インプレッション:多様性を求めて

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進歩が生まれるのは、多様性の中の選択からであって、画一性を保持するからではない。
ジョン・ラスキン(美術評論家・思想家)



Introduction

ここのところのコーヒーブームからか、
コーヒーに関する本を書店でよく見かける。
現今、僕の読んでいる本も、コーヒーに関するインタビューをまとめたもの。
これはバリスタ達がコーヒーにかける思いを語る小さな本である。

さっき読んだこの本の中のある、バリスタの言葉が妙に気になった。

・・・・・「あの人の表現する味って、どんなものなのだろう」という理由でレストランに行きますよね。コーヒーの世界も間違いなくそういう方向に進んでいくんです。それに「あのブランドの豆を使っている」だけでは一瞬で終わってしまいます。三つ星のスターシェフやスターパティシエのように表現者として有名な人が出てきているなかで、お客様はバリスタとして優れた表現者を探すようになる。・・・・・

僕が通うカフェは東京だけでも30軒ほどあり、ほとんど毎日のように、それらのうちのどこかで何か一杯飲んでいるような生活だ。昨今のサードウェーブコーヒーブームとは関わりなく、東京に出てきた頃から、いろいろな店に出向いては店構えとインテリア、接客の態度、コーヒー・紅茶・スィーツの味質をチェツクしている僕であるが、上記のようなことまで考えたことはなかった。フレンチレストランのようにカフェでも自分の味を表現しうるという部分に僕は惹かれた。
それというのも、コーヒーだけでなくオーディオにもこういう要素があることを感じていたから。

例えばマークレビンソンの初期の製品を代表とするプロデューサー・設計者の個性が前面に出たオーディオ製品の魅力というのは、オーディオを趣味とするための主たる動機たり得る。
あの設計者の創り出したサウンドはどのようなものなのか?ここでは、それこそが僕の興味の中心である。

僕がOCTAVEというドイツの真空管アンプメーカーの音を初めて聞いたのは10年以上前だと思う。社長のホフマン氏が決めている、その特徴的なサウンドにはその当時から変わらない、独特の男っぽさや勢いが内在しており、僕の中では、他のアンプメーカーの音といつも一線を画してきた。
彼がここで高級ヘッドホンアンプに手を染めると、僕は夢にも思わなかったが、もうそんな時代になったのだろう。ハイエンドオーディオメーカーもヘッドホンを無視できなくなってきたのである。

OCTAVE V16 Single endedというヘッドホンアンプにSuper black boxという電源オプションを加えたセットを試聴した僕の感想は、ホフマン氏が表現するヘッドホンサウンドとは、今まで慣れ親しんできたOCTAVEの音そのものであるということだ。そして、この音の個性はヘッドホンの世界に初めて持ち込まれるものでもある。これは恐らく万人受けしない音、比較的無個性な音を指向する日本の普通のヘッドフォニアにはウケない音かもしれないが、とにかく斬新かつ容赦のない音であって面白い。僕は聞き入ってしまった。


Exterior and feeling

随分と変わった形のアンプである。フロントがタテに細長い。建築でいうと、繁華街にある雑居ビルのような形だ。こういう建築は最上階は斜めにカットされて日照を確保している場合があるが、そこのデザインまで似ている。上部はスリットの入った真空管の保護カバーであり、一番下に入力切替と大き目のボリュウムノブがある。アンプのカラーはいくつか指定できるようだが、マットブラックよりは、ジャーマンシルバーの方がこのメーカーらしい雰囲気となると僕は思う。また、ホワイトという他の機材ではあまり見ない仕上げも用意されているが、これも捨てがたく綺麗な仕上げだ。全体の大きさとしては意外と小さく、占有する床面積は少ないが高さはあるので、普通のラックの二段目には入りにくそうだ。やはりこれはデスクトップに置くべきアンプだ。

リアパネルでは大きなヒートシンクとL/Rのスピーカー端子がついているのがまず目に付く。こういう類の、普通のスピーカーを鳴らすアンプなのか、ヘッドホンアンプなのか、どちらともつかないようなアンプは、経験上は中途半端な音しか出せず、ほとんどロクなモノはないので、僕は心配になった。だがホフマン氏の説明によるとV16 Single endedはヘッドホンがあくまでメインという話であるから信用することにして試聴に臨んだ。OCTAVEには、かなり立派なスピーカー用のアンプがいくつもラインナップされているから、スピーカーを鳴らしたい人はそっちを買うべきだ。こんなスピーカー“も”鳴らせますよなどという余計な配慮はいらない。
大体、このクラスのヘッドホンアンプを買う人間はそれなりのスピーカーシステムを既に持っているか、少なくともそれは十分に経験済みである場合が多いのではなかろうか。その意味でも中途半端なプリメイン機能は排して、ヘッドホンに全力投球して欲しいものだ。
とにかく今回はこのアンプにはスピーカー端子はないものとして、話を進めたい。
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リアパネルにはRCAとXLR両方の入力端子が備わっており、選択できる。だがV16Single endedというネーミングを考えると、中身はおそらくシングルエンドの構成であろう。XLRは疑似バランスと推測される。したがって今回はRCA入力のみで試聴した。なお送り出しはマランツの中級クラスのSACDプレーヤーであった。

使用できる真空管 としてKT120がデフォルトらしいが、お好みでKT150、KT88、6550、EL34を差し替えて使えるのがまず面白い。替えるとそれぞれで異なる音質傾向が生まれるはずである。ポタアンでオペアンプを入れ替えて愉しむという話があったが、経験的には、真空管の種類を変えることは、オペアンプよりもずっと大きな音質変化を生む場合が多い。もしこのアンプを買ったら、真空管をとっかえひっかえする愉しみは大きいだろう。
OCTAVEと言えばKT120や150などをプッシュプルで使うアンプメーカーというイメージがあるが、このアンプではいつもと違う方式にチャレンジしている。OCTAVEの多くのアンプと異なり、このヘッドホンアンプはシングルエンドのA級動作らしい。ちょっと設計を変えてきている。
また、OCTAVEはトランスから入力ソケットまで多くのパーツを自社で設計製造し、オリジナル部品の比率が高いこと、真空管アンプの長期安定動作のためのソフトスタートと保護機能を完備すること、MOS-FETを使った安定化電源を持つことなどを特徴とするメーカーでもあるが、V16 single endedも、その部分はOCTAVEの他のアンプと同じ内容をもっている。
カタログやネット上の情報からアンプの内容を調べていると、ホフマン氏の真空管に対する思いが伝わる。もともと管球式アンプの設計経験はかなりある会社であるが、真空管をそれらしい懐かしさ満載の音を出すために使っているのではないようだ。あくまで現代のオーディオの水準をクリアし、求める音質を得るために必要なデバイスとして真空管を認めているように見える。特に真空管を動作させる電源部の造りにそういう視点を感じてしまう。

なお、OCTAVEのアンプには以前から外部電源のオプションがあって、BOXの名で呼ばれていた。このBOXの中身は、もともとトランス屋であったOCTAVEがオリジナルで作っている大容量のトランスであり、いくつかグレードがあるのだが、今回はその最上位であるSuper black boxを接続して聞いた。
僕は以前、オクターブの上級クラスのパワーアンプとプリアンプの組を取り寄せて試聴したことがある。この時、Boxの有る無しも比較したが、はっきり差を感じた思い出がある。簡単にいうとBoxを接続すると音がグーンと伸びた。こちらに迫ってくる度合いが明らかに強くなるのだ。
こういうオプションを設けているアンプメーカーはほとんどなく、ユニークなアイデアだと思うのだが、このBoxは結構大きいので、ちょっと困る。これだけでかなり大き目のヘッドホンアンプぐらいの図体である。これをV16 Single endedの脇に置くと大掛かりな印象になる。
また、このBoxの面白いのは外部電源装置ではあるが、そこに直接電源ケーブルを接続する形ではないということだ。アンプのリアパネルに専用端子がありそこにBoxから出ているケーブルの端子を接続するだけである。電源ケーブルはあくまでアンプ本体に挿さっている。内部にあるトランスを増設するような働きがあるのかもしれない。

システム全体の外観としては正直、あまり格好良くない。素人が作ったようなアンプに見える。子供が夏休みの宿題で牛乳パックでつくった工作みたいな、かなり微妙なフォルムである。真空管の美しさを前面に出すわけでもなく、かといって全く見せないようにするわけでもない。中途半端な形。いい音がするように見えない。ただ妙に印象に残ることは確かだ。こんな形のヘッドホンアンプは見たことがないから。だいたいOCTAVEのアンプというのは最上位はともかく、それ以外はどれもデザインらしいものに気を使った形跡がない。OCTAVEは外見で洒落(しゃれ)ようという気があまりなさそうである。
OCTAVEがヘッドホンアンプを出すこと自体は大歓迎であるが、こんな見てくれのアンプが120万円の価値のあるものなのか?この外見ではサウンドがよほどなものでないかぎりは話にならない。

また価格の話はしたくないが、OCTAVEのアンプが日本に紹介された当初はセパレートのプリとパワーあわせても130万円前後という設定だったように記憶している(うろ覚えだが)。今はこの小さなアンプ単体で、それとほぼ同価格である。OCTAVEもいつのまにかかなり高価になってしまった。私の感覚ではOCTVEのサウンドは当初から完成されたものであって、現在にいたるまで大きな変化はないと思う。なのに値段が高くなったのは何故?やはりオーディオは青田買いに限る。


The sound 

OCTAVE V16 Single ended では、4pinのバランス端子とシングルエンドのイヤホンジャックがフロントパネルに見えるが、Single endedと銘打つとおり、中身はシングルエンド構成だろうから、4pinのバランス端子は疑似バランスじゃのないか。それゆえ今回の試聴はRCA端子を入力に使うのと同じ作法で、シングルエンドのイヤホンジャックだけを使い、MDR-Z1R、HD800s、TH900Mk2などを使って音の傾向を探ってみた。
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まずちょっと驚いたのは音を出す前にヘッドホンを装着した瞬間。確認のため幾つかのヘッドホンを接続して、ボリュウムを上げて試してみたりしたのだが、少なくとも僕の使ったヘッドホンについては背景のノイズがほとんど聞こえなかった。例えば、マス工房の406の製品版や改良前のGoldmund THA2などでは、ヘッドホンの能率とゲインの組み合わせの問題なのだろうが、はっきりノイズが聞こえる場合があった。
真空管アンプとは多くの場合、ややノイジーなものであり、SNの面で厳しいところがあるのは常識である。だが、このV16 Single endedはその点でかなり優れる。ライバルとなるFostex HP-V8も真空管アンプとしてノイズが低いが、聴感上はほぼ同等の静けさがある。なお、このような真空管アンプの電源についてはグランド分離によりノイズが減るケースがあるが、今回はそのような仕掛けは用いていない。プレーヤーのPLAYボタンを押し、ボリュウムを上げてゆく。
ハービーハンコックのRockitのイントロが流れる。
これは強い。こんなに音圧があるのか。
辛口の引き締まったサウンドで、真空管アンプとしてまずイメージされる緩くて甘美な音が全然出て来ない。鼓膜にガツンと音波をぶつけるようなダイレクトなサウンド。音が飛んでくる。音離れがいいというのはスピーカーオーディオに使う表現だが、思わずそうつぶやきたくなる。ホーンスピーカーをニアフィールドで聞く快感をヘッドホンで味わえるとは。Rockitにしっくりと来る方向性だ。メリハリ、コントラストの強い立体的な音の塊が鼓膜に次々と迫り、ぶつかり、砕ける。
ここではロックやヘヴィーメタル、ラップはとても新鮮に鳴り、良い結果を出す。だが、クラシックやアニソン、Jポップではどうも合わない曲が多いか?いや、音楽のジャンルで合う合わないがあるというよりは、激しくストレートな訴えかけのある音楽がアンプに合っていて、萌えの要素が強かったり、アンビエンスが豊かに取り込まれた音作りをされた音楽が不得意なのだろう。
このアンプのサウンドは、音像、そして直接音が主眼である。荒々しく、時に暴力的とさえ映る音圧に押し出されてくる音像が刺激的だ。
どんな曲を送り込んでも、明晰さを堅持して、弱音すら克明である。
これは、いわゆる上手い音作りとか無難で万人受けする音を狙ったものではない。あくまでホフマン氏の”オレの音”が出ているように思う。芯のある低域をコアとするドスの効いたサウンドを全身で浴びるようなリスニング。全身などという言葉はヘッドホンではあり得ぬはずだが、なにかこう全身で受け止めざるを得ない気迫が宿っている。こんなに強い音は飽きるのも早いと言い訳をして避けて通りたいと思う心が、ヘッドホンをひとまず外した後の心地よい疲労感によってじわじわと侵食されてゆく。こんな痛快さは久しく聞かなかった。聞き疲れがあるのに病みつきになりそうだ。

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このサウンドには一対一の戦いの兆しが感じられる。真剣で命のやりとりをしそうな覇気がある。こいつはBLEACHのキャラクターである更木剣八のような雰囲気を持つアンプだ。戦いの刹那・刹那だけを愉しむ者であり、危険な遊戯を仕掛けるオーディオマシーンだ。とにかく聞いていてゾクゾクするような嵐の予感が背筋に来る。凄いなと素直に思う。

空間的な見通しは良くはなく、音場の透明感もほぼない。ホールエコーの広がりなどは申し訳程度に聞こえてくるが、背景に空間の広がりを意識しづらい。そのかわり音像の厚みは、ヘッドホンアンプとして異例なほどの分厚さである。この際、空間性の欠如などは捨て置こう。
腰の据わった重たい音が腹に来る。時に邪悪ささえ感じさせる黒っぽいリズムが刻まれる度に、グーンと伸びてくる低域の存在感が際立つ。この低域がサウンドの重心となり、定位に揺るぎは感じない。この低域の分解能はすこぶる高く、この帯域が緩くなるタイプの真空管アンプとはまるで異なる。この低域の充実にはSuper black boxが一役買っているはずだ。だが、普通の真空管アンプファンはこの低域を快く思わないかもしれない。例えばHP-V8の低域のゆとり・ふくよかさとは180度、方向性が違うのである。
(なおSuper black boxを外すと音の伸びは控え目になるが、全体に音が締まるという話もあり、Super black boxなしの音の方を好む方もいるらしい。この試聴記では取り外して試聴しなかったのでわからないが、少なくともホフマン氏はSuper black boxを必ずしも推さなかったとは聞いていた。)(追記:なお、後日、全く別な場所でSuper black boxを外した状態で試聴できたのだが、高域の滲みや粗さが目立ち、低域の伸びやかさ、丁寧さが明らかに劣る印象だった。確かにこの時はKT88が使われていて、先に公開した試聴記で使っていたKT120ではないので一概にBOXがないせいにはできないが、やはりあった方がいいと思う。)
逞しい骨格と筋肉を誇るボディビルダーのようなマッチョなサウンドでありつつも、鈍重さが一切ない。ハイスピードな出音であり、音の瞬発力はかなり高い。現代の最新のアンプに要求されるレスポンスの良さを十二分に備えたアンプだ。スカッとしたヌケの良さが発音の末尾に常に付け加わるような気配もあり、必要以上の音の粘りは感じない。また、音の温度感がやや低く、ことさらに熱気を感じないのは意外だ。クールでサラッとした音である。これはこのアンプの持つスピード感と関連するのだろう。
さらに、やや確信犯的だが、音のエネルギーが中域あるいは中低域にやや集中している。ただし全帯域を少し離れて眺めれば、どうやらナローレンジな音作りにはなっておらず、むしろ真空管アンプとしては高域方向、低域方向にもかなり伸びているワイドレンジな部類らしい。

克明な音像、中低域の力感と高い分解能、反応速度の速さ、鮮度とキレのあるスパイシーな音というのが、このアンプのサウンドを聞いてすぐに思い浮かぶ言葉たちだ。これらは全てOCTAVEのスピーカー用のアンプにもあてはまる特徴である。だが、もう一つの要素がOCTAVEのアンプにはある。力で押す、テンションが張った音の中に、他のアンプには滅多に聞かない、各パートの調和と一体感が表現されている。最新のアンプともなれば各パートの音の分離の良さで性能を誇示するアンプが多い中、このアンプでは逆に渾然一体となった様々な楽器の音を堂々と提示する。この特別な音のブレンド感がV16 Single endedの音に深みを与えている。これがホフマン氏の音の核なのだろう。

このアンプに見合うヘッドホンは何か?その問いに正確に答えるにはまず、このアンプのオーナーになる必要がある。だがそれはなかなか大変なので、私がここで試した限りで選ぶとすると、Audeze LCD-4が最も持ち味を引き出していたようだった。平面磁界・全面駆動のヘッドホンは能率が低いところがいい。このアンプはあまりにもパワフルであるため、能率の高いダイナミック型は粗さが出やすい。また、使い慣れたMDR-Z1Rのような密閉型では、頭の中が拡張された音像でいっぱいになって狭くるしい。開放型の方がいい。またSusvaraを使うと、特徴的な高域がさらに華やかになり、この部分の音色の美しさは比類ないものと取れるが、低域の支えが薄いので好みを分けるような気がした。対するLCD-4は帯域全体のバランスがよく、音質上で欠点を指摘しにくい。MASTER1やFocal utopiaでも試してみたいが、その機会はあるだろうか。とにかく、最新型のLCD-4(初回版から既に5回の振動版の変更を経ており、付属のケーブルもキンバーに似た形のものに変わったが・・・・)は私の聞いた限りではV16とベストマッチと思われた。

妖艶さを盛り込んだ色彩感豊かでしっとりと優しい音というのが、大半の真空管アンプが奏でる音のイメージだが、そのような真空管アンプの標準語の発音・言葉使いとは異なる、いわゆる“方言”を駆使するヘッドホンアンプと言える。このような訛(なま)りを持ち、音に同等の十分な説得力があるヘッドホンアンプをかつて一つだけ知っていたが、V16のサウンドはそれを上回るような、狂おしさ・重苦しさにまでつながるサウンドかもしれない。
かつて、G ride audio GEM-1という個性を手放してしまったのを悔やんできたが、全く同じではないにしろ、多少とも似た雰囲気を持つアンプにやっと出会うことができた。


Summary

人間にはある問題が出会った時に、正解は一つだと考える多少スクエアな人と、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないと柔軟に考える人がいる。
オーディオという趣味は、良い音とは何かという問題の解を求める試行錯誤であると考えることができるが、その始まりは大抵の場合、一つの理想を追う姿勢に終始する。一つのシステムをグレードアップして自分にとっての理想の音に近づけようとするのである。その過程で我々は様々な機材やシステムを通過し見聞を広め、自分で構築したシステムを味わい、味わい尽くしては飽き、システムを入れ替える。
それを繰り返すうち、色々なサウンドを聞いて達観する。理想の音は一つではないと。
つまり絶対的な一つの解があるだろうと考えて追求しているうちに、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないかもしれない、あるいはオーディオとは正解はないが不正解はあるという世界なのでは?という方向に考え方が変わってくる場合があるということだ。つまり多様性に目覚めるのである。

僕がやっている、色々な場所で様々なコーヒーを飲むという行為も、この多様性を求める行動の一環と捉えることができる。
様々な産地、様々な気候・土質そして品種、様々な製法で作られた、多様なコーヒー豆を吟味選択し、バリスタ達はそれぞれに異なる抽出法でもってコーヒーを淹れる。コーヒーの味というのはバリスタごとに異なるし、その日ごとに、一回として全く同じ味で淹れることはできない。これは一期一会がもたらす多様な味の表現なのである。
毎日、その多様性を求めてコーヒースタンド・カフェを渡り歩くことは、まずは究極の一杯に出会うための旅であるし、最後には究極の一杯が複数あることに気付くための旅でもある。
僕のオーディオもコーヒーに似ていて、その中にあるハイエンドヘッドホンというジャンルも、そういう旅のようなコンセプトを持っていると見て差し支えない。
ヘッドホンオーディオを続けるということは、とあるヘッドホンサウンドに出会うための旅であり、また、いくつもの個別なヘッドフォニアの世界があることを認めるための旅なのである。

僕はいつも多様性の中に身を置いていたいと望む。この多様性の前提とは、世界に単に多くのモノがあることだけではなく、互いに明らかに異なる、多くのモノが並立することが重要である。だから僕という人間はいつも自分の知らないモノを求める。自分の知識に既に有るモノとは異なるモノを探している。そして、V16 Single endedは僕が求めるモノに当てはまるのだ。こうして僕は、ヘッドホンサウンドの優れた表現者の一人としてOCTAVEのホフマン氏の名前を新たに記憶に刻むことだろう。

現代は複数同時展開する使徒のごとく、予想外に多くのハイエンドヘッドホン機材が選べ、比較的簡単にそれらと手合わせできる時代である。真空管式のハイエンドヘッドホンアンプに限っても、Fostex HP-V8、STAXのT8000、Sennheiser HE-1、Hifiman Shangri-la、Blue Hawaii、Woo audio WA-234などがあり、どれもマニアの間では、それなりに話題にのぼっている製品だと思う。
またハイエンドに限らなければ、ArtifactNoiseの新作アンプや山本音響工芸HA-02、izo iVHA-1、東京サウンドValveX-SE、Musical SurroundingsのFosgate Signatureなども面白かったし、実際に世話にもなった。僕はWoo audioの製品を除けば、ほぼ全てを聞いているつもりだが、今思えば、どれ一つとして同じ音を出すものはないばかりでなく、それぞれに他とはかなり違った、個性的な音調を発揮しているものが多い。つまり思い返せば、僕の中で真空管式のヘッドホンアンプはソリッドステートのものよりも個性派揃いなのである。ここまであえてやってきた、柔らかくて甘美で艶のある音などという勝手なくくり方をすべきではなかった。
(それは知っていたが、話の流れからすれば、とりあえずそうしておくしかなかった)
そして、その中でも最も個性派と思われるのがこのV16 Single endedである。

V16 Single endedの鉄壁の個性を聞き、ヘッドホンの世界が多様性に溢れ、深く広くひろがりつつあることを僕は改めて確かめた。実際、このジャンルは未開拓であり、発展途上である。遠くまで自由に歩き回るにはまだ障害が多く、この広大な荒地を好き好んで歩く僕のような者もまだ多くない。しかしだからこそ、やりがいがある。このジャンルに十分に投資するメーカーもオーディオファイルも、新世界の開拓者としてオーディオの歴史に名を刻むチャンスがある。対するスピーカーオーディオは、いくら開発費を注ぎ込んでも、音質の向上率が頭打ちのように思えてならない。カネがかなり有り余っている人間でないかぎり、スピーカーによって新しいオーディオの可能性を追求することはできなくなってきている。またスピーカーの世界は年季の入ったハイエンドメーカーやユーザー達がひしめいていて、いくら努力しても、その分野の先駆者として認知されることが難しい。この状況を理解しているならば、僕がスピーカーオーディオの世界からあえて距離を置く理由も分かるはずだ。
OCTAVEのようなスピーカーの世界で定評のあるハイエンドメーカーが、この新世界に参入することを、一人のヘッドフォニア、そして一人のオーディオの観察者として歓迎してやまない。
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# by pansakuu | 2017-09-01 00:46 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの

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神話とは、世界の始まりに起こった一回きりの出来事の記録であり、
後世の者が規範として従わねばならぬ、不可侵の物語として位置づけられる。
定義集より



製品の発表から一年あまりを経て、
やっと販売が開始された製品版のSennheiser HE-1を僕は聞いてきた。
ハイエンドなヘッドホンを嗜好し、これを消費する者から見ると、特別に優れたヘッドホンを使いながら、専用のドライブアンプに残念な部分を残していたプロトタイプのHE-1だったが、製品版では細かい欠点を改め、全てのスペックを確定し、完成したハイエンドプロダクトとなって日本に再び上陸してきた。
僕はこの機材のプロトタイプを数回にわたって試聴してきたが、いつも正味5分くらいの短い試聴ばかり、いかんせん製品版でないこともあり、どうも腑に落ちないというか、600万円の対価にふさわしくないシステムだという印象が拭えなかった。
今回の製品版に対する試聴会は、以前のプロトタイプを聞く会と異なっていて、一人当たり30分前後という、音のあらましを掴むのに不十分とは言えない試聴の時間が与えられていた。

そこで僕が聞いたHE-1の音は、かなり良くなっていた。
以前に聞いたプロトタイプに比べて随分と練り込まれたサウンドと感じた。
もう単純に高音質を狙うなどという、ありふれた領域は通り過ぎ、その先の精神的な境地、アートの世界にまで入りつつあるように聞こえた。これはオーディオについての豊かな経験・深い造詣を持たないと創造できない音の骨格、そうでなくては想像することすらできない音の細部を聞かせるシステムだと感じた。

とはいえ慌てて、入手してもいない機材の音質について詳しく話す必要はないし、そういう気分でもない。
それよりも今回は外観などの音質以外の点で新たに分かった、購入の検討の際に役立ちそうなことを中心に書きつらねておく。音質の話などは今は話半分でいいのだ。
ここでは、この途轍もないヘッドホンシステムHE-1のコンセプトを正しく把握することが重要だと思う。
なにしろ単純に音質だけがHE-1の存在意義ではないというのが僕の結論なのだから。
なお、例の如く細かいデジタル入力規格や周波数特性の数値などスペックに関してはゼンハイザージャパンのHPに公開されているので参照してもらうことにして、
ここではそこに書いていないことを中心に話す。

まず耳の痛い、価格に関係した話題から。
白い大理石のシャーシのオプションでヘッドホン一個、リモコン、運搬用コンテナ、マイクロファイバー製のクロス、シルクの手袋、USBに入ったwindows用のドライバー、納入される実機の測定結果を記した書類、ブックレットになっている日本語取説などが付属する標準仕様のHE-1は税込で648万円になると決定している。なお一部で噂はあったが、予備の真空管は付属しない。(追記:最近、ヨドバシのHPで720万円のプライスタグで売られているのを見たが、私がこの文を書いた時は確かに648と聞いた。720では流石に他の選択を考慮せざるをえない。)
日本には一台のデモ機があるのみで在庫はなく、完全受注生産品であるが、台数や受注期間は今のところ限定されていない。
実際の売買はゼンハイザージャパンに直接メールなどで購入の意志を伝え、契約書を取り交わすことから始まる。税抜き代金の20%を前金で支払い、オーダーが成立。ドイツ本国で製造が開始され、約2か月で実機が日本に到着、残金を清算し納品という流れだ。これは高額なオーディオ機器としてはやや異例で、普通は前金や契約書がない場合が多いと思う。
こういった特殊なモノを作る会社は個人でやっている場合も多い。契約書を交わさず、大金を振り込んだあとで、その個人が病気や事故などで突然、生産不能になった場合には、資金の回収できなくなることも考えられる。普通の会社でも倒産はありえないことではない。通常は代理店や販売店が仲介するからいいとはいえ、これだけの現金を戻すのは彼らにとっても楽ではないだろう。やはりこういう契約の締結や前金→後金という慎重な過程を経ることも、現代では必要なことなのかもしれない。
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選択できるオプションとして、二人で同時に聞くために、もう一台ヘッドホンを追加すると約300万ほどかかる。僕はこれを重要な数字と考える。それというのもヘッドホンだけで300万円という話を聞いて初めて、このHE-1の価格設定に納得できたから。HE-1はギミックのあるアンプ部に注目が集まりやすいが、あくまでヘッドホンが主役であるのが、ここで判明したのだ。実際の内訳として150万円のアンプ、150万円のDACに300万円のヘッドホンと考えるとハイエンドオーディオとして一応の筋は通っているかもしれない。もちろん、これはRe leaf E1シリーズやTHA2などの既存のハイエンドヘッドホンアンプの存在意義とその価格を踏まえての話だし、僕がこのHE-1のヘッドホンが300万円すると言われても驚かないという身分不相応な金銭感覚の持ち主であることも考えに入れるべきだろうけれど。

標準仕様は白い大理石のシャーシで設定されるHE-1だが、黒い大理石を選ぶこともできて、その場合はプラス120万とのこと。また黒色の他、赤や黄色の大理石も選べるが、これらはオーダー後の見積もりとのこと。おそらくその場合は200万円前後の割増料金ではないかとのこと。
なにせ大理石のシャーシは歩留りが悪い。自然物を切り出し、削り出すのだから仕方がない。ゼンハイザーの基準に見合うシャーシが低い確率でしか得られないため、捨ててしまうものが多くコストが非常にかかると言う。大理石に浮かび上がる模様はもちろん選べないし、同じものは世界に一つとしてない。
試聴しながら、標準の白い大理石のシャーシを注意深く見ていたのだが、恐らくこのシャーシは大理石を削っただけではなく、なにかで石をコーティーングして割れにくくしているようだ。これは初期のプロトタイプとは異なる仕上げではないか。そういえばRe LeafのE1Rの大理石のボリュウムノブが割れる話を聞いた覚えがあるが、こういう表面の保護もこのクラスの機材には必要なのだろう。

大理石のシャーシの肌理を触っていると、このような威容を誇るオーディオ機器の筐体は稀だと思う。以前、森や川は消滅と再生を繰り返す不滅の存在だが、大理石は変わらない永遠の存在だという文章を読んだことがある。その時、僕は不滅と永遠の違いを知った。
大理石をヘッドホンアンプに用いて、ヘッドホンサウンドにも変わらない永遠の価値を与えたかったのだろう。また、ギリシャのパルテノン神殿の柱は大理石でできているが、大理石というものは西洋では神殿の枕詞のようなもの、ただちに神を意識させるものでもある。
神秘的な雰囲気を、単なる音響家電に与えることを意識して、大理石を使っているのかもしれない。
公式には大理石が放熱に効くという説明がなされているが、後付けのような気がしてならない。
機械的、音質的な影響はともかくとして、ここで外観上は大理石のシャーシを奢ったことは成功だった。大理石シャーシの採用があってはじめて、このヘッドホンシステムがアート・芸術作品という視点から語れるようになる気がする。
このような重厚さ、厳めしさは大理石以外の素材では出しにくい。ハイエンドヘッドホンに絶対的あるいは排他的とも言える威厳を添え、オーナーの所有欲を溢れんばかりに満たし、ハイエンドヘッドホンというジャンルの構築にかける意気込みを示せる。
芸術作品としての品格を備えたオーディオ機器はもともと少ないけれど、そこにヘッドホン専用の機材が含まれるようになったことはとても面白いし、新しい時代の到来を予感させる。

それから、標準の3mのヘッドホンケーブルを5mに変更したい場合は24万ほど加算である。なかなかの価格であり、よほど特殊なケーブルなのかと思う。
また、HE-1は高価で、売り方が少し規格外とはいえ、日本で買おうと思えば誰でも買えるものだから、日本のPSE規格に適合している。よって付属する電源ケーブルはこの規格の関係で汎用品になるが、要望があれば別なケーブルも用意できるとのこと。ここらへんも応相談である。さらに真空管周りのブロックやヘッドホンボックスの色を赤に変えたり、真空管の保護チューブのキャップをゴールドに変えたりすることもできるようだが、その価格は訊かなかった。黒い大理石のシャーシは憧れであるが、その他は自分には関係ないオプションだと思ったからだ。

この製品については、世界で既に30数台が売れており、日本でも一台だけだが売れていて、納品は終わっているとのこと。HE-1は輸送時、木製の大きなコンテナに入っており、日本では専用のリムジンをチャーターして配送される。リムジンの手配はドイツ本国からの指示だという。こういう配送の仕方もハイエンドオーディオ機器としてはあまり類例がないように思う。それから、木製の大きなコンテナは元箱として価格に入っているが、オーナーはこのコンテナの置き場所も考える必要がある。意外に元箱を捨ててしまうオーディオファイルが少なくないが、メンテや故障の場合に役立つので持っている方が僕はいいと思う。なお、HE-1については三年に一度の、本国送りになるかもしれない定期メンテナンスも推奨されているので、その意味でもこの箱の保存は必要だ。なお保証期間は5年。永久保証というわけではない。

製品版のヘッドホンやアンプの外観についてはプロトタイプに比べて目立った変化はない。
ヘッドホンの外観はプロトタイプとほぼ全く同じ。左右のイヤーカップに内蔵される、増幅の最終段としてのA級アンプの内容はともかく、外観上はきっとなにも改良していないのだろう。
アンプの外観についてもボリュウムノブやセレクターの周りにアルミの丸い枠がついたことくらいしか違いがない。
足は平たい4つ足であり金属製のボトムプレートに直接ついており、底に滑り止めのゴムのような材質の円盤が付いている。また、高さを調整する機能はないようである。つまり十分に平らな置き場所が必要だ。これは重心が低いシャーシであり、放熱孔は底面にも表面にもないようである。一方、放熱が必要な真空管は全て石英ガラスのチューブに入れたうえで、向かって右側にあるブロック上に立てて配置される。これらの真空管はスプリングを介してマウントされ、石英のチューブは空気を伝わってくる外部からの振動を防ぐためにあるという。HE-1は真空管まわりについて振動に気をつかった仕組みを持っている。
この構成・位置だと真空管の放熱には良いが、あまりにも剥き出しなので、不意になにかが飛んでくると真空管を直撃することがあり得る。でも条件付きで心配無用というか、御存知のギミックにより、HE-1を起動していない状態であれば、真空管は引っ込んでおり、その危険はない。こうして実際に使うことを考えると、これらのギミックが、まず見栄えのため、それから真空管をスタンバイ状態に持っていくまでの時間を稼ぎ、真空管の寿命を延ばすため以外にも役立つことはありそうだ。
なお、これらの真空管の発生する熱は、アンプが半導体とのハイブリッド式の構成をとることもあって、フルドライブでも問題なく触れるほどのものだった。真空管を容れるチューブの銀色のキャップの部分を触ったが50度くらいだろう。夏でも使える。例えばNagra HD DACでは機材の内部温度測定と内部の真空管に電源投入したトータルタイムを記録する機能があり、内蔵の真空管の寿命をある程度知ることができるが、HE-1にはこのような機能はない。したがってメンテナンス時に真空管についてメーカー側で調べてもらうしかないだろう。ただ、この温度であれば、そう頻繁に真空管を入れ替える必要なないと予想する。
また、真空管の放熱という点に関してHE-1の日本語マニュアルを読むと周囲に5cmくらいの空間が必要とある。Fostex HP-V8でメーカーが推奨している空間の空け方よりもずっと小さく、セッテイングは比較的容易である。

DACやアンプの内部の仕様についてはHP等で発表されている以上の情報は未だにほとんどない。どのように基板がマウントされているのかすら不明。
運良く手に入れたとしても、このシャーシの中身の写真は撮れそうにないというか、撮る勇気はなかなか出ないと思う。大理石は重くてデリケート、モーターによるギミックあり、ヘッドホンボックスの天板はガラス製、真空管に石英のチューブ付きと来たら、内部の仕組みをあらかじめ熟知しないものが、HE-1をひっくり返したり、中を開けてみるのは危険だ。とにかくDACはES9018が片チャンネルごとに4個づつ、パラレルで使用されているということ、真空管とソリッドステートのハイブリッドのヘッドホンアンプ部(HVE1)とヘッドホン本体(HE-1-HP)の二段増幅になっていることぐらいしか、内容について私は知らない。
最近、DACの基板の写真を見て、実際の出音と比べたりしているプロの方のブログを読んで感心したが、オーディオ機器を訳も分からず、ただ使いまくるだけの全くの素人の僕には、ああいう技術的なコメントもできないから、その意味でもHE-1の中身を見るなんて無駄だろう。僕にしてみれば、中身はどうあれ、見てくれと出音が良きゃいいというわけだ。

次は、不要との指摘もある、本機特有のギミックに関して話そう。それにはまず起動の仕方についておさらいする必要がある。背面のメインスイッチが入った状態で、まだ起動されてないHE-1はボリュウムノブとセレクタが引っ込んでフロントパネルとツライチの状態になっている。ボリュウムノブの頭が起動ボタンの役割をしているので、これを軽く押し込むと真空管がせり上がり、ボリュウムノブとセレクターが前にゆっくりと飛び出してくる。同時にヘッドホンケースの蓋が開き、ヘッドホンを受け止めているクッションもせり上がるという具合である。これらの一連の動きが終わるとヘッドホンボックスからヘッドホンを出して聞ける状態になる。また、リスニングが終わったらもう一度ボリュウムノブを押し込むと、上に述べたのと反対の動きで片付けが始まる。
これら全ての動きが内臓された数個のモーターにより自動で進んでゆく。このようにオーナーに、私の音を聞きなさいと促すような動きをするオーディオ機器は初めてである。
この動き自体は音質にあまり関係のないことは間違いないので、最初の試聴の頃、僕はこのギミックを快く思わなかった。だが、何度もこの儀式を眺めているうちに、この動きなくしてHE-1は特別な存在になりえないと思うようになった。

HE-1自体、HifimanのシャングリラあるいはシャングリラJrやRe Leaf E1RやMSB Select DACのSTAX専用システムなどと比較されがちであるが、そういう比較はオーディオを音質という視点からのみ見てしまうという、普通のオーディオファイルにありがちな間違いなのかもしれない。例えば、それらのアンプにはこういう動きの側面がそもそもない。その視点から見ればHE-1は目指した場所、立っている土俵が違う。ヘッドホンやヘッドホンアンプは従来のスピーカーやアンプよりも、よりリスナーに近い位置に置かれることが多い。その状況で機材に動きがあると、スピーカー関係の機材に比して、もっと強くリスナーの音楽を求める衝動に働きかけ、高揚させることができるかもしれない。こういうコンセプトは今までに僕が扱ってきた、どのオーディオ機器にもない側面だろう。
また、このギミックの付加は、優れたオーディオ機器とは、その静的な外観のデザインのみを云々するだけでなく、動的なギミックも含めてデザインとして評価すべきという立場を示しているのではないかとも思う。

製品版HE-1では、金属を切削して作られた、オリジナルデザインのスタイリッシュなリモコンBFI-1が新たに付属している。単体で25万円もするが、上質な仕上がりのコンパクト・スリムなリモコンであり、付いていて腹は立たない。標準のヘッドホンケーブルは3mもあるのだから、遠隔操作ができる装置があっていい。このリモコンでボリュウムの調節、入力選択、クロスフィードのかけ方に強さの3段階の調節ができるだけでなく、ヘッドホンケースの蓋の開閉ができる。(本体に、この機能のあるスイッチがないようだ)
ここは僕にとって、ヘッドホンの価格と並んで、もう一つ重要な点だった。僕は出来るだけ蓋を閉めて、背面にあるもう一つの端子にヘッドホンをつないで聞きたいので、この機能があるかどうかが気になっていた。
今回の試聴で、起動して蓋を開き、ボックス内の端子からヘッドホンを外し、背面の二つ目のヘッドホン端子につないだうえで、リモコンで蓋を閉じてリスニングを没頭するという流れがやっとイメージできた。
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では、ヘッドホンがボックス内の端子に繋がれている状態で、リモコンで蓋を閉じるボタンを押すとどうなるのだろう。ヘッドホンケーブルを蓋が挟んでしまうということにならないか。この場合の対応についてはマニュアルに書いてある。ここでHE-1本体はヘッドホンの接続状態をいわば認識しており、ヘッドホンケーブルを咬む寸前で蓋の下降が止まるという。並みの設計者・メーカーなら箱の縁にケーブルが通る小さな切欠きを入れるだけで解決しようとするだろうが、収納ボックスの美観をそこねる安易な方法はとらないというのだろう。

やや暗い試聴室でオレンジに底光りする真空管の並びと白い大理石のコントラストを眺める。LEDで指標され位置を視覚的に確認しやすいうえ、滑らかに動くボリュウムノブに触れる。この感触もプロトタイプよりも良くなっている。USBなどの入力を切り替えるセレクター、クロスフィードのかかり方を変えるノブのクリック感を指先で味わう。こうしていると、音質以外の点でHE-1の洗練度の高さを感じる。ハイエンドオーディオ機器に備わっているべき心地良い操作感がこのマシーンにはある。
特にボリュウムフィールの心地よさは特筆できる。ここ何年かハイエンドヘッドホンアンプを試してきたが、この感触の良さはE1Rと並んでトップである。他のアンプでは、マス工房のアンプやGOLDMUNDのアンプのように、この部分の感触が考慮されていない場合が多い。
またLEDで光る指標がノブのついているのも嬉しい。これはハイエンドな機材でも意外と見かけない仕様で、オリジナルのノブを削り出しで作る以上の手をかけないとできない。
またヘッドホンの装着感、頭との一体感も上出来。ヘルメットのようにスッポリとかぶる感じ。他のハイエンドヘッドホンと比べても、ここまで頭にシックリとなじむものは珍しい。550gと軽くないヘッドホンだがフィット感の良さからか重いとは感じないので長時間のリスニングも問題なかろう。
なお、このヘッドホンでは珍しく側圧を測定して公表している。4.3Nプラスマイナス0.3Nだそうだ。せっかくだが、こういう数値の表示は比較対象がなく、平均値も知られていないのでほぼ無意味ではないか。ここに数値信仰のピットフォールが露呈しているのかもしれない。
このような数値はおそらくどうでもよい。むしろ、測定できない・数値化できない要素がこのHE-1には盛りだくさんに存在することが素晴らしい。
それこそが僕の望むオーディオ機器の在り方でもある。
ハイエンドオーディオの機材とは、最終的には人間の五感に訴えかけるアートでなくてはならず、計測器にテストされるために存在する科学的な対象ではないとずっと考えてきた。もちろん開発の途中は科学・数字を駆使すべきだ。しかし僕の手元に届いた日からは、音楽のことだけを考えさせてほしい。理系から文系に変わってほしい。数値で記述できる要素は設計者や業界が勝手に設定した基準を満たしておればよい。それを超えたところで、人間がそれを相応の価値あるものと認識できるかは不明、あるいは人それぞれとしか言いようのないことであり、自慢するほどの話ではないからだ。それよりも人間の五感に確かに感じられるが機械で測ることのできない部分を人間側の感覚で十分に磨くことの方が重要と思う。
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音質については、今まで聞いてきたプロトタイプと比べて、明らかに進化した。
音楽に秘められていた活力・生命感が開放され、ほとばしるように振動板から溢れ出て来る。ビビッドでカラフル、しっかりとした輪郭線が目立つ、アピールのあるサウンドである。
ここまで明確な音の打ち出し方はプロトタイプにはなかったように思う。
なによりヘッドホンから放射される音のエネルギーが強い印象であり、これほどの音圧を静電型のヘッドホンで感じたのは初めてである。静電型ヘッドホンのスタンダードであるSTAX SR009は優れたヘッドホンであるが、T8000を用いても、音のエネルギーの強さ、陰影の濃厚さ、低域の量感などで不満がある。僕にとって、あれは淡い音で、音の当たりは気持ちいいのだが、透け透けで頼りない感じが否めない。音に熱っぽさや厚みが必要な音楽では残念な音になりがちである。
HE-1では振動版を大きく強靭にして形も工夫し、さらにイヤーカップ内にA級アンプを内蔵したりして、上記の静電型に起こりやすい欠点を解消しようとしている。
そのせいか、聞く者の心に直接訴えかける、生々しい音が得られている。こういう音だとリスナーは今聞いている音楽の表現や内容に共感しやすい。製品版では、このような音楽性が高い方向にサウンドが転換したような気がすることも見逃せない。

最近、Octaveのヘッドホンアンプ V16 single endedを外部強化電源であるSuper black boxを接続した状態で聞く機会を得た。トータル160万円ほどの高価なアンプシステムである。ヘッドホンは使いなれたMDR-Z1Rなど。そこから聞こえてきた辛口で勢いのある音とHE-1の出音には音のエネルギー感やコントラストの強さなどで相通じるところがあった。やはりドイツという生産国のお国柄と、ともに真空管を採用し、アンプにA級動作させるところなど共通点が多いからだろうか。V16 single endedの音の持つ、僕がいままで聞いたことのないような荒々しさも弱められてはいるが、HE-1のサウンドに織り込まれている。

全般にピークやディップが少ない素直な音で、真空管をこれだけの本数使っていても、なんとなく聞く限りは、響きに癖が少ないと感じる。しかし注意深く聞くと真空管を取り入れた結果として、音の艶や滑らかさ、柔らかさ、華やかな色彩感が嫌味にならない程度、絶妙に混ぜ込まれているのが分かる。HE-1のサウンドは複雑かつ、どこかセクシーである。
また、どんな音楽を聴いても聞き味が大変よい。スルスルと頭の中に極めてスムーズに音楽が流れ込んでくる。これもあえて真空管を使ったことの効能だと思う。
真空管の存在感が強すぎるとHP-V8のように好みを分けてしまうし、真空管の選択で音がガラリと変わり過ぎることもあるが、そういう不安定性とHE-1は訣別している。実際のところ、真空管とソリッドステートのハイブリッド構成でなかったら、こうはいかなかったのかもしれない。

製品版のHE-1が展開する音場は、フルオケの演奏においてリスナーに十分に引いた視線を与える場合もあれば、女性ボーカルのオンマイクな録音で奏者の占める位置を指し示すのみで消極的な広がりに終始することもある。音源を必要以上に遠くしすぎないことに努めながら、音楽の要求する適切な広さを提供するというのが第一印象であった。このシステムの印象から音場の取り扱いに関してHD800でありえるし、HD600でもありえるなと思ったのである。
ただ、私のイメージでは、それが目一杯エクスパンドしたとしても、だだっ広い雪原に似た、平らに、ひたすら広がってゆくような音場にはならなかった。そういう広がりをもつ音場は音楽が演奏される場としては、非現実的なものであり、CGが作り出す仮想空間のようで、音質上、罪のある嘘を含むのではないか。
HE-1の音場は、石造りの建造物の大広間にいるような雰囲気を持っている。静止した空気とニュートラルな温度感を伴う、リアルで安定したサウンドステージである。こうして、どんな音楽に対しても、リアリティを必ず含んだ、安定志向の音作りに専心するあたり、コンシュマー機のみならずスタジオ機器も開発製造するゼンハイザーのポリシーを感じた。

一方、音像についてはシリアスで厳しい側面があってHD600GE Dmaa、HD650GE Dmaaを彷彿とさせる。これはHD800のような、どこか朦朧体の音像ではない。このような音の造形はプロトタイプでも最後のバージョンの段階では出来上がっていたと思う。さらに製品版では、微かではあるが、なにか音に対する執念というか執着心のようなものが、ビターなスパイスとして音に加えられているように思った。国産のヘッドホンアンプではサラッと終わらせてしまう音像の描写を、しつこく追い回しているようなところがある。
そんな風だから、HE-1のサウンドは音を視覚的に解像するという点でも、すこぶる高いものがある。陽光に透かした青葉の葉脈を辿るように音楽の細部が克明に浮かび上がる。この視点では音の拡大鏡としての機能が前景に立っているが、そういう細部への眼差しの中にも、リスナーが楽音の持つ美しさにリスナーが自然と注意を向けてしまうような音調、音のディテールに誘うような聞き味の良さが常に潜んでいる。まるで音楽の持つ文学的な内容が音のディテールにまで沁み込んでいるようだ。俯瞰的にも、微視的にも音楽に没入しやすい。
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様々な音楽をかけかえて試聴を進める。女性ボーカルのくすぐるような柔らかい触感やウッドベースのふくよかな量感と厚み、シンバルの響き線が虚空にたなびく様が見事なイメージとなって脳裏に浮かびあがる。こういう、あやかなものを聞かせつつも、HE-1のサウンドには真空管的な緩さはなく、むしろ硬い岩肌を連想させるような、彫りの深さ、陰影の克明さがある。初期のプロトタイプはこうではなかったので、世界をプロトタイプが行脚してしているうちに、ドイツ本国の開発陣で、なにか方針転換があったのだろう。このようなはっきりとした音の表情のメリハリの付け方、明暗のコントラストの強さは国産のオーディオ機材では聞かないし、ヘッドホンシステム限れば、どの国で作られた製品からも、あまり聞いた覚えのない音である。この音作りの根本にはドイツ的なオーディオの感覚があり、日本人である僕にはエキゾチックに感じられる。

クロスフィードについては、かけ方の強さが2段階に選べる。これはGOLDMUND THA2に使われるジークフリートリンキッシュと類似した効果を狙ったものであるが、この効果に関してはおそらくGOLDMUNDが一段上の位置にあるように思う。HE-1でもデジタル領域で信号の加工をやっているのかどうかは分からないが、自然な定位という点ではジークフリートリンキッシュは今のところ他の追随を許さない。ただGOLDMUNDではかけ方の度合いを変化させることができない。ヘッドホンサウンドをどういう定位の仕方で聞きたいかは曲次第、リスナーのお好み次第というところなので選択肢は多い方がよく、HE-1の方式は歓迎する。

RCA端子からの外部入力の音とUSBでPCと接続した場合も比較した。PCはMacで再生ソフトは分からなかったが、どこかで見たような画面だったからそれほど珍しいものではあるまい。外部の送り出しであるマランツのSACDプレーヤーはSA10あたりだったと記憶するが、あまり関心がなかったので確かではない。
簡単に言えば、USBでPCと接続した場合の方が、音がスッキリして聞きやすくなる。だが、外部入力のプレーヤーに十分な実力がある場合、USBでは情報量が減ったように感じられるのはやむをえない。なにしろ、たかだか150万程度のDACでしかない。内蔵のDACは綺麗に整理整頓された形で音楽の全体像が提示することはできる。したがって、このDACは悪いものとは思えないが、これより良くできたDACは150万円以上の製品にならいくつかあるだろう。例えばコスパのいいDAVEの音質と比べると、多くの点で劣ると思う。
外部入力だと、音楽を聴くのに必ずしも必要のないかもしれない、枝葉末節の情報さえ十分な音楽的分解能をもって、あまねく分離して聞けるようになる。ここでは普段僕が全然評価しないマランツのプレーヤーでも悪くないと思わせる音が出ていた。僕としてはこのHE-1に組み合わせる相手のDACとして、Weiss Medus, dcs Rossini, Nagra HD DACなどを連想した。そのクラスのDACが必要だ。
なお、製品版のHE-1を聞いて、Select DACにはSTAX用の専用アンプを組み合わせるのが恐らくはよかろうと外国の知り合いに僕はメールしておいた。あれはなんとなくHE-1には合わない感じがした。音が平明過ぎるんだよな。

じっくりと手合わせして気づいたのは、HE-1のサウンドには、何気ない一音一音に一筋縄でいかない裏の意味があると思わせる、隠微なニュアンスが宿っているということ。音や音楽そのものに対する深読みを誘い出す複雑さがつきまとう。
汲みつくせない意味、表現しきれない音の模様。
ここには僕のまだ知らないなにかが隠されている。
HE-1にはそういう謎めいた一面がある。
それは人間の精神にとっての毒のようなものか、あるいは人間の奥深くにある性的な官能の動きのようなものか。
許されるなら僕は、そういうHE-1に秘められた思いの正体を知りたい。
秘すれば花。
昔読んだ風姿花伝の一節を不意に思い出す。


僕はプロトタイプのHE-1のサウンドを、手持ちの機材のそれと比べるうちに、どうしてもディスリスペクトせずにはいられなかったが、今回、製品版を聞いて、逆にとても欲しくなった。これなら高価なケーブルやアクセサリーを用いなくても、僕の所有するシステムと同等以上でありながら、異なる音を出せるかもしれない。そう期待させる基本性能の高さと、他のヘッドホンサウンドと一線を画した孤高の音が聞けた。このState of the artというべきレベルの外観とサウンドを合わせ持つ機材はヘッドホンシステムではRe Leaf E1くらいしかないだろう。ただ、HE-1はE1よりも世界のヘッドホン界に与える影響はより大きいので、さらに偉大な存在だ。逆に言えばE1は世界でHE-1ほど有名ではないものの、それほどまでに優れているというわけだが。

今回の試聴全体で感じたことは、ありきたりだが、
HE-1は、その存在そのものがアート・芸術であるということだ。
単にいい音で音楽を聴くための気楽な家電製品を目指したのではなく、最終的に芸術作品を創り出そうとしたのだと思う。だから価格も芸術作品としての値付けだ。それなら分かる。前のモデルであるOrpheusヘッドホンシステムには、これほどの格調の高さはなく、先代と比べて進歩している。先代機は今では幻に近い機材であり、ハイエンドヘッドホンのレガシー・神話として位置付けられているが、HE-1はその立ち位置を継承し、さらに発展させている。

ハイレゾという数値を戴くPCオーディオが発達した結果、現代ではアンプやスピーカーにもその傾向が伝染している。昨今のオーディオは、音以前にスペックの数値を見ないと、良し悪しを判断できないものであるかのようだ。だが、ハイエンドオーディオの始まりの頃は数合わせばかりではなかったと記憶する。僕は25年くらいオーディオをやっているが初期のマークレビンソンやマランツやタンノイ、ゴールドムンド、FMアコーステイック、JBLなど、どれも芸術に対するリスペクトから、芸術的な音調をその出音に潜在させることに腐心していたと思う。そのようにして設計者は自分の中にある芸術の解釈をサウンドに織り込んでいた。
当時の音響特性は現在と比べれば稚拙な面はあれど、今のオーディオ機器には聞かれない麻薬のようなオーディオ的快感・エロス・毒を隠し持っていて、そういう数字で捉えがたいものを受け止める力のある者には、それらを惜しげもなく与えたものだ。それはリスナーの共感を強く呼びこむ、深い音楽性として現れていた。
その魅力は今もハイエンドオーディオの神話として、キャリアの長いオーディオファイルの胸にしまい込まれている。
そういう失われたオーディオの神話の片鱗がHE-1に残っていると僕は信じている。

人間の精神に直接作用して、それを変化させる表現物を一般に芸術とか、芸術作品とか呼ぶ。オーディオは先人の努力によって、あるいは音楽と巧みに一体化することで、単なる音を聞かせる装置から、芸術という驚くべき機能を持つモノへと進化したはずだ。
この成果こそアート・芸術という要素を含んだ、かつてのハイエンドオーディオの最終的な存在意義であった。
全ての趣味と同様に、そこにかける思いと考えが十分に深まれば、あの世界は自然と見えてくるはずなのだが、なぜか現代のオーディオに、そのような神話的世界への志向を感じることは稀である。

ところで、僕がRe Leaf E1、GOLDMUND THA2、Nagra HD DACを並べ、組合わせて毎日聞いていて切実に感じるのは、各々の機材に独自の完成された世界があるということである。
これはアリストテレス的な世界、すなわち名付けうるものの数だけモノが存在するという唯名論的な状況と考えられる。スピーカーオーディオでは複数のシステムをメイン・サブの区別なく駆使できる立場にあるオーディオファイルはほとんど居ないので、どうしてもプラトン的な世界、すなわちイデアという一つの理想的な世界を追求する動きになりやすい。しかし、ヘッドホンオーディオでは、異なる世界を持つ異なるシステムを並列して使うことは容易であり、その意味で全く異なる展開が有りうるし、僕はそのアリステトテレス的世界を現に愉しんでいる。
ヘッドホンオーディオはスピーカーオーディオと単純に音質的に異なる世界を作れるだけでなく、オーディオを聞く様式においてもスピーカーオーディオとは異なる広がりを持つのである。

僕としては、このハイエンドヘッドホンオーディオの広がりをさらに大きくしたい。HE-1のような音の芸術としての存在をこの世界に取り込みたい。誰のためでもなく僕自身のために。だが、この願いは簡単にかないはしない。並び立つそれぞれのシステムが、各々異なる音調・意味をもって僕を楽しませることが必要だからだ。苦労してシステムを整えても、同じようなものが幾つもできるだけでは意味がない。(例えばマス工房の406は素晴らしいが、その製品版を聞くと僕の手持ちの機材とガラッと違う音を出せる自信がない。)
自らが今持っていない音、しかも高い次元で完成したサウンドを僕は求める。
HE-1の音はその条件を満たすだろう。
やはり、この機材はハイエンドヘッドホンのアルファでありオメガでありうる。
これは現時でのハイエンドヘッドホンの究極の一つであるだけでなく、
新しい動きの始まりでもある。
互いの存在・音に刺激を受けつつ、次々に生まれてくるヘッドホンシステムたち。
彼らが繰り広げるオーディオの新たな神話は、
HE-1を結節点として、さらなる展開を見せるだろう。
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この期におよんで、僕のやることは決まっている。
HE-1の姿形・動き、サウンドとその対価が正しく釣り合うのかどうか。
僕はただ、それらの要素を注意深く、心の天秤にかけるだけだ。
(かなり望み薄い比較となりそうだが・・・・)



# by pansakuu | 2017-08-20 19:01 | オーディオ機器

ハイエンドオーディオの乖離と空白について

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上奉書屋時代から数えると随分な数のオーディオに関するレポートを書いてきて、良い意味でも悪い意味でも、私の書き物を評価する人が増えたように思う。そのせいか、時に身に覚えのないことを急に言われたり、突然に全く見ず知らずの方に声をかけられたりすることも多くなってきた。その度に小さく驚き、状況を分析する。そして自分のやり方で反応するということを繰り返している。


ここしばらくヘッドホン関係の話ばかり書いてきているのだが、数日前にあるハイエンドスピーカーの開発者の方に、スピーカーはダメなんでしょうか?と詰め寄られて驚いてしまった。(それにしても何故、私が万策堂だと分かったのだろうか)

私は少し考えてから、スピーカーはダメではないが、このまま行っても面白くないので、業界として軌道修正は必要なのではないかと僭越な返事をした。

最近の、このブログのヘッドホンびいきは、あくまで私の個人的な事情で、そちらの方に関心が向いただけのことであり、オーディオの最先端部だけを見れば、価格はともかくとして、凄い音を出す機材は増えており、スピーカーもまた然りなのである。しかし、それの最先端の機材は規模といい価格といい、実質的に私のような一般人が導入対象として考える機材ではなくなってきた。普通に考えて、たかが音楽を聴くだけのために、そんな金銭と労力と時間を使うのは合理的ではない。

十分に賢い人なら、オーディオに割ける余裕があっても、そんな額をたった一つの趣味に注ぎ込まないはずだ。


実は、既に試聴していて、あるいは導入した経験をもっていてレポートを書けるスピーカーオーディオ用の機材はいくつもある。しかしそれらは一般的なオーディオとかけ離れた価格と規模を持っていて、一般のオーディオファイルは誰も関心を持たないだろうと思って書かないのである。事実、アクセス分析をしても、その手の機材の記事に人気がないのは一目瞭然である。(もっとも、ここに書いているような話はもっと人気がないし、これを読んで気分を害する関係者も多かろうから、さらに書くべきではないのかもしれない)


このあいだ都内某所で、史上最高とも噂されるY社の大型スピーカーのサウンドを浴びるように聞いて、その音の良さを堪能した後でも、そいつにはまるで食指が動かなかった。もちろん、これはかなりいいスピーカーであることは認める。少なくともマジコの新型スピーカーなどよりは私の好みだろう。だが、簡単に史上最高と言い切ってしまうのはどうかと思う。例えば、これはスピーカーオーディオの音質上の到達点の一つだろうが、音質以外の点で従来のスピーカーが持っていた問題をあまり解決できていない。まず、このスピーカーの強烈な低域用のウーファーを飼い馴らすには、天井の高い20畳以上の広い部屋、大音量を出せる環境、真にパワフルで余裕のあるアンプ(試聴時は760万円のモノラルパワーが使われていた)、潤沢な電源が必要だからだ。このスピーカーを豊かに鳴らす条件を揃えるのは難しいと思う。おそらく都内にあるオーディオ店の試聴室や専門誌・メーカーの試聴室の多くは、このスピーカーを十分に鳴らせないだろう。これはこれで不自由なスピーカーだと言わざるを得ない。音質を犠牲にしないで、このオーディオ的な環境の問題を解決できないかぎり、スピーカーオーディオは先へ進めない。


このY社のスピーカーは超弩級のルックス・構成の割にはとても聴き易い音で、アンプの選択を間違えなければ、ポテンシャルを引き出した状態ではないにしろ、とりあえずはリラックスした聴き味の良いサウンドで鳴ってくれる。試聴中に何度か眠りそうになったほどだ。

特に良かったのは高域の質感である。いかにも超高域まで伸びていますよとか、繊細ですよと言いたげな、これ見よがしな高域ではない。極めてナチュラルで耳当たりのよく、しかも厚みのある高域であり、巨大な自社製ウーファーの存在により強烈な印象を残すはずの低域よりもずっと好感度が高かった。ダイヤモンドツィーターほどの高性能感はないのだが、より深く愛せる音になっていた。新開発のフレームを入れたツィーターの良さが生きていた。

さらに、ここでは音の細部にこだわって神経質だったり、ダイナミックだが妙に荒っぽかったり、スケールが大きくて大音量に強いが、どこか大味な音だったりという超高級スピーカーにありがちな欠点がないのがいい。有得ないほどの低域の伸び、超低ノイズで規格外のスケール感もありながら、そのエンクロージャー自体は案外とコンパクトである。10畳くらいの部屋でも置けなくはない。しかし、その広さではこのスピーカーが提示する壮大なサウンドステージを全く生かせないだろうが。

この超弩級スピーカーはステレオアンプ一台でも鳴らせて、アンプを内蔵した別筐体のウーファー部のために電源が必要とかいう、デカいスピーカーによくある面倒な設計ではないのが素晴らしい。

しかし、このような音質上、構成上のメリットを前にしても、このスピーカーの音はやはり個人の好みによって好き嫌いが分かれるものであったと思う。こんなにスムースではなく、もっとガツンと来るサウンドを求める方もおられるだろう。もっと感情的に音に入り込めるドラマチックなサウンドを求める方もあろう。音像の描写にさらなる重たい存在感を求めるならウェスタンエレクトリックのヴィンテージシステムの方が優位と考える向きもあるかもしれない。ホーンのような音の直進性がもっと欲しいとか、逆にもう少し引いた音場を求める方もおられるはず。

このスピーカーの出音はバランスが良いので、若干のバランスの悪さを合わせ持つ不良っぽい音を求めるとハズレという考え方もできる。また、音以外に、このメタリックかつメカニカルなルックスが苦手という人はいるだろう。

本体の価格が2500万円を越えているので、この金額を払うなら、他のかなり高価なスピーカーシステムを複数選択できる。これほどの自由度を許す金額を要求しつつ、史上最高の称号を得ようとするスピーカーは好き嫌いをもっと越えたものであってほしいし、もっと革新的であって欲しいと私は願う。だがそれはとても難しいことのようだ。やはり史上最高のスピーカーなど幻影なのであろう。

(もしあるとすれば、“自分”史上最高のスピーカーがあるのみだ)

それにしても残念なのは、これほど優れたスピーカーであっても、革命の要素はなく、今までのスピーカーの延長線上にあるということ。見ようによっては、そこが面白いし、皮肉でもあるが・・・。

かなりの大金を払って、音質がかなり良くはなったが、オーディオのパラダイムを変えるようなアイデアが盛り込まれた存在ではないのである。ここに見られる価格高騰→音質向上というプロセス自体はありふれているし、驚きはない。


ここ数年、ハイエンドオーディオの先端部を眺めていると、こういう製品が多い。

文句無く高性能でゴージャス、嫌になるほど高価であるが、結局は従来のクラシカルなハイエンドオーディオのレトリックの延長上にあり、革新的な要素に乏しいというものだ。

これらの製品はもう性能や価格から言えば、1980年代から1990年代のハイエンドオーデイオの範疇をはみだしている。そういう桁外れの高性能と価格の関係はかなり前からGOLDMUNDなどのスイス製の製品価格の上昇から薄々感じ取っていたことだ。MSBSelect DACを聞いた時にはそれがほぼ確信となっていた。


ここに至っては、従来のハイエンドオーディオではない、さらに上のオーディオのジャンルとしてスーパーハイエンドオーディオという階級が新設されていると考えてもいい。いままでのハイエンドオーディオが山脈の頂上付近であるとするなら、これはそのさらに上に漂う雲の上の空中都市のようである。(以前、この手の話はしつこく書いた覚えもある)

そこは誰もが努力だけで行ける場所ではなく、選ばれた人間・運の良いごく少数の人間だけが辿りつける場所であり、そこにあるスーパーハイエンドオーディオの機材は富豪と呼ぶべき人のみが所有し使役できる道具である。それらは一見して、従来のハイエンドオーディオの延長上にあるようにも見えるが、その価格帯には従来の最高級レーンとの断絶があり、その性能も従来のものとは隔絶している。その意味では似て非なるものと考えてよい。

なお、このような新しいオーディオの階級、スーパーハイエンドオーディオの出現自体には私個人は既に感慨もない。それをやりたくて、それを出来る方がいれば多いにやるべきだと思うのみだ。私も試聴しながら2700万円をいまポンと出せるなら、こいつを買って帰っても悪くないと一瞬思った。しかし、次の瞬間、それを実際にやってしまうと面白くないと考え直した。やはり食指が動かないのである。これを悠々と買える身分になっても、これを買うかどうか確信が持てない。なにかが間違っている。音以外のなにかが。そんな気がするのだ。


以前にも指摘したように、ここでの新たな問題は、今まで普通のハイエンドオーディオを作っていたメーカーの一部がスーパーハイエンドオーディオ、超高価格帯の製品の開発に軸足を移したため、相対的に中~高価格帯つまり100300万円クラスの製品のバラエティ、製品数、製品の性能が揃って頭打ちになっているように思われることだ。オーディオ界が乖離し、その亀裂が拡大するにつれて、空白地帯ができているのである。これはいただけない。普通人が買える製品の選択肢が狭まっているような雰囲気があるのである。

しかし、この空白を“普通”のハイエンドオーディオの新製品が埋めてゆくような可能性はあまり無さそうに見える。この価格帯の一般的なオーディオ製品が、これから右肩上がりに売れる要因がないからだ。団塊の世代はオーディオに注ぎ込める余剰金を使い果たしつつあり、退場するのを待つばかりの身である。その後の世代はハイエンドオーディオのような音楽を聴くスタイルに馴染みも関心も薄く、それに注ぎ込む金銭的余裕もなく、都市に住む彼らの住宅事情がそれを許さない。

土曜日に秋葉原に行って、閑散としたハイエンドオーディオ店の全フロアを眺めまわした後で、若者で大賑わいのeイヤホンの雑踏に足を踏み入れると、本当にこの人気の差はなんだろうと驚いてしまう。そして、この若者たちの多くがハイエンドオーディオに来るとは私には思えない。スピーカーオーディオの状況が変わらない限り、彼らの多くはこのままイヤホン、ヘッドホンに留まるのではないか。ハイエンドスピーカーは素晴らしいが、少しでも極めようとするとカネと労力がかかり過ぎる。上の世界がありすぎる。一方のハイエンドなイヤホンやヘッドホンの世界は、経済的に非力な彼らでも、いつかは極められるだろうという見通しが立たなくはない。もちろん普通に音楽を聴くなら、これで十分じゃないかということもある。また、それは現代の風潮により合致する趣味の形でもある。このままでは、恐らく彼らの多くは音楽を聴く主な手段としてハイエンドオーディオを選択しないし、できないだろう。

さらに日本全体の人口が減る。つまりオーディオ全般にわたり、それを買う人の数は必ず減るはずなのである。


また、従来の中~高価格帯を埋めていた製品には以前からモデルチェンジを繰り返して現在まで続いているようなシリーズものもあるのだが、その価格も諸々の理由から少しずつ上昇しているようだ。このようなものに関して、過去の製品と最新の製品を比べると確かに音質上で新製品の方が良くなった部分はあるが、過去の製品にあった音質的なメリットを失っている場合も散見される。単純に価格の上昇が納得できる状況とは考えにくい。この意味でも空白は深まっている。


あるプレーヤー、あるアンプ、あるスピーカーの音を聞き、感動して貯金を始める人がいる。彼は貯金しないと買えないが、貯金すれば買える価格帯にある製品を狙っているのである。だが最近のトレンドでは貯金が満額に達する前に、値上げが起こるケースがある。しかもそれは往々にして大層な値上げになる。そういう残念な出来事があると、折角貯金をしていても他の事にそのお金を回すようになりがちであると聞く。メーカーや代理店はもっと良心的な価格決定・改定をしなければ真面目なオーディオマニアでもこの趣味から離れてしまうだろう。大抵の場合、我々はオーディオファイルである前に生活者である。オーディオのみに生きることは難しい。だから、たかが音楽を聴くことしかできない装置を売る側のワガママにどこまでも付き合えない。これはずっと言いたかったことだ。こういう悪質な価格改定も空白の形成を助長しているような気がする。


SSという業界を代表する雑誌を眺めても、従来のハイエンドオーディオの衰退と空白は感じられる。

何しろ、そこで執筆する評論家・専門家の多くが、最新鋭の中級~高級スピーカーを使っていない。一昔あるいは二昔前のスピーカーをそのまま使っているケースが目につくし、多少最近のスピーカーを使っていても、それ自体がクラシカルな造りのものであったり、昔のスピーカーを強く意識した発言があったりする。このあいだまで先端的なスピーカーを使っていた方ですら、昔のスピーカーに回帰しつつあるらしい。

年末のグランプリなどで最新機器を読者にあれだけ薦めておきながら、自分でほとんど導入しないのは、新しいものに、自腹で買いたくなるような魅力的な製品が本当は少ないからだと思わざるをえない。そのためか、この雑誌は書くべきことが減って、本の厚みは昔に比べて薄くなっているような気がする。記事を読んでも昔より情報量が少ないようだ。誌面は整理されたが空白が多い。またメインとすべきオーディオ機器の記事ではなく、本来は音楽誌に書くべき音楽・演奏そのものに関する評論、録音に関する重箱の隅をつつくような細かい話、評論家個人の懐古録、有名人との交遊録の割合が高くなっているようだ。割合はともかくとしても、そっちの記事の方が目立ってきているのは気のせいではない。それらにハイエンドオーディオと不可分な部分があるのは認めるが、あくまで本筋ではないはずだ。これらの企画にしても同じことの繰り返しばかりと感じる。

SSは変わってしまった。やれることをやりつくし、それでも続けなければならないプレッシャーのせいだろうか。このままではハイエンドオーディオ専門誌として体を成さなくなる日も近いかもしれないと心配である。例えば20年くらい前のSS誌はもっとオーディオ機器のサウンドに関するディープな談義で賑やかだった。華やかだった。紹介しきれないほど多様な製品の音に関する率直で格調高い評論・斬新かつ科学的な視点も盛り込んだ企画に溢れていた。

一方、最近のSSのオーディオ評論はネットで調べれば直ぐわかるような、メーカーの経歴の紹介や機材のスペックの説明が長く、肝腎の音質のインプレッションを深く掘り下げて書かかない、腰の引けた薄暗い文章が多いように思う。

加えて、現在のSS誌の文章の行間から、聴いている評論家本人が表面的でなく本心から感動している素振りがあまり感じ取れない。この点も私には気になる。そうなってしまうのは、最近の機材の音質が本当はそれほど良くないと心の底では感じているからではないか。オーディオ評論がここまでマンネリズムに陥ったのは、編集者の方や評論家の方のセンスが古いせい、彼らが社交儀礼と忖度を重んじたせいだけとは考えにくい。むしろ評価対象である機材に問題がある。耳の肥えた評論家ともなれば、高価で高性能だが、どこか上滑りな音しかしない最新機器を試聴しても、多くの言葉を並べたくなるほど気分が盛り上がらず、情熱に火がつかないから、こんな萎縮した記事に終始してしまうのだと憶測する。

(でも果たしてそれは、プロとしてやっていいことか?)

こんな空疎なレビューばかりでは、何か月も発売日を待ち焦がれたSS誌を、いそいそと購入して読んでみても、機材の大きな写真の余白ばかりが目立って空しいだけだ。

SSの評論の稚拙なパロディをネット上に落書きしては悦に入っていると揶揄される私のような者にとっても、この落ちっぷりは悲しいとしか言いようがない。
季節的に新製品が少ない時期であるとか、企画案が出尽くしたとか、評論家の方たちの人数が減り、彼らもまた歳を取り、冒険ができなくなったというだけで、2017年夏号を覆う、この言い知れない寂しさを説明することはできない。なんとかならないのだろうか。


海外の新聞の電子版などを読んでいると、オーディオの世界のみならず、なんらかの分裂や乖離による空白は全世界の様々な分野でも現れているらしいと分かる。これは全地球的な社会現象のようである。

つまり現代とはそういう時代なのであろう。オーディオも、他の多くの人間活動と同じく、世界を映す鏡であり、世の中のトレンドと密接に関連しているということだろう。

それによって生じた空白を埋めるためには人間社会がこのままでは難しいのと同じく、オーディオが従来のままの姿ではいけないのかもしれない。

恐らくオーディオは変わらなくてはならない。より良い方向に。


あえて愚見を申し上げるなら、ここらへんでメーカーや代理店は、その存在の動機たるオーディオ文化のために、ある程度は私利私欲を捨てた方がいいと言いたい。特にスーパーハイエンドの製品についてはその価格も開発姿勢もスノッブな強欲に溢れすぎていて、見ようによってはみっともないと思うものさえある。空白を生むというだけでなく、一部の製品はそのセンスまで悪いのではないかと疑うほどだ。だから、消費する側はともかく、メーカー側としてはこのトレンドに一定のブレーキをかけてもいい気がする。ここらで普及価格帯の製品の開発に十分な力を注いで実績を築かないといけない。具体的にはCHORD DAVEのような革新的な製品が増えて欲しい。それはコンパクトで個性的にデザインされ、普通のハイエンドオーディオ機材の価格に収まっているが、その二倍の価格帯にある製品に比肩でき、そして多くのオーディオファイルにアピールするようなサウンドを持つ。このような将来の名機がもっと欲しい。

また、CHORDは決して大きなメーカーではないが、スーパーハイエンドに近い製品から、Hugoのような優れたポータブルオーディオ機器まで独自の開発を行っている。このような広い視野に立って、どのクラスのオーディオも差別せず、疎かにしない姿勢が必要だ。そうでないと自らが依って立つハイエンドオーディオという基盤自体がダメになってしまうことにメーカーは気付くべきだろう。


私は富豪の財力に頼ってオーディオを発展させることが全て悪いとは思わない。しかし、そこだけにいい音を出す機材が集中してしまうと、ハイエンドオーディオの真の良さを知る人間があまりにも少なくなってしまう。様々な価値観を持つ多くの人がハイエンドオーディオの良さを知ることは、そこに多様性を生むことになる。多様性は業界を活性化させるが、富豪相手のスーパーハイエンドオーディオが生む空白はその過程を阻害する。そもそも、お金持ちは気まぐれだし、彼らの一部は本当にオーディオに情熱があるわけではないことも私は知っている。カネが余っている、納税などの都合で使わなければならない、そういう“不純な”動機でそれほど良く知らないスーパーハイエンドオーディオを買い、まともに鳴らしている時間もないような忙しい富豪がいる。元来、オーディオを知ること・愛することと財力に関連はない。財力は普通でも、本当にオーディオを愛して散財する人間に機材が行き渡り、時間と愛情をかけて愉しまれ、評価される。そして、その経験がメーカーにフィードバックされて、より良い製品の開発につながる。これが本来の姿である。そういう愉快で実のある消費行動がもっと多くの普通のオーディオファイルによりなされるようにメーカーも代理店も仕向けるべきだろう。


シェア、サスティナブルは現代の重要なキーワードである。

分裂や乖離による空白という世界の悲劇的な傾向に対抗するのが、多くの人がシェアできる持続可能な世界(サスティナブルな世界)の実現であるという文脈で使われるのである。

多くの人が音楽をいい音で聴く感動をシェアできる、サスティナブルなオーディオ業界。いい音を少数のマニアや金持ちが独占するという、ハイエンドオーディオの従来のやり方とは異なるが、オーディオ界全体としてはそういう方向で生き残っていくしかなかろう。


オーディオの世界には生き物のような側面があると私は思う。

生き延びてゆくため、意図せず自ら変化する。まるで危険を察知したかのように。

実際はオーディオは自然物ではないから、それに関わる人間の集団意識のようなものが働くのだろうか?

例えば、私には進化するハイエンドヘッドホン・イヤホンが、先述の空白を埋めるべく登場したように見える。これらのジャンルには今後の持続的に成長する素地が出来ている。多くの若い人が関心を寄せているからだ。若者でごった返す週末の秋葉原eイヤホンに行けばそれは分かる。それ以外にも未来に向けた明るい徴候を豊富に観察できる。STAXのハイエンドアンプT8000が、60万円というヘッドホン用の機材としては高価な値付け、しかもかなり限られたヘッドホンにしか使えないものにも関わらず、驚くほど短期間に初回ロット50台を完売したというニュースはその一つだろう。多くの人が良いオーディオを求め、今より少し高級な機材で、より良い音を聞いて満足するという体験がシェアされてゆく過程が見える。

世界の経済バランスの変化に伴う、スーパーハイエンドオーディオの出現、それにより生じたオーディオ界の空白を埋める、ハイエンドヘッドホンオーディオという図式が正しいのかどうかは分からないが、いずれにせよ注目すべきことだ。


以前、蟲師という漫画を読んでいて面白いと思った話がある。

ある村に大きな木があり、御神木として崇められていたが、

村が経済的に困窮したため、窮余の策として、仕方なく御神木を切って売ろうという案が持ち上がる。するとその木が突然、季節外れの花を咲かせ始める。木が自分の寿命を知って、子孫を残そうとしたかのようであった。それを見た村人は「木が怒った」と恐れたのである。それに対して漫画の主人公の蟲師のギンコという男が、

「木は怒ったりしませんよ。でも危険を察知する能力はある。」と言って村人たちをたしなめるというストーリーである。


オーディオに携わる、あるいはオーディオを愛する人々の集団意識あるいは無意識が、周囲の状況の変化に対応するため、10年前まではありえなかった、ハイエンドヘッドホンというジャンルを発達させたのかもしれないと、ヘッドホンに関心がある私はなかばロマンチックに妄想する。しかしそれだけではY社のセカンドベストのサウンドと価格が突きつける、あまりにも残酷な格差の現実から我々を救う手だてとしては十分でないのは分かっている。しかもヘッドホンオーディオまでもが急激に高価格化しているという事情もあり、そこに過度に期待できない。言うまでもなく従来のスピーカーオーディオのメーカーたちが奮起して、新たに手ごろな価格帯の優れた製品を作ることが本流であるべきだし、急務なのだが、その動きだけに期待し依存するのではオーディオの復活は難しいということを言いたいだけである。


先端部が伸びて、高くそびえているが、その芯が朽ち始めている古い大木。その木に咲いた花に実った種子が地面に落ちて芽吹き、やがて小さな木となった。自然の成り行きとして、既に朽ちつつある古き大木より、この大きく枝を広げつつある若木に私は注目しているというだけのことなのである。


# by pansakuu | 2017-06-05 22:09 | その他

マス工房 Model406 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:美しき矛盾

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あらゆる矛盾は一度極限まで行く
    ジョージ ソロス (投資家・投機家・政治運動家)



Introduction

ハイエンドヘッドホンの世界がどうなってゆくのかを見極める。

もう、これは私のライフワークのひとつになってきたのかもしれない

それは不遜な言葉だとは知っていても、

スピーカーオーディオに深い関心を失った今は

そう言うしかない状況でもあ

だから、面白そうなアンプやヘッドホン聞けるイベントがあれば、

できるかぎり出張って行って、それをき込む

とはいえなかなか無いもの

これ欲しいとか、これは凄いとか、

そういう気分にさせてくれるモノなど滅多に

いつも言っていることだが。


ところが、2017年春のヘッドホン祭りの会場の片隅

ひっそりと展示されていたあるアンプが、

そういう私のフラストレーションを吹き飛ばしてくれた

今回はんな話をしよう

このアンプのサウンドは

GOLDMUNDRe Leaf等のハイエンドヘッドホンアンプに慣れ

倦怠気味のの感性を揺さぶったのである



Exterior and feeling


2筐体を要するヘッドホンアンプ、

マス工房 Model406Model405は大規模な構成を取っているが、

その外観の印象はマス工房らしく実にシンプルである

この工房の製品は政府機関、あるいはNHKなどの放送局が採用するもので、

外観にも音にも飾り気は一切ないのが特徴。

最近某国の政府専用機向けの機材の製作の依頼が来たと聞いた

フロントパネルは厚さを確認したくなるほどに薄く、

ソリッドスチール製のクラムシェル型シャーシもシンプル。

100万円を超えるヘッドホン機材というのは、

超高級品であるから、どこか外装に分厚いアルミ材などを使って、

その格を示そうとするメーカーが多いが、

そういうポイントにこだわらないのが、ここのポリシーである。

その代わりに、

ここ数年、国内のハイエンドオーディオメーカーが使い始めている

ハンダの耐久性の低さに着眼、

別な経年劣化の少ないハンダを採用するなど、

見た目の高級感とは全く別の視点からの

高品質・高耐久性へのアプローチがあり、

オーディオファイルとして興味を惹かれる。


このヘッドホンアンプは、ボリュウム調節や入力セレクターを装備するバランスプリアンプModel 405と、スピーカーオーディオで言うパワーアンプにあたるヘッドホンを直接駆動するアンプModel 406の二つの構成要素からなるものであり、単なるヘッドホンアンプというよりはヘッドホンアンプシステムとも呼ぶべき大規模なものである。

プリアンプ部であるModel 405は、従来のヘッドホンアンプの音質劣化の原因の一つと考えられていながら、あまりに根本的なパーツであるがゆえに今まで排することがほとんどできていなかった、ボリュウムをアンプの外に出す、あるいは優秀なプリアンプをユーザーが自由に選択して接続するという発想から生まれたユニットである。このコンセプトはOjiのヘッドホンアンプでも見られたが、果たしてこの音質は、かつてのOjiのスペシャルモデルを超えているのだろうか。

また、このアンプの特徴はスロット式のリアパネルを採用したデザインにもあり、オーナーの求めに応じて、XLRRCAのバランス、アンバランスのライン入出力、デジタル入出力、フォノ入力などを自由に選択できる。全ての入出力モジュールがマス工房製であり、細かく仕様を指定可能である。また、キーパーツであるボリュウムは東京光音の選別品を用いる。なお様々な入力を必要としない場合は、ボリュウムのみを独立させたボリュウムボックスを特別に製作することもできる。

このヘッドホンアンプシステムは高価ではあるが、構成の巧みさにより、一台で様々な使い方が想定でき、将来にわたる発展性があるところに他社機を凌ぐアドバンテージを感じる。これほどのアンプともなれば、安易に高い買い物と言い切ることはできない。


一方、パワーアンプのような意味合いをもつModel406は左右別のヘッドホンアンプ用としては強力なスイッチング電源と、これまた左右別のA級アンプで構成されている。

増幅回路はFMアコーステックスやBoulderViolaのような、小さな四角い箱に単位ごとに封入されたモジュール形式をとり、筐体の中の二枚の基板に収まる。

一枚の基板に片チャンネル用の電源と増幅回路が載っており、LRチャンネル分で二枚の構成とし、これら二枚の基板を二階建ての形でワンシャーシに収める仕組みである。

Model 406の入力はXLR一系統だけだが、Model405との接続のみを意識しているのではない。リアパネルには左右別のゲイン調整スイッチがあり、これによりModel405以外の様々なプリアンプとのスムーズな接続を可能にしている。

ただ、試聴した私の予想ではマス工房が目指す音のトーンを得るにはModel406をペアとすることが必須のように思われた。それというのも、これほどカラーレーションの少ないプリアンプは他に想像がつかないからだ。

またデザインの統一感という意味でも、できればマス工房製で揃えたいところである。

さらにModel 406のフロントパネルにはヘッドホン向けの標準のフォーンジャックと4pin XLRバランス出力の他、LowMidHighとアンプの最終段の増幅率を変えるボタン式のスイッチもついているので、様々なタイプのヘッドホンに対応できる。なお、試聴での印象を先にいうと、このアンプには途轍もないドライブ力が秘められており、それは手持ちのGoldmund THA2を上回るレベルとも聞けた。このアンプでバランス駆動するかぎり、鳴らしにくいといわれるいくつかの平面駆動型のヘッドホンを含むあらゆるヘッドホンを、どのアンプよりも力強く的確にドライブできるのではないかと思われる。ちなみに試聴したHD800の場合はMidでもいいが、Highのポジションだとより御機嫌な音が出ていた。

なにしろ、32Ω負荷で片チャンネルあたり4Wを発生するというのだから、ヘッドホンアンプとしては異例の剛力である。これほどのパワーを秘めたA級アンプであるModel 406には発熱もそれなりにあり、細かい熱対策がなされる。例えば基盤には放熱フィンが林立する。またデモ機は急拵えの4つの薄いゴムフットで支えられていたが、これは放熱のために底面に空間を確保するため、もう少し厚いものに替える予定とのことだ。

それから、ここでのスイッチング電源の採用にも注目。他のハイエンドヘッドホンの多くが一般的なトランスを電源としていることを考えるとこれは異例なことだ。クリーンでカラーレスなマス工房のサウンドの秘密の一端がここにあるような気がする。


ところで、プリアンプModel 405のフロントパネルには、電源スイッチ、ボタン式の入力セレクターとボリュウムノブの他に「バランスエラー」と書かれた見慣れないランプがある。これはModel 406のフロントパネルにもあるものだが、要するに擬似バランス化された入力がされた場合に光るランプである。コネクターは3pin XLRでも、その内実は2pinのアンバランス伝送である場合がままあるが、このような細工をされた擬似バランス入力であることが一見でわかるランプなのだ。擬似バランス化された入力であることをわざわざ暴く必要はないと思うが、マス工房の方はそういう機材を敬遠しているのかもしれない。この辺の設計はやや個性的だと思う。


今回の試聴はAK380を送り出しとして、Model 405の端子に接続、そこから後段であるModel 406XLRケーブルを結線、そこに聞き慣れたSennheiser HD8004pin XLRでバランス接続した状態で聴く。ヘッドホンケーブルはSennheiser純正だが、その他のケーブルはどれも全く普通というか、とても安価なものであった。試聴時はModel405はボリュウムボックスの状態で、中身は未完成だったが、Model406についてはプロトタイプであっても、内容はほぼ確定であり、出音を変える予定はないとのお話を聞いた。そこで私は思い切ってインプレッションを書くことにした。なにより、「マス工房としてもこれ以上の音は出しようがない」というコメントにそそられたのだ。このメーカーがそこまで言うアンプの音を逃したくなかった。AK380はこれほどのシステムに対してはやや役不足な送り出しだが、試聴結果としてほとんど不満を抱かなかったことから、据え置きのハイエンドDACをつないだら、どこまで行けるのかについても、興味を持った。


なお、仮に製品版で大幅に音や仕様が変わるようなことがあって、それがより良い方向ならば、追加でそれについて書くことになるだろう。ただし、それはその製品版の音を十分に吟味した後に書くレポートとなる可能性が高い。これほどのアンプとなれば、ちょとした改変でも大きく音の印象は変わるだろう。これはあくまで現時点での音についてのレビューに過ぎないことは断っておきたい。

(写真はメーカー様のHPより拝借いたしました。ありがとうございました。)



The sound


一聴して、ごくごく普通の音である

特徴がないのが特徴のような。

しかし、常に上を見て感覚を磨いているヘッドフォニアならば

その背後に控えている膨大なパワーの存在に気付くはずだ

このサウンドの背景を見極めようとして感覚を開放した瞬間

今まで経験したことのない形で音楽のリアルが脳裏に拡がるの私は聞いた


このアンプの音を簡潔に言えば、究極に近いほど色付けの少ない音調に、有り余るパワーの裏付けがなされた余裕のサウンドということになる。こういう特徴を持つヘッドホンアンプは今までなかった。これほどカラーレスでありながら、これほど豊かな音は知らない。


これは確かに視覚的な音である。

ヘッドホンサウンドの常としての、拡大鏡で音楽を見つめるような微視のまなざしがまずある。だが、それでは木を見て森を見ない過ちに陥りやすいことをこのアンプは知っている。事実、多くのハイエンドヘッドホン、アンプの音はこの罠にはまっている。試聴を積み重ねれば分かることだが、ほとんどのヘッドホンアンプは、どうやってもそれ単体では、音楽全体を見ようにも、それを俯瞰する視点にまず立てない。なぜなら大概のヘッドホンアンプは全ての帯域にわたって音の伸びが足りず、音楽のスケールを小さくまとめてしまうからだ。


だが、このマス工房のアンプを聞いていて、私の脳裏に広がったのは、普段スピーカーで聞く音楽の大きな全体像にかなり近いものだった。有り余るパワーがそこまでの音の伸びを生むのである。これは珍しくも音楽の正しいスケール感が表現できるヘッドホンアンプなのだ。

音源との距離感や音源の大小の表現が非常に適正かつ絶妙に取れるアンプでもある。近い音と遠い音、大きい音と小さい音、それらの表現が大変精密かつ豊かだ。今まで聞いたアンプで遠近・大小の表現の幅がこれほど広いものはあまり知らない。しかもその能力を必要のないときは決して見せない。必要な時に必要なだけ出す。

いくら聞いても、これ見よがしな低域のアピールを感じないのは、

そういう態度の現れだ。


どんなヘッドホンシステムにも、

それぞれ固有の音響空間の広さというものが存在する。

それが狭ければ狭い程、虫眼鏡的な音楽の聞き方に傾く。

ハイエンドスピーカーを使っていて、ヘッドホンに批判的な人の多くが、そういうヘッドホンサウンドしか聞いたことがなく、ヘッドホンというと「狭い」サウンドしかイメージしてくれない。結果的に細かい音ばかりが聞こえ、

音楽の全体像が見えないと彼らは非難る。

(そういう彼らも細かい音を視覚的に扱えるスピーカーを、いつも求めているのにも関わらず)

しかし、現代の優秀なヘッドホンシステムはもう、そのような音ではない。

もはやスピーカーに近いレベルで森を見ることができる。

このような進化はもちろんヘッドホンの高性能化があるが、

アンプの進化も見逃せない。

特にSNが高く、パワフルなアンプが増えていることが大きい。

そのような高い理想を掲げるヘッドホンアンプのなかでも、極めつけの性能を誇るこのModel406については、ヘッドホンさえ選べば、それが目の前の空間に現に拡散している音ではないという点だけは依然として異なっていても、上手くセッティングしたハイエンドスピーカーとほぼ変わらないスケールのサウンドイメージを脳裏に描けるはずである。


これだけ色付けがない音ということだから、

いわゆる音楽性というものはこのアンプには皆無である。

音の生々しさ、生命感は感じるが、そこに演出がない。

音に傾向のようなものはない。このアンプの色付けの少なさに慣れると、

かなり色付けの少ないと考えられるRNHPですら、うっすら色を感じるほどだ。

例えばハイエンドのアンプになるとSNが滅法良くなるために、

微かな余韻のたなびきもかなり長く持続する。

それにより、美しい女性のアイシャドーを眺めるような、

華やかな色付けを感じることもあるが、

そういう傾向はこのアンプの出音にない。

むしろ、余韻がどこで切れるのかを正確に聞かせようとする。

まるで入力された全ての音声が均一の明るい光の下で公平に明らかにされるようだ。


さらに、スタジオ用の機材を得意とするメーカーらしく、抜群に定位がいい。

いままで聞いてきたハイエンドヘッドホンアンプは

どれも定位はいいはずなのだが、これに比べるとやや劣る。

ここでは音像が動かないというより固定されたように感じる。

また、逆に音源が動くととても敏感に反応する。

視覚の心理学の世界では止まっていて見える風景以外に、動いて初めて見えるものもあるということが示されているが、音の世界も同じであることに気付く。

このような音の動的風景への気づきは音の生々しさを増幅することになるが、それは無いものを付加しているのではなく、有るものを掘り起こしているのである。楽器の置かれた位置からスタジオの壁面までの距離がくっきりと表現されるような、この生々しい感覚は、このシステムならではのものだ。


音像の解像度はすこぶる高いが、それはレンズに喩えるとライカやツァイスのようなアピールする解像度とは違う。イメージとしてはニコンの明るいレンズ、ノクトニッコールなで撮った写真のようだ。鮮鋭さは前面に出ておらず、至極真っ当な音の輪郭、質感、色彩感で見せる。これは積極的に自分をアピールしない音であり、蜷川美花風のカラフルな色彩感なんかを期待するとハズレだ。Re LeafGoldmundのアンプのようにすぐに分かるような音ではない。やはりこれは第三の音である。Re LeafGoldmundによる冒険の成功があったから、その良さを深く理解できる音なのだ。大器晩成と言ってもよいかもしれない。あとあとから分かる音の良さなのである。


Model406のような音の伸びしろ、ヘッドルームの高さを持つアンプは概してその能力の高さに溺れ、

リスナーを強烈な音で押しまくろうとする傾向があるものだが、

このアンプにはそれがない。

なぜか恐ろしく良くコントロールされた音を出す。

自分を出さない音。

一片の私情も感じないサウンド。

他方、現代のオーディオの大勢について考えると、

広告の宣伝文句にあるような

全く足し引きのないサウンドなどというもの

実際のリスニングでは感じ取れず、

それぞれが固有の音質を盛っている場合がほとんど

盛大にドーピングして見せるばかりか、

個性的な音楽表現を行うのが当然となっている。

そういうオーディオ的状況に置かれるうち、

私的には、多くの悟ったオーディオファイルと同じく、

入力された信号をただ忠実に出力するだけでは

音楽にならないと感じるようになったし、

そういうことがなければ、

オーディオをやっていることにもならないかもしれないと思ってきた。

そもそも、そういう完璧に色付けの無いオーディオは

厳密には不可能だと考えている自分がいる。

しかし、Model406ような無私の極致を指向する音を聞いていると、

少なくとも、その勘繰りの一部は過ちであったと認めざるをえない。


欠点もなくはない。ヘッドホンによっては背景に残るノイズが少しうるさく感じられることもある。セカンドベストの394の方がノイズ的には有利なのだが、406ほどのパワーやチャンネルセパレーションがない。また、このノイズはゲインを調整するスイッチを操作すれば随分と聴感上は改善されるようだ。個人的にはこのノイズがさらに小さかったなら、もっと印象は良かったと思う部分もなくはないが、正直、全体の音の良さを考えるとこれは些細なことかもしれない。とはいえModel394を二台買ってパラレル使いする方が面白いのではないかという考えが頭をかすめることもある。やはり、ここは悩みどころかもしれない。



この試聴では市販の無銘の電源ケーブル、例えば2m1000円ぐらいの動作確認用として機材に付属するような普及品のACケーブルが使われていたが、それでも納得できる音が出ていた。

これについて、ひとつ驚いたのはマス工房の主宰のM氏が、このアンプは電源ケーブルを、これより高級なものに替えても音は変わらないと言うのだ。しかもそれは、他のアンプは変わるかもしれないが、ウチのアンプは変わらないというニュアンスを含んだ発言のようだった。実際、ハイエンドケーブルを使って音質変化を確かめる実験もされたようである。すなわち、電源ケーブルで出音が変わりうることをある程度認めたうえで、自社のアンプではそういう現象は起こらないと主張するのだ。電源環境がいい方向に変化しようと悪くなろうと、そこに依存・影響されず一定のトーンで音を出し続けるように設計しているという。どんなアンプについても電源ケーブルで音は変わらないと主張する頑迷な方はいるが、出音を電源状況に関わりなく変えないテクノロジーを持っていると公言するオーディオメーカーはあまり記憶にない。このようなポリシーこそ真のプロフェッショナリズムではないか。製品版でもこの態度を貫いてくれることを望む。


例えば、このアンプの音が持つ余裕に近いものがHP-V8の出音にもある。背景にあるゆとり、どんな音楽でも手のひらの上で転がしているような快感を伴う、凄く上からの目線である。しかしHP-V8Model406Model405に比べて音が緩い。真空管の音触は優美だが、失うものもあると知る。また低域の制動はこのアンプほど効かない。とても高い次元での比較になってしまうが、マス工房のModel406Model405は余裕があるのに緩さがなく、音の立ち上がり・立下りもごくごく自然、各パートの分離もかなり良い

T8000などを聞いても思うのだが、真空管をヘッドホンアンプで使うというのは難しいものだ。真空管を使う時は、少なくともそれを隠し味としてつかうのか、前面に押し出すのかはっきりすべきだが、T8000は真空管の生かし方が中途半端でSNを損なっており、HP-V8では300Bのトーンが前面に出過ぎていて音の好みや似合う音楽が分かれる。HP-V8は素晴らしいアンプだが、結局、優れたソリッドステートアンプと比較したときに、音の味わい以外の点で遅れをとりがちだ。やはり真空管を使ったアンプは、全てが出尽くし、飽きてしまった後のデザートとして位置づけるべきなのかもしれない。


Oji BDI-DC44Aとの比較は、今回の試聴の最後の関門であった。これについては二台並べての一対一での比較はできず、とても難しいが、正直に言えばOji BDI-DC44Aは若干だが不利だろう。あのアンプは設計者の思い入れが空回りしてしまった製品だったような気がする。むしろ通常のモデルの方が音のまとめ方が上手で洗練されていて好ましかったと覚えている。あのアンプが発表された頃はハイエンドヘッドホンの方向性が未だ定まらず、どれくらいのレベルのものが必要とされ、どれくらいの音の品位を目標としたらいいのかを探るための、試行錯誤が始まったばかりの時期だった。そこで先走った機材の完成度が必ずしも高くなかったのは仕方ない。当時の私はハイエンドのスピーカーオーディオを駆使する立場からジャッジして、この方式は音の洗練がまだ足らないなと思った。あの時感じたフラストレーションはずっと私の頭の中に残っていたが、Model406はそれを見事に消し去ってしまうほどの音で驚いた。具体的にはマス工房のアンプの方が音の変化に対する反応がより的確で自然であるように思われる。Ojiのスペシャルモデルは音の動きがわずかに鈍重だった印象がある。また、SNもマス工房のものに比べれば低かったようにも思う。

それから音とは関係ないが、とても自分のラックに置きたくないような大きさとデザインだったのもよく覚えている。ゲイン調節などのアジャスタブルな部分もなかった。BDI-DC44A本当にカスタムメイド品で、ユーザーの設定した条件に鋭く合わせ込むことで音質を上げようとしているようだった。これでは仮に同じレベルの音が出ていたとしても、使い勝手や拡張性など音以外の部分で不利だったと思う。現代の最新のアンプであるModel406Model405Re leafGOLDMUNDが築いたハイエンドヘッドホンアンプのスタンダードを意識して、そのどちらかを超えるべく設計されたものであり、それらの出現前に企画製造されたアンプでは、同じような音の方向性で勝ることは難しいかもしれない。



Summary


から域に至るまで

特定の周波数帯を強調したり弱めたりせず

一切の色付けを排しながら、入力された音を極めて忠実に出力

それがマス工房の機材に共通するサウンドトーンだ。

このフラットを極めた無個性なサウンドは

前のフラッグシップヘッドホンアンプである、

Model394で既に十二分に発揮されていた。

私はこれをしばらく手元で使っていたが、どこか物足りないといつも思っていた。

これほど高次元なサウンドのどこが不満なのか、自分で巧く説明できないもどかしさ。ずっと聞いていると、この先のサウンドがあるはずだと欲求不満になる。こういう説明不可能な不満はOjiの新鋭アンプやSTAXの新型機でも感じるストレスなのだが、なぜかRe LeafやチューニングされたGoldmund THA2では、それを感じない。

この二つのアンプの音の世界は私にとってストレスフリーなのである。

好みの違いと言ってしまえばそれまでだが、これは何処に違いがあるのか。


Re LeafGOLDMUNDのアンプに続く

第三のハイエンド・ヘッドホンサウンドとして

マス工房 Model406Model405を位置づけて、

初めて見えてきたことがある。

私の好むこれらのアンプは、私の耳で聞くと、

他の個体からはっきりと区別される、完全な個性を持っているということだ

この音の個性は、それ以上に分割ることのできない

完結した音の態度であり、これ以上の改良は蛇足にしかならないと

確信させる音の本性である。

何人にも疑念を抱かせないほど、

緻密に完成された個性を持つことが、私の使うアンプには必要だ。

同じクラスのアンプであっても、あえて評価しないモデルは、

その個性の完結度が低いと感じている。

まだこのメーカーのアンプは自分の音を出し尽くしていないと思っている。


ここで興味深いのは、マス工房 Model406Model405については前2者にも増して特殊な本性を持っているということ。それは、強烈な無個性はもはや個性そのものと言わざる得ないというパラドックスである。出音に関して限りなく無個性であり続けることが、むしろ孤高の立場を強め、無個性を他から独立した明らかな個性として昇華させている。これはとてもユニークだ。

このような奇蹟はヘッドホンの世界では起こったことはなく、伝統あるスピーカーオーディオの世界においてもBoulder2000シリーズなどに類似例を見るのみ。

誤解を恐れずに言えば、この態度と結果は恐らく矛盾である。

しかし、この矛盾は確かに美しい。

この矛盾の美に私は心を少なからず動かされたのだと思う。


求める音を得るために、持てるノウハウ、使える物量を全て注ぎ込み、一部の隙もなく組み上げていく能力が発揮されて初めて、この矛盾を超えてオーディオの美へと到達できる。計算通りか、あるいは偶然か、マス工房 Model406Model405は、私の知るヘッドホンアンプの世界で、その境地にたどり着いた三番目のアンプとなった。様々なアンプの試聴を重ねるたびに感じていたフラストレーションが、ここで消えた。


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そういえば、試聴が終わってからマス工房の主宰であるM氏と握手をして別れたのだが、その時の彼の手の印象も忘れがたいものであった。

これほど緻密で細かく調整された機材を作る人のものとは思えないほど、

力強くて大きな指、太い骨格を持つ手が、

私の苦労を知らない弱々しい手を暖かく包み込んだからである。

それは機械式時計のように精巧かつ繊細な電子機器を設計し

組み上げる技術者の手というよりは、

木こりやマグロ漁師や宮大工というような力仕事を連想させる手であった。

そう、その手は、この究極ともいえるアンプの出音に相似した、

美しい矛盾を孕む手だったのである。


# by pansakuu | 2017-05-10 23:07 | オーディオ機器

Grado SR225, SR325 octandre Dmaaの私的インプレッション:ヴィンテージと付き合う

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新しくして新しきもの、やがて滅ぶ

古くして古きもの、また滅ぶ

古くして新しきもの、永久に栄える

ドイツの格言


Introduction


古いものはいい。

そういう話を時々耳にする。

だが、一概にそうとも言えまい。

例えば、古くなったコーヒー豆は不味い。

古いコーヒーグラインダーも挽き目が一定しなくて、

美味いコーヒーがなかなかできないことが多いような気もする。

しかし、古いオーディオについては総じてマズいとは言い切れまい。

それどころかスピーカーオーディオには

ヴィンテージというジャンルが確固として存在する。


具体的にはウェスタンエレクトリックや古いタンノイやJBL、アルテック、マランツなどの機材を組んでシステムを作り、大昔のクラシックやJAZZを演奏するオーディオである。こういう流れに乗って、ヴィクトローラ グレデンザやジーメンス オイロダインなどを聞いていると現代のハイエンドオーディオとは隔絶した優雅で力強い世界があることが知れる。オーディオは、これらの機材が作られた頃、既に十分に完成されていたのだ。現代のハイエンドオーディオはその変奏曲に過ぎない。

だが、このヴィンテージオーディオの趣味というのは現代のソースへの対応力は弱く、個体差が大きく、故障も多く、広い部屋とありあまる時間に加えてオーナーの精神的な余裕を要求する。こういうヴィンテージオーディオは今の自分にはとても手に負えない代物であると、私は考えていた。


一方、ヘッドホンオーディオにもヴィンテージの流れが一応はある。希少で高価なSennheiserのオリジナル・オルフェウスまで行かなくとも、古いAKGSONYSTAXなどのヘッドホンを集めて修理しながら聞くコレクターが僅かながら世界中に居る。これらのヘッドホンのメカニカルな美や音の味わいに憑りつかれる方の気持ちを私は理解できるが、そこに一般的な意味での使いやすさ、音の良さを適用できた試しはない。

いつも条件付きで私はそれを受け入れ、現代のヘッドホンとは別個の価値として認めているのみである。


最近、ヘッドホンケーブル絡みでDmaaの方と話し合う機会があり、そこでの雑談の中で珍しいヘッドホンの改造を請け負ったという話を伺った。(Dmaaの方は音に詳しいだけでなく、演奏される音楽自体にも造詣が深く、自らはベースを弾かれるうえ、仕事では様々な機材の修理や取扱いに精通し、ビックリするような海外のビッグアーティストとも仕事をされているので、peripheralな話を伺うだけでも大変に勉強になる)

パリのポンピドゥーセンターに拠点を置く、とある現代音楽の演奏集団から数十台のヴィンテージのGrado SR225Dmaaで改造して欲しいとの依頼があったというのである。具体的にはSR225の出音を、ヤマハの小型モニタースピーカーをニアフィールド・大音量で聞くイメージで、勢いを保ちつつ、誇張なく正確に楽器の音を聞けるように改変してほしいという要望だった。Dmaaではとっくの昔にディスコンとなっているSR225の他、関連モデルであるSR325などのGRADOの実機を入手、時間をかけて材質や構造を分析したうえ、独自の視点から改造を考案・施工して納品、フランスのクライアントに好評を得たという。

また今回の依頼はSR225に関するものだったが、結果的にはSR325についても、同様の改造のレシピが適用できるとのこと。私はこの話を聞いて、なにかピンと来るものがあったので、それらのヘッドホンをぜひ試聴したいと頼んでおいた。ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして聞くための改造が成されている可能性を感じたからだ。

Dmaaはこの件に関してクライアントの了承は得ていたので、程なくして、これらのヘッドホンを私が試聴する手筈と、さらにこちらで現物を用意すれば、同じ改造をする準備もできるという連絡をよこして来た。



Exterior and feeling

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この改造のベースとなるGRADOSR225SR325は古い機材である。これらは後年に発売された改良型ではない。つまり型番の末尾にeisが付かない初代の機種であり、ハウジングの形状などが後継機とは異なる。例えばここで使う初代モデルのハウジングはシンプルな筒型で、eiisが付くモデルのように、辺縁部が広く斜めにカットされたベゼルのような形状にはなっていない。


これらのヘッドホンをヴィンテージと呼ぶかどうかは、ヴィンテージヘッドホンの定義がないのだから、なんとも言えない部分はある。だが実物のSR225SR325を手にして見ると、少なくとも最新のヘッドホンであるSONY MDR-Z1Rなどと比べ、明らかに古臭くてチープなヘッドホンとせざるを得ない。何しろSR225SR325とも1995年頃の発売であるし、実際の価格も必ずしも高価とは言えなかったはずだ。もちろんMade in USAだが、SR225のヘッドバンドなどはただのビニールである。これでは昔のモデルでプレミアがついているGrado HP1000のような高級感は期待できない。つまり、これは20年以上前に出回った、比較的安価な機材ということで、これもう私個人にしてみればヴィンテージヘッドホンの部類に入れたいものである。


さて今回、Dmaaで改変したヘッドホンの名称についてだが、元の形式名のSR225SR325にクライアントが演奏しているエドガー ヴァレーズの曲名にちなんでoctandreというコードネームをその型番の末尾に加えた。すなわち、ここではこれらのヘッドホンをGrado SR225 octandre DmaaあるいはGrado SR325 octandre Dmaaと呼ぶ。

octandreとは植物学の用語であり、8弁の雌雄両性花を指す。

実はヘッドホンの改造の際に、バッフルの特定の位置に、音圧を抜く穴を正確に開ける必要があるのだが、その穴の仕上がりは図らずも8弁の雌雄両性花の蕊(しべ)の位置関係を想起させる。この形態的な特徴も、このoctandreという名付けの由来になっているとDmaaから教わった。偶然の一致にしても随分と凝ったネーミングである。

さて、ここで改造の詳細を述べようかと考えて、Dmaaからお話をうかがったのだが、その概要を正確に書き出すのは難しいと分かった。きっちり同じ技術的な説明をここで繰り返したら、このブログ一回分に許される字数では足りないほど濃厚な内容なのである。

とはいえ、中身についてなにも書かないのも問題があるので、私が理解した範囲で簡潔にその概要を述べておく。

要は、ベースモデルであるSR225SR325の出音の位相乱れやピーク・ディップを起こしている要因を取り去ったうえで、よりワイドレンジで素直な音が出るようにチューニングし直したということだ。

まず元となるヘッドホンを検品して、無改造品として正常に装着できて、音が出ることを確かめる。

次にハウジングを分解し、その中で使われている接着剤を全て除去する。メッシュについている型番の丸いエンブレムも取り去る。これらがSR225SR325の出音の位相を乱す主な原因であると考えるためだ。

それが終わったらドライバーを点検、異常がなければドライバーを固定してあるバッフルに正確に穴を開ける。これが件(くだん)の音圧を抜くための穴であるが、この穴の直径や位置関係により音が変わるため、かなりの試行錯誤を要したらしい。さらに、この穴にDmaaの独自技術であるフィルターを挿入、その挿入の深さで調音を実施する。

さらに、この穴を使ったチューニングとは別に低音を伸ばす工夫もなされる。接着剤を取り去ったハウジングには全周に薄い隙間が生じるが、Dmaaではこの隙間を音道として利用し、低域の再現力を強化するというアイデアを考えついた。これはPMCのスピーカーで採用されているトランスミッションラインと類似した仕組みだ。ただこの工夫はスピーカーの世界でさえ、製造やチューニングが困難なこともあり、PMC以外ではあまり普及していない方式である。Dmaaでは試行錯誤の末、特注した幾つかのパーツを組み合わせることで、この仕組みを形にして、最終的に無改造品より深い低域再生を得たとのこと。本当にPMCFB1のようにGradoが鳴るのか?興味を惹かれるところである。

最後にバイノーラルステレオマイクになっているダミーヘッド(おそらくNeumann製)に装着したヘッドホンからテストトーンを出して計測しながら、左右がほぼ同一かつ理想的な波形になるまでフィルターの挿入の深さなどの調節を行う。いわゆるキャリブレーションという作業である。これは設備と経験が必要な作業であり、おそらくDmaaでしかできないことだと思われる。

こうしてざっと書いてみたが、おそらく不正確な言い回しも多々あろう。素人には解釈が難しい部分もあり、全部をフォローしきれた気がしない。

(この改造の全容を細かく知りたい奇特な方はDmaaに直接問い合わせてみるのが良かろう。)

なおフランスに納品したものについてはGradoのデフォルトのケーブルをそのまま利用しているが、今後発注が有る場合には、専用リケーブルのオプションを提示する予定もありとのこと。このGrado SR225, 325 octandre Dmaaのためのリケーブルについては仕様が確定しており、既にケーブルの製造も発注済みだそうだ。2017年の6月頃には選択可能となるらしい。


完成した試聴用のGrado SR225, 325 octandre Dmaaを手に取ると、やはりというか実に軽く出来ている。現代のヘッドホンは、GRADO製を除けば、大概はこれらに比べて重たく感じざるをえない。さらにこの改造されたGradoのヘッドホンにはシンプルビューティ、ヘッドホンの原点回帰が見て取れる。ヘッドホンに要求されるミニマルな形がこれだと思わせるのだ。例えばMDR-Z1Rにはデカくて現代的なデザインのヘッドホンをスッポリと頭に装着してバーチャルな音世界へダイブするという趣きがあるが、Grado SR225, 325 octandre Dmaaでは頭と耳にちょっとヘッドホンを乗せて気楽に音楽を楽しむという風情がいい。外に対して音響的にも視覚的にも開かれたイメージがある。確かに装着感はいいとは言えない。しかし、これじゃダメ?と言われると、これでいいよと笑って答えたくなる。眼鏡をかけていても使いやすいのもいい。サングラスをかけて大きなヨットの上でこれを聞いていたくなった。

なお、SR325については昔、新品を使った時に側圧が強いと感じたのを想い起すが、今回実物を使っていて、側圧のキツサが全く感じられなかったのは経時変化なのだろうか。なんにしろ、より装着しやすくなったのは喜ぶべきだろう。


貸出機を受領した夜には、Dmaaがこれらのヘッドホンを小さなDAPとポタアンにつないで、カフェでデモをしてくれた。グアテマラのコーヒーを飲みながら私はこれを愉しんだ。Dmaaでは、こういうイヤホンみたいな使い方も想定していたのである。この使い方は私にとって新鮮であることに加え、音自体かなりマニアックでもあり、とても面白く聞いた。実際は音漏れがかなりあるから、オープンなカフェでないと無理なのかもしれないが・・・・。

でもこういう、いわゆる“ガチ”で本格的な部分のあるサウンドをチープな外観で軽快に愉しむというのは、現代の高級イヤホンではむしろできない相談ではないか。あれらは高音質を追求するあまり、音も中身も価格も独特かつ重装備になりすぎていて、むしろ気軽に聞けるイメージがないし、純粋にモニター的な音の要素にしても薄い気がする。要するに、まだまだ発展途上のジャンルなのである。誰かがヴィンテージイヤホンなどというオーディオのジャンルを確立して、趣味としての幅の広さを示すつもりなら、また話は別だが。



The sound

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潔(きよ)い音とでも言おうか。

これらのヘッドホンを聞いていて、

音楽に命を与える、音の勢い・はずみ・推進力・活力、そんな言葉で表しうる、

なんらかの見えない力を感じない人はいないだろう。

このスカッと抜けてエネルギッシュで、臨場感のある音作りは

まぎれもなくGRADOの伝統に由来するものである。

個人的には初めてラモーンズの音楽を聞いた時に覚えたような、

あのキリの良い疾走感が甦ってきて懐かしかった。

これがヴィンテージヘッドホンの良さなのかもしれない。


しかし、GRADOの伝統そのままサウンドというのは、ともすれば気分を盛り上げる脚色、荒さが目立つ音でもあり、音楽を冷静にモニターするという立場からかけ離れていた。

また低音がやや少なかったし、高域は澄んではいるが、あるレベルを超えるとキリキリ言ってしまってやはり刺激的な色付けがあった。音は常に近めなだけで定位感に乏しく、位置関係はあまり整理されていなかった。これらの気になるポイントをDmaaは幾分か現実に引き戻し、音の分離感と音楽に対する客観的な眼差しを加えた音に作り変えている。以前よりずっと品行方正なサウンドに変化している。

だから当然、これではGRADOの音じゃないという意見も出るだろう。

そう、これは半ばGRADOではあるが、半ばDmaaである。

やはり純粋なGRADOのサウンドではない。

そこはヴィンテージヘッドホンをクリエイティブに扱ったことによる変化であり、私がこのヘッドホンを多いに気に入った理由でもある。


Nagra HD DACRe Leaf E1xでバランス駆動されるSR225, 325 octandre Dmaaの共通する印象は以下のとおりである。

まず全体に派手さが抑えられた落ち着いた音調に変わった。このサウンドには改造のベースがヴィンテージのGradoとは思えない部分が多々ある。

例えば改造前に感じたウキウキ感重視のやや浮ついた音調は鳴りを潜める。高域の質感として感じられた独特の煌めきは大幅に後退、全帯域にマットな音の感触に変わっている。音色で言えばモノクロームで地味な要素が多分に入り込んでいる。そのせいなのか、全帯域で音のテクスチャーをより冷静に表現できるようになった。代わりに派手でカラフルだった音色は多少控え目になったように聞こえる。


音の定位や位相についても以前と比べて大幅に正確な表現に修正された。かなり定位や分離が良いHD600GE DmaaHD650GE Dmaaと比べるとやや劣るが、ここではモニター用のヘッドホンとして十分に安定した音像定位が聴き取れる。

こうなると、無論、音色の鳴らし分けの巧さや、各パートの分離、変調の少なさに改造前とは差が出てくる。音楽に含まれる各音は整理され、あるべき位置関係をリスナーに提示しようとしている。


音のコントラスト、音の明暗の対比の落差の大きさは従来通りドラマチックな表現をする場面もあるが、音の強弱の階調性が随分きめ細かくなっていると感じる時もある。大きい音と小さい音の単なる差ではなく階調・濃淡が細かく分かるようになり、より音の印象が繊細になった反面、以前のワイルドな雰囲気は削がれた。

一方であまり変化していない部分もある。例えば、改造前と比べてサウンドステージの表現はあまり変わらない。これを単純に音場が狭いと言うか、物凄く音が近いというかは人それぞれだと思うが、音抜けが良いことと、音場が広いことを混同しないように注意すれば、このヘッドホンの音場は開放型としてはそれほど広い部類には属していない。ただ、本当に音場を広く感じるヘッドホンよりも、広い部屋の中で音楽が鳴っているような錯覚を覚えることはある。それはハウジングの構造やドライバーの素のままの音調が極めて開放的なものだからだろう。音が頭の周りの空間に放散される感覚が、広々とした空間性の認識につながっている。だがそれは、音楽が録音された空間の広さとは関連がない。

確かにこれは、小型のモニタースピーカーを使い、ニアフィールドかつ大音量でモニターしている感覚に近いかもしれない。


ダイナミックレンジも改造前とほとんど変わらない。もともと大きい音も小さい音も十分に識別可能なヘッドホンだった。ただしカバーする周波数帯域は低域方向に拡大しているように聞こえる。以前は50Hz以下の重低音などは明らかに不得手であったが、そういう低域も巧く処理している。GRADOらしい中高域に若干のアクセントはそのままに、低域の伸びが加わったように聞こえるのである。また低域の解像度も増しているが、量感は控えめのままである。

帯域のバランスとしては凄くフラットというものではないというのは相変わらずであり、中高域、そして低域にアクセントの強さは残る。だが、面と向かって“ドンシャリ”と揶揄されるほどの帯域バランスの悪さではなく、よりソースの音を正確に反映する方向に音が振られているのは間違いない。


このヘッドホンのドライバーは高い能率を誇り、スパーンと爽快に鳴るところが魅力であり、その部分に変化はない。そして改造後の音の立ち上がり・立下りのスピード感というのも従来通り素晴らしい。改造前は過剰に速く音が立ち上がる傾向があって、レスポンスの良さをひけらかすような品位の低さにつながっていたが、この過剰さが鳴りを潜めたというか、速くもなく遅くもない適正な音のスピードに修正された。結果的にいささか音は上品になったように感じる。


一般的な話としてDmaaがモディファイしたヘッドホンや製作するケーブルについてコンシュマーオーディオの立場から言うべきことがあるとすれば、やはりこれはスタジオでの仕事の道具としての面が強すぎて、時に素人のオーディオマニアとしてリスニングを楽しめない部分があるということかもしれない。だが、SR225, 325 octandre Dmaaは例外的にコンシュマーオーディオの側に振れた、面白みのある音が出ている。これはGRADOの伝統の気持ちの良い音作りの方針を潰し切っていないからである。これがDmaaの音の匠としての巧みな配慮であるなら、流石としか言い様は無い。


ところで、SR225 octandre DmaaSR325 octandre Dmaaの出音の違いについてだが、これはハウジングの材質の違いによるところが大きい。SR225は厚さ3mm程度のプラスチックのハウジングをかぶせる形で使うが、SR325ではここがそっくりアルミ製に代わっている。二つのヘッドホンの響きはまるで違っており、SR225は柔らかくて、軽く、暖かく明るい音調だが、SR325はややソリッドで、粒立ちが良く、やや冷たく陰影の強い音である。ボーカルの質感などに関して玄人好みと思うのがSR225であるが、あくまで素人であるヘッドフォニアは一聴して高域が少しキラキラしたSR325を選ぶ確率が高いかもしれない。現代のGRADOのサウンドと比較するとPS系はSR325であり、GS系がSR225に相似するというところだろうか。ここはいずれにしろ自分の好みで選ぶだけだ。


なお、これらのヘッドホンが私の愛するHD650 Golden era Dmaaと差別化できるのは有り難い。音楽をモニターしたいときはHD650 Golden era Dmaa、どちらかというと気楽に楽しみたいときはSR325 octandre Dmaaを選べばよいのである。

ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして甦らせるためにはどうしたらよいのか、その取るべき道筋を私はここに聞いた。Grado SR325 octandre Dmaaのサウンドは、いささか複雑な出自を持つ特別な音だが、最新のものから古いものまで、ヘッドホンもスピーカーも数多くこなしてきて、多少のことではもう驚かず、驚きたくもないオーディオファイルが落ち着くべき音のカフェのような存在であろう。


別言すれば、私のような者がオーディオの楽しさの原点にもう一度戻りたくなったとき、そしてそこからまた、新たな場所へ移って行きたくなったときに立つべき場所とも言える。ここには懐かしさと新しさが分かち難く解け合い、基本的にはよく見知っている内容でありながら、その見え方という意味では見知らぬ世界が開けているのである。



Summary


日本で最初となるようだが、

私はGrado SR325 octandre Dmaaをオーダーした。

オーダーの際、SR325をベースにするか、SR225をベースにするかは迷った。柔らかくて軽いSR225(プラスチックハウジング)のサウンドを取るか、解像感が高く音のキレがいいSR325(アルミハウジング)のサウンドを取るかだが、私はSR325をベースモデルとした。とはいえ、その結論に至るまで、長考したのは事実である。例えば少し昔のジャズやロックのボーカル、ビリーホリディやフランク シナトラ、ビートルズなどをそれらしく聴くなどという場合はSR225を選ぶというのは絶対にアリなのであった。告白してしまえば、良い状態のSR225すぐには手配できそうもないと判断、SR225の改造の依頼の方は断念したとった方がいいのかもしれない。今でもSR225でオーダーしたいという希望はもっている。


また、現時点でリケーブルは利用できないのでヘッドホンケーブルは仮のものを使うこととしたが、到着次第そちらに換装するつもりでいる。さしあたりRe Leaf E1xで使う予定なので、端子はXLR3pin×2仕様としたが、Nagra HD DACの内臓ヘッドホンアンプに直接挿すのも面白そうだし、RNHPでも使いたい。その部分は本物のリケーブルが来るまでさらに熟慮しよう。


私の場合はGradoの二台持ちというのは、かさばってどうもすっきりしないので手持ちのGS2000eは売り払ったうえで、ロンドンから状態の良さそうな無印のGrado SR325を取り寄せた。SR225SR325を既にお持ちの方なら、こんな苦労は必要ないだろう。

もちろんGS2000eは素晴らしいヘッドホンではあるが、その気になればいつでも買えるし、Grado好きなら誰でも持っている可能性がある。しかしSR325 octandre Dmaaについては、まだ世界で聞いた人間は数十人にも満たないかもしれないし、持って使っている人間はさらに少ないことだろう。これは世界でほとんど誰も知らない音なのである。簡単に言ってしまえば、そっちの方が面白そうなのだ。そんな子供じみた理由で、高価なオーディオの方針を定めていのかと思うこともあるが、これで間違いないのである。

音の良さの本質には言葉でしか迫れないというドグマを堅持する私であるが、このヘッドホンについては徒に言葉を費やすのは無意味かもしれないと感じている。

聞いてそれと分かるヘッドホンがGRADOだからだ。Dmaaで改造されたにしても、SR325 octandre Dmaaはその気質を色濃く残し、やはり言葉のいらないヘッドホンなのである。

聴けば分かる。

だが、その口調は改造前はっきり異なるものである。もともとのGRADOのサウンドはフリースタイルバトルのラッパーのような刺激的なイメージで魅せたが、少し過剰だったしやや下品だったかもしれない。ここではoctandre Dmaaという冠を得て、彼らは冷静さ、正確さ、そして上品さを身に付けた。今や饒舌でありながらも、言葉慎重に選んでいる作家のように、どこか醒めた語り口にシフトした。


オーディオにおけるヴィンテージ機材は、最新のオーディオ機器と比べれば、音にクセが多かったり、絶対的な性能が低い場合がある。それは意図したわけではないにしろ、独特の味わいを醸し出して、現代の機材の音にはない魅力をもつモノとして認知される。古いオーディオには確かにそういう不思議な音の良さがあるものの、それは現代のオーディオの視点から見れば、欠点の裏返しである場合もある。


このような矛盾を孕んだヴィンテージサウンドにあえて現代的な修正を加え、新たな価値を生み出そうという、Dmaaの試みはとても興味深い。

現代のヘッドホンオーディオ界のダイナミックな創造の動きの中で、この自然発生的な試みがどういう立ち位置になるのか、愚かな私に分かるはずもない。

しかし未来に向かって疾走するヘッドホンのカオス的状況が持続するかぎり、

ヴィンテージヘッドホンもそこに巻き込まれ、

否応なく変わってゆく存在であることを、

これらのヘッドホンに対するDmaaの仕事は予言しているようだ。

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# by pansakuu | 2017-04-01 09:33 | オーディオ機器

Dressing APS-DR002, APS-DR003の私的レビュー:自腹を切れ

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黒猫でも白猫でもネズミをとる猫が良い猫である

鄧小平


Introduction


あまり使われない言葉となりつつあるのかもしれませんが、

「騙されたと思って買ってみな」という言い回しがあります。

これは江戸時代の話しことばが初出だろうと思うのですが、

長い間、日本で使われてきた言葉です。

寄席で古典落語なんかを聞いていると時折耳にしますよね。


この言葉には、騙されたかもしれないと思って買った先に、思いもよらぬ新しい世界が広がっている場合があるという、実体験に由来する知識が含まれてはいないでしょうか。この種の知識を我が物とするには、勇気と寛容、もっと簡単に言えば、少々の失敗には懲りない性格を持つ必要がありますが、幸か不幸か、私はそちらの方面には自信があります。


先ごろ、パイオニアさんが、ここで取り上げるDressing APS-DRシリーズの発売を突如として告知した時、私は思わずこの知恵の言葉を呟いていました。

この小さな機材の説明を読むとパソコンやDAPなどのUSBポートにこの小箱を挿すだけで音が良くなるなんて調子のいいことを書いてありますから、多少は揶揄されたり叩かれたりすることを覚悟で挑(いど)んできたのでしょう。そしてこれらを、万単位の金額で売りつけようというのですから、担当者は音によほど自信があるのでしょう。

その意気や良しと。


さらに、この製品にはグレードの違いがあることも驚きでした。DR000からDR003まで4段階もある。この手のオカルトグッズ(失礼)にはグレード別に複数の製品が出される場合は稀なんです。それは、その効果に強弱・高低が付けられるほどの技術があることを意味していますんで。オカルトグッズの多くは思いつきで実験してみたら個人的に音が良いと思ったんで、とりあえず100個作って売り出してみましたっていうノリの、詰めの甘い製品が多いジャンルですから。こういう力加減が出来るってことは、それなりにテクノロジーを掘り下げて製作過程の細部も熟慮しているということでしょうね。やっているメーカーは、最近の業績がいま一つとはいえ天下のパイオニアだし、製品の仕上がりもかなりキレイそうだし。オカルトグッズ(またまた失礼)としては異色で面白いなと思った次第であります。


それにしてもこんなモノ、10万で誰が買うんだ? 

あっ、オレだ。

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Exterior and feeling


とは言うものの先ずは2万円のDR002から買いましたよ。いくら万策堂でもいきなり10万のDR003はやめときました。こういう場合に限ってDR002が良かったらDR003に進もう、などと俄かに計画的な考えを導入したりする。一般常識からすれば理不尽なモノを買う場合も、まるで罪滅ぼしのように理屈を通したくなるのが人間という動物ですね。

届いた小さな黒い箱型のパッケージを開けると、黒い金属でできたUSBメモリーのようなDR002と裏に測定値が手書きされたシリアルナンバーつきの保証書が入っておりました。


ところで、DR002が計測したデータを一個一個につけて出荷しているのは、これがいわゆるオカルトグッズという、おまじないじみた怪しいモノではなく、計測という客観的な視点から見て違いがある、科学的な裏付けのある機材であることを強調したいのでしょう。でも、なんで科学的な裏付けがないとそれを買わないという話になったのか?オーディオは科学だから?裏付けがあろうがなかろうが聞いてどれくらい気持ちいいかが問題ではないかな。むしろDRシリーズに付けられた計測値の紙切れ科学という宗教から派生した、おまじないや免罪符のみたいなものに私には見えてきます。


DR002本体の表面は少しツヤのあるブラックカラーでヘアライン仕上げが全面になされています。持った感じ重くはないのですが、剛性は高そう。このモデルの場合、ロゴは白字で印刷され、僅かに表面から盛り上がっています。DR002のボディケースは二つのパーツからなり、それらは箱とその蓋のような関係です。薄い長方形の箱に蓋をして、その蓋の四隅を小さなネジで止めているような構造です。ひとまず外観は隙のない仕上がり。

試しにパソコンのUSBポートに挿してみたのですが、これはどうも横に出っ張るモノですね。ここにさらにUSBケーブルを挿すと、かなりの出っ張りで邪魔ですな。これじゃUSBポートに不相応に大きなモノを挿してる状態ですから、接続は不安定になるのではないかとも思います。


そこでDR002の下に紫檀とヒッコリーで自作したスペーサ―を取り付けて、常に端子が真っ直ぐにパソコンのUSBポートに安定して入るように工夫しました。机の表面から出た支柱でDR002を支えているような格好です。こうすると出音がピタッと安定します。一般にUSB端子というものはロック機構らしいものが皆無ですから、私は自分の機材のUSB関係の端子全てに、このような下支えの工夫をしています。このささやかな施工はUSBの電極が斜めにポートに入るのを防ぎ、十分な接触面積を稼げるうえ、端子の微振動を止めるのにも役立ちます。


私はDR002の中身を開けて見るなんて失礼で危険なことはしませんが、DR001のプアな中身の写真は見ました。DR002も大したパーツは全く入ってないんでしょうな。類似の機能を持つiFiの製品の中身も見たことがありますが、拍子抜けするほど部品点数は少なく、高級パーツは一つも見当たりませんでした。トランスペアレントのケーブルの謎箱の中身を思い出します。これはハイエンドオーディオじゃよくある話だから、動揺はしませんがね。でもiFiのは威力はあるんですよ。iPurifier2USBケーブルのDAC側につけっぱなしで外せなくなってます。ついでにDC iPurifierRe Leaf E1xの電源側に付きっぱなしです。iFiの機材はどれもだいたい優秀です。これらは音が明瞭になり、音像の曖昧さが排除されるというのが共通した効果です。簡潔な言い方をすれば様々なノイズを取り除くということを主眼にしている。そして、その効力の強さと安定性を価格と秤にかけて考えれば、中身の見かけ上の貧しさなんぞはどうでもよくなってきます。つまり、オーディオは外見や中身を見ただけでは分からないということですな。よく製品を分解しては部品の原価なんかを調べ上げ、実はこんなに安いモンだとか鬼の首でも取ったように騒いでる方もいますけど・・・哀しいですねえ。


後ほど詳しく述べますがDR002を使い、十分な効果があると分かったので、さらに調子に乗ってDR003まで進みました。こちらは値段だけあって流石な代物。USBに付けるアクセサリーでこんなに高価かつ作り込まれたものはほとんどないんじゃないでしょうか。単純にDR002と比べ少しお金がかかっているように思いました。でもパッケージはDR002と同じ。入っている保証書も同じで、マニュアルもないです。桐箱に入っているという情報はデマでありました。ただし測定値の部分はDR002より少し細かく、広い範囲を測定しており、値がDR002よりも良くなっていること、検査をパスした旨のハンコが押してあるところが違います。どちらも検品担当者の名前は同じでしたから、結構忙しいんでしょうね。コレ、品薄状態らしいですから。

DR002と比べてDR003ごくわずかに重く、剛性も微妙に高いような気がします。あくまで気ですがね。これはおそらくDR002とは素材が変わっているのでは?より高価で硬度が高く加工しにくいアルミ素材ではないか、あるいは表面仕上げの違いだけなのか表面は梨地の銀色で黒のヘアライン仕上げと全く違います。さらにロゴは印刷から彫り込みに変わっています。この硬さの金属にこれだけ細かい字を深く掘るのは大変で、カネがかかるでしょうね。地味な話ですが、こういうモノは表面に彫り込みがあるかないかで微妙に音が変わる場合があります。実際、その彫り込みで共振をコントロールしている例もありますね。Boulderのプリアンプの側面なんかがそう。

そうか、サイズが全く同じで、彫ってあるのに重さが僅かに重いということは、材質か部品に変化があるとしか思えないな。

また端子の仕様に変更はないようですが、中身はDR002とは違うらしい。さらにグレードの高いパーツを使っているとのことですがね。果たして音はどう変わるのか?

噂では、DR003については一個一個担当者が聞いて、音に十分な変化がないものは出荷してないそうです。測定値の上にPASSってハンコがありましたね。これは全品検査済みの製品であり、検査の過程で振り落とされるものもあるとのこと。まー10万もするんだから、それくらいやってもらわないと。

とにかく、DR003ほどの意気込みでれたUSBオーディオ関連のグッズは知りません。iFiiPurifier2DR002と効果や仕組みは違いますが、ほぼ同クラスの類似した製品であります。今まで買えたのはここまで。DR003USBオーディオ関連グッズとしてさらなる高みを目指したものと捉えています。

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The sound


私は以前、胡椒の味や香りに凝っていたことがあります。世界の各地でいろいろな品種の胡椒が栽培されていますが、どれも産地ごと、あるいは農園ごとに香りや辛味が異なる。手に入る様々な胡椒の中から私が最後に選んだのはカンボジアで育てられた、ある胡椒の実でした。食事の直前にそれを挽いて料理にふりかけると芳しい香りが辺りに放散されるのですが、その瞬間に驚くほど料理自体の印象が変わります。より豊かで深い味わいはもちろんですが、口に入れる前から既に皿の中に引き込まれるような食欲の高まりを感じます。食を愉しむことにおいて、この胡椒の香りを加えるか加えないかは大きな差となる場合がある。


Dressing APS-DR002, APS-DR003はオーディオにおける胡椒のようなものです。要するに最後の仕上げの調味料。PCオーディオシステムにこのデバイスを加えるか否かは私にとっては大きな差となってしまいました。これを加えるとシステムの音の香りが明らかに違ってくるように思いますので。

音と音の間にある空間が露わになり、音がほぐれ、ひとつひとつが立ち上がってくる。

食材の味を引き立てる香りを加える調味料としての胡椒の役割と類似点があるのです。


まずDR002ですが、USBポートに挿して、その反対側にUSBケーブルを挿すという方式で使うのが最も効果があるようです。実は空いているUSBポートに挿すだけでもある程度効果がありますが、私の場合、よりはっきり音の変化を感じるのはUSBケーブルをDR002に挿す方でした。

なおこのグッズはDAPUSBポートにケーブルを介してつないだり、あるいはDR002,003DR001を挿した状態でPCに挿したりすることでも音質改善の効果があります。これも実際に確認しましたが、どちらの場合もDR003の方が効果がよりはっきり表れますが、DR002でも一応の変化は感じられます。DAPに挿す場合はPCに挿す場合よりも音質がスッキリする度合いがやや強いような気がしましたね。それからDR002,003DR001を挿すこともできますが、こうすると音の強調感が少し減って、なだらかな音になります。DR002単体で使って音がキツいと思った方はこっちの使い方もいいかもしれません。空きのUSBポートがあればの話ですが。それから下位のDR000DR001についても単体で使ってみましたが、こちらは価格相応の効果はないと思いました。これらはDR002DR003と組み合わせる前提なら買う価値もありそうですが、単体ではお薦めできないですね。

なお、今回は普通のWindows10のノートパソコンとJriver、自前のRe leaf E1x, Nagra HD DAC, THA2そしてMDR-Z1Rで聞いています。

パソコンに特別なセッティングはなにもしていません。


実際にUSBケーブルの先にDR002を挿した当初は、アレっというくらい、変化量が小さいものでした。音の輪郭が多少クッキリしたかなぁくらいしか分かりません。これは接続する機材や試聴する楽曲、試聴者の耳の良さの度合いによっては、知覚されない位の小さな違いでしょう。例えばスピーカーだとこの差がはっきりしない場合も多いと思います。ヘッドホンなら、ハイエンドなものならわかると思いますが、プリメインアンプやDACについているオマケ程度のものだとよくわからないという人も居そう。これだとデモじゃ苦労しそうだね。聞かせ方を工夫せんと。

とにかく、そんな程度なんです、初めは。



しかし、一時間、二時間と聴いているとだんだん違いが大きくなってくるのがわかります。まず各楽器・パートの分離がグッと明確になってきます。ゆっくりと霧が晴れて、澄み渡った空の下、清冽な空気を通して風景を眺めるように音がどこに配置され、どういう位置関係にあるのかがはっきりと見えてくると言ってもいい。毎日使い続けて数日経過するとまるで自分の視力が上がったかのように、音楽の構造や細部が詳しく見え、それらは遠近感や立体感をもって眼前に展開するようになります。音の立ち上がりの複雑な姿があらわになり、余韻の滞空時間は驚くほど長くなる。音楽は最後の一滴まで絞りあげられて我々の耳に届くようになります。ここまで聞き続けて初めて効果が実感されました。


もともとDressingという単語には整えるという意味があるそうですが、まさにこの機材は音を整えることに主眼をおいたもののようにも聞こえます。音楽を構成する要素が整理されて、手に取るように見えるようになるのです。別言すればDRシリーズの音作りの本質はかなり視覚的なサウンドに傾いたチューニングにあると言ってもいいでしょう。


試しに攻殻機動隊のサントラを出してきて聞いてみると、十分にエージングされたDR002の威力が良く分かります。シンセから繰り出される何種類もの音が、まではゴチャゴチャに混ざって聞こえていたのですが、DR002を介すると、各音が整然と分離し、在るべき位