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Final D8000 平面磁界型ヘッドホンの私的レビュー:約束の地

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私はαでありΩである。
ヨハネの黙示録より

Introduction:

ふりかえると、
今年という年はそれまでヘッドホン界を包んでいた
異様なほどの熱気が幾分か冷めてきたことをネガティブな要素として感じたものの、
そのせいでむしろ、ニワカは去り、選ばれた本当のファンだけが居残り、製品の方も機能的に高度に洗練されたものや、高い音質への志を持ったプロダクトだけが生き残り、
かえって一つの趣味としては熟成してきたことをポシティブな要素として受け止められた一年だったと思う。

そのような選別、洗練化の流れの中で注目すべき製品として、今年最後のコラムで紹介したいのがFinal D8000というヘッドホンである。これは久しぶりに衝動買いしたオーディオ機器だ。初めに試聴した部屋を出た時には、もう購入の申し込みをしていた。

これは生まれながらに名機としてリスペクトされるべく現れた、運命のヘッドホンである。
私見だが、D8000は音質面に限れば現在、世界にあるヘッドホンの頂点に立つものであり、次世代のリファレンスヘッドホンであり、ヘッドホンの音質を新たな段階へ引き上げる製品であろう。
このヘッドホンを駆使する者は、どのようなスピーカーでも実現不可能な、ハイエンドヘッドホンだけに許されたオーディオの可能性を深く感得することができるだろう。D8000誕生以前のヘッドホンオーディオのスタンダードからすれば、いくら賞賛しても足りないほどの音質がここにある。

D8000が生まれるために必要だったのはいくつかの出会いである。
そもそもオーディオとは人と人との出会いがつくる何かである。
しかし、その出会いがいくら良い出会いであっても、ひとつでは足らないこともある。
幾度もの出会いがなければ、良い製品は生まれない。
多くの才能との一期一会、最初であり最後である出会い達から名機は創生される。D8000のサウンドはFinalという核があってこそ出来たのは確かだが、このメーカーの技術のみでは成就しなかったはずだ。社外の多くのエンジニアたちとの交流なくして、このサウンドはなかった。一人の天才の力だけでは既にどうすることもできないほど、オーディオも社会も発達し複雑化してきている。やはり沢山のいい出会いがなければ、もう素晴らしい製品は生まれない。それを証明した意味でも、このサウンドの意義は大きい。


Exterior:

D8000の実機は重い。LCD4ほどではないが、Utopiaよりも明らかに重たい。装着すると、まあまあ違和感なく収まるし、頭頂部も痛くないが、上体を前に倒すとヘッドホンは前にズレてくる。側圧が少し弱いか。例えばHD660Sを使っているが、こちらは逆に側圧が強いというか、パッドが盛り上がり過ぎているうえ、硬い。反対にD8000はパッドが柔らか過ぎるか。いずれにしろ装着感の改良がさらに必要だ、しかし、このパッドは音質に深く関わるので安易には変更できない。側圧もだ。

以前、Finalのセミナーに出たことがある。社長のH氏が出てきて長い講釈をしてくれた。その時は大学の退屈な講義を思いだして辟易したものだった。こういう場合、Youtubeにでも内容をアップしておいて、説明を字幕で見せながら、製品を試聴させるというのが現代的なやり方だろうと思ったが、まあそれはいい。そこで、Finalはパッドにこだわって音質をチューニングしていますというH氏の発言があり、興味を惹かれたということを私は言いたいのだ。その当時、私はちょうど或る方面からHD650の音質を改善するための別注イヤーパッドの開発について意見を求められていたので、誰しも同じようなことを考えているのだなと思って微笑ましかった。
問題のD8000のイヤーパッドは私が今まで見たヘッドホンのなかで最も複雑な構造をしている。厚めのストッキングのようなサラサラした感触の布でドーナツ型の袋のような形のスキンを作り、その中に二種類の異なる形状・硬さのドーナツ型のスポンジのようなものを入れてある。それらはおそらくあえて接着固定されておらず、しかもその二つのうちヘッドホン側のものには内側に切欠きが入っている。Finalらしいというか、求める音を得るためにかなり入念なチューニングがなされたことが、触れただけで分かろうというものだ。この会社の開発はこういうギミックとか材質の選択には余念がない。
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ハウジングは特殊金属製と推測される黒い円板状のものであり、放射状にリブが入っている。中央部にドーナツ型のメッシュが入ったパンチングメタルのプレートが嵌め込まれているのが目につく。よく見ると小さな穴がびっしりと開けられている。このパーツがこのヘッドホンのキモの部分らしい。それというのも、このヘッドホンは振動板の過剰な動きを的確に制御するため、空気の粘性を利用したブレーキのような仕組みを持っている。これがAFDS、エアフィルムダンピングシステムと名付けられた機構である。この細かい穴の開いた部品は、振動する薄膜がマグネットに接触しないようにブレーキを効かせる際に、空気を適切な時に適切な量だけ外に逃がすように設計されている。このブレーキ・制動の働きの良し悪しは、その形状とメッシュの穴の大きさ・配列にかかっているわけで、その製法の詳細はFinal社の最高機密であろう。そういえばMDR-Z1Rのハウジングにも、内部の圧力をステンレスワイヤーで編んだ網やダクトを使って絶妙に逃がす仕組みがあるが、どちらも特殊なメッシュを使うところに共通項がある。なお、この仕組みはイヤーパッドの側頭部への密着性や圧力の透過率にも依存しているはずで、この意味でイヤーパッドの材質の選択、形状の設計も重要なファクターと推測される。これだけ高額なプレミアムヘッドホンにしてイヤーパッドを革製にしなかったことはその証拠ではないか。
なおこのAFDSという仕組みこそ社外からのアドバイスを取り入れてできたものらしい。後で述べるがD8000のサウンドの素晴らしさ、特に低域のグリップの良さはこの仕組みによるところが大きいようだ。
メーカーのHPにはその他、特殊な製法で作られた振動版のことを含めて、いくつかの技術要素について説明されているが、実機を十分な環境で鳴らすとその程度のことでこのサウンドが完成するとは到底思えない部分がある。隠されたノウハウや互いに関連のない技術の偶然の一致がこのヘッドホンが作られる過程に介在しているに違いない。

またD8000のメッシュの面積はハウジング全体の大きさに比してあまり大きくないので、このヘッドホンはさしあたりライバルの一つと思われるSTAX SR009のような純粋な開放型ではなく、半開放型ぐらいな作りになっている。そのせいかSR009に比べると音漏れは若干少ないし、逆に周囲の音にあれほどは影響されない。

ハウジングの5か所にある放射状のリブは、ハウジングに強度を与えているだけでなく、このヘッドホンのデザインを作っているようにも見える。実際、このリブがあるおかげで、D8000は装着時のルックスがいい。だがこの特殊な金属製のハウジングはやはり重い。同時期に出たオーテクの極めて軽い製品などと比べると、ヘッドホンとしては望ましくないと判定されそうだ。しかし、この重さと剛性はD8000のサウンドの形成に不可欠なものとも思う。LCD-4の時もそうだったが、望む音質を得るためには相応の重量がヘッドホンといえども必要になることがある。
さらに、このハウジングの黒い塗装である。
ライカカメラの軍艦部などの塗装を担当するドイツの会社に特注しているらしい。
ここまで外観の色や質感にこだわったハウジングは久しぶりに見た。TH900の塗装やEditionシリーズのプレミアムウッドなんかを想い起すが、なるほど、この深みある黒はブラッククローム仕上げのライカのようだ。この僅かにざらつきのある鋳鉄のような表面の質感にも、ドイツっぽさ満載である。H氏はあの講義でもライカへの思い入れを語っていたっけ。あのライカのブランドバリューを自社の製品イメージに取り込みたいと言う日本のモノづくり会社の社長さんが少なからず居るが、H氏もその一人らしい。
私もライカが大好きなので、そのへんはよく分かるが、そんな音質に関係ない塗装にカネをかけるよりは安くしてくれーという叫びが若い世代から聞こえてきそうだ。
私としてはブラッククロームができるのだから、ライカのようにクロームシルバーを出してほしい。D8000がいっぱい売れて余裕ができたら、そういう特別モデルを出しても面白い。

D8000のヘッドバンドやスライダーの作りはごく簡素で、例えばMDR-Z1Rなどと比べるとチープである。実際に使っているとスライダーにストッパーがないのでイヤーパッドが決めた位置から少しずつズレてしまう。クリックストップのあるものに変えるべきだろう。私は厚い両面テープをヘッドバンド裏の目立たないところに貼って、ハウジングの位置が動かないようにしている。こうすると音の方も一層安定する。またヘッドバンドの皮革は触ってみるとささくれが微かだがはっきりある。これはわざとなのかクオリティーコントロールの問題か。
ハウジングはヘッドバンドと一点で結合され、その一点を中心にグリグリと動いて側頭部の形状にフィットさせる方式である。よくあるY字型のアームでハウジングを吊る方式ではない。これは他のメーカーはあまりやっていない方法であり、長い目で見て、強度が保てるのかが分からないので少し心配であるが、とりあえず不都合はない。
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D8000、リケーブルはもちろんできるのだが、ここで使われるFinalの純正端子はかなり独特なものだ。端子を決められた方向に90度ねじらないと取れないし、結線することもできない。
私は端子の外側にねじる方向を示す矢印が欲しかった。ねじったあと、これで外れているのかどうか分からないときがあるのだ。
それから、まだ正式なアナウンスもされていない純正としての潤工社製シルバーコートリケーブルを使ってみたいのは山々だが(潤工社のケーブルの音の良さはACデザインの頃から知っているので)、サードパーティのリケーブルも試してみたい。だがこの端子ではなかなか難しいか。私は純正のシルバーコートリケーブルをXLR3pin×2で早急に作ってもらいたかったのだが、問い合わせすると、当面は純正品としてのXLR3pin×2のシルバーコートリケーブルの販売は予定していないとのこと。
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そういうわけで、今回はリケーブルをBrise audio様に頼むことにした。Brise audioはいつも新しい製品への対応が早いが、ここでも素早い反応を見せてくれた。電話で問い合わせるとfinal 専用の端子を使った試聴用のバランス仕様のケーブルはアッという間に届いた。
UPG001HP Ref.と呼ばれるこのモデルはくっきりとした輪郭と豊富な音数を特徴としていると聞いていた。実際このバランスリケーブルを使ってみるとFinal純正のシングルエンドケーブルよりも音像はソリッドになり、音場は広がって、音全体に安定感が出てくる。少なくともヘッドホンに同梱されているケーブルよりは明らかに手持ちのE1xとのマッチングはいい。正直、付属のシングルエンドの純正ケーブルには戻れない。リケーブルとしては、まずはこれで良かろう。


Sound:

さて、ここからは音質の話をする。D8000をいろいろなアンプやDACで鳴らした話は横に置き、私が試した中では一番音のいいシステムでの印象を記す。今回のシステムは無改造のPCとUSBで結線したNagra HD DACにRe leaf E1xをバランス接続、Brise audio様から借りた4pin端子仕様のUPG001HP Ref.にXLR3pin×2のアダプターを取り付けたD8000から成るものである。

それから、以下のインプレッションはこれらの一見オーバーとも取れる機材を前段においてこそ聞こえるものだと思ってもらった方がいい。わざわざここでそんなことを断るのは、D8000はそれほど前段機器の実力をあからさまにするものだからだ。
幾つかのハイエンドヘッドホンアンプを試したがD8000を鳴らすのにRe leaf E1xの右に出るものは見つかっていない。THA2ですらRe leaf E1xにはかなわないのだ。
またいくつかのシステムを試した経験から、DACの能力は高ければ高いほど出音が良くなるのも分かった。それは当たり前と思われるかもしれないが、普通のヘッドホンではハイエンドDACの出してくる情報をさばき切れないものが沢山ある。優れたDACを用いても、システムトータルの音のバランスはかえって悪くなってしまうこともある。だが今回は逆にDAVEやMytek のManhattan2ですらD8000の十分な相棒とは映らなかった。
dcsのRossini+ClockやCHprecision C1+X1、Weiss Medus、Meridian Ultra DAC以上の完成されたサウンドを持つ機材が望ましいと判断する。そのクラスのDACが放つ音を十分に受け止められるだけの性能がこのD8000には備わっている。ヘッドホンではほぼ初めてのことである。このような上位のDACを渡り歩いた後では、それ以下のDACの音では、その実力差が聞こえ過ぎてしまうと私は感じた。こうしてDACの残念なポイントがバレると思うと、D8000を使うことは少し怖い気もする。D8000は場合によってはハイエンドスピーカー以上にDACを厳しく評価してしまう。スピーカーはごまかせてもヘッドホンはごまかせないという名言を吐いた録音エンジニアさんがおられたが、まさにそうなのである。いままでの私の感覚だとハイエンドDACの情報の8割ぐらいしかヘッドホンでは聞けない場合があるので、その目減り分を補うべく、初めからややオーバークオリティのDACを当てたり、HPAの性能を上げたりしていたのだが、D8000では逆の現象が起きている。
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Final D8000を使っていて真っ先に感じるのは、
これまでいくつものハイエンドヘッドホンやスピーカーを、これまたプレミアムなDACやらアンプを使って頑張って鳴らしてきたが、それでも聞けない音があったということである。D8000を組み込んだシステムでは従来のヘッドホンやスピーカーと比較して、全ての帯域で情報量が明らかに増えている。特に低域における情報量の増大に目覚ましいものがある。これはヘッドホンに限らずスピーカーを含めてもかなり情報豊かな低域と言えるのではないか。人として恥ずかしいほどのレベルでヘッドホンやスピーカーに傾倒してきたのに、アンタはなんにも聞けていなかったじゃないかと言われれば返す言葉もない。これではD8000以外のヘッドホンでは特に低域の情報がかなり失われていたと認めざるをえない。どこかでごまかされた、うやむやにされたような音を私は聞かされていたのかもしれない。
D8000の低域はスピード感もインパクトも制動も他のヘッドホンにはないものがある。量感に不足なし、歪みは極小、適切なタイミングで立ち上がり、たちまち消える。こんな低域などほぼ聞いたことはない。良質なダイナミック型を上回るほどのインパクトがありながら巧みに制動が効いた低域でもある。

ヘッドホンシステムを完璧にして初めて聞こえてくる音があると思い知らされるリスニングがD8000が来てからは何日も続く。
聞きなれた録音の中に、こんなに多くの音が潜んでいたとは。
この潜伏音の聞き逃しは、ちょっとしたショックである。
例えばラルフ タウナーのソロアルバムAnthemを聞く。これはタウナーがひたすらにギターを弾いているだけのアルバムなのだが、これまでこれらの曲を、それなりハイエンドシステムで聞くと楽器から出る音に加えて時々タウナーの息遣いがリアルに聞こえたりする。それで十分だったのだ。しかしヘッドホンをD8000に替えると、タウナーが生きている人間であることがもっと切実に意識される。演奏中ずっと彼の呼吸音が聞こえるからである。この呼吸音はかなり小さな音だが、マイクロホンはしっかり捉えていたのである。呼吸音は持続的で時に規則正しく、時に乱れる。タウナーの感興に合わせて変化しているようだ。またタウナーが座っていると思われる椅子がきしむ音も聞こえる。このアルバムは何百回と様々なシステムで聞いているが、そこは初めてはっきり聞こえた。この音の存在はコンピューター上で合成されたサウンドなのか、生きている人間がスタジオに入ってマイクロホンと向き合って一発録音されたもののかを分けるポイントでもある。
そういう重箱の隅の音が聞こえたからなんだ、という意見も出そうだが、私はそうは思わない。朗々と響き渡るギターのつまびきが、いままで聞こえなかった細かな音の情報を伴っているので、従来のよりずっと生々しく鮮烈である。
例えば今はアジアンカンフージェネレーションのソルファを聞いている。音量をすこし上げるとボーカルが本当に目の前にいるようだ。リズムとメロディに合わせて潤いを含んだ口を開けては閉め、周囲の空気を吸い込んで暖かい息を吐き出す。これが生きているボーカリストというものだとリスナーは体感する。細かい音の情報はあくまでつくりものであるはずのヘッドホンサウンドに命を与えてくれる。

小さな音が聞こえることと同値であるが、
D8000のサウンドでは余韻がとても長く、音が消え入る最後の一滴まで耳に届くことが嬉しい。手練れたサイフォニストに淹れてもらったコーヒーのアロマのように長く尾を引いて脳裏に残るといった具合だ。さらに、こんなにもきめ細やかな音の輪郭、丁寧な質感描写もほとんど類例がないレベルだ。近いものがあるとすれば唯一SR009だろうか。SR009にも特筆すべき音の丁寧さ・繊細さがあったが、D8000はそれをそっくり移植したうえで、低域を中心としたもっと明確な実体感をプラスした音を奏でる。

また、D8000は自分の得意とする音場・音源との距離感をリスナーに押し付けない。録音され製品化される過程でエンジニアが音楽に与えた音の広がりをそのまま出してくる。すなわちD8000については出現する音場が広いとも狭いとも言えないのが本当のところだ。様々なジャンル・時代のアルバムをとっかえひっかえ聞いていくと音像の遠近や位置関係が作品ごとに実に多彩であることがわかる。音がほぐれて遠くにいるときもあれば、密集して耳のごく近くに迫ってくるように聞こえる音もある。例えばHD800は普通に使うならよくできたヘッドホンではあるが、これらの距離感がどんな録音でも一様になってしまう。D8000はそこの部分に注意して聞くリスナーに対しては録音のシュチュエーションや音楽制作の過程をどのヘッドホンよりも親切に教えてくれる。これは録音スタジオなどでモニターヘッドホンとしても使えそうだ。
録音状況がよく見えるようになれば演奏の細部も当然よく見えることになる。演奏の溜めの部分、インタープレイの目くばせとそれに対する反応、そして演奏の始まる瞬間に奏者たちが呼吸を合わせる合図が見えるような聞かせ方である。これらは本来DACやアンプに依存する部分が大きいはずだと考えていたが、ヘッドホンが従来よりも小さな音にしっかりとタッチできるようになってこそ、聞こえてくる部分もかなり大きいのだと知った。

それから、意外だったがパワーがかなり入る。ボリュウムを挙げるとさらに情報量が多くなって驚く。大音量だとまるで音が沸き立つように聞こえる。音像がダイナミックに音場一杯に躍動する様子は大音量派のオーディオファイルのリスニングを彷彿とさせた。ここまでアグレッシブにもなれるのに、一方では細部への冷静なまなざしを失わないのも素晴らしい。音楽のノリに流されないで小さな音を常に監視する。
また格別に大音量にせずともこのヘッドホンの出音は頭の一番深いところにまで届いてくる。この鳴りの良さはなんなのだろう?こんなにディープインパクトなサウンドはあり得ないと思っていた。音の直進性と広がりはスピーカーでの評価項目だが、それをあてはめたくなるほど、音がこちらに飛んできたり、広く深く浸透したりするように聞こえる。

D8000の音の出方は耳の上になにもかぶせないで聞いている状態に近い。SR009もなにもない場所から音が立ち上がるような不思議な感覚を持つがそれに近い。頭が重たいのでヘッドホンをしていることは意識できるが、音がそこから出ているようには聞こえない。
よくスピーカーで聞いているように聞こえるヘッドホンとい謳い文句があって、私も使ったことがあるが、ある程度はお世辞が入っていたかもしれないと反省。D8000は世辞抜きでさらにスピーカーに近い音の出方をする。SR009にはここまでの鳴りの良さ、パワフルな音の出方がないのが惜しい。
D8000は楽器と楽器の間にある空間の存在、音が立ち上がる寸前に置かれた静寂の質についても描写を怠らない。実は音がない場所はこの世界にほほとんどない。どのような静寂の中にもエーテルのように微かな音が流れている。それを捉えるには軽い振動版が必要であり、SR009やLCD-4などはそこを狙って工夫をこらすのだろう。だが往々にして完璧にならない。D8000はその方面での稀有な成功例なのだ。こうなると各パートの分離は非常に良好となり、多くの楽器や演奏者を分離して意識することが可能となる。

D8000の出現でハイレゾデータに対する印象も変わる。ただ単に音数が増えるだけでなく、音の密度がグッ上がるのだ。基底データよりも目が詰まった、粒立ちがよく、色彩感にあふれたサウンドになるのが分かる。ハイレゾの情報量をヘッドホンはまだ使い切っていなかったようだ。

D8000のカバーするダイナミックレンジと使える周波数帯域はヘッドホンとしては異例に広い。特に低域の伸びは著しい。高域も自然に伸びていて好ましい。そして特に突出して目立ったり、落ち込んでいる帯域は聴感上はほとんど感じられない。平面磁界型では薄くなりがちな中域に十分な厚みが確保されていることも注目すべきだろう。D8000をつないでいる私のシステムについてはもともと残留雑音(S/N)に関しては極めて優れたものであることは疑っていなかったが、それはD8000を使うことで証明されたように思う。背景の静寂がアルバムごと・録音ごとに感触がちがうこともよく聞こえる。録音に使用した機材、録音された場所・時代の違いが音が出る前に感じられる場合がある。

さて音質に関する御託はこの辺にとどめておいて、他のハイエンドヘッドホンと思いつくままに比較してみよう。あくまで私的なコメントとしてだが。
STAX SR009はこの世界では標準機としての地位を固めているが、このヘッドホンには低域の量感や全帯域にわたってのもう一歩の実体感を求めたかった。D8000にはそれらが完全に備わって不満がない。またSR009は十分にドライブできるヘッドホンアンプがほとんど選べない。T8000とBlue hawaiiくらいしか思いつかない。だがD8000では最適にドライブするHPAを豊富な選択肢から選べる。
Focal Utopiaのサウンドは鳴りがよく、全域にわたり解像度が高い。しかしアンプとの相性は限られ、べリリウム独特の音の密度感や重さを引きずっている。Utpoiaよりもはるかに軽い振動板を使い、低域についての最適解を見出したD8000に勝るとはいえない。また音質とは関係ないが、このメーカーのヘッドホンの内外価格差は正規代理店経由での購入を躊躇させるのに十分なものとも言える。国産のD8000には、その悩みがない。
話題のオーテク ATH-ADX5000。(SS誌がこのヘッドホンを年末のグランプリで唐突に取り上げたことに違和感を感じたことは置いておいて)軽さや装着感などではD8000は完敗である。というか、このヘッドホンはその点で言えば世界のほとんどのハイエンドホンを寄せ付けないものがある。音についても今までの基準を適応するならとても優秀なものである。これは鳴り物入りで来たわりには不人気だったSE-Master1の音質上の問題点を後出しで改良したようなモデルである。オーテクが久々に放つオープンタイプのヘッドホンの自信作、バランスよく開放的な音を奏でる優秀機である。しかし音のひとつひとつの要素を考えると、今までのヘッドホンの枠の外には出ていない。私にしてみれば想定範囲内の優秀機なのである。対するD8000のサウンドは全てにおいて想定外の世界に突入している。またATH-ADX5000の低域については私的には量感やインパクトが足りない。この低域ではまだ空振りしていると私は取る。もちろんD8000出現まではこの程度で良かったのだが・・・・。D8000との間には価格差はあるが、相応の音質差があると見ていい。
ETHER FLOWはD8000ほど鳴りは良くないし、帯域がフラットでなく、固有の響きが見え隠れする。それから音の解像度もATH-ADX5000ほどのものでさえない。これはD8000と比較する前にATH-ADX5000と比較されるべき存在かもしれない。
Sennheiser HD800sについては装着感と音質、価格などを総合して考えるととてもよくできていると思うが、D8000と比べると音質面ではもはや勝負にならない。D8000はHDシリーズとは一世代違うサウンドを奏でるものなのである。さらにSennheiser には、かなり高級なセット品としてのHE-1が切り札としてあるが、こちらは真空管を使うアンプ部が残す音の甘さをどう考えるかが評価の分かれ目となる。外観、ギミック、音に独特の豪華な味わいを求めてHE-1を選ぶのなら理解できる。だが、ヘッドホンから出てくる音の質のみを単純に比較した場合、相応しい前段機器でドライブされるD8000にHE-1システムが勝るものとは私には思えない。

意外なことだがD8000の音の良さのあらましを知るだけなら、AK380などのハイエンドDAPを使えば十分のような気がする。つまり、世の中の平面磁界型ヘッドホンとしては鳴らしやすい部類に属する。SUSVARAのようにOctave V16 SEにSuper Black boxをあてがったり、Goldmund THA2を使ったりしないと実力を測れないような難物でない。つまりSUSVARAはその使いにくさから既にD8000には劣るということだ。SUSVARAの鮮烈な音像の描写と高域の美しさは唯一無二ではあるが、中域・低域の描写力はD8000に劣るし、音場の描き方も十分とは言えない。ついでにいえばSUSVARAはHifimanの中では最も仕上げのいいヘッドホンだが、リケーブルのコネクターの本体への差込み角度のばらつきなどを見ているとまだ完璧ではない。D8000の方は神経の行き届いたしっかりとした造りとなっている。同社のHE1000V2はどうだろう。こちらはD8000と同等の空間表現を備えるが、音像の明確さや音のテクスチャの表現力はやや劣っている。しかもSUSVARA同様、鳴らしにくい。
D8000の真のライバルがいるとしたら最新バージョンのLCD-4だろう。これは軽い振動板をパワフルに鳴らす、究極のヘッドホンを目指して作られた機材であって、D8000と似たコンセプトを持って生まれてきたものである。実際、高域や中域の充実はD8000にそれほど劣らないと思う。LCD-4はしばらくD8000とほぼ同じ環境で使っていたのでよく分かる。だがD8000の方がやはり聞こえる音数がかなり多い。それから低域の充実度もより高いし、鳴りもより良いのでD8000はLCD-4より総合的に勝っている。それから何といっても、D8000はまだ故障していない。audeze lcd4は届いて2週間もたたないうちに本国に修理に出さなくてはならなくなった。


Summary:

大学生の頃、ニューヨークのセントラルパーク沿いのホテルに一か月ほど居たことがある。真夏の緑に染まったセントラルパークを眺めながらゆるやかに過ごした日々。
あれは私の経歴の中で最もヒマで退屈な日々だった。
私はクリスチャンではないが、その当時ミルチア エリアーデに傾倒していたことと、そもそも世界中の主な宗教の経典を一通り読まないと大学の単位が取れそうになかったので、コーランや論語、般若心経や阿含経、いくつかのヴェーダなどに混じって聖書を革製のトランクに入れて持ち込んでいた。窓辺の明るい光の中でその中にあるヨハネの黙示録にさしかかったとき、例の有名な一行が目に留まった。
「私はαでありΩである。」
この種の短く重い言葉が多くの解釈を生むことをその時初めて知った。
αとは最初の存在、Ωとは最後を意味しているので、この言葉はすなわち「全て」、ひいては「神」を指しているというのがよくある解釈である。
だが私はこのときαとΩの間にある20数個のギリシャ文字のアルファベットを想起した。一般的な解釈を超えて多くの異なる要素の統一体としての「全てを含む存在」をイメージしたのである。なぜだろう。遠い未来にはD8000を聞いてその勝手な解釈を思い起こすためだったのかもしれない。

Final D8000はヘッドホンに対してハイエンドオーディオが要求する、ほとんど全ての音質的ファクターをほぼ死角なしで揃えた、初めてのヘッドホンである。αからΩまで全ての要素を持っているのである。
またFinal D8000という一つのヘッドホンは多彩な経歴をもつエンジニアたちの知恵が集結したものである。これはヘッドホンオーディオというジャンルが生まれるはるか以前から続く、音響物理の研究成果と高音質を求める情熱、それらを統一した存在と考えられる。D8000はその意味でαでありΩであるモノだと言える。
そしてD8000は最初であり最後でもあるヘッドホンかもしれない。これほどの高性能、各要素のバランスの良さをもつヘッドホンが次々と現れるとは考えにくいからだ。このヘッドホンの技術要素のコアとなる部分について重要な助言をした日本オーディオ界のレジェンドN氏はD8000の完成直後に世を去ってしまわれた。これから先、有能なベテランエンジニア達は消えゆくのみなのだ。こういうヘッドホン・イヤホン隆盛の時代にたまたま出会った、時代を跨ぐ才能のマリアージュが、この素晴らしいサウンドである。ならば、そんな偶然が再び起こるとを安易に期待することはできまい。だからこそ今、このサウンドを味わうべきだ。38万円は高くない。
そして何より、このヘッドホンは私にとっては神の器のごとく有り難いものに思える。
「αでありΩである」という言葉が神を指し示すなら、その意味でもD8000はこの謎めいた言葉に合致する存在だ。ヘッドフォニアたちを約束の地へと導く、ヘッドホンの神がいるなどと想像したこともなかったが、初めてD8000を聞いた時、そんな図式が頭に閃いたことを私は否定しない。

冗談はさておき、
Final D8000の登場はヘッドホンオーディオのスタンダードを一段高いステージへと引き揚げたことは事実である。この複雑で偉大なサウンドを一回の混乱したコラムで語り尽くすことは到底無理だが、私の中ではD8000以前と以後で他の全てのヘッドホンの立ち位置が変わってしまったことだけは確かだ。
いきなりずいぶん高いところに新たな頂点が出現した。
別な例えをするとしたら、100mを8秒台で走るアスリートが突然日本から現れたというところか。
これは最近のスピーカーオーディオで言えばAir force ONEやMSB Select DAC、イヤホン界で言えばAK380、JHのLayraのような画期的な新製品が現れた時に似ている。それらの登場の時と同じくここからオーディオ全体に密やかな影響をおよぼすような変動が始まる予感さえある。もちろんそれは見かけ上小さな変化かもしれない。感覚を研ぎ澄ませ、注意深く耳を澄ましている者にしか知り得ないかもしれない。だが・・・・・・。
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そろそろ放言してもよかろう。
我々は荒野の果てにある、約束の地と思われる場所に辿り着いた。
αでありΩであるなにかが、そこに私を連れてきたのである。



by pansakuu | 2017-12-31 16:01 | オーディオ機器