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Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で

Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で_e0267928_01125351.jpg
霧が晴れるのを待っていても仕方がない。
だから、私は霧の中で一人踊るのだ。
カリディアス(作家)



Introduction

オーディオ機器の中で
私が最もファンタジー=幻想性を感じる機材はフォノイコライザーである。
単体でオーディオにおける音の美というものに
これほど貢献する機材を私は他に知らない。
そして、その他を知りたい思わないほど、
私はフォノイコライザーが好きなのである。

フォノイコライザーとは、カートリッジから来た微弱な信号に、あらかじめ決められた再生カーブに従い、低域成分を大きく、高域成分を小さくする補正を施して出力する機械に過ぎない。だが、優れたフォノイコの生み出す音の変化は他のどの機材でも醸し出せないものがある。これはアナログシステムの音色を決めるものである。

先ごろ、私はAudio Noteの最高級システムを詳しく聞く機会に恵まれた。
そこで初めて聞いたコンポーネントといえば、フラッグシップフォノイコライザーであるGE10のみだったが、この秀機を擁するAudio Noteのシステムの出音に、私は強い印象を受けた。
しかし、その感覚を言葉にするのには、しばらく時間が必要だった。
それは物理と数学を基礎とする電気工学の塊から、科学とは無縁のようにみえる幻想的なサウンドが霧のように湧いてくるという矛盾した体験を表現するのに手間取ったからではない。
そのサウンドの外にある、この機材の存在意義について考えていたせいだ。
私は、この体験を表現することに心の奥で戸惑い続けていた。


Exterior

ここで略称するフォノイコライザーGE10の正式名称はGE-10ステレオCRタイプ フォノイコライザーアンプリファイアーである。
試聴時に頂いたカタログの中ではフォノイコライザーという言葉は使われず、フォノアンプという呼称が採られている。イコライザーとつくと信号を補正する機能が前面に押し出された名になり、フォノアンプと言うと信号を増幅する意味が入ってくる。この名付けははたして意図的なものだろうか。実際にGE10を聞いても、なるほど音を増幅する機械としての側面が強く感じられた。

GE10は二筐体から成る。高級機でよくある電源部を別筐体とするものであり、その構成自体は珍しくない。
一般にフォノイコライザーは装置の丈が低く、平らなものが多い気がする。ターンテーブルの真下に薄型の筐体がひっそりと滑り込んでいるようなセッティングの図式を思うものだ。
GE-10については筐体の丈の高さがフォノイコライザーとしてはかなりあるというのが気になった。これは真空管を立てて内蔵したうえ、内部が銅のパネルで仕切られた二階建て構造になっているためらしい。

内部には8本の真空管(E88CC,6072,6CA4)とAudio Noteで手作りされる大型銀箔コンデンサーを含むCR型のイコライザー回路などがシルク巻きの銀線で結線され整然と納まっている。モジュール化されたフォノアンプ部はコンパクトだが、筐体はこれだけの大きさがあり不釣合いな感じもする。パワーアンプのKaguraと異なり、トランスの巻線は銅線であるが、大規模設計のシャント型ヒーター電源回路、大容量のリップルフィルターコンデンサ、片チャンネルあたり二個搭載されるチョークなど、電源部はフォノイコライザーとしては豪華なものである。そして驚くべきは、出てくる音がカタログのスペック欄に記載されている内容から連想されるものより、さらにハイレベルなものであること。カタログでは語られない、多くのノウハウがここには内包されているのだろう。

電源部と本体のフロントパネルには二系統の入力を選択するダイヤルと電源ボタンなどがあるばかりで極めてシンプルである。入力選択の他に機能らしいものといえば、リアパネルに抵抗切り替え式のローカットフィルターが実装されているのみ。ただ、これは操作しやすいものではない。裏にまわって見えにくい場所にあるトグルスイッチを操作するのだから楽じゃない。フロントパネルに多くの機能を集約するEMT JPA66などとは異なる。
そのリアパネルも実にシンプル。RCAの入力が二系統あり、RCAの出力が一系統あるのみ。最近話題のXLRバランス入力も出力もない。これでは他社機との接続をあまり考慮していないと取られてもしかたない。これほど高価なフォノだが、接続の発展性が低いというのはプラスにならない。
Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で_e0267928_01114137.jpg
今回の試聴システムはAudio Noteの最上級のコンポーネントを組み合わせたものであり、いわばその総力を結集したものとなる。
アナログプレーヤーはGINGA(写真でみると巨大に見えるが実物はAir Force ONEなどと比べれば以外にコンパクトかつ簡潔なつくり)。
昇圧トランスは純銀線巻のSFz(あまり知られていないことだがGE-10はあえてMM専用のフォノイコライザーとしたのでトランスは必要)。
Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で_e0267928_01424065.jpg
プリアンプはG1000(究極ともいわれた先代モデルを超えたと評される素晴らしい音を出すが、これまた機能の少ないプリ)、
パワーアンプはKagura(私が個人的に高く評価するBoulderの2000シリーズのアンプを超えるという話もある素晴らしいアンプ)。
Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で_e0267928_01115231.jpg
これらをつなぐケーブル類も銀線を基材としたAudio Note純正のケーブルである。
(ここでは以前大人の事情で紹介できないと書いた、あの電源ケーブルが使われている)
なおレコードカートリッジは私の見立てでは完全な純銀伝送回路を持つIO-Mであり、シェルリードまで純銀製であったようだ。もちろん、これらも全てAudio Noteの純正品である。つまりスピーカーを除く全てのコンポーネントのマッチングがAudio Noteで調整済みの組み合わせなのだ。Audio Noteの製品はもともと純正組み合わせを前提としているようなところがある。それは海外では一般的なオーディオの揃え方であるから、日本以外ではこれでいいのだろう。このメーカーが海外で評価が高いのは純正組み合わせを揃えて聞く習慣とも関連があると思う。
スピーカーはもうかなり前のモデルになるがB&Wのノーチラス801である。こういう古いB&Wを久しぶりに見た。まだ使われているのだなぁと感慨。Audio Noteは今でもこんなに古いスピーカーで音決めをしているのだ。最新のB&Wのシリーズとは全く異なるやや鈍重な38cmウーファーを持つ、いささか古風なスピーカーで音を決めることが良いのかどうかは分からない。Audio Noteユーザーにアンケートでも取って、果たしてこのスピーカーで音決めしていいのか、考えてもいい。38cmウーファーを持つスピーカーのユーザーが多いのなら、この選択は正しいから。
ただ、この試聴室のスピーカーは常にAudio Noteの機材で鳴らされているため、AudioNoteの調子に馴染んでいるようだったのは確かだ。ちょっと出音を聞くだけでも、このスピーカーの使用を頭ごなしに否定できないのは明らかだった。


The sound

試聴して先ず感じたのは、
初めて聞くレベルの音色の濃さである。
これは滅多に聞かないほどの濃厚で鮮やかな色彩感を持つサウンドである。
ふと考えると、聞こえる音に色を感じること自体、とても奇妙なことだ。
オーディオファイルというものはオーディオを始めてしばらくして、音に色というものがあるのを直感的に認識することが多い。この音の色というのは実際のところ、音の勢いや立ち上がりの早さと、音の手触り・テクスチャーから想起されるイメージの総体であり、そのオーディオを聞く個人の音楽的な経験・記憶に由来する感覚である。この音の色あいが、GE-10を擁するシステムでは実に濃厚に感じられる。個人の音楽的な記憶を他の機材より強く呼び覚ますと言ってもよい。
ここでのサウンドは目前にその色を見るというような授動的な感覚を与えるものではなく、手を伸ばせば実物に触れるような距離感をもって、その色をしげしげと注視しているような能動的な感覚を呼び覚ます。
さらに言えば、これは現実の音世界の精密な模写ではない。これはオーディオというもう一つの現実の発露であり、もとになった音の全ての側面がさらに生々しく、鮮烈になって、こちらに迫ってくる。いささか強調感があると言ってしまおう。一般に日本製のオーディオ機器にはこのようなビビッドな音を出すものは少なく、淡白でよく整理された薄味で繊細な音が基調となる場合が多い。考え事の邪魔にならないような控え目な音を出すものが多数派だと思う。だが例外的に、この日本製のGE-10にはヨーロッパ、とくにスイスのスーパーハイエンドプロダクトが出す音に近い面があると思う。Audio Noteのサウンドを日本的で端正な音と表現する評論を時に読むが、同意できない。このメーカーの機材がこれだけ高価にも関わらず、海外市場でコンスタントに売れているのは、欧米人の好む音の調子を持っているからであり、その調子の一部がこの濃厚な音色にあると私は考える。逆に言えば日本人がこのメーカーの機材の導入を躊躇するとすれば、価格や日本でのネームバリューのなさだけでなく、日本のメーカーでありながら、日本的な音ではなく、むしろエキゾチックな雰囲気を醸し出すことに戸惑いを感じるからかもしれない。

なお、試聴中にAudio Noteの下位のフォノであるGE-1を同じシステムで切り替えて聞いた。もちろんこちらをGE-10と比較しないで聞けば十分に音の良い機材だと言い切れる。だが、GE-10と比べると、この音色の濃い味の度合いに圧倒的な差がある。GE-10を聞いた後でGE-1を聞くと“ごく普通の”フォノに聞こえる。GE-1もトランスを含めれば200万近いので相応な凄味を持つのだが、偉大なGE-10の前ではごく普通の人である。恐らく最適に設計された大規模な電源がこの違いを生んだにちがいない。

さらに、極めてハイスピードな音調であることも特筆すべきである。音の動きに緩さや遅さが感じられない。電源部含めて真空管を多用する構成であるが、そのような機材にありがちな眠たい音が一切出て来なかった。音にキツさを感じさせない柔軟さは備わっているが、音のキレは鋭く、動きが大変速い。これはここで使ったプリアンプもそういう音の持ち主なのであるがGE-10を加えることで、尚更研ぎ澄まされた感があった。デジタル機材を送り出しとしてプリアンプとパワーアンプの音を別な場所で確認しているが、その時よりも明らかにいい意味でキレた音になっており感心した。

またウェスタンエレクトリックなど往年の名機を凌ぐほどの音像の実体感にも痺れた。
音像の重心はかなり低く、定位も極めて安定しているうえ、一度きりの演奏が今そこで展開しているという緊迫感も強く意識される。アーティストの肉体の動きや揺らぎを感じる度合いが高い。これは極上の実体感であり、これも日本製の他の機材にはない。実際にリスニングルームには奏者は居ないのだから、それこそありえないことであり、全くのイリュージョンには間違いないのだが・・・・。とてもそうは思えないリアリティがサウンドに漲る。

左右への音場の広がり方、奥行の深さは他社の同価格帯のモノラルパワーを使ったシステムとほとんど変わらない。最近のアナログオーディオ機材には空間再現性を狙った設計のものが多くあり、それらはデジタルオーディオに近いセパレーションの良さを誇示したサウンドを奏でるのだが、一般にどこか薄味な音になりやすい。それはアナログオーディオの良さを、無理に広げた空間再現により、そこなってしまっているケースとういうことになるのだが、GE-10を擁するこのシステムからはそのような欠点は聞こえてこなかった。これは慎重な音作りをしているなと私は捉えた。
さらに、このシステムの音場は殊更に深いとか広いとかは感じないのだが、なにかそこに漂っている空気の温度や成分が他のシステムとは違っているように聞こえた。吸い込む空気の密度が高く、リスニングルームの外の空気にはない、体に良い要素がいっぱい含まれているような雰囲気なのだ。夏の盛りに深い森に入ったとき、吸い込む瑞々しい空気の味わいに近い。緑の葉や柔らかな地面に棲む無数の生物やらが呼吸し代謝する様々な物質が森の空気には含まれており、それらが無機質な都会に住む者に生気を戻してくれることがあるが、Audio Noteのサウンドが創り出すフィールドにはそういう効果がある。これは生物活性が高い音であり、人間の精神や肉体に直接作用する要素を持つフィジカルな音なのである。
実際、試聴を終えた私は疲労するどころか随分とリフレッシュしていた。

SNについては真空管を使ったフォノであるからして、Perseusと比較するとやはり不利である。約600万のフォノとしてはそこはやや不満かもしれない。もっともQualiaのモノブロックフォノやEMT JPA66よりはやや良いようにも思うので、あまり気にしなくていいレベルなのかもしれないが。
このシステムは音の粒立ちや分離感も十分に良いのだが、さらに素晴らしいのは音のハーモニーの表現の独自性であろう。これは単に異なる音が解け合い、一体となって聞こえてくるなどという程度の音ではない。サウンドステージの中の異なる場所から発生した様々な音を収束するレンズのように、オーディオシステムが機能している部分がある。様々な固有の色を持つ音が収束し、輝くビームのようになって鼓膜に向かってくる瞬間が度々あったからだ。ビームが鼓膜を弾いた瞬間、渾然一体となった音達は強烈なインパクトを伴って眼前の空間に炸裂する。これは他のメーカーの機材だと音がリスナー側に勢いよく飛んでくる場合にあたるのだろうが、それよりもっとシャープで輝かしい音の衝撃であり、実に爽快である。このサウンドの素晴らしさは鈍重と思えたノーチラス801をここまで駆動できるKaguraによるところも大きいが、GE-10なしには、この独特の雰囲気は出ないだろう。それはGE-1との比較試聴や、別な場所での異なる送り出しを用いた試聴を想起すれば分かることだ。

このGE-10を加えたAudio Noteのシステムで聞き慣れたヴァイナルに針を落とすと、いつも食べている好物の料理に一味さらに増えたようなお得感があるのも面白い。
高度なデジタルシステムを聞いた時に感じる、今まで聞けなかった隠された微細な音、例えばピアノのペダルを踏む音、プレイヤーの溜息、衣擦れ、そういったものが聞こえてくるばかりではない。むしろそんな枝葉末節ではなく、曲の聞きどころ、楽しみ方を変えてしまうような側面がある。音楽の解釈が変わってくるのだ。ディスクをかけ替えるたびに、そうきたか、こうなるのかと驚くことしきりである。これも上記してきた音の濃さ、高密度性ゆえかもしれない。GE-10は私の知らないオーディオ表現への扉を開く。

こうして四六時中Audio Noteのサウンドのみについてつらつらと考え続けていると、この音は良い意味で現実離れしていると結論できそうに思われてくる。これは現実に存在していた音をAudio Noteの力で増幅し解釈し直した別世界の香りを含んだ音であり、いわば幻想の領域に近づくものだ。

確かに純粋なファンタジーとしてオーディオを語ることはとても難しい。
オーディオの大半の要素は科学という分野に属するものであり、
限りなく理知的な物理と数学が支配する世界のように見えるし、
実際にそこに踏み込み、もがいてみれば、
いかにその鎖が重たいかを思い知るものだ。
しかし、そのオーディオを聞く人間という存在自体は
決して科学で割り切れるものではない。
人間の精神活動そのものは、
むしろ不条理な幻想の世界に多くを割いていると私は信じている。
電気工学と人の精神という、
対立し相反するものが一つに融け合うべき場所、
その一つがオーディオファイルのリスニングルームなのだろう。
そこで科学とファンタジーが歩み寄るためには、
オーディオ機器の側にヒトの感情に寄り添う力が必要になる。
GE-10を擁するAudio Noteの最上級システムはそのような力をふんだんに備えている。

日本で製造されるフォノイコライザー、アンプの中で最も高い芸術性を誇る機材がこのAudio Noteの製品であると私は信じている。日本にはこれ以上、スーパーハイエンドの世界に深く踏み込んだ機材は存在しない。もちろん、先進工業国であり、オーディオ文化がある程度浸透した国である日本なのだから、個性が際立つプロダクト、悪く言えばひとりよがりな製品が突然変異種として現れるのを散見するが、これほどのファンタジーと品格を含んだサウンドを長年にわたりコンスタントに提供し続けるメーカーはない。例えば老舗のアキュフェーズやラックスマンのサウンドとは同じハイエンドでもクラスが明らかに違っていて比較さえ難しい。
以前、フォノイコライザー四天王としてBouderやEMT、Constellation audio、Qualiaのフォノを挙げたが、もちろんGE-10はこの4機と伯仲するか凌駕する実力を持つ。出音の種類や、機能を絞った設計思想に共通点を見出すとすればQualiaのモノブロックと類似がありそうだが、詳しく思い返してみると、やはりGE-10はこの4機のどれとも似ていない。音色の濃さと音のスピードという特徴において唯一無二のフォノイコライザーである。


Summary

確かにAudio Noteの音はすこぶる良いと思う。
だがその製品は高価である。
(例えばMCカートリッジを使うならGE10+Sfzで約600万円かかる。)
これは自分の財政規模とは関係なく、
ハイエンドオーディオファイルの金銭感覚に照らしてという意味で高価だと言っている。
実際、これを買おうかと思って試聴したわけだから、買えなくはないのである。
しかし、なにか釣り合わない感覚が残るのだ。
また、それらの機材の外観や使い勝手については価格に相応するものとは言い切れない。
実物と対峙したあとで、他のジャンルの機械のデザインを検討したりすると、Audio Noteの製品は、やはり昭和的なデザインの古さが払拭しきれていないと感じる。またその中身もAD変換されたデジタル出力などの新奇な機能が付加されているわけではない。
しかし、そのサウンドは全きものである。
これは確かにファンタジーとサイエンスの融合であり、
音楽芸術が抱える幻想とオーディオのメカニズムが拠って立つ理性が一致する場所であるのだが・・・・・
こうして、ハイプライスとスーパーサウンドの双方を行きつ戻りつしながら私は逡巡して悩む。

もちろん、この悩みはハイエンドオーディオ全般にあてはまるものでもある。
繰り返し述べていることだが、
自宅に置くにはあまりにも大きな装置の規模や、
音楽をただ聞くだけの対価として、
あまりに高いプライスタグは問題視されるべきかもしれない。
現在の技術では、この価格を支払わない限り、
このレベルのサウンドは実現しないのだから仕方ない、では済ませたくない気分がある。

現実の話として、自宅で最先端のハイエンドオーディオと十分な自信をもって対峙するために、アクセサリを含めてトータルで4000万円前後、機材に対して振り向ける予算と30畳以上の広さ・4m以上の高さの天井をもつ防音リスニングルームが欲しいところだ。今や、良いスピーカーは高価で大きい。600万出してもセカンドベスト、1000万円オーバーでなければフラッグシップではない場合もある。それらは大音量でスケール豊かに鳴らすことで潜在能力を発揮するので、広大な防音のリスニングルームを必要とするし、一般的には強力なアンプを組み合わせないと十分に鳴らせない。優れたアンプは高価でこれまた大きく、良質な電源も必要とする。さらに送り出しとして万全を期すならアナログ、デジタル両方が必要で、それらを追い込むのに必要なクロックやカートリッジ・アームなどの小物も高価格化が進んでいる。数百万円のクロックやアームがあるが、確かにすこぶる音はいい場合があるので困る。そしてこれらをつなぐケーブルがペアで100万近いものが多く存在する。これらも慎重に選んで使ってみると音の良さは理解できる。
嗚呼、ハイエンドオーディオとは、とにかく物入りだしカネがかかるものだ。

こういう状況になってしまってから、20~30年前のオーディオに遡って考えるなど無意味なのかもしれないが、リスニングルームの広さ・高さ・セッテングの労力はともかく、あの頃はトップエンドの機材でもこんなにカネはかからなかったと懐古する。
それに、あの当時の最高峰の機材を揃えて今、聞いてみると、
得られる感動は現代のシステムと同等以上である。これは気にすべきだ。
これらの音を聞くと、ここ20~30年ほどオーディオはあまり進歩していないと思わざるをえない。特にコストパフォーマンスについては後退したと思う。
いや、コスパを考えなくても、
昔の機材には今の機材にはない音の良さがあるとさえ言いたい。
昔はできたことが、何故か今はできないという気がする。
だから、今でもヴィンテージオーディオが放つ隠然たる光を無視できないのである。
あの頃より良い音を出そうとすると、ありえないほどカネがかかるようになってしまい、
オーディオをやることで得られる音楽の感動とオーディオにかかる出費や労力とのバランスが崩れてしまう。
気取った言い回しを用いるなら、光と闇の平衡が崩れた世界で
我々はオーディオを遂行しなくてはならなくなったと言い放つこともできる。

ところで、さっきから時々言っていることだが、
やはりAudio noteの製品群は機能が少なすぎる。
高音質の追求のみに特化しすぎている。
これはAudio noteに限らず、現代のスーパーハイエンドオーディオの多くのメーカーにもあてはまるクレームだ。
私の経験では、度外れの高音質だけでは早晩、飽きが来る。そこでまだ、その機材を所有し続けたいと思うか否かは、インテリアとしての外見の美しさや、その機材がシステムにおいてどのくらい多彩な役割を発揮しうるかにかかっている。後者については将来のシステム展開の余地を保証するから特に重要。無理すれば普通のオーディオファイルにも手の届く価格にあり、美しく、多機能で高音質な機材が真の銘機だろう。将来、発展的に使える機能を内在させながら音質もよい機材、いわば総合力のあるオーディオ機器を人々は求めている。
例えばGE-10についてはフロントパネルに置かれる遠くからも見やすく大きなミュートスイッチ、細かくインピーダンス調整できるダイヤル、RIAA以外のカーブへの対応、モノラル・ステレオ切り替え、消磁器の内蔵、XLR入出力、デジタル出力、リモコン・タブレットによる操作などなど欲しい。これ全てでなくてもよいから、どれかは付けたほうがいい。音の良さは分かったので次は使いやすさも感じ取りたい。もちろん、それらの機能をつけると音が悪くなるという話はわかる。だが、音質はもうこれ以上は考えにくいのだから、さらにやるべきこととしては、もうそれくらいしかないと返したくなる。
この問題は、よりインテリジェントなアンプの制御システムの採用やデジタルオーディオへの積極的な関与が足りないとも言い換えられるかもしれない。それらはもう一時のトレンドではなく、これから先ずっと要求されつづける常識的な項目となりつつある。
確かにこの点では多くのハイエンドフォノイコライザーにおいて、どこかに問題がある。結局、音以外の面で十全な機材はほとんどない。だからかえって罪滅ぼしのように音を深める方向へ行くのだろうか。
別な視点から見ると、出音を良くすることのできる技術を持つ者と使い勝手を良くする技術を持つ者が同一人物であることは稀だし、小さな会社ではそういう二人が同時に所属すること自体も稀なのかもしれない。だからこうなってしまうのかもしれない。

Audio Noteは究極の音質という命題については、ほぼやり遂げた。
だが、これはまだ私にとっては他人事でしかない。
プライスやデザイン、そして機能にもっと斬新なアイディアが盛り込まれないかぎり、
私はこの手の機材に食指を動かさないだろう。
それではいったい、自分が本当に必要としているフォノとはどのようなものなのか?
例えばEMT JPA66、CHP P1、オーロラサウンドのVIDA supremeやPS audioのNuWave phonoconverter+Direct stream dacあたりは、不完全ながら、この問題を解くヒントとなるだろう。

ここに書いたのは、ハイエンドオーディオにおいては、高い芸術性を持つサウンドが確立されつつあるが、その結果としてオーディオの光と闇のバランスが崩れてしまったという話である。この皮肉な状況のせいで高音質は極まっているにも関わらず、
私のオーディオには深い閉塞感が、澱(おり)のように積もってしまった。
これではGE-10のサウンドについて語ることが、
最後には自分自身の閉塞感を語ることにつながってしまう。
こういう結論へ帰着することを知りながら乱文を綴ることに
私は戸惑っていたのである。
しかし、どんなに割り切れない思いがあるにしろ、
オーディオファイルである限り、
この霧のたちこめる深い森の中を迷いながら進んでいく他はない。
果たして幻想が幻滅に変わる前に、
我々は虚無を希望に換えることができるだろうか。
Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で_e0267928_01125351.jpg
GE-10のサウンドの導く先に立ち込める深い霧が晴れる、その時。
その瞬間をおぼろげに脳裏に描いたところで、今夜はひとまず筆を置こうか。



by pansakuu | 2017-12-16 01:25 | オーディオ機器