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Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの

Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの_e0267928_18582972.jpg
神話とは、世界の始まりに起こった一回きりの出来事の記録であり、
後世の者が規範として従わねばならぬ、不可侵の物語として位置づけられる。
定義集より



製品の発表から一年あまりを経て、
やっと販売が開始された製品版のSennheiser HE-1を僕は聞いてきた。
ハイエンドなヘッドホンを嗜好し、これを消費する者から見ると、特別に優れたヘッドホンを使いながら、専用のドライブアンプに残念な部分を残していたプロトタイプのHE-1だったが、製品版では細かい欠点を改め、全てのスペックを確定し、完成したハイエンドプロダクトとなって日本に再び上陸してきた。
僕はこの機材のプロトタイプを数回にわたって試聴してきたが、いつも正味5分くらいの短い試聴ばかり、いかんせん製品版でないこともあり、どうも腑に落ちないというか、600万円の対価にふさわしくないシステムだという印象が拭えなかった。
今回の製品版に対する試聴会は、以前のプロトタイプを聞く会と異なっていて、一人当たり30分前後という、音のあらましを掴むのに不十分とは言えない試聴の時間が与えられていた。

そこで僕が聞いたHE-1の音は、かなり良くなっていた。
以前に聞いたプロトタイプに比べて随分と練り込まれたサウンドと感じた。
もう単純に高音質を狙うなどという、ありふれた領域は通り過ぎ、その先の精神的な境地、アートの世界にまで入りつつあるように聞こえた。これはオーディオについての豊かな経験・深い造詣を持たないと創造できない音の骨格、そうでなくては想像することすらできない音の細部を聞かせるシステムだと感じた。

とはいえ慌てて、入手してもいない機材の音質について詳しく話す必要はないし、そういう気分でもない。
それよりも今回は外観などの音質以外の点で新たに分かった、購入の検討の際に役立ちそうなことを中心に書きつらねておく。音質の話などは今は話半分でいいのだ。
ここでは、この途轍もないヘッドホンシステムHE-1のコンセプトを正しく把握することが重要だと思う。
なにしろ単純に音質だけがHE-1の存在意義ではないというのが僕の結論なのだから。
なお、例の如く細かいデジタル入力規格や周波数特性の数値などスペックに関してはゼンハイザージャパンのHPに公開されているので参照してもらうことにして、
ここではそこに書いていないことを中心に話す。

まず耳の痛い、価格に関係した話題から。
白い大理石のシャーシのオプションでヘッドホン一個、リモコン、運搬用コンテナ、マイクロファイバー製のクロス、シルクの手袋、USBに入ったwindows用のドライバー、納入される実機の測定結果を記した書類、ブックレットになっている日本語取説などが付属する標準仕様のHE-1は税込で648万円になると決定している。なお一部で噂はあったが、予備の真空管は付属しない。(追記:最近、ヨドバシのHPで720万円のプライスタグで売られているのを見たが、私がこの文を書いた時は確かに648と聞いた。720では流石に他の選択を考慮せざるをえない。)
日本には一台のデモ機があるのみで在庫はなく、完全受注生産品であるが、台数や受注期間は今のところ限定されていない。
実際の売買はゼンハイザージャパンに直接メールなどで購入の意志を伝え、契約書を取り交わすことから始まる。税抜き代金の20%を前金で支払い、オーダーが成立。ドイツ本国で製造が開始され、約2か月で実機が日本に到着、残金を清算し納品という流れだ。これは高額なオーディオ機器としてはやや異例で、普通は前金や契約書がない場合が多いと思う。
こういった特殊なモノを作る会社は個人でやっている場合も多い。契約書を交わさず、大金を振り込んだあとで、その個人が病気や事故などで突然、生産不能になった場合には、資金の回収できなくなることも考えられる。普通の会社でも倒産はありえないことではない。通常は代理店や販売店が仲介するからいいとはいえ、これだけの現金を戻すのは彼らにとっても楽ではないだろう。やはりこういう契約の締結や前金→後金という慎重な過程を経ることも、現代では必要なことなのかもしれない。
Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの_e0267928_18581949.jpg
選択できるオプションとして、二人で同時に聞くために、もう一台ヘッドホンを追加すると約300万ほどかかる。僕はこれを重要な数字と考える。それというのもヘッドホンだけで300万円という話を聞いて初めて、このHE-1の価格設定に納得できたから。HE-1はギミックのあるアンプ部に注目が集まりやすいが、あくまでヘッドホンが主役であるのが、ここで判明したのだ。実際の内訳として150万円のアンプ、150万円のDACに300万円のヘッドホンと考えるとハイエンドオーディオとして一応の筋は通っているかもしれない。もちろん、これはRe leaf E1シリーズやTHA2などの既存のハイエンドヘッドホンアンプの存在意義とその価格を踏まえての話だし、僕がこのHE-1のヘッドホンが300万円すると言われても驚かないという身分不相応な金銭感覚の持ち主であることも考えに入れるべきだろうけれど。

標準仕様は白い大理石のシャーシで設定されるHE-1だが、黒い大理石を選ぶこともできて、その場合はプラス120万とのこと。また黒色の他、赤や黄色の大理石も選べるが、これらはオーダー後の見積もりとのこと。おそらくその場合は200万円前後の割増料金ではないかとのこと。
なにせ大理石のシャーシは歩留りが悪い。自然物を切り出し、削り出すのだから仕方がない。ゼンハイザーの基準に見合うシャーシが低い確率でしか得られないため、捨ててしまうものが多くコストが非常にかかると言う。大理石に浮かび上がる模様はもちろん選べないし、同じものは世界に一つとしてない。
試聴しながら、標準の白い大理石のシャーシを注意深く見ていたのだが、恐らくこのシャーシは大理石を削っただけではなく、なにかで石をコーティーングして割れにくくしているようだ。これは初期のプロトタイプとは異なる仕上げではないか。そういえばRe LeafのE1Rの大理石のボリュウムノブが割れる話を聞いた覚えがあるが、こういう表面の保護もこのクラスの機材には必要なのだろう。

大理石のシャーシの肌理を触っていると、このような威容を誇るオーディオ機器の筐体は稀だと思う。以前、森や川は消滅と再生を繰り返す不滅の存在だが、大理石は変わらない永遠の存在だという文章を読んだことがある。その時、僕は不滅と永遠の違いを知った。
大理石をヘッドホンアンプに用いて、ヘッドホンサウンドにも変わらない永遠の価値を与えたかったのだろう。また、ギリシャのパルテノン神殿の柱は大理石でできているが、大理石というものは西洋では神殿の枕詞のようなもの、ただちに神を意識させるものでもある。
神秘的な雰囲気を、単なる音響家電に与えることを意識して、大理石を使っているのかもしれない。
公式には大理石が放熱に効くという説明がなされているが、後付けのような気がしてならない。
機械的、音質的な影響はともかくとして、ここで外観上は大理石のシャーシを奢ったことは成功だった。大理石シャーシの採用があってはじめて、このヘッドホンシステムがアート・芸術作品という視点から語れるようになる気がする。
このような重厚さ、厳めしさは大理石以外の素材では出しにくい。ハイエンドヘッドホンに絶対的あるいは排他的とも言える威厳を添え、オーナーの所有欲を溢れんばかりに満たし、ハイエンドヘッドホンというジャンルの構築にかける意気込みを示せる。
芸術作品としての品格を備えたオーディオ機器はもともと少ないけれど、そこにヘッドホン専用の機材が含まれるようになったことはとても面白いし、新しい時代の到来を予感させる。

それから、標準の3mのヘッドホンケーブルを5mに変更したい場合は24万ほど加算である。なかなかの価格であり、よほど特殊なケーブルなのかと思う。
また、HE-1は高価で、売り方が少し規格外とはいえ、日本で買おうと思えば誰でも買えるものだから、日本のPSE規格に適合している。よって付属する電源ケーブルはこの規格の関係で汎用品になるが、要望があれば別なケーブルも用意できるとのこと。ここらへんも応相談である。さらに真空管周りのブロックやヘッドホンボックスの色を赤に変えたり、真空管の保護チューブのキャップをゴールドに変えたりすることもできるようだが、その価格は訊かなかった。黒い大理石のシャーシは憧れであるが、その他は自分には関係ないオプションだと思ったからだ。

この製品については、世界で既に30数台が売れており、日本でも一台だけだが売れていて、納品は終わっているとのこと。HE-1は輸送時、木製の大きなコンテナに入っており、日本では専用のリムジンをチャーターして配送される。リムジンの手配はドイツ本国からの指示だという。こういう配送の仕方もハイエンドオーディオ機器としてはあまり類例がないように思う。それから、木製の大きなコンテナは元箱として価格に入っているが、オーナーはこのコンテナの置き場所も考える必要がある。意外に元箱を捨ててしまうオーディオファイルが少なくないが、メンテや故障の場合に役立つので持っている方が僕はいいと思う。なお、HE-1については三年に一度の、本国送りになるかもしれない定期メンテナンスも推奨されているので、その意味でもこの箱の保存は必要だ。なお保証期間は5年。永久保証というわけではない。

製品版のヘッドホンやアンプの外観についてはプロトタイプに比べて目立った変化はない。
ヘッドホンの外観はプロトタイプとほぼ全く同じ。左右のイヤーカップに内蔵される、増幅の最終段としてのA級アンプの内容はともかく、外観上はきっとなにも改良していないのだろう。
アンプの外観についてもボリュウムノブやセレクターの周りにアルミの丸い枠がついたことくらいしか違いがない。
足は平たい4つ足であり金属製のボトムプレートに直接ついており、底に滑り止めのゴムのような材質の円盤が付いている。また、高さを調整する機能はないようである。つまり十分に平らな置き場所が必要だ。これは重心が低いシャーシであり、放熱孔は底面にも表面にもないようである。一方、放熱が必要な真空管は全て石英ガラスのチューブに入れたうえで、向かって右側にあるブロック上に立てて配置される。これらの真空管はスプリングを介してマウントされ、石英のチューブは空気を伝わってくる外部からの振動を防ぐためにあるという。HE-1は真空管まわりについて振動に気をつかった仕組みを持っている。
この構成・位置だと真空管の放熱には良いが、あまりにも剥き出しなので、不意になにかが飛んでくると真空管を直撃することがあり得る。でも条件付きで心配無用というか、御存知のギミックにより、HE-1を起動していない状態であれば、真空管は引っ込んでおり、その危険はない。こうして実際に使うことを考えると、これらのギミックが、まず見栄えのため、それから真空管をスタンバイ状態に持っていくまでの時間を稼ぎ、真空管の寿命を延ばすため以外にも役立つことはありそうだ。
なお、これらの真空管の発生する熱は、アンプが半導体とのハイブリッド式の構成をとることもあって、フルドライブでも問題なく触れるほどのものだった。真空管を容れるチューブの銀色のキャップの部分を触ったが50度くらいだろう。夏でも使える。例えばNagra HD DACでは機材の内部温度測定と内部の真空管に電源投入したトータルタイムを記録する機能があり、内蔵の真空管の寿命をある程度知ることができるが、HE-1にはこのような機能はない。したがってメンテナンス時に真空管についてメーカー側で調べてもらうしかないだろう。ただ、この温度であれば、そう頻繁に真空管を入れ替える必要なないと予想する。
また、真空管の放熱という点に関してHE-1の日本語マニュアルを読むと周囲に5cmくらいの空間が必要とある。Fostex HP-V8でメーカーが推奨している空間の空け方よりもずっと小さく、セッテイングは比較的容易である。

DACやアンプの内部の仕様についてはHP等で発表されている以上の情報は未だにほとんどない。どのように基板がマウントされているのかすら不明。
運良く手に入れたとしても、このシャーシの中身の写真は撮れそうにないというか、撮る勇気はなかなか出ないと思う。大理石は重くてデリケート、モーターによるギミックあり、ヘッドホンボックスの天板はガラス製、真空管に石英のチューブ付きと来たら、内部の仕組みをあらかじめ熟知しないものが、HE-1をひっくり返したり、中を開けてみるのは危険だ。とにかくDACはES9018が片チャンネルごとに4個づつ、パラレルで使用されているということ、真空管とソリッドステートのハイブリッドのヘッドホンアンプ部(HVE1)とヘッドホン本体(HE-1-HP)の二段増幅になっていることぐらいしか、内容について私は知らない。
最近、DACの基板の写真を見て、実際の出音と比べたりしているプロの方のブログを読んで感心したが、オーディオ機器を訳も分からず、ただ使いまくるだけの全くの素人の僕には、ああいう技術的なコメントもできないから、その意味でもHE-1の中身を見るなんて無駄だろう。僕にしてみれば、中身はどうあれ、見てくれと出音が良きゃいいというわけだ。

次は、不要との指摘もある、本機特有のギミックに関して話そう。それにはまず起動の仕方についておさらいする必要がある。背面のメインスイッチが入った状態で、まだ起動されてないHE-1はボリュウムノブとセレクタが引っ込んでフロントパネルとツライチの状態になっている。ボリュウムノブの頭が起動ボタンの役割をしているので、これを軽く押し込むと真空管がせり上がり、ボリュウムノブとセレクターが前にゆっくりと飛び出してくる。同時にヘッドホンケースの蓋が開き、ヘッドホンを受け止めているクッションもせり上がるという具合である。これらの一連の動きが終わるとヘッドホンボックスからヘッドホンを出して聞ける状態になる。また、リスニングが終わったらもう一度ボリュウムノブを押し込むと、上に述べたのと反対の動きで片付けが始まる。
これら全ての動きが内臓された数個のモーターにより自動で進んでゆく。このようにオーナーに、私の音を聞きなさいと促すような動きをするオーディオ機器は初めてである。
この動き自体は音質にあまり関係のないことは間違いないので、最初の試聴の頃、僕はこのギミックを快く思わなかった。だが、何度もこの儀式を眺めているうちに、この動きなくしてHE-1は特別な存在になりえないと思うようになった。

HE-1自体、HifimanのシャングリラあるいはシャングリラJrやRe Leaf E1RやMSB Select DACのSTAX専用システムなどと比較されがちであるが、そういう比較はオーディオを音質という視点からのみ見てしまうという、普通のオーディオファイルにありがちな間違いなのかもしれない。例えば、それらのアンプにはこういう動きの側面がそもそもない。その視点から見ればHE-1は目指した場所、立っている土俵が違う。ヘッドホンやヘッドホンアンプは従来のスピーカーやアンプよりも、よりリスナーに近い位置に置かれることが多い。その状況で機材に動きがあると、スピーカー関係の機材に比して、もっと強くリスナーの音楽を求める衝動に働きかけ、高揚させることができるかもしれない。こういうコンセプトは今までに僕が扱ってきた、どのオーディオ機器にもない側面だろう。
また、このギミックの付加は、優れたオーディオ機器とは、その静的な外観のデザインのみを云々するだけでなく、動的なギミックも含めてデザインとして評価すべきという立場を示しているのではないかとも思う。

製品版HE-1では、金属を切削して作られた、オリジナルデザインのスタイリッシュなリモコンBFI-1が新たに付属している。単体で25万円もするが、上質な仕上がりのコンパクト・スリムなリモコンであり、付いていて腹は立たない。標準のヘッドホンケーブルは3mもあるのだから、遠隔操作ができる装置があっていい。このリモコンでボリュウムの調節、入力選択、クロスフィードのかけ方に強さの3段階の調節ができるだけでなく、ヘッドホンケースの蓋の開閉ができる。(本体に、この機能のあるスイッチがないようだ)
ここは僕にとって、ヘッドホンの価格と並んで、もう一つ重要な点だった。僕は出来るだけ蓋を閉めて、背面にあるもう一つの端子にヘッドホンをつないで聞きたいので、この機能があるかどうかが気になっていた。
今回の試聴で、起動して蓋を開き、ボックス内の端子からヘッドホンを外し、背面の二つ目のヘッドホン端子につないだうえで、リモコンで蓋を閉じてリスニングを没頭するという流れがやっとイメージできた。
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では、ヘッドホンがボックス内の端子に繋がれている状態で、リモコンで蓋を閉じるボタンを押すとどうなるのだろう。ヘッドホンケーブルを蓋が挟んでしまうということにならないか。この場合の対応についてはマニュアルに書いてある。ここでHE-1本体はヘッドホンの接続状態をいわば認識しており、ヘッドホンケーブルを咬む寸前で蓋の下降が止まるという。並みの設計者・メーカーなら箱の縁にケーブルが通る小さな切欠きを入れるだけで解決しようとするだろうが、収納ボックスの美観をそこねる安易な方法はとらないというのだろう。

やや暗い試聴室でオレンジに底光りする真空管の並びと白い大理石のコントラストを眺める。LEDで指標され位置を視覚的に確認しやすいうえ、滑らかに動くボリュウムノブに触れる。この感触もプロトタイプよりも良くなっている。USBなどの入力を切り替えるセレクター、クロスフィードのかかり方を変えるノブのクリック感を指先で味わう。こうしていると、音質以外の点でHE-1の洗練度の高さを感じる。ハイエンドオーディオ機器に備わっているべき心地良い操作感がこのマシーンにはある。
特にボリュウムフィールの心地よさは特筆できる。ここ何年かハイエンドヘッドホンアンプを試してきたが、この感触の良さはE1Rと並んでトップである。他のアンプでは、マス工房のアンプやGOLDMUNDのアンプのように、この部分の感触が考慮されていない場合が多い。
またLEDで光る指標がノブのついているのも嬉しい。これはハイエンドな機材でも意外と見かけない仕様で、オリジナルのノブを削り出しで作る以上の手をかけないとできない。
またヘッドホンの装着感、頭との一体感も上出来。ヘルメットのようにスッポリとかぶる感じ。他のハイエンドヘッドホンと比べても、ここまで頭にシックリとなじむものは珍しい。550gと軽くないヘッドホンだがフィット感の良さからか重いとは感じないので長時間のリスニングも問題なかろう。
なお、このヘッドホンでは珍しく側圧を測定して公表している。4.3Nプラスマイナス0.3Nだそうだ。せっかくだが、こういう数値の表示は比較対象がなく、平均値も知られていないのでほぼ無意味ではないか。ここに数値信仰のピットフォールが露呈しているのかもしれない。
このような数値はおそらくどうでもよい。むしろ、測定できない・数値化できない要素がこのHE-1には盛りだくさんに存在することが素晴らしい。
それこそが僕の望むオーディオ機器の在り方でもある。
ハイエンドオーディオの機材とは、最終的には人間の五感に訴えかけるアートでなくてはならず、計測器にテストされるために存在する科学的な対象ではないとずっと考えてきた。もちろん開発の途中は科学・数字を駆使すべきだ。しかし僕の手元に届いた日からは、音楽のことだけを考えさせてほしい。理系から文系に変わってほしい。数値で記述できる要素は設計者や業界が勝手に設定した基準を満たしておればよい。それを超えたところで、人間がそれを相応の価値あるものと認識できるかは不明、あるいは人それぞれとしか言いようのないことであり、自慢するほどの話ではないからだ。それよりも人間の五感に確かに感じられるが機械で測ることのできない部分を人間側の感覚で十分に磨くことの方が重要と思う。
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音質については、今まで聞いてきたプロトタイプと比べて、明らかに進化した。
音楽に秘められていた活力・生命感が開放され、ほとばしるように振動板から溢れ出て来る。ビビッドでカラフル、しっかりとした輪郭線が目立つ、アピールのあるサウンドである。
ここまで明確な音の打ち出し方はプロトタイプにはなかったように思う。
なによりヘッドホンから放射される音のエネルギーが強い印象であり、これほどの音圧を静電型のヘッドホンで感じたのは初めてである。静電型ヘッドホンのスタンダードであるSTAX SR009は優れたヘッドホンであるが、T8000を用いても、音のエネルギーの強さ、陰影の濃厚さ、低域の量感などで不満がある。僕にとって、あれは淡い音で、音の当たりは気持ちいいのだが、透け透けで頼りない感じが否めない。音に熱っぽさや厚みが必要な音楽では残念な音になりがちである。
HE-1では振動版を大きく強靭にして形も工夫し、さらにイヤーカップ内にA級アンプを内蔵したりして、上記の静電型に起こりやすい欠点を解消しようとしている。
そのせいか、聞く者の心に直接訴えかける、生々しい音が得られている。こういう音だとリスナーは今聞いている音楽の表現や内容に共感しやすい。製品版では、このような音楽性が高い方向にサウンドが転換したような気がすることも見逃せない。

最近、Octaveのヘッドホンアンプ V16 single endedを外部強化電源であるSuper black boxを接続した状態で聞く機会を得た。トータル160万円ほどの高価なアンプシステムである。ヘッドホンは使いなれたMDR-Z1Rなど。そこから聞こえてきた辛口で勢いのある音とHE-1の出音には音のエネルギー感やコントラストの強さなどで相通じるところがあった。やはりドイツという生産国のお国柄と、ともに真空管を採用し、アンプにA級動作させるところなど共通点が多いからだろうか。V16 single endedの音の持つ、僕がいままで聞いたことのないような荒々しさも弱められてはいるが、HE-1のサウンドに織り込まれている。

全般にピークやディップが少ない素直な音で、真空管をこれだけの本数使っていても、なんとなく聞く限りは、響きに癖が少ないと感じる。しかし注意深く聞くと真空管を取り入れた結果として、音の艶や滑らかさ、柔らかさ、華やかな色彩感が嫌味にならない程度、絶妙に混ぜ込まれているのが分かる。HE-1のサウンドは複雑かつ、どこかセクシーである。
また、どんな音楽を聴いても聞き味が大変よい。スルスルと頭の中に極めてスムーズに音楽が流れ込んでくる。これもあえて真空管を使ったことの効能だと思う。
真空管の存在感が強すぎるとHP-V8のように好みを分けてしまうし、真空管の選択で音がガラリと変わり過ぎることもあるが、そういう不安定性とHE-1は訣別している。実際のところ、真空管とソリッドステートのハイブリッド構成でなかったら、こうはいかなかったのかもしれない。

製品版のHE-1が展開する音場は、フルオケの演奏においてリスナーに十分に引いた視線を与える場合もあれば、女性ボーカルのオンマイクな録音で奏者の占める位置を指し示すのみで消極的な広がりに終始することもある。音源を必要以上に遠くしすぎないことに努めながら、音楽の要求する適切な広さを提供するというのが第一印象であった。このシステムの印象から音場の取り扱いに関してHD800でありえるし、HD600でもありえるなと思ったのである。
ただ、私のイメージでは、それが目一杯エクスパンドしたとしても、だだっ広い雪原に似た、平らに、ひたすら広がってゆくような音場にはならなかった。そういう広がりをもつ音場は音楽が演奏される場としては、非現実的なものであり、CGが作り出す仮想空間のようで、音質上、罪のある嘘を含むのではないか。
HE-1の音場は、石造りの建造物の大広間にいるような雰囲気を持っている。静止した空気とニュートラルな温度感を伴う、リアルで安定したサウンドステージである。こうして、どんな音楽に対しても、リアリティを必ず含んだ、安定志向の音作りに専心するあたり、コンシュマー機のみならずスタジオ機器も開発製造するゼンハイザーのポリシーを感じた。

一方、音像についてはシリアスで厳しい側面があってHD600GE Dmaa、HD650GE Dmaaを彷彿とさせる。これはHD800のような、どこか朦朧体の音像ではない。このような音の造形はプロトタイプでも最後のバージョンの段階では出来上がっていたと思う。さらに製品版では、微かではあるが、なにか音に対する執念というか執着心のようなものが、ビターなスパイスとして音に加えられているように思った。国産のヘッドホンアンプではサラッと終わらせてしまう音像の描写を、しつこく追い回しているようなところがある。
そんな風だから、HE-1のサウンドは音を視覚的に解像するという点でも、すこぶる高いものがある。陽光に透かした青葉の葉脈を辿るように音楽の細部が克明に浮かび上がる。この視点では音の拡大鏡としての機能が前景に立っているが、そういう細部への眼差しの中にも、リスナーが楽音の持つ美しさにリスナーが自然と注意を向けてしまうような音調、音のディテールに誘うような聞き味の良さが常に潜んでいる。まるで音楽の持つ文学的な内容が音のディテールにまで沁み込んでいるようだ。俯瞰的にも、微視的にも音楽に没入しやすい。
Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの_e0267928_18580571.jpg
様々な音楽をかけかえて試聴を進める。女性ボーカルのくすぐるような柔らかい触感やウッドベースのふくよかな量感と厚み、シンバルの響き線が虚空にたなびく様が見事なイメージとなって脳裏に浮かびあがる。こういう、あやかなものを聞かせつつも、HE-1のサウンドには真空管的な緩さはなく、むしろ硬い岩肌を連想させるような、彫りの深さ、陰影の克明さがある。初期のプロトタイプはこうではなかったので、世界をプロトタイプが行脚してしているうちに、ドイツ本国の開発陣で、なにか方針転換があったのだろう。このようなはっきりとした音の表情のメリハリの付け方、明暗のコントラストの強さは国産のオーディオ機材では聞かないし、ヘッドホンシステム限れば、どの国で作られた製品からも、あまり聞いた覚えのない音である。この音作りの根本にはドイツ的なオーディオの感覚があり、日本人である僕にはエキゾチックに感じられる。

クロスフィードについては、かけ方の強さが2段階に選べる。これはGOLDMUND THA2に使われるジークフリートリンキッシュと類似した効果を狙ったものであるが、この効果に関してはおそらくGOLDMUNDが一段上の位置にあるように思う。HE-1でもデジタル領域で信号の加工をやっているのかどうかは分からないが、自然な定位という点ではジークフリートリンキッシュは今のところ他の追随を許さない。ただGOLDMUNDではかけ方の度合いを変化させることができない。ヘッドホンサウンドをどういう定位の仕方で聞きたいかは曲次第、リスナーのお好み次第というところなので選択肢は多い方がよく、HE-1の方式は歓迎する。

RCA端子からの外部入力の音とUSBでPCと接続した場合も比較した。PCはMacで再生ソフトは分からなかったが、どこかで見たような画面だったからそれほど珍しいものではあるまい。外部の送り出しであるマランツのSACDプレーヤーはSA10あたりだったと記憶するが、あまり関心がなかったので確かではない。
簡単に言えば、USBでPCと接続した場合の方が、音がスッキリして聞きやすくなる。だが、外部入力のプレーヤーに十分な実力がある場合、USBでは情報量が減ったように感じられるのはやむをえない。なにしろ、たかだか150万程度のDACでしかない。内蔵のDACは綺麗に整理整頓された形で音楽の全体像が提示することはできる。したがって、このDACは悪いものとは思えないが、これより良くできたDACは150万円以上の製品にならいくつかあるだろう。例えばコスパのいいDAVEの音質と比べると、多くの点で劣ると思う。
外部入力だと、音楽を聴くのに必ずしも必要のないかもしれない、枝葉末節の情報さえ十分な音楽的分解能をもって、あまねく分離して聞けるようになる。ここでは普段僕が全然評価しないマランツのプレーヤーでも悪くないと思わせる音が出ていた。僕としてはこのHE-1に組み合わせる相手のDACとして、Weiss Medus, dcs Rossini, Nagra HD DACなどを連想した。そのクラスのDACが必要だ。
なお、製品版のHE-1を聞いて、Select DACにはSTAX用の専用アンプを組み合わせるのが恐らくはよかろうと外国の知り合いに僕はメールしておいた。あれはなんとなくHE-1には合わない感じがした。音が平明過ぎるんだよな。

じっくりと手合わせして気づいたのは、HE-1のサウンドには、何気ない一音一音に一筋縄でいかない裏の意味があると思わせる、隠微なニュアンスが宿っているということ。音や音楽そのものに対する深読みを誘い出す複雑さがつきまとう。
汲みつくせない意味、表現しきれない音の模様。
ここには僕のまだ知らないなにかが隠されている。
HE-1にはそういう謎めいた一面がある。
それは人間の精神にとっての毒のようなものか、あるいは人間の奥深くにある性的な官能の動きのようなものか。
許されるなら僕は、そういうHE-1に秘められた思いの正体を知りたい。
秘すれば花。
昔読んだ風姿花伝の一節を不意に思い出す。


僕はプロトタイプのHE-1のサウンドを、手持ちの機材のそれと比べるうちに、どうしてもディスリスペクトせずにはいられなかったが、今回、製品版を聞いて、逆にとても欲しくなった。これなら高価なケーブルやアクセサリーを用いなくても、僕の所有するシステムと同等以上でありながら、異なる音を出せるかもしれない。そう期待させる基本性能の高さと、他のヘッドホンサウンドと一線を画した孤高の音が聞けた。このState of the artというべきレベルの外観とサウンドを合わせ持つ機材はヘッドホンシステムではRe Leaf E1くらいしかないだろう。ただ、HE-1はE1よりも世界のヘッドホン界に与える影響はより大きいので、さらに偉大な存在だ。逆に言えばE1は世界でHE-1ほど有名ではないものの、それほどまでに優れているというわけだが。

今回の試聴全体で感じたことは、ありきたりだが、
HE-1は、その存在そのものがアート・芸術であるということだ。
単にいい音で音楽を聴くための気楽な家電製品を目指したのではなく、最終的に芸術作品を創り出そうとしたのだと思う。だから価格も芸術作品としての値付けだ。それなら分かる。前のモデルであるOrpheusヘッドホンシステムには、これほどの格調の高さはなく、先代と比べて進歩している。先代機は今では幻に近い機材であり、ハイエンドヘッドホンのレガシー・神話として位置付けられているが、HE-1はその立ち位置を継承し、さらに発展させている。

ハイレゾという数値を戴くPCオーディオが発達した結果、現代ではアンプやスピーカーにもその傾向が伝染している。昨今のオーディオは、音以前にスペックの数値を見ないと、良し悪しを判断できないものであるかのようだ。だが、ハイエンドオーディオの始まりの頃は数合わせばかりではなかったと記憶する。僕は25年くらいオーディオをやっているが初期のマークレビンソンやマランツやタンノイ、ゴールドムンド、FMアコーステイック、JBLなど、どれも芸術に対するリスペクトから、芸術的な音調をその出音に潜在させることに腐心していたと思う。そのようにして設計者は自分の中にある芸術の解釈をサウンドに織り込んでいた。
当時の音響特性は現在と比べれば稚拙な面はあれど、今のオーディオ機器には聞かれない麻薬のようなオーディオ的快感・エロス・毒を隠し持っていて、そういう数字で捉えがたいものを受け止める力のある者には、それらを惜しげもなく与えたものだ。それはリスナーの共感を強く呼びこむ、深い音楽性として現れていた。
その魅力は今もハイエンドオーディオの神話として、キャリアの長いオーディオファイルの胸にしまい込まれている。
そういう失われたオーディオの神話の片鱗がHE-1に残っていると僕は信じている。

人間の精神に直接作用して、それを変化させる表現物を一般に芸術とか、芸術作品とか呼ぶ。オーディオは先人の努力によって、あるいは音楽と巧みに一体化することで、単なる音を聞かせる装置から、芸術という驚くべき機能を持つモノへと進化したはずだ。
この成果こそアート・芸術という要素を含んだ、かつてのハイエンドオーディオの最終的な存在意義であった。
全ての趣味と同様に、そこにかける思いと考えが十分に深まれば、あの世界は自然と見えてくるはずなのだが、なぜか現代のオーディオに、そのような神話的世界への志向を感じることは稀である。

ところで、僕がRe Leaf E1、GOLDMUND THA2、Nagra HD DACを並べ、組合わせて毎日聞いていて切実に感じるのは、各々の機材に独自の完成された世界があるということである。
これはアリストテレス的な世界、すなわち名付けうるものの数だけモノが存在するという唯名論的な状況と考えられる。スピーカーオーディオでは複数のシステムをメイン・サブの区別なく駆使できる立場にあるオーディオファイルはほとんど居ないので、どうしてもプラトン的な世界、すなわちイデアという一つの理想的な世界を追求する動きになりやすい。しかし、ヘッドホンオーディオでは、異なる世界を持つ異なるシステムを並列して使うことは容易であり、その意味で全く異なる展開が有りうるし、僕はそのアリステトテレス的世界を現に愉しんでいる。
ヘッドホンオーディオはスピーカーオーディオと単純に音質的に異なる世界を作れるだけでなく、オーディオを聞く様式においてもスピーカーオーディオとは異なる広がりを持つのである。

僕としては、このハイエンドヘッドホンオーディオの広がりをさらに大きくしたい。HE-1のような音の芸術としての存在をこの世界に取り込みたい。誰のためでもなく僕自身のために。だが、この願いは簡単にかないはしない。並び立つそれぞれのシステムが、各々異なる音調・意味をもって僕を楽しませることが必要だからだ。苦労してシステムを整えても、同じようなものが幾つもできるだけでは意味がない。(例えばマス工房の406は素晴らしいが、その製品版を聞くと僕の手持ちの機材とガラッと違う音を出せる自信がない。)
自らが今持っていない音、しかも高い次元で完成したサウンドを僕は求める。
HE-1の音はその条件を満たすだろう。
やはり、この機材はハイエンドヘッドホンのアルファでありオメガでありうる。
これは現時でのハイエンドヘッドホンの究極の一つであるだけでなく、
新しい動きの始まりでもある。
互いの存在・音に刺激を受けつつ、次々に生まれてくるヘッドホンシステムたち。
彼らが繰り広げるオーディオの新たな神話は、
HE-1を結節点として、さらなる展開を見せるだろう。
Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの_e0267928_18582456.jpg
この期におよんで、僕のやることは決まっている。
HE-1の姿形・動き、サウンドとその対価が正しく釣り合うのかどうか。
僕はただ、それらの要素を注意深く、心の天秤にかけるだけだ。
(かなり望み薄い比較となりそうだが・・・・)



by pansakuu | 2017-08-20 19:01 | オーディオ機器