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Fitear silenceの私的レビュー:休耳の価値は

Fitear silenceの私的レビュー:休耳の価値は_e0267928_2001289.jpg


弓も弦を掛けたままでは緩んでしまう  たまには弦をはずすのも良いことじゃ
    横山光輝作  三国志 5 徐州の謀略戦より


あえて音を聞かない。
この事について、
あえて、この場で書く意味を見出すのに
しばらくの時間と休息にも似た熟考が必要だった。
Fitear silenceの私的レビュー:休耳の価値は_e0267928_2011417.jpg

銀座の須山補聴器で型を取り、こしらえてもらったのはカスタムIEMではない。
Fitear silence(フィットイアー サイレンス) イヤープラグ、ただの耳栓である。
とはいっても私個人の耳に合わせて作ったカスタムイヤープラグである。
なんだかんだで20000円近くかかる代物だ。
こんなものがなぜ必要と思ったのかって?
外から来る音を極力聞かない時間を増やしたいと思ったからだ。
オーディオをより良く味わうため、あえて音を聞かない。
一見矛盾するようだが、
実際にやってみるとそこには意外な効果と発見があるものだ。

ヘッドホンを本格的にはじめた数年前から、
耳の健康な聞こえを維持するのが簡単でなくなった。
耳もとで長時間、大音量でドカドカやられると、やはり耳は疲れるのである。
私の経験では、スピーカーオーディオよりも
ヘッドホンオーディオの方が耳を傷めやすいような気がする。
(イヤホンに至っては、ほぼ確実に大音量だと耳を傷める。
使い方を誤ると必ず取り返しのつかない難聴になるので注意して使った方がいい)
長い時間、大きな音でヘッドホンを試していると小さな音が聞こえにくくなる。
これは同様の音量をスピーカーで聞いた時よりも顕著だと思う。
音のエネルギーに逃げ場がなく、全てのエネルギーを耳だけで受けるからだろうか?
スピーカーだと大音量は体全体で受けるところがあり、
耳に届くまでに、そのエネルギーを幾分和らげてくれるように思うことがある。
もしかするとヘッドホンというものは使い方を間違えると、
スピーカーよりも耳の健康に悪影響を及ぼしやすいのかもしれない。
とにかく、ヘッドホンを突っ込んで追求していると聴覚システム全体がくたびれてしまう現象、
これは避けられないようだ。
私の場合、計測しても、ヘッドホンをやる前より聴力が落ちたというエビデンスはないのだが
、やはりヘッドホンをへヴィに使った次の朝はスピーカーの聞こえが確かに良くない気がする。
いつもの聞こえ方に比べて、精彩を欠くというか、アンプとスピーカーの目覚め方を勘案しても、
これゃねーなと思うほど、鈍い音に聞こえることがある。
音の経路のどこが疲労しているのか分からないが、どこかがくたびれている印象である。
実際のオーディオシステムとは目の前の機材だけで完結するのではなく、
私の外耳と内耳、そして脳を含めてのオーディオシステムなのである。
聴覚がくたびれていてはいい音で音楽を聞くことはできない。

こういう朝はFitear silenceを装着し、ステレオサウンドのバックナンバーでもめくりつつ、
そのまま二度寝した方がよい。
ほぼ無音状態のまま3時間ほどして、ようように目覚めたら、
おもむろにFitear サイレンスを耳からひっこ抜く。
すると、聞こえてくる小さな音の見通しはクリアとなり、
さわやかにひろがる大気の暗騒音が感じられるようになる。
気のせいか?ともかく、さっきの音楽を聞いて見ると、これはなかなか聞こえがいい。
システムのどこかが微調整されてわずかだが確実に聞き易くなったかのようだ。
もちろん、前の夜にヘッドホンを外して寝る前にFitear silenceを耳にねじ込んでから寝てもよい。
同じかそれ以上の効果が起きたときから得られるだろう。
Fitear silenceの私的レビュー:休耳の価値は_e0267928_2014417.jpg

外観は子供が悪戯で造ったカラー粘土細工みたいなものである。
知らない人にはなにがなんだか分からない。これは色つきのウルトラソフトシリコン製である。
耳介の一部の形、外耳の入り口の形、その二つの関係する角度。
これらが正確に左右で分けて型取られている。この耳栓はねじ込むように装着し、
ねじを抜くように若干回しながら抜く。そのための指かけの部分が外側についている。
私のものは右が赤色、左が青色であるが、これは注文時に選べる。
また左右をつなぐ細いコードも注文できる。左右をバラバラにしてなくさないためのものだ。
納期は2~3週間。出来上がったものは専用のタッパーに入って送られてくる。
銀座で取った耳型は須山さんのところで保管してくださる。
カスタムIEMを作る気になればいつでも注文可能な状態になっているのは、
無意味なのだが、どこか心強い。
Fitear silenceの私的レビュー:休耳の価値は_e0267928_2023792.jpg

さて具体的な遮音の状況はどうか?
現在様々な耳栓が市販されている。大半は可塑性があり弾力があるものだが、
多くは小さな穴が無数に開いたスポンジのようなもの、多孔質である。
これらに比べると穴のほとんど開いていないように見える、このFitear サイレンスの遮音性は断然高い。
このイヤープラグは気密性が高いのである。
他の耳栓よりも外耳の内の空気と外界の空気を遮断する能力が高い。
こうなると、基本的に耳孔を通して伝わってくる音はほぼ皆無ではないか。
ただ、頭蓋骨を伝わってくる音は遮断できないので、外の音が全く聞こえないということはない。
耳を澄ますというか、外界の音に意識を集中すると、多少大き目の音は聞こえる。
顔の近くで普通にしゃべれば、聞き取りにくいが、何を言っているかは聞こえる。
遠くの音や小さい音は全く聞こえなくなるし、大きな音もかなり小さな音としてしか聞こえない。
他の耳栓だと、遠くの音や小さい音も意識を集中すればちゃんと聞こえてしまう。
これは大きな違いかもしれない。
オーダーメイドだけあって、耳の形に添うようなフィット感はさすがである。
この装着感も他の耳栓では得られないだが、耳の皮膚に対する圧迫や負担は無いわけではない。
普通の耳栓より重たく、大きなものなのでやはり耳栓をしている感じというのはハッキリある。
耳栓をしたまま寝返りをうったりしてみる。頭をどう動かそうと外れる心配は全くない。
ただ、耳を下にするとFitear silenceの先が僅かに枕に当たるので圧迫感は増すので、
これはよろしくない。しかし、この先の少し飛び出た部分に指をかけて抜く必要があるので、
ここを削ることはできない。
Fitear silenceは現在最も優れた耳栓だが、欠点がないわけではないのである。
なお、現代では耳栓の他にヘッドホンで遮音する、
あるいはヘッドホンの中で外界から来る音の逆相の音を出して積極的に音を打ち消すというシステムもあるが、これらは少し大掛かりなうえ、気密性も低く、寝返りをうったりして頭位を変換すると外れやすい。
これらと比べてもFitear silenceの静粛性、装着の安定性はやはり優れている。

耳という感覚器はバトーの目のように24時間目覚めている。
聴覚という眠らない感覚の入り口を強制的にほぼ完全閉鎖して聴覚システム全体を休める。
それがFitear silenceの役目だ。まるで眼瞼を閉じるようにブラックアウトに近い音景が得られる。

しかし、ここには意外な沈黙の価値がある。
つまり下界からの音を大幅に遮断すると、自分の内部から出る音を相対的に多く聞くことになる。自分が普段ずぅっーと聞いているのに、ほとんど意識に上せていない多くの内的な音に気付かされる。我々の聴覚はいかに多くの音を無意識に切り捨てていたのかということを知ることに価値があると思う。自分の心臓の音が実によく聞こえるのである。体を動かすと皮膚と衣類が触れ合う音、筋肉を包む筋膜が擦れる音、潤滑された関節軟骨が微かに軋む音が聞こえるのはもちろんだが、じっとしていても心臓の音は微かだが、どうしても聞こえる。これは耳孔を解放した状態だと、いくら耳を澄ましてもなぜか聞こえない。通常の心拍数であれば、まず聞き取れない。これはこの世に生下する前から常時聞き続けている音なので、聴覚システムの高次機能がこの音を聞こえなくしているのだろうか。だが耳栓をすると心拍は聞こえるようになる。心音の多くは、いくつかの心臓弁が同時に開閉するときの弁尖の接触音、血液が拍出されるとき血管壁に当たりながら流れる音なのだろうと推測するが、小さな音ながら、こんなにハッキリしているので、なぜ普段は聞こえないのかと不思議である。いや、実は聞こえているのであろう。空気のように当たり前になりすぎた存在なので意識していないだけなのだ。耳栓をして音の聞こえ方が大幅に変わった時だけ、意識の向く方向が変わるので聞こえてくるのだろう。

それにしても呆れる。
現実として、大きな音とは言えないが、こんなに確かな音をいつも背景にしながら、
オーディオ機器の出す音を評価しているのである。
また、この音はいわばビートなので、外界から来る音楽が持つビートが心拍のビートに近いかどうか、同調するかどうかで、音楽に対する印象も大きく変わるだろうことも想像にかたくない。さらにこの心音というものには、個人差があるはずである。心臓の大きさや心筋の厚さ、心室・心房の広さ、刺激伝導系や弁の状況は個人によって全く異なるので、心音は一つとして同じものはない。結局、我々は完全に無音の環境に身を置くことはできないし、万人が常時聞いているはずの心音は微妙に違うものを聞いているのである。
全ての音楽が、実際は微かな心音をかぶせて聞いているもので、心音自体が千差万別であるとしたら、ひとつの音楽を全く同時に、全く同じポジションで聞いていても、全く同じく聞こえることはないだろうと思う。この見地から見ても、音楽や音質の評価にばらつきが出ることは仕方のないことなのかもしれない。

あえて音を聞かない。
そういう、いわば反オーディオ的な行為から得られるのは
望外の聴覚的安らぎだけではない。
そこから得られるトリビアルな発見は、
生きている人間が音を聴くという行為に隠された
不思議な側面さえ私に悟らせてくれるようである。

by pansakuu | 2014-01-18 20:15 | その他