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Abendrot audio Stute ルビジウム マスタークロックの私的インプレッション:秘密の箱

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「神は細部に宿る」
ミース・ファン・デル・ローエ


Introduction

ドイツの光学機器メーカー、ライカからApo summicron 50mm F2 ASPHというレンズが発売されているのを御存知だろうか。F値を欲張っていない小さな50mmレンズだが、入荷は現在一年待ち、いやそれ以上待たされても手に入らないかもしれない。このレンズは銀座界隈に撮るものもないのに彷徨っているライカマニア、レンズグルメたちの垂涎の的だ。ライカが、世界で最も優れたレンズと豪語する卓越した描写力を持つレンズである。このレンズの特徴の一つは細部描写に有り得ないほどの冴えを見せつつも、そういう高性能な描写を意識させず、逸脱感のない落ち着いた絵を見るものに提供することである。このレンズを通して得られる写真には我々が普段見ていて、見切っていない細部が映っており、その意味でディテールに遍在する小さな神々を、私たちに気付かせる稀有な道具であると思う。だが、それを如何なる様式で見せるのか?その部分での品位の高さに、このレンズの本質がある。
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デジタルオーディオにおいては、音の細部をより深く聞かせる道具の一つにDAC等に接続するマスタークロックというものがある。エソテリック、アンテロープ、dcs、スフォルツァート、フェーズテックなど多くのメーカーからそういう名前の付いた箱が発売されている。また、オークションなどでは自作したような安価なクロックを見ることもある。私は販売店でクロックの試聴を何回かやっている。また一回だけだが、あるメーカーのルビジウムクロックを自宅で試した。その時にクロックというものは高価な道具で、コンセント一口を余分に消費し、スペースを取る難儀なモノであるにも関わらず、音質の改善は僅かなものという結論に達して以来、敬遠していた。そんな訳で、いままで、このブログでクロックを取り上げたことは一度もなかった。

ある日、True 10MHz Rubidium Master clock generatorと銘打った不思議な箱の写真をネット上で見つけた。 Stuteというルビジウムクロックである。それはAbendrot audioという、日英の技術者が共同でデジタルオーディオ機器を開発する会社の製品であった。いままで私は、これほど綺麗なデザインのクロックを見たことがなかった。この手の機器は外見より中身を重視するので、デザインがプアになりがちなのだが、そこまで手がまわっていることが気になった。そこまでやるという事は、中身にも絶対の自信があるということか?ある程度を越えてエクステリアが美しい機材には、音でがっかりさせるものはないというオーディオの法則がある。これに裏切られたことのない私の視線は、しばらくこのクロックに注がれたままとなっていた。(Stuteの写真はメーカーHPから拝借しました)

しかし、このクロックの価格は日本では300万近いもので、また技術内容も残念なことに、ほとんど秘密にされていた。関係者に問い合わせてみたがガードが堅い。このレベルの機器はディープな企業秘密あるいは軍事機密にタッチすることもあるが、そういう大人の事情の壁が高くそびえ立っているような気配がした。おまけに社名の由来も、機材名の由来も不明である。ドイツ語でAbendrotは夕焼け、Stuteは牝馬を指す。ワケが分からない。こうなると実物を見る機会自体が無さそうであり、その内容を吟味して考えを巡らす余地すらもないと判断された。仕方なく、自分に縁のないものとして指名手配リストにファイリングした矢先に、このStuteルビジウムクロックを試聴する機会が巡ってきた。

デジタルオーディオという半ば飽和したジャンルに
Stuteは新たな音の境地を切り拓いてみせた。
そこには極めてミクロ的な音質の変化が
マクロ的な音の印象を予想外に大きく変えてしまうという事実が横たわっていた。

Exterior and feeling
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美しく可憐であり、所有欲を満たす箱である。
全体に繊細な梨地の仕上げがなされた金属の筐体である。大きな箱ではなくエソテリックのG0Sよりも一回りほど小さい印象である。厚さ10mm以上ある銀色の四角いフレームに縁どられたフロントパネル、その銀枠の中に金の延べ棒を思わせる厚い部材が、枠と隙間を設けて嵌め込まれている。この隙間が設けられているところがデザインのポイントか。バックパネルのスイッチを入れると、この隙間の下縁にLEDが点灯する。全体にとても可愛らしくもあるが、出音のイメージと相似して品位が高い印象もある。リビングに置きたくなる箱だ。大きく立派な4つのフットの安定感も好感度高し。
バックパネルにはON/OFFのスイッチがあり、ヒューズボックス、電源のインレットそして二系統の10MHzの信号出力などがある。これら2つの出力は完全に独立した系統であり、分岐したものではないという。新設計された特殊な回路が組み込まれており、既存のクロックを凌ぐ、ローノイズで正確な信号を提供するらしいのだが、先述のように内部情報がほとんどなく、技術的には分からないことだらけである。実は、音を聞く前は、またルビジウムクロックかという、いまさら感が私にはあった。デジタルオーディオにはルビジウムの精度は必要ないことは既に分かっている。重要なのはその他の諸々の事なのである。技術内容を公開しない分、それらをどう処理しているのかという疑念は少なからずあった。
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そもそもデジタルオーディオにおける時間軸管理の重要性についてはコンセサスがあるものの、どのような方式が最良かということについては定説が未だにない。これについて議論しだすと技術者もオーディオファイルも百家争鳴、全くの混乱に陥ることが多い。私はそういう議論からは何時も遠ざかっていたい。不毛だからだ。
「試聴においては、数字や理論は信用せず、自分の感覚を信用せよ。議論の前に実物を並べてまず聞いてみよ。それが出来ぬなら発言は慎め。」
謎の箱、Abendrot audio Stute ルビジウム マスタークロックは、言葉ではなくサウンドで、その主張を厳かに語ったのである。


The sound 

クロックの試聴というのはおそらくオーディオショウのような場所では難しい。締め切った広すぎない試聴室で聞きなれた機材を使用し、一人か二人で集中して聴くのが望ましい。それを導入した場合の変化の多くは微妙な音のディテールに関するもので、評価には注意力と集中力が要求されるからだ。クロックはループノイズなどの影響を受けやすいデリケートな機材でもあり、プリヒート等の時間的要素も含めたセッティングにも神経を使うべきだ。
今回はCH precision D1+C1という接続機器を見ても、クロックをつながない状態のシステム全体の出音を聞いていても、新しいクロックの価値を判断するのに十分な環境が整っていたと思う。なお、このクロックの動作は私が使った限りはとても安定していて、電源を入れたままラフにD1、C1から抜き差ししても確実に一発でロックされていた。操作を難しくさせるファンクションやギミックのないStuteには使い勝手にエキセントリックな側面は無いように思われ、一般のオーディオファイルでも十分に使いこなせそうに思われた。

まず始めはStuteからの10MHz信号をまずCH precision C1に入れ、そのうえでC1からD1へクロックを渡す方式で試聴した。
生々しいディテールに溢れた音、そして何より品位が高い音へ。
それがStuteを接続した時の変化の第一印象である。

Stuteを入れると、当然のように音像のフォーカスは上がる。今まで音のピントが甘かったことを後悔する感覚、クロックを入れたあとほぼ例外なく訪れる、あの感覚である。Stuteのフォーカスの絞り込みは、アンテロープやエソテリックのルビジウムクロックで得られるその種の感覚よりも一聴して大人しく厳しさを感じない。しかし、聴き込むにつれて、より高いレベルでのフォーカシングであることが実感されてくる。音の粒子感がさっぱりと消えてなくなっている。それとはすぐに気付かないほど、当たり前のように粒の感触が無い。細かい音一つ一つは際立っているのだが、そこにザラザラしたエッジのような感触はもうない。しかし単純にスムーズで聞き易いエッジでもない。鋭いエッジ、柔らかなエッジ、淡いエッジ、太いエッジ、各々に描き分ける。あるものがあるように有るというリアリティが、各々のエッジに現れている。この現れ方は特別なものだ。本当によく切れる刃物で指を切ると、痛みがないので、しばらく切れたことに気がつかないことがあるが、そういう事実関係に似ている。変化したという違和感が少ない変化であるがゆえに、そうなったことに気がつくのには時間がかかるというものだ。

また、Stuteの信号を入れる前は、背景にわずかにノイズが残っていたことも意識される。
これはStuteをつないだり、外したりのBefore/Afterの比較で如実に分かる。Stuteを使うと、はっきりと音場は澄んでゆくのだが、その透明の度合いは私が初めて体験するレベルだ。dcsのVivaldiやCHprecisionのC1,D1等のトップエンドのコンシュマー向けのデジタル機材に既存のマスタークロックを入れて得られる音場の中では、このような透明度は得られてはいなかった。もちろん残っていたのは非常に微細なノイズであり、通常は無視するか、下手をすれば意識さえしていなかったレベルのものである。Stuteを通して、そういうノイズが今まで恒常的に耳に届いていたことに私は気付かされた。

音の合焦精度が極限に達し、気付かないほど微細なノイズさえ抑え込まれてしまうと、音の細部が否応なしに現れてくる。この変化は、今までのクロックでは“暴き出す”という野蛮な言葉でしか表現できないものだった。しかし、このStuteでは細部の描写に対して、奥ゆかしさ、上品さが感じられる。音の細部にわたる詳細な描出に丁寧さ、繊細さがあるためだ。今までクロックでは焦点を合わせ切れていなかった細かな音の凹凸まで無理なく聞こえる。音の細部に宿る神の気配を相応の品位をもって耳に届ける、とでも言おうか。残念ながら私の力では、この変化をより的確に表現する言葉が思いつかない。

また、これほどノイズが駆逐されると、音場の深さもかなり深くなる。音場は広がりはしないが、次第に深くなってゆく。透明度の高い深い湖底を覗き込むような感覚を伴う、このような音場の変化を他の機材では経験したことがなかった。個人的な印象としては、これは昔、大きなパラエバトルマリンを見せてもらった時の感覚に似る。
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吸い込まれるような不思議な水色をしたこの特別な宝石に、当時は見てはいけないものを見るような妖しさを感じたものだが、このStuteによる音場の深まりには、その妖しさの片鱗が感じられた。いつもながらの感覚的な言い回しなのだが、こういう言葉に頼らないかぎり、Stuteによる変化の質はフォローしきれそうもない。オーディオの魅力を、音そのもの以外で表現できるのは言葉だけだ。だから私はいつも言葉の助けを借りる。

さらに、ここでは音全体の安定感が一段上がったようにも感じる。音の土台が強化されたような揺るぎ無さが出音全体に漲(みなぎ)る。こういう風に一番底の部分から音を支えるような印象を与えるクロックはいままでなかった。また、先鋭的なオーディオ機器では、少人数での開発の副産物として、合う音楽・合わない音楽が分かれそうな不安定な音の印象が伴うこともしばしばだが、Stuteにそれは皆無である。全く平坦な場所にのせられた継ぎ目のないレールの上を静かに進行する列車のように、粛々と様々な音楽が奏でられる。Stuteによる音の変化はあくまで穏当なもので、品位の高さこそ感じるが、音楽の聞こえ自体を革命的に変えてしまう過剰さはない。良くなったことのトレードオフで失った部分もほぼ感じられない。

このクロックの効果は、優れた描写力を持つレンズを装着したラージフォーマットカメラで撮った写真のようだ。私には、先述したApo Summicron 50mm F2 ASPHとライカ モノクロームのコンビネーションでの描写を彷彿とさせる。見えないはずの空気までも写し込んでいるかのような細部の表現が最高の品位で耳に届く。場の空気の温度感や音の質感が実物の手触りに限りなく近づいて行く。従来のクロックによる、確かに明快で優秀な音だが、どこかHiFi調で硬く萎縮した印象の音とは異なる、中庸を行く高貴な音である。

確かに音の密度が上がって全体の印象が濃厚に感じられるようになることはない。帯域ごとに記述できるような変化もない。勢い、抑揚感のあるダイナミックな音の動き・スピード感、そういった動的な要素についても改変はない。音の明暗のコントラストのメリハリが強調されたり、サウンドシテージが左右上下により大きく開けたりするような変化もない。昔のSTUDERやPhillipsのCDプレーヤーの音を好む方がいるが、あの手の機材に特有のプロオーディオ的な厳しい音の存在感が与えられるわけでもない。むしろ音像の強い存在感は解体され、音像のエッジは音場に薄く溶け込んでゆく方向に音が変わる。これは静的、微視的なレベルでの変化であり、そこから聴き味の良さ・品位の高さや音の全体の強調感の無さ・生音に近い自然な音の印象へとつながっていく変化である。また、ただ音を聞くというよりは、あたかも音を見るように、視覚的に聞くという立場での変化だとも思う。細部が完備されたときに醸し出される想像を超えたリアリティ、ちょっと怖いぐらいの自然さがStuteの音のハイライトだ。ひとつひとつは小さな変化とは言え、それが音の全ての側面で一斉に起こったときの鳥肌が立つような変わり様は忘れがたい。

試みにStuteから二系統の信号を出し、CH precision D1とC1にそれぞれ入れて聞いてみた。音場の空気感がさらに出てくるのに驚く。ナマの演奏に立ち会っているような臨場感が激しく鼓膜に打ち寄せる。音源にさらに近づいたような錯覚も受ける。音の存在は音場から明確に浮かび上がり、実体感は凄味を増す。ただ、これだと音の輪郭・エッジがはっきりしすぎる。このレベルの音だと、それによって、あからさまに聞き疲れるということまではなさそうだが、品位の高さという点では落ちてくる。その点では信号をまずC1に入れ、C1からD1へクロックを渡す方法の方に分がある。Stuteの醸し出す音の変化は一見して目立たないが実はかなり大きいので、程よく活用することが推奨される。

欠点も挙げておく。最近のスーパーハイエンドオーディオに多かれ少なかれ言えることなのだが、STUTEを大枚をはたいて買って、自分の家で使うと、音があまりにも自然すぎ、数日を経ずして、Stuteを結線して稼動させていることを忘れそうだということである。自然すぎる。こういう機材が醸し出す音に慣れてしまうと、逆に自分がオーディオを全くやっていないような気分になってしまう。皮肉っぽく穿った見方だが、音が生音のニュアンスに不自然に近づき過ぎてしまう。これは人によってはむしろ飽きにつながってしまうはずだ。趣味をやっている甲斐がないような、引っかかりのなさ、取り澄ました感じ、ある種の取り付く島の無さが出音に横溢するのである。オーディオにガツンとくる何らかの積極的な衝撃・手ごたえを求め、敢えてこういうモノには手を出さぬという粋人がいてもおかしくない。

それにしても、Abendrot audio Stuteだけが、何故このような音の良さを発揮するのか?分からない。具体的な説明はできない。だが、過去に聞いたアンテロープやエソテリック、フェーズテックのルビジウムより、明らかに格上の音質が得られているのは間違いない。先入観を持たずに整った条件下でこの音を聞けば、オーディオが好きな方なら、どなたでも差を認めるだろう。クロックについては、ここに書けるような品位の高さを伴う音の格差を出せるものに初めて出会った。
オーディオにおいて使うかぎり、ルビジウムの叩きだす精度には意味はなく、むしろ位相ノイズが少ないことこそ重要だという話はよく聞く。Stuteがその点においても、いままでにないほど周到な工夫を施されたモノであることは、ほぼ間違いないだろう。こういう音を踏まえると、位相ノイズを強く意識して作られた、もう一つの高価なクロック、スフォルツアートPMC-01 BVAも気になる。
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こちらを接続したデジタルプレーヤーは未聴だが、出音はStuteのそれを上回るのだろうか。価格ではPMC-01 BVAが高価なSTUTEをさらに上回るが、どうなのか。これらを並べてつなぎかえ、鳴き比べてみたくもあり、逆にどうでもいいという思いもある。ここで私が投げやりになるのは両者とも、あまりにも高価だからである。これを売る立場の方が、こんなに高価なクロックが売れるかどうかは本当に分からないと弱音を吐いたほどである。いくら夢を追うのだとは言いながら、これらはハイエンドデジタルオーディオを普通のオーディオファイルからますます遠い存在にさせかねない。このままではハイエンドデジタルプレーヤーは、そのうち現代のハイエンドアナログプレーヤー以上に、一部の富豪的好事家の愛玩物になってしまうのではないか。この価格を見ていると、そういう事態の到来は現実味を帯びてきている。

とはいえ、音が良ければ幾らでも出すというお金が唸っている方々から見ればそんなことは些末な事だ。CH precisionやdcsなどの高価なディスクプレーヤーをお持ちの裕福な方には、別電源等はともかく、音の総仕上げとしてこのAbendrot audio Stuteを導入されることを強くお薦めしたい。例えば、私個人は、いままでCH precision D1+C1のサウンドは尊敬こそすれ、自分のものにしたいとは思わなかったが、Stuteを加えると抗し難く音の虜にされてしまうのである。買える人は買うとよい。CH precision がdcs Vivaldiフルシステムと互角以上に渡り合える音に変貌する。CH precisionの高度なサウンドイメージをさらに磨き上げるばかりでなく、反対者を賛成者に変えるほど、音に密やか、かつ素敵な変異を与える魔法の箱、それがStuteである。


Summary

マスタークロックを初めて欲しいと思った。
今のところはAbendrot audio Stuteに限るのだが。
また、マスタークロックにはハッキリとしたクオリティの差というものがあり、どれでも同じではないということも今更知った。そしてデジタルオーディオに対して新たな探求心が湧いてきた。
Constellation audioのPerseusというフォノとの出会い以来、デジタルオーディオと私にはあからさまな距離が出来てしまったように見えた。しかし、それが、かえってデジタルオーディオを客観視できる場所に自分を置くことになり、デジタルの音が、むしろよく分かるようになったかもしれない。そういう視点からStuteを眺めた時、その音は私のペンを奔らせるほど、素晴らしく聞こえた。

ここでも繰り返す疑問だが、満足ゆくサウンドを得るのに、どーして、ここまでの投資が必要なのか?このクロックは常識的には高価すぎる。だが音を聴くと説得され、納得せざるをえない。その品位の高さのため、巧妙に隠されているが、この音には否定し難い凄味が有るようだ。こうなると10MHzのクロックが入るK01などのSACDプレーヤーなら、CH precision D1+C1まで行かなくても、Stuteさえあれば、かなりいい音になるのではないかという予感もする。それなら、そこそこの予算でStuteを活用できる余地はあるのではないか。10MHzを受け付ける良いDACがないと成り立たないアイテムであるがゆえに、Perseusのように、この音なら実は安いなと思うことは流石になかったが、Perseusの音が手元になければ、真剣に導入を考えたに違いない。

実際のデジタルシステムにおいては、
正確無比のクロックが有るという単純な理由だけでは、
音の細部に宿るという小さな神々の気配を耳にすることも
デジタルオーディオの混沌としたノイズの霧を払いのけることも難しい。
この箱には時環軸管理とは別の秘密が隠されているのかもしれない。
だが今のところ我々は、この小さな箱の中に潜む秘密を知らない。
その結果の果実を味わうことだけが、
オーディオファイルに許された唯一の特権なのである。
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Postscript

オーディオの矛盾。
そのひとつは、機材の開発は科学的に行わなければならないが、その最終評価は、非科学的で不確かな人間の官能に頼らなければならないということである。クロックに関する議論は機材から出てくる信号を計測し解析して、その数値の良し悪しを判定すべきだという意見に溢れている。だが、それはオーディオファイルとしての意見ではなく、工学部の学生の意見と私は考えている。これは生物学の視点から見れば理解に苦しむことでもある。人間は脳の中で音声信号を処理している。この脳という、もう一つの秘密の箱の中で行われる音声信号処理、その未知のプロセスについては彼らは何も考えていないように見える。ここでは数字が良ければ良い音というのは成り立たない。計測できる数値が同じでも、同じ音には必ずしも聞こえない可能性がある。我々は、まだ音波というものが最終的に個々の脳の中でいかに処理されるかについて、十分に理解していないという生物学的な視点を常に保持すべきである。

私は以前、ジッターアナライザーを初めとする何種類かの計測機器を揃えた人の家に“音”を聞きに行った。“音”とあえて書いたのは、そこで聞いたものほとんどが音楽ではなく、テストトーンという基準信号であったからだ。そこでDACやクロックなどをブラインドテストさせてもらったのだが、その体験で知ったことは、数値と実際に聞こえる音の印象はパラレルではないということである。
彼はオーディオファイルではなく計測マニアなどと自虐的に自称していた。彼の心にはいつも自分の聴感というものへの猜疑心があり、数値でオーディオ機器の評価をしたがった。彼の指摘はしばしば的を得ていたうえ、私の書く内容についても意外に寛容であり、私にとってはいい人であった。計測の手法の正確ささえ認めてくれれば、何を書いてもいいから聞きに来てくださいと言うほど、大人しい方なのである。しかし、理解しにくい部分もあった。例えば音楽を僅かしか聞かず、テストトーンばかりを聞いていること、DACの扱う信号の精度は疑うが計測器自体の精度を疑っていないこと等。事実、私は彼の隣で“音”を聞いていて常に違和感があった。彼のところでクロックの有無等をブラインドテストで時折、当てて褒められても、私は面白さが分からなかった。計測とかブラインドテストとかいうものを実際やってみると、それはオーディオの楽しさとは似て非なる別世界に見えた。私のオーディオはあくまで音楽を楽しむためにやっていることで、測定値によるアラ探し大会ではなく、クイズの正解率を競うゲームでもない。あそこで満点を取っても音楽が聞けなくては意味がない。
また、その時に聞いた、数字の裏付けがないと、自分が聴いた音の違いを信じられないという彼の言葉はさらに理解しにくかった。これは聴感上、出音に違いがあろうとなかろうと、数字が異なれば自分の見解を修正する可能性を示唆しているように聞こえる。それはリスニングポイントのソファにアナライザーを置き、自分は部屋の外からその数値や波形を確認していれば楽しいという立場なのだろうか。これは音楽を自分の好みのスタイルで楽しもうという私のオーディオ観からは逸脱していた。人間不在のリスニングルームにオーディオという趣味はない。オーディオを耳で楽しめていないから数字に頼るのだろうか。他人のインプレッションはともかく、自分の耳も信じられない人はオーディオなどという趣味に足を突っ込むべきではないとまでは言わなかったが・・・。今、思えば言わなくて良かったのである。彼のやっていることはオーディオではなく、なにか別な趣味だったのだから。

by pansakuu | 2013-09-11 23:06 | オーディオ機器