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Final D8000の使いこなしに関する短いメモランダム:リケーブル、制振材、接点改善剤そしてオージオグラム

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革命は些細なことではない。
しかし、それは些細なことから起こる。

アリストテレス


なぜ
ヘッドホン・イヤホン界隈ではD8000の出現を騒がないのだろうか?
皆の態度が不思議に思えるほど、
私にとってFinal D8000の音は革新的なものである。
少なくとも2018年の私のヘッドホンオーディオは
D8000を中心に回ることになるだろう。
たとえHD820がどれほどのものだろうと、
このヘッドホンのポテンシャルを引き出さないことには次へ行ける気がしない。

今年はずっと温めてきた幾つかのオーディオ機器の配備計画を、
このFinal D8000を軸として少しづつ実行に移すつもりだ。
その手始めはD8000のリケーブルの選定である。リケーブルの質を吟味することはD8000を味わい尽くすうえで重要なポイントであることは既に行ったいくつかのテストで分かっているから、これはやるべきことだ。
もちろん、ヘッドホン側の端子はFinal純正の90度ネジるタイプのものを使いたい。
この仕組みはD8000本体にリケーブルのプラグをしっかりと固定できる唯一の方法だからだ。そこにこだわるとFinal純正のシルバーコートリケーブルか、Brise audioのリケーブルしか、今のところ選択枝はない。もちろんD8000にデフォルトでついてくるケーブルもいい。だがこれだとシングルエンド駆動しか選べないし、D8000のクオリティに応えるサムシングが足りないような気がする。アダプターを付けての試用だがBrise audioのUPG001HP Ref.のバランス駆動とは歴然と差が出てしまうのは知っている。
そうこうするうち、特注していたUPG001HP Ref.の3pin XLR×2が到着したので、貸し出して頂いたFinal純正の上位リケーブルである純正のシルバーコートケーブル(4pin XLR~3pin XLR×2への変換アダプターを介してE1xに接続するものと、シングルエンドの端子のついたリケーブル)そしてD8000に同梱のデフォルトのヘッドホンケーブル(シングルエンド)を4本並べて比較することにした。
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D8000に同梱の黒いヘッドホンケーブル
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Brise audioのUPG001HP Ref.の3pin XLR×2
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Final純正のシルバーコートリケーブルの4pin XLRバランス仕様(線体は潤工社製)
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同じくシングルエンド仕様

これらのケーブルの外観について素直に比較すると、
思いがけず1.5mで15万ほどする高価なUPG001HP Ref.の仕上げより、ずっと安価なfinal純正のリケーブルの仕上がりの方がカネがかかっていそうだ。Finalの方は端子や分岐部をすべてオリジナルのアルミの削り出しパーツで固めている。これは価格以上の仕上げだと思う。
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アルジェントオーディオのケーブルを彷彿とさせるFinalの削り出し端子
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分岐部もアルミ削り出しであり、ロゴもプリントされているが、裏で見えない
下はFinalのデフォルトのケーブル(分岐部も端子も造りは良い)
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Brise audioの分岐部(やや簡素な印象)

また線体はFinalの方が太いが、取り回しはより細いBriseのものより悪いとは言えないし、外見も綺麗である。Briseのケーブルは細いが明らかに硬く、微妙にクセがとれにくいようで、見かけのわりには取り回しがよくない。(Brise audioのケーブルテクノロジーのコアとして、カーボンナノチューブの持つ高い物理的な遮蔽能を利用したシールド技術があるらしいが、この高性能なシールドは取り回しについては今一歩かもしれない。)また分岐部は熱収縮ケーブルで締め、ローズウッドのケーブルスタビライザーをあしらってあるだけだ。(実際、全くのオーディオの素人であるウチの家族にこれらのケーブルを見せて聞かせ、どちらが高いと思うか尋ねると全員即座にFinalのケーブルを指した。)恐らくBriseさんは音質上の理由からあえてこうした手法を取っているのだろうが、音質をさらに上げたうえで、外観も良くすることは不可能ではないはずだと言いたくなる。そういう曲芸が当たり前のように出来ているハイエンドケーブルを多数見てきたからだ。

もちろん、こういう分岐部の仕上げなどは音に影響しないのだというケーブル屋さんもおられる。やや昔の話だが、ある高級オーディオケーブルを作る海外メーカーの中の人に、ケーブルの端子や分岐部を削り出して、ロゴをあしらった木材や超ジェラルミンで固めると経験的に音に良いし、高級感がでますよ、と提案したらひどく冷たい態度をとられたことがある。そんなことは、求めるトータルサウンドにとっては些末なことだと言いたげに見えた。私はそれ以上言うのをあきらめ、その場を立ち去った。だがその翌年、偶然にフルリニューアルされた彼のケーブルを手に取る機会があった。なんと提案どおり、分岐部も端子もオリジナルのアルミ製のものに変わっていた。肝心の音も大きく進化していた。(価格も上昇していたが・・・)これが彼の私に対する真の返答だったのだろうか。それとも自意識過剰だろうか。世界中で日本のオーディオファイルと販売店だけが、メーカーに細かいクレームや指導をするというが、私もその数に入っているのかもしれない。

脱線した。
しかしBrise audioにはまだ言いたいことがあるので音質以外の話を続ける。
私はXLR3pin×2をフルテックのカーボン巻の端子で頼んだ。この部分についての話だ。おそらく求める音のため、わざとやっているのだろうと思うが、ケーブルの端はXLR端子の中の電極にしっかりハンダ付けしてあるだけで、線体を端子内で一切固定していない。これは開放的で豊かな響きを得るのには良いと思うが、普通のインターコネクトケーブルより、日常のリスニングでの抜き差しがかなりあると考えられるヘッドホンリケーブルとしては強度の点で心もとないのではないか。これは断線する危険と隣り合わせだろう。何とかしたい。(これは取り回しを重視して細いケーブルを使ったことが裏目に出たということかもしれない。Shinkaiあたりをオーダーすればよかった?しかし、ああいう太いヘッドホンケーブルは卒業したい。)
それから結線の左右に関して、金のロゴのシュリンクが右、銀のロゴのシュリンクが左ということで、通常の赤白(あるいは黒)でないのも指摘したい。これは他のメーカーとの差別化にはなっているが、はっきり言って金銀は暗い場所で区別しにくい。ヘッドホンやイヤホンは夜の暗い室内、視界の良くないバッグの中などでも結線されて使用されるはずである。そういう場所でも確実に左右が分かる工夫がさらに必要である。Finalの端子は赤と黒の帯が、デザインを邪魔しない匙加減で入っていてわかりやすい。
リケーブルは音楽を聴くツールという側面があり、道具として視認性や耐久性をもっと追求すべきだ。そもそもUPG001HP Ref.はラグジュアリーなケーブルであり、外観の美しさも使いやすさも、機能を損なわない範囲でもっと追い求めてよかろう。

肝心の音質についてだが、
流石に高価なUPG001HP Ref.は低域の解像度の高さや音の吹き上がるストレートな勢い、ソリッドで立体的な音の質感、基本的な音のテンションの高さ、音数の多さなどで、Finalのシルバーコートリケーブルの先をゆく。音調としては素のままの音を出す介在感の少ないリケーブルを目指して開発されているように感じる。今までレポートを書いていないものも含めて、より高価なハイエンドリケーブルを使ってきているから、Brise audioの低域の解像力やインパクトはそれらを超えた、スピーカーオーディオ用のスーパーハイエンドケーブルの味わいに近い部分もあると分かる。したがってD8000の長所をよく引き出す優れたリケーブルに仕上がっていると、ひとまずは結論できる。これとの比較だとデフォルトの黒いヘッドホンケーブルは甘く緩い音に聞こえてしまう。

他方、このUPG001HP Ref.に比べるとFinalのシルバーコートリケーブルは、よりオーソドックスでカジュアルな音であるが侮れない。実際は高域方向の音のリバーブのたなびきの美しさや全体的な音の落ち着き・安定感、音のしなやかさ、音場の広がりなどではBrise audioの製品を上回る。またFinalのケーブルの音は明るく開放的、UPG001HP Ref.は陰影があり、密度が高いという具合で全体のキャラクター・方向性に違いがある。これでは甲乙はつけ難いか。いや、約2倍の価格差を考えるとFinalのシルバーコートリケーブルが勝っているかもしれない。宇宙産業用ケーブルとして有名な潤工社のケーブル。安価でも、かなり健闘している。こうなると黙ってFinal純正のシルバーコートリケーブルの方を選ぶ人がいてもおかしくない。D8000に標準でついてくるケーブルも作りはいいし、音もそれだけ聞いていれば悪いとは全然思わないはずだが、シルバーコートリケーブルを聞いてしまうと後には引けまい。そして、これまた予想外だったのだが、シングルエンドの端子のFinalのシルバーコートリケーブルの音の素敵なこと。バランスの方は私自前の簡易なアダプターを介しアンプと接続しているためだろうか、シングルエンド端子を直に挿しているのに比べ、音の広がりや響きが足りない。音が若干鈍ると言ってもいい。これはFinalの銀色に輝くオリジナルのアルミ削り出しのシングルエンド端子の出来の良さが、アダプターを介して劣化したバランス駆動との差を補ってあまりあるということなのか。また、3pin XLR×2を作る予定が今のところないと言ったFinalさんの気持ちも分かった。端子はオリジナルでという開発の方針なので、3pin XLR×2の要望に応えるなら、それを社内で新たに作らなくてはならず、そのコストと売れる数を考えると釣り合わないのかもしれない。
とにかく、Finalはヘッドホン側の専用端子を小売りするだけでなく、他のメーカーのヘッドホン用に、このケーブルと端子をつかったリケーブルを単売するとよろしい。これは意外な掘り出し物だ。ちなみにFinalのリケーブルの価格はシルバコートケーブルーシングルエンド端子/1.5mで55000円ほど4pin XLR/1.5mで70000円ほどだという。私の注文した仕様でのBrise audioのリケーブルは1.5mで155000円くらいであるから、音質のみの比較ではBriseがやや勝る部分があるにしても、Finalさんのコスパは高いようだ。もちろん端子の仕様が違うから大雑把な比較になっていることはご容赦願いたい。XLR3pin2個の端子のリケーブルは今のところBriseさんにしか扱いがないから、そこらへんについては感謝はしているのだが。

おそらくBrise audioは内外からの注文が途切れなくあるうえ、少人数のメーカーでもあるため、大変多忙なのだろう。イヤホン・ヘッドホンのリケーブルについて、現状、世界でもっともエッジなメーカーであることに変わりないが、次の深化を遂げる余裕がまだないのかもしれない。もちろん今のままでも音には価格相応の充実感があることは認めたい。だがFinalやAXIOSなど同業他社のリケーブルの持っている要素をも取り込み、さらに一皮むけた多彩な表現に挑戦してほしいという期待もなくはない。

なお、
今回はUPG001HP Ref.より上のBrise audioのインターコネクトケーブルをほぼそのままヘッドホンケーブルとして使ったモデルを選択することも考えた。だが、これは最上位のMurakumoグレードのリケーブルを他のヘッドホンで聞いた経験を踏まえてパスさせていただいた。まず、取り回しが明らかに悪くなることが一番問題である。また最上位ケーブルは重さもそこそこある。それでなくてもD8000は装着感は重い。これをリケーブルでさらに悪化させたくはない。それから音に関しても過ぎたるはなんとやらというか、もともとスピーカーオーディオのインターコネクト用に設計されたケーブルをほぼそのままヘッドホンケーブルに持ち込むことには若干無理があると感じた。上位リケーブルの音質については、これ以上は言わないが、やはりヘッドホンに特化してチューニングされた後発のUPG001HP Ref.には音の洗練度において一日の長があるのは間違いない。一言で言ってBrise audioのラインナップの中で、これはBrise audioの神髄を受け継ぎつつ、最も大人な、渋い音になっているかもしれない。Brise audioさんの製品やサウンドには賛否両論あり、実は私も中立ではない。しかし、他のメーカーにはできない対応ができること、そしてこのUPG001HP Ref.を聞いて、外観などの細かい点はともかくとして、このケーブルメーカーの良心と誠実、そしていささかの円熟味を感じたことから、意見を変えつつある。私はUPG001HP Ref.の音の方が上位モデルよりおそらく好きだ。関係ないかもしれないが、私も年を取ったのかもしれない。オーディオを始めた頃はなんでも最上位がいいかと思っていたが、今はそうでもない。音をよく聞いたうえで、音以外の側面もよく考えて総合的に買い物を決めるようになった。このブログでは語らないオーディオ以外の多くのモノとの付き合いが私を変えたのだろう。所詮、音の良さなんてことは、モノに備わった多くの属性の一つに過ぎないと悟ったらしい。ただし、それはオーディオ機器においては最大の属性なのだが・・・。

(追伸:ポタ研でこのBrise audioがケーブルの音質評価用に試作した大型のヘッドホンアンプを聞いた。なかなか素晴らしく、マス工房の406を超える出来のようだった。価格はさらに高価になりそうだったが。ズカっとした黒ぃ四角い筐体はシングルエンド、XLR4pin、XLR3pin×2のヘッドホン出力をユニバーサルに備えたうえ、XLR、RCAのトグルスイッチの切り替え式入力がある。幅広い機材に対応できる造りだった。ショートに対するプロテクションが装備されていたのにも驚かされた。ボリュウムの感触も滑らかでなかなか良い。接続されたケーブルとしてはMurakumoクラスの電源ケーブル、インターコネクトを使っていたが、中身はまだBriseのケーブルではないという。内部はもっと煮詰める予定らしい。
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中の人に聞いてみると、このアンプはOJIのものでもヘルタースケルターの製造でもないことも判明。様々なメーカーのアンプの良い点を研究し、総合的な視点から新たに開発されたもののようだ。出音はまさにBrise audioのサウンドというか、クリアかつソリッドでテンションが高く、全帯域で解像度高く鮮烈な音像を生み出す。広がりよりは纏まり、グラデーションの豊かさよりはコントラストの強さを意識させる音でもある。どのヘッドホンで聞いてもシステムトータルとして、Briseの求める世界が体現されたようなサウンドが出ていた。彼らが目指しているものがはっきり見えてきたようで清々しかった。今までこのメーカーがデモで使ってきた様々なアンプではBriseのケーブルの良さは十分に出なかったことも今回分かった。Ojiの最高級モデルよりも音にスピードがあり、マス工房の406よりも音はほぐれていて、SNが高い。ライバルはRe leafくらいだろう。これは本気で欲しいモノだが、販売はあるのだろうか。今後さらなるブラッシュアップありとのことだから次のイベントでの再会に期待しよう。)

こうして
リケーブルの評価を一通り終えたあとで、
私はケーブル端子の接点そのものにも手を入れることにした。
御存知の方もおられるだろうが、接点クリーナー、接点復活剤、接点導通剤とか呼ばれる液状物質が多種市販されている。数えたのであるが自前でも数種類を持っていた。持っているのに“持っていた”と少し婉曲に書いたのはどういう意味かというと一つを除いて、ほとんど使わないで放置していたのだ。もちろんそれらに効果は全くなかったわけではない。少しはあるのだが、この程度では数多くの接点全てに面倒な施術する手間を考えるとずっと使い続ける気分にはならないものばかりだった。例外的に使っている一つというのはアコリバのスプレー式のクリーナーである。これはある録音エンジニアさんからのいただきものである。使いかけを貰ったので、もう中身がなくなりかけている。これをシステムの接点全体にひととおり使うと、音が見違えるほど良くなるわけではないが、微妙にクリアに滑舌が良くなる(ような気がする)。機材をつなぎ変えるときに接点を綺麗にしたくなったら他のクリーナーよりも簡単に使えることもあり、重宝していた。ただ中途半端に使っても効果が明確でない場合もあるので、私のオーディオに関する潔癖症の現れと半ば割り切って、惰性で使っていたとも言える。とにかく接点を掃除したと思うと気持ちがいいから。
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そこに新しい接点クリーナーの試供品が来た。
主にオーディオアクセサリー系製品のプロデュースや販売を業務とするアンダンテラルゴが最近出したトランス ミュージック デバイズ(Trance-Music device、TMD)という製品である。
この製品には他の製品と違う点がいくつかある。
接点クリーナーと接点改善剤の2剤ペアで構成される製品なのだが、水色と白の不透明な色がついた粘性のある液体であること。普通はクリーナーは透明だし、稀に色付きがあっても黒色までは見たことがあるが、水色のものはおそらくない。それから改善剤の方は塗ってから10分放置したあとで拭き取る手順になっていること。この放置時間10分というのも珍しい。そもそも放置時間がない製品がほとんどではないか。
なにか個性的だなと思いながら、あまり期待しないでリケーブルに対してマニュアル通りに使ってみる。まず前段階である接点磨きを付属のスポイトでキムワイプや綿棒に少しだけ取って接点を磨き拭き取る。次に拡張安定剤と言われる本剤を薄く塗って10分置いてから拭き取る。さらに効果を高めたければ24時間後にもう一度拡張安定剤を塗布して同じ手順で拭き取る。この接点改善剤の仕組みは接点にある微小な凹凸に、本剤に含まれるポリマーが浸透し凝固するので接点表面が平らになり、ミクロ的に見て点接触していた部分が面接触するようになると言うものであるが・・・・。実際に表面を顕微鏡で見たわけでもないので本当のところはよく分からない。だが施術した端子を差し込むと以前より若干きつくなっているのは確かだ。なにかが表面に付加されたことが手の感触として伝わってくる。こういうふうに挿入の感触が変わるクリーナーは初めてかもしれない。

問題の音質だが、
結果としてはなかなか気に入った。今まで使ったものの中では一番に効果がハッキリ感じられる。ガラッと音が変わるのではなく、全ての要素をケーブルの持っている方向性はそのままにスッと持ち上げてくれるところがいい感じなのである。UPG001HP Ref.にアコリバのスプレーだといつものように微妙に音が澄んでボーカルの滑舌が良くなるような気がする程度であるが、このアンダンテラルゴの製品はもっとはっきりと音の明瞭さが増す。日本製のアクセサリーによくある変化だが、窓越しに見ていた景色を窓を取り払い、戸外の空気に直接触れながら眺めるような臨場感がある。リケーブルしたD8000は他のヘッドホンに比べて極めて音の分離が良いが、こうするとさらにそこが際立って改善される。ピアノの右手と左手の分離だけではなく、録音さえ良ければマイクがどの旋律を弾いている側に立っているのかがよく分かる。思えば今まで使った接点改善剤は、変化が微妙すぎた。毒にもならないが薬になっていなかった。例えば接点になにかを付加することなく、ただ簡単にクリーニングするだけでも音は変わる。それとどう違うんだと言いたくなる場面も多かった。トランス ミュージック デバイズはそういう可もなく不可もないような弱い製品ではない。

実はヘッドホンのリケーブルではこの手の接点改善剤の効果がシステムの他の部分よりも若干だが感じやすいという話もあり、リケーブルとともに良い製品を探していた矢先だった。試供品は他の接点にも試して、すぐに使い切ったのでオーディオ店で実物を買い求め、調子に乗ってシステム全ての接点に使って満足している。ただし施術はどの改善剤よりも面倒で、少し分析的な音調に偏りがちでもあり、なにより価格の絶対値は安くない。ハイエンドなイヤホン・ヘッドホンのマニアに対してでないと薦める気にならない。
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ところで、
タッピングというオーディオ機器の検査法がある。
ヘッドホンやスピーカーに特に有効な方法なのだが、ヘッドホンだとハウジングやヘッドバンドなどを中指や人差し指の腹で軽く叩いて、その時に出る音と指に跳ね返る感触を確かめることで、材質の違い調べたり、鳴き易い部分を特定する作業である。何を隠そうDmaaのK氏に教わった方法なのだが、これでD8000を調べてみると、結構鳴きそうな部分が多いことがわかる。軽くするため、あるいはコストカットするため、微妙に脆弱なつくりとなっている部分があるらしい。特にヘッドバンドの横の一枚の金属の板が露出している部分やハウジングの中心部付近にあるプラスチック製の薄い円筒状の部分などが、どうも鳴くようだ。私はこういう場合はfoQという日本製の制振材を気になる部位に貼って様子を見る。
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これは黒いシート状の材料で部分的に短冊状にカッティングされたシールのような形態のもの。ユーザーが好きな形に切って鳴き止めにする。アマゾンなどで市販されている。これをヘッドバンドの横の金属の板が露出している部分の裏側に綺麗に目立たないように貼り付けてみた。D8000の場合、スライダーの作りがシンプル過ぎてハウジングがズレやすいので、もともとここには厚みのある両面テープを密かに貼り付けてハウジングの動きを止めていたが、その上にもfoQが貼られる形になった。この制振材は貼り過ぎると音が躍動しなくなるので様子を見ながら、慎重に使うべきなのだが、こうするとD8000の売りのひとつであるSNの高さが顕著になる。音像に精密さが増す。いい塩梅だ。調子が出てきたので、ハウジングの中心部付近にあるプラスチック製の薄い円筒状の部分の外周にもグルリと貼りこむ。すると、もう少し静けさが増して音像がシャープに聞こえる。このへんで良かろうか。D8000はヘッドバンドのつくりなどはまだ完全とは思えないので、このようなチューニングにやりがいはある。

そして、
私事ではあるが、ついに耳鼻科に行くことになってしまった。
D8000は悪くない。私が悪いのである。
一日20時間とかヘッドホンで大音量を聞き続けたら流石に私の耳の方がギブアップしたのである。ある日、両耳の強い耳閉感と耳鳴りが私を襲った。耳閉感はスピーカーばかり聞いていたころにもあったので、それほど驚かなかったが、耳鳴りはヤバかった。ここで一週間の休耳を余儀なくされた。
こんな休暇は大昔、JBL4344を耳から血が出るくらいの大音量で鳴らした時以来なかったことだ。
検査の結果、左右ともに耳の聞こえは正常範囲内で、目視では鼓膜も問題ないとのことだった。検査したのが、かなり回復してきた時期だったこともあるかもしれないが、予想よりは悪くない状況で安心した。
そして以下に公開するグラフのが私の標準純音聴力検査の結果(オージオグラム)である。ティンパノメトリー等とあわせて4000円以上もかかる検査となったが、興味深い結果であった。
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この検査はまず防音室で行う。雑音が全く入らない環境でヘッドホンを装着するのである。そしてオージオメーターという検査機器から送られてくる小さな音を聞く。聞こえた瞬間に手元にあるボタンを押す手筈になっている。この手順で一定の周波数(音の高さ)の音を出しては、それがどれだけ小さくなるまで聞こえるかを調べて記録してゆく。この試行をいくつかの周波数で行って出来上がるグラフがオージオグラムである。つまりこれは各周波数について聞こえる音の閾値(ギリギリ聞こえる音の大きさ)をグラフ化したものである。縦軸は音圧(dB)横軸は周波数である。ほとんど重なっているので見にくいが、○は右耳のグラフ、×は左耳のグラフである。グラフの線が下にくればくるほど耳の聞こえが悪いと思えばよい。正常では0dBから25dBくらいまでのゾーンにグラフがおさまるとのことなので、まあまあの結果である。また、○と×が重なっているということは左右の聞こえに差がないことを意味するからこれもいいことだ。
だが20年位前、オーディオを始めて数年しか経っていない頃に測ったものは完全にフラットなグラフだったと記憶している。今回は4000Hz付近で微妙だが感度が落ちている。やはりな、と思う。これは大音量で音楽を聞く人ではよくある変化だという。落ちたとは言っても正常範囲内には留まっているので支障ないが、この結果は幾つかのことを暗示してもいる。
一つは私が大音量でオーディオをやれる年数はこの先限られているかもしれないということ。聴力の変化は確実に来ているからだ。だからこそヘッドホンをやるのである。スピーカーオーディオにかかるカネから本格的なリスニングに取れる時間まで考えたとき、スピーカー関係だと頂点に近い機材を一巡することさえ、もはや私の年齢と財力では難しいが、ヘッドホンなら思うがまま、頂点のほとんどを味わい尽くせる望みはある。
さらに、オーディオファイルにしろ、オーディオ評論家にしろ、皆の標準純音聴力検査の結果のグラフが皆同じではないということ。このグラフは個人個人で微妙にあるいはかなり異なるのが特徴だ。その人のもともとの聴力、年齢、オーディオ歴、嗜好する音楽、働く環境などでバリエーションが豊富なのである。つまり、同じ音楽を聞いても全く違った聞こえになることがありうるのがグラフを見てわかることになる。この聴力・聴感の個人差は意外に大きく、これに目をつけてその人ごとにイコライジングしてフラットにした音をヘッドホンで聞かせようという試みもあるほどだ。(これについて日本の某メーカー製のシステムを簡易的に試させてもらったことがあるが、今のところあれはまだまだ未完成である。)
こうなると評論家で食べている方などはこの検査を信用のおける専門施設でやってもらって公開してもいいかもしれない。特に聴力の精度管理という観点からは重要だろう。彼らの評論を読むオーディオファイルも自前でこの検査をやっておいて、自分のグラフの形に近い評論家さんの話を優先的に聞くべきなのかもしれない。

何にしても過ぎたるはなお、というところだ。
病院行きはD8000に入れ込み過ぎ、聞き過ぎた結果だろう。
人は必ずその人の所業にふさわしい報いを受けることになるのだ。
だが私にそこまでさせるヘッドホンD8000の魅力には稀有なものがあるとも考えられる。
これは重さや装着感についてはあまり良いモノとは言えないが、
音についてはどうも次元が違う。
オーディオをやる意味というのは、機材の出音が細かい音質の評価項目を満たしているかどうか検証することだけでは無論ない。自分の好きな音楽を聞いて、他の機材に比べてどれくらい官能的な充実感があるかという一見、単純な事こそ大事である。音が正しいか・優秀かどうかというような理屈ではなく、脳の深い所に音楽がダイレクトに届いて心の琴線を弾けるかどうかが重要なのである。まさにこの官能的な充実感という意味において、このD8000というヘッドホンによるリスニングは極めて高い点数をつけられる代物だ。過去の傑作STAX SR009もそういう官能・快感に直接訴える側面を持つヘッドホンなのだが、あれは高域の伸びや美しさ、細部まで整った繊細な音像の描写に拠っていた。極めて軽く薄い振動板にコイルボビンを取り付けることなく駆動できるヘッドホン特有の、このような出音。そこには他機の追随を許さない利点があった。そしてSR009の発売から約7年後にオンステージしたD8000はそれらの要素に低域のインパクトや中域の厚みなど、さらに多彩な長所が加えられた格好となっている。D8000はSR009の不満点を見事に改良したモデルであり、これほどのサウンドを持つヘッドホンは今までなかった。

もう今年で平成も終わる。
敏感なオーディオファイルは誰もが気づいていることだが、昭和期に形成されたハイエンドオーディオのビジネスモデルは、機材の高価格化、旧型のハイエンドオーディオの担い手の高齢化、日本人の生活スタイルと価値観の変化、日本の若年層の貧困化、音楽業界の衰退になどよって、日本では平成期に実質的に崩壊した。とはいえ、このような廃墟であっても多くの人が居残り、そこで商売をし、音を聞いて愉しんでおり、依然としてそこへの出入りがあるのが現実だ。無論、私もそこに留まる一人である。だから、そこで生業を営み、趣味を楽しむことにどうこう言う気はさらさらない。だが、とっくに壊れて終わっているにもかかわらず、前のビジネスモデルがまだ残ってしまっていることには問題もある。それを撤去して新しい仕組みを作ることができない状況を生むからだ。そのせいで、この先も速いスピードで変化してゆく世界の中で、ハイエンドオーディオをどう売っていくのか?そのアイデアは?となると、誰も何も新しく思い浮かばないという手詰まり感がある。これからも富裕層だけに割高な機材を売り続けるしかないのだろうか。今、とても高価なオーディオ機材は、なぜ高価なのかといえば、ひとつには数が売れないからということがある。つまり音のクオリティが高いから高価だとは言い切れないのだ。沢山売れれば、単価はもっと下げられるのであるが、発売前の見積もりとしても多数は売れそうもないし、実際売ってみても昔ほど数が出ないのである。だから初めから高くして売る。そうなるとこの価格設定にはメーカーや代理店側の保険のような意味もありそうだ。本来は音がいいから高価、となるべきなのだが、そういう側面は意外に低く抑えられている。仮に音は良くてもコスパは昔より悪いのだ。

一方で、
昭和期まではオルタナティブな立場に終始し、あくまで脇役でしかなかったイヤホンやヘッドホンが今までのスピーカーオーディオとは別な場所に、新興のデジタルファイルオーディオやアニソンの要素を取り込みつつ、新たな王国を打ち立てつつある。
もちろんこれは伝統があり様々な意味で大規模でもあるスピーカーオーディオの土俵で戦えば、たちまち打ち負かされるようなものかもしれない。だからこそ自分で別な新たな土俵を作り上げたのである。(これはどこか既存の貨幣とビットコインの関係にも似ている。これからは個人が自分の好きな経済圏を選択できたり、跨いだりできる時代となるが、それに似ている。)
この新天地において、もういちどハイエンドオーディオの旗をひるがえすことはできないかと私は模索してきたが、D8000の音を聞いて野望の実現への手掛かりをつかんだ気がする。思えばRe Leaf E1の登場時にもそれに近い手応えを感じたものだ。そしてこのD8000の登場で新しいヘッドホンオーディオの姿が完成した形で見えるまでに整ってきた感がある。もちろん問題も生じてきている。例えばヘッドホン・イヤホン機材も一部は高価格化し、安価で手軽な製品と二極化して、スピーカーオーディオと同じ轍を踏みかねない状況が出来ている。しかし、なにはともあれ、その芽吹きの予感から10年ほどかかって、ヘッドホンやイヤホンの音質がここまで発展して来たことは評価すべきである。レクイエムを歌うにはまだ早いにしても、着実に黄昏を感じるスピーカーオーディオより、よほど前向きな動きだと思う。

何があろうと、
私はこれからしばらく、Final D8000を軸にしてヘッドホンオーディオの可能性を追求していく。この機材はおそらく私のヘッドホンオーディオにおいては画期的な機材であり、時間とカネをかけて仕上げてゆく価値のあるものだろう。
スピーカーオーディオを散々やったあげくに、自分のオーディオにどこか退屈さを感じ始めていて、なにか新しいことに手を出したいけど、ヘッドホンはブームなだけで音質は今一つだから、などと思っている方が日本には多くいるはずだ。そういう方には十分な前段機器と静かな環境というのが前提条件であるが、一度D8000を試してみることをお薦めする。自分の知らなかったオーディオのフロンティアに気付くかもしれない。
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それにしても、
オーディオの世界ではD8000の出現を、
なぜもっと大きく騒がないのか?
今の私には皆の無関心が至極、勿体ないものに映るばかりだ。



# by pansakuu | 2018-01-29 16:33 | オーディオ機器

Final D8000 平面磁界型ヘッドホンの私的レビュー:約束の地

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私はαでありΩである。
ヨハネの黙示録より

Introduction:

ふりかえると、
今年という年はそれまでヘッドホン界を包んでいた
異様なほどの熱気が幾分か冷めてきたことをネガティブな要素として感じたものの、
そのせいでむしろ、ニワカは去り、選ばれた本当のファンだけが居残り、製品の方も機能的に高度に洗練されたものや、高い音質への志を持ったプロダクトだけが生き残り、
かえって一つの趣味としては熟成してきたことをポシティブな要素として受け止められた一年だったと思う。

そのような選別、洗練化の流れの中で注目すべき製品として、今年最後のコラムで紹介したいのがFinal D8000というヘッドホンである。これは久しぶりに衝動買いしたオーディオ機器だ。初めに試聴した部屋を出た時には、もう購入の申し込みをしていた。

これは生まれながらに名機としてリスペクトされるべく現れた、運命のヘッドホンである。
私見だが、D8000は音質面に限れば現在、世界にあるヘッドホンの頂点に立つものであり、次世代のリファレンスヘッドホンであり、ヘッドホンの音質を新たな段階へ引き上げる製品であろう。
このヘッドホンを駆使する者は、どのようなスピーカーでも実現不可能な、ハイエンドヘッドホンだけに許されたオーディオの可能性を深く感得することができるだろう。D8000誕生以前のヘッドホンオーディオのスタンダードからすれば、いくら賞賛しても足りないほどの音質がここにある。

D8000が生まれるために必要だったのはいくつかの出会いである。
そもそもオーディオとは人と人との出会いがつくる何かである。
しかし、その出会いがいくら良い出会いであっても、ひとつでは足らないこともある。
幾度もの出会いがなければ、良い製品は生まれない。
多くの才能との一期一会、最初であり最後である出会い達から名機は創生される。D8000のサウンドはFinalという核があってこそ出来たのは確かだが、このメーカーの技術のみでは成就しなかったはずだ。社外の多くのエンジニアたちとの交流なくして、このサウンドはなかった。一人の天才の力だけでは既にどうすることもできないほど、オーディオも社会も発達し複雑化してきている。やはり沢山のいい出会いがなければ、もう素晴らしい製品は生まれない。それを証明した意味でも、このサウンドの意義は大きい。


Exterior:

D8000の実機は重い。LCD4ほどではないが、Utopiaよりも明らかに重たい。装着すると、まあまあ違和感なく収まるし、頭頂部も痛くないが、上体を前に倒すとヘッドホンは前にズレてくる。側圧が少し弱いか。例えばHD660Sを使っているが、こちらは逆に側圧が強いというか、パッドが盛り上がり過ぎているうえ、硬い。反対にD8000はパッドが柔らか過ぎるか。いずれにしろ装着感の改良がさらに必要だ、しかし、このパッドは音質に深く関わるので安易には変更できない。側圧もだ。

以前、Finalのセミナーに出たことがある。社長のH氏が出てきて長い講釈をしてくれた。その時は大学の退屈な講義を思いだして辟易したものだった。こういう場合、Youtubeにでも内容をアップしておいて、説明を字幕で見せながら、製品を試聴させるというのが現代的なやり方だろうと思ったが、まあそれはいい。そこで、Finalはパッドにこだわって音質をチューニングしていますというH氏の発言があり、興味を惹かれたということを私は言いたいのだ。その当時、私はちょうど或る方面からHD650の音質を改善するための別注イヤーパッドの開発について意見を求められていたので、誰しも同じようなことを考えているのだなと思って微笑ましかった。
問題のD8000のイヤーパッドは私が今まで見たヘッドホンのなかで最も複雑な構造をしている。厚めのストッキングのようなサラサラした感触の布でドーナツ型の袋のような形のスキンを作り、その中に二種類の異なる形状・硬さのドーナツ型のスポンジのようなものを入れてある。それらはおそらくあえて接着固定されておらず、しかもその二つのうちヘッドホン側のものには内側に切欠きが入っている。Finalらしいというか、求める音を得るためにかなり入念なチューニングがなされたことが、触れただけで分かろうというものだ。この会社の開発はこういうギミックとか材質の選択には余念がない。
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ハウジングは特殊金属製と推測される黒い円板状のものであり、放射状にリブが入っている。中央部にドーナツ型のメッシュが入ったパンチングメタルのプレートが嵌め込まれているのが目につく。よく見ると小さな穴がびっしりと開けられている。このパーツがこのヘッドホンのキモの部分らしい。それというのも、このヘッドホンは振動板の過剰な動きを的確に制御するため、空気の粘性を利用したブレーキのような仕組みを持っている。これがAFDS、エアフィルムダンピングシステムと名付けられた機構である。この細かい穴の開いた部品は、振動する薄膜がマグネットに接触しないようにブレーキを効かせる際に、空気を適切な時に適切な量だけ外に逃がすように設計されている。このブレーキ・制動の働きの良し悪しは、その形状とメッシュの穴の大きさ・配列にかかっているわけで、その製法の詳細はFinal社の最高機密であろう。そういえばMDR-Z1Rのハウジングにも、内部の圧力をステンレスワイヤーで編んだ網やダクトを使って絶妙に逃がす仕組みがあるが、どちらも特殊なメッシュを使うところに共通項がある。なお、この仕組みはイヤーパッドの側頭部への密着性や圧力の透過率にも依存しているはずで、この意味でイヤーパッドの材質の選択、形状の設計も重要なファクターと推測される。これだけ高額なプレミアムヘッドホンにしてイヤーパッドを革製にしなかったことはその証拠ではないか。
なおこのAFDSという仕組みこそ社外からのアドバイスを取り入れてできたものらしい。後で述べるがD8000のサウンドの素晴らしさ、特に低域のグリップの良さはこの仕組みによるところが大きいようだ。
メーカーのHPにはその他、特殊な製法で作られた振動版のことを含めて、いくつかの技術要素について説明されているが、実機を十分な環境で鳴らすとその程度のことでこのサウンドが完成するとは到底思えない部分がある。隠されたノウハウや互いに関連のない技術の偶然の一致がこのヘッドホンが作られる過程に介在しているに違いない。

またD8000のメッシュの面積はハウジング全体の大きさに比してあまり大きくないので、このヘッドホンはさしあたりライバルの一つと思われるSTAX SR009のような純粋な開放型ではなく、半開放型ぐらいな作りになっている。そのせいかSR009に比べると音漏れは若干少ないし、逆に周囲の音にあれほどは影響されない。

ハウジングの5か所にある放射状のリブは、ハウジングに強度を与えているだけでなく、このヘッドホンのデザインを作っているようにも見える。実際、このリブがあるおかげで、D8000は装着時のルックスがいい。だがこの特殊な金属製のハウジングはやはり重い。同時期に出たオーテクの極めて軽い製品などと比べると、ヘッドホンとしては望ましくないと判定されそうだ。しかし、この重さと剛性はD8000のサウンドの形成に不可欠なものとも思う。LCD-4の時もそうだったが、望む音質を得るためには相応の重量がヘッドホンといえども必要になることがある。
さらに、このハウジングの黒い塗装である。
ライカカメラの軍艦部などの塗装を担当するドイツの会社に特注しているらしい。
ここまで外観の色や質感にこだわったハウジングは久しぶりに見た。TH900の塗装やEditionシリーズのプレミアムウッドなんかを想い起すが、なるほど、この深みある黒はブラッククローム仕上げのライカのようだ。この僅かにざらつきのある鋳鉄のような表面の質感にも、ドイツっぽさ満載である。H氏はあの講義でもライカへの思い入れを語っていたっけ。あのライカのブランドバリューを自社の製品イメージに取り込みたいと言う日本のモノづくり会社の社長さんが少なからず居るが、H氏もその一人らしい。
私もライカが大好きなので、そのへんはよく分かるが、そんな音質に関係ない塗装にカネをかけるよりは安くしてくれーという叫びが若い世代から聞こえてきそうだ。
私としてはブラッククロームができるのだから、ライカのようにクロームシルバーを出してほしい。D8000がいっぱい売れて余裕ができたら、そういう特別モデルを出しても面白い。

D8000のヘッドバンドやスライダーの作りはごく簡素で、例えばMDR-Z1Rなどと比べるとチープである。実際に使っているとスライダーにストッパーがないのでイヤーパッドが決めた位置から少しずつズレてしまう。クリックストップのあるものに変えるべきだろう。私は厚い両面テープをヘッドバンド裏の目立たないところに貼って、ハウジングの位置が動かないようにしている。こうすると音の方も一層安定する。またヘッドバンドの皮革は触ってみるとささくれが微かだがはっきりある。これはわざとなのかクオリティーコントロールの問題か。
ハウジングはヘッドバンドと一点で結合され、その一点を中心にグリグリと動いて側頭部の形状にフィットさせる方式である。よくあるY字型のアームでハウジングを吊る方式ではない。これは他のメーカーはあまりやっていない方法であり、長い目で見て、強度が保てるのかが分からないので少し心配であるが、とりあえず不都合はない。
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D8000、リケーブルはもちろんできるのだが、ここで使われるFinalの純正端子はかなり独特なものだ。端子を決められた方向に90度ねじらないと取れないし、結線することもできない。
私は端子の外側にねじる方向を示す矢印が欲しかった。ねじったあと、これで外れているのかどうか分からないときがあるのだ。
それから、まだ正式なアナウンスもされていない純正としての潤工社製シルバーコートリケーブルを使ってみたいのは山々だが(潤工社のケーブルの音の良さはACデザインの頃から知っているので)、サードパーティのリケーブルも試してみたい。だがこの端子ではなかなか難しいか。私は純正のシルバーコートリケーブルをXLR3pin×2で早急に作ってもらいたかったのだが、問い合わせすると、当面は純正品としてのXLR3pin×2のシルバーコートリケーブルの販売は予定していないとのこと。
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そういうわけで、今回はリケーブルをBrise audio様に頼むことにした。Brise audioはいつも新しい製品への対応が早いが、ここでも素早い反応を見せてくれた。電話で問い合わせるとfinal 専用の端子を使った試聴用のバランス仕様のケーブルはアッという間に届いた。
UPG001HP Ref.と呼ばれるこのモデルはくっきりとした輪郭と豊富な音数を特徴としていると聞いていた。実際このバランスリケーブルを使ってみるとFinal純正のシングルエンドケーブルよりも音像はソリッドになり、音場は広がって、音全体に安定感が出てくる。少なくともヘッドホンに同梱されているケーブルよりは明らかに手持ちのE1xとのマッチングはいい。正直、付属のシングルエンドの純正ケーブルには戻れない。リケーブルとしては、まずはこれで良かろう。


Sound:

さて、ここからは音質の話をする。D8000をいろいろなアンプやDACで鳴らした話は横に置き、私が試した中では一番音のいいシステムでの印象を記す。今回のシステムは無改造のPCとUSBで結線したNagra HD DACにRe leaf E1xをバランス接続、Brise audio様から借りた4pin端子仕様のUPG001HP Ref.にXLR3pin×2のアダプターを取り付けたD8000から成るものである。

それから、以下のインプレッションはこれらの一見オーバーとも取れる機材を前段においてこそ聞こえるものだと思ってもらった方がいい。わざわざここでそんなことを断るのは、D8000はそれほど前段機器の実力をあからさまにするものだからだ。
幾つかのハイエンドヘッドホンアンプを試したがD8000を鳴らすのにRe leaf E1xの右に出るものは見つかっていない。THA2ですらRe leaf E1xにはかなわないのだ。
またいくつかのシステムを試した経験から、DACの能力は高ければ高いほど出音が良くなるのも分かった。それは当たり前と思われるかもしれないが、普通のヘッドホンではハイエンドDACの出してくる情報をさばき切れないものが沢山ある。優れたDACを用いても、システムトータルの音のバランスはかえって悪くなってしまうこともある。だが今回は逆にDAVEやMytek のManhattan2ですらD8000の十分な相棒とは映らなかった。
dcsのRossini+ClockやCHprecision C1+X1、Weiss Medus、Meridian Ultra DAC以上の完成されたサウンドを持つ機材が望ましいと判断する。そのクラスのDACが放つ音を十分に受け止められるだけの性能がこのD8000には備わっている。ヘッドホンではほぼ初めてのことである。このような上位のDACを渡り歩いた後では、それ以下のDACの音では、その実力差が聞こえ過ぎてしまうと私は感じた。こうしてDACの残念なポイントがバレると思うと、D8000を使うことは少し怖い気もする。D8000は場合によってはハイエンドスピーカー以上にDACを厳しく評価してしまう。スピーカーはごまかせてもヘッドホンはごまかせないという名言を吐いた録音エンジニアさんがおられたが、まさにそうなのである。いままでの私の感覚だとハイエンドDACの情報の8割ぐらいしかヘッドホンでは聞けない場合があるので、その目減り分を補うべく、初めからややオーバークオリティのDACを当てたり、HPAの性能を上げたりしていたのだが、D8000では逆の現象が起きている。
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Final D8000を使っていて真っ先に感じるのは、
これまでいくつものハイエンドヘッドホンやスピーカーを、これまたプレミアムなDACやらアンプを使って頑張って鳴らしてきたが、それでも聞けない音があったということである。D8000を組み込んだシステムでは従来のヘッドホンやスピーカーと比較して、全ての帯域で情報量が明らかに増えている。特に低域における情報量の増大に目覚ましいものがある。これはヘッドホンに限らずスピーカーを含めてもかなり情報豊かな低域と言えるのではないか。人として恥ずかしいほどのレベルでヘッドホンやスピーカーに傾倒してきたのに、アンタはなんにも聞けていなかったじゃないかと言われれば返す言葉もない。これではD8000以外のヘッドホンでは特に低域の情報がかなり失われていたと認めざるをえない。どこかでごまかされた、うやむやにされたような音を私は聞かされていたのかもしれない。
D8000の低域はスピード感もインパクトも制動も他のヘッドホンにはないものがある。量感に不足なし、歪みは極小、適切なタイミングで立ち上がり、たちまち消える。こんな低域などほぼ聞いたことはない。良質なダイナミック型を上回るほどのインパクトがありながら巧みに制動が効いた低域でもある。

ヘッドホンシステムを完璧にして初めて聞こえてくる音があると思い知らされるリスニングがD8000が来てからは何日も続く。
聞きなれた録音の中に、こんなに多くの音が潜んでいたとは。
この潜伏音の聞き逃しは、ちょっとしたショックである。
例えばラルフ タウナーのソロアルバムAnthemを聞く。これはタウナーがひたすらにギターを弾いているだけのアルバムなのだが、これまでこれらの曲を、それなりハイエンドシステムで聞くと楽器から出る音に加えて時々タウナーの息遣いがリアルに聞こえたりする。それで十分だったのだ。しかしヘッドホンをD8000に替えると、タウナーが生きている人間であることがもっと切実に意識される。演奏中ずっと彼の呼吸音が聞こえるからである。この呼吸音はかなり小さな音だが、マイクロホンはしっかり捉えていたのである。呼吸音は持続的で時に規則正しく、時に乱れる。タウナーの感興に合わせて変化しているようだ。またタウナーが座っていると思われる椅子がきしむ音も聞こえる。このアルバムは何百回と様々なシステムで聞いているが、そこは初めてはっきり聞こえた。この音の存在はコンピューター上で合成されたサウンドなのか、生きている人間がスタジオに入ってマイクロホンと向き合って一発録音されたもののかを分けるポイントでもある。
そういう重箱の隅の音が聞こえたからなんだ、という意見も出そうだが、私はそうは思わない。朗々と響き渡るギターのつまびきが、いままで聞こえなかった細かな音の情報を伴っているので、従来のよりずっと生々しく鮮烈である。
例えば今はアジアンカンフージェネレーションのソルファを聞いている。音量をすこし上げるとボーカルが本当に目の前にいるようだ。リズムとメロディに合わせて潤いを含んだ口を開けては閉め、周囲の空気を吸い込んで暖かい息を吐き出す。これが生きているボーカリストというものだとリスナーは体感する。細かい音の情報はあくまでつくりものであるはずのヘッドホンサウンドに命を与えてくれる。

小さな音が聞こえることと同値であるが、
D8000のサウンドでは余韻がとても長く、音が消え入る最後の一滴まで耳に届くことが嬉しい。手練れたサイフォニストに淹れてもらったコーヒーのアロマのように長く尾を引いて脳裏に残るといった具合だ。さらに、こんなにもきめ細やかな音の輪郭、丁寧な質感描写もほとんど類例がないレベルだ。近いものがあるとすれば唯一SR009だろうか。SR009にも特筆すべき音の丁寧さ・繊細さがあったが、D8000はそれをそっくり移植したうえで、低域を中心としたもっと明確な実体感をプラスした音を奏でる。

また、D8000は自分の得意とする音場・音源との距離感をリスナーに押し付けない。録音され製品化される過程でエンジニアが音楽に与えた音の広がりをそのまま出してくる。すなわちD8000については出現する音場が広いとも狭いとも言えないのが本当のところだ。様々なジャンル・時代のアルバムをとっかえひっかえ聞いていくと音像の遠近や位置関係が作品ごとに実に多彩であることがわかる。音がほぐれて遠くにいるときもあれば、密集して耳のごく近くに迫ってくるように聞こえる音もある。例えばHD800は普通に使うならよくできたヘッドホンではあるが、これらの距離感がどんな録音でも一様になってしまう。D8000はそこの部分に注意して聞くリスナーに対しては録音のシュチュエーションや音楽制作の過程をどのヘッドホンよりも親切に教えてくれる。これは録音スタジオなどでモニターヘッドホンとしても使えそうだ。
録音状況がよく見えるようになれば演奏の細部も当然よく見えることになる。演奏の溜めの部分、インタープレイの目くばせとそれに対する反応、そして演奏の始まる瞬間に奏者たちが呼吸を合わせる合図が見えるような聞かせ方である。これらは本来DACやアンプに依存する部分が大きいはずだと考えていたが、ヘッドホンが従来よりも小さな音にしっかりとタッチできるようになってこそ、聞こえてくる部分もかなり大きいのだと知った。

それから、意外だったがパワーがかなり入る。ボリュウムを挙げるとさらに情報量が多くなって驚く。大音量だとまるで音が沸き立つように聞こえる。音像がダイナミックに音場一杯に躍動する様子は大音量派のオーディオファイルのリスニングを彷彿とさせた。ここまでアグレッシブにもなれるのに、一方では細部への冷静なまなざしを失わないのも素晴らしい。音楽のノリに流されないで小さな音を常に監視する。
また格別に大音量にせずともこのヘッドホンの出音は頭の一番深いところにまで届いてくる。この鳴りの良さはなんなのだろう?こんなにディープインパクトなサウンドはあり得ないと思っていた。音の直進性と広がりはスピーカーでの評価項目だが、それをあてはめたくなるほど、音がこちらに飛んできたり、広く深く浸透したりするように聞こえる。

D8000の音の出方は耳の上になにもかぶせないで聞いている状態に近い。SR009もなにもない場所から音が立ち上がるような不思議な感覚を持つがそれに近い。頭が重たいのでヘッドホンをしていることは意識できるが、音がそこから出ているようには聞こえない。
よくスピーカーで聞いているように聞こえるヘッドホンとい謳い文句があって、私も使ったことがあるが、ある程度はお世辞が入っていたかもしれないと反省。D8000は世辞抜きでさらにスピーカーに近い音の出方をする。SR009にはここまでの鳴りの良さ、パワフルな音の出方がないのが惜しい。
D8000は楽器と楽器の間にある空間の存在、音が立ち上がる寸前に置かれた静寂の質についても描写を怠らない。実は音がない場所はこの世界にほほとんどない。どのような静寂の中にもエーテルのように微かな音が流れている。それを捉えるには軽い振動版が必要であり、SR009やLCD-4などはそこを狙って工夫をこらすのだろう。だが往々にして完璧にならない。D8000はその方面での稀有な成功例なのだ。こうなると各パートの分離は非常に良好となり、多くの楽器や演奏者を分離して意識することが可能となる。

D8000の出現でハイレゾデータに対する印象も変わる。ただ単に音数が増えるだけでなく、音の密度がグッ上がるのだ。基底データよりも目が詰まった、粒立ちがよく、色彩感にあふれたサウンドになるのが分かる。ハイレゾの情報量をヘッドホンはまだ使い切っていなかったようだ。

D8000のカバーするダイナミックレンジと使える周波数帯域はヘッドホンとしては異例に広い。特に低域の伸びは著しい。高域も自然に伸びていて好ましい。そして特に突出して目立ったり、落ち込んでいる帯域は聴感上はほとんど感じられない。平面磁界型では薄くなりがちな中域に十分な厚みが確保されていることも注目すべきだろう。D8000をつないでいる私のシステムについてはもともと残留雑音(S/N)に関しては極めて優れたものであることは疑っていなかったが、それはD8000を使うことで証明されたように思う。背景の静寂がアルバムごと・録音ごとに感触がちがうこともよく聞こえる。録音に使用した機材、録音された場所・時代の違いが音が出る前に感じられる場合がある。

さて音質に関する御託はこの辺にとどめておいて、他のハイエンドヘッドホンと思いつくままに比較してみよう。あくまで私的なコメントとしてだが。
STAX SR009はこの世界では標準機としての地位を固めているが、このヘッドホンには低域の量感や全帯域にわたってのもう一歩の実体感を求めたかった。D8000にはそれらが完全に備わって不満がない。またSR009は十分にドライブできるヘッドホンアンプがほとんど選べない。T8000とBlue hawaiiくらいしか思いつかない。だがD8000では最適にドライブするHPAを豊富な選択肢から選べる。
Focal Utopiaのサウンドは鳴りがよく、全域にわたり解像度が高い。しかしアンプとの相性は限られ、べリリウム独特の音の密度感や重さを引きずっている。Utpoiaよりもはるかに軽い振動板を使い、低域についての最適解を見出したD8000に勝るとはいえない。また音質とは関係ないが、このメーカーのヘッドホンの内外価格差は正規代理店経由での購入を躊躇させるのに十分なものとも言える。国産のD8000には、その悩みがない。
話題のオーテク ATH-ADX5000。(SS誌がこのヘッドホンを年末のグランプリで唐突に取り上げたことに違和感を感じたことは置いておいて)軽さや装着感などではD8000は完敗である。というか、このヘッドホンはその点で言えば世界のほとんどのハイエンドホンを寄せ付けないものがある。音についても今までの基準を適応するならとても優秀なものである。これは鳴り物入りで来たわりには不人気だったSE-Master1の音質上の問題点を後出しで改良したようなモデルである。オーテクが久々に放つオープンタイプのヘッドホンの自信作、バランスよく開放的な音を奏でる優秀機である。しかし音のひとつひとつの要素を考えると、今までのヘッドホンの枠の外には出ていない。私にしてみれば想定範囲内の優秀機なのである。対するD8000のサウンドは全てにおいて想定外の世界に突入している。またATH-ADX5000の低域については私的には量感やインパクトが足りない。この低域ではまだ空振りしていると私は取る。もちろんD8000出現まではこの程度で良かったのだが・・・・。D8000との間には価格差はあるが、相応の音質差があると見ていい。
ETHER FLOWはD8000ほど鳴りは良くないし、帯域がフラットでなく、固有の響きが見え隠れする。それから音の解像度もATH-ADX5000ほどのものでさえない。これはD8000と比較する前にATH-ADX5000と比較されるべき存在かもしれない。
Sennheiser HD800sについては装着感と音質、価格などを総合して考えるととてもよくできていると思うが、D8000と比べると音質面ではもはや勝負にならない。D8000はHDシリーズとは一世代違うサウンドを奏でるものなのである。さらにSennheiser には、かなり高級なセット品としてのHE-1が切り札としてあるが、こちらは真空管を使うアンプ部が残す音の甘さをどう考えるかが評価の分かれ目となる。外観、ギミック、音に独特の豪華な味わいを求めてHE-1を選ぶのなら理解できる。だが、ヘッドホンから出てくる音の質のみを単純に比較した場合、相応しい前段機器でドライブされるD8000にHE-1システムが勝るものとは私には思えない。

意外なことだがD8000の音の良さのあらましを知るだけなら、AK380などのハイエンドDAPを使えば十分のような気がする。つまり、世の中の平面磁界型ヘッドホンとしては鳴らしやすい部類に属する。SUSVARAのようにOctave V16 SEにSuper Black boxをあてがったり、Goldmund THA2を使ったりしないと実力を測れないような難物でない。つまりSUSVARAはその使いにくさから既にD8000には劣るということだ。SUSVARAの鮮烈な音像の描写と高域の美しさは唯一無二ではあるが、中域・低域の描写力はD8000に劣るし、音場の描き方も十分とは言えない。ついでにいえばSUSVARAはHifimanの中では最も仕上げのいいヘッドホンだが、リケーブルのコネクターの本体への差込み角度のばらつきなどを見ているとまだ完璧ではない。D8000の方は神経の行き届いたしっかりとした造りとなっている。同社のHE1000V2はどうだろう。こちらはD8000と同等の空間表現を備えるが、音像の明確さや音のテクスチャの表現力はやや劣っている。しかもSUSVARA同様、鳴らしにくい。
D8000の真のライバルがいるとしたら最新バージョンのLCD-4だろう。これは軽い振動板をパワフルに鳴らす、究極のヘッドホンを目指して作られた機材であって、D8000と似たコンセプトを持って生まれてきたものである。実際、高域や中域の充実はD8000にそれほど劣らないと思う。LCD-4はしばらくD8000とほぼ同じ環境で使っていたのでよく分かる。だがD8000の方がやはり聞こえる音数がかなり多い。それから低域の充実度もより高いし、鳴りもより良いのでD8000はLCD-4より総合的に勝っている。それから何といっても、D8000はまだ故障していない。audeze lcd4は届いて2週間もたたないうちに本国に修理に出さなくてはならなくなった。


Summary:

大学生の頃、ニューヨークのセントラルパーク沿いのホテルに一か月ほど居たことがある。真夏の緑に染まったセントラルパークを眺めながらゆるやかに過ごした日々。
あれは私の経歴の中で最もヒマで退屈な日々だった。
私はクリスチャンではないが、その当時ミルチア エリアーデに傾倒していたことと、そもそも世界中の主な宗教の経典を一通り読まないと大学の単位が取れそうになかったので、コーランや論語、般若心経や阿含経、いくつかのヴェーダなどに混じって新約聖書を革製のトランクに入れて持ち込んでいた。窓辺の明るい光の中でその中にあるヨハネの黙示録にさしかかったとき、例の有名な一行が目に留まった。
「私はαでありΩである。」
この種の短く重い言葉が多くの解釈を生むことをその時初めて知った。
αとは最初の存在、Ωとは最後を意味しているので、この言葉はすなわち「全て」、ひいては「神」を指しているというのがよくある解釈である。
だが私はこのときαとΩの間にある20数個のギリシャ文字のアルファベットを想起した。一般的な解釈を超えて多くの異なる要素の統一体としての「全てを含む存在」をイメージしたのである。なぜだろう。遠い未来にはD8000を聞いてその勝手な解釈を思い起こすためだったのかもしれない。

Final D8000はヘッドホンに対してハイエンドオーディオが要求する、ほとんど全ての音質的ファクターをほぼ死角なしで揃えた、初めてのヘッドホンである。αからΩまで全ての要素を持っているのである。
またFinal D8000という一つのヘッドホンは多彩な経歴をもつエンジニアたちの知恵が集結したものである。これはヘッドホンオーディオというジャンルが生まれるはるか以前から続く、音響物理の研究成果と高音質を求める情熱、それらを統一した存在と考えられる。D8000はその意味でαでありΩであるモノだと言える。
そしてD8000は最初であり最後でもあるヘッドホンかもしれない。これほどの高性能、各要素のバランスの良さをもつヘッドホンが次々と現れるとは考えにくいからだ。このヘッドホンの技術要素のコアとなる部分について重要な助言をした日本オーディオ界のレジェンドN氏はD8000の完成直後に世を去ってしまわれた。これから先、有能なベテランエンジニア達は消えゆくのみなのだ。こういうヘッドホン・イヤホン隆盛の時代にたまたま出会った、時代を跨ぐ才能のマリアージュが、この素晴らしいサウンドである。ならば、そんな偶然が再び起こるとを安易に期待することはできまい。だからこそ今、このサウンドを味わうべきだ。38万円は高くない。
そして何より、このヘッドホンは私にとっては神の器のごとく有り難いものに思える。
「αでありΩである」という言葉が神を指し示すなら、その意味でもD8000はこの謎めいた言葉に合致する存在だ。ヘッドフォニアたちを約束の地へと導く、ヘッドホンの神がいるなどと想像したこともなかったが、初めてD8000を聞いた時、そんな図式が頭に閃いたことを私は否定しない。

冗談はさておき、
Final D8000の登場はヘッドホンオーディオのスタンダードを一段高いステージへと引き揚げたことは事実である。この複雑で偉大なサウンドを一回の混乱したコラムで語り尽くすことは到底無理だが、私の中ではD8000以前と以後で他の全てのヘッドホンの立ち位置が変わってしまったことだけは確かだ。
いきなりずいぶん高いところに新たな頂点が出現した。
別な例えをするとしたら、100mを8秒台で走るアスリートが突然日本から現れたというところか。
これは最近のスピーカーオーディオで言えばAir force ONEやMSB Select DAC、イヤホン界で言えばAK380、JHのLayraのような画期的な新製品が現れた時に似ている。それらの登場の時と同じくここからオーディオ全体に密やかな影響をおよぼすような変動が始まる予感さえある。もちろんそれは見かけ上小さな変化かもしれない。感覚を研ぎ澄ませ、注意深く耳を澄ましている者にしか知り得ないかもしれない。だが・・・・・・。
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そろそろ宣言してもよかろう。
我々は荒野の果てにある、約束の地と思われる場所に辿り着いた。
αでありΩであるなにかが、そこに私を連れてきたのである。



# by pansakuu | 2017-12-31 16:01 | オーディオ機器

Audio note GE-10フォノイコライザーの私的インプレッション:幻想の霧の中で

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霧が晴れるのを待っていても仕方がない。
だから、私は霧の中で一人踊るのだ。
カリディアス(作家)



Introduction

オーディオ機器の中で
私が最もファンタジー=幻想性を感じる機材はフォノイコライザーである。
単体でオーディオにおける音の美というものに
これほど貢献する機材を私は他に知らない。
そして、その他を知りたい思わないほど、
私はフォノイコライザーが好きなのである。

フォノイコライザーとは、カートリッジから来た微弱な信号に、あらかじめ決められた再生カーブに従い、低域成分を大きく、高域成分を小さくする補正を施して出力する機械に過ぎない。だが、優れたフォノイコの生み出す音の変化は他のどの機材でも醸し出せないものがある。これはアナログシステムの音色を決めるものである。

先ごろ、私はAudio Noteの最高級システムを詳しく聞く機会に恵まれた。
そこで初めて聞いたコンポーネントといえば、フラッグシップフォノイコライザーであるGE10のみだったが、この秀機を擁するAudio Noteのシステムの出音に、私は強い印象を受けた。
しかし、その感覚を言葉にするのには、しばらく時間が必要だった。
それは物理と数学を基礎とする電気工学の塊から、科学とは無縁のようにみえる幻想的なサウンドが霧のように湧いてくるという矛盾した体験を表現するのに手間取ったからではない。
そのサウンドの外にある、この機材の存在意義について考えていたせいだ。
私は、この体験を表現することに心の奥で戸惑い続けていた。


Exterior

ここで略称するフォノイコライザーGE10の正式名称はGE-10ステレオCRタイプ フォノイコライザーアンプリファイアーである。
試聴時に頂いたカタログの中ではフォノイコライザーという言葉は使われず、フォノアンプという呼称が採られている。イコライザーとつくと信号を補正する機能が前面に押し出された名になり、フォノアンプと言うと信号を増幅する意味が入ってくる。この名付けははたして意図的なものだろうか。実際にGE10を聞いても、なるほど音を増幅する機械としての側面が強く感じられた。

GE10は二筐体から成る。高級機でよくある電源部を別筐体とするものであり、その構成自体は珍しくない。
一般にフォノイコライザーは装置の丈が低く、平らなものが多い気がする。ターンテーブルの真下に薄型の筐体がひっそりと滑り込んでいるようなセッティングの図式を思うものだ。
GE-10については筐体の丈の高さがフォノイコライザーとしてはかなりあるというのが気になった。これは真空管を立てて内蔵したうえ、内部が銅のパネルで仕切られた二階建て構造になっているためらしい。

内部には8本の真空管(E88CC,6072,6CA4)とAudio Noteで手作りされる大型銀箔コンデンサーを含むCR型のイコライザー回路などがシルク巻きの銀線で結線され整然と納まっている。モジュール化されたフォノアンプ部はコンパクトだが、筐体はこれだけの大きさがあり不釣合いな感じもする。パワーアンプのKaguraと異なり、トランスの巻線は銅線であるが、大規模設計のシャント型ヒーター電源回路、大容量のリップルフィルターコンデンサ、片チャンネルあたり二個搭載されるチョークなど、電源部はフォノイコライザーとしては豪華なものである。そして驚くべきは、出てくる音がカタログのスペック欄に記載されている内容から連想されるものより、さらにハイレベルなものであること。カタログでは語られない、多くのノウハウがここには内包されているのだろう。

電源部と本体のフロントパネルには二系統の入力を選択するダイヤルと電源ボタンなどがあるばかりで極めてシンプルである。入力選択の他に機能らしいものといえば、リアパネルに抵抗切り替え式のローカットフィルターが実装されているのみ。ただ、これは操作しやすいものではない。裏にまわって見えにくい場所にあるトグルスイッチを操作するのだから楽じゃない。フロントパネルに多くの機能を集約するEMT JPA66などとは異なる。
そのリアパネルも実にシンプル。RCAの入力が二系統あり、RCAの出力が一系統あるのみ。最近話題のXLRバランス入力も出力もない。これでは他社機との接続をあまり考慮していないと取られてもしかたない。これほど高価なフォノだが、接続の発展性が低いというのはプラスにならない。
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今回の試聴システムはAudio Noteの最上級のコンポーネントを組み合わせたものであり、いわばその総力を結集したものとなる。
アナログプレーヤーはGINGA(写真でみると巨大に見えるが実物はAir Force ONEなどと比べれば以外にコンパクトかつ簡潔なつくり)。
昇圧トランスは純銀線巻のSFz(あまり知られていないことだがGE-10はあえてMM専用のフォノイコライザーとしたのでトランスは必要)。
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プリアンプはG1000(究極ともいわれた先代モデルを超えたと評される素晴らしい音を出すが、これまた機能の少ないプリ)、
パワーアンプはKagura(私が個人的に高く評価するBoulderの2000シリーズのアンプを超えるという話もある素晴らしいアンプ)。
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これらをつなぐケーブル類も銀線を基材としたAudio Note純正のケーブルである。
(ここでは以前大人の事情で紹介できないと書いた、あの電源ケーブルが使われている)
なおレコードカートリッジは私の見立てでは完全な純銀伝送回路を持つIO-Mであり、シェルリードまで純銀製であったようだ。もちろん、これらも全てAudio Noteの純正品である。つまりスピーカーを除く全てのコンポーネントのマッチングがAudio Noteで調整済みの組み合わせなのだ。Audio Noteの製品はもともと純正組み合わせを前提としているようなところがある。それは海外では一般的なオーディオの揃え方であるから、日本以外ではこれでいいのだろう。このメーカーが海外で評価が高いのは純正組み合わせを揃えて聞く習慣とも関連があると思う。
スピーカーはもうかなり前のモデルになるがB&Wのノーチラス801である。こういう古いB&Wを久しぶりに見た。まだ使われているのだなぁと感慨。Audio Noteは今でもこんなに古いスピーカーで音決めをしているのだ。最新のB&Wのシリーズとは全く異なるやや鈍重な38cmウーファーを持つ、いささか古風なスピーカーで音を決めることが良いのかどうかは分からない。Audio Noteユーザーにアンケートでも取って、果たしてこのスピーカーで音決めしていいのか、考えてもいい。38cmウーファーを持つスピーカーのユーザーが多いのなら、この選択は正しいから。
ただ、この試聴室のスピーカーは常にAudio Noteの機材で鳴らされているため、AudioNoteの調子に馴染んでいるようだったのは確かだ。ちょっと出音を聞くだけでも、このスピーカーの使用を頭ごなしに否定できないのは明らかだった。


The sound

試聴して先ず感じたのは、
初めて聞くレベルの音色の濃さである。
これは滅多に聞かないほどの濃厚で鮮やかな色彩感を持つサウンドである。
ふと考えると、聞こえる音に色を感じること自体、とても奇妙なことだ。
オーディオファイルというものはオーディオを始めてしばらくして、音に色というものがあるのを直感的に認識することが多い。この音の色というのは実際のところ、音の勢いや立ち上がりの早さと、音の手触り・テクスチャーから想起されるイメージの総体であり、そのオーディオを聞く個人の音楽的な経験・記憶に由来する感覚である。この音の色あいが、GE-10を擁するシステムでは実に濃厚に感じられる。個人の音楽的な記憶を他の機材より強く呼び覚ますと言ってもよい。
ここでのサウンドは目前にその色を見るというような授動的な感覚を与えるものではなく、手を伸ばせば実物に触れるような距離感をもって、その色をしげしげと注視しているような能動的な感覚を呼び覚ます。
さらに言えば、これは現実の音世界の精密な模写ではない。これはオーディオというもう一つの現実の発露であり、もとになった音の全ての側面がさらに生々しく、鮮烈になって、こちらに迫ってくる。いささか強調感があると言ってしまおう。一般に日本製のオーディオ機器にはこのようなビビッドな音を出すものは少なく、淡白でよく整理された薄味で繊細な音が基調となる場合が多い。考え事の邪魔にならないような控え目な音を出すものが多数派だと思う。だが例外的に、この日本製のGE-10にはヨーロッパ、とくにスイスのスーパーハイエンドプロダクトが出す音に近い面があると思う。Audio Noteのサウンドを日本的で端正な音と表現する評論を時に読むが、同意できない。このメーカーの機材がこれだけ高価にも関わらず、海外市場でコンスタントに売れているのは、欧米人の好む音の調子を持っているからであり、その調子の一部がこの濃厚な音色にあると私は考える。逆に言えば日本人がこのメーカーの機材の導入を躊躇するとすれば、価格や日本でのネームバリューのなさだけでなく、日本のメーカーでありながら、日本的な音ではなく、むしろエキゾチックな雰囲気を醸し出すことに戸惑いを感じるからかもしれない。

なお、試聴中にAudio Noteの下位のフォノであるGE-1を同じシステムで切り替えて聞いた。もちろんこちらをGE-10と比較しないで聞けば十分に音の良い機材だと言い切れる。だが、GE-10と比べると、この音色の濃い味の度合いに圧倒的な差がある。GE-10を聞いた後でGE-1を聞くと“ごく普通の”フォノに聞こえる。GE-1もトランスを含めれば200万近いので相応な凄味を持つのだが、偉大なGE-10の前ではごく普通の人である。恐らく最適に設計された大規模な電源がこの違いを生んだにちがいない。

さらに、極めてハイスピードな音調であることも特筆すべきである。音の動きに緩さや遅さが感じられない。電源部含めて真空管を多用する構成であるが、そのような機材にありがちな眠たい音が一切出て来なかった。音にキツさを感じさせない柔軟さは備わっているが、音のキレは鋭く、動きが大変速い。これはここで使ったプリアンプもそういう音の持ち主なのであるがGE-10を加えることで、尚更研ぎ澄まされた感があった。デジタル機材を送り出しとしてプリアンプとパワーアンプの音を別な場所で確認しているが、その時よりも明らかにいい意味でキレた音になっており感心した。

またウェスタンエレクトリックなど往年の名機を凌ぐほどの音像の実体感にも痺れた。
音像の重心はかなり低く、定位も極めて安定しているうえ、一度きりの演奏が今そこで展開しているという緊迫感も強く意識される。アーティストの肉体の動きや揺らぎを感じる度合いが高い。これは極上の実体感であり、これも日本製の他の機材にはない。実際にリスニングルームには奏者は居ないのだから、それこそありえないことであり、全くのイリュージョンには間違いないのだが・・・・。とてもそうは思えないリアリティがサウンドに漲る。

左右への音場の広がり方、奥行の深さは他社の同価格帯のモノラルパワーを使ったシステムとほとんど変わらない。最近のアナログオーディオ機材には空間再現性を狙った設計のものが多くあり、それらはデジタルオーディオに近いセパレーションの良さを誇示したサウンドを奏でるのだが、一般にどこか薄味な音になりやすい。それはアナログオーディオの良さを、無理に広げた空間再現により、そこなってしまっているケースとういうことになるのだが、GE-10を擁するこのシステムからはそのような欠点は聞こえてこなかった。これは慎重な音作りをしているなと私は捉えた。
さらに、このシステムの音場は殊更に深いとか広いとかは感じないのだが、なにかそこに漂っている空気の温度や成分が他のシステムとは違っているように聞こえた。吸い込む空気の密度が高く、リスニングルームの外の空気にはない、体に良い要素がいっぱい含まれているような雰囲気なのだ。夏の盛りに深い森に入ったとき、吸い込む瑞々しい空気の味わいに近い。緑の葉や柔らかな地面に棲む無数の生物やらが呼吸し代謝する様々な物質が森の空気には含まれており、それらが無機質な都会に住む者に生気を戻してくれることがあるが、Audio Noteのサウンドが創り出すフィールドにはそういう効果がある。これは生物活性が高い音であり、人間の精神や肉体に直接作用する要素を持つフィジカルな音なのである。
実際、試聴を終えた私は疲労するどころか随分とリフレッシュしていた。

SNについては真空管を使ったフォノであるからして、Perseusと比較するとやはり不利である。約600万のフォノとしてはそこはやや不満かもしれない。もっともQualiaのモノブロックフォノやEMT JPA66よりはやや良いようにも思うので、あまり気にしなくていいレベルなのかもしれないが。
このシステムは音の粒立ちや分離感も十分に良いのだが、さらに素晴らしいのは音のハーモニーの表現の独自性であろう。これは単に異なる音が解け合い、一体となって聞こえてくるなどという程度の音ではない。サウンドステージの中の異なる場所から発生した様々な音を収束するレンズのように、オーディオシステムが機能している部分がある。様々な固有の色を持つ音が収束し、輝くビームのようになって鼓膜に向かってくる瞬間が度々あったからだ。ビームが鼓膜を弾いた瞬間、渾然一体となった音達は強烈なインパクトを伴って眼前の空間に炸裂する。これは他のメーカーの機材だと音がリスナー側に勢いよく飛んでくる場合にあたるのだろうが、それよりもっとシャープで輝かしい音の衝撃であり、実に爽快である。このサウンドの素晴らしさは鈍重と思えたノーチラス801をここまで駆動できるKaguraによるところも大きいが、GE-10なしには、この独特の雰囲気は出ないだろう。それはGE-1との比較試聴や、別な場所での異なる送り出しを用いた試聴を想起すれば分かることだ。

このGE-10を加えたAudio Noteのシステムで聞き慣れたヴァイナルに針を落とすと、いつも食べている好物の料理に一味さらに増えたようなお得感があるのも面白い。
高度なデジタルシステムを聞いた時に感じる、今まで聞けなかった隠された微細な音、例えばピアノのペダルを踏む音、プレイヤーの溜息、衣擦れ、そういったものが聞こえてくるばかりではない。むしろそんな枝葉末節ではなく、曲の聞きどころ、楽しみ方を変えてしまうような側面がある。音楽の解釈が変わってくるのだ。ディスクをかけ替えるたびに、そうきたか、こうなるのかと驚くことしきりである。これも上記してきた音の濃さ、高密度性ゆえかもしれない。GE-10は私の知らないオーディオ表現への扉を開く。

こうして四六時中Audio Noteのサウンドのみについてつらつらと考え続けていると、この音は良い意味で現実離れしていると結論できそうに思われてくる。これは現実に存在していた音をAudio Noteの力で増幅し解釈し直した別世界の香りを含んだ音であり、いわば幻想の領域に近づくものだ。

確かに純粋なファンタジーとしてオーディオを語ることはとても難しい。
オーディオの大半の要素は科学という分野に属するものであり、
限りなく理知的な物理と数学が支配する世界のように見えるし、
実際にそこに踏み込み、もがいてみれば、
いかにその鎖が重たいかを思い知るものだ。
しかし、そのオーディオを聞く人間という存在自体は
決して科学で割り切れるものではない。
人間の精神活動そのものは、
むしろ不条理な幻想の世界に多くを割いていると私は信じている。
電気工学と人の精神という、
対立し相反するものが一つに融け合うべき場所、
その一つがオーディオファイルのリスニングルームなのだろう。
そこで科学とファンタジーが歩み寄るためには、
オーディオ機器の側にヒトの感情に寄り添う力が必要になる。
GE-10を擁するAudio Noteの最上級システムはそのような力をふんだんに備えている。

日本で製造されるフォノイコライザー、アンプの中で最も高い芸術性を誇る機材がこのAudio Noteの製品であると私は信じている。日本にはこれ以上、スーパーハイエンドの世界に深く踏み込んだ機材は存在しない。もちろん、先進工業国であり、オーディオ文化がある程度浸透した国である日本なのだから、個性が際立つプロダクト、悪く言えばひとりよがりな製品が突然変異種として現れるのを散見するが、これほどのファンタジーと品格を含んだサウンドを長年にわたりコンスタントに提供し続けるメーカーはない。例えば老舗のアキュフェーズやラックスマンのサウンドとは同じハイエンドでもクラスが明らかに違っていて比較さえ難しい。
以前、フォノイコライザー四天王としてBouderやEMT、Constellation audio、Qualiaのフォノを挙げたが、もちろんGE-10はこの4機と伯仲するか凌駕する実力を持つ。出音の種類や、機能を絞った設計思想に共通点を見出すとすればQualiaのモノブロックと類似がありそうだが、詳しく思い返してみると、やはりGE-10はこの4機のどれとも似ていない。音色の濃さと音のスピードという特徴において唯一無二のフォノイコライザーである。


Summary

確かにAudio Noteの音はすこぶる良いと思う。
だがその製品は高価である。
(例えばMCカートリッジを使うならGE10+Sfzで約600万円かかる。)
これは自分の財政規模とは関係なく、
ハイエンドオーディオファイルの金銭感覚に照らしてという意味で高価だと言っている。
実際、これを買おうかと思って試聴したわけだから、買えなくはないのである。
しかし、なにか釣り合わない感覚が残るのだ。
また、それらの機材の外観や使い勝手については価格に相応するものとは言い切れない。
実物と対峙したあとで、他のジャンルの機械のデザインを検討したりすると、Audio Noteの製品は、やはり昭和的なデザインの古さが払拭しきれていないと感じる。またその中身もAD変換されたデジタル出力などの新奇な機能が付加されているわけではない。
しかし、そのサウンドは全きものである。
これは確かにファンタジーとサイエンスの融合であり、
音楽芸術が抱える幻想とオーディオのメカニズムが拠って立つ理性が一致する場所であるのだが・・・・・
こうして、ハイプライスとスーパーサウンドの双方を行きつ戻りつしながら私は逡巡して悩む。

もちろん、この悩みはハイエンドオーディオ全般にあてはまるものでもある。
繰り返し述べていることだが、
自宅に置くにはあまりにも大きな装置の規模や、
音楽をただ聞くだけの対価として、
あまりに高いプライスタグは問題視されるべきかもしれない。
現在の技術では、この価格を支払わない限り、
このレベルのサウンドは実現しないのだから仕方ない、では済ませたくない気分がある。

現実の話として、自宅で最先端のハイエンドオーディオと十分な自信をもって対峙するために、アクセサリを含めてトータルで4000万円前後、機材に対して振り向ける予算と30畳以上の広さ・4m以上の高さの天井をもつ防音リスニングルームが欲しいところだ。今や、良いスピーカーは高価で大きい。600万出してもセカンドベスト、1000万円オーバーでなければフラッグシップではない場合もある。それらは大音量でスケール豊かに鳴らすことで潜在能力を発揮するので、広大な防音のリスニングルームを必要とするし、一般的には強力なアンプを組み合わせないと十分に鳴らせない。優れたアンプは高価でこれまた大きく、良質な電源も必要とする。さらに送り出しとして万全を期すならアナログ、デジタル両方が必要で、それらを追い込むのに必要なクロックやカートリッジ・アームなどの小物も高価格化が進んでいる。数百万円のクロックやアームがあるが、確かにすこぶる音はいい場合があるので困る。そしてこれらをつなぐケーブルがペアで100万近いものが多く存在する。これらも慎重に選んで使ってみると音の良さは理解できる。
嗚呼、ハイエンドオーディオとは、とにかく物入りだしカネがかかるものだ。

こういう状況になってしまってから、20~30年前のオーディオに遡って考えるなど無意味なのかもしれないが、リスニングルームの広さ・高さ・セッテングの労力はともかく、あの頃はトップエンドの機材でもこんなにカネはかからなかったと懐古する。
それに、あの当時の最高峰の機材を揃えて今、聞いてみると、
得られる感動は現代のシステムと同等以上である。これは気にすべきだ。
これらの音を聞くと、ここ20~30年ほどオーディオはあまり進歩していないと思わざるをえない。特にコストパフォーマンスについては後退したと思う。
いや、コスパを考えなくても、
昔の機材には今の機材にはない音の良さがあるとさえ言いたい。
昔はできたことが、何故か今はできないという気がする。
だから、今でもヴィンテージオーディオが放つ隠然たる光を無視できないのである。
あの頃より良い音を出そうとすると、ありえないほどカネがかかるようになってしまい、
オーディオをやることで得られる音楽の感動とオーディオにかかる出費や労力とのバランスが崩れてしまう。
気取った言い回しを用いるなら、光と闇の平衡が崩れた世界で
我々はオーディオを遂行しなくてはならなくなったと言い放つこともできる。

ところで、さっきから時々言っていることだが、
やはりAudio noteの製品群は機能が少なすぎる。
高音質の追求のみに特化しすぎている。
これはAudio noteに限らず、現代のスーパーハイエンドオーディオの多くのメーカーにもあてはまるクレームだ。
私の経験では、度外れの高音質だけでは早晩、飽きが来る。そこでまだ、その機材を所有し続けたいと思うか否かは、インテリアとしての外見の美しさや、その機材がシステムにおいてどのくらい多彩な役割を発揮しうるかにかかっている。後者については将来のシステム展開の余地を保証するから特に重要。無理すれば普通のオーディオファイルにも手の届く価格にあり、美しく、多機能で高音質な機材が真の銘機だろう。将来、発展的に使える機能を内在させながら音質もよい機材、いわば総合力のあるオーディオ機器を人々は求めている。
例えばGE-10についてはフロントパネルに置かれる遠くからも見やすく大きなミュートスイッチ、細かくインピーダンス調整できるダイヤル、RIAA以外のカーブへの対応、モノラル・ステレオ切り替え、消磁器の内蔵、XLR入出力、デジタル出力、リモコン・タブレットによる操作などなど欲しい。これ全てでなくてもよいから、どれかは付けたほうがいい。音の良さは分かったので次は使いやすさも感じ取りたい。もちろん、それらの機能をつけると音が悪くなるという話はわかる。だが、音質はもうこれ以上は考えにくいのだから、さらにやるべきこととしては、もうそれくらいしかないと返したくなる。
この問題は、よりインテリジェントなアンプの制御システムの採用やデジタルオーディオへの積極的な関与が足りないとも言い換えられるかもしれない。それらはもう一時のトレンドではなく、これから先ずっと要求されつづける常識的な項目となりつつある。
確かにこの点では多くのハイエンドフォノイコライザーにおいて、どこかに問題がある。結局、音以外の面で十全な機材はほとんどない。だからかえって罪滅ぼしのように音を深める方向へ行くのだろうか。
別な視点から見ると、出音を良くすることのできる技術を持つ者と使い勝手を良くする技術を持つ者が同一人物であることは稀だし、小さな会社ではそういう二人が同時に所属すること自体も稀なのかもしれない。だからこうなってしまうのかもしれない。

Audio Noteは究極の音質という命題については、ほぼやり遂げた。
だが、これはまだ私にとっては他人事でしかない。
プライスやデザイン、そして機能にもっと斬新なアイディアが盛り込まれないかぎり、
私はこの手の機材に食指を動かさないだろう。
それではいったい、自分が本当に必要としているフォノとはどのようなものなのか?
例えばEMT JPA66、CHP P1、オーロラサウンドのVIDA supremeやPS audioのNuWave phonoconverter+Direct stream dacあたりは、不完全ながら、この問題を解くヒントとなるだろう。

ここに書いたのは、ハイエンドオーディオにおいては、高い芸術性を持つサウンドが確立されつつあるが、その結果としてオーディオの光と闇のバランスが崩れてしまったという話である。この皮肉な状況のせいで高音質は極まっているにも関わらず、
私のオーディオには深い閉塞感が、澱(おり)のように積もってしまった。
これではGE-10のサウンドについて語ることが、
最後には自分自身の閉塞感を語ることにつながってしまう。
こういう結論へ帰着することを知りながら乱文を綴ることに
私は戸惑っていたのである。
しかし、どんなに割り切れない思いがあるにしろ、
オーディオファイルである限り、
この霧のたちこめる深い森の中を迷いながら進んでいく他はない。
果たして幻想が幻滅に変わる前に、
我々は虚無を希望に換えることができるだろうか。
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GE-10のサウンドの導く先に立ち込める深い霧が晴れる、その時。
その瞬間をおぼろげに脳裏に描いたところで、今夜はひとまず筆を置こうか。



# by pansakuu | 2017-12-16 01:25 | オーディオ機器

電池の時代:Stromtank S2500の私的インプレッション

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「小さいことは大きい。」
ある電池開発者の発言



Introduction

マイ電柱を立てた人を一人知っている。

マイ電柱、
つまり個人のオーディオシステム専用に給電する電柱を立てることはオーディオファイルの最後の夢だとか、よく言われる。
でも、それはマニアの間だけで通じる話であって、
オーディオのためだけに、発電所から専用の電気を引くなどという行為自体、一般人にとってはクレージーで意味不明な散財(お布施と揶揄される)にしか見えないはずだ。
そして、この行為の背後に日本人特有の純粋性の信仰、潔癖症を垣間見るのは筆者だけだろうか。
日本のオーディオファイルの神経は世界的に見てもいささか特殊である。
実際、電柱などというものは外国にあまりないせいか、
この手の話を外国のオーディオファイルの間ではあまり聞かない。海外のオーディオファイルは、とても大雑把かつ大らかにオーディオライフを謳歌しているように見えることも多い。
彼らの大半は微に入り細に入り神経質にオーディオの純粋性を突き詰めるような挙動は無意味だと思っているらしい。

立てたばかりのぶっといマイ電柱を頼もしそうにコンコン叩いてから、客たちをリスニングルームに連れ込んだ、あの昭和生まれの日本人の後姿を想起しつつ、
足元に鎮座している大きな箱を筆者は眺めまわした。
舐めるように。
この足下にあるStromtank S2500は革新的な機材だ。
マイ電柱を立てた人には悪いが、
オーディオ専用電柱が最高の電源だった時代は終わった。
これからはおそらく電池の時代。
なにしろ車も、飛行機さえも
電池で動かそうという時代だから、
家電であるオーディオなんて
真っ先にそうなるのは明らかだ。
だが、それだけではあくまで世界の趨勢、
流れに乗っているだけの話にも聞こえなくはない。
そんな話をしたいのではない。
筆者はエコノミストでもエコロジストでもなく
オーディオファイルであるから、
この話の本質はそこにはない。
これから語ろうというのは、
単なる世界のトレンドに関する話ではないと思ってほしい。
このStromtank S2500の話のメインはオーディオの音質に関わる話なのである。


Exterior and feeling

Stromというのはドイツ語で大河の流れを指すとか。
英語で嵐、暴風雨を意味するStormとはスペルが少し違うが、
嵐のようなパワーを秘めた電源というイメージも悪くない。だからストロームタンクであはなく、ストームタンクだと誤解している日本人オーディオファイルは少なくない。
実物を前にすると、かなり堅固な印象を持たせる筐体であり、嵐を閉じ込めておくのに必要な厳重さが確保されているような気配もある。その誤解もあながちハズレではないかもしれない。大きさや重さは重量級のステレオパワーアンプだと思っておれば間違いない。筆者は昔使っていたBoulderの1000シリーズのパワーアンプを連想した。事実、今年のインターナショナルオーディオショウで観察していると、こいつを単なるパワーアンプだと勘違いして話したり質問しているお爺さんたちを見たが、仕方ないことだろう。
分厚いプレートをがっちり組んで作られた筐体の表面は僅かにラメが入ったようなジャーマングレーで、天板にはカーボンを思わせるストライプが見える。この天板の中央には映画のタイトルのようなブランドロゴがあしらわれ、目を引く。それにしても、このロゴのデザイン、かなりお洒落。オーディオでは素人がデザインしたとしか思えないロゴが多い中で、これはプロのデザイナーの仕事と見た。
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フロントパネル中央に座っているグリーンに光るパワーメータ―の中にはLEDの光が、まるでキャプテンアメリカの胸についた星のマークのように放射されている。その下には電池残量を示すバーメーターも緑に輝いている。
こういう好き嫌いを分けるような派手な外観を私は良しとした。
とにかく、全体になんだかカッコ良い。好きにデザインをやっていて気持ちがいい。
見ているだけでワクワクする。
まず外観からハッキリした自己主張とか方針を打ち出す機材を筆者は愛する。
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今回取り上げるS2500は、簡単に言えば2500whの容量のあるインテリジェントなクリーン電源である。この電源は内部に格納されたコンピューターにより制御されており、電池の寿命を短くしない充放電のマネジメントやトラブルへの対応を瞬時に行う。
コンセントはリアパネルに6口ついている。一方、フロントパネルには一つもついていない。(ついていると便利なこともあるのだが・・・・)実際導入するとしたら、いくつかのシステムを部屋の離れた場所で使っている都合上、ここから長い電源ケーブルを引くか、あるいはタップをさらにここにつなぐか考えなくてはならない。タコ足配線になるのは避けたいし、タップを介さない方が音はいいようにも思うが、この重さと大きさのある機材なので設置場所は限られる。どういう配線にするかをよく考えないといけない。
もちろん、出力にはサーマル・マグネティックブレーカーがついていて、不測の事態への備えもある。これは高電流で起こるショートにも低電流で起こるショートにもマグネティック、サーマルそれぞれの特徴を生かして対応するもので信頼性の高い遮断器である。
このStromtankシリーズで面白いのは全機能の起動・停止を切り替えるキースイッチを持つことである。業務用の大きなコンピューターの電源投入スイッチに時にキーを差し込んで回すタイプのものがあるが、まさにそれが使われている。プロ用の電源にもこのスイッチがついているものがある。これは安全のために採用された仕組みなのだろう。だが、それだけでは終わらないような気もする。
キーというものは高度にパーソナルな道具であり、これがただの電源でなく、キーを持つオーナーだけが起動を許されるという意味合いを付加する。オーナーの所有欲を満たすギミックの一つと考えられなくもない。
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なお、リアパネルにはUSB端子やCAN端子も見えるが、これは内部にあるコンピューターのソフトウエアの更新用だという。これもインテリジェントな機材ならではのリア風景だが、確かにこういう端子のついた電源装置はあまり記憶にない。スマート家電が増える中、電源のスマート化もオーディオ界の新しい傾向なのか。

この電源の賢いところはいくつかある。例えばバッテリー残量が低下すると小さくブザーが鳴り、AC電源で充電しながらの運転に瞬時に切り替わる。ユーザーはなにもしなくていい。
また、よくスマートホンなどで、十分に電池が減ってから充電しないと、あとで電池の減り方が速くなるという話がある。Stromtankも基本的にはスマホと同じように、電池を使う機材だから、そういうことがあるのかと疑っていたのだが、心配はいらないらしい。
Stromtankはあくまでインテリジェントな電源装置であり、電池の残りのレベルによって充電の仕方を変えるような仕組みが働き、どこまで電池が減っていても、あるいは逆にそれほど減っていなくても、将来の充放電に問題を起こすことなく、どのような状態でも充電していいという。6000回以上の充放電に耐えるとアナウンスされているのも含めて考えると、さすが330万円の電源装置だと感心する。

内部の電池はLiFePO4であり、正弦波の出力はクオーツ制御されているなど多少の情報はあるが、中身の詳しい説明は調べてもあまり出て来ない。音を聞いてみると、その程度の技術内容では到底実現できそうにない高音質であるから、数々の企業秘密がこの筐体の中に隠されているに違いない。
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550万の上位機S5000は高さ58cm、重量115kgの巨体であり、音の上での威力を知っていても、とても買う気にならない。筆者はよりコンパクトな機材が好きだ。音が良きゃなんでもいいで済むような次元はもうとっくに過ぎている。
こうなるとよりコンパクトなS2500の方が俄然、気になる。

ちなみに昨日、外国人からS2500を大型のキャスターに無造作に積んで、移動している写真を送ってもらった。許可が出なかったので載せられないが、(日本で言う)オフ会に持ち込んだ時の写真だという。こんなユニークなS2500の使い方も面白い。電源環境をまるごと移動できる。マイ電柱と発電所のセットがこんなに小さくなったと考えることもできる。こういう使い方ができるのもStromtankの革新性なのかもしれない。S2500のガタイはそれだけ見ると小さくないが、相対的にはコンパクトなものだと言っていいのである。


The sound 

Stromtank でオーディオシステム全体に給電するようにセッティングしたうえで、バッテリー駆動と通常のAC駆動をフロントパネルのボタンで瞬時に切り替えることができる。
そのビフォーアフターの変化は大きい。
普通、このようなバッテリー系の電源機材だとノイズが減った、SNがよくなった、静かになったとかいう感想がまず出るものだが、ここではまずパワーが一段上がったような印象が来る。顕著にスピーカーからの音離れが良くなる。これほど音の飛びが良くなることは予想していなかった。電源装置を変えて、このような体験をしたことがない。
音の純度は明らかに上がって、大きな音はより繊細となり、細かい音はむしろ力強く聞こえるようになる。ダイナミックな音のうねりが瞬く間に起こり、そのうねりの中に起こる音のしぶきや渦、余韻、音色の変化、音の触感の区別が克明に耳に届き始める。音の立ち上がり、立下りもより適正になるようで好ましい。静かになるのではなく、むしろ正しく美しく騒がしくなる。
この試聴では誇張でなくリスニングルームの空気が完全に入れ替わったように感じた。なにか音波の伝導率の高い、特殊なエアーがリスニングルームに充填されたようなイメージだと思ってもらっていい。
最初に来たこれらの驚きを治め、少し気を落ち着けてから深く聞こうとしたら、ふと音場の広がりと奥行きが自然にスッと拡張されていることに気づいた。こういう俯瞰的な音場の視界の広がりというか、まるで無理のない音の放散の仕方というのは、かなり高度に調整されたオーディオシステムのみに聞かれる変化である。こういう音はスピーカーをかなりグレードアップするか、ルームアコースティックを頑張って詰めるかしないかぎり得られないものだと思っていた。空間の広がりがタップリ入った録音を聞いてみると、天井が高くなったような上方向の音の広がりさえも出てきた。これに気付いたときは、まさに仰天しそうになったものだ。録音の仕方によっては音が上から降ってくるような雰囲気も醸し出されるのである。
こうなると、今まで最高の電源環境を得るために土日の真夜中になってからオーディオを始めたり、あえて田舎にリスニングルームだけ引っ越したり、あげくマイ電柱を立てたりしなくてはいけないのかと思い詰めていたのが嘘のようだ。これほどシステム全体を覚醒させる力を持つ電源は初めてである。

この手の電源装置は導入したことが無意味と思われるほど、音質上の存在感がないモノもあるが、Stromtankはそうではなく、パワーアンプを最良のものに変えたのと似た効果が得られる。いや、330万のパワーアンプでも、このようなオーバーオールな効果は得られないだろう。なにしろ、この機材はシステム全体に対して効かせることができるのだから。大小2モデルあるStromtank のうち、S5000は容量が大きいのでシステム全体に給電したくなるが、S2500の方はパワーアンプにまで使うと、確かに容量をすぐに使い果たすのではないかという不安がある。この場合、遠慮して前段のプレーヤーとプリアンプだけに効かせることもできるが、そういう譲歩した使い方でも全体に給電した場合とそれほど遜色ない改善が得られた。これもStromtankが複数の機材の根本的な部分に介入することには、大きな変わりがないせいだろう。これならヘッドホン関係の機材などは幾つつないでもS2500一台で大丈夫だろう。
まあ、不安な人は複数個こいつを導入すればいいらしい。既にS5000を2台導入した方が日本にいると聞いているし、外国からは3台という声も聞かれた。豪快だな。1500万円のオーディオ用電源装置とは。

この装置から、電源を取ることで素晴らしいと思うのは音質上の副作用がほぼないように感じられることである。度合いの差こそあれ、音の全ての要素が良くなり、悪くなる要素を指摘できなかった。
それに恐らくだが、音調の好き嫌いを分けるようなことも起こりにくいだろう。
この手の電源装置には、必ずなんらかのクセのようなものがあるものだが、それがほぼないからだ。
普通の電源装置というにはノイズが取れて、音楽の背景が静かになったのと同時に、音楽の躍動感が目減りして、音楽自体が大人しく、あるいは小さく、遠く感じられたりする。例としてはA社やL社の電源装置がそうである。
I社の高価なフィルター式電源では音楽がクールになってしまったこともある。
躍動感は担保されるのだが、温度感が下がってしまった。高域も僅かにキンキンするようで、素直な伸びが若干失われていた。Stromtankと違って、そこらへんの改善は少なくともなかったのである。
また、かなり巨大で立派な日本製のトランスを使って、音の純度は明らかに上がったが、音のスピードが落ちてしまったという経験もある。
このような余計な変化がStromtankシリーズで聞こえない。
こういう八方美人な音質改善は滅多にないことである。
現状の出音の特徴はそのままに、良い所を伸ばし、足りないところを補完する。
これほどオールマイティな力を持つオーディオアクセサリーはほとんど記憶にない。
(アクセと呼ぶにはあまりにも巨大で重量級ではあるが・・)

マイ電柱の効果というのは、筆者は一度しか体験したことがない。その試聴で感じたビフォーアフターの変化はこのStromtankのそれに類似していたと記憶している。ただし、音の純度については僅かにStromtankの方が勝るような気がするし、音楽のダイナミズム、力感さえ少し強めに出るような気がする。電柱の方が、そこのところは強そうなのだが、筆者の思い過ごしなのだろうか。少なくとも躍動感はマイ電柱に負けないし、安定感も遜色ない。いったい、どういう設計をした電源なのか分からないが、かなり優れて革新的な機材であることは間違いない。さらに、マイ電柱といえども周囲の家屋や施設の出すノイズからは逃れられぬが、この装置なら影響を受けない。もうひとついいことを挙げるなら、オーディオ用の分電盤を特製する必要もないことだ。あれはあれでカネがかかるし面倒であるから、そこを省けるのは有り難い。

こいつは確かに究極の電源装置かもしれない。
近い効果があると考えられるマイ電柱に比べ、遥かにコンパクトで簡単に使うことが出来る。マイ電柱は想定できる最大のオーディオコンポーネントの一つだろうが、Stromtankは多少大きいにしてもキャスターに乗せて運ぶことが可能だ。
特に、マンションに住んでいるオーディオファイルにとっては、マイ電柱と同じ効果が得られる唯一の方法だろう。
ただ、やはり高価だとは思う。
マイ電柱+専用配電盤の費用は200万位でなんとかなるという話をオーナーから聞いた。これをやると簡単に引っ越せないし、家族の白い目にも耐えなくてはならないようだが、意外に安上がりだという説もある。
それとは別に電源ケーブルやタップに同じだけ凝れば、Stromtankなしでも十分にいい音のするシステムを得ることも不可能ではないと考えることもできる。
当たり前だが、総計して330万もの電源ケーブル、タップ、フィルターを使うとしたら、かなり贅沢なシステムが得られるはずだ。
仮にそんなことをしても、それぞれかなり腕自慢なアクセサリーたちなので、当然強力な個性を持つだろうから、そのせめぎ合いで出音は多少混乱することも予想される。だが、それらを巧く選んで、適材適所に配置、摺り合わせ・エージングを怠らないならば、やはりそれなりの音は出してしまうだろう。そういう高級ケーブルによる音の変化の虜になる人も多いはずで、そこの面白さを知らずに、いきなりStromtankを導入して終わってしまうのがつまらないという見方も成り立つ。
オーディオでは寄り道ほど素敵なものはないのだから、それもいい。
もう寄り道は十分やってきて、そんなリスクを踏むよりはStromtankシリーズでスマートに解決してしまった方がよいと達観した人が、こういう高価かつ効果的な電源を狙うのだろう。事実、S5000を導入した方の感想として、これまで電源ケーブルやインターコネクトケーブルで散々苦労してきたのはなんだったのか分からなくなったという言葉を聞いた。それはケーブルで苦労したからこそ吐けるセリフだと本人は気付いているのだろうか。

それから一応、今回取り上げたS2500の試聴の前に上位のStromtank S5000を使って二つのシステムを既に聞いている。結論から言えば、S2500を使った場合とS5000を使った場合の音質差は筆者にはよく分からなかった。つまり筆者にしてみるとS5000とS2500の差は電池の容量の差、大きさと重さの差、金額の大きな差、メーターのライティングを消すことができるかできないかの差、それぐらいでしかない。
また外国のオーナーも含めて、この製品に詳しい何人かの方に話を伺ったが、異口同音にS2500でも、S5000と基本的にほとんど同じ音で鳴らすことができると言う。電力消費がかなり大きいパワーアンプではS5000がやや有利かもと言う人もいたが、そのアンプは消費電力が大きいことでは有名なEinsteinのパワーアンプであったから例外的なのだろう。違うのはただ電池の持ちのみであるという話が多かった。S5000なら10時間持つシステムでも、S2500は5時間弱しか持たないらしい。もちろん上述のよ電池が切れそうになるとブザーが鳴って、自動的にモードが切り替わり、音楽は継続して鳴ってくれる。このモードでは音が鈍るが聞けなくなるわけではない。


Summary

Stromtankに価格以外に問題があるとすれば、設置や配線を多少考えなくてはならないこと、電池が貯められる電力には限りがあり、一日中鳴らしつづけることはかなわないということ。そしておそらく導入から5年経過する頃には電池を交換しなくてはならなくなる可能性があること。330万という対価は音質的には釣り合うものと考えるが、そういう特殊な制約も考慮すると、この装置の価格の捉え方は人によって異なるだろう。

電気自動車の中古価格が化石燃料車と比べて異様に安いことを御存知の方も多かろう。この種の車はどこでも充電できるわけではないし、電池の交換代金は安くはなく、その交換もディーラーの工場でしかできないため、手数料も割安でない。次にいつ交換することになるのか、明確な見通しも立てにくい。本当にペイするのか分からないのである。
このStromtankにも似た心配があることは否めない。
電池の時代は確かに来ているが、まだまだ円熟には程遠いのである。
しかしこの装置の登場が、電池とは単に便利でエコでコンパクトな手段であるばかりでなく、ハイクォリティを追求する手段にもなりうることを示したのは大きい。
オーディオは新時代に突入しなければならない。音質を向上させながら、よりインテリジェントでスマートな方向性に舵を切らなくてならない。それは険しい道のりだが、誰かが切り開かなくてはならない。
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マイ電柱を立てた人に筆者は昨晩、メールを打った。
「マイ電柱は立てなくて済みそうです。そろそろ貴方も聞いたほうがいいと思います。」

# by pansakuu | 2017-10-18 23:31 | オーディオ機器

ヘッドホンに関するフラグメンツ

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・Re Leaf E3 hybridについて。納品が部品調達の遅れから10月頃にずれ込むとのニュースを耳にする。もしかしてガワの話?E1よりは筐体は簡易版だけど結構難しいのか。Re LeafのKさんはこのモデルはできれば作りたくなくて、ずっと超高級路線で行きたいようなニュアンスの話をされてましたが、E3みたいなモデルがないとRe leafの名前が世界に広まらないのではないか。E3は福音。作ってよかったと思う。早くE3量産機を聞いてみたい。

・マス工房のModel406の製品版を聞く。私としては、音についてはプロトタイプの方が好みに合っていたか。またMさんにアルミの足がイマイチだと言ったら、これしか放熱のために適当な高さ(底面にも放熱孔がある)と音質を満たすものが今の所は見つからないけど、ゴム足も検討してみるとのこと。また、マス工房のこのクラスのアンプの筐体は、多くの筐体の専門業者が唸るような技術で製造されているらしい。パッと見は全く普通に見えるが。それからフロントパネルに竜かなんかの彫刻があるスペシャルバージョンも計画中とのこと。実物を見てみたい。

・ナガオカのヘッドホンスタンドを使ってみた。実物はスラリとした曲線美が素敵な製品。横から見える合板の積層が美しい。ヘッドホンを吊るす道具で散々苦労してきたが、これは一つの最終解答かもしれない。だがしかし、あれで手持ちのMDR-Z1Rを吊るとヘッドバンドのところに跡がつきゃしないかな。やっぱり、もう一工夫欲しいかも。

・Chord DAVEの直出しのヘッドホンジャックについて。あれは音がちゃんと出ているかの確認のためについていると思った方がいい。DAVEの実力をあれで測ることはできません。アンプがなくても、とりあえず聞けるというだけの話をしたつもりだったのだが、私があの出力をすごく良いと言ったと言い張る方がいるので否定しておく。

・ブリキャスティのDACは一時間ほど占有して試聴できたが、DAVEを持っているなら、無理して買うほどのものではないと私個人は思った。少し昔風の音なんだよね。昔のマークレビンソンのDACとかCDプレーヤーの音だと思う。ただDAVEと音質傾向は違うし、今あるノーマルのNADACよりはいいと思うので、買いたい方はどうぞ。特に昔のDACのサウンド、WadiaとかマークレビンソンとかSTUDERとかCD12、セータ、ZIAとか知らない方には新鮮に映るかもだし。

・この前、某氏から訊かれたのを思い出したので、この場で答える。O社の滝 Integrated 180 を聞いたことはある。うーん、値段なりの音です。買っても損はしない。だけど、お前は積極的に買うかと言われると、なんか財布の紐を緩めたくなる魅力には欠けるかな。華がないとでもいいますか。まあヘッドホンアウトの音が良かったので、ヘッドホンアンプを真面目に作ってみては?などとこちらの陣営に引きずり込むようなことも言ってみたい。

・SUSVARAを聞いた。Hifimanのネガティヴなイメージとして、故障が多く、細かい部分で仕上げが悪く、デザインがダサいというのがあるけれど、このSUSVARAを使ってみると少なくとも仕上げの問題は解決されてるように思う。故障は使い続けないと分からない。残りはデザインだけど、これは社外にデザインを頼まなきゃだめかな。ニコンがFをジウジアーロにデザイン依頼したみたいに。音の方はかなりいいけど癖はあると思う。中高域に繊細さは比類ないが、低域の量感やインパクトがまだ弱い。かなりいいアンプで鳴らしても私の基準は満たさない。他にもいろいろとヘッドホンはあるから、SUSVRAの新品購入に踏み切るかどうかは微妙だ。例えば最近いくつか見かける中古のFocal Utopiaはいい具合にエージングが進んでいるだろうし、オーテクのフラッグシップも来るし、目移りしてしまう。

・Hifimanのシャングリラを触ってみた。ボリュウムの感触や真空管の保護する部分のデザインとか、外観全体の洗練度が600万の機材としては低いかも。トップパネルは石らしいけど、それらしさをもっと出すべき。ヘッドホン部もアンプ部も詰めが甘いか。また、音は単体で聞くと悪くないが、長く聞いていると、HE-1と比べて細部の描写の甘さが目立つのが分かる。つまり全体にまだ甘いのよ、詰めが。もっと時間をかけて細かいところを改良して600万に見合う機材に仕立てるべき。これはHE-1を意識して出したんですよね。でも、それはちょっとだけ動機は不純では?アイツが出したからオレも出すでは子供の喧嘩じゃないか。そういう気概は買いたいけれど、もっと完成度を上げないと、そういうモノがあったね、で終わっちゃう。Jrを出すみたいだが、そっちにむしろ期待が集まる。

・オーディオテクニカの新製品発表について。あのフラッグシップの据え置きヘッドホンアンプはいつになったら日本で聞けるのか?オーディオテクニカは日本の会社なのに、日本より明らかに外国を重視していると取られても仕方ない。新しいフラッグシップヘッドホンのお披露目もまずは中国だった。販路が中国に太いのかもしれんが、日本のヘッドフォニアを軽視しているように見えなくもない。実は、こういう一見して日本を軽視するように見える日本発のオーディオメーカーは少なくない。これは日本のオーディオファイルや販売店にも責任がある。知名度が低いものに手を出さない、ブランドと先入観ばかりで音を聞かない、そして販売価格の割引の問題。だからそういうことが少ない外国で商売する。でも、やっぱり日本で作っているものは日本でも聞こうよ。こういう形は不自然だし、自分たちが拠って立つ日本という国全体に対して、どこか失礼じゃないかな。なんとかしたい。

・他社にも似たような疑問はある。あるべき場所にあるべきものがないという疑問。例えばFostex HP-V8はTIASでは聞けるのにどうしてヘッドホン祭りでは聞けないのか?確かに中野の店ではHP-V8の取り扱いがない。でもかわりにTIASにHP-V8をもってくるのもどうかな。スピーカー好きの金持ち老人向けのイベントだからね、アレは。

・TIASについて。経験では金曜日は毎回一番混む。一応、土日のほうが少し混雑が少ない。だから私は最近はいつも土日に行く。以前は3日間全部出ていた。展示が日によって違っていることもあるから。TIASは講演があると立ち見になるほど混雑するから、講演を聞きに来たという方が多いのだろうが、オーディオ評論家が高齢化する中で、演者の確保はこの先どうするのか。またしても人手不足なり。
また、ヘッドホン祭りでもこういう講演会をやりたいものだが、ヘッドホンの性質上難しい。これは一人で聞くものだからデモが講演形式でやりづらい。
TIASは以前はアジアで最も重要な新製品発表の場だったが、だんだん香港などにその立ち位置を奪われつつある。本当に最新鋭で最高峰の製品を見たいなら中国で、ということになってくるのだろう。なにせ彼らの方が圧倒的にいいお客さんだから。しかしオーディオのためだけに香港まで時間と飛行機代をかけて行ける、オーディオ好きの暇な日本人の金持ちはこの先何人出て来るのだろうか。TIASの行く末はそのまま日本のハイエンドオーディオの行く末と重なる。だから、ヘッドホン好きの若い人にもっとスピーカーに関心を持ってもらって盛り上げたいのだろうが、この日本の現実ではそうもいかないようだ。

・リケーブルについて。これは個人ごとに好き嫌い・合う合わないがあるから、この話はあまり本気にしないで。個人的にやたらと高価なリケーブルはクセが強いと思っている今日このごろ。腹筋が凄いとか、走らせると100m9秒とかそれぞれ特殊能力があるのだが、アスリートとしては十種競技の選手に比べてバランスが悪いという感じだと思ってほしい。こういうリケーブルは半年使うと飽きてきて別なものに行ってしまう。それを繰り返して数年たつと、こういうハイエンドリケーブル全体に飽きる。で、純正ケーブルに戻るが、耳がそこまでの修行で肥えちゃってるので、ここにも妙なクセを微かに感じたり、情報量が少ないのを嘆いたり。そうこうしているうちに私はDmaaにしかリケーブルを頼まなくなった。私はインタコも一部はDmaaにしている。私にとって一番癖を感じないし、情報量も多いから。しかもかなり安上がり。

・ヘッドホンシステムで使うのにいいインタコ知らない?と訊かれてCHORDのMUSICはいいよと答えるのだが、実際に半年も聞くと、やはりなにか傾向があるのは分かるようになってしまう。このサウンドは自家薬籠中のものとなり、外のシステムを聞いても、MUSICをそこに入れたらどういう音に変わるか想像できるようになる。そうなるってえと売りたくなる。すぐに買い手がついて売り飛ばす。この繰り返し。あとJormaのORIGOあたりもいいと思う。MUSICよりもコスパは上だ。でも、これをまた買ったら、またまた売っちゃいそうだ。

・据え置きヘッドホン専用のオフ会をしたいという要望を、とある方から伺った件について。ポタ研があるのに据え置き研がなぜないのかという愚痴から始まって、そういう話になった。
オフをやるなら、まず形式を考えないと。個人の家に集まって聴くのか、貸会議室のような小さい会場をどこかに借りて、みんなで持ち寄ってやるのか、どちらにするのかを考えないと。
個人宅でスピーカーのオフとか相互訪問みたいのは以前何度もやったことがあるが、アフターの食事会とか交通手段とか互いの家族とかに時間と配慮を取られるし、なにしろ訪れる側は遠慮しまくりになっちゃうから。実際なんの勉強にもならない場合もあった。私としては、ああいう形ではもう二度とやりたくない。見知らぬどうしで集まって、かみ合わない雑談をしながら、お酒を飲んで飯を食うために、オフ会をやるという流れになりやすいから。そんな流れは本末転倒だと思うので、食事は勝手に各自でとってもらって、聞くことに専心するような会がいい。近くにレストランやコーヒーストップがあって、自由に出入りできるような会がいい。
すると会場をどこかに借りるのがいいと思うが、適切な会場があまりない。秋葉原あたりがいいが。祭りとかポタ研にぶつけて同じ日にやるとかね。いい会場なら借りる金は出すけど、そもそも、そういうサロン的な場所がない。できれば深夜まで会をやって、じっくり鳴らしたいのだけれど、それも難しい。理想は交通の便は悪くなく、そこそこの広さがあって、土足で入れる会場。ソファが幾つかあって、コンセントもいくつかあるような場所だ。
まずは、なんとか会場を見つけて確保。同時に据え置きシステムひとつ以上をトータルで出してくれる出展者を何人か募集。さらにシステムは出さないけどヘッドホンを持ってきて聞くだけの参加者も何人か募集。多くても総勢8人以内でやりたい。
出展者ひとりあたりコンセントを一つもらって、そこから自前のタップに電源を引いて、自分が普段聞いている、ひとつか二つのシステムを組んで机の上にひろげて出しておく。私の場合、システムを搬入するとしたら、すこし大変だから、というか今までRe leaf一台とパソコンだけでも、トランクに入れると結構な荷物になったので、車でもチャーターするだろう。聞きたい人は前に座って、それを自分で操作して聞く。出展者は可能なら反対側で間違いのないようにそれを見守るとか。
最近、なるべく話しかけない接客というのがあるそうだが、オフ会も論より証拠で、儀礼的あるいは無粋でオタクなおしゃべりよりも、聞いて考えることに専念したい。ひとしきり聞きまわったあとで、出展者どうしでケーブルやヘッドホンなどの貸し借りをやってまた聞いてみる。おそらく発見があるだろう。そういうことをやると8時間ぐらいはすぐに経ってしまう。終わったら機材の搬出に専念するか、どーしてもやりたいなら、大きいトランクを引きずりながら誰かが設定した飲み会に行くか、参加者・出展者がそれぞれ決めるといい。。
それからオフ会とはいえ、メンバーは大事だと思う。希望するのは、やはりそれなりの機材を提供できる人。それから他人の批判を会場でおおっぴらにはしない人がいい。心身になんらかの不調を抱えている人も、とりあえず遠慮してもらったほうがいい。とにかくメンバーがお互いに不要な配慮をしなくて済むことを希望する。以前、飛び入りで来た、全く知らない70がらみ男が、大声でスピーカーの批判や政治の話を初めて滅茶苦茶になったオフに出た覚えがある。あくまでオーディオシステムを聞きにきたんだから。マイナーなヘッドホンの会はあくまで静かに、少数精鋭でやろう。
インターネットの時代になって交友関係は一見広がったが、人と人のつながり一つ一つはむしろ浅くなり、我等は実はすれ違い、より孤独になった。直に会って言葉を交わしたこともない人と、アナタとつながっているなどと失礼な表示が出る時代。私は、やはり実際に会わないとだめだ。クリス ボッティも言っていたっけ。
とはいえ、いままで会ったことのない人間、年齢も性格も容姿も職業も出身も家族構成もよく知らない人と、東京のど真ん中でいきなり会って、計画を組んでイベントをやるのもなかなか難しいな。例えば、あの70がらみ男といきなり秋葉原で会って、二人で組んで、なにかしろって言われても、厳しいミッションだったと思う。(でも私が相方では、むこうはもっと迷惑かもしれん)
とにかく、まずは場所を見つける。それから信頼に足るメンバー集め。こんなことを言うと、そんなの無理だと言われる。まだまだ難しそうだ。今夜も一人でオフ会やるか。
真夜中の都市を泳ぎながら。
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# by pansakuu | 2017-09-02 23:41 | その他

OCTAVE V16 Single endedの私的インプレッション:多様性を求めて

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進歩が生まれるのは、多様性の中の選択からであって、画一性を保持するからではない。
ジョン・ラスキン(美術評論家・思想家)



Introduction

ここのところのコーヒーブームからか、
コーヒーに関する本を書店でよく見かける。
現今、僕の読んでいる本も、コーヒーに関するインタビューをまとめたもの。
これはバリスタ達がコーヒーにかける思いを語る小さな本である。

さっき読んだこの本の中のある、バリスタの言葉が妙に気になった。

・・・・・「あの人の表現する味って、どんなものなのだろう」という理由でレストランに行きますよね。コーヒーの世界も間違いなくそういう方向に進んでいくんです。それに「あのブランドの豆を使っている」だけでは一瞬で終わってしまいます。三つ星のスターシェフやスターパティシエのように表現者として有名な人が出てきているなかで、お客様はバリスタとして優れた表現者を探すようになる。・・・・・

僕が通うカフェは東京だけでも30軒ほどあり、ほとんど毎日のように、それらのうちのどこかで何か一杯飲んでいるような生活だ。昨今のサードウェーブコーヒーブームとは関わりなく、東京に出てきた頃から、いろいろな店に出向いては店構えとインテリア、接客の態度、コーヒー・紅茶・スィーツの味質をチェツクしている僕であるが、上記のようなことまで考えたことはなかった。フレンチレストランのようにカフェでも自分の味を表現しうるという部分に僕は惹かれた。
それというのも、コーヒーだけでなくオーディオにもこういう要素があることを感じていたから。

例えばマークレビンソンの初期の製品を代表とするプロデューサー・設計者の個性が前面に出たオーディオ製品の魅力というのは、オーディオを趣味とするための主たる動機たり得る。
あの設計者の創り出したサウンドはどのようなものなのか?ここでは、それこそが僕の興味の中心である。

僕がOCTAVEというドイツの真空管アンプメーカーの音を初めて聞いたのは10年以上前だと思う。社長のホフマン氏が決めている、その特徴的なサウンドにはその当時から変わらない、独特の男っぽさや勢いが内在しており、僕の中では、他のアンプメーカーの音といつも一線を画してきた。
彼がここで高級ヘッドホンアンプに手を染めると、僕は夢にも思わなかったが、もうそんな時代になったのだろう。ハイエンドオーディオメーカーもヘッドホンを無視できなくなってきたのである。

OCTAVE V16 Single endedというヘッドホンアンプにSuper black boxという電源オプションを加えたセットを試聴した僕の感想は、ホフマン氏が表現するヘッドホンサウンドとは、今まで慣れ親しんできたOCTAVEの音そのものであるということだ。そして、この音の個性はヘッドホンの世界に初めて持ち込まれるものでもある。これは恐らく万人受けしない音、比較的無個性な音を指向する日本の普通のヘッドフォニアにはウケない音かもしれないが、とにかく斬新かつ容赦のない音であって面白い。僕は聞き入ってしまった。


Exterior and feeling

随分と変わった形のアンプである。フロントがタテに細長い。建築でいうと、繁華街にある雑居ビルのような形だ。こういう建築は最上階は斜めにカットされて日照を確保している場合があるが、そこのデザインまで似ている。上部はスリットの入った真空管の保護カバーであり、一番下に入力切替と大き目のボリュウムノブがある。アンプのカラーはいくつか指定できるようだが、マットブラックよりは、ジャーマンシルバーの方がこのメーカーらしい雰囲気となると僕は思う。また、ホワイトという他の機材ではあまり見ない仕上げも用意されているが、これも捨てがたく綺麗な仕上げだ。全体の大きさとしては意外と小さく、占有する床面積は少ないが高さはあるので、普通のラックの二段目には入りにくそうだ。やはりこれはデスクトップに置くべきアンプだ。

リアパネルでは大きなヒートシンクとL/Rのスピーカー端子がついているのがまず目に付く。こういう類の、普通のスピーカーを鳴らすアンプなのか、ヘッドホンアンプなのか、どちらともつかないようなアンプは、経験上は中途半端な音しか出せず、ほとんどロクなモノはないので、僕は心配になった。だがホフマン氏の説明によるとV16 Single endedはヘッドホンがあくまでメインという話であるから信用することにして試聴に臨んだ。OCTAVEには、かなり立派なスピーカー用のアンプがいくつもラインナップされているから、スピーカーを鳴らしたい人はそっちを買うべきだ。こんなスピーカー“も”鳴らせますよなどという余計な配慮はいらない。
大体、このクラスのヘッドホンアンプを買う人間はそれなりのスピーカーシステムを既に持っているか、少なくともそれは十分に経験済みである場合が多いのではなかろうか。その意味でも中途半端なプリメイン機能は排して、ヘッドホンに全力投球して欲しいものだ。
とにかく今回はこのアンプにはスピーカー端子はないものとして、話を進めたい。
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リアパネルにはRCAとXLR両方の入力端子が備わっており、選択できる。だがV16Single endedというネーミングを考えると、中身はおそらくシングルエンドの構成であろう。XLRは疑似バランスと推測される。したがって今回はRCA入力のみで試聴した。なお送り出しはマランツの中級クラスのSACDプレーヤーであった。

使用できる真空管 としてKT120がデフォルトらしいが、お好みでKT150、KT88、6550、EL34を差し替えて使えるのがまず面白い。替えるとそれぞれで異なる音質傾向が生まれるはずである。ポタアンでオペアンプを入れ替えて愉しむという話があったが、経験的には、真空管の種類を変えることは、オペアンプよりもずっと大きな音質変化を生む場合が多い。もしこのアンプを買ったら、真空管をとっかえひっかえする愉しみは大きいだろう。
OCTAVEと言えばKT120や150などをプッシュプルで使うアンプメーカーというイメージがあるが、このアンプではいつもと違う方式にチャレンジしている。OCTAVEの多くのアンプと異なり、このヘッドホンアンプはシングルエンドのA級動作らしい。ちょっと設計を変えてきている。
また、OCTAVEはトランスから入力ソケットまで多くのパーツを自社で設計製造し、オリジナル部品の比率が高いこと、真空管アンプの長期安定動作のためのソフトスタートと保護機能を完備すること、MOS-FETを使った安定化電源を持つことなどを特徴とするメーカーでもあるが、V16 single endedも、その部分はOCTAVEの他のアンプと同じ内容をもっている。
カタログやネット上の情報からアンプの内容を調べていると、ホフマン氏の真空管に対する思いが伝わる。もともと管球式アンプの設計経験はかなりある会社であるが、真空管をそれらしい懐かしさ満載の音を出すために使っているのではないようだ。あくまで現代のオーディオの水準をクリアし、求める音質を得るために必要なデバイスとして真空管を認めているように見える。特に真空管を動作させる電源部の造りにそういう視点を感じてしまう。

なお、OCTAVEのアンプには以前から外部電源のオプションがあって、BOXの名で呼ばれていた。このBOXの中身は、もともとトランス屋であったOCTAVEがオリジナルで作っている大容量のトランスであり、いくつかグレードがあるのだが、今回はその最上位であるSuper black boxを接続して聞いた。
僕は以前、オクターブの上級クラスのパワーアンプとプリアンプの組を取り寄せて試聴したことがある。この時、Boxの有る無しも比較したが、はっきり差を感じた思い出がある。簡単にいうとBoxを接続すると音がグーンと伸びた。こちらに迫ってくる度合いが明らかに強くなるのだ。
こういうオプションを設けているアンプメーカーはほとんどなく、ユニークなアイデアだと思うのだが、このBoxは結構大きいので、ちょっと困る。これだけでかなり大き目のヘッドホンアンプぐらいの図体である。これをV16 Single endedの脇に置くと大掛かりな印象になる。
また、このBoxの面白いのは外部電源装置ではあるが、そこに直接電源ケーブルを接続する形ではないということだ。アンプのリアパネルに専用端子がありそこにBoxから出ているケーブルの端子を接続するだけである。電源ケーブルはあくまでアンプ本体に挿さっている。内部にあるトランスを増設するような働きがあるのかもしれない。

システム全体の外観としては正直、あまり格好良くない。素人が作ったようなアンプに見える。子供が夏休みの宿題で牛乳パックでつくった工作みたいな、かなり微妙なフォルムである。真空管の美しさを前面に出すわけでもなく、かといって全く見せないようにするわけでもない。中途半端な形。いい音がするように見えない。ただ妙に印象に残ることは確かだ。こんな形のヘッドホンアンプは見たことがないから。だいたいOCTAVEのアンプというのは最上位はともかく、それ以外はどれもデザインらしいものに気を使った形跡がない。OCTAVEは外見で洒落(しゃれ)ようという気があまりなさそうである。
OCTAVEがヘッドホンアンプを出すこと自体は大歓迎であるが、こんな見てくれのアンプが120万円の価値のあるものなのか?この外見ではサウンドがよほどなものでないかぎりは話にならない。

また価格の話はしたくないが、OCTAVEのアンプが日本に紹介された当初はセパレートのプリとパワーあわせても130万円前後という設定だったように記憶している(うろ覚えだが)。今はこの小さなアンプ単体で、それとほぼ同価格である。OCTAVEもいつのまにかかなり高価になってしまった。私の感覚ではOCTVEのサウンドは当初から完成されたものであって、現在にいたるまで大きな変化はないと思う。なのに値段が高くなったのは何故?やはりオーディオは青田買いに限る。


The sound 

OCTAVE V16 Single ended では、4pinのバランス端子とシングルエンドのイヤホンジャックがフロントパネルに見えるが、Single endedと銘打つとおり、中身はシングルエンド構成だろうから、4pinのバランス端子は疑似バランスじゃのないか。それゆえ今回の試聴はRCA端子を入力に使うのと同じ作法で、シングルエンドのイヤホンジャックだけを使い、MDR-Z1R、HD800s、TH900Mk2などを使って音の傾向を探ってみた。
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まずちょっと驚いたのは音を出す前にヘッドホンを装着した瞬間。確認のため幾つかのヘッドホンを接続して、ボリュウムを上げて試してみたりしたのだが、少なくとも僕の使ったヘッドホンについては背景のノイズがほとんど聞こえなかった。例えば、マス工房の406の製品版や改良前のGoldmund THA2などでは、ヘッドホンの能率とゲインの組み合わせの問題なのだろうが、はっきりノイズが聞こえる場合があった。
真空管アンプとは多くの場合、ややノイジーなものであり、SNの面で厳しいところがあるのは常識である。だが、このV16 Single endedはその点でかなり優れる。ライバルとなるFostex HP-V8も真空管アンプとしてノイズが低いが、聴感上はほぼ同等の静けさがある。なお、このような真空管アンプの電源についてはグランド分離によりノイズが減るケースがあるが、今回はそのような仕掛けは用いていない。プレーヤーのPLAYボタンを押し、ボリュウムを上げてゆく。
ハービーハンコックのRockitのイントロが流れる。
これは強い。こんなに音圧があるのか。
辛口の引き締まったサウンドで、真空管アンプとしてまずイメージされる緩くて甘美な音が全然出て来ない。鼓膜にガツンと音波をぶつけるようなダイレクトなサウンド。音が飛んでくる。音離れがいいというのはスピーカーオーディオに使う表現だが、思わずそうつぶやきたくなる。ホーンスピーカーをニアフィールドで聞く快感をヘッドホンで味わえるとは。Rockitにしっくりと来る方向性だ。メリハリ、コントラストの強い立体的な音の塊が鼓膜に次々と迫り、ぶつかり、砕ける。
ここではロックやヘヴィーメタル、ラップはとても新鮮に鳴り、良い結果を出す。だが、クラシックやアニソン、Jポップではどうも合わない曲が多いか?いや、音楽のジャンルで合う合わないがあるというよりは、激しくストレートな訴えかけのある音楽がアンプに合っていて、萌えの要素が強かったり、アンビエンスが豊かに取り込まれた音作りをされた音楽が不得意なのだろう。
このアンプのサウンドは、音像、そして直接音が主眼である。荒々しく、時に暴力的とさえ映る音圧に押し出されてくる音像が刺激的だ。
どんな曲を送り込んでも、明晰さを堅持して、弱音すら克明である。
これは、いわゆる上手い音作りとか無難で万人受けする音を狙ったものではない。あくまでホフマン氏の”オレの音”が出ているように思う。芯のある低域をコアとするドスの効いたサウンドを全身で浴びるようなリスニング。全身などという言葉はヘッドホンではあり得ぬはずだが、なにかこう全身で受け止めざるを得ない気迫が宿っている。こんなに強い音は飽きるのも早いと言い訳をして避けて通りたいと思う心が、ヘッドホンをひとまず外した後の心地よい疲労感によってじわじわと侵食されてゆく。こんな痛快さは久しく聞かなかった。聞き疲れがあるのに病みつきになりそうだ。

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このサウンドには一対一の戦いの兆しが感じられる。真剣で命のやりとりをしそうな覇気がある。こいつはBLEACHのキャラクターである更木剣八のような雰囲気を持つアンプだ。戦いの刹那・刹那だけを愉しむ者であり、危険な遊戯を仕掛けるオーディオマシーンだ。とにかく聞いていてゾクゾクするような嵐の予感が背筋に来る。凄いなと素直に思う。

空間的な見通しは良くはなく、音場の透明感もほぼない。ホールエコーの広がりなどは申し訳程度に聞こえてくるが、背景に空間の広がりを意識しづらい。そのかわり音像の厚みは、ヘッドホンアンプとして異例なほどの分厚さである。この際、空間性の欠如などは捨て置こう。
腰の据わった重たい音が腹に来る。時に邪悪ささえ感じさせる黒っぽいリズムが刻まれる度に、グーンと伸びてくる低域の存在感が際立つ。この低域がサウンドの重心となり、定位に揺るぎは感じない。この低域の分解能はすこぶる高く、この帯域が緩くなるタイプの真空管アンプとはまるで異なる。この低域の充実にはSuper black boxが一役買っているはずだ。だが、普通の真空管アンプファンはこの低域を快く思わないかもしれない。例えばHP-V8の低域のゆとり・ふくよかさとは180度、方向性が違うのである。
(なおSuper black boxを外すと音の伸びは控え目になるが、全体に音が締まるという話もあり、Super black boxなしの音の方を好む方もいるらしい。この試聴記では取り外して試聴しなかったのでわからないが、少なくともホフマン氏はSuper black boxを必ずしも推さなかったとは聞いていた。)(追記:なお、後日、全く別な場所でSuper black boxを外した状態で試聴できたのだが、高域の滲みや粗さが目立ち、低域の伸びやかさ、丁寧さが明らかに劣る印象だった。確かにこの時はKT88が使われていて、先に公開した試聴記で使っていたKT120ではないので一概にBOXがないせいにはできないが、やはりあった方がいいと思う。)
逞しい骨格と筋肉を誇るボディビルダーのようなマッチョなサウンドでありつつも、鈍重さが一切ない。ハイスピードな出音であり、音の瞬発力はかなり高い。現代の最新のアンプに要求されるレスポンスの良さを十二分に備えたアンプだ。スカッとしたヌケの良さが発音の末尾に常に付け加わるような気配もあり、必要以上の音の粘りは感じない。また、音の温度感がやや低く、ことさらに熱気を感じないのは意外だ。クールでサラッとした音である。これはこのアンプの持つスピード感と関連するのだろう。
さらに、やや確信犯的だが、音のエネルギーが中域あるいは中低域にやや集中している。ただし全帯域を少し離れて眺めれば、どうやらナローレンジな音作りにはなっておらず、むしろ真空管アンプとしては高域方向、低域方向にもかなり伸びているワイドレンジな部類らしい。

克明な音像、中低域の力感と高い分解能、反応速度の速さ、鮮度とキレのあるスパイシーな音というのが、このアンプのサウンドを聞いてすぐに思い浮かぶ言葉たちだ。これらは全てOCTAVEのスピーカー用のアンプにもあてはまる特徴である。だが、もう一つの要素がOCTAVEのアンプにはある。力で押す、テンションが張った音の中に、他のアンプには滅多に聞かない、各パートの調和と一体感が表現されている。最新のアンプともなれば各パートの音の分離の良さで性能を誇示するアンプが多い中、このアンプでは逆に渾然一体となった様々な楽器の音を堂々と提示する。この特別な音のブレンド感がV16 Single endedの音に深みを与えている。これがホフマン氏の音の核なのだろう。

このアンプに見合うヘッドホンは何か?その問いに正確に答えるにはまず、このアンプのオーナーになる必要がある。だがそれはなかなか大変なので、私がここで試した限りで選ぶとすると、Audeze LCD-4が最も持ち味を引き出していたようだった。平面磁界・全面駆動のヘッドホンは能率が低いところがいい。このアンプはあまりにもパワフルであるため、能率の高いダイナミック型は粗さが出やすい。また、使い慣れたMDR-Z1Rのような密閉型では、頭の中が拡張された音像でいっぱいになって狭くるしい。開放型の方がいい。またSusvaraを使うと、特徴的な高域がさらに華やかになり、この部分の音色の美しさは比類ないものと取れるが、低域の支えが薄いので好みを分けるような気がした。対するLCD-4は帯域全体のバランスがよく、音質上で欠点を指摘しにくい。MASTER1やFocal utopiaでも試してみたいが、その機会はあるだろうか。とにかく、最新型のLCD-4(初回版から既に5回の振動版の変更を経ており、付属のケーブルもキンバーに似た形のものに変わったが・・・・)は私の聞いた限りではV16とベストマッチと思われた。

妖艶さを盛り込んだ色彩感豊かでしっとりと優しい音というのが、大半の真空管アンプが奏でる音のイメージだが、そのような真空管アンプの標準語の発音・言葉使いとは異なる、いわゆる“方言”を駆使するヘッドホンアンプと言える。このような訛(なま)りを持ち、音に同等の十分な説得力があるヘッドホンアンプをかつて一つだけ知っていたが、V16のサウンドはそれを上回るような、狂おしさ・重苦しさにまでつながるサウンドかもしれない。
かつて、G ride audio GEM-1という個性を手放してしまったのを悔やんできたが、全く同じではないにしろ、多少とも似た雰囲気を持つアンプにやっと出会うことができた。


Summary

人間にはある問題が出会った時に、正解は一つだと考える多少スクエアな人と、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないと柔軟に考える人がいる。
オーディオという趣味は、良い音とは何かという問題の解を求める試行錯誤であると考えることができるが、その始まりは大抵の場合、一つの理想を追う姿勢に終始する。一つのシステムをグレードアップして自分にとっての理想の音に近づけようとするのである。その過程で我々は様々な機材やシステムを通過し見聞を広め、自分で構築したシステムを味わい、味わい尽くしては飽き、システムを入れ替える。
それを繰り返すうち、色々なサウンドを聞いて達観する。理想の音は一つではないと。
つまり絶対的な一つの解があるだろうと考えて追求しているうちに、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないかもしれない、あるいはオーディオとは正解はないが不正解はあるという世界なのでは?という方向に考え方が変わってくる場合があるということだ。つまり多様性に目覚めるのである。

僕がやっている、色々な場所で様々なコーヒーを飲むという行為も、この多様性を求める行動の一環と捉えることができる。
様々な産地、様々な気候・土質そして品種、様々な製法で作られた、多様なコーヒー豆を吟味選択し、バリスタ達はそれぞれに異なる抽出法でもってコーヒーを淹れる。コーヒーの味というのはバリスタごとに異なるし、その日ごとに、一回として全く同じ味で淹れることはできない。これは一期一会がもたらす多様な味の表現なのである。
毎日、その多様性を求めてコーヒースタンド・カフェを渡り歩くことは、まずは究極の一杯に出会うための旅であるし、最後には究極の一杯が複数あることに気付くための旅でもある。
僕のオーディオもコーヒーに似ていて、その中にあるハイエンドヘッドホンというジャンルも、そういう旅のようなコンセプトを持っていると見て差し支えない。
ヘッドホンオーディオを続けるということは、とあるヘッドホンサウンドに出会うための旅であり、また、いくつもの個別なヘッドフォニアの世界があることを認めるための旅なのである。

僕はいつも多様性の中に身を置いていたいと望む。この多様性の前提とは、世界に単に多くのモノがあることだけではなく、互いに明らかに異なる、多くのモノが並立することが重要である。だから僕という人間はいつも自分の知らないモノを求める。自分の知識に既に有るモノとは異なるモノを探している。そして、V16 Single endedは僕が求めるモノに当てはまるのだ。こうして僕は、ヘッドホンサウンドの優れた表現者の一人としてOCTAVEのホフマン氏の名前を新たに記憶に刻むことだろう。

現代は複数同時展開する使徒のごとく、予想外に多くのハイエンドヘッドホン機材が選べ、比較的簡単にそれらと手合わせできる時代である。真空管式のハイエンドヘッドホンアンプに限っても、Fostex HP-V8、STAXのT8000、Sennheiser HE-1、Hifiman Shangri-la、Blue Hawaii、Woo audio WA-234などがあり、どれもマニアの間では、それなりに話題にのぼっている製品だと思う。
またハイエンドに限らなければ、ArtifactNoiseの新作アンプや山本音響工芸HA-02、izo iVHA-1、東京サウンドValveX-SE、Musical SurroundingsのFosgate Signatureなども面白かったし、実際に世話にもなった。僕はWoo audioの製品を除けば、ほぼ全てを聞いているつもりだが、今思えば、どれ一つとして同じ音を出すものはないばかりでなく、それぞれに他とはかなり違った、個性的な音調を発揮しているものが多い。つまり思い返せば、僕の中で真空管式のヘッドホンアンプはソリッドステートのものよりも個性派揃いなのである。ここまであえてやってきた、柔らかくて甘美で艶のある音などという勝手なくくり方をすべきではなかった。
(それは知っていたが、話の流れからすれば、とりあえずそうしておくしかなかった)
そして、その中でも最も個性派と思われるのがこのV16 Single endedである。

V16 Single endedの鉄壁の個性を聞き、ヘッドホンの世界が多様性に溢れ、深く広くひろがりつつあることを僕は改めて確かめた。実際、このジャンルは未開拓であり、発展途上である。遠くまで自由に歩き回るにはまだ障害が多く、この広大な荒地を好き好んで歩く僕のような者もまだ多くない。しかしだからこそ、やりがいがある。このジャンルに十分に投資するメーカーもオーディオファイルも、新世界の開拓者としてオーディオの歴史に名を刻むチャンスがある。対するスピーカーオーディオは、いくら開発費を注ぎ込んでも、音質の向上率が頭打ちのように思えてならない。カネがかなり有り余っている人間でないかぎり、スピーカーによって新しいオーディオの可能性を追求することはできなくなってきている。またスピーカーの世界は年季の入ったハイエンドメーカーやユーザー達がひしめいていて、いくら努力しても、その分野の先駆者として認知されることが難しい。この状況を理解しているならば、僕がスピーカーオーディオの世界からあえて距離を置く理由も分かるはずだ。
OCTAVEのようなスピーカーの世界で定評のあるハイエンドメーカーが、この新世界に参入することを、一人のヘッドフォニア、そして一人のオーディオの観察者として歓迎してやまない。
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# by pansakuu | 2017-09-01 00:46 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの

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神話とは、世界の始まりに起こった一回きりの出来事の記録であり、
後世の者が規範として従わねばならぬ、不可侵の物語として位置づけられる。
定義集より



製品の発表から一年あまりを経て、
やっと販売が開始された製品版のSennheiser HE-1を僕は聞いてきた。
ハイエンドなヘッドホンを嗜好し、これを消費する者から見ると、特別に優れたヘッドホンを使いながら、専用のドライブアンプに残念な部分を残していたプロトタイプのHE-1だったが、製品版では細かい欠点を改め、全てのスペックを確定し、完成したハイエンドプロダクトとなって日本に再び上陸してきた。
僕はこの機材のプロトタイプを数回にわたって試聴してきたが、いつも正味5分くらいの短い試聴ばかり、いかんせん製品版でないこともあり、どうも腑に落ちないというか、600万円の対価にふさわしくないシステムだという印象が拭えなかった。
今回の製品版に対する試聴会は、以前のプロトタイプを聞く会と異なっていて、一人当たり30分前後という、音のあらましを掴むのに不十分とは言えない試聴の時間が与えられていた。

そこで僕が聞いたHE-1の音は、かなり良くなっていた。
以前に聞いたプロトタイプに比べて随分と練り込まれたサウンドと感じた。
もう単純に高音質を狙うなどという、ありふれた領域は通り過ぎ、その先の精神的な境地、アートの世界にまで入りつつあるように聞こえた。これはオーディオについての豊かな経験・深い造詣を持たないと創造できない音の骨格、そうでなくては想像することすらできない音の細部を聞かせるシステムだと感じた。

とはいえ慌てて、入手してもいない機材の音質について詳しく話す必要はないし、そういう気分でもない。
それよりも今回は外観などの音質以外の点で新たに分かった、購入の検討の際に役立ちそうなことを中心に書きつらねておく。音質の話などは今は話半分でいいのだ。
ここでは、この途轍もないヘッドホンシステムHE-1のコンセプトを正しく把握することが重要だと思う。
なにしろ単純に音質だけがHE-1の存在意義ではないというのが僕の結論なのだから。
なお、例の如く細かいデジタル入力規格や周波数特性の数値などスペックに関してはゼンハイザージャパンのHPに公開されているので参照してもらうことにして、
ここではそこに書いていないことを中心に話す。

まず耳の痛い、価格に関係した話題から。
白い大理石のシャーシのオプションでヘッドホン一個、リモコン、運搬用コンテナ、マイクロファイバー製のクロス、シルクの手袋、USBに入ったwindows用のドライバー、納入される実機の測定結果を記した書類、ブックレットになっている日本語取説などが付属する標準仕様のHE-1は税込で648万円になると決定している。なお一部で噂はあったが、予備の真空管は付属しない。(追記:最近、ヨドバシのHPで720万円のプライスタグで売られているのを見たが、私がこの文を書いた時は確かに648と聞いた。720では流石に他の選択を考慮せざるをえない。)
日本には一台のデモ機があるのみで在庫はなく、完全受注生産品であるが、台数や受注期間は今のところ限定されていない。
実際の売買はゼンハイザージャパンに直接メールなどで購入の意志を伝え、契約書を取り交わすことから始まる。税抜き代金の20%を前金で支払い、オーダーが成立。ドイツ本国で製造が開始され、約2か月で実機が日本に到着、残金を清算し納品という流れだ。これは高額なオーディオ機器としてはやや異例で、普通は前金や契約書がない場合が多いと思う。
こういった特殊なモノを作る会社は個人でやっている場合も多い。契約書を交わさず、大金を振り込んだあとで、その個人が病気や事故などで突然、生産不能になった場合には、資金の回収できなくなることも考えられる。普通の会社でも倒産はありえないことではない。通常は代理店や販売店が仲介するからいいとはいえ、これだけの現金を戻すのは彼らにとっても楽ではないだろう。やはりこういう契約の締結や前金→後金という慎重な過程を経ることも、現代では必要なことなのかもしれない。
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選択できるオプションとして、二人で同時に聞くために、もう一台ヘッドホンを追加すると約300万ほどかかる。僕はこれを重要な数字と考える。それというのもヘッドホンだけで300万円という話を聞いて初めて、このHE-1の価格設定に納得できたから。HE-1はギミックのあるアンプ部に注目が集まりやすいが、あくまでヘッドホンが主役であるのが、ここで判明したのだ。実際の内訳として150万円のアンプ、150万円のDACに300万円のヘッドホンと考えるとハイエンドオーディオとして一応の筋は通っているかもしれない。もちろん、これはRe leaf E1シリーズやTHA2などの既存のハイエンドヘッドホンアンプの存在意義とその価格を踏まえての話だし、僕がこのHE-1のヘッドホンが300万円すると言われても驚かないという身分不相応な金銭感覚の持ち主であることも考えに入れるべきだろうけれど。

標準仕様は白い大理石のシャーシで設定されるHE-1だが、黒い大理石を選ぶこともできて、その場合はプラス120万とのこと。また黒色の他、赤や黄色の大理石も選べるが、これらはオーダー後の見積もりとのこと。おそらくその場合は200万円前後の割増料金ではないかとのこと。
なにせ大理石のシャーシは歩留りが悪い。自然物を切り出し、削り出すのだから仕方がない。ゼンハイザーの基準に見合うシャーシが低い確率でしか得られないため、捨ててしまうものが多くコストが非常にかかると言う。大理石に浮かび上がる模様はもちろん選べないし、同じものは世界に一つとしてない。
試聴しながら、標準の白い大理石のシャーシを注意深く見ていたのだが、恐らくこのシャーシは大理石を削っただけではなく、なにかで石をコーティーングして割れにくくしているようだ。これは初期のプロトタイプとは異なる仕上げではないか。そういえばRe LeafのE1Rの大理石のボリュウムノブが割れる話を聞いた覚えがあるが、こういう表面の保護もこのクラスの機材には必要なのだろう。

大理石のシャーシの肌理を触っていると、このような威容を誇るオーディオ機器の筐体は稀だと思う。以前、森や川は消滅と再生を繰り返す不滅の存在だが、大理石は変わらない永遠の存在だという文章を読んだことがある。その時、僕は不滅と永遠の違いを知った。
大理石をヘッドホンアンプに用いて、ヘッドホンサウンドにも変わらない永遠の価値を与えたかったのだろう。また、ギリシャのパルテノン神殿の柱は大理石でできているが、大理石というものは西洋では神殿の枕詞のようなもの、ただちに神を意識させるものでもある。
神秘的な雰囲気を、単なる音響家電に与えることを意識して、大理石を使っているのかもしれない。
公式には大理石が放熱に効くという説明がなされているが、後付けのような気がしてならない。
機械的、音質的な影響はともかくとして、ここで外観上は大理石のシャーシを奢ったことは成功だった。大理石シャーシの採用があってはじめて、このヘッドホンシステムがアート・芸術作品という視点から語れるようになる気がする。
このような重厚さ、厳めしさは大理石以外の素材では出しにくい。ハイエンドヘッドホンに絶対的あるいは排他的とも言える威厳を添え、オーナーの所有欲を溢れんばかりに満たし、ハイエンドヘッドホンというジャンルの構築にかける意気込みを示せる。
芸術作品としての品格を備えたオーディオ機器はもともと少ないけれど、そこにヘッドホン専用の機材が含まれるようになったことはとても面白いし、新しい時代の到来を予感させる。

それから、標準の3mのヘッドホンケーブルを5mに変更したい場合は24万ほど加算である。なかなかの価格であり、よほど特殊なケーブルなのかと思う。
また、HE-1は高価で、売り方が少し規格外とはいえ、日本で買おうと思えば誰でも買えるものだから、日本のPSE規格に適合している。よって付属する電源ケーブルはこの規格の関係で汎用品になるが、要望があれば別なケーブルも用意できるとのこと。ここらへんも応相談である。さらに真空管周りのブロックやヘッドホンボックスの色を赤に変えたり、真空管の保護チューブのキャップをゴールドに変えたりすることもできるようだが、その価格は訊かなかった。黒い大理石のシャーシは憧れであるが、その他は自分には関係ないオプションだと思ったからだ。

この製品については、世界で既に30数台が売れており、日本でも一台だけだが売れていて、納品は終わっているとのこと。HE-1は輸送時、木製の大きなコンテナに入っており、日本では専用のリムジンをチャーターして配送される。リムジンの手配はドイツ本国からの指示だという。こういう配送の仕方もハイエンドオーディオ機器としてはあまり類例がないように思う。それから、木製の大きなコンテナは元箱として価格に入っているが、オーナーはこのコンテナの置き場所も考える必要がある。意外に元箱を捨ててしまうオーディオファイルが少なくないが、メンテや故障の場合に役立つので持っている方が僕はいいと思う。なお、HE-1については三年に一度の、本国送りになるかもしれない定期メンテナンスも推奨されているので、その意味でもこの箱の保存は必要だ。なお保証期間は5年。永久保証というわけではない。

製品版のヘッドホンやアンプの外観についてはプロトタイプに比べて目立った変化はない。
ヘッドホンの外観はプロトタイプとほぼ全く同じ。左右のイヤーカップに内蔵される、増幅の最終段としてのA級アンプの内容はともかく、外観上はきっとなにも改良していないのだろう。
アンプの外観についてもボリュウムノブやセレクターの周りにアルミの丸い枠がついたことくらいしか違いがない。
足は平たい4つ足であり金属製のボトムプレートに直接ついており、底に滑り止めのゴムのような材質の円盤が付いている。また、高さを調整する機能はないようである。つまり十分に平らな置き場所が必要だ。これは重心が低いシャーシであり、放熱孔は底面にも表面にもないようである。一方、放熱が必要な真空管は全て石英ガラスのチューブに入れたうえで、向かって右側にあるブロック上に立てて配置される。これらの真空管はスプリングを介してマウントされ、石英のチューブは空気を伝わってくる外部からの振動を防ぐためにあるという。HE-1は真空管まわりについて振動に気をつかった仕組みを持っている。
この構成・位置だと真空管の放熱には良いが、あまりにも剥き出しなので、不意になにかが飛んでくると真空管を直撃することがあり得る。でも条件付きで心配無用というか、御存知のギミックにより、HE-1を起動していない状態であれば、真空管は引っ込んでおり、その危険はない。こうして実際に使うことを考えると、これらのギミックが、まず見栄えのため、それから真空管をスタンバイ状態に持っていくまでの時間を稼ぎ、真空管の寿命を延ばすため以外にも役立つことはありそうだ。
なお、これらの真空管の発生する熱は、アンプが半導体とのハイブリッド式の構成をとることもあって、フルドライブでも問題なく触れるほどのものだった。真空管を容れるチューブの銀色のキャップの部分を触ったが50度くらいだろう。夏でも使える。例えばNagra HD DACでは機材の内部温度測定と内部の真空管に電源投入したトータルタイムを記録する機能があり、内蔵の真空管の寿命をある程度知ることができるが、HE-1にはこのような機能はない。したがってメンテナンス時に真空管についてメーカー側で調べてもらうしかないだろう。ただ、この温度であれば、そう頻繁に真空管を入れ替える必要なないと予想する。
また、真空管の放熱という点に関してHE-1の日本語マニュアルを読むと周囲に5cmくらいの空間が必要とある。Fostex HP-V8でメーカーが推奨している空間の空け方よりもずっと小さく、セッテイングは比較的容易である。

DACやアンプの内部の仕様についてはHP等で発表されている以上の情報は未だにほとんどない。どのように基板がマウントされているのかすら不明。
運良く手に入れたとしても、このシャーシの中身の写真は撮れそうにないというか、撮る勇気はなかなか出ないと思う。大理石は重くてデリケート、モーターによるギミックあり、ヘッドホンボックスの天板はガラス製、真空管に石英のチューブ付きと来たら、内部の仕組みをあらかじめ熟知しないものが、HE-1をひっくり返したり、中を開けてみるのは危険だ。とにかくDACはES9018が片チャンネルごとに4個づつ、パラレルで使用されているということ、真空管とソリッドステートのハイブリッドのヘッドホンアンプ部(HVE1)とヘッドホン本体(HE-1-HP)の二段増幅になっていることぐらいしか、内容について私は知らない。
最近、DACの基板の写真を見て、実際の出音と比べたりしているプロの方のブログを読んで感心したが、オーディオ機器を訳も分からず、ただ使いまくるだけの全くの素人の僕には、ああいう技術的なコメントもできないから、その意味でもHE-1の中身を見るなんて無駄だろう。僕にしてみれば、中身はどうあれ、見てくれと出音が良きゃいいというわけだ。

次は、不要との指摘もある、本機特有のギミックに関して話そう。それにはまず起動の仕方についておさらいする必要がある。背面のメインスイッチが入った状態で、まだ起動されてないHE-1はボリュウムノブとセレクタが引っ込んでフロントパネルとツライチの状態になっている。ボリュウムノブの頭が起動ボタンの役割をしているので、これを軽く押し込むと真空管がせり上がり、ボリュウムノブとセレクターが前にゆっくりと飛び出してくる。同時にヘッドホンケースの蓋が開き、ヘッドホンを受け止めているクッションもせり上がるという具合である。これらの一連の動きが終わるとヘッドホンボックスからヘッドホンを出して聞ける状態になる。また、リスニングが終わったらもう一度ボリュウムノブを押し込むと、上に述べたのと反対の動きで片付けが始まる。
これら全ての動きが内臓された数個のモーターにより自動で進んでゆく。このようにオーナーに、私の音を聞きなさいと促すような動きをするオーディオ機器は初めてである。
この動き自体は音質にあまり関係のないことは間違いないので、最初の試聴の頃、僕はこのギミックを快く思わなかった。だが、何度もこの儀式を眺めているうちに、この動きなくしてHE-1は特別な存在になりえないと思うようになった。

HE-1自体、HifimanのシャングリラあるいはシャングリラJrやRe Leaf E1RやMSB Select DACのSTAX専用システムなどと比較されがちであるが、そういう比較はオーディオを音質という視点からのみ見てしまうという、普通のオーディオファイルにありがちな間違いなのかもしれない。例えば、それらのアンプにはこういう動きの側面がそもそもない。その視点から見ればHE-1は目指した場所、立っている土俵が違う。ヘッドホンやヘッドホンアンプは従来のスピーカーやアンプよりも、よりリスナーに近い位置に置かれることが多い。その状況で機材に動きがあると、スピーカー関係の機材に比して、もっと強くリスナーの音楽を求める衝動に働きかけ、高揚させることができるかもしれない。こういうコンセプトは今までに僕が扱ってきた、どのオーディオ機器にもない側面だろう。
また、このギミックの付加は、優れたオーディオ機器とは、その静的な外観のデザインのみを云々するだけでなく、動的なギミックも含めてデザインとして評価すべきという立場を示しているのではないかとも思う。

製品版HE-1では、金属を切削して作られた、オリジナルデザインのスタイリッシュなリモコンBFI-1が新たに付属している。単体で25万円もするが、上質な仕上がりのコンパクト・スリムなリモコンであり、付いていて腹は立たない。標準のヘッドホンケーブルは3mもあるのだから、遠隔操作ができる装置があっていい。このリモコンでボリュウムの調節、入力選択、クロスフィードのかけ方に強さの3段階の調節ができるだけでなく、ヘッドホンケースの蓋の開閉ができる。(本体に、この機能のあるスイッチがないようだ)
ここは僕にとって、ヘッドホンの価格と並んで、もう一つ重要な点だった。僕は出来るだけ蓋を閉めて、背面にあるもう一つの端子にヘッドホンをつないで聞きたいので、この機能があるかどうかが気になっていた。
今回の試聴で、起動して蓋を開き、ボックス内の端子からヘッドホンを外し、背面の二つ目のヘッドホン端子につないだうえで、リモコンで蓋を閉じてリスニングを没頭するという流れがやっとイメージできた。
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では、ヘッドホンがボックス内の端子に繋がれている状態で、リモコンで蓋を閉じるボタンを押すとどうなるのだろう。ヘッドホンケーブルを蓋が挟んでしまうということにならないか。この場合の対応についてはマニュアルに書いてある。ここでHE-1本体はヘッドホンの接続状態をいわば認識しており、ヘッドホンケーブルを咬む寸前で蓋の下降が止まるという。並みの設計者・メーカーなら箱の縁にケーブルが通る小さな切欠きを入れるだけで解決しようとするだろうが、収納ボックスの美観をそこねる安易な方法はとらないというのだろう。

やや暗い試聴室でオレンジに底光りする真空管の並びと白い大理石のコントラストを眺める。LEDで指標され位置を視覚的に確認しやすいうえ、滑らかに動くボリュウムノブに触れる。この感触もプロトタイプよりも良くなっている。USBなどの入力を切り替えるセレクター、クロスフィードのかかり方を変えるノブのクリック感を指先で味わう。こうしていると、音質以外の点でHE-1の洗練度の高さを感じる。ハイエンドオーディオ機器に備わっているべき心地良い操作感がこのマシーンにはある。
特にボリュウムフィールの心地よさは特筆できる。ここ何年かハイエンドヘッドホンアンプを試してきたが、この感触の良さはE1Rと並んでトップである。他のアンプでは、マス工房のアンプやGOLDMUNDのアンプのように、この部分の感触が考慮されていない場合が多い。
またLEDで光る指標がノブのついているのも嬉しい。これはハイエンドな機材でも意外と見かけない仕様で、オリジナルのノブを削り出しで作る以上の手をかけないとできない。
またヘッドホンの装着感、頭との一体感も上出来。ヘルメットのようにスッポリとかぶる感じ。他のハイエンドヘッドホンと比べても、ここまで頭にシックリとなじむものは珍しい。550gと軽くないヘッドホンだがフィット感の良さからか重いとは感じないので長時間のリスニングも問題なかろう。
なお、このヘッドホンでは珍しく側圧を測定して公表している。4.3Nプラスマイナス0.3Nだそうだ。せっかくだが、こういう数値の表示は比較対象がなく、平均値も知られていないのでほぼ無意味ではないか。ここに数値信仰のピットフォールが露呈しているのかもしれない。
このような数値はおそらくどうでもよい。むしろ、測定できない・数値化できない要素がこのHE-1には盛りだくさんに存在することが素晴らしい。
それこそが僕の望むオーディオ機器の在り方でもある。
ハイエンドオーディオの機材とは、最終的には人間の五感に訴えかけるアートでなくてはならず、計測器にテストされるために存在する科学的な対象ではないとずっと考えてきた。もちろん開発の途中は科学・数字を駆使すべきだ。しかし僕の手元に届いた日からは、音楽のことだけを考えさせてほしい。理系から文系に変わってほしい。数値で記述できる要素は設計者や業界が勝手に設定した基準を満たしておればよい。それを超えたところで、人間がそれを相応の価値あるものと認識できるかは不明、あるいは人それぞれとしか言いようのないことであり、自慢するほどの話ではないからだ。それよりも人間の五感に確かに感じられるが機械で測ることのできない部分を人間側の感覚で十分に磨くことの方が重要と思う。
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音質については、今まで聞いてきたプロトタイプと比べて、明らかに進化した。
音楽に秘められていた活力・生命感が開放され、ほとばしるように振動板から溢れ出て来る。ビビッドでカラフル、しっかりとした輪郭線が目立つ、アピールのあるサウンドである。
ここまで明確な音の打ち出し方はプロトタイプにはなかったように思う。
なによりヘッドホンから放射される音のエネルギーが強い印象であり、これほどの音圧を静電型のヘッドホンで感じたのは初めてである。静電型ヘッドホンのスタンダードであるSTAX SR009は優れたヘッドホンであるが、T8000を用いても、音のエネルギーの強さ、陰影の濃厚さ、低域の量感などで不満がある。僕にとって、あれは淡い音で、音の当たりは気持ちいいのだが、透け透けで頼りない感じが否めない。音に熱っぽさや厚みが必要な音楽では残念な音になりがちである。
HE-1では振動版を大きく強靭にして形も工夫し、さらにイヤーカップ内にA級アンプを内蔵したりして、上記の静電型に起こりやすい欠点を解消しようとしている。
そのせいか、聞く者の心に直接訴えかける、生々しい音が得られている。こういう音だとリスナーは今聞いている音楽の表現や内容に共感しやすい。製品版では、このような音楽性が高い方向にサウンドが転換したような気がすることも見逃せない。

最近、Octaveのヘッドホンアンプ V16 single endedを外部強化電源であるSuper black boxを接続した状態で聞く機会を得た。トータル160万円ほどの高価なアンプシステムである。ヘッドホンは使いなれたMDR-Z1Rなど。そこから聞こえてきた辛口で勢いのある音とHE-1の出音には音のエネルギー感やコントラストの強さなどで相通じるところがあった。やはりドイツという生産国のお国柄と、ともに真空管を採用し、アンプにA級動作させるところなど共通点が多いからだろうか。V16 single endedの音の持つ、僕がいままで聞いたことのないような荒々しさも弱められてはいるが、HE-1のサウンドに織り込まれている。

全般にピークやディップが少ない素直な音で、真空管をこれだけの本数使っていても、なんとなく聞く限りは、響きに癖が少ないと感じる。しかし注意深く聞くと真空管を取り入れた結果として、音の艶や滑らかさ、柔らかさ、華やかな色彩感が嫌味にならない程度、絶妙に混ぜ込まれているのが分かる。HE-1のサウンドは複雑かつ、どこかセクシーである。
また、どんな音楽を聴いても聞き味が大変よい。スルスルと頭の中に極めてスムーズに音楽が流れ込んでくる。これもあえて真空管を使ったことの効能だと思う。
真空管の存在感が強すぎるとHP-V8のように好みを分けてしまうし、真空管の選択で音がガラリと変わり過ぎることもあるが、そういう不安定性とHE-1は訣別している。実際のところ、真空管とソリッドステートのハイブリッド構成でなかったら、こうはいかなかったのかもしれない。

製品版のHE-1が展開する音場は、フルオケの演奏においてリスナーに十分に引いた視線を与える場合もあれば、女性ボーカルのオンマイクな録音で奏者の占める位置を指し示すのみで消極的な広がりに終始することもある。音源を必要以上に遠くしすぎないことに努めながら、音楽の要求する適切な広さを提供するというのが第一印象であった。このシステムの印象から音場の取り扱いに関してHD800でありえるし、HD600でもありえるなと思ったのである。
ただ、私のイメージでは、それが目一杯エクスパンドしたとしても、だだっ広い雪原に似た、平らに、ひたすら広がってゆくような音場にはならなかった。そういう広がりをもつ音場は音楽が演奏される場としては、非現実的なものであり、CGが作り出す仮想空間のようで、音質上、罪のある嘘を含むのではないか。
HE-1の音場は、石造りの建造物の大広間にいるような雰囲気を持っている。静止した空気とニュートラルな温度感を伴う、リアルで安定したサウンドステージである。こうして、どんな音楽に対しても、リアリティを必ず含んだ、安定志向の音作りに専心するあたり、コンシュマー機のみならずスタジオ機器も開発製造するゼンハイザーのポリシーを感じた。

一方、音像についてはシリアスで厳しい側面があってHD600GE Dmaa、HD650GE Dmaaを彷彿とさせる。これはHD800のような、どこか朦朧体の音像ではない。このような音の造形はプロトタイプでも最後のバージョンの段階では出来上がっていたと思う。さらに製品版では、微かではあるが、なにか音に対する執念というか執着心のようなものが、ビターなスパイスとして音に加えられているように思った。国産のヘッドホンアンプではサラッと終わらせてしまう音像の描写を、しつこく追い回しているようなところがある。
そんな風だから、HE-1のサウンドは音を視覚的に解像するという点でも、すこぶる高いものがある。陽光に透かした青葉の葉脈を辿るように音楽の細部が克明に浮かび上がる。この視点では音の拡大鏡としての機能が前景に立っているが、そういう細部への眼差しの中にも、リスナーが楽音の持つ美しさにリスナーが自然と注意を向けてしまうような音調、音のディテールに誘うような聞き味の良さが常に潜んでいる。まるで音楽の持つ文学的な内容が音のディテールにまで沁み込んでいるようだ。俯瞰的にも、微視的にも音楽に没入しやすい。
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様々な音楽をかけかえて試聴を進める。女性ボーカルのくすぐるような柔らかい触感やウッドベースのふくよかな量感と厚み、シンバルの響き線が虚空にたなびく様が見事なイメージとなって脳裏に浮かびあがる。こういう、あやかなものを聞かせつつも、HE-1のサウンドには真空管的な緩さはなく、むしろ硬い岩肌を連想させるような、彫りの深さ、陰影の克明さがある。初期のプロトタイプはこうではなかったので、世界をプロトタイプが行脚してしているうちに、ドイツ本国の開発陣で、なにか方針転換があったのだろう。このようなはっきりとした音の表情のメリハリの付け方、明暗のコントラストの強さは国産のオーディオ機材では聞かないし、ヘッドホンシステム限れば、どの国で作られた製品からも、あまり聞いた覚えのない音である。この音作りの根本にはドイツ的なオーディオの感覚があり、日本人である僕にはエキゾチックに感じられる。

クロスフィードについては、かけ方の強さが2段階に選べる。これはGOLDMUND THA2に使われるジークフリートリンキッシュと類似した効果を狙ったものであるが、この効果に関してはおそらくGOLDMUNDが一段上の位置にあるように思う。HE-1でもデジタル領域で信号の加工をやっているのかどうかは分からないが、自然な定位という点ではジークフリートリンキッシュは今のところ他の追随を許さない。ただGOLDMUNDではかけ方の度合いを変化させることができない。ヘッドホンサウンドをどういう定位の仕方で聞きたいかは曲次第、リスナーのお好み次第というところなので選択肢は多い方がよく、HE-1の方式は歓迎する。

RCA端子からの外部入力の音とUSBでPCと接続した場合も比較した。PCはMacで再生ソフトは分からなかったが、どこかで見たような画面だったからそれほど珍しいものではあるまい。外部の送り出しであるマランツのSACDプレーヤーはSA10あたりだったと記憶するが、あまり関心がなかったので確かではない。
簡単に言えば、USBでPCと接続した場合の方が、音がスッキリして聞きやすくなる。だが、外部入力のプレーヤーに十分な実力がある場合、USBでは情報量が減ったように感じられるのはやむをえない。なにしろ、たかだか150万程度のDACでしかない。内蔵のDACは綺麗に整理整頓された形で音楽の全体像が提示することはできる。したがって、このDACは悪いものとは思えないが、これより良くできたDACは150万円以上の製品にならいくつかあるだろう。例えばコスパのいいDAVEの音質と比べると、多くの点で劣ると思う。
外部入力だと、音楽を聴くのに必ずしも必要のないかもしれない、枝葉末節の情報さえ十分な音楽的分解能をもって、あまねく分離して聞けるようになる。ここでは普段僕が全然評価しないマランツのプレーヤーでも悪くないと思わせる音が出ていた。僕としてはこのHE-1に組み合わせる相手のDACとして、Weiss Medus, dcs Rossini, Nagra HD DACなどを連想した。そのクラスのDACが必要だ。
なお、製品版のHE-1を聞いて、Select DACにはSTAX用の専用アンプを組み合わせるのが恐らくはよかろうと外国の知り合いに僕はメールしておいた。あれはなんとなくHE-1には合わない感じがした。音が平明過ぎるんだよな。

じっくりと手合わせして気づいたのは、HE-1のサウンドには、何気ない一音一音に一筋縄でいかない裏の意味があると思わせる、隠微なニュアンスが宿っているということ。音や音楽そのものに対する深読みを誘い出す複雑さがつきまとう。
汲みつくせない意味、表現しきれない音の模様。
ここには僕のまだ知らないなにかが隠されている。
HE-1にはそういう謎めいた一面がある。
それは人間の精神にとっての毒のようなものか、あるいは人間の奥深くにある性的な官能の動きのようなものか。
許されるなら僕は、そういうHE-1に秘められた思いの正体を知りたい。
秘すれば花。
昔読んだ風姿花伝の一節を不意に思い出す。


僕はプロトタイプのHE-1のサウンドを、手持ちの機材のそれと比べるうちに、どうしてもディスリスペクトせずにはいられなかったが、今回、製品版を聞いて、逆にとても欲しくなった。これなら高価なケーブルやアクセサリーを用いなくても、僕の所有するシステムと同等以上でありながら、異なる音を出せるかもしれない。そう期待させる基本性能の高さと、他のヘッドホンサウンドと一線を画した孤高の音が聞けた。このState of the artというべきレベルの外観とサウンドを合わせ持つ機材はヘッドホンシステムではRe Leaf E1くらいしかないだろう。ただ、HE-1はE1よりも世界のヘッドホン界に与える影響はより大きいので、さらに偉大な存在だ。逆に言えばE1は世界でHE-1ほど有名ではないものの、それほどまでに優れているというわけだが。

今回の試聴全体で感じたことは、ありきたりだが、
HE-1は、その存在そのものがアート・芸術であるということだ。
単にいい音で音楽を聴くための気楽な家電製品を目指したのではなく、最終的に芸術作品を創り出そうとしたのだと思う。だから価格も芸術作品としての値付けだ。それなら分かる。前のモデルであるOrpheusヘッドホンシステムには、これほどの格調の高さはなく、先代と比べて進歩している。先代機は今では幻に近い機材であり、ハイエンドヘッドホンのレガシー・神話として位置付けられているが、HE-1はその立ち位置を継承し、さらに発展させている。

ハイレゾという数値を戴くPCオーディオが発達した結果、現代ではアンプやスピーカーにもその傾向が伝染している。昨今のオーディオは、音以前にスペックの数値を見ないと、良し悪しを判断できないものであるかのようだ。だが、ハイエンドオーディオの始まりの頃は数合わせばかりではなかったと記憶する。僕は25年くらいオーディオをやっているが初期のマークレビンソンやマランツやタンノイ、ゴールドムンド、FMアコーステイック、JBLなど、どれも芸術に対するリスペクトから、芸術的な音調をその出音に潜在させることに腐心していたと思う。そのようにして設計者は自分の中にある芸術の解釈をサウンドに織り込んでいた。
当時の音響特性は現在と比べれば稚拙な面はあれど、今のオーディオ機器には聞かれない麻薬のようなオーディオ的快感・エロス・毒を隠し持っていて、そういう数字で捉えがたいものを受け止める力のある者には、それらを惜しげもなく与えたものだ。それはリスナーの共感を強く呼びこむ、深い音楽性として現れていた。
その魅力は今もハイエンドオーディオの神話として、キャリアの長いオーディオファイルの胸にしまい込まれている。
そういう失われたオーディオの神話の片鱗がHE-1に残っていると僕は信じている。

人間の精神に直接作用して、それを変化させる表現物を一般に芸術とか、芸術作品とか呼ぶ。オーディオは先人の努力によって、あるいは音楽と巧みに一体化することで、単なる音を聞かせる装置から、芸術という驚くべき機能を持つモノへと進化したはずだ。
この成果こそアート・芸術という要素を含んだ、かつてのハイエンドオーディオの最終的な存在意義であった。
全ての趣味と同様に、そこにかける思いと考えが十分に深まれば、あの世界は自然と見えてくるはずなのだが、なぜか現代のオーディオに、そのような神話的世界への志向を感じることは稀である。

ところで、僕がRe Leaf E1、GOLDMUND THA2、Nagra HD DACを並べ、組合わせて毎日聞いていて切実に感じるのは、各々の機材に独自の完成された世界があるということである。
これはアリストテレス的な世界、すなわち名付けうるものの数だけモノが存在するという唯名論的な状況と考えられる。スピーカーオーディオでは複数のシステムをメイン・サブの区別なく駆使できる立場にあるオーディオファイルはほとんど居ないので、どうしてもプラトン的な世界、すなわちイデアという一つの理想的な世界を追求する動きになりやすい。しかし、ヘッドホンオーディオでは、異なる世界を持つ異なるシステムを並列して使うことは容易であり、その意味で全く異なる展開が有りうるし、僕はそのアリステトテレス的世界を現に愉しんでいる。
ヘッドホンオーディオはスピーカーオーディオと単純に音質的に異なる世界を作れるだけでなく、オーディオを聞く様式においてもスピーカーオーディオとは異なる広がりを持つのである。

僕としては、このハイエンドヘッドホンオーディオの広がりをさらに大きくしたい。HE-1のような音の芸術としての存在をこの世界に取り込みたい。誰のためでもなく僕自身のために。だが、この願いは簡単にかないはしない。並び立つそれぞれのシステムが、各々異なる音調・意味をもって僕を楽しませることが必要だからだ。苦労してシステムを整えても、同じようなものが幾つもできるだけでは意味がない。(例えばマス工房の406は素晴らしいが、その製品版を聞くと僕の手持ちの機材とガラッと違う音を出せる自信がない。)
自らが今持っていない音、しかも高い次元で完成したサウンドを僕は求める。
HE-1の音はその条件を満たすだろう。
やはり、この機材はハイエンドヘッドホンのアルファでありオメガでありうる。
これは現時でのハイエンドヘッドホンの究極の一つであるだけでなく、
新しい動きの始まりでもある。
互いの存在・音に刺激を受けつつ、次々に生まれてくるヘッドホンシステムたち。
彼らが繰り広げるオーディオの新たな神話は、
HE-1を結節点として、さらなる展開を見せるだろう。
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この期におよんで、僕のやることは決まっている。
HE-1の姿形・動き、サウンドとその対価が正しく釣り合うのかどうか。
僕はただ、それらの要素を注意深く、心の天秤にかけるだけだ。
(かなり望み薄い比較となりそうだが・・・・)



# by pansakuu | 2017-08-20 19:01 | オーディオ機器

ハイエンドオーディオの乖離と空白について

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上奉書屋時代から数えると随分な数のオーディオに関するレポートを書いてきて、良い意味でも悪い意味でも、私の書き物を評価する人が増えたように思う。そのせいか、時に身に覚えのないことを急に言われたり、突然に全く見ず知らずの方に声をかけられたりすることも多くなってきた。その度に小さく驚き、状況を分析する。そして自分のやり方で反応するということを繰り返している。


ここしばらくヘッドホン関係の話ばかり書いてきているのだが、数日前にあるハイエンドスピーカーの開発者の方に、スピーカーはダメなんでしょうか?と詰め寄られて驚いてしまった。(それにしても何故、私が万策堂だと分かったのだろうか)

私は少し考えてから、スピーカーはダメではないが、このまま行っても面白くないので、業界として軌道修正は必要なのではないかと僭越な返事をした。

最近の、このブログのヘッドホンびいきは、あくまで私の個人的な事情で、そちらの方に関心が向いただけのことであり、オーディオの最先端部だけを見れば、価格はともかくとして、凄い音を出す機材は増えており、スピーカーもまた然りなのである。しかし、それの最先端の機材は規模といい価格といい、実質的に私のような一般人が導入対象として考える機材ではなくなってきた。普通に考えて、たかが音楽を聴くだけのために、そんな金銭と労力と時間を使うのは合理的ではない。

十分に賢い人なら、オーディオに割ける余裕があっても、そんな額をたった一つの趣味に注ぎ込まないはずだ。


実は、既に試聴していて、あるいは導入した経験をもっていてレポートを書けるスピーカーオーディオ用の機材はいくつもある。しかしそれらは一般的なオーディオとかけ離れた価格と規模を持っていて、一般のオーディオファイルは誰も関心を持たないだろうと思って書かないのである。事実、アクセス分析をしても、その手の機材の記事に人気がないのは一目瞭然である。(もっとも、ここに書いているような話はもっと人気がないし、これを読んで気分を害する関係者も多かろうから、さらに書くべきではないのかもしれない)


このあいだ都内某所で、史上最高とも噂されるY社の大型スピーカーのサウンドを浴びるように聞いて、その音の良さを堪能した後でも、そいつにはまるで食指が動かなかった。もちろん、これはかなりいいスピーカーであることは認める。少なくともマジコの新型スピーカーなどよりは私の好みだろう。だが、簡単に史上最高と言い切ってしまうのはどうかと思う。例えば、これはスピーカーオーディオの音質上の到達点の一つだろうが、音質以外の点で従来のスピーカーが持っていた問題をあまり解決できていない。まず、このスピーカーの強烈な低域用のウーファーを飼い馴らすには、天井の高い20畳以上の広い部屋、大音量を出せる環境、真にパワフルで余裕のあるアンプ(試聴時は760万円のモノラルパワーが使われていた)、潤沢な電源が必要だからだ。このスピーカーを豊かに鳴らす条件を揃えるのは難しいと思う。おそらく都内にあるオーディオ店の試聴室や専門誌・メーカーの試聴室の多くは、このスピーカーを十分に鳴らせないだろう。これはこれで不自由なスピーカーだと言わざるを得ない。音質を犠牲にしないで、このオーディオ的な環境の問題を解決できないかぎり、スピーカーオーディオは先へ進めない。


このY社のスピーカーは超弩級のルックス・構成の割にはとても聴き易い音で、アンプの選択を間違えなければ、ポテンシャルを引き出した状態ではないにしろ、とりあえずはリラックスした聴き味の良いサウンドで鳴ってくれる。試聴中に何度か眠りそうになったほどだ。

特に良かったのは高域の質感である。いかにも超高域まで伸びていますよとか、繊細ですよと言いたげな、これ見よがしな高域ではない。極めてナチュラルで耳当たりのよく、しかも厚みのある高域であり、巨大な自社製ウーファーの存在により強烈な印象を残すはずの低域よりもずっと好感度が高かった。ダイヤモンドツィーターほどの高性能感はないのだが、より深く愛せる音になっていた。新開発のフレームを入れたツィーターの良さが生きていた。

さらに、ここでは音の細部にこだわって神経質だったり、ダイナミックだが妙に荒っぽかったり、スケールが大きくて大音量に強いが、どこか大味な音だったりという超高級スピーカーにありがちな欠点がないのがいい。有得ないほどの低域の伸び、超低ノイズで規格外のスケール感もありながら、そのエンクロージャー自体は案外とコンパクトである。10畳くらいの部屋でも置けなくはない。しかし、その広さではこのスピーカーが提示する壮大なサウンドステージを全く生かせないだろうが。

この超弩級スピーカーはステレオアンプ一台でも鳴らせて、アンプを内蔵した別筐体のウーファー部のために電源が必要とかいう、デカいスピーカーによくある面倒な設計ではないのが素晴らしい。

しかし、このような音質上、構成上のメリットを前にしても、このスピーカーの音はやはり個人の好みによって好き嫌いが分かれるものであったと思う。こんなにスムースではなく、もっとガツンと来るサウンドを求める方もおられるだろう。もっと感情的に音に入り込めるドラマチックなサウンドを求める方もあろう。音像の描写にさらなる重たい存在感を求めるならウェスタンエレクトリックのヴィンテージシステムの方が優位と考える向きもあるかもしれない。ホーンのような音の直進性がもっと欲しいとか、逆にもう少し引いた音場を求める方もおられるはず。

このスピーカーの出音はバランスが良いので、若干のバランスの悪さを合わせ持つ不良っぽい音を求めるとハズレという考え方もできる。また、音以外に、このメタリックかつメカニカルなルックスが苦手という人はいるだろう。

本体の価格が2500万円を越えているので、この金額を払うなら、他のかなり高価なスピーカーシステムを複数選択できる。これほどの自由度を許す金額を要求しつつ、史上最高の称号を得ようとするスピーカーは好き嫌いをもっと越えたものであってほしいし、もっと革新的であって欲しいと私は願う。だがそれはとても難しいことのようだ。やはり史上最高のスピーカーなど幻影なのであろう。

(もしあるとすれば、“自分”史上最高のスピーカーがあるのみだ)

それにしても残念なのは、これほど優れたスピーカーであっても、革命の要素はなく、今までのスピーカーの延長線上にあるということ。見ようによっては、そこが面白いし、皮肉でもあるが・・・。

かなりの大金を払って、音質がかなり良くはなったが、オーディオのパラダイムを変えるようなアイデアが盛り込まれた存在ではないのである。ここに見られる価格高騰→音質向上というプロセス自体はありふれているし、驚きはない。


ここ数年、ハイエンドオーディオの先端部を眺めていると、こういう製品が多い。

文句無く高性能でゴージャス、嫌になるほど高価であるが、結局は従来のクラシカルなハイエンドオーディオのレトリックの延長上にあり、革新的な要素に乏しいというものだ。

これらの製品はもう性能や価格から言えば、1980年代から1990年代のハイエンドオーデイオの範疇をはみだしている。そういう桁外れの高性能と価格の関係はかなり前からGOLDMUNDなどのスイス製の製品価格の上昇から薄々感じ取っていたことだ。MSBSelect DACを聞いた時にはそれがほぼ確信となっていた。


ここに至っては、従来のハイエンドオーディオではない、さらに上のオーディオのジャンルとしてスーパーハイエンドオーディオという階級が新設されていると考えてもいい。いままでのハイエンドオーディオが山脈の頂上付近であるとするなら、これはそのさらに上に漂う雲の上の空中都市のようである。(以前、この手の話はしつこく書いた覚えもある)

そこは誰もが努力だけで行ける場所ではなく、選ばれた人間・運の良いごく少数の人間だけが辿りつける場所であり、そこにあるスーパーハイエンドオーディオの機材は富豪と呼ぶべき人のみが所有し使役できる道具である。それらは一見して、従来のハイエンドオーディオの延長上にあるようにも見えるが、その価格帯には従来の最高級レーンとの断絶があり、その性能も従来のものとは隔絶している。その意味では似て非なるものと考えてよい。

なお、このような新しいオーディオの階級、スーパーハイエンドオーディオの出現自体には私個人は既に感慨もない。それをやりたくて、それを出来る方がいれば多いにやるべきだと思うのみだ。私も試聴しながら2700万円をいまポンと出せるなら、こいつを買って帰っても悪くないと一瞬思った。しかし、次の瞬間、それを実際にやってしまうと面白くないと考え直した。やはり食指が動かないのである。これを悠々と買える身分になっても、これを買うかどうか確信が持てない。なにかが間違っている。音以外のなにかが。そんな気がするのだ。


以前にも指摘したように、ここでの新たな問題は、今まで普通のハイエンドオーディオを作っていたメーカーの一部がスーパーハイエンドオーディオ、超高価格帯の製品の開発に軸足を移したため、相対的に中~高価格帯つまり100300万円クラスの製品のバラエティ、製品数、製品の性能が揃って頭打ちになっているように思われることだ。オーディオ界が乖離し、その亀裂が拡大するにつれて、空白地帯ができているのである。これはいただけない。普通人が買える製品の選択肢が狭まっているような雰囲気があるのである。

しかし、この空白を“普通”のハイエンドオーディオの新製品が埋めてゆくような可能性はあまり無さそうに見える。この価格帯の一般的なオーディオ製品が、これから右肩上がりに売れる要因がないからだ。団塊の世代はオーディオに注ぎ込める余剰金を使い果たしつつあり、退場するのを待つばかりの身である。その後の世代はハイエンドオーディオのような音楽を聴くスタイルに馴染みも関心も薄く、それに注ぎ込む金銭的余裕もなく、都市に住む彼らの住宅事情がそれを許さない。

土曜日に秋葉原に行って、閑散としたハイエンドオーディオ店の全フロアを眺めまわした後で、若者で大賑わいのeイヤホンの雑踏に足を踏み入れると、本当にこの人気の差はなんだろうと驚いてしまう。そして、この若者たちの多くがハイエンドオーディオに来るとは私には思えない。スピーカーオーディオの状況が変わらない限り、彼らの多くはこのままイヤホン、ヘッドホンに留まるのではないか。ハイエンドスピーカーは素晴らしいが、少しでも極めようとするとカネと労力がかかり過ぎる。上の世界がありすぎる。一方のハイエンドなイヤホンやヘッドホンの世界は、経済的に非力な彼らでも、いつかは極められるだろうという見通しが立たなくはない。もちろん普通に音楽を聴くなら、これで十分じゃないかということもある。また、それは現代の風潮により合致する趣味の形でもある。このままでは、恐らく彼らの多くは音楽を聴く主な手段としてハイエンドオーディオを選択しないし、できないだろう。

さらに日本全体の人口が減る。つまりオーディオ全般にわたり、それを買う人の数は必ず減るはずなのである。


また、従来の中~高価格帯を埋めていた製品には以前からモデルチェンジを繰り返して現在まで続いているようなシリーズものもあるのだが、その価格も諸々の理由から少しずつ上昇しているようだ。このようなものに関して、過去の製品と最新の製品を比べると確かに音質上で新製品の方が良くなった部分はあるが、過去の製品にあった音質的なメリットを失っている場合も散見される。単純に価格の上昇が納得できる状況とは考えにくい。この意味でも空白は深まっている。


あるプレーヤー、あるアンプ、あるスピーカーの音を聞き、感動して貯金を始める人がいる。彼は貯金しないと買えないが、貯金すれば買える価格帯にある製品を狙っているのである。だが最近のトレンドでは貯金が満額に達する前に、値上げが起こるケースがある。しかもそれは往々にして大層な値上げになる。そういう残念な出来事があると、折角貯金をしていても他の事にそのお金を回すようになりがちであると聞く。メーカーや代理店はもっと良心的な価格決定・改定をしなければ真面目なオーディオマニアでもこの趣味から離れてしまうだろう。大抵の場合、我々はオーディオファイルである前に生活者である。オーディオのみに生きることは難しい。だから、たかが音楽を聴くことしかできない装置を売る側のワガママにどこまでも付き合えない。これはずっと言いたかったことだ。こういう悪質な価格改定も空白の形成を助長しているような気がする。


SSという業界を代表する雑誌を眺めても、従来のハイエンドオーディオの衰退と空白は感じられる。

何しろ、そこで執筆する評論家・専門家の多くが、最新鋭の中級~高級スピーカーを使っていない。一昔あるいは二昔前のスピーカーをそのまま使っているケースが目につくし、多少最近のスピーカーを使っていても、それ自体がクラシカルな造りのものであったり、昔のスピーカーを強く意識した発言があったりする。このあいだまで先端的なスピーカーを使っていた方ですら、昔のスピーカーに回帰しつつあるらしい。

年末のグランプリなどで最新機器を読者にあれだけ薦めておきながら、自分でほとんど導入しないのは、新しいものに、自腹で買いたくなるような魅力的な製品が本当は少ないからだと思わざるをえない。そのためか、この雑誌は書くべきことが減って、本の厚みは昔に比べて薄くなっているような気がする。記事を読んでも昔より情報量が少ないようだ。誌面は整理されたが空白が多い。またメインとすべきオーディオ機器の記事ではなく、本来は音楽誌に書くべき音楽・演奏そのものに関する評論、録音に関する重箱の隅をつつくような細かい話、評論家個人の懐古録、有名人との交遊録の割合が高くなっているようだ。割合はともかくとしても、そっちの記事の方が目立ってきているのは気のせいではない。それらにハイエンドオーディオと不可分な部分があるのは認めるが、あくまで本筋ではないはずだ。これらの企画にしても同じことの繰り返しばかりと感じる。

SSは変わってしまった。やれることをやりつくし、それでも続けなければならないプレッシャーのせいだろうか。このままではハイエンドオーディオ専門誌として体を成さなくなる日も近いかもしれないと心配である。例えば20年くらい前のSS誌はもっとオーディオ機器のサウンドに関するディープな談義で賑やかだった。華やかだった。紹介しきれないほど多様な製品の音に関する率直で格調高い評論・斬新かつ科学的な視点も盛り込んだ企画に溢れていた。

一方、最近のSSのオーディオ評論はネットで調べれば直ぐわかるような、メーカーの経歴の紹介や機材のスペックの説明が長く、肝腎の音質のインプレッションを深く掘り下げて書かかない、腰の引けた薄暗い文章が多いように思う。

加えて、現在のSS誌の文章の行間から、聴いている評論家本人が表面的でなく本心から感動している素振りがあまり感じ取れない。この点も私には気になる。そうなってしまうのは、最近の機材の音質が本当はそれほど良くないと心の底では感じているからではないか。オーディオ評論がここまでマンネリズムに陥ったのは、編集者の方や評論家の方のセンスが古いせい、彼らが社交儀礼と忖度を重んじたせいだけとは考えにくい。むしろ評価対象である機材に問題がある。耳の肥えた評論家ともなれば、高価で高性能だが、どこか上滑りな音しかしない最新機器を試聴しても、多くの言葉を並べたくなるほど気分が盛り上がらず、情熱に火がつかないから、こんな萎縮した記事に終始してしまうのだと憶測する。

(でも果たしてそれは、プロとしてやっていいことか?)

こんな空疎なレビューばかりでは、何か月も発売日を待ち焦がれたSS誌を、いそいそと購入して読んでみても、機材の大きな写真の余白ばかりが目立って空しいだけだ。

SSの評論の稚拙なパロディをネット上に落書きしては悦に入っていると揶揄される私のような者にとっても、この落ちっぷりは悲しいとしか言いようがない。
季節的に新製品が少ない時期であるとか、企画案が出尽くしたとか、評論家の方たちの人数が減り、彼らもまた歳を取り、冒険ができなくなったというだけで、2017年夏号を覆う、この言い知れない寂しさを説明することはできない。なんとかならないのだろうか。


海外の新聞の電子版などを読んでいると、オーディオの世界のみならず、なんらかの分裂や乖離による空白は全世界の様々な分野でも現れているらしいと分かる。これは全地球的な社会現象のようである。

つまり現代とはそういう時代なのであろう。オーディオも、他の多くの人間活動と同じく、世界を映す鏡であり、世の中のトレンドと密接に関連しているということだろう。

それによって生じた空白を埋めるためには人間社会がこのままでは難しいのと同じく、オーディオが従来のままの姿ではいけないのかもしれない。

恐らくオーディオは変わらなくてはならない。より良い方向に。


あえて愚見を申し上げるなら、ここらへんでメーカーや代理店は、その存在の動機たるオーディオ文化のために、ある程度は私利私欲を捨てた方がいいと言いたい。特にスーパーハイエンドの製品についてはその価格も開発姿勢もスノッブな強欲に溢れすぎていて、見ようによってはみっともないと思うものさえある。空白を生むというだけでなく、一部の製品はそのセンスまで悪いのではないかと疑うほどだ。だから、消費する側はともかく、メーカー側としてはこのトレンドに一定のブレーキをかけてもいい気がする。ここらで普及価格帯の製品の開発に十分な力を注いで実績を築かないといけない。具体的にはCHORD DAVEのような革新的な製品が増えて欲しい。それはコンパクトで個性的にデザインされ、普通のハイエンドオーディオ機材の価格に収まっているが、その二倍の価格帯にある製品に比肩でき、そして多くのオーディオファイルにアピールするようなサウンドを持つ。このような将来の名機がもっと欲しい。

また、CHORDは決して大きなメーカーではないが、スーパーハイエンドに近い製品から、Hugoのような優れたポータブルオーディオ機器まで独自の開発を行っている。このような広い視野に立って、どのクラスのオーディオも差別せず、疎かにしない姿勢が必要だ。そうでないと自らが依って立つハイエンドオーディオという基盤自体がダメになってしまうことにメーカーは気付くべきだろう。


私は富豪の財力に頼ってオーディオを発展させることが全て悪いとは思わない。しかし、そこだけにいい音を出す機材が集中してしまうと、ハイエンドオーディオの真の良さを知る人間があまりにも少なくなってしまう。様々な価値観を持つ多くの人がハイエンドオーディオの良さを知ることは、そこに多様性を生むことになる。多様性は業界を活性化させるが、富豪相手のスーパーハイエンドオーディオが生む空白はその過程を阻害する。そもそも、お金持ちは気まぐれだし、彼らの一部は本当にオーディオに情熱があるわけではないことも私は知っている。カネが余っている、納税などの都合で使わなければならない、そういう“不純な”動機でそれほど良く知らないスーパーハイエンドオーディオを買い、まともに鳴らしている時間もないような忙しい富豪がいる。元来、オーディオを知ること・愛することと財力に関連はない。財力は普通でも、本当にオーディオを愛して散財する人間に機材が行き渡り、時間と愛情をかけて愉しまれ、評価される。そして、その経験がメーカーにフィードバックされて、より良い製品の開発につながる。これが本来の姿である。そういう愉快で実のある消費行動がもっと多くの普通のオーディオファイルによりなされるようにメーカーも代理店も仕向けるべきだろう。


シェア、サスティナブルは現代の重要なキーワードである。

分裂や乖離による空白という世界の悲劇的な傾向に対抗するのが、多くの人がシェアできる持続可能な世界(サスティナブルな世界)の実現であるという文脈で使われるのである。

多くの人が音楽をいい音で聴く感動をシェアできる、サスティナブルなオーディオ業界。いい音を少数のマニアや金持ちが独占するという、ハイエンドオーディオの従来のやり方とは異なるが、オーディオ界全体としてはそういう方向で生き残っていくしかなかろう。


オーディオの世界には生き物のような側面があると私は思う。

生き延びてゆくため、意図せず自ら変化する。まるで危険を察知したかのように。

実際はオーディオは自然物ではないから、それに関わる人間の集団意識のようなものが働くのだろうか?

例えば、私には進化するハイエンドヘッドホン・イヤホンが、先述の空白を埋めるべく登場したように見える。これらのジャンルには今後の持続的に成長する素地が出来ている。多くの若い人が関心を寄せているからだ。若者でごった返す週末の秋葉原eイヤホンに行けばそれは分かる。それ以外にも未来に向けた明るい徴候を豊富に観察できる。STAXのハイエンドアンプT8000が、60万円というヘッドホン用の機材としては高価な値付け、しかもかなり限られたヘッドホンにしか使えないものにも関わらず、驚くほど短期間に初回ロット50台を完売したというニュースはその一つだろう。多くの人が良いオーディオを求め、今より少し高級な機材で、より良い音を聞いて満足するという体験がシェアされてゆく過程が見える。

世界の経済バランスの変化に伴う、スーパーハイエンドオーディオの出現、それにより生じたオーディオ界の空白を埋める、ハイエンドヘッドホンオーディオという図式が正しいのかどうかは分からないが、いずれにせよ注目すべきことだ。


以前、蟲師という漫画を読んでいて面白いと思った話がある。

ある村に大きな木があり、御神木として崇められていたが、

村が経済的に困窮したため、窮余の策として、仕方なく御神木を切って売ろうという案が持ち上がる。するとその木が突然、季節外れの花を咲かせ始める。木が自分の寿命を知って、子孫を残そうとしたかのようであった。それを見た村人は「木が怒った」と恐れたのである。それに対して漫画の主人公の蟲師のギンコという男が、

「木は怒ったりしませんよ。でも危険を察知する能力はある。」と言って村人たちをたしなめるというストーリーである。


オーディオに携わる、あるいはオーディオを愛する人々の集団意識あるいは無意識が、周囲の状況の変化に対応するため、10年前まではありえなかった、ハイエンドヘッドホンというジャンルを発達させたのかもしれないと、ヘッドホンに関心がある私はなかばロマンチックに妄想する。しかしそれだけではY社のセカンドベストのサウンドと価格が突きつける、あまりにも残酷な格差の現実から我々を救う手だてとしては十分でないのは分かっている。しかもヘッドホンオーディオまでもが急激に高価格化しているという事情もあり、そこに過度に期待できない。言うまでもなく従来のスピーカーオーディオのメーカーたちが奮起して、新たに手ごろな価格帯の優れた製品を作ることが本流であるべきだし、急務なのだが、その動きだけに期待し依存するのではオーディオの復活は難しいということを言いたいだけである。


先端部が伸びて、高くそびえているが、その芯が朽ち始めている古い大木。その木に咲いた花に実った種子が地面に落ちて芽吹き、やがて小さな木となった。自然の成り行きとして、既に朽ちつつある古き大木より、この大きく枝を広げつつある若木に私は注目しているというだけのことなのである。


# by pansakuu | 2017-06-05 22:09 | その他

マス工房 Model406 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:美しき矛盾

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あらゆる矛盾は一度極限まで行く
    ジョージ ソロス (投資家・投機家・政治運動家)



Introduction

ハイエンドヘッドホンの世界がどうなってゆくのかを見極める。

もう、これは私のライフワークのひとつになってきたのかもしれない

それは不遜な言葉だとは知っていても、

スピーカーオーディオに深い関心を失った今は

そう言うしかない状況でもあ

だから、面白そうなアンプやヘッドホン聞けるイベントがあれば、

できるかぎり出張って行って、それをき込む

とはいえなかなか無いもの

これ欲しいとか、これは凄いとか、

そういう気分にさせてくれるモノなど滅多に

いつも言っていることだが。


ところが、2017年春のヘッドホン祭りの会場の片隅

ひっそりと展示されていたあるアンプが、

そういう私のフラストレーションを吹き飛ばしてくれた

今回はんな話をしよう

このアンプのサウンドは

GOLDMUNDRe Leaf等のハイエンドヘッドホンアンプに慣れ

倦怠気味のの感性を揺さぶったのである



Exterior and feeling


2筐体を要するヘッドホンアンプ、

マス工房 Model406Model405は大規模な構成を取っているが、

その外観の印象はマス工房らしく実にシンプルである

この工房の製品は政府機関、あるいはNHKなどの放送局が採用するもので、

外観にも音にも飾り気は一切ないのが特徴。

最近某国の政府専用機向けの機材の製作の依頼が来たと聞いた

フロントパネルは厚さを確認したくなるほどに薄く、

ソリッドスチール製のクラムシェル型シャーシもシンプル。

100万円を超えるヘッドホン機材というのは、

超高級品であるから、どこか外装に分厚いアルミ材などを使って、

その格を示そうとするメーカーが多いが、

そういうポイントにこだわらないのが、ここのポリシーである。

その代わりに、

ここ数年、国内のハイエンドオーディオメーカーが使い始めている

ハンダの耐久性の低さに着眼、

別な経年劣化の少ないハンダを採用するなど、

見た目の高級感とは全く別の視点からの

高品質・高耐久性へのアプローチがあり、

オーディオファイルとして興味を惹かれる。


このヘッドホンアンプは、ボリュウム調節や入力セレクターを装備するバランスプリアンプModel 405と、スピーカーオーディオで言うパワーアンプにあたるヘッドホンを直接駆動するアンプModel 406の二つの構成要素からなるものであり、単なるヘッドホンアンプというよりはヘッドホンアンプシステムとも呼ぶべき大規模なものである。

プリアンプ部であるModel 405は、従来のヘッドホンアンプの音質劣化の原因の一つと考えられていながら、あまりに根本的なパーツであるがゆえに今まで排することがほとんどできていなかった、ボリュウムをアンプの外に出す、あるいは優秀なプリアンプをユーザーが自由に選択して接続するという発想から生まれたユニットである。このコンセプトはOjiのヘッドホンアンプでも見られたが、果たしてこの音質は、かつてのOjiのスペシャルモデルを超えているのだろうか。

また、このアンプの特徴はスロット式のリアパネルを採用したデザインにもあり、オーナーの求めに応じて、XLRRCAのバランス、アンバランスのライン入出力、デジタル入出力、フォノ入力などを自由に選択できる。全ての入出力モジュールがマス工房製であり、細かく仕様を指定可能である。また、キーパーツであるボリュウムは東京光音の選別品を用いる。なお様々な入力を必要としない場合は、ボリュウムのみを独立させたボリュウムボックスを特別に製作することもできる。

このヘッドホンアンプシステムは高価ではあるが、構成の巧みさにより、一台で様々な使い方が想定でき、将来にわたる発展性があるところに他社機を凌ぐアドバンテージを感じる。これほどのアンプともなれば、安易に高い買い物と言い切ることはできない。


一方、パワーアンプのような意味合いをもつModel406は左右別のヘッドホンアンプ用としては強力なスイッチング電源と、これまた左右別のA級アンプで構成されている。

増幅回路はFMアコーステックスやBoulderViolaのような、小さな四角い箱に単位ごとに封入されたモジュール形式をとり、筐体の中の二枚の基板に収まる。

一枚の基板に片チャンネル用の電源と増幅回路が載っており、LRチャンネル分で二枚の構成とし、これら二枚の基板を二階建ての形でワンシャーシに収める仕組みである。

Model 406の入力はXLR一系統だけだが、Model405との接続のみを意識しているのではない。リアパネルには左右別のゲイン調整スイッチがあり、これによりModel405以外の様々なプリアンプとのスムーズな接続を可能にしている。

ただ、試聴した私の予想ではマス工房が目指す音のトーンを得るにはModel406をペアとすることが必須のように思われた。それというのも、これほどカラーレーションの少ないプリアンプは他に想像がつかないからだ。

またデザインの統一感という意味でも、できればマス工房製で揃えたいところである。

さらにModel 406のフロントパネルにはヘッドホン向けの標準のフォーンジャックと4pin XLRバランス出力の他、LowMidHighとアンプの最終段の増幅率を変えるボタン式のスイッチもついているので、様々なタイプのヘッドホンに対応できる。なお、試聴での印象を先にいうと、このアンプには途轍もないドライブ力が秘められており、それは手持ちのGoldmund THA2を上回るレベルとも聞けた。このアンプでバランス駆動するかぎり、鳴らしにくいといわれるいくつかの平面駆動型のヘッドホンを含むあらゆるヘッドホンを、どのアンプよりも力強く的確にドライブできるのではないかと思われる。ちなみに試聴したHD800の場合はMidでもいいが、Highのポジションだとより御機嫌な音が出ていた。

なにしろ、32Ω負荷で片チャンネルあたり4Wを発生するというのだから、ヘッドホンアンプとしては異例の剛力である。これほどのパワーを秘めたA級アンプであるModel 406には発熱もそれなりにあり、細かい熱対策がなされる。例えば基盤には放熱フィンが林立する。またデモ機は急拵えの4つの薄いゴムフットで支えられていたが、これは放熱のために底面に空間を確保するため、もう少し厚いものに替える予定とのことだ。

それから、ここでのスイッチング電源の採用にも注目。他のハイエンドヘッドホンの多くが一般的なトランスを電源としていることを考えるとこれは異例なことだ。クリーンでカラーレスなマス工房のサウンドの秘密の一端がここにあるような気がする。


ところで、プリアンプModel 405のフロントパネルには、電源スイッチ、ボタン式の入力セレクターとボリュウムノブの他に「バランスエラー」と書かれた見慣れないランプがある。これはModel 406のフロントパネルにもあるものだが、要するに擬似バランス化された入力がされた場合に光るランプである。コネクターは3pin XLRでも、その内実は2pinのアンバランス伝送である場合がままあるが、このような細工をされた擬似バランス入力であることが一見でわかるランプなのだ。擬似バランス化された入力であることをわざわざ暴く必要はないと思うが、マス工房の方はそういう機材を敬遠しているのかもしれない。この辺の設計はやや個性的だと思う。


今回の試聴はAK380を送り出しとして、Model 405の端子に接続、そこから後段であるModel 406XLRケーブルを結線、そこに聞き慣れたSennheiser HD8004pin XLRでバランス接続した状態で聴く。ヘッドホンケーブルはSennheiser純正だが、その他のケーブルはどれも全く普通というか、とても安価なものであった。試聴時はModel405はボリュウムボックスの状態で、中身は未完成だったが、Model406についてはプロトタイプであっても、内容はほぼ確定であり、出音を変える予定はないとのお話を聞いた。そこで私は思い切ってインプレッションを書くことにした。なにより、「マス工房としてもこれ以上の音は出しようがない」というコメントにそそられたのだ。このメーカーがそこまで言うアンプの音を逃したくなかった。AK380はこれほどのシステムに対してはやや役不足な送り出しだが、試聴結果としてほとんど不満を抱かなかったことから、据え置きのハイエンドDACをつないだら、どこまで行けるのかについても、興味を持った。


なお、仮に製品版で大幅に音や仕様が変わるようなことがあって、それがより良い方向ならば、追加でそれについて書くことになるだろう。ただし、それはその製品版の音を十分に吟味した後に書くレポートとなる可能性が高い。これほどのアンプとなれば、ちょとした改変でも大きく音の印象は変わるだろう。これはあくまで現時点での音についてのレビューに過ぎないことは断っておきたい。

(写真はメーカー様のHPより拝借いたしました。ありがとうございました。)



The sound


一聴して、ごくごく普通の音である

特徴がないのが特徴のような。

しかし、常に上を見て感覚を磨いているヘッドフォニアならば

その背後に控えている膨大なパワーの存在に気付くはずだ

このサウンドの背景を見極めようとして感覚を開放した瞬間

今まで経験したことのない形で音楽のリアルが脳裏に拡がるの私は聞いた


このアンプの音を簡潔に言えば、究極に近いほど色付けの少ない音調に、有り余るパワーの裏付けがなされた余裕のサウンドということになる。こういう特徴を持つヘッドホンアンプは今までなかった。これほどカラーレスでありながら、これほど豊かな音は知らない。


これは確かに視覚的な音である。

ヘッドホンサウンドの常としての、拡大鏡で音楽を見つめるような微視のまなざしがまずある。だが、それでは木を見て森を見ない過ちに陥りやすいことをこのアンプは知っている。事実、多くのハイエンドヘッドホン、アンプの音はこの罠にはまっている。試聴を積み重ねれば分かることだが、ほとんどのヘッドホンアンプは、どうやってもそれ単体では、音楽全体を見ようにも、それを俯瞰する視点にまず立てない。なぜなら大概のヘッドホンアンプは全ての帯域にわたって音の伸びが足りず、音楽のスケールを小さくまとめてしまうからだ。


だが、このマス工房のアンプを聞いていて、私の脳裏に広がったのは、普段スピーカーで聞く音楽の大きな全体像にかなり近いものだった。有り余るパワーがそこまでの音の伸びを生むのである。これは珍しくも音楽の正しいスケール感が表現できるヘッドホンアンプなのだ。

音源との距離感や音源の大小の表現が非常に適正かつ絶妙に取れるアンプでもある。近い音と遠い音、大きい音と小さい音、それらの表現が大変精密かつ豊かだ。今まで聞いたアンプで遠近・大小の表現の幅がこれほど広いものはあまり知らない。しかもその能力を必要のないときは決して見せない。必要な時に必要なだけ出す。

いくら聞いても、これ見よがしな低域のアピールを感じないのは、

そういう態度の現れだ。


どんなヘッドホンシステムにも、

それぞれ固有の音響空間の広さというものが存在する。

それが狭ければ狭い程、虫眼鏡的な音楽の聞き方に傾く。

ハイエンドスピーカーを使っていて、ヘッドホンに批判的な人の多くが、そういうヘッドホンサウンドしか聞いたことがなく、ヘッドホンというと「狭い」サウンドしかイメージしてくれない。結果的に細かい音ばかりが聞こえ、

音楽の全体像が見えないと彼らは非難る。

(そういう彼らも細かい音を視覚的に扱えるスピーカーを、いつも求めているのにも関わらず)

しかし、現代の優秀なヘッドホンシステムはもう、そのような音ではない。

もはやスピーカーに近いレベルで森を見ることができる。

このような進化はもちろんヘッドホンの高性能化があるが、

アンプの進化も見逃せない。

特にSNが高く、パワフルなアンプが増えていることが大きい。

そのような高い理想を掲げるヘッドホンアンプのなかでも、極めつけの性能を誇るこのModel406については、ヘッドホンさえ選べば、それが目の前の空間に現に拡散している音ではないという点だけは依然として異なっていても、上手くセッティングしたハイエンドスピーカーとほぼ変わらないスケールのサウンドイメージを脳裏に描けるはずである。


これだけ色付けがない音ということだから、

いわゆる音楽性というものはこのアンプには皆無である。

音の生々しさ、生命感は感じるが、そこに演出がない。

音に傾向のようなものはない。このアンプの色付けの少なさに慣れると、

かなり色付けの少ないと考えられるRNHPですら、うっすら色を感じるほどだ。

例えばハイエンドのアンプになるとSNが滅法良くなるために、

微かな余韻のたなびきもかなり長く持続する。

それにより、美しい女性のアイシャドーを眺めるような、

華やかな色付けを感じることもあるが、

そういう傾向はこのアンプの出音にない。

むしろ、余韻がどこで切れるのかを正確に聞かせようとする。

まるで入力された全ての音声が均一の明るい光の下で公平に明らかにされるようだ。


さらに、スタジオ用の機材を得意とするメーカーらしく、抜群に定位がいい。

いままで聞いてきたハイエンドヘッドホンアンプは

どれも定位はいいはずなのだが、これに比べるとやや劣る。

ここでは音像が動かないというより固定されたように感じる。

また、逆に音源が動くととても敏感に反応する。

視覚の心理学の世界では止まっていて見える風景以外に、動いて初めて見えるものもあるということが示されているが、音の世界も同じであることに気付く。

このような音の動的風景への気づきは音の生々しさを増幅することになるが、それは無いものを付加しているのではなく、有るものを掘り起こしているのである。楽器の置かれた位置からスタジオの壁面までの距離がくっきりと表現されるような、この生々しい感覚は、このシステムならではのものだ。


音像の解像度はすこぶる高いが、それはレンズに喩えるとライカやツァイスのようなアピールする解像度とは違う。イメージとしてはニコンの明るいレンズ、ノクトニッコールなで撮った写真のようだ。鮮鋭さは前面に出ておらず、至極真っ当な音の輪郭、質感、色彩感で見せる。これは積極的に自分をアピールしない音であり、蜷川美花風のカラフルな色彩感なんかを期待するとハズレだ。Re LeafGoldmundのアンプのようにすぐに分かるような音ではない。やはりこれは第三の音である。Re LeafGoldmundによる冒険の成功があったから、その良さを深く理解できる音なのだ。大器晩成と言ってもよいかもしれない。あとあとから分かる音の良さなのである。


Model406のような音の伸びしろ、ヘッドルームの高さを持つアンプは概してその能力の高さに溺れ、

リスナーを強烈な音で押しまくろうとする傾向があるものだが、

このアンプにはそれがない。

なぜか恐ろしく良くコントロールされた音を出す。

自分を出さない音。

一片の私情も感じないサウンド。

他方、現代のオーディオの大勢について考えると、

広告の宣伝文句にあるような

全く足し引きのないサウンドなどというもの

実際のリスニングでは感じ取れず、

それぞれが固有の音質を盛っている場合がほとんど

盛大にドーピングして見せるばかりか、

個性的な音楽表現を行うのが当然となっている。

そういうオーディオ的状況に置かれるうち、

私的には、多くの悟ったオーディオファイルと同じく、

入力された信号をただ忠実に出力するだけでは

音楽にならないと感じるようになったし、

そういうことがなければ、

オーディオをやっていることにもならないかもしれないと思ってきた。

そもそも、そういう完璧に色付けの無いオーディオは

厳密には不可能だと考えている自分がいる。

しかし、Model406ような無私の極致を指向する音を聞いていると、

少なくとも、その勘繰りの一部は過ちであったと認めざるをえない。


欠点もなくはない。ヘッドホンによっては背景に残るノイズが少しうるさく感じられることもある。セカンドベストの394の方がノイズ的には有利なのだが、406ほどのパワーやチャンネルセパレーションがない。また、このノイズはゲインを調整するスイッチを操作すれば随分と聴感上は改善されるようだ。個人的にはこのノイズがさらに小さかったなら、もっと印象は良かったと思う部分もなくはないが、正直、全体の音の良さを考えるとこれは些細なことかもしれない。とはいえModel394を二台買ってパラレル使いする方が面白いのではないかという考えが頭をかすめることもある。やはり、ここは悩みどころかもしれない。



この試聴では市販の無銘の電源ケーブル、例えば2m1000円ぐらいの動作確認用として機材に付属するような普及品のACケーブルが使われていたが、それでも納得できる音が出ていた。

これについて、ひとつ驚いたのはマス工房の主宰のM氏が、このアンプは電源ケーブルを、これより高級なものに替えても音は変わらないと言うのだ。しかもそれは、他のアンプは変わるかもしれないが、ウチのアンプは変わらないというニュアンスを含んだ発言のようだった。実際、ハイエンドケーブルを使って音質変化を確かめる実験もされたようである。すなわち、電源ケーブルで出音が変わりうることをある程度認めたうえで、自社のアンプではそういう現象は起こらないと主張するのだ。電源環境がいい方向に変化しようと悪くなろうと、そこに依存・影響されず一定のトーンで音を出し続けるように設計しているという。どんなアンプについても電源ケーブルで音は変わらないと主張する頑迷な方はいるが、出音を電源状況に関わりなく変えないテクノロジーを持っていると公言するオーディオメーカーはあまり記憶にない。このようなポリシーこそ真のプロフェッショナリズムではないか。製品版でもこの態度を貫いてくれることを望む。


例えば、このアンプの音が持つ余裕に近いものがHP-V8の出音にもある。背景にあるゆとり、どんな音楽でも手のひらの上で転がしているような快感を伴う、凄く上からの目線である。しかしHP-V8Model406Model405に比べて音が緩い。真空管の音触は優美だが、失うものもあると知る。また低域の制動はこのアンプほど効かない。とても高い次元での比較になってしまうが、マス工房のModel406Model405は余裕があるのに緩さがなく、音の立ち上がり・立下りもごくごく自然、各パートの分離もかなり良い

T8000などを聞いても思うのだが、真空管をヘッドホンアンプで使うというのは難しいものだ。真空管を使う時は、少なくともそれを隠し味としてつかうのか、前面に押し出すのかはっきりすべきだが、T8000は真空管の生かし方が中途半端でSNを損なっており、HP-V8では300Bのトーンが前面に出過ぎていて音の好みや似合う音楽が分かれる。HP-V8は素晴らしいアンプだが、結局、優れたソリッドステートアンプと比較したときに、音の味わい以外の点で遅れをとりがちだ。やはり真空管を使ったアンプは、全てが出尽くし、飽きてしまった後のデザートとして位置づけるべきなのかもしれない。


Oji BDI-DC44Aとの比較は、今回の試聴の最後の関門であった。これについては二台並べての一対一での比較はできず、とても難しいが、正直に言えばOji BDI-DC44Aは若干だが不利だろう。あのアンプは設計者の思い入れが空回りしてしまった製品だったような気がする。むしろ通常のモデルの方が音のまとめ方が上手で洗練されていて好ましかったと覚えている。あのアンプが発表された頃はハイエンドヘッドホンの方向性が未だ定まらず、どれくらいのレベルのものが必要とされ、どれくらいの音の品位を目標としたらいいのかを探るための、試行錯誤が始まったばかりの時期だった。そこで先走った機材の完成度が必ずしも高くなかったのは仕方ない。当時の私はハイエンドのスピーカーオーディオを駆使する立場からジャッジして、この方式は音の洗練がまだ足らないなと思った。あの時感じたフラストレーションはずっと私の頭の中に残っていたが、Model406はそれを見事に消し去ってしまうほどの音で驚いた。具体的にはマス工房のアンプの方が音の変化に対する反応がより的確で自然であるように思われる。Ojiのスペシャルモデルは音の動きがわずかに鈍重だった印象がある。また、SNもマス工房のものに比べれば低かったようにも思う。

それから音とは関係ないが、とても自分のラックに置きたくないような大きさとデザインだったのもよく覚えている。ゲイン調節などのアジャスタブルな部分もなかった。BDI-DC44A本当にカスタムメイド品で、ユーザーの設定した条件に鋭く合わせ込むことで音質を上げようとしているようだった。これでは仮に同じレベルの音が出ていたとしても、使い勝手や拡張性など音以外の部分で不利だったと思う。現代の最新のアンプであるModel406Model405Re leafGOLDMUNDが築いたハイエンドヘッドホンアンプのスタンダードを意識して、そのどちらかを超えるべく設計されたものであり、それらの出現前に企画製造されたアンプでは、同じような音の方向性で勝ることは難しいかもしれない。



Summary


から域に至るまで

特定の周波数帯を強調したり弱めたりせず

一切の色付けを排しながら、入力された音を極めて忠実に出力

それがマス工房の機材に共通するサウンドトーンだ。

このフラットを極めた無個性なサウンドは

前のフラッグシップヘッドホンアンプである、

Model394で既に十二分に発揮されていた。

私はこれをしばらく手元で使っていたが、どこか物足りないといつも思っていた。

これほど高次元なサウンドのどこが不満なのか、自分で巧く説明できないもどかしさ。ずっと聞いていると、この先のサウンドがあるはずだと欲求不満になる。こういう説明不可能な不満はOjiの新鋭アンプやSTAXの新型機でも感じるストレスなのだが、なぜかRe LeafやチューニングされたGoldmund THA2では、それを感じない。

この二つのアンプの音の世界は私にとってストレスフリーなのである。

好みの違いと言ってしまえばそれまでだが、これは何処に違いがあるのか。


Re LeafGOLDMUNDのアンプに続く

第三のハイエンド・ヘッドホンサウンドとして

マス工房 Model406Model405を位置づけて、

初めて見えてきたことがある。

私の好むこれらのアンプは、私の耳で聞くと、

他の個体からはっきりと区別される、完全な個性を持っているということだ

この音の個性は、それ以上に分割ることのできない

完結した音の態度であり、これ以上の改良は蛇足にしかならないと

確信させる音の本性である。

何人にも疑念を抱かせないほど、

緻密に完成された個性を持つことが、私の使うアンプには必要だ。

同じクラスのアンプであっても、あえて評価しないモデルは、

その個性の完結度が低いと感じている。

まだこのメーカーのアンプは自分の音を出し尽くしていないと思っている。


ここで興味深いのは、マス工房 Model406Model405については前2者にも増して特殊な本性を持っているということ。それは、強烈な無個性はもはや個性そのものと言わざる得ないというパラドックスである。出音に関して限りなく無個性であり続けることが、むしろ孤高の立場を強め、無個性を他から独立した明らかな個性として昇華させている。これはとてもユニークだ。

このような奇蹟はヘッドホンの世界では起こったことはなく、伝統あるスピーカーオーディオの世界においてもBoulder2000シリーズなどに類似例を見るのみ。

誤解を恐れずに言えば、この態度と結果は恐らく矛盾である。

しかし、この矛盾は確かに美しい。

この矛盾の美に私は心を少なからず動かされたのだと思う。


求める音を得るために、持てるノウハウ、使える物量を全て注ぎ込み、一部の隙もなく組み上げていく能力が発揮されて初めて、この矛盾を超えてオーディオの美へと到達できる。計算通りか、あるいは偶然か、マス工房 Model406Model405は、私の知るヘッドホンアンプの世界で、その境地にたどり着いた三番目のアンプとなった。様々なアンプの試聴を重ねるたびに感じていたフラストレーションが、ここで消えた。


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そういえば、試聴が終わってからマス工房の主宰であるM氏と握手をして別れたのだが、その時の彼の手の印象も忘れがたいものであった。

これほど緻密で細かく調整された機材を作る人のものとは思えないほど、

力強くて大きな指、太い骨格を持つ手が、

私の苦労を知らない弱々しい手を暖かく包み込んだからである。

それは機械式時計のように精巧かつ繊細な電子機器を設計し

組み上げる技術者の手というよりは、

木こりやマグロ漁師や宮大工というような力仕事を連想させる手であった。

そう、その手は、この究極ともいえるアンプの出音に相似した、

美しい矛盾を孕む手だったのである。


# by pansakuu | 2017-05-10 23:07 | オーディオ機器

Grado SR225, SR325 octandre Dmaaの私的インプレッション:ヴィンテージと付き合う

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新しくして新しきもの、やがて滅ぶ

古くして古きもの、また滅ぶ

古くして新しきもの、永久に栄える

ドイツの格言


Introduction


古いものはいい。

そういう話を時々耳にする。

だが、一概にそうとも言えまい。

例えば、古くなったコーヒー豆は不味い。

古いコーヒーグラインダーも挽き目が一定しなくて、

美味いコーヒーがなかなかできないことが多いような気もする。

しかし、古いオーディオについては総じてマズいとは言い切れまい。

それどころかスピーカーオーディオには

ヴィンテージというジャンルが確固として存在する。


具体的にはウェスタンエレクトリックや古いタンノイやJBL、アルテック、マランツなどの機材を組んでシステムを作り、大昔のクラシックやJAZZを演奏するオーディオである。こういう流れに乗って、ヴィクトローラ グレデンザやジーメンス オイロダインなどを聞いていると現代のハイエンドオーディオとは隔絶した優雅で力強い世界があることが知れる。オーディオは、これらの機材が作られた頃、既に十分に完成されていたのだ。現代のハイエンドオーディオはその変奏曲に過ぎない。

だが、このヴィンテージオーディオの趣味というのは現代のソースへの対応力は弱く、個体差が大きく、故障も多く、広い部屋とありあまる時間に加えてオーナーの精神的な余裕を要求する。こういうヴィンテージオーディオは今の自分にはとても手に負えない代物であると、私は考えていた。


一方、ヘッドホンオーディオにもヴィンテージの流れが一応はある。希少で高価なSennheiserのオリジナル・オルフェウスまで行かなくとも、古いAKGSONYSTAXなどのヘッドホンを集めて修理しながら聞くコレクターが僅かながら世界中に居る。これらのヘッドホンのメカニカルな美や音の味わいに憑りつかれる方の気持ちを私は理解できるが、そこに一般的な意味での使いやすさ、音の良さを適用できた試しはない。

いつも条件付きで私はそれを受け入れ、現代のヘッドホンとは別個の価値として認めているのみである。


最近、ヘッドホンケーブル絡みでDmaaの方と話し合う機会があり、そこでの雑談の中で珍しいヘッドホンの改造を請け負ったという話を伺った。(Dmaaの方は音に詳しいだけでなく、演奏される音楽自体にも造詣が深く、自らはベースを弾かれるうえ、仕事では様々な機材の修理や取扱いに精通し、ビックリするような海外のビッグアーティストとも仕事をされているので、peripheralな話を伺うだけでも大変に勉強になる)

パリのポンピドゥーセンターに拠点を置く、とある現代音楽の演奏集団から数十台のヴィンテージのGrado SR225Dmaaで改造して欲しいとの依頼があったというのである。具体的にはSR225の出音を、ヤマハの小型モニタースピーカーをニアフィールド・大音量で聞くイメージで、勢いを保ちつつ、誇張なく正確に楽器の音を聞けるように改変してほしいという要望だった。Dmaaではとっくの昔にディスコンとなっているSR225の他、関連モデルであるSR325などのGRADOの実機を入手、時間をかけて材質や構造を分析したうえ、独自の視点から改造を考案・施工して納品、フランスのクライアントに好評を得たという。

また今回の依頼はSR225に関するものだったが、結果的にはSR325についても、同様の改造のレシピが適用できるとのこと。私はこの話を聞いて、なにかピンと来るものがあったので、それらのヘッドホンをぜひ試聴したいと頼んでおいた。ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして聞くための改造が成されている可能性を感じたからだ。

Dmaaはこの件に関してクライアントの了承は得ていたので、程なくして、これらのヘッドホンを私が試聴する手筈と、さらにこちらで現物を用意すれば、同じ改造をする準備もできるという連絡をよこして来た。



Exterior and feeling

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この改造のベースとなるGRADOSR225SR325は古い機材である。これらは後年に発売された改良型ではない。つまり型番の末尾にeisが付かない初代の機種であり、ハウジングの形状などが後継機とは異なる。例えばここで使う初代モデルのハウジングはシンプルな筒型で、eiisが付くモデルのように、辺縁部が広く斜めにカットされたベゼルのような形状にはなっていない。


これらのヘッドホンをヴィンテージと呼ぶかどうかは、ヴィンテージヘッドホンの定義がないのだから、なんとも言えない部分はある。だが実物のSR225SR325を手にして見ると、少なくとも最新のヘッドホンであるSONY MDR-Z1Rなどと比べ、明らかに古臭くてチープなヘッドホンとせざるを得ない。何しろSR225SR325とも1995年頃の発売であるし、実際の価格も必ずしも高価とは言えなかったはずだ。もちろんMade in USAだが、SR225のヘッドバンドなどはただのビニールである。これでは昔のモデルでプレミアがついているGrado HP1000のような高級感は期待できない。つまり、これは20年以上前に出回った、比較的安価な機材ということで、これもう私個人にしてみればヴィンテージヘッドホンの部類に入れたいものである。


さて今回、Dmaaで改変したヘッドホンの名称についてだが、元の形式名のSR225SR325にクライアントが演奏しているエドガー ヴァレーズの曲名にちなんでoctandreというコードネームをその型番の末尾に加えた。すなわち、ここではこれらのヘッドホンをGrado SR225 octandre DmaaあるいはGrado SR325 octandre Dmaaと呼ぶ。

octandreとは植物学の用語であり、8弁の雌雄両性花を指す。

実はヘッドホンの改造の際に、バッフルの特定の位置に、音圧を抜く穴を正確に開ける必要があるのだが、その穴の仕上がりは図らずも8弁の雌雄両性花の蕊(しべ)の位置関係を想起させる。この形態的な特徴も、このoctandreという名付けの由来になっているとDmaaから教わった。偶然の一致にしても随分と凝ったネーミングである。

さて、ここで改造の詳細を述べようかと考えて、Dmaaからお話をうかがったのだが、その概要を正確に書き出すのは難しいと分かった。きっちり同じ技術的な説明をここで繰り返したら、このブログ一回分に許される字数では足りないほど濃厚な内容なのである。

とはいえ、中身についてなにも書かないのも問題があるので、私が理解した範囲で簡潔にその概要を述べておく。

要は、ベースモデルであるSR225SR325の出音の位相乱れやピーク・ディップを起こしている要因を取り去ったうえで、よりワイドレンジで素直な音が出るようにチューニングし直したということだ。

まず元となるヘッドホンを検品して、無改造品として正常に装着できて、音が出ることを確かめる。

次にハウジングを分解し、その中で使われている接着剤を全て除去する。メッシュについている型番の丸いエンブレムも取り去る。これらがSR225SR325の出音の位相を乱す主な原因であると考えるためだ。

それが終わったらドライバーを点検、異常がなければドライバーを固定してあるバッフルに正確に穴を開ける。これが件(くだん)の音圧を抜くための穴であるが、この穴の直径や位置関係により音が変わるため、かなりの試行錯誤を要したらしい。さらに、この穴にDmaaの独自技術であるフィルターを挿入、その挿入の深さで調音を実施する。

さらに、この穴を使ったチューニングとは別に低音を伸ばす工夫もなされる。接着剤を取り去ったハウジングには全周に薄い隙間が生じるが、Dmaaではこの隙間を音道として利用し、低域の再現力を強化するというアイデアを考えついた。これはPMCのスピーカーで採用されているトランスミッションラインと類似した仕組みだ。ただこの工夫はスピーカーの世界でさえ、製造やチューニングが困難なこともあり、PMC以外ではあまり普及していない方式である。Dmaaでは試行錯誤の末、特注した幾つかのパーツを組み合わせることで、この仕組みを形にして、最終的に無改造品より深い低域再生を得たとのこと。本当にPMCFB1のようにGradoが鳴るのか?興味を惹かれるところである。

最後にバイノーラルステレオマイクになっているダミーヘッド(おそらくNeumann製)に装着したヘッドホンからテストトーンを出して計測しながら、左右がほぼ同一かつ理想的な波形になるまでフィルターの挿入の深さなどの調節を行う。いわゆるキャリブレーションという作業である。これは設備と経験が必要な作業であり、おそらくDmaaでしかできないことだと思われる。

こうしてざっと書いてみたが、おそらく不正確な言い回しも多々あろう。素人には解釈が難しい部分もあり、全部をフォローしきれた気がしない。

(この改造の全容を細かく知りたい奇特な方はDmaaに直接問い合わせてみるのが良かろう。)

なおフランスに納品したものについてはGradoのデフォルトのケーブルをそのまま利用しているが、今後発注が有る場合には、専用リケーブルのオプションを提示する予定もありとのこと。このGrado SR225, 325 octandre Dmaaのためのリケーブルについては仕様が確定しており、既にケーブルの製造も発注済みだそうだ。2017年の6月頃には選択可能となるらしい。


完成した試聴用のGrado SR225, 325 octandre Dmaaを手に取ると、やはりというか実に軽く出来ている。現代のヘッドホンは、GRADO製を除けば、大概はこれらに比べて重たく感じざるをえない。さらにこの改造されたGradoのヘッドホンにはシンプルビューティ、ヘッドホンの原点回帰が見て取れる。ヘッドホンに要求されるミニマルな形がこれだと思わせるのだ。例えばMDR-Z1Rにはデカくて現代的なデザインのヘッドホンをスッポリと頭に装着してバーチャルな音世界へダイブするという趣きがあるが、Grado SR225, 325 octandre Dmaaでは頭と耳にちょっとヘッドホンを乗せて気楽に音楽を楽しむという風情がいい。外に対して音響的にも視覚的にも開かれたイメージがある。確かに装着感はいいとは言えない。しかし、これじゃダメ?と言われると、これでいいよと笑って答えたくなる。眼鏡をかけていても使いやすいのもいい。サングラスをかけて大きなヨットの上でこれを聞いていたくなった。

なお、SR325については昔、新品を使った時に側圧が強いと感じたのを想い起すが、今回実物を使っていて、側圧のキツサが全く感じられなかったのは経時変化なのだろうか。なんにしろ、より装着しやすくなったのは喜ぶべきだろう。


貸出機を受領した夜には、Dmaaがこれらのヘッドホンを小さなDAPとポタアンにつないで、カフェでデモをしてくれた。グアテマラのコーヒーを飲みながら私はこれを愉しんだ。Dmaaでは、こういうイヤホンみたいな使い方も想定していたのである。この使い方は私にとって新鮮であることに加え、音自体かなりマニアックでもあり、とても面白く聞いた。実際は音漏れがかなりあるから、オープンなカフェでないと無理なのかもしれないが・・・・。

でもこういう、いわゆる“ガチ”で本格的な部分のあるサウンドをチープな外観で軽快に愉しむというのは、現代の高級イヤホンではむしろできない相談ではないか。あれらは高音質を追求するあまり、音も中身も価格も独特かつ重装備になりすぎていて、むしろ気軽に聞けるイメージがないし、純粋にモニター的な音の要素にしても薄い気がする。要するに、まだまだ発展途上のジャンルなのである。誰かがヴィンテージイヤホンなどというオーディオのジャンルを確立して、趣味としての幅の広さを示すつもりなら、また話は別だが。



The sound

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潔(きよ)い音とでも言おうか。

これらのヘッドホンを聞いていて、

音楽に命を与える、音の勢い・はずみ・推進力・活力、そんな言葉で表しうる、

なんらかの見えない力を感じない人はいないだろう。

このスカッと抜けてエネルギッシュで、臨場感のある音作りは

まぎれもなくGRADOの伝統に由来するものである。

個人的には初めてラモーンズの音楽を聞いた時に覚えたような、

あのキリの良い疾走感が甦ってきて懐かしかった。

これがヴィンテージヘッドホンの良さなのかもしれない。


しかし、GRADOの伝統そのままサウンドというのは、ともすれば気分を盛り上げる脚色、荒さが目立つ音でもあり、音楽を冷静にモニターするという立場からかけ離れていた。

また低音がやや少なかったし、高域は澄んではいるが、あるレベルを超えるとキリキリ言ってしまってやはり刺激的な色付けがあった。音は常に近めなだけで定位感に乏しく、位置関係はあまり整理されていなかった。これらの気になるポイントをDmaaは幾分か現実に引き戻し、音の分離感と音楽に対する客観的な眼差しを加えた音に作り変えている。以前よりずっと品行方正なサウンドに変化している。

だから当然、これではGRADOの音じゃないという意見も出るだろう。

そう、これは半ばGRADOではあるが、半ばDmaaである。

やはり純粋なGRADOのサウンドではない。

そこはヴィンテージヘッドホンをクリエイティブに扱ったことによる変化であり、私がこのヘッドホンを多いに気に入った理由でもある。


Nagra HD DACRe Leaf E1xでバランス駆動されるSR225, 325 octandre Dmaaの共通する印象は以下のとおりである。

まず全体に派手さが抑えられた落ち着いた音調に変わった。このサウンドには改造のベースがヴィンテージのGradoとは思えない部分が多々ある。

例えば改造前に感じたウキウキ感重視のやや浮ついた音調は鳴りを潜める。高域の質感として感じられた独特の煌めきは大幅に後退、全帯域にマットな音の感触に変わっている。音色で言えばモノクロームで地味な要素が多分に入り込んでいる。そのせいなのか、全帯域で音のテクスチャーをより冷静に表現できるようになった。代わりに派手でカラフルだった音色は多少控え目になったように聞こえる。


音の定位や位相についても以前と比べて大幅に正確な表現に修正された。かなり定位や分離が良いHD600GE DmaaHD650GE Dmaaと比べるとやや劣るが、ここではモニター用のヘッドホンとして十分に安定した音像定位が聴き取れる。

こうなると、無論、音色の鳴らし分けの巧さや、各パートの分離、変調の少なさに改造前とは差が出てくる。音楽に含まれる各音は整理され、あるべき位置関係をリスナーに提示しようとしている。


音のコントラスト、音の明暗の対比の落差の大きさは従来通りドラマチックな表現をする場面もあるが、音の強弱の階調性が随分きめ細かくなっていると感じる時もある。大きい音と小さい音の単なる差ではなく階調・濃淡が細かく分かるようになり、より音の印象が繊細になった反面、以前のワイルドな雰囲気は削がれた。

一方であまり変化していない部分もある。例えば、改造前と比べてサウンドステージの表現はあまり変わらない。これを単純に音場が狭いと言うか、物凄く音が近いというかは人それぞれだと思うが、音抜けが良いことと、音場が広いことを混同しないように注意すれば、このヘッドホンの音場は開放型としてはそれほど広い部類には属していない。ただ、本当に音場を広く感じるヘッドホンよりも、広い部屋の中で音楽が鳴っているような錯覚を覚えることはある。それはハウジングの構造やドライバーの素のままの音調が極めて開放的なものだからだろう。音が頭の周りの空間に放散される感覚が、広々とした空間性の認識につながっている。だがそれは、音楽が録音された空間の広さとは関連がない。

確かにこれは、小型のモニタースピーカーを使い、ニアフィールドかつ大音量でモニターしている感覚に近いかもしれない。


ダイナミックレンジも改造前とほとんど変わらない。もともと大きい音も小さい音も十分に識別可能なヘッドホンだった。ただしカバーする周波数帯域は低域方向に拡大しているように聞こえる。以前は50Hz以下の重低音などは明らかに不得手であったが、そういう低域も巧く処理している。GRADOらしい中高域に若干のアクセントはそのままに、低域の伸びが加わったように聞こえるのである。また低域の解像度も増しているが、量感は控えめのままである。

帯域のバランスとしては凄くフラットというものではないというのは相変わらずであり、中高域、そして低域にアクセントの強さは残る。だが、面と向かって“ドンシャリ”と揶揄されるほどの帯域バランスの悪さではなく、よりソースの音を正確に反映する方向に音が振られているのは間違いない。


このヘッドホンのドライバーは高い能率を誇り、スパーンと爽快に鳴るところが魅力であり、その部分に変化はない。そして改造後の音の立ち上がり・立下りのスピード感というのも従来通り素晴らしい。改造前は過剰に速く音が立ち上がる傾向があって、レスポンスの良さをひけらかすような品位の低さにつながっていたが、この過剰さが鳴りを潜めたというか、速くもなく遅くもない適正な音のスピードに修正された。結果的にいささか音は上品になったように感じる。


一般的な話としてDmaaがモディファイしたヘッドホンや製作するケーブルについてコンシュマーオーディオの立場から言うべきことがあるとすれば、やはりこれはスタジオでの仕事の道具としての面が強すぎて、時に素人のオーディオマニアとしてリスニングを楽しめない部分があるということかもしれない。だが、SR225, 325 octandre Dmaaは例外的にコンシュマーオーディオの側に振れた、面白みのある音が出ている。これはGRADOの伝統の気持ちの良い音作りの方針を潰し切っていないからである。これがDmaaの音の匠としての巧みな配慮であるなら、流石としか言い様は無い。


ところで、SR225 octandre DmaaSR325 octandre Dmaaの出音の違いについてだが、これはハウジングの材質の違いによるところが大きい。SR225は厚さ3mm程度のプラスチックのハウジングをかぶせる形で使うが、SR325ではここがそっくりアルミ製に代わっている。二つのヘッドホンの響きはまるで違っており、SR225は柔らかくて、軽く、暖かく明るい音調だが、SR325はややソリッドで、粒立ちが良く、やや冷たく陰影の強い音である。ボーカルの質感などに関して玄人好みと思うのがSR225であるが、あくまで素人であるヘッドフォニアは一聴して高域が少しキラキラしたSR325を選ぶ確率が高いかもしれない。現代のGRADOのサウンドと比較するとPS系はSR325であり、GS系がSR225に相似するというところだろうか。ここはいずれにしろ自分の好みで選ぶだけだ。


なお、これらのヘッドホンが私の愛するHD650 Golden era Dmaaと差別化できるのは有り難い。音楽をモニターしたいときはHD650 Golden era Dmaa、どちらかというと気楽に楽しみたいときはSR325 octandre Dmaaを選べばよいのである。

ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして甦らせるためにはどうしたらよいのか、その取るべき道筋を私はここに聞いた。Grado SR325 octandre Dmaaのサウンドは、いささか複雑な出自を持つ特別な音だが、最新のものから古いものまで、ヘッドホンもスピーカーも数多くこなしてきて、多少のことではもう驚かず、驚きたくもないオーディオファイルが落ち着くべき音のカフェのような存在であろう。


別言すれば、私のような者がオーディオの楽しさの原点にもう一度戻りたくなったとき、そしてそこからまた、新たな場所へ移って行きたくなったときに立つべき場所とも言える。ここには懐かしさと新しさが分かち難く解け合い、基本的にはよく見知っている内容でありながら、その見え方という意味では見知らぬ世界が開けているのである。



Summary


日本で最初となるようだが、

私はGrado SR325 octandre Dmaaをオーダーした。

オーダーの際、SR325をベースにするか、SR225をベースにするかは迷った。柔らかくて軽いSR225(プラスチックハウジング)のサウンドを取るか、解像感が高く音のキレがいいSR325(アルミハウジング)のサウンドを取るかだが、私はSR325をベースモデルとした。とはいえ、その結論に至るまで、長考したのは事実である。例えば少し昔のジャズやロックのボーカル、ビリーホリディやフランク シナトラ、ビートルズなどをそれらしく聴くなどという場合はSR225を選ぶというのは絶対にアリなのであった。告白してしまえば、良い状態のSR225すぐには手配できそうもないと判断、SR225の改造の依頼の方は断念したとった方がいいのかもしれない。今でもSR225でオーダーしたいという希望はもっている。


また、現時点でリケーブルは利用できないのでヘッドホンケーブルは仮のものを使うこととしたが、到着次第そちらに換装するつもりでいる。さしあたりRe Leaf E1xで使う予定なので、端子はXLR3pin×2仕様としたが、Nagra HD DACの内臓ヘッドホンアンプに直接挿すのも面白そうだし、RNHPでも使いたい。その部分は本物のリケーブルが来るまでさらに熟慮しよう。


私の場合はGradoの二台持ちというのは、かさばってどうもすっきりしないので手持ちのGS2000eは売り払ったうえで、ロンドンから状態の良さそうな無印のGrado SR325を取り寄せた。SR225SR325を既にお持ちの方なら、こんな苦労は必要ないだろう。

もちろんGS2000eは素晴らしいヘッドホンではあるが、その気になればいつでも買えるし、Grado好きなら誰でも持っている可能性がある。しかしSR325 octandre Dmaaについては、まだ世界で聞いた人間は数十人にも満たないかもしれないし、持って使っている人間はさらに少ないことだろう。これは世界でほとんど誰も知らない音なのである。簡単に言ってしまえば、そっちの方が面白そうなのだ。そんな子供じみた理由で、高価なオーディオの方針を定めていのかと思うこともあるが、これで間違いないのである。

音の良さの本質には言葉でしか迫れないというドグマを堅持する私であるが、このヘッドホンについては徒に言葉を費やすのは無意味かもしれないと感じている。

聞いてそれと分かるヘッドホンがGRADOだからだ。Dmaaで改造されたにしても、SR325 octandre Dmaaはその気質を色濃く残し、やはり言葉のいらないヘッドホンなのである。

聴けば分かる。

だが、その口調は改造前はっきり異なるものである。もともとのGRADOのサウンドはフリースタイルバトルのラッパーのような刺激的なイメージで魅せたが、少し過剰だったしやや下品だったかもしれない。ここではoctandre Dmaaという冠を得て、彼らは冷静さ、正確さ、そして上品さを身に付けた。今や饒舌でありながらも、言葉慎重に選んでいる作家のように、どこか醒めた語り口にシフトした。


オーディオにおけるヴィンテージ機材は、最新のオーディオ機器と比べれば、音にクセが多かったり、絶対的な性能が低い場合がある。それは意図したわけではないにしろ、独特の味わいを醸し出して、現代の機材の音にはない魅力をもつモノとして認知される。古いオーディオには確かにそういう不思議な音の良さがあるものの、それは現代のオーディオの視点から見れば、欠点の裏返しである場合もある。


このような矛盾を孕んだヴィンテージサウンドにあえて現代的な修正を加え、新たな価値を生み出そうという、Dmaaの試みはとても興味深い。

現代のヘッドホンオーディオ界のダイナミックな創造の動きの中で、この自然発生的な試みがどういう立ち位置になるのか、愚かな私に分かるはずもない。

しかし未来に向かって疾走するヘッドホンのカオス的状況が持続するかぎり、

ヴィンテージヘッドホンもそこに巻き込まれ、

否応なく変わってゆく存在であることを、

これらのヘッドホンに対するDmaaの仕事は予言しているようだ。

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# by pansakuu | 2017-04-01 09:33 | オーディオ機器

Dressing APS-DR002, APS-DR003の私的レビュー:自腹を切れ

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黒猫でも白猫でもネズミをとる猫が良い猫である

鄧小平


Introduction


あまり使われない言葉となりつつあるのかもしれませんが、

「騙されたと思って買ってみな」という言い回しがあります。

これは江戸時代の話しことばが初出だろうと思うのですが、

長い間、日本で使われてきた言葉です。

寄席で古典落語なんかを聞いていると時折耳にしますよね。


この言葉には、騙されたかもしれないと思って買った先に、思いもよらぬ新しい世界が広がっている場合があるという、実体験に由来する知識が含まれてはいないでしょうか。この種の知識を我が物とするには、勇気と寛容、もっと簡単に言えば、少々の失敗には懲りない性格を持つ必要がありますが、幸か不幸か、私はそちらの方面には自信があります。


先ごろ、パイオニアさんが、ここで取り上げるDressing APS-DRシリーズの発売を突如として告知した時、私は思わずこの知恵の言葉を呟いていました。

この小さな機材の説明を読むとパソコンやDAPなどのUSBポートにこの小箱を挿すだけで音が良くなるなんて調子のいいことを書いてありますから、多少は揶揄されたり叩かれたりすることを覚悟で挑(いど)んできたのでしょう。そしてこれらを、万単位の金額で売りつけようというのですから、担当者は音によほど自信があるのでしょう。

その意気や良しと。


さらに、この製品にはグレードの違いがあることも驚きでした。DR000からDR003まで4段階もある。この手のオカルトグッズ(失礼)にはグレード別に複数の製品が出される場合は稀なんです。それは、その効果に強弱・高低が付けられるほどの技術があることを意味していますんで。オカルトグッズの多くは思いつきで実験してみたら個人的に音が良いと思ったんで、とりあえず100個作って売り出してみましたっていうノリの、詰めの甘い製品が多いジャンルですから。こういう力加減が出来るってことは、それなりにテクノロジーを掘り下げて製作過程の細部も熟慮しているということでしょうね。やっているメーカーは、最近の業績がいま一つとはいえ天下のパイオニアだし、製品の仕上がりもかなりキレイそうだし。オカルトグッズ(またまた失礼)としては異色で面白いなと思った次第であります。


それにしてもこんなモノ、10万で誰が買うんだ? 

あっ、オレだ。

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Exterior and feeling


とは言うものの先ずは2万円のDR002から買いましたよ。いくら万策堂でもいきなり10万のDR003はやめときました。こういう場合に限ってDR002が良かったらDR003に進もう、などと俄かに計画的な考えを導入したりする。一般常識からすれば理不尽なモノを買う場合も、まるで罪滅ぼしのように理屈を通したくなるのが人間という動物ですね。

届いた小さな黒い箱型のパッケージを開けると、黒い金属でできたUSBメモリーのようなDR002と裏に測定値が手書きされたシリアルナンバーつきの保証書が入っておりました。


ところで、DR002が計測したデータを一個一個につけて出荷しているのは、これがいわゆるオカルトグッズという、おまじないじみた怪しいモノではなく、計測という客観的な視点から見て違いがある、科学的な裏付けのある機材であることを強調したいのでしょう。でも、なんで科学的な裏付けがないとそれを買わないという話になったのか?オーディオは科学だから?裏付けがあろうがなかろうが聞いてどれくらい気持ちいいかが問題ではないかな。むしろDRシリーズに付けられた計測値の紙切れ科学という宗教から派生した、おまじないや免罪符のみたいなものに私には見えてきます。


DR002本体の表面は少しツヤのあるブラックカラーでヘアライン仕上げが全面になされています。持った感じ重くはないのですが、剛性は高そう。このモデルの場合、ロゴは白字で印刷され、僅かに表面から盛り上がっています。DR002のボディケースは二つのパーツからなり、それらは箱とその蓋のような関係です。薄い長方形の箱に蓋をして、その蓋の四隅を小さなネジで止めているような構造です。ひとまず外観は隙のない仕上がり。

試しにパソコンのUSBポートに挿してみたのですが、これはどうも横に出っ張るモノですね。ここにさらにUSBケーブルを挿すと、かなりの出っ張りで邪魔ですな。これじゃUSBポートに不相応に大きなモノを挿してる状態ですから、接続は不安定になるのではないかとも思います。


そこでDR002の下に紫檀とヒッコリーで自作したスペーサ―を取り付けて、常に端子が真っ直ぐにパソコンのUSBポートに安定して入るように工夫しました。机の表面から出た支柱でDR002を支えているような格好です。こうすると出音がピタッと安定します。一般にUSB端子というものはロック機構らしいものが皆無ですから、私は自分の機材のUSB関係の端子全てに、このような下支えの工夫をしています。このささやかな施工はUSBの電極が斜めにポートに入るのを防ぎ、十分な接触面積を稼げるうえ、端子の微振動を止めるのにも役立ちます。


私はDR002の中身を開けて見るなんて失礼で危険なことはしませんが、DR001のプアな中身の写真は見ました。DR002も大したパーツは全く入ってないんでしょうな。類似の機能を持つiFiの製品の中身も見たことがありますが、拍子抜けするほど部品点数は少なく、高級パーツは一つも見当たりませんでした。トランスペアレントのケーブルの謎箱の中身を思い出します。これはハイエンドオーディオじゃよくある話だから、動揺はしませんがね。でもiFiのは威力はあるんですよ。iPurifier2USBケーブルのDAC側につけっぱなしで外せなくなってます。ついでにDC iPurifierRe Leaf E1xの電源側に付きっぱなしです。iFiの機材はどれもだいたい優秀です。これらは音が明瞭になり、音像の曖昧さが排除されるというのが共通した効果です。簡潔な言い方をすれば様々なノイズを取り除くということを主眼にしている。そして、その効力の強さと安定性を価格と秤にかけて考えれば、中身の見かけ上の貧しさなんぞはどうでもよくなってきます。つまり、オーディオは外見や中身を見ただけでは分からないということですな。よく製品を分解しては部品の原価なんかを調べ上げ、実はこんなに安いモンだとか鬼の首でも取ったように騒いでる方もいますけど・・・哀しいですねえ。


後ほど詳しく述べますがDR002を使い、十分な効果があると分かったので、さらに調子に乗ってDR003まで進みました。こちらは値段だけあって流石な代物。USBに付けるアクセサリーでこんなに高価かつ作り込まれたものはほとんどないんじゃないでしょうか。単純にDR002と比べ少しお金がかかっているように思いました。でもパッケージはDR002と同じ。入っている保証書も同じで、マニュアルもないです。桐箱に入っているという情報はデマでありました。ただし測定値の部分はDR002より少し細かく、広い範囲を測定しており、値がDR002よりも良くなっていること、検査をパスした旨のハンコが押してあるところが違います。どちらも検品担当者の名前は同じでしたから、結構忙しいんでしょうね。コレ、品薄状態らしいですから。

DR002と比べてDR003ごくわずかに重く、剛性も微妙に高いような気がします。あくまで気ですがね。これはおそらくDR002とは素材が変わっているのでは?より高価で硬度が高く加工しにくいアルミ素材ではないか、あるいは表面仕上げの違いだけなのか表面は梨地の銀色で黒のヘアライン仕上げと全く違います。さらにロゴは印刷から彫り込みに変わっています。この硬さの金属にこれだけ細かい字を深く掘るのは大変で、カネがかかるでしょうね。地味な話ですが、こういうモノは表面に彫り込みがあるかないかで微妙に音が変わる場合があります。実際、その彫り込みで共振をコントロールしている例もありますね。Boulderのプリアンプの側面なんかがそう。

そうか、サイズが全く同じで、彫ってあるのに重さが僅かに重いということは、材質か部品に変化があるとしか思えないな。

また端子の仕様に変更はないようですが、中身はDR002とは違うらしい。さらにグレードの高いパーツを使っているとのことですがね。果たして音はどう変わるのか?

噂では、DR003については一個一個担当者が聞いて、音に十分な変化がないものは出荷してないそうです。測定値の上にPASSってハンコがありましたね。これは全品検査済みの製品であり、検査の過程で振り落とされるものもあるとのこと。まー10万もするんだから、それくらいやってもらわないと。

とにかく、DR003ほどの意気込みでれたUSBオーディオ関連のグッズは知りません。iFiiPurifier2DR002と効果や仕組みは違いますが、ほぼ同クラスの類似した製品であります。今まで買えたのはここまで。DR003USBオーディオ関連グッズとしてさらなる高みを目指したものと捉えています。

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The sound


私は以前、胡椒の味や香りに凝っていたことがあります。世界の各地でいろいろな品種の胡椒が栽培されていますが、どれも産地ごと、あるいは農園ごとに香りや辛味が異なる。手に入る様々な胡椒の中から私が最後に選んだのはカンボジアで育てられた、ある胡椒の実でした。食事の直前にそれを挽いて料理にふりかけると芳しい香りが辺りに放散されるのですが、その瞬間に驚くほど料理自体の印象が変わります。より豊かで深い味わいはもちろんですが、口に入れる前から既に皿の中に引き込まれるような食欲の高まりを感じます。食を愉しむことにおいて、この胡椒の香りを加えるか加えないかは大きな差となる場合がある。


Dressing APS-DR002, APS-DR003はオーディオにおける胡椒のようなものです。要するに最後の仕上げの調味料。PCオーディオシステムにこのデバイスを加えるか否かは私にとっては大きな差となってしまいました。これを加えるとシステムの音の香りが明らかに違ってくるように思いますので。

音と音の間にある空間が露わになり、音がほぐれ、ひとつひとつが立ち上がってくる。

食材の味を引き立てる香りを加える調味料としての胡椒の役割と類似点があるのです。


まずDR002ですが、USBポートに挿して、その反対側にUSBケーブルを挿すという方式で使うのが最も効果があるようです。実は空いているUSBポートに挿すだけでもある程度効果がありますが、私の場合、よりはっきり音の変化を感じるのはUSBケーブルをDR002に挿す方でした。

なおこのグッズはDAPUSBポートにケーブルを介してつないだり、あるいはDR002,003DR001を挿した状態でPCに挿したりすることでも音質改善の効果があります。これも実際に確認しましたが、どちらの場合もDR003の方が効果がよりはっきり表れますが、DR002でも一応の変化は感じられます。DAPに挿す場合はPCに挿す場合よりも音質がスッキリする度合いがやや強いような気がしましたね。それからDR002,003DR001を挿すこともできますが、こうすると音の強調感が少し減って、なだらかな音になります。DR002単体で使って音がキツいと思った方はこっちの使い方もいいかもしれません。空きのUSBポートがあればの話ですが。それから下位のDR000DR001についても単体で使ってみましたが、こちらは価格相応の効果はないと思いました。これらはDR002DR003と組み合わせる前提なら買う価値もありそうですが、単体ではお薦めできないですね。

なお、今回は普通のWindows10のノートパソコンとJriver、自前のRe leaf E1x, Nagra HD DAC, THA2そしてMDR-Z1Rで聞いています。

パソコンに特別なセッティングはなにもしていません。


実際にUSBケーブルの先にDR002を挿した当初は、アレっというくらい、変化量が小さいものでした。音の輪郭が多少クッキリしたかなぁくらいしか分かりません。これは接続する機材や試聴する楽曲、試聴者の耳の良さの度合いによっては、知覚されない位の小さな違いでしょう。例えばスピーカーだとこの差がはっきりしない場合も多いと思います。ヘッドホンなら、ハイエンドなものならわかると思いますが、プリメインアンプやDACについているオマケ程度のものだとよくわからないという人も居そう。これだとデモじゃ苦労しそうだね。聞かせ方を工夫せんと。

とにかく、そんな程度なんです、初めは。



しかし、一時間、二時間と聴いているとだんだん違いが大きくなってくるのがわかります。まず各楽器・パートの分離がグッと明確になってきます。ゆっくりと霧が晴れて、澄み渡った空の下、清冽な空気を通して風景を眺めるように音がどこに配置され、どういう位置関係にあるのかがはっきりと見えてくると言ってもいい。毎日使い続けて数日経過するとまるで自分の視力が上がったかのように、音楽の構造や細部が詳しく見え、それらは遠近感や立体感をもって眼前に展開するようになります。音の立ち上がりの複雑な姿があらわになり、余韻の滞空時間は驚くほど長くなる。音楽は最後の一滴まで絞りあげられて我々の耳に届くようになります。ここまで聞き続けて初めて効果が実感されました。


もともとDressingという単語には整えるという意味があるそうですが、まさにこの機材は音を整えることに主眼をおいたもののようにも聞こえます。音楽を構成する要素が整理されて、手に取るように見えるようになるのです。別言すればDRシリーズの音作りの本質はかなり視覚的なサウンドに傾いたチューニングにあると言ってもいいでしょう。


試しに攻殻機動隊のサントラを出してきて聞いてみると、十分にエージングされたDR002の威力が良く分かります。シンセから繰り出される何種類もの音が、まではゴチャゴチャに混ざって聞こえていたのですが、DR002を介すると、各音が整然と分離し、在るべき位置に整頓されて聞こえるようになります。前面に出て激しく躍動しているボーカルや楽器に音にかき消され見えなかった、背景のドラムやベース、リズムセクションの響きの線、音の色が初めてくっきりと見えました。

クラシック音楽などでも、曲が始まる瞬間の奏者の呼吸や衣擦れ、フルートのボタンの操作音がよく聞こえるようになります。オーケストラの全員が息を合わせて音楽が始まるのがよく見える。アナ・カラムのボサノバの弾き語りを聞いてみると、彼女の呼吸、指の動きの速度の細かいニュアンスがしっかりと聞き取れるようになります。彼女はこんなにも柔らかく歌っていたのですね。

これは、いわゆる「この曲にはこんな音が入っていたのか」系のサウンドですよ。こんなものが聞こえるのを喜ぶのはオーディオマニアであり、音楽ファンの立場ではないですが、私個人にとっては嬉しい変化でして。また自分のライブラリーの全曲を聞き直さなくてはならないようです


私は既に厳選したUSBケーブルを使い、iFiiPurifier2も接続しておりましたので、これ以上、この分野で改めることは無いように思っていたのですが、そうでもなかったようですね。とにかく私のシステムでは時間をかけて実力を発揮させるなら、DR002iPurifier2よりも効果が高いように感じました。


私がネットワークオーディオをやめて、PCDACUSBで直接つなぐシンプルな方式にした理由はいくつかあるのですが、そのひとつにYou tubeを簡単に視聴できるようにしたいということがあります。KinskyでもYou tubeを聞くことはできますが、やや手続きが煩雑ですし、KLIMAX DS/2を使っていた頃は切り替えが時に不安定でした。You Tube自体の音はたかが圧縮音源なのですが、新しい音楽を真っ先に聴きたいなら、ここを無視することはできません。このDR002を介するとYou Tubeが驚くほど魅力的な音質で鳴ります。PC由来のノイズが大きく低減され、小さな気配成分のような音が聞こえるようになるのです。圧縮音源にもこんなに豊かなニュアンスが出せるとは少しばかり驚きました。ノイズの低減による小さな音の明瞭化はフォーマットの不利を補完するような効果もあります。


DR002の効果をまとめると、出音のSNが明らかに上がり、楽器の分離がかなり良くなって、ダイナミックレンジ若干拡大する。そんなところでしょうか。一方やや音が硬く、音圧が高くなってアタックが強めに感じられるようになった気もしますが、音質的なデメリットとしてはっきりしたものとは思えません。2万円でこの効果ならアリでしょう。

なお、この製品の音質に関して注意すべきは数日聞き続けてから、自分に合うかどうか判断すること。明らかにエージングが必要なのです。それはお前の耳が馴れただけじゃねえかという方もいますが、仮にそうだとしても、それならそれでいいですよね。所詮は自分の耳で聞くものなんだし、結果オーライでしょ。

まあ、私は経験上、機材側でのエージング効果はあるというのは疑ってませんけどね。というのはある機材のエージングが進んだと思った時点で、並行して以前から聞いている機材の音の聞こえが変わってきたという経験はほとんどないですから。

新しい音の側面への気づきというのはあるにしても、聞く人間の側のエージングだけで全ての経時的な音の変化を説明するのには少々無理があるように思います。

それからDR002も003もどこかにきちんと固定した方が音がいいですね。接続の安定が大事だと思います。私は黒檀の材をレールのような形に削って、このデバイスがピタリと嵌め込めるアダプターを作り、デバイスとパソコンの位置関係が常に固定された状態になるようにセッティングしています。こうするとパソコンの差込口にただ挿入されただけの状態よりも、ずっとスッキリと整理された音になります。


ここで苦言を呈するとしたら、このDRシリーズはデモをしている場所も極度に少ないうえ、直販を中心に販売しているので、ヨドバシなどの家電量販店ではDR002,003を注文することすらできないということ。製造している側は証拠までつけてオカルトではないと主張しているし、実際に買って聞けば、十分納得できる音質を備えた製品なのに、なんで堂々と街中でデモして売らないのか?それからもうひとつ、DR002はポートから出っ張り過ぎですね。そもそもUSBケーブルの端子ごとDR002にしちまえばいいのでは?そういうUSBケーブルがあったら欲しいですよね。


さて10万円のDR003の音質ですが、こちらも初めはなにがいいんだか、はっきりしません。DR002の最初と同じ。若干音がはっきりするかなくらい。ただスケール感や音の落ち着き、音のエネルギーの吹き上がりの勇ましさなんかも合わせて感じられるところがちょっと違うのです。DR002とは一味違うのかなと・・・。

案の定、聞き続けるとやはりよく鳴るようになってくる。微妙なニュアンスの表現や楽器の分離感はそのままに、DR002よりも積極的な表現になる。例えば音場の広がりがより強く感じられたり、楽器が強奏される部分、歌手が激しく歌い上げる部分でもっと強い音のエネルギーを感じるようになります。このDR003の表現に比べるとDR002はややこじんまりした音です。それからDR003は音量を上げても、うるさくならないというところもいい。SNDR002よりわずかながら高くなっているように感じます。加えて聞いていると音がこっちに飛んでくるような勢いの良さもある。これもDR002ではあまり感じない特徴かな。

それから音楽のグルーヴというか、流れの表現ですね。DR002だと各音がほぐれてバラバラになることが優先していたそれだと時に各パートが一体となって流れている雰囲気が置き去りにされそうになるのだけれど、DR003はそこも聞こえてくる。素晴らしい。


ただしDR003の音の全貌は、かなりハイエンドな機材でないと見えないのではないかと思います。対象となる音楽持つ固有のスケールがどんな大きさだろうと、受け止められるだけの懐の深い機材が必要というかね。DR003はビッグサウンドなんですよ。システムが広い音場を表現できたり、細かい音だけじゃなく、量感があって太い音なんかもそれらしく聞かせられないとDR002と比較して良さが分かりにくいかも。確かにUSB関連の機材でここまで奥深い表現を加えるものは知りませんから、私はDR003を使い続けることになりますが、まず誰かに薦めるならDR002ですね。これはUSBを使う全てのオーディオマニアに使ってみて欲しい。そして、かなりハイエンドな方向に行こうとしているオーディオマニアで究極のUSBオーディオが欲しいなら、DR003までトライして欲しい。


ちなみにDR002,003による音質の変化については以前、ちょっと取り上げたアコリバのRPC-1と効果が類似した部分もありますね。でも、あちらは24万でコンセントを一個を消費し、使える機材を一台減らしてしまいます。DR003の方は確かに高価ですが、10万どまり。機材を減らす必要もありません。どちらがいいか。私の場合、ノイズ狩りの手始めとしてDR002,003をまず買うことに迷いはありませんでした。


Summary


ぶっちゃけた話、ここで取り上げたDressing APS-DRシリーズは、実際のオーディオの世界ではいわゆるオカルトグッズというモノに分類されてしまっています。

でも、ここで言うオカルトってどういう意味なのでしょう。


一般に科学的に十分に説明がつかないものをオカルトと言いますよね。

私の解釈では、オーディオでオカルトと言われている製品は、まず現物の見掛けと謳っている効果が解離していて、その動作原理があまり聞き慣れないものであるうえ、実際に計測され波形や数値の違いが示されない、そして自腹で購入した素人による信用に足るレビューがない、あるいは少ないというモノです。要は科学的な・客観的な裏付けがないように見えるグッズです。それは外部から見れば、まるで音の良くなるおまじないのように、いい加減なモノに見えるはず。



ここでは「実際に計測される波形や数値の違いが示されない」というところが特に重要でしょうか。そういう意味ではDressing APS-DRシリーズは波形や数値に違いが出ることが示されているので、厳密にはオカルトグッズに入らないはずなのですが・・・。

そういえば、部品の原価が安いのに小売価格が高くて、音質向上が小さい製品もオカルトと一緒にする人がいますが、この場合はそういう使い方なのかもしれません。でもそれってまぎれもない混同ですよね。それは正確にはボッタと言うべきです。(これらは十分な効果はあるから、ボッタでもないんですが・・・。)


いつも言ってますけど、私は波形や計測値は全面的には信用しません。マイクの奥にある薄い金属箔や合成樹脂の振動板を揺らして得られる音波の波形と、耳道というきわめて特殊な材質の音道を通り、人間の鼓膜という生体素材でできた薄膜を震わせてできる波形が同じものである保証はどこにもないし、ましてや人間はその波形を左右で統合し大脳皮質でプロセシングしているわけですから、機械で測った波形や数値など参考ぐらいにしかなりますまい。そもそも計測の仕方が正しいと、測った現場に居合わせなかった者が言い切れるでしょうか?結局、細かく見れば測定自体、結構眉唾ではないか。そう考えると測定値で違いが出ていさえすればオカルトじゃないという立場には立てないですね。


告白してしまえば、万策堂の心の中には真の意味でのオカルトグッズという概念はありません。オーディオの中には人間という、科学で未だ割り切れない要素が存在するからです。すなわちオカルトグッズとはオーディオの実態を反映しないスラングであり、多くの場合、金銭的な余裕がないので試せないものをそう呼んで、購入しないことを正当化しているだけです。

世の中に在るのは音に効くグッズと効かないグッズ、この二つだけです。


ふりかえってみると、私は随分とオカルトグッズと呼ばれるモノを買ってきた覚えがあります。その中には実際に音に効くもの、全く効かないもの、効き過ぎて困るもの、いろいろとあったと思います。

最近で印象にあるのはGe3のエンジェルファーやケブタ、フルテックのコンセントプレートOUTLET 105D NCFあたりでしょうか。特にGe3のエンジェルファーなんかは見てくれも内容もまさにオカルトです。すぐに納得できるような科学的な裏付けはありそうもないですし、波形や計測値の変化さえ示されておりません。聞く前はこれこそおまじないの部類と疑ってかかるのですが、実物を借りてきてスピーカーの前にぶら下げてみると、困ったことにシッカリと音の違いが聞き取れてしまいます。意外なほど柔らかく澄んだ出音に変わる。一般にGe3のグッズは科学的な裏付けを謳っているアクセサリー類よりも、音に効く度合いはむしろ強いと感じることが多いですよ。心理学的な違い、オカルトと言えばそれまでですけど、確かに音を良くしている。しかし見かけが個人的にどうにも馴染めないので、万策堂はそれらを使い続けたことがないというだけなんですね。なんかこの見てくれで、これだけ効いちゃうと怖くないですか。もしこの怖さがオカルトグッズを否定する理由だとしたら、それには同意できなくもないかな。

フルテックのコンセントプレートに至っては、さらにはっきりと分かる音の違いです。ではコンセントプレートの材質や構造を変えるだけで音が変わるのはどうやって説明したらいいのか。エンジェルファーほど難しくはないでしょうけど、こちらもかなり苦しい説明になりそう。でも音は確かに雄大に力強くなったように感じます。分かりやすい違いでした。こちらはエンジェルファーやケブタと違って目立たないので即採用というか、もう外せません。コンセントプレートとしては高いけど、音質の変化を考えると私にとってはコスパは高かったです。



こういう予想外の違いがあることを知るには、まずは無理を言って借りてみるに若くは無い。なんの保障もなく、いきなり買うのは厳しい値段であることが多いですから。しかし借りると言っても期間は限られますし、そもそもデモや貸出しをしない機材の方が多いので、実際の機材の音を知るには、ついに自腹を切るしかないということが圧倒的となる。例えば貸出しのないフルテックのOUTLET 105D NCFなどは、店頭でのデモもしにくいという製品の性質上、ほぼ自腹でしか音質の違いを確かめる方法がない。こんなに怪しげなプレートがこんなに音に効くのというのはある意味、不幸でしょう。罪でしょう。けれど事実なんですよね。


繰り返しますが、オーディオで大切なのは実物に当たり、

自分の目と指と耳でそれをしかと検分することだと万策堂は考えています。

自らの耳で聴いてみて、音が良いなら、オカルトだろうとサイエンスだろうと受け入れる。

そこでは他人の言説や、信用に足るかどうか疑問な測定値なんぞは忘れるべき。

それら全ては現物との実際の対話の後からついて来るものですから。

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とどのつまり、

場合によっては身を切る覚悟でオーディオと対峙しないかぎり、

得られぬ知識もあるということなります。

騙されそうだと思っても、それが面白そうなモノなら、あえて自腹で買ってみるくらいの勇気と心の余裕がなければオーディオは極められないのではないか。

そういう過酷な現実を、高級な胡椒のように芳(かぐわしい)しい音を響かせるDressing APS-DR003をうっとりと聞きながらつくづく思い知る万策堂なのでありました。


Postscript

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ついにというか、

APS-DR002DR003の両方を持っていれば、誰でも考えそうなことをやってみた。

それはAPS-DR002DR003を連結したうえで、USBケーブル端子を挿入するという暴挙に出たのである。経験上、このようなことをしても、過ぎたるは及ばざるが如しという場合が多い。何かを得る代わりに、その瘍張りな行為が内包するアクの強さみたいなものが災いして、癖の強い、バランスの悪い音になってしまうことが多い。

しかし、意外にも今回は例外であった。

もともとDR003単体だと、なにか出音全体の雰囲気が強烈過ぎると感じる場合があり、多少の聞き疲れにつながっていたが、APS-DR002DR003を連結すると、それが随分と軽減されたような音調となる。これは音のエッジが丸くなったというのではない。キチッとエッジは立っていて、今までこのシステムでは聞こえていなかった、多くの小さな音が重層して聞こえるようになっているのだが、その圧倒的な情報量が脳の負担にならなくなった。この状態でNAGRA HD DACRe Leaf E1を使った結果として、今まで20年以上オーディオをやってきた中では一番細かく小さな音をフォローできる状況が出来上がったと思う。ヘッドホンをあえて使うというのは、スピーカーでは聞き逃しがちな小さな音を聞くためという部分が大きい。音楽の細部へ強烈な眼差しを注ぐ顕微鏡のような聴き方をしたいなら、このように多少度を越したようにも見えるセッティングも存外悪くないと報告しておこう。




# by pansakuu | 2017-03-23 13:30 | オーディオ機器

野良犬のように:5年目を祝って

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このブログも始めて5年が経とうとしていますが、
ずっと前から言いたかったことがあります。

もし、このブログを読む人がおられるとしたら、
これだけは誤解してほしくないということが2つあるということです。
ひとつは僕は報酬を貰って文章を書く、プロではないということ。
もう一つはこのブログに書いている文章は、
基本的に自分が読むために書いているということ。
(つまり今回はやや例外だということになる。)
これらの内容はもうブログの冒頭にも書いていますが、誰も読んでいないようなので再度強調したいと思います。

それというのも最近、僕に面と向かって、このブログを書くことで、どれくらいの収入を得ているのかと訊く方が何人か現れたからです。
僕はこれらの文章を書くことでお金を払ってもらったり、便宜を図ってもらったりしたことが一切ないです。
だいたい僕は、自分はブログを書いていて貴方のところの製品をそのブログで取り上げますけどいいですかと、事前に尋ねたことさえほとんどない。試聴に関しては自分で勝手にアポを取って聞きに行ったり借りたりして、先方になんのことわりもなく、自分勝手にレポートを書いている状態です。そういう意味では大層、失礼な奴だと思っているメーカーや代理店の方もおられるでしょうが、少なくともそれ位はしないと本当のところはよく分からないのではないかと思い、とんだ無礼を働いているわけです。

ところで、お金を貰ったり、便宜を図ってもらうことで“向う側“つまりメーカー側、代理店側、出版社側、事業主側の方々の立場に立たざるを得なくなり、自由な発言を抑えられた物書きたちを、僕は知っています。(特に映画関係とグルメ関係)
そして彼らの悲哀も一応は知っています。つまりその発言内容に真の客観性がないことが分かった後、世間での評価が下がり、スポンサーからも読者からも捨てられ、あげくに本人にさえ自分自身が信用できなくなり、見かけ上は評論家を続けていても、本心ではその趣味を捨てしまっているという流れです。僕はそうはなりたくないし、そもそも評論家じゃないし、それはオーディオ全体の多様性のためにもならないと思うので、これからも誰に従属して生きているわけでもないような、オーディオの”野良犬“であり続けようと努力しつづけることでしょう。
このような生意気な話はあえて書くべきことではないと、僕はずっと自分に言い聞かせてきましたが、ここのところ幾つかの方面から誤解に基づく接触が多いので、この話題に言及せざるをえなくなりました。

このブログの中身というのは、自分が好きなオーディオ製品の音を自分の言葉で記録しておくために20年以上前からやっていることであり、それを個人的に所有するパソコンやスマートフォンでいつでも読めるようにブログ化しただけです。ここで他人に紹介するような文体を取っているのは、自分があたかも評論家さんたちの書いたオーディオ評論を雑誌で読むような気分に浸りたいからやっているだけのこと。個人的にはメモの羅列で事足りるところを自分が愉しむためにあえて回りくどく、気取った書き方を取っています。だから他人が読むということはあくまで副産物に過ぎません。僕は明らかな中傷や暴露にならない限り、誰にも遠慮せず自由に書いている。文章を書くことで対価を得ていないなら、それは許されるだろうと思います。

ただし自由に書いているといっても、「7割の法則」というのは大体守っているつもりです。これもブログの冒頭に書いていますが、このブログでは基本的に褒めることが70%以上にならないものは取り上げない。そうでもしなければ、これはただの非難・罵声を羅列するブログになってしまうでしょう。僕はそれを望まない。それは後で読み返して美しくないし、書いている僕自身さえ気分を害するだろう。なんにしろ自分や他人に迷惑がかかるような内容を私はブログに書き込みたくはないのです。
実際、僕はここに載る製品の少なくとも数倍の製品を試聴したり、試聴できなければ購入したりしていますが、そのうち大半はボツになる。大袈裟に言えば世の中のオーディオ製品の9割ほどは、私にとってはブログで取り上げるに値しないものです。逆にそれらをいちいち取り上げて、思った通りのことを正直に書いていたら、とても下品なブログになってしまうのではないかと恐れています。つまり、様々なレベルでの、製品やそれにまつわる情報の取捨選択はブログの品を保つには必要な作業なのです。
また、70%以上も褒めているからといって、その製品に欠点がないということも、ほぼない。だからブログに書く時は必ず欠点についても言及することにしています。ただ、それを剥き出しの状態で出すことはない。それは下品なやり方だ。僕のような下衆でも礼儀はわきまえているつもりです。それに僕はあくまで自分のブログの中だけはやり方を貫きたい。よって製品の難点は中身の透けて見える封筒の中にいれて文章の中に紛れ込ませることにしています。行間を読ませると言っても良いでしょう。あらゆる文は行間を読む力がない者には本心を明かさない。強力な読解力と、いくばくかの寛容はこのブログはもちろん、あらゆる種類の評論を読む者が常備しておくべき心の道具なのです。

僕の書くつまらぬ文章に関しては他にも様々な思い違いがあるようですが、その大勢は無視すべき些末なものと理解しています。しかし看過したくない誤解も時にはあります。そして、面と向かってさも当たり前であるかのように、そういう誤解を突きつける人間に僕はこれからも容赦するつもりは無いのです。

もし僕に、やむを得ず対価を得て、オーディオ製品について思うところを書く必要が生じたとしたら、その時はペンネームを換えたうえ、利益の提供元とその経緯を明示することになる。それは現状では、ほとんどありえないことかもしれませんが、移り変わりの激しいご時世、いつまでも野良犬として生き続けられるという保証もない。いつか野良犬の立場を貫けなくなった時、僕はここから足を洗うか、あるは生き方を変えるかの選択を迫られるのかもしれません。
これは、僕はほぼ心配する必要のないことなのでしょうが、既に対価を得て評論を書いている人々にとっては耳の痛い話と言えなくもない。
たとえばオーディオ雑誌の評論は、評論を書いた経緯と報酬の流れの説明を一切欠いたまま、製品を褒め上げるので誤解されるのだと思います。もとはと言えば、そういう誤解が積もり積もって、今のオーディオ評論全体の不振あるいはそれに対する不信の一因になっています。また、そういうプロの方の書いた評論と僕の書いた駄文を同一視するという誤りが、私の被っている精神的な迷惑の遠因となっていることも見逃せない事実でしょう。

つくづく世の中とは面倒なものであり、大人の事情に満ち満ちています。だが、そうであっても、この先も僕は我が儘な野良犬として、いろんな業種の人々の冷たい視線を浴びながら、オーディオの荒野を徘徊したいと望んでいるわけです。
# by pansakuu | 2017-02-10 23:26 | その他

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る③:音の「鏡」としてのヘッドホン


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(②からの続き)

Estimation of K power cord.......

GOLDUND THA2というヘッドホンアンプの電源として、最後に手元に残したのは、お察しのとおりS社のK電源ケーブルであった。
略号で示しているが有名なケーブルなので、ケーブルに凝ったことがある方なら名前ぐらいはご存知だろう。これは私が今まで見てきたオーディオケーブルの中で最も手間のかかったものである。高級ケーブルを憎む私でも仕方ないと諦めさせるだけの力を備えた製品でもある。
今まで私の使うケーブルは
JORMA Saideraが主で、時にArgentoNordostCHORDNBSNVSStealthChikumaPADKimber selectBMISiltechTransparentG ride audioDmaaをピンポイントで使うぐらいであって、S社の製品に縁がなかったけれど、とうとう買ってしまった。

シットリとインレットに挿入できるオリジナルのコネクター、持ち上げるのに難儀するほどの太くて重い線体。特殊シールド技術、導体の冶金技術が集約されたこのケーブルは、専用のケーブルインシュレーターを用意しなければ設置できない。

それにしてもこいつは外観も音質もケタ外れの代物だ。正直言って、これはもう電源ケーブルですらないのかもしれない。ケーブルに擬態したアンプのような存在。少なくともケーブルの化け物であって、昔、船乗りたちが恐れた巨大なタコのような海の魔獣Kという命名に恥じない。


ところで、この怪物、寝覚めはひどく悪い。電気を通しっぱなしで数日経たないと実力は出て来ない。だがひとたび実力を発揮すれば、THA2とのコラボによるサウンドは凄い。

例えば、このシステムで聞いていると私の視線は斜め上方を向くことが多くなる。

MDR-Z1Rという密閉型ヘッドホンで聞いているにも関わらず、開放型の中でも最もオープンなサウンドを展開するものと比較しても、勝るとも劣らない広大なサウンドステージが展開されるうえ、四方八方のぐるりから音が飛んでくるように感じられるからである。これは持前の強いドライブ力、つまりヘッドホンの振動板を一切の曖昧さを排してコントロールする能力が、電源の強化により如何なく発揮されるからに違いない。

特にTHA2のバイノーラルモードであるジークフリートリンキッシュをかけたまま、アンビエンスやエコーなどのエフェクトが多くかかった音楽を音量を上げて聞くと、音が真上から降ってくるような錯覚を覚える。空間が前方の左右に広がっているだけでなく、上方・下方にも大きく開いているような心持ちになる。これほどサラウンドな聞こえ方になるのはTHA2の特殊機能であるジークフリートリンキッシュを担う回路にSNに優れた大電力が速やかに供給されるためだろう。

この電源ケーブルを挿すとSNが高まることが異口同音に言われているが、これは本当である。これまで使ってきたあらゆる電源ケーブル、あらゆる電源装置と比べても、その効果はトップクラスにあるばかりでなく、“ごく自然”な静けさという意味でも秀逸。すなわち、強力な電源装置を使うと時に静けさが過剰で、不自然かつ人工的なサイレンスに傾くことがあるが、そういうやり過ぎがこのケーブルにはない。これは外音を強制遮断した無響室で音楽を聞くのと、周りに音を出すものがないために静かになっているオープンスペースで音楽を聞くのとの違いをイメージして頂くとよい。

余韻の滞空時間は明らかに伸び、曲が終わった後の静寂をエンジニアが切った瞬間が明確に聞こえてくる。二段階の静寂。さらに、音像の描写はきめ細やか、音の流れは実にスムーズになって言うこと無しのサウンドとなる。

THA2でのリスニングは音数が多く、この音楽にはこういう音が入っていたのか、こういう楽器の前後関係だったのかと気づかされる瞬間が多い。そういう意味でこのアンプはいわば“気付き”系機材なのだが、その側面がK電源ケーブルを挿すことで、さらに増幅される。そしてこれほど音数は多くありながら、音は痩せず、豊かなボリュウムを維持する。ODINのように音を締め上げ過ぎないところは、ベテラン向きの音作りかもしれない。


実際、このシステムでは本当にヘッドホンで聞いているのだろうかと疑うシーンが数多く展開する。これは並みのヘッドホンの世界をとうに超えた世界である。

特に音のスピード感や立体感の表出、音場の自然な静けさ、音の色彩感などについては、スピーカーシステムからさえあまり聞いたことのないような感覚に陥る。それは単純に優れた音質という意味もあるが、それよりも独特な味わいの音と言ったほうが正確だ。私のカスタムしたTHA2MDR-Z1Rのペアに独特のサウンドの深まりなのか。少なくともNAGRA HD DACRe Leaf E1xDACとアンプがセパレートされたペアのサウンドにはこういう独自のアプローチはない。あちらはむしろ優等生的で簡潔な行儀の良さが前景に立っている。


例えばRe LeafNAGRAのペアは澄み切った冬空を眺めるような透明感、音と私の間に夾雑物が全くないというシンプルさで魅せるが、K電源ケーブルを挿したTHA2では青い湖の底を清らかな青い水を通して見つめるようなイメージとなる。これは実に奇妙な感覚。音と私の間は僅かに色味があり、弾力のある液状のマトリックスで満たされているが、その存在が邪魔ではなく、むしろ思わず涎が流れそうな快感へとつながる。

音に美しい透明感があることは共通だが、その透き通りの印象は異なる。

この水のような独特の透明感は楽音固有の色彩を濃厚かつ高密度なものとして演出する効果もある。THA2の持ち味はこういう意味においても、K電源ケーブルの存在により生かされる。


このTHA2改の能力のハイライトはクラシック音楽、

特にオーケストラ演奏のハイレゾデータの再生だろう。

私の経験では、ハイレゾであることと、再生音が高品質であることは必ずしも関係ない。ハイレゾと一口に言っても、そのパラメーター、製作プロセスは様々で、実に雑多な内容の音楽データを指すものだからである。その雑多なデータを沢山買って聞いた私の見解を言うならば、その90%はハイレゾであることの有り難さを実感しにくいものだということ。CDリッピングよりも若干音がいいかな?ほどの音質向上しか感じないものがほとんどである。この程度の音質向上しかないのに、値段は普通のCDと同じかそれ以上、ライナーノーツもなく、中古販売もなく、売却することもできない。つまり、私はハイレゾを信じていない。

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しかし例外はある。ラトル率いるベルリンフィルが製作したベートーヴェン交響曲全集の24bit 192kHzのハイレゾデータは恐るべき高音質を誇る。このデータのみならず、ベルリンフィル直販のハイレゾデータはどれも絶品。ハイレゾの意味がすんなりと了解される。最近、ダイレクトカットのブラームス全集が話題のベルリンフィルだが、あんなに高価で特殊な音源に手を出す前に、まずここで製作された一連のハイレゾデータのシリーズをダウンロードして聞くことをお薦めする。演奏が素晴らしいだけでなく、はじめから最上級のハイレゾデータでダウンロード販売することを狙って、周到な準備のもとに録音されたに違いない。昔のアナログ録音を高位のハイレゾに焼き直して売りつけるようなものとは違うのだ。


これを手前どものTHA2改システムで堪能する。素晴らしい。各パートの重層性、タイミング、演奏空間のスケールなどが驚くほどの精密さで再生され、ベルリンフィル独特の香り(最近は昔よりも薄まっているけれど)がしかと聴き取れる。GOLDMUNDは元々JAZZやポップスなどよりもオーケストラの演奏の再生が得意なブランドで、私がTHA2を買ったのもそこらへんに一つ理由があった。ここ十年避けてきたクラシック音楽をそろそろ高音質で聞き直してみたくなったのである。この回帰はこのデータの存在なしには達成できなかった。なるほど、サウンドステージの広がりなどではスピーカーに敵わなくても、クローズしたハウジングの中での、耳の直近で発音されることによる音楽描写の緻密さ、曖昧さの少なさではヘッドホンが上回る。聞こえるべきものが全て聞こえる快感。スピーカーはだませてもヘッドホンはだませないとは、よく言ったものだ。

このデータをスピーカーとは違う視点から味わい尽くすのに、

優れたヘッドホンシステムは必須である。


もうひとつ、このデータを楽しみつつ思うのは、ハイレゾというものはフルオケの演奏のような膨大な音数を持つソースに対して、その威力を発揮しやすいということ。もちろん、はじめからハイレゾデータで販売することを考慮したうえで録音されたという前提は必要だが・・・。音源が数個に過ぎず、情報量がそもそも少ない、シンプルなロックバンドの演奏や、もっと音数が少ないクラシックの独奏なんかを、この種のデータで聞いてもハイレゾの有効性は実感しにくい。そういう演奏の細部を掘り返してもなにも出て来ない場合が多いからだ。

やはり音楽の種類によるデータの形式の向き不向きはある。


別言するならTHA2のサウンドは最上級のゴールドムンドのシステムが奏でる音の相似形だ。しかし、細かい所に手を入れ、電源も奢ったうえで、長期間電源は入れっぱなし、またヘッドホンも十分に奢らないと、そう言い切れるような状態に持って行けない。私の経験から言えば、THA2はポン置きで聞いても、その実力の6割程度しか出せていない。つまり、このTHA2は高価なわりにはモノとしての完成度は低いと言わざるをえない。目指す音を得るのに、かなりの投資が必要だからだ。出音のみならず、そういう意味でもRe Leafとは対照的なのである。ただし特殊な例を除けば、その潜在能力自体はE1を含めた今市場にあるどの製品よりも高い部分があるのだから捨て置けない。



About recable......


そろそろTHA2側のチューニングはこれくらいにして、MDR-Z1Rのリケーブルについて考えよう。高級なリケーブルとしてKimber kable AXIOSがメジャーではあるが、BriseSiltechPAD、アコリバでも同じかそれ以上に高価なリケーブルを提案していて無視できぬ。これらを全部買うか、借りるかして試そうとしたところ、既にそれに近いことをやった方から、どれもドングリの背比べであり、どれにもそれぞれ長所と短所があり、総合的に完成度が高いと言い切れるリケーブルがはまだ市場にないので、最終的には純正のケーブルが一番真っ当な選択ではないかというニュアンスの話を伺った。そうか、確かに凄さもないがクセもない純正ケーブルみたいな方向性のリケーブルがいいよね。なにしろMDR-Z1Rは音の鏡だから。でもこのデフォルトのヘッドホンケーブルじゃつまらない。

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私は一計を案じ、いつもお世話になっているDmaaさんに連絡を入れ、あるヘッドホンケーブルを特注した。そのケーブルは二つあるTHA2のヘッドホンジャックの片方を左側、片方に右側のみにあてることで、ジャックの分だけであるが、左右のチャンネルの物理的な干渉を避け、チャンネルセパレーションを良くするのを狙ったものである。ただしTHA2では、二つのジャックそれぞれに別なアンプが当てられているわけではないので、この方式はHPAの回路との兼ね合いでは意味がない。これは少しでも音が良くなるならなんでもやるという私の立場の現れに過ぎない。しかし、こういう小さい違いを積み重ねることにも音質的意義はあると信じる。また、どういう結果になるにしろ世界中でこういう馬鹿なことをやっているのは俺ひとりだろうという阿呆な優越感はオーディオを前に進める原動力でもある。もちろんDmaaがリケーブルで使うフラットケーブルの色付けの少なさも特注した理由に含まれるが・・・。


実物が到着してみると、スイッチクラフト製のヘッドホン側端子にはねじ込み式のロックが装備されており、Dmaaらしい、さりげない作りの良さが見て取れて嬉しかった。

サウンドもイメージ通りであり気に入った。

このリケーブルには音色がない。全く素直に、音を素通しするのみ。誇張のない音場の広がりが得られ、MDR-Z1Rの密閉型らしからぬ音場表現をさりげなくサポートする。多人数のコーラスはナチュラルに響き、一人一人の声質が区別できるような詳細な描写。また定位の良さは秀逸で、音像に安定感が増した。これは料理で言う最後のスパイスの一振り、絵画でいう画龍点睛だろう。

これでいい。システムの完成としよう。

なお、今回のTHA2に関するリケーブルとは別に、各社のリケーブルについてRe Leaf E1xを使って、さらに時間をかけテストする用意もある。いつかそれをレポートとして書く可能性もなくはないだろうが、それは別稿としよう。



Summary


さて、そろそろ散財のアイデアも尽きた頃だし、ゆるゆると締めくくる。

この3回続きの駄文は不敵にもMDR-Z1Rを「鳴らし切る」と題されているが、結局のところは、ヘッドホンアンプを強化し、このヘッドホンの能力を使い切ろうと励めば励むほどに、むしろこのヘッドホンの真の卍解(ばんかい)、すなわち上流を映す「鏡」という能力がクローズアップされてしまった。

これではヘッドホンアンプの能力が変化しながら向上して行くことをつぶさに観察しているだけのことではないか?

MDR-Z1Rを鳴らし切ろうとした結果、「鳴らし切る」というヘッドホンに対する能動的行為とは真逆の構図をここに描かされてしまったようだ。


恐らくMDR-Z1Rは現時点で最も完璧に近い密閉型ヘッドホンであり、このヘッドホンの登場には、かつてHD800という、開放型ハイエンドヘッドホンのde facto standardつまり事実上の標準機が生まれた時と同じくらいのインパクトがある。MDR-Z1Rを聞いていて、このことが分からない場合は、このヘッドホンが生理的に合わないか、あるいは適切なセッティングのもとでドライブされていないかのどちらかだ。

今回のテストを踏まえて、あえてこのヘッドホンへの要望をSONY様に申し上げるとしたら、もっと重量が軽く、もっと能率が高いとなお良いということ。

GRADOのヘッドホンのように、もっと本体が軽く、

もさらに軽々と鳴るような側面があればさらに完璧である。


ここまで来るとFocal UtopiaAudeze LCD-4HE1000など、もっと高性能であるかもしれないヘッドホンたちを差し置いて、何故、SONY MDR-Z1Rに万策堂は固執するのかと訝(いぶか)る向きもあろう。それは確かに傾聴すべき意見だが、私がそれらに背を向けている理由はいくつかある。

まずMDR-Z1Rは実質的に密閉型ヘッドホンである。このヘッドホンは外音をかなりの程度、遮断できる。一方Focal UtopiaAudeze LCD-4HE1000といえどもオープン型であるから、僅かにしろ、それを聞く部屋の環境に左右される。本当にハイエンドなオープン型ヘッドホンを限界まで使いこなしたいなら、部屋の静けさにまでこだわる必要があるが、それではスピーカーシステムと本質的に変わらない。密閉型こそヘッドホンの王道であるべきという理念を、スピーカーに疑問を持つ私が崩さないのは、そういうワケだ。

この周囲の音・部屋の影響を受けにくいというヘッドホンのアドバンテージをMDR-Z1Rはより高価なオープン型ヘッドホンよりも強く享受できる。そこに、現世界にこれ以上の音質を持つ密閉型ヘッドホンは恐らく存在しないという要素を加えれば、

このSONYのヘッドホンに私が執心する理由が見えてくる。


またMDR-Z1RSONYという大家電メーカーが作ったからこの価格帯に留まっているに過ぎない。仮にこれほどの技術内容を持つヘッドホンを中小企業が作れば50万円は軽く超えてしまうだろう。価格帯でUtopiaAudeze LCD-4、あるいはHE1000のグループには入らないが、同等以上の格を持つ機材である。


加えて、UtopiaにしろAudeze LCD-4にしろHE1000にしろ、MDR-Z1Rに比べて幾分鳴らしにくかったり、エージングに時間がかかったり、音の癖が目立ったりもしている。高い潜在能力を持つが、鳴らしにくく、多少クセのあるヘッドホンに投資するより、潜在能力は普通より少し上くらいにしか見えないが、鳴らし易く素直なヘッドホンに大きく投資して、予想外のポテンシャルを引き出す方が、故障率も含めて結果がいい。(Audeze LCD-4HE1000はいまだに故障があると聞く)


最後に反省である。

ここで今回のテストは一応の決着を見たが、

この試行錯誤の手際の悪さはなんたることか。

実はここに詳しく書くほどもなくテストで不採用になったオーディオグッズがいくつもある。T社のカーボン製の板、V社の重たい電源ケーブル、SK社の長い電源フィルター、E社のコンセント、N社の巨大トランス、I社の青いインシュレーター、AC社のクリーン電源、C社の白い電源ケーブルetc・・・。

ことほどさように、オーディオには時間とカネの無駄がつきまとう。

こんな無様を幾晩も徹夜してやっておいて、

果たして私はヘッドホンサウンドの限界点に少しでも近づいたのだろうか。

近づけたのだろうか。

おそらく誰も聞いたことのない音が、二つのシステムをまたぐMDR-Z1Rから聞こえているのは確かだが、これこそまさに唯我独尊というやつじゃないのか・・・・。

疑いは未だ晴れず、自信などこれっぽっちもありはしない。

つまり、私の中に、まるで心の内なる声のように響いてくる、この音が暗示するものについて確かなことは、まだ何も言えぬ。この音が必然の結果なのか、偶然の集合体に過ぎないのかすら私には分からないのだ。ましてやこれが、オーディオの善悪の彼岸に近づいているかどうかなど万策堂如きが知る由もない。

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悲しくも可笑しな話だが、私にできることは、ただこの独特な音と、それを得るまでの杜撰(ずさん)な経緯を記録として残し、他人の嘲笑のネタになることぐらいなのである。


# by pansakuu | 2017-02-02 23:42 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る②: GOLDMUND THA2で遊ぶ

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The beginning of play


「スピーカーという大道具を使わずに、どこまでいい音で音楽を聞けるか」それは近年、私が追いかけているテーマの一つである。
それは私の中で温められるうち、次のような言葉にTransformしていった。
「ヘッドホンサウンドの限界はどこにあるのか」
私はそれを知りたいと望む、内なる声に導かれ、未開の土地・道なき道を進む。
この旅がどんな世界へたどり着くのか、誰にも分からないのだが、
むしろ、そこがまた面白く、のめり込んでしまう理由になっている。
とりあえずの終着駅を知ってしまったスピーカーオーディオの世界とは
対照的な興味の高まりがここにある。


ところで、SONY MDR-Z1Rというヘッドホンは、
言わば上流の機材の真の力を映す「鏡」のようなものである。

とても素直に上流のサウンドを反映する側面が強い機材であることが使い込むほどに分かってくるのが嬉しい。この素直さ、この色付けの少なさは市場にあるヘッドホンで一等優れている。ならば、現世界で最も強力なヘッドホンアンプやDACをその上流にもってくれば、自然とヘッドホンサウンドの頂点が聞こえるはずと私は大雑把に考えていた。そんな不埒な動機のもと、Re Leaf E1x+NAGRA HD DACとGOLDMUND THA2を使った二つのシステムを組んだのは、数か月前のことだ。

Re Leaf E1xを中心とするシステムに関しては、造作なく納得ゆく音が出る。
E1xに関しては以前から様々な環境でテストしてきて、その使い方の理解が進んでいるからだ。実際、ここで注意すべきなのはバランス接続することのみである。
だがもう一方のTHA2に関しては、どうにも音がまとまらず苦心した。
このシステムの主眼はなにか?なにが一番重要なのか?
一時は作業を投げ出し、
セッテイングに凝らない宣言をして放置していた時期さえある。
こうしてみると、やはりTHA2は難敵。望むようなサウンドはなかなか得られない。


例えば、開封した段ボールから冷たいTHA2を出して、付属の安価な電源ケーブルをつなぎ、普通のノートパソコンとUSB接続した状態でMDR-Z1Rをつないで聞く。いわゆる“ポン置き”で聞く。この状態でも既に市販の20~30万円台のDACつきのヘッドホンアンプに比べ、十分にパワフルかつカラフルで各パートの分離の良い音であるのは、価格から見ても当然である。
音色としてはRe Leaf E1x+Nagra HD DACで聞かれる端正で精密な音調とは対照的。だが、音のグレードとしてTHA2はRe Leaf とNagra のコンビに明らかに劣る。


セパレートのコンビの方が音は繊細かつ懐の深い音で、澄み切った冬空を眺めるがごとく、SNはかなり良く、より盤石な安定感がさりげなく出ている。やはり投入されている物量の差が大きい。DACをセパレートして、電源も別にしてしまうとヘッドホンにしても、その出音はかなり良くなる。しかもこのE1xは凝った筐体に電流駆動と手数が多い。またNagra HD DAC、見かけは小さいが、ハイエンドオーディオの極みとも言えそうな素晴らしい内容を誇る。
THA2にとっては、素のままでは敵わぬ相手だ。


しかしTHA2にはRe Leaf とNagra のコンビに無い、音の色彩感やパワフルなドライブ力が備わる。この音の長所を伸ばすような形でケーブルやアクセサリーを選択・投入すれば、音のグレードの差は必ず埋まるはずだ。早速、いろいろな方面にメールを出しまくり、電話をしまくって、借りられる機材は借り、借りられないもので、どうしても試したいものについては購入した。届いたモノは全てTHA2に取り付けられ、あるいは結線されテストされた。(一部の写真は各社HPより拝借させていただきました。)


Investigation of noize, spike, insuleation base, volume control knob.......


まず取りかかったのは、ボリュウムを絞りこむと聞こえる「ジー」というノイズの除去である。多くのヘッドホンアンプを様々な能率のヘッドホンを用いて、様々なボリュウム位置で聞いた場合、時に小さなノイズの存在に気付くことがある。このTHA2の出音につきまとっていたノイズは環境由来のものでなく、デフォルトのものらしく、祭りなどでデモされている機体からも持続的に聞かれた。こういうノイズに関して修理を求めると大概、仕様ですといって返されることが多い。しかし、どうにも気になるので、ダメ元で代理店様に改善をお願いすると、意外にも懇切丁寧に対応してくださり、代理店様から帰ってきたTHA2からは、ノイズは綺麗さっぱりと消えていた。技術者の方に感謝である。

次に検討したこととして、THA2のデフォルトのスパイクフットがある。これは一見大きくて立派なのだが、拙い部分もある。それ自体が大きいので、筐体の高さから考えるとやや重心が高めになること。また高低の調節は一応出来るのだが、適切なところでピタッと固定できない。ロッキングナットがついていない。これだと使っているうちにスパイク受けとの間に隙間ができたりして、筐体が微妙に傾き、いつのまにか不完全な3点支持になってしまう。さらに右前のスパイクフットはねじ込み過ぎると中の配線や基板と接触するときている。ネジの部分が長すぎるからだ。そこで、いくつかのメーカーのスパイクを試したのだが、そもそもネジがついておらず筐体としっかり結合できないとか、重心が高くなりすぎるとか、スパイクの先端がすぐに潰れてしまうなど、要求を満たすものは少ない。
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最終的にオーディオリプラスから出ている特殊ステンレス製の高精度なスパイクRSI-M6-4Pを取り寄せて換装、さしあたりは良しとした。これは汎用高級スパイクの定番商品だが、スパイク自体がコンパクトなので筐体の重心はある程度低く抑えられる。また専用のロッキングナットも付属しているので、適切な高さでスパイクを固定できるのも良い。先端はR1加工され、全体に物性処理まで施されている。他社のものより値段は上だが、その分だけ抜きん出ている。取り付けると期待どおりに音の精度は上がり、リプラスの製品らしい音の粒立ちの良さが前面に出てきた。

次は、スパイク受けだ。
このTHA2、メカニカルグランディングを謳うのはいいが、肝腎のスパイク受けが同梱されていない。これだけ高価なHPAなのにユーザー側で適切なものを探すしかないという不親切さはいかがなものか。目指す性能を発揮しうるスパイク受けということで吟味し、二種の合金を複合したアンダンテラルゴのSM5-FT/P4やEau Rougeのドライカーボン製の製品などを試したが、どうもしっくりこない。SM5-FTは付けた後の音の感じが落ち着き、粒立ちの良い音になるが、若干金属的な響きが乗ってしまうとか、音がやや薄いとか、弱点もなくはない。Eau RougeのER-SB2はシンプルに見えるけれど意外に作り込まれており、音が整理されて静かにはなる。だが、どうも音質的効果の量が少ない。良い方向にも悪い方向にも、あまり変わらない。
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そこで私は前から気になっていた、TechDasのInsulation Baseを思い切って買い求めた。
これを持っている人が周りにおらず、十分なレビューもなかったのでね。
結果的に、これが“当たり”だった。
このグッズは純度の高い超硬ジェラルミンを切削加工し、ダイヤモンドコーティーングを施しただけの品だが、実物を手にすると他社の製品よりも工作精度が高いうえ、表面の滑らかさや硬さも一級、なによりスパイク受け自体の厚さがかなりあって効果が高そうだ。しかも、これだけ厚みがあるのに重量が随分軽いのに驚く。また設置面には見慣れない木材のような素材が貼り付けられ、金属と床が直接干渉するのを避ける。
持ち帰って恐る恐る聞いてみると、他の製品にはない効果があって驚かされた。音がスッと立体的に立ち上がり、きめ細かさがグッと増す。特に音の細部がさりげなく引き立つような感覚にゾクッときた。音の明瞭さだけでなく、金属スパイクらしからぬ音の厚みが現れる。今後Harmonixの木製フットなどもテストする予定だが、まだ先のことになりそうなので、とりあえずこのスパイク受けとスパイクの組み合わせでTHA2の足元は決まった。


さらにTHA2のボリュウムノブについて検討した。
バルナック型ライカの巻き上げノブを模したというGOLDMUND独特のツマミであるが、子細に検討するとこれでいいのかという感想を持つ。まずボリュウムパーツの軸が入る穴が微妙にセンターからずれている。果たしてこれは意図的なのか。またこれは単純に差し込むだけで固定されているノブであり、イモネジ等で軸としっかり固定する方式でもない。これに対して当初はレーザーでカットされたドライカーボン製のワッシャーを裏にあてて調音していたが、効果はいまひとつ。

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ところで、アンプではボリュウムノブを別な材質、形のものに変えると共振モードが変わるせいか、出音が変化するケースがある。これはREQSTという日本のメーカーが出しているR-VM33という音質対策のための交換用ボリュウムノブから得た知識である。現在はメーカー側に在庫がない状態であるが、私はこれを話のネタにと一つ持っている。必ずしも好みの変化をするとは言えないが、導入した機材にはいつも試す習慣である。これは比較的柔らかい無垢のアルミ材を切削加工、セラミックの細長いプレートを嵌め込んだだけのシンプルなもので、全体にやや大き目だが、イモネジが二本ついていて、しっかりと軸に固定できる。またセラミックプレートの付加は共振の制御に役立つということで、この会社の得意の手法だ。

とりあえずTHA2のボリュウムノブが頼りないので、R-VM33側の穴を少し広げたうえで、本体にテフロンとfoQで自作したワッシャーを介して取り付けると、付帯音が取れて出音が落ち着く。他方、ムンドらしい、あのペパミントフレーバーのようなスカッとした雰囲気が少し減るが・・・。
なお、このノブの取り付けの時に驚いたのはネジを締め上げるトルクの強さで出音が変わること。ネジを締めれば締めるほど、音のフォーカスが上がる。やり過ぎると軸が壊れるかもしれないので気を付けないといけないが、やはりMDR-Z1RとTHA2の組み合わせは微かなセッティングの違いを顕著に聞き分けるペアだなと感じ入った。

この作業、最後にはデフォルトのノブとの比較になるが、ここでかなり悩んだ。ライカもどきのノブも悪くない。音の良し悪しはともかく、特にフロントパネルの中でのデザイン上の納まりがいいから。R-VM33はこのパネルには大きすぎるか。結局R-VM33がデフォルトのノブよりも解像度の高い音になると最終的に判断、採用とした。小さな変化だがデザインでなく音を取った。

その他、ベースとなるオーディオボードとしてイルンゴ製のGrandezzaの最も分厚いモデルを敷き、天板の保護にはレーザーカットされたドライカーボンのプレートを特注してのせてある。天板が傷つかないようにすることと地盤を強化することはどういう機材を買って来ても、多かれ少なかれやっている作業のひとつだが、今回はTHA2の寸法が比較的小さいのですんなりと決まった。


Invsetigation of power cord.......


そして今回、最も苦労したのはTHA2のための電源関係のセッティングである。
THA2を扱ううえでここが一番重要だと気付いたのは、他の部分の設定を詰めた後であった。これに関しては国内外に声をかけ、電源ケーブルは15種類ほど、加えてその他の電源関係の装置もいくつか集めて試してみた。結果的には、ある電源ケーブルを除いて私を完全に納得させるものがなかった。そもそもTHA2はDACとアンプが一つの電源ケーブルで養われる格好になっているうえ、内部には4個ものトランスが詰め込まれている。これほど大規模な電源部を内蔵するヘッドホンアンプを私は他に見たことがないが、この内容からして電源に対する要求度が非常に高い機材であることが想像できた。
(蛇足だが、私の知っている情報では、THA2と称しているがトランスの数が少なく、足もゴム足というモデルも海外には存在するらしい。GOLDMUNDのヘッドホンアンプには一般に知られていない幾つかのバージョンがありそうだ。)

さあ、ここらへんで今回テストした全ての電源ケーブルを列挙したいところだが、諸般の事情で、全部をお見せできない。どうしても取り上げたい製品のみについて、略号をまじえて挙げよう。略号で表記した製品の正式名は察してもらうしかない。
JORMA AC LANDA RH II(私のメインケーブルで、常に数本投入している)、Chikuma Possible AC(開発されたばかりの最上級ケーブルでテストした時点でカタログにまだ出ていなかった)、AET Evidence AC(HRを持っている人がいなかったので古いモデルで我慢)、A社の最高級電源ケーブルA、AR社の最高級電源ケーブルFR、Nordost社の電源ケーブルODIN(PASSのアンプの付属品であるが、御厚意により短期間だが借りることができた)、そしてS社の最高級電源ケーブルKあたりが良かった。
なお、このブログ上ではこれらのケーブルのTHA2における音のインプレッションについて詳しく述べる気はない。私はできればこういうケーブルを使いたくないと思っているうえに、そもそも、おいそれとレビューできない社会状況である。それらを踏まえ、あえてひとことで言うなら高価なケーブルほど高度な音になるということだ。
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例えば、こういう豪華な打線の組み方をしてしまうと一般的には高級ケーブルであるはずのJORMA、Chikuma、AET、A社の電源ケーブルであっても存在感が薄い。極めて高価で重装備なAR社のFR電源ケーブル、NordostのODIN Power cord、S社のK電源ケーブルを聞いてしまうと、私の中では、それらに比して格下のケーブルの試聴はなかったことになる。やはりスーパーハイエンドケーブルの実力は流石だ。だが、これを導入するのかとなるとそうはならぬ。少なくともAR社のFR電源ケーブル、NordostのODINについては価格を抜きにして自分が求める方向性と違う気がした。
FR電源ケーブルはあきれるほどレンジが広く、彫りの深い滑らかな美音であり、低域の力が強い。これは真のハイエンドサウンドに分類されるが、弱点を挙げるなら導体のキャラクターが抜けきらず、音が柔らかくなり過ぎるきらいがある。
ODINは相変わらずスピード感・色彩感に溢れ、極めて高解像度調のサウンドであり、価格を忘れるほどの華麗さとシステムに対する強い支配力のあることを改めて確認。けれどこのケーブルは音を締め上げ過ぎ、いつも単調であり、私の求める音の触感とズレている。また、このケーブルは性能が高すぎて鼻につく。ここまで来ると度外れの高性能もある種のキャラクターの一つに過ぎないと、片づけてしまいたくなるのだ。

ふと思うのだが、このケーブルの弱点はこれだけ高価でありながら、自前でプラグを開発していないことではないか。Nordostはフルテックのプラグを流用して平然としているが、この価格のケーブルにしてその態度でいいのか。このケーブルを使ったシステムの出音にフルテックのサウンドキャラクターがかなり乗っているようで気になる。ここまでやるなら、オリジナルプラグを使用するS社の電源ケーブルを見習うべきだ。

では、最終審査の手前の段階でスルーしてしまった電源ケーブルの佳作について万策堂はどのような感想を持ったのか。結論から言えばJORMA、Chikuma、AET、A社の中で私にとって一番優れていたのは匿名のA社の製品であった。
これらのスルーされたケーブルたちは価格帯を考慮すればそれぞれに優れていて、その上のケーブルを聞かないで使う限り、どれもお薦めできるものだが、特殊なパワーアンプのようなTHA2を私のイメージ通りにドライブするには力が足りぬ。ただしA社のAケーブルを使った時の音だけは緻密で躍動的、中高域の解像度も高くて気に入った。今まで使っていたJORMAのケーブルでは聞こえなかったニュアンスが豊富に聞こえてくる。しかも価格はAC LANDAと同等でそれほど高価ではないときている。このケーブルは私の印象に残った。

とりあえず、それらの佳作ケーブルについて短評すると、ナチュラル・ウェルバランス・ピュア・クールと四拍子揃って秀でているけれど、やや線が細く、音色も淡色調に傾き、透明感を優先しすぎて、泥臭いブラックミュージックが全く聞けなくなるChikuma Possible AC。(Tunefulで十分いいと思う。)バランス感覚に優れたカラフルな音で、音の太さもなくはないが、この打線の中に在ってはニュアンスの表現が僅かに舌足らずであるうえ、少しばかり音の広がり、スケールも小さく感じるJORMA AC LANDA RH II。音の実体感と押し出しに長けるが、音場の表現に巧みさを欠き、長期のエージングによっても独特の音の硬さが取れないAET Evidence ACというところだろうか。回想してゆくとA社のA電源ケーブルはやはり素敵なケーブルだ。線材の影響か、私にはちょっと音が柔らかすぎる気がしたのと、MDR-Z1Rの低域の見通しが、AC LANDA以上には良くならないので採用しなかったが・・・。
そういえば、このケーブル、他のジャンルのメジャーな電源関係の製品を引き合いに出したくなるほど音の良い製品であったのも印象に残る。例えばこのケーブルは、電源絡みということで同時期に借りてテストしたアコリバのRPC-1という話題の製品よりずっと安価であるが、オーディオ的な効果はこちらの方がよりはっきりしていた。

ちなみにAcoustic revive RPC-1自体は何気に優れた製品で、しっかりノイズが取れ、音はスッキリし明瞭感や立体感を増す。いかにもアコリバらしい、この製品の一番良い所は細かい音質変化云々よりも通常のクリーン電源のように、電力の消費が大きくなった場合でも音が頭打ちになったりしないところだ。だが24万円の機材の効果としては効果の量が少し物足りない気がしたので手を出さなかった。忌憚なき意見を言わせてもらえば、半額ぐらいなら買ってもいいかなという度合いの効き具合だ。ORBやChikuma、オーディオリプラス等の最高級の電源タップを持っていないなら、そっちをまず先に買った方がいい。選別されたハイエンドタップがきちんとしたセッティングで使えていればRPC-1を付けたり外したりしても価格に見合う音質差は感じないはず。少なくとも、私のところではそうだった。
また別な考えをすれば、RPC-1は既にかなりの台数が出ているようなので中古で十分だとも思う。


それからIsotechのクリーン電源装置(フィルター)EVO3 Aquariusも試したのであるが、これはRPC-1とよく似た効果のある機材で驚いた。コンセプトも生産国も使い方も違うのに効き目の種類が似ている。音は澄んで、このようなクリーン電源フィルターにありがちな音の線の細さみたいな悪癖も極小である。これも悪くない。だが、これもRPC-1と同じくORBやChikuma、オーディオリプラスの最新かつ最高級の電源タップを買った方がいいという結論に至った。ただし、その結論に至った理由は同じではない。この機材に関しては消費電力の大きなシステムに使うとすると、単調な音の描写に終始する場面が出て来る。具体的には手持ちのORBのKAMAKURAに比べて、僅かに頭を抑えられ勢いが低迷する気配を感じた。静けさが勝る音であり、音量を上げてシビアに聞けば、うわべの躍動感はあっても、心底浸りきれない不安定さが音の端々に感じ取れた。これは私が求めるレベルあるいはTHA2の要求がやはり高すぎるのかもしれない。
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もちろんIsotechのクリーン電源装置に関してはTitanまで行けば、概ね不満のない結果が得られるのは分かる。だが60万の電源装置にしてコンセント2口のみ、経年劣化を脱がれないコンデンサのある回路(普通の電源タップにはそうした劣化のある部品がとても少ない)、ハイエンドタップに比べて造りが盤石とは言えない筐体となると、Titanに比べて安価な高級電源タップやRPC-1を差し置いて買うべきかどうかは思案のしどころだ。さらに進んでTitan+Aquariusで電源ネットワークを組むというのも面白そうだが、飽きずにずっと使い続けられる自信がない。むしろ、そこまでやるなら思い切ってSuper Titanだろう。この内容なら万難を排して持ち込む意味がありそうだ。これほど大規模な電源フィルターは他に類を見ないからだ。(③に続く)
# by pansakuu | 2017-02-02 23:41 | オーディオ機器

スマウグの巣穴にて

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この匿名の文章を書くにあたり、当事者の許可を得るのに時間がかかった。
彼が、この話を公けにされることを渋ったからではない。
連絡がつきにくい状態になったからだ。

この東京には多くの外国人が暮らしている。
都心の低層マンションのワンフロアを借り切って住んでいた、この話の主人公もその一人である。
見かけは小太りで小柄な老年男性である。客に対する柔らかな物腰と笑顔は多くの日本人の警戒心を何時だって解きほぐしたものだ。外国なまりは多少あったものの、日本語は大変流暢であった。私は事情があって渋々出掛けた集まりで彼に出会い、その場で共通の趣味を持つことを知った。すなわち彼は”自称”オーディオマニアだった。

彼と初めて二人きりで食事をしたのは香港であった。
あの時のことはよく覚えている。
眺めのよいレストランの大窓から見える高層ビルディングの中から、香港ではそこそこ有名なあるホテルを指さして、あれは最近まで私の持ち物だったが、この前の株価の大きな変動で手放さざるをえなくなった、残念ですと彼は言ったのである。彼が自分のカネに関する話をしたのは、その時が最初で最後だったと記憶しているが、その一言だけで、はっきりとその財力の大きさが意識された。
ただ、彼の財力は彼の商売熱心から来たものでも、受け継いだ遺産でもないらしいことも別な人間から聞いて私は知っていた。彼はアフリカや東南アジアで商売はするが、損失も少なくないと聞いていた。また、彼はこの国に身寄りがいないとも。それらの大切な人間関係を全て本国へ置いてきたのだ。政治的な問題に巻き込まれたらしいのである。そういう事実上の亡命者である彼の財力は、本国でのかつての政治的立場の高さから来たものだろう。深い事情を知らない者は、そのカネの性質について、これ以上は言うまい。ただ、言っておきたいのは、そういうお金の流れがなければ、物事がまるで回らない国も現実に存在する。彼は好きでそれを貰っていたわけではない。自分の運命に対する諦めと自衛本能がその莫大な蓄財の源泉なのである。
とにかく金持ちには金持ちにしかない悩みがあるのだ。

そういう物凄い財力でオーディオをやる。
一見してそれは私のような貧乏人にとっては大変羨ましいことであった。
私は香港の彼の家に行った。
らせん状にカーブした階段を下りると天井の高い大広間にポツンとGOLDMUNDのFull EpilogueとUltimateシリーズのセットが置いてあった。電源を抜いて放置された古いモデルやケーブル類、アクセサリーを合わせると総額では一億円に近いラインナップであった。ポツンと書いたのは、その部屋が広かったのと、家具も少なく人っ気がなかったからである。
ああゆうテニスコートみたいに広くて天井の高い環境で
ボリュウムをいっぱいに上げて聞くGOLDMUNDのフルシステムの威力は凄まじい。
オーディオは部屋だという人がいるが、それは違う。
部屋なんかで鳴らしているうちはまだまだなのだ。
もし、それを言うならホールだろう。あれは部屋と呼ぶにはあまりに広かった。天井が高かった。
最高級のGOLDMUNDのフルシステムが、ああいう大ホールで鳴るからああいう音になる。
日本のショウで似たようなシステムを聞いた覚えもあったが、だいぶ違っていた。
柔らかで清々しい大嵐が部屋中に吹き荒れるような時もあれば、
ひたひたと迫る音の洪水に囲まれてリスナーはもう溺死しそうになる時もある。
そんな狂瀾の場の直後にも、
小さなクモの足音のような恐ろしく小さな音が聞こえるような静寂が訪れる。

だが、こういう超富裕層の常なのか、彼は良い音で音楽を聞くことをこよなく愛したものの、現在、市場にどのような機材が売られているのか、細かい情報はほとんど知らなかった。私のように方々に試聴へ行って検討を重ねて購入に踏み切るなどというまわりくどい過程を好まない。このGOLDMUNDのフルシステムも知り合いに紹介されたオーディオショップで勧められるままに買ったというだけのようであった。
会った当初、GOLDMUND以外のメーカーの機材のことを彼はほとんど知らなかった。
そのせいか、私が様々なメーカーのオーディオの話をするのを彼は面白がった。
例えばシステムの全てを一つのメーカーの製品で揃えるのではなく、
色々なメーカーが作り出したものを組み合わせて楽しむことに興味を抱いたようだった。
海外の金持ちにはそういう視点が完全に欠落している場合がある。
要するにどれとどれを組み合わせるのか、考える暇もないほど忙しく、
またそれを面倒と思っているらしい。
お金はだすよ、あとは任せた、うまくやって頂戴。
でもそれじゃオーディオは楽しくないと私は彼に説教した。
身の程もわきまえず。
彼はいつものように、にこやかにうなづいて聞いていた。
しばらくして、また彼の家に行くとステレオサウンドがソファーの上に置かれていた。
聞くと、今まで、こんなに有名な雑誌すら、手にとって読んだことがなかったらしい。

しかし、その後、周知の事情で彼は香港に居られなくなった。実はそれは大昔に結ばれた条約で決まっていたことだった。そして彼の居場所はさしあたり日本に限られることとなった。勢い彼と私は、以前よりは頻繁に会えるようになった。

低層マンションのワンフロアを借り切った彼の東京の棲家には、いわゆる執事ではないが、それに近い役目をする人、食事の世話等の家事を行う日本人男性が一人雇われていて、私の自宅から送り迎えをしてくれた。片道40分以上かかるその道行、陽気なその男性と話していて、雇い主の性格が話題になったことがあった。その男性が言うには主人はとにかく一貫して怖い人間なのだと。時には些細なことで、憤怒にかられた竜のように暴力を振るって女たちを困らせるのだと言う。女性?どこにそんな人がいるのですか?私は少なからず驚いた。一方、その男性は私がこの話を聞いて驚いたことに驚いて、即座にその話をやめてしまった。
富豪の中には壁にかけるトロフィーのように美しい女性を収集する者がいるが、彼にその趣味はなさそうなどころか、女性の姿や匂い、持ち物を一切、彼の家でみたことがなかった。深く秘められているのだろうか。オーディオもまた彼が外部に対して秘めている趣味のひとつかもしれないとその時気づいた。私は気に入られていたのかもしれない。オーディオ限定で。
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トルーキンの編んだホビットの冒険という本にある、中つ国に棲む竜、第三紀における最強にして最後の竜スマウグを私は思い起こした。彼は財宝の上に眠り、全てを知る者である。そして、その怒りと悲しみを受け止められる人間は存在しない。私はスマウグの巣の中でオーディオを愉しむことを許された、か弱い人間であった。こうして私は現代最上のハイエンドオーディオを消費する人間の素顔、その一面を知ったのである。

これほどハイエンドオーディオが高価格化し、たかが音楽を聴くだけのために払う対価としてはありえないレベルになっているのだが、これを普通に買って聞く人間はやはりどこか普通でない側面を持つ可能性がある。また彼らのうち少なくとも何割かはオーディオや音楽に深いこだわりをもたないらしい。これこそ理解に苦しむような気もするが、しかしむしろ腑に落ちるような気もする不思議な側面でもある。

彼と連絡がとりにくくなってからずいぶんになる。
私が油断している隙に東京から退去したのだ。
今はアメリカにいるが、そこも仮の宿なのだろう。
多少、大袈裟な言い方なのかもしれないが、追手が来たと彼は笑う。
国の財産を持ち出した者に仕立てられているとか。
この前、WSJを読んでいたら、確かにそういうことがあるらしいと書いてあったっけ。
仮に犯罪人引渡協定がある国だとすると、本国に送還されてしまうらしいのだ。
そういう彼は東京に戻ってくることがあるのだろうか。
ないかもしれない。
でも個人的な希望としては、
オーディオはどこへ行ってもやめないでいただきたい。
そしてステータスシンボルとしてではなく、
本当に心からオーディオを好きになってもらいたい。

いつか、どこかの国のオーディオショップでソファーにうずもれて試聴している、小柄な老人の後ろ姿、あの丸い頭のシルエットを私は見かけるかもしれない。
その背後に神秘的な暴竜のオーラを漂わせながら、
目を閉じてオーディオに浸る彼の横顔をもう一度拝めるだろうか。
私には分からない。

# by pansakuu | 2017-01-03 16:28 | その他

DENON AH-D7200の私的インプレッション:フラッグシップはどうあるべきか

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技術の進歩より、時代の変化のほうが大きい
By 松井 道夫(第4代松井証券社長)



Introduction

しつこいようですが、例によって
ここ数年、随分なオーディオインフレだという話題から始まります。
ハイエンドオーディオ、なんでも高くなりましたね。
スピーカーは一千万近いものがいくらもある。
アンプもですよ。この値付けも買っちゃう人がいるから、ますます調子に乗るんじゃないでしょうか。騙されているわけではないと信じたいのですが、さしたる理由もなく、価格だけが上がっている場合もなくはないわけで、既にそれに近い状況と判断すべきかもしれない。
高級ケーブルなどに至っては、その音質的優位を認める場合ですら、その材料費・製造費と利益をどう見積もっても1mペアで100万を超える根拠はないと感じることがほとんどです。そんな価格でも、売り出すと一応売れるからと誘惑に乗って、こういう価格をつけてみましたって感じでしょうか。高級スイス時計と同じで、売る側にも買う側にも、もう欲深さしか感じないという話もあります。価格の根拠を開示する義務がないから、こうなるのだとも。とかなんとかブツブツ言いつつも、ああいうケーブルを新品で買っちゃう私も私ですよ。自分がメーカーのペースに乗せられていることは十分意識してはいるのですが。
去年までは我慢して超高級ケーブルを買っていましたが、今年以降はもうついて行かないつもりです。無理してついて行くと向こうがますます図に乗りそうで怖くなってきちゃいました。

そうそう、ヘッドホンなんかでも10万クラスが普通になりました。
中には50万円を越える製品もチラホラ。
でもまあ、買える値段ですよ、超高級ケーブルなんかに比べれば酷くない。
そうは言っても、一昔前、ヘッドホンってこんな値段のものばかりでしたっけ。
長らくオーディオマニアやってますけど、
最近はホントにどういう買い物をしたらいいのかよく分からなくなってきました。

そもそも技術革新ってなんだったんでしょう。
闇雲に高性能を追求すればいいっていうものじゃないでしょ。
より高音質なものを、より安価に多くの人に提供するのが、
技術革新の主な、あるいは真の目的だったんじゃないスか。
こういうバランスを欠いた開発によるインフレーションは、慣れ親しんだハイエンドオーディオを富豪だけが知りえる幻の世界に追いやりかねないって口酸っぱくして言ってるんですけど、世の中に全然響かないなあ。

この状況に対する具体的な対策のひとつは、旗艦機=フラッグシップ機の値段を抑えたままでのモデルチェンジだと私は思っています。
でもそれは、なかなか実現しないことなんでしょうね。
大人の事情でいろいろと難しいのか。
現実、ほとんどのメーカーのニューモデルは従来機よりも価格を引き上げる傾向にありますね。
しかし、やればできるという例を見つけました。
DENONの50周年記念の旗艦機 AH-D7200がそれです。


Exterior and feeling

フラッグシップ機としてはいささか小振りで、あまり主張のない外観です。
そこが逆にユニークなんですよね。
最近のヘッドホンのフラッグシップモデルは一見して、物量投入され、先進的なデザインを纏うことが多いし、ハウジングが大きいのも最近のトレンドですので、大型で重たくなりやすい。SE-MASTER1、MDR-Z1R、Utopia等、どれも新設計、新素材、新デザインと今までにないものを開発しようとする意気込みが外見に出ています。
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でも、このAH-D7200の姿にはそういう肩をイカらせた先進性の主張がない。
実売9万をやや下回る、メジャーなヘッドホンメーカーの旗艦機としては抜群に魅力的なプライスタグを思いやりつつ、このヘッドホンを手に取ると実に優しい気分になれますな。最近のハイエンドヘッドホンの中では、確実にコンパクトだし、重いとは言えない部類に属してるんじゃないでしょうか。
明るい色合いのウォールナットのイヤーカップとポリッシュされたアルミダイキャストハンガーの組み合わせはトラッドでカジュアルな印象です。デンマークの家具のようなシンプルで明るいデザイン。何気にハイエンドヘッドホンというとマニアックで部外者を近づけないネクラでオタクな雰囲気があるのですが、そういうマニアックな感じの悪さがない。クローズドタイプのヘッドホンにしてオープンな感覚が好ましい。全体にナチュラルな仕上げで、ツルツル、ピカピカ、ギラギラといったこれ見よがしの高級感の演出はあえて避けているようです。最近流行のスティルス調の仕上げでもありません。DENONのロゴの金色、その位置や大きさも周到に計算されたもののように、ピタリとあるべき場所に収まっております。
それからネジが外側からほとんど見えない作りでありながら、持った時のシッカリ感があるのはいいですね。調整や装着、姿勢変化に伴う軋みや、イヤーカップの位置ズレも皆無。実にオーソドックスな外見とあいまって安心して使っていられそうです。
それから外側のみシープスキン製のヘッドバンドにあしらわれた菱形のステッチがちょっと斬新か。こういう柄模様のようなステッチはヘッドホンでは初めて見ます。アーガイルのセーターを着て、このヘッドホンを使う絵が思わず頭に浮かびました。もちろんこの菱形のステッチはデザインだけでなく装着感を高め、頭頂部にかかる力を効果的に分散するという実用的な配慮があるようですけど。
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ハンガーのヒンジの動きは滑らかというよりは若干シブいかな。MDR-Z1Rのように自由に動き過ぎず、好きなところでスッと止まる感じです。スライダーの動きは確実で不用意なズレは皆無。このあたりの作りはヘッドホン作りの最難関の一つですが、さすがに老舗、無難にまとめておられます。
イヤーパッドは加水分解に対する耐性の高い特殊な合成皮革と形状記憶フォームで作られており、やや薄く小ぶりなものですが、耳介を違和感なく収め、側頭部に圧迫感をほとんど与えない優れものです。最近の高級機は本革製の分厚く大きなイヤーパッドを装備したものもよくあるのですが、造りが良ければこういうコンパクトなパッドで十分なのですね。そしてパッドの内側にさりげなく開けられた音響チューニングのための穴を確認。こういう穴はDENONのヘッドホンでは初めて見たような気がしますがどうなんでしょう。少し前までこういうチューニングの手法は珍しかったのですが、いくつかのヘッドホンで取り入れられはじめていますね。
このAH-D7200のウッドハウジングは最近の高級な密閉型ヘッドホンとしては、明らかに小さく、やや薄い印象をもつものです。その形状も天辺が平らなドーム状という、ごく普通のものであり、例えばMDR-Z1Rのハウジングに見られるような驚きの形・素材は採用されておりません。それにしても、このように小さく、かつ特別な形や素材を使わないハウジングで、どうしてこんなにも広い音場を実現できたのか?ハウジング内部に格納される50 mm フリーエッジ・ナノファイバー・ドライバーの完成度の高さと、ハウジング・イヤーパッドに対する長い経験に基づく細かなチューニングの勝利ということなのでしょう。

実際に装着すると、重いとは到底思えないもので、付け心地もとてもよろしい。側頭部全体を包み込むようなMDR-Z1Rの装着感とは違い、優しく押さえられた耳の周囲の感覚がそのまま頭頂部方向に続いてフェードアウトしていくような心地です。AH-D7200は考え抜いて作られた、どちらかというと小さなヘッドホンであり、大きなヘッドホンにありがちな鬱陶しい感じがほとんどありません。
さらにリケーブルにデフォルトで対応するところは現代のトレンドに配慮していますね。昔、AH-D7000をバランスリケーブルした時は結構苦労したものですよ。しかし、このAH-D7200となるとほぼ一発でバランスリケーブルを装着できます。なおリケーブルのヘッドホン側の端子は3.5mmのモノラルミニで、MDR-Z1Rのようにロックこそないものの抜けやすくないので、信頼性は高いようです。
ヘッドホンケーブルは布巻され、おまけに端子はハウジングからブッシュでフローティングされており、タッチノイズへの対策も万全です。内部の銅線は7N無酸素銅を使用しているそうで。下手なリケーブルは無効ですね。

このヘッドホンの外観・装着感を検見(けみ)していると、特殊な材質のパーツの使用が現代のフラッグシップヘッドホンとしては意外に少ないことに気づきます。シープスキンなどの高級素材を少なくし、耐久性を重視した合皮を多用するなどして、合理的にコストを削減しているのもわかる。さらにリケーブルに対応するところなどは、現代のヘッドホンマニアの要求に応える部分であり、色々な方向から見ても文句のつけようがない出来です。


The sound 

最近聞いたヘッドホンの中で、音のまとめ方が最も巧みなヘッドホンであり、音響以外の装着感などの要素も含めた総合的なコストパフォーマンスは最高です。このヘッドホンに出会う前まではFocalのELEARがその意味で最も素晴らしい製品だったのですが、それをさらに上回る音作りの巧さがあり、価格はずっと安い。それからELEARよりももっと多くの人の意見を集約して作られた音のようにも感じました。つまり死角が少ない音なんですね。
私が聞いたのは製品版に限りなく近い、最終的な音決めが終わった個体で、このままで発売されると考えていいとのこと。あまりに音がいいので何回も聞きに行ってしまいました。ちなみに前回のヘッドホン祭りでは、このヘッドホンの音はこんなによくなかった。いろいろ変えましたね、とDENONの中の人に語りかけると笑顔で返してくれました。

まず、聞き味がいいんですよ、このAH-D7200は。先々代のAH-D7000のあのナチュラルな聴き疲れしない音調を彷彿とさせるんですよね。このヘッドホンの音は柔らかく、耳当たりがいい。鋭い音は出さないが、決してまあるい音じゃない。サ行が刺さる、ハーシュネスが強いという言葉からは遠く離れた穏やかさを感じるサウンドでありながら、音の鈍さがない。立ち上がり・立下りのスピードは、早すぎもせず、遅くもなく。なにを言いたいのかって?私は、このヘッドホンの中庸をゆくバランスの良さが素晴らしいと言い放ちたいのです。
実際、ヘッドホンの音の調整ポイントはかなり多く、そのどこを変えても、音は変わってしまう。共存の難しい多くの要素を調整しながら進む音作りの中で、どこをそのゴールとするのか。そのゴールの設定が難しいと思うのですが、このAH-D7200の音の落としどころは、結果として絶妙なポイントだったのではありませんか。こういうバランスの良いクセの少ない音に、さりげなく届いているところを見ると、むしろ、ここに至るまでのスタッフたちの喧々諤々(けんけんがくがく)の大変さが目に浮かぶようです。

AH-D7200のカバーする周波数帯域は広く、ピーク・ディップの存在は特に感じられません。そして高域の伸び、中域の厚み、低域の落ちっぷり、どれもなかなかのもので、価格を超えたパフォーマンスを聞かせます。さらに眼を凝らすように、少しだけ音に集中しさえすれば、この穏やかさに秘められた解像度の高さにも気づくはず。
さらに残留雑音の少ない、パワフルなヘッドホンアンプでドライブするのであれば、穏便というだけでは済まされないこのヘッドホンのダイナミズムの一端に触れることもできます。音楽の躍動感も十分に表現できる力量が備わっているのです。ただの優等生でない部分も隠し持っているというわけで。
各パートの分離・変調modulationの少なさについても、かなり秀でたヘッドホンでして、混雑した音を通しても適度に整理されて出てきます。特筆したいのは、ここでは音が整理され過ぎないこと。音声が重なってハモるときの声の質感の描き分けの巧さを感じさせつつ、分離し過ぎで不自然なトータルサウンドとして提示しないところがある。音がほぐれているっていう言い方が適当でしょう。高性能感のみを前面に押し立ててゆくSE-MASTER 1などの最新鋭機の音作りとは一線を画す洗練が垣間見えました。多くの音が混和すると、音像も音場も全てが濁って聞こえることはしばしばですが、ここではいつも澄んだ音が常に聞こえており、適度な透明感は音量を上げても保たれています。

音場の広さについては、密閉型ヘッドホンとしてMDR-Z1Rに次ぐほどの広さを感じさせるものです。この点については先代よりも余裕を感じるようになりました。TH900MK-2と同レベルか、それ以上か。ハウジングをD7000、D7100で使っていたマホガニーからアメリカンウォールナットに変えたのが良かったのか?ハウジング内部は特別な仕上げはないようなので、やはりハウジングの材質やドライバーの改良が効いているのでしょう。
外観からお察しのごとく、このAH-D7200は、先代のAH-D7100の後継ではなく、AH-D7000の後継という位置づけでよいようです。確かにあくまで穏やかな音の傾向は似ている部分があります。ですが、これらの解像度の高さや躍動感、音の分離の巧さ、音場の広さという要素に関しては、先代、先々代より、はっきりと進歩しております。この7200の登場で現在も中古市場で高価に取引されるAH-D7000の相場に変化があるかもしれません。

それから、大きい音と小さな音の間に介在するグラデーション、音の密度の濃淡の描き方は実に細やか、かつ大胆と言えましょう。コントラストをつけるべき時はしっかりと、滑らかな調子で表現したいときはあくまで豊かな階調で音を表現してくれます。これは今かかっている音楽の様相に寄り添う音。とはいえ、ここにもう少しカラフルな表現というか、派手に弾ける音調もありさえすればと思う瞬間も有るには有る。どうもこのサウンドはモノクロ調なんですな。もっとカラーな色気や潤いも欲しい。やはりそこは組み合わせるアンプに、あるいはリケーブルなんかに期待するところなのでしょう。実際、FOCAL UTOPIAと並んで、カラフルなサウンドが持ち味のGOLDMUND THA2で鳴らしてみたいヘッドホンが、このAH-D7200なのです。

また、音像の背景に埋もれている倍音成分の聞こえ方は控え目です。美しい倍音のたなびきからイメージされる音像の透明感よりは、音の実体感そのものを強く感じる質実剛健なサウンド。サウンド全体の傾向としてモニターヘッドホンという感じではないですが、確かにその要素もあります。倍音の響きの中にサウンドステージの広がりの証拠を求めたいなら、少し寂しい音かもしれません。でもあまりそこが、余りにうまく行ってしまうと、音の厚みが失われてしまうから、こういう音のまとめ方なんでしょうかね。音の厚み・実体感をサウンドの軸として、常にキープしながら、倍音成分や空間性、音の透明感、細部の描き分けにも適切に気を配る。どこか骨太な音作りに感じます。こういう確信に満ちた音はフラッグシップとして開放型でなく密閉型ヘッドホンを選んだ時から開発者たちのイメージにあったものかもしれません。
もし倍音成分の表現や音の透明感・繊細さを求めるなら近くリリースされるというKimber kableの銀製のリケーブルを試すがよかろうかと。

このヘッドホンは優れたコンシュマー向けのヘッドホンらしく音楽の感情的な表現の分かり易さを持っているのですが、音楽表現の多様性という意味についてはどうでしょうか。TH900MK2などの定評あるハイエンドヘッドホンたちと比べると、そのポケットの数は少ないのかもしれない。どんな音楽聞いても穏やかさや、聞き味の良さに傾くところがやはりある。音楽の躍動感の発露まではこのヘッドホンだけでも行けますが、激しくハメを外した音楽の半ば狂ったような表現にまで出音を昇華させたいなら、上流にお金をかけなくては。BGM的にリラックスして聞ける穏やかな音、そんな表現でこのヘッドホンの評価終わらせたくなくば、ヘッドホンアンプとか、その前段のDACなどを奢るべきです。掘り下げるべきポテンシャルがこのAH-D7200にはまだ秘められているのですから、散在する価値はある。このヘッドホンの潜在能力をどれくらい開花させられるかは、ヘッドフォニアの腕次第というところはあると思います。

私が日々使い倒しているSONY MDR-Z1Rと比較するのは、約二倍の価格差があることから躊躇する向きもあるかもしれません。しかしAH-D7200のサウンドがZ1Rに劣るとは言い切れないと思います。密閉型らしくない音場の広がり、音の精緻さという面ではZ1Rにアドバンテージがありますが、多くの相反する音の要素を見事にバランスさせ、満遍なく取り込んだサウンドという点ではAH-D7200に利がある。特に低域の質感や量感に違和感を持たれるかもしれないZ1Rよりも、多くのヘッドフォニアに受け入れられやすい、行き届いた音に仕上がっております。



Summary

AH-D7200のオンステージの意味するところはハイエンドなダイナミック・密閉型ヘッドホンの価格破壊に留まらない。この製品の登場はハイエンドヘッドホン全体を見渡してもコストパフォーマンスという意味では目覚ましいものがありましょう。また、ハイエンドオーディオ全体が傾きつつある、恐らくは少し間違った方向性に対して外野から一石を投じる製品でもありましょう。
とにかく、このヘッドホンバブルの時代に旗艦機=フラッグシップ機を、値段を抑えたままでモデルチェンジするというDENONの英断には拍手すべきです。値段を変えず、あるいは少し下げるように調整しながら、音質や質感を確実に向上させる。よりコンパクトで使いやすい形に大胆に変化させる。それは、これからのオーディオ開発のグッドセンスと呼ぶべきものと私は信じています。

最近、欧州のある会社が開発した、巨大で高価なハイエンドDACが東京にやってきました。筐体ごとモノラル化されたこのDACの音質向上には目覚ましいものがあるのですが、この規模と価格には降参です。勘弁してくれという感じ。あるところで、このDACについて「並々ならぬセンスが表れている」と評されていましたが、これはなかば皮肉ではないかと思ったくらいです。私は、見ようによっては、これほどナンセンスな開発はないかもしれないと思いながら、変わり映えしない筐体群を眺めていました。
これは、フラッグシップ機のモデルチェンジあるいはさらなる上位機の開発において音質は上げつつも、より大きく、より扱いにくいものに変化、価格は大きくジャンプするという、近頃のハイエンドオーディオにお決まりの流れそのものです。もうこのやり口には辟易しています。私も昔の人間だし、そういう類のオーディオの良さも分かるつもりだから、いたずらに規模を拡大して得られる、ずば抜けた高音質に興味がないわけではありませんが、少なくともこのセンスは良くないと言うべきなのでは?

私は、もうあの時代は終わったと叫びつづけてきました。あくまでも小声でね。
現代人が生活で必要とするあらゆる機能を一つの筐体に集約した、小型の情報端末が世界を席巻しています。コンパクトで高性能、人に優しく使いやすい機械が人々に深く浸透してゆく時代です。大きく重たいが、限られた機能しか持たないハイエンドオーディオマシーンへの郷愁は、この世界の趨勢の中に呑み込まれつつあります。そういう機材への憧れは繰り返し、度外れの高音質への誘惑として現れる、不滅の存在なのかもしれませんし、世の中のトレンドにあえて抗う姿勢も否定しませんよ。でももう、あのような機材を主力としてハイエンドオーディオを盛り立てていくことは不可能と認めるべきです。今のハイエンドオーディオのフラッグシップ機を見ていると、いつか行き詰まることを知りながら、戻れない道を目をつぶって走ってゆくような不安を感じませんか。

ハイエンドオーディオが我々のようなごく普通のオーディオファイルから見捨てられずに生き残っていくための鍵が、ハイエンドオーディオとは一見無縁な、この小さなヘッドホンに隠れていると思うのは私だけでしょうか。
また万策堂は大袈裟だと笑われるのかもしれませんが、大真面目ですよ。
私個人はオーディオの未来を見据える目でもって、
この AH-D7200を見つめているのですから。

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# by pansakuu | 2017-01-02 01:51 | オーディオ機器

ヘッドホンオーディオの私的な歴史、そして次の10年

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書を捨てよ、町へ出よう
寺山修二


2016年も最後ということで俯瞰的な話で締めくくりたい。
私の知る限り、オーディオ全体の歴史については様々な本やHPにまとめられているが、ヘッドホンと、それに関係するオーディオの歴史・経緯について最近の日本での動向を含めてまとめたものがない。簡素というよりは粗雑ではあるし、間違いも多々あろうが、様々な資料にあたりながら、とにかく自分なりに日本を中心としたヘッドホンオーディオの歴史について以下のようにまとめてみた。

1891年頃
・フランスの技術者エルネスト・ジュール・ピエール・メルカディエが電話受信機用として、歴史上初めてのイヤホンを開発、その特許を米国で取得。
・この頃、イギリスで教会や劇場での音声を電話線を通して、家庭で聞くというエレクトロフォンという富裕層向けの有線放送が誕生。聴取に用いられたレシーバーは家に居ながら音楽を楽しめる機器であり、ヘッドホンの祖形。

1910年
・米国の電気技師のナサニエル・ボールドウィンが自宅の台所で左右二台のレシーバーをヘッドバンドに取り付けた機器を考案。ヘッドホンの誕生。その優れた音質を米海軍が評価し、購入に至る。これ以降、しばらく高性能ヘッドホンは全て軍用。

1937年
・ドイツのオイゲン・ベイヤーが世界初のダイナミック型ヘッドホンDT48を開発。彼は後にbeyerdynamicを設立。

1946年
・中野にフジヤカメラ店開店。のちのフジヤエービックであり、日本におけるヘッドホンブームの盛り上げに大きな影響を及ぼす。

1949年
・独のAKGが同社の最初のヘッドホンK120 DYNを発売。

1957年
・米RCAの技術者であるウィラード・ミーカーがノイズキャンセリング機能のあるヘッドホン用のイヤーマフを開発。

1958年
・アメリカのヘッドホンメーカー、KOSSを創設したミュージシャンのジョン・コスが、一般向けにステレオヘッドホンを開発。軍用レベルのヘッドホンで音楽を聞いたことが契機。

1959年
・日本のスタックスが世界初のエレクトロスタティック型ヘッドホンを発表。

1967年
・独のゼンハイザーが世界初のオープンエアー型ヘッドホンHD141を発売。

1968年
・Kossが米国初のエレクトロスタティック型ヘッドホンを発表。

1972年
・米コネチカット州にマークレビンソン・オーディオ・システムズ設立。スピーカーによるハイエンドオーディオが本格的に始まる。

1979年
・ソニーが携帯オーディオプレーヤー、ウォークマンの初代モデルTPS-L2を発表。ヘッドホンが世界中のあらゆる場所で日常的に使われるようになる。

1982年
・CD登場。アナログレコードを急速に駆逐し始める。

1989年
・ソニーが高級ヘッドホンMDR-R10と超定番モニターヘッドホンMDR-CD900STを発売。
・AKGが真のオープンエアー型ヘッドホンK1000が発売。

1990年
・ニューヨークのブルックリンで発祥したGRADOが同社初のヘッドホンHP1を発売。

1991年
・ゼンハイザーは当時、世界で最も高価なヘッドホンシステムとしてOrpheus(HE 90/HEV 90)ヘッドホンシステムを発売。後のハイエンドヘッドホンの源流。
・Ultrasoneがドイツ・ミュンヘンに設立される。開放型ヘッドホンHFI-1000を発売。

1993年
・STAX SR-Ω 発売。日本におけるハイエンドヘッドホンの前哨。

1994年
・GRADOのベストセラーSR60発売。

1995年
・ゼンハイザーより名機HD600発表。
・ソニーより世界初の市販のノイズキャンセリングヘッドホンMDR-NC10が発売されるも、あまり普及はせず。

1999年
・SACD、DVDaudioが登場する。いわゆる「ハイレゾ」音楽データの原型となる。残念ながらオーディオマニア以外への浸透はせず。

2001年
・10月、最初のiPodがマッキントッシュ専用のデジタルオーディオプレーヤーとして発表される。iTunesとの同期機能を持ち、自宅での環境をそのまま外へ持ち出せることが特徴。音楽を聞くためのDAPそしてイヤホンが全世界に急速に普及。
・ノイズキャンセリングヘッドホンBose Quiet Comfortが日本で発売され、この種のヘッドホンが本格的に普及。
・日本の電気用品安全法が改正され、外国製のヘッドホンアンプなどでPSEマークを取得していないものは、原則的に日本国内での売買ができなくなる。以後、日本で公的に外国製のオーディオ機器、特に電源ケーブルなどを輸入し売買することが困難に。
・世界最大のヘッドフォンオーディオフォーラムHead-FiがJude Mansillaにより設立。このような建設的なヘッドホンオーディオ論議が出来る場が日本には未だ存在せず。

2003年
・ゼンハイザーより名機HD650発表。目に見えないマイナーチェンジを繰り返しつつ現在も発売中。
・圧縮音源配信iTunes Storeが開始。
・EUにRoHS指令が発令。これによりEUで電気機器のパーツに含まれる有害物質の使用が制限。高音質だが、また代替についてはメーカーに委ねられたため、多くのオーディオ機器に音質的あるいは価格的な影響。これによりオーディオ機器全体に若干の音調の変化。

2004年
・オーディオテクニカの名機ATH-AD200発売。この頃のテクニカは覇気があった。

2005年
・この頃よりiPodに付属するイヤホンの音質に飽き足らない人々がより高級なカナル型イヤホンを買い求める。
・水樹奈々のEternal Blazeが大ヒット。この頃、日本においてアニソンが独立した歌謡ジャンルとして定着。アニソンをメインソースとして、これを高音質で聞こうとするオーディオマニアが“日本だけ”に現れる。

2006年
・米RSAが高級ポタアンの定番SR71を発売。この頃、国内外から多数のポタアンが発売。
・日本の新興オーディオメーカーizoが高性能ヘッドホンアンプiHA-1のファーストモデルを発表。別電源などを持つ高度なコンストラクション。パソコンで音楽鑑賞するための環境の向上を掲げる。このコンセプト自体は2016年末の今も生き続けている。
・この頃、ブログMusic to Goにより日本にヘッドホンのリケーブル、バランス駆動が紹介される。日本でヘッドホン・イヤホンで高音質を追求する動きが本格的に始まり、ハイエンドヘッドホンへの関心が高まる。
・11月11日にフジヤ主宰の最初のヘッドホン祭り「ハイエンドヘッドフォンショウ」が定員制で開催。出展されたシステムはたった5組であったが、2016年現在から見ても、かなりハイエンド寄りの高度な内容。
・Ultrasone Edition 9が発売される。当時としては突出した高性能・高価格ヘッドホン。

2007年
・夏、萌えるヘッドホン読本が同人誌として発売。日本のヘッドホンムーヴメントがいわゆるオタクカルチャーとリンクしていることを印象付ける。
・12月、ヘッドホンブック2008発売。おそらく世界で初めての本格的なヘッドホン専門ムック。
・英LINNよりKLIMAX DS発表。ネットワークオーディオの始まり。音質はもちろん音源管理を容易にする側面からも、ヘッドフォニアでこのレベルの機材を上流とする者が現れ始める。

2008年
・ソニーが世界初となるデジタル・ノイズ・キャンセリング機能がついたヘッドホンMDR-NC500Dを発売。
・米モンスターケーブルとBeatsエレクトロニクスが共同開発したBeats のファーストモデルBeats Studioが発売される。
・韓国StyleaudioよりUSB接続DAC内蔵ヘッドホンアンプCaratシリーズ発売開始。
・米HeadroomのBalanced Ultra Desktop Amp(BUDA)が、意識の高いヘッドフォニアにより日本に輸入されはじめる。日本での本格的なヘッドホンのバランス駆動の始まり。
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2009年
・ゼンハイザーがハイエンドヘッドホンHD800を発売。
・アニメけいおん!ブームに連動し、AKG K701の売れ行き好調。アニメとヘッドホン・イヤホンの関係の強さを物語る事件。
・beyerdynamic T1が発売。
・日本のオーディオメーカーLUXMAN初の高級ヘッドホンアンプP-1uを発売。
・この頃より、日本の業務機器メーカーOJI specialが、一般ユーザーから受注したカスタムメイドのヘッドホンアンプを生産。以後、ユーザーの要求に応えた多くのヘッドホン関連機器の特注品を製作し続けている。
・秋のヘッドホン祭りにおいてHelter Skelterより高性能な自作ヘッドホンアンプの展示。優れたヘッドホンアンプを自作する個人の登場。

2010年
・Fit ear、UEなどのカスタムIEMがイヤホンマニアに注目され始める。
・ハイエンドスピーカーメーカーB&Wが同社初のヘッドホンP5を発売。
・武蔵野音研の設立。2chから派生し、ポータブルアンプ、ケーブルをカスタムメイドする業者の登場。そして、これを利用するディープなマニアの出現。

2011年
・STAX SR009が発売される。また同年末にSTAXは中国企業に買収。
・手堅くまとめられたバランス駆動可能なヘッドホンアンプIntercity MBA1 platinumが発売されるも、メーカーの消滅に伴い幻のアンプとなる。ここまでの日本のヘッドホンアンプ技術の集大成。
・この頃よりポータブルのDAC・アンプを何台か重ねて携行するイヤホンマニアが増加し、衆目を集める。
・日本の医療機器メーカーNew OPTがKH-07Nヘッドホンアンプを発売。さらなる異業種からの参入に注目。
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2012年
・5月にG Ride AudioはハイエンドヘッドホンアンプGEM-1を突如として発表。本格的なハイエンドオーディオの手法と強烈な個性をヘッドホンオーディオに初めて持ち込む。
・日本のベンチャー企業Agaraが日本で初めて100万円オーバーのヘッドホンアンプAGH-1000を発表。しかし、この意欲的なメーカーはその後、消息不明となり、このアンプも幻のアンプとなる。
・ハイレゾ音源の配信開始。SACDの失敗は明白となる。
・密閉型の名機Fostex TH900発売。4年後のMDR-Z1Rの発売まで密閉型ヘッドホンの王として君臨。
・プロ用スタジオ機器メーカー、マス工房がヘッドフォンアンプmodel 370を発表。コンシュマーヘッドホンオーディオにプロ機器の色付けのない音調を持ち込む。
・日本のプロミュージックレーベルとして2006年に設立されたWAGNUSは、この年、フジヤエービックと正式提携、ポータブルオーディオプロダクトを手掛ける。特にマニアックなイヤホン用リケーブルで多くの実績を作る。
・USBでDSDデータを転送できるDop(DSD audio Over PCM frames)がアンドレアス コッチらにより開発される。DSD配信の可能性を拡大。
・日本のベンチャー企業Kuradaがフルウッドハウジングのヘッドホンを開発。Tayler madeと称するヘッドホンを製作。
・米ケーブル専業メーカーJPSより弩級平面駆動ヘッドホンAbyss発表。

2013年
・日本の業務用機器メーカー、グラストーンより、全面金メッキを施した銅シャーシを纏う創業15周年記念製品A15-HPA30Wヘッドホンアンプが15台限定で生産される。これも幻のアンプ。
・ステレオサウンド姉妹誌DigiFiにUSB-DACつきヘッドホンアンプの付録がつく。この頃より、オーディオ誌に付録を付けることが流行。この頃から日本の出版業界の斜陽化は明らかになり、同時に既存のオーディオ雑誌の内容の陳腐化が囁かれる。
・この頃よりオーディオ用に開発されたUSBケーブル、LANケーブルが次々に発売。

2014年
・10月に高級ヘッドホンアンプRe Leaf E1発表。意気込みが空回りしていない初めての100万円オーバーのヘッドホンアンプ。すこぶる高価であり、無名のメーカーの製品でありながら、幻のアンプとはならずに現在も購入可能。
・11月にGOLDMUND Telos headphone Amplifier発表。発売とともに中国で好調な売れ行き。スーパーハイエンドオーディオメーカーが初めてヘッドホンオーディオに参入したインパクト大。
・BeatsエレクトロニクスがAppleに買収される。
・AKG K812が発売される。遅すぎたフラッグシップ。
・Just earによる世界初のテーラーメイドイヤホンの受注開始。
・フジヤ主宰の冬のポタ研開催、異例の大雪にもかかわらず、中野に多くの若いマニアが来場。
・その冬のポタ研にてCHORD Hugoのお披露目。ハイエンドオーディオメーカーがポータブルオーディオを強く意識し、持てる技術を注ぎ込んだ世界初の例。
・Dela N1Z発売。ネットワークオーディオで使われるNASにハイエンドオーディオの手法を適用した音質対策品の登場。
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2015年
・1月にJH AUDIO Layla日本先行販売。このロットは13分で完売。
・5月にポータブルオーディオブランドAstell&Kernより、超高級DAPであるAK380が発表される。従来のDAPとは一線を画する高音質に驚き。
・Hifiman HE1000, Audeze LCD-4が発売される。HD800を超えるスーパーハイエンドヘッドホンが市場に本格的に登場。
・GOLDMUND Telos headphone Amplifierの改良型GOLDMUND THA2が発表される。これほど高価なヘッドホンアンプに2nd versionが出るのは異例。
・Fostexより真空管式の弩級ヘッドホンアンプHP-V8が発表される。
・かねてよりアナウンスされていたが、発売が伸びていたオーディオクエストのヘッドホンNight Hawkが日本で発売される。二つ目のケーブル専業メーカーによるヘッドホンへの参入は驚き。
・CHORD Mojo発表。ポータブル市場、騒然となる。
・定額制音楽ストリーミングサービスApple music, TIDAL開始。TIDALはCDクォリティで4千万曲を配信するも、日本には未だ上陸できず。
・またこの頃からオークションでヴィンテージのヘッドホン機器が高価で取引されるようになる。Sennheiser OrpherusやSTAX SR-Ω、SONY MDR-R10などがプレミア価格で落札される。
・ゼンハイザーが真空管搭載コンデンサ型・超高級ヘッドホンシステムHE-1を発表。音質が評価される反面、無駄なギミックと法外な価格が既存のヘッドフォニアからの批判の的となる。2016年現在も詳細な仕様は公表されず。
・この頃よりヘッドホン・イヤホンの高価格化・高音質化あるいはピュアオーディオ化が加速。
・USB DACへの異論としてLAN DACとも呼ぶべきMerging NADAC発表される。音質はさておきROONとの類似性・関連性という視点からも注目。

2016年
・HE-1に対抗するようにHifimanもShagri-laシステムをほぼ同価格で発表。
・9月にアップルがヘッドホンジャックを排除したスマートフォンiPhone7を発表。
・TIDALと連携でき、多様な情報をユーザーに提供する、英の総合音楽鑑賞ソフトROONが日本に紹介される。やや高額であることなどから、日本での浸透は限定的。
・群馬のベンチャー企業Brise audioがスーパーハイエンドオーディオケーブルをヘッドホンリケーブルに持ち込む。リケーブルの世界を拡大。
・フランスのスピーカーメーカーFocalがハイエンドヘッドホンUtopia、ELEARを発売。
・米MSB Thechnologyが超弩級機Select DACに接続することを前提とし、かつSTAX の静電型ヘッドホン専用となるヘッドホンアンプを発表。総計で1500万円を越える現世界で最も高価なヘッドホンシステムとなる。HE-1、Shagri-laなどと並び富裕層をターゲットにしたヘッドホンシステムの流れが出来始める。
・Re LeafはE1の上位モデル、世界展開モデルとして曲面を多用したステンレス筐体を纏うE1Rを発表。
・ソニーがSignatureシリーズと銘打ってハイクラスなDAP・ヘッドホン(MDR-Z1R)、ヘッドホンアンプの三つ組みを発表する。ヘッドホン文化のリーディングカンパニーとしての矜持を示す。
・この頃ケーブルメーカー各社がヘッドホン用のリケーブルの開発を画策しはじめる。
・AKGが、所属するHarmanグループごとSamsungに買収される。
・ハイエンドオーディオメーカーPASSが初めてのヘッドホンアンプHPA-1を発売。


こうして年表を見てゆくと分かってくることがある。
まず、日本でハイエンドヘッドホン・イヤホンのムーヴメントが本格的に始動したのは2006年11月11日にフジヤ主宰の最初のヘッドホン祭り「ハイエンドヘッドフォンショウ」が開催された時ではないかということ。スピーカーによるハイエンドオーディオの始まりを1970年代とすると40年ほど遅れていることになる。このイベント以前にも散発的な動きはなくはないが、一つの連続的な動きとなっていったのは2006年以降と考えるべきだ。つまり今年、2016年は十年目の節目に当たっていた。
さらに、2006年をハイエンドヘッドホンオーディオ元年とすると、この動きが十年もの間続いていることから、これは単なる一時的なブームではないと考えられる。それどころか、より進んで2015年、2016年におけるハイエンド機の台頭を見ると、これはバブルではないかとさえ思う。
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次に私個人に関して、この年表内で重要な事柄を述べると、まず2006年頃にMUSIC TO GOの記事を読んでヘッドホンオーディオに興味をもったことだろうか。そのころはWilson audioやWadia、FM acoustics、Boulder等を駆使するスピーカーオーディオマニアであった。あのブログの記事を読んでから色々なHPAやヘッドホンを使ってみたが、今思い出してみても音質はいま一つであった。初めてそれなりに納得できる音が出たのは随分後の2011年あたり。HD800とMBA1 platinumの組み合わせであったが、思い返せば、それもまあそれなりにというくらいだった。
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個人的にこの年表に載せた事績の中で最も衝撃を受けたのは2012年のG ride audio GEM-1の登場。これほど強烈な個性をハイエンドオーディオの手法に載せて出してきたプロダクトは現在に至ってもほぼ記憶にない。別電源に二本の電源ケーブル、リケーブルしたHD600 Golden eraという組み合わせのインパクトはこの先も忘れない。そしてあれは恐るべきサウンドを奏でるヘッドホンシステムでもあった。ここになにかが突如現れたのを感じたが、その全体像は私には見えていなかった。

そして、それがはっきり見えたのがGOLDMUND Telos headphone amplifierと比較しながら、Re Leaf E1のプロダクトモデルを聞いた2014年秋頃。このモデルは日本のハイエンドヘッドホンアンプの原器でありシンボルである。STAX SR009が近い位置にいながら、それを十分に生かす高級なアンプが選べないことなどがあり、行けなかった場所にたどり着いたものとも解釈できる。E1は私の中にありながら、私本人にも知られなかったヘッドホンアンプのイデアを具現化した。そしてハイエンドヘッドホンオーディオとはこういうものなのだと、ビジュアルとサウンドの両方で明確に示した初めてのギアだった。あれから随分経ったように思っていたが、まだ二年ほどしか経過していないのだね。

また私は今、このRe leaf E1のベストパートナーの一つとして同じ日本製のSONY MDR-Z1Rを愛する。ごく最近あった、このヘッドホンとの出会いもまた大きい。その前に出会い、真にエバーグリーンな価値を持つと思われたHD650dmaaに匹敵するほど飽きのこないサウンドを奏でながら、既存の枠を破る先進性を備え、しかも密閉型であるというヘッドホン。元来、ヘッドホンとはその本来の用途から考えて密閉型になって初めて完結するという密かな持論を持つ私にとって、この完成された音響美、機能美は衝撃であった。

ところで、この十年はヘッドホン・イヤホンの高級化・ピュアオーディオ化、PCオーディオ・ネットワークオーディオの普及、アニソンブーム、SACDの衰退とハイレゾの登場、スピーカーを使うハイエンドオーディオの高価格化・ユーザーの高齢化とハイエンドオーディオ不況、オーディオに関するSNSの発達という互いに独立した光と影の要素が折り重なっていた時代である。そして、これらの要素が渾然一体となり、ヘッドホン・イヤホンをコアとする、独立したオーディオの流れが形成された時期であるとも言える。この独立したオーディオの流れは基本的にはその前の時代には存在しなかったものであり、2016年から先の「次の10年」へと、なだれこんでゆくものだと考えられる。

次の10年に連なる、最近の注目すべき動きとして2016年、ヘッドホン・ポータブルオーディオのリーディングカンパニーであったソニーが本格的にハイエンドヘッドホン市場に再参入したことがある。これを見ると、従来のハイエンドオーディオアンプ・スピーカーの売れ行きが頭打ちになる中、ハイエンドオーディオメーカーのヘッドホン分野への新規参入の加速が考えられる。また、ヘッドホン自体とそれ関連する様々なアクセサリー・ケーブルについても、異なる業種からの参入あるいはコラボレーションが期待される。
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例えば、BeatsのグランメゾンFendiとのコラボやFocal UtopiaのジュエラーTounaireとのコラボ(10万ユーロの史上最も高価なヘッドホンが現れた)など、服飾メーカーや宝飾メーカーとコラボしたバージョンが存在するのは周知のとおりであるが、このような従来のオーディオにはほとんど関連のなかった業界とのコラボや新規参入が実現するかもしれない。特にヘッドホン・イヤホンの持つ「身に着ける」という要素は、音質とは全く別なハイエンド、つまりハイエンドファッションとの兼ね合いで注目される可能性もある。
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ファッションとの関係について言及するまでもなく、ヘッドホンの流行は多分に音楽や出版、アニメなどのカルチャーの動きや現代の都市のライフスタイルと関連があることも年表からわかる。例えばアニソンはスピーカーにて大音量でおおっぴらに聞くような音楽ではなくイヤホンで一人で聞くものだと考えている日本人は少なくない。他人を常に憚って生きる都会の日本人の考えそうなことである。そもそもクレーム社会である現代の日本の都市において、スピーカーで、しかも大音量で音楽を愉しむことは現実的ではない場合が多い。また極めて日本の都会人は多忙であることから、退職した老人でもないかぎり、深夜の自室や電車の中や立ち寄ったカフェでしか音楽を聞く時間がない。だから、携帯可能だったり、どんな時間でも小さなスペースで楽しめるヘッドホン・イヤホンが人気なのだろう。
世界的に見ても時間と空間の有効利用が人間生活のテーマとなっており、これはハイエンドオーディオを代表するような大型のスピーカーシステムとは相いれない風潮である。そういう効率性、合理性を重んじながら、一方で癒しを求めるという観点から見ても高音質なヘッドホン・イヤホンに世界的な人気があるのは当然なのである。

無論、スピーカーを使うハイエンドオーディオがなくなることは考えられないし、ハイエンドヘッドホン・イヤホンの流れもこの先、ライフスタイルの変化、技術あるいはコストの壁に突き当たり、スタックしてしまう可能性は否定しきれない。現にハイエンドヘッドホン・イヤホンの高価格化はこのジャンルがスピーカーと同じ末路を辿る可能性を示唆している。

新しいオーディオの流れがなんであれ、既存のハイエンドオーディオは、その本質が価格・大きさ・重さは度外視で際限なく音質を追求するという態度であるがゆえに、一般大衆を置き去りにしただけでなく、結局は金持ちのオーディオマニアですら辟易するような規模と金額のものになってしまった部分がある。ハイエンドオーディオのモンスターマシーンたちを飼い馴らすために、音響的に完備された大きな部屋と専用の電源設備を用意することまで考えると、このようなハイエンドオーディオが強いる様々な負担の重みは、その対象である音楽が生活の中で持つ軽さと釣り合わなくなってきている。実は、この問題を我々オーディオマニアは常に相対化して誤魔化してきた経緯がある。いつものように結論を先送りするか、あるいは音楽の芸術的価値を美化することで、その対価が無限大であるかのように主張してきた。もっと具体的に言えばオーディオシステムにいくらカネをかけても、音楽そのものが持つ深い精神性となら、十分に釣合いが取れるかのように言い立ててきたのである。だが、時代は移り、価値観は変わりつつある。そろそろ年貢の納め時ではないのか。

この十年は従来のハイエンドオーディオの衰退とそれに代わる、新たな形のハイエンドオーディオの始まりの時代であったと位置づけるべきなのかもしれない。

もうすぐ、日本のハイエンドオーディオの新しい10年が始まる。

# by pansakuu | 2016-12-08 23:06 | その他

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る①:流砂の中で

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流砂は圧力がかかって崩壊するまでは、一見普通の地面のように見えている。
Wikipedia



眼の前に3つのヘッドホンが置かれている。
GRADO GS2000e、Focal Elear、そして SONY MDR-Z1R。
これらのヘッドホンの限界を実際の自分のリスニング環境で見極めることがさしあたりのオーディオのテーマと、私はなんとなく決めていた。
しかしそれ以外の、それにまつわる事々は多少混乱しているということだ。
これはそれぞれのフォンの限界を極めるという話だから、これらのヘッドホンを「鳴らし切る」と愚かにも宣言しているのに近い。しかし、その向こう見ずと高慢につかまって私は生きているのだから、やむをえない。
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とはいえ、GRADO GS2000eに関しては、なんの苦労もなくあっけらかんと美味しい音で鳴るのは確認できている。これは素のままでも実に鳴らしやすい。それに手持ちのRe Leaf E1xとの相性も抜群である。このアンプのノイズの少なさ、特性の素直さ、澄み切ってスピード感の高い音調が、そのまま軽々と出て来る。さらに私はGRADO社の方針に逆らって、XLR×2のバランス接続をリケーブルで実践しているが、シングルエンド接続に倍するほどの快感を得ている。GS2000eを客観的に見れば、造りの上でも計測値の上でも極端な高音質は望めぬように感じるのだが、実際に優れたアンプでドライブしたときのGS2000eの快音に虜にされない人は少なかろう。これは、不思議といい音を聞かせるヘッドホンシステムである。音響の専門家の意見とか、計測値とかの信頼性は、ここでは疑わしい。むろん、低域が軽いとか、多くの音が重なった時は分離が若干悪いとか、言いたいことはなくもないが、この軽快な装着感と優れたサウンドフィーリングは、そんな些末なことをすっぱりと忘れさせてくれる。老舗の貫録が音の軽みとして滲み出るという希有なるヘッドホン。このサウンドを押さえていれば、他の二機がどうなろうと、それほど困ることはないという保険のような側面もある。
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Focal Elearにしても特段なにもせずに整った音を出せるが、他の二機にあるフラッグシップとしての凄味はないかもしれないと思い始めている。このヘッドホンは音質の限界を追求するようなタイプではなく、スタンダードなクラシック音楽やJAZZを常に安定した高音質で流し聞きするのに適したヘッドホンである。上位のUTOPIAのように悩みながら、最適条件を手探りで求めて行くような難物ではないと思う。リファレンスクラスよりは気楽に使えるヘッドホンであり、他の二機のリスニングの間を縫って、こちらもこのまま使い続けようかと考えている。機会があれば飲む高級なブランディのように、少しづつ聞いている現状である。そういうことでこちらにも悩みを感じていない。

一転して問題はSONY MDR-Z1Rである。
試聴段階で、このヘッドホンの潜在能力は今あるヘッドホンの中でも抜きん出ていると感じた。だが、手元で鳴らしてみると、その限界はなかなか伺い知れなかった。
そこから混迷は始まった。
このヘッドホンにヘッドフォニアがシリアスに取り組む様子は、まるで砂漠の流砂地帯に迷い込んだ遭難者のようだ。
当初このMDR-Z1Rについては、叩き台となる基本構成も決められなかったほどだ。お店に持ち出して、様々なアンプにつないでみても、どうもとっかかりがないのである。確かにどのアンプでも十分にいい音で鳴る。だが、すぐに上を目指せる機材やセッテイングのアイデアが頭の中に湧き出てくる。急いでそのアイデアを試すと、即座に反応してさらに上の世界を見せてくれる。その時点でまた改良を考えついてしまう。まるで砂を掴むように、最適なシステム構成・設置条件がどこかに逃げてゆく感覚の繰り返しなのである。
ここ一か月の試行錯誤をここに書くつもりはないが、とにかくダラダラと寝不足が続いていた。
私の脳裏には流砂にはまるようにズブズブと、このヘッドホンにハマってゆく自分が見えていた。

購入前から、このフォンがどんなセッティングでもきちんと鳴るのは知っていた。私個人の印象ではMDR-Z1Rを鳴らす機材として、やや貧弱と思えたNW1Z単体ですら、あれだけのパフォーマンスが出せていた。だがMDR-Z1Rのポテンシャルは、あのサウンドより遠く高いところにあるのは経験を積んだヘッドフォニアならば誰しも直感的に分かったはずだ。
現在の状況として、私はGOLDMUNDのTHA2を用いて、Z1Rの可能性を探っている最中だが、THA2をまだ十分使い切れていないこともあり、この系統で完成型を得るのはまだ先の話のような気がする。THA2については追々、書いていくことになるが、さしあたり、旧系統であるRe Leaf E1xとのペアで私の聞き取れた範囲を中心に、所々でTHA2で得られた知見を交えつつ、このヘッドホンの音のあらましを簡潔に押さえておこう。
(なにしろ私自身が混乱しているので細かい部分で辻褄が合わないこともあるかもしれないが・・・・)
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どんな方法をとるにしても、MDR-Z1Rを鳴らし切る、などという企画の遂行は容易ではない。
そもそも現代の高性能ヘッドホンの一般論として、その実力を使い切っていると確信できるようなセッテイングを定めることは簡単ではない。現在、取りうるオプションの多様さを踏まえると、それらを検討して取捨選択し、残った手を試し尽くすのには相応の時間とカネ、そして労力、経験と勘を要するからだ。

MDR-Z1Rは、ふんだんに新技術を注ぎ込むことで密閉型ヘッドホンの新たな地平を目指したギアであり、ここまでTH900Mk2やEdition5あたりで止まっていた密閉型ヘッドホンの進化を次の段階に押し上げたプロジェクトである。
出来る限りの技術と物量を投入したうえで、デザインや仕上げの良さ、価格をも追求しつつ、マイナーだが切実なマニアのニーズに応えた製品というと、ここ数年のヘッドホンオーディオの盛り上がりの中においてさえ、ほとんど見いだせなかった。確かに色々と高性能・高価な製品が次々にオンステージしていたものの、いつも微かなコレジャナイ感が漂っていたのは否めなかった。それは、優れて革新的な密閉型ヘッドホンが、なかなか出て来なかったからである。名機Ultrasone Edition9が発売されてから10年。TH900とEdition5を除けば、私にとって目ぼしい密閉型ハイエンドヘッドホンの新製品はなかった。
(それにTH900にしろEdition5にしろ、熟成と洗練を感じたが、革新を感じるものではなかったのは不満だった。)
そして2016年後半、ワケ知りのヘッドフォニアが求めていた、ありそうでなかった製品MDR-Z1Rがやっと登場したのだが、このレベルの密閉型の新製品が乏しかった十年の間にヘッドホンアンプやリケーブルは進化し、多くの選択肢を抱えるようになった。この状況の変化は無視できない。さらにヘッドフォニアたちの耳も肥えて、知識も増えた。新たな密閉型ハイエンドヘッドホンを鳴らすための組み合わせ・使いこなしのバリエーションはEdition9が発売されたころに比べて飛躍的に増えている。

また、これだけ盛りだくさんの技術内容を持つヘッドホンだけに、このMDR-Z1Rには小さなDAPに内蔵されたアンプなどでは出し切れない、伸びしろが残されていると私は信じている。私の想像では恐らく開発者たちですらまだ知らない未知の能力がここに眠っているはずだ。このように多くのセッテイングの選択肢と知られざる能力を秘めたMDR-Z1Rを「鳴らし切り」、開花させることが私の当面の関心事となった。

例えば、現在の私の分類では、バランス接続とシングルエンド接続に関して顕著な差が出やすいヘッドホンと、あまりそこに音質の差を感じさせないもの、そしてもともとシングルエンド接続しかできないものの3種類に現代のヘッドホンは分かれると思う。
モガミのケーブルを用いた自作のリケーブルでの試聴だが、いくつかのアンプで試したかぎり、MDR-Z1Rは最初の種に属するものと思われるので、バランス駆動することを私は強く推奨する。実際にシングルエンド接続の場合はよほど優れたアンプでないかぎり、同格のアンプによるバランス駆動に劣ると思う。特に低域の解像度やサウンドステージの広がり、音楽の躍動感の表現の幅の広さに明らかなバランス駆動の優位性を認める。
このMDR-Z1Rは大きな振動板を持つせいか、ややふくよかな低域を持つという感想を持つ人が多い。この低域の量感の大きさは、駆動力のないアンプでは単なる音の緩さやダルさに直結してゆく。バランス駆動なら、アンプのグレードを多少下げても、満足ゆく結果が得やすい。

好みの問題もあるだろうが、私は最近のオーディオ界全体で低域を締め上げ過ぎていると思うので、こういう低域の量感を重視した音調も、そろそろアリだとは思う。これを低音過多とか、ボワボワした甘い音だとか言うのは自由だが、そう言う人のリスニング環境は、私にしてみれば不十分と思われることが多い。MDR-Z1Rが求める水準をクリアしたヘッドホンアンプにバランスでつないで聞いてから自分の意見を述べても遅くないと諌言したい。

MDR-Z1Rに関して、自分がひとつ最高の組み合わせと思うアンプとして、手前味噌と言われようとも、やはりRe LEAFのE1を推す。
(SONYの純正組み合わせと言えるTA-ZH1ESも悪くないが、これは値段なりのものだと思う。)
まずこのE1は基本的にSNがいい。これはMDR-Z1Rの出音の性質によく合う条件だ。このヘッドホンは密閉型の中でも背景の静粛性が強く前面に出る部類であり、ドライバーの軽さと相まって微弱な音がかなりよく聞こえる。残留ノイズが少しでも多ければ、リスニングにモロに影響してしまう。事実、このヘッドホンとE1をバランス接続したリスニングは神経質と表現したくなるほど、音楽の細部が見事に表出する。
E1はクリーンで強力な駆動力を持ち、バランス駆動が可能なものであり、癖も極端に少ない。私の知る限り、現時点では世界で最も優れたヘッドホンアンプである。このアンプでドライブするMDR-Z1Rの低域は豊かでありながら、見通しはとても良く、スピード感に溢れている。そして緩さは微塵も感じない。またヘッドホンの程好い重さ・装着感の良さ、音質の素直さの相乗効果で聞き疲れは皆無に等しく、ついつい朝まで聞いてしまうセットであることも書き添えておこう。このヘッドホンが来てから、音楽とヘッドホンオーディオに向き合う時間は確実に増えた。

さらに、これほどの出音の良さを説明するには、Re Leaf E1がその体内深くに隠し持つ過去のSONYの遺伝子が最新のSONYのヘッドホンと共鳴するという現象を思い起こすべきかもしれない。そんな物語めいたことが本当にあるのかと疑いわれても仕方ないが、経験上、それはありうる。現にMDR-Z1Rには、まるでRe Leaf のアンプをリファレンスとして開発されたかと疑うほど、E1との相性の良さがある。オーディオは単独の機材では基本的に完結しないので、つながる機材どうしの相性は重要なファクターである。
形態上もシンプルで突起や装飾の少ない、どこか無印良品的なアノニマスデザインであるのが共通している。白いMDR-Z1Rか、黒いE1があれば色彩感覚上も親和性が増すかもしれない。(ところで黒いNAGRA HD DACを最近見かけた。アレは欲しい。)
両者とも、かつてないほどピュアで正確な音を目指すというコンセプトをもち、両者とも日本で開発され、日本で製造されるものだ。このリスニングでは、メーカーは異なるけれど、SONY、そして日本という同じ根っこを持つ二つのマシーンの邂逅の果実がかぶりつきで味わえる。やや淡白で精妙だが驚くほど複雑多様な味わいが大脳皮質いっぱいにインパルスとして広がってゆく美味しい快感に浸る。

最近の私はE1のDACをバイパスし、純粋なアナログ入力のヘッドホンアンプとして使うことも多く、その場合は上流にNAGRA HD DACを据えている。この状態でのMDR-Z1Rの音の特徴を短くまとめるなら、出音が極度に精緻なこと、そして背景が真に黒く静かなことに尽きる。
この二点にかけてはMDR-Z1Rは今まで聞いたどのヘッドホンも敵わないのかもしれない。
このセットでのリスニングでは、澄みきって静まりかえった背景がまずある。ヘッドホンを正しく装着した瞬間から、そういう厳然とした音響空間にリスナーは立たされる。そしてプレイボタンをクリックした次の瞬間に、この奥深い暗黒の静寂から音像がスウッと立ち上がる光景を目の当たりにする。そして、ストレスレスかつ精妙な音楽の動きに耳を奪われる。整然としたデティールに満ちた正確で端正な音像が暗黒の空間の中に見事に定位した様子は、色彩感で言えば淡色、動きの要素について言えばややスタティックな趣きであり、極彩色でダイナミズムに溢れたGOLDMUND THA2でのリスニングとは対照的である。またNagra HD DACを使わず、E1に内蔵された電流駆動のDACを使った場合よりも、演奏の微妙なニュアンスが豊かになる。
ここでの背景の静けさは密閉型独特のものと思われるが、反面として、密閉型にありがちな音場の狭苦しさがほとんど感じられないのが珍しいし、素晴らしい。これほどサウンドステージが広く感じられる密閉型ヘッドホンは他に知らない。この特徴は非常に独創的な局面であり、TH900MK2やEdition9をさしおいて、このヘッドホンをあえて選ぶ意味があるところだ。また、実際に使うと外部への音漏れはとても少ないことも分かって嬉しくなる。密閉型のメリットは深夜のリスニングなどでの音漏れの少なさであり、デメリットはその反面での音場の狭さであった。この矛盾を今までにないレベルで解決したMDR-Z1Rの戦果は大きい。

Nagra HD DAC+Re Leaf E1x+SONY MDR-Z1R、Grado GS2000eは私のヘッドホンオーディオの集大成の一つとして位置づけられるセットである。ただオーディオは山脈のようなものであり、多くの異なる頂の集合体であることを考えると、ここで満足するわけにはいかない。ここからの眺めは、ここからのものに過ぎない。私は新たな頂を目指して、動き始めている。

また、このヘッドホンを、このセットで使っていて思うのは、他のヘッドホンよりもセッテイングの小さな改変に敏感に反応しやすいということ。例えば付属のヘッドホンケーブルを用いて据え置きアンプのシングルエンド接続で使う場合、標準フォーンプラグとミニプラグの変換アダプターをかませて使うことが考えられるが、この変換アダプターの材質や形状、メッキによって、これほど音の違いが出るのはあまり記憶にない。SONYの純正品はもちろん、フルテック、JVCなど、5種類ほど持っているが、Z1Rは全て音質の違いを明確に描き分けた。こうなるとリケーブルするときに、あわせて最適なプラグも探した方がいい。また、アンプを置いているボードや台の材質、アンプの足の材質、数までもはっきりとした違いとして聞こえてくる。もちろん電源のグレードの違いも他の多くのヘッドホンよりも聞こえるし、インターコネクトケーブルの音質差は勿論のこと、その這わせ方、ケーブルインシュレーターの有無なども小さいが克明な違いとして出音に反映される。
さらに、このヘッドホンほど録音機材や録音・編集の手法の違い、ハイレゾかDSDか、などのフォーマットの違いを聞き分けやすいヘッドホンは少ないと思う。特にハイレゾに関して基底の16bit 44.1kHzのデーターあるいは圧縮音源との音質の差がとても分かりやすくなったのが印象的だった。今まで、この部分であまり大きな音質差を感じないことが多かったが、それは認識不足、経験不足であったらしい。この格差はNagraを始点とするセットよりも、THA2とペアリングさせたMDR-Z1Rのサウンドで顕著であった。ただ、これはヘッドホンの力だけでなく、THA2が実装するジークフリートリンキッシュによるところも大きいような気がする。このリスニングの詳細については次稿で述べたい。

MDR-Z1Rをより良い音で聞きたいならリケーブルは必須である。付属するケーブルはしなやかで取り回しの良いものであり、音質的にも悪いところはどこにもないが、際立った高性能感は皆無である。プラグについてはミニプラグがデフォルトであることも私のような据え置き派には解せないところだ。MDR-Z1Rはその大きさからして明らかに据え置きアンプでのリスニングに適しており、AK380やNW1Zにつないで電車の中で聞くようなものではないはずだ。MDR-Z1RとNW1Zをリンクさせようとするメーカーの意図は大人の事情として理解できなくはないが、多少無茶振りであることは否めない。やはり据え置きアンプ用として標準のシングルエンドフォーンプラグがデフォルトでついたケーブルも付けるべきだろう。既述のように変換アダプターの違いがこれほど良く分かるフォンはないのである。音がその選択でコロコロ変わっていいはずがない。

私の求める条件を満たすリケーブルはMDR-Z7用として発売されているので、もちろん入手している。MUC-B30UM1である。これはKimberと共同開発したブレイド構造のリケーブルだが、THA2につないで聞いてみると、付属のヘッドホンケーブルと比べて、出音は相当に違うと感じる。リケーブルすると、もともと澄んでいた音場がさらに澄み、音は立体感を増す。音の粒立ちがグッと良くなってくる。若干あった高域のキツさがとれて、低域の押し出しが強くなり、中域の解像度が高まる。これはTHA2とシングルエンド接続している状態での変化であるが、既述のようにMDR-Z1Rはバランス接続にすると、シングルよりも音が良くなるので、E1用のバランスリケーブルもキンバーのAXIOSにすればさらに良くなると予想される。
こうして、さらに、さらにと上を目指して行きたくなるMDR-Z1Rであるが、逆に言えばどんどん流砂にハマっていくような怖い感じもなくはないギアである。

言い換えれば、これは真剣に取り組めば取り組むほど結果を出すヘッドホンであると言ってもいい。こいつに本気を出させようとするなら、その分、オーナーはセッテイングに疲れてしまうだろう。だから今は、むしろエイッとラフなセッティングに戻して、ギリギリに煮詰めることはあえてしていない。
特別なインシュレーターはなるべく外し、スパイク受けのウラに張るものの検討は中止、アンプの置き場所も試行錯誤はやめて、ケーブルは適当に這わせ、ウエイトはトップパネルから取り払い、電源ケーブルも普通に使っているものに戻し、アースも考えないことにする。

ケーブルやアクセサリーに凝れば凝るほど音は研ぎ澄まされていくのだが、それは結局、飽きに繋がっていくものだと経験で知っている。例えば私がケーブル道楽を止めて随分になるが、それはやはり精神的にも金銭的にも疲れたからだし、ケーブルは高級になればなるほど、腰かけ的な心構えで使うことが多くなり、高価であればあるほど、そして高性能であればあるほど、愛着が持てず、むしろ売り払いやすくなってしまうことに気付いたからでもある。つまり過度にセッティングにこだわることは飽きを早め、手がけているオーディオシステムの寿命を結局縮めるのだ。だから、今はザックリした着こなしのシステムに意識して戻している。

こうしてセッティングに夢中にならないように心掛けても、やはり気になる点は残る。リケーブルをまだ十分に試していない。リケーブルこそはヘッドホンリスニングでは音質への影響が大きいファクターである。こちらの情報が正しければKimber kableから上位の銀線のリケーブルが出るはずで、実はそれを横目で見ている。Siltechのリケーブルは値段のわりにいま一つだったし、PADのリケーブルは謎が多いので様子を見ているが、これらも候補から外していない。
つまりまだなにも決めていないのである。
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まだ流砂の中から脱出したわけではないのだ。動くのをいったん止めて、これ以上沈むのを避けているに過ぎない。MDR-Z1Rとのリアルな格闘が続く。

# by pansakuu | 2016-11-26 23:41 | オーディオ機器

Focal ELEARの私的インプレッション: フレンチヘッドホンのあけぼの

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偉大さのないフランスは、フランスではありえない。
by シャルル・ド・ゴール


Introduction

フランスには他国にはない一風変わったメカを作り出す土壌があると思う。
ハイドロニューマチックサスによる、究極の乗り心地を売りとするシトロエンの車。
個性派時計師F.P.ジュルヌはマルセイユの出身。
ルネ エルスの自転車。
プジョーのコーヒーミル。
エロアのコインナイフ。
どれも個性的である。優美である。
それらに共通するのはドイツ人のようにガツガツと高性能を追求しないこと。
その代りにフランス人特有の不思議なバランス感覚が横溢している。
日本人にとって、その感覚はエキゾチック以外のなにものでもない場合もあるが、
機能・性能のバランスを程好く上手くとるという面では、
日本のモノづくりと相通じるところはなくもない。

随分前のことになるが、私はJM LabのMicro UTOPIA BEというスピーカーを使っていた時期がある。その外観、音質ともに個性的なスピーカーだった。
御存知のようにJM LabはフランスのスピーカーメーカーFocalの中に高級なコンシュマー用のスピーカーを製造・販売するブランドとして立ち上がったもの。
つまりMicro UTOPIA BEはFocalのスピーカーということになる。
このMicro UTOPIA BEの最大の売りは極めて自然な高域を実現するベリリウムツィーターであった。
その頃はまだダイヤモンドツィーターはほとんど出てきていなかったので、ベリリウムツィーターは新素材で出来た最新鋭の高性能ユニットとして頻繁にオーディオファイルの話題に上っていた。私はこのベリリウムという素材の威力を突っ込んで聞いてみたかったので、これをしばらく使っていたのである。フランスのFocal社とベリリウムの関係は、この時に私の中に刷り込まれたものと考えていい。
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そのFocalがベリリウム振動板を持つヘッドホンを試作しているという噂は2013年頃から出ていた。その後、音沙汰なかったので頓座したのかと思いきや、2016年の春に見事なヘッドホンの形に仕上げて発表してきた。これは本格的なフランス製のハイエンドヘッドホンの始まりという意味も持つ出来事なのである。ドイツにほぼ独占されていたヨーロピアンハイエンドヘッドホンの世界に別なEU主要国から挑戦者が現れた。
当初、私の眼差しはベリリウム振動板を用いたトップモデルUTOPIAにのみ注がれていた。それは多少、以前の刷り込みによるところが大きかったと思う。マグネシウム・アルミニウムのハイブリッド振動板を持つセカンドモデルELEARはOUT of 眼中であった。

ところが先日、両者を計一時間ほど、とっかえひっかえ、幾つかの機材で聞いてみると意外な結果となった。セカンドベストのELEARは私の長年の刷り込みを解くほど、見事な音のバランスとまとまりを聞かせて、性能で勝るはずの上位機UTOPIAを出し抜いてみせたのである。
正直、こんなはずではなかったという思いはある。
もちろん私の直感から生まれた結論は、所詮、私のものでしかない。
貴方がこれを本気にする必要などどこにもない。
だが、少なくともその雑多ながら輝かしい印象の中身を、UTOPIAかELEARかと迷っている人々の参考にするため、ここに乱雑に散らかしておく価値はあるかもしれない。


Exterior and feeling
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オープン型ヘッドホンであるELEARを手に取って見ると、ハウジングのほぼ全面を覆う金属のメッシュが、少しザラッとした感触を伝えてくる。重さは450g。やはりこれは軽いとは思えない。メッシュで覆われたハウジングはやや大ぶりで中身のキャパシティが大きく、ドライバーはその真ん中に角度をつけて中空に浮いているような形に見える。
ガンメタルカラーのヨークは曲面で構成され、どこか艶めかしいが、剛性感も十分にある。
この艶めかしい輝きにフレンチエキゾチックを感じるべきなのかもしれない。
イヤーパッドはHE1000のような二種類の素材を組み合わせたもので、耳当たりは良い。側圧も丁度良く、MDR-Z1Rほどではないが、頭にフィットしやすい。これはHD800やTH900などの標準的なハイエンドヘッドホンの装着感と同等のレベルである。またMDR-Z1Rよりは薄いハウジングなので、装着時に左右にハウジングが張出し過ぎて不恰好になったりしない。Focalのロゴはヘッドバンドの辺縁部に、“そ”の字のFocalのシンボルマークはハウジングの中央に掲げて、ブランドをしっかりアピールしている。
ELEARはUTOPIAと同じく、リケーブル可能なヘッドホンであり、端子はソニーZ7のそれと同じものではないか?この端子はセルフロック式で簡単には抜けにくい。
パッと見た印象としては、例のごとく普通のハイエンドヘッドホンという印象を抱かせるが、触っていると全体に剛性が高いような印象を持った。微妙な差だが、HD800SやHE1000、Editionシリーズなどのライバルよりもガッチリつくられているのではないか。私の使ったデモ機に関しては全体の仕上げに荒さはなく、丁寧な造りであって、突っ込みどころはない。UTOPIAもELEARも、今のところ高級機らしくフランスの自社工場で生産されているという。
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上位モデルUTOPIAはカーボンのヨークをあしらったり、多数の気孔の開いたイヤーパッドを用いたり、複雑な形状のハウジングデザインを採用したりして、いかにも50万オーバーのスーパーハイエンドヘッドホンというリッチな雰囲気が出ている。造りはどこかマニアックでドイツっぽいが、多数の気孔の開いたイヤーパッドは水玉模様のようでオシャレな雰囲気もある。ケーブル端子はAKGなどでも採用のあるレモコネクターで、信頼性は高そうだ。ELEARより40g重いが、ライバルとなるであろうLCD-4よりもはるかに軽量であり、デザインも洗練されているので、音質でLCD-4と同等かそれ以上のものを出せればUTOPIAが優位に立つことは容易に想像できた。


The sound

Focal ELEARは一聴して、音作りおける優れたバランス感覚を感じたヘッドホンである。
音像と空間の広がり、音像の解像度と濃淡、音の温度感や触感、ダイナミックレンジ、各帯域のバランス、これら全てにおいて過不足ない中庸さ、必要十分なレベルの優秀さを聞かせる。さらに微かに音に艶を持たせているため、聞き味の良さも兼ね備えている。全体に、音調にピーキーな部分が全くないため、聞き疲れが非常に少ない。
このELEARは鋭くアピールする突出した特徴はないが、欠点もほぼない。こういうヘッドホンはなかなか得難いと思う。

FOCALは今回発売したUTOPIA、ELEARの2モデルをウルトラ・ニアフィールド・スピーカーと位置付ける。(私に言わせればウルトラ・ニアフィールド・フルレンジスピーカーだが・・・)スピーカーメーカーが本腰を入れて作ったヘッドホンであり、ゼンハイザーなどのドイツ勢のものとはそもそも出自が違うと言いたいらしい。
言葉のとおりにUTOPIAでもELEARでもスピーカーリスニングで感じられるような音場の広がりや朗々とした響きを目指した努力を聞くことができる。そして、当然のように、これらのFOCALが目指した要素についてはUTOPIAの方がより強いアピールを感じる。弟分のELEARの方がUTOPIAよりもややヘッドホンらしく、やや凝縮された音の印象である。しかし、ELEARはHD800並みの音場の広さ、T1やTH900に聞かれる音像・音程の正確さのレベルに既に達しおり、性能面で萎縮していないので、「よりヘッドホンらしい」とは言っても全く不満がない。ないどころか、ヘッドホンとしてそれらの音質的要素の過不足ないバランスの良さを秘めている。そして、このバランスの良さはUTOPIAにはあまり強く感じられない。UTOPIAはヘッドホンでありながら、ヘッドホンを超えようとする意気込みが強く、無難にまとまろうとはしていない。

ELEARは他と比較しなくてもニュートラルで高性能なヘッドホンであると直ぐに分かるものである。
例えばヘッドホンの世界には様々な材質の振動板が現存するが、金属系の振動板を使いながら、これほど中庸な音質、クセの少ないナチュラルな音をエージングが進む前から出せる例は稀だと思う。金属系の振動板はクッキリとした輪郭の音像は出やすいが、その分、音のエッジがきつく出てしまい、聞く人を選ぶ場合もあるし、長時間のリスニングは疲れる時もある。ELEARは解像度の高さ、音像のフォーカスの的確さがありながら、刺さるような音を一切出さないようだった。
また、広い音場を提示しつつ、曖昧さのない音像定位と鮮やかな鳴りの良さを聞かせて、音質的な偏りや破綻がない。音場と音像、音の解像度と躍動感、音の透明感と色彩感、音の陰影と明るさ、音の艶と荒々しさ。複雑に絡み合う多くの音質的要素が全て過不足なく盛り込まれたリッチなサウンドである。聞きこむとHD800やHD800sよりも音色が濃いのが印象的である。リズムのインパクトが強く、ズシリと来る。ストレートな表現で音が遠くで鳴っている気がしない。ウルトラゾーンの開放型に近いインパクトの強さを感じた時もあるが、とにかくあのヘッドホンよりもはるかにクセが少なく洗練されている。ウルトラゾーン危うしと言っておく。

私見ではELEARは20万円までのヘッドホンの中では最優秀機のひとつである。また私が個人的にハイエンドヘッドホンの名機と思っているHD800(s)、HD650(Golden era)、T1(2nd)、TH900(mk2)、Edition9、PS1000、HE1000、SR009、LCD-4そして、これからこの群に加わるであろうGS2000e, MDR-Z1Rなどと比較しても、総合的な評価で勝るとも劣らない位置につける。正直、音像、音場、解像度、ダイナミックレンジなど、一つ一つの音質的な各要素の優秀さに関して、最高得点を取るほどではないかもしれない。しかし、それら全てで一位にならないまでも二位には必ずつける感じである。陸上で言うと十種競技の金メダリストのようなヘッドホンなのである。全ての音質要素の高いレベルでのバランスの良さという点ではこのELEAR以上のヘッドホンを私は知らない。

格上であるUTOPIAは音の解像度の高さ、音の器の大きさ、つまり聞こえる音の量感の大きさといった点ではELEARに勝ると思う。だがそれらのメリットと引き換えにベリリウム振動板特有の高域の僅かなアバレや時にドライブ感の少ない寂しい出音などに違和感を感じることもなくはない。中でもUTOPIAについて私がやや不満なのは、つなぐヘッドホンアンプとの間に相性があるらしいということ。これはアンプの駆動力の問題ではなく、ベリリウム振動板のキャラクターに合ったヘッドホンアンプでなければならないという意味のようだ。例えばRe Leaf E1 classicでUTOPIAを駆動しても、伸びやかさの足りない詰まった音になってしまうことがあった。(これは当日、フランスから来たFocalの担当者もそういうニュアンスの話をしていたので、私だけの印象ではなかったようだ。)Luxmanのアンプでもどうもしっくりこない曲がある。朗々と鳴る感じがなく、高域に微妙だがはっきりとしたクセが残るような気がした瞬間も。これではどうやら、JM Labのスピーカーの出音から予想されたナチュラルな音に微妙に届いていない。何が邪魔しているのだろう?エージング前のウルトラゾーンのEditonシリーズのように、あれほどカンカンした響きが乗りやすいというわけでもないが・・・。やはりエージング不足か。
結局、CHORD DAVEのヘッドホンアウトに直に挿した時、最も本領が発揮された音になった。どうして本領と分かるか?それはもちろん自分が使っていたFocalのスピーカーMicro UTOPIAのツィーターの音を基準としているのである。ベリリウムツィーターはキャラクターが少なく、自然な風合いが特徴で、いかにも「高域が伸びています」的なアピールの少ない、質実剛健な音調である。音の質感に以前の新型ツィーターにありがちなザラついた感じも皆無で聞き易かったのも記憶に残っている。それでいて、それぞれの楽器や録音の時代の違いをバッチリ出してくる。一言で言えば、堅実でありながら極めて優秀という印象なのであった。ところがUTOPIAを他のアンプで聞いてもそういう印象がはっきりしなかった。CHORD DAVEのヘッドホンアウトでやっとスピーカーを彷彿とさせるスケール感を秘めた穏便な高域や、全帯域にわたる自然な質感を愉しむことができたものの、56万のヘッドホンとして購入に値するかどうか、よく検討しなおさなければならないと思った。それは主にLCD-4との比較でそういう結論になるのである。あのLCD-4の出音については一聴して完璧なレベルに達していて、他のヘッドホンと一線を画していた。私個人はUTOPIAに関しては未だにそのレベルの音は聞けていない。UTOPIAについてはもっとエイジングを進めたうえで、さらに多くのHPAで、多数のヘッドフォニアがテストしてその潜在能力を測ってみる必要があるのだろう。なぜDAVEのヘッドホンアウトという、ヘッドホンドライバーとしては比較的貧弱なものが適合したのかを含めて、UTOPIAとHPAの相性について深く知りたいところだ。

一方、ELEARでは上記のような問題がほとんど聞かれなかった。どんなアンプでもヘッドホンの実力が出せるようだし、アンプの良さも分かりやすい。例外的な電流駆動のE1 Classicでのリスニングはもう少し聞きこみたい気もしたが、DAVEダイレクトのリスニングは至極快調であり、各々のアンプの音調の違いも分かりやすかった。これはメタル振動版としてはクセがかなり少なく鳴らし易いからだと推測する。このようなクセの少なさは振動板がマグネシウムとアルミのハイブリッドであるからではないか。ハイブリッドすることでそれぞれのキャラクターを互いに抑えている可能性がある。冷静になって、音の解像度やスケール感でELEARが若干UTOPIAに劣ることからUTOPIAに軍配を挙げるというの人もおられるかもしれないが、私としては、この程度の弱点はリケーブルやHPAの性能を上げることで、どうにでもカバーできるのではないかと思ってしまう。とにかく私はUTOPIAについては単純に高価なアンプをあてれば、より良い音を出せるという確信が持てないので、これを使いこなすにはヘッドフォニアとしてのスキル・経験と覚悟が必要となるだろうと考える。誰かがこのヘッドホンを上手に歌わせるセッティングを調べて、突き止めてくれるまで、あるいはFocalがUTOPIA MK2を出すまで日和見しても損はない。


Summary

フランス製のELEARとUTOPIAの登場はドイツ・日本、中国、アメリカというハイエンドヘッドホンの4強独占状態に小さくない風穴を開けるはずだ。かくして世界のヘッドホンの国別の勢力地図は若干だが塗り替えられることになる。
ここまでのFocalの目論見として、軍団の中心たる旗印としてUTOPIAを置き、その周囲を固める実戦力としてELEARを配し、そして斥候あるいは露払いとしてSpirit ONEを先発させるという作戦・陣形を描いているはずだ。
その構図の中でセカンドベストモデルであるELEARは一見地味な存在にも見えるが、まぎれもなくフレンチヘッドホン軍団の主戦力・中核的存在である。それは各社のフラッグシップヘッドホンと対等以上に渡り合い、格上であるはずのUTOPIAさえ、総合力では凌駕しうる素晴らしきオーディオギアなのだ。その絶妙な音質バランスに、フランスのモノづくりの底力を見た思いである。
私見ではELEARは、その完成度の高さからみて、ヨーロピアンヘッドホンの一つの基準点、もしくは名機として位置づけられ、長く愛される可能性がある。
これほど完成されたヨーロッパのヘッドホンは数えるほどもないと思う。
熱心なヘッドフォニアがHD800やT1などの欧州製の名機を必ず通り過ぎなくてはならないのと同じく、我々はELEARを一度ならず体験しなくてはならなくなるだろう。
予定外ではあったが、私は確信をもってELEARの予約を入れた。

# by pansakuu | 2016-10-08 19:33 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1R vs GRADO GS2000eの私的インプレッション:対バンライブで盛り上がれ

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対バン(たいバン)、および「対バン形式」とは、ミュージシャンやバンド(主にロックやポップ)やアイドルが、ライブを行う際に、単独名義ではなく、複数のグループと共演(競演)することをいう。
by Wikipedia



Introduction


今年は例の映画のテーマソングなどで絶賛売り出し中のRADWIMPSだが、去年は全国対バンツアーという企画をやってしのいでいた。
ファイナルはZepp東京で、この時の対バンは先輩格のMr.Children。その夜はお互いに相手のファンに疎外感を抱かせない工夫もあって、無事にステージは盛り上がっていたようだ。翌日、それに参加した知り合いからライブのあらましを聞いた私は大昔のことを思い出して、なぜか少々しんみりしてしまった。

あれはインディーズシーン全盛時代のことである。
まだ無名だったMr.Childrenは渋谷の某ライブハウスに出ていた。私は彼らのファンではなく、別なバンドのファンだったが、上京するたびに暇さえあればそこに来ていたので、彼らのライブも見た。また、その頃は同じく無名だった、あのスピッツも、多くのバンドの中のひとつとしてそこに出ていた。私は偶然、この二つのバンドが対バン形式で出たステージを見た覚えがある。
RADWIMPS の対バンライブの様子を聞くふりをしながら、私はMr.Childrenとスピッツが競うように演っていたあの夜の空気を、そして、それをフロアの片隅でなんとなく傍観者として見ていた自分を思い出そうとしていた。特にスピッツについては、あの頃は現在と全然違う音楽傾向だった。今となっては貴重な体験であるが、その当時は特別なものを見ているつもりはなかった。(だいたい当時は彼らのことをよく知らなかった。)あの二つのバンドはあの頃と比べれば遥かにBigになったけれど、歩む道も目指す音楽もまったく異なってしまった。
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ところで、
ここ数日は、SONY MDR-Z1RとGRADO GS2000eを数回に分け、それぞれ異なる環境で試聴している。その感想をまとめて言うなら、これほど異なる傾向を持つフラッグシップ機の組み合わせは思いつかないということ。全く違う雰囲気を持つ最上位の音質が、当たり前のように並存できるという、今のヘッドホン界の幅広さが如何なく発揮された試聴であった。
この試聴は形としては言わば対バン形式なので、私としては必然的に去年末のライブの話を意識しながらやっていた。そして、それを意識すればするほど、頭にずっと引っかかっていた思い出、Mr.Children vs スピッツの対バンの構図がSONY MDR-Z1R vs GRADO GS2000eの対立の構図にそっくりとあてはまるような気がした。また、そういう不思議な相似を意識しつつ音を聞くと、今のヘッドホン・イヤホン界の図式をすんなりと理解できるような気もした。
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Exterior and feeling

・大きさ、重さ、デザインについて
SONY MDR-Z1R:
やや大柄なヘッドホンで重さは385g。持ってみると重くは感じないが、軽くも感じない。HD800など標準的なハイエンドヘッドホンの重量感。デザインは表面的には今風のスティルス系。目立つ要素をあえて消すような素振りが見て取れる。例えば全体が黒いカラーで統一され、表からSONYのロゴや型番らしきものが、控えめにしか見えない。中央が異様に盛り上がった独特のハウジングがやや目立つ。現代最先端のデザインであり、SONYらしい洗練、ミニマル感・先取り感が満載である。
Grado GS2000e:
そこそこ大きなヘッドホンだが重さはたった260gである。実際持って見ると非常に軽い。ペーパークラフトの模型を持っているようだ。ヘッドホンの中では高級機の部類に入るGS2000eであるが、そのグループの中では断トツに軽い。この軽さは得難い。デザインは昔ながらのGRADOのそれであり、もはや伝統的と言うべき大雑把さ。色調として自然素材である木材や皮革のブラウンカラーが目立ち、ナチュラル・オーガニックな印象。スライダーなどは相変わらず簡素な造り。ヴィンテージの機材のような雰囲気もある。
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・筐体の構造・材質について
SONY MDR-Z1R:
密閉型ヘッドホンとのことだが、この特殊なハウジングには通気性があるので、そう言い切っていいのかどうか。TH900やEdition9のようにしっかりと閉じているわけではない。網目状の堅牢なハウジングプロテクターが最外層にあり、その内側にプラスチック製のフレームと音響レジスターというパルプでできた真のハウジングがあるということらしい。こういう特殊な構造を取る事で密閉型でも、ある程度の音ヌケの良さを確保し共鳴を排除しているという。
このヘッドホンを形作る材質は様々な特殊素材であり、それらを最適な形状に加工して国内で組み立てている。ヘッドバンドのβチタン、ハウジングの内側に張り込まれたカナダ産針葉樹のパルプでできた音響レジスター(和紙の製作技法で国内で製造されるパーツであり、それを漉(す)くための水質・水温まで検討されているとのこと)、ステンレスワイヤーを編み込みイオンプレーティングを表面に施したハウジングプロテクター、世界で最も薄く大口径な70mmのマグネシウムドーム振動板、高磁束密度を誇る大型ネオジウムマグネット、音の伝播を疎外しないフィボナッチパターングリル(この13世紀のイタリアの数学者の名前をここで聞くとは。フィボナッチ数はヒマワリのタネの配列や花びらの並び方に現れるが、確かにそれっぽく見えるね、このグリル)、アルマイト処理したアルミ合金製ハンガー、シリコンリングを組み込んでメカノイズを減らしたジョイント(ケーブルのタッチノイズにこだわるなら、ここにもこだわれってことか)、コルソン合金製ジャック、特殊な高純度無鉛ハンダの使用、国産のシープスキンと低反発ウレタンでできたイヤーパッド。
これほど盛りだくさんに特別な素材と部品で構成されたヘッドホンはかつてなく、小さなメーカーでは開発は無理だろう。もし中小メーカーが少量生産でこのヘッドホンを製造し売ることができたとしても、単価は50万円を大きく超えることになっただろう。やはり大メーカーが本気を出さなければできないことがある。
Grado GS2000e:
開放型ヘッドホン。コンパクトなドライバーを二種類の木材を組み合わせた小型のハウジングで包み込んでいる。外側をマホガニーと内側をメープルで、という組み合わせは新しい。普通はヘッドホンのハウジングは一種類の木材で作られるものだ。音漏れはかなり激しい部類。ドライバーは新型であるが、PS1000に搭載されていたものと大きく異なる印象はない。Z1Rに比して技術的なフューチャーは明らかに少ない。むしろシンプルであることで、多くの要素が干渉しあう複雑性を回避し、結果として加工感のないストレートな音、生々しいサウンドへとつながっていくことを目指しているのかもしれない。

・装着感について
SONY MDR-Z1R:
イヤーパッドは国産のラムスキンで低反発ウレタンを縫い包んで製作されている。形状は多数の人間の頭部の3Dスキャンデータを基にしてデザインされているとのことだが、実際の装着感もかなり良好。ピタリと側頭部、頭頂部にフィットして、頭を振ってもほとんど動かない。側圧は高くも低くもなく丁度良い。重さはそこそこ感じるので、長時間のリスニングで首や肩に疲れを感じる可能性はあるが、LCD-4などと比べればはるかに楽なので、心配はしていない。
Grado GS2000e:
極めて軽いので、長時間装着しても疲労感はない。ただし、スポンジのイヤーカップやヘッドバンドにヒトの頭部に沿うような形状の工夫がほとんど見られないため、装着感自体はそれほど良くない。頭にピタッとフィットする感じではない。側圧は緩め。
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・機材の技術的なハイライト・位置づけについて
SONY MDR-Z1R:
日本の大家電メーカーが本気を出して最先端のヘッドホンを作るとこうなる。ふんだんに新技術が投入され、音響家電の領域で薄くなりつつあるSONYの存在感を、スマートかつ贅沢な物量投入という手法で取り戻そうとしているかのようだ。具体的には高級感・装着感を徹底的に追求したうえで、密閉型でありながら開放型のような高音質を目指したというところか。
Grado GS2000e:
同社最高級シリーズであるステートメントの最新鋭機という位置づけであるが、最新という感じはなく、むしろ昔ながらの手法を踏襲しつつ発展させたという印象。二種類の木材をハイブリッドしたハウジング、新型のドライバーぐらいしか、真新しさがない。逆に言えば偉大なるマンネリズムにGRADOファンは安心すべきだろう。

・パッケージングについて
SONY MDR-Z1R:
シリアルナンバー入りの革張りの立派な箱に収まっている。今まで様々なヘッドホンの箱を見てきたが最上級のひとつである。この箱は普通に作れば一万円以上はするはずだ。ただしこの箱は皮革を用いたものなので、良い状態を維持したいなら定期的な手入れが必要となるかもしれない。
Grado GS2000e:
相変わらず、段ボール製の粗末な箱を使っている。一応、別売りでロゴ入りの立派な木箱もあるが・・・。二つのメーカーのモノに対する姿勢の違いはここにも表れている。


The sound 

・ダイナミックレンジの広さ:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e 。
MDR-Z1Rは微弱な音を良く拾うので、スピーカーではやや難しい、粗探し的な聞き方も簡単にできる。振動板が大きいわりに大音量でも歪みにくいようだが、今回の試聴では音量をかなり上げるとちょっと苦しそうな音も出していた。もっともこれは本当に駆動力のあるRe Leaf E1などのアンプでドライブしたわけではないので、手元に届いたらリケーブルして後日改めてテストしたい。GS2000eは小さな音も比較的よく聞こえるが、MDR-Z1Rほどではない。そういうディテールに入ってゆく聞き方をすべきヘッドホンではなく、音楽全体をリラックスして俯瞰するような音調だから、ないものねだりだろう。また、GS2000eは音量を上げすぎると音割れが起きやすいので注意すべき。

・周波数帯域の広さ、帯域のバランス:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rはカバーする帯域が広いうえ、各帯域の音はバランス良く、公平に耳に入る。優等生的な出音。高域の自然な伸びは印象的である。低域の音階の表現も正確。
GS2000eも中域にアクセントがやや強いけれども、概ねフラットな帯域バランスを持つ。だが予想どおりMDR-Z1Rほどのワイドレンジ感はなくて、その点ではごく普通のヘッドホンという印象。低域の解像度もやや甘い。ただ高域のヌケの良さはZ1Rを上回り、これが演出するカラッとした開放感はGS2000eの独壇場。

・音の解像度:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rは一聴してややフワッとした柔らかめの音調であるため、ソフトフォーカスのように焦点が若干合わない音に聞こえがちなのだが、適切なアンプでドライブして聞き込むと音に濁りがなく、透明感の高い音を持っていることが分かるはずだ。音の肌理がかなり細かく、高精細な動画を大画面で眺めるような雰囲気がサウンドに宿る。視覚的に音を聞くという立場から言えば、MDR-Z1Rの音の解像度は十分に高いと言える。ただEdition9などの解像度の高さを売りとするヘッドホンのような音像提示はしない。例えば(Z7もそうだったが)どうしても僅かに音像の輪郭が甘く感じられる時がある。Edition9は決してこのような甘い音は出さない。
別な言い方をすれば音像の輪郭の解像度を高くすることに固執したり、あらゆる細部を明確に暴き出すことに重きを置いたりするようなヘッドホンではない。そこにだけ頓着しているわけではなく、もっと音質全体にバランスの取れた優秀さを目指しているのだろう。
一方、GS2000eは音像の解像度を上げることにこだわりがない。音の細部よりも、メロディの流れやリズムの弾みがより分かりやすくなるような方向に音調を振っているので、音の枝葉末節に拘りたい方にはお薦めできない。

・過渡特性(トランジェント):
GRADO GS2000e > SONY MDR-Z1Rとなる。
GS2000eは音楽の動的な要素に対する追従性が高い。立ち上がり・立下りのスピードが速い。能率が高いせいか、ヘッドホンアンプを変えても、軽い振動板を強力なアンプで駆動しているイメージは保持される。軽々と速い音が出る。このフィーリングはヴィンテージの高能率スピーカー、フルレンジ一発を聞いているようだ。対するMDR-Z1Rは複雑なネットワークを背負った、能率の低いユニットを鳴らす現代のハイエンドスピーカーのようなサウンドである。Z1Rは新型のDAP、NW WM1Zに直挿しでデモされることが多い。あの状態でもスピード感はそこそこあるが、音に軽みまでは出てこないし、音がやや暗い。おそらく、これは強力なヘッドホンアンプを必要とするヘッドホンではないか。逆に言えば、真価を発揮できていないのに、あれだけの音が出てしまうのだからポテンシャルはかなり高い。

・音色・音触の鳴らし分け、各パートの分離、定位の良さ:
SONY MDR-Z1R =GRADO GS2000e
各パートの分離がいいのはMDR-Z1Rの方である。定位はどちらも同じくらい良い。様々な楽器の鳴らし分け、録音の年代の違いを細かく出すことについてもほぼ同等だが、GS2000eの表現の巧さが際立つ。GS2000eはJAZZの古い録音を聞くと、なにかうまくハマっていて、楽しい。当時風の雰囲気が出やすい。このような録音をMDR-Z1Rで聞くと綺麗聞こえ過ぎてつまらないと思う。録音の年代の違いを上手に鳴らし分けるというのは、昔の録音の悪さも伝えつつ、上手く楽しませることなのだ。

・音の強弱の階調性:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rは音の強弱のグラデーションがかなり細かく滑らかに出る。色彩感はGS2000eにやや劣るが、この階調の豊かさは今まで聞いたヘッドホンの中ではトップクラスだと思う。GS2000eに関してはこの音の強弱の表現がやや粗い。これは古いJAZZやヘヴィメタルの再生では迫力となって現れるが、多くの優秀録音では弱みでしかない。

・サウンドステージ:
GRADO GS2000e ≧ SONY MDR-Z1R
MDR-Z1Rは音のヌケは優秀な開放型ほど良くないのに、音場に自然な広がりが感じられる。密閉型と称するヘッドホンの中で最も音場が広く感じられる。耳が詰まったような感じがかなり少ない。またその音場の静けさは特筆すべきもの。この背景の静けさの深さと音場の広がりが、振動板の大きさから来る鳴りの良さをいっそう強く意識させる。
このヘッドホンの鳴り・音の響きの良さと正確さは多くのレビューでスピーカー的という評価を得ているが、私も賛成である。このスピーカーライクなサウンドはヘッドホンのブレークスルーであろう。
一方、典型的な開放型であるGRADO GS2000eでは当然のことながら、さらにオープンな音場展開となる。音が頭の周囲空間に大きく広がるような感覚で、窮屈さがまったくない。しかし音場の静けさについてはMDR-Z1Rほどではない。

・音楽性(感情的な表現の分かり易さ):
GRADO GS2000e > SONY MDR-Z1R
リズムの躍動感やメロディの流れの表現についてはGS2000eの方が分かりやすい。MDR-Z1Rの音の描写は分析的で冷静であり、良くも悪しくも日本的な真面目さを感じる。音楽を聞いていて、楽しかったり悲しかったりする感情の動き、曲想がGS2000eの方が把握しやすい。

・総合評価:
密閉型・開放型ヘッドホン全体を通して、最もメジャーな名機としてSennhiser HD800/HD800sが思い浮かぶが、使いようによっては、その盤石の地位をも危うくしかねないニューカーマーとしてMDR-Z1Rを推したい。もともと欠点が非常に少ないうえ、堂々とした音の響き、音場の静けさや広がり、解像度、カバーする帯域の広さ、過渡特性の優秀さなどに目を見張るものがある。ここに音像の輪郭の明瞭さが加わればさらなる高みを目指せるだろうが、そこはアンプやリケーブルで解決できる問題かもしれない。ブリスオーディオのリケーブルは魅力的だろう。また、新発売される各社のフラッグシップ機の多くが開放型を選択する中、高級な密閉型ヘッドホンの不足がささやかれていたが、そこに上手く付け込んできた点も見逃せない。(繰り返すが、本当にこれを密閉型と言い切ってよいのか疑念は残る)

GRADO GS2000eについては、個々の評価のポイントを取り出して別々に検討してみるとSONY MDR-Z1Rに劣っているように見えるが、その結論はトータルの印象を反映していない。GRADO GS2000eには量的に測れない独特のキャラクターがあり、それが唯一無二の魅力だからだ。全体の外観、触れてみた質感、音のまとめ方の巧さを見ていると、そういう思いは強くなる。このヘッドホンはそもそも追求しているものが、現代の多くのハイエンドヘッドホンとは違う。この軽さ、オーガニックな手触り、ヌケが良くカラッと乾いて屈託のないビッグサウンド、これらはアメリカンヘッドホンの良心としか言いようはないではないか。このような特別な気持ち良さ、あえて競争を避けているような呑気な姿勢は、私を微笑ませると同時にリラックスさせてくれる。
また、ヘッドホン本体の重さというごく単純な数値が、ヘッドホンの音質に大きな影響を与えていることを今回改めて感じた。GS2000eのサウンドは腰がやや高く、フットワークが俊敏、軽妙にして快活。低域の沈み込みがやや浅いものの、それを含めてトータルの音調は実に明るく清々しい。秋晴れの空のようなサウンド。例えばLCD-4はあれだけ軽い振動板を強力なパワーで駆動する力がありながら、このようなライトなキャラクターになっていない。これはヘッドホン全体が重いせいではないか。重いヘッドホンは音の重心が過度に下がって暗い音になりがちだが、現行のLCD-4はその罠にはまっているような気がする。

同じ価格帯にありながらこれらの二つのヘッドホンほど、対照的なモノもないだろう。かたや数値データをもとに理詰めで開発されたモノ、かたや聴感と伝統を大切にしながら大らかな気持ちで作られたモノ。外観もサウンドも重なり合う部分はほとんどない。これらが並存しうるほどヘッドホンの世界は広がってきた。


Summary

あのバンドブームの最中、日本中で多くのインディーズバンドが結成され、各地のライブハウスを盛り上げていた。そのころは既に大手プロダクションが育てたメジャーなタレント、歌謡曲や演歌、アイドル系の歌手がテレビを賑わしていたが、インディーズバンドはそのカウンターパートとして薄暗いライブハウスの中から勃興してきたのである。これは今、スピーカーオーディオというメジャーに対して、ハイエンドヘッドホンというジャンルが興ってきたこととイメージが重なる。
そういう時代の流れの中で結局、メジャーの世界に取り込まれ、そこで活躍の場を広げていった二つのバンド、Mr.Childrenとスピッツについて、ここで多くを語る気はないが、それぞれが辿った道が異なっているのは周知の通りだ。片方は大きなハコを好み、他のメジャーなアーティストとのコラボを求めたあげく、ますます大きな存在となって、一時はサザンの後を襲うかのような勢いさえあったが、今は一段落している。もう片方は幾分小さなハコを好み、アルバムもあえて多くを売らず、固い核を守ろうとするかのように小さくまとまる素振りだ。今でも両者はイエローモンキーのように開散もせず、シーンに居残っているわけだが・・・・。
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手をかえ品をかえて発表される野心的なヘッドホンたちの群像は、次々とデビューする新人バンドのように私の目には映る。今回の試聴というのは、そういう状況下で、もはや老舗となったSONYとGRADOが放つフラッグシップどうしの対バンが企画されたようなものだ。Mr.ChildrenがMDR-Z1Rであり、スピッツがGS2000eにあたると私は見ているのである。この二つのバンド=ヘッドホンの織りなすコントラストは時代を超え、趣味のジャンルを横断して、私の好奇心を未知の領域へトリップさせてくれる。

かく言う私がSONY MDR-Z1RとGRADO GS2000eを予約したのは自然な成り行きだった。まるでMr.Childrenとスピッツの対バンを行きつけのライブハウスで再び見るために高価なチケットを買ったような気分だ。少々値は張るが、この熱いヴェルサスを自分のヘッドホンアンプ、自分のDACで体験しない手はない。こいつらでロビンソンでも聞き比べるとするか。昨日貰ったRADWIMPSのCDを聞いてもいい。あとはこの散財が後悔しない買い物になることを祈るだけだ。

# by pansakuu | 2016-09-29 23:55 | オーディオ機器

Rupert Neve Designs RNHP ヘッドホンアンプの私的インプレッション:音の名前

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名前 それは燃えるいのち
ひとつの地球に ひとりづつひとつ
          ゴダイゴ Beutiful Nameより



Introduction

いったい誰が、こんな凄い音を作ったのだろう?

初聴の機材の出音に感動したとき、決まって浮かぶ疑問である。
音が良ければ良い程、機材の設計者の名前というのは特に気になるものである。

オーディオという趣味において、使われる機材の設計者やメーカーの名前は単なる記号ではない。オーディオを楽しむために不可欠な知識である。結局、誰がこの機材を設計したのか、誰がこの音で良いと承認したのかによって全てが決まるからだ。

また、オーディオの設計における個人の感性・知識の発露は音の署名、ソニックシグネチャーと呼ばれる音の特徴を生み、それはセッティング等では変えられないものである。もちろんそれを色付けとして排し、無色透明に近い音を目指した機材もあるが、実際に試聴の経験を積めば、オーディオには何百という異なる無色透明があり、それぞれが似て非なるものであることは容易に分かるはず。とどのつまり、無色透明もまた、ある種のソニックシグネチャーであると言える。まるで禅問答だが、これもまたオーディオの面白さである。

この音の署名は、どのようなものであれ、機材を設計した個人名・メーカー名と重ねあわされ一体化されてはじめて、リスナーにとって忘れがたい記憶となる。
オーディオは人間の感性・知識が作り出すもの。そして、その人間には必ず名前がある。この二つの事実の連結は、そのサウンドを永く記憶にとどめるための儀式のようなものかもしれない。

Rupert Neveというプロオーディオ界のレジェンドを戴くブランドRupert Neve Designsがプロ用のヘッドホンアンプRupert Neve Designs RNHPをひっそりと発売したのは、ごく最近のことである。
ニーヴの製品は1961年の創業以来、プロオーディオの世界で高い支持を持続的に受けており、多くの現場で愛用されている。ディスコンになったヴィンテージのニーヴのモジュールなども盛んに取引されている。純粋に音が良く、高性能なミキシングコンソールは、Neve(ニーヴ)の製品の中で特に有名であって、多くの優秀録音で使用実績がある。オーディオファイルはニーヴの機材を使って製作されたものとは知らずに様々なアルバムを楽しんでいる。
私はその名声を聞くたび、今のニーヴの音というのが、どのようなものなのか、その全貌を知りたい気持ちが増した。しかも、ありきたりにアルバムを通して聞くのではなく、機材からダイレクトに出た音を、オーディオファイルとして吟味したい気持ちが強くなった。例えばそれはニーヴのミキシングコンソールにじかにヘッドホンを挿して聞きたいという衝動となって現れた。別な言い方をすれば、私はNeveニーヴという名詞とニーヴの音とを頭の中で一つにして、オーディオの経験値を高めたかったということになる。だがそれはかなえられそうもない望みであった。私はニーヴのミキシングコンソールが聞ける現場に入ったことがない。そもそも、一般のオーディオファイルは録音現場に立ち会う機会がほぼないのである。(実を言えばクラシックなニーヴの音と現代のニーヴの音との違いにも興味はあるが、それはもっとマニアックで比較困難なものだろう)
そんな中、偶然、このヘッドホンアンプを代理店様から借りられるキャンペーンを知った。
私は即座に申し込んで首尾よくアンプを取り寄せることができた。


Exterior and feeling
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届いた機材Rupert Neve Designs RNHP ヘッドホンアンプは拍子抜けするほど、小さく軽いアンプであり、ガワの作りはいたってシンプルである。
165×116×48mm、約1kgと私がいままで取り上げた据え置きアンプの中で最もコンパクトでライトな部類である。これなら様々な場所に気軽に持ち運ぶことができるだろう。
筐体は二枚貝のように上下で組み合わされた薄い板金によって作られており、叩くとカンカンと音がする。サイドパネルが斜めにカットされ、フロントパネルの下縁が縁側のように出っ張っているのは、ヘッドホンプラグやボリュウムノブを下からなにかに引っ掛けて壊さないようにするためのガードらしい。足は薄いゴムの四足で全く音質的な工夫は感じないが、説明によるとこれも吟味されたパーツとのこと。また、Vesaマウントという薄型テレビなどをアームスタンドや壁に固定するための穴が底面にあけられている。これを活用すれば壁からアームで突きだすような形でアンプをセッティングすることも可能である。当方はプロではないから、このマウントを利用することはないだろうが、置き場所に困る時は、セッテングの選択枝が増えてよいかもしれない。フロントパネルには赤くアノダイズ加工されたボリュウムノブとグリーンに明るく光る入力セレクター、シングルエンドのイヤホンジャック一穴のみ。恐ろしくシンプルでラフな印象である。ノブの回し味は滑らかではあるが重く、感触を楽しませるものではない。正確に目当ての位置に合わせることを優先したのか。ギャングエラーはとても少ないが、この感触はコンシュマー向けの機材のそれではない。ボリュウムはアルプス製だが、アレはこんな感触だったかな。ただし、見やすいボリュウム目盛りがついているのはいいと思う。
ヘッドホン出力はインピーダンスを可能な限りゼロに近づけるように設計されているとのこと。この設計により出音のソースへの忠実性・正確さが得られるという考えらしい。
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リアには電源アダプターのジャック、電源スイッチ、RCA入力、プロらしくTRSフォンとのコンボになっているXLR入力、ステレオミニ入力のみ。ステレオミニ入力があるのはハイエンドDAPでの利用に道を拓く嬉しい計らいだ。だが、やはりXLR入力が推奨だろう。これはプロ用の機材である。
なお、USB入力などのデジタル入力がないが、これはポリシーとしてデジタルとの統合ヘッドホンアンプの形を否定して、アナログ入力専用アンプに特化したためである。
リアパネル自体も薄いアルミの板であり、オーディオファイルが喜びそうな物量投入が見えない。

このアンプの電源はアダプターにより供給されるが、このプラスチック製のアダプターも全くラフなもので音質的になにか配慮された形跡がない。世界中に輸出されるアイテムであるから、プラグは差し替え方式で世界各国の形式に素早く合わせられるようにできている。日本向けとしては平型2ピンのものが同梱されている。オーディオ機材で良く使われる平型2ピン+丸型ピンはない。正直言って録音現場で使うにしろ、家庭で使うにしろ、このアダプターはナイなと思う。機材によっては平型2ピン+丸型ピンのタップに平型2ピンのプラグを挿すとノイズが出たりすることもあるし、オーディオ用のタップは差し込み口が奥まっていて挿せないこともある。少なくとも、このアダプターに普通の電源ケーブル挿せるような形にしてほしい。無論、価格と音を変えずにという条件付きだが。

なお、今回の試聴ではNAGRA HD DACのバランスアウトからSaideraのXLRケーブルでダイレクトにニーヴのヘッドホンアンプにつないでいる。ヘッドホンは例によってSennheiser HD650 Golden era Meister Klasse dmaaである。 なおドライブ中に本体やアダプターが熱くなったり、ゲインが足りなくて困ったりするようなトラブルは全く起こらなかった。また、内部ゲインの切り替え可能かどうかについては情報がない。恐らくできないのだろう。説明では市場にあるどのようなヘッドホン(インピーダンス16~600Ω)でもドライブできるようなことを言っているが、どうなのだろう。NAGRA HD DACのハイゲイン出力とHD650を使った今回の試聴ではボリュウムポジションは1時を過ぎないと十分な音量は取れない曲が多かった。

全体に真の業務用ギアという外観のアンプであり、コンシュマー向けの気取ったデザインはほとんど見られない。オーディオファイルが考えるような、高音質を実現するための繊細な工夫も、少なくとも外観からはわからない。というかそういうことは、あえてやらないのがニーヴ流なのだろう。そういう小賢しい手口を否定した、胸のすくようなシンプリシティがここにある。

例によって中身の回路などについて、メーカー側から技術的に詳しい説明はほとんどない。しかし、あのニーヴが設計し、ニチコンのコンデンサー、アルプスのボリュウムなど比較的高価なパーツを使って、アメリカ国内で組み立てられるアンプであることはわかっている。とすれば粗悪なものとは考えにくい。限られた情報の中で特筆するとすれば、これはニーヴのコンパクトなミキシングコンソール5060センターピースにビルトインされているヘッドホンアンプを独立させたものであるということ。この5060センターピースはニーブの旗艦機である5088の中核部を抜き出したものだ。つまり、このアンプを聞けば、少なくとも形の上では素人はまず聞くことのできない、現代のニーヴの卓の音の片鱗を聞くことができるのではないか。
私はその可能性に賭けた。


The sound 

至極、率直な音である。
これはもう素晴らしい率直さだ。
率直でありながら、少しもぶっきらぼうに聞こえない。
率直なサウンドにありがちな乱暴さを感じない。むしろ丁寧で繊細である。
単刀直入なサウンドでありながら、品格にもあふれている。
プロサウンドによくある介在感のないダイレクトなサウンドだが、
正しいだけで無味乾燥なつまらない音ではない。
音に潤いがあり、生々しい活力が音に宿っている。
ただし、無駄な音は決して出さない。嘘のない音である。
このへんはいかにもプロ機という感じであり、やや厳格でもある。
スピーカーはごまかせても、ヘッドホンはごまかせないとはよく言ったものだ。
広い帯域にわたるきわめて高い音の解像度は、どのように小さな録音のミスも逃さない。
帯域バランスもとても優れていて、強調されたり、弱みを含んだ帯域がない。
逆に中低域が目立つ、高域の伸びが目立つなどの一人でカッコつけている帯域もない。
強いて言えば低域の解像度の高さ、ナチュラルな質感と量感は実に魅力的である。こんなにしっかりとした低域が出るアンプはなかなかない。

このヘッドホンアンプとHD650 Golden era dmaaのペアは音源を正確に、立体的に捉えるのに適している。音場の見通しが効いて、パートごとの音の分離もとてもよく、音の強弱と前後関係が明確で、音の輪郭がクッキリと聞こえる。あらゆる場所にフォーカスが合っている不思議な写真を眺めるようなマジカルな感覚がある。
そして定位がすこぶる良い。音像に揺らぎが微塵も感じられず、ピタリと止まっている。
これも優秀なプロ機らしいところである。定位が良すぎるとなにか堅苦しい感じも伴うものだが、RNHPではなぜか聞く方は自然体でいられる。聞き疲れが少ない出音だ。
SN感はかなり良く、背景の暗騒音の質感の違いがはっきり分かる。
これはオーバーオールに優れたサウンドであり、このアンプの価格が6万円ちょっととは到底信じられない。これは今まで聞いたヘッドホンアンプの中で最もコストパフォーマンスの高い製品と思われる。

本機についてのメーカー側の説明を読んでいるとヘッドルームの高さが喧伝されている。ボリュウムを上げて行って、最終的に音割れするまでの音量の余裕が大きいと言いたいのだろうが、確かにそうである。プロ機というのは、総じてある程度以上の大きな音量でないとその良さが分かりにくい。そこから先が問題で、突然大きな音が入っても、クリップせずに安定して取り扱うことを求められる。コンシュマーの普通の機材では、そこでもうプロの使用に耐えられない。このアンプは音量を上げたときに確かに本領を発揮する。大音量でも全然音が割れる気配がないというだけではない。音に生気がみなぎり、気持ちよくビートやメロディが刻まれ流れる。それでいて音源に対する忠実性・正確さが失われない。監視するような冷静なまなざしは常に保たれている。G ride audioのGEM-1のように音楽と一緒に羽目を外すことはない。

ここでは音の余裕、華やかさ、派手な音楽性などの、高級なコンシュマー機の出音に備わるプレミアムな要素はあえて排され、音源に対する忠実性を追求する姿勢が徹底されている。RNHPは、まるで音の猟犬のように音源を駆り立て、出来る限り接近してアタックし、確実に捕捉する。ライバルとも言えるマス工房の機材が完全な音の傍観者であり、音源と常に距離をおいているように聞こえるのとはやや対照的である。この音のダイレクト感はかなり強い。このたぐいの感覚は最近のコンシュマー機材では体験しにくいものである。

これほどまでに音に近づいて鷲掴みにできる機材はG ride audio GEM-1以来かもしれない。だが、このニーヴのアンプはあれほど個性的ではない。もっと無個性であるし、そうあろうと努力もしているように聞こえる。ソースにもともとないニュアンスを無意識に付加するような振る舞いを慎重に避けている。ただ、これでアニソンなどを聞くと粗がよく聞こえ過ぎるのではないかといつもの危惧を抱く。注意深く作られた音の良い録音を、注意深く選ぶことが、RNHPを通して素敵なアニソンを聞くための前提になりそうな気配がある。

このアンプの出音についてはRe leaf E1xと比較して、はじめて音の器の大きさの違いが意識される。E1xの音はやはり懐が深い。音数はさらに多く、豊かな音楽性に圧倒される。RNHPはE1xに比べるとどうしても少し寂しい音ではある。E1xを通すことでプラスされる音場の広がりや音のディテールの色彩感などは、スペシャルなコンシュマーオーディオの面目躍如たるところであって、RNHPにとってはないものねだりである。逆に考えれば、実にこのレベルの機材でなければRNHPを凌駕できないのは驚きである。

音の輪郭の雰囲気などは筐体のサイズや設計コンセプトも類似したJRsoundのCOLIS HPA-101のそれに近いが、値段の差なのか、単に技術的センスの差なのか、RNHPの方が明らかに格上の出音である。HPA-101ヘッドホンアンプよりも音の輪郭以外の様々な音楽の側面がさらに色濃く浮き出てくるようなサウンドだ。強いて言えばプリズムサウンドのインターフェイスのヘッドホンアウトの音が近いかもしれない。音数とその音の強弱・高低が音源のそれと正確に一致しており、リスナーの存在を意識した音の足し引きが一切ないというところがかなり似通っている。プリズムサウンドはコンシュマー向けにDACを発売するらしいが、相性はかなり良いのではないかと想像する。
RNHPは上流になにを合わせるにしても、その素性を容赦なく暴き出すヘッドホンアンプであることは言うまでもない。だからなるべく音の良いDACを使ったほうがいい。ヘッドルームの高さに対する考え方と相通じるのかもしれないが、このアンプが受け止められる情報量の大きさはヘッドホンアンプとしてはおそらく規格外のもので、どのような高級なDACを上流に置いても不都合を感じないだろう。
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いろいろ試してみて、有効だなと思った使いこなしのコツとしては、RNHPは音の寝起きが悪い方ではないが、電源は少なくとも半日以上入れっぱなしにしてから聞いた方がいいということ、本機のアダプターがプアでもそれを挿す電源タップはChikumaやリプラス、アコリバ等から出ている完全にオーディオグレードと考えられる製品を使うべきこと、ifi audioの電源ノイズフィルターは是非使うべきこと、筐体の鳴き止め用のトップパネルに乗せるウエイト(私はレコード用のTechDasのスタビライザーを使った)は有効であることくらいか。特にifi audioの電源ノイズフィルターDC iPurifierはこの機材に関しては有効であると大声で言いたい。SNがスッと良くなり、音場の見通しが一段と冴えわたる。フィルター本体だけが、アンプの電源スイッチを切っても熱くなってしまうのが気になるが、私が試用していた範囲ではトラブルはなかった。これを試す方は当然、自己責任でお願いしたいのだが、お薦めできるTipsである。(これを使うと電源のオン・オフが繰り返される現象があるという話を聞いたが、私のところでは全くそんなことはなかった。だが、そういう報告があるとすれば誰にでも薦めるべきグッズでもないのかもしれない。)

Summary

外観からはまるで想像できないが、ほとんど欠点のない、すこぶる優秀な音を出す傑作ヘッドホンアンプである。音に関しては100点満点中95点くらいあげたいほどだ。音場の広がりが若干狭い印象があり、5点引くだけ。あくまで私の個人的意見だが、20万円までのヘッドホンアンプで最も優秀な出音のアンプではないか。この機材について一番残念なのはヘッドフォニアの大部分がこのアンプにまるで気づいていないことである。
このサウンドがプロ畑で絶賛されるニーヴの音であり、意味のないことにはカネはかけないニーヴの流儀の現れなのだろう。アンプの作り、出音ともに無駄のないシンプリシティを貫いていて、感心した。オーディオのあるべき姿の一つを見た思いだ。
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Re Leaf E1xを持っていなければ、このアンプは必ず買って手元に置いたと思うし、Re Leaf E1xが使えなくなり、代わりが見つからない場合はこれを買うことになるだろう。この価格なら予備に買ってもいいかもしれない。こういうプロサウンドの方面で最も優秀な製品はマス工房のヘッドホンアンプだと思っていたが、これからはニーヴが作った本機を筆頭とせざるをえないだろう。特にHD650 Golden era dmaaとの相性の良さ、組んだときのシステムとしての完結性・完全性は忘れがたい。HD650のような飾り気はないが少し彫りの深い陰影を出せる実直なヘッドホンはニーヴのアンプに合うと思う。そのうちHD600、AKG K812などでテストしてみたいし、近いうちに入手するであろう、SONY MDR-Z1Rをつないでみたくもある。はたして、どんな音が聞けるのだろうか。またこれを2台買ってL/R別々にドライブするのも面白いかもしれない。完全なモノラル構成となるが小さいアンプなので難しくない。
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こうして聞いてみると、現代のニーヴのソニックシグネチュア―はやはり無色透明に近いものだった。繰り返すがオーディオには何百という無色透明があり、それぞれが異なるのである。だからニーヴの無色透明はニーヴの機材からしか感じ取れないものだと考えられる。この色のない色をどのように表現したらよいのか見当もつかないが、私はなにか音場の深さに特徴がある音のような気がした。大概のプロサウンドというものは音像をダイレクトに捉えることにのみ汲々としているので、音場の広がりや深さに関心を払わないように感じることが少なくない。しかしこのRupert Neve Designs RNHPには特に音の奥行の深さに関心があるように聞こえた。この深みの感覚とNeveというプロオーディオ界のビッグネームが私の中で結合され、ひとつになった喜び、それを今かみしめているところである。

オーディオにおいて、この先も間違いないこと。その一つは、オーディオの世界が移り変わっても、音の名前は依然として幅を効かせるであろうということ。いったい誰が、このサウンドを作り上げたのか?その作者・設計者の名前を我々はこれからも知りたがるに違いない。そして、伝え聞いた名前とそのサウンドが頭の中で結合した瞬間に、その署名は脳裏に走り書きされることになる・・・鮮やかにね。
幾度となく、音の名前が暴かれ、我が脳裏に焼き付く鮮烈なる瞬間を求めて、今日も明日も、そして遠い未来においても私はオーディオと向き合い、問い続けるはずだ。
この音の名は?と。

# by pansakuu | 2016-09-10 01:34 | オーディオ機器

アニソンとハイエンドオーディオの関係:“痛さ”の受容


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痛い:
非常識な様。本人は格好いいと思っているにもかかわらず、客観的にみると非常識であり、そのギャップが痛々しい様。・・・・・
byニコニコ大百科


ハイエンドオーディオの機材をズラッと揃えた試聴会に出席すると、時々フリータイムというものが設けられることがあります。出席者が持ってきたディスクをそこにある装置で自由にかけてみるというサービスの時間帯ですね。ここではディスクを差し出した本人以外は、その内容がなんであるかは事前には知らないわけで、なにがかかるのか楽しみである反面、ディスクを差し出した本人はそれが上手く鳴るだろうかと不安になっている場面でもあります。
演奏がひととおり終わると、試聴会に招かれていた評論家や代理店の方がいい演奏ですねとか、いい録音ですねとかコメントを述べることも多い。
そのコメントの瞬間にディスクを差し出した本人のオーディオのレベルが格付けされるような気分があるのも間違いない。だから試聴会のフリータイムで自分の愛聴盤を出すのはちょっと気が引けるという人もいます。

ハイエンドオーディオの概念がマークレビンソンらによって確立されはじめた頃、その対象となる音楽はクラシックかモダンジャズでした。それにややおくれてロックやポップスがハイエンドオーディオで鳴らす対象となり、試聴会でも頻繁にかけられるようになってきました。それらの中には有名な作曲家、演奏者、プロデューサー、録音技師の手になる多くのアルバムがあり、様々なタイプに分かれてはいますが、いずれも芸術性の高さは音楽評論などを通して折り紙のついたものでした。一方、それを演奏するハイエンドオーディオはすこぶる高価で、高い性能を誇る機材の集合体ですから、当然のようにそこから流れ出る音楽にはなんらかの権威により裏付けされた高い品格があったほうがよいという不文律があるように思えます。そう、ハイエンドオーディオというものは、ステータスのあるリッチな大人の趣味であって、姿も音も、どこに出しても恥ずかしくないほど格好良くなくてはならないのです。これは無言の圧力であり、試聴会のフリータイムという取るに足らない場面にすら、雰囲気として漂っているようです。その雰囲気は初心者がハイエンドオーディオに入って行きにくい心理的な敷居の高さをも演出しています。

5年ほど前からだと思いますが、私は、この試聴会のフリータイムで時折、アニメソングつまりアニソンを聞くようになりました。これは高級オーディオ専門誌では、あまりおおっぴらには語られていないようですが、デジタルファイルの普及と同じくらい大きな変化だったのではないでしょうか。
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なお、ここではアニソンの定義について、あえて細かく述べません。アニソンと一口にいってもかなり様々な傾向の音楽を含んでいて複雑だからです。私は話をできるだけ単純化したい。今回述べるアニソンとはアニメに関連した音楽一般を指しますが、もっと具体的には予備知識なしに聞いて、これはアニソンだと分かるような音楽を指していると思って欲しい。いわゆる萌えオタ向けのアニソンなどが、ここで取り上げる主なものであり、懐古的な昭和のアニソンなどはあまり眼中にないのです。

このアニソンの入ったCDをハイエンドオーディオシステムの前にまるで生贄のように差し出す人々は、大概はヤセ型か、あるいはかなり太った若いメガネ男子です。なにか堂々とディスクを出すというよりは、おずおずと恥ずかしそうに鞄の奥からディスクを出してきて、担当者にそっと渡すような仕草が共通しています。中身は若い女性の甲高い歌声の入ったアップテンポの明るい曲が多いのも共通項です。声優風の節回し、声のトーンもステロタイプ。演奏中は聞いている本人は大概ジッとしていて、足でリズムをとるわけでもない。傍で聞いている私は、それまでかかっていた音楽とあまりにも傾向の違う音調に面食らってみたり、自分の曲でもないのに、なぜか恥ずかしい気分になったりして、曲が終わるまでどうもいたたまれない。なぜなのか説明できないが、少なくとも数年前まではハイエンドオーディオシステムでアニソンをかけるのは、かなり強い違和感があったのです。
曲が終わると彼らはうやうやしく礼を述べ、腰を低くしてディスクを受け取る。これも常套的な態度です。彼らは礼儀正しい。
この礼儀正しさにも関わらず、アニソンの場合、最後の所で、参加している評論家や代理店の方が、その音楽や音質についてコメントを述べないことが多い気がします。場合によっては無言で次のディスクにかけ替えるのです。そこには、なにか異質なものがオーディオに入り込んだ偶然を、なかったことにしたいような空気が流れているのです。

こういう場面に何度も出くわすうちに馴れたのか、最近の試聴会でアニソンを聞いても、わけのわからない違和感、私が感じる必要のない羞恥心は幾分薄れてきました。ですが、それが完全になくなる気配は感じないんですね。
ロックやポップスがそうであったようにアニソンもハイエンドオーディオのソースとして自然に体制に組み込まれるものだと信じてきたが、なかなかそうはならない。
私はここ数年ずっと、この違和感に自分なりの決着をつけたいと考え続けてきました。

ところで、最近、ある有名なJポップのグループがアニメのテーマソングの製作を打診されたのに、断ったという話を聞きました。そういう音楽を作るバンドだというレッテルを貼られることを嫌がったのだと聞ましたが、本当でしょうか。音楽業界の今の苦しさから考えて、せっかく来た作曲の依頼を簡単に断るなどありえないと思うのですが、アニソンに関しては初めて聞く話でもない。こういう話があることからも、やはりアニソンという音楽は大人の男が聴くにはそぐわない音楽として見られている節があります。まだまだアニソンは日本の社会の中では“キワモノ”として捉えられています。これはアニメそのものが大人の鑑賞(み)るものとして認識されていないこととも関連がある。さらに進めて考えれば、それはアニメそれ自体だけでなく、アニメを社会人なっても楽しんでいる男女に向けられた偏見とも関連しそうです。

反面、クラシックよりもJAZZよりもロックよりも、アニソンを愛する若者たちを私は大勢知っています。彼らの多くは、知ってか知らずか、万策堂の知り合いであるからして、オーディオを愛してもいます。だから当然、アニソンをハイエンドなオーディオシステムで存分に楽しみたいという願いを抱いています。彼らは自室にこもり、アニソンを自慢のシステムで密かに鳴らすのです。スピーカーシステムであることもあれば高度なヘッドホンシステムであることもありますが、自分に出せるだけのカネを出して、知恵を振り絞って、いい音でアニソンを真面目に聞こうとしておられる。そこには嘘偽りのない純真なハイエンドオーディオ魂が見え隠れするのです。ぶっちゃけた話、若いアニソンマニアが今一番オーディオを勉強しているし、老人たちよりも大きな金額を使っている人もいます。
特にアニソンにはボーカルの美があり、それをより美しく聞くことに執心するアニソンマニアは途切れることはないのです。
だが、そういうダマシイの世界も一歩、自室の外に出れば冷たい偏見をもって迎えられる場合が少なくないようですね。
以前、私の周りに自分の職場ではアニソンについては決して語らないと言う若者がいました。それはカミングアウトするようなものだと彼は言いました。この趣味がバレるのが怖くて彼女ができないとまで言ったのです。そんな大袈裟な、と笑いながら振り返ったときに見た、彼の妙に真剣な眼差しが忘れられません。
いったい、誰が彼をそこまで迫害したのでしょうか。

とにかく、アニソンをハイエンドオーディオで聞くことは恥ずかしいことか、というのが今回の空論のテーマなのですが、まず、そんなことは考えるまでもなく、恥ずかしくないに決まっています。
だいたいオーディオシステムで何を聞こうと個人の趣味、アナタの勝手ではないか。
しかも、例を挙げる必要もなく、現代ハイエンドオーディオで頻繁に取り上げられている音楽が、最初から格調高い音楽として認識されていたわけではないことは周知のこと。全ては様々な形で後付けされた権威により、高い芸術性が担保され、安心して聞ける存在になっているに過ぎないのです。

しかし実際には、アニソンを敷居の高いハイエンドシステムで聞くことに恥ずかしさがつきまとうことは否定できない。このようなアニソンの恥ずかしさの源泉としてすぐに思い当たるのは、その宿主であるアニメ本体にまつわる恥ずかしさです。それを知るにはガルパンを見ている時に感じた、あの支持者たちの熱狂と冷たい世間の視線とのギャップについて想起すれば足りるでしょう。
しかし、これは不公平な状況ではないかと私は思います。例えばヨーロッパの文芸的な恋愛映画によくある、赤の他人だった男女が出会ってから一秒で恋に堕ち、数時間を待たずして行為に至るというようなシーン。(映画「そしてデブノーの森へ」や「ダメージ」などで見るシーンである)ここでは必ずと言ってよいほど、相手はかなりの美女です。(アナ ムグラリスが美人というのには異存ないと思うが・・・・ジュリエット ビノシュも十分に美人ということにしておいてほしい)こういうシーンは美しい異性への絶望的な願望から生まれた場面であり、通常はほぼありえないことでしょう。このような芸術映画のシュチュエーションのありえなさは、ガルパンの世界観のありえなさと基盤を同じくするものではないでしょうか。ここで片方が芸術作品と呼ばれ、もう片方はモテないオタク向けのサブカル映画として白眼視されるのは、とても不公平です。ああいうアニメが本当に恥ずかしいものなら、文芸的な恋愛映画の少なくとも一部は極めて恥ずかしいものと言えましょう。だが実際、世間ではそうは言われていない。こういう不公平な認識がまかり通っているのはおかしい。エヴァやハルヒ、けいおん、マギカ、ラブライブ!、ガルパンの大きなブームを経て、この手のアニメはネットを介して流行する重要なコンテンツとして定着し、日本の中では大きな文化の流れとなっているにも関わらず、実写とアニメの間にある不公平感はなくなっていないのです。
(エヴァ、ハルヒ、けいおん、マギカ、ラブライブ!、ガルパン全てに共通するのは少女がメインキャラクターであること。恐らくこの不公平は少女を偏愛する大人を危険視する社会の態度に由来するのでしょう。)

このようなアニメを取り巻く不公平な文化的状況はともかくとして、これだけアニソンについてハイエンドオーディオ界の受容が本格的に進まない背景には、その理由が一つではなく、数多くあって、なかなか減らないことがあると思います。
例えばハイエンドオーディオを実践しているのが圧倒的に老人が多くて、アニソンにまるで馴染みがないこと、アニソン自体にリッチな雰囲気がなくてリッチな趣味であるハイエンドオーディオに合わないこと、アニソンを高音質で聞きたいというリスナーがまだまだ少数であること、アニソンに音楽の権威による裏付けがなく文化的には格が低いサブカルな音楽と見なされていること、ステサンなどの高級オーディオ専門誌やオーディオ関係の大物ブロガーもアニソンをあまり取り上げないこと、アニソンのほとんどが音質的にハイエンドオーディオ機材で聞かれることを意識して製作されていないこと(Hi Fiで聞くとむしろ聴きづらくなってしまうものもある)、特定の時代のJAZZを得意とするオーディオシステムがあるようにアニソンになかば特化したようなシステムが登場しないこと、アニソン自体がアニメ作品なしに成り立たず、独立した音楽のジャンルとしてはまだ立場が弱いこと等々、様々な要因を挙げることができます。
アニソンには不備が多い。だから敵も多い。

でもここで、一番ディープな問題はそんなことではないと思いませんか。アニメやアニソンの本質にいわゆる“痛さ”が多かれ少なかれ、ほぼ必ず含まれることが最も根源的な問題なのではないでしょうか。
“痛さ”というものが中二病的な“恥ずかしさ”の発露であるとするなら、アニメやアニソンにまつわる行為の少なくとも一部は世間一般から見たら恥ずかしいことをあえてやることです。ハイエンドオーディオでアニソンを聞こうが、ローファイな機材で聞こうが、それは本質的に“恥ずかしさ=痛さ”を含んでいることが多い。そうでなくては恐らくアニソンはアニソンらしくならないのでしょう。“痛さ”を伴う音楽はアニメと関連がなくてもアニソンに聞こえるし、“痛さ”と決別したアニソンは、予備知識なしには最早アニソンに聞こえず、萌えない。
この法則を知らない、もしくは忘れていることが行き違いの始まりなのです。
アニソンという本質的に痛さを伴う音楽を、“痛さ=恥ずかしさ”を排除し、格好の良い音あるいは正しい音を出そうとしているハイエンドオーディオという趣味に持ち込む。その場面で我々が違和感や羞恥心を感じることは必然であるにも関わらず、ハイエンドオーディオは常に、それとは反対方向の音を求めている。この方向性の行き違いが違和感の元ではないかと。
つまり、アニソンを聞く時は、この“痛さ”を受容して楽しめるように、リスナーは頭を切り替えることが必要になるのです。この当たり前にすら見える、頭の切り替えの必要性がアニソンに不慣れなオーディオファイルに認識されていない、あるいは無視・拒否されているのが現状なのではないかと思います。

さらに、ここでハイエンドオーディオそのものを醒めた視線で見つめ直すのもいいかもしれないですね。
そもそもハイエンドオーディオファイルが“格好の良さ”や“正しさ”あるいは“原音再生”などというものにカネをかけること自体、一般人にとっては理解を超えたバカバカしさなのではないでしょうか。ウォールストリートジャーナルにマイ電柱を立てる日本のオーディオファイルの写真と記事が出ていましたが、オーディオに関心のない者から見れば、あれこそ中二病的な“恥かしさ”満載の行為と言えなくもない。これを見るとアニソンとハイエンドオーディオ、その根っこは案外と似たり寄ったりなのかもしれないと思うのです。だから彼らがアニソンに慣れることは可能であり、その“痛さ”を受容すべく頭を切り替えることも、不可能でないと私は信じています。

とかなんとか言いつつも、私は、いじめられる人間にもいじめられる理由が存在するという法則を忘れたくない。
偏見を持たれる人間には、その偏見に値するだけの理由があるのかもしれぬと考えるのがバランスの取れた見方というものでしょう。
確かにアニソンには先述した以外にも、至らぬ点があります。
私はアニソンのほとんどが音楽のプロが集結し、苦労して作りこんだ作品であると考えていますし、演奏や歌唱のレベルの高いものが少なくないと思っています。だがそれだけで、アニソンを尊敬してもらおうというのはおこがましいと思います。アニソンは音楽の内容が薄い。特に歌詞が弱いです。本当に自分の言いたいことを吐露しているように聞こえない。テレビで流すことを前提としているせいか、作品世界に制約されているのか、まるで自己規制をかけているかのように、上滑りな、言い足りない詞が圧倒的に多い。文学的なセンスやテクニックにも欠けています。まるで天才の登場を拒絶するかのような、無個性で平均化された音調も芸術性に欠けるような気がします。
さらに言えば、アニソンは、異性への願望に基づく妄想以外のテーマを作曲者、演奏者の持つ強い個性に載せてアピールしないかぎり、過去の偉大な音楽作品を超えて、ハイエンドオーデイオに馴染む資格は与えられないでしょう。この音楽に関わるアーティストには、今のアニソンの様式美の枠を壊す勢いが必要だと思うのです。

今の時代に新しい音楽を生み出す事が苦しいのは知っています。これほど膨大な過去の音楽遺産を背負い、その栄光と重みを否応なく意識しながら、新しい音楽を生み出すことに困難さがあります。最新の音楽を全く聴かなくても、過去の莫大な音楽遺産を少し掘り返すだけで、一生かかっても聴き終わらないほど多くの音楽に出会える時代です。中古レコード屋の片隅を掘削して得られる、日の目を見なかった秀曲を聞いた後、今のアニソンなりEDMなりを聞く時の手詰まり感といったら、時に息苦しい。美しい歌詞とメロディ、素晴らしくインパクトのあるビートを人類は既に使い尽くしてしまったのではないかと疑いたくなほど。そして過去の音楽を掘れば掘るほど、新しい音楽が陳腐な剽窃にしか聞こえなくなる現象が私の中に起こるのです。そういう現実はPerfumeを聞いてもBabymetalを聞いても払拭できるものではない。アニソンに限っても昭和のアニソンだけ聞いていて趣味として完結できなくはない。つまりハイエンドオーディオの存在とは関係なく、新しい音楽に過去の音楽を超える何かを求めることは難しい時代になっているのです。アニソンにかぎらず、この状況下で新しく生れ出る音楽に多くを求めることは酷かもしれない。

しかし、音楽については過去だけを見ていながら、機材については未来志向で揃えていくというのは、どうも矛盾してはいないでしょうか。
シンゴジラの後ろ三分の一を覆う希望的な雰囲気を象徴する、矢口 蘭堂の台詞「日本はまだまだやれる」ではないですが、「音楽はまだまだやれる」と私は前を向いてつぶやいてみたいものです。紆余曲折あっても前へと進もうとするハイエンドオーディオの良き伴侶として、優れた内容と音質を備えた前衛的なアニソンが生まれ、(それは見たこともない前衛的なアニメが生まれることと同意なのですが・・・)アニメファン以外の人々にも受け入れられる時代が来ることを願ってやみません。

# by pansakuu | 2016-09-02 23:23 | その他

Hailey1.2を眺めながら

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つくづく思うのだが、
私のような都会に住む忙しい人間には、
高価なスピーカーなんてものは無駄じゃないのか?
今、手元に置いて試用しているYGのHailey1.2を眺めていると
そういう思いが込み上げてくる。
ここのところ、ずっとそういうことを考え続けている。

最近の私は週日、朝早く出掛けて、夜遅く帰ってくる。
つまり、このスピーカーを存分に聞けるのは上手く行って日曜の昼間だけである。
フルに休みを使えても実質、週に10時間前後である。
しかも隣近所の迷惑があるので、そんなにデカイ音は出せない。
こいつは思い切り音量を上げた時にその真価を発揮するのだが・・・。
とはいえ、クレームが来やしないか、
ビクビクしながら音楽を聞くのは御免である。
事実として、一軒家を立てた後の方が、
マンション住まいだったときよりも騒音の苦情が増えたというオーディオファイルもいる。
防音室がないと安心はできない。

しかし、何度か述べてきたように私は防音室が苦手である。
窓のない部屋、窓の小さい部屋が元来苦手なのである。
あの閉塞感には馴れることはない。
ついでに重いドアも困る。単純に開け閉めが辛い。
だから防音室は建てない。
そんなに広くなくていいので、
家族の行き来するオープンなリビングで寛ぎながら音楽が聴きたいだけだ。

この状況で、
600万のスピーカーを買っても
宝の持ち腐れに近い気がするというのはこういうことだ。
時間当たりの音楽を聴くコストを私は考えるのである。
例えば、この調子でスピーカーオーディオをやっても
一年に400時間あまりしか聞けないことになるが、
一年でスピーカーに払った代金の元を取りたいなら、
600万を400時間で割るわけで、
一時間あたり一万円以上かけていることになる。
無論、スピーカーは少なくとも2年は使うわけだから、
まあ一時間当たり7000円くらいまでの使用料に下げられるかもしれないが、
それでも、音楽を聞く対価としてはどう考えても安くない。
それにこれはスピーカーについてだけの話で、
アンプも同様のことが言えるので、さらに金額は加算される。
また、一週間の大半はリビングに
大きなスピーカーが無意味に陣取ることになる。
これも我慢できない。
こいつは音を出していなければ、
ただの真っ黒くて重たいオブジェにしかならない、邪魔っけな道具である。
スピーカー本人にしても暇を持て余しているような気分だろう。
週末しか、お呼びがかからないのだから。
Hailey1.2は、これはこれで確かに音はいいから
300万くらいなら我慢する、許せるのだが、
(でも能率が低いのはかなり困るな。アンプの代金も半端ない。)
こいつは600万円を超える機材なのである。

とにかく、いろいろと考え始めると
高価なスピーカーというものは、自分に合わないような気がしてくる。
こうなるとヘッドホンの方がよほど気楽である。
家人が静かに勉強をしていても、お構いなしに聞けるし、
徹夜で聞き続けても誰もクレームしない。
したがって毎日のようにコンスタントに聞ける。
どんなに高価なヘッドホンシステムを組んでも、
一時間あたりの対価はスピーカーシステムよりもかなり小さくなる。
またスピーカーシステムに比べて圧倒的に小さく場所を取らない。
また幾つものシステムを並列して設置し愉しむことも容易であるなんてことは言うまでもない。

だが、ヘッドホンシステムは
最重要事項である音質について
最近まで、ずっとスピーカーシステムの後塵を拝してきた。
だから、どうしてもスピーカーは必要だった。
しかし、今やハイエンドヘッドホンシステムの性能は
スピーカーと比肩できるところまで上がって来たように思うと何度も唱えているし、
それに対して、最新スピーカーの能力は
頭打ちに近い状態であるということもたまに言っている。
確かに、新型スピーカーを聞くと、測定値に出るような表立った部分については、
昔のものよりも良くなっているのだが、
その分、以前のスピーカーが持っていた愛すべき個性、独特の味わいのようなもの、
あるいは絶妙なバランスの良さが失われているような気がしてならない。
これでは結局、差し引きゼロの状態ではないか。
何かを得たが、何かを失っている。
一方、ヘッドホンに関しては、いまところ、単純に得たものの方が大きい。
つまり伸び盛りのジャンルなのである。
黄昏のスピーカーオーディオと旭日のヘッドホン・イヤホンオーディオ。
このギャップはとても大きい気がする。

こういうギャップに若い人たちは敏感だし、直感が鋭い。
そして合理的である。
だからヘッドホン・イヤホンの方に集まってくる。
そっちの方が伸びているし、素直に面白いし、合理的だからだ。
この人気が金銭的な問題のみに起因するものでないのは明らかである。
今や本当にハイエンドなイヤホンシステムを揃えるほどの財力があれば、
大きくはないが、気の利いたスピーカーシステムを揃えることは可能であるのを、
彼らは承知している。
でも、それでは全然、気分が盛り上がらないから、
あるいはどんなシュチュエーションでも楽しめろわけじゃないから、
ヘッドホン・イヤホンに大きな投資をするのだろうか。
私はよく知らないが、結局そういうことになっている人もいるらしい。

そういう私は夜な夜な、
NAGRA HD DACとRe Leaf E1x、HD650 Golden era MKを召喚し、
音楽の迷宮への出入りを繰り返す。
そこで様々なシンガー、様々な音たちに出会い、奴らと火花を散らす。
そのデジタルファイル、LPに隠された滋味を味わいつくしたら、
そこを立ち去り、また次の音楽と出会う。
オーディオファイルとは音の機械獣の召喚者であり、
彼らを使役して音楽の女神を狩り、食らうハンターのような者たちだ。
その神聖な用途に、私のヘッドホンシステムは
いままで使ったどのスピーカーシステムよりも向いているような気がすることもある。
これはかなりコンパクトなシステムだが、
さらに高価なHE-1に勝るとも劣らない、魅惑的なサウンドをいつも奏でてくれるし、
どんな静かな夜でも私の気まぐれに付き合ってくれる道具なのだ。

世話してくれた方には申し訳ないのだが、
私は明日にも、このYGのスピーカーを流してしまうかもしれない。
次はまたピエガに戻るか、マジコに行くか。
もしかしてZellaton?
はたまた、
デザインが楽しいVividに行きたい気分もあるが、
あの横っちょウーファーはこの部屋で大丈夫だろうか。
様々な考えが頭の中に渦巻いていくのだが、
その背景には常に、
今、スピーカーでオーディオをやるって本当に面白いことなのか?
という倦怠感にも似た深い疑問が居座っている。
それは、ヘッドホンやイヤホンが発達した現代においては
ハイエンドスピーカーなんてものは
無意味に難儀で不自由なだけなんじゃないかという疑問と重なる。
そして、
その疑問の向こう側には、
手の込んだヘッドホンシステムがあれば十分ではないか、
という消極的な解答があるのではない。
ヘッドホンシステムに投資する方が明らかに面白いし、
恐らく今の自分にとっては険しいけれど新しい道なのだという確信がそこに生まれつつある。
それは私が望んでいないことだったかもしれない。
考えたくもないことなのかもしれない。
だが、砕け散ってもいいから、そっちに歩いて行きたい。
そういう強い誘惑がある。
スピーカーに未知の音を見つけられなくなってから久しいのだから、
当然といえば当然か。

では自分のヘッドホンシステムを私はどうすべきだろうか。
Sennheiser HE-1についてはアンプ部が明らかに役不足だ。
このシステム単体では600万の価値はまだないから、
強力なDACや電源ケーブルをかませたりして底上げしなくちゃならない。
こいつを候補から外したわけじゃないが、乗り気にまではなってない。
それに、未聴だが、MSB Select DACと
STAXヘッドホン向けのアンプユニットも魅力的ではある。
問題は流石に高価すぎること。1700万円はすぐには出ないし、
STAXにしか対応しないのもつまらん。
アレはとにかく試聴しないと、どうしようもないのだが、
代理店様がヘッドホンオーディオに関心が無さそうに見えるので、
もしかすると日本では聞けない機材になってしまうかもしれない。
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それにひきかえ、
ステンレス製のRe Leaf E1pの鏡面仕上げのコース、
Fostex HP-V8とBispokeのプリ、TA300Bを組ませるコース、
GOLDMUND THA2を電源ケーブルやインシュレーターで
ドーピングするコースなんかは
HE-1やSelect DACよりも、ずぅーっと安上がりだが、
多少は面白い結果が得られることだろう。
これらにFocal UtopiaやGrado GS2000eなど
最新のヘッドホンを合わせて愉しむのがよかろうか。
(GS2000eの方はそのうち手に入りそうだが・・・・。)
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黒光りするHailey1.2を眺めながら、
私はあえて、このスピーカーのレビューを書かないことに決めた。
このスピーカーの音質が悪いのではない。むしろ素晴らしい。
それなのにあえて書かないのだ。
スピーカーを飽きるほど聞いたとは到底思えないし、
そんな境地に達したと思いたくもないのに・・・・。
単なる一時の気まぐれなのかもしれないが、
それほどまでに私は、
スピーカーという、
どこか時代遅れにさえ見える難物に興味を失い、
ヘッドホンというガジェットにオーディオの新たな希望を見出している。

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# by pansakuu | 2016-08-09 23:15 | その他

ARAI Lab MT-1 昇圧トランスの私的インプレッション:悩ましきMade in Japan

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俺たちが売る一番大事なもの、それは、Made in Japanの誇りだ。
by小松万豊


Introduction

世界で最も優れたオーディオギアでありながら、日本でしか製造できないモノを、私はいくつか知っている。
例えばKan Sound LabのMEWONリボンツィーターやMy sonic, IKEDA, ZYX, MUTECなどの高級カートリッジ(世界のハイエンドオーディオファイルに出回る高級カートリッジの70%以上は実は日本製である)、EsotericのSACDドライブメカ、AccuphaseのAAVAボリュウム、Re Leafのヘッドホンアンプ、TechDASのアナログプレーヤーなどが該当するだろう。スピーカーやアンプというメインの機材で最高を求めると、どうしても海外製になってしまうが、特に細々したアクセサリー系の機材に関しては日本の技術が生きることは多い。
最近、そういう特別な機材の列に新たに加えるべきものを私は聞いてきた。
ARAI Lab製のMT-1という昇圧トランスである。
(写真は持っていないので、HPより拝借しました。申訳ありません。)

昇圧トランスというグッズは、以前のアナログオーディオの名残のようなものだと思う。昔、プリアンプにビルトインされていたフォノはMM型カートリッジ用に作られたものが多かったので、MC型のカートリッジを使いたい場合は、電圧を適合させるための昇圧トランスを別に買って途中にかませていたのである。この昇圧トランスの選択でかなり音が変わることはよく知られている事実である。

しかし最近のフォノイコライザーにはMCポジションがほぼ必ずあるものだし、その出音も優秀である。またMMよりはMCカートリッジが圧倒的に多い時代でもあり、フォノイコライザーのMMの端子はあまり使われない。現にMC専用のフォノイコライザーもいくつもある。それに、この状況でもあえて昇圧トランスをかませてレコードを聞く意味を感じさせてくれるようなトランスはほとんどないと私は承知している。(実はアナログシステムを選ぶ際に、いくつも聞いたのだが、ピンとくるものはなかったのである。)

現在、日本のオーディオの市場には50機種ほどの昇圧トランスが売られているが、その大半は受注生産品であり、マイナーな存在である。そして、それらの価格は、今まで最も高価なものでも50万円(テクニカルブレーン製のTMC Zero)ほどであった。今回試聴したMT-1は150万円とその3倍の価格である。ますますマイナーでマニアックな存在だ。確かに300万円オーバーの超高級フォノイコライザーが次々に登場する時代であるから、こういうのも出てきておかしくないのかもしれないが・・・。とにかく価格に見合う音の変化が現れるものなのか、現物に当たってみるほかはない。


Exterior and feeling

実物に接してみると、その造りからして、既に他の製品とは別格のものに見える。ジェラルミンの削り出しのツインタワーのようなケース、分厚い真鍮製のベースプレートと制振材であるfo.Qを敷いたアルミ製のフットがガッチリと組み合わされている。かなり重厚かつ精緻なつくりである。チープな感じは一切ない。それから昇圧トランスとしてはかなり大型であるのも特徴である。これは私が今までテストした10機種あまりの昇圧トランスの中では最大の製品である。

この昇圧トランスは、使用するカートリッジを指定して注文し、一点づつ特製するのが最大の特徴である。これがコストがかかる原因の一つである。
こんな面倒なことをするのは昇圧トランスのインピーダンスとカートリッジのインピーダンスを完全に一致させたいがためである。このため、インピーダンスによってコイルの巻き数が異なることになる。すると本体価格も当然、変動する。その変動幅は30万円ほどにもなる。つまり、かなり太くて高品質の線材をふんだんに用いているとも想像できる。またかなり大型のファインメットコアをダブルで使用しているらしい。
線材が巻かれたトランスはケースに入れたあと、振動を抑えるため特殊な充填剤をケース内に注入するのだが、空気が一切入らないように、真空チャンバーを使うという念の入れようである。これほど意を尽くして作られた昇圧トランスを私は知らない。

また、私がメインで使用するMy sonicのUltra eminentなどの1Ω前後の超低インピーダンスカートリッジに関しては、その性能を引き出す昇圧トランスがないという話がある。(My sonicで作っているものを除いてであるが・・・。)このような場合、オーダー形式の昇圧トランスが有利なことは間違いない。思い返せば以前、Audio Note製の銀線を巻いた昇圧トランスを試聴したことがある。あれは、かなりな美音を出せるものではあったが、私の使用するカートリッジにマッチしていたかは疑問であった。やはりインピーダンスが一致するに越したことはない。


The sound 

ある程度出来上がったアナログシステムの中に、使用するカートリッジとインピーダンスのマッチングを取った、この豪華な昇圧トランスを組み込む。それは聞き始めから絶句してしまうような忘れがたい体験であった。
なにしろ150万円のトランスなのだから、当たり前なのかもしれない。とはいえ、そういう鳴物入りの製品の大半は、価格に見合うようなものではないとこっちは知っているわけで、はじめから疑って試聴しているのである。
幸か不幸か、このMT-1は例外であった。
試聴はミドルクラスのターンテーブルとアームにMy sonicのEminentを合わせたアナログシステムを用いたものであり、当然、カートリッジとインピーダンスのマッチングを取っている。

一言で言えば、このトランスをかませると音の深みが大幅に増す。このような変化はシステムの構成要素の何を替えても得にくいのでは?大衆小説と純文学の情報量と質の違いというか。あるいは短編集と長編小説の読後感の違いというか。得られる感動の質とボリュウムが格段に多彩かつ多量となる。音楽の微妙なニュアンスの様々が、リスニングルームいっぱいにひろがってゆく感じである。
システムのトータルサウンドは、このトランスの有無によって相当に変わってしまう。

このMT-1ではなにかと引き換えになにかを失うということがないどころか、全てが揃って向上するという、ほぼありえない結果が得られる。こういうバランス感覚のある優秀さに日本製品の日本的な良さを認める。
実際、このMT-1による、低域の沈み込みや高域の伸びの良さ、中域の陰影感の増大とスピード感の向上は目覚ましい。音の輪郭は、より明瞭になっており、それに加えて柔軟さとしなやかさに満ちた音の流れ・躍動の表現も巧みである。
定位感に優れることも、特筆すべきだろう。音像がビシッと音場に固定されたような安心感がある。落ち着いて音楽に浸れる状態になる。
この音は鮮度感も低くない。確かに料理された音であり、トランスを介したらしく、ややコッテリした濃厚な味わいもついて回るのだが、音が縮まらず、スカッと伸びるのだ。音の切れもいい。鈍った音には全然聞こえない。
またとてもカラフルな音とも取れる。音色の描き分けが見事で、明暗や濃淡だけで音楽を語らない。様々な楽器や人の声の調子、質感を細部まで詳しく説明してくれる。音に色があるように感じられるのは、こういう詳細な音の触感を感じられる場合に限られる。

それになんといっても、ダイナミックレンジが狭まらず、むしろ広がったように感じられるのはありがたい。これがこのトランスを導入して一番嬉しくなる部分だろう。
通常、昇圧トランスを入れると、レンジはほぼ必ず狭くなる。のみならずレスポンスは遅めとなり、音像は丸みを帯びてくる。むしろそういうノスタルジックなセピア色の音を創るために、ヴィンテージの昇圧トランスを選ぶ方も多いのではないか。オーディオはノスタルジーと言外にアピールするヴィンテージオーディオマニアたちはこの鮮烈かつカラフルなMT-1のサウンドをどう聞くのか?個人的に興味がある。MT-1は過去のアナログオーディオの名残ではない。
例えば普通のトランスは、10~50kHzぐらいをカバーするものだが、このMT-1は1.5~140kHzまでフラットなレスポンスがあるという。またコイル自体の品質係数Qも通常の昇圧トランスの70倍であるという。Qはスピーカーを駆動する力、制動する力を反映する値であり、ARAI Labではパワーアンプを替えた位の効果を期待できると謳う。
おそらく、これはもう技術的に凡百のトランスとは別物なのである。こうなればインピーダンスのマッチングが仮になくても、かなり優れた音質が期待できる。

試しに、一旦、MT-1を外して、もとのフォノのMCポジションできいてみると、かなり寂しい音になってしまう。謳い文句の通りにスピーカーの駆動力も上がっていたようで、外すと躍動感が3割減ぐらいになってしまう感じだ。

マニアの間では知れたことだが、My sonicでも、手持ちのUltra Eminentに合わせた昇圧トランスを作っている。Stage1030(30万円)という製品である。かなり以前に、そのアンバランスバージョンを組み合わせて音を聞いたことがある。(バランスバージョンも最近加わったが、それは聞いたことはない)確かに、あれはあれで良いマッチングがあったのだが、おそらくMT-1の敵ではないだろうと回想する。Stage1030の印象はMT-1に普通の良いトランスでしかなかったからだ。MT-1のような特別な印象がない。つまり、かなり大きな音質差があるという予想が容易に立てられるほどMT-1を使った場合の音の出来は立派だった。


Summary

確かに、このトランスのサウンドは素晴らしい。でも悩ましい。

例えば、この価格にして、厳密には、たった一つのカートリッジにしか適応しないというのはどうなのか。それがこの製品の最大の特徴であり、原理であるとしても、どうにも納得できない気分が残る。
例えばそのカートリッジがくたびれてきてしまい、新品に交換しようにも、あるいは針だけを換えようとしても、既にメーカーが消滅してる場合は、そのカートリッジは再生できない。150万のトランスが宙に浮くことになりかねない。(ただ、このトランスは、インピーダンスが多少ズレたとしても、少なくとも他のトランスよりははるかに優れた音を出すことは、ほぼ間違いない。基本的な能力が桁違いなのである。)
それから、これだけのトランスを買うような個人は、既に多くのカートリッジを所有することが想像できるが、そのうちどれを選んで、このMT-1とマッチさせるのか?それも難しいところだと思う。価格のみならず、大きさも小さくないから、いくつも買いたくなるようなものではないと思うし。
このトランスは音がかなり良いだけに、そういうことを考えるとますます悩ましい。

ところで、最近はよく「日本のものづくり」とかいう言葉を全面に押し出して、日本人の意識を煽ろうとする言説に出くわす。これは震災以降に顕著になった傾向だが、私にはあれは悲しい叫びの裏返しのようにも見える。
日本の技術は確かに優れているが、それが必要とされる分野はとても狭い範囲にとどまる。(細々したオーディオアクセサリー系の機材に関して日本の技術が優れているというのが、それにあたる。)そして斬新な発想を軸にして、バラバラに散在する技術を有機的に結合し、一つの全く新しい製品に仕立てる企画能力にも欠けている。(i podやi phoneは日本発の製品ではない。)さらに人口減少が技術伝承者の減少につながっている。
一方、冷静に曇りのない目で外を見れば、韓国や中国の技術レベルは日本とほとんど同じかそれ以上になっていることに気付くはずだが、それを報じる向きも少ない。分野によっては、もうすでに追いつかれ追い抜かされている事実には目をそむけている。何にしろ日本人は綺麗事を好みすぎる。そして隣国人よりも徹底したリアリストではない。反省し、見習い、変わるべき点だろう。
いろいろな意味で日本の技術は行き詰まり、全体としては衰退していると見るべきである。現代における「日本のものづくり」への賛美は、衰えつつある日本の技術を惜しむ悲壮な叫びの裏返しでもあるのだ。

そもそも、職人的な技術を使って作られた製品を、高い対価を払って購入する消費者自体が日本に少なくなってきている。日本人は口では甘い称賛をするけれど、実際には自国の高価なモノを進んで買わない。自分の懐を進んで傷めようとはしないケチな人々だといわれば、そうかもしれない。(これだけ選択肢があるから仕方ないのか?)
これは日本の職人の仕事がコスト高であるためだけではない。職人ではない日本人全体に、素晴らしい技術と、それを持つ職人に対するリスペクトが実は欠けているのだと思う。特に若い人にその傾向が強いと私は見ている。それは主に彼らがスクリーンの向こう側の二次元の世界にあまりにも深く関わり過ぎて、実体物に親しまないためだろうか。彼らは幼少時から、様々な職人の手仕事の現物に触れて感動する機会が少なかったのか。全員がそうだとは思わないが、現物・実体物を軽視する傾向は強く感じる。残念なことだ。
また世の中全体の指向性として技術そのものよりも、それを利用する新奇なアイディアを尊ぶという傾向もあるかもしれない。事あるごとに世界の賢人として名前の挙がるスティーブ ジョブズは優れたアイディアの人であるが、優れた工芸の職人ではない。コツコツと精緻な手仕事をやり遂げる職人よりも、要領よく仕事を片付けるアイディアやネットを利用した新たな遊びのコンセプトを考えつく者を人々は賞賛する。
結果として日本の技術を駆使したマイナーな製品はコストが高く、多数は売れないので、普通人の手に届かないほど、高価なものになりつつある。150万円の昇圧トランスにもそれは現れている。日本で凄いモノを作ると凄い金額になってしまうのだ。(先進工業国ではどこでもそうだろうが)

日本の技術の行く末がどうなるのだろうと、時々考えてしまうが、結論は出ない。
日本の技術に他国にない良さがあることは言うまでもない。このMT-1を聞いていても、それは分かることだ。しかし、それに手に入れる気が起こらないほど高価なプライスタグが付くようなら、それらは溢れかえる他国の製品に埋もれて、いつか市場から消えてしまうということも自明だろう。いわゆる富裕層のほとんどが、このトランスを求めるほどのオーディオマニアではないということを、こういうマニアックな製品を作る側は理解しておく必要がある。

しかしながら、
そういう生臭い話のカウンターパートにオーディオの夢を追うという話もあっていい。
コスト度外視、売れる売れない考えないでオーディオの理想を求める純粋な遊び心がメーカー側にもあっていい。
だから私はMT-1を否定しない。
しないどころか、自分のWANTEDリストの筆頭に加えたことを告白するものである。
もちろん少々、悩ましそうに顔をしかめながらではあるが・・・・。

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# by pansakuu | 2016-07-17 01:17 | オーディオ機器

H&S EXACTフォノイコライザーの私的インプレッション:或るオーディオファイルへの手紙

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お元気ですか。
私は厳戒のパリでの仕事からやっと帰ってきて、これを書いています。
眠たいので、どうもまだ覚束ない書きぶりなんですが・・・。
ひどい時差ボケを直すために、ぐっすり寝るのは勿論ですけど、
なにか新しいオーディオのアイディアを試して気分を変えることも考えたいですね。
なにせオーディオが好きなもので。

半ば必要に迫られ、しかし半ば気まぐれでというところでしょうか。
私の部屋に昨日、小さなフォノイコライザーが届きました。
これは30年以上前に西独で製造されたヴィンテージの機材を借りたのです。
かなり昔の話ですが、あるオーディオ評論家の方と、こいつを聞かせてもらう約束をしたのですが、その後で御本人が急死してしまい、結局聞けず仕舞いになったという、いわくつきのフォノです。
H&S EXACTという、知る人のみぞ知る傑作フォノイコライザー。
30年ぶりの再会?いや、懐かしいのですが初対面です。

とっても小さなフォノでございます。
筐体は28×15×6cmしかない。重さは2.5kg。
電源部は内臓されており、別電源はありません。
実に軽快な機材。
フロントパネルは恐ろしくシンプル。
電源とMM、MCの切り替え表示の赤いランプのみです。
ここにスイッチ類は無し。
ブランドロゴにはデザインも無い。
なんだかアノニマスなデザインですな。
リアパネルにはMMとMCの切り替えのトグルスイッチと端子。このEXACTの端子は全てLEMOとなります。これは特殊なスイス製の端子で、とても細いがロックがついていて確実に接続できるし、不思議なことに着脱の際にノイズが出ない。そして何と言っても音がイイんですね。今はプリアンプの接続用としてはほぼ絶滅してますけど、この端子を使った機材のみが持つ妖しい繊細さがあるのは忘れてはならないと思ってます。それはオールドマークレビンソンの音世界が持つソニックシグネチュアなのですが、この素晴らしきサウンドについては、いつか語る機会もあるでしょう。
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入力インピーダンスはMCで100Ω, MMで47kΩというもの。
周波数特性は14~110kHz±3dB、20~20000Hz±0.1dB、チャンネルセパレーションは90dB。昔のフォノとしては良い数値ですかね。
ゲインは内部のスイッチで変化させられるもので、MCでは28,32,35dB、MMでは34,36,40dBと変わる。でも中をあけなきゃいけないので、ここを変えることはあまりなさそうです。

このシンプルなフォノと大柄なペルセウスを見比べていると、ここ数年は小さな機材ばかり物色している自分を意識してしまいます。ペルセウスにしても、すこぶる音がいいから手を出しただけで、この大きさに関しては全然満足していなかった。NAGRAのHD DACについては、その購入の決め手はコンパクトネスでした。
スモール、シンプル、プレミアム。そういうオーディオを志向しているのですが、トータルシステムとして揃えるとなると、なかなか果たせないものです。

とにかく、最近は聞きたい新製品がまるでなく、パリにいても、ニューヨークにいても、東京にいても至極退屈な日々でした。HD650 Golden Era Meister Klasseを聞きながら、夜の窓辺でぼんやりコーヒーを飲むのが日課でした。(エル ススピーロ拝受しました。美味しいコーヒー豆ですね。)
なんでもいいから、聞いたことも無いような、凄い音を出せる機材に出会いたいと、いつも願っているのですが、このところ、それらしいものが全然現れぬままに、時間が過ぎてゆく。
私がそういう空腹に耐えかねた頃合いで
眼前を、このH&S EXACTが、ふと横切ったわけです。

私はウェスタンエレクトリックやマランツ、マッキントッシュ、クォードなどのレガシーオーディオ系も一通りは聞いてはいますが、そのサウンドがいくら素晴らしくとも、それにハマった試しはありません。
いまのところ、自分の部屋に連れてきたいと思ったこともありません。
そういう私が、なぜこの機材を、ここに借りてきたのか。
気分を立て直す必要に迫られたとはいえ、
やはり、この機材のコンパクトネスに惚れたのかもしれませんね。

モノが到着したので早速、結線して電源を入れて、プレーヤーを回し始める。
まずはラルフ タウナーのライブのLPでもかけてみます。
H&S EXACTは遠い昔に作られた機材ですから、
懐かしいような、多少ぼやけて、カドの丸い音が出るのかと思っていましたが、
それは裏切られました。
このフォノは私の先入観を初撃で砕いたのです。

まずは、この弦の音のキレの良さ、ずば抜けているんじゃないですか。
このキレの中身は、ペルセウスのような柔らかさを伴ったキレの良さというわけではなく、しなやかだが、鋼の硬さを孕んだ切れの良さ。
音のエッジは際立ち、ボリュウムを上げると、巨大な音のカミソリのように空間を切り裂いてゆく。
また、男性的な音の太さが音楽を推進する原動力として常にあって、音楽がグッと前に突出してから拡がります。
若干引いた広い音場を形成するペルセウスとはまるで異なる音の出方。
ボリュウムを上げると音の壁が目の前に立っているような異様な存在感に包まれます。これは、眼前にそそり立つような感覚。
どこかしら暴力的なサウンドではありますが、こういう男っぽい音は昨今のチマチマしたデジタルオーディオを一蹴するようで、実に痛快であります。
ギターの弦の余韻のたなびきも気持ちいいですね。
ECM独特のクリスタルクリアーな空間にタウナーのつまびきが拡散してゆく。
それからSNは大したことないはずなのに、音が妙にクリアーに聞こえるのも面白い。
特にボリュウムを思い切り上げた時の弱音のクリアネス、そして音のダイナミクスの現れに絶句させられます。
筐体が小さく、信号の通る経路が短いせいか、このように小さな機材は鮮度の高い音を出すことが多い。その例に漏れずこのフォノのサウンドは瑞々しい。予想以上に。

音の流れはスムーズな感触でアナログらしいのですが、高域をわずかに持ち上げたようなややブライトなサウンドであり、その意味では僅かにデジタルっぽい癖もあるサウンドです。CHORDのDAVEもそうですが、こういう一聴してわかるようなソニックシグネチュアには、私はむしろ惹かれる。最近の特徴らしい特徴をあえて排除しようとする、ハイエンドオーディオの傾向を私は好かないのです。
確かにペルセウスのSNには僅かに届かない。
(ペルセウスがSNが良すぎるだけ。)
それからあれほどにフォーカスが鋭いわけでもない。
(ペルセウスの音の焦点が合いすぎるだけ。)
しかし、この音の明瞭さ、キレの良さ、豪快さが揃ったものは今まで聞いたことが無いです。王を一手で刺し殺す香車の勢いってやつがありますよね。
ゴール前に飛び込んできたリオネル メッシやクリスチアノ ロナウドのように止められない、圧倒的な躍動感。こういうダイナミックな演奏は上品なペルセウスには期待できない。
ジャズメンに喩えれば、あえてインタープレイをせず、素敵なアドリブを次々に繰り出して、他のメンバーを煽るプレーヤーのようです。求心力でグイグイと音楽を引っ張ってゆくようなところがある。小さい機材だけど、トータルの音を決定する者、システムの主役として機能する。
確かに、これはペルセウスの聞かせる、完全犯罪のような鮮やかなオーディオの手口ではない。西部劇の銀行強盗のように多少荒っぽい仕事ではありますが、これは間違いなく楽しいし、オーディオの真髄のひとつにしっかりと触れています。

このEXACTはE1xを通してヘッドホンで聞いても最高ですね。
ペルセウスで聞くのとそれほど変わらないほどノイズ感が少なく、ペルセウスを上回るダイナミズムが得られます。ニック ベルチェの前衛、ラルフ タウナーのリリシズム、ジョン アバクロンビーの哲学、キース ジャレットの孤独、エンリコ ラヴァのニヒリズム。これらのECM看板アーティストのレコードに秘められた音のニュアンスの深奥をヘッドホンで精査する面白さは、スピーカーでは得られないものです。ECMのレコードは西独製であるせいか、EXACTの恐ろしくマッチするサウンドを持っていますね。録音された音の隅々まで、しっかりと聴かせて、しかも全然、音楽的に退屈ではないというリスニング。これに比べるとスピーカーで聞くECM録音にはどこか曖昧さが残っています。
今はオーディオ全体の価格帯が吊り上った状態ですから、このクラスのサウンドをスピーカーで聞こうとすれば、トータルで2千万円以上の出費ですが、ヘッドホンを使えばその4分の1ほどの投資で済みます。もちろん、根本的にスピーカーオーディオとヘッドホンオーディオは異なるところがあるので、単純な比較は不可能ですが、ヘッドホンは一つのシステムに対する投資がトータルで300万を超えたあたりで、同価格のスピーカーオーディオでは得られない、独特な深みのある世界が見えてくるものです。
そこにアナログオーディオのエッセンスが加わる時に起こる化学反応の結果は、多くのオーディオファイルにとって未体験のものだと思います。

とにかく驚くのは、これが30年前に製造された機材の出す音であるということ。
様々な最新機材を聞いていますが、こんな音を出せるフォノはおろか、DAC、ネットワークプレーヤーも皆無でしょう。唯一無二のサウンドだと思います。30年間、オーディオはなにをしてきたのか。こういうヴィンテージの機材に出会うたびに、オーディオ技術の進歩というものに深い疑いを抱くわけです。測定できる特性の向上と聴感上での音質向上に、どれくらいの相関があるのか。科学的な検証は未だできていないことを忘れるべきではないでしょう。少なくとも私にとって、特性の良さというのは聴感上の音の良さを説明するための後付けに過ぎません。まず音響特性ありきというオーディオの見方は、ハイレゾが有名になるにつれて顕著ですが、全てのオーディオファイルがそれを全面的に信用するほど愚かではないはずです。測定して得られたグラフがいくら綺麗でも、自分の耳で聞いて、音が良いと思えなきゃ意味がない。オーディオは自分の耳で聞いてナンボですよね。
総じて頭デッカチなオーディオになっちゃってるんじゃないですか、作って売る側も買って聞く側も。もっとフィジカルな感覚を大事にしたらどうかなって思う。H&S EXACTのサウンドは本物の人間が肌をすりあわせて直接触れ合うような、赤裸々な生々しさに満ちています。有無を言わさないんですよね、そういうところは。これは今、自分が生きていて、血も涙も汗も体温もある存在であることを思い起こさせてくれる音だ。機械で測れる音響特性で、音の良し悪しを決めようなんて所詮甘いんだと気付かせてくれるサウンドですよ、これは。

別な見方をすれば、アナログオーディオ自体に無限の可能性があるということなんでしょう。例えば先日、MT-1という150万円もする昇圧トランスを聞いて来ましたが、これにも驚かされました。オーディオには終わりがない、なんて言いたくはないけど、アナログオーディオに関しては少なくともそういうセリフもありなんでしょうね。あれを聞くと150万円も納得せざるをえない。トランスというものに対して私が抱いていたイメージを完全に覆すようなサウンドが出てきましたから。
最近、オーディオが、かなり分かりかけてきたつもりでしたが、EXACTにしろMT-1にしろ、聞けばまだ未知の世界がありそうに思える。このような既視感の全くない世界が、ちっぽけな箱をシステムに組み込むだけで現れるという事実・・・・。オーディオってどこまで深いものなのでしょうか。
なおMT-1についてはまたレビューするつもりですから、暇だったら読んでみてください。

二、三日中には、NAGRAをE1xとセットで送ります。貴方のヘッドホンに対する先入観を吹き飛ばせることを祈っています。なお、このEXACTも聞きたい場合は、連絡して許可をもらってくれれば、NAGRAと一緒に送れます。アナログをヘッドホンで聞く面白さを極めてコンパクトなシステムで堪能できることを証明するセットと思います。どうせなら、ECMのレコードも貸しましょうか。物凄くマッチするレコードですよ。その気がおありなら見繕っておきます。

暑い日、雨の日が続きますが、健康と良い音の両方が貴方とともにあらんことを。

# by pansakuu | 2016-07-17 01:11 | オーディオ機器

四天王 : 4つのフォノイコライザーを聞く

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四天王とは、仏門の4人の守護神のことをいい、
また転じてある分野における実力者の4人組のことも指す。
ピクシヴ百科事典より


さて、
あなたにとって最も重要なオーディオコンポーネントはなにか?と訊かれたら、
私はフォノイコライザーと答えるだろう。

フォノイコライザーは簡単に言えばRIAA特性をフラットに戻す機能を持つ機材である。
逆に言えばそれしかできない。デジタルオーディオしかやっていない方には無縁だし、アナログオーディオにおいては、その他のファクターであるカートリッジやターンテーブルの選択も音にかなり響くことは間違いない。スピーカーやアンプの存在感についてもいわずもがなである。
しかし、それでもフォノイコライザーを一番に気にするのは、単純に私の経験からである。
最高のフォノイコライザーを使った場合に出て来る音、そこにあるオーディオ的な快楽の深まりは、他のどの機材にも替えがたいところがあるからである。例えば最も強いと思えるデジタルオーディオシステムもこれらのフォノを組み込んだシステムに比べれば、そのメリットは多少表面的である。音の深み、掘り下げが浅いと感じることが多い。ここで言う音の深みとはズバリ音楽性の深みだと思ってもらっていい。

現在、私が本当に手放しで実力があるなと思っているフォノイコライザーは4つある。
Constellation Audio Perseus、Boulder2008、Qualia MonoBlock phono、EMT JPA66である。これらフォノイコライザー四天王全てについて、ざっくりとインプレッションを書けるほど、十分に試聴するのに年単位で時間がかかってしまった。これらはデモがなかなかない機材なのである。結果として、全てを聞いて思うことは、これらの機材それぞれのサウンドが、現代オーディオの辿り着いた果てであるということだ。デジタルオーディオではMSB Select DACやNagra HD-DACなどを除けば、これらの機材の音楽性の絶対領域に達しているものはない。
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四天王の筆頭たるConstellation Audio Perseusのサウンドについては以前、詳しいreviewを書いたので、もうあまり書かない。
フォノイコライザーとしては、というエクスキューズを必要としないほどSNが良く、音の立ち上がりと立下りの速度の絶妙な軽快さ、音に漲る独特の緊張感と寛げる柔らかさ、雨雲の隙間から差し込む光の持つような、あの救いのような音の明るさ、アナログではありえないと思わせるワイドレンジ、主張しすぎないが確固とした音楽性の豊かさ。こいつの音楽性は爽やかで軽いが、恐ろしく心に沁む。
ナンなんだこれは。
この音に心底からノックアウトされつづけて数年が経つ。本当に良い音を持つ機材なのだが、そろそろ別な音に接したいと思うようになっているのも確かだ。なにしろ、このPerseusの浸透力、影響力は強く、これを使っているかぎりこの音から抜け出すことは出来ない。ヤク中の患者になったも同然である。オーディオに関しては別な角度から見れば廃人になりかねない。Constellation Audioでは、このフォノイコライザーの上に限定のORIONという富豪向けの機材があるが、これはPerseusのサウンドの良さを適度に拡張したような機材で、その値段とは釣り合わない。Perseusでいい。私はConstellation Audioの機材において、今のところ、このPerseusがベストの選択だと思う。Constellation Audioは一般に故障の多さが問題とされているが、きわどくいい音を出す機材は故障しやすいという法則に従っているのだろう。
もちろん、この機材も故障した。そこは不安ではあるが音が良いので全て許せてしまう。そもそも価格は高いが音を聞けば仕方がないとあきらめがつくところから、もうその許しが始まっているのだが。
また、このPerseusのサウンドは現代の最新のデジタルオーディオをも飛び越えるような、新味のあるサウンドなので、昔からアナログオーディオをやっている人には受け入れがたいものである。だが、私はリーモーガンやゲッツやコルトレーンの録音を、まるで昨日出たばかりの新譜の如き音質で聞きたいと願ってきたので、これでいいと思っている。
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次に出て来るBoulder2008は一見して重厚なフォノイコライザーである。Boulder独特の表面仕上げやスイッチのデザインと感触は音に通じるところもある。確かに筐体に重さもあり、別電源構成でもあるせいか、じっくりと厚みのあるサウンドだ。そして音のスケールもかなり大きい。これは筐体の大きさに通じるのだろうか。だが、このサウンドをさらに特徴づけるのはたとえようもない人肌の温度感とウェットな音の質感だろう。この音の触感が生む快楽は他のフォノイコライザーでは決して感じられない。さらに、この音触と音のスケール感がブレンドされた時に生まれるケミストリー!それは包み込むような寛容がオーディオに宿る瞬間である。そのサウンドに接したら、包み込まれ、身をゆだねるしかできない。ここでは響きがとても広範囲に拡がり、それが大きなスケール感を生むのだが、音が拡がったせいで薄味になることがない。これはBoulder独自の質実剛健さが発揮されたのだろうか。実際、これはPerseusが孕むやや病的とさえ言える繊細さとは対照的に、とても実直で健康なサウンドである。とかく、このレベルの機材の生み出すサウンドというものは多かれ少なかれ毒を隠し持つものだが、このあっけらかんとオープンな音にはそういう隠微さはない。複雑であるが、それを秘匿し、ふくむようなプレゼンテーションをせず、全てを白日のもとに素直に曝けして嫌味がない。あけっぴろげだ。このフォノイコライザーは裏表はなく、どんなときに彼の部屋を訪れても健やかで優しい微笑で迎えてくれる親友のような存在であろう。こいつの音楽性のコアは心の底からの寛容だ。SN感やセパレーションの良さなどの基本的な性能はハイエンドフォノとして恥じないものだが、そこではなく、上記のような幾つかの特徴ゆえに、この4機の中でも、その存在価値は大きい。このフォノは発売されてから随分と経つロングセラーだが、いまだにモデルチェンジはないのも頷ける。この方向性で、これ以上のサウンドを得ることは如何にBoulder3000シリーズでも困難だろう。最近、このフォノイコライザーの中古をどこかで見たが、Perseusの中古と比べても、かなりお買い得な価格だと思う。
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次に登場するQualia MonoBlock phonoについてはもちろん、その音のスケールが最大の武器である。Boulder2008を初めとして、ここに登場するフォノイコライザーは全て、他のフォノたちに比べて、かなり大きなサウンドステージを展開できる潜在能力を持つ。しかし、それらとは比べものにならないスケールの大きさがこのMonoBlock phonoにはある。もっとも、これは適切なプリアンプとモノラルパワーをあてて、初めて開花する能力であり、デモにおいては上手くプレゼンできていないケースもある。今回取り上げた4機の中では、一番強化された筐体を持つこと、最も調整の自由度がないことなど、恐ろしく尖った内容誇るフォノである。音像の出し方はやはり尖がっていて、強い輪郭があり、音像の存在感はこの4機の中で最も色濃い。この部分はコンバージェントオーディオテクノロジーのアンプなどの従来の音像タイプのサウンドを超えたところがあり、これ以上の存在感となるとウエスタンエレクトリックなんかの特別なオーディオ機材からしか聞けないと思う。こういう濃い音像が激しく躍動するところが、Qualia MonoBlock phonoのもう一つの真骨頂だろう。この音の過激さ、実にセクシーである。これはBolder2008のような聞き易い音ではない。疲労を伴うサウンドだ。全力疾走を飽くことなく繰り返すアスリートのような鋼の強さを隠し持つサウンドである。しかしそういうサウンドにありがちな音場感の不足を決して感じない。それどころか、音場はこの上なく広々としてリスナーを取り囲む。これは通常のオーディオにおいては矛盾以外の何ものでもないのだが、Qualia MonoBlock phonoの中では見事に調和している。確かにこれは危うい均衡かもしれない。どちらの要素も強いので、かけるLPによっては、バランスが片側に大きく傾くようなこともある。
このフォノをダブルウーファー、アクリルホーンで名高いJBL Project K2で聞くとどうなるだろう。あれは音に非常な厚みがあり、強力な音圧で音像を発射できるスピーカーだが、このコンビでは均衡はどちらに傾くのか?それはもちろんアンプにもターンテーブルにも依存するところだが、とにかくやってみたい。つまりそういうフォノなのだ。このシステムにこのフォノを取り入れた時にどういう音になるのか、予断を許さない、そういうスリルが常に付きまとうミステリアスな音楽性を孕むフォノなのである。設置も楽ではないし、SNも凄く高いわけでもない。接続する機材との相性もありそうだ。特にカートリッジは選ばなくては。しかし、どんなリスクをおかしてでも、リスニングルームに引きずり込んでみたくなる程の中毒性がこれにはある。これも欲しい。
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四天王の最後のひとりEMT JPA66はNAGRA HD DACを手にしてからは、WANTEDリストの筆頭に出てきた機材である。この4機の中で既に所有するPerseusに代わるとしたら、このフォノになる。代わりになるというのだから、Perseusに似ているのかというとそうではない。ほとんど似ていない。例えばカッコつけでしかない、使い勝手の悪いタッチパネルはJPA66にはついてない。対照的に、このフォノのフロントパネルには全てが一目瞭然に分かる親切なツマミが多数ついている。全ての設定をバックパネルに手をまわすことなく、フロントだけで簡単に行える。したがって、このフォノはかなり使いやすい。また、NAGRAではないが、やはり正面にメーターがついているのはとてもいい。これも暖かい色で黒い縁取りの独特のデザインのメーターは、ハンマートーン仕上げと相まって、このフォノのルックス極めて個性的なものとしている。それから、このEMT JPA66はプリアンプとして機能するので、プリアンプはなくていい。価格はかなり高いが、他の3機の単機能フォノと比べて安いと言える。私の嫌いな大型の電源部がついているが、この機材だけは例外的に好きである。
それというのも音が非常にいいからだ。これは上に述べた3機のフォノの良い点を合わせたようなサウンドである。
すなわち、Peruseusに聞かれる音の立ち上がりと立下りの速度の絶妙さ、音の柔らかさがあり、Bolder2008にある人肌の温度感とウェットな音の質感、Qualia MonoBlock phonoの音像の見事さとスケール感、それら全てがカオスのように混在してリスナーを圧倒する。これらのサウンドの要素の集合体が目前にひたひたと押し寄せ、知らず知らずのうちに耽溺してしまう。
また、このフォノが醸成する芳醇な雰囲気、音の香りを他の機材から感じたことはない。Peruseusのサウンドにも香りのようなものを感じるが、このフォノの音の香りは、ああいうスイートでスッキリした香りではなく、産地のオークションで競り落とされ、宝石のように扱われる極上のコーヒーを挽いたときの香り、あるいは森に寝転んで草笛を吹くときに吸い込んだ、あの下草の香り。例えにくいが何とも独特の、深呼吸したくなるような、いい香りのする音である。
また、このサウンドは、揺るぎなく強固な骨格を持ちながら、表面的には至極繊細である。人間的な曖昧さを音の表現の中に残しながら、全体に優れた機械的性能、音質要素のバランスを保つサウンドであり、音のスタビリティも高い。これは真空管を採用したフォノであるが、大規模な回路設計であり、強力な別電源を持つ。この設計規模と秘めたパワーが、こういう音の特徴を生むのだろう。
またPeruseusとは異なり、普通のアナログのタイム感というか、従来のアナログオーディオから逸脱しない温かみや滑らかさ、適度に良くない(?)SN感から来る懐かしさのようなものも横溢している。だから昔の録音が違和感なく、それらしく鳴る。それでいて新しい切り口にも事欠かないのがいい。昔の演奏でこういうことをしていたのか、あんなことをしてたんだと驚くような瞬間が重層的に訪れる。昔の録音ばかりいいのではない。現代的はECMのレコードをかけても、実にハマる。同じドイツのものだからなのか、相性は抜群である。最近のポップスも感動的に再生可能である。元EBTGのベン ワットのアルバムをこのJPA66で聞いた経験は忘れがたい。アルバム全編に流れるフェイドでカジュアルな空気感がリアルに表現されていた。これはSNに頼ってリアルなのではなく、フォノイコライザーが、自分の音の方向性を今かけている音楽にそろえてくるような仕草をするからなのである。音楽に素朴に従う、素朴に倣う。このような素朴さはこの4機のEMT JPA66にしか見られない特徴である。特に、これはQualia MonoBlock phonoとは対照的な点である。MonoBlock phonoは音楽に逆らってでも自分の音調を通そうとするところがある。その、抗う・争う様が聴きモノなのだが、JPA66はそんな激しいことはしない。しかしBolder2020ほどあっけらかんと素直な音でもない。音にはきちんと含むところがあり、陰影が十二分に濃い。ここでは鮮やかな音の陰影・コントラストがライトアップされた彫像のように音楽を立体的に描き出してくれるが、そこに音楽に含まれる感情の明暗までが暗示される。この深まりは生半可なデジタルオーディオでは到底味わえない。
このEMT JPA66については、いつかリスニングルームに迎え入れることになるかもしれない。その時にはまたさらに詳しいレビューを書けるといいのだが。それにJPA66については何度聞いても分かり切れない部分もある。これはコアの部分にまだ謎を残すフォノイコライザーなのだ。

これらの機材のサウンドこそが、現代オーディオの最果てであり、そこにはデジタルオーディオにはほとんど含まれない何かがあると言ったが、アナログに豊富にあって、デジタルに比較的少ないもの、それは音楽性だと思う。古いタイプのDACには音楽性は豊富に感じられたが、DAC自体の性能は現代のものより低かった。昔のDAC・CDプレーヤーの音は、例えば音数の多さに関しては今のDACと比べようがないほど寂しい音である。位相やタイミングの正確さもくらべものにならない。Sforzato DSP-01とLINN Sondeck CD12を比較すれば、同じデジタル機材とは思えないほど音は異なる。だが、どちらが好きかと訊かれれば、ドライブメカの修理が効きさえすればCD12と答える。それは私の場合、オーディオにおいては音楽性の有無をもっとも重視するからだ。音の数値上の特性そのものについてはDSP-01の圧倒的な優位は揺るがないけれど、CD12にはDSP-01よりも豊富な音楽性がある。この音楽性がなければ、ハイエンドオーディオの存在価値など、生演奏の前にはほとんどなくなってしまうと私個人は思っている。その音楽を単なる音の連なりではなく、意味を持つ物語として語る能力が音楽性なのである。なお、CD12よりも豊かな音楽性をもつデジタルプレイヤー、それは私の知るところでは現行品としてBurmester069、MSB Select DAC、Nagra HD DACであるが、これらもフォノと同じく試聴がなかなか難しい。だから私がこういう話を書いてもほとんど意味がないかもしれない。
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聞くところによれば、優れた競走馬は今日走るレースが有馬記念なのか菊花賞なのか知っていて、騎手が仕向けなくても、そのレースに適した走りをするという。
優れたオーディオ機材もそうで、今、自分が再生している音楽をどのように聞かせれば、それを聞いている自分の主人は一番感動するのか、それを知っているような鳴らし方をするものである。これが音楽性の豊かさというものだろうと思う。
今回挙げた四天王のフォノは音質傾向がそれぞれ全く違う、それはハイエンドアナログオーディオの幅の広さを物語る。しかし共通するのは音楽性が極めて豊かなこと。そしてもちろん、音楽性の方向性も当然4様に異なった向きを向いている。これはデジタルオーディオではごく少数の例外を除き、まだ実現していないことだ。音楽性の方向でデジタルプレイヤーを選ぶという話はあまり聞かない。むしろデジタルオーディオの選択は数値に囚われている。デジタルオーディオのマニアの多くは恐らく数値の囚人なのである。
そしてハイレゾに代表される、数値によってオーデイオの価値を判断するデジタルオーディオにありがちな手法からは、或るレベル以上に高度なオーディオは生まれないはずだ。ハイエンド オーディオデバイスが芸術作品として昇華するには、それを創る技術者に芸術家としての素質・センスがなくてはならない。デジタルオーデイオに関する知識と経験、芸術に対する深い造詣と表現者としての資質。これらが同居する人間は、この世には少ない。だから良いDACは少ない。
一方でアナログオーディオには何故か初めから音楽性が宿っている。不思議な音の芸術性がどんなにプアなアナログ機材からも感じ取れる。アナログオーディオに取り組むだけで、オーディオの深いところに、いとも簡単に触れることができるような気がする。それをさらに深めるのが、ここに挙げた四天王なのである。ただ高価で豪華なデジタルオーディオでは達成できない音楽性の境地がそこにはある。
いったい、なぜなのだろう。
それが分かれば、デジタルオーディオにもっと多くの生命力を注ぎ込むことができるだろう。逆に言えばHD-DACやSelect DACはデジタルオーディオの手法でその秘密に触れている、数少ない例外なのだろう。

これはオーディオで最後に勝負を決めるのは音楽性の深さだと勝手に決めつけているだけかもしれない。私は未だ愚かで何も知らないオーディオファイルなのかもしれない。
だが、四天王たちの音をひとつ、またひとつと征服してゆくにつれて、その確信がさらに深まってゆくのを感じたのは事実だ。
音質だけではない。高めるべきは音楽性そのものなのではないのか。

# by pansakuu | 2016-05-08 14:31 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1の私的インプレッション:Higher Higher



その人の空想のレベルで決まるんですよ、オーディオは
By 某オーディオ評論家


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Introduction

何はともあれ、
私がHE-1プロトタイプの実機を眼前にして思ったのは、
よくもこういうブツを企画できたなということであった。
それはもう素直に敬意を表するしかないことだ。
600万円のヘッドホンシステムなどというもの、そんなもんをスピーカーオーディオ向けの機材を開発している人間は空想すらしないだろう。そしてそこから出て来るサウンドについて現物を前にしてさえイメージできまい。確かに過去にOrpheusシステムを開発し販売した実績があるにしても、これはそれを上回るスケールの製品企画である。日本の家電メーカーでは決して通らないぶっ飛んだ発想・企画だと思う。そもそも、これを作ったゼンハイザーは自分をふつうの家電メーカーとは、もはや考えていないはずだ。もしかすると富豪向けの製品のみを製作する部門を持つ、ライカやパテックフィリップ、フェラーリのような存在と自分を考えているのではないか。
プロトタイプではあるが実機にごくごく短時間であるが、触れて聞く機会があったので、その体験を覚書として残しておくことにしよう。


Exterior and feeling

眼の前のHE-1は、1990年代にコストを無視し、ひたすら最高のサウンドを求めて開発されたOrpheusシステム、つまりHE90静電型ヘッドホンとHEV90真空管式ヘッドホンアンプのペアの後継機として位置づけられている。確かに同じく静電型で専用のヘッドホンアンプを合わせたものであるが、その形態や大きさ、機構、価格から、先代よりもコンセプトや設計規模は一回り大きなものと取れる。ヘッドホン自体にアンプが内蔵されたり、DACが付加されたり、不要な?ギミックがついたりしている。第一印象としてヘッドホンを気軽に愉しむには大袈裟な機材であり、実際に入手しても、しっかりした台のある、広い場所が必要など、ハンドリングしにくそうな雰囲気である。

ヘッドホンアンプ部 HEV1060について:
透き通るように白いイタリア産大理石で作られたシャーシがまず目に入る。石の表面は鏡面のように磨かれていて冷たい。実に豪勢な筐体だ。くまなく触れてみると、このシャーシは複雑な形状である。材の厚さは最も厚いところで2cmほどもあり、シャーシの形状はヘッドホンの収納ボックスのところで緩やかに盛り上がる。寸法や重さは非公開。だが大理石を使っているのでかなり重いのは間違いない。フットの大きさ、材質、形状は決定していないという。

起動のためのスイッチを兼ねている引っ込んだボリュウムノブを軽くプッシュする。(電源スイッチは背面)すると左側にマウントされたヘッドホンの収納ボックス(冷たい感触の材料で出来ていて金属製のようだ)のガラス張りのリッドがゆっくりと開き、内部のクッションがせり上がってくる。この箱の中にヘッドホン本体だけでなくヘッドホンケーブルも巻いて入れるような形になっていて、ケーブルのためのスペースがある。同時に、右側にある石英ガラスで包まれた二列、計8本の真空管(ECC803sと思われる)がせり上がってくる。さらに正面のボリュウムつまみまで飛び出てくる。こういう動きのあるギミックを持つオーディオ機材はほとんど見たことが無い。とりあえず、こんなギミックはオーディオとして本当に必要なのだろうか。音質には良いことはあまり無さそうに私には見える。特に真空管は適切に固定されてないと音が濁るから、このモーターによる演出はオミットしたらどうか。
また真空管を空気の振動から保護するという考え方は先代を受け継いでおり、先代がスリットの入った金属製ケースを採用したのに対して、今回は石英ガラスの管でおおってある。音にどういう影響があるにしても、この保護ガラスで覆われた真空管の見せ方はHE-1の目をひく特徴であることは間違いない。
なお、今のところ、ヘッドホンを聞く場合は収納ボックスの蓋は開けっ放しになる。ジャックが収納ボックスの中にあるからだ。これは外見上、望ましくない。どうも安心してリスニングに没頭できない。開けたものは閉めなさいと教育されて育った日本人は、この態勢はどうにもいたたまれない。ケーブルを蓋とケースの間に作った隙間から外へ出せるようにすれば、蓋は閉めることができるはずなので、なんとかして欲しい。またこの蓋は現時点では手で閉めることはできないとのことだった。つまり、電動で開け閉めするしかないのである。逆に言えば、開いている状態で無理やり閉めようとする力が加わった場合、壊れる可能性がある。
入力は光、同軸、USB2.0のデジタルとXLRとRCAのアナログインがある。端子の形状は普通のもので特殊なパーツは使われていない。
出力はヘッドホンアウト専用端子一個だけではない。もう一つのヘッドホン出力端子とXLRとRCAのアナログアウトがある。つまり二つのヘッドホンを同時にドライブする、アナログプリ、あるいはDACプリとして使う、そのようなことも想定されているようだ。
なおこのヘッドホンの端子はかなり特殊で、全く独自、互換性のないもののようだった。

正面に見える、真鍮にシルバーのクロームメッキを施したノブ4個については、ボリュウムノブ(電源が入るとLEDが点灯)、インプットセレクター、アウトプットセレクター、クロスフィールド用(現時点では機能していない)となる。ボリュウムの感触は可もなく不可もないといったところで、エソテリックやアキュフェーズなどで使われる、回転の感触をよくするための仕掛けはなさそうだ。パーツもごく普通のものだろう。これでいいのか?600万だよ。もちろんリモコンはついていない。これも600万のものとしてどうなのか?
内部の写真では、これはDAC付きの真空管式ヘッドホンアンプである。Sforzatoなどの高性能DACで採用例の多いESS9018sや英国XMOSのチップが見える。このHPAの内部はデジタル部と左右チャンネルそれぞれ4本のECC803sを使用したアナログアンプ部に分けられる。アナログアンプ部は真空管とソリッドステートのハイブリッド構成であるとされているが、DAC部と同じく回路構成の詳細は非公開である。このシステムでは、ヘッドホン側にもHPAからの給電で動くアンプが内蔵されているのが新しい。どういう仕組みになっているのか?よく分からないが、二段構えで増幅を行い、最終増幅はダイアフラムの直近で行いたいということだろう。こういうヘッドホンシステムは初めてではないか。
DACについて見ていると、写真にクロックのパーツなども写っているが、使用部品はありふれたものである。この写真からすると、搭載されたDACについては600万円のクラスの機材としては貧弱なものではないか。こうなると、高級なDACやアナログプレーヤーシステムを繋いで、アナログ入力で楽しむのがこのアンプの使い方のメインということになりそうだ。
なお、今回はエソテリックの中級クラスのSACDプレーヤーのバランス出力をそのままHE-1につないだだけの試聴である。DAC部は使っていない。SACDは聞かなかったし、当然ハイレゾファイルなども試せていない。インタコも電源ケーブルも安価な市販品である。
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ヘッドホン HE1060について:
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これは素晴らしい形をした静電型ヘッドホンである。この楕円形というかオーバル型のシルバーハウジングとブラックのハチの巣グリルの対比が美しい。奥には金色の網目が見える。これは金を蒸着させたセラミック電極であり、そのさらに奥にはプラチナを蒸着させたダイアフラムがある。音を聞く前から惚れ込んでしまうほど美しいサウンドメカニクス。これはまるでオーバーテクノロジーで作られた未来の道具、オーパーツのようだ。やはりSennheiserはヘッドホンメーカーなんだ。これなら200万円とかで単売されても、ドライブできるアンプがあれば買ってしまいそうだ。ハウジングは複雑な楕円形のアルミ削り出しのものであり、SR009を軽く上回る美しい造作である。枠の後側に入ったヒートシンクのプリーツが美しい。
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この枠の中にアンプが内蔵されている。セミアクティブタイプとでも言おうか。ヘッドホンケーブルを介さず、ヘッドホン内部のアンプでダイアフラムを動かすという考えもまた素晴らしい。こうすればエネルギーロスは少ないだろう。アンプを内蔵しているため少し大きいし、やや重いのだが、LCD4に比べればずっと軽く、装着もしやすい。(重たさ、大きさも現時点で非公開)さすがに良くできている。
イヤーパッドはアレルギーレスを謳う特殊なベロアやマイクロファイバーが駆使されている。表面の感触はサラッとしていて、必要以上にフカフカしていない。ヘッドバンドは当然長さの調節ができ、頭頂にあたる部分
は大型のクッションがあり、力を分散するので、おそらく痛くはならない。
ヘッドホンケーブルはツイストしたやや太いもので、3mある。STAXのケーブルなどに比べてしなやかではない。ただ端子は8極ありそうなので、STAXのようなキシメンケーブルだと太くなりすぎるのかもしれない。これは銀メッキのOFCケーブルであるという。取り回しはすごく悪いわけでもないが、このケーブルが本当にいいのかは私には分からなかった。今回の祭りではブリスオーディオをはじめてとして、PAD、キンバーなどの各社から多くのリケーブルが出品されていて、驚きの連続だったが、これを別なケーブルに付け替えたらどうなるのか興味はある。例えばブリスのACケーブルはいい思い出がないが、ヘッドホンケーブルはどうなのか。HE1060ではヘッドホンから端子なしでケーブルは直出しされているので、リケーブルできるような仕様ではないにしても、替えて試してみたい。
ともあれ、これから先は、こういうヘッドホンが欲しい。このヘッドホンの造りはブレークスルーである。少なくともこの技術をフィードバックしたヘッドホンは必ず作ってほしい。


The sound 

虚ろになった貝に耳をあてると、海の波音が聞こえるというが、ヘッドホンオーディオにもそういう側面がある。ヘッドホンシステムの姿態とそこから聞こえる音に備わった物語が、イメージを喚起して、聞こえてくる音楽を美しくしてくれることがある。
HE-1の外見そのものは確かに美しい。特にヘッドホン部の、その優美な形は海辺で拾った貝のように、私のインスピレーションを呼び起こした。
しかし、その音はそういうロマンチックなイメージとは程遠いものだった。

このHE-1が静電型であることを考えれば、とりあえずSR009を純正の真空管式アンプでドライブした音を予想する方も多いかもしれない。
それは完全にハズレ。
これは、かなりしっかりとした輪郭をもつ明瞭なサウンドである。SR009よりもずっとくっきりしている。アンプがヘッドホン側にもあると、こういう音になるのか。再生帯域は8Hz~100kHzとかなり低いところまで対応すると謳っているが、実際に、かなりなワイドレンジ感があり、高域、中域、低域とも非常に高い解像度を持つ。すなわち音数はとても多く感じた。細かい音をつぶさに聞けるヘッドホンの利点が十二分に発揮される。ここらへんは十分にドライブされたLCD-4を上回るところだ。低域の伸びもLCD-4やSR009+SRM-007tAを軽く上回る。ただし量感はなくスレンダーな音だ。音の歪みは極度に少なく、ストレートかつピュアな音。THD0.01は伊達ではない。音抜けがとてもいいせいか、若干冷たく乾いた音であり、冷静に音楽を観察するような醒めたまなざしを感じる。例えばOJIのブースにBDI-DC24B G LimitedというHPA(実質的にOJIの集大成と言うべき傑作だ)があったが、あのように豊かな潤いや、音楽的な躍動を感じる音ではない。また、音圧レベルは100dBとされているが、比較的簡単に大きな音が取れるのは魅力的である。そして音量を上げても全くうるさくならない。なお、HE1060はオープン型の中のオープン型という感じで音量をおそらく大して上げなくとも、音漏れはかなりなものだ。周りが静かだったからだけではない。これなら、あの魅力的で個性的なKURADAのオープン型とあまり変わらない音漏れではないか。
このシステムの音は真空管を多用しているので、美音系ではないかと予測していたが、違っていた。もっとカチッとしてクール、折り目正しい真面目な音である。加えて言えば普通の佇まいを持つ音で、クオリティの高さはひけらかさない。

より詳しく突っ込んだメモを急いで取ってゆく。試聴時間は短い。
SR009で聞かれるような音の透明感はやや少ない。透き通った音場の見通しはかなり良いのだが、音像に透き通るような薄さはない。サウンドステージの左右の広がりはチャンネルセパレーションの良さを感じるにもかかわらず意外に狭かった。このような究極の開放型のシステムを目指すようなモノならもっと広くていいはずだと思う。実際、THA2で聞くHD800よりも狭く感じる。(HE-1の製品版はクロスフィールドを効かせることができるようなので、この辺は変わる可能性がある。)
そのかわり音場の透明感のようなものはかなりあるように感じた。音の見通しは凄くいいのである。音のヌケがいい。この部分は当たり前のようにLCD-4なんかを超えていて、いままで聞いたもので最高である。
一方、残留雑音(S/N)については不利に感じた。音場の透明感はあるのに、である。これはこのHE-1の音場の透明感が人工的なものであることを意味する。真空管を使ったせいなのだろうか、背景にかすかに静けさを汚すものの存在を感じた。手持ちのRe Leaf E1xの方が若干SNはいい。
また音の過渡特性(トランジェント)については、かなり正確ではないかと思った。実物の楽器やボーカルの音声の立ち上がり・立下りのスピード感にとても近い。自分のシステムで苦労して実現していることを、あっけなくやってのけている感じがある。同時にハモってほしいところ、音が溶け合ってほしいところできちんとハモることも確認した。
ただ、ここでの音のスピード感や分離感、ハーモニクスなどについては、他のハイエンドヘッドホンシステムでも苦労すれば実現可能なレベルだと思われた。つまりそこらへんはハイエンドヘッドホンの世界の中でも非凡だとまでは言えない。
実際、各パート、楽器の分離はもっとあってよいと思った瞬間もある。例えばHE-1はHD800sで聞くGOLDMUNDのTHA2(USB接続)には、音の分離では及ばない。(今回のムンドのデモで活躍していたBMCの特殊なUSBケーブル、カルロス カンダイアスの開発したpure USB 1のせいもあるか)
それにHE-1は大きい音と小さい音の階調・濃淡が細かく分かるシステムではあるが、その音のグラデーションはまだまだ単調である。さらに倍音成分の質感やその存在感と透明性の両立も今一つかもしれない。倍音成分がもっと綺麗に広がってほしい。これらもほぼ同時に聞いたTHA2+HD800sに負けるし、Re Leaf E1+HD800などにも劣る。これは主に送り出しやアンプの能力に問題があるのかもしれない。
対して、定位の良さ、位相の正確さ、タイミングの正確さなどについては現時点では世界トップクラスであろう。とりあえず正しい音がしっかりと止まって聞こえるというシステムであり、私の使っているものも含めて、ハイエンドヘッドホンシステムは少し脚色が強いと思える。今聞きながら書いている、私のシステムについて言えば、低域のインパクトや量感が多きすぎる、音が近すぎるのかもしれない。
なお、出音全体にわたるような音楽性の発露は今回はあまり感じなかった。音楽の内容に合わせて音の躍動感やスピード感を自動的にコントロールする能力はこのシステムにはないのだろう。私のNAGRA HD DAC+Re Leaf E1x+HD650 Golden era MeisterKlasse で聞かれる音楽性はここにはない。本当に真空管を使ったアンプなのかと疑いたくなるほどプラスαのない生真面目な音だ。思わずアキュの音を思い出したほどだ。Accuphaseのような中毒性が少ない健全な音である。確かによく聞くと真空管らしいふくらみやしなやかさ、温かみをある優しい音調をある程度は聴けるのだが、そこらへんは決して前面には出てこない。これは最終段がヘッドホンに内蔵されたソリッドステートアンプだからだろうか。それともなにか意図的にそういう方向に音を振ったのだろうか。

HE-1では音楽のジャンル、音楽の製作された時代ごとの向き・不向きはあまりないと思うが、このままの音作りで製品版まで行くとしたら、スペイシーな表現を必要とするアルバム、例えばRoxy musicのAVALONなどはつまらないだろう。
HE-1はつまらない音楽はつまらなく、録音の良い音は良く聞こえるという具合に、ソースへの忠実性の高いシステムであり、NordostのODINのように払った分だけの強烈なドーピング効果を期待する方にはお薦めできない。
音作りの傾向としては、ガチガチのプロサウンド(客観性重視、モニター的)ではないが、BGM的にすごくリラックスして聞ける呑気な音でもない。音に対してリスナーが集中することを求めているような気もするが、その求心力は緩やかなものである気がする。

この音の擬人化するとすれば、イケメンだが少々ゴツいドイツ人の執事のようなものか。基本的には主人に対して受け身の姿勢できっちりと仕事をする。それは、かなり高級な仕事ではある。しかし、あの黒執事のようなものとは違う。時には主人の予想を超える見事なパフォーマンスをしたり、ウィットに富んだ会話を促したり、時には主人を脅かすほどの魔を感じさせたりもする、スーパーハイエンドオーディオのレトリックにはまだ届いていない。

ディープな解釈をすると、このHE-1の今の音作りには一定以上の生々しさをあえて避けるというか、現実との間に絶妙な距離感を求めるという姿勢が見え隠れする。これはおそらく正しい音だが、正しい形に微妙に整えられ、生の姿とは違うのだ。それが如何に憧れているものであろうと、心の中にズカズカ上り込んでくることを望まないということだろうか。本当の現実ではなく、わずかにリアルが欠如したほうが、多くの人に受け入れやすいと思っているのだろうか。そうだとしたら、これはコアなヘッドフォニアが使うには向いていないのかもしれない。彼らは一線を超えて、オーディオの神髄、あるいは音のリアルに迫ることを常に求めている。もし私がこれを使うなら電源ケーブルや特注のリケーブル、送り出しの強化できっちり調教する。これでは600万のシステムとしては、無味乾燥じゃないか。優れたヘッドホンを生かし切ってないじゃないか。

また、オーディオというのは、数値的なクオリティの競争ではなく、クオリティ「感」の競争であると誰かが言っていたのも想い起こされる。確かにHE-1は外見の豪華さや個性的なギミックなど、気分を高めるカラクリが多く、クオリティ感は最高だ。肝心な音も、もちろんかなり高いレベルだ。しかし価格で600万、再生帯域は8Hz~100kHz、THD0.01、ダイアフラムをヘッドホン本体に仕込んだアンプでドライブしようという最強の静電型システムとしたら、聴感上のクォリティは正直もっと欲しい。例えば600万円の予算で、好きな送り出し、好きなアンプとヘッドホン、ケーブルを自由に選べれば、このシステムに近いサウンドを生み出すことが必ずしも不可能とは思えない。少なくとも違う方向性なら、同じグレードのものを作れるだろう。この試聴で注意すべき点があるとしたら、今回は上流にハイエンドDACを持ってきていないというところだ。MSB Select DACをこのシステムの上流にもってこようとしている外国のマニアは既に存在する。確かに、そこまでしないとHE-1の真価は分からないかもしれない。


Summary

ダメ出しはそこらへんにして、このHE-1のようなモノは未だかつて世界に存在したことがなかったことは認める。ヘッドホンの世界もここまできたのだな、という感慨がある。もう随分前の話だが、GEM-1が出た時、私は時代が変わるのを感じた。GEM-1の持つメカニカルな美学、その音のオーラから私は野心の匂いを感じ取った。時代を変えようとする野心である。そしてここにゼンハイザーから全世界に提示された美しい作品の内容にも、あれとはまた異なる次元の野心を感じた。まだまだ粗削りな野心ではあるが、それはリスペクトすべきものだ。その意気や良し。HE-1のステータスを高く吊り上げることで、ヘッドホンオーディオ全体の地位をも高めることを意図したか。あるいは自分の会社の価値自体をこの製品の開発を通して再定義することを狙ったか。

今やヘッドホン・イヤホンはオーディオの中に独立した勢力圏を築いている。その独特のメカニカルビューティや、スピーカーでは決して聞けないディテールに満ち満ちた音質、そして多くの音楽ソースが実際にはスピーカーではなく、圧倒的にイヤホンやヘッドホンで聞かれるという事実、ファッションとしてのイヤホン・ヘッドホンの隆盛などが合わさり、今、一つのカルチャーとしての存在感を示しつつある。

オーディオには本来、勝敗なんてものはないが、人の性としてそういう見方は常にしてしまうものだ。だが、この期に及んでは、スピーカーが良いとか、ヘッドホンの方が良いとか、そんな比較はナンセンスである。オーディオファイルは意味のないこだわりを捨て、自らが置かれたシュチュエーションと、その嗜好に従って最適なシステムを選ぶべきだ。スピーカーでも、ヘッドホンでもそれぞれにいい音で楽しめる時がきた。HE-1の登場によって時代は変わり、ハイエンドオーディオの選択肢をスピーカーオーディオが独占していた時代は過去のものとなった。

戦国時代に日本という国のまとまりを明確にイメージできていた人間はごく少数であったという記述をこの前、本で読んだ。現代では、日本がこういう国だというのは当たり前になっているが、群雄割拠していた、あの時代にそれがイメージできていたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの少数の大名とその部下のみだった。
一方、話は飛躍する(というか、随分スケールの小さい方へ飛ぶようだが)、
ヘッドホンの世界がこの先どうなっていくか、予言者のようにイメージできている人間などいるのだろうか?私はそんな人はいないと思う。ただ、未来がどうなっていくのかは知らないが、自分の願望としてどうなって行ってほしいかをイメージできている人間は居ると思う。このHE-1を作った人はそういう人の中で特にビッグなイメージを持つ人々なのだろう。彼らはその意味では戦国時代の英雄の一人のようなものなのかもしれない。
とにかく、このHE-1を聞き終わって思ったのは、製品を作る側のイメージのレベルが高ければ高いほど、優れて革新的な製品が出来上がる可能性が高いということだ。

とはいえ、私見では、今回のHE-1の音質は現時点では間違いなくトップクラス内ではあるが、これがトップではない。現代の最高のヘッドホン関連機材を駆使すれば、これよりいい音を聞くことは不可能ではない。これはOne of themである。それは会場をくまなく回って、真剣に音を聞くだけで分かることだ。つまりゼンハイザーの技術者よりも高いヘッドホンオーディオのイメージを持つ者がこの世界には居るということになる・・・・・・。

今、HE-1を単なる富裕層向けの豪華なだけのガジェットと直感的に断じても、それはあながち間違いではないと思う。ただ、それは正しいけれど一面的な見方でしかない。いろいろ言いたいことはあっても、このサウンドに接してみれば、やはりこのSennheiser HE-1の登場は、ヘッドホンというガジェットの概念・イメージを高く高く飛躍させるエポックメイキングな出来事であるとしか、私には思えないのだ。

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# by pansakuu | 2016-05-03 17:44 | オーディオ機器

NAGRA HD DACと暮らす:子供でありつづけるために

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子供と動物はずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。
プラトン


ようやくNAGRA HD DACと毎日を過ごす権利を得た。
もうかなり短くなってきたオーディオのWATEDリストの筆頭に長らく居座っていた機材だが、ついに射落とすことができた。

初めて買ったDACはWadiaの27ixだったと思う。あれから長い月日が流れたが、いったいどれくらいのDAC・デジタルプレーヤーを聞いたか、もう自分でも数えきれない。その中で最も音楽性で優れたDACが、このNAGRA HD DACであることに疑問はない。もちろん、絶対的な性能では、MSBのSelect DACが現代のデジタルオーディオに君臨する存在であるが、音を楽しく聞かせ、人を感動させる能力ならHD DACは彼に勝るとも劣らない力を持つ。

それにしても、この昔ながらのモデュロメーターの採用にはグッとくるものがある。音楽を聞きながら、音楽のリズムとメロディの動きに合わせ、細かくふれるメーターを眺める快感に酔いしれる。暖色系のライトアップも堪らない。こういう快感を与えてくれるDACは他にはない。これぞNAGRA。
こうして見ていると、音楽が生きていて、なんとかこうして今日を生き残った私がそれを聞いている、そういう情景が出来上がる気がする。その証が、このメーターの灯りの中でふれている針の動き、そのものであるような気分になる。
眺めて楽しいDACというのは珍しいが、これはそのひとつだろう。ずっと欲しかったものをプレゼントされた子供みたいに、有頂天になっている私がここにいる。
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数か月前に自宅で初めて聞いた夜に導入は決めていたが、悩みどころがあった。
パワーサプライをどうするか。
このDACはおそらく世界で唯一、デジタルセクションとアナログ出力回路の電源が全く別なのである。よくある内部で分かれているタイプではない。コンセントから別なのである。つまりNAGRA製品に共通する強化電源であるMPSを使用しない場合は、二本の電源ケーブルが必要になるDACだ。二つのアルミ製のアダプターが付属する。以前の試聴ではMPSを使った方が、音がよかったのであるが、その時、MPSの対照として二電源形式を取った場合に使った二本の電源ケーブルは全くの普及品で、オーディオ用ではなかった。一方のMPSにはJormaのAC LANDAを使ってしまったのである。これは比較の仕方が上手くなかった。
一方、NAGRA本体はMPSの使用を推奨しているが、あれは小さくはない。置く場所を作るのが面倒だ。
一応、ヘッドホンアンプとして他に持って行って聞く予定もあるので、小さな通常のパワーサプライも欲しい。また逆に本気で使うならデジタル部とアナログ部にそれぞれ別なMPSを使うのが最高かもしれない。それだとさらに置きづらいが。さらにMPSは半分バッテリー電源にするオプションも選べる。いったいどうしたらいいのか?目移りしてしまう。

結局、まずはMPSではなく、通常の電源を私は選択した。届いてみると、これはいい。MPSよりもコンパクトだ。持ち運びはこちらの方がやや有利かもしれない。デジタル部、アナログ部ごとに電源ケーブルを変えて、音質を調整することもできる。私の方ではAC LANDAのプラグのメッキを変えたバリエーションをいくつか用意できるので、好みの組み合わせを探れるかもしれない。ひとまず、この状態で遊んでみよう。MPSは後でもいい。

HD DACについては細かいインプレを既に書いたし、MSB Select DACに関するインプレの中で、単体DACのレビューはしばらく書かないとも言ったから、音質についてはあまり多くは語るべきでもないかもしれない。スピーカーで聞くHD DACのサウンドの凄さや、ヘッドホンアウトの音の良さについては、以前の内容を参照してもらえばいいと思う。
今、ここで述べるべきはRe leaf E1xと繋いだ時のヘッドホンサウンドについてだろう。
(以前、HD DACがここに来た時にはRe Leaf E1xは無かった。)
組み合わせるヘッドホンはLCD-4でも良かったのだが、あれは公平感を著しく欠く、特殊な音だ。いつも使っているHD650 Golden era meister klasseが評価基準としては良かろうと思う。

このセットで、まず感じるのは音楽性の高さだ。
NAGRA HD DACを通すと、何と言ったらよいのだろう、音楽が覚醒するのだ。生き生きした抑揚をつけて音楽が鳴ってくれる。これは感情的であり、感傷的な音と言ってもよい。書で言えば顔 真卿の祭姪文稿のようなものだ。人間の気持ちが露出するようなプレゼンの仕方なのだ。いわゆるフラットというか、平板で公平な鳴り方には全然ならない。音楽に込められた演奏者や作曲者の感興が、つぶさに感じ取れるようになっている。音楽の本当のコアの部分を曝け出すと言ってもよい。この音楽的な抑揚の振幅の広さと速さ、そして強さは、並みのヘッドホンアンプでは受け止めきれまい。だから一般的に、このDACはスピーカーリスニングに使うべきものだろう。例外的にE1クラスの機材まで行けば、このDACの音を受け止めることができるということに過ぎない。あくまでこの使い方は例外なのである。
もちろんHD DACに直にヘッドホンを挿して音楽を聞くこともできる。この方式でも、E1xの音さえ聞かなければ、十分過ぎるほどいい音であるし、実際、諸外国ではこのHD DAC直挿しのヘッドホンリスニングに賞賛の声があがっている。内部でゲインも変えられるので、様々なヘッドホンにも対応する。しかし、この接続だと、E1xを介した時に比べて、低域のニュアンスが弱かったり、全体に淡白な鳴り方をするように私は思う。
やはり、E1xほど優れたHPAがあるなら、それを使った方がいい。
これはE1Xと合わせて本当に、その内蔵のDACを超えると思えた初めての組み合わせである。
だが、この合計価格は・・・・・。インタコとMPSをそろえるとSennheiser HE-1と大差なくなってきた。
今度やる予定の、聞き比べが楽しみだ。

さらに感じるのは真空管を使ったアナログ出力回路の音の良さである。これは他のほとんどのDACで得られたことのない、独特の聞き味の良さ、力強さ、音のうねりを生むようだ。そして他のDACではありえないと思わせるほどの低域の量感の豊かさ、他のハイエンドDACの如く各パートを分離しすぎず、絶妙にブレンドして聞かせること、生々しいボーカリストの口唇の動きのニュアンス、奏者どうしのインタープレイの表現の見事さに驚く。妙にリアルな実在感はあるのに、どうも絵空事のような、よそよそしく、シュールな音が聞こえてくるDACもあるが、HD DACは、それとは正反対の態度を持つように聞こえる。これらはもちろんアンドレアス コッチの開発したコンパクトのDACモジュールの能力に負うところも大きいのかもしれないが、出力に真空管を一味加えることで初めて成し遂げられるもののような気がする。MPS-5ではこの音は出なかった。この音の良さは今まで聞いてきた多くの真空管アンプで感じてきたことに通じる部分が多いということもある。
惜しいことに、これから発売されるNagraのClassicシリーズのDACについてはボリュウムやヘッドホンアンプは省かれ、真空管を出力回路に用いないという。しかも電源は一つになる。コスト削減のためというが、それでも価格は200万近くになるらしい。それなら絶対にHDシリーズを買うべきだろうと思った。
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MacやPCをトランスポートにしてヘッドホンで音楽を聞いていると、一つのアルバムを通しで聞いたりすることはおろか、一曲を通しで聞くことすら、いつも必ずやるとは言えない。何故だろう、こういうデジタルシステムだと、どんどん曲を替えて聞きたくなるものだ。アナログレコードを聞いている時はそんなことがなく、少なくとも、片面を一度に聞き通すのが普通なのに。
しかし、NAGRA HD DACでは例外的にデジタルでも、アナログのような聞き方をしてしまう。曲を通しで聞き、アルバムを通しで聞いてしまう。そういう流れになってしまうのだ。またプレイリストを当然作るからアルバムをまたいで、シームレスに曲が連なって流れてゆくことになる。これはアナログでは決してできないことだ。どうしてもレコードをかけかえなくてはならない。
このDACの聞き味の良さ、オーディオとしての性能の高さ、音の生々しさ、音圧の力強さを呆然として聞いていると、時の経つのを忘れる。曲と曲は間の静寂を介して、途切れるこ