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The Beauty room / The Beauty room (Peacefrog)

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こちらもチルアウトというジャンルのアルバムである。チルアウトはクラブでちょっと踊って、一休み、クーリングしながら聞くのにちょうどイイような音楽を指していると聞くので、クールでありながらリラックスして聞ける音楽として再生したいものである。Zero7のSimple thingsと似たアルバムなのだが、一貫して両性具有的な響きの男声がボーカルを取る点が異なる。この声質に異様な存在感があるのだが、まさにそこにハマってしまう。そしてハーモニー。複数の男声が淡彩で重なり合う様の美しいこと。これも例によってヨコ乗りの音楽だが、ZERO7よりもスムーズな流麗さが追求されている。一昔前のGOLDMUNDのアンプのようなクールで透徹したサウンドが似合う。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:29 | 音楽ソフト

Metaphorical music / Nujabes (Dimid recordings)

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数年前、惜しくも他界したNujabesの代表的アルバム。彼のアルバムは日本の音楽の歴史に名を残すことは間違いないが、オーディオファイルに言わせれば音が全然良くない、ただのポピュラー音楽のアルバムということになるだろう。少し昔だが、渋谷や青山のメゾン、カフェで、私たちが深夜まで、ゆるゆると、お茶していたころ、このアルバムのメロディとラップが安価な業務用システムながら粋な音で流れるのをよく耳にした。音自体は独特のチープ感があり、それは重要な演出、音の手触りの特色になっている。こういう音はハイエンドオーディオには向かない気もするが、この21世紀初頭の渋谷的軽妙さ、ビートに宿る情感を余すところなく表現したいなら、それなりの装置が欲しい。低域に量感と解像度、適度なスピードの揃ったシステムならご機嫌だ。こんなLo-FiなアルバムでもJBLのDD66000は、この音楽を心地よく、余裕をもって鳴らしてくれるので好きだ。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:27 | 音楽ソフト

Cubicq / Alessandro Galati Trio (BLUE GLEAM)

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地味だが、とても美味しいイタリアンジャズを収めたCD。録音は良い。24bitでレコーディングされ、DSDでマスタリングされている。内容としてはピアノトリオの淡々とした演奏。ヒートアップする局面や楽しげにスイングする場面がほとんどなく、あくまでストイックに展開していく音楽だが、裏にはこの上なくスイートなニュアンスがある。こういうBGMな聞きやすさをDSDの鮮度感や広がりを活かしながら再生したいものだ。(イタリアには元来こういうストイックな情感があるらしい。例えばイタリアの静物画家である、モランディの作品を見よ。)このCDは定位が良く、各楽器の質感や演奏者どうしのインタープレイの気配もしっかり録れている。しかも、それらの音質的要素の盛り込み方のバランス感、公平感がすこぶる良い。オーディオチェックCDとしてお薦めである。
ところで、音質テスト用のCDということで、オーディオ店に試聴に持っていくCDはどういうものがいいのだろう。自分がいつも聞いているもの、というのが一般的な答えであるが、試聴会ともなれば、その場の雰囲気も踏まえた方がいいかもしれない。
以前、あるオーディオ店のリスニングルームで、総計2000万を超える、かなりハイエンドなシステムの試聴会が催されていた。試聴曲はクラシックかJAZZばかりで、システムは厳かにそれを鳴らす。参加メンバーの平均年齢は高めで60歳前後かと思われた。そこにいきなり最新のアニソンを持ち込んだ勇気ある若者がいた。300万オーバーのプレーヤーのボタンが押され、若い女性の黄色い声が部屋一杯に弾けた時、ほとんどのメンバーの顔がこわばった微笑で凍りついていた。決して音自体は悪くなかったのだが、あのオジさんたちのシラけ方は、どうにも救いようのないものだった。ハイエンドオーディオの試聴会にありがちな集団催眠を解く効果はあったかも知れないが・・・・。
ともかく、このAlessandro Galati Trio のCDならば、大抵のハイエンドオーディオの試聴会において、その雰囲気から大きくハズすことはないだろう。お堅いクラシックや古色蒼然とした古典JAZZや甘ったるい女性ボーカルばかりで盛り下がってきた場を気分転換させることもできるし、オーディオチェックの機能についても十分果たしてくれると思う。とにかく他人とカブらず、なおかつ無難なオーディオチェックCDのひとつだと思っている。

# by pansakuu | 2012-07-29 21:25 | 音楽ソフト

Brown Sugar / Dangelo (EMI)

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また、打ち込み系のブラックミュージックである。これも全然Hi-Fiなアルバムじゃない。スローでスイート、ガッツリとした濃厚さが特徴の音作り。パワフルさも内に秘めていて、高密度なバター醤油味のサウンドだが、そのウラには醒めた冷静さもある気がする。音に不思議な威圧感が宿っていてリスナーの鼓膜ををジワジワ押してくるのが素晴らしい。低域に量感と柔らかさが欲しいソフトだが、そこに解像度の高さまで加われば、このCDの再生はクールこの上ないものとなる。オーディオファイル向けでは全くないソフトだが、こういうソフトを楽しく、それらしく、時に斬新に再生するのがオーディオの醍醐味だと思うのだが、いかがであろう。このアルバムについては、大型の箱型エンクロージャーを持つATC SCM150slptでの再生が素晴らしかった。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:24 | 音楽ソフト

Sera Una Noche / Sera Una Noche (M.A.Recordings)

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打ち込み音楽の虚音ばかりだと、古典的なオーディオファイルの方々にはバカにされそうなので実音の録音に凝るMaレコーディングのCDなんかも挙げておきたい。これはかつて朝沼氏に推薦された、現代タンゴの作品であり、教会のホールにごく少数のマイクを設置して録音されている。音の空間定位が最大のチェックポイントとなるCDであり、いろいろなシステムでかけて、楽器の点在感をどこまで深く表現できるかを競うことができる。Vovoxのノンシールドの単線ケーブルTexturaをフルに使ったシステムを聞いたとき、このソフトのピンポイント定位が生きていたのが印象深い。ハイレゾデータでの発売もあり、CDが気に入ったらそちらも買うべき。このデータはさらに生々しい音であり、オーディオチェック用としても、お薦めである。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:22 | 音楽ソフト

Luther Vandross Radiocity Music hall 2003 / Luther Vandross (Arista)

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ルーサーはライブアルバムが少なく、スタジオでの録音が多いボーカリストなので、その意味で貴重なアルバムであるが、音質的にも秀逸なものと言える。ルーサーの生歌の瑞々しさや粘りが、ライブ会場いっぱいに響く様がつぶさに録られており、彼の情熱的な(しつこい?)歌いまわしの素晴らしさが強く印象付けられる。客席の歓声やざわめきが音響空間の底にたまるようにしてあり、その上方にルーサーのボーカル層、中間層として女性コーラスがあり、横の広がりのみならず、縦方向の広がりにも注目すべきアルバムである。
B&W 800Diamondの極めつけの定位の良さ、空間性は、このアルバムの音の魅力を大きく引き出してくれた。

# by pansakuu | 2012-07-29 21:20 | 音楽ソフト

Walking Wounded / Everything but the Girl (Atlantic / Wea)

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ドラムンベースという楽器の使い方で話題になったアルバムである。またしても完全な打ち込み音楽で申し訳ないが、もう実在の音に私は飽きたのかもしれない。この虚音は全くオーディオファイル向けではないが、私は好きだ。ベン ワットのトラックに合わせて見事に歌いまわすトレイシー ソーンの声の響きにはプラスチッキーな軽さと鈍器のような打撃力が同居しており癖になる。非常にクールでタテ乗りの楽曲が並ぶが、どれも微妙に重たい音であり、この無重力と重力の境界線にあるような雰囲気を出したい。21世紀のボサノヴァ。こういうオシャレな音楽の入ったCDをオーディオ的に突き詰めたシステムに入れ、あえて音量は控えめにして、BGM的に「なんとなく」流すと、さらにオシャレ感が増大してくるのが面白い。Hi-Fiオーディオはオカルト的かつ俗物的で、むしろカッコ悪いという、音楽ファンの立場からの批判があるが、こういう音楽を小規模なハイエンドシステムでサラリと鳴らすほど、クールなことはないと思っている。あえて言えば、PIEGAはとても合う。手前味噌と知っていても、そう言いたくなるほど。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:19 | 音楽ソフト

Anthem / Ralph Towner (ECM) [SHM-CD]

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ECMの放ったギターソロアルバムの白眉である。典型的なECMサウンドであり、マンフレッド アイヒャーのサウンドポリシーが浸透した音作りである。やや冷たい空気感の中に静謐な闇があり、その只中にラルフタウナーの呼吸音と弦音が交互に現れる。リズミカルに、しかし密やかに爪弾かれる弦の振動が視覚的に捉えられた録音であり、何を演っているのか、目に見えるようなシステムであった方がいい。また、システム全体としてSNが高ければ高いほど良く、JeffのCriterionをプリアンプに使ったシステムによる再生の美しさは未曾有のものだった。また、私にNagraの300iを心底欲しいと思わせたのもこのアルバムである。このアルバムで300i独特のリリシズムとコンパクトネスに酔おう。美しいジャケット写真を眺めつつ。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:17 | 音楽ソフト

Global underground 013 IBIZA / Sasha (Global Underground)

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Xpander という名曲を作り出したサシャというDJは自分のための特注機材を多く使っているらしく、他のDJとは少し違う出音でプレイしていた印象がある。彼の音は色彩感が強く、鋭角的な音なのに、なぜかキツくない。このアルバムはクラブDJが作りだした音響の絵巻のようなもので、最初から最後まで通しで聞くと彼の音のセンスの凄さが良く分かる。途切れることなく、グラデーションのように変化してゆく音の奔流にリスナーは呑み込まれ、包み込まれ、一気に押し流されてゆくイメージである。音の広がりの良さ、音の軽快さ、低域のインパクトの強さを身上とするシステムが、この音楽の再生に適しており、上手くすればイビサ島のクラブを自分のリビングに呼んでくることができる。ここではジェネレックの大型パワードスピーカーを天井から吊っての大音量再生に如くはないと思っていたのだが、数年前、CHORDの大出力のモノラルパワーとジャーマンフィジクスのユニコーンを組み合わせたシステムでの再生がそれを上回ることを知った。ユニコーンには、あれほどまでにパワーが入るのかと恐れ入った次第である。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:16 | 音楽ソフト

How to live with phantom / Shintaro Sakamoto (Fat Possum Records)

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最近解散したゆらゆら帝国の坂本氏のソロアルバムである。坂本氏は70年代のブラックミュージック、アナログレコードが大好きらしく、音作りにもそれが出ている。コンパクトでホンワカした音で、音場は広くないが、定位は精緻で、解像感も高く細部まできっちりと聞こえる。音の粒がしっかり立ち、ボーカルがとても立体的。加えて音楽の流れがすこぶるスムーズであり、アナログレコードを聴いているような心地よさがある。こういうシンプルな音楽をハイエンドシステムで聞くと、むしろアラが目立って聞けないことが多いのだが、このアルバムは音質的な作りこみが地味に充実していて、かなり好感が持てる。これは昼下がりにウチでよく流すアルバムである。IKEMIをはじめとする、LINNの一昔前のブラックボックスシリーズを用いての、微妙にリラックスした再生はなかなか良かった。なお、サウンド&レコーディング・マガジン 2012年9月号の付録のCDには、このアルバムの収録曲「幽霊の気分で」のcornelius mixのハイレゾデータが入っている。corneliusのリミックスもいいのだが、マスタリング工程を経ないノー・コンプ・バージョンのハイレゾデータの音、それ自体が素晴らしい。ノー・コンプらしい伸びやかな音の起伏やハイレゾの透明感に圧倒される。この付録のため、2012年9月号は飛ぶように売れていた。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:14 | 音楽ソフト

Untrue / Burial (HYPERDUB RECORDS / BEAT RECORDS)

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素人の私にはパッと聞き音響系という言葉しか思いつなかった。ダブステップとかブレークビーツとかデトロイトテクノとか色々な名前の音楽と絡んでいる音。電子楽器をフルに使いながら非常に有機的なイメージを醸し出す不思議なアルバム。ラフ シモンズがコレクションの発表会でバックに流していて、一聴で気に入り、自分で調べて買ってきた音楽である。ジャケットのイラストが面白い。冒頭から不隠な雰囲気で挫折しそうになったが、ずっと聞いていると、濁った暖かい水の中で浮遊するような不思議な世界に包まれる感覚がヒタヒタと来る。この変な感じが病みつきになる音楽である。Lo Fiでなく、むしろ超高級システムを用い、大音量でかけた時に現出する世界が凄い。それは、凡百の整った音楽と比べれば聞くに堪えない感じもあるのだが、この音の混沌に放り込まれる快感は何物にも換え難い。このアルバムは最新のGOLDMUNDのフルシステムでの再生が忘れられない。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:11 | 音楽ソフト

Exodus / Bob Marley&The Wailaers (Island)

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最高級オーディオシステムをコケさせるためのCDである。Lo-Fiの勝利の凱歌のようなアルバム。ざっくばらんで肩の力が抜け切った音楽であり、なにからなにまで最高級のコンポーネントで固めたスーパーシステムでこれをかけると、音楽がかなりラフな印象なので、システムが完全に戸惑ってしまう。そこが笑える。Lo-Fiにしかできないような軽みのある音調やナローレンジをもカバーするシステムでないかぎり、このCDをそれらしく鳴らすことができない。非常にハイファイな再生が難しいCDである。アキュフェーズやGOLDMUND、TADのシステム等で鳴らすと完全にズレる。
CHprecisionのD1+C1に、このCDを演らせた時は独りで大笑いしてしまった。(失礼、失礼)D1+C1は音のエッジが非常にソリッドで立体感が素晴らしく、威厳に満ちた重厚サウンドが特徴であるが、こういう軽みや流れの良さが必要な楽曲にまるで合わないと思う。いや、プレーヤーの音が全く曲想に合わないどころか、間違ってしまっているとさえ思う。私がCHprecisionのD1+C1を買わない理由は、まさにこの辺にある。
一見合いそうなVTLとJBLのペアで鳴らしたこともあったが、これもどこか音がほぐれないうえ、肩に力が入った音で駄目であった。この音楽を巧く再生できたのはCD12を送り出しとし、FM acoustics FM155をプリアンプとし、Focus audioのブックシェルフをスピーカーとした小型のシステムであった。
なおボブ マーレーについてはベスト版の192KHzのハイレゾデータがHDtracksからダウンロード可能となっている。これは別な意味で必聴モノ。かなりなHiFi調に変貌したレゲエにゾクッとさせられる。こちらならば、どんなハイエンドシステムでかけてもマッチするが、音がクリアすぎるせいか肩の力が抜けた雰囲気がスポイルされてしまっている。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:08 | 音楽ソフト

Bach: Art of the Fugue / Keller Quartet(ECM)

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私はクラシックは「今は」ほとんど聞かない。つまり、それはここ十年のことで、その前はクラシックばかりだった。それまではオーケストラものなら、フルトヴェングラーの時代のモノラル録音からゲルギエフの最新アルバムまで、メジャーなものは一通り聞いていたつもりである。独奏者ならリヒテル、ミケランジェリ、グールド、チェルカスキー、内田のピアノ、ハイフェッツのバイオリン等が特にお気に入りであった。今となってはクラシックのCDだけで押入れが天井まで一杯になっていた頃が懐かしい。しかし、ある年の夏の日、思いつきで、99%以上のクラシックのCDを売ってしまった。(その収益のほとんどはSACDに化けた。)残った数少ないクラシックCDの一つが、この弦楽によるフーガの技法である。このCDは2回買っている。傷だらけになるまで何回も聞いたからである。弦楽四重奏でバッハのフーガの技法を演奏する企画であるが、この手のアルバムにありがちなキワモノ的な雰囲気やお手軽な気配は一切ない。まるでフーガの技法が、もともと弦楽四重奏のために作曲されていたかのような落ち着きがある。演奏者の息遣いや弓を引く強さの微妙な変化等が微視的に捉えられている録音がいい。音の微妙なニュアンスの変化に宿る演奏者の感興のさざめきが、つぶさに見て取れるようだ。さらに、この曲が持っている形而上学的構築が稀有だと思う。それを大きく見渡せる、あるいは見上げられる位置にリスナーを引き上げてくれる、このカルテットの奏力にも打ちのめされてしまう。フーガの技法には汲めど尽きない謎を投げかける数学の問題のような面がある。これは、まるでゴールドバッハ予想のようだ。内容の説明は難しくないが、その証明は恐怖を感じるほど困難である。私はケーラー カルテットのこのフーガの技法に耳を傾ける時、同じ思いを抱く。バッハが作曲して以来、この曲群の深層については、ほとんど解釈が進まないままのように思う。このアルバムを再生する時は表在する音の裏側まで食い込んでゆくような、極め付きの解像度、舐めるような視点の執拗さが欲しい。情に流されるようではいけないのだ。したがってソナスのスピーカーのような楽器的な鳴りではなく、MagicoやYGのスピーカーにような、あえて音楽性を廃し、音に対する強く厳しい眼差しを有するスピーカーが必要だ。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:03 | 音楽ソフト

LOIT Passeri CDプレーヤーの私的インプレッション: シンガポールの黒い鳥


Introduction

美音とはなんだろう。
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オーディオで美音という言葉を使うとき、
時々、それは褒め言葉ではない。
美音という言葉は、忠実度が低いが耳アタリが良いので、いい音と誤解されやすい音、余分な演出を感じる音という意味で使われることがある。その場合は美音とは「正しくない」音という意味合いであり、非難の意が込められている。

素の音に忠実であることは、確かにオーディオにとって重要である。しかし、私にとって再生音が美しくあることもオーディオの機能として欠くことはできない。もし、オーディオが、元の音になんらかの付加価値をつける能力を全く持たなかったなら、もうとっくに飽きてやめていたことだろう。忠実再生にのみこだわる姿勢は、オーディオの可能性を大きく限定し、損ねるのではないか?

今回は、シンガポールからのニューカマー、LOITのPasseriという一体型CD専用プレーヤーの放つ美音に浸る機会に恵まれたので、早速にレビューしたい。


Exterior and feeling

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銀色に輝くアルミ製の3本柱とカーボン製のトップシャーシが、まず目に飛び込んでくる。写真で見て想像するよりも、実物は大柄なプレーヤーである。この宇宙船のような形の機械は、珍しいシンガポール製であるが、最近よく見る中国製の安価な製品のイメージとは、一線を画するデザイン、仕上げを持つものである。欧米のトップエンドのオーディオをもれなく体験し、デザインでも、音質でも、それ以上のものを目指した志の高さを、全体の雰囲気に感じる。
このプレーヤーのフォルムはメトロノームのカリスタCDトランスポートと似たデザインである。真俯瞰で見るまでもなく、一瞥で、このプレーヤーは三角形が形の基本であることが確認できる。ベアリングを使った、高さの微調整可能な3本の柱をフットとして三点支持している回転機器なのだ。
この三角の真ん中にトップローディング式CDメカ、フィリップス製CD-PRO2をAlpha gelを介してマウントしてある。このAlpha gelはNAGRAのCDプレーヤーでも使われているものだ。
また、その三角形の三辺に、それぞれディスプレイ、左右のDACセクションをあてている。このDACセクションのアナログ出力回路にはロシア製6H30真空管が片チャンネルあたり3本使われており、そのトンガリ頭がカーボンシャーシに開けた6個の孔から突き出ている。真空管を用いているせいもあってか、このプレーヤーは他の一般的なCDプレーヤーよりもかなり熱くなる。ただ、今回の試聴だと十分に熱くなってきたころに、ドンドン音が良くなって行ったような印象があるので、熱いことが、悪いこととは言えない。

このプレーヤーでは、黒とグレーのカーボン線維による斜線模様がシャーシ全面に入っており、外観において明らかなアクセントになっている。このようなカーボンスキンの採用による装飾性と音響特性の一挙両得は、オーディオというジャンルの中では、ジャーマンフィジクスのスピーカーが良く知られた例だ。また、ランボルギーニなどのスポーツカーのごく一部に、このようにカーボン模様をあえて剥き出しにして、精悍さを演出しているものがあるが、このCDプレーヤーにも、その種の高級感が横溢している。カーボンは非常に高い振動吸収性と電磁シールド効果を併せ持ち、非常に軽いという特殊な素材であるが、これだけの面積のものを複雑に立体造形すると、かなりのコストになるものと考えられる。これほど贅沢にカーボンをシャーシに用いたデジタルプレーヤーを私は知らない。

このCDプレーヤーでは、正面にグレーを基調とした大型のLCDディスプレイが据えられている。このディスプレイはプレーヤー全体の雰囲気にマッチしており、好ましい色合いであるし、大きく見やすい。表示内容は曲番や経過時間であるが、面白いのは曲の進行がアンダーバーの長さで表示されること。プレイボタンを押すと、ディスプレイの下辺に、伸びてゆく太いバーが現れ、直感的に曲の進行度が分かる。

CDメカを覆うリッド=天蓋はモーターにより自動で開閉されるものであり、かつてのCHORDのCDプレーヤーのように自分の手で開け閉めする必要はないし、恐らく、それはしない方がよい。正面の大きなLCD画面の下の小さなアルミ製の丸ボタンをカチッと押すと、ポリッシュ仕上げのリッドがモーター音とともに二枚貝のように開閉する。少しばかりウルサい機械音だが面白い。(こういうギミックがないところが、私のPCオーディオに対する第一の不満である。音楽をかける時の儀式が全くないのは、それでいいとも言えるし、いやモノ足りない、とも言えようが、少なくとも私は楽しくない。)CDをセットする窪みの底には水準器があり、この機械をセッテイングする時の指標となる。3点支持の機器は、4点支持よりも水平を保ちにくいところがあるので、時々チェックしろとでも言いたいのかもしれない。

このCDプレーヤーの内部を見ると、二階建て構造になっており、一階にあたる部分にぶら下がる形でデジタル用とアナログ用の専用電源2基が収まり、二階にCDドライブメカと左右のDAC回路が置かれている。フィリップスCD-PRO2から送り込まれる信号は8倍オーバーサンプリングされ、4基のテキサスインスツルメンツ製PCM1704(まさかKランク?)によりDA変換されるという。なお、DAC部を支配するクロックは恒温槽付き水晶発振器とのこと。この回路基盤上には真空管以外にも通常のCDプレーヤーやDAコンバーターの内部では、お目にかかったことのないカスタムメイドのパーツが散見され、眺めるだけで音質への興味が増してくる。

左右アナログ出力(RCA、XLR)は三角形の後側の二辺から、それぞれ一系統づつ出ている。この出力はカーボンシャーシに取り付けられているのではなく、ベースボードに直結した別なアルミパネルに固定されている。メーカー側では音質的にはXLRバランス出力を推奨するとのこと。また、デジタル出力(同軸、TOSバランス)も用意されており、様々なDACに対応する。ただしデジタル入力は今流行りのUSB含めて一切ない。この点はセールスにはあまりいい影響は与えないだろう。

リモコンは平凡なデザインの汎用品であり、このプレーヤーのために特別製されたものではない。リンデマン等で見かけたことがある普通のリモコンだ。これはポイントが低くなる要因である。もし本体と同じくカーボンスキンがあしらわれたリモコンであったなら、このプレーヤーの格はさらに上がっていたろう。(もし買ったら自分で張ろうか)このコントローラーで、電源のオン、オフを含む、一般的なCDプレイ必要な動作が全てできるようだが、リッドの開け閉めはリモコンではできず、本体のボタンでする他ないようだ。また、リモコンで出来る基本動作の多くは本体側のボタンでもできるが、シャッフルなど、一部の操作はリモコンからしかできない。

CDプレーヤーの名前であるPasseriとは野菜のパセリのことではなく、ラテン語あるいはイタリア語で鳥類のスズメを指すそうである。確かに筐体全体はコンパクトにまとまっている印象で、これで音の方も高らかにさえずるようなら、その命名も的外れではないかもしれない。しかし、この名前は誤解を生むし、この響きから、この堂々とした190万円の超高級CDプレーヤーを連想することは不可能だろう。

私個人は、このデザインは最近のジェフローランドの機器によくマッチするように思えた。カーボンの漆黒と丁寧にバフ磨きされたアルミニウムシルバーの光輝のツートンは照明を落とした室内でも、その表面を微妙に黒光りさせ、静かに周囲を睥睨する黒豹のようなイメージがある。こういうトータルシステムを黒いラックに入れて、自分のリビングに置けたら、なんと素敵であろう。この粋なプレーヤーに、ヨーロッパでは2200ユーロのプライスタグがついているようだが、それを見ると日本での販売価格190万円は妥当と思われる。


The sound 

このプレーヤーは日本では非常に展示が少なく、一箇所でしか試聴できなかった。今回は日本に一羽しか輸入されていない、貴重なシンガポール特産の黒い小鳥(ワシントン条約附属書Ⅱに相当)を見に行ったようなものかもしれない。期待に違わず、そのさえずりは滑らかで美しく、いつまでも聞いていたいと思わせるものであった。

今回の試聴環境は、このプレーヤーの格から考えれば、かなり貧弱であった。以前に一度だけ聞いたことのある、小さなプリメインアンプと、何度も聞いたことのある小型のブックシェルフスピーカーから成るシステムである。これらを合わせても、Passeriの半額にも満たない。しかし、実際に演奏させてみると、このセットの価格に数百万の上乗せをしないと得られないほど、格の高いサウンドと感じられた。やはりこのCDプレーヤーの音の存在感が大きいのだろう。
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「美音デアル。」
このプレーヤーを聞いた欧米のオーディオファイルの意見を集約し、日本語に翻訳し、外人風の発音にするとそうなる。確かに、LOIT Passeriは素の音に忠誠を誓い、事務的とも言える几帳面さで再生を淡々と進めるプレーヤーではなかった。実際に音を聞くと、まさにその一言が相応しいプレーヤーであると思われる。

まず、アナログ出力段に真空管を組み込んでいるためか、妙に聞き心地がいい。脳波の種類で言えば、α波が出まくる音である。あまりの気持ちよさに眠くなりそうになったのを告白しておく。とは言っても、出音自体は眠たい音では全くなく、むしろ溌刺としたサウンドなのだが。ここらへんは不思議な側面である。
あくまでクリアーで透明度の高い音が、渾々(こんこん)と湧き出すプレーヤーで、基本的に柔らかく、瑞々しく、明るい音調であるが、クリスタルタッチの硬質感、音の輪郭線の強さのような引っかかりの要素にほとんど聞き当たらない。音ひとつひとつには鋭さも感じ、丸められた音ではないのだが、ツンツンした音の痛さを全く感じない。
また、音の強さや押し出しを見せつける感じもないのだが、音の抑揚を上手に聞かせて躍動感がみなぎる。この躍動はこのプレーヤーの出音に華やかさをも添えているようだ。さらに、ここでは音楽の流れが、私物のMPS-5よりもさらにスムーズに感じる。この流れの良さは何処から来るのだろう?真空管を含めたカスタムパーツの威力か?それとも贅沢なカーボンシャーシの威力か?
まるで、さらさらと止め処もなく、
美しい草書体で音楽を綴っていくように聞こえる。
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私は書が好きなので時折、展覧会などに筆跡を見に行くが、
このプレーヤーの音は中国の書に似たところがあると思う。
唐時代の著明な書家である懐素の手になる作品に
自叙帖という書があって、
これは故宮博物院に収蔵められている。
私は時々、その写真を眺める。
これはいわゆる狂草と言われる筆法で書かれ、
狂ったような奔放さが表現の中心のように表向き見えるのだが、
実はそうではなく、書の基本を十分に押さえた書き方である。
闊達な運筆で字の形や大きさを自在に変えたり、
上下左右に行を揺り動かしながら、素早く回転し躍動する書であるが、
野放図では決してないのである。
この書を貫く一気呵成の澱みなさ、華麗な流れの躍動の美は、
音楽の美、オーディオの美につながる何かであると信ずる。

本場である中国の書と日本の書の違いの一つは、
ある漢字を書き終わり、次の漢字を書くときに呼吸の継ぎ目があるかないかである。
中国の書は、優れたスキルを持つラッパーのFLOWのように連綿としており、
淀みなくリズミカルに次から次へと漢字が繰り出される。
彼らは手と腕と体と目、そして心が絶え間なく連動して最後まで書いてゆける。
これは漢字で考え、漢字で生活しているからである。
日本人の書家は漢文を書くときには一字が書き終わるごとに、
内的に次の漢字を書く準備をするため、僅かに逡巡してしまって、
どうしても動きが、たまってしまっていることがほとんどである。
かな文字で書くなら、そうならないのだが。

このプレーヤーの音は中国の書のように逡巡しない音だ。継ぎ目なく、しかもリズミカルに次から次へと音が繰り出される。これは流麗である。私にとっては、この流麗さがPasseriの美音の正体の8割ほどを占めていて、残り2割は柔らかく明るく、透明な光のような音の質感によるものだろうと思う。

今回の試聴で聞こえた音数は現代的なCDプレーヤーの水準をクリアーして十分に多いが最新のリファレンスクラスのDACのそれと比べるとやや劣る。現代最高の解像力を持つプレーヤーと比較すると、解像度もわずかに低いかもしれない。しかし、それを補ってあまりある、音の心地良い存在感、アナログレコードのような流れの良さが圧倒的であり、その意味では最上級である。

高域はしなやかに、すっきり伸びて、明瞭であるが、耳に痛くない。あくまでソフトなのだ。中域は濃厚でしっとりとした肌触りがあるが、ハイスピードな音の立ち上がりと立下りが顕著であり、透明度がすこぶる高い。この帯域での透き通るような明るい清涼感は、真空管を採用し、結構な熱を持つCDプレーヤーにしては珍しい気がする。低域については、やや軽い印象だが、それなりに解像度は高い。リズミカルに弾む低域であり、ググッと沈み込んで重量感を醸し出すような動きはしない。
サウンドステージはそこそこの広さにすぎないが、空間内には音が凝縮されている。その意味では濃密な音なのに、まったりした味わいにはせず、あくまで明澄でスッキリ味にまとめている。明るくスッキリした音というのは、陰影感にやや乏しいため、単調に陥りやすいが、このCDプレーヤーは音の流れの良さという要素も併せ持つことで、退屈さを上手く避けている。

このプレーヤーは現代的なJAZZやPopsの艶のある女性ボーカルを滑らかに再生し、そのジャンルではなかなか右に出るものがないかもしれない。またフュージョンのギタープレイ、小編成の弦楽などにおいても、エスプリの効いた表現で魅了する。一方、巨大なスケール感、厳かな緊張感、陰影に富んだ暗めの表現はやや苦手なので、オーケストラ能力をフルに駆使した荘厳なクラシックの大曲などは得意とはしないであろう。

個人的には音質的にもJeff Rowlandの一群のアンプたちの静かな輝きのある音と組み合わせたいサウンドである。Jeff Rowlandの最近のアンプは極めて優秀であるが、それ単体ではスタテイックな描写をすることが多いので、もっと強力な躍動感のあるプレーヤーを合わせてもいいのではないかと思っていた。しかし、むしろ躍動感よりも澄んだ明るい光のようなアンプで音全体にブライトネスを持たせるような方向性でチューニングしても面白そうだと思えてきた。


Discussion and Summary

いろいろな意味で面白いCDプレーヤーである。生産国、デザイン、音質、全てがユニークである。こういう面白さ満載の機器は往々にしてどこかチープなものだが、この製品には、そのような荒さはほとんどなく、むしろ程よいラグジュアリー感がある。そこが、また面白い。単体の高級CDプレーヤーというジャンル自体は、終わりに近づいている印象もあるが、こういう製品を聞くと、まだまだ未開拓の音世界が残されている可能性を感じる。

このプレーヤーが生まれたシンガポールは人種のるつぼのような国と聞く。かの国にはビジネスのために世界中から多くの人種が集まり、その界隈は様々な肌の色の人が行き交い賑やかだとか。お金持ちが多く住む土地柄でもあり、ハイエンドオーディオが盛んであることも知られている。
このプレーヤーの作者は、そこで多くの人に、このプレーヤーの音を聴かせて、意見を求めたという。万人が聞いて、直感的に、この音は美しいと思えることを目指したのかもしれない。とかく唯我独尊に陥りやすいハイエンドオーディオにとって、それは、とても重要なことだと私は思う。このCD専用プレーヤーを十分に堪能した後となっては、この美音が、様々な文化的背景、立場を持つ人々に広く受け入れられることは想像にかたくない。

私は今、
シンガポールの美しく鳴く黒い鳥を一羽、
自分のリビングで飼ってみたいものだと考えながら、
懐素の自叙帖を、ひとり、眺めているところだ。

# by pansakuu | 2012-07-21 15:23 | オーディオ機器

あるオーディオファイルへの礼状


オーディオを趣味とする者なら、
誰にでも忘れえぬ音というものはあるものです。
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Wilson audioのSystem5を初めて聞いたときの切れ味。
FM255とFM411のペアを最初に聞いた時の衝撃。
初めてLINN SONDECK CD12の姿を見て、音を聞いたときの驚き。
On stageしたばかりのKLIMAX DSが聞かせた、
いままで聞いたことのない落着きと音の粒立ち。
GoldmundのMimesis29.4とEpilogue1+2の偉大なる鮮烈。
GoldmundのTELOS5000の非現実の倦怠。
Soulutionの721と710のペアの繰り出すインパクト。
ヴィンテージのウエスタン エレクトリックのシステムが醸し出す、
巨人の目の前に立つような膨大な実体感。
CTCビルダーズのBlowtorchプリアンプが奏でた最柔そして最速。
コニサーのプリアンプとタンノイ ウエストミンスター組の怪音。
Burmester069のふくよかなる快音。
等々。
どれも偶然に導かれて出会った音ばかりです。

いつものように
月に何個かは新しいアイテムを手に入れては
いそいそと試しているのですが、
直近でレビューした電源プラグを除けば
なにかを書きたくなるほど心を掻き立てられるモノに
巡り合わぬ日々が続いています。
でも無性に、なにか書きたい気がします。
製品のレビューではないなにか・・・。

ごく最近、
ある方のお宅にオーディオシステムの音を聞かせてもらうためにお邪魔しました。
そこにあったのは、
高精度なクロックで武装したPCオーディオとカスタムメイドのアンプ、
そして特殊なケーブル群が組み合わされた比較的シンプルなシステム。
どちらかというとサラリとまとめた、小粋なシステムと見ましたが、
そこは今まで聞いたこともない音の棲家でした。

そのサウンドは眠りに落ちる寸前のあの甘美な無意識に近い。
芯底から柔らかく、そして儚く、ともすれば脆い。
しかし、そういう朦朧体の筆致を匂わせながらも、
一音一音にピタリと焦点が合って、
手を伸ばし指を広げて掴みたくなるような
非常にキメ細やかな実体感を伴っています。
伸ばした心の指先の先に、
さらにさらに拡がる無重力の空間があり、
その奥行きの深度を測ることは到底できそうにありません。
夢中で聞いてるうちに、いつのまにか
この薄明るい闇のような空間に取り込まれ、
包み込まれる圧倒的な包囲感が襲ってきます。
それは素晴らしい聞き味の別名でしょう。
音楽の始まり、楽音の立ち上がりがスッとしていますので、
他のシステムだと、なんらかの断絶感が必ず感じられる場面で
まったくスムーズに音楽が流れてゆきます。
音の色彩感はあくまで透明度の高さを身上とするものであり、
まぶしく、アトラクティブな躍動や
熱のこもった密度にはつながって行かないのですが、
なぜか彩度が高く聞こえて、地味ではないのです。

これは忘れえぬ音のリストに加えるべき音らしい。

これほどのサウンドが、
これほどシンプルなシステムから湧き出てくることに、
私は驚くまえに、自分のオーディオについての不明を恥じる方が先でした。
常にKLIMAX DSの音は、いわゆるPCオーディオの音の上をゆく、
という暗黙の圧力をDSファンの方の言動から感じることがあるのですが、
これは水も漏らさぬほど完全なテーゼではないようです。
つまりは菅野沖彦氏の名言「音は人なり」ということなのでしょうか。
才覚のある人が取り扱えば、システム構成から想像できる以上の音が
立ち現れることは、経験がないわけではないのですが。
何を言おうとも、
これは一つの完成されたオーディオであるのは明らかで、
重箱の隅をつつくような議論が
無意味なものと直感的に分からせるだけの説得力がありました。

この時、
私は昔読んだ本に書いてあったことを思い出していました。

今世紀の数学に深く根をおろした考え方として
局所と大域というのがあります。
局所というのは、多様体の定義を見れば分かるのですが、
局所的に簡単なものが張り合わされることによって、
より複雑なものができるという考え方です。
大域的な状況については、
層やコホモロジーの言葉を使うことでより正確に述べることができます。

これらの概念の相似として、
私はオーディオにおいても
局所的なものと大域的なものが並び立つことを再確認していました。
ひとつひとつの音の要素を、虫眼鏡的に細かく聞いてゆくと、
実は今までの試聴経験の中で感じてきたものが再演されているだけで
決して全く新しいわけではないのです。
そこには親しみが湧いてくる。
しかし、大域的な構造を俯瞰する視点から解析してゆくと、
その層的な構成や、部分と部分の組み合わせには真新しさがあり、
そこにシステムを組んだ者の斬新な意図も透けて見えます。
やはり「音は人なり」ということなのでしょう。
その音の持つ、稀に見る柔軟さと奥行きある広大な空間性、
そして鋭いフォーカス感、
あくまでスムーズで澱みのない出音の動きなどの細部。
これらが、一見無構造で透明な音のマトリクスの中に
精緻で立体的な位置関係を保って定位し、
どのような音楽がおしよせて来ても、
ゆるぎなく包容してしまうように聞こえます。

とにかく、私のオーディオマインドにとって、
この方が、おそらく孤独の中で醸したサウンドの震度は
決して小さくありませんでした。
自分の部屋に急いで帰って、
アンプに灯を入れ
今一度、まっさらな気分に還って
自分のサウンドを点検したくなったものです。

話は少し逸れるのですが、
私には常々、探しているものがありました。
それは、純粋にコンピューター上の作業のみによって作り出された音楽、
電子音楽を聞くのに最適な音、聞き方です。
もちろん、自分にとって、という意味でですが。
アニソン、ゲーム音楽、同人音楽、アンビエント、音響系、チルアウト等々。
現代において、この手の音楽が生まれ出るとき、
その音が存在する空間は、
多くは仮想空間だと考えています。
これらの音楽は、
ライブ録音でない限り、
現実の空気の中にマイクがあり、
楽器やスピーカーから出てきた音を、
その部屋のエアーの響きとともに録音することはほとんどないはず。
一度も実際に空気を震わせないまま、
コンピューターの中で受け渡しされて、
我々の元に届き、そこで初めて部屋の空気を震わせる。
そういう音楽をどうやったら、
オーディオとして一番美しく再生できるのでしょうか?
これらの音楽は、現実のホールに響くクラシックや
ライブ感溢れる古典的なJAZZに比べれば
真剣なオーディオ再生に適さない音楽として、
いまだにサイドに置かれている感があります。
しかし、
これらの音楽から音の素晴らしさを引き出すことも、
ひとつのオーディオの使命だと思うのですが、どうでしょう。
私がこういうことを考え始めてから、かれこれ20年くらいになります。

私は
私の求めていた音に対する、最も優れた解答の一つが、
ここにあるサウンドではないかと、あの時、思ったのです。
このサウンドの持つ圧倒的な聞き味のよさが、
無遠慮で人間的な配慮に欠ける電子音のエッジに
生物的な触感や輝きを与えていると、私は感じました。
さらに、ここでのサウンドには
電子音楽のもつ世界観、音作り全体の雰囲気が
容易に把握できるという特筆すべき利点もありました。
これは、このシステムの出すサウンド自体に
すでに音の大局的な構造、
別な言い方をすれば
音に対する普遍的解釈のようなものが存在するためでしょうか。
それに沿うように電子音楽が展開してゆくので、
まるで高みから眺めるように、
音楽を楽々と俯瞰することができるのではないかと思うのですが、
違うでしょうか。

このような見事なサウンドが創り出された背景には、
このシステムのオーナーが
意識的にあるいは無意識に求めている
音の桃源郷が横たわっているはずです。
それは自分の好きな音楽を好きな音で聞きたいという
シンプルな欲求から引き出される心の中のビジョンです。
頭の中のユートピアを局所的視点と大域的視点から観察して、
現実に聞こえる音になんとか反映させてゆく。
その仕事は、嬉しいことに
仮想空間音楽の最良の再生として結実したようです。

所詮、
忘れがたい音について
何を語っても苦し紛れにしかならないのは分かっています。
しゃべれども、しゃべれども、語りつくせないもどかしさです。
数学の用語を動員したとて無駄なこと。
無理を承知で面白がって書いているうち、
夜は明けそうになってきました。
そろそろ、この新宿の路上を去って
一眠りしようと思います。
その眠りに落ちる寸前の無意識の中に、
再びあのサウンドの片鱗を聞けたならば
今宵、打ち込んだJargonは
あながち無駄にはならないかもしれませんので。
それでは、良い音を。

# by pansakuu | 2012-07-09 04:05 | その他

孤独の星座:オーディオ評論の芽吹く場所


私はオーディオに関するレビューを書いている間、いつも漠然とした無力感を感じている。それは自分の書いていることが、1%たりとも理解されない可能性から来るものである。さらに、理解されないどころか、非難されたり、あげくСталкелまがいの行為をされたことさえある。そんなに気に入らないなら読まなければ良いのにと思うし、たとえ私の書いたものが好きでも、MasqueradeとかСталкелは遠慮してほしいとも思う。
こんなことをされても、何故まだオーディオのレビューを止めないのか、我ながら理解に苦しんでいた時期もあった。
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最近、ある本を読んで、そこに書いてある一文に、私は独りでうなずいていた。以下の字面は、ほぼ原文のままである。

「・・・・耳は常に外界に向けて開かれていて、音波としての刺激は平等に耳には届くがじつは平等さが保たれるのは鼓膜にいたるまでだ。鼓膜から先は耳という器官の精密な構造とそこに張り巡らされた神経が働く領域になり、脳との連携プレーで音波は音として知覚されることになる。
脳は100人100通りだから、この段階で音波の平等性は失われることになる。さらに、脳に届いた音波は脳内に蓄積されたさまざま音の記憶と対照されて、その人の聴く音となる。したがって、厳密にいえば、一つの音でも聴くヒトによってそれぞれ異なってしまうのである。
人は脳という高性能コンピュータと耳という器官が連動して音を聴いているのだと考えられる。聴覚生理学でも、音は記憶とともに保存されているから、聴きなれた音は覚えやすいとか、心地よく感じられると説明されている。では、脳にはどのような形で音や音楽の記憶が記録されているのだろうか。これはまだ十分には解明されていないが分子生物学者の福岡伸一氏は『動的平衡』(木楽舎)で、記憶について次のような説明を試みている。
脳にある刺激が入力されると、クリスマスのイルミネーションのように明かりが順番にともり星座のような形を作る。これが神経回路だ。脳内の神経細胞のタンパク質分子は、合成と分解を受けてすっかり入れ替わるが、細胞と細胞が形作る神経回路の形は保持される。あるとき、過去に体験したのと同じ刺激を受けると、それは活動殿位の波となって伝わり、順番に神経細胞に明かりをともす。ずっと忘れていたにもかかわらず、回路はかつて作られたときと同じ星座となってほんの一瞬、青白い光を発する。
なんとも美しい説明である。同じ音でも聴く人が違えば、その印象も変わる。その不思議は、記憶された音の星座の形が人それぞれに異なるからなのかもしれない。」

以上の興味深い話の出展は「音、音、音。音聴く人々」(オーディオテクニカ編著、幻冬舎刊)の59ページの「Column 頭の中の音の星座」である。
これはオーディオという趣味をやる者にとって、面白く示唆に富んだ文章だと思う。いわゆる「音は脳で創られる論」に沿った流れである。ただし、一部は同意できないところもある。それは、鼓膜から先は音波の平等性は失われるというくだりである。確かに脳は100人いれば100通りであるが、聴覚刺激が内耳の蝸牛にある有毛細胞が生成する信号(活動電位)に置き換わった後、その信号がヘッシェル横回の大脳皮質に到るまでの経路は、ヒトであれば同一であると考えられる。実際に多くの脳を手にとって眺めてみると分かるが、ひとつとして完全に同じ形態のものはない反面、発生異常等の特殊な事情のないかぎり、そのマクロ的な構築は全く同じである。私は医学的な知識には疎いが、聴覚伝導路は脳死判定にも応用されていると聞いている。それほど、この経路は普遍的に全人類で解剖学的に保たれた経路であると考えられる。問題はヘッシェル横回以降の大脳皮質でのミクロ的な信号(活動電位)の伝達経路である。その詳細は未だ不明であるが、「Column 頭の中の音の星座」に書かれているような状況が実在する可能性がある。また、この話は、もうその分野では、使い古されてきた「シナプスの可塑性」という言葉を私に想起させるものでもある。高次機能について、人間の脳は、その可塑性により、正常な状態でも変化するものであり、それは外部から受ける刺激(経験)が契機となっていると考えられる。過去に聴いた音の刺激により、大脳皮質でのミクロ的な信号伝達経路が変化し、「頭の中の音の星座」が変わってゆく可能性が考えられる。したがって、異なる過去を持つ人間の脳においては、大脳皮質での信号伝達経路は異なっていると推測される。

これは私がオーディオについて書いたり、読んだりするとき、あるいは他人とオーディオについてディスカッションするときに、いつも第一に頭に置いてきたことに一致する。つまり、同じ音楽を同じ場所で同時に聴いていても、その受け止め方には個人差があるということの科学的な裏打ちである。相手の脳内に光る「星座」の形を自分の頭の中のそれと比べることは、今のところできない。厳密に科学的な立場を取り続けるなら、オーディオについての議論や評論は、商業的な意味を除けば、ほぼ無意味であるという立場もありえるだろう。オーディオという趣味はこのように意識を共有しにくい趣味なのだから、そう割り切ってしまうこともできる。

しかし、上記のことはいつも忘れられる。
夢中で話をしているうちに、読んでいるうちに、そして書いているうち、聞いているうちに忘れてしまう。万人にとっては、自分の書いたこと、話したこと、思っていることを他人が共有してくれたり、同意してくれること大きな快楽であるからだ。また、音楽、音を聞いた時の感動を話さずにはおられない、書かずにはいられないほど、心を動かされるときがあるからだ。例え、お互いに誤解しあっていたのだとしても、それに気づきさえしなければ、意気投合して終われるからいい、とさえ思うほどに。それほどまでに「いいね」が欲しいのがヒトというものなのだろう。もちろん言葉だけでは、本当に理解しあえたかどうかは分からないのだけれど、「いいね」によるカタルシスは麻薬のようにヒトを魅了する。

人間は元来、孤独である。科学的にもそうらしい。オーディオも、それをやる人間のカタチに沿うように孤独な趣味なのだろう。しかし、孤独であるからこそ、他者を求めるし、意識の共有を欲するのではないかとも思う。そこにオーディオについての純粋な議論や評論が芽吹く隙間=動機があるような気がしてならない。
私のように、ほぼ自分のためだけに字面を整える者でさえ、そういう動機が全くないと断言できない。

とどのつまり、そういう動機が絶えてなくならぬかぎり、私はオーディオのレビューを書き続けるということなのだろうか。全く難儀なことだが、これが天分というものなのかもしれぬ。

# by pansakuu | 2012-06-29 22:15 | その他

JODELICA ETP-960RH 電源プラグの私的レビュー:皮と実の間で

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Introduction


昨日、昼食を取ったレストランで、綺麗に皮をむいた果物が何種類かデザートに出てきた。色とりどりのフルーツを順繰りに味わっているうちに、よく祖母がリンゴをむきながら言っていたことを思い出した。「リンゴの一番美味しくて、栄養のあるところは皮と実の間にあるんだから、皮は薄くむかなきゃだめなんだよ。」
これは不思議な言葉だ。皮と実の間には、なにもないはずである。リンゴは皮と実から成り立っている。それらは境目で密着しており、空気や液体、あるいは真空は介在していない。そこには接する面と面があるのみではないか。それでも、面と面が接するところに美味しいなにかが在ると言うのだ。なにもないはず、というか、存在しないはず場所になにかが生まれると言うのか。

オーディオにおける接点、接触面の問題について、(のみならずオーディオの諸問題すべてについて)私はあれこれと深く考えないようにしている。そもそも物理学的に、まだまだ不明の点が多い事柄について、素人が語るべきではない。ただ、オモシロそうなものがあれば、実際に購入して試してみることだ。案ずるより買うが易し。

オーディオ機器の接点には、ほぼ必ずと言っていいほど、なんらかの金属によるコーティング、つまり鍍金(メッキ、プレーティング)がされている。イエローゴールド(24K,18K)をはじめとし、シルバー、ロジウム、プラチナ、パラジウム、カーボンナノチューブ複合銀メッキ、ルテニウム、そして、これらのうちを2つ組み合わせた2重メッキもある。さらにこれらの厚さ、メッキ後の鏡面仕上げの有無等もバリエーションとして掛け算すると、かなりの種類のメッキが考えられるであろう。加えて、あえて無メッキを選択することもできる。私の経験だと、これら全てに、多かれ少なかれ音質的な味わいの違いがあり、ひとつとして同じものはないのである。それらの特色すべてについて私見を述べるのも悪くないが、面倒過ぎる。どうしても知りたい方は、自腹を切るか、ネットでいろいろ調べるかすればよい。もっとも私の長文をわざわざ読んでくださるほどの方は、各メッキの音についての大体のイメージを持っておられるに相違ないので、そろそろ本題に入った方がよかろう。

つまり、今回は自腹を切ったという話である。I氏の主宰されるシーエスフィールドのオリジナルブランドJODERICAより、世界初の4重の多重層プレーティング、つまり4重メッキ(金、銀、銅、ロジウム)を施した超高級電源プラグ、ピュア・カッパーRHシリーズ、ETP-960RHが発売されたので、購入してみたのである。I氏はPAD、Jorma等を日本に紹介し、ハイエンドオーディオケーブルというジャンルを日本に定着させた影の立役者である。そのオーディオセンスの良さは業界随一と私は密かにリスペクトしている。そのI氏がJorma AC LANDAの上位ケーブルを出す構想を持っておられることは、以前から風の噂に聞いていた。しかし、その電源ケーブルのために、このような特殊なプレーティングを施した電源プラグを開発しておられるのを知ったのは、ごく最近のことである。だいたいAC Landaでは無メッキを売りにしていたというのに、これはどういうことなのか。そこで、案ずるより買うが易し、というわけである。

Exterior and feeling

普通である。JODELICA ETP-960RH電源プラグの外観は、はっきり言って何の新もなく、何の奇もない。ブレードはシルバーの鏡面仕上げであるというだけで、いくら見ても、普通にロジウムメッキしたブレードにバフをあてて鏡面仕上げにしたものにしか見えない。4重のメッキの全容は目に見えるものではないということなのだろう。なお電極自体の材質は未確認である。ハウジングは黒いプラスチック製で、銀と白色の細長いシールが巻かれている。使われているネジも特殊なものには見えない。とにかく外観上は全く普通のプラグにしか見えない。なんと言っても、これは私の知るところ、現在、世界で最も高価なプラグである。こんな外見でいいのだろうか。

世界のハイエンドケーブルメーカーは自社の電源ケーブルのターミネーションのため、様々なプラグを採用するが、オリジナルプラグを使うメーカーは少なく、一本で30万円を上回る高級電源ケーブルであっても、一個2万円台のオヤイデあるいはフルテックのプラグが使われているケースが多い。どちらも、ウチで使っているが、少なくとも外見は、今回のプラグよりも美しく、作りが良いように見える。アルミの削り出しのハウジングや、ステンレスケースにカーボン巻きという凛々しい出で立ちには、高価なケーブルパーツらしいオーラもある。しかし、今回レビューするプラグにはそういうプレミアム感はない。それでいて、価格はオヤイデあるいはフルテックの最高級品のほぼ二倍である。よほどの音質的な実力がないと、評価はされまい。

なお日本ではまだ発売していないが、このメッキの壁コンセントもあるようだ。かなり高価なのだが、効果はいかほどなのだろうか。

The sound 

LINNのKLIMAX DSはリアパネルのヒサシの張り出しのため、電源ケーブルの選択の自由度が少ない。最近、そういうことをブログに書いておられる方がいて、激しくagreeした覚えがある。以前から、私はKLIMAX シリーズに適合するAETのプラグを買い込み、これに太さが適応する電源ケーブルを様々に試してきている。AETのEvidence等、6種類ほど試して最終的にはJPSラボのKaptovatorに落ち着いている。カプトンを絶縁材に用いた、このケーブルは今や、日本では入手しがたいのだが、なかなかに奥深い音の良さがあるので、ファンがいるらしい。ただし、私のKaptovatorのプラグはオヤイデのF1に換装してある。このケーブルをつないだKLIMAX DSは切れ味のよい日本刀のようなイメージの、やや細身だが冴えた音を奏でてくれる。このF1のブレードはプラチナとパラジウムの2重メッキを施しており、これも変わったものである。今回は、上流機器の方が音の違いが分かりやすいだろうということで、まずは、このF1をETP-960RHに換装するという予定であった。

しかし、ここで問題が生じた。やってみるとKaptovatorの線体本体はETP-960RHに挿入できるのだが、中の導体径が太すぎて、ETP-960RHに挿入できないことが分かったのである。挿入可能な導体径については、HP上の説明をよく読んでいなかったので、気にしないで購入してしまったのだ。明らかな失敗である。
調べると、適合するケーブル径は6.6~18mm、導体径は1.0~3.4mm ということであった。特に導体径が細いものしか入らない構造であるのが、実に残念である。差込み口と電極の形等のデザインを変えればいいだけなので、もっと太い径の導体が差し込めるように改良していただきたいものだ。今思えば、DSの電源ケーブルをAC LANDAにしておけば良かったとも思う。I端子を使うという手が残っているが、あいにく使い切っており、在庫がない。
仕方ないのでメインシステムのプリアンプにつながるAC LANDAの電源プラグETP-850Cuを交換することにした。ETP-850Cuは無メッキの電気銅を電極に用いている。気を取り直し、ドライバーを回して、プラグを取替える。今度は問題なく作業が進む。結線したら、音出しである。だが、この時点では聞かずに、あえて鳴らしっ放しで外出した。その間の一日は馴らし運転ということである。帰着して、やっと試聴する。

換装すると、倍音がソフトにスッと伸びたのがすぐに分かった。余韻の響きが浄化されたような印象もある。これはやや銀のキャラクターが感じられる局面である。以前の無メッキの電極でもなんの不満もないのだが、さらに微妙なニュアンスが付け加わってくるようだ。やや穿った見方をすれば、やや人工的な美音系に傾いてくるようにも思う。しかし、それだけではない。メッキの材質により、音質の変化には一定のパターンがあるのは有名だが、今回の変化は類似したパターンが思いつかない。何しろ複雑な味わいである。
単層のロジウムメッキのような輪郭を強め、音を締める傾向はあるのだが、それが全く硬くなく、痛くないだけでなく、背景の静寂に溶け込むような聞こえ方をするのである。輪郭線の強調感が増したというのではなく、質感が増したというべきだろうか。音の輪郭の際のところに微妙なグラデーションがあり、それが背景と上手く馴染むようなイメージ。
また、シンプルな24Kのゴールドメッキのような柔らかさや華やかさが加わっているように思われるときもある。エージングの進んだAC LANDAには艶っぽい潤いのある感じ、PADでも感じられたあの生物的な湿り気が、僅かに漂っていたのが忘れがたいのだが、このプラグに換えると、その部分が、微かだが、さらに明確に感じられるようになる。
また、各楽器やボーカリストの定位感、分離感の大幅な改善がある。これはどんな人が聞いてもわかるのではないだろうか。各楽器のみに意識を向けることがこれほど容易になるとは思ってもみなかったし、いままでどんなアクセサリーを入れても、この領域でのこれほどの改善はなかった。
全体には、様々な音の傾向が、音楽の局面に合わせて巧妙にミックスされて現れてくるようで、音の単調さがほぼ払拭されているのがわかる。これは他社、および自社の他の製品にはない趣向である。無メッキ電極のプラグを使っている状態では、音楽の生成りの良さがよく出ていたが、4重メッキの電極プラグに換装すると、その上に非常にバランスよい複雑な味付けが、程好く加えられる。とても美味しい音だ。痒いところに手が届いたというか、気持ちのよい出音になる。この変化は、大きなものではないが、ひとつかふたつの言葉で端的に表現できる単純かつ方向性が定まった変化ではない。かろやか、さわやか、まろやか、こまやか、おだやか、たおやか・・・。四つの平仮名で表現できるいくつもの言葉が、音楽の経過とともに次々に思い浮かび、脳裏を過ぎてゆく。

元来、音楽は測定器で測るために作っているのではないと思う。そして、音楽自体には測定器では測れない様々な要素が複雑に混ぜ込まれていると推測する。恐らく、このプラグに換えて、レンジが広くなったとか、周波数特性が良くなった、SNが上がったというような、測定器で観察して分かる変化は皆無であろう。しかし、なにか音楽の美味しい部分が、さらに美味しく感じられるようになったのは認める。同時に、これは全く科学的な話ではないのも認める。でも音は確かに良くなった。そうとしか言えないのだ。逆に言えば、主にそういう領域での音質改善に効くアイテムだと思ってもらっていいような気がする。

プラグ一個を換えるだけで、こんなに気持ち良くなれるのなら、いっそ全部を換えたくなるのがマニアの性というものである。私の持っているアンプの換えられるプラグは、全てこのETP-960RHに換装してしまうおうかと思案中である。

それにしても、日本未発売の、このメッキを施した壁コンセントを導入したら、そこから全ての給電を受けるシステム全体の音はどのように変化するのだろうか。なにか、(いい意味で) ちょっと恐ろしい。想像がつかないが、かなり凄いことに・・・・・。

Discussion and Summary

実は、「プラグを換えただけ」ではない。事実は「電極のメッキを換えただけ」である。結論としては、それだけで、音楽のニュアンスの聞こえ方に、それなりのグレードの差があるようなのだ。

ただ、電極のメッキを換えただけで、こんなに価格がハネ上がるのは困る。こんな薄皮一枚の差のみで、以前の40倍のコストがかかるというが、これは安上がりな方法ではない。この方式のコストパフォーマンスは良くないと思うので、このプラグは誰にでも薦められるものではない。しかし、この手法でなければ得られない、音質の複雑で微妙な変化があるのは確かで、これに着目した審美眼は流石であると言わなければならない。これに、他のメーカーのプラグのようにハウジングの構造や材質の強化、ネジの吟味等を加えたらどうなるのだろう。さらに音は良くなるのだろうか。現時点で、はっきりと言えるのは、価格はさらにハネ上がるだろうということぐらいである。

オーディオにおける接触面のメッキの意味は、これほどにあるものなのか。
さすれば、祖母が言ったように、リンゴの皮と実の接触面のような、存在があやふやな不思議な世界には、未知の大事なものがあるのかもしれない。理屈で説明できる音の良さは聞いていて安心できるかもしれないが、理屈で説明できない音の良さがあっても、私は不安を感じない。知らないということは、嬉しい驚きのタネであると思うからだ。
この薄皮一枚のメッキのお蔭で、当分は新しいオーディオを楽しめそうである。

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# by pansakuu | 2012-06-23 00:15 | オーディオ機器

Logifull LDac1000の私的インプレッション:劇的な、あまりに劇的な・・・


Introduction

ふと立ち寄ったオーディオ店で、発売されたばかりの日本製DAコンバーターを見かけた。促されるまま、なんとなく聴いた、そのサウンドに心惹かれた。後日、さらにもう一度、少しく時間をかけ、私はそのDACの音を聴き直してきた。
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曲がり角なのだろうか?経済も政治も天気もどうもすっきりしない昨今であるが、ハイエンドオーディオの世界も視界が良くない。売れている機器はないわけではないし、沢山のオーディオメーカーが廃業したという話も聞かないが、全体に沈滞したムードは否めない。もっと新しい機器、もっと斬新なコンセプトやデザイン、耳新しい音が欲しい。便利か不便か、高いか安いか、そんな本質的でない価値判断を吹き飛ばすような目の覚めるような何かが、今こそ欲しい。

そうだ。多少、強引だが、このLogifull LDac1000のインプレッションを書いてみよう。今回の試聴は十分とは言えないが、新たな印象が出てくれば、後で補えばいい。(それがブログのいいところだ。本や雑誌にはそれができない。)こういうDACは早急に紹介する価値が必ずあるはずだ。特に、このすっきりしないオーディオ界には、すぐにでも必要なカンフル剤だと思う。

Exterior and feeling

このDACは、アルミの削り出しの板で組んだ、剛性の高いシャーシを与えられている。板の厚さは10~15mmと、かなり重厚なものである。一見、EsotericのD03に類似した形状である。しかし、仔細に見てゆくと、あのDACよりも多くの面取りがなされ、緻密なヘアーライン仕上げが施されているのに気づく。シャーシを構成する板は精密に削り出され、複雑な形状を取っている。その形の流れを両目と人差し指でたどってゆくと、微妙なアールや細い長い平面が連続してゆくのが面白い。広く露出する面には直線や曲線が連続的に刻まれていて、簡素ながら装飾的な要素となっているのも、さらに面白い。
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フロントパネルには動作状況を示すLEDが5個控えめに光っているだけ。スイッチ類は前面にはないため、使わない場合も、電源は入れっぱなしておくことが推奨されているのだろうか。天板には大きくLogifullのロゴが透かし彫りされ、鏡面仕上げのパンチングメタルで裏打ちされている。(個人的な意見では、このロゴの字体は、この筐体の雰囲気に合わないと思う。もっとシャープでスマートなロゴが似合う。)また天板の隅にも三角形の孔を開けて、ここにもパンチングメタルで裏打ちをしている。奇妙なことに、この孔は四隅ではなく対角の2箇所にある。聴感上、ここに孔を開けるのが好ましかったのだろうか。天板は数個のネジで留められており、ネジの頭を見えないようにするような特殊な筐体構造は取られていない。なお、このDACのアナログ部は純A級動作するとのことで、それなりの発熱がある。外観から言っても天板を見せるような設置をしたいので、ラックに押し込まず、オープンな場所にセットしたい。 また、フットは4隅にあり、ステンレス製のスパイクと砲金の受け皿を組み合わせたというから、材質として凝ったものであると思われる。ここにも随分な意気込みが見える。

この筐体の持つ、細かな面に到るまで見事なヘアーライン仕上げがなされた美麗な質感は価格に見合うものと思う。DACは元来、電源スイッチの付いたタダの箱で済むはずであるから、これほどの金属美を見せつける必要ないかもしれない。ただ、その外観から来る、音への期待度の高まりは無視できないものがあるわけだから、そんな野暮は言うべきではないと私は思う。

私はじかに見ていないが、この凝った天板の下には二階建ての内部構造がある。このDACには、片チャンネルごとに、アナログ用トロイダルトランス2個、デジタル用に1個が装備されており、あわせて6つのトランスが筐体内の下の階に収まっているという。その上階はDACの回路基板がデュアルモノラルで配置されているらしい。このような、あまり例のないほどに強力かつマンツーマンな電源の取り方が、このDACの音を決定づけていると、私は想像している。また、その他にも高性能なパーツが目白押しであることもアナウンスされている。ESSのES9018S、JRCのMUSE01、WIMAやコーネルダブラーのコンデンサー、AUGラインの配線材等。贅沢な面々だ。しかも、これらのパーツを組み上げた基盤も材質の吟味、トルク管理がされたネジによりマウントされているとのこと。

LDac1000のリアパネルにまわると、WBT製の端子が一段深い場所にあり、デジタル入力とXLR、RCA一系統ずつが備えられているのが見える。それらの隣にある電源スイッチは珍しいトグルスイッチであるが、これは聴感上最も好ましかったからという。(ファーストモデルにして高い完成度を誇るLogifullではあるが、このトグルスイッチに仄かなアマチュアの匂いを嗅ぐのは私だけだろうか。)さらに、リアパネルの各端子の表示はシルク印刷等ではなく、これも掘り込んで刻印してある。またまた設計者のコダワリが出てきて、オーディオマニアとして、ひとりでに微笑がこぼれてしまう。

Logifull LDac1000の入力はCOAXIAL RCA一系統しかない。これは使い勝手としてはよろしくない。今はCDのドライブメカの供給の選択枝が狭まり、一部の例外を除いて、CDプレーヤーやCDトランスポートが売れない時代である。将来的にはデジタル入力はUSB入力が主流となるであろうことが推測される中、あえてUSB入力やLANでの入力を避けたのは、そうすることでしか得られぬ音があると考えたに違いない。

とはいえCDトランスポートの将来性が、やや危ういのは事実であるから、私としては適切なDDコンバーターと、このDACを組み合わせて使うデモはやるべきだし、そこでいい音を出して、このDACの実力を皆に分からせる必要はあると思う。Sonicweld Diverter HRやSFORZART DST-01、DPAT 0037 Continuum、LINN Akurate DS/K等とのデジタル的な結合は、このDACの可能性をさらに拡げることになるかもしれない。

さらに、このLDac1000にはクロック入出力もない。Simple is bestの姿勢なのだろうか。ここにもポリシーが貫かれている。しかし、クロックで同期を取ることに腐心する一部のオーディオマニアには不満であろう。確かに優秀なクロックジェネレーターを使うことで得られる音のアドバンテージがあるとは思う。しかし、その対価格効果や、設置スペース、貴重なコンセントを1つ消費してしまうことなどを考えたとき、果たして本当にそんなクロックが必要なのかを、私は考えてしまうことがある。オーディオには様々な側面があり、クロック入出力がなくても、他の魅力を備えていれば良しとすべき時も多々ある。このDACの出音はそのひとつだと思う。

The sound 

CDトランスポートからデジタル信号を導き、プリアンプ、ステレオパワーアンプ、トールボーイスピーカーへとアナログ信号を流してゆく環境で試聴する。

一般に大規模な電源を抱えたオーディオ機器は寝起きが良くない。私の聞いた LDac1000は、夜も電源を落とさず、事前にも馴らし運転を多少は行い、シャーシの温度が実際に上がってきたことを手で触れて確認もしている。ただ、そうしても、まだまだ、おろし立ての機材であるから本調子かどうかは保証の限りではない。それでも、このDACを通したシステムの出音は、かなり魅力的に聞こえた。

LDac1000の音は、音楽が言いたいことを言い尽くそうとする音だ。LDac1000は、今、演奏している音楽が言いたいことの本質をしっかりと掴み取り、試聴者に明示することに関し、曖昧さや迷いがない。つまりは高い音楽性があり、しかも後段の機器に対するドライブ力が高いDACだ。

全帯域に適度な量感があり、締め付けの厳しい音ではない。解像力の高さがウリの最新のDACたちとは、若干異なる立ち位置にあるようで、外見から想像される剛性感や精密感に支配された冷たく金属的な印象がない。全体に音の押し出しの強さが感じられるが、強引な硬さはなく、むしろ柔らかく弾力のある音調である。音の重たさの感覚は中庸で、軽やかとも鈍重とも言えない出音。音の湿度はややドライで、湿り気や艶やかさは抑えられている。音の彩度は高く、実にカラフルで楽しい。

デュアルモノラル構成であるため、適切なアンプを使用すれば、広大なサウンドステージの広がりを得られるだろうが、その広さを重視し強調しているようには聞こえない。むしろ、音の躍動感、凝縮した密度の高さや、後段機器のドライブ能力を重視するように聞ける。ジッターの少なさを示すSN感の良さ、行儀の良い音の整いもあるのだが、それもサウンドステージの広さと同じく前景に出ていない。

このDACを通したシステムの高域は、刺激的な印象はなく、質実で穏当。中域は密度があり、やや高めの温度感を有するが、熱いというものではない。この帯域の音調は穏やかではなく、カラフルで弾むような動きの良さに耳を奪われる。低域は豊かな量感が出ているものの、見通し自体はあまり良くない。中域に比べるとこの低域はゆったりした印象だが、男性的な躍動感がある。パルシブなビートが来ても、ノリの良さを発揮してスピーカーを弾ませてくれる。まるでアンプのようにスピーカーをドライブできるDACのようだ。フラットで淡々とした音を奏でるBerkleyのαDAC等とは対照的な音作りである。

とにかく、このLogifull のDACが、プリアンプ、パワーアンプ、スピーカーを従えるタイプの強き力をもつ者であることは特筆すべきである。Weiss MEDEA+OP1-BPも類似の音調を持つが、LogifullのDACは、さらに明快にその傾向を示すようだ。私には、このDACを通す、通さないで、音の密度感や躍動感が、ガラリと変わるように思われる。6つの電源トランスが結束して生み出す力であろうか。

先述のように、SNやレンジの広さ、ジッターの少なさ等の特性はハイエンドDACが満たすべき基準を満たしているが、それは、このDACのハイライトではない。
このDACの音は情報量としても沸き立つように多いのだが、全ての音に鋭利に焦点を合わせているのではない。その音楽にとって重要な音にスポットライトを当て、主役と脇役を巧く描き分けるように奏でるDAC。ただありのまま、全ての音が情報として出てくるのではなく、音楽の流れの中で、それぞれの音の役割を明確にしてくる。ここでは音楽が単なる音の連続体ではなく、1つのドラマとして展開されているのを目の当たりにすることが出来る。これはオーディオ機器が発揮しうる最大限の音楽性のひとつだろうと推測する。

これは饒舌な音だが、この饒舌さは音数の多さを意味しない。音楽の躍動する力に後押しされた途切れることなき滑らかな語り口、立て板に水の饒舌さなのだ。デジタル信号が途絶えないかぎり、不尽の河の流れの如く、渾々とした出音が胸に迫る。こういう音が私の好みにとても合うのだ。それぞれの音楽が持つ情感の振れ幅や種類に細かく反応して、その振幅を後段の機器に確実に伝えてゆくようだ。達者な舞台俳優の堂々とした台詞回しのように、聞く者を、徐々に、しかし確実に圧倒してゆく。

このDACを通すと、音楽は(オペラでなくても)ストーリーをもって演じられる劇のような存在に感じられる。多くの音楽には登場人物が居り、序破急があり、動機と結末が厳然として在る。少なくとも私にとってのLDac1000は、そういう隠されていた音楽の劇的構成を語るDACなのだ。これが私のオーディオに求める音楽性というものである。依然、日本のオーディオ機器は、その視点で音楽をプレゼンテーションしてくれないことが多い。それは純粋に音を数値として扱うことで、ハイフィデリティを達成しようとする開発方針から来るものである。彼らは頭から、音楽性、ここで言う劇性、ドラマ性を重視したりはしない。確かに、意図せぬ副産物として音楽性を獲得した例はあるのだから、日本のオーディオ機器全てに音楽性が乏しいなどと言うつもりは毛頭ない。しかし、このDACについては、初めから音楽性の追求が主な開発目標であった気配を感じる。この確信犯的な音作りにニヤリとした私。邪推だろうか?

例えば、より高価なCHprecision C1と比較すると、やはりスイス製のDACの基本性能は高い。C1はどこから聴いても、十全のサウンドで隙がまるでない。入力系も極めて豊富だ。150万円以上の価格差はやはりあるものだ。しかし、音楽的に音楽を奏でる能力では一歩も引かないどころか、LDac1000はややリードしていると思う。欲を言えば、さらなるフォーカス感の高まり、TAD D600のような音の焦点を合わせきった感じがあれば、確実にCHprecision C1のサウンドに匹敵してくると思う。
クロックに否定的な意見を書いておきながら、こんなことを言うのもどうかと思うが、そこの部分は高精度なクロックを適切な形で使用することで変わるのかもしれない。しかし、それで音全体の雰囲気が変わってしまっても面白くない。うーん。難しいものだ。

いずれにしろ、Logifull LDac1000の音楽性の高いサウンドはいままでのMade in JapanのDACにはあまりなかったタイプだと思う。あえて言えばレイオーディオのR-DACがその数少ない仲間であろうか。ただ、あれほどの野性的な音の強さを前面に押し出した感じではなく、もっとしなやかで奥深い音であるし、より整理された音楽性=音楽の物語性を表現できるDACに思える。

Discussion and Summary

これから先、このDACは、日本経済が苦しい中、小さな日本の企業が、音楽に対する情熱とオーディオ文化に対する高い志をもって開発したDACという、やや定型的なストーリーで語られることになるかもしれない。確かにそんな一面がある。しかし、そんな努力賞的エクスキューズなしに、このLDac1000は、精悍なルックスと、生まれつき持っている音の力・個性のみで試聴者を魅了し、値引きなしで150万オーバーの大金をはたかせることができそうに、私には思われた。そう、このDACが、それなりの出荷台数を捌けないようなら、日本のハイエンドオーディオも曲がり角にきていることを、さらに強く意識せざるをえないだろう。作るという意味でも買って聴くという意味でも。
私以外の多くの方々が、Logifull LDac1000のリアルに触れて、この劇的なMade in Japanのサウンドに心乱されんことを、今は望むばかりだ。

# by pansakuu | 2012-06-13 20:11 | オーディオ機器

First watt SIT1の私的インプレッション:俺のやり方

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「やり方は三つしかない。正しいやり方。間違ったやり方。俺のやり方だ」
映画「カジノ」より


Introduction

いままで多くのパワーアンプを聞いてきて、最もストレートな音を持っていると思った、とあるモノラルアンプについて、インプレッションを書きたい。

かつてネルソン パスが作る超弩級のパワーアンプには何度も魅了されてきた。透明でしなやかだが、熱く粘りのあるパスのサウンドは常に強靱で見事なものと思えたが、しかし、あの大きさ、重さ、発熱からして容易に導入できる代物ではなかった。

今回取りあげるネルソン パス御手製のFirst watt SIT1というモノラルパワーは、発熱こそ、いつもの高温だが、大きさは従来のパスのパワーアンプに比べて小さく、重さは左右のチャンネルを一人で持てるほど軽く、かなり導入しやすくなっている。しかも音調は従来のシリーズとはやや異なる印象であり、カブらない。

このアンプを使った試聴は、それぞれの回で組み合わせるスピーカーが異なっていた。それらのスピーカのなにが異なるかといえば、能率である。一つは90dBちょうどくらい。もう一つは95dBを超えるものである。これらの試聴の印象では、このアンプと組む場合は能率が高い方が、明らかに音が良いように思われた。できればこのアンプは100dB付近の能率を持つスピーカーで鳴らすべきものだろう。組み合わせたいスピーカーとして、アルテックのビンテージスピーカーがすぐに思い起こされたが、現代のスピーカーにはあれほどの能率を持つものは少ない。現行のスピーカーではZuのDruid、ジンガリのスピーカーなどが該当するだろうか。JBL、タンノイのフラッグシップモデルあたりも当てはまるだろう。ビンテージスピーカーにしても、コンパクトでなかったり、入手しにくかったり、状態が良くなかったりするわけで、このアンプを実際に十全な形で使うには、いろいろと問題はある。しかし、それらをクリアしてでも自分の部屋でこのアンプを鳴らしてみたいと思わせる魅力がそこにあった。


Exterior and feeling

無骨で粗い作りである。ネジは剥き出しでシャーシのエッジの処理も、ソコソコな感じであって、手作り感は横溢している。とはいえ、パスのアンプはBoulderの1000シリーズやLINNのKLIMAXラインのような細かい仕上げに気を使う趣向は元々なかったので気にはならない。試聴機はブラックの筐体であったが、シルバーも選べるという。いままでもそうだったのだろうか。パスアンプのデザインのアクセントでもある大型のヒートシンクが両側斜め上に張り出すスタイルは見慣れたものだ。しかし従来のモデルよりもフロントパネルがシンプルな面取りであるせいか、ブリリアント感が薄く、どこか柔和な印象が加わった感もある。フロントパネル左側のツマミは、スピーカーのインピーダンスにあわせて、出力素子の動作の最適化を手動で行うためのもので、真ん中のメーターの針を見ながら合わせてゆく。このメーターを見ていたら、昔のフッターマンのOTLアンプを思い出した。あのアンプは音は良かったが、よく壊れていた。First watt SIT1はどうだろうか。このアンプはフッターマンとは違い、真空管アンプではない。しかし、ただのトランジスターアンプでもない。SITと呼ばれる新しい出力素子(縦型FET)を1つだけ用いたシンプルな回路が、このアンプのウリである。入力はRCA一系統、スピーカーケーブルのバインディングポストも一系統のみである。外観も内容もかなりシンプルであり、コスメティックではなく、中身でもなく、スペックでもなく、まさに音のみで勝負する姿勢が感じられる。

The sound 

試聴者の鼓膜に音の直球を投げ込む。まるで心のストライクゾーンに真っ直ぐスカッと投げ込んでくるようだ。この音は重たく硬い剛球でも、驚くような速球でもない。しかし、このストレートさは非凡だ。また、こういう直接的な語り口は、なぜか心に沁みる。全帯域でピタリと揃った音の伸び方が、この音を生み出すのだろうか。相応の高能率スピーカーを低出力の真空管パワーアンプで鳴らすと、鮮度の高い音がスパッと耳に飛び込んでくる感覚があるが、あの感じをソリッドステートアンプで味わうことができるということだろう。このアンプの出力は片チャンネルたった10Wしかない。またSIT素子のスペックは三極管の特性に類似するとか。確かに、このアンプを通した音は低出力の真空管アンプを想起させるが、あんなに優しくはない。やはり牙を持っている音だと思う。時にはギラリとした強さを垣間見せるからだ。やはりパスのパワーアンプだけのことはある。

高域に関しては、能率の高いスピーカーを使わないと十分な伸張が期待できないが、それさえ高ければ現代のパワーアンプらしい、気持ちよく乾いて抜けのよい高域が聞こえてくる。厚みのある中域はパスのアンプらしく、やや濃密ではあるが、シンプルな回路構成のせいか鮮度がとても高い。また、カラフルな音色や軽々と舞い踊るようなエレガンスをも備えている。これらの特徴により、パス アンプ独特の濃厚さにサウンド全体を塗りつぶされないのがいい。とかく重苦しさや暑苦しさにもつながり易い、単純な濃密なサウンドではないところが気に入った。低域もやはり動きは良い。さすがに最低域まで完全に伸びきったものではないが、音楽の動きに気持ちよく高速に反応してくれるのが好ましい。この低域には超弩級アンプ的ゴージャズさはないが、淡白さ、単調さを巧く避け、よく弾んだ、極めてアトラクティブな動きで、試聴者を楽しませる。さらに、これらの各帯域は互いに緊密に助け合うような働きをするようで、各帯域が分離せず、常に一体感を持って鳴るように思われた。音の分離感が強調されないことは、音楽が渾然一体となることにつながってゆく。かつてある有名な指揮者が、こっちは音を混ぜようとして努力しているのに、オーディオはどうして音を細かく分離して聞こうとするのか?と苦言を呈していた。このアンプはそういう、上辺のHi-Fiから脱却し、高度な音楽性を求める、訳知りのオーディオファイルにウケるかもしれない。
このアンプは、巧く鳴っているときは、基本的にジャンルは選ばないが、強いて言えば年代のやや古いクラシックやジャズの再生を得意とするものだと思う。スピーカーやリスニングルームの状況にもよるのだが、このアンプから出る音は録音に使われた空間を強調するような振る舞いはあまり感じられず、音像の確かさ、存在感の方にスポットが当てられているように思われる。定位感は確固たるものがあるのだが、広い音響空間に点在するような形でプレゼンされるのではなく、どちらかといえば空間に大きめの音像が林立するような出音が本来のように思う。再度言うが、このアンプの実力は高能率なスピーカーと組み合わせなければ発揮されない。95dB以上は必要だと思う。高能率なビンテージスピーカーとあわせて同じ年代のパワーアンプも使っていて、そろそろアンプを買い替えようかと思っている方に是非お薦めしたい。

なお、近日登場するであろう同ブランドのプリアンプが気になるところだが、それはプリアンプではなく、実はパッシブ型アッテネーターらしい。もしそうだとするなら、日本が誇る高級アッテネーターの定番、ilungo Crescendo205 version SNを使ってもいいではないかと思う。これは最近まで使っていたので、このアンプとの相性に自信がある。また、万策堂自身は未聴ながら、最近Soul noteが出した、一系統のみの入力を持つシンプルなプリアンプFundamental LA10を組み合わせて試聴してみたい気もする。

Summary

全体としてあまり類のない音を出せる個性的なソリッドステートアンプだと思う。これは現在のネルソン パスの流儀、「俺のやり方」なのだろう。しかし、常道を大きく逸脱せず、オーソドックスなバランスでスピーカーを駆動するというところは押さえているので、その個性がうるさくない。このような音の方針の一貫性、まとめ方の巧さはネルソン パスほどのベテランでなければ成しえないことだろう。(ダン ダゴスティーノといい、ネルソン パスといい、ジョン カールといい、まだまだベテランエンジニアが元気であるのは良いが、また彼らを超えるカリスマ性をもつ若いアンプ設計者が出てこないのに気を揉むのは私だけだろうか。)
このアンプは外見的な仕上げの問題はあるが、それゆえに価格は安く抑えられている。それも含めて「俺のやり方」ということか。これだけの実力を有するアンプとしては、安価な設定であるとも思われることから、彼の「やり方」は成功しているのだろう。スピーカーの能率の問題さえクリアできるなら、本当にお買い得ではないかと思うし、他では得がたい満足感を与えてくれるパワーアンプである。

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# by pansakuu | 2012-05-30 21:27 | オーディオ機器

恐竜を眺めながら:オーディオの参考資料について


オーディオの機械や電線の話ばかりしてきた私であるが、機械と向き合ってばかりいるわけではない。様々な本や資料を漁るのもオーディオの趣味の一部である。
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20年ほど前からだが、日本で入手可能な日本語のオーディオ雑誌全ての他、英語のオーディオ雑誌をいくつか取って読んでいる。それら全部を本棚に保存していられないので、基本的には届いてから一年経過すれば切り抜き、ファイリングしている。こうして長年見ているが、最近、どのオーディオ雑誌も内容に新味はない。同じような企画の焼き直しを続けているだけのように見える。また、各誌のオーディオ評論には詳しさと深みが失われつつある。特にこの業界のリーダーであるステレオサウンドは、朝沼氏がこの世を去った頃から、だんだん内容が軽くなっていくような気がする。これも時代の流れだろうか。しかし、編集方針自体は、依然として保守的である。どうにも不思議な雰囲気の雑誌になりつつあると思う。

いわゆるオーディオ雑誌以外でよく読む雑誌はSound and RecordingとGrooveである。
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Sound and Recordingは音楽の作り手のインタビューや最新のレコーディング手法、機器について詳説してくれる。有名アーティストのインタビュー記事は面白い。どういうことを考えながら音作りをしているのかという情報は、音楽再生の際にも気になることだから。また、新着のレコーディング用プロ機材の紹介もいい。大抵の音楽制作の機材は、ハイエンドオーディオファイル使う機材よりも安いのが意外である。面白い機能やデザインを持つ様々な機材の情報は、オーディオをやるうえで大いに刺激になる。
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GrooveはDJの雑誌である。これをめくりながら、音楽をハイエンドオーディオとは全く異なるやり方で楽しむ、DJたちのガヤガヤと楽しげでフリーな雰囲気を見ていると、オーディオファイルである我々の暗さと頑迷さは何なんだろうと思う。とにかく、彼らの我々とは全く異なる枠組み、流儀の前に、オーディオファイルは置いていかれたような雰囲気がある。我々は閉ざされた道場のような自室で剣法を磨く修行者であり、DJはギャラリーに取り囲まれた戦場で、多くの武者たちとぶつかり合いながら、ゲーム感覚で音楽を楽しむプレイヤーである。別な言い方をすれば、これは個と場の違いであると言ってもよかろう。どちらが素晴らしいかは分からないが、勢いは彼らのサイドにあるのは確かだ。とにかく、これらの書物にはクラシカルなオーディオファイルの言う原音とかHi-fiとかいう生半可な概念を吹き飛ばすような、新しい音楽の作り方、屈託のない楽しみ方が満載されていて、我等がいかに井の中の蛙かよく分かる。

また、2000年頃からだが、オーディオの紙カタログを集めている。これも分類してファイリングしている。古いカタログを眺めて、それを試聴したときのメモと比べたりしていると面白い。これらの多くは、普段聞かないCDとともに、自宅とは別な場所にストックしているが、これらの資料はかなり増えていて、本棚一杯になりつつある。

また、ネット上でオーディオ機器の写真やオーディオ機器をセッティングした部屋のインテリアの写真を数年前から集めている。これらは千枚以上はありそうだが、ここまで集めるのは大変であった。この写真集のスライドショーが面白い。
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見知らぬオーディオファイルの工夫や楽しみ方を眺めて楽しむ。世の中にはこんな凄いオーディオ機器を揃えている人がいるのかと驚く。
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また、こんなに美しいインテリアの中で音楽を楽しんでいるのかと感心する。眺めるだけでインスパイアされて、やる気が出てくる。
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権利の関係があるのでブログでおいそれと公開できないのが残念である。スクリーンセーバーに設定してある。

その他、まとまった教科書のような本を十数冊持っている。インターネット上の断片的な情報やオーディオ雑誌の記事は沢山あるし、その累積はかなりのものなのだが、1つのテーマについて、まとまって系統的な知識を与えてくれるのは、やはり本である。ところが、オーディオにおいては独立した本、教科書は案外と少ない。現代のオーディオに通用する内容として私が人にお薦めできるオーディオの教科書を以下に挙げる。ここでは、音楽そのものの内容の解説というよりは、音がどのようにつくられ、どのように再生されるかということ主題とした本を選んでいる。リットーミュージックの本が多いが、この出版社がそういう事に力を入れている証拠であろう。
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・すぐできる!新・最高音質セッティング術
西野正和著
リットーミュージック
レクストの西野氏の書いたオーディオセッテイングの本である。オーディオの深い内容にタッチするわけではないが、どうしたら音がよくなるだろうかという問いに対し、一般的なオーディオファイルが実践できることを載せた本である。読みやすく、いますぐにでもできそうなことが多く書かれている。スピーカーやアンプ、アクセサリーの細かな使いこなし、セッテイグ、試聴法など多岐にわたる詳細な記述は目を見張るものがある。また、本に添付されたCDがあり、それをネタにレコーディングやマスタリングがいかに成されるかについても後半で解説している。そういう知識が良いスピーカーセッテイングには必要との考えに基づくものである。このCDを聞きながら本を読むと理解がさらに進む仕組みになっている。私は西野氏プロデュースのレクストの製品は、一部を除いて好みではない。しかし、オーディオのセッテイングにこだわりたい方は、西野氏の著作を読むべきだと思う。
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・リスニングオーディオ攻略本
西野正和著
リットーミュージック
これは少々古い本であるが古本としては入手可能であるようだ。これは「すぐできる!新・最高音質セッティング術」に類似した本だが、それよりも、さらに親しみやすい内容であり、全くの素人にも実践しやすいリスニングルームの整え方、試聴法が楽しげに記されている。コミュニティのブログのような語り口ながら、ブロガーが書くような断片的な知識ではなく、音のチューニングをスタートしてゴールに到る過程が一続きに追えるところが、この本のいいところである。素人の書くブログをいくら見ても、こういう首尾一貫した知識に辿り着けないだろう。ただ、この本の内容は西野氏の経験に基づく意見に過ぎないので、注意する必要はある。実際、西野氏のオーディオのセミナーにこっそり参加したことがあるが、私は、そのサウンド自体には、あまり感動しなかったのを告白しておく。なお、この本の中にはオーディオルームに招かれた時のマナーという項目がある。これはオーディオ評論家もブロガーさんたちもあまり書いていない事と思うので、これから誰かの部屋にオーディオを聞きにいく予定の方は、ぜひ読んでおいて欲しいものだ。最近、ある機器について過激なレビューを書いてしまい、後で訂正を公言せざるをえなくなっている方がおられたが、これさえ読んでいれば、もしかするとあのような仕儀にはならなかったかもしれない。私も人のことは言えないのだが。さらに、この本には録音がかなり良いオーディオチェック用のCDがついている。Flowというミニアルバムが、その内容であるが、バイオリンを中心とした音楽自体がなかなか美しい。本や雑誌についていた付録CDで、個人的には最もいい音、最もお気に入りの内容のCDである。さらに、このCDは初版では、なんとBlu spec CDなのである。(今、普通の本屋から買えるのは通常CD)古本屋にあたると、少なくとも最近まで初版が入手できたはずである。私はそのBlu spec CDを所有し、試聴に重宝している。このCDだけでも価値がある。
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・音の名匠が愛するとっておきの名盤たち
西野正和著
リットーミュージック
万策堂は、西野氏の出す音自体が好きとは言えないが、本は面白いと思う。特にこの本は面白い。現役有名スタジオミュージシャンや録音技師の方々に直接インタビューして、オーディオ的にも音楽的にも優れたCD、オーディオマニアが音質チェック用に持つべきCDを推薦してもらおうという珍しい企画である。アンソニー ジャクソンやマーカス ミラーのインタビューと愛聴盤紹介だけでもこの本は価値がある。この本を買って驚いたのは自分が 既に勝手に買って、オーディオチェックに使っているCDと、この本に載っているCDがかなりダブっていたということ。中でもルーサー バンデラスのライブCDに西野氏が注目していたのには仰天した。こんなマイナーなものによく目をつけるものである。ここでは様々なジャンルのいい音楽で優秀録音のCDが挙げられ、これらの多くは既に入手して、日々聞いているが、CDダイレクト再生でもリッピングでも、模範的な、素晴らしい音が楽しめるものが多いのは間違いない。ソースあってのオーディオであると痛感する。オーディオ雑誌の巻末によく載っているステマっぽいCDレビューよりもヒット率は高い。ここに出ているCDはエバーグリーンなものばかりなのだ。なお、先述のFlowのライブ版とハイレゾデータが付録についているのも嬉しい。西野氏とリットーのステマをやるつもりはないのだが、少なくとも、この本は全てのオーディオファイルが手に取って損がない本であると思う。
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・マスタリング・エンジニアが教える音楽の聴き方と作り方
小泉由香著
リットーミュージック
これは、人物相関的に西野氏に近い位置づけにありそうな小泉氏の著した本である。(これでは、またまた西野氏とリットーのステマであるが、薦められるいい本が彼らのものしかないので仕方がない。)これは音楽制作の現場で実際にやっている仕事を分かりやすく述べた本だが、音楽制作に携わる者の心構え、会得すべき耳の感覚、それに必要な修行について記載されているところが興味深い。記述内容は技術的な内容もさることながら、感覚的な音の捉え方に関するものが多く、そこらへんが後述する「サウンドとオーディオ技術の基礎知識」や「サウンドクリエイターのためのデジタルオーディオの全知識」等と異なる良い点である。プロの音楽制作者は、どんな経緯で業界入りし、どんな修練を積んで一人前になるのか。一読して分かるのは、趣味でタラタラやっている我らとは違うということである。また、耳を良くしたいが、どうしたらいいか分からんというオーディオファイルは手にとって見るべき本だ。具体的な耳の鍛えをこれほど詳しく書いてある本はほとんどない。さらに音楽関係者間においても、いい音の概念の違いが、かなり顕著らしいことも知ってしまった。音の捉え方としての視覚派と体感派の違い等である。ここでも付録のCDがあり、解説を読みながら聞くと自分の耳が、いかにイイ加減な代物かよく分かる。
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・サウンドとオーディオ技術の基礎知識
坂本真一、芦原郁著
リットーミュージック
音が聞こえる耳の仕組みからオーディオ機器(主に送り出し機器)の仕組み、ルームアコーステックの基礎的な知識を噛み砕いて解説してくれる良書である。オーディオ用語の正確な定義について、これほど分かりやすく語ってくれている本はあまりない。地味な内容で、センセーショナルなことはなにも書いていないが、語り口が平易で丁寧。内容は詳細ではないし、驚きも少ないが、随分とっつきやすい本である。マジメなオーディオファイルの方で、難しい本は遠慮したいが、オーディオの基本的な内容は知りたいという方にお薦めできる。
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・サウンドクリエイターのためのデジタルオーディオの全知識
柿崎景二著
白夜書房
これはデジタルオーデイオの技術教本のような本である。後述する「デジタル・オーディオの基本と応用」を読む前段階として読んでおくべき本かもしれない。CDがいかにして作られるのか、音楽制作現場でデジタルオーディオがどのように機能しているのか、PCオーディオの原理等が詳しく解説されている。題名のとおりの内容であり、オーディオファイルにとっては自分の聞いている音楽がメカニズム的にどのような過程を経てここに届られるのか、つぶさに知ることができる。巻末に大滝詠―氏のインタビューがあり、自分の音楽はSACDには合わない、というような発言をされているのが驚きであった。情報量が多すぎると良くないというのである。ここでもオーディオファイルって一体なにをやってるんだろうと思ってしまう。
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・デジタル・オーディオの基本と応用
河合一著
誠文堂新光社
最近、有名な方が薦めていた本で、デジタルオーディオのディープな部分が詳述された参考書である。具体的なDAC、SACDプレーヤー名も登場し、極めて技術的な視点から紹介されている。ここではデジタルオーディオについての我々の常識の一部は、科学的には根拠のないものであるということが明記されている。例えば32bitはアナログ的には意味がない等々。目から鱗の連続である。ただ、それらの言葉に科学的根拠があっても、主観的なオーディオの世界では理屈と聴感上の印象がパラレルでないことが少なくない。結局、オーディオファイルとしてそれらの言葉を鵜呑みにはできないのが、やや哀しい。また、この本では、とてもブッキラボウな語り口に少々面食らうし、内容は専門的で詳細なだけに、かなり難しい。誤植がやや多いのも気になる。とはいえ、デジタルオーディオをやっている人は一度、斜め読みくらいはした方がいいことは間違いない。
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・プライベートスタジオ作曲術
黒田隆憲著
Pヴァインブックス
この本には音楽再生の技術的な内容はほとんどないが、音楽が実際どのような機材で、どのように作曲されているのかを、アーティストの生の声を通じて知ることができる。ここでは音楽を再生するとき、いかにオーディオファイルの勝手な思い込みのもとに音楽を再生していることが多いかが分かる。音楽を作る側は、どんなLo-Fiな装置で再生されようとも、あまり問題ないらしい。そんなことはほとんど気にかけていない様子である。音楽をあえて「良い音」、あるいは「正しい音」で聞くことの意義が、オーディオファイルが思うほど大きくないことを痛感させられる本である。これはDJ雑誌とは、また違う意味で、オーディオに全く別な視点を与え、オーディオへの過剰な熱をチルアウトしてくれる。

こういう本、あるいは最新のDJ、音楽制作系の雑誌を見比べていると、いわゆる伝統的オーディオファイルが、どうも大袈裟で鈍重な恐竜に見えてならない。吸音材、拡散材に囲まれた専用のオーディオルームに高価で大きなスピーカーとアンプを据付けて対峙し、他人を排除し、「良い音」、あるいは「正しい音」を求めて悶々とする。ハイエンドオーディオの歴史は閉鎖空間で孤立した恐竜たちの戦いの歴史である。一方、現代において、音楽は広大な仮想空間で共有されるデジタルデータになりつつあり、そこでの利便性が追求される。結果、古典的なオーディオファイルの目指すような極端な高音質は不必要とされている。また、制作者の側から、音楽を音に乗せたアーティストからのメッセージとして見ても、「過剰」に高音質であることは、その伝達のために必要ではないようだ。現代のオーディオを大局的かつ遠大な視点で語ることは無意味だが、こうなると高音質を求める恐竜は、将来は絶滅の危機に瀕する可能性を思わざるをえない。そのあげく、化石にまでならなければよいのだが。
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こうして、ただ単にオーディオ機器と向き合うだけでは見えてこないものを、これらの資料は見せてくれる。それは概して第三者的な醒めた視点からの眺めである。スピーカーやヘッドホンで音楽を楽しみながら、これらの資料をひっくりかえしては、時折、遠くを眺めるような目をするのが、私は好きである。

# by pansakuu | 2012-05-09 23:50 | その他

CHORD RED Reference Mk2の私的インプレッション: ドラゴン殺し


そういう異名をとる剣があると言う。
使うべき人が使えば、巨大な竜を斬り殺せるほどの巨大なる剣ということだ。
もちろん切れ味も素晴らしいが、まずは重さ・大きさ・剛性が桁違いなのだ。
普段は担いで持ち歩き、
使うときは遠心力と重力、そして剣士の腕力で一気に振り下ろせば、
ドラゴンの肉体をも一刀のもとに断ち落とせる。
その斬り口は、研ぎたての日本刀で切ったような綺麗なものじゃなく、
かなり、ささくれているのだが、
巨大な肉片とこの太さの骨組織をあわせて、
一刀で両断するという芸当は、この大剣にしかできない。
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いまさらながらというか、やっとというか。
もう数年にわたり、
試聴したい、触ってみたいと思っていたものをやっと聞けた。
CHORD RED ReferenceというCDプレーヤーである。
カタログ上はもうMK3になっていたが、今回聞けたのはMk2である。
しかし、ついに落ち着いて、時間をかけて聞けた。
幸せだ。素晴らしい。
以前、オーディオショウで代理店の方にデモを頼んだことが二度あったが、
二度ともあっさりと断られた。
コイツは買わないと思われたのだろうか。
私の礼節が足りなかったのか。
それともなにか、音出しできない理由があったのか。
このプレーヤーの音を聞いたことのある方は
日本では本当に少ないはずだ。

このプレーヤー、2012年にあっては、ただのCDプレーヤーである。
SACDもかからないし、USB入力もありゃしない。
今となっては絶滅危惧種の超高級CD専用プレーヤーである。
しかも日本での表示価格は約400万円であった。
オーディオマニアでなければ、
狂気か犯罪か、どちらかに属する器物と判定されそうな代物である。
しかし、このプレーヤーは、
武器に喩えるなら「ドラゴン殺し」と名付けるべき、大剣だったのである。


Exterior and feeling

かなり変わっている。
フロントパネル、トップパネルの左側を
半円形に深く斜めに掘り込んだような形をしている。
斜めにフィリップスのCDドライブメカをセットし、
丸いハッチのような形のリッドをかぶせている。
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OPENのボタンを押すとカチリ、パタッとリッドが手前に開く。
CDをセットするのは楽ではない。
CDが斜面をずり落ちないようにそっとセットして、
カチリッと手でリッドを閉める。
Mk3ではこの動作が自動になっているらしい。
リッドの上部には丸い小窓があり、中のCDが回転しているかどうかが分かる。
中央にはMK2という刻印が彫り込まれている。
初代のRED Referenceはこのリッドには、窓も刻印もなくシンプルだった。
あっちの方がデザインとしては好きだ。

分厚いフロントパネルには例によって多くのボタンが高密度に集められていて、
全くシンプルな顔つきにはなっていない。ゴチャゴチャしている。
しかし、このカッチリした操作感のあるボタンでほぼ全ての動作ができる。
なお、大きく重いリモコンも付属してあり、多機能であるが、使うには慣れが必要だ。
トップパネルもかなり厚いアルミで出来ていて、十本のビスで固定されている。
波型配列で多数の放熱孔が開けられ、
その穴の入口部にはすべてスリバチ状の面取りがなされている。
その上にはCHORDのトレードマークである、
中部を覗く虫眼鏡のようなレンズがはめ込まれている。
その中には青白いLEDで照らせれたオリジナル設計のDAC回路が認められる。
このトップパネルを見ていると、
まるで海を満月が照らしている風景を描いた絵画を見ているような感じである。
なかなか面白いトップパネルである。
このCDプレーヤーはバックパネルも流石に厚い。
1cmほどの厚みのアルミ板に端子類が直接固定されている。
このバックパネルの剛性感は音に確実に効いているはずだ。
そして、
CHORD独自の四本仕様のインテグラレッグがこの筐体を外側から支えている。
この足も本当に独特である。
一本一本が各々、三点の小さな足で接地するインシュレーターなど他にあるまい。
ラックなしのスタック設置や、六本足仕様も可能な、
このインテグラレッグシステムはCHORDのデザインに大きなウエイトを占める。
今回のRED Reference Mk2には、
両サイドのインテグラレッグの間に
緩やかにラウンドした非常に厚いウッドブロックがはめ込まれていた。
このウッドブロックがどれくらい音に効くのかは分からないが、
機械全体の雰囲気に高級感というか、
不思議感をさらに付加していることは間違いない。

全体には、似たような雰囲気の機械が思いつかないほど風変わりな形であるが、
非常にガッチリした作りであり、パーツの工作精度もかなり高いと思う。
カネのかかった外観だ。

なお、今回、私の聞いたCHORD RED Reference Mk2は
デジタル入出力とクロック入力を備え、
上述のウッドブロックを装着した最高級バージョンinvictaである。
invictaはスペイン語で「不敗の」という意味。
スポーツクラブの名前に時に使われている。
まさに、それらしい名前。
聞くところによると、この最高級バージョンinvictaは、
なぜかデジタル入出力とクロック入力のないスタンダードなモデルよりも
音がいいという噂である。


The sound 

このプレーヤーのサウンドは「ドラゴン殺し」である。
私はそう呼びたい。

私の職業柄、刃物の切れ味とその切り口には、こだわらざるをえない。
勢い、趣味のオーディオを聞き分けるときも、その音の輪郭の切れ込み具合、
音の切れ味のニュアンスが常に気になってしまう。
最新鋭のSACDプレーヤーやDSなどのPCオーディオを聞いていると
この音像と周囲の境界面の処理は自然であることを良しとするものが圧倒的に多い。
無理にエッジが立った音がとても少なくなった。
今の音に比べると、
昔のエソテリックのプレーヤーなどは
音のエッジや輪郭線が強調される傾向がやはりあったように思う。
エソテリックほどではないが、LINNのCD12にもそういう傾向を感じた。
CDらしいというか、明快なあの音の傾向は割り切りが良いし、
音楽の構築が見えやすくて好きだった。
しかし、音がやや硬くなり、微妙なニュアンスが省略されて、
音数が減っているようにも聞こえるせいか、
この傾向はだんだんに鳴りをひそめ、
CDプレーヤーの音は、全般には細く、細かくなっていったようだ。

CHORD RED Reference Mk2の音はどうかというと、
これは疑いようもなく、音のエッジや輪郭線が強調される音調だ。
昨今では、こういう音は一体型CDプレーヤーからは聞かない。
しかし、これだけ強く、くっきりはっきりとした音を出されると
逆に説得される。そして、納得させられる。
音のエッジが強いのは良くないことで、もっと繊細な音がいいとばかり、
最近の私も思い込んでいたが、そうではないということだ。
RED Referenceの音はズバッと切れ込む音だ。
重みのある大剣で豪快に断ち切られたような
音のエッジ、輪郭線に圧倒される。
この音の切り口は日本刀でスパッやったような
滑らかで綺麗な、今風のSACDプレーヤーの音の切り口とは違う。
乱暴でギザギザして荒々しい雰囲気が残っている。
そういうわけで、このプレーヤーは八方美人ではないのだが、
メタルやハードロック、ハウス等のソースは凄絶に鳴らす。
こういうジャンルのCDを大音量でかけていくと、
音が良すぎて、というか曲想に音がハマり過ぎて冷や汗が出てくる。
演奏に音楽的な要素が横溢してノリにノッている。
風雲、急を告げている、というか、差し迫った感覚だ。
サビやリフが始まると、
大剣を、風切り音とともに振り回す狂戦士のようでもある。
RED Referenceの奏音が目の前で暴れ回り、
大剣の切っ先の風圧を鼻先で感じるようでもある。
「ドラゴン殺し」の面目躍如か。

音場は
はっきり言って、
最近のハイエンドオーディオのスタンダードからすると、
それほど広くはないし、深くもないと思う。
しかし与えられた空間に音が押し込められたおかげで、
かえって蒸せ返るような興奮がリスナーに迫るということもある。
最新の上級プレーヤーのような広大なサウンドステージもいいが、
それでは、この熱い興奮が空間の中で薄まってしまう。
こっちもいい。

高域はくっきりした音の輪郭をもって、高く伸び行く。
こいつは声高だ。
このプレーヤーの濃い目の高域に曖昧さ、弱さを垣間見ようとしても無駄だろう。
RED Reference Mk2の高域の強靱さには、近づきがたい威風が感じられた。
中域はさらに濃密であり、既述したとおりの素晴らしい輪郭感、
スピード感を伴った切れ味の良さが絶品である。
深みのある低域の表現にはゴリゴリした押し出し感あり、小気味良い弾みあり。
また、低域での解像度はすこぶる高い。
流石に高級機らしい低域であり文句が出ない。
音数は最新鋭のSACDプレーヤーに比べたら、やはり少ないが、
「で、それが何か?」
と若干アゴを突き出したかのような男っぽい生意気さが嬉しい。
こういう意気地が聞きたかった。
最近のオーディオにはコレが足りなかった。
中性的なオーディオばかり我々は聞かされていたのだ。

さらに、全帯域で音にしっかりした芯を感じる。
これも昨今のSACDプレーヤーには感じられない美点だ。
それでいて、格調が高すぎない。荘重な音調に傾きすぎはしない。
カラッとした軽みもある音で、
CHPrecisionのプレーヤー等の超高級マシーンで聞かれる、
軽い雰囲気の音楽を排除するかのような尊大さ、上から目線があまり感じられない。
それでいて、このサウンドのどこかしらに
品格の高さというものが隠れているように聞こえて面白い。

それにしても、音のリバーブ成分にこれほどの実体感、
存在感が与えられたプレーヤーないのでは?
確かに、これはいわゆる自然な音ではないかもしれない。
またアナログプレーヤーと比肩されやすい
アナログ的滑らかさというニュアンスもない。
そういう癒し系の音とは違う。
16bit, 44.1kHzのD/A変換の音質傾向を極限まで煮詰めて得られた、
極めてデジタル的な音世界である。
このCHORD独自のデジタルテクノロジーの極まりが、
ドラゴン殺しなどというベルゼルクの得物を連想させたのだろうか?
多分、それで合っているだろう。


Summary

「ドラゴン殺し」は使い人を選ぶ。
これはCDというメディアを、だれも聞いたことのないような音で
力強く再生したいという人にお薦めしたい。
オーディオの荒野にたなびく風雲と戦塵を常に感じていたい方にお薦めしたい。

こうしてみると、
はたして、ハイエンドオーディオは本当に進化しておるのだろうか?
真っ先に疑いたくなる。
最新のものは確かに数値上の性能は良くなってきてはいる。
しかし、音の存在感や魅力ではどうか?
この型番落ちしたCDプレーヤーを聞くにつけ、
いや、ドライブ供給等の関係で
絶滅危惧種となっている超高級CDプレーヤー全般を聞くにつけ、
最新のものが最高のものと思い込むのは激しく間違いである、と思う。

私はこのプレーヤーの音を聞いている間、
正直、
30分くらいの間だけでいいから、
大人の分別というものを失いたいと願ったものだ。
購入の契約書にサインする間だけ、心身喪失していたかった。
かなり無理をしてでも欲しいと思わせるほど、
えもいわれぬ、いい音が出ていたからだ。
結局、理性がその願望を抑えきってしまったが。
ドラゴン殺しの剣よ。お前は私の分別をも殺そうというのかい。

良きオーディオは人の心を狂わせかねないことを再確認した。

# by pansakuu | 2012-04-10 21:33 | オーディオ機器

KEF Blade ブレードの私的インプレッション:形の美学、音の実学

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スピーカーはオーディオシステムの顔である。
音の上でも、インテリアの上でも、やはり顔である。
音が良くなければいけないのは言うまでもないが、
その形や色や仕上げは、音楽を聞く部屋の雰囲気を大きく左右する。
音もよく、見栄えもよい、そういうスピーカーが求められる。
万策堂は
都内某所でイギリスKEFのBladeというスピーカーを、じっくりと聞く機会に恵まれた。
今回は、この個性的なスピーカーの形と音についてざっくりと書いてみたい。


Exterior and feeling

このスピーカーの形は
ブランクーシという彫刻家の作品に似ていると言った方が居られた。
名言であろう。
このスピーカーのデザインは
近代彫刻の還元主義的な傾向に影響を受けたのではないかと
勘繰りたくなるほど、清清しい簡潔性が柱になっている。
グラスファイバーで造られたプロペラの羽(ブレード)を想起させるこの形態は
楕円形の薄い台の底面の4つのスパイクで、床に突き刺さるように屹立している。
背の高いスピーカーであり、4mくらいの天井の高さが欲しくなる。
正面には2WAYの同軸ドライバーが一個、
弾力のある黒い素材の中に埋め込まれるようにマウントされている。
さらに、側面には背中合わせにして、
振動を打ち消しあう計4個のウーファーが頼もしく並んでいる。
ダブルウーファーの両側側面配置とくれば、
左右の壁までの距離と、左右のスピーカーの間隔は広く取りたい。
しかも後面にはバスレフポートが二つもある。
後壁との距離も離さねばなるまい。
勢い、部屋の広さはかなり必要となりそうだ。
おそらく広ければ広いほど、天井が高ければ高いほど、
いい音で鳴ってくれるタイプではないか。
左右のスピーカーどうしは3メートル以上は少なくとも離したいし、
側面の壁や後面の壁とも1メートルは離したい。

正面から見ると、これはVivid audioのスピーカー群と同じく「一つ目」である。
銀色の美しく複雑なUniQドライバーの振動板が目のように見える。
この同軸ドライバーはツィーターの音の拡散角度が、
ミッドウーファーのそれとほぼ同一というのが売りらしい。
小さな風車が組み合わされたような、非常に精密かつ美しい成形である。
全体の形状に類似があるG2Giyaと比べると、
Bladeの方が高級感があると私は思う。
ワイヤリングはバイワイヤ対応だが、ハイとローの間にある端子のツマミを回せば、
ジャンパーによる接続とバイワイヤ接続を簡単に選択できる。
これは便利である。
また、ウィルソンのスピーカーのように、
あるいはビビッドのスピーカーのように、カラーリングも選べる。
二回とも試聴機はグロスホワイトであったが、清潔感があり好ましい。
だが、私ならグラファイトを選ぶだろう。(シブいからね)


The sound 

そのフォルムや発音ユニットの配置から推測すれば、
これは現代的な傾向を持つスピーカーであり、
音場を音像よりも重視した音作りがなされているのではないかと推測するが、
一聴して、それは間違いだと分かる。
これは明らかに音像型のスピーカーである。
音の輪郭は非常にしっかりと描かれ、
音像の陰影のコントラストもメリハリがついている。
朦朧とした印象がまるでない。
ただ、エージング不足なのか、下手をすると硬めの音に聞こえることもあったが。
この音像の立ち方は明確ではあるのだが
実際に、このスピーカーから噴出するサウンドを
縦横無尽にリスニングルームに泳ぎまわらせ、
そのポテンシャルを如何なく発揮させたいなら、
音場型のスピーカーのセッティングで意識されるように
やはりできるだけ広く、天井の高い部屋がよいように思われる。
なお、私はどんなスピーカーでも部屋は広い方がいいとは思っていない。
スピーカーに持って生まれた器というのがあり、
それはスピーカーの大きさだけに拠らない。
今回のKEF Bladeについては音の器自体はかなり大きい方と思う。
見かけ以上に、だ。

基本はクールなサウンドだ。
ウォームなニュアンスはあまり感じない。
パワーはかなり入るので、見掛けによらず、大音量を出せる。
UniQドライバーのキャラだろうか。
高域のスピードは速く鋭いし、広がりもある。そして、高さが出る。
フォルムのうえだけでなく、音のうえでも天井を高くしたくなる所以だ。
全域での音の分解能は十分に高いが神経質なほどの細密描写はできていない。
曲ごとに微妙な変化を見せる、細かな質感描写について、
アレコレとこだわる人には不満もあろうか。
また、中域と高域の繋がりはスムーズだが、
中域と低域については、わずかに余分な重なりあいを感じた。
ここら辺の音のダブりは気のせいだと思いたいが、どうなのだろう。
やはりウーファー4発の低域に対し、
小さな同軸1発に中域と高域を受け持たせる形式だと
低域が中高域にカサにかかってくるように錯覚しやすいのか。
サウンドステージは左右に広いが、奥行きはあまり深くなく、
音像は前に出てくる。
そこでの定位の良さはさすがのUniQドライバーである。
うまくセッティングすれば、リスナーの直近に整然と奏者たちが並ぶ。
さらに、この定位が聞けるスイートスポットは案外広く、
リスナーが動き回っても位置関係が揺るぎにくいのがいい。

そして低域はかなり出る、伸びる。
さすがウーファー4発は伊達じゃない。
しかし、この低域の印象はスレンダーではないし、
低域のスピードはさほど速くない。
低域のレスポンスが凄くいいというわけではない。
やはりウーファー4発となれば、
かなり制動に優れたパワーアンプが必要なのかもしれない。
部屋が音楽のスケールや音量に似合わないなら、
あるいはアンプが非力なら、
膨らみが出てしまい、若干ブーミーになる。
アンプやスピーカーケーブルによる低域のレスポンスの強化も必要か。
試聴ではウッドベースをボンボン弾きまくる曲では音が部屋の中に飽和していた。
ただ、この低域が巧く鳴ったときのインパクトは強力だ。
部屋中に響き渡る豊かな低音となる。
こういうスレンダーなエンクロジャーからタップリとした量感、
伝播力のある低域が聞けるのは面白い。

総合的には、明確な定位シッカリとした音像を優先的に描写しながらも、
非常にスケール豊かな音場のイメージも出すことができる稀有なスピーカーだと思う。
音と価格のバランスから考えると、G2 Giyaよりは明らかにお買い得だ。
Giyaのサウンドは、
特に空間性においては上手だが、100万円オーバーの音の差はないと断言できる。
また、音像をスマートに追求するならBladeの方が優れている。
経済的に見れば、
このスピーカーのコストパフォーマンスは高い。
確かに、音を要素ごとに細分化して比較評価するとすれば分が悪い点もあろう。
しかし、総体的に評価するなら
他メーカーの300万クラスのスピーカーに
この音質とスケール感を期待するのは難しいだろう。


Summary

KEF Bladeは
広い部屋、強力なパワーアンプ(できればモノラル)と、
リスニングルームのインテリアに対する美意識を持つ
オーディオファイルに特にお薦めしたい。
また、VividのGiya、巨大ソフトクリームを
リビングに置くなという家族の反対にあった方も、
このスピーカーを一考していただきたい。


Postscript

KEF Bladeのプロトタイプの写真が手元にある。
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それは全体がカーボンコンポジットで作られ、
ネットワークはスピーカーの外の別な筐体に納められていた。
このプロトタイプは音の評価は大変に高かったようだ。
エンクロージャーの材質やネットワークの置き方から考えるに、
今回聞いた量産型はプロトタイプの音には及ばないのではないか。
否、そうでもないのか。
ロックポートのスピーカーなどから推測される、
カーボンの制動力と別筐体化した
ネットワークのノイズへの免疫が音に与える影響は小さくないはず。
とにかく、個人的には、かなり高価になってもよいので、グラスファイバーでなく、
カーボンコンポジットのエンクロージャーを持つ
ネットワーク別筐体のスピーカーを出して欲しかった。
その音が聞いてみたかった。
今となっては選び抜いたアンプとケーブルで鳴らす量産型Bladeが
プロトタイプを上回っていることを今となっては願うのみだ。

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# by pansakuu | 2012-04-01 19:55 | オーディオ機器

Air tight エアータイト ATM3011の私的インプレッション:凱歌を聴け

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今、そこにある一組のアンプ。
これは200Wの大出力を誇る強力な真空管アンプATM 3011である。
タワー型のモノラルパワーというと、
マークレビンソン、NAGRA、HARCLO、VTL、クラッセ、グラスマスターなどの
フラッグシップモデルが思い浮ぶ。
アンプのタワー化は省スペースで大型のモノラルパワーを使う、ほぼ唯一の方策だ。
結論から言えば、価格を含めた総合的な評価では、
ATM3011が最も味わい深い音を持つタワー型パワーアンプと私は思う。


Exterior and feeling

最上階にシャンデリアの暖かく豪華な灯をともした
ツインタワーを思い起こさせる建築的なモノラルアンプだ。
横幅を20cmあまりに絞り込んだこのタワー型の形状。
「この形なら置ける」
思わずつぶやきが漏れる。
そして自衛隊の装備品のように精悍なグリーンスチールのシャーシ。
片チャンネルで46kgあるが、
設置はフリースタンディングと決まっているので、むしろ扱いやすい。
分厚いフロントパネルの上部に開いた
四角い窓には控えめにAir tightのロゴが見える。
その下にはReferenceの刻印。
品質への自信のほどが伺える。
フロントに丸く開けられているバイアス調整メーターの小窓が可愛らしい。
側面上部には金網が張られた窓がいくつか開いていて、フロントの窓のみならず、
そこからも6本パラッた6550がうっすらと見えて嬉しい。
このアンプの発熱は
片チャンネルで6本以上の真空管を使うわりに
あまり大きくないのは、ちょっとしたサプライズだ。
NAGRAやグラスマスター、アインシュタインのアンプと比べて小さいと思う。
室温23℃、やや大き目の音量で2時間以上ドライブしても、
シャーシにしっかり触れることができた。
無論冷たくはない。アツめのぬるま湯に手を突っ込んだぐらいな感じである。
発熱というものは、この手のパワーアンプを買うかどうかを考える場合、
スペースファクターとともに大変重要なことだと思う。
以前、グラスマスターSD2を使う方のリスニングルームにお邪魔したとき、
6畳間では、夏場、クーラーをフル回転させても、
やや無理があるほどの発熱だったのを思い出す。
アインシュタインのモノラルパワーにいたっては
部屋が狭いと冬でもクーラーが欲しいくらいだという。

トップには細長いフタがある。
そこを開けると小さな調整ボリュウムが並び、
個別の真空管ごとのバイアス調整を可能としている。
バックパネルにはWBT製のRCA入力端子とスピーカー端子が1個づつ。
実にシンプルな入出力系だ。清い。
それに出力のアッテネーターもある。
これは様々なプリアンプに対応して全体の音量を整えるには便利だが、
信号が余分な部品を通ることに抵抗感がある方はノーサンキューだろう。
足は四足で、丸いアルミの部品とゴムを組み合わせた
ごく普通のものだ。これもなんだか清い。


The sound 

Air tightはアナログレコードが好きだ。
デモはほとんどの時間がアナログレコード演奏になりがち。
私の参加した二回の試聴ともドイツ製アナログレコードプレーヤーと
フォノコントロールアンプATE2001を組み合わせていた。
ATE2001については
他のアンプとの組み合わせも2回ほど経験済みであるから傾向は把握している。
アナログレコードのサウンドと
ATM3011とのペアは最高のマッチングであり、
他のどのアンプとの組み合わせも敵わない
香りの良さと味わいで心が満たされてゆく。
モノにはそれを人に買わせようとする力と使わせようとする力があるものだが、
このパワーアンプにはそのどちらもが十二分に備わっている。
仮に発熱があろうとも、大きくて重く、高価であろうとも、
その実物の雰囲気と音に触れただけで、
欲しくなり、自室で演奏させたくなるオーラをATM3011は身に備える。

ATE2001と組み合わせて鳴らすATM3011は凱歌を奏でるアンプである。
音の滑らかさと威厳。
そして、タイトな低域のフットワークの良さ。
適度な分厚さを持つサウンドに、
これらの要素が混ぜ込まれてATM3011は朗々と歌う。

高域は控えめな出方で、
清清しいヌケの良さや金属的なシャリ感は前面には出ていない。
イブシ銀の光沢を放ち、静けさ、落ち着きを感じる高域。
シンバルの力一杯の一閃も派手にはしない。

中域はやはり分厚い。予想通りだ。
パースペクティブのある整理された中域では断じてないが、
深くコクのある音色と闊達で的確な太筆書きの輪郭線で
陰影豊かに、音像を描き切る。
油絵調と言えば外れないが、そんな単純な言葉で言い尽くせるほど、
シンプルな中域ではない。
豊潤なコーヒーをゆったりと口に含むような、
僅かに苦みばしった香りが聴感から想起されるのは何故だ。
思い入れや感傷を意図的に遠ざけて聞けば、
これはニュートラルでアナログレコードにマッチした滑らかさを持つ
ごく普通の真空管パワーアンプのサウンドかもしれない。
しかし、その音に没入すれば、
そんな在り来たりな情緒では終始していないことに気づくはず。
どんな音楽を演らせても
味や香りのイメージが想起されて、リスナーを更に一段深い音のニュアンスにいざなう。
このような感覚は他のアンプではなかなか得がたい。

低域はタイトで良く弾む。
ディープに伸びきって、
大スケールのサウンドステージを演出するのではないけれど、
ウォーキングベースの楽しさを堪能するなら、当然、この音調は歓迎されるべきだ。

このアンプの得意なジャンルは
クラシック全般、ジャズ全般、そして昔のポップスあたりだろうか。
ビートルズやプレスリー、フランクシナトラなどが合いそうだ。
個人的な印象では小奇麗で線の細い音楽よりは、
多少ガサツでも賑やかで楽しい音楽、
音楽のスケールの大きさで押し出す音楽よりは、
音そのものの動きの闊達さが生む快感が売りの音楽が似合うように思った。
モノラルパワーというとチャンネルセパレーションの良さとパワーの余剰感から来る
圧倒的なスケールと音の落ち着きが思い浮かぶが、
そういうハイパワーモノラルアンプのありきたりの図式の中に
小型のパワーアンプの持つまとまりの良さや、
小回りの良さをも十分に取り入れたところは、
ATM3011のすぐに分かる美点である。
しかし、それだけではないだろう。
ATM3011のサウンドの裏側には、表面的な落ち着きとはウラハラの、
高揚し、勝ち誇るウキウキした感じもあると思う。
そうあるべき時には、
時にほがらかに、時に高らかに、
オーナーのためにオーディオの凱歌を歌うことが、
このアンプの隠された使命かもしれない。


Summary

Air tightの製品全般にそうだが、
ATM3011のサウンドは、
やはり、アナログレコードの音調に寄り添う面が強いサウンドと思う。
さらに言えば、
現代のハイエンドなアナログオーディオの先鋭的な部分というよりは
むしろトラディショナルな、
クラシックなアナログ再生の王道への指向性が強いサウンドであることは
言っておくべきだと思う。
このような方向性でオーディオを極めていきたいと思われる方にとっては、
Air tightのリファレンスクラスのアンプは恐らく最終到達点のひとつと定めてよい機材と思う。
現代のスッキリ系のソリッドステートアンプとは一味違う音調であるから、
現用のパワーアンプは売らずに、
音楽に合わせて、気分にあわせてパワーアンプを切り替えるつもりで、
ATM3011を導入するのもいいなと思って、今日もカタログを眺めている。

# by pansakuu | 2012-02-01 22:55 | オーディオ機器

万策堂の私的オーディオインプレッション



At the begining

万策堂はオーディオに関するレビューとエッセイを書いています。

私が自分で実際に聞いてみて、素晴らしいと感じた機器、
多くのオーディオファイルに是非聞いてもらいたいと思った製品、
あるいは優れた能力を持つにも関わらずレビュー等の情報が少ない機材について、
それらの外観や操作感、そして音の、良い点も気になる点も
できるだけ整理して、詳しく書いています。
ときには様々な文体を駆使しつつ、
オーディオの哲学的側面にタッチしながら書き進めて行くこともあります。

基本的に
試聴してみて、褒めることが8割以上になるものだけをレビューするつもりです。
貶すことが多くなるようなものは、初めからレビューいたしません。
それはおそらく、万策堂の流儀であり、礼儀なのでしょう。

逆に言えば、試聴したが、ボツになった機器も沢山あるということです。
また、気に入った機器がなければ、レビューは書きませんので、
私が面白いと思うオーディオがなくなったら
レビューは更新されなくなることでしょう。
それでよいのです。

もちろん、
このブログの執筆は完全なるボランティア、
個人の勝手でやっております。
貴重な機器を聞かせてくださった方たちとの間に
利益供与の関係はありません。
あった場合は基本的にレビューはしません。
さらに、当たり前ですが、
このブログを読まれる方たちとの間にも
私は利益供与の関係を持っていません。
私はタダで書き、タダで読んでもらっております。
アフリエイトは一切やっていません。
そこがプロの評論家・ブロガーの方たちと異なるところです。
素人がこういう文章を書くのは疲れる部分もあり、
褒めている場合は、謝礼でももらいたいくらいですし、
いろいろ貶されると、やりきれない気持ちにもなります。
よく言われるのですが、
私の文章は、いわゆるステマというものでは断じてありません。
それだけははっきり言っておきます。
それについての疑念を持たれる方は、このブログへのアクセスを避けてください。

孤立そのものを源泉とする、
万策堂のブログは基本的には孤独な趣味、あるいは暇つぶしです。
万策堂がこのブログの読者として想定しているのは、
万策堂本人のみです、基本的には。
つまり、ここは社交を目的とした他の多くのブログとは異なる、
やや回りくどい動機で運営されているということです。
このページに綴られる文章の表現と内容は
万策堂の私的な見解に過ぎません。
くれぐれも真剣にお考えになりませぬよう。

これについて、私の好きな言葉があります。
「試聴記とは都市伝説のようなもの」
万策堂とは、
まさに”オーディオの都市伝説”を紡ぐ者と思っていただければ。

また、長文が読みにくい、頭が痛くなる等の苦情のある方、
オーディオに対する態度が真面目すぎる方は
このサイトにアクセスしないようにお気をつけください。
貴方には無縁の世界がここにあります。

私が長文を書くのは、まずは生まれつきであり、
あるいは普段、読んでいる長大な書物の影響でもあります。
また、音楽しか聞けない機械にあれほどのお金を出すとき、
それくらいの感想量が持てないものを、
買う気にはならないということもあります。

また独特とも言える言い回しや文章構成については、
箇条書きで測定値や要点だけを述べるブログとの差異をつけるためにあります。
あれでは、誰がやっても同じではないかと思うので。
これらは確かに万策堂が書いた文章という、署名であり、
誰が読んでも私の書き物として認識されるためでもあります。
私は私だけのために、この広大なネットの砂漠に足跡を残しておきたいだけです。
そして私の模倣者がどこに何を書こうと、
このような文章を一貫して書き続けるには至らないでしょう。
つまり無謀にも、万策堂はそう自負しているのです。
ゆえに私は彼らを放置します。

なお、レトロスペクティブに見直し、書き直すべき内容があれば、
万策堂は躊躇なく、発表した文章を改変していきます。
これも万策堂の流儀のひとつです。

お気づきの方も多いでしょうが、
万策堂のレビューの底には「痛さ」という主張が流れています。
例えばシュタインズゲートの主人公、岡部倫太郎の愛すべき弁舌のような
あの厨二病的な痛さを私の文から感じ取っていただければ幸いです。

なお、私は機材の細かい配置の置き方の変更などについて書くのは苦手です。
例えばスピーカーを3cm動かしたとか、部屋の模様替えをしたら音が良くなったとかいうことをクドクド書く方もいますが、そういう差について書いても、書いている私が面白くないし、字数も足りなくなります。それはオーディオという些末な出来事の中の、さらに枝葉末節です。私はある程度出来上がった音のイメージを大づかみに書き、そこから生まれるオーディオのイメージ、コンセプトや哲学について語るために、ここを運営しています。セッティングの細部について私はできるだけ言及しない方針です。(もしやっていたら、それは冗長な無駄話を混ぜて空白を埋めているのだなと笑ってお許しください。)

また、このブログの文章の引用、各種HPからのリンク、
Twitter、掲示板等へのコメント(誹謗中傷、成りすまし等を含む)、
各国言語への翻訳はご自由にどうぞ。
私が言いたい放題言っているのに、
他の方々が言いたい放題に言うことを、止めることはできますまい。
当然、私は、一貫して、それらを読まないように注意しますし、
既述のごとく、仮にそれを見つけても、
自身あるいは周囲に危害が及ぶと判断されないかぎり反応しません。

とはいえ、それらのコメントひとつひとつは、
その内容を問わず
私のブログを読んで下さった方々の、
その人なりの反応であるとも私は考えています。
たとえ、それが私にとっていかに不可解かつ不愉快であろうとも、
実際に、これを読む方がいて書き物が無視されていないという事実だけでも、
作者は感謝すべきではないかと思います。

それでは、万策堂の私的オーディオインプレッションをどうぞ。

# by pansakuu | 2012-02-01 12:32 | その他