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What's Going on:Marvin Gaye(single layer SHM SACD)Universal(2010)

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アナログレコードの音から、アナログであることに起因する、あらゆるノイズを取り去り、チャンネルセパレーションを限界まで改善したら、このSACDのサウンドになるだろう。
もともと、名作の誉れ高い、ド定番アルバムであるが、このSACDは恐ろしく音がいい。
まず兎に角、流れがいい。音楽がスルスルと何の引っかかりもなくスピーカーから溢れ出てくる。これは水ではなく油のイメージである。雑味はなく、クリアな音調で、激しく音の細部が表出しているが、木を見て森を見ないような聞かせ方はしない。音の細かさも太さも両立している。オーディオのみならず、矛盾する要素をバランスよく同居させられるのが優れたモノの条件だと思うが、SACDは実はそれにあたるものなのだと知らされる。このアルバムの曲ごとの気分の起伏も見事に表現されている。あらゆる点で最高のアナログレコードを超えるような再生ができるSACDはほとんどないと思うが、このSACDは数少ない例外である。これを聞いてはじめてSACDをやっていて良かったと心底から思えたのは事実である。多くのSACDを聞いて、こういう経験が常にあれば、SACDは今のような状況には至らなかったものを、と惜しまれてならない。ベトナム戦争に派遣されていたゲイの弟からの手紙に触発されて作った、社会的~宗教的内容を持つアルバムだが、SACDの音にも内容に見合う、一層の深みが感じられる。

# by pansakuu | 2013-03-23 11:19 | 音楽ソフト

Mo’Bop:渡辺 香津美(Hybrid SACD)East works entertainment(2003)

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リイシューでないSACD、はじめからSACDを作るつもりでDSD録音され、そのとおりにリリースされるアルバムのなんと少ないことか。そして、そのようなアルバムでも、音楽的にも優れた内容を持つアルバムのなんと少ないことか。これは、音が良い事と、音楽の内容が良い事とが両立していることが、極めて稀であることを意味する。このフュージョン ギタートリオのSACDを聞いていると、音楽に貴賎はないが、良し悪しはやはりあると思う。音楽の評価は個人の自由だからと言っても、絶対的な格の違いは存在するように思う。ガキには解らぬ勝ちの条件があるというわけだ。すなわち超絶的な生演奏能力、作曲・アレンジの巧さ、アドリブのセンスの良さ、ノリ・勢いの凄さ等々。しかし、これらの多くは最新のライトなジャズやポップスからは失われるつつあるようだ。その手の職人的なテクニックや、あからさまな情熱は今の若者には音楽の重要な要素として意識されていないのかもしれない。このアルバムでは各楽器の立体感がしっかりと出ており、やや骨太なSACDらしからぬ音調が聞き取れる。その中で奏者のテクニックの素晴らしさが、CDよりもさらにクローズアップされてくる。確かに最新の音楽を聴いていると、楽器をカッコよく弾きこなすことに無上の喜びがあった時代は遠くなってきたような気がする。しかし、このSACDは、渡辺 香津美の、素早く、かつ弾けるように饒舌でありながらも、極めて正確な指の動きから、今も変わらない音楽の快感を引き出せることを教えてくれる。ただ弾いているだけだ、という批判も承知の上で、このアルバムにはオーディオファイルとして、そして音楽ファンとして世話になったので一票を投じたい。

# by pansakuu | 2013-03-23 11:16 | 音楽ソフト

Pure-AQUAPLUS LEGEND OF ACOUSTICS:Suara他(Hybrid SACD)King Records(2007)

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おそらく、近年では、世界で最も売れた新録音のSACDではないか。高音質に縁が薄いキングレコードでは最高音質盤でもある。このアルバムは多くのことを教えてくれるし、考えさせてもくれる。
このアルバムはアニソンの音質の究極を極めるため、音質のスタンダードを決めるために製作され、その目的を達成したものだと私は思う。買って、聞いてみると、なるほど綺麗な音であった。そういう意味では非の打ちどころがない。EsotericのP02+D02とVividのG3 Giyaで聞くPure-AQUAPLUS LEGEND OF ACOUSTICSのサウンドは、その雄大さと透明感で、それまでに聞いた、全てのアニソンの音を上回っていた。しかし、どこか音質も音楽的内容も虚ろというか、空疎な印象であることは、他のアニソンと共通していた。アニソンにも色々なものがあることは承知しているが、大概のものに対して私の抱く印象は似たりよったりである。このアルバムは高音質なだけに、音にボリュウム感がなく、陰影が薄く、音像がクリーンすぎて、生々しい音触に欠けているなどの点が目立った。また、アニソンを全く聞かない何人かの音楽マニアに聞かせてみると、音が綺麗なのは全員が認めるものの、やはり音場や音像が人工的すぎるようだとか、アレンジが平明すぎて、面白みがないとか、音楽が示す世界観が特殊すぎて入って行けないとか、もっといいボーカリストは世界を見回せばいくらでもいるでしょとか、演奏がなんとなく表情に乏しいなどと無体な指摘をした人もいた。だが、結局、それらは、あまり大きな問題ではないと思うようになった。このアルバムを繰り返し聞いているうちに、それらこそが、アニメソングの特徴であり、様式であるかもしれないと思ったからだ。人工的な楽器の音触、どこか声優的で平坦なボーカル、あえて心の深層を突かず、表面上の清潔さに終始させた歌詞や型にはまったメロディ、ファンタジックな、あるいはアイドル的なアニメ作品の物語性を想起させる展開等々。基本的に、これらはセットで様式美であると解釈すれば理解できる。例えばビザンティウムのイコンの様式美を想起すれば合点がゆくわけである。この様式を抵抗なく美しいと思える感性のためにアニソンはある。当然のことだが。

ただし、このPureを本当に真正のアニソンのアルバムと言ってよいのか、微かな疑問はある。アニソンは基本的には実在するアニメ作品、あるいはゲーム作品等の映像作品に関連づけられていなくてはならないと考えるなら、これはアニソンではないかもしれない。Pureは具体的には、どのアニメ作品のテーマソングでもないようである。そう考えると、これはアニソンの製作会社が作ったアニソン風の楽曲集であるとも言える。もちろん、これはアニソンの範疇に入れるべき様式を備えた楽曲から成るアルバムだというのは、聞けば、すぐに分かること。このアルバムをアニソンというジャンルから敢えて外す必要は感じない。つまり、アニソンには演歌のように一定の様式が既に確立されており、ビジュアル作品から離れて独り歩き可能な状態であることを確認したことになる。

アニソン、すなわちアニメに関連したJ popである。これについては、現代の流行の歌の一角を占めていることは間違いないが、流行歌の使命である、時代の空気を歌うという心意気が感じられないと嘆く人がいた。私は、その意見は当たっていないと思う。往年のフォークソングやロックのように、その時代の出来事や気分をストレートに歌うのばかりが能じゃないのである。これはこれで、現代の日本の空気の一部を切り取って来ている。アニソンの様式美、すなわち現代日本の音楽的成果のひとつを、音質的にできる限り磨き上げて新しい時代のリスナーに提示するというPure-AQUAPLUS LEGEND OF ACOUSTICSの挑戦は大成功だったと私は思う。これは現代の日本の音楽状況の一部を反映したディスクであり、メジャーではないけれど、折にふれて参照すべきアルバムである。ただ、この完成された音楽が次にどのような形で新たな音楽につながっていくのかが、まだ、よく見えないが。

これは、本格的なオーディオシステムでの再生に耐える、数少ないアニソンのディスクでもあるのだが、今後このようなディスクはもう出ないかもしれない。この次に、このようなものが出るとすればDSDデジタルファイルの形を取るのではないかと思うからだ。このアルバムの反省の一つは、SACDであるがゆえに、今、ハイエンドなヘッドホンシステムでアニソンを楽しむ若い人たち、(それはスピーカーオーディオ予備軍なのだが)彼らが本来の高音質で、このアルバムを聞けなかったことである。彼らがSACDプレーヤーを持っている頻度は低い。これを思い出せば、自然とその発想に至る。彼らがDSDの音質を知るのはDSDデジタルファイルからなのであろう。しかし、そうなると、あの美麗なジャケットはどうなるのか?アニメファンがジャケ買いするような、イケてるビジュアルも含めて、アニソンを創る方々のさらなる健闘を祈る。


ところで、このアルバムに聞き入っていると、つくづく現代におけるハイエンドオーディオとアニソンの関係というのは不思議で不可解な問題であるなと思う。これはビミョーな話であり、これをネタに様々な考えが私の頭の中に起こってくる。

2013年現在、日本の若い男性に一番人気がある音楽はおそらくアニメソングである。
他方、自分が好きな音楽を自分の好きな音で聴くためにオーディオという趣味はある。つまりは何を聞こうと自由なのである。これらを結び付けて考えると、どんなハイエンドシステムでアニソンを聞こうと自由である以上に、アニソンをむしろ積極的に高価なオーディオ機器で聴きたいという願望が起こるのは当然のように思う。
しかし、オーディオ雑誌を見渡すと、未だにハイエンドなオーディオとアニソンとの関係は公的には認知されていないのではないかと疑わざるをえない。
定期刊行されるオーディオ雑誌にはほぼ必ず、巻末近くにオーディオ評論家たちがレコメンドする新譜について書いているコーナーがある。私は十年以上、これらのコーナーのページに目を凝らしているが、アニソンがきちんと取り上げられたのは私の記憶では、このAquaplusのPureというアルバムが出た時だけであり、それも一部の雑誌が取り上げただけであった。
確かにアニソンというものは軽音楽(まさに、“けいおん”)であり、音楽の内容としてはカジュアルなものであり、大袈裟に取り上げるほどのものではないかもしれない。しかし捨て置くことなどできないほど、そして無視できないほど日本で聞かれている音楽である。もちろん、これが本当の意味での人気なのかは一抹の疑問はある。現代の見かけ上のアニソンの活況というのは、アニソンが流行しているというより、従来の有名な個人やバンドによるJpopが陳腐化し沈下したために生まれた状況であるようにも見える。アニメ作品そのものが逆にプロモーションビデオの役割をして、若い固定ファンを常に育んでいるアニソンは、比較的堅調な売れ行きを保つので相対的に目立つようになってきたのだとも思われる。
理由はどうあれ、この活況に比例してアニソンを聞く人は確実に増え続けている。ヘッドホンの世界では以前からアニソンで音質評価をする人は非常に多く、もはや常識的である。そして最近、ヘッドホンオーディオから、スピーカーオーディオに移行する若い人も増えている。彼らはヘッドホンで聴いていた試聴ソースをそのままスピーカーの試聴にも持ってきている。アニソンを使ってプレーヤーやスピーカー、アンプの音質を評価する人々は、年代を限れば、もう決して少数派ではない。かなり高度な再生能力を持つ、ハイエンド中のハイエンドと言い切れるシステムでアニソンを楽しんでいる人もいる。
ある日本の高音質音楽配信サイトの配信数のTOP10を見ていると、アニソンの売れ行きが他のJAZZやクラシックを押さえてトップ3を独占していることもある。ハイレゾでリリースされるアニソンは他の音楽のハイレゾデータよりも売れているようだ。このランキングを見ていると高音質でアニソンを聞きたいという飢えのような欲求が背景にあるように見える。
だが、保守的なオーディオ界ではこの事実は今も無視されたままのように見える。
こういう状況の中でも、まるで昔のSPレコードを聞く会を催すように、ハイエンドオーディオシステムでアニソンを聞こうというイベントが最近、しっかりと開かれていて、確たる人気がある。商業的な視点から見れば、これは若いオーディオファイルを増やすための施策として有効であることに疑いはない。アニソンやPCオーディオやハイレゾというキーワードは瀕死のハイエンドオーディオの寿命を延ばすための薬のようなものなのだ。アニソンを無視し続けることはそういう意味でもムリがある。

いやいや、なにも、ここで分厚い季刊のオーディオ雑誌で頻繁にアニソンを取り上げろという話をしようとしているわけではない。そんなことはどうでもよい。ただ、その内容の見かけ上の幼稚さと低音質だけでアニソンを無視してよいのかどうか、オーディオ評論家さん達もハイエンドオーディオファイルさん達も老人ばかりで、アニソンに疎いどころか拒絶反応が強いというだけで、そのジャンルの音楽をないがしろにしていいのか、軽く検討してみたいだけだ。
この話はオーディオの未来像と全く無関係ではないようにも思うし。いつまでも古いJAZZやクラシック音楽をオーディオファイルは聞き続けるのか。あるいは、いつまでもアニソンばかり聞き続けるのか。オーディオは音楽ソースと深い関連を結びつつ変遷してゆくものだということは、時代が移っても変わらない原則である。音楽の変化とオーディオの変化は決して無関係ではありえない。

そもそもハイエンドオーディオという趣味は、クラシック音楽かJAZZの演奏、アコースティック楽器の生の演奏をいかに高い忠実度で再現するかということがメインテーマであった。原点はあくまでそこにあったので、アニソンのような音楽の多くの要素がコンピューター上で合成され加工された音楽、生楽器がほとんど関与しない音楽に対して音質的なマッチングが十分なのかどうか、という疑問を私は以前、感じていた。たが、それは様々なアニソンを聞くにつれて気にならなくなった。所詮、どんな音楽も人間の耳で聞くものなのである。音の出自がなんであれ、スピーカーから出ればアコーステック楽器と同じ様に空気を伝って響いてゆくのだから、その過程で音が良いと思えるシステム、すなわち従来どおりのハイエンドシステムで事足りるのだ。新たなアニソン用、あるいは電子音楽用のシステムを構築する必要は恐らくないと私は思っている。また、最近は生楽器を多用したアニソンも徐々に見られるようになってきているようなので、ますます危惧するに及ばない。そのうち、アコースティック楽器で有名なアニソンをカバーしたセンスのよいアルバムを誰かが出すのではないかと期待しているほどだ。

しかし、そうは分かっていても、やはりピュアオーディオの中でアニソンというのはまだ座りが悪い、居心地が良くない気がする。ハイエンドオーディオ向けのソフトとしては、まだまだ全くキワモノとして扱われてしまっている。この原因は、まずアニソンの楽曲の多くは高価なオーディオシステムでわざわざ聞くほどの音質を備えていないということであろう。また、既存のオーディオマニアつまり、アニソンをメインソースにするような世代以前の古い人種にとって、ピュアオーディオというジャンルで扱うに値する“品格”がアニソンにないと考えられているからだろう。旧いクラシックやJAZZのような長い期間にわたり愛好され続けている音楽の持つ“権威主義”によりハイエンドオーディオのソースからアニソンが排除されていると思っている若者は実は多い。一方、50歳以上の日本のクラシカルなオーディオファイルの多くはアニメというものがお子様向けか少女趣味の娯楽で、いい大人はそんなものを真剣に見ないのはもちろん、たとえネタとしてでさえ、タッチしたくないと考えているから、その内容を多かれ少なかれ反映するアニソンというものを軽蔑しているのではないかと私は推測する。

だが、アニメ作品そのものとアニソンを無理やり切り離しても、この軽蔑は残るのである。この軽蔑の源泉は違和感なのである。この違和感は実は音質とは関わりがない。
ここで、多くのアニソンがかかえている根本的な音質の悪さについて私は言及しないつもりだ。確かに軽蔑に値する音の酷さが発揮されたアニソンは多いが、音質の良いアニソンも確かにあるのだから。それについて私は今考えている。
再度言う。私の言いたい違和感というのは、音質の悪さとは関係がない。例えば、今聞こえている音楽がアニソンというものかどうか知らなくても、現在流行している音楽を聞かされた際に、ある程度以上に高い年齢の人、例えば60代以上の方が感じやすい違和感である。この違和感は、いつの時代にも生じる世代のギャップであり珍しくない。どんなジャンルの事々にも常に起こりうることだ。結局、彼らが若いころからそういう音楽の様式に親しんで来なかったので、耳当たりが悪くて、良さが分からないというだけのことである。見方を変えれば、ハイエンドオーディオシステムでアニソンを聞くのも演歌を聞くのもフォークソングを聞くのも、それぞれの音楽に親しみのない者には同じように違和感があるのである。このことに気付けば、もうハイエンドオーディオからアニソンを排除する理由はないはずだ。総額3千万のオーディオシステムで“天城越え”や“悲しい酒”を聞くのに違和感がなく、AquaplusのPureのボーカル曲を聞くと、どうも変だと感じるというのは、客観的にはおかしい。もう私の客観(どちらにも肩入れしない私の主観?)では、それらは似たりよったりな音楽なのである。妖艶な外人女性のJAZZボーカルの声に酔うのも、お気に入りの日本人声優、あるいは声優みたいな声質の歌手の声に心地よさを感じるのも基本的には同じ趣味である。
二つの異なる時代の音楽には、音質的あるいは芸術的レベルには明らかな差はなく、単純に好き嫌いの差しかないように私には見える。

つまり、アニソンに罪は無い。
そう、あたりまえの事なのだがアニソンをハイエンドオーディオで聞いて良いのである。それどころか、その音楽を無性に良い音で聞きたいという願望があるのなら、もっとスーパーハイエンドシステムでPlayして、なにかしら新たな音の良さを発見すべきなのである。

また、このアニソンに対する好き嫌いというのは、実は彼らのアニソンに対する無理解に起因する部分が大きいとも私は考えている。十分に多くのアニソンを聞いいて慣れてしまえば分かることだろうが、今聞いている音楽が“広い意味”でのアニソンかどうかというのは、アニメ作品に関連づけがあるというくらいしか確実な識別点がない。アニソンというのは実に様々なタイプの音楽の集合体である。アニソンが好きになれないという人も、多くの広い意味でアニソンといえる音楽を聞いていけば好きな曲に当たるかもしれない。攻殻機動隊ARISEのサントラもアニソンだろうし、創聖のアクエリオンのオープニングテーマはアニソン、Cのエンディングテーマ、AZUMA HITOMIのハリネズミは勿論アニソン、あずまんが大王のRaspberry Heaven、装甲騎兵ボトムズ 「いつもあなたが」やCOBRAのオープニング、ヒャダインのカカカタ☆カタオモイ-C、Kalafina obliviousもアニソンであるが、音楽だけ聞いていると、共通点が凄く多いとは思えない。ただ、ユニコーンガンダムのサントラなんかを聞いていると、ここにある曲の大半は広い意味ではもちろんアニソンだが、真のアニソンというジャンル、“狭い意味”でのアニソンとは違うんじゃないかという気もする。ユニコーンガンダムのサントラはこれはクラシック音楽そのもの、オペラ音楽なんかを連想させるものである。
やはりアニソンには音楽のジャンルとしての”様式”のようなものがある。しかし、その”様式”をきちんと規定できるだろうか?無知で愚かな私にはできそうもない。

例えばアニソンは基本的に日本にしかない、日本人が作った音楽であり、基本的に歌謡曲(狭い意味でのアニソンはやはり歌謡曲なのではないか)で、特に女性ボーカルものが多く、アニメやゲームに登場するキャラクターやストーリーに強い影響を受けたものが多い。さらに、チープなイヤホンやパソコンにビルトインされたスピーカーで聞かれることを前提にした音作りで、音質的に褒められそうもない曲が多い。

一方、アニソンというのは想像以上に音楽のプロが作っている音楽であり、昔のバンドブームの時代によく聞かれたような素人が作った隙だらけの音楽ではない。音楽としての完成度はむしろ高い。しかし、それだけに商業的な匂いが強く、定型的である。多くの人にウケるというか、製作の意向に沿おうとする意志があり、逸脱がない。アーティストが心底この歌を歌いたいということで出来てきた音楽ではなく、仕事が来たから、それを綺麗にこなそうと努力しているだけにも見えないことはない。例えばADELのボーカルとSuaraのボーカルはあまりにも違うが、その違いの一つは音楽の源泉の違いである。アニソンでは普通は映像作品があり、アーティストはそれの最初と最後に聞かせる音楽の製作を依頼されて、歌を作る。歌を作る動機が自分の中から出てきたものではないのである。これは案外、重要な特徴かもしれない。こういう思い入れの微妙な薄さ、熱烈な情熱を歌っているようでいても他人事みたいに整理してキレイに聞かせる、醒めているような感覚、アクの少なさが、むしろ聞き易さにつながって若い人に好評を得ているのかもしれないからだ。こういうアクの無さ自体、現代の若い日本人自体の一般的な特徴につながっていくような気もする。

もちろん、アニソンはビジュアルとの関連が深いのも特徴である。現代はYou tubeなどの音楽鑑賞手段の発達により、音楽というものがビジュアルと切り離して考えることがだんだん難しくなっているようにも思う。映像が伴うことで、その音楽体験の印象は深く豊かになる。音楽と映像が一つになり、新たな表現の手段が生まれている。その一角にアニソンがある。これは部分的に映画に似ているが、映画よりも音楽そのものに近い。沢山のアニメ作品のオープニングテーマをYouTubeで続けざまに見聞すると、アニソンがこの新しい表現の手段を見事に具現化しつつあることを肌で感じる。

ところで、やはりアニソンのような新しい風を運んでくる音楽は、軽々とした新しい媒体に載せられて、我が手に届くべきだと思う。それは新たな高音質の器である、PCMハイレゾデータやDSDデータをダウンロードするという形で届くべきである。この重みのない音楽情報の媒体形式はアニソンの音楽的な軽さ、アニソンという軽音楽が備える羽のような軽い気風・気軽さに良くマッチすると思う。そして、このデータをライトでコンパクトなポータブルオーディオシステムで楽しむ。これもまたアニソンの特徴=様式の一部なのかもしれない。

こうして手軽にダウンロードした音楽をパソコンやDAPで簡単に聞くなどという行為は、オーディオとしては邪道であり、音楽を聞くときはもっと特別な儀式や作法を保持し追求すべきだというオーディオショップの代表の方の演説を聞いたことがある。CDをトレーにセットするとか、アームをつまんで動かすとか、そういう行為が高度な音楽再生には欠かせないと言うのである。こういう考えはアニソンをピュアオーディオから外そうとする静かな動きと無関係でないと思うのだが、私は全くのナンセンスだと思う。第一、音楽を聞くという行為に決められた作法などというものは存在しない。私はアナログレコードの再生音は好きだし、こんなにも肩入れしているが、それを得るための複雑な調整やターンテーブルの操作がなくなっても一向に構わない。あの音が得られるなら手段は問わないし、便利になるならそれに越したことは無い。すでにアナログオーディオの最先端の部分では、アナログオーディオの取り扱いは簡単になってきているが、それによってアナログをやる面白さが削がれたとは思えない。音楽再生時に必要な儀式とオーディオの面白さは分離できないと決めつけることは意味がない。また、逆にいえば、PCオーディオやDAPを使った再生に作法や儀式が全くないとどうして言えるのか。特にPCオーディオに関しては良い音を得るにはセッティングにかなりのスキルと手間、調整を必要とするし、マウスを動かして、細かな曲名の一行をクリックすることと、レコードの上の或る溝に正確に針を落とし込むこと、そこで使う労力の大きさというのは実際は大して差がない。とどのつまり、儀式や作法を重視せよという意見も、また全く世代のギャップに起因するもの、あるいはまたまた個人的な好き嫌いの問題でしかない。

これらの世代のギャップの原因と不幸は、例えばアニソンをハイエンドオーディオで聞いてみたい若い層とそれを怪訝に思う古いオーディオマニアがお互いによく知らないことだと思う。お互いに聞いている音楽やオーディオの知識を謙虚に共有すれば、お互いに有益だろう。そのギャップを少しでも解消したいなら、本当に東京インターナショナルオーディオショウ(TIAS)とヘッドホン祭り、真空管オーディオショウを同日に同じ場所で開催し、行き来できるようにしてやればいいのである。“ほとんど”出展者の顔ぶれが変わらない閉鎖的なTIASはもう古いし、“ほとんど”ヘッドホンばかり聞かせる祭りも、そのうちネタは切れるだろう、というか、もう切れつつある。真空管オーディオは来るのは“ほとんど”年寄りばかりだが、実際に若い人が来て見聞きしたら全員がつまらないと思うはずはない。こういう“ほとんど”ひとつのカラーしか感じない縦割りなオーディオ界をかき混ぜるべきだ。お互いの趣味の良さを知りファン層が相互に移行し合えばオーディオ界は活性化するはずなのだが、そういうクロスオーバーができる現場が日本のどこにもなく、そういう相互訪問の機会が一年のうち一日もない。垣根を取っ払えるのは、ジャンルレスに機材も音楽も縦横に楽しんでいるオーディオ好きの個人の頭の中だけなだろう。

いずれ、このアニソンを違和感なく聞けている世代も必ず歳を取るし、アニソンを聞かない世代はいずれ退場するので、将来は東京インターナショナルオーディオショウのいくつかのブースでアニソンが流される日が来るだろう。ただそれまでTIASが生き残っているかどうかは定かでないが。
では、TIASが続いてゆくと仮定したら、その日まで生き残るアニソンとはなんだろう?それはアニソンに詳しくもない私には分かりかねる。
むしろ、私が恐ろしいのは、その未来の時代の若い世代は一体“なにをどういう形で”聞いているのだろうかということだ。まだ、この世に生まれ出てさえいない彼らにとっては、アニソンは現代における古典的音楽と同様に陳腐な定番ソング、懐かしのメロディになってしまっているはずだ。ダウンロードのDSDやPCMハイレゾはもう古いと言われているかも。
私にはそちらの“なにをどういう形で”ほうが、生き残ってTIASでかかるアニソンの曲名よりも、はるかに想像しにくいが、逆に強い興味がある。
今20代、30代の若いアニソンフリークたちの多くは50歳、60歳になってもアニメを見続け、アニソンを喜んで聞き続けるのだろうか?それは分からない。それはこれからもアニソンが変化し、年齢が上がっても楽しめるような成熟した魅力を放てるかどうかにかかっているとも思う。人間は年を取っても、いつも同じようなものに興味を抱き続けることは難しいのである。
今は二次元の女性たちに籠絡されていた引きこもりがちな若者たちも、ひょんなことで結婚し、子供が生まれ、かつてあれほど揶揄していたリア充になってしまうように、アニメもアニソンも否応なく変わって行く過程を私は目撃しているのか?

こうして、このAquaplusのPureに聞き入っていると、何故か私は現代、あるいは未来のオーディオの姿かたちにつくづくと考えを及ぼさずにはいられないのである。


# by pansakuu | 2013-03-23 11:14 | 音楽ソフト

AFRO BLUE:M.Sasaji & L.A.Allstars(Hybrid SACD)SME(2008)

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ビッグバンドジャズのキレのいい演奏を収めたSACD。始めからSACDにすべく録音されたものと聞いている。ビッグバンドが完全に一体となり、指揮者に縦横に操られつつも、自分でも楽しんでいる様が良く見える。非常に締まって明瞭な音調で、昔のビッグバンドのように、どこかルーズでソフトな印象がない。クリアでコクが少ない音味だが、私はこういう音は好きだ。昔のビッグバンドジャズには一目置くが、ああゆう懐古趣味はNo Thank youという私には、この演奏が丁度よい。CDよりもSACDでは鋭角的な音の吹き上がりが丁寧に描写されるが、迫力はいささかも衰えない。小音量でも、演奏の力感が削がれず立体的な彫の深い音が楽しめ、突進する音がリスナーに向かって飛び出してくるのを鼓膜で受けとめる快感がどのようなボリュウムポジションでも楽しめる。スタジオでの録音ながら、少数の観客を入れているようで、演奏がウケているのもSACDだと、よく分かる。いつものことだが、このアルバムを聞いていると、音質と音楽的内容の二本柱が高いレベルでバランスしていなければ新しく録音された音楽をSACDにする意味がないような気がする。生楽器の音を十二分に堪能できるはずのアルバムであるが、逆に生楽器の音というのは必ずしも綺麗なものではないし、模範的な録音と言い切っていいのか分からなくなる。生楽器の音と言っても、いろいろな聞こえ方があるということを思い知るアルバムである。ここでは、楽器の音に整理された感じがなく、分離感が少なく、ダイレクトな音の吹き出しのエネルギーを優先している。私はこれを聞いていても、生楽器、生楽器とお題目のように唱えるオーディオ専門家を疑問視せざるをえない。

# by pansakuu | 2013-03-23 11:12 | 音楽ソフト

Night Sessions:Chris Botti(single layer SACD)SONY(2011)

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私がよく聞くSACDである。クリスのコロンビア移籍後、最初のアルバムであるが、それ以前と大きく変わりはなく、いつものように聞きやすいのでなんとなく聞くのである。アーバンスタイリッシュで言い尽くせそうな、軽い内容のアルバムなのだが、現代的な哀愁というか、都市に暮らす人間のセンスを鋭く、細かく刺激してやまない曲が詰まっている。SACD盤の音は当然いい。CDよりも確実に深みを帯びた音で、決して品は落とさないが、音のトランジェントはさらに優れ、音像があいまいにならない、しっかりとした音の手ごたえがある。CDよりもSACDで音が間近に感じられ、ソースとよりダイレクトにつながる連帯感がある。彼の音楽はクールな方向に流されて、掘り下げが浅いように感じることがあるが、SACDではクリスのトランペットの奥深くシリアスな響きを知ることになる。マイルスやスティングに影響された彼のスタイルの独自性に気付くのも実はSACDを聞いて以降だった。所有するピエガの同軸リボンユニットは、彼のシリアスなブロウの深みを私にハッキリと聞かせてくれる。
ところで、このアルバムを聞くと、ここに詰めこまれた音と静寂の中に、自分の心の一部が混じりこんでいるように思えてならない。この既視感の強さはなんなのだろう。
私は、このアルバムを一通り聞いた後、眠り込んで夢を見たことがあった。夢というのは別の次元、別の宇宙、別の世界線での現実だと言うが、信じがたい。あれは、今まで見たり、読んだりした映画(リドスコ監督作品)や小説(ポール ボウルズ)のイメージや、実際に試聴したサウンドのモザイク状の集合体と言った方がいいと思う。とにかく、この酔いどれの幻のような夢のディテールを少しづつ溜めた後で、試聴記と絡めて、まとめて書いたことがある。ああいう気まぐれも、時には面白い。

# by pansakuu | 2013-03-23 11:08 | 音楽ソフト

Thales Tonarm TTT-Compact+Simplicityの私的レビュー:迷宮への鍵

万策堂のオーディオインプレッション:Special editionに
”Thales Tonarm TTT-Compact+Simplicityの私的レビュー:迷宮への鍵”を投稿いたしました。
http://bansaku.seesaa.net/article/348006975.html
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長文ですが、よろしければどうぞ。
# by pansakuu | 2013-03-19 23:07 | オーディオ機器

WAGNUS Bialbero Epsilon Sをめぐる短く私的な会話:NEXT LEVEL

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GOZ : いやー、お目出度たいねえ。

MEZ : あー、ま、ついに身を固めるっていうかですね。
ご存じのとおり結婚することに決めたんですけど。

GOZ : まさか君が急にね。
なんか独身貴族を謳歌している者の筆頭を走ってたところで、いきなりね。
でも何にしろ、いいことだよ。
奥様になる人も深夜アニメ好きで、ヘッドホン聞くような人らしいじゃない。
MEZ : え、そんなことないですよ。向こうはそういう感じじゃなくて、仕事人間で。
帰ってきて、テレビでバラエティをちょっと見たら疲れて寝ちゃってますよ。
音楽もMP3でちょっと聴くだけだし。SACDとかハイレゾとか知らないし、
アナログレコードにウラがあることさえ・・・・。
GOZ : 知らんのね。いいじゃないの。
趣味が同じだとかえって微妙な違いで衝突するからね。
とにかく、今日はお祝いだよ、バチェラーパーティじゃないが、奢りますよ。
MEZ : マジですか。
独身がもうすぐ終わるとなると、
やり残したことはやっちゃった方がいいに決まってますから、
案外焦って散在しそうですんで、奢ってもらうと嬉しいですね。
GOZ : じゃ、なに買うの?ついにウィルソンのスピーカーとか?
MEZ : いやいや、そんな財力ないですよ
。まず中古のライカMPとハッセルでしょ。
それからDAPにつなぐポーターブルのヘッドホンアンプ、
しかも最高に音のいいヤツが欲しいんです。
詳しいですよね。推薦してくださいよ。
GOZ : 残念だけどポータブルは全くの門外漢であるねえ。
でも、このまえ、中野で研究会っていうか、こじんまりしてるけど、
マニアックなポータブルオーディオのショウがあって、
そこにポータブルとは別な用事で行ったけどね。
時間があったんで、あそこに出てたのはアラカタは聞いたは聞いたけど。
MEZ:だって昔、RSAのSR71持ってたじゃないですか。
あれはポータブルとしか言いようがないものですよ。実は、知ってるでしょ。
GOZ : いや、歩きながらとか電車に乗りながらとか、
そういうシュチュエーションで音楽聴かない、ほとんど。
でも、この前、自転車乗った時DAP借りて直挿しで聞いてたけどね。
TeraPlayer。カラッとした音だったよ。
MEZ : やっぱり知ってるんじゃないですか。
GOZ : 全然。あの世界はホントにマニアックな日本人が多いんだよね。
私なんて門前の小僧ですよ。日本が世界で一番マニアックなんじゃない?
でもDAPはなぜか中華製が多いし、ポータブルのHPAも中華製が目立つな。
色々とゴタゴタ言うけど、日本人は結局、あっちで作ったモノを買ってるよね。
MEZ : ポータブル界はチャイナフリーは不可能ですか。
別にこだわりはないから、いいですけど。音さえよければ。
GOZ : でも、俺が一番良さそうだと思うアンプは大抵、日本製だけどね。
ここにひとつ、いいのを持ってきてる。
ラップをやってる友達が地方のライブハウスに巡業に行くとき、
ホテルでトラック聞きながらリリックを書きたいんだが、
音のいいポータブルアンプないかって言うんで、好きなアンプを推薦したら、
ホントに買っちゃって。今、それ借りてきてるんだ。
MEZ : それを聞かせてくださいよ。これですか?
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GOZ : そう、WAGNUS Bialbero Epsilon S。
MEZ : ほー。そんで、このプレーヤーは?
GOZ : 例のレッドワインオーディオで改造したAK100。
これも推薦したんだけど。
どっちも借り物だから気を付けてね。
MEZ : AK100は持ってますけど、改造して音は良くなるでしょうか?
レッドワインの据え置きアンプの方は、それほどパッとしない音ですけどね。
RWAK100っていうんですか、へえ。見てくれはほとんど同じですな。
あ、レッドワインのロゴがこんなところに。
で、Epsiron Sの方は・・・これなんだか薄っぺらい板で出来てますねえー。
箱の作りはどうなんですか。ネジの頭みたいなものも見えるし。
頭が平らだから許しますか。
このヒサシみたいに出てるところも
トグルスイッチも尖っててカバンの中でなにかに引っかかりそうですよ。
角は丸めてほしいですな。これはプロトタイプじゃないんでしょう。
このアルミの仕上げしかないのですか?そりゃ寂しいですね。
ちょっと大きめでもあるし、見かけはそれほどでもないですな。
GOZ : そうねえ、なんか高級感は全くないよね。手作り感はかなり。
箱は少しカンカン鳴くようだしな。
とにかく、このケースはとてもキズが目立つ。
カバンに入れたりしてスレやすいものだから、
この薄手でキズが付きやすいケースの
材質とかデザインはなんとかならんのかね。
確かに、
この前聞いたKOJOの真鍮削りだしのボディのアンプと比べるとアレだけど、
箱に凝ってもいい音が出るとは限んない。
見かけ倒しはオーディオ界にはゴマンとあるし。
音がいいいから許すかね。
赤い、このボリュウムは悪くないカラーアクセントだけど、
やっぱ、全体のデザイン的にどうにかならなかったのかっていう気もするな。
そもそもBialberoって名前も良くないね、読みにくいし響きも美しくはないな。
逆にイイところを言えばさ、プラグは標準でミニを挿せないところがいいよね。
据え置き派としては入って行きやすい。そしてトグルスイッチ。見識だよ。
ここらへん、あえてそういうことをやってるところで、音質に期待がかかるわけ。
トグルの方が音がいいって話は方々で聞くから。
それから比較的軽いのもいいよね。
MEZ : 電池式ってのもいいです。エネループかあ。
専用バッテリー式だと、イザとなると交換も楽じゃないし、
専用バッテリーのストックがなくなる可能性まで考えて不安ですけど、
普通のエネループならなくなることはないでしょうからね。
GOZ : いろいろ電池を試すと、音質は電池によってかなり違うようだよね。
クリアでヌケが良く、力強いのはパナソニックの銀色のリチウム電池FR6SJ/4Bだね。
これが最高。続いてエナジャイザーもいいけど少し音がキツイ。
MEZ : へー電池がそんなに大事なんですね。
なにはともあれ、それじゃ、まあ聞いてみますか。FOSTEX TH900!これで聞くんですか?
しかもカルダスでリケーブルしたやつ。
GOZ : いや、いくつか試して個人的には、これで聞くのが一番良かったよ。
音量とボリュウムツマミの回す角度の関係も極端じゃないし。ホラ。
あと、WAGNUSさん、つうかTONEFLAKEさんはPAD EVOLUZIONEという
ボリュームを上げ易く、そしてインピーダンスも適合させられる
高品質な固定アッテネーターまで出してくれるんだ。
これも持っていれば、いろんなイヤホン・ヘッドホンとソースの組み合わせで起こりうる、
音が大きくなりすぎるんでボリュウムが上げられないという苦しみから逃れられる。
これはいいよ。音に対する影響は普及タイプのPAD-SOより小さい。
より透明な存在として、お薦めできる。どうせなら安いPAD-SOじゃなくコッチだよ。
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あ、聞こえてないのか。
MEZ : (試聴中・・・・・。)Oh。確かに、これはヤバい。
これはポータブルには聞こえないですね。細かくて、かつ太いですよね、この音。
プロ的に音像を太く描く傾向がありつつ、
その中で音の小さな起伏を逃さず捉えて聞かせてくれる細かさも兼ねてる。
抜群の定位の良さも忘れがたいですね。
いつも気になる音の温度感は・・・ちょっと高めかな。
いままで聞いたポタアンはどれもやや温度感が低いクールな音だったですね。
熱いまで行かないけど、少しアグレッシブだから、音の温度感は高めに出る。
DAPのせいもあるでしょうか?
GOZ : DAPの影響も、ヘッドホンのせいも、ある程度はあるだろうけどね。
俺にしてみるとプロオーディオ的な、音像をキッチリ描くことに終始するんじゃなく、
音場も感じさせてくれるのがいいんだよね。
確かにこのアンプ、ダイレクト感というか、
ステージかぶりつきでライブを鑑賞するような前のめりな部分はあるんだけども、
その音の背後にも注意が向くのよ。背景が下がって、音像が浮き彫りになるな。
それから繊細さだよ。ギンギンにエッジを立てて音の輪郭を表現しないんだ。
粗さがない。あれは映像でたとえるならピクセルが何倍にも多くなった
高精細画像を見ている感覚に似ている。
MEZ : 実はハイレゾでもなんでもないですよね、この音源。
ジェニファー ウォーンズのハンターの一曲目。16bit、44.1Kでしょ。
でもハイレゾみたいに、
ナチュラルな輪郭でありつつ音像が背景から際立って聞こえていますね。
なるほど、いままでの凡百のポタアンの音から、一皮も二皮もむけたモノなのですね。
GOZ :この手のプロオーディオ系のアンプは
音の鮮度の高さがウリなことが多いでしょ。
これも鮮度は高いけど、
こういうダイレクトな音にありがちな荒々しさだけじゃないところが面白いよね。
丁寧な音の描写とかが混ぜ込まれて感じられるのが愛しいのよ。
そういう複雑さというか、
荒々しさと丁寧さっていう矛盾した二つの音の側面が
一つのアンプの音として同居しているところね。
それが、このBialbero Epsilon Sが、
いままでの単調な音しか出せなかった大概のポタアンの音を
超えたところだと思うんだよね。次世代のポタアンの音の一つなんだろうな。
こういう複雑さを備えた出音になっていかないとYesとNoの間にあるような、
微妙であいまい、半ば矛盾した情緒に立ち入った音楽表現できないよ。
MEZ : そういう複雑さがアンプの音の奥にあって、
初めて複雑な内容のある音楽をかけて納得できるっていうことですかね。
なるほどー気に入りましたよ、その考え方もアンプもね。
いままでは、ポータブルアンプでやるような
ヘッドホンオーディオって音には一定の制約というか枠があって、
その言わば低いレベルの音の枠組みに限定された中で、
イイとかダメとか比較して喜んでたんですけど、
このEpsilon Sのレベルになると、
その枠組みをハズして
本格的な据え置きアンプと比較できる音になったってことなんですね・・・・。
GOZ : こうなったら二台買って、一台は奥様にプレゼントでもしたら?
MEZ : ソレはないですね。
聞いてもそこまでわかって貰えないでしょう。
やっぱ、オーディオって同じ土俵で議論しないと、かみ合わないですよ。
それって据え置き限定派とポータブル限定派のオーディオ談義が
実は、かみ合ってないのと似てるかも。
だいたい、もし二台買うなら
左右別のアンプでモノラル駆動にしたりとか考えちゃいますからね、むしろ。
それぞれのアンプで片チャンネルは遊んじゃいますけど、
電源が左右で別になるからセパレーションはよくなるかと。
プラグの改造が必要ですけど。
GOZ : バイアンプってのもあるらしいよ。
武蔵野音研のfi.Questっていうのと組み合わせて、
バイワイヤのスピーカーを帯域ごとに別のアンプでドライブするみたいに、
イヤホンの高域、低域のドライバーを
それぞれ別のアンプで制御するということらしいけど。
特殊な改造をしたイヤホンが必要だし、やたらにマニアックだけどね。
MEZ : そこまでは行けないなー。やりすぎって飽きますよ。
センス良く、ほどほどを目指したいですね。
ところで、そのfi.Questって有名なんですけど、
どんな音なんですか?聞いてないので。
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GOZ : あーあれはね、Epsilon Sより、もっと“美しい”音よ。
もっと細かくて柔らかめでシルキーな、わずかにだけど女性的な音だったね。
それから音に横の広がりとか奥行をさらに感じさせたよ。
全体に出音にゆとり・余裕がさらにある。
筐体を作る板の厚みはfi.Questの方があるし、
ロゴのデザインなんかもカッコよくて洗練されてる。
でも、なんかEpsilon Sみたいなダイレクト感がなかったね。
鮮度が低いっていうか、fi.Questを通すと
微妙に美的に加工されて出てくるみたいなところがあって。
だけどポータブルなDAPのサウンドって元来ショボいからね、
そういうプラス アルファがあってもいいと。
MEZ : プラス アルファね。
この前聞いたっていうKOJOのアンプはどうなんですか?
それもプラスアルファが結構ある?
GOZ : それはKOJOのKM-01 BRASSのことかい?
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いや、あれはfi.Questに比べて全然、素直な感じだよね。
プラス ナントカで魅了するものじゃないような・・・・。
そう、素通しに近いとも言えちゃいそうな、
DAPの音が自然にそのまま出てくる感じなんで、
DAP直挿しでも同じじゃないかと思って、実際に直挿しと比べたりすると、
なるほど良くなってるんだよね。
音に輪郭がしっかりとつくし、
細かいところまではっきり聞こえてDAPの音がきちっと出る印象だね。
高域には渋い輝きがあるし、中域にも厚みがあるし。
それから音の重心が低いよね、低域に重たさがあって、
ポータブルらしからぬ伸びのある低音が聞けるから。
それでいて音に重苦しい圧迫感まではなくて、聞きやすい。
音の様々な要素にバランスが取れてる優秀機だった。
値段もそこそこでさ、こういうKM-01 BRASSみたいな渋いアンプが、
訳知りのマニアにウケるんじゃないかな。
でもこうなるとDAPの性能が問われるね。
MEZ : KOJOのアンプは写真しか知らないけど、
なかなかゴージャスなエクステリアですよね。
この細かいキザミの入ったボリュウムツマミもカッコいい。
限定だし、売切れたらヤフオクで高く売れそう。
GOZ:そうなのよ。実物を手に取ってみると、
全身金ピカ仕上げのコスメチックも、
真鍮のインゴットから削りだした筐体のしっかりした作りも、
いままでヘッドホンアンプにはほとんどなかった豪華なモンでね。
しかし、音的にはそういう見かけを反映したような大袈裟な感じがなかった。
だから逆に私的には、音にもう一味なにか欲しいってのはあったのだけれど。
MEZ : そう言いつつも、どのアンプにしろ、
優れた据え置きのヘッドホンシステムの音には劣るんでしょ。
奥行の深さとか細部の描写の鋭さとか音の力強さとか。
いろいろな点で、このEpsilon Sでさえ不満はありますよ
、トップクラスの据え置きアンプと比較するとね。
GOZ : そんなこと言ったらスピーカーオーディオは、そのさらに上だよ。
例えばスピーカーオーディオで体験できる意味での音の地平線、
サウンドステージの展開みたいなものは、
どんなヘッドホンシステムでも、まだ見えてない。
でも現代の据え置きヘッドホンシステムは
スピーカーでは実現できない独自の境地を形成しつつあることは事実だから、
単純に比較しがたい状況にはなってきたよね。
ハイエンドヘッドホンシステムで得られる
球形のミクロコスモスにつつまれるような感覚は
スピーカーでは得難いぜ。
だけどポータブルヘッドホンシステムの世界には最近まで、
そういう独自の価値つうか、
独自の音と言っていいようなレベルの製品は、
ほとんど登場して来なかったのね。
小粒な音ばっかでイヤだった。
Epsilon Sとかfi.Questが新時代の先駆けになるかもと思うんだけど。
今後は、何か音楽ソースを絞って、それを上手く鳴らす、
あるいは誰も予想しなかったような
意外な魅力を引き出すといったような開発をやるのも手だよね。
そういう展開もあっていいと思わない?
MEZ : そりゃ、ひとつはやっぱり、
ポータブルの購買層のメインソースであるアニソンを
いかに美味しく、いかに可愛らしく、いかに瑞々しく鳴らすかにかかってますよ。
アニソンみたいな、一部でウケているけど
、既存の音楽とは別な視点から見て、別な聞き方しないと、
外からは良さが分かりにくい音楽にフォーカスして
アンプとかヘッドホンを開発するって面白そうですものね。
最先端の音楽であるアニソンに良さがあるとすれば、
並みのボーカリストには真似のできない声質じゃないですか。
メロディの斬新さとかアレンジの面白さとか、
演奏の上手さ、音作りの巧みさとかは、
他のジャンルの優秀曲と比較すればアニソンは全然大したことないけど、
独特の声の質では際立ってますから。本当に耳元で囁かれたような、
生き生きとした湿度のある近接感が欲しいですね。
それから声というものには高いところから低いところまで、
もっと豊富な階調があるはずだから、
音のグラデーションがさらに細かく豊かに表現できたらと思いますね。
Epsilon Sには音の粒子感の細かさは既にあるんだから、
そういうグラデーションの豊かさがもってあっていい。
それに色彩感がもっとあっていい。
実は、やることはまだまだあるんじゃないでしょうか。
GOZ : そりゃ、音質っていうのは上を見ればキリはないさ。
でーも俺はさ、このEpsilon Sあたりは評価したいんだよね。
ずっとポータブルのヘッドホンオーディオっていうのは、
どんぐりの背比べにしか見えなくて、
突き抜けた個性や能力を感じなかったので
無視してきたわけじゃん。けれどさ、
今回のこのEpsilon Sなんかには、
その両方が少なくとも、ある程度は有ると思わない?
やっと、こうやって注目していいような
アンプがいくつも出てくる時代になってきたのかなーと思ってる。
Epsiron Sとかfi.QuestとかKOJOのKM01-BRASSとか聞いていると、
それぞれ違った音の方向性がありながら、どれも今までのポータブルアンプから、
一歩抜け出た性能を持っているのが一聴で分かるよ。
MEZ : 言わばNEXT LEVELのアンプ群ってわけですか。
Epsilon Sにはそんな称号にふさわしい音の片鱗が聞こえる気がしますよ。
GOZ : 君も結婚してさ、人間としてもNEXT LEVELにまで行くんだから、
このアンプをプレゼントしたいところだが、
これはラッパーからの借り物だからねえ。
まあ、その代りに今日は奢るさ。丸ビルの上にでも出かけるか。

# by pansakuu | 2013-03-08 20:13 | オーディオ機器

JR SOUND HPA-203 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:ある予感

Introduction

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2013年2月9日の午後、中野サンプラザ。
去年よりも、さらに賑わうポタ研会場に到着である。しかし、私は他のブースには見向きもせず、
トップウイングのブースへ直行した。JR SOUND HPA-203を腰を据えて聞くためである。
今回は、これ以外のモノにはあまり関心がなかった。
11月のInter BEEでフォノイコとともに発表された写真を見たとき、
なにか予感のようなものが背筋に走ったからである。“これは只者ではないかもしれない。”
万策堂の、こういう直観は大抵当たる。それは決して抜かない懐刀のように
私がいつも心の中に持ち歩く武器なのかも。とにかく、こういう素っ気ない容姿で、
こういう場に堂々と出て来ているというのは、よほどの確信があるものなのだと、私は思っている。
それは、この世界では、プロの現場の実績と評価に裏打ちされた自信の表れであることが多い。
つまり、物言わぬ、頼もしい支持者が既にいるからできることだ。
果たして、私の予感は外れてはいなかった。
(なお、写真はFUJIYA様のHPよりいただきました。
いつもお世話になっております。)

Exterior and feeling

実物と対面すると、なるほど、かなりシンプルなものだ。
大きさはハーフラックサイズにまとめられ置きやすい。このアンプのコンパクトネスがいいと思う。
しかし、小さなアンプは概して音の詰めが甘く、音のスケールまでも小振りになって、
つまらない出音になることも多く、実際、手元に置きたいと思うものは少ないが。
グレーに艶消し塗装された板金のケース、それより少し厚みのある、
ステンレス製らしい銀色のフロントパネルにヘッドホンジャックは二つ。
そしてON/OFFとバランス入力・アンバランス入力を選択するトグルスイッチ二つ。
さらにLED一点。最後にボリュウムツマミがある。これだけ。
ボリュウムダイヤルは小さ目で、やや掴みづらいものだが、ダイヤルのギザは繊細で感触がいい。
わずかに粘るが、きめ細かな無段階な音量調節である。
ケースの四隅の四つ足はゴム製だが、段差がついた見たことのない形。特注だろうか。
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リアパネルはXLR、RCAそれぞれ一系統の入力と電源インレット、スルーのRCA端子。
つまり、特殊なものはほとんど見当たらない。ゴム足の形、スルー端子、ボリュウムダイヤルの小ささ、
ギザの細かさなどが、強いていえば印象に残るのかもしれないが、このパッケージは、やはり目立たない。
コスメテックは全く考えられていない。この外観では、気付かず通り過ぎてしまった方も多かろう。
なにしろ、他に衆目を集めそうなものは多かったし、
何と言っても今回はポタ研、ポータブルオーディオの会なので、
据え置きアンプは場違いだったかもしれない。しかし、これは価格と音質を考えると
無視していいヘッドホンアンプとは到底言えない。

The sound 

プロトタイプという言葉の特別な響きも、量産モデルとは一線を画すという、その意味も好きだが、
それで音質を評価するのは危険であるのも承知している。ただ、今回聞いた個体は、
ほとんど量産モデルのつもりということであったので、このレビューもあながち無駄ではなかろう。
また、このアンプが今後どこかで、もう一度試聴できるという保証もないから、
音を押さえておく意味はあるはず。
さらに、別な視点から、量産モデルの音が、ここで試聴したプロトタイプと音が
大幅に変わらないような気がする根拠がある。
なぜかというと、このアンプの出音自体に迷いがないことに加え、
開発者ご本人と思われる担当の方との会話の内容、その文脈と口調から、
すでに確固とした自分の音のポリシーを持ち、
そこにアンプの音を完全に合致させなければ気が済まない、
いわば頑固さのようなものを感じたからだ。
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今回の試聴はWindowsのノートPCとM2TechのDACであるYoungをUSB接続し、
そのアナログ出力をHPA-203に導いている。Youngはスピーカーで何度か聞いていたので、
ある程度は慣れていて、私にとって都合が良かった。ヘッドホンはHD800(リケーブルなし)と
TH900(カルダスでリケーブル)であるが、
HD800についてはあの会場はうるさすぎて評価は困難であった。
よって評価の多くはTH900のものと受け取っていただいて構わない。

JR SOUND HPA-203の音はひとつのオーディオの態度である。
それは一言で言えば、堅固、堅実な音であり、それは揺るぎ無き自信に裏打ちされたプロサウンドだ。
これは明瞭な輪郭をもつ滲みない音である。音の色彩感は派手さがなく中庸だが、
しっかりした音のコントラストが見える。音の輪郭に強調感はなく、聞き疲れには至らないが、
カチッとした独特の厳しさがある。まるで音に我に理ありとの正義感があるようだ。
この音の絶妙な輪郭の鮮やかさが、私には忘れられない。
このアンプの音と比較すると大概のヘッドホンアンプの音はどこか甘い。
また、この音のキレがいい。リバーブなどが変に尾を引かないので歯切れが良く気持ちがいい。
さらに、高域から低域まで非常にフラットに鳴らすのだが
そのフラットさがつまらないという悪評に行かず、
優秀で聞きやすく、ジャンルを選り好みせず公平に鳴らすという好評価につながるのもいい。
音像は、前にせり出す感じだが、これはあえてそういう音作りをしたということだった。
音が前に出てきてほしいという、さる方面からの要望という。
HD800では、このヘッドホンの音が持つ広大な空間に
前景にある音像の実在感が程よくプラスされバランスがいいようだが、
いかんせん周りがうるさいので、全体として、本当にうまくいっているのか断定できなかった。
TH900では、そこそこ遮音されるせいか、
このアンプの持ち味であるカチリとした音像の実在感がクローズアップされる。
音がグッと前にのめってくる。この前傾姿勢を意識しつつ疾走感のある音楽を流すと、
気持ちよくストレートをアクセル全開で飛ばすような、あるいは顔で強風をうけるような、
音のシャワーを浴びる感覚に溺れそうになる。
それでいて、試聴者を全く快楽に耽溺させるのではなく、あくまで音楽を音として扱うような、
客観的冷静さを忘れさせない方向にも働くのだから面白い。

音調全体に眩しくならない程度のブライトさがあって、光をあてない音のディテールがない。
音の細部は逃さない。しかし、素の音に勝手になにかを加えたりという動きは決してしない。
こういう状況だと、さっきからアンプの音と言っているが、それは微妙な言い方であることは間違いない。
このアンプには所謂“自分らしさ”というものが皆無に近い。個性が極小にまで抑圧されている。
あるだけの音をあるような形で目の前に放り出す。本当に無駄な音がほとんどしない。
こういうアンプの音のレビューは「ソースに忠実」という一行で終えてもいいのかもしれない。
だが、そんなのはつまらない。
別な見方をすれば、タフなアンプである。もう耳が限界というところまでボリュウムをあげても
音像が崩れず、歪まず、うるさくならない。アンプがダメになる前に耳が壊れるというパターンであるが、
幾つかのヘッドホンアンプはこれが逆になっている。そりゃもちろん、ほとんどのヘッドフォニアは
そのようなレベルの音量で聞かないことは分かるが、
このヘッドルームの余裕は、技術的なアドバンテージの表れとして
他の面にも影響するので無視はできない。
素人の誤解かも知れぬが、
その技術力はギャングエラーの少なさはもちろん、
電源部一個で成し遂げる十二分のチャンネルセパレーション、あるいは
小音量時でも音像を見失うことのない音質にも反映されているような気がする。
やはり、エンジニアの凄腕がさりげなく発揮されたアンプなのである。

音質が基本を押さえて素晴らしいということ以外に、この製品のもう一つのポイントは価格だと思う。
音を一通り聞いてから、担当者の方に価格設定について聞くと
10万円ちょっとで売るつもりであるというので驚いた。
こりゃ有り得ないな、と思った。
こんな音を出せるアンプが10万ちょっとで手に入るというのは、私の常識では考えにくいのである。
20万~30万クラスのHPAでも、これほどしっかりした音が出せるものは少ない、
と言うかほとんどないはずだから。一体どういうノウハウが、このアンプに詰まっているのだろうか。
担当の方は当たり前のことをしているだけです、としか答えて下さらず、
アンプの中身については口を割らなかった。

確かに、このアンプは機能面は全く大したことがない。
P-700uを見て、機能面の充実の重要性に目覚めた私にとっては
もちろん、物足りない面がある。最低限、ゲインの切り替えは欲しい。
しかし、客観的に見て、この音自体には欠点がかなり少ないのでそこは許したい。

さらに、これは魔力的な音を出すビックリ箱のようなアンプではない。
このアンプはあくまでも道具である。人間の手足、感覚の延長として働き、
与えられた仕事を確実に、しかも、徹底的にやってのけるタイプである。
繰り返すが、HPA-203の音の端々には、
多くのアンプのサウンドに多かれ少なかれ存在する、
自律的に独自のニュアンスを付加するような気配が全くない。
こういうモニター系の音を好むヘッドフォニアは日本には多いはずだ。
しかし、それを意図的に排除したアンプにありがちな
フラットに去勢された中性的な音に終始させない。なぜかつまらない音ではないのだ。
実は、此処こそがこのアンプの、ディープな聞きどころでもある。
この静かな楽しさが、どこに由来するのか?
それは、やはり、あの鮮やかな音の輪郭に起因するのかもしれない。

なお、マッチしそうな送り出しについて、
個人的に大注目しているPrism soundのLyra 1に言及しておきたい。
これはHPA-203と組み合わせて聞いてみたい送り出しの筆頭である。
無駄のない音どうしの取り合わせは面白そうだ。
インターコネクトはVOVOXのTextura、ヘッドホンはやはりTH900だろうか。

Discussion and Summary

最近、美味しいスイーツも、いい音のするスピーカーもアンプもケーブルも
旨い寿司屋も、価格も味も見ず知らずに、その見かけだけで識別できるような気がする。
修行が進んだのか、周りの評価がまるで見えないほど
悪趣味が高じただけなのか分からないが、とにかく、ハズレは引かないどころか、
大当たりだけを買うように、自分で自分を躾けているような気さえする。
なんにしろ、またしても予感は当たった。
JR SOUND HPA-203は
プロフェッショナルオーディオで通用するツールであるのみならず、
コンシュマー畑においても優秀なヘッドホンアンプである。
そのサウンドを手持ちのヘッドホンで真っ先に聞けて良かった。
このようなアンプを開発し、ほとんど素人しか来ないようなイベントに出展してくれた
JR SOUND社に感謝と賛辞を送りたい。

まだ、気の早い話だが、マス工房のModel370と、
もうすぐオンステージするらしい、WAGNUSの据え置きヘッドホンアンプあたりが、
新進のプロサウンド系のヘッドホンアンプとして、良い比較対象になるように思う。
特にWAGNUSの据え置きヘッドホンアンプはJR SOUNDと最も良い対抗馬になると思われる。
これは今の所は価格が不明であるが、ポータブルアンプの価格を見れば、
少なくとも10万円以上であることは、ほぼ間違いないと推測され、同じレンジの製品と思われる。
WAGNUSのポータブルが、かなり、しっかりした音だったので、据え置きの方にも期待がかかる。

マス工房のModel370は既に20万円台であるが、10万円台というHPA-203は
音質でこれと肩を並べるか、あるいは凌駕するものと私個人には思われる。
とにかく価格帯に関わりなく現行のヘッドホンアンプで、
HPA-203より立派な音を出せるアンプが少ないことは間違いない。
あくまで私個人の印象では音についてだけ評価するなら20万円以下のアンプでは、ほぼ無敵か。
機能が少ないので、そこは減点したいが、それに引き替えたのか、音そのものはスキのないものである。
コンパクトであることもまた魅力である。
これならOFF会の会場まで気軽に持ち運べるであろう。
P-700uはいいアンプだが、大き過ぎるという評価があった。
小さくていい音なら、それに越したことはない。
現行品としてKH-07N、MBA-1Platinum、AGH1000や、M801、DCHP100など、
高級なアンプはいろいろあるが、価格と、出て来る音の関係のみ考えると、
私の中で明らかにHPA-203を上回るものが、なかなか無いかもしれない。

それにしても、あの予感である。
私の背筋を一瞬でも寒くさせてくれる予感。
既に使徒の王となったグリフィスの冷たい心臓をも鼓動させるような
素敵な予感を与えてくれるオーディオマシーンを探して、
私は仮想空間と現実世界の狭間を、今日も彷徨うことになる。

Postscript

二回に分けた試聴の後、クーリングがてら他のブースを回った。特記するほど面白いものは、残念ながらなかったが、あるブースの前で外国の方がふたり、立ち話をしているのが自然に耳に入った。
「ABYSS Headphone・・・」そう、確かに聞こえた。しかも繰り返し。
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ABYSS AB-1266のことであろう。アメリカのケーブルメーカーJPS Labsが最近試作し、5500ドルほどで売ろうとしているというヘッドホンである。STAX SR009に刺激されたらしい堅固なハウジングを持つ平面型ヘッドホン。AudezeのLCDのように重そうで、付け心地は良さそうには見えないが、音は面白そうだ。
ヘビメタが聞きたくなるようなデザインもいい。
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試作品がネットの部分に蜘蛛の巣をあしらったデザインを採用していたのが興味深かったので覚えていた。やはり向こうではヤバいモノとして話題になっているらしい。しかし、実物を聞いた複数の消息筋のコメントは好意的ではないようだ。やはりSR009とは違うという話、SR009には敵わないという意見しか聞かない。こちらは様子見になりそうだ。

もうひとつ。
全く話題になっていないが、マス工房が新しく据え置きのヘッドホンをオンステージさせるらしい。それはバランス入出力ヘッドフォンアンプmodel394。限定生産である。従来モデルのヘッドフォンアンプmodel370の音質を継承したバランス入力ヘッドフォンに対応するヘッドフォンアンプという。入力はXLRバランス、アンバランスRCAの切り替え式であり、内部は日本仕様に関しては完全バランス伝送である。(アンバランス入力は入力部でバランスに変換、Javen仕様がその他に存在するらしい)ボリュームは4連コンダクティブプラスチックフェーダーを使用するとのこと。サイズはだいたい29×23×5cmというところ。総生産数は計30台で、初回生産分10台を消費税、送料込みの50万円で受注開始している。(2013年9月5日現在)通常の支払方法としては、注文時に25万円以上を支払い、残金は完成後に清算となるが、注文時全額支払いの場合は特別価格45万円でOKとのこと。受注生産で、引き渡しは注文後約2.5~3ヶ月を今のところ予定しているが、延びる可能性も否定しきれないとか。つまり今注文して上手くいくと年末か来年1月頃に受領ということか。あのフラットな音質にさらに磨きがかかっているのだろうか?あるいはパワフルに?久々にマシな据え置きHPAに出会えそうだ。秋のヘッドホン祭りではこのモデルを聞けると良いのだが、果たして間に合うのか。

# by pansakuu | 2013-02-10 17:29 | オーディオ機器

今夜、サンタモニカで:CH Precision A1のある退屈な夢

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彼はペントハウスの暗く危なげなエントランスを抜け、
センサーにキーカードをかざした。
ドアが開く。
短い廊下を通ると、誰もいないリビングの明かりがゆっくりと灯る。
いくつかのスポットライトに照らされ
黒革の大きなソファーやら、
デスクの上の読みかけの古文書やら、
その上に立てられた、小さな折り紙の一角獣やら、
無造作に投げ出された、
ドミネーターのようにLEDを光らせてスタンバイした銃器、
部屋の隅の旧いグロトリアン、
壁いっぱいに乱雑に留められたポートレート、
その壁面を背にして佇む2本のB&Wが浮かび上がる。

彼はリスニングルームというやつが嫌いだ。
理想の音響のみを追求した、ああいう部屋は、
たとえ広くとも、心理的に窮屈この上なく、
たとえ音が良くっても、リラックスしかねる。
とっ散らかってはいるが
居心地はいいリビングでソファーに埋もれながら、
画集や本に手をかけつつ、
なんとなく、しかし耳だけは集中して、音楽を聞くのがいいんだ。
CH Precisionのコンパクトで統一感のあるシステムは、
この居間のインテリアに溶け込んでいて妙に心地がよい。

柔らかいソファーに、腰から飛び込むように、どっかりと腰掛け、
つけっぱなしになっているD1のダイヤルを回し、トレーを引き出したら、
マッキントッシュコートのポケットに突っ込んでいたケースからディスクを取り出し、
慎重にすべり込ませる。
掌の中のライターみたいに小さなリモコンのボタンを押す。
読み込みを、しばし待つ間、
ジャケットを眺める。
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SACDのタイトルはNight Sessionsである。
これはクリス ボッティというトランペッターのディスクだ。
探し屋に頼んだのは、頼んだのを忘れたほど前の話だが、
今夜、やっとポストに入った。
だが、タイミング自体は悪くない。
到着したばかりのA1で試せるからだ。
窓の外を静音ヘリが一機、青い警告光を撒き散らしながら、
一陣の風の如く飛び過ぎてゆく。
カーテンのない窓から差し込んだ、その光は、
この散らかった室内を、一瞬で舐め回し、元に戻した。
その沈黙を待っていたかのように、
クリスの透き通ったトランペットがスッと闇に流れ出た。
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彼がCHPのD1とC1を導入れたのは、だいたい一年前。
CHPのA1をここに置いてからは、まだ数日。
D1、C1、A1を三台置いて、シンプルだが
飛び切り高品位な音楽再生ができるようになった。
CHPのフルシステムをやっと聞くことができるようになったということである。
SACDが聞けて、筐体は3つ、容積はこの位までのシステムと決めて、
他のアンプとプレーヤーの組み合わせも調べてみたが、
これほどの音を出せそうなシステムは思いつけなんだ。
最もコンパクトに、最もクールな音を出せるシステムであろう。

CH Precision A1は
AB級で8Ωで100W×2のパワーを持つステレオパワーアンプである。
このパワー、数値的には大したことはないが、
瑞西製のアンプは往々にして数値で実際の力を判断できないことが多いので、
気にしなかった。
このアンプは音出ししながらNFB量をフロントパネルで可変調節できること、
リアパネルには最大で2枚までの出力パネルを増設可能であり、
バイアンプ仕様へ変更可能であることが珍しい特徴だ。
ギミック有りのアンプなのである。
単なるピュア指向ではない。
こういう仕掛けが、音に効く・効かないに関わらず、
大抵のアンプには厭きてしまった彼の食指を動かす。
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A1の内部構造は、中心部に据えられた、
大袈裟と思えるくらいに重厚なトランス一個を中心としているが、
回路自体はデュアルモノラルのようなコンストラクションを取る。
とにかく筐体の大きさのわりに42kgと、
かなり重量のあるアンプである。
この巨大なトロイダルトランスの重さによるのだろう。
ヒートシンクはあるのだが、それは筐体に内蔵され外から見えない。
筐体の側板に細いスリットが控えめに開いているだけで、
あのガンメタルカラーの金属の肌が、ほぼ全体を覆いつくしている。
ただ、底面には吸気口(排気口?)らしき穴がいくつか開いていて、
ある程度以上、ヒートアップするとファンが回るらしい。
内部配線はアルジェントオーディオ製、
コンデンサーはムンドルフと高品位パーツが奢られているのはお決まりで
驚くには値しない。
電源ケーブルはオーガニックオーディオのものが付属するが、
何故、アルジェントの電源ケーブルがつかないのか理解に苦しむ。
このクラスのパワーアンプなら当然そこへ行くべきだろうに。
まあいい。
勿論、彼らの十八番である
メカニカルグランディングは変わらない。
ベルゼルガのパイルバンカーよろしく、
先を尖らせた支柱が四隅を貫き、
その根元はトップパネルの丸い金属板に直結する。
ゴールドムンドでも、このタイプのコンストラクションはあったが
これはそれを踏襲した機構なのだろうか。
昔、ミレニアムの中身を見た事があるが、
あちらの方が、メカにはカネがかかっていたような。
フロントパネルのディスプレイは有機ELであり、
発色が実に鮮やかだ。眺めていると心地よい所有感が湧いてくる。
通常表示されるのは、スポーツカーのスピードメーターを彷彿とさせる曲線だ。
この緩やかに曲げられたバーグラフが伸び縮みし、
その下の数値と合わせて、パワーの伸縮を教えてくれる。
有機ELには寿命があり、そこらへんは気になるところだが、
とりあえず今は気にしない。
操作ボタンは、D1のリモコンについているものと似た、小さなものが5つ、
右端に縦列しており、有機ELのスクリーンを見ながら操作できる。
この動作は、できればリスニングポイントからリモコンでできた方がいいだろう。
せっかく素晴らしい視認性のディスプレイもあることだし。
パワーアンプは低い位置に置かれることが多いので、
表示を見ながらボタンを押す姿勢は苦しく、スマートではないし、
音楽を聞きながらNFB量を変えられるメリットが目減りしてしまう。
まあいい。
C1、D1、A1を3台、スタックして置くのもいいのだが、
プレーヤーは、やはりソファーの傍に置き、手元でディスクの出し入れがしたい。
しかしスピーカーケーブルは短い方がいいから、
MagicoのQ1の傍にA1は置きたい。
そして、それなりにスピーカーとリスニングポイントの距離は取りたい。
そうなると長いアナログインターコネクトが必要だが・・・。
CH Precisionはそういう要求に応えるべく特殊なリンクを用意してくれた。
BNCを端子とし、細くしなやかな日本製のケーブルを線体とする
電流伝送のインターコネクトだ。
これは数十メートルという長い引き回しでも音質劣化はほとんどないという話だ。
dartzeelやPlayback designsといった
瑞西の“お仲間”の間では通用するのかもしれないが、
ここでの基本的な使い方はC1-A1間専用の特別な伝送形式としてだろう。

D1+C1の音がいい、
なんて公言するのはどこかミーハーで恥ずかしいが、
仕方のないところはある。
D1+C1の音は、それだけでもビビッドでカラフル、
そして筋金がピンと通った峻厳な音だが、
A1を加えるとそれらの要素が足し引きなく、
ピュアに、そしてダイレクトにスピーカーに伝わる。
A1というパワーアンプは、このシステムの中では、
まるで、頑丈でブレない回転軸に固定された
精密な歯車のように確実に動作する。
D1+C1のような強力なオーディオ機器は
色々なメーカーの機器を混成したシステムの中では、
個別に威力を発揮するか、
下流の機器の個性を殺して支配するかのどちらかであるが、
CHPの純正システムにおいては、A1と互いに協調し、
高速魚雷艇のエンジンの中で
巧みに噛み合って動作する歯車たちを眺めるようなメカニカルな快感をもたらす。
こうしてA1に代えてみると、
それまでは、いつも一歩引いた表現をしていた800Diamondが、
逆に一歩、こちらに歩み寄るような積極性を見せた。
シスコンとして統一し、全機器の足並みの揃ったところから、
このような音の突進力が生まれるのだろう。
このシステムの音はスピードが速く、
音色のグラデーションは段階というものをまるで感じさせない滑らかさで、
サウンドステージは透徹、
音数自体もこれ以上は増やせないと思うほど、
ディテールを出し切っているようだ。
細部の描写の向上や、透明感の高まりにつれて、
音の濃度の低下やコントラストの脆弱化が現れ、
実体像の保持が危うくなるという、
ありがちな副作用が心配になるような音でもあるが、
今、このリビングに流れる、立体感に満ちたサウンドは、
このシステムが、その陥穽に落ち込んでいない証だ。
A1がステレオパワーであるために、
音場は横に広がらず、
むしろスピーカーの前に集中展開していることが功を奏していることもあろうが、
この骨格の確かさに裏打ちされた立体感は
リジットな筐体の構造や内蔵されるトランスの逞しさによるところが大きいだろう。
それでいて音像一辺倒にならず、
奥行き方向への空間性を豊かに感じさせるところは、
現代最新鋭のパワーアンプらしい側面だ。
このシステムではボリュウムをどんどん上げても、
だんだん下げても音像の崩れなく、
常に揺ぎ無い定位が保たれている。
この価格帯の製品であれば、あたりまえのことかもしれないが、
やはり見事なる振る舞いであり、感心させられる。
このようなシステムでは音量のアップダウンは
音像とリスナーの距離感を自在に変える手段であり、
単純に音を大きく、あるいは小さくするため方法ではないのだと再確認する。
勿論、眼前の800Diamondを、
B&Wのフラッグシップらしく“鳴らしきる”には
それなりの力量と技を要求するが、
こうしてみるとA1には、その二つが十分備わっているように聞こえる。
C1+D1には、もともと低域の表現力がかなりあるので、
A1が、本来持っているドライブ能力を測りがたいのだが、
ただ、A1は力技で800Diamondをねじ伏せながら
縦横にコントロールする、同郷のSoulution710のようなタイプではなく、
最小限の力で効率的かつ確実に、
スピーカーユニットを解放・制動しながら鳴らす、
言わば手綱さばきの巧さで、手懐けるパワーアンプと聞ける。
ステレオパワーとして突出した価格帯にあるアンプであるが、
結局、突き抜けたドライブ力をアピールするようなものではなかった。
これを上回る剛力を持つパワーアンプはいくつかある。
とはいえ、システム内でバックアップに徹するような
奥ゆかしさで魅了するアンプとも随分異なり、
1時間も聞き続ければ、
実直なさりげなさの内に、明らかな凄みを隠していると気づくシーンが
繰り返し巡って来るようになる。
この凄さの本質というのは、力を出すタイミングの正確さであり、
また、出すべきパワーの大きさに過不足が全くないところだろう。
その意味では、本当に無駄のない音なのである。
そう言いながら、この音には、プラスαとして
やはり音楽的な訴求力があると感じた。
A1をプラスして、はじめて生まれる、芸術への探究心のようなものが、
リスナーを演奏の熱いるつぼの中に強引に引き込むような局面がある。
ただ、A1単体で考えると
これ自体、やや硬めな音ではあり、
低域もいつも、すっかり出ている感じではなく、
出すべき時に出してはサッと引くパターンであるせいか、
一聴で、“スゴい”と感じるような音にはなっていないのではないかと思う。
店頭での短時間試聴におけるA1単体のアピール度はそれほど高くないかも。
A1だけについて言うなら
総じて渋い音、渋いアンプだと私は感じる。
やはり、音だけでなく、
このデザインの凝縮度、コンパクトネス、
CHPで揃えた統一感も含めて、
格別の魅力があるものと解釈される。

一応、電流伝送のインターコネクトを試した。
こうすると、より飾り気なく、ストレートな感じの音になるのだが、
通常のXLR接続と比べて、音の肉付けが少し削がれて、
もともと、それほどないゆとり感が、さらに少なくなるような気もする。
また、A1のNFB量を、デフォルトのゼロから
少しづつ増やしながら聞いてみると、
NFBの数値を大きくなる程、音がタイトになり、エコーが減る。
イメージとして音像との距離が近くなり、ダイレクト感が増すような感じだ。
結局、これらの機構を動かせば、音の微調整にはなるが、
大筋ではA1のサウンドに変化は出ないと知る。
とにかく、これを動かすことで、
A1がこのシステムの中で最終的な出音に、どのような貢献があるのかが、
耳で聞いてリアルタイムに分かるような気がして面白かった。

なお、ショップでは2台のA1を用意して試聴してもみた。
通常の左右でアンプを分けるモノラルの他、
個々のアンプはステレオで使い、
高域を一台に低域を残り一台に受け持たせるなどの多様な使い方に対応する。
試聴して分かるのは、
要するに、どういう形で使ったにしろ、明らかに出音にゆとりが増し、
ふくよかで、より聞きやすい音になるということ。
このアンプのスゴさが一台の時よりも分かりやすくなるように思う。
2台のA1を用いれば、音楽の序破急が堂々と、そして軽々と表現され、
一聴して分かるほど、ハイエンドオーディオらしいゴージャスな世界が展開する。
やはり、音質的には明らかに有利な形式である。
引き換えにコンパクトネスやコストパフォーマンスは大幅に後退し、
A1本来のデザインを含めた凝縮感がなくなって旨みが減るような気もするが
この形態の選択は、音質的にアリである。
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そうこう思い巡らすうちに、眼前の音楽は佳境に入る。
クリスのトランペットが軽く速いフレーズを
リズミカルに吹きこなしてゆく時、
そこに織り込まれたクールな情熱が、
青白い鬼火の如く、
スピーカーの間の闇の中に
ゆらゆら透けて見えるような気がする。
Night Sessionsというタイトルどおり、
大都会の闇の中に、数々の音影が
揺れながら、そして青く、時に赤く光りながら
リズムとメロディーに絡み合うセッションである。
どこか危うくクールな雰囲気のトランペットの芳香が、
SACDが醸す、透き通った音場に解き放たれる刹那、
このアルバムの音楽的核心と
SACDのオーディオ的真髄が分かち難く融合したのを目撃した。

しばしの沈黙の後、
新たなシルバーディスクをD1に滑り込ませる。
お次はリマスターされたThe Blue NileのHATSである。
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上質なサウンドに、上質なジャケットデザインを与えられた稀有な作品である。
隠れた名盤であるが、この素敵な音楽を、あまり世に広めたくない。
この音楽の少数精鋭感を失いたくないから。
ドレクセルのコンソールの上に、ふと目をやると
錆付き、くたびれたアトモスが夜の最深部を指そうとしている。
今夜も、この莫大なロサンゼルス全体で、
幾千、幾万の音楽が同時に聞こえているはずだが、
これほどいい音で鳴っている音楽は数えるほどもないだろうと、
無意味なオーディオの虚栄を彼は思う。
それほどに高慢な彼の頭の中に、眠気はない。
今夜こそ、積み上げたアルバムの山を崩すこととしようか。

さてと。
改めて、そのCDの紙ジャケを手にとって見ると、
大写しになった目覚まし時計が目に入った。
ミッドナイトブルーの背景に帽子の後姿じゃなかったのか?
ディスクを間違えたと気づいたときは遅かった。
二本のスピーカーの間に張られた夜の闇を破って、
眩しいほど騒がしい目覚まし音が、
800Diamondの全ユニットから裏切りのように鳴りはじめた・・・・・・

# by pansakuu | 2013-02-02 14:54 | オーディオ機器

HOLBORNE CA270 プリメインアンプの私的インプレッション:飽きて候

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「江戸の春も飽きて候。依って当分、旅につき留守。」
                         遠山金四郎


Introduction


飽きることに飽きれば、飽きることがなくなると人は言うが本当だろうか?
そんな言葉遊びのような境地に到底、至らない私は、
最近、ガチガチのハイエンドオーディオには少々飽きてしまうことがある。
どれほど完備された音であろうと、
どんなにゴージャスで、深い内容をたたえたサウンドであろうと、
もう沢山だ、と食傷気味になることがある。
豪華な料理を毎日毎日、食べているとやはり飽きる。
常日頃、麗しい容姿の人々とばかり付き合っていると、
その美しさに感動はなくなる。

飽きるのは、音そのものだけではない。
限りなく崇高であって欲しい、
信じ難いほど高価なオーディオマシーンの雰囲気さえ、
そのオーナーの素顔と並べて眺めると、
限りなく世俗的なものであったりする。
さらに、そういうオーナーの方々が群れて、
謙遜し、牽制しあっておられる現場に居合わせる時、
どうしようもない居心地の悪さを感じるとともに、
多少、青臭くても、群れない事を誇りたくもなるものだ。

コンプリートで仰山なハイエンドオーディオシステムを
これでもかと、とっかえひっかえ毎月、毎週、試聴していると、
なにかもっと、普通のもの、
等身大の自分が何気なく、構えないで向き合える、
小粋で個性的なオーディオシステムでホッとしたい日が必ず来るような気がする。
「音」ではなく「音楽」を聴くのなら、これで十分と頷けるようなシステムを
私は今、求める。

心地良い音は必ずしも、優れた音響的特性を必要としない。
むしろ、優秀過ぎる音は過剰で難儀なもの、
あるいは、フラットで激しくつまらぬ音に聞こえることさえある。
しかし、変なもので、システムの音質を、あえて下方修正しても、
音全体の雰囲気のクオリティ、品位は落としたくないと思うのである。
超Hi-Fiには食傷、
しかし正面切ってのLo-FiはNo thank youというわけである。

HOLBORNE ホルボーン CA270 という
スイス製のシンプルなプリメインアンプは、
そういう“贅沢”な要求に答えてくれる、
数少ない選択肢のひとつだろう。


Exterior and feeling

HOLBORNE CA270の外観は、
かなりシンプルなものである。
フロントにはアルミインゴットから削り出した
非常に美しいボリュウムノブとセレクターボタン、
数個のLEDが横一列に並ぶだけである。
プリメインアンプのフロントデザインとして最小の構成である。
右側にボリュウムノブがあるので回し易い。
左側のセレクターはダイヤルではなくボタンであることで、
回す動作とは異なる動きで入力を選べるのがいい。
この二つの動作の役割は全く違うのに、
同じ手の動きで変化させるというのは良くないはずだ。
動作にメリハリが生まれるような気がするので、こういう設計が個人的に好きだ。
それにしても、このアンプのボリュウムノブの形がいい。
一見さりげないが、こういう形のノブは見たことがない。
先の方でサックリと面取りされ、一旦細くくびれてから、
パネル面とツライチに大きく広がる。
掴みやすく、回しやすく、美しく、シンプルでさりげないが個性的な部品だ。
ボリュウムノブはアンプの鼻であり、
フロントパネルの華であるから、
やはり注目してしまう。
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ざっと測ると、42×34×11cm、13キロということになる。
CA270の丸みを帯びた筐体はコンパクトで重いとも言えない。
その外殻は薄い板金製であり、
お世辞にもガッチリしたものではない。
真空管の放熱のためのスリットが目立つ。
だが、分厚いアルミ組んだ筐体ばかり見て、触っている身になってみると、
これで音がいいなら、こういう筐体の方が、むしろ軽やかで新鮮に映る。
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CA270は、リアパネルは赤というお洒落なアンプである。
見えないところに洒落るというのは
日本人の美学ではあるが、スイスのジュラ地方にもあるらしい。
入力はフォノを含めたRCA5系統であり、
出力はシングルのスピーカー出力、REC OUTとPRE OUTのみ。
ただしゲインを調整するノブがついているのは変わっている。
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リモコンはリアパネルと同色のオリジナルのもの。
このクラスのアンプでオリジナルと思われるリモコンは嬉しい。
既存のリモコンにロゴを印刷のみというのはやや興冷めだ。

総じてミニマルなアンプではあるが、
ミニマリストにありがちな突き放したような潔癖症はなく、
むしろ親しげで気持ちの良いつきあいを期待できる雰囲気が
外観に感じられて大変に好ましいと思う。


The sound 

ホルボーン CA270のサウンドは、簡潔で淡いが、
いつまでも、いつまでも、
音の動きを眺めていたいと思わせるような魅力的な機敏さがあるものだ。
瓢箪から駒という誤算のある音ではない。
見てくれどおりの音が聞こえ、
眼前に期待どおりの音が現れてくれる安心感に満たされる。

このアンプの中身は、真空管と半導体のハイブリッド構成で、
入力から出力までは二つの増幅段を通すのみという潔さが売りであり、
まさに、と言いたくなるストレートさがある。
このような生成りの音を目指すアンプは
多少の荒さ含みのケースが多いのだが、
このアンプには、反対に優しさを感じる。
ゴンチチのVSODから数曲拾って演らせてみると、
ギターの弦の響きが柔らかさを持ってなんとも心地よく響く。
迫力や生々しさではなく、
コンパクトにまとまった佇まいの良さで聞かせる。
晴れ上がった冬の青空に
出来たばかりの白い飛行機雲を見上げるような清々しさも随所に感じるが、
音のスケールは、あくまでこじんまりしていて、
雄大というイメージはまるでない。

高域は真空管アンプらしく、ややソフトだが、十分に伸びたもの。
ここには、そよ吹く南風のような心地よい繊細感が宿る。
中域は透明感と実在感を半々にバランスさせた、さりげないものであるが、
第一印象にある、機敏さ、適切なスピード感がある。
音楽の動きにあわせて緩急をつけるような、
この俊敏な中域の躍動の程好い匙加減に
設計者のセンスの良さを感じる。
低域は緩やかで、鈍さがあるが、中高域の動きを邪魔しない。
サラリとして粘らず、強く存在感を誇示しないのは、
この低域のみならず、CA270のサウンド全体に言えることだ。
低域らしさを誇ることとてない低域と言えば、それまでかもしれないが、
私個人は
突出した解像度や過剰な低域の伸びで驚きたくないわけで、
これでいい。
全体に適度の温度感が与えられた印象の音で、
俊敏なわりには冷たさが感じられない。
リラックスして聞ける余裕も、ほどほどに加味されていて、
本当に聞きやすい音だ。

やはり、CA270の出音は、
オーディオ的な優秀さが前面には出ず、
そこはかとなく香るような音楽性が素晴らしい。
メロディの流れ、リズムの刻み、絶え間なく繰り出される音たちを、
単なる物理的な対象ではなく、
生き物のような有機的なつながり、あるいは
多少神秘的な関係性を持つ存在であることをリスナーに気付かせる、
あのマジックを、ここでも私は意識する。
音の存在感を誇示しないながら、
リスナーの心に深く沁みる音楽を与えてくれるアンプ。
これは上質なBGMを受け持たせるに相応しい装置でもある。

ホルボーン CA270の音は、総じて清潔だが親しめる音であり、
まず、半分音楽ファン+半分オーディオファンのような方が、
音楽のジャンルを選ばず、肩肘張らずに、
オーディオの醍醐味をすっきりと味わうに適している。
そして、もう大仰なビッグシステムに飽きて、
そこそこのシンプルなシステムで、
少し枯れたオーディオを楽しみたいという
ワケ有りのベテランオーディオファイルの
小粋なセカンドシステムの核としても好適でもある。

こういうアンプはインシュレーター等のアクセサリーによる
下手なチューニングはしないで
ポンと置いて、素のままの音を楽しみたい。
この完成されたトータルスタイリングを崩したくないのだ。
これはハイエンドオーディオではなく、ハイセンスオーディオである。

このアンプを核としたオーディオシステムを目論むと以下のようだ。
プレーヤーは通常のシルバーディスクプレーヤーも良いが、
PCトランスポートとマイトナーオーディオのMA1の組み合わせが
このアンプの音色に寄り添うような気がする。
ケーブルはVovoxのTexturaで。
あの飾り気のない感じが、
このアンプに似合うような気がする。
スピーカーはハーベスのHL Compact7ES3や
SONYのSS-NA5ESあたりを合わせてみたい。
なお、MCフォノ入力の音は聞いていないが、
アナログレコードをシンプルに楽しみたいという方は
期待して良いのではないか、
この音の佇まいならば、と私は思う。
もちろん、ホルボーンのAnalogⅡとDual Pivot MkⅡとの
純正組み合わせを想定しての発言ではあるが。


Discussion and Summary

どんな趣味でもそうだろうが、
その趣味に飽きて、懲りて、
ここまでの深みしかないものと思ってしまえば、
そこで趣味は終わってしまうものだと思う。
では、どうやって終わらせないようにするのか。
それは各人が考え、各々の違った結論を得るべきことなのだが、
そう言う私なりに、跑(あが)いた末の結論というのは
気分転換に、ちょっと簡素で気軽な方へ行ってみるということだ。
(例えば、ハイエンドな据え置きのヘッドホンシステムに飽きたら、
Tera PlayerとK3003を借りて冬の隅田川沿いをサイクリングするとか)
このアンプは、作りそのものが、
それほどハイエンドとは言えないものでも、
設計者のセンス次第で、
一筋縄では捕まえられない複雑な味わいが生まれることを教えてくれる。

そもそもプリメインアンプというのは
オーディオ入門者向けのeasyなアンプと考えられている節があるのだが、
このHOLBORNEのアンプと接していると、
それはむしろ逆で、
なにもかにもやり尽くしたオーディオファイルが訪れる、
枯淡の境地への扉を意識させる仕上がりである。
こういうことがあるなら、
たまには飽きてみるのも悪くないのかしらんと思う、この頃である。
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# by pansakuu | 2013-01-19 15:29 | オーディオ機器

Agara AGH-1000 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:狼が如く


Introduction

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これはナショナルジオグラフィックという雑誌に載っていた写真です。
一匹の狼が森の中にうずくまって、ジッとこちらを見ている。
この獣の瞳の奥に、しなやかで獰猛な肉体が脈打っているよう。
この写真を見ていると、四足で歩く生き物の中で最も美しいものの一つは
狼ではないかと思えてきます。

いつも、私にとっては、
オーディオの音にまつわるイメージというものは極めて恣意的なものですが、
それは機器ごとに与えられたシンボルのように、
その音の様態をリスナーに提示するものでもあります。
そのシンボルが狼であるオーディオがあるとしたら・・・。
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ここしばらくの間は、
Agara AGH-1000というヘッドホンアンプを借りて、
いろいろな音楽を聞いていました。
催事場での、このアンプの音の印象はそれほど良いものではなかったのですが、
私は希望を捨てたわけではありませんでした。
その時の上流機器やインターコネクトは、
このアンプの性能に十分見合うものではあるまいと考え直していました。
案の定、このヘッドホンアンプは、
この部屋では「聞き」違えるようによく鳴ります。
まだ十全の音とは言えませんが、これは当然、レビューの対象にすべきもの。
ですが、ネットを覗いても、このアンプの十分なレビューを誰も書いてない。
誰かが、きちんと書いてくれることを期待しているのに。
こんな状況では、Agara AGH-1000についても、
また別なXHA-10という面白いヘッドホンアンプついても、
(或る方を除いて)
誰もレビューを書いてくれないような気がします。
高価なヘッドホンアンプのレビューを書くなんてことは、
労多くして報われない、
貶され、嫌われるだけの仕事と皆さん知っているのでしょう。
それに対して
「書いても書かなくても貶されるなら、書いて貶された方が良い。」
私の天邪鬼なゴーストが囁くわけです。

ともかく、AGH-1000の音については、
今回の試聴で、ある程度は分かったような気がします。
予想外ではありましたが、
少なくとも、このアンプについては、
セッティングが決まらなくて困っているG ride audio GEM-1という
ヘッドホンアンプと対比しつつ、
インプレッションを書き留めておくことにします。
もちろん試聴とは都市伝説のようなものですから、
決して本気にはなされないよう、一応、釘は刺しておきますけれど。


Exterior and feeling

これは大変に立派なアンプです。
自分のリビングルームに、とりあえず据え付けて眺めると、
銀色の筐体にマスとしてのボリュウムと重量感が横溢しています。
この筐体は十分な厚みのある、
アルミニウムプレートを組んだものですが、
一部にわざと接着しない隙間を作ったりして、
チューニングに余念がないようです。
これほどの作りこみのある重量約7kgの筐体は、
ヘッドホンアンプとしてはオーバースペックと見る方もありましょう。
とはいえ、この容姿ならフロントパネルに黒々と大書された
Agara社のロゴも映えようというもの。
底面以外の全面に施された、粗めのヘアライン仕上げさえ、
狼の灰銀色の毛並みを連想させる精悍さです。
なかなか美しい。
催事場では、こうは思えませんでしたね。やはり借りてみるものです。
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フロントには左右の音量調節ボリュウムと左右のピンホールの奥に青く光るLED、
フロントセンターのシングルのヘッドホンジャックのみがあります。
到ってシンプルなものです。
音量調節については、パネルに目盛りはついていませんが、
ダイヤルにはドットでボリュウムマークがついています。
ボリュウムのクリックステップは微細であり、
ほぼ無段階に近い音量調節が気持ちよく行えます。
また、ボリュウムを絞り切ると
ボリュウムマークは6時にかなり近いところまで下がります。

手持ちのGEM-1ヘッドホンアンプでは、
ボリュウムは一つで音量調節はやりやすいようですが、
左右のバランスを微妙に変えたりして
(人間の左右の耳の聞こえは完全に同じではないことがある)
最適な音量にできるところは
AGH-1000の方が優れていますし、
そもそもボリュウムのステップはGEM-1とは比べ物にならないほど細かいので、
使っていて気分がいいです。
青いLEDも左右についていて、それぞれ電源の入切が分かります。
GEM-1はフロントのLEDは一灯で片方の電源ケーブルを抜いても、
点灯したままですが、AGH-1000は片方抜くと、
そちらのLEDだけが消えます。
こんなことは、実用上、あまり深い意味はないようですが、
やはり、こうなっていた方が信頼感がありますよね。
GEM-1は、ここのところは良くないなと思います。

左右別のボリュウムをヘッドホンアンプで採用しているのは、
全世界でも、このアンプくらいなものでしょう。
このボリュウムは実際に使ってみると別に難しくない。
左右の微妙な音量の違いは私のような者でも、案外分かりますし、
ボリュウムのクリック感の良さにも助けられ、快調に操作できます。
ただ、やはり正確な目盛りはあるに越したことはないでしょう。
例えばAyre KX-Rのようなボリュウム値の表示があると、なおいいのですけど。
このAGH-1000ヘッドホンアンプは製品版と思われるものであり、
注文すれば、ほぼ、この形のものが送られてくるようですが、
その時点ではフロントパネルにボリュウム目盛りはあって欲しい。
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4個のフットも自社製です。
底に丸い掘り込みのある円柱形のアルミ材でできており、
本体とはシリコンゴムリングのような半透明のリングを介してネジ留めされています。
前の2個の間隔は広く、後ろの2個の間隔はより狭い、特別な配置。
リングも足の置き方もチューニングなのでしょう。
この足の底面はやや滑るのでセッテイングが決まりにくい感じもありますが、
音自体に対する影響は少なくないため、
AGH-1000の純正の音を聞きたい場合は、まずはこのままで聞くべきと判断。
ですが、他のメーカーの足も試してみると面白いはず。
もし買ったら、いろいろ試しますか。
拙宅の試聴では例のごとくイルンゴのGrandezzaに載せて聞いてみました。

底面には多数の棘のようなネジ先が、
左右対称形に突き出ています。
うっかりすると指をケガしそうなので、慎重に運びましょう。
この底面のネジの多さは尋常ではなく、
中身が特殊な構造をしていることを予見させます。

実際、このアンプの中身を見ると、
特殊なケーブルで結ばれた数個の黒いアルミダイキャスト製の箱と
ボリュウムパーツを左右二系統置いて、デュアルモノラル構成としています。
箱どうしを結ぶケーブルは人工衛星の配線に使われる銀線ケーブルです。
このケーブルで結ばれた箱一つ一つはバネでボトムプレートから浮かされています。
これらは振動をコントロールし、各セクションを分離し、
高音質を得るための構造なのですが、これはどれくらい音に効くのでしょう?
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リアパネルにはRCA入力の他、左右別の2本の電源ケーブル差込口があり、
それぞれの横に電源を入れるトグルスイッチがつきます。
どこから見ても完全なデュアルモノラル構成と分かるアンプです。
ついでに言えば、シングルエンド構成のアンプでもあります。
高級アンプはバランス構成のものばかりではないですね。
電源スイッチがリアにあることからも予想がつきますが、
このアンプは常時電源投入型として開発されているようです。
電源を入れて一日以上経たないと真価を発揮しないという話を聞きました。
つまり、お祭りで聞いても実力は分からないということを言いたいようです。
確かに、このアンプは全く熱くならないどころか、
筐体にいつ触っても冷たいままなので、それでもいいでしょう。
常時電源投入を言われていないGEM-1でさえも、
電源入れて数時間後の音と、
電源入れっぱなしにして2日後の音は違っているのですから、
電源を入れっぱなしにした方がいいのか、
あるいはリスニングが終るごとに電源を切った方がいいのかということは
音質評価時に、開発者に必ず確認すべきことかもしれません。
なお今回のレビューは、
AGH1000の電源投入後2日目以降の音について述べています。


The sound 

Agara AGH-1000は、
相応に高性能な送り出し、インターコネクト、電源ケーブル、ヘッドホンを使えば、
納得の音質が得られるアンプです。
上流の機器の力を素直に引き出すのですが、
これを手放しで無色透明な音とまでは言いません。
Agara独自のカラー、すなわち、
中高域の力強さが増すという効果が得られるのも間違いないことでしょう。
とはいえ、やはり上流から来る音へ忠誠を誓う律儀さが、
まず前に出ていると思います。

今回は送り出しはKLIMAX DS、インターコネクトはJorma PRIME RCA、
電源ケーブルはJorma AC LANDA RH、
タップにはChikumaのPossible4を使ってみました。
ヘッドホンはFOSTEX TH900。
実は、インターコネクトケーブル、電源ケーブルについては
Agara社で特製したものが同梱されていました。
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特にインターコネクトケーブルはアンプの内部配線に採用した、
衛星の配線に使われる銀線ケーブルそのもののようです。
そちらでも聞きましたが、
自分にはJorma のケーブルによる音の方が好ましく感じましたので、
自分のセッテイングで試聴しました。
なお、このセッテイングはそのまま、対照するGEM-1 でも使っているものです。
さらに、私の印象では、Audio NoteのKSL-LPZは、
このアンプの表現力を一段高いところに引き上げてくれる予感があります。
AGH-1000を購入された方は、是非お試しください。
(それからレビューも書いてください)

今回は、電源投入した後、二日経った深夜から、
ドナルドフェイゲンのNight flyをはじめとする、
十何枚かのAORのアルバムを中心にJAZZ、Jpop、アニソン等を聞きました。
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有名なドナルドフェイゲンのI.G.Y.では、
中高域に力点を置いたAGH-1000の音調が、
冒頭からウキウキする曲のフィーリングにピタリと寄り添って素晴らしかった。
ここでは、このアンプのハードでスピード感のある中高域の動きが、
音作り全体を主導しているように思われます。
音楽が進むにつれて、
子音がスカッと抜け出る高域の気持ちよさや、
ややクールな温度感でありながら、
透明感だけではなく密度感でも聞かせる中域、
強いアタックでも、案外と耳に優しいのですが、
解像度自体は十分に高いと感じられる低域など
長所が次々に見出されます。
色々な曲を聞いていると、
滑らかに流れて欲しい、横ノリのMaxineのサビよりは、
Ajaのドラムソロのような縦に刻む局面の方が、
このアンプにはマッチングがいいというような、
曲調ごとの親和性の違いも感じられました。

AGH-1000の音は全体にやや硬め、辛口であり、
ふんわりした甘さは排除されています。
聞きやすさや耳当たりの良さを追求した形跡はないですね。
音の細部を取り立てて強調するような無粋さはないものの、
シンセサイザーで合成した人工的な音でも
生の楽器から出た生成りの音でも公平に対応しつつも、
その質感の微妙な違いを克明に描き分けるようです。
曲想の違い、演奏の違い、録音の違いなど、
音楽再生にまつわる多くの差異を
リスナーに分かりやすく提示してくれる親切な音です。

ノイズは、うーん、どうなんでしょう。
スペック上は測定限界以下のような書き方ですが、
私の環境では、それほど静寂な背景を味わうことができませんでした。
もちろん、並みのヘッドホンアンプのレベルよりはいいと思うのですが、
もっとセッテイングを詰めて、ノイズを減らすことできるのかもしれません。

帯域バランスとしてはハリのある中高域に、やや力が集中している印象で、
ここで感じる音楽の躍動感は相当なものです。
ここら辺の帯域のバランス感覚は現代的なものではなく、
ややクラシカルなオーディオの味わいに近いかもしれない。
しかし、スピード感のある音調全体は現代的なヘッドホンアンプのそれであり、
スローな古めの音とは思えません。
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音のイメージとしては、雪原を走り抜けてゆく灰銀の狼を連想させます。
素早く、休むことなく四本の足を躍動させながら
ひたむきに、一散に駆けて行く狼のようなイメージ。
スピード感、躍動感、けっして大柄ではない、スリムだけど筋肉質、
どこかアグレッシブな音調が想起させるのは。一匹の肉食獣です。

さて、迷路のように曲がりくねった曲の構成でありながら、
いささかの引っかかりもなくリスナーを先へ先へと導いてゆく
ドナルドフェイゲンの手腕は、ニューアルバムよりも、
Night flyやAjaなどの定番アルバムで
気持ちよく発揮されているように思うのですが、
このような壮年期のドナルドフェイゲンの爽快感や明るさが、
AGH-1000のサウンドの中では、生きるようです。
全体に濃厚でコッテリした音の印象はなく、
明澄で音の立ち上がりと立下りが早いスッキリした音調に終始するからでしょう。
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音の温度感は低い部類に属しており、
GEM-1のような熱く、厚みのある音調、
強烈なインパクトで鼓膜を驚かす局面は、私が聞いた限りはありませんでした。
GEM-1に遜色ないほど音のエッジはきちんと立つのですが、
低域に優しさが残っていて聞き疲れしにくいのもチャームポイントです。
このアンプの音調なら一般的なアニソンも十分聞けますね。
手嶌葵が苦手なGEM-1の音調とはかなり違いますよ。
ただ、どこか日本のオーディオ機器らしい、
控えめで奥ゆかしいところもあるため、
これほど作りこんだ高価なアンプでありながら、
リスナーにグッと来るなんらかの音のアピールに欠けるところは、もどかしいかと。

正直に言うと、この製品版の音より、
一番初めに御披露目されたプロトタイプの音の方が
よりスパルタンでアピール度が高かった。
聞き方によっては、製品版はやや音が鈍ったというか、
先鋭的なところが丸くなったような気がします。
確かに製品版では音は細かくなったのですが、なにか一味足りなくなったような。
これはGEM-1と同じかもしれません。

私のシステムに組み込んで聞くAGH-1000は音が近い。
音像はリスナーのすぐ近くにそそり立っているように聞こえることが少なくないです。
このアンプの出音は、空間の主張がやや薄く、
優れたバランス型のヘッドホンアンプとHD800のペアで聞けるような
広大な音場感は持たないようです。
これは演奏者にとても近い場所、舞台かぶりつきで
音楽を聞いているような臨場感です。
AGH-1000の音像の距離感や音場の拡がりについては
ここの部分、AGH-1000はGEM-1と似ているのですが、
音調の基本がガラリと違うので、全く違う音として認識されます。
AGH-1000は爽やかで明るい。クールでハイスピードな音調です。
対してGEM-1は濃密で、低域を中心とした重量感があり、陰影豊か。
またGEM-1のサウンドには独特の中毒性がありますが、
AGH-1000の音は至極、健康な音で常識的、
悪く言えば在り来たりな側面が大きいですね。
どちらを選ぶか、あるいはどちらも取らないかは、
当たり前ながら好みの問題と思われます。

私個人は、このアンプの音の特徴は、輝かしい音の響きにあると思います。
空を仰いで高らかに歌い上げるような陽性の音の響きが
音楽の随所に付加されるように感じられます。
Night flyのラストナンバー、Walk Between Raindropsの
コーラスの輝きに、このアンプの持つ音楽性を強く感じました。
キラキラと光る白銀をまぶしたような、あの輝きが
実は狼の咆哮の正体なのでしょうか。

なお、手持ちのKLIMAX DSとTH900とボリュウムの関係については、
少しばかり工夫が必要でした。
DSを固定ボリュウムにするとゲインが高すぎて、聞きにくいため、
KLIMAX DSの内部ボリュウムを70くらいに落として使いました。
するとAGH-1000のボリュウムの位置は9時~10時あたりに落ち着きます。
こういうことは結線して音出ししないかぎりは分からないこと。
こうなると、このアンプ内にゲインの切り替えはあって欲しいですね。
DSのように内部ボリュウムのある送り出しは、多くないですから。


Discussion and Summary

確かに超高価なヘッドホンアンプとして、
相応の音力を感じさせるアンプではあります。
特に中高域の力感や解像感、音の随所に感じる眩しさは
他では得られぬ好ましさでしょう。
ただし、繰り返しますが、
このアンプの実力に見合う上流機器、電源は必要です。
また、ヘッドホンも生半可なものでは、送り込まれる情報を受け止め切れない。
Sennheiser HD800、Fostex TH900クラスの、
音のあらゆる要素において
高次元で破綻のないバランス感覚を持ったヘッドホンが求められます。
もちろんゲインの切り替えもないので、能率上でのマッチングもあるでしょう。
このアンプの音を本当に聞きたいなら、
アンプ本体以外の部分でも大金をはたかなくてはならないということです。

さらにもう一つ言えば、GEM-1もそうですが、
自宅試聴時、あるいは導入後の辛抱強い試行錯誤も大事です。
このような特殊なオーディオ製品はポン置きで満点の音は出ません。
苦しみながら、
ケーブルの組み合わせ、置き方等のスイートスポットを探す作業は不可欠です。
まずは無造作に聞いて、どこかイケそうな部分が少しでも感じられたら、
セッテイングを突き詰めてポテンシャルを引き出してみないと
傑作を自分に合わぬ機械であると誤解することになります。
かくいう私も反省しきりなのですが、
とにかく、オーディオのHPや掲示板で
機器を貶している人々は大概、これをサボっているはずです。

仕方ないことですが、G ride audio もAgaraも
まだヘッドホンアンプは一作目ということで、
(次回作があるのかは知りませんが)
使い勝手の点で、まだまだ、こなれていないところがあると言わざるをえません。
ボリュウムまわりの事々が特にそう。
しかし、音はこれでいいと思います。
それぞれ、製作者の思いがしっかり出ていていい。
それは音の個性となって我々の耳に、はっきりと響いてくるものです。
だが、これだけ高級なアンプは音質以外の点でも十全でなくてはならないはず。
一匹狼的な小規模メーカーの開発の穴は大抵そこにあると思います。
資金と労力と時間が、オーディオの第一義である音質に注ぎこまれ、
それが、ようやく実現できたころには体力が尽きてしまう。
至れり尽くせりの使い勝手、洗練された操作感に到ることは稀というパターン。
これは、この手のアンプが極めて少人数で開発されることも関連があるでしょう。
極めて個人的な満足に終始したものづくりとなり、
買う方はそれに付き合わされる形になる。
そういう状況でも文句を言わせないために、
音だけは、有無を言わさぬほどに磨き上げられていなくてはならない。
AGH-1000の音は果たしてそのレベルに達したのでしょうか。
一匹狼であることの長所と短所を同時に味わう音。
私の結論はともかく、それは読者の方々の耳で確かめるのが本来です。

できれば、このアンプを購入を前提に試聴されるなら、
その前に他の多くの高級ヘッドホンアンプを、整った環境で、
時間をかけて試聴されることをお薦めします。
要するに、このアンプの音に込められた機微を感じ取るには、
十分なヘッドホンリスニングの経験が必要だと言いたいのです。
AGH-1000の音には他を威圧し、否定するような厳格な響きはありません。
類稀な優秀さを備えた音ではありますが、
圧倒的な性能差を感じさせるゴージャスな音は持ち合わせません。
多くの選択使の一つに自分を選んで貰えたら良いという寛容性が残っています。
つまり本機の音の良さは、
常に分かりやすい形で提示されるとは限らないということ。
豊富な比較対照の実践を通して、
Agara AGH-1000の音が、他のどのアンプの音よりも、
自分の好みにシックリくるのかどうか、じっくりと検証すべきです。

そのためには、催事ではなく、あくまでハイエンドな環境で、ゆっくりと
このアンプを占有できる常設の場所が必要と思います。
それは、すべてのハイエンドヘッドホンアンプに言えることですけど。
これ以上、日本のヘッドホンオーディオのレベルを上げようとするならば、
ただ、高音質なヘッドホン、アンプを特製するだけでは駄目で、
本当に高性能で定評のある機器をシステムとして、
ズラリ揃えた、常設のリスニング環境が、
この東京のどこかにあるべきなのかもしれません。
また長話になりましたね。
今日のところは、
Agara AGH-1000の真実の咆哮と対峙できる機会が、
来年は、より多くなってくれることを願いつつ、筆を擱くこととしましょう。
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# by pansakuu | 2012-12-15 22:13 | オーディオ機器

Jeff Rowland Design Group Aeris DACの私的インプレッション:優雅なる辟易


Introduction

エレガンス。
口では気安く言うけれど、
実際の男の持ち物に、御世辞抜きの優美さを感じることは多くはない。
あるとすれば靴だろうか。
優雅なる一足の靴。
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ここにベルルッティというパリの靴屋の定番でアンディと名付けられたペニーローファーがある。
この美しい靴のデザインは、べルルッティの女主人が、芸術家アンディ ウォーホルのオーダーを受けて作った、一足のビスポークシューズが源泉になっている。この時、ウォーホルにベルルッティを紹介したのはイヴ サンローランであったらしく、これはこれで豪勢なミニストーリーだ。(ホントか?)
このアンディは長らく、ごく一部の顧客のため、秘密裏に製作されていた、シークレットモデルであった。しかし、今は店内の人目に触れる場所にディスプレイされ、ベルルッティの顔の一つとなっている。
現在のデムジュールラインでのラストはややロングノーズであり、柔らかなスクエアトゥ、スマートかつ微妙な曲線で構成され台形を描くエプロンのモカステッチ、四角くカットされ、切れ上がるタンが特徴だ。このアンディはアニバーサリーモデルで、目の醒めるように鮮やか、かつ深遠なパープルで全体を染め上げ、サドルストラップにクロコダイルをあしらったものである。かつて紳士靴では禁断であった、この見事なパティーヌ(色付け)の結果、舐めたくなるような色艶が全面に見られるわけだが、これはキャンディではない。ただの靴である。
ロールアップしたヴィンテージジーンズに合わせるのが、タン部のシャープさとカラーの美しさが引き立つのでお薦めなのだが、バブル親爺全開という意味ではスノッブ過ぎる装いかもしれない。
実物に足を通してみるとそれほどタイトではなくソフトな履き心地。
足の甲と踵で保持するようなイメージだが、意外に緩さは感じない。
アンディは紐をいちいち結んで履かなくてはならない紳士靴に辟易した、
私の愛するローファーである。
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そして、もう一つ、
アンディにも匹敵するエレガンスを薫らせるオーディオマシーンがある。
ジェフローランドの初めてのデジタルデバイス、Aeris DACである。
アエリスという名前は空中、空あるいは空気などを意味するAeroという単語から派生したものかもしれないが、このDACの姿を見て、音を聞いてみると、これは純粋に女性の名前ではないかと思わせる。長い黒髪の若い白人女性である。その柔らかい宝石のような音の印象は不思議な優美さ、優雅さを醸し出す。

アンディとアエリス。これらの全く異なる二つのモノがエレガンスという地下水脈で繋がることを発見した時、ずっと解けなかった問題の答えを見つけたような、痺れにも似た奇妙な快感を私は覚えた。


Exterior and feeling

言うまでもない。明らかに美人である。
薄く、そしてコンパクトにまとめられた筐体の全面にジェフ特有のさざなみのような仕上げが施されている。眩しい銀色のフロントパネルと流れるようにつながる黒光りのトップ・サイドパネルの対比にはいつもながらヤラれてしまう。このキラキラとスベスベの感触からは様々なイメージが連想される。今回は特に、このブラック仕上げの部分に長い黒髪のたなびきをイメージするのが面白い。しげしげと眺めるにつけても、これほど美しく楽しいDACはそうそうはあるまいと確信する。
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この筐体の表面仕上げだけではなく、6061-T6アルミニウムのインゴットをくり抜き、逆さにして使う手法、電源を別筐体にする手法、回路にトランスを挿入する手法、全てジェフのアンプ作りの作法を、そっくりそのままDACにもってきたものだ。それにしても、デジタルノイズについてはあれほど気にするのに、電源からのノイズには、やや無頓着なDACが少なくない中、電源部を別筐体に収めるアエリスの優れた構成は、この価格帯では貴重である。

そして、要(かなめ)となるデジタル入力はBNC×2、TOS LINK×1、そしてUSB×1である。やはりUSB入力がないDACはこの先はなかなか売れないだろうとジェフも読んでいるのだろう。ただし、24bit 96Kまでの入力というのが惜しい。騒がれているDSDについては、完全にハード先行で、まだソフトは無いも同然なので、無視してさしつかえない感があるが、24bit 192Kのデータについては確かに最近増えてきた。ドナルドフェイゲンのAjaもガウチョも192Kのデータが出てきている。ナイトフライは48のままだが。いままで24bit 192Kの音源の普及に懐疑的だった私だが、もうそんなことは言っていられない状況になってきたようだ。それだけに惜しい。

このアエリスをUSB経由でPCにつないで使うとき、基本的には特別なドライバーソフトは必要ない。また、このDACはボリュウムが内臓されており、フロントのボタン、あるいはリモコンでその高低を調節できる。それらの意味で使い勝手はとても良い。

こうして、実物に触れると、DACというものが只の電気箱ではなく、見て触れて、なにか心ときめく感触が伝わるものであっていいのだと、教えられているような気がする。このあたりは他のDACとは隔絶した好感が持てるところである。


The sound 

言うまでもない。期待に違わぬ美音である。
このアエリスの出音の音触は、足首の細い女性の肌を指でなぞるような触感、清潔というよりは僅かながらセクシーの領域に入るフィーリングか。いや、セクシーは言い過ぎ、また妖艶というのも、さらに言いすぎ、艶やかという表現も少しオーバーだ。なにかこの柔らかく磨かれたようなジェフ独特の触感に、エレガンスという言葉が似合う。それはパティーヌされたアンディ・ローファーの表面のように限りなく滑らかで懐深く、柔軟な印象なのだ。

このAeris DACの解像度はすこぶる高いのだが、それは肌理(きめ)細やかな音の感触として感じられ、音のエッジの強さ、明確さには成っていない。女性的な優しさ、丸みが感じられる音のエッジである。また、このサウンドは柔軟ではあるが、クールでキュッと締まった面があり、緩さやファットな印象は微塵もない。足首の細い女性がイメージされる所以だ。

歪み感は少なく、粘り気も少なく、真面目さもある音ながら、端正、淡白で、こじんまりした音として片付けられない内容の充実が感じられる。それは美しい靴というものも精巧に注意深く作られていなければ、その人の足にフィットするという大前提を満たせないように、このクラスのDACが前提として満たすべき、D/A変換の精度が得られている証拠なのだろう。これはアナウンスされている総ジッター量の低さからも推測できる。

アエリスの音は、流れるような横ノリの音であり、やや縦ノリのハイエンドDACのエッジの利いたリズミカルな音とは異なる。滑らかに流れてゆく音のスムーズさにおいても、女性的な音の表情、リズムとメロディの動きが意識され、スッと男の心の襞に入り込み、沁み込むようで嬉しい。

残念ながら、このアエリス自体にはサウンドステージを大きく広げたり、見通しを極端に良くしたりする能力は備わっていない。それらの空間性にまつわる表現力は、このクラスのDACとして標準的なレベルにとどまると思う。そういう意味での素晴らしさは後段に連なるプリアンプの役目となるのだろう。

なるほど、この音は、先発するChorusあるいはCriterionというハイエンドプリの音調に寄り添う風もある。背景の黒さ、静寂感は無視できないものがあり、低ノイズをその特徴とする同社製プリアンプの上流に相応しい性能がある。ただ、もっと強力な静寂感を持つDACはあるわけで、それだけで、アエリスの音の優位性を語ることも難しいが。

このDACについて、各帯域ごとに感想を連ねるとすれば、高域はしなやかに伸びており、刺すような硬性の声高さはない。中域は濃密さとクールな温度感、微かな甘みと苦味が混在して、上質な大人味のアイスクリームのように感じる瞬間もある。低域は解像度、インパクトともにそこそこ。ここでも、また優しげなイメージが前景に立つ。

このような音調では、オーディオ的な能力としてはやや表面的な美しさに傾き、細部を暴きだす能力に欠けると見る向きもあろうが、ニュアンスは深けれど、不快な部分まで聞かせてしまう音よりは遥かにマシという考え方もできるだろう。

これはインパクトの強さや、音を目の前に押し出してくるような驚きで売る音ではなく、心を和ませる、聞き味の良さがウリのサウンドなのだ。「自然」な音という表現に、これ見よがしの実体感や野蛮なほどのパワーを否定する意味があるなら、アエリスの音は実に「自然」な音であると言える。しかし、私はアエリスの音に「自然」という表現よりも、僅かに演出的なニュアンスを感じる。ただ「自然」な音を求めるだけでは、これほどの聞き心地の良さ、優雅さに到れないだろうと思うからだ。

やはり、これは独特の音触の優美さを、さりげなく意識させる美音と言うべきだろう。街頭でとびきり美しい靴の持ち主とすれ違った時のように、靴の色合いやフォルムが醸し出すエレガンスが、残り香のように漂う音だと感じる。

たしかに作りといい、音といい、なにか初めから結末が分かっている物語を聞かされているようで、意表を衝くような面白みをあまり感じられないのは困るが、どうも技術指向が強すぎて、生真面目(スクエア)になりがちな最近のDACの出音に、エレガンスという絶妙なスパイスをふりかけてくれたことには勝手に感謝を表したくなる。
設計者は、そんなものを付加した覚えはないと迷惑顔で言うのかも知れないが・・・。


Discussion and Summary

ところで、
最近のオーディオに本当のエレガンスを感じることはあるだろうか?
ベルルッティのアンディ ローファーほどのエレガンス。
私は、無知ゆえに、そういうオーディオをほとんど知らない。
私の知るところでは、
明らかな例外としてフランコ セルブリンのKtema、
メトロノームのKalistaが挙がるぐらいだろうか。
アエリスはこの例外たちの寂しいリストに新たに加わることになりそうだ。

それにしても、
これほどの対価を要求するハイエンドオーディオにして
優美さが不足するは何ゆえなのか?
私は、オーディオをやる人間の多くが、
女性にモテない、あるいはモテることに関心のない男だからだろうと邪推する。
熱心なオーディオファイルたちが、
心からエレガンスを愛し、スクエアを憎み、
それを日ごろの行動で実践していれば、
オーディオはもっと美しくなり、
それを操る男も女性達にあれほど愛想をつかされることはないはずだと、
さらに邪推する。
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自戒を込めて言おう。
オーディオを青白くも陰険な技術系の趣味にのみ、
あるいは偏狭かつ無粋な老人たちの手遊びのみに閉じ込めるのは賛成しかねる。
確かに人は、
自分の築いたものの残骸のなかで生きなければならないのかもしれないが、
そこに閉じ篭りきりというのも精神衛生上は良くないのではないか?
オーディオにまつわるイメージはもっと多様であってよい。
派閥を否定するつもりはないが、
例えば、二次元の美少女と美男子への憧れと想像だけでは、
日本の若者は男にも女にもなれないだろうし、
過ぎ去った昔日の様式美と栄光に固執する老い方にも疑問がある。

私はあらゆる世界に触手を伸ばし、そこで得たものを、
オーディオをより深く感じるために応用してゆく。
言ってしまえば他愛もない、一足の靴にさえ、ヒントは隠されている。

最新鋭のエレガンスをいつも感じようともがき、
その結果として得たものは時々に薫らせること。
多少、不器用でもかまわない。
このエッセンスを最愛のオーディオにすら持ち込めない、
自分の、そして同類の方々の体たらくに、
凡庸なストレートチップの紳士靴のデザインに対するのと同じく、
私は密かに辟易している。

# by pansakuu | 2012-11-06 23:28 | オーディオ機器

Dan D'Agostino MOMENTUM STEREOの私的インプレッション : 第二の人生


Introduction

仕事帰りに、電車に乗って大きな河にかかる鉄橋を渡る。その時、電車の窓越しに、屋形船が何隻か浮かんでいるのを眺めることがある。あの風景に出くわすと、いつも思う。あの船の上に、私のそれとは別な人生が乗っていると。
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あるときは王、あるときは奴隷、あるときは武人、あるときは策謀家、あるときは小説家。あるときは既婚で金満だが何かが足りない中年男、あるときは独身で貧しいが、そうとは気づかぬ青年、あるときは浮かれた子供、あるときは陰険な老人。
そういう様々な者になりたいと私はいつも思う。リアルな私の人生はつまらないものであるし、幸か不幸か、完璧に幸福でも、ひどく不幸せでもなかった。この先もそうかもしれない。だが、もし、もういちど別な人生を生き直せないなら、せめて、こういう人生を送りたいという願望をなにかに投影したい。

私にとってオーディオはそういう別な人生を生きるための道具のように見える。

一方、オーディオそれ自体、一筋縄ではいかない趣味である。つまりは、いくつもの縄を用意して捕まえないといけないほど大きな全体像を持つ趣味であるということだ。
ただ一組のスピーカー、ただ一台のアンプ、一種類のプレーヤー、つまり、唯一のオーディオシステムだけをもって、なにかを理解し、なにかを成し遂げることは難しい。

とにかく、メインのシステムと切り替えて使う、もう一つのスピーカー、あるいは、もう一つのアンプが私のような気まぐれ者には必要だ。実際、どれを手に入れるかはだいたい決まりつつある。ただ今日まで、それは秘密にしておきたいと思っていた。しかし、偶然は避けられない運命というやつなのか、その候補のうちの一つから、思いがけずインプレッションが書けてしまった。彼にしては、ややシンプルな書きぶりだが、それは万策堂も、忙しく外連味(けれんみ)の少ない時代の要求に合った手法を取ることにした結果なのだろう。とにかく出来てしまったのは仕方ないので、こっそりと、表に出しておこうと思う。


Exterior and feeling

Dan’dagostino Momentum stereo(ダンダゴスティーノ モメンタム ステレオ)はブライトなデザインのステレオパワーアンプである。
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このアンプは遠目にもキラキラと輝くオーラがある。特注のブラックタイプもシックな雰囲気で良いが、やはり銀色のアルミのトップパネルと、ベンチュリ構造の孔を開けた華やかで、安全なヒートシンクの銅との対比に目を眩まされるのが本来だと思う。持ち上げる手に優しい、このメタリックコパーのヒートシンクは、なんともキュートである。
そして、このコンパクトネス。なんと小柄なアンプだろうか。
このアンプの横幅は32cmほどしかない。高さも13cmほど。音は図太く、大きいところがあるくせに、見掛けはキュッと小さくまとまっている、このギャップが実に面白く、男の官能を刺激する。

潜水艦の窓のように、グルリとネジで留められた円形の窓をのぞくと、左右2連のメーターが認められる。リスナーを見上げるように取り付けられた、このメーターは通常の音量では、なかなか振れないので楽しくないが、ペパミントグリーンにライトアップされて、デザインのアクセントになっているのは確かだ。このメーターは、トゥールビョン脱振機を備えた複雑時計を連想させるデザインであるが、左右にこれがあると、むしろフランソワ ポール ジュルヌのレゾナンス クロノメーターやフィリップ デュフォーのデュアリティを想い起こす人もいるかもしれない。

現代のアンプで、これほどの凝縮感、これほどの輝きを放つエクステリアを与えられているものは、ほとんど思いつかない。ジェフのアンプですらモノクロームのカラーリングである。このデザインはダン本人によるものか?もし、そうだとすれば、老練の境に到って、これほどの色気と煌びやかさを四角い宝石のような形に凝縮させるセンスは驚異だ。
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しかし、別の見方をすれば、このデザインはMomentum モノラルパワーアンプで確立されたフォルムと色彩対比をそのまま流用しただけとも言える。中身も、基本的にほぼ同じである。Momentum モノラルパワーアンプについて、上奉書屋時代に、詳しくエクステリアを記載した覚えがあるので、ほぼ同じ外観のステレオバージョンについて万策堂はこれ以上くどくど書かない。はっきり違うと言うべきなのは、フロントに斜めに突き出たカメの頭のようなメーターが左右2連の表示になったこと、リアにもう一つのバインディングポスト増え、XLRの入力が増えたことぐらいである。こうなると、このアンプは単なるディフュージョンモデル、下位モデルと位置づける向きも多かろう。この筐体を2台ならべるのと、1台ポツンと置くのとでは、その外見の押し出しも違う。やはりホンモノはMomentum モノラル、そう思うのも当然だ。

しかし、その音を聞けば、それは間違いだと誰にでも分かるはずだ。これはもう一つの音、別な音だ。そして、それは私のセカンドサウンド → セカンドライフ→もう一つの人生と、つながっていきそうな予感を孕む。


The sound 

やはり違うのである。
Momentum モノラルパワーアンプと、このMomentumステレオバージョンは音が違う。
これは、全く別な魅力を持つ音に変身している。
ここではモノラルバージョンとステレオバージョンの音の対比を用い、Momentum stereoの音をシンプルに炙り出そう。
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Dan’dagostino Momentum stereoの歌い出しはストレートである。マッシブで適度な重みのある音が、適度なスピードを持って耳と心を、速やかに、そして真っ直ぐに奪いにやってくる。この可急的な速やかさ、この飾り気ない、直接的なスピード感は、常に悠然と構えていたMomentum モノラルには感じられなかったものだ。音に感じる重みは音の内容の充実を生み、スピード感は音の軽みを演出する。これほどに実が詰まっていながら、これほど速い音を私は知らない。このように相反する二つの要素を同時に実現させる能力は銘機であることの証と、私は受け取っている。

それから、温度感にも差がある。Momentum モノラルの音は到底クールとは言えず、内に込めた情熱が染み出してくるような、火照りを感じるサウンドが印象的だった。完熟した果実、最高に熟成したチーズを思わせる音であった。しかしMomentum stereoはクールとホットのちょうど中間点にあるような絶妙な温度感を醸し出すアンプとなっている。実際、この温度感を保ち続けることは、まるで綱渡りのようなものであり、ひとつ間違えば、熱さか、冷たさの方に落ち込んで、そのままになってしまいそうな予感があるものだ。アンプが、その危ういバランスを見事に取りつつ、音楽をズンズン、前に行進させてゆくのを目の当たりにするのは、未体験の快楽であった。確かに、時にクールに、時にホットに、一瞬グラリと音が傾きかけるようなこともあるが、速やかに元のサヤに戻るような挙動をする。それは不思議なフィーリングであり、これまた他のアンプとの音の違いであろう。

最後に音の疎密、メリハリの差がある。Momentum モノラルには、独特のマッタリとした味わいや、格段の音の密度の高さ・厚みがあり、それは偉大とさえ言いたくなる音の推進力につながっていた。それなりに小回りは利くのだが、少なくともフットワークが軽いとは言いたくない音だった。今回のMomentum ステレオは、あれほどファットでビッグなサウンドでないかわりに、音楽の抑揚感、メリハリをはっきり、クリアーに表現できるようになった。少しシェイプアップし若返ったように、アンプの足取りは軽くなっている。これは、高密度一本槍の音調とは言えず、スリムで透けるような明るさの有る音と、暗く沈みながら、密度や重量を感じさせる音を巧みに描き分けてゆく、クレバーなサウンドだ。Momentum モノラルの持つゆったりした包容力を部分的に保ちながら、リズミカルでアトラクティブな要素を、さらに付け加えているようだ。

その他の音質部分については、結局、ステレオとモノラルの違いで片付けられるものであり、あえて言えばモノラルがステレオに勝る部分である。たとえばサウンドステージの広さ。これはMomentum モノラルの方が一段も二段も優れる。出音自体のパワーもそうだ。この点では、比べるのが可哀想になるくらいの差を感じた瞬間もある。

しかし、コストパフォーマンスやスペースファクターの点ではこのMomentum stereoは抜きん出ている。これほど個性的で深い味わいがありながら、美しいルックスを持ち、基本性能も高く、客観的な音のバランスの良さまでもあるアンプが、この値段で買えるだろうか?また、これほどの音が、これほど小さく、容易に設置できる筐体に凝縮された例も稀なはずだ。また、このアンプの表面はフルドライブでも、火事が恐くなるほど熱くはならないことも嬉しい知らせだ。
音はもちろん、価格をも含めた、その他の側面を全体的に見れば、これほど素敵なリスニング環境を提供できるステレオパワーを私は他に知らない。いままで、総合的に最も優れたステレオパワーアンプと思っていたSoulution710よりも優れたアンプがやっと現れた。

このアンプの音は現代オーディオにありがちな、広々とし、気持ちよくヌケて気持ちはいいが、どうも遠い音、あるいは細かいところまで良く聞こえるが、どこか虚ろな音とは無縁である。積極的に足し算して創られた豊かな音であり、高性能なのは分かるが、どこか息苦しく、禁欲的な引き算で作られたスーパーハイエンドサウンドを否定した音だとも思う。

銀座に行き着けの洋食屋がある。
G亭というこの洋食屋、美味しいデミグラスソースが看板だ。
上階へ到達するエレベーターの扉をくぐると、それなりの御歳と見えるが、矍鑠(かくしゃく)とした老支配人にまみえる。食事をしにきた旨を伝えると、清潔で、「非常に」落ち着いたテーブルに案内される。席についてあたりを見回し、簡素なインテリアが暗すぎず、明るすぎない照明に、いつものように照らし出されているのを確認する。この店には日常的な雰囲気と、非日常的な雰囲気がバランスよく織り交ぜられており、いつもと違う気分が自然と、違和感無く引き出されてくるのを感じる。
この空気の中で、シチューやハヤシライスなんかを注文して食べるのが王道なのである。
結局、これらの洋食の要は、使われるデミグラスソースである。方々(ほうぼう)に、食べ歩いていると、このソースには出来栄えのグレードに差が有るのが分かる。この店のように、最高級のデミは、コクがありながらキレがある。アクのような不純物が徹底的なすくい取られていながら、旨みはいささかも減じてはいない。むしろ凝縮される。ソースを唇に含むと、多くの素材の旨みが溶け込んだ複雑な味が、口中に流れ込み、いっぱいに広がってゆく。あくまで、まろやかな舌触りを楽しませながらである。しかし、その快味は、いつまでも舌に残ってクドくなってはいけない。良い味には引き際も肝心だ。G亭のデミはそこが秀逸。サッと味が引いて行く。このコクがありながらキレがある味わい、スピード感のある味の引き際が、私にDan’dagostino Momentum stereoのサウンドを想い起こさせてやまない。

このような味わいというのは、他とは違う味だが、それが唐突なものではなく、あくまで自然に引き出された異なる個性として感じられるところがいいのだろう。Dan’dagostino Momentum stereoは、今流行っている、クールで高解像度、サウンドステージ、スピード感を重視しすぎたオーディオとは異なる方向性のサウンドを、比較的容易にものにできるという、格別の美味しさを感じるアンプである。このアンプの旨みは音だけでなく、外見の美しさ、大きさ、発熱、価格等の諸々の条件をもクリアしたことにある。これは既存のオーディオシステムに加えて、もう一つのサウンドの可能性として、並列して置いておけるものなのだ。


Discussion and Summary

今、聞いている音楽を、全く別な語り口、切り口で聞かせ、
語ってくれるシステムが、もう一つ欲しい。
そういう思いは度重なって、私の中にうずたかく積もっている。
全く同じ音楽を全く異なる表現で聞くこと。
それは自分が全く異なる立場、全く異なる思いで、
そこに腰掛けて音楽を聞けるという不可思議な幸せにつながる。
私にとって、それは別な人格へワープするひとときでもある。

私は新たな音に直面するとき、新たな自分の物語を思い描く。
音楽が果てるまでの数分間だけ、
私は暴君となり、暗殺者となり、理髪師となり、料理人となり、遊び人となり、亡命者となり、そして演奏者となることができる。
芸術と称せるものはすべからく、この別人格への没入を誘発し、
それを果たさせる力をもつはずだ。

持ち込み試聴などで、
新しいアンプやスピーカーを鳴らすとき、
リスニングルームに溢れる音の中で目を閉じると、
時には、脳裏に展開する束の間の第二の人生を夢見ることが出来る。
音楽に酔いどれて、酔いしれの幻を見ることが出来る。
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Dan’dagostino Momentum stereoは、
私の望むままに別な一炊の夢を見させてくれる数少ないアンプのひとつだろう。

最近は
帰宅したら直ぐ、手持ちのアンプに火を灯すことにしている。
未だ、聞き慣れた音しか聞かせない我がシステムに、
この先、なにを加えようかと楽しく妄想しながら。
そして、
今夕も、あの大きな暗い河の上に、
私の知らない人生を乗せた屋形船が、
ぽつり、ぽつりと浮かんでいたことを思い出しながら。

# by pansakuu | 2012-10-14 09:52 | オーディオ機器

アダムの人差し指:ボリュウムノブについての雑談


これはオーディオの触覚に関する無駄話です。
音質の話はほとんど出てこないので、あしからず。
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オーディオシステムで最も頻繁に触る場所といえば、ボリュウムです。
ボタン式もありますが、大抵はツマミ、ダイヤル、ノブ、そういう名前で呼ばれる物、指で掴んでクルクル回す部品によって人は音量を調整する。このボリュウムを操作する時の感触というものはオーディオファイルが感じる、ほぼ唯一の触感で、プリアンプの印象、ひいてはオーディオシステム全体のインプレッションに影響を与える重要なものだと思います。
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私が、このボリュウムを回す感覚の違いに目覚めたのは、ジェフロウランドのシナジーを使い始めた頃から。このメーカーのプリアンプのボリュウムはどれも粘るような感触があります。これはイッキにくるりと回すことはできません。初動は遅く、ネバネバ。回すのを止めるとわずかに戻るのではないかと思うほど、しつこく粘る感じです。グリスが注入されているのでしょうか。少し回しただけで、ボリュウムの数値はすぐに変わるので問題はないのですが、この回し味は忘れがたいものがあります。
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これらとは、全く異なる感触のボリュウムとしてCelloのオーディオパレットのボリュウムが挙げられるでしょう。Violaのプリアンプも同じですが、軽く細かいクリックステップでカタカタッと回せます。金属の細かい櫛を爪で弾くような繊細なタッチが素晴らしい。
このボリュウムを回していると、「・・・小さい人が黄金の槌で瑪瑙の碁石でも続け様に敲いているような・・・」という漱石のエッセイの一節が蘇ります。可愛いらしくも、どこか豪奢な感触がここにはあります。
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継ぎ目なく滑らかに回るボリュウムは沢山あります。
例えばMarklevinson No.32Lのボリュウム。これは0.1dBのステップで変わっていきますので非常に細かい調節が可能です。音もなく摩擦もなくクルクルと回るかのようですが、手を離しても惰性で回ることはなく、ピタリと止まります。後期型は速度感応式なので、早く回すと1dB以上のステップで変わり、遅く回すと0.1dBのステップで変わってくれる。いままで使った中では、感じとしては最も高精度で回しやすいボリュウムの一つです。
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Constellation audioのアンプのボリュウムはこのNo.32Lのボリュウムにかなり近い印象ですが、さらに軽くカラカラと回る感じです。ツマミが小さくて、スベスベしているので少し掴みずらい。
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TACT audioのミレニアムのボリュウムは滑らかに回るのですが、これは独特。大きなボールベアリングを仕込んだボリュウムが、まるで石臼のようにゴロゴロ回ります。この回し味には鈍さはまるでなく、むしろ摩擦は少ないようです。惰性でグルリと回せそうなほど。口径が大きなボリュウムで、エイッと回す感じがダイナミックですね。
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Accuphaseのプリアンプのボリュウムはシットリしています。これは分厚いマグロの赤身を味わう時の舌触りに似た感触です。これはトロじゃないですね。アッサリもしていますから。少し重たく感じるほど確固たる回し味なのですが、柔らかく、微妙に粘るような、微かな湿度を感じる反発感が指にそれとなく伝わります。あくまでそれとなくですが。
アキュフェーズのプリアンプのボリュウムは大きなアルミの削り出しの部品で、その軸を受けていますので、微かなガタツキもなく非常にしっかりと高精度に回せることが特徴です。
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逆に、FM acousticsのボリュウムは回すときの味わいでオーナーを楽しませることには全く関心がないようです。実にドライ。金メッキされたノブを掴んで回しても、その感触には、なんの喜びもありません。このアンプの値段には、とても釣り合わないボリュウムなのですが、出てくる音が凄いので許してしまうのです。つまり、このボリュウムには出音による言い訳が必要かと。
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Boulderのボリュウムですが、これは変わりもの。鏡面仕上げの一枚の丸い板がフロントパネルとツライチではめ込まれています。人差し指で押しながらクルクル回すわけですが、その動作はまるで魔法でもかけているようです。非凡なほどの究極の平凡さを目指した平明なBoulderサウンドにしては、このボリュウムは変り種すぎると私は見ています。
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もっと変わりものは、少し古いプリアンプですが、クラッセのオメガプリのボリュウムでしょう。これはコマのようなホイールを横に回すものです。私個人としては微調節がしづらい印象があり、あまりいいとは思いませんでしたが、個性的という意味では最右翼でしょう。このホイールを一生懸命に回して音量を調節する姿勢や仕草は、他のプリアンプを操作する風景とは違って、どこかコマ回しに似ています。
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GOLDMUNDのMimesis22 のボリュウムノブに触ると、非常に指のかかりが良いことに気がつきます。これはGOLDMUNDのボリュウムがクラシックライカの巻上げノブを真似ていることと無関係ではありません。かつて家一軒ほどの対価を要求するほど高価であったライカのフィルムカメラの重要パーツです。そのつくりの周到さに、このボリュウムノブの感触は相似しています。秘密はこのノブに刻まれたギザギザにあります。ヤスリの肌のように荒々しいのですが、この表面が指先の皮膚を逆に掴むような仕草をみせます。
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NAGRAのアンプのボリュウムノブは丸いダイヤルではありません。掴んで回す先の尖った小さなアルミの板で、尖った部分が目盛りを指しています。滑らかに動くボリュウムですが、動きの感触はごく普通。ですが確実に掴めて、滑りがありえないノブの形状はプロ機器を連想させます。よく「指に吸い付くような」という形容がされるNAGRAのボリュウムノブの形状は独特です。
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ボリュウムにはフェーダーという手法、直線的な動きをする調節具もあります。その代表であるIlungo のパッシブフェーダーCrescendo 205のフェージング感はイイものです。この日本が世界に誇るフェーダーのフィーリングは、スライドさせている時は適度な摩擦感があり、止めたいところでスッと止まる感じ。フェーダーをあえて使うというのは、他の普通の回すボリュウムを使うというのとは、やはり感覚が違う部分があります。レバーの上げ下げで音量を変えると、音が伸びたり縮んだりする変な錯覚にとらわれることがあります。また、音量を下げるときに余韻を楽しみつつ下げられるイメージもあります。そういう特殊な感触が好きになると、その足し引きのない音質以外の意味でもフェーダーにハマってしまうかもしれません。
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ボタン式のボリュウム調節も侮れない。LINN KLIMAX KONTROLのボリュウムを思い出してみてください。あのボリュウム調整ボタンは小さく目立たないものですが、微妙に上向きにマウントされ、微かなクリック感もあります。KLIMAX KONTROLはノイズなどの点で評価が分かれるアンプですが、このアンプの前に立ってボタンを押してボリュウムを操作してみると、この上向きのマウント角度の配慮の周到さがわかります。ただのデザインコンシャスではない、LINNのデザインの真髄をここに見る思いです。
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AyreのK1xのボリュウムは機構としては先述のCelloやConnoiseurと同族なのですが、感触はまた違うものですね。これは知る限りもっとも武骨なボリュウム。ゴトン、ゴトンとボリュウムが動きます。ゴムベルトで動かすシャルコのアッテネーターは確かに斬新でしたが、ボリュウムノブを掴む指には十分な力を込めなくては回りません。ある売り場で、あまりにもボリュウムが回しにくいので、すいません壊しちゃいましたと店員さんに言ってしまった方を目撃したことがあります。いやいや、壊れてないんです。これがこのアンプのボリュウムの本来のテイストですから。
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Ayre K1xの後継であるKX-Rの感触はさらに面白いですね。これは私の最も好きなボリュウムかもしれません。操作していてこんなに楽しいと思ったことはない。なにしろ、ボリュウムの表示が動きに本当に連動しているのですから。数字がただ変わるのではなく、上へ下へと次の数字と切り替わるアイデア。この動きはGood designと言うべきでしょう。Boulderのようなディスク型のボリュウムノブですが、梅の花びら、あるいはスポーツカーのホイールのような5つの窪みが彫刻されていて指先がかかりやすく、好ましいです。この5角形を意識した形は、転がりやすそうなデザインでもありますし。また、K1xよりも随分軽く回るのでストレスはないし。このアンプの音だけでなく、ボリュウムの動きにも魅せられた、オーディオファイルは少なくないはず。
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ミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂の壮大な天井画を見上げていますと、指と指が触れ合う有名なシーンが目に入ります。いわゆる「アダムの創造」です。
アダムの人差し指の先に、神の指が触れる瞬間、アダムに勇気が与えられるということですが、これは私のオーディオにおけるボリュウム観を絵にしたものでもあります。私がボリュウムに指で触れることで、アンプに音を大きくせよ、あるいは小さくせよという意思を伝達し、アンプはそれに応える。それは私からアンプに何らかの情報=意思が小さなエネルギーの形で伝わってゆく過程です。実際、音量が上がると、なにか音楽に勇気を与えたような気がしませんか?私は時々、そういう錯覚をしてしまうのですが。
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スピルバーグが作ったETという昔の映画でも、この絵の構図を引用していました。この映画はET=地球外生命体と地球人の少年との出会いと別れ、心の交流を描いた作品ですが、未知のアンプのボリュウムに触れるときはいつも、私は地球外生命体と心を通わせるような気分になります。オーディオファイルとして幾百ものプリアンプのボリュウムに触れて来ましたが、このゾクゾク、ワクワクする感覚は未だに変わりはしません。
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暑い夏が過ぎれば秋。やっとオーディオショウの季節となります。
見知らぬボリュウムノブとの新たな触れ合いが、今年も待ち遠しくてなりません。

# by pansakuu | 2012-09-03 22:44 | その他

Constellation audio  Altair リファレンス プリアンプの私的インプレッション:異世界の正統


Introduction


ある男が私に言ったことを思い出した。
誰にでも、いつかは決着をつけなければならない相手がいるものだと。
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その男は織田信長のような、
あるいは中南米の独裁者のような人であったから、
やはり戦うべき敵がおり、そいつを倒すことにより、得られる誇りがあったのだろう。

今の私には、
そのサウンドについて思うままを書き綴り、
言い切り、言い放って、
自分の中でスッキリと決着をつけたいと思うプリアンプがある。
確かにある。

Constellation audio Altair。
このプリアンプの名、アルタイルとは鷲座のα星のことであり、
日本では七夕伝説の彦星、牽牛星を指す。
アラビア語では「飛翔する鷲」を意味する名詞。
確かにハイエンドオーディオのスタンダードを
大きく飛躍させるために開発されたプリアンプかもしれない。
また、その音は、私の想像の翼を高く飛躍させ、
私の思考を遥か遠い世界に飛ばしてくれる。


Exterior and feeling

このアンプのカタチは、シンボリックである。
なにかの記念碑のようだ。
動かしがたいなにかを内部に宿すカタチ。
奢られた鎧のようなシャーシはあらゆる物理的干渉をハネ返すだろう。
きめ細かいが、どこかザラッとしたアルミの表面処理にも、
わずかに緑がかったグレーの色合いからも
Boulderのアンプを連想してしまう私だが、
しかし、その形と質感の本質は
Boulder特有のややモッサリした質実剛健とは無縁だ。
やや鋭角的なトンガリを備えたコーナーの処理。
折りたてのカッターですっぱりとカットされたような、
鋭利な曲線で形作られる輪郭。
フロントパネルにはダイヤルもディスプレイもない。
シンプルというよりは、ミニマルな風貌だ。
意図的に無駄を削ぎ落とした形。
それにしても、この筐体のカッティングは、斬新である。
ここにはオーパーツの雰囲気が漂う。
このアンプの周りだけ未来だ。
電源部とアンプ部は別筐体。
それぞれアルミ切削された2ピース構成の箱に入っており、
合わせて37Kgもの重さとなる。
電源部の筐体からは左右チャンネル用とコントロールシステム用、
三本の独立した電源供給のためのケーブルが伸びており、
これらはHypertoronicコネクターと呼ばれる
特殊な接続具でアンプ部と連結される。
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この宇宙航空産業・医療用のHypertoronicコネクターのアイデアは面白い。
数本のベリリウムの針金で導体を包みこんで締めるような構造なのだが、
非常に確実なコンタクトと超低インピーダンス、長寿命を狙えるとか。
人工心臓の駆動装置のパーツとしても採用されるほど、
信頼性の高いものらしい。
信号の伝送についてもRCAやXLR端子なんてやめて、
こちらにしたらどうかと思うほど、音が良さそうな予感がする。
このケーブルとコネクターはこのアンプにとっては
事実上の電源ケーブルの差し込みプラグであるから、
この部分での細かな物量投入はそれなりに音に効くのだろう。
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リアパネルに回ると、
そこはシャーシと一体化しており、
別な板をはめ込んだ様子がない。
フロント、リア、サイドを一体として
ひとつのアルミインゴットから削り出しているためだ。
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この筐体の中にセットされた電気回路は
厳格なフルバランス、デュアルモノラル構成であり、
FM acoustics並みに選別された特殊なFET素子48個を使った
大掛かりなオプティカルコントロールボリュウムや
アルミ切削のケースに収められモジュール化されたうえフローティングされた回路、
アンプ内部の温度のモニタリングと、そのデータを基にした補正機構など、
構想、設計、部品の特殊性が強調されている。
だが、どう検索しても、その中身の詳細写真、
つまり実物のAltairの中身を開いた写真が引っかかってこない。
実際、中がどんな景色なのかは想像するしかないが、
基本的には剛の中に柔を取り込んだ、最先端の構成であることは確かだろう。
先述のように、このアンプでは、
本体側にボタンやダイヤル、ディスプレイなどの操作系が装備されていないようだが、
実はフロントパネルの下縁に小さな隠しボタンとLEDが付いている。
しかし、
本体側の貧弱な操作系は常用ではありえない。
実際の操作の全ては、
ジェフのコヒレンスを彷彿とさせる
ボリュウム、セレクターダイヤルつきのPyxisリモコンで行う。
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これは専用設計の双方向通信リモコンで
大きく見やすいディスプレイと2つのダイアルが付いている。
ボリュウム表示のロゴのデザインも美しい。
しかし、使ってみると、意外に、このリモコンの細かい操作はわかりにくく、
電源を入れた直後はゲインが最大になったままになってしまうなどの点も含め、
音以外の部分で、このアンプには改良の余地はまだあると思う。
使っていて、電源投入後の初期動作がなんとなく不安定なイメージで
初期不良が少し心配になってきたのは事実だ。
だが、ここまでスペシャルな容姿と音を誇る製品となると、
音以外の多少の欠点も、冗談みたいな価格も受け入れるしかない。

このプリアンプの筐体のデザインの中心は
スティーブ ジョブス風のミニマリズムだ。
それは禅の世界に通じるカタチなのだが、
ああいう現代的なデザインにありがちな
整理整頓された感じ、スマートさ、小奇麗さのみがあるのではない。
そんな姑息なイメージとは一線を画す、見るものを突き放すような異様な違和感が、
このデザインの底流にはありはしないか。
どこか近寄りがたい、このカタチ。
「私は他とは違う。私は誰にも似ていない。」
そう声高に主張しなくても、音を聞けば分かるのだが。


The sound 

妹分にあたるVirgoのサウンドから類推した予測に反して、
私は、このAltairを通した音に聞き味の良さは感じない。
これは柔らかな心地よさ一辺倒の音ではない。
そんな嘘臭いリップサービスはAltairの辞書にはないのだろう。
かといって楽器の持つ特化された直接音や衝撃音を
生成りの音として強調するわけでもない。
これはプロオーディオ的な厳しい音と言い切って、片付く音では到底ない。
もういい加減、この表現は飽きたと言いたい、
「自然な音」というものでもないと思うが、
あざとさを含んだ人工的な音かというとそうでもない。
一部の超高級真空管アンプのように、
ファンタジックな演出で、
絶世の美女のように人を魅了する音、
どこか儚く幻のような音とは全く方向性が異なる。
無限なる夢幻などと洒落たくなるような掴み所のない音ではない。

じゃあ、なんなんだよと。
この音は、そういう苛立ちが出ても仕方がない音。
なにしろ「誰にも似ていない」音なのだから。

だが、掴みどころはある。
音の純粋さだ。
それも常軌を逸したと言いたくなるほどの。
生音でも、ここまで純には聞こえない。
純度120%という言い方は一般的ではないが
そう言いたいほどの音楽信号の純粋さを感じる。
この、音を還元濃縮したような純度は何処から来るのか?
おそらく、金銭的かつ時間的制限のない技術開発による、
桁外れの低ノイズ特性、周波数特性の優秀さによるものと思う。
とはいえ、それだけのことで音の純粋さがここまで強く心に響いてくるとは考えにくい。
後段のパワーアンプを、ひいては左右のスピーカーを、なんらのストレスもなしに
縦横にドライブできるパワーが備わっていることも大きいのだろう。

実際、このアンプを通して聞きなれたテスト用のCDを聞くと
音出しの途端にリスニングルームの空気が入れ替わったような錯覚に陥る。
これは、Altairの筐体デザインが持つ、
あたりを払ったような、気高く、そして清冽な雰囲気に通じるものがある。
この空気感はクリーンで透明度の高いものだが、希薄さはない。
深い森に分け入り、深呼吸をすると、
生命を生命として輝かせるのに必要な目に見えない物質が、
森の空気の中に充満していることを自覚するが、
まさに、その感覚が蘇るようだ。
人の立ち入らぬ真夏の原生林の真ん中に
突然送り込まれたような感覚である。

Altairの異様なほどの音の鮮度、
バーチャルとすら思えないリアリティは、
その空気感、音の純度と無関係ではない。
とはいえ、このアンプに「鮮度感が高い」という喩えは当たらないかもしれない。
鮮度というのは調理された魚の味の形容だ。
これは冷凍された魚を上手に解凍して鮮度がいい、
というような印象ではない。
この音はもう、はじめからナマというか、
今、生きている音のようである。
この音の生命感は精密な仮想世界のそれではなく、
現実そのものの有り様と感じられる。
少なくとも私の聞いたコンステレーションのCentaurパワーアンプと
AVALONのDiamondから成るシステムからは
そういう不思議な現実感=リアリティが伝わってきた。

Altairを通した音には
艶があるが、同時に音のささくれもあり、
音の輪郭の強さも、そよぐようなデリカシーもある。
互いに相反するのみならず、時に矛盾さえする音の質感を
ほぼ同時にリスナーに提示することにAltairは、なんのためらいも持たない。
現実とは、実は矛盾したものなのだから、これで良いはずだと言わんばかりに。

さらに言えば、
なにを聞いても、このプリアンプのサウンドには前衛性を感じる。
それは感覚的には鋭く尖った音のイメージ、
またはヒリヒリするような緊張感
(Perseusフォノステージを聞いてこの側面に気付いた)、
あるいは常に最先端を行こうとする意気込みなのだが、
そこにピーキーな危うさが微塵もないというのが凄い。
全ての音の前衛性を、ここまで当たり前のように安定して提示できるアンプ・・・。
やはり初体験だと思う。

この無節操なほどの音数の多さは
情報が完全に抽出されていることも示唆している。
音の遠近感、各パートの目立ち方の順序もはっきりとし、
サウンドの粒立ちは極めて明確で立体的だ。
しかし、この立体感が、幽玄さ、曖昧さという
音楽の別な側面をもスポイルすることなく、
むしろ、それらをリアリティに変換して試聴者に提示してしまうことに驚く。

ダイナミックレンジは当然に広い。
知覚不能なほど小さな音圧から鼓膜を壊す寸前の超高音圧まで平然と取り扱うだろう。
また、周波数特性は非常にフラットで隙はない。
このアンプを加えたシステムと対峙する時
スペック的に制約がほとんど取り払われた世界に
リスナーは置かれるだろう。
特に、Altairのダイナミックレンジには
途方もない余裕があるように聞こえたのが印象的であった。

このアンプのサウンドに
いわゆる音楽性というものを私は感じない。
底無しの客観性、忠実性のみを感じる。
ただし、あるものをあるがままに出す、などという、
ある意味、開き直った怠惰で単純な態度はなく、
在るものを、
在る以上の存在にしたいという強い祈りが音に織り込まれている。
それは、特定の演出なしに、
再生音を現物以上の存在にしようという豪気でもある。
これは、ハイエンドオーディオにおいて
何人も成し得なかったほど困難なこと。

私にはそうとしか思えない。
このアンプを通すと、本物以上の音になるような気がする。
何百回も聞いてきた音楽をかけても、
一度も聞いたことのない音楽を聞いているような感覚、
ありえない錯覚に陥ると言ってもいい。
だが、これはGOLDMUND Mimesis22 Historyのように
魔術的なイリュージョンを現出させる音ではない。
あのような非現実的な陶酔ではなく、
あくまで現実的な実在なのである。
ただ、その現実が拠って立つ基礎が、
いままで立っていた場所と違うので、
本物以上とも、あるいは全く違う曲と感じるらしい。
なんとも不思議な音。

ECMのピアノソロアルバムThe Köln concertを聞かせてもらう。
この録音には、ある過去の瞬間のコピー、再生として片付けてしまうには、
あまりにも凄烈な演奏の気迫と創造の苦悩が焼き付けられている。
この盤に封じ込められた、キース ジャレット渾身のワンタッチ、
鍵盤を打ち抜く、あの乾坤一擲のワンタッチをいとも簡単に解き放つAltair。
このアンプを経ると機械的に再生されているとしか言いようのない音楽が、
単なる過去の再演、劣化コピーではなく、
眼前で現在進行する初演、生演奏として聞こえる気がしてならない。
このアンプを通して聞こえた音こそが
まぎれもない本物であると信じさせるほどの
圧倒的なリアリティがここにある。
信号をあらゆる物理的外乱から護ることで得られる
究極的な純粋性と、どのような抵抗も排除し、ストレートに信号を送り出す、
不尽でありながら、それを意識させないパワー。
これらが表裏一体、分かちがたく結びついてAltairのサウンドを形成する。
このアンプを通した、キース ジャレットの唸り声の唐突さにドッキリ。
この声を何度聞いたか知れないのに。


Discussion and Summary

ところで、アンプとはどうあるべきなのか?
この問題について考えるとき、理想のアンプのテーマとして有名な言葉、
Straight wire with gainという「呪文」を避けては通れまい。
アンプ設計の理想は、この一言に集約されるという立場は今もまかり通っている。
しかし、技術の進歩によりこの客観の理想が近づくにつれて、
勘のいいオーディオファイルは気づいてしまう。
このStraight wire with gainが完璧に実現しても、
得られるメリットは限定的であるらしいと。
特に精神的な充足感という点ではそうらしいと。
この気づいた一部の人々は
アンプを構成する素子や素材、回路構成を工夫することで人工的な演出に走った。
オーディオの演出が巧みでさえあれば、
音楽はより魅力的に聞こえることを知っていたからだ。
だが所詮、演出というものは一定の音調、サウンドの傾向を示すに過ぎない。
一定の傾向を持つこと自体が全ての音楽に似つかわしいものではないし、
そのままでは、全ての曲想にフィットするオーディオにはなりえない。
どこかで破綻を来たす可能性を常に孕む演出。
これも実は行き詰まっていた。

結局、
極められた客観性にも食い足りなさはあった。
また、巧妙な演出にも死角はあった。
現代のハイエンドオーディオは徐々に行き場を失いつつあった。
こうなってしまった以上、オーディオには、
もう何も新しいことは興らないかもしれない。
そんな絶望感が、ふと頭をよぎる。
ついにオーディオに見切りをつけるべきか?
しかし、なにが起ころうと、
高音質を果てしなく求め続けるオーディオの魂は生き続けるはず。
そう信じて、新たな音を待つ日々。

こんなタイミングと舞台が揃ったところで、Altairは、おもむろに登場してきた。
今までにないほど純粋で強い力をもって。

このプリアンプを通したサウンドは
過去に聞いたハイエンドオーディオの基準を超えたのではない。
新たな基準を全く別個に打ち立てたのだろうと思う。
このアンプの登場はブレークスルーではなく、
エポックメイキングという言葉が似合う。
競合品が存在しない製品開発を目指したという
設計チームの言葉は妥当だろう。
とどのつまり、オーディオの諸問題は、
製品の開発時に生ずる様々な制約、障壁によるものであり、
それらを完全に取り払うことさえできれば、
矛盾を越え、閉塞を打ち破り、新天地に立つことも可能であるということなのだろう。

異能者ではないが、異端と言えるアンプはいくつもある。
しかし異端ではないのに、異能者であるアンプは少ない。
GOLDMUND Mimesis22 Historyがそれだ。
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彼は間違いなくGOLDMUNDの伝統の轍を踏みつつも、
先行するモデルとは一線を画す超能力を持つ異能者だ。
Altairは、我は他の者とは違うと気取っているが、異端ではない。
異端とは正統から外れた者のこと。
Altairは、現代オーディオのマンネリズムが支配する世界とは、
異なる世界から来た異能者であり、別な世界の正統である。
このサウンドの堂々のスタビリティ、王者のような安定感が、その主張を裏付ける。

このサウンドは、
今あるプリアンプの音質の究極であることには疑いはないが、
これで決着がついたとしていいのか?
この音ですら、いつものように、とりあえずの究極ではないのか?
勿論、未来のことはまだ分からぬ。
しかし、このアンプの確立した新たなスタンダードは
その見上げるような高さからして
いつものような小手先のバージョンアップでは超えられそうにない。

まだ、このアンプの先には、なにも見えないし、なにも聞こえない。
このAltairを試聴し、熟考して得られた結論はそこである。
プリアンプは、ここで終っている。
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# by pansakuu | 2012-08-14 22:44 | オーディオ機器

Heavy Rotation:遅れた宿題


Introduction

随分前のことだ。
ある方から、愛聴盤はありますか?という質問のメッセージを頂いたことがある。その時は、いろいろありますよ、とかなんとか答えただけで具体的なアルバム名などは挙げはしなかった。
かなり色々あるので、単に書くのが面倒だったからだが、今になって考えてみると、あれは不親切だったかもしれない。

あまり有名ではないが、録音が良い、あるいは録音は全然良くないが音作りが面白い、音楽的内容が面白い等、オーディオ的に何らか意義や課題があると「私が」勝手に考えていてヘビーローテーションになっているCDが多数あるので、そのうちいくらかを暇にあかせて書き連ねてみる。夏休みの宿題を提出するような気分だ。

実は、
私は音楽評論やCDレビューの読解は大の苦手だ。雑誌を読んでも、単行本を読んでも、ネットのページを覗いても、その文脈からして把握できないことが多い。そういう私が自分で音楽アルバムのレビューは書けないのではないかと危惧する。しかし、自由な文体を用いて、読む人のことを省みなければ、書けそうな気がする。

なお、
ポップス系のオーディオテスト用CDとして有名なジェニファー ウォーンズのハンターとか、ローズマリークルーニーやジャシンタのジャズボーカルとか、ドナルドフェイゲンのナイトフライとか、アキュフェーズのクラシック曲しか入っていないテストディスクとか、あるいはステレオサウンドから出ている、柳沢・傅・三浦の三氏がそれぞれ編集されたディスクなど、そういうオーディオチェック用としてすでに有名なものは、ここに載せない。それらのうちのどれかは、オーディオをやっているなら必ず持っていた方がいいのは間違いないが、ここにはあえて出さない。ここには、私の愛聴盤で面白い音が収められていると思われるものを気ままに書き出すのみである。だからオーディオ的にはまったく注目されないし、されるべきでもないアルバムが多数含まれているはずだ。なお、SACDについては別稿を設ける予定。

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# by pansakuu | 2012-07-29 21:44 | 音楽ソフト

Pianopieces / Stieve Dobrogosz (Proprius)

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20年も前の高音質CD。これには別名で内容がほぼ同じアナログ盤もあるが、あちらはさらに超高音質盤である。各楽器の出音が綺麗に、そして整然とした定位で録れている。内容はECM的な前衛JAZZ。音質的には、金属的な打楽器の音が柔らかく伸び伸びと虚空に舞う様が素晴らしい。音楽的内容のレベルも高く、あくまで高踏的な雰囲気の中で楽曲が展開してゆくが、私の中では現代音楽的な唐突さは少な目であり、まだ聞きやすい部類に入ると思う。これは今でもAMAZONで中古で手に入るらしい。昔のCDもなかなかいい、という例である。アナログ盤はCDよりさらに深い音。このアルバムについてはBurmester069を送り出しにしたときの気配が見えるような再生音が圧巻だった。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:43 | 音楽ソフト

Sketches / Motohiko Ichino ( Ammonite music)

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これは録音自体は良くないCDである。音がかなりコモっているし定位も良くない印象。しかし、アルバムの内容はいいし、この場というか、この音楽が鳴り始めて、それが聞こえる範囲内に静かに醸し出されていく雰囲気が得がたい。そう、曲想はあくまで透徹していながら、その実、スモーキーな雰囲気は確かに得がたい。真夜中の、こじんまりしたライヴステージに3つのスポットライトが静止し、プレーヤーたちをライトアップする。足を組んで紫煙の軌跡を追いながら、リラックスして音楽を楽しむイメージだ。この夜のほの暗い雰囲気を立体的に再生できたらといつも思う。たとえ録音が悪くても、それを美しく再生する意義も義務もオーディオにはあると思わせるCD。こういう場合は数値上の特性が十分に追い込まれているかどうかはあまり意味がなく、さらに音楽性が前面に押し出されてくるようなシステムが良い。EARの真空管アンプでの再生が良かった。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:40 | 音楽ソフト

Botero / Jack LEE, Bob James (Video arts music)

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これはギターとピアノ、リズムセクションの絶妙なインタープレイが高音質で録音されたアルバムである。達人たちの超絶演奏が伸びやかに大きく展開する。圧倒的なスムーズさに流されて、音質の評価を忘れそうになるが、全曲にわたり立体的な定位感が確立されているうえ、各楽器の楽音の解像度も高く、クリアな空間に豊かなリバーブが溶け込んでゆく様が巧みに捉えられている。捨て曲はないが、冒頭の数曲は特に素晴らしい。このアルバムは音楽性というものを切り捨て、特性を究極まで追求しているようなシステムで聞いても、とても音楽的に楽しめる。アキュフェーズの最高級フルシステムでの再生における粒立ちの良さが思い出に残る。また最近、LOITのPasseriでこれをかけてみたときの、目の前に美しい湧き水の源泉を眺めるような清涼感、流れの美しさも忘れがたい。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:38 | 音楽ソフト

Tristezas de un Double A / Astor Piazzolla (Messidor)

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録音自体は大したことはないCDである。内容は即興的な色合いが強いタンゴ。だが、ある意味、タンゴらしくない演奏だろう。さすがタンゴの破戒者である。タンゴだと思わないで聞くとよい。この起伏の激しい展開をオーディオシステムがその包容力で捉え切れるかどうかが再生のカギとなる。かなり即興性の高い演奏であり、冒頭の曲では、その即興が過ぎて、音楽が途中で破綻しそうになるのだが、それをピアソラが見事に立て直してゆく様は圧巻であり、再生しがいがある。この音楽の場合、システムが客観的に音を見つめるという在り方のみでは、とても全体を表現しきれないと思われる。音楽の精神的内容にまで立ち入るような主観的な出音が望まれる。LINNのCD12を送り出しとし、ウエストレイクのダブルウーファーモニターを使った大音量再生は素晴らしかったのを覚えている。ピアソラの演奏の中で最高のものの1つと考えるが、既に絶版であり入手は困難。ピアソラに関してはハイレゾデータでTango Zero hourやLa Cammoraなどメジャーどころが出ているが、実際買って聞いてみるとハイレゾである必要はあまり感じられなかった。やはり、彼の音楽というのは、デジタルデーターの質よりも、プレーヤーやアンプの音楽的表現力により感動が左右されるタイプの音楽と思う。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:36 | 音楽ソフト

PLUMB / Jonatha Brooke, The Story (Blue Thumb)

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西野氏の本に紹介されていた女性ボーカルのCDである。音は良い。クリアな音場内に爽やかに歌声が響き渡る。私は5曲目のWest pointをテストに使うことがある。試聴システムにおいて、ボーカルがどれほど気持ちよく、颯爽としているか?爪弾かれるギターの弦の震えがどれ位の繊細さで捉えられているか?この曲でいつも勝負している。ノイズが少なく、音のスピードが速いシステムであるほど音の粒立ちが美しく聞こえる。このクリスピーな弦の音がたまらなく心地よい。そうは言っても、実はただ再生するだけなら難しいことはなにもなく、どのようなシステムを用いても音の良さを実感しやすいCDでもある。PIEGAの作ったスピーカーを初めてテストしたとき、このメーカーのリボンユニットの素晴らしさを一番初めに教えてくれたCDでもある。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:35 | 音楽ソフト

Zero7 / Simple things (Atlantic UK)

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チルアウトの代表的なアルバムと思う。ほぼ完全な打ち込み音楽である。このような音楽については、オーディオを長らくやってきた方々は、虚音と位置づけて軽蔑しているようだが、私はこういう音楽こそ、いかに美しく再生するか悩むべきものだと思う。オーディオはいかに精密に生音の似姿を捏造するかではなく、音楽をいかに芸術的に再生するかにかかっているはずである。音全体に打ち込みらしいザラザラした質感があるのだが、それは無意味なものではなく、音の手触りとして程よいグリップを生んでいる。ベースやドラムのリズムセクションが巧く絡んだ、ゆったりとメローな旋律に、それに男声、あるいは女声ボーカルが乗っかっていくような音楽。打ち込み音楽にありがちなタテ乗りが少なく、聞きやすいヨコ乗りがメインなところが新鮮である。実際の空間に放出された音を捉えて録音したのではなく、あくまで仮想の音響空間内に現出した音だが、まるで現実の空間に放たれることを待っていたかのように伸びやかに音が広がる様が印象的である。広い音場を持つヌケの良いサウンドシステムで空間性豊かに楽しみたい。スピーカーにVividのG2 Giyaを選んだとき、この音楽とスピーカーが意外なマッチングを聞かせていたのは驚きだった。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:31 | 音楽ソフト

The Beauty room / The Beauty room (Peacefrog)

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こちらもチルアウトというジャンルのアルバムである。チルアウトはクラブでちょっと踊って、一休み、クーリングしながら聞くのにちょうどイイような音楽を指していると聞くので、クールでありながらリラックスして聞ける音楽として再生したいものである。Zero7のSimple thingsと似たアルバムなのだが、一貫して両性具有的な響きの男声がボーカルを取る点が異なる。この声質に異様な存在感があるのだが、まさにそこにハマってしまう。そしてハーモニー。複数の男声が淡彩で重なり合う様の美しいこと。これも例によってヨコ乗りの音楽だが、ZERO7よりもスムーズな流麗さが追求されている。一昔前のGOLDMUNDのアンプのようなクールで透徹したサウンドが似合う。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:29 | 音楽ソフト

Metaphorical music / Nujabes (Dimid recordings)

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数年前、惜しくも他界したNujabesの代表的アルバム。彼のアルバムは日本の音楽の歴史に名を残すことは間違いないが、オーディオファイルに言わせれば音が全然良くない、ただのポピュラー音楽のアルバムということになるだろう。少し昔だが、渋谷や青山のメゾン、カフェで、私たちが深夜まで、ゆるゆると、お茶していたころ、このアルバムのメロディとラップが安価な業務用システムながら粋な音で流れるのをよく耳にした。音自体は独特のチープ感があり、それは重要な演出、音の手触りの特色になっている。こういう音はハイエンドオーディオには向かない気もするが、この21世紀初頭の渋谷的軽妙さ、ビートに宿る情感を余すところなく表現したいなら、それなりの装置が欲しい。低域に量感と解像度、適度なスピードの揃ったシステムならご機嫌だ。こんなLo-FiなアルバムでもJBLのDD66000は、この音楽を心地よく、余裕をもって鳴らしてくれるので好きだ。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:27 | 音楽ソフト

Cubicq / Alessandro Galati Trio (BLUE GLEAM)

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地味だが、とても美味しいイタリアンジャズを収めたCD。録音は良い。24bitでレコーディングされ、DSDでマスタリングされている。内容としてはピアノトリオの淡々とした演奏。ヒートアップする局面や楽しげにスイングする場面がほとんどなく、あくまでストイックに展開していく音楽だが、裏にはこの上なくスイートなニュアンスがある。こういうBGMな聞きやすさをDSDの鮮度感や広がりを活かしながら再生したいものだ。(イタリアには元来こういうストイックな情感があるらしい。例えばイタリアの静物画家である、モランディの作品を見よ。)このCDは定位が良く、各楽器の質感や演奏者どうしのインタープレイの気配もしっかり録れている。しかも、それらの音質的要素の盛り込み方のバランス感、公平感がすこぶる良い。オーディオチェックCDとしてお薦めである。
ところで、音質テスト用のCDということで、オーディオ店に試聴に持っていくCDはどういうものがいいのだろう。自分がいつも聞いているもの、というのが一般的な答えであるが、試聴会ともなれば、その場の雰囲気も踏まえた方がいいかもしれない。
以前、あるオーディオ店のリスニングルームで、総計2000万を超える、かなりハイエンドなシステムの試聴会が催されていた。試聴曲はクラシックかJAZZばかりで、システムは厳かにそれを鳴らす。参加メンバーの平均年齢は高めで60歳前後かと思われた。そこにいきなり最新のアニソンを持ち込んだ勇気ある若者がいた。300万オーバーのプレーヤーのボタンが押され、若い女性の黄色い声が部屋一杯に弾けた時、ほとんどのメンバーの顔がこわばった微笑で凍りついていた。決して音自体は悪くなかったのだが、あのオジさんたちのシラけ方は、どうにも救いようのないものだった。ハイエンドオーディオの試聴会にありがちな集団催眠を解く効果はあったかも知れないが・・・・。
ともかく、このAlessandro Galati Trio のCDならば、大抵のハイエンドオーディオの試聴会において、その雰囲気から大きくハズすことはないだろう。お堅いクラシックや古色蒼然とした古典JAZZや甘ったるい女性ボーカルばかりで盛り下がってきた場を気分転換させることもできるし、オーディオチェックの機能についても十分果たしてくれると思う。とにかく他人とカブらず、なおかつ無難なオーディオチェックCDのひとつだと思っている。

# by pansakuu | 2012-07-29 21:25 | 音楽ソフト

Brown Sugar / Dangelo (EMI)

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また、打ち込み系のブラックミュージックである。これも全然Hi-Fiなアルバムじゃない。スローでスイート、ガッツリとした濃厚さが特徴の音作り。パワフルさも内に秘めていて、高密度なバター醤油味のサウンドだが、そのウラには醒めた冷静さもある気がする。音に不思議な威圧感が宿っていてリスナーの鼓膜ををジワジワ押してくるのが素晴らしい。低域に量感と柔らかさが欲しいソフトだが、そこに解像度の高さまで加われば、このCDの再生はクールこの上ないものとなる。オーディオファイル向けでは全くないソフトだが、こういうソフトを楽しく、それらしく、時に斬新に再生するのがオーディオの醍醐味だと思うのだが、いかがであろう。このアルバムについては、大型の箱型エンクロージャーを持つATC SCM150slptでの再生が素晴らしかった。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:24 | 音楽ソフト

Sera Una Noche / Sera Una Noche (M.A.Recordings)

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打ち込み音楽の虚音ばかりだと、古典的なオーディオファイルの方々にはバカにされそうなので実音の録音に凝るMaレコーディングのCDなんかも挙げておきたい。これはかつて朝沼氏に推薦された、現代タンゴの作品であり、教会のホールにごく少数のマイクを設置して録音されている。音の空間定位が最大のチェックポイントとなるCDであり、いろいろなシステムでかけて、楽器の点在感をどこまで深く表現できるかを競うことができる。Vovoxのノンシールドの単線ケーブルTexturaをフルに使ったシステムを聞いたとき、このソフトのピンポイント定位が生きていたのが印象深い。ハイレゾデータでの発売もあり、CDが気に入ったらそちらも買うべき。このデータはさらに生々しい音であり、オーディオチェック用としても、お薦めである。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:22 | 音楽ソフト

Luther Vandross Radiocity Music hall 2003 / Luther Vandross (Arista)

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ルーサーはライブアルバムが少なく、スタジオでの録音が多いボーカリストなので、その意味で貴重なアルバムであるが、音質的にも秀逸なものと言える。ルーサーの生歌の瑞々しさや粘りが、ライブ会場いっぱいに響く様がつぶさに録られており、彼の情熱的な(しつこい?)歌いまわしの素晴らしさが強く印象付けられる。客席の歓声やざわめきが音響空間の底にたまるようにしてあり、その上方にルーサーのボーカル層、中間層として女性コーラスがあり、横の広がりのみならず、縦方向の広がりにも注目すべきアルバムである。
B&W 800Diamondの極めつけの定位の良さ、空間性は、このアルバムの音の魅力を大きく引き出してくれた。

# by pansakuu | 2012-07-29 21:20 | 音楽ソフト

Walking Wounded / Everything but the Girl (Atlantic / Wea)

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ドラムンベースという楽器の使い方で話題になったアルバムである。またしても完全な打ち込み音楽で申し訳ないが、もう実在の音に私は飽きたのかもしれない。この虚音は全くオーディオファイル向けではないが、私は好きだ。ベン ワットのトラックに合わせて見事に歌いまわすトレイシー ソーンの声の響きにはプラスチッキーな軽さと鈍器のような打撃力が同居しており癖になる。非常にクールでタテ乗りの楽曲が並ぶが、どれも微妙に重たい音であり、この無重力と重力の境界線にあるような雰囲気を出したい。21世紀のボサノヴァ。こういうオシャレな音楽の入ったCDをオーディオ的に突き詰めたシステムに入れ、あえて音量は控えめにして、BGM的に「なんとなく」流すと、さらにオシャレ感が増大してくるのが面白い。Hi-Fiオーディオはオカルト的かつ俗物的で、むしろカッコ悪いという、音楽ファンの立場からの批判があるが、こういう音楽を小規模なハイエンドシステムでサラリと鳴らすほど、クールなことはないと思っている。あえて言えば、PIEGAはとても合う。手前味噌と知っていても、そう言いたくなるほど。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:19 | 音楽ソフト

Anthem / Ralph Towner (ECM) [SHM-CD]

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ECMの放ったギターソロアルバムの白眉である。典型的なECMサウンドであり、マンフレッド アイヒャーのサウンドポリシーが浸透した音作りである。やや冷たい空気感の中に静謐な闇があり、その只中にラルフタウナーの呼吸音と弦音が交互に現れる。リズミカルに、しかし密やかに爪弾かれる弦の振動が視覚的に捉えられた録音であり、何を演っているのか、目に見えるようなシステムであった方がいい。また、システム全体としてSNが高ければ高いほど良く、JeffのCriterionをプリアンプに使ったシステムによる再生の美しさは未曾有のものだった。また、私にNagraの300iを心底欲しいと思わせたのもこのアルバムである。このアルバムで300i独特のリリシズムとコンパクトネスに酔おう。美しいジャケット写真を眺めつつ。
# by pansakuu | 2012-07-29 21:17 | 音楽ソフト