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HEDDphoneと暮らす:引き籠る世界のために

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金を失うのは小さく、

名誉を失うのは大きい。

しかし、勇気を失うことは全てを失う。


by ウィンストン チャーチル



どこにも行けなくなってしまった。


日本政府から出された緊急事態宣言以来、

百貨店も本屋も映画館も美術館もコーヒースタンドも、

そしてオーディオショップも臨時の休みというところがほとんどになった。

外はいい天気であっても、どこにも行き場がない。

もうとっくに春は来ている。昨日、蝶が飛ぶのを見たほどだ。

だが、どこにも行ってはいけないと四六時中、

耳元で囁かれているような気もする。

いや、日本全体、世界全体が何者かが作り上げた、透明な霧のようなバリアで覆われていて、外に出られないと言った方が正しいかも。

これは新手の、目に見えない地球侵略のようなものだよ。

空には巨大な満月、スーパームーンがかかっていたという噂や流星が多く見られるとかいう話を聞いたが、これも見ちゃいない。

夜の散歩や月見を法令で禁止されたわけじゃないのだが、

堂々と出かけていい雰囲気にない。

先日、新宿、渋谷、銀座へと「必要不可欠な」用事があって出かけたが、

電車は恐ろしいほどガラガラ、

あれほど繁華だった街並みもほぼゴーストタウンのようだった。

この終末感。

世界は自分の部屋に引き籠ってしまったのだ。

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とにかく行き所のほぼ全てが閉まっているので

締め出された私は家に閉じこもって本を読みながら、睡眠を削って音楽を聴いている。

HEDDphoneとマス工房のModel406は、そんな私にずっと付き合ってくれている。

HEDDphoneはとても重く、ヘッドバンドも短いが、音はすこぶる良きものと断言しよう。

そしてマス工房のModel406の落ち着き払った音調との相性もこの上ない。

私がここで聞く音は、繊細にしてワイルド、クリアーでありながら濃密、ホットでありながらクール。豊かな音色と音触のバリエーションを揃え、明確な音像の輪郭の描線と彫りの深い明暗のコントラストで魅せる。煌びやかでありながらも刺激的になりすぎない、このサウンドには、程よい音楽性も存在していたことを、購入して使い込むうちに気づく。

モニター的な匂いの音ばかりじゃないのだ。

音楽の勢いをバシッと表現するパンチの効いた男らしい音であるし、

楽音の流れ・動きに素早く追従するスピードも十二分に備わる。

ここでのマス工房のModel406の、HEDDphoneに対する働きかけは絶妙である。どのようなヘッドホンに対しても、その素性を見極めたうえであるかのように、やりすぎず、やらなさすぎす、過不足ないドライブが身上のアンプだが、その態度はHEDDphoneに対してはいつもにも増してくっきりと表れているように思う。

この丁寧で詳細な楽音の描写は、アンプのヘッドホンに対する正確さを第一するドライブ力の成せる技であって、結果としてカラーレーションが極度に少ないサウンドが得られている。それでいてフラットだけでつまらない音にもなっていない。音楽を楽しく聞くために必要な音楽性という媚薬、正しい音の在り方とは若干ズレた部分もスパイスとして微量ながら、精妙に混ぜ込まれている。

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またHEDDphoneを実際に使っていて頼もしいと思うこととして、音の安定性、機材としての強靱さがある。

HEDDhponeはどんな音楽を聴いても乱れることなく常に安定して音を出せる機材であり、音楽のジャンルや音楽の規模や編成、演奏される場所、音作りを選ばないで正確かつ面白く聞かせてくれる。しばらく使っているが、故障は全くない。昔使っていたLCD4のように、当初の音は良かったがすぐ故障し、修理して帰ってきたら音が変わっていたということにはなりそうもない。

さらに、こういう新しいテクノロジーを駆使した最新のヘッドホンでは、聞く音楽によって、あるいは湿度や温度の変化によって、急に音がカサカサしたり、いきなり音のエッジが重くなったりすることがあって、そういう気になる動きは故障につながるのではないかと疑ってかかるのだが、そういう故障の気配のようなものさえない。

こうして見ると、近年に発表された多くのヘッドホンの中で、このHEDDphoneの総合的な実力は抜きんでている。これで装着感や軽さがあれば言うことはないのだが・・・。

HEDDphoneに惚れ込むあまり、当初は故障時のスペアが必要かと心配して、別々のルートから二台を取り寄せたほどだが、この分だと故障しないから一台で良かったと反省する。


HEDDphoneにバランスリケーブルも試してみた。

純正の標準フォーンプラグのついたヘッドホンケーブルのものと、ほぼ同グレードと思われるケーブルを使った無銘の4pin XLRケーブルを特注して使ってみた。今回はブリスオーディオなどのハイエンドケーブルメーカーへの特注ではなく、ごく一般的なケーブル(カナレとかベルデンとかだと思ってくれればいい)をあえて使っている。HEDDが持っている元々の音調を良くも悪しくも変えずにバランス化の効能だけを測ることが目的だからである。(こういう場合はdmaaの作っていた平たいリケーブルが最適なのだが、もうあのケーブルは手に入らない。作り手がいないのだ。なんでも、いつまでもあると思わぬことだ。なお、Audezeのケーブルの流用も可能だが、アサインが異なるので、位相が逆転する副作用があるようだ。

バランス化した場合、その効能が如実に出るヘッドホンと、そうでもないヘッドホンに分かれるのだが、HEDDphoneは後者に属する。

これをバランス化すると力強さや音の広がりが若干増すが、シングルエンド接続と比して違いは大きくない。僅かでも上を目指したいならバランスリケーブルを検討すべきだが、とりあえずは必要ないと思った。つまり、純正のヘッドホン本体とケーブル・プラグの組み合わせはマッチングがとても良く、HEDDphoneの音質を熟知して愉しむためだけなら十分というわけだ。今のところ私はこれ以上のリケーブルの探索はしていない。

ただし、ブリスオーディオやトランスペアレント、キンバーなどの高級ケーブルを合わせたら違う結果になることも考えられるので、スライダーがさらに伸びるバージョンが手に入ったら、おもむろにそこらへんを試すことになるかもしれない。


とにかくこのヘッドホンについては装着が問題だと思う。

音がいいのにもったいない。

特にスライダーの長さがもう少し長かったらと時々考えるのだ

今は手元になにもないので不可能だが、3Dプリンターが使えれば、自分でヘッドバンドやスライダー、アームを改造することもできなくはないだろう。

ドライバー以外の部分を他のヘッドホンのそれと交換することもムリとは思えないほど、ハウジングとアームの接合部は単純な作りのようだから、一から自前で作ることも可能だ。そこにカーボンなどの素材を盛り込めれば、このヘッドホンに欠けている軽さも出せるだろう。そんなことも夢想してしまうほど、音が良くて、装着感はイマイチという評価に困るヘッドホンである。

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こういう不自由な装着が気になるHEDDphoneではあるが、現時点でも装着を工夫すれば、問題なくかぶることができる。図のようにヘッドバンドを少し前に傾けるようにして装着するとやや楽にかぶれる。ハウジングが耳に対して若干斜めに配置されるようで心配な気分もあるが、音は変わらない。そこは保証する。

私はそうではないが、頭頂部が痛くなりやすい人にも、こういうかけ方はお勧めできる。

また、このヘッドホンは重いので、アルバム一枚聞いたら首を休めるべく、ヘッドホンを下ろして立ち上がり、首回りの柔軟体操をすることも効果がある。

なお私はここ一年ほどスポーツジムで首を鍛えているので、HEDDphoneでの長時間のリスニングに耐えられるようになってきている。

ヘッドフォニアたるものそこまでやる必要はあるのだろうと私は考えている。


そうこうするうち、このヘッドホンに愛着も湧いてきたし、どうにかモディファイして音をさらに良くできないかという欲が出てきた。

とりあえずHEDDphoneは手元に二つあるので、そのうち一つのイヤーパッドを外して中を眺めてみることにした。

意外にも、この分厚いイヤーパッドは拍子抜けするほど簡単に外れる。こいつはヘッドホンのハウジングの周りにある溝にイヤーパッドの縁に付いているヒダを挟み込んで止めてあるだけであって、接着剤やプラスチックの爪なので固定されているわけではない。これならパッド交換作業は容易だろう。

ハウジングの中をよく見たが、それほど凝った構造ではないようで、大雑把に言えば、四角い金属製のハウジングの中に単純にドライバーが固定されているだけである。これだと改造は難しくなさそうだ。現代のヘッドホンではこのハウジングの材質、その内外の形状などに詳細な検討を加えたものが多いのだが、HEDDphoneについては、そういう作為が全然見えない造りだ。やはり全ての技術がドライバーに集約されているのだろうか。

なるほど、このハウジングでは明らかに鳴きがあるように思うので、試しにその外側の側面に振動吸収材であるfoQ(裏に粘着テープがついているタイプのもの)を大き目に切って張り込んでみる。案の定、その効果はあり、音像に多少の滲みが残っていたらしいことがわかった。音像の縁が僅かながらすっきりして、音場全体が若干だが静けさを増した気がする。だがなにか、少しばかり元気がない音に変わったような気分もある。僅かにあった華やかさが皆無になってしまうのか。これは好みの範疇だろうな。foQを貼る量や位置を変えると、また変わるだろうし、貼る場所をハウジングの内側にすると美観も損なわぬだろうが、それをやるとすると本格的にハウジングを開けなければ。それはやや危険だし、そこまでやる価値もなさそうだったので私はやめておいた。そのかわりスライダーを固定するため、目いっぱいに伸ばしたスライダーの露出した部分にキッチリとfoQを貼り、さらに黒いマスキングテープで注意深く巻いて固定することにした。こうすると手に取るたびに、スライダーの長さを調整する必要もなく取り扱いやすいし、

本当に僅かだが、音像の滲みも減るようだ。

ついでに音には関係ないが、横のメッシュの上にLとRの表示を貼り付けて右左・LRを分かりやすくした。

私は当然、送り出しからヘッドホン・スピーカーまでシステム接続時の右左は揃えている。途中でクロスすると気分が悪いからだ。

しかし末端のヘッドホンについては右左を決める表示があるにもかかわらず、その表示がかなり見ずらい場合が多く、確認に手間取ることがある。このHEDDphoneもそういうLRが見づらいヘッドホンの一つだ。この手のヘッドホンは自分のところで使う場合は糊残りのない特殊なL・Rのシールを見えやすい場所に貼って右左を一目で判別できるようにしている。


それにしてもHEDDphoneのサウンドは素敵である。

リケーブルはあえて必要なかったが、

DACやアンプのドライブ力を強化して、さらに潜在能力を引き出したい。

ここでまたDACやアンプにつなぐ電源ケーブルのテストとなってくる。

これが一番手っ取り早い音質アップの手法だと私は考えているからだ。

またこういう機運がないと、重い腰を上げて試聴のために方々に電話をかけたり、メールを出したりする気にならぬ。これはチャンスでありモチベーションである。


ArgentoのFMRやGOLDMUND THA2で試したStageⅢのトップエンド、クラーケン、その上のレビヤタン、Acoustic reveveの最高級電源ケーブルPower sensual MD、ちょっと古いがMITのORACLE AC2、NordostのORDIN、Esoteric の最新の電源ケーブル7N-PC9900。ここら辺は既にいくつかの場所・システムで試聴したものである。これらはかなり高価なケーブルだが、コスパが恐ろしく悪いとか、こういう雰囲気の音にはもう飽きたとか、取り回しが悪すぎて使えないとか、ヘッドホンのサウンドに音の傾向が合わないとか、ネガティブな感想を持ったものが多かった。だが、中には価格と性能のバランスと音全体のバランスが気に入って買ったものもある。例えばAcoustic reveveのPower sensual MDなどはそれである。これは普通に良いし、他と比べて値段が安い。コスパが高い。

だが、気がつけば、これらの既に試した電源ケーブルにない味わいを求めている自分が取り残されている。これで終わりたくない。もっと面白いケーブルはないか。

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ここでまたしてもCross pointの製品が浮上してきた。

このメーカーの最高級ラインにXP-PSC Flare limited 電源ケーブルという1.5mで90万円ほどのケーブルがある。

私はかねてから、このメーカーのラインナップにそういうモノがあるのは知ってはいたが、他のメーカーのケーブルを聞くのに忙しかったり、そもそも試聴できる縁がなかったりしたので、手が回っていなかった。なにしろ、外国のハイエンドケーブルメーカーよりCross pointのケーブルはマイナーで、販売店やマニアのリスニングルームで見かける期会も少ない。中古もほぼない。


たまたま縁あって私のリビングに届いたXP-PSC Flare limited 電源ケーブルであるが、外観としては一見してなんの変哲もないオーディオ用の電源ケーブルである。このブランドらしい所作ではあるが、やはり地味だな。黒い外被に覆われたやや太く、硬めの線体と黒いプラグで構成されており、メーカーのロゴもない。例えばアコリバの標準的なケーブルとパッと見ではまるで区別がつかない。唯一変わったところがあるとすれば、プラグから突き出た電極のメッキが厚く、ややザラザラした表面の質感であることぐらいだろう。(このメッキについて語り始めると一つのレビューになってしまう。今回はそれが目的ではないので、ここではサラリと流す。知りたい方はCross PointのHPを見たり、直接N氏に尋ねて欲しい。)

なお今回、私が偶然借りて試聴できたXP-PSC Flare limited 電源ケーブルは標準の1.5mモノではなく、1mのものであった。(そのせいで少しばかり安価に設定できるため、手が出せた。ヘッドホンなどをやたらと買って試している最中なので、ケーブルはそこそこにしておきたいのが本音だから。)そもそも硬いケーブルであることもあり、取り回し・接続にはいささか苦労したが、私の部屋では工夫して、なんとかうまく結線できた。


このCross pointのXP-PSC Flare limited という受注生産の電源ケーブルについては、他と比べて非常に面白く聞いたというのが正直な感想だ。

それというのも純粋に日本で日本人が設計・製造していながら、まるで日本人が日本で作ったケーブルに聞こえなかったのである。

ここが実に痛快であった。

つまり日本人が作るケーブルのツボを、ことごとく外しているのである。

私の中で、日本人が作ったケーブルが醸し出すサウンドイメージというのは、数少ない例外を除けば、クリアーで透明感が高く、素直で清潔な音というものである。解像感はかなりあるが結局、音の線が細く、処女のように清楚であり、音楽性はあってもやや淡泊なものであることが多い。このようなよく整った音のする日本製ケーブルを使うと、さしあたり指摘できる欠点こそないものの、何かオーディオの旨味が薄まったような、こじんまりしたサウンドになる場合がままある。ここは小綺麗であるが、井の中の蛙のようなサウンドであると表現してもよいかも。

とかく日本人のつくるケーブルというのは個性に乏しい。


これはオーディオ、ひいては一般的なモノの日本化という問題と相似形である。どんなものでも「日本化」された後は器がやや小さくなり、「井の中の蛙」的な雰囲気をまとうという話を外国人から聞いた覚えがあるので、さっきの表現を使った。それは日本人が日本社会の現状にあからさまな不満を抱いていないからだと言う人もいるが、彼は実はそうではないと主張した。もっと正しくは日本人は深いところで、怠惰なのだとまで言い放ったのだ。まあ否定はすまい。思い当たるふしもなくはないからな。

とにかく、日本のケーブルには音楽のスケールとか、音楽性の深さとか、生々しい迫力とか、他にはないと思わせる突出した音の濃さとか、そういう海外のハイエンドオーディオが得意とする音の要素は期待できない場合が多い。

しかし、このCross pointの電源ケーブルについては、そういう部分での欠乏がことごとく補完されており、実にエキサイティングなのだった。


このXP-PSC Flare limitedをdcs Bartok+に挿し、HEDDphoneを直接挿すと、音楽とリスナーとの距離がグッと縮まる。DACとHPAに一挙にこのケーブルの影響が及ぶからだろう。この点でやはり一体型はいい。音質改善の効果がてきめんに出る。

ここに現れる距離感はヘッドホンが得意とする間合いである。

長剣で大きく間合いを取る相手の懐に、鋭い短剣をつかんで飛び込み、一撃で勝負をつける暗殺者のようなイメージがHEDDphoneという機材にはあるのだが、この距離感覚がXP-PSC Flare limitedを挿すことによって、さらに増幅される。このセットではステージ前の最前列で音を浴びるというよりは、さらに近く、とうとう奏者の隣にまで来てしまったような錯覚が起きる。こうなると録音よっては、驚くような大きな音が出ていたことを耳元で再認識させられることになる。HEDDphoneからエネルギッシュでカラフルなサウンドがほとばしるようになった。

長らくヘッドホンから聞こえる音を、生演奏を聴いている状態に近づける努力を続けている私であるが、その意味ではより理想へと接近できたように感じた。この上質かつ理想的な騒々しさとも言うべき体験を、電源ケーブルを替えることによって得ることは難しい。


また全域にわたる解像度の高まりとインパクトのある低域のコンビネーションに、耳介が充血して熱くなってくるような興奮を覚える。湧き上がるエコーとヴァイヴレーションが、ディテールを保ったまま衝撃として耳に届くからだ。

出音は瑞々しく鮮度を高め、デジタルという音の冷凍保存と解凍を経たサウンドとは思えないほど生き生きとしてきた。

さらにこの音像のスケールアップはどうだ。音場が左右に広くなっているのではなく、音像自体が覆いかぶさるように広がって、原寸大のスケール感を出している。音場よりも音像の存在感の拡張が著しい。

オーケストラの演奏の優れた録音やパイプオルガンの演奏などスケールの大きな音像を含む音楽を聞くと、

MSBのReference HPAでしか得られないだろうと思っていた、音像の実体感を保った音の広がりに近づいてゆく。

そして、この濃ゆい音は私がいつも求めている深い音楽性へとつながってゆく。最近は抜けるような清々しさよりは、荘重さや威厳に満ちたサウンドに惹かれるのだが、その意味では、まさに求めていた音だ。

また、この電源ケーブルは、HEDDphoneを鋼鉄のディシプリンで統率するかと思えば、突然に目も綾な洗練に引き付け, 驚かせてくれたりもする。

ここらへんは変幻自在なサウンドとも言えるだろう。

なるほど、dcsのシステムが、この電源ケーブルの熱さとは相反する冷静なキャラクターの持ち主であることが効いているのか。

まるで氷と炎を力任せにぶつけた結果のように、予想不可能なまぶしさをほとばしらせるサウンドとなった。

このケーブルを使うことでHEDDphonにサウンドに後からなにかが加わったのか、それとも、もともとHEDDphoneに存在していたものが顕在化したのかどちらなのか私には判然とはしないがおそらく両方なのだろう。

なんと面白い。


このケーブルはいままで聞いてきた、ハイエンド電源ケーブルとは音質における力点の置き方が根本的に違う気がする。音場の広がりやスピード感、音のテクスチャー、ダイナミックレンジなど、各々のケーブルでウリとする長所があるものだ。だが、音像との距離感を縮めることに注目し、音像が放射するエネルギーを最もダイレクトにリスナーの鼓膜が浴びられるよう、注意深く練り上げたサウンド、こういう音には覚えがない。これは孤高のケーブルであり、このようなサウンドを周りに遠慮なく作り上げることには、多大の勇気が必要なはずだ。すなわち、このような、だれも意識していなかったポイントを一突きでズバリ突いたようなサウンドを作り上げた者には、その勇気が備わっていたということだろう。


強いて類似するケーブルがあるとしたら、かなり以前に中古で使ったアレグロ電源ケーブルだろうか。

あの男っぽい音、否、男ではなく漢(おとこ)とでも字を充(あ)てるべき蛮勇を誇る音を、現代の感覚で複雑化し洗練させたのがCross point製XP-PSC Flare limitedのサウンドと言ってもよいかもしれない。

世界的にハイエンドオーディオでは、取り澄ましたような寒色系のHi-Fiサウンドが多いなか、そして、こういう春なのにお寒いご時世のなか、こういう厚く・熱い音、音圧を風として感じるような距離にまで音像に接近できる暖色系サウンドを見つけられたのは単純に嬉しかった。


引き籠って数日聞くうちに、この電源ケーブルはdcs Bartok+のヘッドホンサウンドのイメージを少なからず変えてしまった。dcsらしい冷静かつ穏当な音楽性から、ホットでディープな音楽性を引き出したのである。さらに、この音像の勇々とした生々しさはMSBのReference HPAに匹敵するレベルであろうとまで思うようになった。音場の広さこそ及ばないが、少なくとも早急にMSBを導入することは躊躇されるレベルにまで、音質は引き上げられ、音楽的表現は多彩さを増した。

この電源ケーブルはもう外せない。

価格が価格だけに届いたその日に即決はしなかったが、熟考しても答えは変わらなかった。

結局XP-PSC Flare limited の誘惑に私は勝てなかったのである。


こうして音楽を聴き、本を読みながら(なぜかアレクサンドロス大王東征記を読んでいるが)引きこもっていれば、この苦しい状況が終わると信じるほど私は楽天的ではない。

だが、そうやってやり過ごすほかないという事情は呑み込んでいる。

こういう状況、つまり自分の住居に多くの人が四六時中、残っている状態では、大音量の音楽再生は禁忌とされよう。

防音室をもっているオーディオファイルが、最近、近隣から苦情を受けたと言っていた。皆、自宅に朝から晩までいるせいで周囲の音を聞く機会が増え、

また外に出られないストレスもあって、神経質になっているのだろうか。

防音室といえども完全なものばかりではないと聞いている。

こういう時はヘッドホンは良い選択肢だ。コロナショックは図らずもヘッドホンの音質以外のアドバンテージを炙り出す。


さて、この仄暗いリビングで、いくばくかの不安を抱えながらHEDDphoneを聴く私は、一体何をすべきだろうか。

ひとつは、自分の愛するオーディオ、ひいてはモノ作り全体を滅亡から救うことだろう、間違いなく。

私が恐れるのは全てがようやく済んで、皆が外に出てあたりを見回した頃には、この状況が襲って来るまでは当たり前に手に取ることのできた、

素晴らしき不要不急のモノの多くが

既に消滅しているかもしれないということだ。

マスクと防護服と人工呼吸器しか作るべきものがないような現状。

オーディオのごとき不要不急のモノ作りはこの厳しい状況では真っ先に切り捨てられてしまうだろう。

いつでも買えるモノだと日和見していた機材が、

いつの間にか市場から消え去っている恐れ。

それは杞憂ではなく現実化しつつある危機だ。

HEDDphoneを日和見しないで買っておいてよかった。

何か具体的にオーディオ機器を購入するという動きは、

ハイエンドオーディオの衰退を遅らせるのに、すぐにも必要なことだ。

これはオーディオという利己的な行為の極みが、利他を生み出すという不思議な動きである。利他主義が合理的な利己主義であるとアタリは言っていたが、これはその実践なのだ。

全世界を覆う不安心理は、オーディオファイルの購買意欲も著しく劣化させているだろうから、機材の売り上げは世界的に大幅に落ち込んでいることだろう。確かにこのマインドの劣化は高価になりすぎたオーディオ機器の価格を下げるという作用もあるだろうから、歓迎するという見方もあり、私も部分的にはそれに同意する。

ただし、収入がなくなって廃業するメーカーや代理店・販売店が増えるという予測も成り立つ。それは少しも良いことではない。

オーディオの多様性が失われることになりかねないからだ。

高価格帯から中価格帯、低価格帯にかけて、多様な製品が持続的に開発、発売され、趣味の傾向を問わず、全てのオーディオファイルがそれら全ての製品に容易にアクセスできることが望ましいのである。しかしそのようなことはもう起こらないかもしれない。日に日に未来は不透明さを増し、予断を許さぬ。


このコロナショック、まるでサノスがインフィニティ ガントレットをつけて指を鳴らしたような災厄の後、なにもかもが、多かれ少なかれ変わってしまうことだろう。

もう世界は元には戻らない。

我々は、もしうまく生き延びて、その日を迎えられたとしたら、外に出て、ウイルスによって更新された世界を目の当たりにするだろう。

そして、自分が過去に得た知識とモノを用い、

状況に順応して生きていく方策を考え始めることになるだろう。

では、この途轍もなく大規模かつ巧妙な、見えない侵略が去った後、生き残るオーディオとは、いったいいかなるものなのか。

それはわからない。誰も知らないのだ。

今の時点で確かなことは何も言えない。

ただ、私にとって確かなことは、

この胸のうちにある不安を振り払うかのように

耳元で奏でられるHEDDphoneの音、

その勇気凛々のサウンドぐらいなものなのである。

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# by pansakuu | 2020-04-25 15:21 | オーディオ機器

MSB Reference headphone Amplifierの私的インプレッション:始まりの終わり

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「エヴァシリーズ・・・・完成していたの・・・・」

By 式波 アスカ ラングレー



Introduction


私は朝、紅茶を飲まない。

コーヒーを飲む。

同じようにスピーカーやイヤホンはノーサンキューで、

ヘッドホンで音楽を毎晩聞いている。


皆、面と向かっては言わないが

私はハイエンドオーディオの世界ではよそ者だ。

ここでは未だにスピーカーが主流である。

でも、だれがなんと言おうと自分らしさは忘れたくない。


そんな感じで、

ただ無心にヘッドホンオーディオを聞き続ける私のあたりまえの生活があって、

今日まで、そこには迷いや疑いはなかった。

この所作、習慣というのは、

カネを得ることが目当てではなく、むしろ失うためにあるとさえ言えよう

これは他人からみれば浪費でしかない。

だが、それでいい。

もちろん、私へのリスペクトがこの世界のどこにもなく、

遠くからのまなざしで、誰かが静かに分かってくれているわけでなかったとしても。

それでも私はひとりで自分らしい答えを探し続ければいい。

興味を少しでも持ったものなら、できる限りをして、

時に身銭を切っては、その機材を自分のものとする。

限りある人生に贈られた神聖なチャンスを失いたくない。


ここで私は、ある機材について思いを巡らせている。

そしてあろうことか迷っている。

の機材とは私がヘッドホンに求めてきた最も高いレベルのサウンドより、

さらにハイレベルな音世界があることを突如として指し示した

MSB Reference headphone Amplifierである。

こんな音の世界がヘッドホンにもあるのか!

私は素直に驚いたが、逆に疑いも抱いたものだ。

そのアンプの指し示す音に、ではない。

自分が描いてきたヘッドホンの音質の枠組みというものにだ。


ただ無心にここまでやってきて、もうそろそろ音質の多様性だけでなく、ヘッドホンの音質の上限自体にも、うすうす限界を感じてきたところだった。

進んでいる道の先行きがだんだん細くなり、歩きにくくなってきたあたりで、このアンプを聴いて、不意に大きく視界が開けた、そんな気もした

が、すかさず振り返って、自分が目指してきたヘッドホンサウンドの理想そのものを考え直す必要も感じるサウンドでもあった。

今までも予想以上のサウンドをヘッドホンから聞いたことは何度かあったけれど、それらは全て私の理想の範囲内には収まっていた。しかし、この機材から生まれる音は私の理想とするヘッドホンサウンドのさらに先をゆくものと聞こえてしまう。したがって、このサウンドが今までのヘッドホンサウンドの枠組みのどこに位置付けられるのかが私には、とんと分から

さらに、これはヘッドホンアンプという品名で売られることになっているが、正しくはヘッドホンパワーアンプと呼ぶべき新しいジャンルの製品であることにも追い打ちをかけられたし、戸惑う。この機材を自分のシステムにどのように組み込んだらよいのか。

このMSB Reference headphone Amplifierはハイエンドヘッドホンの音質の限界を一段と押し上げ、新しいヘッドホンオーディオの機材のジャンルを確立した歴史的な製品となるだろうが、同時にこれは保守的なヘッドホンの見方からすれば久々の問題作であるとも言える。そもそもハイエンドヘッドホンに保守的な立場などあったはずはないのだが、そういう意識をもたなければならないほど、これは真新しい音なのだ。



Exterior


MSB1986年にアメリカ西海岸で起業して以来、ずっと注目すべきオーディオ製品を作ってきた。中でもDACについては常に一目置かれる存在ではあった。しかし、ここ数年の飛躍、特に世界中のハイエンダーたちから究極のDACとして名指しされるSelect DACの音質には目を見張るものがある。

従来のMSBのサウンドイメージを大きく高めた、このSelect DACの開発過程にヘッドホンオーディオが関与していたことはあまり広く知られていない。

このDACを作る過程で、スピーカーを置いた部屋の音響特性による影響を除いた音質評価のため、専用ヘッドホンアンプが存在したのである。ただし、それは当初は、あくまで社内での音質評価用に特別に試作したものであり、それ自身にはボリュウムがなく、DAC側で音量調節を行い、つなげるヘッドホンもSTAXのみという特殊なものであった。

これは米国において、ごく一部のヘッドホンの貴族たちが試聴の機会を得たのみであったが、Select DACの凄まじい音質力とあいまって極めて高い評価を得たらしい。

高評価に気を良くしたMSBはこの機材をSelect DACを買った顧客に対して製造販売することとし、控え目なアナウンスが日本にもあったのかもしれない。Select DACは日本においてもそれなりの台数が出ていたのである。

私はSelect DACを初めて聞いて以来、ずっとこのDACに強い関心を抱き続けていたので、情報を早い段階でキャッチしていた。

しかし、代理店に試聴を申し込んでも、色よい返事は帰ってこなかった。

アンプがあまりにも特殊で高価であるうえ、日本のハイエンダーにヘッドホンオーディオへの関心が薄く、このHPAを日本に借りてきて試聴することはかなわなかったのである。このアンプの貸し出し可能な在庫を日本の代理店が持つなどもってのほかという感触であった。

エッジな趣味をやっている人間はこういう孤独と疎外感と無理解をつねにストレスとして感じなければならない。と同時に、そのストレスを新たなる情熱の燃料とする術も心得ていなくてはならない。

私は待ち続けることにした。

Select DACの価格を度外視した世界的な成功から見て、必ずこのHPAの下位モデルがオンステージする日がくるだろうと。

そしてほどなく、その日はやってきた。

MSB Reference headphone Amplifierの私的インプレッション:始まりの終わり_e0267928_15464496.jpg
実際のMSB Reference headphone Amplifierのデザインは基本的にはシリーズであるMSB Reference DACを踏襲している。私にとっては、例の平たい削り出しの2ピース構造、端正かつミニマルな外観の箱は馴染み深いものだ。正面にはディスプレイもなく、電源投入時に光る小さなLEDと電源ボタン、端子のみ至って簡素であるが、そこがMSBらしい.。ヒートシンクとしてのホールが筐体を貫通して多数開けられているのだが、ドライブ中、筐体は全く熱くならない。さすれば、こんな大げさな放熱はいらないようにも思えるが、素子の温度管理を厳格にしたいのだろうか。またこの箱にはブランドロゴが大きく印刷あるいは刻印されている場所がない。この筐体のシェイプがアイコンだから、そんなロゴは必要ないどころか、美観を損ねるものだと言いたいのかもしれない。こういうあえてシンプルな外観をもつ機材は、メーカー側で、音によほど自信がある場合が多い。

さらに梨地の筐体の表面を掌で触ったり、指の関節でコツコツ叩いたりしてみた感触から、その剛性はすこぶる高いものと思われた。Re Leaf E1を上回るかもしれぬ。回路は天板に吊り下げる形でマウントされており、この基盤の取り付けの手法はLINNKLIMAXシリーズなどに見られたものであるが、今やハイエンドオーディオでは常套的なものである。

XLR4pinのヘッドホン出力端子が正面に二個、そしてリアパネルに1個ある。

正面の二個は異なる特性を持つヘッドホンに対応するために、異なるインピーダンスを与えられている。また、説明によるとリアパネルにある端子は正面にヘッドホンケーブルが垂れ下がって美観を損ねるのが嫌だというオーナー向けだという。こういう配慮はヘッドホンアンプで初めて見たが、それくらいオーディオ機器の外見の美にこだわっているのだろう

なお、上位機にあるSTAX用の端子はこのアンプには認められない。

より多くのヘッドホンアンプに対応するということが目標らしいので、当然といえば当然か。でもシングルエンドのジャックがない。つまり内部はバランス構成というわけか。

私の試聴した個体では足はゴムの四つ足であり、砲弾のような形の先の尖った形をしていて、同シリーズのDACに直接スタックして置くことができる。柔らかいので下にあるものをキズつけることがない。(金属製のスパイクも純正で用意されているとの情報もあるが未確認だ。)

また、この足はわざとゆらゆらするようにできており、外からの微細な振動をキャンセルするようだ。

あと、珍しい機能としてバイパスがあり、このヘッドホンアンプをスルーして、下流のパワーアンプに信号を流すこともできる。これはスピーカーとヘッドホンを同じ部屋で使うリスナー向けの便利な機能である。


なにより、このアンプの一番変わっているところは、ボリュウムがないことだ。すなわちボリュウムは上流のDACあるいはプリアンプで調整することになる。形もミニマルだが機能もミニマルであり、このミニマリストぶりは音の純度に影響しているのだろう。

そういうわけで、これは形式上は普通のヘッドホンアンプとは言えず、ヘッドホンパワーアンプと呼ぶべきものだ。私の知る限り、このような製品は初めて発売されるものだろう。

新しい製品ジャンルがここに現れた。


私はこのヘッドホンアンプを二回、異なる上流機器で聞いて音を確認している

一回目はシルバー仕上げのMSB Discreate DACPremier Power Base(このペアはDiscreate DAC plusという名前で近日発売されるようだ)USB入力をMSB独自のデジタル伝送システムPro ISLに変換するアダプターをかませて普通のパソコンからデジタルファイルを演奏させ、ブラック仕上げのいReference headphone Amplifierに入力している。

もう一つは強化電源を奢ったEsoteric Grandioso K1x(音質は二筐体のGrandioso P1x +D1xに近いレベル)をトランスポートとし、

最高級バージョンのクロックでグレードアップしたブラックのMSB Reference DACにデータを流し込んで同じブラック仕上げのReference headphone Amplifierにつないでいる。

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どちらも素晴らしい音だが、私にはProISLPremier Power Baseの相乗効果が、強化電源を奢ったEsotericを上回ったように聞こえた。このセッテイングではReference DACより下位のMSB Discreate DACの方がやや音がいい。

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少なくとも現時点ではデジタルファイルを用いたリスニングにおいてUSB入力をPro ISL変換するアダプターをかませてMSBDACに入力する方法は至高のものに思える。情報量が沸き立つように多く、しかも音がしっかりと整理されている。Pro ISLを使ったシステムの音の良さは別電源を使ったテレガトナーのハブやEsotericのネットワークオーディオ機材、DELAのミュージックライブラリを用いた比較試聴でも明らかになってきたことだが、ここで詳細を述べている暇はない。とにかく現在ほぼ最高級と考えられるCDトランスポートやネットワークオーディオシステムとの比較試聴ではMSBPro ISLの優位が際立つ結果になっているとだけ述べておこう。

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だからMSBヘッドホンシステムの音の良さは上の写真にあるProISLによるところもありHPA貢献する部分は限定的かもしれないことは一応、意識すべきだろう。

また、Premier Power Baseについては下位の小型の別電源を二個用意するよりも明らかに音質が良い。低域の動きの速さやノイズの少なさの点では格段の差がある。高価だがPremier Power Baseには価格相応の価値がある。これも頭の片隅には入れておこう。


MSBのマニュアルを読むと、このReference headphone AmplifierMSBDACにのみ使うべきだと書いている。「Can ONLY be used with MSB DACs Supported Formats」という文言なのである。これは気になる。だから少なくとも試聴段階ではMSB純正の組わせで行くべきだろう。これがMSBの機材が余計に売れることを期待したセールストークかどうかはさておき、この記載の理由の一つはReference headphone AmplifierXLR入力のインピーダンスが300Ωと高く、インピーダンスマッチングが必要と考えるからだろう。MSB Reference DACの出力インピーダンスは300Ωであると聞くので、ますますそう思うわけだ。だがDiscreate DACの出力インピーダンスは150Ωであったのに全く音質劣化は感じなかった。むしろ良い音としか感じなかった。ここでは原則に帰って、インピーダンスマッチングにおけるロー出し・ハイ受けの法則を思い出そう。例えばNAGRA HD DACのような出力インピーダンス5Ω程度のものにこのヘッドホンアンプをつないでも恐らく十分に実力を発揮できるのではないかと希望的な観測を私個人は持っている。

リスニングはHD800sHD660sFocal UTOPIAD8000で行っており、どれでも素晴らしい結果が得られる。だが、このアンプの音の自然な広がりという最大の長所を一番引き出すヘッドホンを強いて挙げるとしたらHD800sになるだろう。ここで鳴らしたHD800sは、今までのこのヘッドホンのイメージから大きく飛躍したサウンドを奏で。大いに気に入った。だから今回は断わりがない場合はHD800sでのインプレッションを書いていると思ってほしい


このパートの最後に付け加えるとするなら、このヘッドホンアンプについてはMSB輸入元のアクシズのHPには記載がないが、購入を検討している人は安心して欲しいということだろうダイナやフジヤなどのオーディオの販売店を通して問い合わせれば応じてもらえるし、特注のような形で注文して、代理店経由で購入すること可能であるという。価格は200万円を下回り、マス工房のModel406よりも安い.



The sound


猛烈に自然な音、かつてのヘッドホンサウンドと比較すれば無慈悲なほどリアルなサウンドに取り囲まれるリスニング体験。

それがMSB Reference headphone Amplifierの音の第一印象である。

この音はヘッドホンとしてはとにかく広い。別な言い方をすれば、十分に音響が整った二十畳ほどのリスニングルームで優れた大型スピーカーを大音量で聴いている感覚にかなり近づいてきている。

つないだヘッドホンの装着感が十分に優れているなら、音が耳元のヘッドホンから出ているような感じがほとんどしないのである。

今までのヘッドホンサウンドで実現できた最も大きな音場よりも、さらにもっと大きな空間全体に音が響き、その上で定位もしっかりと分かる状態である。

これだといわゆるヘッドホンの頭内定位という欠点も解消したのではないかと呟きたくなるほどだ。このようなヘッドホンの常識を逸脱したような広がりを持つサウンドを私は今まで一度も聞いたことはない。ここでヘッドホンはスピーカーだけが提示しうるとみられていた広大な音場の領域についに踏み込んだと言えるだろう。これを聴く全てのヘッドフォニアは自分の眼前に広がる音の風景が大きく変わるのを見るはずだ。

このアンプを使うと録音によっては左右方向の広がりだけでなく奥行き、上方、下方に拡張する音響空間を感じることができるようになるのも分かった。ここまでの自然な音の広がりを私はヘッドホンについて想定したことがなかった。

ハイエンドヘッドホンの枠組みを変える必要を感じたのはまさにこの革新的な空間性を認識した瞬間からであった。

例えばこのシステムにHD800sをつなぎ、イーグルスのライブ録音の名盤「Hell fireezes over」でいつものHotel Californiaを聞く。

まず、曲の始まる前から客席のざわめきの遠近感のリアリティにハッとして耳を奪われる。

小さな音ひとつひとつに広大な音場の中で正確な位置が与えられ、満天の星々のようにきらめいている。その音の星々の後ろに広がる漆黒の空間からHotel Californiaのギターイントロが立ち上がり、そのときに湧き上がる歓声と溶け合った奇跡には震撼とさせられた。こういうライブな興奮をダイレクトに感じるような経験はヘッドホンでは覚えがない。このサウンドは精密にセッテイングされ、注意深くエージングされたトータル数千万のハイエンドスピーカーシステムが提示する音の世界に肉迫している。

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私がさらに驚くのは、これほどの広がりとリアリティを持つサウンドが一つのコンセントしか持たない、一つの筐体、一つのヘッドホンジャックから生まれるということだ。

私は事あるごとにヘッドホンアンプのモノラル化を試してきたのに、その実験の中でこのようなサウンドたことがない。ラックスマンのP700u2台用意してのモノラル使いから始まり、RNHP2台、マス工房Model3942台、ReLeaf E3×2など、ヘッドホンをモノラルで駆動したシステムを試聴して来ている。さらにMeridian218をモノラル使いにして二系統のBNC出力を持つCDトランスポートにつないだりして、送り出しまでもモノラル化してみたことさえある。だが、こうして送り出しにまで手を加えても、こらで期待したほどサウンドステージが広がらない場合が多い。

ではいったいどうやったら、こんなに広々と広がる音が出るのだろうか?

わから。不思議だ。

思えば、MSBSelect DACを聴いたときにも、この機材を設計した人は、世界で誰も知らない、オーディオの秘密にただ一人触れているに違いないと感じたものだった。

おそらく、このアンプについても何かしらMSB独自の特別なノウハウが駆使されているのだろう。

オーディオを長くやっていると、激しく感動するのだが、反面、機材のどこを眺めても、どうしてこんな音が出るのか完全には説明がつかないという奴時々出会う。MSBSelect DAC他にFM acousticsの一群のアンプやCostellationPerseusなんかがそう。こういう音の不思議さというのは後世に残る不朽の名機の特徴なのだろうか。


このヘッドホンアンプでもうひとつ驚かされるのは聴感上でのダイナミックレンジの広さである。

ダイナミックレンジとは最も強い音と最も弱い音の範囲をデシベルで表したものである別な言い方をすれば、出音の最小レベルは機器が発するノイズであり、逆に最大レベルは、機器が出しうる音の歪みが発生しない最大値であり、この差がダイナミックレンジということにな

したがって、このMSBのヘッドホンアンプは、この種の機材として、かつてないほど歪みが少なく、ノイズが極めて低いということになる。

たしかにマニュアルを読むとダイナミックレンジの広さを数字で大きく謳っている。

だが数字で云々以前に、これは一聴して分かるレベルレンジはかなり広大だと思う

例えばこのヘッドホンシステムで聞いたある曲の冒頭にある、静寂からの大太鼓の一発のリアリティは今までヘッドホンからは聴いたことのないものだった。この爽やかでありながら腹に来るインパクトがヘッドホンのサウンドであるとは信じがた。そしてこれは明らかに私を仮想的に取り囲む大きなエアボリュウムを伝わってきた音のように聞こえ、体全体でそれを浴びたような錯覚におちいる。この魔法のような感覚、初めて味わうものだが、これはアンプのダイナミックレンジの広さによるところが大きいだろう

また音の立ち上がりのダイナミクスも素晴らしい。

に音のスピード感で優れるだけでなく、十分な音圧を伴う音の起始部の力強い流れで感動を引き寄せる。このアンプに与えられたパワーも今までのヘッドホンアンプの限界は超えていると思う。

おそらくSUSVARAを含めたどんなヘッドホンでも制御してしまうだろう

なにからなにまで規格外の実力があるアンプなのだ。

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それにしてもノイズが低い。これはかなりのレベルである。Bartokに直接ヘッドホンをつないでも随分とノイズは低いと感じるのだが、さらに上があるのだ。あれよりさらにもっと背景が黒い。もちろん、送り出しをストップした状態でボリュウムをいっぱいに上げても、今回の試聴環境においてはいくら注意しても全くなにも聞こえなかった。ノイズ皆無の澄み切った音響空間に音が立ち上がり、爆発と消退を繰り返しながら流れる様は視覚的ではあるが、それを脳内でイメージに変換する必要もなく楽しめてしまうところが素晴らしい。これまでになく音を純粋に音として楽しめるアンプであり脳に負担が少ないサウンドである


意外だが、このサウンドに解像感あまりない。殊更に音の細部の描写を誇るそぶりがないのだ。そもそも音の輪郭に強調感が皆無。にも関わらず、音像はあくまでクリアーあり、そこに音があるという存在感が恐ろしいほどだ怖れを感じるほどのリアリティが音に宿る。

思えば、今までのヘッドホンサウンドというのは音の拡大鏡としての役割が大きかった。スピーカーでは捉えられない音の細部にどこまで入ってゆけるツールとしての位置づけはスピーカーに対する優位性であり、失ってはならないものだ。

しかし、このMSBのヘッドホンサウンドは、そこには敢えて重きを置いていないように見える。細部を捉えないのではない、むしろ意識を向ければ、ディテールに入ってゆくことはできる。ただ、それのみを売りにするのはやめたのである。このアンプには他にも極上の音質要素がある。この空間性、ダイナミックレンジ、バランスの良さ、癖の少なさなど、どれも最上級のレベルに高められたうえで、バランスよく並立している。

思えば今までのヘッドホンサウンドの弱点は音の細部を捉えることに固執しすぎていたことかもしれない。音楽には様々な聞き方があり、それらの多くを満足させるためには、より多くの音質の評価項目をバランスよく満たす必要がある。

このサウンドはそういう困難なミッションを最初に実現した機材であるかもしれない

だがそれは、今までのヘッドホンサウンドの方向性の遠回しな否定にもなるだろう。

我々は知らず知らずのうちに自分が創った安全領域の中で満足してきて、はみ出すことがなかったことを気づき、恥じなくてはならない。あらゆる物事は未来からの挑戦を受け変わって行かなければならないのだろう。

このアンプのサウンドの持つ意味は深い。


このヘッドホンサウンドに接すると、今までのヘッドホンのリスニングには見立てるという脳内の作業が多分に含まれていたなという気づきもあるヘッドホンサウンド存在する欠点、なにか足りない部分を脳内で補完し、スピーカーを聴いているとか、ライブ会場で音楽を生で聞いているとかいう様々なシュチュエーションに見立てることによってはじめて、リスナーにとって十全なサウンドを得ていた側面があったと知る。それは音場の自然な広がりと定位であったり、音の大きさや小ささのこれ見よがしでない対比、音楽のありのままのダイナミクスなどだったが、それらが脳内の補正によりハイエンドヘッドホンの出音に存在するものとして感じられていた部分がある

それはスピーカーなど、より「上位」の再生を聴いている状態で感じられる要素の脳内補完であった。オーディオに熟達すればするほど、この脳内補正は無意識にかかってくるものなので、機材を評価する際は気をつけていた。だが突然に自分の作った補正の枠組みを破壊するようなサウンドを聴かされると、より明確に、その補正の存在と拙さが露呈した

それも私を戸惑わせたことのひとつであった。


こうしていると、聞いている音楽に対して、その演奏の内部に深く入り込み演奏者の指や肺の動きを詳らかに感じる客観性と、音楽が私の心の中に巻き起こす主観的な感情とが、互いに主張しあいながら、緊密かつ分かちがたくブレンドされてゆくのが分かる。

音楽を脳内で補正するという作業が減り、脳の処理に余裕ができているのだろうか。

音楽の聴こえが変わると、聞き方も深いところで変わってくるものだ。


このアンプのサウンドについてオーディオ雑誌や一般的なオーディオブログみたいに、分析的な書き方で表現することは可能だ

音質の評価項目ごとに箇条書きにするとか、大小を表す<や>などの記号やチャートを使って表すこともできるだろう。しかしそういう評価の書き方はいずれはAIによってなされるようになる、いわば機械的な仕事であって、いやしくもオーディオを愛する人間である私がやるべき仕事ではないだろうと思う。だからもう少しなにか分析的というよりは感情的な書きぶりをすべきだと私は考えるAIには感情が恐らくない。それが人間との大きな違いだ。しかしオーディオは最終的には人の感情をかきたてる何かでなくてはならない。だから私がどんな風に感情を突き動かされたのかを今は語るべきだろう。このような文学的な視点がオーディオには常に必要なのだと強調したい


私はこのサウンドを聞いてまず大いなる音場の余裕と音像の迫真性が今までになく高まっているのを知った。そこでまず私は焦りを感じた。dcs Bartokやマス工房 Model406を買ったのは、まってしまったのではないかと。

次に少しばかりの安堵」を感じた。それは試聴しつつ、この機材のマニュアルなどを読んでみて、その機能が特殊で、接続の自由度が低いことを確認したからだ。出力は4pin XLRのみで、入力はXLRアナログのみ。アンプ自体にボリュウムがないので、前段には音量調節機能があるプリアンプやDACでなくてはならないし、できればMSBの純正のDACあるべきだということ。これは今、私の手元にある機材の汎用性と比べればかなりマイナスの要因である。

しかし、慌てることはないと思いながら改めてアンプの出音に没入すると、

あまりに素晴らしいサウンドに再び打ちのめされ、これは手に入れて自分の部屋で試さなければならないという欲望がふつふつと沸いてきて、沸点を越えそうになる。

沸点を過ぎたとしたら、私は「買います」というセリフを呟かなくてはならなくなるだろう。試聴とはオーディオ機器とオーディオファイルの心理ゲームであり、「買います」というのはファイルが負けを認めた合図なのだ。

まさに土俵際である。

あわててヘッドホンをとっかえひっかえして冷静になろうとするが、HD800sなどをつないで聞いてしまうと、これまでにない音の完成度に「頭に血が登って」しまう

ヘッドホンにここまでサウンドを期待してよいとは思わなかった。

ここにあるのは録音現場のスタジオモニターでプレイバックを聞いているような、粗削りな生々しい音ではなく、巧みにマスタリングされ、音の各要素のバランスが保たれた生々しさのある音であり、非常に上手い音にも聞こえる。だがそこにはあざとさはなく、リスナーが音楽にスッといつの間にか没入させられてしまう自然さが大きなウエイトを占めている。私はどうしたらいい?迷いに迷う。


音質について最後に付け加えるとすれば、このスムースすぎるサウンドになにも感じない人がいることについてだろう。よくあることだ。例えば私の現在のフェイバリットであるdcsBartokでもそうなのだが、耳当たりの自然さやシームレスなキメの細かさ、音の正確さ・忠実性を優先したサウンドは、パンチのある音、インパクトのある聞き味、はっきりと言える特徴を持つサウンドを求める人々、あるいはそういうサウンドにしか接してこなかった人たちには良さが分からない可能性はある。

私はそういうリスニングに反対というわけじゃない。その人とは今は住んでいる世界が違うと思うだけだ。もし、そういう音の特徴のためだけにカネを使うとすれば、その人たちとはあまり話すことはないのかもしれない。そもそもオーディオのツボが彼らと私は違う。

そして、もし彼らに私から贈る何かがあるとすれば、さらに多くのモノに触れ、聞き、思いを巡らせたならば、いつの日か必ずdcsMSBのサウンドのすばらしさに気づくだろうという予言めいた言葉だけだろう。



Summary:


最近、私が購入したりブログに取り上げている機材は、少なくとも音質面においては、今までになかった能力を持つものが少なくない。

dcs Bartok DAC+しかり、HEDDphone,しかり、Mysphre3しかり、RAAL SR1しかりである。

しかし、今回紹介したMSB Reference headphone Amplifierの衝撃は、それらが私に与えたインパクトよりもさらに大きく複雑である。特にdcs Bartok+やマス工房Model406の音質よりも、さらに斜め上に位置するサウンドであることは、それらのオーナーである私にとっては心穏やかではいられない所以である。ただ、それは音質面で、というだけで、単体での汎用性という意味ではMSB Reference headphone AmplifierBartok等の多彩な機能を持つ機材に到底及ばないわけで単純には比較できないのだが。

この機材の登場は、今までのような、ヘッドホンオーディオにおける横並びの多様性の増大というより、ヘッドホンサウンドの限界の突破と位置づけるべき事案である。

Final D8000のサウンドで、それまでの限界を超えるサウンドを得て以来、数年ぶりにこういうレベルの感動を得た。

このヘッドホンアンプを聴く者はヘッドホンの音に対する認識を新たにせざるをえまい。

私は二度の試聴のさ中で、ハイエンドヘッドホンのサウンドの飽和した枠組みを根本から変える必要性を繰り返し感じ

一言で言えば、我々はヘッドホンにもっと高望みしてよい。

私はすでにヘッドホンに多くを求め、投資し、多くの見返りを得てきたが、

結局、あるレベル以上の期待はしてこなかった。

だが今回のMSBのヘッドホンのサウンドは無制限とは言わないまでも、さらに広大なフロンティアがこの先に眠っていることを予感させた。いや、もう体験させたと言ってよいだろう。私が勝手に作って安心していたハイエンドヘッドホンの枠組みは崩された。

スピーカーに比して遅れていると思われていたヘッドホンサウンドより、さらに高い位置に、完成された音のスタンダードが既に設定されていたのである。

これはハイエンドヘッドホンの始まりの時期、言うならば幼年期は終わり、本格的な円熟期の訪れとも取れよう。もうすでにスピーカーとは一線を画す独立した音響機器のジャンルとしての存在感はっきりあるだけでなく、さらなる伸びしろまで見えてきた。

なんにしろ、聞きなれた自分のヘッドホンから、全く予想もしなかったサウンドステージと定位、ダイナミックレンジ、そして大いなる余裕を聴くことができるのは事実だ。

よく、ヘッドホンを鳴らしきるという言葉が使われるが、

今までその表現を用いたことは全て返上したくなるほどの、ドライブ力という意味でも強烈な印象をこのアンプは私に残した


これを買うのか?

この問いは実はハイエンドオーディオへの存在意義に対する最も根源的な問いへとつながってゆく。

そもそも、度外れの高音質など音楽を聴くのに必要なのか?

これほどの高音質に意味などないのではないか?

Bartokあたりですら、音楽を聴くだけなら、すでに過剰な高音質だろう。

ましてや、このアンプの高音質のカラクリは秘密であるからして、

多くのメーカーがこの技術を取り込んで、一般レベルの製品のレベルを上げてゆくということも考えにくい。つまり、このアンプの存在がオーディオ世界全体に良い影響を与えるということは実質的には考えにくい。

これは私のようなやや狂気じみたヘッドフォニアのエゴが結晶化したようなモノだ。

究極のヘッドホンサウンドを求める孤独な冒険者だけが必要とする特殊な武器である。

一般のオーディオファイルでさえ、関心を持たないモノだ。

そして、このような機材は世界トータルでも年間10台も売れないだろう。

収益という意味でも微々たるものというわけだ。

なぜ、そんなものを製造(つく)って売るのか?

これは全てのハイエンドオーディオ機材に共通してある問いかもしれない。

超富裕層すら見向きもしないような特殊な外観や能力を持つハイエンド機器も最近増えている。

これは世界的に単純な高音質化には限界が生じており、音質以外にも特別な側面を持つ機材に技術が「逃げている」ようにも見える。そこに行かないと新たな市場を開拓できないとでも言いたいようだ。

ここではスーパーカーの世界でブガッティが復活し、ロードゴーイングカーとしては、かつてなかったほど高性能(1000馬力以上の出力を持つエンジンなど)で高額(一億円以上の価格)なスポーツカーを発売、超スーパーカーとでも呼べそうな新たなクルマのジャンルを開拓したことを想起すべきかもしれない。

ハイエンドヘッドホンという極めてマニアックな市場は大きくないが、これほこれで新たな市場であり、行き詰まっているハイエンドオーディオに何がしかの光明をもたらすかもしれない。

さらによく考えれば、このヘッドホンアンプの提示する価値観、それ自体にも意味はある。

これは過去の中に失われた音楽の感動を何度でも甦らせたいという人間の果てしない夢の、最も理想的な具現化を目指したモノの一つであり、人間の技術の可能性がまだまだ先へ広がっていることを我々に暗示してくれている。

今、苦しみの中にいる我々であっても、その朧げな展望に何がしかの未来への希望を見出せるかもしれない。

それは、ささいな希望かもしれない。だが、そこにハイエンドオーディオの高音質の存在価値を認めることはできる。

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再度、自分に問う。

これを買うか?

まあ、そのうちには買わざるをえまい。

このサウンドの魅力には私は勝てまい。

とはいえ、

レオン ブロワだったか、

「人は皆、己が何者であるかを知らない」という言葉を想起する必要はある

私自身、これを買おうとしていながら、そういう自分が少し分からないからだ

これを買って、音質のみをがむしゃらに前に進ませるのが良いのか。

それともBartokのような汎用性と音質のバランスの取れた機材を使いこみ、

音質以外の面でも経験を積み、足元を固めるべきなのか。

迷いはまだ心の中心にある。

もしMSBを買って使ったら私の世界は変わってしまうだろう。

でも、もし変わってしまったら、今まで聞いたり、買ってきたヘッドホン関係の機材の評価はどうなるのか。

かなり大きく後退するかもしれない。

結果として、私のオーディオを作る足掛かりはMSB Reference HPAのみとなり、そこからまた新しい世界を作り始めばなるまい。

周囲のヘッドホンマニアとの間の音質評価基準の乖離も起こるだろう。

それほどのサウンドである。

他の機材全てを置き去りにしてしまうMSB Reference HPAのサウンドのインパクトに私のヘッドホンオーディオの価値観は果たして耐えられるだろうか。

突然の転機の訪れに、私は今、真剣に悩んでいる。


これを読んで、

見知らぬ誰かが この悩みを共有してくれるだろうか。

そんな希望など、この取り留めない文章を読み直すかぎり、

どこにも見当たらないような気がする。

ただ、この苦悩が、

新たなヘッドホンサウンドの生みの苦しみのようなものだ

という予見だけは、

密かな期待として見知らぬ誰かに伝えられたつもりはあるのだが。


# by pansakuu | 2020-03-29 16:08 | オーディオ機器

HEDDphone エアーモーション トランスフォーマー ヘッドフォンの私的インプレッション:ドイツから来た男

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Was nicht ist, kann noch werden.

ないものも、あるようにできる

(ドイツの諺)



Introduction


ずっと前から聞きたかったヘッドホンを、またひとつ聞けたので簡単に書き残しておこうと思う。


ADAMというモニタースピーカーのメーカーがドイツにあるのをご存知だろうか

20年ほど前にベルリンで設立されたプロ用のモニタースピーカーを作る会社である。ARTと呼ばれる広帯域をカバーし、レスポンスに優れたツィーターを自社で開発、これを搭載したモニタースピーカーを販売している。メーカーのキーテクノロジーであるARTAccelerating Ribbon Technologyの略であり、加速するリボンツィータ技術とでも訳すのだろうか。これはオスカー ハイルというドイツ人が1960年代に発明したAir Motion Transformerという動作原理を基にしたテクノロジーで、前後にピストン運動するダイアフラムによって音を出すのではなく、プリーツ状に折りたたまれたダイアフラムがアコーディオンのように収縮を繰り返して発音する仕組みである。従来のピストン運動するスピーカーの動作と比べて4倍の速さで空気を動かすことが可能だという。実際にADAM製のモニタースピーカーを聴くと、カバーする帯域の広さはもちろん、過渡特性の良さ、定位の良さ、音全体のバランスの良さや実在感の強さに感心する。次にその価格を見て、コストパフォーマンスの良さにも少し驚く。リボンツィーターというのはPIEGAなどを見ても分かるように、ハイエンドオーディオ界では一般に安くないのだが、ADAMのスピーカーはそれほど高価ではない。

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今回取り上げるヘッドホンを製造するHEDDという会社は、このADAM社を創業したエンジニアが新たに立ち上げた会社と聞いており、やはりスタジオモニタースピーカーを主力製品としている。そして事情はよく分からないが、このメーカーもADAMで使っているものとよく似たツィーターを、エアーモーショントランスフォーマーと称してスピーカーに使っている。ここまでだとADAMの後追いというか分家(実はこちらが本家?)というイメージしかない。だが、HEDDはこのツィーター用のエアーモーショントランスフォーマーを元に、10Hz40KHzにわたるフルレンジをカバーする新たなドライバーを新規に開発、全く新たなヘッドホンを作り出した。つまり本家ADAMの造らなかったものを作ったことになる。私は幸か不幸か、分家のHEDDのモニタースピーカーの音を聞いたことはない。ADAMでいいじゃないかと思っている。だがヘッドホンとなると話は別である。


実はHEDDphoneについては、二年くらい前から噂では聞いていた。

当初の噂はADAMがヘッドホンを作るらしいという話であったが、

だんだん、内容が変わってADAMから派生した会社が3Dプリンターを駆使してプロトタイプを製作して、プロオーディオのショウに出しているらしいという話になっていった。こうして噂は進んでゆくのだが、日本で私が製品を聞ける機会はなかなか巡ってこなかった。



Exterior:


実物と対峙すると、これは随分と武骨な男の道具である。

まず重たいヘッドホンなのだ。700gくらいある。ここ一年ほど、ジムで首の筋肉を鍛えているのだが、それでもこの重量では一時間くらいが連続的なリスニングの限界だろう。こいつは強靭な男性向けのヘッドホンという意味で既に武骨である。

そしてマットブラック仕上げ、叩くとカンカン鳴る金属製のハウジングは正方形に近い四角いもので、まるで黒いサイコロのようである。さらに分厚いイヤーパッド、これまた分厚くて弾力のあるヘッドバンドもますます男らしく見えてくる。確かにこのざっくりと作られたようなハウジングは、ともすると盛大に鳴きそうに見えるので、なにが音は良くないのではないかと聞く前に勘繰ってみたが、いざ聞いてみると、それはまるで杞憂であった。やはりオーディオは難しい。定石は通用しない場合もある。

さらに、ハウジングのパンチングメタルの奥に見える黄色いリボンツィーター、それはADAMのシンボルであるリボンツィーターをただちに想起させる。だが、これはHEDD製のフルレンジドライバーであり、ADAMのものとは似て非なるものなのだろう。


ヘッドホンケーブルの末端はミニXLRで始末されていて、Audezeなどのものと同一らしい。なおハウジングとヘッドホンケーブルの端子の接続部はシンプルだが頑丈にできているように見えて好ましい。Audezeの製品などではハウジングが木で出来ているため、この接続部の周囲が割れてきたこともあったが、ここではそういう脆弱性は感じられない。ただ、造りがしっかりし過ぎのせいで、逆に道具としての美しさは感じにくい。特別なドライバーを搭載するという意味では類似したEmpyreanと並べると、デザインのコンセプトが全く異なるのが一目瞭然である。またMysphereのような計測器じみた精密さもない。あれほどのつくりの良さのあるヘッドホンは、この先もなかなかない出てこないだろうと思うほどだが、HEDDは作りや仕上げの良さに殊更に注意を払うつもりはなさそうだ。HEDDphoneについては技術力のほぼ全てがドライバーに集中しているという感じである。とにかく、これはオーディオマニアのリスニング用のハイエンドヘッドホンではなく、あくまでサウンドエンジニア用のモニターヘッドホンなのである。

機材の壊れにくさや音の正確さが重要なのであって、見た目や造りの精巧さなどは二の次だと言わんばかりである。なんだか男らしい。ドイツの男とはこんな感じなのだろうか。

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この重たいヘッドホンを実際に頭に装着すると、重さ以外にも困難があることに気づく。ヘッドバンドのスライダーを目いっぱい伸ばしても長さが足りない場合がありそうなのだ。つまり、スライダーをMAXまで伸ばしたうえで、かなりヘッドホンを深くかぶらないと耳を覆う位置までドライバーが下りてこない。日本人の耳は、貴方が考えるよりもっと下についているのだと、HEDDの中の人に教えてあげたい。

私の場合はかろうじて、耳介をイヤパッドの中に収めることができたが、頭頂部はややきつい。その分しっかりと頭に食いついているので、頭を多少振ってもヘッドホンがずれることはなさそうなのは良いが・・・・。確かにヘッドホンの自重がかなりあるから、こうでもしないとすぐずり落ちてしまうのか。でもこれでいいのか?

この問題は外国でも指摘されているらしく、そのうちメーカー側で改良するという話もあるが、果たしていつのことになるやら。

また、イヤーパッドについては耳の周囲をピッタリと密閉するようにして覆い、接触面積が広い。ここから音は漏れないが、完全な開放型なので、ハウジングの片面を覆うパンチングメタルからの音漏れは盛大である。

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なお、HEDDphoneを実際に開梱すると箱の中には本体以外には簡単なマニュアルとシングルエンドの6.35mmの標準フォーンプラグのついた2mほどの長さのヘッドホンケーブルが一本ついているだけである。純正のバランスケーブルや専用トランク、スペアのイヤーパッドなどはついていない。パッケージの中身としてはかなりシンプルであり、リケーブルなどは自前で用意しなくてはならない。


今回の試聴はSPLPhoniter2をヘッドホンアンプとして使った。

SPLのアンプの音はど真ん中のモニターサウンドであり、定位がすこぶる良いが音がやや硬く、音場よりも音像をしっかりと描く傾向にある。ここではあらかじめアンプの音調も踏まえたうえでHEDDphoneのサウンドについて述べていこうと思う。



The Sound:


HEDDphoneの外観や装着感などは、総合的にはまずまずというか、

私にしてみれば可もなく不可もないというレベルであり、殊更にほめるべきところはない。だが、このヘッドホンのサウンドに関してだけはかなり素晴らしく感じられた。今まで得られなかった新しいヘッドホンサウンドでありながら、音の各要素のバランスが良く、全体を通じて破綻がほとんどないのである。新しいのにオーソドックスで安心感のある音なのだ。

私はSR1aMysphreなど、オーソドックスなヘッドホンとは趣きを異にする、特殊な技術的側面を強くもつ革新系の製品を続けざまに使ってきた。そこで多かれ少なかれ感じる、微妙だが明らかに特殊な音の出方、微かだがはっきりとした違和感のようなものがない。私は最初の試聴、20分ほど経過した時点で購入を宣言していた。こんな衝動買いはFinal D8000を聴いて以来のことだった。


では、他のヘッドホンの出音と比べてどこが違うのか。

まず一つは音像の強さである。この芯のある音の実体感は今までなかったレベルにまで高められている。音像に躊躇なき迫真性があり、そこが他のヘッドホンの出音とは一味違うのだ。あらゆる音に確固たる実在感が宿り、そこから来る浸透力の高さは半端ないものがある。また音場よりは音像の描写を中心とするヘッドホンやスピーカーにありがちな音の痩せがないのもポイントが高い。HEDDの音像は常に豊かで複雑なニュアンスを伴う。聞きなれた音楽を聴いても、音がいつもより鮮度を高めて、こちらに強くせり出してくる。ここでは音像の彫りの深い立体感、エネルギッシュな押し出しの良さ、そしてなにより音のテンションの高さが印象的である。さらに音像の大小や定位もよく分かるし、細かな音の質感も音像の張り出しに比べて控え目ではあるが、ひしひしと伝わってくる。


ヘッドホンアンプの音の傾向を差し引いても、これはモニター的な傾向の強い音だ。このような音像の描写はHD650HD600などの従来のプロフェッショナルモニターヘッドホンでも聞かれる特徴だが、それらよりももっと主張しているように聞こえるし、キレもいい。これほどしっかりとした辛口の音を最新のヘッドホンから聞けるとは思わなんだ。


音色の濃さもかなりはっきりと感じられる。巨匠が入念に仕上げた一枚の油絵を眺めるような濃厚ではっきりとした色あいが脳裏に浮かび、スムーズに変化してゆく。次々に展開するビビッドな音の色彩の移り変わりはあまりにも美しく、私は心の眼を閉じることはできなかった。このような音像や音色の見事さは音楽の主題を背景から見事に際立たせ、演奏される楽器の主役と脇役の主従関係がはっきりとしてくるのが面白い。また、これほど克明な音でありながら、トランジェントの良さは特筆できる。音の立ち上がりや立下りが非常に早く、濃いばかりではなくスッキリとして透明感がある音のニュアンスも十分に伝える。


音の温度感としてはややホットであり、若干乾いたトーンだろうか。

まとわりつくような深い情けを感じるようなウェットなサウンドでないことは確かであり、クールでよそよそしい傍観者の態度を取ることもなく、静かで正確さを失わないが、常に思いを熱く語る男のようなサウンドである。これもドイツの男の在り方なのだろうか。


音場の広がりについては音像に気を取られていると多少の控え目に感じられるかもしれないが、集中して聞けば、その描写は的確であることもすぐに感得できる。HD800のような左右、そして奥行きのある音の遠近法こそ持たないものの、音楽に与えられた音場の広がりを過不足なく表現してくれる。HEDDphoneは密閉型ヘッドホンのような音の濃さに開放型の音の解放感や広がりを併せ持つ稀有なるものだ。

このヘッドホンの低域は重心はヘッドホンとしてはかなり低く、程よい量感も伴うにも関わらずスピードがある。高域の自然な伸び、中域の厚みと解像度の高さの両立とども褒めちぎりたいポイントである。


そして、なによりこれらの音の各要素がバランスよく配合されて一つの音として収束しているのが素晴らしく、心底安心できるのだ。こういう先進的な試みは常にピーキーな挙動の不確かさと隣り合わせであり、音楽のジャンルや再生される音楽の音作りによって、合う合わないが出て来るケースもあるのだが、このヘッドホンに関しては、音のバランスがオーソドックスなので得手不得手は少ないのではないかと思う。

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昨今は強力なヘッドホンが出そろっており、その一角に加わって競争するのは容易ではない。優秀な機材がこの界隈にはすでに多く存在しているのである。だがHEDDの音は現代を代表するハイエンドヘッドホンたち、例えばD8000HD800s, EmpyreanUtopiaStelliaMDR-Z1RADX5000SUSVARAGS300ETH900、それらどれとも異なる。

このヘッドホンにはおそらくライバルはいない。普通の音と言って、言えなくはないのだが、ブラインドでもはっきりと他と区別できるほどの音でもある。これはやはり音像の描写の確かさがこのヘッドホンの存在を決定づけているのだと思う。こんなにしっかりした強い音が出せるヘッドホンは昨今はほぼない。


このような傾向はモノに関するドイツ的な実直さの表れとも取れる。

例えばドイツ製の時計だ。

ランゲやNomosGOやドンブリュートやヘンチェル、ダマスコなどのドイツの時計を見ていると、まずは今何時かがはっきりと読めることを前提とした文字盤や針のデザインが多い。

(私はヘンチェルを普段使いにしているが、実際に日々そう感じる。)

一番大事なことはなんなのか、常に強く意識しているのがドイツ人であるように思う。音についても、その一番大切な部分と思われる音像をまずはリスナーに示すのだ。HEDDphoneを聴いていると、子音を鮮明に聞かせるあたりからして、既にジャーマンサウンドらしい香りもあるのだが、もっと深い態度のようなところでも「ドイツらしさ」が明快に出ているヘッドホンだと思う。


HEDDphoneには音響空間に漂う、憶測でしか至ることのできないような微かなニュアンスを丁寧に拾い上げるような繊細な態度は備わっていない。こいつのサウンドは、まずは核心をズバリと突いてくる音である。幽玄な音をあえて先にとらえるような繊細さがここにはない。まず眼前に明白な主題を提示して音楽の骨格・あらすじをしっかりと伝える。細部や音場はその次にじっくりと表現してゆく。それがこの男の流儀だ。

思えば昔のヘッドホンの音楽の表現の仕方がこうだったのかもしれない。

しかし単純なリバイバルでは到底片付けられない、豊かで機動力のあるサウンドがここにはある。この装着感の煮え切らなさや重さは問題であるが、そこを差し引いても自分の部屋で、自分の機材でじっくりと使ってみたいと思わせるものがある。



Summary:


まあ、そんなこんなで、これは買うことになった。


このヘッドホンはMysphereと同じく一度は自分のものとして使ってみなくてはならないだろう。音以外では、このヘッドホンのデザインが黒を基調としていることも私にはうれしいポイントである。自分の機材はなるべく黒で統一したいからだ。Model406Bartokも黒である。ChordCodaも黒を選んでいる。黒という色は引き締まっていて機材を男っぽく精悍に見せてくれることに気づいて最近好きになった色だ。


HEDDphoneをつらつらと聞いていると、音だけで他と勝負しようという気概を強烈に感じる。

このAMTドライバーにエンジニアがゾッコンと惚れ込んでいるのが目に見えるようだ。確かにヘッドホンで一番大事なところはそこだろう。そこは動かしがたい事実である。しかし、現代のヘッドホンの世界を見回しても、優れたドライバーの新開発は困難を極めているように見える。ことにAMTドライバのような新たな動作原理を用いたドライバーとなると、スピーカーと同じくほとんど世に出てきていない。

ハイエンドオーディオ界の停滞の原因のひとつがここにあると私は思うのだが、HEDDphoneの登場でヘッドホンの世界については、また一つ新たな多様性が加わったことになる。


また見逃せないのは、この手の革新的なヘッドホンにありがちな高価格性がないことである。少量生産が見込まれる特殊な機材は高くなりやすい。最近のハイエンドヘッドホンにおいて新型機は30万円オーバーは珍しくない。しかしHEDDphoneはほぼ20万円で売られている。ADAMのモニタースピーカー同様にコストパフォーマンスに優れると言えよう。

ただ、日本の正規代理店のようなものができた場合にHEDDphoneがいくらになるかは私には分からない。

だから正規のアナウンスが出る前に買っておこうという魂胆である。

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なにしろ、こうやって次々に新しいモノを、比較的気楽に買って楽しめるところがハイエンドヘッドホンのよいところである。ハイエンドスピーカーではこうはいかない。

財力も手間も時間も、スピーカーでは数倍いや数十倍かかり、負担が大きすぎて楽しめない。良い音で音楽を聴きたいだけでは終わらないのがオーディオではないか。

まずは色々と試して、実際に使ってみてオーディオの多様性を愉しみたいのである。


それにしてもこれほどの多様性がヘッドホンの世界に生まれることを10年前に誰が予測しえたであろうか。

試行錯誤を重ね、紆余曲折を経て、栄枯盛衰はありながら、まだハイエンドヘッドホンは前進していると、ドイツの英知が創り出した男っぽいヘッドホンを聴きつつ、私は確信したのである。


# by pansakuu | 2020-02-09 23:51 | オーディオ機器

Airtight ATE-3011 フォノイコライザーの私的インプレッション:コーヒーとアナログオーディオの類似について

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よいコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い。

タレーラン(フランスの外交官にして、画家ドラクロアの父


秘すれば花なり 秘せずは花なるべからず”

世阿弥「風姿花伝」より





Introduction:


コーヒーの好みには流派が在る。

派閥が在る。

それは大きく分けて二つ在る。

革新の酸味派と保守的な苦味派とでも分けて名付けるべきか。

まず酸味派はコーヒーとはフルーツであると考える。

彼らはゲイシャ種などの生豆を浅く焙煎し、良く切れるグラインダーで挽いてペーパードリップやエアロプレスなどの手法で抽出した、フレッシュな果実の果汁や果肉の味を連想させる、華やかな酸味があるものを良しとする派閥である。

一方、ここで言う苦味派とは深く焙煎した豆を挽いて、ネルドリップ等で丹念に抽出、そこから生まれる、甘さとコクを内に秘めた濃厚な苦味がないと満足しない派閥である。

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これら二つの派の断絶は深い。酸味派は苦味派を炭を飲んでいるような輩(やから)だと言い、苦味派は、酸味派の飲んでいるものはコーヒーではなく、酸っぱいお湯か紅茶のようなものだと卑下している。(古典的なコーヒー好きにとっては紅茶は不倶戴天の敵のようなところある)

もちろん、お互い大人だから表面的には相手を認めているように振舞っているが、心底は全く違う。

日本人の多くは未だに苦味派であるが、スペシャリティコーヒーブームを機に若い人を中心に酸味派が増えているし、アメリカやヨーロッパでは酸味派が明らかに多数を占めている。特に北欧ではこの系統が明らかに主流らしく、この手の浅いコーヒー豆の焙煎をノルディックローストと呼ぶこともある。

なお、これらの間に位置する中間派のような人々もいるにはいる。カフェとしては南千住のバッハなどはその位置にあると言えるだろう。しかしここにいる方々にしても、実はどちらかの派閥に属していると私は思う。(彼らはどちらかというと恐らく苦味派だろう。)

ともあれコーヒーの好みには派閥が在る。

これは、今回の話を進めるうえで前提としたい。


そして現代のアナログオーディオでもこれに似た流派の分け方ができるように思う

これが今回の本題である。

音像の重たい実体感や濃密な油絵のような色彩感を重んじ、音場の見通しは悪く、音数は少なく若干ノイジーですらあるが、味わい深い音。ひと昔、ふた昔前のヴィンテージのアナログ機器でのみ再現可能な、いぶし銀のサウンドを求める流派がまずある。これは珈琲の派閥でいえば古典的な苦味系コーヒーに対応する。

他方、ハイスピードかつスペイシーな視覚的なサウンドで、ノイズはほぼ感じられず、音の色彩感は淡く、爽やかで見通しの良い軽めの音を、最新の機材で実現させる方向性がある。こちらの流派は酸味系のサードウェーブコーヒーと相似がある。


私は欲張りなので、コーヒーにしてもアナログ再生にしても両方ともの立場を取る。

これらの二つの派閥を感性を切り替えながら縦横に楽しむ。

私のコーヒーストックには両派のコーヒーがバランスよく5種ぐらいずつ常時並んでいて、その日の気分で好きな銘柄を選び、ペーパー、エアロプレス、ネル、サイフォン(最近は面倒でやらない)、コレスフィルターなど、好みのドリップ方法を選択して抽出して味わう。

とにかく両方ともに良さがあるから、両者をバランスよく味わいたいのだ。

 オーディオでこの願望をかなえるには、すでに手元にある酸味系の爽やかなアナログオーディオとは対極的な音を持つアナログシステムを探さなくてはならない。

しかも私の場合はヴィンテージのオーディオ機材をあえて使わず、現代の最新の機器で苦味系のコーヒーのような味を出すシステムを構築したいのだ。

ヴィンテージの機材を使っても良いが、そこにはもう何度も聞いたサウンドがあるだけのような気がする。やはり古くて新しい音が欲しい。

ネルドリップした古典的な苦味系のコーヒーの中にも新しいテイストを求めるように。


アナログオーディオの音決めにおいては盤そのものはもちろんのこと、カートリッジ、アーム、ターンテーブル、フォノケーブル、昇圧トランス、フォノイコライザーどれも重要である。この分野においてはどんなに些細に見えたとしても、全く無視していいファクターなど皆無と言ってもよい。

しかし、その中でも、フォノイコライザーは音の個性を決めるうえで最も私の感性を強く揺さぶる機材であり続けていて、常に強い関心がある。

そして今の私にはこの数か月間に3回試聴してその音の深みを探り続けたフォノイコライザーがある。今回はこれについて書きたいのである。


Exterior

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ここで紹介するAirtight ATE-3011 フォノイコライザは主な能力としてイコライジングカーの可変機能を搭載している。これはRIAA 以外のカー対応して、初期のレコードに合ったイコライジング特性で聞けるということだ。
またこの機能があれば、別に初期盤でなくとも、イコライジングを変化させて好みの音で聞くこともできる。

カーブの切り替えATE-3011では、遠くから見ても状況がわかりやすく、メカニカルに美しい、色分けされたLEDバックライトで光らせたアクリルパネルで表示する。

40×15cmというやや小ぶりで絶妙なサイズ感のある、フロントパネルの中央鎮座しているこのアクリル大型LED 自照式表示がこのフォノイコライザーのデザインを決定づけている

この表示のアクリルパネルに厚みを持たせたうえで、さらに表面に緩やかなアーチを持たせる。これはとてもメカメカしくカラフルな演出で、オーディオ心をくすぐる。ここでコンステレーションのペルセウスに見られるような、現代のハイエンドオーディオにおいて主流となっている液晶表示などを採用しなかったところに、Airtightらしさを私は感じる。

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少し細かく言うと、

可変式のイコライジングーカーブの回路については、内部での干渉を回避するため、低域にNF 型と高域にCR 型を組み合わせ複合型になっている。 イコライジングーカーは、低域側高域側で各5種を用意して、その組み合わせで自由に設定できる

標準的なRIAA カー低域側をRIAA、高域もRIAAカーブを基本として、その他の代表的なイコライジングーカーであるNAB,AES,FFRR、さらにSP 用のフラットポジション選択できるさらにこれらの設定以外にも、組み合わせで、CLUMBIA,TELDEC,RCA などのカーブまで設定可能であるもちろん、表示部の両脇にある2つのセレクターノブの操作で自由に設定ができるわけだから、FLAT 以外4×4=16種のカーブが生成でき、その中には過去には存在しないオリジナルのカーブも含まれる


実際の切り替えノブの触感というのも、軽妙かつ精密であるうえ、演奏中に自由に切り替えられるのがいい。セレクターにショーティングタイプを採用したため、切り替え時のショックノイズが少ないそうである。とにかく演奏中になんのポップノイズもなく、自由に切り替えられるのは楽。レコード再生というのは操作をするたびに突然に大きなノイズが出て、リスナーを不快にさせたり、下手をすればスピーカーを壊したりしそうになるので、なにをするにもいちいちミュートを押してからやるのが面倒であった。だがこのフォノはその点はよくできていて、フォノアンプ側で行うほとんどの操作でその必要がないようだ。

これは地味な利点だが、実際に使う側にとっては嬉しいことだ。


内部は双三極管12AX7 を使用した増幅回路をユニット化したり、二重シャーシを採用したうえでインナーシャーシをメインシャーシから吊り下げる構造としたり、出力系統の配線にシールド線ではなく、非磁性体のステンレス製シールドパイプを各入力の左右チャンネルごとに独立して使用したりと、コストをかけてノイズ対策振動対策に完璧を期している

なお、フォノ入力は3系統用意され、フロントパネルの切替えノブで選択可能である。出力も2系統を備えており、入出力の内容もなかなか豪華である

しかし入出力はRCAシングルエンドであり、流行のバランス入力は採用されていない。リモコンも使えない。

ここらへんはそれほど評価できない部分か。

さらに付け加えるべきは、真空管式のフォノイコライザーであるが、ドライブ中に触ってもほとんど発熱はなく、そういう意味でセッティングに苦労することはなさそうであるということだろうか

温暖化も進んでいるので暑苦しくないアンプがいいだろう。

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またこのフォノは単体ではMM専用ということなのでMC昇圧トランスを組み合わせる必要がある。そこはなかなか悩ましい。この選択でかなり音が違うことも確認しているからだ。

もし購入したら書こうと考えているので、ここで詳しくは述べないがAirtightでもATH-3ATH-2 Referenceという二つモデルがあり、これも機能も異なる。個人的にはエアタイトらしさがより強く感じられるATH-3が良かった。またEMTの新型のトランス(当然、私のお気に入りのカートリッジに特化している)、あるいはAudio Noteのトランス(音の良さは折り紙付き)など銀線を巻いた製品にも興味がある。

とにかく、本当にこれを購入する段階になったら、どのMC昇圧トランスを選ぶのかよくよく考えなくてはならない。


内部構造や接続、セッティングはかくこんなに特異で面白い外観を持つフォノイコライザーは少ないだろう。やや小ぶりなサイズの筐体グレーのフロントパネルから透き通カラフルなアクリルの表示盤が盛り上がる。この佇まいに加えて操作の小気味良さまでを合わせて考えると、これは唯一無二のフォノのようにも思えが、果たして肝腎のサウンドも唯一無二の個性を秘めていたのである。


The sound


昇圧トランスをATH-3、その他のファクターとしては、カートリッジは聴きなれたPlatanus2.0s、アームはSMEあるいはグランツ、ターンテーブルはトランスローターというシステムでAirtight ATE-3011音を探る。


ここにあるのは密度の高さとあくまで表には出さず、内に秘めた熱量の大きさに強く惹かれるサウンドである。

明らかに内向きの方向性、心の内側にじんわりと滲透してゆくサウンドであり、明るくスカッと抜けてゆく青々しい爽快さを求めたら外れる。だがこの染み渡るような不思議な感覚などはおそらく最新のフォノイコライザーではこのモデルからしか感じ取れないのではないか。

これをどこか抑制されたサウンドと言ってしまうと、良いイメージを持たれないのかもしれないが、この光沢を適度に抑えた渋みのあるサウンド、最新のフォノに求められる高性能は満たしつつも、暗く複雑な葛藤を内包したような意味深な音調は試聴から何日経っても忘れ難いものだった。


真空管を使ったフォノとしては、随分とSN良さや音の立ちあがりのスピード、音の粒立ち、ワイドレンジなどかなり優秀な部類に属する。

基本的な調子は少し昔風の暗めでややネットリしたものなのだが、現代のフォノイコライザーとして十二分に通用する高性能ぶりは確保されている。だが、実物を聞くと、そういう性能の高さの部分にはあまり関心がいかない。

一度聞くと忘れられないルックスとともに、その音の姿も独特なのである。

確かに日本的に真面目な部分もあるが、なにか深いところで心理的なゲームを楽しもうとするような、含みのある表情が常に出音に宿るのだ。

これは味に例えるならば、ネルドリップの名手が淹れた濃厚なコーヒー、深煎りのイブラヒムモカの滑らかな苦味の奥にある甘みが沁みるようなサウンドと言えるだろう。

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湯島にTIESというコーヒーの店がある。

自家製の甘さを抑えたケーキが人気だが、(私が訪れる夕方には多くの場合は売り切れている)

店主が見事な手つきで抽出する、ネルドリップコーヒーにこそ、この店の真骨頂があると私は見ている。

実際、照明を落としたカウンターに座って、自分のコーヒーをマスターが淹れる様を見ているとなかなか飽きない。ネルの中に投ずる湯の温度を調節するために銅のヤカンをや豪快に持ち上げて注ぐ様子から、ネルを注意深く回してコーヒー全体に湯を行きわたらせる仕草、細かくドリップケトルを震わせて、しずくのように湯を滴下する技まで見事なパフォーマンスを堪能させてくれる。(ここらへんの所作はまさにこの道の達人クラスである。)

この店のモカ ハラウーンやイブラヒム モカの味わいというのは、このフォノイコライザーを介したアナログシステムのサウンドに通じる部分がある。

それは結局、この派閥の珈琲が目指す理想なのだ。

カップに口をつけて初めに来る重心の極めて低いトロリとした苦味とそこに秘匿された甘味。脳裏に浮かぶ光景としては大きな古い洋館の奥の部屋に通されたような雰囲気であり、そこで主人に見せられた小さな黄金の指輪の輝きのごとき甘美な味覚というところだろうか。

最も魅力的な部分は決してあくまで表出させず、秘すれば花なりとでもいいたげに内に含むという方針が小憎らしい。

ネルドリップの名手が丁寧に淹れたイブラヒム モカのような奥の奥を探りたくなるサウンドなのである。


つまり、このATE-3011 フォノイコライザーサウンドはコンステレーションのペルセウスやBoulder508のようなスッキリして華やかな音、クリアーでノイズはほぼ感じられない明るいサウンドとは異なる方向性を持っている。ペルセウスや508の音調は神田のGlitch coffeeや長岡京のUnirでふるまわれているようなライトかつ瑞々しい酸味とフルーティな香りが横溢するサードウェーブ系のコーヒーのイメージと重なる。アナログオーディオの世界の二つの流派と日本のコーヒーの二つの流れが重なって私には見えている。

生物学の用語として、収斂進化(しゅうれんしんか、convergent evolution)という言葉がある。複数の異なるグループの生物が、同様の生態的地位にあるときに、系統に関係なく類似した形質を独立して獲得する現象を指す

これはオーディオと喫茶という二つの文化が収斂進化(あるいは深化)した姿と言えるのかもしれない。(そして、こういう意味のないことを考えるのが私は好きなのかもしれない。)

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さて、パネルの両脇にあるノブを回して、カーブを変えて聞いてみよう。

なるほど、これはコーヒーで言うとドリップの仕方はネルドリップで濃いままであるが、豆の種類を変えたり、ナチュラル製法にするかウオッシュトにするかを選んだり、ローストの深さを動かしたりした時の味わいの変化に似ている。酸味が微妙に加わってきたり、スッキリした味わいになったり、コクの部分のニュアンスが少し軽くなったり、アフターテイストの余韻の長さに変化が生まれたりする。音の表現でいえば、特に高域の見通しが変わってくるのが面白い。盤石の低域の描写にはなぜか変化があまり感じられない。

とにかく、このようなカーブの選択はレコードごとに行うべきものであり、とても書ききれるものではない。もしこいつのオーナーになったらじっくりと取り組んで楽しませて貰うこととしよう。


Airtight ATE-3011を通して抽出されるサウンドはTIESのデミタスのように苦くそして甘い。

の出音は昨今流行りの爽やかで綺麗なコーヒーの味では例えがたい。

私はそういう新しい傾向のコーヒーも好きだが、必ずそのカウンターパートとして、濃く苦いコーヒーを自分の中に置いておきたい。

オーディオについても同じようにいくつかに傾向を持つサウンドを同時に持って、自分の中で上手にバランスを取りたい。

今のオーディオの世界には濃厚なもの、暗い深奥から醸し出されるものが欠けつつあり、それを求める人たちは20年以上前のヴィンテージ製品に走っている。レストアされたSTUDERのヴィンテージのCDプレーヤーの衰えぬ人気などはその一例だろう。

だが、最新の製品の中に稀にそれを見出すことがある。

確かにその音はヴィンテージオーディオのそれとは違い、最新の技術で武装している。

ゆえにそれは、いにしえのサウンドと全く同じではないが、その魂は継承しているのだ。



Summary:


かつて、ハイエンドオーディオが夢見ていた雄大な計画は超富裕層の出現とともに、遥か彼方へと消えた。そして残り大半を占める、普通のオーディオファイルにとっては、そのようなオーディオのユートピアは事実上の幻となった。我らに残された手の届くオーディオの世界は、過去の亡霊の徘徊する廃墟、あるいは虚無が蔓延するディストピアに変わろうとしている。

このような時代の流れは去年のAirforce Zeroの出現に象徴されている。

今はただ、そのような時代の流れの中に稀に起こる小さな反抗、蟷螂の斧のような反乱の兆しを見逃さず、わが手にして慈しみ育てることが私の役割なのだろう。

Airtight ATE-3011のアトラクテイヴなルックスとネオクラシックなサウンドは現代のオーディオにおいては数少なくなった真新しい動きであり、私に一文を書かせるのに十分な動機たりえるものだ。

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コーヒーはやめられない。

そしてレコードも同じようにやめられない。

自分では分かり切っていることだが、

それは他から見れば随分と変わった趣味に見えるのかもしれない。

だが一杯のコーヒーと一枚のLPが与えてくれるものに気づかない人生の方が

私には、よほど奇妙なものと映るのである。


コーヒーとレコード、そして気に入ったヘッドホンシステム。

おそらく僕はさえあれば満足だ。

そう一人呟く真夜中に、

このトリニティ(三つ組)を与えてくれた神に感謝を捧げながら、

言いたいことは尽くさず、

ひとまず筆を置こう。

秘すれば花と言うではないか。

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# by pansakuu | 2020-01-02 12:26 | オーディオ機器

CROSS POINT クロックケーブルXP-DIC/BNC ENとフットベースインシュレーター XP-FB56の私的レビュー:ラプトルの爪あるいは道具のための道具

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手は、道具の中の道具である。
by アリストテレス



大晦日はずっとCDを聴いている。

今日に限ったことではない。

ここのところ、聞くのはCDばかりだ


デジタルフアイルを素敵な音で聞く準備はにできているはずなのだが、

なぜかCDに手が伸びる。

確かに今の私のシステムはCDに限らず、大概のメディアをいい音質で聞けるようになっている。

CDもLPもデジタルファイルにも、そしてストリーミングにも私のシステムは高いレベルで対応している。

しかしながら最近の私はデジタルファイルやストリーミングについてはやや遠ざかっている。


この理由はなんだろう。

デジタルファイルを使うオーディオは毎日聞いていると一週間に一度くらい必ず音が出なくなる。あるいはプチノイズが気になるなどという細かいトラブルもある。その都度、結線しなおしたり、基本設定やアプリケーションのバージョンを確認したり、不具合を直すだめの試行錯誤が面倒だ。どうすれば必ず直るという約束がないのも困る。いろいろやっているうち、なぜかわからないが直っている、そういうのは腑に落ちないが受け入れるしかない。これがはっきりと嫌いだ。

他方、CDは一年に一度くらい音が出ない日あるかれないが、一度電源を切り、もう一度立ち上がればほぼ必ずいつものように聞ける。簡単でいい。

また大量のデジタルファイルや万単位の曲を自由に聞けるストリーミングサービスに接していると、こういう贅沢にもある種の問題はあると感じる

結局、自分の本当に聞きたいものを腰を据えて聞くことができなくなるというのがそれだ聞ける曲が多すぎて集中できない。あれこれ目移りしながら、様々な楽曲を聞いているのは初めのうちは楽しかったが、一年も経つうちに、そのうち途方にくれている自分に気づいた。

これでは、自分の本当に聞きたい音楽を全て、じっくりと聞いている時間ないと知るわけだこの年齢の男に一般的に残された年月と自由に聞ける音楽の量のバランスを考えると、圧倒的に聞ける音楽の量が少ないというアンバランスに気づく。あれこれ聞いているうちに時間を浪費し、本当に好きな音楽をじっくりと聴く時間が失われているような気もする

一方、CDはアルバムをゆっくりと聞いてアーティストと世界観を共有するのに向いている。より深い場所まで共感が得られる。要は大きくて浅い穴を掘るのか、狭いが深い穴を掘るのかの違いなのだが。

今は、YoutubeやRoonなどのストリーミングサービスで見つけた、お気に入りのアーティストのアルバムをCDやLPで買って聞くのが一番楽しい。つまりストリーミングはあくまでCDとかLPを買うきっかけ作りである。


そりゃLPもちろん良い。こちらも結構聞くが、やはりCDの方が気軽だから手が伸びやすい。ここで使っているサファイアカンチレバーのカートリッジは取り扱いに気を使うから、レコードをかけるのは以前よりなおさら面倒を感じるということがある。

さらにストリーミングもLPなく、CDでしか聞けない楽曲も意外と多いのに気づいてその意味でもCDを見直している。そういうレアなCDに限って音も良い。そもそもピークで2000枚以上のCDが自分の部屋にあった。かなり処分したとはいえ、精鋭は残っているし、ここ数年でも気になるCDは新たに買い足している。聞くべきCDはまだまだある。

こうなると、少なくとも今の私にとってはCDをよい音で聴ける道具こそ良い道具ということに落着しそうになっている。


CDを聴くためにCDトランスポートを操っているといつも思い浮かぶことがある。それは良い道具とはなんだろうという問いである。

良い道具とはそれを使う者に一番、寄り添っているモノだろうか。

十分に用が足り、身に沿うように使いやすく、壊れにくいモノ。

例えばそれは板前が手放さない包丁や野球選手が愛用するグローブやバット、殺し屋が常に使う銃のようなものかもしれない。

オーディオファイルにとっては自分のシステムを構成するアンプやスピーカー、プレーヤーがそれにあたるのかもしれない。

さらにもっと基本的な観点に立てば、

人間にとっての手の指や目や耳のような器官もそうかもしれない。

動物だと獲物を捕るための腕や足、食べるための顎、そしてそこについてる爪や牙がそれにあたるのかもしれない。

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私は書き物をする机の引き出しの中にいつも恐竜の爪の精巧なレプリカを忍ばせて、退屈すると時々ながめている。こいつはなんという無駄のない形だろう。そして機能としても恐らく申し分ない。この爪の持ち主であるオビラプトルOviraptor)は、7,000万年ほどに生きていた小型肉食恐竜である。

この爪こそ究極の道具であろうか。

いや、これは「道具のための道具」だ。

恐竜の腕や足という生物と一体化した道具についている道具なのだ。

ラプトルにとっては。この鋭い鉤のような「道具のための道具」でいったいどれくらいの獲物を仕留め、身をまもり、どれくらいの時間を生きのびていたのだろうか。

私のCDトランスポートやDAC、それに付け加えられているデジタルケーブルやスパイクやインシュレーターは恐竜の腕や爪ほど単純な代物ではないにしても、その抽象的な役割としては似た部分はある。

それらはオーディオファイルが目指すサウンドを捕食するために必要な存在なのである。


さてが、より良き音でCDを聞くため、システムに新たに付け加えた二つのアイテムがある。奇しくもそれは同じメーカー製のものとなった。

CrossPointというカーボン系のオーディオアクセサリーを主力とする、小さな会社を知っているだろうか。数年前までは時々ここの製品を買っていたのだが、ここしばらくは手を出していなかった。

ここのクロックケーブルに興味を抱いたのは、ちょうど私はRossini ClockとChord Coda CDトランスポートをつなぐBNCケーブルの選定に悩んでいる最中であった。

そもそもクロックケーブルを変えて音が変わることを知らない、あるいは信じない人も多いところで、こんな話をしてもどうかと思うが、私の場合、デュアルで使う、トランスペアレントのリファレンスクラスのAES-EBUデジタルケーブルが2本、既にあり、そこは信頼して変えないことにしているので、デジタルケーブルで出音に変化を与えるとしたら、クロックケーブルを変えるしかないのである。

ここでは、借りたり、買ったりして数本試して悪くない結果を得たが、それらのほとんどは納得して使い続ける気分にまではなれなかった。

せっかくなので、それらの中でもかなり優秀だが、今回は採用に至らなかった三種のケーブルの印象をざっとスケッチしてみよう。

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Abendrot BNC75(1m)

超高性能クロックの製造で一部のプロやマニアにアピールしているAbendrotが出しているクロック用ケーブル。ちょっと硬く、取り回しはそこそこで、外観には線体もコネクターも特別な特徴はない。音は正確さが身上だが、非常に癖が少なく、良い意味で、クロックケーブルを選んで買った感じがしない。逆に言えば音があからさまに良くなったというイメージもない。イメージとして特徴が少なそうに思っていた、オヤイデやdcsの純正、カナレ、フジクラ、ベルデンなどのBNCケーブルよりもさらに癖が少なくて、あくまで音のニュアンスを変えず、音の精度のみを高めるようなケーブルを求めるならこれがいい。

だが、クロックケーブルで出音の音楽性にまで、さらに磨きをかけたいと思う私にはやや物足りない音である。

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SAEC STRATOSPHERE BNC-1(1m)

SAECの最上位シリーズのケーブル。SAECは伝統的にデジタルケーブルに力をいれているイメージがあるが、その中でも最新の製品である。

外観は立派なつくりのコネクターが高級感と信頼性を演出しており、音が良さそうに見える。線体はAbendrotのものと似た印象で、取り回しはあまりよくない。

音はどうかというと、これは録音現場の空気感が浮き出てくるような丁寧な描写が際立ってくるケーブルである。

出音は他のケーブルに比してやや緻密になり、録音した時の空間の広がりが前景に出て来る。

ただ、音に明確な芯がない感じで、やや散漫といえばそうかもしれないし、CD特有の音の密度や温度感が出てこないのはどうも・・・、となる。

結局、私にとってはやや薄味に過ぎたので不採用となっている。だが、こういうケーブルを使えば、クロックケーブルで出音がいい方向に変わることがある、というのを実感しやすいのではないか。

高級なクロックケーブルを使って音の変化を楽しみたいなら、ここから入るのはアリだとは思う。

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Jorma design Digital BNC(1m)

Jormaの唯一のデジタルケーブルのシリーズ。Jormaはインターコネクトやスピーカーケーブルでは下位から上位へグレードを分けた売り方をしているが、デジタルケーブルに関してはグレードがない。これがJormaの推奨する最上のデジタルケーブルである。このケーブルは実にしなやかで使いやすい。線体は細く取り回しは最高である。

ただし高級感もないので値段がやや不釣り合いな外観ではある。

このケーブルに変えると出音は滑らかで艶っぽくなり、明るくて柔らかな印象に変わる。

かなり聞き味がよく、どんな音楽もとても聞きやすくなるような気がした。

これも音に明らかな変化をつけることのできるケーブルであり、全く音を変えないクロックケーブルよりも音楽の内容にスッと入っていきやすくなるという意味で、存在価値はかなりある。

ただSAECのケーブルと同じく音に重みや密度がない。音が軽くて薄い。

もっと重厚さを表現できるクロックケーブルが欲しい。

ここに挙げたクロックケーブルはどれも悪くはない。いやCross pointのケーブルに出会わなかったら、どれにしろ採用して特に後悔はしなかっただろう。特にJormaは取り回しがかなりいいところがよかった。これなら例えば20㎝を特注して最短距離で重ねて配置したクロックとDACを最短距離で結ぶということもできるだろう。音も全く悪くない。

ただJromaも、その他の二本もサウンドを深化させるという意味ではなんだか片手落ちだったのである。


なにかいいクロックケーブルはないか、まだ試していないメーカーのケーブルはないか。

今回試していなくてもCHORDやAcoustic reviveのBNCケーブルは数年前に聞いた覚えがあり、強い印象がなかったため、スルー。Esotericのハイエンドケーブルも最新機種ではないが、試したことがある。ちょっと音が硬かったな、ということでスルー。

いろいろ見てゆくうちに、忘れかけていたCrossPointのケーブルXP-DIC/BNC ENが目に留まった。

どんな音がするのだろう。ここの製品はコンセントやヒューズやインシュレーターではお世話になってきたが、ケーブルは未体験かもしれない。

CrossPointのN氏とコンタクトし早速、交渉する。いくつかのやりとりがあったのち、無事に最新型のBNCデジタルケーブルを借りることができた。

届いたケーブルは外見についてはごく普通のものである。

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AbendrotのBNCケーブルに似ている印象だが、線体はやや細く、軽い。コネクタは金メッキされたものだが、普通目にするものと微妙に違うような気がする。またコネクターと線体との結合部もしっかりとしている。うまく指摘できないのであるが、これまで試したケーブルよりもケーブル製造の手仕事の精度が高いようだ。逆に言えばこれはかなり手作りの部分が入ったケーブルであり、個人製作のモノ特有の不安もなくはない。

意外なところが脆弱でポロッと取れたり、音に希望しない癖があったりするかもしれない。

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ただ、こういう製品は名人クラスの職人が作った場合はそこにしか生まれない独特の皮膚感覚のようなものがあり、その絶妙さに舌を巻くこともありうる。これは何度となく経験してきたことだが、このケーブルにはそういう雰囲気が漂っていた。さらに言えば次に紹介するインシュレーターにはもっとその皮膚感覚があったことを予告しておこう。

(製品の写真はCross point様のブログより拝借しました。外すのが面倒なので、申し訳ございません。)

CHORD Coda CDトランスポートとRossiniClockの間に届いたケーブルXP-DIC/BNC EN

を結線し試聴する。

いきなり希望していたサウンドがドンと出て驚かされる。


なるほど、このケーブルのサウンドは大変に奥深い。

多くのハイエンドオーディオケーブルを聞いてきているが、

これは今まで聞いたものとは切り口が違う部分がある。

まず一聴してこのケーブルは、クロックケーブルに求められる音の正確さのグレードアップはもとより、ダイナミックレンジやサウンドスケープの広がり、音数の多さ、細かいニュアンスの表出など、ハイエンドケーブルに求められる評価項目のほとんどで文句の出ないレベルに達している。

また、このケーブルを挿す以前に既存のシステムが十分に高音質であるなら、その良い部分を大きく変えない。

だがおそらく、このケーブルの開発者の意図することは、そのような枝葉の音質の向上ではない。

これはそもそも音質を各要素ごとにバラバラに分解し、それぞれを個別に評価し高めてゆくような手法で作られたサウンドとは考えにくい。

もっと俯瞰した大きな視点、総合的、常に全体を見て組み立てられたサウンドに見える。


もし私の紹介に興味を持った方がいたら。

このクロックケーブルを借りて。自分のシステムに結線し、一日ぐらい安定させてから、じっくりと試聴してみるとよい。

出音全体がピタリと着地しているのがよくわかるであろう。

音全体の重心が低くなり、しっかりと安定する感覚である。

この揺らぎな着地感は、他では得難い一層の現実味をサウンドに与える。

出音の全てが、なにかのミニチュアではなく、現実にそこにある存在としての強固なリアリティを獲得し、そのリァリティが圧となってリスナーの心に迫るようだ。

さらに音の色彩感は全体に色濃く、そして鮮やかとなる。また陰影の黒みも深まり、音の表情は克明となってゆく。

サウンド全体を覆いつくす、この特異な「濃さ」という特質は最近のオーディオにおいて久しく聞かなかったものだ。

昨今のデジタルオーディオは技術的に高度になるにつれ、音数は増え、いわゆる音の解像度は上がっていったが、音色は徐々に薄味なものとなっていった。リスナーを音楽に引き込むような迫真の描写があるべきところ、細かい音の表出引き換えに、むしろ浅薄なサウンドへとすり変わってしまっていたのである。

しかし聞く者を否応なく音楽にのめり込ませる、あの「濃さ」がここには復活している。

この濃厚さは、音楽的なコントラスト、すなわちウキウキした歓喜や深刻な悲壮感をくっきりとした差異で表して、音楽にたっぷりとした厚みや肉付けを与えるのに寄与している。これにより私のシステムにおけるデジタルオーディオの表現の幅はさらに広くなった。

とかくクロックケーブルの新規導入というと音が正確さを増すことに力点が置かれがちであるが、このCrossPointのケーブルでは、音の濃度の表現力の向上という、さらに上のレベルの効果が得られる。


かつての優れたCD再生、例えばLINN SONDEK CD12のサウンドなどにはこの手の特異な音の濃度が潜んでいて、その価値が分かる人間にとっては、今の時代に昔のプレーヤーをあえて使い、CD再生にいそしむ意義となっていた。

このケーブルを使うと、そこらへんの感覚が新しいDACの力によって高性能化されて蘇るようで嬉しい。

これこそ私がCDに求めている、古くて新しいサウンドの真髄であり、このやや高価なケーブルの導入の決め手、他のケーブルとの明らかな差別化と考えられた理由なのである。


話は少し変わる。

ここからは、さらにCross pointのインシュレーターである、フットベースインシュレーター XP-FB56も買ったという話がしたいからである。

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私はつねづね単体売りのインシュレーターというオーディオアイテムは元来なかなか難しいものだと思ってきた

使いやすさ、”はっきりした効果実感という二つの項目を満たしたものが、ケーブルに比べて少ない分野だからだ。

その原因は恐らく、優れた機材にはデフォルトのフットや純正のインシュレーターが既に付いている場合が多く、そこは程度の差こそあれ、音質に配慮して選択されているものであるということにある。

そうなると単体で売っているインシュレーターというものは、純正品をあえて取り外したり、それを避けて別な場所を選んだりしたうえで取り付けなければならない。そういう意味では純正のものに比べて不利な条件がつきまとう。

単体で売られるインシュレーターがこれらの不利を越えて、オーディオファイルにアピールするには、純正のインシュレーターを外したり、位置を変えたりせずに、そのままの状態を保持したまま、そこに付加する形で使えて、なおかつはっきりと音が良くなることを示せねばならない。

こういう厳しい条件を満たすインシュレーターは、これだけ多くの種類が発売されてきた中でもかなり少なかった。私個人としては単体の製品としてはイルンゴの小さな革製のインシュレーターやダイヤモンドコートされたクリプトンのインシュレーター、アンダンテラルゴのチタン製のスパイク受けなどを愛用してきた。あれらは十分に使いやすい良品であるが、オールマイティに何にでも使いえるものでもない。音質としては解像度を適度に改善し、音の精細感を増やす、音全体のバランスを変えずに音を少しだけ安定させ、音数をわずかに増やすというような控えめなメリット以外には大きなアピールポイントがなかったことも否定できない。私の中では多少値が張ってもよいので、明確な効力をもつインシュレーターがずっと求められていた。


さて、こういう要望を持つ私にCrosspointから提案されたフットベースインシュレーター XP-FB56の現物はというと、見かけ上は素っ気ないものだった。厚さ6mmほどのカーボンプレートを径55mmに丸く切って、辺縁部を整えただけと言えばそれまでのモノかもしれない。だが私は、このカーボン製の円板を手に取ったとき、なにか、ただならぬ気配を感じた。その感触から、これはどうも、ただのカーボンの板ではなさそうだと直感したのである。

そこにある重み、密度、剛性はもちろん、カーボン繊維の編み方、断面から見える重ね方、ことにその枚数の多さと正確さに緻密な計算が透けて見えるような気がした。

この材質は汎用あるいは多目的に開発されたものをそのまま流用したのではなく、Crosspointが求めるサウンドを得るためにあらかじめ設計し、メーカーに製作を依頼した特別なものが使われた可能性がある。

指先から伝わる皮膚感覚がそう私に囁くのだ。

だがそれは、その時点では単なる勘のようなものでしかなかった。


私の個人的な直観はともかく、

これは様々な機材に使いやすい形であることは強調すべきである。

フットベースインシュレーターと銘打っており、

フットの下に敷くことが前提となっている。

こういう既存のフットに付加するような形で使いやすいインシュレーターはあまりなかった。モノ自体にも十分な広さがあり、大型の機材の重みを受け止めることに長けている。

小さなインシュレーターは機材をつま先立ちにさせてしまうものがあり、そこには支点を明確にする効果はあるが、同時に不安定さが増すこともあり一概に良いとは言えない。

またそれ自体の厚さが大したことはないので、機材のフットに敷きやすいだけでなく、機材の重心を大きく変えない。これは安定した出音につながるだろう

価格はやや高価であるが、その効果と4個組であることを考えると仕方ないと私は思う。

こういう高価なインシュレーターは時々3個組で売るものがある。値段を少し安くして売れやすくするためであるが、それだと4つ足の機材に使いにくいし、底面におけるインシュレーターの位置関係によっては3点支持はむしろ不安定になりやすい。

このカーボンインシュレーターのデザインはとにかく音の安定を目指して設計されているように思える。表面が滑りやすくなければ尚更よいかもと思ったが、表面がこうでないと狙った音にならないかもしれず、なんとも言えない。


こちらもまず貸し出してもらって試聴した結果がよければその試聴機をそのまま家で使ってよいというCross pointさんのやり方も私は気に入っているが、初めはやはり取り扱いに気を使う。

インシュレーターのテストとなると、まずは回転機器、CDプレーヤーやアナログプレーヤーでテストすべきであるというのが私の流儀である。回転するものからデーターをピックアップする過程は自身が振動を生むし、さらに外来の振動の影響を最も受けやすい。オーディオにおいてインシュレーターは振動を制御する、あるいは整えるためにあると私は考える。その実力を測るに回転機器に及ぶものはない。

ここで私はまずCDトランスポートのスパイク受けの下に敷くことを選択した。やや間接的な効かせ方かもしれないが、これくらいでもこいつなら十分に効果が聞こえるはずだと。

なにそういう予感があった。あの皮膚感覚が私にそう思わせたのかもしれない


あっと言う間に結果は出た。

このインシュレーターは音の焦点をピシリと定めてきたのである

ヘッドホンで音楽を聞くうえで

これほど明確な変化はインシュレーターでは体験したことがなかったし、このような明晰なサウンドが他の様々なアクセサリーの導入によって得られた試しもなかった。

これはまるで最新鋭のデジタルカメラに高性能な手振れ補正つきの自動焦点レンズをつけたような感覚である。最近の優秀なデジカメは、被写体の狙った場所に、非常に素早く焦点が合い、一度合ったら揺らがない。

今までは素早く正確に合焦する優れたオートフォーカス機構備わっておらず、手振れ補正機能さえもない古いデジカメを使っていたようなものだ。

例えば最新のカメラにおいて、カメラを急速に動かしたり、いきなり暗い場所を狙ったり、コントラストな弱い被写体を捉えたり、逆光に振ったりしてみても、合焦速度に変化はなく、手振れの影響を受けないということがあるが、

このような高性能をそのままオーディオの世界に移植したような感覚がこのインシュレーターを使うと現れる

これは極めて視覚的にオーディオを捉える立場での開発が功を奏した例だろうか。その意味ではくだんのクロックケーブルとはまた一味違った方向性にオーディオを発展させてくれる素晴らしいインシュレーターである。今までこれを知らなかったのは痛かった。もっと早く出会えればよかった。他のメーカーの様々なボードやインシュレーター、もちろんカーボン製のものを含むが、それらにはない特性がこの機材には確かにあるように思える。


音質改善を個々の要素に分解して述べるなら、静けさと響きの増えること、音響空間拡張、音数の大幅な増加、音像がグッと前に出て来ること、各パートの分離がよくなること、音と音の間にある間合いのようなものの長短が分かりやすくなるなど極めてメリットが大きいアイテムである。

そしてやはりと言おうか。

音の濃度にも変化が生まれる。

先ほどのクロックケーブルでもそういう音の濃度の変化が生まれたのであるが、

このインシュレーターをかませると濃くなった音の中心部にはっきりと芯棒のようなものが通るような気配がある。そこを中心として音楽全体の動きをけん引する求心力が生まれてくる。音楽の中心部に向かって音が濃縮されるような不思議な感覚が私の脳裏を支配する。このような音の濃度に対する積極的なコミットこそCross pointの音の神髄なのかもしれぬ。


言い換えれば、このとうな「濃さ」の表現はオーディオにおける適切な重力と呼んでもいいのかもしれない。

地球上における1Gちょうどの重力、これに則したリアルな音の重みが、オーディオの再生音において実現することは稀だ。

STUDERなど昔のCDプレーヤーの出音は1.5G以上となって重力がありすぎ、やや聞き疲れしやすいサウンドになっていることもある。また逆に高性能なクロックと最新鋭のDACの組み合わせでは音が重力から解放されすぎて、軽くヌケて聞きやすいが、印象が薄い締りのないサウンド、いわば0.7Gくらいの音になってしまったりして、なかなか上手くいかない。

だがこの一本のクロックケーブルが生み出すGの感覚はまさに適正である。

これが私にとっての1Gの音のように聞こえる。


総じてオーディオアクセサリーのほとんどは、払った対価に対して効果が薄いと感じられるものが多いというのが私の偽らざる感覚だ。特にケーブル以外のアイテムでその傾向が顕著である。(思えばケーブルについてはいくつか印象に残るものがあるのだが、インシュレーターとか、スタビライザーとかいうただ置くだけのアイテムで印象に残るものがあまりないのは不思議な事実である。)恐らくケーブルを除いても、100種類は優に越える数のアクセサリー類を試しているはずだが、ここでまともに紹介したくなるようなものはあまりない。確率としては20%弱程度が試聴時の私の感性に寄り添って、購入に至るものであり、それとて長期の使用に耐えるかどうかは分からない。音調に飽きも来ようし、使いにくさから仕舞い込んだままとか、突然故障するとか。いくらでも手放す契機はありうる。

だが少なくともインシュレーターと名付けられたアイテムの中で、一番に印象深く好感をもったのはこのCrosspointの製品である。

とにかく使いやすさと効果がはっきりと両立した稀なものだ。

やはりオーディオアクセサリーというものは、音質を語る以前に使いやすさがなくてはならない。その次に音に納得しなくてはならない。繰り返すがこれを両方とも満たすのはかなり難しい。

Crosspointは日本の小さなマイナーメーカーだが腕は確かであると改めて認識した。経験を積み、数年前よりも製品の洗練度は高まっていることも今回感じた。このメーカー、今が旬なのかもしれないと思う

そこには主催者N氏の度外れの情熱と独特の営業の仕方があり、熱心なファンもついている。私の紹介で少しでも関心をもった方は、先入観はひとまず捨て、おもむろにコンタクトをとり、インシュレーターあたりから試してみるのもいいだろう。きっと驚くはずだ。


とにかく、

このインシュレーターなどは単純な形をした一見つまらないものかもしれないが、道具のための道具として大変優秀なのは確かである。

またこのクロックケーブルも地味な外観ではあるが、デジタルシステムに深い影響力を及ぼす。これも道具のための道具の威力を感じるに相応しいモノだ。

これらはCDトランスポートという道具に付随する道具という末梢を担う機材でしかないが、私が今眺めている恐竜の爪のように極めて自分の任務に特化している。

ここのところ、ずっとCDばかりを聞いているのは、それがただ使いやすく音がいいからというだけではなく、そこに付け加わる、道具のための道具たちの巧みな技、そしてそれらを作り出した人々の情熱を直観しやすい行為だからなのだろう。

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CDを聴きながら、

珈琲を飲みながら、

ラプトルの爪とカーボンの円板を見比べながら

私の2019年は暮れてゆく。


# by pansakuu | 2019-12-31 16:17 | オーディオ機器