オーディオに関連したモノについて書くブログです。
by pansakuu
カテゴリ
全体オーディオ機器
音楽ソフト
その他
最新の記事
ヤマハ YH-5000SE .. |
at 2022-09-24 19:24 |
CROSS POINT XP.. |
at 2022-08-18 23:31 |
ヘッドフォン プリアンプを求.. |
at 2022-07-23 12:07 |
Dan Clark Audi.. |
at 2022-03-05 00:08 |
Audeze CRBN そし.. |
at 2021-11-29 23:31 |
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
MSB Premier headphone amplifier プロトタイプの私的インプレッション:未来からの招待状
「もはやスピーカーにこだわる必要なし」
by 万策堂
Introduction:
翌日の夜には雪が降るという予報の東京であったが、
試聴の日は妙に暖かった。
こういう天気の変わり目に
オーディオに関する何らか、重要なイベントがあることが多い。
MSB Premier headphone amplifierのプロトタイプが東京にやってくるという話を私が聞いたのは、その一週間ほど前のことである。
そこですぐに試聴の場を設けてほしいとお願いした私であったが、その時、これが久しぶりの大物の試聴となることに少々驚いてもいた。
それくらいオーディオの世界は私にとって静まり返った状況が続いていたということだ。
私が今使っているMSB Reference headphone amplifierの一つ下のモデルと位置付けられるMSB Premier headphone amplifierのサウンドが、どれくらい上位機に近づけるのか、そしてハイエンドヘッドホンの世界全体の中でそのサウンドがどういう立ち位置になるのか。
そんな個人的な興味はもちろんあったのだが、
なによりこのアンプの到着は、コロナ禍以降、半ば静止していたハイエンドヘッドホンの世界が再起動する気配を私に感じさせた。それはいま聞いている、ハイエンドヘッドホンの未来像がより多くの人々にも共有されるという予感でもあった。
試聴しながら代理店の方から聞いた話では、
このMSB Premier headphone amplifierの日本での価格は、現在の市場にあるヘッドホンアンプだと、例えばOJI SpecialのセカンドベストであるBDI DC44B2シリーズの最新型機と同等か、あるいはそれ以下の価格帯を予定しているとのことだった。
つまりReferenceから半額とまでは行かないが、価格を大きく下げようとしていると受け取れたのである。
そして、肝心の音質はどうかといえば、
より高価なOJIの最高級機、マス工房の最高級機、Re Leafの最高級機などを含む、私の知るハイエンドヘッドホンアンプほぼ全てを超えている、というのが私の感想であった。
唯一の例外はここにある上位機MSB Reference HPAのみである。
このReference HPAはまるで未来を先取りするオーパーツのようにヘッドホンの世界を明確に拡張したのだが、その真実はまだごく一部の人間にしか認知されていない。
何かがもっと多くの人々をこの世界に誘(いざな)うべきだろう。
新型機MSB Premier headphone amplifierのサウンドは、ヘッドホンオーディオの未来世界から再び届いた招待状のように私には思われた。
それは誰かのブログのように長々と書かれた文ではなく、ごく短くシンプルなメッセージだったが、そこには深い意味が込められていた。
今回はその態度に敬意を払い、私も幾分か簡潔に、しかし重要なニュアンスが十分に伝わるようにインプレッションを書こうと思い立ったのだが・・・。
Exterior:
MSB Premier headphone amplifierの筐体のサイズ、寸法比はMSB Descrete DACの筐体とほぼ同じである。示した写真を見てもらうとわかるが、重箱のようにゴム製のスパイクを介してスタックすることができる。(スパイクがゴム製であることに賛否あるのだが、MSBとしてはスタックして使うことを考えているので、これが金属製スパイクだと大事な筐体を傷めるのではないかと危惧しているらしい。)最上階の黒い箱がMSB Premier headphone amplifierの試作機・プロトタイプであり、その下の銀箱はMSBのDACとその電源である。この筐体は奥行きが浅く、厚みもさほどないので取り回しやすく、設置はやや楽である。しかし密度がは高いので本体がズッシリと重いことは注意すべきか。
筐体のつくりの基本は上位機とほぼ同じであり、自社内でアルミインゴットから削り出された2ピース構造、回路や電源部は筐体の天板に固定された形となる。アルミ削り出しの2ピースの筐体に天板マウントの回路というのは最近の高級なアンプやDACによく見られる手法であり、高音質を得るための定番の構造となりつつある。
正面にはアンバランスの6.3mm標準サイズのジャックと4pinXLRバランス端子が出ている。横にある小さなトグルスイッチはスルーを選択するものらしい。つまりDACの出力をヘッドホンアンプをスルーして後段のスピーカーにつながるパワーアンプに出力することを選択するためのものだ。もともとスピーカーオーディオシステムに組み入れることを考えた設計である。これはスピーカーの音に慣れたオーディオファイルでも十分に楽しめるサウンドを目途として、ヘッドホンサウンドを設計している姿勢の表れとも受け取れる。
ここにはアンバランスとバランスのヘッドホン端子が出ているが、この機体はプロトタイプなので、試聴時にはどちらの端子もアンバランスでしか出力できない設定だった。MSB Premier headphone amplifierのリアパネルの入力はXLRバランスしかなく、回路的にも純粋にフルバランスアンプであるというから、このヘッドホン出力ではまだ本来の音を聞けていない可能性は押さえておく必要がある。この先、聞けると思われるXLR4pinでバランス接続した音が本来のサウンドだろう。代理店の方と話した限りでは、その音はそう遠くない時期に日本でも聞けるだろうという感触だった。
ここで私はアンバランスの6.3mmのジャックと4pinXLRバランス端子を両方備えておいて、ユーザーが手持ちのヘッドホンに合わせて切り替えて選択できるようにしてほしいと要望しておいたが、果たしてどうなるだろうか。
もちろん上位機を踏襲してフロントにはボリュウムノブはない、というか音量調整機構はこのアンプには存在しない。今のところ内部のゲインもユーザーには変えられないようだし、上位機のようにインピーダンスの異なる端子が用意されているわけでもない。
ボリュウムについてはすべて前段のDAC側で調節することになる。
これはこのアンプを実際に購入する場合に最も注意すべきことと思われる。
MSBは自社のDAC、とくにMSB Discrete DACを接続することを推奨しているが、自分の経験から言えば、恐らく普通のボリュウム付きDAC、あるいはプリアンプがあれば、大概は問題なく接続して快適に音を楽しめるはずだ。
例をあげればCHORD DAVEとdcs Bartokについては問題ないことが既に分かっている。
音量調節機能がないことは一見、不自由とも映るが、このヘッドホンパワーアンプとも言えるセパレート思想こそ、このアンプの技術的なコアであり決して外せない、譲れない部分である。ハイエンドスピーカーオーディオでは常識的な、プリアンプとパワーアンプを分けてインテグレーテッドアンプでは実現困難な音質を手に入れる手法こそが、今までヘッドホンで聞かれたことのないほどのサウンドを得た理由となっているのだから。
ただ、様々な感度・インピーダンスを持つヘッドホンが市場にあることも事実なので、ゲインあるいはインピーダンスの切り替えについては何らかの工夫を考えておいて欲しいと言っておいた。
リアパネルにはXLR入力とスルーの出力端子、そして電源ボタン、コンセントのインレット、アース端子がある。上位機では電源ボタンはなく、正面にスタンバイボタンがあり、コンセントを入れるだけで電源が入ってしまう仕組みであったが、そこは異なっている。
天板を見ると上位機と同じくヒートシンクが刻まれているが、上位機ほど内部に余裕がないため、部分的に筐体を貫かないで浅くなっている。音質から考えると電源が潤沢なのは明らかで、電源部はそれに見合うほどの大きさがあるはず。この筐体はそれにしては小さくまとまっているとも言える。
なお、今回の試聴中、アンプを触ってもほとんど熱を感じなかったが、ここに関しては実際に買ってみないと分からない。以前にReference HPAを試聴した時も熱くなかったのだが、実際に買って、自分のラックに入れてつかってみたら結構熱くなって驚いたのは記憶に新しい。しかもこれはあくまでプロトタイプであり、なおさら不確定だ。
総じてそつのない、シンプルでアッサリした外観・つくりでありながら、中身は革新的なボリュウムレスのヘッドホンパワーアンプというのが、MSBらしい。あくまで中身で勝負というわけだ。
外見で今までと少しだけ違うのは機材名がフロントの上縁に小さく刻まれるようになったことぐらいだろう。MSBの機材はラックにいれてしまうと、MSBのロゴさえ見えなくなるのが特徴だ。知らないとどこの製品かも分からないし、目立たなくなる。
ある意味、機材の介在を感じさせないその音質と外観のイメージは一致している。
今回の試聴のシステムはMSBのフルシステムということで、
MSB Discrete DAC+(すなわちMSB Discrete DACにPremier power baseを組みあわせたもの)に、入力はDELAのNASからのUSB出力をProISLインターフェースを経由で接続する。MSB Discrete DAC+の2筐体の上にスタックするかたちでMSB Premier headphone amplifierを設置、バランス接続している。また、これらにはPS audioのクリーン電源が供給されており、私の部屋と似たセッテイングになっている。この電源はStromtankに比べれば随分と手ごろな値段であるが、ハイエンドヘッドホンオーディオにとっては必要十分な性能と使いやすいサイズで、かなり魅力的な電源であり推奨したい。
肝腎のヘッドホンはというと、今回はあのHEDDphoneを選び、シングルエンド接続とした。よく知ったヘッドホンであり、それ自体素直な音なのでアンプの音がつぶさに分かると考えたのである。
なお、MSBのDACはやはり専用のProISLインターフェースを介した音質が秀逸だということは再度強調したい。デジタルファイルオーディオとは思えない、しなやかで柔軟、色艶や温かみもあるうえ、力強く肌理細やかなサウンドはこの接続方式からしか生まれて来ぬものだ。この接続は何度も試聴しているので、今回はProISLによる音質への貢献をできるだけ聞かないようにして、MSB Premier headphone amplifierによる影響のみを抽出するできるよう、試聴中もできるだけ配慮したつもりだ。
The Sound:
一聴して音が違うのはわかる。
だが、なにが違うのだろう。
いったい、このサウンドは今までのヘッドホンの音とどこが違うのか。
それを真顔で、この音を聞いていない者に訊かれても返答に窮するところがある。出音の聞こえ方があまりにも自然なので、違いを言葉で表しにくいのだ。
あるいは、あまりにも気持ちのいい音なので、他人にそれを傍らにいる人々に伝えることよりも音楽をただ聞くことに没頭したくなるのだ。
では、気を取り直して、
ここで私の言う自然な聞こえ方というのはどういう意味か。
それはまず音が耳元のヘッドホンで鳴っているという感覚はなくて、
遠い音は遠く、近い音は近くで鳴っているように聞こえ、
それらの音は目の前にあるリアルな空間を伝播して自分の耳に届いているように感じられることである。
そしてそれらの音の出ている位置をなんとなく指せるように、つまりまるで現実世界でそれが見えるかのように聞こえること、
また、それらの音が壁や天井の存在を感じさせない広い空間で自由に鳴っているように聞こえることでもある。
このような空間性をもって人は音を自然なものと感じやすい。
さらに、大きな音はあくまで頭打ちにならずに大きな音圧をともなって朗々と聞こえ、繊細な音の質感や奏者の気配を感じさせるような小さな音もつぶさに耳に届いて聞き逃しがないと確信できることも重要である。
以上のような意味で、ヘッドホンという制約から解き放たれた音が、まさに自然の音のようにリスナーの覚知されることが、MSBのヘッドホンアンプの最大の特徴である。それは上手にセッティングされた最新のスピーカーシステムならば、なかば当たり前のように聞けるサウンドかもしれないが、他社のヘッドホンアンプではこれほど完備された形で現れたことのない音の資質であって、ヘッドホンとしては真に新しい傾向の音と捉えるべきだと思う。
これは、これまでのヘッドホンサウンドに頑固に深在していた特有の音の癖のようなもの、限界のようなもの、それを我々ヘッドフォニアがあまりにも無意識に受け入れ、慣れ切ってきたことに気づく、そういうタイプの音だと思う。
我々はその不自由を受け入れるどころか、むしろそれがヘッドホンオーディオに不可欠の要素であるかのように尊重してきたきらいもあるだろう。
そろそろ限界を露呈していた音場のサイズとダイナミックレンジの行き詰まり、微かだが耳につく背景のノイズや音像のちょっとした歪み、巧く調整されたスピーカーオーディオに比べれば明らかに不自然な定位。
これらは最近はヘッドホンオーディオでもかなり改善されてきていたが、優れた現代スピーカーで聞く音に比べれば、手練れたリスナー、特にスピーカーで音楽を聴くことに慣れたオーディオファイルにとっては我慢を強いる部分もまだまだ多かった。
それらの不満がMSBのテクノロジーと情熱により、大きく改善され、このような自然なサウンドが表出してきた。
なお、このような自然な音質の基本はReferenceでもPremierでも同じである。
ただその度合いが違うだけなのだ。
Referenceはほとんど全ての要素で一段以上グレードが高くなる。
だが、MSB Reference HPAを聴く前にこちらを聴いていたら、こちらをまず買っていただろう。
ここにあるアンプは、あくまでプロトタイプの段階であるが、すでにMSB Reference HPAと比べ、一聴ではほとんど遜色ないように思われたし、財布にも優しく、コンパクトでもある。
各種の音の要素に分解して他社の最上位のアンプとの述べることもできよう。
例えば、ダイナミックレンジの大きさがかなり違うと感じる。これは音の表現力の余裕そのものであり、MSB以外のメーカーでは体験できないレベルにある。かつてOJIの最上位機にもダイナミックレンジの広さで他機に比べて利点を感じたことがあったけれど、あれよりも確実に上の世界を聞かせるように思う。また各帯域の音の質感描写の深さも違いとして挙げられる。
音のテクスチャーがかなり緻密かつ丁寧でありながら、なんともさりげない。
この場で生音を聞いているイメージが事もなく、そして一切の色付けや意図なしに描かれ、アンプの能力の高さに唖然とする。
マス工房のModel406はもちろん、OJIの最上位機やRe leafのアンプなどもこの能力が非常に高かったが、確実にそれ以上と思われる。
さらに帯域ごとに、例えば低域の重量感のある沈み込みや、高域のキツさ皆無の伸びの良さ、適度な温度感を持つ中域の密度の高い充実した音像などと褒めたい部分は他にもあるが、これらの要素ひとつひとつならば、他社のアンプでも同程度に認められたものである。
ただそれら全てが同時多発的に、音楽のいかなる局面においても常に発揮されるようなアンプというのはMSBのこのシリーズだけだろうと思う。
確かに音の良さが時折感じられるのではなく、常に安定して現れるというのも得難い特質なのだろう。このような安定性もマス工房のModel406において究極的なものとして感じられたが、ほぼ同程度のレベルで実現されている。
とにかく、このアンプのサウンドは全方向に優秀性を保ち、欠点が少ない。
音質の上で多面的長所を持つ見事なオーディオの結晶体である。
そして、ここに列を成す多くの長所を主導するのは、あくまでさりげなく、しかし超強力にヘッドホンをグリップして駆動する、そのドライブ力ではないだろうかと私は考える。
この力が根本にあってこそ、その他の利点が生きてくる。
市販されるヘッドホンの多くを支配下に入れ、思いのままに駆動するアンプはこれまでもいくつかあったのだが、これほどの余裕をもって鳴らすものはMSB社製以外ではなかったと思う。
これは例えばOCTAVEのアンプのように力任せに振動版を掴んで鳴らそうとするイメージではない。
そのようなヘッドホンとアンプのせめぎ合い・闘争の結果として、アンプ側の力づくの勝利というものではなく、戦う前からヘッドホンが降伏しているような音である。
ヘッドホンの固有の音の癖は極小化され、音楽があるようにあるがままになることが優先される。ヘッドホンに自分を出す隙をほとんど与えないほどの支配力なのである。
アンプの介在感はもとより、上手くすればヘッドホンで音楽を聴いているという介在感すら消滅しそうだ。
また、ヘッドホンのパワードライブは往々にしてヘッドホンがしゃべりすぎてうるさくかんじることも多いものだが、ここには落ち着いてじっくりとした語り口があって、聞き味の良さという意味でもポイントは高い。
このアンプで聞きなれた自分のヘッドホンを鳴らす場合、
ほとんどの人は自分のヘッドホンの潜在能力をまだ使い切っていなかったことに気づくことだろう。あるヘッドホンを鳴らし切ると一口にいっても様々な鳴らし方が考えられるが、このヘッドホンは明らかに自分が働いた痕跡を消すタイプである。これはヘッドホンに対してどこまで効率のよい働きかけができるかにかかっており、やりすぎれば自分の音の所作を、はみ出して聞かせてしまうことになる。この小さな筐体のどこにこれほどの能力が秘められているのか。やはりこれはただのヘッドホンアンプではなく、ヘッドホンを駆動するセパレートのパワーアンプであることが大きく効いているのだと思う。
そしてこの大胆な革新に、迷わず、つまり第一弾のヘッドホンアンプから到達したMSBの見識の高さは驚くべきものだ。さずがSelect DACを製造したメーカーである。
底知れぬオーディオ魂をここに感じる。
それからこのアンプ、SNがすこぶる良い。これはもしかすると Reference HPAよりもいいかもしれない。私が今まで聞いた中でSNが高いものの筆頭はdcs Bartok+のヘッドホンアウトであるが、そのレベルと同等かそれ以上か。
音場の背景にひろがる深い黒味は音像の立体的な描写に大きく貢献する。Reference HPAでもそうなのだが、特に音像の周囲の闇が一段深く感じられ、音像になおさら立体感が出たり、音場の奥の方が闇が深いように聞こえたりするのが印象的である。全体として背景の静寂の闇に濃淡が感じられるのがMSBのアンプの凄いところだと思う。
このアンプを通して音楽を聴いていると、大きな壁面一面すべてに巧みに彫琢された動的なレリーフを静かな気持ちで眺めるような気分になる。真っ黒い背景から音が浮き上がっては美しく消えてゆくようであり、音が本当に生きている。この格別の背景の黒味・静けさは音場の広大さと相まって、音場というよりは音世界ともいうべき、より大規模な舞台装置を音楽に提供している。
ここではPS audioのクリーン電源も一役かっていることは間違いないだろうが、今までのPS audioの経験からすれば、それだけでこれほどの効果を得ることは難しそうだ。やはり、このアンプ自体のSNの良さが相当なものに達していることははっきりしていると思う。
MSBのアンプにおけるサウンドステージについては、
もう広いという言葉で表現する意味がないような気がする。
海や山に行って景色を眺め、その広がりに感動するのは
いつも狭い場所に暮らしていたからだろう。
ここのサウンドに浸ってしばらくすれば、
過去のヘッドホンアンプの音場は忘れてしまう。
その広がりが当たり前になり、過去の体験をうっかり忘れてしまいそうになるのだ。ここにはヘッドホンオーディオとしては、かつてなく広大なフィールドがある。だがそれはMSBにとっては当たり前なのだ。
そして、そこに音像がある。
音像には色があり、形あり、動きがある。
そしてそれぞれが占めるべき位置がある
私たちはそれを定位と呼ぶが、この世界では、それはゆるがないものなのだ。
それでいて、ここにある全ては、目の前を目まぐるしく変化しながら流れてゆくのである。
風のように、川のように、嵐のように、滝のように。
その流れ方や動き方は様々である。
ここにあるのは、揺るがないのに動き流れてゆくという音楽という矛盾した存在である。
この矛盾を超えて、その存在価値を私たちにすんなりと理解させるのが、
MSBのDACとアンプのコンビの魅力のひとつだろう。
MSBのヘッドホンパワーアンプのサウンドでは
音像も音場も区別してして考えなくていいのである。
そこにあるように音楽があり、あるがままに鳴り、流れてゆく。
聞き流すのもよい、あるいは集中してひとつひとつ分解して聞くののいいだろう。ありとあらゆる音楽の聴き方の自由がここにあり、
それをどう使い、解釈するかは聞く側にゆだねられ、無言の問いとして投げかけられる。
あなたはこのサウンドをどう聞き、どう感動するのか?
こういう問いかけるような態度、あるいは最上のサウンドをリスナーの前にあっさりと投げ出しておいて、あとは好きにしなと去って行ってしまうような態度は、MSBの最上位機Select DACの態度に通ずるものだ。やはり血は争えないというか、強いていえば、これこそがMSBのアンプの音の癖にあたるのかもしれぬ。
自分の部屋に戻って自分のReference HPAのサウンドと比較する。
思った通りだ。
こちらはもっとダイナミックレンジが広い。それからサウンドステージがさらに広大である。音の立体感も一段上にある。そして、全体にさらに生々しくリアリティーに富んだ音だ。ただこの音の違いはアンプの違いだけではない。外部クロックを入れたdcsとあくまで外部クロックを否定するMSBのDAC(MSBのDACは内部クロックにこだわり、そのグレードをユーザーが選べるようにしている)の差異もあろう。また最近導入したNordostのValhalla2 USBの成果も出てきているだろう。確かにこれはProISLほどのしなやかで柔軟な音ではない。しかしデジタルファイルオーディオとしては、この上なくシャープでキレがよく、ブライトかつスパイシーなValhalla2シリーズのサウンドが、私のオーディオに加えた精彩というものを無視はできない。そこらへんを分離して評価できるほど、まだこのサウンドに慣れていない。
しかしやはりReference HPAでは音の自然さの度合いがさらに高いのは間違いない。
あまりにもその点で優れているので、それまでのヘッドホンサウンドに慣れていた私は逆に違和感さえ感じたものだった。
しかし Premier HPAには、あの時のような違和感がほとんど感じない。
これを初めて聞く人でも、スムーズにこれまでのヘッドホンサウンドから新しいMSBの提唱するサウンドへと移行できることだろう。
これは周囲のヘッドホンサウンドとの段差がReferenceほどには大きくないためだ。
やはり多くの人はPremier HPAから入ったほうがいいと私個人は思う。
まあ、いずれにしろ、今後、バランス出力のできるプロダクトモデルの試聴ができるようになれば、条件をさらに公平にして、もっと正確な試聴も可能になる。そして、どちらが好みか、そもそもどんなに素晴らしいサウンドなのか現実に体感して判断できるようになる。その頃にはヘッドホン祭りなどのイベントが開けるようになって、より多くの人がMSB Reference HPAとPremier HPAを並べて聞くことができるようになって欲しいと思う。
Premier HPAの音質上での実質的なライバルとして、一機だけ挙げるとすれば、やはりマス工房のModel406となるだろう。この特殊なヘッドホンアンプの実力は高い。ボリュウムがついていて、DACが入っていないいわゆる単体ヘッドホンアンプで現在、最も優れているものがあるとしたらこれだろう。(DACつきのヘッドホンアンプならナンバーワンはdcs Bartokだろう。)
だがPremier HPAはダイナミックレンジやサウンドステージ、SNでこれに勝る音質に仕上がっていると思うし、通常の販売店経由でModel406よりずっと安く買えるのもメリットだ。
Model406はメーカーからの直販しかなく、ほとんど個人的なつながりで高価な機材を取引するという危うさも感じないではない。そしてヘッドホンオーディオの新しい潮流を体感できるという、クラシカルなヘッドホンアンプにはあり得ない側面もある。総合的にはPremier HPAはModel406よりも優れた、今最も買うべきヘッドホンアンプに仕上がっていると思われる。
繰り返すが、やはりこのような音の良さはボリュウムがないことが大きく影響している。
これからハイエンドヘッドホンアンプが進む方向性があるとすれば、間違いなくヘッドホンパワーアンプへと進むべきだろうと思わせるサウンドだ。
このアンプの音質と存在が示す深い意味がそこにある。
また、MSBのアンプのオンステージはハイエンドヘッドホンの開発にも大きな影響を及ぼすだろう。
正直、今回の試聴ではヘッドホンはこのアンプに完全に従属するしかない状態で、逆にアンプの実力を十二分に引き出す形にはなっていない。そのような新世代のヘッドホンはいまだ市場には存在しないのではないか。
T+AのSolitaireあたりに期待する向きもあるが、私はまだあのヘッドホンを聞けていない。
あれらのヘッドホンについては、遅かれ早かれ、ここでインプレッションを書くことにはなりそうだが・・・。
Summary:
ここでどうしても言わなければならないことがある。
このアンプでは、やはりボリュウムがないのが困る。
オーナーは自前でなんらかの音量調整をする仕組みを用意する必要がある。
この形式は大きな音質の飛躍を生むが、システムを作る側に金銭的あるいはスペース・電源上の負担がかかってしまう。だから、今までそれを本格的にやったメーカーがほとんどなかったのだろう。
それは結局、ヘッドホンを聞くということがスピーカーを聞くということより下に見られていたからだと思う。そうまでしてヘッドホンを聞くなら、スピーカーで音楽を聴きましょう。そういうノリの話だったと思う。
ところが時代が変わった。
スピーカーオーディオ自体が高価格化や社会の変化により微妙に行き詰まりを見せる中、
ハイエンドヘッドホンオーディオの存在感が増している。
たしかに最近、伝統あるオーディオメーカーがヘッドホンに関連した機能を強化したモデルを発表する頻度が増している。Boulder, Esoteric, McIntoshなどはかなりガチな機材を発表しつつある。また、AccuphaseやMarkLevinsonも自社のプリアンプにまともなヘッドホンアウトをつけていることを強調している。
また、ステイホームが叫ばれるなか、家族の多くが家にこもっているとき、親父がひとりでスピーカーからデカい音を出すのは顰蹙(ひんしゅく)を買うという話もある。ステイホームだからこそ周りに気を遣うべきなのだ。そんな時、スピーカーに匹敵するいい音でヘッドホンを聞けたら・・・。そんな願望からハイエンドヘッドホンの時代がジワジワ来ているのかもしれない。
そうだ、今こそ満を持してボリュウムレスのヘッドホンパワーアンプを市場に投入する時なのだろう。ボリュウムがないのが確かに困るけれども、私はそんなふうにポジティブに考えている。
MSBのヘッドホンアンプを使ってみて、不思議だったのは過去に聞いてきた自分の好きな録音をもう一度聞き直したくなるよりも、まずはこのシステムで、今まできいたことのない音楽を聴いてみたくなったことである。
普通、優れた機材を新たに導入すると、今まで聞いていた音楽を別な切り口から聞けるものなので、過去聞いていた音楽に再び目を向けることが多いものだが、なぜかMSBのアンプではそうはならなかった。
様々なオーディオ機材を使ってきたがこういう気分になっているのは初めてだと思う。
つまりはオーディオや音楽について、過去を捨て身軽になり、
さらに未開拓の領域に進出したくなったのであろうか。
それとも、このアンプを通して、今までは音楽の聞こえ方の切り口が変わって喜んでいただけで、その都度失うものも多かったのだと、今更ながら悟ることができたからだろうか。
機材を変えて、音が変わる。それで喜ぶだけのオーディオにもう飽き飽きしつつあったのは事実だが、根本的なヘッドホンオーディオの進化に直面して、オーディオ観が微妙に変化したというのが正直なところだろう。
とにかくMSB Premier headphone amplifierを聞き、ヘッドホンパワーアンプという新しいジャンルの機材の将来性が確信できたことはヘッドホンの世界にとっては大きなターニングポイントかもしれない。
ハイエンドヘッドホンのサウンドは、この機材の登場によって明らかに進化した。今回はハイエンドヘッドホンというこの道を、この先も安心して歩んで行っていいのだということ、そして私はスピーカーオーディオに戻らなくてよいということが決定的になった試聴だったと思う。
季節は変わる。
世の中の潮目も変わってゆく。
いつものことだ。
今はこんなに静かで、見ようによっては危ういオーディオ界ではあるが、
新しい挑戦のうわさもチラホラ聞こえてくるようになった。
なかには実際の実りと収穫を目の前にしている試みもある。
そういう兆しを敏感にとらえ、実際の購買行動で反応することが
すべてのオーディオファイルに求められている時代だ。
発売日にSS誌を買ったりして、
滅びゆくものに間接的なお布施を払うばかりが、
オーディオ文化を保つ方法ではない。
ハイエンドオーディオの歴史自体は、
それそのものに内在する不朽の価値によって、衰えようとも辛うじて続くのだろうし、ハイエンドヘッドホンの歴史なら、まだ始まったばかりと言うこともできる。
だが、その歴史の中でオーディオの形は変わってゆくことを忘れてはならない。
もはやスピーカーにこだわる必要なし。
そう言い切りたくなるような清々(すがすが)しさが、
今回の試聴の余韻である。
Mola mola Tambaqui DACの私的インプレッション:戦う理由
By 深瀬 慧
Introduction:
その夜、夢を見た。
望むもの全てを手に入れた夢だった。
しかしその時、私を取り囲む世界は滅びかけていた。
なぜだか分からないが、そういう設定の夢なのである。
これでは望むもの全てを得ても意味がない。
私はそう思って絶望しかけていた。
公園のように広い場所にポツンと置かれたソファにひとり私は腰掛けて、
冬の黄昏の冷たい空気を吸い込みながら、あたりを見回していた。
それは夢だとは知っていたが、
それが何かの現実の象徴らしいことも、うっすら自覚していた。
(夢とはそういうものなのだろう)
ふと見ると自分の横に見覚えのない小さな白い箱が置かれているのに気付いた。
触れてみると、それは暖かく硬くざらついた感触がした。
箱の正面に小さな丸い窓があり、そこをのぞき込むと、
なんと魚が中で泳いでいた。
目を覚ました。
家族はとっくに出払っている時間になっていた。
今日の昼間は、私だけの休日だ。
ウールの毛布をひっかけてベランダに出ると、
初冬の午前の空気はやはり冷たい。
空は閉ざされたかのように灰色に曇っている。
やはり世界の終わりは近いらしい。
さてと部屋の方に振り返ったとき、昨夜届いた荷物が目に入った。
今からやるべきことがある。
私はナインティンプラスの豆を挽き、エアロプレスでコーヒーを淹れた。
柔らかくで華やかな酸味が軸となって、
アフターテイストが長く続く味に仕上がっている。
昨日買ってきたスコーンも切って焼いた。
用意した朝食をすべてを平らげてから、
私は静かに荷物を開け、
Mola mola Tambaqui DACのセッテイングにとりかかった。
Exterior:
この会社には或るエンジニアがいる。
人は彼を天才と呼ぶ。
彼、Bruno Putzeysのアイデアは斬新だ。
それはTambaqui(タンバキ) DACに入力されるデジタル信号すべてを3.125MHz/32 ビットにアップサンプリングしたうえ、量子化ノイズの分布を変化させノイズを低減した PWM 信号に変え、DA変換に送り込むというやり方である。そのDAC本体はデュアルモノラル方式の32 ステージの有限インパルス応答型 デジタルフィルター と電流/電圧変換フィルターとの組み合わせから成るという。これにより130dBものSN比でデジタル信号をアナログデータに変換できる。この独自方式は同期する周波数データの強固な安定性と、他社の機材と比較してより高度なデジタル領域でのS/Nを実現するとMola molaでは謳っている。確かにこの数字はずば抜けている。
もちろん、このDACは既成の旭化成などのチップを使用せず、ディスクリートで組んだものであり、高いオリジナリティを誇る、いわゆるブテイックDACである。(こうなると工場の火事の影響も受けない。)
DACを設計する現役のエンジニアたちの中から、既にこのDACの設計の先進性を称賛する声も挙がっているが、素人の私には、この説明だけではあまり響かない。私はまずは出音だけで機材の価値を判断する主義だ。
このDACへの入力の中には他のDACであまり見ないものが混じっている。
ハイエンドの部類に入るDACとしてPS audioなどごく少数の例外を除き採用のないHDMIを用いたI2s入力、これを私は意識していた。その端子を経由したサウンドに興味を抱いていたのである。最近は下火になってきたが、ラズベリーパイを用いたデジタルファイルオーディオで、USBによるデジタル接続で通過しなくてはならぬ余計な処理をすっ飛ばせる接続である、I2sが注目されていたこのDACとラズパイを組わせて瓢箪から駒のようなサウンドを取り出すのも面白そうだし、M2TechのHiface EVO Two(DDコンバーター)を経由して一般的なパソコンと接続することもできそうだと思っていた。Hiface EVO Twoならクロックも入るし、外部電源の強化も可能であり、カネさえかければいくらでも遊べる余地が残されているように見えた。事実、PS audioのDACの試聴によって、このようなI2s接続がUSB接続よりもダイレクトで生々しく、ノイズの少ない音をもたらすことを私は知っていたので、勝手に期待していた。
だが、この件の対するメーカーの返事はややそっけないものだった。
要約すると、I2sはPCM信号(192kHz,24bitまで)のみのサポートで、必ずしも推奨はしないと。そしてなにより、一律のアップサンプリング、ノイズシェーピングしてからのDA変換により、どの端子から入力しようと出音には変化なく常に良い音となっているのだから、入力法の取捨選択など余計なことは考えなくて大丈夫だというものだった。つまりMSBのDiscreate DACのproISLの音質のように他の入力を引き離して良い入力が存在するというものではないと言いたいらしい。
なおメーカーの推奨する入力を強いて挙げればUSBあるいはネットワーク(Ethernet)のようであり、これらはDSDもサポートするとのこと。つまり他の入力はPCMのみなのである。
まあいいや。フォーマットや数字を争うデジタルオーディオは卒業しよう。
なおMQAについてはフルカバーしているかどうか私には分からない。
一応、ここにあるマニュアルではMQAはサポートしないとはっきり書かれている。一方、こいつでMQAの再生に実際に成功したとのネット上の情報もある。はっきり言ってよく分からない。
私はMQAに今のところ魅力をさほど感じないので、MQAファイルをもってないし、どうでもよいと思っていてあえて試さないが、いずれにしても正確な情報があった方がいいと思う。
箱出ししたものを、改めて眺め返してみると、
このDACの筐体は随分と独特なデザインをしている。
まずフロントの丸い窓が開いていて目を引く。これはDAVEのそれよりは小さい。だが、この銀縁の丸窓のデザインはなかなかアイコニックであって、見る人に忘れがたい印象を与える。
社名のMola molaとはマンボウ、あの独特な形態をしたフグ科の大型硬骨魚の学名なのである。(ちなみにTambaquiというこのDACの名前もアマゾン川に棲む淡水魚の名前である。Bruno Putzeysは魚が好きなのか。)
ボリュウムコントロール、ゲイン調節、極性反転、左右のバランス調整、ディスプレイの輝度調節などをこのアプリが担当する。つまりスマホがリモコンになるという、今風のDACなのである。
このTambaquiを触って感触を確かめていると、筐体の造りが普通のDACよりも硬くきっちりとしているにのに気づく。
ざらざらした表面仕上げの分厚いアルミダイキャストのパーツを上下で咬み合わせるような形で組み、天板を緩やかに波打たせた筐体はこのクラスのDACとして異例に強固なものだ。この板の厚みや精度が信頼感を生む。一方で、そのカーブを描く曲線に触れると、まるで生き物の背中を撫でているような気分にもなる。筐体自体はリジットに組まれているのに実に有機的なソフトな感じもするのが興味深い。
なお、この筐体はDACに演奏させているうちにそれなりに熱くなる。
触れないほどではないが50℃に近いだろうか。
ヒートシンクらしいものはついていないので、これは筐体を立派に分厚くしてそれ自体で放熱するような形を取っているのだと思われる。
またフットが変わっている。これは線形をしているのだ。
二本のゴムの薄板が金属の板に挟まれ、底面に平行に配置されており、この二本のラインで筐体を支える形になっている。こういう足の機材は今までなかったと思う。これも音になんらかの形で効いているのかもしれない。
全体にコンパクト(20×11×32cm)・軽量(5.2kg)にまとまっており、もともと専用トランク付きで売られているので、持ち運びも十分に可能だ。リスニングルームに置いたならデザインで目立つが、スペースは取らず、移設も容易という様々な観点から見て優れたものだ。
ここにはUSB,Optical,AES/EBU,Ethernet(Roon ready),I2sのデジタル入力とフルバランス構成であることの表れであるXLRライン出力(RCAシングルエンド出力はない)、そしてヘッドホン用のXLR4pin端子と6.35mmジャック、ACインレットが見える。例によって電源スイッチはオミットされている。つまり電源ケーブルを差し込むだけでONになる仕組みである。この方式は音のいい機材ではよく採用される。
そしてヘッドホン用のXLR4pin端子があることは私にとって何気にポイントが高い。この端子が6.35mmジャックとともについているDACには、ほぼ例外なく優秀なデジタルボリュウムと、大概のヘッドホンを過不足なくドライブできるだけのアンプがついている。これはデジタル入力専用のヘッドホンアンプとしての十分な機能がビルトインされていることを示しており、そのメーカーのヘッドホンオーディオへの本気度が高いことを表している。
これをヘッドフォニアである私が試用する理由のひとつは、ここにある。
なお、クロックの入力はない。これは良きにしろ悪しきにしろ、メーカーのポリシーと覚悟を示している。内蔵クロックで十分、というよりその方が音がいいという主張なのだ。これでいいのか、物足りなく感じるかを知りたいなら試聴して判断するしかない。
これはオランダ本国内で丁寧に製造されるヨーロピアン・オーディオ・プロダクトであり、材質やデザインに創意工夫をこらし、現代的な操作システムを導入、Roon等への対応も抜かりなく、コンパクトでエスプリに富んだ製品にまとめたものだ。この製品の持つ香りはLINNの高級ラインの製品などに通じるもので、まことにヨーロッパの高級品らしい、独特の品位の高さとまとまりがあって、オーディオマニアの所有感を満たしてくれる。
The Sound:
昨日、発売されたばかりのオーディオ雑誌を読んでいて少し驚き、次にやはりそうかと納得した。
ある評論家の方が書いた、新発売されるA社の旗艦プリアンプの記事を読んだのである。
アンプのデザインや回路構成などを記したあと、肝心の音質について評価する部分にさしかかったのだが、その始まりの一文が
「ここで音質についても触れておこう。」 だった。
こんな文章では、その音質はついでに触れておくぐらいの価値しか持たないような印象を読者に与える。
特に「も」の部分にそのニュアンスが強い。
日本を代表するA社の顔とも言えるアンプ、しかもその新製品の音質について語ろうとする冒頭がこうなのである。
だが私にはなんとなく分かる。
実物を聞くと、恐らくその程度の音なのだろう。
実はA社の製品だけではない。
最近のハイエンドオーディオ全体にそういう傾向なのである。
全然、音自体に新味がない場合が多いのだ。
近頃のオーディオ雑誌を見ていると評論家の皆さんの間にマンネリズムが蔓延しているように見えるが、これがひとつの原因だろう。
彼らが高齢化したのもあるが、最近出て来る機材が、昔からこの趣味を続けて色々知っている人間にとってはつまらない音ばかり出すから、書くのが嫌になってしまったのだと思う。
一方、今回試聴したTambaquiのサウンドは珍しく私を面白がらせてくれたのだが、なぜかこのDACはまともに取り上げている日本の雑誌が今のところない。
12月初旬に出るSS誌には、ちゃんと載るのだろうか。
こんなに面白いサウンドをデジタルの符号から解き放ってくれるDACは久しぶりだ。
このDACの音は、近年出てきた優れたDACたちの音の面白味のある部分、特徴的に良いところをバランスよく公平に盛り込んで、一つにまとめたものになっている。
Dcs Bartokから聞かれる落ち着きや肌理の細かさ、客観性。
CHORD DAVEの持つダイナミックでハイスピードなリズム感、そしてキレの良さ。
MSB Discrete DACの特徴である、厚くて彫りの深い音像と柔軟性。
Nagra HD DACを連想させる音楽性と絶妙な音の温度感。
さらに、ここでは過去のデジタルプレーヤーの名機たちが持っていた様々な音の特性もスパイスのようにちりばめられている。
Tambaquiは、これらをちょうどいい比率で配合し、ひとつのサウンドとして集約して、リスナーの前にさりげなく差し出す。
いくつもの相反しうる複雑な要素をまとめているのは、音の中心部にある硬い芯の部分であり、それがしなやかな緊張感を常に保ち、サウンド全体を貫くことで、チグハグになりがちな多様な音の特徴に統一感を与えている。結果として、どこかで聞いたことがあるような部分を持ちながらも、トータルでは初めて聞くサウンドとなっている。
まるで名優、名バイプレーヤーたちが多数出演して演技を競う長編劇のように面白く飽きさせないサウンドである。
数値で謳っている通りというか、基本的に様々なタイプのノイズの非常に少ない清潔な音という第一印象であるが、この手のクリーンサウンドによくある整理整頓し過ぎた家のインテリアのような不自然さ、ぎこちなさがないのがよい。人工的でない、柔らかなクリアネスが音の底流に流れ、結果としてありのままの静けさが音楽の背景に広がっていて好ましい。
また、ダイナミックレンジはとても広く感じる。最大音と最小音の落差は同価格帯にありライバルとなるであろう、DAVEなどより、聴感上やや大きい。このレンジの広がりはコンパクトな筐体から来る、ややこじんまりして大人しい出音の予想を裏切る迫力・ダイナミズムを生む。また微細な音も漏れなく捉えて、音楽の丁寧な描写に大きく貢献する。
演奏する各パートは各々の立体感を保ちつつ十分に分離され、与えられた音場に揺ぎ無くピシリと定位して展開するので、録音の場景はイメージしやすい。ただ音場の広がりとしてはむやみに広い方ではないから、より広大なサウンドステージを求めるなら、後段につなぐアンプやスピーカー、ヘッドホンの実力に頼る必要もあるだろう。この意味で私の持つMSBReference HPAは多いに活躍してくれる後段機器であり、なかなか外せない。
さらに特筆すべきこととして、音楽のリズム感がとても精密であることが挙げられる。音が出て消えるタイミングが的確であり、その的確さは奏者の技量と曲に込めるニュアンスをリスナーに正しく届けるのに適している。現代のハイスピードな音を身上とする機材の中には、テンポの速い音楽を余計に速めてたたみかけるような弾みをつけ過ぎてしまうものもあるのだが、Tambaquiはどんな音楽でも落ち着いて、正確さを第一にして対処しているような印象を受ける。なにか音楽がとても普通に聴けるタイム感覚で演奏されているようで、常に安心感がある。
このDACは中域の色彩感が濃厚であり、ここに音のコアがあると感じる。
この中域を軸とした音作りはどこか一昔前のCDプレーイヤーのサウンドに通じるものがある。フィリップスのLHH2000ほど濃厚な音ではないが、(Bruno Putzeysがかつてフィリップスに所属していたことは想起すべきか?)その雰囲気がどこかに宿っているような気がして、私は無意識に記憶をさかのぼる。
LINN Sondeck CD12,STUDER A730,Wadia860,かつて親しんだ名機たち。Tambaquiは彼らのサウンドの個性は取り入れながらも、情報量についてはあの頃とは比べ物にならないほど増やして私の耳に届けてくれる。
ただし、中域の適度の温度感や音の明るさという意味では過去の名機と異なるだろう。Tambaquiのサウンドはやや明るく、そして音温はややクールで現代的である。夏の夜の闇をイメージさせるような暗く熱い音を身上とする昭和の名機たちとは違う。
また、キレがよいハイスピードな高域はスッキリと伸びている。令和のオーディオらしいとでも言おうか。ここではDAVEなどの、ともするとやや強調感があり、そこにアピールもあった高域という印象はなく、あっけないほど自然な佇まいの高域が聞き易さを演出する。
そして低域はややコンパクトで動きがよいものだ。どこまでも深く伸びていると言いたげな欲張りな低域とは思えないが、量感よりは心地良いレベルのインパクトとフットワークを重視した低域であって、やはり現代的と私には映る。
このような各帯域は全体に明るくやや軽い音調、やや涼しい温度感で統一され、綺麗に足並みを揃えながら、音楽をバランスよく表現する。
このTambaquiのサウンドはエッジの効かせることで音像の存在感を際立たせるではタイプではない。むしろ淡く周囲に溶け込むような自然な音の輪郭を描き、より進んだオーディオの領域に踏み込んだことを聞く者に実感させる。
加えて、グラデーションよりはコントラストで対比をくっきりと付け、彫りの深い音像を形成するのが得意であることも言っておこう。音の輪郭はさほど強調はせずに音のコントラストをやや強く出すことで音像に一層の存在感が宿るようだ。
このような美点は、またしても私に過去の名機の音の姿勢を彷彿とさせる。淡い色と濃い色のコントラスト、光と闇のコントラスト、鋭さと鈍さのコントラストがはっきりしており、その中間をとって、あいまいに済ませようとする素振りがない。真ん中をとるのではなく両極が引き合わせながら、どちらも引き立てるという離れ業をやってのける。
こういうサウンドは現代ではあまり聞いたことがない。
例えば電源をS2500のバッテリーモードに切り替えるとすっかり音が変わる。音場が俄かに澄み渡り、音のテクスチャーが手に触れかのようにリアルなものに変化する。電源ケーブルを変えても大いに音は変わる。
試みにJorma AC Landaを繋ぐと色付けの少ないニュートラルな雰囲気を基調としながら、滑らかでしっとりとした音触が混じったような音になる。完実電気で最近発売したBelden19364を挿すと打って変わって、音のテクスチャーは素っ気ないほどにドライな感触となるのだが、的確なリズム感や音像が若干前に出てアグレッシブな雰囲気が前に出て来る。特にこのBelden19364はオーディオ用ケーブルとしては明らかに廉価ながら、聞きごたえのある音で記憶に残る。
何にしろ、このDACを買った方は電源ケーブルでは楽しく悩むことだろう。
クロックを外部から入れられないことに関しては、Mola molaのポリシーであると、やがて納得して聞くようになった。この製品に関してはクロックの強化は蛇足に終わる可能性があると、試聴がある程度進んだ時点から思うようになったのである。
dcsのように、出音にきめ細かな正確さを要求するだけではなく、
音楽の抑揚をリスナーに伝わりやすくする音楽性をもふんだんに盛り込むTambaquiのサウンドには外部クロックによる支配は似合わない。
そういう、やんわりしているが、その実、結構に強制的な外付けクロックによる縛りというものは、正確で公平な音調を安定して生み出すには向いているが、音楽が弾(はじ)けているときでも、冷たい傍観者に終始してしまうことが問題だと常々思ってきた。だから私のシステムの場合、dcsには相応の弾(はじ)けたCross pointの電源ケーブルをあてて、そういう雰囲気に陥ること防いでいるわけだ。
だがTambaquiにはそういう配慮はいらない。Tambaquiは素のままで、音楽のとても深い事情、音楽を生み出す人間の気分、感情といった領域の説明に長けている。
音楽性を内在させるために外からの干渉を嫌ったかのようなTambaquiの自己完結的な態度に私はなぜか共感を覚える。恐らく私の中にも、自分にも説明できない感情のほとばしりにリミッターをかけたくないという思いがあるのだろう。
さて以上は、このDACのラインアウトからヘッドホンアンプにつなぎ、Final D8000やHD800sで聞いた場合の音の印象である。
ここで試聴に使っているヘッドホンアンプはMSB Reference HPAである。
先に導入したこのアンプの音に私の感覚はやっと慣れて、音楽を素直に聞きこめるようになってきた。
既に他で書いているので繰り返さないが、
このヘッドホンアンプの音は素晴らしい。
スピーカーはもうしばらく使わないような気がするほどだ。
そして、このアンプの使いこなしの一番のポイントは置き方である。
優れたボード、あるいはラックに入れたときに最も実力を発揮する。
これが分かってからやっと安心して聞けるようになったのである。
具体的には適切なオーディオボードを敷くと音の重心が下がり、定位が良くなる。それだけ聞くと当たり前ような気もするだろうが、このアンプは例外的に、音をアクセサリーの使いこなしでコントロールすることが難しい機材なので、ボード一枚で音が変わること自体、それなりに驚きなのである。
確かにMSBの機材全般にアクセサリーによる音の底上げが難しいイメージがある。特に電源ケーブルの交換に音質がなぜか反応しにくいきらいがあると思う。
他社の機材なら、大概それが一番音を変えるアクセサリーなのに。
ここで私はilungoのGrandezzaを最終的に選んでいる。
このボードのおかげで、今はかなり満足ができる音が出ているので、
これをリファレンスとしてTambaquiなどのDACのテストもできる。
そして実はTambaquiも置き方により音が変わる。
なにしろフット自体が、経験のない二本の平行線という具合なので、置き方には研究の余地がある。
まず、Mistralや自前で用意したチタン合金の上に置くと、高域に若干エッジが出て、解像感は稼げるもののなにかかりそめの音というか、落ち着かない。また厚さ5mmほどのカーボンボードがあるのでそこに設置すると、僅かに音が静かになるようだが、音楽の足取りがやや遅くなるようだ。
さらにTAOCの鉄粉入りのウッドボードに置いてみると、もっとどっしりと重心の下がった音になるが、音のスピード感はほぼ失われ、縦乗りの音楽の小気味良さは削がれる。
最後に厚さ9cmのブロックのようなilungoのGrandezzaに置くと、予想どおりこれが一番安定し、躍動感を失わず、音楽を解き放つような気がする。とにかく、このDACを導入(い)れたら、置き方は各社のフットを含め、いろいろと試してみたいものだ。
さて、このアンプにはヘッドホンアウトがある。
ヘッッドフォニアとしては気になる、この部分の音質も興味深いものだった。使った第一印象としては基本的にラインアウトの音とほぼ同じではないか、ということに尽きる。このDACは入力も出力もその選択により出音が変わらないことを意識して作っているようだ。
dcsのBartokやNagra HD DAC、CHORD DAVEなどヘッドホンアンプを内蔵するDACのラインアウトとヘッドホンアウトのの音を実機で比較すると、多かれ少なかれ明確な違いがあるものだ。例えばDAVEは違いが大きいし、現用のdcsに関しては逆に違いが少ない部類だと思う。
しかし、Tambaquiの場合はdcsよりもさらに違いが少ない。
ラインアウトの音をわずかにスケールダウンしたような音がTambaquiのヘッドホンアウトの音である。
また、このDACに内蔵されたヘッドホンアンプは駆動力のレベルは十分に高い。十分に、というのは市販の大半のヘッドホン、SUSVARAなどの難物を除けば、どれでも良さを引き出せるという意味であり、単体のヘッドホンアンプではRNHPに近い実力を持っている。Nagra HD DACやDAVEに内蔵されたHPAよりは明らかに上だし、dcs Bartokに内蔵されたもの、おそらくDACに内蔵されたものとしては最強と言えるあのアンプの持つ能力と比較しても、そう遜色はない。そしてバランス4pin出力を使うことを推奨する。こちらの方がシングルエンドの6.35mmジャックよりも低域の伸びや質感の描写に余裕が感じられ、サウンドステージもより広くなる。
こうして試聴しているうち、私はこのDACをデジタル入力をメインとするヘッドホンアンプとして使うこともアリだと思うようになった。
ただラインアウトで単体のHPAにつないだ方が、よい結果が得られることはあるだろう。MSB Reference HPAを通した音はそれを証明している。
ひとつの考え方にすぎないが、
オーディオ機器の評価というのは、音質のみに着目した絶対評価とデザインや使いやすさ、価格など多くの要素を総合し、他機との比較しながら決めた相対評価があると私は考える。オーディオを真面目に比較して評する場合、この二つを並べて見ておく必要がある。
絶対的な音質のみの評価でTambaquiを見たらどうなるだろう。
例えば、同価格帯でほぼ同じ機能をもつ、未だ人気のロングセラーCHORD DAVEのサウンドをTambaquiは超えている。(M scalerを加えたセットと比べても、まだ上だろう。個人的にはそもそもM scaler自体の効果が微妙な気がする。あれはなくても困らない。DAVEとBlu Mk2の組み合わせにCHORDの真髄は表現しつくされている。)
一言で言えばDAVEのそれよりもTambaquiのサウンドは洗練された大人の音なのである。
例えばDAVEの美点の一つである、瞬間的な音のアピール力、説得力だけでなく、オーナーの好みが変わっても長く飽きずに使い続けられる要因、
後からジワジワ来る持続的な音の説得力までもが、このサウンドに秘められているところなどがそうである。
確かに、オーディオ界全体を見渡せばこのDACと同じ程度かそれ以上のレベルにあるDACはある。しかしそれらは全てより上の価格帯に属している。dcs BartokにRossini Clockを合わせた音などはどうか?
あるいはProISLで聞くMSB Cescrete DAC Plusと比べたら?
やはりこれらのDACの出音はサウンドステージの広さや描写の緻密さでTambaquiを若干ながら上回ると思う。
しかしこれらのDACの価格は100万円以上アップしている。
これはフェアな比較になりにくい。
そこで、総合的な評価となるのだが、その観点から見てもやはり、今まで真っ先に推奨してきた、ロングセラーのChord Daveよりさらに上に位置付けることができるものである。価格と機能は似通っているが、音質も、そしてその他のいくつかの点でも、Tambaquiが一段上なのだ。結局、TambaquiはDAVEを越えて、私が知る限り、現時点で性能と価格が最も高いレベルでバランスしたDACとなっている。さらに、このDACの正規輸入品の日本における実売価格は、海外での販売価格とあまり差がないことも小声で言っておきたい。
音質の絶対的な評価でも、全ての面を含めた総合的な見地からもTambaqui DACは現在、最も優れたデジタル機材のひとつである。
姿と音が気に入って、即金でもローンでもカネの算段がつくなら、そして過去のオーディオに精通したうえで、デジタルを駆使する未来志向のオーディオファイルを自任するのなら、買わない理由はあまり思いつかないDACなのである。
Summary:
今年ももうすぐ終わるだろう。
ここで総括じみたことを言えば、
本年ほどハイエンドオーディオに輝きのなかった一年はなかったという発言となる。
四季を通してずっと試聴を繰り返してきたが、
書きたくなる機材にこれほど出会わなかった年は記憶にない。
実は今年は新製品の数自体は意外に少なくはなかったと思う。
コロナ時代であるが、新しい製品の発表数はアクセサリー類を含めれば、
例年と大きくは変わらなかった。
しかし、出てきた実物と対峙してみると、
これはと思うものが例年より少なかった。
つまり今年は私のオーディオにとって、空っぽに近い一年だったと言えよう。それでも、ここまで押し詰まってきたところで、
ついにTambaquiを聴けたのが無性に嬉しかった。
まだ感化を受けていないハイエンドオーディオ初心者にも抵抗なく薦められ、かつ既に深く感化されたベテラン オーディオファイルが聞いても十分に感心できそうなDACはCHORD DAVE以来だろうか。やはりTambaquiについて想うとき、いつもDAVEのことが頭をよぎるのは偶然ではあるまい。丸窓のデザインもそうだし、ブティックDACという様態もそうだし、音もそうだ。これは多かれ少なかれDAVEを意識して設計され、DAVEの後を襲うことを目論んで、まんまと図に当たったものと見える。
確かにdcsのBartokやMSBのdiscreate DAC plusの音も本当に良いのだが、コンパクトにまとまっていなかったり、外部クロックを入れて初めて完成するような部分があったり、入力ごとの音の差が激しかったり、価格が200万円を超えてかなり高価に思われたとか、HPAが内蔵されていないのでアンプなしにはすぐに聞けないとか、誰にでも推薦できるという意味での条件が揃わなかった。そしてなんと言ってもtambaquiは今まで発売されたあまたのDACの音の良いところを総合したようなサウンドにまとめられており、死角はとても少ない。
筐体のデザインや使い勝手を含めた全体としても非常に洗練された機材であり、ここからハイエンドオーディオに入れる幸せはもちろん、そのキャリアの最後までこのDACで通すのも幸せだろうと思わせるほど、よくできたヨーロピアンオーディオの賜物である。
一方、私の持つ来年以降のオーディオの展望は暗い。
先進的なハイエンドオーディオはゆっくりと終わりに近づいている。
例えばオーディオ雑誌やムックに懐古趣味的な特集や企画がとても多くなっていることもその表れかなと思う。
確かにヴィンテージのホーンスピーカーを思い切り鳴らす快感やアナログオーディオの気持ち良さが私にはよく分かる。
老舗のジャズ喫茶で音楽を聴く楽しさも理解しているつもりである。
機器をあえて最新のものとせず、20年、30年モノの機材を修理しながら使い続けることもサスティナブルでいいと思う。
しかし、それらは音楽ソースもハードウェアもそれを鳴らす場所もすべてひっくるめて、過去に既に完成された世界の遺物である。
それらを懐かしみ、愉しむこと自体、素晴らしいことだが、
それは私には、未だ誰も知らないオーディオに挑戦する
前向きの姿勢とは映らない。
それを現代と向き合いながら、
今を生きるオーディオと私は取らない。
それがメインの趣味になってしまってはオーディオは後ろ向きだ。
激しい時代の変化に鋭く応答しながら、
未知の領域を開拓し続けるサウンドへの渇望とエネルギーというのも
ハイエンドオーディオには必要だが、今はそれを見失った。
オーディオの未来を照らす炎は暗くなりつつある。
これは現代のハイエンドオーディオの多くが、過去の名機を超えるサウンドをなかなか出せていないし、仮に出せても極めて高額で、日本で数人しか手を出せない機材となっていることに、ひとつ理由がある。またオーディオファイルの高齢化とオーディオ人口の減少も影を落としている。
そういう流れが元からあったところに、コロナ時代の到来である。
今後、年ごとのアップダウンはあるだろうが、総体としてハイエンドオーディオの低落傾向は決定的になったと思う。
少なくともこの先、普通の人間に手の届くハイエンドオーディオは限定され、選択肢は以前に比べ狭まってゆく。
こういう時代認識の中でも、これからハイエンドオーディオに入ってくる人にこの趣味の良さを現代的な形で分からせることができる、度外れに高価とは言えない機材を発見すると、それは我らがオーディオを戦い続ける理由となりえる。オーディオはまだ終わっていないと言い放つ理由となりえる。こうなったら、ここが焼野原になっても新たなハイエンドオーディオの木が生えるだけの土壌を造っておけばよい。そんな気分にもなれる。
そして、そこに植えるべき苗の一つがこのTambaquiなのかもしれないと私は思う。そういえばメーカーの説明によると、このDACは10年先を見据えて設計されているという。
確かにそういう音なのである。
この先10年オーディオで戦える、そんな希望が湧く音だ。
セッテイングしてから一週間が経ち、
私は荷造りをしてDACを送り返さなくてはならなくなった。
徹底的な試聴のため寝不足が続いたのは仕方ないとして、
Tambaquiがこの部屋をこのまま去ることは口惜しく名残惜しく感じた。
私の買い物には順番があるので、
まだこれを買うやりくりがつかなかったからだ。
いつかこれを手に入れる日もくるだろう。
荷物を送り出してから、私はまたコーヒーを淹れた。
よく行く蕪木という店から譲ってもらった、モカ シェカという銘柄である。これはエチオピアのある場所に生えている野生のコーヒーの木から採取されたものだという。上品な苦味の中になにか制御しきれない甘味と酸味を秘めながら綺麗にまとまっている味だ。古典と現代的な前衛を兼ね備えた、このコーヒーは薫り高い。そしてあの日見た夢のように、この味もなにかを象徴しているような気がする。
Tambaquiのマンボウのマークとサウンドが私の脳裏をよぎる。
毛布をかぶってカップをつかんだまま
夜のベランダに出ると、曇った夜空には月がない。
新月だったか、あるいはもう見えない角度に移ってしまったか。
それとも、月を失うとは、やはり世界の終わりが近いのか。
いや、それでもまだ私のオーディオは終わらないはずだ。
私の心には新しいオーディオの種がまかれた。
それが芽吹き、苗となり、
やがてその下で人々が憩う木になることを私は望む。
そしてそういう木々が集まって、
新たなオーディオの森が始まることを私は望む。
MSB Reference headphone amplifierと暮らす:もう一つの空の下で
「ごめん、これは君の望む幸せではなかった。」
By 渚カヲル
私はMSB Reference headphone amplifierを聞きながら、
どうやってこのサウンドの印象を言葉にしようかと考え込む。
既にインプレッションは書いているから、そこを読んでくれたまえと言えば、それで済むのかもしれぬ。
あのインプレはそれなりに詳しく書いてあると現在でも思っている。
今、読みかえしても、変更の必要のある個所は実際は筐体が結構熱くなることぐらいで、
出て来る音の質については、表面的にはあの通りでいいような気分がある。
しかし、あの文章ではこの音の核心、オーナーになってみて初めて感じた複雑な感情が十分には伝わってこないはずだ。
私は試聴した後にはブログに出す出さないにかかわらず、まずインプレッションを自分のために書く。
そして、その機材を自分のシステムに組み込んで、しばらく聞いて、その音に慣れ、使いこなしもわかってきたら、総まとめとして、公開するしないに関わらず、さらにレビューを書く。そういう流れでここ10年ほどやってきている。
MSB Reference headphone amplifier(以降MSB Ref HPAと略す)が手元に来てから一定の時間は過ぎていて、そろそろレビューを書けるのではないかと憶測するのだが、なぜだか書けない。
これは、あまりに見事なサウンドに聞き入ってしまうからだろうか。
このアンプを通して音楽を聴いていると音楽に集中させられてしまうのは確かだ。音の方に全意識が向いてしまい、手が止まる。
サウンドの磁力が桁違いに強いヘッドホンアンプではある。
だが、それだけではない。
私のどこかに迷いが残っている。
あれはちょうど10年前の夏のことだ。
もう会社がなくなってしまったが、Intercityという小さなスタジオ機器専業メーカーがあの頃はあって、MBA1platinumという、当時としてはかなり完備されたヘッドホンアンプを作っていた。アルプスの最高級ボリュウムをはじめとする高音質パーツを奢った、この丁寧なアンプは現在でも中古市場で時折見かける。
10年前に、これを衝動買いして、Denon AH-D7000などをつないで聞き始めたのが、私のヘッドホンライフの実質的な始まりだった。
振り返ると、あれもハイエンドヘッドホンオーディオの黎明期を支えた重要な機材のひとつだった。当時も、そして現今のオーディオの尺度で測ってみても、あのアンプはとても良いモノだったことは認めよう。
だが、ここにあるMSB Reference headphone amplifierとクラシックなIntercity MBA1platinumを比べてみるとヘッドホンオーディオのここ10年での進化の大きさ、隔世の感あり、となる。
大きなアルミトランクに厳封されて届いたこのアンプは、まさに現代ハイエンドオーディオ用のパワーアンプのような出で立ちだ。MBA1platinumはどうにも可愛らしくみえる。
アルミビュレット削り出し・2ピース構造、重量16kgの大型筐体は、ハイエンドオーディオのメイン機材のような迫力や押し出し感があり、これがヘッドホンアンプというオーディオアクセサリーのジャンルに入るものとはとても思えない。
スピーカーを鳴らすメインシステムの脇にちょこんと置いておくデザートのような存在だったヘッドホンシステムはここまでの存在感を獲得するに至った。
こんなにも凄そうなMSB Reference headphone amplifierであっても、到着してすぐの音出しなどは散々の出来だったというのは言っておきたい。
開封直後の音出しが残念な結果に終わることはオーディオでは往々にしてあることで、驚くには値しないが、今回は期待が大きかっただけに、実際は大したことのないモノを間違って買ってしまったんじゃないかと疑い、少なからず動揺したのも事実である。
当初はサウンドステージも以前に試聴したときほどは拡がらないし、SNもいまひとつ。どうも音が緩くて鈍いような気がする場面もあり、音の立ち上がり、立ち下がりのスピードは私に理想と明らかにズレていた。
もちろんこれだけの見てくれのモノであるから、尋常でない音の押し出しなど、音の端々に高度な潜在能力は感じるのだが、おろしたての出音自体は、このところずっと使ってきたdcsのBartok+のヘッドホンアウトやマス工房のModel406のそれと比較して、優位にあるとは言い難かった。
届いた翌日から私は微妙な焦りを感じ出した。
しげしげと機材を眺め、まず疑ったのが、わざとフラフラにしてあるらしいMSB純正のスパイク状ゴムフットが音を柔らかくしすぎている可能性だった。
私は手元にオーディオリプラスの合金製のスパイクを持っていたので、THA2の時と同じく、試しにこれをねじ込んでみるとピタリと嵌(はま)った。運良く同じ規格のネジである。さらにこれをDLCコーティングしたチタン合金製のスパイク受けとあわせて使ってみると、段々とイメージどおりの音のスピード感が出てきて、音像が締まって聞こえるようになる。ピントが来た、そんな気がした。
さらにBartok+のライン出力の位相を逆転させると若干だが音が広がってきた。接続のどこかで位相が回っていたのかもしれない。
もっと追い込むためにPADのバーンイン用のCD(なんと新宿のディスクユニオンで中古が1500円くらいで売っていた。昔は数万もしたモノなのに)をかけて、音をこなれた方向に持ってゆくとともに、Final D8000を接続するヘッドホンの出力端子を通常の1Ωの端子から隣の40Ωの端子に変えて聞いてみる。ごくわずかに聞こえていた背景のノイズはほぼ解消することが分かった。ただし、この端子を用いると音は若干大人しくなる。どちらを選ぶか引き続き検討しよう。
電源ケーブルもいろいろ試したが、意外なことに付属していたケーブルが一番音がいいようだった。音の伸びも良いし、私のところでは標準ケーブルである、JormaのAC LANDAをつないだ時と比べてもSNに優れるようだ。マニュアルをよく読むと、付属のケーブルは専用のものですので、他の機材には使わないでくださいと書いてあるのを発見した。なにか特殊な専用ケーブルなのだろうか?どう見ても汎用の無銘のケーブルにしかみえないのだが。そのうちもっと高級なOrdinなども試してみようかと思うが、とにかく1.5mで20万円台くらいまで電源ケーブルなら付属の無銘ケーブルの勝利に終わるらしいことまではわかった。
ここで新戦力として期待しているCAD GC1をアンプに接続する。
CAD GC1はアンプなどのグランドに接続してそこから回路基板に存在するノイズを吸い上げるというコンセプトを持った機材。CHORDのGround Arayノイズポンププラグと似たような効果を狙ったものではあるが、あれよりかなり高価かつ大きい黒い箱である。目につく場所にはネジ一つなく、またマットブラックの仕上げは、あつらえたようにMSBのアンプの色・表面の質感と揃っている。ではネジがないのはなぜか。美観という意味もあろうが、中に充填されている物質を、中を開けて見ようという気持ちを起こさせないようにするためかもしれない。経験上、ブラックボックスになっている機材の中身は拍子抜けするほど簡素だったり、見覚えのある物質、身近な材質で充たされていたりするものなのだ。
邪推はさておき、こいつを接続してもすぐに音に変化は来ない。それは以前、試聴して知っていたから、慌てないで一日待とう。それからこのCADにはイルンゴのインシュレーターを履かせておくべきだ。意外にも置き方に鋭く反応する機材であることも試聴して分かっている。
日をまたいで聞き直すと音が綺麗に澄んで、定位や分離もはっきり向上している。それでいて音の癖みたいなものは皆無だ。CHORDのGround Arayとの違いは、CADの機材にはCHORD特有の若干クールな温度感へのシフトがなく、また静寂度もさらに高いレベルにあるように聞こえること。そのかわりCHORDより大きくて高価なのである。以前、これらは比較試聴して、コストパフォーマンスならCHORDの製品だが、予算が許せばCADを使うべきと判断したので、今回はCADを試用した。これを繋ぐとより自分が求めるイメージどおり、というかそれをやや超える形でFinal D8000が鳴りまくるようになる。CAD GC1はヘッドホンオーディオに適用するものとしては、かなり高級なアクセサリーに入るのだが、MSBのこのアンプの性能を底上げしたいのなら、これくらいの投資は厭わない方がいいという結論に達した。
どうやら、MSB Ref HPAは使いこなしがかなりある機材らしい。しかもその使いこなしに意外性がある。当然と言えば当然なのだが、高いアクセサリーがよい結果をもたらすとは限らない。また純正のアクセサリーも常に音に貢献するとは言い切れない。これほどのものでも、というかこれほどのものだからこそ、ポン置きでイメージどおりに鳴ることなどないのだ。
THA2も使いこなしはやや難しかったが、あれを間違いなく上回る実力者だけに、手強い。実際、これを書いている現時点でもまだ完璧に使いこなせている感じではない。
手強く感じる理由は様々だが、一つはやはりセッテイングの変化に対する、出音の反応の敏感さという点だろう。
例えば電源としているStromtankはバッテリーモードと通常電源モードを選べるが、この違いが出音に他の機材の場合よりも大きく反映されることがわかっている。バッテリー使用時の音場の透明感やパワーの吹き上がりの良さなどが際立っている。Bartok+のヘッドホンアウトの場合だとここまではっきり差がない。
私にとっては、StromtankなしでMSB Ref HPAをまともに使うことは考えにくいと思うほど、Stromtankのバッテリーモードの威力は大きい。
またCDの材質の差がかなり分かるようになった。
CDにはSHMCDやBlueSpecCD、ゴールドプレーテッドCDなどの材質の違いで音質の向上を目指したものがあるが、そのような音質向上が具体的に何を目指していたのか手に取るようにわかる。SHMCDの解像度の向上、BlueSpecCDの音場の広がり、ゴールドプレーテッドCDにおける音の感触のまろやかさなど、よく伝わってくる。
このような、このアンプに備わる出音の詳しい描写は、普通のCDについても音楽の音作りのより深い理解に導いてくれる。
次に、Bartok+のフィルター選択による音質の差(今は基本はF4に固定中)やRossini Clockのディザ選択による音の変化(今は基本はディザなしに固定中)も、Bartokのヘッドホンアウトより、よく分かる始末である。これは少し考えると変な話だが、実際そうなのだ。(もっともこれはヘッドホンアウトとラインアウトの音の性質が異なることにも起因するのかもしれない。つまりなんらかの理由でそういう内部セッテイングの違いをラインアウトの方が反映しやすい可能性がある。)
こうなると音楽の内容に合わせてフィルターを選択することの重要性がより深く認識されるようになる。
またPC関係にUSB等を経由してつないだ場合に、Audrivana、Foober2000、HQplayer、Audio gate、JRiver、Tune browser、Amazon Music HD、YouTube premium、Roon、Tidalなど使うアプリやストリーミングの種類による音質の差が以前よりさらに如実に分かるようになった。この違いについていちいち論じるのは面倒なので、私が得た結論を簡単に述べると、自分の耳では音質自体はともかく耳馴染み良く聞きやすいのはJRiver、使いやすさと音質のバランスではTune browser、最も特異でエッジな音がするのはAudio gateで、ストリーミングはどれも評価に値するほどの音質とは思えないということだ。(そもそも一回に聞けるのは一曲だけなので、ストリーミング6500万曲などと言われても意味はほぼない。私は検索している時間がもったいないと思うのでストリーミングは最近はほとんど真面目に聞いていない。なおJplayやBug headは圧倒的な使いにくさという意味で、普通人が扱えるオーディオツールにまだなっていないと判断しているし、一部で言われるほど音がいいとも思わないので、私は今は使っていない。)
とにかくMSBのこのアンプが来てからはストリーミングの音質のアラが目立つようになった気がする。これは考えようによっては良くないことで、ストリーミングの運営側の奮起を促したい。
なお、これらの評価はMSBの独自規格ProISLを使った場合は覆る可能性があることは断っておこう。あの規格が生み出す音はPC関係のサウンドの中では別格であり、今までのPCオーディオの音の常識を覆すものだろう。
いつかは手に入れたいものだ。
基本セッテイングはもとより、ソースに何を選ぶかなど試行錯誤を続けるうちに、これは今まで手元で使った全ての機材の中でも最上級の難物なのかもしれないとさえ思い始めた。
どうやら、こいつの使いこなしにはこの先、相当な時間と手間がかかりそうだ。しかし、それだけの価値もありそうだと思うようになってきた。
今まで一度も聞いたことのないようなサウンドが、その片鱗を見せ始めていた。
そういえば以前、SennheiserのHE-1というヘッドホンシステムを何度も試聴し購入を検討してきたが、結局見送ったことを思い出す。あれは造りなどはとても面白いのだが、試聴ではどうあってもイメージどおりの音が出なかった。だが今思えば、買ってみてから、いろいろと手を加えればよかったのかもしれない。しかしもう遅い。ハイエンドヘッドホンの進歩は速い。Model406やBartok+を体験したあとは、HE-1はもう時代遅れの機材になってしまった。ましてやこのReference HPAを前にしてしまうと、ヘッドホン以外の部分での技術的な遅れを、よりはっきりと感じる。ほぼヘッドホン・イヤホンを主力でやってきたメーカーが製作したシステムとスピーカーを鳴らすハイエンドオーディオ、しかもその頂点に君臨するメーカーのひとつが創ったアンプでは、これほどの差が出てしまう。
もうあれを大枚はたいて買うことは考えにくくなってしまった。
この部屋では今のところdcs Bartok+にRossini Clockを接続したものを送り出しとし、XLRケーブルでMSB Ref HPAと繋ぎ、ここにFinal D8000をバランス接続して聞いている。
このシステムはMSBから推奨されていない純正組み合わせ以外のペアリングとなるが、今のところ問題なく聞けている。別の場所でCHORDのDAVEでもうまく音出しできることも確認できており、恐らくボリュウムのある完全バランス出力を持つ機材で、ゲインの調節がある程度出来さえすれば、DACでもプリアンプでも、なんでも接続して無理なく楽しめるのではないかと思われる。来る前はかなりミスマッチを心配したが杞憂に過ぎなかった。
またdcs Bartokのデジタルボリュウムの音質を気にする向きもあるが、それも杞憂だ。もっと言えば、そんな心配は時代遅れだ。昔のハイエンドCDプレーヤーについていたビット落ちが憂慮されるデジタルボリュウム、例えばWadia 860などについていたものとは比較にならないぐらい音はよく、調節も細やかで精度も高い。優れたアナログボリュウムよりは現代の優れたデジタルボリュウムの方に優位性と将来性を私は感じている。
では、このアンプが来る前まではどうだったかというと、一番聞く頻度多かったのはdcs Bartok+にRossini Clockを接続し、 シンプルにBartok+の4pinアウトにFinal D8000を結線して聞くというシステムである。Bartok+の上流についてはRossini Clockと同期を取ったCDトランスポートをつないだり、各種のセッティングをしたPCをUSBケーブルを介して繋いだりして、CD、ハイレゾデジタルファイル、ストリーミングと様々な形で音楽を楽しんでいる。もちろん、ここではRoonも一応使えたし、適切なADCを介してフォノイコライザーとつなぐことも可能である。
この一揃いはシンプルでEASYなシステムなのだが、すこぶる普通に音がいい。さらにModel406を繋げば、さらに色付けの少ない素晴らしいサウンドが得られるのだが、SNだけはBartok+に直挿しにわずかに及ばない。やはりヘッドホンオーディオの過去と現在を見回してBartok+の4pinバランス出力のサウンドの持つ普通な音の良さに敵(かな)う音はほぼ見当たらない。
それでも敢えてMSB Ref HPAを通す。
これは古典的なスーパーカーから現代のハイパーカーに乗り換えるようなものである。
スーパーカーとは性能やデザイン、価格が普通のスポーツカーよりも一段高いレベルにあるクルマの一群であるが、その群れの中に最近、従来よりさらに高出力のエンジン、さらに目立つデザイン、さらに高価で希少性の高さを誇るクルマたちが現れ、それらをハイパーカーと呼ぶようになってきている。
具体的にはエンジン出力は1000馬力前後、最高時速は400km以上に達するクルマをそう呼ぶというザックリした基準であり、価格は億の領域にあるものが少なくない。
MSB Ref HPAはある種の乗り物である。
そのような恐怖とは何であれ未知の領域を侵犯したとたんに立ち現れる、人間の脳が作り出す幻影なのだが、その手の怖さがこのアンプのサウンドにはある。
このアンプの真価は、その上流のボリュウムを上げた時、即座に直感される。
ゆっくりアクセルを踏み込むようにボリュウムを注意深く回してゆこう。すると、どこかで高い音圧の壁のようなものにぶつかり、さらに回すとそれを破るかのような突破感が得られるポイントを体験することになる。そのポイントは聴いている音楽の録音レベル、音造り、そしてリスナーの聴力によって異なる音量に点在するのだが、とにかくボリュウムをあげてゆけば、誰しもいつか必ずその特異点に突き当たる。
このポイントで、私はポルシェ911ターボSで思い切り加速したときに運転席の隣で感じた、あの不快とも快ともつかないGの衝撃を思い起こす。あのドカンと来る気持ち良さと恐怖の丁度中間にあるようなスリル、あの危険を孕んだ疾走の歓びが、オーディオにもあったのだと思い知る瞬間である。この静止した状態で感じるG、奇妙で心地よい恐怖はどのような機材からも感じたことのないものだった。この音響的加速度、オーディオのGの正体は、ヘッドフォニアの予想を超える音のリアリティ・迫真性の高まりであり、このアンプの成し遂げた定位の向上や音圧のインパクトの強化、そしてダイナミックレンジの拡大に起因するのだろう。また、それはこのアンプの出力の大きさ、瞬間的な給電力の大きさにも由来するのかもしれない。このアンプはStorm Tank S2500から給電しているのだが、これが私がここで使用したどのヘッドホンアンプよりも消費電力が大きいらしいことは、そのメーターの変化を見ればだいたいわかる。このようなメーターの動きが音質になんの関係もないとは考えにくい。
さあ、その特異点を超え、ボリュウムをもっと上げてゆこう。
ボリュウムを上げれば上げるほどパワーが耳元に溢れて来る。
鼓膜がネをあげる寸前まで上げたころ、量感をたっぷり取りながらもグリップのよい低域の生み出すインパクトは最高潮に達し、意外にも太くしっかりした高域はどこまでも自然に伸びてゆくようだし、中域は定位の良さと音像のエッジの鮮度をさらに高め、音楽に上下左右を囲まれた広大で豊かな音響空間が明確に意識されるようになる。
特にこの音場の広がり方は、ヘッドホンによるオーケストラ演奏の再生という難題にひとつの最終的な解答を与えたと言えよう。
どんな手段を用いるにしろ、オーケストラの出す音の再生には基本的に雄大かつ音のフィールドと濃密な音の空気が両立していなければならない。
また、優れたオーケストレーションを生演奏で聞くとき、演奏が十二分に成功すれば腰がふわっと浮くような浮遊感があったり、広大な景色の中を大船に乗って航海するような余裕綽々を感じたりするものだ。それらの感覚をオーディオルームで表現するためには、このアンプの登場までは、少なくとも大型スピーカーと十分なパワーを持つアンプ、そして音響が整った部屋ぐらいは欲しいところだった。しかし、このサウンドを聴けば、それらは必ずしも必須条件ではなくなりつつあることがわかる。小さなヘッドホンでも、このアンプさえ使いこなせれば、この境地に近づくことができるのを証明した功績は大きい。
これは現在、一番生々しくリアルなオーケストラ演奏が聴けるヘッドホンアンプであり、そこに悩んでいたヘッドフォニアにとっては大いなる福音となるだろう。
このアンプのサウンドには、音楽とリスナーの物理的あるいは精神的な距離を詰めるというより、もう音楽とリスナーという二つの存在が分かちがたく一つの実体として溶け合ったかのような特別な興奮があって、そこがModel406やRe leaf E1、THA2などの既存の高級機の出音と一線を画す部分となっている。この一体感は優秀なライブ録音などでは特に顕著に感じられ、音の肉感的な生々しさは比類ないレベルである。音楽と抱き合ったままどこか知らない場所へ猛スピードで連れていかれるような怖れを感じる。これは先ほどから例えに使っているクルマに当てはめれば、思い切り加速したまま、長いストレートを駆け抜け、コーナーに突入しようとする時のマシンとドライバーの一体感に通じるものがあるかもしれない。
そして、この加速をアルバム一枚が終わるまでずっと感じ続けていられる幸せ。このアルバムが終われば、頭の芯が痺れたような聴後感にジワジワと襲われつつも、つぎのアルバムに手を伸ばしてしまう自分がいる。
そう、このサウンドはまさにドラッグである。
そのコアには中毒性がある。
オーディオもある高みより上へ登って行けば多かれ少なかれ、そんな犯罪じみた危険な香りを纏(まと)っているものだが、ハイエンドヘッドホンもついに中毒性を生むトリップのセンスに達したか。そういうわけで、このサウンドは必ずしも健康的なものではないことは断っておこう。例えば、この音圧ともなれば聴き続ければ耳を傷める可能性もなくはない。この音に宿る、エグいほどのインパクトや一体感から来る中毒性を私自身がまだ受け止めかねている部分もある。もっと自分に合った音に少しずつつ変えてゆくべきだろうか。まだこのリアルサウンドの生み出す強烈な圧力を受け止めかねて、微かな恐怖を感じているというのが私の現実なのだ。だがこのサウンドは、その崖っぷちにヘッドファニアを誘いこむサイレンの歌なのである。これまで経験した機材の中ではCostellationAudioのPerseusのサウンドにもこのような側面があったように思う。
行こか、戻ろか。
ここにとどまり、音を聞き続けることはオーディオ機器と神経をすり減らす精神的な格闘を続けることである。
MSB Ref HPAは今あるヘッドホンアンプの中では疑いなく最も高性能であり、なにより他を引き離して遥かにパワフルである。しかし、それはアンプの開発者にとってはどうでもよいことなのではないか。
このアンプの設計者が今までのヘッドホンの枠組みを意識し、その中で最高のものを造ってやろうと意図しただけなら、このようなサウンドは生まれなかっただろう。
現在のヘッドホンオーディオの状況をなんら考慮せず、自分の目指すサウンドのみを見つめて、独自の技術を駆使しながら開発しなければ、こんなサウンドは実現しないはずだ。
「詳しく知りもしないし、気にもしていない」と答えているのと似ている。あまりも素っ気ないその返答が面白かった。南アフリカ出身でありながら主に英国で働き、女王より叙勲までされた彼の、英国人らしいクールな受け答え。それは素人が気にしている、とおりいっぺんの数値などは、真に良いクルマを追求するにあたっては重要ではないという意味を含むのである。クルマとの一体感、操縦する悦びを最重視したというT.50の存在価値は、私のMSB Ref HPAのサウンドの在り方と重なる部分がある。(私は、あのクルマに実際乗ることもないだろうし、実物を肉眼で視認する機会にすら恵まれそうもないが・・・)
しかしながら、いつものように問い直す必要があると思う。
このような極端な高音質、過剰とも言える音と人間の感覚の一体感をヘッドホン再生、ひいてはオーディオという音楽を聴くためのの手段に必要としている人間がどれくらいいるだろうか?そもそも、この音の世界がヘッドホンで実現していることの価値や意味が分かる者がどれくらい居るというのか?
一人の百歩よりも、百人の一歩の方が意味が大きいという事を言う人がいるが、果たして世界で数人がこの音を手にしたところで、ヘッドホンの世界全体が前進したと言えるだろうか?この音は高価すぎて意味がないと考えることもできる。もうここで電気を通しているヘッドホンシステムだけでも、フェラーリ一台を買える金額は超えている。それでいて、いまだ私にとっては自分の音の感覚との微妙なミスマッチの部分も残した不完全なシステムである。ほとんどの人間はこの対価を払っても目的が完全に達成されぬようなら、他のことにお金を使った方がマシだとしか思わぬだろう。
それでもこれを使いたい。どうしてもこのサウンドを自分のものにして、さらに深くヘッドホンオーディオを探求したい。
そういう強い意志がないかぎり、何人(なんびと)もこれに手を出すべきじゃないのだろう。
私の感じる、音楽との一体感を誰もが感じるかどうかはさておいて、このヘッドホンアンプが聞かせる音の世界には、これまで聞いてきた多くのヘッドホンのサウンドとはかけ離れて優れた部分が確かにある。そのせいで、もう同じ気持ちで対峙することはできないほど異なるサウンドに私には思えてくる。
この音の世界はもう一つの別な空の下、つまりは新天地であるかのようだ。見上げれば澄んだ青い空あるのだが、この前まで頭上に広がっていたそれとはどこか異なる青、異なる空気が私を取り囲んでいる。ここに至っては昨日までの常識は全て一度は疑ってかからねばなるまい。例えば、最強であることが最高であるという、一見当たり前の原則とか。このレベルのサウンドを手にして初めて悟ることもある。
正直な話、サウンドの限界を突破した、こんな先の地点にまで私は行く必要があったのか、現在でもよくわからない。ここに至る前の段階でも十分に満足できていたからだ。現在は、これまでとあまりにも異なる音の世界に出会い、それを求めていたのかどうか確信が持てないという意味で、ややバランスの良くない状況にある。ここでは自分の感覚とこのアンプの出音をすり合わせることがさらに必要になるだろう。これは具体的には新たなヘッドホンあるいはヘッドホンケーブルとの出会いに賭けるということだろう。
また、最新のアンプでドライブされる最新のスピーカーの音を聞き直したりして、現代のオーディオに対する認識を改め、感性を研ぎ澄ませる必要もあるのかもしれない。
恐らく、これが本当に限界を突破したということなのだろう。
そこに微かな憂いが残っているのが、その証拠だ。
目指すものを見失い、これから先のことを模索しなくてはいけないという課題に私は怯(ひる)んでいるらしい。
システムの全体的・絶対的な音は良いし、自分の感性との相対的なマッチングはこれからじっくりと擦り合わせていけば問題ないと言えるが、とにかく現在はポジティブな感情ばかりで自分のオーディオを見ていないことは言っておこう。
このアンプを買ったのは日本では私が二人目だったということ。
つまり日本で先客が居たのである。
これほど特殊な機材を買う人が自分以外にいるとは到底考えられなかった。
私は常々、ハイエンドヘッドホンなどという分野は自分のひとりよがりに過ぎない部分が大きいと思っていたのだが、必ずしもそうではないらしい。
これほど特殊な分野でも一定の需要はある。
そりゃもう、まだまだマイナーな領域であることは疑いの余地はないが、
実物を見て、その音を聞けば誰でもその魅力の片鱗を感じられるほどに、ハイエンドヘッドホンオーディオが発達してきている。
そういえば、このごろ、ピュアオーディオ専業メーカーの有名どころのヘッドホンオーディオへの参入、ヘッドホンを意識した製品の発表が散見される。これも時代の流れだろが、スピーカーオーディオ専業と思われた、あのBoulderもそこに加わるようだ。Boulder812という立派なヘッドホンアウトをフロントに備えたプリアンプの発表が8月にあった。あのBoulderがヘッドホンをどう料理するのだろうか?興味は尽きない。
こうして、コロナ禍にも耐えうる新しいハイエンドオーディオのアプローチ、すなわち、周囲に迷惑をかけずに爆音でオーディオを楽しめる、ほぼ唯一の手段としてヘッドホン・イヤホンによるオーディオは旗を振り前進することになりそうだ。
この滅びの時を免れ、未来を与えられるハイエンドオーディオはわずかであろう。そこで選ばれる者たちのいくつかは、イヤホンやヘッドホンオーディオのジャンルに属するモノとなるはず。
私は来るべき状況に備えるつもりで、このシステムを仕上げ、評価し尽くしたうえで、さらに上位のサウンド、新たな理想のシステムを自分の頭の中に構築しなおすつもりだ。状況が我々を追い抜かす前にそれをやり遂げなくてはならぬ。
そのためにはいつものように、オーディオと関係のないところにも目を向けることが必要だろう。コーヒー、骨董、コンテンポラリーアート、ファッション、稀覯本、根付、ガレージキット、現代工芸、透鐔、フィギュア、ミニカー、中国史、ライカ、文房具そして美食。
これらの一見、オーディオとは、なんの関連もない私の関心が、オーディオの行方について道標となる、貴重な情報を教えてくれるはず。
オーディオだけやっていても、オーディオは分からない。
モノというのは、そのモノとしてのレベルがある境界を越えると、
そのオーナーと無言の会話をする。
まるでひとつの人格を持つかのように。
オーディオ機器についても、そういうモノが時には在る。
このアンプは私にとっては、そういう次元の存在だ。
私はハイエンドヘッドホンオーディオの最前線で
MSB Reference headphone amplifierと今日も語り合う。
彼を通して音楽を聴くことで、
二人の間に無言の会話が交わされ、時は過ぎてゆく。
ヘッドホンオーディオのあるべき姿とは?
withコロナにおけるハイエンドオーディオの未来とは?
別な惑星の、もう一つの空の下で
我々の静かで真剣な会話は今夜も尽きない。
Wilson audio Pedestal Isolationの私的インプレッション:キング オブ インシュレーター
悲観的な人は、好機の中にいつも困難を見つける。
楽観的な人は、困難の中にいつも好機を見つける。
ウィンストン チャーチル
Introduction:
ここ数か月、ハイエンドオーディオの業界は、
なかば静止したかのごとく、動きが少なかった。
新たなオーディオシステムの開発は、少なくとも見かけ上はやや停滞しており、オーディオショウが中止になってできた余暇を使って作られた機材ですら、どこか行き所を失っているようにも見えた。
こうしている間にも
いくつかの製品を試聴することができたのは幸いだった。
だが、それらはあくまで新製品ではなく、数年前から存在していたものの、試す機会がなかったものが多かった。そして何より、それらのサウンドが精彩を欠いていたものだから、ここに感想を書くような気分にもなれなかった。
かくて私は沈黙し、リビングに引き籠っては、ひたすらに音楽を聴いていた。
聞けば2020年の世界のオーディオショウはほぼ全て中止されるとか。
もともとの退潮傾向とあいまって、今年はハイエンドオーディオにとって、かつてない逆境の年になることが予想された。
一方、手持ちのヘッドホン環境は特段の変更を必要としないほどに完結した音を奏でていた。
中でもdcs Bartok+とRossini Clock、これにコンパクトでシンプルなブラック仕上げのCDトランスポートCHORD CodaとFinal D8000を組み合わせたシステムの使用頻度がすこぶる高い。これはPCを通すオーディオと異なり、常に一切のトラブルなく安定して音楽を聞かせてくれるシステムであり、信頼性がとても高い。
私はTIDALやQobaz、Amazon music、Roonなども使うけれど、メインにはなっていない。
CDを買うかどうか、音を確かめるために使うくらいだ。CDショップにある試聴機のような位置付けである。
まず、アレらは音質が私の評価基準からすれば、自分のCD再生システムの音に比べて、遥かにいいとは思えない。また、何より聞いている内容を誰かに見られているというのは、あくまで個人的なものであるべきオーディオの原則から外れていると気づいた。さらにストリーミングでいつでも聞ける音楽には、一期一会のスリルを感じ取ることもできない。ストリーミング・サブスクには出ていない、レアな音楽の入ったCDをショップで見つけたときのワクワクは、オーディオを続ける動機になっている。それに数日に一度は襲う、何回か再起動すれば治るようなちょっとしたトラブルも面倒のタネだ。やはり私は古い人間なのだろう。時代につれて音楽に対する価値観が変わったことは認めるが、これに全面的に同調する気分にはなっていない。
また、CDを聞くシステムはアナログプレイヤーを送り出しとする構成と比べても使いやすさが際立っている。CDの場合、注意深くサファイヤカンチレバーを盤面に降ろすというような神経を使う儀式がないうえ、一枚のアルバムを裏表の掛け替えなく落ち着いて聞き通すこともできる。
しかも、ここにあるCD再生システムはじっくりと手をかけただけあって、さりげなく音が良い。
そんなわけで、このところ私は自然、CDを多く買うようになっていた。
ヤコブ ブロ、カート ローゼンウィンケル、ロイ ハーグローブ、マルティン ヴァシレフスキ、マカヤ マクレイヴン、ブライアン ブレイド、マーク ジュリアナあたりのニューウェーブなジャズアルバムを買い漁っては、深く聞き込む日々は愉しい。
ただ、こんなことを続けていても、
サウンドの中身自体は前に進まないのが気になる。
音楽はこれでいいけど、音は、これでいいのか?
この音質で満足して終わってもよいとも思えぬ。
もっと先の音の風景、もっと別な音風景も見てみたいものだ。
かくも長きオーディオ不在の時、空白の時間を過ごす私に、素晴らしい音質を誇るインシュレーターが偶然に届いた。米国の老舗スピーカーメーカー、ウィルソンオーディオが発売したPedestal Isolation podである。
振り返ると、これまでも随分な数のインシュレーターやボードをテストしたり、実際に購入したりしてきている。自分ではもうインシュレーターやスパイク、ボードなどいわゆる“下モノ”には飽きたと思っていたほどだ。しかし、そんな倦怠感に似た思い込みをこのインシュレーターは一撃で打ち砕いた。
この手の製品を色々使うなかで、現在、手元に残っているのはイルンゴの皮革製インシュレーターSonorite、J1projectやオーディオリプラスのスパイク、最近お気に入りのCrosspoint製のカーボンフットベースであるXP-FB56、TechDasのInsulation base、アンダンテラルゴのスパイク受けSM-7X , エスカートのEVA、イルンゴのアピトンボードぐらいだ。こうして生き残ったモノは、恐らく試したり買ったりした“下モノ”のうちの5%ぐらいではないか。こういうものはオーディオ機器の中ではそれほど高い部類でないし、借りるのも容易だから、気軽に試聴したり購入したりしがちなので、かなりの数を経験してしまったのだろうが、実際の採用率は低い。
この勝ち残りの中で音質のみでなく、使い勝手やコストも総合的に考えて一番お勧めできるのがイルンゴのSonoriteかCrosspointのXP-FB56である。それはこのPedestal Isolationを体験した後でも変わらない。
これを経験するまでインシュレーターにこれほど積極的に音を変える力があるとは思っていなかった。Pedestal Isolation podは私の“下モノ”に対する見識を変えたハイエンドインシュレーターでもある。
Exterior:
届いたのは3個組の円筒形インシュレーターである。直径は約6cm,高さ3cmで重さは240gほど。手に取ると特殊な振動吸収素材を削り出しのステンレスハウジングに収めたもので、入念の造りと見た。
上側に広い硬質なゴムのような素材でできた中央が僅かに窪んだ平坦面があり、下側には一円玉くらいの大きさの丸みを帯びてやや突出した軟質ゴムのような素材でできた面がある。
小さなパンフレットが付いているので、その細かい字を読むと、このインシュレーターは大きい面を機材の底面にセットし、小さい面は下に向けると書いてあるから、こういう上下関係でいいはずだ。
ただPedestal Isolation をネットで検索すると、小さい面の方を機材の底面側にしてセッテイングしている写真も出てくる。これは間違った使い方のようだ。今回、私は上下逆の置き方も試してみたが、聴感上でもはっきりとマニュアル通りの置き方のほうが音がよかった。
側面に巻かれたステンレスのハウジングはヘアライン仕上げが施され、その胴の部分は僅かにくびれている。こういう細かい形態の変化も単なるコスメチックな加工とは思えず、音質を上げるための。なんらかテクニックなのかもしれない。
上側の平坦面を指で押すと中にスプリングが張ってあるかのように、面の平坦性を保ったまま、面自体が弾むように動く。中にはVマテリアルと名付けられた特殊な素材が仕込まれているというが、その実物は見ていない。下面の丸みを帯びてやや突出した部分は柔らかく、指で押すと簡単につぶれるような素材であるが、指を離すとたちまち復元する。
全体に特殊な弾性素材を複合的に使ったインシュレーターらしく、リジットにして明確に支点を取り、出音をソリッドに仕上げるタイプではなく、不要な振動を除去して、音の純度を上げるタイプと思われる。
Wilson audioは長年にわたりスピーカーメーカーとして、そのエンクロージャーにつきまとう有害な振動と闘ってきた経緯があり、その道のりで多くの新素材を開発してきたことで知られる。このインシュレーターに使われるマテリアルもその研究過程で生まれたものらしい。
ただ面白いのは、このインシュレーターはスピーカーに使ってはいけないということである。これはマニュアルにはっきりと書かれてある。スピーカー専業メーカーのインシュレーターなのに。これはどういうことなのか。響きを殺してしまい、音がつまらなくなるのか。今回はモノの個数が足りず、スピーカーに試してみる機会はなかったが・・・・。
最近のWilson audioのスピーカーは高価だが、これはエンクロージャーに使われる新素材のコストに関係があると聞いている。どういうマテリアルをどう使っているのかまで分からないが、このインシュレーターの価格もかなりのものである。おそらく、この手のインシュレーターでは米国の現地価格でも世界で最も高い部類ではないか。(日本の正規代理店を通した価格はもっと驚くが・・・・)こうなると価格が価格だけに、それに見合う活躍が期待される。
実際に置く。
まず使う機材の重さを知るべきだろう。このインシュレーターは一個11kg程度しか支えられないことになっている。例えば大型のパワーアンプなどでは4個以上必要になると考えられる。基本セットは三個組なので、使う機材に応じて個数の計算と、場合によっては買い足しが必要である。なにせ高価なので、個数が必要なハイエンドモノラルパワーなどにいきなり使う気になれないかもしれない。まずはプリアンプ、プレーヤーに対して3点支持で使うことを考えるのがよかろうと思う。
Pedestal Isolationを横から見ると上面のすぐ下に白い線が見え、上に物を載せると沈み込んで、この線が細くなってくるのだが、この線が全部隠れるまでは機材を載せることができるという。
実際にやってみると、 私のCDトランスポートやDAC、クロック、プリアンプ、アナログプレーヤーなどは全て3個で載せることができる。そして嬉しいことに、上記のどの機材に使っても十分に効果が実感できる。しかし、やはり一番よく効いたのは回転系、CDプレーヤー・トランスポート、アナログプレーヤーであった。ただアナログプレーヤーに関しては、このような弾性系のインシュレーターを使い、プラッター上で完璧にフラットな面を出すことが難しいということがあり、ここに示すインプレッションは主に手持ちのCHORD Codaトランスポートで行った結果と考えてほしい。
なお、ここで再度強調したいのは、少なくとも私のところでは、アンプやクロックに使っても回転系に使うのとそれほど遜色ない効き目があったということ。一般にインシュレーターは回転系を乗せた場合以外は、比較的、音の変化の幅が小さい場合が多いが、今回はそれほどはっきりと音質に変化が訪れるということだと思う。つまりPedestal Isolationは例外的に良く効くインシュレーターなのである。
また、置き方、すなわち機材の底面のどこに置くかによる音質の変化はあまり大きくなかったということも言い添えておこう。つまり置き方の自由度は高く、底面に出ているデフォルトのフットやネジの頭を避けて設置しやすいということになるのである。
また、このインシュレーター自体は比較的高さがあり、重心はやや高くなるものの、インシュレーターの上下面は機材の底面や床面に若干吸い付くような感じがあり、セッテイングを終えると総体としてしっかりと安定していることも有り難い。
現実に設置してみると、使い勝手は悪くないモノなのである。
The sound:
インシュレーターやスパイク・スパイク受け、ボードなど、機材の下に置くあるいは敷くもの全般を私は「下モノ」と勝手に呼んでいるが、この”下”という漢字を使った大雑把な命名はそれらが単に機材の常に下に置かれるモノであるのみならず、音の上でも縁の“下”の力持ちと呼ぶべき慎ましさを持つモノ、音質に対する貢献としても常にプレーヤーやアンプに対して一歩下がった位置からの引き立て役と言うべきモノであったからだ。
いつも彼らは前面には出ず、いつも舞台の下で裏方のようにして働いてきた。
その働きは必要不可欠ではあったものの、常に地味な、間接的に音に作用する存在だった。
ところが今回のPedestal Isolation podは自分の音を堂々と主張するようなところがある。彼は、良い意味であまり慎ましいとは思えない、直接的な存在なのである。
まず何か“下モノ”を使って、これほど音のスケール感が引き出されたという経験がない。
このインシュレーターを使うと音が伸び、存分に拡がってゆく。本当はこんなにも音は拡散しおり、その広がりをマイクは捉えていたらしいという現実に出くわし、驚きは小さくない。音の響きが豊かになり、その響きの深まりが音場の広がりとして認識されるせいであろうか。とにかく音場が深堀され、また広がって聞こえる。これはスピーカーのセッテイングを見直したり、モノラルパワーアンプを導入したりした場合の、いわゆるステレオフォニックな意味での音の広がりではないような気がする。視覚的に例えれば、こちらの視力が上がり視野が広がって、漠然としか体感できていなかった音場がはっきりと、しかも深く感得できるようになった状況ではないだろうか。これは音場そのものの深まり・広がりというよりは音場の気配の広がりが感じやすくなったようでもあり、何らかのノイズが下がることで、微かに音場に漂っていた気配の成分が聴取しやすくなった結果なのかもしれない。この音場に触れることができるような不思議な肌感覚は忘れがたいもので、私はこれを購入することに決めた理由となっている。
しかもこの感覚はCDトランスポートなどに使ったときだけ出るのではない。外部クロックのような、一般にインシュレーターの効力を実感しにくいものに使った場合でさえ、その機材に十分な重さや大きさがあれば、ある程度引き出すことはできるようであった。
それから音に明らかな潤いや柔らかさが加味される。古い茶室の壁に触れたときのような、かすかだがはっきりとした生物的な湿り気や、押すとへこむような、へこまないような微妙な感覚までがこちらに伝わる。この触感は非常に高度なアナログディスクな感覚と相似があり、デジタルサウンドにさらなる精気を与えてくれる。このような手で触れられるかのような特別なテクスチャー、もしかすると、それらは悪く言えばこのインシュレーターの音の癖なのか。また、こういう部分に感覚を向けると音のフォーカスが僅かに緩んだようなところもなくはないか。いや現実、全てのものがはっきり・くっきりとしている状況こそ不自然だろう。むしろ昨今のPCを通したデジタルサウンドに欠けている部分がさりげなく補完されているところに吾(われ)らはアドバンテージを見るべきだろう。
またこれをセットすることで、音像の遠近感、音像が音場に張り付かず、飛び出してくるような立体感、各音源の分離の良さが確実に向上してくることは見逃せない。
これらの変化は普通に優れたインシュレーターのような耳を澄ませば、奥ゆかしく感じられるようなものではなく、直接に否応なく耳に届くレベルのものである。この製品は主張するインシュレーターなのである。
なるほど優れたインシュレーターは細かな音を拾い、音の解像度を上げる。また音の支点を明確にして 焦点のよく合った定位の良い音像を結ぶ。このインシュレーターはハイエンドインシュレーターとしてのこの手のスタンダードは初めからクリアしている。だがそれだけだと音は全体に硬化し、柔軟さが削がれるきらいがある。この製品については、今までのインシュレーターに対するアンチテーゼのようなプラスαに新味がある。
このインシュレーターは鷹揚な雰囲気、ゆったりとして上品で贅沢な空気を醸し出すことにも特徴がある。これはこの機材の生み出す、低域の質感に由来するのだろう。
ここにある低域のたっぷりとした量感により、陰影を含んだ音の深み、音全体の姿をピラミッドバランスに整え、大地に根を張る神木のような、安定したゆるぎない音像が現れる。この朗々を歌うような低域の風格こそは王者の称号に相応(ふさわ)しい。このメーカーの作意が凝縮したかのような低域は、昔のマッキントッシュのアンプなどに聞かれたものにもやや近く、近年の新型機にはあまり聞かれない類のものかもしれない。最近は低域のスピード感や解像度があまりに重視され、若書きの絵のような早急でスレンダーなタッチの低域になりがちで、私自身はそういう傾向には飽きてきた。例えばスティービーワンダーの音楽の滋味は低域の量感が確保されないかぎりは理解しにくい部分があるし、現代の、例えば凛として時雨のアルバムを聴いてみても、低域をたっぷりと歌わせることで、あの素敵なベースの堪能度は変わってくる。こういう低域があるべきだ。これは古くて新しい低域であり、音楽の解釈をオーディオによって変える契機ともなりうるのだ。
ひるがえって、この幾分クラシカルな王の低域は、この帯域をシステムがきちんと処理できるかの試金石ともいえる。ヘッドホンであればFinal D8000などの低域の扱いを得意とする訳知りのプロダクトでなければ、このインシュレーターの真価を知ることは難しい部分はあるだろう。
つまり、このインシュレーターは高度なシステムであればあるほど、有意義に働くという側面がある。結局は適用するシステムにもそれなりの音質レベルを要求する。
例えば極めてワイドレンジであるゆえ、非常に深い低音まで出せるスピーカーシステムなどがそれにあたるだろう。大音量再生時に同室の送り出し機器のデーター読み取りに、そのスピーカーの放射する強烈な低音が影響を与えているのは間違いなく、そういう影響を削減して、スピーカーの持つ低域の本来の姿をあらわにすることなどは、このインシュレーターの得意とするところなのである。
ともあれ、この機材を用いることで、今まであまり感じたことのないような音の広がり、豊かさ、潤い、低域の質感、遠近感、立体感、分離の良さなどがはっきりと音の前面に押し出されてくる。このインシュレーターをシステムの適切な部分に適用すれば、そのシステムトータルのサウンドは予想もしなかった威風堂々とした雰囲気によって、再解釈されることになろう。このような従来の概念を越えた音の風格が、このインシュレーターを敷くことで、リスニングルームに横溢するところに、Wilson audio Pedestal Isolationをインシュレーターの王と呼びたくなる理由がある。
さて、他にも高級なインシュレーター、ボードはハイエンドオーディオ界には点在している。
ちょっと考えただけでも、フィニッテエレメンテCerabase、 Ansuz Darrkz d-tc, Kriptonピュアチタンインシュレーター、Crosspointのカーボンインシュレーター、オーディオリプラスのGR-SS、KRYNA Dprop、ローゼンクランツPBインシュレーター、Wind bellのWB-30、Silver RunningのDEVICE、ハーモニックスの桜材のインシュレーター、振動から隔離するものとして代表的なリラクサボードやAcoustic reviveのRMF-1も忘れることはできない。これらはどれも価格相応とは言えない場合もあるが、それぞれに出音に対するそれなりの影響力は持っており、試す価値はある。しかし今回のPedestal Isolation podほどのプレミア感を持たされたものは他に存在しないと私は思う。ここには唯一無二の鷹揚さ、様々な音の好みを懐柔するような懐の深さ、身を任せたくなるようなリッチな雰囲気があり、それはまさにハイエンドオーディオの王道を行くところである。
Summary:
世界的に、誰しも経験したことのない異常事態が続くなかで、全くの不要不急であるオーディオが人の心の支えとして、この先も生き残っていけるかどうか、あるいは、コロナ禍抜きにしても音楽を取り巻く環境も急速に変化する中で、ハイエンドオーディオという趣味が生き残ってよいのかどうか、その存在価値がシリアスに問われている時がいまである。
元来、オーディオとは、まずその音質で存在の証(あかし)を立てるものだ。
このような状況下にあっては、音質にあまり貢献しないと思われる機材は、ほぼ誰にも知られないまま、すぐにも消えてなくなる運命にある。しかし、多くの機材の中には、本当は素晴らしい音質を持っているのに、その使いどころが地味過ぎて気づかれていないため、無視されたまま消えてしまうものもある。私にはそういうものを取り上げて紹介してオーディオの多様性を維持したいという意図がある。
今回取り上げたWilson audioのPedestal Isolationはそういった私の意図を刺激する。これは見かけ上は冴えない外観だし、価格はかなり高価だし、Wilson Audioは有名とはいっても、YGやMagicoにときめいている日本のハイエンダーたちには、そのブランド名は過去の栄光としか見えないだろうし。
ましてや得意とするスピーカーでもない製品、いや、そのスピーカーすら使ってはならぬという変なインシュレーターに対して、多くの人が食指を動かすとは思えない。
下手すればこれほどのモノでありながら、誰も顧みない可能性があると私は考えた。
だからこそ、私はこのジャンルにも王が存在(い)ることを示そう。
手を替え品を変え、苦難は繰り返し訪れる。
ビルに飛行機が突っ込んだのあの日が最後でもなく、
地面が大揺れし、放射能が空にまき散らされたあの日が最後でもなかった。
今日は目に見えぬウイルスの圧力が世界を覆いつくそうとしているのを私は見ている。
私は恐らく、もう若くない。
数年ごとにこんなことの繰り返しは正直しんどい。
いつになったら平穏な日々が続く日々が戻るのだろうか。
いや、そもそもそんな平穏な日々など
我々人間に与えられた試しはなかったのかも。
なんとなく希望を失ったような気がする我々は、
これから自分で希望を作り、未来を楽観しなくてはなるまい。
私にとってオーディオとは
世の中を楽観的に見るため、続けてゆくべき何かなのだ。
ハイエンドオーディオの行方:巨艦の残影、コロナショック、そして持続する世界
私の道は、私がひらく
by TBC
これはあくまで私の印象でしかないが、
去年、2019年11月の東京インターナショナルオーディオショウは天候が悪かったせいなのか、今まで参加した中では人出が最も少なかったような気がする。このショウには計27回ほど参加しているはずだが、少なくとも私の記憶では一番に人が少ない年のように思われた。
あの初日、雨がそぼ降る銀座の夕方の街を歩き、国際フォーラムに到着すると、中は暗く、真夜中のようだったのを覚えている。
フォーラムのガラス棟は太陽光を取り入れて照明する仕組みであり、天井自体には照明が少なく、天気が悪い日の夕方はそんな様子になりやすい。
会場入口の物販のエリアはまるで夜市のようなありさまで、どうも寂しい気がした。
あの日のショウは、立ち見のブースもある一方で、人のいないブースとなると、本当に誰もいなくて、客がほぼゼロというところもいくつも見られた。
天気が悪かったせいだろうか。それにしても人が少なかった。
あの時のショウの最大というか唯一の目玉であったAirforce Zeroという巨大なアナログターンテーブルは、その状況を強がって覆い隠そうとするかのように、その設計規模と価格で他を圧倒していた。
唐突だが、このAirforce Zeroの存在は太平洋戦争における戦艦大和のあり方に似ている部分があると私個人はその時、考えていた。
大和は旧日本帝国海軍の力と威信の象徴として建造された史上最大級の戦艦であるが、呉の海軍工廠で進水してから鹿児島の坊岬沖で撃沈されるまで、さしたる働きもできず、その46センチ主砲は敵に向かって一度も 火を噴くことはなかった。その当時すでにそのような巨大な砲艦は戦果を挙げられず、時代遅れとなっていたからだ。大和が進水した当時、すでに海の戦争の趨勢は砲艦どうしの大砲の撃ち合いではなく、航空母艦に搭載した航空機による戦闘に移行しつつあった。
大和が置かれていた状況と現代のオーディオの状況に相似を見出せないと誰かが言うかもしれない。アナログは現代においてもまだ死んでいないどころか、ハイエンドオーディオ界ではまだ活気のある分野ではないかと。
しかし、現代のアナログオーディオで、このような巨艦、巨大で高価な機材を多くのオーディオファイルが求めているだろうか?
恐らく、そうではない。
一般的には、もっと安価でコンパクトでありながら優れた音質を有する機材が求められているのが現状だと思う。
では、このAirforce Zeroは誰のため、何のために造られたのか。
これは一握りの富豪なオーディオファイルに、オーディオメーカーを生きながらえさせるカネを払ってもらうために作られたということがまず言える。
だがそれは表向きの事情である。
深い見方をすれば、あれはハイエンドオーディオの精神的な柱である、技術の進歩につれて、音質は上限なく向上してゆくという神話が、現代においても真実でありつづけているということ、その証(あかし)を立てるためにつくり出されたのである。
Airforce Zeroのサウンドを驚異と嫉妬の混じった感情で聞きながら、私は、この開発が成功したことを確信した。それほど感動的な音ではあったのだ。
しかし、同時に私は皮肉にもこの神話への信仰が生み出す、果てしない物量投入に限界がきていることもAirforce Zeroを眺め、その音を聞くことで感じとった。もうこれ以上大きな機材をリスニングルームに置くことはできないだろう。スマートでないどころか、現代ではネタとして笑い飛ばされるレベルに、こいつは巨大化している。こういうモノを格好良いと思う若者はもういない。
この巨体、サイズとしても価格としても肥大しきった姿から我々は旧来のハイエンドオーディオの行き詰まりを知るべきだ。
文句なしにその音は素晴らしい。
だが、こういうコンセプトの機材から出る音が世界のそこここに行き渡り、
会場に居ない多くの人々にも、
その感動がシェアされるということはない。
恐らくは、どこかの富豪の邸宅の奥にある防音室に据え付けられたあとは、
頻繁に稼働することもなく、
再び売りに出されるまでの時間の大半を静かに眠って過ごすのが関の山だろう。
(私の知るかぎり富豪は意外と忙しい人が多いのだ)
これは帝国海軍の建造した大和が、巨艦大砲主義の権化であったように、過去の重厚長大、物量投入型のハイエンドオーディオの象徴、記念碑としてだけ残るものかもしれない。
結局はハイエンドオーディオも資本主義の走狗のうちの一匹でしかないという側面がある。
これは資本主義を回す原動力、つまり簡単に言えばモノを消費者に買わせて、業者を儲けさせ、この世のカネを動かす力のひとつとして捉えられる。
富裕層にこれを売れば、その意味で目的はひとつ、達成される。
しかし、ハイエンドオーディオは
音楽と音を愛する多くの普通の人々への贈り物でもあったはずだ。
だが少なくとも、今のハイエンドオーディオの先端部の製品の多くは先端技術と資本主義のキメラというべき怪物的なイメージから抜け出せず、一般のオーディオファイルからは遠い存在となりつつある。
そのサウンドはオーディオショウや評論家の集まり、一部の販売店の試聴室、そして少数の富豪のリスニングルームでしか聞けない幻の音に成り果てている。昔からハイエンドオーディオにはそういう部分が一切なかったとは言わぬ。しかし近頃、そういうサウンドがあまりにも多すぎた。
Airforce Zeroの音は素晴らしく、その点でオーディオの進化を体現しているようにも見えるが、もしかするとそれは、うわべだけかもしれない。
少なくとも私にとって、オーディオの本当の意味での進化は、まだ起こっていない。ハイエンドオーディオのコンセプトの多くは、未だ基本的には物量投入主義の時代の古い考えに停滞したままに思えるからだ。
もっと常識的な大きさで、しかももっと安価な機材から、
こういう素晴らしい音が聞こえて、はじめてオーディオ技術が本当に進歩したと言いうる。
まるで大和の主砲が敵に向かって一度も砲弾を打ち出さなかったのと同じく、
この旧態依然としたハイエンドオーディオの状況の打破に、
この方向性での機材の企画・開発は、結局あまり役に立っていないようだ。
(フラッグシップ機の技術が下位モデルに応用され、音質向上に役立つとメーカーは言うが、実際のオーディオでは技術の流れが逆、すなわち下位モデルの技術をさらに高めて、高価なモデルの音質を上げているというケースが多いように見える。)
つまり、ハイエンドオーディオに漠然と存在する、価格による格付け・階級を打破する、すなわち安価な製品の音質が、それよりずっと高価な製品の音を凌駕するようなことが起こるべきなのである。ここでは最も高価な製品が最も音が良いというテーゼを打ち破る必要があるのだが、メーカーも評論家も消費者も高いモノはいいものだという習慣に慣れきって、下克上をあきらめている。
そして2020年春、コロナウイルスが地球上に音もなく広がり始め、
状況は大きく変転した。
まず世界中でオーディオショウは中止となり、
(2020年の東京インターナショナルオーディオショウは果たして開けるのか?)
その次に多くのオーディオメーカーで多かれ少なかれ開発や生産が停滞しはじめた。
場合によっては事業は休止となり、さらに、その中のいくつかは休止で済まず、廃業する寸前だと聞く。実際、私は日本のあるオーディオメーカーが解散する方向で動いているという話を耳にしている。また、海外メーカーについても、チラホラそういう噂を聞いている。もともと後継者のいない小規模メーカーなどは、いずれは事業を終了するつもりであったが、これをきっかけにそれを前倒しするところもありそうだ。
このような動きは、現時点では廃業の危機にないメーカーにも影響がある。
例えばアナログプレーヤーについてはアームとターンテーブルが別々のメーカーであることも多く、どちらが倒産しても完成しなくなる。
SME(ここはコロナショック前から既に供給がおかしかった)やJELCOのアームに関してはこれからの新品入手は難しいだろうという噂がある。この二つのメーカーのアームを搭載するターンテーブルはこの先、別なメーカーを探さねばなるまい。
アナログプレーヤーに限らず、ハイエンドオーディオ機材は多くの特殊機器メーカーの作る製品・部品の集合体であり、それらの部品のどれひとつが欠けても完結しない。
これから先、上記の理由で多くの機材が代替機・新型機にモデルチェンジとなるだけならよいが、下手をすればメーカー自体が完成した機材を生産できなくなり、結局は廃業となる危険性がある。
もちろんハイエンドオーディオを消費する側のマインドも大きな影響を受けている。自分の今の身分、やっている商売の先行き、世界全体の経済の前方視界が不透明であるため、差し当たり不要不急であるオーディオ機器の購入を控えるオーディオファイルが増えている。そもそも試聴会など開ける状況にないし、個人的な試聴のため公共交通機関を使って、販売店に行くこと自体さえ憚られる状況である。聞いてもいない機材に大金をはたくのは難しい。この理由かもらハイエンドオーディオの購買意欲は低下しているだろう。
たとえCOVID19の感染がワクチンや治療薬の開発により収まってきても、経済への影響は尾を引くことだろう。
こうしてオーディオへの消費の低迷は長期にわたるものと推測される。
以前にも述べたが、消費マインドの低下から全体に製品の販売価格は下がるという予測もある。価格が下がっても音質が良ければ問題ないのだが、この先、メーカーが機器開発に投下できる資金も減るだろうから、オーディオの至上命題である音質の向上が頭打ちとなることもありうる。そうなっては価格が下がっても意味はない。
このような状況であるから、当然オーディオを売る側、代理店や販売店の業績の悪化も始まっているようだ。
ある販売店の方から政府から事業継続の借り入れを急いでいるという話を聞いた。廃業までは視野に入れていないと言うが、果たしてどうなのか。
さらに、ここのところ訳知りの読者から愛想をつかされつつあるオーディオ誌も危機に瀕するのではないか。以前から下降気味だった雑誌の売り上げが、コロナショックに関連した本屋の休業・廃業によりさらに下がることも予想されるが、もっと深刻と思われるのは企業の広告費の支出減による広告収入落ち込みの可能性だろう。この業界では広告収入を収益の柱とする雑誌がほとんどであるから、ここでのダメージは大きい。あまり考えたくないがSS誌が休刊になったりしたら、我々はどこからハイレベルなオーディオ情報を得たらよいのか。他誌では取り上げないような特殊な機材も彼らは取り上げていたという事情もある。今でも一応は日本のオーディオジャーナリズムのリーダーであり、年4回発行されるハイエンドオーディオのカタログとしても意味があり、なくなって欲しくない雑誌だが・・・・。
こうしておそるおそる見渡してみると、
コロナショックが、もともと下降線をたどっていたハイエンドオーディオの世界に決定的な留めの一撃を食らわせる確率は決して低くないようだ。
この業界でメジャーなメーカー、代理店、雑誌のいくつかが消えるかもしれない。もちろん、早期に事態が終息し、反動で人々が開放的になって、急速に消費が回復する可能性がないわけではないが、それは望み薄である。
この苦しい時期をオーディオメーカー、販売店はどんな製品を売ってしのぐべきか。その答えが集約されたような製品がここにある。
これは英国のケーブルメーカーCHORD Campanyから発売されているGroundARAYという製品である。
オーディオ機器というものには大概その後ろ側の面になにかを差し込む穴があいている。
ここで私はアナログ入出力のためのXLR、RCAコネクターを差し込む穴、あるいはデジタル入出力のためのBNC, AES/EBU、USB, LANの端子を接続する穴のことを言っているのである。
Ground ARAYはこれらの穴に差し込むだけでグランド側から高周波ノイズをポンプのように吸い上げると謳(うた)っている。
このGround ARAYは国内で既に100本以上は売れており、さらに売れる気配を見せている、最近では数少ない、ハイエンドオーディオ関係のヒット商品なのである。
このGroundARAYの値段は88000円ほど。安くはないが、10万あればおつりが来る。そして、それなりのオーディオシステムを持っているなら使いどころがないという人はほぼ居ないだろうという、普遍的な使いやすさのあるオーディオアクセサリーだ。私は今回RCA, そしてBNC, LANのGroundARAYを借り、自分のシステムで試聴してみた。
まずは借りたのである。
このGroundARAYのいいところの一つは、誰でも、どれでも代理店様や販売店様から借りて試聴できることだ。いくらお金が10万円もらえるからと言って、こういう動作原理も不明な得体のしれないアクセサリーに、いきなり88000円を払うオーディオファイルは少ない。
お金持ちであればあるほど、お金は惜しむものだ。
貧乏人は、なおさらだろう。
ハイエンドオーディオがこの先も生き残りたいなら、
このような機材の自宅試聴をもっと拡充することで、
オーディオ機器へのアクセスを容易にしなくてはなるまい。
このアクセシビリティの向上がこの分野ではなかなか進まないのは問題だ。
これまで一部のハイエンドオーディオ店に見られた習慣、すなわち買うか買わないか定かでない、初めての客・一見の客には高価な機材は借さない、下手すると聞かせないというような態度ではビジネスチャンスは拾えないだろう。
これは実物を手にしてみると銀色に輝く金属の短い筒のようなものだ。高級感はそこそこある。銀色の筒の中には回路が入っているが内容は非公表。その片方の端に種々の端子がついていて、アンプやプレーヤーのリアパネルの端子に挿せるようになっている。XLR(オス、メス)、RCA(オス、メス)、BNC、USB、LAN(RJ-45)、HDMIのどれかから自分のシステムの空き端子に合わせてチョイスする。
本体の重さは60gと軽く、端子に負担はかからず、また細いのでよほど端子が混んでいないかぎり、とりあえず挿すことはできる。発熱もしないので発火などの心配も皆無。ただリアパネルのうしろに13~15cmくらいの空間は必要である。金属の筒の端から短いケーブルを延ばし、その先にある端子を接続する設計にすれば、機材の後ろの空間はあけなくてもよいのだが、あえてそうしなかったのは音質のためだという。ケーブルを介さず、なるべくダイレクトに接続することで、目指す音質に到達できるという。
実際にセッテイングしてみると、機材のうしろ側は見えづらいので挿し難いが、まあなんとかなった。
どの端子を挿してもサクッと入って揺らぎはほぼない。
Ground ARAYを挿すと、これは音が変わった。
まず、dcs Bartok+のRCAアナログ出力端子に挿したのだが、
今回試した中では、これが一番はっきりと効きが分かった。
全域で音が澄む。
音の細部が浮き彫りとなると同時に
スッキリとサウンドステージの見通しも上がってくる。
それでいて音の密度は薄まらず、むしろやや厚みの増した印象である。
高周波ノイズを取るというような、ただ漠然と音を掃除したという印象よりも、ノイズを積極的に探し出して、掃除機で吸い込んだうえ、
さらに音そのものをバフで磨き込んだようなサウンドとなる。
音が明るい光沢をもって眼前に現れるのだ。
これはCHORDのハイエンドケーブルが持つ音の傾向に類似している。
この機材はCHORD以外のケーブルを使っている人々が比較的気軽にCHORDのサウンドに接することができるチャンスともなろう。
この機材は音をすみずみまで清掃し、たえず清潔に保ってくれるが、
それに付随する副作用がほとんど感じられないのも特徴である。
帯域バランスに変化を生じたり、音の質感に微妙な違和感が出たり、音の立ち上がり・立ち下りのスピードが変わったりすることはない。
そして、dcs Bartok+のLAN端子あるいはBNCデジタル入力端子、CDトランスポートCODAのBNCデジタル出力端子に挿してもほぼ同じ変化になる。
ただ私のところではアナログ出力に挿す方が、デジタル系に挿すよりも効果が大きいようだ。スッキリ度がより高かった。
また二箇所、三か所同時に挿してみても効果はあからさまに大きくなるわけでもない。一本で十分のようだ。
もう一つ、最近試聴したもので、全く同じ使い方をするのだが、音質的に効果が高かった機材がある。
Acoustic Reviveのリアリティエンハンサーという製品である。
これは機材の入力端子あるいは出力端子に挿す、ショートピンあるいはターミネーターと呼ばれ、随分前から様々なメーカーから出ていたアクセサリーのスペシャル版と考えればよい。他の製品との違いとしては、いままであったショートピンやターミネーターよりも材質や造りが格段に高級であること。これは同じAcoustic reviveで作っていたものと比べても、同社比でかなり高級・重厚な造りである。この製品の中身は例によってブラックボックスであるが、見たところでは中にCHORDのGroundARAYのような回路が封入されていることはなさそうだ。
これについてはいくつかのオーディオ関係のブログで詳しく取り上げていて、私もそれらとほぼ同様の感想をもっているので、今回の試聴の内容について詳細に述べないが、借りたRES-RCA, RES-XLR、RET-RCA、RET-XLRについては、音のエッジが鮮明になり、定位が一段と明瞭になるという、はっきりしたメリットがあった。Ground ARAYのごとき、ノイズが減ったようなスッキリ感は特にないが、音の質感や色彩感が、挿す前より明らかに分かりやすくなる。音が全体に音がやや硬くなるような気もするが、それ以外に副作用はない。なお、私のところではRCA用よりXLR用のものの方が効果が高いと思われた。もっともどちらが良いかはシステムにより異なるものだろう。とにかく試してみるのがいい。
今まで使ったショートピンあるいはターミネーターと言われるものの中では最も効果が高い。ただし値段も高い。ペアで約7万のショートピンなど初めてである。だが造りや音質への効果を考えると釣り合うと思う。
それにしても、これらはGround ARAYと似た使い方なのだが、効果が全く異なるのが興味深い。使い方が同じでもコンセプトや設計が違う製品なのだから当たり前なのだが、なにかとてもオーディオの面白さを感じる。
私の場合、Stromtankを使っていること、dcs Bartokがそもそも静かな機材であることなどから、ノイズについてあまり悩んでいないことがあり、Acoustic Reviveのリアリティエンハンサーの方に、より関心が高い。
いままでも空き端子に挿して音を良くするというふれこみで売られていた機材は結構あったし、今もいくつかある。過去の製品を含めて、それらの全てを試できたわけではない。だが、以上の二つは音質向上という意味で効き目の種類は異なるものの、近頃では目覚ましいオーディオ製品と言えるだろう。
もちろん、これらはコロナショックの直前に発売された商品であり、
今のオーディオ界の、ひいては世界全体の現状を踏まえていたわけではない。
なのにどこか、これらの製品にはタイムリーな雰囲気が漂う。
コンパクトでそれほど高価でもないが、薄利と言い切れるほど安価でもなく、
誰にでも受け入れられやすく、確実な効力を発揮するオーディオアクセサリー。しかも政府から支給される10万円の使い道としてピッタリしてさえもいる。今やスピーカーやアンプをガラリと入れ替えるような状況になく、むしろ、手持ちの使用頻度の少ない機材、長期間動きのない在庫を処分して現金化し、世界の経済状況の悪化に備えるべきとの空気が濃い。このような状況下でも新たな商品を売りたいなら、いささか特殊であるがニッチなアイデア商品を作って出した方がよかろう。
これは明らかに、AIR Force ZERO、あの戦艦大和のようなオーディオの王道・覇道とは無縁の姑息なオーディオの手段であるが、
ハイエンドオーディオがしぶとく生き延びるのには、こういうささやかなモノも重視されるべき時代だ。
もちろん、アクセサリーを売るだけでハイエンドオーディオの経済が維持できるとは思えない。オーディオメーカーはこれを機にもっと新しいタイプの製品を生み出さなくてはならないはずだ。
それは優れた音質と低価格でもって、従来のオーディオのヒエラルキーを破壊するものであるのはもちろん、それ以外にも今までのオーディオになかった要素を持つべきだ。
これについてはコロナショック以前から流行り始めた、世の中の新たなトレンドがヒントになる。
例えば最近、世の中の様々な場面で聞く謳い文句、サスティナビリティ(持続可能性)という言葉がある。エネルギー資源、水産資源、廃棄物処理などとの関連で環境分野、経済分野、政治分野で用いられることの多くなってきた用語であるが、分野ごとに定義に差があり、それについて論じられるほど私は詳しくない。
ただ私が知っているのは、サスティナビリティとは、企業がなにかモノを生産したり、サービスを提供したりする際に、利用した自然環境に対して、なんらかの還元、環境に良い影響を与えるような動きを加えることである。
音楽でいえば、自然に囲まれた野外会場でコンサートをする場合にそこで使われる電気を全て太陽光発電でまかない、二酸化炭素を出す火力発電所からの電気を使わないなどの動きがそれにあたる。
だが、こういう社会の動きにハイエンドオーディオメーカーは疎(うと)い。
サスティナビリティが自らの企業利益に寄与しないと考えているか、
そもそも関心がなく、理解しようともしていないかどちらかである。
果たして、それでいいのか。
この前、高級時計メーカーがサスティナビリティを謳っているという記事を読んで私は驚いた。
例えば環境維持のために再生可能エネルギーを電源としている時計工場を持っていることや、リサイクルゴールド素材あるいはフェアトレードの保証のあるクリーンなゴールド素材の時計ケースへの使用、リサイクル可能な時計の梱包材の採用、新品の生産と並行して中古時計の修理・修復にも注力することで、新品の生産量を減らして、新品の生産に関連したエネルギー量を減らすなどを彼らは宣伝しているのである。
実は、ハイエンドオーディオと同じく、高級時計の世界も飽和し、新たなコンセプトを求めている。だが、彼らはこちらと違って、既にある程度はそれを実践しているのである。
サスティナビリティという言葉は出たてのうちは、単なる企業の社会貢献のコンセプトとしての立ち位置でしかなく、掛け声だけで機能していない面、先々の利益につながるか不明な点が多かったが、若い購買層がこのキーワードに敏感に反応することが市場のリサーチから分かってきて以来、風向きは変わってきている。高級時計とハイエンドオーディオには類似点があり、消費する層も同じである。
この方向性でできることはあるだろう。
すぐに思いつくものとして、スピーカー表面の突き板となる絶滅危惧種の希少木材が生えている森の維持・管理への投資や、環境に配慮して生産される電子部品の積極的な採用、古くなり機能しなくなったオーディオ機器を引き取って再生し、自然環境への有害物を含むオーディオ機器部品の廃棄を減らすなどの試みなどが考えられるが、この界隈ではこのような話をあまり聞かない。
また、価格帯ごとにいくつものモデルを作ったり、一定のサイクルで、前のモデルとあまり差のないニューモデルを発売することで、広く儲ける、あるいは買い替えで儲ける姿勢ではなく、
比較的安価ながら高性能かつ安定した音質の製品を、階層を設けず1モデルのみ開発して、モデルチェンジせず息長く作り続けるという姿勢なども、サスティナビリティのあるオーディオメーカーの態度と言えるかもしれない。これも実践可能なことの一つだろうが、ハイエンドオーディオでよくある話とは言いがたい。(ただ、現在のハイエンドオーディオの内実が、時に囁かれるように、新品が売れているのではなく単に中古品が色々な人のリスニングルームを巡回しているだけだとしたら、それはそれでサスティナブルな雰囲気はすでにあるのかもしれぬが・・・・オーディオを嗜む人が少なくなった今、中古品だけでハイエンドオーディオをやってゆくというアイデアもなくはない。)
とにかくLOHAS(Life styles of health and sustainability, 健康で持続可能な生活様式)はアフターコロナにおいても社会の重要なテーマであり続けるはずであり、このトレンドを上手く音質向上と絡めることができれば、今までにないジャンルのオーディオ製品が生まれる見込みはある。
戦艦大和を生み出した巨艦主義、それよく似たハイエンドオーディオの物量投入主義は、アフターコロナの世界では時代錯誤である。実は、その方針はコロナショック前からすでに時代遅れだったのだが、既存のオーディオ経済のため、昔からあるオーディオ技術の神話のためという名目で無理を押して生きながらえてきた。
コロナショックとは、それ以前にすでに弱含みだったものに引導を渡し、それ以前より、成長する潜在能力を持っていたものの台頭を促す契機であろう。
ここに至っては、旧来の物量投入型、富豪向けを意識した、度外れのハイエンドオーディオには一度区切りをつけた方がいい。戦艦大和は撃沈され、終戦を迎え、日本が苦しみながらも新たな日本として再起したように、これを機にハイエンドオーディオも一度リセットして、新たな再起の道を歩んだらどうかと思う。