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MSB technology Select DACの私的インプレッション:放浪の理由

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希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。
スティーヴンソン



Introduction

例えば、
目の前に一機のDACがあるとしよう。
そして、こちら側、
すなわち私の心の中には
「本当に良い音とはどのようなものか?」
という問いがある。

そして、
その問いに対する神聖な答えを求め、私はPLAYボタンを押す。
そりゃもう
今まで様々な場所で様々なモノを試聴してきた。
だから?かどうかは分からないが
完璧に近い答えが返ってきたことは何度かある。
でも完璧と確信できる答えが返ってきたことは一度もなかった。

だが今宵、ついに完璧な答えを得た。
どうして完璧かと分かるか?
今まで、いつかは欲しいと思ってきた機材のほとんどが、
このDACの出す音を聞いた後には、本心から要らないと思えたから。
それら全てがほぼ無価値なものに思えてきたくらい。
多くのデジタルプレーヤー、DACとフォノ、アナログプレーヤーが
Newモデル、ヴィンテージを問わず
私のWANTEDリストから姿を消した。
もうこの音をきいてしまったからには、
これ以外の機材のサウンドは多かれ少なかれ聞くに堪えない部分が出て来そう。

これほど圧倒的な高音質がかつてあったか?
これこそは全ての真摯なオーディオファイルたちが目指してきた最後の晩餐ではないか?


Exterior and feeling

このMSB technology Select DACを眺めて、
まず思うのは一体どこに1400万円近い資力がかかっているのか分からないということ。
自社工場での削り出しという、角に丸みを帯びた薄型の筐体が二つ、直接重なっている。私が試聴したのは黒い筐体のモデルだが、表面の質感はマットブラックというだけで、さしたる高級感もない。フロントパネル全体を占めるディスプレイもノイズを生じないものをチョイスしたそうだが、それは珍しい話ではない。
正直、全然萌えない、冴えない外観。
その法外な値段を聞けば、コレ大丈夫かね、となる。
では中身が違うのか?
中身の写真を見るとモジュール化されているのが特徴だとすぐに分かる。
BurmesterのプリアンプやCH precisionのDACなどと一緒で、オーナーは、その好みにあわせて入出力をチョイスできる。ここで試聴する個体のリアパネルには特製のUSB入力モジュールもあったが、それはあえてパスし、CHPのD1からのネイティブなデジタル入力を選んだ。そちらの方が音が良いとメーカー側が言うのだ。そういえばTHA2でもそうだった。こうするとCDしかかからないので、処理されるデータの規格は16bit, 44.1kHzというレベルに過ぎない。つまりハイレゾでもDSDでもないのだが、音を聞くとそれがにわかには信じられないのである。社長のラリー氏はこのデータで十分だと言っているらしい。確かに十分過ぎるという感想を誰もが持つのではないかと思うほど、ケタ外れに音がいい。では、いったい、中でなにをやっているのだろうか?
内部のDAC本体はブラックボックス化され、回路は直接見ることはできない。噂ではオペアンプもデジタルフィルターも一切使われておらず、特製のラダー型マルチビットDACを16個積んで差動動作させ、見掛け上8個のDACが並んで稼働しているような形にしているとか聞くが・・・・。結局この音の秘密はよく分からない。なお、クロックは流行の外部筐体からの入力ではない。強力なクロックを内蔵する。別筐体にしないのは、おそらく最短距離で結線したいからだろう。そして今宵の機体は例のギャラクシークロックよりもさらに上のグレードのFemto33というクロックを積んでいるという。このクロックはオプションで、130万円ほどするらしい。本体が1200万円オーバーだから、しめて1400万円弱。 もちろん、これはクロックやトランスポートを組み合わせた価格ではない。DAC単体でこの価格とは、どう考えたものだろう。アンプやスピーカーでは、時々ある価格設定であるが、こういう価格の単体DACは初めて聴く。
足は四足で砲弾の先のような形をした尖ったゴムである。筐体をゆするとゆらゆらする。どこか磁気浮上式ボードに載せた時に似た雰囲気である。少し変わっている。
細長いフロントパネルは、ほぼ全面が荒いドットによるディスプレイで占められている。表示は大きくて遠くからでもよく見えるが、白黒で高級感は微塵もない。中央に向けて多少盛り上がった形のトップパネルにはクリックのあるボリュウムがついていて、プリアンプなしでも使えるようになっている。メーカー側は一応プリアンプなしでパワーアンプにダイレクトでつなぐことを推奨しているが、往々にしてこのようなケースでは、優れたプリアンプを繋いだ方が音に幅が出てよい。メーカーの忠告は無視してGrandioso C1につないで聞いた。
それから、ほぼ同じ大きさ・同じデザインの電源部がDAC本体の下にある。そこから左右別に給電されているが、特に驚くようなギミックはない。

総じて1400万円の機材には全く見えない、普通のハイエンドDACの外観である。500万円でも御免こうむりたくなるようなモノである。代金に見合うオーラが出ていない。
試聴を終え、音量を下げてから、静寂に戻ったリスニングルームで、
改めてしげしげとDACを眺めてみたが、こういう見てくれの箱が、あんな音をいきなり出すということに、どうしても納得が行かなかった。

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The sound 

MSB technology Select DACのサウンドはパーフェクトである。
これは今日まで誰も成しえなかった音だろう。
デジタル・アナログオーディオに
明確にあるいは漠然と意識されてきた音質上の問題はほぼ解消した。
逆に言えば、私がVivaldiやDSP-01、CH precision等の人気の高級機材たちに抱いていたぼんやりした不満は、Select DACのサウンドとの比較により明確となった。
それらの機材に対する、Select DACの優位性とは、
主に音源に対する忠実さ・音の正確さと音楽性の両立だろう。
しかも、それは未曽有の高いレベルで、
極めて安定したバランスを保ちながらの両立である。
今までのハイエンドDAC・デジタルプレーヤー、ハイエンドなアナログシステムでも、これらの両立が出来ているものは散見されたが、バランスが少し悪かったり、バランスが良くても二つの要素の達成度がやや低かったりして、私が求める究極の音に到達しなかった。
また、Select DACの実現した、矛盾する二つの要素の均衡は細かい音質評価項目にも反映されている。つまり巨視的にみても微視的に見ても完全な調和を保つ。

言う必要もないが、ダイナミックレンジや聞こえてくる帯域の広さ、各帯域のバランス、音の解像度、残留雑音、過渡特性(トランジェント、立ち上がり・立下りのスピード感)、そしてこれらを常に安定して聞かせる音質的なスタビリティ。少なくとも、これらについては今まで聞いたどのDAC、どのアナログシステムよりも優れているように聞こえる。
そういう表面的な音質評価の項目では、なんの問題もないどころか、文句なしに満点である。このDACについてはリスナーがどのような要素に注目して試聴しても、いささかのクレームも出せないかもしれない。どんなに意地の悪い聞き方をしても、意味がなさそうだ。
また、これらの要素の優秀さが強調される気配がないということも特徴。
そもそも超弩級機的な音調がどこにもない。
そして無理をして出しているように聞こえる音がどこにもない。

聞いていて色々なことに気付く。
例えば様々な楽器や録音状況の違いにより生じる、音触や音色の鳴らし分けが非常に巧みである。楽器の音が重なる、あるいは左手の旋律と右手のリズムが重なる、向こうが透けるような、透けないような重なり具合の妙。Modulationが非常に少なく、各パートの分離が良い。なのにハーモニーの見事さは聞いたことのないほどレベル。分離感の良さが、音が重なった時のブレンド感・ハーモニーのテクスチャーをむしろ生かすという奇跡的な瞬間が連続して聞ける。通常、分離感とハーモニーは普通は両立しないか、してもバランスが悪いものがほとんどだが、このDACでは両者が美しく並び立ち調和している。
そして基音のリアリティの確かさはもちろんだが、倍音成分の質感の漂いにも凄味がある。
その存在感と透明感の両立にも唸らされる。
さらに言えば、音の透明感と音の厚みが調和しているというのも稀有である。このように分離が良く、透明度の高い純粋な音では、どこか身の薄い音になりがちだが、そういうひろひらして頼りない印象は全然ない。みっちりと身が詰まった美味しいサウンドになっている。

ここでは複数の奏者の間でのインタープレイ、タイム感の微かなズレが眼前に聞こえ見える。何を、どう演っているのか、その全部が当たり前のように聞こえて見えてしまう。
これはバーチャルななにかではなく、オーディオという、もう一つの現実の現れである。
また、定位の良さにも打ちのめされる。微動だにしない楽器やパートの位置関係が、ソースを変えても、そしてなんとリスニングポイントを変えても、乱れることなく安定して提示され続ける。DACがこのような音を実現すること自体が信じがたい。
このように極めて高性能な音でありながら、血の通う温度感の程好さや、音楽の流れの滑らかさ、ビートの小気味良さが至極ヒューマンな要素として随所に現れる。機械的な音響美と人間的な暖かさという矛盾しやすいものが、ここでもまた巧く両立する。

そしてMSB technology Select DACの音は良い意味で無味無臭の音、
ソニックシグネチュアーがない音である。
このクラスの機材は必ずと言ってよいほど、なんらかの音の個性を持つ。GOLDMUNDしかり、Boulderしかり、dcs、CHprecisionしかり。それは音の署名のように、ブラインドで聞いても機材のブランドロゴのイメージを連想させてくれる。
しかし、このDACの出音はまるで無私なものに聞こえる。独自のサインを持たないのだ。
多くの超弩級機の試聴で、このソニックシグネチュアーこそが、オーディオにおける毒や魔を演出しているケースを体験したが、このDACにはそれがない。魔も宿さず、毒を含まぬ音。それでいて、これほどの感興の深まりを得る。ありえないことだ。
MSBのDACを聴くのは実に4回目である。そのうち2回は家で聞き、そのうち1回は自分で買って使ったものだ。(無論、このDACより随分安かったが)それらの経験からすると、MSBがこんな音を作れるとは信じられない。予想外。あの時も確かにソニックシグネチュアーがはっきりしなかったが、それはこのメーカーがそういう自分だけの音の香りを作り出せるレベルに達していないのからだろうと誤解していた。

それにしても、この脳髄に痺れを覚えるほどの恐るべき音の浸透力はなんであろう。ひたひたと音がこちらに押し寄せてきてやまない。季節外れの誰もいないビーチに佇んで南風を受けながら海原を眺めているような気がした瞬間もある。足元に寄せては返す波。目の前にひろがる青い空や蒼い海、遠くに臨む峨峨たる山々。音楽は、その風景の中にある風や水、土のように感じられた。ここには自然物特有の圧倒的な器の大きさのようなもの、あるいは存在の安定感のようなものがある。それらが背景の静寂の奥に明らかに知覚できる、真の意味でナチュラルなリスニングである。これは例えばTechDASのAirForce ONEでのレコード再生にて意識されるあのスタビリティ・包容力にも通じるところがあるが、さらに洗練されたものと聞こえる。

そういう壮大な印象を背景に漂わせるのにも関わらず、実際に聞こえるサウンドステージが必ずしも広大なわけでもないのは面白い。単純に壮大なサウンドステージなどというものこそ絵空事だと言わんばかりだ。このDACはソースごとに適切な空間の広げ方を選択するような仕草する。dcsのVivaldiのように何が何でも巨大な空間、圧倒的なエアボリュウムを引き出すような無理な仕事をしない。
常にその音楽に見合ったサイズのサウンドステージが現れ、その中を旋律が気流のように左右あるいは上下、そして前後に溢れて流れる。このような変化に富んだ音場感の設定は他の機材では体験したことがない。

例えばPlayボタンを押した途端にリスニングルームの空気が入れ替わり、録音現場あるいはコンサートホールにワープするという話はよくある。だがこのDACの音はそういうワンパターンで可愛らしいものではない。
過去がまるごと再現されるだけではなく、音楽的に巧くこなれた形で表現される。なにか美味しい響きが足されたようなところが確かにある。ただそれが、生々しい音の感触を決して邪魔しないのが斬新である。単純な美音には決してならない。そこは熟練の技なのだ。耳を澄ますことが、まるで目を凝らすことになる、そういう即物的な変換能力だけでなく、音楽を意識の流れとして感じられるようにする力、抽象的な変換能力をも十分に有する機材である。

私はオーディオにおけるデジタル技術の本質は、過去に封印され聞けなくなった実演を巧妙な数学的・電気的な誤魔化しで生々しく、さもそこに有るように聞かせる詐術の一種と思っている。だが、このサウンドはそういう姑息な技の領域を超えている。音楽が人間の生み出す芸術であるということへの敬意、つまり高度な音楽性が込められた音になっている。
実際、最近のオーディオは高価になればなるほど、この音楽性が低下するか、ともすれば全く欠けるのだが、このDACはそういう流れからは外れている。
謎かけめいた言い方をすればVivaldiやDSP-01に少なくて、MPS-5やNagra HD-DACに比較的多くあるものが、このSelect DACにはかつてなかったほど横溢しているということである。

さらにこの音を聞き進めると具体的なだけでなく、抽象的な発見にも次々と巡り会う。
リズムが実は絶え間なく緊張と弛緩を繰り返すメロディのようなものだと発見する。
そして、メロディが細かなリズムが滑らかに連なったものであることも発見する。
音の強弱の階調は単に細かくあるべきではなく、美しくなければならないとも知る。
事実、この音の濃淡のコントラストや階調感は私が知る中でも最も豊かで美しい。
音楽ってこんなに美しいんだ。当たり前だが忘れていた感動が胸に迫る。

ところで、ヴィンテージの機材を好んで使う人で、最新のデジタル機材の音をあまり評価しない方を散見するが、そういう方にもこのDACをぜひ聞いていただきたい。これは彼らが嫌う、性能ばかりひけらかして、ふくよかさや渋み、コクの足りない音ではない。これは全方向性に優れたサウンドなのである。どこか懐かしさを感じるような温かくしっとりとした気配成分やいぶし銀の鈍い音の輝きすらも盛り込まれている。試聴しなかったがクラシックのモノラル録音の質素な雰囲気や、突如として現れる荒削りな音像の力強さなども、今まで聞いたことの無いような生々しさと美しさで表現してくれるだろう。最新のデジタル機材の音にスイング感を求めるなら、これが最も確実な選択肢だ。実際、私はウェスタンエレクトリックのスピーカーと、このDACと手合せさせてみたいと心底思ったものだ。それくらいの音が出ている。

強いて、このSelect DACの欠点を挙げるとすれば、まず価格だろう。この価格は私にとっては救いのないものであり、そこを考えると、このDACを評価する気にはなれない。音楽をただ聞くためだけに単体1400万円弱のDACというのは・・・・。よほどカネが余っていなくては、これをスラッと買うという暴挙に至らないだろう。
さらに、このサウンドは完璧過ぎて、他のハイエンドオーディオ機材の存在をすっかりと忘れてしまうことも欠点だろうか。
これを買ったら、その人のオーディオは言葉の綾でなく、“とりあえず”でもなく、いわゆる“ガチ”で終局を迎える。オーディオに一生モノはないと思ってきたが、これは唯一の例外。未来にわたっても他の機材では、これほど優れたサウンドを聞けないかもしれない。


Summary

今夜以降、私はしばらく単体のDACに関するレビューを書けないだろう。
設計者の知識と理性と直感の全てが蕩尽されたとしか思えない、
MSB technology Select DACの
孤高にして普遍の音を堪能したのと引き換えに、
少なくともスピーカーから出て来るデジタルサウンドについて、
云々する意味を感じなくなってしまった。
興味を失った。
勝負はついたのだから、もうゴタゴタ語る必要はない。
全ての問題はこのSelect DACが解決するであろう。
同時に、
なぜ自分が20年以上もオーディオをやってきたのかについても、
よく分かったような気がする。
このSelect DACの音に出会うために、はるばるとやって来たらしい。
その意味では続けてきた甲斐はあったが・・・・・・。

万策堂はこのDACの音を二回聞いている。一回目はDACを意識していなかった。実は今年のオーディオショウで聞いていたのである。そのときはルーメンホワイトを鳴らしていたのだが、聴衆のほとんどの関心はこのスピーカーに向いており、私もそうだった。なんと優れた出音だろう、ルーメンホワイトは随分改良されたな、と思っていた。他の方のブログでもこのデモが良かったというコメントがあったが、アンプやスピーカーの良さにその理由を求めているものがほとんどで、重点的にDACについて語っているものは皆無であった。
二回目は個室でゆっくり聞いた。この時はソナスのリリウムを鳴らしたが、実はこんなに良く歌うスピーカーなんだなと感心した。それまでこのスピーカーの出音に価格なりの価値をあまり感じていなかったから。つまりDACの音があまりにも良いのでどんなスピーカーでも鳴らしてしまうのだろう。ここで、ショウのデモの音の良さの多くはスピーカーでもアンプでもなく、このSelect DACの存在によるところが大きかったと分かった。

私は物凄いサウンドを聞いた瞬間、
思わず笑ってしまうことがよくあった。
それは、今まで聞いていた音、あるいは事前に予想していた出音とあまりにも違って優れているので、それに感心したり、あるいはタカをくくったりしていた自分が阿呆らしくなって笑ってしまうらしい。
だが、MSB technology Select DACを聞いている間は笑うことさえ忘れていた。
今まで聞いてきた、数えきれないほどのサウンドたちが走馬灯のように脳裏を駆け抜けていくのだが、どの経験もこれほどの感動を呼び覚ませないことにすら、驚けない。
驚くことさえ忘れていたというところか。
私はしばらく、ただ呆けたように音楽を聞いていた。

これまでもこのDACと大差ないほど高価な機材を沢山聞いて来た。
また、高価でなくとも素晴らしい音を奏でる機材にも数多く出会った。
だが、これほど奇跡的なサウンドを私に聞かせたモノは今日まで一つもなかった。
これから先に開発され、私の耳に入る、
全てのハイエンドオーディオ機材はデジタル・アナログを問わず、
このサウンドを追いかけて疾走することになる。
それは開発者たちが、このサウンドを知る・知らないに関わらず、
私はそれを意識し、比較するから。
私には、自分がこの先聞くシステムに対して必然的に、
このサウンドに追いつき追い越すことを求めることしかできない。
その追跡が甲斐のあるものとなるのを祈るばかり。

こうして生まれた新たな状況は、私を予想外の不安に陥れた。
それは、先々に聞くであろう、
新出の機材の出音に心底から感動できないのではないかという、
随分とおかしな心配だ。
当面はこの不安、危機を乗り越えることが、
私のオーディオのメインテーマとなるのではないか、
そう覚悟している。
長い旅の途中、
ひょんなことから終着駅に突然たどりついてしまった旅人のような心境なのかもしれない。
次に目指す場所がとりあえず思いつかない。
そして、
なにか今までと根本的に違うオーディオのアプローチをとらなければ、
この周辺で堂々巡りを繰り返すだけだということもはっきり見えてきた。
なにか思い切ったことをしなけりゃいけない。

不幸中の幸いといえば、Select DACが圧倒的に高価なこと。
この値段では、おいそれとはリビングに迎え入れることはできまい。
もっとも、こいつが本当に来てしまえば、
私のオーディオは確実に終わってしまいそうだから、それでいいのだが。
出ない方がいい答えもあるということ。
解決せざるをもって解決とする方が良いこともある。

オーディオはやはり旅だ。
動き回らない、感覚と心の一人旅である。
安住の地を見つけ、さすらうことを止めた瞬間に
オーディオが終わってしまうなら
私がこの放浪を止めてしまうことはなさそうだ。
「旅立つ勇気があるなら、
そのための理由はどこにでも転がっているはず。」
80歳を過ぎてから、イギリスの客船に乗り込んで地球を一周した、
男勝りで旅好きの祖母の口癖を思い出した。

私は最果ての地の美しい風景の中に、
旅を終わらせないための動機、
新しい旅へのきっかけを追い求める。
かつてあった重要な出会いと同じく、
この苦くて甘い邂逅も、おそらくは運命。
だが、交わした覚えのない約束を果せと言われても、
そのために、この旅を終わらせるわけにはいかない。
失われた記憶のような心の空白はまだ埋まってはいない。
幸いにも。
今はまだ、それを埋める時ではない。

ここではないどこかへ。
私は白い息の中に、そう呟いて
霧にかすむ音の水平線に向かい、
静かの海を一人漕いでゆこうとしている。
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# by pansakuu | 2015-11-05 21:38 | オーディオ機器

Big Wave:2015年秋のヘッドホン祭りについての私的インプレッション:第二部


前回からの続き・・・・・・。

discussion
ここからは現在までのところ私が実物を聞いた全てのヘッドホンの中から、私が選んだ、いくつかの優れた製品について比較コメントしてみたい。(写真はいくつかのHPから拝借いたしました。どうもありがとうございます。)
なお、前置きで書くべきだったのかもしれないが、ここではイヤホンについては言及しない。イヤホンはコンパクトで持ち運びが簡単、ほぼどこでも音楽が聴けるし、最近の製品は種類も多く、音質も一昔前とは全く比較にならないほど向上し、話題性も人気もすこぶる高い。さらに言えば価格も高騰している。しかしまだ優れた据え置きアンプで鳴らす、リファレンスクラスのヘッドホンのサウンドのレベルには届いていない。音の絶対値が私が評価したいレベルにあるものがほとんどない。具体的にはスケール感や力強さ、音の深みが足りない。
逆に言えば、ヘッドホンとヘッドホンアンプは近年、長足の進歩を遂げており、適切なセッティングがあれば、スピーカーオーディオでは決して得られない独自の深みを持った小宇宙が展開する。これはスピーカーオーディオにのみ没頭するクラシカルなオーディオファイルには、まだほとんど知られていない世界だ。
そういうわけで、イヤホン・ヘッドホン界で誠実に高音質のみを求めるなら、イヤホンではなく、自然とハイエンドヘッドホンに落ち着くはずだ。それに、このジャンルには今、ビッグウエーブが来ているから、それに乗らない法もない。本当に旬の音がここにあり、根本的な変化のない退屈なスピーカーサウンドを私の中で駆逐しつつある。

まず密閉型か開放型かという問題であるが、一般的に言えば開放型の方が高音質が得やすいのはほぼ間違いないだろう。旗艦機は開放型、というメーカーが多数派であるのは偶然ではない。しかし、ヘッドホンを使う大きな目的の一つとして、ヘッドホン自体がまき散らす音、あるいは周囲の騒音を聞かせない・聞かないで済ませるということがあり、そのためには密閉型が理想。これはジレンマである。この矛盾は解決できていないが、優れた密閉型ヘッドホンを作る努力が少しずつ実りつつある。それがTH900やSonorousⅩ、Ether Cである。
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密閉型で優れたヘッドホンとして、これまでは密閉型のハイエンドスタンダードたるFostex TH900を筆頭にコンパクトで軽いが侮れない音質のEdition5、先鋭的な音を聞かせる唯一無二のEdition9、オークションで常に高値をつけるディスコンのSTAX4070などがあった。そこにSonorousⅩ・ⅧやEther Cが参入しTH900の独走態勢を崩すかに見える。だが、TH900の音の個性、音作りの巧さ、ひいては外観の美しさなど、総合的な視点からは、より高額な新規参入者をもなかなか寄せ付けない。SonorousⅩはTH900より威厳ある深い音を持つが、音の個性がやや強く、装着感も重すぎ、価格もTH900に比して高すぎる。SonorousⅧに至ってはTH900より高価だが、TH900ほどの品格のある音ではない。一方、Ether Cは音質の一部においてTH900より勝るかも。特に音場の拡大や定位の向上、高域の繊細な質感の向上などは密閉型としては斬新。だがTH900がサウンド全般で劣るとは思えない。またEther Cは音質はもちろん、装着感も含めてSTAX4070を明らかに超えるギアである。オークションで4070をプレミアをつけてまで争う必要はなくなるだろう。Edition5はポータブルなヘッドホンとしては音質・外観の美しさ・軽さなどを考慮すると間違いなく最高の製品だろうが、TH900、Ether Cほど音質の絶対値は高くない。
こうして見ると、このジャンルは定番のTH900と新参のEther Cが密閉型のトップモデルの両輪として、最前列を走ることになりそうだ。
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なお、今回、ローゼンクランツで改造したEdition9を聴く機会が偶然あった。都合により詳しくは述べられないが、この改造された密閉型ヘッドホンはEdition9特有のキツさがなく、これなら使ってみたいと思った。DMaaもそうだが、カスタム品の音の良さも気になる存在になってきている。そもそもリケーブルというのが、この改造にあたるのだから、この動きは今に始まったことではない。まだ、このようなカスタムを請け負う業者は少ないが、レアなヘッドホン、あるいは自分だけのカスタムサウンドが手に入ることは魅力的だ。ヘッドホン本体のカスタムも将来、ヘッドホンの楽しみ方の一つとして一般化してくるのかもしれない。

リファレンスヘッドホンの主戦場である、開放型ヘッドホンというジャンルについては、評価がなかなか難しい。音質のみを考えるとLCD-4が、今まで聞いた全てのヘッドホンの中で最優秀。音質については文句がつけにくい。この製品は平面駆動型・ダイナミック型の音の特徴を兼ね備えたうえ、正確さと音楽性までも両立させるという離れ業を成し遂げた。音質だけだと、このヘッドホンはエポックメイキングなものである。ただしあまりにも重たく、頭に装着するギアとして落第点に近い。だから悩む。LCD-4を聴くまでは開放型ヘッドホンの最高位は、先行して出ていたHE1000だと考えていた。こちらは音だけでなく装着感もいい。音場の広がりやヌケの良さは飛び抜けている。ただ、音の陰影感や密度、重たさが十分に出ないところに着目すれば、従来の平面駆動型の範疇を未だ出ていないし、駆動するアンプを厳しく選ぶという問題はある。それらの欠点はLCD-4では払拭されたが、トレードオフで重たくなったということである。
MrSpeakers Etherは価格を含めた全体を見渡してもLCD-4やHE1000のような、はっきりした問題がなく、価格上でもそれらに比べると安いことから総合的には最もお薦めできるモデルである。ただし最高の音質を得たいと思った場合には、まず明らかにサウンドで勝るLCD-4があるし、HE1000も十分にドライブできさえすればLCD-4に匹敵する可能性を残しているため、安易な導入に躊躇する。
HE1000とEtherの比較は大変難しい。これらは違うサウンドなのだが、どう違うか表現しにくい。ただ、適切なアンプをあてた場合の空間性の表現ではHE1000にアドバンテージがあるのは確かである。そこに判断のウェイトを置けば、どちらを買うかは自然と決まる。
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これら3つの開放型の新製品のうち特に、LCD-4とHE1000はユニコーンガンダムに出て来るニュータイプ専用のモビルスーツ(ユニコーンやバンシィ)のような、音以外の要素も含めた製品全体のバランスのどこかが悪いが、使い方さえ誤らなければ、圧倒的な音質を誇るモデルである。LCD-4などは音質一点突破主義というか、他のヘッドホンを瞬殺するようなところさえある。それらに比べると、装着感が良く、素直で聞き易い高音質だが、アンプを限る定番モデルのSR009、デザインはユニークだが、音はそこそこで装着感最悪のJPS labs Abyssなどは、同じ駆動方式でも注目を浴びなくなるだろう。今回の祭りの後では、T1やHD800、Edition10、SR009、そして最近出たMaster1も含め、それらは従来のハイエンドモデル、一世代前の製品という位置付けになってしまった。これはザクとかジムほど昔のものではないが、キュベレイとかギラ・ドーガ、Hi-νガンダムあたりの位置にある。もうそれらは最先端をゆくヘッドホンではなくなったのである。ここに挙げた3つの開放型の新製品はこれらのヘッドホンの音を研究して、それらを超えるために作られたのだろうから当然と言えば当然である。ヘッドホン界全体に世代交代の波が来ている。

他方、開放型、密閉型問わず、がむしゃらに最高・最先端の音質を求めるのではなく、音や装着感の安定感、安心感を求めるという向きもある。ロングセラー製品が持つ信頼感を尊重したいという人もいる。そういう方向性なら、もう一つのグループであるHD800s、beyerdynamic T1 2nd generationのマイナーチェンジ組に加えて、定番化しつつあるAKG K812あるいはHD650・HD600 (Golden era) Dmaaを求めると良い。これらはガンダムで言えばジェスタやリゼルのようなものだろう。またHD650・HD600 Golden era Dmaaついては(作品は違うが)スコープドックのターボカスタムのようなイメージが万策堂にはある。もっとプロの道具としての渋みが深く沁みついているからだ。いかんせんMrSpeakers Ether、LCD-4、HE1000は最新の製品だけに多くのユーザーの評価で揉まれていないことがあり、まだまだ信用がない。このようなまだ湯気が立つようなニューモデルは、自分のモノにしてから聴き込むと思いがけず、すぐ飽きてしまったりすることもあるから要注意だ。個人的にはそういう華々しさとは対照的なHD800sの、あえて地味だが着実・質実剛健な音の進化が気になる。
なお、Dharma D1000は最先端で独創的な技術から、どのようなソースも普通に処理する安心感が出てきたという珍しいモデルである。ここに挙げた二つのグループの中間的位置付けにあるヘッドホンであり、そういう見方をすれば今回聞けたものの中では、一番ユニークな製品かもしれない。また、こういうオーディオのインフレ時代にあっては価格もこなれているので、これもお薦めである。

今回の祭りは平面駆動型の活躍が目立っていた。ヘッドホンについては、静電型・平面駆動型とダイナミック型という区別が従来からあるが、今回の祭りを見ていると、これは意味を失いつつあるジャンル分けだろうと思ったりする。Dharma D1000はそれらのハイブリッドであるということもあるし、LCD-4は平面駆動型ながらダイナミック型に近い音を出せる。STAXのSR009が静電型・平面駆動型のサウンドの典型を決めたところがあり、このサウンドの延長上にHE1000があるのだが、すでに様々なヘッドホンサウンドの方向性は様々に分岐したり融合したりする傾向にある。発音方式で囲い込まず、まず出音を確かめる必要がある。

とにかく現代はヘッドホンの選択肢が、史上最も豊富な時代である。どういうポリシーをもって選んでも、一昔前とは隔絶した満足感が得られる。もちろん、それは後述するヘッドホンアンプに十分な投資をして初めて得られるものだ。
私のヘッドホン選びの視点は特別なことは何もない。まずは音質、その次に外観や装着感、そして製品全体としての信頼感である。それからヘッドホンアンプとのマッチングも重要な要素である。さらに他人がもっていないヘッドホンを使う喜びも無視できない。もっと言えば単純に高価で高性能なのではなく、速くて強い時代の潮流に押し流されないロングセラー・定番としての存在感も忘れたくない。
これら全部のファクターを総合して考えた結果、HD650・600 Golden Era DMaaに今の所は落ち着いているのだが、もう一つ敢えて買うなら、HD800sになるのかもしれない。またHP-V8を買ったらTH900 Mk2は必須だろう。それからTHA2がもし手元に来たらHE1000を合わせたいという気分もある。LCD-4は重さで却下か。いやいや、まだなにも決めていないが、色々と算段はしている。

Headphone AMP
次にこれらのヘッドホンと対を成すであろうヘッドホンアンプについても述べたい。このクラスのヘッドホンは全て適切なアンプ、多くは据え置き型のアンプで鳴らされる必要がある。十分なドライブ力がないとその音質は開花しないし、そもそもイヤホンに比べて大きくて重いので視覚的な釣り合いが取れない。この二日間で多くのヘッドホンアンプを聞いたが、OJI Special BDI-DC24A-R Extream、Re Leaf E1、GOLDMUND THA2、Fostex HP-V8、マス工房Model394あたりが今のところ最強の製品群と思う。
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なお、これらに匹敵するものは少ないだろうが、他にもRSAのDark star(個性的だが素晴らしい)、Questyle CMA800R(これも実はかなりいい)、G ride audio GEM-1(まだ入手が不可能になったわけではない)、Cavalli Liquid Goldは気になるし、Cembalo audio Spring1、 Viva audio Egoista、Crayon audio CHA-1、Bryston BHA-1など未聴のヘッドホンアンプはいくつもあるから、まだランキングを確定することはできない。これらを全て一度に聞いてみたいのは山々だが、問題が多い。例えばPSE法は高い壁である。
次に、音質以外の点も評価すべきだろう。例えばOJI BDI-DC24A-R Extream、Fostex HP-V8、マス工房Model394などは、別途DACなどの送り出しが必要となる。ということは新たなコンセント、高性能なインターコネクトケーブル、DACの置き場所も必要になるということである。それは大きな負担だし、音質を劣化させる要因を増やすことになる。
これに関連して、私が最近思うのはDACとヘッドホンアンプの間の伝送での音質の劣化はとても大きいということである。良質なDACとHPAをミリ単位の距離で結線すると新しい世界が見える。これはRe Leaf E1で教えられ、THA2でも確定した事実である。DACを内蔵した方が音質上は有利だし、そもそもコンパクトである。会場にRe Leaf E1を自前で持ち込んだ方が私以外にも居て驚いたが、OJIやFostexではそれは難しい。
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既述した最強アンプ群の奏でる音の中で今回私が最も感銘を受けたのはTHA2のサウンドであった。しかもそれはUSB入力のハイレゾデータでなく、CDトランスポートからの同軸入力、16bit, 44.1KHzのデジタル信号によるサウンドだった。Re Leaf E1にはこの入力がないため、試せていなかった。このデジタル入力の44.1KHzのデータによるサウンドは強烈な実体感と、ヘッドホンオーディオにおいては類例のないほど広大な空間性を兼ね備えるところが素晴らしい。ムンドらしさを排したフラットでクセのない、一聴してごく普通の音。だがなんという深遠な音だろうか。Re Leaf E1xを試聴して以来、久しぶりに新たなヘッドホンサウンドの深まりを感じた時間であった。これなら、そろそろ退屈になってきたスピーカーサウンドはしばらく休んでもいいだろうとさえ思った。欠点は硬すぎるボリュウムの感触ぐらいだろう。手持ちのアンプとの比較を言えば、Re Leaf E1xは音場が向こう側に深く展開するが、BINモードのTHA2は左右にかなり広く展開する。ムンドのアンプは音楽性が高いのに無味無臭で平明なサンドであり、頭内定位も極少である。非常にリアルな音像描写でやや乾いた触感。音像の精密さが際立つ。それにしてもムンドのソニック シグネチュアが全くフラッシュバックしないのは意外であった。ゴールドムンドのサウンドも変化しているのだ。
音場の深さや透明感、音像の持つ繊細な情緒、音と音との有機的なつながりはRe Leaf E1xが勝るが、音場の壮大な広がりと音の力強さ・余裕はTHA2である。
これらは甲乙つけがたく並び立つ、2つのトップ・オブ・ザ・トップのヘッドホン サウンドということになる。
THA2は標準ジャックしか出力がなく、バランス接続が試せないのは気になるが、HD800で聞くかぎり、あえてバランス接続にする必要は感じなかったのが進化だ。先代はそれが気になったモデルだった。HE1000やLCD-4が、このアンプによるドライブでどんな音を出すのか、とても興味がある。
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またHP-V8は上記の2製品と全く違った方向を志向していた。入ってくる音楽信号に忠実であらんとするだけでなく、より美しくして聞かせるアンプなのだ。音の滑らかさ、華やかさ、芳醇さに酔う。特にクラシックはロマンティックな響きがある。視覚的にはレンブラントの絵に出て来る黄金の兜やアクセサリーの描写を思う。闇の中に煌めく金色の輝きが音楽の中に見えるようだ。また録音現場の暗騒音やマスターテープのヒスノイズがよく聞こえるほどSNが良い。音のキレもよく、低域の伸び、解像度も高い。チャンネルセパレーションも製品版では改善され、広い音場が得られる。音楽の意味や演奏者の感興が、神経を決して逆撫でしない形でしっかりと伝わる。どんな音楽をかけても音が曲想に馴染んで、唐突さがない。これは真空管が醸し出す美酒のようなサウンドである。唯一無二。
ただHP-V8はその特異なサウンドから、純正であるTH900以外にマッチングが良い製品があるのかどうかが危ぶまれる。上手くいくか分からないが、Sonorous XやLCD-4を合わせたらどんなサウンドになるか、試してみたい気分はあるが・・・・・。

こうして、これらのマイナーで高価だが実力が極めて高い3つの新製品を前にすると、OJIやマス工房の製品はやはり一世代前の造作、サウンドに感じられる節はある。
HPAの出音についてはDACとHPAの間の情報の欠落に、かなり敏感なものと述べた。そこでの情報のロスが最小なうえ、コンパクトなTHA2やE1が発売されている状況で、アンプ選びはどうあるべきか?至極真っ当なアンプだが、DACに悩まなくてはならないこと、またHP-V8の斬新なサウンドに比べて、既に親しんでいる音であることなどを考えると、OJIやマス工房を私は敢えて選ばないかもしれない。
つまりDACつきのHPAはいろいろと有利な点が多いし、また真空管で奏でられる唯一無二のサウンドにも強く惹かれるということだ。
マス工房、OJIだけでなく、Dark StarあるいはLiquid Goldなんかを触って聴いても思うのだが、これらはやはり筐体デザイン・音質向上のための回路や電源のコンセプト全体がマンネリズムに陥っているところがある。やっていることの基本は、ずっと前からある手口、すなわちスピーカー用のハイエンドアンプに用いられた手法とほぼ同じであり、新味がない。近年、スピーカー用のアンプとしてはDevialetやLINNのトータルシステムが現れ、好き嫌いは別として、そのユニークなカタチとアイデアで存在感を出している。では、ヘッドホンアンプはどうか?
私がRe LeafやGoldmundの製品に着目するのは高価だからではないし、そのサウンドやハイエンド魂に動かされるからだけでもない。製品のコンセプト自体に新しい・エキゾティツクなチャレンジを感じるからなのである。
またReLeafやTHA2、HP-V8などのヘッドホン専用の高額機材を聞いた後では、NAGRA HD DACやCHORD DAVEのような、DACの能力はかなり優れていてもヘッドホンアンプ部が比較的弱いタイプの製品には、私個人は食指が動かなくなってしまった。やはりHD DACやDAVEはスピーカーで使うことも視野に入れて購入計画を練るのが基本だろうと考え方を修正する。


Postscript
最後に今回の祭りを回って気になった幾つかのポイントについてランダムにCommentする。
・NewOPTがポータブルDAPのUSB端子に挿して使う外部電源を参考出品していた。相変わらず美しい青パネルの綺麗な筐体を持つ電源で、つなぐと音が繊細かつダイナミックに変化する。AK240やAK380などに繋いで使うことを想定しているようだ。

・KORGが開発した世界初のデジタルフォノイコライザーDS-DAC-10R。主にDSD録音機能を謳っていたが、リアルタイムでプチプチノイズを消すなどの機能がついたら凄いことになりそうだ。デジタルフォノイコはありそうでなかった製品。アナログオーディオの世界の風景を大きく変える可能性を秘めたモノである。ただし、リアルタイム再生の出音などはどうもデジタルチックで即物的な感じがした。電源などまだまだ検討すべきことはあるだろう。だが、とりあえずこれを製品化したことの意義は大きい。正直、Hugoの後出しジャンケンのようなMojoなんかよりもインパクトが大きかった。(Hugo出す前にMojo出してくださいね。)

・会場に来るべきだったのに来ていなかった機材がいくつかある。Fostex HP-V8、Audio technica AT-HA5050H、IODATA Fidataあたりがそうである。Fostex HP-V8は二子玉川でヒマをしていたので、その隙を衝いて一時間ほど占有させていただいた。IODATA Fidataは音展で詳しく聞いた。SSDモデルはN1Zとほぼ同等の音質を誇り、それでいてかなり安い。明らかにお買い得である。これをヘッドホンシステムの送り出しとして使うのはアリだったと思うので残念だった。そして今回はヴァル・ヴァロのような役回りになってしまったAudio technica AT-HA5050H。E1やTHA2と轡(くつわ)を並べることは叶わなかった。ケリィ、遅れをとったな、というわけだが、冗談はともかく一体こいつはなぜ来なかったのか?海外のショウでは出ていたのに。テクニカのブースは目立った新製品がなかったこともあり、なぜあえてアレを出さないのかが実に不可解。 しかし、私はいつまでも待つぞ!とでも呟いておこう。

・多くのブースが、入場してきた試聴者がポータブルのデジタルオーディオプレイヤーを持って来ていることを半ば前提としたデモをしていた。そういうモノを持ち歩かないことをポリシーとしている少数派?の私はおおいに困惑させられた。わざわざ半年に一回の機会に出て来るのだから、送り出し、アンプ、イヤホン・ヘッドホンに適切な製品を選び、一通り完成したシステムセッテイングで出していただきたい。イヤホン・ヘッドホンとはいえ最適なトータルシステムで提案して欲しいのだ。いくつかのブースでは二日間、そのような試聴環境が十分に整わないままであった。
また自分が一体どれくらい贅沢な嗜好品を売ろうとしているのかを、買う側の立場に立って考えるべきだと思ったケースもある。例えばある高価で重いヘッドホンを紹介するブースではポータブルの小さなDAPでしかデモがなかった。これほどのヘッドホンを買う人は、まずそれなりに高級な据え置きのヘッドホンアンプを使うことだろう。こんな小さなDAPでも鳴らせるというデモはあってよいが、なぜ強力な駆動力のある据え置きアンプも用意しないのか?この高価なヘッドホンの本気モードがどれほどなのか、誰もが知りたかったにちがいないのに。これに似た不可解、いや無理解は、いくつかのブースで見られた。
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・開放型のヘッドホンは周囲の雑音に影響されやすいので、できれば椅子の両側に投票所で見られるような衝立が欲しい。まわりでやっている立ち話が聞こえにくくなっていい。その衝立が透明なら、会場の見通しも妨げないだろう。私は騒音の少ない二日目の夕方にも精力的に回って出音を確かめた。この時間帯は待たないし、穴場だ。機材のヒートアップやエージングが進んでいることもある。だがそんなことせずとも少しばかり工夫すれば、一日目の午前から、いい音で聞けたはずだ。また衝立があると次に順番を待っているのが誰なのか、傍から見て分かりやすいこともある。衝立に囲まれた空間のすぐ後ろに列ができるようになるだろうから。ヘッドホンが複数あると誰がどれを聞こうとしてブースの前にいるのかわかりにくくなる。

無意味な苦言はともかく、なにはともあれ、本当にヘッドホン・イヤホンオーディオのBig Waveが来ているのだから、このイベントをやり遂げるしかなかった。こうして祭りが終わって、真夜中の夜風にあたっていると、ヘッドフォニアとして思うところがある。今回のイベントは私的オーディオの大きな転換点となるだろう。とりあえず、自分の経験で養った直感を信じて、新しい方向へ万策堂は踏み出すつもりだ。耐え難くも甘い、新たな時代の始まりである。

# by pansakuu | 2015-11-01 12:52 | オーディオ機器

Big Wave:2015年秋のヘッドホン祭りについての私的インプレッション:第一部


十傑集がその気になれば・・・
by白昼の残月


Introduction

2015年・秋のヘッドホン祭りほど話題の多かった祭りは、かつてなかったような気がする。聞くべきものが今回はとても多かった。
いままでこれほど長く会場に居た記憶もない。二日間、合計で約12時間弱、会場をうろついていた。万策堂が実際に買うのはハイエンドヘッドホン関係の機材に限られるので、それだけ聞きに行けば良かったのだが、一回聞いて終わりというものは少なかったので、それらを全部聞き終えるだけでもかなりの時間を要した。今回は多くのヘッドホンメーカーあるいはアンプメーカーのフラッグシップ機がバタバタと更新され、それら全てを十分に試聴するのに大変骨が折れた。出品物はどれも力作揃いで、いつもの祭りの倍以上の時間をかけ、あるいは時間を分けて、ひとつひとつを詳しく聞いた。というか、聞かざるをえなかった。勿論、イヤホンについても目ぼしいものは聞いたので、さらに時間が伸びた。さらなる疲れの要因として、重要なヘッドホンアンプが何故か会場に来ず、という事態がある。例えば二子玉川なんぞに引っ込んでいたアンプもある。記憶が薄れないうち、ほぼ同時試聴して比較する意味で、会期中にそこにも出向いた。何故、中野まで運んで下さらなかったのか?そのせいで私はますます疲労困憊したのである。まるで台風の大波の中でサーフィンをしたような気分だった。とはいえ本当にヘッドホン・イヤホンオーディオのBig Waveが来ているのだから、やるしかなかった。

こうして私にとって大切で大変な祭りが終って、私がマークしたフラッグシップクラスのヘッドホンは計8機種であったが、間違いなく自分が買うだろうと言えるようなものは残念なことに1つもなかった。全ての機種のどこかに買わない理由がある。その中でも全ての点において最も上手くバランスが取れていたMrSpeakers Etherでさえ、買うかどうかはあやふやである。それはLCD-4があるからなのだが、理屈については後に詳しく述べたいと思う。

ここでは、まずこれらの旗艦格のヘッドホンについて簡潔に、独断と偏見に満ちたインプレッションを並べよう。次にジャンルごとに比較してテキトーに論じてみたうえ、対になる可能性のあるGOLDMUND THA2とRe Leaf E1、FostexHP-V8などのハイエンドヘッドホンアンプの比較インプレッションを簡単に述べよう。そして全体の感想を述べて締めくくるつもりだ。長くなるので二部構成になる。
(写真はいくつかのHPから拝借いたしました。どうもありがとうございます。)


Exterior , feeling and sound
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1.Sennheiser HD800s
外観:
一見するとHD800を黒く塗っただけの色違いバージョンにしか見えない。だが良く見ると、部品のエッジの立ち方が若干パリッとしているように見え、形は同じだが、新たな金型を使って部品が製作されているようである。精悍な印象であり、黒いヘッドホンアンプに合わせたくなる。内部構造は新規の部品によりダンピングが強化されて、特性が改善されているとのことだが、外観や重さに明らかな変化はないようだ。
装着感はHD800とほぼ同様であり、区別できない。ハイエンドヘッドホンの中では一、二を争う装着の良さである。音漏れは前モデルと同様で大きい。

音質:
一聴すると、HD800の特徴である聴空間の広さが僅かに失われ、音場が若干狭まったように感じられる。だが、HD800の音場の広さというのはHD800のハウジングの構造や材質、容量によって、演出されていたところがある。これは同じ音源を、優秀なヘッドホンアンプを用いて多くのヘッドホンで鳴らすと分かる。この演出の一部が巧妙なダンピングにより消えた、あるいは控え目になってより素の音に近くなったのだと思われる。結果的に音像の定位が良くなり、音のエッジはクッキリして全体を把握しやすくなった。高域がしっかりして厚みが出ており、中域・低域も音の密度が若干上がっている。どこかDMaaのチューニングを連想させる音。いわゆる空間型の出音からやや音像型にシフトした印象。もっとも型番を900にするほどの変化ではなく、マイナーチェンジであり、これで販売価格が大幅に高くなると購買意欲は失せる。
また、従来のHD800が不要になることはなく、音楽の音作りや曲想に合わせてHD800とHD800sを使い分けてもいいように思う。
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2.Audeze LCD-4
外観:
ミステリアスだ。ヘッドバンドはカーボン製になり、ハウジングは一部メッキがかかっている。また、ヒンジの部分にロゴが入っている。依然としてややモッサリして野暮ったいように見えるが、どこか只者でない鋭さも感じる。形全体には先代モデルたちと比べて大きな変更はないが、少しピカピカしてスペシャルモデルであることを演出しているようにも思う。
装着感については重すぎるとしか。カーボンパーツを使っていながら、この重量は何だい?イヤーパッドは分厚く、頭部のサポートも改善されているが、如何せん、こんなに重いと聞く前に落第点を付けたくなる。1.5テスラのネオジウム磁石を載せたせいなのか?側圧も、ちと強いが、この重さではそうでもしないと保持できないだろう。毎日、数時間連続してこれを使うと頭頚部の筋肉の疲労が大きく、整形外科的な問題が起こることは間違いない。sonorous Xについても言えることだが、ヘッドホンは服や帽子のように身に着けて使う道具なので、この部分が完備していないと、音がいくら良くてもダメだと思うことがある。

音質:
およそ今まで聞いたどのヘッドホンよりも充実した出音である。これは平面駆動型らしい繊細で透明感のある中高域にダイナミック型に類似した力強く緻密な中低域が合わさって、いままで聞いたことの無いような優れたサウンドが得られている。帯域バランスはほとんどフラットに近いか?若干、中低域にウエイトが乗っているか?こんなにたいそうなヘッドホンだが、意外にも小さなポータブルのデジタルオーディオプレーヤーで十分に駆動できる。折角なので、もう少し駆動力のある適切なアンプを充てるとさらに躍動感のある闊達なサウンドが得られた。1.5テスラのネオジウムマグネットの威力なのか、この方式ではありえない音の力強さがありながら、精彩感も横溢している。しかも音に濃密な味わいさえもプラスされている。平面駆動型のヘッドホンに常に足りないと思ってきたものがだいたい補完されている。ダイナミック型の高テスラを誇るドライバーを搭載するヘッドホンでもこれほど躍動的で濃密にはなかなかならないだろう。基本的に大変にリッチな音楽性のある音でありながら、解像度やダイナックレンジ、空間性などの基本的な音質の評価項目を高いレベルでバランス良く満たす。従来のLCDシリーズはどのモデルもどこかにクセがあった。高域が伸びない、中低域がファットだ、中域の密度がこのモデルだけ低いなど。しかしLCD-4はどちらかというとクセの少ないフラットな出音で、音を盛る傾向は少ない。今までハウジングの材質もコロコロ変わって、どれがいいのか分かってないようだった。今回は硬くて重い黒檀に落ち着いた。聞くところによれば、最近まで意外な人がAudezeのサウンドアドバイザーをやっていて、その人のアドバイスで音が良くなってきたという噂だが、どうなのか。とにかく極めて高価格だが、その価格が納得できる音。それだけに、この装着感は惜しい限りだ。他機との比較については後で述べるが、結論を言えばHE1000を焦って買わなくて良かった。
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3.HiFiMAN HE1000・EditionX
外観:
洗練された美しい局面で構成されたハウジングであり、ウッドとアルミのハイブリッドである。仕上げに日本製の高級品のような精密さがやや少ないが、全体のデザインやヘアライン仕上げは悪くない。
装着感は軽くもないが、重たいということはなく、合格点。長時間の使用に十分耐えるだろう。
例えば、このジャンルの先行製品の一つであるJPS Labs Abyssと比べるとはるかによく出来ている。
SR009と似た装着感である。

音質:
LCD-4がなければトップのサウンドであったはずだ。音質で比較して先行のAbyssやSR009よりも優れている。ヌケが良く空間性を強く感じる音であり、その広大な空間の中を音楽が爽やかな風のように吹き抜けてゆく。解像度は高いが軽い低域、明るく澄んだ中域、スッキリと伸びきるスマートな高域。全帯域はバランス良く分布して、強調される部分がない。総じて破綻のない美音だが、全体にやや明るく、音が軽すぎる。例えば悲壮感や憂いを伴う音楽、重いビートが連続する音楽に合わない。LCD-4はこのような曲に十分に対応する。それからEtherにもある程度言えるが、音圧感がこのヘッドホンでは全く分からない。音圧も音楽情報の一部なので、これが感じられないのは困る。またHE1000はドライブするアンプが限られる。正直、聞いている私の中では、どんなアンプをつないだにしても、こいつの実力は本当にこれだけなのか?という疑問がいつもある。最近MOON Neo 430HAで聞いてみたが、音量は十分に取れるものの、音量を上げると、音が硬くなってしまう。やはりTHA2につないで聞いてから評価を考えたいところはある。一方のLCD-4は恐らくアンプはそれほど選ばない。とにかくHE1000を十全に駆動する最適なゲイン、パワーをもつHPAが必要であることは、大きな欠点。

なお、同時に出ていたセカンドモデルのHiFiMAN EditionXの外観は黒いHE1000というところ。ピアノブラックのようなツヤありの仕上げが全面になされている。とてもエレガント。装着感はHE1000とほぼ同様だが、音質はジュニア機のそれで、僅かに音場が狭くなり、音像の描写もやや甘くなる。HE1000より駆動しやすいようで、同じアンプでもEditionXの方が音量が取りやすかった。これなら大抵のアンプできちんと聞けるだろう。音質を取るか、価格・駆動しやすさを取るかだが、音質で勝るLCD-4がある以上、音質を優先して駆動のしやすさ犠牲にしたHE1000より、むしろEdition Xの方がお得感があるかもしれない。
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4.MrSpeakers Ether
外観:
HD800sや後述のDharmaのように洗練されたデザインではない。やや武骨でカラーセンスが良くない。普通の金物屋にありそうな特殊な印象のない金網のようなもので覆われたハウジングの外側。サイドの簡潔な円筒形の形やレッドリムにも美しさまでは感じない。ツヤありの塗装がされてはいるが、質感は全体にやや雑にも感じた。ただしケーブルのコネクターはしっかりしていて好感が持てる。その部分はMaster1などとはかなりの違いだ。装着感も悪くない。軽くもなく重くもないが頭にかけた時のバランスは良い。デザインでなく音質で勝負、機械的な耐久性も高そうな実用本位のアメリカ製品なのだろう。

音質:
欠点が少ない。全ての音質要素がバランス良く配合された落ち着きのある音。見通しが良く繊細であり、低域を中心に音の輪郭がキッチリと描けていて、曖昧さはない。ハウジング内で音が散らず、音場はHE1000ほど広大でないが、自然な広がりを聞かせる。いくつかのアンプで聞いてみると各パートの分離が良く、音が決してダマにならないことにも気付いた。やや美音系に傾くがモニター用ヘッドホンのような正確さもなくはない。平面駆動型の長所である、音のアタックがキツくならない美点も強調されているが、音楽の躍動を過不足なく伝えてくれもするし。平面駆動型にありがちな単純にサラサラした気持ちのよい透明な音に終始しない。多彩な魅力を持つ。これはSR009を代表とする従来の平面駆動タイプのサウンドの最高位に位置する。だが、残念にもHE1000やLCD-4のように、その枠を完全に飛び超えるような音までにはなっていない。
ただし、その価格を考え、駆動のしやすさ、アンプを選ばないことまで考えると全体としては新参のHE1000やLCD-4、そして定番のSR009に勝るかもしれない。
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5.MrSpeakers Ether C:
外観:
複雑な形状のカーボン製のハウジングを持つヘッドホン。カーボンハウジングは高価で特殊なため、音に効くと考えられても、実現させたメーカーはほとんどない。それをやり遂げたことには拍手。だが、このハウジングは磨きがやや足りず、カーボン繊維の持つ美しさが十分に出ていなかった。どうせやるなら、もう少し高くなってもいいので、このカーボンハウジングをさらにブラッシュアップするべきだろう。(エルメスのカーボントランクやカーボン製のベアブリックなんかを見ると仕上げの良し悪しが分かるようになる。)
装着感はEtherとほぼ同様で問題ない。当然ながら音漏れはEtherよりもかなり少ない。

音質:
Etherを聞いた後に聞くと、当たり前だが、やや籠って聞こえる。音場はEtherより明らかに狭く感じられるが、密閉型のライバルであるTH900やEdition5と同等の以上の広さは確保している。一般にカーボンを使った製品には独特の音の個性が端々に聞かれると思う。すなわちカーボンを多用すると、音が整理され、背景の静けさが増す。サウンド全体がフラットで重厚になるが、躍動感が若干削がれ、音が跳ねなくなる。まさにEther CはEther の音に上記の修飾を加えたような音である。好みの問題ではあるが、私はこのサウンドをあまり面白いとは思わなかった。特に躍動感がEtherはもちろん、今までの密閉型のキングたるTH900に及ばないように思ったからだ。私が経験上、カーボン製の製品の音を好まない傾向があるにしてもTH900の方が音のまとめ方が少しだけ上手く行っているように思う。
EtherとEther C。
この二卵性双生児のようなヘッドホンを聴き比べると、密閉型で開放型を超えるような音質を得ることの難しさを思う。ハイエンドのヘッドホンは明らかに開放型が多いのだが、それは音場感の点で圧倒的に有利であり、ハウジングの影響が少ないため音もまとめやすく、また製造コストも開放型の方が材料費を低くできるからだろうか。何にしても、MrSpeakersはこの二機種をほぼ同価格で出したことは注目に値するし、STAXの密閉型4070亡き後、新たな平面駆動式の密閉型を渇望しているファンの要求に答えたことは敬意を表するべき。
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6.Final audio design SonorousⅩ
外観:
鏡面仕上げの金銀のコンビがデザインのハイライトだ。煌びやかなエクステリアであり、大変目立つ。部品のエッジが立っているように見えるが手を切るような雑な仕上げは皆無で流石の工作精度。やはり超高額機である。Finalの社長さんは高級時計のようなバリューのあるヘッドホンを作りたいと力説しておられたが、頷ける外観となっている。イヤパッドは普通以上に弾力があり、パツパツだが、その表面はしっとりして耳の周囲を密閉するかのように覆う。このパッドの内側には見えにくいがいくつか穴が開いており、音響特性をコントロールしているらしい。細かい技だが、この手法に関しては、例えばDMaaでも類似のアイデアを出していてFinalだけでやっているわけではない。全体に複雑なヒンジや調節機構などはなく、見掛けの豪華さにのわりに、ごく単純な構造である。蝶番のような部分を作ってもハウジングがあまりにも重たいので経年変化に耐えられそうもないからだろうか。
装着感はしっかりとしており、頭を多少振ってもブレがなく、頭頂部も痛くないようだが、なにせ重たいので長時間使うと首がおかしくなるのは覚悟しなくてはならない。経年変化で側圧が弱くなると、単純な構造だけに下を向いただけでズリ落ちそうで怖い。重たいので落とすと危ないし、鏡面仕上げに傷がつくかもしれない。

音質:
これはやや特殊なサウンドに聞こえる。その完成度は高いが、このサウンドを是とする嗜好の範囲が狭いのではないか。良い意味でも良くない意味でも、例えばG ride audioの製品に似て、“自分”を強く持っている。全金属製のハウジングだけでなく、オリジナルのドライバーであることも影響しているだろうか。音場は密閉型としては広く深い。が、なぜか見通しがあまり良くない。音像は極めて明瞭で、その解像度は申し分ないのだが、音像の周囲に霧のようなモヤモヤした雰囲気が漂っているような気がするからだ。何だろう?これは駆動力のないポータブルのDAPを使ったせいらしく、後日にFinalのショールームでQuestyle CMA800R(二階建てのモノラル使い)で、このヘッドホンをバランス駆動すると、このモヤッとした感じはなかった。この本来の音が出るセッティングでは音像についてはエッジがやや強く、色彩感が鮮やかで、内部に音の粒子がぎっしり詰まっているようで密度が高い。この音のエッジの硬さは高度な技術で製作されたドライバーを取り付けるアルミバッフルが効いているのだろう。やや重たくて陰影のコントラストの強い音でもあり、HE1000などの典型的な平面駆動型とは違う方向性である。奥に深い音場の中で、この独特の密度と彩度の高さのある音が流れる様は、油絵の名画を眺めるようで麗しい。このヘッドホンでしか聞けない音の現状がここにある。音の強弱の階調性は非常に細かく、定位も良い。だが、非力なアンプでドライブすると、なにか全体に音のレスポンスが若干鈍く感じられることがあり、ゆったりした横ノリのクラシックなどは合いそうだが、現代のポップスによくある、畳み掛けるような速いビートに似つかわしくないということになる。やはりパワフルな据え置きアンプが必須。低域はやや膨らんで量感があり、中域は濃密でややネットリした感じと明瞭さが同居する。高域は概ねナチュラルだが、金属的な響きが時に耳を刺したのが気になる。ハウジングの材質によるのか、あるいはエージング不足か。個人的には金属でない、生体素材でダンプをかけると、さらに音質が向上するはずだと思っている。
個々の音の要素のみについて着目すると出来・不出来があってバラバラな印象なのだが、それらが一つになった音を実際に聞くと、これはこれで悪くないと思わせる不思議なサウンドだ。やはり老舗の貫録というか、音のまとめ方・音作りが洗練されている。
前回の祭りでは、ここまで音がまとまっていなかったが、半年でかなり聞き易くブラッシュアップされた。しかし、音の本性はそのまま。いまだに音の重量感や陰影、色彩感に重心を置いた、威厳ある独特の音を出せるヘッドホンであることに変わりはない。
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同時に聞いたFinal audio design SonorousⅧついても少し。
外観:
Xで金属だった部分が一部は硬いプラスチックに換装されており、少し軽くなっている。このプラスチックは深いブラウンで表面は艶消しであり、鏡面仕上げの部分と美しいコントラストを成す。装着感はXよりも軽いので当然楽になっており、その点では下位モデルの方が優れている。
音質:
Xとはやや違う音質傾向である。適度な密度や重さ、しなやかさがある柔軟な音であり、基本的に明るく闊達な印象である。音場の広さはそこそこだが、密閉型として不満は感じない。音に重苦しさがなく、ビシビシとビートも決まる。だが、Xを聞いた後だと、どうも上滑りで軽い音に聞こえ、音楽の内容を掘り下げたり、音楽の骨格を大きく啓示したりする力に欠けるように思う。逆にXにはそのような抽象的な表現力が備わっているのが長所だろう。
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7.Enigma Acoustics Dharma D1000
外観:
前回の祭りに比べてかなりブラッシュアップされ、完成度が高まった。金網の部分に透かしでロゴが入ったり、金網のエッジを金属の枠で覆ったり、ヘッドホンケーブルの着脱の穴の周囲の仕上げがよくなっていたり。アームとヘッドバンドを連結するヒンジの部分もガタなくキチッと出来ているし、細部までデザインが行き届いている。例えばKuradaのヘッドホンのヒンジも良くできていたが、デザインまでは、手が回っていない。Dharmaにはそれがあるのだ。ブラックの艶消し塗装も綺麗で全体に精悍な印象を持たせる。Etherにもこれ位の作りの良さがあると良かった。
このヘッドホンはハイエンドヘッドホンとして標準的な重さであり、また、精密なヒンジのおかげでピタリと側頭部に馴染むので、装着感は良好である。

音質:
なんといっても唯一のハイブリッド型であり、外観や装着感も良いので、期待が高まるが、破綻のない普通の音という感じで、派手なアピールがない。少々肩透かしであった。すごく普遍的な音なのである。このヘッドホンはセルフバイアス静電ドライバーとダイナミックドライバーのハイブリッドとのことだが、この二つのユニットはシームレスにつながっており、全然つなぎ目がないように聞こえる。一つのドライバーで駆動しているようだ。伸びきった高域のシルキーな感触とレスポンスの良い中低域の適度な重さ。ワイドレンジなうえ、全帯域において高解像を確保している。だが、これだけ多くのフラッグシップモデルが一堂に会している中では、あまり存在感が出せていない。突出した音質的なメリットがない。それだけ純粋な平面駆動組の躍進が目立っているのだ。また目立ってない一因に純正アンプAthena A1が価格のわりにややショボいこともある。また、その上流のプレーヤーの音も弱かったと思う。前回の祭りだが、純正のヘッドホンアンプ以外でも聞いてみたことがある。その時の経験から言えば、純正のヘッドホンアンプにはこだわるべきではない。もっと高性能なヘッドホンアンプ、例えばNAGRA HD-DACのヘッドホンアウトで聞くと今までのはなんだったのか?と言いたくなるぐらいの良いサウンドであった。さらにワイドレンジ感が増して、伸び伸びとヘッドホンが歌っていた。
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8.beyerdynamic T1 2nd generation
外観:
前のモデルT1と比べて、ヘッドホンケーブルが着脱式になった以外はほとんど変化はない。ケーブル端子の着脱のロックはしっかりしており、Master1などのMMCXを使うモデルに比して信頼感がある。今回の祭りではリケーブルのしやすさを喜ぶ話が多かったが、T1 2nd genがその代表。装着感もほぼT1と同様。

音質:
若干音場が広くなり、よりクセの少ない音になった。だが、あまり大きな変化ではない。これからT1を買う人はこれを買うべきだが、リケーブルを指向しないなら、今までのT1を使い続けても問題ないと思われる。いままでのT1は若干、音が詰まったような、わずかにクセがある音だったが、十分に満足できるものだった。このような、音質的に大きな意味のない2nd generation化は、多く他社の新製品が出て来るので、埋没しないための対策ではないかとさえ勘繰る。

9.Fostex TH900 Mk2
このモデルは製品版としてはまだ出てきていないので、私の聞いた噂のみ。
beyerdynamic T1 2nd generationと同じく、ヘッドホンケーブルが着脱式になるのみで、それ以外に大きな変化はないらしい。つまり装着感も音質も大きな変化は無さそうなのである。
今回のMK2化は超弩級真空管アンプHP-V8の登場に合わせている部分が大きい。XLR4Pin端子へのリケーブルを容易にするための純正の改造作業、モディファイと言ってよいだろう。
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10.Sennheiser HD650 DMaa:
新しい情報として、HD650 DMaaの音の完成度を高めるイヤーパッドの改良・新規製造が検討されているようである。試作のイヤーパッドを装着したHD650 DMaaを聞いてみると密閉性を調節し音圧の逃がし方を最適にすることでより濁りが少なく、細部までさらに正確な音像を取得できるようになったようだ。DMaaは目指す方向、ベクトルが不変であり、真に正確で普遍的な音を追求している。コンシュマー向けとは言いにくい面があるが、こういう姿勢を貫く者は他にいない。しかも定番モデルの改造という極めてユニークな手法が面白い。このイヤーパッドの試作品を聞いて、私はDMaaの今後の展開への期待を益々強めた。これが製品化されたら、すぐに買ってしまいそうだ。

そして、第二部に続く。

# by pansakuu | 2015-11-01 12:35 | オーディオ機器

CHORD DAVE DACの私的インプレッション:成層圏からの使者

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常識を越えたところに真理がある。
谷川浩司 九段



Introduction

少年のころ、よく高い山に登った。
ある夏の朝、山に登り、頂上に辿り着いた。
そこから空を見上げると、雲一つない青い空が、
青ではなく、黒っぽく見えた。
それは夜空の暗黒を青空に透かして見るような青黒い色であった。
まだ少年だった私は、宇宙が近いんだと考えた。
夜にだけ見える星空の世界が、
頂上に登ったことで近くなったので、
こんな青黒い色に見えるのだと考えた。
それ以降も何度か山登りをしたが、あの空の色は二度と見なかった。

その後、図書館で借りた気象の本で
地球には成層圏という大気の層があることを知った。
成層圏は天候の変化が起こる対流圏の上にあり、
雲はほとんどなく、いつも晴れ渡っていて、天候は安定しているという。
ジェット旅客機が巡航しているのは、
巨大な天空の空洞のような成層圏の下層なのだ。
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あの時、自分が山の頂上から見た空の色は宇宙の色ではなく、
成層圏の空の色だったのではないか。
まだ少年だった私は、頭上に広がる空を見上げるたびに、
そのことを考えていた。

そして今年もTIASに出掛けて様々な機材の出す音を聞いた。
で、
どの音が最も印象的だったかというと、
それはCHORDのDAVEのサウンドであった。
無限に澄み切るかのような広大かつ深い空間に
カラフルで精密な音が狂おしく躍動する。
簡単に言えば、そういうサウンドなのだが、これがかなりお安く手に入る。
このような高度なサウンドは
今となっては300万クラスのDACになって、ようやく聞けるようなものである。
今回のTIASにて聞けたDAVEは
そのプロトタイプに過ぎないようだが、
そのサイズ、価格、デザイン、そしてサウンド、
それら全てをひとまとめとして真摯に吟味すれば、
私の知る限り、世界最高峰のDACとして位置付けることができる。
このサウンドは私のイマジネーションを激しく掻き立てた。
私は音を聞きながら、
果てしなく透徹して冷たい成層圏の空気の中で
激しくドッグファイトする2機の戦闘機を脳裏に描いたりした。
それは青空を見上げて夢想した少年の日々のように、
妙に切なく、短く感じられる時間でもあった。


Exterior and feeling
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とはいえ、このDAVEは正式にはDACではないらしい。
設計者はデジタルプリアンプと呼んでいるらしいのである。
つまり、設定によってオフが可能であるにしても、
ヘッドホンアウトを含めた全てのアナログ出力は
必ず高精度なデジタルボリュウムを通ってから出てくるし、
デジタル入力の数も種類もかなり多く、それらを切り替えて使うことが想定されている。
つまりデジタルプリアンプ機能を使うことを強く意識した製品なのだ。
これが第一の特徴である。
実機において、このボリュウムはトップパネルの右手にあるステンレス製の丸い突起を回して操作する。これには滑り止めがないので、少しばかり掴みづらいツマミだが、格好は悪くない。トルク感は可もなく不可もない。低い音量においても、いわゆるビット落ちのような音質低下もないようだった。また、この機材がデジタルプリアンプであることに関連し、2つのウルトラハイスピードBNC同軸デジタル出力を持つことは注意すべきだ。将来的に同社製のパワーアンプとの結合に特別な含みを残している。
正しくはデジタルプリアンプであるが、ここでは煩雑さを避けるためDAVEをデジタルプリアンプとは呼ばず、短くDACとだけ呼ばせてもらう。

第二の特徴は最新の高性能FPGA(field-programmable gate array)を用いたオリジナル設計のDACを内蔵していること。多くのオーディオメーカーのように既存のチップを持ってきて済ませたのではない。ここで採用されたFPGAは下位のHugoに使われているものの10倍の規模を誇る。これは大きなタップ数(いわば処理の細かさ)とオーバーサンプリングの向上に同時に耐えられることを意味する。DAVEの開発者たちは、この二つの要素を増やしていけば、聴感上で音質が向上することを確認しながら作業したという。ただ、無限のオーバーサンプリング、タップ数を実現することはできない。その代り、現代のデジタルオーディオの常識を越えた数値ならば実現できると彼らは踏んだ。結果としてDAVEにおいて得られた256倍オーバーサンプリング、164000タップという数字は、従来のDACのそれよりも遥かに大きい。このタップ数はFPGAの内部で166個ものDSPコアを同時に並列で駆動して初めて可能となるという。さらにノイズシェイパーは17次である。この処理も大規模であり、今回用いたFPGAなしには到底無理な相談だったはずだ。オーバースペックというより、これはもはや未来のオーバーテクノロジーを先取りした観がある。
256、164000、166、17。
少しばかり知識があれば狂気にさえ見えるこれらの数値の羅列に
試聴の裏付けがあると公言する彼ら。
イギリス人特有の猛烈なる明晰さを私は感じた。
具体的にはUSB入力でPCM 32bit/768KHz, DSD 1bit/11.2MHz(DOP)まで対応予定であるという。しかしながらプロトタイプである今回の試聴機は11.2MHzの対応はできていなかったようだ。まだプログラムは完成していない。こうしてプロトタイプに特有の些細な瑕疵があるにしても、この高度なスペックは試聴者にかなりの期待を抱かせる。タイムロードのブースのDAVEの机の前で、担当者への質問待ちをする人が、CHORDの技術は高度だ、などと言って、はしゃいでいて面白かったが、それはこの公開された技術内容から来る期待の表れと私は取った。

第三の特徴は最近のデジタルサウンドの潮流のひとつであるクロックに、過度に頼らない音質向上を目指ししていること。私は外部に究極の精度と低い位相ノイズを誇る、巨大で高価なクロックがなければ、素晴らしい音を聞けないという立場に常に疑問を呈して来たつもりだ。場合によっては、それは悪戯に筐体を増やし、無駄なカネをオーディオファイルに使わせようとするマーケッティングの一手法に過ぎないこともある。ここでのCHORDの態度は、買う側の心理にとして、その内外価格差の少ないプライスタグとともに、フェアなものと映る。
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第四の特徴はそのデザインの斬新さとサイズであろう。
DAVEを眺めたとき、まずは目に飛び込んでくるスラントした丸窓とその奥に光るカラー液晶ディスプレイは、インパクトがある。それらはDAVEが大胆なサウンドを奏でる事を予見させる。
このディスプレイには選択されたデジタル入力、デジタルボリュウムの値、サンプリングレート、高域フィルターのON/OFF、ディスプレイの背景色の選択などが表示される。
(プロトタイプでは表示を真っ暗にすることはできなかったが、これは製品版では可能になるとのこと。)
これらの設定はボリュウムの周囲にある4つのボタンにより操作できる。
このディスプレイがはめ込まれた伝統のアルミ削り出しの2ピースの筐体は、磨かれた銀色の鎧をまとう騎士を思わせる。ブラック仕上げが有るなら黒騎士か。だが、そんな剛の者にして、このコンパクトネスなのである。大きさで言えばフルサイズの他社DACの半分以下のボリュウムしかないように見える。目分量では33×14×7cm、3kgというところだろうか?このルックスの素敵なアンバランス・ミスマッチは、私の視覚を虜にするだけでなく、音が出る前からライバルたる多くのDACたちの心胆を寒からしめるものかもしれない。このDAVEの凝縮されたデザインには、聞く前から凄い音がしそうな雰囲気が漂うのだ。
またDAVEには専用の4つ足の台があり、それにDAVEをのせると、ますます見覚えのない姿となる。この個性的なカタチを眺めていると、オーナーの嬉しい困惑まで見えてくるようだ。
相変わらず、リアパネルには端子の案内表示もなく、足もゴムの半球を8つ並べただけの簡素さだが、そういう事に苦情を言っても、イギリス人は受け付けてくれないのかもしれない。
なお発熱は少なく、ドライブ中もほんのり温かい程度であり、その意味では取扱いは容易だろう。

第五の特徴は真っ当なヘッドホンアウトを持つこと。ジョン フランクスはヘッドホンを軽く見てはいないのだ。そして、右側に開いた標準プラグ用のジャックの奥から、緑色のLED光が密かに漏れているのを私が見逃すはずもない。さらに私がHD650DMaaを持ち込んでこのヘッドホンアウトをチョイ聞きすることを忘れるはずもない。この2日間は、タイムロードのブースの片隅に時々陣取って見張っていたが、私以外にも何人かの方がヘッドホンを持ち込んでいて、やはりHPAとしてこのDAVEを考えている人が少なくないのが分かって愉快だった。

その他に、このDAVEについては、BNCは4系統、光は2系統など極めて多くのデジタル入力端子を持つこと(例の“青い歯”は今回はオミットされたらしい)、特製のガルバニックアイソレーターによるUSBからのグランドノイズの遮断、CHORD伝統のスイッチング電源の採用など、見所がまだまだある。真に盛り沢山な技術内容を持つ機材である。


The sound 

このサウンドはキレている。
キレまくっている。
なのにDAVEは冷静だ。
そのサウンドはクールで広く、深く、鮮やかである。

無論、この高性能な機材の真価を記すという作業を、
これらの短い言葉で済ませて、
これ以上は聞いていただくしかないと黙りこくるのも一つのやり方だとは思う。
なにせこれは、言葉では到底届かないレベルの感動をもたらす機材だから。
とはいえ、この手のセリフは万策堂がそういう機材に出くわした時に放つ
弱音・決まり文句に過ぎないとも言える。
挑戦すること自体、彼は嫌いではない。

第一に音場の広がりと深さ、澄み切りが著しい。DAVEは鳴りはじめた瞬間、試聴室のエアーは一変し、厳しく清澄な雰囲気に満ちたワイドな空間が現出する。温度感は低く、サウンドステージの奥行は非常に深く展開する。ここでの音場の奥行方向の澄み方はCHORD独特のもので、一昔前のGOLDMUNDのそれに近いが、さらに凄絶であり、自然な感じとは言えない。これは素晴らしくオーディオ的な快楽を呼び起こす空間性であり、自然界を含めて、他では聞くことはできない。この空間の印象はかねてよりイメージしてきた成層圏のそれにぴったりする。晴れ渡り、上下左右さえぎるものがなにもない広大なエアの中にリスナーは放り込まれる。あたかも昭和生まれの少年が夢見た成層圏がここに現実化したようでもある。

第二に、音楽の躍動感の増加が著しい。下位モデルのHugo TTと比べると、もうこれは別物だと呟きたくなる。これほど音楽のエモーショナルな要素がビシビシと伝わってくるDACはほとんどない。聞いていてひどく昂揚させられてしまうサウンドである。演奏者の音楽への静かなる献身・没入と感傷の高まり・陰鬱が見事なコントラストで表現される。この明確な音楽的なメリハリの良さもCHORD独自のものとして私は認識している。ただこういう激しい調子は、かえって単調な印象を持たれやすいかもしれない。その点に着目するとNAGRA HD DACの持つ多彩な音楽性や、ヘッドホンアウトだがRe Leaf E1に聞かれる真面目でニュートラルな音調があった方がいいという人が居てもおかしくない。
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第三に音像の解像度の向上が実に目覚ましい。全ての音が一斉に立ち上がって眼前に現れ、場合によっては喧しいほど、様々な音が立体的に聞こえる。VivaldiやDSP-01のような、現実の生音においてあるべき秩序を持ってディテールが自然に表現されるのではなく、録音された音の細部全てが一挙に現れ、耳を集中的に襲うような聞こえ方である。それでいて音像が濃く、音の存在感も強い。これは高度なヘッドホンリスニングで聞こえるサウンドが、そのまま空間に解き放たれたようなものである。
また、つながっているスピーカーの能力にも関連するが、TIASのブースでは演奏する各セクションの定位は左右方向だけでなく上下・高低の位置関係をも表現できていた。各パートの分離感も秀逸で音の前後の重なりが見事に聞こえてくる。ただ、分離がかなり良いためハーモニーの表現は渾然一体ではなく、全てが並立したまま流れ込んでくる形となる。
特にこのハーモニーの部分はNAGRA HD DACの出音には及ばない。
そういうハイレベルな要求はさておくとすれば、このような二次元的でなく三次元的な定位感、そして分離感、生音に近い臨場感は、それこそVivaldiや、それなりのクロックを突っ込んだDSP-01でしか聞けなかった世界である。Vivaldiほど常軌を逸した空気感ではないし、DSP-01ほど生々しい臨場感ではないが、この価格でこの領域に立ち入るとは恐ろしいヤツである。
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第四に、音色はあたかも叫ぶかのように鮮やかで、生き生きとしている。そして若々しくもある。この若やいだ音調もキャラの一つだろう。老獪なまわりくどい表現はなく、至極ストレートでダイレクトな物言いをDAVEは好む。こういう饒舌で歯に衣着せぬような、キャラクターを感じる音ではありながら、ことさら音楽鑑賞を邪魔するような演出感がないのが、とても不思議だし感心もさせられる。結局、生音に近い雰囲気は過不足なく出てしまうのである。さらに、これほどビビットでエッジな音であるにも関わらず、音の流れは非常に滑らかであって、その矛盾にも感心させられる。この明瞭さ、このダイレクト感にして、このスムーズな音の流れは他のDACではなかなか味わえないものだ。

第五にDAVEは真に音のキレがいい。一聴してまずここに耳が行く方も多いのではないだろうか?DAVEの音のキャラクターとして最も目立つところだろう。特に高域のインパルスに耳を集中すると、鋭く素早く日本刀を操って空気を切り裂くようなシャープな音の残像が鼓膜に焼付く。このスピード感、トランジェントの良さは全帯域に一貫して聞かれるが、やはり高域において最も効果的に発揮される。
余談だがメタルギア ライジング リベンジェンスにおいて、雷電が高周波ムラサマブレード(ムラマサではない)を振り回し、舞踏家のように戦うシーンがある。あのブレードの旋回速度が、私の抱く、DAVEのスピード感、キレの良さのイメージである。これは分かる方にしか分からなくていい。とにかく、このDAVE特有のスピード感は金属的な重さを孕んだ武器のようなものだ。このフィーリングなくしてはDAVEがDAVEにならない。
私は音を聞きながら、成層圏で争う2機の戦闘機を脳裏に描いたとも言った。つまり私の解釈したDAVEのサウンドには、現代的な武器を想起させる雰囲気が常につきまとっているということになる。強力なテクノロジーで他のDACたちを打ち砕く、ややもすれば乱暴な力とスピードの残像が、滑らかなメロディの流れに乗って溢れ出て来て、止まらない。
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最後にダイナミックレンジの明らかな拡張についても言及せねばなるまい。これはHugo TTでも十分に満足できるものだったのだが、DAVEでは更に音の大小・強弱の表現が上手くなっている。ここでもやはり、音が大きい、あるいは小さいということについてのメリハリ・コントラストがはっきりついている。総じて誰が聞いても音の良さが分かりやすい、いわば店頭アピール度の高いサウンドである。
ただ、この音はどんな音楽でもジャンルの制約なく楽しめるようなものではない。昔のナローレンジな録音のクラシックなんかはそれらしく鳴らないだろう。現代の音楽ソースが似合う。またナローレンジな昔風のスピーカーを組み合わせるのはやめた方がいい。強力なドライブパワーとスピードを持つパワーアンプとワイドレンジを標榜する現代スピーカーが似合う。

言い忘れたが、今回の試聴はDela N1ZからダイレクトにUSBでDAVEに結線し、さらにDAVEからバランスでダイレクトに同社製パワーアンプに繋いだサウンドを標準としている。スピーカーはTAD CE-1である。これは最もDAVEの持ち味が発揮されるシステム構成の一つであろう。ただ、別途用意したプリアンプを介しても、DAVEのサウンドの感動が大きく削がれることはないと思う。むしろ、わずかに方向性が変わるだけ、プリアンプのキャラクターが加わるだけで、かえって面白い音が聞けるだろう。個人的には新型のパワーサプライを装備したJeff RowlandのChorusなどを組み合わせると出音に静的な落着きが加わって表現の幅が広がるのではないかと思って聞いていた。
さらにオールユニオンジャックのシステムでも聞いてみたいとも思った。すなわちDAVEをはじめとするCHORDのエレクトロニクスに、期待通りの進化を遂げたB&W 800D3シリーズを合わせる。それらを同名のケーブルメーカーCHORDの上級ケーブルで結線して、じっくり聞いてみたいのである。これらの機材が共通して持つクリアネスがどこまで深まり、高まるのか、そこが聞き所である。

ではヘッドホンアウトの音はどうか?
あの場で、なにかが分かるとは思いたくない。それを承知で、あえてコメントするならば、OktaviaでリケーブルしたHD650 Dmaaから聞こえた音は、DAVEにパワーアンプを直結しTAD CE1を鳴らした音のほぼ正確な相似形であったということだ。
比較すれば、音の分離感や音像の定位ではRe Leaf E1が勝り、音場の拡がりならTELOS Headphone Amplifierが勝るだろう。適切なDACと組み合わせるなら、トータルな安定感でやはりOJIのアンプが上を行くだろうし、フラットな音が欲しいならマス工房のバランスアンプにしくはない。聞き味で言うならHP-V8の持つ音の艶や独特のソノリティには敵わないかも。音楽性ならNagra HD DACのヘッドホンアウトが一枚上となる。やはりヘッドホンのみをターゲットにしたハイエンドヘッドホンアンプや、さらに高価なDACの力は侮れない。だが、音の鮮度やキレの良さならDAVEのヘッドホンアウトがほぼ全てに勝るだろう。これにかろうじて匹敵するキレの良さとなれば、QualiaのUSB DACからしか聞こえて来ないはず。それ以前に、まず価格で比較してみたまえ。相応のDACと組んでトータルで考えたら、ここで比較対象にあげた機材で150万で十分な音が出るものは皆無に近い。
いずれにせよ、DAVEを将来的にもヘッドホンを聞くためだけに買うのは少し勿体ない気もするが、そういう猛者がいても不思議ではないと思わせる音が聞かれたことは言及しておこう。

色々な席に座って、DAVEを聞いているうちに、疲れてウトウトしてしまったが不意に、戦槌(ウォーハンマー)を思い切り打ち込むような、鋭いバスドラムの打撃音が一閃し、飛び起きた。その瞬間、HugoもQBD76もかなり後ろに置いて行かれたことを如実に感じた。もうHugo TTなんかは振り返っても姿が見えない。あれらは単なる前哨だったようだ。なにしろジョン フランクスによればDAVEはCHORDが作ったプロダクト全体の中で最高傑作に位置づけられるとのことだ。
確かにDAVEは価格やデザイン、大きさも合わせて考えると、絶賛に値するサウンドである。もし、この音が300万円オーバーのDACから出て来るとしたら、私はNAGRAの HD DAC+MPSに軍配を上げただろう。だが、このDACの日本での価格はその半額以下の150万円に過ぎない。しかもプリアンプは要らないのである。HD DACのプリアンプ機能はオマケだが、DAVEのそれはオマケとは言い難い。むしろ積極的に使いたくなる機能だ。勝敗はそこでついてしまう。このDACはどう考えても安すぎる。対価格満足度が高すぎる。HUGOを聞いた時もそう思ったが、やはりCHORDは高いレベルでの価格破壊を得意とするようだ。そして、これこそが私がテクノロジー全般に求めることでもある。高音質でありながら、同じクラスの音を出す機材と比較して安価で、コンパクト。この困難な要求に完璧に応えた唯一のDACなのである。

仮に、Vivaldiのフルシステムや、しかるべきクロックを入れたDSP-01は楽音を地球の重力から解放して、異なる次元のサウンドを奏でるモノとしよう。それらはまるで無重力の世界・宇宙のような空間性をオーディオに与えるのである。
そのような文脈にそって考えを巡らせるとDAVEは透徹した大気が満たされた、莫大な空間の広がりの中で音を鳴らすモノだが、その音は未だ地球の大気圏内にあり、重力から解き放たれてはいない。そういう意味ではまだ成層圏にある音なのであろう。出音に音楽性という抽象的な重力が作用し、楽音の出方に一定の制約を与えているように聞こえるのだ。

クロックの能力に頼るサウンドは無私で無垢なもの、悪く言えばリアル一本槍で飾り気のないものだが、クロックに頼らないDAVEのサウンドにはメーカーの個性や自我が存分に残され、それが独自の音楽性として、常に出音につきまとう。DAVEから聞こえるのは紛うことなきCHORDのサウンドである。異論はあろうが、このようなソニックシグネチュアがないサウンドは私にとってはつまらない。DAVEは技術的に音を煮詰める過程で自然とこの個性的なサウンド・音楽性に行き着いているような気がするのが興味深い。


Summary

ここまで来て、不遜な意見をあえて言おう。
DAVEの登場はハイエンドオーディオが金持ちの老人たちにほぼ占有されている状況に楔を打ち込むチャンスだ。この事件は、従来のCHORDユーザーに限らず、いまだ若く財政力の限られたオーディオファイルたちにとっての大いなる福音となるはず。
150万はまだ高いって?
ことオーディオにおいては、背伸びしなければ、背は伸びない。今、頑張って手を伸ばすべきだ。
さしあたりプリもヘッドホンアンプもいらない。外部クロックも外部電源も心配する必要はない。
DAVE一台と最低限PC、ヘッドホンさえあれば、この凄まじいコストパフォーマンスが貴方の手に入ることをよく考えてほしい。
いささかパラドックスめいているが、まるでゼーレみたいな老人たちによるハイエンドオーディオの独占を崩せなければ、愛すべきハイエンドオーディオの世界に未来はない。
これは今、まさに老いてゆく私が言うのだから間違いはなかろう。
しかし、日本をはじめとする先進工業国のメーカーのほとんどは、
この点を理解しているとは到底思えない・・・・。
もうここらへんで毒を吐くのは止めておこう。

ところで、オーディオには“感動”と“癒し”という二つの側面がある。
感動は刺激的なものだ。急性の感情の波動のようなもので、聞き手に一目惚れの瞬間のように強い印象を与えるが、それが繰り返されると疲労となる。
一方、癒しはそういう疲労を軽減するが慢性的なものであり、ダラダラ続く音の習慣であり、ヌルい感覚である。これはマンネリズムにつながる。
この二つがバランスよく配合されるのが望ましい、というのがオーディオの常識だが、
DAVEはそういう常識を越えている。つまり“感動”の占める部分が“癒し”よりもずっと多いように思う。もしかするとDAVEのサウンドを好む方は、“感動”を“癒し”に変換する気分の回路を持っているのかもしれない。だが、仮にそんなものを心の中に持たなくともDAVEを求める人は居るはずだ。このサウンドは癒しを多く求めるリスナーの心理をも、短い時間で“調教”する力がある。現に私がそうだった。これは優れたオーディオマシーンに稀に見られる才能だが、久しぶりにそういう機材に出会った感がある。反対者(アンチ)も認めざるを得ないその音の力の本質が、そこにあると私は踏んでいる。

決して言い過ぎたくはない。
だが、今となっては私はこう打ち明けるしかない。
CHORD DAVEは、私の知る限り、世界で最も価値あるDACである。

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# by pansakuu | 2015-09-27 19:32 | オーディオ機器

Sennheiser HD 650/600 Golden Eraに捧げるフラグメンツ

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“Born 2 listen.”
by万策堂


その後、特別なHD650 DMaaをもう一機買い足した。

今まで多くのヘッドホンをとっかえひっかえ使ってきたが、同じメーカーの同じモデルを二つ以上、同時に並べて使っていたことはない。そもそも、そんなのは無駄じゃないか?そう考えてきた。
では何故そんな私が二つもHD650を買ったのか?それはSennheiser HD650は2003年から2015年現在まで続いている生産期間の中で、そのハウジングの金型や材質が、耳で聞いて分かる程度に変遷しているのを知ったためである。そう、実はHD650はその12年あまりの経歴の中で、素材や形状の違いがあって出音が何度か変わっていたのである。これを教えてくれたのはDELRIMOUR MODERN audio・acoustikのエンジニアの方である。おそらくこの方は、HD600とHD650については、ゼンハイザーの輸入元で持っている情報を超え、日本で最も詳しく正しい知識を蓄えているのだろう。

そして、ディープなマニアの間ですら、あまり知られていない話であるが、DELRIMOUR MODERN audio・acoustik(以降DMaa)のエンジニアの方がGolden Eraと呼ぶ時代、すなわちHD650のサウンドの黄金時代と呼ぶべき或る期間、その間だけ使われた音の良いハウジングの材質があるということを私は知った。もちろん、これは2014年後半以降の設計変更の話ではない。さらに以前にあった変化の話である。外観のみでは非常に小さな差なので分かりにくいものだ。だが、その時期のものと、それ以外を一対一で見比べると、なんとか分かる。表面の質感が微妙にザラザラしており、その他の時期よりも硬度が若干落ちているらしい。そして音の方は(DMaaで同様にカスタムしたものしか聞いたことはないが)一対一でなくとも、はっきり違うと分かる。簡単に言うと、この時代のHD650をヘッドホンケーブル含めてDMaa化したものは、その他の時代の製品よりも音がハウジングの中で散らない印象で、正確で重みのある音像を、よりはっきりと把握できる。制動の効いた音であり、モニター色が強いのだ。感覚的には、ソースに入っている音を大きな網で、まさに一網打尽にするような感じ、一種の根こそぎ感がある。ここでは一音一音が克明で、音の起伏はまるで行為の後のシーツのヒダのように意味深に感じられる。
別な言い方をするならば、DMaa化しても、その音に元々のHD650の特有のドイツ的な?音像の濃密さを強く残すのが特徴だ。既にDMaa化されているので、高域のモヤモヤしたヌケの悪さこそないが、私に言わせれば普通のHD650 DMaaより若干ノスタルジックな音なのである。DMaaのエンジニアの方は、このGolden Eraの音をオーガニックと表現した。オーガニックなヘッドホンサウンドとは面白い。人の生の声やアコーステイック楽器の生成りの音色を的確に表現するのに向いたヘッドホンということだろうか。そうだとしたら、おおいに頷ける言い回しだと思う。
このゼンハイザーのGolden Eraの詳細について、私はここで多くを語りたくはない。誰が聞いても良い音と思うはずだ、と断言できるヘッドホンはこの世にはない。しかし、E1xで聞く、このヘッドホンのサウンドは、万策堂が今まで聞いたことのないほど素晴らしいものであることは、断言しておきたかった。だから、この都市伝説のように断片的なテキストを編んだのである。
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このGolden Eraの秘密を知ったその日から、私はこの時代のHD650を(実はHD600もだが)シリアルナンバーなどをたよりに探し始めた。該当する機体は万の単位で生産されているはずなので、ないことはないと思っていたが、いざ探してみると確実なものは、なかなか見つからない。やはりそれらは世界中に広く拡散しているし、基本的に中古しかないので、シリアルナンバー自体がわかりにくい。元箱さえあれば大概分かるのだが、元箱がない中古が多いのだ。シリアルナンバーは分解しても調べられるが、買うか買わないか分からないものにそこまでできない。またクローズアップがあってもかなり微妙な質感の違いなのでハウジングの質感で区別しようとしても、よく分からないことが多い。数が多くても見つけやすくはないのだ。だが、海外のサイトを含め、あちこち捜索するうちに、やっと確実にGolden Eraと考えられる個体を見つけた。早速入手してDMaaでカスタムしてもらう。カスタムの作業は、他の時期に生産されたHD650(金型がかなり異なる2014年後半以降の製品を除く)とほぼ同一であるが、上記のごとく出音は違う。既にサンプルのGolden EraのヘッドホンをDMaaから借りて聞いていて、その実力の高さを認識してはいたが、改めて自分の持ち物として聞いて感慨もひとしおであった。明らかに今まで聞いてきたどのヘッドホンとも違った魅力がある。しかもそれは飽きのこない音の魅力なのである。官能的な音ではないのに官能を刺激されるサウンドだ。あくまで孤高を保つことによって、ヘッドホンの価格的なヒエラルキーを破壊する音でもある。
この特別なHD650 DMaaは私の新しい宝物となった。
(2機のHD650 DMaaの写真で、大きなLのレタリングシールがある方がGolden eraの機体である。レタリングシールがないと、外観では区別がつけにくい。なお、ここに出した写真で、これらのヘッドホンに見えるL・Rのサインは、暗い場所ではHD650の左右が分かりにくいので私が勝手に貼り付けたものであり、DMaaの改造とは関係ない。)
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そして、そのHD650 Golden Era DMaa tune(仮にそう名付けよう)が届いたその日と次の日に別々な条件でHiFiman HE1000を聞いたので、図らずも比較試聴になってしまったところがさらに面白かった。
HE1000は日本での売価が40万近いだけのことはあり、さすがに素晴らしいサウンドである。誰が聞いても良い音、と断言できるヘッドホンはこの世にはないと言ったが、これはその理想に近いヘッドホンである。また純正アンプ以外で鳴らすのは初めてであったが、P700uならこれをきちんと音量を取って鳴らせるということが分かったのは上出来だった。ただし、これで潜在能力の全てが発揮されていると考えるのは甘いだろう。もっとアンプとの相性を探らねばならない。そういう思いを抱かせる音だ。実際、このドライブするアンプを厳しく選ぶという点こそHE1000の最大の欠点なのだろうが・・・。
そうは言ってもHE1000は音の空間的な佇まいの自然さや開放感、SN感が圧倒的であり、音楽は妙に立体的かつ躍動的に聞こえる。気配感の描写も秀逸。これらの要素ではSR009をやや上回るように聞こえた。何といっても、このHE1000のリスニングは、その雰囲気全体が気持ちいい。まるで雨上がりの土曜の午前、オープンカーに飛び乗り、郊外のリゾートへ繰り出すような爽快な気分になる。

しかしだ。根本的に違う方向性の音であることを承知のうえでHD650 Golden Era DMaa tune(仮)に比べると、やはりHE1000はハウジングの内外で微妙に音が散って逃げているような感じで、変質し、聞こえにくくなっている音の要素があるような気はする。特に低域だ。重さや弾力が足りない。また自分のアンプと組み合わせたHD650 Golden Era DMaa tune(仮)を聞いた後では、音像全体がHE1000では透明すぎ、薄っぺらいように思えた。こういう音の厚みの無さはアンプの差によるところもあろうが、何にしろ明らかに感じる欠点である。確かにHE1000はありえないほど音ヌケがいい。それは長所だが、欠点にもなりえるということか。音が広すぎる空間に拡散して音像の輪郭を僅かに薄味にしてしまう。克明さが足りず、音の存在感が弱い。高級なワイングラスに、ガラスの厚さが1mm以下に薄く張られたタイプのものがある。そのグラスで飲むワインの口当たりには繊細さはあるが、口を付けただけで割れてしまいそうな脆弱さがある。HE1000の音像の精細な耳当たりは、それに似ている。また音調全体が明るすぎるとも感じる。陰影感の強い古いJAZZの録音などのリスニングに合わない。これらの不満は、ないものねだりというものだろうか。(マニアという奴はないものばかりねだるものだ。)

そんな文句を言いつつもHE1000の音に強く魅了されることについてブレはない。コンシュマー向けのヘッドホンとして、これは総合的には頂点の音質だろう。例えばSE-Master1とは値段の差も、方式の差もあるので比べにくいが、あれよりも総合的に遥か上の世界をHE1000は聞かせてくれる。しかし、それとは全くちがう方向性でHDシリーズのGolden Era DMaa tune(仮)が自分の姿勢を貫いていることにも強い驚きを覚えるのだ。ともすると私の感覚は、この二つの音の間で引き裂かれそうになる。ヘッドホンについて、これほど困惑し狼狽し、そして狂喜した比較試聴はかつてなかったかもしれぬ。
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ついでに言えば2014年後半頃からの最新の、よりシンプルで無駄のない金型で作られたHD650については、出音がHD800にやや近くなっている。音場の広がりが、それ以前のものより強く意識されるサウンドだ。材質は同じだが、ハウジング内部の形状はそれ以前のものと比較するとかなり違う。この最新版のHD650をDMaa化したものこそ、前前回にreviewした個体だが、こちらも依然として使っている。これはHD650 ver2014 DMaa tune(仮)とでも呼ぶのだろうか。(こちらはDMaaでの改造の方法に初期と後期、二つのバージョンがあるようで、私は比較して初期の方を選択した)このヘッドホンの一歩離れて音を見るようなやや俯瞰的な聴かせ方、深い部分で他人と馴染まないような冷静さがありながら、HD800ほど対象から離れすぎないという絶妙なスタンスも私は好きだ。こちらの方がHD650 Golden Era DMaa tuneよりもオールラウンダーと感じる人も居られるかもしれない。合成された電子音に満ちたクラブミュージックなんかもキツくならず、なかなか聞けるし、アニソンもその音質の悪さやアレンジや演奏のあざとさに気を取られず、普通の音楽としてサラッと聞ける。Golden Eraの機体をベースにしたものだと、これらの音楽に対しては意識が音像の内部に入り込み過ぎてむしろ楽しめない。万人向けかどうかは知らないが、DMaaが初めての人でも、一番無難に使えるのは最新のHD650をベースにした方ではないだろうか。
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さらに蛇足する。
先ほどもチラッと書いたが、実はHD600にも上記のようなGolden Eraの機体がある。HD650 Golden Eraと同時期に作られたHD600もハウジングの材質が違うのだ。こちらもDMaaでチューンしたものが手元にある。これはHD650 Golden Era DMaa tuneよりも、さらにしっかりと音像に焦点が合い、定位が凄まじく良い。微動だにしない音像の迫真性・生々しいインパクトはいままで聞いたどのヘッドホンをも上回るだろう。楽器や演奏者にすごく近づいて音楽を聞いているような印象で、音が直で鼓膜に来ている。逆に言えばアンビエンスの要素が少ない。これは強力なモニターサウンドであり、至近距離で生音を聞くイメージだ。このヘッドホンはエージングが進むと、時々ヘッドホンの存在が消え失せて、リアルにアーティストにかぶりつきで生音を聞いている錯覚に陥るほどになる。これは初めての体験であった。しかし、ヘッドホンの出音に、音源から離れて状況を俯瞰する視点、音の広がり、空間性の充実を求める人には向かないだろう。個人的には古い録音、もともと音場の情報が少ないような1950年代~60年代のJAZZやクラシックの録音、ソウルミュージックなんかを、これで聞くのが良いと思っていたが、現代の北欧JAZZやボサノバもこれで聞き始めている自分に気付く。また、これで現代のポップスのライブ録音などを聞くと驚くような発見をすることもある。極めて個人的な感覚だが、このヘッドホンとE1xの組み合わせは楽音を録音された当時の、いわば原初の状態に戻すことのできる唯一の組み合わせだとも言える。ある種のタイムマシンのようなものだ。
このヘッドホンは、名前としてはHD600 Golden Era DMaa tune(仮)ということになるが、このヘッドホンについても、あえて詳細には書かない。これらのヘッドホンについて、これ以上なにか知りたいなら、自分で年代別に中古のヘッドホンを買って分解して調べたりすべきかもしれない。それができないなら、しかるべき筋に問い合わせたりするがいい。これらは、そこまでやる意欲がない人には使う意味がない機材かもしれない。信じない者には信じる必要のないことだ。もし私が勝手に願うとすれば、こういう凄いヘッドホンは、常に心底から良い音を探求し続けて、大概のヘッドホンに飽きたマニアか、音楽製作の仕事をしていて、世界で一番仕事のしやすいヘッドホンを探しているという人だけに使って欲しい。なにせHD600 Golden Eraは中古しかないうえ、やや古いモデルなので、日本では650 Golden Eraよりもさらに見つけにくいものだ。
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このDMaaとRe Leaf にハマりまくる状況がいつまで続くのかは分からないが、ともかく現在の私は、これらの3機のゼンハイザーHDシリーズ・DMaa tuneをRe Leaf E1xにDMaaのリケーブルで結線し、ソースによって、あるいは気分によって使い分けている。(悔しいが私の試したかぎりDMaaのサウンドを十分に堪能したいならばケーブル込みで考えるしかない。)
HD600とHD650だけで、こんなに楽しめてしまうとは・・・・。E1xとの相性の良さも含めて、全くの予想外であった。こんな愉快なヘッドホンライフは今まで知らなかった。
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それにしても、これらのヘッドホンサウンドの持つ三者三様、微妙に異なる音の吸引力はどこから来るのだろうか。ヘッドホンハウジングの材質からリケーブルにまで至るDMaaの絶え間ないゼンハイザー研究の成果からか?それとも元々ゼンハイザーのロングセラーヘッドホンの持つポテンシャルなのか? おそらくその二つの要素のChemistryがこれらのサウンドを生み出したのだろう。
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そもそも、このHD600やHD650というヘッドホンは基本的にとても鳴らしやすい。特にT1やHD800やHE1000、Master1なんかと比べると遥かに鳴らしやすい。そのうえ音がしっかりしている。
毎日聞くヘッドホンというのは、鳴らしきれているかどうか自信の持てない高級で個性的なヘッドホンよりも、安価だが鳴らしやすく、欠点の少ないヘッドホンの方がいい。つまり、私はそういう結論に行き着いたことになる。
もちろん、たまに飲みたくなる清涼飲料水のような、時々ある特定の音楽を聞くために結線する、高級で個性的なヘッドホンもあってもいいとは思うが・・・。
(やはりヘッドホンは面白い。こういう色々と切り替えて聞く行為は、大掛かりなセッテイングの必要なスピーカーではまずできない。)
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そうこうするうち、Sennheiserから、あのOrpheusシステムの後継機と思われる、大理石で出来た管球式ヘッドホンアンプとヘッドホンのセットの発表があった。アンプと一体化したヘッドホンケースの天蓋が自動的に開く様子を、動画でご覧になった方も多いだろう。ブルメスターが回路設計を担当したという噂の、あのモデルはRe Leaf E1やTelos HPAを遥かに超える超高額機となろうが、買える買えないはともかくとして、またもやハイエンドヘッドホンシステムの選択肢が広がったのだ。さらにSTAXの新型の超弩級ヘッドホンアンプの発表が間近というリークもあるし、オーディオテクニカのDACつきの超弩級真空管HPAも欧州で発売になるという話もある。(テクニカのモノは現地価格で換算すると80万円クラスのアンプである)これらも買う買わないはともかくとして、エキサイティングな展開だ。
これらはまるでHE1000やFostex HP-V8の発表とシンクロしているようだが、偶然か?
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ところで、私はヘッドホンにハマる遥か以前から、ハイエンドオーディオの正統としてのスピーカーオーディオの世界にドップリと漬かって楽しんできた。しかしながら、ここ数年は作りや値段が凄いなと思うスピーカーはそこそこある反面、音そのものやコンセプト自体が心底新しいと思えるニューモデルは極端に少なくなってきたと思っている。その反動か、ヴィンテージのタンノイやJBLのスピーカーやモノラルのWEのホーンスピーカーに関心があるほどだ。はっきり言えば、スピーカーオーディオにはもう全く新しい試みを見出すことはできないのではないか?と疑うほど、今のハイエンドスピーカーに絶望している。

もちろん、私は今でもスピーカーは好きである。実際、昼間はよく聞いている。だがもはや、少なくとも大型・中型スピーカーについては様々な意味で不便で、能がないなと聞きながら思う。取り柄は少しばかり音が良いだけであり、他は現代の都市生活という視点から見れば、欠点だらけで、時代遅れであるとしか言いようがない。振り返れば、ハイエンド市場にはあまりに大きく重く、あまりに高価なスピーカーたちが未だ跋扈している。
もっと小さくて便利・安価だが、同じくらい音の良いものを作るのがテクノロジーというものではないか?そういうテクノロジーが向いている方向のひとつがイヤホン・ヘッドホンなのだろう。

なんといってもイヤホン・ヘッドホンオーディオの世界は、技術的にまだ伸びしろがかなりある。そして、多くの才能ある開発者と若いイヤホン・ヘッドホン愛好者がこの分野にどんどん集まってきている。なにしろ、イヤホン・ヘッドホンオーディオの世界には、まだ新しいことが起こる余地が技術的だけでなく人的にも残されているうえ、それらの新しいことは、まだ金銭的な意味においてほぼ私の手の届く範囲内で起こってくれるだろうという安心感がある。こうしてイヤホン・ヘッドホンオーディオにもドップリ漬かった私には、もうヘッドホンがスピーカーよりも音が悪いとは思えない。ここ数年はさらなる改良と成熟、バリエーションの豊かさが加わり、Re Leaf E1xやGoldmund Telos HPA、HE1000やDMaaで改良したヘッドホンを聞いていると、スピーカーは無くても困らないなと思う瞬間がある。つまり、この分野だけに専心しても十二分に楽しめるようになってきたのである。

かくして欲求不満の時代は終わりを告げた。
気付いている者は多くないのかもしれないが、
目に見えぬ大輪の華が目の前で花開こうとしている。
新たなハイエンドヘッドホンのカオス、
ハイエンドヘッドホンの新しき「Golden Era」が始まっているのは間違いない。

# by pansakuu | 2015-09-20 10:48 | オーディオ機器

CHORD MUSIC XLRケーブルを巡る私的な迷想:オーディオの一本道で

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「天下無双とはただの言葉じゃ」
by柳生 石舟斎 (井上 雄彦 バガボンドより)



この東京という大都会の神経質な生活に疲れたら、
どこか外国の砂漠地帯へ出かけるのもいいさ。
10キロ四方に自分以外の人間は居ないような場所。
ただ真っ直ぐな一本のハイウェイがその一人きりの砂漠を貫いているだけなのさ。

そのハイウェイを半日、時速65マイルで走っても、一台の車ともすれ違わない、
そんな場所は、この世界にはいくらもある。
例えばアメリカの南西、ハイウェイ95が貫くモハーヴェ砂漠かな。
ネヴァダ、アリゾナ、カリフォルニア。
あれは砂漠というより荒野だよ。そっちが正しい。
広大無辺の荒れ地を抜けてゆく一本のアスファルトの道を古びたリンカーンで飛ばす。
65マイル?時速100キロくらいかねえ。
本当に半日以上、平均時速65マイルで走り抜けても、一台の車ともすれ違わない。

そういう乾いて爽快なイメージを俺に抱かせたインターコネクトケーブルがここに有る。
その名はCHORD MUSIC。
これを作っている英国のケーブル専業メーカーCHORDはハイエンドケーブルの世界ではやや新参者なんだが、こうね、どこか決まりきってきてさ、硬直してきたようなメジャーなハイエンドケーブルたちの出音に、いつも一石を投じてるような気がするんで、俺はCHORDのケーブルに以前から注目してきた。

今、手にしているCHORD MUSIC XLRバランスインターコネクトケーブルは、CHORDの他のケーブルと印象としてはあまり違いのないモノだ。写真はないので、勝手に想像してほしい。
純白の合成繊維製の被覆で覆われた、ややタイトな印象の線体は、あんまりしなやかではないけれど、取り回しに苦しむほどじゃない。XLR端子は、ゴムリングが嵌められていたり、付け根の部分がオリジナルの金属の削り出しのパーツに換装されてたりするけど、基本的にはノイトリックの端子だ。外から見て、その純白のCHORDカラー以外はそれほど目を引くところは無い。とはいえこれは1mワンペアで90万円の代物。中身にはそれなりの仕掛け、材質の工夫があるんだろう。
例えば同じ長さのRCAバージョンとの価格差が大きいことは注目すべきだ。すなわちグランドを一本加えるだけで大幅に高くなるということに、変な言い方だが“手応え”を感じる。CHORDの技術は当然、ホット、コールド、グランドそれぞれに適用されていることになる。

CHORDケーブルの開発者、ナイジェル フィンは日本製のエクリプスという卵型スピーカーを使ってケーブルの音決めをしていると聞く。フルレンジ一発のシンプルなスピーカーはケーブルの素性をマルチウェイのスピーカーよりも容赦なく、暴き出すんだろう。あのスピーカーは音圧とか音量は取りにくいが、ニアフィールドリスニングするときには精密な定位や音の解像力、正確なサウンドステージの広がり方なんかでは、凡百のブックシェルフスピーカーやトールボーイスピーカーを軽く引き離して、世界中にマニアックなファンがいる。だけど、このスピーカーでハイエンドオーディオケーブルの音決めをしているっていう話は初耳だ。CHORDの多くのケーブルが他のメーカーのケーブルとサウンドの点で一線を画している秘密が明らかになったような気がする。

で、いつものようにConstellationのPerseusとNo.32Lの間を、
この白くてちょっと硬めのケーブルで結線して聞き始めよう。
なるほど、このケーブルには速効性がある。聞き始めた直後、アッという間に音の姿態は変化して、システムの主導権が部分的にしろ、CHORD MUSICに移ったことが分かる。スピーカーの周囲の空気は急速に透徹して、やや冷たく広大な音のスカイラインが左右に広がり始める。濁りの全くない音がその向こう側から、こちらへと投げ込まれる速球のようにドンドン聞こえてくる。俺の頭の位置、耳の位置というとても狭いストライクゾーンに向かって正確に投げ込まれるストレートなサウンドだ。こういう真っ直ぐな音って今時のハイエンドケーブルにはほとんど無いんじゃない?
音と音間の沈黙の境目はとてもクッキリしているが、ボーカルに硬さはなくて、むしろ柔らかく滑らかになったようで音の流れがいい。ダイナミックレンジに大きな変化はなくて、
周波数帯域の広さ、バランスにもほぼ変わりなし。それから音を視覚的に捉えたときに発生する、音の解像度という概念、その単語を使うなら解像度はグッと高まり、明らかに鮮鋭感を増してくる。細部はクリアーに鋭く立ち上がり、鮮やかに眼前に展開。過渡特性もはっきりと良くなって、いわゆるハイスピードな応答に拍車がかかってくる。この応答の早さからか、CHORD MUSICはリズミカルな表現が恐ろしく巧い。また、この応答一つ一つに力が宿っているように思えて、聞いている方はグッと来る。
そして宣伝文句のとおりに、音楽のフレーズひとつひとつに付いているアクセントの位置情報がとても正確で、リズムやメロディに誇張がないのに強烈なインパクトが得られる。こうしてリスナーは非常にストレートで小気味良いインパクトと音場の見通しの良さに圧倒されちまう。
一般にこのレベルのハイエンドケーブルを使うと、様々な音色の鳴らし分けは実に巧妙になるもんで、何丁ものバイオリンがほぼ同時に鳴っていても、その製作者や製作年代の違いから来る音色の差異があるから、音は折り重なって層を成して聞こえる。でも、このケーブルではそこらへんの鳴らし分けはJormaやトランスペアレントの最高級グレードと比べるとちょっと弱い感じはするね。色々な音にキレイに分かれるところが、一本化されてシンプルに聞こえちまうことがある。これは言うなれば、このメーカーがまだ若いということなのか。ただ、音がバラバラになり過ぎるのも困るんだよな。このケーブルではハモりの美しさがむしろ出やすいのはいいことだしね。トランスペアレントやNordostの上級モデルは時に音がバラケすぎだと思うから。したがって各パートの分離感に関してCHORD MUSICではやり過ぎにならないのを、むしろ良しとする。とにかく多くの楽器が適切な一体感を持って鳴るんだ。
では音の強弱の階調はどうだろう。いつも気になる、大きい音と小さい音の階調・濃淡のグランデ―ションは全くの一続きのものと聞こえる。これは段階的な違いじゃない。実に細やかで緻密な差異の表現がなかなか凄まじい。
定位の良さ・位相の正確さ・タイミングの正確さについては、本当に得意分野だね。このケーブルほどそれらの点で徹底してアキュラシーを感じるケーブルは稀だ。何処からどのような音が、どのようなタイミングで現れ、何処へどういうスピードで飛んでゆくのか、常に正確な答えを用意している、それがCHORD MUSICのサウンドの真骨頂なんだよね。
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このケーブルは珍しくも英国製でさ、(DAC作ってる、あの英国のメーカーとは名前は同じだけど全く関係ないのでよろしく)普通のハイエンドケーブルというと米国製が多いけど、そこは出自が違うんだよね。さすれば英国伝統のいぶし銀の音を聞かせるのかと思いきや全くそうじゃない。そこもオモシロイ。これではネオクラシックとさえ言えないな。伝統のようなものとの関わりがほぼ全く感じられない新しい音さ。当然、スコットランドのLINNのサウンドに代表されるような音のまとめ方の巧さで聞かせるタイプでもない。かといって、いかにもハイエンドケーブルでございますっていう、これ見よがしの豪華な音とも少し遠いし。これはまさにCHORDの音としか言い様は無い。

当たり前だが、アンプやスピーカーの音はケーブルを通すことによってしか確かめられない。逆に言えばケーブルの音もアンプやスピーカーを通さないと分からない。だからケーブルの音を純粋に知るのは難しい。アンプやスピーカーのキャラが音に乗るから。でも、このクラスのケーブルともなりゃ、アンプやプレーヤーをまるでねじ伏せるように支配するモデルも稀じゃない。そういう場合はシステムがなんであれ、否応なくケーブルの色がよく分かる。
その観点から見れば、CHORD MUSICは自分の個性・色をアピールしつつ、あくまでシステム全体を生かそうとするケーブルだね。聴きようによっては容赦ないほど独自の色づけのある音でありながら、それが今聞いている音楽そのもののフィーリングや、システムコンポーネントそれぞれの音の傾向を殺しもしないっていう所がいい。自分の音も周りのコンポーネントの音も公平に出す。

そういえば、色づけのない音は音楽的な表現に直結しないと言う人が居たね。具体例を挙げるなら、進化したデジタルオーディオの音には色づけが少ないと感じることがあるけど、そういう音では音楽性が大きく削がれることがあるという経験則を言いたいのだろうか?デジタルオーディオの進化はさしあたり出音の生々しさ、臨場感にはつながるようだが、それはそれで一本槍な姿勢っていうか、ある方向性しか見ていない退屈な音でもあると俺は思うことがある。優秀で精密だけど、どうもぎこちないというか、嘘くさいというかね。例えば高価なクロックで武装したハイエンドDACのサウンドには音楽性がごっそり欠落している場合なくない? DSP-01やVivaldi、あるいはポータブルハイエンドDACとして名高いAK380の音を聞いている時には、音楽性という言葉が俺の頭に浮かんで来ないんだ。

じゃあ音楽性とは何なのか?
俺の場合、単なる音波の連なりでしかない何かを音楽足らしめているもの、音楽の背後にある作曲者や演奏者の意図、感情の起伏を指してそう言っている。あるいは別言をもってすれば、音楽を創った人間の意図がまるで言葉のように意味をもって聞こえてくる、あるいはイメージとして見えてきて、音楽が解釈できるようになること、とでも言うかな。
それは常にオーディオには宿っていなくちゃならないものなんだ。
少なくとも俺にとってはね。
確かに機材によっては、その音楽性を分かりやすくリスナーに示すことを得意とするものがある。そういう「音楽性のある」機材を使っていると、まるで無生物である機材になんらかの意志があって、音楽の内容をこちらに訴えかけて来るように感じるんだよね。誰かが言うように、ごく客観的にオーディオという「状況」を見ることができれば、おそらく、そこにはなんらかの心理的なファクターがあって、知らず知らずのうちに作用してるだけなんだろうけど。

とにかく、CHORD MUSICを通すことで音になにかが加わったのか、それとも元々あったもので、ケーブルを通す途中で失われていたものが、失われずに耳まで届くようになったのか判然とはしない。おそらくその両方だろうと勘繰るに過ぎない。
こうしたスーパーハイエンドケーブルについては、その宣伝文句にありがちな全く足し引きのないサウンド、音色までも透明にする傾向を実際には、あまり感じない。むしろ、それぞれが、どういう形にしろ音質を盛る・ドーピングして聞かせることがほとんどだ。いわば女たちの化粧のようなものさ。飛び切り上手い化粧。さらに言えば、いくつかのハイエンドケーブルはドーピングをさらに極めて、ケーブル固有の個性を強く聞かせる。こうなると化粧を超えて整形になってしまうかもしれない。それはなんだか可笑しな話なんだけど、もし、そういうドーピングが、さっき言った音楽性ってものにつながるなら、俺はそれはそれで良しとする。
なぜかって、入力された信号をただ忠実に出力するだけでは音楽にならないからさ。それだけじゃオーディオをやっていることにもならないし、そもそも、それは厳密には不可能だし。だから音楽性はどうしても必要なんだよ。

CHORDケーブルの開発者ナイジェル フィンの座右の銘はなんと、というか、やはりというか「Sound is sound, not music」なんだそうだ。こういう音の全てを色づけせずに出し切る正確なケーブルを目指す彼の姿勢は、ハイエンドケーブルの開発においては珍しい態度じゃない。でも私の知る限り、完全な正確さ、全くケーブルの介在が感じられなくなったと言い切れるようなサウンドは得られたことはない。(だいたいそれ、どうゆう音よ?)ハイエンドケーブルになればなるほど、必ずケーブルの個性・独自の音楽性が音に乗る。
もちろんCHORD MUSICだって例外じゃないんだ。
つまり「Sound is sound, not music」はただの言葉に過ぎない。

CHORD MUSICに限らず、ハイエンドなオーディオケーブルというものの中には、単なる電線でありながら、独自の音楽性を発揮することで、そういうオーディオの哲学的領域に立ち入るものがある。一本のケーブルに過ぎないにもかかわらず、音楽性が深まって哲学として認知される、あるいはその音楽性自体が哲学というべきものへ変容していくような気がすることがある。
ここでいう哲学というのは、世界の根本を捉え尽くしたいという衝動をもって、対象物がなんであるかを考え、それを記述し尽くす行為を指してるんだけど、ただの電線がこんな思考へと通じる抜け道になっていたなんて、それこそオーディオの不思議だし、隠された醍醐味なんだよね。
まさに、そういうレベルのケーブルともなれば、ただ単純に音質についての印象を言葉で並べたところで舌足らず、あるいは消化不良になるだけかもしれない。でもその手のケーブルのインプレッションというものは、上手くすれば“とどのつまり、オーディオとはなんなのか?”という大きな命題への答えを探す手掛かりにもなりうる。だから、それを敢えて書く意味はきっとある。

じゃあ結局、オーディオとはなにかって言えば、これは音楽の聞き方をトータルでデザインすることなんだと俺は思ってる、今のところはね。(なんだ簡単じゃねえか)
オーディオとは再生する楽曲の選択から始まり、その操作感、音質、そして機材が構成するシステムの外観全体に至るまでのスタイル全体をトータルでデザインするってことだ。
でも、それは音波として耳に聞こえ、光波として目に見えるものだけをデザインするんじゃない。

例えば、ある空間と時間が我々に与えられれば、そこにオーディオシステムを置くことで、音波の連なりの中に、サウンドステージの広がりや奥行、深みを作り出せるようになる。こうすれば耳に聞こえ、あるいは目に見えるような地平線や境界線を眼の前に張りめぐらせ、そこに千変万化する多くの音を置くことができる。こうして出来上がった景色・サウンドスケープは、ダイナミックに刻々と変化する音のインテリアのようなものさ。でも、俺の求めてるのはそれだけじゃない。音波として耳にも聞こえず、光波として目にも見えないけれど、ヒトの心に直接伝わる何かを求める。それが音楽性だ。どういう考え方・感興で楽曲、あるいはオーディオ機材が作られているのか?その問いに対するリスナー個人の主観的な答えがそれだ。音楽性は音質・音楽の背後にある、オーディオの哲学だ。この音楽性・オーディオの哲学までをトータルデザインして、初めてシステムは完結するんじゃないかと。

例えばCHORD MUSICを加えることによって生まれる、トータルシステムとしてのサウンドデザインの変化は極めて明快、全くストレートなものだった。そこはかとなく、ゆっくりと醸し出されるようなタイプのものじゃない。その速効性のある、はっきりとした変わりようは、そのケーブルの設計者のもつサウンドへの哲学の一部を示してるんじゃないか。
でも目の前のシステムから示してくれるオーディオの個性・哲学について、幾千、幾万の自分の言葉を大河のように連ねて表現しようとしたって、そこには無理がある。それは俺自身がいつも肌で感じることだ。むしろ掌に乗るような最も短い言葉、ゼロにも近いシンプルな単語が喚起するイメージの方がより似つかわしいような気がする時もある。
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一本の道。
オーディオの荒地に真っ直ぐに伸びる一本の白い道のイメージとしか、今夜の俺にはこのケーブルの哲学を表現する術がない。確かにこれもまた、ただの言葉だが「Sound is sound, not music」よりは現実のCHORD MUSICのサウンドを言い当てているはずだ。

そう言い放って、グラスに残ったワインをすっかり飲み干したら、
今宵は沈黙するとしよう。

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# by pansakuu | 2015-08-18 22:35 | オーディオ機器

Fostex HP-V8 管球式ヘッドホンアンプの私的インプレッション:300Bはラグナレクの夢を見るか

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電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも
P・K・ディック


Introduction

私は時々、自分の持っている、あるいは今聞いている機材が生きているように感じることがある。
そして「彼」「彼ら」という表現を、私はしばしば無生物であるオーディオ機器を指して使う。
もちろん、機材やパーツは地上の動物のように蠢いたりすることはない。
植物のように静かに、だが確かに息づいているのみだ。
筐体の闇の中で密やかに光ったり発熱したりする、
金属や樹脂やガラス、その他諸々の無機質で出来た生命体の
言葉にならない問わず語りを私は出音から感じ取る。

オーディオデバイスの中で、出音に生命感を与える力が最も強いパーツ、それは真空管であろう。トランジスタが生まれる前から、多くのオーディオファイルの官能を揺さぶってきた、あの巨大なプランクトンのようなデバイス、その王として君臨し続ける300Bという直熱三極管が一本、私の手の中にある。これは学生の頃に芦屋の親戚の家で見つけたものだ。今日はこれを出力管に使用した素晴らしいヘッドホンアンプの試作品、とはいっても量産品にかなり近いという個体を試聴してきた。今回はそのFostex HP-V8というアンプに関するインプレッションをざっと書き留めておきたい。


Exterior and feeling

このヘッドホンアンプをなんの情報もなしに眺めたオーディオファイルの100人中99人までが、この機材はスピーカーをドライブするインテグレーテッドアンプか、パワーアンプに違いないと思うのではないか。それほど大きな存在感、いや威圧感さえある筐体である。
幅43cm、奥行は42cmほど、高さは23cmで、重さは30kgを超える。これは世界的に見てもヘッドホン専用機としては最大クラスである。ここまで来ると黒い武骨な筐体がとてもゴージャスのものに映る。ハイエンドオーディオを買うという行為は、多かれ少なかれ、なんらかの”夢”を買うという欲望を満たす側面があるものだが、このアンプはそういう側面をおおいに満たしてくれそうな気がしてならない。とはいえ、筐体もここまで来ると置き場所が大問題となる。音以外で難儀な部分はなきにしもあらずだ。しかしこのアンプの音の心地よさに気付いたヘッドフォニアは後先を考えず、このアンプをつい買い込んでしまう可能性がある。(私などは特に危ない。)
ついでに言えば出力値と消費電力の落差もかなりゴージャスだ。10オームで2wほどの出力にして、消費電力は190wにもなる。現代のアンプ、しかもヘッドホンアンプとしては、なんとも漢気(おとこぎ)溢れる仕様である。

マットブラックの無骨な筐体の正面にはガラス窓が大きく開いていて、出力管である2本の300Bがまず見える。そして真空管への供給電力を生成するB電源のリップル(電圧の高低差)によるノイズを抑制するための新回路、Stabilized Tube Contorolled power cirkitのドライバーであるKT88が2本、さらに見える。つまりKT88は出力管ではなく電源のドライバーとして裏方に回っている。このKT88の使い方は、音以前にまず意外性があって面白い。さらに増幅初段に使っている6DJ8という小さな真空管も2本見えている。これら計6本のオール三極管・セルフバイアス式真空管アンプがHP-V8なのである。日本で選別された、これらのロシアあるいはチェコ製の三極管たちはフルドライブでの発熱も筐体が触れられなくなるようなこともなく、密やかに鈍く輝く。窓は大きく開いて、球は良く見えるものの、HovlandやNAGRAのアンプほどの華やかなアピールはしない。だが、そこに球があり、深海の無脊椎動物のように光を放っていることに、いつも私の意識は向いていた。

窓の下にあるパネルにはプッシュ式の電源スイッチ、バランス4pinと6.3mmの標準ジャックから成るヘッドホン(出力セレクターでどちらか一方をセレクト)、インピーダンス/ゲイン調整ダイアル、赤色デジタル表示で数値が読めるボリュウムノブが並んでいる。
ここにあるバランス4pin端子についてはトランスの巻き線を2つ組にすることで出力を生成しており、通常の4つのアンプで駆動する方式ではない。このユニークな方式は手抜きでもなんでもなく、聴感上で良い結果を生むのみならず、ヘッドホンからの逆起電力をカットするという点でも有利であるという。なお、このアンプに使われる出力トランスは今はなき山水電気の流れをくむ橋本電気製。強力な振動対策とシールドが施された、このヘッドホンアンプのためだけの特注品である。
また特注品といえば、このアンプの回路に使われる高耐圧コンデンサーもそうである。これはこのアンプ独特の高電圧に合わせて日本ケミコンで新しく開発されたものという。
こうして、このアンプの内容を調べていくと、このヘッドホンアンプの開発の過程で様々な日本のパーツメーカーとの綿密なコラボレーションがあったことを知る。300Bというヘッドホンに向かない球を使いつつ、現代的かつリファレンスとしての格を備えたヘッドホンアンプを製品化するために、新旧の日本のテクノロジーを集約することは必須だったのだろう。

インピーダンス/ゲイン調整ダイアルは大きく分けて、ハイインピーダンスとローインピダンスの2ポジションがあり、それぞれがさらにハイゲイン・ローゲインに分かれるので計4ポジションとなる。エンジニアの方はこれで市場のほとんどのヘッドホンに対応可能であると言っていた。これをフロントで、音を聞きながら切り替えて調整できることはとても便利。では果たして、このアンプでHE1000が存分にドライブできるだろうか。ぜひ試してみたいところだ。

ボリュウムは新日本無線のMUSESを採用。ボリュウムの回転フィーリングは少し粘りのあるもので、ジェフローランドのものにかなり近く高級感に溢れる。またボリュウム位置が回転角によってではなく、数値で具体的に表示されるのは私が望むところでもある。

ところで、この表示に関しては、真空管のトラブル発生を常時監視するため、このアンプに組み込まれたマイコンとの関連もある。このマイコンはアクシデント発生時には安全装置として働くと同時に、この部分の赤い表示でエラーが起きたことをリスナーに警告する手筈になっている。もちろん、真空管の寿命についても考慮して設計されており、1日2時間の使用で5年以上は真空管の交換は不要とのこと。こういう音質以外の信頼性や安全性がガレージメーカーの製品などでは行き届きにくいが、このモデルに関しては完璧に近いケアが施されていると見た。

バックパネルにはフルテックの金メッキACインレットとRCA一系統の入力端子、メインスイッチとダイレクトモードスイッチが見える。この中ではダイレクトモードスイッチというのが特に面白い。このスイッチを入れるとアンプ内のボリュウムがバイパスされ、ヘッドホンをドライブする純粋なパワーアンプにHP-V8は変貌する。同時に先ほどのボリュウム横の表示も変化する。
これは既に高級なプリアンプ(例えばボリュウム自慢のAccuphase C3850など)を既に持っているユーザー、あるいはデジタルボリュウム付きのDACを持っているユーザーに向けての機能である。実際にこのモードを聞いてみると、上流にあるプリアンプのキャラクターが程よく加味されるのが分かる。自分の持っているスピーカー用のプリアンプをヘッドホンアンプとして使いたいというヘッドフォニアは少なくないが、その要望に対する実用的な解は今までほとんどなかった。HP-V8のダイレクトモードは、このマイナーな問題に対するささやかな、しかし完璧な回答なのかもしれない。

さらにこのアンプのシャーシもかなり凝っている。表から見てもほとんど目立たない、あるいは見えないが300Bからの振動を抑制する4N銅製のサブシャーシや、銅製のネジが奢られ、チューニングされている。フットは四足でゴムのような素材が使われているが、非常に肉厚な足である。この足の素材も振動を効率的に吸い取る特殊なものという。
真空管は見ての通りシャーシに格納されているが、ファンなどはついていない自然放熱式である。したがって筐体には多数の網目のようなスリットが設けられ、外部からの空気の流れを取り込む。また内部の真空管のメンテナンスあるいは差し替えが難しくないような構造の筐体であることも、よく見れば分かる。このシャーシの設計も元は山水電気に所属していたエンジニアの方が関わっているという。
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このシャーシであればTakatsukiのTA-300BやPSVANEの300B、オリジナルのWestern300B等に比較的簡単に差し替えて愉しむことも可能であろう。言うまでもなく、この行為の結果としての不具合は当然メーカー保証外となる。しかし、私の経験上、この差し替えは慎重にやればトラブルになる危険はさほどない。真空管アンプを手に入れたら差し替えて音質の違いを探る楽しみを放棄する手はない。
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まるでオープンカーのようにトップパネルを取り去らなければならないかもしれないが、私が一番試したいのはElrog ER300Bである。300Bがストレート管であってはならないと誰が決めたのか?そういう無意味なノスタルジアは、いつも私の敵である。

全体として、この機材の風格、存在感、威厳はヘッドホンアンプのそれとは思えないものである。写真でみるよりも本物はとても豪華で堂々とした雰囲気だ。世界中の多種多様なHPAを観察してきたが、これ以上に立派な構えを持つHPAは知らない。そして300Bを使っているヘッドホンアンプはWoo audioなどにもあるが、あれはヘッドホン専用機ではない。この球をあえてヘッドホン専用のアンプに使うことにはやはり大きな意味がある。加えて、日本発の優れたパーツを盛り沢山に使っていること、かつて日本を代表するオーディオメーカーのひとつであった山水電気の影が見え隠れすることなども興味を惹かれる要素である。

The sound 
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このHP-V8のサウンドの素晴らしさは、
途轍もない音の余裕、豊かさ、心地よさ。それに尽きる。
このアンプを聞くと本当にいい音とはなんのかを考え込んでしまうほどだ。
単純に特性を追って、シャープでハイスピードでワイドレンジな音、
全ての帯域にわたる解像度の高さばかりに
我らの耳は行っていたのではないか?
そういう音を出すヘッドホンアンプはいくらでもあるじゃないですか。
こういう別な音の生き方もあるんですよ。
そう語りかけてくるようなサウンドだ。
無論、このアンプの出音は真空管アンプのそれとは思えないほど、十分にノイズは低く、クリアでシャープであるし、当然のようにハイスピードでワイドレンジである。HP-V8は真空管アンプではあるが日本の最新のテクノロジーをふんだんに盛り込み、いささかのノスタルジーもなく開発されているから当然なのだ。だがそんなことは重要ではないと、呟きたくなるサウンドでもある。この気持のいい倍音の柔らかな広がり、全帯域に渡る爽やかな音の伸びは、一般的なヘッドホンサウンドからは遠い境地にリスナーを誘う。このほとんど生理的な聞き味の良さこそが、無理を承知で300Bを出力管にあえて使ったことの果実なのである。

よく聞けば、確かに、チャンネルセパレーションが今一つであるのか、音にもっと広がりと奥行があってもいいかもしれないと思う節はある。確かに各パートが重層する時の前後関係はやや曖昧な場合もある。低域の輪郭もやや甘く流れる。しかしそれは私のHPAと比べた場合であって、このアンプが与えてくれる、私のシステムには全く期待できない音の快感、神がかったような聞き味の良さの前には、それらの瑕疵も全く些細なことにしか思えない。やはりこのサウンドには300Bの面目躍如たるものがある。
(もっとも、このレベルの些細な問題は適切な上流機材と優れた電源ケーブルを投入すれば解決する可能性が高い。Jorma AC LANDA2あたりはこの問題に対する正答の候補である。)

今回の試聴ではヘッドホンアンプとしては、明らかに巨大な筐体に収められた、大きく重いトランスたちが醸し出す音、そのフルボディのワインのようにコクのある音を私は味わうことができた。試聴機であるバランスリケーブルしたTH900のハウジングの深紅が音のイメージと一致する。最初の口当たりは清水のようにスッキリして飲みやすいような気がして意外だが、ひとくち、ふたくちと飲み進むにつれて、じんわりとフルボディのコクの重みが口に残る。HP-V8の音を酒に譬えるなら、そういうワインの滋味だろうか。

とにかく、出音に余裕がある。これほど朗々と鳴るTH900は聞いたことがない。実際に出せる実力の10%くらいしか出さないで、他のアンプがフル回転して出す音を出してしまうとでも言えばいいのか。まあ、これは単純計算では消費電力の1%ほどしか実際に出力しないアンプである。この無駄が、この余裕のある出音につながっているのだろうか。よく分からないのだが、HP-V8で聞くバランスリケーブルしたTH900の音は直近に迫ってくるような感じはなく、いつも常に一歩離れて俯瞰しているような音である。どんなに激しい音の動きがあっても、それを手のひらで眺める釈迦のように落ち着いて聞いていられる場所にリスナーを座らせてくれるようだ。

SNについては大変に優秀である。(測定方法の詳細は分からないものの)通常の300Bを使用する真空管アンプに比べて、ノイズは遥かに低く抑えられているという。そうしなければヘッドホンではノイズが目立ち過ぎるのだとエンジニアの方は言うのだが、HP-V8の醸し出すクリーンな音響空間は300B を使用するアンプのブレークスルーと言ってよいだろう。こんなに静かな真空管アンプはなかなか聞かない。

HP-V8を聞くと、直接音がいかに数多く聞こえても、音楽は必ずしも豊かには聞こえないと知れる。ゆったりと長い滞空時間をもって流れる倍音が、出音を豊かに演出するのだと誰しも発見するはずだ。そのサスティーンが私の脳裏に描く見事な軌跡、その美しさに呆気にとられる。巷ではきっちりと整理整頓され漂白されたようなサウンド、解像感の高い音の輪郭ばかりが我が世を謳歌しているとしても、それは本当の豊かさからは遠いのだとHP-V8は言うのである。

現代風のアダルトなポップスやJAZZの女性ボーカル曲では、清潔な音響空間の中に美しく立ち上がり、優雅に定位する音像が聞こえる。そして流れが良くなったようにさえ聞こえる旋律、滑らかで、艶やかなメロディラインに魅了される。
適切な1曲が終わる頃には、リスナーはこのアンプの歌心の深さを、この女性ボーカルのボディ感と、いかなる歌い回しにも追随する落着きから聞き取ることになる。
クラシックの弦楽四重奏、オケの演奏では、スケール感をさりげなく提示しつつ、演奏のうねり、ダイナミックな盛り上がりを丁寧に描写してみせる。音の温度感はニュトーラルで、音触はシルキーで柔軟である。いつまでも聞いていたくなる、聞き疲れゼロのサウンドである。また弦楽器は一点から放射するような音の広がりが感じられる場合があり、これも興味深かった。また楽器ごとの分離はさほど良くない反面、適切なブレンド感・ハーモニーが良く出て好ましい。

さらにクラシック音楽については、少し古い時代の録音で、そこに含まれる芳醇な香りのようなものが横溢してむせかえるような満腹感が味わえる場合もあった。これはいままでヘッドホンオーディオでは体験できなかった感覚で新鮮に感じた。
またオーケストラの最近の録音では、プロデューサーが狙っていたと思われる、演奏に含まれる熱気のようなものや、臨場感の表現などが存分に出て来るソースもあった。HP-V8はパッと聞くと艶やかさや懐の深さに気を取られるところがある。やはり初聴の始まりのところでは雰囲気重視の懐かしい音なのかと思わせる。しかし、少しでも聴き込めば弦楽器の艶のような部分、流麗さだけでなく、ザラリとした生成りの質感、腰の据わった、太く力強い表現などにも対応して、リアリティも十分にある。これは結局、多様な録音の様態を鳴らし分けられるアンプだとわかる。
 
このアンプは、その出音にキツさは皆無なうえ、ゆったりした感じがあるので、アニソンなどで使われる素早いビートでまくしたてる若い日本女性の声などは苦手かもしれないと当初は思った。しかし実際に聞いてみるとむしろ聞き易くなったうえに、音楽全体が格調高く感じられるようになったので、アニソンも心に沁みる。コレはコレでアリだなと納得した次第。

これは300Bに特有なものだと思うが、音像に厚みや実体感がありながらも、微妙に透き通るような感覚を新しく感じるリスナーもいるかもしれない。濃厚な音像一辺倒でちょっと真空管はクドい、エグい音だと考えている人がいたとしたら、こういうバリエーションもあることを教えてあげたくなる。例えば今年の夏は妙に暑いのだが、それを彷彿とさせるような暑苦しい音をHP-V8は出さない。逆にどこかの古臭い小出力の真空管アンプのようにシナシナした清貧を装うようなアンプでもない。結局このアンプはどの真空管アンプにも似ていない。これは300B を使用しているが、過去の真空管アンプを踏まえて、その上に立とうとする2015年現在進行形のアンプなのである。
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もちろん、HP-V8の出音は上流・下流の機材の質に大きく左右される。下流は当然TH900がベストマッチであろう。異論はない。次に上流について私の忌憚なき意見を言えば、Luxman D-08uや以前レビューしたJRDGのAries DAC、NAGRA HD DAC+MPS、PlaybackのMPD5など、音楽性に溢れた艶のある音を出せるデジタルプレーヤーをあててみたい。上流の機器の奏法がHP-V8の奏法と溶け合うとするなら、そのポイントは音楽性の一致というところだろうから。特に現代のLUXMANの持つラックストーンに近い音楽性がこのアンプのサウンドには秘められている。だから個人的にはD-08uとのペアリングが生み出すサウンドに大きな期待をかけている。無論、アナログレコードシステムとつなぐという手もあるだろう。これも音楽性が強く出やすい送り出しだから、マッチングが悪いわけがない。HP-V8が我が家に来たら真っ先に試すのは、デジタルではなくそっちになることだろう。
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そういえば、こういう美音系のヘッドホンアンプの代表としてEARのHP4が記憶に残るものだ。しかしHP-V8を聞いてしまうと、あのサウンドでさえ簡単にメモリーから消去されてしまう。真空管の良さを前面に押し出しつつ、パラビッチーニ氏の趣向が随所に顔を出すあのEARのサウンドは私の心の奥に仕舞い込まれてしまった。具体的には音色の豊かさや、まったりとして悠々とした音の佇まいにおいて、HP-V8の器の大きさ・深さが勝っている。
最終的な価格は2015年8月現在で不明ながら、メーカー側の説明からすると、70万円と100万円の間におさまるのではないかという感触をもった。これだとEARのアンプよりはやや高価になる可能性があるのだから、上記の結果は当然であろうか。

私は、この圧倒的な聞き味の良さの奥に、はっきりと息づくもの、なにか言い知れない知性をもつ存在を微かに感じる。そうでなければこれほど私の官能が感応することはありえない。やはり300Bは生きていて、音楽の美しい夢を見ているのではないか。そう万策堂は夢想する。そして、このアンプにおいてはその夢はヘッドホンに関するイメージであって欲しい。300B生来の音の良さをヘッドホンの世界にこれほど深く持ち込めた例はかつてなかったのだから。このくだりは、あくまで取るに足らない、センチメンタルなファンタジーに過ぎない。だが300Bがヘッドホンの夢を歴史上初めて見ているのだと私は信じたくなる。この音をTH900で聞いているとね。

繰り返そう。このアンプのサウンドはまさにどこかが生きている音であり、今のヘッドホンサウンドを席巻する音質傾向、音の有機性や音楽性を捨てて、時間軸の整合性をはじめとする特性をどこまでも追いかける傾向へのアンチテーゼのようにも聞ける。この方向性にそろそろ飽き始めていた者、年老いて、もっと深みと陰影に満ちた訳知りのサウンドを求める者、とにかく真空管アンプで最上級のヘッドホンサウンドを楽しみたいと願う者、それら全ての人々に対する決定的な福音がここにある。


Summary

ハイエンドな密閉型ヘッドホンとして、リファレンスとしての地位を確立したTH900、このギアと組み合わせる理想のヘッドホンアンプとして、HP-V8は、HPAとしてはありえないほどの圧倒的な物量を投入し完成しつつある。
思えば2012年のTH900の登場以来、三年ほどの間、我々は待ち続けてきたのだった。
これでもない、あれでもない。
どれを聞いても決定版と言えるほどのTH900とのマッチングの良さは聞こえて来なかった。
そして、この素晴らしくゴージャスで、武骨、そしてエレガントなアンプの登場により、Fostexの考えるヘッドホンサウンドの頂点がやっと見えてきた。

他方で、私はHP-V8を聞き、オーディオデバイスの中で、音楽に生命感を与える力が最も強いモノ、それは真空管であると改めて確信した。
それはトランジスタが生まれる前から、多くのオーディオファイルの官能を揺さぶってきた、偉大なデバイスである。
時代が変わり続けても、求められるそのサウンドと透き通るその姿が、深化するハイエンドヘッドホンの世界に与える影響を今はまだ予想できない。しかし、このアンプの登場はハイエンドヘッドホンアンプの選択肢の幅を大きく広げることだけは確かだ。また若いヘッドフォニアを、真空管の奥深い森へ誘い込む効果もあるかもしれない。真空管の王と言われる300Bという直熱三極管を前面に押し出したHP-V8の放つインパクト、その生き生きした音の衝撃の広がりを我々はこれから先、目にし耳にもすることだろう。

それにしても、これは偶然だろうか。
Re Leaf E1といい、Telos HPAといい、HE1000といい、AK380といい、ここしばらく、本当に高い志をもったヘッドホン、イヤホン関係の機材の登場が相次いでいる。そこに今回のHP-V8である。
この状況は、ヘッドフォニアである私が夢見てやまなかったハイエンドヘッドホンの新たな時代の始まり、ひいてはスピーカーオーディオの黄昏の到来ではないのか。
私には胸騒ぎがする。

もちろん、この不思議な不安も私の感傷に過ぎないとは思う。
だが、そんな静心(しずごころ)なき私の眼で、うっすら光る300Bを眺めたとき、彼らがスピーカーオーディオのラグナレクの到来を告げるギャラルホルンの叫びを、今まさに夢見ているような気がしたのは事実なのである。

Postscript
その後、9月のTIASの開催に合わせて、価格が決定し、製品版と思しきHP-V8が東京国際フォーラムにきていたので聞いてみた。内部も若干ブラッシュアップされたとのことで、音場はより拡大し、その奥行もより深くなっていた。音質的に、その価格に十分見合うものが出来上がったようだ。また差し替える300Bについては私の希望したELrogの300Bは品質が安定せず、TAKTSUKIのTA-300Bが最もふさわしいという結論に達した。まだ他にも欲しい機材があるので、確定的ではないが、私はこのHP-V8を近いうちに導入する意志を持っていることだけは確かである。

最後に、こぼれ話をひとつだけ。TIASのFostexのブースをうろついていたら、背の高い白人男性がじっとHP-V8を見つめているシーンに遭遇した。その男性の横顔には見覚えがあった。ルーメンホワイト創業者Hartmut Roemer氏である。彼はペンを取り出すと、真っ白い名刺の裏にHP-V8とメモ書きして、再び熱い視線をHP-V8に送ったあと、静かに立ち去った。この人にまで注目されるとは。このアンプはやはり特別なものなのかもしれない。

# by pansakuu | 2015-08-09 21:00 | オーディオ機器

羽化するRe Leaf E1:Dela N1A、N1Z、Aurender S10を試す

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悠々として急げ
by開高 健


今年の梅雨時は居間でヤゴを飼っていた。
それまで自分でヤゴを育てたことはなかったので、当初いろいろと苦労はしたものの、
先日の朝方、無事にトンボに変身し、梅雨の晴れ間へ飛んでいった。

以前に蝉の羽化を見た時も少なからず興奮したが、
ヤゴが羽化してトンボになる様はもっと驚きであった。
そもそもヤゴというのは小指に乗るほどの小さな虫に過ぎない。
それが、或る夜、水辺の枝につかまって、突然に水から上がり、
その枝の天辺でトンボに変化する。
なんといっても驚かされるのは、大幅に形と大きさが変わること。
あの小さなヤゴのどこにあれほど長い胴体と翅が格納されていたのだろうか?
蝉よりも変容の振れ幅が随分と大きい気がする。
さっきまで水の底をはい回ることしかできなかった生き物に、
長い胴体が伸び、透明な羽が生えて飛び回るようになるのである。
なんというギャップであろう。

ところで、オーディオを始めた頃から時折感じてきたある感覚がある。
オーディオシステムにも羽化する時があるように思うのである。
稀にしか訪れないセンスなのだが、
そういう変容(メタモルフォーゼ)する多幸感に包まれる瞬間が確かにある。
具体的には多くの機材の集合体であるシステムを部分的に入れ替え、入れ替えしてゆくと、突然グーンと音質が伸びて、出音が安定する局面にぶつかるということだ。この時を私は「システムの羽化」と呼んでいる。羽が生えて飛べるようになった、成体になり成熟した状態というイメージがこめられている。最近、Constellation audio Perseusというフォノをセッティングし終えたときにも、こういう以前の音との良い意味での大きなギャップを感じた。

そうこうするうちに、
私のRe Leaf E1x(E1のXLR入力仕様)のセッティングは定まってきた。
ヘッドホンはDMaaでカスタムされたHD650、電源ケーブルはJorma AC Landa、タップはORB Kamakura、USBケーブルはとりあえずAIM Shieldio UA3(そのうちOrpheusのKholeにしたい)、 再生ソフトは常用としてはKorg Audio Gateとしている。
こうして見ると今までになくシンプルかつ安価な構成となりつつある。

万策堂のオーディオインプレッションでは、ここしばらくはE1xとその周辺機材について連投してきたが、そのシステム構築もほぼ完成に近づいているので、今回でひとまずこのシリーズは最終章としよう。

ところで、このシステムを使っていて改めて思うのは、
E1(E1x)には音以外に良い部分が多いということ。

それはまず大きさである。E1は置き場所を取らない。小さなトランクにいれて持ち運べるほど、小さく薄い。このクラスの実力を持つ機材、例えばOJIのヘッドホンアンプとDACの組み合わせなどを考えると、どちらも単体で既にE1よりも大きいし、厚い。そして重い。性能が同じならば、小さくて軽い方を選ぶ、これはオーディオの鉄則ではないだろうか。
それから縦置きができるというのもいい。置ける場所が狭い場合に大変助かる。これも他のHPAにはない側面である。そういうセッテイングにしても音は平置きとあまり変わらないのが、さらにいい。

それからE1は、その筐体の全体の質感が素晴らしい。何と言っても表面の仕上げが感動的である。非常に細かく滑らかな梨地のような触感で、銀色に鈍く輝くサーフェイス。今日まで様々な機材に触れてきたが、これに匹敵する感触はCHprecisionの機材の表面くらいしか記憶にない。光を吸い込むようなCHPの質感とは全く違うE1の表面仕上げだが、両者とも金属加工技術の粋を集めた仕上げだ。夜な夜な、E1xのトップパネルを素手で撫でてみるのだが、なんとも言えずいい触り心地である。生き物で言えばベーレンパイソンの鱗を想起させるような肌触りだ。

E1が他のヘッドホンアンプと大きく異なるのは、外観がいままでのヘッドホンアンプにないほど贅沢を極めていることである。好き嫌いはあるだろうが、このアンプは実際にインテリア雑誌のグラビアに載るほど洗練された美を持つ機材であり、その美はある種の宝飾品や家具調度品に備わるエレガンスに通じるものがある。もちろんそれは今までの家電にはなかった感覚で、クラシカルなテイストではないし、非常に未来的な感性に由来するものである。また西洋的なものではなく、東洋的なデザイン、余分を排した、簡素で余白を愉しませるような日本独特の意匠を連想させるような形なのである。とはいえE1はデザインという観点から見てもあまりにも先進的であり、常にひとつ先ばかり見ている高感度人たちにとっても容易に受け入れがたい部分がある。だがひとたび、その本質が理解できれば、あまりに高価に見えた価格にも納得でき、そのサウンドが形と表裏一体となって感じられるようにもなる。
やはりヘッドホンの世界にこういう高級感を持ち込んだことはひとつの革新である。E1を作った方々の話の端々に出て来る「家電の方程式を壊す」という言葉が、このような革新として具現化しているのである。

話は少し変わるが、インターフェイスに関して、E1はヘッドホンとの接続としてシングルエンドもバランスも選べるので、どちらの接続が組み合わせるヘッドホンをドライブするのに適切かを、つなぎ変えて試すことが出来る。これはこのクラスのHPAでは重要なことである。このようなマニアックなHPAを買う人間は、多くのヘッドホンをとっかえひっかえして、それら全てを鳴らし切りたいと願うはずである。このように接続が選べるとヘッドホンのポテンシャルを引き出すのに有利だし、少なくともバランス接続だったらどんな音で聞こえるのかを確認できる。ライバルであるGOLDMUND TELOS Headphone amplifier(TELOS HPA)にはそれができない。シングルエンドしか選択できないのである。そのうえTELOS HPAはアナログ入力までシングルエンドしか選べない。接続の柔軟性に欠ける。E1はRCA、XLRどちらのアナログ入力も選べるのである。

さらにTELOS HPAに対するアドバンテージを言うなら、本来はヘッドホンごとに必要なゲイン設定がE1では多くの場合で必要ないことも便利だ。TELOS HPAに限らず、市場にあるほとんどのHPAはこのゲインの問題を抱えている。例えば内部スイッチでしかゲインを変えられないTELOS HPAやNAGRA HD DACは多くのヘッドホンを適正な音量で試すのにあまり向いていない。出音は素晴らしいのに、このようなユーザーフレンドリーの少なさは惜しまれる。

ではRe Leaf E1の音質的長所に話を移そう。
E1の音の良さとして語るべきは多々あるのだが、まず演奏の裏側がよく見えるということは繰り返して言うべき長所だと思う。例えばボーカルがサビの部分を歌って盛り上がっている時だ。普通のヘッドホンアンプで聞くとバックで伴奏している様々な楽器の動きが前面に出ているボーカルにマスクされて聞こえないことが多い。ところが、E1ではそれがまるでバックステージから演奏を覗いているかのようによく聞こえる。ベースが何を演っているのか、コーラスはそれぞれどんな感じで歌っているのか。そういうことが実によく分かって楽しい。こういう愉しみは他のアンプではほぼ得られぬ。音楽の前面に出ていない部分、メインボーカルの背後に隠された旋律やリズムが浮き彫りになる快感はかけがえのないものだ。

E1は左右のチャンネル間のクロストークが他のアンプに比べてとても少ないように感じる。構造的に非常にクロストークが少ないはずのG ride audio GEM-1にさえ勝るとも劣らない。こうなるとステレオイメージが非常に綺麗に出て、定位や各楽器の分離感が安定して出て来る。それにしてもチャンネル間のクロストークは音質上は問題視されるのに、音楽そのものについて言えばクロストークは重要だというのは面白い。同時に演奏している様々な楽器の微妙な掛け合い、駆け引き、煽り合い、すなわちインタープレイは、各パートの間でのクロストークのようなものだからだ。
つまりE1が音質上のクロストークを減らせば、音楽上のクロストークはグッと増えて聞こえる。GONTITIというギターデュオの演奏をE1で聞くと、他のHPAでは決して聞けない二人の微妙な掛け合い、駆け引き、煽り合いが圧倒的な精密さで表現される。これは本当に電源や部屋を含めて数千万クラスのスピーカーシステムでなければ味わえない見事な感覚だ。

それから全ての帯域において、ヘッドホンの振動板に対する働きかけの強さ、ドライブ力の高さが満喫できる。これも他のアンプではなかなか聞けない。例えばSTAXのSR009を中核とする真空管ヘッドホンアンプシステムの音質は総合的に非常に優れているが、こういう点で物足りない。あの音には力強さが足りない。E1にはそういう不満がない。
E1は特に低域を的確にドライブする能力が高く、低域のパワーリニアリティに関してほぼ比類がない。この部分については、今まで最強と考えていたG ride audio GEM-1の能力に匹敵するものがある。それでいてあれほど扱いづらいクセはないのは褒めたい。とにかく、音質の全ての側面でクセみたいなものはほとんど感じない。また中域、高域に関しても音の通りがとても良く、十分な躍動感も得られる。この長所は電源ケーブルを良質なものに変えると、さらに伸びる。
このようなE1を用いたリスニングでは音量をかなり上げても、音は煩くならず、むしろ強いサウンドインパクトに心打たれる事となる。大音量で聞いても疲れそうで疲れず、爽快感が勝って、むしろもっと聞きたくなる。こういう不思議な聞き疲れの少なさはE1のサウンドが私の脳神経回路によく適合するからなのかもしれないが、何にしても驚かされる一面ではある。

このヘッドホンは通常、USBでPCにつないで聞くものだが、PC関係のオーディオの弱点である、実体感の薄さや音のインパクトの弱さがほとんど感じられないのもポイントが高い。聴きようによっては高密度で濃厚な音だが、適度にヌケも良く、温度感もニュートラルで、演出的、作為的な感じもしない。長く付き合えるHPAであろうことが短時間の試聴でも予想できるような音の方向性である。

さらに音像に密度感がありながら、音場としてはとても開放的であり、俯瞰的な聞き方ができるのも面白い。また逆に音の細部にどんどん入り込みたければ、そういう聞き方にも応えてくれる。つまり、どういう聞き方に対しても柔軟に対応し、クラシック、JAZZ、レゲエ、ラップ、ブルース、演歌、クラブミュージック、アニソン・・・どのような種類の音楽に対してもその良さを引き出し、リスナーにくっきりと提示する。様々な意味で死角のないヘッドホンアンプなのである。

ここでハイエンドなヘッドホンシステムとしては、コストパフォーマンスの高いものであることも述べておきたい。このE1のサウンドは経験上は50万円以上の価格の単体のヘッドホンアンプと100万円以上の価格帯のDACを組み合わせてもまず出てこない音であると思う。この音を出すにはインターコネクトや電源ケーブルにも少なくとも50万円以上の投資が必要である。それはコンポーネントの合計だけで200万円以上のシステムとなるが、それでも同等の音が出て来る保証はできかねる。しかもその場合、間違いなくシステムの大きさはE1を中核とした場合の数倍の規模となり、置き場所の面積も必要なコンセントの数も倍増するので相応の電源タップやラック・ボードが必要になり、さらに出費はかさむ。
私の場合、KLIMAX DSとG ride audio GEM-1、そしてインターコネクトにJormaのPRIME、電源ケーブルにJorma AC Landa3本を使い、種々のリケーブルでカスタムしたHD800とかTH900という陣容でヘッドホンサウンドを愉しんでいた時期がある。あの時の機材の総額よりも、今のシステムの方が200万円以上安上がりであるが、現在のシステムの方が明らかに音は良い。GEM-1はかなり個性的だが大変優秀でもあったし、DSのややフラットな出音のつまらなさをよく補って余りあるものだったから、システムの主幹であるGEM-1が劣悪だったという指摘はあたらない。やはりこれは高いレベルでの競争である。この観点からはただE1が優れているとしか言いようがない。

或る人は言った。理屈で押して筋が通り、音を聞いて素晴らしく、それが見事な意匠に包まれている、それが名機というものだと。すなわちE1は名機なのである。

上流の機材に関して言えば、これはUSBの出力がありSSDを使うPCであれば恐らくどれでも同じくいい音が出て来ると予想される。WindowsでもMacでもOK。出音の差はとても少ない。私はWindows7で主にAudio Gate、MacではAudirvanaを使って聞いているが、そのほかfoober2000やAmarra、JRiverなども音がいいと思った。もちろんPCのセッテイングに少し凝ってもみたが、今のところは、そこに凝っても労多くして報われていない。ホントに少ししか音が変わらないのだ。それよりもUSBケーブルに凝ったりしたほうが、まだ報われるのではないかと思い、以前書いたようにUSBケーブルの集中テストまでやったほどだ。

その次に、どうせやるならとデジタルファイル再生に特化したDELA N1A、N1ZのUSB接続、あるいはUSBトランスポートにほぼ特化したAurender S10あたりまで試したくなってきた。そしてついに各方面のご厚意により、それらをE1でほぼ同時に比較できるというワガママな試聴が実現した。

今回聞いたDELA N1A、N1Zは当初はネットワークオーディオ専用の超高級NASとしてデビューしたものだが、2014年末ごろから、もう一つの機能、すなわちUSB-DACとの接続ができるように中身が整ってきた。この機能に関するレビューはネット上には未だ少ない。また同時に聞いたAurenderのS10はUSBを中心としたデジタル出力に特化したトランスポートとしてデビューし、海外での評価は高い。だがN1Z以上に、日本ではレビューがとても少ない。上位機のW20はS10より音が良いが対費用効果は低く、クロックを入れるつもりがないならS10の方を取るべきだろうと考え、あえてミドルレンジのS10を試聴した。
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まず実際にN1AとRe leaf E1をUSB接続してみると、動作は完璧で安定している。ただし、不満がなくはない。これはiPadに入れた専用ソフトウエアでネットワークを介して操作するのだが、残念にも洗練された汎用のUpnp/DLNA準拠ソフトウエアではない。そのせいか表示のレイアウトや階層、つまり画面のデザインが見やすいものではない。そもそもDELAのN1シリーズは本来はNASであって、USBトランスポート機能はオマケ的な能力であることを思い知らされることになった。
そして音質。なんとN1AのUSB出力での出音は普通のPCのそれとほとんど変わらなかった。再生ソフトを選べば、N1Aの音質を超えることも不可能に聞こえない。
次にN1ZのUSB出力を試すと、これは流石に静寂感が高く、音の目鼻立ちもクッキリしてくる。なかなか好印象である。しかしこの音は、例えばPCにインストールしたJriverでの再生音と比べて大幅に上と言い切れるか?さらにN1Zの値段を考えるとどうか?冷静になって思い巡らせてみると、なかなか難しいと思う。ヘッドホンで聞くと、スピーカーで聞くよりもずっと機材の素顔が良く見えることがあるが、こうして聞くN1Zはどこか無機質な音でもある。音楽を徹底的に音として扱う態度が垣間見える。非常に真面目でスクエアなサウンドであり、極めて高音質だが音楽性が欠落して聞こえる。やはり音の面でもDELAのN1シリーズはNASとして使うのが本来なのかもしれない。
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最後に、Aurender S10をE1に接続して聞いてみた。
まず、iPadにインストールした専用ソフトウェアだが、操作性は良好である。反応は十分に速く、またリストの表示も見やすい。ただこうなると、こういう使いやすいソフトウェアがいつまで使えるのかが気になってくる。例えばiPadにも寿命がある。電池は3年持つと聞くが、その頃に電池を専門業者で入れ替えてもらうべきか、それとも新しいiPadを買うべきか?そしてその新しいiPadにAurender S10を操作するソフトウェアはインストールできるのか?またS10のHDDやSSDはいつまで持つのか?壊れた時に既に同じ規格のHDDやSSDは時代遅れになり、入手しにくい可能性もある。全ては、その時点になってみなくては分からない。さらにS10やW20にはそれ自体にその機能すべてを操作できるボタンはついていない(一部の操作は可能)ので、iPadがなんらかの形で利用できなくなれば、ジャンクにしかならなくなってしまう。さらに、短いサイクルでのモデルチェンジもありうる。つまり、この分野の製品は先の見通しが立てにくい。それを承知で100万円近い代金をこの機材に支払っていいのかどうか。

とはいえ、その音には期待以上の凄味があった。録音された場の空気感の出方がにわかには信じられないほど生々しい。これはDSP-01から出て来る音に近い。これはDSP-01を使わず、あのリアルサウンドに肉薄することができる一つの方法だろう。それから音場の広さ、その音の余裕度が半端なく大きく感じる。このサウンドの凄味は一体なんなのだろう。やはりこれは電源がしっかりしているからこそ出てくるニュアンスなのだろうか。だが必ずしもE1との相性がいいとは思わない。E1はPCとの組み合わせで音決めされており、N1ZやS10との接続は開発時には想定されていなかった。そのせいか音が場合によっては鋭利すぎ、キレすぎて疲れる場合もあった。E1の良さがS10の過剰な生々しさによって削られたような節がある。正直、このユニークな音には思わず聞き入ってしまうのだが、一方でこういう音楽性の少ないサウンド、凄味一辺倒の音のセンスにつきあい切れないという人が居てもおかしくない。

いろいろな見方はできるが、ごく客観的な視点からはS10とE1のコンビネーションの音は、私が今のところE1から聞いた中では、ベストなサウンドだろう。もう、これほどの音質となれば、スピーカーオーディオと比較してさえ、コストパフォーマンスは高い。
先日、私はTELOS HPAの音をある人と一緒に聞いた。
彼はヘッドホンを外すと、この音をオープンな空間に放り出せるスピーカーシステムを部屋含めて揃えようとすれば少なくとも1000万円以上はかかるだろうと言って溜息をついたのが印象に残っている。
それと同じことが巧くセッテイングされたRe leaf E1にも言えると思う。実際、300万円のヘッドホンシステムを揃えるなら小規模ながら充実したスピーカーシステムを揃えた方がいいという意見はよくある。私もTELOS HPA、E1の登場前まではその意見に賛成であった。しかしこれらの極めてハイエンド志向のヘッドホン専用機材の登場により、スピーカーオーディオの音質上の優位性は絶対的なものではなくなった。

ただ、N1ZやS10等の前段機器を使うと、音以外の点で、私がヘッドホンオーディオに設けた枠から、音質以外の点でハミ出すところがあるのは事実だ。今回、私がE1を導入したのは、そのコンパクトでさりげない佇まいを評価したからである。N1ZやS10、あるいはさらに進んでAurender W20にSforzatoやAbendrotのクロックを繋いだセットをE1に組み合わせることは音質には間違いなく効くだろう。しかし、小規模で、いざとなればパッと持ち出せるような、小さい据え置きヘッドホンシステムを求めた当初の精神は大きく損なわれる。そもそもPCオーディオの始まりは安価でコンパクト、シンプルだが、重厚長大型のオーディオシステムに匹敵する音質というところだったはず。高音質を求めるあまり、その初心を忘れたような機材がハイエンドオーディオ市場に多く有る。今回の企画にしても、大きさの制約がないなら、初めからOJIのヘッドホンアンプとSforzato DSP-01で良かったのではないか。我々は自分が思っている以上に欲張りな存在であり、音が良ければ全て良いと言い切れるほどオーディオは単純ではない。
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他方で、そういうUSBトランスポートに凝る事とは別な方向性もある。
それはPCの再生ソフトに凝るという方法だ。
先述したがAudio Gate、Audirvana、foober2000、Amarra、JRiverなどで聞いているとそれぞれ随分と音の印象が違う。特にクリアでHiFiな音という意味ではJriverなどは群を抜いて優れている。これを使うと、上記のN1ZやS10で得られる音質と全く同等ではないにしろ、ほぼ遜色ない音が出て来る。価格差を考えると大変にお得である。ただし私個人はどうもJriverのサウンドが気に入らない節もある。綺麗過ぎてどこか嘘の匂いがする。私個人は、もっと地味で、もっとカチッとした音のするAudio Gateが何故か好きだ。DSDが使えればいいというものではないし、音質はただ優秀であればいいというものでもない。音全体の印象が自分の好みに合うかどうかも大事だ。
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ともあれ、こうして試行錯誤しながらセッティングを詰めてゆくとE1のサウンドは予想以上に精緻であり、絶賛するしかできないことが明らかになってくる。
今や私のE1xはその全貌を露わにし、完全態に近づいて来たのではないだろうか。

オーディオファイルというものは手持ちのシステムにおいて、メイン機材を入れ替えると、そのセッティングを決めるのにとても熱心になる場合が多い。急いては事を仕損じるというから、私に場合、まずは悠々と時間をかけて音質の変化を確認しながらセッテイングを煮詰めてゆく。しかし、それが遅々として進まないと機材の音の旬を逃してしまう気もしてくる。気分が盛り上がっている時に聞く、新しい機材の青臭い音というのはまた格別で、エージングどーのこーの言う以前にスリリングな音の冒険なのだ。やるときはドンドンと機材を取り換えて、急いでやることも楽しい。別な視点から見れば人生はそれほど長いとも言い切れない。明日のことは分からないというのが真実だ。今は工面出来ているカネも明日からは続かないかもしれない。
だから今を大事にする。
これが彼の人の言う、悠々として急げ、というやつなのだろう。
このような、どこか矛盾した試行錯誤の果てに
E1xを中核とする私のサブシステムは羽化しつつあると言えそうだ。

# by pansakuu | 2015-07-11 08:42 | オーディオ機器

Sennheiser HD650 Delrimour Modernの私的レビュー:欠片を探して

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装飾は犯罪
By アドルフ・ロース(建築家)



Introduction

今使っているRe leaf E1x(E1)というヘッドホンアンプは
或る意味、手強いモノである。
E1は、市場に現存するほとんどのヘッドホンの素性を露わにし、
その潜在能力のほぼ全てを開花させることは出来る。それは確かだ。
しかし、逆に自分自身の潜在能力がどれほどなのかを、なかなか明かしたがらない。
つまり、E1のポテンシャルの全貌を露出させるようなヘッドホンが、なかなか見つからぬということになる。
この探索はまるでパズルの欠けた部分をピッタリと埋めるピース(欠片)を探す行為に似ている。それが見つかりさえすれば、パズル全体がどのようなデザインなのか、その全貌を把握できるのだが、それが簡単に見つからない。

とにかく、八方手を尽くし、貸し出してもらったり、自腹で買ってみたりして、このアンプで使えそうなもので、気になっていたヘッドホンは、ほぼ全て試してみたところである。
沢山のヘッドホンを試す過程で分かってきたのは、なるべく無個性なヘッドホン、例えばプロフェッショナルモニターがE1には合っているということであった。今のところ、素直なE1の音を知るという意味で最高のマッチングだったのは、ここでレビューするSennheiser HD650 Delrimour Modernである。これは聞こえてくる音楽そのものは勿論、下流の機材の素性をもつぶさに聞き取ることができるという意味では最高のギアの一つであり、いわゆる最も色付けの少ないヘッドホンの部類に入る。私はこのヘッドホンのお蔭で、E1xがどのような音楽を奏でたいのか、そして音楽の素顔そのものを、やっと理解できた気がする。
ここで聞ける音というのは、まあ見ようによってはサウンドモニタリングの果てのような辺鄙な場所、客観の極致のような所ではある。意外だが、E1は、そういうところにまで連れて行ってくれるアンプなのだ。それでいて、マス工房のアンプのように限りなくフラットで楽しめないガチのモニターサウンドというわけでもない。どうにも不思議なアンプだ。


Exterior and feeling
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Sennheiser HD650 Delrimour Modern(デルリモア・モデルン)と読む。
このヘッドホンはDelrimour Modern audio acoustik(以降DMaa)という、東京にあるオーディオ工房を主宰する日本人エンジニアがモディファイしたHD650である。
もともと定評のあるHD650だが、ややヌケが悪いとか、音場が狭いとか、音の厚みはあるが、音の分離がHD800など比べて良くないとする意見があった。日本だけでなく諸外国でもこれは密かに言われていて、そこでは個々のユーザーが勝手にHD650を分解して改造を加え、改良した好みの音で聞いているという話をきいたことがある。DMaaはそうした改造を請け負ってくれる工房ということになる。
ここに出してきたヘッドホンHD650 Delrimour Modern (以降HD650 DMaa)について、この日本の工房で、どのような改造を行ったかについてはWeb上に丁寧に記載されているので、例の如く詳しく書かない。
ごくシンプルに言えば、Piezonという業務用の制振材(実際はところはfoQらしい)をヘッドホン内部の適切なパーツに貼り付けること、バッフル表面とイヤーパッドの間とドライバーユニットの中央開口部を塞ぐフィルターを別な材質のものに交換することの二つの作業に集約されると私は理解している。これらの作業によりヘッドホンの音に対する反応性を整え、バッフル面・ハウジング内外の空気の流れを最適化し、ダイアフラムの振動を調整するという話だ。(写真はアンブレラカンパニー様のHPから拝借いたしました。いつも有用な情報を有難うございます。)

実際の作業はHD650のパーツがモデュラー化されているため、ネジ留めやハンダ付けなしで行えるという。したがって材料が入手でき工程さえ決まっていれば、比較的容易な仕事なのかもしれない。実際にヘッドホンを送ってから納品されるまで1日ほどしかかからなかったし、費用もかなり安価であった。
なお、細かい話をすれば、HD650は2014年より新しい金型を用いて生産されており、それ以前のロットとは中身が若干異なる。このため、新しいHD650は改造の工程が旧型とは若干異なるようである。この場合でもDMaaで対応してくれる。

具体的な注文法としてはヤフオクに「SENNHEISER チューンナップ・サービス HD580 HD600 HD650 etc」として出品されていることがあるので、これをまず落札。支払を済ませたら、手持ちのHD650を指定された場所に送ると改造されて送り返されてくるという手順だ。もちろんHD580 HD600も同様に改造を請け負ってくれる。

さらに私はDMaaにXLR3pin×2のリケーブルも同時に別注したが、これがなかなか他で見ないような珍しいモノだった。アコリバに特注されたコネクター(内部のみ無メッキの仕様)とSTAXのヘッドホンで使われるタイプの平らなヘッドホンケーブル、ノイトリックのXLR端子を組み合わせたものである。事実、このケーブルの線体はSTAXで使われているものを製造している工場で作られているらしい。これはヘッドホンケーブルとしては最上のモノの一つであるがマイナーなケーブルだ。あえてこれを選ぶとはDMaaにはSTAXのヘッドホンに対するシンパシーがあるのかもしれない。とにかく、こういう組み合わせのリケーブルは世界中見回してもほとんどない。またリケーブルの実物の作りは全く粗のないもので、コネクターの接続も確実、線体はかなりしなやかでタッチノイズは少なく、最高に使いやすい。なおDMaa ではXLR4pin仕様や標準プラグ仕様も用意しているので、幅広いHPAに対応可能である。

外観全体としては、HD650 DMaaというヘッドホンは地味で峻厳なプロフェッショナルツールという印象である。現在、HD650自体がドイツで生産されているかどうかは知らない。しかしこれはドイツ製の高級機材に共通する雰囲気、例えば最近まで使っていたブラックペイントのライカMP等のドイツの高級カメラを想起させる外観を持つモノである。遊びも気取ったところもまるでないプロ機材だ。ここではDMaaの黒い小さなシールがハウジングのメッシュ越しに見えたり、コネクターにさりげなく貼付されたりしているのが、いかにも渋い。服選びの趣味の一つとして、服についているタグに注目するというのがあるが、まさにそんな感じの格好の良いシールデザインにちょっと痺れてしまう。(なお、モノクロ写真にあるLRマークは筆者の私物である)


The sound 
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HD650 DMaaは、全ての音の要素にわたってクセらしいもの、誇張感がほとんどないヘッドホンである。

もともとHD650は中音域の密度感のある濃厚な表現に魅力があり、HD800がその深い味わいを広大な音響空間に散らしてやや薄めてしまったような音になっているのと、好対照を成していたと思う。HD650の音には厚みと僅かに高めの温度感があり、間接音に比しての直接音の存在感もHD800より大きい。またサウンド全体に腰がやや低く、低域に重みと量感がある。よって、ウッドベースのボディ感が正確に出るところなど、超ロングランの古いモデルではあるが、一目置かれる理由となっていた。
ただ聴感上はダイナミックレンジが若干狭く感じられるし、スピード感がなくゆったりしている感じもある。また全体に音のクリアネスに欠け、音場の見通しが若干悪く感じる。それらの意味では若干クセがあるヘッドホンであったかもしれない。クラシカルなゼンハイザーの音とはこんな感じか、そう思いながら聞いていたものだ。それはまさにHD600とHD800の中間にあるサウンドである。

ところがモディファイされ、バランス駆動されるHD650 DMaaでは、
ダイナミックレンジはHD800とほぼ同じレベルにまで拡がり、
全ての帯域でさらにフラットにエネルギーバランスが整い、
音の立ち上がりや立下りのスピード感が増して、
音のエネルギーの変化に対するレスポンスは一層俊敏となった。
音の鋭角的な立ち上がりが巧く自然に描写されるようになった。
音場が澄み、無音の空間が清々しく透見できるようになった。
これらはモディファイの効果としてすぐに実感できるところだ。
変わらないのは、全体として着飾らない生成りの音というところであり、
刺激感が少ないのもそのまま。温かみはあるが、メロゥにまではならず、シャープだがギスギスはせずというところがいい。低域の太さやグリップの良さは変わらず、HD800のようにはっきりとはヌケてこない。空間の広さは適切。HD800が広すぎるという方はお試しあれ。
ピアニッシモとフォルテッシモの落差は明確であり、コントラストは厳しく表現されるが、聞き疲れが少ないのも同じ。これは出音が基本的に落ち着いていて、過激な音の変化のある音楽に対してもピーキーな音を出さないからだろう。
このノーマルのHD650特有の音の落ち着きと厚みにして、過不足ない音ヌケのよさ、分離感をも獲得できたことが素晴らしい。これはD600とHD800の中間にあるサウンドよいうよりは、開放型と密閉型の中間的な出音というべきであり、そのどちらを嗜好するヘッドフォニアにもアピールするだろう。

E1xとのコンビネーションならではなのか、背景のコーラスやリズム隊の発音の描写が実にスムースかつリアルに聞こえて驚く。また、オーケストラを操る指揮者の意図が透けて見えるような全体を俯瞰する音の余裕も感じられるようになった。これは名機HD650の潜在的な能力なのだろうか。ノーマルのHD650では前面に出てこなかったことだ。これはどのような音楽を聞いてもミスマッチにならない懐の深さとしても現れている。

アーティキュレーションという言葉は、声に関しては滑舌のことを指す場合が多いが、楽器の奏法について使われる場合は、そのように、はっきりと音を区切ることに限らず、むしろ区切りなくシームレスに繋がる音の変化をも指していると私は勝手に考えている。このアーティキュレーションの正しさはHD650 DMaaにおいては際立って優れている。HD650 DMaaを聞いてしまうと、この部分の表現の仕方は多くの他のヘッドホンでは若干カッチリし過ぎるか、逆に若干流れ過ぎるかどちらかに偏っていて、それがヘッドホンの個性の一つとして認知されることになる。HD650 DMaaを使えば、どちらにも傾かず非情なほど中立な立場、ごく客観的な立ち位置で音を冷静に観察することが可能になる。
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改造前後の音の細部の表現の違いについて喩えをするならば、ノーマルのHD650には精密なデューラーの銅版画を見ているような趣きがあり、HD650 DMaaでは最新のライカモノクロームType246で撮影したモノクロ画像をモニター上で観察しているような雰囲気がある。
つまり、HD600番台に共通する特徴として音の彩度がやや低く、モノクロームのような落ち着いた音なのは変わりがない。しかしHD650 DMaaまで行くとディテールの表現はどこまでも神経が行き届いて、そこで聞かれる音はもはや絵画的なものでは全くない。この音の冴えは、最新のライカモノクロームで撮った写真の質感、まさに銀塩写真の上等なモノクロプリントを遥かに超える精彩感に通じるところである。
どこかグレイなサウンド。
このモノクロームなサウンドの低域の黒みは重く、高域のハイライトは飛ばないで落ち着いた階調を醸し出す。こうして音の全体として、さりげないシャープさがあり実に渋い音に仕上がる。言わばビターサウンドだ。
このように派手さはないが、やるべきことは完璧にやり遂げるHD650 DMaaの能力は、目の前でE1xの覚醒の過程を詳しくモニターするに値するものであった。
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E1xを使っていて思うのは、このアンプを開発する際に音決めに使っていたと考えられるHD800以外のヘッドホンで聞くのが面白いということである。E1xの設計・製作サイドが聞いたこともないような音を自分だけが聞けるという意味で大変面白い。
例えば最新のPioneer SE-master1のバランス接続でのアトラクティブなサウンドは恐らく誰も聞いたことのないものだろう。低域の解像度さえもっと得られていたなら、Master1は常駐ヘッドホンの地位を射止めていたに違いない。
それに対してHD650DMaaとの接続で出てきたサウンドには、聞くものを殊更に楽しませる要素はないが、E1xの示す音楽の定義を細部までシビアに検分できる達成感がある。一聴して地味なのだが、深く充実した出音に感嘆する。
こういう音ならHE1000を手持ちのアンプで巧く鳴らし切れたとしても、方向性がまるきり違うのでバッテイングしないだろう。HE1000を採用しても、あえてHD650DMaaを残すという選択枝もありそうだ。私はおそらくHE1000を買わないのでそういうことはできないが。
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正直、これは渋い音である。
この地味さゆえ、誰にでも受け入れられるものではないかもしれない。
だが、誤解を恐れずに言えば正しい音だ。そして深い音だ。
多くのヘッドホン、イヤホンを体験してきた耳ならば、必ずやその真価に気付き、
眼下に広がる意外な音の深みを見付けて、震撼とするに違いない。


Summary

とりあえずヘッドホンはコイツを使っていれば間違いがない。
そう言い切れる数少ない逸品、
それがDMaaでリケーブルしたHD650 Delrimour Modernであろう。
これほど正しい普通さ、渋みのある普遍性は、とても貴重なのである。
あらゆるヘッドホンが争って他を押しのけて売れようとしている時に、
そういう喧騒から独り離れ、正しい道を歩もうとしているかのようだ。
それはヘッドホンの地平に長く伸びる孤影である。

Sennheiser HD650 Delrimour Modernは、フラットなモニターサウンドを求めるプロ、そしてアマチュアだが、最高にコアなヘッドホン求道者に似つかわしいドイツと日本の英知が融合したヘッドホンである。
今使っているRe leaf E1x(E1)というヘッドホンアンプは確かに手強い代物だが、DMaaでチューンされたHD650はつかず離れず、この銀色の羊の皮を被った怪物を御し、その強さを、その最深部まで引き出してくれる。
我がヘッドホンシステムに欠けていたピースが、とりあえず一つ見つかったようだ。

# by pansakuu | 2015-07-05 13:33 | オーディオ機器

AIM SHIELDIO UA3 USBケーブルの私的レビュー: 下剋上、そして賢者の選択

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電線にスズメとまって音変わり
詠み人知らず


Introduction

そもそも、USBケーブルを変えるだけで、デジタルサウンドを良くすることは出来るのか?
これは初めてPCオーディオシステムを構築しようというときに、パソコンとDACを結ぶUSBケーブルを選択するという段階になれば必ず出て来る疑問でしょう。

それは出来ない、そう考えているオーディオファイルは相当数居るようです。少なくとも私の感じでは日本のオーディオファイルの半分以上がこれについては半信半疑なのではないかと思います。もっとも、これは初めからUSBケーブルを使う必要がないので関心がないとか、あるいはそういうところに凝って、お金を使いたくないという意図から、高級なUSBケーブルを否定し都市伝説化する動きになっている部分もありましょう。自ら多くのUSBケーブルを試したうえで、否定している人はとても少ないのではないでしょうか。確かに、それは無駄が多く報われない作業であるということを私は知っています。

では、そう言う私はオーディオ向けのUSBケーブルをどう考えているのか。
それは、音は確かに変わるが良い方向に大きく変わることはほとんどない、最近まではそういう認識なんですね。つまり、USBケーブルを高級なものに変えると、まあ多少はレンジが拡張したような印象があったり、解像感が高まったような気がしたりという、ライトな感動はあるものです。でも、市販の一番安い普通のUSBケーブルと比べて劇的な変化ではないし、音が軽くなったり、音のエッジがキツくて聞きづらくなってしまったり、逆に元気がなく平明な感じに変わってしまったりと、副作用もありうる。長さや取り回しの自由度も場合によっては低くなる。さらに、オーディオ用のUSBケーブルは比較的高価なものも少なくない。オーディオ用でない製品の価格と比べればコストパフォーマンスはとても悪いものだと白い目で見ていました。

とはいえ、私は折角入手したRe leaf E1xのセッティングを詰めたい。
そしてE1xはUSB入力で威力を発揮するヘッドホンアンプです。
とすれば、この機材に適したUSBケーブルが必要です。
私はそう考える手前、ここ一月ほど多くのUSBケーブルを買ったり借りたりしているわけです。

実は過去にもこれに似た試行をしたことはありました。その時は、今はメーカー自体がなくなってしまったLocus designのCynosure(実売40万円前後)なんかまでテストしたりして、随分と熱心でした。しかし最終的な結果は既述したような残念なものでして、高いUSBケーブルにはあまり深い意味はないという結論に達して終わってしまいました。それ以降、EsotericとAcoustic ReviveのUSBケーブルを手元に残して、必要があれば出してきて使うのみ。それは音を良くするためというより、少なくとも悪くはしていないという確信があり、確実なコネクションができるケーブルを使いたかっただけです。はっきり言えば、最近まで私はオーディオ用のUSBケーブルというものを見捨てていたわけです。

ところが、今回新たにテスト用に買った何本かのUSBケーブルの中に目覚ましい製品が混ざっていました。
それらのUSBケーブルは、今まで自分の試した60種類以上の様々なジャンルのケーブルたちの中でも、良い方向への音の変化を最も如実に感じたグループに入ります。しかも驚くべきことに、そのグループのどのケーブルよりもはるかに安かったのです。10分の1から50分の1くらいの値段しかしない。しかもUSBケーブルという、電源ケーブルなどに比べれば、ずっと音の変化を感じにくいと考えてきた種類のケーブルなのに、そこからとても良いケーブルが出てきたのです。私はこのコストパフォーマンスと意外性に素直に驚嘆したのです。(写真等は各社HP等から借用させていただきました)


Exterior and feeling

さて今回、総合的に最も音の優れたUSBケーブルと私が認定した、このAIMのSHIELDIO UA3-R010を手に取ってみましょうか。
全くなんてことはない普通のUSBケーブルですね。
まず1mという凡庸な長さ。まあUSBケーブルなんてものは1m以上は伸ばさない方がいい。あらゆるケーブルの中で長さによる音質劣化は最も甚だしいものですから。
そういえば以前、長さ3cmのUSBケーブルというのを試しましたね。これはストレートに音が良かった。ただ事実上、短すぎて機材が極度に繋ぎにくく、使い物にはならなかったのですが。
そして、このUA3、パッと見て、変わったところがあるとすればAコネクターとBコネクターの上に金色のバッジのようなものが付いているところでしょうか。これはフラッグシップケーブルであることを外見上で分からせるための装飾らしく、音質的には意味はなさそう。コネクター自体はなにか特別な設計をしているようにも見えません。端子は金メッキされていますが、これも珍しくはない。PCやDACの端子への挿入感はやや硬く、しっかりとかみ合って緩みはありません。線体は細く黒い艶のないゴムのような感触のもので、やや硬くてハリがあるが取り回しに不自由はない。断面は円形ではなく、角の丸い長方形に近い形であり、外から見て2本の電線が通っているような気配です。
とにかく外見は至極に普通です。

ではメーカー発表の資料を眺めてみましょう。
まず、このケーブルの断面から想像していた導体配置は、フラット構造とメーカーが呼んでいるもので、信号ラインと電源ラインを分けたうえで、それらの位置関係がケーブルを曲げても変化しないようにしていると書いてあります。そう言われると大したことのようにも思いますが、こういう設計はアコリバの製品に代表される、高級オーディオ用USBケーブルでは常識なので、詳しく調べているオーディオファイルにとっては、ウリにはなりにくいでしょうね。
では導体はというと、信号ラインに高純度銀を単線で用いていると書いてある。銀線使用という話は時々耳にしますが、単線となると他の製品での採用例はあまり聞きませんな。導電性が金、銅よりも優れた銀は、高級なオーディオケーブルの素材としては定番ですが、USBケーブルでの使用は多くはない。単線となるとさらに少ない。しかも採用された場合、製品の売価はとても高くなりがち。だがUA3は銀線ケーブルにしては十分に安価であると思われます。
また、ケーブルのシースはパルシャットという新素材、ケーブルシールドはアルミ箔と銅の編組を合わせているとか。パルシャットですか。一般にオーディオ用ケーブルでは導体を巻く絶縁・シールド素材に工夫を凝らしますが、USBケーブルも同じです。パルシャットは旭化成が開発した新素材で、薄型・軽量ながらも広帯域で高いノイズ抑制効果があるというもの。非磁性、高絶縁で柔軟性も高いとのこと。
コネクターも、外見は大したことはないのですが、実は全方位からのノイズの飛び込みを防ぐシールド構造になっているらしい。どこが?っていうくらい普通のシンプルなコネクターなんですけどね。多くのUSBケーブルが市販されているが、そこらへんをウリにしているものは実はほとんどない。特別なコネクターを自製するのは、大きなコストがかかるものだからでしょう。


The sound 

いきなり、大きな情報量のアップです。
これには、いささか衝撃を受けました。
新品をつないで聞き始めてから30分くらいでみるみる音が良くなってくる。
気付かぬうちに曇っていた目がクリアになり、
明るい視野が大きく拡大してゆくような感覚が生まれてきます。
このあからさま覚醒感は鮮烈な印象を私に残しました。
この音をヘッドホンで聞いていて、一人で大笑いしてしまったほどです。
今までのUSBケーブルの音は一体なんだったんだ、一体。
これなら誰が聞いても違いは分かるだろう。
一人で大笑いしながら、独り言を呟いている私を見て、家族は怪訝な顔をしていました。
そういえば人は不意打ちを食った時、笑うという話を聞いたことがあります。
この音はまさに高価格に胡坐をかいているハイエンドケーブルどもを刺し殺す、
不意の奇襲のようでもありました。

SHIELDIO UA3はオーディオケーブルの下剋上か。

そんな妙なコメントを彦麻呂さんのようにshoutしたくなったほど、
ケーブルというものに対して、久しぶりに、
そして極めて安易に心奪われてしまったのです。

とはいえ一時の感情にまかせてインプレを書くのもアレですからね。
数日、鳴らしっぱなしにして音も気分も落ち着いてきたところで、改めての音質について書いてみましょう。

まず、全帯域にわたり、このクラスのケーブルでは例のないほどの音響情報で溢れ返っています。その意味でこのケーブルのサウンドは大変に豊かなものです。音像の解像度の高さのみならず、その空間に漂う空気の温度感、透明度の描写もかなりきめ細かい。また、音がほぐれているというのか、ボーカルや楽器どうしの距離感や位置関係が浮かび上がってくるような感覚もあります。このケーブルを通すと、音楽は大変に生々しく、臨場感たっぷりに聞こえるようになります。
例えばボーカルの歌い出しの瞬間、その僅か前に吸い込まれる息。その息を吸う口唇の形が一瞬見えます。他のケーブルでこれが見えるような気がしたのはGe3銀蛇Au USBだけです。
また、音楽の終わりのところの最後の一滴というか、音量を絞って絞って最後の音がどのように消えるのか、その様が実に詳しく浮彫りにされます。
こういう音楽の周辺にある微かな情報は、音楽の本質とは関わりはないのですが、それがさりげなくも確かに聞こえてくるという事実は、オーディオをやる上では大きな喜びとなりえます。こういう音楽の中に潜むディテールの描写の充実こそUA3の真骨頂ではないでしょうか。

それから、このケーブル独自の音の色づけはほぼ皆無でしょう。銀線を使っているので、いわゆる銀らしい、柔らかでありかつシャープでもある独特の音触を想像される方もおられるかもしれませんが、そういうクセのような感触はほとんどないといって良いでしょう。ライバルのひとつであるGe3の銀蛇の音にあるようなシルバーの微かなクセも感じない。とてもニュートラルで、中立性の高い音調です。各帯域のエネルギーバランスもほぼ完璧に揃っていて、大変にフラットな印象です。音楽の抑揚を演出するような傾向もなく、音楽性の強いDH Labのケーブルとはまるで異なる音調です。

またSHIELDIO UA3に変えると、ダイナミックレンジが明らかに拡張し、システムが対応できる音楽表現の幅が大きく広がります。室内楽を聞くのに向いていたシステムが、オーケストラの音の大きさ、スケール感に対応できるようになるような感じでしょうか。
さらにトランジェント、すなわち立ち上がり・立下りのスピード感はよりナチュラルなものに改善され、聞き易さも増してきます。こうなれば当然の如く様々な楽器の音色の鳴らし分けも、他のケーブルを引き離し優秀なものとなってきます。録音された時代、マイクの立て方なんかも分かりやすいと言うより、正確に把握できるようになるのです。
大きい音と小さい音の落差のコントラストは強くなり、滑らかに音の大きさが変わる時でも階調・濃淡は実に細かくなります。

SHIELDIO UA3の良さのひとつとして直接音の全てが明瞭になり、しっかり・クッキリとした音の輪郭が現れてくる点も聞きモノでしょう。音の実在感はとても高くなってきます。
一方、倍音成分の質感は正確であり、その透明に近い存在感は直接音を邪魔しない程度に抑えられています。倍音の滞空時間が他のケーブルよりも長く聞こえるのも面白い。全体に弱くなってゆく音の描写に長ける印象です。
また音場全体に見通しがよくなり、サウンドステージとして見渡せる範囲も広がったような印象です。

簡単に言えば、他のケーブルに比べて、より多くの音がより正確に聞こえるようになる製品です。市販の価格を考え、また効果に伴う副作用がほとんど無いことも勘案するとこのケーブルのパフォーマンスは賞賛に値します。そして、この色付けの少なさは嗜好する音楽ジャンルを選ばず、下流の機材の種類を選びません。

では試みに、ここで以前やったテストを含め、今まで聞いてきた中で、これは悪くないなとか、あるいはUA3並みに良いなと思ったUSBケーブルをざっと挙げて比較してみましょう。もちろん同時にテストできていないケーブルもありますから、過去に取ったメモを参照しつつ、ということになりますが。
Wire world Platinum Starlight USB
Locus design Cynosure
Audio quest USB Diamond
Acoustic revive USB1.0SPSおよびPLS
Crystal cable Crystal USB Diamond
Chord Sarum tuned aray USB
Ge3銀蛇Au USB
Esoteric 8N Reference USB
DH Labs Mirage USB
Orpheus Khole USB2.0
こんなところでしょうか。

まず、これら11本の中で際立って個性派なのはGe3銀蛇Au USBとLocus design Cynosureです。
Ge3銀蛇Au は、まずは音がほぐれる。ほぐれまくる。そして異様なほど楽器どうしの分離が良く、音場は広い。また刺激感がなく、聞き疲れ皆無のソフトでクリーミーなサウンドでもあります。そこは銀ケーブルの良さが出ているのかも。さらにダイナミックな音楽性が添えられて耳を楽しませてもくれます。また、このケーブルが伝えるトータルの情報量はかなり大きく、UA3を上回る時すらあります。そこまで言うと、いいことづくめのようにも思われますが、音がほぐれ過ぎ、各パートの分離が良すぎて、他のUSBケーブルで聞いた場合と全く違う録音のように聞こえる場合があるのが悩みです。広い意味でこれはクセとも取れる振る舞いでしょう。曲を録音したり、マスタリングしたエンジニアはこういう出音を想定していないのではないかと心配するほど、サウンド全体が他に比べて変わってしまうことさえあります。はっきり言えば、オーディオ的にやり過ぎ感のあるケーブルです。わざとこういう音作りにしないと、こうはならないでしょう。確かに、これが気に入ればこれしかないのですが・・・・・。とにかく秀逸だが唯一無二の個性的な音のするケーブルとして、手元に残しておきたいところですね。
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他方、Cynosureについては USBケーブルとは思えないほど太いのに、妙に軽いケーブルで、なにか際立った音質的特徴を予感させるアイテムです。こちらもほぐれた音で分離がよく、スピードも極めて速く、音場は広々してエアーをタップリ含んだ独特のもの。USBケーブルとして超高価だが一度聞いておく価値はありましょう。(もう入手困難ですけど)こういう音のするUSBケーブルも他にない。ただ音質の方向性がはっきりありすぎるので、飽きるのも早そうです。そしてやはり価格が高すぎるかな。UA3はこれらのケーブルほど突出した個性はありませんが、性能では肩を並べるでしょう。
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使い勝手という面で、一番使いづらいと思ったのは勿論Acoustic revive USB1.0SPS。これらのケーブルたち中でも音質ではそれなりに上位に食い込むものの、USB端子を2つ占有するのはつらい。他の機材がPCに接続できなくなるし、USB端子が片側に1つしかないパソコンに対しては、なにか工夫をしなくては結線ができなくなってしまいます。こんな難儀なケーブルを万策堂は2度と使わないでしょう。USBケーブルの音質にそれほど拘らないならPLSで十分。
もちろん音質上でもSPS よりUA3の方が一枚以上も上手ですが、使い勝手にこれだけ差があると、それ以前に比較にならない。
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他方、意外ではありますが、これだけ評価の高いケーブルメーカーのトップエンドUSBばかりを集めても、見かけと値段のわりに案外普通の音だなと思うものは多いのです。この案外と普通なグループにはAudio quest USB Diamond、Crystal cable Crystal USB Diamond、Wire world Platinum Starlight USB、Chord Sarum tuned aray USBなど10万以上の価格帯のケーブルが入ります。これらはそれぞれ出音は違いますが、音質の各項目をよく比較検討すれば、総合的に大きな差はなく、音質は安定して優秀とはいえ、抜きん出た好ましい個性がない。他社の普及クラスの製品と比べて相対的に高価なわりに、インターコネクトや電源ケーブルなどの分野で特別に高価なスーパーハイエンド製品(NordostのORDIN等)の持つ凄味のようなものもない。正直、総合的にはAcoustic revive USB1.0PLSとほぼ同等のレベルの音質であり、価格を考えるとアコリバでいいのではないかと思えます。結局、こういうケーブルは凝り過ぎてつまらない音になってしまったパターンではないでしょうか。私はこれらのケーブルの音にUA3を上回る特徴は見出せませんでした。
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一方、Esoteric 8N Reference USBとなると、そこそこ豊かな情報量、鮮やかな色彩感、低域の量感とソリッドネスが出てきて、さすがはエソのハイエンドケーブルという気分になります。これもなかなかいいケーブルですが、音の輪郭がキツくて聞いていてやや疲れるうえ、音がどうもほぐれない。さらにケーブルがちょっと硬くて、シナリが強く、やや取り回しが悪い。そこらへんは好きになれません。UA3はこのケーブルの持つ長所は全て持ったうえで、さらに解像度の高さ、情報量が多く、音は適度にほぐれて、キツさがなく、取り回しもしやすいものです。
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そして、DH Labs Mirage USBでありますが、これは一部で評価が高いだけあり、流石の音質と聞けました。フラットでほぼクセはないが、ソースに入っている情報を過不足なく聞かせる。さらに特筆すべきは音の流れの良さ、ソノリティの良さ。どのジャンルの音楽でもとても聞き易く自然であり、長時間のリスニングでも疲労が少ない。音楽的なケーブルでもあり、音楽の抑揚や躍動をかなり巧く表現します。これは非常に手の込んだ音作りのされたケーブルであり素晴らしいものです。UA3にはこのケーブルの持つ音楽性はまでは備わっていない。ただ、Mirageは森を見て木を見ないようなところがあり、音のディテールの表現に弱さを感じます。これはAIM UA3 USBの音質の特徴と比較するとはっきりする弱点です。ヘッドホンでの使用が前提の私の場合は解像度が優先するUA3の音の方がしっくりくる。しかし、スピーカーで聞くなら、むしろこちらのほうがいいかもしれないな。ゆったりと高尚な音楽に身を任せるというような聞き方までリスナーを連れて行ってくれるからです。
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最後にスイスのOrpheusから出ているKhole USB2.0ケーブルについて述べておきましょう。このケーブルは線体が細くて大変しなやかなうえ、端子はオリジナルのアルミの削り出しでなかなか美しいもの。全体の色調や質感が私のE1とマッチングがよく、外観だけで好感が持てます。いささか高価ですが、その価格に見合って音の方はさらに好感度が高い。Ge3の銀蛇とAIMのUA3を足して2で割ったような音と言えばいいのか、その二本のいいとこ取りをしたような音です。Ge3の銀蛇のように、ゆったりとほぐれて、広々と音が拡がりながらも、AIMのUA3のような精密でカチッとした音像が屹立しており、音間の静寂が深い。音全体にかなり高度な再現力が備わっていて感心させられます。だが、Kholeはこれら三本(今回のテストでのトップ3、UA3,銀蛇,Khole)の中では一番価格が高い。UA3の安さを考えると総合的にはKholeが一押しではないです。だが予算が取れれば、これが一番いい。テストした中ではこれが一番に音が良いかもしれない。ただしやや高価だということでベストバイには押しにくい。

Summary

ケーブルで音質をいい方向へと変えていこうという情熱と、そんな厚化粧にカネをかけるくらいなら、新しいアンプを買うとか、いい音のソフトを買うとか、やることが他にあるだろうという冷静のあいだで、私はずっと揺れ動いてきました。

そして、今やっている試行錯誤、つまり、なかばデジタルシステムであるE1xのセッティングの過程では、ケーブルの選択を詰める必要が出て来ます。それというのも、アナログを堪能した後では、デジタルには、なにか圧倒的に足りない部分があるように聞こえ、そこをなんらかの形で補う必要が生じるからです。ですが実際に検討を始めると、昨今のスーパーハイエンドケーブルの価格は絶望的に高いところにある場合もしばしば。しかも次々に出てきて、とどまるところを知らないようです。
これらのうち、目ぼしいものだけを買って吟味するだけでも、金銭的にだけでなく、時間的にも人生を使い果たしてしまうのではないかと私は恐れます。ケーブル肯定にも限界があるでしょう。
だから、私はケーブルに関してはそこそこに凝る。
自分で設けた節度の中でケーブルの限界を探るわけです。

とはいえ、金銭的、時間的に制限された私のUSBケーブル探索も無駄ではなかった。
なにせUA3は今まで聞いた全てのケーブルの中でベストな対費用効果がありましたから。
価格を含めて考えた時、これほど総合的に優れたケーブルを私はほぼ聴いたことがありません。

ところで、私の知る限り、ケーブル否定派には、十分にいろいろなケーブルを試したことがないから、そういう否定を決め込んで安心している方が多い。そして、その背景には、誰にでも分かるほど音が良い方向に変わるケーブルというものの多くが、普通のオーディオファイルにしてみれば目を背けたくなるほど高価であるということがある。オーディオにコストがかかり過ぎて破産してしまうという恐怖を催すほどハイプライスだが、信じがたいほど音に効くケーブルが確かにあります。

一方、あまり言いたくないことですが、近頃、いくら高く開発費や原価を見積もっても、ありえないプライスタグのついたケーブルも目につく。それらのいくつかは音質としても価格に見合うとは思えないものだと聞きますし、実際につまらない音しかしない欠陥ケーブルが皆無でないことを私自身、細々と確認しています。それでもなお、まるでオーディオファイルの競争心を煽るようにゼロの数を増やしていくメーカーが後を絶たない。この種のケーブルは本数が出ないので、なおさら高くなってゆく悪循環なのでしょうが、こんなケーブル狂騒曲のような状況を見るにつけても、ケーブル否定派が増えるのは仕方ないと思う次第です。

やはり、これらスーパーハイエンドケーブルに匹敵する、あるいはそれ以上に充実した音質ながら、安価なケーブル、すなわち下剋上のケーブルを増やすべきでしょう。
そうでないとケーブルによって音が良くなるという事実から目を背ける人が増えてしまう。
こういう少数の富豪だけを相手にするハイエンドオーディオは、価格の高騰をもたらす悪循環により市場を緩やかに縮小させ、いつのまにかオーディオの未来を奪い去ってしまうかもしれない。

オーディオケーブルについて深く知れば知るほど、ケーブルで音質をいい方向へと変えていこうという情熱と、そんな化粧にそんな大金をかけるくらいなら、新しいスピーカーを買うとか、音の勉強のためにライブに通うとか、やることが他にいくらでもあるだろうという冷静、そのどちらの立場も深く理解できるようになります。でもたとえ、その両方をやる財力があったとしても、身はひとつですから、結局それらを完全に両立させるだけの十分な時間を割くことは難しい。その逆のシュチュエーション、時間はあるがカネはないというのもありでしょうけど。

その状況を分かったうえで言えることは、オーディオファイルは冷静になるのでも情熱的になるのでもなく、ここは賢くならなければいけないということです。オーディオの賢者なら、どちらかを巧みに省略できるはず。そういう賢い手段のひとつが、巧みなケーブル選びだったりするのではないでしょうか。オーディオはなにも財力と情熱だけで成り立つのではない。星の数ほどあるオーディオ機材の中に隠れている下剋上を、最小の手間で選び出すという賢い選択こそ、今という時代を生き抜くオーディオファイルが進むべき道だろうと私は思うのです。

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# by pansakuu | 2015-06-19 23:41 | オーディオ機器

Pioneer SE-Master1の私的レビュー:未完の大器

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「ディズニーランドは永遠に完成しない」
ウォルト ディズニー


Introduction

もう随分昔の話だが、一枚の絵を眺めるためだけに
ロンドンまで出かけたことがある。
きっかけは本郷のカフェでレオナルド・ダ・ヴィンチの画集のページを繰っていて、ふと目に留まった一枚の絵である。
それは有名な「岩窟の聖母」ではなく、「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」という絵で、見事な4人の人物像が紙に黒いチョークで描かれているだけの色彩のない下絵であった。私が面白いと思ったのはそれが明らかに下書きだったということだ。それはまだ完成されていないにも関わらず、ひとつの絵としてほぼ完璧な風格を保っていることに、とても興味を惹かれた。
そして無性に現物を見たくなった。
私は、その足で成田へ行き、飛行機のキャンセル待ちの列に入り、その列の中から電話でホテルの予約を依頼していた。あの頃はとても無謀だった。そして今よりはカネも時間も自由に使える独身だったので事の前後を顧みる必要もなかった。バブルの残滓というやつだろうか。パスポートは持ち歩いている鞄の中にいつも入っていた。
それから約30時間後、私はロンドンのナショナルギャラリーでレオナルドの未完の大作と対面していた。
今も時々無茶はやるけれど、もうあんな無茶まではできそうにない。
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あの日から20年以上の年月が過ぎた或る夜、私は発売直後に買い込んだPioneer SE-Master1を耳にあてていた。我が耳元で朗々と唄うチャールズロイドのサックスに身をまかせながら、私はあの日見た画面、イタリアの天才の描いた柔らかい線、流麗で精気にあふれたマリアの微笑の輪郭とタッチを思い浮かべていた。それはそのサウンドにイタリアルネサンスの芸術的な素養を感じ取ったからではない。まだ完成していないモノにも人を魅了する大きな力があるという、ほとんど忘れられた教訓が頭をよぎったからだ。そして、その教訓を手に入れたあの日の出来事、一枚の絵に至るまでの、ささやかな冒険の一部始終が脳裏に鮮明に甦ったからだ。
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やっと手に入れたRe Leaf E1x(E1の特殊仕様機)と最初に組み合わせるモノとして、私はMaster1をとりあえず選んだ。そして、そのサウンドの奥底に、期待した感動とは全く別の、忘れかけていた思い出を勝手に堀り起こし、一人で苦笑いした。


Exterior and feeling

Pioneer SE-Master1は典型的なオープンエアタイプ・ダイナミック型のヘッドホンである。
メッシュに覆われたハウジングの背面側の開口部はとても広いのが特徴的である。全体に大柄なヘッドホンであり、重さも460gと重い。ライバルとなるヘッドホンの代表、HD800の重さが370gであるが、90gの差は大きい。ただ装着感は悪くなく、長時間でなければ、殊更に首肩が疲れるようなこともない。公称インピーダンスは45Ωと低く、能率も94dBとやや低めである。比較となるHD800のインピーダンスは300Ωと高いが、能率も102dBと高い。このことを考えると、HD800よりもMaster1が必ずしも鳴らしやすいとは言えない。

その造りは一見だけでは、少々安っぽいと誤解されやすい。アルミやジェラルミンの板をパンチで抜いて整形して作ったチープな造りのようにも見える。しかし実際に手に取ってよく眺めれば、周到に計算されたカタチと材質、細心の仕上げと分かるし、斬新な機構も盛り込まれている。それに外観全体にメカニカルビューティが横溢している。他のヘッドホンと比べるとメタリックな質感が際立ってギラギラと目立つ。また当然ながら100点ほどもあるという部品の細部にバリや、取り付け不良などは一切認められない。Made in Japanらしいクオリティ・アキュラシーである。
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Master1を手に取って、先ず目が行くのは、頭上を通過する2本のヘッドバンドによるアーチである。一つは細長い板状に加工された超ジェラルミンが作るアーチで、これはエクセリーヌに制振材を張り込んだヘッドクッションを両端で固定している。このヘッドクッションの高さはボタンを押せば左右別にスライド式で調節できる仕組みだ。もう一つのアーチはテンションロッドで、これは側圧を好みに調節できる珍しい機構だ。つまりMaster1にはハリの異なる二種類のメッキされた針金・ロッドが付属しており、これをセットすることによって側圧を二段階に変えられるのだ。
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このロッドを両端で固定する銀色のボタンの付いた部品があるが、これは金属製(おそらくダイキャスト)であり、十分な強度を持たされている。他のメーカーだとこういう複雑な部分はプラスチック製であることが多いが、Master1は本気度が高いというか、よく作ったものだと思う。ただ全体にHD800に比べて金属製のパーツの比率が高く、またその点数も多いので重量増に結びつく。さらに言えば、これらを全て日本で調達し、日本で組み立てることでコスト高にも繋がる。
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イヤーパッドは分厚く、フカフカと柔らかい、感触の良いものである。その外側は人工皮革を立体縫製している。二種類の素材を使い分けてパッドを作っているHE1000ほど凝ってはいないが、やはり丁寧な造りである。
これらのパーツの組み合わせが創り出す装着感、その微調節の仕組みの出来は良い。実際Master1に触っているとヘッドホン全体に板バネのような張りが感じられ、装着してもその張りのお蔭でスッポリと頭にはまる。そして、この全体の張りの調節をテンションロッドの交換で行えるということは斬新。ちなみに私は側圧の高い方が好みだった。この方が音に緩みがなく、凛とした気迫が宿るように聞こえたからだ。
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ハウジングの開口部を覆うパンチングメタル・メッシュの奥には銀色の精悍なドライバーが見える。この新型ドライバーの口径は50mmと高級ヘッドホンとしては標準的であり、私が最近愛用しているSONYのMDR-Z7の70mmよりもずっと小さいし、ライバルと見られるHD800の56mmのリングドライバーよりも小さなものだ。3.5mm厚のアルミ合金に囲まれたハウジングの大きさ・ボリュウムを考えると、これはやや控え目な口径だろう。小さな振動板が大きな解放型の金属製のハウジングのエアボリュウムの中で動いているという格好である。

この新型ドライバーのメインの部品である振動板の特徴として、内部損失が大きい、つまり響きにくいということがある。例えば金属の板を指で叩くとカーンと響くのだが、この響きが出音に載ってしまうのは困る。ここでは特殊なセラミックコーティーングを施して、そういう材質固有の響きで音が濁らないようにしている。振動板は軽量で剛性が高く、適度な内部損失があるものを理想とするが、これらがバランス良く鼎立する振動板は得にくい。また常に外気に触れるものでもあり、温度湿度による変化や経年劣化にも強くなくてはならない。そういう厳しい要求に応える振動板を新たに開発することは大変な労力だが、Pioneerはそれを成し遂げた。

さらにバンドアーム~ハウジング接合部、バッフル面~ハウジング接合部にゴムのブッシュをかませて干渉を減らし、全体としてフローティング構造にしている点もユニークである。こうでもしないと金属製のパーツが多いので、盛大に鳴いてしまうだろう。だが、実際に聞いてみて、この施策が鳴きを十分制御できているかどうかはやや疑問であった。

そして合金製の大きな銀色のハウジングの下には着脱式のヘッドホンケーブルのためのMMCXの端子が見える。このインターフェイスは強度の面ではあまり歓迎されていないが、ウルトラゾーネのヘッドホンでも採用実績があり、あながち捨てたものではないのか。だが、もしMDR-Z7のようにロック機構がついていたなら、こんな文句は言われずに済んだはずだ。実際使ってみると案の定、ポロッととれてしまうことがあった。このコネクタは止めといた方が良かったと思う。また、MMCX~XLR3Pin両出しのリケーブルがあまり市場に多くないのは寂しい。私の場合、バランス接続のE1xと組むわけだし、Pioneer純正としてもU-05のバランス端子と接続(つな)ぐのだから、もっと選択枝があっていい。

そういうわけで、オプションのMMCXのXLR 3Pin両出しのリケーブルをPioneerが売り出している。今回は素直にこれを買って使っている。XLRの末端は普通のノイトリック端子で、MMCX側はシルバーのアルミのガワのついたちょっとオシャレな端子だ。ケーブルは途中で一本にまとめられ、しなやか、かつ十分に軽いもので、タッチノイズもなく、値段に恥じないケーブルと思う。


The sound 

ヘッドホンらしからぬ音である。
これは大きなスピーカーを眼の前で聞いている感じに近い。大きなエアボリュウムの中で朗々と音楽が鳴っている。大きなハウジング、大きな開口部が、優れたドライバーから出て来る音を行く抑制することなく、広い空間に開放することから生まれる、音の伸びやかさ。エアーをタップリと吸い込んだ音に含まれる、爽やかな香りのような音の雰囲気。これらをリスナーに深く堪能させるに足る、この鳴りっぷりの良さ。これら全てを手に入れるためには、現行の他のヘッドホンではなく、このMaster1を選ぶしかない。

目を閉じて聞いていると、サウンド全体にみずみずしい精気がみなぎっており、非常に活力を感じる。このサウンドを「元気な音」という表現をしている方がいて、我が意を得たりと思ったのだ。そもそも「元気」という言葉は天地の間にひろがり、万物生成の根本となる精気を指す、古き単語である。我々はオーディオの出音の表現に、わりと安易に元気という言葉を使いがちだが、その言葉をひとたび使えば、生命の根本に近づいた音というニュアンスで、そのサウンドを評価することになる。

さらに、これこそがPioneerのハイエンドオーディオブランドであるTADの音だと言われれば、納得できなくはない。TAD D600、C600、CE-1、M1等、私の注目してきたTADの製品に、この活力は共通するものだ。
とはいえ、今回は強力なドライビングパワーを持つE1xと組み合わせて聞いるので、こういう気力に溢れた躍動感のある鳴りが得られたという見方もできる。それは否定しない。でもこういう高価なヘッドホンを買うなら、アンプも奢ってほしいものである。機材のグレードについてのバランス感覚はしばしば重要である。

ところで、このMaster1は再生帯域全体にわたって、概ねフラットかつ正確なレスポンスが得られるヘッドホンだが、低域にWeak pointがあると思う。Master1の低域には他のヘッドホンではあまり聞かれないほど柔らかく、豊かな量感がある。だが、この部分は強力なヘッドホンアンプでなければ十分に制動しきれないので、ただのボワボワした甘い低域、音程がはっきりしない低域になってしまう可能性が高い。ここは難しいところで、実際、U-05のドライビングパワーでは制動が間に合わないようだった。少なくともLUXMANのP-700u以上の高い実力を持つヘッドホンアンプをあてがってやらないと、真価は聞けないのではないか。そのかわり、アンプを奢れば、今までのヘッドホンでは聞けなかったMassiveでよく伸びた低域が楽しめるだろう。例えば定番のAquaplusのPure、その5曲目、「永久に」の冒頭の太鼓の低域の重さは、このヘッドホンならではのものである。軽々としたエアーを十分に含んでいながら、腹にズンと来るような錯覚を呼び起こすヘヴィな低域。確かにこれはMaster1のハイライトなのだが、場合によっては扱いにくい難物と聞こえてしまうかもしれない。

見上げるように舞い上がる高域、スッキリとして見通しが良いうえ、どこか艶やかさも感じる中域、御し難いがハマると他では得難い量感のある低域。こうして全ての帯域を俯瞰してみると価格に見合う豪華な音ではある。ことに高域の輝きは強く、台風一過の満点の星空のようにきらめいて聞こえる。ただMaster1で聞かれる音像の聴感上の解像度や音の立ち上がり・立下りのスムーズさ、スピード感などはハイエンドヘッドホンとして至極普通なレベルで、そこに注目すると開放型の業界標準たるHD800と大きな差がない。25万円オーバーという価格を見て、そういう部分でも突き抜けた音を期待するが、なかなか難しい。

しかし、各楽器の分離の良さは賞賛されるべきだろう。E1xで聞いても、U-05で聞いても多くの楽器が弾かれ、多くの人が同時に歌う場面で、それらの前後関係、音色の違いがよく聞こえる。どういう場面でも音が混濁する印象が少ないクリアなヘッドホンサウンドである。これは内部損失の高い振動板を備えたドライバーらしい、高度な音の描写力によるのだろう。
一方で、こういう音の分離が進み過ぎない、分析的になり過ぎないところもまた気に入った。そういえば、あるオーケストラの指揮者が、自分は本来バラバラな音をかき混ぜて渾然一体にしようとして努力しているのに、オーディオはそれをまた分離しようとしていると不満を漏らしていた。この渾然一体という表現は、おそらくハーモニーを指すのだろうが、その生成をこのヘッドホンが妨げることはない。音楽全体が高揚し、全ての楽器が協奏する場面では、各パートが調和することで起こる化学反応、1+1の答えが2を超えるような現象が聞こえてくる。この感覚は大型スピーカーを思い切り駆動して、部屋全体を音の洪水で満たすような聞き方では得られやすいのだが、ヘッドホンは元来、音の分析に傾きやすい道具だから、こういう場所になかなか連れて行ってはくれない。だがMaster1は例外だ。このサウンドの持つ芳醇なハーモニーは音の分離を極める優秀さとは相反するのだが、それらを上手くまとめあげている。

ここでは倍音成分の質感はとても軽く、淡い感じで、やや色彩感のある直接音と比べると、ずっと透明で実在感は薄い。これは平面型のヘッドホンに聞かれやすい特徴だが、このようなヘッドホンはコントラストや輪郭のはっきりした電子音で構成されたアニソンを聞き易くしてくれる場合が多いような気もする。
しかし、アコーステック楽器の演奏を正確に再現するのに必要な、強音と弱音の間に生まれるグラデーションについては、きめ細かさがやや足りない気がする。これはドライバーの動きがまだこなれていないせいか、あるいは金属の振動板が使われているせいなのか分からないのだが、この価格であれば、そろそろ丁寧な描写が出てきていいはず。また、この部分は音の明瞭さを強く求めるウルトラゾーネのヘッドホンで感じる音の僅かな粗さ・荒さにも近い。それはバイオセルロースなどの非金属素材で作られた振動板から出る音との差として、私が時に感じる違和感である。

サウンドステージの広さもU-05との組み合わせでは若干狭く、不満が残る。しかしRe leaf E1xとの組み合わせでは左右の広がりはもとより、とても深い奥行きのある音場が得られたので安心した。特に音場の奥行の深度に関して、E1xとMaster1の組み合わせはHD800のそれに勝る。だが普通のアンプではこのヘッドホンサウンドの空間性はやや平凡なレベルに留まるだろう。そこでのサウンドステージの有り方はヘッドホン本体の価格に見合うものではない。ここは低域の質感と同じくアンプ頼みの項目だろう。

こうして見て行くと、やはり25万円オーバーという高めの価格設定は、日本国内で高品質な部品を調達し、ただ一人の専任技術者が組立てるという、いわゆるJapanクオリティの維持(というか意地?)のために支払われているものであり、音質に直接現れていない部分が大きいのかなと思う。そこから生まれるであろう、オーディオ機器としての信頼性はこれから何年か使い続けていくうちにジワジワと出てくるはずで、今のうちはまだ評価のしようもない。
逆に言えば、このサウンド自体は他の多くのヘッドホンと同じく、一分の隙もなく完成されたものとは言いにくい。Master1は現時点でもハイエンドヘッドホンとして十二分に通用するレベルを達成しているが、もっと音を煮詰めることはできなかったのだろうかと思われる節もある。

例えば、意味のない試行だろうが、このヘッドホンのハウジングの開口部を掌で押さえながら聞いてみると、低域の音程が一層明瞭となり、フォーカスが合ってくる印象がある。こうしてみると(素人考えだろうが)どうしてもこのヘッドホンの構造や素材には音を濁らせる要素が、まだ残っているように思えてならない。そりゃまあ、このヘッドホンでの金属パーツの多用は機械的強度などの点から考えれば悪くない。また、制振材や異種素材が既に多く組み合わされているのも聞いている。だが、実際に購入した製品を聞く限り、それがまだ十分に効果を発揮していないような気配がある。もっと異なる比重や分子構造を持つ素材の組み合わせを試し、金属固有の鳴きをコントロールすべきであったろうか。それとも、もっと全体の剛性を高めるべきだったか。異種素材の組み合わせやリジッドな構造は音に落ち着きを与えるが、このヘッドホンにはその落ち着きが足りない。
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Master1と比較する相手として、まずHD800がある。このヘッドホンレジェンドとも言えるモデルとMaster1との比較は日本人である私にゃ苦しい。価格差や HD800が既にかちえた信頼性、音の物差しとしての安定性を総合的に考えると、ドイツのヘッドホンHD800が日本のMaster1に勝ると思われるからだ。ただし、Master1の持つ低域の伸びや量感などはHD800にはなく、私のようにHD800を4回買い直し、そのサウンドと装着感にいいかげん飽きてしまった人間にはMaster1の登場は有り難い事件であった。
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次に、環境は違うが、同じオープンタイプとしてHi-Fi man HE1000との比較もできる。STAXのヘッドホンのような風合いを持つHE1000のサウンドは、Master1よりもさらに全帯域がフラット、低域も暴れなくよく伸びている。音の解像度としても非常に細かく、超高精細な画像を暗室で眺めるような素晴らしいディテールで魅せる。出音に関して総合的な見方をすればHE1000はMaster1に対して明らかに優位に立つ。ただし、極薄の振動板を使う平面型の宿命か、躍動感溢れる音楽がどうしても大人しく聞こえたり、場合によって厚く密度感のある音が薄く透明な音に聞こえたりして、その音楽が意図する表現に届かない場合があるのが惜しい。そういう濃厚で情念的な表現への対応力においても、Master1は開放型ヘッドホン群の中では最右翼の一つであり、HE1000にはできない芸当をやってのけるギアであることを私は忘れない。
なお、情報によるとHE1000は通常の市販のヘッドホンアンプでは明らかに音量不足になることがあるという。やはり専用アンプが望ましいか。とすれば私がこれを実際に買って試すことはなさそうだ。あのヘッドホンアンプは置くに堪えないデザインと大きさだから。


Summary

Master1は現代において第一級のヘッドホンサウンドを提供できるハイエンドギアである。そしてその出音には、普通はプロトタイプあるいは新進メーカーのファーストモデルでしか得られない音の勢いが感じられる。それは他では得難いものであり、外観の押し出しの良さ・カッコよさまで含めて考えると、それを手に入れるために25万円オーバーを支払うことに私個人は抵抗感がなかった。これはこれで良いものだ。だが、まだ先があるような気がするのも事実なのだ。

そういえば、かのナショナルギャラリーで見たダ・ヴィンチの絵も完成してはいなかった。照明を落とした部屋の中に一枚置かれたその絵の前には木製の椅子があり、そこに座ったまま小一時間、私は一人の天才の未完成をとくと眺め、没頭した。
この素晴らしい下絵が完成した様を見たくないと言えばそれは嘘になる。しかし、そうなれば同時に見た「岩窟の聖母」のような硬いタッチになってしまい、この下絵に残された天才的な線の柔らかさ、あるいはかすかな奔放さが失われるのが惜しい気もした。

あの日から20数年、すっかり所帯じみてしまった私は、夜明けの青い暗がりの中でキーボードを押さえる手を止め、過去の風景と現在の音景を重ね合わせる。
あの下絵の持つ柔らかく、豊かな量感はMaster1の御し難い未完の低域に連なるイメージ。そして、そのサウンド全体にみなぎる活力は、よく制御されつつも確かな勢いのあるダ・ヴィンチのデッサンの線へと通じてゆく。
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やはり、これはこれでよいのだ。
たった一枚の絵を眺めるためにだけにロンドンへ出かけた頃、
私の中にあった強い衝動がMaster1の中で今、密かに息づいているのが分かる。

あの絵を見たのはもう随分昔のことだが、
まるでつい昨日のことのような・・・・

# by pansakuu | 2015-05-23 00:59 | オーディオ機器

Sforzato DSP-01 ネットワークプレーヤーの私的インプレッション:最終兵器

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「僕達はいつも限界で闘っている。マシンも人間もだ。」
アイルトン セナ


Introduction


日本製のデジタルプレーヤーの最終兵器、Sforzato DSP-01は2015年春、正式にオンステージする。
この機材についてはプロトタイプから試聴してきて、いろいろと考えるところがあった。どうにも納得いかない点もあれば、深く感心した点もある。私の複雑な思いが、今もこのプレーヤーには絡まっている。

そういうワケのわからない複雑さを横に置けば、ここに日本発のデジタルオーディオプレーヤーとして世界に誇るべき音質が完成したことは間違いない。デジタルサウンドを極めようとするオーディオファイルなら、どんなに苦しいローンを組んでも、これを買う価値はあると思うし、少なくとも日本のオーディオファイル全てがこれを聞くべきだろう。こんなことを言うのは海外製の最高峰デジタル機材と互角以上に渡り合える、ほとんど唯一の日本製のデジタルファイル再生システムと私は確信しているからだ。私の中ではLUMINやLINN、Weiss、Request audio等の機材の音でさえ、DSP-01には音質上では敵わない部分が多い。つまり、これはネットワークプレイヤーのトップ・オブ・トップの音質である。

だが、客観的に見て、音が良ければそれでよいのだろうか?
そもそもデジタルオーディオの将来のカタチとはどうあってほしいものなのか?
これほどの音質を実現した機材には、そういう半ば哲学的な命題まで課されることも忘れてはなるまい。
(写真等は各社HP、twitterから借用させていただきました)

Exterior and feeling
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案外とその大きさは小さくコンパクトな印象だが、そのデザインのディテールとなると、やや素っ気ないものである。(上の写真はプロトタイプ)最近、下に載せたMSBの最高級DACの写真を見て、随分面白い形だなあと思ったが、DSP-01を眺めてもそういう感興が全然湧いて来ない。これは禁欲的な形である。その音に似て、真面目な日本人が作った機械という印象だ。
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正面に四角いディスプレイのついたDAC回路が収められたアルミ削り出しの2ピースの筐体と、これまた削り出しのケースに収められた大きな電源部で構成される。バックパネルと底面以外はネジの頭は見えない。そして、この二つの筐体の間を左右別のパワーケーブルが結んでいる。この2本はエソテリックやTADに見られるものに作りが類似している。
化粧らしいものとしては回路の入っている削り出し筐体の天板と電源部のパネルにsfzのロゴが大きく彫刻されているぐらいだ。回路部天板のロゴについては透かし彫りになっていて、金属のネットを介して中を覗き見ることもできる。回路部はドライブ中、ほんのり熱くなるので、放熱のためロゴの透かし彫りを含め、天板には穴がいくつか開けられている。天吊りで回路基板を取り付けていて、こういう穴があるのは珍しい。
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回路部のフロントには曲目などを表示する四角いディプレイと左右の位相反転ボタン、ディスプレイ消灯ボタン(消すと静けさがやや増す)が見える。一方、回路部のリアパネルにはRCAとXLR(標準は2ホット)の出力やLAN端子、クロック入力のBNC端子が見える。メーカー側では回路構成や音質上の理由でXLR出力を推奨している。

回路部の筐体の裏を眺めると、電源部と同じく三つ足であることが分かる。TAOC製のフットを使っているとのこと。内部配線がアコリバ製ということも含め、パーツの純国産度が高いのも特徴かもしれない。また、LINNのDSと同じくらい底板が厚く、また立体的に切削されているのに感心する。それから面白いことに底面にも放熱穴が開けられている。

電源部は、かなり強力な陣容を誇る。まずアルミ削り出しの筐体は電源部の作りとしては立派。内部には250VAのメインの電源トランス左右二個をはじめとする数個のトランスが収められており、DSP-03の約10倍の規模の電源部のようだ。その重さは23kgに達する。回路部にも13㎏の重量があることを考えると、このプレーヤーがいかに物量投入型の思想で作られているかが伺い知れよう。こうなると、パワーアンプほどではないにしても、消費電力は大きいはずで、ネットワーククプレイヤーとして世界最大であろうと推測する。なお、よく見ていないのだがDSP-03と同様、このDSP-01でも電源スイッチがオミットされているようであった。つまりコンセントを差し込むだけで電源が入るらしいのである。これは消費電力を考えないなら、音質のため、普段は電源を投入したままの状態で置いておくことを推奨する態度ではないか。

さて、このDSP-01の構成の最大の特徴は内蔵クロックを持たないことである。クロックは必ず外から入力しなくてはならない。では外部クロックに何を選ぶか?クロックは添付のものを使用するのが、私的にはお奨めである。なぜかというと、まずこれで十二分に高音質だからだ。また最強のクロックであるPMC-01BVAやAbendrot Stute等を考えるとき、クロックに300万オーバーは高すぎると思うからだ。第一、そこまでやれば、大きなオーディオのロマンはえられるが、全然エレガントなオーディオじゃなくなってしまうと思うし。
ただ確かに別売り別筐体の高価な純正外部クロックPMC-01BVA(下の写真)を接続するのが本来の使い方だろうという考えはあるのは認める。実際に体験すると、その豪華なペアの出音には恐ろしいほど広大な空間情報がたっぷりと含まれ、まさに現実と仮想空間の境目をとっぱらったような規格外の音質が得られる。だが、このサウンドには望みもしないのに無重力の四次元空間に突然ほうりだされ、宇宙酔いになってしまったような、唐突なやり過ぎ感があって、私は愛せなかった。
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付属のクロックはアルミの押し出し材の少し安っぽい小さな筐体に収められたもので、これまたチープなアダプターの電源で駆動される。ただし、中身は例えばTADのD600に積まれているものと比べても、それほど遜色ないほどのクロックが積まれているという。音を聞いても、それは本当だろうと納得できる出来であった。

こうして最終的にDSP-01の稼動のために、全部で3筐体、コンセントは二つ必要になる。
実際、これは私のやや苦手なパターンである。良い音を得るため、筐体が増え、コンセントが増え、重さが増すというやつ。これは時代の有り方とは逆行する方向性である。音が良くなるにしたがって小さくまとまってゆく、少なくとも大きさや筐体数は変わらないのが理想だ。技術革新とは、なにかと引き換えになにかを失うものであってはならない。そもそもデジタルオーディオ自体が手間や大きさを小さくできる技術として、発想され開発されてきた経緯があるはずなので、こういうコンセプトのデジタル機材を見ていると、どこか滑稽にすら思えてくる。

断っておくが、この筐体の内部に収められた回路やデバイスの技術的な特徴やソフトウェアの内容については、ここでいちいち述べない。技術内容はsfzさんのHPを見て頂ければかいつまんで記してあるので、それを繰り返すことにしかならないからだ。私にとっては最終的にはPCM 384kHz/32bit、DSD 11.2MHzに対応し、MP3などの不可逆圧縮音源・インターネットラジオ・Air play等のストリーミングには対応しないこと、そして、いまのところは6月のアップデートでMedia link playerの他、Bubble DS、Kinsky(これはデジタルボリュウム機能を含むのでパワーアンプ直結も可能)、そして、恐らくLUMINのアプリなどのコントロールソフトウェアで操作できるようになることぐらいが実際に使ううえで重要なことである。。

私に言わせれば、このプレイヤーの中身に真新しいことは3つしかない。ピュアなネットワークオーディオプレイヤーとして、世界最大と思われるパワーと重さ、そして唯一クロックを内蔵しないモノということだ。その他の側面については全く聞いたことのないような話はどこにもない。むしろ、このプレーヤーには奇を衒(てら)ったところが、外から見ても中身を見てもクロックの扱い以外はないというのが特徴だろうと思う。よく言えば、とても質実剛健な代物なのである。そのかわり、今まで様々なデジタル機材で試されて有効だった手法はほぼ余すところなく盛り込まれている。逆に言えば、これ以上のことをしようとすれば、全く別な発想でプレイヤーを作らなければならないはずだ。つまり、このDSP-01は従来のハイエンドオーディオの手法で作られるデジタルオーディオの限界を聞かせる機材なのかもしれない。


The sound 
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そうは言っても、DSP-01の音質は圧倒的に素晴らしい。
私の見つけたこの機材の特徴のひとつに、その音の素晴らしさはとても分かりやすいものであるということがある。オーディオを趣味としない人々すら感化されるであろう。これじゃ台所からチラ聞きしている奥様に、なにか変えたでしょう言われかねない。そこらへんは不利な面かもしれない。
(上の写真もプロトタイプ)

では、どこが分かりやすく素晴らしいのか。それはまず、今までPC関連の送り出し機材の出音として聞いたことのないシッカリとした出音、そして音全体の伸びがある。これは電源部の充実によるものだろう。音源がそういう積極的な音調である場合、音量を少し上げるだけで手前にスピーカーが張り出してきたかのように音像が前に出て来る。録音によっては、有り得ないと思わせるほどリアルな質感を保ったまま、音像が眼前というか、顔の前に迫ってくることがあった。デジタルファイル再生にありがちな常に一歩引いた音にはならない。こういう音の出方は優秀な録音のCDリッピング音源とかDSD・一部のハイレゾ音源においては顕著であった。さらに音としてかなりガッチリして、ストレートなものであり、弱さを微塵も感じさせない音であることも印象深い。ここにはデジタルファイルオーディオ特有のひらひらした音の薄さがない。また音楽の躍動感の表出も甚だしい。PCに関連するオーディオはどうしても静かな音になりがちだが、その傾向が完全に払拭され、ソースの音調にあわせて変幻自在にプレゼンテーションの仕方を変えてゆくようだ。これらは合わせていたアンプの影響だけでは説明できない。DSP-01の超弩級電源部が下流にあるシステム全体を潤し、自在に操るから、こういう音になる。DSP-01にはシステムの主(あるじ)となる資格がある。

アピールはそれだけではない。ダイナミックレンジが広い。弱音と強音の落差があまり聞いたことがないほど大きい。その間を楽音が一気に滑り下りたり、駆け上がったりする様はまことに壮観で感動的である。
そして、その場面での音の強弱の階調性に関して言えば、これも今まで聞いた中でトップクラスの細かさである。いつも気にしている、大きい音と小さい音の差が、単なる違いではなく階調・濃淡をもってきめ細かく分かるかどうかという評価項目について、さすがと思わせる、価格帯に見合った繊細な音のグラデーションが聞き取れた。強音と弱音が本当にシームレスにつながり、溶け合う。他方、音楽が要求するなら、その激しい断絶を表現するのになんの苦もない。

音の解像度は録音さえ良ければ、言い方が変だが、ほぼ生音そのものである。現物がここで演奏している、あるいは現物がここで演奏しているものをマイクで拾って出しているかのような音になっており、写真の概念を借用した音の解像度という概念自体に意味がないような感じである。また鮮度がデジタルプレイヤーとしてはあまり記憶にないほど高いように感じられる。KLIMAX DS/2も生々しいと言ったが、あれよりもさらに進んで生々しい。高級なクロックを使えば使うほど、ここらへんは顕著になる。ここでは無音の空気を切り取ってきてそれを注視するような聞き方ができるほど、音の細部に入っていけるようなイメージがある。音場の雰囲気にも風合いがあり、温度があるという、現実世界では当たり前のことを、オーディオで再生することは難しいが、DSP-01はその解像度の高さゆえ簡単にそれを成し遂げる。
その出音の温度感について言えば、どのソフトをかけても、そのソフトの要求する温度感を正確に出してくるということになる。例えばビル エバンスの演奏とマーカスミラーの演奏ではプレイの温度感がまるで異なるわけだが、そこらへんをキチッと出してくる。音楽の持つ様々なニュアンスの表出の仕方が正確かつ柔軟である。また解像度の項目ともダブるかもしれないが、楽器ごとの音色あるいは音触の鳴らし分けは得意中の得意とするところだろう。ギターの弦の材質の違い、アンプの違い、楽器の新しさや古さの違い等々を縦横に描き分ける。

無論、S/Nについてもかなり高い。どのデジタルファイルを聞いても、その意味で問題がないと思わせるだけの配慮がなされた機材である。残留雑音らしき音の存在を試聴中に意識できないのである。少なくとも送り出しそのものに起因するとみられるノイズ感のようなものが2回の試聴中、一度も検知できなかった。解像度と同じくだが高級なクロックを使えば使うほど、ここらへんは顕著になるようだ。

また、このプレイヤーの奏でる音の立ち上がりのスピードは適正なものである。速くも遅くもなく、あるべきように音が立ちあがり、あるべきように消えてゆく。ここでも、その有り様は本当に生音そのもののように錯覚される。自然な音、ナチュラルな音を求める立場からは言う事がない。
直接音と倍音成分の表現のバランスは巧く取れていてこれも好ましい。
どちらが勝るかはまさに録音とその後の加工の状況によるのみである。

さらに各パートの分離あるいは変調modulationの少なさについても特筆すべき優秀さがあった。オーケストラの演奏を大音量再生しても、各パートが混濁しないままに、整然と音楽が進んでいくことに感心する。これは他のネットワークプレイヤーにはなかなか望めないことの一つだ。合唱曲では本当に一人一人がどこを向いて歌唱しているのか、見えるような錯覚に陥った。そこまで細かく音が分離しているように聞こえるのだ。またイーグルスのライブ盤をかけたときに、演奏と観客の歓声の分離があまりにも絶妙で驚いた記憶がある。イーグルスが観客からどれくらい離れ、どれくらい高い位置にいて、これを録ったマイクが俯瞰して、それらとどういう位置関係にあるのかが分かるような音がした。これは分離だけではなく、定位などの要素も絡む話だが、録音さえ良ければ、かなり位置関係だけで楽しめる。さらに、これほどの音の分離の良さがあっても、それがハーモニーの形成を決して邪魔しないことにも驚く。音の分離と重なりと溶け合いが三つ一体となって、リスナーの前に差し出される。

定位の良さや、位相あるいは音の出るタイミングの正確さについても、当然のように文句は出ない。録音さえ良ければ定位のふらつきは聞こえてこないし、感覚的にそれが見えるような気配もない。揺らがない音であり、落着き払っている。
電源や回路が左右独立していることからだろう、チャンネルセパレーションも良好。録音によってはサウンドステージの左右の端が切れないで見渡しても見渡しきれないような感じになる。場合によってはどこを聞いたらいいのか分からないほど上下左右いっぱいに音が広がる。

こういう死角の少ない音を出すDSP-01だが、敢えて言えば試聴中、気になったのはこのレベルの音にしては横ノリ、メロディの流れの滑らかさが若干の足りないことだろうか。個人的な印象に過ぎないが、音の粒立ちが良すぎて、それが横に流れて行かないようなイメージがあった。そういう意味では、これは私個人が和める音とは違うかもしれない。やはり真剣勝負系なのである。
ついでに言えばDSP-01の出音の周波数帯域の広さ、バランス等について述べるには問題がある。といってもそれはDSP-01自体の問題ではない。私が参加したどの試聴でもDSP-01のもつ周波数帯域の広さを十分に使い切れるアンプやスピーカーが用いられてなかったように思うからだ。ワイドバンドで強力なパワーを持つアンプが、DSP-01の電源部でもってドライブされ、そこに低域をきちんと出せるスピーカーが加われば、フラットで上手くバランスのとれた高域、中域、低域が現れるはずだ。ただしそのためのアンプ・スピーカーへの投資は最低限に抑えたところで、安くはないだろう。とにかく周波数帯域ごとの忠実性についてはデモ機材との釣り合いが気になったということだ。

DSP-01のサウンドにおける音楽性、ここでは演奏内の感情的な表現を分かり易くする抑揚表現の確かさのようなものを指すが、これは控えめである。音にあざとさは皆無で、自分の才覚で音を作るような傾向は全くなく、常に素直、常にピュアな立場を貫く。したがって一部の機材に見られるような躍動感を少し盛ったり、寂寥感を演出したりすることはない。音楽が持つものをそのまま足し引きなく我々に届けることを使命として生まれてきたようなところがある。おそらく、これ以上電源を強化すれば大袈裟となり、弱ければなにかが引かれてしまうだろう。

音楽のジャンル・音楽の製作された時代ごとの向き・不向きは例によってほぼない。音源に素直な態度を常に取るプレイヤーなのでその点は間違いない。
ただし駄作、駄録音も、その大いなる欠点をつつみ隠さず聞かせてくれちゃうのである。かなり真面目で正直な音なので困るが、これはある領域に達した全ての機材に言えることでもある。いちいち言及するほどのことではないが、多くのアニソンはこれに当てはまるのではないだろうかと危惧する。

話は変わるが、例えばある試聴会ではサーバーとしてN1Zを使用し、そのうえPSaudioの電源装置を使用していたので、それらはそれらで様々な側面で音に効いていたのは間違いない。それは、いわゆるドーピングになるわけだが、これほどのネットワークプレイヤーなのだから、こういう高度な機材をあてるのは当然とも思う。実は個人的な意見として、DSP-01に見合うアンプやスピーカーが組み合わされたデモはまだ行われていないかもしれないと思う。私はSoulutionの700シリーズやMagio Qシリーズ、YGのスピーカーあたりのスーパーハイエンドクラスの機材がDSP-01のポテンシャルを聞くには必要だと考えている。ただ誤解しないで欲しいのだが、このプレイヤーの良さを知るだけなら、どんなアンプでもスピーカーでも問題ない。良さは分かりやすいのである。しかし一方で、その限界を知るにはかなり大きな対価を払わなければならない。これはその点でかなりの難物で、心してかかるべき相手だろう。

いろいろと言ってきたが、やはりDSP-01の音の土台にはクロックの音があると思う。この送り出しにはクロックの音を聞かせているようなところがある。それは設計者の狙いどおりなのだが、この演奏空間の空気をたっぷりと吸い込んだ音は、その背景にあるクロックの存在を常に意識させる。

こういう褒め言葉しか思い浮かばない機材と他の機材との比較について、多くを語る必要はないはずだ。まあ、dcsのVivaldiのフルシステムやCH precisionの最高級オプションあたりが数少ない比較対象となる、とぐらい言っておけば十分。これらは300万円の数倍の投資を必要とするものたちだから、この比較ではコストパフォーマンスはすこぶる良い。そして言うまでもないがLINNやLUMINのネットワークプレイヤーたちはもちろん、ほとんどのハイエンドUSB-DACたちでさえDSP-01のサウンドになかなか近づけない。また申し訳ないが下位モデルSforzato DSP-03とは比較にならない。設計者の方の言を借りれば同メーカー製でありながら「別モノ」と言うべきだ。ここにはハイエンドオーディオ業界の感覚に照らせば価格差以上の大差があると見てよい。こうなると、あとは固有の魅力的な音色や機能、デザインやサイズなどで総合的な立場で音質差を補う以外に、対等の立場に立つ手段はない。

DSP-01は王道を征(ゆ)くモノであると言っていた方がいた。確かにもう、この価格帯として、これ以上はほとんど望めないかもしれぬと思わせるほどの音だ。この愚直とさえ言える大規模な設計、物量投入の果てに出てきた音に、私はロマンの匂いをかぐ。これは現代風のスマートな発想から生まれたモノではなく、どこか古臭い夢の産物ではあるが、そのサウンドはDSP-01を新たに聴く全ての人の心を深く揺り動かす。


Summary

今の時点で日本に輸入されていないものを除けば、現在の日本で試聴可能な、目ぼしいデジタルプレイヤーの多くを私は聞いたはずである。例えば評論家の方々の評価がすこぶる高いのに、どこで聞いても、その評価が納得できないようなE社製のDACもあったし、この素晴らしいDACの音について、どうして誰も語らないのか不思議になるe社の製品なんかもあった。そういういろいろな製品の中で音質だけを考えれば、このDSP-01は世界のハイエンドデジタルプレイヤーのトップテン圏内に躍り出たと私は思っている。意図的ではなさそうだが、この機材の音は現代のデジタルオーディオのあるべき姿を全てのオーディオファイルに提案した形になっているのは間違いない。ただ、ストリーミングが主流になりそうな気配の中で、このネットワークプレイヤーというコンセプトが将来にわたっても意味のあるものなのか、クロックなどを別筐体で用意したりする大規模な設計の方向性が果たしてスマートなのか、そして、こういうシステムの規模や価格の設定がデジタルファイルを聞く普通のオーディオファイルにとってすんなりと受け入れられるものなのか、確信がもてないまま聞いていた。

つまり、私は現在のデジタルオーディオの在り方全体を疑っている。そしてDSP-01の音以外の側面は、その疑問を吹き飛ばしてくれるような革新的なものではなかったのである。これは見ようによっては筐体や電源を増やし、既存のDACチップを多数装備し、既存のソフトウェアを使えるように仕向けただけの機材である。しかも下流の機材への要求度も実はかなり高い。その態度は私には保守的と見えた。

実のところ、この疑いはハイエンドオーディオ全般に対する変わらぬ疑いでもある。高価で大規模になってゆくのに、音質の伸びはそれほど大きくない。明らかに価格差に比例していない。昔はそれでもよかったが、今は世の中のコストに対する考え方がシビアなのだ。ああいう保守的な態度・お決まりの習慣の持続によってハイエンドオーディオは頭打ちになっている。こういう緩やかな停滞が元でハイエンドオーディオが事実上滅び去ってしまうという杞憂を私は抱き続けている。

この難題については、ここで多くは語らない方がいいと誰かが言う。とにかく、出音についてはとても良いのだからと。確かにまだまだ良い時代なのである。いろいろあっても、この音ならば許すことができるという、金銭と心の余裕が今の我々にはある。

そのうえで心配症の私が恐れるのは将来のことだ。これ以上の音質を実現しようとしたら、筐体数も価格もどうなってしまうのか?ありうることだが、これを買った人は数年を経ずして、そわそわしだすに違いない。もっと良い音は出ないものかと。ハイエンドオーディオファイルの欲望にはきりがないのである。だいたい、そういう欲望がない人は高級なクロックを含めて600万円という対価を払ってこれを買わないだろう。この次に来る欲望を、同じ方向を向いた開発で満たすことができるのだろうか? 既にもう価格も機材の規模も許容範囲を超えそうになっているのに。
おそらく、もう次は無い。ここらへんが限界である。
そういう意味でも、これは限界線上に置かれた最終兵器なのである。
デジタルオーディオにおいては、さらなる高音質を得るための、全く異なるコンセプトでの開発が今こそ求められている。

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# by pansakuu | 2015-04-27 17:47 | オーディオ機器

LINN KLIMAX DS/2に関する私的なメモ

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「俺は現状に甘んじる人間は好きじゃない。常に前進し、変化を求める人間が好きだ」
マイルス デイビス



Introduction

LINN KLIMAX DS/2ネットワークプレーヤーは、KLIMAX DSシリーズの最新版です。ほぼ4年ごとに行われるDSのバージョンアップの行き着いた場所がここです。

私は以前、もうKLIMAX DSの時代は終わったかもしれないと、遠い目でふりかえったことがあります。しかし、そんな邪推にお構いなく、シリーズはまだ続いていたことが、ここに証明されました。駄眠を貪るかに見えるハイエンドオーディオ界を尻目にLINNは前進し続け、変化を求め続けていたようですね。
もちろん、万策堂は新しいDSに会いに行きましたとも。そして試聴後の感想をまとめながら、意外にも、その体験をレビューやインプレッションとして書くことに、あまり意味がないことを悟ったのです(理由は後ほど述べます)。ですが今後、自分で使うデジタルプレーヤーの選考のこともあるので、この経験を覚え書きとして、一応まとめておきました。その後、或る人からの要望があり、こんな眉唾でもよろしければということで、ネットの上に置いておくことにしたわけです。


Exterior and Interior, Method:

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LINN KLIMAX DS/2は先代と見かけはほとんど変わらないモノです。正面から、あるいは上下から見て筐体の細部もロゴも初代のKLIMAX DSからの違いを指摘できない。ですが、後ろから見ると、リアパネルのRS232のポートがEXAKT Linkの端子に変わったのが分かります。このリアパネルはアルミの削り出しパーツなので、バージョンアップの際、これをそっくり差し替えることになるようです。

内部を見るとDACの載る真ん中の基盤が一新されています。具体的なバージョンアップはこのメイン基盤をまるごと入れ替えるのがメインの作業。この基盤はウェハースのように絶縁体とパターンを積み重ねた8層基板でして、DSでは今回初めて採用。これにより前モデルよりも、はるかに高密度な部品の実装に成功しています。この基板の採用は信号経路の大幅な短縮化に寄与するでしょう。またクロックの自体は先代と同じパーツで出来ていますが、そこから出る信号が通るロジックゲートをなくし、新たな回路構成としたことで、よりピュアなクロック波形をDACに供給することができます。さらに電源供給回路の構成も見直し、他のセクションへの給電状況の変化に事実上、全く影響を受けない、盤石なDACへの電源供給を実現したとか。

しかし、DACチップそのもの、出力回路や外部からの信号を受ける部分、また別区画にあるスイッチング電源部自体は変化していないようです。今回のバージョンアップは、あくまでメイン基板のみであり、電源部はいじらないのね。なお、KLIMAX DSが初めて発売された2008年時の状況のまま、一度もバージョンアップされていない個体に関しても適応されます。逆に言えば、旧電源部をダイナミック電源にバージョンアップしてくれるものではないのです。そのつもりのある方は、ご注意を。

大事なことは、今回の改良によって対応するデジタルファイルの種類は変わらないということ。つまり192kHz/24bit までの、ほとんどの形式のPCMデータに対応しますが、話題のDSDには一切対応しない。SongcastによるYoutudeなどのストリーミングの高音質再生、専用設計されたオーディオルームでも取り除き難い80Hz以下の定在波を消し去るというスペースオプティマイゼーション、さらにLINN独自EXAKTシステムを手持ちのスピーカーに対応させるEXAKT BOXなど、ライバルと考えられるLUMINやSforzatoにはない斬新なギミックをLINNは次々と実現しながら、なぜかDSDには対応しない。不思議ですね!次回の2019年のKLIMAX DS/3ではDSDを聞けるようになるのでしょうか?

バージョンアップサービスの具体的な方法はこうです。オーナーが自分のDSを購入した店舗にバージョンアップしたい旨を連絡し、その際にシリアルナンバーを知らせる。そのナンバーは店舗、リンジャパンを経由しスコットランドのLINNの本社に伝わり、その個体の状況や待ち時間などの確認がなされる。その後、バージョンアップの準備が整うと、再びオーナーに連絡が行き、DSはオーナーの元からイギリスへ旅立つ。そして出発から一か月程度でDSはオーナーの手元に作業を終えて帰還するという手順です。このような方式はオーナーの待ち時間を最短かつ一定にするために採られています。なお並行輸入品のバージョンアップの取り扱いについては不明です。

なお今回の刷新はAKURATE、KLIMAX DSM、RENEW DSにも適応されます。KLIMAX系の更新料は60万円、AKURATEは40万円、RENEWは30万円。元値を思えばAKURATEに関しては、かなり割高。それから、初代のKLIMAX DSからの累積のバージョンアップ代を思うと、新品のKLIMAX DS/2の240万円という価格は魅力的ですね。主な部品が変化してないなら、はじめからこれを出してくれたら良かった。でもLUMIN S1と比較すると、まだかなり高いです。
またMAJIK DSもMAJIK DS/2になります。MAJIKに関してはバージョンアップサービスはなく、ニューモデルとしてリリースされます。こちらは35万円。KLIMAX DS/2の音質変化を考えると、こちらもかなり音が良くなっているはず。実はMAJIK DS/2は総合的に最も優れたネットワークプレーヤーになるんじゃないかと、ちょっと期待しています。


The sound 

KLIMAX DS/2を実際に試聴してみると、音質は前のモデルから明らかに変化していました。
一言で言えば、より生々しい音となったということでしょう。

まず音の解像度が上がっています。奏者の細かな動きの速度と強度が一段と見えやすくなっています。非常に細かい音が拾えているのが分かります。特に気配成分やホールの空気の対流音、暗騒音のような小さな音の質感がよく捉えられていました。また、過渡特性、すなわち音の立ち上がり・立下り、スピード感はより適切に表現されるようにもなりました。前モデルでも、ここは問題なかったのですが、本モデルではさらに微調整されたようで、かなり自然な感じ、生で聞く感じにより近くなっています。さらに音の強弱の段階がより細かくなり、最弱音から最強音までスムーズに一気に駆け上がる様が見事。
こういう状況では、楽器の音色の鳴らし分けも巧みに聞こえ、またそれぞれの音楽の録音状況の違い、すなわち、場所の広さ・インテリアやマイクの立て方、機材の性能までその違いが露わになるので、ちょっと怖いんですけどね。
しかし、ダイナミックレンジの広さや、周波数帯域の広さ、バランスには変化はないし、またS/Nが良くなり、より静かになったという印象はなかったです。ほとんど変わらない部分も残っているのです。

倍音成分の表現は若干控えめで直接音を優先するような印象。これは音の実在を強く出す結果となり、PCオーディオ風の音数で勝負するような音、透明感の高い音ではないです。
なお定位の良さ、位相の正確さについてはKLIMAX DS/Kと同じく相変わらず良いのですが、ボリュウムを上げると若干定位があいまいになってしまいます。これもKLIMAX DS/Kと同じですね。もっとも、これはアンプやスピーカーや部屋の設計などにも責任があるのでしょうが。
サウンドステージは明らかに奥行方向に深くなったように聞こえました。チャンネルセパレーション自体は良くなってはいないかもしれない。左右に音が広がった感じはあまりなかったですね。このサウンドステージの変化は音像の描写力の向上とあいまって、出音全体に余裕を与えているようでした。

今回の試聴では、KLIMAX DS/2では、従前のKLIMAX DS/Kに比べて、音楽に内在する感情的な表現が、より聞き手に伝わりやすくなったと感じました。これは音が単に前に出て来るのではなく、演奏の状況をより詳しく説明するような方向性を向いた改良だと思います。
DSにはどうしても音に傍観者的な冷静さがあり、それが熱い演奏を再現する際にネックとなる可能性が残っていました。LINNらしく音を小さくまとめてしまう傾向もあったと思います。でも今回は音に対する客観性をより強くすることで、音を解放したように聞こえました。若干まとまりのない音作りや演奏が出てきても、従来の如く、それをLINNの音の枠の中にまとめこんでしまわず、枠からはみ出るようなら、それはそのままで、という鷹揚な態度を感じました。人間で言えば度量が広くなったようです。感覚的かつ抽象的な言い回しながら、先代よりも器量が大きくなったとも言えましょう。

繰り返しになりますが、先代のKLIMAX DS/Kと比べると、やはりより生々しい音と感じるところが多かったです。録音時に現場に漂っていた空気がそのまま運ばれてくるような音。ここがKLIMAX DS/2の出音のハイライトでしょうか。今回の試聴ではPCMデータがDSDのように聞こえたことが何度もあったのです。DSDには現場の空気の表現の巧さ、もっと言えば音の輪郭と周囲の静寂との関連がより生音に近いところがあると思うのですが、そういう印象がKLIMAX DS/2のPCMデータファイルの再生には感じられます。これはハイレゾデータを聞くとさらに顕著なようで、PCMがよりDSDに近い印象になります。LINNがDSDに手を出さない理由、それはPCMとDSDの音に、自社の機材では差を感じないからなのではないでしょうか?

ただ、楽曲によっては先代と比べて大きな差がない場合もありました。やはり先代も良く出来ていたのですね。ですが、これだけライバル機が増えると辛い。そこでDS/2の開発となった部分はあるのでしょう。
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ネットワークプレイヤーとしてのLINN KLIMAX DS/2の実質的なライバルとしてはLUMIN A1とS1、そしてSforzato DSP-03あるいはDSP-01ということになります。
ハッキリ言いましょう。音質だけの比較ならLUMIN A1やクロック入力なしのDSP-03はKLIMAX DS/2にほとんどの面で劣ります。もうこれは音だけでは相手になりにくい。クロック入力を試す、あるいは音以外の点、価格面やデジタル出力も有すること、もしかしたらKINSKYよりも若干使い勝手がよさそうなソフトウェアなどにA1やDSP-03は勝機を見出すか。そんなところです。
でも、LUMIN S1のサウンドと比べればKLIMAX DS/2のサウンドはやや難しくなる。私にはS1とKLIMAX DS/2は音のクオリティ自体はほぼ同等と思われるからです。ただS1のサウンドには、KLIMAX DS/2の音の持つ、あの生々しいインパクトはない。空気のみを隔てて演奏者と対峙するような緊張感が欠けています。このフィーリングはクロック周りを改良したうえで、シグナルパスを十分に短くしたことにより得られたものでしょう。これはシグナルパスを意識したコンパクトな構成のシステムでないと出せない部分のある音です。またこのDS/2の音の良さは、外部クロックを使って得られる、あの取り澄ましたような優秀さの果てとしての、疑似的な生々しさとは違うことも言っておきたい。もっと積極的な生々しさです。これはなかなか得難いものでして、聞く人によっては、高価な外部クロックで得られる音より強いリアリティと認識するでしょう。
しかしS1は、その弱音の解像力や音数の多さ、音の品位の高さ、背景の静けさなどでKLIMAX DS/2にわずかに勝るかもしれない。そうだとすると単純にどっちがいいとは言い難いのです。そのうえで、総合的に価格等の他の面も合わせて比較されるとLUMIN S1の方がKLIMAX DS/2よりも魅力的と思う人がいても可笑しくはないと思います。
やはりバージョンを上げてもKLIMAXのネットワークプレイヤーとしての地位は安泰ではないですね。現在KLIMAX DS/Kのオーナーになっている方にはバージョンアップをお薦めできますが、新規に買うことを考えている方に、これを薦めるのは、価格的になかなか厳しいかも。KLIMAXのデザインと音が好きか、あるいは既にLINNでシステムを統一しようとしているとか、そういう動機がありませんとね。
こうしてみると、LUMINは価格面、機能面、音質面でDSの長所と欠点を徹底的に研究し、それを進化させたと考えて間違いなさそうです。LUMIN S1は、少なくとも部分的には、もう一つのKLIMAX DS/2のようなものなのでしょう。
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ところでSforzato DSP-01のサウンドとの比較はどうでしょうか?それは、そのうち別なレビューの中に記すことになるかもしれません。


Summary

KLIMAX DS/2の音は先代よりも確かに良くなりました。これは進化です。しかし、対抗馬のLUMIN S1も悪くない。それにネットワークプレイヤーだけでなく、単体のDACにもいいモノがある。例えばMPD5やVivaldi、emm labs dac2xなど。私が個人的に大好きなNAGRA HD DACだってあります。これらの高級DACにはKLIMAX DS/2を含めたハイエンドネットワークプレーヤーを凌ぐような、音質的な特色やデザインが備わっているのです。一方、ネットワークプレーヤーであり続けることが、KLIMAX DS/2にどこまで音質上でのアドバンテージを与えているのか?また使い勝手の点でどこまでメリットがあるのか?LUMINにしてもそうですが、それがよく分からないままです。
これらのUSB接続に対応した単体DACとLINNやLUMINのネットワークプレーヤーを単純に比べてみると、今、ネットワークプレーヤーにこだわる意味はほとんどないように思えてきます。

最近の傾向として、高音質なデジタルオーディオ機材はとても高価になりがちです。そして良い音を求めると次第に大規模になり、複雑化していく場合が多い。一方で、これに対抗する形で存在感を出すシステムがあります。例えばDevialetのように一見して安価になり、シンプルに小さくなっているように見えるものがある。ただし、あれはまだカウンターパートにある大規模なシステムの出音を超えていないでしょうね。またLINNのEXAKTシステムのような一つのメーカーの機材だけでシステムの大半を構成して、混成部隊では出来ない音の統一感と高機能を達成するものもある。これは独創的で素晴らしい手法であり、喝采すべきでしょう。しかし、このやり方には、異なるメーカーの機材を組み合わせ、自分の音を作り出すという別なオーディオの楽しみを奪っている恨みがあります。全てをLINNの色で染め上げ、オーディオの心配はせず、音楽に没頭するってのもいいですが、少なくとも私個人はそういう趣向にない。あれでは同じシステム構成なら、ほとんど同じような音がどの家庭でも出てしまうはずです。もっと色々なオーディオが欲しくなるし、自分だけの音も欲しい。あれもまだ、私にとっては完全ではないのです。
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思えば、今回の試聴ではKLIMAX DS/2以降はLINN以外のメーカーの機材を使っています。しかし、この機材のリアパネルにあるEXAKT Linkの四角い穴の奥を見つめていると、KLIMAX DS/2をEXAKTシステムの中核として位置付けたい意図が見えるようで。確かに他社の様々な機材との接続は自在だし、相性もかなり良い。ですが、KLIMAX DS/2の音作りに、同社のEXAKTシステムが使われていないはずはないでしょう。やはりLINNの心としては、このKLIMAX DS/2はそれ単体としてだけではなく、これを源泉とし、LINNで統一されたEXAKTシステムのトータルサウンドを評価してほしい部分がありましょう。私のオーディオの趣向とは関係なく、そういう視点から機材を見るなら、LINNの如き独特な発展性を持たず、単体でしか評価できないLUMINやSforzatoの機材をDS/2と比べるのは間違いです。巨視的に見れば、LINNがネットワークプレイヤーにこだわるのも、より大きなシステムネットワークの一部としてDSを考えるというLINNの姿勢と関連があるのでしょう。

LINNという企業は、そこから生み出される機材の持つ、形と音、そして機能のトータルデザインの見事さで、オーディオ界では最も先進的かつ危険な存在ですよね。
KLIMAX DS/2を聞いていると、現状に甘んじることのないLINNの姿勢は常に独自のオーディオ的“状況”を創り出す方向へと向いているように私には思われます。
かつて私はKLIMAX DSの時代は終わったかもしれないと言いましたが、それはある意味で間違いでした。もはやKLIMAX DS/2だけを聞いて、それが新時代のデジタル機材かどうか、云々すること自体がナンセンスだ、時代遅れなのだとLINNは言いたいのかもしれないからです。

LINNのトータルシステムと、それが生み出すオーディオの状況。それらは、この世界では未だ孤立してマイナーな存在です。でも、それらには漂流するハイエンドオーディオが打ち込むべき碇(いかり)のような重みがあり、聴き込んでいくと、私達に本当に良いオーディオとはなにかを問いかけてくるかのようです。なかなかに面白きモノですね、これは。

# by pansakuu | 2015-04-20 21:54 | オーディオ機器

PIEGA Classic 80.2の私的インプレッション:相棒を選ぶ

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「女と、一緒さ・・・。相性ってやつがあるんだ。
俺もこいつから離れられないし、こいつも俺から離れられない。
それに女と違って裏切らないからな。」
次元 大介



Introduction

PIEGAというスピーカーとは長い付き合いである。

私が初めてPIEGAのスピーカーに会ったとき、まだ彼らは、あの銀色に輝くアルミのエンクロージャーを使ってはいなかった。スイスで製造されたというMDFで出来た箱型のエンクロージャーはピアノブラックの仕上げであったし、リボンツィーターも現在のものとは形が違っていたように思う。あれは1990年代のことだ。その当時はスイスでは、こんなスピーカーを作ってるのかぐらいに思っただけだった。

その出会いから数年して、列車の車体部品を製造する会社で造られたという、大きなアルミの引き抜き材を使用した、斬新で美しいスピーカーを彼らは発表し始めた。全面にヘアライン仕上げが施され、カーヴした側面を持つアルミエンクロージャー、洗練された同軸リボンツィーターに小型の反応性の良いウーファーを組み合わせるという彼らのマニエラ(手法)はこの前後に確立したものだ。何度かその姿を眺め、音を聞いているうち、私はこのスピーカーに自分と内的に通じ合うなにかを感じた。それはモノに例えれば、人と機械を繋ぐ見えざる糸のようなものだったのかもしれない。私はPIEGAに惹かれて行った。

そして、10年ほど前、眼の前にあるCL90Xをリビングに迎え入れた。その当時はこれがPIEGAの事実上のフラッグシップという位置付けであったが、このスピーカーは欧米でヒットし、PIEGAはさらに上位のモデルの開発へと向かって行った。CL90XはPIEGAのスピーカー開発のターニングポイントであったのかもしれない。とにかく私はこのスピーカーが好きだったし、今でも聞くたびに新鮮な共感を覚える。
このスピーカーを導入して以来、数えきれないほどの別なスピーカーたちに出会い、手合せしてきたのだが、このスピーカーを入れ替える必要を感じなかった。
第三者的な視点から見れば、このスピーカーよりも優れた音質を持つスピーカーはいくつもあったし、今もある。しかし私の感性に、これほどピタリと合うスピーカーは無かったし、今もないということなのだろう。
実は私という者は、オーディオ機材の入れ替えについては冷酷な人間で、これは自分に合わないと感じ、そこに、より自分に合うものが見つかれば、見切りは早い。ヘッドホンアンプなどはその良い例で今度新しく買うとすれば9台目になる(E1を買って、もう終わりにしたい)。デジタルプレーヤーもそれに近い数を買い替えてきている(こちらはしばらく買わないだろう。私にとってはどのデジタルプレーヤーも最先端のアナログには、まだ及ばない。流行のハイレゾファイルなどヘッドホンで十分だ、というかハイレゾファイルの良さとはスピーカーよりもヘッドホンの方が分かり易い)。ケーブルや電源タップなんかはもっと替えているだろう。だがメインスピーカーとプリアンプは長年不動である。この実績からして、やはりCL90XとNo.32Lは私の感性にピタリとマッチしているということになる。

例えば、次元大介よりも優れたガンマンは、この地球上には何人かはいるのかもしれない。(“次元大介の墓標”を見よ)しかしルパンⅢ世は彼をいつも相棒に選んでいる。私も同じような理由で、このCL90Xを選んでいるような気がする。それは自分の身の丈、自分との相性を大切にしている、そしてめぐり合わせを大事にしているということだ。

では、CL90Xのどこが好きなのかというと、
まず、このシンプルで美しい、コンパクトなフォルムがいい。そしてこの同軸リボンツィーターの個性的な音が私には愛おしい。所詮、個人的な好みに過ぎないのだが、なにを聞いてもシックリくる。

もちろんCL90X以降もPIEGAの新作に当たってはいるが、上記の如く買い替えの必要を感じない。確かに音は変わっている。中には明らかにブラッシュアップされていると感じるモデルもある。だが帰って自分のPIEGAを聞くと、他のスピーカーのことは大概、忘れてしまう。そんな調子でCL90Xの次のスピーカーのことをあまり考えたことはないけれど、そのスピーカーはおそらくPIEGAになるだろう。そういう予感はある。

さて、PIEGAの2015年の目玉は新たなライン、Classicシリーズである。これは原点回帰でMDFのエンクロージャーをあえて採用したスピーカーたちである。
私はその最上級モデルであるClassic80.2を試聴する機会が2回あった。PIEGAの20年を超えるスピーカーづくりの歴史を振り返り、ここで彼らはなにを思い、なにを目指すのだろうか。じっくりと見聞させていただこう。


Exterior and feeling
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写真で見るより、ずっと大柄な堂々たるスピーカーである。これはかなり大型のトールボーイスピーカーとなる。142×39×51cmの箱。片チャンネルで72kgある。エンクロージャーのマスは今までのPIEGAの作品の中ではMaster line sourceを除けば最大ではないか。この箱をMDF材で組んで鳴らすのだから、低域の豊かさと引き換えに、そのフォーカスは甘くならざるをえないだろう。鳴き止めのイディケルが内側にタップリ使われているにしても。しかし、後述するが、そこにこそ、PIEGAの新たな音作りへの挑戦、秘訣があるのだ。

頂部は大胆に斜めにカットされ、ウィルソン・ベネシュのスピーカーのような印象だ。尖った頂点から真っ直ぐ降りてゆく滝のようなライン取りは悪くない。カット面にはシボのある皮革が張り込んである。この素材使いはソナスのスピーカーなどに見られるナチュラルな質感そして高級なハンドバッグのようなラグジャリーを見る者に連想させる。この部分は外見を美しくまとめるだけでなく、音にも効いているはず。それもまたフランコ先生に教わったことだが。

このエンクロージャーの断面は一般にリュート型と言われるもので、後にゆくに従い緩やかにカーヴしつつ、すぼまって行く形である。スピーカーの後ろに回り込む音を効果的に打ち消す形だという。
そのためにスピーカーの後面に形成される見事な局面は、今回の試聴機では美しい木目の突板で覆われている。これはインドネシアのマカッサルで採れる世界最高級と言われる黒檀の板だ。磨き上げられたカーヴの輝きにそっと触れてみれば、木材のもつ微かな温かみとピアノ仕上げの硬度が混じりあって伝わってくる。
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正面には一番上にPIEGA独自の正方形の大型同軸リボンツィーターがあり、その下に径26cmのウーファーが二発、そして丸いフロントバスレフポートがさらにその下に開いている。これらは全て別々のパンチングメタル製のカバー・ネットで覆われ、保護されている。このパンチングメタルのネットはリビングでの不意の物の飛び込みなどからユニットたちを守ってくれる。PIEGAのスピーカーには、ほぼ例外なくこの保護ネットがついているようだが、私はこれに何度救われたか知れない。ことにデリケートな同軸リボンユニットについては、これは必須であろう。ウーファーのエッジの劣化させるであろう日光もこのネットでかなり遮られるはずだ。また、音作り自体も、このカバー込みでなされているあたりも嬉しい。

正方形の大型同軸リボンツィーターについては、下位モデルに搭載される、それより小さいユニットより、当然、大きなエネルギーを放射し、音の届く範囲も広いものだ。しかし部屋がよほど広大でない限りは、私は不要なものと思っている。つまり半分近くの広さしかない、小さな同軸リボンツィーターでも日本の一般的なリビングでは十分すぎるほど魅惑的な音を奏でるからだ。私が思うに、この大型同軸リボンツィーターの採用はエンクロージャーの大きさに釣り合わせるため、ひいてはそれによるファットな低域を御する役割を果たすためであり、下位モデルの小さな同軸リボンツィーターが不十分だからではない。

このスピーカーの外観で、個人的に嬉しいのは断面積の増加、特に奥行方向の寸法増加により、地震などのアクシデントでスピーカーが前に倒れる可能性が少なくなったことだ。2011年の春のような酷い目には二度と遭いたくない。あの時、多くのスピーカーが倒れた。もし私のPIEGAにパンチングメタルのカバーがなかったら・・・・。想像はしたくない。

ワイヤリングはバイワイヤであり、スピーカーの底部には分厚い金属板と平たい四足。これはPIEGAの多くのトールボーイと同じつくりである。中身にも大きな改変を施したという話は聞いていない。クロスオーバーについても同社のアルミエンクロージャーラインの中核であるCoax90.2と同値に設定されているようだ。だが聞こえる音はそれとはまるで異なっている。

外見の全体の印象はいつもの金属製エンクロージャーのPIEGAと比べると少しウォームな感じである。高級感は十二分だが、あの凛とした感じではない。清涼感よりは静かな温もりのようなものを感じる。果たして音も外観の印象のように変化しているのだろうか。


The sound 

こういう斬新で見事な音作りはあまり聞いた記憶がない。
ここ十年ほどの流れである、解像度至上主義を標榜するサウンド、特に低域の解像度の向上を狙った強固な内部構造を持つ、重量級の金属製スピーカーから聞かれる音とは明らかに一線を画する。
しかし、断じて昔懐かしい音などではない。

まず、この低域の豊かさに心奪われる。
柔らかくフワリと広がって暖かくリスナーを包む低域の量感が素晴らしい。長い間、ハイエンドオーディオというものは低域の解像度を出すために大金を支払うものだと思っていた。このClassic80.2の明らかに“緩い”低域は、その正反対の方向性である。こういうあえて締りのない低域に今まで価値を見出してこなかったが、この心地よさはなんだ?
こういうソフトフォーカスな低域は大概、音にスピードがなく、鈍くて重い音になりがちなのだが、ここには軽くて素早い感じもある。だから、パルシブなドラムが入っても、何故か音の立ち上がり立下りは遅くならず、意外とボンつかない。時々聞く、古典的な家具のように立派な外見を備えたタンノイのCanterburyという偉大なスピーカーなどは箱鳴りが結構あり、低域は遅いが、あれとは全く違う感じの音である。組み合わせたアンプがdartzeelとかOCTAVEのセパレートということもあるだろうが、それだけでは、このサウンドを説明できないと思う。MEWONの外付けのツィーター等を使ったときに聞かれる、低域の質感の変化があるはずだ。強力な同軸リボンツィーターが低域の質感に影響し、低音のテクスチャーを好ましいものに変えているように思われる。確かにこの斬新な低域は、緩いのに、どんよりとした感じがない。そよ風が吹き渡るように優しく、しかも素早くリスニングルームに低音が満ちてくる。倍音成分の響き方も気持ちがいい。解像度が高いとは言えないので、例えばMagicoのQシリーズのように細大漏らさず音が見えるような感じではない。そういう、音をどこまでも細かく見て取れるという愉しみはないのだが、そのかわり、この低域の豊潤さにいつまでも浸っていたいという多幸感が湧き上がる。

また、このスピーカーでは当然ながら中高域の質感も素晴らしく感じる。同軸リボンツィーターには二発のウーファーに負けない力強さもあり、中域と高域は綺麗に伸びる。非常に繊細なだけでなく、音の階調の変化のバリエーションが多く、非常に微妙な音の質感の違いを的確に描きだしてくれる。また過渡特性が優れることも忘れてはならない。中高域の反応の鋭さはリボン特有のものである。実際、この同軸リボンツィーターならではのスピード感に、それと比べて鈍重なウーファーのレスポンスをいかにマッチさせるかが、PIEGAの長年の課題であったと思う。ここではあえて動きの速い小口径ウーファーではなく、豊かな低域を放射する大口径ユニットを持ってきた。同じ反応速度を得ることにこだわるのではなく、むしろウーファーとリボンツィーターの音色が調和し、美しいハーモニーを成すことを狙った音作りのように私には思えた。

さらに大型スピーカーだけあってダイナミックレンジの広さは、ブックシェルフや小型のトールボーイなどとは比較にならないものだと思う。このレンジの広さはサウンドステージの見晴しの良さとあいまって、とても雄大な感覚をリスナーに与えているようだ。こういう雄大さは、PIEGAの最高級スピーカーであるMaster ONE Line sourceのサウンドとも通じるところがあるが、あれよりも音にまとまりがあり、安心して聞けるところがある。大音量で朗々とスピーカーを歌わせる快感には、このようなエンクロージャーでなくては到達しえない。

また、金属製のスピーカーのように余計な音を完全にそぎ落とし、高いS/Nを演出するようなことはしていないが、背景の静けさ・黒さは十分である。ダンピングの悪いスピーカーにありがちな、ざわざわした背景の雰囲気がない。そうは言っても演奏が行われているホールの暗騒音や空気の対流音を肌で感じるようなサウンドには至っていないのは認める。だが、そういう緊張を強いるサウンドにありがちな敏感で神経質な気分ではなく、もっとリラックスして、高音質を愉しむ気分へと自然にいざなってくれる優しい音だ。

定位については、中高域が同軸ユニットで駆動されているためか、かなり明確な定位感が得られる。確かに、MagicoやYGのスピーカーで聞かれる、まるで彫像のように音場内に定位するあの感覚はここにはない。しかし、明るい光の束のようなものが広大なサウンドステージに望まれる正確さをもって点在し、やはりギスギスしない、和やかな雰囲気を醸し出しているようだ。
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ほぼ同時期に、このシリーズの下位モデル60.2の方も聞いてみたが、スケール感や音の豊かさ、量感、全体の音作りの斬新さで差がある。価格の違いが案外小さいので、価格差以上の性能の差を感じる方もいるかもしれない。それくらい80.2の音はいいのである。買うなら80.2だろう。また昨今のオーディオの凄まじいインフレ度からすれば、80.2はお買い得に感じるスピーカーでもある。設置スペースさえ許せば、この最高級モデルに行ったほうがいい。ただ、このスピーカーを飼い慣らしたいなら少なくとも15畳以上の部屋は欲しいところなので、スペースの足りない方はClassic 60.2へ行くことになるだろう。

Classic80.2の良く合う音楽のジャンルとしては、やはりクラシック音楽だろう。それも音場感がタップリ入った現代の録音が良かろう。オーケストラが奏でる音、倍音成分がホールに美しく響く様が、さらに柔らかく部屋いっぱいに広がるようで、耳が喜ぶ。また、ECMなどの現代のヨーロピアンJAZZは、このスピーカーで聞くと、ゴージャスだが俗物的にならないセンスの良さも感じる演奏として聞こえる。正確な音ではなく、いわゆる音楽的な音なので、スピーカーにトランスデューサーとしての側面を強く求める方にはお薦めしかねるが、音楽に癒されたい、スピーカーに癒されたいと願う向きには一聴をお薦めする。


Summary

Classic80.2のサウンドは解像度至上主義に代表される、視覚的な音作りという現代オーディオのセントラルドグマから少し離れたところにある。これは音の量感の豊饒を前面に出して、そこに音の触感の良さ、反応性の速さを加味した、ちょっと新しい音である。80.2はオーディオの実験室のようなマニアのタコ部屋ではなく、ゆったりとしたリビングで大きなソファーに埋もれながら聞かれるべきスピーカーである。集中を解いて、何気ない会話を愉しむようなカジュアルな雰囲気を保ちつつ、音質のレベルだけは落としたくないという贅沢な使い方にマッチするスピーカーだ。そして、ブラインドテストでもしっかりとスピーカーのモデル名を言い当てられるような、ハッキリした個性をスピーカーに求める方に薦められるスピーカーでもある。

こういう一聴して他と区別できる音に出会うと、あるブログでネットワークプレイヤーやNASのブラインドでの音の差の聞き分けという企画をやっていたのが思い出される。
この試聴会にはプレーヤーの設計者を含む業界人やハイエンダーが何人も参加していたようだ。そこでNASやネットワークプレーヤーの音の違いを参加者がどれくらい聞き分けられたか?その平均点は百点満点で30点前後だったとのことである。普通の試験であれば確実に落第であるが、実際、ネットワークオーディオという分野は、それくらいに機材の音の差が少ない世界なのである。これは私個人が以前より問題視していたことでもある。PC関係のオーディオという分野全般にそうだと思うし、現在はオーディオ全体としても音が平均化されて個性の輝きの少ない状況と思うことがある。そういう中で、他とはっきり差が分かる、PIEGA Classic80.2のサウンドは、私の脳裏にとても面白く響き、色々な事を私に考えさせる。
たとえばデジタルオーディオでのクロック等の差で分かる音の差異、これは取りも直さず性能の差であり、お金さえ出せば埋められるものである。しかし、音の個性の差はカネの多寡とは直接の関連がない。それは出会いである。自分とシックリと合う音の個性との出会いはカネでは買えないものだ。

折にふれ、
なんのためにオーディオをやっているんだい?とオーディオに全く関心のない人に尋ねられることがある。私は、もう後戻りできなくなったからさ、などと素人に分かりにくい返答はせず、結局は音に癒されたいからじゃないですかねえと、はぐらかし気味に答えることにしている。
人肌の温度感を感じさせる柔和な女声の囁きにどっぷりと浸ること、これは無論、癒しのためだろう。だが心地良い疲れを感じるほどの熱くマッシブな音の塊を求めて、強烈な音量でオーディオをやっている人にしても同じなのではないか。なにもかも忘れられるほどエキサイトするリスニング、そして、その爽やかな聴後感に、やはり別な形での癒しを求めているのだろうと思う。
癒される音、癒されるシュチュエーションというのは、人それぞれに違ってよいはずだ。

そう言う私にとって、最も癒されるのはPIEGAの調べなのである。地中海の神話に記されたオルフェウスの竪琴を想起させる高域の細かな震え。そのデリカシー。物理特性という即物的なものを超え、どこか神がかったような音を出す、この特別なリボンツィーターに、幾度となく日々の暗い憂さを晴らしてもらってきた。そしておそらく、これからもそうしてもらうことだろう。

このClassic80.2のリボンツィーター・ウーファー・エンクロージャーのハーモニーが聞かせる個性的な音楽の切り口は、単なる爽快感とか艶などという表現では足りない。もうこれは憂さ晴らしの向こう側の、麻薬的な世界、耽溺の世界に近いのかもしれない。あの低域の豊かさと高域の小気味良く細かい鋭さが両立した不思議な響きとの出会い。私の心は80.2に盗まれた。

試聴を終えると、私は寄り道せずに自分のリビングに舞い戻り、メジャーを取り出して部屋のあちこちの長さを測った。そして、溜息をついた。案の定、広さが足りぬ。リビングの広さが、ではない。私のスピーカーのセッティングに使える範囲がClassic80.2を置くには狭すぎるような気がする。
つまりメジャーの目盛りは、まだ相棒を取り換えるなと言うのである。
幸か不幸か、私は思いとどまった。

とはいえ、耳に残るあの響きは、そう簡単に消えそうにもない。
実は、そろそろ終わりにさしかかる、この浅ましい問わず語りも
存分に書いて心の中から吐き出して忘れることで、
眠れぬ春の夜を終わらせようという趣向なのである。

オーディオを見て、聞き、感じ、書く。そしてとりあえず忘れる。
そしてまたオーディオに魅せられてしまう。性懲りもなく。
この無限に続くかに見えるループの中で、
私の個性的な相棒も、もしかしたら入れ変わってゆくのかもしれない。

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# by pansakuu | 2015-04-03 22:06 | オーディオ機器

JH audio+Astell&Kern Laylaの私的インプレッション:痛さを求めて

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「私が初めて行ったアニソンイベントで感じたことは、今はあまり感じないかな。私の慣れのせいかもしれませんが、“痛さ”をあまり感じられなくて。でもその“痛さ”というのがオタクカルチャーには重要な気がしています。」
by サオリリス(Groove presents 秋葉系DJの教科書より)



Introduction


秋葉原をブラブラしていると、よく出くわす図像というかイラストあるいはフィギュアのテーマがある。それは美少女に武器というテーマである。
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小学生から高校生ぐらいまでのごく若い女性のキャラクターが複雑な形をした重火器や鋭利な剣などを様々なポーズで構え、キメている、そういう図式をいっぱい目にする。第三者的に見れば風変りな、こういう女性像は世界の美術史を見回しても、現代の日本以外にほぼ見られないものであろう。強いて言えばギリシア神話の戦の女神パラス・アテナや北欧神話のワルキューレが近いのだろうが、彼女らは秋葉原の女性たちほど幼くはないし、親しげでも、にこやかでもない。これらの女性のキャラクターの描き方、タッチは絵師によって様々であるが、共通しているのは、オモシロ顔というか不細工な顔貌はもちろん皆無、よく言えばリアルにそこらへんにいる普通の女性の顔立ちですらないことである。細かい部分を簡略化し、多くの人が美人と思うような、ほぼ有り得ない美しい顔を持つスタイルのいい女性を描こうと努力している跡が必ず見える。

こういうイラストやフィギュアに満ち満ちた秋葉原という空間は世界のどの土地にも見られない、かなり異様な雰囲気を醸し出している。ここに生まれた形容しがたいアイコン、日本人の独創的な図像は日本人の好むモノ、愛でるコトとはなにか、ということを必然的に暗示する。
それは、一見して小さく可愛らしい存在が、実は多くの人を殺せるほど凶暴な力を持つという不思議なアンバランスへの憧れなのだろう。

Jerry Harvey audio(以降JH audioと略)とAstell&Kern(以降AKと略)のコラボレーションによって生まれたというLaylaというユニバーサルイヤホンは約36万円というイタい定価にも関わらず日本に入ったファーストロットは十数分で見事に売り切れたという。
一般的には、イヤホンもそれを鳴らす携帯用のDAPもその使用目的にかなうべく、とてもコンパクトで軽量なものである。それらはハイエンドオーディオに使われるスピーカーやプレーヤーと比べればカワイイものであるとも言えよう。しかし、そういうとてもコンパクトな機材が、持ち歩きがやや困難なヘッドホンや、持ち運びはほぼ不可能なスピーカー・SACDプレーヤーと比べて、それほど遜色のない音を聞かせるとしたら、それこそ注目すべきアンバランス・ミスマッチであると言えよう。
ヒトは時に、このようなアンバランスに惹かれるところがある。売り切れまで十数分という耐えられない時間の短さには、そういうアンバランスあるいはミスマッチに対する強い憧れが紛れ込んでいる。

込み合う秋葉原・電気街を見下ろす、とある喫茶店にて、アニメキャラでラッピングした車が下を過ぎてゆくのを眺めながら、私はこのテキストを書き進めよう。
ここで私は、Laylaという特殊で高価なユニバーサルタイプのイヤホンとAK240を、ある方のご厚意から借りることができた。その人が秋葉原を見て回る間の2時間だけ、これらの機材を占有することを許してくれた。その方に対してはここでもお礼を述べたい。(なお写真はいくつかのHPから拝借しました)


Exterior and feeling
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なにやらゴツいイヤホンである。
目の粗いブラックカーボンメッシュのシェルに玉虫色に輝くベゼルが嵌め込まれており、そこから漏斗型にすぼまってイヤーチップに達するようなカタチである。けっこうなボリュウム感がある形状。左右にそれぞれJerry Harvey audioとAstell&Kernのロゴが印刷されている。全体の質感は滑らかでありグロス仕上げのようなテカリがある。
写真で見るよりも結構大きい印象でボテッとしたモノであり、これを耳に上手く嵌め込めるのかどうか、嵌め込んでカッコいいのかどうか不安を感じる。カーボンとチタンで出来ているのだから、大きさの割に特段重くないが、当然普通のユニバーサルイヤホンよりは重たい。

実際、装着しようとするのだが、なかなかスポッと行かない。うまいポジションが取りにくい。この装着はポタ研で列に並んで聞いた時にも、もどかしく感じた。私の耳介にスッと収まるようなイヤホンがある一方で、耳の穴からキノコみたいに突出してしまうモデルもあるのだが、このLaylaは後者の装着感と見た。私の耳介の窪みが小さいせいだろうか。チップが合わないせいだけではないと思う。チップを変えても装着感の違和感はあまり改善しないのだ。チップごとに音も微妙に変化してしまうから、できればどのチップでも装着できて、音でチップを選べるというのが理想的なのだが・・・・。できるなら、もっと全体に小型化し、形状を考えてもらった方がいい。やはりカスタムIEMの形を取らないと、いろいろ不都合なのかもしれない。これほど高級なイヤホンは元来、ユニバーサルタイプだけではなく、カスタムIEMとしても販売されるのが一般的ではないだろうか。米国ではCIEMタイプが既に受注が始まっているという話も聞く。

イヤーチップの穴の奥を見ると3本の細い金属管の開口部が見える。これは高域、中域、低域を担当する4個づつの、計12個のドライバーユニットにつながるステンレスチューブであり、これらの長さを変えることにより、各帯域の音が鼓膜に到達する時間を揃えようというのである。いわゆるフルレンジ一発ではなく、帯域を分割し、各々の位相を揃えるという、freQ phaseという独自技術は現代スピーカーの設計思想に近いものだと思うが、それをこんなに小さなシェルに封じ込めたことには驚きを禁じ得ない。

なお現在は、各々の帯域のドライバーをまとめて一つのアンプと優れたネットワークを組み合わせてドライブしている状況だと承知しているのだが、そうこうするうち、これらの帯域をアンプに行く前にチャンネルデバイダーで分割し、マルチアンプ駆動としたようなイヤホンも現れるかもしれない。スピーカーにおけるチャンデバによるマルチアンプ駆動というのは、調整が上手く行けば、なかなか素晴らしい音を奏でることは古いオーディオマニアの間では周知である。しかし、3ウェイ以上になった場合、調整は至難の業であることもまた周知である。それがどんな労苦なのか、一端を知りたいなら有名なJAZZ喫茶ベイシーの御店主の書いたエッセイを読むといい。実際これは何年かけて取り組んでも、なかなか落し所を見いだせないものらしい。そういう泥沼が予測されても、そこに果敢に挑戦するイヤホンがあったらなと夢想するのは、またしても私の勝手である。

また、このイヤホン本体とイヤホンケーブルをつなぐ部分にはオリジナルの4pinコネクターが用いられる。小さなリングを回す方式でロックを外して、コネクターの中身を拝見すると4つの金色のピンが配置されているのが確認できた。ここに高域、中域、低域を担当する専用の信号線が割り振られている。ここまで帯域分割にこだわったイヤホンメーカーは他にはないと思われるから、大したものだとしか言いようがない。だが、こうなると独自のコネクターが必要なだけに、リケーブルは作りにくいだろう。このイヤホン自体の出荷数も多くはないだろうし、もし後述の低域補正システムもつけるとしたら、発売されてもかなり高価になってしまうのではないか。まあ、これだけのイヤホンをポンと買う方は、それくらいの出費はものともすまいが・・・・。
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このイヤホンに使われるバランスケーブル自体は撚った形をとる、イヤホン用としては、やや太めで硬めの黒いケーブルである。これは、JH audioの他のモデルで使われているものに似ている。すごくしなやかというわけでもなく、曲がったときのクセが若干取れにくい印象で、取り回しはソコソコといったところだろうか。この途中には可変抵抗が入った小さな紡錘型のボックスがあり、そこに付けられた2つのプラスネジの頭を回すと、左右独立に低域のボリュウムを変えることができる。完全に左に絞り切ると補正はゼロとなる。カーボン製の立派な収納ボックスに同梱されていた付属のドライバーで回してみる。確かに音が変わるのだが、補正ゼロで全く問題なく聞けるので、そのままで聞いた。
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高級ヘッドホンにおいては、帯域分割をしたり、低域の量を聞きながら変えたりできるものはかなり少ない。例えば帯域分割については、製品ではFinal audioのヘッドホンや、台湾のメーカーが作った日本未輸入のヘッドホン、Obravo HAMT-1を見かけたぐらいでしかない。(何故あのヘッドホンは輸入されないのか?)未発売なら、スケルトンのヘッドホンアンプとともにCES2015で発表された、Enigma acousticsのDharmaという製品、静電型とダイナミック型をハイブリットしたヘッドホンもあるようだが、これはまだ海のものとも山のものとも分からない。今のところはフルレンジ一発のお仕着せの音を聞かされるのみである。
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現代の高級イヤホンは、その出音はともかくとしても、今日のオーバヘッドのヘッドホンたちよりも進化したテクノロジー、高度な素材、さらに細かな手作業で作られていることは、Laylaを見れば明らかである。音が既存のイヤホンよりも遥かに良く、Made in ChinaではなくMade in USAであることも考え合わせれば、装着感がいま一つであっても、この価格は不当とは言い切れない。ただし、たかがイヤホンごときに、ここまでやるとは、なんともオーバーな気もする。イヤホンを使って音楽の楽しむというスタイルの持つ、ライトでクールなイメージと、このイヤホンに注がれた情熱の暑苦しさにミスマッチというか温度差を感じたのは確かである。


The sound 

咄嗟に、形容する言葉が浮かんで来ないような音だ。
あまり聞いたことが無いような空間性と定位感のバランス、そして質感描写がここにある。
無論、既存の普通のイヤホンの音は引き離している。
だが、HD800やTH900、SR009等に代表されるようなハイエンドヘッドホンの音によく似たものでもない。
ましてや本格的なスピーカーの出音にも類例を見いだせない。
ここにまた一つ、新しい音が生まれてしまったような気がする。

いろいろと言いたいことはあるのだが、
まずはこの異質な空間性と定位感のバランスである。
イヤホンにとっては、どちらかというと不得意な、
大ホールでオーケストラが演奏しているような曲を聞いてみると、誰もがエッと思うはずである。
スピーカーを厳密にセッティングしたときに聞こえるような、ホール内での自然な音の広がりが、多少疑似的なものにしろ、ハッキリと聞こえてくる。これはホールトーンを聞かせることができる数少ないイヤホンの一つだ。ホールという空気の詰まった天井の高い空間の底に多くの楽器が集合し、そこから同時に放射・噴出する音波が上方・側方にひろがり、こだまする様子がおぼろげながらだが、明らかに三次元的な広がりとして捉えられる。基本的にTH900などの高品位な密閉型ヘッドホンに類似した音の広がりに留まり、HD800のような開放型ヘッドホンの広大な音場感というわけではない。しかし、かなり楽器が多くなっても、その音場の中でそれぞれの楽器の定位が常に明確なままというのは、イヤホンでは聞いたことがないし、ヘッドホンでも、そうそうあるものではない。とにかくイヤホンでは感じたことのない優れた空間表現と明確な音像定位感が独特の調和を見せているというのが、私のLaylaについての第一印象である。ここでは、今までのイヤホンでは難しかった三次元的なサウンドが醸し出されているのは間違いない。

個々の楽器、パートの描写のみについて注意を向けると、その音像の輪郭や質感描写は極めて詳細であり、これも今までのイヤホンでは決して聞けなかったものである。各楽器や人の歌声の手触りや温度感のバリエーションが大変豊富であり、またその変化のグラデーションの段階はとてもきめ細かい。あらゆる音楽で今まで知らなかった細部を感じ取るというオーディオ的な快感に浸ることができる。実はこの曲のこの音はこうなっていたのかと驚かされるアレである。各パートの分離感も良好であり、それらの前後関係も録音さえ優れていれば目の前でそれを見ているかのように認識できる。ここにもまた現代オーディオの本流である、視覚的な方向に振れた音作りがあるようだ。

特にアコーステック楽器を用いた良録音において、弦楽器の出音、人の声の描写力の解像力、粒立ちの良さといったら、トップエンドのヘッドホンでも、そうそう成しえないレベルに達している。様々な名手が駆る弦楽器がソロを取る部分を、様々な時代に録音されたクラシック曲で聞いてみるとよい。シュタルケル、ハイフェッツ、クライスラー、ウィスペルウェイ、ファウスト、ヨーヨーマ、ムター・・・・。
クラシックをあまり聞かない私でも、これらの奏者の楽器の音色の差異や奏法の微妙な違い、時代による録音状況の隔たりをこれほど克明に描かれると楽しくなる。そして、その違いを際立たせるのが、これほど簡潔で小さなオーディオセットであるという見かけと性能のアンバランスは、その愉しみを倍加させる。ピアノのタッチの違いなども様々な奏者、様々な曲で比較して実に面白かった。グールド、バックハウス、リヒテル、ミケランジェリ、フランソワ、チェルカスキー、アファナシェフ、内田、リパッティ、メルニコフ、ニコラーエワ・・・・。これほど絶妙にピアニストの差、時代の違いを描き分けてくれるイヤホンは知らない。
だいたい、こういうディテールに関心が向くこと自体が、イヤホンでは、まだほとんど無かったのだが、このLaylaは異例だ。
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これらの特徴はやはり、各帯域のドライバーへ信号を割り振るクロスオーバーネットワーク回路が非常に優れていて初めて得られるものではないかと思う。再生される全帯域にわたり歪みや滲みが私の耳ではほとんど検知できないのである。この明瞭な音の細部、澄み切った音場は帯域どうしの重なりが極少に抑えられているからこそ現れるものであろう。12個ものドライバーを同時に鳴らしていることを考えれば、このクリアネスは驚異である。

また、音作りと言えば、送り出しのAK240にもそういう傾向があるのかもしれないが、この音は冷静沈着で傍観者的な音ではない。音楽の表現する内容に沿って生き生きと躍動し、あるいはさめざめと意気消沈するという音楽的なサウンドである。そういう意味でやや主観的な音に思えるのだが、ネットワークやドライバー、イヤホンの構造が十二分に練り上げられているためか、音のアバレやバランスの悪さが全然感じられないところも良い。

鳴らしはじめてから一月も経たないイヤホンだと伺ったが、意外にこなれた印象である。音に硬さはなく、余裕のある、適度にほぐれた音が次々と繰り出されるところはイヤホンらしくない。一般的にイヤホンというとどうしても、出音全体が小さくかたまって凝集してしまい、実際耳で聞く音とは、かけ離れてしまいやすい。ハイエンドイヤホンでさえ、どうも余裕がないというか一生懸命さが前面に出て単調な出音になりやすいと感じていた。そういう時は脳内で自動的に補正をかけて聞くようになるのだが、それは脳へのストレスであり、場合によっては音のうるささという形で跳ね返ってくることもある。そういう場面が今回のリスニングには無い。

同じシリーズとなるRoxanneやAngieと同時にじっくりと比較しているわけではないが、ポタ研などで比較した印象から言えば、やはり価格の差は音の差として出ていると思う。簡単に言えばRoxanneやAngieの出音は他社の高級イヤホン、IE800、K3003、SE846の音と比べて特筆すべき大きな差がない。やや異端と思われるPiano forte Xなどを加えても、これらは従来のハイエンドイヤホンのバリエーションであると一括りに片付けられる。しかしLaylaはそれらのイヤホンの群れから性能面で抜きん出ており、同じ仲間には入らない。具体的には音響空間のスケールの描写、定位感、質感描写のきめ細やかさが一段上であるし、総合的な音のまとめ上げの巧さも際立っている。

それでもなお、TH900やEdition5、HD800やT1、AK812、PS1000eのようなハイエンドなヘッドホンと比べると足りない部分はある。やはり音場の広がりでは、どうしても開放型ヘッドホンには劣る。またLaylaでは低域の解像度は十分過ぎるほど確保され、中域はきめ細かく粒立ちがいいにも関わらず、意外に高域の伸びや解像度が抑えられている。高域が出しゃばって刺さるような音よりははるかに良いと思ったのだろうか。それともAK240にそういう高域の特徴があるのだろうか。(その場合は私の指摘は当たらないのだが。)いずれにしろ、今聞いている、この高域は少しだけ緩いし、上がつっかえているように思う。もちろん、それは小さな問題であり、それによって帯域ごとの解像度のバランスが崩れているとかいう言い方は当たらない。むしろ私の知っている、どのイヤホンよりも上手く音をまとめていると褒めてやるべきなのだが、この価格のイヤホンとしてはやや気になる。やはり、上記のヘッドホンたちの二倍以上の価格であることを考えると、もう少しこのイヤホンが安く買えたらなと思う瞬間はなくはない。

多少の瑕疵はともかく、JH audio+Astell&Kern Laylaは、非常に音の良い最先端のユニバーサルイヤホンであり、イヤホンサウンドのブレークスルーと言ってしまいたいモノだ。イヤホンはさらなる高みに昇った。本当にどこまでイヤホンの音は良くなるのだろう。イヤホンの性能は青天井なのか?このクロスオーバーネットワークの設計と小さな空間への実装、イヤホン自体の構造と素材の工夫、絶妙な音のまとまりはJerry Harveyの持つ技術と感性の集大成と言えるものだろう。ただ、このイヤホンの片側のロゴ以外のどこにAKの出番があるのかが、いま一つ分からない。ディストリビューターとしてのAK?それなら別にロゴマークを印刷までしなくても。AK社以外のDAP、ポタアンで鳴らすのは、マッチングが悪いなどということも無さそうだが・・・・。
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告白すれば私はAK240を少ししか触ったことがない。だから偉そうなことを言う権利はないかもしれない。AK240は一度入手したのだが、ほとんどまともに聞かなかったし、そもそも、いわゆるDAPというもの自体に強い関心がない。ただ、新しい音が聞けないかと、密かに期待し、注意深く、広く公平に聞き耳を立てようとしているだけなのである。
確かに私はAK240の本当の実力を知り尽くしているとは言い難い。
だから、このイヤホンの能力をAK240が完全に引き出せているかどうかが分からない。

言い換えれば、私の危惧というのは適切な、あるいは強力なポータブルアンプを使った方が音はもっと良くなるのではないかということだ。Laylaは名実ともに、現代イヤホンの頂点である。これほどのイヤホンをAK240は本当に鳴らし切れているのだろうか?TELOS HPAやReLeaf E1のサウンドが頭をよぎる。あのリスニングでは聞き慣れたヘッドホンにもまだ途轍もない可能性、潜在能力が残っていることを教えられた。だから私はLaylaをAK240直挿しで聞いていて、ポテンシャルを引き出せていないのではないかという不安を感じる。特にAK240のボリュウムをかなり上げないと適切な音量が取れない場合などは眉間にシワを寄せてAK240を睨みつけたものだ。
Wagnusをはじめとする優れたポタアンとのコラボレーションもさることながら、例えばHUGOでこのイヤホンを鳴らせるとしたら出音はどうなるのか、あるいはPAW Goldではどうなのか。
とどのつまり、万策堂本人はAK240そのものについて大きな不満はない。だが、Laylaと組み合わせてどうかというと何とも言えない気がしているということだ。彼が夢想する様々な組み合わせによる可能性のサウンドはまだ彼の手の届かない場所にある。万策堂のレビューは全て私的なものに過ぎない。心あるLyalaオーナーのどなたかが別な組み合わせを試して、異なる視点からレビューを書いてくださることを願ってやまない。


Summary

秋葉原で大きな銃器・剣を持った少女の絵やフィギュアを見ると、30年以上前のハワイの射撃場での出来事を思い出してしまう。それは本物の機関銃というものを持ってみた思い出である。それは完全に鉄の塊という感じの機械であり、ビックリするほど重かった。ああいう重量物を美少女が持ち歩くなどということはありえない。ゴリラのような空挺部隊の隊員にしても楽なものではないはずだから。それに、こんなに美人でスタイルが良く、そして鼻孔ひとつない美少女など、現実世界のどこにもいない。
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このありえなさ加減、滑稽なほどのシュールなアンバランス・ミスマッチがいわゆる「痛さ」の本態ではないだろうか。
そして、私の掌に乗っかっている、奇妙な果実のように黒光りするオーバースペックイヤホン・Layla、これもまたシュールなアンバランスが横溢する、素晴らしき“痛さ”の結実のように思える。そう、電車の中や公園のベンチで本を読みながら、あるいは喫茶店のソファーでミルクティーをすすりながらイヤホンとDAPで音楽を聞くカジュアルな気軽さと、イヤホンオーディオに対する火傷しそうな程の情熱、それらの乖離から、その痛さの感覚は生まれてくるのである。
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スピーカー、デジタルディスクを用いた音楽再生、アナログなどの、クラシカルなオーディオに対するシンパシーを未だに感じている私のような者にしてみれば、実売33万円のLaylaとか直販で38万円のAK240SSなんかは、そういう“痛さ”の産物以外の何物でもないように見える。しかし、200万オーバーのNordostのインターコネクトケーブルはどうなんだとか、値上げで定価500万を超えてきたフォノイコライザーはどうなんだよと問われれば、あれはあれでかなりイタい。つまり金額の桁が違うだけで、同じ痛みを持つものどうしなのである。

要するに、この手の痛さが、実は素敵なことなのだという真実が、いつまでも一般常識になりきらないところにオタク=マニアへの冷たい視線の原因があるし、異なるジャンルのオタクどうしの無意味な非難の応酬の原因にもなっている。だが、これが素敵だと全ての人が思わないところにこそ、痛さそのものが存在する価値というか場所もあるわけだから、実にどうしようもない状況なのである。

サオリリス氏の言うように、だんだんと日本のオタクカルチャーは整理され洗練され様式化され、スマートなもの・無難なものに変わって行かざるをえないだろう。それは全てのカルチャーの宿命かもしれぬ。それでも私は、オタクたちのがむしゃらな衝動が“痛さ”を誘発し、驚くようなモノを作り出す様をもっと見たいし、もっと聞きたい。それが日本人の手になるものでなくってもいいほどだ。だからアメリカのイヤホンオタクが成し遂げたLaylaというブレークスルーに私は拍手を惜しまない。
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オーディオとは音楽を聞くスタイルにおいて、限りなく“痛さ”を求める趣味なのかもしれない。それがイヤホンであろうとスピーカーであろうと、素晴らしきオーディオの眷属(けんぞく)であることに違いはないのである。

# by pansakuu | 2015-02-26 21:53 | オーディオ機器

ヘッドホン・イヤホンオーディオについての無駄な会話:中野サンモールの磯〇水産にて

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ここは異郷か これは現実か
ただの余興か
真昼の光の中へと出てゆこう

Grapevine Silveradoより


MEZ: 今回は、お店に無理を言ってGoldmundのTelos Headphone amplifierとRe Leaf E1を二台並べて、ノーマルのHD800で一対一で聞き比べるという贅沢な試聴だったんですけど、どうでしたか?
GOZ: まさに甲乙つけがたい。どっちも良かった。まず音云々の前にE1はTelos HPAに比べて圧倒的に小さかったね。E1の大きさはTelos HPAの半分以下という感じ。実物を並べてみると驚きだったよ。Re Leaf E1の凝縮度はかなりのもの。持ち歩いて聞くなんてのは無理だけど、それにしても、どうやってこんなに小さくしたのかね。これだけ音がいいDAC+HPAとなるとどうしても大きくなるじゃない。OJIのBDI-DC24Aやマス工房のModel394なんかのトップクラスのヘッドホンアンプにかなり高級なDACを合わせた音、またはそれ以上の音があの小ささで手に入っちゃうのは凄いよね。BDI-DC24AもModel394もDACなしで、あの小ささなんだからねえ。
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MEZ: 私は箱の大きさはもちろんですけど、音の違いもかなりあるなと感じました。ムンドのヘッドホンアンプは全ての音の要素で最高点をマークすることを目指しているのに、そういうエッジなアンプにありがちな音全体のバランスの破綻がないです。GEM-1みたいな、インパクトの強い部分があるけど、どこか微妙にバランスが崩れてるようなモノとは違います。逆にE1は聞いていて突出した特徴がないと思えるくらい普通の音ですけど、個々の音の要素を意識して聞くと、非常に優秀で驚くし、ヘッドホンドライブの仕方が的確で過不足ない音です。
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GOZ: Telos HPAはそれを上回るドライブ力、破格の空間性で押しまくるよ。各楽器とかパートの分離感が半端ない。全域での解像度の高さもありえないほど。あれほどの音はこれから先も他では聞けそうもない。ヘッドホンアンプの部分だけでもOJI、マス工房はもちろん、NewOpt,、EAR、Luxman 、Audio design、Aurora sound、N modeなんかと比べて基本性能自体、違うはずだよ。ドライブ力の差をかなり感じたから。過去、駆動力や力感という点ではナンバーワンだったG rideのGEM-1を超えてる。以前、かなりお高いAgaraのヘッドホンアンプなんかも聞いたことあるけど、アレも勿論超えてます。Telosはヘッドホン出力ギリギリまでデジタル信号で持って行って、変換してるのかな。なにか他社のやってないことをいくつもやってるはずだよ。
MEZ: 圧倒的ですね。でもやり過ぎかなと。本来の音楽を作ったスタッフが想定する再生音の範囲を超えちゃってます。対するRe Leaf E1は安心して聞いてられますよ。真っ当な音に身を委ねていればいいような感じ。あの大きさにしては、かなりの高価ですけどね。もともと国産で、価格に代理店のマージンは入ってなさそうだし、円安やらスイスフランの変動やらもあるし、比較の仕方によってはTelos HPAは割高と思う人もいるはず。
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GOZ: 据え置きの複合機は最近面白いものがいろいろ出てきたからね。聞いたものの中では、普及クラスのものだと、Oppo HA-1とパイオニアのU-05がいいね。HA-1は熱いけど。外見だけだとMcIntosh MHA100はカッコいいよね。音はどこにでもありそうな感じだったが。聞いてないけどChord Hugo TTはかなり期待できそうだよね。アレが来たらほとんどの複合機は駆逐されてしまうかも。Hugo TTに対抗できそうなのは近頃出たものでExogalのComet Computer DACとか、MYTEKのManhattanあたりかな。exaSoundのe22もだね。極端に高いがヘッドホンアウトも優秀っていうNAGRA HD DAC+MPSとかQualia&CoのIndigo DACと近いレベルに行くような気がする。ただNAGRAとかQualiaはスピーカーオーディオでの使用が本来だからね、全体の価値としては比較できない。
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MEZ: そうやってHugo TTなんかをはじめとする、高級な据え置き複合機が出て来ても、E1とTelosの優位は変わらないんじゃないですか。Hugo TTはHugoの強化版という位置づけで、イギリスでは3000ポンドくらいってことは日本では60万円くらいになるはずです。Hugoの今の音とその価格とを考え合わせると、E1やTelosを超えるってことはなさそう。さしあたりはRe leafかムンドか、どっちにするか迷えばいい。
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GOZ: どっちを買っても最高峰を手に入れた満足はあるはずだよ。異次元のゴージャスさでキメたいならばTelosだろうけど、どこまでも正確で真っ当な音を極めたいのであればE1だね。俺はどっちかっていうとTelos。オーディオにはやはり元の音よりさらに良くなったような気がするくらい魅惑的な部分が欲しいから。そういうプラス アルファがE1にない。
MEZ: 私は買えるなら迷わずE1。Telos HPAの音は凄すぎてついていけない感じがあります。価格や占有スペースでも明らかにE1に分があります。いわゆるバランス接続もできますし。バランスだと微妙に力強さが増す方向で。
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GOZ: なんかオーディオのニュース見てると、欧米のハイエンドメーカー各社がヘッドホン関係のアイテムに手を出し始めてるでしょPASSもAyreもユニゾンリサーチもヘッドホンアンプを試作してるようだし。さっきも出たけどCHORDは据え置き型のHugo TTを出す。それにConstellation audioは次に出すプリメインにヘッドホン出力をつけようとしてる。まだまだ追随する動きはありそうだけど、かといってE1やTELOSのクラスまでのものを作ろうっていう気運はまだ今のところない。こんなに高価なHPAは売れないだろうと考えてるのか、所詮ヘッドホンだから、この程度でいいと思ってんのか、ただの様子見か。どちらにしろ、普通に考えたら、この先、数年はこの二つがトップということだろう。仮にもし他に凄いヤツが他に出て来ても、これらどちらかを手元におけば慌てないで済むだろ。
MEZ: 今日、聞いた限りだと、据え置きヘッドホンアンプとか複合機の高級化は価格とか性能の伸びはこの辺で一休みって感じですか。
GOZ: そうあって欲しい気もする。これ以上は迷いたくないからな。
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MEZ: ところで、さっきも現物ありましたけど、LotooのPAW GoldとかAK240とか出てますね。DAPのハイエンド化が、かなり目立つようになってきてませんか?ソニーもZX2出してきた。ポータブルでもリケーブルとかバランス接続とか話題に上りますよね?
GOZ: あくまでマニアの間ではでしょ。でも確かにカスタムIEMなどという、超マニアックなモノさえ徐々に市民権を得つつある。ポータブルの世界には、据え置きよりさらに激しく高級化の波が押し寄せてる。DAPなんか最終的に50万クラスまではいくんじゃない?この前どこかに書いてあったけどZX1用のGlove audio S1が出るらしいけど、ああいう機種を限った寄生的なアイテムまで出て来るところに、ポータブルオーディオの過熱ぶりを感じる。いろいろ後付けするアイテムが出て来るけど、AK240とかPAW Goldとかはやっぱり直挿しを目指すんじゃないか。やるならリケーブルとかバランス接続で音質を上げるっていう発想になる。あのクラスだと内蔵のアンプも良くなきゃダメだという意識が買う側にあるから。
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MEZ: 実際、PAW GoldとAK240をW60で一対一で聞き比べると、こちらもやっぱ音の傾向が違いますよね。AK240は柔らかさがあってスッキリ。PAW Goldは明確なモニター的な音で重心が低くて安定してる。操作性はAK240が上回りますが、GOZさんとしては音質とか筐体デザインとか含めると、こいつらも甲乙つけがたい?
GOZ: 俺は最終的にはPAW Goldが好きになったけど。AK240ってなんか音に浅いっていうか、浮わついた傾向ない?ゴールドのダイヤル以外は質実剛健なカタチと音ってことでPAW Goldがいいな。
MEZ: ああいうものは最終的には操作性で差がつくものだと思いますし、AK240の音はまとめ方が巧いですよ。それに音は少しも浮わっついてなんかいないと思います。それから、もうすぐ出るAK240のステンレスモデルAK240SSは音自体も違うっていう話で興味あります。私はAK240派ですね。なんかPAW Goldゴツ過ぎ。
GOZ: いやいや、そこがいいんじゃないの。プロっぽいデザインのDAPでしょ。ただ個人的には、どっちももう一皮剥けてくれないと、CHORD Hugoの音質にまでは届かないと思ってるけど。接続したヘッドホンやイヤホンに対するドライブ力がどっちもまだ足りない。
MEZ: それならポタアン使えばいいじゃないですか?
GOZ: それがさ、WAGNUSのアンプくらいしか、このクラスのDAPの直の出力を上回る音を出せるポタアンがないような気がすんの。ある?いいアンプ。
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MEZ: うーむ、KH-01P以外は、これって感じのものがすぐに思い当たらないですね。
じゃ結局ポータブルの王様はHugo?
GOZ: そうとも言い切れないよね。音はいいけど電池はもたないし。もともと大きくて重くて、しかもトラポも要るからかさばって持ちにくい。設定にも問題あり。アレは使ってみると小さい据え置き複合機だったな。そいうわけで、まだ絶対王者がいないワケだから、このポータブルの分野っていうのは、もっと伸びると思うんだな、性能も価格の上限もね。
MEZ: 同感でございます。

GOZ: そうそう、今日、聞いて思ったんだけど、ヘッドホンアンプの能力は明らかに上がって来てるのに、肝心のヘッドホン本体の性能アップが止まってちゃってる気がしない?SennheiserもFostexもbeyerdynamicも新たなフラッグシップを出さないまま年月が過ぎてる。HD850とかTH1000とかT2とかそろそろ来てもいいじゃない。
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MEZ: ダイナミック型に限れば、Gradoは地味にフラッグシップモデルの改良版を出してますし、Ultrasoneもぼちぼち出してます。それならと、Sennheiser、Fostexも、そしてbeyerdynamicも出してこないと盛り上がらない。Audio questのNight hawkはそれらのメーカーのフラッグシップと対抗できるかどうかはわからんですよ。だって、あれは9万円も行かないらしいじゃないですか。
GOZ: 高けりゃいいとは思わないけど。Night hawkはポタ研で聞いてみたら、フラットな音というか、ごく普通の音だったね、アレは。TH900とかHD800なんかと比べると、なにかコレっていう売りがない音だけど、全てがバランス良く、普通に音のいいヘッドホンって感じだった。8万だったら値段相応かな。かけ心地もいいしね。だがHD800あたりにはまだ敵わないとも思う。この分野にも新しい千両役者が出て来て欲しい。Focalがベリリウム振動板を使ったハイエンドヘッドホンを開発中とか、MURMASAに続くPandoraシリーズの旗艦のリリース予定とか、色々と噂はあったのに。それからオーディオテクニカは最近なにしてんのかな。なんかパッとしないじゃない。ハイエンドなヘッドホンという意味でさ。
まあ、静電型に関しては、Hi-Fi man HE 1000だな、期待のヘッドホンとなると。HD800を上回るという噂だが、STAXのSR009をも上回るような音なのかな。
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MEZ: HE 1000がSR009を超えるのかどうかは聞いてみないとねえ。ペアを組むヘッドホンアンプEF1000の出来にもかかってる。
なにしろヘッドホンは全く新しい技術で音を出すタイプとなると、なかなか出てこないんですね。HE1000だって全く新しいタイプのヘッドホンじゃないです。ブレークスルーがない。例えばヘッドホンのほとんどはドライバーユニット一発でフルレンジスピーカーみたいな鳴らし方しかしてない。ユニットを増やして、ネットワークで管理するヘッドホンはまだ成功例を私は聞いてないんです。
そうそう、忘れてましたが、CES2015でEnigma acousticsってところからDharmaっていう画期的なヘッドホンが出てましたね。詳しい情報がないんですが、高域を静電型ドライバーに、中低域を和紙で作られたダイナミック型ドライバーに受け持たせるという、静電型とダイナミック型をハイブリッドしたヘッドホンだとか。$1200っていう予価があることからして、そのうち市販されるようですね。スケルトンのヘッドホンアンプと合わせて発表されてて楽しみです。このメーカーの外付けスーパーツィーターはもう日本で売ってますから、待ってれば日本で買えるようになるかも。
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でもまあ、革新的なのは、このヘッドホンと既存のObravo HAMT-1くらいなもんでね。
一方、イヤホンはドライバーが複数あるのはごく普通。カスタムIEMからさらに進んだ音質のオーダーメイドなんていう企画もあるし、36万もするJHのLayraがアッと言う間に売り切れたりとか。やはりイヤホンは勢いあります。
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GOZ: そう、Enigma acousticsのDharmaもHE1000もまだ来ないんだけど、今年もポタ研へ行かないと、時代に乗り遅れると思ってね。大混雑なのに行ったのよ。
JH audioのLayraは確かに凄くって、イヤホンで初めてほぼ完全な三次元空間を感じたね。各楽器の分離とかスケール感とか、凡百のヘッドホンは負けそうだったね。Angieは予想の範囲内というか高級イヤホンのバリエーションって感じだけど、Layraはホント面白かったね。個人的にこのイヤホンにTELOS HPAを合わせたらどうなるか、興味がある。その他はanalog squared paperのTR07HPとかさ、結構、個性的でそそられたね。マス工房のデカいポータブルフルバランスアンプの鮮烈だけど正確な音とかも印象深い。そいからOppoのHA2とPM-3のペアは値段を考えると完璧すぎるサウンドだったね。大家電メーカーが力を結集して作ったような音してた。音だけだとSONYかと思ったよ。
MEZ: もうこのジャンルでは日本の音響家電の大メーカーは中国や韓国のメーカーに、ほとんど負けそうなのがはっきりしましたね。そういえばAK500Nはどうでした。
GOZ: AK500Nは聞いたけど、SONY, ヤマハ、ONKYOあたりの製品とは値段も性能もデザインも格が違うわけだし、あの優秀なSforzat DSP-03と比べてさえ、あまり遜色ないなあ。それからAK500Nはヘッドホンアウトついてるんだけど、それこそ聞いてみたいな。

GOZ: ところでさ、世の中の基本的な流れとして、イヤホンとかヘッドホンは学生とか就職したての若いうちにやっていて、それなりに出世して収入が増えるにしたがって、ヘッドホン・イヤホンは卒業、スピーカーの方へというのがコースとして考えられてて、それに意識的にまたは無意識に乗っかろうとしてる人がいると思うんだよね。オーディオ雑誌とかブログ見ていると、やっぱりスピーカーで聞こうよとか聞きましょうよとか、時々書いてない?結局はスピーカーにみんな収束していくという話は分からないではないのだけど、なんか引っ掛かるんだよね。
MEZ: 何がです?それは自然の流れみたいに思ってましたけど。
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GOZ: 散々スピーカー聞いてきた感じで言うと、今の時代、実はスピーカーオーディオって、もうそんなに面白くないのよね。俺がスピーカーで面白い、凄いと心底思ったのは随分前にジャーマンフィジクスっていう会社で作っていたDDDドライバーを聞いた時が最後なんだ。その後も小さい感動とか感心はいっぱいあるけど、俺個人はスピーカーでそれこそ何年も心の底から大感動したってものに会ってない。そういうわけでもうスピーカーってものはグレードアップしようとしても、ただ高価でデカくなってゆくだけで、感動の伸びしろは、ほとんどないんじゃないかって思ってるのよ。テクニカルにも、能率は低くなる一方で、アンプに負担はかけるし、カネもかかるし。スピーカーの持ち味を出すために、アンプを強化するしかない状況さ。逆にスピーカーがアンプの良さを引き出すように働く場合がかなり少ない。誰かが言ってたけど、スピーカーが一番サボってる時代なんだよね。もっともっと能率が高くして、ワイドレンジでハイスピード、高解像度っていう現代的な音を出せるスピーカーがあってもいい。こんな感じで不満が渦巻くスピーカーオーディオっていう場所にあえて誘い込むのもねってちょっと思う。とどのつまりは余計にカネを使わせたいだけじゃないか?業界ぐるみでハイレゾとか言って騒いでるのと同じ目論見じゃないかっていう思いはなくはない。ヘッドホンとかイヤホンは耳の健康に悪いとか、音楽の全体像がわかりにくいとか、欠点は色々あるけれど、オーディオとしてはまだまだ伸びしろがあるエキサイティングな分野でることは間違いないんだ。スピーカーを始めたからって、それは忘れないで欲しい。
MEZ: 確かに、ヘッドホン・イヤホンはやっている人間を飽きさせないだけの展開がありますよね。スピーカーはマンネリズム。
GOZ: そこでTelos Headphone amplifierとRe Leaf E1を聞き比べた話に戻るけど、この二つを並べて聞いてると、ついにヘッドホンオーディオもここまで来たかという感慨がある。この音って心底面白いんだよね。Magico Q7よりも面白い。
MEZ: つまりGOZさんみたいに、スピーカーオーディオをずっとやっていて、つまらなくなってヘッドホンやイヤホンに行くっていう経路もアリってことが言いたいんですか?
GOZ: そうなのよ。似たような話だけど、ずっとデジタルオーディオを追っ駆けてきて、もうつまらなくなって、行き詰まったところで、アナログオーディオに救われたってのもある。つくづくオーディオの辿る道ってのは一直線じゃないと思う。
Telos Headphone amplifierとRe Leaf E1はスピーカーに飽き飽きしたオーディオマニアが、全く別な使い方、全く別な音を指向するセカンドシステム、サードシステムを構築するっていう寄り道としても強く推奨できる。
MEZ: そうですね、今夜は夜更かしして音楽を聞くぞって金曜の夜に決心しても、そこでスピーカーを土曜の朝まで目一杯使える人なんてほとんどいないわけで。そこで昼間に聞くオーディオとは全く性質の異なるセカンドシステムが重宝なのは当然です。だいたい、夜にしても昼にしても大音量でJazzやクラシック聞きまくるっていう趣味自体すでに終わってるというか、もう時代遅れかなって思うし。家族・近所に騒音の迷惑かけてまで趣味をやって、周りもテキトーに許してくれるっていう、大らかな気風はもう日本の都会には残ってないです。でも肝腎のヘッドホンの音のクオリティが、今まで、どんなにカネやセンスを駆使しても、スピーカーオーディオに肩を並べられなかった。それがTelos HPAとE1によって解決されようとしてます。

GOZ: カネとセンスねえ。オーディオってのはさ、カネでどうにかなる部分とカネだけじゃどうにもならない部分ってのが混在しているから、それを整理し区別して考えることができないと上達しないと思う。機材の外観の美しさとか操作感とか、音質の客観的に見たクオリティとか、あるいはリスニングルームの音響とか、そういうものは札束の重さに依存する。だけど、自分の好みをよく知ったうえでの機材の選択、機材の組み合わせの巧さとか、ちょっとした使いこなしで潜在能力を引き出すとかいうのは、カネじゃなく使い手のセンス。センスを高めるには自分を磨くしかない。それは耳がいいだけじゃダメで、様々なオーディオをいっぱい聞いて経験値を高める、オーディオ技術の教科書を読んで勉強、他の人のオーディオルームでノウハウを盗んだりして知識も豊富じゃないと。音楽自体にも詳しくて、そのうえ自分でも使いこなしのアイデアが次々湧いて、試行錯誤を億劫がらない。なによりも、今あるものを壊したり、それに新しいものを付け加えたりすることに躊躇しないこと。音が良ければNewモデルだろうと、中古だろうと、どこの国の製品だろうと、アナログだろうとデジタルだろうと差別はしないのも重要。そういう使い手の柔軟な態度の総体がオーディオのセンスだ。カネとセンスの両輪がうまく回らないとオーディオは前に進まない。
MEZ: 以前、広大で天井の高い専用のリスニングルームにお邪魔したことがあるんですけど、あずましくないって言うか。かなりカネがかかったリスニングルームなんですけど、音響調整材に四方八方囲まれて真ん中にポツンと一人掛けのリクライニングがあるような感じ。オーナーさんは私を残して外へ行っちゃうんですよ。居ると音が悪くなるからとか言って。恐ろしく殺風景で孤独でした。
GOZ: 部屋が立派過ぎて、逆になにかが違うって感じたってことか。部屋は適度に広いほうがいいとは思うけど。でもルームの音響調整にカネをかけりゃいいってもんでもないということは確かだ。近頃は海外製のオーディオの値上げが酷いから、どうしてもカネの話になりがち。しかし、それは全体の50%以下の話だ。ぶっちゃけた話、一千万オーバーの製品の多くは500万円近辺の製品と実力差はほとんど認めなかったりする。一千万円超えた場合は無意味に高いモノが多くなると思う。富豪の金銭感覚に合わせて値付けして儲けてるだけなんじゃないか。
MEZ: ムンドなんかもそうでしょうか?あの値上げ見ました?
GOZ: 見た見た。GOLDMUNDはどうしてあんな無茶な値上げするかね。下手すると元値のほぼ2倍。ムンドって日本で言われてるほど酷いメーカーじゃなく、音は素晴らしいんだけどな。ハイエンドオーディオとしての実力はあるのに。もう日本では事実上は売らないつもりかな。でもTelos Headphone amplifierだけは値段据え置きだぜ。これも何を考えてるのか。逆に言えばムンドのHPAについては最後のチャンスではある。
MEZ: 実売価格含めて検討してくと、本当にRe leaf E1とTelos Headphone amplifierは本当にいい勝負なんですよね。迷うのは分かります。
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GOZ: 君の中ではAK240SSとPaw Goldが火花散らしてるんでしょ。AK240が苦手な俺もステンレスモデルには惹かれましたよ。SSモデルはかなり重厚かつ堅牢なものだったよ。高級感は半端ない。PAW Goldもその点じゃ負けてる。音の方はノーマルとSSと比べても、微妙な違いだね。ちょっとノーマルのAK240よりも透明感が増したうえ、やや安定感があって落ち着いた音かなあ。ZX2はまたまた遅れを取った。開発がワンテンポ遅いんだ。製品企画自体にも冒険がない。AK240SSと比べたらかなりチャチなものだ。
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MEZ: なんにしてもAK240SS欲しいですね。ポタ研で聞いてみたかったです。やはり試聴はイベント頼みのところがありますよね。eイヤさんでは地方巡回イベントをやるとか。これも新たな試みですよね。とにかく聞かないことには始まらないんだから、イベントを利用して皆で聞いて、さらに盛り上げて欲しい。
あれ、ビール飲まないんですか。
GOZ: 今、禁酒してるのよ。付き合いで取っただけだよ。オレンジジュースないの?
MEZ: えー、盛り下がるのはスピーカーオーディオだけにしといてくださいよ。ビールぐらい飲んで気分良くしたらどうですか。
GOZ: いや、俺は憂いてるんだ。
MEZ: もしかして日本の将来をですか?
GOZ: それはもう諦めてる。オーディオの将来の方が心配だ。ごく僅かの大金持ちがやる、超高価なハイエンドオーディオと大したカネを持たない人達のためポータブルオーディオ、チープなスピーカーオーディオの二極が残って、その間の価格帯の中堅製品がガバッと無い。そういう構造になりゃしないかとね。これはトータルではオーディオの空洞化ですよ。
MEZ: 明日の心配なんてしないでくださいよ。なるようになります。そんな酷いことにはならんです。いざとなりゃ、老いぼれどもや臆病者たちを跨いで自分だけ先に行きゃいいんですよ。
GOZ: そうだよね。行き先がユートピアだろうがディストピアだろうか、もうどうでもいい。というか最初からどうでもよかったのかも。いろいろあってもオーディオを前に進めてゆくことだけは確かなんだからな。
じゃ、ジンジャーエールひとつ。
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# by pansakuu | 2015-02-06 22:07 | その他

Kiso acoustic HB-X1の私的インプレッション:冗談の対価

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冗談はしばしば真実を伝える手段として役立つ。
フランシス ベーコン



Introduction


大した話ではない。

あの日、私はオーディオショウに出向いていた。
一通り聞いたのち、15時となったのでブレイクを取った。
毎年やるように会場近くのビルの一階にあるチョコレート屋に入って、
奥のカウンターに陣取った。
ステッキのハンドルをカウンターの板の端に引っ掛け、
チョコレートドリンクを頼み、顔を頬杖で支えていると、メールが来た。
「今さっき、会場に来たのですけど、もしかして来てらっしゃいますか?」 
という内容だった。
ほう、随分と久しぶり、と返しつつ、このチョコレート屋の場所を教えると、
せっかちなその人は、あっと言う間にやって来て、私の隣の椅子に座った。

会場で買った何枚かのアナログレコードのジャケットをふたりで手に取って眺めながら、
そして、アフリカの様々な土地のカカオの香りの相違を愛でながら、
我々は取りとめの無い話をした。
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その時、話題に上ったのは、
たまたま私がシャレで持ってきていたステッキだった。
その人は、それをどこで手に入れたのかを知りたがった。
火の精であるサラマンダーを象(かたど)った銀の把手のついた黒檀のステッキである。
サラマンダーの目には緑瑪瑙が嵌め込まれている。
まるで本物の魔法道具みたいですね、と
新しモノ好きのかの人は目を丸くしてそれを見つめていた。
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私は冗談交じりに、このステッキを売っていそうな店を教えるから、
貴方が大事にしている、あの小さなスピーカーを借りたいと申し出た。
あくまで、笑いながら、である。
それは、写真を見たりレビューを読んだりして気になっていた
Kiso acoustics HB-X1というブックシェルフスピーカーである。
もちろん、唐突にそう思いついたわけではない。
その人が鳴らし始めて、半年くらい経った頃合いを見計らってのことだ。
あれはなかば「楽器」のようなスピーカーだから、
鳴らし込みで音が大きく変わるタイプなのである。
音が安定していい音を出しはじめるのは、それなりに時間が必要だ。
半分冗談で笑っていても、
もしかしたら本当に借りられるかもしれないのだから、
抜け目なく考えを巡らせていた。

互いにレコードを分け合って、気持ちよく、ごきげんようを述べ合った直後、かの人からメールが来た。私の現住所の確認である。スピーカーを送ると言う。冗談が本当になる。オヤオヤ、このせっかちな人は本当にステッキ一本のためにスウェーデンまで出向くつもりなのだなと、少々驚いた。


Exterior and feeling

Kiso acoustics HB-X1は、簡単に梱包して気軽に送り出せるほど、コンパクトで、さりげないスピーカーである。だが、このスピーカーに特有の綺麗なエンクロージャーの仕上げに注目すると、他の多くのライバルを出しぬいて、このスピーカーが強いオーラを放っているのが分かる。(写真は高峰楽器製作所様のHPより拝借いたしました)
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このスピーカーを後ろから眺めると、背中のカーヴした曲面を縦に走る細かな木目に視線が行く。この木目は滑らかな面の奥に艶やかな光を沈着させつつ、下方へ流れ落ちてゆくように見える。私はこの背中の曲面の柔らかさに、女性の臀部に感じるような微かな色気を感じる。サイドパネルには、繰り返す木目の縞模様がクッキリ浮かびあがっており、自然素材の持ち味が見事に生かされている。
これらの部分は厚さ数ミリの無垢のマホガニー材で出来ていて、最近多くのスピーカーのエンクロージャーに使われる金属、あるいは数センチもの厚さのあるMDFに比べると軽薄で、たよりないものである。好んで、このような素材、かつて生物の一部であった材質を最小加工で使うところに、最近のガチガチに硬く作られたスピーカーたちとは異なる、柔軟な発想がある。デザイン全体を見ると、これは単純に理詰めの機械的な道具ではなく、生物的・人間的な要素が多分に加味されて成り立っているモノのように見えた。
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フロントバッフルは面取りされたハードメイプルをピアノ塗装で仕上げたもの。この部分は、側板や背面の微かなたわみを感じる柔らかさとはやや異なり、硬くカッチリした印象がある。すなわち、このバッフルはエンクロージャーのその他の部分と質感や形の点でコントラストを成しており、この小さなスピーカーに深みのある表情を与えている。
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そして、ここには径10cmの何の変哲もないピアレスのコーン型のウーファーと、黒檀を成形した径1.7cmのリングホーン型のツィーターが取り付けられる。私個人は、これらのユニットを留めるネジに金メッキやロジウムメッキ等のコスメテックな装飾をしてくれたら、さらに面白かったのではないかと思う。このスピーカーを正面から見ていると、この価格にしては少し寂しい感じがするのだ。恐らく音質上は不必要であろうロジウムメッキの銘板はつけたほどなのだから、そこまでやっても良かったはずである。なお、ここに使われているネジは鉄製なのか、少々サビのようなものが出ていた。これはあまりよろしくない。

このスピーカーの印象を決定づける、輝きを内に秘めるような木材の選択・高精度な組立・塗装の美しさについて、似た外観を持つスピーカーを見つけるのは難しい。類似した楽器型のスピーカーとしてフランコ セルブリンのスピーカーと比較されやすいが、実際に見比べると全く違うものだろう。HB-X1はイタリア人の感性よりも、さらに軽妙でシンプルな感性によるデザインである。フランコ セルブリンのスピーカーについては、あれは開発者本人の発明したオリジナル楽器のようなところがあると思う。あのメーカーの作品にはイタリア人特有の天才的なひらめきが横溢しているし、時にしすぎている。
一方、KisoのHB-1やHB-X1はあれほど独創的ではない。これはアコーステックギターの作りをスピーカーに応用したものだ。ギターを見慣れた者にとってはそれほど奇抜なものではない。

HB-X1はエンクロージャーの基本的な製法が、ギターに準じているだけではない。例えばこのスピーカーの側板の辺縁部には二本の細い線が見える。これはよくギターやヴァイオリンの縁に見られるライン、パーフリングである。これは二枚刃のパーフリングカッターでラインを縁に彫り、その溝に各種素材を嵌め込んでゆく加工により生まれる装飾である。このスピーカーでは控えめすぎて一見では気づきにくい。さらにその外側に縁にはローズウッドを使ったバインディング、すなわちギターのネックやボディの角に沿ってつけられた異種素材による飾りがつけられている。ローズウッドがワシントン条約により、入手しづらくなっていることから考えて、豪華なものなのだろうし、高級な楽器としてのスピーカーというコンセプトをアピールしているのだろうが、こちらはパーフリングよりさらに控え目でわかりにくい。 

このスピーカーに関してはエンクロージャーの内部についても美しく仕上げられている。内部の写真を見ると、側板を裏打ちする数本の力木(ちからぎ)、背面を裏打ちする二本のブレーシング、入念に仕上げられたバスレフダクトなど、外見と同じくなかなか精巧に作られているようである。以前AVALONの大型スピーカーの内部を覗いたが、吸音材の入れ方はそれなりにテキトーな感じだったし、はみ出した接着剤もかなり残っていて、お世辞にも綺麗なものじゃなかった。音に支障なければ一応、問題ないのだが、価格を考えるとどうかとも思った。一方、昔読んだヴァイオリン製作に関する本の中に「将来、修理で箱を開けられたときに、内側がぞんざいな仕上げだと思われるのは、今から気持ちが良くない」と書かれていたのを思い出す。HB-X1は、そういう高級なアコースティック楽器製作にありがちな真面目さに溢れたスピーカーなのだろう。

実物を手に取って見ると、思いのほか重いとでも言おうか。片チャンネル5Kgあまりのスピーカーである。それにしても小さい。こんなに小さなスピーカーが左右ペアで170万円もする、スタンド抜きで。それは単にこのスピーカーの音の良さへの対価ではあるまい。歩留りの多さだけでもないだろう。この外観の美に対してもお金を支払うということか。ルーペで各部を拡大して見ても、いささかのパーツの取り付けのズレ、工程中に付いたキズはもちろん、あらゆる修正の痕跡すら見当たらない。
ただし、この手にあるスピーカーを間違って取り落としたりすれば、簡単にエンクロージャーに割れやヘコミができそうで怖いということはある、借り物だけに。こういうデリケートさも、このスピーカーの作りの中に内含されている気がする。
だが、このデリケートさも、このスピーカーの良い特徴のひとつに数えていいのではないかと私は思い進める。つまり、このデリケートという言葉には、スピーカーが置かれた環境に対して生き物のように敏感に反応するという意味も含むのだ。リスニングルームの気温や湿度、ユーザーの普段聞く音楽の種類や音量で、この不確定要素の多いスピーカーの音色は微妙に変化してゆくだろう。それはこのスピーカーの使いこなしを、とても面白いものにしてくれるに違いない。

ところで、このように小さなブックシェルフ型スピーカーセッティングではスタンドの選択が重要な要素である。
今回、別梱包で送られてきた純正のスタンドはかなり重厚なもの。スパイク状の足がついた厚い金属板の上に、天板のついた円筒を立てるというものだ。その天板の上にスピーカーを載せるが、スピーカーと天板の間には防振ゲルのような透明な素材を介在させる。この載せ方だと、エンクロージャーの響きをスタンドの金属が殺すこと無く、音が柔らかく広がるだろう。なお、スタンドを構成する金属板は分厚いしっかりしたもので、安物感はないものの、このスタンドのデザインがスピーカーの格に合っているとは思えない。もっとHB-X1にデザインを合わせて曲線を取り入れてもいい。Raidhoやフランコ セルブリンのスピーカーのスタンドに比べて格好が良くないのは反省点か。


The sound 

試聴とは、その始まりがいつも危うい。
蜘蛛の糸の上、真夜中の綱渡りの始まりのように。
満足か失望か。褒めるのか、貶すのか。
その境目に危ういバランスを保ちながら佇んで、
真ん前の綱を見据える綱渡りの曲芸師よろしく、
私たちは未知の機材たちと向き合う。
ついに初音が出る、その瞬間はいつもエキサイティングであり、
その興奮は麻薬的な習慣性すら併せ持つ。

このHB-X1は一曲目から、強い浸透力を持つサウンドと聞けた。
心の隙間や襞に入り込み沁みとおる、潤滑油のようなサウンドに聞こえた。
これは滲みる音だ。
このスピーカーから出てくる人の声は暖かいが、緩くない。緩くないがスイートで聞き疲れない。聞き疲れないが、解像度はすこぶる高く、声の調子の隅々までクッキリと聞こえて、細部は逃さない。細部は逃さないが演奏のスケール自体は、この規模のスピーカーとしては有り得ないほど広い。左右の間隔は2m以上広げたいものだ。思いがけない音の広がりとその広がりを満たす情報の密度の高さ、両方に意外性のあるスピーカーだから、それを生かしたいのである。
瓢箪から駒という諺を想起する人もあろうか。瓢箪のあの細い口から馬が出てきたら、タネがあれば手品だし、タネがなければ魔術である。いずれも英語ではMagic(マジック)である。HB-X1の音はそのスピーカーの外観からすればマジックと言うべきものだ。
オーディオにはマジックとリアルがあるとMagicoを主宰するアーロン ウォルフは述べたが、このスピーカーがどちらの領分に多く属するのかは聞けば明らかである。

確かにMagicoやWilson、Vivid等の最新のスピーカーが目指すような、針で衝いたほどの隙もない高音質を求めることはできない。ダイナミックレンジもそれらの製品ほど広くはないし、SNが特筆できるほど高いわけでもない。超高域や超低域などは当然ロールオフしている。果てしない性能追求から来る音全体のリアリティという面では最新鋭の高価なスピーカーたちに一歩劣る。そのかわり、そういう完備された理詰めの音質には滅多に宿らない、音の深い艶に惹かれる。それは味覚で言えば旨味のようなものであり、ヒトという生物が生理的に快楽と感じる音の要素である。私の聴覚は音の柔軟性や明るさ、温度感や色彩感を総合的に捉えて、音の艶と感じているのだろうが、それが科学的になんと名付けるべきかはあまり口にしたくない気もする。恐らくそれは共振のようなものだろうから。悪い言い方をすれば余分な響きなのかもしれない。しかし、このスピーカーのエンクロージャーが持つ麻薬的な響きに惹かれるのは事実。これもまたマジカルな要素だ。

チョークで黒板を引っ掻くと、時折に出る嫌な音がある。これが他の何の音に似ているかを研究した人がいる。それに最も近かったのは、野生のサルの群れに危険が迫っていることを知らせる、見張りのサルの声、警戒を促す叫び声だったという。この話を進化論に沿って考えれば、万人が不快と思う音は進化の過程で遺伝子に織り込まれた危険情報だったことになる。
逆に万人が心地よく感じる音もやはり我々、ヒトという種の遺伝子に記録されているのかもしれないと私は勘繰る。しかし、実際のオーディオの世界では、正確な音というものに厳密なコンセンサスがないのと同様に、人の感性の違いによってさまざまな美音が存在し一定しないように見える。だがそうであっても、美音の核となる部分、つまりほぼ万人が美しい音と感じるストライクゾーンが存在することは否定できまい。現にHB-X1の麻薬的な美音を聞くと、そういうゾーン、おそらく遺伝子に記録された生理的な快音の領域があることを信じたくなる。HB-X1の作者は、このゾーンを見つけ出し、自分の作るスピーカーにそれを発声させるように仕向けたのだ。意図していなかったにしても、結果的にそうなっている。

人声や弦楽器を得意とするスピーカーであろうことは、その外観から想像できるが、まさにそうである。ビキューナの毛で織られた生地のように柔らかで軽く、血の通った暖かさが、このスピーカーの音の触感であり、これは人の声、ことに女性の声を麗しく表現する。あるいはヴァイオリンやギターの音を鳴り響かせることについて明らかなアドバンテージを発揮する。また下位モデルのHB-1に比べると、声や弦楽器の音のディテールに、より深く関心を払った描写をするところに価格差を感じる。HB-X1には、それが再生できる帯域全体において平等な解像度の高さがある。また、細かい音がつぶさに聞こえるのみならず、それらを聞かせるだけの音の勢いもあり、サウンド全体の重心も低い。それらの意味でもHB-1を上回る。ネットワークやエンクロージャーの改良は確実に効いている。ジャズボーカルとか、弦楽四重奏などの演奏、つまり声、アコースティック楽器、小編成、ビートよりもメロディ、などという言葉で語れる音楽については、大型でさらに高価なスピーカーを越えた安定した高音質が得られる。
そういえばHB-X1が出ても、HB-1がオンステージした時ほどの物議は醸さなかった。あの時はなかなか騒がしかったのに。今回はもう馴れたのか、こんな割高そうなスピーカーに関心がなくなったか、それともHB-X1が有無を言わさないほどの性能を身につけていたからか。私としては最後の説を取りたい。

では、オーケストラの演奏の再生はどうなのかと必ず聞かれる。大編成の曲は不得意では?と意地の悪い質問である。これについてはいろいろな捉え方があるとは思うが、この箱の大きさにしてはかなり健闘していると言うべきだろう。前に述べたとおり、このスピーカーの大きさを考えれば明らかに不釣り合いなスケールの音である。とはいえ、等身大のオーケストラと言いたくなるような、のけぞるくらいにリッチでスペイシーなサウンドが出てきて圧倒されるようなことはない。過度の期待はしないことだ。

むしろ、このスピーカーには音源の秘密をそっとひもとくような、奥ゆかしさがある。
その秘密とは、現代のオーディオが失いがちな、繊細でどこか危うい均衡のようなもの、微かな湿り気を帯びた、生きている演奏者の気配であり、それが粒立ちよく、明瞭な音のバックに雰囲気として感じられるのがいい。
暗渠をゆく、ファントムの小船の航路のように鬱々として隠微な調べでも、
冬の澄み通った青空を高速で流れる雲のような、颯爽としたメロディも
人心が最も心地よく感じるようにHB-X1は演奏してくれる。
だが、真夜中のフロアで流れる、ベースミュージックのような重低音のビートが連続する音楽などは不得手である。また、一部のアニソンのように、人工的な音を多用し、タテ乗りで動きの速い音楽も合わなかった。人工的な重低音を十分に再生しうるほど、採用されたスピーカーユニットには低域の余裕や伸びがなく、ごく早いテンポについてゆくようなクイックでハイスピードな応答を目指したエンクロージャーでもない。このスピーカーを開発した方は、そういう音楽を聞かない人だろうし、このスピーカーの開発過程でそういう音楽でテストしなかったのだろう。そしてこの個体のオーナーもそういう音楽を一切鳴らさなかったはずだ。(このスピーカーは普段かけている音楽に寄り添うような風情がある)
実際に色々な音楽をこのスピーカーを通して聞いてみれば、その真面目な音造りにして、退廃や倦怠にさえも難なく及んで行ける懐の深さと洗練された情緒があるのに誰しも気づくはず。それは巧みに音作りされた楽器的スピーカーならではのものだろう。だが、上記にごとく、その音作りには死角もある。

このスピーカーは能率が低いので、数ワットしか出力のない300B 等をつかった非力な真空管アンプだと朗々と鳴らすことが難しい。だが数百ワットの出力を持つ高価なモンスターアンプも実はマッチングが良くないようだ。一聴すると物凄い音が出てくるようにも思うが、聴き込むとアンプの持つ力感や情報量が絞られてしまい、上手くスピーカーから出てこないような気がした。結論として、出力100W~200W位の普通の出力のパワーアンプで鳴らすのが一番いいということになった。そんなにアンプにカネをかける必要はないのだ。あえてやるならdartzeelのステレオパワーで、あくまで素直に駆動するとか、あるいはdevialetにHB-1に適合するSAMをかけたものでドライブすると面白いかもしれない。以前、信号にソフトウェア制御をかけるSAMを使うとHB-1がワイドレンジな万能型スピーカーに変わると言っていた方がいたのが気になっている。HB-X1を接続したならどうなるだろう。このスピーカーの潜在的な能力がさらに増幅される可能性がある。

なお、HB-X1は、他のスピーカーとの比較がやりにくいスピーカーである。同じ大きさのスピーカーと比較しようとすると、かなり価格帯の下のスピーカーと音を比べなくてはならないからだ。
いわゆるブックシェルフスピーカーと呼ばれる、2~3ウェイぐらいの小型スピーカーには秀作が多い。現行品で価格帯について考えなければ、Dynaudio Confidence C1、TAD CE-1、B&W 805Diamond、Fundamental RM10、Sony SS-NASESpe、フランコ セルブリン Accordo、PIEGA Coax10.2、Magico Q1、HABETH Monitor20.1あたりがすぐに思いつく。HB-X1はQ1を除く、これらどのスピーカーよりも高価であるが、私の中では音質上でもほぼ価格に比例した結果を示す。それは測定可能な音響性能のみで、他のスピーカーに勝ると考えるのではない。測定不能なファクター、すなわち曲や演奏者の情緒に寄り添うような音楽性、麻薬的な深い艶を持つ落ち着いた美音が、他のどのスピーカーよりも優れていると思うからだ。(ただ、それを含めて考えても強力なアンプで駆動されたCE-1やQ1の性能はやはり別格と思うが。)万策堂の頭の中のいい加減な比較が真実なのかどうかはともかくとして、上記のように音楽のジャンルによって得手不得手があったとしても、彼にそう思わせるほどだから、このスピーカーはやはり大したヤツなのだろう。

金属製のエンクロージャーと、最新のソフトウェアで設計されたネットワークのロジックが鋼のようなディシプリンで統率する、なんでもござれのハイエンドサウンドも一興だろう。しかし、マジカルな洗練に引き付けた目も綾な音の艶や、HB-X1独自の音楽の解釈にも説得力があると言わざるをえない。
要はスピーカーに、なにをどこまで求めるかである。
とどのつまり、どんなに高価で素晴らしい音を奏でるオーディオも
限定されたメリットを我々に与えてくれるに過ぎない。
はっきりした死角はないが、なんの専門分野もない平凡なスピーカーよりは、
HB-X1のような、緩やかながらスペシャリティを持つことの賢さに、
より強く感嘆符を打つべきではないかと私は思う。


Summary

あの日、あのカウンターで
私達はステッキについて話し合ううちに、
モノと出会いに話題を移していった。

例えば、
ステッキを買おうと思って銀座の専門店に行くとする。
長さ、重さ、色、先端のデザイン、把手の形。
自分がイメージする、自分の格好にフィットする品物は既製品にはなかなかない。
そういう場合は仕方なくステッキのパーツごとのパターンメイドを考えるが、結局は各パーツについて、既にある何種類かのバリエーションの中からから選ぶしかない。さらに、完全なオーダーメイドで作るとしても、良いモノが出来るためには、オーダーする自分自身に並はずれた感性の冴えがなくてはならない。仮に、それがあったとしても、経験上、自分の予想を超えるようなモノが出来上がることなんて、まず期待できない。
その人はそういう趣旨の話をした。

そういう軽い絶望を越えるためには偶然のあるいは意図的な出会いを増やす努力をするしかないでしょうなと、私は言った。
今の話題に沿えば、結局、オーダーメイドでなく、既に予想外に素晴らしく出来上がっている、既製品のステッキと私は出会わなくてはならないということだ。マジカルな感動を与えてくれる、無駄だけど素敵な出会いが人生には確かに必要だと思うので。時折耳にする考え、例えば、買えないものは世の中に存在しないも同然、だからわざわざそれに会いに行ったりはしないという考え方も分からんではない。しかし今は買えないと分かっていても、機会を捉えて、あるいは無理をしてでも、私は高嶺の花と会おうとする。たとえそれが自分の手に入らなくても、その出会いの感動は私の価値観を変え、より良い人生の選択、ひいてはより豊かな生活へと導いてくれるからだ。そのあげく、手の届かなかったはずのものに手が届いたことが一度ならずある。背伸びをしているうちに人間の背は伸びるものなのだ。
そんな偉そうなことを私は申し上げ、かなうことなら、あの美しいスピーカーHB-X1の実物にも出会いたいものですねと締めくくった。
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さて、いい加減、このスピーカーを戻す気になって電話すると、
その人はがっかりした調子で、
スウェーデンにも、あのステッキの現物は今すぐにはないらしいですねと言ってきた。
そりゃ残念、でもHB-X1は相変わらず良いネと返すと、
スピーカーとステッキを物々交換しませんか、ときた。
言ったあとで、その人は電話口でクスッと笑ったように聞こえた。
せっかちなその人の、冗談めかしてはいるが真剣で魅力的な誘いだ。
不覚にも、私は一瞬グラリと来たが、慌てて態勢を立て直した。
素知らぬ調子で、サラマンダーのステッキはまだ人に譲りたくないし、
だいたい値段が釣り合わないし、
スピーカーくらいは自分で買うからネと切り返す。
そう言ったあとで私も少し笑った。

それだけの話である。

# by pansakuu | 2015-01-24 16:05 | オーディオ機器

Esoteric Grandioso C1の私的インプレッション:What Color?

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私という色を問う・・・
by 常森 朱


Introduction

文章は書き出しが難しいとよく言われます。
(と言いつつ済ませてしまいましたが)
そんなパラドキシカルな自己言及はともかく、
私にとって難しいのは、むしろその次、始まりを受ける部分です。
インプレというのはその次の部分がいつも難しい。
はじまりの部分は単なる思いつきでいいのですが、
それを受けるところが冷静でないと、
話が続かなかったり、逸れて行ってしまうものです。
そして、
オーディオシステムで言えば、送り出しを受けるプリアンプが、
「始まりを受ける」部分になります。
これもまた難しいわけで。

プリアンプの取る態度には大きく二種類あり、あくまで上流の音を実直にモニターする無色透明な存在であろうとするもの、もう一つは送り出しから来る音に設計者が求める音色、あるいは音楽性のようなものを付加し、より良い音として聞かせようとするものに分かれるようです。とはいえパッシブフェーダーを含めた広い意味でのプリアンプのようなものを聞いてゆくと、ほとんどは、この二つの立場の中間点をゆらゆら漂っているようなあやふやな存在に思えます。普通の人間が常時冷静な観察者に徹することも、主観のみで物事を判定できるほどの価値観を持つ人にもなり得ないように、人間の手からなるプリアンプもそのどちらの両極にも至ることはできない。

とはいえ、もしかすると、設計者が求める音色・音楽性を意識的あるいは無意識に付加するプリアンプを造るより、自身の色を持たないアンプを製造する方が遥かに難しいかもしれません。何故って?経験上、そういうプリアンプの方が圧倒的に少ないように思われるからです。無色透明なアンプ、そういうものは果たしてあるのでしょうか。

そして今回レビューするEsoteric Grandioso C1は、この問いへの理想的な答え、そのものでした。


Exterior and feeling
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Grandioso C1は美しい外観を誇る、エレガントなプリアンプですが、盛り沢山な内容を持つオーディオマシーンでもあります。
実物と向き合うと、筐体の角には、バックパネル側も含め、大きなRがつけられているため、実測寸法、あるいは公開されている写真から予測されるスケール感よりも、随分小さくまとまった印象をうけます。ですが、回路部と電源部を分離した2シャーシ構造で重さは合わせて50kgと、プリアンプとしては超弩級の部類。これらの2筐体を、左右別のしなやかなDCケーブル2本で連結しています。このケーブルの長さはデフォルトで1mですので、普通は上段に回路部を置き、すぐ下段に電源部を置くという使い方しかできそうもない。もう少し長ければ電源部を遠くに置くなど、セッティングの自由度が上がるのですが。私がC1を買う場合、この部分は特注になりそうですね。

最近は金属加工技術が発達し、複雑な曲線、曲面がフロントパネルに刻まれる時代になりました。dcs、CH Precision、Constellation audio、Mytekなどのフロントパネルがそうです。それらの新しいタイプのフロントデザインにEsotericのGrandiosoシリーズは乗っかっています。布に装飾的なたるみを持たせて自然に流れるような襞を持たせること、それをドレープとも呼びますが、C1ではその柔らかな意匠を金属で表現しています。この細かな線状の彫刻を施した厚いフロントは、毎年三越で鑑賞(み)せてもらう、日本伝統工芸展に出品したいくらいの美麗な細工物です。そういえば、このアンプ、Japan MadeというよりはTokyo Madeだそうですね。エソテリック東京ファクトリーで製作されているとか。そういう意味でも伝統工芸のようなものに一脈通じるところがあるかも。

フロントパネルの左側には入力セレクター、右側にはボリュウムノブ、中央にブルーの有機ELディスプレイというシンプルな面構えです。それぞれのノブの横には、VOLUMEとINPUTと、小さく、しかし深く彫り込まれた文字列が見えます。ここをシルク印刷にする、あるいはAyreのように、そこになにも書かないというメーカーが多いのですが、こういう小さな文字ですら、わざわざ彫刻されると、とても高級感、所有する満足感があるものです。

ここでのボリュウムノブの感触は、私が知る多くのプリアンプの中でも最高のものです。ギャングエラー等の音質的な問題を検知できないのはもちろんですが、これほど滑らかでありながら空回りせず、ガタツキは微塵もなく、掴みやすく、適度の重みと粘りがあり、クリック感なしでピタリと音量が決まるボリュウムは知りません。勿論、速度感応式でアッと言う間にゼロまで下げることができます。これならフロントにはMuteスイッチは要らないでしょう。
同じく日本製のアキュフェーズC3800のボリュウムも素晴らしいのですが、C1のそれはアキュよりさらに上の回転感覚であります。回そうとすると微妙に軽く感じ、止めようとすると微妙に重く感じるのです。軸受けに使われているEsotericのSACDドライブメカのベアリングはよほど素晴らしいパーツなのでしょう。

また、ノブの収めるフロントパネルの窪み周りにはLEDで光るプラスチックの枠が嵌め込まれており、ノブに触れると瞬発的にブルーに発光、数秒後消灯します。この発光の輝度・ON/OFFはリモコン操作でユーザーが選択できます。もちろん、ディスプレイの表示の輝度やON/OFFの状況についても同様です。さらに電源部側正面の丸い電源ボタンを照らす小さな青いLEDがあるのですが、その輝度すらリアパネルのダイヤルで調節可能です。ここまでエクステリアを飾る光の輝度や発光の入・切のセッテイングを思いのままにコントロールできる機材は少ないはずです。
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実際、このアンプの内部のセッティングの選択は豊富です。入力ごとの位相切り替え、0.5dBステップでの±18dBのゲイン調節、ユーザーによる入力名の設定、使っていない入力のスキップ、ボリュウムの音質的な操作フィーリングを決めるボリュウムカーブの選択など。かなり多彩です。
入力系統はRCA2系統・XLR3系統と標準的ですが、出力はRCA・XLRそれぞれ2系統もあり、しかもそれらは同時出力可能です。さらにスルー端子までも装備。しっかりとしたアース端子は回路部にも電源部にも備わっています。

回路部の筐体内には左右独立になった入力・出力の二階建ての基板が、板バネによってフローティングされ、内蔵されています。NIROのように渦巻バネを使ったり、コンステレーションのように特殊なゴムブッシュやスポンジを使ったりしないで、あえて板バネで基板を浮かしているのが面白い。またフルバランス構成を取るこれらの回路は入力・出力基板を二階建てにすることで、最短距離での結線を実現しています。ボリュウム回路はラダー抵抗切り替え式のものが左右で計4系統、贅沢に使用されています。
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電源部にはトランスが5つもあるのですが、このコンストラクション、下位モデルでも同様ですから特には驚きません。しかし、このアンプではコンセントまで二つ使います。すなわち、このアンプは根本から完全に独立した二つのアンプが、フォトカプラーを介してコントロールされる形をとります。最近ではViolaのプリアンプで近い構造のものがありましたが、日本製でここまで大掛かりなプリアンプというのは記憶にありません。
使用されるパーツも豪勢で、超高スルーレートの出力バッファーアンプ、0.1Fの容量を持つスーパーキャパシター、Sicショットキーバリアダイオードなどが奢られています。この中で目を引くのは2000V/μsというスルーレートを誇る出力バッファーアンプ。この段は回路設計者の腕の見せ所ですから、このクラスだと通例では工夫を凝らしたディスクリート回路を使ってアピールするもの。ですが、ここではあっさり既製品のオペアンプを使って済ませています。おかげで出力基板はとてもスッキリしたものとなりました。現代のオペアンプの特性は、トランジスターを複雑に組み合わせたオリジナル回路のそれを上回ると聞きますし、希望の性能を出せるようなトランジスタ、パーツが入手しづらくなってきているとも言われます。このスッキリには、そういう現状も影響しているのでしょう。

これらの豪華な内部を包む筐体を演奏中に触っても発熱は全く感じられません。電源部も回路部も冷たい。温度を知るために筐体に触れたついでに、その指を下へと動かしてゆくと四ツ足のフットに触れることになります。これらは高さ調節可能な金属製のスパイクコーンなのですが、Esotericの足が他社と違うのはスパイク受けとネジで一体化しているところ。つまり、筐体を持ち上げるとスパイクから受け皿が外れないで一緒に持ち上がります。重いアンプのセッティングの際にスパイクを受け皿の上に置こうとして四苦八苦したことがある方なら、この仕組みの有り難さは分かるはず。
もちろん、ここでは各社のインシュレーターやスパイクを試すのも一興ではありましょう。セラベース、ウィンドベル、d-prop・・・・とっかえひっかえの音質テストも楽しそうですが、プリアンプ全体のデザインや重心、地震への対策なども考えると結局デフォのスパイクに戻ってくることになりそうですね。

Esotericの製品の外観はGrandiosoシリーズに至って海外製品にも通じるような使い易さ、美しさを見せるようになりましたが、これにはそれら他社製品を勉強した成果もあったと推測します。例えば青い有機ELディスプレイ表示はLINNのKLIMAXシリーズを彷彿とさせます。
恐らく、このC1というアンプには特許申請を必要とするような全く新しい機構は盛り込まれておりますまい。細部のアイデアの基本は、他のメーカーや自社の他のモデルで既に採用されているものが多いようです。アキュフェーズのアンプのように、キーとなるボリュウム機構を独自のアイデア・手法で一から作り上げ、製品の主眼とするようなことはあえてしていない。自社の技術を発達させるだけでなく、同業他社や異業種のメーカーの機械を勉強し、咀嚼して適所に適度に応用しつつ設計を練り上げたように見えます。


The sound 

このように外観や操作について語るべきことは多いのですが、
このアンプの音質に関してはあまり言うことがありません。
一言でいえば、私にとって、このプリアンプは音質らしい音質が意識されない初めてのアンプです。これだけの物量投入をされていながら、不思議なほどシステムの中で存在感がないアンプ。私にとって最も色のないアンプ、それがEsoteric Grandioso C1です。システム上流の送り出しの音、ひいてはそのソースである音楽そのものが持つ音、その音色をほぼ正確に問えるモノとして、一つの理想形が生まれたことになります。

例えばいくつかのC1のレビューに、広大な音場という表現があるのですが、これは少しどうかなと思います。雑誌のレビューでこのアンプを聞く際は必ずGrandiosoのセパレートSACDプレーヤーが組み合わされているのですが、このプレーヤーの作り出す音場が広いのだと私は思うのですね。ダイナミックレンジやSN、温度感、音触等に関してもそうです。組み合わせたGrandioso P1+D1のレンジの広さや静けさ、音質の特徴をそのまま出せるのです。これはプレーヤーを取りかえればすぐ分かることです。例えばデジタルプレーヤーからアナログプレーヤーに上流を置き換えた時の変化の度合いなどは聞きモノです。カートリッジやアーム、ターンテーブルのもつキャラクターが、見事に分離し手に取るように確認できる感じ。こういう聞こえ方はあまり経験がありません。

今までEsotericの機材というと、看板商品であるデジタルディスクプレーヤーはもちろん、アンプについてもどこか硬くて度量が狭い音という印象でした。いわゆる特性重視で音楽性皆無というスクエアな音。
それが今回のGrandiosoシリーズが出る前あたりから少しづつ変化してきているのは感じていました。K-01のサウンドなんかは特にそうかも。しかし、既出の下位モデルC-02などを聞いても、かつてのやや残念な印象は完全に拭えたわけではありません。Grandiosoシリーズでもプリアンプ以外では、未だに古いEsotericのトーンを引きずっているように思いました。そのなかでC1のみが明らかに違います。突出してナチュラルな印象であり、ブラインドで聞かされたら、まずEsotericのサウンドとは思えないでしょう。

上流の音を正確に受け止め、ただ下流に受け渡すだけなら、それは惰性に満ちた音になってしまうかもしれない。だからC1では音色の正確さが下流のパワーアンプで改変されないよう、パワーアンプを意のままにコントロールする能力がプラスされています。
この手法の実践のためには、まず音のフトコロというものは限りなく深くしとかないといけない。どんなに凄い音が来ても余裕で受け止める用意が必要です。そして後段のパワーアンプに対する過不足ない働きかけ、ドライブ力も必要にもなる。これはプリアンプがパワーアンプを介して間接的にスピーカーを駆動するという考え方によっています。同価格帯の標準的なプリアンプのそれを遥かに超えると思われるダイナミックレンジ、パワー、瞬発力を発揮する、過剰なほどの物量投入は、その二つの機能を十分に果たすためと受け取るべきです。
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例えば、サウンドの透明度ではピカイチと思われるdartzeelのプリアンプNHB-18NSでさえC1と比較すれば音を濾過し純化して出して来るようなところがある。やはりNHB-18NSでは音が磨かれているわけです。C1はそういう仕事をあえてしません。まるでボリュウムを操作している時だけアンプが動作しているようなオーバーオールの謙虚さがあります。
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さらに、ilungoのパッシブフェーダーCrescendo205などは、音を素通しする機材の極致のように私は考えていましたが、C1の試聴の後では、あれはあれで、音に洗濯して洗いざらしたようざっくりした風合いを感じるところがある。生々しい生成りの音ですが、どこか音が荒くなったように感じたこともあります。やはり、微妙に音が変わっているのではないか。私はこのフェーダーが好きですが、疑いを持たないわけではない。
一方でC1のサウンドにはパッシブフェーダーで聞かれる、あの微かな荒ささえも感じません。C1ではフェーダーよりも信号が通る経路ははるかに長く複雑なはずなのに何故なのか。音を変えていないという巧妙な演出を、その回路を通して行っているような気配すらあります。
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JeffのCriterion、あの途轍もなく静かなプリアンプですら、C1と並べて考えると、その静けさに込められた設計者の強い願望や意志を感じます。C1にはそういう静かなる情熱すらありません。C1は透明であり、本当に無私の存在です。

とにかくC1の試聴では、これを通過させて音に変化を出すというサウンドイメージを抱くことがとても困難でした。ゆえに、C1について知るには二つ以上の聞き知った送り出しと組み合わせて比較する必要があります。

これは特色らしい特色がないアンプですが、強いて言えば低音の出方の自然さというのが、音質上のハイライトでしょうか。パワーアンプを替えても、量感やゆとりは一定に保たれ、常に瞬発力の高い低域が得られます。しっかりとして、解像度もすこぶる高い低音がストレスなく吹き上がる様はなかなか壮観です。電源が過剰なほど充実しているため、パワーアンプに対する働きかけは強く、非力なパワーアンプでも十分な低域の解像度が得られます。これなら、あらゆるシステムセッテイング、あらゆる音楽の場面で出音に不満はないでしょう。
時に別筐体の電源部を持つプリでは、パワーアンプを過剰なほどキリキリ舞いさせて、元気の良すぎる音にしてしまう場合もありますが、C1ではゆとりを残しつつ、過不足なくパワーアンプをドライブする大人の節度を感じます。実力は高いけれど、あくまでやり過ぎず、黒子に徹しております。

とはいえ、これほど極端な傍観者ともなれば、褒めるだけで済ませるわけには参りません。
例えばConstellation audioのVirgo2と同時比較すると、やはりVirgo2の控え目ながら洗練された音楽性や空気感の演出の巧みさには心奪われるものがあります。C1よりも100万円以上高価なプリアンプですから、そうでなくてはいけないのですが、やはりそういう芸術点の差に不満を感じる部分がC1にある。だから、プリアンプをあえて通すことで得られるプラスαの部分こそ、ハイエンドオーディオの醍醐味と思う方にC1をおすすめはしません。ただ、真にピュアなプリアンプを求めるなら、最良の選択肢ということです。

それにVirgo2やAltair2で時折報告されている、突然の定位の変化などの不安定要素も勘案すれば、一時の出音の良さのみでConstellationのアンプが優れていると判断してよいものか。それは音質そのものとは別な観点なのですが、やはり、動作が安定して不具合が起こらない、仮に不具合があってもメーカーが国内で、すぐに直せるというのはアドバンテージです。
さらに円安で高価な海外製品はお買い得感がかなり減って来ていることもあります。C1は定価250万円です。一方、海外製品でC1のようなプリがあったとしたら、日本では400万円を超える売価となるでしょう。やはり今は国産製品を狙うべき時期です。


Summary

従来この手の無色透明を目指すプリアンプは信号になるべく手を触れないということをモットーに作られてきまして、その設計思想は引き算でした。ですが、本当にピュアであり続けるためには、それだけでは足りない、むしろオーバーなほどの手当が必要であるとC1は主張する。そういうわけでC1の基本設計は足し算です。

確かに、このGrandioso C1というアンプを使えば、上流の送り出しがどういう音をしているのか、その音の複雑な色あいを正確に知ることが可能です。C1には自分の色というものをその痕跡を含めて消してしまう特異体質があります。物量投入型の音質改善が、その方向に積極的に作用し、これほど無私な音質を完成させた例を私は知りません。有り余るほどの潜在能力を持ちながら、いわば積極的な消極性という態度に徹するとき、そこに結線された上流、下流の機材の振る舞いは、むしろ自分の掌の上で踊る演者のようにC1からは見えているのかもしれません。
これはシステム全体に対して限りなく消極的に関わるように見せることで、普通のハイエンドプリとは全く逆の形でシステム全体を支配する稀有な例なのではないでしょうか。


私の中には、
C1のリスニングの後に徐々に頭をもたげてきた考えがあります。
それは、私を含む大概の人間が、完全に客観的な観察者にもなれず、逆に自己の主観のみで生きる強者にもなりきれないという、ありふれた事実から始まるものです。
それはオーディオとは一見、関わりない事のようですが、そうではない。
C1という無色透明な傍観者との出会いは、
自分という人間、ひいては、その自分という人間が目指すオーディオが、透明な客観でもなく、そして一色で塗りつぶされた主観でもない、あやふやな色・キャラクターを持つ存在であることを明らかにしました。
私自身の欲するオーディオの姿、それは私という精神を染め上げている色が決めるものなのでしょうが、そういう私の心の色の濃淡を炙り出すような心理的インパクトがC1の無色透明なサウンドにはあるのです。
C1を聞くこと、それは否応なくオーディオについての私自身の色、私のオーディオへの情念の色を問うことになり得るのです。
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自身の色を問う。
それは自己を無に近づけ、自己を見つめ、自己について言及するということ。
それは自己言及のパラドックスであり、どこか神秘的なセルフセラピーのようでもあります。
また、こういうゾーンに入ることはオーディオの秘境の一つに立ち入ることでもあります。
試聴という、技術者達の創り上げた入魂の機材との内的な格闘のあとで、
オーディオについて深く考えを巡らせるとき、
意外な世界・思わぬ秘境に精神をトバされる。
こういう難儀な心の習慣こそが、
私の心の色そのものなのかもしれませんね。

# by pansakuu | 2015-01-08 21:45 | オーディオ機器

RE・LEAF E1 ヘッドホンアンプの私的レビュー: 天秤の片方

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天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。
それっておもしれぇなぁって思って。
藤原基央(BUMP OF CHICKEN)



Introduction

ひとつのモノを選ぼうとする時、
私は必ず、頭の中に一基の天秤を置く。

天秤の片方に買おうとするモノを置き、
もう片方にそれと比較対象になりそうな別なモノを載せる。
どうやっても私が選ぼうとしている、そのモノの方が重く、
どんな他のモノを対抗馬として持ってきても釣り合いそうもないと踏んだとき、
万を持して購入に踏み切る。

GOLDMUNDのTelos headphone amplifierの事を考えるにしても、
この習慣は当然変えないわけで、
なにか、釣り合いそうなモノを常に物色して比較するという思考実験が
絶え間なく私の中で繰り返されている。

今回、取り上げるRE・LEAF E1というヘッドホンアンプを聞いた私の第一印象は、
これは既に聞いたことがある音だ、というものだった。
日本人の作った高級なオーディオ機器によく聞かれる傾向が感じられた。
既存の強力なDACと日本製のハイエンドなHPA、
例えばOJIやマス工房の高級なHPAとを組み合わせるならば
なんとか出せる音だと踏んだのだ。
その瞬間に限ればE1は私にとって無価値なアンプであったと告白する。

たが、RE・LEAF E1を振り返ってみると、そのシンプルさと、コンパクトネスには目を見張るものがあると気付く。その音の端正なまとまりの良さも得難い。なんと、この単行本ほどの大きさの機械にノートパソコンとヘッドホンを結線するだけで、これほど正確かつ明快で整った音が手に入る。
そう考えているうちに、いま一度、聞きこんでみたくなったのである。

かくして私は、E1と再度、そして再再度、再再々度と対峙することになった。
驚くべきことにE1は試聴のたびにその外観と内容を変化させてきた。
音も当然変わってきた。
ライバルであるTelos HPAが仕様を全く変化させないのと対照的であった。
2014秋のヘッドホン祭りで聞いたE1の音と2015年3月8日に聞いた音とは、かなり異なる。
このレビューは、3月8日に聞いたおそらく最終仕様と思われる個体から得た情報をもとに書いている。
(写真はメーカー様のHPから拝借しております。)


Exterior and feeling

RE・LEAF E1は先述のとおり、単行本くらいの大きさの平置きの四角いアンプである。
表面仕上げは非常に美しい光沢のある梨地仕上げで、ずっと撫でていたいほど手触りがよい。こういう感触のある表面仕上げはオーディオでは初めてであるし、これが底面だろうが表だろうが、何処を触っても味わえる。この仕上げは2014年の秋のヘッドホン祭りの時と2015年3月の最終仕様とは明らかに異なる。使っている金属の種類もわずかに異なるらしい。またコーナーにつけられているアールの仕上げも非常に美しい。
一見してただシンプルなデザインと映るが、ありえないほどガワにカネがかかっている。いままで見てきた多くのオーディオ機器の中でもトップクラスに外見にカネをかけている。ただ外観にこだわりすぎて、素人には分かりにくいほどになってしまったのが問題かもしれない。最新のロットではフォーミュラーワンの部品製造を担当する日本の工場に筐体を発注しているらしい。
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このアンプのフロントパネルは狭い。右端には、3つの低い突起がある。これは電源スイッチボタンである。3つのポイントに分かれているが、これは実は一個のボタンである。どれを押しても同じで、同時に二つ三つ押してもよい。その隣には、溝もなにも刻まれていない単純な円筒形のボリュウムノブを触れる。さらに隣には電源やロック状態を示すLEDランプがある。ここでボリュウムノブの感触は滑らかである。悪くない。ベアリングなどは組み込まれていないらしいが。なお、このノブには溝や印はない。
残りは丸く彫り込まれて少し奥まった場所にあるバランス・シングル兼用のコンボタイプヘッドホンジャックが二つ。それだけである。筐体のトップパネルにはなにもない。四隅にアールがつけられているだけ。サイドパネルにもなにもついていない。底面を除けばネジの頭は全く見えず、全体にのっぺりしたデザイン、良く言ってもアノニマスなデザインである。この2ピースの筐体そのものにRE・LEAF のロゴすらない。3つの突起に分かれた珍しいボタンぐらいが目を引くポイントだろうか。驚くのは最終仕様のE1には、どこを見てもネジの頭がないことだ。ノブにすらない。この機材は裏表がない。どうやって組んでいるのか分からないが、その点は見事だ。

あくまで私見に過ぎないが、この筐体全体のデザインはシンプルすぎる。このHPAはメーカーの処女作であり、そこに2ピースのアルミ削り出しの筐体まで奢ったのだから、もっとアイコン的な、印象に残るデザインが欲しい。どこかに小さくRE・LEAF のロゴが彫刻されていたら、少しは救われたかもしれない。
ただ、最終版ではパネルの一部にレーザー印刷でRe leaf E1 Made in Japanとだけ刻印される。
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リアにはステレオミニとRCA一系統のアナログラインアウトとイン、そしてBタイプのUSB入力がやはり丸く彫り込まれて少し奥まった場所に認められる。RCA入力は特注でXLR端子に換えられるが、10万円割り増しになる。また、USB2.0に準拠したデジタル入力は2.8MHzまでのDSD(Dop)と24bit/192kHzまでのPCMに対応するとされる。またアナログラインアウトとインをXLRに換えたものは特殊仕様でE1xと呼ばれる。
なお、ステレオミニの端子も特設したことは注目してよい。他の高級HPAでこのような端子を持つものはとても少ない。カスタムIEMなどを試してみたくなる。

このアンプの中身は御存知のようにDACつきのヘッドホンアンプという流行のスタイルである。DAC部はTIの高級チップPCM1792Aを使用している。また業界初の1ppm/℃偏差電源供給による高精度なアナログ変換をメーカー側は謳ってもいる。電源は4重の安定化電源を小さな筐体の中に収め、ピュアで力強い音を目指したとか。さらにアンプ部はレアな電流駆動方式である。この方式の面白いところは、その特徴的なソフトでハイスピードな音質もさることながら、そもそもゲインという概念がないということだ。いつもHPAで悩まされている、ヘッドホンごとの能率の違いによるゲイン調節の必要性から解放される。多くのヘッドホンを試す私のような者にとって、ゲイン調整のついていないHPAは使いにくいのだが、思わぬ形でこの問題を解決したのが、E1なのである。
内部の写真を見せて頂いたが、非常に厚く重たい回路基板上にギッシリとデバイスが実装されている。まるで拡大された集積回路のような印象であった。様々な機材の中身を見てきたが、こういう中身には出会ったことがない。裏にも表にも部品が配置されているがコンデンサーらしいものがほぼ見えないのも特徴かもしれない。これを手作業で作るとなると、かなりの労力だろう。とにかく最短距離で配線を済ませるべく努力しているようにも見えた。シグナルパスを短くすることで音の鮮度を上げようというのか。

メーカー側で提案している先端の材質を変えられるスパイクコーンKatana-sp1についてだが最終仕様として出された、このスパイクコーンの作りは相当に気合が入っていた。軟鉄の基部にねじ込み式の先端部が二種付属する。一つはダイス鋼に焼き入れし、先端部を鏡面R加工したもの。もう一つは同じ加工がされた真鍮製のものだ。これを特殊なゲルシートを介して筐体の下面に貼りつけるような形になっている。オーナーは好みの音になる先端を選べばよい。スパイク受けは、先端部の形に合わせたくぼみを掘り、確実な点接点が得られるようにしてある。スパイク受けの設地面は、設置される場所にキズがつくのを防ぐためにわざわざ鏡面加工している。価格は3個で20万円。本体と同時購入なら15万円である。

いろいろオーディオ機器を売り買いして思うのは、手元に長く残る機材は音以外のメリットが必ずある。E1に関しては、外観の仕上げがありえないほど素晴らしいこと、どんなヘッドホンでもゲイン調整なしでつなげること、バランス接続もシングルエンド接続も試せること、同クラスの音を出すOJIやGoldmundの機材に比して圧倒的に小さいことなど、出音以外の長所が多い。それらの意味でも長く付き合える機材だと確信する。

The sound 

音の方もほとんど隙がなく、突き詰められたものだ。
ここまで様々なヘッドホンアンプの音を聞いてきているが、GOLDMUNDのTELOS HPAに匹敵しうるのは、このアンプの音だけであった。そして、それらの比較の結果を先に言えば、E1の音の傾向はTELOSのそれとは異なるので個人の好みで選べばよい。TELOSは星をいくつか持つフレンチレストランのフルコースディナーの味であり、E1は同じく星を獲得している銀座の寿司屋で御大将がおまかせで握る寿司の味ということになろうか。

シングルエンドのみのTELOS HPAとの公正な比較のため、シングルエンド接続を選択して、無改造のHD800で聞いたうえ、フルテックなバランスケーブルでリケーブルし、バランス仕様のHD800も聞いた。この状態でのRE・LEAF E1の全体的な音の印象は、真面目で端正であり、クリアであり、RE・LEAFの担当の方が強調していたようにピュアであるということだ。これは日本のエンジニアが最も得意とする方向性に振られた音であり、典型的なジャパンハイエンドサウンドである。明るく、明瞭な音が全ての帯域での均等に解像度を示すのである。独特の癖が少なく、欠点を指摘するのが難しい優秀な出音である。

このアンプの特徴として、弱音の広がり、余韻の正確さがある。TELOS HPAではこの辺が美的に演出されて、美音系のサウンドに傾くが、E1では正確な音が得られる。
試聴曲の中に鬼塚ちひろの昔の有名曲「月光」があって繰り返し聞いていたのだが、彼女のボーカルの音像が消える際の余韻の漂いが、いい意味で美麗とは言えないのに驚く。微妙だが明らかに人工的に響くのである。事実、このリバーブは人工のものであったろうと信じるに足るような音の出方とでも言おうか。このアンプの音には、なにか感情移入なしに非常に冷静に音楽を見つめて、測っているような雰囲気がある。音の加工感がとても少ない。素材の音を大事にする。しかし音に対して仕事はする。まるで老舗の寿司屋のようなアンプなのである。ただ、一面としてそういうモニター的な音は、音楽の躍動が削がれてしまい、つまらない音になりやすい。音が全然跳ねなくなってしまうのである。だがE1にはそういう恨みが何故か無い。表現するとすれば、音は「キチッと」躍動する。躍動すると言ってもあくまで真面目に折り目正しく躍動するということだ。G ride audio GEM-1のように野獣のようなリミッターが外れた音、聞く人によってはハチャメチャにさえ聞こえる音にまでは決して傾かない。この絶妙な匙加減、過不足のなさ、優れたバランス感覚がこのアンプの音質のキモの部分であろう。
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旨いフランス料理とは火を通して新鮮、手をかけて自然な料理だと聞く。対する日本の寿司はそういう加工をできるだけ行わずに、必要最低限の加工で食材の味を引き立たせるものだと聞いている。料理において火を通したり、手をかけることは、オーディオにおいては素晴らしい音を演出する行為に相当しており、これはTELOS HPAの内部で行われている複雑な過程である。他方、E1では寿司を作るように、信号にできるだけ触らない、必要最低限の加工のみで、なるだけピュアな音の形を伝えようとする。

このアンプは音の拡大鏡としては第一級の性能を誇る。非常に細かい音を拾ってくる。そこでは当然、音の大きさの差異、音の前後関係、重なりの度合、音色・音触の微妙な違いが完璧につけられている。あらゆる意味で音の分離が良い。こうなると細部にわたる音の起伏・凹凸も立体的にかなり高いレベルで見えてくる。現代ハイエンドオーディオのテーマである、音楽を視覚的に鑑賞するという態度がここに現れる。
逆に言えば、木を見て森を見ない傾向がやはりある。しかし、それが凡百のアンプのように違和感になったり、欠点として感じられることがない。実は一本の木の中に森全体を理解する秘密が隠されているのではないかと思うほど、ディテールに没頭する快感を与えてくれるHPAである。

また、このアンプは先述のとおり電流駆動方式である。私個人は通常その手のアンプに聞かれやすい、ハイスピードかつ柔らかい音調が聞けるだろうと予想したが、なぜか裏切られた。
このアンプの音調は私にはむしろやや硬めに聞こえる。英語で真面目な人、堅物のことをSquare(スクエア)と呼ぶことがあるが、全体の音調としても、そんなSquareな印象を持った。単純に硬い音ではないが、Telos HPAの持つ女性的なふくよかさとは対照的である。E1の音に備わった痛さを感じない程度の絶妙な硬さというか真面目さは、このアンプの冷静さの証と私は受け取っている。

どことなく硬めなSquareな音とは言っても、E1によるヘッドホンリスニングでは、いわゆる「サ行が刺さる」というような聞き疲れが他のヘッドホンアンプよりも少ないと思う。耳への負担の軽減度はTELOS HPAと同等だ。TELOSでは、どのムンドのアンプも持っている独特のふくよかさ、そこから来る聞き心地の良さが表れているふしがある。ただしTELOS HPAはE1に比べて低域の量感がやや少なく感じられることがあるのと、楽器によって高域がヒステリックに、きつく響くことがある点は弱点として覚えておいてもいいと思う。なにかある種のデジタルアンプに聞かれたような音調がTELOSにはある。

それからE1では全ての帯域において、ヘッドホンの振動板に対する働きかけの強さ、ドライブ力の高さが満喫できる。特に低域のドライビングパワーは素晴らしく、これについては最強と考えていたG ride audio GEM-1に匹敵するものがある。それでいてあれほど扱いづらいクセはない。いや、クセみたいなものはほとんどない。中域、高域に関しても音の通りがとても良く、十分な躍動感が得られる。

こうしてE1においてはヘッドホンの鳴りの良さも特徴なのだが、ある種のHPAに聞かれるようなスピーカーを聞いているような感覚を催す音までは普通は出ないようだ。(Master1は例外)むしろ細部へ注がれるまなざしの確かさのために、このドライブ能力があるような気がしてならない。音圧でバーンと音を押し出し拡散させるのではなく、音の全てのディテールに音圧が沁み渡るように、次第に圧力をかけているかのように聞こえる。
さらにE1では音の細かな動きに合わせて、音圧を調整しながら出してゆくようなところがある。F1マシンに搭載される技術の一つに路面状況に合わせてサスペンションのダンパーの油圧を能動的に変化させるアクティブサスペンションというものがあるが、そういう能動的な調節機構が作動しているような、非常によく制動の効いた音がHD800から聞かれた。

音のスケール感はOJIやLuxmanなどの標準的なハイエンドヘッドホンアンプと同等である。シングルエンド接続の状態では明らかにTELOS HPAの方が音場が広い。ムンドのアンプに比べると量感にもやや乏しく、豊かというよりはスレンダーでスマートな音であると聞けた。一方、バランス接続した場合には音場は広がってくる。低域は明らかに豊かさを増し、音場の透明度が増す。これは最終仕様の印象であるが、はじめのバージョンでは、もっと低域が痩せていて、音場の透明感も低かったように思う。、E1は進化しているのである。

最新の試聴ではバランス接続のみで聞いているのだが、基本的な音質の印象は変えないまま、さらに強固にヘッドホンの振動板を掴んで自在に振動させられるようになったと感じたし、先述のように音質全体も深まったと思った。音に余裕ができ、何層もの音質の層が深く深く眼下に広がるような印象、透明度が高く深い湖の最深部を覗き込むような印象がある。制動がさらに巧く効くようになり、音が締まって精悍に聞こえる。シングルエンドでもE1の良さは十分に満喫できるが、やはりバランス接続で聞いた方が音はいい。DSDもハイレゾも、この接続により真価が発揮されるように聞こえた。

試みにバランス接続でSONY MDR-Z7を接続して聞いてみたが、驚いた。MDR-Z7はアンプを奢れば奢るほど、その潜在能力を発揮するヘッドホンであるのは知っていたが、これほどとは。E1ほどのアンプに接続して聞く機会はあまりないのだろうが、やってみると部分的にだがHD800やTH900を超えるような音を聞かせた。うまく言えないが私個人の印象ではTH900とHD800を足して2で割ったような音に近い。とにかく5万円のヘッドホンの音ではない。やはりE1のヘッドホン駆動能力は大変高い。

E1の音は真面目な音と言い続けているのだが、別な言い方をすれば音楽のドライブ感だけでなく、音がコントロールされ正確に出る側面も強いということだ。こういう音調の場合は音楽のジャンルごとの得手不得手はないものだが、他方、もともと録音が悪いものを、アンプの持つ音楽性とか、演出で聞こえを良くしてくれるような側面もないので困る。だが、このアンプの音はマス工房のアンプのような強く抑制の効いたフラットそのものの音調とも異なるので、音質が酷くても聞けないほどにはならない。作曲や歌詞が持つ面白さが、それこそ真面目に提示されるから音質にそれほど左右はされないと思う。

こうしてE1の音質的長所は多々あるが、音楽の裏がよく見えるということは特筆しておくべきだと思う。例えばボーカルがサビの部分を歌って盛り上がっている時に、普通のヘッドホンアンプで聞くとバックで伴奏している様々な楽器の動きが前面に出ているボーカルにマスクされて、よく聞こえないことが多い。ところが、E1ではそれがまるでバックステージから音楽を覗いているかのようによく見える。ベースが何を演っているのか、コーラスはそれぞれどんな感じで歌っているのか。そういうことが実によく分かって楽しい。こういう愉しみは他のアンプではなかなか得られない。

さらに、このヘッドホンは通常はUSBでPCにつないで聞くものだが、PC関係のオーディオの弱点である、音数は多いが実態感の薄さや音のインパクトの弱さがほとんど感じられないのもポイントが高い。高密度で濃厚な音だが、適当にヌケも良く、温度感もニュートラルで、演出的、作為的な感じがしない。

こうして聞いていると、このヘッドホンアンプには、どのようなヘッドホンをつないでも、そのヘッドホンのポテンシャルを100%引き出す能力が備わっているような気がする。例えばMDR-Z7がこれほどの音を出せることを知っている人はほとんどいないはずだ。おそらくどんなヘッドホンをつないでも、こういう驚きがあるだろう。しかもゲインを気にする必要がない。素晴らしい。これから代表的なヘッドホンをズラッと用意して、次々に聞き直すという試聴をやってみようと思っている。
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Summary

ヘッドホンとは、いわゆるサブカルチャー的なアイテムだと私は常々思ってきた。
つまりオーディオにおいては、スピーカーオーディオというメインカルチャーがあり、その軒下にある隙間を埋めるような形でヘッドホンオーディオというサブカルチャーがあるのだ。
一方、日本にはオタク文化という言い方もある。オタクそのものがサブカルと同一視されている場合もあるが、実はそれらは違うものだ。オタクとサブカルの違うところは主流に対するマイノリティとしての反抗の姿勢があるかないかだろう。オタクの方には反抗心などない。ひたすらに自分の中にある衝動に従い心地よさを追求する。その過程で、どこか他人に理解されない“痛さ”を孕むのだ。私に言わせれば高級イヤホン派は今のところまだオタクに分類されるのだろう。
だがハイエンドヘッドホンにはスピーカーオーディオに対抗する敵愾心をどこかに感じることがある。だから私の中ではサブカル的な立ち位置なのだ。サブカルはメインカルチャーに対抗し反駁するものだからだ。
とはいえ、ハンデ付きでもスピーカーオーディオとまともに勝負できるヘッドホンもアンプはとても少なかった、というか最近まではほぼなかった。
だが2014年、TELOS HPAそしてこのE1の登場とともに、ささやかではあるが、サブカル的なヘッドホンの矜持を、オーディオ界のメインカルチャーであるスピーカーに対して示せるようになってきた。そのかわり、その価格はこのサブカルを担うマイノリティたちには辛いものとなってしまった。これは明らかにメインカルチャーの側、すなわちハイエンドなスピーカーオーディオを追求できる人のための価格設定である。そういう風に考えると、TELOS HPAもE1とても中途半端な存在だ。これらは、ほとんどのヘッドフォニアの手に届かないところにある武器だからだ。でも、これ位の実力がなければスピーカーオーディオとやりあうことはできない。なんとも皮肉だ。

これほどコンパクトでシンプルな筐体から、このように完成度の高い音がいとも簡単に出て来ること。これは驚き以外なにものでもない。デザインに残念な部分はあるにしろ、このアンプの価値は他のほとんどのオーディオメーカーのHPAのそれをかなり引き離しているのは間違いない。特に、小さくなって音が良くなるというのはスゴいことだ。これはヘッドホンの世界から突き抜けている、二つのピークのうちの一つであろう。そして製品の内容や円安・内外価格差を考えたとき、RE・LEAF E1はTELOS HPAよりもコストパフォーマンスが高いという判断もできる。ただ、TELOS HPAにはそこにしかない隔絶した音世界があり、それを手に入れることは魅力として残る。特にオペラや女性ボーカルの表現の素晴らしさはE1に勝る。空間表現も凄まじい。だがE1はTelos HPAよりもオールラウンダーであり、より多くのジャンルを等しく扱える。例えば1960年代のJAZZの録音などは、Telosがあまり得意としないところだが、E1なら平気である。また、E1の音像の、細かく、うるささを微塵も感じない実在感や、音場の何とも言えない透明感はムンドにはない。よく聞き比べて、どちらかを選ぶか、両方を取るか、あるいはその金額をスピーカーオーディオにつぎ込むか。いろいろと考えさせられる。

E1の能力は大変奥深い。聞いても聞いてもそのサウンドの新しい側面が聞こえてくるようなところがある。他のヘッドホンアンプにこういう感覚を感じた覚えはない。これだけ聞いてきたのに、こういうものには出会ったことがないというのは不思議だ。このアンプの本性、あるいはヘッドホンオーディオの最深部を知るには、これを買って、長く手元に置いて試す他はない。確かにプライスタグは高い。値上げ幅も大きい。だがその価値はある。この最終仕様の外観と音ならば。もしかするとE1はヘッドホンアンプの終着駅のひとつなのかもしれない。

ごく最近まではTelos HPAを買う事をほぼ決めていたのであるが、3月8日にこの2台を一対一で比較してみると、そう簡単には行かないなと思うようになった。随分と改良されたうえ、二日も連続でデモされて、音がこなれたのか、最終日のE1は随所でTELOS HPAを上回る実力を聞かせた。
今日までで、私はTELOSを4回、別々な機会で試聴した。そしてE1を3回、別々な場所で聞いた。
こんなにこの二つのアンプを真剣に聞き比べた者は私以外にはいないだろう。
そう自負できるまでになった。

ひとつのモノを選ぼうとする時、
私は頭の中に一基の天秤を置く習慣がある。
今はTELOS headphone amplifierを載せた傾いた天秤を思い浮かべる。
もう片方の天秤皿に、RE・LEAF E1を載せる。
案の定、天秤は音もなく動き始める。
それらはやがて釣り合い、さらに・・・・・・・・。
かくして見えない天秤のバランスは逆転し、
私はE1xを発注した。

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# by pansakuu | 2014-12-24 20:34 | オーディオ機器

オーディオ評論を掘る:My point of view 2014

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「馬鹿な、みんな舌も頭もどうかしてしまったのか!?
そんな物がうまいはずがないっ!!」
海原 雄山(美味しんぼ)



オーディオ評論家の方々が書いている文章を穴が開くほど読むのが私の日課の一つである。
元来、情報が極めて少ないハイエンドオーディオに興味を持つ者にとって、オーディオ雑誌は貴重な情報源である。微に入り、細に入り読まずにはいられない。

私は、評論家の仕事は機材の音を褒めることである、などと殊更に言い立てるのでは好きではない。しかし、ほとんどの場合においてそれが主であることも間違いないと認めよう。そうでなければ、彼らに原稿の依頼が舞い込むことはないだろうから。だからやはり文章の基調として褒めていることが多いのだが、よく読むとその中に別なニュアンスの入った文章が混じっていることがある。

例えば、あるアンプのサウンドを評して、こんな記述がある。
「一聴していい音だなと思うアンプはあれど、音楽がスッと自然に入ってくるというアンプはなかなかない」
サッと読むとごく普通の褒め文句であるが、解釈によっては今まで、数々のアンプを散々いい音だと書き散らしてきたが、実は、それらのほとんどは音楽がスッと自然に入ってくることがないものばかりだった、とも取れる。揚げ足取りのようだが、オーディオ雑誌で取り上げて褒め上げている機材は多くあるけれど、実は本当に大した音と思われるものは、なかなかないとも取れる。

また、「ド迫力の凄味はあるが音質は無味乾燥に近いアンプもときにはあるが」などという記述を読むと、先生の聞いたアンプとは、一体どのアンプなのですかと尋ねたくなる。ド迫力の凄味はあるが音質は無味乾燥に近いなんて、かなり個性的ではないですか。ぜひ聞いてみたいものです。
彼らは職業として決して口を割らないのだろうが、心中にはそういう思いが渦巻いているために、上記のように口を滑らせてしまうのだろう。

「もちろん、気迫ばかり強調するリアリティ誇張タイプではない」
こういう記述もすごく気になる。気迫ばかり強調するリアリティ誇張タイプのプレーヤーの音もぜひ聞いてみたい。またこれは、この筆者の好みと正反対の音が、いわゆる“気迫ばかり強調するリアリティ誇張タイプ”の音らしいことも推察できる記述でもある。

こういう私の穿った読み取りは、単なる邪推であり、私の意地の悪さが強調されるだけで意味はないかもしれない。しかし、こうして各評論家の趣向と立場を知ったうえで、その文章の行間を読むことは、オーディオ評論を読むうえでの常識である。これが出来なければ、こういう文章を読む意味は薄くなる。彼らは本当のことをストレートに書けない立場にいる。彼らは否応なしに売る側に立っている。そこに立たなければ生計が立ち行かない。当たり前の話だが、買う側にいる読み手は彼らの立たされている状況を理解し、意味のフィルターを通して文章を読むべきだろう。
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こんな記述もある。ある老舗のオーディオメーカーの復刻アンプのレビューの冒頭である。
「この復刻が、往年を知るシニアファンの待望に応えたものなのか、あるいは停滞するオーディオ界に喝を与えるような温故知新的な動きなのか、筆者には知る由もないが」
こういう記述は珍しいので貴重である。オーディオ雑誌ではオーディオが停滞しているなどという話は、ほぼ禁句だ。皆さんでオーディオをたのしみませう、そういう基本姿勢のもとに雑誌を作るのだから、その場を盛り下げるようなことは言ってはいけない。しかし、実は皆分かっているのである、ハイエンドオーディオ界が停滞していることは。(いまさら隠すなよ)
また、このくだりの末尾、「筆者には知る由もないが」というところなんかは、さらに切なく響く。少し泣ける。ここに私は、自分の立場ではオーディオの停滞をどうすることもできないという嘆きや一種の投げ槍な態度を感じ取ってはいけないのだろうか?本音を隠し続けながら、機材を褒め上げているだけでは、この停滞をどうしようもないという嘆きをウラに読んではいけないだろうか。基本的にオーディオについてペシミスティックになっている私は、またまた邪推するのである。

「価格が2倍以上の本誌リファレンスのアキュフェーズC27に比べると、スケール感とステレオイメージこそ縮退するが、音像の実体感を色濃く描くその聞き味はたいへんすばらしかった。」
これは或るフォノイコに関する一文だ。
こういう記述はよくあるパターンの一つで、部分的には低価格機が高額機に匹敵するところがあって、お得感があると言いたいらしい。だが、スケール感とステレオイメージという項目は、オーディオではとても重要であることを忘れてはいけない。その有無と2倍の価格差を秤にかけたらどうなるのか?実は2倍カネを出してでも、それらが完備された方がいいのでは?そして添えられた「音像の実体感を色濃く描くその聞き味」はC27にはないのか?突っ込みどころはやはりある。
ここでは、このフォノは音像の実体感を色濃く描くのが特色で、聞き味はよく、その部分では価格不相応なほどだが、スケール感とステレオイメージなど空間描写は価格相応というか、より高価な機材に比べると、当たり前だがイマイチだったと翻訳できそうだ。だが、そうストレートに書くと場合によってはカドが立つし、だいたい格調高くない文章になってしまうので、無駄なレトリックを駆使して回りくどい言い方になってしまう。こういうわざわざ迂回路をくぐらせて、読者を真実から微妙に遠ざけるような言い回しはどうかとも思う。自戒をこめてではあるが。
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紹介する機材を褒め上げて買う気にさせる。少なくとも試聴する気にはさせたい。
くりかえすが、これはオーディオ雑誌の目的の一つである。しかし、様々な情報がタダで手に入る世の中となり、人々が今まで知らなかった世の中のウラまでも知ることが普通になると、耳当たりの良い褒め言葉を皆が簡単に信用しなくなってしまった。全ての褒め言葉がステマ(スティルスマケーティング)に見えると発言する人が増えた。このステマという言葉はあまりに氾濫していて、まるで掲示板に書き込むときの決まり文句のようにすら思えてくるほどだ。良い機材に対して当然あるべきポジティブな評価を、工作員のステマだと喝破すると利口に見える、そういう風潮は無意味だろうに。だいたい人を疑うということは、ネガティブなことであり、無駄なエネルギーの消費である。

これに関して、低所得者になればなるほど陰謀説(つまり、ここでは目の前の情報がステマであること)を信じやすくなるという話を私は聞いたこともある。これは、そのせいなのだろうか?ハイエンド機材を購入する財力のない人々が、このようなステマ説を語る傾向が強いのは常に感じるところだ。素人のネガティブな意見のほうが、例えそれが全く的外れ、あるいは試聴したフリをしただけの、なんちゃって発言であっても内容が否定的であるというだけで信用されてしまうほどの世の中だ。こんな時代だからこそ、真のオーディオ評論は機材の良い所と悪い所にメリハリをつけて、オーディオを表現しなくてはならない。そうしなくては現代では信用を勝ち取れまい。

また、真心からでない褒め言葉は空疎であり、すぐに見破られる傾向にある。だから、褒めるなら、その機材に本当に惚れ込んでから、褒めるのが望ましい。その場合、それは心の奥から湧き出た言葉だし、ときにそれを自腹で買って導入するという実行動さえ伴うから、必ずや読み手の心を動かす。現実にそういう評論も稀には認められる。だが、大抵の機材ではそれができていない。できない。だから信用されない。

だが、そもそも高級なオーディオに馴れ切った評論家さんが心から気に入る機材など多いはずもない。だから、本気のレビューなんて、まず読むことは難しいことになる。いつもの事だが、抜きん出た音を出せる機材は少数派である。結局自分の耳で経験を積んで、それを選り分ける他はない。やはり、オーディオ評論は深読みしたうえ、試聴のきっかけとすべきもののようだ。

人間が自然に手を加えて、形成してきた物心両面の成果のことを文化と呼ぶとか。趣味で言うなら、人間の精神的・内面的な生活に深く関わる、広範かつ多様な物質的な内容を持つ趣味が、文化と呼ぶに相応しいと思われる。
一方、オーディオが文化である必要はない。文化たりえるために趣味はあるのではない。それはあくまで結果だ。
しかしオーディオは少なくとも私にとって、もうすでに文化というレベルの代物になってしまっている。これほど多様なモノとしての側面を持ち、私の精神に深く根付いた趣味はかつてなかった。
そして、オーディオが文化であることを表現し、証明できるのは、オーディオそのもの以外では文章だけだとも私は思う。五感で感じたことを抽象概念に還元して他人に伝えることは言葉だけの持つ特殊な能力なのだと私は信じている。
では、そのオーディオが文化であると証明しうる文章、つまりオーディオの音質を表す文・オーディオのレビューはどのあるべきなのだろうか?

そもそもオーディオのアイデンティティー、すなわちオーディオという行為の源はどこにあるのかと問えば、それは自分の好きな音楽を自分の一番好きな音で聞きたいという比較的単純な欲望だと私は答える。結局、オーディオのレビューというものはいつもそれに立ち返り、痛いほど正直な気持ちで素直に書かれるべきだと思う。オーディオ文化などとエラそうに麗しい単語をひけらかしても、結局そういうシンプルでストレートな欲望がコアなのだから、オーディオのレビューというものは美しく読みやすく書いたうえで、その個人的な好き嫌いを正直に言っていいはずだ。
オーディオの哲学的な側面、すなわちオーディオとは人間にとってなんであるのかという定義に近づくことが、オーディオ文化を証明しうるレビューの姿勢だとすれば、人間の根本的な欲望に立ち返った正直さが文を読んで感じられなくてはいけない。今のオーディオ評論は、そういう前提姿勢としての正直さが感じられないことが多い。

「聞き慣れたK2S9900から新たな表情、魅力を引き出すパスの凄さに唸らされたこの日の体験をぼくは長く忘れることはないだろう」
こんな記述はどうだろう。ここには別れの挨拶の気配を感じないだろうか。そう、このくだりを書いた評論家の先生は、このパスのアンプの音は悪くないと思ったものの、自分のリスニングルームにそれを導入しようとか、もういちど聞いてみたいとまでは思わなかったのである。一通り聞いたあとで、「素敵だね、ありがとう。そして、さようなら」そう呟いたのではないか。すなわち、この先生の使っているアンプを知っていれば、そちらの方が件のアンプよりもいい音らしいと推測できる記述である。私個人はこの記述をもって、ここでレビューされているアンプを試聴する気は失せた。むしろ、この先生が目下お使いになっているドイツ製のアンプに想いを馳せた。こうして詳しく読んでいると、評論家の仕事は機材の音を褒めることであるとか、これはステマだなどと単純なことは言えない。きちんと読めば、良いモノとそれほどでもないと思ったモノとの区別が、ある程度は暗示されている場合もあるのだ。こうして、先生方の正直が、背中から出た白いシャツのように、閉め忘れたズボンのファスナーのように、ちょっとだけ見えることがある。この程度か、などと言わないで欲しい。文筆で飯を食うのはたやすいことではないのだから。

部外者が知ったように何を言うのか、とお叱りを被るかもしれない。だが、私は彼らの書いた文章を自腹で買って読み続けている。取捨選択し、ファイリングし、読み返している。評論家の方々の意見をもとに試聴に励んでもいる。それだからこそ言う。

様々な意味で担い手がどんどん減っていく、ハイエンドオーディオの世界において、それを対象とする専門誌の存続は危うい。そろそろ平静を装うのは止めて、危機感をもって、見たことも聞いたこともない斬新で突っ込んだ企画を立て、より正直でストレートな生々しい言葉でオーディオを綴るべき段階に入ったのではないか。行間を読まずとも本音が分かる。そういうレビューも読みたい。少なくともそれくらいはしないと、ベテランのファイルの耳目は奪えず、新人の参入も期待できない。あげくハイエンドオーディオといっしょにオーディオ雑誌も売れなくなってしまうのではないかと危惧する。

少なくとも、もっと他との違いを際立たせた書き方をすべきだ。評論家の方々は高齢化しつつあり、文体や言い回しは固定しがちだ。同じ分野のライバル機材が非常に類似した言葉で称賛されるのを多く認める。それから、よく言われることだが、代理店やメーカーのHPに載っているようなことにレビューの文章の半分以上を割くのはやめた方がいい。取材時に聞けた開発の裏話や、意外な側面を積極的に書くようにすべきだろう。そしてもちろん、音質についてもっと多くの行を費やすべきだ。そして写真はもう少し小さくて良い。写真を見ると結構な余白があるじゃないか。我々は余白を買いたいのではない。また、明らかに問題があるところは正直に書いて、改良を促すべきだ。評論家側から改良についての具体的な提案がもっとあってもいい。さらに言えばオーディオ評論にはもっと夢があっていい。評論家個人は、こういうオーディオ機器が欲しいとか、オーディオはこうあって欲しいとか理想を語れ、と申し上げたい。評論家はただのライターであってはつまらないと私は思っている。

とにかく最近は、読者が大々的に参加する企画を見ない。年末のランキングは読者に選ばせたらどうか。「あなたが選ぶ~」というキャッチの企画だ。代理店様にしても、ユーザーがどういう製品を求めるのか、売上のみで判断していていいのか?代理店様は時々アンケートも取っているが、規模は小さい。TIAS入場者に全員アンケートを取るとかはやってない。雑誌でそういう企画をやれば、アンケートの代わりになるかもしれない。なにを買ったのではなく、どの年齢層が、どういう機材に憧れているのか、分かるかもしれない。

私は2034年の12月9日にタイムマシンで出掛けた夢を見たことがある。幸い、書店はまだあった。だが、店に入ってあたりを見回しても、平積みになっているはずの、あの立派なオーディオ雑誌を見つけることはできなかった。先行して出ているはずの誤字脱字の多い雑誌さえも見当たらなかった。ネット上に移行したか?スマホを開いて検索しても、それらしきページはヒットしなかった。
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それはただの悪夢である。
しかし、それなりの確率で起こりうることのような気がしてならない。
また、枕元に伏せてあるこの雑誌、気のせいか、
その厚さが年々薄くなっていくような気がしてならない。
この有り難き雑誌のページを繰りながら、
私はいつものようにレコードを回す。
そこから絞り出されるように漏れ出てくる
ホセ ジェイムスの物憂い声を聞く。
彼の声にいつも感じるユーモア、洒落に加えて
軽い憂慮とささやかな祈りとが入り混じっているように聞こえるのは、
今の私の気分のせいだろう。
こうして2014年も暮れ切っていくのである。

# by pansakuu | 2014-12-24 20:14 | その他

Just earによる革命についての私的見解:可能性の海で


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I’m just a dreamer.
Are you a believer?
“バラ色の日々”より


2014年の秋のヘッドホン祭りで一番輝いていたのが、このJust earというカスタムイヤホンの企画であった。
申し訳ないが、このイヤホンの具体的な音質や装着感それ自体について書くことはほとんどない。それらは全て“これから”のことだ。
私が驚いたのは、その企画内容である。
このイヤホンはメーカーが個人の好みに合わせて、音をオーダーメイドしてくれるというのである。
個人の耳型を取って、耳にぴったりの遮音性の高いイヤホンを作るカスタムIn Ear Monitor(IEM)は、既に流行の兆しがあるが、これは身体とデジタルシステムの融合という大きな現代潮流の一部と思っていた。そこに、さらに一歩踏み込んで、個人の聴感とデジタルサウンドの融和という動きが現れたのである。その詳しい内容はいくつかのブログや雑誌が、これから語りはじめるであろうから、ここでは立ち入らないが、パターンメイド、すなわち幾つかある中で選ぶだけではなく、個人の意見を聞いて、極端に言えば世界に1つだけの音質を創生し、提案するという、フルオーダーメイドの企画と私は受け取った。
ユーザー個人のためだけの音作りに、ユーザー本人が参画する。
私の知る限り、このようなものは今までオーディオの世界には、ほぼ存在しなかった。

今までオーディオには、メーカーが考える最も良い音・正しい音があり、それを追求した製品が出ていて、その中からオーディオファイルが気に入ったものを選ぶという形式がほとんどであった。つまりはソフトなお仕着せであり、まあ消極的な押し売りのようなものであった。
そして、こうやって色々な機材を試聴し続けていると分かるのは、メーカーごとに最も良い音・正しい音が違っているということだ。これはメーカーごとに音の好みがちがうということに尽きる。
一方、ユーザーであるオーディオファイルも一人として全く同じ聴感や音の好みを持つ者はいない。これも自明なのに真面目に取り上げられていない。聴感や音の好みの合わせ込みに関しては、十把一絡げ的な発想でオーディオはずっと来ていたのである。
以上のような状況から、自分の好みの音とメーカーの音を合致させるべく、場当たり的に試聴を繰り返したり、機材の組み合わせを考えたりしてユーザー側が苦労するという過程がオーディオという行為の大半を占めていた。

こういう、しょっぱい状況を知りながら、メーカーは譲らない。自分の作る機材の出す音が最上であり、それを聞いた人が幸せになることを信じて疑わない、または疑いを承知しながら無視する。あるいは嫌なら買わなくていいという態度を取る。これは人間に一人として全く同じ聴感や音の好みを持つ者がいないということを認めない、あるいは現実的にオーダーメイドに対応できないので、その事実を無視するという立場である。まあ、見ようによっては、これは奢りなのであるが1970年代にハイエンドオーディオという考え方が生まれて以来、彼らはずっとこれで通してきた。これらの人々が全くひとりよがりに提案する音が気に入らない場合は、スピーカーなりアンプなりを自作する、あるいはマルチアンプシステムを自分で構築するなどするしかなかった。

現代のように多様な素材や技術が併存するようになり、それらの専門性が高度になるにしたがって、一人の素人のマニアが作れる機材には限界があることがわかってきた。潤沢な資金とコネのあるメーカーにおいて何人もの専門家が協力して作る音よりも、その出音は遥かに矮小なものであり、ハイエンドオーディオという名称にはそぐわない。素人の自己満足のほとんどは、やはり優れたメーカーが作るものには敵わない。餅は餅屋ということである。結局、ハイエンドオーディオファイルにできることは、出来上がったお仕着せの機材の組み合わせを必死に考えて、自分の好みの音を作り出すことに、ほぼ集約される。その中で私は、購入した機材の音に自分の感性を慣らし、合わせこむような面倒はもう沢山だと思ったこともある。

色々なオーディオ関係のショウで、製作者ご本人と面談する。表面的な態度には差こそあれ、御自分の造り出したものに誇りを持たない人はいない。彼らの内面には、いつもオーディオへの熱い思いが溢れていて、その情熱に話を聞いているこちらの心が動かされ、それほど好みでもない機材を買いそうになったことさえ何度もある。
だが、彼らの情熱の在り方には欠点があったことが、2014年のヘッドホン祭りの会場で明らかになった。
彼らは自分のオーディオに対する情熱を製品という形で吐露したものの、ユーザーである個々のオーディオファイルの要望を細かく聞いて、オーダーメイドで製品を製造しようとは、ほとんど考えなかった。特に音質の中身についてはパターンメイドさえ、ほとんどなかった。高価な対価を払うユーザー側はメーカーに音質の面で、こうして・ああしてと直接働きかける術を事実上持たなかった。あるとすれば、その製品を買う・買わないという選択以外はなかった。

ところが、Just earのイヤホンはメーカーが個人の話を聞き、個人の好きな音楽を聞いて、その好みに合わせて、音をオーダーメイドし、提案してくれるというのである。自分の好みをきちんと向こうに伝えることができて、適度な忍耐力があれば、出来上がったものと自分の聴感をすり合わせながら(それこそ仮縫いしながら)、自分の最も好む音を造り出せる可能性もある。この方式はかなり行き詰まってきたオーディオという趣味の有り方をガラリと変える発想の転換を意味している。

想えばオーディオには少し可笑しなところがあった。これだけ趣味性の高いものであるにも関わらず、買う人ひとりひとりに詳しく意見を聞くということがあまりに少なすぎた。逆に言えば、オーディオメーカーはユーザーに製品を買ってもらえないかぎり生計が立ち行かないにも関わらず、いつも上から目線でユーザーを見て、我儘に音作りをしてきた。もちろん、それは技術的にオーダーメイドが難しかったからに相違ないが、その難しさを克服しようとする具体的な動きはあまり見たことが無い。オーディオメーカーとはこんなものだと不文律のようにメーカー側で勝手に決めていた節もある。評論家の方々はそういうメーカーの態度を容認どころか半ば賛美してきたように見える。ユーザー側もそれに馴れ切って、問題意識を持たなかった。そうして、事はここに至ったのである。

ずっと煽っているように、ハイエンドオーディオは危機に瀕している。本当にいい音で音楽を豊かに聞くという文化は変質してきている。そんな中、贅沢なハイエンドなスピーカーオーディオで本来やるべきオーダーメイドが、イヤホンというオーディオの世界の中では傍流の機材でなされようとしている。いや、もうイヤホンは実際のところ傍流ではない。その出荷数で見れば、既に現代において音楽を聞くという行為のメインはイヤホンによっていると分かる。そして今、イヤホンは個人ごとの耳の形だけでなく、聴感の違いさえ認め、それに柔軟に対応する態度を表した。これはオーディオの世界では革命的な出来事であると私は感じた。

問題は、実際にそんなことができるのかということだ。
ユーザーの良く聴く音楽や好みなどを聞いて、最適なチューニングを提案してカスタムイヤホンを作ろという話だが、そもそも、まず自分の好みの音というのを口で伝えることができる人がどれくらいいるのだろうか。美容院でどういう髪型にしてくれと伝えてもなかなか、その通りの髪型にならないということは、よく聞く話だ。また、それ以前に自分はどういう髪型にしたらいいか、具体的なイメージを持っていない人の方が多いとも聞く。
さすれば、これは注文するユーザー側もオーディオや音楽についてそれなりの知識や見識を持たないと始まらないのである。髪型なら、自分の目指すヘアースタイルをしているタレントさんをテレビや雑誌で見つけてそれを伝えるという方法があるが、オーディオファイルもそれに似たことをやらなければいけないかもしれない。様々な機材の音を聞いて自分の好みを探らなくてはならない。
私は、オーディオという趣味自体が自分の好みの音とは何かを知るための旅だと思っている。それを深く知るだけでも、私の場合、かなりの年月を要したし、またその探求の過程で色々な製品の音に影響されて好みが変わって行くことも体験した。さらに、私はブログを書くことを通じて、自分なりに自分の好みの音をまとめて短い言葉や長い文章で伝える術を極めようと思っているところもあるが、これがなかなか難しい。私はあくまで製品を買う側から見たブログを書いているので、評論家の方々のように売る側に立たなくてもよいという利点があって、言いたいことを自由に書ける立場にあるが、それでも難しいのである。

また、メーカー側がユーザー側の好みを理解したところで、それに合うものを現実問題として本当に製作できるのか?メーカー側にそれに対応できる技術やマンパワーがあるのか?そもそもこの企画はカスタムIEMの製作という個人の耳の形に完全に添う、世界でただ一つのイヤホンの形を作るという行為をさらに一歩進めた発想なのだろうが、型を取るように、個人の音の好みの型を取り、それとそっくりなものをイヤホン側に移植するなどなかなかできそうにない。

そういう風に考えてゆくと Just earの試みの前途は平坦ではない。この試みは上手くいかないかもしれない。しかし、オーディオの未来のために、この企画は成功して欲しいと願う。そして、特にハイエンドオーディオメーカーに、この動きの方向性に追随してほしいとも願う。今でも、オレの音を聞けぇ!という態度を取るガレージメーカーや、自分の聴感に合わない他のメーカーの音を否定する業者さんたちを散見する。彼らはもっと目線を低くして、認めるべき所を認めて、売れないものを売れるように仕向けなければ、ハイエンドオーディオは買い手が減って高価格化し、あげくに崩壊してゆくだけであろう。また、ハイエンドオーディオに対するアンチテーゼとして、ただ単に財布に優しい製品を作るとか、便利でコンパクトなだけのモノ、話題性はあるが、すぐ陳腐化するようなモノを作って売るだけでは先は見えている。ユーザーと音質について一対一で向き合うことが今、オーディオメーカー全てに求められているのではないか。
真に新しい視点から、オーディオを変える試みを皆で始めなければ、この素晴らしい趣味は、いつか消え去ってしまうに違いない。

それにしても、こういうオーダーメイドをメーカーが本当にやる気になったことだけでも凄い。ここまで来れば、首尾よく行かなかったにしても、誰かが“こころざし”を引き継いでくれる可能性だけは残るだろう。タネはまかれた。とにかく、個人個人の音に対する意識の違いを、オーディオメーカーが認め、具体的に対応しはじめた瞬間、2014年11月25日の東京は中野で起こった歴史的な瞬間に私は立ち会えた。この先、この企画がどうなるにしても、その事実だけは誇りに思っていいだろう。いい時代に生まれたものだ。

やはり新しいものは新しい場所から生まれる。
これはヘッドホン・イヤホンの世界から生まれた試みであり、
スピーカーオーディオの世界から出たものではないのだ。

太古、生命は原始の海から生まれたという。
賑わうヘッドホン祭りの雑踏、
多くの人々の活発な話し声、
そしてヘッドホンやイヤホンから漏れる音楽たち、
それら全ての活力の総体を眺めていると、
新しい試みが新種の生命のように発生する可能性の海が
目の前に大きく広がっているように、私には思えてならなかった。
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# by pansakuu | 2014-10-31 23:57 | その他

GOLDMUND Telos Headphone amplifierの私的インプレッション:天馬の羽音


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「今までの人生で最も影響を受けた本は?」
「銀行の預金通帳だね」
ジョージ・バーナード・ショー



Introduction

あのGOLDMUNDがテロスの名を冠したヘッドホンアンプを開発している、という噂が流れたのは、もう随分前のことだと思う。
私が最初に、その話を聞いたのは2年以上も前だろうか。2年前というと、ヘッドホン界の状況は今とは違っていた。あの頃はまだ、ヘッドホンとイヤホンを比べれば、ヘッドホンの方が明らかに高音質であり、またハイエンドヘッドホンという妙な名前が付いた一つのジャンルが確立されそうな気配があった。据え置きの比較的高価な(と言っても30万円台程度のものだが)ヘッドホンアンプと、バランス化あるいはリケーブルでカスタムされた高性能な最新型ヘッドホンの組み合わせが、スピーカーオーディオとは一線を画す独自の世界を形成するかに見えた。
あの頃、我らの胸の内に在った希望は今、何処へ行ったのだろう?

思えばG ride audio GEM-1が発売された頃から雲行きは変わってきた。それらの製品に対する、根拠のない失望と軽蔑がネット上に蔓延し始めた。誤った風評がネット上に残り、それが愚かにも事実としてまかり通っていった。そして、ヘッドホンの世界の主流は高音質なイヤホンや、小型だが高品位なサウンドを追求したDAPに取って代わられ始めていた。今現在の話をすれば、高価なイヤホンの音質は数年前に比べて恐らく飛躍的に向上している。最近WestoneのES60を聞いて、一層その感を強くした。カスタムIEMに、この短期間で、ここまで発達・洗練された音を出されてしまうとHD800やTH900等のハイエンドヘッドホンの地位も完全に安泰とは言えぬ。こういう流れからして、この界隈の名称はヘッドホンオーディオではなく、イヤホンオーディオと呼んだほうがしっくり来そうだ。ポータブルDAPも然り。AK240の登場はヘッドホン界の風向きが変わったことを決定づけた。風はますます、ポータブル・小型化の方向へ吹いている。一方、今はオーバーヘッドタイプのヘッドホンや据え置きHPAに新たな野心作が、やや少ない状況だという話も再三している。斬新な音を聞きたいなら、今やイヤホンやポータブルDAPを買い求めなくてはならなくなった。つまり、時代の流れは、微妙だが確実にシフトしつつある。他方、かつてのハイエンドヘッドホンの世界を確立し、発展させるという希望は潰え去ったかに見える。

いつの時代にも、もっと早く現れていたら・・・と“たられば”で嘆かれる才能があるものだ。GOLDMUND Telos Headphone amplifierの日本でのお披露目が、2014年の秋の祭りと決まったと聞いた時、なにを今更、と苦笑いしたものだ。せめてあと一年、オンステージが早ければ、ハイエンドヘッドホンの世界はもう少し活性化していたのではないか?この界隈には長らく話題が少ない状況が続いていた。インターシティの消滅、GEM-1へのバッシング、イヤホンの隆盛、トータルの音質をむしろ落としたような、お手軽な複合機の流行等々。こういう度重なる冷や水もあってか、高級な据え置きヘッドホンアンプは日本国内ではやや低迷しているように見える。ここで、GOLDMUNDというメジャーなメーカーが作り上げたHPAがもっと早くに出ていれば、状況は変わっていたかもしれないと勝手に想う。

何にしろ、今日の祭りでやっと触れることができる、このヘッドホンアンプは特殊なモノである。その出自といい、価格といい尋常ではない。だから言うのだが、G ride audio GEM-1のように、パッと聞いて、あ、コレは凄いって分かるような音を出せてないとダメだ。そうでないと、この価格のヘッドホンアンプの存在意義は無い。ゆえに、これは自宅試聴は要らない。よく聴き込めば分かる程度の音の良さなんて認めない。祭りの会場で3分聞いただけでインプレが書けるくらいのインパクトがないと話にならない。少なくともそういう勢いで私は試聴に臨んだ。


Exterior and feeling

これは一昔前のGOLDMUNDのアンプの典型的な形に近い印象である。このサイズと仕上げは、以前のMimesis SRシリーズを彷彿とさせる。コンパクトにまとめた筐体のタテヨコ奥行きのスケール、そして、一貫して社外でやっているという、あの微妙にザラッとしたアルミの表面仕上げと金の延べ棒みたいなロゴプレートには見覚えがある。筐体を構成するアルミプレートどうしは継ぎ目が目立たないように緊密に接合しており、剛性がとても高いようだ。コーナーにも入念な仕上げがなされている。入力セレクターのトグルが半分フロントパネルの厚みに埋もれてるあたりも、Mimesis SRシリーズに似ている。
足は四足で、高さ調整可能なスパイクがついている、この足は上級のMimesis 20HやMimesis 22Hと同じ部品が使われている。ヘッドホンとしては異例なほど強固なメカニカルグランディングが得られると思われる。(掲載した写真はプロトタイプで足が異なる)なお、フルドライブでも発熱わずかであり、ほんのりと温かい程度のアンプである。

フロントパネルには、トグルスイッチの入力セレクター、ライカのフィルムカメラの巻き上げをフューチャーしたという、あのギザギザのボリュウムダイヤルとシングルエンドの標準ジャックが2つ見える。残念ながら、このボリュウムダイヤルの回し味はやや硬く、感触を楽しませるようなものではないが、しっかり掴める。ロゴプレートの下には二つの黄色と緑のLEDが光る。緑色は電源、黄色はデジタル信号がロックされていることを示す。最終的に出来上がったアンプを、こうして見ると流行のバランス出力端子はない。
ただし、ここには二つのジャックがあり、2人で聞ける。後述するが、これはなかなか良いことだ。

手元に6moonsで公開されているアンプの中身の写真があって、それを眺めている。ここでは電源トランスが3個というのが目立つが、それ以外は、見掛け上、これといって特徴がない気もする。電源はデジタル回路用、左と右のアナログ回路用が別々ということだろうか。アナログ・デジタル回路の詳細については例によって非公開だが、ここにはGOLDMUNDの最高級のプリアンプとDACに用いられている回路の中核部分がそのまま用いられていると聞く。そして例のプロテウス・レオナルドも搭載されている。このプロテウス・レオナルドとは、音楽データに必然的に内在している時間軸の歪みを矯正するという、ムンド渾身の音響補正システムの名称である。スイス連邦工科大学と共同開発しているものだ。この時間軸の歪みの矯正は、デジタル領域で行われる仕組みになっているため、アナログ入力もAD変換しなくてはならない。つまり、このヘッドホンアンプがDACとの複合機であるのは、デジタルファイル再生に便利だからではない。全ては求める高音質のためだ。
念のため言っておくが、今回のアンプの中身というのは、彼らの失敗作の1つのように、どこかのメーカーの製品をそのまんま移植したものではない。オリジナルの技術の集積であり、スイスメイドの中身なのである。
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一方、リアパネルはどうなっているのだろう。電源インレット、USB、光、同軸のデジタル入力とRCAのアナログ入力が見える。XLR入出力はなく、至極シンプルにまとめている。アナログ入力がRCAしかないのも昔のムンドを想起させる。先述の理由から、アナログ入力もA/D変換してDACに送り込む仕様なので、やはりデジタル入力が本来の使い方であろうか。なお、この機材はUSBではDSD 5.6MHz(DoP)、PCM384kHz/32bitまでのデータに対応するとされている。また、光、同軸でも、384kHz/32bitまでをサポートする。
この価格にしてラインアウトはなく、スピーカーオーディオへの転用は基本的に考えられていない。流行りのクロック入力もない。こうして見ると全体に使い方が限られた機材という印象は拭えない。
確かにGOLDMUNDのDACとアンプを合わせて買うことを考えると165万という価格は高いとは言い切れないのかもしれないが、これほど用途の限定されたアンプの対価としてはどうなのだろう。

今回の試聴は、特別な音質対策をしていないMACとUSBケーブルで接続したり、あるいは既に試聴済のユニバーサルプレーヤーのアナログ出力を接続したりして、様々なジャンルの音楽を聞いている。MACでの再生はAudirvanaに任せ、PCMのハイレゾデータを中心に聞いた。(PCMの再生に没頭してしまい、DSDを聞かなかったのは手落ちだった。)
ヘッドホンは無改造のHD800、T1、Edition8を用いた。これらを使う上でのポイントとしては、シッカリ奥まで端子を差し込むこと。なんとなく挿しただけだと音が出ないことがあった。なお、このアンプはゲインの調節については二段階で変えられるようだが、筐体を開けねばならず、気軽に切り替えられるようなものではない。
ケーブルについてはワイヤーワールドの上級ラインが使われていて、それなりに音質を良くしていたと考えられるが、このクラスのHPAを使う場合、この位のグレードのケーブルを使うのは普通であろう。これは特別なドーピングには当たらないと思う。
今回の試聴機はプロトタイプではなく、ほぼ量産機とのことだが、今後DSDデータの取扱い等でソフトウェアに若干の変更がありえるとのことであった。


The sound 

GOLDMUND Telos Headphone amplifierは、
私が今まで聞いた全てのヘッドホンアンプの中で最も優秀な音を奏でる。
Most impressive sound.
この一言も、このアンプの価格も決してオーバーではない。このアンプは音をテクニカルにコントロールしながら、音楽のドライブ感を存分に出す。それは、まるで完全犯罪のように見事な手際である。
もっと早くこの音に会いたかった。

この音を聞いて、真っ先に感じたのは、
これは最上級のGOLDMUNDの機材の音の相似形であるということだ。
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私はMimesis 20HやMimesis 22H 、TELOS2500を組み込んだシステムを既に聞いているが、そのサウンドの精巧なミニチュアがここにあると、すぐに感じた。もっと踏み込んで書けば、そのサウンドのエッセンスが凝縮されており、上記の大規模なスピーカーシステムよりも、むしろ濃厚な形でそれを味わえるということだ。あの3つの機材の音のハーモニーの素晴らしさに酔っている時は、その合計金額は計算しない方がいい。4000万オーバーともなると酔いが醒める。だが、そのエッセンスが200万円以下で聞ける。高いレベルではあるが、確かなコストパフォーマンスの良さがここにある。100万円オーバーの高価なヘッドホンシステムをいくつも聞いてきたが、コストパフォーマンスの良さを感じたのは初めてだ。(ただし、内外価格差を考えると、このコメントは変えざるえないが)

このアンプは典型的なムンドのサウンドを持っている。シルキーでふくよかなのだが、信じがたいほどハイスピードであり、あきれるほどノイズレスであり、全帯域において飛び切りの解像度を誇る。生来の聞き味の良さと圧倒的な基本性能の高さが両立した、このサウンドには、まさにムンドの香りがあり、Telosの称号にふさわしい音の完成度を感じさせる。Telosとはギリシア語で“完成”の意味があるのである。

次に驚いたのは、聞きなれた曲が、聞いたこともないほど整った形で聞こえることだ。
まるで、これが本来の音であると、言わんばかりである。
デジタル領域において、電気信号の時間軸方向の乱れを補正し、音の歪みや揺れを除去するというプロテウス・レオナルドシステムが効果を発揮しているのだろう。これは、このアンプのテクニカルなハイライトであり、このアンプのIQの高さを物語る。
例えば、早口でまくし立てる、可愛らしいアニソンをこのアンプで聞くと、曲全体がかなり聞きやすくなったのが分かる。滑舌がはっきりし、歌詞がよく分かる。うるささが消える。音の歪みが矯正されたような印象であり、ボーカルと伴奏がほどよく分離し、どんなに多数の音が混んでも、音が濁らず、逆に芳醇なハーモニーとして耳に届く。またピッチが明確に聞こえるもの驚きである。情報量が格段に増えている。
ハイレゾデータでは通常のデータよりきめ細かい音が出て来て、気持ちがいいのは勿論だが、ハイレゾでなくてもこのシステムを通せば十分に楽しめる。さらに、これらのプロテウス・レオナルドによると思われる効果により、聞き疲れが従来のヘッドホンアンプよりも格段に少ない。耳への負担がかなり軽減される。こうなると、あらゆるデジタルファイルをこのアンプで聞き直したくなる。

ここでは音楽のドライブ感、ノリの良さや抑揚の振れ幅を大きく取りながらも、音が見事にコントロールされ正確に出る。多くの要素が巧くバランスした音である。こうなると、どんな音楽をかけても破綻しないようだ。音楽のジャンルごとに得手不得手がない音調である。
実は、NAGRAのHD DACのヘッドホンアウトでも類似の体験をしたが、このHPAではさらによく分離し、よく整理され、地に足がついた音が聞ける。NAGRA HD DACでも時間軸の整合性は取られているのだろうが、こちらはNAGRAよりもさらにヘッドホンリスニングに特化しているためだろうか。

また、ここで聞けるのは、今まで聞いたヘッドホンサウンドの中でもっともダイナミックレンジが広い音でもある。衣擦れの音のような気配に近い音も、オーケストラ全体が総鳴りしているような大音量でも、全く落着きはらって取り扱う。特に大音量で聞くときに、他のアンプとの違いが意識される。ボリュウムを上げても全然音が崩れず、うるさくなりにくいので、ついついフルボリュウムまで行ってしまうのが、ちょっと怖い。

また、微小な音が、粒立ちのよい、本当に小さな音として、ごく自然に感じられるのもヘッドホンとしては初体験であった。ヘッドホンオーディオは拡大鏡のようなもので、微小な音を大きく聞かせることに関心があったように思うが、それだと音に遠近感がなくなり平板に聞こえてしまう場合がある。このアンプの出音には遠近感や精密で揺るぎ無い定位感がある。不思議なことに、これはアコースティック楽器の演奏だけではなく、打ち込みの音楽においても聞かれる利点であった。また微小な低域の音の解像度の高さも普通のヘッドホンアンプではありえないもののように感じた。

なお、アナログ入力とUSBデジタル入力の音の違いは極小であり、ほとんど差はないと思われた。強いて言えば、USBデジタル入力の方がわずかにクリアーな音だが、幾つかのソフトで聞くかぎり、指摘しにくい小さな差であった。

さらに、ラージサイズのスピーカーを聞いているようなヘッドホンの鳴りの良さにも脱帽である。聞きなれたヘッドホンが別人のごとく悠々と朗々と歌う。このドライブ力は半端ではない。Telosという言葉には無限の力という意味もあるそうだが、さもありなん。ヘッドホンに使うべき言葉ではないと思うが、あえて言えば音離れがいいと叫びたい。また、その音の量感は豊かであり、質感のバリエーションが多彩であり、音のスケールはヘッドホンオーディオにあるまじき大きさである。
今回は3つのヘッドホンを用いたが、それぞれ能率に差があり、適切なボリュウムの位置にも差があった。しかし、どのヘッドホンにも感じたのは、このヘッドホンはここまで鳴るのかという驚きであった。まだHD800をダイナミックに鳴らす余地が残っていた。人が変わったようにT1が絶唱した。Edition8の潜在能力を見くびっていたのを反省した。どのヘッドホンについてもその性能限界を見直すことになったのである。これはまるでTELOS5000を最初に聞いた時のようだ。あれは、このスピーカーがこんなに鳴るとは!と穏やかに聞いていられるリスニングではなかったが、同じことがヘッドホンで起こった。
なお、このアンプには特別に合うヘッドホンというのはなさそうで、今市場にある、どのようなヘッドホンでもポテンシャルを引き出せそうに思える。HD800が最も良いという人もいたが、T1も良かった。私はEdition5やTH900でも試聴してみたい。
とにかくいろいろと試したくなり、久しぶりにワクワクさせられるヘッドホンリスニングであった。

このヘッドホンアンプに、二つのヘッドホンをつないで、並んで同じ音を聞いていると、まるで力一杯に駆動されている大きなスピーカーの前に、並んで居るようだ。このアンプで聞くとディテールとともに音楽全体の構築も見えてくるので、音楽という広大な風景の中に向かって、オープンカーに乗って二人でクルージングしているような気分になる。こういうフィーリングも初めて経験したことだ。

Telos Headphone amplifierは、全体にニュートラルな音調で、音に熱い・冷たいの傾向がほとんど感じられないのも大きな特徴だ。適度な柔らかさと硬さのある音でもある。密閉型ヘッドホンで聞かれる滲みなく存在感豊かな音像も、開放型ヘッドホンで聞かれるサラウンドのように広大な音場も公平に語ることができる。音の重量感と同時に浮遊感も思いのままに出す。繰り返しになるが、プロテウス・レオナルドの効果により、非常にテクニカルにコントロールされた音調と取れる反面、音に内在するノリの良さ・音楽性も色濃く聞かせる。その意味でも中立性の高い音と言える。しかし聞きこむとクセが全くないわけではない。随所にゴールドムンドらしい、スピード感、音場感、温度感がちりばめられている。こういうムンド・ムンドした音調だと、やはり音楽のジャンルにより得手不得手は出て来てしまう。例えば女性ボーカルを聞くなら、これに勝るヘッドホンアンプはない。この声の実在感は他で代えがたく、オペラや合唱曲などでの人の歌声を聞くためだけにこのアンプを買うという選択肢はアリだと思う。それから新しく録音されたクラシック全般に素晴らしい描写をする。逆にブルースやレゲエやラップ、古いJAZZ、モノラル時代のクラシック録音は雰囲気が合わないと感じることは少なくない。このアンプはオールマイティではない。それを求めるならRe leaf E1の方がいい。

そうは言っても、これは“心ある”ヘッドフォニアならば、その正常な金銭感覚を破壊されるような音かもしれない。新次元の音なのに、あからさまな欠点や、ついていけそうもない個性がほとんど見当たらない。これはGEM-1よりもずっと万人向けの美音なのである。ここでは世界中のハイエンドメーカーを向こうに回して、多くの顧客を勝ち取ってきたセンスとノウハウが、ハイエンドオーディオにとってはオマケ程度でしかないはずのHPAに詰め込まれている。そうだ、世界に散在する小さなガレージメーカーたちのヘッドホンアンプの音とは格の違いを感じるサウンドがここにある。これはノウハウの違い、目指す音の理想の高さの違いであろう。具体的にはここに詰め込まれている技術内容の分量が、他のメーカーの製品よりも遥かに多いのだ。特に、この小さな箱の中に、プロテウス・レオナルド、すなわちデジタル演算処理によって時間軸変動を補正するシステムを内蔵したことは、他の全てのヘッドホンアンプに対して大きなアドバンテージを持つと思われる。


Summary

私もかつては、ヘッドホンオーディオには独自の価値があって、それはスピーカーオーディオとは隔絶したもので、比較不能であるという夢を見ていた。だが、高級ヘッドホンオーディオの市場は期待外れな感じで推移している。ヘッドホン祭りにおいても、いくつか80万円を超えるHPAの発表に立ち会ったが、それらの中に、そこまでの音質を持つ製品も、よく売れている、あるいは売れそうな製品もない。製作者の思いだけで、音は良くならないし、本当にヘッドホンに大金を使っているマニアの意見を聞いたところで売り上げにはつながらないだろう。そんなハイエンドな据え置きヘッドホンアンプの支持者は増えていない。おそらく減っている。期待したほど、音が良くないと、多くの人が感じたのだろうか。それほどの大金を払いたいと思うほど魅了されなかったのだろうか。カスタムIEMに奔(はし)ったか。スピーカーオーディオに移行してしまったのだろうか。

旅をしたからと言って、ロバが馬になって帰ってくるわけではないという諺を私は聞いたことがある。もしそれが真実ならヘッドホンオーディオは、誰がどう技術的に持ち上げても、所詮ヘッドホンオーディオの枠から飛び出せないのではないか。そういう絶望や諦めを吹き飛ばすだけの音が、今回聞けたのだろうか?

Telos Headphone amplifierの音は例外的である。
ここにいるのはロバではない。ましてや馬でもない。恐らく翼のある馬、天馬、ペガサスのようなものであろう。その翼はプロテウス・レオナルドなのである。この音は従来のヘッドホンの世界の常識を越えた新しい音であり、従来のハイエンドヘッドホンの路線の延長線上の音ではない。これはGOLDMUNDがその技術をフルに発揮して、据え置きHPAの音の極みを追求したものだ。このGOLDMUND流の試みは据え置きHPAの音質を異なるステージに進化させたことは間違いない。このアンプの登場により、ついにヘッドホンオーディオはハイエンドオーディオの領域へ本格的に踏み込むことになる。思えばGEM-1はその前哨だったのだ。
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別な見方をすれば、これはディープなヘッドフォニアが、マニアであるがゆえに漠然と抱いてきた不満を、ほぼ全て解消した完璧に近いアンプだ。だが、その音のカイゼンは本当にディープなヘッドフォニアにしか意味がなさそうに見える。そこはGEM-1に似ている。それゆえに、これを買って聞く者たちは、ヘッドホン・イヤホン界のメインストリームから一層隔離された遠い場所に身を置くことになるのかもしれない。音質が違い過ぎて、もう他の誰とも話がかみ合わなくなってしまうだろう。しかも、その時流からの離れ具合はGEM-1のそれよりもさらに遠い。実際、Telos Headphone amplifierの音はGEM-1のそれとは、まったく異なるものである。例えれば、スペックが違うバイクの性能の比較というより、クルマとバイクの性能の比較である。すなわち別な乗り物であるかのように錯覚するほどなのだ。例えば私の中ではGEM-1は強い個性を誇るハーレーダビッドソン FLHTCUSE8 CVOであり、Telos Headphone amplifierは最新技術のショーケースであるポルシェ918スパイダーなのである。
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桁の多い数字を横目で眺めつつ、このアンプを聞いていると、このレベルの据え置きヘッドホンアンプは、これから需要が増えるということはないだろうという気分になってくる。いくら音がよくても、このようなアイテムは、普通のオーディオファイルにすれば、あまりに高価かつマニアック過ぎる。以前レビューしたNAGRAのHD DACのようにスピーカーオーディオにも使えるなら、この価格でもアリだと思うが、Telos Headphone amplifierは基本的にヘッドホンしか聞けない。この点に着目すると用途が限られ過ぎるし、高すぎると思う人が多いだろう。様々なオーディオの側面に精通したうえで、ヘッドホンへの強い執着を持たなければ、この音と価格のバランスを正しく評価できない。私は少なくとも165万円は相対的にオーバーな価格ではないと思う。内外価格差は受け入れにくいし、絶対値が高いのも認めるが。

このアンプの価格の向こうに、さあ、ついて来られるかね?とムンドの総帥レバション氏が微笑みながら手招きしている姿が見える。
果たして私は、彼の招きに応じてヘッドホンオーディオの天馬を駆るのだろうか。
それは以前GEM-1のオーナーになった時に感じた、使命感のようなものが、
心の底から湧きあがるかどうかにかかっている。
それをリビングに据え付けて、その音の真髄を余すところなく愉しみ尽くすこと、
そして、その音を次のヘッドフォニアに引き継ぐこと。
それを自分の使命と感じられるか。
私が天馬の羽音を自らのものにするか否かは、
もう、そこだけにかかっている。
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# by pansakuu | 2014-10-26 09:23 | オーディオ機器

2つのDACのヘッドホンアウトの私的インプレッション: ヘッドフォニアは眠らない

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「他人が笑おうが笑うまいが、自分で自分の歌を歌えばいいんだよ」
岡本 太郎


Introduction


NAGRA HD DAC+MPSのヘッドホンアウトに繋いだGRADO PS1000eが、
ヤン ガルバレクの放つ、冴え冴えとしたサックスの叫びを耳の奥に届けています。
夜明け前、私は無心にキーボードを叩き続けています。

近頃は、新しい据え置きヘッドホンアンプから面白い音がほとんど聞けていない気がします。
OJI special BDI-DCシリーズ、マス工房 Model394、 NewOPT KH-07N、RSA Dark star、Luxman P-700uなど定番のハイエンドモデルの音は悪くないのですが、最近は興味が薄れてきました。まあ、世の中の関心がポーターブル方面に行っているということもありますが、私的には、どれも最上位のハイエンドオーディオが聞かせる凄味のようなものにまでは届いていないので、食指が動かないのでしょう。私が求めるものは、強いて言えばG ride audio GEM-1が追求していた音に近いかもしれませんが、アレでもまだまだと、今では思っています。アレはアレでなかなか手強いのです。GEM-1は個性が強すぎて、使いこなしが難しい。時に荒っぽい音で疲れる。そして何にしても、もっと加工感の少ない純粋な音であって欲しいですね。

さて、近頃のヘッドホン界での流行の一つはUSB DAC内蔵の据え置きヘッドホンアンプです。USBでパソコンとヘッドホンアンプをつなぎ、デジタル入力で楽曲データを再生する。この方式は何しろシンプルです。
私がUSB DAC内蔵の据え置きヘッドホンアンプの良さに気がついたのは、数年前、M2 TECHのVaughanのヘッドホンアウトの音を聞いた時からです。これはヘッドホンアウトつきDACと言うべき製品でしたが、通常、こういうヘッドホンアウトはあくまでオマケ的な機能。音が出ていることが確認できる程度のものが多いのですが、このVaughanのヘッドホンアウトにHD800を挿して聞いた音はオマケとは思えないほど本格的でした。DACからの出力がごく短い経路でヘッドホンに伝わることのアドバンテージが、思いのほか大きい。高価で、手の込んだHPAからでも、なかなか聞こえないほどの鮮度感があるだけでなく、それらのHPAの十八番(おはこ)を奪うような、SN比の高さ、音場の広がり、出音の落ち着きがそこにありました。
しかしその後、他のヘッドホンアウト付きのDAC、あるいはUSB DAC内蔵の据え置きヘッドホンアンプをいくつか聞いて来ましたが、案の定、Vaughanほどの音はなかなか聞けませんでした。
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ともあれ、近頃は据え置きヘッドホンアンプとなれば、DAC内蔵はごく普通です。パイオニアの新製品U-05もそうですし、そのうち試聴するでありましょう、スーパーハイエンドでありながら、聞かれるまえからキワモノ扱いされちゃってるGOLDMUND TELOS Headphone amplifierなんかもそうです。アレはただDACを内蔵しているというだけでなく、ボリュウム調節もデジタル領域で行うようですし、アナログ入力すらA/D変換してデジタル処理してからアナログで出すという徹底ぶりです。
とりあえず、この手の新製品の中ではPionnerのU-05が音と機能、価格のバランスが最も取れており、よく出来ているのはすぐ分かります。ただ、その音は私がこの場で求めているような、ヘッドホン界で最もエッジなサウンドというほどのものではないですよね。これだけで全て満足しろと言われても無理がある。もっと痺れるような音の快感が欲しい。

では、私が求める至高の音はどこにあるのか。問題は、私の求めている、現時点での究極のヘッドホンサウンドの在り処(ありか)なのです。DAC付きのヘッドホンアンプか、ヘッドホンアウト付きDACか、それともハイエンドDACと据え置きヘッドホンアンプを高級ケーブルで結合したペアか。
普通に考えれば、冒頭に挙げたようなハイエンドな据え置きヘッドホンアンプに高価なDACを継いだ方が良い結果になると思われがちでしょうが、実際やってみると、そう単純じゃない。

いくつかのテストで炙り出されてきた事実とは、ヘッドホンアンプの上流のグレードを上げるほど、その音を十分に受け止められるヘッドホンアンプやヘッドホンが見つけにくくなるということでした。CH Precision C1+X1などの現代最高峰の機材に、上記のようなアナログ入力専門のヘッドホンアンプをつないで聞いてみた感触を言えば、上流の実力に明らかにヘッドホンアンプが負けていて、上から来る情報量を受け止めきれず戸惑っているような場合が多いということ。スピーカーでの出音と比較した時、上流の音に盛り込まれた要素の一部が、ヘッドホンアンプを通すことで間引かれてしまっているのを感じます。やはりVivaldiやCHP C1+X1の音は現状のヘッドホンアンプたちで聞くには勿体ないくらい豊かなのですね。

こういう事を分かったうえで聞いて行きますと、DAC直結でDACの音だけをピュアに聞く方がいいんじゃないかと思える時は少なくない。ヘッドホンを使うことを前提とするなら、独立したヘッドホンアンプ抜きで、このDACの音をダイレクトに聞くのがいいんじゃないかという疑念が首をもたげてくる。これはヘッドホンアンプの部分は出来るだけシンプルにして、その存在を消してしまおうという考え方でしょう。そういうSimple is bestな戦略を取るとすれば、やはりヘッドホンアンプとDACが一体化した製品を使うべきなのだと思ってしまうんですね。また、それだとコンパクトでシンプルな構成となり、音質が劣化してしまう様々な要素が自然とキャンセルされる利点もある。接点が減り、信号の伝送距離が短くなる。
ですが、その場合、ヘッドホンから聞こえる音の質の大部分はDACの性能そのものにより決まるので、DACのグレードはできるだけ上げなくてはいけない。いい音を求めるとすれば、自然と廉価なDAC付きのヘッドホンアンプではなく、高価だが高性能なヘッドホンアウト付きDACが選ばれることになります。

じゃあ、ヘッドホンアウトを持つ高級なDACなら、どれもいいヘッドホンサウンドを聴かせるのかというと、全くそうではない。むしろフツーか、イマイチというものが多いですね。しかし時に、真面目にヘッドホンアウト専用のディスクリートの回路や、そのために吟味されたパーツを搭載しているものがあり、それらの中にはかなり音が良いものがあるようです。それらはDACを最短距離で聞く意味を強く感じる音です。

あれこれとヘッドホンアウトを持つDACの試聴を進めるうち、
以下の2つのDACのヘッドホンアウトに私に注目しました。
おそらく、これらは今、考えられるいくつかの至高のヘッドホンサウンドのうちの二つではないか。少なくともヘッドホンアウトを持つDACの音としては、この二つが最高ではないか。私はこれらを試聴して、ここに簡単なインプレッションを残しておくことにしました。


Exterior and The Sound
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1.NAGRA HD DAC+MPSのヘッドホンアウトについて

NAGRAのHD DACのフロントパネルの右下隅にはヘッドホンアウトが付いています。その左隣にはトグルスイッチがあり、Phoneの側に倒すと、ヘッドホンリスニングモードに切り替わります。こうするとラインアウトは遮断され、ヘッドホンアウトからしか、音は聞こえなくなります。
ボリュウムの調節はフロントのダイヤルをただ回すだけ。スムーズに無段階で音量が変わります。数値つきの目盛りもついていますし、ピークレベルも左端のメーターで確認できます。

また、このHD DACには、ほとんどのヘッドホンアウトつきDACについていない機能がいくつかついています。その中で最も重要なのはヘッドホンの増幅レベルを内部でジャンパーを切り替えることにより変化させられるということ。これにより、市販の様々な感度を持つヘッドホンに対処できます。また絶対位相の切り替えも可能です。
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なお、今回行った全ての試聴で、GRADOの2014年現在、最新・最高峰のモデルであるPS1000eを使いました。この選択には深い意味はなく、単純に出たばかりなので聞いておこうということでしかなかったのですが、こうして聞いてみると、かなり優れたヘッドホンでした。基本的に非常にワイドレンジでヌケの良い音であり、低域の解像度と量感、そしてレスポンスが今まで聞いたどのヘッドホンよりも優れています。いつも問題視している装着感の悪さも、このヘッドホンのドライバーのあまりの優秀さに許せてしまいそうでした。やはり、このHD DAC+MPSほどのDACにはHD800やTH900、あるいはこのPS1000eぐらいのヘッドホンが相応しい。

それにしてもこのHD DACと専用パワーサプライMPSそしてPS1000eによるヘッドホンリスニング、なかなかよろしい。ヘッドホンアウトにありがちなオマケ感が微塵もありませんな。この真っ当さはなんでしょうか。まずは音像にはっきりとした陰影があり、非常に立体的に聞こえます。それらの音像の質感はとても自然なものであり、先進的なDACの出音にありがちな硬質感、強調感が全くと言ってよいほどありません。高域、中域、低域ともにとてもフラットなバランスで、突出して存在感を主張する帯域はありません。でもそういうフラットな音を追求したアンプが陥りやすい、つまらない音ではない。非常に音楽的な躍動に満ちた音であり、聞いていて大変スリリングです。

このHD DACのヘッドホンアウトで聞くDSDデータの生々しい感触は、他ではなかなか味わえないものでしょう。DSDで録音された弦楽曲を聞いたりすると、弦の倍音の盛り上がり方というか、倍音が耳に迫るように強く響く様に驚かざるを得ません。DACが鼓膜に直結したかのようなリアリティがここにあります。ハイエンドな据え置きヘッドホンアンプに高価なDACをつないで、同じデータを聞いた場合、明らかに音に余裕が出て聞き易くはなるのですが、こういう加工感のない音楽の素顔に迫るような再生音もいいものです。

さて、このDACのヘッドホンアウト、SN比はどうでしょうか?
ここでまたHD DACの素晴らしい利点が発揮されます。それは別売りの高性能パワーサプライであるMPSと組み合わせて、通常のトランスによる電源と超低ノイズのバッテリー電源をデジタル回路、アナログ回路に各々別々に供給して、さらなる高音質、もっとはっきり言えば高いSNを狙える点です。
MPSから二本のケーブルが出ており、1つはデジタル回路用、もう一つはアナログ回路用の特殊な端子に接続されます。MPSに電源が入った状態でデジタル回路用にはトランスによる電源を接続し、アナログ回路にはバッテリー電源を接続する、あるいはその逆の組み合わせなどをMPSのフロントパネルのスイッチで選択できます。
いくつかの電源の種類の組み合わせを試しましたが、ヘッドホンアウトを使う場合はデジタル回路用にはトランスによる電源を接続し、アナログ回路にはバッテリー電源を接続した状態が、ボーカルなどがとてもクリアかつナチュラルに聞けて一番良いです。こうするとSNがグンと高くなりますから。音場に漂う空気が一段と清浄に感じられます。このような二段構えの電源構成を取るヘッドホン関係の機材はどこにもないというだけでなく、トータルでこれほどの音楽的表現とSN比、そして音のロスの少なさ・加工感の少なさ、すなわち直結感を兼ね備えたヘッドホンシステムは、他にはほとんど無いように思われます。

また、例えばVivaldiやCHP C1クラスのハイエンドDACと、OJI special BDI-DCシリーズやLuxman P-700uなどのフルサイズのヘッドホンアンプ、そして高価なラインケーブルと電源ケーブルを組み合わせれば、出音の一部はこれに勝る要素もあるかもしれない。でもそれは、そもそもヘッドホンリスニングという、あえて小さくまとまることを目的としているようなオーディオには合わないスタイルなのでは?ラック二段を占有してしまうような大仰なヘッドホンシステムとは一線を画した粋なSmall systemであることも、このNAGRAのヘッドホンリスニングで見逃せない部分です。これなら例え四畳半のアパートの部屋であっても容易にセッテングできますし、PCとともに、そこそこの大きさのトランクに入れて持ち運ぶことさえも十分可能でしょう。
このHD DACは、音のまとめ方の巧みさといい、コンパクトネスといい、本当に優秀なDACだと思います。頭の中で擬人化して、他のDACと戦わせると、小さいのに戦上手(いくさじょうず)というか、常に相手を僅かに上回るだけの賢さを持ったDACのように思われます。まるでアルドノア・ゼロに登場するスレイプニールのように、小兵でありながら、機能のバランスと汎用性に優れ、使い方次第で大敵を次々と打ち倒す力を秘めているようです。



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2.Qualia&Company Indigo DAC with USB Basicのヘッドホンアウトについて

非常に美しくかつ堅牢な、巨大なアルミインゴットからの削り出し筐体を備えたIndigo DAC。これほど重装な筐体を持つDACは世界中探しても他にはないでしょう。Rコアトランス四基という強力な電源部を内蔵し、ESSの最上位DAC素子であるES9012Sを世界で唯一使用するなど、中身もかなりスペシャルですが、やはりこの筐体の凄味に視線が注がれるところでしょう。目の前でこの筐体を愛でているうち、私は火星文明のオーバーテクノロジーで造られたカタフラクト、あの鎧の塊のようなロボットたちを思い起こしました。
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そういうコンパクトという言葉とは無縁の、オーバーな筐体のリアパネルには小さなボリュウムツマミとヘッドホンアウトがあり、そこに端子を挿して音を聞くというのが、今回のスタイルです。ここでは外部クロック入力や、アップサンプル・デジタルフィルターの選択はもちろん、HD DACのような可変増幅レベル、位相切り替えなどの機能もありません。ボリュウム調節だけの至って簡素なもの。ボリュウムの目盛りすらもついていません。今回のリスニングで使ったGRADO PS1000eではボリュウムは10時くらいまで上げられるようでした。これくらいの範囲で使えるなら、実用上は問題ないでしょう。なお、ここでHD800などの能率の低いヘッドホンを使えばもっと広い範囲でボリュウムの調節が可能になることでしょう。
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これは、NAGRA HD DACにも増して、特殊なヘッドホンリスニングの世界です。このIndigo DAC with USB Basicのヘッドホンリスニングでは、非情なほど純粋かつ濃密なサウンドに心を奪われずにはいられません。データとして記録された全ての音が総鳴りしているイメージとでもいいましょうか。音響空間は全方位、360度、ビッシリと粒立ちのくっきりした音に埋め尽くされているという圧倒的な印象です。非常に純粋で飾り気のないストレートな音であるため、キツめの音調であり、若干の聞き疲れもあるのですが、これほどの情報量をいっぺんに聞かされることの満腹感は他では味わえないものです。

とこれで、私は真夏の真っ昼間に時々つくる飲み物があります。
幾つものレモンをスクイーズして、炭酸水で割って、密閉してよく冷やしたものです。つまり炭酸のキツいレモネードですけど。
山下達郎にスプリンクラーという素敵な曲がありますが、この曲をこのDACで聞くと、ああいうノンアルコールでありながら炭酸の刺激の強い飲料を一気に呷(あお)ったような感じ、清涼感が全身を駈けめぐるような音でPS1000eが鳴ります。音の温度感は低めであって、その筐体の質感のように少しばかりひんやりした音であります。また、その音を香りに喩えるとすれば微かなペパーミントのフレーヴァーでしょうか。スッとする爽やかさに満ちた音です。

Indigo DACのヘッドホンアウトは、音の押し出しの良さに関してはGEM-1に類似していますが、音全体の印象は全く違っています。例えば、GEM-1に特有の低音のアクの強さなどは皆無で、低域に関しては透明感があり、かつ締まっていますね。量感が少なくシャープでありながら、明らかな重たさのある低音。他では、なかなか聞けるものではありません。高域は硬い質感で、透明度を保ちながら高く伸びていて、長くて鋭い剣の刃先のように危険な印象です。中域はとても厚く密度があるものに聞こえますが、反面、見通しも良く、この帯域の音の透明度は高いものと取ります。Indigo DACのサウンドは、どこまでも透徹した音場を保ちながらも、音像は薄まらず明確なまま、独自の重たさ、存在の深さを誇り、最近のハイエンドDACで聞かれる薄い羽衣が舞うような、ただ透明で綺麗なだけの音に終わることはありません。
なお、このDACは基本思想としてPCM音源を最高に聞かせることを開発の主眼としているらしいので、今回の試聴ではDSDを聞くことはできませんでした。しかし、これほどの音が聞けるならば、DSDはなくてもいいんじゃないかと思わせてくれます。DSDの形でしかリリースされない音源が、これから先、多数出てくる気配も無さそうですから。

また、ここのDACの音にはハイエンドオーディオ特有の高慢さと横暴さが見え隠れします。これはGEM-1にも聞かれたものですが、こういう隠された毒のような要素、普段は見せない鋭い牙や爪のような秘められた攻撃性を感じることこそ、私がハイエンドオーディオに密かに求めるところでもあります。巷に溢れる、イヤホン・ヘッドホンリスニングの機材から、このような悪魔的な要素を、ほんの少しにしろ、聞くことは無理でしょう。
やはり、これほど積極的な音作りをされたDACの音をヘッドホンでダイレクトに聞くというのは、様々な意味でシリアスで新鮮な体験でした。
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さらにIndigo DAC に類似したヘッドホンアウトを持つ高級DACであるTAD DA1000というのもあります。比較のため、そのヘッドホンサウンドも聞いてみましたが、これは難しいなと思いました。あれは解像度の高さが際立つ明晰でクリアなサウンドではありますが、かなりデジタルチック、不自然に速くて硬い音で、今まで聞いたヘッドホンサウンドの中でも特に疲れる音でした。あれは、そのラインアウトでの音質と同じく、音のディテールの描写を優先しすぎた、やや単調な音、長時間聞きつづけることは難しい音という感じ。(やはりTADはD600を買うべきでしょうね。)Indigo DACの音もそういう解像度の高さを売りにしている部分がありますが、もっと音に深みがあり、聞き慣れた音楽に秘められた演者や作曲者の感情が抉(えぐ)り出されてくるような局面が多くある。DA1000とは格の違いがあるのですね。DA1000の音に満足していた方がIndigo DACを聞けば、多いにうろたえることでありましょう。


Postscript

こうして自分が書いたものを読み返していますと、
どこの誰が、こんなマニアックなインプレッションを読むのだろうかという諦めのような疑いを抱きます。あるいはCHPやdcsのDACにBDI-DCシリーズやGEM-1を接続して使っている方は、このメモ書きの中身を鼻で笑うかもしれないと思うと、空しいわけです。(でもこれらのペアはどう考えても前段・後段の性能や価格のバランスが悪すぎやしませんか。)
確かに、これらの音を比較したことのある人は、世界中に私以外はまだ居ないかもしれませんが、それは元来そんなことをする必要もないからです。
私以外の誰も、そんなもの求めてないでしょうから。

そうと分かっていても、私は眠らない。
飽くことなく、新しいヘッドホンサウンドを求め続ける。
それは私の中のヘッドフォニアの魂が眠らないからです。
たとえ最後のロケットが
私一人を残し、
ヘッドホンの世界を捨て、
どこかに飛び去って行ったとしても、
まだそこに、求める音があるという
希望のひとかけらさえ残っているなら、
私は愚か者の残滓として、
ヘッドホンに耳を当て続けることでしょうね。

冗談みたいな本気についてはさておき、
NAGRA HD DAC+MPSのヘッドホンアウトをPS1000eで聞きながら、
この良心にも似た奇妙な執着に付きまとわれ、振り回される毎日が
私の運命(さだめ)なのだと、いつものように直感する、
今、夜明け前なのです。

# by pansakuu | 2014-09-14 00:47 | オーディオ機器

NAGRA HD DAC+MPSの私的レビュー: Another NAGRA


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「こいつ、ホントにルパンか?」
by銭形警部



Introduction

NAGRAは難しい。
私はずっと、そう思ってきた。
NAGRAの音の良さを本当に知ることは、本当に難しいという意味で。
私はNAGRAのプリアンプPLLとパワーアンプVPAのオーナーだったが、
あれらのサウンドというのは、
なにか焦点を絞らせないというか、のらりくらりとしていると言うか、
とにかく価格相応の凄味のようなものが皆無なのだ。
しかし、そういう中にも、なにか特別な、高貴で典雅な雰囲気が常につきまとっていて、
オーバーオールにダメな音とは到底言えないというのが、悩ましかった。
だから、すぐには手放さないのだが、
NAGRAの音の良さがどういうものなのか、
口に出して表現できないもどかしさがストレスだった。

では何故そんなものを買ったのか?
それは単純にそのコンパクトで精緻なルックスに魅せられたからである。
つまり、音を聞かずに買ったのだ。
あの頃は今よりもさらに酔狂だったのだろう。

ふりかえって考えてみると、
NAGRAの音は、あの頃の私には洗練されすぎていた。
今となっては、
“一般的”なNAGRAの音というのは
オーディオという長い巡礼の旅の最終到達地点ですらないと思う。
あれは旅の終わりに、ではなく、旅したことさえ忘れた頃合いに聞くべき音だろう。
次々と機材をとっかえひっかえすることを忘れ、音質を単純に追求することにも飽いて、それら全てを忘れた人、いわばオーディオの情熱を忘れ、それでも音楽を聞きたいと願う、枯れてしまった人に似つかわしいのがNAGRAだと私は思うようになって行った。
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私が今まで聞いてきたNAGRAの機材の音、CDCや300i、あるいは、あのオープンリールデッキIV-Sのものも含めて、それらはだいたい似たようなトーンだった。どれもオーディオ・オーディオしていないというか、SN感、解像度の高さ、ワイドレンジ、サウンドステージの広さ等のハイエンドオーディオマニアにとってキャッチーな要素を敢えて抑えたような、控えめで洗練された音を奏でた。こういう音は経験を積むか、リスナーのオーディオセンスと偶然一致するかしないかぎり、単純に良いなどとは言えないものだと思う。また、他のハイエンドメーカーの機材の音と比較すれば、価格の割に、とても中途半端な音に聞こえるはずである。だが、聴き込むと、中途半端などという言葉は全く当たらない、言わば、フワッとした完璧さを感じる音質だと分かる。またオープンリールデッキで特に顕著だったが、生成りの音、生々しさが感じられるものであることも印象深い。しかし、PLLやVPAで感じた、その特有の分かりにくさはまるで、柔らかな棘のように心象に残っていた。

私は今回、某所にてコンシュマー用のNAGRAの最新作、NAGRA HD DACを汎用電源であるNAGRA MPSとともに試聴する機会を得た。

その音は上記の“一般的”なNAGRAの音とは異なる積極的なサウンドであり、音楽性にも溢れたものだった。私は非常に驚き、この機材を是非にも手元に置きたいと考えるようになった。PLLとVPAの時と異なり、音を聞いて買いたくなったのだ。


Exterior and feeling
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NAGRAらしさに溢れている。
試しにフロントパネルのスイッチ類に触れてみたまえ。
ボリュウムの僅かに粘るような滑らかな感触、パチリと来るスイッチのクリック感と操作音、新しいメーターの指針がチラチラと揺れる様、僅かに青みのある、艶消しアルミの質感等々。それらはNAGRAのロゴよりも、このDACがNAGRA製であることを主張する。アキュレートでありながらキュートな、この特別なDACを眺めていると、NAGRAという固有名詞しか思いつかない。

フロントパネルでは中央部のNAGRAでは見慣れない液晶の小さな窓と、隣のダイヤルが目を惹く。これはデジタル入力の選択や、各種セッテングを行うための部分である。この部分の設定機能はかなり多彩であり、言語設定(日本語非対応)、入力名称の設定、1.3v、2.0vの二段階のラインレベルの出力の切り替え、ラインレベルの固定出力モードと可変出力モード(すなわちDACプリとして使用可だが、それはオマケ程度の実力なのでお薦めしない)の切り替えができる。さらにマニアックな機能として、絶対位相の切り替え、USBを使用しない場合のUSB回路のスリープの選択(USB回路は多くの電力を消費するため)、HD DAC自体のトータルの稼働時間表示、今、入っている真空管のトータルの使用時間の表示まで見ることができる。この表示を順繰りに見てゆくと内部温度の表示も見つかるのだが、このDACも、MPSもドライブ中は50度位に熱くなる。

筐体全体を俯瞰すると、例によってコンパクトなDACである。この価格帯では最小である。MPSをスタックして置いても断然小さい。私は、このコンパクトネスにいつも憧れる。NAGRAはコンシュマー機材の大きさをできるだけ揃えようとする傾向があり、NAGRAのプレーヤー、プリアンプ、フォノイコライザーに関してはほぼ同じ大きさである。HD DACはフロントの寸法は、それらと同じなれど、これらよりも奥行のみが少し長い。この余分な長さはNAGRAが社外に開発を依頼したDA変換モジュールが入っているため生じたものである。つまり、Playback designs MPS-5を設計したアンドレアス コッチが作ったDA変換ユニットが封入された金色のモジュール、これが内部に入っている分だけ、長いのである。なお、この箱の中でDSDはネイティブでアナログ変換されるようだが、その他の技術的な詳細は不明である。もちろんスペシャルメイドらしいUSBレシーバーの詳細な技術内容も明かされていない。

取り扱うデジタルファイルについて、USBを介した再生ではPCMでは384kHz/24bit、DSDでは5.6MHzのデータ、Double rate DSD、DXDまで使うことができるとされている。実際の試聴では、KORGのアプリである、Audio gateで、少なくとも192kHzのPCMデータ、DSD 5.6MHzともに問題なく聞けた。なおMacでのUSB接続では特別なドライバーは要らないが、Windows PCとの接続では、ASIOドライバーをインストールする必要がある。これはUSBメモリの形で付属してくる。
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このDACの内部にはフランスのSCR社製のカスタムメイドの黒い大型コンデンサ(蜜蝋を使って作るスペシャルパーツらしい)やシールドされた大型コイルがぎっしりと詰まっている。ふりかえって考えるとNAGRAの機材でこれほど多くのコンデンサが入っていたものはないし、ましてや他社のDACでこれほど大きなコンデンサがぎっしり詰め込まれた例も記憶に無い。こんなに大きなコイルが入ってたのも見たこと無いような。このDACのシングルエンドのアナログ出力回路はよほど変わったものなのだろうか。あの音の違いはどこから来るのか。
また、内部には出力の増幅段にJAN5963一本だけ(申し訳程度に)使用されているのが目をひく。一応、管球式DACというジャンルの機材なので、日本語でのファーストレビューは管球王国に載ったほどだが、これは管球らしくない音だ。それに大体、左右チャンネルがあるのに、球が一個だけってどうよ。なるほど双極管か。
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リアパネルには、今回使うUSB入力以外に、RCA同軸・AES/EBU・TOS光のデジタル入力があり、RCA、XLR出力が見える。
このリアの入力を眺めて思うのは、流行の(?)外部クロック入力がないということ。
外からのクロックをあえて拒む、その意気や良し。高性能なクロックの生み出す、怖いくらいに精密な疑似空間の素晴らしさは認めるが、オーディオはそれだけじゃ足りないと思うクチなのだ、私は。あれは静的な美点であって、音楽はあくまで動的なものだから、そういう入力がなくても寂しくない。

また、珍しいのはリアに、アナログ回路用とデジタル回路用の別々の電源入力端子が分かれてあるところだ。オプションのMPSを使わない場合は、これらそれぞれにアルミ筐体を持つ立派な電源アダプターを接続しなくてはならず、結局二本の電源ケーブルが必要になる。逆にMPSを使うと、MPSから二本のケーブルが出てデジタル回路、アナログ回路に供給されるため、電源ケーブルは一本で済む。音質としてはこのMPSを用いる方が断然、素晴らしい。これはもともとペアで購入すべきだろう。
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詳しく言うと、試聴に使ったMPSは、バッテリー電源と通常のトランスによる電源をパラレルに使用できるタイプであった。例えばこれをHD DACと組ませると、1つのDACの中でデジタル回路にのみトランスによる電源を使い、アナログ出力回路にのみバッテリー電源を使うなどの離れ業ができる。実際につなぎ変えてやってみると、今回のスピーカーを使った試聴ではDACのデジタル回路、アナログ出力回路ともにトランスの電源を供給したほうが、力強い音という意味で好印象だった。(バッテリーによるドライブについては次回のインプレで述べよう。)

もちろん、MPSも他のNAGRA製品と全く同じ精緻な仕上げ、操作感である。ただの電源でありながら、造りにいい加減さが一切ない。MPSについて格好いいなと思ったのは、電源を入れると、内部に4つある電源ひとつひとつに割り振られたLEDが順繰りに点灯してゆくところ。小さな機械が一生懸命働いている様に見えて、健気(けなげ)だ。LEDやメーターの動きといい、スイッチの感触といい、こういうギミックの面白さはオーディオの愉しみの一部だと思う。

なおHD DACもMPSもリモコンで、入力や出力をセレクトできたり、ボリュウムを変えたりできる。だが、このリモコンはNAGRAの純正ではなく、他社製の流用品であまりカッコ良くない。必要もないので、私は今回はこれには手を触れなかった。


The sound 

機材の外観から来る予想に反して、
今回のHD DAC+MPSはNAGRAらしくない音を出す。
その音の素晴らしさは、他のNAGRAの機材の音よりも分かり易いものだ。いや、ハッキリ言ってしまおう。“一般的”なNAGRAの音より、私にとっては、ずっと良い音だ。そして、これは今まで聞いたNAGRAの機材の中で突出して優れた音であるのみならず、MPS-5やCH Precision(以後CHPと略)D1 mono, C1+X1、dcs Vivaldi、Logifull LDac1000を含めて、今まで聞いた全てのデジタルプレイヤーの中で、最も私の好みの音だ。

私は、このHD DACのサウンドをMPS込みで評価している。私にとって、HD DACはMPSを接続して初めて完結した音が出る。まるでCHP C1+X1のようなものである。
(NAGRAのCDCやJAZZに、このMPSを接続して聞いた時は、これほどの効果はなかったので意外だった。)
また、内部のアナログ出力回路は基本的にシングルエンド設計とのことだが、実際使ってみると、バランス出力の方が音が良かったので、そちらで聞いている。
(現時点で、いくつかの雑誌のレビュー記事が既にあるが、どれもMPSを使っていない試聴の結果である可能性がある。またRCAシングルエンド出力で聞いている可能性もある。)

今回の試聴ではKORG Audio gateをインストールしたWindows PCに楽曲データの入ったSSDを外付け、一般的なUSBケーブルでHD DACと接続しDSD、PCMハイレゾデータ等を聞いている。PCはASIOドライバーをインストールしたのみで、特別なことはなにもしていないパソコン、Windows7が入ったEpsonのノートパソコンであり、全くプアな環境だ。USB接続は全てUSB2.0である。

既に述べたが、HD DAC+MPSはコンパクトである。同じく二筐体となるCHP C1+X1と比べよ。しかしこのペアの聞かせる音のスケール感はとても大きい。CHP C1+X1のそれと遜色ない。このギャップにまず驚いた。
音場の左右、高さ方向への広がりを感じるサウンドである。音楽にもよるのだが、見渡す限りの音の水平線が目の前に現れた時が何度かあった。
今回の試聴は3人で行ったが、この音のスケール感については、この小さなリスニングルームでは、サウンドステージの左右端が部屋の外へ、はみ出してしまっているようだというのが、全員の一致した意見だった。

これくらいの広がりのあるサウンドステージの場合、現代ハイエンドオーディオでは、音が空間に微粒子状にスプレーされるような出方をしがちだが、HD DACでは、そこが違う。そういうホログラフィックな音の出方ではなく、広めの音場に濃密な音像が確固とした像を結ぶ。そして昔のWadiaやSTUDERのCDプレーヤーのように音が生々しく立ち上がって前にガッと出てくる。ここには最近聞いた、TADのD1000のような音の輪郭のデジタルっぽいキツさはない。だが、一部の非力なDACで聞かれる、周りの空気に微妙に溶け込むようなあいまいさも全くない。非常に細心な描写であって、音像のディテールがつぶさに聞こえる。だが、音が細かくなりすぎて実体感を失うことはない。私は、この絶妙な音のリアリティに痺れた。
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ここで再び驚かされるのは人の声である。アッと思ったのが、グレゴリーポーターの歌を聞いた時。彼のWaterというアルバムの冒頭曲Illusionで、ピアノのイントロを受けた歌い出しのところで、グイッと声が立ち上がる瞬間の柔らかなインパクトが、なんとも心地よい。こんな鼓膜の快感は初めてであった。また、4曲目でスカイラークというスタンダードナンバーを歌うのだが、そこでの歌い回しのスムーズさにも感じ入った。これはMPS-5で時々聞いて、いいアルバムだなと思っていたし、その次のLiquid SpiritというアルバムはLPでのヘヴィローテーションである。彼の声をMPS-5で聞くのも良かったが、LPではもっと深いコクと、さらなる立ち上がりの良さを感じていた。だが今回のHD DAC+MPSの試聴はアナログに匹敵、あるいは超えるような見事な声の描写を私に聞かせた。誰かが、こりゃアナログライクな音だねと言ったが、そうかもしれない。コッチのMPS-5にも同様のインプレッションを述べた方がいたのを思い出す。このDACの心臓部は同じ人の作ったものだから、さもありなん。

高域は滑らかで耳を刺さない。限界まで伸び切るが、虚空に拡散し、いつの間にか消えたりはしない。消え際、空間に綺麗な残響がクッキリと流れ、次の音へとつながってゆく。中域にはほのかな熱があり、カラフルかつビビッドに鳴る。中低域は音楽的なノリのよさがあり、曲想に合わせて躍動する。このような温度感、音楽的活力をPCオーディオと呼ばれるもので体験したことがない。低域そのものに関しては、解像度などは、かのCHP C1+X1には劣るが、十分に締まりが良い。MPSによる強力なドライブ力はシステム全体を突き上げ、スピーカーを躍らせるのには十分であるようだ。帯域バランスは、中低域が厚く、やや突出して感じられるものの、全体としてはほぼフラットに近いものだと思う。音の質感については変幻自在としか表現できない。剛直だったり柔和だったり、しっとりしたり、ドライだったり。こういう質感と決め難い。
また、一本筋金が通った芯のある音でもあるが、CHPの機材の音のように強固な音の骨格を感じさせるせいで、音がどこか沈んで硬く重たくなることがない。むしろMPS-5のような、しなやかな音の軽みがある。

SN比というものは、それが高ければ高いほど伝送における雑音の影響が小さいということになるが、HD DAC+MPSの音はまさに滅法SN比が高い印象である。MPS内蔵のバッテリー電源を使わなくてもプレイバックのMPS-5よりも高いように聞こえる。音像の周りの空気は澄みきって、すがすがしく、濃厚な音調を誇る送り出しにありがちな見通しの悪さがない。ここらへんがSTUDERやWadiaのプレーヤーと異なるところであろう。

巷ではPCMとDSDのデータの出音の違いが様々に言われている。CDから普通にリッピングしたデータとハイレゾデータに差があるとか、ないとかも喧しい。一方、HD DAC+MPSでは、幸か不幸か、そういうデータのフォーマット形式とか、数値上で期待される情報量の差とかを、実際あまり感じない。つまりPCMもDSDのごとく生々しく聞こえ、48kHz 16bitの音質がハイレゾに劣るという感覚は極小となる。これはどうしてなのか、理由をはっきり説明しにくい。結局、それぞれの音楽に与えられた音楽性が最大限発揮された結果として、そういうデータの技術的な差異が小さく感じられるのか。HD DAC+MPSの試聴は音質という末梢の出来事に耳が向くというよりも、音楽それ自体の曲想や本質的な意図に思いが向いてゆくリスニングになる。
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このDACでアニソンをかけてみると、聞いたことのないほどシッカリした調子で曲が鳴る。テスト用に使っているChouChoのStarlogが初めて、私の失笑を買うことなくシリアスに奏でられた。今までアニソンの音質には透明感、クリアネスを追求するあまり、声に高い山の空気のような希薄さと冷たさが際立ち、人工的な風合いに感じられて不満だった。また、アイドルソング的な甘い音調にも強い違和感を感じていた。しかし、このDACでは、アニソンの歌声が人工的、仮想的なものには聞こえなかった。本物の人肌のような温かさのある、街の何気ない空気のように、ナチュラルかつカジュアルに響いて素晴らしかった。この普通さがいい。現代のアニソンにありがちな、ストレートに意図を伝えない、まわりくどい歌詞にも、妙に電気的な伴奏の打ち込みの音のエッジにも、立派な存在理由がある。そう私は信じたくなった。このDACがあれば、真面目に聞けるアニソンが増えそうな予感がある。
自分が捨ててきた多くの新しい音楽に、もう一度、光をあてることができる可能性を私は感じた。

こうして他のDACと比較しつつHD DACを聞いている。
思い巡らすことは少なくない。

例えば、私の中ではDSの時代は終わったということ。DSは発売以来、もう6年以上、変化の激しいデジタルオーディオの世界で堅塁を保ってきた。それはDS以外には出来ない芸当であったことは認める。そういう意味で、やはりDSは凄い。だが、持ち込まれたKLIMAX DS/KとHD DAC+MPSを一対一で比較すると、もう出音の差は歴然である。DSの音は、比較としては、もう腰の引けた薄い音としか言い様がなかった。HD DACはDSと同等以上の音質でありながら、音の素性として、もっと求心力のあるものである。音がグッと立ちあがり、直進し、躍動する。もうDSは根本的に音をリニューアルするべきだろう。6年もの間ご苦労様であった。デジタル機材に一生モノなし、というわけだ。

今のところ、KLIMAX DS/KとLumin A1、Weiss MAN301、DSP-03で音質を比較すれば、それぞれ確かに差はあるが、ハイクオリティなクロックを入れたりして強化しないかぎり、積極的に買い替えを考えるほどの大差はないと私は思っている。もし買い替えを考えるとしたら、例えばDSP-03が音質のわりに圧倒的に安いなど、音質以外の部分に理由を求めるだろう。しかし、HD DAC+MPSは、これらのDACの外部クロックなしの出音なら、明らかに凌駕しているように聞こえる。もうあそこらへんのDACたちも遅れ始めているのかもしれないと思うほどだ。これでは買い替えを意識すると言ったDSP-03オーナーもいた。また、個人的にはクロックを入れようが、入れまいが、HD DACの音の方が好みだ。
少なくとも、このHD DACの如く、もっと強烈に自分の価値観を打ち立てないと、流れの速いこのデジタルオーディオの世界では押し流されてしまうように私は思う。HD DACに比べれば、上に挙げたDACはまだ十分に自分の色を出せてないのかもしれない。

実際の話、
今まで様々なUSB接続によるDACの出音を聞いてきて、私には不満があった。
その出音には、パソコンで操作したり、それを音源としたりするデジタルオーディオ、USBやLANを使うオーディオにほぼ共通する、音の薄さみたいなものが感じられた。常に。
それは良い言い方をすれば透明感と言うべきものなのだが、この音の実在感の薄さこそが、PCオーディオあるいはネットワークオーディオの音質的な問題であると私は思ってきた。こういう実在感が足りないと思うから、あえてSTUDER等の昔のCDプレーヤーを使う意味があると考えていた。だがHD DAC+MPSではUSB接続でもSTUDERのような熱く厚く、色濃い実在感が出る。それでいて音が空間に広がる表現も他のハイエンドDACに劣らない。このサウンドが聞かせる他機との違いは見事なものだ。

また、設計者が共通するプレイバックのMPS-5よりも、今回の音は明らかに良かった。
HD DACは考えようによってはMPS-5の進化形なのかもしれない。音の軽さや動きの速さなど印象は近い部分があるが、さらに躍動的でSNが良くなっている。MPS-5あるいはMPD-5を愛用される方は是非ともHD DAC+MPSを自分のシステムで聞いてみて欲しい。唖然とするに違いない。

Summary

NAGRAは難しいと私は思ってきたが、
外から新しい血を注ぎ込まれたHD DAC+MPSは、
従来のNAGRAの機材からは一皮も二皮もむけた、
主張のはっきりした、音の良さが分かりやすい存在となった。
だがこれはNAGRAのニセ物ではない。
正真正銘のNAGRAである。
そして、私にしてみれば
NAGRA HD DAC+MPSはデジタルオーディオの突破者である。

とかくPC関連のデジタルオーディオは、そのインターフェイスの巧妙さや、動作理論の妥当性、計測値の優秀さにばかり議論が向きがちで、肝腎の音について深い検討がなされない傾向がある。だがそれは、実物からの出音がどれも似たり寄ったりであるせいでもある。このDACのように他とはっきりと区別できる音を出せて、なおかつその音質に説得力があるというものが増えれば、PCオーディオが本当にオーディオらしいものになっていくのではないかと期待できる。音が出る過程を調べた知識を競うのがオーディオではない。他とは違う出音で、聞き手を気持ち良くしてナンボの世界のはずではないか。このDACこそ、私がデジタルオーディオに求めていた音、形、大きさ、そして機能を体現するものなのである。

ところで、
私がNAGRAを聞きたくなるのは、
決まって超弩級のハイエンドオーディオに嫌気がさした時である。
例えばスイスのCHPから、C1をモノラルで使うシステムがアナウンスされていると小耳にはさんだ時なんかがそうである。私は想像した。その二台のC1それぞれに強化電源X1をおごり、さらにクロックを入れる。それらの上流はD1?それにもX1を入れるのだろう。こうして全部で7つの筐体が送り出しだけに使われる。嗚呼、どうしてそんなに大規模にしないと、いい音が出ないの?
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そういうネオジオングみたいなオーディオは想像するだけで私は嫌になる。そうやれば、聞く前から、音が良くなるに違いないと思えるところが特にイヤだ。だいたい、たかが音楽を聞くのに、そんな重装備が必要か?もっと軽やかなシステム、小さなシステムで、いいオーディオをやることはできないの?そして私はネオジオングに対抗するため、ネオビグザムを建造するような発想はしたくない。それじゃキリがないじゃないか。もっと軽妙に、もっとコンパクトに、もっと控え目に。そうでありながらも品位は限りなく高くして。そうなるとオーディオはNAGRAに収束する。

オーディオの試聴を重ねていると、いつかもう一度、この音に必ず出会うこと、再会を直観する音に出くわすことがある。そのひとつがこのHD-DACのサウンドであったことは、伏線として書いておいていいと思う。
実際、我々がこのリビングで再会し、生活をともにすることは、この試聴の時に既に決まっていたのかもしれない。

さて、こんな世迷い言を綴るうちに、もう、夜になった。
フロントの小さなトグルスイッチをパチリと切り替え、
私はNAGRA HD DAC+MPSをヘッドホンで聞くことにする。
さあ、もうひとつのShow timeを始めようか。

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# by pansakuu | 2014-09-08 14:23 | オーディオ機器

TechDas Disc Stabilizerの私的レビュー:ちいさな重石

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この世では、大きいことはできません。ちいさなことを大きな愛でするだけです。
by マザー テレサ (修道女、ノーベル平和賞受賞者)




つまるところ、部外者が取るに足らないと思う、ちいさな事に凝ってしまうのが趣味である。

そういう意味では、レコードスタビライザー(ディスクスタビライザーとも呼ぶが、それではCDの上に載せるものと差別化されないので、ここではこう呼ぶこととする)、つまりレコードのレーベル面の上に置いて、レコードの反りを矯正したり、ノイズを減らす効果のあるウエイト、簡単に言えばシャフトを通す穴の開いた重石(おもし)なのだが、こんなものに凝るというのも、アナログオーディオを趣味とする者として可笑しくはないことだと思っている。
AK240は行方不明、HugoとDSは十数枚のレコードに化けてしまい、今、私はアナログレコード三昧である。終わりの見えないデジタルオーディオに汲々としていた頃と比べれば、これは浮世離れして、お気楽なオーディオライフかもしれぬ。こういう妙な日常においてレコードスタビライザーという、やや変わったアイテムのテストは似つかわしい。

実際、いくつか試してみると、レコードスタビライザーはアナログ再生にとっては、取るに足らないモノとは言い難い場合があることが分かる。それを、ただ載せるだけで、かなり音が変わってしまう場合がある。
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例えば、Beginsという、或るオーディオ店が展開するカーボングッズのラインナップの中に、パルテノンというレコードスタビライザーがある。これは、恐らくオーディオリプラス製と思われる太い水晶の円柱を、カーボンでつくられた二枚の円盤で挟み、さらにカーボン製の円柱でその水晶柱の周りを囲んだものである。異種素材を組み合わせて、異次元の制振効果を得ようという、いわゆるハイブリッドタイプのスタビライザーだ。そこそこ重たいスタビライザーで、掴みにくくはないが、手でつまみ上げる時に指をかけるための部分は特別には設けられてはいない。また、これは純粋な視覚的美しさや手に触れるものとしてのデザインは皆無なモノである。実物をレーベル面に載せても、どうも格好が悪い。それでいて価格の方はなんと16万オーバーで、世界一高いレコードスタビライザーかもしれないのだ。しかし、性能の方は価格相応と言えそうであった。試したスタビライザーではトップの能力、非常に良くノイズを吸うグッズである。アナログらしからぬ静けさが非常に印象的である。これを使うと下手なクリーン電源など真っ青だろうと思うほど、静かになる。ただ、かなり格好悪いし、これでは肝腎の音楽まで痩せてしまうような気がしたのでパスした。私の中では、これはいわゆる効き過ぎ系のグッズに分類される。
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他にもある。オヤイデが作るSTB-HWXというレコードスタビライザーは、パルテノンと形はやや似ているが、価格は対照的にかなり安価だ。でも効果はちゃんとある。これも円盤で円柱を挟んだ形だが、特殊金属製で、持ってみるとかなり重く感じる。レコードの上に落としたら、そのレコードはもうまともに聞けないだろう。そして、パルテノンと同じくデザインがあまりなく、持つ部分も特設されていない。これを載せるとノイズがやや減少し、音が明瞭化、僅かに華やかでシャープな音に変化する。値段を考えると明らかに悪くないスタビライザーであるが、表面的な音の良さに傾いて音の深みみたいなものが感じられず私の中では少し物足りないため却下である。

こうして、いろいろと実物を見て体験してゆくと分かってくることがある。
つまり、一口にレコードスタビライザーと言っても、いくつかの側面があり、それらが統合されて一つの道具として成り立っているということである。
1つは掴みやすさである。このグッズはどうしてもレコードの上を通るので、手から滑り落ちにくいものがいい。スタビライザーよりもはるかに高価な盤の上に、それを落としてしまったら、取り返しのつかないことになる。
次に適度な重さと適度な広さの接地面が必要である。若干あるレコードの反りをウェイトをかけて修正する効果がスタビライザーには期待されるからだ。また、僅かに起こりうる、再生中の盤のスリップを防ぐ意味もある。
さらにスタビライザー本体、あるいはレーベルに接地する面の材質に微振動や静電気を吸収する能力もあったほうがよいし、デリケートな紙で出来たレーベル面を傷つけない材質であることが望ましい。
また、スピンドルシャフトを通す孔の入口部の形状も一応チェックすべきだろう。レーベル面に載せる場合、必ずスピンドルシャフトを通すのだが、スタビライザー本体に隠れて、シャフトの位置は見えないので、シャフトが孔を探し当てるまでフラフラとスタビライザーを動かして迷うものだ。これは楽しくない。これについて考えられたスタビライザーでは、孔の入口部のみを少しだけスリ鉢状に開いて加工し、孔を探しやすく、挿し込みやすくしている。
また、スタビライザーの直径と側面の形にはカートリッジとの干渉の問題がある。演奏が終わり、カートリッジが最内周までやってくる時、これらの要素とカートリッジの形の兼ね合いが重要になる。各社のカートリッジは実に様々な幅、形状をしているため、スタビライザーのデザインによっては、干渉が起こる。すなわち下手をすれば、カートリッジの側面がスタビライザーの側面と擦って、耐え難い騒音がスピーカーから出る。もちろん、そうなる前にアームを上げるなり、ボリュウムを絞るなりすればよいのだが、音楽を聞くのに没頭して、そこに手が回らないことが多い。この干渉が、市販のいかなるカートリッジとレコードの組み合わせに対しても起こらないことが、真に十全なスタビライザーの目指すところである。それは、一般にはスタビライザーの直径を小さくさえすればよいのだが、そうすると前記の適度な広さの接地面という条件が成り立たなくなるのが悩ましい。
そして、最後にデザインがある。アナログプレーヤーというものは、オーディオシステム中ではとても目立つものであり、動いているのが目に見える。その中心で回っているものは、ステージの上で回転するバレエのプリマの如く真っ先に目が行くものである。少なくともあまり不恰好なものは望ましくない。
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これらの条件をどれも十分に満たすようなレコードスタビライザーというと、実はなかなかあるものではない。例えば私の使うアナログプレーヤーには、あのスイスの若者が作った純正のレコードスタビライザーが付属している。これは金属製の平べったいもので、指先だけで掴むような形状であり、一度、レコードの上に落としてしまったことがある。またイケダのカートリッジの側面とも干渉しやすく、音以外の点では、あまり良いモノには思えない。ただ、接地面にプラッターの表面に張ってある特殊な材料と同じものが張り込んであるせいか、ノイズが減るとかいう以前に、他のスタビライザーに比して音馴染みがよいというか、載せても、このプレーヤーの音の傾向を変えず、シックリくる感じがある。つまり全くダメなものではないのだが、レコードスタビライザーについての上記のチェックポイントを見てゆくと、総合点はあまり高くない。
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この純正のスタビライザーと似たカタチのモノは日本製にもある。上の写真の山本音響工芸のRS-1や下の写真のFurutechのMonzaである。形は似ているとはいえ、これらの効果は似ていない。RS-1は安価であり、相応の効果しかない。外周部のみで接地するタイプだが、定位がやや安定し、中低域の存在感が僅かに増したようになる。だが大した変化ではなく、こころなしか変わったか、という程度。また、このスタビライザーは指先のみでつまむような感じで持つしかないのも不安である。安いから仕方ないのか?こういうモノは好きじゃない。
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対するMonzaは気合いが入っている。底面には特殊な同心円状の模様のあるゴムのような材質が貼られている。本体にも細かい等高線のような模様が刻まれている、持ち手の所にはカーボンを巻いている。孔もやや大き目になっていて差し込みやすい。手数があるスタビライザーだ。音も変わる。パルテノンほどではないが、音の背景の静けさがはっきり深くなる。底面の同心円が静電気を放散するとか書かれていたが、その効果か。静けさの深さゆえに、音が浮き彫りにされて際立ってくる。これは導入した効果がはっきりある。また盤上でキラキラ光りながら回るMonzaはなかなか美しく、これは総合点が高いモノである。しかし、欠点もある。直径がやや大きいのでカートリッジと干渉することが、まれにあるのだ。また、つまむ部分がやや低く、しっかり掴みにくい。そして、やはり音に深みが足りなくなる。なんだか、音はいいのだが、それだけというか、上滑りな印象だ。これは、やはり完全ではないと思われたので返却する。
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他にもいくつか、中古や新品で買ったり、借りたりして実際に聞いてみたのだが、レビューしようと思うほど、良いモノが案外と少なかった。こんなことを言ってはナンだが、無駄が多い試行錯誤であったかもしれない。結局、最後に残ったのは以下の二つで、最後の一つを採用した。
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また、私がすでにインシュレーターを導入しているHRSというアメリカのメーカーも、レコードスタビライザーを製作している。HRS Analog Diskという製品である。これは削り出しのハイグレードなアルミの円柱の中身を刳り貫き、精密に加工されたゴムのような特殊な材質を嵌め込んだものである。実物の指に当たる面は他より広い方でいいと思うが、実際触ってみるとツルツルしていて、肌に馴染まず、かなり掴みやすいというところまで行っていない。ただし、それほど重くないので、掴んでいて不安は少ない。接地面は広く、特殊なゴム状材質が面をしっとりと押さえる形で、ノイズの吸収効果も高そうだった。形と色はやや地味だが、精悍さがあり格好は悪くない。実際にレコードに載せて音を聞いてみると、第一印象はMonzaとRS-1の中間にあるような音である。すなわち、静寂さと音の安定感が同時に増加する。静寂さはMonzaの方が、より深いようだが、音の重心が下がり、安定感が増す効果はMonzaよりも上だと思う。それでいて、聴き込むと音は重苦しさがなく、軽みがあり、清々しいトーンがあることも分かる。これはとてもいいモノだと思い、これにしとこうかなと一時考えていたが、やはりまだレコードによってはカートリッジと干渉する場合があるのと、次に試したモノが自分の求めるレコードスタビライザーの姿をほぼ完璧に具現化していたので、競り負けてしまった。現在はメモを押さえる文鎮として活躍している。
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さて、最後にレコードスタビライザーについての私のファイナルアンサーを紹介しよう。
Air Force ONEを開発したTechDasは、その開発技術から派生したいくつかの製品を発表しているが、その中の一つにレコードスタビライザー、TechDas Disc Stabilizerがある。Air Force ONEはシステムコンセプトとして、スタビライザーを殊更に必要としないプレーヤーだが、音の最後の仕上げとして納得いくようなスタビライザーを造ろうとしたらしい。
このTechDas Disc Stabilizerはまず少し背が高い。なぜかというと指でもつ部分が長く取られているからだ。指先全体が馴染むような浅い窪みが全周を囲んでいる。こういう部分があるスタビライザーは試したのものにはなかった。表面加工も適度にザラザラしていてますます指馴染みが良い。結構な重さがあるが、重すぎず軽すぎずというやつで丁度いい。
それから直径がやや小さいのも特徴だ。レコードの反りを抑えることのできる、ギリギリの直径なのだろう。なぜギリギリまで小さくしたのか、それはカートリッジが最内周に来ると分かる。カートリッジの側面とスタビライザーの側面が、私の試したかぎり、どんなレコードでも、一度も擦れないのである。手持ちのカートリッジのどれとも全く干渉しない、はじめてのスタビライザーがこの製品であった。さぞや設計者はアナログオーディオを深く知る人なのだろう。
また、このルックスもいい。この艶消しの黒の表面処理は指先に馴染むし、精密感もある。だが、これは金属素材の表面を超硬質アルマイトで処理、さらにその上に制振効果のある塗料を吹き付けてコートした結果であり、極めて理詰めの仕上げなのだ。美しさは、しばしば意外なところに生まれるものらしい。ドイツのピカピカ系のプレーヤーとこの黒色は合わないかもしれないが、全体の形や色、質感は、とりあえず私のプレーヤーと良く合う。
また全体の形にもシンプルな美しさを感じる。本体の材質は振動吸収性の高い特殊な金属であり、振動吸収に最適な形状をコンピューターシュミレーションで得たとのこと。こういう事を行って設計されたことを謳うスタビライザーは珍しい。
接地面にはいままで見たことの無い不思議な材料が貼られている。表面はサラサラした感触のフィルムのようなものだが、押すと微かにへこんで、ゆっくりと元の平坦さに戻る。この手の材料に詳しい人に見せたが、なんだか分からないという返答だった。だが彼曰く、この材料はかなり振動を吸うだろうとのこと。私はレーベル面を決して傷つけないという点を買っていて、制振はスタビライザー本体に使われる特殊な金属や表面処理によるものと思っていたので意外だった。

さて、そのサウンドは?このスタビライザーを置くと、アナログサウンドは悠々とした落ち着きと静かさが感じられる音に変貌する。これはAirForce ONEの音の方向性をパクッていると思う。よく言われるピラミッドバランスのサウンドとも言える。高域は細く高く伸び、低域が深く、解像感豊かに鳴る。定位がしっかりし、静けさが増すので音数も増えるが、それでいて効き過ぎた感じがない。音楽の美味しい部分まで痩せない。大地に根ざしたような余裕と程良い静寂感が釣り合って現れる音である。別の言い方をすればターンテーブルのプラッターが大きく重くなった場合に聞かれる、どっしりしたサウンドなのだが、私が必要とする音の軽みや柔らかさも失われない。確かにHRS Analog Diskよりも、こころなしかヘヴィな方向に音が振れるのだが、これはこれで捨てがたいバランスだと思う。こういう新たなバランス感覚を自分が求めていたのだと、かえって気づかされた。

このTechDas Disc Stabilizerという、ほとんど全く世間には宣伝されていないレコードスタビライザーを数あるスタビライザーのキングにしてしまっていいのかどうかはさておき、これほど良いモノが世間のアナログオーディオマニアに全く知られていない現実は嘆かわしいと私は勝手に想う。だから、私は自分勝手にここに書いているというわけだ。

こうして見てきたレコードスタビライザーなのだが、
アナログオーディオに凝っている人間以外には、ただの奇妙な形をした重石(おもし)、そういうものにしか見えないはずだ。世間一般としては、どこかに落ちている変わった形の、ちいさな石ころに払う関心と、そう変わらない程の気遣いしか、このレコードスタビライザーというモノには与えられないと思う。しかし、そういう人気(ひとけ)のない世界には、逆に面白いものがいくつも転がっていて、だれかが面白がってくれるのを待っているのは覚えておくべきだろう。特にアナログオーディオの世界には、この手の面白さを持つアイテムがやたらとあるのである。

とにかく、部外者が取るに足らないと思う、ちいさな事に凝るのが、趣味の楽しさであると、私は勝手に考えている。だから、この一般的には取るに足らないモノと思われる、レコードスタビライザーをとっかえひっかえしている時に無邪気な喜びを感じる。

人々の関心の隙間にひっそりと置かれているらしい、ちいさな黒い重石を掌(たなごころ)に包んで目を閉じると、ゆっくりと回る漆黒のレコードを中心にして、アーム、カートリッジ、フォノケーブル、フォノイコライザー、スタビライザー等々、数えきれないほどのモノや人そして音楽が、その周りを回っているイメージ、まるで太陽系の惑星のように公転しているイメージが湧いてくる。また、インターネットを使って、全世界的な視点でオーディオを眺めていると、アナログは日本人一般が想像するよりも、はるかに巨大な系であり、デジタルとは別の広大な宇宙を形成するものだと見える。そして、その宇宙の微かだが確かな片鱗を、ちいさな重石に感じることができるのは素敵な事だと思う。私はこの感覚、取るに足らない小さなモノが大きな世界に繋がっているという感覚を失いたくないために、アナログオーディオを、あえてやっているのかもしれない。
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この方向性は間違っていない。
ちいさな重石の重みは、そう私に囁くのである。

# by pansakuu | 2014-08-17 23:06 | オーディオ機器

The CHORD Company Sarum Tuned Aray Reference Tone arm cableの私的インプレッション:ルールの変わり目

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生きるってことは変わるってことさ。
by 加持リョウジ



Introduction

昨夜、少なくともオーディオを趣味にしていない或る男から、
ワンペア200万円オーバーのインターコネクトケーブルに
どういう存在意義があるのか?という質問を受けた。
その時、私は無礼にも彼に問い返したものである。
存在意義?アンタにそんなもの分かンの?

なにしろ、そういうケーブルの存在意義というのは極めて特殊なものだ。
すなわち、ある程度以上に高度なオーディオシステムを揃え、様々な高級ケーブルを既に体験し、ハイエンドケーブルの威力とその限界を知ったうえで、さらに究極のドーピング効果を目指す。そういう特殊なオーディオファイルのために特化したモノがワンペア200万円オーバーのオーディオケーブルなのである。そういう人間にしか、この種のケーブルの意義というか、本当の良さと難しさは分からない。

元来、オーディオには麻薬のような一面があり、一度でもその魅力を取りつかれてしまうと、カネの続く限り、もっとイイ音を、もっと強く新しい刺激を、という風にドンドンと上位モデルへ、あるいはニューモデルへ買い替えて行きたくなるところがある。その最たるものが電線病である。こんな一本の電線が、これほど音を変えてしまうのかと知った途端にもうアカン、というわけだ。本当の病気になると、カネさえ続けば、結局はワンペア200万円オーバーのケーブルに手を出すようになるのは、必然に近い。この感覚は門外漢にはまず理解不能であろう。私の場合は自分のシステムの音で少し難を感じたとき、ケーブルを買い替えて、それを乗り越えるということを常にやってきた。その中でケーブルのグレードアップはアンプやスピーカーを変えるより、大きな変化をもたらすこともあるのも知った。

最近、NordostのODINを全てのコネクションに使ったオーディオシステムを聞く機会があった。御存知のとおり、ODINこそまさに1mのインターコネクトのペアが200万円を超えるシリーズである。私の勝手な推測に過ぎないが、それらをフルに使ったこのシステムでは、アンプやデジタルプレーヤー自体の音はほとんど聞こえていなかったと思う。この出音を支配していたのはNordost製ODINシリーズのケーブル群であった。極端に豊かな響き、強烈に定位するホログラフィックでカラフルな音像、サラウンドに近い感覚の広大すぎるほどの音場、それらはそこにあった機器の素の音からかけ離れた音の世界であったはずだ。これはケーブルが機器のポテンシャルを引き出したという状態ではなく、ほぼ完全にODINの音になっていたと個人的には思う。仮に普通のオーディオケーブルが、音に化粧をするものであるとすれば、ODINの効果はもう整形手術に近いという人がいても、私は反論はすまい。このクラスのケーブルは、メーカーの宣伝文句にも関わらず、音を素通しするタイプのものは事実上ほとんどない。むしろ、音を積極的に自分の色に染め上げようとするだけでなく、周囲を押しのけて自らが主役となり、システムを乗っ取ろうとするものさえあるのではないか。現在の手持ちの機材が非力な場合はそれでもよいが、逆に満足しきっている場合(例えば私の場合だが)、そういうお節介を通り越して、音を支配しようとするケーブルの存在はむしろ邪魔となるかもしれない。
そういうわけで、私はもう高級なケーブルには手を出さないつもりで来ていた。それは、まるで私のオーディオのルールがアナログの存在によって、すり変わったようだった。アナログは素顔のままで十分に美しい。メイクによって隠すべきことも、あえて隠さない彼女、ノーメイクのオーディオが一番美しいと思えるようになった。

喩えれば、アナログオーディオという抗生物質(商品名Perseus)によって、私の電線病はほぼ駆逐されたと言ってもよい。そこには束の間の心の平安が訪れたが、しばらくして音の良いレコードを探すという新たなミッションが加わり、私のオーディオは別の意味で再び忙しくなった。

さて、そういう状況下でも、私にはケーブルのことを完全に忘れることはできない事情がある。アナログオーディオにのみ必要な特殊ケーブルがあるからである。それはフォノケーブルである。すなわちアームのコネクターから出て、フォノイコライザーのコネクターにつながるケーブルであり、トーンアームケーブルとも呼ばれるものだ。このケーブルの特徴は、そこに流れる信号というのが、カートリッジに備えられた小さな小さなコイルと磁石により発電された、極めて微弱なものであるということ。標準的なデジタルプレーヤーの出力の1000分の1以下の大きさしかない、その電流は外乱の影響を受けやすく、また容易に減弱するものである。このケーブルについては未経験の部分が多く、情報も少なく、私の検討は十分でなかった。
このような特別な信号、システム内の他のどのケーブルでも伝送していないほど微弱な信号を通すケーブルは、やはりどんなものでもよいということはない。シールドは厚く、また伝送される長さはできるだけ短く。もちろんフォノ専用に設計、製造されたものが望ましい。そう思った私は例のごとく、幾つかのフォノケーブルの実物に当たり、その技術と音を調べた。その中で、現代的で豊富な技術内容を持ち、最も面白かったケーブルはThe CHORD Companyの最高級ラインの中にあった。


Exterior and feeling

今回、取り挙げるThe CHORD Companyの Sarum Tuned Aray Reference Tone arm cableの末端はRCAタイプであり、見かけ上はこのシリーズの普通のRCAインターコネクトとほとんど変わりはない。細いアース用のケーブルが付属しているくらいしか違いはない。しかし、その内容は異なり、グランドの落とし方やシールドの仕方をMC専用の設計にしているという。特にアナログ機材の周囲に飛び交うデジタルノイズに対する防護を意識していると公言する、このメーカーの特色が出ておるのだろうか。MC専用とMM兼用でモデルを分けるのもここだけだろう。
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線体は漂白されたような白い色の合成繊維で織られた、硬め被覆で覆われたもの。軽いケーブルだが、被覆が硬いせいか、やや曲げづらく、取り回しはいまひとつである。フォノケーブルは、アナログプレーヤーの下側から出てゆく場合が多いため、狭いところを通さなくてはならないことも多々あり、取り回しがいい方が有り難いのだが。
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この被覆の下には自社工場で熟練工により引き抜かれた銅線が通る。このメーカーは自社で導体から造るのである。このChordというメーカーは30年ものキャリアを持つ英国のケーブル専業メーカーとのこと。もちろんDACで有名なChordとは全く別な会社である。オーディオの世界では、優れたケーブルはケーブル専業メーカーから生まれることが多いが、Chordもその一例らしい。

RCAコネクターの外側は金属製ではなく、セルロイドのような質感のツヤのあるプラスチックで出来ている。よく見ると不規則な紋理のような、皺のような模様が認められる。この模様が、さっき言ったセルロイドのように見える所以なのだが、聞くところによれば音のチューニングのために、プラスチックに意図的にストレスを加えたために出た模様らしい。コネクターにこういうことをやっているメーカーはここだけかもしれない。
また、フォノケーブルのコネクターの外側というのは、金属製だと、そこに不用意に触れたとき、スピーカーからノイズが出やすい。このケーブルでは、ここがプラスチックで出来ているところがいい。これならノイズは出にくいだろう。Einsteinのフォノケーブルでもプラスチックのコネクターをつかっているが、あれは社外品の流用である。CHORDはあくまでオリジナルにこだわるらしい。
端子部の電極の金属は銀色をしているので、これは高純度な銀でできた電極なのかもしれない。だが、出音には銀らしさはほとんど感じられないので、違うのかもしれない。なんにしろ、オリジナルのRCAコネクターであることは間違いない。また左と右で黒色、赤色とコネクターの色を変えているのも、やや珍しい点だろう。方向性は決まっていて、コネクター付近のシュリンクに矢印で記されている。

目に見えない特徴として、このケーブルは工場でエージングをしてから出荷されるということがある。フォノケーブルを流れる電流はあまりに微弱であることから、何年たってもエージングが完結しないというのがCHORDの主張である。そのため3週間をかけて十分なエージングを施してから出荷するのだそうだ。フォノケーブルの特殊性を理解して、こういう手間をかけるメーカーは他にないだろう。


The sound 
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いままで使ったフォノケーブルの中では、最も音場が広く感じられ、音の細部の表出が著しいものであると考える。今まで存在したフォノケーブルとは違って、明らかに現代的なオーディオを志向するものである。昨今のデジタルファイルオーディオにおけるクリアで音数の多い傾向を少しばかり意識したものかもしれない。

私が現在、メインで使うフォノケーブルはドイツのEMT製のJPC2 Rであり、同社の作る究極的なフォノプリアンプJPA66に合わせて発売されたものである。このケーブル、見かけは大変変わっている。頼りないほど細い線体なのである。これでシールドが、ちゃんと出来ているのか疑いたくなるようなモノである。で、音の方はというと、一言で言えばオーソドックスなアナログサウンドである。見かけによらず普通の音なのだ。まずはしっかりした音像定位を確立し、音楽全体の骨格をきちんと描き出す、その後で音像自体の細部へのソコソコの目配りを、そのうえで、これまたソコソコに音場の広さを意識させる、というような感じで音の要素に優先順位が有るようなイメージだ。これは、どこかヴィンテージの機材の質実剛健な音を思わせるクラシカルな味わいのあるケーブルであるとも言える。このJPC2 Rとはやや対照的な音がSarum Tuned Aray Tone arm cableには与えられていると思う。

すなわち、このケーブルに換えると、出音は明らかにワイドレンジ化され、音の見通しはクリアになってくる。各楽器の前後関係、音の重なり方、音の広がりが明瞭に意識されるようになる。ここらへんの要素は今までのオーソドックスなアナログオーディオ、そこで使用される多くのフォノケーブルではほとんど意識されないものである。旧タイプのフォノケーブルは良いものでも、まず音の内部にある、音楽の骨格から聞かせるような振る舞いがある。だが、今テストしている、このケーブルでは逆で音の周囲にある空間が意識される。
音像の輪郭は明確だが、とても繊細に聞こえる。アナログではとかく太い筆で描いたようなダイナミックな音の躍動に注意がそらされて、音像のディテールに気が付かない、あるいは下手すると細かい音が無視されてしまうことがあるが、このケーブルではそういう聞かせ方はしない。最新のデジタルオーディオのように、音数の多さで耳を愉しませるという部分がある。ここは実はこんな風になってたのか、こんな音が入っていたのかとしきりに感心するパターンである。悪い言い方をすれは、ハイエンドケーブルの術中にハマったとも言えるのだが、いずれにしろ、アナログオーディオに欠落していたものが補完されたようで愉快である。

このケーブルの味わいは上質なミネラルウォーター、それも軟水でなく、硬水のそれに近いサラッとしたもので、後味を引かない。濃厚という言葉はまるで当たらない音。ライバルとして考えられる、未聴のNVSのフォノケーブル、Einsteinのフォノケーブル、そして今後出てくるWire worldのフォノケーブル、などに想いを馳せながら聴くのだが、それらと比較して、このCHORDの音は少なくとも濃厚でないという意味では一番だろうと予想する。このようにハイスピードなサウンドでモッサリしたところがない機敏な音だ。

そうなるとお決まりの高解像度・ハイスピード・広大音場という現代ハイエンドケーブルのトレンドそのもののスッキリ系ケーブルなんでしょうか、という疑いが出るが、
否、そういう単純なモノとは少し違うのである。
つまり、このケーブルには落ち着きというか、スペックをあえて抑えることで生まれるゆとりのような感覚がある。がむしゃらにトップを目指した音、設計者のドヤ顔が目に浮かぶハイエンドケーブルの強烈さはほとんど感じられない。常に一歩引いて、他の機材の影に隠れ、黒子に徹する穏便さがあることを、私は聞き届けた。この穏便さは、ケーブルに要求される様々な音の要素が非常にバランス良く、偏りなく含まれているという意味でもある。このケーブルには突出した音の特徴はないという意味での穏便さだ。Sarum Tuned Aray Tone arm cable従来の多くのフォノケーブルの音を、現代のオーディオのトレンドに合わせて修正したような音だが、行き過ぎたことはしていない。ここでのクール過ぎない、僅かにウォームに傾いた適度な音の温度感は、この穏便さに寄り添うようで好ましい。

逆に言えば、一聴して驚くほどの音の良さ、変化が体感できるようなケーブルでは全くない。下記のような例外的な出来事の除けば、ジワジワと良さが分かるタイプであり、常に周りの機材の音の良さを引き出すような方向にゆっくりと効いているイメージである。私の経験から言えば、こういう程好い高音質というのは、むしろ得難い。
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ところで、JAZZのオリジナルのモノラル盤を買うというのはギャンブルで、目視でキレイな盤を大枚はたいて買っても、案外冴えない音だったりすることは少なくない。(いや、多いかも。)逆にオーディオファイルを意識して、オリジナルのテープから注意深く、再度マスタリングされた重量盤の復刻LPの方に、むしろハズレが少ないことが分かってきた。
例えば、Music mattersから出ていたJohn Coltraneの Blue Traneなどはまさにそういう盤で、ジャケットの出来具合の素晴らしさから始まって、その音質が凄い。ノイズはほぼ皆無、ワイドレンジで歪みもない。RVGのマスタリングによる奇妙な音調もここにはない。それでいて音圧や立体感はオリジナルを超えると思えるほど完璧な再発盤である。私は、このタイトルに関しては、高価だったオリジナル盤を売り飛ばしてしまったほどだ。
このレコードを、SarumをつないだTTTcompactに乗せて回してみたら驚いた。実況して書けば、ナンじゃ、この音はぁぁぁ!と心中で叫んで絶句したという表現になる。そして一人で大笑いしてしまった。この音は痛快すぎる。人は不意打ちを食ったときに笑うとギリシアの哲人が言っていたが、そうなった。自分のシステムの出音にIKEDA 9monoとSarum Tuned Aray Tone arm cableの音の要素が加わると、57年前の、この録音がグーンと現代的に聞こえるのだ。大袈裟でなく、ごく最近録音された新譜のように聞こえる。いや、現代にこれほど堂々と確信をもって、こういうクラシカルなスタイルのアドリブを展開できる者は一人としていないのだから、確かに昔の録音のはずなのだが・・・。このトリップした感覚はなんだろう?本当に新しい音だ。しかもステレオじゃない、モノラルなのよ、コレ。このタップリした空気感を伴ったブロウの力強さ、その背景に加わるクリアな音場感。この情報量の多さがもたらす次世代のアナログサウンドは、今までのモダンジャズのレコード再生の作法、定石からは逸脱している。だが、まさに、この逸脱こそが痛快なのだ。これは私の求めている音の一つであるのは間違いない。これほどエキサイティングなサウンドを私一人に楽しませておくのは勿体ないと思うほどであった。


Summary

フォノケーブルとして1.2mで33万円という価格は一応やや高価な部類である。しかし、1950年代から60年代のJAZZのオリジナル盤は一枚でこれくらいするものはある。また欧米のハイエンドケーブルメーカーは意外にも専用設計のフォノケーブルを製造していないところが少なくないので、現状では高級フォノケーブルは市場に多くない。だからTTTcompactあるいはConstellation audio Perseusのような先端的なハイエンドアナログ製品の格やコンセプトに見合うようなフォノケーブルは、そのメーカー純正のケーブルを除けば、なかなか見つからないというのが現状だ。そういう意味では、今回取り上げたThe CHORD Companyのケーブルは貴重である。(ただし、最近はいくつかのケーブルメーカーがこのフォノケーブルに関心を寄せてきている気配があるが)また、例えばペア100万円以上のオーディオケーブルに聞かれがちな、有難くも迷惑な、過剰な音の片鱗が、このケーブルには備わっていないように聞こえることも、個人的には好感度が高かった。この控え目なクォリティ感、このサジ加減がいい。そしてなによりも、従来のアナログサウンドに欠落していた空間情報や音の細部をサラリと出して聞かせようとするところに、私の狙っている新たなアナログオーディオに寄り添ってくれそうな気配を強く感じた。

The CHORD Companyの製品を含め、世界中の様々なケーブルを眺めていると、それぞれのメーカーは自分が求める音に到達するために、自分なりの設計、製造のポリシー・様式あるいはルールを定め、それにしたがって自分の製品を造り、世に送り出しているのが分かる。のみならず実際は、あらゆるオーディオ機材がメーカーごとの製品造りのルールの選択を元にして成り立っているようにも見える。

一方、それらを使いこなす個人のオーディオにもルールがある。オーディオを続け、様々な機材の出す音に出会うにつれて、そのルールは少しづつ改変され、新しく取られ、そして古くなって見捨てられる。そして、メーカーの選択するオーディオのルールと個人の選んだルールとの間に、どれくらいのマッチングがあるのか?それは、その製品を使うか否かに深く関わっていることである。

10年五昔とも言うが、ひと昔前、私が入れ込んでいたようなNordostやTransparent、Jormaなどが作る超高級ケーブルたちが選んだ音のルールは今のシステムには合わないだろうとなんとなく思う。ああいう半ば鬱陶しいケーブルの存在感を今の私は望んでいない。アナログオーディオへの傾倒が、私個人のオーディオのルールを変えたのである。そう、これは自由に変えていいことなのだ。はっきりしていることは、アナログオーディオは素顔のままで十分に美しい、十分過ぎるほどだということ。化粧はいらない。つまり、私の選ぶケーブルとは、非常に優れた性能を持つが、その存在を主張しないこと。それが新たなルールだ。そして私は、新しいルール下でのケーブル選びの仕上げとして、以前ならあえて選ばなかったかもしれないSarum Tuned Aray Tone arm cableを指名するだろう。
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思いもよらぬことで、世の中の潮目は変わる。
これはあの大地震が証明して見せたことだ。
そして、あれほどの大事とは比べものにならぬほど些末な事だが、
私のオーディオ観も、偶然か必然か、
思いもよらぬことで突然に変化してゆくのも避けられぬ。
じゃあ、そんなオーディオの変り目ってヤツに意味なんかあンの?
あの酔っ払いは意地悪にも私に再び問いかけるのかもしれない。
そうなったら、私は再び言い返すつもりだ。
意義?そんなものアンタに分かンのかい?
その一言は、
変化をチャンスと捉え、未知のオーディオを開拓してゆく醍醐味、
それが余所者(よそもの)なぞに分かる筈もないとでも言いたげな、
極めて挑戦的な口調となるに違いない。

# by pansakuu | 2014-08-17 19:05 | オーディオ機器

Fundamental RM10の私的インプレッション:迷いなきもの

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Less is more.
ミース ファン デル ローエ (建築家)



Introduction

オーディオ関係のアクセサリーなんかを買おうとして、電話で注文しますと、
「万策さん、それは買わなくていいと思います。」ときっぱり言い切る店員さんを知っています。客が良かれと思って注文を出したのに、自分のポリシーに合わないというだけで、あれほどはっきり断る人を私は彼以外に知りません。

彼がアレンジしたシステムから出る簡潔なサウンドは、くだくだしいところが皆無で、信号経路上の全ての機材が音に関与する印象がないですね。音が全くの素通しというか。高級なケーブルを沢山使っていた頃の音、知らず知らずのうちに過剰なゴージャスさを目指していた自分のサウンドとは正反対の、清貧とも言うべき彼のサウンドを聴き、私はその見事な信念の貫き方に唖然としたのを覚えています。冗長さを排したオーディオとはああいう音のことを言うのでしょう。

その彼が近ごろ推しているスピーカーがあります。
私は今、そのシンプルなスピーカーの前に立って、その姿を静かに眺めているところです。

このスピーカーはずっと以前から聞きたいと思っていましたが、なかなか機会がなかった。
やっと購入した方を見つけて交渉、丸一日、自由に試聴させていただくことができました。
(画像はメーカーHP等から拝借させていただきました。)


Exterior
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Fundamental RM10は大袈裟なスピーカーではありません。
片チャンネルの大きさは小さなダンボール箱ほどしかない。
幅21.6×高さ36.4×奥行30.5cmという大きさ。
このFundamental RM10なら両手で抱え上げることも大して苦じゃない。
重さは片チャンネルで10.5kg。
青いツィーターとウーファーをはめこんだブ厚い黒いアルミのバッフル、明るい集成材のサイドパネル、特殊なバスレフ構造を取るリアパネルに触れる指先には、なにか信念のようなものが伝わります。このスピーカーには凡百のブックシェルフスピーカーとは異なる能力が与えられているはずだと私は感じました。

このスピーカーの全体の形はプロフェッショナルが使う機材特有の簡潔で、いささか凄味のあるデザイン、スパッとカットアウトしたようなデザインです。
機能から生まれたカタチと思わせる、本当に四角い箱の形でしかないスピーカーです。ツィーターとウーファーコーンの青は素敵な色のアクセントになっています。
この機材ではウーファー、ツィーター、ネットワーク、エンクロージャーという、ひとつひとつの要素は深く吟味され、確信をもってそこに取り付けられているような印象があります。そして、それらにまつわる電気的な精度、工作精度、組み立て精度も執拗に追い込まれているように見えます。このギリギリ感に、僅かな不始末も見逃さず不本意な作品をふるい落とそうとする厳しい製作者の眼差しを私は感じてしまいました。まるで以前に会った陶芸の人間国宝の方の眼のようなシビアな感覚です。それは、自分の目指す世界には針の孔のように細くて小さな所を通り抜けないと行けない、とでも言いたげな厳しい眼差しでした。
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これだけの厚みのある金属のバッフルに単なるMDFではなく、フローリングの資材のような集成材のエンクロージャーを組み合わせる。しかも内部に吸音材を使わず、そのかわり内壁をプリーツのように切削加工して仕上げる。バスレフポートはバックパネルの大部分を覆うほど大きな集成材のボードで遮られて見えませんが、このボードは目指す低域の解像度と量感を得るための仕掛け。ほぼ類例のないポリプロピレン製のコーンを持つ同軸型2wayと同口径のウーファーの取り合わせ。そしてネットワークは高精度コンデンサー一個だけという潔さです。
各部の特徴には前例が全くないとは思いませんが、これだけ前例が少ない設計を一つのスピーカー落とし込んだブックシェルフスピーカーというのを私は初めて見ました。結果として全く前例のない設計のスピーカーが完成したことになります。

そう、スペック上で私が注目したのは能率ですね。91dB。ブックシェルフとしては、結構高い数値。小さなパワーでもスパーンと鳴ってくれそうだと。ですが、実際使ってみると、これはハイパワーなアンプで音量を上げてドライブすべきスピーカーでした。やはりスペックだけじゃオーディオは分からない。

プロ的で個性的なRM10とは言っても、フロントパネルにはサランネットが取り付けられるし、手頃な大きさで、しっかりした3点支持の専用スタンドも別売りされていて、使い勝手は悪くないです。使わないときは片づけておけるような大きさですし、アクシデントでウーファーコーンを傷つける心配もありません。意外にユーザーフレンドリーな側面もあります。


The sound 

よりハイパワーなアンプを結線し、より大音量でドライブすればするほど、より音の透明感が増す不思議なスピーカー。それがFundamental RM10の第一印象でした。これほどの音の透明性は、このクラスのスピーカーでは、ほとんど類例がないものでしょう。
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今回の試聴では、まず山下達郎のアルバム For Youから、Sparkleを聞いています。
オープニングを飾る、素敵なギターフレーズがカラッと明るく、そして鮮度高く、部屋中に響き渡ります。その瞬間、ギターと演者、そして周りにある空気がまさにここに在るように私には聞こえ、ドキッとしました。ここではこのスピーカーから繰り出される張りのある音、テンションの高い音調が、山下のギターのカッティングの上手さを際立たせます。(彼はこの点では日本一じゃないでしょうか?)どちらかというと硬めで立体的な音像なのですが、適度な温度感があるのが好ましい。音場が澄み渡っているので、その音像を耳が捉えることに、なんの苦労もないのが嬉しいです。音の解像度が高いせいだけでなく、このクリスタルクリアーな音場が、この透明感を生み出しているようです。ボリュウムを上げると音場はますます澄んできます。不思議です。楽器どうしの音の分離が良くなってゆく印象もあります。Sparkleはもともと非常にセンスの良い、清々しい楽曲で、とても山下達郎らしい音楽なのですが、このスピーカーで大音量で聞きますと、音の細部までパンパンにニュアンスが詰まった充実したサウンドで、予想した以上に楽しむことができます。

逆に言えば、RM10は小音量では本領発揮と行かないところが欠点でしょうか。小音量ですと借りてきたネコみたいに覇気のない眠い音を出して、BGMとしてさえ聞くに堪えないと思う楽曲がありました。どこらへんまでが小音量なのか、というのは個人差があると思いますが、常識の範囲内で、やや大きめの音で聞いた方が断然素晴らしい。実際、このスピーカーは大音量に強いようで、同じ価格帯のブックシェルフだと飽和して楽音の輪郭が崩壊してしまうような音量まで上げてもクリアネスが落ちない。その点は突き抜けていますね。

演奏中、エンクロージャーを触ってみると細かな振動を感じました。Q1ではこの振動はありません。Q1ほどガチガチな箱ではないのです。音量を上げると、この振動は大きくなります。しかし音は冴えわたっている。こういうことは普通のスピーカーでは起こらないことです。これは内部のプリーツ構造が効いているのかもしれません。

また、RM10は定位が大変に良いスピーカーです。細かいスピーカーのポジショニングの調整、ルームアコーステックの調整なしでもビシッと楽器の位置が決まって全く揺るがない。ピンポイントソースであるブックシェルフスピーカーの良さが前面に出ています。各帯域のバランスも巧く取れていて、非常にフラットな出音です。今回の試聴では、他の方のインプレで言われていた中高域の張り出しは感じませんでした。ツィーターとウーファーのつながりの良さも文句無いもので、まるでフルレンジスピーカーを聞いているかのようです。
まあ、こうして述べてゆくと、優秀で無個性な現代スピーカーの定型的な褒め言葉の羅列でしかないようですが、まさにそうなのです。このサウンドには、外観や設計から来るイメージに反比例して個性が少ないと感じます。出音の優秀さが全面に出ています。

音の立ち上がりが急峻で、しかも音の終わりに全く尾引かないという意味で、反応がかなりクイックなスピーカーだとも感じました。最近、随分短いフラットハンドルに換えた街乗り自転車を見ますが、ああすると僅かなハンドルさばきに、とっても敏感になります。あの感覚に似た、音の変化に対する機敏な反応性がRM10にあるように思います。小型スピーカーに求められる、こういう小回りの良さ、俊敏さは期待以上のものがあります。

さらに、このスピーカーでの音の手触りの表現は素晴らしい。このテクスチャーの表現のリアリティは他のブックシェルフスピーカーには無いものと思います。ギターの弦の材質やドラムの貼り具合、打ち込み音の微妙な設定の差異を明瞭に聞かせます。聞く側の脳に音の種類の引出しが多くあればあるほど、このスピーカーが聞かせる音の手触りのバリエーションの豊富さに驚かされることでしょう。

このスピーカーの基本的態度として、視覚的な音を出す現代のスピーカーということなので、常に音楽を演っている様が見えるような出音です。小編成の器楽曲の優秀録音では、マイクのセッテングとか、演者どうしのインタープレイなどの演奏のウラの部分が克明に分かる瞬間が何度も訪れます。単純に屈託なく音楽を楽しむだけではなく、濁り無く耳に届られる音の細部を検討し、評価するような使い方にも向いていると思われました。言い換えれば脚色のない素通し感のある音で、音楽にもともと無い要素が付加されるようなことがありません。ここのところは音楽によっては、すこし厳しいかもしれないとは思います。楽器自体の出音の曇り、ハーモニーの不協和があからさまに聞こえてしまいますから。このスピーカーはミスを見逃してはくれない。

なお、ブックシェルフスピーカーにありがちな音質上の様々な制約は、このRM10にはほとんど感じないですね。例えばダイナミックレンジはこの手のスピーカーにしてはかなり広く取れていると思われます。また、低域もかなり深いところまで自然に伸びている。スペックは25Hzを謳っています。ただし、この広大なレンジや深い低域を得るには、優秀なアンプが必須です。試聴では2種のパワーアンプを使いましたが、出力が大きく、歪みが少ないと考えられるアンプで最も制約感のないサウンドが得られました。それは当たり前だと思われるかもしれまんせんがが、実際、多くのスピーカーを聞いているとそうでもない。マッチングというのは、予想されるほど単純ではないことが多いのです。私はこのスピーカーにSoulution 710を組み合わせたくなりました。

高級ブックシェルフスピーカーとして、他にもいろいろなスピーカーもありますから、試聴の傍ら、それらと比較するのも面白い。例えばDynaudio Confidence C1 signatureのような響きの豊かさや低域の量感のある音調ではなく、RM10はもっとスレンダーな音です。またKISOのHB-X1やフランコ セルブリンのAccordoのような音の艶、芳醇さはRM10には全くありません。ですが、あれらよりも、ずっと正確な音を出せるスピーカーです。またB&Wの805DiamondやElacのBS314と個人的な音色の好みを抜きにして比較した場合、ほぼ全ての面でRM10が上回ると思います。しかし、これらのスピーカーの出音には独特のチャームポイントがあり、それがいい意味での個性となっていますので、それをどう考えるか。RM10のフラットで、言わば素っ気ない音調が好みでない方は、私の意見には賛成しないでしょう。

個人的には、こうしてパワーを十分に入れてやって大音量で鳴らせば、はるかに高価なMagicoのQ1やS1にそれほど聞き劣りしないサウンドと思います。特にS1は音調も似ていて良いライバルと思います。S1はRM10よりもっと余裕のある、高級感のある音ですが、音場の透明感や音の脚色の少なさではRM10が勝ると思います。
とにかく私の贔屓を差し引いても、このクリスタルクリアーな明晰さは100万円クラスのスピーカーでは得難いというのは間違いないでしょう。かなりコストパフォーマンスに優れたスピーカーだと思います。後は、このモニター調の出音がお好みかどうか、ということになります。

セッティングは、それほどシビアに決めなくてもシッカリした音が出るスピーカーと思いますので、お好みでどう置いてもいいとは思うのですが、私としてはやはりニアフィールドでポジショニングを煮詰めて聞いた音が良かった。いろいろ試しましたけれど、最終的にはオーナー様が決めていたセッティング、すなわちリスニングルームの天井から俯瞰して、リスナーの頭とスピーカーの作る正三角形の位置関係の一辺が2.5m位というところで聞くのが耳馴染みが良かったです。耳とスピーカーの距離はさておき、とにかくスピーカーの間隔は離しすぎない方がいいようです。このスピーカーの出音は指向性が高いので、このポジショニングだと頭を少し動かすだけで定位がズレるのが難点ですが、ステレオイメージの広がりや、音圧などの点でも最適でした。

ただし、この専用のスタンドが、本当にこのスピーカーに最適な強度と高さなのかどうかは私には分かりませんでした。この三本の支柱をもっと太く丈夫なものにしてベースプレートとの一体感も高めたらどうなるのか、私は興味があります。スピーカーケーブルの選択も、そのラインが長くなりがちなブックシェルフスピーカーでは重要な検討事項でしょう。今回の試聴では純正ケーブルを用いましたが、これが最適なのかも分かりません。また、スタンドの高さについては、自分の耳の位置だともう少し高くてもいいかもしれないと感じました。そうすると低域が確保できなくなるかもしれない?それなら、邪道と一喝されても、エクリプスの新型サブウーファーを組み合わせるのはどうでしょう。これらの機材の置き場所があったら試してみたいものです。
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試聴の中盤には、入手したばかりの残響のテロルのサントラを聞いてみました。
この音楽では、菅野よう子が持っている多くの音楽の引出しのひとつが全開になっています。美しくもどこかメランコリックなメロディとビートの絡み合いが容赦なく展開。ここでは低域の一音一音に、なにかアニメ作品に対する思い入れのような激情を感じる瞬間がありました。この感動はスピーカーの充実した低域に由来するものでしょうか。なんだ、なんだ、こんなに強く切ない音楽だったのかと聞き入ってしまいましたね。
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最後に、たまたま手元にあった蟲師のサントラを抜粋して聞いてみます。
RM10は、この物語のようなサントラの持つ、綺麗なアンビエンスを見事に現出させます。キメの細かいシンセの出音のテクスチャーから想像される、ゆったりと流れる下る光の大河のイメージが、ブックシェルフらしからぬ余裕をもって現れたことに驚きました。この音楽は滴る雫のような表現、凛として響き渡る高域が特徴なのですが、これらの特徴的な音のイメージが、とてもピュアな形で耳に迫ります。これほどの音の純度の高さのアピールができるスピーカーは稀有です。
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RM10のサウンドの素晴らしさは、スピーカーやアンプの能力で演出されたものはなく、音楽ソースの持つありのままの音をそのまま出した結果なのでしょう。もともと音楽とは豊かなものだという、根源的な信頼がこのスピーカーの音を迷いのない、純粋なものにしているのだと勝手に合点して聞いていました。ここにはスピーカーの容積やネットワーク、ユニットによる演出はどこにもない。生成りの音があるだけなのです。


Summary

RM10はスピーカーというトランスデューサーの設計における様々な複雑さを、禅僧の如きシンプルかつ妄執なき発想で回避した結果、ブックシェルフではほぼ前例の無い純粋さと透明感を獲得したスピーカーと言えるでしょう。これは余計な要素を捨て去ることで辿り着いた音です。あれもこれもと欲張らないで、目指す音に真っ直ぐに迷うことなく到達した、そんな音でもあります。これに似たスピーカーはオーディオフィジックとかルーメンホワイトの製品にありますが、それらのどれとも異なる味わいです。あれらよりも、もっとシンプルで透明な音なのです。

それから試聴して強く感じたのは、やはり音楽と真正面から向き合う事をリスナーに要求するスピーカーだということ。「~ながら」で、このスピーカーから出る音を聞くのは無理があります。その点でも使い手を選ぶかもしれません。

では、この音について私はYesなのかNoなのか。
件(くだん)の店員さんのように、このスピーカーの音について、シンプルにスパッと言い切ることができるような能力も性格も、私は持ち合わせません。私はかの人ではないのですから。
オーディオってそんなに簡単に割り切れるほど単純なものだろうか?
私などは、そう呟きながら迷いに迷うのみです。むしろ、その迷いがオーディオという趣味の本態の何%かを占めているはずと言いたいくらい。

ただ逆に、こういう迷いのない音に出くわすと、心底すがすがしい気分になれるのは認めましょう。例えば、手放しの自転車で坂道を下ってゆくのは危険ですが、なにかスリルを通り越した快楽が手に入るのではないかと人は密かに期待するものだと聞きます。そんな感じで、なにかをかなぐり捨てて、初めて至れる場所に、このスピーカーは私を連れて行ってくれそうな予感があります。
これほどクッキリ、キッパリして曖昧さ・迷いの無いサウンドについて行くのはもしかすると容易ではないかもしれない。ですが、その冒険の先には、多くのオーディオファイルにとって未知の地平線が拡がっているのは間違いなさそうです。

# by pansakuu | 2014-07-26 19:44 | オーディオ機器

IKEDA 9mono モノラルカートリッジの私的レビュー:復讐するは我にあり

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「復讐はなにも生み出さないって?それは、その復讐が道徳、道理に反している時だけじゃないのかい?」
マリア バスケス “5つのエレジー”より 


Introduction


誰かに、
お前は何をするのが一番好きか、と訊かれたら、
何かに復讐するのが一番好きだ、と思わず答えてしまうかもしれない。

私は、敵と見なす者に何かされたら、相応の仕返しをする。
当然そうする。
レストランで、不味(まず)い晩飯を食わされた場合も同じである。
数日を経ずして、別なレストランに予約を取って、必ず美味い晩餐をやることを心がける。
あるいは不味いワインを飲まされたと思ったら、間髪入れずに別なカーヴに出掛けて、
一番良さそうなのをさらってきてグラスに注ぐのが常だった。
(最近は断酒しているけれど)
無論、オーディオにおいても、この滑稽な復讐の原則、習慣は変わらない。
どこかでヘンな音を聞かされたら、別な場所でイイ音を聞いて耳を洗いたい。
いつも、そう思う。

前回、JAZZのモノラル・オリジナル盤の音に失望したという話をクドクド愚痴ったが、
それはこれから書く話の伏線であった。
つまり、復讐することにしたのである。
モノラル・オリジナル盤は本来、もっと音がいいはずだ。
これらの盤はもっと精密な音のタイムカプセルとして機能するはずだ。
オーディオの仇はオーディオで討つ。
私はそう決めた、突然に。
それというのも、私には心当たりがあったからである。
ある日本製カートリッジが気になっていた。
今は、この手の内にあるIKEDA 9monoという渋い金色のカートである。
その針先が盤面をなぞり出した時、
ソニーロリンズの太々としたブロウが、目の前で実に自然に浮かび上がった。
これは私の望んだ音だ。
モノラル盤には、まだこれほどの情報が眠っていたのかと驚く音だ。


Exterior etc
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試用したIKEDA 9monoは、カートリッジ・アームの老舗メーカーであるIKEDAが、若い設計者のもとで作り出した比較的新しいモデルである。
前方が丸いIKEDA独特のデザインのカートリッジ。この丸みも単純にデザインのために付けられたものではないらしい。平行面をなるべく少なくするとか、外からの音波の当たり方、反射の仕方の関係で、平らな面よりも曲面の方が出音が良いという経験則のような考えがあるとか。そう聞いた覚えがある。なるほど、そういえば、IKEDAのアームのウェイトも、なぜか丸みを帯びている。同じ思想によるものか。
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普通のカートリッジにくらべて若干幅広いボディはアルミインゴットからの削り出し部品である。カンチレバーは2重構造のジェラルミンパイプで出来ていて、針先は楕円形のソリッドダイアモンドであり、クラシックな丸針とはちがう。このカートリッジの中身はモノラル用に専用に設計されたもの。通常のモノラル専用のカートリッジのようにステレオのカートの内部配線を変えただけのものとは違い、縦巻きの発電コイルを左右に分けて配置し、パラレルに信号を送り出している。このような電気的な分離のための手間はカートリッジを高価にするが、ステレオシステムでのモノラルレコード演奏に適しており、ハムノイズが出にくいという長所を生み出す。この工夫は現代的なステレオのハイエンドシステムでモノラルレコードを聞くための鍵となるものであろう。ここまで機構を持つカートリッジは恐らく世界初のものではないか。インピーダンスは2Ωと低い部類に属するのも現代的。
このカートのシンプルでスッキリした外観はオルトフォンのSPUのようなクラシカルなカートリッジの姿形とはあまり共通点がなく、先進的な音質を予感させる。


The sound 

モノラル盤に対する先入観・固定観念を覆(くつがえ)す音である。
逆に言えば、センチメンタルな懐古趣味、あの古ぼけて、なかば壊れかけた廃墟を愛でるような、侘び寂びの世界はここにはもう聞こえない。私の望む新規のモノラルオーディオが、IKEDA 9monoから始まっているように思えてならない。
発電コイルを左右に分けて、パラレルに信号を送り出しているということが、これほど音に効くということらしい。

なお、今回は前回の失敗に学んで、全てオリジナルかプロモ盤で揃えることはもちろん、モノラルレコードそのものも目視で保存状態が極めてよいものだけを選び抜くだけでなく、録音も演奏内容も良さそうなものを選って聞いてみた。少なくともそれぐらいしないと、この手のアナログレコードの音質の真価は分からないと考えたのである。
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他のモノラルカートとの違いを一言で言えば、情報量が増えたということ。これは明らかに増えた。例えば、ミュージシャンが背景で微かに唸ったり、調子を取ったりしているのはもちろん、リズムを取りながら体をゆすったりしている微かな気配まで、LPによっては、はっきりと聞こえてくる。これらは今まではどうしても聞こえなかった音だ。この時代の演奏は人間の息や指の力が楽器に取り付けられた発音体に伝わり、音が出ている場合がほとんどだが、微妙な指遣いの強弱、息を吸い込む深さの加減なんかの感触が立体的に聞こえるのがいい。これは見るように音を聞くという現代のオーディオ傾向にそった聞こえ方だと思う。さらに、見えるという意味で言えば、楽器と楽器との間の空間が見えるようになったのも大きい。その空間を満たす空気の温度感や、その空気を伝わる音の響き、その響き具合から感じられる録音現場の広さまで、ある程度までなら想像することができる。こういう、その場の空気感の中で楽器が重なっている雰囲気が欲しかった。ここでは、お化けのように恐ろしく自己主張する音像だけが、せめぎ合いながら張り出してくるというオリジナル盤の今までの聞こえ方は鳴りをひそめており、各楽器の音像の前後関係が露わになり、整理されたサウンドステージが眼前に浮かび上がる。
もちろん、モノラルだから、ここでの音場というものは左右に広々と拡がるものでは当然ない。これは深さ方向へ楽器やボーカルが重なっている場であり、いわば重層的な音場を形成する。いままで使っていたGRADOのモノラルカートリッジでは、いくら慎重に調整しても、こういう音場そのものがなかった。

このように昔のアメリカやヨーロッパの録音現場の雰囲気が露わに見えてきて、初めて分かることも少なくない。私が往年のJAZZの名演奏にいままで感じてきた、過度に呑気でスローだったり、逆に野卑なくらいに乱暴だったり、音のエッジがシャープでない、野暮ったい音作りというのは録音機材が悪いせいではないかと疑ってきたが、そればかりではないらしい。この時代のミュージシャンたち、あるいは観客の音の好みによるものらしいということだ。これは時代の音の傾向なのだろう。そんなこと当たり前だと言われそうだが、私は以前から疑っていたことだ。こういう、素朴だがエネルギー満ちた昔の音を現代の装置が醸し出す澄んだ音場の中に解き放つと、音ひとつひとつがとても新鮮に聞こえる。あの耐えられない野暮ったさが吹っ切れる。装置の透明さを信用できるようになったので、これは本来こういう音なんだと納得できる、信じられる。
ここらへんは装置の存在が十分に透明になったので、録音の方法、演奏の段取りが目に見えるようになり、いままで分離して見えなかったものが、ひとつひとつ個別に認識できるようになったと言いかえてもいいだろう。これは録音機のノイズ、これは現場に漂っていた雑音、これはミッチェルのトランペットから出たクセのある音、これはマイクセッテイングに関係する音の歪み、などという感じで切り分けることができるのである。

とはいえモノラルはあくまでモノラルである。
音の分離が良くなったからと言って、あの押し出しの良さ、音像がエネルギッシュに飛び出してくるところや、音の太さ、音がスピーカーの間に集まった定位の良さ、それが生み出すステレオにはない音の安定感などになんら変わりはない。これは整理されてはいるが、ハードバップ時代のJAZZを好む人たちの音の嗜好から大きく外れた音ではない。モノラルオーディオならではのサウンドの吸引力を十分感じる。聞いていると、ライブ会場の最前列で立って演奏を聞いている感覚にモノラルはかなり近いなと素直に思える。私と音楽の間の距離というか隙間感がとても小さくなっている。ステレオの行儀のいい録音だと、引いた場所から俯瞰するように演奏を見ているイメージであり、音楽の状況はよく分かるものの、音のエネルギーが直接降りかかる場所で聞いていないことも間違いない。ライブステージにごく近い場所で音楽を浴びるように聞いたイメージを再現したいなら、モノラルの方が有利な場合がある。こういう利点を生かした録音を選んで聞く時、モノラルオーディオのアドバンテージを感じる。

ところで、こういう、モノラル盤の最先端のシステムでの再生というのはとてもディープな世界だ。
デジタルではこのような音世界はまず味わえないのではないか。なにしろ、このダイレクト感である。音楽がこのうえなくシンプルな形、素のままに限りなく近い形で現れる快感がモノラルにはある。最近、LPのサウンドをデジタルアーカイヴ化する人も多くなってきたが、私はあまり興味がない。アナログの良さは再生過程の簡潔さ、これ以上は不可能というほどのシンプリシティによるのであり、デジタルという、便利だが複雑な過程を介してしまうのはもったいない。デジタルアーカイヴ化されたアナログは、一聴して、まるで同じ音のようでありながら、聴き込むと本質的な部分で全く違ったものに変貌してしまったように思える。
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そもそも私は、いわゆるJAZZの巨人と呼ばれる人たちが一体どのような演奏を繰り広げていたのかをできるだけ正確に聞きたかった。マイルスやコルトレーン、ロリンズ、モンク、エヴァンス、モーガン、ブラウン、ケリー、ブレイキー、シムズ、ペッパー、タレンタイン、パウエルそしてテイラー・・・・そういう人々の全盛期の演奏を、現代的なクリアな音場の中で聞いてみたいという願望があった。この時期の凄い演奏はJAZZミュージシャンのセンス自体が現在と全く違うので再現しようがない。もともと即興であるということもある。いわゆる逆立ちしたって・・・というやつである。音質云々以前に貴重な演奏なのだし、これらの演奏を基礎として現代のJAZZが出来ているということも見逃せない事実である。それを現代の装置による視覚的なオーディオ、すなわちパースペクティブがあり、音の細部の情報量が豊かなオーディオで聞く。つまりは切り口を変えたかったのだ。(現代にはJAZZはない、もうJAZZは死んでいるというJAZZ学者さんもいるが、その意見を私は無視している。倪瓚の地面じゃあるまいし。)

IKEDA 9monoはいにしえのJAZZの偉人たちの演奏を現代の空気の中にごく自然に甦らせてくれる。マイルスのミュートの黄金の輝きやコルトレーンの切れ目のない狂気じみたブロウ、モンクのあられもないキータッチ、エヴァンスの危ういほど繊細なアドリブの運指(New Jazz conceptionsのオリジナル盤は音質も最高だ)。それらがなにか当たり前のように目の前に差し出される。IKEDA 9monoは過去に遡ることを専門とするタイムマシンのようなものだ。あるいはモノラルレコードというタイムカプセルを開ける鍵なのだ。ここには時代のギャップがほとんど感じられない。これは私にとっては過去のイリュージョンではない。現代としては少々風変りなフレーズだが、まるで昨日演ったばかりのプレイのように、ごく自然に聞こえてくるのが面白い。

ヴィンテージのアナログ機材だと、音馴染みはよいが、昔の録音はあくまで昔風の脚色で再生されてしまう。そういうヴィンテージシステムで音楽を聞いたこともある。それは聞き易く典雅な音ではあった。だが、どうにも現代の空気との違和感があった。古いアルテックのスピーカーの真ん前で空気感と音像のデティールがはっきりしない、ぼんやりとおぼつかない音を聞きつつ、嗚呼、あの時代に現代の機材を持ち込んで録音し、現代のオーディオで再生したら、どんな凄い音が聞こえるのだろうと夢想していた。そして同時に、実はレコードの音溝の中にはもっと多くの音が隠されているのではないかと勘繰った。結果的には、その勘には狂いがなかった。脳科学の視点から見れば、ヒトの勘というのは、実は過去の経験の蓄積に由来するものだという。思えばここに至るまで、随分多くのオーディオを聞いてきたが、その経験が生きたのだろうか?それともただの偶然に過ぎんのか?

ともかく、
確かにモノラルレコードには予期した以上の情報が詰まっていた。それは遠い昔に消滅したが、現代のミュージシャンには再現不能な演奏の一部始終であり、程度の良いレコードには、それがとても高い鮮度で真空パックされている。デジタルから起こした新譜のアナログも素晴らしい。だが、テープから起こしたオリジナル盤、そこに封じ込められた50年前の音の勢いをナマらない形で楽しめることもまた、アナログの特権である。

このカートに教えられたことなのだが、録音が昔のものであればあるほど、鮮明に再生できた時の感激は大きいということ。こんなに昔の音がこんなに新しい、そう思えることが幸せなのだ。今から50年も前の音楽を、昔のものと思わず、これは最新の音楽という気構えで聞くと本当に面白い。

やはりレコードはタイムカプセルなのである。タイムカプセルがタイムカプセルである所以とは、そのタイムカプセル本体、すなわちレコード自体も、その演奏が録音された時とほぼ同じ時期に作られたもの、しかも手に触れることができる形あるもの、ということだ。中身とそれを収める器ともどもが、奇跡的に生き残って、眼前で真新しく音楽を奏でたことへの驚きが大きいのだ。


Summary

こうして、私の復讐は成った。
私は満足した。やはりRevengeは気持ちがいい。
前回からの紆余曲折の末にこの一行をやっと書けたのが嬉しい。

思えばデジタルファイルを使ったオーディオでは、このような特殊なソースを特殊な形で楽しむことはできない。あれは均一で公平な世界だが、画一化されて、個人が勝手に改変できない部分も多く、自分だけのオーディオを追求しにくい世界でもある。私個人のイメージとして、デジタルファイルオーディオの最大の特色とは利便性、つまり多数の音源をコンパクトに美しく整理して管理することができるということである。他方、音質に関して言えば、デジタルファイルは現状ではオーディオの本質である音質の追求という点において、心ときめくサムシングにやや欠ける。
例えばハイレゾやDSDといったデジタルファイルに標準の16bit、48kHzの音源と全く異なると言い切れるほどのクオリティが期待できないことは既に明白である。基本的にはこのような数字や規格の違いは音質上ではわずかな違いでしかない。ハイレゾ・DSDの存在の大部分はオーディオ業界の生き残りの戦略のひとつに過ぎず、リスナーにとっての実益が少ないと思う。ハイレゾについて遅ればせながら業界団体による定義がなされたようだが、このような追認の動きはハイレゾが業界の商業的な戦略に組み込まれつつあるという推測を裏付けていると私は思う。

では、デジタルファイル再生に関するハードの開発、あるいはその使いこなしについてはどうかと。すなわち素晴らしく高価なクロック、あるいは優れたケーブルを使うことで得られるデジタルオーディオの出音の変化、音の良いHDDあるいはNASの選定、熱心な開発者たちによって提供される音自慢のソフトウェア、時にオカルト的でさえあるPCのセッティングなど、それらを実際に試してみてどうか、ということ。とりあえずの結論として、それらの努力は多かれ少なかれオーディオ的によろしき変化を生むと言えよう。けれど、その変化のベクトルは、どれもほぼ同じであることもわかってきた。音が細かくなり音場が澄み、自然な質感に近づくということである。だがオーディオって、それだけなのだろうか?それは良い方向への変化だろうが、逆に言えば、私個人が望むような、様々に異なる音の変化の方向性、変化の多様性があるとは思えない。例えば音の濃密さや躍動感、オープンリールデッキで聞くような鮮度感、豊満と言いたくなるほどの低域の量感、音像の生々しい実在感というものが、フューチャーされる方向になかなかいかない。

深く総括すると、デジタルファイルオーディオは十分にカネをかけさえすれば、かなり高音質かつ便利なものであるが、そのノウハウは複雑かつ面倒で、オーディオとはなんの関連もないパソコン業界の動向に左右されやすく、案外と機材の置き場所とコンセントを食う。しかも、その苦労と出費の割に出音の変化は単調というわけだ。デジタルオーディオに散財し、デジタルオーディオを試聴しつづけた結果、
私が考え思うのはそんなところだ。
この単調で驚きの少ないデジタルオーディオにはもう懲りたし、もう飽きた。
そう叫びたくなる瞬間もたまにはある。

だからなのか知らないが、私のリビングにはもうアナログの機材しか生き残っていない。いまやアナログオーディオを愉しむことに全能力を振り向けつつある万策堂は、多くのデジタル機器を高価な黒い円盤やカートリッジと交換してしまったようである。

何年か前のある日、dcsのVivaldiで、あるJAZZの演奏を聞いた後に、Technicsの安価なアナログターンテーブルで同じ曲を聞いたときの驚きが私には忘れられない。情報量の多さは当然、圧倒的にdcsであったが、演奏者の感興がダイレクトに伝わり、音楽を聞くことの快感が強かったのはTechnicsの音の方だった。
私は考え込んだ。
自分にとっての高音質ってなんなのだろう?
デジタルだけやっていてもその答えを知ることは無理なようだと。
その答えを知るためには、
デジタルもアナログもハイエンドマシンからチープな普及品まで一通り聞いてみなければ。
オーディオは自分が考える以上に広く深い。
私は改めてそう感じ、そう信じ、かくして実行したのである。

こうして、自分なりに苦心してモノラルレコードを再生していると、デジタルから離れ、ついにこんなに遠くに来てしまったという感慨があるのと同時に、あの時の驚きがクッキリと想い起こされる。ここにある音楽は、私の世代からしてみれば、どうしようもないほど古い時代の音楽ではある。しかし、それを現代的なアナログという視点から再構築して得られる説明不能の新鮮さ・愉しさは、私の嫌う、後ろ向き・懐古趣味的なオーディオとは正反対の方向に私を導いてくれる。これもまた現代のアナログオーディオの成果のひとつなのだ。
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温故知新などという古臭い熟語を勿体ぶって吐きたくはない。
さりとて、
それこそ、この復讐劇の顛末であったと心の中で認めることに
私は決してやぶさかではないのである。

# by pansakuu | 2014-07-05 09:50 | オーディオ機器

6月の現状: 期待、失望、そして希望

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「いろいろ言い出したら切りがないので、ひとつだけいえば、あまり理屈をふりまわさないで、ご自分の耳にできるだけ素直にしたがいなさい、ということですね」
瀬川 冬樹(オーディオファンに言いたいこと より)



休日の昼下がり、私はレコードを聞くのに忙しい。

自分のシステムではもう半年ぐらい、
まともにCDやデジタルファイルを聞いていない。
それを反省する気さえ起きないのが怖いほどだ。
これはConstellation audio Perseusのせいである。
そしてTTT-compactのせいでもある。
これらの機械が来てからは私のオーディオシステムは、
本当に私の望む音を出すようになったような気がする。
逆に言えば、これ以上自分の音を追求することは難しくなった。
その意味では、逆に少しばかり困難は増しているかもしれない。

このシステムは、どんな音楽をかけても、どこか斬新な切り口を聞かせてくれる。
しかも、一切の逸脱なしに。
幾多のデジタルサウンド、アナログサウンドに接してきたが、
このような音で音楽を聞かせてくれるものはなかった。
爽やかでクリアーだが、程よく太くてキレがよく、しかもデジタルオーディオと比べて遜色ない静けさのある音。それでいて音の立ち上がりのタイミングや素早さがかつて耳にしたことがないほど絶妙な音。柔らかでニュートラルな温度感が基本だが、時に艶々と妖しく、時に激しく熱く、そして時に穏便で呑気な音。こういう変幻自在なアナログサウンドもデジタルサウンドも私は他に知らない。
そんな評価は、ただの自惚れにすぎないと人前では謙虚を装うのだが、
新たなLPに針を降ろす度に、そうきたかと驚かされ、改めてPerseusに惚れ直す。

今までどれくらいオーディオに投資してきただろうか。
この前、誰かに、フェラーリにしといた方が良かったんじゃない?と笑われた。
そうかもしれない。だが、フェラーリに乗ってまで行きたいところが何処にもない。
ライカのレンズを買いまくった方が良かったのでは?とも言われた。
そうかもしれない。だが、そんなレンズで撮るほどドラマチックな被写体なんて知らない。
それとも、ランゲとパテック、ジュルヌの時計を集めた方が楽しかったのでは?
そういう皮肉を言う方もいる。
いや、それを腕に巻いてても誰も気づかないし、
今何時かしか分からんモノにそういう投資はね・・・・・。
一方、限りなくいい音で聴きたい音楽、演奏はまだまだ山ほどあり、
そのタイトル数は一生かかっても聞ききれないほどなのは知っている。

やはり、今はConstellation audio Perseusと素敵なLPがあれば
言う事はないのである。
(勿論、そんな素敵なLPはどこにでもあるわけじゃないが)

この素晴らしいフォノイコライザーは私に教えてくれる。
本当のオーディオとは、最後は自分自身の解釈で音楽を鳴らすことだと。
それでいいのだと教えてくれる。
いい音とは自分の好きな音なのである。

もちろん、LPやCDやデジタルファイルに入っている情報を出来る限り忠実に再現することは当たり前である。しかし、それらがある程度以上に出来たとしても、満足すべきでないということだろう。オーケストラの指揮者が譜面に秘められた音楽のニュアンスを自分の感性で解釈するように、オーディオシステムとは、結果的にはそれを構築した者の解釈で音楽を鳴らす。そして、その解釈がオーナーにとって、どれくらい見事に聞こえるかが、そのオーディオシステムの価値を決めてゆく。私にとっては、音質の基礎がある程度充実してさえいれば、この解釈の部分が一番大事なことである。
結局、Perseusが聞かせる音楽の解釈・スタイル、別の言い方をすれば、枠にはまらない自然な音楽性のようなものが今の私の気分に激しくマッチしているからこそ、こんなにも満足できるのだと思う。

例えば、私がルームアコースティックに凝ることができたのは独身時代だけだったが、今はああいう実験室みたいな部屋も必要なくなった。あれは音楽の忠実性には影響があるが、解釈にはあまり関係ないと思う。私にとっては音がスピーカーから出た瞬間に解釈はほぼ決まっている。その先は概ね音楽の聞こえやすさや帯域の若干のバランス感覚に属するものであり、指揮者がカルロスクライバーからカラヤンに置き換わるような変化は起きない。逆に最新のソリッドステートアンプを選ぶか、クラシカルな真空管アンプを選ぶか、あるいはアナログプレーヤーを選ぶか、デジタルプレーヤーを選ぶかなどという選択は指揮者の交代に近い変化をもたらしかねない。特に私にとっては音の源泉になにを選ぶかということは末梢をどう整えるかという問題よりも大きい。

要するにどんな部屋、どんなセッテングでも構わない。自分の好むスタイル、解釈で音楽が聞ければよいというところに行き着く。最悪、貴方の出す音が一般的なオーディオのセオリーから多少外れていたにしても、貴方の耳に心地良ければ成功だと私は思う。実際、百人のオーディオファイルが百種類の音で音楽を聞いている状態が真実なのであり、そこには音質の優劣はなく、音の違いがあるだけだ。

私のところには沢山のLPが集まってくるようになった。
まるで、私の新しい解釈で鳴らされることを望むかのように。
そして目の前のシステムで、私はそのLPたちを回して聞いてやる。
ここでは、デジタルで聞き古したあの曲・この曲が、全く聞いたことのない新たなニュアンスで鳴るのを、目の当りにする。その未体験の驚異に私は中毒になってしまった。これはもうほとんどアナログ中毒だ。こうなると、デジタルオーディオを聞いている暇がない。アナログをじっくりと聞いているだけで、私は自分に与えられた余暇を使い切ってしまう。

実は、世の中にはそれくらい多くのアナログレコードがある。それは過去からの遺産として残されたアナログレコードについてもそうなのだが、新しく出る新譜のLPも実はかなりのタイトル数なのである。私にしては珍しく、いくつかのLPレコード店からメルマガを配信してもらっているのだが、新譜のLPのリストに関しては意外にもその内容が店どうしでダブらない場合がある。つまり、どのお店も、世界中で発売される自分の専門分野のLPですらフォローし切れていないらしい。それはDJ系のLPに最も顕著なのであるが、この中には素人がリスニングに使って面白く聞けるような新しい音楽がいっぱいまぎれこんでいる。これらを全て試聴してチェックするのは手間であるが、大抵のものはYou Tubeなどで試聴が可能なので聞かなきゃ損だ。毎晩、You Tubeでこういう音楽をチェックしまくる私。
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また、私はあまり聞かないのだがクラシックや現代JAZZの新しいLPもボチボチ出てきている。
例えば自分で買うことはないけれど、クラシックの名演を高音質なディスクで甦らせることに定評のあるALTUSの出した、チェリビダッケの東京ライブ集成8枚組LPやクレンペラーのベートーベンチクルスのモノラルLPは見事な仕事ではないか。これらに比べたら、ハイレゾのデータは発売されるタイトルの中に大掛かりな全集のようなビッグタイトルがまだ、ほとんどない。しかも、ハイレゾの配信は、限定とか売切れはないので焦って買う必要はない。何が出ようと様子見で十分。対するLPの新譜は、そういう断りがなくても大半が限定品のようなもの。今あるものを、すぐに買わなくてはならない。こういう切迫感は、財布には優しくないが、反面、ワクワクすることでもある。こういうワクワク感がデジタルファイルにはとても薄い。
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財布に厳しい、高価で困るという問題ではアナログのオリジナル盤の件がある。
折角、まともなアナログシステムを持っているのだから、というワケで、主に1950~70年代のJAZZの代表的な名演、あるいはビートルズのアナログオリジナル盤、そのステレオバージョンというものを30枚あまり買い集めて聞いてみた。悔しいが70万円以上の投資である。その結果として思ったのは、これらのオリジナル盤の音の良さというものは、あくまで限定された特殊なもの、ということだった。
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例えば状態の良い、古いJAZZのオリジナル盤においては、音の鮮度の冴え、音の飛び出しの鋭さなどは再発盤より優れるが、ダイナミックレンジの狭さ、未発達な録音技術の結果としか思えない音のエッジの丸み、音場の見通しの悪さ、奇妙な帯域バランスなどがある場合、そのあたりは改善されないことがほとんど。最近録音されたデジタルファイルの音を聞き慣れた耳にとって、こんな音を高音質というのは難しい。現代に録音された音源のLPにしても、こんな低音質ではない。これは私が当初期待していたレベルの音じゃない。試しに状態の良い盤を求めて同じタイトルを何枚買ってみても、なかなか欲しいところは聞こえてこない。
また、盤のイタミ方の評価も大事だ。中古レコード屋さんの感覚での普通の傷み方のオリジナル盤(例えば状態Bとかいう表示のレコード)というのは私の感覚ではほぼ聞けない。多くは艶が失せてキズだらけのレコードである。こんなものに5万~10万を支払うのがJAZZやビートルズのヴィンテージレコードの世界である。これらをHANNLでいくら洗っても、表面のキズは消えないのでパチパチ音が酷い。やはり状態のいい盤を自分の目でよく選ぶことは必須である。例えば、少なくともB+以上あるいはEX+以上の出物を買うべきだろうと思ったり。
さらに、有名ないくつかのBLUE NOTE盤に関してはRVGの音作りのクセっぽさにマスクされて失われたニュアンスがありそうに聞こえた。この荒っぽくて、帯域バランスの変な、どこかぼやけたような音を、古い時代の味わいとして楽しむ才能が私にはない。勿論、これらの盤の音には確かに現代の録音にはない生々しさはある。音のインパクト・音圧もある。だが、それは、録音の技術的な稚拙さや演奏の素朴さから来るものではないかと疑う。この時代のJAZZに対する深いシンパシーがない者に、この音を全面的に良い音だと思うことは難しいだろう。私個人については金銭的にムリをしてまでJAZZのオリジナル盤にこだわることはないことが、オリジナル盤を買ってみてよくわかった。もし買うなら少なくとも元の録音状態、盤の状態を注意深く確認すべきだ。
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もう一つ意外だったことがあるとすれば、今回買った全てのオリジナル盤はCDで持っていて、それらは大好きなアルバムではないにしても、普通に聞けていたということ。CDの音質については、まあこんなものだろうと思ってアドリブの展開や演奏のテクニックを愉しみながら、LPのオリジナル盤はさぞかし、いい音で鳴るのだろうなと空想していた。だが、そうではなかった。CDで難なく聞けていた音楽の印象がオリジナル盤を聞いたことによりいささか悪化した、というか実は自分の好みとはズレが場合があると気付いたことになる。オーディオにはこんな落とし穴があるのだ。
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古いJAZZやビートルズに代表される古いロックついては、僅かな例外こそあれ、ほぼオリジナル盤信仰が根付いている。しかし、虚心坦懐にその音を聞いてみて、私はオリジナル盤を単純に褒め、大枚をはたく人の気が知れなくなった。オリジナル盤は再発盤より音がいいというに過ぎない。もともと音が良くないところは直しようもないのである。あれは、その音楽の内容が大好きで、多少の瑕疵は当たり前のように聞き逃せるような心理状態にある、という前提のもとに成り立つ賞賛だ。宗教的な信仰に近いものかもしれない。本人たちはその音楽を深く愛しているという前提を時々忘れているので、普遍的な言いまわしでオリジナル盤の音が良いと発言してしまうが、鵜呑みにしてはいけない。古いオリジナル盤の音の良さは、その中にある音楽への愛に裏打ちされたものなのだ。
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と、ここまでは現代の感覚にまだ近いステレオ盤での話である。
実はよりマニアックなオリジナルのモノラル盤というのも沢山ある。ものは試しとマニアが絶賛するアルバムを買い込み、私なりに聴き込んでみた。案の定、このモノラルレコードの音は私には古いステレオ盤よりもっと違和感があるものだった。「ついて行けない」というのはこの事だろう。モノラル専用のカートリッジを、わざわざ買ってリスニングに臨んだが、この音には失望させられた。音が左右に全く広がらないということは案外と気にならない。むしろ、定位の良い音像に集中できる。問題は録音の良さが伝わってこないということ。音は太く、音圧は高く、音像は厚くになるのだが、私の聴いたどのJAZZのアルバムでも情報量がとても少なく、全く同じ方向性の濃い音になってしまっていた。こうなるともう、それぞれの録音現場での雰囲気の差がよく分からなくなってしまう。録音の良さというのはそれぞれのアルバムの音作りや録音環境の差異が見えるところが大事だと思うが、それが分からなかった。それに、経年変化というか、レコードの取扱いの問題というかHANNLでも取り去れないノイズの多さにどうしても馴れない。モノラルを手放しで褒める人は、JAZZのオリジナル盤以外ではあまりいないが、その数少ない賞賛は私の感覚からは程遠い。
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確かに状態の良いジャケットのアートワークは美しいし、その中身のレコードの外見や香り、法外な価格と合わせた錚々とした雰囲気たるや、まるで高級な骨董、または文化財のようなのだが・・・。これは私の望む音ではない。改良の余地は多分にある。
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何にしろ、私はかなり失望した。
誌上で、あれほど褒められていた古いJAZZのオリジナル盤というものが、実際に聞いてみると、自分の感覚にこれほどグリップしないものだったとはね。そういえば私の機材の出音の傾向も、現代の音楽、現代の録音に合わせたものであり、これらの50年以上前のレコードたちに全然合わないのかもしれない。自分のシステムの音の解釈の仕方が、この時代の音楽に合わないとでも言おうか。例えばスピーカーをJBLに、アンプをマッキントシュに、フォノイコをBurmester100にして、ターンテーブルをBrinkmannのOASIS+RONTに、カートリッジを別のモノラル専用のカートにすれば評価は変わるのかも知れない。デジタルと違って全く違う方向性で完成度の高い音を造り出せるのが、アナログの強みでもある。だが今更、システムの組み直しはしたくない。そういう懐古趣味はもう既に多くのリスニングルームで体験済みだし。もっと新しいモノラルレコードの聞き方はないのか?
もしかして、この不快感は私にJAZZ喫茶でのいい思い出がないことと関係があるのだろうか。オリジナル盤を褒める評論家さんの音楽の原体験としてJAZZ喫茶でJAZZを聞いていたというのがあるらしい。しかし、あそこは・・・少なくとも一見さんには優しくない場所だ。店主の態度もデカいし、ボリュウムもデカ過ぎるし。精神衛生にも耳の健康にも良くない場所に電車賃を払って行きたくない。

ただ、私はもう二度と、このジャンルに手を出すことはないとは断言したくない。まだあきらめたくない気分もある。例えば、システムのどこかを工夫すれば、情報量が増えてモノラルレコードの良さを新しい解釈で引き出せる可能性は残っているのではないか。リベンジの心あたりはなくもない。その心あたりについては、そのうち書くかもしれない。

なお、これらのオリジナル盤は少数のテスト用の盤を残し、再び売りに出された。どれも結構、いい値段で売れたのはせめてもの救いであった。
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でも良かったこともある。一枚のJAZZやビートルズのアルバムに法外な金額を疑問なく払うことはなくなった。例外はあるが、基本的にはより新しい時代の音楽のLPを適切な値段で買えばよい。もし、いわゆるオリジナル盤を体験してみなければ、ずっと間違った憧れを私は抱きつづけたに違いない。オールドライカやヴィンテージのパテック、日本刀、1970年代のフェラーリ(凄い排気ガスで喘息が悪化して呼吸困難になった)と同じく、それが憧れの対象ではあっても、実物は自分にとって無意味なものだと実体験から知ることは、自分に取って有意味なものが何かを知ることと同様に大切だと思う。

では逆に、
私が偏愛しているLPたちについて少し話そう。
それはECMというドイツのレーベルのLPである。
1970~80年代のECMのLPについては、昔のアメリカのJAZZなどとは逆にオリジナル盤を安価に手に入れることができる。これが本来の値段の付け方だと思う。
また、音質もいい。音の鮮度も勿論CDより高いのだが、もうステレオ録音が確立した後の時代の演奏が多いので、そもそも基本的な音質がかなりいい。これらのレコードには、ヤン ガルバレクやキース ジャレット、コリン ウォルコット、エンリコ ラバ、パット メセニー、ジョン アバクロンビー、そしてラルフ タウナーらの若かりし頃の瑞々しい感性のほとばしりが真空パックされている。これらは当時としても前衛的なヨーロピアンJAZZである。少しとんがった演奏が多く、今聞いても、最新の音楽の構成、演奏のように聞こえる。先ほど話題にしていた古いアメリカのJAZZの持つ、必ずしも現代的ではないあの底抜けに明るい単純さ、少し猥雑で濃密な曲想、ああいうバタ臭さはどこにもない。ECM総帥、マンフレッドアイヒャー好みのサウンド、クリスタルクリア―でクール、スピード感のある音調でほぼ一貫していると言っていい。このサウンドなら基本的にCDやハイレゾファイルから出ている音と全く同じ感覚でも聞ける。いや、レコードの状態さえ許すならば、既存のデジタルソースを上回る音が出てくると言いたい。特にラルフ タウナーのギターをフューチャーするアルバムは私のお気に入りなのだが、これらは音がいい。タウナーが弦をつまびく一つ一つの音に与えられた生命のような存在感に圧倒される。ガルバレクの甲高いサキソフォンの叫びにも言い知れない実体感があり、ゾクッとすることが稀でない。こういうプレミアムなオーディオ的快感を逃すべきでない。ECMの取り扱う音楽を深く知りたいと思うなら、アナログレコードで聞くことは避けては通れないはず。
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Notes From Big Sur Chales Lloyd ECM1465
このLPは入手したばかりである。
チャールズ ロイドの青白い横顔を闇が包んでいるジャケットを目の前にかざすと、感慨は深くなる。このLPを探し始めてから6年も経っていたからだ。アナログを再開する、はるか以前から探していた。それは単純に、この素晴らしいアルバムアートが30cm×30cmのジャケットになったら、どういうふうに見えるのか知りたかっただけなのであるが。このジャケットはカッコいい。大満足である。こういうものをミントコンデションで保存していたドイツの方に礼を述べたい。
Notes From Big Sur は20年以上前にCDを買って聴き、すぐに愛聴盤となったアルバムである。丁度、Wadia860でオーディオを始めた頃だ。このCDを何回聞いたかなんて数えてはないが、100回なんかはとっくに超えているだろう。
音はECMの録音として普通である。分離とか定位が凄くいいとかはない。ごく普通のECMの録音である。オーディオ的に特別にどうこうはないと思う。でも何故か堪らなく、このLPに刻み込まれた音が、音楽、静謐な空気が好きだ。このLPを自分の装置で聞くと、ひどく心を奪われてしまう。
例によってマンフレッド アイヒャーのプロデュースで、1991年にオスロのレインボースタジオにてヤン エリック コングスハウグの手により録音されている。
チャールズ ロイドはECMでアイヒャーと仕事をしなかったら、あまり注目されない、いわば凡百のJAZZミュージシャン、サックス吹きだったかもしれない。この北欧的に涼しくて、少しばかり憂鬱な音のトーン、ECMトーンと呼ぶべき特別な音の温度感・響きが、彼のサックスに付与されたから、彼の音楽は特別な輝きを放つのである。

このLPは元の録音はデジタルであるが、こうしてLPにトランスファーしてみるとCDよりも感慨が深い。何故だろう。冒頭にレクイエムという美麗な曲があり、これが、かなりキャッチー。美しいテーマとアドリブだと思う。LPで聞くと、なるほどサックスの響きの掘り下げが違うか。CDで聞くと、そこらへんがサラッとしていたなと思う。LPだと、フワリとした柔らかさに決意のような太い芯の部分が音に加わるのが分かる。Notes From Big SurはロイドにとってECMで二枚目のアルバムなのだが、一枚目の経験を元として、このレーベルに拠って活動すると、ついに決意しましたよぉというところが、音に出ているのだろうと勝手に想像する。これには証拠もインタビューもなく、ただの私のイマジネーションなのだが、逆に言えば、こういう様々な人間臭い想像を掻き立てる力がデジタルオーディオには薄いのである。表面的な音の良さに囚われている。綺麗だが漫然として音楽が流れるだけだ。一方、LPにはその音質、サウンドトーンに関わらず、そういうヒューマンな資質が元来備わっているような気がする。心の働きがより強く活性化されるようなのだ。

ECMというレーベルは1969年にミュンヘンで設立された当時、CDのリリースはなく、アナログレコードのみでやっていた。その後、CDで新譜をリリースするようになり、当初LPでリリースされたアルバムの多くをCDでリイシューしたのである。だが、結構な数のアルバムがCD化されないままだったし、またCD化されても、そのCD自体が入手困難になったものも多い。ECMは現在、AmazonやHD tracksを通じて売るためのデータファイル化(ハイレゾ、MP3)に力を入れているようだ。つまりCDが売れないということだ。私はそういうデータをダウンロードして聞くが、同じアルバムをLPで、私のシステムで聞くのとは随分な差異を感じる。
手前味噌かもしれないが、大概、LPで聞く方がいいのである、音が。場合によっては圧倒的に良い。
少なくとも、ここで殊更に取り上げる価値のあるハイレゾデータなんて聞いたことはほとんど無い。あれらは持ち運びや保存に便利なだけである。繰り返しになるのだが、MP3やハイレゾなんて売切れることは、まずないのだから、今は買わなくてもいいやと、うっちゃっておいて、LPをいそいそと買い急ぐ。

この音の良さは私のシステムがECMを聞くために作ってきた経緯があるから、だけではない。それならハイレゾデータやCDより、LPの音がいいことを説明できない。これはECMのLPには創生期のECMの生々しい息吹がいささかの劣化もなく封入されているからだと思いたい。

そういうわけで、初期のECMのLPを集めては、ずーっと聞いている昨今なのだ。“ECMはアナログに限る”なんて言いたくはないのだが、無責任に言い放ちたくなる瞬間が寄せては返す波のように訪れるのは事実である。

こうして色々聞いてゆくうちにデジタルに限らず、アナログもなんでも良いわけでないということも分かってきた。大きな期待を抱いていても深く失望させられることはあるのだ。だが、ECMのアナログ盤をレイドバックして聞いていると、もっと多くの音楽をレコードで聴きたいと切に願う私が居ることに気付く。そう願わざるをえないほど音はいいように感じる。こういうアナログの心地よさに対して、発展途上のデジタルオーディオが割って入る余地はまだないようだ。
ここらへんが現状の私のオーディオ生活で一番重要なところもしれない。

「デジタルなんていらない」
そんなショッキングな言葉が吐けるほど
アナログに入れ込んではいないつもりなのだが、
そう呟きそうになる唇をあわてて固く結ぶ、
この休日の昼下がりなのである。
# by pansakuu | 2014-06-28 13:56 | 音楽ソフト

マス工房 Model394 ヘッドホンアンプを巡る私的観想:孤独の洗礼・無の近傍


孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。 
トルストイ

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ホテルに着くと海外から荷物が届いていると告げられた。
そうか、もう着いていたのか。
大きめのジェラルミンのトランクを部屋に運んで貰って、連絡された暗証を押して開ける。
荷物の中身はAudirvana plusのインストールされたMACとSonicweldのDiverter、dcsのDebussy DACそしてマス工房 Model394 ヘッドホンアンプ、純正部品でバランスリケーブルされたHD800、それにケーブル数本。
暇つぶしの道具が届いた。
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この時期、俺は或る用事で5日ほどホテルに缶詰めになる。毎年の行事である。
仕方がないと諦めてはいても、待ち時間である夜間はどうも退屈だ。去年まではテレビを24時間つけっぱなしにして紛らわしたり、ポール ボウルズの本を読みふけったりして時間をつぶしたものだが、今年は機材をワンセット借り受ける算段をつけた。日本製のアンプでありながら、日本ではなかなか聞けないヘッドホンアンプModel394を聴かせてもらう。

ホテルのルームライトというものは、なぜか黄色味がかった柔らかい間接照明が多い。なにか夜のスイートで安らいだムードを醸し出そうとしているのかもしれない。だが、まるで自らの存在感を自ら消し去ろうとしているかのようなModel394 ヘッドホンアンプにとっては、そんなライトアップも無意味なことだ。
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これは簡素なデザインのアンプである。全く普通の板金加工のように見える筐体。フロントパネルにはSTAX用とステレオミニを除く、全てのヘッドホン端子を受け入れるジャックとゲイン切り替え、人目を避けるかのように控え目なボリュウムノブ、LEDのついた普通の電源スイッチ、小さなゲイン切り替えとインプットセレクターのトグルスイッチがあるだけである。リアにはXLRとRCAの端子、ACインレットがあるのみ。なんだか恐ろしくシンプルで無愛想なモノである。こういう外観に好き嫌いなど言えるだろうか。この形は、ほとんどの美的な感覚とは無縁だ。アノニマスデザイン?

強いて言うところがあるとすれば、このアンプのフットは変わっている。厚いテープのようなものを底面の左右に貼ってあるだけである。このテープ状の足にはフロントパネルの下縁が設置面にぎりぎり接触しないほどの厚みが与えられるのみ。したがって、このアンプは重心が低い。テーブルにベタッと置かれている感じである。

アンプの中身はデュアルの電源とフルバランス回路が一枚の基板に集約されている。マス工房のアンプらしく電源部と回路部が別々の金属製ハウジングで覆われている。こういうハウジングはヘッドホンアンプではマス工房が初めてやったものではないか。ノイズの飛び込みを防ぐ手段であろうが、これがあれば、外部からのノイズの飛び込みだけでなく、内部からの飛び込みも防ぐことができるだろう。厚い金属製のシールドのような筐体でなくとも、効率的にノイズを跳ね返せるということだ。なお、ボリュウムは、これもマス工房さんらしく東京光音電波製の4連コンダクティブ プラスチックフェーダーである。

全体としては、内部はともかく外見について、とやかくは言いにくいアンプだ。余計な観察は程々にしよう。バスローブに着替えてリラックスしてから、システムを注意深く結線する。おもむろにHD800をかぶり、ボリュウムノブを捻ってみる。(この時、いつも一緒に自分の首もわずかに捻ってしまうのはクセなのだ。)

とても純粋な音が聞こえる。

HD800から聞こえるのは、DACから有りのままに伝わる音だけだ。
この音は、私の頭の奥深くで意味を与えられて初めて音楽となる。
このアンプは機材が勝手に“音楽する”ことを避ける立場で造られている。
「人だけが音楽を聞くことができる」という言葉が思い浮かぶアンプだ。

外観と同じく、なんともシンプルなサウンドだ。上流から来るアナログ信号をなんの色付けもせず聞かせることに使命感を持っている。全く真面目な音であり、ここまでフラットを極めた音を並大抵のノウハウでは成し遂げることは出来ぬ。
SN感は非常に高いものがあるにも関わらず、またダイナミックレンジが広く、定位抜群にして、カールツァイスの新型レンズOTUS 50mmF1.4を想起させるほどの見事な解像感を持つサウンドであるにも関わらず、その凄さを感じさせるのを巧妙に避ける。そういう高性能感を主張するのを厭う気質がこのアンプには感じられる。HD800をほとんど手玉に取れるほどの確かなドライブパワー、電源の充実があるのに、それを誇示するのを嫌がる。淡々と、あくまで淡々と仕事をこなしてゆく、それだけのヘッドホンアンプであることに、無上の喜びを感じているようだ。

いくら注意深く聞き回してみても、欠点らしい欠点を聞かせず、特徴らしい特徴を感じさせない。これはG ride audioのGEM-1の出音の対極にあるサウンドである。あのアンプの音は大分“盛られた”音であった。その盛り方が見事であるがゆえに私はノックアウトされたわけだが、Model394は逆の意味で衝撃を受ける音であろう。こういう素通し系の音としてOji specialのバランスアンプがあるが、あちらには音の純度の高さから来る凄みのようなものが付加されており、Oji独特の音の風合い、いわば高性能感のようなものを感じることがある。またSPLのPhonitor(Phonitor2は未聴)やJR SoundのHPA-203のような明快な音の輪郭線と定位を前面に押し出した、一般的なプロオーディオ系モニターサウンドとも一味違う。もっと音像のアウトラインは変幻自在で、むしろ素人の耳を疲れさせるような要素は皆無に近い。単なるプロオーディオ用のアンプから脱却した、さらに練り上げられた音質を楽しませるモノに仕上げられている。確かにPhonitorや HPA-203のサウンドは音が硬すぎるという人もいるが、プロオーディオの世界に話を限れば、それがアンプの長所たりえるはず。しかし、Model394については、その立場を超え、そもそも音の硬軟云々を言うことが無意味な場所に達している。
当然、こうなると使う音楽のソースは選ばぬ。そして、使い古された常套句だが、上流の機材の音質の高低、楽曲の音作りの仕組み、そして録音のミスをも正直にさらけ出してしまう。それは長所であり欠点でもある。
例えば、社会の倫理において、正直は褒められるべき人間の資質とされるが、実際の人間関係にあっては、時に深刻な対立に発展する。例えば女性に愛想を尽かされた友人が、自分の欠点はなんなのか教えてくれと言ったとき、それを正直に全て詳細に語り尽くすのは果たしてよいことだろうか?まだ乾きもしない心の傷に、塩を塗るようなマネはやめた方が身のためだ。
つまり、プロオーディオ機材において、この正直さは真に褒めるべきだろうが、一般人がリスニング用としてこれを使うのは辛い部分もあるということだ。この音は正直過ぎ、場合によっては辛辣ですらある。音の輪郭のキツさ云々以前に、この正直さ、演出の少なさはキツいと思えるアンプがModel394だ。これこそが最も進んだヘッドホンモニタリングの世界なのか。何もかも見えてしまう、なにもかもそのまま素通しで聞こえてしまうことに耐えることをリスナーに要求する音である。
やはり、このヘッドホン界随一の正直者を自分の手元に置くオーナーの心には、なにがしかの余裕があるべきだろう。録音、そして再生に潜在する、普段のリラックスしたリスニングでは見過ごされがちな、細かな音の不備にオーナーは寛容であるべきだ。さもなければ、重箱の隅を突くように、サウンドの瑕疵を見つけだすことに快感を覚える者であるべきだろう。

Model394を聞くのは、これが三回目である。
ただし、一人でゆっくり聞くのは初めてだし、dcsのようなハイエンドDACを上流に据えて試聴するのも初めてだ。そして、このアンプのイメージがまとまって聞こえてきたのも初めてなのである。
それにしても、このシステムに組み込んで聞くModel394、もともと無色透明で非情なアンプだとは思っていたが、送り出しのDebussy DACの正確で無個性なサウンドともあいまって、過去最高と言い放ちたいほどにフラットで客観的な出音に聞こえる。
詩的でなく、私的な言い方が許されるなら、このシステムのサウンドは透明というよりはもう無に近いかもしれぬ。

俺が今置かれている退屈と寂寥がそんな無責任な言葉を弾けさせるのかもしれない。

このホテルの整えられたスイートに一人。毎年同じホテルの同じスイートを取り、数日の間、一人でそこに籠る。俺はこうして毎年、修行僧のように無言で淡々と用事をこなしてきた。今となっては、それはまるで一人でやる、なにかの儀式のように思えてくる。毎年巡ってくる孤独の洗礼。今年もそれを甘んじて受けようというのだ。
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ここで、いつものようにBach: Art of the Fugue / Keller Quartet(ECM)を聞く。汲み尽くせない暗示の含まれた音が、複雑な幾何学模様をモザイクした壁画のように連なって、ゆっくりと私の頭の中を通り過ぎてゆく。ここでは4丁の弦楽器の弾き手たちの生み出す抑揚は、他のヘッドホンアンプが表現するよりも、明らかに冷静であり、その出音は特定の音調を持たぬものだ。それがゆえに、むしろ多様で自由、かつ中立的な表現となる。この音に秘められているはずの暗喩を解釈するのは、演奏者や録音者の手腕ではなく我が脳髄に任された仕事であり、システムは音をただ正確に再生し伝達することのみに専念する。システムが唯一主張する言葉が有るとすれば「音に感傷はなく、あるのは正しく音波のみ」か。このサウンドは俺に静かに問う。バッハがこの音楽に実は何の意味も持たせておらず、全てはお前の後付けの空想ではないのか?否、その考え自体もまたお前の孤独な空想か?ハハッ、なんてことだ!全ては孤独の生み出す幻だと言うのかい。

それにしてもつくづく、ヘッドホンオーディオとは孤独な趣味だな。そもそも、オーディオという嗜好が孤独なものだし、どのような方向性でやろうとしても、結局は一人で突き詰めてゆく傾向が強い趣味だ。当たり前のことだが、オーディオに正解は無い。最終的には個人の耳の基準で正しさを見極めるのみである。特にヘッドホンの世界はその傾向が強い。スピーカーと違って、一つのヘッドホンを同時に二人で聞くことは無理だからな。客観的に見たヘッドホンオーディオ界の現状といえば、個人個人が自分の殻に引き籠り、自分の好きな音楽を自分一人で聞いて感動している状態だ。そして、時々、その殻に開けられた小さな穴からあたりを見回して、感心し、あるいは嫉妬している状態だ。

結局、オーディオの真髄を知るには、様々なシステムの音を聞いたうえで、その過程で磨かれた自分の直感を信じるしかない。ごく僅かなオーディオファイルだけが、そういう孤独を受け入れることができる。そして、残りの大多数は計測機器の示す数値や店員さんのアドバイス、オフ会で言われた意見やオーディオ雑誌の評論やブロガーの感想に客観性を求めるが、それは他ならぬ“迷い”である。自分を信じ、目の前のシステムの音を信じることできれば、オーディオにおける時間とカネの浪費のスパイラルから解放されるはずだ。

俺はこうしてModel394を通して音を聞いている。
俺の頭の中では、俺の置かれた状況としての孤独と、
ヘッドホンシステムが奏でる音のイメージとしての無の世界が、
冷たい化学反応を起こしている。その触媒が音楽なのだ。
この錬金術が生み出した予期せぬ感傷に私は浸る。
それは結局、自分の身に起こることは、
自分自身で始末をつけなければならないという世界の法則、
その救いようのない寂しさに通じてゆく深情らしい。
それはまるで頭の奥底へ通じてゆく暗い廊下(corridor)のようだ。
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広々としているが、どこか硬さを感じていたたまれない
キングサイズのベッドの上にあおむけになって、
毎年見ている、見知らぬ天井を眺めながら、俺は音楽に耳を傾ける。
ブルックナーの8番、チェリビダッケのリスボンライブとは懐かしい。
眠りの無意識に堕ちるまで、もうしばらくの時間があるはず。
残るひとときの間、暗い廊下で無との一人遊びに興じるとするか。

# by pansakuu | 2014-06-08 14:35 | オーディオ機器