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Sennheiser HD650 Delrimour Modernの私的レビュー:欠片を探して

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装飾は犯罪
By アドルフ・ロース(建築家)



Introduction

今使っているRe leaf E1x(E1)というヘッドホンアンプは
或る意味、手強いモノである。
E1は、市場に現存するほとんどのヘッドホンの素性を露わにし、
その潜在能力のほぼ全てを開花させることは出来る。それは確かだ。
しかし、逆に自分自身の潜在能力がどれほどなのかを、なかなか明かしたがらない。
つまり、E1のポテンシャルの全貌を露出させるようなヘッドホンが、なかなか見つからぬということになる。
この探索はまるでパズルの欠けた部分をピッタリと埋めるピース(欠片)を探す行為に似ている。それが見つかりさえすれば、パズル全体がどのようなデザインなのか、その全貌を把握できるのだが、それが簡単に見つからない。

とにかく、八方手を尽くし、貸し出してもらったり、自腹で買ってみたりして、このアンプで使えそうなもので、気になっていたヘッドホンは、ほぼ全て試してみたところである。
沢山のヘッドホンを試す過程で分かってきたのは、なるべく無個性なヘッドホン、例えばプロフェッショナルモニターがE1には合っているということであった。今のところ、素直なE1の音を知るという意味で最高のマッチングだったのは、ここでレビューするSennheiser HD650 Delrimour Modernである。これは聞こえてくる音楽そのものは勿論、下流の機材の素性をもつぶさに聞き取ることができるという意味では最高のギアの一つであり、いわゆる最も色付けの少ないヘッドホンの部類に入る。私はこのヘッドホンのお蔭で、E1xがどのような音楽を奏でたいのか、そして音楽の素顔そのものを、やっと理解できた気がする。
ここで聞ける音というのは、まあ見ようによってはサウンドモニタリングの果てのような辺鄙な場所、客観の極致のような所ではある。意外だが、E1は、そういうところにまで連れて行ってくれるアンプなのだ。それでいて、マス工房のアンプのように限りなくフラットで楽しめないガチのモニターサウンドというわけでもない。どうにも不思議なアンプだ。


Exterior and feeling
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Sennheiser HD650 Delrimour Modern(デルリモア・モデルン)と読む。
このヘッドホンはDelrimour Modern audio acoustik(以降DMaa)という、東京にあるオーディオ工房を主宰する日本人エンジニアがモディファイしたHD650である。
もともと定評のあるHD650だが、ややヌケが悪いとか、音場が狭いとか、音の厚みはあるが、音の分離がHD800など比べて良くないとする意見があった。日本だけでなく諸外国でもこれは密かに言われていて、そこでは個々のユーザーが勝手にHD650を分解して改造を加え、改良した好みの音で聞いているという話をきいたことがある。DMaaはそうした改造を請け負ってくれる工房ということになる。
ここに出してきたヘッドホンHD650 Delrimour Modern (以降HD650 DMaa)について、この日本の工房で、どのような改造を行ったかについてはWeb上に丁寧に記載されているので、例の如く詳しく書かない。
ごくシンプルに言えば、Piezonという業務用の制振材(実際はところはfoQらしい)をヘッドホン内部の適切なパーツに貼り付けること、バッフル表面とイヤーパッドの間とドライバーユニットの中央開口部を塞ぐフィルターを別な材質のものに交換することの二つの作業に集約されると私は理解している。これらの作業によりヘッドホンの音に対する反応性を整え、バッフル面・ハウジング内外の空気の流れを最適化し、ダイアフラムの振動を調整するという話だ。(写真はアンブレラカンパニー様のHPから拝借いたしました。いつも有用な情報を有難うございます。)

実際の作業はHD650のパーツがモデュラー化されているため、ネジ留めやハンダ付けなしで行えるという。したがって材料が入手でき工程さえ決まっていれば、比較的容易な仕事なのかもしれない。実際にヘッドホンを送ってから納品されるまで1日ほどしかかからなかったし、費用もかなり安価であった。
なお、細かい話をすれば、HD650は2014年より新しい金型を用いて生産されており、それ以前のロットとは中身が若干異なる。このため、新しいHD650は改造の工程が旧型とは若干異なるようである。この場合でもDMaaで対応してくれる。

具体的な注文法としてはヤフオクに「SENNHEISER チューンナップ・サービス HD580 HD600 HD650 etc」として出品されていることがあるので、これをまず落札。支払を済ませたら、手持ちのHD650を指定された場所に送ると改造されて送り返されてくるという手順だ。もちろんHD580 HD600も同様に改造を請け負ってくれる。

さらに私はDMaaにXLR3pin×2のリケーブルも同時に別注したが、これがなかなか他で見ないような珍しいモノだった。アコリバに特注されたコネクター(内部のみ無メッキの仕様)とSTAXのヘッドホンで使われるタイプの平らなヘッドホンケーブル、ノイトリックのXLR端子を組み合わせたものである。事実、このケーブルの線体はSTAXで使われているものを製造している工場で作られているらしい。これはヘッドホンケーブルとしては最上のモノの一つであるがマイナーなケーブルだ。あえてこれを選ぶとはDMaaにはSTAXのヘッドホンに対するシンパシーがあるのかもしれない。とにかく、こういう組み合わせのリケーブルは世界中見回してもほとんどない。またリケーブルの実物の作りは全く粗のないもので、コネクターの接続も確実、線体はかなりしなやかでタッチノイズは少なく、最高に使いやすい。なおDMaa ではXLR4pin仕様や標準プラグ仕様も用意しているので、幅広いHPAに対応可能である。

外観全体としては、HD650 DMaaというヘッドホンは地味で峻厳なプロフェッショナルツールという印象である。現在、HD650自体がドイツで生産されているかどうかは知らない。しかしこれはドイツ製の高級機材に共通する雰囲気、例えば最近まで使っていたブラックペイントのライカMP等のドイツの高級カメラを想起させる外観を持つモノである。遊びも気取ったところもまるでないプロ機材だ。ここではDMaaの黒い小さなシールがハウジングのメッシュ越しに見えたり、コネクターにさりげなく貼付されたりしているのが、いかにも渋い。服選びの趣味の一つとして、服についているタグに注目するというのがあるが、まさにそんな感じの格好の良いシールデザインにちょっと痺れてしまう。(なお、モノクロ写真にあるLRマークは筆者の私物である)


The sound 
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HD650 DMaaは、全ての音の要素にわたってクセらしいもの、誇張感がほとんどないヘッドホンである。

もともとHD650は中音域の密度感のある濃厚な表現に魅力があり、HD800がその深い味わいを広大な音響空間に散らしてやや薄めてしまったような音になっているのと、好対照を成していたと思う。HD650の音には厚みと僅かに高めの温度感があり、間接音に比しての直接音の存在感もHD800より大きい。またサウンド全体に腰がやや低く、低域に重みと量感がある。よって、ウッドベースのボディ感が正確に出るところなど、超ロングランの古いモデルではあるが、一目置かれる理由となっていた。
ただ聴感上はダイナミックレンジが若干狭く感じられるし、スピード感がなくゆったりしている感じもある。また全体に音のクリアネスに欠け、音場の見通しが若干悪く感じる。それらの意味では若干クセがあるヘッドホンであったかもしれない。クラシカルなゼンハイザーの音とはこんな感じか、そう思いながら聞いていたものだ。それはまさにHD600とHD800の中間にあるサウンドである。

ところがモディファイされ、バランス駆動されるHD650 DMaaでは、
ダイナミックレンジはHD800とほぼ同じレベルにまで拡がり、
全ての帯域でさらにフラットにエネルギーバランスが整い、
音の立ち上がりや立下りのスピード感が増して、
音のエネルギーの変化に対するレスポンスは一層俊敏となった。
音の鋭角的な立ち上がりが巧く自然に描写されるようになった。
音場が澄み、無音の空間が清々しく透見できるようになった。
これらはモディファイの効果としてすぐに実感できるところだ。
変わらないのは、全体として着飾らない生成りの音というところであり、
刺激感が少ないのもそのまま。温かみはあるが、メロゥにまではならず、シャープだがギスギスはせずというところがいい。低域の太さやグリップの良さは変わらず、HD800のようにはっきりとはヌケてこない。空間の広さは適切。HD800が広すぎるという方はお試しあれ。
ピアニッシモとフォルテッシモの落差は明確であり、コントラストは厳しく表現されるが、聞き疲れが少ないのも同じ。これは出音が基本的に落ち着いていて、過激な音の変化のある音楽に対してもピーキーな音を出さないからだろう。
このノーマルのHD650特有の音の落ち着きと厚みにして、過不足ない音ヌケのよさ、分離感をも獲得できたことが素晴らしい。これはD600とHD800の中間にあるサウンドよいうよりは、開放型と密閉型の中間的な出音というべきであり、そのどちらを嗜好するヘッドフォニアにもアピールするだろう。

E1xとのコンビネーションならではなのか、背景のコーラスやリズム隊の発音の描写が実にスムースかつリアルに聞こえて驚く。また、オーケストラを操る指揮者の意図が透けて見えるような全体を俯瞰する音の余裕も感じられるようになった。これは名機HD650の潜在的な能力なのだろうか。ノーマルのHD650では前面に出てこなかったことだ。これはどのような音楽を聞いてもミスマッチにならない懐の深さとしても現れている。

アーティキュレーションという言葉は、声に関しては滑舌のことを指す場合が多いが、楽器の奏法について使われる場合は、そのように、はっきりと音を区切ることに限らず、むしろ区切りなくシームレスに繋がる音の変化をも指していると私は勝手に考えている。このアーティキュレーションの正しさはHD650 DMaaにおいては際立って優れている。HD650 DMaaを聞いてしまうと、この部分の表現の仕方は多くの他のヘッドホンでは若干カッチリし過ぎるか、逆に若干流れ過ぎるかどちらかに偏っていて、それがヘッドホンの個性の一つとして認知されることになる。HD650 DMaaを使えば、どちらにも傾かず非情なほど中立な立場、ごく客観的な立ち位置で音を冷静に観察することが可能になる。
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改造前後の音の細部の表現の違いについて喩えをするならば、ノーマルのHD650には精密なデューラーの銅版画を見ているような趣きがあり、HD650 DMaaでは最新のライカモノクロームType246で撮影したモノクロ画像をモニター上で観察しているような雰囲気がある。
つまり、HD600番台に共通する特徴として音の彩度がやや低く、モノクロームのような落ち着いた音なのは変わりがない。しかしHD650 DMaaまで行くとディテールの表現はどこまでも神経が行き届いて、そこで聞かれる音はもはや絵画的なものでは全くない。この音の冴えは、最新のライカモノクロームで撮った写真の質感、まさに銀塩写真の上等なモノクロプリントを遥かに超える精彩感に通じるところである。
どこかグレイなサウンド。
このモノクロームなサウンドの低域の黒みは重く、高域のハイライトは飛ばないで落ち着いた階調を醸し出す。こうして音の全体として、さりげないシャープさがあり実に渋い音に仕上がる。言わばビターサウンドだ。
このように派手さはないが、やるべきことは完璧にやり遂げるHD650 DMaaの能力は、目の前でE1xの覚醒の過程を詳しくモニターするに値するものであった。
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E1xを使っていて思うのは、このアンプを開発する際に音決めに使っていたと考えられるHD800以外のヘッドホンで聞くのが面白いということである。E1xの設計・製作サイドが聞いたこともないような音を自分だけが聞けるという意味で大変面白い。
例えば最新のPioneer SE-master1のバランス接続でのアトラクティブなサウンドは恐らく誰も聞いたことのないものだろう。低域の解像度さえもっと得られていたなら、Master1は常駐ヘッドホンの地位を射止めていたに違いない。
それに対してHD650DMaaとの接続で出てきたサウンドには、聞くものを殊更に楽しませる要素はないが、E1xの示す音楽の定義を細部までシビアに検分できる達成感がある。一聴して地味なのだが、深く充実した出音に感嘆する。
こういう音ならHE1000を手持ちのアンプで巧く鳴らし切れたとしても、方向性がまるきり違うのでバッテイングしないだろう。HE1000を採用しても、あえてHD650DMaaを残すという選択枝もありそうだ。私はおそらくHE1000を買わないのでそういうことはできないが。
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正直、これは渋い音である。
この地味さゆえ、誰にでも受け入れられるものではないかもしれない。
だが、誤解を恐れずに言えば正しい音だ。そして深い音だ。
多くのヘッドホン、イヤホンを体験してきた耳ならば、必ずやその真価に気付き、
眼下に広がる意外な音の深みを見付けて、震撼とするに違いない。


Summary

とりあえずヘッドホンはコイツを使っていれば間違いがない。
そう言い切れる数少ない逸品、
それがDMaaでリケーブルしたHD650 Delrimour Modernであろう。
これほど正しい普通さ、渋みのある普遍性は、とても貴重なのである。
あらゆるヘッドホンが争って他を押しのけて売れようとしている時に、
そういう喧騒から独り離れ、正しい道を歩もうとしているかのようだ。
それはヘッドホンの地平に長く伸びる孤影である。

Sennheiser HD650 Delrimour Modernは、フラットなモニターサウンドを求めるプロ、そしてアマチュアだが、最高にコアなヘッドホン求道者に似つかわしいドイツと日本の英知が融合したヘッドホンである。
今使っているRe leaf E1x(E1)というヘッドホンアンプは確かに手強い代物だが、DMaaでチューンされたHD650はつかず離れず、この銀色の羊の皮を被った怪物を御し、その強さを、その最深部まで引き出してくれる。
我がヘッドホンシステムに欠けていたピースが、とりあえず一つ見つかったようだ。

# by pansakuu | 2015-07-05 13:33 | オーディオ機器

AIM SHIELDIO UA3 USBケーブルの私的レビュー: 下剋上、そして賢者の選択

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電線にスズメとまって音変わり
詠み人知らず


Introduction

そもそも、USBケーブルを変えるだけで、デジタルサウンドを良くすることは出来るのか?
これは初めてPCオーディオシステムを構築しようというときに、パソコンとDACを結ぶUSBケーブルを選択するという段階になれば必ず出て来る疑問でしょう。

それは出来ない、そう考えているオーディオファイルは相当数居るようです。少なくとも私の感じでは日本のオーディオファイルの半分以上がこれについては半信半疑なのではないかと思います。もっとも、これは初めからUSBケーブルを使う必要がないので関心がないとか、あるいはそういうところに凝って、お金を使いたくないという意図から、高級なUSBケーブルを否定し都市伝説化する動きになっている部分もありましょう。自ら多くのUSBケーブルを試したうえで、否定している人はとても少ないのではないでしょうか。確かに、それは無駄が多く報われない作業であるということを私は知っています。

では、そう言う私はオーディオ向けのUSBケーブルをどう考えているのか。
それは、音は確かに変わるが良い方向に大きく変わることはほとんどない、最近まではそういう認識なんですね。つまり、USBケーブルを高級なものに変えると、まあ多少はレンジが拡張したような印象があったり、解像感が高まったような気がしたりという、ライトな感動はあるものです。でも、市販の一番安い普通のUSBケーブルと比べて劇的な変化ではないし、音が軽くなったり、音のエッジがキツくて聞きづらくなってしまったり、逆に元気がなく平明な感じに変わってしまったりと、副作用もありうる。長さや取り回しの自由度も場合によっては低くなる。さらに、オーディオ用のUSBケーブルは比較的高価なものも少なくない。オーディオ用でない製品の価格と比べればコストパフォーマンスはとても悪いものだと白い目で見ていました。

とはいえ、私は折角入手したRe leaf E1xのセッティングを詰めたい。
そしてE1xはUSB入力で威力を発揮するヘッドホンアンプです。
とすれば、この機材に適したUSBケーブルが必要です。
私はそう考える手前、ここ一月ほど多くのUSBケーブルを買ったり借りたりしているわけです。

実は過去にもこれに似た試行をしたことはありました。その時は、今はメーカー自体がなくなってしまったLocus designのCynosure(実売40万円前後)なんかまでテストしたりして、随分と熱心でした。しかし最終的な結果は既述したような残念なものでして、高いUSBケーブルにはあまり深い意味はないという結論に達して終わってしまいました。それ以降、EsotericとAcoustic ReviveのUSBケーブルを手元に残して、必要があれば出してきて使うのみ。それは音を良くするためというより、少なくとも悪くはしていないという確信があり、確実なコネクションができるケーブルを使いたかっただけです。はっきり言えば、最近まで私はオーディオ用のUSBケーブルというものを見捨てていたわけです。

ところが、今回新たにテスト用に買った何本かのUSBケーブルの中に目覚ましい製品が混ざっていました。
それらのUSBケーブルは、今まで自分の試した60種類以上の様々なジャンルのケーブルたちの中でも、良い方向への音の変化を最も如実に感じたグループに入ります。しかも驚くべきことに、そのグループのどのケーブルよりもはるかに安かったのです。10分の1から50分の1くらいの値段しかしない。しかもUSBケーブルという、電源ケーブルなどに比べれば、ずっと音の変化を感じにくいと考えてきた種類のケーブルなのに、そこからとても良いケーブルが出てきたのです。私はこのコストパフォーマンスと意外性に素直に驚嘆したのです。(写真等は各社HP等から借用させていただきました)


Exterior and feeling

さて今回、総合的に最も音の優れたUSBケーブルと私が認定した、このAIMのSHIELDIO UA3-R010を手に取ってみましょうか。
全くなんてことはない普通のUSBケーブルですね。
まず1mという凡庸な長さ。まあUSBケーブルなんてものは1m以上は伸ばさない方がいい。あらゆるケーブルの中で長さによる音質劣化は最も甚だしいものですから。
そういえば以前、長さ3cmのUSBケーブルというのを試しましたね。これはストレートに音が良かった。ただ事実上、短すぎて機材が極度に繋ぎにくく、使い物にはならなかったのですが。
そして、このUA3、パッと見て、変わったところがあるとすればAコネクターとBコネクターの上に金色のバッジのようなものが付いているところでしょうか。これはフラッグシップケーブルであることを外見上で分からせるための装飾らしく、音質的には意味はなさそう。コネクター自体はなにか特別な設計をしているようにも見えません。端子は金メッキされていますが、これも珍しくはない。PCやDACの端子への挿入感はやや硬く、しっかりとかみ合って緩みはありません。線体は細く黒い艶のないゴムのような感触のもので、やや硬くてハリがあるが取り回しに不自由はない。断面は円形ではなく、角の丸い長方形に近い形であり、外から見て2本の電線が通っているような気配です。
とにかく外見は至極に普通です。

ではメーカー発表の資料を眺めてみましょう。
まず、このケーブルの断面から想像していた導体配置は、フラット構造とメーカーが呼んでいるもので、信号ラインと電源ラインを分けたうえで、それらの位置関係がケーブルを曲げても変化しないようにしていると書いてあります。そう言われると大したことのようにも思いますが、こういう設計はアコリバの製品に代表される、高級オーディオ用USBケーブルでは常識なので、詳しく調べているオーディオファイルにとっては、ウリにはなりにくいでしょうね。
では導体はというと、信号ラインに高純度銀を単線で用いていると書いてある。銀線使用という話は時々耳にしますが、単線となると他の製品での採用例はあまり聞きませんな。導電性が金、銅よりも優れた銀は、高級なオーディオケーブルの素材としては定番ですが、USBケーブルでの使用は多くはない。単線となるとさらに少ない。しかも採用された場合、製品の売価はとても高くなりがち。だがUA3は銀線ケーブルにしては十分に安価であると思われます。
また、ケーブルのシースはパルシャットという新素材、ケーブルシールドはアルミ箔と銅の編組を合わせているとか。パルシャットですか。一般にオーディオ用ケーブルでは導体を巻く絶縁・シールド素材に工夫を凝らしますが、USBケーブルも同じです。パルシャットは旭化成が開発した新素材で、薄型・軽量ながらも広帯域で高いノイズ抑制効果があるというもの。非磁性、高絶縁で柔軟性も高いとのこと。
コネクターも、外見は大したことはないのですが、実は全方位からのノイズの飛び込みを防ぐシールド構造になっているらしい。どこが?っていうくらい普通のシンプルなコネクターなんですけどね。多くのUSBケーブルが市販されているが、そこらへんをウリにしているものは実はほとんどない。特別なコネクターを自製するのは、大きなコストがかかるものだからでしょう。


The sound 

いきなり、大きな情報量のアップです。
これには、いささか衝撃を受けました。
新品をつないで聞き始めてから30分くらいでみるみる音が良くなってくる。
気付かぬうちに曇っていた目がクリアになり、
明るい視野が大きく拡大してゆくような感覚が生まれてきます。
このあからさま覚醒感は鮮烈な印象を私に残しました。
この音をヘッドホンで聞いていて、一人で大笑いしてしまったほどです。
今までのUSBケーブルの音は一体なんだったんだ、一体。
これなら誰が聞いても違いは分かるだろう。
一人で大笑いしながら、独り言を呟いている私を見て、家族は怪訝な顔をしていました。
そういえば人は不意打ちを食った時、笑うという話を聞いたことがあります。
この音はまさに高価格に胡坐をかいているハイエンドケーブルどもを刺し殺す、
不意の奇襲のようでもありました。

SHIELDIO UA3はオーディオケーブルの下剋上か。

そんな妙なコメントを彦麻呂さんのようにshoutしたくなったほど、
ケーブルというものに対して、久しぶりに、
そして極めて安易に心奪われてしまったのです。

とはいえ一時の感情にまかせてインプレを書くのもアレですからね。
数日、鳴らしっぱなしにして音も気分も落ち着いてきたところで、改めての音質について書いてみましょう。

まず、全帯域にわたり、このクラスのケーブルでは例のないほどの音響情報で溢れ返っています。その意味でこのケーブルのサウンドは大変に豊かなものです。音像の解像度の高さのみならず、その空間に漂う空気の温度感、透明度の描写もかなりきめ細かい。また、音がほぐれているというのか、ボーカルや楽器どうしの距離感や位置関係が浮かび上がってくるような感覚もあります。このケーブルを通すと、音楽は大変に生々しく、臨場感たっぷりに聞こえるようになります。
例えばボーカルの歌い出しの瞬間、その僅か前に吸い込まれる息。その息を吸う口唇の形が一瞬見えます。他のケーブルでこれが見えるような気がしたのはGe3銀蛇Au USBだけです。
また、音楽の終わりのところの最後の一滴というか、音量を絞って絞って最後の音がどのように消えるのか、その様が実に詳しく浮彫りにされます。
こういう音楽の周辺にある微かな情報は、音楽の本質とは関わりはないのですが、それがさりげなくも確かに聞こえてくるという事実は、オーディオをやる上では大きな喜びとなりえます。こういう音楽の中に潜むディテールの描写の充実こそUA3の真骨頂ではないでしょうか。

それから、このケーブル独自の音の色づけはほぼ皆無でしょう。銀線を使っているので、いわゆる銀らしい、柔らかでありかつシャープでもある独特の音触を想像される方もおられるかもしれませんが、そういうクセのような感触はほとんどないといって良いでしょう。ライバルのひとつであるGe3の銀蛇の音にあるようなシルバーの微かなクセも感じない。とてもニュートラルで、中立性の高い音調です。各帯域のエネルギーバランスもほぼ完璧に揃っていて、大変にフラットな印象です。音楽の抑揚を演出するような傾向もなく、音楽性の強いDH Labのケーブルとはまるで異なる音調です。

またSHIELDIO UA3に変えると、ダイナミックレンジが明らかに拡張し、システムが対応できる音楽表現の幅が大きく広がります。室内楽を聞くのに向いていたシステムが、オーケストラの音の大きさ、スケール感に対応できるようになるような感じでしょうか。
さらにトランジェント、すなわち立ち上がり・立下りのスピード感はよりナチュラルなものに改善され、聞き易さも増してきます。こうなれば当然の如く様々な楽器の音色の鳴らし分けも、他のケーブルを引き離し優秀なものとなってきます。録音された時代、マイクの立て方なんかも分かりやすいと言うより、正確に把握できるようになるのです。
大きい音と小さい音の落差のコントラストは強くなり、滑らかに音の大きさが変わる時でも階調・濃淡は実に細かくなります。

SHIELDIO UA3の良さのひとつとして直接音の全てが明瞭になり、しっかり・クッキリとした音の輪郭が現れてくる点も聞きモノでしょう。音の実在感はとても高くなってきます。
一方、倍音成分の質感は正確であり、その透明に近い存在感は直接音を邪魔しない程度に抑えられています。倍音の滞空時間が他のケーブルよりも長く聞こえるのも面白い。全体に弱くなってゆく音の描写に長ける印象です。
また音場全体に見通しがよくなり、サウンドステージとして見渡せる範囲も広がったような印象です。

簡単に言えば、他のケーブルに比べて、より多くの音がより正確に聞こえるようになる製品です。市販の価格を考え、また効果に伴う副作用がほとんど無いことも勘案するとこのケーブルのパフォーマンスは賞賛に値します。そして、この色付けの少なさは嗜好する音楽ジャンルを選ばず、下流の機材の種類を選びません。

では試みに、ここで以前やったテストを含め、今まで聞いてきた中で、これは悪くないなとか、あるいはUA3並みに良いなと思ったUSBケーブルをざっと挙げて比較してみましょう。もちろん同時にテストできていないケーブルもありますから、過去に取ったメモを参照しつつ、ということになりますが。
Wire world Platinum Starlight USB
Locus design Cynosure
Audio quest USB Diamond
Acoustic revive USB1.0SPSおよびPLS
Crystal cable Crystal USB Diamond
Chord Sarum tuned aray USB
Ge3銀蛇Au USB
Esoteric 8N Reference USB
DH Labs Mirage USB
Orpheus Khole USB2.0
こんなところでしょうか。

まず、これら11本の中で際立って個性派なのはGe3銀蛇Au USBとLocus design Cynosureです。
Ge3銀蛇Au は、まずは音がほぐれる。ほぐれまくる。そして異様なほど楽器どうしの分離が良く、音場は広い。また刺激感がなく、聞き疲れ皆無のソフトでクリーミーなサウンドでもあります。そこは銀ケーブルの良さが出ているのかも。さらにダイナミックな音楽性が添えられて耳を楽しませてもくれます。また、このケーブルが伝えるトータルの情報量はかなり大きく、UA3を上回る時すらあります。そこまで言うと、いいことづくめのようにも思われますが、音がほぐれ過ぎ、各パートの分離が良すぎて、他のUSBケーブルで聞いた場合と全く違う録音のように聞こえる場合があるのが悩みです。広い意味でこれはクセとも取れる振る舞いでしょう。曲を録音したり、マスタリングしたエンジニアはこういう出音を想定していないのではないかと心配するほど、サウンド全体が他に比べて変わってしまうことさえあります。はっきり言えば、オーディオ的にやり過ぎ感のあるケーブルです。わざとこういう音作りにしないと、こうはならないでしょう。確かに、これが気に入ればこれしかないのですが・・・・・。とにかく秀逸だが唯一無二の個性的な音のするケーブルとして、手元に残しておきたいところですね。
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他方、Cynosureについては USBケーブルとは思えないほど太いのに、妙に軽いケーブルで、なにか際立った音質的特徴を予感させるアイテムです。こちらもほぐれた音で分離がよく、スピードも極めて速く、音場は広々してエアーをタップリ含んだ独特のもの。USBケーブルとして超高価だが一度聞いておく価値はありましょう。(もう入手困難ですけど)こういう音のするUSBケーブルも他にない。ただ音質の方向性がはっきりありすぎるので、飽きるのも早そうです。そしてやはり価格が高すぎるかな。UA3はこれらのケーブルほど突出した個性はありませんが、性能では肩を並べるでしょう。
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使い勝手という面で、一番使いづらいと思ったのは勿論Acoustic revive USB1.0SPS。これらのケーブルたち中でも音質ではそれなりに上位に食い込むものの、USB端子を2つ占有するのはつらい。他の機材がPCに接続できなくなるし、USB端子が片側に1つしかないパソコンに対しては、なにか工夫をしなくては結線ができなくなってしまいます。こんな難儀なケーブルを万策堂は2度と使わないでしょう。USBケーブルの音質にそれほど拘らないならPLSで十分。
もちろん音質上でもSPS よりUA3の方が一枚以上も上手ですが、使い勝手にこれだけ差があると、それ以前に比較にならない。
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他方、意外ではありますが、これだけ評価の高いケーブルメーカーのトップエンドUSBばかりを集めても、見かけと値段のわりに案外普通の音だなと思うものは多いのです。この案外と普通なグループにはAudio quest USB Diamond、Crystal cable Crystal USB Diamond、Wire world Platinum Starlight USB、Chord Sarum tuned aray USBなど10万以上の価格帯のケーブルが入ります。これらはそれぞれ出音は違いますが、音質の各項目をよく比較検討すれば、総合的に大きな差はなく、音質は安定して優秀とはいえ、抜きん出た好ましい個性がない。他社の普及クラスの製品と比べて相対的に高価なわりに、インターコネクトや電源ケーブルなどの分野で特別に高価なスーパーハイエンド製品(NordostのORDIN等)の持つ凄味のようなものもない。正直、総合的にはAcoustic revive USB1.0PLSとほぼ同等のレベルの音質であり、価格を考えるとアコリバでいいのではないかと思えます。結局、こういうケーブルは凝り過ぎてつまらない音になってしまったパターンではないでしょうか。私はこれらのケーブルの音にUA3を上回る特徴は見出せませんでした。
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一方、Esoteric 8N Reference USBとなると、そこそこ豊かな情報量、鮮やかな色彩感、低域の量感とソリッドネスが出てきて、さすがはエソのハイエンドケーブルという気分になります。これもなかなかいいケーブルですが、音の輪郭がキツくて聞いていてやや疲れるうえ、音がどうもほぐれない。さらにケーブルがちょっと硬くて、シナリが強く、やや取り回しが悪い。そこらへんは好きになれません。UA3はこのケーブルの持つ長所は全て持ったうえで、さらに解像度の高さ、情報量が多く、音は適度にほぐれて、キツさがなく、取り回しもしやすいものです。
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そして、DH Labs Mirage USBでありますが、これは一部で評価が高いだけあり、流石の音質と聞けました。フラットでほぼクセはないが、ソースに入っている情報を過不足なく聞かせる。さらに特筆すべきは音の流れの良さ、ソノリティの良さ。どのジャンルの音楽でもとても聞き易く自然であり、長時間のリスニングでも疲労が少ない。音楽的なケーブルでもあり、音楽の抑揚や躍動をかなり巧く表現します。これは非常に手の込んだ音作りのされたケーブルであり素晴らしいものです。UA3にはこのケーブルの持つ音楽性はまでは備わっていない。ただ、Mirageは森を見て木を見ないようなところがあり、音のディテールの表現に弱さを感じます。これはAIM UA3 USBの音質の特徴と比較するとはっきりする弱点です。ヘッドホンでの使用が前提の私の場合は解像度が優先するUA3の音の方がしっくりくる。しかし、スピーカーで聞くなら、むしろこちらのほうがいいかもしれないな。ゆったりと高尚な音楽に身を任せるというような聞き方までリスナーを連れて行ってくれるからです。
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最後にスイスのOrpheusから出ているKhole USB2.0ケーブルについて述べておきましょう。このケーブルは線体が細くて大変しなやかなうえ、端子はオリジナルのアルミの削り出しでなかなか美しいもの。全体の色調や質感が私のE1とマッチングがよく、外観だけで好感が持てます。いささか高価ですが、その価格に見合って音の方はさらに好感度が高い。Ge3の銀蛇とAIMのUA3を足して2で割ったような音と言えばいいのか、その二本のいいとこ取りをしたような音です。Ge3の銀蛇のように、ゆったりとほぐれて、広々と音が拡がりながらも、AIMのUA3のような精密でカチッとした音像が屹立しており、音間の静寂が深い。音全体にかなり高度な再現力が備わっていて感心させられます。だが、Kholeはこれら三本(今回のテストでのトップ3、UA3,銀蛇,Khole)の中では一番価格が高い。UA3の安さを考えると総合的にはKholeが一押しではないです。だが予算が取れれば、これが一番いい。テストした中ではこれが一番に音が良いかもしれない。ただしやや高価だということでベストバイには押しにくい。

Summary

ケーブルで音質をいい方向へと変えていこうという情熱と、そんな厚化粧にカネをかけるくらいなら、新しいアンプを買うとか、いい音のソフトを買うとか、やることが他にあるだろうという冷静のあいだで、私はずっと揺れ動いてきました。

そして、今やっている試行錯誤、つまり、なかばデジタルシステムであるE1xのセッティングの過程では、ケーブルの選択を詰める必要が出て来ます。それというのも、アナログを堪能した後では、デジタルには、なにか圧倒的に足りない部分があるように聞こえ、そこをなんらかの形で補う必要が生じるからです。ですが実際に検討を始めると、昨今のスーパーハイエンドケーブルの価格は絶望的に高いところにある場合もしばしば。しかも次々に出てきて、とどまるところを知らないようです。
これらのうち、目ぼしいものだけを買って吟味するだけでも、金銭的にだけでなく、時間的にも人生を使い果たしてしまうのではないかと私は恐れます。ケーブル肯定にも限界があるでしょう。
だから、私はケーブルに関してはそこそこに凝る。
自分で設けた節度の中でケーブルの限界を探るわけです。

とはいえ、金銭的、時間的に制限された私のUSBケーブル探索も無駄ではなかった。
なにせUA3は今まで聞いた全てのケーブルの中でベストな対費用効果がありましたから。
価格を含めて考えた時、これほど総合的に優れたケーブルを私はほぼ聴いたことがありません。

ところで、私の知る限り、ケーブル否定派には、十分にいろいろなケーブルを試したことがないから、そういう否定を決め込んで安心している方が多い。そして、その背景には、誰にでも分かるほど音が良い方向に変わるケーブルというものの多くが、普通のオーディオファイルにしてみれば目を背けたくなるほど高価であるということがある。オーディオにコストがかかり過ぎて破産してしまうという恐怖を催すほどハイプライスだが、信じがたいほど音に効くケーブルが確かにあります。

一方、あまり言いたくないことですが、近頃、いくら高く開発費や原価を見積もっても、ありえないプライスタグのついたケーブルも目につく。それらのいくつかは音質としても価格に見合うとは思えないものだと聞きますし、実際につまらない音しかしない欠陥ケーブルが皆無でないことを私自身、細々と確認しています。それでもなお、まるでオーディオファイルの競争心を煽るようにゼロの数を増やしていくメーカーが後を絶たない。この種のケーブルは本数が出ないので、なおさら高くなってゆく悪循環なのでしょうが、こんなケーブル狂騒曲のような状況を見るにつけても、ケーブル否定派が増えるのは仕方ないと思う次第です。

やはり、これらスーパーハイエンドケーブルに匹敵する、あるいはそれ以上に充実した音質ながら、安価なケーブル、すなわち下剋上のケーブルを増やすべきでしょう。
そうでないとケーブルによって音が良くなるという事実から目を背ける人が増えてしまう。
こういう少数の富豪だけを相手にするハイエンドオーディオは、価格の高騰をもたらす悪循環により市場を緩やかに縮小させ、いつのまにかオーディオの未来を奪い去ってしまうかもしれない。

オーディオケーブルについて深く知れば知るほど、ケーブルで音質をいい方向へと変えていこうという情熱と、そんな化粧にそんな大金をかけるくらいなら、新しいスピーカーを買うとか、音の勉強のためにライブに通うとか、やることが他にいくらでもあるだろうという冷静、そのどちらの立場も深く理解できるようになります。でもたとえ、その両方をやる財力があったとしても、身はひとつですから、結局それらを完全に両立させるだけの十分な時間を割くことは難しい。その逆のシュチュエーション、時間はあるがカネはないというのもありでしょうけど。

その状況を分かったうえで言えることは、オーディオファイルは冷静になるのでも情熱的になるのでもなく、ここは賢くならなければいけないということです。オーディオの賢者なら、どちらかを巧みに省略できるはず。そういう賢い手段のひとつが、巧みなケーブル選びだったりするのではないでしょうか。オーディオはなにも財力と情熱だけで成り立つのではない。星の数ほどあるオーディオ機材の中に隠れている下剋上を、最小の手間で選び出すという賢い選択こそ、今という時代を生き抜くオーディオファイルが進むべき道だろうと私は思うのです。

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# by pansakuu | 2015-06-19 23:41 | オーディオ機器

Pioneer SE-Master1の私的レビュー:未完の大器

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「ディズニーランドは永遠に完成しない」
ウォルト ディズニー


Introduction

もう随分昔の話だが、一枚の絵を眺めるためだけに
ロンドンまで出かけたことがある。
きっかけは本郷のカフェでレオナルド・ダ・ヴィンチの画集のページを繰っていて、ふと目に留まった一枚の絵である。
それは有名な「岩窟の聖母」ではなく、「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」という絵で、見事な4人の人物像が紙に黒いチョークで描かれているだけの色彩のない下絵であった。私が面白いと思ったのはそれが明らかに下書きだったということだ。それはまだ完成されていないにも関わらず、ひとつの絵としてほぼ完璧な風格を保っていることに、とても興味を惹かれた。
そして無性に現物を見たくなった。
私は、その足で成田へ行き、飛行機のキャンセル待ちの列に入り、その列の中から電話でホテルの予約を依頼していた。あの頃はとても無謀だった。そして今よりはカネも時間も自由に使える独身だったので事の前後を顧みる必要もなかった。バブルの残滓というやつだろうか。パスポートは持ち歩いている鞄の中にいつも入っていた。
それから約30時間後、私はロンドンのナショナルギャラリーでレオナルドの未完の大作と対面していた。
今も時々無茶はやるけれど、もうあんな無茶まではできそうにない。
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あの日から20年以上の年月が過ぎた或る夜、私は発売直後に買い込んだPioneer SE-Master1を耳にあてていた。我が耳元で朗々と唄うチャールズロイドのサックスに身をまかせながら、私はあの日見た画面、イタリアの天才の描いた柔らかい線、流麗で精気にあふれたマリアの微笑の輪郭とタッチを思い浮かべていた。それはそのサウンドにイタリアルネサンスの芸術的な素養を感じ取ったからではない。まだ完成していないモノにも人を魅了する大きな力があるという、ほとんど忘れられた教訓が頭をよぎったからだ。そして、その教訓を手に入れたあの日の出来事、一枚の絵に至るまでの、ささやかな冒険の一部始終が脳裏に鮮明に甦ったからだ。
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やっと手に入れたRe Leaf E1x(E1の特殊仕様機)と最初に組み合わせるモノとして、私はMaster1をとりあえず選んだ。そして、そのサウンドの奥底に、期待した感動とは全く別の、忘れかけていた思い出を勝手に堀り起こし、一人で苦笑いした。


Exterior and feeling

Pioneer SE-Master1は典型的なオープンエアタイプ・ダイナミック型のヘッドホンである。
メッシュに覆われたハウジングの背面側の開口部はとても広いのが特徴的である。全体に大柄なヘッドホンであり、重さも460gと重い。ライバルとなるヘッドホンの代表、HD800の重さが370gであるが、90gの差は大きい。ただ装着感は悪くなく、長時間でなければ、殊更に首肩が疲れるようなこともない。公称インピーダンスは45Ωと低く、能率も94dBとやや低めである。比較となるHD800のインピーダンスは300Ωと高いが、能率も102dBと高い。このことを考えると、HD800よりもMaster1が必ずしも鳴らしやすいとは言えない。

その造りは一見だけでは、少々安っぽいと誤解されやすい。アルミやジェラルミンの板をパンチで抜いて整形して作ったチープな造りのようにも見える。しかし実際に手に取ってよく眺めれば、周到に計算されたカタチと材質、細心の仕上げと分かるし、斬新な機構も盛り込まれている。それに外観全体にメカニカルビューティが横溢している。他のヘッドホンと比べるとメタリックな質感が際立ってギラギラと目立つ。また当然ながら100点ほどもあるという部品の細部にバリや、取り付け不良などは一切認められない。Made in Japanらしいクオリティ・アキュラシーである。
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Master1を手に取って、先ず目が行くのは、頭上を通過する2本のヘッドバンドによるアーチである。一つは細長い板状に加工された超ジェラルミンが作るアーチで、これはエクセリーヌに制振材を張り込んだヘッドクッションを両端で固定している。このヘッドクッションの高さはボタンを押せば左右別にスライド式で調節できる仕組みだ。もう一つのアーチはテンションロッドで、これは側圧を好みに調節できる珍しい機構だ。つまりMaster1にはハリの異なる二種類のメッキされた針金・ロッドが付属しており、これをセットすることによって側圧を二段階に変えられるのだ。
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このロッドを両端で固定する銀色のボタンの付いた部品があるが、これは金属製(おそらくダイキャスト)であり、十分な強度を持たされている。他のメーカーだとこういう複雑な部分はプラスチック製であることが多いが、Master1は本気度が高いというか、よく作ったものだと思う。ただ全体にHD800に比べて金属製のパーツの比率が高く、またその点数も多いので重量増に結びつく。さらに言えば、これらを全て日本で調達し、日本で組み立てることでコスト高にも繋がる。
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イヤーパッドは分厚く、フカフカと柔らかい、感触の良いものである。その外側は人工皮革を立体縫製している。二種類の素材を使い分けてパッドを作っているHE1000ほど凝ってはいないが、やはり丁寧な造りである。
これらのパーツの組み合わせが創り出す装着感、その微調節の仕組みの出来は良い。実際Master1に触っているとヘッドホン全体に板バネのような張りが感じられ、装着してもその張りのお蔭でスッポリと頭にはまる。そして、この全体の張りの調節をテンションロッドの交換で行えるということは斬新。ちなみに私は側圧の高い方が好みだった。この方が音に緩みがなく、凛とした気迫が宿るように聞こえたからだ。
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ハウジングの開口部を覆うパンチングメタル・メッシュの奥には銀色の精悍なドライバーが見える。この新型ドライバーの口径は50mmと高級ヘッドホンとしては標準的であり、私が最近愛用しているSONYのMDR-Z7の70mmよりもずっと小さいし、ライバルと見られるHD800の56mmのリングドライバーよりも小さなものだ。3.5mm厚のアルミ合金に囲まれたハウジングの大きさ・ボリュウムを考えると、これはやや控え目な口径だろう。小さな振動板が大きな解放型の金属製のハウジングのエアボリュウムの中で動いているという格好である。

この新型ドライバーのメインの部品である振動板の特徴として、内部損失が大きい、つまり響きにくいということがある。例えば金属の板を指で叩くとカーンと響くのだが、この響きが出音に載ってしまうのは困る。ここでは特殊なセラミックコーティーングを施して、そういう材質固有の響きで音が濁らないようにしている。振動板は軽量で剛性が高く、適度な内部損失があるものを理想とするが、これらがバランス良く鼎立する振動板は得にくい。また常に外気に触れるものでもあり、温度湿度による変化や経年劣化にも強くなくてはならない。そういう厳しい要求に応える振動板を新たに開発することは大変な労力だが、Pioneerはそれを成し遂げた。

さらにバンドアーム~ハウジング接合部、バッフル面~ハウジング接合部にゴムのブッシュをかませて干渉を減らし、全体としてフローティング構造にしている点もユニークである。こうでもしないと金属製のパーツが多いので、盛大に鳴いてしまうだろう。だが、実際に聞いてみて、この施策が鳴きを十分制御できているかどうかはやや疑問であった。

そして合金製の大きな銀色のハウジングの下には着脱式のヘッドホンケーブルのためのMMCXの端子が見える。このインターフェイスは強度の面ではあまり歓迎されていないが、ウルトラゾーネのヘッドホンでも採用実績があり、あながち捨てたものではないのか。だが、もしMDR-Z7のようにロック機構がついていたなら、こんな文句は言われずに済んだはずだ。実際使ってみると案の定、ポロッととれてしまうことがあった。このコネクタは止めといた方が良かったと思う。また、MMCX~XLR3Pin両出しのリケーブルがあまり市場に多くないのは寂しい。私の場合、バランス接続のE1xと組むわけだし、Pioneer純正としてもU-05のバランス端子と接続(つな)ぐのだから、もっと選択枝があっていい。

そういうわけで、オプションのMMCXのXLR 3Pin両出しのリケーブルをPioneerが売り出している。今回は素直にこれを買って使っている。XLRの末端は普通のノイトリック端子で、MMCX側はシルバーのアルミのガワのついたちょっとオシャレな端子だ。ケーブルは途中で一本にまとめられ、しなやか、かつ十分に軽いもので、タッチノイズもなく、値段に恥じないケーブルと思う。


The sound 

ヘッドホンらしからぬ音である。
これは大きなスピーカーを眼の前で聞いている感じに近い。大きなエアボリュウムの中で朗々と音楽が鳴っている。大きなハウジング、大きな開口部が、優れたドライバーから出て来る音を行く抑制することなく、広い空間に開放することから生まれる、音の伸びやかさ。エアーをタップリと吸い込んだ音に含まれる、爽やかな香りのような音の雰囲気。これらをリスナーに深く堪能させるに足る、この鳴りっぷりの良さ。これら全てを手に入れるためには、現行の他のヘッドホンではなく、このMaster1を選ぶしかない。

目を閉じて聞いていると、サウンド全体にみずみずしい精気がみなぎっており、非常に活力を感じる。このサウンドを「元気な音」という表現をしている方がいて、我が意を得たりと思ったのだ。そもそも「元気」という言葉は天地の間にひろがり、万物生成の根本となる精気を指す、古き単語である。我々はオーディオの出音の表現に、わりと安易に元気という言葉を使いがちだが、その言葉をひとたび使えば、生命の根本に近づいた音というニュアンスで、そのサウンドを評価することになる。

さらに、これこそがPioneerのハイエンドオーディオブランドであるTADの音だと言われれば、納得できなくはない。TAD D600、C600、CE-1、M1等、私の注目してきたTADの製品に、この活力は共通するものだ。
とはいえ、今回は強力なドライビングパワーを持つE1xと組み合わせて聞いるので、こういう気力に溢れた躍動感のある鳴りが得られたという見方もできる。それは否定しない。でもこういう高価なヘッドホンを買うなら、アンプも奢ってほしいものである。機材のグレードについてのバランス感覚はしばしば重要である。

ところで、このMaster1は再生帯域全体にわたって、概ねフラットかつ正確なレスポンスが得られるヘッドホンだが、低域にWeak pointがあると思う。Master1の低域には他のヘッドホンではあまり聞かれないほど柔らかく、豊かな量感がある。だが、この部分は強力なヘッドホンアンプでなければ十分に制動しきれないので、ただのボワボワした甘い低域、音程がはっきりしない低域になってしまう可能性が高い。ここは難しいところで、実際、U-05のドライビングパワーでは制動が間に合わないようだった。少なくともLUXMANのP-700u以上の高い実力を持つヘッドホンアンプをあてがってやらないと、真価は聞けないのではないか。そのかわり、アンプを奢れば、今までのヘッドホンでは聞けなかったMassiveでよく伸びた低域が楽しめるだろう。例えば定番のAquaplusのPure、その5曲目、「永久に」の冒頭の太鼓の低域の重さは、このヘッドホンならではのものである。軽々としたエアーを十分に含んでいながら、腹にズンと来るような錯覚を呼び起こすヘヴィな低域。確かにこれはMaster1のハイライトなのだが、場合によっては扱いにくい難物と聞こえてしまうかもしれない。

見上げるように舞い上がる高域、スッキリとして見通しが良いうえ、どこか艶やかさも感じる中域、御し難いがハマると他では得難い量感のある低域。こうして全ての帯域を俯瞰してみると価格に見合う豪華な音ではある。ことに高域の輝きは強く、台風一過の満点の星空のようにきらめいて聞こえる。ただMaster1で聞かれる音像の聴感上の解像度や音の立ち上がり・立下りのスムーズさ、スピード感などはハイエンドヘッドホンとして至極普通なレベルで、そこに注目すると開放型の業界標準たるHD800と大きな差がない。25万円オーバーという価格を見て、そういう部分でも突き抜けた音を期待するが、なかなか難しい。

しかし、各楽器の分離の良さは賞賛されるべきだろう。E1xで聞いても、U-05で聞いても多くの楽器が弾かれ、多くの人が同時に歌う場面で、それらの前後関係、音色の違いがよく聞こえる。どういう場面でも音が混濁する印象が少ないクリアなヘッドホンサウンドである。これは内部損失の高い振動板を備えたドライバーらしい、高度な音の描写力によるのだろう。
一方で、こういう音の分離が進み過ぎない、分析的になり過ぎないところもまた気に入った。そういえば、あるオーケストラの指揮者が、自分は本来バラバラな音をかき混ぜて渾然一体にしようとして努力しているのに、オーディオはそれをまた分離しようとしていると不満を漏らしていた。この渾然一体という表現は、おそらくハーモニーを指すのだろうが、その生成をこのヘッドホンが妨げることはない。音楽全体が高揚し、全ての楽器が協奏する場面では、各パートが調和することで起こる化学反応、1+1の答えが2を超えるような現象が聞こえてくる。この感覚は大型スピーカーを思い切り駆動して、部屋全体を音の洪水で満たすような聞き方では得られやすいのだが、ヘッドホンは元来、音の分析に傾きやすい道具だから、こういう場所になかなか連れて行ってはくれない。だがMaster1は例外だ。このサウンドの持つ芳醇なハーモニーは音の分離を極める優秀さとは相反するのだが、それらを上手くまとめあげている。

ここでは倍音成分の質感はとても軽く、淡い感じで、やや色彩感のある直接音と比べると、ずっと透明で実在感は薄い。これは平面型のヘッドホンに聞かれやすい特徴だが、このようなヘッドホンはコントラストや輪郭のはっきりした電子音で構成されたアニソンを聞き易くしてくれる場合が多いような気もする。
しかし、アコーステック楽器の演奏を正確に再現するのに必要な、強音と弱音の間に生まれるグラデーションについては、きめ細かさがやや足りない気がする。これはドライバーの動きがまだこなれていないせいか、あるいは金属の振動板が使われているせいなのか分からないのだが、この価格であれば、そろそろ丁寧な描写が出てきていいはず。また、この部分は音の明瞭さを強く求めるウルトラゾーネのヘッドホンで感じる音の僅かな粗さ・荒さにも近い。それはバイオセルロースなどの非金属素材で作られた振動板から出る音との差として、私が時に感じる違和感である。

サウンドステージの広さもU-05との組み合わせでは若干狭く、不満が残る。しかしRe leaf E1xとの組み合わせでは左右の広がりはもとより、とても深い奥行きのある音場が得られたので安心した。特に音場の奥行の深度に関して、E1xとMaster1の組み合わせはHD800のそれに勝る。だが普通のアンプではこのヘッドホンサウンドの空間性はやや平凡なレベルに留まるだろう。そこでのサウンドステージの有り方はヘッドホン本体の価格に見合うものではない。ここは低域の質感と同じくアンプ頼みの項目だろう。

こうして見て行くと、やはり25万円オーバーという高めの価格設定は、日本国内で高品質な部品を調達し、ただ一人の専任技術者が組立てるという、いわゆるJapanクオリティの維持(というか意地?)のために支払われているものであり、音質に直接現れていない部分が大きいのかなと思う。そこから生まれるであろう、オーディオ機器としての信頼性はこれから何年か使い続けていくうちにジワジワと出てくるはずで、今のうちはまだ評価のしようもない。
逆に言えば、このサウンド自体は他の多くのヘッドホンと同じく、一分の隙もなく完成されたものとは言いにくい。Master1は現時点でもハイエンドヘッドホンとして十二分に通用するレベルを達成しているが、もっと音を煮詰めることはできなかったのだろうかと思われる節もある。

例えば、意味のない試行だろうが、このヘッドホンのハウジングの開口部を掌で押さえながら聞いてみると、低域の音程が一層明瞭となり、フォーカスが合ってくる印象がある。こうしてみると(素人考えだろうが)どうしてもこのヘッドホンの構造や素材には音を濁らせる要素が、まだ残っているように思えてならない。そりゃまあ、このヘッドホンでの金属パーツの多用は機械的強度などの点から考えれば悪くない。また、制振材や異種素材が既に多く組み合わされているのも聞いている。だが、実際に購入した製品を聞く限り、それがまだ十分に効果を発揮していないような気配がある。もっと異なる比重や分子構造を持つ素材の組み合わせを試し、金属固有の鳴きをコントロールすべきであったろうか。それとも、もっと全体の剛性を高めるべきだったか。異種素材の組み合わせやリジッドな構造は音に落ち着きを与えるが、このヘッドホンにはその落ち着きが足りない。
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Master1と比較する相手として、まずHD800がある。このヘッドホンレジェンドとも言えるモデルとMaster1との比較は日本人である私にゃ苦しい。価格差や HD800が既にかちえた信頼性、音の物差しとしての安定性を総合的に考えると、ドイツのヘッドホンHD800が日本のMaster1に勝ると思われるからだ。ただし、Master1の持つ低域の伸びや量感などはHD800にはなく、私のようにHD800を4回買い直し、そのサウンドと装着感にいいかげん飽きてしまった人間にはMaster1の登場は有り難い事件であった。
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次に、環境は違うが、同じオープンタイプとしてHi-Fi man HE1000との比較もできる。STAXのヘッドホンのような風合いを持つHE1000のサウンドは、Master1よりもさらに全帯域がフラット、低域も暴れなくよく伸びている。音の解像度としても非常に細かく、超高精細な画像を暗室で眺めるような素晴らしいディテールで魅せる。出音に関して総合的な見方をすればHE1000はMaster1に対して明らかに優位に立つ。ただし、極薄の振動板を使う平面型の宿命か、躍動感溢れる音楽がどうしても大人しく聞こえたり、場合によって厚く密度感のある音が薄く透明な音に聞こえたりして、その音楽が意図する表現に届かない場合があるのが惜しい。そういう濃厚で情念的な表現への対応力においても、Master1は開放型ヘッドホン群の中では最右翼の一つであり、HE1000にはできない芸当をやってのけるギアであることを私は忘れない。
なお、情報によるとHE1000は通常の市販のヘッドホンアンプでは明らかに音量不足になることがあるという。やはり専用アンプが望ましいか。とすれば私がこれを実際に買って試すことはなさそうだ。あのヘッドホンアンプは置くに堪えないデザインと大きさだから。


Summary

Master1は現代において第一級のヘッドホンサウンドを提供できるハイエンドギアである。そしてその出音には、普通はプロトタイプあるいは新進メーカーのファーストモデルでしか得られない音の勢いが感じられる。それは他では得難いものであり、外観の押し出しの良さ・カッコよさまで含めて考えると、それを手に入れるために25万円オーバーを支払うことに私個人は抵抗感がなかった。これはこれで良いものだ。だが、まだ先があるような気がするのも事実なのだ。

そういえば、かのナショナルギャラリーで見たダ・ヴィンチの絵も完成してはいなかった。照明を落とした部屋の中に一枚置かれたその絵の前には木製の椅子があり、そこに座ったまま小一時間、私は一人の天才の未完成をとくと眺め、没頭した。
この素晴らしい下絵が完成した様を見たくないと言えばそれは嘘になる。しかし、そうなれば同時に見た「岩窟の聖母」のような硬いタッチになってしまい、この下絵に残された天才的な線の柔らかさ、あるいはかすかな奔放さが失われるのが惜しい気もした。

あの日から20数年、すっかり所帯じみてしまった私は、夜明けの青い暗がりの中でキーボードを押さえる手を止め、過去の風景と現在の音景を重ね合わせる。
あの下絵の持つ柔らかく、豊かな量感はMaster1の御し難い未完の低域に連なるイメージ。そして、そのサウンド全体にみなぎる活力は、よく制御されつつも確かな勢いのあるダ・ヴィンチのデッサンの線へと通じてゆく。
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やはり、これはこれでよいのだ。
たった一枚の絵を眺めるためにだけにロンドンへ出かけた頃、
私の中にあった強い衝動がMaster1の中で今、密かに息づいているのが分かる。

あの絵を見たのはもう随分昔のことだが、
まるでつい昨日のことのような・・・・

# by pansakuu | 2015-05-23 00:59 | オーディオ機器

Sforzato DSP-01 ネットワークプレーヤーの私的インプレッション:最終兵器

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「僕達はいつも限界で闘っている。マシンも人間もだ。」
アイルトン セナ


Introduction


日本製のデジタルプレーヤーの最終兵器、Sforzato DSP-01は2015年春、正式にオンステージする。
この機材についてはプロトタイプから試聴してきて、いろいろと考えるところがあった。どうにも納得いかない点もあれば、深く感心した点もある。私の複雑な思いが、今もこのプレーヤーには絡まっている。

そういうワケのわからない複雑さを横に置けば、ここに日本発のデジタルオーディオプレーヤーとして世界に誇るべき音質が完成したことは間違いない。デジタルサウンドを極めようとするオーディオファイルなら、どんなに苦しいローンを組んでも、これを買う価値はあると思うし、少なくとも日本のオーディオファイル全てがこれを聞くべきだろう。こんなことを言うのは海外製の最高峰デジタル機材と互角以上に渡り合える、ほとんど唯一の日本製のデジタルファイル再生システムと私は確信しているからだ。私の中ではLUMINやLINN、Weiss、Request audio等の機材の音でさえ、DSP-01には音質上では敵わない部分が多い。つまり、これはネットワークプレイヤーのトップ・オブ・トップの音質である。

だが、客観的に見て、音が良ければそれでよいのだろうか?
そもそもデジタルオーディオの将来のカタチとはどうあってほしいものなのか?
これほどの音質を実現した機材には、そういう半ば哲学的な命題まで課されることも忘れてはなるまい。
(写真等は各社HP、twitterから借用させていただきました)

Exterior and feeling
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案外とその大きさは小さくコンパクトな印象だが、そのデザインのディテールとなると、やや素っ気ないものである。(上の写真はプロトタイプ)最近、下に載せたMSBの最高級DACの写真を見て、随分面白い形だなあと思ったが、DSP-01を眺めてもそういう感興が全然湧いて来ない。これは禁欲的な形である。その音に似て、真面目な日本人が作った機械という印象だ。
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正面に四角いディスプレイのついたDAC回路が収められたアルミ削り出しの2ピースの筐体と、これまた削り出しのケースに収められた大きな電源部で構成される。バックパネルと底面以外はネジの頭は見えない。そして、この二つの筐体の間を左右別のパワーケーブルが結んでいる。この2本はエソテリックやTADに見られるものに作りが類似している。
化粧らしいものとしては回路の入っている削り出し筐体の天板と電源部のパネルにsfzのロゴが大きく彫刻されているぐらいだ。回路部天板のロゴについては透かし彫りになっていて、金属のネットを介して中を覗き見ることもできる。回路部はドライブ中、ほんのり熱くなるので、放熱のためロゴの透かし彫りを含め、天板には穴がいくつか開けられている。天吊りで回路基板を取り付けていて、こういう穴があるのは珍しい。
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回路部のフロントには曲目などを表示する四角いディプレイと左右の位相反転ボタン、ディスプレイ消灯ボタン(消すと静けさがやや増す)が見える。一方、回路部のリアパネルにはRCAとXLR(標準は2ホット)の出力やLAN端子、クロック入力のBNC端子が見える。メーカー側では回路構成や音質上の理由でXLR出力を推奨している。

回路部の筐体の裏を眺めると、電源部と同じく三つ足であることが分かる。TAOC製のフットを使っているとのこと。内部配線がアコリバ製ということも含め、パーツの純国産度が高いのも特徴かもしれない。また、LINNのDSと同じくらい底板が厚く、また立体的に切削されているのに感心する。それから面白いことに底面にも放熱穴が開けられている。

電源部は、かなり強力な陣容を誇る。まずアルミ削り出しの筐体は電源部の作りとしては立派。内部には250VAのメインの電源トランス左右二個をはじめとする数個のトランスが収められており、DSP-03の約10倍の規模の電源部のようだ。その重さは23kgに達する。回路部にも13㎏の重量があることを考えると、このプレーヤーがいかに物量投入型の思想で作られているかが伺い知れよう。こうなると、パワーアンプほどではないにしても、消費電力は大きいはずで、ネットワーククプレイヤーとして世界最大であろうと推測する。なお、よく見ていないのだがDSP-03と同様、このDSP-01でも電源スイッチがオミットされているようであった。つまりコンセントを差し込むだけで電源が入るらしいのである。これは消費電力を考えないなら、音質のため、普段は電源を投入したままの状態で置いておくことを推奨する態度ではないか。

さて、このDSP-01の構成の最大の特徴は内蔵クロックを持たないことである。クロックは必ず外から入力しなくてはならない。では外部クロックに何を選ぶか?クロックは添付のものを使用するのが、私的にはお奨めである。なぜかというと、まずこれで十二分に高音質だからだ。また最強のクロックであるPMC-01BVAやAbendrot Stute等を考えるとき、クロックに300万オーバーは高すぎると思うからだ。第一、そこまでやれば、大きなオーディオのロマンはえられるが、全然エレガントなオーディオじゃなくなってしまうと思うし。
ただ確かに別売り別筐体の高価な純正外部クロックPMC-01BVA(下の写真)を接続するのが本来の使い方だろうという考えはあるのは認める。実際に体験すると、その豪華なペアの出音には恐ろしいほど広大な空間情報がたっぷりと含まれ、まさに現実と仮想空間の境目をとっぱらったような規格外の音質が得られる。だが、このサウンドには望みもしないのに無重力の四次元空間に突然ほうりだされ、宇宙酔いになってしまったような、唐突なやり過ぎ感があって、私は愛せなかった。
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付属のクロックはアルミの押し出し材の少し安っぽい小さな筐体に収められたもので、これまたチープなアダプターの電源で駆動される。ただし、中身は例えばTADのD600に積まれているものと比べても、それほど遜色ないほどのクロックが積まれているという。音を聞いても、それは本当だろうと納得できる出来であった。

こうして最終的にDSP-01の稼動のために、全部で3筐体、コンセントは二つ必要になる。
実際、これは私のやや苦手なパターンである。良い音を得るため、筐体が増え、コンセントが増え、重さが増すというやつ。これは時代の有り方とは逆行する方向性である。音が良くなるにしたがって小さくまとまってゆく、少なくとも大きさや筐体数は変わらないのが理想だ。技術革新とは、なにかと引き換えになにかを失うものであってはならない。そもそもデジタルオーディオ自体が手間や大きさを小さくできる技術として、発想され開発されてきた経緯があるはずなので、こういうコンセプトのデジタル機材を見ていると、どこか滑稽にすら思えてくる。

断っておくが、この筐体の内部に収められた回路やデバイスの技術的な特徴やソフトウェアの内容については、ここでいちいち述べない。技術内容はsfzさんのHPを見て頂ければかいつまんで記してあるので、それを繰り返すことにしかならないからだ。私にとっては最終的にはPCM 384kHz/32bit、DSD 11.2MHzに対応し、MP3などの不可逆圧縮音源・インターネットラジオ・Air play等のストリーミングには対応しないこと、そして、いまのところは6月のアップデートでMedia link playerの他、Bubble DS、Kinsky(これはデジタルボリュウム機能を含むのでパワーアンプ直結も可能)、そして、恐らくLUMINのアプリなどのコントロールソフトウェアで操作できるようになることぐらいが実際に使ううえで重要なことである。。

私に言わせれば、このプレイヤーの中身に真新しいことは3つしかない。ピュアなネットワークオーディオプレイヤーとして、世界最大と思われるパワーと重さ、そして唯一クロックを内蔵しないモノということだ。その他の側面については全く聞いたことのないような話はどこにもない。むしろ、このプレーヤーには奇を衒(てら)ったところが、外から見ても中身を見てもクロックの扱い以外はないというのが特徴だろうと思う。よく言えば、とても質実剛健な代物なのである。そのかわり、今まで様々なデジタル機材で試されて有効だった手法はほぼ余すところなく盛り込まれている。逆に言えば、これ以上のことをしようとすれば、全く別な発想でプレイヤーを作らなければならないはずだ。つまり、このDSP-01は従来のハイエンドオーディオの手法で作られるデジタルオーディオの限界を聞かせる機材なのかもしれない。


The sound 
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そうは言っても、DSP-01の音質は圧倒的に素晴らしい。
私の見つけたこの機材の特徴のひとつに、その音の素晴らしさはとても分かりやすいものであるということがある。オーディオを趣味としない人々すら感化されるであろう。これじゃ台所からチラ聞きしている奥様に、なにか変えたでしょう言われかねない。そこらへんは不利な面かもしれない。
(上の写真もプロトタイプ)

では、どこが分かりやすく素晴らしいのか。それはまず、今までPC関連の送り出し機材の出音として聞いたことのないシッカリとした出音、そして音全体の伸びがある。これは電源部の充実によるものだろう。音源がそういう積極的な音調である場合、音量を少し上げるだけで手前にスピーカーが張り出してきたかのように音像が前に出て来る。録音によっては、有り得ないと思わせるほどリアルな質感を保ったまま、音像が眼前というか、顔の前に迫ってくることがあった。デジタルファイル再生にありがちな常に一歩引いた音にはならない。こういう音の出方は優秀な録音のCDリッピング音源とかDSD・一部のハイレゾ音源においては顕著であった。さらに音としてかなりガッチリして、ストレートなものであり、弱さを微塵も感じさせない音であることも印象深い。ここにはデジタルファイルオーディオ特有のひらひらした音の薄さがない。また音楽の躍動感の表出も甚だしい。PCに関連するオーディオはどうしても静かな音になりがちだが、その傾向が完全に払拭され、ソースの音調にあわせて変幻自在にプレゼンテーションの仕方を変えてゆくようだ。これらは合わせていたアンプの影響だけでは説明できない。DSP-01の超弩級電源部が下流にあるシステム全体を潤し、自在に操るから、こういう音になる。DSP-01にはシステムの主(あるじ)となる資格がある。

アピールはそれだけではない。ダイナミックレンジが広い。弱音と強音の落差があまり聞いたことがないほど大きい。その間を楽音が一気に滑り下りたり、駆け上がったりする様はまことに壮観で感動的である。
そして、その場面での音の強弱の階調性に関して言えば、これも今まで聞いた中でトップクラスの細かさである。いつも気にしている、大きい音と小さい音の差が、単なる違いではなく階調・濃淡をもってきめ細かく分かるかどうかという評価項目について、さすがと思わせる、価格帯に見合った繊細な音のグラデーションが聞き取れた。強音と弱音が本当にシームレスにつながり、溶け合う。他方、音楽が要求するなら、その激しい断絶を表現するのになんの苦もない。

音の解像度は録音さえ良ければ、言い方が変だが、ほぼ生音そのものである。現物がここで演奏している、あるいは現物がここで演奏しているものをマイクで拾って出しているかのような音になっており、写真の概念を借用した音の解像度という概念自体に意味がないような感じである。また鮮度がデジタルプレイヤーとしてはあまり記憶にないほど高いように感じられる。KLIMAX DS/2も生々しいと言ったが、あれよりもさらに進んで生々しい。高級なクロックを使えば使うほど、ここらへんは顕著になる。ここでは無音の空気を切り取ってきてそれを注視するような聞き方ができるほど、音の細部に入っていけるようなイメージがある。音場の雰囲気にも風合いがあり、温度があるという、現実世界では当たり前のことを、オーディオで再生することは難しいが、DSP-01はその解像度の高さゆえ簡単にそれを成し遂げる。
その出音の温度感について言えば、どのソフトをかけても、そのソフトの要求する温度感を正確に出してくるということになる。例えばビル エバンスの演奏とマーカスミラーの演奏ではプレイの温度感がまるで異なるわけだが、そこらへんをキチッと出してくる。音楽の持つ様々なニュアンスの表出の仕方が正確かつ柔軟である。また解像度の項目ともダブるかもしれないが、楽器ごとの音色あるいは音触の鳴らし分けは得意中の得意とするところだろう。ギターの弦の材質の違い、アンプの違い、楽器の新しさや古さの違い等々を縦横に描き分ける。

無論、S/Nについてもかなり高い。どのデジタルファイルを聞いても、その意味で問題がないと思わせるだけの配慮がなされた機材である。残留雑音らしき音の存在を試聴中に意識できないのである。少なくとも送り出しそのものに起因するとみられるノイズ感のようなものが2回の試聴中、一度も検知できなかった。解像度と同じくだが高級なクロックを使えば使うほど、ここらへんは顕著になるようだ。

また、このプレイヤーの奏でる音の立ち上がりのスピードは適正なものである。速くも遅くもなく、あるべきように音が立ちあがり、あるべきように消えてゆく。ここでも、その有り様は本当に生音そのもののように錯覚される。自然な音、ナチュラルな音を求める立場からは言う事がない。
直接音と倍音成分の表現のバランスは巧く取れていてこれも好ましい。
どちらが勝るかはまさに録音とその後の加工の状況によるのみである。

さらに各パートの分離あるいは変調modulationの少なさについても特筆すべき優秀さがあった。オーケストラの演奏を大音量再生しても、各パートが混濁しないままに、整然と音楽が進んでいくことに感心する。これは他のネットワークプレイヤーにはなかなか望めないことの一つだ。合唱曲では本当に一人一人がどこを向いて歌唱しているのか、見えるような錯覚に陥った。そこまで細かく音が分離しているように聞こえるのだ。またイーグルスのライブ盤をかけたときに、演奏と観客の歓声の分離があまりにも絶妙で驚いた記憶がある。イーグルスが観客からどれくらい離れ、どれくらい高い位置にいて、これを録ったマイクが俯瞰して、それらとどういう位置関係にあるのかが分かるような音がした。これは分離だけではなく、定位などの要素も絡む話だが、録音さえ良ければ、かなり位置関係だけで楽しめる。さらに、これほどの音の分離の良さがあっても、それがハーモニーの形成を決して邪魔しないことにも驚く。音の分離と重なりと溶け合いが三つ一体となって、リスナーの前に差し出される。

定位の良さや、位相あるいは音の出るタイミングの正確さについても、当然のように文句は出ない。録音さえ良ければ定位のふらつきは聞こえてこないし、感覚的にそれが見えるような気配もない。揺らがない音であり、落着き払っている。
電源や回路が左右独立していることからだろう、チャンネルセパレーションも良好。録音によってはサウンドステージの左右の端が切れないで見渡しても見渡しきれないような感じになる。場合によってはどこを聞いたらいいのか分からないほど上下左右いっぱいに音が広がる。

こういう死角の少ない音を出すDSP-01だが、敢えて言えば試聴中、気になったのはこのレベルの音にしては横ノリ、メロディの流れの滑らかさが若干の足りないことだろうか。個人的な印象に過ぎないが、音の粒立ちが良すぎて、それが横に流れて行かないようなイメージがあった。そういう意味では、これは私個人が和める音とは違うかもしれない。やはり真剣勝負系なのである。
ついでに言えばDSP-01の出音の周波数帯域の広さ、バランス等について述べるには問題がある。といってもそれはDSP-01自体の問題ではない。私が参加したどの試聴でもDSP-01のもつ周波数帯域の広さを十分に使い切れるアンプやスピーカーが用いられてなかったように思うからだ。ワイドバンドで強力なパワーを持つアンプが、DSP-01の電源部でもってドライブされ、そこに低域をきちんと出せるスピーカーが加われば、フラットで上手くバランスのとれた高域、中域、低域が現れるはずだ。ただしそのためのアンプ・スピーカーへの投資は最低限に抑えたところで、安くはないだろう。とにかく周波数帯域ごとの忠実性についてはデモ機材との釣り合いが気になったということだ。

DSP-01のサウンドにおける音楽性、ここでは演奏内の感情的な表現を分かり易くする抑揚表現の確かさのようなものを指すが、これは控えめである。音にあざとさは皆無で、自分の才覚で音を作るような傾向は全くなく、常に素直、常にピュアな立場を貫く。したがって一部の機材に見られるような躍動感を少し盛ったり、寂寥感を演出したりすることはない。音楽が持つものをそのまま足し引きなく我々に届けることを使命として生まれてきたようなところがある。おそらく、これ以上電源を強化すれば大袈裟となり、弱ければなにかが引かれてしまうだろう。

音楽のジャンル・音楽の製作された時代ごとの向き・不向きは例によってほぼない。音源に素直な態度を常に取るプレイヤーなのでその点は間違いない。
ただし駄作、駄録音も、その大いなる欠点をつつみ隠さず聞かせてくれちゃうのである。かなり真面目で正直な音なので困るが、これはある領域に達した全ての機材に言えることでもある。いちいち言及するほどのことではないが、多くのアニソンはこれに当てはまるのではないだろうかと危惧する。

話は変わるが、例えばある試聴会ではサーバーとしてN1Zを使用し、そのうえPSaudioの電源装置を使用していたので、それらはそれらで様々な側面で音に効いていたのは間違いない。それは、いわゆるドーピングになるわけだが、これほどのネットワークプレイヤーなのだから、こういう高度な機材をあてるのは当然とも思う。実は個人的な意見として、DSP-01に見合うアンプやスピーカーが組み合わされたデモはまだ行われていないかもしれないと思う。私はSoulutionの700シリーズやMagio Qシリーズ、YGのスピーカーあたりのスーパーハイエンドクラスの機材がDSP-01のポテンシャルを聞くには必要だと考えている。ただ誤解しないで欲しいのだが、このプレイヤーの良さを知るだけなら、どんなアンプでもスピーカーでも問題ない。良さは分かりやすいのである。しかし一方で、その限界を知るにはかなり大きな対価を払わなければならない。これはその点でかなりの難物で、心してかかるべき相手だろう。

いろいろと言ってきたが、やはりDSP-01の音の土台にはクロックの音があると思う。この送り出しにはクロックの音を聞かせているようなところがある。それは設計者の狙いどおりなのだが、この演奏空間の空気をたっぷりと吸い込んだ音は、その背景にあるクロックの存在を常に意識させる。

こういう褒め言葉しか思い浮かばない機材と他の機材との比較について、多くを語る必要はないはずだ。まあ、dcsのVivaldiのフルシステムやCH precisionの最高級オプションあたりが数少ない比較対象となる、とぐらい言っておけば十分。これらは300万円の数倍の投資を必要とするものたちだから、この比較ではコストパフォーマンスはすこぶる良い。そして言うまでもないがLINNやLUMINのネットワークプレイヤーたちはもちろん、ほとんどのハイエンドUSB-DACたちでさえDSP-01のサウンドになかなか近づけない。また申し訳ないが下位モデルSforzato DSP-03とは比較にならない。設計者の方の言を借りれば同メーカー製でありながら「別モノ」と言うべきだ。ここにはハイエンドオーディオ業界の感覚に照らせば価格差以上の大差があると見てよい。こうなると、あとは固有の魅力的な音色や機能、デザインやサイズなどで総合的な立場で音質差を補う以外に、対等の立場に立つ手段はない。

DSP-01は王道を征(ゆ)くモノであると言っていた方がいた。確かにもう、この価格帯として、これ以上はほとんど望めないかもしれぬと思わせるほどの音だ。この愚直とさえ言える大規模な設計、物量投入の果てに出てきた音に、私はロマンの匂いをかぐ。これは現代風のスマートな発想から生まれたモノではなく、どこか古臭い夢の産物ではあるが、そのサウンドはDSP-01を新たに聴く全ての人の心を深く揺り動かす。


Summary

今の時点で日本に輸入されていないものを除けば、現在の日本で試聴可能な、目ぼしいデジタルプレイヤーの多くを私は聞いたはずである。例えば評論家の方々の評価がすこぶる高いのに、どこで聞いても、その評価が納得できないようなE社製のDACもあったし、この素晴らしいDACの音について、どうして誰も語らないのか不思議になるe社の製品なんかもあった。そういういろいろな製品の中で音質だけを考えれば、このDSP-01は世界のハイエンドデジタルプレイヤーのトップテン圏内に躍り出たと私は思っている。意図的ではなさそうだが、この機材の音は現代のデジタルオーディオのあるべき姿を全てのオーディオファイルに提案した形になっているのは間違いない。ただ、ストリーミングが主流になりそうな気配の中で、このネットワークプレイヤーというコンセプトが将来にわたっても意味のあるものなのか、クロックなどを別筐体で用意したりする大規模な設計の方向性が果たしてスマートなのか、そして、こういうシステムの規模や価格の設定がデジタルファイルを聞く普通のオーディオファイルにとってすんなりと受け入れられるものなのか、確信がもてないまま聞いていた。

つまり、私は現在のデジタルオーディオの在り方全体を疑っている。そしてDSP-01の音以外の側面は、その疑問を吹き飛ばしてくれるような革新的なものではなかったのである。これは見ようによっては筐体や電源を増やし、既存のDACチップを多数装備し、既存のソフトウェアを使えるように仕向けただけの機材である。しかも下流の機材への要求度も実はかなり高い。その態度は私には保守的と見えた。

実のところ、この疑いはハイエンドオーディオ全般に対する変わらぬ疑いでもある。高価で大規模になってゆくのに、音質の伸びはそれほど大きくない。明らかに価格差に比例していない。昔はそれでもよかったが、今は世の中のコストに対する考え方がシビアなのだ。ああいう保守的な態度・お決まりの習慣の持続によってハイエンドオーディオは頭打ちになっている。こういう緩やかな停滞が元でハイエンドオーディオが事実上滅び去ってしまうという杞憂を私は抱き続けている。

この難題については、ここで多くは語らない方がいいと誰かが言う。とにかく、出音についてはとても良いのだからと。確かにまだまだ良い時代なのである。いろいろあっても、この音ならば許すことができるという、金銭と心の余裕が今の我々にはある。

そのうえで心配症の私が恐れるのは将来のことだ。これ以上の音質を実現しようとしたら、筐体数も価格もどうなってしまうのか?ありうることだが、これを買った人は数年を経ずして、そわそわしだすに違いない。もっと良い音は出ないものかと。ハイエンドオーディオファイルの欲望にはきりがないのである。だいたい、そういう欲望がない人は高級なクロックを含めて600万円という対価を払ってこれを買わないだろう。この次に来る欲望を、同じ方向を向いた開発で満たすことができるのだろうか? 既にもう価格も機材の規模も許容範囲を超えそうになっているのに。
おそらく、もう次は無い。ここらへんが限界である。
そういう意味でも、これは限界線上に置かれた最終兵器なのである。
デジタルオーディオにおいては、さらなる高音質を得るための、全く異なるコンセプトでの開発が今こそ求められている。

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# by pansakuu | 2015-04-27 17:47 | オーディオ機器

LINN KLIMAX DS/2に関する私的なメモ

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「俺は現状に甘んじる人間は好きじゃない。常に前進し、変化を求める人間が好きだ」
マイルス デイビス



Introduction

LINN KLIMAX DS/2ネットワークプレーヤーは、KLIMAX DSシリーズの最新版です。ほぼ4年ごとに行われるDSのバージョンアップの行き着いた場所がここです。

私は以前、もうKLIMAX DSの時代は終わったかもしれないと、遠い目でふりかえったことがあります。しかし、そんな邪推にお構いなく、シリーズはまだ続いていたことが、ここに証明されました。駄眠を貪るかに見えるハイエンドオーディオ界を尻目にLINNは前進し続け、変化を求め続けていたようですね。
もちろん、万策堂は新しいDSに会いに行きましたとも。そして試聴後の感想をまとめながら、意外にも、その体験をレビューやインプレッションとして書くことに、あまり意味がないことを悟ったのです(理由は後ほど述べます)。ですが今後、自分で使うデジタルプレーヤーの選考のこともあるので、この経験を覚え書きとして、一応まとめておきました。その後、或る人からの要望があり、こんな眉唾でもよろしければということで、ネットの上に置いておくことにしたわけです。


Exterior and Interior, Method:

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LINN KLIMAX DS/2は先代と見かけはほとんど変わらないモノです。正面から、あるいは上下から見て筐体の細部もロゴも初代のKLIMAX DSからの違いを指摘できない。ですが、後ろから見ると、リアパネルのRS232のポートがEXAKT Linkの端子に変わったのが分かります。このリアパネルはアルミの削り出しパーツなので、バージョンアップの際、これをそっくり差し替えることになるようです。

内部を見るとDACの載る真ん中の基盤が一新されています。具体的なバージョンアップはこのメイン基盤をまるごと入れ替えるのがメインの作業。この基盤はウェハースのように絶縁体とパターンを積み重ねた8層基板でして、DSでは今回初めて採用。これにより前モデルよりも、はるかに高密度な部品の実装に成功しています。この基板の採用は信号経路の大幅な短縮化に寄与するでしょう。またクロックの自体は先代と同じパーツで出来ていますが、そこから出る信号が通るロジックゲートをなくし、新たな回路構成としたことで、よりピュアなクロック波形をDACに供給することができます。さらに電源供給回路の構成も見直し、他のセクションへの給電状況の変化に事実上、全く影響を受けない、盤石なDACへの電源供給を実現したとか。

しかし、DACチップそのもの、出力回路や外部からの信号を受ける部分、また別区画にあるスイッチング電源部自体は変化していないようです。今回のバージョンアップは、あくまでメイン基板のみであり、電源部はいじらないのね。なお、KLIMAX DSが初めて発売された2008年時の状況のまま、一度もバージョンアップされていない個体に関しても適応されます。逆に言えば、旧電源部をダイナミック電源にバージョンアップしてくれるものではないのです。そのつもりのある方は、ご注意を。

大事なことは、今回の改良によって対応するデジタルファイルの種類は変わらないということ。つまり192kHz/24bit までの、ほとんどの形式のPCMデータに対応しますが、話題のDSDには一切対応しない。SongcastによるYoutudeなどのストリーミングの高音質再生、専用設計されたオーディオルームでも取り除き難い80Hz以下の定在波を消し去るというスペースオプティマイゼーション、さらにLINN独自EXAKTシステムを手持ちのスピーカーに対応させるEXAKT BOXなど、ライバルと考えられるLUMINやSforzatoにはない斬新なギミックをLINNは次々と実現しながら、なぜかDSDには対応しない。不思議ですね!次回の2019年のKLIMAX DS/3ではDSDを聞けるようになるのでしょうか?

バージョンアップサービスの具体的な方法はこうです。オーナーが自分のDSを購入した店舗にバージョンアップしたい旨を連絡し、その際にシリアルナンバーを知らせる。そのナンバーは店舗、リンジャパンを経由しスコットランドのLINNの本社に伝わり、その個体の状況や待ち時間などの確認がなされる。その後、バージョンアップの準備が整うと、再びオーナーに連絡が行き、DSはオーナーの元からイギリスへ旅立つ。そして出発から一か月程度でDSはオーナーの手元に作業を終えて帰還するという手順です。このような方式はオーナーの待ち時間を最短かつ一定にするために採られています。なお並行輸入品のバージョンアップの取り扱いについては不明です。

なお今回の刷新はAKURATE、KLIMAX DSM、RENEW DSにも適応されます。KLIMAX系の更新料は60万円、AKURATEは40万円、RENEWは30万円。元値を思えばAKURATEに関しては、かなり割高。それから、初代のKLIMAX DSからの累積のバージョンアップ代を思うと、新品のKLIMAX DS/2の240万円という価格は魅力的ですね。主な部品が変化してないなら、はじめからこれを出してくれたら良かった。でもLUMIN S1と比較すると、まだかなり高いです。
またMAJIK DSもMAJIK DS/2になります。MAJIKに関してはバージョンアップサービスはなく、ニューモデルとしてリリースされます。こちらは35万円。KLIMAX DS/2の音質変化を考えると、こちらもかなり音が良くなっているはず。実はMAJIK DS/2は総合的に最も優れたネットワークプレーヤーになるんじゃないかと、ちょっと期待しています。


The sound 

KLIMAX DS/2を実際に試聴してみると、音質は前のモデルから明らかに変化していました。
一言で言えば、より生々しい音となったということでしょう。

まず音の解像度が上がっています。奏者の細かな動きの速度と強度が一段と見えやすくなっています。非常に細かい音が拾えているのが分かります。特に気配成分やホールの空気の対流音、暗騒音のような小さな音の質感がよく捉えられていました。また、過渡特性、すなわち音の立ち上がり・立下り、スピード感はより適切に表現されるようにもなりました。前モデルでも、ここは問題なかったのですが、本モデルではさらに微調整されたようで、かなり自然な感じ、生で聞く感じにより近くなっています。さらに音の強弱の段階がより細かくなり、最弱音から最強音までスムーズに一気に駆け上がる様が見事。
こういう状況では、楽器の音色の鳴らし分けも巧みに聞こえ、またそれぞれの音楽の録音状況の違い、すなわち、場所の広さ・インテリアやマイクの立て方、機材の性能までその違いが露わになるので、ちょっと怖いんですけどね。
しかし、ダイナミックレンジの広さや、周波数帯域の広さ、バランスには変化はないし、またS/Nが良くなり、より静かになったという印象はなかったです。ほとんど変わらない部分も残っているのです。

倍音成分の表現は若干控えめで直接音を優先するような印象。これは音の実在を強く出す結果となり、PCオーディオ風の音数で勝負するような音、透明感の高い音ではないです。
なお定位の良さ、位相の正確さについてはKLIMAX DS/Kと同じく相変わらず良いのですが、ボリュウムを上げると若干定位があいまいになってしまいます。これもKLIMAX DS/Kと同じですね。もっとも、これはアンプやスピーカーや部屋の設計などにも責任があるのでしょうが。
サウンドステージは明らかに奥行方向に深くなったように聞こえました。チャンネルセパレーション自体は良くなってはいないかもしれない。左右に音が広がった感じはあまりなかったですね。このサウンドステージの変化は音像の描写力の向上とあいまって、出音全体に余裕を与えているようでした。

今回の試聴では、KLIMAX DS/2では、従前のKLIMAX DS/Kに比べて、音楽に内在する感情的な表現が、より聞き手に伝わりやすくなったと感じました。これは音が単に前に出て来るのではなく、演奏の状況をより詳しく説明するような方向性を向いた改良だと思います。
DSにはどうしても音に傍観者的な冷静さがあり、それが熱い演奏を再現する際にネックとなる可能性が残っていました。LINNらしく音を小さくまとめてしまう傾向もあったと思います。でも今回は音に対する客観性をより強くすることで、音を解放したように聞こえました。若干まとまりのない音作りや演奏が出てきても、従来の如く、それをLINNの音の枠の中にまとめこんでしまわず、枠からはみ出るようなら、それはそのままで、という鷹揚な態度を感じました。人間で言えば度量が広くなったようです。感覚的かつ抽象的な言い回しながら、先代よりも器量が大きくなったとも言えましょう。

繰り返しになりますが、先代のKLIMAX DS/Kと比べると、やはりより生々しい音と感じるところが多かったです。録音時に現場に漂っていた空気がそのまま運ばれてくるような音。ここがKLIMAX DS/2の出音のハイライトでしょうか。今回の試聴ではPCMデータがDSDのように聞こえたことが何度もあったのです。DSDには現場の空気の表現の巧さ、もっと言えば音の輪郭と周囲の静寂との関連がより生音に近いところがあると思うのですが、そういう印象がKLIMAX DS/2のPCMデータファイルの再生には感じられます。これはハイレゾデータを聞くとさらに顕著なようで、PCMがよりDSDに近い印象になります。LINNがDSDに手を出さない理由、それはPCMとDSDの音に、自社の機材では差を感じないからなのではないでしょうか?

ただ、楽曲によっては先代と比べて大きな差がない場合もありました。やはり先代も良く出来ていたのですね。ですが、これだけライバル機が増えると辛い。そこでDS/2の開発となった部分はあるのでしょう。
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ネットワークプレイヤーとしてのLINN KLIMAX DS/2の実質的なライバルとしてはLUMIN A1とS1、そしてSforzato DSP-03あるいはDSP-01ということになります。
ハッキリ言いましょう。音質だけの比較ならLUMIN A1やクロック入力なしのDSP-03はKLIMAX DS/2にほとんどの面で劣ります。もうこれは音だけでは相手になりにくい。クロック入力を試す、あるいは音以外の点、価格面やデジタル出力も有すること、もしかしたらKINSKYよりも若干使い勝手がよさそうなソフトウェアなどにA1やDSP-03は勝機を見出すか。そんなところです。
でも、LUMIN S1のサウンドと比べればKLIMAX DS/2のサウンドはやや難しくなる。私にはS1とKLIMAX DS/2は音のクオリティ自体はほぼ同等と思われるからです。ただS1のサウンドには、KLIMAX DS/2の音の持つ、あの生々しいインパクトはない。空気のみを隔てて演奏者と対峙するような緊張感が欠けています。このフィーリングはクロック周りを改良したうえで、シグナルパスを十分に短くしたことにより得られたものでしょう。これはシグナルパスを意識したコンパクトな構成のシステムでないと出せない部分のある音です。またこのDS/2の音の良さは、外部クロックを使って得られる、あの取り澄ましたような優秀さの果てとしての、疑似的な生々しさとは違うことも言っておきたい。もっと積極的な生々しさです。これはなかなか得難いものでして、聞く人によっては、高価な外部クロックで得られる音より強いリアリティと認識するでしょう。
しかしS1は、その弱音の解像力や音数の多さ、音の品位の高さ、背景の静けさなどでKLIMAX DS/2にわずかに勝るかもしれない。そうだとすると単純にどっちがいいとは言い難いのです。そのうえで、総合的に価格等の他の面も合わせて比較されるとLUMIN S1の方がKLIMAX DS/2よりも魅力的と思う人がいても可笑しくはないと思います。
やはりバージョンを上げてもKLIMAXのネットワークプレイヤーとしての地位は安泰ではないですね。現在KLIMAX DS/Kのオーナーになっている方にはバージョンアップをお薦めできますが、新規に買うことを考えている方に、これを薦めるのは、価格的になかなか厳しいかも。KLIMAXのデザインと音が好きか、あるいは既にLINNでシステムを統一しようとしているとか、そういう動機がありませんとね。
こうしてみると、LUMINは価格面、機能面、音質面でDSの長所と欠点を徹底的に研究し、それを進化させたと考えて間違いなさそうです。LUMIN S1は、少なくとも部分的には、もう一つのKLIMAX DS/2のようなものなのでしょう。
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ところでSforzato DSP-01のサウンドとの比較はどうでしょうか?それは、そのうち別なレビューの中に記すことになるかもしれません。


Summary

KLIMAX DS/2の音は先代よりも確かに良くなりました。これは進化です。しかし、対抗馬のLUMIN S1も悪くない。それにネットワークプレイヤーだけでなく、単体のDACにもいいモノがある。例えばMPD5やVivaldi、emm labs dac2xなど。私が個人的に大好きなNAGRA HD DACだってあります。これらの高級DACにはKLIMAX DS/2を含めたハイエンドネットワークプレーヤーを凌ぐような、音質的な特色やデザインが備わっているのです。一方、ネットワークプレーヤーであり続けることが、KLIMAX DS/2にどこまで音質上でのアドバンテージを与えているのか?また使い勝手の点でどこまでメリットがあるのか?LUMINにしてもそうですが、それがよく分からないままです。
これらのUSB接続に対応した単体DACとLINNやLUMINのネットワークプレーヤーを単純に比べてみると、今、ネットワークプレーヤーにこだわる意味はほとんどないように思えてきます。

最近の傾向として、高音質なデジタルオーディオ機材はとても高価になりがちです。そして良い音を求めると次第に大規模になり、複雑化していく場合が多い。一方で、これに対抗する形で存在感を出すシステムがあります。例えばDevialetのように一見して安価になり、シンプルに小さくなっているように見えるものがある。ただし、あれはまだカウンターパートにある大規模なシステムの出音を超えていないでしょうね。またLINNのEXAKTシステムのような一つのメーカーの機材だけでシステムの大半を構成して、混成部隊では出来ない音の統一感と高機能を達成するものもある。これは独創的で素晴らしい手法であり、喝采すべきでしょう。しかし、このやり方には、異なるメーカーの機材を組み合わせ、自分の音を作り出すという別なオーディオの楽しみを奪っている恨みがあります。全てをLINNの色で染め上げ、オーディオの心配はせず、音楽に没頭するってのもいいですが、少なくとも私個人はそういう趣向にない。あれでは同じシステム構成なら、ほとんど同じような音がどの家庭でも出てしまうはずです。もっと色々なオーディオが欲しくなるし、自分だけの音も欲しい。あれもまだ、私にとっては完全ではないのです。
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思えば、今回の試聴ではKLIMAX DS/2以降はLINN以外のメーカーの機材を使っています。しかし、この機材のリアパネルにあるEXAKT Linkの四角い穴の奥を見つめていると、KLIMAX DS/2をEXAKTシステムの中核として位置付けたい意図が見えるようで。確かに他社の様々な機材との接続は自在だし、相性もかなり良い。ですが、KLIMAX DS/2の音作りに、同社のEXAKTシステムが使われていないはずはないでしょう。やはりLINNの心としては、このKLIMAX DS/2はそれ単体としてだけではなく、これを源泉とし、LINNで統一されたEXAKTシステムのトータルサウンドを評価してほしい部分がありましょう。私のオーディオの趣向とは関係なく、そういう視点から機材を見るなら、LINNの如き独特な発展性を持たず、単体でしか評価できないLUMINやSforzatoの機材をDS/2と比べるのは間違いです。巨視的に見れば、LINNがネットワークプレイヤーにこだわるのも、より大きなシステムネットワークの一部としてDSを考えるというLINNの姿勢と関連があるのでしょう。

LINNという企業は、そこから生み出される機材の持つ、形と音、そして機能のトータルデザインの見事さで、オーディオ界では最も先進的かつ危険な存在ですよね。
KLIMAX DS/2を聞いていると、現状に甘んじることのないLINNの姿勢は常に独自のオーディオ的“状況”を創り出す方向へと向いているように私には思われます。
かつて私はKLIMAX DSの時代は終わったかもしれないと言いましたが、それはある意味で間違いでした。もはやKLIMAX DS/2だけを聞いて、それが新時代のデジタル機材かどうか、云々すること自体がナンセンスだ、時代遅れなのだとLINNは言いたいのかもしれないからです。

LINNのトータルシステムと、それが生み出すオーディオの状況。それらは、この世界では未だ孤立してマイナーな存在です。でも、それらには漂流するハイエンドオーディオが打ち込むべき碇(いかり)のような重みがあり、聴き込んでいくと、私達に本当に良いオーディオとはなにかを問いかけてくるかのようです。なかなかに面白きモノですね、これは。

# by pansakuu | 2015-04-20 21:54 | オーディオ機器

PIEGA Classic 80.2の私的インプレッション:相棒を選ぶ

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「女と、一緒さ・・・。相性ってやつがあるんだ。
俺もこいつから離れられないし、こいつも俺から離れられない。
それに女と違って裏切らないからな。」
次元 大介



Introduction

PIEGAというスピーカーとは長い付き合いである。

私が初めてPIEGAのスピーカーに会ったとき、まだ彼らは、あの銀色に輝くアルミのエンクロージャーを使ってはいなかった。スイスで製造されたというMDFで出来た箱型のエンクロージャーはピアノブラックの仕上げであったし、リボンツィーターも現在のものとは形が違っていたように思う。あれは1990年代のことだ。その当時はスイスでは、こんなスピーカーを作ってるのかぐらいに思っただけだった。

その出会いから数年して、列車の車体部品を製造する会社で造られたという、大きなアルミの引き抜き材を使用した、斬新で美しいスピーカーを彼らは発表し始めた。全面にヘアライン仕上げが施され、カーヴした側面を持つアルミエンクロージャー、洗練された同軸リボンツィーターに小型の反応性の良いウーファーを組み合わせるという彼らのマニエラ(手法)はこの前後に確立したものだ。何度かその姿を眺め、音を聞いているうち、私はこのスピーカーに自分と内的に通じ合うなにかを感じた。それはモノに例えれば、人と機械を繋ぐ見えざる糸のようなものだったのかもしれない。私はPIEGAに惹かれて行った。

そして、10年ほど前、眼の前にあるCL90Xをリビングに迎え入れた。その当時はこれがPIEGAの事実上のフラッグシップという位置付けであったが、このスピーカーは欧米でヒットし、PIEGAはさらに上位のモデルの開発へと向かって行った。CL90XはPIEGAのスピーカー開発のターニングポイントであったのかもしれない。とにかく私はこのスピーカーが好きだったし、今でも聞くたびに新鮮な共感を覚える。
このスピーカーを導入して以来、数えきれないほどの別なスピーカーたちに出会い、手合せしてきたのだが、このスピーカーを入れ替える必要を感じなかった。
第三者的な視点から見れば、このスピーカーよりも優れた音質を持つスピーカーはいくつもあったし、今もある。しかし私の感性に、これほどピタリと合うスピーカーは無かったし、今もないということなのだろう。
実は私という者は、オーディオ機材の入れ替えについては冷酷な人間で、これは自分に合わないと感じ、そこに、より自分に合うものが見つかれば、見切りは早い。ヘッドホンアンプなどはその良い例で今度新しく買うとすれば9台目になる(E1を買って、もう終わりにしたい)。デジタルプレーヤーもそれに近い数を買い替えてきている(こちらはしばらく買わないだろう。私にとってはどのデジタルプレーヤーも最先端のアナログには、まだ及ばない。流行のハイレゾファイルなどヘッドホンで十分だ、というかハイレゾファイルの良さとはスピーカーよりもヘッドホンの方が分かり易い)。ケーブルや電源タップなんかはもっと替えているだろう。だがメインスピーカーとプリアンプは長年不動である。この実績からして、やはりCL90XとNo.32Lは私の感性にピタリとマッチしているということになる。

例えば、次元大介よりも優れたガンマンは、この地球上には何人かはいるのかもしれない。(“次元大介の墓標”を見よ)しかしルパンⅢ世は彼をいつも相棒に選んでいる。私も同じような理由で、このCL90Xを選んでいるような気がする。それは自分の身の丈、自分との相性を大切にしている、そしてめぐり合わせを大事にしているということだ。

では、CL90Xのどこが好きなのかというと、
まず、このシンプルで美しい、コンパクトなフォルムがいい。そしてこの同軸リボンツィーターの個性的な音が私には愛おしい。所詮、個人的な好みに過ぎないのだが、なにを聞いてもシックリくる。

もちろんCL90X以降もPIEGAの新作に当たってはいるが、上記の如く買い替えの必要を感じない。確かに音は変わっている。中には明らかにブラッシュアップされていると感じるモデルもある。だが帰って自分のPIEGAを聞くと、他のスピーカーのことは大概、忘れてしまう。そんな調子でCL90Xの次のスピーカーのことをあまり考えたことはないけれど、そのスピーカーはおそらくPIEGAになるだろう。そういう予感はある。

さて、PIEGAの2015年の目玉は新たなライン、Classicシリーズである。これは原点回帰でMDFのエンクロージャーをあえて採用したスピーカーたちである。
私はその最上級モデルであるClassic80.2を試聴する機会が2回あった。PIEGAの20年を超えるスピーカーづくりの歴史を振り返り、ここで彼らはなにを思い、なにを目指すのだろうか。じっくりと見聞させていただこう。


Exterior and feeling
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写真で見るより、ずっと大柄な堂々たるスピーカーである。これはかなり大型のトールボーイスピーカーとなる。142×39×51cmの箱。片チャンネルで72kgある。エンクロージャーのマスは今までのPIEGAの作品の中ではMaster line sourceを除けば最大ではないか。この箱をMDF材で組んで鳴らすのだから、低域の豊かさと引き換えに、そのフォーカスは甘くならざるをえないだろう。鳴き止めのイディケルが内側にタップリ使われているにしても。しかし、後述するが、そこにこそ、PIEGAの新たな音作りへの挑戦、秘訣があるのだ。

頂部は大胆に斜めにカットされ、ウィルソン・ベネシュのスピーカーのような印象だ。尖った頂点から真っ直ぐ降りてゆく滝のようなライン取りは悪くない。カット面にはシボのある皮革が張り込んである。この素材使いはソナスのスピーカーなどに見られるナチュラルな質感そして高級なハンドバッグのようなラグジャリーを見る者に連想させる。この部分は外見を美しくまとめるだけでなく、音にも効いているはず。それもまたフランコ先生に教わったことだが。

このエンクロージャーの断面は一般にリュート型と言われるもので、後にゆくに従い緩やかにカーヴしつつ、すぼまって行く形である。スピーカーの後ろに回り込む音を効果的に打ち消す形だという。
そのためにスピーカーの後面に形成される見事な局面は、今回の試聴機では美しい木目の突板で覆われている。これはインドネシアのマカッサルで採れる世界最高級と言われる黒檀の板だ。磨き上げられたカーヴの輝きにそっと触れてみれば、木材のもつ微かな温かみとピアノ仕上げの硬度が混じりあって伝わってくる。
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正面には一番上にPIEGA独自の正方形の大型同軸リボンツィーターがあり、その下に径26cmのウーファーが二発、そして丸いフロントバスレフポートがさらにその下に開いている。これらは全て別々のパンチングメタル製のカバー・ネットで覆われ、保護されている。このパンチングメタルのネットはリビングでの不意の物の飛び込みなどからユニットたちを守ってくれる。PIEGAのスピーカーには、ほぼ例外なくこの保護ネットがついているようだが、私はこれに何度救われたか知れない。ことにデリケートな同軸リボンユニットについては、これは必須であろう。ウーファーのエッジの劣化させるであろう日光もこのネットでかなり遮られるはずだ。また、音作り自体も、このカバー込みでなされているあたりも嬉しい。

正方形の大型同軸リボンツィーターについては、下位モデルに搭載される、それより小さいユニットより、当然、大きなエネルギーを放射し、音の届く範囲も広いものだ。しかし部屋がよほど広大でない限りは、私は不要なものと思っている。つまり半分近くの広さしかない、小さな同軸リボンツィーターでも日本の一般的なリビングでは十分すぎるほど魅惑的な音を奏でるからだ。私が思うに、この大型同軸リボンツィーターの採用はエンクロージャーの大きさに釣り合わせるため、ひいてはそれによるファットな低域を御する役割を果たすためであり、下位モデルの小さな同軸リボンツィーターが不十分だからではない。

このスピーカーの外観で、個人的に嬉しいのは断面積の増加、特に奥行方向の寸法増加により、地震などのアクシデントでスピーカーが前に倒れる可能性が少なくなったことだ。2011年の春のような酷い目には二度と遭いたくない。あの時、多くのスピーカーが倒れた。もし私のPIEGAにパンチングメタルのカバーがなかったら・・・・。想像はしたくない。

ワイヤリングはバイワイヤであり、スピーカーの底部には分厚い金属板と平たい四足。これはPIEGAの多くのトールボーイと同じつくりである。中身にも大きな改変を施したという話は聞いていない。クロスオーバーについても同社のアルミエンクロージャーラインの中核であるCoax90.2と同値に設定されているようだ。だが聞こえる音はそれとはまるで異なっている。

外見の全体の印象はいつもの金属製エンクロージャーのPIEGAと比べると少しウォームな感じである。高級感は十二分だが、あの凛とした感じではない。清涼感よりは静かな温もりのようなものを感じる。果たして音も外観の印象のように変化しているのだろうか。


The sound 

こういう斬新で見事な音作りはあまり聞いた記憶がない。
ここ十年ほどの流れである、解像度至上主義を標榜するサウンド、特に低域の解像度の向上を狙った強固な内部構造を持つ、重量級の金属製スピーカーから聞かれる音とは明らかに一線を画する。
しかし、断じて昔懐かしい音などではない。

まず、この低域の豊かさに心奪われる。
柔らかくフワリと広がって暖かくリスナーを包む低域の量感が素晴らしい。長い間、ハイエンドオーディオというものは低域の解像度を出すために大金を支払うものだと思っていた。このClassic80.2の明らかに“緩い”低域は、その正反対の方向性である。こういうあえて締りのない低域に今まで価値を見出してこなかったが、この心地よさはなんだ?
こういうソフトフォーカスな低域は大概、音にスピードがなく、鈍くて重い音になりがちなのだが、ここには軽くて素早い感じもある。だから、パルシブなドラムが入っても、何故か音の立ち上がり立下りは遅くならず、意外とボンつかない。時々聞く、古典的な家具のように立派な外見を備えたタンノイのCanterburyという偉大なスピーカーなどは箱鳴りが結構あり、低域は遅いが、あれとは全く違う感じの音である。組み合わせたアンプがdartzeelとかOCTAVEのセパレートということもあるだろうが、それだけでは、このサウンドを説明できないと思う。MEWONの外付けのツィーター等を使ったときに聞かれる、低域の質感の変化があるはずだ。強力な同軸リボンツィーターが低域の質感に影響し、低音のテクスチャーを好ましいものに変えているように思われる。確かにこの斬新な低域は、緩いのに、どんよりとした感じがない。そよ風が吹き渡るように優しく、しかも素早くリスニングルームに低音が満ちてくる。倍音成分の響き方も気持ちがいい。解像度が高いとは言えないので、例えばMagicoのQシリーズのように細大漏らさず音が見えるような感じではない。そういう、音をどこまでも細かく見て取れるという愉しみはないのだが、そのかわり、この低域の豊潤さにいつまでも浸っていたいという多幸感が湧き上がる。

また、このスピーカーでは当然ながら中高域の質感も素晴らしく感じる。同軸リボンツィーターには二発のウーファーに負けない力強さもあり、中域と高域は綺麗に伸びる。非常に繊細なだけでなく、音の階調の変化のバリエーションが多く、非常に微妙な音の質感の違いを的確に描きだしてくれる。また過渡特性が優れることも忘れてはならない。中高域の反応の鋭さはリボン特有のものである。実際、この同軸リボンツィーターならではのスピード感に、それと比べて鈍重なウーファーのレスポンスをいかにマッチさせるかが、PIEGAの長年の課題であったと思う。ここではあえて動きの速い小口径ウーファーではなく、豊かな低域を放射する大口径ユニットを持ってきた。同じ反応速度を得ることにこだわるのではなく、むしろウーファーとリボンツィーターの音色が調和し、美しいハーモニーを成すことを狙った音作りのように私には思えた。

さらに大型スピーカーだけあってダイナミックレンジの広さは、ブックシェルフや小型のトールボーイなどとは比較にならないものだと思う。このレンジの広さはサウンドステージの見晴しの良さとあいまって、とても雄大な感覚をリスナーに与えているようだ。こういう雄大さは、PIEGAの最高級スピーカーであるMaster ONE Line sourceのサウンドとも通じるところがあるが、あれよりも音にまとまりがあり、安心して聞けるところがある。大音量で朗々とスピーカーを歌わせる快感には、このようなエンクロージャーでなくては到達しえない。

また、金属製のスピーカーのように余計な音を完全にそぎ落とし、高いS/Nを演出するようなことはしていないが、背景の静けさ・黒さは十分である。ダンピングの悪いスピーカーにありがちな、ざわざわした背景の雰囲気がない。そうは言っても演奏が行われているホールの暗騒音や空気の対流音を肌で感じるようなサウンドには至っていないのは認める。だが、そういう緊張を強いるサウンドにありがちな敏感で神経質な気分ではなく、もっとリラックスして、高音質を愉しむ気分へと自然にいざなってくれる優しい音だ。

定位については、中高域が同軸ユニットで駆動されているためか、かなり明確な定位感が得られる。確かに、MagicoやYGのスピーカーで聞かれる、まるで彫像のように音場内に定位するあの感覚はここにはない。しかし、明るい光の束のようなものが広大なサウンドステージに望まれる正確さをもって点在し、やはりギスギスしない、和やかな雰囲気を醸し出しているようだ。
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ほぼ同時期に、このシリーズの下位モデル60.2の方も聞いてみたが、スケール感や音の豊かさ、量感、全体の音作りの斬新さで差がある。価格の違いが案外小さいので、価格差以上の性能の差を感じる方もいるかもしれない。それくらい80.2の音はいいのである。買うなら80.2だろう。また昨今のオーディオの凄まじいインフレ度からすれば、80.2はお買い得に感じるスピーカーでもある。設置スペースさえ許せば、この最高級モデルに行ったほうがいい。ただ、このスピーカーを飼い慣らしたいなら少なくとも15畳以上の部屋は欲しいところなので、スペースの足りない方はClassic 60.2へ行くことになるだろう。

Classic80.2の良く合う音楽のジャンルとしては、やはりクラシック音楽だろう。それも音場感がタップリ入った現代の録音が良かろう。オーケストラが奏でる音、倍音成分がホールに美しく響く様が、さらに柔らかく部屋いっぱいに広がるようで、耳が喜ぶ。また、ECMなどの現代のヨーロピアンJAZZは、このスピーカーで聞くと、ゴージャスだが俗物的にならないセンスの良さも感じる演奏として聞こえる。正確な音ではなく、いわゆる音楽的な音なので、スピーカーにトランスデューサーとしての側面を強く求める方にはお薦めしかねるが、音楽に癒されたい、スピーカーに癒されたいと願う向きには一聴をお薦めする。


Summary

Classic80.2のサウンドは解像度至上主義に代表される、視覚的な音作りという現代オーディオのセントラルドグマから少し離れたところにある。これは音の量感の豊饒を前面に出して、そこに音の触感の良さ、反応性の速さを加味した、ちょっと新しい音である。80.2はオーディオの実験室のようなマニアのタコ部屋ではなく、ゆったりとしたリビングで大きなソファーに埋もれながら聞かれるべきスピーカーである。集中を解いて、何気ない会話を愉しむようなカジュアルな雰囲気を保ちつつ、音質のレベルだけは落としたくないという贅沢な使い方にマッチするスピーカーだ。そして、ブラインドテストでもしっかりとスピーカーのモデル名を言い当てられるような、ハッキリした個性をスピーカーに求める方に薦められるスピーカーでもある。

こういう一聴して他と区別できる音に出会うと、あるブログでネットワークプレイヤーやNASのブラインドでの音の差の聞き分けという企画をやっていたのが思い出される。
この試聴会にはプレーヤーの設計者を含む業界人やハイエンダーが何人も参加していたようだ。そこでNASやネットワークプレーヤーの音の違いを参加者がどれくらい聞き分けられたか?その平均点は百点満点で30点前後だったとのことである。普通の試験であれば確実に落第であるが、実際、ネットワークオーディオという分野は、それくらいに機材の音の差が少ない世界なのである。これは私個人が以前より問題視していたことでもある。PC関係のオーディオという分野全般にそうだと思うし、現在はオーディオ全体としても音が平均化されて個性の輝きの少ない状況と思うことがある。そういう中で、他とはっきり差が分かる、PIEGA Classic80.2のサウンドは、私の脳裏にとても面白く響き、色々な事を私に考えさせる。
たとえばデジタルオーディオでのクロック等の差で分かる音の差異、これは取りも直さず性能の差であり、お金さえ出せば埋められるものである。しかし、音の個性の差はカネの多寡とは直接の関連がない。それは出会いである。自分とシックリと合う音の個性との出会いはカネでは買えないものだ。

折にふれ、
なんのためにオーディオをやっているんだい?とオーディオに全く関心のない人に尋ねられることがある。私は、もう後戻りできなくなったからさ、などと素人に分かりにくい返答はせず、結局は音に癒されたいからじゃないですかねえと、はぐらかし気味に答えることにしている。
人肌の温度感を感じさせる柔和な女声の囁きにどっぷりと浸ること、これは無論、癒しのためだろう。だが心地良い疲れを感じるほどの熱くマッシブな音の塊を求めて、強烈な音量でオーディオをやっている人にしても同じなのではないか。なにもかも忘れられるほどエキサイトするリスニング、そして、その爽やかな聴後感に、やはり別な形での癒しを求めているのだろうと思う。
癒される音、癒されるシュチュエーションというのは、人それぞれに違ってよいはずだ。

そう言う私にとって、最も癒されるのはPIEGAの調べなのである。地中海の神話に記されたオルフェウスの竪琴を想起させる高域の細かな震え。そのデリカシー。物理特性という即物的なものを超え、どこか神がかったような音を出す、この特別なリボンツィーターに、幾度となく日々の暗い憂さを晴らしてもらってきた。そしておそらく、これからもそうしてもらうことだろう。

このClassic80.2のリボンツィーター・ウーファー・エンクロージャーのハーモニーが聞かせる個性的な音楽の切り口は、単なる爽快感とか艶などという表現では足りない。もうこれは憂さ晴らしの向こう側の、麻薬的な世界、耽溺の世界に近いのかもしれない。あの低域の豊かさと高域の小気味良く細かい鋭さが両立した不思議な響きとの出会い。私の心は80.2に盗まれた。

試聴を終えると、私は寄り道せずに自分のリビングに舞い戻り、メジャーを取り出して部屋のあちこちの長さを測った。そして、溜息をついた。案の定、広さが足りぬ。リビングの広さが、ではない。私のスピーカーのセッティングに使える範囲がClassic80.2を置くには狭すぎるような気がする。
つまりメジャーの目盛りは、まだ相棒を取り換えるなと言うのである。
幸か不幸か、私は思いとどまった。

とはいえ、耳に残るあの響きは、そう簡単に消えそうにもない。
実は、そろそろ終わりにさしかかる、この浅ましい問わず語りも
存分に書いて心の中から吐き出して忘れることで、
眠れぬ春の夜を終わらせようという趣向なのである。

オーディオを見て、聞き、感じ、書く。そしてとりあえず忘れる。
そしてまたオーディオに魅せられてしまう。性懲りもなく。
この無限に続くかに見えるループの中で、
私の個性的な相棒も、もしかしたら入れ変わってゆくのかもしれない。

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# by pansakuu | 2015-04-03 22:06 | オーディオ機器

JH audio+Astell&Kern Laylaの私的インプレッション:痛さを求めて

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「私が初めて行ったアニソンイベントで感じたことは、今はあまり感じないかな。私の慣れのせいかもしれませんが、“痛さ”をあまり感じられなくて。でもその“痛さ”というのがオタクカルチャーには重要な気がしています。」
by サオリリス(Groove presents 秋葉系DJの教科書より)



Introduction


秋葉原をブラブラしていると、よく出くわす図像というかイラストあるいはフィギュアのテーマがある。それは美少女に武器というテーマである。
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小学生から高校生ぐらいまでのごく若い女性のキャラクターが複雑な形をした重火器や鋭利な剣などを様々なポーズで構え、キメている、そういう図式をいっぱい目にする。第三者的に見れば風変りな、こういう女性像は世界の美術史を見回しても、現代の日本以外にほぼ見られないものであろう。強いて言えばギリシア神話の戦の女神パラス・アテナや北欧神話のワルキューレが近いのだろうが、彼女らは秋葉原の女性たちほど幼くはないし、親しげでも、にこやかでもない。これらの女性のキャラクターの描き方、タッチは絵師によって様々であるが、共通しているのは、オモシロ顔というか不細工な顔貌はもちろん皆無、よく言えばリアルにそこらへんにいる普通の女性の顔立ちですらないことである。細かい部分を簡略化し、多くの人が美人と思うような、ほぼ有り得ない美しい顔を持つスタイルのいい女性を描こうと努力している跡が必ず見える。

こういうイラストやフィギュアに満ち満ちた秋葉原という空間は世界のどの土地にも見られない、かなり異様な雰囲気を醸し出している。ここに生まれた形容しがたいアイコン、日本人の独創的な図像は日本人の好むモノ、愛でるコトとはなにか、ということを必然的に暗示する。
それは、一見して小さく可愛らしい存在が、実は多くの人を殺せるほど凶暴な力を持つという不思議なアンバランスへの憧れなのだろう。

Jerry Harvey audio(以降JH audioと略)とAstell&Kern(以降AKと略)のコラボレーションによって生まれたというLaylaというユニバーサルイヤホンは約36万円というイタい定価にも関わらず日本に入ったファーストロットは十数分で見事に売り切れたという。
一般的には、イヤホンもそれを鳴らす携帯用のDAPもその使用目的にかなうべく、とてもコンパクトで軽量なものである。それらはハイエンドオーディオに使われるスピーカーやプレーヤーと比べればカワイイものであるとも言えよう。しかし、そういうとてもコンパクトな機材が、持ち歩きがやや困難なヘッドホンや、持ち運びはほぼ不可能なスピーカー・SACDプレーヤーと比べて、それほど遜色のない音を聞かせるとしたら、それこそ注目すべきアンバランス・ミスマッチであると言えよう。
ヒトは時に、このようなアンバランスに惹かれるところがある。売り切れまで十数分という耐えられない時間の短さには、そういうアンバランスあるいはミスマッチに対する強い憧れが紛れ込んでいる。

込み合う秋葉原・電気街を見下ろす、とある喫茶店にて、アニメキャラでラッピングした車が下を過ぎてゆくのを眺めながら、私はこのテキストを書き進めよう。
ここで私は、Laylaという特殊で高価なユニバーサルタイプのイヤホンとAK240を、ある方のご厚意から借りることができた。その人が秋葉原を見て回る間の2時間だけ、これらの機材を占有することを許してくれた。その方に対してはここでもお礼を述べたい。(なお写真はいくつかのHPから拝借しました)


Exterior and feeling
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なにやらゴツいイヤホンである。
目の粗いブラックカーボンメッシュのシェルに玉虫色に輝くベゼルが嵌め込まれており、そこから漏斗型にすぼまってイヤーチップに達するようなカタチである。けっこうなボリュウム感がある形状。左右にそれぞれJerry Harvey audioとAstell&Kernのロゴが印刷されている。全体の質感は滑らかでありグロス仕上げのようなテカリがある。
写真で見るよりも結構大きい印象でボテッとしたモノであり、これを耳に上手く嵌め込めるのかどうか、嵌め込んでカッコいいのかどうか不安を感じる。カーボンとチタンで出来ているのだから、大きさの割に特段重くないが、当然普通のユニバーサルイヤホンよりは重たい。

実際、装着しようとするのだが、なかなかスポッと行かない。うまいポジションが取りにくい。この装着はポタ研で列に並んで聞いた時にも、もどかしく感じた。私の耳介にスッと収まるようなイヤホンがある一方で、耳の穴からキノコみたいに突出してしまうモデルもあるのだが、このLaylaは後者の装着感と見た。私の耳介の窪みが小さいせいだろうか。チップが合わないせいだけではないと思う。チップを変えても装着感の違和感はあまり改善しないのだ。チップごとに音も微妙に変化してしまうから、できればどのチップでも装着できて、音でチップを選べるというのが理想的なのだが・・・・。できるなら、もっと全体に小型化し、形状を考えてもらった方がいい。やはりカスタムIEMの形を取らないと、いろいろ不都合なのかもしれない。これほど高級なイヤホンは元来、ユニバーサルタイプだけではなく、カスタムIEMとしても販売されるのが一般的ではないだろうか。米国ではCIEMタイプが既に受注が始まっているという話も聞く。

イヤーチップの穴の奥を見ると3本の細い金属管の開口部が見える。これは高域、中域、低域を担当する4個づつの、計12個のドライバーユニットにつながるステンレスチューブであり、これらの長さを変えることにより、各帯域の音が鼓膜に到達する時間を揃えようというのである。いわゆるフルレンジ一発ではなく、帯域を分割し、各々の位相を揃えるという、freQ phaseという独自技術は現代スピーカーの設計思想に近いものだと思うが、それをこんなに小さなシェルに封じ込めたことには驚きを禁じ得ない。

なお現在は、各々の帯域のドライバーをまとめて一つのアンプと優れたネットワークを組み合わせてドライブしている状況だと承知しているのだが、そうこうするうち、これらの帯域をアンプに行く前にチャンネルデバイダーで分割し、マルチアンプ駆動としたようなイヤホンも現れるかもしれない。スピーカーにおけるチャンデバによるマルチアンプ駆動というのは、調整が上手く行けば、なかなか素晴らしい音を奏でることは古いオーディオマニアの間では周知である。しかし、3ウェイ以上になった場合、調整は至難の業であることもまた周知である。それがどんな労苦なのか、一端を知りたいなら有名なJAZZ喫茶ベイシーの御店主の書いたエッセイを読むといい。実際これは何年かけて取り組んでも、なかなか落し所を見いだせないものらしい。そういう泥沼が予測されても、そこに果敢に挑戦するイヤホンがあったらなと夢想するのは、またしても私の勝手である。

また、このイヤホン本体とイヤホンケーブルをつなぐ部分にはオリジナルの4pinコネクターが用いられる。小さなリングを回す方式でロックを外して、コネクターの中身を拝見すると4つの金色のピンが配置されているのが確認できた。ここに高域、中域、低域を担当する専用の信号線が割り振られている。ここまで帯域分割にこだわったイヤホンメーカーは他にはないと思われるから、大したものだとしか言いようがない。だが、こうなると独自のコネクターが必要なだけに、リケーブルは作りにくいだろう。このイヤホン自体の出荷数も多くはないだろうし、もし後述の低域補正システムもつけるとしたら、発売されてもかなり高価になってしまうのではないか。まあ、これだけのイヤホンをポンと買う方は、それくらいの出費はものともすまいが・・・・。
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このイヤホンに使われるバランスケーブル自体は撚った形をとる、イヤホン用としては、やや太めで硬めの黒いケーブルである。これは、JH audioの他のモデルで使われているものに似ている。すごくしなやかというわけでもなく、曲がったときのクセが若干取れにくい印象で、取り回しはソコソコといったところだろうか。この途中には可変抵抗が入った小さな紡錘型のボックスがあり、そこに付けられた2つのプラスネジの頭を回すと、左右独立に低域のボリュウムを変えることができる。完全に左に絞り切ると補正はゼロとなる。カーボン製の立派な収納ボックスに同梱されていた付属のドライバーで回してみる。確かに音が変わるのだが、補正ゼロで全く問題なく聞けるので、そのままで聞いた。
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高級ヘッドホンにおいては、帯域分割をしたり、低域の量を聞きながら変えたりできるものはかなり少ない。例えば帯域分割については、製品ではFinal audioのヘッドホンや、台湾のメーカーが作った日本未輸入のヘッドホン、Obravo HAMT-1を見かけたぐらいでしかない。(何故あのヘッドホンは輸入されないのか?)未発売なら、スケルトンのヘッドホンアンプとともにCES2015で発表された、Enigma acousticsのDharmaという製品、静電型とダイナミック型をハイブリットしたヘッドホンもあるようだが、これはまだ海のものとも山のものとも分からない。今のところはフルレンジ一発のお仕着せの音を聞かされるのみである。
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現代の高級イヤホンは、その出音はともかくとしても、今日のオーバヘッドのヘッドホンたちよりも進化したテクノロジー、高度な素材、さらに細かな手作業で作られていることは、Laylaを見れば明らかである。音が既存のイヤホンよりも遥かに良く、Made in ChinaではなくMade in USAであることも考え合わせれば、装着感がいま一つであっても、この価格は不当とは言い切れない。ただし、たかがイヤホンごときに、ここまでやるとは、なんともオーバーな気もする。イヤホンを使って音楽の楽しむというスタイルの持つ、ライトでクールなイメージと、このイヤホンに注がれた情熱の暑苦しさにミスマッチというか温度差を感じたのは確かである。


The sound 

咄嗟に、形容する言葉が浮かんで来ないような音だ。
あまり聞いたことが無いような空間性と定位感のバランス、そして質感描写がここにある。
無論、既存の普通のイヤホンの音は引き離している。
だが、HD800やTH900、SR009等に代表されるようなハイエンドヘッドホンの音によく似たものでもない。
ましてや本格的なスピーカーの出音にも類例を見いだせない。
ここにまた一つ、新しい音が生まれてしまったような気がする。

いろいろと言いたいことはあるのだが、
まずはこの異質な空間性と定位感のバランスである。
イヤホンにとっては、どちらかというと不得意な、
大ホールでオーケストラが演奏しているような曲を聞いてみると、誰もがエッと思うはずである。
スピーカーを厳密にセッティングしたときに聞こえるような、ホール内での自然な音の広がりが、多少疑似的なものにしろ、ハッキリと聞こえてくる。これはホールトーンを聞かせることができる数少ないイヤホンの一つだ。ホールという空気の詰まった天井の高い空間の底に多くの楽器が集合し、そこから同時に放射・噴出する音波が上方・側方にひろがり、こだまする様子がおぼろげながらだが、明らかに三次元的な広がりとして捉えられる。基本的にTH900などの高品位な密閉型ヘッドホンに類似した音の広がりに留まり、HD800のような開放型ヘッドホンの広大な音場感というわけではない。しかし、かなり楽器が多くなっても、その音場の中でそれぞれの楽器の定位が常に明確なままというのは、イヤホンでは聞いたことがないし、ヘッドホンでも、そうそうあるものではない。とにかくイヤホンでは感じたことのない優れた空間表現と明確な音像定位感が独特の調和を見せているというのが、私のLaylaについての第一印象である。ここでは、今までのイヤホンでは難しかった三次元的なサウンドが醸し出されているのは間違いない。

個々の楽器、パートの描写のみについて注意を向けると、その音像の輪郭や質感描写は極めて詳細であり、これも今までのイヤホンでは決して聞けなかったものである。各楽器や人の歌声の手触りや温度感のバリエーションが大変豊富であり、またその変化のグラデーションの段階はとてもきめ細かい。あらゆる音楽で今まで知らなかった細部を感じ取るというオーディオ的な快感に浸ることができる。実はこの曲のこの音はこうなっていたのかと驚かされるアレである。各パートの分離感も良好であり、それらの前後関係も録音さえ優れていれば目の前でそれを見ているかのように認識できる。ここにもまた現代オーディオの本流である、視覚的な方向に振れた音作りがあるようだ。

特にアコーステック楽器を用いた良録音において、弦楽器の出音、人の声の描写力の解像力、粒立ちの良さといったら、トップエンドのヘッドホンでも、そうそう成しえないレベルに達している。様々な名手が駆る弦楽器がソロを取る部分を、様々な時代に録音されたクラシック曲で聞いてみるとよい。シュタルケル、ハイフェッツ、クライスラー、ウィスペルウェイ、ファウスト、ヨーヨーマ、ムター・・・・。
クラシックをあまり聞かない私でも、これらの奏者の楽器の音色の差異や奏法の微妙な違い、時代による録音状況の隔たりをこれほど克明に描かれると楽しくなる。そして、その違いを際立たせるのが、これほど簡潔で小さなオーディオセットであるという見かけと性能のアンバランスは、その愉しみを倍加させる。ピアノのタッチの違いなども様々な奏者、様々な曲で比較して実に面白かった。グールド、バックハウス、リヒテル、ミケランジェリ、フランソワ、チェルカスキー、アファナシェフ、内田、リパッティ、メルニコフ、ニコラーエワ・・・・。これほど絶妙にピアニストの差、時代の違いを描き分けてくれるイヤホンは知らない。
だいたい、こういうディテールに関心が向くこと自体が、イヤホンでは、まだほとんど無かったのだが、このLaylaは異例だ。
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これらの特徴はやはり、各帯域のドライバーへ信号を割り振るクロスオーバーネットワーク回路が非常に優れていて初めて得られるものではないかと思う。再生される全帯域にわたり歪みや滲みが私の耳ではほとんど検知できないのである。この明瞭な音の細部、澄み切った音場は帯域どうしの重なりが極少に抑えられているからこそ現れるものであろう。12個ものドライバーを同時に鳴らしていることを考えれば、このクリアネスは驚異である。

また、音作りと言えば、送り出しのAK240にもそういう傾向があるのかもしれないが、この音は冷静沈着で傍観者的な音ではない。音楽の表現する内容に沿って生き生きと躍動し、あるいはさめざめと意気消沈するという音楽的なサウンドである。そういう意味でやや主観的な音に思えるのだが、ネットワークやドライバー、イヤホンの構造が十二分に練り上げられているためか、音のアバレやバランスの悪さが全然感じられないところも良い。

鳴らしはじめてから一月も経たないイヤホンだと伺ったが、意外にこなれた印象である。音に硬さはなく、余裕のある、適度にほぐれた音が次々と繰り出されるところはイヤホンらしくない。一般的にイヤホンというとどうしても、出音全体が小さくかたまって凝集してしまい、実際耳で聞く音とは、かけ離れてしまいやすい。ハイエンドイヤホンでさえ、どうも余裕がないというか一生懸命さが前面に出て単調な出音になりやすいと感じていた。そういう時は脳内で自動的に補正をかけて聞くようになるのだが、それは脳へのストレスであり、場合によっては音のうるささという形で跳ね返ってくることもある。そういう場面が今回のリスニングには無い。

同じシリーズとなるRoxanneやAngieと同時にじっくりと比較しているわけではないが、ポタ研などで比較した印象から言えば、やはり価格の差は音の差として出ていると思う。簡単に言えばRoxanneやAngieの出音は他社の高級イヤホン、IE800、K3003、SE846の音と比べて特筆すべき大きな差がない。やや異端と思われるPiano forte Xなどを加えても、これらは従来のハイエンドイヤホンのバリエーションであると一括りに片付けられる。しかしLaylaはそれらのイヤホンの群れから性能面で抜きん出ており、同じ仲間には入らない。具体的には音響空間のスケールの描写、定位感、質感描写のきめ細やかさが一段上であるし、総合的な音のまとめ上げの巧さも際立っている。

それでもなお、TH900やEdition5、HD800やT1、AK812、PS1000eのようなハイエンドなヘッドホンと比べると足りない部分はある。やはり音場の広がりでは、どうしても開放型ヘッドホンには劣る。またLaylaでは低域の解像度は十分過ぎるほど確保され、中域はきめ細かく粒立ちがいいにも関わらず、意外に高域の伸びや解像度が抑えられている。高域が出しゃばって刺さるような音よりははるかに良いと思ったのだろうか。それともAK240にそういう高域の特徴があるのだろうか。(その場合は私の指摘は当たらないのだが。)いずれにしろ、今聞いている、この高域は少しだけ緩いし、上がつっかえているように思う。もちろん、それは小さな問題であり、それによって帯域ごとの解像度のバランスが崩れているとかいう言い方は当たらない。むしろ私の知っている、どのイヤホンよりも上手く音をまとめていると褒めてやるべきなのだが、この価格のイヤホンとしてはやや気になる。やはり、上記のヘッドホンたちの二倍以上の価格であることを考えると、もう少しこのイヤホンが安く買えたらなと思う瞬間はなくはない。

多少の瑕疵はともかく、JH audio+Astell&Kern Laylaは、非常に音の良い最先端のユニバーサルイヤホンであり、イヤホンサウンドのブレークスルーと言ってしまいたいモノだ。イヤホンはさらなる高みに昇った。本当にどこまでイヤホンの音は良くなるのだろう。イヤホンの性能は青天井なのか?このクロスオーバーネットワークの設計と小さな空間への実装、イヤホン自体の構造と素材の工夫、絶妙な音のまとまりはJerry Harveyの持つ技術と感性の集大成と言えるものだろう。ただ、このイヤホンの片側のロゴ以外のどこにAKの出番があるのかが、いま一つ分からない。ディストリビューターとしてのAK?それなら別にロゴマークを印刷までしなくても。AK社以外のDAP、ポタアンで鳴らすのは、マッチングが悪いなどということも無さそうだが・・・・。
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告白すれば私はAK240を少ししか触ったことがない。だから偉そうなことを言う権利はないかもしれない。AK240は一度入手したのだが、ほとんどまともに聞かなかったし、そもそも、いわゆるDAPというもの自体に強い関心がない。ただ、新しい音が聞けないかと、密かに期待し、注意深く、広く公平に聞き耳を立てようとしているだけなのである。
確かに私はAK240の本当の実力を知り尽くしているとは言い難い。
だから、このイヤホンの能力をAK240が完全に引き出せているかどうかが分からない。

言い換えれば、私の危惧というのは適切な、あるいは強力なポータブルアンプを使った方が音はもっと良くなるのではないかということだ。Laylaは名実ともに、現代イヤホンの頂点である。これほどのイヤホンをAK240は本当に鳴らし切れているのだろうか?TELOS HPAやReLeaf E1のサウンドが頭をよぎる。あのリスニングでは聞き慣れたヘッドホンにもまだ途轍もない可能性、潜在能力が残っていることを教えられた。だから私はLaylaをAK240直挿しで聞いていて、ポテンシャルを引き出せていないのではないかという不安を感じる。特にAK240のボリュウムをかなり上げないと適切な音量が取れない場合などは眉間にシワを寄せてAK240を睨みつけたものだ。
Wagnusをはじめとする優れたポタアンとのコラボレーションもさることながら、例えばHUGOでこのイヤホンを鳴らせるとしたら出音はどうなるのか、あるいはPAW Goldではどうなのか。
とどのつまり、万策堂本人はAK240そのものについて大きな不満はない。だが、Laylaと組み合わせてどうかというと何とも言えない気がしているということだ。彼が夢想する様々な組み合わせによる可能性のサウンドはまだ彼の手の届かない場所にある。万策堂のレビューは全て私的なものに過ぎない。心あるLyalaオーナーのどなたかが別な組み合わせを試して、異なる視点からレビューを書いてくださることを願ってやまない。


Summary

秋葉原で大きな銃器・剣を持った少女の絵やフィギュアを見ると、30年以上前のハワイの射撃場での出来事を思い出してしまう。それは本物の機関銃というものを持ってみた思い出である。それは完全に鉄の塊という感じの機械であり、ビックリするほど重かった。ああいう重量物を美少女が持ち歩くなどということはありえない。ゴリラのような空挺部隊の隊員にしても楽なものではないはずだから。それに、こんなに美人でスタイルが良く、そして鼻孔ひとつない美少女など、現実世界のどこにもいない。
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このありえなさ加減、滑稽なほどのシュールなアンバランス・ミスマッチがいわゆる「痛さ」の本態ではないだろうか。
そして、私の掌に乗っかっている、奇妙な果実のように黒光りするオーバースペックイヤホン・Layla、これもまたシュールなアンバランスが横溢する、素晴らしき“痛さ”の結実のように思える。そう、電車の中や公園のベンチで本を読みながら、あるいは喫茶店のソファーでミルクティーをすすりながらイヤホンとDAPで音楽を聞くカジュアルな気軽さと、イヤホンオーディオに対する火傷しそうな程の情熱、それらの乖離から、その痛さの感覚は生まれてくるのである。
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スピーカー、デジタルディスクを用いた音楽再生、アナログなどの、クラシカルなオーディオに対するシンパシーを未だに感じている私のような者にしてみれば、実売33万円のLaylaとか直販で38万円のAK240SSなんかは、そういう“痛さ”の産物以外の何物でもないように見える。しかし、200万オーバーのNordostのインターコネクトケーブルはどうなんだとか、値上げで定価500万を超えてきたフォノイコライザーはどうなんだよと問われれば、あれはあれでかなりイタい。つまり金額の桁が違うだけで、同じ痛みを持つものどうしなのである。

要するに、この手の痛さが、実は素敵なことなのだという真実が、いつまでも一般常識になりきらないところにオタク=マニアへの冷たい視線の原因があるし、異なるジャンルのオタクどうしの無意味な非難の応酬の原因にもなっている。だが、これが素敵だと全ての人が思わないところにこそ、痛さそのものが存在する価値というか場所もあるわけだから、実にどうしようもない状況なのである。

サオリリス氏の言うように、だんだんと日本のオタクカルチャーは整理され洗練され様式化され、スマートなもの・無難なものに変わって行かざるをえないだろう。それは全てのカルチャーの宿命かもしれぬ。それでも私は、オタクたちのがむしゃらな衝動が“痛さ”を誘発し、驚くようなモノを作り出す様をもっと見たいし、もっと聞きたい。それが日本人の手になるものでなくってもいいほどだ。だからアメリカのイヤホンオタクが成し遂げたLaylaというブレークスルーに私は拍手を惜しまない。
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オーディオとは音楽を聞くスタイルにおいて、限りなく“痛さ”を求める趣味なのかもしれない。それがイヤホンであろうとスピーカーであろうと、素晴らしきオーディオの眷属(けんぞく)であることに違いはないのである。

# by pansakuu | 2015-02-26 21:53 | オーディオ機器

ヘッドホン・イヤホンオーディオについての無駄な会話:中野サンモールの磯〇水産にて

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ここは異郷か これは現実か
ただの余興か
真昼の光の中へと出てゆこう

Grapevine Silveradoより


MEZ: 今回は、お店に無理を言ってGoldmundのTelos Headphone amplifierとRe Leaf E1を二台並べて、ノーマルのHD800で一対一で聞き比べるという贅沢な試聴だったんですけど、どうでしたか?
GOZ: まさに甲乙つけがたい。どっちも良かった。まず音云々の前にE1はTelos HPAに比べて圧倒的に小さかったね。E1の大きさはTelos HPAの半分以下という感じ。実物を並べてみると驚きだったよ。Re Leaf E1の凝縮度はかなりのもの。持ち歩いて聞くなんてのは無理だけど、それにしても、どうやってこんなに小さくしたのかね。これだけ音がいいDAC+HPAとなるとどうしても大きくなるじゃない。OJIのBDI-DC24Aやマス工房のModel394なんかのトップクラスのヘッドホンアンプにかなり高級なDACを合わせた音、またはそれ以上の音があの小ささで手に入っちゃうのは凄いよね。BDI-DC24AもModel394もDACなしで、あの小ささなんだからねえ。
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MEZ: 私は箱の大きさはもちろんですけど、音の違いもかなりあるなと感じました。ムンドのヘッドホンアンプは全ての音の要素で最高点をマークすることを目指しているのに、そういうエッジなアンプにありがちな音全体のバランスの破綻がないです。GEM-1みたいな、インパクトの強い部分があるけど、どこか微妙にバランスが崩れてるようなモノとは違います。逆にE1は聞いていて突出した特徴がないと思えるくらい普通の音ですけど、個々の音の要素を意識して聞くと、非常に優秀で驚くし、ヘッドホンドライブの仕方が的確で過不足ない音です。
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GOZ: Telos HPAはそれを上回るドライブ力、破格の空間性で押しまくるよ。各楽器とかパートの分離感が半端ない。全域での解像度の高さもありえないほど。あれほどの音はこれから先も他では聞けそうもない。ヘッドホンアンプの部分だけでもOJI、マス工房はもちろん、NewOpt,、EAR、Luxman 、Audio design、Aurora sound、N modeなんかと比べて基本性能自体、違うはずだよ。ドライブ力の差をかなり感じたから。過去、駆動力や力感という点ではナンバーワンだったG rideのGEM-1を超えてる。以前、かなりお高いAgaraのヘッドホンアンプなんかも聞いたことあるけど、アレも勿論超えてます。Telosはヘッドホン出力ギリギリまでデジタル信号で持って行って、変換してるのかな。なにか他社のやってないことをいくつもやってるはずだよ。
MEZ: 圧倒的ですね。でもやり過ぎかなと。本来の音楽を作ったスタッフが想定する再生音の範囲を超えちゃってます。対するRe Leaf E1は安心して聞いてられますよ。真っ当な音に身を委ねていればいいような感じ。あの大きさにしては、かなりの高価ですけどね。もともと国産で、価格に代理店のマージンは入ってなさそうだし、円安やらスイスフランの変動やらもあるし、比較の仕方によってはTelos HPAは割高と思う人もいるはず。
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GOZ: 据え置きの複合機は最近面白いものがいろいろ出てきたからね。聞いたものの中では、普及クラスのものだと、Oppo HA-1とパイオニアのU-05がいいね。HA-1は熱いけど。外見だけだとMcIntosh MHA100はカッコいいよね。音はどこにでもありそうな感じだったが。聞いてないけどChord Hugo TTはかなり期待できそうだよね。アレが来たらほとんどの複合機は駆逐されてしまうかも。Hugo TTに対抗できそうなのは近頃出たものでExogalのComet Computer DACとか、MYTEKのManhattanあたりかな。exaSoundのe22もだね。極端に高いがヘッドホンアウトも優秀っていうNAGRA HD DAC+MPSとかQualia&CoのIndigo DACと近いレベルに行くような気がする。ただNAGRAとかQualiaはスピーカーオーディオでの使用が本来だからね、全体の価値としては比較できない。
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MEZ: そうやってHugo TTなんかをはじめとする、高級な据え置き複合機が出て来ても、E1とTelosの優位は変わらないんじゃないですか。Hugo TTはHugoの強化版という位置づけで、イギリスでは3000ポンドくらいってことは日本では60万円くらいになるはずです。Hugoの今の音とその価格とを考え合わせると、E1やTelosを超えるってことはなさそう。さしあたりはRe leafかムンドか、どっちにするか迷えばいい。
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GOZ: どっちを買っても最高峰を手に入れた満足はあるはずだよ。異次元のゴージャスさでキメたいならばTelosだろうけど、どこまでも正確で真っ当な音を極めたいのであればE1だね。俺はどっちかっていうとTelos。オーディオにはやはり元の音よりさらに良くなったような気がするくらい魅惑的な部分が欲しいから。そういうプラス アルファがE1にない。
MEZ: 私は買えるなら迷わずE1。Telos HPAの音は凄すぎてついていけない感じがあります。価格や占有スペースでも明らかにE1に分があります。いわゆるバランス接続もできますし。バランスだと微妙に力強さが増す方向で。
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GOZ: なんかオーディオのニュース見てると、欧米のハイエンドメーカー各社がヘッドホン関係のアイテムに手を出し始めてるでしょPASSもAyreもユニゾンリサーチもヘッドホンアンプを試作してるようだし。さっきも出たけどCHORDは据え置き型のHugo TTを出す。それにConstellation audioは次に出すプリメインにヘッドホン出力をつけようとしてる。まだまだ追随する動きはありそうだけど、かといってE1やTELOSのクラスまでのものを作ろうっていう気運はまだ今のところない。こんなに高価なHPAは売れないだろうと考えてるのか、所詮ヘッドホンだから、この程度でいいと思ってんのか、ただの様子見か。どちらにしろ、普通に考えたら、この先、数年はこの二つがトップということだろう。仮にもし他に凄いヤツが他に出て来ても、これらどちらかを手元におけば慌てないで済むだろ。
MEZ: 今日、聞いた限りだと、据え置きヘッドホンアンプとか複合機の高級化は価格とか性能の伸びはこの辺で一休みって感じですか。
GOZ: そうあって欲しい気もする。これ以上は迷いたくないからな。
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MEZ: ところで、さっきも現物ありましたけど、LotooのPAW GoldとかAK240とか出てますね。DAPのハイエンド化が、かなり目立つようになってきてませんか?ソニーもZX2出してきた。ポータブルでもリケーブルとかバランス接続とか話題に上りますよね?
GOZ: あくまでマニアの間ではでしょ。でも確かにカスタムIEMなどという、超マニアックなモノさえ徐々に市民権を得つつある。ポータブルの世界には、据え置きよりさらに激しく高級化の波が押し寄せてる。DAPなんか最終的に50万クラスまではいくんじゃない?この前どこかに書いてあったけどZX1用のGlove audio S1が出るらしいけど、ああいう機種を限った寄生的なアイテムまで出て来るところに、ポータブルオーディオの過熱ぶりを感じる。いろいろ後付けするアイテムが出て来るけど、AK240とかPAW Goldとかはやっぱり直挿しを目指すんじゃないか。やるならリケーブルとかバランス接続で音質を上げるっていう発想になる。あのクラスだと内蔵のアンプも良くなきゃダメだという意識が買う側にあるから。
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MEZ: 実際、PAW GoldとAK240をW60で一対一で聞き比べると、こちらもやっぱ音の傾向が違いますよね。AK240は柔らかさがあってスッキリ。PAW Goldは明確なモニター的な音で重心が低くて安定してる。操作性はAK240が上回りますが、GOZさんとしては音質とか筐体デザインとか含めると、こいつらも甲乙つけがたい?
GOZ: 俺は最終的にはPAW Goldが好きになったけど。AK240ってなんか音に浅いっていうか、浮わついた傾向ない?ゴールドのダイヤル以外は質実剛健なカタチと音ってことでPAW Goldがいいな。
MEZ: ああいうものは最終的には操作性で差がつくものだと思いますし、AK240の音はまとめ方が巧いですよ。それに音は少しも浮わっついてなんかいないと思います。それから、もうすぐ出るAK240のステンレスモデルAK240SSは音自体も違うっていう話で興味あります。私はAK240派ですね。なんかPAW Goldゴツ過ぎ。
GOZ: いやいや、そこがいいんじゃないの。プロっぽいデザインのDAPでしょ。ただ個人的には、どっちももう一皮剥けてくれないと、CHORD Hugoの音質にまでは届かないと思ってるけど。接続したヘッドホンやイヤホンに対するドライブ力がどっちもまだ足りない。
MEZ: それならポタアン使えばいいじゃないですか?
GOZ: それがさ、WAGNUSのアンプくらいしか、このクラスのDAPの直の出力を上回る音を出せるポタアンがないような気がすんの。ある?いいアンプ。
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MEZ: うーむ、KH-01P以外は、これって感じのものがすぐに思い当たらないですね。
じゃ結局ポータブルの王様はHugo?
GOZ: そうとも言い切れないよね。音はいいけど電池はもたないし。もともと大きくて重くて、しかもトラポも要るからかさばって持ちにくい。設定にも問題あり。アレは使ってみると小さい据え置き複合機だったな。そいうわけで、まだ絶対王者がいないワケだから、このポータブルの分野っていうのは、もっと伸びると思うんだな、性能も価格の上限もね。
MEZ: 同感でございます。

GOZ: そうそう、今日、聞いて思ったんだけど、ヘッドホンアンプの能力は明らかに上がって来てるのに、肝心のヘッドホン本体の性能アップが止まってちゃってる気がしない?SennheiserもFostexもbeyerdynamicも新たなフラッグシップを出さないまま年月が過ぎてる。HD850とかTH1000とかT2とかそろそろ来てもいいじゃない。
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MEZ: ダイナミック型に限れば、Gradoは地味にフラッグシップモデルの改良版を出してますし、Ultrasoneもぼちぼち出してます。それならと、Sennheiser、Fostexも、そしてbeyerdynamicも出してこないと盛り上がらない。Audio questのNight hawkはそれらのメーカーのフラッグシップと対抗できるかどうかはわからんですよ。だって、あれは9万円も行かないらしいじゃないですか。
GOZ: 高けりゃいいとは思わないけど。Night hawkはポタ研で聞いてみたら、フラットな音というか、ごく普通の音だったね、アレは。TH900とかHD800なんかと比べると、なにかコレっていう売りがない音だけど、全てがバランス良く、普通に音のいいヘッドホンって感じだった。8万だったら値段相応かな。かけ心地もいいしね。だがHD800あたりにはまだ敵わないとも思う。この分野にも新しい千両役者が出て来て欲しい。Focalがベリリウム振動板を使ったハイエンドヘッドホンを開発中とか、MURMASAに続くPandoraシリーズの旗艦のリリース予定とか、色々と噂はあったのに。それからオーディオテクニカは最近なにしてんのかな。なんかパッとしないじゃない。ハイエンドなヘッドホンという意味でさ。
まあ、静電型に関しては、Hi-Fi man HE 1000だな、期待のヘッドホンとなると。HD800を上回るという噂だが、STAXのSR009をも上回るような音なのかな。
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MEZ: HE 1000がSR009を超えるのかどうかは聞いてみないとねえ。ペアを組むヘッドホンアンプEF1000の出来にもかかってる。
なにしろヘッドホンは全く新しい技術で音を出すタイプとなると、なかなか出てこないんですね。HE1000だって全く新しいタイプのヘッドホンじゃないです。ブレークスルーがない。例えばヘッドホンのほとんどはドライバーユニット一発でフルレンジスピーカーみたいな鳴らし方しかしてない。ユニットを増やして、ネットワークで管理するヘッドホンはまだ成功例を私は聞いてないんです。
そうそう、忘れてましたが、CES2015でEnigma acousticsってところからDharmaっていう画期的なヘッドホンが出てましたね。詳しい情報がないんですが、高域を静電型ドライバーに、中低域を和紙で作られたダイナミック型ドライバーに受け持たせるという、静電型とダイナミック型をハイブリッドしたヘッドホンだとか。$1200っていう予価があることからして、そのうち市販されるようですね。スケルトンのヘッドホンアンプと合わせて発表されてて楽しみです。このメーカーの外付けスーパーツィーターはもう日本で売ってますから、待ってれば日本で買えるようになるかも。
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でもまあ、革新的なのは、このヘッドホンと既存のObravo HAMT-1くらいなもんでね。
一方、イヤホンはドライバーが複数あるのはごく普通。カスタムIEMからさらに進んだ音質のオーダーメイドなんていう企画もあるし、36万もするJHのLayraがアッと言う間に売り切れたりとか。やはりイヤホンは勢いあります。
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GOZ: そう、Enigma acousticsのDharmaもHE1000もまだ来ないんだけど、今年もポタ研へ行かないと、時代に乗り遅れると思ってね。大混雑なのに行ったのよ。
JH audioのLayraは確かに凄くって、イヤホンで初めてほぼ完全な三次元空間を感じたね。各楽器の分離とかスケール感とか、凡百のヘッドホンは負けそうだったね。Angieは予想の範囲内というか高級イヤホンのバリエーションって感じだけど、Layraはホント面白かったね。個人的にこのイヤホンにTELOS HPAを合わせたらどうなるか、興味がある。その他はanalog squared paperのTR07HPとかさ、結構、個性的でそそられたね。マス工房のデカいポータブルフルバランスアンプの鮮烈だけど正確な音とかも印象深い。そいからOppoのHA2とPM-3のペアは値段を考えると完璧すぎるサウンドだったね。大家電メーカーが力を結集して作ったような音してた。音だけだとSONYかと思ったよ。
MEZ: もうこのジャンルでは日本の音響家電の大メーカーは中国や韓国のメーカーに、ほとんど負けそうなのがはっきりしましたね。そういえばAK500Nはどうでした。
GOZ: AK500Nは聞いたけど、SONY, ヤマハ、ONKYOあたりの製品とは値段も性能もデザインも格が違うわけだし、あの優秀なSforzat DSP-03と比べてさえ、あまり遜色ないなあ。それからAK500Nはヘッドホンアウトついてるんだけど、それこそ聞いてみたいな。

GOZ: ところでさ、世の中の基本的な流れとして、イヤホンとかヘッドホンは学生とか就職したての若いうちにやっていて、それなりに出世して収入が増えるにしたがって、ヘッドホン・イヤホンは卒業、スピーカーの方へというのがコースとして考えられてて、それに意識的にまたは無意識に乗っかろうとしてる人がいると思うんだよね。オーディオ雑誌とかブログ見ていると、やっぱりスピーカーで聞こうよとか聞きましょうよとか、時々書いてない?結局はスピーカーにみんな収束していくという話は分からないではないのだけど、なんか引っ掛かるんだよね。
MEZ: 何がです?それは自然の流れみたいに思ってましたけど。
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GOZ: 散々スピーカー聞いてきた感じで言うと、今の時代、実はスピーカーオーディオって、もうそんなに面白くないのよね。俺がスピーカーで面白い、凄いと心底思ったのは随分前にジャーマンフィジクスっていう会社で作っていたDDDドライバーを聞いた時が最後なんだ。その後も小さい感動とか感心はいっぱいあるけど、俺個人はスピーカーでそれこそ何年も心の底から大感動したってものに会ってない。そういうわけでもうスピーカーってものはグレードアップしようとしても、ただ高価でデカくなってゆくだけで、感動の伸びしろは、ほとんどないんじゃないかって思ってるのよ。テクニカルにも、能率は低くなる一方で、アンプに負担はかけるし、カネもかかるし。スピーカーの持ち味を出すために、アンプを強化するしかない状況さ。逆にスピーカーがアンプの良さを引き出すように働く場合がかなり少ない。誰かが言ってたけど、スピーカーが一番サボってる時代なんだよね。もっともっと能率が高くして、ワイドレンジでハイスピード、高解像度っていう現代的な音を出せるスピーカーがあってもいい。こんな感じで不満が渦巻くスピーカーオーディオっていう場所にあえて誘い込むのもねってちょっと思う。とどのつまりは余計にカネを使わせたいだけじゃないか?業界ぐるみでハイレゾとか言って騒いでるのと同じ目論見じゃないかっていう思いはなくはない。ヘッドホンとかイヤホンは耳の健康に悪いとか、音楽の全体像がわかりにくいとか、欠点は色々あるけれど、オーディオとしてはまだまだ伸びしろがあるエキサイティングな分野でることは間違いないんだ。スピーカーを始めたからって、それは忘れないで欲しい。
MEZ: 確かに、ヘッドホン・イヤホンはやっている人間を飽きさせないだけの展開がありますよね。スピーカーはマンネリズム。
GOZ: そこでTelos Headphone amplifierとRe Leaf E1を聞き比べた話に戻るけど、この二つを並べて聞いてると、ついにヘッドホンオーディオもここまで来たかという感慨がある。この音って心底面白いんだよね。Magico Q7よりも面白い。
MEZ: つまりGOZさんみたいに、スピーカーオーディオをずっとやっていて、つまらなくなってヘッドホンやイヤホンに行くっていう経路もアリってことが言いたいんですか?
GOZ: そうなのよ。似たような話だけど、ずっとデジタルオーディオを追っ駆けてきて、もうつまらなくなって、行き詰まったところで、アナログオーディオに救われたってのもある。つくづくオーディオの辿る道ってのは一直線じゃないと思う。
Telos Headphone amplifierとRe Leaf E1はスピーカーに飽き飽きしたオーディオマニアが、全く別な使い方、全く別な音を指向するセカンドシステム、サードシステムを構築するっていう寄り道としても強く推奨できる。
MEZ: そうですね、今夜は夜更かしして音楽を聞くぞって金曜の夜に決心しても、そこでスピーカーを土曜の朝まで目一杯使える人なんてほとんどいないわけで。そこで昼間に聞くオーディオとは全く性質の異なるセカンドシステムが重宝なのは当然です。だいたい、夜にしても昼にしても大音量でJazzやクラシック聞きまくるっていう趣味自体すでに終わってるというか、もう時代遅れかなって思うし。家族・近所に騒音の迷惑かけてまで趣味をやって、周りもテキトーに許してくれるっていう、大らかな気風はもう日本の都会には残ってないです。でも肝腎のヘッドホンの音のクオリティが、今まで、どんなにカネやセンスを駆使しても、スピーカーオーディオに肩を並べられなかった。それがTelos HPAとE1によって解決されようとしてます。

GOZ: カネとセンスねえ。オーディオってのはさ、カネでどうにかなる部分とカネだけじゃどうにもならない部分ってのが混在しているから、それを整理し区別して考えることができないと上達しないと思う。機材の外観の美しさとか操作感とか、音質の客観的に見たクオリティとか、あるいはリスニングルームの音響とか、そういうものは札束の重さに依存する。だけど、自分の好みをよく知ったうえでの機材の選択、機材の組み合わせの巧さとか、ちょっとした使いこなしで潜在能力を引き出すとかいうのは、カネじゃなく使い手のセンス。センスを高めるには自分を磨くしかない。それは耳がいいだけじゃダメで、様々なオーディオをいっぱい聞いて経験値を高める、オーディオ技術の教科書を読んで勉強、他の人のオーディオルームでノウハウを盗んだりして知識も豊富じゃないと。音楽自体にも詳しくて、そのうえ自分でも使いこなしのアイデアが次々湧いて、試行錯誤を億劫がらない。なによりも、今あるものを壊したり、それに新しいものを付け加えたりすることに躊躇しないこと。音が良ければNewモデルだろうと、中古だろうと、どこの国の製品だろうと、アナログだろうとデジタルだろうと差別はしないのも重要。そういう使い手の柔軟な態度の総体がオーディオのセンスだ。カネとセンスの両輪がうまく回らないとオーディオは前に進まない。
MEZ: 以前、広大で天井の高い専用のリスニングルームにお邪魔したことがあるんですけど、あずましくないって言うか。かなりカネがかかったリスニングルームなんですけど、音響調整材に四方八方囲まれて真ん中にポツンと一人掛けのリクライニングがあるような感じ。オーナーさんは私を残して外へ行っちゃうんですよ。居ると音が悪くなるからとか言って。恐ろしく殺風景で孤独でした。
GOZ: 部屋が立派過ぎて、逆になにかが違うって感じたってことか。部屋は適度に広いほうがいいとは思うけど。でもルームの音響調整にカネをかけりゃいいってもんでもないということは確かだ。近頃は海外製のオーディオの値上げが酷いから、どうしてもカネの話になりがち。しかし、それは全体の50%以下の話だ。ぶっちゃけた話、一千万オーバーの製品の多くは500万円近辺の製品と実力差はほとんど認めなかったりする。一千万円超えた場合は無意味に高いモノが多くなると思う。富豪の金銭感覚に合わせて値付けして儲けてるだけなんじゃないか。
MEZ: ムンドなんかもそうでしょうか?あの値上げ見ました?
GOZ: 見た見た。GOLDMUNDはどうしてあんな無茶な値上げするかね。下手すると元値のほぼ2倍。ムンドって日本で言われてるほど酷いメーカーじゃなく、音は素晴らしいんだけどな。ハイエンドオーディオとしての実力はあるのに。もう日本では事実上は売らないつもりかな。でもTelos Headphone amplifierだけは値段据え置きだぜ。これも何を考えてるのか。逆に言えばムンドのHPAについては最後のチャンスではある。
MEZ: 実売価格含めて検討してくと、本当にRe leaf E1とTelos Headphone amplifierは本当にいい勝負なんですよね。迷うのは分かります。
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GOZ: 君の中ではAK240SSとPaw Goldが火花散らしてるんでしょ。AK240が苦手な俺もステンレスモデルには惹かれましたよ。SSモデルはかなり重厚かつ堅牢なものだったよ。高級感は半端ない。PAW Goldもその点じゃ負けてる。音の方はノーマルとSSと比べても、微妙な違いだね。ちょっとノーマルのAK240よりも透明感が増したうえ、やや安定感があって落ち着いた音かなあ。ZX2はまたまた遅れを取った。開発がワンテンポ遅いんだ。製品企画自体にも冒険がない。AK240SSと比べたらかなりチャチなものだ。
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MEZ: なんにしてもAK240SS欲しいですね。ポタ研で聞いてみたかったです。やはり試聴はイベント頼みのところがありますよね。eイヤさんでは地方巡回イベントをやるとか。これも新たな試みですよね。とにかく聞かないことには始まらないんだから、イベントを利用して皆で聞いて、さらに盛り上げて欲しい。
あれ、ビール飲まないんですか。
GOZ: 今、禁酒してるのよ。付き合いで取っただけだよ。オレンジジュースないの?
MEZ: えー、盛り下がるのはスピーカーオーディオだけにしといてくださいよ。ビールぐらい飲んで気分良くしたらどうですか。
GOZ: いや、俺は憂いてるんだ。
MEZ: もしかして日本の将来をですか?
GOZ: それはもう諦めてる。オーディオの将来の方が心配だ。ごく僅かの大金持ちがやる、超高価なハイエンドオーディオと大したカネを持たない人達のためポータブルオーディオ、チープなスピーカーオーディオの二極が残って、その間の価格帯の中堅製品がガバッと無い。そういう構造になりゃしないかとね。これはトータルではオーディオの空洞化ですよ。
MEZ: 明日の心配なんてしないでくださいよ。なるようになります。そんな酷いことにはならんです。いざとなりゃ、老いぼれどもや臆病者たちを跨いで自分だけ先に行きゃいいんですよ。
GOZ: そうだよね。行き先がユートピアだろうがディストピアだろうか、もうどうでもいい。というか最初からどうでもよかったのかも。いろいろあってもオーディオを前に進めてゆくことだけは確かなんだからな。
じゃ、ジンジャーエールひとつ。
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# by pansakuu | 2015-02-06 22:07 | その他

Kiso acoustic HB-X1の私的インプレッション:冗談の対価

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冗談はしばしば真実を伝える手段として役立つ。
フランシス ベーコン



Introduction


大した話ではない。

あの日、私はオーディオショウに出向いていた。
一通り聞いたのち、15時となったのでブレイクを取った。
毎年やるように会場近くのビルの一階にあるチョコレート屋に入って、
奥のカウンターに陣取った。
ステッキのハンドルをカウンターの板の端に引っ掛け、
チョコレートドリンクを頼み、顔を頬杖で支えていると、メールが来た。
「今さっき、会場に来たのですけど、もしかして来てらっしゃいますか?」 
という内容だった。
ほう、随分と久しぶり、と返しつつ、このチョコレート屋の場所を教えると、
せっかちなその人は、あっと言う間にやって来て、私の隣の椅子に座った。

会場で買った何枚かのアナログレコードのジャケットをふたりで手に取って眺めながら、
そして、アフリカの様々な土地のカカオの香りの相違を愛でながら、
我々は取りとめの無い話をした。
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その時、話題に上ったのは、
たまたま私がシャレで持ってきていたステッキだった。
その人は、それをどこで手に入れたのかを知りたがった。
火の精であるサラマンダーを象(かたど)った銀の把手のついた黒檀のステッキである。
サラマンダーの目には緑瑪瑙が嵌め込まれている。
まるで本物の魔法道具みたいですね、と
新しモノ好きのかの人は目を丸くしてそれを見つめていた。
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私は冗談交じりに、このステッキを売っていそうな店を教えるから、
貴方が大事にしている、あの小さなスピーカーを借りたいと申し出た。
あくまで、笑いながら、である。
それは、写真を見たりレビューを読んだりして気になっていた
Kiso acoustics HB-X1というブックシェルフスピーカーである。
もちろん、唐突にそう思いついたわけではない。
その人が鳴らし始めて、半年くらい経った頃合いを見計らってのことだ。
あれはなかば「楽器」のようなスピーカーだから、
鳴らし込みで音が大きく変わるタイプなのである。
音が安定していい音を出しはじめるのは、それなりに時間が必要だ。
半分冗談で笑っていても、
もしかしたら本当に借りられるかもしれないのだから、
抜け目なく考えを巡らせていた。

互いにレコードを分け合って、気持ちよく、ごきげんようを述べ合った直後、かの人からメールが来た。私の現住所の確認である。スピーカーを送ると言う。冗談が本当になる。オヤオヤ、このせっかちな人は本当にステッキ一本のためにスウェーデンまで出向くつもりなのだなと、少々驚いた。


Exterior and feeling

Kiso acoustics HB-X1は、簡単に梱包して気軽に送り出せるほど、コンパクトで、さりげないスピーカーである。だが、このスピーカーに特有の綺麗なエンクロージャーの仕上げに注目すると、他の多くのライバルを出しぬいて、このスピーカーが強いオーラを放っているのが分かる。(写真は高峰楽器製作所様のHPより拝借いたしました)
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このスピーカーを後ろから眺めると、背中のカーヴした曲面を縦に走る細かな木目に視線が行く。この木目は滑らかな面の奥に艶やかな光を沈着させつつ、下方へ流れ落ちてゆくように見える。私はこの背中の曲面の柔らかさに、女性の臀部に感じるような微かな色気を感じる。サイドパネルには、繰り返す木目の縞模様がクッキリ浮かびあがっており、自然素材の持ち味が見事に生かされている。
これらの部分は厚さ数ミリの無垢のマホガニー材で出来ていて、最近多くのスピーカーのエンクロージャーに使われる金属、あるいは数センチもの厚さのあるMDFに比べると軽薄で、たよりないものである。好んで、このような素材、かつて生物の一部であった材質を最小加工で使うところに、最近のガチガチに硬く作られたスピーカーたちとは異なる、柔軟な発想がある。デザイン全体を見ると、これは単純に理詰めの機械的な道具ではなく、生物的・人間的な要素が多分に加味されて成り立っているモノのように見えた。
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フロントバッフルは面取りされたハードメイプルをピアノ塗装で仕上げたもの。この部分は、側板や背面の微かなたわみを感じる柔らかさとはやや異なり、硬くカッチリした印象がある。すなわち、このバッフルはエンクロージャーのその他の部分と質感や形の点でコントラストを成しており、この小さなスピーカーに深みのある表情を与えている。
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そして、ここには径10cmの何の変哲もないピアレスのコーン型のウーファーと、黒檀を成形した径1.7cmのリングホーン型のツィーターが取り付けられる。私個人は、これらのユニットを留めるネジに金メッキやロジウムメッキ等のコスメテックな装飾をしてくれたら、さらに面白かったのではないかと思う。このスピーカーを正面から見ていると、この価格にしては少し寂しい感じがするのだ。恐らく音質上は不必要であろうロジウムメッキの銘板はつけたほどなのだから、そこまでやっても良かったはずである。なお、ここに使われているネジは鉄製なのか、少々サビのようなものが出ていた。これはあまりよろしくない。

このスピーカーの印象を決定づける、輝きを内に秘めるような木材の選択・高精度な組立・塗装の美しさについて、似た外観を持つスピーカーを見つけるのは難しい。類似した楽器型のスピーカーとしてフランコ セルブリンのスピーカーと比較されやすいが、実際に見比べると全く違うものだろう。HB-X1はイタリア人の感性よりも、さらに軽妙でシンプルな感性によるデザインである。フランコ セルブリンのスピーカーについては、あれは開発者本人の発明したオリジナル楽器のようなところがあると思う。あのメーカーの作品にはイタリア人特有の天才的なひらめきが横溢しているし、時にしすぎている。
一方、KisoのHB-1やHB-X1はあれほど独創的ではない。これはアコーステックギターの作りをスピーカーに応用したものだ。ギターを見慣れた者にとってはそれほど奇抜なものではない。

HB-X1はエンクロージャーの基本的な製法が、ギターに準じているだけではない。例えばこのスピーカーの側板の辺縁部には二本の細い線が見える。これはよくギターやヴァイオリンの縁に見られるライン、パーフリングである。これは二枚刃のパーフリングカッターでラインを縁に彫り、その溝に各種素材を嵌め込んでゆく加工により生まれる装飾である。このスピーカーでは控えめすぎて一見では気づきにくい。さらにその外側に縁にはローズウッドを使ったバインディング、すなわちギターのネックやボディの角に沿ってつけられた異種素材による飾りがつけられている。ローズウッドがワシントン条約により、入手しづらくなっていることから考えて、豪華なものなのだろうし、高級な楽器としてのスピーカーというコンセプトをアピールしているのだろうが、こちらはパーフリングよりさらに控え目でわかりにくい。 

このスピーカーに関してはエンクロージャーの内部についても美しく仕上げられている。内部の写真を見ると、側板を裏打ちする数本の力木(ちからぎ)、背面を裏打ちする二本のブレーシング、入念に仕上げられたバスレフダクトなど、外見と同じくなかなか精巧に作られているようである。以前AVALONの大型スピーカーの内部を覗いたが、吸音材の入れ方はそれなりにテキトーな感じだったし、はみ出した接着剤もかなり残っていて、お世辞にも綺麗なものじゃなかった。音に支障なければ一応、問題ないのだが、価格を考えるとどうかとも思った。一方、昔読んだヴァイオリン製作に関する本の中に「将来、修理で箱を開けられたときに、内側がぞんざいな仕上げだと思われるのは、今から気持ちが良くない」と書かれていたのを思い出す。HB-X1は、そういう高級なアコースティック楽器製作にありがちな真面目さに溢れたスピーカーなのだろう。

実物を手に取って見ると、思いのほか重いとでも言おうか。片チャンネル5Kgあまりのスピーカーである。それにしても小さい。こんなに小さなスピーカーが左右ペアで170万円もする、スタンド抜きで。それは単にこのスピーカーの音の良さへの対価ではあるまい。歩留りの多さだけでもないだろう。この外観の美に対してもお金を支払うということか。ルーペで各部を拡大して見ても、いささかのパーツの取り付けのズレ、工程中に付いたキズはもちろん、あらゆる修正の痕跡すら見当たらない。
ただし、この手にあるスピーカーを間違って取り落としたりすれば、簡単にエンクロージャーに割れやヘコミができそうで怖いということはある、借り物だけに。こういうデリケートさも、このスピーカーの作りの中に内含されている気がする。
だが、このデリケートさも、このスピーカーの良い特徴のひとつに数えていいのではないかと私は思い進める。つまり、このデリケートという言葉には、スピーカーが置かれた環境に対して生き物のように敏感に反応するという意味も含むのだ。リスニングルームの気温や湿度、ユーザーの普段聞く音楽の種類や音量で、この不確定要素の多いスピーカーの音色は微妙に変化してゆくだろう。それはこのスピーカーの使いこなしを、とても面白いものにしてくれるに違いない。

ところで、このように小さなブックシェルフ型スピーカーセッティングではスタンドの選択が重要な要素である。
今回、別梱包で送られてきた純正のスタンドはかなり重厚なもの。スパイク状の足がついた厚い金属板の上に、天板のついた円筒を立てるというものだ。その天板の上にスピーカーを載せるが、スピーカーと天板の間には防振ゲルのような透明な素材を介在させる。この載せ方だと、エンクロージャーの響きをスタンドの金属が殺すこと無く、音が柔らかく広がるだろう。なお、スタンドを構成する金属板は分厚いしっかりしたもので、安物感はないものの、このスタンドのデザインがスピーカーの格に合っているとは思えない。もっとHB-X1にデザインを合わせて曲線を取り入れてもいい。Raidhoやフランコ セルブリンのスピーカーのスタンドに比べて格好が良くないのは反省点か。


The sound 

試聴とは、その始まりがいつも危うい。
蜘蛛の糸の上、真夜中の綱渡りの始まりのように。
満足か失望か。褒めるのか、貶すのか。
その境目に危ういバランスを保ちながら佇んで、
真ん前の綱を見据える綱渡りの曲芸師よろしく、
私たちは未知の機材たちと向き合う。
ついに初音が出る、その瞬間はいつもエキサイティングであり、
その興奮は麻薬的な習慣性すら併せ持つ。

このHB-X1は一曲目から、強い浸透力を持つサウンドと聞けた。
心の隙間や襞に入り込み沁みとおる、潤滑油のようなサウンドに聞こえた。
これは滲みる音だ。
このスピーカーから出てくる人の声は暖かいが、緩くない。緩くないがスイートで聞き疲れない。聞き疲れないが、解像度はすこぶる高く、声の調子の隅々までクッキリと聞こえて、細部は逃さない。細部は逃さないが演奏のスケール自体は、この規模のスピーカーとしては有り得ないほど広い。左右の間隔は2m以上広げたいものだ。思いがけない音の広がりとその広がりを満たす情報の密度の高さ、両方に意外性のあるスピーカーだから、それを生かしたいのである。
瓢箪から駒という諺を想起する人もあろうか。瓢箪のあの細い口から馬が出てきたら、タネがあれば手品だし、タネがなければ魔術である。いずれも英語ではMagic(マジック)である。HB-X1の音はそのスピーカーの外観からすればマジックと言うべきものだ。
オーディオにはマジックとリアルがあるとMagicoを主宰するアーロン ウォルフは述べたが、このスピーカーがどちらの領分に多く属するのかは聞けば明らかである。

確かにMagicoやWilson、Vivid等の最新のスピーカーが目指すような、針で衝いたほどの隙もない高音質を求めることはできない。ダイナミックレンジもそれらの製品ほど広くはないし、SNが特筆できるほど高いわけでもない。超高域や超低域などは当然ロールオフしている。果てしない性能追求から来る音全体のリアリティという面では最新鋭の高価なスピーカーたちに一歩劣る。そのかわり、そういう完備された理詰めの音質には滅多に宿らない、音の深い艶に惹かれる。それは味覚で言えば旨味のようなものであり、ヒトという生物が生理的に快楽と感じる音の要素である。私の聴覚は音の柔軟性や明るさ、温度感や色彩感を総合的に捉えて、音の艶と感じているのだろうが、それが科学的になんと名付けるべきかはあまり口にしたくない気もする。恐らくそれは共振のようなものだろうから。悪い言い方をすれば余分な響きなのかもしれない。しかし、このスピーカーのエンクロージャーが持つ麻薬的な響きに惹かれるのは事実。これもまたマジカルな要素だ。

チョークで黒板を引っ掻くと、時折に出る嫌な音がある。これが他の何の音に似ているかを研究した人がいる。それに最も近かったのは、野生のサルの群れに危険が迫っていることを知らせる、見張りのサルの声、警戒を促す叫び声だったという。この話を進化論に沿って考えれば、万人が不快と思う音は進化の過程で遺伝子に織り込まれた危険情報だったことになる。
逆に万人が心地よく感じる音もやはり我々、ヒトという種の遺伝子に記録されているのかもしれないと私は勘繰る。しかし、実際のオーディオの世界では、正確な音というものに厳密なコンセンサスがないのと同様に、人の感性の違いによってさまざまな美音が存在し一定しないように見える。だがそうであっても、美音の核となる部分、つまりほぼ万人が美しい音と感じるストライクゾーンが存在することは否定できまい。現にHB-X1の麻薬的な美音を聞くと、そういうゾーン、おそらく遺伝子に記録された生理的な快音の領域があることを信じたくなる。HB-X1の作者は、このゾーンを見つけ出し、自分の作るスピーカーにそれを発声させるように仕向けたのだ。意図していなかったにしても、結果的にそうなっている。

人声や弦楽器を得意とするスピーカーであろうことは、その外観から想像できるが、まさにそうである。ビキューナの毛で織られた生地のように柔らかで軽く、血の通った暖かさが、このスピーカーの音の触感であり、これは人の声、ことに女性の声を麗しく表現する。あるいはヴァイオリンやギターの音を鳴り響かせることについて明らかなアドバンテージを発揮する。また下位モデルのHB-1に比べると、声や弦楽器の音のディテールに、より深く関心を払った描写をするところに価格差を感じる。HB-X1には、それが再生できる帯域全体において平等な解像度の高さがある。また、細かい音がつぶさに聞こえるのみならず、それらを聞かせるだけの音の勢いもあり、サウンド全体の重心も低い。それらの意味でもHB-1を上回る。ネットワークやエンクロージャーの改良は確実に効いている。ジャズボーカルとか、弦楽四重奏などの演奏、つまり声、アコースティック楽器、小編成、ビートよりもメロディ、などという言葉で語れる音楽については、大型でさらに高価なスピーカーを越えた安定した高音質が得られる。
そういえばHB-X1が出ても、HB-1がオンステージした時ほどの物議は醸さなかった。あの時はなかなか騒がしかったのに。今回はもう馴れたのか、こんな割高そうなスピーカーに関心がなくなったか、それともHB-X1が有無を言わさないほどの性能を身につけていたからか。私としては最後の説を取りたい。

では、オーケストラの演奏の再生はどうなのかと必ず聞かれる。大編成の曲は不得意では?と意地の悪い質問である。これについてはいろいろな捉え方があるとは思うが、この箱の大きさにしてはかなり健闘していると言うべきだろう。前に述べたとおり、このスピーカーの大きさを考えれば明らかに不釣り合いなスケールの音である。とはいえ、等身大のオーケストラと言いたくなるような、のけぞるくらいにリッチでスペイシーなサウンドが出てきて圧倒されるようなことはない。過度の期待はしないことだ。

むしろ、このスピーカーには音源の秘密をそっとひもとくような、奥ゆかしさがある。
その秘密とは、現代のオーディオが失いがちな、繊細でどこか危うい均衡のようなもの、微かな湿り気を帯びた、生きている演奏者の気配であり、それが粒立ちよく、明瞭な音のバックに雰囲気として感じられるのがいい。
暗渠をゆく、ファントムの小船の航路のように鬱々として隠微な調べでも、
冬の澄み通った青空を高速で流れる雲のような、颯爽としたメロディも
人心が最も心地よく感じるようにHB-X1は演奏してくれる。
だが、真夜中のフロアで流れる、ベースミュージックのような重低音のビートが連続する音楽などは不得手である。また、一部のアニソンのように、人工的な音を多用し、タテ乗りで動きの速い音楽も合わなかった。人工的な重低音を十分に再生しうるほど、採用されたスピーカーユニットには低域の余裕や伸びがなく、ごく早いテンポについてゆくようなクイックでハイスピードな応答を目指したエンクロージャーでもない。このスピーカーを開発した方は、そういう音楽を聞かない人だろうし、このスピーカーの開発過程でそういう音楽でテストしなかったのだろう。そしてこの個体のオーナーもそういう音楽を一切鳴らさなかったはずだ。(このスピーカーは普段かけている音楽に寄り添うような風情がある)
実際に色々な音楽をこのスピーカーを通して聞いてみれば、その真面目な音造りにして、退廃や倦怠にさえも難なく及んで行ける懐の深さと洗練された情緒があるのに誰しも気づくはず。それは巧みに音作りされた楽器的スピーカーならではのものだろう。だが、上記にごとく、その音作りには死角もある。

このスピーカーは能率が低いので、数ワットしか出力のない300B 等をつかった非力な真空管アンプだと朗々と鳴らすことが難しい。だが数百ワットの出力を持つ高価なモンスターアンプも実はマッチングが良くないようだ。一聴すると物凄い音が出てくるようにも思うが、聴き込むとアンプの持つ力感や情報量が絞られてしまい、上手くスピーカーから出てこないような気がした。結論として、出力100W~200W位の普通の出力のパワーアンプで鳴らすのが一番いいということになった。そんなにアンプにカネをかける必要はないのだ。あえてやるならdartzeelのステレオパワーで、あくまで素直に駆動するとか、あるいはdevialetにHB-1に適合するSAMをかけたものでドライブすると面白いかもしれない。以前、信号にソフトウェア制御をかけるSAMを使うとHB-1がワイドレンジな万能型スピーカーに変わると言っていた方がいたのが気になっている。HB-X1を接続したならどうなるだろう。このスピーカーの潜在的な能力がさらに増幅される可能性がある。

なお、HB-X1は、他のスピーカーとの比較がやりにくいスピーカーである。同じ大きさのスピーカーと比較しようとすると、かなり価格帯の下のスピーカーと音を比べなくてはならないからだ。
いわゆるブックシェルフスピーカーと呼ばれる、2~3ウェイぐらいの小型スピーカーには秀作が多い。現行品で価格帯について考えなければ、Dynaudio Confidence C1、TAD CE-1、B&W 805Diamond、Fundamental RM10、Sony SS-NASESpe、フランコ セルブリン Accordo、PIEGA Coax10.2、Magico Q1、HABETH Monitor20.1あたりがすぐに思いつく。HB-X1はQ1を除く、これらどのスピーカーよりも高価であるが、私の中では音質上でもほぼ価格に比例した結果を示す。それは測定可能な音響性能のみで、他のスピーカーに勝ると考えるのではない。測定不能なファクター、すなわち曲や演奏者の情緒に寄り添うような音楽性、麻薬的な深い艶を持つ落ち着いた美音が、他のどのスピーカーよりも優れていると思うからだ。(ただ、それを含めて考えても強力なアンプで駆動されたCE-1やQ1の性能はやはり別格と思うが。)万策堂の頭の中のいい加減な比較が真実なのかどうかはともかくとして、上記のように音楽のジャンルによって得手不得手があったとしても、彼にそう思わせるほどだから、このスピーカーはやはり大したヤツなのだろう。

金属製のエンクロージャーと、最新のソフトウェアで設計されたネットワークのロジックが鋼のようなディシプリンで統率する、なんでもござれのハイエンドサウンドも一興だろう。しかし、マジカルな洗練に引き付けた目も綾な音の艶や、HB-X1独自の音楽の解釈にも説得力があると言わざるをえない。
要はスピーカーに、なにをどこまで求めるかである。
とどのつまり、どんなに高価で素晴らしい音を奏でるオーディオも
限定されたメリットを我々に与えてくれるに過ぎない。
はっきりした死角はないが、なんの専門分野もない平凡なスピーカーよりは、
HB-X1のような、緩やかながらスペシャリティを持つことの賢さに、
より強く感嘆符を打つべきではないかと私は思う。


Summary

あの日、あのカウンターで
私達はステッキについて話し合ううちに、
モノと出会いに話題を移していった。

例えば、
ステッキを買おうと思って銀座の専門店に行くとする。
長さ、重さ、色、先端のデザイン、把手の形。
自分がイメージする、自分の格好にフィットする品物は既製品にはなかなかない。
そういう場合は仕方なくステッキのパーツごとのパターンメイドを考えるが、結局は各パーツについて、既にある何種類かのバリエーションの中からから選ぶしかない。さらに、完全なオーダーメイドで作るとしても、良いモノが出来るためには、オーダーする自分自身に並はずれた感性の冴えがなくてはならない。仮に、それがあったとしても、経験上、自分の予想を超えるようなモノが出来上がることなんて、まず期待できない。
その人はそういう趣旨の話をした。

そういう軽い絶望を越えるためには偶然のあるいは意図的な出会いを増やす努力をするしかないでしょうなと、私は言った。
今の話題に沿えば、結局、オーダーメイドでなく、既に予想外に素晴らしく出来上がっている、既製品のステッキと私は出会わなくてはならないということだ。マジカルな感動を与えてくれる、無駄だけど素敵な出会いが人生には確かに必要だと思うので。時折耳にする考え、例えば、買えないものは世の中に存在しないも同然、だからわざわざそれに会いに行ったりはしないという考え方も分からんではない。しかし今は買えないと分かっていても、機会を捉えて、あるいは無理をしてでも、私は高嶺の花と会おうとする。たとえそれが自分の手に入らなくても、その出会いの感動は私の価値観を変え、より良い人生の選択、ひいてはより豊かな生活へと導いてくれるからだ。そのあげく、手の届かなかったはずのものに手が届いたことが一度ならずある。背伸びをしているうちに人間の背は伸びるものなのだ。
そんな偉そうなことを私は申し上げ、かなうことなら、あの美しいスピーカーHB-X1の実物にも出会いたいものですねと締めくくった。
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さて、いい加減、このスピーカーを戻す気になって電話すると、
その人はがっかりした調子で、
スウェーデンにも、あのステッキの現物は今すぐにはないらしいですねと言ってきた。
そりゃ残念、でもHB-X1は相変わらず良いネと返すと、
スピーカーとステッキを物々交換しませんか、ときた。
言ったあとで、その人は電話口でクスッと笑ったように聞こえた。
せっかちなその人の、冗談めかしてはいるが真剣で魅力的な誘いだ。
不覚にも、私は一瞬グラリと来たが、慌てて態勢を立て直した。
素知らぬ調子で、サラマンダーのステッキはまだ人に譲りたくないし、
だいたい値段が釣り合わないし、
スピーカーくらいは自分で買うからネと切り返す。
そう言ったあとで私も少し笑った。

それだけの話である。

# by pansakuu | 2015-01-24 16:05 | オーディオ機器

Esoteric Grandioso C1の私的インプレッション:What Color?

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私という色を問う・・・
by 常森 朱


Introduction

文章は書き出しが難しいとよく言われます。
(と言いつつ済ませてしまいましたが)
そんなパラドキシカルな自己言及はともかく、
私にとって難しいのは、むしろその次、始まりを受ける部分です。
インプレというのはその次の部分がいつも難しい。
はじまりの部分は単なる思いつきでいいのですが、
それを受けるところが冷静でないと、
話が続かなかったり、逸れて行ってしまうものです。
そして、
オーディオシステムで言えば、送り出しを受けるプリアンプが、
「始まりを受ける」部分になります。
これもまた難しいわけで。

プリアンプの取る態度には大きく二種類あり、あくまで上流の音を実直にモニターする無色透明な存在であろうとするもの、もう一つは送り出しから来る音に設計者が求める音色、あるいは音楽性のようなものを付加し、より良い音として聞かせようとするものに分かれるようです。とはいえパッシブフェーダーを含めた広い意味でのプリアンプのようなものを聞いてゆくと、ほとんどは、この二つの立場の中間点をゆらゆら漂っているようなあやふやな存在に思えます。普通の人間が常時冷静な観察者に徹することも、主観のみで物事を判定できるほどの価値観を持つ人にもなり得ないように、人間の手からなるプリアンプもそのどちらの両極にも至ることはできない。

とはいえ、もしかすると、設計者が求める音色・音楽性を意識的あるいは無意識に付加するプリアンプを造るより、自身の色を持たないアンプを製造する方が遥かに難しいかもしれません。何故って?経験上、そういうプリアンプの方が圧倒的に少ないように思われるからです。無色透明なアンプ、そういうものは果たしてあるのでしょうか。

そして今回レビューするEsoteric Grandioso C1は、この問いへの理想的な答え、そのものでした。


Exterior and feeling
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Grandioso C1は美しい外観を誇る、エレガントなプリアンプですが、盛り沢山な内容を持つオーディオマシーンでもあります。
実物と向き合うと、筐体の角には、バックパネル側も含め、大きなRがつけられているため、実測寸法、あるいは公開されている写真から予測されるスケール感よりも、随分小さくまとまった印象をうけます。ですが、回路部と電源部を分離した2シャーシ構造で重さは合わせて50kgと、プリアンプとしては超弩級の部類。これらの2筐体を、左右別のしなやかなDCケーブル2本で連結しています。このケーブルの長さはデフォルトで1mですので、普通は上段に回路部を置き、すぐ下段に電源部を置くという使い方しかできそうもない。もう少し長ければ電源部を遠くに置くなど、セッティングの自由度が上がるのですが。私がC1を買う場合、この部分は特注になりそうですね。

最近は金属加工技術が発達し、複雑な曲線、曲面がフロントパネルに刻まれる時代になりました。dcs、CH Precision、Constellation audio、Mytekなどのフロントパネルがそうです。それらの新しいタイプのフロントデザインにEsotericのGrandiosoシリーズは乗っかっています。布に装飾的なたるみを持たせて自然に流れるような襞を持たせること、それをドレープとも呼びますが、C1ではその柔らかな意匠を金属で表現しています。この細かな線状の彫刻を施した厚いフロントは、毎年三越で鑑賞(み)せてもらう、日本伝統工芸展に出品したいくらいの美麗な細工物です。そういえば、このアンプ、Japan MadeというよりはTokyo Madeだそうですね。エソテリック東京ファクトリーで製作されているとか。そういう意味でも伝統工芸のようなものに一脈通じるところがあるかも。

フロントパネルの左側には入力セレクター、右側にはボリュウムノブ、中央にブルーの有機ELディスプレイというシンプルな面構えです。それぞれのノブの横には、VOLUMEとINPUTと、小さく、しかし深く彫り込まれた文字列が見えます。ここをシルク印刷にする、あるいはAyreのように、そこになにも書かないというメーカーが多いのですが、こういう小さな文字ですら、わざわざ彫刻されると、とても高級感、所有する満足感があるものです。

ここでのボリュウムノブの感触は、私が知る多くのプリアンプの中でも最高のものです。ギャングエラー等の音質的な問題を検知できないのはもちろんですが、これほど滑らかでありながら空回りせず、ガタツキは微塵もなく、掴みやすく、適度の重みと粘りがあり、クリック感なしでピタリと音量が決まるボリュウムは知りません。勿論、速度感応式でアッと言う間にゼロまで下げることができます。これならフロントにはMuteスイッチは要らないでしょう。
同じく日本製のアキュフェーズC3800のボリュウムも素晴らしいのですが、C1のそれはアキュよりさらに上の回転感覚であります。回そうとすると微妙に軽く感じ、止めようとすると微妙に重く感じるのです。軸受けに使われているEsotericのSACDドライブメカのベアリングはよほど素晴らしいパーツなのでしょう。

また、ノブの収めるフロントパネルの窪み周りにはLEDで光るプラスチックの枠が嵌め込まれており、ノブに触れると瞬発的にブルーに発光、数秒後消灯します。この発光の輝度・ON/OFFはリモコン操作でユーザーが選択できます。もちろん、ディスプレイの表示の輝度やON/OFFの状況についても同様です。さらに電源部側正面の丸い電源ボタンを照らす小さな青いLEDがあるのですが、その輝度すらリアパネルのダイヤルで調節可能です。ここまでエクステリアを飾る光の輝度や発光の入・切のセッテイングを思いのままにコントロールできる機材は少ないはずです。
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実際、このアンプの内部のセッティングの選択は豊富です。入力ごとの位相切り替え、0.5dBステップでの±18dBのゲイン調節、ユーザーによる入力名の設定、使っていない入力のスキップ、ボリュウムの音質的な操作フィーリングを決めるボリュウムカーブの選択など。かなり多彩です。
入力系統はRCA2系統・XLR3系統と標準的ですが、出力はRCA・XLRそれぞれ2系統もあり、しかもそれらは同時出力可能です。さらにスルー端子までも装備。しっかりとしたアース端子は回路部にも電源部にも備わっています。

回路部の筐体内には左右独立になった入力・出力の二階建ての基板が、板バネによってフローティングされ、内蔵されています。NIROのように渦巻バネを使ったり、コンステレーションのように特殊なゴムブッシュやスポンジを使ったりしないで、あえて板バネで基板を浮かしているのが面白い。またフルバランス構成を取るこれらの回路は入力・出力基板を二階建てにすることで、最短距離での結線を実現しています。ボリュウム回路はラダー抵抗切り替え式のものが左右で計4系統、贅沢に使用されています。
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電源部にはトランスが5つもあるのですが、このコンストラクション、下位モデルでも同様ですから特には驚きません。しかし、このアンプではコンセントまで二つ使います。すなわち、このアンプは根本から完全に独立した二つのアンプが、フォトカプラーを介してコントロールされる形をとります。最近ではViolaのプリアンプで近い構造のものがありましたが、日本製でここまで大掛かりなプリアンプというのは記憶にありません。
使用されるパーツも豪勢で、超高スルーレートの出力バッファーアンプ、0.1Fの容量を持つスーパーキャパシター、Sicショットキーバリアダイオードなどが奢られています。この中で目を引くのは2000V/μsというスルーレートを誇る出力バッファーアンプ。この段は回路設計者の腕の見せ所ですから、このクラスだと通例では工夫を凝らしたディスクリート回路を使ってアピールするもの。ですが、ここではあっさり既製品のオペアンプを使って済ませています。おかげで出力基板はとてもスッキリしたものとなりました。現代のオペアンプの特性は、トランジスターを複雑に組み合わせたオリジナル回路のそれを上回ると聞きますし、希望の性能を出せるようなトランジスタ、パーツが入手しづらくなってきているとも言われます。このスッキリには、そういう現状も影響しているのでしょう。

これらの豪華な内部を包む筐体を演奏中に触っても発熱は全く感じられません。電源部も回路部も冷たい。温度を知るために筐体に触れたついでに、その指を下へと動かしてゆくと四ツ足のフットに触れることになります。これらは高さ調節可能な金属製のスパイクコーンなのですが、Esotericの足が他社と違うのはスパイク受けとネジで一体化しているところ。つまり、筐体を持ち上げるとスパイクから受け皿が外れないで一緒に持ち上がります。重いアンプのセッティングの際にスパイクを受け皿の上に置こうとして四苦八苦したことがある方なら、この仕組みの有り難さは分かるはず。
もちろん、ここでは各社のインシュレーターやスパイクを試すのも一興ではありましょう。セラベース、ウィンドベル、d-prop・・・・とっかえひっかえの音質テストも楽しそうですが、プリアンプ全体のデザインや重心、地震への対策なども考えると結局デフォのスパイクに戻ってくることになりそうですね。

Esotericの製品の外観はGrandiosoシリーズに至って海外製品にも通じるような使い易さ、美しさを見せるようになりましたが、これにはそれら他社製品を勉強した成果もあったと推測します。例えば青い有機ELディスプレイ表示はLINNのKLIMAXシリーズを彷彿とさせます。
恐らく、このC1というアンプには特許申請を必要とするような全く新しい機構は盛り込まれておりますまい。細部のアイデアの基本は、他のメーカーや自社の他のモデルで既に採用されているものが多いようです。アキュフェーズのアンプのように、キーとなるボリュウム機構を独自のアイデア・手法で一から作り上げ、製品の主眼とするようなことはあえてしていない。自社の技術を発達させるだけでなく、同業他社や異業種のメーカーの機械を勉強し、咀嚼して適所に適度に応用しつつ設計を練り上げたように見えます。


The sound 

このように外観や操作について語るべきことは多いのですが、
このアンプの音質に関してはあまり言うことがありません。
一言でいえば、私にとって、このプリアンプは音質らしい音質が意識されない初めてのアンプです。これだけの物量投入をされていながら、不思議なほどシステムの中で存在感がないアンプ。私にとって最も色のないアンプ、それがEsoteric Grandioso C1です。システム上流の送り出しの音、ひいてはそのソースである音楽そのものが持つ音、その音色をほぼ正確に問えるモノとして、一つの理想形が生まれたことになります。

例えばいくつかのC1のレビューに、広大な音場という表現があるのですが、これは少しどうかなと思います。雑誌のレビューでこのアンプを聞く際は必ずGrandiosoのセパレートSACDプレーヤーが組み合わされているのですが、このプレーヤーの作り出す音場が広いのだと私は思うのですね。ダイナミックレンジやSN、温度感、音触等に関してもそうです。組み合わせたGrandioso P1+D1のレンジの広さや静けさ、音質の特徴をそのまま出せるのです。これはプレーヤーを取りかえればすぐ分かることです。例えばデジタルプレーヤーからアナログプレーヤーに上流を置き換えた時の変化の度合いなどは聞きモノです。カートリッジやアーム、ターンテーブルのもつキャラクターが、見事に分離し手に取るように確認できる感じ。こういう聞こえ方はあまり経験がありません。

今までEsotericの機材というと、看板商品であるデジタルディスクプレーヤーはもちろん、アンプについてもどこか硬くて度量が狭い音という印象でした。いわゆる特性重視で音楽性皆無というスクエアな音。
それが今回のGrandiosoシリーズが出る前あたりから少しづつ変化してきているのは感じていました。K-01のサウンドなんかは特にそうかも。しかし、既出の下位モデルC-02などを聞いても、かつてのやや残念な印象は完全に拭えたわけではありません。Grandiosoシリーズでもプリアンプ以外では、未だに古いEsotericのトーンを引きずっているように思いました。そのなかでC1のみが明らかに違います。突出してナチュラルな印象であり、ブラインドで聞かされたら、まずEsotericのサウンドとは思えないでしょう。

上流の音を正確に受け止め、ただ下流に受け渡すだけなら、それは惰性に満ちた音になってしまうかもしれない。だからC1では音色の正確さが下流のパワーアンプで改変されないよう、パワーアンプを意のままにコントロールする能力がプラスされています。
この手法の実践のためには、まず音のフトコロというものは限りなく深くしとかないといけない。どんなに凄い音が来ても余裕で受け止める用意が必要です。そして後段のパワーアンプに対する過不足ない働きかけ、ドライブ力も必要にもなる。これはプリアンプがパワーアンプを介して間接的にスピーカーを駆動するという考え方によっています。同価格帯の標準的なプリアンプのそれを遥かに超えると思われるダイナミックレンジ、パワー、瞬発力を発揮する、過剰なほどの物量投入は、その二つの機能を十分に果たすためと受け取るべきです。
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例えば、サウンドの透明度ではピカイチと思われるdartzeelのプリアンプNHB-18NSでさえC1と比較すれば音を濾過し純化して出して来るようなところがある。やはりNHB-18NSでは音が磨かれているわけです。C1はそういう仕事をあえてしません。まるでボリュウムを操作している時だけアンプが動作しているようなオーバーオールの謙虚さがあります。
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さらに、ilungoのパッシブフェーダーCrescendo205などは、音を素通しする機材の極致のように私は考えていましたが、C1の試聴の後では、あれはあれで、音に洗濯して洗いざらしたようざっくりした風合いを感じるところがある。生々しい生成りの音ですが、どこか音が荒くなったように感じたこともあります。やはり、微妙に音が変わっているのではないか。私はこのフェーダーが好きですが、疑いを持たないわけではない。
一方でC1のサウンドにはパッシブフェーダーで聞かれる、あの微かな荒ささえも感じません。C1ではフェーダーよりも信号が通る経路ははるかに長く複雑なはずなのに何故なのか。音を変えていないという巧妙な演出を、その回路を通して行っているような気配すらあります。
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JeffのCriterion、あの途轍もなく静かなプリアンプですら、C1と並べて考えると、その静けさに込められた設計者の強い願望や意志を感じます。C1にはそういう静かなる情熱すらありません。C1は透明であり、本当に無私の存在です。

とにかくC1の試聴では、これを通過させて音に変化を出すというサウンドイメージを抱くことがとても困難でした。ゆえに、C1について知るには二つ以上の聞き知った送り出しと組み合わせて比較する必要があります。

これは特色らしい特色がないアンプですが、強いて言えば低音の出方の自然さというのが、音質上のハイライトでしょうか。パワーアンプを替えても、量感やゆとりは一定に保たれ、常に瞬発力の高い低域が得られます。しっかりとして、解像度もすこぶる高い低音がストレスなく吹き上がる様はなかなか壮観です。電源が過剰なほど充実しているため、パワーアンプに対する働きかけは強く、非力なパワーアンプでも十分な低域の解像度が得られます。これなら、あらゆるシステムセッテイング、あらゆる音楽の場面で出音に不満はないでしょう。
時に別筐体の電源部を持つプリでは、パワーアンプを過剰なほどキリキリ舞いさせて、元気の良すぎる音にしてしまう場合もありますが、C1ではゆとりを残しつつ、過不足なくパワーアンプをドライブする大人の節度を感じます。実力は高いけれど、あくまでやり過ぎず、黒子に徹しております。

とはいえ、これほど極端な傍観者ともなれば、褒めるだけで済ませるわけには参りません。
例えばConstellation audioのVirgo2と同時比較すると、やはりVirgo2の控え目ながら洗練された音楽性や空気感の演出の巧みさには心奪われるものがあります。C1よりも100万円以上高価なプリアンプですから、そうでなくてはいけないのですが、やはりそういう芸術点の差に不満を感じる部分がC1にある。だから、プリアンプをあえて通すことで得られるプラスαの部分こそ、ハイエンドオーディオの醍醐味と思う方にC1をおすすめはしません。ただ、真にピュアなプリアンプを求めるなら、最良の選択肢ということです。

それにVirgo2やAltair2で時折報告されている、突然の定位の変化などの不安定要素も勘案すれば、一時の出音の良さのみでConstellationのアンプが優れていると判断してよいものか。それは音質そのものとは別な観点なのですが、やはり、動作が安定して不具合が起こらない、仮に不具合があってもメーカーが国内で、すぐに直せるというのはアドバンテージです。
さらに円安で高価な海外製品はお買い得感がかなり減って来ていることもあります。C1は定価250万円です。一方、海外製品でC1のようなプリがあったとしたら、日本では400万円を超える売価となるでしょう。やはり今は国産製品を狙うべき時期です。


Summary

従来この手の無色透明を目指すプリアンプは信号になるべく手を触れないということをモットーに作られてきまして、その設計思想は引き算でした。ですが、本当にピュアであり続けるためには、それだけでは足りない、むしろオーバーなほどの手当が必要であるとC1は主張する。そういうわけでC1の基本設計は足し算です。

確かに、このGrandioso C1というアンプを使えば、上流の送り出しがどういう音をしているのか、その音の複雑な色あいを正確に知ることが可能です。C1には自分の色というものをその痕跡を含めて消してしまう特異体質があります。物量投入型の音質改善が、その方向に積極的に作用し、これほど無私な音質を完成させた例を私は知りません。有り余るほどの潜在能力を持ちながら、いわば積極的な消極性という態度に徹するとき、そこに結線された上流、下流の機材の振る舞いは、むしろ自分の掌の上で踊る演者のようにC1からは見えているのかもしれません。
これはシステム全体に対して限りなく消極的に関わるように見せることで、普通のハイエンドプリとは全く逆の形でシステム全体を支配する稀有な例なのではないでしょうか。


私の中には、
C1のリスニングの後に徐々に頭をもたげてきた考えがあります。
それは、私を含む大概の人間が、完全に客観的な観察者にもなれず、逆に自己の主観のみで生きる強者にもなりきれないという、ありふれた事実から始まるものです。
それはオーディオとは一見、関わりない事のようですが、そうではない。
C1という無色透明な傍観者との出会いは、
自分という人間、ひいては、その自分という人間が目指すオーディオが、透明な客観でもなく、そして一色で塗りつぶされた主観でもない、あやふやな色・キャラクターを持つ存在であることを明らかにしました。
私自身の欲するオーディオの姿、それは私という精神を染め上げている色が決めるものなのでしょうが、そういう私の心の色の濃淡を炙り出すような心理的インパクトがC1の無色透明なサウンドにはあるのです。
C1を聞くこと、それは否応なくオーディオについての私自身の色、私のオーディオへの情念の色を問うことになり得るのです。
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自身の色を問う。
それは自己を無に近づけ、自己を見つめ、自己について言及するということ。
それは自己言及のパラドックスであり、どこか神秘的なセルフセラピーのようでもあります。
また、こういうゾーンに入ることはオーディオの秘境の一つに立ち入ることでもあります。
試聴という、技術者達の創り上げた入魂の機材との内的な格闘のあとで、
オーディオについて深く考えを巡らせるとき、
意外な世界・思わぬ秘境に精神をトバされる。
こういう難儀な心の習慣こそが、
私の心の色そのものなのかもしれませんね。

# by pansakuu | 2015-01-08 21:45 | オーディオ機器

RE・LEAF E1 ヘッドホンアンプの私的レビュー: 天秤の片方

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天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。
それっておもしれぇなぁって思って。
藤原基央(BUMP OF CHICKEN)



Introduction

ひとつのモノを選ぼうとする時、
私は必ず、頭の中に一基の天秤を置く。

天秤の片方に買おうとするモノを置き、
もう片方にそれと比較対象になりそうな別なモノを載せる。
どうやっても私が選ぼうとしている、そのモノの方が重く、
どんな他のモノを対抗馬として持ってきても釣り合いそうもないと踏んだとき、
万を持して購入に踏み切る。

GOLDMUNDのTelos headphone amplifierの事を考えるにしても、
この習慣は当然変えないわけで、
なにか、釣り合いそうなモノを常に物色して比較するという思考実験が
絶え間なく私の中で繰り返されている。

今回、取り上げるRE・LEAF E1というヘッドホンアンプを聞いた私の第一印象は、
これは既に聞いたことがある音だ、というものだった。
日本人の作った高級なオーディオ機器によく聞かれる傾向が感じられた。
既存の強力なDACと日本製のハイエンドなHPA、
例えばOJIやマス工房の高級なHPAとを組み合わせるならば
なんとか出せる音だと踏んだのだ。
その瞬間に限ればE1は私にとって無価値なアンプであったと告白する。

たが、RE・LEAF E1を振り返ってみると、そのシンプルさと、コンパクトネスには目を見張るものがあると気付く。その音の端正なまとまりの良さも得難い。なんと、この単行本ほどの大きさの機械にノートパソコンとヘッドホンを結線するだけで、これほど正確かつ明快で整った音が手に入る。
そう考えているうちに、いま一度、聞きこんでみたくなったのである。

かくして私は、E1と再度、そして再再度、再再々度と対峙することになった。
驚くべきことにE1は試聴のたびにその外観と内容を変化させてきた。
音も当然変わってきた。
ライバルであるTelos HPAが仕様を全く変化させないのと対照的であった。
2014秋のヘッドホン祭りで聞いたE1の音と2015年3月8日に聞いた音とは、かなり異なる。
このレビューは、3月8日に聞いたおそらく最終仕様と思われる個体から得た情報をもとに書いている。
(写真はメーカー様のHPから拝借しております。)


Exterior and feeling

RE・LEAF E1は先述のとおり、単行本くらいの大きさの平置きの四角いアンプである。
表面仕上げは非常に美しい光沢のある梨地仕上げで、ずっと撫でていたいほど手触りがよい。こういう感触のある表面仕上げはオーディオでは初めてであるし、これが底面だろうが表だろうが、何処を触っても味わえる。この仕上げは2014年の秋のヘッドホン祭りの時と2015年3月の最終仕様とは明らかに異なる。使っている金属の種類もわずかに異なるらしい。またコーナーにつけられているアールの仕上げも非常に美しい。
一見してただシンプルなデザインと映るが、ありえないほどガワにカネがかかっている。いままで見てきた多くのオーディオ機器の中でもトップクラスに外見にカネをかけている。ただ外観にこだわりすぎて、素人には分かりにくいほどになってしまったのが問題かもしれない。最新のロットではフォーミュラーワンの部品製造を担当する日本の工場に筐体を発注しているらしい。
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このアンプのフロントパネルは狭い。右端には、3つの低い突起がある。これは電源スイッチボタンである。3つのポイントに分かれているが、これは実は一個のボタンである。どれを押しても同じで、同時に二つ三つ押してもよい。その隣には、溝もなにも刻まれていない単純な円筒形のボリュウムノブを触れる。さらに隣には電源やロック状態を示すLEDランプがある。ここでボリュウムノブの感触は滑らかである。悪くない。ベアリングなどは組み込まれていないらしいが。なお、このノブには溝や印はない。
残りは丸く彫り込まれて少し奥まった場所にあるバランス・シングル兼用のコンボタイプヘッドホンジャックが二つ。それだけである。筐体のトップパネルにはなにもない。四隅にアールがつけられているだけ。サイドパネルにもなにもついていない。底面を除けばネジの頭は全く見えず、全体にのっぺりしたデザイン、良く言ってもアノニマスなデザインである。この2ピースの筐体そのものにRE・LEAF のロゴすらない。3つの突起に分かれた珍しいボタンぐらいが目を引くポイントだろうか。驚くのは最終仕様のE1には、どこを見てもネジの頭がないことだ。ノブにすらない。この機材は裏表がない。どうやって組んでいるのか分からないが、その点は見事だ。

あくまで私見に過ぎないが、この筐体全体のデザインはシンプルすぎる。このHPAはメーカーの処女作であり、そこに2ピースのアルミ削り出しの筐体まで奢ったのだから、もっとアイコン的な、印象に残るデザインが欲しい。どこかに小さくRE・LEAF のロゴが彫刻されていたら、少しは救われたかもしれない。
ただ、最終版ではパネルの一部にレーザー印刷でRe leaf E1 Made in Japanとだけ刻印される。
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リアにはステレオミニとRCA一系統のアナログラインアウトとイン、そしてBタイプのUSB入力がやはり丸く彫り込まれて少し奥まった場所に認められる。RCA入力は特注でXLR端子に換えられるが、10万円割り増しになる。また、USB2.0に準拠したデジタル入力は2.8MHzまでのDSD(Dop)と24bit/192kHzまでのPCMに対応するとされる。またアナログラインアウトとインをXLRに換えたものは特殊仕様でE1xと呼ばれる。
なお、ステレオミニの端子も特設したことは注目してよい。他の高級HPAでこのような端子を持つものはとても少ない。カスタムIEMなどを試してみたくなる。

このアンプの中身は御存知のようにDACつきのヘッドホンアンプという流行のスタイルである。DAC部はTIの高級チップPCM1792Aを使用している。また業界初の1ppm/℃偏差電源供給による高精度なアナログ変換をメーカー側は謳ってもいる。電源は4重の安定化電源を小さな筐体の中に収め、ピュアで力強い音を目指したとか。さらにアンプ部はレアな電流駆動方式である。この方式の面白いところは、その特徴的なソフトでハイスピードな音質もさることながら、そもそもゲインという概念がないということだ。いつもHPAで悩まされている、ヘッドホンごとの能率の違いによるゲイン調節の必要性から解放される。多くのヘッドホンを試す私のような者にとって、ゲイン調整のついていないHPAは使いにくいのだが、思わぬ形でこの問題を解決したのが、E1なのである。
内部の写真を見せて頂いたが、非常に厚く重たい回路基板上にギッシリとデバイスが実装されている。まるで拡大された集積回路のような印象であった。様々な機材の中身を見てきたが、こういう中身には出会ったことがない。裏にも表にも部品が配置されているがコンデンサーらしいものがほぼ見えないのも特徴かもしれない。これを手作業で作るとなると、かなりの労力だろう。とにかく最短距離で配線を済ませるべく努力しているようにも見えた。シグナルパスを短くすることで音の鮮度を上げようというのか。

メーカー側で提案している先端の材質を変えられるスパイクコーンKatana-sp1についてだが最終仕様として出された、このスパイクコーンの作りは相当に気合が入っていた。軟鉄の基部にねじ込み式の先端部が二種付属する。一つはダイス鋼に焼き入れし、先端部を鏡面R加工したもの。もう一つは同じ加工がされた真鍮製のものだ。これを特殊なゲルシートを介して筐体の下面に貼りつけるような形になっている。オーナーは好みの音になる先端を選べばよい。スパイク受けは、先端部の形に合わせたくぼみを掘り、確実な点接点が得られるようにしてある。スパイク受けの設地面は、設置される場所にキズがつくのを防ぐためにわざわざ鏡面加工している。価格は3個で20万円。本体と同時購入なら15万円である。

いろいろオーディオ機器を売り買いして思うのは、手元に長く残る機材は音以外のメリットが必ずある。E1に関しては、外観の仕上げがありえないほど素晴らしいこと、どんなヘッドホンでもゲイン調整なしでつなげること、バランス接続もシングルエンド接続も試せること、同クラスの音を出すOJIやGoldmundの機材に比して圧倒的に小さいことなど、出音以外の長所が多い。それらの意味でも長く付き合える機材だと確信する。

The sound 

音の方もほとんど隙がなく、突き詰められたものだ。
ここまで様々なヘッドホンアンプの音を聞いてきているが、GOLDMUNDのTELOS HPAに匹敵しうるのは、このアンプの音だけであった。そして、それらの比較の結果を先に言えば、E1の音の傾向はTELOSのそれとは異なるので個人の好みで選べばよい。TELOSは星をいくつか持つフレンチレストランのフルコースディナーの味であり、E1は同じく星を獲得している銀座の寿司屋で御大将がおまかせで握る寿司の味ということになろうか。

シングルエンドのみのTELOS HPAとの公正な比較のため、シングルエンド接続を選択して、無改造のHD800で聞いたうえ、フルテックなバランスケーブルでリケーブルし、バランス仕様のHD800も聞いた。この状態でのRE・LEAF E1の全体的な音の印象は、真面目で端正であり、クリアであり、RE・LEAFの担当の方が強調していたようにピュアであるということだ。これは日本のエンジニアが最も得意とする方向性に振られた音であり、典型的なジャパンハイエンドサウンドである。明るく、明瞭な音が全ての帯域での均等に解像度を示すのである。独特の癖が少なく、欠点を指摘するのが難しい優秀な出音である。

このアンプの特徴として、弱音の広がり、余韻の正確さがある。TELOS HPAではこの辺が美的に演出されて、美音系のサウンドに傾くが、E1では正確な音が得られる。
試聴曲の中に鬼塚ちひろの昔の有名曲「月光」があって繰り返し聞いていたのだが、彼女のボーカルの音像が消える際の余韻の漂いが、いい意味で美麗とは言えないのに驚く。微妙だが明らかに人工的に響くのである。事実、このリバーブは人工のものであったろうと信じるに足るような音の出方とでも言おうか。このアンプの音には、なにか感情移入なしに非常に冷静に音楽を見つめて、測っているような雰囲気がある。音の加工感がとても少ない。素材の音を大事にする。しかし音に対して仕事はする。まるで老舗の寿司屋のようなアンプなのである。ただ、一面としてそういうモニター的な音は、音楽の躍動が削がれてしまい、つまらない音になりやすい。音が全然跳ねなくなってしまうのである。だがE1にはそういう恨みが何故か無い。表現するとすれば、音は「キチッと」躍動する。躍動すると言ってもあくまで真面目に折り目正しく躍動するということだ。G ride audio GEM-1のように野獣のようなリミッターが外れた音、聞く人によってはハチャメチャにさえ聞こえる音にまでは決して傾かない。この絶妙な匙加減、過不足のなさ、優れたバランス感覚がこのアンプの音質のキモの部分であろう。
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旨いフランス料理とは火を通して新鮮、手をかけて自然な料理だと聞く。対する日本の寿司はそういう加工をできるだけ行わずに、必要最低限の加工で食材の味を引き立たせるものだと聞いている。料理において火を通したり、手をかけることは、オーディオにおいては素晴らしい音を演出する行為に相当しており、これはTELOS HPAの内部で行われている複雑な過程である。他方、E1では寿司を作るように、信号にできるだけ触らない、必要最低限の加工のみで、なるだけピュアな音の形を伝えようとする。

このアンプは音の拡大鏡としては第一級の性能を誇る。非常に細かい音を拾ってくる。そこでは当然、音の大きさの差異、音の前後関係、重なりの度合、音色・音触の微妙な違いが完璧につけられている。あらゆる意味で音の分離が良い。こうなると細部にわたる音の起伏・凹凸も立体的にかなり高いレベルで見えてくる。現代ハイエンドオーディオのテーマである、音楽を視覚的に鑑賞するという態度がここに現れる。
逆に言えば、木を見て森を見ない傾向がやはりある。しかし、それが凡百のアンプのように違和感になったり、欠点として感じられることがない。実は一本の木の中に森全体を理解する秘密が隠されているのではないかと思うほど、ディテールに没頭する快感を与えてくれるHPAである。

また、このアンプは先述のとおり電流駆動方式である。私個人は通常その手のアンプに聞かれやすい、ハイスピードかつ柔らかい音調が聞けるだろうと予想したが、なぜか裏切られた。
このアンプの音調は私にはむしろやや硬めに聞こえる。英語で真面目な人、堅物のことをSquare(スクエア)と呼ぶことがあるが、全体の音調としても、そんなSquareな印象を持った。単純に硬い音ではないが、Telos HPAの持つ女性的なふくよかさとは対照的である。E1の音に備わった痛さを感じない程度の絶妙な硬さというか真面目さは、このアンプの冷静さの証と私は受け取っている。

どことなく硬めなSquareな音とは言っても、E1によるヘッドホンリスニングでは、いわゆる「サ行が刺さる」というような聞き疲れが他のヘッドホンアンプよりも少ないと思う。耳への負担の軽減度はTELOS HPAと同等だ。TELOSでは、どのムンドのアンプも持っている独特のふくよかさ、そこから来る聞き心地の良さが表れているふしがある。ただしTELOS HPAはE1に比べて低域の量感がやや少なく感じられることがあるのと、楽器によって高域がヒステリックに、きつく響くことがある点は弱点として覚えておいてもいいと思う。なにかある種のデジタルアンプに聞かれたような音調がTELOSにはある。

それからE1では全ての帯域において、ヘッドホンの振動板に対する働きかけの強さ、ドライブ力の高さが満喫できる。特に低域のドライビングパワーは素晴らしく、これについては最強と考えていたG ride audio GEM-1に匹敵するものがある。それでいてあれほど扱いづらいクセはない。いや、クセみたいなものはほとんどない。中域、高域に関しても音の通りがとても良く、十分な躍動感が得られる。

こうしてE1においてはヘッドホンの鳴りの良さも特徴なのだが、ある種のHPAに聞かれるようなスピーカーを聞いているような感覚を催す音までは普通は出ないようだ。(Master1は例外)むしろ細部へ注がれるまなざしの確かさのために、このドライブ能力があるような気がしてならない。音圧でバーンと音を押し出し拡散させるのではなく、音の全てのディテールに音圧が沁み渡るように、次第に圧力をかけているかのように聞こえる。
さらにE1では音の細かな動きに合わせて、音圧を調整しながら出してゆくようなところがある。F1マシンに搭載される技術の一つに路面状況に合わせてサスペンションのダンパーの油圧を能動的に変化させるアクティブサスペンションというものがあるが、そういう能動的な調節機構が作動しているような、非常によく制動の効いた音がHD800から聞かれた。

音のスケール感はOJIやLuxmanなどの標準的なハイエンドヘッドホンアンプと同等である。シングルエンド接続の状態では明らかにTELOS HPAの方が音場が広い。ムンドのアンプに比べると量感にもやや乏しく、豊かというよりはスレンダーでスマートな音であると聞けた。一方、バランス接続した場合には音場は広がってくる。低域は明らかに豊かさを増し、音場の透明度が増す。これは最終仕様の印象であるが、はじめのバージョンでは、もっと低域が痩せていて、音場の透明感も低かったように思う。、E1は進化しているのである。

最新の試聴ではバランス接続のみで聞いているのだが、基本的な音質の印象は変えないまま、さらに強固にヘッドホンの振動板を掴んで自在に振動させられるようになったと感じたし、先述のように音質全体も深まったと思った。音に余裕ができ、何層もの音質の層が深く深く眼下に広がるような印象、透明度が高く深い湖の最深部を覗き込むような印象がある。制動がさらに巧く効くようになり、音が締まって精悍に聞こえる。シングルエンドでもE1の良さは十分に満喫できるが、やはりバランス接続で聞いた方が音はいい。DSDもハイレゾも、この接続により真価が発揮されるように聞こえた。

試みにバランス接続でSONY MDR-Z7を接続して聞いてみたが、驚いた。MDR-Z7はアンプを奢れば奢るほど、その潜在能力を発揮するヘッドホンであるのは知っていたが、これほどとは。E1ほどのアンプに接続して聞く機会はあまりないのだろうが、やってみると部分的にだがHD800やTH900を超えるような音を聞かせた。うまく言えないが私個人の印象ではTH900とHD800を足して2で割ったような音に近い。とにかく5万円のヘッドホンの音ではない。やはりE1のヘッドホン駆動能力は大変高い。

E1の音は真面目な音と言い続けているのだが、別な言い方をすれば音楽のドライブ感だけでなく、音がコントロールされ正確に出る側面も強いということだ。こういう音調の場合は音楽のジャンルごとの得手不得手はないものだが、他方、もともと録音が悪いものを、アンプの持つ音楽性とか、演出で聞こえを良くしてくれるような側面もないので困る。だが、このアンプの音はマス工房のアンプのような強く抑制の効いたフラットそのものの音調とも異なるので、音質が酷くても聞けないほどにはならない。作曲や歌詞が持つ面白さが、それこそ真面目に提示されるから音質にそれほど左右はされないと思う。

こうしてE1の音質的長所は多々あるが、音楽の裏がよく見えるということは特筆しておくべきだと思う。例えばボーカルがサビの部分を歌って盛り上がっている時に、普通のヘッドホンアンプで聞くとバックで伴奏している様々な楽器の動きが前面に出ているボーカルにマスクされて、よく聞こえないことが多い。ところが、E1ではそれがまるでバックステージから音楽を覗いているかのようによく見える。ベースが何を演っているのか、コーラスはそれぞれどんな感じで歌っているのか。そういうことが実によく分かって楽しい。こういう愉しみは他のアンプではなかなか得られない。

さらに、このヘッドホンは通常はUSBでPCにつないで聞くものだが、PC関係のオーディオの弱点である、音数は多いが実態感の薄さや音のインパクトの弱さがほとんど感じられないのもポイントが高い。高密度で濃厚な音だが、適当にヌケも良く、温度感もニュートラルで、演出的、作為的な感じがしない。

こうして聞いていると、このヘッドホンアンプには、どのようなヘッドホンをつないでも、そのヘッドホンのポテンシャルを100%引き出す能力が備わっているような気がする。例えばMDR-Z7がこれほどの音を出せることを知っている人はほとんどいないはずだ。おそらくどんなヘッドホンをつないでも、こういう驚きがあるだろう。しかもゲインを気にする必要がない。素晴らしい。これから代表的なヘッドホンをズラッと用意して、次々に聞き直すという試聴をやってみようと思っている。
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Summary

ヘッドホンとは、いわゆるサブカルチャー的なアイテムだと私は常々思ってきた。
つまりオーディオにおいては、スピーカーオーディオというメインカルチャーがあり、その軒下にある隙間を埋めるような形でヘッドホンオーディオというサブカルチャーがあるのだ。
一方、日本にはオタク文化という言い方もある。オタクそのものがサブカルと同一視されている場合もあるが、実はそれらは違うものだ。オタクとサブカルの違うところは主流に対するマイノリティとしての反抗の姿勢があるかないかだろう。オタクの方には反抗心などない。ひたすらに自分の中にある衝動に従い心地よさを追求する。その過程で、どこか他人に理解されない“痛さ”を孕むのだ。私に言わせれば高級イヤホン派は今のところまだオタクに分類されるのだろう。
だがハイエンドヘッドホンにはスピーカーオーディオに対抗する敵愾心をどこかに感じることがある。だから私の中ではサブカル的な立ち位置なのだ。サブカルはメインカルチャーに対抗し反駁するものだからだ。
とはいえ、ハンデ付きでもスピーカーオーディオとまともに勝負できるヘッドホンもアンプはとても少なかった、というか最近まではほぼなかった。
だが2014年、TELOS HPAそしてこのE1の登場とともに、ささやかではあるが、サブカル的なヘッドホンの矜持を、オーディオ界のメインカルチャーであるスピーカーに対して示せるようになってきた。そのかわり、その価格はこのサブカルを担うマイノリティたちには辛いものとなってしまった。これは明らかにメインカルチャーの側、すなわちハイエンドなスピーカーオーディオを追求できる人のための価格設定である。そういう風に考えると、TELOS HPAもE1とても中途半端な存在だ。これらは、ほとんどのヘッドフォニアの手に届かないところにある武器だからだ。でも、これ位の実力がなければスピーカーオーディオとやりあうことはできない。なんとも皮肉だ。

これほどコンパクトでシンプルな筐体から、このように完成度の高い音がいとも簡単に出て来ること。これは驚き以外なにものでもない。デザインに残念な部分はあるにしろ、このアンプの価値は他のほとんどのオーディオメーカーのHPAのそれをかなり引き離しているのは間違いない。特に、小さくなって音が良くなるというのはスゴいことだ。これはヘッドホンの世界から突き抜けている、二つのピークのうちの一つであろう。そして製品の内容や円安・内外価格差を考えたとき、RE・LEAF E1はTELOS HPAよりもコストパフォーマンスが高いという判断もできる。ただ、TELOS HPAにはそこにしかない隔絶した音世界があり、それを手に入れることは魅力として残る。特にオペラや女性ボーカルの表現の素晴らしさはE1に勝る。空間表現も凄まじい。だがE1はTelos HPAよりもオールラウンダーであり、より多くのジャンルを等しく扱える。例えば1960年代のJAZZの録音などは、Telosがあまり得意としないところだが、E1なら平気である。また、E1の音像の、細かく、うるささを微塵も感じない実在感や、音場の何とも言えない透明感はムンドにはない。よく聞き比べて、どちらかを選ぶか、両方を取るか、あるいはその金額をスピーカーオーディオにつぎ込むか。いろいろと考えさせられる。

E1の能力は大変奥深い。聞いても聞いてもそのサウンドの新しい側面が聞こえてくるようなところがある。他のヘッドホンアンプにこういう感覚を感じた覚えはない。これだけ聞いてきたのに、こういうものには出会ったことがないというのは不思議だ。このアンプの本性、あるいはヘッドホンオーディオの最深部を知るには、これを買って、長く手元に置いて試す他はない。確かにプライスタグは高い。値上げ幅も大きい。だがその価値はある。この最終仕様の外観と音ならば。もしかするとE1はヘッドホンアンプの終着駅のひとつなのかもしれない。

ごく最近まではTelos HPAを買う事をほぼ決めていたのであるが、3月8日にこの2台を一対一で比較してみると、そう簡単には行かないなと思うようになった。随分と改良されたうえ、二日も連続でデモされて、音がこなれたのか、最終日のE1は随所でTELOS HPAを上回る実力を聞かせた。
今日までで、私はTELOSを4回、別々な機会で試聴した。そしてE1を3回、別々な場所で聞いた。
こんなにこの二つのアンプを真剣に聞き比べた者は私以外にはいないだろう。
そう自負できるまでになった。

ひとつのモノを選ぼうとする時、
私は頭の中に一基の天秤を置く習慣がある。
今はTELOS headphone amplifierを載せた傾いた天秤を思い浮かべる。
もう片方の天秤皿に、RE・LEAF E1を載せる。
案の定、天秤は音もなく動き始める。
それらはやがて釣り合い、さらに・・・・・・・・。
かくして見えない天秤のバランスは逆転し、
私はE1xを発注した。

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# by pansakuu | 2014-12-24 20:34 | オーディオ機器

オーディオ評論を掘る:My point of view 2014

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「馬鹿な、みんな舌も頭もどうかしてしまったのか!?
そんな物がうまいはずがないっ!!」
海原 雄山(美味しんぼ)



オーディオ評論家の方々が書いている文章を穴が開くほど読むのが私の日課の一つである。
元来、情報が極めて少ないハイエンドオーディオに興味を持つ者にとって、オーディオ雑誌は貴重な情報源である。微に入り、細に入り読まずにはいられない。

私は、評論家の仕事は機材の音を褒めることである、などと殊更に言い立てるのでは好きではない。しかし、ほとんどの場合においてそれが主であることも間違いないと認めよう。そうでなければ、彼らに原稿の依頼が舞い込むことはないだろうから。だからやはり文章の基調として褒めていることが多いのだが、よく読むとその中に別なニュアンスの入った文章が混じっていることがある。

例えば、あるアンプのサウンドを評して、こんな記述がある。
「一聴していい音だなと思うアンプはあれど、音楽がスッと自然に入ってくるというアンプはなかなかない」
サッと読むとごく普通の褒め文句であるが、解釈によっては今まで、数々のアンプを散々いい音だと書き散らしてきたが、実は、それらのほとんどは音楽がスッと自然に入ってくることがないものばかりだった、とも取れる。揚げ足取りのようだが、オーディオ雑誌で取り上げて褒め上げている機材は多くあるけれど、実は本当に大した音と思われるものは、なかなかないとも取れる。

また、「ド迫力の凄味はあるが音質は無味乾燥に近いアンプもときにはあるが」などという記述を読むと、先生の聞いたアンプとは、一体どのアンプなのですかと尋ねたくなる。ド迫力の凄味はあるが音質は無味乾燥に近いなんて、かなり個性的ではないですか。ぜひ聞いてみたいものです。
彼らは職業として決して口を割らないのだろうが、心中にはそういう思いが渦巻いているために、上記のように口を滑らせてしまうのだろう。

「もちろん、気迫ばかり強調するリアリティ誇張タイプではない」
こういう記述もすごく気になる。気迫ばかり強調するリアリティ誇張タイプのプレーヤーの音もぜひ聞いてみたい。またこれは、この筆者の好みと正反対の音が、いわゆる“気迫ばかり強調するリアリティ誇張タイプ”の音らしいことも推察できる記述でもある。

こういう私の穿った読み取りは、単なる邪推であり、私の意地の悪さが強調されるだけで意味はないかもしれない。しかし、こうして各評論家の趣向と立場を知ったうえで、その文章の行間を読むことは、オーディオ評論を読むうえでの常識である。これが出来なければ、こういう文章を読む意味は薄くなる。彼らは本当のことをストレートに書けない立場にいる。彼らは否応なしに売る側に立っている。そこに立たなければ生計が立ち行かない。当たり前の話だが、買う側にいる読み手は彼らの立たされている状況を理解し、意味のフィルターを通して文章を読むべきだろう。
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こんな記述もある。ある老舗のオーディオメーカーの復刻アンプのレビューの冒頭である。
「この復刻が、往年を知るシニアファンの待望に応えたものなのか、あるいは停滞するオーディオ界に喝を与えるような温故知新的な動きなのか、筆者には知る由もないが」
こういう記述は珍しいので貴重である。オーディオ雑誌ではオーディオが停滞しているなどという話は、ほぼ禁句だ。皆さんでオーディオをたのしみませう、そういう基本姿勢のもとに雑誌を作るのだから、その場を盛り下げるようなことは言ってはいけない。しかし、実は皆分かっているのである、ハイエンドオーディオ界が停滞していることは。(いまさら隠すなよ)
また、このくだりの末尾、「筆者には知る由もないが」というところなんかは、さらに切なく響く。少し泣ける。ここに私は、自分の立場ではオーディオの停滞をどうすることもできないという嘆きや一種の投げ槍な態度を感じ取ってはいけないのだろうか?本音を隠し続けながら、機材を褒め上げているだけでは、この停滞をどうしようもないという嘆きをウラに読んではいけないだろうか。基本的にオーディオについてペシミスティックになっている私は、またまた邪推するのである。

「価格が2倍以上の本誌リファレンスのアキュフェーズC27に比べると、スケール感とステレオイメージこそ縮退するが、音像の実体感を色濃く描くその聞き味はたいへんすばらしかった。」
これは或るフォノイコに関する一文だ。
こういう記述はよくあるパターンの一つで、部分的には低価格機が高額機に匹敵するところがあって、お得感があると言いたいらしい。だが、スケール感とステレオイメージという項目は、オーディオではとても重要であることを忘れてはいけない。その有無と2倍の価格差を秤にかけたらどうなるのか?実は2倍カネを出してでも、それらが完備された方がいいのでは?そして添えられた「音像の実体感を色濃く描くその聞き味」はC27にはないのか?突っ込みどころはやはりある。
ここでは、このフォノは音像の実体感を色濃く描くのが特色で、聞き味はよく、その部分では価格不相応なほどだが、スケール感とステレオイメージなど空間描写は価格相応というか、より高価な機材に比べると、当たり前だがイマイチだったと翻訳できそうだ。だが、そうストレートに書くと場合によってはカドが立つし、だいたい格調高くない文章になってしまうので、無駄なレトリックを駆使して回りくどい言い方になってしまう。こういうわざわざ迂回路をくぐらせて、読者を真実から微妙に遠ざけるような言い回しはどうかとも思う。自戒をこめてではあるが。
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紹介する機材を褒め上げて買う気にさせる。少なくとも試聴する気にはさせたい。
くりかえすが、これはオーディオ雑誌の目的の一つである。しかし、様々な情報がタダで手に入る世の中となり、人々が今まで知らなかった世の中のウラまでも知ることが普通になると、耳当たりの良い褒め言葉を皆が簡単に信用しなくなってしまった。全ての褒め言葉がステマ(スティルスマケーティング)に見えると発言する人が増えた。このステマという言葉はあまりに氾濫していて、まるで掲示板に書き込むときの決まり文句のようにすら思えてくるほどだ。良い機材に対して当然あるべきポジティブな評価を、工作員のステマだと喝破すると利口に見える、そういう風潮は無意味だろうに。だいたい人を疑うということは、ネガティブなことであり、無駄なエネルギーの消費である。

これに関して、低所得者になればなるほど陰謀説(つまり、ここでは目の前の情報がステマであること)を信じやすくなるという話を私は聞いたこともある。これは、そのせいなのだろうか?ハイエンド機材を購入する財力のない人々が、このようなステマ説を語る傾向が強いのは常に感じるところだ。素人のネガティブな意見のほうが、例えそれが全く的外れ、あるいは試聴したフリをしただけの、なんちゃって発言であっても内容が否定的であるというだけで信用されてしまうほどの世の中だ。こんな時代だからこそ、真のオーディオ評論は機材の良い所と悪い所にメリハリをつけて、オーディオを表現しなくてはならない。そうしなくては現代では信用を勝ち取れまい。

また、真心からでない褒め言葉は空疎であり、すぐに見破られる傾向にある。だから、褒めるなら、その機材に本当に惚れ込んでから、褒めるのが望ましい。その場合、それは心の奥から湧き出た言葉だし、ときにそれを自腹で買って導入するという実行動さえ伴うから、必ずや読み手の心を動かす。現実にそういう評論も稀には認められる。だが、大抵の機材ではそれができていない。できない。だから信用されない。

だが、そもそも高級なオーディオに馴れ切った評論家さんが心から気に入る機材など多いはずもない。だから、本気のレビューなんて、まず読むことは難しいことになる。いつもの事だが、抜きん出た音を出せる機材は少数派である。結局自分の耳で経験を積んで、それを選り分ける他はない。やはり、オーディオ評論は深読みしたうえ、試聴のきっかけとすべきもののようだ。

人間が自然に手を加えて、形成してきた物心両面の成果のことを文化と呼ぶとか。趣味で言うなら、人間の精神的・内面的な生活に深く関わる、広範かつ多様な物質的な内容を持つ趣味が、文化と呼ぶに相応しいと思われる。
一方、オーディオが文化である必要はない。文化たりえるために趣味はあるのではない。それはあくまで結果だ。
しかしオーディオは少なくとも私にとって、もうすでに文化というレベルの代物になってしまっている。これほど多様なモノとしての側面を持ち、私の精神に深く根付いた趣味はかつてなかった。
そして、オーディオが文化であることを表現し、証明できるのは、オーディオそのもの以外では文章だけだとも私は思う。五感で感じたことを抽象概念に還元して他人に伝えることは言葉だけの持つ特殊な能力なのだと私は信じている。
では、そのオーディオが文化であると証明しうる文章、つまりオーディオの音質を表す文・オーディオのレビューはどのあるべきなのだろうか?

そもそもオーディオのアイデンティティー、すなわちオーディオという行為の源はどこにあるのかと問えば、それは自分の好きな音楽を自分の一番好きな音で聞きたいという比較的単純な欲望だと私は答える。結局、オーディオのレビューというものはいつもそれに立ち返り、痛いほど正直な気持ちで素直に書かれるべきだと思う。オーディオ文化などとエラそうに麗しい単語をひけらかしても、結局そういうシンプルでストレートな欲望がコアなのだから、オーディオのレビューというものは美しく読みやすく書いたうえで、その個人的な好き嫌いを正直に言っていいはずだ。
オーディオの哲学的な側面、すなわちオーディオとは人間にとってなんであるのかという定義に近づくことが、オーディオ文化を証明しうるレビューの姿勢だとすれば、人間の根本的な欲望に立ち返った正直さが文を読んで感じられなくてはいけない。今のオーディオ評論は、そういう前提姿勢としての正直さが感じられないことが多い。

「聞き慣れたK2S9900から新たな表情、魅力を引き出すパスの凄さに唸らされたこの日の体験をぼくは長く忘れることはないだろう」
こんな記述はどうだろう。ここには別れの挨拶の気配を感じないだろうか。そう、このくだりを書いた評論家の先生は、このパスのアンプの音は悪くないと思ったものの、自分のリスニングルームにそれを導入しようとか、もういちど聞いてみたいとまでは思わなかったのである。一通り聞いたあとで、「素敵だね、ありがとう。そして、さようなら」そう呟いたのではないか。すなわち、この先生の使っているアンプを知っていれば、そちらの方が件のアンプよりもいい音らしいと推測できる記述である。私個人はこの記述をもって、ここでレビューされているアンプを試聴する気は失せた。むしろ、この先生が目下お使いになっているドイツ製のアンプに想いを馳せた。こうして詳しく読んでいると、評論家の仕事は機材の音を褒めることであるとか、これはステマだなどと単純なことは言えない。きちんと読めば、良いモノとそれほどでもないと思ったモノとの区別が、ある程度は暗示されている場合もあるのだ。こうして、先生方の正直が、背中から出た白いシャツのように、閉め忘れたズボンのファスナーのように、ちょっとだけ見えることがある。この程度か、などと言わないで欲しい。文筆で飯を食うのはたやすいことではないのだから。

部外者が知ったように何を言うのか、とお叱りを被るかもしれない。だが、私は彼らの書いた文章を自腹で買って読み続けている。取捨選択し、ファイリングし、読み返している。評論家の方々の意見をもとに試聴に励んでもいる。それだからこそ言う。

様々な意味で担い手がどんどん減っていく、ハイエンドオーディオの世界において、それを対象とする専門誌の存続は危うい。そろそろ平静を装うのは止めて、危機感をもって、見たことも聞いたこともない斬新で突っ込んだ企画を立て、より正直でストレートな生々しい言葉でオーディオを綴るべき段階に入ったのではないか。行間を読まずとも本音が分かる。そういうレビューも読みたい。少なくともそれくらいはしないと、ベテランのファイルの耳目は奪えず、新人の参入も期待できない。あげくハイエンドオーディオといっしょにオーディオ雑誌も売れなくなってしまうのではないかと危惧する。

少なくとも、もっと他との違いを際立たせた書き方をすべきだ。評論家の方々は高齢化しつつあり、文体や言い回しは固定しがちだ。同じ分野のライバル機材が非常に類似した言葉で称賛されるのを多く認める。それから、よく言われることだが、代理店やメーカーのHPに載っているようなことにレビューの文章の半分以上を割くのはやめた方がいい。取材時に聞けた開発の裏話や、意外な側面を積極的に書くようにすべきだろう。そしてもちろん、音質についてもっと多くの行を費やすべきだ。そして写真はもう少し小さくて良い。写真を見ると結構な余白があるじゃないか。我々は余白を買いたいのではない。また、明らかに問題があるところは正直に書いて、改良を促すべきだ。評論家側から改良についての具体的な提案がもっとあってもいい。さらに言えばオーディオ評論にはもっと夢があっていい。評論家個人は、こういうオーディオ機器が欲しいとか、オーディオはこうあって欲しいとか理想を語れ、と申し上げたい。評論家はただのライターであってはつまらないと私は思っている。

とにかく最近は、読者が大々的に参加する企画を見ない。年末のランキングは読者に選ばせたらどうか。「あなたが選ぶ~」というキャッチの企画だ。代理店様にしても、ユーザーがどういう製品を求めるのか、売上のみで判断していていいのか?代理店様は時々アンケートも取っているが、規模は小さい。TIAS入場者に全員アンケートを取るとかはやってない。雑誌でそういう企画をやれば、アンケートの代わりになるかもしれない。なにを買ったのではなく、どの年齢層が、どういう機材に憧れているのか、分かるかもしれない。

私は2034年の12月9日にタイムマシンで出掛けた夢を見たことがある。幸い、書店はまだあった。だが、店に入ってあたりを見回しても、平積みになっているはずの、あの立派なオーディオ雑誌を見つけることはできなかった。先行して出ているはずの誤字脱字の多い雑誌さえも見当たらなかった。ネット上に移行したか?スマホを開いて検索しても、それらしきページはヒットしなかった。
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それはただの悪夢である。
しかし、それなりの確率で起こりうることのような気がしてならない。
また、枕元に伏せてあるこの雑誌、気のせいか、
その厚さが年々薄くなっていくような気がしてならない。
この有り難き雑誌のページを繰りながら、
私はいつものようにレコードを回す。
そこから絞り出されるように漏れ出てくる
ホセ ジェイムスの物憂い声を聞く。
彼の声にいつも感じるユーモア、洒落に加えて
軽い憂慮とささやかな祈りとが入り混じっているように聞こえるのは、
今の私の気分のせいだろう。
こうして2014年も暮れ切っていくのである。

# by pansakuu | 2014-12-24 20:14 | その他

Just earによる革命についての私的見解:可能性の海で


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I’m just a dreamer.
Are you a believer?
“バラ色の日々”より


2014年の秋のヘッドホン祭りで一番輝いていたのが、このJust earというカスタムイヤホンの企画であった。
申し訳ないが、このイヤホンの具体的な音質や装着感それ自体について書くことはほとんどない。それらは全て“これから”のことだ。
私が驚いたのは、その企画内容である。
このイヤホンはメーカーが個人の好みに合わせて、音をオーダーメイドしてくれるというのである。
個人の耳型を取って、耳にぴったりの遮音性の高いイヤホンを作るカスタムIn Ear Monitor(IEM)は、既に流行の兆しがあるが、これは身体とデジタルシステムの融合という大きな現代潮流の一部と思っていた。そこに、さらに一歩踏み込んで、個人の聴感とデジタルサウンドの融和という動きが現れたのである。その詳しい内容はいくつかのブログや雑誌が、これから語りはじめるであろうから、ここでは立ち入らないが、パターンメイド、すなわち幾つかある中で選ぶだけではなく、個人の意見を聞いて、極端に言えば世界に1つだけの音質を創生し、提案するという、フルオーダーメイドの企画と私は受け取った。
ユーザー個人のためだけの音作りに、ユーザー本人が参画する。
私の知る限り、このようなものは今までオーディオの世界には、ほぼ存在しなかった。

今までオーディオには、メーカーが考える最も良い音・正しい音があり、それを追求した製品が出ていて、その中からオーディオファイルが気に入ったものを選ぶという形式がほとんどであった。つまりはソフトなお仕着せであり、まあ消極的な押し売りのようなものであった。
そして、こうやって色々な機材を試聴し続けていると分かるのは、メーカーごとに最も良い音・正しい音が違っているということだ。これはメーカーごとに音の好みがちがうということに尽きる。
一方、ユーザーであるオーディオファイルも一人として全く同じ聴感や音の好みを持つ者はいない。これも自明なのに真面目に取り上げられていない。聴感や音の好みの合わせ込みに関しては、十把一絡げ的な発想でオーディオはずっと来ていたのである。
以上のような状況から、自分の好みの音とメーカーの音を合致させるべく、場当たり的に試聴を繰り返したり、機材の組み合わせを考えたりしてユーザー側が苦労するという過程がオーディオという行為の大半を占めていた。

こういう、しょっぱい状況を知りながら、メーカーは譲らない。自分の作る機材の出す音が最上であり、それを聞いた人が幸せになることを信じて疑わない、または疑いを承知しながら無視する。あるいは嫌なら買わなくていいという態度を取る。これは人間に一人として全く同じ聴感や音の好みを持つ者がいないということを認めない、あるいは現実的にオーダーメイドに対応できないので、その事実を無視するという立場である。まあ、見ようによっては、これは奢りなのであるが1970年代にハイエンドオーディオという考え方が生まれて以来、彼らはずっとこれで通してきた。これらの人々が全くひとりよがりに提案する音が気に入らない場合は、スピーカーなりアンプなりを自作する、あるいはマルチアンプシステムを自分で構築するなどするしかなかった。

現代のように多様な素材や技術が併存するようになり、それらの専門性が高度になるにしたがって、一人の素人のマニアが作れる機材には限界があることがわかってきた。潤沢な資金とコネのあるメーカーにおいて何人もの専門家が協力して作る音よりも、その出音は遥かに矮小なものであり、ハイエンドオーディオという名称にはそぐわない。素人の自己満足のほとんどは、やはり優れたメーカーが作るものには敵わない。餅は餅屋ということである。結局、ハイエンドオーディオファイルにできることは、出来上がったお仕着せの機材の組み合わせを必死に考えて、自分の好みの音を作り出すことに、ほぼ集約される。その中で私は、購入した機材の音に自分の感性を慣らし、合わせこむような面倒はもう沢山だと思ったこともある。

色々なオーディオ関係のショウで、製作者ご本人と面談する。表面的な態度には差こそあれ、御自分の造り出したものに誇りを持たない人はいない。彼らの内面には、いつもオーディオへの熱い思いが溢れていて、その情熱に話を聞いているこちらの心が動かされ、それほど好みでもない機材を買いそうになったことさえ何度もある。
だが、彼らの情熱の在り方には欠点があったことが、2014年のヘッドホン祭りの会場で明らかになった。
彼らは自分のオーディオに対する情熱を製品という形で吐露したものの、ユーザーである個々のオーディオファイルの要望を細かく聞いて、オーダーメイドで製品を製造しようとは、ほとんど考えなかった。特に音質の中身についてはパターンメイドさえ、ほとんどなかった。高価な対価を払うユーザー側はメーカーに音質の面で、こうして・ああしてと直接働きかける術を事実上持たなかった。あるとすれば、その製品を買う・買わないという選択以外はなかった。

ところが、Just earのイヤホンはメーカーが個人の話を聞き、個人の好きな音楽を聞いて、その好みに合わせて、音をオーダーメイドし、提案してくれるというのである。自分の好みをきちんと向こうに伝えることができて、適度な忍耐力があれば、出来上がったものと自分の聴感をすり合わせながら(それこそ仮縫いしながら)、自分の最も好む音を造り出せる可能性もある。この方式はかなり行き詰まってきたオーディオという趣味の有り方をガラリと変える発想の転換を意味している。

想えばオーディオには少し可笑しなところがあった。これだけ趣味性の高いものであるにも関わらず、買う人ひとりひとりに詳しく意見を聞くということがあまりに少なすぎた。逆に言えば、オーディオメーカーはユーザーに製品を買ってもらえないかぎり生計が立ち行かないにも関わらず、いつも上から目線でユーザーを見て、我儘に音作りをしてきた。もちろん、それは技術的にオーダーメイドが難しかったからに相違ないが、その難しさを克服しようとする具体的な動きはあまり見たことが無い。オーディオメーカーとはこんなものだと不文律のようにメーカー側で勝手に決めていた節もある。評論家の方々はそういうメーカーの態度を容認どころか半ば賛美してきたように見える。ユーザー側もそれに馴れ切って、問題意識を持たなかった。そうして、事はここに至ったのである。

ずっと煽っているように、ハイエンドオーディオは危機に瀕している。本当にいい音で音楽を豊かに聞くという文化は変質してきている。そんな中、贅沢なハイエンドなスピーカーオーディオで本来やるべきオーダーメイドが、イヤホンというオーディオの世界の中では傍流の機材でなされようとしている。いや、もうイヤホンは実際のところ傍流ではない。その出荷数で見れば、既に現代において音楽を聞くという行為のメインはイヤホンによっていると分かる。そして今、イヤホンは個人ごとの耳の形だけでなく、聴感の違いさえ認め、それに柔軟に対応する態度を表した。これはオーディオの世界では革命的な出来事であると私は感じた。

問題は、実際にそんなことができるのかということだ。
ユーザーの良く聴く音楽や好みなどを聞いて、最適なチューニングを提案してカスタムイヤホンを作ろという話だが、そもそも、まず自分の好みの音というのを口で伝えることができる人がどれくらいいるのだろうか。美容院でどういう髪型にしてくれと伝えてもなかなか、その通りの髪型にならないということは、よく聞く話だ。また、それ以前に自分はどういう髪型にしたらいいか、具体的なイメージを持っていない人の方が多いとも聞く。
さすれば、これは注文するユーザー側もオーディオや音楽についてそれなりの知識や見識を持たないと始まらないのである。髪型なら、自分の目指すヘアースタイルをしているタレントさんをテレビや雑誌で見つけてそれを伝えるという方法があるが、オーディオファイルもそれに似たことをやらなければいけないかもしれない。様々な機材の音を聞いて自分の好みを探らなくてはならない。
私は、オーディオという趣味自体が自分の好みの音とは何かを知るための旅だと思っている。それを深く知るだけでも、私の場合、かなりの年月を要したし、またその探求の過程で色々な製品の音に影響されて好みが変わって行くことも体験した。さらに、私はブログを書くことを通じて、自分なりに自分の好みの音をまとめて短い言葉や長い文章で伝える術を極めようと思っているところもあるが、これがなかなか難しい。私はあくまで製品を買う側から見たブログを書いているので、評論家の方々のように売る側に立たなくてもよいという利点があって、言いたいことを自由に書ける立場にあるが、それでも難しいのである。

また、メーカー側がユーザー側の好みを理解したところで、それに合うものを現実問題として本当に製作できるのか?メーカー側にそれに対応できる技術やマンパワーがあるのか?そもそもこの企画はカスタムIEMの製作という個人の耳の形に完全に添う、世界でただ一つのイヤホンの形を作るという行為をさらに一歩進めた発想なのだろうが、型を取るように、個人の音の好みの型を取り、それとそっくりなものをイヤホン側に移植するなどなかなかできそうにない。

そういう風に考えてゆくと Just earの試みの前途は平坦ではない。この試みは上手くいかないかもしれない。しかし、オーディオの未来のために、この企画は成功して欲しいと願う。そして、特にハイエンドオーディオメーカーに、この動きの方向性に追随してほしいとも願う。今でも、オレの音を聞けぇ!という態度を取るガレージメーカーや、自分の聴感に合わない他のメーカーの音を否定する業者さんたちを散見する。彼らはもっと目線を低くして、認めるべき所を認めて、売れないものを売れるように仕向けなければ、ハイエンドオーディオは買い手が減って高価格化し、あげくに崩壊してゆくだけであろう。また、ハイエンドオーディオに対するアンチテーゼとして、ただ単に財布に優しい製品を作るとか、便利でコンパクトなだけのモノ、話題性はあるが、すぐ陳腐化するようなモノを作って売るだけでは先は見えている。ユーザーと音質について一対一で向き合うことが今、オーディオメーカー全てに求められているのではないか。
真に新しい視点から、オーディオを変える試みを皆で始めなければ、この素晴らしい趣味は、いつか消え去ってしまうに違いない。

それにしても、こういうオーダーメイドをメーカーが本当にやる気になったことだけでも凄い。ここまで来れば、首尾よく行かなかったにしても、誰かが“こころざし”を引き継いでくれる可能性だけは残るだろう。タネはまかれた。とにかく、個人個人の音に対する意識の違いを、オーディオメーカーが認め、具体的に対応しはじめた瞬間、2014年11月25日の東京は中野で起こった歴史的な瞬間に私は立ち会えた。この先、この企画がどうなるにしても、その事実だけは誇りに思っていいだろう。いい時代に生まれたものだ。

やはり新しいものは新しい場所から生まれる。
これはヘッドホン・イヤホンの世界から生まれた試みであり、
スピーカーオーディオの世界から出たものではないのだ。

太古、生命は原始の海から生まれたという。
賑わうヘッドホン祭りの雑踏、
多くの人々の活発な話し声、
そしてヘッドホンやイヤホンから漏れる音楽たち、
それら全ての活力の総体を眺めていると、
新しい試みが新種の生命のように発生する可能性の海が
目の前に大きく広がっているように、私には思えてならなかった。
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# by pansakuu | 2014-10-31 23:57 | その他

GOLDMUND Telos Headphone amplifierの私的インプレッション:天馬の羽音


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「今までの人生で最も影響を受けた本は?」
「銀行の預金通帳だね」
ジョージ・バーナード・ショー



Introduction

あのGOLDMUNDがテロスの名を冠したヘッドホンアンプを開発している、という噂が流れたのは、もう随分前のことだと思う。
私が最初に、その話を聞いたのは2年以上も前だろうか。2年前というと、ヘッドホン界の状況は今とは違っていた。あの頃はまだ、ヘッドホンとイヤホンを比べれば、ヘッドホンの方が明らかに高音質であり、またハイエンドヘッドホンという妙な名前が付いた一つのジャンルが確立されそうな気配があった。据え置きの比較的高価な(と言っても30万円台程度のものだが)ヘッドホンアンプと、バランス化あるいはリケーブルでカスタムされた高性能な最新型ヘッドホンの組み合わせが、スピーカーオーディオとは一線を画す独自の世界を形成するかに見えた。
あの頃、我らの胸の内に在った希望は今、何処へ行ったのだろう?

思えばG ride audio GEM-1が発売された頃から雲行きは変わってきた。それらの製品に対する、根拠のない失望と軽蔑がネット上に蔓延し始めた。誤った風評がネット上に残り、それが愚かにも事実としてまかり通っていった。そして、ヘッドホンの世界の主流は高音質なイヤホンや、小型だが高品位なサウンドを追求したDAPに取って代わられ始めていた。今現在の話をすれば、高価なイヤホンの音質は数年前に比べて恐らく飛躍的に向上している。最近WestoneのES60を聞いて、一層その感を強くした。カスタムIEMに、この短期間で、ここまで発達・洗練された音を出されてしまうとHD800やTH900等のハイエンドヘッドホンの地位も完全に安泰とは言えぬ。こういう流れからして、この界隈の名称はヘッドホンオーディオではなく、イヤホンオーディオと呼んだほうがしっくり来そうだ。ポータブルDAPも然り。AK240の登場はヘッドホン界の風向きが変わったことを決定づけた。風はますます、ポータブル・小型化の方向へ吹いている。一方、今はオーバーヘッドタイプのヘッドホンや据え置きHPAに新たな野心作が、やや少ない状況だという話も再三している。斬新な音を聞きたいなら、今やイヤホンやポータブルDAPを買い求めなくてはならなくなった。つまり、時代の流れは、微妙だが確実にシフトしつつある。他方、かつてのハイエンドヘッドホンの世界を確立し、発展させるという希望は潰え去ったかに見える。

いつの時代にも、もっと早く現れていたら・・・と“たられば”で嘆かれる才能があるものだ。GOLDMUND Telos Headphone amplifierの日本でのお披露目が、2014年の秋の祭りと決まったと聞いた時、なにを今更、と苦笑いしたものだ。せめてあと一年、オンステージが早ければ、ハイエンドヘッドホンの世界はもう少し活性化していたのではないか?この界隈には長らく話題が少ない状況が続いていた。インターシティの消滅、GEM-1へのバッシング、イヤホンの隆盛、トータルの音質をむしろ落としたような、お手軽な複合機の流行等々。こういう度重なる冷や水もあってか、高級な据え置きヘッドホンアンプは日本国内ではやや低迷しているように見える。ここで、GOLDMUNDというメジャーなメーカーが作り上げたHPAがもっと早くに出ていれば、状況は変わっていたかもしれないと勝手に想う。

何にしろ、今日の祭りでやっと触れることができる、このヘッドホンアンプは特殊なモノである。その出自といい、価格といい尋常ではない。だから言うのだが、G ride audio GEM-1のように、パッと聞いて、あ、コレは凄いって分かるような音を出せてないとダメだ。そうでないと、この価格のヘッドホンアンプの存在意義は無い。ゆえに、これは自宅試聴は要らない。よく聴き込めば分かる程度の音の良さなんて認めない。祭りの会場で3分聞いただけでインプレが書けるくらいのインパクトがないと話にならない。少なくともそういう勢いで私は試聴に臨んだ。


Exterior and feeling

これは一昔前のGOLDMUNDのアンプの典型的な形に近い印象である。このサイズと仕上げは、以前のMimesis SRシリーズを彷彿とさせる。コンパクトにまとめた筐体のタテヨコ奥行きのスケール、そして、一貫して社外でやっているという、あの微妙にザラッとしたアルミの表面仕上げと金の延べ棒みたいなロゴプレートには見覚えがある。筐体を構成するアルミプレートどうしは継ぎ目が目立たないように緊密に接合しており、剛性がとても高いようだ。コーナーにも入念な仕上げがなされている。入力セレクターのトグルが半分フロントパネルの厚みに埋もれてるあたりも、Mimesis SRシリーズに似ている。
足は四足で、高さ調整可能なスパイクがついている、この足は上級のMimesis 20HやMimesis 22Hと同じ部品が使われている。ヘッドホンとしては異例なほど強固なメカニカルグランディングが得られると思われる。(掲載した写真はプロトタイプで足が異なる)なお、フルドライブでも発熱わずかであり、ほんのりと温かい程度のアンプである。

フロントパネルには、トグルスイッチの入力セレクター、ライカのフィルムカメラの巻き上げをフューチャーしたという、あのギザギザのボリュウムダイヤルとシングルエンドの標準ジャックが2つ見える。残念ながら、このボリュウムダイヤルの回し味はやや硬く、感触を楽しませるようなものではないが、しっかり掴める。ロゴプレートの下には二つの黄色と緑のLEDが光る。緑色は電源、黄色はデジタル信号がロックされていることを示す。最終的に出来上がったアンプを、こうして見ると流行のバランス出力端子はない。
ただし、ここには二つのジャックがあり、2人で聞ける。後述するが、これはなかなか良いことだ。

手元に6moonsで公開されているアンプの中身の写真があって、それを眺めている。ここでは電源トランスが3個というのが目立つが、それ以外は、見掛け上、これといって特徴がない気もする。電源はデジタル回路用、左と右のアナログ回路用が別々ということだろうか。アナログ・デジタル回路の詳細については例によって非公開だが、ここにはGOLDMUNDの最高級のプリアンプとDACに用いられている回路の中核部分がそのまま用いられていると聞く。そして例のプロテウス・レオナルドも搭載されている。このプロテウス・レオナルドとは、音楽データに必然的に内在している時間軸の歪みを矯正するという、ムンド渾身の音響補正システムの名称である。スイス連邦工科大学と共同開発しているものだ。この時間軸の歪みの矯正は、デジタル領域で行われる仕組みになっているため、アナログ入力もAD変換しなくてはならない。つまり、このヘッドホンアンプがDACとの複合機であるのは、デジタルファイル再生に便利だからではない。全ては求める高音質のためだ。
念のため言っておくが、今回のアンプの中身というのは、彼らの失敗作の1つのように、どこかのメーカーの製品をそのまんま移植したものではない。オリジナルの技術の集積であり、スイスメイドの中身なのである。
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一方、リアパネルはどうなっているのだろう。電源インレット、USB、光、同軸のデジタル入力とRCAのアナログ入力が見える。XLR入出力はなく、至極シンプルにまとめている。アナログ入力がRCAしかないのも昔のムンドを想起させる。先述の理由から、アナログ入力もA/D変換してDACに送り込む仕様なので、やはりデジタル入力が本来の使い方であろうか。なお、この機材はUSBではDSD 5.6MHz(DoP)、PCM384kHz/32bitまでのデータに対応するとされている。また、光、同軸でも、384kHz/32bitまでをサポートする。
この価格にしてラインアウトはなく、スピーカーオーディオへの転用は基本的に考えられていない。流行りのクロック入力もない。こうして見ると全体に使い方が限られた機材という印象は拭えない。
確かにGOLDMUNDのDACとアンプを合わせて買うことを考えると165万という価格は高いとは言い切れないのかもしれないが、これほど用途の限定されたアンプの対価としてはどうなのだろう。

今回の試聴は、特別な音質対策をしていないMACとUSBケーブルで接続したり、あるいは既に試聴済のユニバーサルプレーヤーのアナログ出力を接続したりして、様々なジャンルの音楽を聞いている。MACでの再生はAudirvanaに任せ、PCMのハイレゾデータを中心に聞いた。(PCMの再生に没頭してしまい、DSDを聞かなかったのは手落ちだった。)
ヘッドホンは無改造のHD800、T1、Edition8を用いた。これらを使う上でのポイントとしては、シッカリ奥まで端子を差し込むこと。なんとなく挿しただけだと音が出ないことがあった。なお、このアンプはゲインの調節については二段階で変えられるようだが、筐体を開けねばならず、気軽に切り替えられるようなものではない。
ケーブルについてはワイヤーワールドの上級ラインが使われていて、それなりに音質を良くしていたと考えられるが、このクラスのHPAを使う場合、この位のグレードのケーブルを使うのは普通であろう。これは特別なドーピングには当たらないと思う。
今回の試聴機はプロトタイプではなく、ほぼ量産機とのことだが、今後DSDデータの取扱い等でソフトウェアに若干の変更がありえるとのことであった。


The sound 

GOLDMUND Telos Headphone amplifierは、
私が今まで聞いた全てのヘッドホンアンプの中で最も優秀な音を奏でる。
Most impressive sound.
この一言も、このアンプの価格も決してオーバーではない。このアンプは音をテクニカルにコントロールしながら、音楽のドライブ感を存分に出す。それは、まるで完全犯罪のように見事な手際である。
もっと早くこの音に会いたかった。

この音を聞いて、真っ先に感じたのは、
これは最上級のGOLDMUNDの機材の音の相似形であるということだ。
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私はMimesis 20HやMimesis 22H 、TELOS2500を組み込んだシステムを既に聞いているが、そのサウンドの精巧なミニチュアがここにあると、すぐに感じた。もっと踏み込んで書けば、そのサウンドのエッセンスが凝縮されており、上記の大規模なスピーカーシステムよりも、むしろ濃厚な形でそれを味わえるということだ。あの3つの機材の音のハーモニーの素晴らしさに酔っている時は、その合計金額は計算しない方がいい。4000万オーバーともなると酔いが醒める。だが、そのエッセンスが200万円以下で聞ける。高いレベルではあるが、確かなコストパフォーマンスの良さがここにある。100万円オーバーの高価なヘッドホンシステムをいくつも聞いてきたが、コストパフォーマンスの良さを感じたのは初めてだ。(ただし、内外価格差を考えると、このコメントは変えざるえないが)

このアンプは典型的なムンドのサウンドを持っている。シルキーでふくよかなのだが、信じがたいほどハイスピードであり、あきれるほどノイズレスであり、全帯域において飛び切りの解像度を誇る。生来の聞き味の良さと圧倒的な基本性能の高さが両立した、このサウンドには、まさにムンドの香りがあり、Telosの称号にふさわしい音の完成度を感じさせる。Telosとはギリシア語で“完成”の意味があるのである。

次に驚いたのは、聞きなれた曲が、聞いたこともないほど整った形で聞こえることだ。
まるで、これが本来の音であると、言わんばかりである。
デジタル領域において、電気信号の時間軸方向の乱れを補正し、音の歪みや揺れを除去するというプロテウス・レオナルドシステムが効果を発揮しているのだろう。これは、このアンプのテクニカルなハイライトであり、このアンプのIQの高さを物語る。
例えば、早口でまくし立てる、可愛らしいアニソンをこのアンプで聞くと、曲全体がかなり聞きやすくなったのが分かる。滑舌がはっきりし、歌詞がよく分かる。うるささが消える。音の歪みが矯正されたような印象であり、ボーカルと伴奏がほどよく分離し、どんなに多数の音が混んでも、音が濁らず、逆に芳醇なハーモニーとして耳に届く。またピッチが明確に聞こえるもの驚きである。情報量が格段に増えている。
ハイレゾデータでは通常のデータよりきめ細かい音が出て来て、気持ちがいいのは勿論だが、ハイレゾでなくてもこのシステムを通せば十分に楽しめる。さらに、これらのプロテウス・レオナルドによると思われる効果により、聞き疲れが従来のヘッドホンアンプよりも格段に少ない。耳への負担がかなり軽減される。こうなると、あらゆるデジタルファイルをこのアンプで聞き直したくなる。

ここでは音楽のドライブ感、ノリの良さや抑揚の振れ幅を大きく取りながらも、音が見事にコントロールされ正確に出る。多くの要素が巧くバランスした音である。こうなると、どんな音楽をかけても破綻しないようだ。音楽のジャンルごとに得手不得手がない音調である。
実は、NAGRAのHD DACのヘッドホンアウトでも類似の体験をしたが、このHPAではさらによく分離し、よく整理され、地に足がついた音が聞ける。NAGRA HD DACでも時間軸の整合性は取られているのだろうが、こちらはNAGRAよりもさらにヘッドホンリスニングに特化しているためだろうか。

また、ここで聞けるのは、今まで聞いたヘッドホンサウンドの中でもっともダイナミックレンジが広い音でもある。衣擦れの音のような気配に近い音も、オーケストラ全体が総鳴りしているような大音量でも、全く落着きはらって取り扱う。特に大音量で聞くときに、他のアンプとの違いが意識される。ボリュウムを上げても全然音が崩れず、うるさくなりにくいので、ついついフルボリュウムまで行ってしまうのが、ちょっと怖い。

また、微小な音が、粒立ちのよい、本当に小さな音として、ごく自然に感じられるのもヘッドホンとしては初体験であった。ヘッドホンオーディオは拡大鏡のようなもので、微小な音を大きく聞かせることに関心があったように思うが、それだと音に遠近感がなくなり平板に聞こえてしまう場合がある。このアンプの出音には遠近感や精密で揺るぎ無い定位感がある。不思議なことに、これはアコースティック楽器の演奏だけではなく、打ち込みの音楽においても聞かれる利点であった。また微小な低域の音の解像度の高さも普通のヘッドホンアンプではありえないもののように感じた。

なお、アナログ入力とUSBデジタル入力の音の違いは極小であり、ほとんど差はないと思われた。強いて言えば、USBデジタル入力の方がわずかにクリアーな音だが、幾つかのソフトで聞くかぎり、指摘しにくい小さな差であった。

さらに、ラージサイズのスピーカーを聞いているようなヘッドホンの鳴りの良さにも脱帽である。聞きなれたヘッドホンが別人のごとく悠々と朗々と歌う。このドライブ力は半端ではない。Telosという言葉には無限の力という意味もあるそうだが、さもありなん。ヘッドホンに使うべき言葉ではないと思うが、あえて言えば音離れがいいと叫びたい。また、その音の量感は豊かであり、質感のバリエーションが多彩であり、音のスケールはヘッドホンオーディオにあるまじき大きさである。
今回は3つのヘッドホンを用いたが、それぞれ能率に差があり、適切なボリュウムの位置にも差があった。しかし、どのヘッドホンにも感じたのは、このヘッドホンはここまで鳴るのかという驚きであった。まだHD800をダイナミックに鳴らす余地が残っていた。人が変わったようにT1が絶唱した。Edition8の潜在能力を見くびっていたのを反省した。どのヘッドホンについてもその性能限界を見直すことになったのである。これはまるでTELOS5000を最初に聞いた時のようだ。あれは、このスピーカーがこんなに鳴るとは!と穏やかに聞いていられるリスニングではなかったが、同じことがヘッドホンで起こった。
なお、このアンプには特別に合うヘッドホンというのはなさそうで、今市場にある、どのようなヘッドホンでもポテンシャルを引き出せそうに思える。HD800が最も良いという人もいたが、T1も良かった。私はEdition5やTH900でも試聴してみたい。
とにかくいろいろと試したくなり、久しぶりにワクワクさせられるヘッドホンリスニングであった。

このヘッドホンアンプに、二つのヘッドホンをつないで、並んで同じ音を聞いていると、まるで力一杯に駆動されている大きなスピーカーの前に、並んで居るようだ。このアンプで聞くとディテールとともに音楽全体の構築も見えてくるので、音楽という広大な風景の中に向かって、オープンカーに乗って二人でクルージングしているような気分になる。こういうフィーリングも初めて経験したことだ。

Telos Headphone amplifierは、全体にニュートラルな音調で、音に熱い・冷たいの傾向がほとんど感じられないのも大きな特徴だ。適度な柔らかさと硬さのある音でもある。密閉型ヘッドホンで聞かれる滲みなく存在感豊かな音像も、開放型ヘッドホンで聞かれるサラウンドのように広大な音場も公平に語ることができる。音の重量感と同時に浮遊感も思いのままに出す。繰り返しになるが、プロテウス・レオナルドの効果により、非常にテクニカルにコントロールされた音調と取れる反面、音に内在するノリの良さ・音楽性も色濃く聞かせる。その意味でも中立性の高い音と言える。しかし聞きこむとクセが全くないわけではない。随所にゴールドムンドらしい、スピード感、音場感、温度感がちりばめられている。こういうムンド・ムンドした音調だと、やはり音楽のジャンルにより得手不得手は出て来てしまう。例えば女性ボーカルを聞くなら、これに勝るヘッドホンアンプはない。この声の実在感は他で代えがたく、オペラや合唱曲などでの人の歌声を聞くためだけにこのアンプを買うという選択肢はアリだと思う。それから新しく録音されたクラシック全般に素晴らしい描写をする。逆にブルースやレゲエやラップ、古いJAZZ、モノラル時代のクラシック録音は雰囲気が合わないと感じることは少なくない。このアンプはオールマイティではない。それを求めるならRe leaf E1の方がいい。

そうは言っても、これは“心ある”ヘッドフォニアならば、その正常な金銭感覚を破壊されるような音かもしれない。新次元の音なのに、あからさまな欠点や、ついていけそうもない個性がほとんど見当たらない。これはGEM-1よりもずっと万人向けの美音なのである。ここでは世界中のハイエンドメーカーを向こうに回して、多くの顧客を勝ち取ってきたセンスとノウハウが、ハイエンドオーディオにとってはオマケ程度でしかないはずのHPAに詰め込まれている。そうだ、世界に散在する小さなガレージメーカーたちのヘッドホンアンプの音とは格の違いを感じるサウンドがここにある。これはノウハウの違い、目指す音の理想の高さの違いであろう。具体的にはここに詰め込まれている技術内容の分量が、他のメーカーの製品よりも遥かに多いのだ。特に、この小さな箱の中に、プロテウス・レオナルド、すなわちデジタル演算処理によって時間軸変動を補正するシステムを内蔵したことは、他の全てのヘッドホンアンプに対して大きなアドバンテージを持つと思われる。


Summary

私もかつては、ヘッドホンオーディオには独自の価値があって、それはスピーカーオーディオとは隔絶したもので、比較不能であるという夢を見ていた。だが、高級ヘッドホンオーディオの市場は期待外れな感じで推移している。ヘッドホン祭りにおいても、いくつか80万円を超えるHPAの発表に立ち会ったが、それらの中に、そこまでの音質を持つ製品も、よく売れている、あるいは売れそうな製品もない。製作者の思いだけで、音は良くならないし、本当にヘッドホンに大金を使っているマニアの意見を聞いたところで売り上げにはつながらないだろう。そんなハイエンドな据え置きヘッドホンアンプの支持者は増えていない。おそらく減っている。期待したほど、音が良くないと、多くの人が感じたのだろうか。それほどの大金を払いたいと思うほど魅了されなかったのだろうか。カスタムIEMに奔(はし)ったか。スピーカーオーディオに移行してしまったのだろうか。

旅をしたからと言って、ロバが馬になって帰ってくるわけではないという諺を私は聞いたことがある。もしそれが真実ならヘッドホンオーディオは、誰がどう技術的に持ち上げても、所詮ヘッドホンオーディオの枠から飛び出せないのではないか。そういう絶望や諦めを吹き飛ばすだけの音が、今回聞けたのだろうか?

Telos Headphone amplifierの音は例外的である。
ここにいるのはロバではない。ましてや馬でもない。恐らく翼のある馬、天馬、ペガサスのようなものであろう。その翼はプロテウス・レオナルドなのである。この音は従来のヘッドホンの世界の常識を越えた新しい音であり、従来のハイエンドヘッドホンの路線の延長線上の音ではない。これはGOLDMUNDがその技術をフルに発揮して、据え置きHPAの音の極みを追求したものだ。このGOLDMUND流の試みは据え置きHPAの音質を異なるステージに進化させたことは間違いない。このアンプの登場により、ついにヘッドホンオーディオはハイエンドオーディオの領域へ本格的に踏み込むことになる。思えばGEM-1はその前哨だったのだ。
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別な見方をすれば、これはディープなヘッドフォニアが、マニアであるがゆえに漠然と抱いてきた不満を、ほぼ全て解消した完璧に近いアンプだ。だが、その音のカイゼンは本当にディープなヘッドフォニアにしか意味がなさそうに見える。そこはGEM-1に似ている。それゆえに、これを買って聞く者たちは、ヘッドホン・イヤホン界のメインストリームから一層隔離された遠い場所に身を置くことになるのかもしれない。音質が違い過ぎて、もう他の誰とも話がかみ合わなくなってしまうだろう。しかも、その時流からの離れ具合はGEM-1のそれよりもさらに遠い。実際、Telos Headphone amplifierの音はGEM-1のそれとは、まったく異なるものである。例えれば、スペックが違うバイクの性能の比較というより、クルマとバイクの性能の比較である。すなわち別な乗り物であるかのように錯覚するほどなのだ。例えば私の中ではGEM-1は強い個性を誇るハーレーダビッドソン FLHTCUSE8 CVOであり、Telos Headphone amplifierは最新技術のショーケースであるポルシェ918スパイダーなのである。
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桁の多い数字を横目で眺めつつ、このアンプを聞いていると、このレベルの据え置きヘッドホンアンプは、これから需要が増えるということはないだろうという気分になってくる。いくら音がよくても、このようなアイテムは、普通のオーディオファイルにすれば、あまりに高価かつマニアック過ぎる。以前レビューしたNAGRAのHD DACのようにスピーカーオーディオにも使えるなら、この価格でもアリだと思うが、Telos Headphone amplifierは基本的にヘッドホンしか聞けない。この点に着目すると用途が限られ過ぎるし、高すぎると思う人が多いだろう。様々なオーディオの側面に精通したうえで、ヘッドホンへの強い執着を持たなければ、この音と価格のバランスを正しく評価できない。私は少なくとも165万円は相対的にオーバーな価格ではないと思う。内外価格差は受け入れにくいし、絶対値が高いのも認めるが。

このアンプの価格の向こうに、さあ、ついて来られるかね?とムンドの総帥レバション氏が微笑みながら手招きしている姿が見える。
果たして私は、彼の招きに応じてヘッドホンオーディオの天馬を駆るのだろうか。
それは以前GEM-1のオーナーになった時に感じた、使命感のようなものが、
心の底から湧きあがるかどうかにかかっている。
それをリビングに据え付けて、その音の真髄を余すところなく愉しみ尽くすこと、
そして、その音を次のヘッドフォニアに引き継ぐこと。
それを自分の使命と感じられるか。
私が天馬の羽音を自らのものにするか否かは、
もう、そこだけにかかっている。
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# by pansakuu | 2014-10-26 09:23 | オーディオ機器

2つのDACのヘッドホンアウトの私的インプレッション: ヘッドフォニアは眠らない

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「他人が笑おうが笑うまいが、自分で自分の歌を歌えばいいんだよ」
岡本 太郎


Introduction


NAGRA HD DAC+MPSのヘッドホンアウトに繋いだGRADO PS1000eが、
ヤン ガルバレクの放つ、冴え冴えとしたサックスの叫びを耳の奥に届けています。
夜明け前、私は無心にキーボードを叩き続けています。

近頃は、新しい据え置きヘッドホンアンプから面白い音がほとんど聞けていない気がします。
OJI special BDI-DCシリーズ、マス工房 Model394、 NewOPT KH-07N、RSA Dark star、Luxman P-700uなど定番のハイエンドモデルの音は悪くないのですが、最近は興味が薄れてきました。まあ、世の中の関心がポーターブル方面に行っているということもありますが、私的には、どれも最上位のハイエンドオーディオが聞かせる凄味のようなものにまでは届いていないので、食指が動かないのでしょう。私が求めるものは、強いて言えばG ride audio GEM-1が追求していた音に近いかもしれませんが、アレでもまだまだと、今では思っています。アレはアレでなかなか手強いのです。GEM-1は個性が強すぎて、使いこなしが難しい。時に荒っぽい音で疲れる。そして何にしても、もっと加工感の少ない純粋な音であって欲しいですね。

さて、近頃のヘッドホン界での流行の一つはUSB DAC内蔵の据え置きヘッドホンアンプです。USBでパソコンとヘッドホンアンプをつなぎ、デジタル入力で楽曲データを再生する。この方式は何しろシンプルです。
私がUSB DAC内蔵の据え置きヘッドホンアンプの良さに気がついたのは、数年前、M2 TECHのVaughanのヘッドホンアウトの音を聞いた時からです。これはヘッドホンアウトつきDACと言うべき製品でしたが、通常、こういうヘッドホンアウトはあくまでオマケ的な機能。音が出ていることが確認できる程度のものが多いのですが、このVaughanのヘッドホンアウトにHD800を挿して聞いた音はオマケとは思えないほど本格的でした。DACからの出力がごく短い経路でヘッドホンに伝わることのアドバンテージが、思いのほか大きい。高価で、手の込んだHPAからでも、なかなか聞こえないほどの鮮度感があるだけでなく、それらのHPAの十八番(おはこ)を奪うような、SN比の高さ、音場の広がり、出音の落ち着きがそこにありました。
しかしその後、他のヘッドホンアウト付きのDAC、あるいはUSB DAC内蔵の据え置きヘッドホンアンプをいくつか聞いて来ましたが、案の定、Vaughanほどの音はなかなか聞けませんでした。
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ともあれ、近頃は据え置きヘッドホンアンプとなれば、DAC内蔵はごく普通です。パイオニアの新製品U-05もそうですし、そのうち試聴するでありましょう、スーパーハイエンドでありながら、聞かれるまえからキワモノ扱いされちゃってるGOLDMUND TELOS Headphone amplifierなんかもそうです。アレはただDACを内蔵しているというだけでなく、ボリュウム調節もデジタル領域で行うようですし、アナログ入力すらA/D変換してデジタル処理してからアナログで出すという徹底ぶりです。
とりあえず、この手の新製品の中ではPionnerのU-05が音と機能、価格のバランスが最も取れており、よく出来ているのはすぐ分かります。ただ、その音は私がこの場で求めているような、ヘッドホン界で最もエッジなサウンドというほどのものではないですよね。これだけで全て満足しろと言われても無理がある。もっと痺れるような音の快感が欲しい。

では、私が求める至高の音はどこにあるのか。問題は、私の求めている、現時点での究極のヘッドホンサウンドの在り処(ありか)なのです。DAC付きのヘッドホンアンプか、ヘッドホンアウト付きDACか、それともハイエンドDACと据え置きヘッドホンアンプを高級ケーブルで結合したペアか。
普通に考えれば、冒頭に挙げたようなハイエンドな据え置きヘッドホンアンプに高価なDACを継いだ方が良い結果になると思われがちでしょうが、実際やってみると、そう単純じゃない。

いくつかのテストで炙り出されてきた事実とは、ヘッドホンアンプの上流のグレードを上げるほど、その音を十分に受け止められるヘッドホンアンプやヘッドホンが見つけにくくなるということでした。CH Precision C1+X1などの現代最高峰の機材に、上記のようなアナログ入力専門のヘッドホンアンプをつないで聞いてみた感触を言えば、上流の実力に明らかにヘッドホンアンプが負けていて、上から来る情報量を受け止めきれず戸惑っているような場合が多いということ。スピーカーでの出音と比較した時、上流の音に盛り込まれた要素の一部が、ヘッドホンアンプを通すことで間引かれてしまっているのを感じます。やはりVivaldiやCHP C1+X1の音は現状のヘッドホンアンプたちで聞くには勿体ないくらい豊かなのですね。

こういう事を分かったうえで聞いて行きますと、DAC直結でDACの音だけをピュアに聞く方がいいんじゃないかと思える時は少なくない。ヘッドホンを使うことを前提とするなら、独立したヘッドホンアンプ抜きで、このDACの音をダイレクトに聞くのがいいんじゃないかという疑念が首をもたげてくる。これはヘッドホンアンプの部分は出来るだけシンプルにして、その存在を消してしまおうという考え方でしょう。そういうSimple is bestな戦略を取るとすれば、やはりヘッドホンアンプとDACが一体化した製品を使うべきなのだと思ってしまうんですね。また、それだとコンパクトでシンプルな構成となり、音質が劣化してしまう様々な要素が自然とキャンセルされる利点もある。接点が減り、信号の伝送距離が短くなる。
ですが、その場合、ヘッドホンから聞こえる音の質の大部分はDACの性能そのものにより決まるので、DACのグレードはできるだけ上げなくてはいけない。いい音を求めるとすれば、自然と廉価なDAC付きのヘッドホンアンプではなく、高価だが高性能なヘッドホンアウト付きDACが選ばれることになります。

じゃあ、ヘッドホンアウトを持つ高級なDACなら、どれもいいヘッドホンサウンドを聴かせるのかというと、全くそうではない。むしろフツーか、イマイチというものが多いですね。しかし時に、真面目にヘッドホンアウト専用のディスクリートの回路や、そのために吟味されたパーツを搭載しているものがあり、それらの中にはかなり音が良いものがあるようです。それらはDACを最短距離で聞く意味を強く感じる音です。

あれこれとヘッドホンアウトを持つDACの試聴を進めるうち、
以下の2つのDACのヘッドホンアウトに私に注目しました。
おそらく、これらは今、考えられるいくつかの至高のヘッドホンサウンドのうちの二つではないか。少なくともヘッドホンアウトを持つDACの音としては、この二つが最高ではないか。私はこれらを試聴して、ここに簡単なインプレッションを残しておくことにしました。


Exterior and The Sound
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1.NAGRA HD DAC+MPSのヘッドホンアウトについて

NAGRAのHD DACのフロントパネルの右下隅にはヘッドホンアウトが付いています。その左隣にはトグルスイッチがあり、Phoneの側に倒すと、ヘッドホンリスニングモードに切り替わります。こうするとラインアウトは遮断され、ヘッドホンアウトからしか、音は聞こえなくなります。
ボリュウムの調節はフロントのダイヤルをただ回すだけ。スムーズに無段階で音量が変わります。数値つきの目盛りもついていますし、ピークレベルも左端のメーターで確認できます。

また、このHD DACには、ほとんどのヘッドホンアウトつきDACについていない機能がいくつかついています。その中で最も重要なのはヘッドホンの増幅レベルを内部でジャンパーを切り替えることにより変化させられるということ。これにより、市販の様々な感度を持つヘッドホンに対処できます。また絶対位相の切り替えも可能です。
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なお、今回行った全ての試聴で、GRADOの2014年現在、最新・最高峰のモデルであるPS1000eを使いました。この選択には深い意味はなく、単純に出たばかりなので聞いておこうということでしかなかったのですが、こうして聞いてみると、かなり優れたヘッドホンでした。基本的に非常にワイドレンジでヌケの良い音であり、低域の解像度と量感、そしてレスポンスが今まで聞いたどのヘッドホンよりも優れています。いつも問題視している装着感の悪さも、このヘッドホンのドライバーのあまりの優秀さに許せてしまいそうでした。やはり、このHD DAC+MPSほどのDACにはHD800やTH900、あるいはこのPS1000eぐらいのヘッドホンが相応しい。

それにしてもこのHD DACと専用パワーサプライMPSそしてPS1000eによるヘッドホンリスニング、なかなかよろしい。ヘッドホンアウトにありがちなオマケ感が微塵もありませんな。この真っ当さはなんでしょうか。まずは音像にはっきりとした陰影があり、非常に立体的に聞こえます。それらの音像の質感はとても自然なものであり、先進的なDACの出音にありがちな硬質感、強調感が全くと言ってよいほどありません。高域、中域、低域ともにとてもフラットなバランスで、突出して存在感を主張する帯域はありません。でもそういうフラットな音を追求したアンプが陥りやすい、つまらない音ではない。非常に音楽的な躍動に満ちた音であり、聞いていて大変スリリングです。

このHD DACのヘッドホンアウトで聞くDSDデータの生々しい感触は、他ではなかなか味わえないものでしょう。DSDで録音された弦楽曲を聞いたりすると、弦の倍音の盛り上がり方というか、倍音が耳に迫るように強く響く様に驚かざるを得ません。DACが鼓膜に直結したかのようなリアリティがここにあります。ハイエンドな据え置きヘッドホンアンプに高価なDACをつないで、同じデータを聞いた場合、明らかに音に余裕が出て聞き易くはなるのですが、こういう加工感のない音楽の素顔に迫るような再生音もいいものです。

さて、このDACのヘッドホンアウト、SN比はどうでしょうか?
ここでまたHD DACの素晴らしい利点が発揮されます。それは別売りの高性能パワーサプライであるMPSと組み合わせて、通常のトランスによる電源と超低ノイズのバッテリー電源をデジタル回路、アナログ回路に各々別々に供給して、さらなる高音質、もっとはっきり言えば高いSNを狙える点です。
MPSから二本のケーブルが出ており、1つはデジタル回路用、もう一つはアナログ回路用の特殊な端子に接続されます。MPSに電源が入った状態でデジタル回路用にはトランスによる電源を接続し、アナログ回路にはバッテリー電源を接続する、あるいはその逆の組み合わせなどをMPSのフロントパネルのスイッチで選択できます。
いくつかの電源の種類の組み合わせを試しましたが、ヘッドホンアウトを使う場合はデジタル回路用にはトランスによる電源を接続し、アナログ回路にはバッテリー電源を接続した状態が、ボーカルなどがとてもクリアかつナチュラルに聞けて一番良いです。こうするとSNがグンと高くなりますから。音場に漂う空気が一段と清浄に感じられます。このような二段構えの電源構成を取るヘッドホン関係の機材はどこにもないというだけでなく、トータルでこれほどの音楽的表現とSN比、そして音のロスの少なさ・加工感の少なさ、すなわち直結感を兼ね備えたヘッドホンシステムは、他にはほとんど無いように思われます。

また、例えばVivaldiやCHP C1クラスのハイエンドDACと、OJI special BDI-DCシリーズやLuxman P-700uなどのフルサイズのヘッドホンアンプ、そして高価なラインケーブルと電源ケーブルを組み合わせれば、出音の一部はこれに勝る要素もあるかもしれない。でもそれは、そもそもヘッドホンリスニングという、あえて小さくまとまることを目的としているようなオーディオには合わないスタイルなのでは?ラック二段を占有してしまうような大仰なヘッドホンシステムとは一線を画した粋なSmall systemであることも、このNAGRAのヘッドホンリスニングで見逃せない部分です。これなら例え四畳半のアパートの部屋であっても容易にセッテングできますし、PCとともに、そこそこの大きさのトランクに入れて持ち運ぶことさえも十分可能でしょう。
このHD DACは、音のまとめ方の巧みさといい、コンパクトネスといい、本当に優秀なDACだと思います。頭の中で擬人化して、他のDACと戦わせると、小さいのに戦上手(いくさじょうず)というか、常に相手を僅かに上回るだけの賢さを持ったDACのように思われます。まるでアルドノア・ゼロに登場するスレイプニールのように、小兵でありながら、機能のバランスと汎用性に優れ、使い方次第で大敵を次々と打ち倒す力を秘めているようです。



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2.Qualia&Company Indigo DAC with USB Basicのヘッドホンアウトについて

非常に美しくかつ堅牢な、巨大なアルミインゴットからの削り出し筐体を備えたIndigo DAC。これほど重装な筐体を持つDACは世界中探しても他にはないでしょう。Rコアトランス四基という強力な電源部を内蔵し、ESSの最上位DAC素子であるES9012Sを世界で唯一使用するなど、中身もかなりスペシャルですが、やはりこの筐体の凄味に視線が注がれるところでしょう。目の前でこの筐体を愛でているうち、私は火星文明のオーバーテクノロジーで造られたカタフラクト、あの鎧の塊のようなロボットたちを思い起こしました。
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そういうコンパクトという言葉とは無縁の、オーバーな筐体のリアパネルには小さなボリュウムツマミとヘッドホンアウトがあり、そこに端子を挿して音を聞くというのが、今回のスタイルです。ここでは外部クロック入力や、アップサンプル・デジタルフィルターの選択はもちろん、HD DACのような可変増幅レベル、位相切り替えなどの機能もありません。ボリュウム調節だけの至って簡素なもの。ボリュウムの目盛りすらもついていません。今回のリスニングで使ったGRADO PS1000eではボリュウムは10時くらいまで上げられるようでした。これくらいの範囲で使えるなら、実用上は問題ないでしょう。なお、ここでHD800などの能率の低いヘッドホンを使えばもっと広い範囲でボリュウムの調節が可能になることでしょう。
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これは、NAGRA HD DACにも増して、特殊なヘッドホンリスニングの世界です。このIndigo DAC with USB Basicのヘッドホンリスニングでは、非情なほど純粋かつ濃密なサウンドに心を奪われずにはいられません。データとして記録された全ての音が総鳴りしているイメージとでもいいましょうか。音響空間は全方位、360度、ビッシリと粒立ちのくっきりした音に埋め尽くされているという圧倒的な印象です。非常に純粋で飾り気のないストレートな音であるため、キツめの音調であり、若干の聞き疲れもあるのですが、これほどの情報量をいっぺんに聞かされることの満腹感は他では味わえないものです。

とこれで、私は真夏の真っ昼間に時々つくる飲み物があります。
幾つものレモンをスクイーズして、炭酸水で割って、密閉してよく冷やしたものです。つまり炭酸のキツいレモネードですけど。
山下達郎にスプリンクラーという素敵な曲がありますが、この曲をこのDACで聞くと、ああいうノンアルコールでありながら炭酸の刺激の強い飲料を一気に呷(あお)ったような感じ、清涼感が全身を駈けめぐるような音でPS1000eが鳴ります。音の温度感は低めであって、その筐体の質感のように少しばかりひんやりした音であります。また、その音を香りに喩えるとすれば微かなペパーミントのフレーヴァーでしょうか。スッとする爽やかさに満ちた音です。

Indigo DACのヘッドホンアウトは、音の押し出しの良さに関してはGEM-1に類似していますが、音全体の印象は全く違っています。例えば、GEM-1に特有の低音のアクの強さなどは皆無で、低域に関しては透明感があり、かつ締まっていますね。量感が少なくシャープでありながら、明らかな重たさのある低音。他では、なかなか聞けるものではありません。高域は硬い質感で、透明度を保ちながら高く伸びていて、長くて鋭い剣の刃先のように危険な印象です。中域はとても厚く密度があるものに聞こえますが、反面、見通しも良く、この帯域の音の透明度は高いものと取ります。Indigo DACのサウンドは、どこまでも透徹した音場を保ちながらも、音像は薄まらず明確なまま、独自の重たさ、存在の深さを誇り、最近のハイエンドDACで聞かれる薄い羽衣が舞うような、ただ透明で綺麗なだけの音に終わることはありません。
なお、このDACは基本思想としてPCM音源を最高に聞かせることを開発の主眼としているらしいので、今回の試聴ではDSDを聞くことはできませんでした。しかし、これほどの音が聞けるならば、DSDはなくてもいいんじゃないかと思わせてくれます。DSDの形でしかリリースされない音源が、これから先、多数出てくる気配も無さそうですから。

また、ここのDACの音にはハイエンドオーディオ特有の高慢さと横暴さが見え隠れします。これはGEM-1にも聞かれたものですが、こういう隠された毒のような要素、普段は見せない鋭い牙や爪のような秘められた攻撃性を感じることこそ、私がハイエンドオーディオに密かに求めるところでもあります。巷に溢れる、イヤホン・ヘッドホンリスニングの機材から、このような悪魔的な要素を、ほんの少しにしろ、聞くことは無理でしょう。
やはり、これほど積極的な音作りをされたDACの音をヘッドホンでダイレクトに聞くというのは、様々な意味でシリアスで新鮮な体験でした。
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さらにIndigo DAC に類似したヘッドホンアウトを持つ高級DACであるTAD DA1000というのもあります。比較のため、そのヘッドホンサウンドも聞いてみましたが、これは難しいなと思いました。あれは解像度の高さが際立つ明晰でクリアなサウンドではありますが、かなりデジタルチック、不自然に速くて硬い音で、今まで聞いたヘッドホンサウンドの中でも特に疲れる音でした。あれは、そのラインアウトでの音質と同じく、音のディテールの描写を優先しすぎた、やや単調な音、長時間聞きつづけることは難しい音という感じ。(やはりTADはD600を買うべきでしょうね。)Indigo DACの音もそういう解像度の高さを売りにしている部分がありますが、もっと音に深みがあり、聞き慣れた音楽に秘められた演者や作曲者の感情が抉(えぐ)り出されてくるような局面が多くある。DA1000とは格の違いがあるのですね。DA1000の音に満足していた方がIndigo DACを聞けば、多いにうろたえることでありましょう。


Postscript

こうして自分が書いたものを読み返していますと、
どこの誰が、こんなマニアックなインプレッションを読むのだろうかという諦めのような疑いを抱きます。あるいはCHPやdcsのDACにBDI-DCシリーズやGEM-1を接続して使っている方は、このメモ書きの中身を鼻で笑うかもしれないと思うと、空しいわけです。(でもこれらのペアはどう考えても前段・後段の性能や価格のバランスが悪すぎやしませんか。)
確かに、これらの音を比較したことのある人は、世界中に私以外はまだ居ないかもしれませんが、それは元来そんなことをする必要もないからです。
私以外の誰も、そんなもの求めてないでしょうから。

そうと分かっていても、私は眠らない。
飽くことなく、新しいヘッドホンサウンドを求め続ける。
それは私の中のヘッドフォニアの魂が眠らないからです。
たとえ最後のロケットが
私一人を残し、
ヘッドホンの世界を捨て、
どこかに飛び去って行ったとしても、
まだそこに、求める音があるという
希望のひとかけらさえ残っているなら、
私は愚か者の残滓として、
ヘッドホンに耳を当て続けることでしょうね。

冗談みたいな本気についてはさておき、
NAGRA HD DAC+MPSのヘッドホンアウトをPS1000eで聞きながら、
この良心にも似た奇妙な執着に付きまとわれ、振り回される毎日が
私の運命(さだめ)なのだと、いつものように直感する、
今、夜明け前なのです。

# by pansakuu | 2014-09-14 00:47 | オーディオ機器

NAGRA HD DAC+MPSの私的レビュー: Another NAGRA


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「こいつ、ホントにルパンか?」
by銭形警部



Introduction

NAGRAは難しい。
私はずっと、そう思ってきた。
NAGRAの音の良さを本当に知ることは、本当に難しいという意味で。
私はNAGRAのプリアンプPLLとパワーアンプVPAのオーナーだったが、
あれらのサウンドというのは、
なにか焦点を絞らせないというか、のらりくらりとしていると言うか、
とにかく価格相応の凄味のようなものが皆無なのだ。
しかし、そういう中にも、なにか特別な、高貴で典雅な雰囲気が常につきまとっていて、
オーバーオールにダメな音とは到底言えないというのが、悩ましかった。
だから、すぐには手放さないのだが、
NAGRAの音の良さがどういうものなのか、
口に出して表現できないもどかしさがストレスだった。

では何故そんなものを買ったのか?
それは単純にそのコンパクトで精緻なルックスに魅せられたからである。
つまり、音を聞かずに買ったのだ。
あの頃は今よりもさらに酔狂だったのだろう。

ふりかえって考えてみると、
NAGRAの音は、あの頃の私には洗練されすぎていた。
今となっては、
“一般的”なNAGRAの音というのは
オーディオという長い巡礼の旅の最終到達地点ですらないと思う。
あれは旅の終わりに、ではなく、旅したことさえ忘れた頃合いに聞くべき音だろう。
次々と機材をとっかえひっかえすることを忘れ、音質を単純に追求することにも飽いて、それら全てを忘れた人、いわばオーディオの情熱を忘れ、それでも音楽を聞きたいと願う、枯れてしまった人に似つかわしいのがNAGRAだと私は思うようになって行った。
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私が今まで聞いてきたNAGRAの機材の音、CDCや300i、あるいは、あのオープンリールデッキIV-Sのものも含めて、それらはだいたい似たようなトーンだった。どれもオーディオ・オーディオしていないというか、SN感、解像度の高さ、ワイドレンジ、サウンドステージの広さ等のハイエンドオーディオマニアにとってキャッチーな要素を敢えて抑えたような、控えめで洗練された音を奏でた。こういう音は経験を積むか、リスナーのオーディオセンスと偶然一致するかしないかぎり、単純に良いなどとは言えないものだと思う。また、他のハイエンドメーカーの機材の音と比較すれば、価格の割に、とても中途半端な音に聞こえるはずである。だが、聴き込むと、中途半端などという言葉は全く当たらない、言わば、フワッとした完璧さを感じる音質だと分かる。またオープンリールデッキで特に顕著だったが、生成りの音、生々しさが感じられるものであることも印象深い。しかし、PLLやVPAで感じた、その特有の分かりにくさはまるで、柔らかな棘のように心象に残っていた。

私は今回、某所にてコンシュマー用のNAGRAの最新作、NAGRA HD DACを汎用電源であるNAGRA MPSとともに試聴する機会を得た。

その音は上記の“一般的”なNAGRAの音とは異なる積極的なサウンドであり、音楽性にも溢れたものだった。私は非常に驚き、この機材を是非にも手元に置きたいと考えるようになった。PLLとVPAの時と異なり、音を聞いて買いたくなったのだ。


Exterior and feeling
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NAGRAらしさに溢れている。
試しにフロントパネルのスイッチ類に触れてみたまえ。
ボリュウムの僅かに粘るような滑らかな感触、パチリと来るスイッチのクリック感と操作音、新しいメーターの指針がチラチラと揺れる様、僅かに青みのある、艶消しアルミの質感等々。それらはNAGRAのロゴよりも、このDACがNAGRA製であることを主張する。アキュレートでありながらキュートな、この特別なDACを眺めていると、NAGRAという固有名詞しか思いつかない。

フロントパネルでは中央部のNAGRAでは見慣れない液晶の小さな窓と、隣のダイヤルが目を惹く。これはデジタル入力の選択や、各種セッテングを行うための部分である。この部分の設定機能はかなり多彩であり、言語設定(日本語非対応)、入力名称の設定、1.3v、2.0vの二段階のラインレベルの出力の切り替え、ラインレベルの固定出力モードと可変出力モード(すなわちDACプリとして使用可だが、それはオマケ程度の実力なのでお薦めしない)の切り替えができる。さらにマニアックな機能として、絶対位相の切り替え、USBを使用しない場合のUSB回路のスリープの選択(USB回路は多くの電力を消費するため)、HD DAC自体のトータルの稼働時間表示、今、入っている真空管のトータルの使用時間の表示まで見ることができる。この表示を順繰りに見てゆくと内部温度の表示も見つかるのだが、このDACも、MPSもドライブ中は50度位に熱くなる。

筐体全体を俯瞰すると、例によってコンパクトなDACである。この価格帯では最小である。MPSをスタックして置いても断然小さい。私は、このコンパクトネスにいつも憧れる。NAGRAはコンシュマー機材の大きさをできるだけ揃えようとする傾向があり、NAGRAのプレーヤー、プリアンプ、フォノイコライザーに関してはほぼ同じ大きさである。HD DACはフロントの寸法は、それらと同じなれど、これらよりも奥行のみが少し長い。この余分な長さはNAGRAが社外に開発を依頼したDA変換モジュールが入っているため生じたものである。つまり、Playback designs MPS-5を設計したアンドレアス コッチが作ったDA変換ユニットが封入された金色のモジュール、これが内部に入っている分だけ、長いのである。なお、この箱の中でDSDはネイティブでアナログ変換されるようだが、その他の技術的な詳細は不明である。もちろんスペシャルメイドらしいUSBレシーバーの詳細な技術内容も明かされていない。

取り扱うデジタルファイルについて、USBを介した再生ではPCMでは384kHz/24bit、DSDでは5.6MHzのデータ、Double rate DSD、DXDまで使うことができるとされている。実際の試聴では、KORGのアプリである、Audio gateで、少なくとも192kHzのPCMデータ、DSD 5.6MHzともに問題なく聞けた。なおMacでのUSB接続では特別なドライバーは要らないが、Windows PCとの接続では、ASIOドライバーをインストールする必要がある。これはUSBメモリの形で付属してくる。
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このDACの内部にはフランスのSCR社製のカスタムメイドの黒い大型コンデンサ(蜜蝋を使って作るスペシャルパーツらしい)やシールドされた大型コイルがぎっしりと詰まっている。ふりかえって考えるとNAGRAの機材でこれほど多くのコンデンサが入っていたものはないし、ましてや他社のDACでこれほど大きなコンデンサがぎっしり詰め込まれた例も記憶に無い。こんなに大きなコイルが入ってたのも見たこと無いような。このDACのシングルエンドのアナログ出力回路はよほど変わったものなのだろうか。あの音の違いはどこから来るのか。
また、内部には出力の増幅段にJAN5963一本だけ(申し訳程度に)使用されているのが目をひく。一応、管球式DACというジャンルの機材なので、日本語でのファーストレビューは管球王国に載ったほどだが、これは管球らしくない音だ。それに大体、左右チャンネルがあるのに、球が一個だけってどうよ。なるほど双極管か。
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リアパネルには、今回使うUSB入力以外に、RCA同軸・AES/EBU・TOS光のデジタル入力があり、RCA、XLR出力が見える。
このリアの入力を眺めて思うのは、流行の(?)外部クロック入力がないということ。
外からのクロックをあえて拒む、その意気や良し。高性能なクロックの生み出す、怖いくらいに精密な疑似空間の素晴らしさは認めるが、オーディオはそれだけじゃ足りないと思うクチなのだ、私は。あれは静的な美点であって、音楽はあくまで動的なものだから、そういう入力がなくても寂しくない。

また、珍しいのはリアに、アナログ回路用とデジタル回路用の別々の電源入力端子が分かれてあるところだ。オプションのMPSを使わない場合は、これらそれぞれにアルミ筐体を持つ立派な電源アダプターを接続しなくてはならず、結局二本の電源ケーブルが必要になる。逆にMPSを使うと、MPSから二本のケーブルが出てデジタル回路、アナログ回路に供給されるため、電源ケーブルは一本で済む。音質としてはこのMPSを用いる方が断然、素晴らしい。これはもともとペアで購入すべきだろう。
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詳しく言うと、試聴に使ったMPSは、バッテリー電源と通常のトランスによる電源をパラレルに使用できるタイプであった。例えばこれをHD DACと組ませると、1つのDACの中でデジタル回路にのみトランスによる電源を使い、アナログ出力回路にのみバッテリー電源を使うなどの離れ業ができる。実際につなぎ変えてやってみると、今回のスピーカーを使った試聴ではDACのデジタル回路、アナログ出力回路ともにトランスの電源を供給したほうが、力強い音という意味で好印象だった。(バッテリーによるドライブについては次回のインプレで述べよう。)

もちろん、MPSも他のNAGRA製品と全く同じ精緻な仕上げ、操作感である。ただの電源でありながら、造りにいい加減さが一切ない。MPSについて格好いいなと思ったのは、電源を入れると、内部に4つある電源ひとつひとつに割り振られたLEDが順繰りに点灯してゆくところ。小さな機械が一生懸命働いている様に見えて、健気(けなげ)だ。LEDやメーターの動きといい、スイッチの感触といい、こういうギミックの面白さはオーディオの愉しみの一部だと思う。

なおHD DACもMPSもリモコンで、入力や出力をセレクトできたり、ボリュウムを変えたりできる。だが、このリモコンはNAGRAの純正ではなく、他社製の流用品であまりカッコ良くない。必要もないので、私は今回はこれには手を触れなかった。


The sound 

機材の外観から来る予想に反して、
今回のHD DAC+MPSはNAGRAらしくない音を出す。
その音の素晴らしさは、他のNAGRAの機材の音よりも分かり易いものだ。いや、ハッキリ言ってしまおう。“一般的”なNAGRAの音より、私にとっては、ずっと良い音だ。そして、これは今まで聞いたNAGRAの機材の中で突出して優れた音であるのみならず、MPS-5やCH Precision(以後CHPと略)D1 mono, C1+X1、dcs Vivaldi、Logifull LDac1000を含めて、今まで聞いた全てのデジタルプレイヤーの中で、最も私の好みの音だ。

私は、このHD DACのサウンドをMPS込みで評価している。私にとって、HD DACはMPSを接続して初めて完結した音が出る。まるでCHP C1+X1のようなものである。
(NAGRAのCDCやJAZZに、このMPSを接続して聞いた時は、これほどの効果はなかったので意外だった。)
また、内部のアナログ出力回路は基本的にシングルエンド設計とのことだが、実際使ってみると、バランス出力の方が音が良かったので、そちらで聞いている。
(現時点で、いくつかの雑誌のレビュー記事が既にあるが、どれもMPSを使っていない試聴の結果である可能性がある。またRCAシングルエンド出力で聞いている可能性もある。)

今回の試聴ではKORG Audio gateをインストールしたWindows PCに楽曲データの入ったSSDを外付け、一般的なUSBケーブルでHD DACと接続しDSD、PCMハイレゾデータ等を聞いている。PCはASIOドライバーをインストールしたのみで、特別なことはなにもしていないパソコン、Windows7が入ったEpsonのノートパソコンであり、全くプアな環境だ。USB接続は全てUSB2.0である。

既に述べたが、HD DAC+MPSはコンパクトである。同じく二筐体となるCHP C1+X1と比べよ。しかしこのペアの聞かせる音のスケール感はとても大きい。CHP C1+X1のそれと遜色ない。このギャップにまず驚いた。
音場の左右、高さ方向への広がりを感じるサウンドである。音楽にもよるのだが、見渡す限りの音の水平線が目の前に現れた時が何度かあった。
今回の試聴は3人で行ったが、この音のスケール感については、この小さなリスニングルームでは、サウンドステージの左右端が部屋の外へ、はみ出してしまっているようだというのが、全員の一致した意見だった。

これくらいの広がりのあるサウンドステージの場合、現代ハイエンドオーディオでは、音が空間に微粒子状にスプレーされるような出方をしがちだが、HD DACでは、そこが違う。そういうホログラフィックな音の出方ではなく、広めの音場に濃密な音像が確固とした像を結ぶ。そして昔のWadiaやSTUDERのCDプレーヤーのように音が生々しく立ち上がって前にガッと出てくる。ここには最近聞いた、TADのD1000のような音の輪郭のデジタルっぽいキツさはない。だが、一部の非力なDACで聞かれる、周りの空気に微妙に溶け込むようなあいまいさも全くない。非常に細心な描写であって、音像のディテールがつぶさに聞こえる。だが、音が細かくなりすぎて実体感を失うことはない。私は、この絶妙な音のリアリティに痺れた。
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ここで再び驚かされるのは人の声である。アッと思ったのが、グレゴリーポーターの歌を聞いた時。彼のWaterというアルバムの冒頭曲Illusionで、ピアノのイントロを受けた歌い出しのところで、グイッと声が立ち上がる瞬間の柔らかなインパクトが、なんとも心地よい。こんな鼓膜の快感は初めてであった。また、4曲目でスカイラークというスタンダードナンバーを歌うのだが、そこでの歌い回しのスムーズさにも感じ入った。これはMPS-5で時々聞いて、いいアルバムだなと思っていたし、その次のLiquid SpiritというアルバムはLPでのヘヴィローテーションである。彼の声をMPS-5で聞くのも良かったが、LPではもっと深いコクと、さらなる立ち上がりの良さを感じていた。だが今回のHD DAC+MPSの試聴はアナログに匹敵、あるいは超えるような見事な声の描写を私に聞かせた。誰かが、こりゃアナログライクな音だねと言ったが、そうかもしれない。コッチのMPS-5にも同様のインプレッションを述べた方がいたのを思い出す。このDACの心臓部は同じ人の作ったものだから、さもありなん。

高域は滑らかで耳を刺さない。限界まで伸び切るが、虚空に拡散し、いつの間にか消えたりはしない。消え際、空間に綺麗な残響がクッキリと流れ、次の音へとつながってゆく。中域にはほのかな熱があり、カラフルかつビビッドに鳴る。中低域は音楽的なノリのよさがあり、曲想に合わせて躍動する。このような温度感、音楽的活力をPCオーディオと呼ばれるもので体験したことがない。低域そのものに関しては、解像度などは、かのCHP C1+X1には劣るが、十分に締まりが良い。MPSによる強力なドライブ力はシステム全体を突き上げ、スピーカーを躍らせるのには十分であるようだ。帯域バランスは、中低域が厚く、やや突出して感じられるものの、全体としてはほぼフラットに近いものだと思う。音の質感については変幻自在としか表現できない。剛直だったり柔和だったり、しっとりしたり、ドライだったり。こういう質感と決め難い。
また、一本筋金が通った芯のある音でもあるが、CHPの機材の音のように強固な音の骨格を感じさせるせいで、音がどこか沈んで硬く重たくなることがない。むしろMPS-5のような、しなやかな音の軽みがある。

SN比というものは、それが高ければ高いほど伝送における雑音の影響が小さいということになるが、HD DAC+MPSの音はまさに滅法SN比が高い印象である。MPS内蔵のバッテリー電源を使わなくてもプレイバックのMPS-5よりも高いように聞こえる。音像の周りの空気は澄みきって、すがすがしく、濃厚な音調を誇る送り出しにありがちな見通しの悪さがない。ここらへんがSTUDERやWadiaのプレーヤーと異なるところであろう。

巷ではPCMとDSDのデータの出音の違いが様々に言われている。CDから普通にリッピングしたデータとハイレゾデータに差があるとか、ないとかも喧しい。一方、HD DAC+MPSでは、幸か不幸か、そういうデータのフォーマット形式とか、数値上で期待される情報量の差とかを、実際あまり感じない。つまりPCMもDSDのごとく生々しく聞こえ、48kHz 16bitの音質がハイレゾに劣るという感覚は極小となる。これはどうしてなのか、理由をはっきり説明しにくい。結局、それぞれの音楽に与えられた音楽性が最大限発揮された結果として、そういうデータの技術的な差異が小さく感じられるのか。HD DAC+MPSの試聴は音質という末梢の出来事に耳が向くというよりも、音楽それ自体の曲想や本質的な意図に思いが向いてゆくリスニングになる。
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このDACでアニソンをかけてみると、聞いたことのないほどシッカリした調子で曲が鳴る。テスト用に使っているChouChoのStarlogが初めて、私の失笑を買うことなくシリアスに奏でられた。今までアニソンの音質には透明感、クリアネスを追求するあまり、声に高い山の空気のような希薄さと冷たさが際立ち、人工的な風合いに感じられて不満だった。また、アイドルソング的な甘い音調にも強い違和感を感じていた。しかし、このDACでは、アニソンの歌声が人工的、仮想的なものには聞こえなかった。本物の人肌のような温かさのある、街の何気ない空気のように、ナチュラルかつカジュアルに響いて素晴らしかった。この普通さがいい。現代のアニソンにありがちな、ストレートに意図を伝えない、まわりくどい歌詞にも、妙に電気的な伴奏の打ち込みの音のエッジにも、立派な存在理由がある。そう私は信じたくなった。このDACがあれば、真面目に聞けるアニソンが増えそうな予感がある。
自分が捨ててきた多くの新しい音楽に、もう一度、光をあてることができる可能性を私は感じた。

こうして他のDACと比較しつつHD DACを聞いている。
思い巡らすことは少なくない。

例えば、私の中ではDSの時代は終わったということ。DSは発売以来、もう6年以上、変化の激しいデジタルオーディオの世界で堅塁を保ってきた。それはDS以外には出来ない芸当であったことは認める。そういう意味で、やはりDSは凄い。だが、持ち込まれたKLIMAX DS/KとHD DAC+MPSを一対一で比較すると、もう出音の差は歴然である。DSの音は、比較としては、もう腰の引けた薄い音としか言い様がなかった。HD DACはDSと同等以上の音質でありながら、音の素性として、もっと求心力のあるものである。音がグッと立ちあがり、直進し、躍動する。もうDSは根本的に音をリニューアルするべきだろう。6年もの間ご苦労様であった。デジタル機材に一生モノなし、というわけだ。

今のところ、KLIMAX DS/KとLumin A1、Weiss MAN301、DSP-03で音質を比較すれば、それぞれ確かに差はあるが、ハイクオリティなクロックを入れたりして強化しないかぎり、積極的に買い替えを考えるほどの大差はないと私は思っている。もし買い替えを考えるとしたら、例えばDSP-03が音質のわりに圧倒的に安いなど、音質以外の部分に理由を求めるだろう。しかし、HD DAC+MPSは、これらのDACの外部クロックなしの出音なら、明らかに凌駕しているように聞こえる。もうあそこらへんのDACたちも遅れ始めているのかもしれないと思うほどだ。これでは買い替えを意識すると言ったDSP-03オーナーもいた。また、個人的にはクロックを入れようが、入れまいが、HD DACの音の方が好みだ。
少なくとも、このHD DACの如く、もっと強烈に自分の価値観を打ち立てないと、流れの速いこのデジタルオーディオの世界では押し流されてしまうように私は思う。HD DACに比べれば、上に挙げたDACはまだ十分に自分の色を出せてないのかもしれない。

実際の話、
今まで様々なUSB接続によるDACの出音を聞いてきて、私には不満があった。
その出音には、パソコンで操作したり、それを音源としたりするデジタルオーディオ、USBやLANを使うオーディオにほぼ共通する、音の薄さみたいなものが感じられた。常に。
それは良い言い方をすれば透明感と言うべきものなのだが、この音の実在感の薄さこそが、PCオーディオあるいはネットワークオーディオの音質的な問題であると私は思ってきた。こういう実在感が足りないと思うから、あえてSTUDER等の昔のCDプレーヤーを使う意味があると考えていた。だがHD DAC+MPSではUSB接続でもSTUDERのような熱く厚く、色濃い実在感が出る。それでいて音が空間に広がる表現も他のハイエンドDACに劣らない。このサウンドが聞かせる他機との違いは見事なものだ。

また、設計者が共通するプレイバックのMPS-5よりも、今回の音は明らかに良かった。
HD DACは考えようによってはMPS-5の進化形なのかもしれない。音の軽さや動きの速さなど印象は近い部分があるが、さらに躍動的でSNが良くなっている。MPS-5あるいはMPD-5を愛用される方は是非ともHD DAC+MPSを自分のシステムで聞いてみて欲しい。唖然とするに違いない。

Summary

NAGRAは難しいと私は思ってきたが、
外から新しい血を注ぎ込まれたHD DAC+MPSは、
従来のNAGRAの機材からは一皮も二皮もむけた、
主張のはっきりした、音の良さが分かりやすい存在となった。
だがこれはNAGRAのニセ物ではない。
正真正銘のNAGRAである。
そして、私にしてみれば
NAGRA HD DAC+MPSはデジタルオーディオの突破者である。

とかくPC関連のデジタルオーディオは、そのインターフェイスの巧妙さや、動作理論の妥当性、計測値の優秀さにばかり議論が向きがちで、肝腎の音について深い検討がなされない傾向がある。だがそれは、実物からの出音がどれも似たり寄ったりであるせいでもある。このDACのように他とはっきりと区別できる音を出せて、なおかつその音質に説得力があるというものが増えれば、PCオーディオが本当にオーディオらしいものになっていくのではないかと期待できる。音が出る過程を調べた知識を競うのがオーディオではない。他とは違う出音で、聞き手を気持ち良くしてナンボの世界のはずではないか。このDACこそ、私がデジタルオーディオに求めていた音、形、大きさ、そして機能を体現するものなのである。

ところで、
私がNAGRAを聞きたくなるのは、
決まって超弩級のハイエンドオーディオに嫌気がさした時である。
例えばスイスのCHPから、C1をモノラルで使うシステムがアナウンスされていると小耳にはさんだ時なんかがそうである。私は想像した。その二台のC1それぞれに強化電源X1をおごり、さらにクロックを入れる。それらの上流はD1?それにもX1を入れるのだろう。こうして全部で7つの筐体が送り出しだけに使われる。嗚呼、どうしてそんなに大規模にしないと、いい音が出ないの?
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そういうネオジオングみたいなオーディオは想像するだけで私は嫌になる。そうやれば、聞く前から、音が良くなるに違いないと思えるところが特にイヤだ。だいたい、たかが音楽を聞くのに、そんな重装備が必要か?もっと軽やかなシステム、小さなシステムで、いいオーディオをやることはできないの?そして私はネオジオングに対抗するため、ネオビグザムを建造するような発想はしたくない。それじゃキリがないじゃないか。もっと軽妙に、もっとコンパクトに、もっと控え目に。そうでありながらも品位は限りなく高くして。そうなるとオーディオはNAGRAに収束する。

オーディオの試聴を重ねていると、いつかもう一度、この音に必ず出会うこと、再会を直観する音に出くわすことがある。そのひとつがこのHD-DACのサウンドであったことは、伏線として書いておいていいと思う。
実際、我々がこのリビングで再会し、生活をともにすることは、この試聴の時に既に決まっていたのかもしれない。

さて、こんな世迷い言を綴るうちに、もう、夜になった。
フロントの小さなトグルスイッチをパチリと切り替え、
私はNAGRA HD DAC+MPSをヘッドホンで聞くことにする。
さあ、もうひとつのShow timeを始めようか。

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# by pansakuu | 2014-09-08 14:23 | オーディオ機器

TechDas Disc Stabilizerの私的レビュー:ちいさな重石

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この世では、大きいことはできません。ちいさなことを大きな愛でするだけです。
by マザー テレサ (修道女、ノーベル平和賞受賞者)




つまるところ、部外者が取るに足らないと思う、ちいさな事に凝ってしまうのが趣味である。

そういう意味では、レコードスタビライザー(ディスクスタビライザーとも呼ぶが、それではCDの上に載せるものと差別化されないので、ここではこう呼ぶこととする)、つまりレコードのレーベル面の上に置いて、レコードの反りを矯正したり、ノイズを減らす効果のあるウエイト、簡単に言えばシャフトを通す穴の開いた重石(おもし)なのだが、こんなものに凝るというのも、アナログオーディオを趣味とする者として可笑しくはないことだと思っている。
AK240は行方不明、HugoとDSは十数枚のレコードに化けてしまい、今、私はアナログレコード三昧である。終わりの見えないデジタルオーディオに汲々としていた頃と比べれば、これは浮世離れして、お気楽なオーディオライフかもしれぬ。こういう妙な日常においてレコードスタビライザーという、やや変わったアイテムのテストは似つかわしい。

実際、いくつか試してみると、レコードスタビライザーはアナログ再生にとっては、取るに足らないモノとは言い難い場合があることが分かる。それを、ただ載せるだけで、かなり音が変わってしまう場合がある。
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例えば、Beginsという、或るオーディオ店が展開するカーボングッズのラインナップの中に、パルテノンというレコードスタビライザーがある。これは、恐らくオーディオリプラス製と思われる太い水晶の円柱を、カーボンでつくられた二枚の円盤で挟み、さらにカーボン製の円柱でその水晶柱の周りを囲んだものである。異種素材を組み合わせて、異次元の制振効果を得ようという、いわゆるハイブリッドタイプのスタビライザーだ。そこそこ重たいスタビライザーで、掴みにくくはないが、手でつまみ上げる時に指をかけるための部分は特別には設けられてはいない。また、これは純粋な視覚的美しさや手に触れるものとしてのデザインは皆無なモノである。実物をレーベル面に載せても、どうも格好が悪い。それでいて価格の方はなんと16万オーバーで、世界一高いレコードスタビライザーかもしれないのだ。しかし、性能の方は価格相応と言えそうであった。試したスタビライザーではトップの能力、非常に良くノイズを吸うグッズである。アナログらしからぬ静けさが非常に印象的である。これを使うと下手なクリーン電源など真っ青だろうと思うほど、静かになる。ただ、かなり格好悪いし、これでは肝腎の音楽まで痩せてしまうような気がしたのでパスした。私の中では、これはいわゆる効き過ぎ系のグッズに分類される。
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他にもある。オヤイデが作るSTB-HWXというレコードスタビライザーは、パルテノンと形はやや似ているが、価格は対照的にかなり安価だ。でも効果はちゃんとある。これも円盤で円柱を挟んだ形だが、特殊金属製で、持ってみるとかなり重く感じる。レコードの上に落としたら、そのレコードはもうまともに聞けないだろう。そして、パルテノンと同じくデザインがあまりなく、持つ部分も特設されていない。これを載せるとノイズがやや減少し、音が明瞭化、僅かに華やかでシャープな音に変化する。値段を考えると明らかに悪くないスタビライザーであるが、表面的な音の良さに傾いて音の深みみたいなものが感じられず私の中では少し物足りないため却下である。

こうして、いろいろと実物を見て体験してゆくと分かってくることがある。
つまり、一口にレコードスタビライザーと言っても、いくつかの側面があり、それらが統合されて一つの道具として成り立っているということである。
1つは掴みやすさである。このグッズはどうしてもレコードの上を通るので、手から滑り落ちにくいものがいい。スタビライザーよりもはるかに高価な盤の上に、それを落としてしまったら、取り返しのつかないことになる。
次に適度な重さと適度な広さの接地面が必要である。若干あるレコードの反りをウェイトをかけて修正する効果がスタビライザーには期待されるからだ。また、僅かに起こりうる、再生中の盤のスリップを防ぐ意味もある。
さらにスタビライザー本体、あるいはレーベルに接地する面の材質に微振動や静電気を吸収する能力もあったほうがよいし、デリケートな紙で出来たレーベル面を傷つけない材質であることが望ましい。
また、スピンドルシャフトを通す孔の入口部の形状も一応チェックすべきだろう。レーベル面に載せる場合、必ずスピンドルシャフトを通すのだが、スタビライザー本体に隠れて、シャフトの位置は見えないので、シャフトが孔を探し当てるまでフラフラとスタビライザーを動かして迷うものだ。これは楽しくない。これについて考えられたスタビライザーでは、孔の入口部のみを少しだけスリ鉢状に開いて加工し、孔を探しやすく、挿し込みやすくしている。
また、スタビライザーの直径と側面の形にはカートリッジとの干渉の問題がある。演奏が終わり、カートリッジが最内周までやってくる時、これらの要素とカートリッジの形の兼ね合いが重要になる。各社のカートリッジは実に様々な幅、形状をしているため、スタビライザーのデザインによっては、干渉が起こる。すなわち下手をすれば、カートリッジの側面がスタビライザーの側面と擦って、耐え難い騒音がスピーカーから出る。もちろん、そうなる前にアームを上げるなり、ボリュウムを絞るなりすればよいのだが、音楽を聞くのに没頭して、そこに手が回らないことが多い。この干渉が、市販のいかなるカートリッジとレコードの組み合わせに対しても起こらないことが、真に十全なスタビライザーの目指すところである。それは、一般にはスタビライザーの直径を小さくさえすればよいのだが、そうすると前記の適度な広さの接地面という条件が成り立たなくなるのが悩ましい。
そして、最後にデザインがある。アナログプレーヤーというものは、オーディオシステム中ではとても目立つものであり、動いているのが目に見える。その中心で回っているものは、ステージの上で回転するバレエのプリマの如く真っ先に目が行くものである。少なくともあまり不恰好なものは望ましくない。
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これらの条件をどれも十分に満たすようなレコードスタビライザーというと、実はなかなかあるものではない。例えば私の使うアナログプレーヤーには、あのスイスの若者が作った純正のレコードスタビライザーが付属している。これは金属製の平べったいもので、指先だけで掴むような形状であり、一度、レコードの上に落としてしまったことがある。またイケダのカートリッジの側面とも干渉しやすく、音以外の点では、あまり良いモノには思えない。ただ、接地面にプラッターの表面に張ってある特殊な材料と同じものが張り込んであるせいか、ノイズが減るとかいう以前に、他のスタビライザーに比して音馴染みがよいというか、載せても、このプレーヤーの音の傾向を変えず、シックリくる感じがある。つまり全くダメなものではないのだが、レコードスタビライザーについての上記のチェックポイントを見てゆくと、総合点はあまり高くない。
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この純正のスタビライザーと似たカタチのモノは日本製にもある。上の写真の山本音響工芸のRS-1や下の写真のFurutechのMonzaである。形は似ているとはいえ、これらの効果は似ていない。RS-1は安価であり、相応の効果しかない。外周部のみで接地するタイプだが、定位がやや安定し、中低域の存在感が僅かに増したようになる。だが大した変化ではなく、こころなしか変わったか、という程度。また、このスタビライザーは指先のみでつまむような感じで持つしかないのも不安である。安いから仕方ないのか?こういうモノは好きじゃない。
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対するMonzaは気合いが入っている。底面には特殊な同心円状の模様のあるゴムのような材質が貼られている。本体にも細かい等高線のような模様が刻まれている、持ち手の所にはカーボンを巻いている。孔もやや大き目になっていて差し込みやすい。手数があるスタビライザーだ。音も変わる。パルテノンほどではないが、音の背景の静けさがはっきり深くなる。底面の同心円が静電気を放散するとか書かれていたが、その効果か。静けさの深さゆえに、音が浮き彫りにされて際立ってくる。これは導入した効果がはっきりある。また盤上でキラキラ光りながら回るMonzaはなかなか美しく、これは総合点が高いモノである。しかし、欠点もある。直径がやや大きいのでカートリッジと干渉することが、まれにあるのだ。また、つまむ部分がやや低く、しっかり掴みにくい。そして、やはり音に深みが足りなくなる。なんだか、音はいいのだが、それだけというか、上滑りな印象だ。これは、やはり完全ではないと思われたので返却する。
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他にもいくつか、中古や新品で買ったり、借りたりして実際に聞いてみたのだが、レビューしようと思うほど、良いモノが案外と少なかった。こんなことを言ってはナンだが、無駄が多い試行錯誤であったかもしれない。結局、最後に残ったのは以下の二つで、最後の一つを採用した。
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また、私がすでにインシュレーターを導入しているHRSというアメリカのメーカーも、レコードスタビライザーを製作している。HRS Analog Diskという製品である。これは削り出しのハイグレードなアルミの円柱の中身を刳り貫き、精密に加工されたゴムのような特殊な材質を嵌め込んだものである。実物の指に当たる面は他より広い方でいいと思うが、実際触ってみるとツルツルしていて、肌に馴染まず、かなり掴みやすいというところまで行っていない。ただし、それほど重くないので、掴んでいて不安は少ない。接地面は広く、特殊なゴム状材質が面をしっとりと押さえる形で、ノイズの吸収効果も高そうだった。形と色はやや地味だが、精悍さがあり格好は悪くない。実際にレコードに載せて音を聞いてみると、第一印象はMonzaとRS-1の中間にあるような音である。すなわち、静寂さと音の安定感が同時に増加する。静寂さはMonzaの方が、より深いようだが、音の重心が下がり、安定感が増す効果はMonzaよりも上だと思う。それでいて、聴き込むと音は重苦しさがなく、軽みがあり、清々しいトーンがあることも分かる。これはとてもいいモノだと思い、これにしとこうかなと一時考えていたが、やはりまだレコードによってはカートリッジと干渉する場合があるのと、次に試したモノが自分の求めるレコードスタビライザーの姿をほぼ完璧に具現化していたので、競り負けてしまった。現在はメモを押さえる文鎮として活躍している。
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さて、最後にレコードスタビライザーについての私のファイナルアンサーを紹介しよう。
Air Force ONEを開発したTechDasは、その開発技術から派生したいくつかの製品を発表しているが、その中の一つにレコードスタビライザー、TechDas Disc Stabilizerがある。Air Force ONEはシステムコンセプトとして、スタビライザーを殊更に必要としないプレーヤーだが、音の最後の仕上げとして納得いくようなスタビライザーを造ろうとしたらしい。
このTechDas Disc Stabilizerはまず少し背が高い。なぜかというと指でもつ部分が長く取られているからだ。指先全体が馴染むような浅い窪みが全周を囲んでいる。こういう部分があるスタビライザーは試したのものにはなかった。表面加工も適度にザラザラしていてますます指馴染みが良い。結構な重さがあるが、重すぎず軽すぎずというやつで丁度いい。
それから直径がやや小さいのも特徴だ。レコードの反りを抑えることのできる、ギリギリの直径なのだろう。なぜギリギリまで小さくしたのか、それはカートリッジが最内周に来ると分かる。カートリッジの側面とスタビライザーの側面が、私の試したかぎり、どんなレコードでも、一度も擦れないのである。手持ちのカートリッジのどれとも全く干渉しない、はじめてのスタビライザーがこの製品であった。さぞや設計者はアナログオーディオを深く知る人なのだろう。
また、このルックスもいい。この艶消しの黒の表面処理は指先に馴染むし、精密感もある。だが、これは金属素材の表面を超硬質アルマイトで処理、さらにその上に制振効果のある塗料を吹き付けてコートした結果であり、極めて理詰めの仕上げなのだ。美しさは、しばしば意外なところに生まれるものらしい。ドイツのピカピカ系のプレーヤーとこの黒色は合わないかもしれないが、全体の形や色、質感は、とりあえず私のプレーヤーと良く合う。
また全体の形にもシンプルな美しさを感じる。本体の材質は振動吸収性の高い特殊な金属であり、振動吸収に最適な形状をコンピューターシュミレーションで得たとのこと。こういう事を行って設計されたことを謳うスタビライザーは珍しい。
接地面にはいままで見たことの無い不思議な材料が貼られている。表面はサラサラした感触のフィルムのようなものだが、押すと微かにへこんで、ゆっくりと元の平坦さに戻る。この手の材料に詳しい人に見せたが、なんだか分からないという返答だった。だが彼曰く、この材料はかなり振動を吸うだろうとのこと。私はレーベル面を決して傷つけないという点を買っていて、制振はスタビライザー本体に使われる特殊な金属や表面処理によるものと思っていたので意外だった。

さて、そのサウンドは?このスタビライザーを置くと、アナログサウンドは悠々とした落ち着きと静かさが感じられる音に変貌する。これはAirForce ONEの音の方向性をパクッていると思う。よく言われるピラミッドバランスのサウンドとも言える。高域は細く高く伸び、低域が深く、解像感豊かに鳴る。定位がしっかりし、静けさが増すので音数も増えるが、それでいて効き過ぎた感じがない。音楽の美味しい部分まで痩せない。大地に根ざしたような余裕と程良い静寂感が釣り合って現れる音である。別の言い方をすればターンテーブルのプラッターが大きく重くなった場合に聞かれる、どっしりしたサウンドなのだが、私が必要とする音の軽みや柔らかさも失われない。確かにHRS Analog Diskよりも、こころなしかヘヴィな方向に音が振れるのだが、これはこれで捨てがたいバランスだと思う。こういう新たなバランス感覚を自分が求めていたのだと、かえって気づかされた。

このTechDas Disc Stabilizerという、ほとんど全く世間には宣伝されていないレコードスタビライザーを数あるスタビライザーのキングにしてしまっていいのかどうかはさておき、これほど良いモノが世間のアナログオーディオマニアに全く知られていない現実は嘆かわしいと私は勝手に想う。だから、私は自分勝手にここに書いているというわけだ。

こうして見てきたレコードスタビライザーなのだが、
アナログオーディオに凝っている人間以外には、ただの奇妙な形をした重石(おもし)、そういうものにしか見えないはずだ。世間一般としては、どこかに落ちている変わった形の、ちいさな石ころに払う関心と、そう変わらない程の気遣いしか、このレコードスタビライザーというモノには与えられないと思う。しかし、そういう人気(ひとけ)のない世界には、逆に面白いものがいくつも転がっていて、だれかが面白がってくれるのを待っているのは覚えておくべきだろう。特にアナログオーディオの世界には、この手の面白さを持つアイテムがやたらとあるのである。

とにかく、部外者が取るに足らないと思う、ちいさな事に凝るのが、趣味の楽しさであると、私は勝手に考えている。だから、この一般的には取るに足らないモノと思われる、レコードスタビライザーをとっかえひっかえしている時に無邪気な喜びを感じる。

人々の関心の隙間にひっそりと置かれているらしい、ちいさな黒い重石を掌(たなごころ)に包んで目を閉じると、ゆっくりと回る漆黒のレコードを中心にして、アーム、カートリッジ、フォノケーブル、フォノイコライザー、スタビライザー等々、数えきれないほどのモノや人そして音楽が、その周りを回っているイメージ、まるで太陽系の惑星のように公転しているイメージが湧いてくる。また、インターネットを使って、全世界的な視点でオーディオを眺めていると、アナログは日本人一般が想像するよりも、はるかに巨大な系であり、デジタルとは別の広大な宇宙を形成するものだと見える。そして、その宇宙の微かだが確かな片鱗を、ちいさな重石に感じることができるのは素敵な事だと思う。私はこの感覚、取るに足らない小さなモノが大きな世界に繋がっているという感覚を失いたくないために、アナログオーディオを、あえてやっているのかもしれない。
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この方向性は間違っていない。
ちいさな重石の重みは、そう私に囁くのである。

# by pansakuu | 2014-08-17 23:06 | オーディオ機器

The CHORD Company Sarum Tuned Aray Reference Tone arm cableの私的インプレッション:ルールの変わり目

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生きるってことは変わるってことさ。
by 加持リョウジ



Introduction

昨夜、少なくともオーディオを趣味にしていない或る男から、
ワンペア200万円オーバーのインターコネクトケーブルに
どういう存在意義があるのか?という質問を受けた。
その時、私は無礼にも彼に問い返したものである。
存在意義?アンタにそんなもの分かンの?

なにしろ、そういうケーブルの存在意義というのは極めて特殊なものだ。
すなわち、ある程度以上に高度なオーディオシステムを揃え、様々な高級ケーブルを既に体験し、ハイエンドケーブルの威力とその限界を知ったうえで、さらに究極のドーピング効果を目指す。そういう特殊なオーディオファイルのために特化したモノがワンペア200万円オーバーのオーディオケーブルなのである。そういう人間にしか、この種のケーブルの意義というか、本当の良さと難しさは分からない。

元来、オーディオには麻薬のような一面があり、一度でもその魅力を取りつかれてしまうと、カネの続く限り、もっとイイ音を、もっと強く新しい刺激を、という風にドンドンと上位モデルへ、あるいはニューモデルへ買い替えて行きたくなるところがある。その最たるものが電線病である。こんな一本の電線が、これほど音を変えてしまうのかと知った途端にもうアカン、というわけだ。本当の病気になると、カネさえ続けば、結局はワンペア200万円オーバーのケーブルに手を出すようになるのは、必然に近い。この感覚は門外漢にはまず理解不能であろう。私の場合は自分のシステムの音で少し難を感じたとき、ケーブルを買い替えて、それを乗り越えるということを常にやってきた。その中でケーブルのグレードアップはアンプやスピーカーを変えるより、大きな変化をもたらすこともあるのも知った。

最近、NordostのODINを全てのコネクションに使ったオーディオシステムを聞く機会があった。御存知のとおり、ODINこそまさに1mのインターコネクトのペアが200万円を超えるシリーズである。私の勝手な推測に過ぎないが、それらをフルに使ったこのシステムでは、アンプやデジタルプレーヤー自体の音はほとんど聞こえていなかったと思う。この出音を支配していたのはNordost製ODINシリーズのケーブル群であった。極端に豊かな響き、強烈に定位するホログラフィックでカラフルな音像、サラウンドに近い感覚の広大すぎるほどの音場、それらはそこにあった機器の素の音からかけ離れた音の世界であったはずだ。これはケーブルが機器のポテンシャルを引き出したという状態ではなく、ほぼ完全にODINの音になっていたと個人的には思う。仮に普通のオーディオケーブルが、音に化粧をするものであるとすれば、ODINの効果はもう整形手術に近いという人がいても、私は反論はすまい。このクラスのケーブルは、メーカーの宣伝文句にも関わらず、音を素通しするタイプのものは事実上ほとんどない。むしろ、音を積極的に自分の色に染め上げようとするだけでなく、周囲を押しのけて自らが主役となり、システムを乗っ取ろうとするものさえあるのではないか。現在の手持ちの機材が非力な場合はそれでもよいが、逆に満足しきっている場合(例えば私の場合だが)、そういうお節介を通り越して、音を支配しようとするケーブルの存在はむしろ邪魔となるかもしれない。
そういうわけで、私はもう高級なケーブルには手を出さないつもりで来ていた。それは、まるで私のオーディオのルールがアナログの存在によって、すり変わったようだった。アナログは素顔のままで十分に美しい。メイクによって隠すべきことも、あえて隠さない彼女、ノーメイクのオーディオが一番美しいと思えるようになった。

喩えれば、アナログオーディオという抗生物質(商品名Perseus)によって、私の電線病はほぼ駆逐されたと言ってもよい。そこには束の間の心の平安が訪れたが、しばらくして音の良いレコードを探すという新たなミッションが加わり、私のオーディオは別の意味で再び忙しくなった。

さて、そういう状況下でも、私にはケーブルのことを完全に忘れることはできない事情がある。アナログオーディオにのみ必要な特殊ケーブルがあるからである。それはフォノケーブルである。すなわちアームのコネクターから出て、フォノイコライザーのコネクターにつながるケーブルであり、トーンアームケーブルとも呼ばれるものだ。このケーブルの特徴は、そこに流れる信号というのが、カートリッジに備えられた小さな小さなコイルと磁石により発電された、極めて微弱なものであるということ。標準的なデジタルプレーヤーの出力の1000分の1以下の大きさしかない、その電流は外乱の影響を受けやすく、また容易に減弱するものである。このケーブルについては未経験の部分が多く、情報も少なく、私の検討は十分でなかった。
このような特別な信号、システム内の他のどのケーブルでも伝送していないほど微弱な信号を通すケーブルは、やはりどんなものでもよいということはない。シールドは厚く、また伝送される長さはできるだけ短く。もちろんフォノ専用に設計、製造されたものが望ましい。そう思った私は例のごとく、幾つかのフォノケーブルの実物に当たり、その技術と音を調べた。その中で、現代的で豊富な技術内容を持ち、最も面白かったケーブルはThe CHORD Companyの最高級ラインの中にあった。


Exterior and feeling

今回、取り挙げるThe CHORD Companyの Sarum Tuned Aray Reference Tone arm cableの末端はRCAタイプであり、見かけ上はこのシリーズの普通のRCAインターコネクトとほとんど変わりはない。細いアース用のケーブルが付属しているくらいしか違いはない。しかし、その内容は異なり、グランドの落とし方やシールドの仕方をMC専用の設計にしているという。特にアナログ機材の周囲に飛び交うデジタルノイズに対する防護を意識していると公言する、このメーカーの特色が出ておるのだろうか。MC専用とMM兼用でモデルを分けるのもここだけだろう。
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線体は漂白されたような白い色の合成繊維で織られた、硬め被覆で覆われたもの。軽いケーブルだが、被覆が硬いせいか、やや曲げづらく、取り回しはいまひとつである。フォノケーブルは、アナログプレーヤーの下側から出てゆく場合が多いため、狭いところを通さなくてはならないことも多々あり、取り回しがいい方が有り難いのだが。
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この被覆の下には自社工場で熟練工により引き抜かれた銅線が通る。このメーカーは自社で導体から造るのである。このChordというメーカーは30年ものキャリアを持つ英国のケーブル専業メーカーとのこと。もちろんDACで有名なChordとは全く別な会社である。オーディオの世界では、優れたケーブルはケーブル専業メーカーから生まれることが多いが、Chordもその一例らしい。

RCAコネクターの外側は金属製ではなく、セルロイドのような質感のツヤのあるプラスチックで出来ている。よく見ると不規則な紋理のような、皺のような模様が認められる。この模様が、さっき言ったセルロイドのように見える所以なのだが、聞くところによれば音のチューニングのために、プラスチックに意図的にストレスを加えたために出た模様らしい。コネクターにこういうことをやっているメーカーはここだけかもしれない。
また、フォノケーブルのコネクターの外側というのは、金属製だと、そこに不用意に触れたとき、スピーカーからノイズが出やすい。このケーブルでは、ここがプラスチックで出来ているところがいい。これならノイズは出にくいだろう。Einsteinのフォノケーブルでもプラスチックのコネクターをつかっているが、あれは社外品の流用である。CHORDはあくまでオリジナルにこだわるらしい。
端子部の電極の金属は銀色をしているので、これは高純度な銀でできた電極なのかもしれない。だが、出音には銀らしさはほとんど感じられないので、違うのかもしれない。なんにしろ、オリジナルのRCAコネクターであることは間違いない。また左と右で黒色、赤色とコネクターの色を変えているのも、やや珍しい点だろう。方向性は決まっていて、コネクター付近のシュリンクに矢印で記されている。

目に見えない特徴として、このケーブルは工場でエージングをしてから出荷されるということがある。フォノケーブルを流れる電流はあまりに微弱であることから、何年たってもエージングが完結しないというのがCHORDの主張である。そのため3週間をかけて十分なエージングを施してから出荷するのだそうだ。フォノケーブルの特殊性を理解して、こういう手間をかけるメーカーは他にないだろう。


The sound 
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いままで使ったフォノケーブルの中では、最も音場が広く感じられ、音の細部の表出が著しいものであると考える。今まで存在したフォノケーブルとは違って、明らかに現代的なオーディオを志向するものである。昨今のデジタルファイルオーディオにおけるクリアで音数の多い傾向を少しばかり意識したものかもしれない。

私が現在、メインで使うフォノケーブルはドイツのEMT製のJPC2 Rであり、同社の作る究極的なフォノプリアンプJPA66に合わせて発売されたものである。このケーブル、見かけは大変変わっている。頼りないほど細い線体なのである。これでシールドが、ちゃんと出来ているのか疑いたくなるようなモノである。で、音の方はというと、一言で言えばオーソドックスなアナログサウンドである。見かけによらず普通の音なのだ。まずはしっかりした音像定位を確立し、音楽全体の骨格をきちんと描き出す、その後で音像自体の細部へのソコソコの目配りを、そのうえで、これまたソコソコに音場の広さを意識させる、というような感じで音の要素に優先順位が有るようなイメージだ。これは、どこかヴィンテージの機材の質実剛健な音を思わせるクラシカルな味わいのあるケーブルであるとも言える。このJPC2 Rとはやや対照的な音がSarum Tuned Aray Tone arm cableには与えられていると思う。

すなわち、このケーブルに換えると、出音は明らかにワイドレンジ化され、音の見通しはクリアになってくる。各楽器の前後関係、音の重なり方、音の広がりが明瞭に意識されるようになる。ここらへんの要素は今までのオーソドックスなアナログオーディオ、そこで使用される多くのフォノケーブルではほとんど意識されないものである。旧タイプのフォノケーブルは良いものでも、まず音の内部にある、音楽の骨格から聞かせるような振る舞いがある。だが、今テストしている、このケーブルでは逆で音の周囲にある空間が意識される。
音像の輪郭は明確だが、とても繊細に聞こえる。アナログではとかく太い筆で描いたようなダイナミックな音の躍動に注意がそらされて、音像のディテールに気が付かない、あるいは下手すると細かい音が無視されてしまうことがあるが、このケーブルではそういう聞かせ方はしない。最新のデジタルオーディオのように、音数の多さで耳を愉しませるという部分がある。ここは実はこんな風になってたのか、こんな音が入っていたのかとしきりに感心するパターンである。悪い言い方をすれは、ハイエンドケーブルの術中にハマったとも言えるのだが、いずれにしろ、アナログオーディオに欠落していたものが補完されたようで愉快である。

このケーブルの味わいは上質なミネラルウォーター、それも軟水でなく、硬水のそれに近いサラッとしたもので、後味を引かない。濃厚という言葉はまるで当たらない音。ライバルとして考えられる、未聴のNVSのフォノケーブル、Einsteinのフォノケーブル、そして今後出てくるWire worldのフォノケーブル、などに想いを馳せながら聴くのだが、それらと比較して、このCHORDの音は少なくとも濃厚でないという意味では一番だろうと予想する。このようにハイスピードなサウンドでモッサリしたところがない機敏な音だ。

そうなるとお決まりの高解像度・ハイスピード・広大音場という現代ハイエンドケーブルのトレンドそのもののスッキリ系ケーブルなんでしょうか、という疑いが出るが、
否、そういう単純なモノとは少し違うのである。
つまり、このケーブルには落ち着きというか、スペックをあえて抑えることで生まれるゆとりのような感覚がある。がむしゃらにトップを目指した音、設計者のドヤ顔が目に浮かぶハイエンドケーブルの強烈さはほとんど感じられない。常に一歩引いて、他の機材の影に隠れ、黒子に徹する穏便さがあることを、私は聞き届けた。この穏便さは、ケーブルに要求される様々な音の要素が非常にバランス良く、偏りなく含まれているという意味でもある。このケーブルには突出した音の特徴はないという意味での穏便さだ。Sarum Tuned Aray Tone arm cable従来の多くのフォノケーブルの音を、現代のオーディオのトレンドに合わせて修正したような音だが、行き過ぎたことはしていない。ここでのクール過ぎない、僅かにウォームに傾いた適度な音の温度感は、この穏便さに寄り添うようで好ましい。

逆に言えば、一聴して驚くほどの音の良さ、変化が体感できるようなケーブルでは全くない。下記のような例外的な出来事の除けば、ジワジワと良さが分かるタイプであり、常に周りの機材の音の良さを引き出すような方向にゆっくりと効いているイメージである。私の経験から言えば、こういう程好い高音質というのは、むしろ得難い。
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ところで、JAZZのオリジナルのモノラル盤を買うというのはギャンブルで、目視でキレイな盤を大枚はたいて買っても、案外冴えない音だったりすることは少なくない。(いや、多いかも。)逆にオーディオファイルを意識して、オリジナルのテープから注意深く、再度マスタリングされた重量盤の復刻LPの方に、むしろハズレが少ないことが分かってきた。
例えば、Music mattersから出ていたJohn Coltraneの Blue Traneなどはまさにそういう盤で、ジャケットの出来具合の素晴らしさから始まって、その音質が凄い。ノイズはほぼ皆無、ワイドレンジで歪みもない。RVGのマスタリングによる奇妙な音調もここにはない。それでいて音圧や立体感はオリジナルを超えると思えるほど完璧な再発盤である。私は、このタイトルに関しては、高価だったオリジナル盤を売り飛ばしてしまったほどだ。
このレコードを、SarumをつないだTTTcompactに乗せて回してみたら驚いた。実況して書けば、ナンじゃ、この音はぁぁぁ!と心中で叫んで絶句したという表現になる。そして一人で大笑いしてしまった。この音は痛快すぎる。人は不意打ちを食ったときに笑うとギリシアの哲人が言っていたが、そうなった。自分のシステムの出音にIKEDA 9monoとSarum Tuned Aray Tone arm cableの音の要素が加わると、57年前の、この録音がグーンと現代的に聞こえるのだ。大袈裟でなく、ごく最近録音された新譜のように聞こえる。いや、現代にこれほど堂々と確信をもって、こういうクラシカルなスタイルのアドリブを展開できる者は一人としていないのだから、確かに昔の録音のはずなのだが・・・。このトリップした感覚はなんだろう?本当に新しい音だ。しかもステレオじゃない、モノラルなのよ、コレ。このタップリした空気感を伴ったブロウの力強さ、その背景に加わるクリアな音場感。この情報量の多さがもたらす次世代のアナログサウンドは、今までのモダンジャズのレコード再生の作法、定石からは逸脱している。だが、まさに、この逸脱こそが痛快なのだ。これは私の求めている音の一つであるのは間違いない。これほどエキサイティングなサウンドを私一人に楽しませておくのは勿体ないと思うほどであった。


Summary

フォノケーブルとして1.2mで33万円という価格は一応やや高価な部類である。しかし、1950年代から60年代のJAZZのオリジナル盤は一枚でこれくらいするものはある。また欧米のハイエンドケーブルメーカーは意外にも専用設計のフォノケーブルを製造していないところが少なくないので、現状では高級フォノケーブルは市場に多くない。だからTTTcompactあるいはConstellation audio Perseusのような先端的なハイエンドアナログ製品の格やコンセプトに見合うようなフォノケーブルは、そのメーカー純正のケーブルを除けば、なかなか見つからないというのが現状だ。そういう意味では、今回取り上げたThe CHORD Companyのケーブルは貴重である。(ただし、最近はいくつかのケーブルメーカーがこのフォノケーブルに関心を寄せてきている気配があるが)また、例えばペア100万円以上のオーディオケーブルに聞かれがちな、有難くも迷惑な、過剰な音の片鱗が、このケーブルには備わっていないように聞こえることも、個人的には好感度が高かった。この控え目なクォリティ感、このサジ加減がいい。そしてなによりも、従来のアナログサウンドに欠落していた空間情報や音の細部をサラリと出して聞かせようとするところに、私の狙っている新たなアナログオーディオに寄り添ってくれそうな気配を強く感じた。

The CHORD Companyの製品を含め、世界中の様々なケーブルを眺めていると、それぞれのメーカーは自分が求める音に到達するために、自分なりの設計、製造のポリシー・様式あるいはルールを定め、それにしたがって自分の製品を造り、世に送り出しているのが分かる。のみならず実際は、あらゆるオーディオ機材がメーカーごとの製品造りのルールの選択を元にして成り立っているようにも見える。

一方、それらを使いこなす個人のオーディオにもルールがある。オーディオを続け、様々な機材の出す音に出会うにつれて、そのルールは少しづつ改変され、新しく取られ、そして古くなって見捨てられる。そして、メーカーの選択するオーディオのルールと個人の選んだルールとの間に、どれくらいのマッチングがあるのか?それは、その製品を使うか否かに深く関わっていることである。

10年五昔とも言うが、ひと昔前、私が入れ込んでいたようなNordostやTransparent、Jormaなどが作る超高級ケーブルたちが選んだ音のルールは今のシステムには合わないだろうとなんとなく思う。ああいう半ば鬱陶しいケーブルの存在感を今の私は望んでいない。アナログオーディオへの傾倒が、私個人のオーディオのルールを変えたのである。そう、これは自由に変えていいことなのだ。はっきりしていることは、アナログオーディオは素顔のままで十分に美しい、十分過ぎるほどだということ。化粧はいらない。つまり、私の選ぶケーブルとは、非常に優れた性能を持つが、その存在を主張しないこと。それが新たなルールだ。そして私は、新しいルール下でのケーブル選びの仕上げとして、以前ならあえて選ばなかったかもしれないSarum Tuned Aray Tone arm cableを指名するだろう。
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思いもよらぬことで、世の中の潮目は変わる。
これはあの大地震が証明して見せたことだ。
そして、あれほどの大事とは比べものにならぬほど些末な事だが、
私のオーディオ観も、偶然か必然か、
思いもよらぬことで突然に変化してゆくのも避けられぬ。
じゃあ、そんなオーディオの変り目ってヤツに意味なんかあンの?
あの酔っ払いは意地悪にも私に再び問いかけるのかもしれない。
そうなったら、私は再び言い返すつもりだ。
意義?そんなものアンタに分かンのかい?
その一言は、
変化をチャンスと捉え、未知のオーディオを開拓してゆく醍醐味、
それが余所者(よそもの)なぞに分かる筈もないとでも言いたげな、
極めて挑戦的な口調となるに違いない。

# by pansakuu | 2014-08-17 19:05 | オーディオ機器

Fundamental RM10の私的インプレッション:迷いなきもの

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Less is more.
ミース ファン デル ローエ (建築家)



Introduction

オーディオ関係のアクセサリーなんかを買おうとして、電話で注文しますと、
「万策さん、それは買わなくていいと思います。」ときっぱり言い切る店員さんを知っています。客が良かれと思って注文を出したのに、自分のポリシーに合わないというだけで、あれほどはっきり断る人を私は彼以外に知りません。

彼がアレンジしたシステムから出る簡潔なサウンドは、くだくだしいところが皆無で、信号経路上の全ての機材が音に関与する印象がないですね。音が全くの素通しというか。高級なケーブルを沢山使っていた頃の音、知らず知らずのうちに過剰なゴージャスさを目指していた自分のサウンドとは正反対の、清貧とも言うべき彼のサウンドを聴き、私はその見事な信念の貫き方に唖然としたのを覚えています。冗長さを排したオーディオとはああいう音のことを言うのでしょう。

その彼が近ごろ推しているスピーカーがあります。
私は今、そのシンプルなスピーカーの前に立って、その姿を静かに眺めているところです。

このスピーカーはずっと以前から聞きたいと思っていましたが、なかなか機会がなかった。
やっと購入した方を見つけて交渉、丸一日、自由に試聴させていただくことができました。
(画像はメーカーHP等から拝借させていただきました。)


Exterior
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Fundamental RM10は大袈裟なスピーカーではありません。
片チャンネルの大きさは小さなダンボール箱ほどしかない。
幅21.6×高さ36.4×奥行30.5cmという大きさ。
このFundamental RM10なら両手で抱え上げることも大して苦じゃない。
重さは片チャンネルで10.5kg。
青いツィーターとウーファーをはめこんだブ厚い黒いアルミのバッフル、明るい集成材のサイドパネル、特殊なバスレフ構造を取るリアパネルに触れる指先には、なにか信念のようなものが伝わります。このスピーカーには凡百のブックシェルフスピーカーとは異なる能力が与えられているはずだと私は感じました。

このスピーカーの全体の形はプロフェッショナルが使う機材特有の簡潔で、いささか凄味のあるデザイン、スパッとカットアウトしたようなデザインです。
機能から生まれたカタチと思わせる、本当に四角い箱の形でしかないスピーカーです。ツィーターとウーファーコーンの青は素敵な色のアクセントになっています。
この機材ではウーファー、ツィーター、ネットワーク、エンクロージャーという、ひとつひとつの要素は深く吟味され、確信をもってそこに取り付けられているような印象があります。そして、それらにまつわる電気的な精度、工作精度、組み立て精度も執拗に追い込まれているように見えます。このギリギリ感に、僅かな不始末も見逃さず不本意な作品をふるい落とそうとする厳しい製作者の眼差しを私は感じてしまいました。まるで以前に会った陶芸の人間国宝の方の眼のようなシビアな感覚です。それは、自分の目指す世界には針の孔のように細くて小さな所を通り抜けないと行けない、とでも言いたげな厳しい眼差しでした。
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これだけの厚みのある金属のバッフルに単なるMDFではなく、フローリングの資材のような集成材のエンクロージャーを組み合わせる。しかも内部に吸音材を使わず、そのかわり内壁をプリーツのように切削加工して仕上げる。バスレフポートはバックパネルの大部分を覆うほど大きな集成材のボードで遮られて見えませんが、このボードは目指す低域の解像度と量感を得るための仕掛け。ほぼ類例のないポリプロピレン製のコーンを持つ同軸型2wayと同口径のウーファーの取り合わせ。そしてネットワークは高精度コンデンサー一個だけという潔さです。
各部の特徴には前例が全くないとは思いませんが、これだけ前例が少ない設計を一つのスピーカー落とし込んだブックシェルフスピーカーというのを私は初めて見ました。結果として全く前例のない設計のスピーカーが完成したことになります。

そう、スペック上で私が注目したのは能率ですね。91dB。ブックシェルフとしては、結構高い数値。小さなパワーでもスパーンと鳴ってくれそうだと。ですが、実際使ってみると、これはハイパワーなアンプで音量を上げてドライブすべきスピーカーでした。やはりスペックだけじゃオーディオは分からない。

プロ的で個性的なRM10とは言っても、フロントパネルにはサランネットが取り付けられるし、手頃な大きさで、しっかりした3点支持の専用スタンドも別売りされていて、使い勝手は悪くないです。使わないときは片づけておけるような大きさですし、アクシデントでウーファーコーンを傷つける心配もありません。意外にユーザーフレンドリーな側面もあります。


The sound 

よりハイパワーなアンプを結線し、より大音量でドライブすればするほど、より音の透明感が増す不思議なスピーカー。それがFundamental RM10の第一印象でした。これほどの音の透明性は、このクラスのスピーカーでは、ほとんど類例がないものでしょう。
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今回の試聴では、まず山下達郎のアルバム For Youから、Sparkleを聞いています。
オープニングを飾る、素敵なギターフレーズがカラッと明るく、そして鮮度高く、部屋中に響き渡ります。その瞬間、ギターと演者、そして周りにある空気がまさにここに在るように私には聞こえ、ドキッとしました。ここではこのスピーカーから繰り出される張りのある音、テンションの高い音調が、山下のギターのカッティングの上手さを際立たせます。(彼はこの点では日本一じゃないでしょうか?)どちらかというと硬めで立体的な音像なのですが、適度な温度感があるのが好ましい。音場が澄み渡っているので、その音像を耳が捉えることに、なんの苦労もないのが嬉しいです。音の解像度が高いせいだけでなく、このクリスタルクリアーな音場が、この透明感を生み出しているようです。ボリュウムを上げると音場はますます澄んできます。不思議です。楽器どうしの音の分離が良くなってゆく印象もあります。Sparkleはもともと非常にセンスの良い、清々しい楽曲で、とても山下達郎らしい音楽なのですが、このスピーカーで大音量で聞きますと、音の細部までパンパンにニュアンスが詰まった充実したサウンドで、予想した以上に楽しむことができます。

逆に言えば、RM10は小音量では本領発揮と行かないところが欠点でしょうか。小音量ですと借りてきたネコみたいに覇気のない眠い音を出して、BGMとしてさえ聞くに堪えないと思う楽曲がありました。どこらへんまでが小音量なのか、というのは個人差があると思いますが、常識の範囲内で、やや大きめの音で聞いた方が断然素晴らしい。実際、このスピーカーは大音量に強いようで、同じ価格帯のブックシェルフだと飽和して楽音の輪郭が崩壊してしまうような音量まで上げてもクリアネスが落ちない。その点は突き抜けていますね。

演奏中、エンクロージャーを触ってみると細かな振動を感じました。Q1ではこの振動はありません。Q1ほどガチガチな箱ではないのです。音量を上げると、この振動は大きくなります。しかし音は冴えわたっている。こういうことは普通のスピーカーでは起こらないことです。これは内部のプリーツ構造が効いているのかもしれません。

また、RM10は定位が大変に良いスピーカーです。細かいスピーカーのポジショニングの調整、ルームアコーステックの調整なしでもビシッと楽器の位置が決まって全く揺るがない。ピンポイントソースであるブックシェルフスピーカーの良さが前面に出ています。各帯域のバランスも巧く取れていて、非常にフラットな出音です。今回の試聴では、他の方のインプレで言われていた中高域の張り出しは感じませんでした。ツィーターとウーファーのつながりの良さも文句無いもので、まるでフルレンジスピーカーを聞いているかのようです。
まあ、こうして述べてゆくと、優秀で無個性な現代スピーカーの定型的な褒め言葉の羅列でしかないようですが、まさにそうなのです。このサウンドには、外観や設計から来るイメージに反比例して個性が少ないと感じます。出音の優秀さが全面に出ています。

音の立ち上がりが急峻で、しかも音の終わりに全く尾引かないという意味で、反応がかなりクイックなスピーカーだとも感じました。最近、随分短いフラットハンドルに換えた街乗り自転車を見ますが、ああすると僅かなハンドルさばきに、とっても敏感になります。あの感覚に似た、音の変化に対する機敏な反応性がRM10にあるように思います。小型スピーカーに求められる、こういう小回りの良さ、俊敏さは期待以上のものがあります。

さらに、このスピーカーでの音の手触りの表現は素晴らしい。このテクスチャーの表現のリアリティは他のブックシェルフスピーカーには無いものと思います。ギターの弦の材質やドラムの貼り具合、打ち込み音の微妙な設定の差異を明瞭に聞かせます。聞く側の脳に音の種類の引出しが多くあればあるほど、このスピーカーが聞かせる音の手触りのバリエーションの豊富さに驚かされることでしょう。

このスピーカーの基本的態度として、視覚的な音を出す現代のスピーカーということなので、常に音楽を演っている様が見えるような出音です。小編成の器楽曲の優秀録音では、マイクのセッテングとか、演者どうしのインタープレイなどの演奏のウラの部分が克明に分かる瞬間が何度も訪れます。単純に屈託なく音楽を楽しむだけではなく、濁り無く耳に届られる音の細部を検討し、評価するような使い方にも向いていると思われました。言い換えれば脚色のない素通し感のある音で、音楽にもともと無い要素が付加されるようなことがありません。ここのところは音楽によっては、すこし厳しいかもしれないとは思います。楽器自体の出音の曇り、ハーモニーの不協和があからさまに聞こえてしまいますから。このスピーカーはミスを見逃してはくれない。

なお、ブックシェルフスピーカーにありがちな音質上の様々な制約は、このRM10にはほとんど感じないですね。例えばダイナミックレンジはこの手のスピーカーにしてはかなり広く取れていると思われます。また、低域もかなり深いところまで自然に伸びている。スペックは25Hzを謳っています。ただし、この広大なレンジや深い低域を得るには、優秀なアンプが必須です。試聴では2種のパワーアンプを使いましたが、出力が大きく、歪みが少ないと考えられるアンプで最も制約感のないサウンドが得られました。それは当たり前だと思われるかもしれまんせんがが、実際、多くのスピーカーを聞いているとそうでもない。マッチングというのは、予想されるほど単純ではないことが多いのです。私はこのスピーカーにSoulution 710を組み合わせたくなりました。

高級ブックシェルフスピーカーとして、他にもいろいろなスピーカーもありますから、試聴の傍ら、それらと比較するのも面白い。例えばDynaudio Confidence C1 signatureのような響きの豊かさや低域の量感のある音調ではなく、RM10はもっとスレンダーな音です。またKISOのHB-X1やフランコ セルブリンのAccordoのような音の艶、芳醇さはRM10には全くありません。ですが、あれらよりも、ずっと正確な音を出せるスピーカーです。またB&Wの805DiamondやElacのBS314と個人的な音色の好みを抜きにして比較した場合、ほぼ全ての面でRM10が上回ると思います。しかし、これらのスピーカーの出音には独特のチャームポイントがあり、それがいい意味での個性となっていますので、それをどう考えるか。RM10のフラットで、言わば素っ気ない音調が好みでない方は、私の意見には賛成しないでしょう。

個人的には、こうしてパワーを十分に入れてやって大音量で鳴らせば、はるかに高価なMagicoのQ1やS1にそれほど聞き劣りしないサウンドと思います。特にS1は音調も似ていて良いライバルと思います。S1はRM10よりもっと余裕のある、高級感のある音ですが、音場の透明感や音の脚色の少なさではRM10が勝ると思います。
とにかく私の贔屓を差し引いても、このクリスタルクリアーな明晰さは100万円クラスのスピーカーでは得難いというのは間違いないでしょう。かなりコストパフォーマンスに優れたスピーカーだと思います。後は、このモニター調の出音がお好みかどうか、ということになります。

セッティングは、それほどシビアに決めなくてもシッカリした音が出るスピーカーと思いますので、お好みでどう置いてもいいとは思うのですが、私としてはやはりニアフィールドでポジショニングを煮詰めて聞いた音が良かった。いろいろ試しましたけれど、最終的にはオーナー様が決めていたセッティング、すなわちリスニングルームの天井から俯瞰して、リスナーの頭とスピーカーの作る正三角形の位置関係の一辺が2.5m位というところで聞くのが耳馴染みが良かったです。耳とスピーカーの距離はさておき、とにかくスピーカーの間隔は離しすぎない方がいいようです。このスピーカーの出音は指向性が高いので、このポジショニングだと頭を少し動かすだけで定位がズレるのが難点ですが、ステレオイメージの広がりや、音圧などの点でも最適でした。

ただし、この専用のスタンドが、本当にこのスピーカーに最適な強度と高さなのかどうかは私には分かりませんでした。この三本の支柱をもっと太く丈夫なものにしてベースプレートとの一体感も高めたらどうなるのか、私は興味があります。スピーカーケーブルの選択も、そのラインが長くなりがちなブックシェルフスピーカーでは重要な検討事項でしょう。今回の試聴では純正ケーブルを用いましたが、これが最適なのかも分かりません。また、スタンドの高さについては、自分の耳の位置だともう少し高くてもいいかもしれないと感じました。そうすると低域が確保できなくなるかもしれない?それなら、邪道と一喝されても、エクリプスの新型サブウーファーを組み合わせるのはどうでしょう。これらの機材の置き場所があったら試してみたいものです。
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試聴の中盤には、入手したばかりの残響のテロルのサントラを聞いてみました。
この音楽では、菅野よう子が持っている多くの音楽の引出しのひとつが全開になっています。美しくもどこかメランコリックなメロディとビートの絡み合いが容赦なく展開。ここでは低域の一音一音に、なにかアニメ作品に対する思い入れのような激情を感じる瞬間がありました。この感動はスピーカーの充実した低域に由来するものでしょうか。なんだ、なんだ、こんなに強く切ない音楽だったのかと聞き入ってしまいましたね。
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最後に、たまたま手元にあった蟲師のサントラを抜粋して聞いてみます。
RM10は、この物語のようなサントラの持つ、綺麗なアンビエンスを見事に現出させます。キメの細かいシンセの出音のテクスチャーから想像される、ゆったりと流れる下る光の大河のイメージが、ブックシェルフらしからぬ余裕をもって現れたことに驚きました。この音楽は滴る雫のような表現、凛として響き渡る高域が特徴なのですが、これらの特徴的な音のイメージが、とてもピュアな形で耳に迫ります。これほどの音の純度の高さのアピールができるスピーカーは稀有です。
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RM10のサウンドの素晴らしさは、スピーカーやアンプの能力で演出されたものはなく、音楽ソースの持つありのままの音をそのまま出した結果なのでしょう。もともと音楽とは豊かなものだという、根源的な信頼がこのスピーカーの音を迷いのない、純粋なものにしているのだと勝手に合点して聞いていました。ここにはスピーカーの容積やネットワーク、ユニットによる演出はどこにもない。生成りの音があるだけなのです。


Summary

RM10はスピーカーというトランスデューサーの設計における様々な複雑さを、禅僧の如きシンプルかつ妄執なき発想で回避した結果、ブックシェルフではほぼ前例の無い純粋さと透明感を獲得したスピーカーと言えるでしょう。これは余計な要素を捨て去ることで辿り着いた音です。あれもこれもと欲張らないで、目指す音に真っ直ぐに迷うことなく到達した、そんな音でもあります。これに似たスピーカーはオーディオフィジックとかルーメンホワイトの製品にありますが、それらのどれとも異なる味わいです。あれらよりも、もっとシンプルで透明な音なのです。

それから試聴して強く感じたのは、やはり音楽と真正面から向き合う事をリスナーに要求するスピーカーだということ。「~ながら」で、このスピーカーから出る音を聞くのは無理があります。その点でも使い手を選ぶかもしれません。

では、この音について私はYesなのかNoなのか。
件(くだん)の店員さんのように、このスピーカーの音について、シンプルにスパッと言い切ることができるような能力も性格も、私は持ち合わせません。私はかの人ではないのですから。
オーディオってそんなに簡単に割り切れるほど単純なものだろうか?
私などは、そう呟きながら迷いに迷うのみです。むしろ、その迷いがオーディオという趣味の本態の何%かを占めているはずと言いたいくらい。

ただ逆に、こういう迷いのない音に出くわすと、心底すがすがしい気分になれるのは認めましょう。例えば、手放しの自転車で坂道を下ってゆくのは危険ですが、なにかスリルを通り越した快楽が手に入るのではないかと人は密かに期待するものだと聞きます。そんな感じで、なにかをかなぐり捨てて、初めて至れる場所に、このスピーカーは私を連れて行ってくれそうな予感があります。
これほどクッキリ、キッパリして曖昧さ・迷いの無いサウンドについて行くのはもしかすると容易ではないかもしれない。ですが、その冒険の先には、多くのオーディオファイルにとって未知の地平線が拡がっているのは間違いなさそうです。

# by pansakuu | 2014-07-26 19:44 | オーディオ機器

IKEDA 9mono モノラルカートリッジの私的レビュー:復讐するは我にあり

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「復讐はなにも生み出さないって?それは、その復讐が道徳、道理に反している時だけじゃないのかい?」
マリア バスケス “5つのエレジー”より 


Introduction


誰かに、
お前は何をするのが一番好きか、と訊かれたら、
何かに復讐するのが一番好きだ、と思わず答えてしまうかもしれない。

私は、敵と見なす者に何かされたら、相応の仕返しをする。
当然そうする。
レストランで、不味(まず)い晩飯を食わされた場合も同じである。
数日を経ずして、別なレストランに予約を取って、必ず美味い晩餐をやることを心がける。
あるいは不味いワインを飲まされたと思ったら、間髪入れずに別なカーヴに出掛けて、
一番良さそうなのをさらってきてグラスに注ぐのが常だった。
(最近は断酒しているけれど)
無論、オーディオにおいても、この滑稽な復讐の原則、習慣は変わらない。
どこかでヘンな音を聞かされたら、別な場所でイイ音を聞いて耳を洗いたい。
いつも、そう思う。

前回、JAZZのモノラル・オリジナル盤の音に失望したという話をクドクド愚痴ったが、
それはこれから書く話の伏線であった。
つまり、復讐することにしたのである。
モノラル・オリジナル盤は本来、もっと音がいいはずだ。
これらの盤はもっと精密な音のタイムカプセルとして機能するはずだ。
オーディオの仇はオーディオで討つ。
私はそう決めた、突然に。
それというのも、私には心当たりがあったからである。
ある日本製カートリッジが気になっていた。
今は、この手の内にあるIKEDA 9monoという渋い金色のカートである。
その針先が盤面をなぞり出した時、
ソニーロリンズの太々としたブロウが、目の前で実に自然に浮かび上がった。
これは私の望んだ音だ。
モノラル盤には、まだこれほどの情報が眠っていたのかと驚く音だ。


Exterior etc
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試用したIKEDA 9monoは、カートリッジ・アームの老舗メーカーであるIKEDAが、若い設計者のもとで作り出した比較的新しいモデルである。
前方が丸いIKEDA独特のデザインのカートリッジ。この丸みも単純にデザインのために付けられたものではないらしい。平行面をなるべく少なくするとか、外からの音波の当たり方、反射の仕方の関係で、平らな面よりも曲面の方が出音が良いという経験則のような考えがあるとか。そう聞いた覚えがある。なるほど、そういえば、IKEDAのアームのウェイトも、なぜか丸みを帯びている。同じ思想によるものか。
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普通のカートリッジにくらべて若干幅広いボディはアルミインゴットからの削り出し部品である。カンチレバーは2重構造のジェラルミンパイプで出来ていて、針先は楕円形のソリッドダイアモンドであり、クラシックな丸針とはちがう。このカートリッジの中身はモノラル用に専用に設計されたもの。通常のモノラル専用のカートリッジのようにステレオのカートの内部配線を変えただけのものとは違い、縦巻きの発電コイルを左右に分けて配置し、パラレルに信号を送り出している。このような電気的な分離のための手間はカートリッジを高価にするが、ステレオシステムでのモノラルレコード演奏に適しており、ハムノイズが出にくいという長所を生み出す。この工夫は現代的なステレオのハイエンドシステムでモノラルレコードを聞くための鍵となるものであろう。ここまで機構を持つカートリッジは恐らく世界初のものではないか。インピーダンスは2Ωと低い部類に属するのも現代的。
このカートのシンプルでスッキリした外観はオルトフォンのSPUのようなクラシカルなカートリッジの姿形とはあまり共通点がなく、先進的な音質を予感させる。


The sound 

モノラル盤に対する先入観・固定観念を覆(くつがえ)す音である。
逆に言えば、センチメンタルな懐古趣味、あの古ぼけて、なかば壊れかけた廃墟を愛でるような、侘び寂びの世界はここにはもう聞こえない。私の望む新規のモノラルオーディオが、IKEDA 9monoから始まっているように思えてならない。
発電コイルを左右に分けて、パラレルに信号を送り出しているということが、これほど音に効くということらしい。

なお、今回は前回の失敗に学んで、全てオリジナルかプロモ盤で揃えることはもちろん、モノラルレコードそのものも目視で保存状態が極めてよいものだけを選び抜くだけでなく、録音も演奏内容も良さそうなものを選って聞いてみた。少なくともそれぐらいしないと、この手のアナログレコードの音質の真価は分からないと考えたのである。
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他のモノラルカートとの違いを一言で言えば、情報量が増えたということ。これは明らかに増えた。例えば、ミュージシャンが背景で微かに唸ったり、調子を取ったりしているのはもちろん、リズムを取りながら体をゆすったりしている微かな気配まで、LPによっては、はっきりと聞こえてくる。これらは今まではどうしても聞こえなかった音だ。この時代の演奏は人間の息や指の力が楽器に取り付けられた発音体に伝わり、音が出ている場合がほとんどだが、微妙な指遣いの強弱、息を吸い込む深さの加減なんかの感触が立体的に聞こえるのがいい。これは見るように音を聞くという現代のオーディオ傾向にそった聞こえ方だと思う。さらに、見えるという意味で言えば、楽器と楽器との間の空間が見えるようになったのも大きい。その空間を満たす空気の温度感や、その空気を伝わる音の響き、その響き具合から感じられる録音現場の広さまで、ある程度までなら想像することができる。こういう、その場の空気感の中で楽器が重なっている雰囲気が欲しかった。ここでは、お化けのように恐ろしく自己主張する音像だけが、せめぎ合いながら張り出してくるというオリジナル盤の今までの聞こえ方は鳴りをひそめており、各楽器の音像の前後関係が露わになり、整理されたサウンドステージが眼前に浮かび上がる。
もちろん、モノラルだから、ここでの音場というものは左右に広々と拡がるものでは当然ない。これは深さ方向へ楽器やボーカルが重なっている場であり、いわば重層的な音場を形成する。いままで使っていたGRADOのモノラルカートリッジでは、いくら慎重に調整しても、こういう音場そのものがなかった。

このように昔のアメリカやヨーロッパの録音現場の雰囲気が露わに見えてきて、初めて分かることも少なくない。私が往年のJAZZの名演奏にいままで感じてきた、過度に呑気でスローだったり、逆に野卑なくらいに乱暴だったり、音のエッジがシャープでない、野暮ったい音作りというのは録音機材が悪いせいではないかと疑ってきたが、そればかりではないらしい。この時代のミュージシャンたち、あるいは観客の音の好みによるものらしいということだ。これは時代の音の傾向なのだろう。そんなこと当たり前だと言われそうだが、私は以前から疑っていたことだ。こういう、素朴だがエネルギー満ちた昔の音を現代の装置が醸し出す澄んだ音場の中に解き放つと、音ひとつひとつがとても新鮮に聞こえる。あの耐えられない野暮ったさが吹っ切れる。装置の透明さを信用できるようになったので、これは本来こういう音なんだと納得できる、信じられる。
ここらへんは装置の存在が十分に透明になったので、録音の方法、演奏の段取りが目に見えるようになり、いままで分離して見えなかったものが、ひとつひとつ個別に認識できるようになったと言いかえてもいいだろう。これは録音機のノイズ、これは現場に漂っていた雑音、これはミッチェルのトランペットから出たクセのある音、これはマイクセッテイングに関係する音の歪み、などという感じで切り分けることができるのである。

とはいえモノラルはあくまでモノラルである。
音の分離が良くなったからと言って、あの押し出しの良さ、音像がエネルギッシュに飛び出してくるところや、音の太さ、音がスピーカーの間に集まった定位の良さ、それが生み出すステレオにはない音の安定感などになんら変わりはない。これは整理されてはいるが、ハードバップ時代のJAZZを好む人たちの音の嗜好から大きく外れた音ではない。モノラルオーディオならではのサウンドの吸引力を十分感じる。聞いていると、ライブ会場の最前列で立って演奏を聞いている感覚にモノラルはかなり近いなと素直に思える。私と音楽の間の距離というか隙間感がとても小さくなっている。ステレオの行儀のいい録音だと、引いた場所から俯瞰するように演奏を見ているイメージであり、音楽の状況はよく分かるものの、音のエネルギーが直接降りかかる場所で聞いていないことも間違いない。ライブステージにごく近い場所で音楽を浴びるように聞いたイメージを再現したいなら、モノラルの方が有利な場合がある。こういう利点を生かした録音を選んで聞く時、モノラルオーディオのアドバンテージを感じる。

ところで、こういう、モノラル盤の最先端のシステムでの再生というのはとてもディープな世界だ。
デジタルではこのような音世界はまず味わえないのではないか。なにしろ、このダイレクト感である。音楽がこのうえなくシンプルな形、素のままに限りなく近い形で現れる快感がモノラルにはある。最近、LPのサウンドをデジタルアーカイヴ化する人も多くなってきたが、私はあまり興味がない。アナログの良さは再生過程の簡潔さ、これ以上は不可能というほどのシンプリシティによるのであり、デジタルという、便利だが複雑な過程を介してしまうのはもったいない。デジタルアーカイヴ化されたアナログは、一聴して、まるで同じ音のようでありながら、聴き込むと本質的な部分で全く違ったものに変貌してしまったように思える。
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そもそも私は、いわゆるJAZZの巨人と呼ばれる人たちが一体どのような演奏を繰り広げていたのかをできるだけ正確に聞きたかった。マイルスやコルトレーン、ロリンズ、モンク、エヴァンス、モーガン、ブラウン、ケリー、ブレイキー、シムズ、ペッパー、タレンタイン、パウエルそしてテイラー・・・・そういう人々の全盛期の演奏を、現代的なクリアな音場の中で聞いてみたいという願望があった。この時期の凄い演奏はJAZZミュージシャンのセンス自体が現在と全く違うので再現しようがない。もともと即興であるということもある。いわゆる逆立ちしたって・・・というやつである。音質云々以前に貴重な演奏なのだし、これらの演奏を基礎として現代のJAZZが出来ているということも見逃せない事実である。それを現代の装置による視覚的なオーディオ、すなわちパースペクティブがあり、音の細部の情報量が豊かなオーディオで聞く。つまりは切り口を変えたかったのだ。(現代にはJAZZはない、もうJAZZは死んでいるというJAZZ学者さんもいるが、その意見を私は無視している。倪瓚の地面じゃあるまいし。)

IKEDA 9monoはいにしえのJAZZの偉人たちの演奏を現代の空気の中にごく自然に甦らせてくれる。マイルスのミュートの黄金の輝きやコルトレーンの切れ目のない狂気じみたブロウ、モンクのあられもないキータッチ、エヴァンスの危ういほど繊細なアドリブの運指(New Jazz conceptionsのオリジナル盤は音質も最高だ)。それらがなにか当たり前のように目の前に差し出される。IKEDA 9monoは過去に遡ることを専門とするタイムマシンのようなものだ。あるいはモノラルレコードというタイムカプセルを開ける鍵なのだ。ここには時代のギャップがほとんど感じられない。これは私にとっては過去のイリュージョンではない。現代としては少々風変りなフレーズだが、まるで昨日演ったばかりのプレイのように、ごく自然に聞こえてくるのが面白い。

ヴィンテージのアナログ機材だと、音馴染みはよいが、昔の録音はあくまで昔風の脚色で再生されてしまう。そういうヴィンテージシステムで音楽を聞いたこともある。それは聞き易く典雅な音ではあった。だが、どうにも現代の空気との違和感があった。古いアルテックのスピーカーの真ん前で空気感と音像のデティールがはっきりしない、ぼんやりとおぼつかない音を聞きつつ、嗚呼、あの時代に現代の機材を持ち込んで録音し、現代のオーディオで再生したら、どんな凄い音が聞こえるのだろうと夢想していた。そして同時に、実はレコードの音溝の中にはもっと多くの音が隠されているのではないかと勘繰った。結果的には、その勘には狂いがなかった。脳科学の視点から見れば、ヒトの勘というのは、実は過去の経験の蓄積に由来するものだという。思えばここに至るまで、随分多くのオーディオを聞いてきたが、その経験が生きたのだろうか?それともただの偶然に過ぎんのか?

ともかく、
確かにモノラルレコードには予期した以上の情報が詰まっていた。それは遠い昔に消滅したが、現代のミュージシャンには再現不能な演奏の一部始終であり、程度の良いレコードには、それがとても高い鮮度で真空パックされている。デジタルから起こした新譜のアナログも素晴らしい。だが、テープから起こしたオリジナル盤、そこに封じ込められた50年前の音の勢いをナマらない形で楽しめることもまた、アナログの特権である。

このカートに教えられたことなのだが、録音が昔のものであればあるほど、鮮明に再生できた時の感激は大きいということ。こんなに昔の音がこんなに新しい、そう思えることが幸せなのだ。今から50年も前の音楽を、昔のものと思わず、これは最新の音楽という気構えで聞くと本当に面白い。

やはりレコードはタイムカプセルなのである。タイムカプセルがタイムカプセルである所以とは、そのタイムカプセル本体、すなわちレコード自体も、その演奏が録音された時とほぼ同じ時期に作られたもの、しかも手に触れることができる形あるもの、ということだ。中身とそれを収める器ともどもが、奇跡的に生き残って、眼前で真新しく音楽を奏でたことへの驚きが大きいのだ。


Summary

こうして、私の復讐は成った。
私は満足した。やはりRevengeは気持ちがいい。
前回からの紆余曲折の末にこの一行をやっと書けたのが嬉しい。

思えばデジタルファイルを使ったオーディオでは、このような特殊なソースを特殊な形で楽しむことはできない。あれは均一で公平な世界だが、画一化されて、個人が勝手に改変できない部分も多く、自分だけのオーディオを追求しにくい世界でもある。私個人のイメージとして、デジタルファイルオーディオの最大の特色とは利便性、つまり多数の音源をコンパクトに美しく整理して管理することができるということである。他方、音質に関して言えば、デジタルファイルは現状ではオーディオの本質である音質の追求という点において、心ときめくサムシングにやや欠ける。
例えばハイレゾやDSDといったデジタルファイルに標準の16bit、48kHzの音源と全く異なると言い切れるほどのクオリティが期待できないことは既に明白である。基本的にはこのような数字や規格の違いは音質上ではわずかな違いでしかない。ハイレゾ・DSDの存在の大部分はオーディオ業界の生き残りの戦略のひとつに過ぎず、リスナーにとっての実益が少ないと思う。ハイレゾについて遅ればせながら業界団体による定義がなされたようだが、このような追認の動きはハイレゾが業界の商業的な戦略に組み込まれつつあるという推測を裏付けていると私は思う。

では、デジタルファイル再生に関するハードの開発、あるいはその使いこなしについてはどうかと。すなわち素晴らしく高価なクロック、あるいは優れたケーブルを使うことで得られるデジタルオーディオの出音の変化、音の良いHDDあるいはNASの選定、熱心な開発者たちによって提供される音自慢のソフトウェア、時にオカルト的でさえあるPCのセッティングなど、それらを実際に試してみてどうか、ということ。とりあえずの結論として、それらの努力は多かれ少なかれオーディオ的によろしき変化を生むと言えよう。けれど、その変化のベクトルは、どれもほぼ同じであることもわかってきた。音が細かくなり音場が澄み、自然な質感に近づくということである。だがオーディオって、それだけなのだろうか?それは良い方向への変化だろうが、逆に言えば、私個人が望むような、様々に異なる音の変化の方向性、変化の多様性があるとは思えない。例えば音の濃密さや躍動感、オープンリールデッキで聞くような鮮度感、豊満と言いたくなるほどの低域の量感、音像の生々しい実在感というものが、フューチャーされる方向になかなかいかない。

深く総括すると、デジタルファイルオーディオは十分にカネをかけさえすれば、かなり高音質かつ便利なものであるが、そのノウハウは複雑かつ面倒で、オーディオとはなんの関連もないパソコン業界の動向に左右されやすく、案外と機材の置き場所とコンセントを食う。しかも、その苦労と出費の割に出音の変化は単調というわけだ。デジタルオーディオに散財し、デジタルオーディオを試聴しつづけた結果、
私が考え思うのはそんなところだ。
この単調で驚きの少ないデジタルオーディオにはもう懲りたし、もう飽きた。
そう叫びたくなる瞬間もたまにはある。

だからなのか知らないが、私のリビングにはもうアナログの機材しか生き残っていない。いまやアナログオーディオを愉しむことに全能力を振り向けつつある万策堂は、多くのデジタル機器を高価な黒い円盤やカートリッジと交換してしまったようである。

何年か前のある日、dcsのVivaldiで、あるJAZZの演奏を聞いた後に、Technicsの安価なアナログターンテーブルで同じ曲を聞いたときの驚きが私には忘れられない。情報量の多さは当然、圧倒的にdcsであったが、演奏者の感興がダイレクトに伝わり、音楽を聞くことの快感が強かったのはTechnicsの音の方だった。
私は考え込んだ。
自分にとっての高音質ってなんなのだろう?
デジタルだけやっていてもその答えを知ることは無理なようだと。
その答えを知るためには、
デジタルもアナログもハイエンドマシンからチープな普及品まで一通り聞いてみなければ。
オーディオは自分が考える以上に広く深い。
私は改めてそう感じ、そう信じ、かくして実行したのである。

こうして、自分なりに苦心してモノラルレコードを再生していると、デジタルから離れ、ついにこんなに遠くに来てしまったという感慨があるのと同時に、あの時の驚きがクッキリと想い起こされる。ここにある音楽は、私の世代からしてみれば、どうしようもないほど古い時代の音楽ではある。しかし、それを現代的なアナログという視点から再構築して得られる説明不能の新鮮さ・愉しさは、私の嫌う、後ろ向き・懐古趣味的なオーディオとは正反対の方向に私を導いてくれる。これもまた現代のアナログオーディオの成果のひとつなのだ。
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温故知新などという古臭い熟語を勿体ぶって吐きたくはない。
さりとて、
それこそ、この復讐劇の顛末であったと心の中で認めることに
私は決してやぶさかではないのである。

# by pansakuu | 2014-07-05 09:50 | オーディオ機器

6月の現状: 期待、失望、そして希望

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「いろいろ言い出したら切りがないので、ひとつだけいえば、あまり理屈をふりまわさないで、ご自分の耳にできるだけ素直にしたがいなさい、ということですね」
瀬川 冬樹(オーディオファンに言いたいこと より)



休日の昼下がり、私はレコードを聞くのに忙しい。

自分のシステムではもう半年ぐらい、
まともにCDやデジタルファイルを聞いていない。
それを反省する気さえ起きないのが怖いほどだ。
これはConstellation audio Perseusのせいである。
そしてTTT-compactのせいでもある。
これらの機械が来てからは私のオーディオシステムは、
本当に私の望む音を出すようになったような気がする。
逆に言えば、これ以上自分の音を追求することは難しくなった。
その意味では、逆に少しばかり困難は増しているかもしれない。

このシステムは、どんな音楽をかけても、どこか斬新な切り口を聞かせてくれる。
しかも、一切の逸脱なしに。
幾多のデジタルサウンド、アナログサウンドに接してきたが、
このような音で音楽を聞かせてくれるものはなかった。
爽やかでクリアーだが、程よく太くてキレがよく、しかもデジタルオーディオと比べて遜色ない静けさのある音。それでいて音の立ち上がりのタイミングや素早さがかつて耳にしたことがないほど絶妙な音。柔らかでニュートラルな温度感が基本だが、時に艶々と妖しく、時に激しく熱く、そして時に穏便で呑気な音。こういう変幻自在なアナログサウンドもデジタルサウンドも私は他に知らない。
そんな評価は、ただの自惚れにすぎないと人前では謙虚を装うのだが、
新たなLPに針を降ろす度に、そうきたかと驚かされ、改めてPerseusに惚れ直す。

今までどれくらいオーディオに投資してきただろうか。
この前、誰かに、フェラーリにしといた方が良かったんじゃない?と笑われた。
そうかもしれない。だが、フェラーリに乗ってまで行きたいところが何処にもない。
ライカのレンズを買いまくった方が良かったのでは?とも言われた。
そうかもしれない。だが、そんなレンズで撮るほどドラマチックな被写体なんて知らない。
それとも、ランゲとパテック、ジュルヌの時計を集めた方が楽しかったのでは?
そういう皮肉を言う方もいる。
いや、それを腕に巻いてても誰も気づかないし、
今何時かしか分からんモノにそういう投資はね・・・・・。
一方、限りなくいい音で聴きたい音楽、演奏はまだまだ山ほどあり、
そのタイトル数は一生かかっても聞ききれないほどなのは知っている。

やはり、今はConstellation audio Perseusと素敵なLPがあれば
言う事はないのである。
(勿論、そんな素敵なLPはどこにでもあるわけじゃないが)

この素晴らしいフォノイコライザーは私に教えてくれる。
本当のオーディオとは、最後は自分自身の解釈で音楽を鳴らすことだと。
それでいいのだと教えてくれる。
いい音とは自分の好きな音なのである。

もちろん、LPやCDやデジタルファイルに入っている情報を出来る限り忠実に再現することは当たり前である。しかし、それらがある程度以上に出来たとしても、満足すべきでないということだろう。オーケストラの指揮者が譜面に秘められた音楽のニュアンスを自分の感性で解釈するように、オーディオシステムとは、結果的にはそれを構築した者の解釈で音楽を鳴らす。そして、その解釈がオーナーにとって、どれくらい見事に聞こえるかが、そのオーディオシステムの価値を決めてゆく。私にとっては、音質の基礎がある程度充実してさえいれば、この解釈の部分が一番大事なことである。
結局、Perseusが聞かせる音楽の解釈・スタイル、別の言い方をすれば、枠にはまらない自然な音楽性のようなものが今の私の気分に激しくマッチしているからこそ、こんなにも満足できるのだと思う。

例えば、私がルームアコースティックに凝ることができたのは独身時代だけだったが、今はああいう実験室みたいな部屋も必要なくなった。あれは音楽の忠実性には影響があるが、解釈にはあまり関係ないと思う。私にとっては音がスピーカーから出た瞬間に解釈はほぼ決まっている。その先は概ね音楽の聞こえやすさや帯域の若干のバランス感覚に属するものであり、指揮者がカルロスクライバーからカラヤンに置き換わるような変化は起きない。逆に最新のソリッドステートアンプを選ぶか、クラシカルな真空管アンプを選ぶか、あるいはアナログプレーヤーを選ぶか、デジタルプレーヤーを選ぶかなどという選択は指揮者の交代に近い変化をもたらしかねない。特に私にとっては音の源泉になにを選ぶかということは末梢をどう整えるかという問題よりも大きい。

要するにどんな部屋、どんなセッテングでも構わない。自分の好むスタイル、解釈で音楽が聞ければよいというところに行き着く。最悪、貴方の出す音が一般的なオーディオのセオリーから多少外れていたにしても、貴方の耳に心地良ければ成功だと私は思う。実際、百人のオーディオファイルが百種類の音で音楽を聞いている状態が真実なのであり、そこには音質の優劣はなく、音の違いがあるだけだ。

私のところには沢山のLPが集まってくるようになった。
まるで、私の新しい解釈で鳴らされることを望むかのように。
そして目の前のシステムで、私はそのLPたちを回して聞いてやる。
ここでは、デジタルで聞き古したあの曲・この曲が、全く聞いたことのない新たなニュアンスで鳴るのを、目の当りにする。その未体験の驚異に私は中毒になってしまった。これはもうほとんどアナログ中毒だ。こうなると、デジタルオーディオを聞いている暇がない。アナログをじっくりと聞いているだけで、私は自分に与えられた余暇を使い切ってしまう。

実は、世の中にはそれくらい多くのアナログレコードがある。それは過去からの遺産として残されたアナログレコードについてもそうなのだが、新しく出る新譜のLPも実はかなりのタイトル数なのである。私にしては珍しく、いくつかのLPレコード店からメルマガを配信してもらっているのだが、新譜のLPのリストに関しては意外にもその内容が店どうしでダブらない場合がある。つまり、どのお店も、世界中で発売される自分の専門分野のLPですらフォローし切れていないらしい。それはDJ系のLPに最も顕著なのであるが、この中には素人がリスニングに使って面白く聞けるような新しい音楽がいっぱいまぎれこんでいる。これらを全て試聴してチェックするのは手間であるが、大抵のものはYou Tubeなどで試聴が可能なので聞かなきゃ損だ。毎晩、You Tubeでこういう音楽をチェックしまくる私。
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また、私はあまり聞かないのだがクラシックや現代JAZZの新しいLPもボチボチ出てきている。
例えば自分で買うことはないけれど、クラシックの名演を高音質なディスクで甦らせることに定評のあるALTUSの出した、チェリビダッケの東京ライブ集成8枚組LPやクレンペラーのベートーベンチクルスのモノラルLPは見事な仕事ではないか。これらに比べたら、ハイレゾのデータは発売されるタイトルの中に大掛かりな全集のようなビッグタイトルがまだ、ほとんどない。しかも、ハイレゾの配信は、限定とか売切れはないので焦って買う必要はない。何が出ようと様子見で十分。対するLPの新譜は、そういう断りがなくても大半が限定品のようなもの。今あるものを、すぐに買わなくてはならない。こういう切迫感は、財布には優しくないが、反面、ワクワクすることでもある。こういうワクワク感がデジタルファイルにはとても薄い。
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財布に厳しい、高価で困るという問題ではアナログのオリジナル盤の件がある。
折角、まともなアナログシステムを持っているのだから、というワケで、主に1950~70年代のJAZZの代表的な名演、あるいはビートルズのアナログオリジナル盤、そのステレオバージョンというものを30枚あまり買い集めて聞いてみた。悔しいが70万円以上の投資である。その結果として思ったのは、これらのオリジナル盤の音の良さというものは、あくまで限定された特殊なもの、ということだった。
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例えば状態の良い、古いJAZZのオリジナル盤においては、音の鮮度の冴え、音の飛び出しの鋭さなどは再発盤より優れるが、ダイナミックレンジの狭さ、未発達な録音技術の結果としか思えない音のエッジの丸み、音場の見通しの悪さ、奇妙な帯域バランスなどがある場合、そのあたりは改善されないことがほとんど。最近録音されたデジタルファイルの音を聞き慣れた耳にとって、こんな音を高音質というのは難しい。現代に録音された音源のLPにしても、こんな低音質ではない。これは私が当初期待していたレベルの音じゃない。試しに状態の良い盤を求めて同じタイトルを何枚買ってみても、なかなか欲しいところは聞こえてこない。
また、盤のイタミ方の評価も大事だ。中古レコード屋さんの感覚での普通の傷み方のオリジナル盤(例えば状態Bとかいう表示のレコード)というのは私の感覚ではほぼ聞けない。多くは艶が失せてキズだらけのレコードである。こんなものに5万~10万を支払うのがJAZZやビートルズのヴィンテージレコードの世界である。これらをHANNLでいくら洗っても、表面のキズは消えないのでパチパチ音が酷い。やはり状態のいい盤を自分の目でよく選ぶことは必須である。例えば、少なくともB+以上あるいはEX+以上の出物を買うべきだろうと思ったり。
さらに、有名ないくつかのBLUE NOTE盤に関してはRVGの音作りのクセっぽさにマスクされて失われたニュアンスがありそうに聞こえた。この荒っぽくて、帯域バランスの変な、どこかぼやけたような音を、古い時代の味わいとして楽しむ才能が私にはない。勿論、これらの盤の音には確かに現代の録音にはない生々しさはある。音のインパクト・音圧もある。だが、それは、録音の技術的な稚拙さや演奏の素朴さから来るものではないかと疑う。この時代のJAZZに対する深いシンパシーがない者に、この音を全面的に良い音だと思うことは難しいだろう。私個人については金銭的にムリをしてまでJAZZのオリジナル盤にこだわることはないことが、オリジナル盤を買ってみてよくわかった。もし買うなら少なくとも元の録音状態、盤の状態を注意深く確認すべきだ。
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もう一つ意外だったことがあるとすれば、今回買った全てのオリジナル盤はCDで持っていて、それらは大好きなアルバムではないにしても、普通に聞けていたということ。CDの音質については、まあこんなものだろうと思ってアドリブの展開や演奏のテクニックを愉しみながら、LPのオリジナル盤はさぞかし、いい音で鳴るのだろうなと空想していた。だが、そうではなかった。CDで難なく聞けていた音楽の印象がオリジナル盤を聞いたことによりいささか悪化した、というか実は自分の好みとはズレが場合があると気付いたことになる。オーディオにはこんな落とし穴があるのだ。
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古いJAZZやビートルズに代表される古いロックついては、僅かな例外こそあれ、ほぼオリジナル盤信仰が根付いている。しかし、虚心坦懐にその音を聞いてみて、私はオリジナル盤を単純に褒め、大枚をはたく人の気が知れなくなった。オリジナル盤は再発盤より音がいいというに過ぎない。もともと音が良くないところは直しようもないのである。あれは、その音楽の内容が大好きで、多少の瑕疵は当たり前のように聞き逃せるような心理状態にある、という前提のもとに成り立つ賞賛だ。宗教的な信仰に近いものかもしれない。本人たちはその音楽を深く愛しているという前提を時々忘れているので、普遍的な言いまわしでオリジナル盤の音が良いと発言してしまうが、鵜呑みにしてはいけない。古いオリジナル盤の音の良さは、その中にある音楽への愛に裏打ちされたものなのだ。
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と、ここまでは現代の感覚にまだ近いステレオ盤での話である。
実はよりマニアックなオリジナルのモノラル盤というのも沢山ある。ものは試しとマニアが絶賛するアルバムを買い込み、私なりに聴き込んでみた。案の定、このモノラルレコードの音は私には古いステレオ盤よりもっと違和感があるものだった。「ついて行けない」というのはこの事だろう。モノラル専用のカートリッジを、わざわざ買ってリスニングに臨んだが、この音には失望させられた。音が左右に全く広がらないということは案外と気にならない。むしろ、定位の良い音像に集中できる。問題は録音の良さが伝わってこないということ。音は太く、音圧は高く、音像は厚くになるのだが、私の聴いたどのJAZZのアルバムでも情報量がとても少なく、全く同じ方向性の濃い音になってしまっていた。こうなるともう、それぞれの録音現場での雰囲気の差がよく分からなくなってしまう。録音の良さというのはそれぞれのアルバムの音作りや録音環境の差異が見えるところが大事だと思うが、それが分からなかった。それに、経年変化というか、レコードの取扱いの問題というかHANNLでも取り去れないノイズの多さにどうしても馴れない。モノラルを手放しで褒める人は、JAZZのオリジナル盤以外ではあまりいないが、その数少ない賞賛は私の感覚からは程遠い。
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確かに状態の良いジャケットのアートワークは美しいし、その中身のレコードの外見や香り、法外な価格と合わせた錚々とした雰囲気たるや、まるで高級な骨董、または文化財のようなのだが・・・。これは私の望む音ではない。改良の余地は多分にある。
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何にしろ、私はかなり失望した。
誌上で、あれほど褒められていた古いJAZZのオリジナル盤というものが、実際に聞いてみると、自分の感覚にこれほどグリップしないものだったとはね。そういえば私の機材の出音の傾向も、現代の音楽、現代の録音に合わせたものであり、これらの50年以上前のレコードたちに全然合わないのかもしれない。自分のシステムの音の解釈の仕方が、この時代の音楽に合わないとでも言おうか。例えばスピーカーをJBLに、アンプをマッキントシュに、フォノイコをBurmester100にして、ターンテーブルをBrinkmannのOASIS+RONTに、カートリッジを別のモノラル専用のカートにすれば評価は変わるのかも知れない。デジタルと違って全く違う方向性で完成度の高い音を造り出せるのが、アナログの強みでもある。だが今更、システムの組み直しはしたくない。そういう懐古趣味はもう既に多くのリスニングルームで体験済みだし。もっと新しいモノラルレコードの聞き方はないのか?
もしかして、この不快感は私にJAZZ喫茶でのいい思い出がないことと関係があるのだろうか。オリジナル盤を褒める評論家さんの音楽の原体験としてJAZZ喫茶でJAZZを聞いていたというのがあるらしい。しかし、あそこは・・・少なくとも一見さんには優しくない場所だ。店主の態度もデカいし、ボリュウムもデカ過ぎるし。精神衛生にも耳の健康にも良くない場所に電車賃を払って行きたくない。

ただ、私はもう二度と、このジャンルに手を出すことはないとは断言したくない。まだあきらめたくない気分もある。例えば、システムのどこかを工夫すれば、情報量が増えてモノラルレコードの良さを新しい解釈で引き出せる可能性は残っているのではないか。リベンジの心あたりはなくもない。その心あたりについては、そのうち書くかもしれない。

なお、これらのオリジナル盤は少数のテスト用の盤を残し、再び売りに出された。どれも結構、いい値段で売れたのはせめてもの救いであった。
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でも良かったこともある。一枚のJAZZやビートルズのアルバムに法外な金額を疑問なく払うことはなくなった。例外はあるが、基本的にはより新しい時代の音楽のLPを適切な値段で買えばよい。もし、いわゆるオリジナル盤を体験してみなければ、ずっと間違った憧れを私は抱きつづけたに違いない。オールドライカやヴィンテージのパテック、日本刀、1970年代のフェラーリ(凄い排気ガスで喘息が悪化して呼吸困難になった)と同じく、それが憧れの対象ではあっても、実物は自分にとって無意味なものだと実体験から知ることは、自分に取って有意味なものが何かを知ることと同様に大切だと思う。

では逆に、
私が偏愛しているLPたちについて少し話そう。
それはECMというドイツのレーベルのLPである。
1970~80年代のECMのLPについては、昔のアメリカのJAZZなどとは逆にオリジナル盤を安価に手に入れることができる。これが本来の値段の付け方だと思う。
また、音質もいい。音の鮮度も勿論CDより高いのだが、もうステレオ録音が確立した後の時代の演奏が多いので、そもそも基本的な音質がかなりいい。これらのレコードには、ヤン ガルバレクやキース ジャレット、コリン ウォルコット、エンリコ ラバ、パット メセニー、ジョン アバクロンビー、そしてラルフ タウナーらの若かりし頃の瑞々しい感性のほとばしりが真空パックされている。これらは当時としても前衛的なヨーロピアンJAZZである。少しとんがった演奏が多く、今聞いても、最新の音楽の構成、演奏のように聞こえる。先ほど話題にしていた古いアメリカのJAZZの持つ、必ずしも現代的ではないあの底抜けに明るい単純さ、少し猥雑で濃密な曲想、ああいうバタ臭さはどこにもない。ECM総帥、マンフレッドアイヒャー好みのサウンド、クリスタルクリア―でクール、スピード感のある音調でほぼ一貫していると言っていい。このサウンドなら基本的にCDやハイレゾファイルから出ている音と全く同じ感覚でも聞ける。いや、レコードの状態さえ許すならば、既存のデジタルソースを上回る音が出てくると言いたい。特にラルフ タウナーのギターをフューチャーするアルバムは私のお気に入りなのだが、これらは音がいい。タウナーが弦をつまびく一つ一つの音に与えられた生命のような存在感に圧倒される。ガルバレクの甲高いサキソフォンの叫びにも言い知れない実体感があり、ゾクッとすることが稀でない。こういうプレミアムなオーディオ的快感を逃すべきでない。ECMの取り扱う音楽を深く知りたいと思うなら、アナログレコードで聞くことは避けては通れないはず。
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Notes From Big Sur Chales Lloyd ECM1465
このLPは入手したばかりである。
チャールズ ロイドの青白い横顔を闇が包んでいるジャケットを目の前にかざすと、感慨は深くなる。このLPを探し始めてから6年も経っていたからだ。アナログを再開する、はるか以前から探していた。それは単純に、この素晴らしいアルバムアートが30cm×30cmのジャケットになったら、どういうふうに見えるのか知りたかっただけなのであるが。このジャケットはカッコいい。大満足である。こういうものをミントコンデションで保存していたドイツの方に礼を述べたい。
Notes From Big Sur は20年以上前にCDを買って聴き、すぐに愛聴盤となったアルバムである。丁度、Wadia860でオーディオを始めた頃だ。このCDを何回聞いたかなんて数えてはないが、100回なんかはとっくに超えているだろう。
音はECMの録音として普通である。分離とか定位が凄くいいとかはない。ごく普通のECMの録音である。オーディオ的に特別にどうこうはないと思う。でも何故か堪らなく、このLPに刻み込まれた音が、音楽、静謐な空気が好きだ。このLPを自分の装置で聞くと、ひどく心を奪われてしまう。
例によってマンフレッド アイヒャーのプロデュースで、1991年にオスロのレインボースタジオにてヤン エリック コングスハウグの手により録音されている。
チャールズ ロイドはECMでアイヒャーと仕事をしなかったら、あまり注目されない、いわば凡百のJAZZミュージシャン、サックス吹きだったかもしれない。この北欧的に涼しくて、少しばかり憂鬱な音のトーン、ECMトーンと呼ぶべき特別な音の温度感・響きが、彼のサックスに付与されたから、彼の音楽は特別な輝きを放つのである。

このLPは元の録音はデジタルであるが、こうしてLPにトランスファーしてみるとCDよりも感慨が深い。何故だろう。冒頭にレクイエムという美麗な曲があり、これが、かなりキャッチー。美しいテーマとアドリブだと思う。LPで聞くと、なるほどサックスの響きの掘り下げが違うか。CDで聞くと、そこらへんがサラッとしていたなと思う。LPだと、フワリとした柔らかさに決意のような太い芯の部分が音に加わるのが分かる。Notes From Big SurはロイドにとってECMで二枚目のアルバムなのだが、一枚目の経験を元として、このレーベルに拠って活動すると、ついに決意しましたよぉというところが、音に出ているのだろうと勝手に想像する。これには証拠もインタビューもなく、ただの私のイマジネーションなのだが、逆に言えば、こういう様々な人間臭い想像を掻き立てる力がデジタルオーディオには薄いのである。表面的な音の良さに囚われている。綺麗だが漫然として音楽が流れるだけだ。一方、LPにはその音質、サウンドトーンに関わらず、そういうヒューマンな資質が元来備わっているような気がする。心の働きがより強く活性化されるようなのだ。

ECMというレーベルは1969年にミュンヘンで設立された当時、CDのリリースはなく、アナログレコードのみでやっていた。その後、CDで新譜をリリースするようになり、当初LPでリリースされたアルバムの多くをCDでリイシューしたのである。だが、結構な数のアルバムがCD化されないままだったし、またCD化されても、そのCD自体が入手困難になったものも多い。ECMは現在、AmazonやHD tracksを通じて売るためのデータファイル化(ハイレゾ、MP3)に力を入れているようだ。つまりCDが売れないということだ。私はそういうデータをダウンロードして聞くが、同じアルバムをLPで、私のシステムで聞くのとは随分な差異を感じる。
手前味噌かもしれないが、大概、LPで聞く方がいいのである、音が。場合によっては圧倒的に良い。
少なくとも、ここで殊更に取り上げる価値のあるハイレゾデータなんて聞いたことはほとんど無い。あれらは持ち運びや保存に便利なだけである。繰り返しになるのだが、MP3やハイレゾなんて売切れることは、まずないのだから、今は買わなくてもいいやと、うっちゃっておいて、LPをいそいそと買い急ぐ。

この音の良さは私のシステムがECMを聞くために作ってきた経緯があるから、だけではない。それならハイレゾデータやCDより、LPの音がいいことを説明できない。これはECMのLPには創生期のECMの生々しい息吹がいささかの劣化もなく封入されているからだと思いたい。

そういうわけで、初期のECMのLPを集めては、ずーっと聞いている昨今なのだ。“ECMはアナログに限る”なんて言いたくはないのだが、無責任に言い放ちたくなる瞬間が寄せては返す波のように訪れるのは事実である。

こうして色々聞いてゆくうちにデジタルに限らず、アナログもなんでも良いわけでないということも分かってきた。大きな期待を抱いていても深く失望させられることはあるのだ。だが、ECMのアナログ盤をレイドバックして聞いていると、もっと多くの音楽をレコードで聴きたいと切に願う私が居ることに気付く。そう願わざるをえないほど音はいいように感じる。こういうアナログの心地よさに対して、発展途上のデジタルオーディオが割って入る余地はまだないようだ。
ここらへんが現状の私のオーディオ生活で一番重要なところもしれない。

「デジタルなんていらない」
そんなショッキングな言葉が吐けるほど
アナログに入れ込んではいないつもりなのだが、
そう呟きそうになる唇をあわてて固く結ぶ、
この休日の昼下がりなのである。
# by pansakuu | 2014-06-28 13:56 | 音楽ソフト

マス工房 Model394 ヘッドホンアンプを巡る私的観想:孤独の洗礼・無の近傍


孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。 
トルストイ

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ホテルに着くと海外から荷物が届いていると告げられた。
そうか、もう着いていたのか。
大きめのジェラルミンのトランクを部屋に運んで貰って、連絡された暗証を押して開ける。
荷物の中身はAudirvana plusのインストールされたMACとSonicweldのDiverter、dcsのDebussy DACそしてマス工房 Model394 ヘッドホンアンプ、純正部品でバランスリケーブルされたHD800、それにケーブル数本。
暇つぶしの道具が届いた。
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この時期、俺は或る用事で5日ほどホテルに缶詰めになる。毎年の行事である。
仕方がないと諦めてはいても、待ち時間である夜間はどうも退屈だ。去年まではテレビを24時間つけっぱなしにして紛らわしたり、ポール ボウルズの本を読みふけったりして時間をつぶしたものだが、今年は機材をワンセット借り受ける算段をつけた。日本製のアンプでありながら、日本ではなかなか聞けないヘッドホンアンプModel394を聴かせてもらう。

ホテルのルームライトというものは、なぜか黄色味がかった柔らかい間接照明が多い。なにか夜のスイートで安らいだムードを醸し出そうとしているのかもしれない。だが、まるで自らの存在感を自ら消し去ろうとしているかのようなModel394 ヘッドホンアンプにとっては、そんなライトアップも無意味なことだ。
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これは簡素なデザインのアンプである。全く普通の板金加工のように見える筐体。フロントパネルにはSTAX用とステレオミニを除く、全てのヘッドホン端子を受け入れるジャックとゲイン切り替え、人目を避けるかのように控え目なボリュウムノブ、LEDのついた普通の電源スイッチ、小さなゲイン切り替えとインプットセレクターのトグルスイッチがあるだけである。リアにはXLRとRCAの端子、ACインレットがあるのみ。なんだか恐ろしくシンプルで無愛想なモノである。こういう外観に好き嫌いなど言えるだろうか。この形は、ほとんどの美的な感覚とは無縁だ。アノニマスデザイン?

強いて言うところがあるとすれば、このアンプのフットは変わっている。厚いテープのようなものを底面の左右に貼ってあるだけである。このテープ状の足にはフロントパネルの下縁が設置面にぎりぎり接触しないほどの厚みが与えられるのみ。したがって、このアンプは重心が低い。テーブルにベタッと置かれている感じである。

アンプの中身はデュアルの電源とフルバランス回路が一枚の基板に集約されている。マス工房のアンプらしく電源部と回路部が別々の金属製ハウジングで覆われている。こういうハウジングはヘッドホンアンプではマス工房が初めてやったものではないか。ノイズの飛び込みを防ぐ手段であろうが、これがあれば、外部からのノイズの飛び込みだけでなく、内部からの飛び込みも防ぐことができるだろう。厚い金属製のシールドのような筐体でなくとも、効率的にノイズを跳ね返せるということだ。なお、ボリュウムは、これもマス工房さんらしく東京光音電波製の4連コンダクティブ プラスチックフェーダーである。

全体としては、内部はともかく外見について、とやかくは言いにくいアンプだ。余計な観察は程々にしよう。バスローブに着替えてリラックスしてから、システムを注意深く結線する。おもむろにHD800をかぶり、ボリュウムノブを捻ってみる。(この時、いつも一緒に自分の首もわずかに捻ってしまうのはクセなのだ。)

とても純粋な音が聞こえる。

HD800から聞こえるのは、DACから有りのままに伝わる音だけだ。
この音は、私の頭の奥深くで意味を与えられて初めて音楽となる。
このアンプは機材が勝手に“音楽する”ことを避ける立場で造られている。
「人だけが音楽を聞くことができる」という言葉が思い浮かぶアンプだ。

外観と同じく、なんともシンプルなサウンドだ。上流から来るアナログ信号をなんの色付けもせず聞かせることに使命感を持っている。全く真面目な音であり、ここまでフラットを極めた音を並大抵のノウハウでは成し遂げることは出来ぬ。
SN感は非常に高いものがあるにも関わらず、またダイナミックレンジが広く、定位抜群にして、カールツァイスの新型レンズOTUS 50mmF1.4を想起させるほどの見事な解像感を持つサウンドであるにも関わらず、その凄さを感じさせるのを巧妙に避ける。そういう高性能感を主張するのを厭う気質がこのアンプには感じられる。HD800をほとんど手玉に取れるほどの確かなドライブパワー、電源の充実があるのに、それを誇示するのを嫌がる。淡々と、あくまで淡々と仕事をこなしてゆく、それだけのヘッドホンアンプであることに、無上の喜びを感じているようだ。

いくら注意深く聞き回してみても、欠点らしい欠点を聞かせず、特徴らしい特徴を感じさせない。これはG ride audioのGEM-1の出音の対極にあるサウンドである。あのアンプの音は大分“盛られた”音であった。その盛り方が見事であるがゆえに私はノックアウトされたわけだが、Model394は逆の意味で衝撃を受ける音であろう。こういう素通し系の音としてOji specialのバランスアンプがあるが、あちらには音の純度の高さから来る凄みのようなものが付加されており、Oji独特の音の風合い、いわば高性能感のようなものを感じることがある。またSPLのPhonitor(Phonitor2は未聴)やJR SoundのHPA-203のような明快な音の輪郭線と定位を前面に押し出した、一般的なプロオーディオ系モニターサウンドとも一味違う。もっと音像のアウトラインは変幻自在で、むしろ素人の耳を疲れさせるような要素は皆無に近い。単なるプロオーディオ用のアンプから脱却した、さらに練り上げられた音質を楽しませるモノに仕上げられている。確かにPhonitorや HPA-203のサウンドは音が硬すぎるという人もいるが、プロオーディオの世界に話を限れば、それがアンプの長所たりえるはず。しかし、Model394については、その立場を超え、そもそも音の硬軟云々を言うことが無意味な場所に達している。
当然、こうなると使う音楽のソースは選ばぬ。そして、使い古された常套句だが、上流の機材の音質の高低、楽曲の音作りの仕組み、そして録音のミスをも正直にさらけ出してしまう。それは長所であり欠点でもある。
例えば、社会の倫理において、正直は褒められるべき人間の資質とされるが、実際の人間関係にあっては、時に深刻な対立に発展する。例えば女性に愛想を尽かされた友人が、自分の欠点はなんなのか教えてくれと言ったとき、それを正直に全て詳細に語り尽くすのは果たしてよいことだろうか?まだ乾きもしない心の傷に、塩を塗るようなマネはやめた方が身のためだ。
つまり、プロオーディオ機材において、この正直さは真に褒めるべきだろうが、一般人がリスニング用としてこれを使うのは辛い部分もあるということだ。この音は正直過ぎ、場合によっては辛辣ですらある。音の輪郭のキツさ云々以前に、この正直さ、演出の少なさはキツいと思えるアンプがModel394だ。これこそが最も進んだヘッドホンモニタリングの世界なのか。何もかも見えてしまう、なにもかもそのまま素通しで聞こえてしまうことに耐えることをリスナーに要求する音である。
やはり、このヘッドホン界随一の正直者を自分の手元に置くオーナーの心には、なにがしかの余裕があるべきだろう。録音、そして再生に潜在する、普段のリラックスしたリスニングでは見過ごされがちな、細かな音の不備にオーナーは寛容であるべきだ。さもなければ、重箱の隅を突くように、サウンドの瑕疵を見つけだすことに快感を覚える者であるべきだろう。

Model394を聞くのは、これが三回目である。
ただし、一人でゆっくり聞くのは初めてだし、dcsのようなハイエンドDACを上流に据えて試聴するのも初めてだ。そして、このアンプのイメージがまとまって聞こえてきたのも初めてなのである。
それにしても、このシステムに組み込んで聞くModel394、もともと無色透明で非情なアンプだとは思っていたが、送り出しのDebussy DACの正確で無個性なサウンドともあいまって、過去最高と言い放ちたいほどにフラットで客観的な出音に聞こえる。
詩的でなく、私的な言い方が許されるなら、このシステムのサウンドは透明というよりはもう無に近いかもしれぬ。

俺が今置かれている退屈と寂寥がそんな無責任な言葉を弾けさせるのかもしれない。

このホテルの整えられたスイートに一人。毎年同じホテルの同じスイートを取り、数日の間、一人でそこに籠る。俺はこうして毎年、修行僧のように無言で淡々と用事をこなしてきた。今となっては、それはまるで一人でやる、なにかの儀式のように思えてくる。毎年巡ってくる孤独の洗礼。今年もそれを甘んじて受けようというのだ。
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ここで、いつものようにBach: Art of the Fugue / Keller Quartet(ECM)を聞く。汲み尽くせない暗示の含まれた音が、複雑な幾何学模様をモザイクした壁画のように連なって、ゆっくりと私の頭の中を通り過ぎてゆく。ここでは4丁の弦楽器の弾き手たちの生み出す抑揚は、他のヘッドホンアンプが表現するよりも、明らかに冷静であり、その出音は特定の音調を持たぬものだ。それがゆえに、むしろ多様で自由、かつ中立的な表現となる。この音に秘められているはずの暗喩を解釈するのは、演奏者や録音者の手腕ではなく我が脳髄に任された仕事であり、システムは音をただ正確に再生し伝達することのみに専念する。システムが唯一主張する言葉が有るとすれば「音に感傷はなく、あるのは正しく音波のみ」か。このサウンドは俺に静かに問う。バッハがこの音楽に実は何の意味も持たせておらず、全てはお前の後付けの空想ではないのか?否、その考え自体もまたお前の孤独な空想か?ハハッ、なんてことだ!全ては孤独の生み出す幻だと言うのかい。

それにしてもつくづく、ヘッドホンオーディオとは孤独な趣味だな。そもそも、オーディオという嗜好が孤独なものだし、どのような方向性でやろうとしても、結局は一人で突き詰めてゆく傾向が強い趣味だ。当たり前のことだが、オーディオに正解は無い。最終的には個人の耳の基準で正しさを見極めるのみである。特にヘッドホンの世界はその傾向が強い。スピーカーと違って、一つのヘッドホンを同時に二人で聞くことは無理だからな。客観的に見たヘッドホンオーディオ界の現状といえば、個人個人が自分の殻に引き籠り、自分の好きな音楽を自分一人で聞いて感動している状態だ。そして、時々、その殻に開けられた小さな穴からあたりを見回して、感心し、あるいは嫉妬している状態だ。

結局、オーディオの真髄を知るには、様々なシステムの音を聞いたうえで、その過程で磨かれた自分の直感を信じるしかない。ごく僅かなオーディオファイルだけが、そういう孤独を受け入れることができる。そして、残りの大多数は計測機器の示す数値や店員さんのアドバイス、オフ会で言われた意見やオーディオ雑誌の評論やブロガーの感想に客観性を求めるが、それは他ならぬ“迷い”である。自分を信じ、目の前のシステムの音を信じることできれば、オーディオにおける時間とカネの浪費のスパイラルから解放されるはずだ。

俺はこうしてModel394を通して音を聞いている。
俺の頭の中では、俺の置かれた状況としての孤独と、
ヘッドホンシステムが奏でる音のイメージとしての無の世界が、
冷たい化学反応を起こしている。その触媒が音楽なのだ。
この錬金術が生み出した予期せぬ感傷に私は浸る。
それは結局、自分の身に起こることは、
自分自身で始末をつけなければならないという世界の法則、
その救いようのない寂しさに通じてゆく深情らしい。
それはまるで頭の奥底へ通じてゆく暗い廊下(corridor)のようだ。
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広々としているが、どこか硬さを感じていたたまれない
キングサイズのベッドの上にあおむけになって、
毎年見ている、見知らぬ天井を眺めながら、俺は音楽に耳を傾ける。
ブルックナーの8番、チェリビダッケのリスボンライブとは懐かしい。
眠りの無意識に堕ちるまで、もうしばらくの時間があるはず。
残るひとときの間、暗い廊下で無との一人遊びに興じるとするか。

# by pansakuu | 2014-06-08 14:35 | オーディオ機器

NewOpto KH-01Pの私的インプレッション: ミレニアムの青


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「ザクとは違うのだよ、ザクとは」
ランバ ラル



Introduction

例の如く、ヘッドホン祭りに出向いて気がついたことがある。
最近はヘッドホン、イヤホン界というものが、ポータブルの機材中心に回り始めているらしいということである。今回はカスタムイヤホン、DAP、ポータブルヘッドホンアンプ(ポタアン)で新たな野心的な製品をいくつも見ることができた。それに対して据え置きの機材、高級ヘッドホンにも新製品の発表があったが、それらの人気も実力もポータブル関係の機材に比して今一つのように見えた。特に30万円以上の高額な製品への関心や開発が、日本ではやや薄らいできているようだ。確かに日本では、ここ数年で発売された高額な製品に失望させられたという声を聞くことが多かった。このネガティブな意見は、GEM-1やEdition5、Agaraなどの高額機の低評価と無関心の反映だろう。私の不満を具体的に言えば、ハイエンドオーディオメーカーとしての名声を確立したメーカーが本気で取り組んだヘッドホンアンプが未だになかなか出てこないということだ。頑張っているのはガレージメーカーばかりであり、彼らの開発はもう限界に近づいている。もっと高度な物量投入型のヘッドホンアンプが必要だと感じる。JeffのCriterionのような静けさとOCTAVEのJubilee Preのような躍動を併せ持つヘッドホンアンプが欲しい。GoldmundのTelos headphone amp、Crayon CHA-1あたりはどうだろう。期待せずに待つ。

つまり中野の会場に詣でて、皆の熱気の向いている方向を追っていくと、この熱風はポータブルの方角へ吹いているように感じたというわけだ。とにかくポータブルオーディオの分野が、スピーカーを使うハイエンドオーディオに比べて盛況であって、未来があることは間違いない。
だが、この界隈がアゲアゲ気分であると言っても、日本製品に常に分があるなんてことは全然ない。それは過去の栄光に過ぎない。特にDAPでは日本勢は明らかに劣勢。隣国製のAK240はもちろんCalyx Mも音が良かった。これらに比して日本代表であるZX1はどうにも中途半端な音質だ。まるで一世代前の機材のようにさえ見えた。また、イヤホンも日本製以外に素晴らしい製品がいくつもあった。だがポータブルアンプについてだけは、この分野のハイエンドは日本の製品ではないかという想いを強くした。例えばWAGNUS Bialbero Epsilon Sは、外観の酷さはともかく、私が今まで聞いた国内外のポタアンの中では最高の音質を誇るポータブルアンプのひとつだと思っている。
そして今回の祭りでは、このアンプとは全く傾向を異にするものの、デザインも作りも音質も素晴らしい、もう一つの日本製のアンプを発見した。
それはKH-01Pというコードネームが与えられた、NewOptoの先鋭的なポータブルアンプである。


Exterior and feeling
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ブルーとシルバーのツートンカラーが目を惹く小さな箱である。このカラーリングは目が醒めるほど鮮やかで、ハイセンスだ。
この輝かしい青色は、世界中のオーディオ機材を見回しても、このNewOpto以外ではあまり見ない色だ。ドイツのAcoustic planのアンプで似たような色を使っていたぐらいだろうか。ポタアンで似たようなメタリックブルーのものがあるが、色合いが違うようだ。大変に印象的なカラーリングである。
私には青い機械というものに、なにか特別な思い入れがある。物語に登場するメカを思い起こしても、まずはグフ、そしてケンプファー、ヴァーダント、ストライクドッグ、イ401など 私にとってはどれも忘れがたいものばかり。メカではないが、my favorite Ultra manであるウルトラマン ヒカリもこのアンプのイメージそのものだ。私はこのカラーに弱いのかもしれない。
もちろんニューオプトさんのことなので、このブルーはカラーバリエーションのひとつに過ぎないかもしれず、
この色にこだわるのも変な話なのだが。

KH-01Pのフロントパネルとリアパネルは私の知るポタアンの中で最も厚い。フロントの四隅を留めるステンレスのネジはほぼ隠れてしまうほどだ。ほとんどのポタアンでは、ここで4つのネジの頭が出っ張ってしまい、荒っぽい作りと思わせてしまうが、このアンプは違うのだ。

ローレット加工されたボリュウムノブもフロントパネルの厚みの中に半ば隠れていて、不必要に突出していない。私個人は多くのポタアンのダイヤルは突出し過ぎで美しくないと思っていたので、この部分も好きだ。ボリュウムノブ含めて全体に控え目だが粗さのない造形になっていて、他機との差別化になっている。
またボリュウムの周りには、よく目立つ白いドットで目盛りがふられている。目でいつも使うボリュウム位置を確認することが多いので有り難い。ボリュウムは操作に困難は何もない。私の試聴中はギャングエラーもなく、滑らかに無段階の音量調整が出来ていた。

一方でステレオミニプラグのOUTとINが厚いフロントパネルの穴の底にあるというのは多少問題だろう。L型のプラグだとアダプターでも噛まさないかぎりは入らない。だが、私はこれでいい。ジャックがそのまま露出しているよりはマシのような気がする。ジャックの穴が、わざとパネルから少し盛り上がった場所に開いているタイプのポタアンさえある。実用にはいいのかもしれないが、あれはどうも美しくない。
実売される製品ではパネルの穴を下側に大きく拡張していて、L型のプラグでも入るようになった。

増幅度・ゲインはフロントパネル左の緑色LEDの付いたスイッチで変えられる。(6dB/15.6dB)この機能はヘッドホン、イヤホンをつなぐどのような機材にも必須のものだと思う。GEM-1やHPA-203ではこれがなくて困る。これがないばかりにポテンシャルを発揮できない機材が少なくないと思う。

ボディの上下面はヘアライン仕上げのメタリックシルバーであり、上面の隅にNewOptoロゴが小さく入る。サイドパネルはフロントから続いてブルーである。MH audioのHA-11のようなアルミの削り出しの部品を最小点数で使って箱を造るのではなく、6面を別々の部品でキッチリと組んで筐体の形成している。HM-11のようにスタックしやすいようにバンドがついていたりはしないが、デザインとしてはこちらの方がスッキリしていて好きだ。

リアパネルには左右に1本づつネジがあり、それらを回して引くと4本の単三電池用のボックスが載った基板がスムーズに現れる。KH-01Pの電源はここに入る4つの電池である。
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実際、こうして市販の電池を使うポタアンが多数あるが、これは単純に良い電源とは言い難い。例えば四角い9V電池を二本使うタイプは使い勝手の点で、あまり嬉しくない。まずポタアンというのは使う電池のメーカーやモデルごとに出音が異なるものであり、いろいろ試して、自分に合う電池を探したい。しかし、四角い9V電池は種類が少なく、そういう試行錯誤が十分にできない。また、単三電池に比べれば、売っている場所が少なく、やや入手しづらい。さらに充電式のものがほぼ無いから、買ってきて、使い切ったら捨てるだけである。KH-01PではEVOLTAのような循環寿命の長い充電式電池をとりあえず使えるのが便利だし、様々なメーカーの電池で音質変化を楽しめる。

そういえば、単三電池を使うアンプについては、2本使いが多い気がする。例外的にKH-01Pでは4本も使っている。低電圧高精度オペアンプを余裕ある電源で動かそうということなのだろうか。中身の詳細はほとんど公開されていないので、その意図は分からない。なお、このアンプでは発熱はほとんどない。

ところで、自分で電池交換ができない電池、つまり電池のディスコンによってバッテリー交換が出来なくなる可能性のある、内蔵の専用充電式バッテリーという形式を私は好まない。その方式はポータブル機材ではよく使われる手法ではあるが、私は嫌いだ。将来、機材が使えなくなる可能性がある。何を隠そう、私の好きなHugoもその一つ。これは、あの素敵なDACの数少ない欠点であろう。その点、KH-01Pの市販の単三電池を電源とする方法には安心して長期の使用が期待できるというメリットがある。

以上の外観は、ほぼ最終形態とのことだが、フロントパネルの角については削るかもしれないとのこと。このままでも十分に美しい機材だが、設計者の方が思い描く完全な姿も見てみたい気もする。


The sound 

繊細かつ洗練されたフラットなサウンドである。
多くのアンプと並べて聞くと、何気なく聞き過ごしてしまいそうな普通の音にも聞こえるが、全て聞き終わった後に思い返すと、そういえば、これほど音がキメ細かく、聴き味の良いポタアンはなかったな、という感じで振り向いてしまう。

音のマトリクスの細かさはポタアンでは随一である。これはこのアンプの最大の売りだろう。このアンプを通して聞くと、目の詰んだ織物の文様を拡大鏡を通して間近で見ているような気分になる。音楽というテキスタイルが、どのような色の糸で、どういう風に織り上げられているものなのか。そんな音の細部へどんどん入り込めるような聞き方がしやすいポタアンだ。このアンプは生真面目と言いたくなるほどに音のテクスチャーを正直に描写していく。こういうサウンドが生み出す、音楽のリアリティは現代スピーカーによるハイエンドオーディオにも通じるところであり、凡百のポタアンではなかなか味わえないものではないか。

この優れた解像度感は、研ぎ澄まされたハイスピードな応答性と高いS/Nが成せる技だろう。背景のノイズは低く抑えられ、音の立ち上がり、立ち下りは異例なほど素早い音。これらの部分でKH-01Pはポタアンとしてはトップだろう。
そもそもポタアンというものは電池駆動でありながらも、殊更に背景の静けさを感じるものは少ないのに、このアンプは頑張っている。もう一歩の静けさがあれば、優秀な据え置きのヘッドホンアンプのS/Nにさえ届くかもしれない。

人工の音、すなわちシンセサイザーやPCが作り出した音をそれらしく聞かせることは、多くのポタアンが得意とするところであり、このアンプもその点では特別に優れたものだ。一方でアコースティック楽器の音の質感を付帯音の少ない自然な風合いで聞かせることは、高性能なイヤホンを使っても、これらのポタアンではなかなか難しい。だが、このアンプならそれができるはずだ。このスピード感とノイズの少なさが、ポタアンに期待しにくい、足し引きの少ない自然な音を耳に届けてくれるだろう。

一方、ここでは音のエッジは明確に立っているので、ボーカルの滑舌がいい。アニソンの早口ボーカルをリスナーの耳の奥にしっかり届ける。私の耳では、サ行の刺さりもなくてボーカルの聴き味がとても良かった。嫌味のない高解像度で音楽をサラリと聞かせて、後に引かないというわけだ。特にサ行の刺さりを、感じる・感じないは個人の聴感の差があり聞いてみなければ分からない。もちろん、この話題に触れる時、私と貴方の聴覚は同じでないということは念頭に置くべきだろう。だが、私の個人的な印象・経験では、このアンプでサ行がダメな人は、聞けるアンプは限られてくるだろうと思う。

全体として概ねフラットな帯域バランスであるが、高域の伸びやかさが印象に残るかもしれない。これはNewOptoの機材に共通して感じられる音の特徴だろう。
この高域はポタアンとしては十分過ぎるほどの伸びがあり華やかさも感じられる。美音調の高域ではなく、このアンプの特性の優秀さが高域の聴感の良さとして素直に表れているようだ。中域は透明感があり軽く、KH-07Nのような密度感はあまり感じられない。こういう高域よりも控えめな中域の印象が、帯域全体としてフラットな音調を試聴者に印象づけるのかもしれない。低域はポタアンの限界なのか、十二分に伸びている低音ではない。量感も少なめだ。しかし良く弾むうえ、見通しが良い。私はポタアンを聞くときにスピーカーオーディオで言う低域の量感はない方が聞きやすいと思っているので、これでちょうどいい。

音の触感は、ポタアンとしては驚くほど緻密だが、やや乾いている。この音触は、やや低めの温度感とあいまって清涼な雰囲気を醸し出す。こういう解像度の高さが目立つ音調にはこれくらいの温度感が似合う。あまり暖かい湿った音だとどこかナマったような緩い音になりやすいからだ。

とはいえ、こうして特徴をテキトーに羅列していると、ただの高性能なだけの素っ気ないポタアンではないかと思われるのが悔しい。このアンプはおそらく音の洗練度の高さ、過不足ないバランスの良さという点で、NewOptoの製品中、最も粋なアンプなのだから。同社4機目のアンプとなり、設計者の方も音作りに慣れ、設計手法が確立され、音が定まってきたためと私は見ている。KH-01PはこれまでNewOptoがつちかってきた音の良さをさりげなく凝縮した逸品アンプなのである。

KH-01Pに近いアンプ、これまた日本製の、MH audioのHA-11もリリース時から注目していたのだがKH-01Pは音質でこのアンプのやや上を行くと思う。解像度やスピード感で勝る。KH-01P はHA-11の音質という意味では上位モデルのようなイメージを私は持っている。価格の上でも妥当な評価だろう。むしろ音質そのものよりも多機能であることがHA-11の売りと考える。Epsilon Sとは音の傾向が違い過ぎるので比較しがたいが、その実力のレベルでは同等だろうし、外観の美しさではKH-01Pが圧倒する。もちろん、優れた据え置きのヘッドホンアンプと比べると明らかに小ぶりな音ではあり、過度の期待はすべきでない。だが、ポータブルに範囲を絞って、他のアンプをいろいろと回想すると、個人的に、このアンプを超えるポタアンはなかなか思いつかない。

祭りに出品されたアンプの内部は完成したもので、変更はないとの話だったので、実際に販売される製品もこの音質で聞けるだろう。ただし、今回は数万円の比較的安価なDAPと小さなヘッドホンで試聴していたので、もっと高性能なDAP、イヤホンやヘッドホンを使って潜在能力を引き出したくなった。しかし、貧弱な機材を組み合わせてもKH-01Pの音の素性の良さは十分に伝わってきた。

音質だけでなく外観も含め、本当にこのアンプが気に入ってしまった。そういうわけで、使うアテがそれほどあるわけでもないのに、HA-11からのグレードアップということで予約購入しそうになっている。


Summary

祭りの会場で、製品を実際に設計した本人と話すのは面白い。話しながら、その人の風貌を観察したり、音楽の好みを訊く、あるいはその人の人生のプロフィールを探ることも一つの愉しみである。
そうして見ていくと、まず、ヘッドホンアンプを設計し、製造する人々に平成生まれの方が、まだ少ないと感じる。一度は、大会社に勤めた経験がおありのような、私よりも年上の方も多い。特に私の気になるような、ハイエンドな機材を造る技術者は、50代から60代の方が圧倒的に多いらしい。彼らは若い頃に、レコードやCDに収められた音楽をスピーカーで聞く、あるいは生演奏を聞くことで音楽に親しんで来て、その流れの中で、ヘッドホンというものにも取り組むようになった人々である。つまり、もともとヘッドホン・イヤホン、あるいはデジタルファイルから音楽に入った層ではない。基本的にレコードやCD、スピーカーや生演奏で聴感の基本が養われている。また、音楽ソースもクラシックやロック、JAZZが中心であり、アニソンは専門外という方ばかりである。

そういう耳でつくったアンプももちろん良いのだが、もっと別の新しい感性で造られたアンプの音を聞いてみたいと、ずっと思っていた。そして数年前にNewOptがKH-07Nを発表したとき、期待していた音はこれだと直感した。音の風合いが違っていた。聞けば他社の技術者さん達とはやや対照的に、NewOptの設計者は若い方で、アニソンを好むらしい。またイヤホンやヘッドホンから、デジタルファイルに記録された音楽を違和感なく聞いてきた世代の方だろうとお見受けする。こういう方が作るアンプからは自然に他と違った音の傾向が生まれてくるかもしれない。

ところで、私がG rideのGEM1を聴き込んでいって分かった事の一つは、突き詰めて考えるとアニソンに合わないアンプもあるということである。逆に言えばアニソンに合うアンプがあるのだ。
KH-01Pを通すことで得られるサウンドは決して太い音ではないし、熱さ、あるいは厚さを感じるものではない。細かくて軽やかな音であり、クールでクリアなハイスピードサウンドだ。これはアニソン全般に良く合う音質だと私は思う。
そういう訳でKH-01Pは、アニソンを愛する人が作った高級なポタアンなのだと私は勝手に考えている。

そんな私の偏見はともかく、実物を短時間ながらハンドリングしてみて、このカラー、作り、操作フィーリング、音質、全てが高度な次元でバランスしているところは高く評価したい。手に取って眺め、音を聞き、電池のアセンブリをスルッと引き出す感触を確かめたりしているとNewOptoらしさというもの、KH-07Nから続くオーディオの閃きが随所に感じられて嬉しい。このKH-01P という作品において、ついにNewOptoというブランドが確立されたことを宣言したくなった。

私は、自分では何回、祭りに参加したか正確にはカウントできていないが、随分前から行っているような気がする。だから「中野に戻ってきた」という今回のヘッドホン祭りの合言葉には懐かしさを呼び起こされる。
いつの祭りでもそうだったのだが、従来からあるイヤホンの音質の枠、ポタアンの音質の枠・・・そういうポータブルの機材が持つ枠、つまり音質的な制約だが、それを超えるサウンド、CHORD HUGOの音のように越境していくサウンドと、祭りの会場で出会えることはほとんどなかった。
それは今回も変わりがなく、その意味で驚くような製品が皆無に近かったのは相変わらずだ。しかし、多くのポータブル機材が熟成されたサウンドを目指し、耳の肥えたユーザーの期待に応えようとしている様が、最近は見て取れる。これは緩やかだが確かな変化だろう。つまり、ポータブルオーディオ機器の分野はレベルが上がって来ている。開発側もユーザー側も上を目指し続けている。実際、機材の価格はどんなに上のものであろうと無理をすれば、誰にでも手が届く範囲にある。そして誰の耳にも、価格アップに見合うような音質アップが実感できることが多くなっている。これは、この分野が熟成してきた事と同時に、まだまだ伸びしろが残っていることの証だろう。外観も音質も使い勝手も、もっと良くなる可能性、ポテンシャルがあり、しかも現時点でも実用として十分に完成度は高いのである。

黎明期は終わったのだ。
2010年代はポータブルデジタルオーディオの黄金時代(ミレニアム)なのかもしれない。
KH-01Pの眩しい青に、私はミレニアムの栄光の片鱗を見るのである。

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# by pansakuu | 2014-05-17 09:11 | オーディオ機器

ラストオーダー



窓の外の若葉について考えてもいいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えてもいいですか?
あなたが死にかけているときに
(bird  「これが私の優しさです」 より)



別れというものは急にやってくるとは限らない。
現に、その別れはゆっくりとやって来た。

彼がヴィンテージジーンズを売る、
あの洒落た店を休んでいたのは知っていたが、
入院しているとは知らなかった。
私は冬の始まり、まだそんなに寒くもなかった夕方に、
彼の病室に見舞いに行った。
すっかりボーズ頭になった彼とRoc Marcianoのニューアルバムの話や
Marc jacobsのジャケットの話をした。
彼は私が時々話すオーディオというものに興味があったらしく、
時々、基本的なことを質問をした。
ハイレゾとかプリアンプとかホーンスピーカーとか、ヘッドホンのリケーブルとか。
私は知っている限りのことを話して、
最後はいつも現物に触れなよ、で締めくくった。
元気な時に彼をオーディオショウなり、秋葉原なりにつれて行けたら良かったのだが、
そのうち、いずれね、と言っているうちに、
彼がベッドから離れられなくなったのはホントに残念だった。

何回か見舞いに行くうちに彼がこう言った。
「もう薬は効かないらしいっスね」
私は季節が深まるように、病状が深くなってゆくのを知っていた。
彼はそれほど痩せてもいなかったが、
腕の動きや表情からは力が失われていくのが分かったからだ。
そうは分かっていたものの、私は、また顔を見に来るよと言っただけだった。
それ以外に、自分できることはなにもないと思っていたからだ。
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その日は雪が降っていた。
ベッドの上で彼はお気に入りのジーンズを履いて胡坐(あぐら)をかいていた。
笑顔だった。
いきなり、
「万策さん、いい音で音楽聞くって、やっぱいいんスかね。」と訊かれた。
「そりゃ、最高だよ」と私は答えたと思う。
「ここでそういう音で聞けないっスかねえ」
彼が持っている音楽を聞くための道具はくたびれたipodと付属のイヤホンだけだった。
私が時々話すギアをさわってみたくなったらしい。
「ああ、そういえば丁度いいのがあるから、明日持ってくるよ、届いたばっかりで箱をあけてもないんだけど。恐らく、音は悪くないはずだよ。」確かそう言ったと思う。
音も聞かずに速攻で注文したが、Hugoの事があって、
箱から出してもいないAK240を私は翌日、彼の個室へ持ち込んだ。
しばらく二人でいろいろさわって、ワイワイやりつつ、音出し。
持参したAKGのイヤホンで音楽を聞いてみた。
彼はいいッスねえ~を連発した。
外は木枯らしよりも、さらに冷たい風が吹きすさんでいたが、
病室の中は長閑(のどか)であった。
AK240が流してくれる音楽がそこにあったからだ。
例のROC MarcianoやNotorious B.I.G.の音楽を
私達は他愛のない雑談をしながら聴いた。
何か救われたような気分だった。
結局その日、私はDAPとイヤホンを持ち帰らなかった。
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そうこうするうち、彼には会えなくなった。
面会謝絶というやつである。
私は彼がAK240とK3003を楽しんでくれているかどうかが、気がかりだった。
時が空しく、しかし、穏やかに流れた。

そして、さらにそうこうするうちに、
私は花粉症になり、
窓の外ではカラスのつがいが街路樹の枝を嘴で折りはじめた。
巣作りのためだ。
やっと春がきたのである。
卵を産み、新しい生命を育て出そうと動き始めたのだ。

そして4月を目前にしたある日、
彼がこの世を去ったという話を私は聞いた。
そこで、自分はもう彼の声を聞くことはできないと知った。
そして、彼とはもう、音楽を聞くことはできないとも悟った。
かくして私はクロゼットを探った。
ずっと前から予定していたことのように。
ほっぽらかされていた真っ黒いエルメスのネクタイと
昔、戯れによく着ていたランバンのダークスーツを出してきて袖を通してみた。
彼とはじめて出会ったころ、
私は、いつもこの黒いスーツを着て、青山や表参道をブラブラしていた。
そして彼はといえば、
擦り切れたジーンズとコルテの靴で根津の界隈を濶歩していた。
まだ二十歳そこそこの彼は遠くから見ても輝いていたっけな。

黒いスーツを纏ったままで、私はつくづくと考える。

人はその人生の最期を知ったとき、なにを望むのだろう。
我々はどこから来て、どこへ行くのか。何年生きるのか。
それらは、無力な一人の人間には、まるきり分からないことなのだが、
そういう旅が終わるらしいと知ったとき、人は何を望んだら良いのだろう。
彼の場合は、その望みのひとつが、いい音で音楽を聞くことだった。

これほど飽きっぽい自分にして、
何故、オーディオという趣味だけは20年以上も続けていられるのか
私自身にも分からない。
今日、つらつらと考えるうちに、
それは実は“分からない”から続けられているのだと悟った。
そう結論した。
オーディオというものの本質は、
私にとっては実に不思議で不可解なものだ。
いままでやってきた幾多の趣味といえば
10年ほど続けて時間と労力と資金を投入すれば、
不思議なものでなくなるものがほとんどだった。
しかし、私にはオーディオが分からない。未だに。
分からないから、分かりたくて続けているらしいのである。
そうだ、彼も私の話だけでは分からなかったので、
分かりたくて私に尋ねたのだろう。
「万策さん、いい音で音楽聞くって、やっぱいいんスか。」
彼の遺した何気ない言葉たちが、私の意識の奥底に沈殿してゆく。

私の“分からない”の中心にあるのは未練である。
まだ自分の知らない音があって、
それを聞いて理解し、愉しむ資格が、
まだ自分にはあるんではないかという未練がある。
そういう絶ちがたい未練がある。
“分からない”の本質はそこにある。

彼には死の淵に立っていた時に、生への未練があったと思う。
そして、一人の人間という以前に、
ひとつの生命体として断ちがたいその未練の一部が、
自分の望むスタイルで好きな音楽を聞きたいという欲求となって、私へと投げかけられた。
私はそれに応えようとしてDAPとイヤホンを持って行った図式になる。
確かに、それは彼の生への未練の一部分でしかなかっただろう。
しかし、彼がオーディオを選んだのは事実である。
今の状況下で許される、最も良い音で音楽を聞きたいという欲求は、
そういう極限状況でも心に浮かび上がってくるものなのだった。
そんなシュチュエーションにあっても、
私という人間は、どうしようもなくオーディオファイルだから、
彼が私の親切を喜ぶのではなく、
純粋にその音の良さを感じて、心を動かされて欲しいと思った。
もしかすると残酷なのかもしれないが、
オーディオは良い音を聞かせるためにあると信ずるからだ。
馴れ合いのためにオーディオはあるのでは無い。

何時の日か、誰にもお迎えが来るらしい。
その日が遠くないと知った時、私もまた彼のように音を、
オーディオを思うのだろうか。思えるのだろうか。
それは今もなお私が滞在している、
この “分からない世界”がいつまで続くのかにかかっている。
この世界の賞味期限についてのダークな興味など、
こういう感傷に浸りきっている時でなければ湧いては来まい。

私の、私に対する別れが、明日やってくるものではないと、
生き残った私は鷹をくくり、
今日もパワーアンプに灯を入れる。
いい音を探しながら、審判の日までの暇つぶしをしているというわけだ。
ネットの上をゆっくりと散歩しながら、
あるいは試聴室で誰かの会話をそれとなく立ち聞きしながら、
そして、自分のリビングで、借りた機材の音を聞きながら、
オーディオの一番高いところから低きに至るまで、
私は目を凝らし、耳を澄ます。
目の前に拡がるオーディオの風景から聞こえてくる言葉は、
頑固な誤解、絶望的な嘲笑、憂さ晴らしの誹謗中傷、
願望が投影された成りすまし、無垢な賞賛、食ってゆくための作り話などなど。
結局、それらの大概は完全な雑音なんだが、
その行間に、あるいは思いがけない一言に
キラリ、キラリと真実の欠片が見え隠れするのを私は逃さないつもりだ。

「万策さん、いい音で音楽聞くって、やっぱいいんスかねえ。」
そりゃ、最高さ。

# by pansakuu | 2014-04-30 22:28 | その他

Le Son LS001, LS002のデザインについて:オーディオのかたちを創る

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もう美しい機械しか愛せない
アンドレ ミルコフ (ロレックス蒐集家)


私はオーディオ機器のデザインというのは、音質と同じくらい重要だと思ってきた。
しかし、広い世界には、それを音質以上に重要だと思っている人達もいるらしい。

これから取り上げるのはLe Sonというスイスのオーディオメーカーの機材。だが、その音質について、ここで詳しく書くつもりはない。その機械のデザインについての観想を書く。

ただし、デザインの美しさに音質の素晴らしさは比例するという法則はLe Sonの機材にピタリと当てはまっていた。それだけは断言しておこう、忘れぬうちに。

なお、ここに載せている、Le Sonを撮影した画像は輸入元様やAVCAT様のHPから拝借したものが多い。いつも有用な情報を頂いている。ここにおいて謝意を述べたい。

さて、私の目の前に置かれたのはStreamer DAC LS001と呼ばれているDAコンバーターとそれに直結されているモノラルパワーアンプLS002。これが今のLe Sonの全てだ。
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LS001はUSB、LAN、SPDIFのデジタル入力を受け付けるDACで、タブレットで操作する、流行りのタイプ。LS002は100Wほどのパワーを持つ小柄だが高級なパワーアンプだ。
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これらはタワー型のパソコンのようにタテに立ててセットされ、倒れないようにアーチ型のバーによってバックパネル側で連結されている。簡素なフロントパネルにはロゴもない。

これらはオーディオ機材のデザインのセオリーから逸脱した機材か?実際は違うのかもしれないが視覚的なデザインが先にあり、音質はその後からついてきているように見えた。

先ず、オーディオ機材は想定される音質、使用環境があり、次にそれに対応したデザインを考えるものだと思う。だが、この機材には先ずデザインがあるようである。

Le Sonのデザインはフリーの時計デザイナー、オーギュスタン ナスバームによるもの。このような畑違いの人選はハイエンドオーディオ機器においては初めてではないか。

Le Sonの機材を見るかぎり、彼がハイエンドオーディオ機材の音質に深い興味を持つようには見えなかった。逆に機材の外観の方に強い関心があるようだ。

もしかすると彼は自分の思うようにデザインさせてくれるなら、どのような機械でも良かったのかもしれない。自分の目指すデザインの品位に見合うものなら。私にはそう見えた。
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Le Sonの機材はその筐体の6面のうちフロントとリアのパネルを除く4面がガラス製。通常、回路基板をマウントすべきボトム、トップパネルに基板を取り付けることができない。
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したがって、内部にアルミニウムのフレームを巡らせ、そこに赤い回路基板や電源部をマウントしている。まるで中空に浮くようにセットされた基板やトランスの姿は斬新である。
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ガラスはブラウンにスモークされている。その下に大きくロゴが記され、赤いフレームが碁盤目に巡らされている。これらは、よく目立ってデザインのアクセントになっている。
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この赤いフレームはスイス国旗の図案を意識したという。機材に整然とした印象と、今まで感じたことのない形の重層感を与えている。さらに、その下にも見慣れない層がある。
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それは紙のように薄い網目状の金属フィルムの層だ。そこから透けて赤い回路基板が見え、赤いLEDが光る。金属のフィルムごしに見えないようで、見える回路。なんと幽玄な!
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単純に4面をガラスにすれば、ノイズの飛び込みを防ぐことはできない。つまりシールドのため、髭剃りのシェーバーの顔に当たる部分の網目、金属製のフィルムを採用した。
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また、この繊細な網目模様の金属フィルムは、最もノイズの飛び込みが問題となるリアパネルにも張り込まれている。結果、Le Sonの機材のリアパネルはとても美しくなった。

グラスマスター、dartzeelのアンプでもガラスごしに中が見えるが、網目ごしということではなかった。デザイナー、オーギュスタン ナスバームの手腕に脱帽である。

とはいえ、このようなややこしいことをせずとも、厚いアルミパネルで筐体を造れば済んだはず。それを承知で、このような構造を取る。並々ならぬ美への野心があるようだ。
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またパワーアンプでは放熱用の静音ファン3基の他、ヒートシンクとして、スポンジのような多孔質のアルミフォームが取り付けられている。これもオーディオでの採用例がない。

これらの類例のない素材、パーツの採用は工学的な必要性もさることながら、外観の美を重視したところが大きいように思われる、このようなオーディオのデザインは稀だ。

なお、以上のような赤い格子を使ったデザイン以外にも特注で任意の模様、任意のカラーに対応するとのことであった。
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立てたスタイルで置くと、実物はタワー型のパソコンと言うより、現代建築の模型のようだった。彫刻的なオブジェだ。こうして一つの建物のようにフリースタンディングでセットするため、専用ベースも用意される。

張り巡らされた赤いフレームは支柱や床だ。この建物は主な面をガラスで覆う一方、金属のブラインドで日差しを遮る。これは現代的な建築のデザインを彷彿とさせるところもある。

ライトアップされた小さな建築は、もはや単なるオーディオ機器ではない。音を出すオブジェだ。これはオーディオであまり例の無い、機械を見ることの快感を与えてくれる。

また、これは高級時計を眺める快感とよく似た感覚でもある。私は携帯電話を買ってから、時計を腕に巻かなくなったのだが、それまでは時計マニアだったから分かる。

オーディオよりも散財したのは時計だけである。あれは時刻を知るために身に着けるものとしては高価すぎる。あれは腕に乗るほどの大きさの小さな宇宙の精密さを愛でる趣味だ。

時計は一つの完全に独立した小宇宙であり、人間が造り出し、人間に時刻を教えるモノだが、基本的に人間には操ることができない存在だ。その独立性に価値を見出すのである。

清潔で精緻で微細な部品の集合体である自律的な存在、スイスの高級時計はそういうものだが、Le Sonの機材はその雰囲気をそのままハイエンドオーディオに持ち込んだものだ。
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既述のとおり、ナスバームは時計デザイナーで、彼の代表作は宝飾店ハリーウィンストンの2012年の製品、OPUS12である。それは地動説をテーマとするタイムピースだ。

ハリーのOPUSは毎年異なるデザイナーをフューチャーする超高級時計のシリーズで、初回2001年は以前取り上げたFPジュルヌが担当。これは時計界のステータスの一つである。

このOPUS12はレトログレードの5分針、ブルーインデックスの反転による時間表示等、機械式時計技術の粋と遊びの要素を組み合わせた超個性的なからくり時計だ。
http://www.youtube.com/watch?v=de0v6ps2x80
興味があればYou tubeでOPUSシリーズの動きをチェックして頂きたい。例えばOPUS Elevenの挙動などは感動的。ただし、見方を変えればと無意味であり退屈なモノだが。
http://www.youtube.com/watch?v=iDu0V-OtBTQ
私はYou tubeでOPUS12の動きを久しぶりに眺めてみたが、これをデザインした人物がハイエンドDACをデザインするとは。私にとっては聞き捨てならぬ事件である。

見方によっては彼のデザインは時計や建築など、オーディオとは別世界の感性によるハイエンドオーディオに対する挑発ではないかと疑う。私はそこを見逃すべきでないと思う。

なにしろ、見るための、小さくて動きのある時計をデザインしてきた人が、聞くための、大きくて動かぬ家電をデザインするのだから、それなりに思うところはあったはずだ。
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私はLe Sonを眺めながら、オークションの下見会で、ブレゲのグランドコンプリケーションを手にした時のことを思い出した。小さいのにズシリと重たい懐中時計であった。

ああいう複雑時計の持つ過剰なほど多様な機能は、それを使うためだけにあるのではない。そこに内蔵される巧緻な仕掛けの重層を、その重みから類推し楽しむためでもある。

スケルトンウォッチが時間を読むこと以前に装飾品としての意味合いを持つのと同じく、Le Sonの機械には音を聞くこと以上に美しいインテリア、オブジェとしての意味がある。

モノ作りが高度なレベルに達する時、モノはその本来の機能を超え、即物的でない、別な精神的快感を呼び起こすようになる。時にはそれが本来の機能とすり替わることすらある。

Le Sonの音は良い。しかし、音の良い機材は他に幾つもあり、それらを聞いて比べていると、まさに甲乙つけがたいという袋小路に突き当たり、前に進めないことになる。

それではなにも選べない。だが、そこで迷わずLe Sonを選ぶ私がここにいる。それはLe Sonが抜きん出て美しく見えるからだ。音質が高止まりした世界では、そこに選定の鍵がある。

我々に必要なものはなんだろう。もう音質という面で、これ以上を望む必要が何処にある?しかし、メカニカルビューティにおいて、オーディオ機材に満腹できたことはまだ少ない。

確実な例外はLINN SONDEK CD12あたりか。だがLe Sonには、あのプレーヤーに匹敵する、鋭く高貴な美しさが強く強く匂う。これは現代オーディオの機械美の頂点だ。

再び、問おう。我々に必要なものはなんだろう?なぜオーディオにこれほどの散財を許せるのか。あれっぽっちの音の違いのためだけに数百万円を支払うのは愚かではないか?

Le Sonは答える。オーディオにおける美とは、音質のみにあらず、機材の姿形にも音に関するのと同等以上の責任があると。私の喉の奥まで出かかっていた答えを彼らは体現した。

JBL,Tannoy,Sonu faber,Vividのスピーカー。NAGRAのレコーダー。Soulution、Devialet、Dan’dagostino、Halcroのアンプ。ORACLE、Berklayのトランスポート。

そして、そのリストにEMT,Thorens,Brinkmannのターンテーブルも加えよう。こうしてハイエンドオーディオの世界では様々な形の機械美が提案されてきた。絶えることなく。

つまり、機材の美しさのために大枚をはたくことが、今日まで皆無だったのではない。むしろ、積極的に我々はオーディオの機械美を愛でてきた節さえある。それを私は忘れない。

しかし現在、デジタルファイルオーディオに関心を持つ我々は、機械美という視点を忘れがちかもしれない。それは利便性とコストパフォーマンスを第一とするオーディオだからだ。

デジタルファイルオーディオだけでなく、オーディオ一般でも外見の美しさは重視されぬきらいがあるようだ。そういう味気ないオーディオに呆けた私達の前に見知らぬ美が降り立った。

この新たな機械美は、我々になにか重要な事を思い出させるため、この世界にやって来たのかも知れない。私はその意味を噛み締めながら、Le Sonの姿を今日も見つめ続けている。

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# by pansakuu | 2014-04-26 23:58 | オーディオ機器

Acoustical systems AXIOM トーンアームの私的インプレッション:その武器を取れ

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地獄の沙汰も金次第
広辞苑より


Introduction

デジタルオーディオの世界もさることながら、
古い歴史を持つアナログオーディオという分野にも、
今なお絶え間ない進化が続いているのは嬉しいことだ。
確かにレコードそのものの使い勝手については、
なんとも昔ながらであり、発展がない。
しかし、ことアナログの音質については、
スーパーハイエンドの領域に限られるきらいはあれど、
現在進行形で着実に前へ先へと進んでいると思う。

アナログの進化の先端がどこにあるのか。
私はずっと目を離さないで見張っているのだが、
その両眼を釘付けにされるようなアナログ関連機材が最近、出てきた。
それは2013年にミュンヘンのショウで発表された高価なトーンアームである。
これを開発したドイツのAcoustical systemsのエンジニア、
ディートリッヒ・ブラックメイヤーは、このアームをAXIOMと名付けた。
公理、自明の理、原理を指す名である。
その写真を初めて見たとき、私はその複雑で重厚な姿に強く惹かれた。
結局、自分にとって大事な機材というのは、音以前にまず外観で直感するものらしい。
AXIOM。AXIOM。AXIOM。
一度でいいから実物に接してみたくなったものの、
恐ろしい程に高価でマイナーなアイテムだけに、
果たして上手くランデブーできるのか、自信がなかった。

そう、ここにこうして何か書いているのだから、
お察しのとおり、私の淡い望みは叶ったのである。
そして、その試聴の席で、私はその法外な価格の意味を知り、
その姿と音の存在感の大きさも知った。
レコード再生のための新たなる武器がそこにはあった。


Exterior and feeling

大きなトーンアームである。まずは、この視覚的な押し出しに面食らう。いままで実際に見たり聞いたりしたアームの中ではトップクラスのサイズである。今回、私が聞いた個体は全体が美しいロジウムシルバーの梨地仕上げであり、アーム部の長さも、軸受けブロックのボリュウムもよく見る普通のアームたちより長く、大きい。造りも全体にガッチリした印象で壊れやすそうな弱々しさがない。規格上はロングアームに分類されるべき12インチアームだが、回転支点を取り付け位置の中心からズラすことで通常の10インチアームとほぼ同じく扱えるようになっている。つまりロングアームを受け付けない多くのターンテーブルにも取り付け可能である。ただし重量はあるので、オラクルなどフローティング方式のターンテーブルに載せるにはムリがある。
また、その姿以外にも、複雑多岐な調整システムや独自のタンゲンシャルカーヴ(盤面をトーンアームが移動する軌跡)、カートリッジやフォノケーブルとの接続などにおいて多くの特徴を備えるトーンアームでもある。それら全てを詳しく記すのは面倒なので、要所だけをメモしておきたい。
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まず、このアームのセッティングであるが、そのための特製治具が付属している。この器具はスマートラクターと名付けられて単売もされている。これは目盛りの彫り込まれた半円形の鏡と拡大鏡、アルミ製の物差しに小さなアクリルの円盤を組み合わせた奇妙な道具である。このアームの売りのひとつは多くのアームで避けることの難しい、最内周での音質劣化を大幅に改善したというオリジナルのタンゲンシャルカーヴ(UNI-DIN)を使えることであるが、この治具を使用すれば、このカーヴに比較的簡単にセットできてしまう。つまり、これをターンテーブルの軸にはめこみ、マニュアルを読みながらセッテイングしてゆけば、アーム、カートリッジ、プラッターの諸々の中心軸や面が自然と正しい位置関係に収まることになる。実際、これはなかなか繊細な作業だが、スマートラクターがあるお蔭で不可能と感じるほどの困難はない。私はその過程を辿る中で、このアームのいくつかあるウェイトや調整ネジを指で触れ、なんと精密!と感心したり、ここまでやる必要があんのか?と呆れてしまったり、とてもエキサイティングであった。音を聞く前に、この調整過程を経るだけで、このアームを開発したエンジニア、ディートリッヒ・ブラックメイヤーの凄まじいこだわりが伝わってきた。
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例えば、針圧の印加はハイブリット式である。すなわち、通常のウェイトによるスタティックバランスと磁石によるダイナミックバランスを組み合わせている。大概のアームはどちらか片方を取るに過ぎない。このアームの針圧の印加で磁石の反発を利用したダイナミックバランスの部分はレコード演奏中に音を聞きながら連続的に変化させられる。
スタティックバランスの部分については、担当するウェイトはメインウェイトの他、ラテラル、サブと3種類あり、サブウェイトについては真鍮、タングステン、ステンレスと比重の異なる金属製のものが同じ大きさで用意されている。こうすることで、あらゆるカートリッジに対して、ウエィトのマスを増加させることなく適切にバランスを取ることができる。

このアームの回転支持機構は簡単に言えば、基本となる軸を設定し、それを中心にアームの基部を必要な角度だけ自由回転させる機構、ジンバルサポートと言われるシステムである。これ自体は望遠鏡の雲台やドリンクホルダー等に用いられるもので、特別なものではない。ただしAXIOMでは摩擦係数が極めて小さい特殊なベアリングを組み込んだ、精巧な仕掛けとなる。さらに、ここで使われるベアリングは、共振を防ぐため、わざとサイズの違うものを対にするという念の入れようだ。なお、この小さなベアリング、開発者によれば、これがあったからこそAXIOMが作れたと言うほどのキーデバイスらしい。この仕組みは軸受けブロックにある二本の筒型の構造のうち、丈の低い方にコンパクトに納められている。隣の丈の高い筒は高さを調節するエレベーターであり、ここも演奏中に音を聞きながら連続的に変えられる。
デジタルファイルやCDの再生では、演奏をさせながら、送り出しの内部のどこかを連続的に変化させ、好みのセッテイングを探るという行為がほぼできない。アップサンプリングを変えるくらいだろうか。ドライブメカには手がつけられない。レコード再生においては一部のものがそのような要求に応えられる。こういう部分はアナログが面白いと言われる所以の一つかもしれない。

オフセットされたアームのターンテーブルへの取り付け部も、ありきたりではない。ネジで留める場所は中心の一か所だけ。その周りに3個のスパイク付きのネジが配置され、それを調整することで軸受けブロックの土台の角度を変えられる。これでより高精度に水平を出したりできる。こんな機構は見たことがない。

アームパイプは二重構造である。外のパイプはチタン、内側のパイプはカーボンファイバー製だ。こういう異種素材の組み合わせも共振を防ぐためだろう。ちょっと珍しいのは、それらの間にダンピングのための液体を流し込んで封入しているというところ。この液体名は企業秘密とのことだ。なお、このスペシャルなアームパイプの中には高純度銀線のリード線を通している。この線にも自信があるようで、別売りもする。
このアームはストレートではなく、曲がった状態でカートリッジを取り付けるタイプである。普通はパイプ自体をS字に弯曲させることが多い。だが、ここでは別な小さな金属ブロックを取り付けている。このブロックを介することで角度をつけてセットできるようになっている。単純に曲げれば済むものをどうしてこんな仕組みにしているのか?
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実は、この小さな金属ブロック、ユニバーサルタイプのヘッドシェルを受け付けるコネクターである。AXIOMような超高級アームについては、ヘッドシェルが交換可能なユニバーサルタイプは存在しないものと私は思い込んでいた。一般にカートリッジを色々つけかえて楽しめるユニバーサルタイプは便利で面白いが、音質面でやや不利な仕組みとされており、ハイエンドアナログの中ではチープなイメージがあった。例外として、ユニバーサルタイプに近いギミックがグラハムのアームに備えられているくらいだ。それはアームパイプごとスポッと換えられるというもの。だがAXIOMはごく普通のユニバーサルタイプ、標準のヘッドシェル交換式として完結している。そこにまともにアプローチしてきたのだ。AXIOMではあのクラシカルなオルトフォンSPUさえ取り付けて楽しむことができる。
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そのディートリッヒ・ブラックメイヤーが作ってきたユニバーサルヘッドシェルArcheというのがまた大変なモノであった。別売りもされているこのシェルは、他社製のシェルと大きさはそれほど変わらないのだが、幾つもの調整機構を内蔵するのである。(上の写真では別なユニバーサルアームに取り付けている)
オーバーハング、オフセット角、アジマス、針先すくい角、垂直方向のトラッキング角が狭い範囲ながらレンチ一本で変えられる。これは他のシェルでは見たことのない仕組みである。アナログレコード再生においては、このあたりの微妙な調整が高域の音割れなどを防ぐカギとなることがあるので重要だ。普通のアームだと、そこの所は単純にカートリッジの取り付け方やネジのトルクなどで調節するしかないが、AXIOMはそこに光を当てている。痒いところに手が届く感じである。
なお、高級アームでは省略されがちな、指かけがしっかりと付いているところも好感が持てる。これがあるとアームの取扱いが楽になる。ちなみに私の使っているSimplicityには指かけがなくて、掴みどころがないので困っている。
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最後にリード線の出口について見てみよう。ここもまたまた凝っている。リード線はアームの外に出ると一本にまとめられ、その先は台形の小さな箱、コネクションボックスに入ってゆく。この箱からはなんとRCA出力端子とXLR出力端子両方が出ている。つまりこのアームはアダプターを介さなくても、あらゆるフォノの入力に対応できるということになる。例えばBoulderのフォノは1000番台も2000番台もXLRバランス入力しかないし、RCA・XLR両方の入力があるフォノの場合でもどちらかに音質的優位性があることが普通である。しかし、今までこのように出力が選べるコネクションボックスが存在しなかったため、多様なフォノとの接続は常に問題となった。結局、渋々ながら変換アダプターを使うか、フォノイコライザーの入力に合わせて、フォノケーブルを特注せざるをえなかった。これを解決したことは大きい。

こうして、ざっと見て、一通り触れてみると、恐ろしく複雑で精巧なアームである。これはアナログレコード再生を知り尽くした者が自分のワガママを全て通そうとして作り上げた代物だ。いくつかの斬新なアイデアが盛り込まれているし、レコード演奏家が、こうあってくれたらと望む機構を随所に設けている。その素晴らしい音質については後述するが、結論を先に言えばダメを出したくなる部分が価格以外になく、構造も材質もこれ以上は無理と思えるほど凝りに凝っているということだ。時計で言えばパテックのグランドコンプリケーションのような、その分野での究極のモノという風情がある。その発想を実現するため要した試行錯誤の労力と時間、注文を受けて、この込み入ったアームを一本一本組み上げる膨大な手間は想像もできない。その対価として、こういう有り得ないプライスタグなのだ。仕方ない。

なお、私が使っているターレスのSimplicityというアームも独特なトラッキングをする複雑なアームだが、AXIOMに比べてコンパクトであり、調整もあれほど込み入ったものではない。そもそもAXIOMはアームだけで超弩級の迫力がある珍しいアイテムなので、その他のアームはその外観だけでも比較対象にならないような気がする。果たして、このアームを組み込むことで得られる音も比較を絶した風格を有していた。


The sound 

今回の試聴では、聞き慣れたアナログプレイヤー、その音質を知っている200万クラスのフォノイコライザー、30万円台の音の癖の少ないカートリッジを使ってセッテイングされたシステムを使わせていただいた。また比較対象として、ほぼ同等のカートリッジを付けたグラハムのファントムを選んだ。こちらのアームはAXIOMを載せたプレイヤーよりも遥かに高級なAir force ONEというアナログプレイヤーに載せ、フォノイコライザー以降は同一として聞き比べる。プレイヤーの価格差という意味ではAXIOMには、かなりハンデがあるはずなのだが、出音の迫力は負けないどころか、一聴して勝るのが分かった。それは小気味良い体験だった。

天晴れ(あっぱれ)なサウンドである。
中心に一本、芯が通った筋金入りの音だ。キリッと音が立つ。しなやかで明確な輪郭と陰影を備えた音像がスピーカーの前方に押し出され、はっきりと定位する。だが、これほど音像が自分から前に出て来ていても、押せ押せ一辺倒の音ではない。じっくりと腰を据えて音楽を傍観しているような、音の余裕・安定感やスケールの豊かさ、あるいはレコードというメディアの元来持つ器の大きさがベースにあって、ゆったりと身を委ねられる。これは一つの風格である。

また、ここで提示される音像でのディテールの描写は鮮烈でCH precisionなどのスーパーハイエンドデジタルプレーヤーのそれに匹敵する。解像度が高くなり、音数が増えると音の実体感が不足するのがデジタルオーディオの常だが、アナログの場合、むしろ音の実在感は増してくることがある。なるほど、この音は図太い。デジタルファイルオーディオの主流である繊細なサウンドとは一線を画す。しかし、ボヤけたようなところ、緩い部分はまるでない。それではキツい音なのかというと全然違う。聞き味は大変良い。こういう一つの言葉で決め付けられない絶妙さというものはアナログオーディオでしか聞けないものである。

ドイツ人が自慢するだけのことはあり、音溝の思いがけない動きにも難なくついて行く、このアームのトレース能力はやはり素晴らしい。針の位置が最内周に近づいても、なんら危なげのないというより、むしろ積極的に音を良くするようなところがある。試聴したレコードでは常に片面全部をAXIOMにトレースさせたが、レーベルシールギリギリまで溝が刻まれているヴァイナルであっても最後まで盤石かつ感動的な音を聞かせてくれた。

とはいえ、そういうトレースの上手さ以前に、この音像全体の立ち方、細部の現れ方、楽音の変化に追随する能力というのは真に魅了された。同じ装置でいくつかのアームを既に聞いていて、それぞれに良さは感じていたのだが、とりわけAXIOMは特別な存在である。特にAXIOMを使うことで得られる音像の立ち方というのは、これはもうオーディオのイリュージョンとは呼びたくない。現代のハイエンドアームの代表であるグラハムのファントムと比較しても、AXIOMの出せる音の存在感や迫力は圧倒的に優れていた。ファントムの音が薄く大人しく聞こえるとは!細部の聞こえ方もAXIOMの方がより緻密に聞こえた。やはり、このアームはアナログの進化の先端部に位置しているらしい。

トラディショナルな方式で、リニアトラッキングに匹敵するトラッカビリティを実現したこのアームは、私たちに音の細部を余すところなく提示するだけでなく、トレースする音楽の全体像を実物大で浮彫りにしてくれる。こうして全体と細部が等身大で同時に見えるような再生音が、このAXIOMの特徴である。これほどの再生音が眼前に揺るぎなく定位するとなると、そのリアリティは試聴者の心を捉えて離さない。AXIOMを擁するシステムが創り出す磁場のような音響空間の中では、この音が過去の実演の再生、コピーであるという事実は意識から追い出されてしまうようだ。オーディオとはある種の錯覚である、イリュージョンであるという見方は、こうした音楽再生によって打ち破られる。

これらの特徴は他の優れたアームを使った場合にも全く無いものとは思わないが、AXIOMを使った時はよりはっきりと意識される。これはレコードに潜んでいる天賦の音の良さというものが、他のアームを使った時よりも強力に引き出されてきた結果だと思われる。アームの能力によってトラッキングが正確になり、各種のエラーが消滅あるいは相殺され、ピュアな信号が流れている時、アナログレコードはここまでの音が出せるのだと教えられる音である。デジタルではこれほどオーバーオールに実体感がある音は出せないだろう。この音に比べるとあれは蜃気楼のようなものかもしれない。

なお、このアームを使うことでサウンドステージの広がりが一変したり、SNが高くなったり、帯域のプロポーションが変化したりすることはないようである。やはり結局は可能な限り正確に信号のピックアップをしているということに尽きるようで、意図的に音質を良くしたというよりは、他のアームでは拾われていなかった音の要素が十分に表出するから、この快感が得られるのだとブラックメイヤーは言いたいようである。しかし、そういう謙虚な態度にしては、この音が私の官能を刺激する度合いが強いのは気になる。エロス。博愛。毒。憐憫。狂喜、等々。AXIOMが拾い上げる音の光と影は、単なる音楽的な雑念とは片づけられぬ抽象概念を想起させ、私の神経を昂(たか)ぶらせる。この昂ぶりは、音のインパクトに脳が刺激され、触発されて現れたものに違いない。
ふりかえってみると、私の使っているTTT-compact+Simplicityの音はこの興奮には届いていない。あのプレーヤーの音は、もっとクールな出で立ちで現れ、シンプルに終始する。そういうスマートな出音もまた良しとは思うのだが、AXIOMの喚起するイマジネーションもまた、私には必要なのだ。

こうして現代最高レベルと思われるアナログオーディオに親しんでいると、人間に力を与えてくれるのはカネだけじゃねえなと実感する。やはり音楽が必要だ。しかも私達の心に気持ち良く響いて感動させてくれるような音で聞くことが必要なのだ。オーディオというのはそのためにある。そして、そういうオーディオのために、何がしかのカネが必要であることがこの世の悲劇なのだ。地獄の沙汰もなんとやら。この音を聞いていると嬉しくもあり、悲しくもある。

190万という価格については、実物を見て触れ、音を聞く前は、ほとんど冗談だろうと思っていたが、こうして試聴を終えてみると、すっかり得心させられてしまう。このサウンドは、このアームを用いない限り導き出すことは叶わぬもので、自分の望むオーディオの実現のためには必要な武器だ。そう確信できるほど強く説得され、深く納得できた試聴であった。


Summary

確かにAXIOMはただのトーンアームに過ぎない。しかし、今まで見たことも聞いたこともないアームである。このアームが導く音、現代のアナログオーディオの切っ先にあるサウンドは、ハイエンドオーディオにかけられた古くて新しい魔法のように私の心を捉えて離さない。

アナログオーディオは長い過程の中で淘汰され、洗練され、完成の域に近づいていくのだが、今も、そしてこれからも決して完璧なものではないと私は信ずる。それはハイエンドなアナログオーディオに取り組むオーディオファイルたちが、音質への限りない貪欲さを失わないからだ。カネに糸目はつけない。もっと先に、もっと大きな力があるはずだ、それをよこせと、彼らは求める。たとえ一瞬、完璧なものを得たとしても、さらなる完璧さ、あるいは別な完璧さを求めて、飽くことなく彼らは欲する。そして、時には、彼ら自身が手を動かして途方もない逸品を作り出すことさえある。その一人がディートリッヒ・ブラックメイヤーであり、その一例がAXIOMなのである。

それほどの深い欲を満たす、不埒な武器のひとつが、
一本の真新(まあたら)しいトーンアームに過ぎないとは驚きだ。
もちろん、この新たな驚きと可能性を我が物とするには、
それを操るセンスと情熱、そしてカネ、それらがいっぺんに必要となる。
それらの3つの鍵のうちひとつは既に我が手にあり、
もうひとつも、なんとか誤魔化せるだろう。
そして、最後のひとつを自由に使えるようになれば・・・・・。
やがて時が満ち、それを行使する権限を得たなら、
このオーディオの武装をドイツにオーダーすること、
それを私は躊躇(ためら)わないだろう。
何しろ、これは私に必要なArmなのだから。

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# by pansakuu | 2014-04-23 23:19 | オーディオ機器

LUMIN A1で聞くDELA N1Zの私的インプレッション:ゼータの世界


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「何が最善かは分からない。しかし、何ができるかは分かる。」
スター・トレック  イントゥ・ダークネスより



Introduction

高名な数学者ヒルベルトが1900年に第一回の国際数学者会議で提出した、20世紀に解かれるべき23の難問のうち、解かれずに生き残っているものの代表格、それはリーマン予想だろうと思う。ごく簡略に言えば、リーマンゼータ関数の自明でない零点の実部が全て1/2であるという予想だ(と私は思っている)。リーマンによって記載されてから140年以上、解決の糸口すら見いだせぬ、この難問についてこんなところで深入りするなど思いもよらない。ただし、この問題が恐怖を感じるほどに難攻不落であること、部外者には全くチンプンカンプンな問題であること、そして恐らく多くの分野の専門家たちが協力し、新たな視点から解決にあたらないかぎり、決着しないのはもちろん、なんらかの途中成果を得ることさえ極めて困難である事は、現代オーディオの或る問題と共通していると思う。

その問題とは、デジタルファイル再生における最善の音質とはどのようなシステムにおいて得られるのか、ということである。
デジタルファイルを使用するオーディオの形式は、PCとDACをUSB等でつないで音を出すものと、NASとネットワークプレイヤーをネットワークを介してつないで音を出すものに大別されると思うが、それぞれ、かなり多くの要素が絡み合い、複雑な様相を呈している。これらの要素ひとつひとつを吟味し、最善の音質を得られるように巧くセッテイングすることは、大袈裟に言えばリーマン予想を考察しながら解決へ導く無謀さに似ている。そういうわけで、この問いに正しく答えることは、素人の私には煩雑すぎるのはもちろん、この分野に詳しいとされる人々にとっても、遠い将来のことのように見える。つまりハイエンドオーディオとPCの全ての側面を深く総括して見て、効果的に対策できる人が何処にも居ないようなのである。
そういうわけで、私以外の多くのオーディオファイルとパソコンマニアの不断の努力により、デジタルファイル再生の最善の方法、すなわちファイナルアンサーがもっと明確に見えるまで、観客として成り行きを見守ろうというのが私の姿勢である。仮面ライダー鎧武のDJサガラみたいなものだ。

とは言ってみたものの、面白いモノが出てくれば、降りて行って触れたり聞いたりしたくなるものである。DELA N1Zという特殊なNASの実物が目の前に置かれたとき、それを素通りするようなマネはできなかった。ハイエンドなネットワークオーディオに特化したNAS、という触れ込みに随分前から興味をそそられていたのである。そういうわけで今回はN1Zという高価で特殊なNASについて語ってみたい。


Exterior and feeling
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実物は思いのほか小さなものであることに、まず少し驚く。上の写真ではあまりはっきりしないが、実際に隣にSSDでなくHDDを搭載する下位モデルのN1Aを並べると、N1Zはより小型の機器である。下位モデルより上位モデルが小さいというのは、この界隈ではよくあることではない。これはSSDがHDDよりも小さいということ、そして製品の横幅をKLIMAX DSの横幅に合わせたということらしい。(したがってN1Zの横幅は今日聞くLUMINの横幅ともほぼピッタリと一致する。)重ねて置くと意外に見栄えは良い。スタック使用がいいか悪いかは別にして、こういう大きさの揃え方は嬉しい。
ハイエンドオーディオ機器における視覚的なマッチングも、機材を買う時には背中を押してくれる要素だ。今まであったデジタルファイルオーディオ関連機材にはこのような配慮はなかった。それは製品のメーカー自身がハイエンドオーディオに実は関心なく、本当の自分の仕事はPC周辺機器を製作することだと心の底では思い込んでいたせいだろうか。それでは趣味性の高いオーディオ機器は作れないのである。

また筐体の構造にはオーディオ的な配慮がかなりある。まず、筐体の側面や上面を構成するアルミの部材の厚さは、今までのNASには全く期待できなかったレベルのものである。天板、側板の厚さは5mmある。こういう部材をトルク管理されたネジで留めて組むことで、一つの筐体を作っている。中は4室に分かれており、上から見てH型に仕切られている。この仕切り方も筐体構造をより強固にし、各部屋どうしの電気的干渉を避ける工夫らしい。N1Zの場合、筐体を指で弾いたときの反動や音が下位モデルのN1Aよりも明らかにソリッドだ。
N1zでは電源部は2個あるようで、LAN関係に供給するものとUSB/SSDに供給するものを別にしている。この電源はコンデンサーバンクを備え、さらに長期にわたる安定性を考慮した高精度な電圧制御システムを通して供給されるという。いままでNASの電源を自作する人はいたが、このような分離電源を作れた方はいなかったと思う。もちろんファンレスであり、筐体は密閉されている。そもそもSSDを採用し、電源もスイッチング電源であるから、発熱がほとんどない。
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実装されるSSDは、2個で合計約1TBになる。これらはオーディオ用に特別に開発されたものだとされるが、その中身は見ても分からない。聞いてみないとその成果は不明だ。スーパーキャパシターの実装により不意の電源切断にも対応するとの話だが、これもその時になってみないとなんとも言えない。それらの話はともかく、このSSDをマウントするのにサブフレームを設け制振ゴムを介するとは。こういうメカニカルグラウンディングの手法も、かなりオーディオの世界に影響されたものと見る。内蔵されるクロックもハイグレードなものというが、こういう謳い文句のあるNASは経験がない。音に効くのか?

フロントパネルにはPCやタブレットがなくても基本操作を完結するための日本語表示のディスプレイと、いくつかのプッシュボタンがある。このような操作系自体、NASについているのを見たことがない。これがある理由はリアパネルを見ると分かるのだが、それは後ほど。
ところで、これらのボタンを適当に押して設定を確認していると、“電源切り忘れ防止”とかいう表示が出て、また少し驚いた。NASというモノは24時間稼働させているものだと思っていた。立ち上げ、立ち下げに数分がかかるし、頻繁にON/OFFをすると調子が悪くなりそうな気配がある機械である。しかし、あんなことをしていたら、それはそれで電源がイカれるのが早くなりそうだし、不意に停電したらどうなるのか、心配はあった。
今回、テストしているN1Zは異例に立ち上がりが早い。測ってみると常に20秒以内で立ち上がる。これで実際に不具合なく安定動作してさえいれば、音を聞かない時は電源を切っておいてもよいだろう。
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N1Zのリアパネルに回ると驚くような端子がある。“LAN”と書いてある端子、すなわちハブにつなぐ端子の隣に“PLAYER”という別な端子がある。これはDSやLUMIN A1、DSP-03などのネットワークオーディオプレイヤーのLAN端子に直接つながる端子である。こいつを使えばハブを介さず信号を直接プレイヤーに送り込めることになる。このときはハブにつながるLANケーブルを外しても音楽が聞けるが、すると当然PCやタブレットから操作はできなくなる。そのためにフロントパネルの操作系があるらしいのである。このいわゆる“ダイレクト接続”の音質こそ私が聞きたかったものである。なお、このLAN接続端子も特殊で、シールドの外側に通信状況確認用のLEDを配し、ライトパイプを用いて筐体外部へ光を導くようにしている。こういう手の込んだことをして、LEDからのノイズの混入を防ぐという。
付け加えるならN1Zのリアパネルにはアースがあり、電源ノイズフィルターを装備したACインレットがあることも驚き。NASとしてはかなり珍しいのではないか。こうなると電源ケーブルを選択したり、アースの取り方を工夫したりと使いこなしにバリエーションが生じることになるだろう。これもオーディオ的な思考が影響している。

なお、N1Zは四足の機材である。下位のN1Aと共通の硬い木材と鋳鉄を組み合わせたオリジナルのインシュレーターが採用されている。このような音質対策パーツが初めからNASについていたという記憶がない。

このN1Zは、PC関連機器で有名なバッファローから派生したブランド、DELAで製造されているので、その出自からPC関連機器と考えられるが、できあがったモノには完全にハイエンドオーディオの手法が用いられている。下衆の勘繰りに過ぎないのかもしれないが、これはオーディオ機器メーカーからの入れ知恵があったとしか思えない。外側から内部までハイエンドオーディオの方法論で作られたNASはピュアオーディオ界からの助言なしには開発できないような気がする。

それにしても、LAN接続端子をはじめとして、ここに選定された部品はコンシュマーのPC機器としては特殊すぎる。1TBのNASと考えると部品点数の多さも異常である。その観点から言えばN1Zは形式上はPC周辺機器の皮をかぶっているが、完全にハイエンドオーディオの機材のようである。一般的なPC機材と考えるとあまりにも仰々しく、バカバカしいほど高価であることは間違いない。そういう位置づけでは売れるはずのない機械である。しかし、これをハイエンドオーディオの世界の機材と考えると特に高価とは言えない。ここは1mのインターコネクトケーブルでもN1Zより高価なものがいくつもある世界である。このNASを見る者は視点を変えるべきだ。安い高いは視点を変えてから考えなくては。
ただし、N1Zが、その世界のモノと認知されるには、もって生まれた高音質で、その身の証を立てなくてはならない。それを忘れてもらっては困る。
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LUMIN A1について:
ここで試聴に使うネットワークオーディオプレーヤーLUMIN A1について簡単に紹介しておこう。以前から試聴していた、このプレーヤーはLINN KLIMAX DS/Kを強く意識して開発された機材である。大きさやデザイン、内部の部品、ソフトウェアの使い勝手に至るまでLINNのDSと共通する部分が沢山ある。例えば、KLIMAX DS/Kにおいて悪名高い、あのリアパネルの上に張り出すヒサシのような部分まで同じく存在する。(こんな所まで似せなくてもいいんじゃない?)
だが、いくつかの点で異なる。
 その1:電源部が分離した別筐体にありON/OFFはそこで行う。ここにはヒサシはないので、どのような電源ケーブルでも挿せる。これはDSよりも賢い。
 その2:大雑把にはデザインも筐体の寸法もほぼ同じだが、表面がヘアライン仕上げで、底板はKLIMAXのような立体的な形状ではない。足も材質等は似ているが少し安っぽい。フロントのデザインはカーブを描いていたり、表示窓が奥まっていたりしてやや異なるが、LUMIN A1の方が日本語表記は見やすいように思う。
 その3:デジタル出力が可能。デジタル接続でDevialetとつないで試聴したこともあるが、かなりマッチングが良かった。
 その4:操作するソフトウェアはkinskyとkonfigのように分かれておらず、一つで済むし、一言で言って使い勝手はかなり良い。全体的にはLINNのkinskyに全然負けない。ただSong castのようなYouTube、iTunes、CDドライバー経由のCD再生などを扱う機能は今の所ないらしい。私はYouTubeをDS経由でよく聞くのでここが一番痛い。なおLUMIN A1はkinskyからでも操作可能。
 その5:ほとんどのファイル形式のハイレゾはもちろん、DSDに対応する。無論、ギャップレス再生可能。
 その6:音質はAkurate DS/Kと同等か、わずかに上といったところ。この音はKLIMAX DS/Kのような、この分野のパイオニアとして独自の世界観を持てるレベルにまでは至っていない。これだと外観含めてKLIMAX DSの劣化コピーと揶揄されかねないところだが、電源等の細かい部分でDSとは違いを出し、それを巧妙に避けている。LUMIN A1の出音はAkurateよりも明らかに輪郭がはっきりして実体感が増した音。より躍動感もあるようであり、低域の解像度にも若干の優位を感じることがある。もちろんこれはアナログ出力の音であり、デジタル出力で相応のDACと組めばさらに上が狙える拡張性がある。
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他のメーカーのプレーヤーやトランスポートとシンプルに比較した印象としては、LUMIN A1のアナログ出力の音質はDSP-03にはコストパフォーマンス含めてやや劣るが、MAN301には勝るように思う。このジャンルの機材ではDSP-03がクロックも入るし、総合的に最も良くできているように見えるのだが、実はDSやLUMIN A1、MAN301と比較してアプリの使い勝手が悪いことが最大の難点かもしれない。これが駄目だと買う気にならない。(なおA1の出音は、最近聞いたAurender W20にTAD D600のDACをつないだ音には及ばなかった。Aurender W20はつなぐDAC次第である。MAN301についてはトランスポートとして使って、MEDEA+OP1-BPをかませるのが本来の使い方だろう。)
以上、LUMIN A1についてごく簡単に述べたが、LUMIN A1のレビューは秋田県在住の方のブログが大変詳しい。興味がある方はそちらにあたっていただきたい。


The sound 
今回は、メーカー名を挙げられないごく普通の市販のHDDを使ったNASと、やや剛性の低い筐体とHDDを使う下位モデルDELA N1A、そしてN1Zを同じシステム、同じ曲で同時に比較試聴している。DSDも聞いたが、これは音が良すぎて比較に集中できないので、16bit,44.1kHzのリッピングデータを用いた。接続するネットワークプレーヤーはLUMIN A1。

結論から言えば、N1Zによるネットワークプレーヤーへのダイレクト接続の音がズバ抜けている。すなわちハブを使わず、プレーヤーとN1Zとの直接接続での再生を可能にする、専用モードでの音が、明らかに抜きんでており、音質の次元が一つ上がったような印象であった。これを聞いてしまうと、少なくともN1Zでの通常のLANを使った接続でなければ、もうイイ音とは呼べなくなってしまう。N1Aは普通のNASに比べたら、もちろん悪くないが、N1Zには明らかに劣る。何故だろう?違いはSSDと電源、筐体だけなのに。なお、その音質は違いはブラインドでも分かるものであった。(そういえばN1Aのダイレクト接続を試さなかったな、惜しい)なお、普通のNASから来る音となると、さらに随分と残念なものとなり、正直もう比較対象としてさえ聞きたくなくなってしまったほどだ。

N1Zをまず通常のLANを使った接続で試聴して比較する。
出てきた音の透明度と背景の静寂感の高さは、その前に聞いていたN1Aを明らかに上回る。こうなれば、切り替えた普通のNASからの音は、これと比べるとモヤモヤした音だとしか言いようがない。N1Zを使った場合、音ひとつひとつの周囲は本当にクリーンであり、空間内にそれらが整列して気持ち良く定位する。また、その定位にブレがなく音像の安定感が増す。聞いていて目の覚めるような感じである。サウンドステージの見通しも良くなるので、音場もまたわずかに広くなった印象を受ける。しかしダイナミックレンジが拡大したり、帯域ごとのバランスが変わったりすることはない。音のスピード感や温度感にも変化はない。副作用が少ない。
とにかくN1Zを使うと、音全体のフォーカスが良くなり、いままで意識されていなかった音像の細部はもちろん、背景にある微かな音がしっかりと耳に届くところが素晴らしい。
この変化が外付けクロックをデジタルファイルオーディオに導入したときの変化に類似するのは面白い。ではクロックを入れたうえで、N1Zを使うとどうなるのか?興味は尽きない。
N1Aとの音の違いは、端的に言えば音の周囲のクリアネスの度合の違いである。N1Zの方が音像の周囲の空間の透明度の向上がより顕著で、音が際立つ。しかもその際立ち方がいかにもナチュラルなので、音楽に心地よく入って行ける。
今回は自分でタブレットを操作せず、予告なしに同じ曲で次々と機材を入れ替えてもらって聞くというブラインドに近い試聴をやっていたが、これはN1A、こっちはN1Zでしょと比較的簡単に当てられた。ましてや普通のNASとN1Zのブラインドの比較は・・・。その必要があるとは思えなかった。
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さて、いよいよN1Zによるネットワークプレーヤーへのダイレクト接続を試そう。ここでは初めからハブを使わず、いきなりプレーヤーとN1Zの直接接続のみとしてみる。タブレットからはN1Zが見えなくなる。
このサウンドは生々しい。
この接続でのリスニングでは、録音された場で録れたての音源をプレイバックしているような錯覚を覚える。録音された音源があり、それが様々な過程をへて実際にスピーカーから出てくるのだが、その過程にあったわずかな引っ掛かり、遅延のようなもの、ノイズのようなものが一掃されスムーズに音が出てきたようなところがある。この音を聞いていると、信号が通る経路のどこかに我々の知らないボトルネックがあったのだが、それが取り外された、そういう図式が頭に浮かぶ。
このような生々しさは、もとからデジタルファイルの中に隠されていたものなのだろうが、さまざまなノイズがN1Zにより取り除かれるまで、我々にはなかなか聞こえて来なかった。SSDを挿した普通のNASは過去に使っていたが、こんな音ではなかったと思う。普通のHDDを積んだNASに毛の生えた程度の違いだったと記憶している。N1Zはあの音よりは、かなり高級な音を出せる機材と思われる。

例えば、プロオーディオの機材にありがちな事だが、こういう生々しさが発揮された音では、音がダイレクト過ぎて乱暴に聞こえることがある。しかしN1Zでは、その種の聞きづらさは感じなかった。ここではコンシュマー的な聞きやすさはしっかりと守られているようだ。音全体の品位が高いとでも言おうか、十分にダイレクトな音でありながら暴力的な印象がない。
ノイズが一掃された音場の中では、背景に広がる暗騒音の細かな襞の状況が自分の手のひらにある細かな溝のようにじっくりと観察できる。そして、それぞれの楽音の質感、音の重なりと分離の仕方、音色の濃淡、音の輪郭と周囲の空間の馴染み方のバリエーションがN1Zの通常の接続時と比較して豊富に聞こえ、千変万化する音楽の様相を詳しく見届けることもできる。
これは全体にクールな傍観者に徹する音という感じでもあり、音楽の抑揚を効果的に演出するような音に変化する気配がない。フラットでクリアな音を極めていくような方向性である。このような態度は楽曲のジャンルを選ばないだろうから、クラシックだろうとアニソンだろうと、録音の良し悪しに関係なくメリットを享受できよう。
結局、こういう音の姿勢がN1Zの音質の真骨頂であり、N1Z独自の世界なのだと思う。NASによってこれほどの音質が実現したことはなかった。これはDACに高精度なクロックの信号を入れた変化に、またしてもよく似ているのだが、この接続では、かなり高価なクロックを入れた状態に肉薄するような音の良さが得られる。実際、そういうクロックは80万では買えないかもしれないし、だいたいネットワークプレーヤーで外部クロックを受けるものが少ない現状では、N1Zによる類似の音質向上には十分な魅力があると思われる。

こうして聞いてきて、今回はあまりトラブルらしいトラブルはなかったものの、実際に導入するとどうだろうか?これまでは、お店では上手く動いていても、自分のリビングではスタックしまくって、場合によってはリタイアしそうになったデジタルファイル関係のソフトウェアや機材は少なくなかった。これも実物を実際に使ってみると苦労がないなんてことはないのかもしれない。ただ、そう考えても、この音質にして実売73万円は必ずしも高くないと思う。もっと割高な機材はいろいろあるから。もちろん、ハイエンドオーディオの機材と考えての話だが。


Summary

素数という謎めいた存在についてある程度以上深い知識を持つこと、それはリーマン予想の困難さを知ることにつながる。
また、それはデジタルファイルオーディオについての知見が深まるにつれて、最善のデジタルファイル再生とはどのようなものかという問題に突き当たるのに似ている。
とはいえ逆に言えば、この問題が意識され始めたということは、そろそろ手仕舞いの予感というか、デジタルファイルオーディオのファイナルアンサーが見えてきそうな気分が漂ってきたということなのかもしれない。こうしてN1Zから音を聞いていると、そういう希望的な観測もしたくなる。だが、実はコトはそんなに甘くはないのかもしれない。
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それというのも、過去にも高級なオーディオ用のNASやPCというものがネットワークオーディオプレーヤー向けに発売されていたのに、その話題は全然盛り上がらなかったということだ。HUSHのケースを使ったもの、Rip NAS StatementやZIGSOWのZSS-1、あるいはCerton systems Integrita・・・。それらはリッピング機能がついていたりRAIDが採用されていたりと特徴はあったものの、いつのまにか消えたり、発売中でもそれほど話題に上らないモノたちである。
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NASというモノは基本的にはPC関連機器であり、その分野の進歩のスピードが、これらの機材をアッと言う間に陳腐化させてしまうところがあるし、実機のデモがほとんどないので本当に音が良いのか、コストパフォーマンスがよいのかどうかわからず購入に踏み切れない、すなわち売れないということもある。これらの事情から、高級なオーディオ用のNASというものはネットワークオーディオに定着しにくいのであろう。
ここで私がDELAに要望するのは、N1Zを一過性のものにしてもらいたくないということだ。このN1Zあるいはその改良機を長い期間にわたり、LINNがDSでやっていたような出張試聴サービスやアフターサービスをしながら作り続けてほしい。そうしなければ折角作り上げた、立派な音質のスタンダードは、意外に早く忘れ去られてしまうかもしれない。(そのためには、もちろん私たちオーディオファイルがこれを盛んに購入するということが必要だろうが・・・。)

また、このN1Zによるネットワークプレーヤーへのダイレクト接続、すなわちハブを介さず、プレーヤーとN1Zのダイレクトな接続だけで再生可能にする、専用モードというものは、外部クロック入力とともにネットワークオーディオの高音質化に大きく貢献するもののように思えるのに、なかなか実践されにくいだろう。もちろん音質の点から言えば、このモードは大いに活用すべきだ。しかし、これだと接続の仕方によっては、PCやタブレットからの操作が事実上できなくなり、利便性、つまり敢えてデジタルファイルを使う意義の一端が大きく損なわれることを無視できない。また、この接続モードでの音質の優位性が、ネットワークオーディオの音質はネットワークを敢えて介さないことで良くなるという可能性を示したことも見逃せない。ここにネットワークオーディオの矛盾が露呈してしまっていると思うのは誤解だろうか。

このN1Zに“ゼータ”とニックネームを付けた人がいた。このゼータという言葉は最後にくるもの、ファイナルな存在という意味合い持つ。 ここで“ゼータ”が展開した透明な音の世界は、デジタルファイルオーディオの最善の音質とは?という問いのファイナルアンサーの一部であることは、現時点ではほぼ間違いない。あとはゼータが、オーナーの手元で実際にトラブルなく、安定して動作すること、アフターサービスが充実して息長く作り続けられることに期待するしかない。

まるでリーマン予想のように困難な、デジタルファイルオーディオの難問に、今、光が当たり始めている。それが一過性の出来事でないことを祈りながら、そして、まだいくつかありそうな矛盾がスマートに解決されることを期待しながら、私はまたこの果てしない探究の観客、傍観者に戻るとしよう。

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# by pansakuu | 2014-04-13 22:41 | オーディオ機器

Accuphase E-600を巡る私的な会話:偏見よさらば


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偏見なんてどうせ無くならないから、表に出さない努力だけしとけば良いかなと
by YM8


Introduction


GOZ:おっ、E600やっと来たのか。聞かせてよ。
MEZ:(電源スイッチを入れながら)ホントは嫌いなんでしょ、アキュのアンプなんて。
GOZ: いやいや、そんなことないって。好きなのもあったよ。
 プリアンプのC290Vなんて一年くらい使ってたし。
 だいたい、コレは良さそうだって、君に言ったのは私だよ。
MEZ:そうですけど。だから買ったのですが・・・。でもなんか、好きじゃないっていう
 お話がありませんでした?だいたい、なんで、これだけはイイっておっしゃったんでしたっけ?
GOZ:確かにアキュフェーズのアンプは見かけがどうしようもなく嫌いなのは従来どおりなんだけど、
 これほど質実剛健でありながら、最新の技術をテンコ盛りに盛り込んでる力の入ったプリメインは
 悔しいけど他にはほとんどないでしょ。
MEZ:Devialet(デビアレ)があるじゃないですか。買えないけど。
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GOZ:そうそう、あれはまずちょっと高いでしょ。
 しかも、目玉のイーサネット入力での再生がトラブってたよね、時々。
 以前、ウチで聞いたら安定しなかったよ。ああいう機能がフルで使えないのはちょっとね。
 でも今はバージョンアップして治ったかなぁ。
 それから国内メーカーじゃないから故障してもすぐに直してくれないかもって、ちょっと不安だしね。
 アキュはこの前、コンデンサーの不具合でリコールがあったけど、恥であり、対応が面倒な事であっても、  良心的に対処するから、逆に好感が持てる。デビアレはコンパクトでスタイリッシュで音はかなりいいけど、 試聴した時はまだインターフェイスの面では完成の域には達してなかったと判断したし、
 まだ長期的な信頼性は不確定だし。
MEZ:確かに、このAccuphase E-600 プリメインアンプはデビアレよりも安いですよね。
 60万円台で買えますから。それでいて、海外メーカーよりいざという時に頼れるメーカーの製品っていう
 イメージあります。音も基本的には負けないですよ。
 ただしデビアレ240なんかに比べると敵わないですけど。
 値段がE600の3倍以上ですから当たり前ですかね。E-600はデジタル入力ボード、フォノ入力ボードを
 入れれば、PCオーディオもアナログオーディオも受け入れるし、かなり出来のいいヘッドホン出力はあるし。 結局インターフェイスのポイントも高いんですよ。GOZさんの推薦なしでもこれにしたかも。
GOZ:ヘッドホンアウト聞いてないくせに。出来がいいかどうかは聞いてみないと。
 私はさ、今あるメインシステムがたまたま故障したときに、バックアップで必ず動作して、
 そこそこイイ音を聞かせてくれる信頼性の高いプリメインが欲しくなったのよ。それも国産で。
 まず壊れそうもないという実績があり、もしそれが壊れてもいつでも直してくれそうで、
 しかも音は悪くなくって、というようなプリメイン。
 それにバックアップだから100万は超えて欲しくないしね。
 そういう趣旨で試聴してたら、これが一番良かった。それで、素直に認めた方がいいと思って。
MEZ:Accuphase made in Japanに対する偏見を改めようってことですか。
GOZ:ま、そうかな。


Exterior and feeling
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MEZ:僕はこの外見は嫌いじゃないんですけどね。なんか安心感ありません?セレクターダイアルがあり、
 ボリュウムノブがあり、メーターがあり。何を言われようと、この在り来たりのカタチ、
 配置をずっと続けているところが良くありません?この金ピカ仕上げが苦手ですか?
GOZ:嫌いじゃない?じゃ好きなの?金ピカは私はともかく、今の若い人は引くんじゃないかと思ってね。
 別な色の仕上げを限定でいいから出せよな。ブラックとか、ガンメタとかさ。
 絶対カッコいいと思うんだけどな。Accupheseはこのシャンパンゴールドな仕上げだけで、
 かなり損していると思うよ。
MEZ:僕はGOZさんよりはかなり若いつもりですけど、このカラーには違和感ないです。
 それに見てくれだけじゃなく、触ってみてもイイんです。各部のスイッチのしっかりしたクリック感とか
 ガタの無さとか、ボリュウムの吸い付くような触感とか、適度な重みのある回転の感触とか、
 いままで使ってきたPCオーディオ系の機材とか据え置きヘッドホンアンプとかとは
 比較にならん高級感に圧倒されましたよ。
GOZ:フロントパネルもブ厚いしね。それからメーターがいいよね。さりげないけど、
 最新式バーグラフメーターだ。こういうメーター、今、国内外見回してもほとんどないっしょ。斬新だよね。
 音量のレベル表示が中央にデジタル表示されるのも感心するよ。
 レベルが数字で分かったほうがいい。
 それに、これはデジタル入力の時にはサンプリング周波数も表示してくれるんだってね。
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MEZ:(実はけっこうちゃんと試聴して調べてらっしゃるんじゃないスか)
 このサブパネルを開けて見ました? モノラル・ステレオ切り替え、スピーカー切り替え、
 プリ・パワ分離、低・高音域のコントロールツマミ、左右音量バランスツマミ等々。
 もういちいち挙げると口が疲れるくらい、いろいろできます。
 位相切り替えなんか入力ソースごとにできるんですよ。これが全部、この確実に動作する
 スイッチやツマミで買えられるんだから。有り難いです。
GOZ: これ、スピーカー2系統を切り替えて使えるのねー。へー。伊達に2系統のスピーカーケーブルの
 バインディングポストがあるわけじゃないのか。しかも、ACアウトレットが3つもあるのね、ウラに。
 消費電力が少ないPCオーディオ用のDACなんか、タップが足りなくても、
 ここから電源を取って使えちゃうわけだよね。趣味の合わない金ピカのフロントパネルを見ながら、
 付属のダサいリモコンを触ってると貶したくなるんだけど、
 本体の機能をいろいろ見てくと褒めなきゃならなくなるよね。
MEZ:ところで、これかなり熱くなりますね。真夏はクーラーがないと厳しいでしょう。
GOZ:まー、A級動作、8Ωで30Wだかんね。でももっと熱くなるアンプなんていくらでもあるでしょ。
 この前、MX-Rをフルドライブさせるつもりで3時間ボリュウムを上げて聞いていたんだけど、
 触れないくらい熱くなった。あれほどじゃない。
MEZ:でもやはりアンプの上は天井まで空気だけっていう方がいいと思います。
 5時間も聞いているとかなり熱いですよ。トップパネルが、
 こういうスカスカの網目みたいなものなんですけど、仕方ないです、この熱では。
GOZ:まあ、デビアレの他に高級プリメインというと、ラックスマンとかオクターブとかブルメスターとか
 ダールジールとかジェフとかナグラとかあるよね。いろいろあるけど、価格と仕上げ、出てくる音の質、
 総合的に考えて最高ってのは難しいよね。値段が高いと、立派なセパレートアンプが買えちゃうから。
 そこまでやるならセパレートにしたらってことになる。つまりは、そのプリメインアンプの価格で買える
 セパレートアンプのコンビを超えるような音を出せなきゃ意味がない。
 そういう高級プリメインの開発ってのは、価格と性能の兼ね合いのぎりぎりの線を探る行為だと思うんだ。
 アキュフェーズを筆頭に日本のオーディオメーカーはそこにスイスアーミーナイフのような多機能性とか
 信頼性を与えて、さらなるオールインワンのアドバンテージというか、
 高級プリメインアンプをあえて買う意味をアピールしようとしてる。
 この企みは今回は成功だと思うのよね。


The sound 

GOZ:このAAVAボリュウムは凄いねえ。どの音量位置で聞いても同じ音調だよ。
 このアンプはゲイン切り替えがないんだけど、これだと必要ないよね。スイートスポットが音量ゼロから
 フルボリュウムまでだ。全音量域で安定して変化の少ない出音だね。
MEZ:そこがいいんですよ。AAVAの良さですよね。スピーカーがヤバそうな大音量でも、
 蚊の鳴くような小音量でも全帯域がおんなじプロポーションで聞けるんですよ。
 特に小音量で愉しむのに最高です、このアンプ。
GOZ:噂通り、このプリメインの音は静かだからね。SNは世界中のプリメインで最高の部類なんでしょうな。 これほどの背景の静けさの黒さ、深さはプリメインで初めて体験するわな。
 今はバッハの声楽を聞いているわけだけど、この音の分解能の高さ、
 一人一人の声が適当にバラけて聞こえるぞ。これヘッドホンアウト聞いていないけど、
 こういう奥深い静けさで、こういう解像感の高い音で聞けるんだったら、
 そこらの据え置きヘッドホンアンプは敵わないかもな。
MEZ:ヘッドホンね。あまり頑張ってやると、あれは確実に耳に良くないと思うから、
 今は止めてるんですけど、T1でも買い直して聞いてみますかね。
 でもやっぱ、スピーカーで聞くのが、この場合本来なのでは?
GOZ:そうだよねえ。このアンプはスピーカーに対するドライブパワーはかなりあるからな、
 大概のスピーカーはちゃんと鳴らせるはずだよ。音のスピード感は普通だけど、低域の制動力は
 かなりだから、解像度高く、締まった低域になってる。SNが高いから小音量でもしっかりと
 微かなニュアンスまで聞き取れるし、逆に大音量にしてもスピーカドライブに破綻が全然ない。
 スピーカーの能率が極端に低くなければ、ウーファーを余裕をもって操るだけの器量がはっきりとある。
MEZ:それにしても、SNが高いからか知らないけど、細かい音がかなり良く聞こえる気がしません?
 こういう音数が多いというか、音の細部にスルッと入って行くような傾向のサウンドって、今風っていうか、
 PCオーディオ系の音調に寄り添ってると思いますよ。DSみたいな細かくて淡明で、良く拡がる音ですよ。
 実際こうやってAkurate DSで聞くとしっくり来ます。
 今聞いてるアコーステックギターの速弾きの曲なんて、
 細かい指の動きに出音が非常によくついてきている感じが印象的です。
 これ聞いていると上流から来る信号に高度に追随する性能の高さが感じ取れますよ。
GOZ:帯域ごとのバランスも絶妙だよね。下膨れなピラミッドバランスじゃないし、
 昔のアキュみたいなハイ上がりな感じでもない。なんかこうフラットで卒がない感じ。
 中域は充実してて、人の声、息遣い、唇の使い方なんかも表現豊かに聞かせるけど、
 中域が殊更に濃密だったり、他の帯域に比べて突出する感じはしないよね。
 勿論、高域も低域も全く出しゃばらないけど。やっぱりフラットで冷静な音って感じあるな。
MEZ:ボクの印象ではまず、カチッとした固めの音ですよね。
 鉛筆で言うとHで書かれてる細密な絵みたいでしょう。そして、熱くなるA級アンプですけど、
 音はむしろクールですよね。感触としては適度の粘りはあるんですけど、
 少なくともホットな音じゃない。それから乾いてないですね、これまた適度な湿り気があるような感じ。
 でも無味無臭、そして透明。カラフルな派手な音ではないですが、モノクロームな音じゃなく、
 淡い音色が心地よく。やり過ぎ感がどこにもない適度な音です。
GOZ:つうか、まず純度が高い音だと思うけど。
 余計なノイズを濾過して純粋な音だけを大切に大切に出してる。
 その上で端正で真面目な音。これはアキュフェーズの伝統のサウンドの傾向だけど、
 E-600では上級のプリアンプとかよりも、この真面目一辺倒な息苦しさは緩和されてるよね。
MEZ:これは値段を考えると不満がほぼ無い音ですが、強いて言えばさらに躍動的に鳴ってくれたらなぁと。 なんか、軽めで弾けるポップスとかちょっと抑え気味な表現に感じる時もありまして。
GOZ:確かにそんなに活力に満ち満ちた、鮮度の高い音じゃあないね。
 音をストレートに前に出して来るんじゃなく、きちっと整理してから出すような、
 独特の真面目さがある気がする。アキュフェーズのアンプの多くがそういう音の傾向を持つよね。
 これは大人びたと言うより、大人しいと言ってしまうべきかも。
 でも、とにかく、多くの種類の音楽をかけて、どれでも破綻が無いってのは、
 こういう音調じゃないと上手く行かないのだろうね。
MEZ:曲変えましょうか。これはどうです。
GOZ:ガルパンのハイレゾ?個人的にはこのアンプ、アニソンはイケるかもな。
 うーん、そうさな私、このアンプでならスピーカーでアニソンを聞いていいと思うよ。
 最近、やたら広いサウンドステージを提供する剛力のモノラルパワーアンプよりも、
 クリーンかつ凝縮した世界を展開する高級プリメインでスピーカーを鳴らす方が、
 アニソンを聞く態度としては適切なんでない?って考えてるんだけど。
 そもそもアニソンとかって製作される時にボーカルや楽器が同時展開している現実の空間がないよね。
 あのアニソンではサウンドステージというか、音響空間自体がもともとバーチャルなので、
 アカラサマに空間を広々と精密に描き出そうとすると、むしろ違和感があるような気がする。
 音響空間内での楽器の細かい位置情報よりも、まずは個々の音をノイズに埋もれさせず、
 互いに干渉させず、クリアに拡がるように聞かせるのが大事なんじゃないか。
 このE-600だと、まず、それがきっちり出来てる。
 今の若者にもこれは受け入れられやすい音調じゃないかな。
 ハイエンドヘッドホンシステムからスピーカー オーディオに移行するなら、
 このE600にピエガとかB&Wとかデナウディオとかを組んだらどうかな。
MEZ:リジッドなエンクロージャーとワイドレンジなユニットのある、ブックシェルフスピーカーとか
 小さ目のトールボーイスピーカーをこのE-600とつないで、アニソンを聞くといいんですよ。
 クリアでありながら、中身の詰まった、程よい実体感と音の広がりを両立させた
 素晴らしい再生音になりますよね。ここでも、それを実践しちゃってるわけですが。
GOZ:それから、これイコライザーじゃないけど、
 このアンプの中で低域とか高域とかのレベルの調整ができるのね。
 低域に量感が欲しいと思ったらここを少し回せばいいんでしょ。
MEZ:僕の感性で、この部屋で鳴らすとすると、そういう音の調節はしなくていいんですが、
 夜とか低域のリズム楽器のアタックの衝撃を減らして、
 騒音の苦情が来る心配を避けたいと思うときなんか、この手のレベル調節は武器ですね。
 それからなにより、こういう高域とか低域のレベル調節で音の聞こえが実際どう変わるのか、
 PCオーディオの波形上でなく、アンプのレベルで変えるとどうなるのかというのが、
 実際の感覚として分かるのもいいですね。
GOZ:ところで話は戻るんだけど、このAAVAボリュウムは、やっぱ凄いねえ。
 この回転のフィーリングもそうなんだけど、音量の上がり方が凄い。
 このジワジワと音量が上がる感じ。アンプで常に操作する部分てえのは、まずボリュウムだからさ、
 ここに最新かつ最高のオリジナルの技術を投入できるハイエンドアンプメーカーは強いよね。
 価格を含めて考えると、まさに現代最強のプリメインアンプっていうのは、Accuphase E600かもね。


Summary

MEZ:そりゃ褒め過ぎですよ。GOZさんらしくもないです。
 高級プリメインとして世界中を見渡せば、devialet240とか、Burmester 032, 
 dartzeel CTH-8550、ORACLE S3000なんかには特別な魅力もあるのは認めますよ。
 でもアンプというモノの全ての側面を見ちゃうとね。私にはE-600しか残らないですね。
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GOZ:何にしろ、消去法で残るアンプだよな。私はバックアップでしか使う予定はないけど、
 これは明らかにサブとかバックアップでしか使わないのは勿体ない。
オーディオシステムってのは機材が一揃いで音を出すから、システムの中の一台でも不具合だと聞けない。海外製アンプは修理やメンテがいつ終わるかは常に不透明でね。
 バックアップの機材は絶対に必要なんだよ。ヘタすると三か月も音が聴けないなんてことになる。
 しっかし、このE600、バックアップのためだけで持つものも贅沢なモノだね。
MEZ:僕にとっては高い買い物だったですけど、後悔はないです。
 家族には一生モノだから、と言ってますよ。それで許してもらってます。
GOZ:実は、その発言自体、御家族には一笑モノだとか思われてない?本当の一生モノなんて、
 オーディオ機器にはないって。本当の一生モノは、アナタの場合50年くらい先まで
 普通に使えるものじゃないとダメでしょ。多くのオーディオの機材は30年以上にわたって、
 そのまま使えるものではないよ。あるとしても、それは中身の部品で劣化したものを取り換えてるはずで、
 実際は少しずつ新しく生まれ変わってる。元のモノがそのまま存続しているわけじゃない。
 アキュフェーズみたいに持続的なメンテナンス、長期にわたって故障の修理が可能な場合だけ
 そういう生まれ変わりができる。
 本当の一生モノは宝石みたいにメンテなしで輝き続けるモノのことを言うんだよ。
 このアンプのことを言うなら正確には半生モノくらいにしとくべきだ。
 元のモノとは微妙に変わってゆく要素があるんだから。
 そう呼ばれるべき機材が、アキュフェーズの製品だっていう事には異存はないけどね。
MEZ:やっとGOZさんらしい、込み入ったコメントが聞けて満足です。
 それから僕のE-600の音も褒められて、ますます満足です。
GOZ:と言いつつも、やはりこの金ピカなんとかならないのかなぁ。 
 折角、こんなにアニソンを含めたオールジャンルでしっかり聞けるアンプなのに、若い人が逃げそうで。
 はっきり言って、このカラーだけは馴染めないな。
 LUXMANだってデザイン一新したんだから、Accuphaseもそろそろ世代交代に対応した
 準備をせんといかんのじゃない?
MEZ:色はともかく、AAVAを搭載したバランス接続対応のプリアンプのオマケじゃないヘッドホンアンプを
 出してくれたら僕にとってはセンセーショナルかな。でもやんないだろーなー。
 ここの保守的な商売は将来を考えるとどうなんですかね。一生モノと見得を切った手前、
 未来永劫にアキュフェーズが続いて欲しいから、
 時代に合わせたモディファイは積極的にやってほしいんだけどな。
GOZ:アキュフェーズもC290Vのころとは音調が変わって、現代的になってるけどね、
 それは意図したものじゃなさそうだし。特に見かけのスタイルの変化があまりも遅々としていて
 もどかしいぞと。Accuphaseの機材のデザインの向いている方向が
 60歳以上に限られてる感じがしてならないんだよね。
MEZ:音をまともに聞けば、このE-600はプリメインの傑作としてずっと記憶されるでしょうねって
 言えるんですけどね。こういう作品は安易なモデルチェンジはしないで、息長く売って欲しいです。
GOZ:全くだ。そこそこ安い価格帯にいい製品が増えて欲しいって誰かが言ってたけど、
 E-600はThis is itって感じだよ。このアンプから、スピーカーオーディオを始めれば、
 どんなスピーカーでも、その良さはきっと分かると思うし。
 ヘッドホンにそろそろ飽きてきたフリークたちも、
 そんなにムリせず買って、使って、かなり満足なはずだよ。だからこそ、この金ピカが惜しい。
MEZ:それはアキュのルックスに対する偏見ですか?
 それともいわゆる僕みたいな“最近の若い人”の感性に対する偏見ですか?大丈夫ですって。
 音はいいから、もし外見が多少アレでも問題ないです。
GOZ:オーディオって長くやってると、必ず何らかの偏見が染み付いちゃうんだよな。
 オレは偏見が無いって言って澄ましているのは、嘘ついてるか、自分で気づいてないか、
 そのどちらかじゃない?でもそういう偏見が急に突き崩されることも、長くやってると、またあるんだよね。
 でも、それで偏見が皆無になることはなくて、また別な偏見が打ち立てられるだけなんだけど。
 こうしてジグザグにオーディオは前に進んでくんだよ。
MEZ:崩しては立てるか・・・・。でもなんだかんだ言って、まだホントは嫌いなんでしょ、アキュのアンプ。
GOZ: いやそんなことないってば。
 そういえば、その発言自体、私の好みに対する偏見じゃあ・・・
MEZ:なるほど、確かに。なかなか無くならないものなんですね。(笑)

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# by pansakuu | 2014-03-29 19:23 | オーディオ機器

CH precision D1monoとX1の私的インプレッション:Excess of ・・・・

「CH precision D1monoとX1の私的インプレッション:Excess of ・・・・」をSpecial Editionにアップしました。ご興味のある方はどうぞ。
http://bansaku.seesaa.net/article/369140771.html
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# by pansakuu | 2014-03-08 12:55 | オーディオ機器

Ayre KX-R Twentyの私的インプレッション:早春を駆ける

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ケルビムの青いロードバイクに飛び乗って、
夕闇の迫る超高層ビル街区を疾走する。
恵比寿からここまで、こいつで走ると、それなりに汗もかくさ。
運動というものは、傍から見る以外は大嫌いだが、
気に入ったバイクがあれば、
たとえ半日であっても、またがってみたくなる。
これもまた性分だ。
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小っ恥ずかしい黄色いサイクルジャージとか、
江頭の黒タイツみたいなキツい(というかキモい)サイクルパンツ、
あるいはヤシの実みたいなヘルメットは勘弁してもらい、
カシミアの厚手の灰色帽子と白いパタゴニアのダウンインサレーション、
そしてegoistic 4 leavesのaluvaを流すWestoneにお供をさせよう。

今日はAyre KX-R Twentyを聞いてきた。
その音は、リムジンにも、クーペにも、F1マシンにも似ていない。
Twentyのサウンドは最高級のロードバイクのフィーリングだ。
最高のライダーが駆るロードバイクのスリリングなスピード感と
クイックなハンドリングを彷彿とさせる音。
最もシンプルであることと、最もスリリングであることを走りの中で両立させたいなら、
ロードバイクで走るしかない。
そして、同じことをオーディオでやりたいならAyreを聞くしかない。
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30kgオーバーのアルミニウムの塊から削り出された衣装をまとうTwentyは
銀色に光りながらコンパクトにまとまっている。
これは明るく輝く陽気なデザインの箱だ。
こいつはシャープだけど、シュッと小さくまとまっているから、
ちょっとキュートなアンプにも見えるのは僕だけか。
相変わらずだね。久しぶりだねって言いたくなるくらいに、
先代と、ほとんど変わらないルックスなのだけれど、
ボリュウムを回すと前のよりちょっと軽い。
K1はボンボンと、KX-Rはコトンコトンと回ったけれど、
そしてKX-R Twentyはコトコトと滑らかに回ってくれる。
梅のマークみたいな5つの凹みが楽しそうに転がり、
ディスプレーの数字も、つられて回るオリジナルのギミックが最高にクールだ。
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SNを上げてくれるという、
このスタティックタイプのディスプレイの右側、
ボリュウム下のボタンはスタンバイ、
左側のセレクター下はミュート。
フロントにはこの2つだけしか操作ボタンがないのだ。
至ってシンプルな顔立ちのアンプさ。
右側に刻印されたTwentyの金ロゴが眩しい。
実質、KX-Rとの見かけの違いはここだけだ。
なお、後ろに回っても電源スイッチはないのであしからず。
Ayre伝統の作法で、電源ケーブルを差し込むとスタンバイになるってわけだ。
ついでに、ちょっと気になるのは出力はXLR 2系統のみということだろう。
リファレンプリは接続について万能選手であっていただきたいが、そうもいかんらしい。
気まぐれに、今夜だけは、
RCA入力専用の古いゴールドムンドをつなぎたいという気分も僕にはあるが、
そういう我儘にはつきあってくれないらしい。
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足は三つ足。デフォルトの足は黒い小さな樹脂製のものだ。
積み木みたいなAyreブロックをラックとの間に噛まそう。
デフォの足は小さくて頼りないし、どうせ大したグリップもなさそうだから。

アルミをくり抜いた贅沢なシャーシの中身の回路は、
今回もデュアルモノラルコンストラクションで天板から吊り下げる。
デュアルモノラルとはいえ、電源トランスが一つというところは独特の見識らしい。
銀接点60ステップのロータリースイッチにヴィシェイのバルクホイル抵抗を大量採用、VGTボリュウム、KX-5の開発結果を応用したダブルダイヤモンドバッファー回路の出力段、
改良されたエクィロック回路、電源の強化、アンプ技術として見るべきところは盛り沢山だな。
こんなに見どころ満載の中身は、どうせなら見えるようにしてくれると面白かったのに。
「見かけ倒しでなけりゃいいがな」なんて
誰かの決めゼリフでも借りて呟いてみたい。
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付け加えると、今日、聞けたのは完全に日本向けの電源、
つまり100V専用電源仕様の個体だ。
117Vなんて余計な数字は考えなくていいし、
PSEもちゃんと通っているのは有難い。
強化された電源を内蔵してるが、トランスは一つだけで、
大規模なものでないせいか、試聴中は少しも熱くならなかった。
これなら置き場所はどこでもいいだろう。

結局、外見はKX-Rとロゴ以外はほとんど同じ。
ってことは、既にKX-Rのオーナーって方々は中身だけのグレードアップを選択すべき。
下取りに出して差額を払うよりは、確かに安上がりで済む。

でも、音は違う。
今日はCHPのD1mono、MX-R、Magico Q1でシステムを組んでいた。
このシステムで、記憶の中のKX-Rと目の前のKX-R Twentyの比較検討を重ねた。
そうすると出音の違いは確かに判ってきた。

サッと開けるサウンドステージの広さは先代と変わらず、
現代の普通のハイエンドプリ並みといったところ。
でもその静かさは一段深くなった。この違いが最も明らか。
内蔵電源でこのSNってのは、今までなかったのでは。
透明なサウンドステージにカラフルな音が素早く満たされてゆく。
でも、この様子は優雅じゃない。艶があるってわけでもない。
ましてや荒々しさなんて微塵もない。
あくまで虚飾なく、差引きのない生成りの音なんだよね。
こういうAyre独自のハイエンド魂(だましい)にファンは惹かれてるんだろう。

そして、Twentyは全ての音のサスティーンが違う。
音がスピード感を持って伸びる。
かなり良くなったSNが、音の滞空時間を長くしてるらしい。
そして音の飛び出しもリアル。これも前よりかなり良くなった。
凄くこっちに音が飛んで来て楽しくなる。
先代のKX-Rはここまで活動的でもなかった。
今回の電源強化が効いてる。
なるほど、音の制動感も進化だ。
ブレーキがしっかり効いた音で音のStop and Goにもたつきがない。
ピタリと音が止まり、たちまち動き出す。
音の動き出しには何の前触れも必要ないようだ。
あるべき音があるべきタイミングでピタッピタッと決まって、
実にスリリング、そしてリズミカル。
特に低域の足取りがいい。
低域のグリップがしっかりと効いているうえ、グーンと伸びる。
さらに低域の輪郭にはボヤけたところがなく、ビシッと音が立つ。
さりげないがはっきりした進化だ。
こういうクイックな反応性と音の伸びは、まるで優れたロードバイクのフィーリングだ。
フレームの剛性が高く余計なしなりがなく、レーサーの挙動に鋭く応える。
最新のカーボンロードバイクに付けた、良く回るカーボンホィールは、
ひとこぎで行ける距離が伸びる。
ああいうハイテクなロードバイクの走りとも似てるかな。
今乗ってる職人気質のクロモリバイクのフィーリングとは違うかもね。
さすが最新型だ。
こういうグリップのある足取りの確かさがあれば
音楽がグングン前へ進む、上へ上へと登ってゆく。
ヒルクライムのダンシングのような、リズムが激しく喘ぐような音楽の疾走も、
以前は淡泊に乗り過ごしてしまっていて、少しつまらなかったけれど、
今の音はググッと前に身を乗り出して、前進に次ぐ前進となる。
そういう時は音場感よりもサウンドの実体感が増して聞こえて、
音像のエッジのキレが、たとえようもなく気持ちいい。
でも、空間を切り裂くような乱暴さ、キツさはない。
こういう爽やかでストレートでアグレッシブな部分と、
それとは別の純粋で健康的な部分が混ざっているところがAyreらしさだし、
その良さは一層はっきりと聞こえるようになったみたいだ。

音の温度感は熱くも冷たくもない。鋭くもない。
音の感触は緩くなくて、強いて言えば若干タイト気味な音かな。
総じて、ほぼニュートラルな音みたいで特徴がないようだが、そうでもない。
この音の質感で他と違う特徴は、“乾いてる”ということ。ドライな音触だ。
オーガニックで健康的で明るいけれど、都会的で開放的。
隠された感情、抑え込まれた熱情、そういう隠微なニュアンスがない。
ジメジメしていないんだな。
このカラッとした音の乾き具合は先代からというよりAyreの伝統だろうね。
ここらへんにも継承するものがある。

言わせてもらえば、Twentyはスロースターターかな。
試聴の終わりに近づくにつれて、音のキレが一層良くなってきた。
打楽器のインパクトも強く感じる。俄然楽しくなってくる。
この疾走感に、カラッとした陽性の音の素性が現れてきたなと思わせる。
しつこくない程度に、人なつっこくもある音。
明るくて、当たりが良くて、誰にも好かれる性格のいいアメリカ人が
そのままアンプになったようなサウンドだ。

KX-RとKX-R twentyの音の違いを例えるとしたら、
KLIMAX DSとKLIMAX DS/Kの違いだっていう話があったけど、全くそうだ。
音の変化の感じは似ている。(でもアップグレード代自体はずっと高い。)
音がより立体的になり、前に出て来て、解像度はそのままか、
あるいはさらに細かくなってる。
いわゆる正常進化ってやつだ。

ネガティブな事も言うかな。
確かに技術点は高い音だけど、
この音で、いきなり400万円近く取られるのは
ちょっとビミョーだという人は居るかもしれないな。
Ayreに限らず最近のハイエンド機材はけっこう割高だ思う。
それに他にも同価格帯や少し安くて
Twentyに匹敵するグレードのハイエンドプリがないこともない。
それこそNo.52とか。
このアンプはフォノが抱き合わせになってるから、僕は買わないのだけれど。
MX-R Twentyは派手にアピールする音の持ち主じゃない。
MX-Rとの違いはあれど、冷静に聞いていられる変化の範囲内だ。、
前任者とは圧倒的な差があるっていう状況でもないようだ。
KX-Rの支払いが終わってる人にしても
100万を超える追加出費は余裕がないと踏み切れないのかもね。
400万あらたに支払うよりは安いと知っていても、KX-Rも悪くはないんだから。
こういうところもKLIMAX DSとKLIMAX DS/Kの関係に似てる。
新旧の音の変化は、あくまで正常進化の範疇さ。
よくよく音を聞いて聞いて納得すべきってもののような気がする。
CHPのX1みたいに、
煽られてupgradeする、買ちゃうっていうタイプのものじゃない。

もし、これ以上の音をAyreのKシリーズに望むとしたら、
やはり電源は別筐体、トランスの数も二つ以上に増やさないとダメでしょうね。
でも、そうすると、このKX-Rの美しいまとまりが失われるかもしれない。
オーディオは難しい。

K1、V1から始まり、KX-R Twentyに至る系統、
僕はそれら全てを多かれ少なかれ聞いてきているわけだ。
Ayreの堅持する真の“ピュア”オーディオと呼ぶべき、
音の純粋さを求め続ける姿勢は買うんだけど、
そもそもAyre伝統の音は、どストライクで僕好みというわけでもなかった。
それでも、KX-RやMX-Rに強く引かれた時があったっけ。
そのルックスとボリュウムのギミックに妙にツボを刺激されたからね。
だけど、実際、奴らの音を何度聞いても
相応の決心を起こさせるほどの感動が聞き取れなかったんだよ。
今振り返るとAyreの音のコアにある、
セキララな音楽の有様を至極シンプルに聞かせる態度、
分かりやすい豪華さには背を向け、粋なさりげなさを求めるように聞こえる音のベクトル、
そういう玄人好みな音を自分の感性が受け入れられなかっただけ。
まだ未熟な了見だったかも。経験も浅く度量が狭かったかも。
でも、今なら分かる。
今回のTwentyの音が、今まで聞いたAyreの音の中では、一番いい。
僕にでも入り込める、今一番、進んだAyreの音なんだ。

今回のアップグレードは、
先代よりもさらに強くAyreの色を出せたって意味では成功だ。
でも、これは玄人好みのアップグレードだと思う。
Ayreのファンが待ち望んでいた音であり、
Ayreを聞き継いだものにこそ真価が分かる。
確かに大きな差とは言えないにしても、
このサウンドの違いを、筐体を変えずにひねり出す苦労は並大抵じゃないだろうな。
独自のゼロフィードバック回路を、独自に改良する孤独な挑戦は、
競争者も、それほど意識しなくていいかわりに、
誰の仕事も参考にできそうもないし。
孤独なレーサー、チャールズ ハンセンは、
オーディオ界にあっては、あくまで我が道をゆくというわけですな。
MX-R Twentyが待ち遠しいです。
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ところで、
我が道をゆくロードバイクの上で僕のWestoneが聞かせるBGMはどうなった?
リズムだけで前に進むようなegoistic 4 leavesのアルバムを過ぎて、
The VerveのBitter sweet symphonyもフェードアウトして、
Loren desbergの You Go To My Headが流れてく。
おっと、これはBillie Holidayのカバーか。
随分、感じが変わったね。Gretchen Parlatoも絡んでるのか。
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ブルーのケルビムは中野あたりの信号には引っ掛かりもせず、
曲がりくねった道を真っ直ぐに進みたがるらしい。
色々と紆余曲折のあるオーディオの世界を、
自分だけのサウンドの正解を求め、走り抜けてゆくAyreのようだ。
忙(せわ)しない弥生の東京ストリート。
お別れと出会いの準備の季節。
街平線の彼方に消えそうになる夕日の輝きを追いかけて、
まだ冷たい3月の空気を僕は駆け抜けてゆく。

もうすぐ3年目の春だ。


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# by pansakuu | 2014-03-06 08:00 | オーディオ機器