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カテゴリ:オーディオ機器( 82 )

電池の時代:Stromtank S2500の私的インプレッション

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「小さいことは大きい。」
ある電池開発者の発言



Introduction

マイ電柱を立てた人を一人知っている。

マイ電柱、
つまり個人のオーディオシステム専用に給電する電柱を立てることはオーディオファイルの最後の夢だとか、よく言われる。
でも、それはマニアの間だけで通じる話であって、
オーディオのためだけに、発電所から専用の電気を引くなどという行為自体、一般人にとってはクレージーで意味不明な散財(お布施と揶揄される)にしか見えないはずだ。
そして、この行為の背後に日本人特有の純粋性の信仰、潔癖症を垣間見るのは筆者だけだろうか。
日本のオーディオファイルの神経は世界的に見てもいささか特殊である。
実際、電柱などというものは外国にあまりないせいか、
この手の話を外国のオーディオファイルの間ではあまり聞かない。海外のオーディオファイルは、とても大雑把かつ大らかにオーディオライフを謳歌しているように見えることも多い。
彼らの大半は微に入り細に入り神経質にオーディオの純粋性を突き詰めるような挙動は無意味だと思っているらしい。

立てたばかりのぶっといマイ電柱を頼もしそうにコンコン叩いてから、客たちをリスニングルームに連れ込んだ、あの昭和生まれの日本人の後姿を想起しつつ、
足元に鎮座している大きな箱を筆者は眺めまわした。
舐めるように。
この足下にあるStromtank S2500は革新的な機材だ。
マイ電柱を立てた人には悪いが、
オーディオ専用電柱が最高の電源だった時代は終わった。
これからはおそらく電池の時代。
なにしろ車も、飛行機さえも
電池で動かそうという時代だから、
家電であるオーディオなんて
真っ先にそうなるのは明らかだ。
だが、それだけではあくまで世界の趨勢、
流れに乗っているだけの話にも聞こえなくはない。
そんな話をしたいのではない。
筆者はエコノミストでもエコロジストでもなく
オーディオファイルであるから、
この話の本質はそこにはない。
これから語ろうというのは、
単なる世界のトレンドに関する話ではないと思ってほしい。
このStromtank S2500の話のメインはオーディオの音質に関わる話なのである。


Exterior and feeling

Stromというのはドイツ語で大河の流れを指すとか。
英語で嵐、暴風雨を意味するStormとはスペルが少し違うが、
嵐のようなパワーを秘めた電源というイメージも悪くない。だからストロームタンクであはなく、ストームタンクだと誤解している日本人オーディオファイルは少なくない。
実物を前にすると、かなり堅固な印象を持たせる筐体であり、嵐を閉じ込めておくのに必要な厳重さが確保されているような気配もある。その誤解もあながちハズレではないかもしれない。大きさや重さは重量級のステレオパワーアンプだと思っておれば間違いない。筆者は昔使っていたBoulderの1000シリーズのパワーアンプを連想した。事実、今年のインターナショナルオーディオショウで観察していると、こいつを単なるパワーアンプだと勘違いして話したり質問しているお爺さんたちを見たが、仕方ないことだろう。
分厚いプレートをがっちり組んで作られた筐体の表面は僅かにラメが入ったようなジャーマングレーで、天板にはカーボンを思わせるストライプが見える。この天板の中央には映画のタイトルのようなブランドロゴがあしらわれ、目を引く。それにしても、このロゴのデザイン、かなりお洒落。オーディオでは素人がデザインしたとしか思えないロゴが多い中で、これはプロのデザイナーの仕事と見た。
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フロントパネル中央に座っているグリーンに光るパワーメータ―の中にはLEDの光が、まるでキャプテンアメリカの胸についた星のマークのように放射されている。その下には電池残量を示すバーメーターも緑に輝いている。
こういう好き嫌いを分けるような派手な外観を私は良しとした。
とにかく、全体になんだかカッコ良い。好きにデザインをやっていて気持ちがいい。
見ているだけでワクワクする。
まず外観からハッキリした自己主張とか方針を打ち出す機材を筆者は愛する。
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今回取り上げるS2500は、簡単に言えば2500whの容量のあるインテリジェントなクリーン電源である。この電源は内部に格納されたコンピューターにより制御されており、電池の寿命を短くしない充放電のマネジメントやトラブルへの対応を瞬時に行う。
コンセントはリアパネルに6口ついている。一方、フロントパネルには一つもついていない。(ついていると便利なこともあるのだが・・・・)実際導入するとしたら、いくつかのシステムを部屋の離れた場所で使っている都合上、ここから長い電源ケーブルを引くか、あるいはタップをさらにここにつなぐか考えなくてはならない。タコ足配線になるのは避けたいし、タップを介さない方が音はいいようにも思うが、この重さと大きさのある機材なので設置場所は限られる。どういう配線にするかをよく考えないといけない。
もちろん、出力にはサーマル・マグネティックブレーカーがついていて、不測の事態への備えもある。これは高電流で起こるショートにも低電流で起こるショートにもマグネティック、サーマルそれぞれの特徴を生かして対応するもので信頼性の高い遮断器である。
このStromtankシリーズで面白いのは全機能の起動・停止を切り替えるキースイッチを持つことである。業務用の大きなコンピューターの電源投入スイッチに時にキーを差し込んで回すタイプのものがあるが、まさにそれが使われている。プロ用の電源にもこのスイッチがついているものがある。これは安全のために採用された仕組みなのだろう。だが、それだけでは終わらないような気もする。
キーというものは高度にパーソナルな道具であり、これがただの電源でなく、キーを持つオーナーだけが起動を許されるという意味合いを付加する。オーナーの所有欲を満たすギミックの一つと考えられなくもない。
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なお、リアパネルにはUSB端子やCAN端子も見えるが、これは内部にあるコンピューターのソフトウエアの更新用だという。これもインテリジェントな機材ならではのリア風景だが、確かにこういう端子のついた電源装置はあまり記憶にない。スマート家電が増える中、電源のスマート化もオーディオ界の新しい傾向なのか。

この電源の賢いところはいくつかある。例えばバッテリー残量が低下すると小さくブザーが鳴り、AC電源で充電しながらの運転に瞬時に切り替わる。ユーザーはなにもしなくていい。
また、よくスマートホンなどで、十分に電池が減ってから充電しないと、あとで電池の減り方が速くなるという話がある。Stromtankも基本的にはスマホと同じように、電池を使う機材だから、そういうことがあるのかと疑っていたのだが、心配はいらないらしい。
Stromtankはあくまでインテリジェントな電源装置であり、電池の残りのレベルによって充電の仕方を変えるような仕組みが働き、どこまで電池が減っていても、あるいは逆にそれほど減っていなくても、将来の充放電に問題を起こすことなく、どのような状態でも充電していいという。6000回以上の充放電に耐えるとアナウンスされているのも含めて考えると、さすが330万円の電源装置だと感心する。

内部の電池はLiFePO4であり、正弦波の出力はクオーツ制御されているなど多少の情報はあるが、中身の詳しい説明は調べてもあまり出て来ない。音を聞いてみると、その程度の技術内容では到底実現できそうにない高音質であるから、数々の企業秘密がこの筐体の中に隠されているに違いない。
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550万の上位機S5000は高さ58cm、重量115kgの巨体であり、音の上での威力を知っていても、とても買う気にならない。筆者はよりコンパクトな機材が好きだ。音が良きゃなんでもいいで済むような次元はもうとっくに過ぎている。
こうなるとよりコンパクトなS2500の方が俄然、気になる。

ちなみに昨日、外国人からS2500を大型のキャスターに無造作に積んで、移動している写真を送ってもらった。許可が出なかったので載せられないが、(日本で言う)オフ会に持ち込んだ時の写真だという。こんなユニークなS2500の使い方も面白い。電源環境をまるごと移動できる。マイ電柱と発電所のセットがこんなに小さくなったと考えることもできる。こういう使い方ができるのもStromtankの革新性なのかもしれない。S2500のガタイはそれだけ見ると小さくないが、相対的にはコンパクトなものだと言っていいのである。


The sound 

Stromtank でオーディオシステム全体に給電するようにセッティングしたうえで、バッテリー駆動と通常のAC駆動をフロントパネルのボタンで瞬時に切り替えることができる。
そのビフォーアフターの変化は大きい。
普通、このようなバッテリー系の電源機材だとノイズが減った、SNがよくなった、静かになったとかいう感想がまず出るものだが、ここではまずパワーが一段上がったような印象が来る。顕著にスピーカーからの音離れが良くなる。これほど音の飛びが良くなることは予想していなかった。電源装置を変えて、このような体験をしたことがない。
音の純度は明らかに上がって、大きな音はより繊細となり、細かい音はむしろ力強く聞こえるようになる。ダイナミックな音のうねりが瞬く間に起こり、そのうねりの中に起こる音のしぶきや渦、余韻、音色の変化、音の触感の区別が克明に耳に届き始める。音の立ち上がり、立下りもより適正になるようで好ましい。静かになるのではなく、むしろ正しく美しく騒がしくなる。
この試聴では誇張でなくリスニングルームの空気が完全に入れ替わったように感じた。なにか音波の伝導率の高い、特殊なエアーがリスニングルームに充填されたようなイメージだと思ってもらっていい。
最初に来たこれらの驚きを治め、少し気を落ち着けてから深く聞こうとしたら、ふと音場の広がりと奥行きが自然にスッと拡張されていることに気づいた。こういう俯瞰的な音場の視界の広がりというか、まるで無理のない音の放散の仕方というのは、かなり高度に調整されたオーディオシステムのみに聞かれる変化である。こういう音はスピーカーをかなりグレードアップするか、ルームアコースティックを頑張って詰めるかしないかぎり得られないものだと思っていた。空間の広がりがタップリ入った録音を聞いてみると、天井が高くなったような上方向の音の広がりさえも出てきた。これに気付いたときは、まさに仰天しそうになったものだ。録音の仕方によっては音が上から降ってくるような雰囲気も醸し出されるのである。
こうなると、今まで最高の電源環境を得るために土日の真夜中になってからオーディオを始めたり、あえて田舎にリスニングルームだけ引っ越したり、あげくマイ電柱を立てたりしなくてはいけないのかと思い詰めていたのが嘘のようだ。これほどシステム全体を覚醒させる力を持つ電源は初めてである。

この手の電源装置は導入したことが無意味と思われるほど、音質上の存在感がないモノもあるが、Stromtankはそうではなく、パワーアンプを最良のものに変えたのと似た効果が得られる。いや、330万のパワーアンプでも、このようなオーバーオールな効果は得られないだろう。なにしろ、この機材はシステム全体に対して効かせることができるのだから。大小2モデルあるStromtank のうち、S5000は容量が大きいのでシステム全体に給電したくなるが、S2500の方はパワーアンプにまで使うと、確かに容量をすぐに使い果たすのではないかという不安がある。この場合、遠慮して前段のプレーヤーとプリアンプだけに効かせることもできるが、そういう譲歩した使い方でも全体に給電した場合とそれほど遜色ない改善が得られた。これもStromtankが複数の機材の根本的な部分に介入することには、大きな変わりがないせいだろう。これならヘッドホン関係の機材などは幾つつないでもS2500一台で大丈夫だろう。
まあ、不安な人は複数個こいつを導入すればいいらしい。既にS5000を2台導入した方が日本にいると聞いているし、外国からは3台という声も聞かれた。豪快だな。1500万円のオーディオ用電源装置とは。

この装置から、電源を取ることで素晴らしいと思うのは音質上の副作用がほぼないように感じられることである。度合いの差こそあれ、音の全ての要素が良くなり、悪くなる要素を指摘できなかった。
それに恐らくだが、音調の好き嫌いを分けるようなことも起こりにくいだろう。
この手の電源装置には、必ずなんらかのクセのようなものがあるものだが、それがほぼないからだ。
普通の電源装置というにはノイズが取れて、音楽の背景が静かになったのと同時に、音楽の躍動感が目減りして、音楽自体が大人しく、あるいは小さく、遠く感じられたりする。例としてはA社やL社の電源装置がそうである。
I社の高価なフィルター式電源では音楽がクールになってしまったこともある。
躍動感は担保されるのだが、温度感が下がってしまった。高域も僅かにキンキンするようで、素直な伸びが若干失われていた。Stromtankと違って、そこらへんの改善は少なくともなかったのである。
また、かなり巨大で立派な日本製のトランスを使って、音の純度は明らかに上がったが、音のスピードが落ちてしまったという経験もある。
このような余計な変化がStromtankシリーズで聞こえない。
こういう八方美人な音質改善は滅多にないことである。
現状の出音の特徴はそのままに、良い所を伸ばし、足りないところを補完する。
これほどオールマイティな力を持つオーディオアクセサリーはほとんど記憶にない。
(アクセと呼ぶにはあまりにも巨大で重量級ではあるが・・)

マイ電柱の効果というのは、筆者は一度しか体験したことがない。その試聴で感じたビフォーアフターの変化はこのStromtankのそれに類似していたと記憶している。ただし、音の純度については僅かにStromtankの方が勝るような気がするし、音楽のダイナミズム、力感さえ少し強めに出るような気がする。電柱の方が、そこのところは強そうなのだが、筆者の思い過ごしなのだろうか。少なくとも躍動感はマイ電柱に負けないし、安定感も遜色ない。いったい、どういう設計をした電源なのか分からないが、かなり優れて革新的な機材であることは間違いない。さらに、マイ電柱といえども周囲の家屋や施設の出すノイズからは逃れられぬが、この装置なら影響を受けない。もうひとついいことを挙げるなら、オーディオ用の分電盤を特製する必要もないことだ。あれはあれでカネがかかるし面倒であるから、そこを省けるのは有り難い。

こいつは確かに究極の電源装置かもしれない。
近い効果があると考えられるマイ電柱に比べ、遥かにコンパクトで簡単に使うことが出来る。マイ電柱は想定できる最大のオーディオコンポーネントの一つだろうが、Stromtankは多少大きいにしてもキャスターに乗せて運ぶことが可能だ。
特に、マンションに住んでいるオーディオファイルにとっては、マイ電柱と同じ効果が得られる唯一の方法だろう。
ただ、やはり高価だとは思う。
マイ電柱+専用配電盤の費用は200万位でなんとかなるという話をオーナーから聞いた。これをやると簡単に引っ越せないし、家族の白い目にも耐えなくてはならないようだが、意外に安上がりだという説もある。
それとは別に電源ケーブルやタップに同じだけ凝れば、Stromtankなしでも十分にいい音のするシステムを得ることも不可能ではないと考えることもできる。
当たり前だが、総計して330万もの電源ケーブル、タップ、フィルターを使うとしたら、かなり贅沢なシステムが得られるはずだ。
仮にそんなことをしても、それぞれかなり腕自慢なアクセサリーたちなので、当然強力な個性を持つだろうから、そのせめぎ合いで出音は多少混乱することも予想される。だが、それらを巧く選んで、適材適所に配置、摺り合わせ・エージングを怠らないならば、やはりそれなりの音は出してしまうだろう。そういう高級ケーブルによる音の変化の虜になる人も多いはずで、そこの面白さを知らずに、いきなりStromtankを導入して終わってしまうのがつまらないという見方も成り立つ。
オーディオでは寄り道ほど素敵なものはないのだから、それもいい。
もう寄り道は十分やってきて、そんなリスクを踏むよりはStromtankシリーズでスマートに解決してしまった方がよいと達観した人が、こういう高価かつ効果的な電源を狙うのだろう。事実、S5000を導入した方の感想として、これまで電源ケーブルやインターコネクトケーブルで散々苦労してきたのはなんだったのか分からなくなったという言葉を聞いた。それはケーブルで苦労したからこそ吐けるセリフだと本人は気付いているのだろうか。

それから一応、今回取り上げたS2500の試聴の前に上位のStromtank S5000を使って二つのシステムを既に聞いている。結論から言えば、S2500を使った場合とS5000を使った場合の音質差は筆者にはよく分からなかった。つまり筆者にしてみるとS5000とS2500の差は電池の容量の差、大きさと重さの差、金額の大きな差、メーターのライティングを消すことができるかできないかの差、それぐらいでしかない。
また外国のオーナーも含めて、この製品に詳しい何人かの方に話を伺ったが、異口同音にS2500でも、S5000と基本的にほとんど同じ音で鳴らすことができると言う。電力消費がかなり大きいパワーアンプではS5000がやや有利かもと言う人もいたが、そのアンプは消費電力が大きいことでは有名なEinsteinのパワーアンプであったから例外的なのだろう。違うのはただ電池の持ちのみであるという話が多かった。S5000なら10時間持つシステムでも、S2500は5時間弱しか持たないらしい。もちろん上述のよ電池が切れそうになるとブザーが鳴って、自動的にモードが切り替わり、音楽は継続して鳴ってくれる。このモードでは音が鈍るが聞けなくなるわけではない。


Summary

Stromtankに価格以外に問題があるとすれば、設置や配線を多少考えなくてはならないこと、電池が貯められる電力には限りがあり、一日中鳴らしつづけることはかなわないということ。そしておそらく導入から5年経過する頃には電池を交換しなくてはならなくなる可能性があること。330万という対価は音質的には釣り合うものと考えるが、そういう特殊な制約も考慮すると、この装置の価格の捉え方は人によって異なるだろう。

電気自動車の中古価格が化石燃料車と比べて異様に安いことを御存知の方も多かろう。この種の車はどこでも充電できるわけではないし、電池の交換代金は安くはなく、その交換もディーラーの工場でしかできないため、手数料も割安でない。次にいつ交換することになるのか、明確な見通しも立てにくい。本当にペイするのか分からないのである。
このStromtankにも似た心配があることは否めない。
電池の時代は確かに来ているが、まだまだ円熟には程遠いのである。
しかしこの装置の登場が、電池とは単に便利でエコでコンパクトな手段であるばかりでなく、ハイクォリティを追求する手段にもなりうることを示したのは大きい。
オーディオは新時代に突入しなければならない。音質を向上させながら、よりインテリジェントでスマートな方向性に舵を切らなくてならない。それは険しい道のりだが、誰かが切り開かなくてはならない。
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マイ電柱を立てた人に筆者は昨晩、メールを打った。
「マイ電柱は立てなくて済みそうです。そろそろ貴方も聞いたほうがいいと思います。」

by pansakuu | 2017-10-18 23:31 | オーディオ機器

OCTAVE V16 Single endedの私的インプレッション:多様性を求めて

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進歩が生まれるのは、多様性の中の選択からであって、画一性を保持するからではない。
ジョン・ラスキン(美術評論家・思想家)



Introduction

ここのところのコーヒーブームからか、
コーヒーに関する本を書店でよく見かける。
現今、僕の読んでいる本も、コーヒーに関するインタビューをまとめたもの。
これはバリスタ達がコーヒーにかける思いを語る小さな本である。

さっき読んだこの本の中のある、バリスタの言葉が妙に気になった。

・・・・・「あの人の表現する味って、どんなものなのだろう」という理由でレストランに行きますよね。コーヒーの世界も間違いなくそういう方向に進んでいくんです。それに「あのブランドの豆を使っている」だけでは一瞬で終わってしまいます。三つ星のスターシェフやスターパティシエのように表現者として有名な人が出てきているなかで、お客様はバリスタとして優れた表現者を探すようになる。・・・・・

僕が通うカフェは東京だけでも30軒ほどあり、ほとんど毎日のように、それらのうちのどこかで何か一杯飲んでいるような生活だ。昨今のサードウェーブコーヒーブームとは関わりなく、東京に出てきた頃から、いろいろな店に出向いては店構えとインテリア、接客の態度、コーヒー・紅茶・スィーツの味質をチェツクしている僕であるが、上記のようなことまで考えたことはなかった。フレンチレストランのようにカフェでも自分の味を表現しうるという部分に僕は惹かれた。
それというのも、コーヒーだけでなくオーディオにもこういう要素があることを感じていたから。

例えばマークレビンソンの初期の製品を代表とするプロデューサー・設計者の個性が前面に出たオーディオ製品の魅力というのは、オーディオを趣味とするための主たる動機たり得る。
あの設計者の創り出したサウンドはどのようなものなのか?ここでは、それこそが僕の興味の中心である。

僕がOCTAVEというドイツの真空管アンプメーカーの音を初めて聞いたのは10年以上前だと思う。社長のホフマン氏が決めている、その特徴的なサウンドにはその当時から変わらない、独特の男っぽさや勢いが内在しており、僕の中では、他のアンプメーカーの音といつも一線を画してきた。
彼がここで高級ヘッドホンアンプに手を染めると、僕は夢にも思わなかったが、もうそんな時代になったのだろう。ハイエンドオーディオメーカーもヘッドホンを無視できなくなってきたのである。

OCTAVE V16 Single endedというヘッドホンアンプにSuper black boxという電源オプションを加えたセットを試聴した僕の感想は、ホフマン氏が表現するヘッドホンサウンドとは、今まで慣れ親しんできたOCTAVEの音そのものであるということだ。そして、この音の個性はヘッドホンの世界に初めて持ち込まれるものでもある。これは恐らく万人受けしない音、比較的無個性な音を指向する日本の普通のヘッドフォニアにはウケない音かもしれないが、とにかく斬新かつ容赦のない音であって面白い。僕は聞き入ってしまった。


Exterior and feeling

随分と変わった形のアンプである。フロントがタテに細長い。建築でいうと、繁華街にある雑居ビルのような形だ。こういう建築は最上階は斜めにカットされて日照を確保している場合があるが、そこのデザインまで似ている。上部はスリットの入った真空管の保護カバーであり、一番下に入力切替と大き目のボリュウムノブがある。アンプのカラーはいくつか指定できるようだが、マットブラックよりは、ジャーマンシルバーの方がこのメーカーらしい雰囲気となると僕は思う。また、ホワイトという他の機材ではあまり見ない仕上げも用意されているが、これも捨てがたく綺麗な仕上げだ。全体の大きさとしては意外と小さく、占有する床面積は少ないが高さはあるので、普通のラックの二段目には入りにくそうだ。やはりこれはデスクトップに置くべきアンプだ。

リアパネルでは大きなヒートシンクとL/Rのスピーカー端子がついているのがまず目に付く。こういう類の、普通のスピーカーを鳴らすアンプなのか、ヘッドホンアンプなのか、どちらともつかないようなアンプは、経験上は中途半端な音しか出せず、ほとんどロクなモノはないので、僕は心配になった。だがホフマン氏の説明によるとV16 Single endedはヘッドホンがあくまでメインという話であるから信用することにして試聴に臨んだ。OCTAVEには、かなり立派なスピーカー用のアンプがいくつもラインナップされているから、スピーカーを鳴らしたい人はそっちを買うべきだ。こんなスピーカー“も”鳴らせますよなどという余計な配慮はいらない。
大体、このクラスのヘッドホンアンプを買う人間はそれなりのスピーカーシステムを既に持っているか、少なくともそれは十分に経験済みである場合が多いのではなかろうか。その意味でも中途半端なプリメイン機能は排して、ヘッドホンに全力投球して欲しいものだ。
とにかく今回はこのアンプにはスピーカー端子はないものとして、話を進めたい。
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リアパネルにはRCAとXLR両方の入力端子が備わっており、選択できる。だがV16Single endedというネーミングを考えると、中身はおそらくシングルエンドの構成であろう。XLRは疑似バランスと推測される。したがって今回はRCA入力のみで試聴した。なお送り出しはマランツの中級クラスのSACDプレーヤーであった。

使用できる真空管 としてKT120がデフォルトらしいが、お好みでKT150、KT88、6550、EL34を差し替えて使えるのがまず面白い。替えるとそれぞれで異なる音質傾向が生まれるはずである。ポタアンでオペアンプを入れ替えて愉しむという話があったが、経験的には、真空管の種類を変えることは、オペアンプよりもずっと大きな音質変化を生む場合が多い。もしこのアンプを買ったら、真空管をとっかえひっかえする愉しみは大きいだろう。
OCTAVEと言えばKT120や150などをプッシュプルで使うアンプメーカーというイメージがあるが、このアンプでもその手法を踏襲していると取れる。ただOCTAVEの多くのアンプはAB級動作なのだが、このヘッドホンアンプはA級動作らしい。ちょっと設計を変えてきているのかもしれない。
また、OCTAVEはトランスから入力ソケットまで多くのパーツを自社で設計製造し、オリジナル部品の比率が高いこと、真空管アンプの長期安定動作のためのソフトスタートと保護機能を完備すること、MOS-FETを使った安定化電源を持つことなどを特徴とするメーカーでもあるが、V16 single endedも、その部分はOCTAVEの他のアンプと同じ内容をもっている。
カタログやネット上の情報からアンプの内容を調べていると、ホフマン氏の真空管に対する思いが伝わる。もともと管球式アンプの設計経験はかなりある会社であるが、真空管をそれらしい懐かしさ満載の音を出すために使っているのではないようだ。あくまで現代のオーディオの水準をクリアし、求める音質を得るために必要なデバイスとして真空管を認めているように見える。特に真空管を動作させる電源部の造りにそういう視点を感じてしまう。

なお、OCTAVEのアンプには以前から外部電源のオプションがあって、BOXの名で呼ばれていた。このBOXの中身は、もともとトランス屋であったOCTAVEがオリジナルで作っている大容量のトランスであり、いくつかグレードがあるのだが、今回はその最上位であるSuper black boxを接続して聞いた。
僕は以前、オクターブの上級クラスのパワーアンプとプリアンプの組を取り寄せて試聴したことがある。この時、Boxの有る無しも比較したが、はっきり差を感じた思い出がある。簡単にいうとBoxを接続すると音がグーンと伸びた。こちらに迫ってくる度合いが明らかに強くなるのだ。
こういうオプションを設けているアンプメーカーはほとんどなく、ユニークなアイデアだと思うのだが、このBoxは結構大きいので、ちょっと困る。これだけでかなり大き目のヘッドホンアンプぐらいの図体である。これをV16 Single endedの脇に置くと大掛かりな印象になる。
また、このBoxの面白いのは外部電源装置ではあるが、そこに直接電源ケーブルを接続する形ではないということだ。アンプのリアパネルに専用端子がありそこにBoxから出ているケーブルの端子を接続するだけである。電源ケーブルはあくまでアンプ本体に挿さっている。内部にあるトランスを増設するような働きがあるのかもしれない。

システム全体の外観としては正直、あまり格好良くない。素人が作ったようなアンプに見える。子供が夏休みの宿題で牛乳パックでつくった工作みたいな、かなり微妙なフォルムである。真空管の美しさを前面に出すわけでもなく、かといって全く見せないようにするわけでもない。中途半端な形。いい音がするように見えない。ただ妙に印象に残ることは確かだ。こんな形のヘッドホンアンプは見たことがないから。だいたいOCTAVEのアンプというのは最上位はともかく、それ以外はどれもデザインらしいものに気を使った形跡がない。OCTAVEは外見で洒落(しゃれ)ようという気があまりなさそうである。
OCTAVEがヘッドホンアンプを出すこと自体は大歓迎であるが、こんな見てくれのアンプが120万円の価値のあるものなのか?この外見ではサウンドがよほどなものでないかぎりは話にならない。

また価格の話はしたくないが、OCTAVEのアンプが日本に紹介された当初はセパレートのプリとパワーあわせても130万円前後という設定だったように記憶している(うろ覚えだが)。今はこの小さなアンプ単体で、それとほぼ同価格である。OCTAVEもいつのまにかかなり高価になってしまった。私の感覚ではOCTVEのサウンドは当初から完成されたものであって、現在にいたるまで大きな変化はないと思う。なのに値段が高くなったのは何故?やはりオーディオは青田買いに限る。


The sound 

OCTAVE V16 Single ended では、4pinのバランス端子とシングルエンドのイヤホンジャックがフロントパネルに見えるが、Single endedと銘打つとおり、中身はシングルエンド構成だろうから、4pinのバランス端子は疑似バランスじゃのないか。それゆえ今回の試聴はRCA端子を入力に使うのと同じ作法で、シングルエンドのイヤホンジャックだけを使い、MDR-Z1R、HD800s、TH900Mk2などを使って音の傾向を探ってみた。
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まずちょっと驚いたのは音を出す前にヘッドホンを装着した瞬間。確認のため幾つかのヘッドホンを接続して、ボリュウムを上げて試してみたりしたのだが、少なくとも僕の使ったヘッドホンについては背景のノイズがほとんど聞こえなかった。例えば、マス工房の406の製品版や改良前のGoldmund THA2などでは、ヘッドホンの能率とゲインの組み合わせの問題なのだろうが、はっきりノイズが聞こえる場合があった。
真空管アンプとは多くの場合、ややノイジーなものであり、SNの面で厳しいところがあるのは常識である。だが、このV16 Single endedはその点でかなり優れる。ライバルとなるFostex HP-V8も真空管アンプとしてノイズが低いが、聴感上はほぼ同等の静けさがある。なお、このような真空管アンプの電源についてはグランド分離によりノイズが減るケースがあるが、今回はそのような仕掛けは用いていない。プレーヤーのPLAYボタンを押し、ボリュウムを上げてゆく。
ハービーハンコックのRockitのイントロが流れる。
これは強い。こんなに音圧があるのか。
辛口の引き締まったサウンドで、真空管アンプとしてまずイメージされる緩くて甘美な音が全然出て来ない。鼓膜にガツンと音波をぶつけるようなダイレクトなサウンド。音が飛んでくる。音離れがいいというのはスピーカーオーディオに使う表現だが、思わずそうつぶやきたくなる。ホーンスピーカーをニアフィールドで聞く快感をヘッドホンで味わえるとは。Rockitにしっくりと来る方向性だ。メリハリ、コントラストの強い立体的な音の塊が鼓膜に次々と迫り、ぶつかり、砕ける。
ここではロックやヘヴィーメタル、ラップはとても新鮮に鳴り、良い結果を出す。だが、クラシックやアニソン、Jポップではどうも合わない曲が多いか?いや、音楽のジャンルで合う合わないがあるというよりは、激しくストレートな訴えかけのある音楽がアンプに合っていて、萌えの要素が強かったり、アンビエンスが豊かに取り込まれた音作りをされた音楽が不得意なのだろう。
このアンプのサウンドは、音像、そして直接音が主眼である。荒々しく、時に暴力的とさえ映る音圧に押し出されてくる音像が刺激的だ。
どんな曲を送り込んでも、明晰さを堅持して、弱音すら克明である。
これは、いわゆる上手い音作りとか無難で万人受けする音を狙ったものではない。あくまでホフマン氏の”オレの音”が出ているように思う。芯のある低域をコアとするドスの効いたサウンドを全身で浴びるようなリスニング。全身などという言葉はヘッドホンではあり得ぬはずだが、なにかこう全身で受け止めざるを得ない気迫が宿っている。こんなに強い音は飽きるのも早いと言い訳をして避けて通りたいと思う心が、ヘッドホンをひとまず外した後の心地よい疲労感によってじわじわと侵食されてゆく。こんな痛快さは久しく聞かなかった。聞き疲れがあるのに病みつきになりそうだ。

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このサウンドには一対一の戦いの兆しが感じられる。真剣で命のやりとりをしそうな覇気がある。こいつはBLEACHのキャラクターである更木剣八のような雰囲気を持つアンプだ。戦いの刹那・刹那だけを愉しむ者であり、危険な遊戯を仕掛けるオーディオマシーンだ。とにかく聞いていてゾクゾクするような嵐の予感が背筋に来る。凄いなと素直に思う。

空間的な見通しは良くはなく、音場の透明感もほぼない。ホールエコーの広がりなどは申し訳程度に聞こえてくるが、背景に空間の広がりを意識しづらい。そのかわり音像の厚みは、ヘッドホンアンプとして異例なほどの分厚さである。この際、空間性の欠如などは捨て置こう。
腰の据わった重たい音が腹に来る。時に邪悪ささえ感じさせる黒っぽいリズムが刻まれる度に、グーンと伸びてくる低域の存在感が際立つ。この低域がサウンドの重心となり、定位に揺るぎは感じない。この低域の分解能はすこぶる高く、この帯域が緩くなるタイプの真空管アンプとはまるで異なる。この低域の充実にはSuper black boxが一役買っているはずだ。だが、普通の真空管アンプファンはこの低域を快く思わないかもしれない。例えばHP-V8の低域のゆとり・ふくよかさとは180度、方向性が違うのである。
(なおSuper black boxを外すと音の伸びは控え目になるが、全体に音が締まるという話もあり、Super black boxなしの音の方を好む方もいるらしい。この試聴記では取り外して試聴しなかったのでわからないが、少なくともホフマン氏はSuper black boxを必ずしも推さなかったとは聞いていた。)(追記:なお、後日、全く別な場所でSuper black boxを外した状態で試聴できたのだが、高域の滲みや粗さが目立ち、低域の伸びやかさ、丁寧さが明らかに劣る印象だった。確かにこの時はKT88が使われていて、先に公開した試聴記で使っていたKT120ではないので一概にBOXがないせいにはできないが、やはりあった方がいいと思う。)
逞しい骨格と筋肉を誇るボディビルダーのようなマッチョなサウンドでありつつも、鈍重さが一切ない。ハイスピードな出音であり、音の瞬発力はかなり高い。現代の最新のアンプに要求されるレスポンスの良さを十二分に備えたアンプだ。スカッとしたヌケの良さが発音の末尾に常に付け加わるような気配もあり、必要以上の音の粘りは感じない。また、音の温度感がやや低く、ことさらに熱気を感じないのは意外だ。クールでサラッとした音である。これはこのアンプの持つスピード感と関連するのだろう。
さらに、やや確信犯的だが、音のエネルギーが中域あるいは中低域にやや集中している。ただし全帯域を少し離れて眺めれば、どうやらナローレンジな音作りにはなっておらず、むしろ真空管アンプとしては高域方向、低域方向にもかなり伸びているワイドレンジな部類らしい。

克明な音像、中低域の力感と高い分解能、反応速度の速さ、鮮度とキレのあるスパイシーな音というのが、このアンプのサウンドを聞いてすぐに思い浮かぶ言葉たちだ。これらは全てOCTAVEのスピーカー用のアンプにもあてはまる特徴である。だが、もう一つの要素がOCTAVEのアンプにはある。力で押す、テンションが張った音の中に、他のアンプには滅多に聞かない、各パートの調和と一体感が表現されている。最新のアンプともなれば各パートの音の分離の良さで性能を誇示するアンプが多い中、このアンプでは逆に渾然一体となった様々な楽器の音を堂々と提示する。この特別な音のブレンド感がV16 Single endedの音に深みを与えている。これがホフマン氏の音の核なのだろう。

このアンプに見合うヘッドホンは何か?その問いに正確に答えるにはまず、このアンプのオーナーになる必要がある。だがそれはなかなか大変なので、私がここで試した限りで選ぶとすると、Audeze LCD-4が最も持ち味を引き出していたようだった。平面磁界・全面駆動のヘッドホンは能率が低いところがいい。このアンプはあまりにもパワフルであるため、能率の高いダイナミック型は粗さが出やすい。また、使い慣れたMDR-Z1Rのような密閉型では、頭の中が拡張された音像でいっぱいになって狭くるしい。開放型の方がいい。またSusvaraを使うと、特徴的な高域がさらに華やかになり、この部分の音色の美しさは比類ないものと取れるが、低域の支えが薄いので好みを分けるような気がした。対するLCD-4は帯域全体のバランスがよく、音質上で欠点を指摘しにくい。MASTER1やFocal utopiaでも試してみたいが、その機会はあるだろうか。とにかく、最新型のLCD-4(初回版から既に5回の振動版の変更を経ており、付属のケーブルもキンバーに似た形のものに変わったが・・・・)は私の聞いた限りではV16とベストマッチと思われた。

妖艶さを盛り込んだ色彩感豊かでしっとりと優しい音というのが、大半の真空管アンプが奏でる音のイメージだが、そのような真空管アンプの標準語の発音・言葉使いとは異なる、いわゆる“方言”を駆使するヘッドホンアンプと言える。このような訛(なま)りを持ち、音に同等の十分な説得力があるヘッドホンアンプをかつて一つだけ知っていたが、V16のサウンドはそれを上回るような、狂おしさ・重苦しさにまでつながるサウンドかもしれない。
かつて、G ride audio GEM-1という個性を手放してしまったのを悔やんできたが、全く同じではないにしろ、多少とも似た雰囲気を持つアンプにやっと出会うことができた。


Summary

人間にはある問題が出会った時に、正解は一つだと考える多少スクエアな人と、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないと柔軟に考える人がいる。
オーディオという趣味は、良い音とは何かという問題の解を求める試行錯誤であると考えることができるが、その始まりは大抵の場合、一つの理想を追う姿勢に終始する。一つのシステムをグレードアップして自分にとっての理想の音に近づけようとするのである。その過程で我々は様々な機材やシステムを通過し見聞を広め、自分で構築したシステムを味わい、味わい尽くしては飽き、システムを入れ替える。
それを繰り返すうち、色々なサウンドを聞いて達観する。理想の音は一つではないと。
つまり絶対的な一つの解があるだろうと考えて追求しているうちに、正解は複数ありえて、それらは互いに排他的ではないかもしれない、あるいはオーディオとは正解はないが不正解はあるという世界なのでは?という方向に考え方が変わってくる場合があるということだ。つまり多様性に目覚めるのである。

僕がやっている、色々な場所で様々なコーヒーを飲むという行為も、この多様性を求める行動の一環と捉えることができる。
様々な産地、様々な気候・土質そして品種、様々な製法で作られた、多様なコーヒー豆を吟味選択し、バリスタ達はそれぞれに異なる抽出法でもってコーヒーを淹れる。コーヒーの味というのはバリスタごとに異なるし、その日ごとに、一回として全く同じ味で淹れることはできない。これは一期一会がもたらす多様な味の表現なのである。
毎日、その多様性を求めてコーヒースタンド・カフェを渡り歩くことは、まずは究極の一杯に出会うための旅であるし、最後には究極の一杯が複数あることに気付くための旅でもある。
僕のオーディオもコーヒーに似ていて、その中にあるハイエンドヘッドホンというジャンルも、そういう旅のようなコンセプトを持っていると見て差し支えない。
ヘッドホンオーディオを続けるということは、とあるヘッドホンサウンドに出会うための旅であり、また、いくつもの個別なヘッドフォニアの世界があることを認めるための旅なのである。

僕はいつも多様性の中に身を置いていたいと望む。この多様性の前提とは、世界に単に多くのモノがあることだけではなく、互いに明らかに異なる、多くのモノが並立することが重要である。だから僕という人間はいつも自分の知らないモノを求める。自分の知識に既に有るモノとは異なるモノを探している。そして、V16 Single endedは僕が求めるモノに当てはまるのだ。こうして僕は、ヘッドホンサウンドの優れた表現者の一人としてOCTAVEのホフマン氏の名前を新たに記憶に刻むことだろう。

現代は複数同時展開する使徒のごとく、予想外に多くのハイエンドヘッドホン機材が選べ、比較的簡単にそれらと手合わせできる時代である。真空管式のハイエンドヘッドホンアンプに限っても、Fostex HP-V8、STAXのT8000、Sennheiser HE-1、Hifiman Shangri-la、Blue Hawaii、Woo audio WA-234などがあり、どれもマニアの間では、それなりに話題にのぼっている製品だと思う。
またハイエンドに限らなければ、ArtifactNoiseの新作アンプや山本音響工芸HA-02、izo iVHA-1、東京サウンドValveX-SE、Musical SurroundingsのFosgate Signatureなども面白かったし、実際に世話にもなった。僕はWoo audioの製品を除けば、ほぼ全てを聞いているつもりだが、今思えば、どれ一つとして同じ音を出すものはないばかりでなく、それぞれに他とはかなり違った、個性的な音調を発揮しているものが多い。つまり思い返せば、僕の中で真空管式のヘッドホンアンプはソリッドステートのものよりも個性派揃いなのである。ここまであえてやってきた、柔らかくて甘美で艶のある音などという勝手なくくり方をすべきではなかった。
(それは知っていたが、話の流れからすれば、とりあえずそうしておくしかなかった)
そして、その中でも最も個性派と思われるのがこのV16 Single endedである。

V16 Single endedの鉄壁の個性を聞き、ヘッドホンの世界が多様性に溢れ、深く広くひろがりつつあることを僕は改めて確かめた。実際、このジャンルは未開拓であり、発展途上である。遠くまで自由に歩き回るにはまだ障害が多く、この広大な荒地を好き好んで歩く僕のような者もまだ多くない。しかしだからこそ、やりがいがある。このジャンルに十分に投資するメーカーもオーディオファイルも、新世界の開拓者としてオーディオの歴史に名を刻むチャンスがある。対するスピーカーオーディオは、いくら開発費を注ぎ込んでも、音質の向上率が頭打ちのように思えてならない。カネがかなり有り余っている人間でないかぎり、スピーカーによって新しいオーディオの可能性を追求することはできなくなってきている。またスピーカーの世界は年季の入ったハイエンドメーカーやユーザー達がひしめいていて、いくら努力しても、その分野の先駆者として認知されることが難しい。この状況を理解しているならば、僕がスピーカーオーディオの世界からあえて距離を置く理由も分かるはずだ。
OCTAVEのようなスピーカーの世界で定評のあるハイエンドメーカーが、この新世界に参入することを、一人のヘッドフォニア、そして一人のオーディオの観察者として歓迎してやまない。
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by pansakuu | 2017-09-01 00:46 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1製品版の私的インプレッション:神話を継ぐもの

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神話とは、世界の始まりに起こった一回きりの出来事の記録であり、
後世の者が規範として従わねばならぬ、不可侵の物語として位置づけられる。
定義集より



製品の発表から一年あまりを経て、
やっと販売が開始された製品版のSennheiser HE-1を僕は聞いてきた。
ハイエンドなヘッドホンを嗜好し、これを消費する者から見ると、特別に優れたヘッドホンを使いながら、専用のドライブアンプに残念な部分を残していたプロトタイプのHE-1だったが、製品版では細かい欠点を改め、全てのスペックを確定し、完成したハイエンドプロダクトとなって日本に再び上陸してきた。
僕はこの機材のプロトタイプを数回にわたって試聴してきたが、いつも正味5分くらいの短い試聴ばかり、いかんせん製品版でないこともあり、どうも腑に落ちないというか、600万円の対価にふさわしくないシステムだという印象が拭えなかった。
今回の製品版に対する試聴会は、以前のプロトタイプを聞く会と異なっていて、一人当たり30分前後という、音のあらましを掴むのに不十分とは言えない試聴の時間が与えられていた。

そこで僕が聞いたHE-1の音は、かなり良くなっていた。
以前に聞いたプロトタイプに比べて随分と練り込まれたサウンドと感じた。
もう単純に高音質を狙うなどという、ありふれた領域は通り過ぎ、その先の精神的な境地、アートの世界にまで入りつつあるように聞こえた。これはオーディオについての豊かな経験・深い造詣を持たないと創造できない音の骨格、そうでなくては想像することすらできない音の細部を聞かせるシステムだと感じた。

とはいえ慌てて、入手してもいない機材の音質について詳しく話す必要はないし、そういう気分でもない。
それよりも今回は外観などの音質以外の点で新たに分かった、購入の検討の際に役立ちそうなことを中心に書きつらねておく。音質の話などは今は話半分でいいのだ。
ここでは、この途轍もないヘッドホンシステムHE-1のコンセプトを正しく把握することが重要だと思う。
なにしろ単純に音質だけがHE-1の存在意義ではないというのが僕の結論なのだから。
なお、例の如く細かいデジタル入力規格や周波数特性の数値などスペックに関してはゼンハイザージャパンのHPに公開されているので参照してもらうことにして、
ここではそこに書いていないことを中心に話す。

まず耳の痛い、価格に関係した話題から。
白い大理石のシャーシのオプションでヘッドホン一個、リモコン、運搬用コンテナ、マイクロファイバー製のクロス、シルクの手袋、USBに入ったwindows用のドライバー、納入される実機の測定結果を記した書類、ブックレットになっている日本語取説などが付属する標準仕様のHE-1は税込で648万円になると決定している。なお一部で噂はあったが、予備の真空管は付属しない。(追記:最近、ヨドバシのHPで720万円のプライスタグで売られているのを見たが、私がこの文を書いた時は確かに648と聞いた。720では流石に他の選択を考慮せざるをえない。)
日本には一台のデモ機があるのみで在庫はなく、完全受注生産品であるが、台数や受注期間は今のところ限定されていない。
実際の売買はゼンハイザージャパンに直接メールなどで購入の意志を伝え、契約書を取り交わすことから始まる。税抜き代金の20%を前金で支払い、オーダーが成立。ドイツ本国で製造が開始され、約2か月で実機が日本に到着、残金を清算し納品という流れだ。これは高額なオーディオ機器としてはやや異例で、普通は前金や契約書がない場合が多いと思う。
こういった特殊なモノを作る会社は個人でやっている場合も多い。契約書を交わさず、大金を振り込んだあとで、その個人が病気や事故などで突然、生産不能になった場合には、資金の回収できなくなることも考えられる。普通の会社でも倒産はありえないことではない。通常は代理店や販売店が仲介するからいいとはいえ、これだけの現金を戻すのは彼らにとっても楽ではないだろう。やはりこういう契約の締結や前金→後金という慎重な過程を経ることも、現代では必要なことなのかもしれない。
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選択できるオプションとして、二人で同時に聞くために、もう一台ヘッドホンを追加すると約300万ほどかかる。僕はこれを重要な数字と考える。それというのもヘッドホンだけで300万円という話を聞いて初めて、このHE-1の価格設定に納得できたから。HE-1はギミックのあるアンプ部に注目が集まりやすいが、あくまでヘッドホンが主役であるのが、ここで判明したのだ。実際の内訳として150万円のアンプ、150万円のDACに300万円のヘッドホンと考えるとハイエンドオーディオとして一応の筋は通っているかもしれない。もちろん、これはRe leaf E1シリーズやTHA2などの既存のハイエンドヘッドホンアンプの存在意義とその価格を踏まえての話だし、僕がこのHE-1のヘッドホンが300万円すると言われても驚かないという身分不相応な金銭感覚の持ち主であることも考えに入れるべきだろうけれど。

標準仕様は白い大理石のシャーシで設定されるHE-1だが、黒い大理石を選ぶこともできて、その場合はプラス120万とのこと。また黒色の他、赤や黄色の大理石も選べるが、これらはオーダー後の見積もりとのこと。おそらくその場合は200万円前後の割増料金ではないかとのこと。
なにせ大理石のシャーシは歩留りが悪い。自然物を切り出し、削り出すのだから仕方がない。ゼンハイザーの基準に見合うシャーシが低い確率でしか得られないため、捨ててしまうものが多くコストが非常にかかると言う。大理石に浮かび上がる模様はもちろん選べないし、同じものは世界に一つとしてない。
試聴しながら、標準の白い大理石のシャーシを注意深く見ていたのだが、恐らくこのシャーシは大理石を削っただけではなく、なにかで石をコーティーングして割れにくくしているようだ。これは初期のプロトタイプとは異なる仕上げではないか。そういえばRe LeafのE1Rの大理石のボリュウムノブが割れる話を聞いた覚えがあるが、こういう表面の保護もこのクラスの機材には必要なのだろう。

大理石のシャーシの肌理を触っていると、このような威容を誇るオーディオ機器の筐体は稀だと思う。以前、森や川は消滅と再生を繰り返す不滅の存在だが、大理石は変わらない永遠の存在だという文章を読んだことがある。その時、僕は不滅と永遠の違いを知った。
大理石をヘッドホンアンプに用いて、ヘッドホンサウンドにも変わらない永遠の価値を与えたかったのだろう。また、ギリシャのパルテノン神殿の柱は大理石でできているが、大理石というものは西洋では神殿の枕詞のようなもの、ただちに神を意識させるものでもある。
神秘的な雰囲気を、単なる音響家電に与えることを意識して、大理石を使っているのかもしれない。
公式には大理石が放熱に効くという説明がなされているが、後付けのような気がしてならない。
機械的、音質的な影響はともかくとして、ここで外観上は大理石のシャーシを奢ったことは成功だった。大理石シャーシの採用があってはじめて、このヘッドホンシステムがアート・芸術作品という視点から語れるようになる気がする。
このような重厚さ、厳めしさは大理石以外の素材では出しにくい。ハイエンドヘッドホンに絶対的あるいは排他的とも言える威厳を添え、オーナーの所有欲を溢れんばかりに満たし、ハイエンドヘッドホンというジャンルの構築にかける意気込みを示せる。
芸術作品としての品格を備えたオーディオ機器はもともと少ないけれど、そこにヘッドホン専用の機材が含まれるようになったことはとても面白いし、新しい時代の到来を予感させる。

それから、標準の3mのヘッドホンケーブルを5mに変更したい場合は24万ほど加算である。なかなかの価格であり、よほど特殊なケーブルなのかと思う。
また、HE-1は高価で、売り方が少し規格外とはいえ、日本で買おうと思えば誰でも買えるものだから、日本のPSE規格に適合している。よって付属する電源ケーブルはこの規格の関係で汎用品になるが、要望があれば別なケーブルも用意できるとのこと。ここらへんも応相談である。さらに真空管周りのブロックやヘッドホンボックスの色を赤に変えたり、真空管の保護チューブのキャップをゴールドに変えたりすることもできるようだが、その価格は訊かなかった。黒い大理石のシャーシは憧れであるが、その他は自分には関係ないオプションだと思ったからだ。

この製品については、世界で既に30数台が売れており、日本でも一台だけだが売れていて、納品は終わっているとのこと。HE-1は輸送時、木製の大きなコンテナに入っており、日本では専用のリムジンをチャーターして配送される。リムジンの手配はドイツ本国からの指示だという。こういう配送の仕方もハイエンドオーディオ機器としてはあまり類例がないように思う。それから、木製の大きなコンテナは元箱として価格に入っているが、オーナーはこのコンテナの置き場所も考える必要がある。意外に元箱を捨ててしまうオーディオファイルが少なくないが、メンテや故障の場合に役立つので持っている方が僕はいいと思う。なお、HE-1については三年に一度の、本国送りになるかもしれない定期メンテナンスも推奨されているので、その意味でもこの箱の保存は必要だ。なお保証期間は5年。永久保証というわけではない。

製品版のヘッドホンやアンプの外観についてはプロトタイプに比べて目立った変化はない。
ヘッドホンの外観はプロトタイプとほぼ全く同じ。左右のイヤーカップに内蔵される、増幅の最終段としてのA級アンプの内容はともかく、外観上はきっとなにも改良していないのだろう。
アンプの外観についてもボリュウムノブやセレクターの周りにアルミの丸い枠がついたことくらいしか違いがない。
足は平たい4つ足であり金属製のボトムプレートに直接ついており、底に滑り止めのゴムのような材質の円盤が付いている。また、高さを調整する機能はないようである。つまり十分に平らな置き場所が必要だ。これは重心が低いシャーシであり、放熱孔は底面にも表面にもないようである。一方、放熱が必要な真空管は全て石英ガラスのチューブに入れたうえで、向かって右側にあるブロック上に立てて配置される。これらの真空管はスプリングを介してマウントされ、石英のチューブは空気を伝わってくる外部からの振動を防ぐためにあるという。HE-1は真空管まわりについて振動に気をつかった仕組みを持っている。
この構成・位置だと真空管の放熱には良いが、あまりにも剥き出しなので、不意になにかが飛んでくると真空管を直撃することがあり得る。でも条件付きで心配無用というか、御存知のギミックにより、HE-1を起動していない状態であれば、真空管は引っ込んでおり、その危険はない。こうして実際に使うことを考えると、これらのギミックが、まず見栄えのため、それから真空管をスタンバイ状態に持っていくまでの時間を稼ぎ、真空管の寿命を延ばすため以外にも役立つことはありそうだ。
なお、これらの真空管の発生する熱は、アンプが半導体とのハイブリッド式の構成をとることもあって、フルドライブでも問題なく触れるほどのものだった。真空管を容れるチューブの銀色のキャップの部分を触ったが50度くらいだろう。夏でも使える。例えばNagra HD DACでは機材の内部温度測定と内部の真空管に電源投入したトータルタイムを記録する機能があり、内蔵の真空管の寿命をある程度知ることができるが、HE-1にはこのような機能はない。したがってメンテナンス時に真空管についてメーカー側で調べてもらうしかないだろう。ただ、この温度であれば、そう頻繁に真空管を入れ替える必要なないと予想する。
また、真空管の放熱という点に関してHE-1の日本語マニュアルを読むと周囲に5cmくらいの空間が必要とある。Fostex HP-V8でメーカーが推奨している空間の空け方よりもずっと小さく、セッテイングは比較的容易である。

DACやアンプの内部の仕様についてはHP等で発表されている以上の情報は未だにほとんどない。どのように基板がマウントされているのかすら不明。
運良く手に入れたとしても、このシャーシの中身の写真は撮れそうにないというか、撮る勇気はなかなか出ないと思う。大理石は重くてデリケート、モーターによるギミックあり、ヘッドホンボックスの天板はガラス製、真空管に石英のチューブ付きと来たら、内部の仕組みをあらかじめ熟知しないものが、HE-1をひっくり返したり、中を開けてみるのは危険だ。とにかくDACはES9018が片チャンネルごとに4個づつ、パラレルで使用されているということ、真空管とソリッドステートのハイブリッドのヘッドホンアンプ部(HVE1)とヘッドホン本体(HE-1-HP)の二段増幅になっていることぐらいしか、内容について私は知らない。
最近、DACの基板の写真を見て、実際の出音と比べたりしているプロの方のブログを読んで感心したが、オーディオ機器を訳も分からず、ただ使いまくるだけの全くの素人の僕には、ああいう技術的なコメントもできないから、その意味でもHE-1の中身を見るなんて無駄だろう。僕にしてみれば、中身はどうあれ、見てくれと出音が良きゃいいというわけだ。

次は、不要との指摘もある、本機特有のギミックに関して話そう。それにはまず起動の仕方についておさらいする必要がある。背面のメインスイッチが入った状態で、まだ起動されてないHE-1はボリュウムノブとセレクタが引っ込んでフロントパネルとツライチの状態になっている。ボリュウムノブの頭が起動ボタンの役割をしているので、これを軽く押し込むと真空管がせり上がり、ボリュウムノブとセレクターが前にゆっくりと飛び出してくる。同時にヘッドホンケースの蓋が開き、ヘッドホンを受け止めているクッションもせり上がるという具合である。これらの一連の動きが終わるとヘッドホンボックスからヘッドホンを出して聞ける状態になる。また、リスニングが終わったらもう一度ボリュウムノブを押し込むと、上に述べたのと反対の動きで片付けが始まる。
これら全ての動きが内臓された数個のモーターにより自動で進んでゆく。このようにオーナーに、私の音を聞きなさいと促すような動きをするオーディオ機器は初めてである。
この動き自体は音質にあまり関係のないことは間違いないので、最初の試聴の頃、僕はこのギミックを快く思わなかった。だが、何度もこの儀式を眺めているうちに、この動きなくしてHE-1は特別な存在になりえないと思うようになった。

HE-1自体、HifimanのシャングリラあるいはシャングリラJrやRe Leaf E1RやMSB Select DACのSTAX専用システムなどと比較されがちであるが、そういう比較はオーディオを音質という視点からのみ見てしまうという、普通のオーディオファイルにありがちな間違いなのかもしれない。例えば、それらのアンプにはこういう動きの側面がそもそもない。その視点から見ればHE-1は目指した場所、立っている土俵が違う。ヘッドホンやヘッドホンアンプは従来のスピーカーやアンプよりも、よりリスナーに近い位置に置かれることが多い。その状況で機材に動きがあると、スピーカー関係の機材に比して、もっと強くリスナーの音楽を求める衝動に働きかけ、高揚させることができるかもしれない。こういうコンセプトは今までに僕が扱ってきた、どのオーディオ機器にもない側面だろう。
また、このギミックの付加は、優れたオーディオ機器とは、その静的な外観のデザインのみを云々するだけでなく、動的なギミックも含めてデザインとして評価すべきという立場を示しているのではないかとも思う。

製品版HE-1では、金属を切削して作られた、オリジナルデザインのスタイリッシュなリモコンBFI-1が新たに付属している。単体で25万円もするが、上質な仕上がりのコンパクト・スリムなリモコンであり、付いていて腹は立たない。標準のヘッドホンケーブルは3mもあるのだから、遠隔操作ができる装置があっていい。このリモコンでボリュウムの調節、入力選択、クロスフィードのかけ方に強さの3段階の調節ができるだけでなく、ヘッドホンケースの蓋の開閉ができる。(本体に、この機能のあるスイッチがないようだ)
ここは僕にとって、ヘッドホンの価格と並んで、もう一つ重要な点だった。僕は出来るだけ蓋を閉めて、背面にあるもう一つの端子にヘッドホンをつないで聞きたいので、この機能があるかどうかが気になっていた。
今回の試聴で、起動して蓋を開き、ボックス内の端子からヘッドホンを外し、背面の二つ目のヘッドホン端子につないだうえで、リモコンで蓋を閉じてリスニングを没頭するという流れがやっとイメージできた。
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では、ヘッドホンがボックス内の端子に繋がれている状態で、リモコンで蓋を閉じるボタンを押すとどうなるのだろう。ヘッドホンケーブルを蓋が挟んでしまうということにならないか。この場合の対応についてはマニュアルに書いてある。ここでHE-1本体はヘッドホンの接続状態をいわば認識しており、ヘッドホンケーブルを咬む寸前で蓋の下降が止まるという。並みの設計者・メーカーなら箱の縁にケーブルが通る小さな切欠きを入れるだけで解決しようとするだろうが、収納ボックスの美観をそこねる安易な方法はとらないというのだろう。

やや暗い試聴室でオレンジに底光りする真空管の並びと白い大理石のコントラストを眺める。LEDで指標され位置を視覚的に確認しやすいうえ、滑らかに動くボリュウムノブに触れる。この感触もプロトタイプよりも良くなっている。USBなどの入力を切り替えるセレクター、クロスフィードのかかり方を変えるノブのクリック感を指先で味わう。こうしていると、音質以外の点でHE-1の洗練度の高さを感じる。ハイエンドオーディオ機器に備わっているべき心地良い操作感がこのマシーンにはある。
特にボリュウムフィールの心地よさは特筆できる。ここ何年かハイエンドヘッドホンアンプを試してきたが、この感触の良さはE1Rと並んでトップである。他のアンプでは、マス工房のアンプやGOLDMUNDのアンプのように、この部分の感触が考慮されていない場合が多い。
またLEDで光る指標がノブのついているのも嬉しい。これはハイエンドな機材でも意外と見かけない仕様で、オリジナルのノブを削り出しで作る以上の手をかけないとできない。
またヘッドホンの装着感、頭との一体感も上出来。ヘルメットのようにスッポリとかぶる感じ。他のハイエンドヘッドホンと比べても、ここまで頭にシックリとなじむものは珍しい。550gと軽くないヘッドホンだがフィット感の良さからか重いとは感じないので長時間のリスニングも問題なかろう。
なお、このヘッドホンでは珍しく側圧を測定して公表している。4.3Nプラスマイナス0.3Nだそうだ。せっかくだが、こういう数値の表示は比較対象がなく、平均値も知られていないのでほぼ無意味ではないか。ここに数値信仰のピットフォールが露呈しているのかもしれない。
このような数値はおそらくどうでもよい。むしろ、測定できない・数値化できない要素がこのHE-1には盛りだくさんに存在することが素晴らしい。
それこそが僕の望むオーディオ機器の在り方でもある。
ハイエンドオーディオの機材とは、最終的には人間の五感に訴えかけるアートでなくてはならず、計測器にテストされるために存在する科学的な対象ではないとずっと考えてきた。もちろん開発の途中は科学・数字を駆使すべきだ。しかし僕の手元に届いた日からは、音楽のことだけを考えさせてほしい。理系から文系に変わってほしい。数値で記述できる要素は設計者や業界が勝手に設定した基準を満たしておればよい。それを超えたところで、人間がそれを相応の価値あるものと認識できるかは不明、あるいは人それぞれとしか言いようのないことであり、自慢するほどの話ではないからだ。それよりも人間の五感に確かに感じられるが機械で測ることのできない部分を人間側の感覚で十分に磨くことの方が重要と思う。
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音質については、今まで聞いてきたプロトタイプと比べて、明らかに進化した。
音楽に秘められていた活力・生命感が開放され、ほとばしるように振動板から溢れ出て来る。ビビッドでカラフル、しっかりとした輪郭線が目立つ、アピールのあるサウンドである。
ここまで明確な音の打ち出し方はプロトタイプにはなかったように思う。
なによりヘッドホンから放射される音のエネルギーが強い印象であり、これほどの音圧を静電型のヘッドホンで感じたのは初めてである。静電型ヘッドホンのスタンダードであるSTAX SR009は優れたヘッドホンであるが、T8000を用いても、音のエネルギーの強さ、陰影の濃厚さ、低域の量感などで不満がある。僕にとって、あれは淡い音で、音の当たりは気持ちいいのだが、透け透けで頼りない感じが否めない。音に熱っぽさや厚みが必要な音楽では残念な音になりがちである。
HE-1では振動版を大きく強靭にして形も工夫し、さらにイヤーカップ内にA級アンプを内蔵したりして、上記の静電型に起こりやすい欠点を解消しようとしている。
そのせいか、聞く者の心に直接訴えかける、生々しい音が得られている。こういう音だとリスナーは今聞いている音楽の表現や内容に共感しやすい。製品版では、このような音楽性が高い方向にサウンドが転換したような気がすることも見逃せない。

最近、Octaveのヘッドホンアンプ V16 single endedを外部強化電源であるSuper black boxを接続した状態で聞く機会を得た。トータル160万円ほどの高価なアンプシステムである。ヘッドホンは使いなれたMDR-Z1Rなど。そこから聞こえてきた辛口で勢いのある音とHE-1の出音には音のエネルギー感やコントラストの強さなどで相通じるところがあった。やはりドイツという生産国のお国柄と、ともに真空管を採用し、アンプにA級動作させるところなど共通点が多いからだろうか。V16 single endedの音の持つ、僕がいままで聞いたことのないような荒々しさも弱められてはいるが、HE-1のサウンドに織り込まれている。

全般にピークやディップが少ない素直な音で、真空管をこれだけの本数使っていても、なんとなく聞く限りは、響きに癖が少ないと感じる。しかし注意深く聞くと真空管を取り入れた結果として、音の艶や滑らかさ、柔らかさ、華やかな色彩感が嫌味にならない程度、絶妙に混ぜ込まれているのが分かる。HE-1のサウンドは複雑かつ、どこかセクシーである。
また、どんな音楽を聴いても聞き味が大変よい。スルスルと頭の中に極めてスムーズに音楽が流れ込んでくる。これもあえて真空管を使ったことの効能だと思う。
真空管の存在感が強すぎるとHP-V8のように好みを分けてしまうし、真空管の選択で音がガラリと変わり過ぎることもあるが、そういう不安定性とHE-1は訣別している。実際のところ、真空管とソリッドステートのハイブリッド構成でなかったら、こうはいかなかったのかもしれない。

製品版のHE-1が展開する音場は、フルオケの演奏においてリスナーに十分に引いた視線を与える場合もあれば、女性ボーカルのオンマイクな録音で奏者の占める位置を指し示すのみで消極的な広がりに終始することもある。音源を必要以上に遠くしすぎないことに努めながら、音楽の要求する適切な広さを提供するというのが第一印象であった。このシステムの印象から音場の取り扱いに関してHD800でありえるし、HD600でもありえるなと思ったのである。
ただ、私のイメージでは、それが目一杯エクスパンドしたとしても、だだっ広い雪原に似た、平らに、ひたすら広がってゆくような音場にはならなかった。そういう広がりをもつ音場は音楽が演奏される場としては、非現実的なものであり、CGが作り出す仮想空間のようで、音質上、罪のある嘘を含むのではないか。
HE-1の音場は、石造りの建造物の大広間にいるような雰囲気を持っている。静止した空気とニュートラルな温度感を伴う、リアルで安定したサウンドステージである。こうして、どんな音楽に対しても、リアリティを必ず含んだ、安定志向の音作りに専心するあたり、コンシュマー機のみならずスタジオ機器も開発製造するゼンハイザーのポリシーを感じた。

一方、音像についてはシリアスで厳しい側面があってHD600GE Dmaa、HD650GE Dmaaを彷彿とさせる。これはHD800のような、どこか朦朧体の音像ではない。このような音の造形はプロトタイプでも最後のバージョンの段階では出来上がっていたと思う。さらに製品版では、微かではあるが、なにか音に対する執念というか執着心のようなものが、ビターなスパイスとして音に加えられているように思った。国産のヘッドホンアンプではサラッと終わらせてしまう音像の描写を、しつこく追い回しているようなところがある。
そんな風だから、HE-1のサウンドは音を視覚的に解像するという点でも、すこぶる高いものがある。陽光に透かした青葉の葉脈を辿るように音楽の細部が克明に浮かび上がる。この視点では音の拡大鏡としての機能が前景に立っているが、そういう細部への眼差しの中にも、リスナーが楽音の持つ美しさにリスナーが自然と注意を向けてしまうような音調、音のディテールに誘うような聞き味の良さが常に潜んでいる。まるで音楽の持つ文学的な内容が音のディテールにまで沁み込んでいるようだ。俯瞰的にも、微視的にも音楽に没入しやすい。
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様々な音楽をかけかえて試聴を進める。女性ボーカルのくすぐるような柔らかい触感やウッドベースのふくよかな量感と厚み、シンバルの響き線が虚空にたなびく様が見事なイメージとなって脳裏に浮かびあがる。こういう、あやかなものを聞かせつつも、HE-1のサウンドには真空管的な緩さはなく、むしろ硬い岩肌を連想させるような、彫りの深さ、陰影の克明さがある。初期のプロトタイプはこうではなかったので、世界をプロトタイプが行脚してしているうちに、ドイツ本国の開発陣で、なにか方針転換があったのだろう。このようなはっきりとした音の表情のメリハリの付け方、明暗のコントラストの強さは国産のオーディオ機材では聞かないし、ヘッドホンシステム限れば、どの国で作られた製品からも、あまり聞いた覚えのない音である。この音作りの根本にはドイツ的なオーディオの感覚があり、日本人である僕にはエキゾチックに感じられる。

クロスフィードについては、かけ方の強さが2段階に選べる。これはGOLDMUND THA2に使われるジークフリートリンキッシュと類似した効果を狙ったものであるが、この効果に関してはおそらくGOLDMUNDが一段上の位置にあるように思う。HE-1でもデジタル領域で信号の加工をやっているのかどうかは分からないが、自然な定位という点ではジークフリートリンキッシュは今のところ他の追随を許さない。ただGOLDMUNDではかけ方の度合いを変化させることができない。ヘッドホンサウンドをどういう定位の仕方で聞きたいかは曲次第、リスナーのお好み次第というところなので選択肢は多い方がよく、HE-1の方式は歓迎する。

RCA端子からの外部入力の音とUSBでPCと接続した場合も比較した。PCはMacで再生ソフトは分からなかったが、どこかで見たような画面だったからそれほど珍しいものではあるまい。外部の送り出しであるマランツのSACDプレーヤーはSA10あたりだったと記憶するが、あまり関心がなかったので確かではない。
簡単に言えば、USBでPCと接続した場合の方が、音がスッキリして聞きやすくなる。だが、外部入力のプレーヤーに十分な実力がある場合、USBでは情報量が減ったように感じられるのはやむをえない。なにしろ、たかだか150万程度のDACでしかない。内蔵のDACは綺麗に整理整頓された形で音楽の全体像が提示することはできる。したがって、このDACは悪いものとは思えないが、これより良くできたDACは150万円以上の製品にならいくつかあるだろう。例えばコスパのいいDAVEの音質と比べると、多くの点で劣ると思う。
外部入力だと、音楽を聴くのに必ずしも必要のないかもしれない、枝葉末節の情報さえ十分な音楽的分解能をもって、あまねく分離して聞けるようになる。ここでは普段僕が全然評価しないマランツのプレーヤーでも悪くないと思わせる音が出ていた。僕としてはこのHE-1に組み合わせる相手のDACとして、Weiss Medus, dcs Rossini, Nagra HD DACなどを連想した。そのクラスのDACが必要だ。
なお、製品版のHE-1を聞いて、Select DACにはSTAX用の専用アンプを組み合わせるのが恐らくはよかろうと外国の知り合いに僕はメールしておいた。あれはなんとなくHE-1には合わない感じがした。音が平明過ぎるんだよな。

じっくりと手合わせして気づいたのは、HE-1のサウンドには、何気ない一音一音に一筋縄でいかない裏の意味があると思わせる、隠微なニュアンスが宿っているということ。音や音楽そのものに対する深読みを誘い出す複雑さがつきまとう。
汲みつくせない意味、表現しきれない音の模様。
ここには僕のまだ知らないなにかが隠されている。
HE-1にはそういう謎めいた一面がある。
それは人間の精神にとっての毒のようなものか、あるいは人間の奥深くにある性的な官能の動きのようなものか。
許されるなら僕は、そういうHE-1に秘められた思いの正体を知りたい。
秘すれば花。
昔読んだ風姿花伝の一節を不意に思い出す。
やはりこれはただのオーディオ機器では

僕はプロトタイプのHE-1のサウンドを、手持ちの機材のそれと比べるうちに、どうしてもディスリスペクトせずにはいられなかったが、今回、製品版を聞いて、逆にとても欲しくなった。これなら高価なケーブルやアクセサリーを用いなくても、僕の所有するシステムと同等以上でありながら、異なる音を出せるかもしれない。そう期待させる基本性能の高さと、他のヘッドホンサウンドと一線を画した孤高の音が聞けた。このState of the artというべきレベルの外観とサウンドを合わせ持つ機材はヘッドホンシステムではRe Leaf E1くらいしかないだろう。ただ、HE-1はE1よりも世界のヘッドホン界に与える影響はより大きいので、さらに偉大な存在だ。逆に言えばE1は世界でHE-1ほど有名ではないものの、それほどまでに優れているというわけだが。

今回の試聴全体で感じたことは、ありきたりだが、
HE-1は、その存在そのものがアート・芸術であるということだ。
単にいい音で音楽を聴くための気楽な家電製品を目指したのではなく、最終的に芸術作品を創り出そうとしたのだと思う。だから価格も芸術作品としての値付けだ。それなら分かる。前のモデルであるOrpheusヘッドホンシステムには、これほどの格調の高さはなく、先代と比べて進歩している。先代機は今では幻に近い機材であり、ハイエンドヘッドホンのレガシー・神話として位置付けられているが、HE-1はその立ち位置を継承し、さらに発展させている。

ハイレゾという数値を戴くPCオーディオが発達した結果、現代ではアンプやスピーカーにもその傾向が伝染している。昨今のオーディオは、音以前にスペックの数値を見ないと、良し悪しを判断できないものであるかのようだ。だが、ハイエンドオーディオの始まりの頃は数合わせばかりではなかったと記憶する。僕は25年くらいオーディオをやっているが初期のマークレビンソンやマランツやタンノイ、ゴールドムンド、FMアコーステイック、JBLなど、どれも芸術に対するリスペクトから、芸術的な音調をその出音に潜在させることに腐心していたと思う。そのようにして設計者は自分の中にある芸術の解釈をサウンドに織り込んでいた。
当時の音響特性は現在と比べれば稚拙な面はあれど、今のオーディオ機器には聞かれない麻薬のようなオーディオ的快感・エロス・毒を隠し持っていて、そういう数字で捉えがたいものを受け止める力のある者には、それらを惜しげもなく与えたものだ。それはリスナーの共感を強く呼びこむ、深い音楽性として現れていた。
その魅力は今もハイエンドオーディオの神話として、キャリアの長いオーディオファイルの胸にしまい込まれている。
そういう失われたオーディオの神話の片鱗がHE-1に残っていると僕は信じている。

人間の精神に直接作用して、それを変化させる表現物を一般に芸術とか、芸術作品とか呼ぶ。オーディオは先人の努力によって、あるいは音楽と巧みに一体化することで、単なる音を聞かせる装置から、芸術という驚くべき機能を持つモノへと進化したはずだ。
この成果こそアート・芸術という要素を含んだ、かつてのハイエンドオーディオの最終的な存在意義であった。
全ての趣味と同様に、そこにかける思いと考えが十分に深まれば、あの世界は自然と見えてくるはずなのだが、なぜか現代のオーディオに、そのような神話的世界への志向を感じることは稀である。

ところで、僕がRe Leaf E1、GOLDMUND THA2、Nagra HD DACを並べ、組合わせて毎日聞いていて切実に感じるのは、各々の機材に独自の完成された世界があるということである。
これはアリストテレス的な世界、すなわち名付けうるものの数だけモノが存在するという唯名論的な状況と考えられる。スピーカーオーディオでは複数のシステムをメイン・サブの区別なく駆使できる立場にあるオーディオファイルはほとんど居ないので、どうしてもプラトン的な世界、すなわちイデアという一つの理想的な世界を追求する動きになりやすい。しかし、ヘッドホンオーディオでは、異なる世界を持つ異なるシステムを並列して使うことは容易であり、その意味で全く異なる展開が有りうるし、僕はそのアリステトテレス的世界を現に愉しんでいる。
ヘッドホンオーディオはスピーカーオーディオと単純に音質的に異なる世界を作れるだけでなく、オーディオを聞く様式においてもスピーカーオーディオとは異なる広がりを持つのである。

僕としては、このハイエンドヘッドホンオーディオの広がりをさらに大きくしたい。HE-1のような音の芸術としての存在をこの世界に取り込みたい。誰のためでもなく僕自身のために。だが、この願いは簡単にかないはしない。並び立つそれぞれのシステムが、各々異なる音調・意味をもって僕を楽しませることが必要だからだ。苦労してシステムを整えても、同じようなものが幾つもできるだけでは意味がない。(例えばマス工房の406は素晴らしいが、その製品版を聞くと僕の手持ちの機材とガラッと違う音を出せる自信がない。)
自らが今持っていない音、しかも高い次元で完成したサウンドを僕は求める。
HE-1の音はその条件を満たすだろう。
やはり、この機材はハイエンドヘッドホンのアルファでありオメガでありうる。
これは現時でのハイエンドヘッドホンの究極の一つであるだけでなく、
新しい動きの始まりでもある。
互いの存在・音に刺激を受けつつ、次々に生まれてくるヘッドホンシステムたち。
彼らが繰り広げるオーディオの新たな神話は、
HE-1を結節点として、さらなる展開を見せるだろう。
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この期におよんで、僕のやることは決まっている。
HE-1の姿形・動き、サウンドとその対価が正しく釣り合うのかどうか。
僕はただ、それらの要素を注意深く、心の天秤にかけるだけだ。
(かなり望み薄い比較となりそうだが・・・・)



by pansakuu | 2017-08-20 19:01 | オーディオ機器

マス工房 Model406 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:美しき矛盾

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あらゆる矛盾は一度極限まで行く
    ジョージ ソロス (投資家・投機家・政治運動家)



Introduction

ハイエンドヘッドホンの世界がどうなってゆくのかを見極める。

もう、これは私のライフワークのひとつになってきたのかもしれない

それは不遜な言葉だとは知っていても、

スピーカーオーディオに深い関心を失った今は

そう言うしかない状況でもあ

だから、面白そうなアンプやヘッドホン聞けるイベントがあれば、

できるかぎり出張って行って、それをき込む

とはいえなかなか無いもの

これ欲しいとか、これは凄いとか、

そういう気分にさせてくれるモノなど滅多に

いつも言っていることだが。


ところが、2017年春のヘッドホン祭りの会場の片隅

ひっそりと展示されていたあるアンプが、

そういう私のフラストレーションを吹き飛ばしてくれた

今回はんな話をしよう

このアンプのサウンドは

GOLDMUNDRe Leaf等のハイエンドヘッドホンアンプに慣れ

倦怠気味のの感性を揺さぶったのである



Exterior and feeling


2筐体を要するヘッドホンアンプ、

マス工房 Model406Model405は大規模な構成を取っているが、

その外観の印象はマス工房らしく実にシンプルである

この工房の製品は政府機関、あるいはNHKなどの放送局が採用するもので、

外観にも音にも飾り気は一切ないのが特徴。

最近某国の政府専用機向けの機材の製作の依頼が来たと聞いた

フロントパネルは厚さを確認したくなるほどに薄く、

ソリッドスチール製のクラムシェル型シャーシもシンプル。

100万円を超えるヘッドホン機材というのは、

超高級品であるから、どこか外装に分厚いアルミ材などを使って、

その格を示そうとするメーカーが多いが、

そういうポイントにこだわらないのが、ここのポリシーである。

その代わりに、

ここ数年、国内のハイエンドオーディオメーカーが使い始めている

ハンダの耐久性の低さに着眼、

別な経年劣化の少ないハンダを採用するなど、

見た目の高級感とは全く別の視点からの

高品質・高耐久性へのアプローチがあり、

オーディオファイルとして興味を惹かれる。


このヘッドホンアンプは、ボリュウム調節や入力セレクターを装備するバランスプリアンプModel 405と、スピーカーオーディオで言うパワーアンプにあたるヘッドホンを直接駆動するアンプModel 406の二つの構成要素からなるものであり、単なるヘッドホンアンプというよりはヘッドホンアンプシステムとも呼ぶべき大規模なものである。

プリアンプ部であるModel 405は、従来のヘッドホンアンプの音質劣化の原因の一つと考えられていながら、あまりに根本的なパーツであるがゆえに今まで排することがほとんどできていなかった、ボリュウムをアンプの外に出す、あるいは優秀なプリアンプをユーザーが自由に選択して接続するという発想から生まれたユニットである。このコンセプトはOjiのヘッドホンアンプでも見られたが、果たしてこの音質は、かつてのOjiのスペシャルモデルを超えているのだろうか。

また、このアンプの特徴はスロット式のリアパネルを採用したデザインにもあり、オーナーの求めに応じて、XLRRCAのバランス、アンバランスのライン入出力、デジタル入出力、フォノ入力などを自由に選択できる。全ての入出力モジュールがマス工房製であり、細かく仕様を指定可能である。また、キーパーツであるボリュウムは東京光音の選別品を用いる。なお様々な入力を必要としない場合は、ボリュウムのみを独立させたボリュウムボックスを特別に製作することもできる。

このヘッドホンアンプシステムは高価ではあるが、構成の巧みさにより、一台で様々な使い方が想定でき、将来にわたる発展性があるところに他社機を凌ぐアドバンテージを感じる。これほどのアンプともなれば、安易に高い買い物と言い切ることはできない。


一方、パワーアンプのような意味合いをもつModel406は左右別のヘッドホンアンプ用としては強力なスイッチング電源と、これまた左右別のA級アンプで構成されている。

増幅回路はFMアコーステックスやBoulderViolaのような、小さな四角い箱に単位ごとに封入されたモジュール形式をとり、筐体の中の二枚の基板に収まる。

一枚の基板に片チャンネル用の電源と増幅回路が載っており、LRチャンネル分で二枚の構成とし、これら二枚の基板を二階建ての形でワンシャーシに収める仕組みである。

Model 406の入力はXLR一系統だけだが、Model405との接続のみを意識しているのではない。リアパネルには左右別のゲイン調整スイッチがあり、これによりModel405以外の様々なプリアンプとのスムーズな接続を可能にしている。

ただ、試聴した私の予想ではマス工房が目指す音のトーンを得るにはModel406をペアとすることが必須のように思われた。それというのも、これほどカラーレーションの少ないプリアンプは他に想像がつかないからだ。

またデザインの統一感という意味でも、できればマス工房製で揃えたいところである。

さらにModel 406のフロントパネルにはヘッドホン向けの標準のフォーンジャックと4pin XLRバランス出力の他、LowMidHighとアンプの最終段の増幅率を変えるボタン式のスイッチもついているので、様々なタイプのヘッドホンに対応できる。なお、試聴での印象を先にいうと、このアンプには途轍もないドライブ力が秘められており、それは手持ちのGoldmund THA2を上回るレベルとも聞けた。このアンプでバランス駆動するかぎり、鳴らしにくいといわれるいくつかの平面駆動型のヘッドホンを含むあらゆるヘッドホンを、どのアンプよりも力強く的確にドライブできるのではないかと思われる。ちなみに試聴したHD800の場合はMidでもいいが、Highのポジションだとより御機嫌な音が出ていた。

なにしろ、32Ω負荷で片チャンネルあたり4Wを発生するというのだから、ヘッドホンアンプとしては異例の剛力である。これほどのパワーを秘めたA級アンプであるModel 406には発熱もそれなりにあり、細かい熱対策がなされる。例えば基盤には放熱フィンが林立する。またデモ機は急拵えの4つの薄いゴムフットで支えられていたが、これは放熱のために底面に空間を確保するため、もう少し厚いものに替える予定とのことだ。

それから、ここでのスイッチング電源の採用にも注目。他のハイエンドヘッドホンの多くが一般的なトランスを電源としていることを考えるとこれは異例なことだ。クリーンでカラーレスなマス工房のサウンドの秘密の一端がここにあるような気がする。


ところで、プリアンプModel 405のフロントパネルには、電源スイッチ、ボタン式の入力セレクターとボリュウムノブの他に「バランスエラー」と書かれた見慣れないランプがある。これはModel 406のフロントパネルにもあるものだが、要するに擬似バランス化された入力がされた場合に光るランプである。コネクターは3pin XLRでも、その内実は2pinのアンバランス伝送である場合がままあるが、このような細工をされた擬似バランス入力であることが一見でわかるランプなのだ。擬似バランス化された入力であることをわざわざ暴く必要はないと思うが、マス工房の方はそういう機材を敬遠しているのかもしれない。この辺の設計はやや個性的だと思う。


今回の試聴はAK380を送り出しとして、Model 405の端子に接続、そこから後段であるModel 406XLRケーブルを結線、そこに聞き慣れたSennheiser HD8004pin XLRでバランス接続した状態で聴く。ヘッドホンケーブルはSennheiser純正だが、その他のケーブルはどれも全く普通というか、とても安価なものであった。試聴時はModel405はボリュウムボックスの状態で、中身は未完成だったが、Model406についてはプロトタイプであっても、内容はほぼ確定であり、出音を変える予定はないとのお話を聞いた。そこで私は思い切ってインプレッションを書くことにした。なにより、「マス工房としてもこれ以上の音は出しようがない」というコメントにそそられたのだ。このメーカーがそこまで言うアンプの音を逃したくなかった。AK380はこれほどのシステムに対してはやや役不足な送り出しだが、試聴結果としてほとんど不満を抱かなかったことから、据え置きのハイエンドDACをつないだら、どこまで行けるのかについても、興味を持った。


なお、仮に製品版で大幅に音や仕様が変わるようなことがあって、それがより良い方向ならば、追加でそれについて書くことになるだろう。ただし、それはその製品版の音を十分に吟味した後に書くレポートとなる可能性が高い。これほどのアンプとなれば、ちょとした改変でも大きく音の印象は変わるだろう。これはあくまで現時点での音についてのレビューに過ぎないことは断っておきたい。

(写真はメーカー様のHPより拝借いたしました。ありがとうございました。)



The sound


一聴して、ごくごく普通の音である

特徴がないのが特徴のような。

しかし、常に上を見て感覚を磨いているヘッドフォニアならば

その背後に控えている膨大なパワーの存在に気付くはずだ

このサウンドの背景を見極めようとして感覚を開放した瞬間

今まで経験したことのない形で音楽のリアルが脳裏に拡がるの私は聞いた


このアンプの音を簡潔に言えば、究極に近いほど色付けの少ない音調に、有り余るパワーの裏付けがなされた余裕のサウンドということになる。こういう特徴を持つヘッドホンアンプは今までなかった。これほどカラーレスでありながら、これほど豊かな音は知らない。


これは確かに視覚的な音である。

ヘッドホンサウンドの常としての、拡大鏡で音楽を見つめるような微視のまなざしがまずある。だが、それでは木を見て森を見ない過ちに陥りやすいことをこのアンプは知っている。事実、多くのハイエンドヘッドホン、アンプの音はこの罠にはまっている。試聴を積み重ねれば分かることだが、ほとんどのヘッドホンアンプは、どうやってもそれ単体では、音楽全体を見ようにも、それを俯瞰する視点にまず立てない。なぜなら大概のヘッドホンアンプは全ての帯域にわたって音の伸びが足りず、音楽のスケールを小さくまとめてしまうからだ。


だが、このマス工房のアンプを聞いていて、私の脳裏に広がったのは、普段スピーカーで聞く音楽の大きな全体像にかなり近いものだった。有り余るパワーがそこまでの音の伸びを生むのである。これは珍しくも音楽の正しいスケール感が表現できるヘッドホンアンプなのだ。

音源との距離感や音源の大小の表現が非常に適正かつ絶妙に取れるアンプでもある。近い音と遠い音、大きい音と小さい音、それらの表現が大変精密かつ豊かだ。今まで聞いたアンプで遠近・大小の表現の幅がこれほど広いものはあまり知らない。しかもその能力を必要のないときは決して見せない。必要な時に必要なだけ出す。

いくら聞いても、これ見よがしな低域のアピールを感じないのは、

そういう態度の現れだ。


どんなヘッドホンシステムにも、

それぞれ固有の音響空間の広さというものが存在する。

それが狭ければ狭い程、虫眼鏡的な音楽の聞き方に傾く。

ハイエンドスピーカーを使っていて、ヘッドホンに批判的な人の多くが、そういうヘッドホンサウンドしか聞いたことがなく、ヘッドホンというと「狭い」サウンドしかイメージしてくれない。結果的に細かい音ばかりが聞こえ、

音楽の全体像が見えないと彼らは非難る。

(そういう彼らも細かい音を視覚的に扱えるスピーカーを、いつも求めているのにも関わらず)

しかし、現代の優秀なヘッドホンシステムはもう、そのような音ではない。

もはやスピーカーに近いレベルで森を見ることができる。

このような進化はもちろんヘッドホンの高性能化があるが、

アンプの進化も見逃せない。

特にSNが高く、パワフルなアンプが増えていることが大きい。

そのような高い理想を掲げるヘッドホンアンプのなかでも、極めつけの性能を誇るこのModel406については、ヘッドホンさえ選べば、それが目の前の空間に現に拡散している音ではないという点だけは依然として異なっていても、上手くセッティングしたハイエンドスピーカーとほぼ変わらないスケールのサウンドイメージを脳裏に描けるはずである。


これだけ色付けがない音ということだから、

いわゆる音楽性というものはこのアンプには皆無である。

音の生々しさ、生命感は感じるが、そこに演出がない。

音に傾向のようなものはない。このアンプの色付けの少なさに慣れると、

かなり色付けの少ないと考えられるRNHPですら、うっすら色を感じるほどだ。

例えばハイエンドのアンプになるとSNが滅法良くなるために、

微かな余韻のたなびきもかなり長く持続する。

それにより、美しい女性のアイシャドーを眺めるような、

華やかな色付けを感じることもあるが、

そういう傾向はこのアンプの出音にない。

むしろ、余韻がどこで切れるのかを正確に聞かせようとする。

まるで入力された全ての音声が均一の明るい光の下で公平に明らかにされるようだ。


さらに、スタジオ用の機材を得意とするメーカーらしく、抜群に定位がいい。

いままで聞いてきたハイエンドヘッドホンアンプは

どれも定位はいいはずなのだが、これに比べるとやや劣る。

ここでは音像が動かないというより固定されたように感じる。

また、逆に音源が動くととても敏感に反応する。

視覚の心理学の世界では止まっていて見える風景以外に、動いて初めて見えるものもあるということが示されているが、音の世界も同じであることに気付く。

このような音の動的風景への気づきは音の生々しさを増幅することになるが、それは無いものを付加しているのではなく、有るものを掘り起こしているのである。楽器の置かれた位置からスタジオの壁面までの距離がくっきりと表現されるような、この生々しい感覚は、このシステムならではのものだ。


音像の解像度はすこぶる高いが、それはレンズに喩えるとライカやツァイスのようなアピールする解像度とは違う。イメージとしてはニコンの明るいレンズ、ノクトニッコールなで撮った写真のようだ。鮮鋭さは前面に出ておらず、至極真っ当な音の輪郭、質感、色彩感で見せる。これは積極的に自分をアピールしない音であり、蜷川美花風のカラフルな色彩感なんかを期待するとハズレだ。Re LeafGoldmundのアンプのようにすぐに分かるような音ではない。やはりこれは第三の音である。Re LeafGoldmundによる冒険の成功があったから、その良さを深く理解できる音なのだ。大器晩成と言ってもよいかもしれない。あとあとから分かる音の良さなのである。


Model406のような音の伸びしろ、ヘッドルームの高さを持つアンプは概してその能力の高さに溺れ、

リスナーを強烈な音で押しまくろうとする傾向があるものだが、

このアンプにはそれがない。

なぜか恐ろしく良くコントロールされた音を出す。

自分を出さない音。

一片の私情も感じないサウンド。

他方、現代のオーディオの大勢について考えると、

広告の宣伝文句にあるような

全く足し引きのないサウンドなどというもの

実際のリスニングでは感じ取れず、

それぞれが固有の音質を盛っている場合がほとんど

盛大にドーピングして見せるばかりか、

個性的な音楽表現を行うのが当然となっている。

そういうオーディオ的状況に置かれるうち、

私的には、多くの悟ったオーディオファイルと同じく、

入力された信号をただ忠実に出力するだけでは

音楽にならないと感じるようになったし、

そういうことがなければ、

オーディオをやっていることにもならないかもしれないと思ってきた。

そもそも、そういう完璧に色付けの無いオーディオは

厳密には不可能だと考えている自分がいる。

しかし、Model406ような無私の極致を指向する音を聞いていると、

少なくとも、その勘繰りの一部は過ちであったと認めざるをえない。


欠点もなくはない。ヘッドホンによっては背景に残るノイズが少しうるさく感じられることもある。セカンドベストの394の方がノイズ的には有利なのだが、406ほどのパワーやチャンネルセパレーションがない。また、このノイズはゲインを調整するスイッチを操作すれば随分と聴感上は改善されるようだ。個人的にはこのノイズがさらに小さかったなら、もっと印象は良かったと思う部分もなくはないが、正直、全体の音の良さを考えるとこれは些細なことかもしれない。とはいえModel394を二台買ってパラレル使いする方が面白いのではないかという考えが頭をかすめることもある。やはり、ここは悩みどころかもしれない。



この試聴では市販の無銘の電源ケーブル、例えば2m1000円ぐらいの動作確認用として機材に付属するような普及品のACケーブルが使われていたが、それでも納得できる音が出ていた。

これについて、ひとつ驚いたのはマス工房の主宰のM氏が、このアンプは電源ケーブルを、これより高級なものに替えても音は変わらないと言うのだ。しかもそれは、他のアンプは変わるかもしれないが、ウチのアンプは変わらないというニュアンスを含んだ発言のようだった。実際、ハイエンドケーブルを使って音質変化を確かめる実験もされたようである。すなわち、電源ケーブルで出音が変わりうることをある程度認めたうえで、自社のアンプではそういう現象は起こらないと主張するのだ。電源環境がいい方向に変化しようと悪くなろうと、そこに依存・影響されず一定のトーンで音を出し続けるように設計しているという。どんなアンプについても電源ケーブルで音は変わらないと主張する頑迷な方はいるが、出音を電源状況に関わりなく変えないテクノロジーを持っていると公言するオーディオメーカーはあまり記憶にない。このようなポリシーこそ真のプロフェッショナリズムではないか。製品版でもこの態度を貫いてくれることを望む。


例えば、このアンプの音が持つ余裕に近いものがHP-V8の出音にもある。背景にあるゆとり、どんな音楽でも手のひらの上で転がしているような快感を伴う、凄く上からの目線である。しかしHP-V8Model406Model405に比べて音が緩い。真空管の音触は優美だが、失うものもあると知る。また低域の制動はこのアンプほど効かない。とても高い次元での比較になってしまうが、マス工房のModel406Model405は余裕があるのに緩さがなく、音の立ち上がり・立下りもごくごく自然、各パートの分離もかなり良い

T8000などを聞いても思うのだが、真空管をヘッドホンアンプで使うというのは難しいものだ。真空管を使う時は、少なくともそれを隠し味としてつかうのか、前面に押し出すのかはっきりすべきだが、T8000は真空管の生かし方が中途半端でSNを損なっており、HP-V8では300Bのトーンが前面に出過ぎていて音の好みや似合う音楽が分かれる。HP-V8は素晴らしいアンプだが、結局、優れたソリッドステートアンプと比較したときに、音の味わい以外の点で遅れをとりがちだ。やはり真空管を使ったアンプは、全てが出尽くし、飽きてしまった後のデザートとして位置づけるべきなのかもしれない。


Oji BDI-DC44Aとの比較は、今回の試聴の最後の関門であった。これについては二台並べての一対一での比較はできず、とても難しいが、正直に言えばOji BDI-DC44Aは若干だが不利だろう。あのアンプは設計者の思い入れが空回りしてしまった製品だったような気がする。むしろ通常のモデルの方が音のまとめ方が上手で洗練されていて好ましかったと覚えている。あのアンプが発表された頃はハイエンドヘッドホンの方向性が未だ定まらず、どれくらいのレベルのものが必要とされ、どれくらいの音の品位を目標としたらいいのかを探るための、試行錯誤が始まったばかりの時期だった。そこで先走った機材の完成度が必ずしも高くなかったのは仕方ない。当時の私はハイエンドのスピーカーオーディオを駆使する立場からジャッジして、この方式は音の洗練がまだ足らないなと思った。あの時感じたフラストレーションはずっと私の頭の中に残っていたが、Model406はそれを見事に消し去ってしまうほどの音で驚いた。具体的にはマス工房のアンプの方が音の変化に対する反応がより的確で自然であるように思われる。Ojiのスペシャルモデルは音の動きがわずかに鈍重だった印象がある。また、SNもマス工房のものに比べれば低かったようにも思う。

それから音とは関係ないが、とても自分のラックに置きたくないような大きさとデザインだったのもよく覚えている。ゲイン調節などのアジャスタブルな部分もなかった。BDI-DC44A本当にカスタムメイド品で、ユーザーの設定した条件に鋭く合わせ込むことで音質を上げようとしているようだった。これでは仮に同じレベルの音が出ていたとしても、使い勝手や拡張性など音以外の部分で不利だったと思う。現代の最新のアンプであるModel406Model405Re leafGOLDMUNDが築いたハイエンドヘッドホンアンプのスタンダードを意識して、そのどちらかを超えるべく設計されたものであり、それらの出現前に企画製造されたアンプでは、同じような音の方向性で勝ることは難しいかもしれない。



Summary


から域に至るまで

特定の周波数帯を強調したり弱めたりせず

一切の色付けを排しながら、入力された音を極めて忠実に出力

それがマス工房の機材に共通するサウンドトーンだ。

このフラットを極めた無個性なサウンドは

前のフラッグシップヘッドホンアンプである、

Model394で既に十二分に発揮されていた。

私はこれをしばらく手元で使っていたが、どこか物足りないといつも思っていた。

これほど高次元なサウンドのどこが不満なのか、自分で巧く説明できないもどかしさ。ずっと聞いていると、この先のサウンドがあるはずだと欲求不満になる。こういう説明不可能な不満はOjiの新鋭アンプやSTAXの新型機でも感じるストレスなのだが、なぜかRe LeafやチューニングされたGoldmund THA2では、それを感じない。

この二つのアンプの音の世界は私にとってストレスフリーなのである。

好みの違いと言ってしまえばそれまでだが、これは何処に違いがあるのか。


Re LeafGOLDMUNDのアンプに続く

第三のハイエンド・ヘッドホンサウンドとして

マス工房 Model406Model405を位置づけて、

初めて見えてきたことがある。

私の好むこれらのアンプは、私の耳で聞くと、

他の個体からはっきりと区別される、完全な個性を持っているということだ

この音の個性は、それ以上に分割ることのできない

完結した音の態度であり、これ以上の改良は蛇足にしかならないと

確信させる音の本性である。

何人にも疑念を抱かせないほど、

緻密に完成された個性を持つことが、私の使うアンプには必要だ。

同じクラスのアンプであっても、あえて評価しないモデルは、

その個性の完結度が低いと感じている。

まだこのメーカーのアンプは自分の音を出し尽くしていないと思っている。


ここで興味深いのは、マス工房 Model406Model405については前2者にも増して特殊な本性を持っているということ。それは、強烈な無個性はもはや個性そのものと言わざる得ないというパラドックスである。出音に関して限りなく無個性であり続けることが、むしろ孤高の立場を強め、無個性を他から独立した明らかな個性として昇華させている。これはとてもユニークだ。

このような奇蹟はヘッドホンの世界では起こったことはなく、伝統あるスピーカーオーディオの世界においてもBoulder2000シリーズなどに類似例を見るのみ。

誤解を恐れずに言えば、この態度と結果は恐らく矛盾である。

しかし、この矛盾は確かに美しい。

この矛盾の美に私は心を少なからず動かされたのだと思う。


求める音を得るために、持てるノウハウ、使える物量を全て注ぎ込み、一部の隙もなく組み上げていく能力が発揮されて初めて、この矛盾を超えてオーディオの美へと到達できる。計算通りか、あるいは偶然か、マス工房 Model406Model405は、私の知るヘッドホンアンプの世界で、その境地にたどり着いた三番目のアンプとなった。様々なアンプの試聴を重ねるたびに感じていたフラストレーションが、ここで消えた。


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そういえば、試聴が終わってからマス工房の主宰であるM氏と握手をして別れたのだが、その時の彼の手の印象も忘れがたいものであった。

これほど緻密で細かく調整された機材を作る人のものとは思えないほど、

力強くて大きな指、太い骨格を持つ手が、

私の苦労を知らない弱々しい手を暖かく包み込んだからである。

それは機械式時計のように精巧かつ繊細な電子機器を設計し

組み上げる技術者の手というよりは、

木こりやマグロ漁師や宮大工というような力仕事を連想させる手であった。

そう、その手は、この究極ともいえるアンプの出音に相似した、

美しい矛盾を孕む手だったのである。


by pansakuu | 2017-05-10 23:07 | オーディオ機器

Grado SR225, SR325 octandre Dmaaの私的インプレッション:ヴィンテージと付き合う

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新しくして新しきもの、やがて滅ぶ

古くして古きもの、また滅ぶ

古くして新しきもの、永久に栄える

ドイツの格言


Introduction


古いものはいい。

そういう話を時々耳にする。

だが、一概にそうとも言えまい。

例えば、古くなったコーヒー豆は不味い。

古いコーヒーグラインダーも挽き目が一定しなくて、

美味いコーヒーがなかなかできないことが多いような気もする。

しかし、古いオーディオについては総じてマズいとは言い切れまい。

それどころかスピーカーオーディオには

ヴィンテージというジャンルが確固として存在する。


具体的にはウェスタンエレクトリックや古いタンノイやJBL、アルテック、マランツなどの機材を組んでシステムを作り、大昔のクラシックやJAZZを演奏するオーディオである。こういう流れに乗って、ヴィクトローラ グレデンザやジーメンス オイロダインなどを聞いていると現代のハイエンドオーディオとは隔絶した優雅で力強い世界があることが知れる。オーディオは、これらの機材が作られた頃、既に十分に完成されていたのだ。現代のハイエンドオーディオはその変奏曲に過ぎない。

だが、このヴィンテージオーディオの趣味というのは現代のソースへの対応力は弱く、個体差が大きく、故障も多く、広い部屋とありあまる時間に加えてオーナーの精神的な余裕を要求する。こういうヴィンテージオーディオは今の自分にはとても手に負えない代物であると、私は考えていた。


一方、ヘッドホンオーディオにもヴィンテージの流れが一応はある。希少で高価なSennheiserのオリジナル・オルフェウスまで行かなくとも、古いAKGSONYSTAXなどのヘッドホンを集めて修理しながら聞くコレクターが僅かながら世界中に居る。これらのヘッドホンのメカニカルな美や音の味わいに憑りつかれる方の気持ちを私は理解できるが、そこに一般的な意味での使いやすさ、音の良さを適用できた試しはない。

いつも条件付きで私はそれを受け入れ、現代のヘッドホンとは別個の価値として認めているのみである。


最近、ヘッドホンケーブル絡みでDmaaの方と話し合う機会があり、そこでの雑談の中で珍しいヘッドホンの改造を請け負ったという話を伺った。(Dmaaの方は音に詳しいだけでなく、演奏される音楽自体にも造詣が深く、自らはベースを弾かれるうえ、仕事では様々な機材の修理や取扱いに精通し、ビックリするような海外のビッグアーティストとも仕事をされているので、peripheralな話を伺うだけでも大変に勉強になる)

パリのポンピドゥーセンターに拠点を置く、とある現代音楽の演奏集団から数十台のヴィンテージのGrado SR225Dmaaで改造して欲しいとの依頼があったというのである。具体的にはSR225の出音を、ヤマハの小型モニタースピーカーをニアフィールド・大音量で聞くイメージで、勢いを保ちつつ、誇張なく正確に楽器の音を聞けるように改変してほしいという要望だった。Dmaaではとっくの昔にディスコンとなっているSR225の他、関連モデルであるSR325などのGRADOの実機を入手、時間をかけて材質や構造を分析したうえ、独自の視点から改造を考案・施工して納品、フランスのクライアントに好評を得たという。

また今回の依頼はSR225に関するものだったが、結果的にはSR325についても、同様の改造のレシピが適用できるとのこと。私はこの話を聞いて、なにかピンと来るものがあったので、それらのヘッドホンをぜひ試聴したいと頼んでおいた。ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして聞くための改造が成されている可能性を感じたからだ。

Dmaaはこの件に関してクライアントの了承は得ていたので、程なくして、これらのヘッドホンを私が試聴する手筈と、さらにこちらで現物を用意すれば、同じ改造をする準備もできるという連絡をよこして来た。



Exterior and feeling

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この改造のベースとなるGRADOSR225SR325は古い機材である。これらは後年に発売された改良型ではない。つまり型番の末尾にeisが付かない初代の機種であり、ハウジングの形状などが後継機とは異なる。例えばここで使う初代モデルのハウジングはシンプルな筒型で、eiisが付くモデルのように、辺縁部が広く斜めにカットされたベゼルのような形状にはなっていない。


これらのヘッドホンをヴィンテージと呼ぶかどうかは、ヴィンテージヘッドホンの定義がないのだから、なんとも言えない部分はある。だが実物のSR225SR325を手にして見ると、少なくとも最新のヘッドホンであるSONY MDR-Z1Rなどと比べ、明らかに古臭くてチープなヘッドホンとせざるを得ない。何しろSR225SR325とも1995年頃の発売であるし、実際の価格も必ずしも高価とは言えなかったはずだ。もちろんMade in USAだが、SR225のヘッドバンドなどはただのビニールである。これでは昔のモデルでプレミアがついているGrado HP1000のような高級感は期待できない。つまり、これは20年以上前に出回った、比較的安価な機材ということで、これもう私個人にしてみればヴィンテージヘッドホンの部類に入れたいものである。


さて今回、Dmaaで改変したヘッドホンの名称についてだが、元の形式名のSR225SR325にクライアントが演奏しているエドガー ヴァレーズの曲名にちなんでoctandreというコードネームをその型番の末尾に加えた。すなわち、ここではこれらのヘッドホンをGrado SR225 octandre DmaaあるいはGrado SR325 octandre Dmaaと呼ぶ。

octandreとは植物学の用語であり、8弁の雌雄両性花を指す。

実はヘッドホンの改造の際に、バッフルの特定の位置に、音圧を抜く穴を正確に開ける必要があるのだが、その穴の仕上がりは図らずも8弁の雌雄両性花の蕊(しべ)の位置関係を想起させる。この形態的な特徴も、このoctandreという名付けの由来になっているとDmaaから教わった。偶然の一致にしても随分と凝ったネーミングである。

さて、ここで改造の詳細を述べようかと考えて、Dmaaからお話をうかがったのだが、その概要を正確に書き出すのは難しいと分かった。きっちり同じ技術的な説明をここで繰り返したら、このブログ一回分に許される字数では足りないほど濃厚な内容なのである。

とはいえ、中身についてなにも書かないのも問題があるので、私が理解した範囲で簡潔にその概要を述べておく。

要は、ベースモデルであるSR225SR325の出音の位相乱れやピーク・ディップを起こしている要因を取り去ったうえで、よりワイドレンジで素直な音が出るようにチューニングし直したということだ。

まず元となるヘッドホンを検品して、無改造品として正常に装着できて、音が出ることを確かめる。

次にハウジングを分解し、その中で使われている接着剤を全て除去する。メッシュについている型番の丸いエンブレムも取り去る。これらがSR225SR325の出音の位相を乱す主な原因であると考えるためだ。

それが終わったらドライバーを点検、異常がなければドライバーを固定してあるバッフルに正確に穴を開ける。これが件(くだん)の音圧を抜くための穴であるが、この穴の直径や位置関係により音が変わるため、かなりの試行錯誤を要したらしい。さらに、この穴にDmaaの独自技術であるフィルターを挿入、その挿入の深さで調音を実施する。

さらに、この穴を使ったチューニングとは別に低音を伸ばす工夫もなされる。接着剤を取り去ったハウジングには全周に薄い隙間が生じるが、Dmaaではこの隙間を音道として利用し、低域の再現力を強化するというアイデアを考えついた。これはPMCのスピーカーで採用されているトランスミッションラインと類似した仕組みだ。ただこの工夫はスピーカーの世界でさえ、製造やチューニングが困難なこともあり、PMC以外ではあまり普及していない方式である。Dmaaでは試行錯誤の末、特注した幾つかのパーツを組み合わせることで、この仕組みを形にして、最終的に無改造品より深い低域再生を得たとのこと。本当にPMCFB1のようにGradoが鳴るのか?興味を惹かれるところである。

最後にバイノーラルステレオマイクになっているダミーヘッド(おそらくNeumann製)に装着したヘッドホンからテストトーンを出して計測しながら、左右がほぼ同一かつ理想的な波形になるまでフィルターの挿入の深さなどの調節を行う。いわゆるキャリブレーションという作業である。これは設備と経験が必要な作業であり、おそらくDmaaでしかできないことだと思われる。

こうしてざっと書いてみたが、おそらく不正確な言い回しも多々あろう。素人には解釈が難しい部分もあり、全部をフォローしきれた気がしない。

(この改造の全容を細かく知りたい奇特な方はDmaaに直接問い合わせてみるのが良かろう。)

なおフランスに納品したものについてはGradoのデフォルトのケーブルをそのまま利用しているが、今後発注が有る場合には、専用リケーブルのオプションを提示する予定もありとのこと。このGrado SR225, 325 octandre Dmaaのためのリケーブルについては仕様が確定しており、既にケーブルの製造も発注済みだそうだ。2017年の6月頃には選択可能となるらしい。


完成した試聴用のGrado SR225, 325 octandre Dmaaを手に取ると、やはりというか実に軽く出来ている。現代のヘッドホンは、GRADO製を除けば、大概はこれらに比べて重たく感じざるをえない。さらにこの改造されたGradoのヘッドホンにはシンプルビューティ、ヘッドホンの原点回帰が見て取れる。ヘッドホンに要求されるミニマルな形がこれだと思わせるのだ。例えばMDR-Z1Rにはデカくて現代的なデザインのヘッドホンをスッポリと頭に装着してバーチャルな音世界へダイブするという趣きがあるが、Grado SR225, 325 octandre Dmaaでは頭と耳にちょっとヘッドホンを乗せて気楽に音楽を楽しむという風情がいい。外に対して音響的にも視覚的にも開かれたイメージがある。確かに装着感はいいとは言えない。しかし、これじゃダメ?と言われると、これでいいよと笑って答えたくなる。眼鏡をかけていても使いやすいのもいい。サングラスをかけて大きなヨットの上でこれを聞いていたくなった。

なお、SR325については昔、新品を使った時に側圧が強いと感じたのを想い起すが、今回実物を使っていて、側圧のキツサが全く感じられなかったのは経時変化なのだろうか。なんにしろ、より装着しやすくなったのは喜ぶべきだろう。


貸出機を受領した夜には、Dmaaがこれらのヘッドホンを小さなDAPとポタアンにつないで、カフェでデモをしてくれた。グアテマラのコーヒーを飲みながら私はこれを愉しんだ。Dmaaでは、こういうイヤホンみたいな使い方も想定していたのである。この使い方は私にとって新鮮であることに加え、音自体かなりマニアックでもあり、とても面白く聞いた。実際は音漏れがかなりあるから、オープンなカフェでないと無理なのかもしれないが・・・・。

でもこういう、いわゆる“ガチ”で本格的な部分のあるサウンドをチープな外観で軽快に愉しむというのは、現代の高級イヤホンではむしろできない相談ではないか。あれらは高音質を追求するあまり、音も中身も価格も独特かつ重装備になりすぎていて、むしろ気軽に聞けるイメージがないし、純粋にモニター的な音の要素にしても薄い気がする。要するに、まだまだ発展途上のジャンルなのである。誰かがヴィンテージイヤホンなどというオーディオのジャンルを確立して、趣味としての幅の広さを示すつもりなら、また話は別だが。



The sound

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潔(きよ)い音とでも言おうか。

これらのヘッドホンを聞いていて、

音楽に命を与える、音の勢い・はずみ・推進力・活力、そんな言葉で表しうる、

なんらかの見えない力を感じない人はいないだろう。

このスカッと抜けてエネルギッシュで、臨場感のある音作りは

まぎれもなくGRADOの伝統に由来するものである。

個人的には初めてラモーンズの音楽を聞いた時に覚えたような、

あのキリの良い疾走感が甦ってきて懐かしかった。

これがヴィンテージヘッドホンの良さなのかもしれない。


しかし、GRADOの伝統そのままサウンドというのは、ともすれば気分を盛り上げる脚色、荒さが目立つ音でもあり、音楽を冷静にモニターするという立場からかけ離れていた。

また低音がやや少なかったし、高域は澄んではいるが、あるレベルを超えるとキリキリ言ってしまってやはり刺激的な色付けがあった。音は常に近めなだけで定位感に乏しく、位置関係はあまり整理されていなかった。これらの気になるポイントをDmaaは幾分か現実に引き戻し、音の分離感と音楽に対する客観的な眼差しを加えた音に作り変えている。以前よりずっと品行方正なサウンドに変化している。

だから当然、これではGRADOの音じゃないという意見も出るだろう。

そう、これは半ばGRADOではあるが、半ばDmaaである。

やはり純粋なGRADOのサウンドではない。

そこはヴィンテージヘッドホンをクリエイティブに扱ったことによる変化であり、私がこのヘッドホンを多いに気に入った理由でもある。


Nagra HD DACRe Leaf E1xでバランス駆動されるSR225, 325 octandre Dmaaの共通する印象は以下のとおりである。

まず全体に派手さが抑えられた落ち着いた音調に変わった。このサウンドには改造のベースがヴィンテージのGradoとは思えない部分が多々ある。

例えば改造前に感じたウキウキ感重視のやや浮ついた音調は鳴りを潜める。高域の質感として感じられた独特の煌めきは大幅に後退、全帯域にマットな音の感触に変わっている。音色で言えばモノクロームで地味な要素が多分に入り込んでいる。そのせいなのか、全帯域で音のテクスチャーをより冷静に表現できるようになった。代わりに派手でカラフルだった音色は多少控え目になったように聞こえる。


音の定位や位相についても以前と比べて大幅に正確な表現に修正された。かなり定位や分離が良いHD600GE DmaaHD650GE Dmaaと比べるとやや劣るが、ここではモニター用のヘッドホンとして十分に安定した音像定位が聴き取れる。

こうなると、無論、音色の鳴らし分けの巧さや、各パートの分離、変調の少なさに改造前とは差が出てくる。音楽に含まれる各音は整理され、あるべき位置関係をリスナーに提示しようとしている。


音のコントラスト、音の明暗の対比の落差の大きさは従来通りドラマチックな表現をする場面もあるが、音の強弱の階調性が随分きめ細かくなっていると感じる時もある。大きい音と小さい音の単なる差ではなく階調・濃淡が細かく分かるようになり、より音の印象が繊細になった反面、以前のワイルドな雰囲気は削がれた。

一方であまり変化していない部分もある。例えば、改造前と比べてサウンドステージの表現はあまり変わらない。これを単純に音場が狭いと言うか、物凄く音が近いというかは人それぞれだと思うが、音抜けが良いことと、音場が広いことを混同しないように注意すれば、このヘッドホンの音場は開放型としてはそれほど広い部類には属していない。ただ、本当に音場を広く感じるヘッドホンよりも、広い部屋の中で音楽が鳴っているような錯覚を覚えることはある。それはハウジングの構造やドライバーの素のままの音調が極めて開放的なものだからだろう。音が頭の周りの空間に放散される感覚が、広々とした空間性の認識につながっている。だがそれは、音楽が録音された空間の広さとは関連がない。

確かにこれは、小型のモニタースピーカーを使い、ニアフィールドかつ大音量でモニターしている感覚に近いかもしれない。


ダイナミックレンジも改造前とほとんど変わらない。もともと大きい音も小さい音も十分に識別可能なヘッドホンだった。ただしカバーする周波数帯域は低域方向に拡大しているように聞こえる。以前は50Hz以下の重低音などは明らかに不得手であったが、そういう低域も巧く処理している。GRADOらしい中高域に若干のアクセントはそのままに、低域の伸びが加わったように聞こえるのである。また低域の解像度も増しているが、量感は控えめのままである。

帯域のバランスとしては凄くフラットというものではないというのは相変わらずであり、中高域、そして低域にアクセントの強さは残る。だが、面と向かって“ドンシャリ”と揶揄されるほどの帯域バランスの悪さではなく、よりソースの音を正確に反映する方向に音が振られているのは間違いない。


このヘッドホンのドライバーは高い能率を誇り、スパーンと爽快に鳴るところが魅力であり、その部分に変化はない。そして改造後の音の立ち上がり・立下りのスピード感というのも従来通り素晴らしい。改造前は過剰に速く音が立ち上がる傾向があって、レスポンスの良さをひけらかすような品位の低さにつながっていたが、この過剰さが鳴りを潜めたというか、速くもなく遅くもない適正な音のスピードに修正された。結果的にいささか音は上品になったように感じる。


一般的な話としてDmaaがモディファイしたヘッドホンや製作するケーブルについてコンシュマーオーディオの立場から言うべきことがあるとすれば、やはりこれはスタジオでの仕事の道具としての面が強すぎて、時に素人のオーディオマニアとしてリスニングを楽しめない部分があるということかもしれない。だが、SR225, 325 octandre Dmaaは例外的にコンシュマーオーディオの側に振れた、面白みのある音が出ている。これはGRADOの伝統の気持ちの良い音作りの方針を潰し切っていないからである。これがDmaaの音の匠としての巧みな配慮であるなら、流石としか言い様は無い。


ところで、SR225 octandre DmaaSR325 octandre Dmaaの出音の違いについてだが、これはハウジングの材質の違いによるところが大きい。SR225は厚さ3mm程度のプラスチックのハウジングをかぶせる形で使うが、SR325ではここがそっくりアルミ製に代わっている。二つのヘッドホンの響きはまるで違っており、SR225は柔らかくて、軽く、暖かく明るい音調だが、SR325はややソリッドで、粒立ちが良く、やや冷たく陰影の強い音である。ボーカルの質感などに関して玄人好みと思うのがSR225であるが、あくまで素人であるヘッドフォニアは一聴して高域が少しキラキラしたSR325を選ぶ確率が高いかもしれない。現代のGRADOのサウンドと比較するとPS系はSR325であり、GS系がSR225に相似するというところだろうか。ここはいずれにしろ自分の好みで選ぶだけだ。


なお、これらのヘッドホンが私の愛するHD650 Golden era Dmaaと差別化できるのは有り難い。音楽をモニターしたいときはHD650 Golden era Dmaa、どちらかというと気楽に楽しみたいときはSR325 octandre Dmaaを選べばよいのである。

ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして甦らせるためにはどうしたらよいのか、その取るべき道筋を私はここに聞いた。Grado SR325 octandre Dmaaのサウンドは、いささか複雑な出自を持つ特別な音だが、最新のものから古いものまで、ヘッドホンもスピーカーも数多くこなしてきて、多少のことではもう驚かず、驚きたくもないオーディオファイルが落ち着くべき音のカフェのような存在であろう。


別言すれば、私のような者がオーディオの楽しさの原点にもう一度戻りたくなったとき、そしてそこからまた、新たな場所へ移って行きたくなったときに立つべき場所とも言える。ここには懐かしさと新しさが分かち難く解け合い、基本的にはよく見知っている内容でありながら、その見え方という意味では見知らぬ世界が開けているのである。



Summary


日本で最初となるようだが、

私はGrado SR325 octandre Dmaaをオーダーした。

オーダーの際、SR325をベースにするか、SR225をベースにするかは迷った。柔らかくて軽いSR225(プラスチックハウジング)のサウンドを取るか、解像感が高く音のキレがいいSR325(アルミハウジング)のサウンドを取るかだが、私はSR325をベースモデルとした。とはいえ、その結論に至るまで、長考したのは事実である。例えば少し昔のジャズやロックのボーカル、ビリーホリディやフランク シナトラ、ビートルズなどをそれらしく聴くなどという場合はSR225を選ぶというのは絶対にアリなのであった。告白してしまえば、良い状態のSR225すぐには手配できそうもないと判断、SR225の改造の依頼の方は断念したとった方がいいのかもしれない。今でもSR225でオーダーしたいという希望はもっている。


また、現時点でリケーブルは利用できないのでヘッドホンケーブルは仮のものを使うこととしたが、到着次第そちらに換装するつもりでいる。さしあたりRe Leaf E1xで使う予定なので、端子はXLR3pin×2仕様としたが、Nagra HD DACの内臓ヘッドホンアンプに直接挿すのも面白そうだし、RNHPでも使いたい。その部分は本物のリケーブルが来るまでさらに熟慮しよう。


私の場合はGradoの二台持ちというのは、かさばってどうもすっきりしないので手持ちのGS2000eは売り払ったうえで、ロンドンから状態の良さそうな無印のGrado SR325を取り寄せた。SR225SR325を既にお持ちの方なら、こんな苦労は必要ないだろう。

もちろんGS2000eは素晴らしいヘッドホンではあるが、その気になればいつでも買えるし、Grado好きなら誰でも持っている可能性がある。しかしSR325 octandre Dmaaについては、まだ世界で聞いた人間は数十人にも満たないかもしれないし、持って使っている人間はさらに少ないことだろう。これは世界でほとんど誰も知らない音なのである。簡単に言ってしまえば、そっちの方が面白そうなのだ。そんな子供じみた理由で、高価なオーディオの方針を定めていのかと思うこともあるが、これで間違いないのである。

音の良さの本質には言葉でしか迫れないというドグマを堅持する私であるが、このヘッドホンについては徒に言葉を費やすのは無意味かもしれないと感じている。

聞いてそれと分かるヘッドホンがGRADOだからだ。Dmaaで改造されたにしても、SR325 octandre Dmaaはその気質を色濃く残し、やはり言葉のいらないヘッドホンなのである。

聴けば分かる。

だが、その口調は改造前はっきり異なるものである。もともとのGRADOのサウンドはフリースタイルバトルのラッパーのような刺激的なイメージで魅せたが、少し過剰だったしやや下品だったかもしれない。ここではoctandre Dmaaという冠を得て、彼らは冷静さ、正確さ、そして上品さを身に付けた。今や饒舌でありながらも、言葉慎重に選んでいる作家のように、どこか醒めた語り口にシフトした。


オーディオにおけるヴィンテージ機材は、最新のオーディオ機器と比べれば、音にクセが多かったり、絶対的な性能が低い場合がある。それは意図したわけではないにしろ、独特の味わいを醸し出して、現代の機材の音にはない魅力をもつモノとして認知される。古いオーディオには確かにそういう不思議な音の良さがあるものの、それは現代のオーディオの視点から見れば、欠点の裏返しである場合もある。


このような矛盾を孕んだヴィンテージサウンドにあえて現代的な修正を加え、新たな価値を生み出そうという、Dmaaの試みはとても興味深い。

現代のヘッドホンオーディオ界のダイナミックな創造の動きの中で、この自然発生的な試みがどういう立ち位置になるのか、愚かな私に分かるはずもない。

しかし未来に向かって疾走するヘッドホンのカオス的状況が持続するかぎり、

ヴィンテージヘッドホンもそこに巻き込まれ、

否応なく変わってゆく存在であることを、

これらのヘッドホンに対するDmaaの仕事は予言しているようだ。

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by pansakuu | 2017-04-01 09:33 | オーディオ機器

Dressing APS-DR002, APS-DR003の私的レビュー:自腹を切れ

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黒猫でも白猫でもネズミをとる猫が良い猫である

鄧小平


Introduction


あまり使われない言葉となりつつあるのかもしれませんが、

「騙されたと思って買ってみな」という言い回しがあります。

これは江戸時代の話しことばが初出だろうと思うのですが、

長い間、日本で使われてきた言葉です。

寄席で古典落語なんかを聞いていると時折耳にしますよね。


この言葉には、騙されたかもしれないと思って買った先に、思いもよらぬ新しい世界が広がっている場合があるという、実体験に由来する知識が含まれてはいないでしょうか。この種の知識を我が物とするには、勇気と寛容、もっと簡単に言えば、少々の失敗には懲りない性格を持つ必要がありますが、幸か不幸か、私はそちらの方面には自信があります。


先ごろ、パイオニアさんが、ここで取り上げるDressing APS-DRシリーズの発売を突如として告知した時、私は思わずこの知恵の言葉を呟いていました。

この小さな機材の説明を読むとパソコンやDAPなどのUSBポートにこの小箱を挿すだけで音が良くなるなんて調子のいいことを書いてありますから、多少は揶揄されたり叩かれたりすることを覚悟で挑(いど)んできたのでしょう。そしてこれらを、万単位の金額で売りつけようというのですから、担当者は音によほど自信があるのでしょう。

その意気や良しと。


さらに、この製品にはグレードの違いがあることも驚きでした。DR000からDR003まで4段階もある。この手のオカルトグッズ(失礼)にはグレード別に複数の製品が出される場合は稀なんです。それは、その効果に強弱・高低が付けられるほどの技術があることを意味していますんで。オカルトグッズの多くは思いつきで実験してみたら個人的に音が良いと思ったんで、とりあえず100個作って売り出してみましたっていうノリの、詰めの甘い製品が多いジャンルですから。こういう力加減が出来るってことは、それなりにテクノロジーを掘り下げて製作過程の細部も熟慮しているということでしょうね。やっているメーカーは、最近の業績がいま一つとはいえ天下のパイオニアだし、製品の仕上がりもかなりキレイそうだし。オカルトグッズ(またまた失礼)としては異色で面白いなと思った次第であります。


それにしてもこんなモノ、10万で誰が買うんだ? 

あっ、オレだ。

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Exterior and feeling


とは言うものの先ずは2万円のDR002から買いましたよ。いくら万策堂でもいきなり10万のDR003はやめときました。こういう場合に限ってDR002が良かったらDR003に進もう、などと俄かに計画的な考えを導入したりする。一般常識からすれば理不尽なモノを買う場合も、まるで罪滅ぼしのように理屈を通したくなるのが人間という動物ですね。

届いた小さな黒い箱型のパッケージを開けると、黒い金属でできたUSBメモリーのようなDR002と裏に測定値が手書きされたシリアルナンバーつきの保証書が入っておりました。


ところで、DR002が計測したデータを一個一個につけて出荷しているのは、これがいわゆるオカルトグッズという、おまじないじみた怪しいモノではなく、計測という客観的な視点から見て違いがある、科学的な裏付けのある機材であることを強調したいのでしょう。でも、なんで科学的な裏付けがないとそれを買わないという話になったのか?オーディオは科学だから?裏付けがあろうがなかろうが聞いてどれくらい気持ちいいかが問題ではないかな。むしろDRシリーズに付けられた計測値の紙切れ科学という宗教から派生した、おまじないや免罪符のみたいなものに私には見えてきます。


DR002本体の表面は少しツヤのあるブラックカラーでヘアライン仕上げが全面になされています。持った感じ重くはないのですが、剛性は高そう。このモデルの場合、ロゴは白字で印刷され、僅かに表面から盛り上がっています。DR002のボディケースは二つのパーツからなり、それらは箱とその蓋のような関係です。薄い長方形の箱に蓋をして、その蓋の四隅を小さなネジで止めているような構造です。ひとまず外観は隙のない仕上がり。

試しにパソコンのUSBポートに挿してみたのですが、これはどうも横に出っ張るモノですね。ここにさらにUSBケーブルを挿すと、かなりの出っ張りで邪魔ですな。これじゃUSBポートに不相応に大きなモノを挿してる状態ですから、接続は不安定になるのではないかとも思います。


そこでDR002の下に紫檀とヒッコリーで自作したスペーサ―を取り付けて、常に端子が真っ直ぐにパソコンのUSBポートに安定して入るように工夫しました。机の表面から出た支柱でDR002を支えているような格好です。こうすると出音がピタッと安定します。一般にUSB端子というものはロック機構らしいものが皆無ですから、私は自分の機材のUSB関係の端子全てに、このような下支えの工夫をしています。このささやかな施工はUSBの電極が斜めにポートに入るのを防ぎ、十分な接触面積を稼げるうえ、端子の微振動を止めるのにも役立ちます。


私はDR002の中身を開けて見るなんて失礼で危険なことはしませんが、DR001のプアな中身の写真は見ました。DR002も大したパーツは全く入ってないんでしょうな。類似の機能を持つiFiの製品の中身も見たことがありますが、拍子抜けするほど部品点数は少なく、高級パーツは一つも見当たりませんでした。トランスペアレントのケーブルの謎箱の中身を思い出します。これはハイエンドオーディオじゃよくある話だから、動揺はしませんがね。でもiFiのは威力はあるんですよ。iPurifier2USBケーブルのDAC側につけっぱなしで外せなくなってます。ついでにDC iPurifierRe Leaf E1xの電源側に付きっぱなしです。iFiの機材はどれもだいたい優秀です。これらは音が明瞭になり、音像の曖昧さが排除されるというのが共通した効果です。簡潔な言い方をすれば様々なノイズを取り除くということを主眼にしている。そして、その効力の強さと安定性を価格と秤にかけて考えれば、中身の見かけ上の貧しさなんぞはどうでもよくなってきます。つまり、オーディオは外見や中身を見ただけでは分からないということですな。よく製品を分解しては部品の原価なんかを調べ上げ、実はこんなに安いモンだとか鬼の首でも取ったように騒いでる方もいますけど・・・哀しいですねえ。


後ほど詳しく述べますがDR002を使い、十分な効果があると分かったので、さらに調子に乗ってDR003まで進みました。こちらは値段だけあって流石な代物。USBに付けるアクセサリーでこんなに高価かつ作り込まれたものはほとんどないんじゃないでしょうか。単純にDR002と比べ少しお金がかかっているように思いました。でもパッケージはDR002と同じ。入っている保証書も同じで、マニュアルもないです。桐箱に入っているという情報はデマでありました。ただし測定値の部分はDR002より少し細かく、広い範囲を測定しており、値がDR002よりも良くなっていること、検査をパスした旨のハンコが押してあるところが違います。どちらも検品担当者の名前は同じでしたから、結構忙しいんでしょうね。コレ、品薄状態らしいですから。

DR002と比べてDR003ごくわずかに重く、剛性も微妙に高いような気がします。あくまで気ですがね。これはおそらくDR002とは素材が変わっているのでは?より高価で硬度が高く加工しにくいアルミ素材ではないか、あるいは表面仕上げの違いだけなのか表面は梨地の銀色で黒のヘアライン仕上げと全く違います。さらにロゴは印刷から彫り込みに変わっています。この硬さの金属にこれだけ細かい字を深く掘るのは大変で、カネがかかるでしょうね。地味な話ですが、こういうモノは表面に彫り込みがあるかないかで微妙に音が変わる場合があります。実際、その彫り込みで共振をコントロールしている例もありますね。Boulderのプリアンプの側面なんかがそう。

そうか、サイズが全く同じで、彫ってあるのに重さが僅かに重いということは、材質か部品に変化があるとしか思えないな。

また端子の仕様に変更はないようですが、中身はDR002とは違うらしい。さらにグレードの高いパーツを使っているとのことですがね。果たして音はどう変わるのか?

噂では、DR003については一個一個担当者が聞いて、音に十分な変化がないものは出荷してないそうです。測定値の上にPASSってハンコがありましたね。これは全品検査済みの製品であり、検査の過程で振り落とされるものもあるとのこと。まー10万もするんだから、それくらいやってもらわないと。

とにかく、DR003ほどの意気込みでれたUSBオーディオ関連のグッズは知りません。iFiiPurifier2DR002と効果や仕組みは違いますが、ほぼ同クラスの類似した製品であります。今まで買えたのはここまで。DR003USBオーディオ関連グッズとしてさらなる高みを目指したものと捉えています。

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The sound


私は以前、胡椒の味や香りに凝っていたことがあります。世界の各地でいろいろな品種の胡椒が栽培されていますが、どれも産地ごと、あるいは農園ごとに香りや辛味が異なる。手に入る様々な胡椒の中から私が最後に選んだのはカンボジアで育てられた、ある胡椒の実でした。食事の直前にそれを挽いて料理にふりかけると芳しい香りが辺りに放散されるのですが、その瞬間に驚くほど料理自体の印象が変わります。より豊かで深い味わいはもちろんですが、口に入れる前から既に皿の中に引き込まれるような食欲の高まりを感じます。食を愉しむことにおいて、この胡椒の香りを加えるか加えないかは大きな差となる場合がある。


Dressing APS-DR002, APS-DR003はオーディオにおける胡椒のようなものです。要するに最後の仕上げの調味料。PCオーディオシステムにこのデバイスを加えるか否かは私にとっては大きな差となってしまいました。これを加えるとシステムの音の香りが明らかに違ってくるように思いますので。

音と音の間にある空間が露わになり、音がほぐれ、ひとつひとつが立ち上がってくる。

食材の味を引き立てる香りを加える調味料としての胡椒の役割と類似点があるのです。


まずDR002ですが、USBポートに挿して、その反対側にUSBケーブルを挿すという方式で使うのが最も効果があるようです。実は空いているUSBポートに挿すだけでもある程度効果がありますが、私の場合、よりはっきり音の変化を感じるのはUSBケーブルをDR002に挿す方でした。

なおこのグッズはDAPUSBポートにケーブルを介してつないだり、あるいはDR002,003DR001を挿した状態でPCに挿したりすることでも音質改善の効果があります。これも実際に確認しましたが、どちらの場合もDR003の方が効果がよりはっきり表れますが、DR002でも一応の変化は感じられます。DAPに挿す場合はPCに挿す場合よりも音質がスッキリする度合いがやや強いような気がしましたね。それからDR002,003DR001を挿すこともできますが、こうすると音の強調感が少し減って、なだらかな音になります。DR002単体で使って音がキツいと思った方はこっちの使い方もいいかもしれません。空きのUSBポートがあればの話ですが。それから下位のDR000DR001についても単体で使ってみましたが、こちらは価格相応の効果はないと思いました。これらはDR002DR003と組み合わせる前提なら買う価値もありそうですが、単体ではお薦めできないですね。

なお、今回は普通のWindows10のノートパソコンとJriver、自前のRe leaf E1x, Nagra HD DAC, THA2そしてMDR-Z1Rで聞いています。

パソコンに特別なセッティングはなにもしていません。


実際にUSBケーブルの先にDR002を挿した当初は、アレっというくらい、変化量が小さいものでした。音の輪郭が多少クッキリしたかなぁくらいしか分かりません。これは接続する機材や試聴する楽曲、試聴者の耳の良さの度合いによっては、知覚されない位の小さな違いでしょう。例えばスピーカーだとこの差がはっきりしない場合も多いと思います。ヘッドホンなら、ハイエンドなものならわかると思いますが、プリメインアンプやDACについているオマケ程度のものだとよくわからないという人も居そう。これだとデモじゃ苦労しそうだね。聞かせ方を工夫せんと。

とにかく、そんな程度なんです、初めは。



しかし、一時間、二時間と聴いているとだんだん違いが大きくなってくるのがわかります。まず各楽器・パートの分離がグッと明確になってきます。ゆっくりと霧が晴れて、澄み渡った空の下、清冽な空気を通して風景を眺めるように音がどこに配置され、どういう位置関係にあるのかがはっきりと見えてくると言ってもいい。毎日使い続けて数日経過するとまるで自分の視力が上がったかのように、音楽の構造や細部が詳しく見え、それらは遠近感や立体感をもって眼前に展開するようになります。音の立ち上がりの複雑な姿があらわになり、余韻の滞空時間は驚くほど長くなる。音楽は最後の一滴まで絞りあげられて我々の耳に届くようになります。ここまで聞き続けて初めて効果が実感されました。


もともとDressingという単語には整えるという意味があるそうですが、まさにこの機材は音を整えることに主眼をおいたもののようにも聞こえます。音楽を構成する要素が整理されて、手に取るように見えるようになるのです。別言すればDRシリーズの音作りの本質はかなり視覚的なサウンドに傾いたチューニングにあると言ってもいいでしょう。


試しに攻殻機動隊のサントラを出してきて聞いてみると、十分にエージングされたDR002の威力が良く分かります。シンセから繰り出される何種類もの音が、まではゴチャゴチャに混ざって聞こえていたのですが、DR002を介すると、各音が整然と分離し、在るべき位置に整頓されて聞こえるようになります。前面に出て激しく躍動しているボーカルや楽器に音にかき消され見えなかった、背景のドラムやベース、リズムセクションの響きの線、音の色が初めてくっきりと見えました。

クラシック音楽などでも、曲が始まる瞬間の奏者の呼吸や衣擦れ、フルートのボタンの操作音がよく聞こえるようになります。オーケストラの全員が息を合わせて音楽が始まるのがよく見える。アナ・カラムのボサノバの弾き語りを聞いてみると、彼女の呼吸、指の動きの速度の細かいニュアンスがしっかりと聞き取れるようになります。彼女はこんなにも柔らかく歌っていたのですね。

これは、いわゆる「この曲にはこんな音が入っていたのか」系のサウンドですよ。こんなものが聞こえるのを喜ぶのはオーディオマニアであり、音楽ファンの立場ではないですが、私個人にとっては嬉しい変化でして。また自分のライブラリーの全曲を聞き直さなくてはならないようです


私は既に厳選したUSBケーブルを使い、iFiiPurifier2も接続しておりましたので、これ以上、この分野で改めることは無いように思っていたのですが、そうでもなかったようですね。とにかく私のシステムでは時間をかけて実力を発揮させるなら、DR002iPurifier2よりも効果が高いように感じました。


私がネットワークオーディオをやめて、PCDACUSBで直接つなぐシンプルな方式にした理由はいくつかあるのですが、そのひとつにYou tubeを簡単に視聴できるようにしたいということがあります。KinskyでもYou tubeを聞くことはできますが、やや手続きが煩雑ですし、KLIMAX DS/2を使っていた頃は切り替えが時に不安定でした。You Tube自体の音はたかが圧縮音源なのですが、新しい音楽を真っ先に聴きたいなら、ここを無視することはできません。このDR002を介するとYou Tubeが驚くほど魅力的な音質で鳴ります。PC由来のノイズが大きく低減され、小さな気配成分のような音が聞こえるようになるのです。圧縮音源にもこんなに豊かなニュアンスが出せるとは少しばかり驚きました。ノイズの低減による小さな音の明瞭化はフォーマットの不利を補完するような効果もあります。


DR002の効果をまとめると、出音のSNが明らかに上がり、楽器の分離がかなり良くなって、ダイナミックレンジ若干拡大する。そんなところでしょうか。一方やや音が硬く、音圧が高くなってアタックが強めに感じられるようになった気もしますが、音質的なデメリットとしてはっきりしたものとは思えません。2万円でこの効果ならアリでしょう。

なお、この製品の音質に関して注意すべきは数日聞き続けてから、自分に合うかどうか判断すること。明らかにエージングが必要なのです。それはお前の耳が馴れただけじゃねえかという方もいますが、仮にそうだとしても、それならそれでいいですよね。所詮は自分の耳で聞くものなんだし、結果オーライでしょ。

まあ、私は経験上、機材側でのエージング効果はあるというのは疑ってませんけどね。というのはある機材のエージングが進んだと思った時点で、並行して以前から聞いている機材の音の聞こえが変わってきたという経験はほとんどないですから。

新しい音の側面への気づきというのはあるにしても、聞く人間の側のエージングだけで全ての経時的な音の変化を説明するのには少々無理があるように思います。

それからDR002も003もどこかにきちんと固定した方が音がいいですね。接続の安定が大事だと思います。私は黒檀の材をレールのような形に削って、このデバイスがピタリと嵌め込めるアダプターを作り、デバイスとパソコンの位置関係が常に固定された状態になるようにセッティングしています。こうするとパソコンの差込口にただ挿入されただけの状態よりも、ずっとスッキリと整理された音になります。


ここで苦言を呈するとしたら、このDRシリーズはデモをしている場所も極度に少ないうえ、直販を中心に販売しているので、ヨドバシなどの家電量販店ではDR002,003を注文することすらできないということ。製造している側は証拠までつけてオカルトではないと主張しているし、実際に買って聞けば、十分納得できる音質を備えた製品なのに、なんで堂々と街中でデモして売らないのか?それからもうひとつ、DR002はポートから出っ張り過ぎですね。そもそもUSBケーブルの端子ごとDR002にしちまえばいいのでは?そういうUSBケーブルがあったら欲しいですよね。


さて10万円のDR003の音質ですが、こちらも初めはなにがいいんだか、はっきりしません。DR002の最初と同じ。若干音がはっきりするかなくらい。ただスケール感や音の落ち着き、音のエネルギーの吹き上がりの勇ましさなんかも合わせて感じられるところがちょっと違うのです。DR002とは一味違うのかなと・・・。

案の定、聞き続けるとやはりよく鳴るようになってくる。微妙なニュアンスの表現や楽器の分離感はそのままに、DR002よりも積極的な表現になる。例えば音場の広がりがより強く感じられたり、楽器が強奏される部分、歌手が激しく歌い上げる部分でもっと強い音のエネルギーを感じるようになります。このDR003の表現に比べるとDR002はややこじんまりした音です。それからDR003は音量を上げても、うるさくならないというところもいい。SNDR002よりわずかながら高くなっているように感じます。加えて聞いていると音がこっちに飛んでくるような勢いの良さもある。これもDR002ではあまり感じない特徴かな。

それから音楽のグルーヴというか、流れの表現ですね。DR002だと各音がほぐれてバラバラになることが優先していたそれだと時に各パートが一体となって流れている雰囲気が置き去りにされそうになるのだけれど、DR003はそこも聞こえてくる。素晴らしい。


ただしDR003の音の全貌は、かなりハイエンドな機材でないと見えないのではないかと思います。対象となる音楽持つ固有のスケールがどんな大きさだろうと、受け止められるだけの懐の深い機材が必要というかね。DR003はビッグサウンドなんですよ。システムが広い音場を表現できたり、細かい音だけじゃなく、量感があって太い音なんかもそれらしく聞かせられないとDR002と比較して良さが分かりにくいかも。確かにUSB関連の機材でここまで奥深い表現を加えるものは知りませんから、私はDR003を使い続けることになりますが、まず誰かに薦めるならDR002ですね。これはUSBを使う全てのオーディオマニアに使ってみて欲しい。そして、かなりハイエンドな方向に行こうとしているオーディオマニアで究極のUSBオーディオが欲しいなら、DR003までトライして欲しい。


ちなみにDR002,003による音質の変化については以前、ちょっと取り上げたアコリバのRPC-1と効果が類似した部分もありますね。でも、あちらは24万でコンセントを一個を消費し、使える機材を一台減らしてしまいます。DR003の方は確かに高価ですが、10万どまり。機材を減らす必要もありません。どちらがいいか。私の場合、ノイズ狩りの手始めとしてDR002,003をまず買うことに迷いはありませんでした。


Summary


ぶっちゃけた話、ここで取り上げたDressing APS-DRシリーズは、実際のオーディオの世界ではいわゆるオカルトグッズというモノに分類されてしまっています。

でも、ここで言うオカルトってどういう意味なのでしょう。


一般に科学的に十分に説明がつかないものをオカルトと言いますよね。

私の解釈では、オーディオでオカルトと言われている製品は、まず現物の見掛けと謳っている効果が解離していて、その動作原理があまり聞き慣れないものであるうえ、実際に計測され波形や数値の違いが示されない、そして自腹で購入した素人による信用に足るレビューがない、あるいは少ないというモノです。要は科学的な・客観的な裏付けがないように見えるグッズです。それは外部から見れば、まるで音の良くなるおまじないのように、いい加減なモノに見えるはず。



ここでは「実際に計測される波形や数値の違いが示されない」というところが特に重要でしょうか。そういう意味ではDressing APS-DRシリーズは波形や数値に違いが出ることが示されているので、厳密にはオカルトグッズに入らないはずなのですが・・・。

そういえば、部品の原価が安いのに小売価格が高くて、音質向上が小さい製品もオカルトと一緒にする人がいますが、この場合はそういう使い方なのかもしれません。でもそれってまぎれもない混同ですよね。それは正確にはボッタと言うべきです。(これらは十分な効果はあるから、ボッタでもないんですが・・・。)


いつも言ってますけど、私は波形や計測値は全面的には信用しません。マイクの奥にある薄い金属箔や合成樹脂の振動板を揺らして得られる音波の波形と、耳道というきわめて特殊な材質の音道を通り、人間の鼓膜という生体素材でできた薄膜を震わせてできる波形が同じものである保証はどこにもないし、ましてや人間はその波形を左右で統合し大脳皮質でプロセシングしているわけですから、機械で測った波形や数値など参考ぐらいにしかなりますまい。そもそも計測の仕方が正しいと、測った現場に居合わせなかった者が言い切れるでしょうか?結局、細かく見れば測定自体、結構眉唾ではないか。そう考えると測定値で違いが出ていさえすればオカルトじゃないという立場には立てないですね。


告白してしまえば、万策堂の心の中には真の意味でのオカルトグッズという概念はありません。オーディオの中には人間という、科学で未だ割り切れない要素が存在するからです。すなわちオカルトグッズとはオーディオの実態を反映しないスラングであり、多くの場合、金銭的な余裕がないので試せないものをそう呼んで、購入しないことを正当化しているだけです。

世の中に在るのは音に効くグッズと効かないグッズ、この二つだけです。


ふりかえってみると、私は随分とオカルトグッズと呼ばれるモノを買ってきた覚えがあります。その中には実際に音に効くもの、全く効かないもの、効き過ぎて困るもの、いろいろとあったと思います。

最近で印象にあるのはGe3のエンジェルファーやケブタ、フルテックのコンセントプレートOUTLET 105D NCFあたりでしょうか。特にGe3のエンジェルファーなんかは見てくれも内容もまさにオカルトです。すぐに納得できるような科学的な裏付けはありそうもないですし、波形や計測値の変化さえ示されておりません。聞く前はこれこそおまじないの部類と疑ってかかるのですが、実物を借りてきてスピーカーの前にぶら下げてみると、困ったことにシッカリと音の違いが聞き取れてしまいます。意外なほど柔らかく澄んだ出音に変わる。一般にGe3のグッズは科学的な裏付けを謳っているアクセサリー類よりも、音に効く度合いはむしろ強いと感じることが多いですよ。心理学的な違い、オカルトと言えばそれまでですけど、確かに音を良くしている。しかし見かけが個人的にどうにも馴染めないので、万策堂はそれらを使い続けたことがないというだけなんですね。なんかこの見てくれで、これだけ効いちゃうと怖くないですか。もしこの怖さがオカルトグッズを否定する理由だとしたら、それには同意できなくもないかな。

フルテックのコンセントプレートに至っては、さらにはっきりと分かる音の違いです。ではコンセントプレートの材質や構造を変えるだけで音が変わるのはどうやって説明したらいいのか。エンジェルファーほど難しくはないでしょうけど、こちらもかなり苦しい説明になりそう。でも音は確かに雄大に力強くなったように感じます。分かりやすい違いでした。こちらはエンジェルファーやケブタと違って目立たないので即採用というか、もう外せません。コンセントプレートとしては高いけど、音質の変化を考えると私にとってはコスパは高かったです。



こういう予想外の違いがあることを知るには、まずは無理を言って借りてみるに若くは無い。なんの保障もなく、いきなり買うのは厳しい値段であることが多いですから。しかし借りると言っても期間は限られますし、そもそもデモや貸出しをしない機材の方が多いので、実際の機材の音を知るには、ついに自腹を切るしかないということが圧倒的となる。例えば貸出しのないフルテックのOUTLET 105D NCFなどは、店頭でのデモもしにくいという製品の性質上、ほぼ自腹でしか音質の違いを確かめる方法がない。こんなに怪しげなプレートがこんなに音に効くのというのはある意味、不幸でしょう。罪でしょう。けれど事実なんですよね。


繰り返しますが、オーディオで大切なのは実物に当たり、

自分の目と指と耳でそれをしかと検分することだと万策堂は考えています。

自らの耳で聴いてみて、音が良いなら、オカルトだろうとサイエンスだろうと受け入れる。

そこでは他人の言説や、信用に足るかどうか疑問な測定値なんぞは忘れるべき。

それら全ては現物との実際の対話の後からついて来るものですから。

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とどのつまり、

場合によっては身を切る覚悟でオーディオと対峙しないかぎり、

得られぬ知識もあるということなります。

騙されそうだと思っても、それが面白そうなモノなら、あえて自腹で買ってみるくらいの勇気と心の余裕がなければオーディオは極められないのではないか。

そういう過酷な現実を、高級な胡椒のように芳(かぐわしい)しい音を響かせるDressing APS-DR003をうっとりと聞きながらつくづく思い知る万策堂なのでありました。


Postscript

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ついにというか、

APS-DR002DR003の両方を持っていれば、誰でも考えそうなことをやってみた。

それはAPS-DR002DR003を連結したうえで、USBケーブル端子を挿入するという暴挙に出たのである。経験上、このようなことをしても、過ぎたるは及ばざるが如しという場合が多い。何かを得る代わりに、その瘍張りな行為が内包するアクの強さみたいなものが災いして、癖の強い、バランスの悪い音になってしまうことが多い。

しかし、意外にも今回は例外であった。

もともとDR003単体だと、なにか出音全体の雰囲気が強烈過ぎると感じる場合があり、多少の聞き疲れにつながっていたが、APS-DR002DR003を連結すると、それが随分と軽減されたような音調となる。これは音のエッジが丸くなったというのではない。キチッとエッジは立っていて、今までこのシステムでは聞こえていなかった、多くの小さな音が重層して聞こえるようになっているのだが、その圧倒的な情報量が脳の負担にならなくなった。この状態でNAGRA HD DACRe Leaf E1を使った結果として、今まで20年以上オーディオをやってきた中では一番細かく小さな音をフォローできる状況が出来上がったと思う。ヘッドホンをあえて使うというのは、スピーカーでは聞き逃しがちな小さな音を聞くためという部分が大きい。音楽の細部へ強烈な眼差しを注ぐ顕微鏡のような聴き方をしたいなら、このように多少度を越したようにも見えるセッティングも存外悪くないと報告しておこう。




by pansakuu | 2017-03-23 13:30 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る③:音の「鏡」としてのヘッドホン


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(②からの続き)

Estimation of K power cord.......

GOLDUND THA2というヘッドホンアンプの電源として、最後に手元に残したのは、お察しのとおりS社のK電源ケーブルであった。
略号で示しているが有名なケーブルなので、ケーブルに凝ったことがある方なら名前ぐらいはご存知だろう。これは私が今まで見てきたオーディオケーブルの中で最も手間のかかったものである。高級ケーブルを憎む私でも仕方ないと諦めさせるだけの力を備えた製品でもある。
今まで私の使うケーブルは
JORMA Saideraが主で、時にArgentoNordostCHORDNBSNVSStealthChikumaPADKimber selectBMISiltechTransparentG ride audioDmaaをピンポイントで使うぐらいであって、S社の製品に縁がなかったけれど、とうとう買ってしまった。

シットリとインレットに挿入できるオリジナルのコネクター、持ち上げるのに難儀するほどの太くて重い線体。特殊シールド技術、導体の冶金技術が集約されたこのケーブルは、専用のケーブルインシュレーターを用意しなければ設置できない。

それにしてもこいつは外観も音質もケタ外れの代物だ。正直言って、これはもう電源ケーブルですらないのかもしれない。ケーブルに擬態したアンプのような存在。少なくともケーブルの化け物であって、昔、船乗りたちが恐れた巨大なタコのような海の魔獣Kという命名に恥じない。


ところで、この怪物、寝覚めはひどく悪い。電気を通しっぱなしで数日経たないと実力は出て来ない。だがひとたび実力を発揮すれば、THA2とのコラボによるサウンドは凄い。

例えば、このシステムで聞いていると私の視線は斜め上方を向くことが多くなる。

MDR-Z1Rという密閉型ヘッドホンで聞いているにも関わらず、開放型の中でも最もオープンなサウンドを展開するものと比較しても、勝るとも劣らない広大なサウンドステージが展開されるうえ、四方八方のぐるりから音が飛んでくるように感じられるからである。これは持前の強いドライブ力、つまりヘッドホンの振動板を一切の曖昧さを排してコントロールする能力が、電源の強化により如何なく発揮されるからに違いない。

特にTHA2のバイノーラルモードであるジークフリートリンキッシュをかけたまま、アンビエンスやエコーなどのエフェクトが多くかかった音楽を音量を上げて聞くと、音が真上から降ってくるような錯覚を覚える。空間が前方の左右に広がっているだけでなく、上方・下方にも大きく開いているような心持ちになる。これほどサラウンドな聞こえ方になるのはTHA2の特殊機能であるジークフリートリンキッシュを担う回路にSNに優れた大電力が速やかに供給されるためだろう。

この電源ケーブルを挿すとSNが高まることが異口同音に言われているが、これは本当である。これまで使ってきたあらゆる電源ケーブル、あらゆる電源装置と比べても、その効果はトップクラスにあるばかりでなく、“ごく自然”な静けさという意味でも秀逸。すなわち、強力な電源装置を使うと時に静けさが過剰で、不自然かつ人工的なサイレンスに傾くことがあるが、そういうやり過ぎがこのケーブルにはない。これは外音を強制遮断した無響室で音楽を聞くのと、周りに音を出すものがないために静かになっているオープンスペースで音楽を聞くのとの違いをイメージして頂くとよい。

余韻の滞空時間は明らかに伸び、曲が終わった後の静寂をエンジニアが切った瞬間が明確に聞こえてくる。二段階の静寂。さらに、音像の描写はきめ細やか、音の流れは実にスムーズになって言うこと無しのサウンドとなる。

THA2でのリスニングは音数が多く、この音楽にはこういう音が入っていたのか、こういう楽器の前後関係だったのかと気づかされる瞬間が多い。そういう意味でこのアンプはいわば“気付き”系機材なのだが、その側面がK電源ケーブルを挿すことで、さらに増幅される。そしてこれほど音数は多くありながら、音は痩せず、豊かなボリュウムを維持する。ODINのように音を締め上げ過ぎないところは、ベテラン向きの音作りかもしれない。


実際、このシステムでは本当にヘッドホンで聞いているのだろうかと疑うシーンが数多く展開する。これは並みのヘッドホンの世界をとうに超えた世界である。

特に音のスピード感や立体感の表出、音場の自然な静けさ、音の色彩感などについては、スピーカーシステムからさえあまり聞いたことのないような感覚に陥る。それは単純に優れた音質という意味もあるが、それよりも独特な味わいの音と言ったほうが正確だ。私のカスタムしたTHA2MDR-Z1Rのペアに独特のサウンドの深まりなのか。少なくともNAGRA HD DACRe Leaf E1xDACとアンプがセパレートされたペアのサウンドにはこういう独自のアプローチはない。あちらはむしろ優等生的で簡潔な行儀の良さが前景に立っている。


例えばRe LeafNAGRAのペアは澄み切った冬空を眺めるような透明感、音と私の間に夾雑物が全くないというシンプルさで魅せるが、K電源ケーブルを挿したTHA2では青い湖の底を清らかな青い水を通して見つめるようなイメージとなる。これは実に奇妙な感覚。音と私の間は僅かに色味があり、弾力のある液状のマトリックスで満たされているが、その存在が邪魔ではなく、むしろ思わず涎が流れそうな快感へとつながる。

音に美しい透明感があることは共通だが、その透き通りの印象は異なる。

この水のような独特の透明感は楽音固有の色彩を濃厚かつ高密度なものとして演出する効果もある。THA2の持ち味はこういう意味においても、K電源ケーブルの存在により生かされる。


このTHA2改の能力のハイライトはクラシック音楽、

特にオーケストラ演奏のハイレゾデータの再生だろう。

私の経験では、ハイレゾであることと、再生音が高品質であることは必ずしも関係ない。ハイレゾと一口に言っても、そのパラメーター、製作プロセスは様々で、実に雑多な内容の音楽データを指すものだからである。その雑多なデータを沢山買って聞いた私の見解を言うならば、その90%はハイレゾであることの有り難さを実感しにくいものだということ。CDリッピングよりも若干音がいいかな?ほどの音質向上しか感じないものがほとんどである。この程度の音質向上しかないのに、値段は普通のCDと同じかそれ以上、ライナーノーツもなく、中古販売もなく、売却することもできない。つまり、私はハイレゾを信じていない。

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しかし例外はある。ラトル率いるベルリンフィルが製作したベートーヴェン交響曲全集の24bit 192kHzのハイレゾデータは恐るべき高音質を誇る。このデータのみならず、ベルリンフィル直販のハイレゾデータはどれも絶品。ハイレゾの意味がすんなりと了解される。最近、ダイレクトカットのブラームス全集が話題のベルリンフィルだが、あんなに高価で特殊な音源に手を出す前に、まずここで製作された一連のハイレゾデータのシリーズをダウンロードして聞くことをお薦めする。演奏が素晴らしいだけでなく、はじめから最上級のハイレゾデータでダウンロード販売することを狙って、周到な準備のもとに録音されたに違いない。昔のアナログ録音を高位のハイレゾに焼き直して売りつけるようなものとは違うのだ。


これを手前どものTHA2改システムで堪能する。素晴らしい。各パートの重層性、タイミング、演奏空間のスケールなどが驚くほどの精密さで再生され、ベルリンフィル独特の香り(最近は昔よりも薄まっているけれど)がしかと聴き取れる。GOLDMUNDは元々JAZZやポップスなどよりもオーケストラの演奏の再生が得意なブランドで、私がTHA2を買ったのもそこらへんに一つ理由があった。ここ十年避けてきたクラシック音楽をそろそろ高音質で聞き直してみたくなったのである。この回帰はこのデータの存在なしには達成できなかった。なるほど、サウンドステージの広がりなどではスピーカーに敵わなくても、クローズしたハウジングの中での、耳の直近で発音されることによる音楽描写の緻密さ、曖昧さの少なさではヘッドホンが上回る。聞こえるべきものが全て聞こえる快感。スピーカーはだませてもヘッドホンはだませないとは、よく言ったものだ。

このデータをスピーカーとは違う視点から味わい尽くすのに、

優れたヘッドホンシステムは必須である。


もうひとつ、このデータを楽しみつつ思うのは、ハイレゾというものはフルオケの演奏のような膨大な音数を持つソースに対して、その威力を発揮しやすいということ。もちろん、はじめからハイレゾデータで販売することを考慮したうえで録音されたという前提は必要だが・・・。音源が数個に過ぎず、情報量がそもそも少ない、シンプルなロックバンドの演奏や、もっと音数が少ないクラシックの独奏なんかを、この種のデータで聞いてもハイレゾの有効性は実感しにくい。そういう演奏の細部を掘り返してもなにも出て来ない場合が多いからだ。

やはり音楽の種類によるデータの形式の向き不向きはある。


別言するならTHA2のサウンドは最上級のゴールドムンドのシステムが奏でる音の相似形だ。しかし、細かい所に手を入れ、電源も奢ったうえで、長期間電源は入れっぱなし、またヘッドホンも十分に奢らないと、そう言い切れるような状態に持って行けない。私の経験から言えば、THA2はポン置きで聞いても、その実力の6割程度しか出せていない。つまり、このTHA2は高価なわりにはモノとしての完成度は低いと言わざるをえない。目指す音を得るのに、かなりの投資が必要だからだ。出音のみならず、そういう意味でもRe Leafとは対照的なのである。ただし特殊な例を除けば、その潜在能力自体はE1を含めた今市場にあるどの製品よりも高い部分があるのだから捨て置けない。



About recable......


そろそろTHA2側のチューニングはこれくらいにして、MDR-Z1Rのリケーブルについて考えよう。高級なリケーブルとしてKimber kable AXIOSがメジャーではあるが、BriseSiltechPAD、アコリバでも同じかそれ以上に高価なリケーブルを提案していて無視できぬ。これらを全部買うか、借りるかして試そうとしたところ、既にそれに近いことをやった方から、どれもドングリの背比べであり、どれにもそれぞれ長所と短所があり、総合的に完成度が高いと言い切れるリケーブルがはまだ市場にないので、最終的には純正のケーブルが一番真っ当な選択ではないかというニュアンスの話を伺った。そうか、確かに凄さもないがクセもない純正ケーブルみたいな方向性のリケーブルがいいよね。なにしろMDR-Z1Rは音の鏡だから。でもこのデフォルトのヘッドホンケーブルじゃつまらない。

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私は一計を案じ、いつもお世話になっているDmaaさんに連絡を入れ、あるヘッドホンケーブルを特注した。そのケーブルは二つあるTHA2のヘッドホンジャックの片方を左側、片方に右側のみにあてることで、ジャックの分だけであるが、左右のチャンネルの物理的な干渉を避け、チャンネルセパレーションを良くするのを狙ったものである。ただしTHA2では、二つのジャックそれぞれに別なアンプが当てられているわけではないので、この方式はHPAの回路との兼ね合いでは意味がない。これは少しでも音が良くなるならなんでもやるという私の立場の現れに過ぎない。しかし、こういう小さい違いを積み重ねることにも音質的意義はあると信じる。また、どういう結果になるにしろ世界中でこういう馬鹿なことをやっているのは俺ひとりだろうという阿呆な優越感はオーディオを前に進める原動力でもある。もちろんDmaaがリケーブルで使うフラットケーブルの色付けの少なさも特注した理由に含まれるが・・・。


実物が到着してみると、スイッチクラフト製のヘッドホン側端子にはねじ込み式のロックが装備されており、Dmaaらしい、さりげない作りの良さが見て取れて嬉しかった。

サウンドもイメージ通りであり気に入った。

このリケーブルには音色がない。全く素直に、音を素通しするのみ。誇張のない音場の広がりが得られ、MDR-Z1Rの密閉型らしからぬ音場表現をさりげなくサポートする。多人数のコーラスはナチュラルに響き、一人一人の声質が区別できるような詳細な描写。また定位の良さは秀逸で、音像に安定感が増した。これは料理で言う最後のスパイスの一振り、絵画でいう画龍点睛だろう。

これでいい。システムの完成としよう。

なお、今回のTHA2に関するリケーブルとは別に、各社のリケーブルについてRe Leaf E1xを使って、さらに時間をかけテストする用意もある。いつかそれをレポートとして書く可能性もなくはないだろうが、それは別稿としよう。



Summary


さて、そろそろ散財のアイデアも尽きた頃だし、ゆるゆると締めくくる。

この3回続きの駄文は不敵にもMDR-Z1Rを「鳴らし切る」と題されているが、結局のところは、ヘッドホンアンプを強化し、このヘッドホンの能力を使い切ろうと励めば励むほどに、むしろこのヘッドホンの真の卍解(ばんかい)、すなわち上流を映す「鏡」という能力がクローズアップされてしまった。

これではヘッドホンアンプの能力が変化しながら向上して行くことをつぶさに観察しているだけのことではないか?

MDR-Z1Rを鳴らし切ろうとした結果、「鳴らし切る」というヘッドホンに対する能動的行為とは真逆の構図をここに描かされてしまったようだ。


恐らくMDR-Z1Rは現時点で最も完璧に近い密閉型ヘッドホンであり、このヘッドホンの登場には、かつてHD800という、開放型ハイエンドヘッドホンのde facto standardつまり事実上の標準機が生まれた時と同じくらいのインパクトがある。MDR-Z1Rを聞いていて、このことが分からない場合は、このヘッドホンが生理的に合わないか、あるいは適切なセッティングのもとでドライブされていないかのどちらかだ。

今回のテストを踏まえて、あえてこのヘッドホンへの要望をSONY様に申し上げるとしたら、もっと重量が軽く、もっと能率が高いとなお良いということ。

GRADOのヘッドホンのように、もっと本体が軽く、

もさらに軽々と鳴るような側面があればさらに完璧である。


ここまで来るとFocal UtopiaAudeze LCD-4HE1000など、もっと高性能であるかもしれないヘッドホンたちを差し置いて、何故、SONY MDR-Z1Rに万策堂は固執するのかと訝(いぶか)る向きもあろう。それは確かに傾聴すべき意見だが、私がそれらに背を向けている理由はいくつかある。

まずMDR-Z1Rは実質的に密閉型ヘッドホンである。このヘッドホンは外音をかなりの程度、遮断できる。一方Focal UtopiaAudeze LCD-4HE1000といえどもオープン型であるから、僅かにしろ、それを聞く部屋の環境に左右される。本当にハイエンドなオープン型ヘッドホンを限界まで使いこなしたいなら、部屋の静けさにまでこだわる必要があるが、それではスピーカーシステムと本質的に変わらない。密閉型こそヘッドホンの王道であるべきという理念を、スピーカーに疑問を持つ私が崩さないのは、そういうワケだ。

この周囲の音・部屋の影響を受けにくいというヘッドホンのアドバンテージをMDR-Z1Rはより高価なオープン型ヘッドホンよりも強く享受できる。そこに、現世界にこれ以上の音質を持つ密閉型ヘッドホンは恐らく存在しないという要素を加えれば、

このSONYのヘッドホンに私が執心する理由が見えてくる。


またMDR-Z1RSONYという大家電メーカーが作ったからこの価格帯に留まっているに過ぎない。仮にこれほどの技術内容を持つヘッドホンを中小企業が作れば50万円は軽く超えてしまうだろう。価格帯でUtopiaAudeze LCD-4、あるいはHE1000のグループには入らないが、同等以上の格を持つ機材である。


加えて、UtopiaにしろAudeze LCD-4にしろHE1000にしろ、MDR-Z1Rに比べて幾分鳴らしにくかったり、エージングに時間がかかったり、音の癖が目立ったりもしている。高い潜在能力を持つが、鳴らしにくく、多少クセのあるヘッドホンに投資するより、潜在能力は普通より少し上くらいにしか見えないが、鳴らし易く素直なヘッドホンに大きく投資して、予想外のポテンシャルを引き出す方が、故障率も含めて結果がいい。(Audeze LCD-4HE1000はいまだに故障があると聞く)


最後に反省である。

ここで今回のテストは一応の決着を見たが、

この試行錯誤の手際の悪さはなんたることか。

実はここに詳しく書くほどもなくテストで不採用になったオーディオグッズがいくつもある。T社のカーボン製の板、V社の重たい電源ケーブル、SK社の長い電源フィルター、E社のコンセント、N社の巨大トランス、I社の青いインシュレーター、AC社のクリーン電源、C社の白い電源ケーブルetc・・・。

ことほどさように、オーディオには時間とカネの無駄がつきまとう。

こんな無様を幾晩も徹夜してやっておいて、

果たして私はヘッドホンサウンドの限界点に少しでも近づいたのだろうか。

近づけたのだろうか。

おそらく誰も聞いたことのない音が、二つのシステムをまたぐMDR-Z1Rから聞こえているのは確かだが、これこそまさに唯我独尊というやつじゃないのか・・・・。

疑いは未だ晴れず、自信などこれっぽっちもありはしない。

つまり、私の中に、まるで心の内なる声のように響いてくる、この音が暗示するものについて確かなことは、まだ何も言えぬ。この音が必然の結果なのか、偶然の集合体に過ぎないのかすら私には分からないのだ。ましてやこれが、オーディオの善悪の彼岸に近づいているかどうかなど万策堂如きが知る由もない。

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悲しくも可笑しな話だが、私にできることは、ただこの独特な音と、それを得るまでの杜撰(ずさん)な経緯を記録として残し、他人の嘲笑のネタになることぐらいなのである。


by pansakuu | 2017-02-02 23:42 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る②: GOLDMUND THA2で遊ぶ

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The beginning of play


「スピーカーという大道具を使わずに、どこまでいい音で音楽を聞けるか」それは近年、私が追いかけているテーマの一つである。
それは私の中で温められるうち、次のような言葉にTransformしていった。
「ヘッドホンサウンドの限界はどこにあるのか」
私はそれを知りたいと望む、内なる声に導かれ、未開の土地・道なき道を進む。
この旅がどんな世界へたどり着くのか、誰にも分からないのだが、
むしろ、そこがまた面白く、のめり込んでしまう理由になっている。
とりあえずの終着駅を知ってしまったスピーカーオーディオの世界とは
対照的な興味の高まりがここにある。


ところで、SONY MDR-Z1Rというヘッドホンは、
言わば上流の機材の真の力を映す「鏡」のようなものである。

とても素直に上流のサウンドを反映する側面が強い機材であることが使い込むほどに分かってくるのが嬉しい。この素直さ、この色付けの少なさは市場にあるヘッドホンで一等優れている。ならば、現世界で最も強力なヘッドホンアンプやDACをその上流にもってくれば、自然とヘッドホンサウンドの頂点が聞こえるはずと私は大雑把に考えていた。そんな不埒な動機のもと、Re Leaf E1x+NAGRA HD DACとGOLDMUND THA2を使った二つのシステムを組んだのは、数か月前のことだ。

Re Leaf E1xを中心とするシステムに関しては、造作なく納得ゆく音が出る。
E1xに関しては以前から様々な環境でテストしてきて、その使い方の理解が進んでいるからだ。実際、ここで注意すべきなのはバランス接続することのみである。
だがもう一方のTHA2に関しては、どうにも音がまとまらず苦心した。
このシステムの主眼はなにか?なにが一番重要なのか?
一時は作業を投げ出し、
セッテイングに凝らない宣言をして放置していた時期さえある。
こうしてみると、やはりTHA2は難敵。望むようなサウンドはなかなか得られない。


例えば、開封した段ボールから冷たいTHA2を出して、付属の安価な電源ケーブルをつなぎ、普通のノートパソコンとUSB接続した状態でMDR-Z1Rをつないで聞く。いわゆる“ポン置き”で聞く。この状態でも既に市販の20~30万円台のDACつきのヘッドホンアンプに比べ、十分にパワフルかつカラフルで各パートの分離の良い音であるのは、価格から見ても当然である。
音色としてはRe Leaf E1x+Nagra HD DACで聞かれる端正で精密な音調とは対照的。だが、音のグレードとしてTHA2はRe Leaf とNagra のコンビに明らかに劣る。


セパレートのコンビの方が音は繊細かつ懐の深い音で、澄み切った冬空を眺めるがごとく、SNはかなり良く、より盤石な安定感がさりげなく出ている。やはり投入されている物量の差が大きい。DACをセパレートして、電源も別にしてしまうとヘッドホンにしても、その出音はかなり良くなる。しかもこのE1xは凝った筐体に電流駆動と手数が多い。またNagra HD DAC、見かけは小さいが、ハイエンドオーディオの極みとも言えそうな素晴らしい内容を誇る。
THA2にとっては、素のままでは敵わぬ相手だ。


しかしTHA2にはRe Leaf とNagra のコンビに無い、音の色彩感やパワフルなドライブ力が備わる。この音の長所を伸ばすような形でケーブルやアクセサリーを選択・投入すれば、音のグレードの差は必ず埋まるはずだ。早速、いろいろな方面にメールを出しまくり、電話をしまくって、借りられる機材は借り、借りられないもので、どうしても試したいものについては購入した。届いたモノは全てTHA2に取り付けられ、あるいは結線されテストされた。(一部の写真は各社HPより拝借させていただきました。)


Investigation of noize, spike, insuleation base, volume control knob.......


まず取りかかったのは、ボリュウムを絞りこむと聞こえる「ジー」というノイズの除去である。多くのヘッドホンアンプを様々な能率のヘッドホンを用いて、様々なボリュウム位置で聞いた場合、時に小さなノイズの存在に気付くことがある。このTHA2の出音につきまとっていたノイズは環境由来のものでなく、デフォルトのものらしく、祭りなどでデモされている機体からも持続的に聞かれた。こういうノイズに関して修理を求めると大概、仕様ですといって返されることが多い。しかし、どうにも気になるので、ダメ元で代理店様に改善をお願いすると、意外にも懇切丁寧に対応してくださり、代理店様から帰ってきたTHA2からは、ノイズは綺麗さっぱりと消えていた。技術者の方に感謝である。

次に検討したこととして、THA2のデフォルトのスパイクフットがある。これは一見大きくて立派なのだが、拙い部分もある。それ自体が大きいので、筐体の高さから考えるとやや重心が高めになること。また高低の調節は一応出来るのだが、適切なところでピタッと固定できない。ロッキングナットがついていない。これだと使っているうちにスパイク受けとの間に隙間ができたりして、筐体が微妙に傾き、いつのまにか不完全な3点支持になってしまう。さらに右前のスパイクフットはねじ込み過ぎると中の配線や基板と接触するときている。ネジの部分が長すぎるからだ。そこで、いくつかのメーカーのスパイクを試したのだが、そもそもネジがついておらず筐体としっかり結合できないとか、重心が高くなりすぎるとか、スパイクの先端がすぐに潰れてしまうなど、要求を満たすものは少ない。
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最終的にオーディオリプラスから出ている特殊ステンレス製の高精度なスパイクRSI-M6-4Pを取り寄せて換装、さしあたりは良しとした。これは汎用高級スパイクの定番商品だが、スパイク自体がコンパクトなので筐体の重心はある程度低く抑えられる。また専用のロッキングナットも付属しているので、適切な高さでスパイクを固定できるのも良い。先端はR1加工され、全体に物性処理まで施されている。他社のものより値段は上だが、その分だけ抜きん出ている。取り付けると期待どおりに音の精度は上がり、リプラスの製品らしい音の粒立ちの良さが前面に出てきた。

次は、スパイク受けだ。
このTHA2、メカニカルグランディングを謳うのはいいが、肝腎のスパイク受けが同梱されていない。これだけ高価なHPAなのにユーザー側で適切なものを探すしかないという不親切さはいかがなものか。目指す性能を発揮しうるスパイク受けということで吟味し、二種の合金を複合したアンダンテラルゴのSM5-FT/P4やEau Rougeのドライカーボン製の製品などを試したが、どうもしっくりこない。SM5-FTは付けた後の音の感じが落ち着き、粒立ちの良い音になるが、若干金属的な響きが乗ってしまうとか、音がやや薄いとか、弱点もなくはない。Eau RougeのER-SB2はシンプルに見えるけれど意外に作り込まれており、音が整理されて静かにはなる。だが、どうも音質的効果の量が少ない。良い方向にも悪い方向にも、あまり変わらない。
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そこで私は前から気になっていた、TechDasのInsulation Baseを思い切って買い求めた。
これを持っている人が周りにおらず、十分なレビューもなかったのでね。
結果的に、これが“当たり”だった。
このグッズは純度の高い超硬ジェラルミンを切削加工し、ダイヤモンドコーティーングを施しただけの品だが、実物を手にすると他社の製品よりも工作精度が高いうえ、表面の滑らかさや硬さも一級、なによりスパイク受け自体の厚さがかなりあって効果が高そうだ。しかも、これだけ厚みがあるのに重量が随分軽いのに驚く。また設置面には見慣れない木材のような素材が貼り付けられ、金属と床が直接干渉するのを避ける。
持ち帰って恐る恐る聞いてみると、他の製品にはない効果があって驚かされた。音がスッと立体的に立ち上がり、きめ細かさがグッと増す。特に音の細部がさりげなく引き立つような感覚にゾクッときた。音の明瞭さだけでなく、金属スパイクらしからぬ音の厚みが現れる。今後Harmonixの木製フットなどもテストする予定だが、まだ先のことになりそうなので、とりあえずこのスパイク受けとスパイクの組み合わせでTHA2の足元は決まった。


さらにTHA2のボリュウムノブについて検討した。
バルナック型ライカの巻き上げノブを模したというGOLDMUND独特のツマミであるが、子細に検討するとこれでいいのかという感想を持つ。まずボリュウムパーツの軸が入る穴が微妙にセンターからずれている。果たしてこれは意図的なのか。またこれは単純に差し込むだけで固定されているノブであり、イモネジ等で軸としっかり固定する方式でもない。これに対して当初はレーザーでカットされたドライカーボン製のワッシャーを裏にあてて調音していたが、効果はいまひとつ。

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ところで、アンプではボリュウムノブを別な材質、形のものに変えると共振モードが変わるせいか、出音が変化するケースがある。これはREQSTという日本のメーカーが出しているR-VM33という音質対策のための交換用ボリュウムノブから得た知識である。現在はメーカー側に在庫がない状態であるが、私はこれを話のネタにと一つ持っている。必ずしも好みの変化をするとは言えないが、導入した機材にはいつも試す習慣である。これは比較的柔らかい無垢のアルミ材を切削加工、セラミックの細長いプレートを嵌め込んだだけのシンプルなもので、全体にやや大き目だが、イモネジが二本ついていて、しっかりと軸に固定できる。またセラミックプレートの付加は共振の制御に役立つということで、この会社の得意の手法だ。

とりあえずTHA2のボリュウムノブが頼りないので、R-VM33側の穴を少し広げたうえで、本体にテフロンとfoQで自作したワッシャーを介して取り付けると、付帯音が取れて出音が落ち着く。他方、ムンドらしい、あのペパミントフレーバーのようなスカッとした雰囲気が少し減るが・・・。
なお、このノブの取り付けの時に驚いたのはネジを締め上げるトルクの強さで出音が変わること。ネジを締めれば締めるほど、音のフォーカスが上がる。やり過ぎると軸が壊れるかもしれないので気を付けないといけないが、やはりMDR-Z1RとTHA2の組み合わせは微かなセッティングの違いを顕著に聞き分けるペアだなと感じ入った。

この作業、最後にはデフォルトのノブとの比較になるが、ここでかなり悩んだ。ライカもどきのノブも悪くない。音の良し悪しはともかく、特にフロントパネルの中でのデザイン上の納まりがいいから。R-VM33はこのパネルには大きすぎるか。結局R-VM33がデフォルトのノブよりも解像度の高い音になると最終的に判断、採用とした。小さな変化だがデザインでなく音を取った。

その他、ベースとなるオーディオボードとしてイルンゴ製のGrandezzaの最も分厚いモデルを敷き、天板の保護にはレーザーカットされたドライカーボンのプレートを特注してのせてある。天板が傷つかないようにすることと地盤を強化することはどういう機材を買って来ても、多かれ少なかれやっている作業のひとつだが、今回はTHA2の寸法が比較的小さいのですんなりと決まった。


Invsetigation of power cord.......


そして今回、最も苦労したのはTHA2のための電源関係のセッティングである。
THA2を扱ううえでここが一番重要だと気付いたのは、他の部分の設定を詰めた後であった。これに関しては国内外に声をかけ、電源ケーブルは15種類ほど、加えてその他の電源関係の装置もいくつか集めて試してみた。結果的には、ある電源ケーブルを除いて私を完全に納得させるものがなかった。そもそもTHA2はDACとアンプが一つの電源ケーブルで養われる格好になっているうえ、内部には4個ものトランスが詰め込まれている。これほど大規模な電源部を内蔵するヘッドホンアンプを私は他に見たことがないが、この内容からして電源に対する要求度が非常に高い機材であることが想像できた。
(蛇足だが、私の知っている情報では、THA2と称しているがトランスの数が少なく、足もゴム足というモデルも海外には存在するらしい。GOLDMUNDのヘッドホンアンプには一般に知られていない幾つかのバージョンがありそうだ。)

さあ、ここらへんで今回テストした全ての電源ケーブルを列挙したいところだが、諸般の事情で、全部をお見せできない。どうしても取り上げたい製品のみについて、略号をまじえて挙げよう。略号で表記した製品の正式名は察してもらうしかない。
JORMA AC LANDA RH II(私のメインケーブルで、常に数本投入している)、Chikuma Possible AC(開発されたばかりの最上級ケーブルでテストした時点でカタログにまだ出ていなかった)、AET Evidence AC(HRを持っている人がいなかったので古いモデルで我慢)、A社の最高級電源ケーブルA、AR社の最高級電源ケーブルFR、Nordost社の電源ケーブルODIN(PASSのアンプの付属品であるが、御厚意により短期間だが借りることができた)、そしてS社の最高級電源ケーブルKあたりが良かった。
なお、このブログ上ではこれらのケーブルのTHA2における音のインプレッションについて詳しく述べる気はない。私はできればこういうケーブルを使いたくないと思っているうえに、そもそも、おいそれとレビューできない社会状況である。それらを踏まえ、あえてひとことで言うなら高価なケーブルほど高度な音になるということだ。
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例えば、こういう豪華な打線の組み方をしてしまうと一般的には高級ケーブルであるはずのJORMA、Chikuma、AET、A社の電源ケーブルであっても存在感が薄い。極めて高価で重装備なAR社のFR電源ケーブル、NordostのODIN Power cord、S社のK電源ケーブルを聞いてしまうと、私の中では、それらに比して格下のケーブルの試聴はなかったことになる。やはりスーパーハイエンドケーブルの実力は流石だ。だが、これを導入するのかとなるとそうはならぬ。少なくともAR社のFR電源ケーブル、NordostのODINについては価格を抜きにして自分が求める方向性と違う気がした。
FR電源ケーブルはあきれるほどレンジが広く、彫りの深い滑らかな美音であり、低域の力が強い。これは真のハイエンドサウンドに分類されるが、弱点を挙げるなら導体のキャラクターが抜けきらず、音が柔らかくなり過ぎるきらいがある。
ODINは相変わらずスピード感・色彩感に溢れ、極めて高解像度調のサウンドであり、価格を忘れるほどの華麗さとシステムに対する強い支配力のあることを改めて確認。けれどこのケーブルは音を締め上げ過ぎ、いつも単調であり、私の求める音の触感とズレている。また、このケーブルは性能が高すぎて鼻につく。ここまで来ると度外れの高性能もある種のキャラクターの一つに過ぎないと、片づけてしまいたくなるのだ。

ふと思うのだが、このケーブルの弱点はこれだけ高価でありながら、自前でプラグを開発していないことではないか。Nordostはフルテックのプラグを流用して平然としているが、この価格のケーブルにしてその態度でいいのか。このケーブルを使ったシステムの出音にフルテックのサウンドキャラクターがかなり乗っているようで気になる。ここまでやるなら、オリジナルプラグを使用するS社の電源ケーブルを見習うべきだ。

では、最終審査の手前の段階でスルーしてしまった電源ケーブルの佳作について万策堂はどのような感想を持ったのか。結論から言えばJORMA、Chikuma、AET、A社の中で私にとって一番優れていたのは匿名のA社の製品であった。
これらのスルーされたケーブルたちは価格帯を考慮すればそれぞれに優れていて、その上のケーブルを聞かないで使う限り、どれもお薦めできるものだが、特殊なパワーアンプのようなTHA2を私のイメージ通りにドライブするには力が足りぬ。ただしA社のAケーブルを使った時の音だけは緻密で躍動的、中高域の解像度も高くて気に入った。今まで使っていたJORMAのケーブルでは聞こえなかったニュアンスが豊富に聞こえてくる。しかも価格はAC LANDAと同等でそれほど高価ではないときている。このケーブルは私の印象に残った。

とりあえず、それらの佳作ケーブルについて短評すると、ナチュラル・ウェルバランス・ピュア・クールと四拍子揃って秀でているけれど、やや線が細く、音色も淡色調に傾き、透明感を優先しすぎて、泥臭いブラックミュージックが全く聞けなくなるChikuma Possible AC。(Tunefulで十分いいと思う。)バランス感覚に優れたカラフルな音で、音の太さもなくはないが、この打線の中に在ってはニュアンスの表現が僅かに舌足らずであるうえ、少しばかり音の広がり、スケールも小さく感じるJORMA AC LANDA RH II。音の実体感と押し出しに長けるが、音場の表現に巧みさを欠き、長期のエージングによっても独特の音の硬さが取れないAET Evidence ACというところだろうか。回想してゆくとA社のA電源ケーブルはやはり素敵なケーブルだ。線材の影響か、私にはちょっと音が柔らかすぎる気がしたのと、MDR-Z1Rの低域の見通しが、AC LANDA以上には良くならないので採用しなかったが・・・。
そういえば、このケーブル、他のジャンルのメジャーな電源関係の製品を引き合いに出したくなるほど音の良い製品であったのも印象に残る。例えばこのケーブルは、電源絡みということで同時期に借りてテストしたアコリバのRPC-1という話題の製品よりずっと安価であるが、オーディオ的な効果はこちらの方がよりはっきりしていた。

ちなみにAcoustic revive RPC-1自体は何気に優れた製品で、しっかりノイズが取れ、音はスッキリし明瞭感や立体感を増す。いかにもアコリバらしい、この製品の一番良い所は細かい音質変化云々よりも通常のクリーン電源のように、電力の消費が大きくなった場合でも音が頭打ちになったりしないところだ。だが24万円の機材の効果としては効果の量が少し物足りない気がしたので手を出さなかった。忌憚なき意見を言わせてもらえば、半額ぐらいなら買ってもいいかなという度合いの効き具合だ。ORBやChikuma、オーディオリプラス等の最高級の電源タップを持っていないなら、そっちをまず先に買った方がいい。選別されたハイエンドタップがきちんとしたセッティングで使えていればRPC-1を付けたり外したりしても価格に見合う音質差は感じないはず。少なくとも、私のところではそうだった。
また別な考えをすれば、RPC-1は既にかなりの台数が出ているようなので中古で十分だとも思う。


それからIsotechのクリーン電源装置(フィルター)EVO3 Aquariusも試したのであるが、これはRPC-1とよく似た効果のある機材で驚いた。コンセプトも生産国も使い方も違うのに効き目の種類が似ている。音は澄んで、このようなクリーン電源フィルターにありがちな音の線の細さみたいな悪癖も極小である。これも悪くない。だが、これもRPC-1と同じくORBやChikuma、オーディオリプラスの最新かつ最高級の電源タップを買った方がいいという結論に至った。ただし、その結論に至った理由は同じではない。この機材に関しては消費電力の大きなシステムに使うとすると、単調な音の描写に終始する場面が出て来る。具体的には手持ちのORBのKAMAKURAに比べて、僅かに頭を抑えられ勢いが低迷する気配を感じた。静けさが勝る音であり、音量を上げてシビアに聞けば、うわべの躍動感はあっても、心底浸りきれない不安定さが音の端々に感じ取れた。これは私が求めるレベルあるいはTHA2の要求がやはり高すぎるのかもしれない。
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もちろんIsotechのクリーン電源装置に関してはTitanまで行けば、概ね不満のない結果が得られるのは分かる。だが60万の電源装置にしてコンセント2口のみ、経年劣化を脱がれないコンデンサのある回路(普通の電源タップにはそうした劣化のある部品がとても少ない)、ハイエンドタップに比べて造りが盤石とは言えない筐体となると、Titanに比べて安価な高級電源タップやRPC-1を差し置いて買うべきかどうかは思案のしどころだ。さらに進んでTitan+Aquariusで電源ネットワークを組むというのも面白そうだが、飽きずにずっと使い続けられる自信がない。むしろ、そこまでやるなら思い切ってSuper Titanだろう。この内容なら万難を排して持ち込む意味がありそうだ。これほど大規模な電源フィルターは他に類を見ないからだ。(③に続く)
by pansakuu | 2017-02-02 23:41 | オーディオ機器

DENON AH-D7200の私的インプレッション:フラッグシップはどうあるべきか

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技術の進歩より、時代の変化のほうが大きい
By 松井 道夫(第4代松井証券社長)



Introduction

しつこいようですが、例によって
ここ数年、随分なオーディオインフレだという話題から始まります。
ハイエンドオーディオ、なんでも高くなりましたね。
スピーカーは一千万近いものがいくらもある。
アンプもですよ。この値付けも買っちゃう人がいるから、ますます調子に乗るんじゃないでしょうか。騙されているわけではないと信じたいのですが、さしたる理由もなく、価格だけが上がっている場合もなくはないわけで、既にそれに近い状況と判断すべきかもしれない。
高級ケーブルなどに至っては、その音質的優位を認める場合ですら、その材料費・製造費と利益をどう見積もっても1mペアで100万を超える根拠はないと感じることがほとんどです。そんな価格でも、売り出すと一応売れるからと誘惑に乗って、こういう価格をつけてみましたって感じでしょうか。高級スイス時計と同じで、売る側にも買う側にも、もう欲深さしか感じないという話もあります。価格の根拠を開示する義務がないから、こうなるのだとも。とかなんとかブツブツ言いつつも、ああいうケーブルを新品で買っちゃう私も私ですよ。自分がメーカーのペースに乗せられていることは十分意識してはいるのですが。
去年までは我慢して超高級ケーブルを買っていましたが、今年以降はもうついて行かないつもりです。無理してついて行くと向こうがますます図に乗りそうで怖くなってきちゃいました。

そうそう、ヘッドホンなんかでも10万クラスが普通になりました。
中には50万円を越える製品もチラホラ。
でもまあ、買える値段ですよ、超高級ケーブルなんかに比べれば酷くない。
そうは言っても、一昔前、ヘッドホンってこんな値段のものばかりでしたっけ。
長らくオーディオマニアやってますけど、
最近はホントにどういう買い物をしたらいいのかよく分からなくなってきました。

そもそも技術革新ってなんだったんでしょう。
闇雲に高性能を追求すればいいっていうものじゃないでしょ。
より高音質なものを、より安価に多くの人に提供するのが、
技術革新の主な、あるいは真の目的だったんじゃないスか。
こういうバランスを欠いた開発によるインフレーションは、慣れ親しんだハイエンドオーディオを富豪だけが知りえる幻の世界に追いやりかねないって口酸っぱくして言ってるんですけど、世の中に全然響かないなあ。

この状況に対する具体的な対策のひとつは、旗艦機=フラッグシップ機の値段を抑えたままでのモデルチェンジだと私は思っています。
でもそれは、なかなか実現しないことなんでしょうね。
大人の事情でいろいろと難しいのか。
現実、ほとんどのメーカーのニューモデルは従来機よりも価格を引き上げる傾向にありますね。
しかし、やればできるという例を見つけました。
DENONの50周年記念の旗艦機 AH-D7200がそれです。


Exterior and feeling

フラッグシップ機としてはいささか小振りで、あまり主張のない外観です。
そこが逆にユニークなんですよね。
最近のヘッドホンのフラッグシップモデルは一見して、物量投入され、先進的なデザインを纏うことが多いし、ハウジングが大きいのも最近のトレンドですので、大型で重たくなりやすい。SE-MASTER1、MDR-Z1R、Utopia等、どれも新設計、新素材、新デザインと今までにないものを開発しようとする意気込みが外見に出ています。
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でも、このAH-D7200の姿にはそういう肩をイカらせた先進性の主張がない。
実売9万をやや下回る、メジャーなヘッドホンメーカーの旗艦機としては抜群に魅力的なプライスタグを思いやりつつ、このヘッドホンを手に取ると実に優しい気分になれますな。最近のハイエンドヘッドホンの中では、確実にコンパクトだし、重いとは言えない部類に属してるんじゃないでしょうか。
明るい色合いのウォールナットのイヤーカップとポリッシュされたアルミダイキャストハンガーの組み合わせはトラッドでカジュアルな印象です。デンマークの家具のようなシンプルで明るいデザイン。何気にハイエンドヘッドホンというとマニアックで部外者を近づけないネクラでオタクな雰囲気があるのですが、そういうマニアックな感じの悪さがない。クローズドタイプのヘッドホンにしてオープンな感覚が好ましい。全体にナチュラルな仕上げで、ツルツル、ピカピカ、ギラギラといったこれ見よがしの高級感の演出はあえて避けているようです。最近流行のスティルス調の仕上げでもありません。DENONのロゴの金色、その位置や大きさも周到に計算されたもののように、ピタリとあるべき場所に収まっております。
それからネジが外側からほとんど見えない作りでありながら、持った時のシッカリ感があるのはいいですね。調整や装着、姿勢変化に伴う軋みや、イヤーカップの位置ズレも皆無。実にオーソドックスな外見とあいまって安心して使っていられそうです。
それから外側のみシープスキン製のヘッドバンドにあしらわれた菱形のステッチがちょっと斬新か。こういう柄模様のようなステッチはヘッドホンでは初めて見ます。アーガイルのセーターを着て、このヘッドホンを使う絵が思わず頭に浮かびました。もちろんこの菱形のステッチはデザインだけでなく装着感を高め、頭頂部にかかる力を効果的に分散するという実用的な配慮があるようですけど。
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ハンガーのヒンジの動きは滑らかというよりは若干シブいかな。MDR-Z1Rのように自由に動き過ぎず、好きなところでスッと止まる感じです。スライダーの動きは確実で不用意なズレは皆無。このあたりの作りはヘッドホン作りの最難関の一つですが、さすがに老舗、無難にまとめておられます。
イヤーパッドは加水分解に対する耐性の高い特殊な合成皮革と形状記憶フォームで作られており、やや薄く小ぶりなものですが、耳介を違和感なく収め、側頭部に圧迫感をほとんど与えない優れものです。最近の高級機は本革製の分厚く大きなイヤーパッドを装備したものもよくあるのですが、造りが良ければこういうコンパクトなパッドで十分なのですね。そしてパッドの内側にさりげなく開けられた音響チューニングのための穴を確認。こういう穴はDENONのヘッドホンでは初めて見たような気がしますがどうなんでしょう。少し前までこういうチューニングの手法は珍しかったのですが、いくつかのヘッドホンで取り入れられはじめていますね。
このAH-D7200のウッドハウジングは最近の高級な密閉型ヘッドホンとしては、明らかに小さく、やや薄い印象をもつものです。その形状も天辺が平らなドーム状という、ごく普通のものであり、例えばMDR-Z1Rのハウジングに見られるような驚きの形・素材は採用されておりません。それにしても、このように小さく、かつ特別な形や素材を使わないハウジングで、どうしてこんなにも広い音場を実現できたのか?ハウジング内部に格納される50 mm フリーエッジ・ナノファイバー・ドライバーの完成度の高さと、ハウジング・イヤーパッドに対する長い経験に基づく細かなチューニングの勝利ということなのでしょう。

実際に装着すると、重いとは到底思えないもので、付け心地もとてもよろしい。側頭部全体を包み込むようなMDR-Z1Rの装着感とは違い、優しく押さえられた耳の周囲の感覚がそのまま頭頂部方向に続いてフェードアウトしていくような心地です。AH-D7200は考え抜いて作られた、どちらかというと小さなヘッドホンであり、大きなヘッドホンにありがちな鬱陶しい感じがほとんどありません。
さらにリケーブルにデフォルトで対応するところは現代のトレンドに配慮していますね。昔、AH-D7000をバランスリケーブルした時は結構苦労したものですよ。しかし、このAH-D7200となるとほぼ一発でバランスリケーブルを装着できます。なおリケーブルのヘッドホン側の端子は3.5mmのモノラルミニで、MDR-Z1Rのようにロックこそないものの抜けやすくないので、信頼性は高いようです。
ヘッドホンケーブルは布巻され、おまけに端子はハウジングからブッシュでフローティングされており、タッチノイズへの対策も万全です。内部の銅線は7N無酸素銅を使用しているそうで。下手なリケーブルは無効ですね。

このヘッドホンの外観・装着感を検見(けみ)していると、特殊な材質のパーツの使用が現代のフラッグシップヘッドホンとしては意外に少ないことに気づきます。シープスキンなどの高級素材を少なくし、耐久性を重視した合皮を多用するなどして、合理的にコストを削減しているのもわかる。さらにリケーブルに対応するところなどは、現代のヘッドホンマニアの要求に応える部分であり、色々な方向から見ても文句のつけようがない出来です。


The sound 

最近聞いたヘッドホンの中で、音のまとめ方が最も巧みなヘッドホンであり、音響以外の装着感などの要素も含めた総合的なコストパフォーマンスは最高です。このヘッドホンに出会う前まではFocalのELEARがその意味で最も素晴らしい製品だったのですが、それをさらに上回る音作りの巧さがあり、価格はずっと安い。それからELEARよりももっと多くの人の意見を集約して作られた音のようにも感じました。つまり死角が少ない音なんですね。
私が聞いたのは製品版に限りなく近い、最終的な音決めが終わった個体で、このままで発売されると考えていいとのこと。あまりに音がいいので何回も聞きに行ってしまいました。ちなみに前回のヘッドホン祭りでは、このヘッドホンの音はこんなによくなかった。いろいろ変えましたね、とDENONの中の人に語りかけると笑顔で返してくれました。

まず、聞き味がいいんですよ、このAH-D7200は。先々代のAH-D7000のあのナチュラルな聴き疲れしない音調を彷彿とさせるんですよね。このヘッドホンの音は柔らかく、耳当たりがいい。鋭い音は出さないが、決してまあるい音じゃない。サ行が刺さる、ハーシュネスが強いという言葉からは遠く離れた穏やかさを感じるサウンドでありながら、音の鈍さがない。立ち上がり・立下りのスピードは、早すぎもせず、遅くもなく。なにを言いたいのかって?私は、このヘッドホンの中庸をゆくバランスの良さが素晴らしいと言い放ちたいのです。
実際、ヘッドホンの音の調整ポイントはかなり多く、そのどこを変えても、音は変わってしまう。共存の難しい多くの要素を調整しながら進む音作りの中で、どこをそのゴールとするのか。そのゴールの設定が難しいと思うのですが、このAH-D7200の音の落としどころは、結果として絶妙なポイントだったのではありませんか。こういうバランスの良いクセの少ない音に、さりげなく届いているところを見ると、むしろ、ここに至るまでのスタッフたちの喧々諤々(けんけんがくがく)の大変さが目に浮かぶようです。

AH-D7200のカバーする周波数帯域は広く、ピーク・ディップの存在は特に感じられません。そして高域の伸び、中域の厚み、低域の落ちっぷり、どれもなかなかのもので、価格を超えたパフォーマンスを聞かせます。さらに眼を凝らすように、少しだけ音に集中しさえすれば、この穏やかさに秘められた解像度の高さにも気づくはず。
さらに残留雑音の少ない、パワフルなヘッドホンアンプでドライブするのであれば、穏便というだけでは済まされないこのヘッドホンのダイナミズムの一端に触れることもできます。音楽の躍動感も十分に表現できる力量が備わっているのです。ただの優等生でない部分も隠し持っているというわけで。
各パートの分離・変調modulationの少なさについても、かなり秀でたヘッドホンでして、混雑した音を通しても適度に整理されて出てきます。特筆したいのは、ここでは音が整理され過ぎないこと。音声が重なってハモるときの声の質感の描き分けの巧さを感じさせつつ、分離し過ぎで不自然なトータルサウンドとして提示しないところがある。音がほぐれているっていう言い方が適当でしょう。高性能感のみを前面に押し立ててゆくSE-MASTER 1などの最新鋭機の音作りとは一線を画す洗練が垣間見えました。多くの音が混和すると、音像も音場も全てが濁って聞こえることはしばしばですが、ここではいつも澄んだ音が常に聞こえており、適度な透明感は音量を上げても保たれています。

音場の広さについては、密閉型ヘッドホンとしてMDR-Z1Rに次ぐほどの広さを感じさせるものです。この点については先代よりも余裕を感じるようになりました。TH900MK-2と同レベルか、それ以上か。ハウジングをD7000、D7100で使っていたマホガニーからアメリカンウォールナットに変えたのが良かったのか?ハウジング内部は特別な仕上げはないようなので、やはりハウジングの材質やドライバーの改良が効いているのでしょう。
外観からお察しのごとく、このAH-D7200は、先代のAH-D7100の後継ではなく、AH-D7000の後継という位置づけでよいようです。確かにあくまで穏やかな音の傾向は似ている部分があります。ですが、これらの解像度の高さや躍動感、音の分離の巧さ、音場の広さという要素に関しては、先代、先々代より、はっきりと進歩しております。この7200の登場で現在も中古市場で高価に取引されるAH-D7000の相場に変化があるかもしれません。

それから、大きい音と小さな音の間に介在するグラデーション、音の密度の濃淡の描き方は実に細やか、かつ大胆と言えましょう。コントラストをつけるべき時はしっかりと、滑らかな調子で表現したいときはあくまで豊かな階調で音を表現してくれます。これは今かかっている音楽の様相に寄り添う音。とはいえ、ここにもう少しカラフルな表現というか、派手に弾ける音調もありさえすればと思う瞬間も有るには有る。どうもこのサウンドはモノクロ調なんですな。もっとカラーな色気や潤いも欲しい。やはりそこは組み合わせるアンプに、あるいはリケーブルなんかに期待するところなのでしょう。実際、FOCAL UTOPIAと並んで、カラフルなサウンドが持ち味のGOLDMUND THA2で鳴らしてみたいヘッドホンが、このAH-D7200なのです。

また、音像の背景に埋もれている倍音成分の聞こえ方は控え目です。美しい倍音のたなびきからイメージされる音像の透明感よりは、音の実体感そのものを強く感じる質実剛健なサウンド。サウンド全体の傾向としてモニターヘッドホンという感じではないですが、確かにその要素もあります。倍音の響きの中にサウンドステージの広がりの証拠を求めたいなら、少し寂しい音かもしれません。でもあまりそこが、余りにうまく行ってしまうと、音の厚みが失われてしまうから、こういう音のまとめ方なんでしょうかね。音の厚み・実体感をサウンドの軸として、常にキープしながら、倍音成分や空間性、音の透明感、細部の描き分けにも適切に気を配る。どこか骨太な音作りに感じます。こういう確信に満ちた音はフラッグシップとして開放型でなく密閉型ヘッドホンを選んだ時から開発者たちのイメージにあったものかもしれません。
もし倍音成分の表現や音の透明感・繊細さを求めるなら近くリリースされるというKimber kableの銀製のリケーブルを試すがよかろうかと。

このヘッドホンは優れたコンシュマー向けのヘッドホンらしく音楽の感情的な表現の分かり易さを持っているのですが、音楽表現の多様性という意味についてはどうでしょうか。TH900MK2などの定評あるハイエンドヘッドホンたちと比べると、そのポケットの数は少ないのかもしれない。どんな音楽聞いても穏やかさや、聞き味の良さに傾くところがやはりある。音楽の躍動感の発露まではこのヘッドホンだけでも行けますが、激しくハメを外した音楽の半ば狂ったような表現にまで出音を昇華させたいなら、上流にお金をかけなくては。BGM的にリラックスして聞ける穏やかな音、そんな表現でこのヘッドホンの評価終わらせたくなくば、ヘッドホンアンプとか、その前段のDACなどを奢るべきです。掘り下げるべきポテンシャルがこのAH-D7200にはまだ秘められているのですから、散在する価値はある。このヘッドホンの潜在能力をどれくらい開花させられるかは、ヘッドフォニアの腕次第というところはあると思います。

私が日々使い倒しているSONY MDR-Z1Rと比較するのは、約二倍の価格差があることから躊躇する向きもあるかもしれません。しかしAH-D7200のサウンドがZ1Rに劣るとは言い切れないと思います。密閉型らしくない音場の広がり、音の精緻さという面ではZ1Rにアドバンテージがありますが、多くの相反する音の要素を見事にバランスさせ、満遍なく取り込んだサウンドという点ではAH-D7200に利がある。特に低域の質感や量感に違和感を持たれるかもしれないZ1Rよりも、多くのヘッドフォニアに受け入れられやすい、行き届いた音に仕上がっております。



Summary

AH-D7200のオンステージの意味するところはハイエンドなダイナミック・密閉型ヘッドホンの価格破壊に留まらない。この製品の登場はハイエンドヘッドホン全体を見渡してもコストパフォーマンスという意味では目覚ましいものがありましょう。また、ハイエンドオーディオ全体が傾きつつある、恐らくは少し間違った方向性に対して外野から一石を投じる製品でもありましょう。
とにかく、このヘッドホンバブルの時代に旗艦機=フラッグシップ機を、値段を抑えたままでモデルチェンジするというDENONの英断には拍手すべきです。値段を変えず、あるいは少し下げるように調整しながら、音質や質感を確実に向上させる。よりコンパクトで使いやすい形に大胆に変化させる。それは、これからのオーディオ開発のグッドセンスと呼ぶべきものと私は信じています。

最近、欧州のある会社が開発した、巨大で高価なハイエンドDACが東京にやってきました。筐体ごとモノラル化されたこのDACの音質向上には目覚ましいものがあるのですが、この規模と価格には降参です。勘弁してくれという感じ。あるところで、このDACについて「並々ならぬセンスが表れている」と評されていましたが、これはなかば皮肉ではないかと思ったくらいです。私は、見ようによっては、これほどナンセンスな開発はないかもしれないと思いながら、変わり映えしない筐体群を眺めていました。
これは、フラッグシップ機のモデルチェンジあるいはさらなる上位機の開発において音質は上げつつも、より大きく、より扱いにくいものに変化、価格は大きくジャンプするという、近頃のハイエンドオーディオにお決まりの流れそのものです。もうこのやり口には辟易しています。私も昔の人間だし、そういう類のオーディオの良さも分かるつもりだから、いたずらに規模を拡大して得られる、ずば抜けた高音質に興味がないわけではありませんが、少なくともこのセンスは良くないと言うべきなのでは?

私は、もうあの時代は終わったと叫びつづけてきました。あくまでも小声でね。
現代人が生活で必要とするあらゆる機能を一つの筐体に集約した、小型の情報端末が世界を席巻しています。コンパクトで高性能、人に優しく使いやすい機械が人々に深く浸透してゆく時代です。大きく重たいが、限られた機能しか持たないハイエンドオーディオマシーンへの郷愁は、この世界の趨勢の中に呑み込まれつつあります。そういう機材への憧れは繰り返し、度外れの高音質への誘惑として現れる、不滅の存在なのかもしれませんし、世の中のトレンドにあえて抗う姿勢も否定しませんよ。でももう、あのような機材を主力としてハイエンドオーディオを盛り立てていくことは不可能と認めるべきです。今のハイエンドオーディオのフラッグシップ機を見ていると、いつか行き詰まることを知りながら、戻れない道を目をつぶって走ってゆくような不安を感じませんか。

ハイエンドオーディオが我々のようなごく普通のオーディオファイルから見捨てられずに生き残っていくための鍵が、ハイエンドオーディオとは一見無縁な、この小さなヘッドホンに隠れていると思うのは私だけでしょうか。
また万策堂は大袈裟だと笑われるのかもしれませんが、大真面目ですよ。
私個人はオーディオの未来を見据える目でもって、
この AH-D7200を見つめているのですから。

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by pansakuu | 2017-01-02 01:51 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る①:流砂の中で

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流砂は圧力がかかって崩壊するまでは、一見普通の地面のように見えている。
Wikipedia



眼の前に3つのヘッドホンが置かれている。
GRADO GS2000e、Focal Elear、そして SONY MDR-Z1R。
これらのヘッドホンの限界を実際の自分のリスニング環境で見極めることがさしあたりのオーディオのテーマと、私はなんとなく決めていた。
しかしそれ以外の、それにまつわる事々は多少混乱しているということだ。
これはそれぞれのフォンの限界を極めるという話だから、これらのヘッドホンを「鳴らし切る」と愚かにも宣言しているのに近い。しかし、その向こう見ずと高慢につかまって私は生きているのだから、やむをえない。
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とはいえ、GRADO GS2000eに関しては、なんの苦労もなくあっけらかんと美味しい音で鳴るのは確認できている。これは素のままでも実に鳴らしやすい。それに手持ちのRe Leaf E1xとの相性も抜群である。このアンプのノイズの少なさ、特性の素直さ、澄み切ってスピード感の高い音調が、そのまま軽々と出て来る。さらに私はGRADO社の方針に逆らって、XLR×2のバランス接続をリケーブルで実践しているが、シングルエンド接続に倍するほどの快感を得ている。GS2000eを客観的に見れば、造りの上でも計測値の上でも極端な高音質は望めぬように感じるのだが、実際に優れたアンプでドライブしたときのGS2000eの快音に虜にされない人は少なかろう。これは、不思議といい音を聞かせるヘッドホンシステムである。音響の専門家の意見とか、計測値とかの信頼性は、ここでは疑わしい。むろん、低域が軽いとか、多くの音が重なった時は分離が若干悪いとか、言いたいことはなくもないが、この軽快な装着感と優れたサウンドフィーリングは、そんな些末なことをすっぱりと忘れさせてくれる。老舗の貫録が音の軽みとして滲み出るという希有なるヘッドホン。このサウンドを押さえていれば、他の二機がどうなろうと、それほど困ることはないという保険のような側面もある。
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Focal Elearにしても特段なにもせずに整った音を出せるが、他の二機にあるフラッグシップとしての凄味はないかもしれないと思い始めている。このヘッドホンは音質の限界を追求するようなタイプではなく、スタンダードなクラシック音楽やJAZZを常に安定した高音質で流し聞きするのに適したヘッドホンである。上位のUTOPIAのように悩みながら、最適条件を手探りで求めて行くような難物ではないと思う。リファレンスクラスよりは気楽に使えるヘッドホンであり、他の二機のリスニングの間を縫って、こちらもこのまま使い続けようかと考えている。機会があれば飲む高級なブランディのように、少しづつ聞いている現状である。そういうことでこちらにも悩みを感じていない。

一転して問題はSONY MDR-Z1Rである。
試聴段階で、このヘッドホンの潜在能力は今あるヘッドホンの中でも抜きん出ていると感じた。だが、手元で鳴らしてみると、その限界はなかなか伺い知れなかった。
そこから混迷は始まった。
このヘッドホンにヘッドフォニアがシリアスに取り組む様子は、まるで砂漠の流砂地帯に迷い込んだ遭難者のようだ。
当初このMDR-Z1Rについては、叩き台となる基本構成も決められなかったほどだ。お店に持ち出して、様々なアンプにつないでみても、どうもとっかかりがないのである。確かにどのアンプでも十分にいい音で鳴る。だが、すぐに上を目指せる機材やセッテイングのアイデアが頭の中に湧き出てくる。急いでそのアイデアを試すと、即座に反応してさらに上の世界を見せてくれる。その時点でまた改良を考えついてしまう。まるで砂を掴むように、最適なシステム構成・設置条件がどこかに逃げてゆく感覚の繰り返しなのである。
ここ一か月の試行錯誤をここに書くつもりはないが、とにかくダラダラと寝不足が続いていた。
私の脳裏には流砂にはまるようにズブズブと、このヘッドホンにハマってゆく自分が見えていた。

購入前から、このフォンがどんなセッティングでもきちんと鳴るのは知っていた。私個人の印象ではMDR-Z1Rを鳴らす機材として、やや貧弱と思えたNW1Z単体ですら、あれだけのパフォーマンスが出せていた。だがMDR-Z1Rのポテンシャルは、あのサウンドより遠く高いところにあるのは経験を積んだヘッドフォニアならば誰しも直感的に分かったはずだ。
現在の状況として、私はGOLDMUNDのTHA2を用いて、Z1Rの可能性を探っている最中だが、THA2をまだ十分使い切れていないこともあり、この系統で完成型を得るのはまだ先の話のような気がする。THA2については追々、書いていくことになるが、さしあたり、旧系統であるRe Leaf E1xとのペアで私の聞き取れた範囲を中心に、所々でTHA2で得られた知見を交えつつ、このヘッドホンの音のあらましを簡潔に押さえておこう。
(なにしろ私自身が混乱しているので細かい部分で辻褄が合わないこともあるかもしれないが・・・・)
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どんな方法をとるにしても、MDR-Z1Rを鳴らし切る、などという企画の遂行は容易ではない。
そもそも現代の高性能ヘッドホンの一般論として、その実力を使い切っていると確信できるようなセッテイングを定めることは簡単ではない。現在、取りうるオプションの多様さを踏まえると、それらを検討して取捨選択し、残った手を試し尽くすのには相応の時間とカネ、そして労力、経験と勘を要するからだ。

MDR-Z1Rは、ふんだんに新技術を注ぎ込むことで密閉型ヘッドホンの新たな地平を目指したギアであり、ここまでTH900Mk2やEdition5あたりで止まっていた密閉型ヘッドホンの進化を次の段階に押し上げたプロジェクトである。
出来る限りの技術と物量を投入したうえで、デザインや仕上げの良さ、価格をも追求しつつ、マイナーだが切実なマニアのニーズに応えた製品というと、ここ数年のヘッドホンオーディオの盛り上がりの中においてさえ、ほとんど見いだせなかった。確かに色々と高性能・高価な製品が次々にオンステージしていたものの、いつも微かなコレジャナイ感が漂っていたのは否めなかった。それは、優れて革新的な密閉型ヘッドホンが、なかなか出て来なかったからである。名機Ultrasone Edition9が発売されてから10年。TH900とEdition5を除けば、私にとって目ぼしい密閉型ハイエンドヘッドホンの新製品はなかった。
(それにTH900にしろEdition5にしろ、熟成と洗練を感じたが、革新を感じるものではなかったのは不満だった。)
そして2016年後半、ワケ知りのヘッドフォニアが求めていた、ありそうでなかった製品MDR-Z1Rがやっと登場したのだが、このレベルの密閉型の新製品が乏しかった十年の間にヘッドホンアンプやリケーブルは進化し、多くの選択肢を抱えるようになった。この状況の変化は無視できない。さらにヘッドフォニアたちの耳も肥えて、知識も増えた。新たな密閉型ハイエンドヘッドホンを鳴らすための組み合わせ・使いこなしのバリエーションはEdition9が発売されたころに比べて飛躍的に増えている。

また、これだけ盛りだくさんの技術内容を持つヘッドホンだけに、このMDR-Z1Rには小さなDAPに内蔵されたアンプなどでは出し切れない、伸びしろが残されていると私は信じている。私の想像では恐らく開発者たちですらまだ知らない未知の能力がここに眠っているはずだ。このように多くのセッテイングの選択肢と知られざる能力を秘めたMDR-Z1Rを「鳴らし切り」、開花させることが私の当面の関心事となった。

例えば、現在の私の分類では、バランス接続とシングルエンド接続に関して顕著な差が出やすいヘッドホンと、あまりそこに音質の差を感じさせないもの、そしてもともとシングルエンド接続しかできないものの3種類に現代のヘッドホンは分かれると思う。
モガミのケーブルを用いた自作のリケーブルでの試聴だが、いくつかのアンプで試したかぎり、MDR-Z1Rは最初の種に属するものと思われるので、バランス駆動することを私は強く推奨する。実際にシングルエンド接続の場合はよほど優れたアンプでないかぎり、同格のアンプによるバランス駆動に劣ると思う。特に低域の解像度やサウンドステージの広がり、音楽の躍動感の表現の幅の広さに明らかなバランス駆動の優位性を認める。
このMDR-Z1Rは大きな振動板を持つせいか、ややふくよかな低域を持つという感想を持つ人が多い。この低域の量感の大きさは、駆動力のないアンプでは単なる音の緩さやダルさに直結してゆく。バランス駆動なら、アンプのグレードを多少下げても、満足ゆく結果が得やすい。

好みの問題もあるだろうが、私は最近のオーディオ界全体で低域を締め上げ過ぎていると思うので、こういう低域の量感を重視した音調も、そろそろアリだとは思う。これを低音過多とか、ボワボワした甘い音だとか言うのは自由だが、そう言う人のリスニング環境は、私にしてみれば不十分と思われることが多い。MDR-Z1Rが求める水準をクリアしたヘッドホンアンプにバランスでつないで聞いてから自分の意見を述べても遅くないと諌言したい。

MDR-Z1Rに関して、自分がひとつ最高の組み合わせと思うアンプとして、手前味噌と言われようとも、やはりRe LEAFのE1を推す。
(SONYの純正組み合わせと言えるTA-ZH1ESも悪くないが、これは値段なりのものだと思う。)
まずこのE1は基本的にSNがいい。これはMDR-Z1Rの出音の性質によく合う条件だ。このヘッドホンは密閉型の中でも背景の静粛性が強く前面に出る部類であり、ドライバーの軽さと相まって微弱な音がかなりよく聞こえる。残留ノイズが少しでも多ければ、リスニングにモロに影響してしまう。事実、このヘッドホンとE1をバランス接続したリスニングは神経質と表現したくなるほど、音楽の細部が見事に表出する。
E1はクリーンで強力な駆動力を持ち、バランス駆動が可能なものであり、癖も極端に少ない。私の知る限り、現時点では世界で最も優れたヘッドホンアンプである。このアンプでドライブするMDR-Z1Rの低域は豊かでありながら、見通しはとても良く、スピード感に溢れている。そして緩さは微塵も感じない。またヘッドホンの程好い重さ・装着感の良さ、音質の素直さの相乗効果で聞き疲れは皆無に等しく、ついつい朝まで聞いてしまうセットであることも書き添えておこう。このヘッドホンが来てから、音楽とヘッドホンオーディオに向き合う時間は確実に増えた。

さらに、これほどの出音の良さを説明するには、Re Leaf E1がその体内深くに隠し持つ過去のSONYの遺伝子が最新のSONYのヘッドホンと共鳴するという現象を思い起こすべきかもしれない。そんな物語めいたことが本当にあるのかと疑いわれても仕方ないが、経験上、それはありうる。現にMDR-Z1Rには、まるでRe Leaf のアンプをリファレンスとして開発されたかと疑うほど、E1との相性の良さがある。オーディオは単独の機材では基本的に完結しないので、つながる機材どうしの相性は重要なファクターである。
形態上もシンプルで突起や装飾の少ない、どこか無印良品的なアノニマスデザインであるのが共通している。白いMDR-Z1Rか、黒いE1があれば色彩感覚上も親和性が増すかもしれない。(ところで黒いNAGRA HD DACを最近見かけた。アレは欲しい。)
両者とも、かつてないほどピュアで正確な音を目指すというコンセプトをもち、両者とも日本で開発され、日本で製造されるものだ。このリスニングでは、メーカーは異なるけれど、SONY、そして日本という同じ根っこを持つ二つのマシーンの邂逅の果実がかぶりつきで味わえる。やや淡白で精妙だが驚くほど複雑多様な味わいが大脳皮質いっぱいにインパルスとして広がってゆく美味しい快感に浸る。

最近の私はE1のDACをバイパスし、純粋なアナログ入力のヘッドホンアンプとして使うことも多く、その場合は上流にNAGRA HD DACを据えている。この状態でのMDR-Z1Rの音の特徴を短くまとめるなら、出音が極度に精緻なこと、そして背景が真に黒く静かなことに尽きる。
この二点にかけてはMDR-Z1Rは今まで聞いたどのヘッドホンも敵わないのかもしれない。
このセットでのリスニングでは、澄みきって静まりかえった背景がまずある。ヘッドホンを正しく装着した瞬間から、そういう厳然とした音響空間にリスナーは立たされる。そしてプレイボタンをクリックした次の瞬間に、この奥深い暗黒の静寂から音像がスウッと立ち上がる光景を目の当たりにする。そして、ストレスレスかつ精妙な音楽の動きに耳を奪われる。整然としたデティールに満ちた正確で端正な音像が暗黒の空間の中に見事に定位した様子は、色彩感で言えば淡色、動きの要素について言えばややスタティックな趣きであり、極彩色でダイナミズムに溢れたGOLDMUND THA2でのリスニングとは対照的である。またNagra HD DACを使わず、E1に内蔵された電流駆動のDACを使った場合よりも、演奏の微妙なニュアンスが豊かになる。
ここでの背景の静けさは密閉型独特のものと思われるが、反面として、密閉型にありがちな音場の狭苦しさがほとんど感じられないのが珍しいし、素晴らしい。これほどサウンドステージが広く感じられる密閉型ヘッドホンは他に知らない。この特徴は非常に独創的な局面であり、TH900MK2やEdition9をさしおいて、このヘッドホンをあえて選ぶ意味があるところだ。また、実際に使うと外部への音漏れはとても少ないことも分かって嬉しくなる。密閉型のメリットは深夜のリスニングなどでの音漏れの少なさであり、デメリットはその反面での音場の狭さであった。この矛盾を今までにないレベルで解決したMDR-Z1Rの戦果は大きい。

Nagra HD DAC+Re Leaf E1x+SONY MDR-Z1R、Grado GS2000eは私のヘッドホンオーディオの集大成の一つとして位置づけられるセットである。ただオーディオは山脈のようなものであり、多くの異なる頂の集合体であることを考えると、ここで満足するわけにはいかない。ここからの眺めは、ここからのものに過ぎない。私は新たな頂を目指して、動き始めている。

また、このヘッドホンを、このセットで使っていて思うのは、他のヘッドホンよりもセッテイングの小さな改変に敏感に反応しやすいということ。例えば付属のヘッドホンケーブルを用いて据え置きアンプのシングルエンド接続で使う場合、標準フォーンプラグとミニプラグの変換アダプターをかませて使うことが考えられるが、この変換アダプターの材質や形状、メッキによって、これほど音の違いが出るのはあまり記憶にない。SONYの純正品はもちろん、フルテック、JVCなど、5種類ほど持っているが、Z1Rは全て音質の違いを明確に描き分けた。こうなるとリケーブルするときに、あわせて最適なプラグも探した方がいい。また、アンプを置いているボードや台の材質、アンプの足の材質、数までもはっきりとした違いとして聞こえてくる。もちろん電源のグレードの違いも他の多くのヘッドホンよりも聞こえるし、インターコネクトケーブルの音質差は勿論のこと、その這わせ方、ケーブルインシュレーターの有無なども小さいが克明な違いとして出音に反映される。
さらに、このヘッドホンほど録音機材や録音・編集の手法の違い、ハイレゾかDSDか、などのフォーマットの違いを聞き分けやすいヘッドホンは少ないと思う。特にハイレゾに関して基底の16bit 44.1kHzのデーターあるいは圧縮音源との音質の差がとても分かりやすくなったのが印象的だった。今まで、この部分であまり大きな音質差を感じないことが多かったが、それは認識不足、経験不足であったらしい。この格差はNagraを始点とするセットよりも、THA2とペアリングさせたMDR-Z1Rのサウンドで顕著であった。ただ、これはヘッドホンの力だけでなく、THA2が実装するジークフリートリンキッシュによるところも大きいような気がする。このリスニングの詳細については次稿で述べたい。

MDR-Z1Rをより良い音で聞きたいならリケーブルは必須である。付属するケーブルはしなやかで取り回しの良いものであり、音質的にも悪いところはどこにもないが、際立った高性能感は皆無である。プラグについてはミニプラグがデフォルトであることも私のような据え置き派には解せないところだ。MDR-Z1Rはその大きさからして明らかに据え置きアンプでのリスニングに適しており、AK380やNW1Zにつないで電車の中で聞くようなものではないはずだ。MDR-Z1RとNW1Zをリンクさせようとするメーカーの意図は大人の事情として理解できなくはないが、多少無茶振りであることは否めない。やはり据え置きアンプ用として標準のシングルエンドフォーンプラグがデフォルトでついたケーブルも付けるべきだろう。既述のように変換アダプターの違いがこれほど良く分かるフォンはないのである。音がその選択でコロコロ変わっていいはずがない。

私の求める条件を満たすリケーブルはMDR-Z7用として発売されているので、もちろん入手している。MUC-B30UM1である。これはKimberと共同開発したブレイド構造のリケーブルだが、THA2につないで聞いてみると、付属のヘッドホンケーブルと比べて、出音は相当に違うと感じる。リケーブルすると、もともと澄んでいた音場がさらに澄み、音は立体感を増す。音の粒立ちがグッと良くなってくる。若干あった高域のキツさがとれて、低域の押し出しが強くなり、中域の解像度が高まる。これはTHA2とシングルエンド接続している状態での変化であるが、既述のようにMDR-Z1Rはバランス接続にすると、シングルよりも音が良くなるので、E1用のバランスリケーブルもキンバーのAXIOSにすればさらに良くなると予想される。
こうして、さらに、さらにと上を目指して行きたくなるMDR-Z1Rであるが、逆に言えばどんどん流砂にハマっていくような怖い感じもなくはないギアである。

言い換えれば、これは真剣に取り組めば取り組むほど結果を出すヘッドホンであると言ってもいい。こいつに本気を出させようとするなら、その分、オーナーはセッテイングに疲れてしまうだろう。だから今は、むしろエイッとラフなセッティングに戻して、ギリギリに煮詰めることはあえてしていない。
特別なインシュレーターはなるべく外し、スパイク受けのウラに張るものの検討は中止、アンプの置き場所も試行錯誤はやめて、ケーブルは適当に這わせ、ウエイトはトップパネルから取り払い、電源ケーブルも普通に使っているものに戻し、アースも考えないことにする。

ケーブルやアクセサリーに凝れば凝るほど音は研ぎ澄まされていくのだが、それは結局、飽きに繋がっていくものだと経験で知っている。例えば私がケーブル道楽を止めて随分になるが、それはやはり精神的にも金銭的にも疲れたからだし、ケーブルは高級になればなるほど、腰かけ的な心構えで使うことが多くなり、高価であればあるほど、そして高性能であればあるほど、愛着が持てず、むしろ売り払いやすくなってしまうことに気付いたからでもある。つまり過度にセッティングにこだわることは飽きを早め、手がけているオーディオシステムの寿命を結局縮めるのだ。だから、今はザックリした着こなしのシステムに意識して戻している。

こうしてセッティングに夢中にならないように心掛けても、やはり気になる点は残る。リケーブルをまだ十分に試していない。リケーブルこそはヘッドホンリスニングでは音質への影響が大きいファクターである。こちらの情報が正しければKimber kableから上位の銀線のリケーブルが出るはずで、実はそれを横目で見ている。Siltechのリケーブルは値段のわりにいま一つだったし、PADのリケーブルは謎が多いので様子を見ているが、これらも候補から外していない。
つまりまだなにも決めていないのである。
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まだ流砂の中から脱出したわけではないのだ。動くのをいったん止めて、これ以上沈むのを避けているに過ぎない。MDR-Z1Rとのリアルな格闘が続く。

by pansakuu | 2016-11-26 23:41 | オーディオ機器