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ハイエンドオーディオの乖離と空白について

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上奉書屋時代から数えると随分な数のオーディオに関するレポートを書いてきて、良い意味でも悪い意味でも、私の書き物を評価する人が増えたように思う。そのせいか、時に身に覚えのないことを急に言われたり、突然に全く見ず知らずの方に声をかけられたりすることも多くなってきた。その度に小さく驚き、状況を分析する。そして自分のやり方で反応するということを繰り返している。


ここしばらくヘッドホン関係の話ばかり書いてきているのだが、数日前にあるハイエンドスピーカーの開発者の方に、スピーカーはダメなんでしょうか?と詰め寄られて驚いてしまった。(それにしても何故、私が万策堂だと分かったのだろうか)

私は少し考えてから、スピーカーはダメではないが、このまま行っても面白くないので、業界として軌道修正は必要なのではないかと僭越な返事をした。

最近の、このブログのヘッドホンびいきは、あくまで私の個人的な事情で、そちらの方に関心が向いただけのことであり、オーディオの最先端部だけを見れば、価格はともかくとして、凄い音を出す機材は増えており、スピーカーもまた然りなのである。しかし、それの最先端の機材は規模といい価格といい、実質的に私のような一般人が導入対象として考える機材ではなくなってきた。普通に考えて、たかが音楽を聴くだけのために、そんな金銭と労力と時間を使うのは合理的ではない。

十分に賢い人なら、オーディオに割ける余裕があっても、そんな額をたった一つの趣味に注ぎ込まないはずだ。


実は、既に試聴していて、あるいは導入した経験をもっていてレポートを書けるスピーカーオーディオ用の機材はいくつもある。しかしそれらは一般的なオーディオとかけ離れた価格と規模を持っていて、一般のオーディオファイルは誰も関心を持たないだろうと思って書かないのである。事実、アクセス分析をしても、その手の機材の記事に人気がないのは一目瞭然である。(もっとも、ここに書いているような話はもっと人気がないし、これを読んで気分を害する関係者も多かろうから、さらに書くべきではないのかもしれない)


このあいだ都内某所で、史上最高とも噂されるY社の大型スピーカーのサウンドを浴びるように聞いて、その音の良さを堪能した後でも、そいつにはまるで食指が動かなかった。もちろん、これはかなりいいスピーカーであることは認める。少なくともマジコの新型スピーカーなどよりは私の好みだろう。だが、簡単に史上最高と言い切ってしまうのはどうかと思う。例えば、これはスピーカーオーディオの音質上の到達点の一つだろうが、音質以外の点で従来のスピーカーが持っていた問題をあまり解決できていない。まず、このスピーカーの強烈な低域用のウーファーを飼い馴らすには、天井の高い20畳以上の広い部屋、大音量を出せる環境、真にパワフルで余裕のあるアンプ(試聴時は760万円のモノラルパワーが使われていた)、潤沢な電源が必要だからだ。このスピーカーを豊かに鳴らす条件を揃えるのは難しいと思う。おそらく都内にあるオーディオ店の試聴室や専門誌・メーカーの試聴室の多くは、このスピーカーを十分に鳴らせないだろう。これはこれで不自由なスピーカーだと言わざるを得ない。音質を犠牲にしないで、このオーディオ的な環境の問題を解決できないかぎり、スピーカーオーディオは先へ進めない。


このY社のスピーカーは超弩級のルックス・構成の割にはとても聴き易い音で、アンプの選択を間違えなければ、ポテンシャルを引き出した状態ではないにしろ、とりあえずはリラックスした聴き味の良いサウンドで鳴ってくれる。試聴中に何度か眠りそうになったほどだ。

特に良かったのは高域の質感である。いかにも超高域まで伸びていますよとか、繊細ですよと言いたげな、これ見よがしな高域ではない。極めてナチュラルで耳当たりのよく、しかも厚みのある高域であり、巨大な自社製ウーファーの存在により強烈な印象を残すはずの低域よりもずっと好感度が高かった。ダイヤモンドツィーターほどの高性能感はないのだが、より深く愛せる音になっていた。新開発のフレームを入れたツィーターの良さが生きていた。

さらに、ここでは音の細部にこだわって神経質だったり、ダイナミックだが妙に荒っぽかったり、スケールが大きくて大音量に強いが、どこか大味な音だったりという超高級スピーカーにありがちな欠点がないのがいい。有得ないほどの低域の伸び、超低ノイズで規格外のスケール感もありながら、そのエンクロージャー自体は案外とコンパクトである。10畳くらいの部屋でも置けなくはない。しかし、その広さではこのスピーカーが提示する壮大なサウンドステージを全く生かせないだろうが。

この超弩級スピーカーはステレオアンプ一台でも鳴らせて、アンプを内蔵した別筐体のウーファー部のために電源が必要とかいう、デカいスピーカーによくある面倒な設計ではないのが素晴らしい。

しかし、このような音質上、構成上のメリットを前にしても、このスピーカーの音はやはり個人の好みによって好き嫌いが分かれるものであったと思う。こんなにスムースではなく、もっとガツンと来るサウンドを求める方もおられるだろう。もっと感情的に音に入り込めるドラマチックなサウンドを求める方もあろう。音像の描写にさらなる重たい存在感を求めるならウェスタンエレクトリックのヴィンテージシステムの方が優位と考える向きもあるかもしれない。ホーンのような音の直進性がもっと欲しいとか、逆にもう少し引いた音場を求める方もおられるはず。

このスピーカーの出音はバランスが良いので、若干のバランスの悪さを合わせ持つ不良っぽい音を求めるとハズレという考え方もできる。また、音以外に、このメタリックかつメカニカルなルックスが苦手という人はいるだろう。

本体の価格が2500万円を越えているので、この金額を払うなら、他のかなり高価なスピーカーシステムを複数選択できる。これほどの自由度を許す金額を要求しつつ、史上最高の称号を得ようとするスピーカーは好き嫌いをもっと越えたものであってほしいし、もっと革新的であって欲しいと私は願う。だがそれはとても難しいことのようだ。やはり史上最高のスピーカーなど幻影なのであろう。

(もしあるとすれば、“自分”史上最高のスピーカーがあるのみだ)

それにしても残念なのは、これほど優れたスピーカーであっても、革命の要素はなく、今までのスピーカーの延長線上にあるということ。見ようによっては、そこが面白いし、皮肉でもあるが・・・。

かなりの大金を払って、音質がかなり良くはなったが、オーディオのパラダイムを変えるようなアイデアが盛り込まれた存在ではないのである。ここに見られる価格高騰→音質向上というプロセス自体はありふれているし、驚きはない。


ここ数年、ハイエンドオーディオの先端部を眺めていると、こういう製品が多い。

文句無く高性能でゴージャス、嫌になるほど高価であるが、結局は従来のクラシカルなハイエンドオーディオのレトリックの延長上にあり、革新的な要素に乏しいというものだ。

これらの製品はもう性能や価格から言えば、1980年代から1990年代のハイエンドオーデイオの範疇をはみだしている。そういう桁外れの高性能と価格の関係はかなり前からGOLDMUNDなどのスイス製の製品価格の上昇から薄々感じ取っていたことだ。MSBSelect DACを聞いた時にはそれがほぼ確信となっていた。


ここに至っては、従来のハイエンドオーディオではない、さらに上のオーディオのジャンルとしてスーパーハイエンドオーディオという階級が新設されていると考えてもいい。いままでのハイエンドオーディオが山脈の頂上付近であるとするなら、これはそのさらに上に漂う雲の上の空中都市のようである。(以前、この手の話はしつこく書いた覚えもある)

そこは誰もが努力だけで行ける場所ではなく、選ばれた人間・運の良いごく少数の人間だけが辿りつける場所であり、そこにあるスーパーハイエンドオーディオの機材は富豪と呼ぶべき人のみが所有し使役できる道具である。それらは一見して、従来のハイエンドオーディオの延長上にあるようにも見えるが、その価格帯には従来の最高級レーンとの断絶があり、その性能も従来のものとは隔絶している。その意味では似て非なるものと考えてよい。

なお、このような新しいオーディオの階級、スーパーハイエンドオーディオの出現自体には私個人は既に感慨もない。それをやりたくて、それを出来る方がいれば多いにやるべきだと思うのみだ。私も試聴しながら2700万円をいまポンと出せるなら、こいつを買って帰っても悪くないと一瞬思った。しかし、次の瞬間、それを実際にやってしまうと面白くないと考え直した。やはり食指が動かないのである。これを悠々と買える身分になっても、これを買うかどうか確信が持てない。なにかが間違っている。音以外のなにかが。そんな気がするのだ。


以前にも指摘したように、ここでの新たな問題は、今まで普通のハイエンドオーディオを作っていたメーカーの一部がスーパーハイエンドオーディオ、超高価格帯の製品の開発に軸足を移したため、相対的に中~高価格帯つまり100300万円クラスの製品のバラエティ、製品数、製品の性能が揃って頭打ちになっているように思われることだ。オーディオ界が乖離し、その亀裂が拡大するにつれて、空白地帯ができているのである。これはいただけない。普通人が買える製品の選択肢が狭まっているような雰囲気があるのである。

しかし、この空白を“普通”のハイエンドオーディオの新製品が埋めてゆくような可能性はあまり無さそうに見える。この価格帯の一般的なオーディオ製品が、これから右肩上がりに売れる要因がないからだ。団塊の世代はオーディオに注ぎ込める余剰金を使い果たしつつあり、退場するのを待つばかりの身である。その後の世代はハイエンドオーディオのような音楽を聴くスタイルに馴染みも関心も薄く、それに注ぎ込む金銭的余裕もなく、都市に住む彼らの住宅事情がそれを許さない。

土曜日に秋葉原に行って、閑散としたハイエンドオーディオ店の全フロアを眺めまわした後で、若者で大賑わいのeイヤホンの雑踏に足を踏み入れると、本当にこの人気の差はなんだろうと驚いてしまう。そして、この若者たちの多くがハイエンドオーディオに来るとは私には思えない。スピーカーオーディオの状況が変わらない限り、彼らの多くはこのままイヤホン、ヘッドホンに留まるのではないか。ハイエンドスピーカーは素晴らしいが、少しでも極めようとするとカネと労力がかかり過ぎる。上の世界がありすぎる。一方のハイエンドなイヤホンやヘッドホンの世界は、経済的に非力な彼らでも、いつかは極められるだろうという見通しが立たなくはない。もちろん普通に音楽を聴くなら、これで十分じゃないかということもある。また、それは現代の風潮により合致する趣味の形でもある。このままでは、恐らく彼らの多くは音楽を聴く主な手段としてハイエンドオーディオを選択しないし、できないだろう。

さらに日本全体の人口が減る。つまりオーディオ全般にわたり、それを買う人の数は必ず減るはずなのである。


また、従来の中~高価格帯を埋めていた製品には以前からモデルチェンジを繰り返して現在まで続いているようなシリーズものもあるのだが、その価格も諸々の理由から少しずつ上昇しているようだ。このようなものに関して、過去の製品と最新の製品を比べると確かに音質上で新製品の方が良くなった部分はあるが、過去の製品にあった音質的なメリットを失っている場合も散見される。単純に価格の上昇が納得できる状況とは考えにくい。この意味でも空白は深まっている。


あるプレーヤー、あるアンプ、あるスピーカーの音を聞き、感動して貯金を始める人がいる。彼は貯金しないと買えないが、貯金すれば買える価格帯にある製品を狙っているのである。だが最近のトレンドでは貯金が満額に達する前に、値上げが起こるケースがある。しかもそれは往々にして大層な値上げになる。そういう残念な出来事があると、折角貯金をしていても他の事にそのお金を回すようになりがちであると聞く。メーカーや代理店はもっと良心的な価格決定・改定をしなければ真面目なオーディオマニアでもこの趣味から離れてしまうだろう。大抵の場合、我々はオーディオファイルである前に生活者である。オーディオのみに生きることは難しい。だから、たかが音楽を聴くことしかできない装置を売る側のワガママにどこまでも付き合えない。これはずっと言いたかったことだ。こういう悪質な価格改定も空白の形成を助長しているような気がする。


SSという業界を代表する雑誌を眺めても、従来のハイエンドオーディオの衰退と空白は感じられる。

何しろ、そこで執筆する評論家・専門家の多くが、最新鋭の中級~高級スピーカーを使っていない。一昔あるいは二昔前のスピーカーをそのまま使っているケースが目につくし、多少最近のスピーカーを使っていても、それ自体がクラシカルな造りのものであったり、昔のスピーカーを強く意識した発言があったりする。このあいだまで先端的なスピーカーを使っていた方ですら、昔のスピーカーに回帰しつつあるらしい。

年末のグランプリなどで最新機器を読者にあれだけ薦めておきながら、自分でほとんど導入しないのは、新しいものに、自腹で買いたくなるような魅力的な製品が本当は少ないからだと思わざるをえない。そのためか、この雑誌は書くべきことが減って、本の厚みは昔に比べて薄くなっているような気がする。記事を読んでも昔より情報量が少ないようだ。誌面は整理されたが空白が多い。またメインとすべきオーディオ機器の記事ではなく、本来は音楽誌に書くべき音楽・演奏そのものに関する評論、録音に関する重箱の隅をつつくような細かい話、評論家個人の懐古録、有名人との交遊録の割合が高くなっているようだ。割合はともかくとしても、そっちの記事の方が目立ってきているのは気のせいではない。それらにハイエンドオーディオと不可分な部分があるのは認めるが、あくまで本筋ではないはずだ。これらの企画にしても同じことの繰り返しばかりと感じる。

SSは変わってしまった。やれることをやりつくし、それでも続けなければならないプレッシャーのせいだろうか。このままではハイエンドオーディオ専門誌として体を成さなくなる日も近いかもしれないと心配である。例えば20年くらい前のSS誌はもっとオーディオ機器のサウンドに関するディープな談義で賑やかだった。華やかだった。紹介しきれないほど多様な製品の音に関する率直で格調高い評論・斬新かつ科学的な視点も盛り込んだ企画に溢れていた。

一方、最近のSSのオーディオ評論はネットで調べれば直ぐわかるような、メーカーの経歴の紹介や機材のスペックの説明が長く、肝腎の音質のインプレッションを深く掘り下げて書かかない、腰の引けた薄暗い文章が多いように思う。

加えて、現在のSS誌の文章の行間から、聴いている評論家本人が表面的でなく本心から感動している素振りがあまり感じ取れない。この点も私には気になる。そうなってしまうのは、最近の機材の音質が本当はそれほど良くないと心の底では感じているからではないか。オーディオ評論がここまでマンネリズムに陥ったのは、編集者の方や評論家の方のセンスが古いせい、彼らが社交儀礼と忖度を重んじたせいだけとは考えにくい。むしろ評価対象である機材に問題がある。耳の肥えた評論家ともなれば、高価で高性能だが、どこか上滑りな音しかしない最新機器を試聴しても、多くの言葉を並べたくなるほど気分が盛り上がらず、情熱に火がつかないから、こんな萎縮した記事に終始してしまうのだと憶測する。

(でも果たしてそれは、プロとしてやっていいことか?)

こんな空疎なレビューばかりでは、何か月も発売日を待ち焦がれたSS誌を、いそいそと購入して読んでみても、機材の大きな写真の余白ばかりが目立って空しいだけだ。

SSの評論の稚拙なパロディをネット上に落書きしては悦に入っていると揶揄される私のような者にとっても、この落ちっぷりは悲しいとしか言いようがない。
季節的に新製品が少ない時期であるとか、企画案が出尽くしたとか、評論家の方たちの人数が減り、彼らもまた歳を取り、冒険ができなくなったというだけで、2017年夏号を覆う、この言い知れない寂しさを説明することはできない。なんとかならないのだろうか。


海外の新聞の電子版などを読んでいると、オーディオの世界のみならず、なんらかの分裂や乖離による空白は全世界の様々な分野でも現れているらしいと分かる。これは全地球的な社会現象のようである。

つまり現代とはそういう時代なのであろう。オーディオも、他の多くの人間活動と同じく、世界を映す鏡であり、世の中のトレンドと密接に関連しているということだろう。

それによって生じた空白を埋めるためには人間社会がこのままでは難しいのと同じく、オーディオが従来のままの姿ではいけないのかもしれない。

恐らくオーディオは変わらなくてはならない。より良い方向に。


あえて愚見を申し上げるなら、ここらへんでメーカーや代理店は、その存在の動機たるオーディオ文化のために、ある程度は私利私欲を捨てた方がいいと言いたい。特にスーパーハイエンドの製品についてはその価格も開発姿勢もスノッブな強欲に溢れすぎていて、見ようによってはみっともないと思うものさえある。空白を生むというだけでなく、一部の製品はそのセンスまで悪いのではないかと疑うほどだ。だから、消費する側はともかく、メーカー側としてはこのトレンドに一定のブレーキをかけてもいい気がする。ここらで普及価格帯の製品の開発に十分な力を注いで実績を築かないといけない。具体的にはCHORD DAVEのような革新的な製品が増えて欲しい。それはコンパクトで個性的にデザインされ、普通のハイエンドオーディオ機材の価格に収まっているが、その二倍の価格帯にある製品に比肩でき、そして多くのオーディオファイルにアピールするようなサウンドを持つ。このような将来の名機がもっと欲しい。

また、CHORDは決して大きなメーカーではないが、スーパーハイエンドに近い製品から、Hugoのような優れたポータブルオーディオ機器まで独自の開発を行っている。このような広い視野に立って、どのクラスのオーディオも差別せず、疎かにしない姿勢が必要だ。そうでないと自らが依って立つハイエンドオーディオという基盤自体がダメになってしまうことにメーカーは気付くべきだろう。


私は富豪の財力に頼ってオーディオを発展させることが全て悪いとは思わない。しかし、そこだけにいい音を出す機材が集中してしまうと、ハイエンドオーディオの真の良さを知る人間があまりにも少なくなってしまう。様々な価値観を持つ多くの人がハイエンドオーディオの良さを知ることは、そこに多様性を生むことになる。多様性は業界を活性化させるが、富豪相手のスーパーハイエンドオーディオが生む空白はその過程を阻害する。そもそも、お金持ちは気まぐれだし、彼らの一部は本当にオーディオに情熱があるわけではないことも私は知っている。カネが余っている、納税などの都合で使わなければならない、そういう“不純な”動機でそれほど良く知らないスーパーハイエンドオーディオを買い、まともに鳴らしている時間もないような忙しい富豪がいる。元来、オーディオを知ること・愛することと財力に関連はない。財力は普通でも、本当にオーディオを愛して散財する人間に機材が行き渡り、時間と愛情をかけて愉しまれ、評価される。そして、その経験がメーカーにフィードバックされて、より良い製品の開発につながる。これが本来の姿である。そういう愉快で実のある消費行動がもっと多くの普通のオーディオファイルによりなされるようにメーカーも代理店も仕向けるべきだろう。


シェア、サスティナブルは現代の重要なキーワードである。

分裂や乖離による空白という世界の悲劇的な傾向に対抗するのが、多くの人がシェアできる持続可能な世界(サスティナブルな世界)の実現であるという文脈で使われるのである。

多くの人が音楽をいい音で聴く感動をシェアできる、サスティナブルなオーディオ業界。いい音を少数のマニアや金持ちが独占するという、ハイエンドオーディオの従来のやり方とは異なるが、オーディオ界全体としてはそういう方向で生き残っていくしかなかろう。


オーディオの世界には生き物のような側面があると私は思う。

生き延びてゆくため、意図せず自ら変化する。まるで危険を察知したかのように。

実際はオーディオは自然物ではないから、それに関わる人間の集団意識のようなものが働くのだろうか?

例えば、私には進化するハイエンドヘッドホン・イヤホンが、先述の空白を埋めるべく登場したように見える。これらのジャンルには今後の持続的に成長する素地が出来ている。多くの若い人が関心を寄せているからだ。若者でごった返す週末の秋葉原eイヤホンに行けばそれは分かる。それ以外にも未来に向けた明るい徴候を豊富に観察できる。STAXのハイエンドアンプT8000が、60万円というヘッドホン用の機材としては高価な値付け、しかもかなり限られたヘッドホンにしか使えないものにも関わらず、驚くほど短期間に初回ロット50台を完売したというニュースはその一つだろう。多くの人が良いオーディオを求め、今より少し高級な機材で、より良い音を聞いて満足するという体験がシェアされてゆく過程が見える。

世界の経済バランスの変化に伴う、スーパーハイエンドオーディオの出現、それにより生じたオーディオ界の空白を埋める、ハイエンドヘッドホンオーディオという図式が正しいのかどうかは分からないが、いずれにせよ注目すべきことだ。


以前、蟲師という漫画を読んでいて面白いと思った話がある。

ある村に大きな木があり、御神木として崇められていたが、

村が経済的に困窮したため、窮余の策として、仕方なく御神木を切って売ろうという案が持ち上がる。するとその木が突然、季節外れの花を咲かせ始める。木が自分の寿命を知って、子孫を残そうとしたかのようであった。それを見た村人は「木が怒った」と恐れたのである。それに対して漫画の主人公の蟲師のギンコという男が、

「木は怒ったりしませんよ。でも危険を察知する能力はある。」と言って村人たちをたしなめるというストーリーである。


オーディオに携わる、あるいはオーディオを愛する人々の集団意識あるいは無意識が、周囲の状況の変化に対応するため、10年前まではありえなかった、ハイエンドヘッドホンというジャンルを発達させたのかもしれないと、ヘッドホンに関心がある私はなかばロマンチックに妄想する。しかしそれだけではY社のセカンドベストのサウンドと価格が突きつける、あまりにも残酷な格差の現実から我々を救う手だてとしては十分でないのは分かっている。しかもヘッドホンオーディオまでもが急激に高価格化しているという事情もあり、そこに過度に期待できない。言うまでもなく従来のスピーカーオーディオのメーカーたちが奮起して、新たに手ごろな価格帯の優れた製品を作ることが本流であるべきだし、急務なのだが、その動きだけに期待し依存するのではオーディオの復活は難しいということを言いたいだけである。


先端部が伸びて、高くそびえているが、その芯が朽ち始めている古い大木。その木に咲いた花に実った種子が地面に落ちて芽吹き、やがて小さな木となった。自然の成り行きとして、既に朽ちつつある古き大木より、この大きく枝を広げつつある若木に私は注目しているというだけのことなのである。


# by pansakuu | 2017-06-05 22:09 | その他

マス工房 Model406 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:美しき矛盾

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あらゆる矛盾は一度極限まで行く
    ジョージ ソロス (投資家・投機家・政治運動家)



Introduction

ハイエンドヘッドホンの世界がどうなってゆくのかを見極める。

もう、これは私のライフワークのひとつになってきたのかもしれない

それは不遜な言葉だとは知っていても、

スピーカーオーディオに深い関心を失った今は

そう言うしかない状況でもあ

だから、面白そうなアンプやヘッドホン聞けるイベントがあれば、

できるかぎり出張って行って、それをき込む

とはいえなかなか無いもの

これ欲しいとか、これは凄いとか、

そういう気分にさせてくれるモノなど滅多に


ところが、2017年春のヘッドホン祭りの会場の片隅

ひっそりと展示されていたあるアンプが、

そういう私のフラストレーションを吹き飛ばしてくれた

今回はんな話をしよう

このアンプのサウンドは

GOLDMUNDRe Leaf等のハイエンドヘッドホンアンプに慣れ

倦怠気味のの感性を激しく揺さぶったのである



Exterior and feeling


2筐体を要するヘッドホンアンプ、

マス工房 Model406Model405は大規模な構成を取っているが、

その外観の印象はマス工房らしく実にシンプルである

この工房の製品は政府機関、あるいはNHKなどの放送局が採用するもので、

外観にも音にも飾り気は一切ないのが特徴。

最近某国の政府専用機向けの機材の製作の依頼が来たと聞いた

フロントパネルは厚さを確認したくなるほどに薄く、

ソリッドスチール製のクラムシェル型シャーシもシンプル。

100万円を超えるヘッドホン機材というのは、

超高級品であるから、どこか外装に分厚いアルミ材などを使って、

その格を示そうとするメーカーが多いが、

そういうポイントにこだわらないのが、ここのポリシーである。

その代わりに、

ここ数年、国内のハイエンドオーディオメーカーが使い始めている

ハンダの耐久性の低さに着眼、

別な経年劣化の少ないハンダを採用するなど、

見た目の高級感とは全く別の視点からの

高品質・高耐久性へのアプローチがあり、

オーディオファイルとして興味を惹かれる。


このヘッドホンアンプは、ボリュウム調節や入力セレクターを装備するバランスプリアンプModel 405と、スピーカーオーディオで言うパワーアンプにあたるヘッドホンを直接駆動するアンプModel 406の二つの構成要素からなるものであり、単なるヘッドホンアンプというよりはヘッドホンアンプシステムとも呼ぶべき大規模なものである。

プリアンプ部であるModel 405は、従来のヘッドホンアンプの音質劣化の原因の一つと考えられていながら、あまりに根本的なパーツであるがゆえに今まで排することがほとんどできていなかった、ボリュウムをアンプの外に出す、あるいは優秀なプリアンプをユーザーが自由に選択して接続するという発想から生まれたユニットである。このコンセプトはOjiのヘッドホンアンプでも見られたが、果たしてこの音質は、かつてのOjiのスペシャルモデルを超えているのだろうか。

また、このアンプの特徴はスロット式のリアパネルを採用したデザインにもあり、オーナーの求めに応じて、XLRRCAのバランス、アンバランスのライン入出力、デジタル入出力、フォノ入力などを自由に選択できる。全ての入出力モジュールがマス工房製であり、細かく仕様を指定可能である。また、キーパーツであるボリュウムは東京光音の選別品を用いる。なお様々な入力を必要としない場合は、ボリュウムのみを独立させたボリュウムボックスを特別に製作することもできる。

このヘッドホンアンプシステムは高価ではあるが、構成の巧みさにより、一台で様々な使い方が想定でき、将来にわたる発展性があるところに他社機を凌ぐアドバンテージを感じる。これほどのアンプともなれば、安易に高い買い物と言い切ることはできない。


一方、パワーアンプのような意味合いをもつModel406は左右別のヘッドホンアンプ用としては強力なスイッチング電源と、これまた左右別のA級アンプで構成されている。

増幅回路はFMアコーステックスやBoulderViolaのような、小さな四角い箱に単位ごとに封入されたモジュール形式をとり、筐体の中の二枚の基板に収まる。

一枚の基板に片チャンネル用の電源と増幅回路が載っており、LRチャンネル分で二枚の構成とし、これら二枚の基板を二階建ての形でワンシャーシに収める仕組みである。

Model 406の入力はXLR一系統だけだが、Model405との接続のみを意識しているのではない。リアパネルには左右別のゲイン調整スイッチがあり、これによりModel405以外の様々なプリアンプとのスムーズな接続を可能にしている。

ただ、試聴した私の予想ではマス工房が目指す音のトーンを得るにはModel406をペアとすることが必須のように思われた。それというのも、これほどカラーレーションの少ないプリアンプは他に想像がつかないからだ。

またデザインの統一感という意味でも、できればマス工房製で揃えたいところである。

さらにModel 406のフロントパネルにはヘッドホン向けの標準のフォーンジャックと4pin XLRバランス出力の他、LowMidHighとアンプの最終段の増幅率を変えるボタン式のスイッチもついているので、様々なタイプのヘッドホンに対応できる。なお、試聴での印象を先にいうと、このアンプには途轍もないドライブ力が秘められており、それは手持ちのGoldmund THA2を上回るレベルとも聞けた。このアンプでバランス駆動するかぎり、鳴らしにくいといわれるいくつかの平面駆動型のヘッドホンを含むあらゆるヘッドホンを、どのアンプよりも力強く的確にドライブできるのではないかと思われる。ちなみに試聴したHD800の場合はMidでもいいが、Highのポジションだとより御機嫌な音が出ていた。

なにしろ、32Ω負荷で片チャンネルあたり4Wを発生するというのだから、ヘッドホンアンプとしては異例の剛力である。これほどのパワーを秘めたA級アンプであるModel 406には発熱もそれなりにあり、細かい熱対策がなされる。例えば基盤には放熱フィンが林立する。またデモ機は急拵えの4つの薄いゴムフットで支えられていたが、これは放熱のために底面に空間を確保するため、もう少し厚いものに替える予定とのことだ。

それから、ここでのスイッチング電源の採用にも注目。他のハイエンドヘッドホンの多くが一般的なトランスを電源としていることを考えるとこれは異例なことだ。クリーンでカラーレスなマス工房のサウンドの秘密の一端がここにあるような気がする。


ところで、プリアンプModel 405のフロントパネルには、電源スイッチ、ボタン式の入力セレクターとボリュウムノブの他に「バランスエラー」と書かれた見慣れないランプがある。これはModel 406のフロントパネルにもあるものだが、要するに擬似バランス化された入力がされた場合に光るランプである。コネクターは3pin XLRでも、その内実は2pinのアンバランス伝送である場合がままあるが、このような細工をされた擬似バランス入力であることが一見でわかるランプなのだ。擬似バランス化された入力であることをわざわざ暴く必要はないと思うが、マス工房の方はそういう機材を敬遠しているのかもしれない。この辺の設計はやや個性的だと思う。


今回の試聴はAK380を送り出しとして、Model 405の端子に接続、そこから後段であるModel 406XLRケーブルを結線、そこに聞き慣れたSennheiser HD8004pin XLRでバランス接続した状態で聴く。ヘッドホンケーブルはSennheiser純正だが、その他のケーブルはどれも全く普通というか、とても安価なものであった。試聴時はModel405はボリュウムボックスの状態で、中身は未完成だったが、Model406についてはプロトタイプであっても、内容はほぼ確定であり、出音を変える予定はないとのお話を聞いた。そこで私は思い切ってインプレッションを書くことにした。なにより、「マス工房としてもこれ以上の音は出しようがない」というコメントにそそられたのだ。このメーカーがそこまで言うアンプの音を逃したくなかった。AK380はこれほどのシステムに対してはやや役不足な送り出しだが、試聴結果としてほとんど不満を抱かなかったことから、据え置きのハイエンドDACをつないだら、どこまで行けるのかについても、大変興味を持った。


なお、仮に製品版で大幅に音や仕様が変わるようなことがあれば、追加でそれについて書くことになるだろう。ただし、それはその製品版の音を十分に吟味した後に書くレポートとなる可能性が高い。これほどのアンプとなれば、ちょとした改変でも大きく音の印象は変わるだろう。これはあくまで現時点での音についてのレビューに過ぎないことは断っておきたい。

(写真はメーカー様のHPより拝借いたしました。ありがとうございました。)



The sound


一聴して、ごくごく普通の音である

特徴がないのが特徴のような。

しかし、常に上を見て感覚を磨いているヘッドフォニアならば

その背後に控えている膨大なパワーの存在に気付くはずだ

このサウンドの背景を見極めようとして感覚を開放した瞬間

今まで経験したことのない形で音楽のリアルが脳裏に拡がるの私は聞いた


このアンプの音を簡潔に言えば、究極に近いほど色付けの少ない音調に、有り余るパワーの裏付けがなされた余裕のサウンドということになる。こういう特徴を持つヘッドホンアンプは今までなかった。これほどカラーレスでありながら、これほど豊かな音は知らない。


これは確かに視覚的な音である。

ヘッドホンサウンドの常としての、拡大鏡で音楽を見つめるような微視のまなざしがまずある。だが、それでは木を見て森を見ない過ちに陥りやすいことをこのアンプは知っている。事実、多くのハイエンドヘッドホン、アンプの音はこの罠にはまっている。試聴を積み重ねれば分かることだが、ほとんどのヘッドホンアンプは、どうやってもそれ単体では、音楽全体を見ようにも、それを俯瞰する視点にまず立てない。なぜなら大概のヘッドホンアンプは全ての帯域にわたって音の伸びが足りず、音楽のスケールを小さくまとめてしまうからだ。


だが、このマス工房のアンプを聞いていて、私の脳裏に広がったのは、普段スピーカーで聞く音楽の大きな全体像にかなり近いものだった。有り余るパワーがそこまでの音の伸びを生むのである。これは珍しくも音楽の正しいスケール感が表現できるヘッドホンアンプなのだ。

音源との距離感や音源の大小の表現が非常に適正かつ絶妙に取れるアンプでもある。近い音と遠い音、大きい音と小さい音、それらの表現が大変精密かつ豊かだ。今まで聞いたアンプで遠近・大小の表現の幅がこれほど広いものは知らない。しかもその能力を必要のないときは決して見せない。必要な時に必要なだけ出す。

いくら聞いても、これ見よがしな低域のアピールを感じないのは、

そういう態度の現れだ。


どんなヘッドホンシステムにも、

それぞれ固有の音響空間の広さというものが存在する。

それが狭ければ狭い程、虫眼鏡的な音楽の聞き方に傾く。

ハイエンドスピーカーを使っていて、ヘッドホンに批判的な人の多くが、そういうヘッドホンサウンドしか聞いたことがなく、ヘッドホンというと「狭い」サウンドしかイメージしてくれない。結果的に細かい音ばかりが聞こえ、

音楽の全体像が見えないと彼らは非難る。

(そういう彼らも細かい音を視覚的に扱えるスピーカーを、いつも求めているのにも関わらず)

しかし、現代の優秀なヘッドホンシステムはもう、そのような音ではない。

もはやスピーカーに近いレベルで森を見ることができる。

このような進化はもちろんヘッドホンの高性能化があるが、

アンプの進化も見逃せない。

特にSNが高く、パワフルなアンプが増えていることが大きい。

そのような高い理想を掲げるヘッドホンアンプのなかでも、極めつけの性能を誇るこのModel406については、ヘッドホンさえ選べば、それが目の前の空間に現に拡散している音ではないという点だけは依然として異なっていても、上手くセッティングしたハイエンドスピーカーとほぼ変わらないスケールのサウンドイメージを脳裏に描けるはずである。


これだけ色付けがない音ということだから、

いわゆる音楽性というものはこのアンプには皆無である。

音の生々しさ、生命感は感じるが、そこに演出がない。

音に傾向のようなものはない。このアンプの色付けの少なさに慣れると、

かなり色付けの少ないと考えられるRNHPですら、うっすら色を感じるほどだ。

例えばハイエンドのアンプになるとSNが滅法良くなるために、

微かな余韻のたなびきもかなり長く持続する。

それにより、美しい女性のアイシャドーを眺めるような、

華やかな色付けを感じることもあるが、

そういう傾向はこのアンプの出音にない。

むしろ、余韻がどこで切れるのかを正確に聞かせようとする。

まるで入力された全ての音声が均一の明るい光の下で公平に明らかにされるようだ。


さらに、スタジオ用の機材を得意とするメーカーらしく、抜群に定位がいい。

いままで聞いてきたハイエンドヘッドホンアンプは

どれも定位はいいはずなのだが、これに比べるとやや劣る。

ここでは音像が動かないというより固定されたように感じる。

また、逆に音源が動くととても敏感に反応する。

視覚の心理学の世界では止まっていて見える風景以外に、動いて初めて見えるものもあるということが示されているが、音の世界も同じであることに気付く。

このような音の動的風景への気づきは音の生々しさを増幅することになるが、それは無いものを付加しているのではなく、有るものを掘り起こしているのである。楽器の置かれた位置からスタジオの壁面までの距離がくっきりと表現されるような、この生々しい感覚は、このシステムならではのものだ。


音像の解像度はすこぶる高いが、それはレンズに喩えるとライカやツァイスのようなアピールする解像度とは違う。イメージとしてはニコンの明るいレンズ、ノクトニッコールなで撮った写真のようだ。鮮鋭さは前面に出ておらず、至極真っ当な音の輪郭、質感、色彩感で見せる。これは積極的に自分をアピールしない音であり、蜷川美花風のカラフルな色彩感なんかを期待するとハズレだ。Re LeafGoldmundのアンプのようにすぐに分かるような音ではない。やはりこれは第三の音である。Re LeafGoldmundによる冒険の成功があったから、その良さを深く理解できる音なのだ。大器晩成と言ってもよいかもしれない。あとあとから分かる音の良さなのである。


Model406のような音の伸びしろ、ヘッドルームの高さを持つアンプは概してその能力の高さに溺れ、

リスナーを強烈な音で押しまくろうとする傾向があるものだが、

このアンプにはそれがない。

なぜか恐ろしく良くコントロールされた音を出す。

自分を出さない音。

一片の私情も感じないサウンド。

他方、現代のオーディオの大勢について考えると、

広告の宣伝文句にあるような

全く足し引きのないサウンドなどというもの

実際のリスニングでは感じ取れず、

それぞれが固有の音質を盛っている場合がほとんど

盛大にドーピングして見せるばかりか、

個性的な音楽表現を行うのが当然となっている。

そういうオーディオ的状況に置かれるうち、

私的には、多くの悟ったオーディオファイルと同じく、

入力された信号をただ忠実に出力するだけでは

音楽にならないと感じるようになったし、

そういうことがなければ、

オーディオをやっていることにもならないかもしれないと思ってきた。

そもそも、そういう完璧に色付けの無いオーディオは

厳密には不可能だと考えている自分がいる。

しかし、Model406ような無私の極致を指向する音を聞いていると、

少なくとも、その勘繰りの一部は過ちであったと認めざるをえない。


欠点もなくはない。ヘッドホンによっては背景に残るノイズが少しうるさく感じられることもある。セカンドベストの394の方がノイズ的には有利なのだが、406ほどのパワーやチャンネルセパレーションがない。また、このノイズはゲインを調整するスイッチを操作すれば随分と聴感上は改善されるようだ。個人的にはこのノイズがさらに小さかったなら、もっと印象は良かったと思う部分もなくはないが、正直、全体の音の良さを考えるとこれは些細なことかもしれない。とはいえModel394を二台買ってパラレル使いする方が面白いのではないかという考えが頭をかすめることもある。やはり、ここは悩みどころかもしれない。



この試聴では市販の無銘の電源ケーブル、例えば2m1000円ぐらいの動作確認用として機材に付属するような普及品のACケーブルが使われていたが、それでも納得できる音が出ていた。

これについて、ひとつ驚いたのはマス工房の主宰のM氏が、このアンプは電源ケーブルを、これより高級なものに替えても音は変わらないと言うのだ。しかもそれは、他のアンプは変わるかもしれないが、ウチのアンプは変わらないというニュアンスを含んだ発言のようだった。実際、ハイエンドケーブルを使って音質変化を確かめる実験もされたようである。すなわち、電源ケーブルで出音が変わりうることをある程度認めたうえで、自社のアンプではそういう現象は起こらないと主張するのだ。電源環境がいい方向に変化しようと悪くなろうと、そこに依存・影響されず一定のトーンで音を出し続けるように設計しているという。どんなアンプについても電源ケーブルで音は変わらないと主張する頑迷な方はいるが、出音を電源状況に関わりなく変えないテクノロジーを持っていると公言するオーディオメーカーはあまり記憶にない。このようなポリシーこそ真のプロフェッショナリズムではないか。


例えば、このアンプの音が持つ余裕に近いものがHP-V8の出音にもある。背景にあるゆとり、どんな音楽でも手のひらの上で転がしているような快感を伴う、凄く上からの目線である。しかしHP-V8Model406Model405に比べて音が緩い。真空管の音触は優美だが、失うものもあると知る。また低域の制動はこのアンプほど効かない。とても高い次元での比較になってしまうが、マス工房のModel406Model405は余裕があるのに緩さがなく、音の立ち上がり・立下りもごくごく自然、各パートの分離もかなり良い

T8000などを聞いても思うのだが、真空管をヘッドホンアンプで使うというのは難しいものだ。真空管を使う時は、少なくともそれを隠し味としてつかうのか、前面に押し出すのかはっきりすべきだが、T8000は真空管の生かし方が中途半端でSNを損なっており、HP-V8では300Bのトーンが前面に出過ぎていて音の好みや似合う音楽が分かれる。HP-V8は素晴らしいアンプだが、結局、優れたソリッドステートアンプと比較したときに、音の味わい以外の点で遅れをとりがちだ。やはり真空管を使ったアンプは、全てが出尽くし、飽きてしまった後のデザートとして位置づけるべきなのかもしれない。


Oji BDI-DC44Aとの比較は、今回の試聴の最後の関門であった。これについては二台並べての一対一での比較はできず、とても難しいが、正直に言えばOji BDI-DC44Aは若干だが不利だろう。あのアンプは設計者の思い入れが空回りしてしまった製品だったような気がする。むしろ通常のモデルの方が音のまとめ方が上手で洗練されていて好ましかったと覚えている。あのアンプが発表された頃はハイエンドヘッドホンの方向性が未だ定まらず、どれくらいのレベルのものが必要とされ、どれくらいの音の品位を目標としたらいいのかを探るための、試行錯誤が始まったばかりの時期だった。そこで先走った機材の完成度が必ずしも高くなかったのは仕方ない。当時の私はハイエンドのスピーカーオーディオを駆使する立場からジャッジして、この方式は音の洗練がまだ足らないなと思った。あの時感じたフラストレーションはずっと私の頭の中に残っていたが、Model406はそれを見事に消し去ってしまうほどの音で驚いた。具体的にはマス工房のアンプの方が音の変化に対する反応がより的確で自然であるように思われる。Ojiのスペシャルモデルは音の動きがわずかに鈍重だった印象がある。また、SNもマス工房のものに比べれば低かったようにも思う。

それから音とは関係ないが、とても自分のラックに置きたくないような大きさとデザインだったのもよく覚えている。ゲイン調節などのアジャスタブルな部分もなかった。BDI-DC44A本当にカスタムメイド品で、ユーザーの設定した条件に鋭く合わせ込むことで音質を上げようとしているようだった。これでは仮に同じレベルの音が出ていたとしても、使い勝手や拡張性など音以外の部分で不利だったと思う。現代の最新のアンプであるModel406Model405Re leafGOLDMUNDが築いたハイエンドヘッドホンアンプのスタンダードを意識して、そのどちらかを超えるべく設計されたものであり、それらの出現前に企画製造されたアンプでは、同じような音の方向性で勝ることは難しいかもしれない。



Summary


から域に至るまで

特定の周波数帯を強調したり弱めたりせず

一切の色付けを排しながら、入力された音を極めて忠実に出力

それがマス工房の機材に共通するサウンドトーンだ。

このフラットを極めた無個性なサウンドは

前のフラッグシップヘッドホンアンプである、

Model394で既に十二分に発揮されていた。

私はこれをしばらく手元で使っていたが、どこか物足りないといつも思っていた。

これほど高次元なサウンドのどこが不満なのか、自分で巧く説明できないもどかしさ。ずっと聞いていると、この先のサウンドがあるはずだと欲求不満になる。こういう説明不可能な不満はOjiの新鋭アンプやSTAXの新型機でも感じるストレスなのだが、なぜかRe LeafやチューニングされたGoldmund THA2では、それを感じない。

この二つのアンプの音の世界は私にとってストレスフリーなのである。

好みの違いと言ってしまえばそれまでだが、これは何処に違いがあるのか。


Re LeafGOLDMUNDのアンプに続く

第三のハイエンド・ヘッドホンサウンドとして

マス工房 Model406Model405を位置づけて、

初めて見えてきたことがある。

私の好むこれらのアンプは、私の耳で聞くと、

他の個体からはっきりと区別される、完全な個性を持っているということだ

この音の個性は、それ以上に分割ることのできない

完結した音の態度であり、これ以上の改良は蛇足にしかならないと

確信させる音の本性である。

何人にも疑念を抱かせないほど、

緻密に完成された個性を持つことが、私の使うアンプには必要だ。

同じクラスのアンプであっても、あえて評価しないモデルは、

その個性の完結度が低いと感じている。

まだこのメーカーのアンプは自分の音を出し尽くしていないと思っている。


ここで興味深いのは、マス工房 Model406Model405については前2者にも増して特殊な本性を持っているということ。それは、強烈な無個性はもはや個性そのものと言わざる得ないというパラドックスである。出音に関して限りなく無個性であり続けることが、むしろ孤高の立場を強め、無個性を他から独立した明らかな個性として昇華させている。これはとてもユニークだ。

このような奇蹟はヘッドホンの世界では起こったことはなく、伝統あるスピーカーオーディオの世界においてもBoulder2000シリーズなどに類似例を見るのみ。

誤解を恐れずに言えば、この態度と結果は恐らく矛盾である。

しかし、この矛盾は確かに美しい。

この矛盾の美に私は心を動かされたのだと思う。


求める音を得るために、持てるノウハウ、使える物量を全て注ぎ込み、一部の隙もなく組み上げていく能力が発揮されて初めて、この矛盾を超えてオーディオの美へと到達できる。計算通りか、あるいは偶然か、マス工房 Model406Model405は、ヘッドホンアンプの世界で、その境地にたどり着いた三番目のアンプとなった。様々なアンプの試聴を重ねるたびに感じていたフラストレーションが、ここで嘘のように消えた。

このアンプをどこに置くか、買ったらどこのDACと合わせようか、朝から晩まで思案に暮れている。

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そういえば、試聴が終わってからマス工房の主宰であるM氏と握手をして別れたのだが、その時の彼の手の印象も忘れがたいものであった。

これほど緻密で細かく調整された機材を作る人のものとは思えないほど、

力強くて大きな指、太い骨格を持つ手が、

私の苦労を知らない弱々しい手を暖かく包み込んだからである。

それは機械式時計のように精巧かつ繊細な電子機器を設計し

組み上げる技術者の手というよりは、

木こりやマグロ漁師や宮大工というような力仕事を連想させる手であった。

そう、その手は、この究極ともいえるアンプの出音に相似した、

美しい矛盾を孕む手だったのである。


# by pansakuu | 2017-05-10 23:07 | オーディオ機器

Grado SR225, SR325 octandre Dmaaの私的インプレッション:ヴィンテージと付き合う

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新しくして新しきもの、やがて滅ぶ

古くして古きもの、また滅ぶ

古くして新しきもの、永久に栄える

ドイツの格言


Introduction


古いものはいい。

そういう話を時々耳にする。

だが、一概にそうとも言えまい。

例えば、古くなったコーヒー豆は不味い。

古いコーヒーグラインダーも挽き目が一定しなくて、

美味いコーヒーがなかなかできないことが多いような気もする。

しかし、古いオーディオについては総じてマズいとは言い切れまい。

それどころかスピーカーオーディオには

ヴィンテージというジャンルが確固として存在する。


具体的にはウェスタンエレクトリックや古いタンノイやJBL、アルテック、マランツなどの機材を組んでシステムを作り、大昔のクラシックやJAZZを演奏するオーディオである。こういう流れに乗って、ヴィクトローラ グレデンザやジーメンス オイロダインなどを聞いていると現代のハイエンドオーディオとは隔絶した優雅で力強い世界があることが知れる。オーディオは、これらの機材が作られた頃、既に十分に完成されていたのだ。現代のハイエンドオーディオはその変奏曲に過ぎない。

だが、このヴィンテージオーディオの趣味というのは現代のソースへの対応力は弱く、個体差が大きく、故障も多く、広い部屋とありあまる時間に加えてオーナーの精神的な余裕を要求する。こういうヴィンテージオーディオは今の自分にはとても手に負えない代物であると、私は考えていた。


一方、ヘッドホンオーディオにもヴィンテージの流れが一応はある。希少で高価なSennheiserのオリジナル・オルフェウスまで行かなくとも、古いAKGSONYSTAXなどのヘッドホンを集めて修理しながら聞くコレクターが僅かながら世界中に居る。これらのヘッドホンのメカニカルな美や音の味わいに憑りつかれる方の気持ちを私は理解できるが、そこに一般的な意味での使いやすさ、音の良さを適用できた試しはない。

いつも条件付きで私はそれを受け入れ、現代のヘッドホンとは別個の価値として認めているのみである。


最近、ヘッドホンケーブル絡みでDmaaの方と話し合う機会があり、そこでの雑談の中で珍しいヘッドホンの改造を請け負ったという話を伺った。(Dmaaの方は音に詳しいだけでなく、演奏される音楽自体にも造詣が深く、自らはベースを弾かれるうえ、仕事では様々な機材の修理や取扱いに精通し、ビックリするような海外のビッグアーティストとも仕事をされているので、peripheralな話を伺うだけでも大変に勉強になる)

パリのポンピドゥーセンターに拠点を置く、とある現代音楽の演奏集団から数十台のヴィンテージのGrado SR225Dmaaで改造して欲しいとの依頼があったというのである。具体的にはSR225の出音を、ヤマハの小型モニタースピーカーをニアフィールド・大音量で聞くイメージで、勢いを保ちつつ、誇張なく正確に楽器の音を聞けるように改変してほしいという要望だった。Dmaaではとっくの昔にディスコンとなっているSR225の他、関連モデルであるSR325などのGRADOの実機を入手、時間をかけて材質や構造を分析したうえ、独自の視点から改造を考案・施工して納品、フランスのクライアントに好評を得たという。

また今回の依頼はSR225に関するものだったが、結果的にはSR325についても、同様の改造のレシピが適用できるとのこと。私はこの話を聞いて、なにかピンと来るものがあったので、それらのヘッドホンをぜひ試聴したいと頼んでおいた。ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして聞くための改造が成されている可能性を感じたからだ。

Dmaaはこの件に関してクライアントの了承は得ていたので、程なくして、これらのヘッドホンを私が試聴する手筈と、さらにこちらで現物を用意すれば、同じ改造をする準備もできるという連絡をよこして来た。



Exterior and feeling

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この改造のベースとなるGRADOSR225SR325は古い機材である。これらは後年に発売された改良型ではない。つまり型番の末尾にeisが付かない初代の機種であり、ハウジングの形状などが後継機とは異なる。例えばここで使う初代モデルのハウジングはシンプルな筒型で、eiisが付くモデルのように、辺縁部が広く斜めにカットされたベゼルのような形状にはなっていない。


これらのヘッドホンをヴィンテージと呼ぶかどうかは、ヴィンテージヘッドホンの定義がないのだから、なんとも言えない部分はある。だが実物のSR225SR325を手にして見ると、少なくとも最新のヘッドホンであるSONY MDR-Z1Rなどと比べ、明らかに古臭くてチープなヘッドホンとせざるを得ない。何しろSR225SR325とも1995年頃の発売であるし、実際の価格も必ずしも高価とは言えなかったはずだ。もちろんMade in USAだが、SR225のヘッドバンドなどはただのビニールである。これでは昔のモデルでプレミアがついているGrado HP1000のような高級感は期待できない。つまり、これは20年以上前に出回った、比較的安価な機材ということで、これもう私個人にしてみればヴィンテージヘッドホンの部類に入れたいものである。


さて今回、Dmaaで改変したヘッドホンの名称についてだが、元の形式名のSR225SR325にクライアントが演奏しているエドガー ヴァレーズの曲名にちなんでoctandreというコードネームをその型番の末尾に加えた。すなわち、ここではこれらのヘッドホンをGrado SR225 octandre DmaaあるいはGrado SR325 octandre Dmaaと呼ぶ。

octandreとは植物学の用語であり、8弁の雌雄両性花を指す。

実はヘッドホンの改造の際に、バッフルの特定の位置に、音圧を抜く穴を正確に開ける必要があるのだが、その穴の仕上がりは図らずも8弁の雌雄両性花の蕊(しべ)の位置関係を想起させる。この形態的な特徴も、このoctandreという名付けの由来になっているとDmaaから教わった。偶然の一致にしても随分と凝ったネーミングである。

さて、ここで改造の詳細を述べようかと考えて、Dmaaからお話をうかがったのだが、その概要を正確に書き出すのは難しいと分かった。きっちり同じ技術的な説明をここで繰り返したら、このブログ一回分に許される字数では足りないほど濃厚な内容なのである。

とはいえ、中身についてなにも書かないのも問題があるので、私が理解した範囲で簡潔にその概要を述べておく。

要は、ベースモデルであるSR225SR325の出音の位相乱れやピーク・ディップを起こしている要因を取り去ったうえで、よりワイドレンジで素直な音が出るようにチューニングし直したということだ。

まず元となるヘッドホンを検品して、無改造品として正常に装着できて、音が出ることを確かめる。

次にハウジングを分解し、その中で使われている接着剤を全て除去する。メッシュについている型番の丸いエンブレムも取り去る。これらがSR225SR325の出音の位相を乱す主な原因であると考えるためだ。

それが終わったらドライバーを点検、異常がなければドライバーを固定してあるバッフルに正確に穴を開ける。これが件(くだん)の音圧を抜くための穴であるが、この穴の直径や位置関係により音が変わるため、かなりの試行錯誤を要したらしい。さらに、この穴にDmaaの独自技術であるフィルターを挿入、その挿入の深さで調音を実施する。

さらに、この穴を使ったチューニングとは別に低音を伸ばす工夫もなされる。接着剤を取り去ったハウジングには全周に薄い隙間が生じるが、Dmaaではこの隙間を音道として利用し、低域の再現力を強化するというアイデアを考えついた。これはPMCのスピーカーで採用されているトランスミッションラインと類似した仕組みだ。ただこの工夫はスピーカーの世界でさえ、製造やチューニングが困難なこともあり、PMC以外ではあまり普及していない方式である。Dmaaでは試行錯誤の末、特注した幾つかのパーツを組み合わせることで、この仕組みを形にして、最終的に無改造品より深い低域再生を得たとのこと。本当にPMCFB1のようにGradoが鳴るのか?興味を惹かれるところである。

最後にバイノーラルステレオマイクになっているダミーヘッド(おそらくNeumann製)に装着したヘッドホンからテストトーンを出して計測しながら、左右がほぼ同一かつ理想的な波形になるまでフィルターの挿入の深さなどの調節を行う。いわゆるキャリブレーションという作業である。これは設備と経験が必要な作業であり、おそらくDmaaでしかできないことだと思われる。

こうしてざっと書いてみたが、おそらく不正確な言い回しも多々あろう。素人には解釈が難しい部分もあり、全部をフォローしきれた気がしない。

(この改造の全容を細かく知りたい奇特な方はDmaaに直接問い合わせてみるのが良かろう。)

なおフランスに納品したものについてはGradoのデフォルトのケーブルをそのまま利用しているが、今後発注が有る場合には、専用リケーブルのオプションを提示する予定もありとのこと。このGrado SR225, 325 octandre Dmaaのためのリケーブルについては仕様が確定しており、既にケーブルの製造も発注済みだそうだ。2017年の6月頃には選択可能となるらしい。


完成した試聴用のGrado SR225, 325 octandre Dmaaを手に取ると、やはりというか実に軽く出来ている。現代のヘッドホンは、GRADO製を除けば、大概はこれらに比べて重たく感じざるをえない。さらにこの改造されたGradoのヘッドホンにはシンプルビューティ、ヘッドホンの原点回帰が見て取れる。ヘッドホンに要求されるミニマルな形がこれだと思わせるのだ。例えばMDR-Z1Rにはデカくて現代的なデザインのヘッドホンをスッポリと頭に装着してバーチャルな音世界へダイブするという趣きがあるが、Grado SR225, 325 octandre Dmaaでは頭と耳にちょっとヘッドホンを乗せて気楽に音楽を楽しむという風情がいい。外に対して音響的にも視覚的にも開かれたイメージがある。確かに装着感はいいとは言えない。しかし、これじゃダメ?と言われると、これでいいよと笑って答えたくなる。眼鏡をかけていても使いやすいのもいい。サングラスをかけて大きなヨットの上でこれを聞いていたくなった。

なお、SR325については昔、新品を使った時に側圧が強いと感じたのを想い起すが、今回実物を使っていて、側圧のキツサが全く感じられなかったのは経時変化なのだろうか。なんにしろ、より装着しやすくなったのは喜ぶべきだろう。


貸出機を受領した夜には、Dmaaがこれらのヘッドホンを小さなDAPとポタアンにつないで、カフェでデモをしてくれた。グアテマラのコーヒーを飲みながら私はこれを愉しんだ。Dmaaでは、こういうイヤホンみたいな使い方も想定していたのである。この使い方は私にとって新鮮であることに加え、音自体かなりマニアックでもあり、とても面白く聞いた。実際は音漏れがかなりあるから、オープンなカフェでないと無理なのかもしれないが・・・・。

でもこういう、いわゆる“ガチ”で本格的な部分のあるサウンドをチープな外観で軽快に愉しむというのは、現代の高級イヤホンではむしろできない相談ではないか。あれらは高音質を追求するあまり、音も中身も価格も独特かつ重装備になりすぎていて、むしろ気軽に聞けるイメージがないし、純粋にモニター的な音の要素にしても薄い気がする。要するに、まだまだ発展途上のジャンルなのである。誰かがヴィンテージイヤホンなどというオーディオのジャンルを確立して、趣味としての幅の広さを示すつもりなら、また話は別だが。



The sound

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潔(きよ)い音とでも言おうか。

これらのヘッドホンを聞いていて、

音楽に命を与える、音の勢い・はずみ・推進力・活力、そんな言葉で表しうる、

なんらかの見えない力を感じない人はいないだろう。

このスカッと抜けてエネルギッシュで、臨場感のある音作りは

まぎれもなくGRADOの伝統に由来するものである。

個人的には初めてラモーンズの音楽を聞いた時に覚えたような、

あのキリの良い疾走感が甦ってきて懐かしかった。

これがヴィンテージヘッドホンの良さなのかもしれない。


しかし、GRADOの伝統そのままサウンドというのは、ともすれば気分を盛り上げる脚色、荒さが目立つ音でもあり、音楽を冷静にモニターするという立場からかけ離れていた。

また低音がやや少なかったし、高域は澄んではいるが、あるレベルを超えるとキリキリ言ってしまってやはり刺激的な色付けがあった。音は常に近めなだけで定位感に乏しく、位置関係はあまり整理されていなかった。これらの気になるポイントをDmaaは幾分か現実に引き戻し、音の分離感と音楽に対する客観的な眼差しを加えた音に作り変えている。以前よりずっと品行方正なサウンドに変化している。

だから当然、これではGRADOの音じゃないという意見も出るだろう。

そう、これは半ばGRADOではあるが、半ばDmaaである。

やはり純粋なGRADOのサウンドではない。

そこはヴィンテージヘッドホンをクリエイティブに扱ったことによる変化であり、私がこのヘッドホンを多いに気に入った理由でもある。


Nagra HD DACRe Leaf E1xでバランス駆動されるSR225, 325 octandre Dmaaの共通する印象は以下のとおりである。

まず全体に派手さが抑えられた落ち着いた音調に変わった。このサウンドには改造のベースがヴィンテージのGradoとは思えない部分が多々ある。

例えば改造前に感じたウキウキ感重視のやや浮ついた音調は鳴りを潜める。高域の質感として感じられた独特の煌めきは大幅に後退、全帯域にマットな音の感触に変わっている。音色で言えばモノクロームで地味な要素が多分に入り込んでいる。そのせいなのか、全帯域で音のテクスチャーをより冷静に表現できるようになった。代わりに派手でカラフルだった音色は多少控え目になったように聞こえる。


音の定位や位相についても以前と比べて大幅に正確な表現に修正された。かなり定位や分離が良いHD600GE DmaaHD650GE Dmaaと比べるとやや劣るが、ここではモニター用のヘッドホンとして十分に安定した音像定位が聴き取れる。

こうなると、無論、音色の鳴らし分けの巧さや、各パートの分離、変調の少なさに改造前とは差が出てくる。音楽に含まれる各音は整理され、あるべき位置関係をリスナーに提示しようとしている。


音のコントラスト、音の明暗の対比の落差の大きさは従来通りドラマチックな表現をする場面もあるが、音の強弱の階調性が随分きめ細かくなっていると感じる時もある。大きい音と小さい音の単なる差ではなく階調・濃淡が細かく分かるようになり、より音の印象が繊細になった反面、以前のワイルドな雰囲気は削がれた。

一方であまり変化していない部分もある。例えば、改造前と比べてサウンドステージの表現はあまり変わらない。これを単純に音場が狭いと言うか、物凄く音が近いというかは人それぞれだと思うが、音抜けが良いことと、音場が広いことを混同しないように注意すれば、このヘッドホンの音場は開放型としてはそれほど広い部類には属していない。ただ、本当に音場を広く感じるヘッドホンよりも、広い部屋の中で音楽が鳴っているような錯覚を覚えることはある。それはハウジングの構造やドライバーの素のままの音調が極めて開放的なものだからだろう。音が頭の周りの空間に放散される感覚が、広々とした空間性の認識につながっている。だがそれは、音楽が録音された空間の広さとは関連がない。

確かにこれは、小型のモニタースピーカーを使い、ニアフィールドかつ大音量でモニターしている感覚に近いかもしれない。


ダイナミックレンジも改造前とほとんど変わらない。もともと大きい音も小さい音も十分に識別可能なヘッドホンだった。ただしカバーする周波数帯域は低域方向に拡大しているように聞こえる。以前は50Hz以下の重低音などは明らかに不得手であったが、そういう低域も巧く処理している。GRADOらしい中高域に若干のアクセントはそのままに、低域の伸びが加わったように聞こえるのである。また低域の解像度も増しているが、量感は控えめのままである。

帯域のバランスとしては凄くフラットというものではないというのは相変わらずであり、中高域、そして低域にアクセントの強さは残る。だが、面と向かって“ドンシャリ”と揶揄されるほどの帯域バランスの悪さではなく、よりソースの音を正確に反映する方向に音が振られているのは間違いない。


このヘッドホンのドライバーは高い能率を誇り、スパーンと爽快に鳴るところが魅力であり、その部分に変化はない。そして改造後の音の立ち上がり・立下りのスピード感というのも従来通り素晴らしい。改造前は過剰に速く音が立ち上がる傾向があって、レスポンスの良さをひけらかすような品位の低さにつながっていたが、この過剰さが鳴りを潜めたというか、速くもなく遅くもない適正な音のスピードに修正された。結果的にいささか音は上品になったように感じる。


一般的な話としてDmaaがモディファイしたヘッドホンや製作するケーブルについてコンシュマーオーディオの立場から言うべきことがあるとすれば、やはりこれはスタジオでの仕事の道具としての面が強すぎて、時に素人のオーディオマニアとしてリスニングを楽しめない部分があるということかもしれない。だが、SR225, 325 octandre Dmaaは例外的にコンシュマーオーディオの側に振れた、面白みのある音が出ている。これはGRADOの伝統の気持ちの良い音作りの方針を潰し切っていないからである。これがDmaaの音の匠としての巧みな配慮であるなら、流石としか言い様は無い。


ところで、SR225 octandre DmaaSR325 octandre Dmaaの出音の違いについてだが、これはハウジングの材質の違いによるところが大きい。SR225は厚さ3mm程度のプラスチックのハウジングをかぶせる形で使うが、SR325ではここがそっくりアルミ製に代わっている。二つのヘッドホンの響きはまるで違っており、SR225は柔らかくて、軽く、暖かく明るい音調だが、SR325はややソリッドで、粒立ちが良く、やや冷たく陰影の強い音である。ボーカルの質感などに関して玄人好みと思うのがSR225であるが、あくまで素人であるヘッドフォニアは一聴して高域が少しキラキラしたSR325を選ぶ確率が高いかもしれない。現代のGRADOのサウンドと比較するとPS系はSR325であり、GS系がSR225に相似するというところだろうか。ここはいずれにしろ自分の好みで選ぶだけだ。


なお、これらのヘッドホンが私の愛するHD650 Golden era Dmaaと差別化できるのは有り難い。音楽をモニターしたいときはHD650 Golden era Dmaa、どちらかというと気楽に楽しみたいときはSR325 octandre Dmaaを選べばよいのである。

ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして甦らせるためにはどうしたらよいのか、その取るべき道筋を私はここに聞いた。Grado SR325 octandre Dmaaのサウンドは、いささか複雑な出自を持つ特別な音だが、最新のものから古いものまで、ヘッドホンもスピーカーも数多くこなしてきて、多少のことではもう驚かず、驚きたくもないオーディオファイルが落ち着くべき音のカフェのような存在であろう。


別言すれば、私のような者がオーディオの楽しさの原点にもう一度戻りたくなったとき、そしてそこからまた、新たな場所へ移って行きたくなったときに立つべき場所とも言える。ここには懐かしさと新しさが分かち難く解け合い、基本的にはよく見知っている内容でありながら、その見え方という意味では見知らぬ世界が開けているのである。



Summary


日本で最初となるようだが、

私はGrado SR325 octandre Dmaaをオーダーした。

オーダーの際、SR325をベースにするか、SR225をベースにするかは迷った。柔らかくて軽いSR225(プラスチックハウジング)のサウンドを取るか、解像感が高く音のキレがいいSR325(アルミハウジング)のサウンドを取るかだが、私はSR325をベースモデルとした。とはいえ、その結論に至るまで、長考したのは事実である。例えば少し昔のジャズやロックのボーカル、ビリーホリディやフランク シナトラ、ビートルズなどをそれらしく聴くなどという場合はSR225を選ぶというのは絶対にアリなのであった。告白してしまえば、良い状態のSR225すぐには手配できそうもないと判断、SR225の改造の依頼の方は断念したとった方がいいのかもしれない。今でもSR225でオーダーしたいという希望はもっている。


また、現時点でリケーブルは利用できないのでヘッドホンケーブルは仮のものを使うこととしたが、到着次第そちらに換装するつもりでいる。さしあたりRe Leaf E1xで使う予定なので、端子はXLR3pin×2仕様としたが、Nagra HD DACの内臓ヘッドホンアンプに直接挿すのも面白そうだし、RNHPでも使いたい。その部分は本物のリケーブルが来るまでさらに熟慮しよう。


私の場合はGradoの二台持ちというのは、かさばってどうもすっきりしないので手持ちのGS2000eは売り払ったうえで、ロンドンから状態の良さそうな無印のGrado SR325を取り寄せた。SR225SR325を既にお持ちの方なら、こんな苦労は必要ないだろう。

もちろんGS2000eは素晴らしいヘッドホンではあるが、その気になればいつでも買えるし、Grado好きなら誰でも持っている可能性がある。しかしSR325 octandre Dmaaについては、まだ世界で聞いた人間は数十人にも満たないかもしれないし、持って使っている人間はさらに少ないことだろう。これは世界でほとんど誰も知らない音なのである。簡単に言ってしまえば、そっちの方が面白そうなのだ。そんな子供じみた理由で、高価なオーディオの方針を定めていのかと思うこともあるが、これで間違いないのである。

音の良さの本質には言葉でしか迫れないというドグマを堅持する私であるが、このヘッドホンについては徒に言葉を費やすのは無意味かもしれないと感じている。

聞いてそれと分かるヘッドホンがGRADOだからだ。Dmaaで改造されたにしても、SR325 octandre Dmaaはその気質を色濃く残し、やはり言葉のいらないヘッドホンなのである。

聴けば分かる。

だが、その口調は改造前はっきり異なるものである。もともとのGRADOのサウンドはフリースタイルバトルのラッパーのような刺激的なイメージで魅せたが、少し過剰だったしやや下品だったかもしれない。ここではoctandre Dmaaという冠を得て、彼らは冷静さ、正確さ、そして上品さを身に付けた。今や饒舌でありながらも、言葉慎重に選んでいる作家のように、どこか醒めた語り口にシフトした。


オーディオにおけるヴィンテージ機材は、最新のオーディオ機器と比べれば、音にクセが多かったり、絶対的な性能が低い場合がある。それは意図したわけではないにしろ、独特の味わいを醸し出して、現代の機材の音にはない魅力をもつモノとして認知される。古いオーディオには確かにそういう不思議な音の良さがあるものの、それは現代のオーディオの視点から見れば、欠点の裏返しである場合もある。


このような矛盾を孕んだヴィンテージサウンドにあえて現代的な修正を加え、新たな価値を生み出そうという、Dmaaの試みはとても興味深い。

現代のヘッドホンオーディオ界のダイナミックな創造の動きの中で、この自然発生的な試みがどういう立ち位置になるのか、愚かな私に分かるはずもない。

しかし未来に向かって疾走するヘッドホンのカオス的状況が持続するかぎり、

ヴィンテージヘッドホンもそこに巻き込まれ、

否応なく変わってゆく存在であることを、

これらのヘッドホンに対するDmaaの仕事は予言しているようだ。

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# by pansakuu | 2017-04-01 09:33 | オーディオ機器

Dressing APS-DR002, APS-DR003の私的レビュー:自腹を切れ

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黒猫でも白猫でもネズミをとる猫が良い猫である

鄧小平


Introduction


あまり使われない言葉となりつつあるのかもしれませんが、

「騙されたと思って買ってみな」という言い回しがあります。

これは江戸時代の話しことばが初出だろうと思うのですが、

長い間、日本で使われてきた言葉です。

寄席で古典落語なんかを聞いていると時折耳にしますよね。


この言葉には、騙されたかもしれないと思って買った先に、思いもよらぬ新しい世界が広がっている場合があるという、実体験に由来する知識が含まれてはいないでしょうか。この種の知識を我が物とするには、勇気と寛容、もっと簡単に言えば、少々の失敗には懲りない性格を持つ必要がありますが、幸か不幸か、私はそちらの方面には自信があります。


先ごろ、パイオニアさんが、ここで取り上げるDressing APS-DRシリーズの発売を突如として告知した時、私は思わずこの知恵の言葉を呟いていました。

この小さな機材の説明を読むとパソコンやDAPなどのUSBポートにこの小箱を挿すだけで音が良くなるなんて調子のいいことを書いてありますから、多少は揶揄されたり叩かれたりすることを覚悟で挑(いど)んできたのでしょう。そしてこれらを、万単位の金額で売りつけようというのですから、担当者は音によほど自信があるのでしょう。

その意気や良しと。


さらに、この製品にはグレードの違いがあることも驚きでした。DR000からDR003まで4段階もある。この手のオカルトグッズ(失礼)にはグレード別に複数の製品が出される場合は稀なんです。それは、その効果に強弱・高低が付けられるほどの技術があることを意味していますんで。オカルトグッズの多くは思いつきで実験してみたら個人的に音が良いと思ったんで、とりあえず100個作って売り出してみましたっていうノリの、詰めの甘い製品が多いジャンルですから。こういう力加減が出来るってことは、それなりにテクノロジーを掘り下げて製作過程の細部も熟慮しているということでしょうね。やっているメーカーは、最近の業績がいま一つとはいえ天下のパイオニアだし、製品の仕上がりもかなりキレイそうだし。オカルトグッズ(またまた失礼)としては異色で面白いなと思った次第であります。


それにしてもこんなモノ、10万で誰が買うんだ? 

あっ、オレだ。

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Exterior and feeling


とは言うものの先ずは2万円のDR002から買いましたよ。いくら万策堂でもいきなり10万のDR003はやめときました。こういう場合に限ってDR002が良かったらDR003に進もう、などと俄かに計画的な考えを導入したりする。一般常識からすれば理不尽なモノを買う場合も、まるで罪滅ぼしのように理屈を通したくなるのが人間という動物ですね。

届いた小さな黒い箱型のパッケージを開けると、黒い金属でできたUSBメモリーのようなDR002と裏に測定値が手書きされたシリアルナンバーつきの保証書が入っておりました。


ところで、DR002が計測したデータを一個一個につけて出荷しているのは、これがいわゆるオカルトグッズという、おまじないじみた怪しいモノではなく、計測という客観的な視点から見て違いがある、科学的な裏付けのある機材であることを強調したいのでしょう。でも、なんで科学的な裏付けがないとそれを買わないという話になったのか?オーディオは科学だから?裏付けがあろうがなかろうが聞いてどれくらい気持ちいいかが問題ではないかな。むしろDRシリーズに付けられた計測値の紙切れ科学という宗教から派生した、おまじないや免罪符のみたいなものに私には見えてきます。


DR002本体の表面は少しツヤのあるブラックカラーでヘアライン仕上げが全面になされています。持った感じ重くはないのですが、剛性は高そう。このモデルの場合、ロゴは白字で印刷され、僅かに表面から盛り上がっています。DR002のボディケースは二つのパーツからなり、それらは箱とその蓋のような関係です。薄い長方形の箱に蓋をして、その蓋の四隅を小さなネジで止めているような構造です。ひとまず外観は隙のない仕上がり。

試しにパソコンのUSBポートに挿してみたのですが、これはどうも横に出っ張るモノですね。ここにさらにUSBケーブルを挿すと、かなりの出っ張りで邪魔ですな。これじゃUSBポートに不相応に大きなモノを挿してる状態ですから、接続は不安定になるのではないかとも思います。


そこでDR002の下に紫檀とヒッコリーで自作したスペーサ―を取り付けて、常に端子が真っ直ぐにパソコンのUSBポートに安定して入るように工夫しました。机の表面から出た支柱でDR002を支えているような格好です。こうすると出音がピタッと安定します。一般にUSB端子というものはロック機構らしいものが皆無ですから、私は自分の機材のUSB関係の端子全てに、このような下支えの工夫をしています。このささやかな施工はUSBの電極が斜めにポートに入るのを防ぎ、十分な接触面積を稼げるうえ、端子の微振動を止めるのにも役立ちます。


私はDR002の中身を開けて見るなんて失礼で危険なことはしませんが、DR001のプアな中身の写真は見ました。DR002も大したパーツは全く入ってないんでしょうな。類似の機能を持つiFiの製品の中身も見たことがありますが、拍子抜けするほど部品点数は少なく、高級パーツは一つも見当たりませんでした。トランスペアレントのケーブルの謎箱の中身を思い出します。これはハイエンドオーディオじゃよくある話だから、動揺はしませんがね。でもiFiのは威力はあるんですよ。iPurifier2USBケーブルのDAC側につけっぱなしで外せなくなってます。ついでにDC iPurifierRe Leaf E1xの電源側に付きっぱなしです。iFiの機材はどれもだいたい優秀です。これらは音が明瞭になり、音像の曖昧さが排除されるというのが共通した効果です。簡潔な言い方をすれば様々なノイズを取り除くということを主眼にしている。そして、その効力の強さと安定性を価格と秤にかけて考えれば、中身の見かけ上の貧しさなんぞはどうでもよくなってきます。つまり、オーディオは外見や中身を見ただけでは分からないということですな。よく製品を分解しては部品の原価なんかを調べ上げ、実はこんなに安いモンだとか鬼の首でも取ったように騒いでる方もいますけど・・・哀しいですねえ。


後ほど詳しく述べますがDR002を使い、十分な効果があると分かったので、さらに調子に乗ってDR003まで進みました。こちらは値段だけあって流石な代物。USBに付けるアクセサリーでこんなに高価かつ作り込まれたものはほとんどないんじゃないでしょうか。単純にDR002と比べ少しお金がかかっているように思いました。でもパッケージはDR002と同じ。入っている保証書も同じで、マニュアルもないです。桐箱に入っているという情報はデマでありました。ただし測定値の部分はDR002より少し細かく、広い範囲を測定しており、値がDR002よりも良くなっていること、検査をパスした旨のハンコが押してあるところが違います。どちらも検品担当者の名前は同じでしたから、結構忙しいんでしょうね。コレ、品薄状態らしいですから。

DR002と比べてDR003ごくわずかに重く、剛性も微妙に高いような気がします。あくまで気ですがね。これはおそらくDR002とは素材が変わっているのでは?より高価で硬度が高く加工しにくいアルミ素材ではないか、あるいは表面仕上げの違いだけなのか表面は梨地の銀色で黒のヘアライン仕上げと全く違います。さらにロゴは印刷から彫り込みに変わっています。この硬さの金属にこれだけ細かい字を深く掘るのは大変で、カネがかかるでしょうね。地味な話ですが、こういうモノは表面に彫り込みがあるかないかで微妙に音が変わる場合があります。実際、その彫り込みで共振をコントロールしている例もありますね。Boulderのプリアンプの側面なんかがそう。

そうか、サイズが全く同じで、彫ってあるのに重さが僅かに重いということは、材質か部品に変化があるとしか思えないな。

また端子の仕様に変更はないようですが、中身はDR002とは違うらしい。さらにグレードの高いパーツを使っているとのことですがね。果たして音はどう変わるのか?

噂では、DR003については一個一個担当者が聞いて、音に十分な変化がないものは出荷してないそうです。測定値の上にPASSってハンコがありましたね。これは全品検査済みの製品であり、検査の過程で振り落とされるものもあるとのこと。まー10万もするんだから、それくらいやってもらわないと。

とにかく、DR003ほどの意気込みでれたUSBオーディオ関連のグッズは知りません。iFiiPurifier2DR002と効果や仕組みは違いますが、ほぼ同クラスの類似した製品であります。今まで買えたのはここまで。DR003USBオーディオ関連グッズとしてさらなる高みを目指したものと捉えています。

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The sound


私は以前、胡椒の味や香りに凝っていたことがあります。世界の各地でいろいろな品種の胡椒が栽培されていますが、どれも産地ごと、あるいは農園ごとに香りや辛味が異なる。手に入る様々な胡椒の中から私が最後に選んだのはカンボジアで育てられた、ある胡椒の実でした。食事の直前にそれを挽いて料理にふりかけると芳しい香りが辺りに放散されるのですが、その瞬間に驚くほど料理自体の印象が変わります。より豊かで深い味わいはもちろんですが、口に入れる前から既に皿の中に引き込まれるような食欲の高まりを感じます。食を愉しむことにおいて、この胡椒の香りを加えるか加えないかは大きな差となる場合がある。


Dressing APS-DR002, APS-DR003はオーディオにおける胡椒のようなものです。要するに最後の仕上げの調味料。PCオーディオシステムにこのデバイスを加えるか否かは私にとっては大きな差となってしまいました。これを加えるとシステムの音の香りが明らかに違ってくるように思いますので。

音と音の間にある空間が露わになり、音がほぐれ、ひとつひとつが立ち上がってくる。

食材の味を引き立てる香りを加える調味料としての胡椒の役割と類似点があるのです。


まずDR002ですが、USBポートに挿して、その反対側にUSBケーブルを挿すという方式で使うのが最も効果があるようです。実は空いているUSBポートに挿すだけでもある程度効果がありますが、私の場合、よりはっきり音の変化を感じるのはUSBケーブルをDR002に挿す方でした。

なおこのグッズはDAPUSBポートにケーブルを介してつないだり、あるいはDR002,003DR001を挿した状態でPCに挿したりすることでも音質改善の効果があります。これも実際に確認しましたが、どちらの場合もDR003の方が効果がよりはっきり表れますが、DR002でも一応の変化は感じられます。DAPに挿す場合はPCに挿す場合よりも音質がスッキリする度合いがやや強いような気がしましたね。それからDR002,003DR001を挿すこともできますが、こうすると音の強調感が少し減って、なだらかな音になります。DR002単体で使って音がキツいと思った方はこっちの使い方もいいかもしれません。空きのUSBポートがあればの話ですが。それから下位のDR000DR001についても単体で使ってみましたが、こちらは価格相応の効果はないと思いました。これらはDR002DR003と組み合わせる前提なら買う価値もありそうですが、単体ではお薦めできないですね。

なお、今回は普通のWindows10のノートパソコンとJriver、自前のRe leaf E1x, Nagra HD DAC, THA2そしてMDR-Z1Rで聞いています。

パソコンに特別なセッティングはなにもしていません。


実際にUSBケーブルの先にDR002を挿した当初は、アレっというくらい、変化量が小さいものでした。音の輪郭が多少クッキリしたかなぁくらいしか分かりません。これは接続する機材や試聴する楽曲、試聴者の耳の良さの度合いによっては、知覚されない位の小さな違いでしょう。例えばスピーカーだとこの差がはっきりしない場合も多いと思います。ヘッドホンなら、ハイエンドなものならわかると思いますが、プリメインアンプやDACについているオマケ程度のものだとよくわからないという人も居そう。これだとデモじゃ苦労しそうだね。聞かせ方を工夫せんと。

とにかく、そんな程度なんです、初めは。



しかし、一時間、二時間と聴いているとだんだん違いが大きくなってくるのがわかります。まず各楽器・パートの分離がグッと明確になってきます。ゆっくりと霧が晴れて、澄み渡った空の下、清冽な空気を通して風景を眺めるように音がどこに配置され、どういう位置関係にあるのかがはっきりと見えてくると言ってもいい。毎日使い続けて数日経過するとまるで自分の視力が上がったかのように、音楽の構造や細部が詳しく見え、それらは遠近感や立体感をもって眼前に展開するようになります。音の立ち上がりの複雑な姿があらわになり、余韻の滞空時間は驚くほど長くなる。音楽は最後の一滴まで絞りあげられて我々の耳に届くようになります。ここまで聞き続けて初めて効果が実感されました。


もともとDressingという単語には整えるという意味があるそうですが、まさにこの機材は音を整えることに主眼をおいたもののようにも聞こえます。音楽を構成する要素が整理されて、手に取るように見えるようになるのです。別言すればDRシリーズの音作りの本質はかなり視覚的なサウンドに傾いたチューニングにあると言ってもいいでしょう。


試しに攻殻機動隊のサントラを出してきて聞いてみると、十分にエージングされたDR002の威力が良く分かります。シンセから繰り出される何種類もの音が、まではゴチャゴチャに混ざって聞こえていたのですが、DR002を介すると、各音が整然と分離し、在るべき位置に整頓されて聞こえるようになります。前面に出て激しく躍動しているボーカルや楽器に音にかき消され見えなかった、背景のドラムやベース、リズムセクションの響きの線、音の色が初めてくっきりと見えました。

クラシック音楽などでも、曲が始まる瞬間の奏者の呼吸や衣擦れ、フルートのボタンの操作音がよく聞こえるようになります。オーケストラの全員が息を合わせて音楽が始まるのがよく見える。アナ・カラムのボサノバの弾き語りを聞いてみると、彼女の呼吸、指の動きの速度の細かいニュアンスがしっかりと聞き取れるようになります。彼女はこんなにも柔らかく歌っていたのですね。

これは、いわゆる「この曲にはこんな音が入っていたのか」系のサウンドですよ。こんなものが聞こえるのを喜ぶのはオーディオマニアであり、音楽ファンの立場ではないですが、私個人にとっては嬉しい変化でして。また自分のライブラリーの全曲を聞き直さなくてはならないようです


私は既に厳選したUSBケーブルを使い、iFiiPurifier2も接続しておりましたので、これ以上、この分野で改めることは無いように思っていたのですが、そうでもなかったようですね。とにかく私のシステムでは時間をかけて実力を発揮させるなら、DR002iPurifier2よりも効果が高いように感じました。


私がネットワークオーディオをやめて、PCDACUSBで直接つなぐシンプルな方式にした理由はいくつかあるのですが、そのひとつにYou tubeを簡単に視聴できるようにしたいということがあります。KinskyでもYou tubeを聞くことはできますが、やや手続きが煩雑ですし、KLIMAX DS/2を使っていた頃は切り替えが時に不安定でした。You Tube自体の音はたかが圧縮音源なのですが、新しい音楽を真っ先に聴きたいなら、ここを無視することはできません。このDR002を介するとYou Tubeが驚くほど魅力的な音質で鳴ります。PC由来のノイズが大きく低減され、小さな気配成分のような音が聞こえるようになるのです。圧縮音源にもこんなに豊かなニュアンスが出せるとは少しばかり驚きました。ノイズの低減による小さな音の明瞭化はフォーマットの不利を補完するような効果もあります。


DR002の効果をまとめると、出音のSNが明らかに上がり、楽器の分離がかなり良くなって、ダイナミックレンジ若干拡大する。そんなところでしょうか。一方やや音が硬く、音圧が高くなってアタックが強めに感じられるようになった気もしますが、音質的なデメリットとしてはっきりしたものとは思えません。2万円でこの効果ならアリでしょう。

なお、この製品の音質に関して注意すべきは数日聞き続けてから、自分に合うかどうか判断すること。明らかにエージングが必要なのです。それはお前の耳が馴れただけじゃねえかという方もいますが、仮にそうだとしても、それならそれでいいですよね。所詮は自分の耳で聞くものなんだし、結果オーライでしょ。

まあ、私は経験上、機材側でのエージング効果はあるというのは疑ってませんけどね。というのはある機材のエージングが進んだと思った時点で、並行して以前から聞いている機材の音の聞こえが変わってきたという経験はほとんどないですから。

新しい音の側面への気づきというのはあるにしても、聞く人間の側のエージングだけで全ての経時的な音の変化を説明するのには少々無理があるように思います。

それからDR002も003もどこかにきちんと固定した方が音がいいですね。接続の安定が大事だと思います。私は黒檀の材をレールのような形に削って、このデバイスがピタリと嵌め込めるアダプターを作り、デバイスとパソコンの位置関係が常に固定された状態になるようにセッティングしています。こうするとパソコンの差込口にただ挿入されただけの状態よりも、ずっとスッキリと整理された音になります。


ここで苦言を呈するとしたら、このDRシリーズはデモをしている場所も極度に少ないうえ、直販を中心に販売しているので、ヨドバシなどの家電量販店ではDR002,003を注文することすらできないということ。製造している側は証拠までつけてオカルトではないと主張しているし、実際に買って聞けば、十分納得できる音質を備えた製品なのに、なんで堂々と街中でデモして売らないのか?それからもうひとつ、DR002はポートから出っ張り過ぎですね。そもそもUSBケーブルの端子ごとDR002にしちまえばいいのでは?そういうUSBケーブルがあったら欲しいですよね。


さて10万円のDR003の音質ですが、こちらも初めはなにがいいんだか、はっきりしません。DR002の最初と同じ。若干音がはっきりするかなくらい。ただスケール感や音の落ち着き、音のエネルギーの吹き上がりの勇ましさなんかも合わせて感じられるところがちょっと違うのです。DR002とは一味違うのかなと・・・。

案の定、聞き続けるとやはりよく鳴るようになってくる。微妙なニュアンスの表現や楽器の分離感はそのままに、DR002よりも積極的な表現になる。例えば音場の広がりがより強く感じられたり、楽器が強奏される部分、歌手が激しく歌い上げる部分でもっと強い音のエネルギーを感じるようになります。このDR003の表現に比べるとDR002はややこじんまりした音です。それからDR003は音量を上げても、うるさくならないというところもいい。SNDR002よりわずかながら高くなっているように感じます。加えて聞いていると音がこっちに飛んでくるような勢いの良さもある。これもDR002ではあまり感じない特徴かな。

それから音楽のグルーヴというか、流れの表現ですね。DR002だと各音がほぐれてバラバラになることが優先していたそれだと時に各パートが一体となって流れている雰囲気が置き去りにされそうになるのだけれど、DR003はそこも聞こえてくる。素晴らしい。


ただしDR003の音の全貌は、かなりハイエンドな機材でないと見えないのではないかと思います。対象となる音楽持つ固有のスケールがどんな大きさだろうと、受け止められるだけの懐の深い機材が必要というかね。DR003はビッグサウンドなんですよ。システムが広い音場を表現できたり、細かい音だけじゃなく、量感があって太い音なんかもそれらしく聞かせられないとDR002と比較して良さが分かりにくいかも。確かにUSB関連の機材でここまで奥深い表現を加えるものは知りませんから、私はDR003を使い続けることになりますが、まず誰かに薦めるならDR002ですね。これはUSBを使う全てのオーディオマニアに使ってみて欲しい。そして、かなりハイエンドな方向に行こうとしているオーディオマニアで究極のUSBオーディオが欲しいなら、DR003までトライして欲しい。


ちなみにDR002,003による音質の変化については以前、ちょっと取り上げたアコリバのRPC-1と効果が類似した部分もありますね。でも、あちらは24万でコンセントを一個を消費し、使える機材を一台減らしてしまいます。DR003の方は確かに高価ですが、10万どまり。機材を減らす必要もありません。どちらがいいか。私の場合、ノイズ狩りの手始めとしてDR002,003をまず買うことに迷いはありませんでした。


Summary


ぶっちゃけた話、ここで取り上げたDressing APS-DRシリーズは、実際のオーディオの世界ではいわゆるオカルトグッズというモノに分類されてしまっています。

でも、ここで言うオカルトってどういう意味なのでしょう。


一般に科学的に十分に説明がつかないものをオカルトと言いますよね。

私の解釈では、オーディオでオカルトと言われている製品は、まず現物の見掛けと謳っている効果が解離していて、その動作原理があまり聞き慣れないものであるうえ、実際に計測され波形や数値の違いが示されない、そして自腹で購入した素人による信用に足るレビューがない、あるいは少ないというモノです。要は科学的な・客観的な裏付けがないように見えるグッズです。それは外部から見れば、まるで音の良くなるおまじないのように、いい加減なモノに見えるはず。



ここでは「実際に計測される波形や数値の違いが示されない」というところが特に重要でしょうか。そういう意味ではDressing APS-DRシリーズは波形や数値に違いが出ることが示されているので、厳密にはオカルトグッズに入らないはずなのですが・・・。

そういえば、部品の原価が安いのに小売価格が高くて、音質向上が小さい製品もオカルトと一緒にする人がいますが、この場合はそういう使い方なのかもしれません。でもそれってまぎれもない混同ですよね。それは正確にはボッタと言うべきです。(これらは十分な効果はあるから、ボッタでもないんですが・・・。)


いつも言ってますけど、私は波形や計測値は全面的には信用しません。マイクの奥にある薄い金属箔や合成樹脂の振動板を揺らして得られる音波の波形と、耳道というきわめて特殊な材質の音道を通り、人間の鼓膜という生体素材でできた薄膜を震わせてできる波形が同じものである保証はどこにもないし、ましてや人間はその波形を左右で統合し大脳皮質でプロセシングしているわけですから、機械で測った波形や数値など参考ぐらいにしかなりますまい。そもそも計測の仕方が正しいと、測った現場に居合わせなかった者が言い切れるでしょうか?結局、細かく見れば測定自体、結構眉唾ではないか。そう考えると測定値で違いが出ていさえすればオカルトじゃないという立場には立てないですね。


告白してしまえば、万策堂の心の中には真の意味でのオカルトグッズという概念はありません。オーディオの中には人間という、科学で未だ割り切れない要素が存在するからです。すなわちオカルトグッズとはオーディオの実態を反映しないスラングであり、多くの場合、金銭的な余裕がないので試せないものをそう呼んで、購入しないことを正当化しているだけです。

世の中に在るのは音に効くグッズと効かないグッズ、この二つだけです。


ふりかえってみると、私は随分とオカルトグッズと呼ばれるモノを買ってきた覚えがあります。その中には実際に音に効くもの、全く効かないもの、効き過ぎて困るもの、いろいろとあったと思います。

最近で印象にあるのはGe3のエンジェルファーやケブタ、フルテックのコンセントプレートOUTLET 105D NCFあたりでしょうか。特にGe3のエンジェルファーなんかは見てくれも内容もまさにオカルトです。すぐに納得できるような科学的な裏付けはありそうもないですし、波形や計測値の変化さえ示されておりません。聞く前はこれこそおまじないの部類と疑ってかかるのですが、実物を借りてきてスピーカーの前にぶら下げてみると、困ったことにシッカリと音の違いが聞き取れてしまいます。意外なほど柔らかく澄んだ出音に変わる。一般にGe3のグッズは科学的な裏付けを謳っているアクセサリー類よりも、音に効く度合いはむしろ強いと感じることが多いですよ。心理学的な違い、オカルトと言えばそれまでですけど、確かに音を良くしている。しかし見かけが個人的にどうにも馴染めないので、万策堂はそれらを使い続けたことがないというだけなんですね。なんかこの見てくれで、これだけ効いちゃうと怖くないですか。もしこの怖さがオカルトグッズを否定する理由だとしたら、それには同意できなくもないかな。

フルテックのコンセントプレートに至っては、さらにはっきりと分かる音の違いです。ではコンセントプレートの材質や構造を変えるだけで音が変わるのはどうやって説明したらいいのか。エンジェルファーほど難しくはないでしょうけど、こちらもかなり苦しい説明になりそう。でも音は確かに雄大に力強くなったように感じます。分かりやすい違いでした。こちらはエンジェルファーやケブタと違って目立たないので即採用というか、もう外せません。コンセントプレートとしては高いけど、音質の変化を考えると私にとってはコスパは高かったです。



こういう予想外の違いがあることを知るには、まずは無理を言って借りてみるに若くは無い。なんの保障もなく、いきなり買うのは厳しい値段であることが多いですから。しかし借りると言っても期間は限られますし、そもそもデモや貸出しをしない機材の方が多いので、実際の機材の音を知るには、ついに自腹を切るしかないということが圧倒的となる。例えば貸出しのないフルテックのOUTLET 105D NCFなどは、店頭でのデモもしにくいという製品の性質上、ほぼ自腹でしか音質の違いを確かめる方法がない。こんなに怪しげなプレートがこんなに音に効くのというのはある意味、不幸でしょう。罪でしょう。けれど事実なんですよね。


繰り返しますが、オーディオで大切なのは実物に当たり、

自分の目と指と耳でそれをしかと検分することだと万策堂は考えています。

自らの耳で聴いてみて、音が良いなら、オカルトだろうとサイエンスだろうと受け入れる。

そこでは他人の言説や、信用に足るかどうか疑問な測定値なんぞは忘れるべき。

それら全ては現物との実際の対話の後からついて来るものですから。

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とどのつまり、

場合によっては身を切る覚悟でオーディオと対峙しないかぎり、

得られぬ知識もあるということなります。

騙されそうだと思っても、それが面白そうなモノなら、あえて自腹で買ってみるくらいの勇気と心の余裕がなければオーディオは極められないのではないか。

そういう過酷な現実を、高級な胡椒のように芳(かぐわしい)しい音を響かせるDressing APS-DR003をうっとりと聞きながらつくづく思い知る万策堂なのでありました。


Postscript

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ついにというか、

APS-DR002DR003の両方を持っていれば、誰でも考えそうなことをやってみた。

それはAPS-DR002DR003を連結したうえで、USBケーブル端子を挿入するという暴挙に出たのである。経験上、このようなことをしても、過ぎたるは及ばざるが如しという場合が多い。何かを得る代わりに、その瘍張りな行為が内包するアクの強さみたいなものが災いして、癖の強い、バランスの悪い音になってしまうことが多い。

しかし、意外にも今回は例外であった。

もともとDR003単体だと、なにか出音全体の雰囲気が強烈過ぎると感じる場合があり、多少の聞き疲れにつながっていたが、APS-DR002DR003を連結すると、それが随分と軽減されたような音調となる。これは音のエッジが丸くなったというのではない。キチッとエッジは立っていて、今までこのシステムでは聞こえていなかった、多くの小さな音が重層して聞こえるようになっているのだが、その圧倒的な情報量が脳の負担にならなくなった。この状態でNAGRA HD DACRe Leaf E1を使った結果として、今まで20年以上オーディオをやってきた中では一番細かく小さな音をフォローできる状況が出来上がったと思う。ヘッドホンをあえて使うというのは、スピーカーでは聞き逃しがちな小さな音を聞くためという部分が大きい。音楽の細部へ強烈な眼差しを注ぐ顕微鏡のような聴き方をしたいなら、このように多少度を越したようにも見えるセッティングも存外悪くないと報告しておこう。




# by pansakuu | 2017-03-23 13:30 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る③:音の「鏡」としてのヘッドホン


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(②からの続き)

Estimation of K power cord.......

GOLDUND THA2というヘッドホンアンプの電源として、最後に手元に残したのは、お察しのとおりS社のK電源ケーブルであった。
略号で示しているが有名なケーブルなので、ケーブルに凝ったことがある方なら名前ぐらいはご存知だろう。これは私が今まで見てきたオーディオケーブルの中で最も手間のかかったものである。高級ケーブルを憎む私でも仕方ないと諦めさせるだけの力を備えた製品でもある。
今まで私の使うケーブルは
JORMA Saideraが主で、時にArgentoNordostCHORDNBSNVSStealthChikumaPADKimber selectBMISiltechTransparentG ride audioDmaaをピンポイントで使うぐらいであって、S社の製品に縁がなかったけれど、とうとう買ってしまった。

シットリとインレットに挿入できるオリジナルのコネクター、持ち上げるのに難儀するほどの太くて重い線体。特殊シールド技術、導体の冶金技術が集約されたこのケーブルは、専用のケーブルインシュレーターを用意しなければ設置できない。

それにしてもこいつは外観も音質もケタ外れの代物だ。正直言って、これはもう電源ケーブルですらないのかもしれない。ケーブルに擬態したアンプのような存在。少なくともケーブルの化け物であって、昔、船乗りたちが恐れた巨大なタコのような海の魔獣Kという命名に恥じない。


ところで、この怪物、寝覚めはひどく悪い。電気を通しっぱなしで数日経たないと実力は出て来ない。だがひとたび実力を発揮すれば、THA2とのコラボによるサウンドは凄い。

例えば、このシステムで聞いていると私の視線は斜め上方を向くことが多くなる。

MDR-Z1Rという密閉型ヘッドホンで聞いているにも関わらず、開放型の中でも最もオープンなサウンドを展開するものと比較しても、勝るとも劣らない広大なサウンドステージが展開されるうえ、四方八方のぐるりから音が飛んでくるように感じられるからである。これは持前の強いドライブ力、つまりヘッドホンの振動板を一切の曖昧さを排してコントロールする能力が、電源の強化により如何なく発揮されるからに違いない。

特にTHA2のバイノーラルモードであるジークフリートリンキッシュをかけたまま、アンビエンスやエコーなどのエフェクトが多くかかった音楽を音量を上げて聞くと、音が真上から降ってくるような錯覚を覚える。空間が前方の左右に広がっているだけでなく、上方・下方にも大きく開いているような心持ちになる。これほどサラウンドな聞こえ方になるのはTHA2の特殊機能であるジークフリートリンキッシュを担う回路にSNに優れた大電力が速やかに供給されるためだろう。

この電源ケーブルを挿すとSNが高まることが異口同音に言われているが、これは本当である。これまで使ってきたあらゆる電源ケーブル、あらゆる電源装置と比べても、その効果はトップクラスにあるばかりでなく、“ごく自然”な静けさという意味でも秀逸。すなわち、強力な電源装置を使うと時に静けさが過剰で、不自然かつ人工的なサイレンスに傾くことがあるが、そういうやり過ぎがこのケーブルにはない。これは外音を強制遮断した無響室で音楽を聞くのと、周りに音を出すものがないために静かになっているオープンスペースで音楽を聞くのとの違いをイメージして頂くとよい。

余韻の滞空時間は明らかに伸び、曲が終わった後の静寂をエンジニアが切った瞬間が明確に聞こえてくる。二段階の静寂。さらに、音像の描写はきめ細やか、音の流れは実にスムーズになって言うこと無しのサウンドとなる。

THA2でのリスニングは音数が多く、この音楽にはこういう音が入っていたのか、こういう楽器の前後関係だったのかと気づかされる瞬間が多い。そういう意味でこのアンプはいわば“気付き”系機材なのだが、その側面がK電源ケーブルを挿すことで、さらに増幅される。そしてこれほど音数は多くありながら、音は痩せず、豊かなボリュウムを維持する。ODINのように音を締め上げ過ぎないところは、ベテラン向きの音作りかもしれない。


実際、このシステムでは本当にヘッドホンで聞いているのだろうかと疑うシーンが数多く展開する。これは並みのヘッドホンの世界をとうに超えた世界である。

特に音のスピード感や立体感の表出、音場の自然な静けさ、音の色彩感などについては、スピーカーシステムからさえあまり聞いたことのないような感覚に陥る。それは単純に優れた音質という意味もあるが、それよりも独特な味わいの音と言ったほうが正確だ。私のカスタムしたTHA2MDR-Z1Rのペアに独特のサウンドの深まりなのか。少なくともNAGRA HD DACRe Leaf E1xDACとアンプがセパレートされたペアのサウンドにはこういう独自のアプローチはない。あちらはむしろ優等生的で簡潔な行儀の良さが前景に立っている。


例えばRe LeafNAGRAのペアは澄み切った冬空を眺めるような透明感、音と私の間に夾雑物が全くないというシンプルさで魅せるが、K電源ケーブルを挿したTHA2では青い湖の底を清らかな青い水を通して見つめるようなイメージとなる。これは実に奇妙な感覚。音と私の間は僅かに色味があり、弾力のある液状のマトリックスで満たされているが、その存在が邪魔ではなく、むしろ思わず涎が流れそうな快感へとつながる。

音に美しい透明感があることは共通だが、その透き通りの印象は異なる。

この水のような独特の透明感は楽音固有の色彩を濃厚かつ高密度なものとして演出する効果もある。THA2の持ち味はこういう意味においても、K電源ケーブルの存在により生かされる。


このTHA2改の能力のハイライトはクラシック音楽、

特にオーケストラ演奏のハイレゾデータの再生だろう。

私の経験では、ハイレゾであることと、再生音が高品質であることは必ずしも関係ない。ハイレゾと一口に言っても、そのパラメーター、製作プロセスは様々で、実に雑多な内容の音楽データを指すものだからである。その雑多なデータを沢山買って聞いた私の見解を言うならば、その90%はハイレゾであることの有り難さを実感しにくいものだということ。CDリッピングよりも若干音がいいかな?ほどの音質向上しか感じないものがほとんどである。この程度の音質向上しかないのに、値段は普通のCDと同じかそれ以上、ライナーノーツもなく、中古販売もなく、売却することもできない。つまり、私はハイレゾを信じていない。

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しかし例外はある。ラトル率いるベルリンフィルが製作したベートーヴェン交響曲全集の24bit 192kHzのハイレゾデータは恐るべき高音質を誇る。このデータのみならず、ベルリンフィル直販のハイレゾデータはどれも絶品。ハイレゾの意味がすんなりと了解される。最近、ダイレクトカットのブラームス全集が話題のベルリンフィルだが、あんなに高価で特殊な音源に手を出す前に、まずここで製作された一連のハイレゾデータのシリーズをダウンロードして聞くことをお薦めする。演奏が素晴らしいだけでなく、はじめから最上級のハイレゾデータでダウンロード販売することを狙って、周到な準備のもとに録音されたに違いない。昔のアナログ録音を高位のハイレゾに焼き直して売りつけるようなものとは違うのだ。


これを手前どものTHA2改システムで堪能する。素晴らしい。各パートの重層性、タイミング、演奏空間のスケールなどが驚くほどの精密さで再生され、ベルリンフィル独特の香り(最近は昔よりも薄まっているけれど)がしかと聴き取れる。GOLDMUNDは元々JAZZやポップスなどよりもオーケストラの演奏の再生が得意なブランドで、私がTHA2を買ったのもそこらへんに一つ理由があった。ここ十年避けてきたクラシック音楽をそろそろ高音質で聞き直してみたくなったのである。この回帰はこのデータの存在なしには達成できなかった。なるほど、サウンドステージの広がりなどではスピーカーに敵わなくても、クローズしたハウジングの中での、耳の直近で発音されることによる音楽描写の緻密さ、曖昧さの少なさではヘッドホンが上回る。聞こえるべきものが全て聞こえる快感。スピーカーはだませてもヘッドホンはだませないとは、よく言ったものだ。

このデータをスピーカーとは違う視点から味わい尽くすのに、

優れたヘッドホンシステムは必須である。


もうひとつ、このデータを楽しみつつ思うのは、ハイレゾというものはフルオケの演奏のような膨大な音数を持つソースに対して、その威力を発揮しやすいということ。もちろん、はじめからハイレゾデータで販売することを考慮したうえで録音されたという前提は必要だが・・・。音源が数個に過ぎず、情報量がそもそも少ない、シンプルなロックバンドの演奏や、もっと音数が少ないクラシックの独奏なんかを、この種のデータで聞いてもハイレゾの有効性は実感しにくい。そういう演奏の細部を掘り返してもなにも出て来ない場合が多いからだ。

やはり音楽の種類によるデータの形式の向き不向きはある。


別言するならTHA2のサウンドは最上級のゴールドムンドのシステムが奏でる音の相似形だ。しかし、細かい所に手を入れ、電源も奢ったうえで、長期間電源は入れっぱなし、またヘッドホンも十分に奢らないと、そう言い切れるような状態に持って行けない。私の経験から言えば、THA2はポン置きで聞いても、その実力の6割程度しか出せていない。つまり、このTHA2は高価なわりにはモノとしての完成度は低いと言わざるをえない。目指す音を得るのに、かなりの投資が必要だからだ。出音のみならず、そういう意味でもRe Leafとは対照的なのである。ただし特殊な例を除けば、その潜在能力自体はE1を含めた今市場にあるどの製品よりも高い部分があるのだから捨て置けない。



About recable......


そろそろTHA2側のチューニングはこれくらいにして、MDR-Z1Rのリケーブルについて考えよう。高級なリケーブルとしてKimber kable AXIOSがメジャーではあるが、BriseSiltechPAD、アコリバでも同じかそれ以上に高価なリケーブルを提案していて無視できぬ。これらを全部買うか、借りるかして試そうとしたところ、既にそれに近いことをやった方から、どれもドングリの背比べであり、どれにもそれぞれ長所と短所があり、総合的に完成度が高いと言い切れるリケーブルがはまだ市場にないので、最終的には純正のケーブルが一番真っ当な選択ではないかというニュアンスの話を伺った。そうか、確かに凄さもないがクセもない純正ケーブルみたいな方向性のリケーブルがいいよね。なにしろMDR-Z1Rは音の鏡だから。でもこのデフォルトのヘッドホンケーブルじゃつまらない。

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私は一計を案じ、いつもお世話になっているDmaaさんに連絡を入れ、あるヘッドホンケーブルを特注した。そのケーブルは二つあるTHA2のヘッドホンジャックの片方を左側、片方に右側のみにあてることで、ジャックの分だけであるが、左右のチャンネルの物理的な干渉を避け、チャンネルセパレーションを良くするのを狙ったものである。ただしTHA2では、二つのジャックそれぞれに別なアンプが当てられているわけではないので、この方式はHPAの回路との兼ね合いでは意味がない。これは少しでも音が良くなるならなんでもやるという私の立場の現れに過ぎない。しかし、こういう小さい違いを積み重ねることにも音質的意義はあると信じる。また、どういう結果になるにしろ世界中でこういう馬鹿なことをやっているのは俺ひとりだろうという阿呆な優越感はオーディオを前に進める原動力でもある。もちろんDmaaがリケーブルで使うフラットケーブルの色付けの少なさも特注した理由に含まれるが・・・。


実物が到着してみると、スイッチクラフト製のヘッドホン側端子にはねじ込み式のロックが装備されており、Dmaaらしい、さりげない作りの良さが見て取れて嬉しかった。

サウンドもイメージ通りであり気に入った。

このリケーブルには音色がない。全く素直に、音を素通しするのみ。誇張のない音場の広がりが得られ、MDR-Z1Rの密閉型らしからぬ音場表現をさりげなくサポートする。多人数のコーラスはナチュラルに響き、一人一人の声質が区別できるような詳細な描写。また定位の良さは秀逸で、音像に安定感が増した。これは料理で言う最後のスパイスの一振り、絵画でいう画龍点睛だろう。

これでいい。システムの完成としよう。

なお、今回のTHA2に関するリケーブルとは別に、各社のリケーブルについてRe Leaf E1xを使って、さらに時間をかけテストする用意もある。いつかそれをレポートとして書く可能性もなくはないだろうが、それは別稿としよう。



Summary


さて、そろそろ散財のアイデアも尽きた頃だし、ゆるゆると締めくくる。

この3回続きの駄文は不敵にもMDR-Z1Rを「鳴らし切る」と題されているが、結局のところは、ヘッドホンアンプを強化し、このヘッドホンの能力を使い切ろうと励めば励むほどに、むしろこのヘッドホンの真の卍解(ばんかい)、すなわち上流を映す「鏡」という能力がクローズアップされてしまった。

これではヘッドホンアンプの能力が変化しながら向上して行くことをつぶさに観察しているだけのことではないか?

MDR-Z1Rを鳴らし切ろうとした結果、「鳴らし切る」というヘッドホンに対する能動的行為とは真逆の構図をここに描かされてしまったようだ。


恐らくMDR-Z1Rは現時点で最も完璧に近い密閉型ヘッドホンであり、このヘッドホンの登場には、かつてHD800という、開放型ハイエンドヘッドホンのde facto standardつまり事実上の標準機が生まれた時と同じくらいのインパクトがある。MDR-Z1Rを聞いていて、このことが分からない場合は、このヘッドホンが生理的に合わないか、あるいは適切なセッティングのもとでドライブされていないかのどちらかだ。

今回のテストを踏まえて、あえてこのヘッドホンへの要望をSONY様に申し上げるとしたら、もっと重量が軽く、もっと能率が高いとなお良いということ。

GRADOのヘッドホンのように、もっと本体が軽く、

もさらに軽々と鳴るような側面があればさらに完璧である。


ここまで来るとFocal UtopiaAudeze LCD-4HE1000など、もっと高性能であるかもしれないヘッドホンたちを差し置いて、何故、SONY MDR-Z1Rに万策堂は固執するのかと訝(いぶか)る向きもあろう。それは確かに傾聴すべき意見だが、私がそれらに背を向けている理由はいくつかある。

まずMDR-Z1Rは実質的に密閉型ヘッドホンである。このヘッドホンは外音をかなりの程度、遮断できる。一方Focal UtopiaAudeze LCD-4HE1000といえどもオープン型であるから、僅かにしろ、それを聞く部屋の環境に左右される。本当にハイエンドなオープン型ヘッドホンを限界まで使いこなしたいなら、部屋の静けさにまでこだわる必要があるが、それではスピーカーシステムと本質的に変わらない。密閉型こそヘッドホンの王道であるべきという理念を、スピーカーに疑問を持つ私が崩さないのは、そういうワケだ。

この周囲の音・部屋の影響を受けにくいというヘッドホンのアドバンテージをMDR-Z1Rはより高価なオープン型ヘッドホンよりも強く享受できる。そこに、現世界にこれ以上の音質を持つ密閉型ヘッドホンは恐らく存在しないという要素を加えれば、

このSONYのヘッドホンに私が執心する理由が見えてくる。


またMDR-Z1RSONYという大家電メーカーが作ったからこの価格帯に留まっているに過ぎない。仮にこれほどの技術内容を持つヘッドホンを中小企業が作れば50万円は軽く超えてしまうだろう。価格帯でUtopiaAudeze LCD-4、あるいはHE1000のグループには入らないが、同等以上の格を持つ機材である。


加えて、UtopiaにしろAudeze LCD-4にしろHE1000にしろ、MDR-Z1Rに比べて幾分鳴らしにくかったり、エージングに時間がかかったり、音の癖が目立ったりもしている。高い潜在能力を持つが、鳴らしにくく、多少クセのあるヘッドホンに投資するより、潜在能力は普通より少し上くらいにしか見えないが、鳴らし易く素直なヘッドホンに大きく投資して、予想外のポテンシャルを引き出す方が、故障率も含めて結果がいい。(Audeze LCD-4HE1000はいまだに故障があると聞く)


最後に反省である。

ここで今回のテストは一応の決着を見たが、

この試行錯誤の手際の悪さはなんたることか。

実はここに詳しく書くほどもなくテストで不採用になったオーディオグッズがいくつもある。T社のカーボン製の板、V社の重たい電源ケーブル、SK社の長い電源フィルター、E社のコンセント、N社の巨大トランス、I社の青いインシュレーター、AC社のクリーン電源、C社の白い電源ケーブルetc・・・。

ことほどさように、オーディオには時間とカネの無駄がつきまとう。

こんな無様を幾晩も徹夜してやっておいて、

果たして私はヘッドホンサウンドの限界点に少しでも近づいたのだろうか。

近づけたのだろうか。

おそらく誰も聞いたことのない音が、二つのシステムをまたぐMDR-Z1Rから聞こえているのは確かだが、これこそまさに唯我独尊というやつじゃないのか・・・・。

疑いは未だ晴れず、自信などこれっぽっちもありはしない。

つまり、私の中に、まるで心の内なる声のように響いてくる、この音が暗示するものについて確かなことは、まだ何も言えぬ。この音が必然の結果なのか、偶然の集合体に過ぎないのかすら私には分からないのだ。ましてやこれが、オーディオの善悪の彼岸に近づいているかどうかなど万策堂如きが知る由もない。

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悲しくも可笑しな話だが、私にできることは、ただこの独特な音と、それを得るまでの杜撰(ずさん)な経緯を記録として残し、他人の嘲笑のネタになることぐらいなのである。


# by pansakuu | 2017-02-02 23:42 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る②: GOLDMUND THA2で遊ぶ

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The beginning of play


「スピーカーという大道具を使わずに、どこまでいい音で音楽を聞けるか」それは近年、私が追いかけているテーマの一つである。
それは私の中で温められるうち、次のような言葉にTransformしていった。
「ヘッドホンサウンドの限界はどこにあるのか」
私はそれを知りたいと望む、内なる声に導かれ、未開の土地・道なき道を進む。
この旅がどんな世界へたどり着くのか、誰にも分からないのだが、
むしろ、そこがまた面白く、のめり込んでしまう理由になっている。
とりあえずの終着駅を知ってしまったスピーカーオーディオの世界とは
対照的な興味の高まりがここにある。


ところで、SONY MDR-Z1Rというヘッドホンは、
言わば上流の機材の真の力を映す「鏡」のようなものである。

とても素直に上流のサウンドを反映する側面が強い機材であることが使い込むほどに分かってくるのが嬉しい。この素直さ、この色付けの少なさは市場にあるヘッドホンで一等優れている。ならば、現世界で最も強力なヘッドホンアンプやDACをその上流にもってくれば、自然とヘッドホンサウンドの頂点が聞こえるはずと私は大雑把に考えていた。そんな不埒な動機のもと、Re Leaf E1x+NAGRA HD DACとGOLDMUND THA2を使った二つのシステムを組んだのは、数か月前のことだ。

Re Leaf E1xを中心とするシステムに関しては、造作なく納得ゆく音が出る。
E1xに関しては以前から様々な環境でテストしてきて、その使い方の理解が進んでいるからだ。実際、ここで注意すべきなのはバランス接続することのみである。
だがもう一方のTHA2に関しては、どうにも音がまとまらず苦心した。
このシステムの主眼はなにか?なにが一番重要なのか?
一時は作業を投げ出し、
セッテイングに凝らない宣言をして放置していた時期さえある。
こうしてみると、やはりTHA2は難敵。望むようなサウンドはなかなか得られない。


例えば、開封した段ボールから冷たいTHA2を出して、付属の安価な電源ケーブルをつなぎ、普通のノートパソコンとUSB接続した状態でMDR-Z1Rをつないで聞く。いわゆる“ポン置き”で聞く。この状態でも既に市販の20~30万円台のDACつきのヘッドホンアンプに比べ、十分にパワフルかつカラフルで各パートの分離の良い音であるのは、価格から見ても当然である。
音色としてはRe Leaf E1x+Nagra HD DACで聞かれる端正で精密な音調とは対照的。だが、音のグレードとしてTHA2はRe Leaf とNagra のコンビに明らかに劣る。


セパレートのコンビの方が音は繊細かつ懐の深い音で、澄み切った冬空を眺めるがごとく、SNはかなり良く、より盤石な安定感がさりげなく出ている。やはり投入されている物量の差が大きい。DACをセパレートして、電源も別にしてしまうとヘッドホンにしても、その出音はかなり良くなる。しかもこのE1xは凝った筐体に電流駆動と手数が多い。またNagra HD DAC、見かけは小さいが、ハイエンドオーディオの極みとも言えそうな素晴らしい内容を誇る。
THA2にとっては、素のままでは敵わぬ相手だ。


しかしTHA2にはRe Leaf とNagra のコンビに無い、音の色彩感やパワフルなドライブ力が備わる。この音の長所を伸ばすような形でケーブルやアクセサリーを選択・投入すれば、音のグレードの差は必ず埋まるはずだ。早速、いろいろな方面にメールを出しまくり、電話をしまくって、借りられる機材は借り、借りられないもので、どうしても試したいものについては購入した。届いたモノは全てTHA2に取り付けられ、あるいは結線されテストされた。(一部の写真は各社HPより拝借させていただきました。)


Investigation of noize, spike, insuleation base, volume control knob.......


まず取りかかったのは、ボリュウムを絞りこむと聞こえる「ジー」というノイズの除去である。多くのヘッドホンアンプを様々な能率のヘッドホンを用いて、様々なボリュウム位置で聞いた場合、時に小さなノイズの存在に気付くことがある。このTHA2の出音につきまとっていたノイズは環境由来のものでなく、デフォルトのものらしく、祭りなどでデモされている機体からも持続的に聞かれた。こういうノイズに関して修理を求めると大概、仕様ですといって返されることが多い。しかし、どうにも気になるので、ダメ元で代理店様に改善をお願いすると、意外にも懇切丁寧に対応してくださり、代理店様から帰ってきたTHA2からは、ノイズは綺麗さっぱりと消えていた。技術者の方に感謝である。

次に検討したこととして、THA2のデフォルトのスパイクフットがある。これは一見大きくて立派なのだが、拙い部分もある。それ自体が大きいので、筐体の高さから考えるとやや重心が高めになること。また高低の調節は一応出来るのだが、適切なところでピタッと固定できない。ロッキングナットがついていない。これだと使っているうちにスパイク受けとの間に隙間ができたりして、筐体が微妙に傾き、いつのまにか不完全な3点支持になってしまう。さらに右前のスパイクフットはねじ込み過ぎると中の配線や基板と接触するときている。ネジの部分が長すぎるからだ。そこで、いくつかのメーカーのスパイクを試したのだが、そもそもネジがついておらず筐体としっかり結合できないとか、重心が高くなりすぎるとか、スパイクの先端がすぐに潰れてしまうなど、要求を満たすものは少ない。
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最終的にオーディオリプラスから出ている特殊ステンレス製の高精度なスパイクRSI-M6-4Pを取り寄せて換装、さしあたりは良しとした。これは汎用高級スパイクの定番商品だが、スパイク自体がコンパクトなので筐体の重心はある程度低く抑えられる。また専用のロッキングナットも付属しているので、適切な高さでスパイクを固定できるのも良い。先端はR1加工され、全体に物性処理まで施されている。他社のものより値段は上だが、その分だけ抜きん出ている。取り付けると期待どおりに音の精度は上がり、リプラスの製品らしい音の粒立ちの良さが前面に出てきた。

次は、スパイク受けだ。
このTHA2、メカニカルグランディングを謳うのはいいが、肝腎のスパイク受けが同梱されていない。これだけ高価なHPAなのにユーザー側で適切なものを探すしかないという不親切さはいかがなものか。目指す性能を発揮しうるスパイク受けということで吟味し、二種の合金を複合したアンダンテラルゴのSM5-FT/P4やEau Rougeのドライカーボン製の製品などを試したが、どうもしっくりこない。SM5-FTは付けた後の音の感じが落ち着き、粒立ちの良い音になるが、若干金属的な響きが乗ってしまうとか、音がやや薄いとか、弱点もなくはない。Eau RougeのER-SB2はシンプルに見えるけれど意外に作り込まれており、音が整理されて静かにはなる。だが、どうも音質的効果の量が少ない。良い方向にも悪い方向にも、あまり変わらない。
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そこで私は前から気になっていた、TechDasのInsulation Baseを思い切って買い求めた。
これを持っている人が周りにおらず、十分なレビューもなかったのでね。
結果的に、これが“当たり”だった。
このグッズは純度の高い超硬ジェラルミンを切削加工し、ダイヤモンドコーティーングを施しただけの品だが、実物を手にすると他社の製品よりも工作精度が高いうえ、表面の滑らかさや硬さも一級、なによりスパイク受け自体の厚さがかなりあって効果が高そうだ。しかも、これだけ厚みがあるのに重量が随分軽いのに驚く。また設置面には見慣れない木材のような素材が貼り付けられ、金属と床が直接干渉するのを避ける。
持ち帰って恐る恐る聞いてみると、他の製品にはない効果があって驚かされた。音がスッと立体的に立ち上がり、きめ細かさがグッと増す。特に音の細部がさりげなく引き立つような感覚にゾクッときた。音の明瞭さだけでなく、金属スパイクらしからぬ音の厚みが現れる。今後Harmonixの木製フットなどもテストする予定だが、まだ先のことになりそうなので、とりあえずこのスパイク受けとスパイクの組み合わせでTHA2の足元は決まった。


さらにTHA2のボリュウムノブについて検討した。
バルナック型ライカの巻き上げノブを模したというGOLDMUND独特のツマミであるが、子細に検討するとこれでいいのかという感想を持つ。まずボリュウムパーツの軸が入る穴が微妙にセンターからずれている。果たしてこれは意図的なのか。またこれは単純に差し込むだけで固定されているノブであり、イモネジ等で軸としっかり固定する方式でもない。これに対して当初はレーザーでカットされたドライカーボン製のワッシャーを裏にあてて調音していたが、効果はいまひとつ。

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ところで、アンプではボリュウムノブを別な材質、形のものに変えると共振モードが変わるせいか、出音が変化するケースがある。これはREQSTという日本のメーカーが出しているR-VM33という音質対策のための交換用ボリュウムノブから得た知識である。現在はメーカー側に在庫がない状態であるが、私はこれを話のネタにと一つ持っている。必ずしも好みの変化をするとは言えないが、導入した機材にはいつも試す習慣である。これは比較的柔らかい無垢のアルミ材を切削加工、セラミックの細長いプレートを嵌め込んだだけのシンプルなもので、全体にやや大き目だが、イモネジが二本ついていて、しっかりと軸に固定できる。またセラミックプレートの付加は共振の制御に役立つということで、この会社の得意の手法だ。

とりあえずTHA2のボリュウムノブが頼りないので、R-VM33側の穴を少し広げたうえで、本体にテフロンとfoQで自作したワッシャーを介して取り付けると、付帯音が取れて出音が落ち着く。他方、ムンドらしい、あのペパミントフレーバーのようなスカッとした雰囲気が少し減るが・・・。
なお、このノブの取り付けの時に驚いたのはネジを締め上げるトルクの強さで出音が変わること。ネジを締めれば締めるほど、音のフォーカスが上がる。やり過ぎると軸が壊れるかもしれないので気を付けないといけないが、やはりMDR-Z1RとTHA2の組み合わせは微かなセッティングの違いを顕著に聞き分けるペアだなと感じ入った。

この作業、最後にはデフォルトのノブとの比較になるが、ここでかなり悩んだ。ライカもどきのノブも悪くない。音の良し悪しはともかく、特にフロントパネルの中でのデザイン上の納まりがいいから。R-VM33はこのパネルには大きすぎるか。結局R-VM33がデフォルトのノブよりも解像度の高い音になると最終的に判断、採用とした。小さな変化だがデザインでなく音を取った。

その他、ベースとなるオーディオボードとしてイルンゴ製のGrandezzaの最も分厚いモデルを敷き、天板の保護にはレーザーカットされたドライカーボンのプレートを特注してのせてある。天板が傷つかないようにすることと地盤を強化することはどういう機材を買って来ても、多かれ少なかれやっている作業のひとつだが、今回はTHA2の寸法が比較的小さいのですんなりと決まった。


Invsetigation of power cord.......


そして今回、最も苦労したのはTHA2のための電源関係のセッティングである。
THA2を扱ううえでここが一番重要だと気付いたのは、他の部分の設定を詰めた後であった。これに関しては国内外に声をかけ、電源ケーブルは15種類ほど、加えてその他の電源関係の装置もいくつか集めて試してみた。結果的には、ある電源ケーブルを除いて私を完全に納得させるものがなかった。そもそもTHA2はDACとアンプが一つの電源ケーブルで養われる格好になっているうえ、内部には4個ものトランスが詰め込まれている。これほど大規模な電源部を内蔵するヘッドホンアンプを私は他に見たことがないが、この内容からして電源に対する要求度が非常に高い機材であることが想像できた。
(蛇足だが、私の知っている情報では、THA2と称しているがトランスの数が少なく、足もゴム足というモデルも海外には存在するらしい。GOLDMUNDのヘッドホンアンプには一般に知られていない幾つかのバージョンがありそうだ。)

さあ、ここらへんで今回テストした全ての電源ケーブルを列挙したいところだが、諸般の事情で、全部をお見せできない。どうしても取り上げたい製品のみについて、略号をまじえて挙げよう。略号で表記した製品の正式名は察してもらうしかない。
JORMA AC LANDA RH II(私のメインケーブルで、常に数本投入している)、Chikuma Possible AC(開発されたばかりの最上級ケーブルでテストした時点でカタログにまだ出ていなかった)、AET Evidence AC(HRを持っている人がいなかったので古いモデルで我慢)、A社の最高級電源ケーブルA、AR社の最高級電源ケーブルFR、Nordost社の電源ケーブルODIN(PASSのアンプの付属品であるが、御厚意により短期間だが借りることができた)、そしてS社の最高級電源ケーブルKあたりが良かった。
なお、このブログ上ではこれらのケーブルのTHA2における音のインプレッションについて詳しく述べる気はない。私はできればこういうケーブルを使いたくないと思っているうえに、そもそも、おいそれとレビューできない社会状況である。それらを踏まえ、あえてひとことで言うなら高価なケーブルほど高度な音になるということだ。
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例えば、こういう豪華な打線の組み方をしてしまうと一般的には高級ケーブルであるはずのJORMA、Chikuma、AET、A社の電源ケーブルであっても存在感が薄い。極めて高価で重装備なAR社のFR電源ケーブル、NordostのODIN Power cord、S社のK電源ケーブルを聞いてしまうと、私の中では、それらに比して格下のケーブルの試聴はなかったことになる。やはりスーパーハイエンドケーブルの実力は流石だ。だが、これを導入するのかとなるとそうはならぬ。少なくともAR社のFR電源ケーブル、NordostのODINについては価格を抜きにして自分が求める方向性と違う気がした。
FR電源ケーブルはあきれるほどレンジが広く、彫りの深い滑らかな美音であり、低域の力が強い。これは真のハイエンドサウンドに分類されるが、弱点を挙げるなら導体のキャラクターが抜けきらず、音が柔らかくなり過ぎるきらいがある。
ODINは相変わらずスピード感・色彩感に溢れ、極めて高解像度調のサウンドであり、価格を忘れるほどの華麗さとシステムに対する強い支配力のあることを改めて確認。けれどこのケーブルは音を締め上げ過ぎ、いつも単調であり、私の求める音の触感とズレている。また、このケーブルは性能が高すぎて鼻につく。ここまで来ると度外れの高性能もある種のキャラクターの一つに過ぎないと、片づけてしまいたくなるのだ。

ふと思うのだが、このケーブルの弱点はこれだけ高価でありながら、自前でプラグを開発していないことではないか。Nordostはフルテックのプラグを流用して平然としているが、この価格のケーブルにしてその態度でいいのか。このケーブルを使ったシステムの出音にフルテックのサウンドキャラクターがかなり乗っているようで気になる。ここまでやるなら、オリジナルプラグを使用するS社の電源ケーブルを見習うべきだ。

では、最終審査の手前の段階でスルーしてしまった電源ケーブルの佳作について万策堂はどのような感想を持ったのか。結論から言えばJORMA、Chikuma、AET、A社の中で私にとって一番優れていたのは匿名のA社の製品であった。
これらのスルーされたケーブルたちは価格帯を考慮すればそれぞれに優れていて、その上のケーブルを聞かないで使う限り、どれもお薦めできるものだが、特殊なパワーアンプのようなTHA2を私のイメージ通りにドライブするには力が足りぬ。ただしA社のAケーブルを使った時の音だけは緻密で躍動的、中高域の解像度も高くて気に入った。今まで使っていたJORMAのケーブルでは聞こえなかったニュアンスが豊富に聞こえてくる。しかも価格はAC LANDAと同等でそれほど高価ではないときている。このケーブルは私の印象に残った。

とりあえず、それらの佳作ケーブルについて短評すると、ナチュラル・ウェルバランス・ピュア・クールと四拍子揃って秀でているけれど、やや線が細く、音色も淡色調に傾き、透明感を優先しすぎて、泥臭いブラックミュージックが全く聞けなくなるChikuma Possible AC。(Tunefulで十分いいと思う。)バランス感覚に優れたカラフルな音で、音の太さもなくはないが、この打線の中に在ってはニュアンスの表現が僅かに舌足らずであるうえ、少しばかり音の広がり、スケールも小さく感じるJORMA AC LANDA RH II。音の実体感と押し出しに長けるが、音場の表現に巧みさを欠き、長期のエージングによっても独特の音の硬さが取れないAET Evidence ACというところだろうか。回想してゆくとA社のA電源ケーブルはやはり素敵なケーブルだ。線材の影響か、私にはちょっと音が柔らかすぎる気がしたのと、MDR-Z1Rの低域の見通しが、AC LANDA以上には良くならないので採用しなかったが・・・。
そういえば、このケーブル、他のジャンルのメジャーな電源関係の製品を引き合いに出したくなるほど音の良い製品であったのも印象に残る。例えばこのケーブルは、電源絡みということで同時期に借りてテストしたアコリバのRPC-1という話題の製品よりずっと安価であるが、オーディオ的な効果はこちらの方がよりはっきりしていた。

ちなみにAcoustic revive RPC-1自体は何気に優れた製品で、しっかりノイズが取れ、音はスッキリし明瞭感や立体感を増す。いかにもアコリバらしい、この製品の一番良い所は細かい音質変化云々よりも通常のクリーン電源のように、電力の消費が大きくなった場合でも音が頭打ちになったりしないところだ。だが24万円の機材の効果としては効果の量が少し物足りない気がしたので手を出さなかった。忌憚なき意見を言わせてもらえば、半額ぐらいなら買ってもいいかなという度合いの効き具合だ。ORBやChikuma、オーディオリプラス等の最高級の電源タップを持っていないなら、そっちをまず先に買った方がいい。選別されたハイエンドタップがきちんとしたセッティングで使えていればRPC-1を付けたり外したりしても価格に見合う音質差は感じないはず。少なくとも、私のところではそうだった。
また別な考えをすれば、RPC-1は既にかなりの台数が出ているようなので中古で十分だとも思う。


それからIsotechのクリーン電源装置(フィルター)EVO3 Aquariusも試したのであるが、これはRPC-1とよく似た効果のある機材で驚いた。コンセプトも生産国も使い方も違うのに効き目の種類が似ている。音は澄んで、このようなクリーン電源フィルターにありがちな音の線の細さみたいな悪癖も極小である。これも悪くない。だが、これもRPC-1と同じくORBやChikuma、オーディオリプラスの最新かつ最高級の電源タップを買った方がいいという結論に至った。ただし、その結論に至った理由は同じではない。この機材に関しては消費電力の大きなシステムに使うとすると、単調な音の描写に終始する場面が出て来る。具体的には手持ちのORBのKAMAKURAに比べて、僅かに頭を抑えられ勢いが低迷する気配を感じた。静けさが勝る音であり、音量を上げてシビアに聞けば、うわべの躍動感はあっても、心底浸りきれない不安定さが音の端々に感じ取れた。これは私が求めるレベルあるいはTHA2の要求がやはり高すぎるのかもしれない。
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もちろんIsotechのクリーン電源装置に関してはTitanまで行けば、概ね不満のない結果が得られるのは分かる。だが60万の電源装置にしてコンセント2口のみ、経年劣化を脱がれないコンデンサのある回路(普通の電源タップにはそうした劣化のある部品がとても少ない)、ハイエンドタップに比べて造りが盤石とは言えない筐体となると、Titanに比べて安価な高級電源タップやRPC-1を差し置いて買うべきかどうかは思案のしどころだ。さらに進んでTitan+Aquariusで電源ネットワークを組むというのも面白そうだが、飽きずにずっと使い続けられる自信がない。むしろ、そこまでやるなら思い切ってSuper Titanだろう。この内容なら万難を排して持ち込む意味がありそうだ。これほど大規模な電源フィルターは他に類を見ないからだ。(③に続く)
# by pansakuu | 2017-02-02 23:41 | オーディオ機器

スマウグの巣穴にて

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この匿名の文章を書くにあたり、当事者の許可を得るのに時間がかかった。
彼が、この話を公けにされることを渋ったからではない。
連絡がつきにくい状態になったからだ。

この東京には多くの外国人が暮らしている。
都心の低層マンションのワンフロアを借り切って住んでいた、この話の主人公もその一人である。
見かけは小太りで小柄な老年男性である。客に対する柔らかな物腰と笑顔は多くの日本人の警戒心を何時だって解きほぐしたものだ。外国なまりは多少あったものの、日本語は大変流暢であった。私は事情があって渋々出掛けた集まりで彼に出会い、その場で共通の趣味を持つことを知った。すなわち彼は”自称”オーディオマニアだった。

彼と初めて二人きりで食事をしたのは香港であった。
あの時のことはよく覚えている。
眺めのよいレストランの大窓から見える高層ビルディングの中から、香港ではそこそこ有名なあるホテルを指さして、あれは最近まで私の持ち物だったが、この前の株価の大きな変動で手放さざるをえなくなった、残念ですと彼は言ったのである。彼が自分のカネに関する話をしたのは、その時が最初で最後だったと記憶しているが、その一言だけで、はっきりとその財力の大きさが意識された。
ただ、彼の財力は彼の商売熱心から来たものでも、受け継いだ遺産でもないらしいことも別な人間から聞いて私は知っていた。彼はアフリカや東南アジアで商売はするが、損失も少なくないと聞いていた。また、彼はこの国に身寄りがいないとも。それらの大切な人間関係を全て本国へ置いてきたのだ。政治的な問題に巻き込まれたらしいのである。そういう事実上の亡命者である彼の財力は、本国でのかつての政治的立場の高さから来たものだろう。深い事情を知らない者は、そのカネの性質について、これ以上は言うまい。ただ、言っておきたいのは、そういうお金の流れがなければ、物事がまるで回らない国も現実に存在する。彼は好きでそれを貰っていたわけではない。自分の運命に対する諦めと自衛本能がその莫大な蓄財の源泉なのである。
とにかく金持ちには金持ちにしかない悩みがあるのだ。

そういう物凄い財力でオーディオをやる。
一見してそれは私のような貧乏人にとっては大変羨ましいことであった。
私は香港の彼の家に行った。
らせん状にカーブした階段を下りると天井の高い大広間にポツンとGOLDMUNDのFull EpilogueとUltimateシリーズのセットが置いてあった。電源を抜いて放置された古いモデルやケーブル類、アクセサリーを合わせると総額では一億円に近いラインナップであった。ポツンと書いたのは、その部屋が広かったのと、家具も少なく人っ気がなかったからである。
ああゆうテニスコートみたいに広くて天井の高い環境で
ボリュウムをいっぱいに上げて聞くGOLDMUNDのフルシステムの威力は凄まじい。
オーディオは部屋だという人がいるが、それは違う。
部屋なんかで鳴らしているうちはまだまだなのだ。
もし、それを言うならホールだろう。あれは部屋と呼ぶにはあまりに広かった。天井が高かった。
最高級のGOLDMUNDのフルシステムが、ああいう大ホールで鳴るからああいう音になる。
日本のショウで似たようなシステムを聞いた覚えもあったが、だいぶ違っていた。
柔らかで清々しい大嵐が部屋中に吹き荒れるような時もあれば、
ひたひたと迫る音の洪水に囲まれてリスナーはもう溺死しそうになる時もある。
そんな狂瀾の場の直後にも、
小さなクモの足音のような恐ろしく小さな音が聞こえるような静寂が訪れる。

だが、こういう超富裕層の常なのか、彼は良い音で音楽を聞くことをこよなく愛したものの、現在、市場にどのような機材が売られているのか、細かい情報はほとんど知らなかった。私のように方々に試聴へ行って検討を重ねて購入に踏み切るなどというまわりくどい過程を好まない。このGOLDMUNDのフルシステムも知り合いに紹介されたオーディオショップで勧められるままに買ったというだけのようであった。
会った当初、GOLDMUND以外のメーカーの機材のことを彼はほとんど知らなかった。
そのせいか、私が様々なメーカーのオーディオの話をするのを彼は面白がった。
例えばシステムの全てを一つのメーカーの製品で揃えるのではなく、
色々なメーカーが作り出したものを組み合わせて楽しむことに興味を抱いたようだった。
海外の金持ちにはそういう視点が完全に欠落している場合がある。
要するにどれとどれを組み合わせるのか、考える暇もないほど忙しく、
またそれを面倒と思っているらしい。
お金はだすよ、あとは任せた、うまくやって頂戴。
でもそれじゃオーディオは楽しくないと私は彼に説教した。
身の程もわきまえず。
彼はいつものように、にこやかにうなづいて聞いていた。
しばらくして、また彼の家に行くとステレオサウンドがソファーの上に置かれていた。
聞くと、今まで、こんなに有名な雑誌すら、手にとって読んだことがなかったらしい。

しかし、その後、周知の事情で彼は香港に居られなくなった。実はそれは大昔に結ばれた条約で決まっていたことだった。そして彼の居場所はさしあたり日本に限られることとなった。勢い彼と私は、以前よりは頻繁に会えるようになった。

低層マンションのワンフロアを借り切った彼の東京の棲家には、いわゆる執事ではないが、それに近い役目をする人、食事の世話等の家事を行う日本人男性が一人雇われていて、私の自宅から送り迎えをしてくれた。片道40分以上かかるその道行、陽気なその男性と話していて、雇い主の性格が話題になったことがあった。その男性が言うには主人はとにかく一貫して怖い人間なのだと。時には些細なことで、憤怒にかられた竜のように暴力を振るって女たちを困らせるのだと言う。女性?どこにそんな人がいるのですか?私は少なからず驚いた。一方、その男性は私がこの話を聞いて驚いたことに驚いて、即座にその話をやめてしまった。
富豪の中には壁にかけるトロフィーのように美しい女性を収集する者がいるが、彼にその趣味はなさそうなどころか、女性の姿や匂い、持ち物を一切、彼の家でみたことがなかった。深く秘められているのだろうか。オーディオもまた彼が外部に対して秘めている趣味のひとつかもしれないとその時気づいた。私は気に入られていたのかもしれない。オーディオ限定で。
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トルーキンの編んだホビットの冒険という本にある、中つ国に棲む竜、第三紀における最強にして最後の竜スマウグを私は思い起こした。彼は財宝の上に眠り、全てを知る者である。そして、その怒りと悲しみを受け止められる人間は存在しない。私はスマウグの巣の中でオーディオを愉しむことを許された、か弱い人間であった。こうして私は現代最上のハイエンドオーディオを消費する人間の素顔、その一面を知ったのである。

これほどハイエンドオーディオが高価格化し、たかが音楽を聴くだけのために払う対価としてはありえないレベルになっているのだが、これを普通に買って聞く人間はやはりどこか普通でない側面を持つ可能性がある。また彼らのうち少なくとも何割かはオーディオや音楽に深いこだわりをもたないらしい。これこそ理解に苦しむような気もするが、しかしむしろ腑に落ちるような気もする不思議な側面でもある。

彼と連絡がとりにくくなってからずいぶんになる。
私が油断している隙に東京から退去したのだ。
今はアメリカにいるが、そこも仮の宿なのだろう。
多少、大袈裟な言い方なのかもしれないが、追手が来たと彼は笑う。
国の財産を持ち出した者に仕立てられているとか。
この前、WSJを読んでいたら、確かにそういうことがあるらしいと書いてあったっけ。
仮に犯罪人引渡協定がある国だとすると、本国に送還されてしまうらしいのだ。
そういう彼は東京に戻ってくることがあるのだろうか。
ないかもしれない。
でも個人的な希望としては、
オーディオはどこへ行ってもやめないでいただきたい。
そしてステータスシンボルとしてではなく、
本当に心からオーディオを好きになってもらいたい。

いつか、どこかの国のオーディオショップでソファーにうずもれて試聴している、小柄な老人の後ろ姿、あの丸い頭のシルエットを私は見かけるかもしれない。
その背後に神秘的な暴竜のオーラを漂わせながら、
目を閉じてオーディオに浸る彼の横顔をもう一度拝めるだろうか。
私には分からない。

# by pansakuu | 2017-01-03 16:28 | その他

DENON AH-D7200の私的インプレッション:フラッグシップはどうあるべきか

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技術の進歩より、時代の変化のほうが大きい
By 松井 道夫(第4代松井証券社長)



Introduction

しつこいようですが、例によって
ここ数年、随分なオーディオインフレだという話題から始まります。
ハイエンドオーディオ、なんでも高くなりましたね。
スピーカーは一千万近いものがいくらもある。
アンプもですよ。この値付けも買っちゃう人がいるから、ますます調子に乗るんじゃないでしょうか。騙されているわけではないと信じたいのですが、さしたる理由もなく、価格だけが上がっている場合もなくはないわけで、既にそれに近い状況と判断すべきかもしれない。
高級ケーブルなどに至っては、その音質的優位を認める場合ですら、その材料費・製造費と利益をどう見積もっても1mペアで100万を超える根拠はないと感じることがほとんどです。そんな価格でも、売り出すと一応売れるからと誘惑に乗って、こういう価格をつけてみましたって感じでしょうか。高級スイス時計と同じで、売る側にも買う側にも、もう欲深さしか感じないという話もあります。価格の根拠を開示する義務がないから、こうなるのだとも。とかなんとかブツブツ言いつつも、ああいうケーブルを新品で買っちゃう私も私ですよ。自分がメーカーのペースに乗せられていることは十分意識してはいるのですが。
去年までは我慢して超高級ケーブルを買っていましたが、今年以降はもうついて行かないつもりです。無理してついて行くと向こうがますます図に乗りそうで怖くなってきちゃいました。

そうそう、ヘッドホンなんかでも10万クラスが普通になりました。
中には50万円を越える製品もチラホラ。
でもまあ、買える値段ですよ、超高級ケーブルなんかに比べれば酷くない。
そうは言っても、一昔前、ヘッドホンってこんな値段のものばかりでしたっけ。
長らくオーディオマニアやってますけど、
最近はホントにどういう買い物をしたらいいのかよく分からなくなってきました。

そもそも技術革新ってなんだったんでしょう。
闇雲に高性能を追求すればいいっていうものじゃないでしょ。
より高音質なものを、より安価に多くの人に提供するのが、
技術革新の主な、あるいは真の目的だったんじゃないスか。
こういうバランスを欠いた開発によるインフレーションは、慣れ親しんだハイエンドオーディオを富豪だけが知りえる幻の世界に追いやりかねないって口酸っぱくして言ってるんですけど、世の中に全然響かないなあ。

この状況に対する具体的な対策のひとつは、旗艦機=フラッグシップ機の値段を抑えたままでのモデルチェンジだと私は思っています。
でもそれは、なかなか実現しないことなんでしょうね。
大人の事情でいろいろと難しいのか。
現実、ほとんどのメーカーのニューモデルは従来機よりも価格を引き上げる傾向にありますね。
しかし、やればできるという例を見つけました。
DENONの50周年記念の旗艦機 AH-D7200がそれです。


Exterior and feeling

フラッグシップ機としてはいささか小振りで、あまり主張のない外観です。
そこが逆にユニークなんですよね。
最近のヘッドホンのフラッグシップモデルは一見して、物量投入され、先進的なデザインを纏うことが多いし、ハウジングが大きいのも最近のトレンドですので、大型で重たくなりやすい。SE-MASTER1、MDR-Z1R、Utopia等、どれも新設計、新素材、新デザインと今までにないものを開発しようとする意気込みが外見に出ています。
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でも、このAH-D7200の姿にはそういう肩をイカらせた先進性の主張がない。
実売9万をやや下回る、メジャーなヘッドホンメーカーの旗艦機としては抜群に魅力的なプライスタグを思いやりつつ、このヘッドホンを手に取ると実に優しい気分になれますな。最近のハイエンドヘッドホンの中では、確実にコンパクトだし、重いとは言えない部類に属してるんじゃないでしょうか。
明るい色合いのウォールナットのイヤーカップとポリッシュされたアルミダイキャストハンガーの組み合わせはトラッドでカジュアルな印象です。デンマークの家具のようなシンプルで明るいデザイン。何気にハイエンドヘッドホンというとマニアックで部外者を近づけないネクラでオタクな雰囲気があるのですが、そういうマニアックな感じの悪さがない。クローズドタイプのヘッドホンにしてオープンな感覚が好ましい。全体にナチュラルな仕上げで、ツルツル、ピカピカ、ギラギラといったこれ見よがしの高級感の演出はあえて避けているようです。最近流行のスティルス調の仕上げでもありません。DENONのロゴの金色、その位置や大きさも周到に計算されたもののように、ピタリとあるべき場所に収まっております。
それからネジが外側からほとんど見えない作りでありながら、持った時のシッカリ感があるのはいいですね。調整や装着、姿勢変化に伴う軋みや、イヤーカップの位置ズレも皆無。実にオーソドックスな外見とあいまって安心して使っていられそうです。
それから外側のみシープスキン製のヘッドバンドにあしらわれた菱形のステッチがちょっと斬新か。こういう柄模様のようなステッチはヘッドホンでは初めて見ます。アーガイルのセーターを着て、このヘッドホンを使う絵が思わず頭に浮かびました。もちろんこの菱形のステッチはデザインだけでなく装着感を高め、頭頂部にかかる力を効果的に分散するという実用的な配慮があるようですけど。
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ハンガーのヒンジの動きは滑らかというよりは若干シブいかな。MDR-Z1Rのように自由に動き過ぎず、好きなところでスッと止まる感じです。スライダーの動きは確実で不用意なズレは皆無。このあたりの作りはヘッドホン作りの最難関の一つですが、さすがに老舗、無難にまとめておられます。
イヤーパッドは加水分解に対する耐性の高い特殊な合成皮革と形状記憶フォームで作られており、やや薄く小ぶりなものですが、耳介を違和感なく収め、側頭部に圧迫感をほとんど与えない優れものです。最近の高級機は本革製の分厚く大きなイヤーパッドを装備したものもよくあるのですが、造りが良ければこういうコンパクトなパッドで十分なのですね。そしてパッドの内側にさりげなく開けられた音響チューニングのための穴を確認。こういう穴はDENONのヘッドホンでは初めて見たような気がしますがどうなんでしょう。少し前までこういうチューニングの手法は珍しかったのですが、いくつかのヘッドホンで取り入れられはじめていますね。
このAH-D7200のウッドハウジングは最近の高級な密閉型ヘッドホンとしては、明らかに小さく、やや薄い印象をもつものです。その形状も天辺が平らなドーム状という、ごく普通のものであり、例えばMDR-Z1Rのハウジングに見られるような驚きの形・素材は採用されておりません。それにしても、このように小さく、かつ特別な形や素材を使わないハウジングで、どうしてこんなにも広い音場を実現できたのか?ハウジング内部に格納される50 mm フリーエッジ・ナノファイバー・ドライバーの完成度の高さと、ハウジング・イヤーパッドに対する長い経験に基づく細かなチューニングの勝利ということなのでしょう。

実際に装着すると、重いとは到底思えないもので、付け心地もとてもよろしい。側頭部全体を包み込むようなMDR-Z1Rの装着感とは違い、優しく押さえられた耳の周囲の感覚がそのまま頭頂部方向に続いてフェードアウトしていくような心地です。AH-D7200は考え抜いて作られた、どちらかというと小さなヘッドホンであり、大きなヘッドホンにありがちな鬱陶しい感じがほとんどありません。
さらにリケーブルにデフォルトで対応するところは現代のトレンドに配慮していますね。昔、AH-D7000をバランスリケーブルした時は結構苦労したものですよ。しかし、このAH-D7200となるとほぼ一発でバランスリケーブルを装着できます。なおリケーブルのヘッドホン側の端子は3.5mmのモノラルミニで、MDR-Z1Rのようにロックこそないものの抜けやすくないので、信頼性は高いようです。
ヘッドホンケーブルは布巻され、おまけに端子はハウジングからブッシュでフローティングされており、タッチノイズへの対策も万全です。内部の銅線は7N無酸素銅を使用しているそうで。下手なリケーブルは無効ですね。

このヘッドホンの外観・装着感を検見(けみ)していると、特殊な材質のパーツの使用が現代のフラッグシップヘッドホンとしては意外に少ないことに気づきます。シープスキンなどの高級素材を少なくし、耐久性を重視した合皮を多用するなどして、合理的にコストを削減しているのもわかる。さらにリケーブルに対応するところなどは、現代のヘッドホンマニアの要求に応える部分であり、色々な方向から見ても文句のつけようがない出来です。


The sound 

最近聞いたヘッドホンの中で、音のまとめ方が最も巧みなヘッドホンであり、音響以外の装着感などの要素も含めた総合的なコストパフォーマンスは最高です。このヘッドホンに出会う前まではFocalのELEARがその意味で最も素晴らしい製品だったのですが、それをさらに上回る音作りの巧さがあり、価格はずっと安い。それからELEARよりももっと多くの人の意見を集約して作られた音のようにも感じました。つまり死角が少ない音なんですね。
私が聞いたのは製品版に限りなく近い、最終的な音決めが終わった個体で、このままで発売されると考えていいとのこと。あまりに音がいいので何回も聞きに行ってしまいました。ちなみに前回のヘッドホン祭りでは、このヘッドホンの音はこんなによくなかった。いろいろ変えましたね、とDENONの中の人に語りかけると笑顔で返してくれました。

まず、聞き味がいいんですよ、このAH-D7200は。先々代のAH-D7000のあのナチュラルな聴き疲れしない音調を彷彿とさせるんですよね。このヘッドホンの音は柔らかく、耳当たりがいい。鋭い音は出さないが、決してまあるい音じゃない。サ行が刺さる、ハーシュネスが強いという言葉からは遠く離れた穏やかさを感じるサウンドでありながら、音の鈍さがない。立ち上がり・立下りのスピードは、早すぎもせず、遅くもなく。なにを言いたいのかって?私は、このヘッドホンの中庸をゆくバランスの良さが素晴らしいと言い放ちたいのです。
実際、ヘッドホンの音の調整ポイントはかなり多く、そのどこを変えても、音は変わってしまう。共存の難しい多くの要素を調整しながら進む音作りの中で、どこをそのゴールとするのか。そのゴールの設定が難しいと思うのですが、このAH-D7200の音の落としどころは、結果として絶妙なポイントだったのではありませんか。こういうバランスの良いクセの少ない音に、さりげなく届いているところを見ると、むしろ、ここに至るまでのスタッフたちの喧々諤々(けんけんがくがく)の大変さが目に浮かぶようです。

AH-D7200のカバーする周波数帯域は広く、ピーク・ディップの存在は特に感じられません。そして高域の伸び、中域の厚み、低域の落ちっぷり、どれもなかなかのもので、価格を超えたパフォーマンスを聞かせます。さらに眼を凝らすように、少しだけ音に集中しさえすれば、この穏やかさに秘められた解像度の高さにも気づくはず。
さらに残留雑音の少ない、パワフルなヘッドホンアンプでドライブするのであれば、穏便というだけでは済まされないこのヘッドホンのダイナミズムの一端に触れることもできます。音楽の躍動感も十分に表現できる力量が備わっているのです。ただの優等生でない部分も隠し持っているというわけで。
各パートの分離・変調modulationの少なさについても、かなり秀でたヘッドホンでして、混雑した音を通しても適度に整理されて出てきます。特筆したいのは、ここでは音が整理され過ぎないこと。音声が重なってハモるときの声の質感の描き分けの巧さを感じさせつつ、分離し過ぎで不自然なトータルサウンドとして提示しないところがある。音がほぐれているっていう言い方が適当でしょう。高性能感のみを前面に押し立ててゆくSE-MASTER 1などの最新鋭機の音作りとは一線を画す洗練が垣間見えました。多くの音が混和すると、音像も音場も全てが濁って聞こえることはしばしばですが、ここではいつも澄んだ音が常に聞こえており、適度な透明感は音量を上げても保たれています。

音場の広さについては、密閉型ヘッドホンとしてMDR-Z1Rに次ぐほどの広さを感じさせるものです。この点については先代よりも余裕を感じるようになりました。TH900MK-2と同レベルか、それ以上か。ハウジングをD7000、D7100で使っていたマホガニーからアメリカンウォールナットに変えたのが良かったのか?ハウジング内部は特別な仕上げはないようなので、やはりハウジングの材質やドライバーの改良が効いているのでしょう。
外観からお察しのごとく、このAH-D7200は、先代のAH-D7100の後継ではなく、AH-D7000の後継という位置づけでよいようです。確かにあくまで穏やかな音の傾向は似ている部分があります。ですが、これらの解像度の高さや躍動感、音の分離の巧さ、音場の広さという要素に関しては、先代、先々代より、はっきりと進歩しております。この7200の登場で現在も中古市場で高価に取引されるAH-D7000の相場に変化があるかもしれません。

それから、大きい音と小さな音の間に介在するグラデーション、音の密度の濃淡の描き方は実に細やか、かつ大胆と言えましょう。コントラストをつけるべき時はしっかりと、滑らかな調子で表現したいときはあくまで豊かな階調で音を表現してくれます。これは今かかっている音楽の様相に寄り添う音。とはいえ、ここにもう少しカラフルな表現というか、派手に弾ける音調もありさえすればと思う瞬間も有るには有る。どうもこのサウンドはモノクロ調なんですな。もっとカラーな色気や潤いも欲しい。やはりそこは組み合わせるアンプに、あるいはリケーブルなんかに期待するところなのでしょう。実際、FOCAL UTOPIAと並んで、カラフルなサウンドが持ち味のGOLDMUND THA2で鳴らしてみたいヘッドホンが、このAH-D7200なのです。

また、音像の背景に埋もれている倍音成分の聞こえ方は控え目です。美しい倍音のたなびきからイメージされる音像の透明感よりは、音の実体感そのものを強く感じる質実剛健なサウンド。サウンド全体の傾向としてモニターヘッドホンという感じではないですが、確かにその要素もあります。倍音の響きの中にサウンドステージの広がりの証拠を求めたいなら、少し寂しい音かもしれません。でもあまりそこが、余りにうまく行ってしまうと、音の厚みが失われてしまうから、こういう音のまとめ方なんでしょうかね。音の厚み・実体感をサウンドの軸として、常にキープしながら、倍音成分や空間性、音の透明感、細部の描き分けにも適切に気を配る。どこか骨太な音作りに感じます。こういう確信に満ちた音はフラッグシップとして開放型でなく密閉型ヘッドホンを選んだ時から開発者たちのイメージにあったものかもしれません。
もし倍音成分の表現や音の透明感・繊細さを求めるなら近くリリースされるというKimber kableの銀製のリケーブルを試すがよかろうかと。

このヘッドホンは優れたコンシュマー向けのヘッドホンらしく音楽の感情的な表現の分かり易さを持っているのですが、音楽表現の多様性という意味についてはどうでしょうか。TH900MK2などの定評あるハイエンドヘッドホンたちと比べると、そのポケットの数は少ないのかもしれない。どんな音楽聞いても穏やかさや、聞き味の良さに傾くところがやはりある。音楽の躍動感の発露まではこのヘッドホンだけでも行けますが、激しくハメを外した音楽の半ば狂ったような表現にまで出音を昇華させたいなら、上流にお金をかけなくては。BGM的にリラックスして聞ける穏やかな音、そんな表現でこのヘッドホンの評価終わらせたくなくば、ヘッドホンアンプとか、その前段のDACなどを奢るべきです。掘り下げるべきポテンシャルがこのAH-D7200にはまだ秘められているのですから、散在する価値はある。このヘッドホンの潜在能力をどれくらい開花させられるかは、ヘッドフォニアの腕次第というところはあると思います。

私が日々使い倒しているSONY MDR-Z1Rと比較するのは、約二倍の価格差があることから躊躇する向きもあるかもしれません。しかしAH-D7200のサウンドがZ1Rに劣るとは言い切れないと思います。密閉型らしくない音場の広がり、音の精緻さという面ではZ1Rにアドバンテージがありますが、多くの相反する音の要素を見事にバランスさせ、満遍なく取り込んだサウンドという点ではAH-D7200に利がある。特に低域の質感や量感に違和感を持たれるかもしれないZ1Rよりも、多くのヘッドフォニアに受け入れられやすい、行き届いた音に仕上がっております。



Summary

AH-D7200のオンステージの意味するところはハイエンドなダイナミック・密閉型ヘッドホンの価格破壊に留まらない。この製品の登場はハイエンドヘッドホン全体を見渡してもコストパフォーマンスという意味では目覚ましいものがありましょう。また、ハイエンドオーディオ全体が傾きつつある、恐らくは少し間違った方向性に対して外野から一石を投じる製品でもありましょう。
とにかく、このヘッドホンバブルの時代に旗艦機=フラッグシップ機を、値段を抑えたままでモデルチェンジするというDENONの英断には拍手すべきです。値段を変えず、あるいは少し下げるように調整しながら、音質や質感を確実に向上させる。よりコンパクトで使いやすい形に大胆に変化させる。それは、これからのオーディオ開発のグッドセンスと呼ぶべきものと私は信じています。

最近、欧州のある会社が開発した、巨大で高価なハイエンドDACが東京にやってきました。筐体ごとモノラル化されたこのDACの音質向上には目覚ましいものがあるのですが、この規模と価格には降参です。勘弁してくれという感じ。あるところで、このDACについて「並々ならぬセンスが表れている」と評されていましたが、これはなかば皮肉ではないかと思ったくらいです。私は、見ようによっては、これほどナンセンスな開発はないかもしれないと思いながら、変わり映えしない筐体群を眺めていました。
これは、フラッグシップ機のモデルチェンジあるいはさらなる上位機の開発において音質は上げつつも、より大きく、より扱いにくいものに変化、価格は大きくジャンプするという、近頃のハイエンドオーディオにお決まりの流れそのものです。もうこのやり口には辟易しています。私も昔の人間だし、そういう類のオーディオの良さも分かるつもりだから、いたずらに規模を拡大して得られる、ずば抜けた高音質に興味がないわけではありませんが、少なくともこのセンスは良くないと言うべきなのでは?

私は、もうあの時代は終わったと叫びつづけてきました。あくまでも小声でね。
現代人が生活で必要とするあらゆる機能を一つの筐体に集約した、小型の情報端末が世界を席巻しています。コンパクトで高性能、人に優しく使いやすい機械が人々に深く浸透してゆく時代です。大きく重たいが、限られた機能しか持たないハイエンドオーディオマシーンへの郷愁は、この世界の趨勢の中に呑み込まれつつあります。そういう機材への憧れは繰り返し、度外れの高音質への誘惑として現れる、不滅の存在なのかもしれませんし、世の中のトレンドにあえて抗う姿勢も否定しませんよ。でももう、あのような機材を主力としてハイエンドオーディオを盛り立てていくことは不可能と認めるべきです。今のハイエンドオーディオのフラッグシップ機を見ていると、いつか行き詰まることを知りながら、戻れない道を目をつぶって走ってゆくような不安を感じませんか。

ハイエンドオーディオが我々のようなごく普通のオーディオファイルから見捨てられずに生き残っていくための鍵が、ハイエンドオーディオとは一見無縁な、この小さなヘッドホンに隠れていると思うのは私だけでしょうか。
また万策堂は大袈裟だと笑われるのかもしれませんが、大真面目ですよ。
私個人はオーディオの未来を見据える目でもって、
この AH-D7200を見つめているのですから。

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# by pansakuu | 2017-01-02 01:51 | オーディオ機器

ヘッドホンオーディオの私的な歴史、そして次の10年

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書を捨てよ、町へ出よう
寺山修二


2016年も最後ということで俯瞰的な話で締めくくりたい。
私の知る限り、オーディオ全体の歴史については様々な本やHPにまとめられているが、ヘッドホンと、それに関係するオーディオの歴史・経緯について最近の日本での動向を含めてまとめたものがない。簡素というよりは粗雑ではあるし、間違いも多々あろうが、様々な資料にあたりながら、とにかく自分なりに日本を中心としたヘッドホンオーディオの歴史について以下のようにまとめてみた。

1891年頃
・フランスの技術者エルネスト・ジュール・ピエール・メルカディエが電話受信機用として、歴史上初めてのイヤホンを開発、その特許を米国で取得。
・この頃、イギリスで教会や劇場での音声を電話線を通して、家庭で聞くというエレクトロフォンという富裕層向けの有線放送が誕生。聴取に用いられたレシーバーは家に居ながら音楽を楽しめる機器であり、ヘッドホンの祖形。

1910年
・米国の電気技師のナサニエル・ボールドウィンが自宅の台所で左右二台のレシーバーをヘッドバンドに取り付けた機器を考案。ヘッドホンの誕生。その優れた音質を米海軍が評価し、購入に至る。これ以降、しばらく高性能ヘッドホンは全て軍用。

1937年
・ドイツのオイゲン・ベイヤーが世界初のダイナミック型ヘッドホンDT48を開発。彼は後にbeyerdynamicを設立。

1946年
・中野にフジヤカメラ店開店。のちのフジヤエービックであり、日本におけるヘッドホンブームの盛り上げに大きな影響を及ぼす。

1949年
・独のAKGが同社の最初のヘッドホンK120 DYNを発売。

1957年
・米RCAの技術者であるウィラード・ミーカーがノイズキャンセリング機能のあるヘッドホン用のイヤーマフを開発。

1958年
・アメリカのヘッドホンメーカー、KOSSを創設したミュージシャンのジョン・コスが、一般向けにステレオヘッドホンを開発。軍用レベルのヘッドホンで音楽を聞いたことが契機。

1959年
・日本のスタックスが世界初のエレクトロスタティック型ヘッドホンを発表。

1967年
・独のゼンハイザーが世界初のオープンエアー型ヘッドホンHD141を発売。

1968年
・Kossが米国初のエレクトロスタティック型ヘッドホンを発表。

1972年
・米コネチカット州にマークレビンソン・オーディオ・システムズ設立。スピーカーによるハイエンドオーディオが本格的に始まる。

1979年
・ソニーが携帯オーディオプレーヤー、ウォークマンの初代モデルTPS-L2を発表。ヘッドホンが世界中のあらゆる場所で日常的に使われるようになる。

1982年
・CD登場。アナログレコードを急速に駆逐し始める。

1989年
・ソニーが高級ヘッドホンMDR-R10と超定番モニターヘッドホンMDR-CD900STを発売。
・AKGが真のオープンエアー型ヘッドホンK1000が発売。

1990年
・ニューヨークのブルックリンで発祥したGRADOが同社初のヘッドホンHP1を発売。

1991年
・ゼンハイザーは当時、世界で最も高価なヘッドホンシステムとしてOrpheus(HE 90/HEV 90)ヘッドホンシステムを発売。後のハイエンドヘッドホンの源流。
・Ultrasoneがドイツ・ミュンヘンに設立される。開放型ヘッドホンHFI-1000を発売。

1993年
・STAX SR-Ω 発売。日本におけるハイエンドヘッドホンの前哨。

1994年
・GRADOのベストセラーSR60発売。

1995年
・ゼンハイザーより名機HD600発表。
・ソニーより世界初の市販のノイズキャンセリングヘッドホンMDR-NC10が発売されるも、あまり普及はせず。

1999年
・SACD、DVDaudioが登場する。いわゆる「ハイレゾ」音楽データの原型となる。残念ながらオーディオマニア以外への浸透はせず。

2001年
・10月、最初のiPodがマッキントッシュ専用のデジタルオーディオプレーヤーとして発表される。iTunesとの同期機能を持ち、自宅での環境をそのまま外へ持ち出せることが特徴。音楽を聞くためのDAPそしてイヤホンが全世界に急速に普及。
・ノイズキャンセリングヘッドホンBose Quiet Comfortが日本で発売され、この種のヘッドホンが本格的に普及。
・日本の電気用品安全法が改正され、外国製のヘッドホンアンプなどでPSEマークを取得していないものは、原則的に日本国内での売買ができなくなる。以後、日本で公的に外国製のオーディオ機器、特に電源ケーブルなどを輸入し売買することが困難に。
・世界最大のヘッドフォンオーディオフォーラムHead-FiがJude Mansillaにより設立。このような建設的なヘッドホンオーディオ論議が出来る場が日本には未だ存在せず。

2003年
・ゼンハイザーより名機HD650発表。目に見えないマイナーチェンジを繰り返しつつ現在も発売中。
・圧縮音源配信iTunes Storeが開始。
・EUにRoHS指令が発令。これによりEUで電気機器のパーツに含まれる有害物質の使用が制限。高音質だが、また代替についてはメーカーに委ねられたため、多くのオーディオ機器に音質的あるいは価格的な影響。これによりオーディオ機器全体に若干の音調の変化。

2004年
・オーディオテクニカの名機ATH-AD200発売。この頃のテクニカは覇気があった。

2005年
・この頃よりiPodに付属するイヤホンの音質に飽き足らない人々がより高級なカナル型イヤホンを買い求める。
・水樹奈々のEternal Blazeが大ヒット。この頃、日本においてアニソンが独立した歌謡ジャンルとして定着。アニソンをメインソースとして、これを高音質で聞こうとするオーディオマニアが“日本だけ”に現れる。

2006年
・米RSAが高級ポタアンの定番SR71を発売。この頃、国内外から多数のポタアンが発売。
・日本の新興オーディオメーカーizoが高性能ヘッドホンアンプiHA-1のファーストモデルを発表。別電源などを持つ高度なコンストラクション。パソコンで音楽鑑賞するための環境の向上を掲げる。このコンセプト自体は2016年末の今も生き続けている。
・この頃、ブログMusic to Goにより日本にヘッドホンのリケーブル、バランス駆動が紹介される。日本でヘッドホン・イヤホンで高音質を追求する動きが本格的に始まり、ハイエンドヘッドホンへの関心が高まる。
・11月11日にフジヤ主宰の最初のヘッドホン祭り「ハイエンドヘッドフォンショウ」が定員制で開催。出展されたシステムはたった5組であったが、2016年現在から見ても、かなりハイエンド寄りの高度な内容。
・Ultrasone Edition 9が発売される。当時としては突出した高性能・高価格ヘッドホン。

2007年
・夏、萌えるヘッドホン読本が同人誌として発売。日本のヘッドホンムーヴメントがいわゆるオタクカルチャーとリンクしていることを印象付ける。
・12月、ヘッドホンブック2008発売。おそらく世界で初めての本格的なヘッドホン専門ムック。
・英LINNよりKLIMAX DS発表。ネットワークオーディオの始まり。音質はもちろん音源管理を容易にする側面からも、ヘッドフォニアでこのレベルの機材を上流とする者が現れ始める。

2008年
・ソニーが世界初となるデジタル・ノイズ・キャンセリング機能がついたヘッドホンMDR-NC500Dを発売。
・米モンスターケーブルとBeatsエレクトロニクスが共同開発したBeats のファーストモデルBeats Studioが発売される。
・韓国StyleaudioよりUSB接続DAC内蔵ヘッドホンアンプCaratシリーズ発売開始。
・米HeadroomのBalanced Ultra Desktop Amp(BUDA)が、意識の高いヘッドフォニアにより日本に輸入されはじめる。日本での本格的なヘッドホンのバランス駆動の始まり。
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2009年
・ゼンハイザーがハイエンドヘッドホンHD800を発売。
・アニメけいおん!ブームに連動し、AKG K701の売れ行き好調。アニメとヘッドホン・イヤホンの関係の強さを物語る事件。
・beyerdynamic T1が発売。
・日本のオーディオメーカーLUXMAN初の高級ヘッドホンアンプP-1uを発売。
・この頃より、日本の業務機器メーカーOJI specialが、一般ユーザーから受注したカスタムメイドのヘッドホンアンプを生産。以後、ユーザーの要求に応えた多くのヘッドホン関連機器の特注品を製作し続けている。
・秋のヘッドホン祭りにおいてHelter Skelterより高性能な自作ヘッドホンアンプの展示。優れたヘッドホンアンプを自作する個人の登場。

2010年
・Fit ear、UEなどのカスタムIEMがイヤホンマニアに注目され始める。
・ハイエンドスピーカーメーカーB&Wが同社初のヘッドホンP5を発売。
・武蔵野音研の設立。2chから派生し、ポータブルアンプ、ケーブルをカスタムメイドする業者の登場。そして、これを利用するディープなマニアの出現。

2011年
・STAX SR009が発売される。また同年末にSTAXは中国企業に買収。
・手堅くまとめられたバランス駆動可能なヘッドホンアンプIntercity MBA1 platinumが発売されるも、メーカーの消滅に伴い幻のアンプとなる。ここまでの日本のヘッドホンアンプ技術の集大成。
・この頃よりポータブルのDAC・アンプを何台か重ねて携行するイヤホンマニアが増加し、衆目を集める。
・日本の医療機器メーカーNew OPTがKH-07Nヘッドホンアンプを発売。さらなる異業種からの参入に注目。
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2012年
・5月にG Ride AudioはハイエンドヘッドホンアンプGEM-1を突如として発表。本格的なハイエンドオーディオの手法と強烈な個性をヘッドホンオーディオに初めて持ち込む。
・日本のベンチャー企業Agaraが日本で初めて100万円オーバーのヘッドホンアンプAGH-1000を発表。しかし、この意欲的なメーカーはその後、消息不明となり、このアンプも幻のアンプとなる。
・ハイレゾ音源の配信開始。SACDの失敗は明白となる。
・密閉型の名機Fostex TH900発売。4年後のMDR-Z1Rの発売まで密閉型ヘッドホンの王として君臨。
・プロ用スタジオ機器メーカー、マス工房がヘッドフォンアンプmodel 370を発表。コンシュマーヘッドホンオーディオにプロ機器の色付けのない音調を持ち込む。
・日本のプロミュージックレーベルとして2006年に設立されたWAGNUSは、この年、フジヤエービックと正式提携、ポータブルオーディオプロダクトを手掛ける。特にマニアックなイヤホン用リケーブルで多くの実績を作る。
・USBでDSDデータを転送できるDop(DSD audio Over PCM frames)がアンドレアス コッチらにより開発される。DSD配信の可能性を拡大。
・日本のベンチャー企業Kuradaがフルウッドハウジングのヘッドホンを開発。Tayler madeと称するヘッドホンを製作。
・米ケーブル専業メーカーJPSより弩級平面駆動ヘッドホンAbyss発表。

2013年
・日本の業務用機器メーカー、グラストーンより、全面金メッキを施した銅シャーシを纏う創業15周年記念製品A15-HPA30Wヘッドホンアンプが15台限定で生産される。これも幻のアンプ。
・ステレオサウンド姉妹誌DigiFiにUSB-DACつきヘッドホンアンプの付録がつく。この頃より、オーディオ誌に付録を付けることが流行。この頃から日本の出版業界の斜陽化は明らかになり、同時に既存のオーディオ雑誌の内容の陳腐化が囁かれる。
・この頃よりオーディオ用に開発されたUSBケーブル、LANケーブルが次々に発売。

2014年
・10月に高級ヘッドホンアンプRe Leaf E1発表。意気込みが空回りしていない初めての100万円オーバーのヘッドホンアンプ。すこぶる高価であり、無名のメーカーの製品でありながら、幻のアンプとはならずに現在も購入可能。
・11月にGOLDMUND Telos headphone Amplifier発表。発売とともに中国で好調な売れ行き。スーパーハイエンドオーディオメーカーが初めてヘッドホンオーディオに参入したインパクト大。
・BeatsエレクトロニクスがAppleに買収される。
・AKG K812が発売される。遅すぎたフラッグシップ。
・Just earによる世界初のテーラーメイドイヤホンの受注開始。
・フジヤ主宰の冬のポタ研開催、異例の大雪にもかかわらず、中野に多くの若いマニアが来場。
・その冬のポタ研にてCHORD Hugoのお披露目。ハイエンドオーディオメーカーがポータブルオーディオを強く意識し、持てる技術を注ぎ込んだ世界初の例。
・Dela N1Z発売。ネットワークオーディオで使われるNASにハイエンドオーディオの手法を適用した音質対策品の登場。
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2015年
・1月にJH AUDIO Layla日本先行販売。このロットは13分で完売。
・5月にポータブルオーディオブランドAstell&Kernより、超高級DAPであるAK380が発表される。従来のDAPとは一線を画する高音質に驚き。
・Hifiman HE1000, Audeze LCD-4が発売される。HD800を超えるスーパーハイエンドヘッドホンが市場に本格的に登場。
・GOLDMUND Telos headphone Amplifierの改良型GOLDMUND THA2が発表される。これほど高価なヘッドホンアンプに2nd versionが出るのは異例。
・Fostexより真空管式の弩級ヘッドホンアンプHP-V8が発表される。
・かねてよりアナウンスされていたが、発売が伸びていたオーディオクエストのヘッドホンNight Hawkが日本で発売される。二つ目のケーブル専業メーカーによるヘッドホンへの参入は驚き。
・CHORD Mojo発表。ポータブル市場、騒然となる。
・定額制音楽ストリーミングサービスApple music, TIDAL開始。TIDALはCDクォリティで4千万曲を配信するも、日本には未だ上陸できず。
・またこの頃からオークションでヴィンテージのヘッドホン機器が高価で取引されるようになる。Sennheiser OrpherusやSTAX SR-Ω、SONY MDR-R10などがプレミア価格で落札される。
・ゼンハイザーが真空管搭載コンデンサ型・超高級ヘッドホンシステムHE-1を発表。音質が評価される反面、無駄なギミックと法外な価格が既存のヘッドフォニアからの批判の的となる。2016年現在も詳細な仕様は公表されず。
・この頃よりヘッドホン・イヤホンの高価格化・高音質化あるいはピュアオーディオ化が加速。
・USB DACへの異論としてLAN DACとも呼ぶべきMerging NADAC発表される。音質はさておきROONとの類似性・関連性という視点からも注目。

2016年
・HE-1に対抗するようにHifimanもShagri-laシステムをほぼ同価格で発表。
・9月にアップルがヘッドホンジャックを排除したスマートフォンiPhone7を発表。
・TIDALと連携でき、多様な情報をユーザーに提供する、英の総合音楽鑑賞ソフトROONが日本に紹介される。やや高額であることなどから、日本での浸透は限定的。
・群馬のベンチャー企業Brise audioがスーパーハイエンドオーディオケーブルをヘッドホンリケーブルに持ち込む。リケーブルの世界を拡大。
・フランスのスピーカーメーカーFocalがハイエンドヘッドホンUtopia、ELEARを発売。
・米MSB Thechnologyが超弩級機Select DACに接続することを前提とし、かつSTAX の静電型ヘッドホン専用となるヘッドホンアンプを発表。総計で1500万円を越える現世界で最も高価なヘッドホンシステムとなる。HE-1、Shagri-laなどと並び富裕層をターゲットにしたヘッドホンシステムの流れが出来始める。
・Re LeafはE1の上位モデル、世界展開モデルとして曲面を多用したステンレス筐体を纏うE1Rを発表。
・ソニーがSignatureシリーズと銘打ってハイクラスなDAP・ヘッドホン(MDR-Z1R)、ヘッドホンアンプの三つ組みを発表する。ヘッドホン文化のリーディングカンパニーとしての矜持を示す。
・この頃ケーブルメーカー各社がヘッドホン用のリケーブルの開発を画策しはじめる。
・AKGが、所属するHarmanグループごとSamsungに買収される。
・ハイエンドオーディオメーカーPASSが初めてのヘッドホンアンプHPA-1を発売。


こうして年表を見てゆくと分かってくることがある。
まず、日本でハイエンドヘッドホン・イヤホンのムーヴメントが本格的に始動したのは2006年11月11日にフジヤ主宰の最初のヘッドホン祭り「ハイエンドヘッドフォンショウ」が開催された時ではないかということ。スピーカーによるハイエンドオーディオの始まりを1970年代とすると40年ほど遅れていることになる。このイベント以前にも散発的な動きはなくはないが、一つの連続的な動きとなっていったのは2006年以降と考えるべきだ。つまり今年、2016年は十年目の節目に当たっていた。
さらに、2006年をハイエンドヘッドホンオーディオ元年とすると、この動きが十年もの間続いていることから、これは単なる一時的なブームではないと考えられる。それどころか、より進んで2015年、2016年におけるハイエンド機の台頭を見ると、これはバブルではないかとさえ思う。
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次に私個人に関して、この年表内で重要な事柄を述べると、まず2006年頃にMUSIC TO GOの記事を読んでヘッドホンオーディオに興味をもったことだろうか。そのころはWilson audioやWadia、FM acoustics、Boulder等を駆使するスピーカーオーディオマニアであった。あのブログの記事を読んでから色々なHPAやヘッドホンを使ってみたが、今思い出してみても音質はいま一つであった。初めてそれなりに納得できる音が出たのは随分後の2011年あたり。HD800とMBA1 platinumの組み合わせであったが、思い返せば、それもまあそれなりにというくらいだった。
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個人的にこの年表に載せた事績の中で最も衝撃を受けたのは2012年のG ride audio GEM-1の登場。これほど強烈な個性をハイエンドオーディオの手法に載せて出してきたプロダクトは現在に至ってもほぼ記憶にない。別電源に二本の電源ケーブル、リケーブルしたHD600 Golden eraという組み合わせのインパクトはこの先も忘れない。そしてあれは恐るべきサウンドを奏でるヘッドホンシステムでもあった。ここになにかが突如現れたのを感じたが、その全体像は私には見えていなかった。

そして、それがはっきり見えたのがGOLDMUND Telos headphone amplifierと比較しながら、Re Leaf E1のプロダクトモデルを聞いた2014年秋頃。このモデルは日本のハイエンドヘッドホンアンプの原器でありシンボルである。STAX SR009が近い位置にいながら、それを十分に生かす高級なアンプが選べないことなどがあり、行けなかった場所にたどり着いたものとも解釈できる。E1は私の中にありながら、私本人にも知られなかったヘッドホンアンプのイデアを具現化した。そしてハイエンドヘッドホンオーディオとはこういうものなのだと、ビジュアルとサウンドの両方で明確に示した初めてのギアだった。あれから随分経ったように思っていたが、まだ二年ほどしか経過していないのだね。

また私は今、このRe leaf E1のベストパートナーの一つとして同じ日本製のSONY MDR-Z1Rを愛する。ごく最近あった、このヘッドホンとの出会いもまた大きい。その前に出会い、真にエバーグリーンな価値を持つと思われたHD650dmaaに匹敵するほど飽きのこないサウンドを奏でながら、既存の枠を破る先進性を備え、しかも密閉型であるというヘッドホン。元来、ヘッドホンとはその本来の用途から考えて密閉型になって初めて完結するという密かな持論を持つ私にとって、この完成された音響美、機能美は衝撃であった。

ところで、この十年はヘッドホン・イヤホンの高級化・ピュアオーディオ化、PCオーディオ・ネットワークオーディオの普及、アニソンブーム、SACDの衰退とハイレゾの登場、スピーカーを使うハイエンドオーディオの高価格化・ユーザーの高齢化とハイエンドオーディオ不況、オーディオに関するSNSの発達という互いに独立した光と影の要素が折り重なっていた時代である。そして、これらの要素が渾然一体となり、ヘッドホン・イヤホンをコアとする、独立したオーディオの流れが形成された時期であるとも言える。この独立したオーディオの流れは基本的にはその前の時代には存在しなかったものであり、2016年から先の「次の10年」へと、なだれこんでゆくものだと考えられる。

次の10年に連なる、最近の注目すべき動きとして2016年、ヘッドホン・ポータブルオーディオのリーディングカンパニーであったソニーが本格的にハイエンドヘッドホン市場に再参入したことがある。これを見ると、従来のハイエンドオーディオアンプ・スピーカーの売れ行きが頭打ちになる中、ハイエンドオーディオメーカーのヘッドホン分野への新規参入の加速が考えられる。また、ヘッドホン自体とそれ関連する様々なアクセサリー・ケーブルについても、異なる業種からの参入あるいはコラボレーションが期待される。
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例えば、BeatsのグランメゾンFendiとのコラボやFocal UtopiaのジュエラーTounaireとのコラボ(10万ユーロの史上最も高価なヘッドホンが現れた)など、服飾メーカーや宝飾メーカーとコラボしたバージョンが存在するのは周知のとおりであるが、このような従来のオーディオにはほとんど関連のなかった業界とのコラボや新規参入が実現するかもしれない。特にヘッドホン・イヤホンの持つ「身に着ける」という要素は、音質とは全く別なハイエンド、つまりハイエンドファッションとの兼ね合いで注目される可能性もある。
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ファッションとの関係について言及するまでもなく、ヘッドホンの流行は多分に音楽や出版、アニメなどのカルチャーの動きや現代の都市のライフスタイルと関連があることも年表からわかる。例えばアニソンはスピーカーにて大音量でおおっぴらに聞くような音楽ではなくイヤホンで一人で聞くものだと考えている日本人は少なくない。他人を常に憚って生きる都会の日本人の考えそうなことである。そもそもクレーム社会である現代の日本の都市において、スピーカーで、しかも大音量で音楽を愉しむことは現実的ではない場合が多い。また極めて日本の都会人は多忙であることから、退職した老人でもないかぎり、深夜の自室や電車の中や立ち寄ったカフェでしか音楽を聞く時間がない。だから、携帯可能だったり、どんな時間でも小さなスペースで楽しめるヘッドホン・イヤホンが人気なのだろう。
世界的に見ても時間と空間の有効利用が人間生活のテーマとなっており、これはハイエンドオーディオを代表するような大型のスピーカーシステムとは相いれない風潮である。そういう効率性、合理性を重んじながら、一方で癒しを求めるという観点から見ても高音質なヘッドホン・イヤホンに世界的な人気があるのは当然なのである。

無論、スピーカーを使うハイエンドオーディオがなくなることは考えられないし、ハイエンドヘッドホン・イヤホンの流れもこの先、ライフスタイルの変化、技術あるいはコストの壁に突き当たり、スタックしてしまう可能性は否定しきれない。現にハイエンドヘッドホン・イヤホンの高価格化はこのジャンルがスピーカーと同じ末路を辿る可能性を示唆している。

新しいオーディオの流れがなんであれ、既存のハイエンドオーディオは、その本質が価格・大きさ・重さは度外視で際限なく音質を追求するという態度であるがゆえに、一般大衆を置き去りにしただけでなく、結局は金持ちのオーディオマニアですら辟易するような規模と金額のものになってしまった部分がある。ハイエンドオーディオのモンスターマシーンたちを飼い馴らすために、音響的に完備された大きな部屋と専用の電源設備を用意することまで考えると、このようなハイエンドオーディオが強いる様々な負担の重みは、その対象である音楽が生活の中で持つ軽さと釣り合わなくなってきている。実は、この問題を我々オーディオマニアは常に相対化して誤魔化してきた経緯がある。いつものように結論を先送りするか、あるいは音楽の芸術的価値を美化することで、その対価が無限大であるかのように主張してきた。もっと具体的に言えばオーディオシステムにいくらカネをかけても、音楽そのものが持つ深い精神性となら、十分に釣合いが取れるかのように言い立ててきたのである。だが、時代は移り、価値観は変わりつつある。そろそろ年貢の納め時ではないのか。

この十年は従来のハイエンドオーディオの衰退とそれに代わる、新たな形のハイエンドオーディオの始まりの時代であったと位置づけるべきなのかもしれない。

もうすぐ、日本のハイエンドオーディオの新しい10年が始まる。

# by pansakuu | 2016-12-08 23:06 | その他

SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る①:流砂の中で

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流砂は圧力がかかって崩壊するまでは、一見普通の地面のように見えている。
Wikipedia



眼の前に3つのヘッドホンが置かれている。
GRADO GS2000e、Focal Elear、そして SONY MDR-Z1R。
これらのヘッドホンの限界を実際の自分のリスニング環境で見極めることがさしあたりのオーディオのテーマと、私はなんとなく決めていた。
しかしそれ以外の、それにまつわる事々は多少混乱しているということだ。
これはそれぞれのフォンの限界を極めるという話だから、これらのヘッドホンを「鳴らし切る」と愚かにも宣言しているのに近い。しかし、その向こう見ずと高慢につかまって私は生きているのだから、やむをえない。
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とはいえ、GRADO GS2000eに関しては、なんの苦労もなくあっけらかんと美味しい音で鳴るのは確認できている。これは素のままでも実に鳴らしやすい。それに手持ちのRe Leaf E1xとの相性も抜群である。このアンプのノイズの少なさ、特性の素直さ、澄み切ってスピード感の高い音調が、そのまま軽々と出て来る。さらに私はGRADO社の方針に逆らって、XLR×2のバランス接続をリケーブルで実践しているが、シングルエンド接続に倍するほどの快感を得ている。GS2000eを客観的に見れば、造りの上でも計測値の上でも極端な高音質は望めぬように感じるのだが、実際に優れたアンプでドライブしたときのGS2000eの快音に虜にされない人は少なかろう。これは、不思議といい音を聞かせるヘッドホンシステムである。音響の専門家の意見とか、計測値とかの信頼性は、ここでは疑わしい。むろん、低域が軽いとか、多くの音が重なった時は分離が若干悪いとか、言いたいことはなくもないが、この軽快な装着感と優れたサウンドフィーリングは、そんな些末なことをすっぱりと忘れさせてくれる。老舗の貫録が音の軽みとして滲み出るという希有なるヘッドホン。このサウンドを押さえていれば、他の二機がどうなろうと、それほど困ることはないという保険のような側面もある。
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Focal Elearにしても特段なにもせずに整った音を出せるが、他の二機にあるフラッグシップとしての凄味はないかもしれないと思い始めている。このヘッドホンは音質の限界を追求するようなタイプではなく、スタンダードなクラシック音楽やJAZZを常に安定した高音質で流し聞きするのに適したヘッドホンである。上位のUTOPIAのように悩みながら、最適条件を手探りで求めて行くような難物ではないと思う。リファレンスクラスよりは気楽に使えるヘッドホンであり、他の二機のリスニングの間を縫って、こちらもこのまま使い続けようかと考えている。機会があれば飲む高級なブランディのように、少しづつ聞いている現状である。そういうことでこちらにも悩みを感じていない。

一転して問題はSONY MDR-Z1Rである。
試聴段階で、このヘッドホンの潜在能力は今あるヘッドホンの中でも抜きん出ていると感じた。だが、手元で鳴らしてみると、その限界はなかなか伺い知れなかった。
そこから混迷は始まった。
このヘッドホンにヘッドフォニアがシリアスに取り組む様子は、まるで砂漠の流砂地帯に迷い込んだ遭難者のようだ。
当初このMDR-Z1Rについては、叩き台となる基本構成も決められなかったほどだ。お店に持ち出して、様々なアンプにつないでみても、どうもとっかかりがないのである。確かにどのアンプでも十分にいい音で鳴る。だが、すぐに上を目指せる機材やセッテイングのアイデアが頭の中に湧き出てくる。急いでそのアイデアを試すと、即座に反応してさらに上の世界を見せてくれる。その時点でまた改良を考えついてしまう。まるで砂を掴むように、最適なシステム構成・設置条件がどこかに逃げてゆく感覚の繰り返しなのである。
ここ一か月の試行錯誤をここに書くつもりはないが、とにかくダラダラと寝不足が続いていた。
私の脳裏には流砂にはまるようにズブズブと、このヘッドホンにハマってゆく自分が見えていた。

購入前から、このフォンがどんなセッティングでもきちんと鳴るのは知っていた。私個人の印象ではMDR-Z1Rを鳴らす機材として、やや貧弱と思えたNW1Z単体ですら、あれだけのパフォーマンスが出せていた。だがMDR-Z1Rのポテンシャルは、あのサウンドより遠く高いところにあるのは経験を積んだヘッドフォニアならば誰しも直感的に分かったはずだ。
現在の状況として、私はGOLDMUNDのTHA2を用いて、Z1Rの可能性を探っている最中だが、THA2をまだ十分使い切れていないこともあり、この系統で完成型を得るのはまだ先の話のような気がする。THA2については追々、書いていくことになるが、さしあたり、旧系統であるRe Leaf E1xとのペアで私の聞き取れた範囲を中心に、所々でTHA2で得られた知見を交えつつ、このヘッドホンの音のあらましを簡潔に押さえておこう。
(なにしろ私自身が混乱しているので細かい部分で辻褄が合わないこともあるかもしれないが・・・・)
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どんな方法をとるにしても、MDR-Z1Rを鳴らし切る、などという企画の遂行は容易ではない。
そもそも現代の高性能ヘッドホンの一般論として、その実力を使い切っていると確信できるようなセッテイングを定めることは簡単ではない。現在、取りうるオプションの多様さを踏まえると、それらを検討して取捨選択し、残った手を試し尽くすのには相応の時間とカネ、そして労力、経験と勘を要するからだ。

MDR-Z1Rは、ふんだんに新技術を注ぎ込むことで密閉型ヘッドホンの新たな地平を目指したギアであり、ここまでTH900Mk2やEdition5あたりで止まっていた密閉型ヘッドホンの進化を次の段階に押し上げたプロジェクトである。
出来る限りの技術と物量を投入したうえで、デザインや仕上げの良さ、価格をも追求しつつ、マイナーだが切実なマニアのニーズに応えた製品というと、ここ数年のヘッドホンオーディオの盛り上がりの中においてさえ、ほとんど見いだせなかった。確かに色々と高性能・高価な製品が次々にオンステージしていたものの、いつも微かなコレジャナイ感が漂っていたのは否めなかった。それは、優れて革新的な密閉型ヘッドホンが、なかなか出て来なかったからである。名機Ultrasone Edition9が発売されてから10年。TH900とEdition5を除けば、私にとって目ぼしい密閉型ハイエンドヘッドホンの新製品はなかった。
(それにTH900にしろEdition5にしろ、熟成と洗練を感じたが、革新を感じるものではなかったのは不満だった。)
そして2016年後半、ワケ知りのヘッドフォニアが求めていた、ありそうでなかった製品MDR-Z1Rがやっと登場したのだが、このレベルの密閉型の新製品が乏しかった十年の間にヘッドホンアンプやリケーブルは進化し、多くの選択肢を抱えるようになった。この状況の変化は無視できない。さらにヘッドフォニアたちの耳も肥えて、知識も増えた。新たな密閉型ハイエンドヘッドホンを鳴らすための組み合わせ・使いこなしのバリエーションはEdition9が発売されたころに比べて飛躍的に増えている。

また、これだけ盛りだくさんの技術内容を持つヘッドホンだけに、このMDR-Z1Rには小さなDAPに内蔵されたアンプなどでは出し切れない、伸びしろが残されていると私は信じている。私の想像では恐らく開発者たちですらまだ知らない未知の能力がここに眠っているはずだ。このように多くのセッテイングの選択肢と知られざる能力を秘めたMDR-Z1Rを「鳴らし切り」、開花させることが私の当面の関心事となった。

例えば、現在の私の分類では、バランス接続とシングルエンド接続に関して顕著な差が出やすいヘッドホンと、あまりそこに音質の差を感じさせないもの、そしてもともとシングルエンド接続しかできないものの3種類に現代のヘッドホンは分かれると思う。
モガミのケーブルを用いた自作のリケーブルでの試聴だが、いくつかのアンプで試したかぎり、MDR-Z1Rは最初の種に属するものと思われるので、バランス駆動することを私は強く推奨する。実際にシングルエンド接続の場合はよほど優れたアンプでないかぎり、同格のアンプによるバランス駆動に劣ると思う。特に低域の解像度やサウンドステージの広がり、音楽の躍動感の表現の幅の広さに明らかなバランス駆動の優位性を認める。
このMDR-Z1Rは大きな振動板を持つせいか、ややふくよかな低域を持つという感想を持つ人が多い。この低域の量感の大きさは、駆動力のないアンプでは単なる音の緩さやダルさに直結してゆく。バランス駆動なら、アンプのグレードを多少下げても、満足ゆく結果が得やすい。

好みの問題もあるだろうが、私は最近のオーディオ界全体で低域を締め上げ過ぎていると思うので、こういう低域の量感を重視した音調も、そろそろアリだとは思う。これを低音過多とか、ボワボワした甘い音だとか言うのは自由だが、そう言う人のリスニング環境は、私にしてみれば不十分と思われることが多い。MDR-Z1Rが求める水準をクリアしたヘッドホンアンプにバランスでつないで聞いてから自分の意見を述べても遅くないと諌言したい。

MDR-Z1Rに関して、自分がひとつ最高の組み合わせと思うアンプとして、手前味噌と言われようとも、やはりRe LEAFのE1を推す。
(SONYの純正組み合わせと言えるTA-ZH1ESも悪くないが、これは値段なりのものだと思う。)
まずこのE1は基本的にSNがいい。これはMDR-Z1Rの出音の性質によく合う条件だ。このヘッドホンは密閉型の中でも背景の静粛性が強く前面に出る部類であり、ドライバーの軽さと相まって微弱な音がかなりよく聞こえる。残留ノイズが少しでも多ければ、リスニングにモロに影響してしまう。事実、このヘッドホンとE1をバランス接続したリスニングは神経質と表現したくなるほど、音楽の細部が見事に表出する。
E1はクリーンで強力な駆動力を持ち、バランス駆動が可能なものであり、癖も極端に少ない。私の知る限り、現時点では世界で最も優れたヘッドホンアンプである。このアンプでドライブするMDR-Z1Rの低域は豊かでありながら、見通しはとても良く、スピード感に溢れている。そして緩さは微塵も感じない。またヘッドホンの程好い重さ・装着感の良さ、音質の素直さの相乗効果で聞き疲れは皆無に等しく、ついつい朝まで聞いてしまうセットであることも書き添えておこう。このヘッドホンが来てから、音楽とヘッドホンオーディオに向き合う時間は確実に増えた。

さらに、これほどの出音の良さを説明するには、Re Leaf E1がその体内深くに隠し持つ過去のSONYの遺伝子が最新のSONYのヘッドホンと共鳴するという現象を思い起こすべきかもしれない。そんな物語めいたことが本当にあるのかと疑いわれても仕方ないが、経験上、それはありうる。現にMDR-Z1Rには、まるでRe Leaf のアンプをリファレンスとして開発されたかと疑うほど、E1との相性の良さがある。オーディオは単独の機材では基本的に完結しないので、つながる機材どうしの相性は重要なファクターである。
形態上もシンプルで突起や装飾の少ない、どこか無印良品的なアノニマスデザインであるのが共通している。白いMDR-Z1Rか、黒いE1があれば色彩感覚上も親和性が増すかもしれない。(ところで黒いNAGRA HD DACを最近見かけた。アレは欲しい。)
両者とも、かつてないほどピュアで正確な音を目指すというコンセプトをもち、両者とも日本で開発され、日本で製造されるものだ。このリスニングでは、メーカーは異なるけれど、SONY、そして日本という同じ根っこを持つ二つのマシーンの邂逅の果実がかぶりつきで味わえる。やや淡白で精妙だが驚くほど複雑多様な味わいが大脳皮質いっぱいにインパルスとして広がってゆく美味しい快感に浸る。

最近の私はE1のDACをバイパスし、純粋なアナログ入力のヘッドホンアンプとして使うことも多く、その場合は上流にNAGRA HD DACを据えている。この状態でのMDR-Z1Rの音の特徴を短くまとめるなら、出音が極度に精緻なこと、そして背景が真に黒く静かなことに尽きる。
この二点にかけてはMDR-Z1Rは今まで聞いたどのヘッドホンも敵わないのかもしれない。
このセットでのリスニングでは、澄みきって静まりかえった背景がまずある。ヘッドホンを正しく装着した瞬間から、そういう厳然とした音響空間にリスナーは立たされる。そしてプレイボタンをクリックした次の瞬間に、この奥深い暗黒の静寂から音像がスウッと立ち上がる光景を目の当たりにする。そして、ストレスレスかつ精妙な音楽の動きに耳を奪われる。整然としたデティールに満ちた正確で端正な音像が暗黒の空間の中に見事に定位した様子は、色彩感で言えば淡色、動きの要素について言えばややスタティックな趣きであり、極彩色でダイナミズムに溢れたGOLDMUND THA2でのリスニングとは対照的である。またNagra HD DACを使わず、E1に内蔵された電流駆動のDACを使った場合よりも、演奏の微妙なニュアンスが豊かになる。
ここでの背景の静けさは密閉型独特のものと思われるが、反面として、密閉型にありがちな音場の狭苦しさがほとんど感じられないのが珍しいし、素晴らしい。これほどサウンドステージが広く感じられる密閉型ヘッドホンは他に知らない。この特徴は非常に独創的な局面であり、TH900MK2やEdition9をさしおいて、このヘッドホンをあえて選ぶ意味があるところだ。また、実際に使うと外部への音漏れはとても少ないことも分かって嬉しくなる。密閉型のメリットは深夜のリスニングなどでの音漏れの少なさであり、デメリットはその反面での音場の狭さであった。この矛盾を今までにないレベルで解決したMDR-Z1Rの戦果は大きい。

Nagra HD DAC+Re Leaf E1x+SONY MDR-Z1R、Grado GS2000eは私のヘッドホンオーディオの集大成の一つとして位置づけられるセットである。ただオーディオは山脈のようなものであり、多くの異なる頂の集合体であることを考えると、ここで満足するわけにはいかない。ここからの眺めは、ここからのものに過ぎない。私は新たな頂を目指して、動き始めている。

また、このヘッドホンを、このセットで使っていて思うのは、他のヘッドホンよりもセッテイングの小さな改変に敏感に反応しやすいということ。例えば付属のヘッドホンケーブルを用いて据え置きアンプのシングルエンド接続で使う場合、標準フォーンプラグとミニプラグの変換アダプターをかませて使うことが考えられるが、この変換アダプターの材質や形状、メッキによって、これほど音の違いが出るのはあまり記憶にない。SONYの純正品はもちろん、フルテック、JVCなど、5種類ほど持っているが、Z1Rは全て音質の違いを明確に描き分けた。こうなるとリケーブルするときに、あわせて最適なプラグも探した方がいい。また、アンプを置いているボードや台の材質、アンプの足の材質、数までもはっきりとした違いとして聞こえてくる。もちろん電源のグレードの違いも他の多くのヘッドホンよりも聞こえるし、インターコネクトケーブルの音質差は勿論のこと、その這わせ方、ケーブルインシュレーターの有無なども小さいが克明な違いとして出音に反映される。
さらに、このヘッドホンほど録音機材や録音・編集の手法の違い、ハイレゾかDSDか、などのフォーマットの違いを聞き分けやすいヘッドホンは少ないと思う。特にハイレゾに関して基底の16bit 44.1kHzのデーターあるいは圧縮音源との音質の差がとても分かりやすくなったのが印象的だった。今まで、この部分であまり大きな音質差を感じないことが多かったが、それは認識不足、経験不足であったらしい。この格差はNagraを始点とするセットよりも、THA2とペアリングさせたMDR-Z1Rのサウンドで顕著であった。ただ、これはヘッドホンの力だけでなく、THA2が実装するジークフリートリンキッシュによるところも大きいような気がする。このリスニングの詳細については次稿で述べたい。

MDR-Z1Rをより良い音で聞きたいならリケーブルは必須である。付属するケーブルはしなやかで取り回しの良いものであり、音質的にも悪いところはどこにもないが、際立った高性能感は皆無である。プラグについてはミニプラグがデフォルトであることも私のような据え置き派には解せないところだ。MDR-Z1Rはその大きさからして明らかに据え置きアンプでのリスニングに適しており、AK380やNW1Zにつないで電車の中で聞くようなものではないはずだ。MDR-Z1RとNW1Zをリンクさせようとするメーカーの意図は大人の事情として理解できなくはないが、多少無茶振りであることは否めない。やはり据え置きアンプ用として標準のシングルエンドフォーンプラグがデフォルトでついたケーブルも付けるべきだろう。既述のように変換アダプターの違いがこれほど良く分かるフォンはないのである。音がその選択でコロコロ変わっていいはずがない。

私の求める条件を満たすリケーブルはMDR-Z7用として発売されているので、もちろん入手している。MUC-B30UM1である。これはKimberと共同開発したブレイド構造のリケーブルだが、THA2につないで聞いてみると、付属のヘッドホンケーブルと比べて、出音は相当に違うと感じる。リケーブルすると、もともと澄んでいた音場がさらに澄み、音は立体感を増す。音の粒立ちがグッと良くなってくる。若干あった高域のキツさがとれて、低域の押し出しが強くなり、中域の解像度が高まる。これはTHA2とシングルエンド接続している状態での変化であるが、既述のようにMDR-Z1Rはバランス接続にすると、シングルよりも音が良くなるので、E1用のバランスリケーブルもキンバーのAXIOSにすればさらに良くなると予想される。
こうして、さらに、さらにと上を目指して行きたくなるMDR-Z1Rであるが、逆に言えばどんどん流砂にハマっていくような怖い感じもなくはないギアである。

言い換えれば、これは真剣に取り組めば取り組むほど結果を出すヘッドホンであると言ってもいい。こいつに本気を出させようとするなら、その分、オーナーはセッテイングに疲れてしまうだろう。だから今は、むしろエイッとラフなセッティングに戻して、ギリギリに煮詰めることはあえてしていない。
特別なインシュレーターはなるべく外し、スパイク受けのウラに張るものの検討は中止、アンプの置き場所も試行錯誤はやめて、ケーブルは適当に這わせ、ウエイトはトップパネルから取り払い、電源ケーブルも普通に使っているものに戻し、アースも考えないことにする。

ケーブルやアクセサリーに凝れば凝るほど音は研ぎ澄まされていくのだが、それは結局、飽きに繋がっていくものだと経験で知っている。例えば私がケーブル道楽を止めて随分になるが、それはやはり精神的にも金銭的にも疲れたからだし、ケーブルは高級になればなるほど、腰かけ的な心構えで使うことが多くなり、高価であればあるほど、そして高性能であればあるほど、愛着が持てず、むしろ売り払いやすくなってしまうことに気付いたからでもある。つまり過度にセッティングにこだわることは飽きを早め、手がけているオーディオシステムの寿命を結局縮めるのだ。だから、今はザックリした着こなしのシステムに意識して戻している。

こうしてセッティングに夢中にならないように心掛けても、やはり気になる点は残る。リケーブルをまだ十分に試していない。リケーブルこそはヘッドホンリスニングでは音質への影響が大きいファクターである。こちらの情報が正しければKimber kableから上位の銀線のリケーブルが出るはずで、実はそれを横目で見ている。Siltechのリケーブルは値段のわりにいま一つだったし、PADのリケーブルは謎が多いので様子を見ているが、これらも候補から外していない。
つまりまだなにも決めていないのである。
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まだ流砂の中から脱出したわけではないのだ。動くのをいったん止めて、これ以上沈むのを避けているに過ぎない。MDR-Z1Rとのリアルな格闘が続く。

# by pansakuu | 2016-11-26 23:41 | オーディオ機器

Focal ELEARの私的インプレッション: フレンチヘッドホンのあけぼの

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偉大さのないフランスは、フランスではありえない。
by シャルル・ド・ゴール


Introduction

フランスには他国にはない一風変わったメカを作り出す土壌があると思う。
ハイドロニューマチックサスによる、究極の乗り心地を売りとするシトロエンの車。
個性派時計師F.P.ジュルヌはマルセイユの出身。
ルネ エルスの自転車。
プジョーのコーヒーミル。
エロアのコインナイフ。
どれも個性的である。優美である。
それらに共通するのはドイツ人のようにガツガツと高性能を追求しないこと。
その代りにフランス人特有の不思議なバランス感覚が横溢している。
日本人にとって、その感覚はエキゾチック以外のなにものでもない場合もあるが、
機能・性能のバランスを程好く上手くとるという面では、
日本のモノづくりと相通じるところはなくもない。

随分前のことになるが、私はJM LabのMicro UTOPIA BEというスピーカーを使っていた時期がある。その外観、音質ともに個性的なスピーカーだった。
御存知のようにJM LabはフランスのスピーカーメーカーFocalの中に高級なコンシュマー用のスピーカーを製造・販売するブランドとして立ち上がったもの。
つまりMicro UTOPIA BEはFocalのスピーカーということになる。
このMicro UTOPIA BEの最大の売りは極めて自然な高域を実現するベリリウムツィーターであった。
その頃はまだダイヤモンドツィーターはほとんど出てきていなかったので、ベリリウムツィーターは新素材で出来た最新鋭の高性能ユニットとして頻繁にオーディオファイルの話題に上っていた。私はこのベリリウムという素材の威力を突っ込んで聞いてみたかったので、これをしばらく使っていたのである。フランスのFocal社とベリリウムの関係は、この時に私の中に刷り込まれたものと考えていい。
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そのFocalがベリリウム振動板を持つヘッドホンを試作しているという噂は2013年頃から出ていた。その後、音沙汰なかったので頓座したのかと思いきや、2016年の春に見事なヘッドホンの形に仕上げて発表してきた。これは本格的なフランス製のハイエンドヘッドホンの始まりという意味も持つ出来事なのである。ドイツにほぼ独占されていたヨーロピアンハイエンドヘッドホンの世界に別なEU主要国から挑戦者が現れた。
当初、私の眼差しはベリリウム振動板を用いたトップモデルUTOPIAにのみ注がれていた。それは多少、以前の刷り込みによるところが大きかったと思う。マグネシウム・アルミニウムのハイブリッド振動板を持つセカンドモデルELEARはOUT of 眼中であった。

ところが先日、両者を計一時間ほど、とっかえひっかえ、幾つかの機材で聞いてみると意外な結果となった。セカンドベストのELEARは私の長年の刷り込みを解くほど、見事な音のバランスとまとまりを聞かせて、性能で勝るはずの上位機UTOPIAを出し抜いてみせたのである。
正直、こんなはずではなかったという思いはある。
もちろん私の直感から生まれた結論は、所詮、私のものでしかない。
貴方がこれを本気にする必要などどこにもない。
だが、少なくともその雑多ながら輝かしい印象の中身を、UTOPIAかELEARかと迷っている人々の参考にするため、ここに乱雑に散らかしておく価値はあるかもしれない。


Exterior and feeling
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オープン型ヘッドホンであるELEARを手に取って見ると、ハウジングのほぼ全面を覆う金属のメッシュが、少しザラッとした感触を伝えてくる。重さは450g。やはりこれは軽いとは思えない。メッシュで覆われたハウジングはやや大ぶりで中身のキャパシティが大きく、ドライバーはその真ん中に角度をつけて中空に浮いているような形に見える。
ガンメタルカラーのヨークは曲面で構成され、どこか艶めかしいが、剛性感も十分にある。
この艶めかしい輝きにフレンチエキゾチックを感じるべきなのかもしれない。
イヤーパッドはHE1000のような二種類の素材を組み合わせたもので、耳当たりは良い。側圧も丁度良く、MDR-Z1Rほどではないが、頭にフィットしやすい。これはHD800やTH900などの標準的なハイエンドヘッドホンの装着感と同等のレベルである。またMDR-Z1Rよりは薄いハウジングなので、装着時に左右にハウジングが張出し過ぎて不恰好になったりしない。Focalのロゴはヘッドバンドの辺縁部に、“そ”の字のFocalのシンボルマークはハウジングの中央に掲げて、ブランドをしっかりアピールしている。
ELEARはUTOPIAと同じく、リケーブル可能なヘッドホンであり、端子はソニーZ7のそれと同じものではないか?この端子はセルフロック式で簡単には抜けにくい。
パッと見た印象としては、例のごとく普通のハイエンドヘッドホンという印象を抱かせるが、触っていると全体に剛性が高いような印象を持った。微妙な差だが、HD800SやHE1000、Editionシリーズなどのライバルよりもガッチリつくられているのではないか。私の使ったデモ機に関しては全体の仕上げに荒さはなく、丁寧な造りであって、突っ込みどころはない。UTOPIAもELEARも、今のところ高級機らしくフランスの自社工場で生産されているという。
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上位モデルUTOPIAはカーボンのヨークをあしらったり、多数の気孔の開いたイヤーパッドを用いたり、複雑な形状のハウジングデザインを採用したりして、いかにも50万オーバーのスーパーハイエンドヘッドホンというリッチな雰囲気が出ている。造りはどこかマニアックでドイツっぽいが、多数の気孔の開いたイヤーパッドは水玉模様のようでオシャレな雰囲気もある。ケーブル端子はAKGなどでも採用のあるレモコネクターで、信頼性は高そうだ。ELEARより40g重いが、ライバルとなるであろうLCD-4よりもはるかに軽量であり、デザインも洗練されているので、音質でLCD-4と同等かそれ以上のものを出せればUTOPIAが優位に立つことは容易に想像できた。


The sound

Focal ELEARは一聴して、音作りおける優れたバランス感覚を感じたヘッドホンである。
音像と空間の広がり、音像の解像度と濃淡、音の温度感や触感、ダイナミックレンジ、各帯域のバランス、これら全てにおいて過不足ない中庸さ、必要十分なレベルの優秀さを聞かせる。さらに微かに音に艶を持たせているため、聞き味の良さも兼ね備えている。全体に、音調にピーキーな部分が全くないため、聞き疲れが非常に少ない。
このELEARは鋭くアピールする突出した特徴はないが、欠点もほぼない。こういうヘッドホンはなかなか得難いと思う。

FOCALは今回発売したUTOPIA、ELEARの2モデルをウルトラ・ニアフィールド・スピーカーと位置付ける。(私に言わせればウルトラ・ニアフィールド・フルレンジスピーカーだが・・・)スピーカーメーカーが本腰を入れて作ったヘッドホンであり、ゼンハイザーなどのドイツ勢のものとはそもそも出自が違うと言いたいらしい。
言葉のとおりにUTOPIAでもELEARでもスピーカーリスニングで感じられるような音場の広がりや朗々とした響きを目指した努力を聞くことができる。そして、当然のように、これらのFOCALが目指した要素についてはUTOPIAの方がより強いアピールを感じる。弟分のELEARの方がUTOPIAよりもややヘッドホンらしく、やや凝縮された音の印象である。しかし、ELEARはHD800並みの音場の広さ、T1やTH900に聞かれる音像・音程の正確さのレベルに既に達しおり、性能面で萎縮していないので、「よりヘッドホンらしい」とは言っても全く不満がない。ないどころか、ヘッドホンとしてそれらの音質的要素の過不足ないバランスの良さを秘めている。そして、このバランスの良さはUTOPIAにはあまり強く感じられない。UTOPIAはヘッドホンでありながら、ヘッドホンを超えようとする意気込みが強く、無難にまとまろうとはしていない。

ELEARは他と比較しなくてもニュートラルで高性能なヘッドホンであると直ぐに分かるものである。
例えばヘッドホンの世界には様々な材質の振動板が現存するが、金属系の振動板を使いながら、これほど中庸な音質、クセの少ないナチュラルな音をエージングが進む前から出せる例は稀だと思う。金属系の振動板はクッキリとした輪郭の音像は出やすいが、その分、音のエッジがきつく出てしまい、聞く人を選ぶ場合もあるし、長時間のリスニングは疲れる時もある。ELEARは解像度の高さ、音像のフォーカスの的確さがありながら、刺さるような音を一切出さないようだった。
また、広い音場を提示しつつ、曖昧さのない音像定位と鮮やかな鳴りの良さを聞かせて、音質的な偏りや破綻がない。音場と音像、音の解像度と躍動感、音の透明感と色彩感、音の陰影と明るさ、音の艶と荒々しさ。複雑に絡み合う多くの音質的要素が全て過不足なく盛り込まれたリッチなサウンドである。聞きこむとHD800やHD800sよりも音色が濃いのが印象的である。リズムのインパクトが強く、ズシリと来る。ストレートな表現で音が遠くで鳴っている気がしない。ウルトラゾーンの開放型に近いインパクトの強さを感じた時もあるが、とにかくあのヘッドホンよりもはるかにクセが少なく洗練されている。ウルトラゾーン危うしと言っておく。

私見ではELEARは20万円までのヘッドホンの中では最優秀機のひとつである。また私が個人的にハイエンドヘッドホンの名機と思っているHD800(s)、HD650(Golden era)、T1(2nd)、TH900(mk2)、Edition9、PS1000、HE1000、SR009、LCD-4そして、これからこの群に加わるであろうGS2000e, MDR-Z1Rなどと比較しても、総合的な評価で勝るとも劣らない位置につける。正直、音像、音場、解像度、ダイナミックレンジなど、一つ一つの音質的な各要素の優秀さに関して、最高得点を取るほどではないかもしれない。しかし、それら全てで一位にならないまでも二位には必ずつける感じである。陸上で言うと十種競技の金メダリストのようなヘッドホンなのである。全ての音質要素の高いレベルでのバランスの良さという点ではこのELEAR以上のヘッドホンを私は知らない。

格上であるUTOPIAは音の解像度の高さ、音の器の大きさ、つまり聞こえる音の量感の大きさといった点ではELEARに勝ると思う。だがそれらのメリットと引き換えにベリリウム振動板特有の高域の僅かなアバレや時にドライブ感の少ない寂しい出音などに違和感を感じることもなくはない。中でもUTOPIAについて私がやや不満なのは、つなぐヘッドホンアンプとの間に相性があるらしいということ。これはアンプの駆動力の問題ではなく、ベリリウム振動板のキャラクターに合ったヘッドホンアンプでなければならないという意味のようだ。例えばRe Leaf E1 classicでUTOPIAを駆動しても、伸びやかさの足りない詰まった音になってしまうことがあった。(これは当日、フランスから来たFocalの担当者もそういうニュアンスの話をしていたので、私だけの印象ではなかったようだ。)Luxmanのアンプでもどうもしっくりこない曲がある。朗々と鳴る感じがなく、高域に微妙だがはっきりとしたクセが残るような気がした瞬間も。これではどうやら、JM Labのスピーカーの出音から予想されたナチュラルな音に微妙に届いていない。何が邪魔しているのだろう?エージング前のウルトラゾーンのEditonシリーズのように、あれほどカンカンした響きが乗りやすいというわけでもないが・・・。やはりエージング不足か。
結局、CHORD DAVEのヘッドホンアウトに直に挿した時、最も本領が発揮された音になった。どうして本領と分かるか?それはもちろん自分が使っていたFocalのスピーカーMicro UTOPIAのツィーターの音を基準としているのである。ベリリウムツィーターはキャラクターが少なく、自然な風合いが特徴で、いかにも「高域が伸びています」的なアピールの少ない、質実剛健な音調である。音の質感に以前の新型ツィーターにありがちなザラついた感じも皆無で聞き易かったのも記憶に残っている。それでいて、それぞれの楽器や録音の時代の違いをバッチリ出してくる。一言で言えば、堅実でありながら極めて優秀という印象なのであった。ところがUTOPIAを他のアンプで聞いてもそういう印象がはっきりしなかった。CHORD DAVEのヘッドホンアウトでやっとスピーカーを彷彿とさせるスケール感を秘めた穏便な高域や、全帯域にわたる自然な質感を愉しむことができたものの、56万のヘッドホンとして購入に値するかどうか、よく検討しなおさなければならないと思った。それは主にLCD-4との比較でそういう結論になるのである。あのLCD-4の出音については一聴して完璧なレベルに達していて、他のヘッドホンと一線を画していた。私個人はUTOPIAに関しては未だにそのレベルの音は聞けていない。UTOPIAについてはもっとエイジングを進めたうえで、さらに多くのHPAで、多数のヘッドフォニアがテストしてその潜在能力を測ってみる必要があるのだろう。なぜDAVEのヘッドホンアウトという、ヘッドホンドライバーとしては比較的貧弱なものが適合したのかを含めて、UTOPIAとHPAの相性について深く知りたいところだ。

一方、ELEARでは上記のような問題がほとんど聞かれなかった。どんなアンプでもヘッドホンの実力が出せるようだし、アンプの良さも分かりやすい。例外的な電流駆動のE1 Classicでのリスニングはもう少し聞きこみたい気もしたが、DAVEダイレクトのリスニングは至極快調であり、各々のアンプの音調の違いも分かりやすかった。これはメタル振動版としてはクセがかなり少なく鳴らし易いからだと推測する。このようなクセの少なさは振動板がマグネシウムとアルミのハイブリッドであるからではないか。ハイブリッドすることでそれぞれのキャラクターを互いに抑えている可能性がある。冷静になって、音の解像度やスケール感でELEARが若干UTOPIAに劣ることからUTOPIAに軍配を挙げるというの人もおられるかもしれないが、私としては、この程度の弱点はリケーブルやHPAの性能を上げることで、どうにでもカバーできるのではないかと思ってしまう。とにかく私はUTOPIAについては単純に高価なアンプをあてれば、より良い音を出せるという確信が持てないので、これを使いこなすにはヘッドフォニアとしてのスキル・経験と覚悟が必要となるだろうと考える。誰かがこのヘッドホンを上手に歌わせるセッティングを調べて、突き止めてくれるまで、あるいはFocalがUTOPIA MK2を出すまで日和見しても損はない。


Summary

フランス製のELEARとUTOPIAの登場はドイツ・日本、中国、アメリカというハイエンドヘッドホンの4強独占状態に小さくない風穴を開けるはずだ。かくして世界のヘッドホンの国別の勢力地図は若干だが塗り替えられることになる。
ここまでのFocalの目論見として、軍団の中心たる旗印としてUTOPIAを置き、その周囲を固める実戦力としてELEARを配し、そして斥候あるいは露払いとしてSpirit ONEを先発させるという作戦・陣形を描いているはずだ。
その構図の中でセカンドベストモデルであるELEARは一見地味な存在にも見えるが、まぎれもなくフレンチヘッドホン軍団の主戦力・中核的存在である。それは各社のフラッグシップヘッドホンと対等以上に渡り合い、格上であるはずのUTOPIAさえ、総合力では凌駕しうる素晴らしきオーディオギアなのだ。その絶妙な音質バランスに、フランスのモノづくりの底力を見た思いである。
私見ではELEARは、その完成度の高さからみて、ヨーロピアンヘッドホンの一つの基準点、もしくは名機として位置づけられ、長く愛される可能性がある。
これほど完成されたヨーロッパのヘッドホンは数えるほどもないと思う。
熱心なヘッドフォニアがHD800やT1などの欧州製の名機を必ず通り過ぎなくてはならないのと同じく、我々はELEARを一度ならず体験しなくてはならなくなるだろう。
予定外ではあったが、私は確信をもってELEARの予約を入れた。

# by pansakuu | 2016-10-08 19:33 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1R vs GRADO GS2000eの私的インプレッション:対バンライブで盛り上がれ

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対バン(たいバン)、および「対バン形式」とは、ミュージシャンやバンド(主にロックやポップ)やアイドルが、ライブを行う際に、単独名義ではなく、複数のグループと共演(競演)することをいう。
by Wikipedia



Introduction


今年は例の映画のテーマソングなどで絶賛売り出し中のRADWIMPSだが、去年は全国対バンツアーという企画をやってしのいでいた。
ファイナルはZepp東京で、この時の対バンは先輩格のMr.Children。その夜はお互いに相手のファンに疎外感を抱かせない工夫もあって、無事にステージは盛り上がっていたようだ。翌日、それに参加した知り合いからライブのあらましを聞いた私は大昔のことを思い出して、なぜか少々しんみりしてしまった。

あれはインディーズシーン全盛時代のことである。
まだ無名だったMr.Childrenは渋谷の某ライブハウスに出ていた。私は彼らのファンではなく、別なバンドのファンだったが、上京するたびに暇さえあればそこに来ていたので、彼らのライブも見た。また、その頃は同じく無名だった、あのスピッツも、多くのバンドの中のひとつとしてそこに出ていた。私は偶然、この二つのバンドが対バン形式で出たステージを見た覚えがある。
RADWIMPS の対バンライブの様子を聞くふりをしながら、私はMr.Childrenとスピッツが競うように演っていたあの夜の空気を、そして、それをフロアの片隅でなんとなく傍観者として見ていた自分を思い出そうとしていた。特にスピッツについては、あの頃は現在と全然違う音楽傾向だった。今となっては貴重な体験であるが、その当時は特別なものを見ているつもりはなかった。(だいたい当時は彼らのことをよく知らなかった。)あの二つのバンドはあの頃と比べれば遥かにBigになったけれど、歩む道も目指す音楽もまったく異なってしまった。
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ところで、
ここ数日は、SONY MDR-Z1RとGRADO GS2000eを数回に分け、それぞれ異なる環境で試聴している。その感想をまとめて言うなら、これほど異なる傾向を持つフラッグシップ機の組み合わせは思いつかないということ。全く違う雰囲気を持つ最上位の音質が、当たり前のように並存できるという、今のヘッドホン界の幅広さが如何なく発揮された試聴であった。
この試聴は形としては言わば対バン形式なので、私としては必然的に去年末のライブの話を意識しながらやっていた。そして、それを意識すればするほど、頭にずっと引っかかっていた思い出、Mr.Children vs スピッツの対バンの構図がSONY MDR-Z1R vs GRADO GS2000eの対立の構図にそっくりとあてはまるような気がした。また、そういう不思議な相似を意識しつつ音を聞くと、今のヘッドホン・イヤホン界の図式をすんなりと理解できるような気もした。
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Exterior and feeling

・大きさ、重さ、デザインについて
SONY MDR-Z1R:
やや大柄なヘッドホンで重さは385g。持ってみると重くは感じないが、軽くも感じない。HD800など標準的なハイエンドヘッドホンの重量感。デザインは表面的には今風のスティルス系。目立つ要素をあえて消すような素振りが見て取れる。例えば全体が黒いカラーで統一され、表からSONYのロゴや型番らしきものが、控えめにしか見えない。中央が異様に盛り上がった独特のハウジングがやや目立つ。現代最先端のデザインであり、SONYらしい洗練、ミニマル感・先取り感が満載である。
Grado GS2000e:
そこそこ大きなヘッドホンだが重さはたった260gである。実際持って見ると非常に軽い。ペーパークラフトの模型を持っているようだ。ヘッドホンの中では高級機の部類に入るGS2000eであるが、そのグループの中では断トツに軽い。この軽さは得難い。デザインは昔ながらのGRADOのそれであり、もはや伝統的と言うべき大雑把さ。色調として自然素材である木材や皮革のブラウンカラーが目立ち、ナチュラル・オーガニックな印象。スライダーなどは相変わらず簡素な造り。ヴィンテージの機材のような雰囲気もある。
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・筐体の構造・材質について
SONY MDR-Z1R:
密閉型ヘッドホンとのことだが、この特殊なハウジングには通気性があるので、そう言い切っていいのかどうか。TH900やEdition9のようにしっかりと閉じているわけではない。網目状の堅牢なハウジングプロテクターが最外層にあり、その内側にプラスチック製のフレームと音響レジスターというパルプでできた真のハウジングがあるということらしい。こういう特殊な構造を取る事で密閉型でも、ある程度の音ヌケの良さを確保し共鳴を排除しているという。
このヘッドホンを形作る材質は様々な特殊素材であり、それらを最適な形状に加工して国内で組み立てている。ヘッドバンドのβチタン、ハウジングの内側に張り込まれたカナダ産針葉樹のパルプでできた音響レジスター(和紙の製作技法で国内で製造されるパーツであり、それを漉(す)くための水質・水温まで検討されているとのこと)、ステンレスワイヤーを編み込みイオンプレーティングを表面に施したハウジングプロテクター、世界で最も薄く大口径な70mmのマグネシウムドーム振動板、高磁束密度を誇る大型ネオジウムマグネット、音の伝播を疎外しないフィボナッチパターングリル(この13世紀のイタリアの数学者の名前をここで聞くとは。フィボナッチ数はヒマワリのタネの配列や花びらの並び方に現れるが、確かにそれっぽく見えるね、このグリル)、アルマイト処理したアルミ合金製ハンガー、シリコンリングを組み込んでメカノイズを減らしたジョイント(ケーブルのタッチノイズにこだわるなら、ここにもこだわれってことか)、コルソン合金製ジャック、特殊な高純度無鉛ハンダの使用、国産のシープスキンと低反発ウレタンでできたイヤーパッド。
これほど盛りだくさんに特別な素材と部品で構成されたヘッドホンはかつてなく、小さなメーカーでは開発は無理だろう。もし中小メーカーが少量生産でこのヘッドホンを製造し売ることができたとしても、単価は50万円を大きく超えることになっただろう。やはり大メーカーが本気を出さなければできないことがある。
Grado GS2000e:
開放型ヘッドホン。コンパクトなドライバーを二種類の木材を組み合わせた小型のハウジングで包み込んでいる。外側をマホガニーと内側をメープルで、という組み合わせは新しい。普通はヘッドホンのハウジングは一種類の木材で作られるものだ。音漏れはかなり激しい部類。ドライバーは新型であるが、PS1000に搭載されていたものと大きく異なる印象はない。Z1Rに比して技術的なフューチャーは明らかに少ない。むしろシンプルであることで、多くの要素が干渉しあう複雑性を回避し、結果として加工感のないストレートな音、生々しいサウンドへとつながっていくことを目指しているのかもしれない。

・装着感について
SONY MDR-Z1R:
イヤーパッドは国産のラムスキンで低反発ウレタンを縫い包んで製作されている。形状は多数の人間の頭部の3Dスキャンデータを基にしてデザインされているとのことだが、実際の装着感もかなり良好。ピタリと側頭部、頭頂部にフィットして、頭を振ってもほとんど動かない。側圧は高くも低くもなく丁度良い。重さはそこそこ感じるので、長時間のリスニングで首や肩に疲れを感じる可能性はあるが、LCD-4などと比べればはるかに楽なので、心配はしていない。
Grado GS2000e:
極めて軽いので、長時間装着しても疲労感はない。ただし、スポンジのイヤーカップやヘッドバンドにヒトの頭部に沿うような形状の工夫がほとんど見られないため、装着感自体はそれほど良くない。頭にピタッとフィットする感じではない。側圧は緩め。
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・機材の技術的なハイライト・位置づけについて
SONY MDR-Z1R:
日本の大家電メーカーが本気を出して最先端のヘッドホンを作るとこうなる。ふんだんに新技術が投入され、音響家電の領域で薄くなりつつあるSONYの存在感を、スマートかつ贅沢な物量投入という手法で取り戻そうとしているかのようだ。具体的には高級感・装着感を徹底的に追求したうえで、密閉型でありながら開放型のような高音質を目指したというところか。
Grado GS2000e:
同社最高級シリーズであるステートメントの最新鋭機という位置づけであるが、最新という感じはなく、むしろ昔ながらの手法を踏襲しつつ発展させたという印象。二種類の木材をハイブリッドしたハウジング、新型のドライバーぐらいしか、真新しさがない。逆に言えば偉大なるマンネリズムにGRADOファンは安心すべきだろう。

・パッケージングについて
SONY MDR-Z1R:
シリアルナンバー入りの革張りの立派な箱に収まっている。今まで様々なヘッドホンの箱を見てきたが最上級のひとつである。この箱は普通に作れば一万円以上はするはずだ。ただしこの箱は皮革を用いたものなので、良い状態を維持したいなら定期的な手入れが必要となるかもしれない。
Grado GS2000e:
相変わらず、段ボール製の粗末な箱を使っている。一応、別売りでロゴ入りの立派な木箱もあるが・・・。二つのメーカーのモノに対する姿勢の違いはここにも表れている。


The sound 

・ダイナミックレンジの広さ:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e 。
MDR-Z1Rは微弱な音を良く拾うので、スピーカーではやや難しい、粗探し的な聞き方も簡単にできる。振動板が大きいわりに大音量でも歪みにくいようだが、今回の試聴では音量をかなり上げるとちょっと苦しそうな音も出していた。もっともこれは本当に駆動力のあるRe Leaf E1などのアンプでドライブしたわけではないので、手元に届いたらリケーブルして後日改めてテストしたい。GS2000eは小さな音も比較的よく聞こえるが、MDR-Z1Rほどではない。そういうディテールに入ってゆく聞き方をすべきヘッドホンではなく、音楽全体をリラックスして俯瞰するような音調だから、ないものねだりだろう。また、GS2000eは音量を上げすぎると音割れが起きやすいので注意すべき。

・周波数帯域の広さ、帯域のバランス:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rはカバーする帯域が広いうえ、各帯域の音はバランス良く、公平に耳に入る。優等生的な出音。高域の自然な伸びは印象的である。低域の音階の表現も正確。
GS2000eも中域にアクセントがやや強いけれども、概ねフラットな帯域バランスを持つ。だが予想どおりMDR-Z1Rほどのワイドレンジ感はなくて、その点ではごく普通のヘッドホンという印象。低域の解像度もやや甘い。ただ高域のヌケの良さはZ1Rを上回り、これが演出するカラッとした開放感はGS2000eの独壇場。

・音の解像度:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rは一聴してややフワッとした柔らかめの音調であるため、ソフトフォーカスのように焦点が若干合わない音に聞こえがちなのだが、適切なアンプでドライブして聞き込むと音に濁りがなく、透明感の高い音を持っていることが分かるはずだ。音の肌理がかなり細かく、高精細な動画を大画面で眺めるような雰囲気がサウンドに宿る。視覚的に音を聞くという立場から言えば、MDR-Z1Rの音の解像度は十分に高いと言える。ただEdition9などの解像度の高さを売りとするヘッドホンのような音像提示はしない。例えば(Z7もそうだったが)どうしても僅かに音像の輪郭が甘く感じられる時がある。Edition9は決してこのような甘い音は出さない。
別な言い方をすれば音像の輪郭の解像度を高くすることに固執したり、あらゆる細部を明確に暴き出すことに重きを置いたりするようなヘッドホンではない。そこにだけ頓着しているわけではなく、もっと音質全体にバランスの取れた優秀さを目指しているのだろう。
一方、GS2000eは音像の解像度を上げることにこだわりがない。音の細部よりも、メロディの流れやリズムの弾みがより分かりやすくなるような方向に音調を振っているので、音の枝葉末節に拘りたい方にはお薦めできない。

・過渡特性(トランジェント):
GRADO GS2000e > SONY MDR-Z1Rとなる。
GS2000eは音楽の動的な要素に対する追従性が高い。立ち上がり・立下りのスピードが速い。能率が高いせいか、ヘッドホンアンプを変えても、軽い振動板を強力なアンプで駆動しているイメージは保持される。軽々と速い音が出る。このフィーリングはヴィンテージの高能率スピーカー、フルレンジ一発を聞いているようだ。対するMDR-Z1Rは複雑なネットワークを背負った、能率の低いユニットを鳴らす現代のハイエンドスピーカーのようなサウンドである。Z1Rは新型のDAP、NW WM1Zに直挿しでデモされることが多い。あの状態でもスピード感はそこそこあるが、音に軽みまでは出てこないし、音がやや暗い。おそらく、これは強力なヘッドホンアンプを必要とするヘッドホンではないか。逆に言えば、真価を発揮できていないのに、あれだけの音が出てしまうのだからポテンシャルはかなり高い。

・音色・音触の鳴らし分け、各パートの分離、定位の良さ:
SONY MDR-Z1R =GRADO GS2000e
各パートの分離がいいのはMDR-Z1Rの方である。定位はどちらも同じくらい良い。様々な楽器の鳴らし分け、録音の年代の違いを細かく出すことについてもほぼ同等だが、GS2000eの表現の巧さが際立つ。GS2000eはJAZZの古い録音を聞くと、なにかうまくハマっていて、楽しい。当時風の雰囲気が出やすい。このような録音をMDR-Z1Rで聞くと綺麗聞こえ過ぎてつまらないと思う。録音の年代の違いを上手に鳴らし分けるというのは、昔の録音の悪さも伝えつつ、上手く楽しませることなのだ。

・音の強弱の階調性:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rは音の強弱のグラデーションがかなり細かく滑らかに出る。色彩感はGS2000eにやや劣るが、この階調の豊かさは今まで聞いたヘッドホンの中ではトップクラスだと思う。GS2000eに関してはこの音の強弱の表現がやや粗い。これは古いJAZZやヘヴィメタルの再生では迫力となって現れるが、多くの優秀録音では弱みでしかない。

・サウンドステージ:
GRADO GS2000e ≧ SONY MDR-Z1R
MDR-Z1Rは音のヌケは優秀な開放型ほど良くないのに、音場に自然な広がりが感じられる。密閉型と称するヘッドホンの中で最も音場が広く感じられる。耳が詰まったような感じがかなり少ない。またその音場の静けさは特筆すべきもの。この背景の静けさの深さと音場の広がりが、振動板の大きさから来る鳴りの良さをいっそう強く意識させる。
このヘッドホンの鳴り・音の響きの良さと正確さは多くのレビューでスピーカー的という評価を得ているが、私も賛成である。このスピーカーライクなサウンドはヘッドホンのブレークスルーであろう。
一方、典型的な開放型であるGRADO GS2000eでは当然のことながら、さらにオープンな音場展開となる。音が頭の周囲空間に大きく広がるような感覚で、窮屈さがまったくない。しかし音場の静けさについてはMDR-Z1Rほどではない。

・音楽性(感情的な表現の分かり易さ):
GRADO GS2000e > SONY MDR-Z1R
リズムの躍動感やメロディの流れの表現についてはGS2000eの方が分かりやすい。MDR-Z1Rの音の描写は分析的で冷静であり、良くも悪しくも日本的な真面目さを感じる。音楽を聞いていて、楽しかったり悲しかったりする感情の動き、曲想がGS2000eの方が把握しやすい。

・総合評価:
密閉型・開放型ヘッドホン全体を通して、最もメジャーな名機としてSennhiser HD800/HD800sが思い浮かぶが、使いようによっては、その盤石の地位をも危うくしかねないニューカーマーとしてMDR-Z1Rを推したい。もともと欠点が非常に少ないうえ、堂々とした音の響き、音場の静けさや広がり、解像度、カバーする帯域の広さ、過渡特性の優秀さなどに目を見張るものがある。ここに音像の輪郭の明瞭さが加わればさらなる高みを目指せるだろうが、そこはアンプやリケーブルで解決できる問題かもしれない。ブリスオーディオのリケーブルは魅力的だろう。また、新発売される各社のフラッグシップ機の多くが開放型を選択する中、高級な密閉型ヘッドホンの不足がささやかれていたが、そこに上手く付け込んできた点も見逃せない。(繰り返すが、本当にこれを密閉型と言い切ってよいのか疑念は残る)

GRADO GS2000eについては、個々の評価のポイントを取り出して別々に検討してみるとSONY MDR-Z1Rに劣っているように見えるが、その結論はトータルの印象を反映していない。GRADO GS2000eには量的に測れない独特のキャラクターがあり、それが唯一無二の魅力だからだ。全体の外観、触れてみた質感、音のまとめ方の巧さを見ていると、そういう思いは強くなる。このヘッドホンはそもそも追求しているものが、現代の多くのハイエンドヘッドホンとは違う。この軽さ、オーガニックな手触り、ヌケが良くカラッと乾いて屈託のないビッグサウンド、これらはアメリカンヘッドホンの良心としか言いようはないではないか。このような特別な気持ち良さ、あえて競争を避けているような呑気な姿勢は、私を微笑ませると同時にリラックスさせてくれる。
また、ヘッドホン本体の重さというごく単純な数値が、ヘッドホンの音質に大きな影響を与えていることを今回改めて感じた。GS2000eのサウンドは腰がやや高く、フットワークが俊敏、軽妙にして快活。低域の沈み込みがやや浅いものの、それを含めてトータルの音調は実に明るく清々しい。秋晴れの空のようなサウンド。例えばLCD-4はあれだけ軽い振動板を強力なパワーで駆動する力がありながら、このようなライトなキャラクターになっていない。これはヘッドホン全体が重いせいではないか。重いヘッドホンは音の重心が過度に下がって暗い音になりがちだが、現行のLCD-4はその罠にはまっているような気がする。

同じ価格帯にありながらこれらの二つのヘッドホンほど、対照的なモノもないだろう。かたや数値データをもとに理詰めで開発されたモノ、かたや聴感と伝統を大切にしながら大らかな気持ちで作られたモノ。外観もサウンドも重なり合う部分はほとんどない。これらが並存しうるほどヘッドホンの世界は広がってきた。


Summary

あのバンドブームの最中、日本中で多くのインディーズバンドが結成され、各地のライブハウスを盛り上げていた。そのころは既に大手プロダクションが育てたメジャーなタレント、歌謡曲や演歌、アイドル系の歌手がテレビを賑わしていたが、インディーズバンドはそのカウンターパートとして薄暗いライブハウスの中から勃興してきたのである。これは今、スピーカーオーディオというメジャーに対して、ハイエンドヘッドホンというジャンルが興ってきたこととイメージが重なる。
そういう時代の流れの中で結局、メジャーの世界に取り込まれ、そこで活躍の場を広げていった二つのバンド、Mr.Childrenとスピッツについて、ここで多くを語る気はないが、それぞれが辿った道が異なっているのは周知の通りだ。片方は大きなハコを好み、他のメジャーなアーティストとのコラボを求めたあげく、ますます大きな存在となって、一時はサザンの後を襲うかのような勢いさえあったが、今は一段落している。もう片方は幾分小さなハコを好み、アルバムもあえて多くを売らず、固い核を守ろうとするかのように小さくまとまる素振りだ。今でも両者はイエローモンキーのように開散もせず、シーンに居残っているわけだが・・・・。
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手をかえ品をかえて発表される野心的なヘッドホンたちの群像は、次々とデビューする新人バンドのように私の目には映る。今回の試聴というのは、そういう状況下で、もはや老舗となったSONYとGRADOが放つフラッグシップどうしの対バンが企画されたようなものだ。Mr.ChildrenがMDR-Z1Rであり、スピッツがGS2000eにあたると私は見ているのである。この二つのバンド=ヘッドホンの織りなすコントラストは時代を超え、趣味のジャンルを横断して、私の好奇心を未知の領域へトリップさせてくれる。

かく言う私がSONY MDR-Z1RとGRADO GS2000eを予約したのは自然な成り行きだった。まるでMr.Childrenとスピッツの対バンを行きつけのライブハウスで再び見るために高価なチケットを買ったような気分だ。少々値は張るが、この熱いヴェルサスを自分のヘッドホンアンプ、自分のDACで体験しない手はない。こいつらでロビンソンでも聞き比べるとするか。昨日貰ったRADWIMPSのCDを聞いてもいい。あとはこの散財が後悔しない買い物になることを祈るだけだ。

# by pansakuu | 2016-09-29 23:55 | オーディオ機器

Rupert Neve Designs RNHP ヘッドホンアンプの私的インプレッション:音の名前

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名前 それは燃えるいのち
ひとつの地球に ひとりづつひとつ
          ゴダイゴ Beutiful Nameより



Introduction

いったい誰が、こんな凄い音を作ったのだろう?

初聴の機材の出音に感動したとき、決まって浮かぶ疑問である。
音が良ければ良い程、機材の設計者の名前というのは特に気になるものである。

オーディオという趣味において、使われる機材の設計者やメーカーの名前は単なる記号ではない。オーディオを楽しむために不可欠な知識である。結局、誰がこの機材を設計したのか、誰がこの音で良いと承認したのかによって全てが決まるからだ。

また、オーディオの設計における個人の感性・知識の発露は音の署名、ソニックシグネチャーと呼ばれる音の特徴を生み、それはセッティング等では変えられないものである。もちろんそれを色付けとして排し、無色透明に近い音を目指した機材もあるが、実際に試聴の経験を積めば、オーディオには何百という異なる無色透明があり、それぞれが似て非なるものであることは容易に分かるはず。とどのつまり、無色透明もまた、ある種のソニックシグネチャーであると言える。まるで禅問答だが、これもまたオーディオの面白さである。

この音の署名は、どのようなものであれ、機材を設計した個人名・メーカー名と重ねあわされ一体化されてはじめて、リスナーにとって忘れがたい記憶となる。
オーディオは人間の感性・知識が作り出すもの。そして、その人間には必ず名前がある。この二つの事実の連結は、そのサウンドを永く記憶にとどめるための儀式のようなものかもしれない。

Rupert Neveというプロオーディオ界のレジェンドを戴くブランドRupert Neve Designsがプロ用のヘッドホンアンプRupert Neve Designs RNHPをひっそりと発売したのは、ごく最近のことである。
ニーヴの製品は1961年の創業以来、プロオーディオの世界で高い支持を持続的に受けており、多くの現場で愛用されている。ディスコンになったヴィンテージのニーヴのモジュールなども盛んに取引されている。純粋に音が良く、高性能なミキシングコンソールは、Neve(ニーヴ)の製品の中で特に有名であって、多くの優秀録音で使用実績がある。オーディオファイルはニーヴの機材を使って製作されたものとは知らずに様々なアルバムを楽しんでいる。
私はその名声を聞くたび、今のニーヴの音というのが、どのようなものなのか、その全貌を知りたい気持ちが増した。しかも、ありきたりにアルバムを通して聞くのではなく、機材からダイレクトに出た音を、オーディオファイルとして吟味したい気持ちが強くなった。例えばそれはニーヴのミキシングコンソールにじかにヘッドホンを挿して聞きたいという衝動となって現れた。別な言い方をすれば、私はNeveニーヴという名詞とニーヴの音とを頭の中で一つにして、オーディオの経験値を高めたかったということになる。だがそれはかなえられそうもない望みであった。私はニーヴのミキシングコンソールが聞ける現場に入ったことがない。そもそも、一般のオーディオファイルは録音現場に立ち会う機会がほぼないのである。(実を言えばクラシックなニーヴの音と現代のニーヴの音との違いにも興味はあるが、それはもっとマニアックで比較困難なものだろう)
そんな中、偶然、このヘッドホンアンプを代理店様から借りられるキャンペーンを知った。
私は即座に申し込んで首尾よくアンプを取り寄せることができた。


Exterior and feeling
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届いた機材Rupert Neve Designs RNHP ヘッドホンアンプは拍子抜けするほど、小さく軽いアンプであり、ガワの作りはいたってシンプルである。
165×116×48mm、約1kgと私がいままで取り上げた据え置きアンプの中で最もコンパクトでライトな部類である。これなら様々な場所に気軽に持ち運ぶことができるだろう。
筐体は二枚貝のように上下で組み合わされた薄い板金によって作られており、叩くとカンカンと音がする。サイドパネルが斜めにカットされ、フロントパネルの下縁が縁側のように出っ張っているのは、ヘッドホンプラグやボリュウムノブを下からなにかに引っ掛けて壊さないようにするためのガードらしい。足は薄いゴムの四足で全く音質的な工夫は感じないが、説明によるとこれも吟味されたパーツとのこと。また、Vesaマウントという薄型テレビなどをアームスタンドや壁に固定するための穴が底面にあけられている。これを活用すれば壁からアームで突きだすような形でアンプをセッティングすることも可能である。当方はプロではないから、このマウントを利用することはないだろうが、置き場所に困る時は、セッテングの選択枝が増えてよいかもしれない。フロントパネルには赤くアノダイズ加工されたボリュウムノブとグリーンに明るく光る入力セレクター、シングルエンドのイヤホンジャック一穴のみ。恐ろしくシンプルでラフな印象である。ノブの回し味は滑らかではあるが重く、感触を楽しませるものではない。正確に目当ての位置に合わせることを優先したのか。ギャングエラーはとても少ないが、この感触はコンシュマー向けの機材のそれではない。ボリュウムはアルプス製だが、アレはこんな感触だったかな。ただし、見やすいボリュウム目盛りがついているのはいいと思う。
ヘッドホン出力はインピーダンスを可能な限りゼロに近づけるように設計されているとのこと。この設計により出音のソースへの忠実性・正確さが得られるという考えらしい。
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リアには電源アダプターのジャック、電源スイッチ、RCA入力、プロらしくTRSフォンとのコンボになっているXLR入力、ステレオミニ入力のみ。ステレオミニ入力があるのはハイエンドDAPでの利用に道を拓く嬉しい計らいだ。だが、やはりXLR入力が推奨だろう。これはプロ用の機材である。
なお、USB入力などのデジタル入力がないが、これはポリシーとしてデジタルとの統合ヘッドホンアンプの形を否定して、アナログ入力専用アンプに特化したためである。
リアパネル自体も薄いアルミの板であり、オーディオファイルが喜びそうな物量投入が見えない。

このアンプの電源はアダプターにより供給されるが、このプラスチック製のアダプターも全くラフなもので音質的になにか配慮された形跡がない。世界中に輸出されるアイテムであるから、プラグは差し替え方式で世界各国の形式に素早く合わせられるようにできている。日本向けとしては平型2ピンのものが同梱されている。オーディオ機材で良く使われる平型2ピン+丸型ピンはない。正直言って録音現場で使うにしろ、家庭で使うにしろ、このアダプターはナイなと思う。機材によっては平型2ピン+丸型ピンのタップに平型2ピンのプラグを挿すとノイズが出たりすることもあるし、オーディオ用のタップは差し込み口が奥まっていて挿せないこともある。少なくとも、このアダプターに普通の電源ケーブル挿せるような形にしてほしい。無論、価格と音を変えずにという条件付きだが。

なお、今回の試聴ではNAGRA HD DACのバランスアウトからSaideraのXLRケーブルでダイレクトにニーヴのヘッドホンアンプにつないでいる。ヘッドホンは例によってSennheiser HD650 Golden era Meister Klasse dmaaである。 なおドライブ中に本体やアダプターが熱くなったり、ゲインが足りなくて困ったりするようなトラブルは全く起こらなかった。また、内部ゲインの切り替え可能かどうかについては情報がない。恐らくできないのだろう。説明では市場にあるどのようなヘッドホン(インピーダンス16~600Ω)でもドライブできるようなことを言っているが、どうなのだろう。NAGRA HD DACのハイゲイン出力とHD650を使った今回の試聴ではボリュウムポジションは1時を過ぎないと十分な音量は取れない曲が多かった。

全体に真の業務用ギアという外観のアンプであり、コンシュマー向けの気取ったデザインはほとんど見られない。オーディオファイルが考えるような、高音質を実現するための繊細な工夫も、少なくとも外観からはわからない。というかそういうことは、あえてやらないのがニーヴ流なのだろう。そういう小賢しい手口を否定した、胸のすくようなシンプリシティがここにある。

例によって中身の回路などについて、メーカー側から技術的に詳しい説明はほとんどない。しかし、あのニーヴが設計し、ニチコンのコンデンサー、アルプスのボリュウムなど比較的高価なパーツを使って、アメリカ国内で組み立てられるアンプであることはわかっている。とすれば粗悪なものとは考えにくい。限られた情報の中で特筆するとすれば、これはニーヴのコンパクトなミキシングコンソール5060センターピースにビルトインされているヘッドホンアンプを独立させたものであるということ。この5060センターピースはニーブの旗艦機である5088の中核部を抜き出したものだ。つまり、このアンプを聞けば、少なくとも形の上では素人はまず聞くことのできない、現代のニーヴの卓の音の片鱗を聞くことができるのではないか。
私はその可能性に賭けた。


The sound 

至極、率直な音である。
これはもう素晴らしい率直さだ。
率直でありながら、少しもぶっきらぼうに聞こえない。
率直なサウンドにありがちな乱暴さを感じない。むしろ丁寧で繊細である。
単刀直入なサウンドでありながら、品格にもあふれている。
プロサウンドによくある介在感のないダイレクトなサウンドだが、
正しいだけで無味乾燥なつまらない音ではない。
音に潤いがあり、生々しい活力が音に宿っている。
ただし、無駄な音は決して出さない。嘘のない音である。
このへんはいかにもプロ機という感じであり、やや厳格でもある。
スピーカーはごまかせても、ヘッドホンはごまかせないとはよく言ったものだ。
広い帯域にわたるきわめて高い音の解像度は、どのように小さな録音のミスも逃さない。
帯域バランスもとても優れていて、強調されたり、弱みを含んだ帯域がない。
逆に中低域が目立つ、高域の伸びが目立つなどの一人でカッコつけている帯域もない。
強いて言えば低域の解像度の高さ、ナチュラルな質感と量感は実に魅力的である。こんなにしっかりとした低域が出るアンプはなかなかない。

このヘッドホンアンプとHD650 Golden era dmaaのペアは音源を正確に、立体的に捉えるのに適している。音場の見通しが効いて、パートごとの音の分離もとてもよく、音の強弱と前後関係が明確で、音の輪郭がクッキリと聞こえる。あらゆる場所にフォーカスが合っている不思議な写真を眺めるようなマジカルな感覚がある。
そして定位がすこぶる良い。音像に揺らぎが微塵も感じられず、ピタリと止まっている。
これも優秀なプロ機らしいところである。定位が良すぎるとなにか堅苦しい感じも伴うものだが、RNHPではなぜか聞く方は自然体でいられる。聞き疲れが少ない出音だ。
SN感はかなり良く、背景の暗騒音の質感の違いがはっきり分かる。
これはオーバーオールに優れたサウンドであり、このアンプの価格が6万円ちょっととは到底信じられない。これは今まで聞いたヘッドホンアンプの中で最もコストパフォーマンスの高い製品と思われる。

本機についてのメーカー側の説明を読んでいるとヘッドルームの高さが喧伝されている。ボリュウムを上げて行って、最終的に音割れするまでの音量の余裕が大きいと言いたいのだろうが、確かにそうである。プロ機というのは、総じてある程度以上の大きな音量でないとその良さが分かりにくい。そこから先が問題で、突然大きな音が入っても、クリップせずに安定して取り扱うことを求められる。コンシュマーの普通の機材では、そこでもうプロの使用に耐えられない。このアンプは音量を上げたときに確かに本領を発揮する。大音量でも全然音が割れる気配がないというだけではない。音に生気がみなぎり、気持ちよくビートやメロディが刻まれ流れる。それでいて音源に対する忠実性・正確さが失われない。監視するような冷静なまなざしは常に保たれている。G ride audioのGEM-1のように音楽と一緒に羽目を外すことはない。

ここでは音の余裕、華やかさ、派手な音楽性などの、高級なコンシュマー機の出音に備わるプレミアムな要素はあえて排され、音源に対する忠実性を追求する姿勢が徹底されている。RNHPは、まるで音の猟犬のように音源を駆り立て、出来る限り接近してアタックし、確実に捕捉する。ライバルとも言えるマス工房の機材が完全な音の傍観者であり、音源と常に距離をおいているように聞こえるのとはやや対照的である。この音のダイレクト感はかなり強い。このたぐいの感覚は最近のコンシュマー機材では体験しにくいものである。

これほどまでに音に近づいて鷲掴みにできる機材はG ride audio GEM-1以来かもしれない。だが、このニーヴのアンプはあれほど個性的ではない。もっと無個性であるし、そうあろうと努力もしているように聞こえる。ソースにもともとないニュアンスを無意識に付加するような振る舞いを慎重に避けている。ただ、これでアニソンなどを聞くと粗がよく聞こえ過ぎるのではないかといつもの危惧を抱く。注意深く作られた音の良い録音を、注意深く選ぶことが、RNHPを通して素敵なアニソンを聞くための前提になりそうな気配がある。

このアンプの出音についてはRe leaf E1xと比較して、はじめて音の器の大きさの違いが意識される。E1xの音はやはり懐が深い。音数はさらに多く、豊かな音楽性に圧倒される。RNHPはE1xに比べるとどうしても少し寂しい音ではある。E1xを通すことでプラスされる音場の広がりや音のディテールの色彩感などは、スペシャルなコンシュマーオーディオの面目躍如たるところであって、RNHPにとってはないものねだりである。逆に考えれば、実にこのレベルの機材でなければRNHPを凌駕できないのは驚きである。

音の輪郭の雰囲気などは筐体のサイズや設計コンセプトも類似したJRsoundのCOLIS HPA-101のそれに近いが、値段の差なのか、単に技術的センスの差なのか、RNHPの方が明らかに格上の出音である。HPA-101ヘッドホンアンプよりも音の輪郭以外の様々な音楽の側面がさらに色濃く浮き出てくるようなサウンドだ。強いて言えばプリズムサウンドのインターフェイスのヘッドホンアウトの音が近いかもしれない。音数とその音の強弱・高低が音源のそれと正確に一致しており、リスナーの存在を意識した音の足し引きが一切ないというところがかなり似通っている。プリズムサウンドはコンシュマー向けにDACを発売するらしいが、相性はかなり良いのではないかと想像する。
RNHPは上流になにを合わせるにしても、その素性を容赦なく暴き出すヘッドホンアンプであることは言うまでもない。だからなるべく音の良いDACを使ったほうがいい。ヘッドルームの高さに対する考え方と相通じるのかもしれないが、このアンプが受け止められる情報量の大きさはヘッドホンアンプとしてはおそらく規格外のもので、どのような高級なDACを上流に置いても不都合を感じないだろう。
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いろいろ試してみて、有効だなと思った使いこなしのコツとしては、RNHPは音の寝起きが悪い方ではないが、電源は少なくとも半日以上入れっぱなしにしてから聞いた方がいいということ、本機のアダプターがプアでもそれを挿す電源タップはChikumaやリプラス、アコリバ等から出ている完全にオーディオグレードと考えられる製品を使うべきこと、ifi audioの電源ノイズフィルターは是非使うべきこと、筐体の鳴き止め用のトップパネルに乗せるウエイト(私はレコード用のTechDasのスタビライザーを使った)は有効であることくらいか。特にifi audioの電源ノイズフィルターDC iPurifierはこの機材に関しては有効であると大声で言いたい。SNがスッと良くなり、音場の見通しが一段と冴えわたる。フィルター本体だけが、アンプの電源スイッチを切っても熱くなってしまうのが気になるが、私が試用していた範囲ではトラブルはなかった。これを試す方は当然、自己責任でお願いしたいのだが、お薦めできるTipsである。(これを使うと電源のオン・オフが繰り返される現象があるという話を聞いたが、私のところでは全くそんなことはなかった。だが、そういう報告があるとすれば誰にでも薦めるべきグッズでもないのかもしれない。)

Summary

外観からはまるで想像できないが、ほとんど欠点のない、すこぶる優秀な音を出す傑作ヘッドホンアンプである。音に関しては100点満点中95点くらいあげたいほどだ。音場の広がりが若干狭い印象があり、5点引くだけ。あくまで私の個人的意見だが、20万円までのヘッドホンアンプで最も優秀な出音のアンプではないか。この機材について一番残念なのはヘッドフォニアの大部分がこのアンプにまるで気づいていないことである。
このサウンドがプロ畑で絶賛されるニーヴの音であり、意味のないことにはカネはかけないニーヴの流儀の現れなのだろう。アンプの作り、出音ともに無駄のないシンプリシティを貫いていて、感心した。オーディオのあるべき姿の一つを見た思いだ。
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Re Leaf E1xを持っていなければ、このアンプは必ず買って手元に置いたと思うし、Re Leaf E1xが使えなくなり、代わりが見つからない場合はこれを買うことになるだろう。この価格なら予備に買ってもいいかもしれない。こういうプロサウンドの方面で最も優秀な製品はマス工房のヘッドホンアンプだと思っていたが、これからはニーヴが作った本機を筆頭とせざるをえないだろう。特にHD650 Golden era dmaaとの相性の良さ、組んだときのシステムとしての完結性・完全性は忘れがたい。HD650のような飾り気はないが少し彫りの深い陰影を出せる実直なヘッドホンはニーヴのアンプに合うと思う。そのうちHD600、AKG K812などでテストしてみたいし、近いうちに入手するであろう、SONY MDR-Z1Rをつないでみたくもある。はたして、どんな音が聞けるのだろうか。またこれを2台買ってL/R別々にドライブするのも面白いかもしれない。完全なモノラル構成となるが小さいアンプなので難しくない。
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こうして聞いてみると、現代のニーヴのソニックシグネチュア―はやはり無色透明に近いものだった。繰り返すがオーディオには何百という無色透明があり、それぞれが異なるのである。だからニーヴの無色透明はニーヴの機材からしか感じ取れないものだと考えられる。この色のない色をどのように表現したらよいのか見当もつかないが、私はなにか音場の深さに特徴がある音のような気がした。大概のプロサウンドというものは音像をダイレクトに捉えることにのみ汲々としているので、音場の広がりや深さに関心を払わないように感じることが少なくない。しかしこのRupert Neve Designs RNHPには特に音の奥行の深さに関心があるように聞こえた。この深みの感覚とNeveというプロオーディオ界のビッグネームが私の中で結合され、ひとつになった喜び、それを今かみしめているところである。

オーディオにおいて、この先も間違いないこと。その一つは、オーディオの世界が移り変わっても、音の名前は依然として幅を効かせるであろうということ。いったい誰が、このサウンドを作り上げたのか?その作者・設計者の名前を我々はこれからも知りたがるに違いない。そして、伝え聞いた名前とそのサウンドが頭の中で結合した瞬間に、その署名は脳裏に走り書きされることになる・・・鮮やかにね。
幾度となく、音の名前が暴かれ、我が脳裏に焼き付く鮮烈なる瞬間を求めて、今日も明日も、そして遠い未来においても私はオーディオと向き合い、問い続けるはずだ。
この音の名は?と。

# by pansakuu | 2016-09-10 01:34 | オーディオ機器

アニソンとハイエンドオーディオの関係:“痛さ”の受容


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痛い:
非常識な様。本人は格好いいと思っているにもかかわらず、客観的にみると非常識であり、そのギャップが痛々しい様。・・・・・
byニコニコ大百科


ハイエンドオーディオの機材をズラッと揃えた試聴会に出席すると、時々フリータイムというものが設けられることがあります。出席者が持ってきたディスクをそこにある装置で自由にかけてみるというサービスの時間帯ですね。ここではディスクを差し出した本人以外は、その内容がなんであるかは事前には知らないわけで、なにがかかるのか楽しみである反面、ディスクを差し出した本人はそれが上手く鳴るだろうかと不安になっている場面でもあります。
演奏がひととおり終わると、試聴会に招かれていた評論家や代理店の方がいい演奏ですねとか、いい録音ですねとかコメントを述べることも多い。
そのコメントの瞬間にディスクを差し出した本人のオーディオのレベルが格付けされるような気分があるのも間違いない。だから試聴会のフリータイムで自分の愛聴盤を出すのはちょっと気が引けるという人もいます。

ハイエンドオーディオの概念がマークレビンソンらによって確立されはじめた頃、その対象となる音楽はクラシックかモダンジャズでした。それにややおくれてロックやポップスがハイエンドオーディオで鳴らす対象となり、試聴会でも頻繁にかけられるようになってきました。それらの中には有名な作曲家、演奏者、プロデューサー、録音技師の手になる多くのアルバムがあり、様々なタイプに分かれてはいますが、いずれも芸術性の高さは音楽評論などを通して折り紙のついたものでした。一方、それを演奏するハイエンドオーディオはすこぶる高価で、高い性能を誇る機材の集合体ですから、当然のようにそこから流れ出る音楽にはなんらかの権威により裏付けされた高い品格があったほうがよいという不文律があるように思えます。そう、ハイエンドオーディオというものは、ステータスのあるリッチな大人の趣味であって、姿も音も、どこに出しても恥ずかしくないほど格好良くなくてはならないのです。これは無言の圧力であり、試聴会のフリータイムという取るに足らない場面にすら、雰囲気として漂っているようです。その雰囲気は初心者がハイエンドオーディオに入って行きにくい心理的な敷居の高さをも演出しています。

5年ほど前からだと思いますが、私は、この試聴会のフリータイムで時折、アニメソングつまりアニソンを聞くようになりました。これは高級オーディオ専門誌では、あまりおおっぴらには語られていないようですが、デジタルファイルの普及と同じくらい大きな変化だったのではないでしょうか。
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なお、ここではアニソンの定義について、あえて細かく述べません。アニソンと一口にいってもかなり様々な傾向の音楽を含んでいて複雑だからです。私は話をできるだけ単純化したい。今回述べるアニソンとはアニメに関連した音楽一般を指しますが、もっと具体的には予備知識なしに聞いて、これはアニソンだと分かるような音楽を指していると思って欲しい。いわゆる萌えオタ向けのアニソンなどが、ここで取り上げる主なものであり、懐古的な昭和のアニソンなどはあまり眼中にないのです。

このアニソンの入ったCDをハイエンドオーディオシステムの前にまるで生贄のように差し出す人々は、大概はヤセ型か、あるいはかなり太った若いメガネ男子です。なにか堂々とディスクを出すというよりは、おずおずと恥ずかしそうに鞄の奥からディスクを出してきて、担当者にそっと渡すような仕草が共通しています。中身は若い女性の甲高い歌声の入ったアップテンポの明るい曲が多いのも共通項です。声優風の節回し、声のトーンもステロタイプ。演奏中は聞いている本人は大概ジッとしていて、足でリズムをとるわけでもない。傍で聞いている私は、それまでかかっていた音楽とあまりにも傾向の違う音調に面食らってみたり、自分の曲でもないのに、なぜか恥ずかしい気分になったりして、曲が終わるまでどうもいたたまれない。なぜなのか説明できないが、少なくとも数年前まではハイエンドオーディオシステムでアニソンをかけるのは、かなり強い違和感があったのです。
曲が終わると彼らはうやうやしく礼を述べ、腰を低くしてディスクを受け取る。これも常套的な態度です。彼らは礼儀正しい。
この礼儀正しさにも関わらず、アニソンの場合、最後の所で、参加している評論家や代理店の方が、その音楽や音質についてコメントを述べないことが多い気がします。場合によっては無言で次のディスクにかけ替えるのです。そこには、なにか異質なものがオーディオに入り込んだ偶然を、なかったことにしたいような空気が流れているのです。

こういう場面に何度も出くわすうちに馴れたのか、最近の試聴会でアニソンを聞いても、わけのわからない違和感、私が感じる必要のない羞恥心は幾分薄れてきました。ですが、それが完全になくなる気配は感じないんですね。
ロックやポップスがそうであったようにアニソンもハイエンドオーディオのソースとして自然に体制に組み込まれるものだと信じてきたが、なかなかそうはならない。
私はここ数年ずっと、この違和感に自分なりの決着をつけたいと考え続けてきました。

ところで、最近、ある有名なJポップのグループがアニメのテーマソングの製作を打診されたのに、断ったという話を聞きました。そういう音楽を作るバンドだというレッテルを貼られることを嫌がったのだと聞ましたが、本当でしょうか。音楽業界の今の苦しさから考えて、せっかく来た作曲の依頼を簡単に断るなどありえないと思うのですが、アニソンに関しては初めて聞く話でもない。こういう話があることからも、やはりアニソンという音楽は大人の男が聴くにはそぐわない音楽として見られている節があります。まだまだアニソンは日本の社会の中では“キワモノ”として捉えられています。これはアニメそのものが大人の鑑賞(み)るものとして認識されていないこととも関連がある。さらに進めて考えれば、それはアニメそれ自体だけでなく、アニメを社会人なっても楽しんでいる男女に向けられた偏見とも関連しそうです。

反面、クラシックよりもJAZZよりもロックよりも、アニソンを愛する若者たちを私は大勢知っています。彼らの多くは、知ってか知らずか、万策堂の知り合いであるからして、オーディオを愛してもいます。だから当然、アニソンをハイエンドなオーディオシステムで存分に楽しみたいという願いを抱いています。彼らは自室にこもり、アニソンを自慢のシステムで密かに鳴らすのです。スピーカーシステムであることもあれば高度なヘッドホンシステムであることもありますが、自分に出せるだけのカネを出して、知恵を振り絞って、いい音でアニソンを真面目に聞こうとしておられる。そこには嘘偽りのない純真なハイエンドオーディオ魂が見え隠れするのです。ぶっちゃけた話、若いアニソンマニアが今一番オーディオを勉強しているし、老人たちよりも大きな金額を使っている人もいます。
特にアニソンにはボーカルの美があり、それをより美しく聞くことに執心するアニソンマニアは途切れることはないのです。
だが、そういうダマシイの世界も一歩、自室の外に出れば冷たい偏見をもって迎えられる場合が少なくないようですね。
以前、私の周りに自分の職場ではアニソンについては決して語らないと言う若者がいました。それはカミングアウトするようなものだと彼は言いました。この趣味がバレるのが怖くて彼女ができないとまで言ったのです。そんな大袈裟な、と笑いながら振り返ったときに見た、彼の妙に真剣な眼差しが忘れられません。
いったい、誰が彼をそこまで迫害したのでしょうか。

とにかく、アニソンをハイエンドオーディオで聞くことは恥ずかしいことか、というのが今回の空論のテーマなのですが、まず、そんなことは考えるまでもなく、恥ずかしくないに決まっています。
だいたいオーディオシステムで何を聞こうと個人の趣味、アナタの勝手ではないか。
しかも、例を挙げる必要もなく、現代ハイエンドオーディオで頻繁に取り上げられている音楽が、最初から格調高い音楽として認識されていたわけではないことは周知のこと。全ては様々な形で後付けされた権威により、高い芸術性が担保され、安心して聞ける存在になっているに過ぎないのです。

しかし実際には、アニソンを敷居の高いハイエンドシステムで聞くことに恥ずかしさがつきまとうことは否定できない。このようなアニソンの恥ずかしさの源泉としてすぐに思い当たるのは、その宿主であるアニメ本体にまつわる恥ずかしさです。それを知るにはガルパンを見ている時に感じた、あの支持者たちの熱狂と冷たい世間の視線とのギャップについて想起すれば足りるでしょう。
しかし、これは不公平な状況ではないかと私は思います。例えばヨーロッパの文芸的な恋愛映画によくある、赤の他人だった男女が出会ってから一秒で恋に堕ち、数時間を待たずして行為に至るというようなシーン。(映画「そしてデブノーの森へ」や「ダメージ」などで見るシーンである)ここでは必ずと言ってよいほど、相手はかなりの美女です。(アナ ムグラリスが美人というのには異存ないと思うが・・・・ジュリエット ビノシュも十分に美人ということにしておいてほしい)こういうシーンは美しい異性への絶望的な願望から生まれた場面であり、通常はほぼありえないことでしょう。このような芸術映画のシュチュエーションのありえなさは、ガルパンの世界観のありえなさと基盤を同じくするものではないでしょうか。ここで片方が芸術作品と呼ばれ、もう片方はモテないオタク向けのサブカル映画として白眼視されるのは、とても不公平です。ああいうアニメが本当に恥ずかしいものなら、文芸的な恋愛映画の少なくとも一部は極めて恥ずかしいものと言えましょう。だが実際、世間ではそうは言われていない。こういう不公平な認識がまかり通っているのはおかしい。エヴァやハルヒ、けいおん、マギカ、ラブライブ!、ガルパンの大きなブームを経て、この手のアニメはネットを介して流行する重要なコンテンツとして定着し、日本の中では大きな文化の流れとなっているにも関わらず、実写とアニメの間にある不公平感はなくなっていないのです。
(エヴァ、ハルヒ、けいおん、マギカ、ラブライブ!、ガルパン全てに共通するのは少女がメインキャラクターであること。恐らくこの不公平は少女を偏愛する大人を危険視する社会の態度に由来するのでしょう。)

このようなアニメを取り巻く不公平な文化的状況はともかくとして、これだけアニソンについてハイエンドオーディオ界の受容が本格的に進まない背景には、その理由が一つではなく、数多くあって、なかなか減らないことがあると思います。
例えばハイエンドオーディオを実践しているのが圧倒的に老人が多くて、アニソンにまるで馴染みがないこと、アニソン自体にリッチな雰囲気がなくてリッチな趣味であるハイエンドオーディオに合わないこと、アニソンを高音質で聞きたいというリスナーがまだまだ少数であること、アニソンに音楽の権威による裏付けがなく文化的には格が低いサブカルな音楽と見なされていること、ステサンなどの高級オーディオ専門誌やオーディオ関係の大物ブロガーもアニソンをあまり取り上げないこと、アニソンのほとんどが音質的にハイエンドオーディオ機材で聞かれることを意識して製作されていないこと(Hi Fiで聞くとむしろ聴きづらくなってしまうものもある)、特定の時代のJAZZを得意とするオーディオシステムがあるようにアニソンになかば特化したようなシステムが登場しないこと、アニソン自体がアニメ作品なしに成り立たず、独立した音楽のジャンルとしてはまだ立場が弱いこと等々、様々な要因を挙げることができます。
アニソンには不備が多い。だから敵も多い。

でもここで、一番ディープな問題はそんなことではないと思いませんか。アニメやアニソンの本質にいわゆる“痛さ”が多かれ少なかれ、ほぼ必ず含まれることが最も根源的な問題なのではないでしょうか。
“痛さ”というものが中二病的な“恥ずかしさ”の発露であるとするなら、アニメやアニソンにまつわる行為の少なくとも一部は世間一般から見たら恥ずかしいことをあえてやることです。ハイエンドオーディオでアニソンを聞こうが、ローファイな機材で聞こうが、それは本質的に“恥ずかしさ=痛さ”を含んでいることが多い。そうでなくては恐らくアニソンはアニソンらしくならないのでしょう。“痛さ”を伴う音楽はアニメと関連がなくてもアニソンに聞こえるし、“痛さ”と決別したアニソンは、予備知識なしには最早アニソンに聞こえず、萌えない。
この法則を知らない、もしくは忘れていることが行き違いの始まりなのです。
アニソンという本質的に痛さを伴う音楽を、“痛さ=恥ずかしさ”を排除し、格好の良い音あるいは正しい音を出そうとしているハイエンドオーディオという趣味に持ち込む。その場面で我々が違和感や羞恥心を感じることは必然であるにも関わらず、ハイエンドオーディオは常に、それとは反対方向の音を求めている。この方向性の行き違いが違和感の元ではないかと。
つまり、アニソンを聞く時は、この“痛さ”を受容して楽しめるように、リスナーは頭を切り替えることが必要になるのです。この当たり前にすら見える、頭の切り替えの必要性がアニソンに不慣れなオーディオファイルに認識されていない、あるいは無視・拒否されているのが現状なのではないかと思います。

さらに、ここでハイエンドオーディオそのものを醒めた視線で見つめ直すのもいいかもしれないですね。
そもそもハイエンドオーディオファイルが“格好の良さ”や“正しさ”あるいは“原音再生”などというものにカネをかけること自体、一般人にとっては理解を超えたバカバカしさなのではないでしょうか。ウォールストリートジャーナルにマイ電柱を立てる日本のオーディオファイルの写真と記事が出ていましたが、オーディオに関心のない者から見れば、あれこそ中二病的な“恥かしさ”満載の行為と言えなくもない。これを見るとアニソンとハイエンドオーディオ、その根っこは案外と似たり寄ったりなのかもしれないと思うのです。だから彼らがアニソンに慣れることは可能であり、その“痛さ”を受容すべく頭を切り替えることも、不可能でないと私は信じています。

とかなんとか言いつつも、私は、いじめられる人間にもいじめられる理由が存在するという法則を忘れたくない。
偏見を持たれる人間には、その偏見に値するだけの理由があるのかもしれぬと考えるのがバランスの取れた見方というものでしょう。
確かにアニソンには先述した以外にも、至らぬ点があります。
私はアニソンのほとんどが音楽のプロが集結し、苦労して作りこんだ作品であると考えていますし、演奏や歌唱のレベルの高いものが少なくないと思っています。だがそれだけで、アニソンを尊敬してもらおうというのはおこがましいと思います。アニソンは音楽の内容が薄い。特に歌詞が弱いです。本当に自分の言いたいことを吐露しているように聞こえない。テレビで流すことを前提としているせいか、作品世界に制約されているのか、まるで自己規制をかけているかのように、上滑りな、言い足りない詞が圧倒的に多い。文学的なセンスやテクニックにも欠けています。まるで天才の登場を拒絶するかのような、無個性で平均化された音調も芸術性に欠けるような気がします。
さらに言えば、アニソンは、異性への願望に基づく妄想以外のテーマを作曲者、演奏者の持つ強い個性に載せてアピールしないかぎり、過去の偉大な音楽作品を超えて、ハイエンドオーデイオに馴染む資格は与えられないでしょう。この音楽に関わるアーティストには、今のアニソンの様式美の枠を壊す勢いが必要だと思うのです。

今の時代に新しい音楽を生み出す事が苦しいのは知っています。これほど膨大な過去の音楽遺産を背負い、その栄光と重みを否応なく意識しながら、新しい音楽を生み出すことに困難さがあります。最新の音楽を全く聴かなくても、過去の莫大な音楽遺産を少し掘り返すだけで、一生かかっても聴き終わらないほど多くの音楽に出会える時代です。中古レコード屋の片隅を掘削して得られる、日の目を見なかった秀曲を聞いた後、今のアニソンなりEDMなりを聞く時の手詰まり感といったら、時に息苦しい。美しい歌詞とメロディ、素晴らしくインパクトのあるビートを人類は既に使い尽くしてしまったのではないかと疑いたくなほど。そして過去の音楽を掘れば掘るほど、新しい音楽が陳腐な剽窃にしか聞こえなくなる現象が私の中に起こるのです。そういう現実はPerfumeを聞いてもBabymetalを聞いても払拭できるものではない。アニソンに限っても昭和のアニソンだけ聞いていて趣味として完結できなくはない。つまりハイエンドオーディオの存在とは関係なく、新しい音楽に過去の音楽を超える何かを求めることは難しい時代になっているのです。アニソンにかぎらず、この状況下で新しく生れ出る音楽に多くを求めることは酷かもしれない。

しかし、音楽については過去だけを見ていながら、機材については未来志向で揃えていくというのは、どうも矛盾してはいないでしょうか。
シンゴジラの後ろ三分の一を覆う希望的な雰囲気を象徴する、矢口 蘭堂の台詞「日本はまだまだやれる」ではないですが、「音楽はまだまだやれる」と私は前を向いてつぶやいてみたいものです。紆余曲折あっても前へと進もうとするハイエンドオーディオの良き伴侶として、優れた内容と音質を備えた前衛的なアニソンが生まれ、(それは見たこともない前衛的なアニメが生まれることと同意なのですが・・・)アニメファン以外の人々にも受け入れられる時代が来ることを願ってやみません。

# by pansakuu | 2016-09-02 23:23 | その他

Hailey1.2を眺めながら

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つくづく思うのだが、
私のような都会に住む忙しい人間には、
高価なスピーカーなんてものは無駄じゃないのか?
今、手元に置いて試用しているYGのHailey1.2を眺めていると
そういう思いが込み上げてくる。
ここのところ、ずっとそういうことを考え続けている。

最近の私は週日、朝早く出掛けて、夜遅く帰ってくる。
つまり、このスピーカーを存分に聞けるのは上手く行って日曜の昼間だけである。
フルに休みを使えても実質、週に10時間前後である。
しかも隣近所の迷惑があるので、そんなにデカイ音は出せない。
こいつは思い切り音量を上げた時にその真価を発揮するのだが・・・。
とはいえ、クレームが来やしないか、
ビクビクしながら音楽を聞くのは御免である。
事実として、一軒家を立てた後の方が、
マンション住まいだったときよりも騒音の苦情が増えたというオーディオファイルもいる。
防音室がないと安心はできない。

しかし、何度か述べてきたように私は防音室が苦手である。
窓のない部屋、窓の小さい部屋が元来苦手なのである。
あの閉塞感には馴れることはない。
ついでに重いドアも困る。単純に開け閉めが辛い。
だから防音室は建てない。
そんなに広くなくていいので、
家族の行き来するオープンなリビングで寛ぎながら音楽が聴きたいだけだ。

この状況で、
600万のスピーカーを買っても
宝の持ち腐れに近い気がするというのはこういうことだ。
時間当たりの音楽を聴くコストを私は考えるのである。
例えば、この調子でスピーカーオーディオをやっても
一年に400時間あまりしか聞けないことになるが、
一年でスピーカーに払った代金の元を取りたいなら、
600万を400時間で割るわけで、
一時間あたり一万円以上かけていることになる。
無論、スピーカーは少なくとも2年は使うわけだから、
まあ一時間当たり7000円くらいまでの使用料に下げられるかもしれないが、
それでも、音楽を聞く対価としてはどう考えても安くない。
それにこれはスピーカーについてだけの話で、
アンプも同様のことが言えるので、さらに金額は加算される。
また、一週間の大半はリビングに
大きなスピーカーが無意味に陣取ることになる。
これも我慢できない。
こいつは音を出していなければ、
ただの真っ黒くて重たいオブジェにしかならない、邪魔っけな道具である。
スピーカー本人にしても暇を持て余しているような気分だろう。
週末しか、お呼びがかからないのだから。
Hailey1.2は、これはこれで確かに音はいいから
300万くらいなら我慢する、許せるのだが、
(でも能率が低いのはかなり困るな。アンプの代金も半端ない。)
こいつは600万円を超える機材なのである。

とにかく、いろいろと考え始めると
高価なスピーカーというものは、自分に合わないような気がしてくる。
こうなるとヘッドホンの方がよほど気楽である。
家人が静かに勉強をしていても、お構いなしに聞けるし、
徹夜で聞き続けても誰もクレームしない。
したがって毎日のようにコンスタントに聞ける。
どんなに高価なヘッドホンシステムを組んでも、
一時間あたりの対価はスピーカーシステムよりもかなり小さくなる。
またスピーカーシステムに比べて圧倒的に小さく場所を取らない。
また幾つものシステムを並列して設置し愉しむことも容易であるなんてことは言うまでもない。

だが、ヘッドホンシステムは
最重要事項である音質について
最近まで、ずっとスピーカーシステムの後塵を拝してきた。
だから、どうしてもスピーカーは必要だった。
しかし、今やハイエンドヘッドホンシステムの性能は
スピーカーと比肩できるところまで上がって来たように思うと何度も唱えているし、
それに対して、最新スピーカーの能力は
頭打ちに近い状態であるということもたまに言っている。
確かに、新型スピーカーを聞くと、測定値に出るような表立った部分については、
昔のものよりも良くなっているのだが、
その分、以前のスピーカーが持っていた愛すべき個性、独特の味わいのようなもの、
あるいは絶妙なバランスの良さが失われているような気がしてならない。
これでは結局、差し引きゼロの状態ではないか。
何かを得たが、何かを失っている。
一方、ヘッドホンに関しては、いまところ、単純に得たものの方が大きい。
つまり伸び盛りのジャンルなのである。
黄昏のスピーカーオーディオと旭日のヘッドホン・イヤホンオーディオ。
このギャップはとても大きい気がする。

こういうギャップに若い人たちは敏感だし、直感が鋭い。
そして合理的である。
だからヘッドホン・イヤホンの方に集まってくる。
そっちの方が伸びているし、素直に面白いし、合理的だからだ。
この人気が金銭的な問題のみに起因するものでないのは明らかである。
今や本当にハイエンドなイヤホンシステムを揃えるほどの財力があれば、
大きくはないが、気の利いたスピーカーシステムを揃えることは可能であるのを、
彼らは承知している。
でも、それでは全然、気分が盛り上がらないから、
あるいはどんなシュチュエーションでも楽しめろわけじゃないから、
ヘッドホン・イヤホンに大きな投資をするのだろうか。
私はよく知らないが、結局そういうことになっている人もいるらしい。

そういう私は夜な夜な、
NAGRA HD DACとRe Leaf E1x、HD650 Golden era MKを召喚し、
音楽の迷宮への出入りを繰り返す。
そこで様々なシンガー、様々な音たちに出会い、奴らと火花を散らす。
そのデジタルファイル、LPに隠された滋味を味わいつくしたら、
そこを立ち去り、また次の音楽と出会う。
オーディオファイルとは音の機械獣の召喚者であり、
彼らを使役して音楽の女神を狩り、食らうハンターのような者たちだ。
その神聖な用途に、私のヘッドホンシステムは
いままで使ったどのスピーカーシステムよりも向いているような気がすることもある。
これはかなりコンパクトなシステムだが、
さらに高価なHE-1に勝るとも劣らない、魅惑的なサウンドをいつも奏でてくれるし、
どんな静かな夜でも私の気まぐれに付き合ってくれる道具なのだ。

世話してくれた方には申し訳ないのだが、
私は明日にも、このYGのスピーカーを流してしまうかもしれない。
次はまたピエガに戻るか、マジコに行くか。
もしかしてZellaton?
はたまた、
デザインが楽しいVividに行きたい気分もあるが、
あの横っちょウーファーはこの部屋で大丈夫だろうか。
様々な考えが頭の中に渦巻いていくのだが、
その背景には常に、
今、スピーカーでオーディオをやるって本当に面白いことなのか?
という倦怠感にも似た深い疑問が居座っている。
それは、ヘッドホンやイヤホンが発達した現代においては
ハイエンドスピーカーなんてものは
無意味に難儀で不自由なだけなんじゃないかという疑問と重なる。
そして、
その疑問の向こう側には、
手の込んだヘッドホンシステムがあれば十分ではないか、
という消極的な解答があるのではない。
ヘッドホンシステムに投資する方が明らかに面白いし、
恐らく今の自分にとっては険しいけれど新しい道なのだという確信がそこに生まれつつある。
それは私が望んでいないことだったかもしれない。
考えたくもないことなのかもしれない。
だが、砕け散ってもいいから、そっちに歩いて行きたい。
そういう強い誘惑がある。
スピーカーに未知の音を見つけられなくなってから久しいのだから、
当然といえば当然か。

では自分のヘッドホンシステムを私はどうすべきだろうか。
Sennheiser HE-1についてはアンプ部が明らかに役不足だ。
このシステム単体では600万の価値はまだないから、
強力なDACや電源ケーブルをかませたりして底上げしなくちゃならない。
こいつを候補から外したわけじゃないが、乗り気にまではなってない。
それに、未聴だが、MSB Select DACと
STAXヘッドホン向けのアンプユニットも魅力的ではある。
問題は流石に高価すぎること。1700万円はすぐには出ないし、
STAXにしか対応しないのもつまらん。
アレはとにかく試聴しないと、どうしようもないのだが、
代理店様がヘッドホンオーディオに関心が無さそうに見えるので、
もしかすると日本では聞けない機材になってしまうかもしれない。
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それにひきかえ、
ステンレス製のRe Leaf E1pの鏡面仕上げのコース、
Fostex HP-V8とBispokeのプリ、TA300Bを組ませるコース、
GOLDMUND THA2を電源ケーブルやインシュレーターで
ドーピングするコースなんかは
HE-1やSelect DACよりも、ずぅーっと安上がりだが、
多少は面白い結果が得られることだろう。
これらにFocal UtopiaやGrado GS2000eなど
最新のヘッドホンを合わせて愉しむのがよかろうか。
(GS2000eの方はそのうち手に入りそうだが・・・・。)
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黒光りするHailey1.2を眺めながら、
私はあえて、このスピーカーのレビューを書かないことに決めた。
このスピーカーの音質が悪いのではない。むしろ素晴らしい。
それなのにあえて書かないのだ。
スピーカーを飽きるほど聞いたとは到底思えないし、
そんな境地に達したと思いたくもないのに・・・・。
単なる一時の気まぐれなのかもしれないが、
それほどまでに私は、
スピーカーという、
どこか時代遅れにさえ見える難物に興味を失い、
ヘッドホンというガジェットにオーディオの新たな希望を見出している。

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# by pansakuu | 2016-08-09 23:15 | その他

ARAI Lab MT-1 昇圧トランスの私的インプレッション:悩ましきMade in Japan

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俺たちが売る一番大事なもの、それは、Made in Japanの誇りだ。
by小松万豊


Introduction

世界で最も優れたオーディオギアでありながら、日本でしか製造できないモノを、私はいくつか知っている。
例えばKan Sound LabのMEWONリボンツィーターやMy sonic, IKEDA, ZYX, MUTECなどの高級カートリッジ(世界のハイエンドオーディオファイルに出回る高級カートリッジの70%以上は実は日本製である)、EsotericのSACDドライブメカ、AccuphaseのAAVAボリュウム、Re Leafのヘッドホンアンプ、TechDASのアナログプレーヤーなどが該当するだろう。スピーカーやアンプというメインの機材で最高を求めると、どうしても海外製になってしまうが、特に細々したアクセサリー系の機材に関しては日本の技術が生きることは多い。
最近、そういう特別な機材の列に新たに加えるべきものを私は聞いてきた。
ARAI Lab製のMT-1という昇圧トランスである。
(写真は持っていないので、HPより拝借しました。申訳ありません。)

昇圧トランスというグッズは、以前のアナログオーディオの名残のようなものだと思う。昔、プリアンプにビルトインされていたフォノはMM型カートリッジ用に作られたものが多かったので、MC型のカートリッジを使いたい場合は、電圧を適合させるための昇圧トランスを別に買って途中にかませていたのである。この昇圧トランスの選択でかなり音が変わることはよく知られている事実である。

しかし最近のフォノイコライザーにはMCポジションがほぼ必ずあるものだし、その出音も優秀である。またMMよりはMCカートリッジが圧倒的に多い時代でもあり、フォノイコライザーのMMの端子はあまり使われない。現にMC専用のフォノイコライザーもいくつもある。それに、この状況でもあえて昇圧トランスをかませてレコードを聞く意味を感じさせてくれるようなトランスはほとんどないと私は承知している。(実はアナログシステムを選ぶ際に、いくつも聞いたのだが、ピンとくるものはなかったのである。)

現在、日本のオーディオの市場には50機種ほどの昇圧トランスが売られているが、その大半は受注生産品であり、マイナーな存在である。そして、それらの価格は、今まで最も高価なものでも50万円(テクニカルブレーン製のTMC Zero)ほどであった。今回試聴したMT-1は150万円とその3倍の価格である。ますますマイナーでマニアックな存在だ。確かに300万円オーバーの超高級フォノイコライザーが次々に登場する時代であるから、こういうのも出てきておかしくないのかもしれないが・・・。とにかく価格に見合う音の変化が現れるものなのか、現物に当たってみるほかはない。


Exterior and feeling

実物に接してみると、その造りからして、既に他の製品とは別格のものに見える。ジェラルミンの削り出しのツインタワーのようなケース、分厚い真鍮製のベースプレートと制振材であるfo.Qを敷いたアルミ製のフットがガッチリと組み合わされている。かなり重厚かつ精緻なつくりである。チープな感じは一切ない。それから昇圧トランスとしてはかなり大型であるのも特徴である。これは私が今までテストした10機種あまりの昇圧トランスの中では最大の製品である。

この昇圧トランスは、使用するカートリッジを指定して注文し、一点づつ特製するのが最大の特徴である。これがコストがかかる原因の一つである。
こんな面倒なことをするのは昇圧トランスのインピーダンスとカートリッジのインピーダンスを完全に一致させたいがためである。このため、インピーダンスによってコイルの巻き数が異なることになる。すると本体価格も当然、変動する。その変動幅は30万円ほどにもなる。つまり、かなり太くて高品質の線材をふんだんに用いているとも想像できる。またかなり大型のファインメットコアをダブルで使用しているらしい。
線材が巻かれたトランスはケースに入れたあと、振動を抑えるため特殊な充填剤をケース内に注入するのだが、空気が一切入らないように、真空チャンバーを使うという念の入れようである。これほど意を尽くして作られた昇圧トランスを私は知らない。

また、私がメインで使用するMy sonicのUltra eminentなどの1Ω前後の超低インピーダンスカートリッジに関しては、その性能を引き出す昇圧トランスがないという話がある。(My sonicで作っているものを除いてであるが・・・。)このような場合、オーダー形式の昇圧トランスが有利なことは間違いない。思い返せば以前、Audio Note製の銀線を巻いた昇圧トランスを試聴したことがある。あれは、かなりな美音を出せるものではあったが、私の使用するカートリッジにマッチしていたかは疑問であった。やはりインピーダンスが一致するに越したことはない。


The sound 

ある程度出来上がったアナログシステムの中に、使用するカートリッジとインピーダンスのマッチングを取った、この豪華な昇圧トランスを組み込む。それは聞き始めから絶句してしまうような忘れがたい体験であった。
なにしろ150万円のトランスなのだから、当たり前なのかもしれない。とはいえ、そういう鳴物入りの製品の大半は、価格に見合うようなものではないとこっちは知っているわけで、はじめから疑って試聴しているのである。
幸か不幸か、このMT-1は例外であった。
試聴はミドルクラスのターンテーブルとアームにMy sonicのEminentを合わせたアナログシステムを用いたものであり、当然、カートリッジとインピーダンスのマッチングを取っている。

一言で言えば、このトランスをかませると音の深みが大幅に増す。このような変化はシステムの構成要素の何を替えても得にくいのでは?大衆小説と純文学の情報量と質の違いというか。あるいは短編集と長編小説の読後感の違いというか。得られる感動の質とボリュウムが格段に多彩かつ多量となる。音楽の微妙なニュアンスの様々が、リスニングルームいっぱいにひろがってゆく感じである。
システムのトータルサウンドは、このトランスの有無によって相当に変わってしまう。

このMT-1ではなにかと引き換えになにかを失うということがないどころか、全てが揃って向上するという、ほぼありえない結果が得られる。こういうバランス感覚のある優秀さに日本製品の日本的な良さを認める。
実際、このMT-1による、低域の沈み込みや高域の伸びの良さ、中域の陰影感の増大とスピード感の向上は目覚ましい。音の輪郭は、より明瞭になっており、それに加えて柔軟さとしなやかさに満ちた音の流れ・躍動の表現も巧みである。
定位感に優れることも、特筆すべきだろう。音像がビシッと音場に固定されたような安心感がある。落ち着いて音楽に浸れる状態になる。
この音は鮮度感も低くない。確かに料理された音であり、トランスを介したらしく、ややコッテリした濃厚な味わいもついて回るのだが、音が縮まらず、スカッと伸びるのだ。音の切れもいい。鈍った音には全然聞こえない。
またとてもカラフルな音とも取れる。音色の描き分けが見事で、明暗や濃淡だけで音楽を語らない。様々な楽器や人の声の調子、質感を細部まで詳しく説明してくれる。音に色があるように感じられるのは、こういう詳細な音の触感を感じられる場合に限られる。

それになんといっても、ダイナミックレンジが狭まらず、むしろ広がったように感じられるのはありがたい。これがこのトランスを導入して一番嬉しくなる部分だろう。
通常、昇圧トランスを入れると、レンジはほぼ必ず狭くなる。のみならずレスポンスは遅めとなり、音像は丸みを帯びてくる。むしろそういうノスタルジックなセピア色の音を創るために、ヴィンテージの昇圧トランスを選ぶ方も多いのではないか。オーディオはノスタルジーと言外にアピールするヴィンテージオーディオマニアたちはこの鮮烈かつカラフルなMT-1のサウンドをどう聞くのか?個人的に興味がある。MT-1は過去のアナログオーディオの名残ではない。
例えば普通のトランスは、10~50kHzぐらいをカバーするものだが、このMT-1は1.5~140kHzまでフラットなレスポンスがあるという。またコイル自体の品質係数Qも通常の昇圧トランスの70倍であるという。Qはスピーカーを駆動する力、制動する力を反映する値であり、ARAI Labではパワーアンプを替えた位の効果を期待できると謳う。
おそらく、これはもう技術的に凡百のトランスとは別物なのである。こうなればインピーダンスのマッチングが仮になくても、かなり優れた音質が期待できる。

試しに、一旦、MT-1を外して、もとのフォノのMCポジションできいてみると、かなり寂しい音になってしまう。謳い文句の通りにスピーカーの駆動力も上がっていたようで、外すと躍動感が3割減ぐらいになってしまう感じだ。

マニアの間では知れたことだが、My sonicでも、手持ちのUltra Eminentに合わせた昇圧トランスを作っている。Stage1030(30万円)という製品である。かなり以前に、そのアンバランスバージョンを組み合わせて音を聞いたことがある。(バランスバージョンも最近加わったが、それは聞いたことはない)確かに、あれはあれで良いマッチングがあったのだが、おそらくMT-1の敵ではないだろうと回想する。Stage1030の印象はMT-1に普通の良いトランスでしかなかったからだ。MT-1のような特別な印象がない。つまり、かなり大きな音質差があるという予想が容易に立てられるほどMT-1を使った場合の音の出来は立派だった。


Summary

確かに、このトランスのサウンドは素晴らしい。でも悩ましい。

例えば、この価格にして、厳密には、たった一つのカートリッジにしか適応しないというのはどうなのか。それがこの製品の最大の特徴であり、原理であるとしても、どうにも納得できない気分が残る。
例えばそのカートリッジがくたびれてきてしまい、新品に交換しようにも、あるいは針だけを換えようとしても、既にメーカーが消滅してる場合は、そのカートリッジは再生できない。150万のトランスが宙に浮くことになりかねない。(ただ、このトランスは、インピーダンスが多少ズレたとしても、少なくとも他のトランスよりははるかに優れた音を出すことは、ほぼ間違いない。基本的な能力が桁違いなのである。)
それから、これだけのトランスを買うような個人は、既に多くのカートリッジを所有することが想像できるが、そのうちどれを選んで、このMT-1とマッチさせるのか?それも難しいところだと思う。価格のみならず、大きさも小さくないから、いくつも買いたくなるようなものではないと思うし。
このトランスは音がかなり良いだけに、そういうことを考えるとますます悩ましい。

ところで、最近はよく「日本のものづくり」とかいう言葉を全面に押し出して、日本人の意識を煽ろうとする言説に出くわす。これは震災以降に顕著になった傾向だが、私にはあれは悲しい叫びの裏返しのようにも見える。
日本の技術は確かに優れているが、それが必要とされる分野はとても狭い範囲にとどまる。(細々したオーディオアクセサリー系の機材に関して日本の技術が優れているというのが、それにあたる。)そして斬新な発想を軸にして、バラバラに散在する技術を有機的に結合し、一つの全く新しい製品に仕立てる企画能力にも欠けている。(i podやi phoneは日本発の製品ではない。)さらに人口減少が技術伝承者の減少につながっている。
一方、冷静に曇りのない目で外を見れば、韓国や中国の技術レベルは日本とほとんど同じかそれ以上になっていることに気付くはずだが、それを報じる向きも少ない。分野によっては、もうすでに追いつかれ追い抜かされている事実には目をそむけている。何にしろ日本人は綺麗事を好みすぎる。そして隣国人よりも徹底したリアリストではない。反省し、見習い、変わるべき点だろう。
いろいろな意味で日本の技術は行き詰まり、全体としては衰退していると見るべきである。現代における「日本のものづくり」への賛美は、衰えつつある日本の技術を惜しむ悲壮な叫びの裏返しでもあるのだ。

そもそも、職人的な技術を使って作られた製品を、高い対価を払って購入する消費者自体が日本に少なくなってきている。日本人は口では甘い称賛をするけれど、実際には自国の高価なモノを進んで買わない。自分の懐を進んで傷めようとはしないケチな人々だといわれば、そうかもしれない。(これだけ選択肢があるから仕方ないのか?)
これは日本の職人の仕事がコスト高であるためだけではない。職人ではない日本人全体に、素晴らしい技術と、それを持つ職人に対するリスペクトが実は欠けているのだと思う。特に若い人にその傾向が強いと私は見ている。それは主に彼らがスクリーンの向こう側の二次元の世界にあまりにも深く関わり過ぎて、実体物に親しまないためだろうか。彼らは幼少時から、様々な職人の手仕事の現物に触れて感動する機会が少なかったのか。全員がそうだとは思わないが、現物・実体物を軽視する傾向は強く感じる。残念なことだ。
また世の中全体の指向性として技術そのものよりも、それを利用する新奇なアイディアを尊ぶという傾向もあるかもしれない。事あるごとに世界の賢人として名前の挙がるスティーブ ジョブズは優れたアイディアの人であるが、優れた工芸の職人ではない。コツコツと精緻な手仕事をやり遂げる職人よりも、要領よく仕事を片付けるアイディアやネットを利用した新たな遊びのコンセプトを考えつく者を人々は賞賛する。
結果として日本の技術を駆使したマイナーな製品はコストが高く、多数は売れないので、普通人の手に届かないほど、高価なものになりつつある。150万円の昇圧トランスにもそれは現れている。日本で凄いモノを作ると凄い金額になってしまうのだ。(先進工業国ではどこでもそうだろうが)

日本の技術の行く末がどうなるのだろうと、時々考えてしまうが、結論は出ない。
日本の技術に他国にない良さがあることは言うまでもない。このMT-1を聞いていても、それは分かることだ。しかし、それに手に入れる気が起こらないほど高価なプライスタグが付くようなら、それらは溢れかえる他国の製品に埋もれて、いつか市場から消えてしまうということも自明だろう。いわゆる富裕層のほとんどが、このトランスを求めるほどのオーディオマニアではないということを、こういうマニアックな製品を作る側は理解しておく必要がある。

しかしながら、
そういう生臭い話のカウンターパートにオーディオの夢を追うという話もあっていい。
コスト度外視、売れる売れない考えないでオーディオの理想を求める純粋な遊び心がメーカー側にもあっていい。
だから私はMT-1を否定しない。
しないどころか、自分のWANTEDリストの筆頭に加えたことを告白するものである。
もちろん少々、悩ましそうに顔をしかめながらではあるが・・・・。

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# by pansakuu | 2016-07-17 01:17 | オーディオ機器

H&S EXACTフォノイコライザーの私的インプレッション:或るオーディオファイルへの手紙

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お元気ですか。
私は厳戒のパリでの仕事からやっと帰ってきて、これを書いています。
眠たいので、どうもまだ覚束ない書きぶりなんですが・・・。
ひどい時差ボケを直すために、ぐっすり寝るのは勿論ですけど、
なにか新しいオーディオのアイディアを試して気分を変えることも考えたいですね。
なにせオーディオが好きなもので。

半ば必要に迫られ、しかし半ば気まぐれでというところでしょうか。
私の部屋に昨日、小さなフォノイコライザーが届きました。
これは30年以上前に西独で製造されたヴィンテージの機材を借りたのです。
かなり昔の話ですが、あるオーディオ評論家の方と、こいつを聞かせてもらう約束をしたのですが、その後で御本人が急死してしまい、結局聞けず仕舞いになったという、いわくつきのフォノです。
H&S EXACTという、知る人のみぞ知る傑作フォノイコライザー。
30年ぶりの再会?いや、懐かしいのですが初対面です。

とっても小さなフォノでございます。
筐体は28×15×6cmしかない。重さは2.5kg。
電源部は内臓されており、別電源はありません。
実に軽快な機材。
フロントパネルは恐ろしくシンプル。
電源とMM、MCの切り替え表示の赤いランプのみです。
ここにスイッチ類は無し。
ブランドロゴにはデザインも無い。
なんだかアノニマスなデザインですな。
リアパネルにはMMとMCの切り替えのトグルスイッチと端子。このEXACTの端子は全てLEMOとなります。これは特殊なスイス製の端子で、とても細いがロックがついていて確実に接続できるし、不思議なことに着脱の際にノイズが出ない。そして何と言っても音がイイんですね。今はプリアンプの接続用としてはほぼ絶滅してますけど、この端子を使った機材のみが持つ妖しい繊細さがあるのは忘れてはならないと思ってます。それはオールドマークレビンソンの音世界が持つソニックシグネチュアなのですが、この素晴らしきサウンドについては、いつか語る機会もあるでしょう。
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入力インピーダンスはMCで100Ω, MMで47kΩというもの。
周波数特性は14~110kHz±3dB、20~20000Hz±0.1dB、チャンネルセパレーションは90dB。昔のフォノとしては良い数値ですかね。
ゲインは内部のスイッチで変化させられるもので、MCでは28,32,35dB、MMでは34,36,40dBと変わる。でも中をあけなきゃいけないので、ここを変えることはあまりなさそうです。

このシンプルなフォノと大柄なペルセウスを見比べていると、ここ数年は小さな機材ばかり物色している自分を意識してしまいます。ペルセウスにしても、すこぶる音がいいから手を出しただけで、この大きさに関しては全然満足していなかった。NAGRAのHD DACについては、その購入の決め手はコンパクトネスでした。
スモール、シンプル、プレミアム。そういうオーディオを志向しているのですが、トータルシステムとして揃えるとなると、なかなか果たせないものです。

とにかく、最近は聞きたい新製品がまるでなく、パリにいても、ニューヨークにいても、東京にいても至極退屈な日々でした。HD650 Golden Era Meister Klasseを聞きながら、夜の窓辺でぼんやりコーヒーを飲むのが日課でした。(エル ススピーロ拝受しました。美味しいコーヒー豆ですね。)
なんでもいいから、聞いたことも無いような、凄い音を出せる機材に出会いたいと、いつも願っているのですが、このところ、それらしいものが全然現れぬままに、時間が過ぎてゆく。
私がそういう空腹に耐えかねた頃合いで
眼前を、このH&S EXACTが、ふと横切ったわけです。

私はウェスタンエレクトリックやマランツ、マッキントッシュ、クォードなどのレガシーオーディオ系も一通りは聞いてはいますが、そのサウンドがいくら素晴らしくとも、それにハマった試しはありません。
いまのところ、自分の部屋に連れてきたいと思ったこともありません。
そういう私が、なぜこの機材を、ここに借りてきたのか。
気分を立て直す必要に迫られたとはいえ、
やはり、この機材のコンパクトネスに惚れたのかもしれませんね。

モノが到着したので早速、結線して電源を入れて、プレーヤーを回し始める。
まずはラルフ タウナーのライブのLPでもかけてみます。
H&S EXACTは遠い昔に作られた機材ですから、
懐かしいような、多少ぼやけて、カドの丸い音が出るのかと思っていましたが、
それは裏切られました。
このフォノは私の先入観を初撃で砕いたのです。

まずは、この弦の音のキレの良さ、ずば抜けているんじゃないですか。
このキレの中身は、ペルセウスのような柔らかさを伴ったキレの良さというわけではなく、しなやかだが、鋼の硬さを孕んだ切れの良さ。
音のエッジは際立ち、ボリュウムを上げると、巨大な音のカミソリのように空間を切り裂いてゆく。
また、男性的な音の太さが音楽を推進する原動力として常にあって、音楽がグッと前に突出してから拡がります。
若干引いた広い音場を形成するペルセウスとはまるで異なる音の出方。
ボリュウムを上げると音の壁が目の前に立っているような異様な存在感に包まれます。これは、眼前にそそり立つような感覚。
どこかしら暴力的なサウンドではありますが、こういう男っぽい音は昨今のチマチマしたデジタルオーディオを一蹴するようで、実に痛快であります。
ギターの弦の余韻のたなびきも気持ちいいですね。
ECM独特のクリスタルクリアーな空間にタウナーのつまびきが拡散してゆく。
それからSNは大したことないはずなのに、音が妙にクリアーに聞こえるのも面白い。
特にボリュウムを思い切り上げた時の弱音のクリアネス、そして音のダイナミクスの現れに絶句させられます。
筐体が小さく、信号の通る経路が短いせいか、このように小さな機材は鮮度の高い音を出すことが多い。その例に漏れずこのフォノのサウンドは瑞々しい。予想以上に。

音の流れはスムーズな感触でアナログらしいのですが、高域をわずかに持ち上げたようなややブライトなサウンドであり、その意味では僅かにデジタルっぽい癖もあるサウンドです。CHORDのDAVEもそうですが、こういう一聴してわかるようなソニックシグネチュアには、私はむしろ惹かれる。最近の特徴らしい特徴をあえて排除しようとする、ハイエンドオーディオの傾向を私は好かないのです。
確かにペルセウスのSNには僅かに届かない。
(ペルセウスがSNが良すぎるだけ。)
それからあれほどにフォーカスが鋭いわけでもない。
(ペルセウスの音の焦点が合いすぎるだけ。)
しかし、この音の明瞭さ、キレの良さ、豪快さが揃ったものは今まで聞いたことが無いです。王を一手で刺し殺す香車の勢いってやつがありますよね。
ゴール前に飛び込んできたリオネル メッシやクリスチアノ ロナウドのように止められない、圧倒的な躍動感。こういうダイナミックな演奏は上品なペルセウスには期待できない。
ジャズメンに喩えれば、あえてインタープレイをせず、素敵なアドリブを次々に繰り出して、他のメンバーを煽るプレーヤーのようです。求心力でグイグイと音楽を引っ張ってゆくようなところがある。小さい機材だけど、トータルの音を決定する者、システムの主役として機能する。
確かに、これはペルセウスの聞かせる、完全犯罪のような鮮やかなオーディオの手口ではない。西部劇の銀行強盗のように多少荒っぽい仕事ではありますが、これは間違いなく楽しいし、オーディオの真髄のひとつにしっかりと触れています。

このEXACTはE1xを通してヘッドホンで聞いても最高ですね。
ペルセウスで聞くのとそれほど変わらないほどノイズ感が少なく、ペルセウスを上回るダイナミズムが得られます。ニック ベルチェの前衛、ラルフ タウナーのリリシズム、ジョン アバクロンビーの哲学、キース ジャレットの孤独、エンリコ ラヴァのニヒリズム。これらのECM看板アーティストのレコードに秘められた音のニュアンスの深奥をヘッドホンで精査する面白さは、スピーカーでは得られないものです。ECMのレコードは西独製であるせいか、EXACTの恐ろしくマッチするサウンドを持っていますね。録音された音の隅々まで、しっかりと聴かせて、しかも全然、音楽的に退屈ではないというリスニング。これに比べるとスピーカーで聞くECM録音にはどこか曖昧さが残っています。
今はオーディオ全体の価格帯が吊り上った状態ですから、このクラスのサウンドをスピーカーで聞こうとすれば、トータルで2千万円以上の出費ですが、ヘッドホンを使えばその4分の1ほどの投資で済みます。もちろん、根本的にスピーカーオーディオとヘッドホンオーディオは異なるところがあるので、単純な比較は不可能ですが、ヘッドホンは一つのシステムに対する投資がトータルで300万を超えたあたりで、同価格のスピーカーオーディオでは得られない、独特な深みのある世界が見えてくるものです。
そこにアナログオーディオのエッセンスが加わる時に起こる化学反応の結果は、多くのオーディオファイルにとって未体験のものだと思います。

とにかく驚くのは、これが30年前に製造された機材の出す音であるということ。
様々な最新機材を聞いていますが、こんな音を出せるフォノはおろか、DAC、ネットワークプレーヤーも皆無でしょう。唯一無二のサウンドだと思います。30年間、オーディオはなにをしてきたのか。こういうヴィンテージの機材に出会うたびに、オーディオ技術の進歩というものに深い疑いを抱くわけです。測定できる特性の向上と聴感上での音質向上に、どれくらいの相関があるのか。科学的な検証は未だできていないことを忘れるべきではないでしょう。少なくとも私にとって、特性の良さというのは聴感上の音の良さを説明するための後付けに過ぎません。まず音響特性ありきというオーディオの見方は、ハイレゾが有名になるにつれて顕著ですが、全てのオーディオファイルがそれを全面的に信用するほど愚かではないはずです。測定して得られたグラフがいくら綺麗でも、自分の耳で聞いて、音が良いと思えなきゃ意味がない。オーディオは自分の耳で聞いてナンボですよね。
総じて頭デッカチなオーディオになっちゃってるんじゃないですか、作って売る側も買って聞く側も。もっとフィジカルな感覚を大事にしたらどうかなって思う。H&S EXACTのサウンドは本物の人間が肌をすりあわせて直接触れ合うような、赤裸々な生々しさに満ちています。有無を言わさないんですよね、そういうところは。これは今、自分が生きていて、血も涙も汗も体温もある存在であることを思い起こさせてくれる音だ。機械で測れる音響特性で、音の良し悪しを決めようなんて所詮甘いんだと気付かせてくれるサウンドですよ、これは。

別な見方をすれば、アナログオーディオ自体に無限の可能性があるということなんでしょう。例えば先日、MT-1という150万円もする昇圧トランスを聞いて来ましたが、これにも驚かされました。オーディオには終わりがない、なんて言いたくはないけど、アナログオーディオに関しては少なくともそういうセリフもありなんでしょうね。あれを聞くと150万円も納得せざるをえない。トランスというものに対して私が抱いていたイメージを完全に覆すようなサウンドが出てきましたから。
最近、オーディオが、かなり分かりかけてきたつもりでしたが、EXACTにしろMT-1にしろ、聞けばまだ未知の世界がありそうに思える。このような既視感の全くない世界が、ちっぽけな箱をシステムに組み込むだけで現れるという事実・・・・。オーディオってどこまで深いものなのでしょうか。
なおMT-1についてはまたレビューするつもりですから、暇だったら読んでみてください。

二、三日中には、NAGRAをE1xとセットで送ります。貴方のヘッドホンに対する先入観を吹き飛ばせることを祈っています。なお、このEXACTも聞きたい場合は、連絡して許可をもらってくれれば、NAGRAと一緒に送れます。アナログをヘッドホンで聞く面白さを極めてコンパクトなシステムで堪能できることを証明するセットと思います。どうせなら、ECMのレコードも貸しましょうか。物凄くマッチするレコードですよ。その気がおありなら見繕っておきます。

暑い日、雨の日が続きますが、健康と良い音の両方が貴方とともにあらんことを。

# by pansakuu | 2016-07-17 01:11 | オーディオ機器

四天王 : 4つのフォノイコライザーを聞く

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四天王とは、仏門の4人の守護神のことをいい、
また転じてある分野における実力者の4人組のことも指す。
ピクシヴ百科事典より


さて、
あなたにとって最も重要なオーディオコンポーネントはなにか?と訊かれたら、
私はフォノイコライザーと答えるだろう。

フォノイコライザーは簡単に言えばRIAA特性をフラットに戻す機能を持つ機材である。
逆に言えばそれしかできない。デジタルオーディオしかやっていない方には無縁だし、アナログオーディオにおいては、その他のファクターであるカートリッジやターンテーブルの選択も音にかなり響くことは間違いない。スピーカーやアンプの存在感についてもいわずもがなである。
しかし、それでもフォノイコライザーを一番に気にするのは、単純に私の経験からである。
最高のフォノイコライザーを使った場合に出て来る音、そこにあるオーディオ的な快楽の深まりは、他のどの機材にも替えがたいところがあるからである。例えば最も強いと思えるデジタルオーディオシステムもこれらのフォノを組み込んだシステムに比べれば、そのメリットは多少表面的である。音の深み、掘り下げが浅いと感じることが多い。ここで言う音の深みとはズバリ音楽性の深みだと思ってもらっていい。

現在、私が本当に手放しで実力があるなと思っているフォノイコライザーは4つある。
Constellation Audio Perseus、Boulder2008、Qualia MonoBlock phono、EMT JPA66である。これらフォノイコライザー四天王全てについて、ざっくりとインプレッションを書けるほど、十分に試聴するのに年単位で時間がかかってしまった。これらはデモがなかなかない機材なのである。結果として、全てを聞いて思うことは、これらの機材それぞれのサウンドが、現代オーディオの辿り着いた果てであるということだ。デジタルオーディオではMSB Select DACやNagra HD-DACなどを除けば、これらの機材の音楽性の絶対領域に達しているものはない。
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四天王の筆頭たるConstellation Audio Perseusのサウンドについては以前、詳しいreviewを書いたので、もうあまり書かない。
フォノイコライザーとしては、というエクスキューズを必要としないほどSNが良く、音の立ち上がりと立下りの速度の絶妙な軽快さ、音に漲る独特の緊張感と寛げる柔らかさ、雨雲の隙間から差し込む光の持つような、あの救いのような音の明るさ、アナログではありえないと思わせるワイドレンジ、主張しすぎないが確固とした音楽性の豊かさ。こいつの音楽性は爽やかで軽いが、恐ろしく心に沁む。
ナンなんだこれは。
この音に心底からノックアウトされつづけて数年が経つ。本当に良い音を持つ機材なのだが、そろそろ別な音に接したいと思うようになっているのも確かだ。なにしろ、このPerseusの浸透力、影響力は強く、これを使っているかぎりこの音から抜け出すことは出来ない。ヤク中の患者になったも同然である。オーディオに関しては別な角度から見れば廃人になりかねない。Constellation Audioでは、このフォノイコライザーの上に限定のORIONという富豪向けの機材があるが、これはPerseusのサウンドの良さを適度に拡張したような機材で、その値段とは釣り合わない。Perseusでいい。私はConstellation Audioの機材において、今のところ、このPerseusがベストの選択だと思う。Constellation Audioは一般に故障の多さが問題とされているが、きわどくいい音を出す機材は故障しやすいという法則に従っているのだろう。
もちろん、この機材も故障した。そこは不安ではあるが音が良いので全て許せてしまう。そもそも価格は高いが音を聞けば仕方がないとあきらめがつくところから、もうその許しが始まっているのだが。
また、このPerseusのサウンドは現代の最新のデジタルオーディオをも飛び越えるような、新味のあるサウンドなので、昔からアナログオーディオをやっている人には受け入れがたいものである。だが、私はリーモーガンやゲッツやコルトレーンの録音を、まるで昨日出たばかりの新譜の如き音質で聞きたいと願ってきたので、これでいいと思っている。
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次に出て来るBoulder2008は一見して重厚なフォノイコライザーである。Boulder独特の表面仕上げやスイッチのデザインと感触は音に通じるところもある。確かに筐体に重さもあり、別電源構成でもあるせいか、じっくりと厚みのあるサウンドだ。そして音のスケールもかなり大きい。これは筐体の大きさに通じるのだろうか。だが、このサウンドをさらに特徴づけるのはたとえようもない人肌の温度感とウェットな音の質感だろう。この音の触感が生む快楽は他のフォノイコライザーでは決して感じられない。さらに、この音触と音のスケール感がブレンドされた時に生まれるケミストリー!それは包み込むような寛容がオーディオに宿る瞬間である。そのサウンドに接したら、包み込まれ、身をゆだねるしかできない。ここでは響きがとても広範囲に拡がり、それが大きなスケール感を生むのだが、音が拡がったせいで薄味になることがない。これはBoulder独自の質実剛健さが発揮されたのだろうか。実際、これはPerseusが孕むやや病的とさえ言える繊細さとは対照的に、とても実直で健康なサウンドである。とかく、このレベルの機材の生み出すサウンドというものは多かれ少なかれ毒を隠し持つものだが、このあっけらかんとオープンな音にはそういう隠微さはない。複雑であるが、それを秘匿し、ふくむようなプレゼンテーションをせず、全てを白日のもとに素直に曝けして嫌味がない。あけっぴろげだ。このフォノイコライザーは裏表はなく、どんなときに彼の部屋を訪れても健やかで優しい微笑で迎えてくれる親友のような存在であろう。こいつの音楽性のコアは心の底からの寛容だ。SN感やセパレーションの良さなどの基本的な性能はハイエンドフォノとして恥じないものだが、そこではなく、上記のような幾つかの特徴ゆえに、この4機の中でも、その存在価値は大きい。このフォノは発売されてから随分と経つロングセラーだが、いまだにモデルチェンジはないのも頷ける。この方向性で、これ以上のサウンドを得ることは如何にBoulder3000シリーズでも困難だろう。最近、このフォノイコライザーの中古をどこかで見たが、Perseusの中古と比べても、かなりお買い得な価格だと思う。
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次に登場するQualia MonoBlock phonoについてはもちろん、その音のスケールが最大の武器である。Boulder2008を初めとして、ここに登場するフォノイコライザーは全て、他のフォノたちに比べて、かなり大きなサウンドステージを展開できる潜在能力を持つ。しかし、それらとは比べものにならないスケールの大きさがこのMonoBlock phonoにはある。もっとも、これは適切なプリアンプとモノラルパワーをあてて、初めて開花する能力であり、デモにおいては上手くプレゼンできていないケースもある。今回取り上げた4機の中では、一番強化された筐体を持つこと、最も調整の自由度がないことなど、恐ろしく尖った内容誇るフォノである。音像の出し方はやはり尖がっていて、強い輪郭があり、音像の存在感はこの4機の中で最も色濃い。この部分はコンバージェントオーディオテクノロジーのアンプなどの従来の音像タイプのサウンドを超えたところがあり、これ以上の存在感となるとウエスタンエレクトリックなんかの特別なオーディオ機材からしか聞けないと思う。こういう濃い音像が激しく躍動するところが、Qualia MonoBlock phonoのもう一つの真骨頂だろう。この音の過激さ、実にセクシーである。これはBolder2008のような聞き易い音ではない。疲労を伴うサウンドだ。全力疾走を飽くことなく繰り返すアスリートのような鋼の強さを隠し持つサウンドである。しかしそういうサウンドにありがちな音場感の不足を決して感じない。それどころか、音場はこの上なく広々としてリスナーを取り囲む。これは通常のオーディオにおいては矛盾以外の何ものでもないのだが、Qualia MonoBlock phonoの中では見事に調和している。確かにこれは危うい均衡かもしれない。どちらの要素も強いので、かけるLPによっては、バランスが片側に大きく傾くようなこともある。
このフォノをダブルウーファー、アクリルホーンで名高いJBL Project K2で聞くとどうなるだろう。あれは音に非常な厚みがあり、強力な音圧で音像を発射できるスピーカーだが、このコンビでは均衡はどちらに傾くのか?それはもちろんアンプにもターンテーブルにも依存するところだが、とにかくやってみたい。つまりそういうフォノなのだ。このシステムにこのフォノを取り入れた時にどういう音になるのか、予断を許さない、そういうスリルが常に付きまとうミステリアスな音楽性を孕むフォノなのである。設置も楽ではないし、SNも凄く高いわけでもない。接続する機材との相性もありそうだ。特にカートリッジは選ばなくては。しかし、どんなリスクをおかしてでも、リスニングルームに引きずり込んでみたくなる程の中毒性がこれにはある。これも欲しい。
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四天王の最後のひとりEMT JPA66はNAGRA HD DACを手にしてからは、WANTEDリストの筆頭に出てきた機材である。この4機の中で既に所有するPerseusに代わるとしたら、このフォノになる。代わりになるというのだから、Perseusに似ているのかというとそうではない。ほとんど似ていない。例えばカッコつけでしかない、使い勝手の悪いタッチパネルはJPA66にはついてない。対照的に、このフォノのフロントパネルには全てが一目瞭然に分かる親切なツマミが多数ついている。全ての設定をバックパネルに手をまわすことなく、フロントだけで簡単に行える。したがって、このフォノはかなり使いやすい。また、NAGRAではないが、やはり正面にメーターがついているのはとてもいい。これも暖かい色で黒い縁取りの独特のデザインのメーターは、ハンマートーン仕上げと相まって、このフォノのルックス極めて個性的なものとしている。それから、このEMT JPA66はプリアンプとして機能するので、プリアンプはなくていい。価格はかなり高いが、他の3機の単機能フォノと比べて安いと言える。私の嫌いな大型の電源部がついているが、この機材だけは例外的に好きである。
それというのも音が非常にいいからだ。これは上に述べた3機のフォノの良い点を合わせたようなサウンドである。
すなわち、Peruseusに聞かれる音の立ち上がりと立下りの速度の絶妙さ、音の柔らかさがあり、Bolder2008にある人肌の温度感とウェットな音の質感、Qualia MonoBlock phonoの音像の見事さとスケール感、それら全てがカオスのように混在してリスナーを圧倒する。これらのサウンドの要素の集合体が目前にひたひたと押し寄せ、知らず知らずのうちに耽溺してしまう。
また、このフォノが醸成する芳醇な雰囲気、音の香りを他の機材から感じたことはない。Peruseusのサウンドにも香りのようなものを感じるが、このフォノの音の香りは、ああいうスイートでスッキリした香りではなく、産地のオークションで競り落とされ、宝石のように扱われる極上のコーヒーを挽いたときの香り、あるいは森に寝転んで草笛を吹くときに吸い込んだ、あの下草の香り。例えにくいが何とも独特の、深呼吸したくなるような、いい香りのする音である。
また、このサウンドは、揺るぎなく強固な骨格を持ちながら、表面的には至極繊細である。人間的な曖昧さを音の表現の中に残しながら、全体に優れた機械的性能、音質要素のバランスを保つサウンドであり、音のスタビリティも高い。これは真空管を採用したフォノであるが、大規模な回路設計であり、強力な別電源を持つ。この設計規模と秘めたパワーが、こういう音の特徴を生むのだろう。
またPeruseusとは異なり、普通のアナログのタイム感というか、従来のアナログオーディオから逸脱しない温かみや滑らかさ、適度に良くない(?)SN感から来る懐かしさのようなものも横溢している。だから昔の録音が違和感なく、それらしく鳴る。それでいて新しい切り口にも事欠かないのがいい。昔の演奏でこういうことをしていたのか、あんなことをしてたんだと驚くような瞬間が重層的に訪れる。昔の録音ばかりいいのではない。現代的はECMのレコードをかけても、実にハマる。同じドイツのものだからなのか、相性は抜群である。最近のポップスも感動的に再生可能である。元EBTGのベン ワットのアルバムをこのJPA66で聞いた経験は忘れがたい。アルバム全編に流れるフェイドでカジュアルな空気感がリアルに表現されていた。これはSNに頼ってリアルなのではなく、フォノイコライザーが、自分の音の方向性を今かけている音楽にそろえてくるような仕草をするからなのである。音楽に素朴に従う、素朴に倣う。このような素朴さはこの4機のEMT JPA66にしか見られない特徴である。特に、これはQualia MonoBlock phonoとは対照的な点である。MonoBlock phonoは音楽に逆らってでも自分の音調を通そうとするところがある。その、抗う・争う様が聴きモノなのだが、JPA66はそんな激しいことはしない。しかしBolder2020ほどあっけらかんと素直な音でもない。音にはきちんと含むところがあり、陰影が十二分に濃い。ここでは鮮やかな音の陰影・コントラストがライトアップされた彫像のように音楽を立体的に描き出してくれるが、そこに音楽に含まれる感情の明暗までが暗示される。この深まりは生半可なデジタルオーディオでは到底味わえない。
このEMT JPA66については、いつかリスニングルームに迎え入れることになるかもしれない。その時にはまたさらに詳しいレビューを書けるといいのだが。それにJPA66については何度聞いても分かり切れない部分もある。これはコアの部分にまだ謎を残すフォノイコライザーなのだ。

これらの機材のサウンドこそが、現代オーディオの最果てであり、そこにはデジタルオーディオにはほとんど含まれない何かがあると言ったが、アナログに豊富にあって、デジタルに比較的少ないもの、それは音楽性だと思う。古いタイプのDACには音楽性は豊富に感じられたが、DAC自体の性能は現代のものより低かった。昔のDAC・CDプレーヤーの音は、例えば音数の多さに関しては今のDACと比べようがないほど寂しい音である。位相やタイミングの正確さもくらべものにならない。Sforzato DSP-01とLINN Sondeck CD12を比較すれば、同じデジタル機材とは思えないほど音は異なる。だが、どちらが好きかと訊かれれば、ドライブメカの修理が効きさえすればCD12と答える。それは私の場合、オーディオにおいては音楽性の有無をもっとも重視するからだ。音の数値上の特性そのものについてはDSP-01の圧倒的な優位は揺るがないけれど、CD12にはDSP-01よりも豊富な音楽性がある。この音楽性がなければ、ハイエンドオーディオの存在価値など、生演奏の前にはほとんどなくなってしまうと私個人は思っている。その音楽を単なる音の連なりではなく、意味を持つ物語として語る能力が音楽性なのである。なお、CD12よりも豊かな音楽性をもつデジタルプレイヤー、それは私の知るところでは現行品としてBurmester069、MSB Select DAC、Nagra HD DACであるが、これらもフォノと同じく試聴がなかなか難しい。だから私がこういう話を書いてもほとんど意味がないかもしれない。
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聞くところによれば、優れた競走馬は今日走るレースが有馬記念なのか菊花賞なのか知っていて、騎手が仕向けなくても、そのレースに適した走りをするという。
優れたオーディオ機材もそうで、今、自分が再生している音楽をどのように聞かせれば、それを聞いている自分の主人は一番感動するのか、それを知っているような鳴らし方をするものである。これが音楽性の豊かさというものだろうと思う。
今回挙げた四天王のフォノは音質傾向がそれぞれ全く違う、それはハイエンドアナログオーディオの幅の広さを物語る。しかし共通するのは音楽性が極めて豊かなこと。そしてもちろん、音楽性の方向性も当然4様に異なった向きを向いている。これはデジタルオーディオではごく少数の例外を除き、まだ実現していないことだ。音楽性の方向でデジタルプレイヤーを選ぶという話はあまり聞かない。むしろデジタルオーディオの選択は数値に囚われている。デジタルオーディオのマニアの多くは恐らく数値の囚人なのである。
そしてハイレゾに代表される、数値によってオーデイオの価値を判断するデジタルオーディオにありがちな手法からは、或るレベル以上に高度なオーディオは生まれないはずだ。ハイエンド オーディオデバイスが芸術作品として昇華するには、それを創る技術者に芸術家としての素質・センスがなくてはならない。デジタルオーデイオに関する知識と経験、芸術に対する深い造詣と表現者としての資質。これらが同居する人間は、この世には少ない。だから良いDACは少ない。
一方でアナログオーディオには何故か初めから音楽性が宿っている。不思議な音の芸術性がどんなにプアなアナログ機材からも感じ取れる。アナログオーディオに取り組むだけで、オーディオの深いところに、いとも簡単に触れることができるような気がする。それをさらに深めるのが、ここに挙げた四天王なのである。ただ高価で豪華なデジタルオーディオでは達成できない音楽性の境地がそこにはある。
いったい、なぜなのだろう。
それが分かれば、デジタルオーディオにもっと多くの生命力を注ぎ込むことができるだろう。逆に言えばHD-DACやSelect DACはデジタルオーディオの手法でその秘密に触れている、数少ない例外なのだろう。

これはオーディオで最後に勝負を決めるのは音楽性の深さだと勝手に決めつけているだけかもしれない。私は未だ愚かで何も知らないオーディオファイルなのかもしれない。
だが、四天王たちの音をひとつ、またひとつと征服してゆくにつれて、その確信がさらに深まってゆくのを感じたのは事実だ。
音質だけではない。高めるべきは音楽性そのものなのではないのか。

# by pansakuu | 2016-05-08 14:31 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1の私的インプレッション:Higher Higher



その人の空想のレベルで決まるんですよ、オーディオは
By 某オーディオ評論家


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Introduction

何はともあれ、
私がHE-1プロトタイプの実機を眼前にして思ったのは、
よくもこういうブツを企画できたなということであった。
それはもう素直に敬意を表するしかないことだ。
600万円のヘッドホンシステムなどというもの、そんなもんをスピーカーオーディオ向けの機材を開発している人間は空想すらしないだろう。そしてそこから出て来るサウンドについて現物を前にしてさえイメージできまい。確かに過去にOrpheusシステムを開発し販売した実績があるにしても、これはそれを上回るスケールの製品企画である。日本の家電メーカーでは決して通らないぶっ飛んだ発想・企画だと思う。そもそも、これを作ったゼンハイザーは自分をふつうの家電メーカーとは、もはや考えていないはずだ。もしかすると富豪向けの製品のみを製作する部門を持つ、ライカやパテックフィリップ、フェラーリのような存在と自分を考えているのではないか。
プロトタイプではあるが実機にごくごく短時間であるが、触れて聞く機会があったので、その体験を覚書として残しておくことにしよう。


Exterior and feeling

眼の前のHE-1は、1990年代にコストを無視し、ひたすら最高のサウンドを求めて開発されたOrpheusシステム、つまりHE90静電型ヘッドホンとHEV90真空管式ヘッドホンアンプのペアの後継機として位置づけられている。確かに同じく静電型で専用のヘッドホンアンプを合わせたものであるが、その形態や大きさ、機構、価格から、先代よりもコンセプトや設計規模は一回り大きなものと取れる。ヘッドホン自体にアンプが内蔵されたり、DACが付加されたり、不要な?ギミックがついたりしている。第一印象としてヘッドホンを気軽に愉しむには大袈裟な機材であり、実際に入手しても、しっかりした台のある、広い場所が必要など、ハンドリングしにくそうな雰囲気である。

ヘッドホンアンプ部 HEV1060について:
透き通るように白いイタリア産大理石で作られたシャーシがまず目に入る。石の表面は鏡面のように磨かれていて冷たい。実に豪勢な筐体だ。くまなく触れてみると、このシャーシは複雑な形状である。材の厚さは最も厚いところで2cmほどもあり、シャーシの形状はヘッドホンの収納ボックスのところで緩やかに盛り上がる。寸法や重さは非公開。だが大理石を使っているのでかなり重いのは間違いない。フットの大きさ、材質、形状は決定していないという。

起動のためのスイッチを兼ねている引っ込んだボリュウムノブを軽くプッシュする。(電源スイッチは背面)すると左側にマウントされたヘッドホンの収納ボックス(冷たい感触の材料で出来ていて金属製のようだ)のガラス張りのリッドがゆっくりと開き、内部のクッションがせり上がってくる。この箱の中にヘッドホン本体だけでなくヘッドホンケーブルも巻いて入れるような形になっていて、ケーブルのためのスペースがある。同時に、右側にある石英ガラスで包まれた二列、計8本の真空管(ECC803sと思われる)がせり上がってくる。さらに正面のボリュウムつまみまで飛び出てくる。こういう動きのあるギミックを持つオーディオ機材はほとんど見たことが無い。とりあえず、こんなギミックはオーディオとして本当に必要なのだろうか。音質には良いことはあまり無さそうに私には見える。特に真空管は適切に固定されてないと音が濁るから、このモーターによる演出はオミットしたらどうか。
また真空管を空気の振動から保護するという考え方は先代を受け継いでおり、先代がスリットの入った金属製ケースを採用したのに対して、今回は石英ガラスの管でおおってある。音にどういう影響があるにしても、この保護ガラスで覆われた真空管の見せ方はHE-1の目をひく特徴であることは間違いない。
なお、今のところ、ヘッドホンを聞く場合は収納ボックスの蓋は開けっ放しになる。ジャックが収納ボックスの中にあるからだ。これは外見上、望ましくない。どうも安心してリスニングに没頭できない。開けたものは閉めなさいと教育されて育った日本人は、この態勢はどうにもいたたまれない。ケーブルを蓋とケースの間に作った隙間から外へ出せるようにすれば、蓋は閉めることができるはずなので、なんとかして欲しい。またこの蓋は現時点では手で閉めることはできないとのことだった。つまり、電動で開け閉めするしかないのである。逆に言えば、開いている状態で無理やり閉めようとする力が加わった場合、壊れる可能性がある。
入力は光、同軸、USB2.0のデジタルとXLRとRCAのアナログインがある。端子の形状は普通のもので特殊なパーツは使われていない。
出力はヘッドホンアウト専用端子一個だけではない。もう一つのヘッドホン出力端子とXLRとRCAのアナログアウトがある。つまり二つのヘッドホンを同時にドライブする、アナログプリ、あるいはDACプリとして使う、そのようなことも想定されているようだ。
なおこのヘッドホンの端子はかなり特殊で、全く独自、互換性のないもののようだった。

正面に見える、真鍮にシルバーのクロームメッキを施したノブ4個については、ボリュウムノブ(電源が入るとLEDが点灯)、インプットセレクター、アウトプットセレクター、クロスフィールド用(現時点では機能していない)となる。ボリュウムの感触は可もなく不可もないといったところで、エソテリックやアキュフェーズなどで使われる、回転の感触をよくするための仕掛けはなさそうだ。パーツもごく普通のものだろう。これでいいのか?600万だよ。もちろんリモコンはついていない。これも600万のものとしてどうなのか?
内部の写真では、これはDAC付きの真空管式ヘッドホンアンプである。Sforzatoなどの高性能DACで採用例の多いESS9018sや英国XMOSのチップが見える。このHPAの内部はデジタル部と左右チャンネルそれぞれ4本のECC803sを使用したアナログアンプ部に分けられる。アナログアンプ部は真空管とソリッドステートのハイブリッド構成であるとされているが、DAC部と同じく回路構成の詳細は非公開である。このシステムでは、ヘッドホン側にもHPAからの給電で動くアンプが内蔵されているのが新しい。どういう仕組みになっているのか?よく分からないが、二段構えで増幅を行い、最終増幅はダイアフラムの直近で行いたいということだろう。こういうヘッドホンシステムは初めてではないか。
DACについて見ていると、写真にクロックのパーツなども写っているが、使用部品はありふれたものである。この写真からすると、搭載されたDACについては600万円のクラスの機材としては貧弱なものではないか。こうなると、高級なDACやアナログプレーヤーシステムを繋いで、アナログ入力で楽しむのがこのアンプの使い方のメインということになりそうだ。
なお、今回はエソテリックの中級クラスのSACDプレーヤーのバランス出力をそのままHE-1につないだだけの試聴である。DAC部は使っていない。SACDは聞かなかったし、当然ハイレゾファイルなども試せていない。インタコも電源ケーブルも安価な市販品である。
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ヘッドホン HE1060について:
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これは素晴らしい形をした静電型ヘッドホンである。この楕円形というかオーバル型のシルバーハウジングとブラックのハチの巣グリルの対比が美しい。奥には金色の網目が見える。これは金を蒸着させたセラミック電極であり、そのさらに奥にはプラチナを蒸着させたダイアフラムがある。音を聞く前から惚れ込んでしまうほど美しいサウンドメカニクス。これはまるでオーバーテクノロジーで作られた未来の道具、オーパーツのようだ。やはりSennheiserはヘッドホンメーカーなんだ。これなら200万円とかで単売されても、ドライブできるアンプがあれば買ってしまいそうだ。ハウジングは複雑な楕円形のアルミ削り出しのものであり、SR009を軽く上回る美しい造作である。枠の後側に入ったヒートシンクのプリーツが美しい。
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この枠の中にアンプが内蔵されている。セミアクティブタイプとでも言おうか。ヘッドホンケーブルを介さず、ヘッドホン内部のアンプでダイアフラムを動かすという考えもまた素晴らしい。こうすればエネルギーロスは少ないだろう。アンプを内蔵しているため少し大きいし、やや重いのだが、LCD4に比べればずっと軽く、装着もしやすい。(重たさ、大きさも現時点で非公開)さすがに良くできている。
イヤーパッドはアレルギーレスを謳う特殊なベロアやマイクロファイバーが駆使されている。表面の感触はサラッとしていて、必要以上にフカフカしていない。ヘッドバンドは当然長さの調節ができ、頭頂にあたる部分
は大型のクッションがあり、力を分散するので、おそらく痛くはならない。
ヘッドホンケーブルはツイストしたやや太いもので、3mある。STAXのケーブルなどに比べてしなやかではない。ただ端子は8極ありそうなので、STAXのようなキシメンケーブルだと太くなりすぎるのかもしれない。これは銀メッキのOFCケーブルであるという。取り回しはすごく悪いわけでもないが、このケーブルが本当にいいのかは私には分からなかった。今回の祭りではブリスオーディオをはじめてとして、PAD、キンバーなどの各社から多くのリケーブルが出品されていて、驚きの連続だったが、これを別なケーブルに付け替えたらどうなるのか興味はある。例えばブリスのACケーブルはいい思い出がないが、ヘッドホンケーブルはどうなのか。HE1060ではヘッドホンから端子なしでケーブルは直出しされているので、リケーブルできるような仕様ではないにしても、替えて試してみたい。
ともあれ、これから先は、こういうヘッドホンが欲しい。このヘッドホンの造りはブレークスルーである。少なくともこの技術をフィードバックしたヘッドホンは必ず作ってほしい。


The sound 

虚ろになった貝に耳をあてると、海の波音が聞こえるというが、ヘッドホンオーディオにもそういう側面がある。ヘッドホンシステムの姿態とそこから聞こえる音に備わった物語が、イメージを喚起して、聞こえてくる音楽を美しくしてくれることがある。
HE-1の外見そのものは確かに美しい。特にヘッドホン部の、その優美な形は海辺で拾った貝のように、私のインスピレーションを呼び起こした。
しかし、その音はそういうロマンチックなイメージとは程遠いものだった。

このHE-1が静電型であることを考えれば、とりあえずSR009を純正の真空管式アンプでドライブした音を予想する方も多いかもしれない。
それは完全にハズレ。
これは、かなりしっかりとした輪郭をもつ明瞭なサウンドである。SR009よりもずっとくっきりしている。アンプがヘッドホン側にもあると、こういう音になるのか。再生帯域は8Hz~100kHzとかなり低いところまで対応すると謳っているが、実際に、かなりなワイドレンジ感があり、高域、中域、低域とも非常に高い解像度を持つ。すなわち音数はとても多く感じた。細かい音をつぶさに聞けるヘッドホンの利点が十二分に発揮される。ここらへんは十分にドライブされたLCD-4を上回るところだ。低域の伸びもLCD-4やSR009+SRM-007tAを軽く上回る。ただし量感はなくスレンダーな音だ。音の歪みは極度に少なく、ストレートかつピュアな音。THD0.01は伊達ではない。音抜けがとてもいいせいか、若干冷たく乾いた音であり、冷静に音楽を観察するような醒めたまなざしを感じる。例えばOJIのブースにBDI-DC24B G LimitedというHPA(実質的にOJIの集大成と言うべき傑作だ)があったが、あのように豊かな潤いや、音楽的な躍動を感じる音ではない。また、音圧レベルは100dBとされているが、比較的簡単に大きな音が取れるのは魅力的である。そして音量を上げても全くうるさくならない。なお、HE1060はオープン型の中のオープン型という感じで音量をおそらく大して上げなくとも、音漏れはかなりなものだ。周りが静かだったからだけではない。これなら、あの魅力的で個性的なKURADAのオープン型とあまり変わらない音漏れではないか。
このシステムの音は真空管を多用しているので、美音系ではないかと予測していたが、違っていた。もっとカチッとしてクール、折り目正しい真面目な音である。加えて言えば普通の佇まいを持つ音で、クオリティの高さはひけらかさない。

より詳しく突っ込んだメモを急いで取ってゆく。試聴時間は短い。
SR009で聞かれるような音の透明感はやや少ない。透き通った音場の見通しはかなり良いのだが、音像に透き通るような薄さはない。サウンドステージの左右の広がりはチャンネルセパレーションの良さを感じるにもかかわらず意外に狭かった。このような究極の開放型のシステムを目指すようなモノならもっと広くていいはずだと思う。実際、THA2で聞くHD800よりも狭く感じる。(HE-1の製品版はクロスフィールドを効かせることができるようなので、この辺は変わる可能性がある。)
そのかわり音場の透明感のようなものはかなりあるように感じた。音の見通しは凄くいいのである。音のヌケがいい。この部分は当たり前のようにLCD-4なんかを超えていて、いままで聞いたもので最高である。
一方、残留雑音(S/N)については不利に感じた。音場の透明感はあるのに、である。これはこのHE-1の音場の透明感が人工的なものであることを意味する。真空管を使ったせいなのだろうか、背景にかすかに静けさを汚すものの存在を感じた。手持ちのRe Leaf E1xの方が若干SNはいい。
また音の過渡特性(トランジェント)については、かなり正確ではないかと思った。実物の楽器やボーカルの音声の立ち上がり・立下りのスピード感にとても近い。自分のシステムで苦労して実現していることを、あっけなくやってのけている感じがある。同時にハモってほしいところ、音が溶け合ってほしいところできちんとハモることも確認した。
ただ、ここでの音のスピード感や分離感、ハーモニクスなどについては、他のハイエンドヘッドホンシステムでも苦労すれば実現可能なレベルだと思われた。つまりそこらへんはハイエンドヘッドホンの世界の中でも非凡だとまでは言えない。
実際、各パート、楽器の分離はもっとあってよいと思った瞬間もある。例えばHE-1はHD800sで聞くGOLDMUNDのTHA2(USB接続)には、音の分離では及ばない。(今回のムンドのデモで活躍していたBMCの特殊なUSBケーブル、カルロス カンダイアスの開発したpure USB 1のせいもあるか)
それにHE-1は大きい音と小さい音の階調・濃淡が細かく分かるシステムではあるが、その音のグラデーションはまだまだ単調である。さらに倍音成分の質感やその存在感と透明性の両立も今一つかもしれない。倍音成分がもっと綺麗に広がってほしい。これらもほぼ同時に聞いたTHA2+HD800sに負けるし、Re Leaf E1+HD800などにも劣る。これは主に送り出しやアンプの能力に問題があるのかもしれない。
対して、定位の良さ、位相の正確さ、タイミングの正確さなどについては現時点では世界トップクラスであろう。とりあえず正しい音がしっかりと止まって聞こえるというシステムであり、私の使っているものも含めて、ハイエンドヘッドホンシステムは少し脚色が強いと思える。今聞きながら書いている、私のシステムについて言えば、低域のインパクトや量感が多きすぎる、音が近すぎるのかもしれない。
なお、出音全体にわたるような音楽性の発露は今回はあまり感じなかった。音楽の内容に合わせて音の躍動感やスピード感を自動的にコントロールする能力はこのシステムにはないのだろう。私のNAGRA HD DAC+Re Leaf E1x+HD650 Golden era MeisterKlasse で聞かれる音楽性はここにはない。本当に真空管を使ったアンプなのかと疑いたくなるほどプラスαのない生真面目な音だ。思わずアキュの音を思い出したほどだ。Accuphaseのような中毒性が少ない健全な音である。確かによく聞くと真空管らしいふくらみやしなやかさ、温かみをある優しい音調をある程度は聴けるのだが、そこらへんは決して前面には出てこない。これは最終段がヘッドホンに内蔵されたソリッドステートアンプだからだろうか。それともなにか意図的にそういう方向に音を振ったのだろうか。

HE-1では音楽のジャンル、音楽の製作された時代ごとの向き・不向きはあまりないと思うが、このままの音作りで製品版まで行くとしたら、スペイシーな表現を必要とするアルバム、例えばRoxy musicのAVALONなどはつまらないだろう。
HE-1はつまらない音楽はつまらなく、録音の良い音は良く聞こえるという具合に、ソースへの忠実性の高いシステムであり、NordostのODINのように払った分だけの強烈なドーピング効果を期待する方にはお薦めできない。
音作りの傾向としては、ガチガチのプロサウンド(客観性重視、モニター的)ではないが、BGM的にすごくリラックスして聞ける呑気な音でもない。音に対してリスナーが集中することを求めているような気もするが、その求心力は緩やかなものである気がする。

この音の擬人化するとすれば、イケメンだが少々ゴツいドイツ人の執事のようなものか。基本的には主人に対して受け身の姿勢できっちりと仕事をする。それは、かなり高級な仕事ではある。しかし、あの黒執事のようなものとは違う。時には主人の予想を超える見事なパフォーマンスをしたり、ウィットに富んだ会話を促したり、時には主人を脅かすほどの魔を感じさせたりもする、スーパーハイエンドオーディオのレトリックにはまだ届いていない。

ディープな解釈をすると、このHE-1の今の音作りには一定以上の生々しさをあえて避けるというか、現実との間に絶妙な距離感を求めるという姿勢が見え隠れする。これはおそらく正しい音だが、正しい形に微妙に整えられ、生の姿とは違うのだ。それが如何に憧れているものであろうと、心の中にズカズカ上り込んでくることを望まないということだろうか。本当の現実ではなく、わずかにリアルが欠如したほうが、多くの人に受け入れやすいと思っているのだろうか。そうだとしたら、これはコアなヘッドフォニアが使うには向いていないのかもしれない。彼らは一線を超えて、オーディオの神髄、あるいは音のリアルに迫ることを常に求めている。もし私がこれを使うなら電源ケーブルや特注のリケーブル、送り出しの強化できっちり調教する。これでは600万のシステムとしては、無味乾燥じゃないか。優れたヘッドホンを生かし切ってないじゃないか。

また、オーディオというのは、数値的なクオリティの競争ではなく、クオリティ「感」の競争であると誰かが言っていたのも想い起こされる。確かにHE-1は外見の豪華さや個性的なギミックなど、気分を高めるカラクリが多く、クオリティ感は最高だ。肝心な音も、もちろんかなり高いレベルだ。しかし価格で600万、再生帯域は8Hz~100kHz、THD0.01、ダイアフラムをヘッドホン本体に仕込んだアンプでドライブしようという最強の静電型システムとしたら、聴感上のクォリティは正直もっと欲しい。例えば600万円の予算で、好きな送り出し、好きなアンプとヘッドホン、ケーブルを自由に選べれば、このシステムに近いサウンドを生み出すことが必ずしも不可能とは思えない。少なくとも違う方向性なら、同じグレードのものを作れるだろう。この試聴で注意すべき点があるとしたら、今回は上流にハイエンドDACを持ってきていないというところだ。MSB Select DACをこのシステムの上流にもってこようとしている外国のマニアは既に存在する。確かに、そこまでしないとHE-1の真価は分からないかもしれない。


Summary

ダメ出しはそこらへんにして、このHE-1のようなモノは未だかつて世界に存在したことがなかったことは認める。ヘッドホンの世界もここまできたのだな、という感慨がある。もう随分前の話だが、GEM-1が出た時、私は時代が変わるのを感じた。GEM-1の持つメカニカルな美学、その音のオーラから私は野心の匂いを感じ取った。時代を変えようとする野心である。そしてここにゼンハイザーから全世界に提示された美しい作品の内容にも、あれとはまた異なる次元の野心を感じた。まだまだ粗削りな野心ではあるが、それはリスペクトすべきものだ。その意気や良し。HE-1のステータスを高く吊り上げることで、ヘッドホンオーディオ全体の地位をも高めることを意図したか。あるいは自分の会社の価値自体をこの製品の開発を通して再定義することを狙ったか。

今やヘッドホン・イヤホンはオーディオの中に独立した勢力圏を築いている。その独特のメカニカルビューティや、スピーカーでは決して聞けないディテールに満ち満ちた音質、そして多くの音楽ソースが実際にはスピーカーではなく、圧倒的にイヤホンやヘッドホンで聞かれるという事実、ファッションとしてのイヤホン・ヘッドホンの隆盛などが合わさり、今、一つのカルチャーとしての存在感を示しつつある。

オーディオには本来、勝敗なんてものはないが、人の性としてそういう見方は常にしてしまうものだ。だが、この期に及んでは、スピーカーが良いとか、ヘッドホンの方が良いとか、そんな比較はナンセンスである。オーディオファイルは意味のないこだわりを捨て、自らが置かれたシュチュエーションと、その嗜好に従って最適なシステムを選ぶべきだ。スピーカーでも、ヘッドホンでもそれぞれにいい音で楽しめる時がきた。HE-1の登場によって時代は変わり、ハイエンドオーディオの選択肢をスピーカーオーディオが独占していた時代は過去のものとなった。

戦国時代に日本という国のまとまりを明確にイメージできていた人間はごく少数であったという記述をこの前、本で読んだ。現代では、日本がこういう国だというのは当たり前になっているが、群雄割拠していた、あの時代にそれがイメージできていたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの少数の大名とその部下のみだった。
一方、話は飛躍する(というか、随分スケールの小さい方へ飛ぶようだが)、
ヘッドホンの世界がこの先どうなっていくか、予言者のようにイメージできている人間などいるのだろうか?私はそんな人はいないと思う。ただ、未来がどうなっていくのかは知らないが、自分の願望としてどうなって行ってほしいかをイメージできている人間は居ると思う。このHE-1を作った人はそういう人の中で特にビッグなイメージを持つ人々なのだろう。彼らはその意味では戦国時代の英雄の一人のようなものなのかもしれない。
とにかく、このHE-1を聞き終わって思ったのは、製品を作る側のイメージのレベルが高ければ高いほど、優れて革新的な製品が出来上がる可能性が高いということだ。

とはいえ、私見では、今回のHE-1の音質は現時点では間違いなくトップクラス内ではあるが、これがトップではない。現代の最高のヘッドホン関連機材を駆使すれば、これよりいい音を聞くことは不可能ではない。これはOne of themである。それは会場をくまなく回って、真剣に音を聞くだけで分かることだ。つまりゼンハイザーの技術者よりも高いヘッドホンオーディオのイメージを持つ者がこの世界には居るということになる・・・・・・。

今、HE-1を単なる富裕層向けの豪華なだけのガジェットと直感的に断じても、それはあながち間違いではないと思う。ただ、それは正しいけれど一面的な見方でしかない。いろいろ言いたいことはあっても、このサウンドに接してみれば、やはりこのSennheiser HE-1の登場は、ヘッドホンというガジェットの概念・イメージを高く高く飛躍させるエポックメイキングな出来事であるとしか、私には思えないのだ。

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# by pansakuu | 2016-05-03 17:44 | オーディオ機器

NAGRA HD DACと暮らす:子供でありつづけるために

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子供と動物はずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。
プラトン


ようやくNAGRA HD DACと毎日を過ごす権利を得た。
もうかなり短くなってきたオーディオのWATEDリストの筆頭に長らく居座っていた機材だが、ついに射落とすことができた。

初めて買ったDACはWadiaの27ixだったと思う。あれから長い月日が流れたが、いったいどれくらいのDAC・デジタルプレーヤーを聞いたか、もう自分でも数えきれない。その中で最も音楽性で優れたDACが、このNAGRA HD DACであることに疑問はない。もちろん、絶対的な性能では、MSBのSelect DACが現代のデジタルオーディオに君臨する存在であるが、音を楽しく聞かせ、人を感動させる能力ならHD DACは彼に勝るとも劣らない力を持つ。

それにしても、この昔ながらのモデュロメーターの採用にはグッとくるものがある。音楽を聞きながら、音楽のリズムとメロディの動きに合わせ、細かくふれるメーターを眺める快感に酔いしれる。暖色系のライトアップも堪らない。こういう快感を与えてくれるDACは他にはない。これぞNAGRA。
こうして見ていると、音楽が生きていて、なんとかこうして今日を生き残った私がそれを聞いている、そういう情景が出来上がる気がする。その証が、このメーターの灯りの中でふれている針の動き、そのものであるような気分になる。
眺めて楽しいDACというのは珍しいが、これはそのひとつだろう。ずっと欲しかったものをプレゼントされた子供みたいに、有頂天になっている私がここにいる。
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数か月前に自宅で初めて聞いた夜に導入は決めていたが、悩みどころがあった。
パワーサプライをどうするか。
このDACはおそらく世界で唯一、デジタルセクションとアナログ出力回路の電源が全く別なのである。よくある内部で分かれているタイプではない。コンセントから別なのである。つまりNAGRA製品に共通する強化電源であるMPSを使用しない場合は、二本の電源ケーブルが必要になるDACだ。二つのアルミ製のアダプターが付属する。以前の試聴ではMPSを使った方が、音がよかったのであるが、その時、MPSの対照として二電源形式を取った場合に使った二本の電源ケーブルは全くの普及品で、オーディオ用ではなかった。一方のMPSにはJormaのAC LANDAを使ってしまったのである。これは比較の仕方が上手くなかった。
一方、NAGRA本体はMPSの使用を推奨しているが、あれは小さくはない。置く場所を作るのが面倒だ。
一応、ヘッドホンアンプとして他に持って行って聞く予定もあるので、小さな通常のパワーサプライも欲しい。また逆に本気で使うならデジタル部とアナログ部にそれぞれ別なMPSを使うのが最高かもしれない。それだとさらに置きづらいが。さらにMPSは半分バッテリー電源にするオプションも選べる。いったいどうしたらいいのか?目移りしてしまう。

結局、まずはMPSではなく、通常の電源を私は選択した。届いてみると、これはいい。MPSよりもコンパクトだ。持ち運びはこちらの方がやや有利かもしれない。デジタル部、アナログ部ごとに電源ケーブルを変えて、音質を調整することもできる。私の方ではAC LANDAのプラグのメッキを変えたバリエーションをいくつか用意できるので、好みの組み合わせを探れるかもしれない。ひとまず、この状態で遊んでみよう。MPSは後でもいい。

HD DACについては細かいインプレを既に書いたし、MSB Select DACに関するインプレの中で、単体DACのレビューはしばらく書かないとも言ったから、音質についてはあまり多くは語るべきでもないかもしれない。スピーカーで聞くHD DACのサウンドの凄さや、ヘッドホンアウトの音の良さについては、以前の内容を参照してもらえばいいと思う。
今、ここで述べるべきはRe leaf E1xと繋いだ時のヘッドホンサウンドについてだろう。
(以前、HD DACがここに来た時にはRe Leaf E1xは無かった。)
組み合わせるヘッドホンはLCD-4でも良かったのだが、あれは公平感を著しく欠く、特殊な音だ。いつも使っているHD650 Golden era meister klasseが評価基準としては良かろうと思う。

このセットで、まず感じるのは音楽性の高さだ。
NAGRA HD DACを通すと、何と言ったらよいのだろう、音楽が覚醒するのだ。生き生きした抑揚をつけて音楽が鳴ってくれる。これは感情的であり、感傷的な音と言ってもよい。書で言えば顔 真卿の祭姪文稿のようなものだ。人間の気持ちが露出するようなプレゼンの仕方なのだ。いわゆるフラットというか、平板で公平な鳴り方には全然ならない。音楽に込められた演奏者や作曲者の感興が、つぶさに感じ取れるようになっている。音楽の本当のコアの部分を曝け出すと言ってもよい。この音楽的な抑揚の振幅の広さと速さ、そして強さは、並みのヘッドホンアンプでは受け止めきれまい。だから一般的に、このDACはスピーカーリスニングに使うべきものだろう。例外的にE1クラスの機材まで行けば、このDACの音を受け止めることができるということに過ぎない。あくまでこの使い方は例外なのである。
もちろんHD DACに直にヘッドホンを挿して音楽を聞くこともできる。この方式でも、E1xの音さえ聞かなければ、十分過ぎるほどいい音であるし、実際、諸外国ではこのHD DAC直挿しのヘッドホンリスニングに賞賛の声があがっている。内部でゲインも変えられるので、様々なヘッドホンにも対応する。しかし、この接続だと、E1xを介した時に比べて、低域のニュアンスが弱かったり、全体に淡白な鳴り方をするように私は思う。
やはり、E1xほど優れたHPAがあるなら、それを使った方がいい。
これはE1Xと合わせて本当に、その内蔵のDACを超えると思えた初めての組み合わせである。
だが、この合計価格は・・・・・。インタコとMPSをそろえるとSennheiser HE-1と大差なくなってきた。
今度やる予定の、聞き比べが楽しみだ。

さらに感じるのは真空管を使ったアナログ出力回路の音の良さである。これは他のほとんどのDACで得られたことのない、独特の聞き味の良さ、力強さ、音のうねりを生むようだ。そして他のDACではありえないと思わせるほどの低域の量感の豊かさ、他のハイエンドDACの如く各パートを分離しすぎず、絶妙にブレンドして聞かせること、生々しいボーカリストの口唇の動きのニュアンス、奏者どうしのインタープレイの表現の見事さに驚く。妙にリアルな実在感はあるのに、どうも絵空事のような、よそよそしく、シュールな音が聞こえてくるDACもあるが、HD DACは、それとは正反対の態度を持つように聞こえる。これらはもちろんアンドレアス コッチの開発したコンパクトのDACモジュールの能力に負うところも大きいのかもしれないが、出力に真空管を一味加えることで初めて成し遂げられるもののような気がする。MPS-5ではこの音は出なかった。この音の良さは今まで聞いてきた多くの真空管アンプで感じてきたことに通じる部分が多いということもある。
惜しいことに、これから発売されるNagraのClassicシリーズのDACについてはボリュウムやヘッドホンアンプは省かれ、真空管を出力回路に用いないという。しかも電源は一つになる。コスト削減のためというが、それでも価格は200万近くになるらしい。それなら絶対にHDシリーズを買うべきだろうと思った。
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MacやPCをトランスポートにしてヘッドホンで音楽を聞いていると、一つのアルバムを通しで聞いたりすることはおろか、一曲を通しで聞くことすら、いつも必ずやるとは言えない。何故だろう、こういうデジタルシステムだと、どんどん曲を替えて聞きたくなるものだ。アナログレコードを聞いている時はそんなことがなく、少なくとも、片面を一度に聞き通すのが普通なのに。
しかし、NAGRA HD DACでは例外的にデジタルでも、アナログのような聞き方をしてしまう。曲を通しで聞き、アルバムを通しで聞いてしまう。そういう流れになってしまうのだ。またプレイリストを当然作るからアルバムをまたいで、シームレスに曲が連なって流れてゆくことになる。これはアナログでは決してできないことだ。どうしてもレコードをかけかえなくてはならない。
このDACの聞き味の良さ、オーディオとしての性能の高さ、音の生々しさ、音圧の力強さを呆然として聞いていると、時の経つのを忘れる。曲と曲は間の静寂を介して、途切れることなく繋がり、音楽が千変万化しながら、どこまでも続いていくような錯覚を生む。
夕飯の後にコーヒーを挽いてから聞き始めて、本を読んだり、文章を書いたりしながら、ずうーっとHD DACに聞き入っていると、いつのまにか次の日の朝の8時になっている。時間経過が全く感じられないリスニング。音楽を聴くことを全然やめられない。いつまでも聞いてしまう。だがPerseusと違って聞き疲れはある。音圧はあるし、低域の量感も豊かだから。だが、それは心地よい疲れだし、余韻に溢れるものでもある。
異性とベッドで過ごす濃密な時間と、その後の長い余韻のようだと誰かが言う。
これはセクシーなリスニングなのである。

とはいえNAGRA HD DACが来て、私が満足したというわけでもない。
Re Leaf E1、CHORD HD DAC、GOLDMUND THA2、Fostex HP-V8、Merging NADAC、OJI BDI-DC 24A、NAGRA HD DAC、マス工房 Model394、Hifiman Shangri La・・・そしてSennheiser HE-1。
此処へ来て、市場には高い音質を誇るアンプやDACなどがかなり出揃ってきている。
手持ちの機材と、それらとの組み合わせはどんな音なのか、興味は尽きない。
このようなハイエンドなヘッドホンアンプあるいはヘッドホンアウトのあるコンパクトなDACを並べ、適切な電源ケーブル・タップやインターコネクトケーブル、ボード・インシュレーターを用いて完璧にセットアップし、自分のヘッドホンで聞く機会なんぞは実際はほとんどない。
それは一つのメーカー、一つの代理店、販売店だけでは最高にドレスアップしたシステム一式をそろえることができないからだ。祭りで聞いても、音の良さの予感しか感じることができない場合が多い。メーカー、代理店ごとに取扱い製品のジャンルが限られているため、トータルシステムとしての提案ができていない。ヘッドホンシステムはあくまで多くの機材の集合体であるから、それではいい音が聴けない。そもそも、代理店の多くが、ヘッドホンが大好きで祭りに出展しているとは思えない。祭りにやって来る若者たちと、それを受け止める側との間に温度差を感じることは少なくない。そういう彼らに高度なセッテイングを求めても無理があると思う。

ところで、3月に秋葉原のオーディオ店で、最高峰の機材を集めてセッティングしたヘッドホンシステムを聞く会があったが、どうも借りてきた猫みたいな、つまらない音ばかりで辟易した覚えがある。あれは何故ダメだったのか?機材は良かったのに。電源や機材の接続方式、置き方などの細かい点に難があったのかもしれない。あそこにあったHP-V8にしてもTHA2ももっと良い音で鳴っているのを聞いたことがあるし。
やはり、その機材の取り扱いを熟知したオーナーが十分な時間をかけてセッテイングしないと、いいヘッドホンサウンドは聞けないのだろう。
そうは言っても上記の機材はほぼ全て持ち運び可能なのだから、これらを持ち寄ってオフ会をやってみたい誘惑は依然としてある。極論を言えばHP-V8だって移動は可能なのだから。ラックと椅子の組が3つぐらい置けるスペース。各々にコンセントが一つ、優れた4口タップをオーディオグレードの電源ケーブルで接続できる電源環境。人脈とやる気、そして数日間の暇。そんなものが万策堂にあるわけもない。
いずれにしろ、私は私以外の個人がどんなセッテイングでヘッドホンを聞いているのか、そしてそれらを同一の電源環境に置いて比較したら、どういう差が出るのかに、いつも興味がある。

余談だが、
この前、たまたま暇だったので、映画館に近頃話題のガールズパンツァーを見に行こうとしたら、小学生にキモいと言われてしまった。
昔のことだが、私個人は戦車自体にはかなり入れ込んでいたことがある。例えばホビージャパンに連載されていた黒騎士物語という漫画が好きでよく読んでいた。私の戦車観はあの漫画によるところが大きい。また以前、陸上自衛隊にいた人が職場にいて、毎日の昼休みに戦車やその他の兵器の話を二人でしていたこともある。
そういう私の知識の中での戦車というものは、極めて暴力的で残酷、非人間的な兵器なのだが、ガールズパンツァーという作品で注目すべきは、非力で可憐な少女だけで、この死と恐怖の機械を操るという思い切った設定である。
つまり、これは今の日本で流行る、独身男性向けのアイドル映画という側面がある。
その一方で、家族持ちの大人の男は、こういうアイドルに、しかも実際に存在しない二次元のアイドルにうつつを抜かさないものだという古い常識が、今の小学生にさえ浸透している。日本は面白い国だ。

もちろん、小学生にそうまで言われようとも、初志貫徹で私はこの映画を見に行った。
逆にこういうのを見に行かなくなったら、そこで好奇心が終わるんじゃないかとも思うので。
そこで私は、アニメの戦車の細かく行き届いた戦闘描写を眺め、エルンスト・フォン・バウアー大尉の不在を確認し、そして眼鏡をかけた若い男ばかりの観客の顔を眺めて、現代日本の栄光と悲惨、そして奇妙を肌で感じた。
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帰り道の渋谷のオンザコーナーでコーヒーを飲みつつ考えた。
見ようによっては、オーディオも、かなりキモい趣味だなと。いい年して、役にもたたない、女性にもモテない、スピーカーオーディオに比べてさえ、せせこましいヘッドホンオーディオに大金を払うなんてキモい。(そんなことを言ったら趣味は全部キモいか?)
「キモい」という言葉は、「気持ち悪い」と言うのがカドが立つので末尾を削っただけらしい。「イジる」が「イジメる」という言葉を短縮してマイルドにしたものであるのと同じだ。
例えば一般人は、ヘッドホン祭りなんて、所詮白い目で見ている。あくまで「気持ちが悪い」ものなのだ。しかし、私に言わせれば、これは「気持ちがイイ」趣味だ。キモいと言われようとも一向に平気である。気持ちがいいを短くして、キモいということだと解釈しているから。

つまり、こうして生きている限りは、自分の中から湧き出てくる自然な欲望に出来るだけ忠実でありたいということだろう。
家族に対してカッコ悪くても、コソコソしないで映画は見るし、逆に家族に隠れてコソコソとDACも買うし。こういう欲しいものが欲しいと思って実行してしまう、無邪気な自分を見るたびに、自分はまだ子供だなと知って安心する。もう私は否応なく、社会的には大人として扱われるような歳と立場になってしまったが、いつまでも子供でありたいと願いつづけている。それは変わらない。傍から見たら愚かなことに対して有頂天になって、周りが見えなくなってしまう人で俺はありたいんだ。ただ、そういう行為を、ある程度は意識的に強行しないと、子供になれないほどの歳になってしまったのが怖いが。

私は、子供であり続けるために、
NAGRA HD DACと暮らすことを選んだのかもしれない。



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# by pansakuu | 2016-04-15 11:54 | オーディオ機器

Dayz go by:オーディオに関する日記の断片


○月○日
LCD-4が修理されて戻ってきた。
随分と時間がかかった。オーディオ機器の故障には何度も遭ってきているが、こんなに戻ってくるのに時間がかかったのは初めて。LCD-4はドライバーの製作に時間がかかるのに、世界中から多くの注文があるため、全くそれを捌き切れていないと聞く。その影響なのだろうか。

修理されたと書いたが、正確には違うようだ。噂では1stロットのドライバーに振動板が破れる不具合が世界中で出たため、その辺が改良された2ndバージョンの新型ドライバーに交換されているとか。つまり違うドライバーが載ってるらしい。新型に移行したのだ。実際に聞いてまず感じたのは、2ndバージョンは1stに比べて能率が少し低くなったということ。振動板の強度を上げて耐久性を高めた結果、少し振動板が重くなったのだろうか。詳しいことは分からんが、確かに音は変わった。

こうなると1stロットのドライバーで聞いていた時と同じ音量を得るため、もっと遠くまでボリュウムノブを回す。それぞれのアンプのボリュウムにはスイートスポットというものがあり、そこに入ればいいんだが・・・。1stのLCD-4で、能率が高すぎてボリュウムが上げられなくて困っていたヤツが居たとしたら、今回の改良は喜ぶべきだろうね。まあ、お話にならないくらい1stのLCD4のタマ数が少ないから、そんな人はいるのか、いないのか。音質の全体の傾向はあまり変わらないが、軽やかに鳴る感じは目立たなくなって、逆に音の重さや厚さが増したかな。ボーカルの年齢が若干上がったような印象か。わずかに音が濃縮されたようなイメージもあるね。音質の格付けとしては未だに現代最高のヘッドホンサウンドのひとつだと思うけど、前のバージョンの音は捨てがたい。今更どうしようもないけど。
そうこうするうちに、キャンセル品が出たらしく、LCD-4の店頭在庫が出ている。待っていた人にはいい知らせだ。世の中には意外なことが起こるものだ。


○月○日
LCD-4を使う外国人の知り合いに、今のLCD-4について話したら、上手い方法があるから、ここにRe Leaf E1xもって来い、俺のを聞かせると言う返事がかえってきた。
私は早速、彼のマンションにE1xをもって出掛けた。

そこで撮った、彼のLCD-4の写真は消した。哀れなものだからだ。簡単に言えば彼の2ndバージョンのLCD-4はサイドの金属のグリル(Aの形に見える網目の入った板)とその下の薄いスポンジが外された状態で、配線とドライバーが露出した状態だった。ドライバー自体にもグリルが付いているので中身を壊す危険はあまりないが、美観が良くない。しかし、彼が言うには、こうすると、物凄く開放的な音になるのだという。グリルを付けているとドライバーの背面から出た音が、スポンジとグリルで跳ね返り、耳に聞こえるので音像が濁るのだとも言う。

とにかく聞いてみよということなので、Re Leaf E1xを繋いでみる。
なるほど、確かにこれは音が広い。音場が拡がり、音のヌケが一段良くなった。人の声がいっそう自然に聞こえる。1stロットのドライバーに聞かれた軽快さまではないが・・・これはなかなか良い。また、自分の欲しい音を得るためなら手段を選ばない、彼の根性にも感服した。
しかし、プラスドライバーでこのグリルを開けたりするのは自己責任だから、それはやりたくない。なにより美観に問題があるよ、○さん。
はじめて聞くRe Leaf E1xに有頂天になっている彼の背中を眺めながら、これは惜しいな、と思っていた。音が良ければなんでもいいというわけではないから。

○月○日
今、メインで使っているHD650や600のモディファイはLCD-4ほど豪華なサウンドではない。だが毎日、様々な音楽を様々な音量で聞いて、飽きが来ないし、疲れもしないという意味では勝っていると思う。デザインは極めてシンプルで軽く、コンパクトなので、また一つのギアとしてのまとまりも秀逸である。
LCD-4は2ndバージョンでも十分にTop of the worldと言い切れる音だが、こんな豪華なメシを毎日食わされるのもキツい。とにかくこの音ときたら、数時間でもうお腹いっぱいだ。E1xとかNAGRAとペアにしているせいだろうか?それに重さや大きさがあるので道具としての扱いづらさがある。これは少なくともスマートな道具じゃないし、エレガントじゃない。ただし音は良い。そこは間違いない。大したものだ。確かに1stロットの持っていた独特の繊細な音、軽妙なニュアンスが失われているが、これはドライバー自体の問題であり、ユーザーにどうこうできることじゃない。
好みによっては2ndバージョンの方がいいという意見もありそうだし、振動板の強度不足が解消されたということは喜ばしい。私が他人に薦めるなら1stより2ndということになるし、これから先は基本的には2ndしか手に入らないだろうし。考えても仕方のないことも多い。

○月○日
オーディオに関して迷いがあるとき、いつも思うのは、この趣味は単純ではないということ。音が良ければなんでもいいというわけじゃない。中国の方の協力を得て、ケーブル類を全てNordostのODINに換えて聞いたが、これこそtoo muchと言うべき音だった。大好きなConstellationのPerseusの存在感が消え去り、ODIN一色に塗りつぶされたサウンドは素晴らしくもあり、悲惨なものでもあった。ただ、これらを貸してくれた方は派手で強力なサウンドを好むので、これでいいと、ご満悦であった。大陸的な精神と島国のエスプリはやはり異なるのだろうか。

そもそもオーディオファイルという奴は、意識的にしろ無意識にしろ、出音に不満がある時に新たなケーブルやアクセサリーやルームアコースティツクを求めるものだ。だが基幹となる送り出し、アンプ、スピーカーが本当にしっかりと自分の好みにハマっていれば、そんな余計な苦労は必要ない。私にはPerseus もTTT-Compactも、E1xもある状態なのだから、今の所はケーブルに凝る必要はないのだと再確認した。
おそらくODINのような劇薬を欲する人は、ODIN単独のサウンドを本当に愛しているか、自分で自分の好みが分からなくなって迷っているかどちらかなのだろう。
だが、あまり出しゃばらないケーブルなら欲しい。例えばCHORDのMUSICとか。密かに狙っているところです。
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○月○日
プラタナスのカートリッジとグランツのアームMH124DLCのペアでアナログレコードを聞く機会があった。これはNordostのODINのテストと違って、なんとも言えず聞き易いのである。スッと音楽に入って行ける。グランツのアームはバージョンが変わるたびに試聴しているが、反応性や分解能が増してる。以前のバージョンは音の太さ、力強さが信条で、繊細さに欠けていたが、この最新バージョンは極めてハイスピードで、音の解像度も高いようだ。
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プラタナスのカートリッジは、おおらかだが、細かさもある。昔のカートリッジのように、音楽を俯瞰的に聞かせつつ、リスナーをリラックスさせるゆとりがある。それでいて音に大雑把な荒さがなく、現代のカートリッジらしい分解能の高さ、スピード感もあるようだ。値段も安い。いま使っているウルトラエミネントより20万円ほど安いが、普段使いならプラタナスの音の方がいいかもしれない。
アナログオーディオというのは、アナログレコードという形式自体に、もう既に人間を愉しませる音の要素が盛り込まれているので、選択さえ誤らなければ、そんなに高級な機材を使わなくても十分に楽しめる。例えばPerseusは圧倒的に音が良いフォノだが、これの20分の一くらいの価格のフォノでも、ほぼ同じレベルの感動を得ることができなくはない。ただ、そう断言するためには、どうしてもこの500万オーバーのフォノを手元に置いて使ったという経験を経る必要がある。そこがオーディオの難しいところだろうか。
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○月○日
そのつもりはなかったのだが、MergingのNADACを聞けた。スピーカーでしか聞けなかったが、これは本当に素の音を聞かせるDACで、飾り気がないものだと分かった。かなりスッキリとした音。高域は自然に伸びていて、中低域はやや薄いか。音数はとても多いが、それを前面に出さない、控えめな音。温度感はニュートラルで、音は軽めだが、結構、生々しい感じもある。とにかく全体のバランスがとても上手くまとまっていて、不満を感じなかったのが印象的。玄人好みというか、分かる人には分かるでしょという感じの音だ。中身を開けて見せてもらったのだが、かなりスカスカでこんなものに100万オーバー払うのはどうかと思ったが、音は悪くない。DAVEのようなパッと聞きのアピール、引きの強さはないのだが、NADACをあえて選ぶことのシブさはあるだろう。DAVEを買いたい誘惑に逆らった自分を褒めたいとは、オーナー様の弁である。このNADACのオーナーはDAVEはミーハーな音で嫌だったとも言っていた。確かにそうかもしれない。分かりやす過ぎるかもな、DAVEの良さは。実はこのNADAC、話題にはあまり登らないが、日本では地味に売れているらしい。車でいうとアウディみたいな、派手じゃないけど高性能という所が、日本人好みかも。逆に中国などでは、コイツはアピールしないと思うけど。

○月○日
近頃、スピーカーであまり音楽を聞いていない。
つまり、ヘッドホンだけで音楽を聞く生活に一時的にだが移行している。
アナログレコードもヘッドホンで聞いている。これで十分に堪能できる。
実は、かなり前から、いつかはこういう時期が来るだろうと思っていた。
振り返るとG ride audioのGEM-1というヘッドホンアンプとリケーブルされたHD600の組み合わせを聞いた時にそういう予測を立てたのが最初だった。(思えばあのHD600はGolden eraだった。GEM-1のプロデューサーの耳は鋭かったということか)
あの瞬間、ヘッドホンオーディオはハイエンドオーディオの一つのジャンルとしてきっと独立できる。少なくとも自分の中では、そういう確信が頭をかすめた。

細かくて口うるさい現代日本では、たとえ防音室をもっていたにしても、夜中にスピーカーを大音量に鳴らすのは憚られる場合もあるようだ。防音室を建てて10年以上たった今年の冬、ついに近所から苦情が来たというオーディオファイルに会った。防音室も劣化するのだろうか。防音室すら設けることのできない、都会のマンション住まいの私にはハイエンドヘッドホンはやはり必需品である。

勿論、このスピーカーオーディオの不在はかつてやっていた時計を集める趣味の中断や、ライカやハッセルへの入れ込みがなくなった時と同じく、永遠の別れではないだろう。実際、ドイツ魂を具現化した時計、モリッツグロスマンの出現はビンテージのパテックで時計趣味を終わらせたはずの私を覚醒させつつある。ライカモノクロームやアポズミクロン50mmの登場も私の心を掻き立てる。
スピーカーオーディオの中断も恐らく一時的なものだ。
とにかく現在(いま)はスピーカーの相手をしている時間がない、そして、真に気に入ったプリアンプとパワーアンプのペアが見つからないというだけなのだ。

○月○日
一番困るのは、欲しいオーディオ機材が少なくなったということだろう。
例えばアンプ。10年前のアンプと比べて音は若干よくなっているか、あるいは横這い状態だが、価格は二倍以上というケースに多く出くわす。高級機械式時計と似た状況だ。今は中古が狙い目の時代だと思う。虚心坦懐に聞けば、昔の機材はSNが若干落ちていたりするが、音のインパクトとしては現在の機材を超えているものも少なくない。過去のジェフやクレルのアンプのフラッグシップを聞くとその感が強い。
ファンの方には本当に申し訳ないが、B&Wの最新のスピーカー群も深く考えながら聴くと、もしかして改悪なのではないかと思うことがある。この音は一部のハイエンドなヘッドホンの音に近い。細かい音を完璧に聞かせることはスピーカー離れしているが、聞いていて音楽が音に聞こえることが多い。例えばセクシーな音楽を聞いても、少しもセクシーに聞こえない。ムラムラッと来ない。ビシッと締まった合理的な音だが息苦しい。音楽の中で音がどうなっているかが、とてもよく分かるけれど、真に俯瞰的に音楽を聞く視点がなく、逆に音楽の中に入り込むこともないうえ、スピーカーが悠々と歌っているような楽しさも感じたことがない。これは聞きようによっては強烈な個性かも。私は生物を命あるものとして扱わず、タンパク質の塊として扱うことに賛成はしかねる。同じように音楽を音波の時系列として扱う立場に私は馴染めない。それに、このスピーカーはよほど優れたアンプをあてないと、ポテンシャルを引き出せないだろう。特性上は極めて優秀なので、一聴、どんなアンプをあててもきちんと鳴っているように聞こえるはずだが、その音は実は精神的に空虚で無味乾燥なものだ。このスピーカーに魂を吹き込むにはかなりの金策が必要となるだろう。
あるお宅でJBLのパラゴンを聞いたとき、なにか古臭い音だが、物凄く人間の精神の真髄に触れている気がしたのを思い出す。昔のモノがなんでもいいなどと絶対に思わないが、最新のモノにも常に疑問を感じる。

このB&Wのシリーズは高価なためか、予想外に売れ行きは悪いという。確かに前のバージョンのように、中古のB&Wが大量に出回る現象はないようだ。悪くないというか、とにかく高性能なスピーカーだし、これを今年のメシのタネにしたいと語っていた関係者もいたが、どうなることやら。

○月○日
私はハイレゾとかいうものに興味はないわけではないが、
あれはあくまで音楽の録音と再生の一様式にすぎないんじゃないかと思う。
実際にそういう冠のついたデジタルファイルを買って聞いている消費者ではあるが、
それを殊更に意識して買ったことがないし。
とりあえず聞いてみようかくらいの軽い気持ちでダウンロードする。
ハイレゾかどうかよりは、まずは欲しい音楽の内容かどうか、もっと具体的には曲がいいのか、音作りが面白いか、歌詞がカッコいいかとかそういうことの方が気になる。
つまり、たまたま欲しい音楽がハイレゾで配信されていれば、試しに聞いてみるかというノリでダウンロードするぐらいだ。聞いてみてダメなら打ち捨てておくし、そうでもないなら聴き続ける。それだけのことである。
逆に言えばハイレゾに絶対的な音質的優位を感じたことはない。差がほとんど分からない例も多々ある。ブラインドでどっちがどっちと当てられる自信がないハイレゾファイルは数多い。これはSACDと異なる点である。SACDはモノによってはCDに比べ圧倒的な音質のアドバンテージがあった。それは一聴して分かった気がする。
単純に音質という意味では、ハイレゾは私の中ではあまり大きな役割を果たせていない。それでいてメモリーは食う。

年末にやっていた大会議では音楽を実際に創る側の不参加のせいか、音楽の内容についての言及があまりなかった。それは大きな視点の欠落を意味する。
私個人は聞こうとする音楽の音調、音作り、奏者やプロデューサー、オーディオファイルが思い描く音のイメージによって、その様式を使い分ければよいと考えている。
異論はあるだろうが、ビートルズの音楽をハイレゾなんかで聞いても特に楽しくない。
わたしはカセットテープで聞くのが好きだ、ビートルズは。
逆にアニソンはハイレゾで聞くのがいいんじゃないかと。
アメリカのラップなんかはMP3圧縮音源がいい。
新録音のライブものは、大概はDSDがいい。臨場感がある。

そんな感じで、なんでもハイファイがいいわけじゃない。いわゆる「正しく」作られたハイレゾファイルが必ずいいとも思えない。無論、アナログがいつもいいわけじゃないし、カセットテープがいつもいいのでもない。それぞれのフォーマットに音調、音の気分というものがあり、それが曲に合うかどうか、アルバムの雰囲気、音楽の創られた時代の空気にマッチするかどうかを気にしている。
だから、それぞれのフォーマットで曲やアルバムを聞いてみて、しっくり来るものを自分で選べればいい。そういう意味で選択枝が増えればいい。それが音楽のソースの側からできる本当の高音質への道ではないかと。
オーディオを通じて、音そのものではなく音楽の中身にアクセスしたいと望む私には、音楽の中身を無視した、測定できる音質だけに関するオーディオ談義なんかは、いくら長い時間を費やしても机上の空論にしか見えない。音楽の中身というのはそれを創る者が好むと好まざるとに関わらず、芸術や人間の精神という科学では捉えきれないものに深く関わっている。そのことを、音楽を容れる器を作る者たちも忘れてもらっちゃ困る。
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○月○日
それにしてもRe Leaf E1xは素晴らしい。特別なことをなにもしなくても、こんなにバランスがとれてクセが少なく、純粋でありながら押しつけがましくない音が聴ける。様々なヘッドホンアンプを聞いているが、これほど安定して凄い音を出せるものはありゃしない。完全無欠に限りなく近いHPAである。価格ははっきり言って安い。以前使っていたヘッドホンシステムは最高時で全部あわせて500万円もかかっていた。E1xのサウンドはその時聞いていたものよりも、ずっといい。Goldmund THA2もかなり良いが、バランス接続が試せないのが痛い。あるヘッドホンの能力を引き出そうとしたときに、できるならリケーブルまでしてバランス駆動したくなるのが人情である。THA2はそれができない。惜しいことだ。
また、リケーブルみたいなものだが、現在、面白いアイテムを使っている。Double helix Cableさんでつくってもらった変換アダプターだ。標準プラグを3pin XLR×2に変換するアダプター。こいつの特殊なのは、まずお目にかかれないXLRを使っていること。Bocchinoという手作りのコネクターである。接点は全て純銀、ボディは特殊なプラスチックの棒材から削り出したものだ。これを通すと音がギラッとする。音楽の勢いと輝きが増す。必要ないのに、あえてこれを通して音楽を聞いたりしている。こういう一見意味のない遊びこそ面白くてやめられない。

# by pansakuu | 2016-04-10 00:50 | オーディオ機器

HD600/650 Golden Era meisterklasse Dmaaの私的インプレッション:闇の中の光


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昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか
ニーチェ
光りあるうち光の中を歩め 
トルストイ



Introduction

散々な日々である。
手持ちのオーディオ機材の5割がほぼ同時に故障するなんて、
考えられる最悪の場合を超えている。
まさに想定外の事態である。
特に、導入して2週間ほどでLCD4の片チャンネルが沈黙したのは痛かった。
大人の蜜月というものは往々にして突然終わるものらしい。
投稿時点では、修理完了の目途は知らされていない。
もしかすると、AUDEZEの代理店がコロコロ変わる理由も
こんなところと関連があるのかもしれない。
とにかく僕は途方に暮れた。

それでも幸い、生きているシステムがあった。
それはRe Leaf E1xとHD600/650Golden era Dmaaのトリオである。スピーカーシステムも、メインのヘッドホンシステムもダウンする中、暗闇で光るランプのように彼らは僕のオーディオライフを照らし出した。それは薄暗くはあるが、細部にわたる正確な陰影に満ちた、シンプルに美しい音の世界だった。そういう世界に包まれながら僕は自分のオーディオについて改めて思い巡らした。
来るべきもの、去りゆくもの、そして結局、僕の中に残ったもの。
では、いったい僕はなんのためにオーディオをやるのか?
もう音質のため、などという単純な答で満足するレベルはとっくにクリアしている。
原音再生のためだって?
それはオーディオの本性を何も知らない者の答だ。
とにかく、あの永遠に思えたオーディオの道も半ばを過ぎたのだ。

悪いことばかり続くものじゃない。
そんな僕のもとに、ひとつの知らせが届いた。
ご用達のDelimour Modern audio acoustik(Dmaa)で
新しいHD600/650のモディファイを提供する企画を立てているという話だ。
プロジェクトネームはMeister Klasse(マイスタークラッセ)。
それはホーナーのハーモニカの最高級品の名前でもなく、音楽の名手による公開レッスンを意味するMeister Klasseのことでもない。このネーミングはDmaaが考える最高のヘッドホンチューニングを指すのだろう。(それにしても何故いつもドイツ語?)
なお、この新しいmeisterklasseモデルは2016春のヘッドホン祭りでデモをする予定というが、それまで待ってはいられない。無理を言って聞かせてもらおう。
なにしろ、退屈しているところである。


Exterior and feeling

いつものように市販のHD600、HD650と見かけの差はほぼない。
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ただ今回受け取ったMeister Klasseのベースとなっているヘッドホンは、いわゆるGolden Eraの個体であった。私が所有するDmaaのヘッドホンも、このHD600 Golden Era、HD650 Golden Eraがベースなのだが、以前述べたようにハウジングの材質が現在のモデルと異なる。よく見ると微妙にザラッとした表面の質感である。だから厳密に現在の市販モデル(DmaaではこれをCurrent Model、CMと呼ぶ)と同じ外観ではない。Dmaaで改造を施したヘッドホンに貼られるシールは一見して同じようだったが、よく見ると、右側のハウジング内のドライバー近くに貼られたシールのみ内容が異なっていた。
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メッシュ越しにMODIFIED HD650GE meisterklasseあるいはMODIFIED HD600GE meisterklasseと読める。これは見落としてしまいそうなほど僅かな違いだが重要な違いであろう。つまりHD600 Golden Era(略してGE)、HD650 GEにmeisterklasseのモディファイを施したものという意味なのだから。

改造の中身については、話を聞く限り、大幅に変わったのではない。
要点は二つ。ドライバーユニット背面のネオジウムマグネットの中央開口部を塞いでいるスポンジフィルターの大きさ・形状を変更したのである。これはおそらくユーザー側の費用負担も軽い、小さな変更のようだが、実際は意外に大きな音質の変化がある。
さらに、その取り付けの精度を上げるため、取り付け専用の特別な治具を設計、外部メーカーに特注した。この治具の使用により、従来のDmaaモディファイとは一線を画する、正確なスポンジの位置決めができるようになり、貼られた状態でのスポンジの形状のバラツキが小さくなった。このような品質管理の向上が音に及ぼす影響も無視できまい。

そもそもDmaaが、このmeisterklasseを新たに考案したのは、HD600や650がその生産年代によって材質や形状にばらつきがあるため、音が一定にならないことを憂いてのことだという。
例えば再三述べているHD650 Golden Eraと現行のHD650 Current Model(CM)は元から出音が違うし、それらが従来のDmaaのモデファイを受けても音の差は埋まらない。HD600、HD650ともに数種類のバージョンがあり、Dmaaではそれらの材質・構造と音質の違いを詳細に把握している。今回のmeisterklasseは、ヘッドホンの出音をDmaaが目指す方向へ改変するだけでなく、生産時期による出音の差を最小限に留める改造となる。Dmaaでは、その目的のため、スポンジフィルターの大きさ・形状について、ずっと試行錯誤してきたようだが、その努力がひとつの形になったのである。
確かにGolden Era(GEと略)のHD650GEはもちろん、特にHD600GEはかなり入手困難である。このモディファイを選択できるようになったことは、これらを求めてえられなかったコアなヘッドファニアには朗報かもしれない。

と、ここまではDmaaサイドからの説明から、僕が理解したことである。ここで、もう一つ、僕個人が蛇足するなら、(というか、今回のブログの眼目はここにあるのだが)ゼンハイザーヘッドホンの音質的ゴールの一つと考えられるHD600 GE Dmaa、HD650 GE Dmaaに対して、meisterklasseのモディファイをかけなおすと、その音質は確かに変わるということである。変更内容は小さいのに、音質の変化は決して小さくない。それはHD600GE,HD650GEのポテンシャルの高さゆえだろうか。
逆に言えば、ここでは現行のHD650CMをmeisterklasse化したものが、どこまでHD650 GE Dmaaに近づいたのかについては述べるつもりはない。それがDmaaサイドの主な狙いであるにも関わらす、それについて僕は知らないからだ。そう、これは相変らず片手落ちで自分勝手なレビューなのである。
とはいえ、その音質変化の中身の良し悪しは、僕が手持ちのHD600 GE Dmaa、HD650 GE Dmaa、2台のmeisterklasse化を試聴の当夜に決心したことからも分かるだろう。
今までのDmaaモディファイの音質に十分に満足していたのにもかかわらず、あっけない心変わりなのである。
少なくとも僕にとってはmeisterklasseモディファイは素晴らしいものだった。


The sound 

テストはいつものように JriverをインストールしたWindows10、Orpheus のKhole USBケーブル、Re leaf E1x、XLR3pin×2のDmaa純正Octaviaヘッドホンケーブルという組み合わせである。少し脱線するが、最近、テストしたAurender N10は音質的にかなり優れたトランスポートであり、同ジャンルの機材とは言えないが、類似した役目を担えるFidataやN1Zよりも良い音質的結果をもたらす。お金がある方にはこれが一番勧めやすい機材だ。しかし価格やスペースや電源のことを考えながら音を比較するとJriverをインストールしたWindows10のPCで十分だと僕には思える。それくらい、この力が抜け、親しみやすいJriverの音が好きだ。(なお僕はオーディオファイルとしてはやや変則的にJriverを常用する。この手のUSB経由のセッティングでよく採用されるAudirvanaを日常のリスニングでは使っていない。イベントにMacとE1xを持ち込むときだけだ。あれは音の雰囲気が僕の好みに合わない。)

僕の聞いたHD600/650GE meisterklasseは基本的には従来品と似たところも多い。HD800に近い広いダイナミックレンジ、全帯域にわたるフラットなエネルギーバランス、俊敏なレスポンス、澄んだ音場、中庸な温度感、客観的な立ち位置で音を冷静に観察する立場というのは同じである。ソースに入っている音を大きな網で、まさに一網打尽にするような感じも類似する。
はっきり異なるのは、まず音の鮮度感がさらに向上したということだ。クセの少なさはそのままに、音のアタックがよりストレートに鼓膜に届く。介在物が少なくなった印象なのだ。従来品を使っているかぎり、音を遮るものがあったとは思えないのだが、オーディオではよくあることで、新型を聴いて前モデルの性質を発見することがあるのだ。より生々しくなったとも言えるし、精度が高まったとも言える。
それから、音のアタックは強いが、それがよりキメが細かくなったというところが違う。従来品のように音が弾力のある平面として知覚されるのでなく、適度な柔らかさのある複雑な曲面として意識されるとも言える。特にHD600 GE Dmaaは、そのアタリに微かな苦味のような違和感を感じたことがあった。その部分は自分でも知らず知らずこのヘッドホンを使いこなすための修行としてとらえていたのかもしれない。

チューニングが変わってもGolden Eraのヘッドホンの特徴である、音像に焦点がピタリと合うような、定位の良さは変わらない。この定位の良さからくる音像の迫真性・生々しいインパクトは、今までの強さ一辺倒の少し押しつけがましいものから、より洗練された。楽器や演奏者に近づいて音楽を聞いているような印象は同じだが、その中でもアンビエンスの要素が増えたのである。少しだけ身を引いて音を見る姿勢が加わっている。
このヘッドホンは従来品でもエージングが進めば、時々ヘッドホンの存在が消え失せて、リアルに アーティストにかぶりつくように近づいて生音を直接聞いている錯覚に陥る。しかし、今回の meisterklasseでは音源の周囲への音の広がり、空間を認識する余裕が与えられたように聞こえる。直接音だけでなく、間接音の正確なモニタリングができるようになった。

おそらくこのチューニングは結果的に、HD600/650CMをHD600/650GEに近づけるのではなく、HD600/650GEを現行モデルの音調に近づけることになっているのではないか。簡単に言えばHD600/650CMの出音の特徴であるHD800に類似した音の空間性がHD600/650GEに付加された形になっている。とにかく僕個人はそう感じる。だから従来のHD600/650GE Dmaaの直接音中心の音作りを好む方は無理に meisterklasseにする必要はない。とはいえ、やってみて気に入らなければ戻せる話だ。とりあえず meisterklasseを味見してみる価値は誰にとってもあると言えるだろう。

HD600/650GE meisterklasseを用いた実際のリスニングは、何を聴いても楽しい。
例えば、デビッド ボウイの最新アルバムにして遺作となったBlackstarの中のLazarusという曲をこのHD600 GE meisterklasse(mk)で聞くと、マーク ジュリアナのドラミングの重さが鮮やかに脳裏に焼き付く。
https://www.youtube.com/watch?v=y-JqH1M4Ya8
低域の分解能が高い。細かく解像しており、音の立ち上がりがとても速い。そしてアタックが強い。でも痛くない。今までのHD600 GE Dmaaでは低域を含む全ての帯域で正確かつ立体的な楽音が得られていたが、それはポリゴンのようなやや粗い立体感であったことに気づく。鮮度感やキメの細かさを伴ったより精密で鋭敏な調子をもった立体感はmeisterklasseのチューニングの特徴だろう。

特にHD650GE mkで強く感じることだが、楽音が色濃く、カラフルに聞こえるうえ、音の流れが、滑らかでメロディの横のつながりがよくなった。また定位するいくつかの音源が単純にバラバラに聞こえず、ある程度のつながり、ハーモニクスを持って聞こえるように変わってもいる。以前のHD650 GE Dmaaでは音は単純に分離して聞こえ、それぞれの楽器の出音のみが分かりやすかったが、今回のモディファイでは分離とともに、音源が融合する様も聞き取れる。 meisterklasseは複雑な音の様相を単純化せずに出してくる。
またHD600/650 GE Dmaaでは、音に色を感じず、モノクロームの味わいがあると思っていたが、今回のチューニングで深みのあるカラーが備わったように聞こえるのもうれしい。
なんとなく、レンジが広がったように聞こえる。低域も広域も僅かに伸びているのではないか。ドライバー自体が変わっていないから、気のせいのだろうか。確かにより高く、より深いところまで、今まで耳が届かなかった領域へ踏み込む気配がある。

HD600/650 GE mkでも鋭い音は鋭く、鈍い音は鈍く、曖昧な音は曖昧に聞かせる、その正直な態度は以前と基本的に変わらない。つまり、音源、ヘッドホンアンプ、ヘッドホンケーブルの質を素直に出すことは変わらないと述べたが、むしろその側面は増幅されていると思う瞬間もある。HD600/650 GE Dmaaではヘッドホン自体に音を細かく分離・解像する強い能力を感じたが、今回はそういう能力の誇示はわずかに抑えられ、ヘッドホンアンプ・ケーブルの性能により素直に伝えるような気がする。出しゃばらず、とにかくピュアに音を伝える。ヘッドホンの介在をより小さくし、より黒き黒子に徹そうとしているようだ。確かに分離が異常に高まった音というのも、不自然なのかもしれない。

よくヘッドホンで寝落ちする話を聞くが、HD600 GE mkではそれは難しいかもしれない。HD600 GE Dmaaでもそうだったが、より鮮烈になった出音はリスナーの聴覚を刺激しつづけ、休息を許さない。やはりこれは本来は音楽制作の仕事に使うギアであり、日々のストレスの癒しのお供ではなく、音質マニアのマスターベーションの道具でもない。これは音楽のコアをつかむための純粋なギアである。その真価と進化を感じ取るには、それなりの音量で持続的に音楽を聴ける、強い聴覚器と健全な精神の持ち主でなくてはならない。(僕が適格者かどうかは別として)誰にでもお薦めはしない。従来のHD600/650 Dmaaを聞いて、他のヘッドホンにない良さを感じたなら、ここに進むのもいいだろうという程度だ。

もうずいぶん昔の曲だがSchool food punishmentのAir feel color swimからSky stepを聴く。
https://www.youtube.com/watch?v=MK9IaCuPRjo
内村の鋭く刺すような切ないボーカルが相応のインパクトをもって、鼓膜を襲う。この刺されても痛くない、むしろ快感になる声のシャープネスは今まで聞いたことのないものだ。飾り気のない、音質に対する配慮など微塵感じないこのアルバムの価値がHD600 GE mkの遠慮会釈のないサウンドによりはっきりしてきた。このアレンジ、この音作り、このリズムとメロディにより深く入り込むために、このシステム、HD600 GE mkをフューチャーする豪華なヘッドホンシステムは必要だった。

最近よく聞くアルバムでMetafiveのMaisie’s Avenue、このスタジオライブバージョンを聞いてみよう。https://www.youtube.com/watch?v=xkc5u9r5VF4
前モデルのHD600/650GE Dmaaでは出音に正確さを求めるあまり、抑えられていた間接音、リバーブの広がりと直接音とのクロスオーバが聞き取れる。以前は音がどこか硬かった。それが良さでもあったが。HD650GE mkではその硬さは面で感じられるのではなく、細かな粒子として知覚される。音は混沌としているが、それが本来の姿であり、それを細かい粒子で正確に表現すること目指す。
また同じアルバムの曲でDont MoveのスタジオライブバージョンにおけるLEO今井の異様なボーカルの雰囲気、あの断絶感も否応なく出してくる。オブラートにはくるまない。生々しい音だ。(LEO今井は現代にもこういう面白いミュージシャンがいるんだと安心させてくれる男だ。)
https://www.youtube.com/watch?v=7LBUEYGfisQ

Youtubeでよく再生しているブラッド メルドーとマーク ジュリアナのデュオライブの映像がある。
https://www.youtube.com/watch?v=tn6gjoMUEY4
この一連の演奏でマーク ジュリアナのファンになったのだが、特にHungry Ghostという曲でのメルドーのオルガンとジュリアナのドラムの煽り合いがすさまじい。この少しもスイングしないバトルをHD600 GE mkは激しく描く。これは音のカオスであり、リスナーにとってはその混乱のただ中へ飛び込んでゆくような体験なのだが、どんな大きく、高級なスピーカーで聞くよりも、このヘッドホンシステムで聞く方が胸に響くリスニングになる。過去の演奏をかぶりつきで聞く唯一の方法になりえるヘッドホンリスニングだが、このHD600 GE mkは音源にスピーカーよりも近づけるような気がする。

こうして聞いているHD600 GE mkとHD650 GE mkをどちらが好きかと聞かれると困る。実は以前のモディファイではHD600GE Dmaaの方が650より好きだった。モノクロームないぶし銀のサウンドであり、アナログレコードとも相性が良かった。
一方、今回のチュー二ングでは、音のつながりの自然さでHD650 GE mkは勝るが、音一つ一つの実在感や克明さはHD600 GE mkに軍配を上げたい。曲によって選ぶがいい都しか言えない。片方しか買えないなら迷わずHD650 GE mkをお薦めする。これは誰でも良さを多かれ少なかれ聞き取れる、普通の音という要素が強い。一方のHD600 GE mkは音がまだまだ強い。音像の陰影の掘り下げが深い。それだけにリスナーに経験と音質に対する貪欲さ、センスを求めるところがある。

ところで、最新のHD800Sについて思うところはいろいろあるが、少なくともあのサウンドにはまだHD600 GE mkに感じる深みや陰影がない。それに、手元で聞いていてわかったのだが、なにか間接音の位相が乱れているのか、背景に若干のザワザワした居心地の悪さがある。これなら以前のHD800の方がまとまりとしては良かったのでは?そんなHD800でも空間表現以外でHD600 GE mkが劣るとは思えないのだから、こんなところで800Sを持ち出すまでもないのかもしれない。
つまり、これがあれはHD800Sは要らない。そういう気分になる、僕と似た人が必ずいるはずだ。Dmaaの意図を離れて、プロフェッショナルでないオーディオファイルのヘッドホンとしてHD600/650 Golden Era meisterklasseは進化したのだ。これ以上多くは語るまい。


Summary

僕の散々な日々は続いているが、
聞けないから静かに思い巡らせる時間が増えたし、
その中で過去のメモを振り返ることも多いので、
かえってオーディオについての考えは進んだと思う。

僕は自分のオーディオを根本的に改変したい。
誤解を恐れずに言えば、今より音質を下げて、より音楽の近くに寄り添いたい。桁外れの高音質は、音楽そのものからリスナーを遠ざける場合がある。ハイエンドオーディオで言う高音質やその大げさなスタイルというものは時に格好悪いものだ。その格好というのはビジュアルというか、オーディオ機器の外観の話だけではない。オーディオに対する態度のことだ。
とにかく僕は次の段階へ登ろう。
今なら無邪気な向上心が作り出すリピートを断ち切り、新たな臨界へ登っていけるはずだ。

そのために、最近の黙考の結果としていくつかの機材が既に選ばれている。
だが、これら全てをすぐに手に入れるべきじゃない。
たとえ明日、世界が終わると知っていてもだ。
それらの新たな武器、強力な武器はおいおい到着するさ。
焦らなくていいから、焦らないのではない。
焦らない心でなくては、オーディオは成就しないからだ。

こんなに混沌とした暗闇の中で、すこぶる直観的に音楽に迫れる道具としてHD600/650GE mkを聴き、なんとタイムリーな、と思った。これは音のプロのためにチューンされた堅牢で信頼性の高い、オールマイティな道具である。志が高く、好奇心豊富なヘッドファニアには無視できない代物だろう。堅実な音質・音楽性、そして何より外観や使い勝手をひっくるめたセンスがいい。あえてこのギアを選ぶことの格好の良さがある。また、ドイツ製の名高い道具たちに共通する美学を感じる。Moritz Grossmanの時計のような精密さや、ライカのレンズを操るようなハードな快楽がある。地味だけど途轍もなくハイセンスな、こういうモノを僕はいつも探し求めてきた。
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そして、HD600/650GE mkを僕は発注した。

# by pansakuu | 2016-03-21 16:43

Audeze LCD-4の私的レビュー:男と女

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男はどんな女とも楽しく過ごせる。その相手を愛していない限り。
By オスカー ワイルド



Introduction

今、聞いているヘッドホンは男か女か、
そんなことが、ふと気になることがある。

男声が力強いとか、女声が聞き易いとかそういう話ではない。
ヘッドホンとアンプの相性がかみあって、全体の歯車が勢いよく回り出したと感じられた時、それぞれのヘッドホン独自の音楽の解釈(いわば音楽性)や音色・音触が克明に浮き出てくる瞬間がある。
その刹那に、それらが醸し出す雰囲気に男を感じるか、女を感じるかという話だ。
新年早々、また本題と関係ない変なことを言い出したと思われるかもしれない。

だが今回レビューするLCD-4を聞いていると、
そういうことについてちょっと考えたくなる瞬間が多い。
なにか微妙なヒトとモノとの関係があって、私の感性をくすぐるのだ。
私にとってLCD-4は女性である。
Re leaf E1xを介した、このヘッドホンのリスニングの印象は、
美しい熟年のディーヴァ(歌姫)とのアフターステージの会話のようだ。
アダルトでクール、そして少しばかり不健全なのである。

今夜は私が彼女について知っていることを話そうと思う。

(なお、この文章はCassandra WilsonのアルバムGlamouredを聞きながら書いた。
また、このブログはバグがあるのか、文が途中までしか表示されない場合があります。文章が途中で切れた場合はもう一度検索してアクセスしなおすと最後まで読めることが多いです。)


Exterior and feeling

外見がどうこう語る前に、このヘッドホン、まずは頭に装着してみるのが筋だ。そこで、あ、コレは重くてダメだ、と思った方は大金を払ってまで、このギアを使うのはおやめになった方がいい。このLCD-4の660gという重さは、もうそれだけで人を選ぶ。まるでフルフェイスのヘルメットをかぶったような重圧感、開放型なのに密閉型ヘッドホンのような閉塞感である。
一方、こんな重さであっても、ま、音を聞いてみようかと思った貴方はまだ脈がある。この素晴らしいサウンドに感動できる道が開かれている。幸い、私的にはこのヘッドホンの装着感に異議はなかった。頭頂部をはじめとして痛い所はどこにもなかった。これはちょっとばかり疲れるヘッドホンだが、私が受け付けないようなものではない。

何にしても、この肩や腰にくるような重さは使う人を選ぶ。だが、この装着感、この重さがあってこそ、この音が得られていると思うので、それらは必要悪のようなものだと私は考えている。
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LCDシリーズの全体のフォルムはほぼ一定であり、定番としての存在感を主張している。大きな平べったい円筒形のハウジングの形、木製のリム、厚みのあるイヤーパッドの取り合わせはほとんどトレードマークであり、ヘッドホン界に同じものはない。私はこのデザインに洗練を感じたことはないし、作りもやや雑だとは思うが、ここにある、無視しがたいモノとしての存在感はGRADOのヘッドホンのそれと同じく尊敬する。
最新作のLCD-4の外見も先代のLCD-3と大きく異なるところはない。大文字のAの形を連想させる、ハウジングの枠に嵌め込まれたグリルがシルバーの鏡面仕上げになっていること、黒檀をハウジングの枠(リム)に使っていること、ヘッドバンドがカーボン素材に変わったことぐらいしか明確な差を認めない。当然、内部は大幅に改良されているのだろうが、売りである1.5テスラのネオジウム磁石、FMT、Fazor Technologyも外から見えない。ただ黒檀とカーボンを素材に加えたことは、音に効いているのは間違いない。異素材を組み合わせることによる共振の分散、それは出音の制動と量感の絶妙なバランスを生むはずだ。この生体素材と人工素材の取り合わせ、複数種の金属と非金属の組み合わせという手法は上手い。思えばパイオニアのSE-Master1やFinalのSonorous Xにはこういう素朴で老獪な工夫が欠けていた。

いつもながらLCDシリーズのイヤーパッドには驚かされる。おそらく世界中探しても、こんなに厚々としたイヤーパッドを持つヘッドホンはないだろう。これが両側から適度な圧力で耳介の周囲を覆う。ラムスキンの表面の質感も皮膚に馴染んで微妙に張り付くようで密閉性が高い。この特異なクッション性はAudeze伝統の、重厚でありながらフカフカ・ピッタリとした装着感を生み出す。そして、このイヤーパッドのオーバーな容積や質感はこのヘッドホンのややソフトな音調に影響を与えている。このイヤーパッドを全く異なる材質、厚さ、構造で作ったなら、全く別なサウンドが得られるだろう。サードパーティ製のイヤーパッドの開発を期待する。

このLCD-4だけでなく、LCDシリーズ全体のメカニクスで弱いなと思うのはイヤーカップとヘッドバンドとを継ぐアーム・スライダーの部分だ。ここは各メーカー 苦心しているようだが、SennheiserやSony、オーテクやパイオニアのヘッドホンのように美しく処理することはできないのか。ここまで高価なヘッドホンで、この部分をロッド一本で済ませてしまうのは許されないように思う。価格が先代よりもグンと上がったのだから、この部分でも飛躍を見せて欲しかった。
また、このヘッドホンで外側に見えているネジは全て磁性体らしい。音響機器に磁性体のネジというのはあまり音には良くないという意見がある。例えば非磁性体で作られたネジを使ったら音はどうなるのか?あるいはチタンで作られたサイドグリルなどを使ったら?KimberからアナウンスされているAXIOSでリケーブルしたら、外観や音はどう変わるのか?興味は尽きない。
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余談だが、ヘッドホンケーブルと言えば、今回は珍しいことがあった。正規代理店のHPでは標準フォーンプラグのヘッドホンケーブルが付属と書いてあった。だが、私のところに届いた専用のキャリングケースの中に白手袋やギャランティとともに同梱されていたのは、4pin XLRの端子のついた水色のケーブルのみであった。私はたまたま別途にRe leaf E1x用の3pin XLRのケーブルを入手していたので、この同梱のケーブルをHP-V8での試聴時以外は使わなかったが、先行して入手された方々にはどのようなケーブルが届いたのだろうか。そして私の個体につくはずの標準のプラグはどうなったのか?未だに代理店様からの回答はない。


Exterior and feeling

Audeze LCD-4は、かつて聞いたことのないほど表現が多彩で、バランスのとれた音質を誇るヘッドホンである。
例えばHD600 DMaaではしっかりとした音像表現に傾いた音調となるし、Hifi man HE1000となれば明らかに空間表現に軸足を置いたサウンドになっている。しかしLCD-4では適切なヘッドホンアンプで駆動するかぎり、音像、音場そのどちらについても充実しており、偏りを感じない。そして、あらゆる音の質感、あらゆる音楽のスケール感、曲想に柔軟に対応するように聞こえる。先代はジャズ、クラシック向きとの評判があったが、私がテストしたかぎり、こちらはオールマイティのようである。

また平面駆動型全般に言える聴き味の良さはLCD-4ではさらに磨かれ、抜群に高いレベルであるが、そういう聞き易い音で失われがちな音の立体感・実在感もいい塩梅でついてきている。透明感のある、やや薄い音像ではなく、みっちりと身の詰まった、高密度で重みのある音像である。これが1.5テスラの威力なのか。

このヘッドホンはダイナミックレンジが広い。特に微小な音に強く、ごく小さな音をよく拾う。LCD-3もこの要素には強かったが、さらに強くなった印象だ。直接音につき従う微かな倍音成分のたなびきの表現も素晴らしい。リバーブは他のヘッドホンから聞こえるそれよりも、長く尾を曳いて音場に流れており、極上の心地よさを演出する。

帯域バランスについては至極真っ当で、いわゆるフラット。先代のLCD-3よりもずっと平らにならされ、突出して目立ったり、引っ込んだりする帯域がない。LCD-3までのAudezeには、それぞれのモデルで帯域バランスのどこかにクセっぽさがあったように私個人は記憶している。例えばLCD-3はどうも中低域にアクセントが感じられた。だがLCD-4では、そんなアンバランスはほぼ払拭され、エージングが最後まで進む前でも、文句のつけようのない綺麗な帯域バランスが実現しているようである。これは進歩だ。
帯域別に言えば高域はLCD-3より明らかに伸びている印象だし、あの分厚い、量感のある低域もその特徴を保ちつつ、解像感を増し、音程がとても聞き取りやすい。緩さが減った。しかも最低域のさらなる伸長が感じられる。この低域の迫力は、このタイプのヘッドホンでは随一と思われる。比較対象のHE1000ではこの低域が空振りするようなところがあり、好みを分けるが、LCD-4の充実した低域にはより多くのマニアが満足するのではないか。とにかく素晴らしく深いところまで伸びた低域の表現である。また中域の開放型らしくない密度の高さも健在であるが、そこには清々しい透明感も少し加わっていて、ここでもより多くのヘッドフォニアにアピールする内容となっている。

音の強弱の階調性は非常に豊かであり、そのグラデーションの変化はかなりキメが細かい。音の色彩感もはっきりと出して来て、華やかでカラフルな音から、沈んだモノクローム調の音まで幅広く対応する。音の明るさも変幻自在。ここでも曲想を選ばない万能性が感じられる。今はカサンドラ ウィルソンの声を聴きながら書いているのだが、彼女の極上のブラックコーヒーのような声、ビターでそしてかすかにスィート、酸いも甘いも知り尽くしたような深みのある声の色彩感が巧みに表現される。今までどんなスピーカーからも、ヘッドホンからも聞けなかった音が聞こえる。

音の解像度もすこぶる高い。しかし、その現れ方はさりげない。細かい音の粒立ちが際立って聞こえたとしても、キツさはなく、聞き易さをキープする。この点についてはHE1000とSR009の解像度の違いが想起される。SR009は振動板・ハウジングの材質と構造が影響しているのか、HE1000よりも音数が多いとの評価がある。しかしLCD-4はSR009に勝るとも劣らぬ解像度で、くまなく音像を描写する。踏み込んで言えば、SR009よりも音の細部を堂々と提示するとも言える。SR009よりも音が繊細に傾き過ぎない。また先代LCD-3との比較においても解像度とか音の分離感という意味で進化している。LCD-3を愛用されている方は特に楽器や声の各パートの分離の良さに驚くに違いない。

さらに過渡特性も優秀であり、自然な音の立下り・立ち上がりが音量の大小に関係なく、どの帯域でも得られる。ここも以前から抜かりはないが、さらに洗練されたようだ。平面駆動型のヘッドホンはこの音のスピード感が速すぎると感じることがあるが、LCD-4は丁度良い。

これらの周波数帯域や解像度、トランジェントの達成度については、ライバルとなるHE1000もほぼ互角の能力を持つと思われる。つまり価格や装着感を含めて考えればHE1000が勝っているかも知れず、優劣の判断が難しい。しかし音像の表現という部分ではLCD-4はHE1000に対し、価格差なりのアドバンテージがあると思う。平面駆動としては異例なほど音像がどっしりとしているのだ。他方、音場の空間表現についてはHE1000が流石に一歩先へ抜けて行く。とはいえLCD-4もHD800等の音場表現を得意とする過去のヘッドホン達以上の優れた音場を提示するので、音場が弱いなどとは到底言えない。基本的に音場の出方がHE1000より堂々としているので、私には広がりがわずかに狭くてもLCD-4の方が好ましい。

さらに音質評価で新参ながらHD800やHD800Sを凌駕するようにきこえるMrSpeakers ETHERとの比較も改めてやってみたが、これは(私の中では)多くの点でLCD-4やHE1000に僅かに及ばない。音場に拡がる空気感にさらなるきめ細かさが欲しいし、トランジェントもさらに自然であって欲しい。音場の広がりがもっとあっていい。ごく僅かな差だが。ETHERはなかなか良くできたヘッドホンであり、そのポテンシャルはもっと高いところにあると思う。なにしろ、これはまだ最初のモデルだからね。さらなる改良が望まれる。

蛇足的な感想を述べる前に、ここまでの私的な評価をひとまずまとめると、現時点での音質に関する総合的な見地からは、ETHER、SR009、HE1000の音質を超え、ハイエンドヘッドホンとして最も理想に近い音が聞けるのは、LCD-4だというのが私の意見だ。かなり高価だが、買って後悔していない。

いささか脱線するが、最近、Hifiman HE1000との比較で面白いことがあった。Fostex HP-V8にこれら2機のハイエンドヘッドホンを繋いで比較試聴した時のことだ。シングルエンドでHE1000をつなぐと、彼女の誇る空間表現にHP-V8の持つ懐の深さがプラスされ、なんとも心地よく音が伸びてきた。個人的にはHE1000のベストサウンドはHP-V8とのペアではないかと思ったほどだ。次にバランス端子に繋いだLCD-4に切り替えてみると、微妙にモタモタした音でいけ好かない。ヘッドホンの個性とアンプの個性がぶつかってしまったアノ残念な感じが滲んでいるように聞こえた。
しかし、その時に一緒に試聴した方は、HE1000+HP-V8はSR009+STAX純正アンプの出音に近いので、わざわざこのペアにする必要は感じない、むしろLCD-4とのペアの方が、音の輪郭や分離がシッカリ出ていいのではないかという意見を述べられた。こういう意見の相違は勉強になる。後日、私はSR009を聞き直し、その方の意見にも納得した。

ここで強いてLCD-4の音質上での欠点を挙げるとしたら、音の質感のリアリティについてだろうか。LCD-4では質感描写が常に若干ソフトであり、実物の手触りからごく僅かに遠のく印象がある。繊細過ぎないのだが、柔軟過ぎるかもしれないと思う時がある。ここらへんがLCD-4をして女性的と感じさせる部分か。手持ちのHD600 Golden era DMaaやHD650 Golden era DMaaの音の朴訥な素直さと比較すると、その差は露わである。これらの改造ゼンハイザー達のサウンドはリアリティという部分では比類ない。

これほどの隙の少ない、洗練された高性能機でありながら、結果的にLCD-4は独特の女性的な音楽性を随所にちりばめた音を出していると思う。
音楽の緊張と弛緩を過不足なく、まるでモニター用のヘッドホンのように正直に再現するように聞こえる時もあるが、そこには巧妙な演出・音楽性が紛れ込んでいる。その事実に気づいたとき、この女性的なヘッドホンが歌う音楽といつまで付き合えるのか、密かな葛藤が生じる。自身が最も違和感なく親しんできたHD600 Golden era DMaaやHD650 Golden era DMaaは、そのような手錬手管をほとんど用いないからだ。そういう素のままの音を今までそれを良しとしてきた私の聴覚は深いところで、この演出に抗う時がある。こういう心奥での音質のジャッジは実に難しい。

色々な音楽をLCD-4とRe Leafのペアで聞くうち、他のヘッドホンではキツく、too muchと感じるような音量でも聴き味の良さが保持されることを知った。調子に乗って音量を上げてみるとそこには異世界が拡がっていた。
(無論これは試聴機ではできない話であり、オーナーが自己責任でやることなのだが・・・)
つまり、ラージモニターに目一杯のパワーを放りこんで、超大音量でオーディオを愉しむ人がいるが、それに近いことがヘッドホンで出来て、しかも耳が痛くならないということに驚いたのである。(重いので肩や首は痛くなるかもしれないが・・・)
例えばスピーカーで耳から血が出るかと思うほどの超大音量で聞くと、小音量で聞く時よりも、強い音圧、大きな量感が得られるが、LCD-4を使えば、それに近い感覚がヘッドホンも得られる。ただし、これはスピーカーではなくあくまでヘッドホンだから、聞こえ方はやや箱庭的で独特である。沸き立つような細部の描写・ディテール感が、音圧・躍動感・量感に加わっているのだ。コンパクトなスポーツカーのアクセルを一杯に踏み込んだまま、夜中の一本道を疾走する快感と同時に、後へ送られてゆく、煌めく都市の風景の細部全てが立体的に際立って見えるという独特の感覚も並行するのである。それはヘッドホンでもスピーカーでも、体験したことの無いものだった。このリスニングでは聞き慣れた音楽から、多くの新たなニュアンンスが聞き取れ、驚きの連続である。まるで音楽に秘められた情報が、思わぬところから噴出してきたような意外性があった。
これは本当に生々しい音であり、音像の立ち方が凄い。音像が細密かつダイナミズムに溢れていて参ってしまう。全てを忘れて聞きなれた曲に聞き入ってしまう。同時にこういう音をヘッドホンに求めていたんだ、と納得させられる。
おそらくスピーカーからはこういう詳細に満ちた大音響はなかなか出てこないだろう。大概のスピーカーとリスニングルームの取り合わせでは、その音量だと音が飽和してしまい、精密な音の細部が潰れてしまうからだ。
LCD-4とE1xがあればスピーカーはなくてもいいなどと無責任に言い放ちたい衝動に駆られること、しばしばである。
平面型の特性だろうか、歪みの生じる直前のギリギリのところまで攻めても、まだ聴き味の良さを感じられるのが小気味良い。(念のために言っておくが、この実験は短時間で終わらせた。やはり故障は怖い。)このヘッドホンが重たく、構造的に制動が効いているということは大音量でも共振しない要素なのであろう。やはり重さは必要悪なのだ。
さらに、これほどのパワーをヘッドホンに流し込むことが出来るのはRe Leaf E1xのお蔭でもある。今更だが、他のアンプでこのようなリスニングが出来るかは保証の限りではないと言っておこう。私はLCD-4によるリスニングにおいて初めてE1xのフルパワー、余裕のない限界の音を耳にすることが出来たように思う。これもまた意外な収穫であった。
そういうわけで、感度100dBのLCD-4は駆動しやすく、ヘッドホンアンプを選ばないという噂は本当だが、ポテンシャルを発揮させたいなら金銭の許す限り高性能なヘッドホンアンプを選ぶべきという、月並みな結論に達した次第である。

このような大音量再生ともなると、スピーカーではオーディオにおける男性的な要素を強く意識させがちなのだが、このLCD-4ではむしろ逆に女性を感じるのが不思議だった。この細部に目の届くような細やかさに女性を意識させられるのか?このようなソフトでメロディーのつながりの良い音には益荒男を感じないのか?やはりこのヘッドホンの出音の中には女性、それも年増のディーヴァの持つ、艶のある老獪さのようなものが聞こえるようだ。


Summary

Audeze LCD-4は、メカニクスにも音作りにも熟成感・老獪さを感じるヘッドホンである。LCDシリーズは代を重ね、音質としてはここに完成を見たようだ。このヘッドホンは2010年代を代表する名機のひとつと呼ぶに相応しいサウンドを実現している。適切なヘッドホンアンプと組み合わせた場合は、音質だけならこれに勝るものを今のところ想像できない。
実は、これを買う前は、音質にあまり期待していなかった。LCD-3も買って使ったがレビューする気にならなかったくらいだったので、LCD-4も大差ないだろうと考えていた。しかし、そうではなかった。エージングが進んでくるとジワジワ良くなってきているようだ。こんなに凄いヘッドホンサウンドは初めてである。これは未踏の領域。私はこのサウンドの虜になりつつある。E1xと組みわせたサウンドを深夜に聞いたりしていると、本当にこれは実力では世界一の組み合わせなんじゃないかと興奮する。音質と関係ない部分にカネがかかっているゼンハイザーの富豪向けヘッドホン+真空管アンプは、これ以上の音になっているのだろうか。
とにかく、LCD-4が来てからスピーカーを全く聞いていない。聞く必要が全然感じられないからだ。いままで聞いた、どんなに優れたスピーカーだろうと、この世界を実現できないだろうと思える。スピーカーに戻るにはまだ時間がかかりそうだ。

ただ惜しいことに、この音質はヘッドホンの無茶な重量なしには得られない。音質は重量とトレードオフの関係にあるのだ。もし次期モデルLCD-5が100gも軽くなったら、音色は一変しているはずだ。このサウンドの優秀性は、万人向けとは言えないズシリと来る装着感と表裏一体なのである。だから金銭的な意味以外でもこのヘッドホンを全てのヘッドフォニアに推薦することはできそうにない。重さについては訊かないでくれ、そう言いたいほど。ただ究極のヘッドホンサウンドを目指す人、この先にはまだ何もないという音を肌で感じたいという、コアでエッジなヘッドホンマニアについては、これを実際に買って使いこなす体験を避けては通れないのではないだろうか。それほどの優れた音質を誇る一台である。

このヘッドホンのサウンドの底流にあるAudeze独自の雰囲気、どこか女性的な部分、香るようなコクのある柔軟な音調、そこから来る演出感にわずかに引っかかるものを感じながらも、私はLCD-4と洒落た会話を毎晩楽しんでいる。Re Leafというカフェがあって、そこでテーブルを挟んで差し向かい、ワイングラスを傾けながら年増の美女と他愛のない世間話に興じる男、そういう図式を想像してもらってもいい。反面、こうして表面では微笑んでいても、お互いずっと一緒に居られるとは思っていないとこに、大人の付き合いというか、切ない部分もある。それは内的な葛藤、心の深いところでの痴話喧嘩なのだが、これがさらに我々の会話の言葉ひとつひとつを深めてゆく感じもある。切っても切れない関係でありながら、いつか断ち切られることを互いに予見している間柄。この緊張感がまた心地良い。こういう微妙なモノとヒトの関係性はライカ モノクロームやヴィンテージのパテックフィリップでも体験したが、ヘッドホン関係の機材では初めてだ。私はオーディオ機材に一生モノなどないと知っているし、それを一人で独占してもこの世に何の益もないと思っている。だから、LCD-3もEdition5もGEM-1も、そしてSR009さえも手放す時になんの未練も感じなかった。だが、LCD-4に至ってはもう二度と会えない別れになりそうで、なかなか踏み切れない。それほどLCD-4のサウンドは私にとって素晴らしく魅力的だ。しばらくはこのまま、スリリングかつ冗長な関係を愉しみながら、二人だけの幾夜を過ごそうと思う。
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# by pansakuu | 2016-01-24 19:07 | オーディオ機器

珈琲を飲みながら:Audeze LCD-4が届いた聖夜に

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神は8日目にコーヒーを創造した
詠み人知らず



私はコーヒーは苦いモノだと思っていた。
そう思っているかぎりは、苦いコーヒー以外は認めない、
そういう立場に知らず知らずのうちになっているものだ。
だが、ある日突然に気付かされる。
コーヒーが苦くない方が自分にとっては美味しいらしいことに。

神田に行きつけになったGlitchというカフェがある。
本屋に用があった帰りは大概そこへ寄って、コーヒーかカフェオレを一杯飲んでゆく。
ここにコーヒーはまるでジュースのようにフルーティである。
苦くない。味にもその澄んだ色にも透明感がある。
焙煎法が普通と違う。豆を焦がさない。
もちろん淹(い)れ方もお湯の温度や十秒単位で決められた手順も独自のものらしいが。
あくまで結果のみにコミットする万策堂は、原料や加工法についての関心はあまりない。
できあがったコーヒーやカフェオレが美味いかどうか、
それしか気にしていない。
自分に合うかどうかしか考えていない。

そこを紹介されるまで、実はブラックコーヒーが苦手だった。
苦いのが苦手だった。
上京してから、立派な専門店で真っ黒いコーヒーを飲むたびに、
誰かに気を使っておいしいですねと言うのも苦痛だった。
連れてきてくれた方に対してか、
あるいは愛情をもって、
少し流動性の低いコーヒーを淹れてくれる店主に対してか、
礼を尽くして、お世辞を言う相手は時々で違ったかもしれない。
とにかく、コーヒーというものは苦い飲み物を大事そうに飲むのが
カッコ良いらしいと、
その作法を受け入れて過ごしてきた。
心の底では納得できなかったが。

ところが、その神田の店では
コーヒーはフルーツであると教えてくれた。
それでいいのだと。
苦くなくていいのだと。
コーヒー豆は実は果物なので、
そのエッセンスをそのまま素直に味わえばいいと言うのだ。
大事なのは、彼らが私にそういう講釈を垂れたわけではなく、
味覚そのもので、それを示したということである。
その流儀を押しつけたのではないところが良かった。

実際、あそこへ行くと、幾つかの焙煎したコーヒー豆のサンプルがあり、ラベルには産地の豆の品種、そのフレーバーが書かれている。フレーバーの文言にはストロベリーとかピーチとかラズベリーとか、果物の名前が並ぶ。手に取って香りを試すと、確かにそうだ。ワインもこんな感じで、その味や香りを表現することがあるが、コーヒーの味香についてこういう言い方をするのは初めて見た。
そうは言っても
当然、こういうコーヒーは薄くて好きじゃないという方がおられるはずである。
それはそれで、並行して在っていい考え方。
だが一方で私のような者も居るし、居てもいい。

淹れてもらったコーヒーをさらさらと飲みながら、
買ってきたマラルメの詩集に目を通す。
私は自分の指定した香りにつつまれながら、字面を追い、様々に考える。

もしかするとオーディオもコーヒーの味と同じじゃないのか。

そもそも質量はなくて、形もなく、目の前ではかなく消え去ってしまい、生存には必須ではない音楽というものをただ聴くために、大袈裟でカネのかかるオーディオシステムを維持・更新するのは苦痛じゃないのか?
別に今風でなくてもいいんだけど、
とにかく全然オシャレじゃない。
例えば、もっとアッサリとした見かけをしてるが、音楽の良さ、音の良さが十全に感じられて愉しめるスピーカーシステムは作れないものか?
実際、そんなものは、なかなかない。
でも翻(ひるがえ)って考えると、
そういうものが何故、出来てこないかはなんとなく分かる。
世界中でオーディオを創る、ほとんどの人々の頭の中身が古いからだ。
もちろん全員じゃない。
AK380なんかを企画してしまう韓国人もいるし、
Mojoなんかを作ってしまうイギリス人もいるから。
でも大半は昔のままのオーディオの観念なのだ。
そういう人間たちが作るモノから、
新しいカルチャーの息吹を感じ取ろうとしても無駄だろう。

昔は重厚長大で無駄にカネのかかるオーディオシステムでも良かった。
価格の絶対値が今ほど高くはなかったし、人々の心のゆとりも大きかった。
デカい音を出しても時に苦情が来るぐらいで、
役所に訴えられたりはしなかった。
今まで積み上がってきた
ハイエンドオーディオってこういうものだという
カタチや作法みたいなものがあるけど、
最近はなかなか、ついて行けない気がしている。
音質がそれほど良くならないのに、鰻昇りになっている価格のこともある。
大地震の時に電気が来なくなり、
こんなモノを持っていていいのかと真剣に考えた思い出にも影響されている。
(酷いことに、もう忘れそうになっているが)
しかし、そんなことだけじゃない。
そもそも今は時代精神が違う。
ハイエンドオーディオが出来た時代、
マークレビンソンがセンセーションを巻き起こした1970年代とは、
ドイツ語で言うZeitgeistが違う。
小さなスマートホン一つで、多くのことが何処に居ても済むような時代だ。
もちろん音楽だってコイツで十分聞ける。
ここで聞こえる音楽が、
MagicoのスピーカーとConstellationのフルシステムから聞こえる音楽より
劣っていると誰が断言できよう。
上手く表現できないが、
昔と同じ感覚でオーディオをするのは
もう苦(にが)いと思う者が居ても不思議はない。
もちろん、いままでの古色蒼然としたハイエンドオーディオがあってもいい。
許すも許さないも、その一部を今だって愛してるさ。
(深く深く愛してるぜ)
だけど、そればかりじゃ、つまらないのも自明。

私はコーヒーは苦いモノだと思っていた。
そう思っているかぎりは、苦いコーヒー以外は認めない、
そういう立場に知らず知らずのうちになっている者もいる。
だが、ある日、気付く者がいる。
コーヒーが苦くない方が、
自分にとっては美味しいということに。

そろそろ帰って、
またコーヒーでも飲みながら、
LCD-4とE1xでジャネット ジャクソンの新譜でも聞いてみようか。

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# by pansakuu | 2015-12-25 23:47 | その他

Audio Note Overture PM2 プリメインアンプの私的インプレッション: 天使は遅れて降りてくる

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お前が出会う災いはすべて、過去にお前がおろそかにした時間の報いだ
by ナポレオン ボナパルト



Introduction

音楽を聞くということと、
オーディオをやるということには隔たりがあるのではないか?
そういう疑問を持ったことは一度や二度ではありません。
最近、かなり高価になりますが、極上のサウンドを聞かせるDACに出会ってから、そればかり考えています。
つまり、音楽を聞くということに対して、自分にとって丁度良い価格と規模のオーディオの装置とはどれほどのものなのかと、常に自分に問いながらオーディオを押し進めるということでしょうか。とにかく闇雲に高級路線に走るべきじゃない。時にはダウングレードしたようにさえ見える、熟慮の末の方向転換もアリでしょうね。
なにしろ、これほど多くの選択肢がある時代です。システムの規模・グレードを気軽に音楽を聞くというイージーな気分から大きな隔たりを感じない程度に収めることは可能でしょう。もはや巨大なモンスターシステム多くには、私はエスプリを感じていない。あんなものは癒されるどころか、かえって心の負担かも。

では、オーディオの散財が全くなくなるのかと言うと、そうでもない。だから、私は今日もOverture PM2 プリメインアンプを聞きに、風雨を衝いて出掛けたのでしょう。
(写真は各種HPより拝借いたしました。ありがとうございました。)

Exterior and feeling

ついこの間のことですが、日本で初めて販売店を設けたAudio Note。もう海外では十年以上前からスーパーハイエンドの真空管アンプのメーカーとして安定した地位を得ていましたが、日本では2015年末、やっと普通に店頭試聴でき、普通に買えるアンプとなりました。それにしても、これほどの音質を持ちながら、日本でのデビューが遅かったことは残念ですね。

そのAudio Noteの“序曲”すなわちエントリーモデルである、Overture PM2プリメインアンプのやや大柄で地味な筐体を眼の前にしても、外観自体には特に感じるところはありません。デザインされた痕跡がほとんど感じられない、昭和的というか、とても昔風のシンプルな外観です。アルミのフロントパネルと黒い板金のシャーシの組み合わせには特別な仕掛けやディテールが無い。外見で前のモデルであるOvertureと違うのはメインスイッチがロータリーからプッシュボタンに変わったことくらいで、ほとんど変化はないようです。ボリュウムやセレクターのフィーリングにも特に感動はありません。
私はフロントパネルやシャーシにもっと立体的なアクセントをつけたり、表示のフォントのデザイン・レイアウトに凝ってみたりすることは、この価格帯のアンプとして、もっと必要だと思います。このクラスのコンシュマーオーディオ機材は音を出していない時にも美しい存在感をインテリアの中で醸し出す必要がありますので。

また、多機能性はこのアンプにはありません。例えばアキュフェーズのE600に見られるようなコンペンセーター、ヘッドホン端子、出力電源モニター、トーンコントロール、プリパワー分離機能等は全くついておりません。
そういう無駄(?)を省くことで音質を磨き、コストパフォーマンスを稼ぐ。そういう方針を感じさせます。これはあまり現代的な考え方ではないのですが、一つの見識だと思います。

このアンプは外見こそ素っ気ないのですが、中身には恐ろしいほどの拘りが発揮されています。内部の写真を眺めれば、現代の他のアンプたちとはかなり異なる様相に目を見張ることになります。
自社製のオリジナルパーツである銀箔コンデンサー、出力トランス、シルク巻きの銀線が目に飛び込んできます。これらは真鍮製のピンを立てた、他のメーカーではほとんど採用のない特別な基板にマウントされており、それらを結ぶ線材は、あらかじめ立体的に形を作り上げた後、回路に組み込まれるという凝りようです。出来上がった回路はまるで精緻な手工芸品のようであり、銅製のサブシャーシ、ゆとりある巧みなパーツのレイアウトと合わせて、オリジナリティ溢れる内容です。こうなると市販パーツを集めて作るアンプとは格段に出音が違ってくることは想像に難くないのです。
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使用する真空管の趣味もいい。5極管EL34はKT88の中低域にある若干の荒々しさ、300Bの低域の弱さを避けたいと願う私の感性にうってつけの球かもしれません。この管の持つちょうどいい音の匙加減は優秀なオリジナルパーツや巧みな回路設計によりさらに高められているようです。管球式としては発熱も小さい方ですし。3極管シングルを得意とするAudio NoteとしてはEL34の採用は例外的なのですが、パッと音を聞いても、このメーカーのセパレートアンプと同じソニック シグネチュアーが得られています。
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今回の試聴ではAudio Note純正の純銀製RCAケーブル、スピーカーケーブルを使用しました。これを単体で貸し出してもらって聞いた経験と合わせて考えますと、以下に述べるような素晴らしい音質を得るには、これらの純正ケーブルが必須と思います。造りこまれた、特殊なケーブルの存在が、このサウンドに占める割合は決して少なくないはずです。加えて、このメーカーの純銀ケーブルは、現在のハイエンドケーブルの価格に照らせば、それほど高価ではありませんし、銀のクセっぽさはほとんど感じられないことも推薦する理由となるでしょう。


The sound 

試聴を始めると、極めて清澄な音場が優しく、しかし着実に眼前に広がって、リスニングルームの空気はいつの間にか入れ換わり、Audio Noteの透明感に支配されていました。
ここには広さこそ高級プリメインとしては標準的なものの、他社のアンプのそれとは明らかに異なる、クリアーかつ十分な奥行きを備えた音場があります。それほど広いサウンドステージではないのに、なぜこのような気持ちの良い開放感が得られるのか?思わずそういう質問が口をついて出るような快感に包まれます。これもやはり銀の使いこなしと関連があるのかもしれません。

とにかく、とても聴き味の良い音です。
音楽の導入部のメロディラインは煌びやかに、そしてスムースに先へ先へと伸びるようで、このアンプの歌心を感じます。滑らかで、順風のように聞き易いサウンドです。
トランジェントは素早く、キレの良い音ですが、キツさとは無縁。
基本は大人しく真面目で、優秀な物理特性を目指した音作りと聞けますが、声の内部にヒューマンな温もりを確かに感じます。温度感は微かに冷たさを感じる程度、女性の人肌というところ。真空管らしい艶やかさは前面には出ていませんが、それも内に含みます。
出音の端々には、神経質にならない程度のデリケートな繊細さが常にあって、音に高貴な印象を加えています。このノーブルな雰囲気も他では得難い。
また、音の純度が高く、音楽が自ずと心の襞に沁みこむ感覚が心地良いです。
渇きを感じた喉が、お気に入りのミネラルウォーターを飲み干すような爽快さ。
これもまたOverture PM2独特のフィーリングかもしれません。

ダイナミックレンジの広さや、周波数帯域の広さは優秀な管球式アンプに望まれるレベルであり、驚きはありません。定位感は良好で、音場内に明確に屹立する繊細な音像に揺らぎはほとんど感じられず、安心して音楽に浸ることができます。上位機に認められる圧倒的なゆとりの感覚よりも、溌刺としたフットワークの良さ・躍動感を意識させるサウンドですが、大人びた安定感が基礎としてあるので、広いジャンルの音楽をハイグレードな音で気軽に楽しむという用途に適しているように聞こえます。

一聴して大人しい音ですが、必要な時には十分に音楽の躍動感を引き出すだけのパワーが備わったアンプだとも思います。全ての楽器が一斉に鳴り出した時に力感の高まりに不足はなく、Octaveのアンプほどワイルドではありませんが申し分なくパワフルです。
中高域には銀という素材を信号系に多用したことの効能と見られる、一種の生々しさがあり、これはこのアンプメーカーの音の特徴を表しています。
中域の重荷にならない程度の密度感、風のように吹き抜ける低域もチャームポイントでしょうか。特に低域には緩さがなく、プリメインにしては比較的深いところまで軽々と出てきます。この低域の振る舞いの小気味良さも他のプリメインアンプでは、あまり聞いたことのないものです。

数値ではなく実際に聞いたSN感として、管球式アンプとしてはとても高いものがあり、深い静寂感が得られています。このアンプで奏でられる音楽の背景に漂う、キメ細かく清潔な静けさの質感。これはきっちりと銀線を使いこなした証拠であると私は見なします。繊細な音像に雑味がないのと同様に、音場にも天使のような穢れ無さが宿るところが、このアンプの美点となっています。静寂にも質感があるとは・・・。俄かには信じがたいでしょうが、ハイエンドオーディオの世界ではありうることです。

このアンプの音に浸っていると、時々、音楽の内容とこのアンプの音の個性が上手く溶け合うような感覚が垣間見えます。別な言い方をすれば、どのような音楽をも受け入れる懐の深さ感じさせる音なのです。
アンプ自らの個性を保ちながら発揮される、このような音の懐柔性は驚くべきでしょう。様々な音楽の音作りに呼応して、柔軟に対応しつつ我を通しすぎない習慣があるのでしょうか。どんな曲に含まれる、どのようなイメージでも、あくまで素直に表現しようとする優れた音楽性を感じます。

総じて、尋常ならざる音の実力と個性を兼ね備えるプリメインアンプと聞きました。
前モデルであるOvertureと比べると音のグレードが明らかに一段上です。
音の透明感や躍動感、表現の深さで差があり、前のモデルを持っておられる方には買い替えを強くお薦めします。さらにAudio Noteの現行の上位モデルと聴き比べても、音のまとまりの良さ、音がディープになり過ぎない、濃すぎないという意味でOveruture PM2の方が優れていると感じる方もおられるでしょう。私もその一人です。


Summary

マーケット的な観点から見れば、かなりハイクラスの価格帯でのコストパフォーマンスがありつつ、音の個性もあり、他社の高級プリメインと十分に差別化を図れる戦略的なモデルだと思います。また、他社が同価格帯のセパレートアンプを組み合わせ、200万円でこのサウンドを出したいと思っても難しいと思います。例えばあのLuxmanのC900u+M900uに、音の個性では勝るとも劣らない音質が聴けたのは意外な収穫でした。
あとはこのルックス、機能の少なさ、インテグレーテッドアンプの宿命である発展性の弱さをどう考えるか、ということでしょう。ただ、このサウンドの心地よさにハマってしまえば、そういうことは気にならなくなるはずです。

特に音楽とハイエンドオーディオとの距離に隔たりがあると感じた時に、このアンプは大いに示唆的な存在に思えてきます。価格もシステムの規模も身動きがとれないほど肥大してしまったハイエンドオーディオの重苦しさから、このプリメインアンプは私達を救ってくれる数少ない天使なのです。音楽を気軽に、しかも極めて素敵な音で聴きたいという向きには、このようなアンプがどうしても必要です。

ところで、外国でパーティなどに招待されたら、時間きっかりに行くのは無粋だと聞いた覚えがあります。そしてやたらと目立つ派手な衣装も失笑モノだと言いますね。
Accuphase 、Luxman、Esoteric、TAD、Qualiaなど既に多くのハイエンドオーディオブランドを擁する日本に、遅れて回帰したAudio Noteの態度には何かプライドのようなものを感じます。そして、その音を聞いてしまえば、その地味なルックスに、むしろ優美さを感じることもあります。エレガンスとはうわべだけのものではないからです。内に含む美意識が何かの形で滲み出てさえおれば、その実直で飾り気ない清潔なスタイルさえ優美と呼んでさしつかえないかと思うからです。
つまりは、これほどエレガントでありながら、これほどのプライドと実力をも兼ね備えるアンプはなかなかないということです。

ですが、今回のAudio Noteという古くて新しいキャストの登場が、ややもすれば雰囲気の陰りがちなハイエンドオーディオ界に華をそえられるか、疑問の余地はあります。
管球王国やステレオサウンドでは一年近く前から、何度か話題に上っているのに、店頭に現物はなく、日本のショウにも正式には出品されず、一般のオーディオファイルの多くが、ほぼ目にも耳にもできなかった、いわば幻のアンプ、Overture PM2。日本におけるハイエンドオーディオの先行きが不透明になる中で、このアンプが少し特殊なデビューをしたことに私は期待とともに不安を感じないわけではありません。良いモノなら高価でも売れるというような、呑気なご時世かどうか、私にはなんとも言えません。そもそも、売れるモノには勢いがあるのですが、昨今のハイエンドオーディオ機材にはそれがありません。

毎度のことですが、こういう昔風のアンプが若い人に受け入れられるかは心配です。これは最近の一部のハイエンド機材のようにスーパーリッチだけをターゲットにした冗長な製品ではありませんが、日本で言えば昭和生まれの人間だけに分かるモノの価値というのを主眼としているように見受けられます。デザインはあくまで簡素で、機能は少なく、単体では決して小さくなく、しかも立派なセパレートアンプが買える値段です。これでは音質に対してのみ重きを置く立場になければ購入に至らないでしょう。このような態度は現代の若い人たちにはやや無理があると映るようです。それから、実際に聞かなくては真価が分からない機材に、ほとんど実際のデモがないというのも困ります。

他の多くのハイエンド機材にも言えることですが、このような開発の方向性は、団塊の世代が生存する、ここしばらくは通用するでしょうが、ゆくゆくはオーディオ市場に担う平成生まれの人々の目に魅力的とは映らず、いずれ行き詰まるかもしれない。このままだと、ハイレゾを高らかに謳っても価格を下げず、ライナーノートさえつけないハイレゾ デジタルファイルのダウンロード販売と同じ末路を辿りかねません。
つまり、それを買うメリットが音質だけというのは通用しない世の中になっている気がするのです。
オーディオというものを、もっと広い視野から見るべきでしょうか。
ハイエンドメーカーとしての矜持と個性を保ちつつも新たなコンセプト、新たなコラボレーションを模索する必要があるでしょう。
何はともあれ、この天使の如きサウンドが、Audio Noteの新たな展開への序曲にすぎないと思いたいものです。

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# by pansakuu | 2015-12-06 21:48 | オーディオ機器

MSB technology Select DACの私的インプレッション:放浪の理由

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希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。
スティーヴンソン



Introduction

例えば、
目の前に一機のDACがあるとしよう。
そして、こちら側、
すなわち私の心の中には
「本当に良い音とはどのようなものか?」
という問いがある。

そして、
その問いに対する神聖な答えを求め、私はPLAYボタンを押す。
そりゃもう
今まで様々な場所で様々なモノを試聴してきた。
だから?かどうかは分からないが
完璧に近い答えが返ってきたことは何度かある。
でも完璧と確信できる答えが返ってきたことは一度もなかった。

だが今宵、ついに完璧な答えを得た。
どうして完璧かと分かるか?
今まで、いつかは欲しいと思ってきた機材のほとんどが、
このDACの出す音を聞いた後には、本心から要らないと思えたから。
それら全てがほぼ無価値なものに思えてきたくらい。
多くのデジタルプレーヤー、DACとフォノ、アナログプレーヤーが
Newモデル、ヴィンテージを問わず
私のWANTEDリストから姿を消した。
もうこの音をきいてしまったからには、
これ以外の機材のサウンドは多かれ少なかれ聞くに堪えない部分が出て来そう。

これほど圧倒的な高音質がかつてあったか?
これこそは全ての真摯なオーディオファイルたちが目指してきた最後の晩餐ではないか?


Exterior and feeling

このMSB technology Select DACを眺めて、
まず思うのは一体どこに1400万円近い資力がかかっているのか分からないということ。
自社工場での削り出しという、角に丸みを帯びた薄型の筐体が二つ、直接重なっている。私が試聴したのは黒い筐体のモデルだが、表面の質感はマットブラックというだけで、さしたる高級感もない。フロントパネル全体を占めるディスプレイもノイズを生じないものをチョイスしたそうだが、それは珍しい話ではない。
正直、全然萌えない、冴えない外観。
その法外な値段を聞けば、コレ大丈夫かね、となる。
では中身が違うのか?
中身の写真を見るとモジュール化されているのが特徴だとすぐに分かる。
BurmesterのプリアンプやCH precisionのDACなどと一緒で、オーナーは、その好みにあわせて入出力をチョイスできる。ここで試聴する個体のリアパネルには特製のUSB入力モジュールもあったが、それはあえてパスし、CHPのD1からのネイティブなデジタル入力を選んだ。そちらの方が音が良いとメーカー側が言うのだ。そういえばTHA2でもそうだった。こうするとCDしかかからないので、処理されるデータの規格は16bit, 44.1kHzというレベルに過ぎない。つまりハイレゾでもDSDでもないのだが、音を聞くとそれがにわかには信じられないのである。社長のラリー氏はこのデータで十分だと言っているらしい。確かに十分過ぎるという感想を誰もが持つのではないかと思うほど、ケタ外れに音がいい。では、いったい、中でなにをやっているのだろうか?
内部のDAC本体はブラックボックス化され、回路は直接見ることはできない。噂ではオペアンプもデジタルフィルターも一切使われておらず、特製のラダー型マルチビットDACを16個積んで差動動作させ、見掛け上8個のDACが並んで稼働しているような形にしているとか聞くが・・・・。結局この音の秘密はよく分からない。なお、クロックは流行の外部筐体からの入力ではない。強力なクロックを内蔵する。別筐体にしないのは、おそらく最短距離で結線したいからだろう。そして今宵の機体は例のギャラクシークロックよりもさらに上のグレードのFemto33というクロックを積んでいるという。このクロックはオプションで、130万円ほどするらしい。本体が1200万円オーバーだから、しめて1400万円弱。 もちろん、これはクロックやトランスポートを組み合わせた価格ではない。DAC単体でこの価格とは、どう考えたものだろう。アンプやスピーカーでは、時々ある価格設定であるが、こういう価格の単体DACは初めて聴く。
足は四足で砲弾の先のような形をした尖ったゴムである。筐体をゆするとゆらゆらする。どこか磁気浮上式ボードに載せた時に似た雰囲気である。少し変わっている。
細長いフロントパネルは、ほぼ全面が荒いドットによるディスプレイで占められている。表示は大きくて遠くからでもよく見えるが、白黒で高級感は微塵もない。中央に向けて多少盛り上がった形のトップパネルにはクリックのあるボリュウムがついていて、プリアンプなしでも使えるようになっている。メーカー側は一応プリアンプなしでパワーアンプにダイレクトでつなぐことを推奨しているが、往々にしてこのようなケースでは、優れたプリアンプを繋いだ方が音に幅が出てよい。メーカーの忠告は無視してGrandioso C1につないで聞いた。
それから、ほぼ同じ大きさ・同じデザインの電源部がDAC本体の下にある。そこから左右別に給電されているが、特に驚くようなギミックはない。

総じて1400万円の機材には全く見えない、普通のハイエンドDACの外観である。500万円でも御免こうむりたくなるようなモノである。代金に見合うオーラが出ていない。
試聴を終え、音量を下げてから、静寂に戻ったリスニングルームで、
改めてしげしげとDACを眺めてみたが、こういう見てくれの箱が、あんな音をいきなり出すということに、どうしても納得が行かなかった。

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The sound 

MSB technology Select DACのサウンドはパーフェクトである。
これは今日まで誰も成しえなかった音だろう。
デジタル・アナログオーディオに
明確にあるいは漠然と意識されてきた音質上の問題はほぼ解消した。
逆に言えば、私がVivaldiやDSP-01、CH precision等の人気の高級機材たちに抱いていたぼんやりした不満は、Select DACのサウンドとの比較により明確となった。
それらの機材に対する、Select DACの優位性とは、
主に音源に対する忠実さ・音の正確さと音楽性の両立だろう。
しかも、それは未曽有の高いレベルで、
極めて安定したバランスを保ちながらの両立である。
今までのハイエンドDAC・デジタルプレーヤー、ハイエンドなアナログシステムでも、これらの両立が出来ているものは散見されたが、バランスが少し悪かったり、バランスが良くても二つの要素の達成度がやや低かったりして、私が求める究極の音に到達しなかった。
また、Select DACの実現した、矛盾する二つの要素の均衡は細かい音質評価項目にも反映されている。つまり巨視的にみても微視的に見ても完全な調和を保つ。

言う必要もないが、ダイナミックレンジや聞こえてくる帯域の広さ、各帯域のバランス、音の解像度、残留雑音、過渡特性(トランジェント、立ち上がり・立下りのスピード感)、そしてこれらを常に安定して聞かせる音質的なスタビリティ。少なくとも、これらについては今まで聞いたどのDAC、どのアナログシステムよりも優れているように聞こえる。
そういう表面的な音質評価の項目では、なんの問題もないどころか、文句なしに満点である。このDACについてはリスナーがどのような要素に注目して試聴しても、いささかのクレームも出せないかもしれない。どんなに意地の悪い聞き方をしても、意味がなさそうだ。
また、これらの要素の優秀さが強調される気配がないということも特徴。
そもそも超弩級機的な音調がどこにもない。
そして無理をして出しているように聞こえる音がどこにもない。

聞いていて色々なことに気付く。
例えば様々な楽器や録音状況の違いにより生じる、音触や音色の鳴らし分けが非常に巧みである。楽器の音が重なる、あるいは左手の旋律と右手のリズムが重なる、向こうが透けるような、透けないような重なり具合の妙。Modulationが非常に少なく、各パートの分離が良い。なのにハーモニーの見事さは聞いたことのないほどレベル。分離感の良さが、音が重なった時のブレンド感・ハーモニーのテクスチャーをむしろ生かすという奇跡的な瞬間が連続して聞ける。通常、分離感とハーモニーは普通は両立しないか、してもバランスが悪いものがほとんどだが、このDACでは両者が美しく並び立ち調和している。
そして基音のリアリティの確かさはもちろんだが、倍音成分の質感の漂いにも凄味がある。
その存在感と透明感の両立にも唸らされる。
さらに言えば、音の透明感と音の厚みが調和しているというのも稀有である。このように分離が良く、透明度の高い純粋な音では、どこか身の薄い音になりがちだが、そういうひろひらして頼りない印象は全然ない。みっちりと身が詰まった美味しいサウンドになっている。

ここでは複数の奏者の間でのインタープレイ、タイム感の微かなズレが眼前に聞こえ見える。何を、どう演っているのか、その全部が当たり前のように聞こえて見えてしまう。
これはバーチャルななにかではなく、オーディオという、もう一つの現実の現れである。
また、定位の良さにも打ちのめされる。微動だにしない楽器やパートの位置関係が、ソースを変えても、そしてなんとリスニングポイントを変えても、乱れることなく安定して提示され続ける。DACがこのような音を実現すること自体が信じがたい。
このように極めて高性能な音でありながら、血の通う温度感の程好さや、音楽の流れの滑らかさ、ビートの小気味良さが至極ヒューマンな要素として随所に現れる。機械的な音響美と人間的な暖かさという矛盾しやすいものが、ここでもまた巧く両立する。

そしてMSB technology Select DACの音は良い意味で無味無臭の音、
ソニックシグネチュアーがない音である。
このクラスの機材は必ずと言ってよいほど、なんらかの音の個性を持つ。GOLDMUNDしかり、Boulderしかり、dcs、CHprecisionしかり。それは音の署名のように、ブラインドで聞いても機材のブランドロゴのイメージを連想させてくれる。
しかし、このDACの出音はまるで無私なものに聞こえる。独自のサインを持たないのだ。
多くの超弩級機の試聴で、このソニックシグネチュアーこそが、オーディオにおける毒や魔を演出しているケースを体験したが、このDACにはそれがない。魔も宿さず、毒を含まぬ音。それでいて、これほどの感興の深まりを得る。ありえないことだ。
MSBのDACを聴くのは実に4回目である。そのうち2回は家で聞き、そのうち1回は自分で買って使ったものだ。(無論、このDACより随分安かったが)それらの経験からすると、MSBがこんな音を作れるとは信じられない。予想外。あの時も確かにソニックシグネチュアーがはっきりしなかったが、それはこのメーカーがそういう自分だけの音の香りを作り出せるレベルに達していないのからだろうと誤解していた。

それにしても、この脳髄に痺れを覚えるほどの恐るべき音の浸透力はなんであろう。ひたひたと音がこちらに押し寄せてきてやまない。季節外れの誰もいないビーチに佇んで南風を受けながら海原を眺めているような気がした瞬間もある。足元に寄せては返す波。目の前にひろがる青い空や蒼い海、遠くに臨む峨峨たる山々。音楽は、その風景の中にある風や水、土のように感じられた。ここには自然物特有の圧倒的な器の大きさのようなもの、あるいは存在の安定感のようなものがある。それらが背景の静寂の奥に明らかに知覚できる、真の意味でナチュラルなリスニングである。これは例えばTechDASのAirForce ONEでのレコード再生にて意識されるあのスタビリティ・包容力にも通じるところがあるが、さらに洗練されたものと聞こえる。

そういう壮大な印象を背景に漂わせるのにも関わらず、実際に聞こえるサウンドステージが必ずしも広大なわけでもないのは面白い。単純に壮大なサウンドステージなどというものこそ絵空事だと言わんばかりだ。このDACはソースごとに適切な空間の広げ方を選択するような仕草する。dcsのVivaldiのように何が何でも巨大な空間、圧倒的なエアボリュウムを引き出すような無理な仕事をしない。
常にその音楽に見合ったサイズのサウンドステージが現れ、その中を旋律が気流のように左右あるいは上下、そして前後に溢れて流れる。このような変化に富んだ音場感の設定は他の機材では体験したことがない。

例えばPlayボタンを押した途端にリスニングルームの空気が入れ替わり、録音現場あるいはコンサートホールにワープするという話はよくある。だがこのDACの音はそういうワンパターンで可愛らしいものではない。
過去がまるごと再現されるだけではなく、音楽的に巧くこなれた形で表現される。なにか美味しい響きが足されたようなところが確かにある。ただそれが、生々しい音の感触を決して邪魔しないのが斬新である。単純な美音には決してならない。そこは熟練の技なのだ。耳を澄ますことが、まるで目を凝らすことになる、そういう即物的な変換能力だけでなく、音楽を意識の流れとして感じられるようにする力、抽象的な変換能力をも十分に有する機材である。

私はオーディオにおけるデジタル技術の本質は、過去に封印され聞けなくなった実演を巧妙な数学的・電気的な誤魔化しで生々しく、さもそこに有るように聞かせる詐術の一種と思っている。だが、このサウンドはそういう姑息な技の領域を超えている。音楽が人間の生み出す芸術であるということへの敬意、つまり高度な音楽性が込められた音になっている。
実際、最近のオーディオは高価になればなるほど、この音楽性が低下するか、ともすれば全く欠けるのだが、このDACはそういう流れからは外れている。
謎かけめいた言い方をすればVivaldiやDSP-01に少なくて、MPS-5やNagra HD-DACに比較的多くあるものが、このSelect DACにはかつてなかったほど横溢しているということである。

さらにこの音を聞き進めると具体的なだけでなく、抽象的な発見にも次々と巡り会う。
リズムが実は絶え間なく緊張と弛緩を繰り返すメロディのようなものだと発見する。
そして、メロディが細かなリズムが滑らかに連なったものであることも発見する。
音の強弱の階調は単に細かくあるべきではなく、美しくなければならないとも知る。
事実、この音の濃淡のコントラストや階調感は私が知る中でも最も豊かで美しい。
音楽ってこんなに美しいんだ。当たり前だが忘れていた感動が胸に迫る。

ところで、ヴィンテージの機材を好んで使う人で、最新のデジタル機材の音をあまり評価しない方を散見するが、そういう方にもこのDACをぜひ聞いていただきたい。これは彼らが嫌う、性能ばかりひけらかして、ふくよかさや渋み、コクの足りない音ではない。これは全方向性に優れたサウンドなのである。どこか懐かしさを感じるような温かくしっとりとした気配成分やいぶし銀の鈍い音の輝きすらも盛り込まれている。試聴しなかったがクラシックのモノラル録音の質素な雰囲気や、突如として現れる荒削りな音像の力強さなども、今まで聞いたことの無いような生々しさと美しさで表現してくれるだろう。最新のデジタル機材の音にスイング感を求めるなら、これが最も確実な選択肢だ。実際、私はウェスタンエレクトリックのスピーカーと、このDACと手合せさせてみたいと心底思ったものだ。それくらいの音が出ている。

強いて、このSelect DACの欠点を挙げるとすれば、まず価格だろう。この価格は私にとっては救いのないものであり、そこを考えると、このDACを評価する気にはなれない。音楽をただ聞くためだけに単体1400万円弱のDACというのは・・・・。よほどカネが余っていなくては、これをスラッと買うという暴挙に至らないだろう。
さらに、このサウンドは完璧過ぎて、他のハイエンドオーディオ機材の存在をすっかりと忘れてしまうことも欠点だろうか。
これを買ったら、その人のオーディオは言葉の綾でなく、“とりあえず”でもなく、いわゆる“ガチ”で終局を迎える。オーディオに一生モノはないと思ってきたが、これは唯一の例外。未来にわたっても他の機材では、これほど優れたサウンドを聞けないかもしれない。


Summary

今夜以降、私はしばらく単体のDACに関するレビューを書けないだろう。
設計者の知識と理性と直感の全てが蕩尽されたとしか思えない、
MSB technology Select DACの
孤高にして普遍の音を堪能したのと引き換えに、
少なくともスピーカーから出て来るデジタルサウンドについて、
云々する意味を感じなくなってしまった。
興味を失った。
勝負はついたのだから、もうゴタゴタ語る必要はない。
全ての問題はこのSelect DACが解決するであろう。
同時に、
なぜ自分が20年以上もオーディオをやってきたのかについても、
よく分かったような気がする。
このSelect DACの音に出会うために、はるばるとやって来たらしい。
その意味では続けてきた甲斐はあったが・・・・・・。

万策堂はこのDACの音を二回聞いている。一回目はDACを意識していなかった。実は今年のオーディオショウで聞いていたのである。そのときはルーメンホワイトを鳴らしていたのだが、聴衆のほとんどの関心はこのスピーカーに向いており、私もそうだった。なんと優れた出音だろう、ルーメンホワイトは随分改良されたな、と思っていた。他の方のブログでもこのデモが良かったというコメントがあったが、アンプやスピーカーの良さにその理由を求めているものがほとんどで、重点的にDACについて語っているものは皆無であった。
二回目は個室でゆっくり聞いた。この時はソナスのリリウムを鳴らしたが、実はこんなに良く歌うスピーカーなんだなと感心した。それまでこのスピーカーの出音に価格なりの価値をあまり感じていなかったから。つまりDACの音があまりにも良いのでどんなスピーカーでも鳴らしてしまうのだろう。ここで、ショウのデモの音の良さの多くはスピーカーでもアンプでもなく、このSelect DACの存在によるところが大きかったと分かった。

私は物凄いサウンドを聞いた瞬間、
思わず笑ってしまうことがよくあった。
それは、今まで聞いていた音、あるいは事前に予想していた出音とあまりにも違って優れているので、それに感心したり、あるいはタカをくくったりしていた自分が阿呆らしくなって笑ってしまうらしい。
だが、MSB technology Select DACを聞いている間は笑うことさえ忘れていた。
今まで聞いてきた、数えきれないほどのサウンドたちが走馬灯のように脳裏を駆け抜けていくのだが、どの経験もこれほどの感動を呼び覚ませないことにすら、驚けない。
驚くことさえ忘れていたというところか。
私はしばらく、ただ呆けたように音楽を聞いていた。

これまでもこのDACと大差ないほど高価な機材を沢山聞いて来た。
また、高価でなくとも素晴らしい音を奏でる機材にも数多く出会った。
だが、これほど奇跡的なサウンドを私に聞かせたモノは今日まで一つもなかった。
これから先に開発され、私の耳に入る、
全てのハイエンドオーディオ機材はデジタル・アナログを問わず、
このサウンドを追いかけて疾走することになる。
それは開発者たちが、このサウンドを知る・知らないに関わらず、
私はそれを意識し、比較するから。
私には、自分がこの先聞くシステムに対して必然的に、
このサウンドに追いつき追い越すことを求めることしかできない。
その追跡が甲斐のあるものとなるのを祈るばかり。

こうして生まれた新たな状況は、私を予想外の不安に陥れた。
それは、先々に聞くであろう、
新出の機材の出音に心底から感動できないのではないかという、
随分とおかしな心配だ。
当面はこの不安、危機を乗り越えることが、
私のオーディオのメインテーマとなるのではないか、
そう覚悟している。
長い旅の途中、
ひょんなことから終着駅に突然たどりついてしまった旅人のような心境なのかもしれない。
次に目指す場所がとりあえず思いつかない。
そして、
なにか今までと根本的に違うオーディオのアプローチをとらなければ、
この周辺で堂々巡りを繰り返すだけだということもはっきり見えてきた。
なにか思い切ったことをしなけりゃいけない。

不幸中の幸いといえば、Select DACが圧倒的に高価なこと。
この値段では、おいそれとはリビングに迎え入れることはできまい。
もっとも、こいつが本当に来てしまえば、
私のオーディオは確実に終わってしまいそうだから、それでいいのだが。
出ない方がいい答えもあるということ。
解決せざるをもって解決とする方が良いこともある。

オーディオはやはり旅だ。
動き回らない、感覚と心の一人旅である。
安住の地を見つけ、さすらうことを止めた瞬間に
オーディオが終わってしまうなら
私がこの放浪を止めてしまうことはなさそうだ。
「旅立つ勇気があるなら、
そのための理由はどこにでも転がっているはず。」
80歳を過ぎてから、イギリスの客船に乗り込んで地球を一周した、
男勝りで旅好きの祖母の口癖を思い出した。

私は最果ての地の美しい風景の中に、
旅を終わらせないための動機、
新しい旅へのきっかけを追い求める。
かつてあった重要な出会いと同じく、
この苦くて甘い邂逅も、おそらくは運命。
だが、交わした覚えのない約束を果せと言われても、
そのために、この旅を終わらせるわけにはいかない。
失われた記憶のような心の空白はまだ埋まってはいない。
幸いにも。
今はまだ、それを埋める時ではない。

ここではないどこかへ。
私は白い息の中に、そう呟いて
霧にかすむ音の水平線に向かい、
静かの海を一人漕いでゆこうとしている。
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# by pansakuu | 2015-11-05 21:38 | オーディオ機器

Big Wave:2015年秋のヘッドホン祭りについての私的インプレッション:第二部


前回からの続き・・・・・・。

discussion
ここからは現在までのところ私が実物を聞いた全てのヘッドホンの中から、私が選んだ、いくつかの優れた製品について比較コメントしてみたい。(写真はいくつかのHPから拝借いたしました。どうもありがとうございます。)
なお、前置きで書くべきだったのかもしれないが、ここではイヤホンについては言及しない。イヤホンはコンパクトで持ち運びが簡単、ほぼどこでも音楽が聴けるし、最近の製品は種類も多く、音質も一昔前とは全く比較にならないほど向上し、話題性も人気もすこぶる高い。さらに言えば価格も高騰している。しかしまだ優れた据え置きアンプで鳴らす、リファレンスクラスのヘッドホンのサウンドのレベルには届いていない。音の絶対値が私が評価したいレベルにあるものがほとんどない。具体的にはスケール感や力強さ、音の深みが足りない。
逆に言えば、ヘッドホンとヘッドホンアンプは近年、長足の進歩を遂げており、適切なセッティングがあれば、スピーカーオーディオでは決して得られない独自の深みを持った小宇宙が展開する。これはスピーカーオーディオにのみ没頭するクラシカルなオーディオファイルには、まだほとんど知られていない世界だ。
そういうわけで、イヤホン・ヘッドホン界で誠実に高音質のみを求めるなら、イヤホンではなく、自然とハイエンドヘッドホンに落ち着くはずだ。それに、このジャンルには今、ビッグウエーブが来ているから、それに乗らない法もない。本当に旬の音がここにあり、根本的な変化のない退屈なスピーカーサウンドを私の中で駆逐しつつある。

まず密閉型か開放型かという問題であるが、一般的に言えば開放型の方が高音質が得やすいのはほぼ間違いないだろう。旗艦機は開放型、というメーカーが多数派であるのは偶然ではない。しかし、ヘッドホンを使う大きな目的の一つとして、ヘッドホン自体がまき散らす音、あるいは周囲の騒音を聞かせない・聞かないで済ませるということがあり、そのためには密閉型が理想。これはジレンマである。この矛盾は解決できていないが、優れた密閉型ヘッドホンを作る努力が少しずつ実りつつある。それがTH900やSonorousⅩ、Ether Cである。
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密閉型で優れたヘッドホンとして、これまでは密閉型のハイエンドスタンダードたるFostex TH900を筆頭にコンパクトで軽いが侮れない音質のEdition5、先鋭的な音を聞かせる唯一無二のEdition9、オークションで常に高値をつけるディスコンのSTAX4070などがあった。そこにSonorousⅩ・ⅧやEther Cが参入しTH900の独走態勢を崩すかに見える。だが、TH900の音の個性、音作りの巧さ、ひいては外観の美しさなど、総合的な視点からは、より高額な新規参入者をもなかなか寄せ付けない。SonorousⅩはTH900より威厳ある深い音を持つが、音の個性がやや強く、装着感も重すぎ、価格もTH900に比して高すぎる。SonorousⅧに至ってはTH900より高価だが、TH900ほどの品格のある音ではない。一方、Ether Cは音質の一部においてTH900より勝るかも。特に音場の拡大や定位の向上、高域の繊細な質感の向上などは密閉型としては斬新。だがTH900がサウンド全般で劣るとは思えない。またEther Cは音質はもちろん、装着感も含めてSTAX4070を明らかに超えるギアである。オークションで4070をプレミアをつけてまで争う必要はなくなるだろう。Edition5はポータブルなヘッドホンとしては音質・外観の美しさ・軽さなどを考慮すると間違いなく最高の製品だろうが、TH900、Ether Cほど音質の絶対値は高くない。
こうして見ると、このジャンルは定番のTH900と新参のEther Cが密閉型のトップモデルの両輪として、最前列を走ることになりそうだ。
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なお、今回、ローゼンクランツで改造したEdition9を聴く機会が偶然あった。都合により詳しくは述べられないが、この改造された密閉型ヘッドホンはEdition9特有のキツさがなく、これなら使ってみたいと思った。DMaaもそうだが、カスタム品の音の良さも気になる存在になってきている。そもそもリケーブルというのが、この改造にあたるのだから、この動きは今に始まったことではない。まだ、このようなカスタムを請け負う業者は少ないが、レアなヘッドホン、あるいは自分だけのカスタムサウンドが手に入ることは魅力的だ。ヘッドホン本体のカスタムも将来、ヘッドホンの楽しみ方の一つとして一般化してくるのかもしれない。

リファレンスヘッドホンの主戦場である、開放型ヘッドホンというジャンルについては、評価がなかなか難しい。音質のみを考えるとLCD-4が、今まで聞いた全てのヘッドホンの中で最優秀。音質については文句がつけにくい。この製品は平面駆動型・ダイナミック型の音の特徴を兼ね備えたうえ、正確さと音楽性までも両立させるという離れ業を成し遂げた。音質だけだと、このヘッドホンはエポックメイキングなものである。ただしあまりにも重たく、頭に装着するギアとして落第点に近い。だから悩む。LCD-4を聴くまでは開放型ヘッドホンの最高位は、先行して出ていたHE1000だと考えていた。こちらは音だけでなく装着感もいい。音場の広がりやヌケの良さは飛び抜けている。ただ、音の陰影感や密度、重たさが十分に出ないところに着目すれば、従来の平面駆動型の範疇を未だ出ていないし、駆動するアンプを厳しく選ぶという問題はある。それらの欠点はLCD-4では払拭されたが、トレードオフで重たくなったということである。
MrSpeakers Etherは価格を含めた全体を見渡してもLCD-4やHE1000のような、はっきりした問題がなく、価格上でもそれらに比べると安いことから総合的には最もお薦めできるモデルである。ただし最高の音質を得たいと思った場合には、まず明らかにサウンドで勝るLCD-4があるし、HE1000も十分にドライブできさえすればLCD-4に匹敵する可能性を残しているため、安易な導入に躊躇する。
HE1000とEtherの比較は大変難しい。これらは違うサウンドなのだが、どう違うか表現しにくい。ただ、適切なアンプをあてた場合の空間性の表現ではHE1000にアドバンテージがあるのは確かである。そこに判断のウェイトを置けば、どちらを買うかは自然と決まる。
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これら3つの開放型の新製品のうち特に、LCD-4とHE1000はユニコーンガンダムに出て来るニュータイプ専用のモビルスーツ(ユニコーンやバンシィ)のような、音以外の要素も含めた製品全体のバランスのどこかが悪いが、使い方さえ誤らなければ、圧倒的な音質を誇るモデルである。LCD-4などは音質一点突破主義というか、他のヘッドホンを瞬殺するようなところさえある。それらに比べると、装着感が良く、素直で聞き易い高音質だが、アンプを限る定番モデルのSR009、デザインはユニークだが、音はそこそこで装着感最悪のJPS labs Abyssなどは、同じ駆動方式でも注目を浴びなくなるだろう。今回の祭りの後では、T1やHD800、Edition10、SR009、そして最近出たMaster1も含め、それらは従来のハイエンドモデル、一世代前の製品という位置付けになってしまった。これはザクとかジムほど昔のものではないが、キュベレイとかギラ・ドーガ、Hi-νガンダムあたりの位置にある。もうそれらは最先端をゆくヘッドホンではなくなったのである。ここに挙げた3つの開放型の新製品はこれらのヘッドホンの音を研究して、それらを超えるために作られたのだろうから当然と言えば当然である。ヘッドホン界全体に世代交代の波が来ている。

他方、開放型、密閉型問わず、がむしゃらに最高・最先端の音質を求めるのではなく、音や装着感の安定感、安心感を求めるという向きもある。ロングセラー製品が持つ信頼感を尊重したいという人もいる。そういう方向性なら、もう一つのグループであるHD800s、beyerdynamic T1 2nd generationのマイナーチェンジ組に加えて、定番化しつつあるAKG K812あるいはHD650・HD600 (Golden era) Dmaaを求めると良い。これらはガンダムで言えばジェスタやリゼルのようなものだろう。またHD650・HD600 Golden era Dmaaついては(作品は違うが)スコープドックのターボカスタムのようなイメージが万策堂にはある。もっとプロの道具としての渋みが深く沁みついているからだ。いかんせんMrSpeakers Ether、LCD-4、HE1000は最新の製品だけに多くのユーザーの評価で揉まれていないことがあり、まだまだ信用がない。このようなまだ湯気が立つようなニューモデルは、自分のモノにしてから聴き込むと思いがけず、すぐ飽きてしまったりすることもあるから要注意だ。個人的にはそういう華々しさとは対照的なHD800sの、あえて地味だが着実・質実剛健な音の進化が気になる。
なお、Dharma D1000は最先端で独創的な技術から、どのようなソースも普通に処理する安心感が出てきたという珍しいモデルである。ここに挙げた二つのグループの中間的位置付けにあるヘッドホンであり、そういう見方をすれば今回聞けたものの中では、一番ユニークな製品かもしれない。また、こういうオーディオのインフレ時代にあっては価格もこなれているので、これもお薦めである。

今回の祭りは平面駆動型の活躍が目立っていた。ヘッドホンについては、静電型・平面駆動型とダイナミック型という区別が従来からあるが、今回の祭りを見ていると、これは意味を失いつつあるジャンル分けだろうと思ったりする。Dharma D1000はそれらのハイブリッドであるということもあるし、LCD-4は平面駆動型ながらダイナミック型に近い音を出せる。STAXのSR009が静電型・平面駆動型のサウンドの典型を決めたところがあり、このサウンドの延長上にHE1000があるのだが、すでに様々なヘッドホンサウンドの方向性は様々に分岐したり融合したりする傾向にある。発音方式で囲い込まず、まず出音を確かめる必要がある。

とにかく現代はヘッドホンの選択肢が、史上最も豊富な時代である。どういうポリシーをもって選んでも、一昔前とは隔絶した満足感が得られる。もちろん、それは後述するヘッドホンアンプに十分な投資をして初めて得られるものだ。
私のヘッドホン選びの視点は特別なことは何もない。まずは音質、その次に外観や装着感、そして製品全体としての信頼感である。それからヘッドホンアンプとのマッチングも重要な要素である。さらに他人がもっていないヘッドホンを使う喜びも無視できない。もっと言えば単純に高価で高性能なのではなく、速くて強い時代の潮流に押し流されないロングセラー・定番としての存在感も忘れたくない。
これら全部のファクターを総合して考えた結果、HD650・600 Golden Era DMaaに今の所は落ち着いているのだが、もう一つ敢えて買うなら、HD800sになるのかもしれない。またHP-V8を買ったらTH900 Mk2は必須だろう。それからTHA2がもし手元に来たらHE1000を合わせたいという気分もある。LCD-4は重さで却下か。いやいや、まだなにも決めていないが、色々と算段はしている。

Headphone AMP
次にこれらのヘッドホンと対を成すであろうヘッドホンアンプについても述べたい。このクラスのヘッドホンは全て適切なアンプ、多くは据え置き型のアンプで鳴らされる必要がある。十分なドライブ力がないとその音質は開花しないし、そもそもイヤホンに比べて大きくて重いので視覚的な釣り合いが取れない。この二日間で多くのヘッドホンアンプを聞いたが、OJI Special BDI-DC24A-R Extream、Re Leaf E1、GOLDMUND THA2、Fostex HP-V8、マス工房Model394あたりが今のところ最強の製品群と思う。
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なお、これらに匹敵するものは少ないだろうが、他にもRSAのDark star(個性的だが素晴らしい)、Questyle CMA800R(これも実はかなりいい)、G ride audio GEM-1(まだ入手が不可能になったわけではない)、Cavalli Liquid Goldは気になるし、Cembalo audio Spring1、 Viva audio Egoista、Crayon audio CHA-1、Bryston BHA-1など未聴のヘッドホンアンプはいくつもあるから、まだランキングを確定することはできない。これらを全て一度に聞いてみたいのは山々だが、問題が多い。例えばPSE法は高い壁である。
次に、音質以外の点も評価すべきだろう。例えばOJI BDI-DC24A-R Extream、Fostex HP-V8、マス工房Model394などは、別途DACなどの送り出しが必要となる。ということは新たなコンセント、高性能なインターコネクトケーブル、DACの置き場所も必要になるということである。それは大きな負担だし、音質を劣化させる要因を増やすことになる。
これに関連して、私が最近思うのはDACとヘッドホンアンプの間の伝送での音質の劣化はとても大きいということである。良質なDACとHPAをミリ単位の距離で結線すると新しい世界が見える。これはRe Leaf E1で教えられ、THA2でも確定した事実である。DACを内蔵した方が音質上は有利だし、そもそもコンパクトである。会場にRe Leaf E1を自前で持ち込んだ方が私以外にも居て驚いたが、OJIやFostexではそれは難しい。
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既述した最強アンプ群の奏でる音の中で今回私が最も感銘を受けたのはTHA2のサウンドであった。しかもそれはUSB入力のハイレゾデータでなく、CDトランスポートからの同軸入力、16bit, 44.1KHzのデジタル信号によるサウンドだった。Re Leaf E1にはこの入力がないため、試せていなかった。このデジタル入力の44.1KHzのデータによるサウンドは強烈な実体感と、ヘッドホンオーディオにおいては類例のないほど広大な空間性を兼ね備えるところが素晴らしい。ムンドらしさを排したフラットでクセのない、一聴してごく普通の音。だがなんという深遠な音だろうか。Re Leaf E1xを試聴して以来、久しぶりに新たなヘッドホンサウンドの深まりを感じた時間であった。これなら、そろそろ退屈になってきたスピーカーサウンドはしばらく休んでもいいだろうとさえ思った。欠点は硬すぎるボリュウムの感触ぐらいだろう。手持ちのアンプとの比較を言えば、Re Leaf E1xは音場が向こう側に深く展開するが、BINモードのTHA2は左右にかなり広く展開する。ムンドのアンプは音楽性が高いのに無味無臭で平明なサンドであり、頭内定位も極少である。非常にリアルな音像描写でやや乾いた触感。音像の精密さが際立つ。それにしてもムンドのソニック シグネチュアが全くフラッシュバックしないのは意外であった。ゴールドムンドのサウンドも変化しているのだ。
音場の深さや透明感、音像の持つ繊細な情緒、音と音との有機的なつながりはRe Leaf E1xが勝るが、音場の壮大な広がりと音の力強さ・余裕はTHA2である。
これらは甲乙つけがたく並び立つ、2つのトップ・オブ・ザ・トップのヘッドホン サウンドということになる。
THA2は標準ジャックしか出力がなく、バランス接続が試せないのは気になるが、HD800で聞くかぎり、あえてバランス接続にする必要は感じなかったのが進化だ。先代はそれが気になったモデルだった。HE1000やLCD-4が、このアンプによるドライブでどんな音を出すのか、とても興味がある。
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またHP-V8は上記の2製品と全く違った方向を志向していた。入ってくる音楽信号に忠実であらんとするだけでなく、より美しくして聞かせるアンプなのだ。音の滑らかさ、華やかさ、芳醇さに酔う。特にクラシックはロマンティックな響きがある。視覚的にはレンブラントの絵に出て来る黄金の兜やアクセサリーの描写を思う。闇の中に煌めく金色の輝きが音楽の中に見えるようだ。また録音現場の暗騒音やマスターテープのヒスノイズがよく聞こえるほどSNが良い。音のキレもよく、低域の伸び、解像度も高い。チャンネルセパレーションも製品版では改善され、広い音場が得られる。音楽の意味や演奏者の感興が、神経を決して逆撫でしない形でしっかりと伝わる。どんな音楽をかけても音が曲想に馴染んで、唐突さがない。これは真空管が醸し出す美酒のようなサウンドである。唯一無二。
ただHP-V8はその特異なサウンドから、純正であるTH900以外にマッチングが良い製品があるのかどうかが危ぶまれる。上手くいくか分からないが、Sonorous XやLCD-4を合わせたらどんなサウンドになるか、試してみたい気分はあるが・・・・・。

こうして、これらのマイナーで高価だが実力が極めて高い3つの新製品を前にすると、OJIやマス工房の製品はやはり一世代前の造作、サウンドに感じられる節はある。
HPAの出音についてはDACとHPAの間の情報の欠落に、かなり敏感なものと述べた。そこでの情報のロスが最小なうえ、コンパクトなTHA2やE1が発売されている状況で、アンプ選びはどうあるべきか?至極真っ当なアンプだが、DACに悩まなくてはならないこと、またHP-V8の斬新なサウンドに比べて、既に親しんでいる音であることなどを考えると、OJIやマス工房を私は敢えて選ばないかもしれない。
つまりDACつきのHPAはいろいろと有利な点が多いし、また真空管で奏でられる唯一無二のサウンドにも強く惹かれるということだ。
マス工房、OJIだけでなく、Dark StarあるいはLiquid Goldなんかを触って聴いても思うのだが、これらはやはり筐体デザイン・音質向上のための回路や電源のコンセプト全体がマンネリズムに陥っているところがある。やっていることの基本は、ずっと前からある手口、すなわちスピーカー用のハイエンドアンプに用いられた手法とほぼ同じであり、新味がない。近年、スピーカー用のアンプとしてはDevialetやLINNのトータルシステムが現れ、好き嫌いは別として、そのユニークなカタチとアイデアで存在感を出している。では、ヘッドホンアンプはどうか?
私がRe LeafやGoldmundの製品に着目するのは高価だからではないし、そのサウンドやハイエンド魂に動かされるからだけでもない。製品のコンセプト自体に新しい・エキゾティツクなチャレンジを感じるからなのである。
またReLeafやTHA2、HP-V8などのヘッドホン専用の高額機材を聞いた後では、NAGRA HD DACやCHORD DAVEのような、DACの能力はかなり優れていてもヘッドホンアンプ部が比較的弱いタイプの製品には、私個人は食指が動かなくなってしまった。やはりHD DACやDAVEはスピーカーで使うことも視野に入れて購入計画を練るのが基本だろうと考え方を修正する。


Postscript
最後に今回の祭りを回って気になった幾つかのポイントについてランダムにCommentする。
・NewOPTがポータブルDAPのUSB端子に挿して使う外部電源を参考出品していた。相変わらず美しい青パネルの綺麗な筐体を持つ電源で、つなぐと音が繊細かつダイナミックに変化する。AK240やAK380などに繋いで使うことを想定しているようだ。

・KORGが開発した世界初のデジタルフォノイコライザーDS-DAC-10R。主にDSD録音機能を謳っていたが、リアルタイムでプチプチノイズを消すなどの機能がついたら凄いことになりそうだ。デジタルフォノイコはありそうでなかった製品。アナログオーディオの世界の風景を大きく変える可能性を秘めたモノである。ただし、リアルタイム再生の出音などはどうもデジタルチックで即物的な感じがした。電源などまだまだ検討すべきことはあるだろう。だが、とりあえずこれを製品化したことの意義は大きい。正直、Hugoの後出しジャンケンのようなMojoなんかよりもインパクトが大きかった。(Hugo出す前にMojo出してくださいね。)

・会場に来るべきだったのに来ていなかった機材がいくつかある。Fostex HP-V8、Audio technica AT-HA5050H、IODATA Fidataあたりがそうである。Fostex HP-V8は二子玉川でヒマをしていたので、その隙を衝いて一時間ほど占有させていただいた。IODATA Fidataは音展で詳しく聞いた。SSDモデルはN1Zとほぼ同等の音質を誇り、それでいてかなり安い。明らかにお買い得である。これをヘッドホンシステムの送り出しとして使うのはアリだったと思うので残念だった。そして今回はヴァル・ヴァロのような役回りになってしまったAudio technica AT-HA5050H。E1やTHA2と轡(くつわ)を並べることは叶わなかった。ケリィ、遅れをとったな、というわけだが、冗談はともかく一体こいつはなぜ来なかったのか?海外のショウでは出ていたのに。テクニカのブースは目立った新製品がなかったこともあり、なぜあえてアレを出さないのかが実に不可解。 しかし、私はいつまでも待つぞ!とでも呟いておこう。

・多くのブースが、入場してきた試聴者がポータブルのデジタルオーディオプレイヤーを持って来ていることを半ば前提としたデモをしていた。そういうモノを持ち歩かないことをポリシーとしている少数派?の私はおおいに困惑させられた。わざわざ半年に一回の機会に出て来るのだから、送り出し、アンプ、イヤホン・ヘッドホンに適切な製品を選び、一通り完成したシステムセッテイングで出していただきたい。イヤホン・ヘッドホンとはいえ最適なトータルシステムで提案して欲しいのだ。いくつかのブースでは二日間、そのような試聴環境が十分に整わないままであった。
また自分が一体どれくらい贅沢な嗜好品を売ろうとしているのかを、買う側の立場に立って考えるべきだと思ったケースもある。例えばある高価で重いヘッドホンを紹介するブースではポータブルの小さなDAPでしかデモがなかった。これほどのヘッドホンを買う人は、まずそれなりに高級な据え置きのヘッドホンアンプを使うことだろう。こんな小さなDAPでも鳴らせるというデモはあってよいが、なぜ強力な駆動力のある据え置きアンプも用意しないのか?この高価なヘッドホンの本気モードがどれほどなのか、誰もが知りたかったにちがいないのに。これに似た不可解、いや無理解は、いくつかのブースで見られた。
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・開放型のヘッドホンは周囲の雑音に影響されやすいので、できれば椅子の両側に投票所で見られるような衝立が欲しい。まわりでやっている立ち話が聞こえにくくなっていい。その衝立が透明なら、会場の見通しも妨げないだろう。私は騒音の少ない二日目の夕方にも精力的に回って出音を確かめた。この時間帯は待たないし、穴場だ。機材のヒートアップやエージングが進んでいることもある。だがそんなことせずとも少しばかり工夫すれば、一日目の午前から、いい音で聞けたはずだ。また衝立があると次に順番を待っているのが誰なのか、傍から見て分かりやすいこともある。衝立に囲まれた空間のすぐ後ろに列ができるようになるだろうから。ヘッドホンが複数あると誰がどれを聞こうとしてブースの前にいるのかわかりにくくなる。

無意味な苦言はともかく、なにはともあれ、本当にヘッドホン・イヤホンオーディオのBig Waveが来ているのだから、このイベントをやり遂げるしかなかった。こうして祭りが終わって、真夜中の夜風にあたっていると、ヘッドフォニアとして思うところがある。今回のイベントは私的オーディオの大きな転換点となるだろう。とりあえず、自分の経験で養った直感を信じて、新しい方向へ万策堂は踏み出すつもりだ。耐え難くも甘い、新たな時代の始まりである。

# by pansakuu | 2015-11-01 12:52 | オーディオ機器

Big Wave:2015年秋のヘッドホン祭りについての私的インプレッション:第一部


十傑集がその気になれば・・・
by白昼の残月


Introduction

2015年・秋のヘッドホン祭りほど話題の多かった祭りは、かつてなかったような気がする。聞くべきものが今回はとても多かった。
いままでこれほど長く会場に居た記憶もない。二日間、合計で約12時間弱、会場をうろついていた。万策堂が実際に買うのはハイエンドヘッドホン関係の機材に限られるので、それだけ聞きに行けば良かったのだが、一回聞いて終わりというものは少なかったので、それらを全部聞き終えるだけでもかなりの時間を要した。今回は多くのヘッドホンメーカーあるいはアンプメーカーのフラッグシップ機がバタバタと更新され、それら全てを十分に試聴するのに大変骨が折れた。出品物はどれも力作揃いで、いつもの祭りの倍以上の時間をかけ、あるいは時間を分けて、ひとつひとつを詳しく聞いた。というか、聞かざるをえなかった。勿論、イヤホンについても目ぼしいものは聞いたので、さらに時間が伸びた。さらなる疲れの要因として、重要なヘッドホンアンプが何故か会場に来ず、という事態がある。例えば二子玉川なんぞに引っ込んでいたアンプもある。記憶が薄れないうち、ほぼ同時試聴して比較する意味で、会期中にそこにも出向いた。何故、中野まで運んで下さらなかったのか?そのせいで私はますます疲労困憊したのである。まるで台風の大波の中でサーフィンをしたような気分だった。とはいえ本当にヘッドホン・イヤホンオーディオのBig Waveが来ているのだから、やるしかなかった。

こうして私にとって大切で大変な祭りが終って、私がマークしたフラッグシップクラスのヘッドホンは計8機種であったが、間違いなく自分が買うだろうと言えるようなものは残念なことに1つもなかった。全ての機種のどこかに買わない理由がある。その中でも全ての点において最も上手くバランスが取れていたMrSpeakers Etherでさえ、買うかどうかはあやふやである。それはLCD-4があるからなのだが、理屈については後に詳しく述べたいと思う。

ここでは、まずこれらの旗艦格のヘッドホンについて簡潔に、独断と偏見に満ちたインプレッションを並べよう。次にジャンルごとに比較してテキトーに論じてみたうえ、対になる可能性のあるGOLDMUND THA2とRe Leaf E1、FostexHP-V8などのハイエンドヘッドホンアンプの比較インプレッションを簡単に述べよう。そして全体の感想を述べて締めくくるつもりだ。長くなるので二部構成になる。
(写真はいくつかのHPから拝借いたしました。どうもありがとうございます。)


Exterior , feeling and sound
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1.Sennheiser HD800s
外観:
一見するとHD800を黒く塗っただけの色違いバージョンにしか見えない。だが良く見ると、部品のエッジの立ち方が若干パリッとしているように見え、形は同じだが、新たな金型を使って部品が製作されているようである。精悍な印象であり、黒いヘッドホンアンプに合わせたくなる。内部構造は新規の部品によりダンピングが強化されて、特性が改善されているとのことだが、外観や重さに明らかな変化はないようだ。
装着感はHD800とほぼ同様であり、区別できない。ハイエンドヘッドホンの中では一、二を争う装着の良さである。音漏れは前モデルと同様で大きい。

音質:
一聴すると、HD800の特徴である聴空間の広さが僅かに失われ、音場が若干狭まったように感じられる。だが、HD800の音場の広さというのはHD800のハウジングの構造や材質、容量によって、演出されていたところがある。これは同じ音源を、優秀なヘッドホンアンプを用いて多くのヘッドホンで鳴らすと分かる。この演出の一部が巧妙なダンピングにより消えた、あるいは控え目になってより素の音に近くなったのだと思われる。結果的に音像の定位が良くなり、音のエッジはクッキリして全体を把握しやすくなった。高域がしっかりして厚みが出ており、中域・低域も音の密度が若干上がっている。どこかDMaaのチューニングを連想させる音。いわゆる空間型の出音からやや音像型にシフトした印象。もっとも型番を900にするほどの変化ではなく、マイナーチェンジであり、これで販売価格が大幅に高くなると購買意欲は失せる。
また、従来のHD800が不要になることはなく、音楽の音作りや曲想に合わせてHD800とHD800sを使い分けてもいいように思う。
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2.Audeze LCD-4
外観:
ミステリアスだ。ヘッドバンドはカーボン製になり、ハウジングは一部メッキがかかっている。また、ヒンジの部分にロゴが入っている。依然としてややモッサリして野暮ったいように見えるが、どこか只者でない鋭さも感じる。形全体には先代モデルたちと比べて大きな変更はないが、少しピカピカしてスペシャルモデルであることを演出しているようにも思う。
装着感については重すぎるとしか。カーボンパーツを使っていながら、この重量は何だい?イヤーパッドは分厚く、頭部のサポートも改善されているが、如何せん、こんなに重いと聞く前に落第点を付けたくなる。1.5テスラのネオジウム磁石を載せたせいなのか?側圧も、ちと強いが、この重さではそうでもしないと保持できないだろう。毎日、数時間連続してこれを使うと頭頚部の筋肉の疲労が大きく、整形外科的な問題が起こることは間違いない。sonorous Xについても言えることだが、ヘッドホンは服や帽子のように身に着けて使う道具なので、この部分が完備していないと、音がいくら良くてもダメだと思うことがある。

音質:
およそ今まで聞いたどのヘッドホンよりも充実した出音である。これは平面駆動型らしい繊細で透明感のある中高域にダイナミック型に類似した力強く緻密な中低域が合わさって、いままで聞いたことの無いような優れたサウンドが得られている。帯域バランスはほとんどフラットに近いか?若干、中低域にウエイトが乗っているか?こんなにたいそうなヘッドホンだが、意外にも小さなポータブルのデジタルオーディオプレーヤーで十分に駆動できる。折角なので、もう少し駆動力のある適切なアンプを充てるとさらに躍動感のある闊達なサウンドが得られた。1.5テスラのネオジウムマグネットの威力なのか、この方式ではありえない音の力強さがありながら、精彩感も横溢している。しかも音に濃密な味わいさえもプラスされている。平面駆動型のヘッドホンに常に足りないと思ってきたものがだいたい補完されている。ダイナミック型の高テスラを誇るドライバーを搭載するヘッドホンでもこれほど躍動的で濃密にはなかなかならないだろう。基本的に大変にリッチな音楽性のある音でありながら、解像度やダイナックレンジ、空間性などの基本的な音質の評価項目を高いレベルでバランス良く満たす。従来のLCDシリーズはどのモデルもどこかにクセがあった。高域が伸びない、中低域がファットだ、中域の密度がこのモデルだけ低いなど。しかしLCD-4はどちらかというとクセの少ないフラットな出音で、音を盛る傾向は少ない。今までハウジングの材質もコロコロ変わって、どれがいいのか分かってないようだった。今回は硬くて重い黒檀に落ち着いた。聞くところによれば、最近まで意外な人がAudezeのサウンドアドバイザーをやっていて、その人のアドバイスで音が良くなってきたという噂だが、どうなのか。とにかく極めて高価格だが、その価格が納得できる音。それだけに、この装着感は惜しい限りだ。他機との比較については後で述べるが、結論を言えばHE1000を焦って買わなくて良かった。
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3.HiFiMAN HE1000・EditionX
外観:
洗練された美しい局面で構成されたハウジングであり、ウッドとアルミのハイブリッドである。仕上げに日本製の高級品のような精密さがやや少ないが、全体のデザインやヘアライン仕上げは悪くない。
装着感は軽くもないが、重たいということはなく、合格点。長時間の使用に十分耐えるだろう。
例えば、このジャンルの先行製品の一つであるJPS Labs Abyssと比べるとはるかによく出来ている。
SR009と似た装着感である。

音質:
LCD-4がなければトップのサウンドであったはずだ。音質で比較して先行のAbyssやSR009よりも優れている。ヌケが良く空間性を強く感じる音であり、その広大な空間の中を音楽が爽やかな風のように吹き抜けてゆく。解像度は高いが軽い低域、明るく澄んだ中域、スッキリと伸びきるスマートな高域。全帯域はバランス良く分布して、強調される部分がない。総じて破綻のない美音だが、全体にやや明るく、音が軽すぎる。例えば悲壮感や憂いを伴う音楽、重いビートが連続する音楽に合わない。LCD-4はこのような曲に十分に対応する。それからEtherにもある程度言えるが、音圧感がこのヘッドホンでは全く分からない。音圧も音楽情報の一部なので、これが感じられないのは困る。またHE1000はドライブするアンプが限られる。正直、聞いている私の中では、どんなアンプをつないだにしても、こいつの実力は本当にこれだけなのか?という疑問がいつもある。最近MOON Neo 430HAで聞いてみたが、音量は十分に取れるものの、音量を上げると、音が硬くなってしまう。やはりTHA2につないで聞いてから評価を考えたいところはある。一方のLCD-4は恐らくアンプはそれほど選ばない。とにかくHE1000を十全に駆動する最適なゲイン、パワーをもつHPAが必要であることは、大きな欠点。

なお、同時に出ていたセカンドモデルのHiFiMAN EditionXの外観は黒いHE1000というところ。ピアノブラックのようなツヤありの仕上げが全面になされている。とてもエレガント。装着感はHE1000とほぼ同様だが、音質はジュニア機のそれで、僅かに音場が狭くなり、音像の描写もやや甘くなる。HE1000より駆動しやすいようで、同じアンプでもEditionXの方が音量が取りやすかった。これなら大抵のアンプできちんと聞けるだろう。音質を取るか、価格・駆動しやすさを取るかだが、音質で勝るLCD-4がある以上、音質を優先して駆動のしやすさ犠牲にしたHE1000より、むしろEdition Xの方がお得感があるかもしれない。
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4.MrSpeakers Ether
外観:
HD800sや後述のDharmaのように洗練されたデザインではない。やや武骨でカラーセンスが良くない。普通の金物屋にありそうな特殊な印象のない金網のようなもので覆われたハウジングの外側。サイドの簡潔な円筒形の形やレッドリムにも美しさまでは感じない。ツヤありの塗装がされてはいるが、質感は全体にやや雑にも感じた。ただしケーブルのコネクターはしっかりしていて好感が持てる。その部分はMaster1などとはかなりの違いだ。装着感も悪くない。軽くもなく重くもないが頭にかけた時のバランスは良い。デザインでなく音質で勝負、機械的な耐久性も高そうな実用本位のアメリカ製品なのだろう。

音質:
欠点が少ない。全ての音質要素がバランス良く配合された落ち着きのある音。見通しが良く繊細であり、低域を中心に音の輪郭がキッチリと描けていて、曖昧さはない。ハウジング内で音が散らず、音場はHE1000ほど広大でないが、自然な広がりを聞かせる。いくつかのアンプで聞いてみると各パートの分離が良く、音が決してダマにならないことにも気付いた。やや美音系に傾くがモニター用ヘッドホンのような正確さもなくはない。平面駆動型の長所である、音のアタックがキツくならない美点も強調されているが、音楽の躍動を過不足なく伝えてくれもするし。平面駆動型にありがちな単純にサラサラした気持ちのよい透明な音に終始しない。多彩な魅力を持つ。これはSR009を代表とする従来の平面駆動タイプのサウンドの最高位に位置する。だが、残念にもHE1000やLCD-4のように、その枠を完全に飛び超えるような音までにはなっていない。
ただし、その価格を考え、駆動のしやすさ、アンプを選ばないことまで考えると全体としては新参のHE1000やLCD-4、そして定番のSR009に勝るかもしれない。
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5.MrSpeakers Ether C:
外観:
複雑な形状のカーボン製のハウジングを持つヘッドホン。カーボンハウジングは高価で特殊なため、音に効くと考えられても、実現させたメーカーはほとんどない。それをやり遂げたことには拍手。だが、このハウジングは磨きがやや足りず、カーボン繊維の持つ美しさが十分に出ていなかった。どうせやるなら、もう少し高くなってもいいので、このカーボンハウジングをさらにブラッシュアップするべきだろう。(エルメスのカーボントランクやカーボン製のベアブリックなんかを見ると仕上げの良し悪しが分かるようになる。)
装着感はEtherとほぼ同様で問題ない。当然ながら音漏れはEtherよりもかなり少ない。

音質:
Etherを聞いた後に聞くと、当たり前だが、やや籠って聞こえる。音場はEtherより明らかに狭く感じられるが、密閉型のライバルであるTH900やEdition5と同等の以上の広さは確保している。一般にカーボンを使った製品には独特の音の個性が端々に聞かれると思う。すなわちカーボンを多用すると、音が整理され、背景の静けさが増す。サウンド全体がフラットで重厚になるが、躍動感が若干削がれ、音が跳ねなくなる。まさにEther CはEther の音に上記の修飾を加えたような音である。好みの問題ではあるが、私はこのサウンドをあまり面白いとは思わなかった。特に躍動感がEtherはもちろん、今までの密閉型のキングたるTH900に及ばないように思ったからだ。私が経験上、カーボン製の製品の音を好まない傾向があるにしてもTH900の方が音のまとめ方が少しだけ上手く行っているように思う。
EtherとEther C。
この二卵性双生児のようなヘッドホンを聴き比べると、密閉型で開放型を超えるような音質を得ることの難しさを思う。ハイエンドのヘッドホンは明らかに開放型が多いのだが、それは音場感の点で圧倒的に有利であり、ハウジングの影響が少ないため音もまとめやすく、また製造コストも開放型の方が材料費を低くできるからだろうか。何にしても、MrSpeakersはこの二機種をほぼ同価格で出したことは注目に値するし、STAXの密閉型4070亡き後、新たな平面駆動式の密閉型を渇望しているファンの要求に答えたことは敬意を表するべき。
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6.Final audio design SonorousⅩ
外観:
鏡面仕上げの金銀のコンビがデザインのハイライトだ。煌びやかなエクステリアであり、大変目立つ。部品のエッジが立っているように見えるが手を切るような雑な仕上げは皆無で流石の工作精度。やはり超高額機である。Finalの社長さんは高級時計のようなバリューのあるヘッドホンを作りたいと力説しておられたが、頷ける外観となっている。イヤパッドは普通以上に弾力があり、パツパツだが、その表面はしっとりして耳の周囲を密閉するかのように覆う。このパッドの内側には見えにくいがいくつか穴が開いており、音響特性をコントロールしているらしい。細かい技だが、この手法に関しては、例えばDMaaでも類似のアイデアを出していてFinalだけでやっているわけではない。全体に複雑なヒンジや調節機構などはなく、見掛けの豪華さにのわりに、ごく単純な構造である。蝶番のような部分を作ってもハウジングがあまりにも重たいので経年変化に耐えられそうもないからだろうか。
装着感はしっかりとしており、頭を多少振ってもブレがなく、頭頂部も痛くないようだが、なにせ重たいので長時間使うと首がおかしくなるのは覚悟しなくてはならない。経年変化で側圧が弱くなると、単純な構造だけに下を向いただけでズリ落ちそうで怖い。重たいので落とすと危ないし、鏡面仕上げに傷がつくかもしれない。

音質:
これはやや特殊なサウンドに聞こえる。その完成度は高いが、このサウンドを是とする嗜好の範囲が狭いのではないか。良い意味でも良くない意味でも、例えばG ride audioの製品に似て、“自分”を強く持っている。全金属製のハウジングだけでなく、オリジナルのドライバーであることも影響しているだろうか。音場は密閉型としては広く深い。が、なぜか見通しがあまり良くない。音像は極めて明瞭で、その解像度は申し分ないのだが、音像の周囲に霧のようなモヤモヤした雰囲気が漂っているような気がするからだ。何だろう?これは駆動力のないポータブルのDAPを使ったせいらしく、後日にFinalのショールームでQuestyle CMA800R(二階建てのモノラル使い)で、このヘッドホンをバランス駆動すると、このモヤッとした感じはなかった。この本来の音が出るセッティングでは音像についてはエッジがやや強く、色彩感が鮮やかで、内部に音の粒子がぎっしり詰まっているようで密度が高い。この音のエッジの硬さは高度な技術で製作されたドライバーを取り付けるアルミバッフルが効いているのだろう。やや重たくて陰影のコントラストの強い音でもあり、HE1000などの典型的な平面駆動型とは違う方向性である。奥に深い音場の中で、この独特の密度と彩度の高さのある音が流れる様は、油絵の名画を眺めるようで麗しい。このヘッドホンでしか聞けない音の現状がここにある。音の強弱の階調性は非常に細かく、定位も良い。だが、非力なアンプでドライブすると、なにか全体に音のレスポンスが若干鈍く感じられることがあり、ゆったりした横ノリのクラシックなどは合いそうだが、現代のポップスによくある、畳み掛けるような速いビートに似つかわしくないということになる。やはりパワフルな据え置きアンプが必須。低域はやや膨らんで量感があり、中域は濃密でややネットリした感じと明瞭さが同居する。高域は概ねナチュラルだが、金属的な響きが時に耳を刺したのが気になる。ハウジングの材質によるのか、あるいはエージング不足か。個人的には金属でない、生体素材でダンプをかけると、さらに音質が向上するはずだと思っている。
個々の音の要素のみについて着目すると出来・不出来があってバラバラな印象なのだが、それらが一つになった音を実際に聞くと、これはこれで悪くないと思わせる不思議なサウンドだ。やはり老舗の貫録というか、音のまとめ方・音作りが洗練されている。
前回の祭りでは、ここまで音がまとまっていなかったが、半年でかなり聞き易くブラッシュアップされた。しかし、音の本性はそのまま。いまだに音の重量感や陰影、色彩感に重心を置いた、威厳ある独特の音を出せるヘッドホンであることに変わりはない。
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同時に聞いたFinal audio design SonorousⅧついても少し。
外観:
Xで金属だった部分が一部は硬いプラスチックに換装されており、少し軽くなっている。このプラスチックは深いブラウンで表面は艶消しであり、鏡面仕上げの部分と美しいコントラストを成す。装着感はXよりも軽いので当然楽になっており、その点では下位モデルの方が優れている。
音質:
Xとはやや違う音質傾向である。適度な密度や重さ、しなやかさがある柔軟な音であり、基本的に明るく闊達な印象である。音場の広さはそこそこだが、密閉型として不満は感じない。音に重苦しさがなく、ビシビシとビートも決まる。だが、Xを聞いた後だと、どうも上滑りで軽い音に聞こえ、音楽の内容を掘り下げたり、音楽の骨格を大きく啓示したりする力に欠けるように思う。逆にXにはそのような抽象的な表現力が備わっているのが長所だろう。
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7.Enigma Acoustics Dharma D1000
外観:
前回の祭りに比べてかなりブラッシュアップされ、完成度が高まった。金網の部分に透かしでロゴが入ったり、金網のエッジを金属の枠で覆ったり、ヘッドホンケーブルの着脱の穴の周囲の仕上げがよくなっていたり。アームとヘッドバンドを連結するヒンジの部分もガタなくキチッと出来ているし、細部までデザインが行き届いている。例えばKuradaのヘッドホンのヒンジも良くできていたが、デザインまでは、手が回っていない。Dharmaにはそれがあるのだ。ブラックの艶消し塗装も綺麗で全体に精悍な印象を持たせる。Etherにもこれ位の作りの良さがあると良かった。
このヘッドホンはハイエンドヘッドホンとして標準的な重さであり、また、精密なヒンジのおかげでピタリと側頭部に馴染むので、装着感は良好である。

音質:
なんといっても唯一のハイブリッド型であり、外観や装着感も良いので、期待が高まるが、破綻のない普通の音という感じで、派手なアピールがない。少々肩透かしであった。すごく普遍的な音なのである。このヘッドホンはセルフバイアス静電ドライバーとダイナミックドライバーのハイブリッドとのことだが、この二つのユニットはシームレスにつながっており、全然つなぎ目がないように聞こえる。一つのドライバーで駆動しているようだ。伸びきった高域のシルキーな感触とレスポンスの良い中低域の適度な重さ。ワイドレンジなうえ、全帯域において高解像を確保している。だが、これだけ多くのフラッグシップモデルが一堂に会している中では、あまり存在感が出せていない。突出した音質的なメリットがない。それだけ純粋な平面駆動組の躍進が目立っているのだ。また目立ってない一因に純正アンプAthena A1が価格のわりにややショボいこともある。また、その上流のプレーヤーの音も弱かったと思う。前回の祭りだが、純正のヘッドホンアンプ以外でも聞いてみたことがある。その時の経験から言えば、純正のヘッドホンアンプにはこだわるべきではない。もっと高性能なヘッドホンアンプ、例えばNAGRA HD-DACのヘッドホンアウトで聞くと今までのはなんだったのか?と言いたくなるぐらいの良いサウンドであった。さらにワイドレンジ感が増して、伸び伸びとヘッドホンが歌っていた。
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8.beyerdynamic T1 2nd generation
外観:
前のモデルT1と比べて、ヘッドホンケーブルが着脱式になった以外はほとんど変化はない。ケーブル端子の着脱のロックはしっかりしており、Master1などのMMCXを使うモデルに比して信頼感がある。今回の祭りではリケーブルのしやすさを喜ぶ話が多かったが、T1 2nd genがその代表。装着感もほぼT1と同様。

音質:
若干音場が広くなり、よりクセの少ない音になった。だが、あまり大きな変化ではない。これからT1を買う人はこれを買うべきだが、リケーブルを指向しないなら、今までのT1を使い続けても問題ないと思われる。いままでのT1は若干、音が詰まったような、わずかにクセがある音だったが、十分に満足できるものだった。このような、音質的に大きな意味のない2nd generation化は、多く他社の新製品が出て来るので、埋没しないための対策ではないかとさえ勘繰る。

9.Fostex TH900 Mk2
このモデルは製品版としてはまだ出てきていないので、私の聞いた噂のみ。
beyerdynamic T1 2nd generationと同じく、ヘッドホンケーブルが着脱式になるのみで、それ以外に大きな変化はないらしい。つまり装着感も音質も大きな変化は無さそうなのである。
今回のMK2化は超弩級真空管アンプHP-V8の登場に合わせている部分が大きい。XLR4Pin端子へのリケーブルを容易にするための純正の改造作業、モディファイと言ってよいだろう。
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10.Sennheiser HD650 DMaa:
新しい情報として、HD650 DMaaの音の完成度を高めるイヤーパッドの改良・新規製造が検討されているようである。試作のイヤーパッドを装着したHD650 DMaaを聞いてみると密閉性を調節し音圧の逃がし方を最適にすることでより濁りが少なく、細部までさらに正確な音像を取得できるようになったようだ。DMaaは目指す方向、ベクトルが不変であり、真に正確で普遍的な音を追求している。コンシュマー向けとは言いにくい面があるが、こういう姿勢を貫く者は他にいない。しかも定番モデルの改造という極めてユニークな手法が面白い。このイヤーパッドの試作品を聞いて、私はDMaaの今後の展開への期待を益々強めた。これが製品化されたら、すぐに買ってしまいそうだ。

そして、第二部に続く。

# by pansakuu | 2015-11-01 12:35 | オーディオ機器

CHORD DAVE DACの私的インプレッション:成層圏からの使者

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常識を越えたところに真理がある。
谷川浩司 九段



Introduction

少年のころ、よく高い山に登った。
ある夏の朝、山に登り、頂上に辿り着いた。
そこから空を見上げると、雲一つない青い空が、
青ではなく、黒っぽく見えた。
それは夜空の暗黒を青空に透かして見るような青黒い色であった。
まだ少年だった私は、宇宙が近いんだと考えた。
夜にだけ見える星空の世界が、
頂上に登ったことで近くなったので、
こんな青黒い色に見えるのだと考えた。
それ以降も何度か山登りをしたが、あの空の色は二度と見なかった。

その後、図書館で借りた気象の本で
地球には成層圏という大気の層があることを知った。
成層圏は天候の変化が起こる対流圏の上にあり、
雲はほとんどなく、いつも晴れ渡っていて、天候は安定しているという。
ジェット旅客機が巡航しているのは、
巨大な天空の空洞のような成層圏の下層なのだ。
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あの時、自分が山の頂上から見た空の色は宇宙の色ではなく、
成層圏の空の色だったのではないか。
まだ少年だった私は、頭上に広がる空を見上げるたびに、
そのことを考えていた。

そして今年もTIASに出掛けて様々な機材の出す音を聞いた。
で、
どの音が最も印象的だったかというと、
それはCHORDのDAVEのサウンドであった。
無限に澄み切るかのような広大かつ深い空間に
カラフルで精密な音が狂おしく躍動する。
簡単に言えば、そういうサウンドなのだが、これがかなりお安く手に入る。
このような高度なサウンドは
今となっては300万クラスのDACになって、ようやく聞けるようなものである。
今回のTIASにて聞けたDAVEは
そのプロトタイプに過ぎないようだが、
そのサイズ、価格、デザイン、そしてサウンド、
それら全てをひとまとめとして真摯に吟味すれば、
私の知る限り、世界最高峰のDACとして位置付けることができる。
このサウンドは私のイマジネーションを激しく掻き立てた。
私は音を聞きながら、
果てしなく透徹して冷たい成層圏の空気の中で
激しくドッグファイトする2機の戦闘機を脳裏に描いたりした。
それは青空を見上げて夢想した少年の日々のように、
妙に切なく、短く感じられる時間でもあった。


Exterior and feeling
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とはいえ、このDAVEは正式にはDACではないらしい。
設計者はデジタルプリアンプと呼んでいるらしいのである。
つまり、設定によってオフが可能であるにしても、
ヘッドホンアウトを含めた全てのアナログ出力は
必ず高精度なデジタルボリュウムを通ってから出てくるし、
デジタル入力の数も種類もかなり多く、それらを切り替えて使うことが想定されている。
つまりデジタルプリアンプ機能を使うことを強く意識した製品なのだ。
これが第一の特徴である。
実機において、このボリュウムはトップパネルの右手にあるステンレス製の丸い突起を回して操作する。これには滑り止めがないので、少しばかり掴みづらいツマミだが、格好は悪くない。トルク感は可もなく不可もない。低い音量においても、いわゆるビット落ちのような音質低下もないようだった。また、この機材がデジタルプリアンプであることに関連し、2つのウルトラハイスピードBNC同軸デジタル出力を持つことは注意すべきだ。将来的に同社製のパワーアンプとの結合に特別な含みを残している。
正しくはデジタルプリアンプであるが、ここでは煩雑さを避けるためDAVEをデジタルプリアンプとは呼ばず、短くDACとだけ呼ばせてもらう。

第二の特徴は最新の高性能FPGA(field-programmable gate array)を用いたオリジナル設計のDACを内蔵していること。多くのオーディオメーカーのように既存のチップを持ってきて済ませたのではない。ここで採用されたFPGAは下位のHugoに使われているものの10倍の規模を誇る。これは大きなタップ数(いわば処理の細かさ)とオーバーサンプリングの向上に同時に耐えられることを意味する。DAVEの開発者たちは、この二つの要素を増やしていけば、聴感上で音質が向上することを確認しながら作業したという。ただ、無限のオーバーサンプリング、タップ数を実現することはできない。その代り、現代のデジタルオーディオの常識を越えた数値ならば実現できると彼らは踏んだ。結果としてDAVEにおいて得られた256倍オーバーサンプリング、164000タップという数字は、従来のDACのそれよりも遥かに大きい。このタップ数はFPGAの内部で166個ものDSPコアを同時に並列で駆動して初めて可能となるという。さらにノイズシェイパーは17次である。この処理も大規模であり、今回用いたFPGAなしには到底無理な相談だったはずだ。オーバースペックというより、これはもはや未来のオーバーテクノロジーを先取りした観がある。
256、164000、166、17。
少しばかり知識があれば狂気にさえ見えるこれらの数値の羅列に
試聴の裏付けがあると公言する彼ら。
イギリス人特有の猛烈なる明晰さを私は感じた。
具体的にはUSB入力でPCM 32bit/768KHz, DSD 1bit/11.2MHz(DOP)まで対応予定であるという。しかしながらプロトタイプである今回の試聴機は11.2MHzの対応はできていなかったようだ。まだプログラムは完成していない。こうしてプロトタイプに特有の些細な瑕疵があるにしても、この高度なスペックは試聴者にかなりの期待を抱かせる。タイムロードのブースのDAVEの机の前で、担当者への質問待ちをする人が、CHORDの技術は高度だ、などと言って、はしゃいでいて面白かったが、それはこの公開された技術内容から来る期待の表れと私は取った。

第三の特徴は最近のデジタルサウンドの潮流のひとつであるクロックに、過度に頼らない音質向上を目指ししていること。私は外部に究極の精度と低い位相ノイズを誇る、巨大で高価なクロックがなければ、素晴らしい音を聞けないという立場に常に疑問を呈して来たつもりだ。場合によっては、それは悪戯に筐体を増やし、無駄なカネをオーディオファイルに使わせようとするマーケッティングの一手法に過ぎないこともある。ここでのCHORDの態度は、買う側の心理にとして、その内外価格差の少ないプライスタグとともに、フェアなものと映る。
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第四の特徴はそのデザインの斬新さとサイズであろう。
DAVEを眺めたとき、まずは目に飛び込んでくるスラントした丸窓とその奥に光るカラー液晶ディスプレイは、インパクトがある。それらはDAVEが大胆なサウンドを奏でる事を予見させる。
このディスプレイには選択されたデジタル入力、デジタルボリュウムの値、サンプリングレート、高域フィルターのON/OFF、ディスプレイの背景色の選択などが表示される。
(プロトタイプでは表示を真っ暗にすることはできなかったが、これは製品版では可能になるとのこと。)
これらの設定はボリュウムの周囲にある4つのボタンにより操作できる。
このディスプレイがはめ込まれた伝統のアルミ削り出しの2ピースの筐体は、磨かれた銀色の鎧をまとう騎士を思わせる。ブラック仕上げが有るなら黒騎士か。だが、そんな剛の者にして、このコンパクトネスなのである。大きさで言えばフルサイズの他社DACの半分以下のボリュウムしかないように見える。目分量では33×14×7cm、3kgというところだろうか?このルックスの素敵なアンバランス・ミスマッチは、私の視覚を虜にするだけでなく、音が出る前からライバルたる多くのDACたちの心胆を寒からしめるものかもしれない。このDAVEの凝縮されたデザインには、聞く前から凄い音がしそうな雰囲気が漂うのだ。
またDAVEには専用の4つ足の台があり、それにDAVEをのせると、ますます見覚えのない姿となる。この個性的なカタチを眺めていると、オーナーの嬉しい困惑まで見えてくるようだ。
相変わらず、リアパネルには端子の案内表示もなく、足もゴムの半球を8つ並べただけの簡素さだが、そういう事に苦情を言っても、イギリス人は受け付けてくれないのかもしれない。
なお発熱は少なく、ドライブ中もほんのり温かい程度であり、その意味では取扱いは容易だろう。

第五の特徴は真っ当なヘッドホンアウトを持つこと。ジョン フランクスはヘッドホンを軽く見てはいないのだ。そして、右側に開いた標準プラグ用のジャックの奥から、緑色のLED光が密かに漏れているのを私が見逃すはずもない。さらに私がHD650DMaaを持ち込んでこのヘッドホンアウトをチョイ聞きすることを忘れるはずもない。この2日間は、タイムロードのブースの片隅に時々陣取って見張っていたが、私以外にも何人かの方がヘッドホンを持ち込んでいて、やはりHPAとしてこのDAVEを考えている人が少なくないのが分かって愉快だった。

その他に、このDAVEについては、BNCは4系統、光は2系統など極めて多くのデジタル入力端子を持つこと(例の“青い歯”は今回はオミットされたらしい)、特製のガルバニックアイソレーターによるUSBからのグランドノイズの遮断、CHORD伝統のスイッチング電源の採用など、見所がまだまだある。真に盛り沢山な技術内容を持つ機材である。


The sound 

このサウンドはキレている。
キレまくっている。
なのにDAVEは冷静だ。
そのサウンドはクールで広く、深く、鮮やかである。

無論、この高性能な機材の真価を記すという作業を、
これらの短い言葉で済ませて、
これ以上は聞いていただくしかないと黙りこくるのも一つのやり方だとは思う。
なにせこれは、言葉では到底届かないレベルの感動をもたらす機材だから。
とはいえ、この手のセリフは万策堂がそういう機材に出くわした時に放つ
弱音・決まり文句に過ぎないとも言える。
挑戦すること自体、彼は嫌いではない。

第一に音場の広がりと深さ、澄み切りが著しい。DAVEは鳴りはじめた瞬間、試聴室のエアーは一変し、厳しく清澄な雰囲気に満ちたワイドな空間が現出する。温度感は低く、サウンドステージの奥行は非常に深く展開する。ここでの音場の奥行方向の澄み方はCHORD独特のもので、一昔前のGOLDMUNDのそれに近いが、さらに凄絶であり、自然な感じとは言えない。これは素晴らしくオーディオ的な快楽を呼び起こす空間性であり、自然界を含めて、他では聞くことはできない。この空間の印象はかねてよりイメージしてきた成層圏のそれにぴったりする。晴れ渡り、上下左右さえぎるものがなにもない広大なエアの中にリスナーは放り込まれる。あたかも昭和生まれの少年が夢見た成層圏がここに現実化したようでもある。

第二に、音楽の躍動感の増加が著しい。下位モデルのHugo TTと比べると、もうこれは別物だと呟きたくなる。これほど音楽のエモーショナルな要素がビシビシと伝わってくるDACはほとんどない。聞いていてひどく昂揚させられてしまうサウンドである。演奏者の音楽への静かなる献身・没入と感傷の高まり・陰鬱が見事なコントラストで表現される。この明確な音楽的なメリハリの良さもCHORD独自のものとして私は認識している。ただこういう激しい調子は、かえって単調な印象を持たれやすいかもしれない。その点に着目するとNAGRA HD DACの持つ多彩な音楽性や、ヘッドホンアウトだがRe Leaf E1に聞かれる真面目でニュートラルな音調があった方がいいという人が居てもおかしくない。
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第三に音像の解像度の向上が実に目覚ましい。全ての音が一斉に立ち上がって眼前に現れ、場合によっては喧しいほど、様々な音が立体的に聞こえる。VivaldiやDSP-01のような、現実の生音においてあるべき秩序を持ってディテールが自然に表現されるのではなく、録音された音の細部全てが一挙に現れ、耳を集中的に襲うような聞こえ方である。それでいて音像が濃く、音の存在感も強い。これは高度なヘッドホンリスニングで聞こえるサウンドが、そのまま空間に解き放たれたようなものである。
また、つながっているスピーカーの能力にも関連するが、TIASのブースでは演奏する各セクションの定位は左右方向だけでなく上下・高低の位置関係をも表現できていた。各パートの分離感も秀逸で音の前後の重なりが見事に聞こえてくる。ただ、分離がかなり良いためハーモニーの表現は渾然一体ではなく、全てが並立したまま流れ込んでくる形となる。
特にこのハーモニーの部分はNAGRA HD DACの出音には及ばない。
そういうハイレベルな要求はさておくとすれば、このような二次元的でなく三次元的な定位感、そして分離感、生音に近い臨場感は、それこそVivaldiや、それなりのクロックを突っ込んだDSP-01でしか聞けなかった世界である。Vivaldiほど常軌を逸した空気感ではないし、DSP-01ほど生々しい臨場感ではないが、この価格でこの領域に立ち入るとは恐ろしいヤツである。
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第四に、音色はあたかも叫ぶかのように鮮やかで、生き生きとしている。そして若々しくもある。この若やいだ音調もキャラの一つだろう。老獪なまわりくどい表現はなく、至極ストレートでダイレクトな物言いをDAVEは好む。こういう饒舌で歯に衣着せぬような、キャラクターを感じる音ではありながら、ことさら音楽鑑賞を邪魔するような演出感がないのが、とても不思議だし感心もさせられる。結局、生音に近い雰囲気は過不足なく出てしまうのである。さらに、これほどビビットでエッジな音であるにも関わらず、音の流れは非常に滑らかであって、その矛盾にも感心させられる。この明瞭さ、このダイレクト感にして、このスムーズな音の流れは他のDACではなかなか味わえないものだ。

第五にDAVEは真に音のキレがいい。一聴してまずここに耳が行く方も多いのではないだろうか?DAVEの音のキャラクターとして最も目立つところだろう。特に高域のインパルスに耳を集中すると、鋭く素早く日本刀を操って空気を切り裂くようなシャープな音の残像が鼓膜に焼付く。このスピード感、トランジェントの良さは全帯域に一貫して聞かれるが、やはり高域において最も効果的に発揮される。
余談だがメタルギア ライジング リベンジェンスにおいて、雷電が高周波ムラサマブレード(ムラマサではない)を振り回し、舞踏家のように戦うシーンがある。あのブレードの旋回速度が、私の抱く、DAVEのスピード感、キレの良さのイメージである。これは分かる方にしか分からなくていい。とにかく、このDAVE特有のスピード感は金属的な重さを孕んだ武器のようなものだ。このフィーリングなくしてはDAVEがDAVEにならない。
私は音を聞きながら、成層圏で争う2機の戦闘機を脳裏に描いたとも言った。つまり私の解釈したDAVEのサウンドには、現代的な武器を想起させる雰囲気が常につきまとっているということになる。強力なテクノロジーで他のDACたちを打ち砕く、ややもすれば乱暴な力とスピードの残像が、滑らかなメロディの流れに乗って溢れ出て来て、止まらない。
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最後にダイナミックレンジの明らかな拡張についても言及せねばなるまい。これはHugo TTでも十分に満足できるものだったのだが、DAVEでは更に音の大小・強弱の表現が上手くなっている。ここでもやはり、音が大きい、あるいは小さいということについてのメリハリ・コントラストがはっきりついている。総じて誰が聞いても音の良さが分かりやすい、いわば店頭アピール度の高いサウンドである。
ただ、この音はどんな音楽でもジャンルの制約なく楽しめるようなものではない。昔のナローレンジな録音のクラシックなんかはそれらしく鳴らないだろう。現代の音楽ソースが似合う。またナローレンジな昔風のスピーカーを組み合わせるのはやめた方がいい。強力なドライブパワーとスピードを持つパワーアンプとワイドレンジを標榜する現代スピーカーが似合う。

言い忘れたが、今回の試聴はDela N1ZからダイレクトにUSBでDAVEに結線し、さらにDAVEからバランスでダイレクトに同社製パワーアンプに繋いだサウンドを標準としている。スピーカーはTAD CE-1である。これは最もDAVEの持ち味が発揮されるシステム構成の一つであろう。ただ、別途用意したプリアンプを介しても、DAVEのサウンドの感動が大きく削がれることはないと思う。むしろ、わずかに方向性が変わるだけ、プリアンプのキャラクターが加わるだけで、かえって面白い音が聞けるだろう。個人的には新型のパワーサプライを装備したJeff RowlandのChorusなどを組み合わせると出音に静的な落着きが加わって表現の幅が広がるのではないかと思って聞いていた。
さらにオールユニオンジャックのシステムでも聞いてみたいとも思った。すなわちDAVEをはじめとするCHORDのエレクトロニクスに、期待通りの進化を遂げたB&W 800D3シリーズを合わせる。それらを同名のケーブルメーカーCHORDの上級ケーブルで結線して、じっくり聞いてみたいのである。これらの機材が共通して持つクリアネスがどこまで深まり、高まるのか、そこが聞き所である。

ではヘッドホンアウトの音はどうか?
あの場で、なにかが分かるとは思いたくない。それを承知で、あえてコメントするならば、OktaviaでリケーブルしたHD650 Dmaaから聞こえた音は、DAVEにパワーアンプを直結しTAD CE1を鳴らした音のほぼ正確な相似形であったということだ。
比較すれば、音の分離感や音像の定位ではRe Leaf E1が勝り、音場の拡がりならTELOS Headphone Amplifierが勝るだろう。適切なDACと組み合わせるなら、トータルな安定感でやはりOJIのアンプが上を行くだろうし、フラットな音が欲しいならマス工房のバランスアンプにしくはない。聞き味で言うならHP-V8の持つ音の艶や独特のソノリティには敵わないかも。音楽性ならNagra HD DACのヘッドホンアウトが一枚上となる。やはりヘッドホンのみをターゲットにしたハイエンドヘッドホンアンプや、さらに高価なDACの力は侮れない。だが、音の鮮度やキレの良さならDAVEのヘッドホンアウトがほぼ全てに勝るだろう。これにかろうじて匹敵するキレの良さとなれば、QualiaのUSB DACからしか聞こえて来ないはず。それ以前に、まず価格で比較してみたまえ。相応のDACと組んでトータルで考えたら、ここで比較対象にあげた機材で150万で十分な音が出るものは皆無に近い。
いずれにせよ、DAVEを将来的にもヘッドホンを聞くためだけに買うのは少し勿体ない気もするが、そういう猛者がいても不思議ではないと思わせる音が聞かれたことは言及しておこう。

色々な席に座って、DAVEを聞いているうちに、疲れてウトウトしてしまったが不意に、戦槌(ウォーハンマー)を思い切り打ち込むような、鋭いバスドラムの打撃音が一閃し、飛び起きた。その瞬間、HugoもQBD76もかなり後ろに置いて行かれたことを如実に感じた。もうHugo TTなんかは振り返っても姿が見えない。あれらは単なる前哨だったようだ。なにしろジョン フランクスによればDAVEはCHORDが作ったプロダクト全体の中で最高傑作に位置づけられるとのことだ。
確かにDAVEは価格やデザイン、大きさも合わせて考えると、絶賛に値するサウンドである。もし、この音が300万円オーバーのDACから出て来るとしたら、私はNAGRAの HD DAC+MPSに軍配を上げただろう。だが、このDACの日本での価格はその半額以下の150万円に過ぎない。しかもプリアンプは要らないのである。HD DACのプリアンプ機能はオマケだが、DAVEのそれはオマケとは言い難い。むしろ積極的に使いたくなる機能だ。勝敗はそこでついてしまう。このDACはどう考えても安すぎる。対価格満足度が高すぎる。HUGOを聞いた時もそう思ったが、やはりCHORDは高いレベルでの価格破壊を得意とするようだ。そして、これこそが私がテクノロジー全般に求めることでもある。高音質でありながら、同じクラスの音を出す機材と比較して安価で、コンパクト。この困難な要求に完璧に応えた唯一のDACなのである。

仮に、Vivaldiのフルシステムや、しかるべきクロックを入れたDSP-01は楽音を地球の重力から解放して、異なる次元のサウンドを奏でるモノとしよう。それらはまるで無重力の世界・宇宙のような空間性をオーディオに与えるのである。
そのような文脈にそって考えを巡らせるとDAVEは透徹した大気が満たされた、莫大な空間の広がりの中で音を鳴らすモノだが、その音は未だ地球の大気圏内にあり、重力から解き放たれてはいない。そういう意味ではまだ成層圏にある音なのであろう。出音に音楽性という抽象的な重力が作用し、楽音の出方に一定の制約を与えているように聞こえるのだ。

クロックの能力に頼るサウンドは無私で無垢なもの、悪く言えばリアル一本槍で飾り気のないものだが、クロックに頼らないDAVEのサウンドにはメーカーの個性や自我が存分に残され、それが独自の音楽性として、常に出音につきまとう。DAVEから聞こえるのは紛うことなきCHORDのサウンドである。異論はあろうが、このようなソニックシグネチュアがないサウンドは私にとってはつまらない。DAVEは技術的に音を煮詰める過程で自然とこの個性的なサウンド・音楽性に行き着いているような気がするのが興味深い。


Summary

ここまで来て、不遜な意見をあえて言おう。
DAVEの登場はハイエンドオーディオが金持ちの老人たちにほぼ占有されている状況に楔を打ち込むチャンスだ。この事件は、従来のCHORDユーザーに限らず、いまだ若く財政力の限られたオーディオファイルたちにとっての大いなる福音となるはず。
150万はまだ高いって?
ことオーディオにおいては、背伸びしなければ、背は伸びない。今、頑張って手を伸ばすべきだ。
さしあたりプリもヘッドホンアンプもいらない。外部クロックも外部電源も心配する必要はない。
DAVE一台と最低限PC、ヘッドホンさえあれば、この凄まじいコストパフォーマンスが貴方の手に入ることをよく考えてほしい。
いささかパラドックスめいているが、まるでゼーレみたいな老人たちによるハイエンドオーディオの独占を崩せなければ、愛すべきハイエンドオーディオの世界に未来はない。
これは今、まさに老いてゆく私が言うのだから間違いはなかろう。
しかし、日本をはじめとする先進工業国のメーカーのほとんどは、
この点を理解しているとは到底思えない・・・・。
もうここらへんで毒を吐くのは止めておこう。

ところで、オーディオには“感動”と“癒し”という二つの側面がある。
感動は刺激的なものだ。急性の感情の波動のようなもので、聞き手に一目惚れの瞬間のように強い印象を与えるが、それが繰り返されると疲労となる。
一方、癒しはそういう疲労を軽減するが慢性的なものであり、ダラダラ続く音の習慣であり、ヌルい感覚である。これはマンネリズムにつながる。
この二つがバランスよく配合されるのが望ましい、というのがオーディオの常識だが、
DAVEはそういう常識を越えている。つまり“感動”の占める部分が“癒し”よりもずっと多いように思う。もしかするとDAVEのサウンドを好む方は、“感動”を“癒し”に変換する気分の回路を持っているのかもしれない。だが、仮にそんなものを心の中に持たなくともDAVEを求める人は居るはずだ。このサウンドは癒しを多く求めるリスナーの心理をも、短い時間で“調教”する力がある。現に私がそうだった。これは優れたオーディオマシーンに稀に見られる才能だが、久しぶりにそういう機材に出会った感がある。反対者(アンチ)も認めざるを得ないその音の力の本質が、そこにあると私は踏んでいる。

決して言い過ぎたくはない。
だが、今となっては私はこう打ち明けるしかない。
CHORD DAVEは、私の知る限り、世界で最も価値あるDACである。

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# by pansakuu | 2015-09-27 19:32 | オーディオ機器

Sennheiser HD 650/600 Golden Eraに捧げるフラグメンツ

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“Born 2 listen.”
by万策堂


その後、特別なHD650 DMaaをもう一機買い足した。

今まで多くのヘッドホンをとっかえひっかえ使ってきたが、同じメーカーの同じモデルを二つ以上、同時に並べて使っていたことはない。そもそも、そんなのは無駄じゃないか?そう考えてきた。
では何故そんな私が二つもHD650を買ったのか?それはSennheiser HD650は2003年から2015年現在まで続いている生産期間の中で、そのハウジングの金型や材質が、耳で聞いて分かる程度に変遷しているのを知ったためである。そう、実はHD650はその12年あまりの経歴の中で、素材や形状の違いがあって出音が何度か変わっていたのである。これを教えてくれたのはDELRIMOUR MODERN audio・acoustikのエンジニアの方である。おそらくこの方は、HD600とHD650については、ゼンハイザーの輸入元で持っている情報を超え、日本で最も詳しく正しい知識を蓄えているのだろう。

そして、ディープなマニアの間ですら、あまり知られていない話であるが、DELRIMOUR MODERN audio・acoustik(以降DMaa)のエンジニアの方がGolden Eraと呼ぶ時代、すなわちHD650のサウンドの黄金時代と呼ぶべき或る期間、その間だけ使われた音の良いハウジングの材質があるということを私は知った。もちろん、これは2014年後半以降の設計変更の話ではない。さらに以前にあった変化の話である。外観のみでは非常に小さな差なので分かりにくいものだ。だが、その時期のものと、それ以外を一対一で見比べると、なんとか分かる。表面の質感が微妙にザラザラしており、その他の時期よりも硬度が若干落ちているらしい。そして音の方は(DMaaで同様にカスタムしたものしか聞いたことはないが)一対一でなくとも、はっきり違うと分かる。簡単に言うと、この時代のHD650をヘッドホンケーブル含めてDMaa化したものは、その他の時代の製品よりも音がハウジングの中で散らない印象で、正確で重みのある音像を、よりはっきりと把握できる。制動の効いた音であり、モニター色が強いのだ。感覚的には、ソースに入っている音を大きな網で、まさに一網打尽にするような感じ、一種の根こそぎ感がある。ここでは一音一音が克明で、音の起伏はまるで行為の後のシーツのヒダのように意味深に感じられる。
別な言い方をするならば、DMaa化しても、その音に元々のHD650の特有のドイツ的な?音像の濃密さを強く残すのが特徴だ。既にDMaa化されているので、高域のモヤモヤしたヌケの悪さこそないが、私に言わせれば普通のHD650 DMaaより若干ノスタルジックな音なのである。DMaaのエンジニアの方は、このGolden Eraの音をオーガニックと表現した。オーガニックなヘッドホンサウンドとは面白い。人の生の声やアコーステイック楽器の生成りの音色を的確に表現するのに向いたヘッドホンということだろうか。そうだとしたら、おおいに頷ける言い回しだと思う。
このゼンハイザーのGolden Eraの詳細について、私はここで多くを語りたくはない。誰が聞いても良い音と思うはずだ、と断言できるヘッドホンはこの世にはない。しかし、E1xで聞く、このヘッドホンのサウンドは、万策堂が今まで聞いたことのないほど素晴らしいものであることは、断言しておきたかった。だから、この都市伝説のように断片的なテキストを編んだのである。
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このGolden Eraの秘密を知ったその日から、私はこの時代のHD650を(実はHD600もだが)シリアルナンバーなどをたよりに探し始めた。該当する機体は万の単位で生産されているはずなので、ないことはないと思っていたが、いざ探してみると確実なものは、なかなか見つからない。やはりそれらは世界中に広く拡散しているし、基本的に中古しかないので、シリアルナンバー自体がわかりにくい。元箱さえあれば大概分かるのだが、元箱がない中古が多いのだ。シリアルナンバーは分解しても調べられるが、買うか買わないか分からないものにそこまでできない。またクローズアップがあってもかなり微妙な質感の違いなのでハウジングの質感で区別しようとしても、よく分からないことが多い。数が多くても見つけやすくはないのだ。だが、海外のサイトを含め、あちこち捜索するうちに、やっと確実にGolden Eraと考えられる個体を見つけた。早速入手してDMaaでカスタムしてもらう。カスタムの作業は、他の時期に生産されたHD650(金型がかなり異なる2014年後半以降の製品を除く)とほぼ同一であるが、上記のごとく出音は違う。既にサンプルのGolden EraのヘッドホンをDMaaから借りて聞いていて、その実力の高さを認識してはいたが、改めて自分の持ち物として聞いて感慨もひとしおであった。明らかに今まで聞いてきたどのヘッドホンとも違った魅力がある。しかもそれは飽きのこない音の魅力なのである。官能的な音ではないのに官能を刺激されるサウンドだ。あくまで孤高を保つことによって、ヘッドホンの価格的なヒエラルキーを破壊する音でもある。
この特別なHD650 DMaaは私の新しい宝物となった。
(2機のHD650 DMaaの写真で、大きなLのレタリングシールがある方がGolden eraの機体である。レタリングシールがないと、外観では区別がつけにくい。なお、ここに出した写真で、これらのヘッドホンに見えるL・Rのサインは、暗い場所ではHD650の左右が分かりにくいので私が勝手に貼り付けたものであり、DMaaの改造とは関係ない。)