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MSB Reference headphone amplifierと暮らす:もう一つの空の下で
「ごめん、これは君の望む幸せではなかった。」
By 渚カヲル
私はMSB Reference headphone amplifierを聞きながら、
どうやってこのサウンドの印象を言葉にしようかと考え込む。
既にインプレッションは書いているから、そこを読んでくれたまえと言えば、それで済むのかもしれぬ。
あのインプレはそれなりに詳しく書いてあると現在でも思っている。
今、読みかえしても、変更の必要のある個所は実際は筐体が結構熱くなることぐらいで、
出て来る音の質については、表面的にはあの通りでいいような気分がある。
しかし、あの文章ではこの音の核心、オーナーになってみて初めて感じた複雑な感情が十分には伝わってこないはずだ。
私は試聴した後にはブログに出す出さないにかかわらず、まずインプレッションを自分のために書く。
そして、その機材を自分のシステムに組み込んで、しばらく聞いて、その音に慣れ、使いこなしもわかってきたら、総まとめとして、公開するしないに関わらず、さらにレビューを書く。そういう流れでここ10年ほどやってきている。
MSB Reference headphone amplifier(以降MSB Ref HPAと略す)が手元に来てから一定の時間は過ぎていて、そろそろレビューを書けるのではないかと憶測するのだが、なぜだか書けない。
これは、あまりに見事なサウンドに聞き入ってしまうからだろうか。
このアンプを通して音楽を聴いていると音楽に集中させられてしまうのは確かだ。音の方に全意識が向いてしまい、手が止まる。
サウンドの磁力が桁違いに強いヘッドホンアンプではある。
だが、それだけではない。
私のどこかに迷いが残っている。
あれはちょうど10年前の夏のことだ。
もう会社がなくなってしまったが、Intercityという小さなスタジオ機器専業メーカーがあの頃はあって、MBA1platinumという、当時としてはかなり完備されたヘッドホンアンプを作っていた。アルプスの最高級ボリュウムをはじめとする高音質パーツを奢った、この丁寧なアンプは現在でも中古市場で時折見かける。
10年前に、これを衝動買いして、Denon AH-D7000などをつないで聞き始めたのが、私のヘッドホンライフの実質的な始まりだった。
振り返ると、あれもハイエンドヘッドホンオーディオの黎明期を支えた重要な機材のひとつだった。当時も、そして現今のオーディオの尺度で測ってみても、あのアンプはとても良いモノだったことは認めよう。
だが、ここにあるMSB Reference headphone amplifierとクラシックなIntercity MBA1platinumを比べてみるとヘッドホンオーディオのここ10年での進化の大きさ、隔世の感あり、となる。
大きなアルミトランクに厳封されて届いたこのアンプは、まさに現代ハイエンドオーディオ用のパワーアンプのような出で立ちだ。MBA1platinumはどうにも可愛らしくみえる。
アルミビュレット削り出し・2ピース構造、重量16kgの大型筐体は、ハイエンドオーディオのメイン機材のような迫力や押し出し感があり、これがヘッドホンアンプというオーディオアクセサリーのジャンルに入るものとはとても思えない。
スピーカーを鳴らすメインシステムの脇にちょこんと置いておくデザートのような存在だったヘッドホンシステムはここまでの存在感を獲得するに至った。
こんなにも凄そうなMSB Reference headphone amplifierであっても、到着してすぐの音出しなどは散々の出来だったというのは言っておきたい。
開封直後の音出しが残念な結果に終わることはオーディオでは往々にしてあることで、驚くには値しないが、今回は期待が大きかっただけに、実際は大したことのないモノを間違って買ってしまったんじゃないかと疑い、少なからず動揺したのも事実である。
当初はサウンドステージも以前に試聴したときほどは拡がらないし、SNもいまひとつ。どうも音が緩くて鈍いような気がする場面もあり、音の立ち上がり、立ち下がりのスピードは私に理想と明らかにズレていた。
もちろんこれだけの見てくれのモノであるから、尋常でない音の押し出しなど、音の端々に高度な潜在能力は感じるのだが、おろしたての出音自体は、このところずっと使ってきたdcsのBartok+のヘッドホンアウトやマス工房のModel406のそれと比較して、優位にあるとは言い難かった。
届いた翌日から私は微妙な焦りを感じ出した。
しげしげと機材を眺め、まず疑ったのが、わざとフラフラにしてあるらしいMSB純正のスパイク状ゴムフットが音を柔らかくしすぎている可能性だった。
私は手元にオーディオリプラスの合金製のスパイクを持っていたので、THA2の時と同じく、試しにこれをねじ込んでみるとピタリと嵌(はま)った。運良く同じ規格のネジである。さらにこれをDLCコーティングしたチタン合金製のスパイク受けとあわせて使ってみると、段々とイメージどおりの音のスピード感が出てきて、音像が締まって聞こえるようになる。ピントが来た、そんな気がした。
さらにBartok+のライン出力の位相を逆転させると若干だが音が広がってきた。接続のどこかで位相が回っていたのかもしれない。
もっと追い込むためにPADのバーンイン用のCD(なんと新宿のディスクユニオンで中古が1500円くらいで売っていた。昔は数万もしたモノなのに)をかけて、音をこなれた方向に持ってゆくとともに、Final D8000を接続するヘッドホンの出力端子を通常の1Ωの端子から隣の40Ωの端子に変えて聞いてみる。ごくわずかに聞こえていた背景のノイズはほぼ解消することが分かった。ただし、この端子を用いると音は若干大人しくなる。どちらを選ぶか引き続き検討しよう。
電源ケーブルもいろいろ試したが、意外なことに付属していたケーブルが一番音がいいようだった。音の伸びも良いし、私のところでは標準ケーブルである、JormaのAC LANDAをつないだ時と比べてもSNに優れるようだ。マニュアルをよく読むと、付属のケーブルは専用のものですので、他の機材には使わないでくださいと書いてあるのを発見した。なにか特殊な専用ケーブルなのだろうか?どう見ても汎用の無銘のケーブルにしかみえないのだが。そのうちもっと高級なOrdinなども試してみようかと思うが、とにかく1.5mで20万円台くらいまで電源ケーブルなら付属の無銘ケーブルの勝利に終わるらしいことまではわかった。
ここで新戦力として期待しているCAD GC1をアンプに接続する。
CAD GC1はアンプなどのグランドに接続してそこから回路基板に存在するノイズを吸い上げるというコンセプトを持った機材。CHORDのGround Arayノイズポンププラグと似たような効果を狙ったものではあるが、あれよりかなり高価かつ大きい黒い箱である。目につく場所にはネジ一つなく、またマットブラックの仕上げは、あつらえたようにMSBのアンプの色・表面の質感と揃っている。ではネジがないのはなぜか。美観という意味もあろうが、中に充填されている物質を、中を開けて見ようという気持ちを起こさせないようにするためかもしれない。経験上、ブラックボックスになっている機材の中身は拍子抜けするほど簡素だったり、見覚えのある物質、身近な材質で充たされていたりするものなのだ。
邪推はさておき、こいつを接続してもすぐに音に変化は来ない。それは以前、試聴して知っていたから、慌てないで一日待とう。それからこのCADにはイルンゴのインシュレーターを履かせておくべきだ。意外にも置き方に鋭く反応する機材であることも試聴して分かっている。
日をまたいで聞き直すと音が綺麗に澄んで、定位や分離もはっきり向上している。それでいて音の癖みたいなものは皆無だ。CHORDのGround Arayとの違いは、CADの機材にはCHORD特有の若干クールな温度感へのシフトがなく、また静寂度もさらに高いレベルにあるように聞こえること。そのかわりCHORDより大きくて高価なのである。以前、これらは比較試聴して、コストパフォーマンスならCHORDの製品だが、予算が許せばCADを使うべきと判断したので、今回はCADを試用した。これを繋ぐとより自分が求めるイメージどおり、というかそれをやや超える形でFinal D8000が鳴りまくるようになる。CAD GC1はヘッドホンオーディオに適用するものとしては、かなり高級なアクセサリーに入るのだが、MSBのこのアンプの性能を底上げしたいのなら、これくらいの投資は厭わない方がいいという結論に達した。
どうやら、MSB Ref HPAは使いこなしがかなりある機材らしい。しかもその使いこなしに意外性がある。当然と言えば当然なのだが、高いアクセサリーがよい結果をもたらすとは限らない。また純正のアクセサリーも常に音に貢献するとは言い切れない。これほどのものでも、というかこれほどのものだからこそ、ポン置きでイメージどおりに鳴ることなどないのだ。
THA2も使いこなしはやや難しかったが、あれを間違いなく上回る実力者だけに、手強い。実際、これを書いている現時点でもまだ完璧に使いこなせている感じではない。
手強く感じる理由は様々だが、一つはやはりセッテイングの変化に対する、出音の反応の敏感さという点だろう。
例えば電源としているStromtankはバッテリーモードと通常電源モードを選べるが、この違いが出音に他の機材の場合よりも大きく反映されることがわかっている。バッテリー使用時の音場の透明感やパワーの吹き上がりの良さなどが際立っている。Bartok+のヘッドホンアウトの場合だとここまではっきり差がない。
私にとっては、StromtankなしでMSB Ref HPAをまともに使うことは考えにくいと思うほど、Stromtankのバッテリーモードの威力は大きい。
またCDの材質の差がかなり分かるようになった。
CDにはSHMCDやBlueSpecCD、ゴールドプレーテッドCDなどの材質の違いで音質の向上を目指したものがあるが、そのような音質向上が具体的に何を目指していたのか手に取るようにわかる。SHMCDの解像度の向上、BlueSpecCDの音場の広がり、ゴールドプレーテッドCDにおける音の感触のまろやかさなど、よく伝わってくる。
このような、このアンプに備わる出音の詳しい描写は、普通のCDについても音楽の音作りのより深い理解に導いてくれる。
次に、Bartok+のフィルター選択による音質の差(今は基本はF4に固定中)やRossini Clockのディザ選択による音の変化(今は基本はディザなしに固定中)も、Bartokのヘッドホンアウトより、よく分かる始末である。これは少し考えると変な話だが、実際そうなのだ。(もっともこれはヘッドホンアウトとラインアウトの音の性質が異なることにも起因するのかもしれない。つまりなんらかの理由でそういう内部セッテイングの違いをラインアウトの方が反映しやすい可能性がある。)
こうなると音楽の内容に合わせてフィルターを選択することの重要性がより深く認識されるようになる。
またPC関係にUSB等を経由してつないだ場合に、Audrivana、Foober2000、HQplayer、Audio gate、JRiver、Tune browser、Amazon Music HD、YouTube premium、Roon、Tidalなど使うアプリやストリーミングの種類による音質の差が以前よりさらに如実に分かるようになった。この違いについていちいち論じるのは面倒なので、私が得た結論を簡単に述べると、自分の耳では音質自体はともかく耳馴染み良く聞きやすいのはJRiver、使いやすさと音質のバランスではTune browser、最も特異でエッジな音がするのはAudio gateで、ストリーミングはどれも評価に値するほどの音質とは思えないということだ。(そもそも一回に聞けるのは一曲だけなので、ストリーミング6500万曲などと言われても意味はほぼない。私は検索している時間がもったいないと思うのでストリーミングは最近はほとんど真面目に聞いていない。なおJplayやBug headは圧倒的な使いにくさという意味で、普通人が扱えるオーディオツールにまだなっていないと判断しているし、一部で言われるほど音がいいとも思わないので、私は今は使っていない。)
とにかくMSBのこのアンプが来てからはストリーミングの音質のアラが目立つようになった気がする。これは考えようによっては良くないことで、ストリーミングの運営側の奮起を促したい。
なお、これらの評価はMSBの独自規格ProISLを使った場合は覆る可能性があることは断っておこう。あの規格が生み出す音はPC関係のサウンドの中では別格であり、今までのPCオーディオの音の常識を覆すものだろう。
いつかは手に入れたいものだ。
基本セッテイングはもとより、ソースに何を選ぶかなど試行錯誤を続けるうちに、これは今まで手元で使った全ての機材の中でも最上級の難物なのかもしれないとさえ思い始めた。
どうやら、こいつの使いこなしにはこの先、相当な時間と手間がかかりそうだ。しかし、それだけの価値もありそうだと思うようになってきた。
今まで一度も聞いたことのないようなサウンドが、その片鱗を見せ始めていた。
そういえば以前、SennheiserのHE-1というヘッドホンシステムを何度も試聴し購入を検討してきたが、結局見送ったことを思い出す。あれは造りなどはとても面白いのだが、試聴ではどうあってもイメージどおりの音が出なかった。だが今思えば、買ってみてから、いろいろと手を加えればよかったのかもしれない。しかしもう遅い。ハイエンドヘッドホンの進歩は速い。Model406やBartok+を体験したあとは、HE-1はもう時代遅れの機材になってしまった。ましてやこのReference HPAを前にしてしまうと、ヘッドホン以外の部分での技術的な遅れを、よりはっきりと感じる。ほぼヘッドホン・イヤホンを主力でやってきたメーカーが製作したシステムとスピーカーを鳴らすハイエンドオーディオ、しかもその頂点に君臨するメーカーのひとつが創ったアンプでは、これほどの差が出てしまう。
もうあれを大枚はたいて買うことは考えにくくなってしまった。
この部屋では今のところdcs Bartok+にRossini Clockを接続したものを送り出しとし、XLRケーブルでMSB Ref HPAと繋ぎ、ここにFinal D8000をバランス接続して聞いている。
このシステムはMSBから推奨されていない純正組み合わせ以外のペアリングとなるが、今のところ問題なく聞けている。別の場所でCHORDのDAVEでもうまく音出しできることも確認できており、恐らくボリュウムのある完全バランス出力を持つ機材で、ゲインの調節がある程度出来さえすれば、DACでもプリアンプでも、なんでも接続して無理なく楽しめるのではないかと思われる。来る前はかなりミスマッチを心配したが杞憂に過ぎなかった。
またdcs Bartokのデジタルボリュウムの音質を気にする向きもあるが、それも杞憂だ。もっと言えば、そんな心配は時代遅れだ。昔のハイエンドCDプレーヤーについていたビット落ちが憂慮されるデジタルボリュウム、例えばWadia 860などについていたものとは比較にならないぐらい音はよく、調節も細やかで精度も高い。優れたアナログボリュウムよりは現代の優れたデジタルボリュウムの方に優位性と将来性を私は感じている。
では、このアンプが来る前まではどうだったかというと、一番聞く頻度多かったのはdcs Bartok+にRossini Clockを接続し、 シンプルにBartok+の4pinアウトにFinal D8000を結線して聞くというシステムである。Bartok+の上流についてはRossini Clockと同期を取ったCDトランスポートをつないだり、各種のセッティングをしたPCをUSBケーブルを介して繋いだりして、CD、ハイレゾデジタルファイル、ストリーミングと様々な形で音楽を楽しんでいる。もちろん、ここではRoonも一応使えたし、適切なADCを介してフォノイコライザーとつなぐことも可能である。
この一揃いはシンプルでEASYなシステムなのだが、すこぶる普通に音がいい。さらにModel406を繋げば、さらに色付けの少ない素晴らしいサウンドが得られるのだが、SNだけはBartok+に直挿しにわずかに及ばない。やはりヘッドホンオーディオの過去と現在を見回してBartok+の4pinバランス出力のサウンドの持つ普通な音の良さに敵(かな)う音はほぼ見当たらない。
それでも敢えてMSB Ref HPAを通す。
これは古典的なスーパーカーから現代のハイパーカーに乗り換えるようなものである。
スーパーカーとは性能やデザイン、価格が普通のスポーツカーよりも一段高いレベルにあるクルマの一群であるが、その群れの中に最近、従来よりさらに高出力のエンジン、さらに目立つデザイン、さらに高価で希少性の高さを誇るクルマたちが現れ、それらをハイパーカーと呼ぶようになってきている。
具体的にはエンジン出力は1000馬力前後、最高時速は400km以上に達するクルマをそう呼ぶというザックリした基準であり、価格は億の領域にあるものが少なくない。
MSB Ref HPAはある種の乗り物である。
そのような恐怖とは何であれ未知の領域を侵犯したとたんに立ち現れる、人間の脳が作り出す幻影なのだが、その手の怖さがこのアンプのサウンドにはある。
このアンプの真価は、その上流のボリュウムを上げた時、即座に直感される。
ゆっくりアクセルを踏み込むようにボリュウムを注意深く回してゆこう。すると、どこかで高い音圧の壁のようなものにぶつかり、さらに回すとそれを破るかのような突破感が得られるポイントを体験することになる。そのポイントは聴いている音楽の録音レベル、音造り、そしてリスナーの聴力によって異なる音量に点在するのだが、とにかくボリュウムをあげてゆけば、誰しもいつか必ずその特異点に突き当たる。
このポイントで、私はポルシェ911ターボSで思い切り加速したときに運転席の隣で感じた、あの不快とも快ともつかないGの衝撃を思い起こす。あのドカンと来る気持ち良さと恐怖の丁度中間にあるようなスリル、あの危険を孕んだ疾走の歓びが、オーディオにもあったのだと思い知る瞬間である。この静止した状態で感じるG、奇妙で心地よい恐怖はどのような機材からも感じたことのないものだった。この音響的加速度、オーディオのGの正体は、ヘッドフォニアの予想を超える音のリアリティ・迫真性の高まりであり、このアンプの成し遂げた定位の向上や音圧のインパクトの強化、そしてダイナミックレンジの拡大に起因するのだろう。また、それはこのアンプの出力の大きさ、瞬間的な給電力の大きさにも由来するのかもしれない。このアンプはStorm Tank S2500から給電しているのだが、これが私がここで使用したどのヘッドホンアンプよりも消費電力が大きいらしいことは、そのメーターの変化を見ればだいたいわかる。このようなメーターの動きが音質になんの関係もないとは考えにくい。
さあ、その特異点を超え、ボリュウムをもっと上げてゆこう。
ボリュウムを上げれば上げるほどパワーが耳元に溢れて来る。
鼓膜がネをあげる寸前まで上げたころ、量感をたっぷり取りながらもグリップのよい低域の生み出すインパクトは最高潮に達し、意外にも太くしっかりした高域はどこまでも自然に伸びてゆくようだし、中域は定位の良さと音像のエッジの鮮度をさらに高め、音楽に上下左右を囲まれた広大で豊かな音響空間が明確に意識されるようになる。
特にこの音場の広がり方は、ヘッドホンによるオーケストラ演奏の再生という難題にひとつの最終的な解答を与えたと言えよう。
どんな手段を用いるにしろ、オーケストラの出す音の再生には基本的に雄大かつ音のフィールドと濃密な音の空気が両立していなければならない。
また、優れたオーケストレーションを生演奏で聞くとき、演奏が十二分に成功すれば腰がふわっと浮くような浮遊感があったり、広大な景色の中を大船に乗って航海するような余裕綽々を感じたりするものだ。それらの感覚をオーディオルームで表現するためには、このアンプの登場までは、少なくとも大型スピーカーと十分なパワーを持つアンプ、そして音響が整った部屋ぐらいは欲しいところだった。しかし、このサウンドを聴けば、それらは必ずしも必須条件ではなくなりつつあることがわかる。小さなヘッドホンでも、このアンプさえ使いこなせれば、この境地に近づくことができるのを証明した功績は大きい。
これは現在、一番生々しくリアルなオーケストラ演奏が聴けるヘッドホンアンプであり、そこに悩んでいたヘッドフォニアにとっては大いなる福音となるだろう。
このアンプのサウンドには、音楽とリスナーの物理的あるいは精神的な距離を詰めるというより、もう音楽とリスナーという二つの存在が分かちがたく一つの実体として溶け合ったかのような特別な興奮があって、そこがModel406やRe leaf E1、THA2などの既存の高級機の出音と一線を画す部分となっている。この一体感は優秀なライブ録音などでは特に顕著に感じられ、音の肉感的な生々しさは比類ないレベルである。音楽と抱き合ったままどこか知らない場所へ猛スピードで連れていかれるような怖れを感じる。これは先ほどから例えに使っているクルマに当てはめれば、思い切り加速したまま、長いストレートを駆け抜け、コーナーに突入しようとする時のマシンとドライバーの一体感に通じるものがあるかもしれない。
そして、この加速をアルバム一枚が終わるまでずっと感じ続けていられる幸せ。このアルバムが終われば、頭の芯が痺れたような聴後感にジワジワと襲われつつも、つぎのアルバムに手を伸ばしてしまう自分がいる。
そう、このサウンドはまさにドラッグである。
そのコアには中毒性がある。
オーディオもある高みより上へ登って行けば多かれ少なかれ、そんな犯罪じみた危険な香りを纏(まと)っているものだが、ハイエンドヘッドホンもついに中毒性を生むトリップのセンスに達したか。そういうわけで、このサウンドは必ずしも健康的なものではないことは断っておこう。例えば、この音圧ともなれば聴き続ければ耳を傷める可能性もなくはない。この音に宿る、エグいほどのインパクトや一体感から来る中毒性を私自身がまだ受け止めかねている部分もある。もっと自分に合った音に少しずつつ変えてゆくべきだろうか。まだこのリアルサウンドの生み出す強烈な圧力を受け止めかねて、微かな恐怖を感じているというのが私の現実なのだ。だがこのサウンドは、その崖っぷちにヘッドファニアを誘いこむサイレンの歌なのである。これまで経験した機材の中ではCostellationAudioのPerseusのサウンドにもこのような側面があったように思う。
行こか、戻ろか。
ここにとどまり、音を聞き続けることはオーディオ機器と神経をすり減らす精神的な格闘を続けることである。
MSB Ref HPAは今あるヘッドホンアンプの中では疑いなく最も高性能であり、なにより他を引き離して遥かにパワフルである。しかし、それはアンプの開発者にとってはどうでもよいことなのではないか。
このアンプの設計者が今までのヘッドホンの枠組みを意識し、その中で最高のものを造ってやろうと意図しただけなら、このようなサウンドは生まれなかっただろう。
現在のヘッドホンオーディオの状況をなんら考慮せず、自分の目指すサウンドのみを見つめて、独自の技術を駆使しながら開発しなければ、こんなサウンドは実現しないはずだ。
「詳しく知りもしないし、気にもしていない」と答えているのと似ている。あまりも素っ気ないその返答が面白かった。南アフリカ出身でありながら主に英国で働き、女王より叙勲までされた彼の、英国人らしいクールな受け答え。それは素人が気にしている、とおりいっぺんの数値などは、真に良いクルマを追求するにあたっては重要ではないという意味を含むのである。クルマとの一体感、操縦する悦びを最重視したというT.50の存在価値は、私のMSB Ref HPAのサウンドの在り方と重なる部分がある。(私は、あのクルマに実際乗ることもないだろうし、実物を肉眼で視認する機会にすら恵まれそうもないが・・・)
しかしながら、いつものように問い直す必要があると思う。
このような極端な高音質、過剰とも言える音と人間の感覚の一体感をヘッドホン再生、ひいてはオーディオという音楽を聴くためのの手段に必要としている人間がどれくらいいるだろうか?そもそも、この音の世界がヘッドホンで実現していることの価値や意味が分かる者がどれくらい居るというのか?
一人の百歩よりも、百人の一歩の方が意味が大きいという事を言う人がいるが、果たして世界で数人がこの音を手にしたところで、ヘッドホンの世界全体が前進したと言えるだろうか?この音は高価すぎて意味がないと考えることもできる。もうここで電気を通しているヘッドホンシステムだけでも、フェラーリ一台を買える金額は超えている。それでいて、いまだ私にとっては自分の音の感覚との微妙なミスマッチの部分も残した不完全なシステムである。ほとんどの人間はこの対価を払っても目的が完全に達成されぬようなら、他のことにお金を使った方がマシだとしか思わぬだろう。
それでもこれを使いたい。どうしてもこのサウンドを自分のものにして、さらに深くヘッドホンオーディオを探求したい。
そういう強い意志がないかぎり、何人(なんびと)もこれに手を出すべきじゃないのだろう。
私の感じる、音楽との一体感を誰もが感じるかどうかはさておいて、このヘッドホンアンプが聞かせる音の世界には、これまで聞いてきた多くのヘッドホンのサウンドとはかけ離れて優れた部分が確かにある。そのせいで、もう同じ気持ちで対峙することはできないほど異なるサウンドに私には思えてくる。
この音の世界はもう一つの別な空の下、つまりは新天地であるかのようだ。見上げれば澄んだ青い空あるのだが、この前まで頭上に広がっていたそれとはどこか異なる青、異なる空気が私を取り囲んでいる。ここに至っては昨日までの常識は全て一度は疑ってかからねばなるまい。例えば、最強であることが最高であるという、一見当たり前の原則とか。このレベルのサウンドを手にして初めて悟ることもある。
正直な話、サウンドの限界を突破した、こんな先の地点にまで私は行く必要があったのか、現在でもよくわからない。ここに至る前の段階でも十分に満足できていたからだ。現在は、これまでとあまりにも異なる音の世界に出会い、それを求めていたのかどうか確信が持てないという意味で、ややバランスの良くない状況にある。ここでは自分の感覚とこのアンプの出音をすり合わせることがさらに必要になるだろう。これは具体的には新たなヘッドホンあるいはヘッドホンケーブルとの出会いに賭けるということだろう。
また、最新のアンプでドライブされる最新のスピーカーの音を聞き直したりして、現代のオーディオに対する認識を改め、感性を研ぎ澄ませる必要もあるのかもしれない。
恐らく、これが本当に限界を突破したということなのだろう。
そこに微かな憂いが残っているのが、その証拠だ。
目指すものを見失い、これから先のことを模索しなくてはいけないという課題に私は怯(ひる)んでいるらしい。
システムの全体的・絶対的な音は良いし、自分の感性との相対的なマッチングはこれからじっくりと擦り合わせていけば問題ないと言えるが、とにかく現在はポジティブな感情ばかりで自分のオーディオを見ていないことは言っておこう。
このアンプを買ったのは日本では私が二人目だったということ。
つまり日本で先客が居たのである。
これほど特殊な機材を買う人が自分以外にいるとは到底考えられなかった。
私は常々、ハイエンドヘッドホンなどという分野は自分のひとりよがりに過ぎない部分が大きいと思っていたのだが、必ずしもそうではないらしい。
これほど特殊な分野でも一定の需要はある。
そりゃもう、まだまだマイナーな領域であることは疑いの余地はないが、
実物を見て、その音を聞けば誰でもその魅力の片鱗を感じられるほどに、ハイエンドヘッドホンオーディオが発達してきている。
そういえば、このごろ、ピュアオーディオ専業メーカーの有名どころのヘッドホンオーディオへの参入、ヘッドホンを意識した製品の発表が散見される。これも時代の流れだろが、スピーカーオーディオ専業と思われた、あのBoulderもそこに加わるようだ。Boulder812という立派なヘッドホンアウトをフロントに備えたプリアンプの発表が8月にあった。あのBoulderがヘッドホンをどう料理するのだろうか?興味は尽きない。
こうして、コロナ禍にも耐えうる新しいハイエンドオーディオのアプローチ、すなわち、周囲に迷惑をかけずに爆音でオーディオを楽しめる、ほぼ唯一の手段としてヘッドホン・イヤホンによるオーディオは旗を振り前進することになりそうだ。
この滅びの時を免れ、未来を与えられるハイエンドオーディオはわずかであろう。そこで選ばれる者たちのいくつかは、イヤホンやヘッドホンオーディオのジャンルに属するモノとなるはず。
私は来るべき状況に備えるつもりで、このシステムを仕上げ、評価し尽くしたうえで、さらに上位のサウンド、新たな理想のシステムを自分の頭の中に構築しなおすつもりだ。状況が我々を追い抜かす前にそれをやり遂げなくてはならぬ。
そのためにはいつものように、オーディオと関係のないところにも目を向けることが必要だろう。コーヒー、骨董、コンテンポラリーアート、ファッション、稀覯本、根付、ガレージキット、現代工芸、透鐔、フィギュア、ミニカー、中国史、ライカ、文房具そして美食。
これらの一見、オーディオとは、なんの関連もない私の関心が、オーディオの行方について道標となる、貴重な情報を教えてくれるはず。
オーディオだけやっていても、オーディオは分からない。
モノというのは、そのモノとしてのレベルがある境界を越えると、
そのオーナーと無言の会話をする。
まるでひとつの人格を持つかのように。
オーディオ機器についても、そういうモノが時には在る。
このアンプは私にとっては、そういう次元の存在だ。
私はハイエンドヘッドホンオーディオの最前線で
MSB Reference headphone amplifierと今日も語り合う。
彼を通して音楽を聴くことで、
二人の間に無言の会話が交わされ、時は過ぎてゆく。
ヘッドホンオーディオのあるべき姿とは?
withコロナにおけるハイエンドオーディオの未来とは?
別な惑星の、もう一つの空の下で
我々の静かで真剣な会話は今夜も尽きない。