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ハイエンドオーディオの乖離と空白について

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上奉書屋時代から数えると随分な数のオーディオに関するレポートを書いてきて、良い意味でも悪い意味でも、私の書き物を評価する人が増えたように思う。そのせいか、時に身に覚えのないことを急に言われたり、突然に全く見ず知らずの方に声をかけられたりすることも多くなってきた。その度に小さく驚き、状況を分析する。そして自分のやり方で反応するということを繰り返している。


ここしばらくヘッドホン関係の話ばかり書いてきているのだが、数日前にあるハイエンドスピーカーの開発者の方に、スピーカーはダメなんでしょうか?と詰め寄られて驚いてしまった。(それにしても何故、私が万策堂だと分かったのだろうか)

私は少し考えてから、スピーカーはダメではないが、このまま行っても面白くないので、業界として軌道修正は必要なのではないかと僭越な返事をした。

最近の、このブログのヘッドホンびいきは、あくまで私の個人的な事情で、そちらの方に関心が向いただけのことであり、オーディオの最先端部だけを見れば、価格はともかくとして、凄い音を出す機材は増えており、スピーカーもまた然りなのである。しかし、それの最先端の機材は規模といい価格といい、実質的に私のような一般人が導入対象として考える機材ではなくなってきた。普通に考えて、たかが音楽を聴くだけのために、そんな金銭と労力と時間を使うのは合理的ではない。

十分に賢い人なら、オーディオに割ける余裕があっても、そんな額をたった一つの趣味に注ぎ込まないはずだ。


実は、既に試聴していて、あるいは導入した経験をもっていてレポートを書けるスピーカーオーディオ用の機材はいくつもある。しかしそれらは一般的なオーディオとかけ離れた価格と規模を持っていて、一般のオーディオファイルは誰も関心を持たないだろうと思って書かないのである。事実、アクセス分析をしても、その手の機材の記事に人気がないのは一目瞭然である。(もっとも、ここに書いているような話はもっと人気がないし、これを読んで気分を害する関係者も多かろうから、さらに書くべきではないのかもしれない)


このあいだ都内某所で、史上最高とも噂されるY社の大型スピーカーのサウンドを浴びるように聞いて、その音の良さを堪能した後でも、そいつにはまるで食指が動かなかった。もちろん、これはかなりいいスピーカーであることは認める。少なくともマジコの新型スピーカーなどよりは私の好みだろう。だが、簡単に史上最高と言い切ってしまうのはどうかと思う。例えば、これはスピーカーオーディオの音質上の到達点の一つだろうが、音質以外の点で従来のスピーカーが持っていた問題をあまり解決できていない。まず、このスピーカーの強烈な低域用のウーファーを飼い馴らすには、天井の高い20畳以上の広い部屋、大音量を出せる環境、真にパワフルで余裕のあるアンプ(試聴時は760万円のモノラルパワーが使われていた)、潤沢な電源が必要だからだ。このスピーカーを豊かに鳴らす条件を揃えるのは難しいと思う。おそらく都内にあるオーディオ店の試聴室や専門誌・メーカーの試聴室の多くは、このスピーカーを十分に鳴らせないだろう。これはこれで不自由なスピーカーだと言わざるを得ない。音質を犠牲にしないで、このオーディオ的な環境の問題を解決できないかぎり、スピーカーオーディオは先へ進めない。


このY社のスピーカーは超弩級のルックス・構成の割にはとても聴き易い音で、アンプの選択を間違えなければ、ポテンシャルを引き出した状態ではないにしろ、とりあえずはリラックスした聴き味の良いサウンドで鳴ってくれる。試聴中に何度か眠りそうになったほどだ。

特に良かったのは高域の質感である。いかにも超高域まで伸びていますよとか、繊細ですよと言いたげな、これ見よがしな高域ではない。極めてナチュラルで耳当たりのよく、しかも厚みのある高域であり、巨大な自社製ウーファーの存在により強烈な印象を残すはずの低域よりもずっと好感度が高かった。ダイヤモンドツィーターほどの高性能感はないのだが、より深く愛せる音になっていた。新開発のフレームを入れたツィーターの良さが生きていた。

さらに、ここでは音の細部にこだわって神経質だったり、ダイナミックだが妙に荒っぽかったり、スケールが大きくて大音量に強いが、どこか大味な音だったりという超高級スピーカーにありがちな欠点がないのがいい。有得ないほどの低域の伸び、超低ノイズで規格外のスケール感もありながら、そのエンクロージャー自体は案外とコンパクトである。10畳くらいの部屋でも置けなくはない。しかし、その広さではこのスピーカーが提示する壮大なサウンドステージを全く生かせないだろうが。

この超弩級スピーカーはステレオアンプ一台でも鳴らせて、アンプを内蔵した別筐体のウーファー部のために電源が必要とかいう、デカいスピーカーによくある面倒な設計ではないのが素晴らしい。

しかし、このような音質上、構成上のメリットを前にしても、このスピーカーの音はやはり個人の好みによって好き嫌いが分かれるものであったと思う。こんなにスムースではなく、もっとガツンと来るサウンドを求める方もおられるだろう。もっと感情的に音に入り込めるドラマチックなサウンドを求める方もあろう。音像の描写にさらなる重たい存在感を求めるならウェスタンエレクトリックのヴィンテージシステムの方が優位と考える向きもあるかもしれない。ホーンのような音の直進性がもっと欲しいとか、逆にもう少し引いた音場を求める方もおられるはず。

このスピーカーの出音はバランスが良いので、若干のバランスの悪さを合わせ持つ不良っぽい音を求めるとハズレという考え方もできる。また、音以外に、このメタリックかつメカニカルなルックスが苦手という人はいるだろう。

本体の価格が2500万円を越えているので、この金額を払うなら、他のかなり高価なスピーカーシステムを複数選択できる。これほどの自由度を許す金額を要求しつつ、史上最高の称号を得ようとするスピーカーは好き嫌いをもっと越えたものであってほしいし、もっと革新的であって欲しいと私は願う。だがそれはとても難しいことのようだ。やはり史上最高のスピーカーなど幻影なのであろう。

(もしあるとすれば、“自分”史上最高のスピーカーがあるのみだ)

それにしても残念なのは、これほど優れたスピーカーであっても、革命の要素はなく、今までのスピーカーの延長線上にあるということ。見ようによっては、そこが面白いし、皮肉でもあるが・・・。

かなりの大金を払って、音質がかなり良くはなったが、オーディオのパラダイムを変えるようなアイデアが盛り込まれた存在ではないのである。ここに見られる価格高騰→音質向上というプロセス自体はありふれているし、驚きはない。


ここ数年、ハイエンドオーディオの先端部を眺めていると、こういう製品が多い。

文句無く高性能でゴージャス、嫌になるほど高価であるが、結局は従来のクラシカルなハイエンドオーディオのレトリックの延長上にあり、革新的な要素に乏しいというものだ。

これらの製品はもう性能や価格から言えば、1980年代から1990年代のハイエンドオーデイオの範疇をはみだしている。そういう桁外れの高性能と価格の関係はかなり前からGOLDMUNDなどのスイス製の製品価格の上昇から薄々感じ取っていたことだ。MSBSelect DACを聞いた時にはそれがほぼ確信となっていた。


ここに至っては、従来のハイエンドオーディオではない、さらに上のオーディオのジャンルとしてスーパーハイエンドオーディオという階級が新設されていると考えてもいい。いままでのハイエンドオーディオが山脈の頂上付近であるとするなら、これはそのさらに上に漂う雲の上の空中都市のようである。(以前、この手の話はしつこく書いた覚えもある)

そこは誰もが努力だけで行ける場所ではなく、選ばれた人間・運の良いごく少数の人間だけが辿りつける場所であり、そこにあるスーパーハイエンドオーディオの機材は富豪と呼ぶべき人のみが所有し使役できる道具である。それらは一見して、従来のハイエンドオーディオの延長上にあるようにも見えるが、その価格帯には従来の最高級レーンとの断絶があり、その性能も従来のものとは隔絶している。その意味では似て非なるものと考えてよい。

なお、このような新しいオーディオの階級、スーパーハイエンドオーディオの出現自体には私個人は既に感慨もない。それをやりたくて、それを出来る方がいれば多いにやるべきだと思うのみだ。私も試聴しながら2700万円をいまポンと出せるなら、こいつを買って帰っても悪くないと一瞬思った。しかし、次の瞬間、それを実際にやってしまうと面白くないと考え直した。やはり食指が動かないのである。これを悠々と買える身分になっても、これを買うかどうか確信が持てない。なにかが間違っている。音以外のなにかが。そんな気がするのだ。


以前にも指摘したように、ここでの新たな問題は、今まで普通のハイエンドオーディオを作っていたメーカーの一部がスーパーハイエンドオーディオ、超高価格帯の製品の開発に軸足を移したため、相対的に中~高価格帯つまり100300万円クラスの製品のバラエティ、製品数、製品の性能が揃って頭打ちになっているように思われることだ。オーディオ界が乖離し、その亀裂が拡大するにつれて、空白地帯ができているのである。これはいただけない。普通人が買える製品の選択肢が狭まっているような雰囲気があるのである。

しかし、この空白を“普通”のハイエンドオーディオの新製品が埋めてゆくような可能性はあまり無さそうに見える。この価格帯の一般的なオーディオ製品が、これから右肩上がりに売れる要因がないからだ。団塊の世代はオーディオに注ぎ込める余剰金を使い果たしつつあり、退場するのを待つばかりの身である。その後の世代はハイエンドオーディオのような音楽を聴くスタイルに馴染みも関心も薄く、それに注ぎ込む金銭的余裕もなく、都市に住む彼らの住宅事情がそれを許さない。

土曜日に秋葉原に行って、閑散としたハイエンドオーディオ店の全フロアを眺めまわした後で、若者で大賑わいのeイヤホンの雑踏に足を踏み入れると、本当にこの人気の差はなんだろうと驚いてしまう。そして、この若者たちの多くがハイエンドオーディオに来るとは私には思えない。スピーカーオーディオの状況が変わらない限り、彼らの多くはこのままイヤホン、ヘッドホンに留まるのではないか。ハイエンドスピーカーは素晴らしいが、少しでも極めようとするとカネと労力がかかり過ぎる。上の世界がありすぎる。一方のハイエンドなイヤホンやヘッドホンの世界は、経済的に非力な彼らでも、いつかは極められるだろうという見通しが立たなくはない。もちろん普通に音楽を聴くなら、これで十分じゃないかということもある。また、それは現代の風潮により合致する趣味の形でもある。このままでは、恐らく彼らの多くは音楽を聴く主な手段としてハイエンドオーディオを選択しないし、できないだろう。

さらに日本全体の人口が減る。つまりオーディオ全般にわたり、それを買う人の数は必ず減るはずなのである。


また、従来の中~高価格帯を埋めていた製品には以前からモデルチェンジを繰り返して現在まで続いているようなシリーズものもあるのだが、その価格も諸々の理由から少しずつ上昇しているようだ。このようなものに関して、過去の製品と最新の製品を比べると確かに音質上で新製品の方が良くなった部分はあるが、過去の製品にあった音質的なメリットを失っている場合も散見される。単純に価格の上昇が納得できる状況とは考えにくい。この意味でも空白は深まっている。


あるプレーヤー、あるアンプ、あるスピーカーの音を聞き、感動して貯金を始める人がいる。彼は貯金しないと買えないが、貯金すれば買える価格帯にある製品を狙っているのである。だが最近のトレンドでは貯金が満額に達する前に、値上げが起こるケースがある。しかもそれは往々にして大層な値上げになる。そういう残念な出来事があると、折角貯金をしていても他の事にそのお金を回すようになりがちであると聞く。メーカーや代理店はもっと良心的な価格決定・改定をしなければ真面目なオーディオマニアでもこの趣味から離れてしまうだろう。大抵の場合、我々はオーディオファイルである前に生活者である。オーディオのみに生きることは難しい。だから、たかが音楽を聴くことしかできない装置を売る側のワガママにどこまでも付き合えない。これはずっと言いたかったことだ。こういう悪質な価格改定も空白の形成を助長しているような気がする。


SSという業界を代表する雑誌を眺めても、従来のハイエンドオーディオの衰退と空白は感じられる。

何しろ、そこで執筆する評論家・専門家の多くが、最新鋭の中級~高級スピーカーを使っていない。一昔あるいは二昔前のスピーカーをそのまま使っているケースが目につくし、多少最近のスピーカーを使っていても、それ自体がクラシカルな造りのものであったり、昔のスピーカーを強く意識した発言があったりする。このあいだまで先端的なスピーカーを使っていた方ですら、昔のスピーカーに回帰しつつあるらしい。

年末のグランプリなどで最新機器を読者にあれだけ薦めておきながら、自分でほとんど導入しないのは、新しいものに、自腹で買いたくなるような魅力的な製品が本当は少ないからだと思わざるをえない。そのためか、この雑誌は書くべきことが減って、本の厚みは昔に比べて薄くなっているような気がする。記事を読んでも昔より情報量が少ないようだ。誌面は整理されたが空白が多い。またメインとすべきオーディオ機器の記事ではなく、本来は音楽誌に書くべき音楽・演奏そのものに関する評論、録音に関する重箱の隅をつつくような細かい話、評論家個人の懐古録、有名人との交遊録の割合が高くなっているようだ。割合はともかくとしても、そっちの記事の方が目立ってきているのは気のせいではない。それらにハイエンドオーディオと不可分な部分があるのは認めるが、あくまで本筋ではないはずだ。これらの企画にしても同じことの繰り返しばかりと感じる。

SSは変わってしまった。やれることをやりつくし、それでも続けなければならないプレッシャーのせいだろうか。このままではハイエンドオーディオ専門誌として体を成さなくなる日も近いかもしれないと心配である。例えば20年くらい前のSS誌はもっとオーディオ機器のサウンドに関するディープな談義で賑やかだった。華やかだった。紹介しきれないほど多様な製品の音に関する率直で格調高い評論・斬新かつ科学的な視点も盛り込んだ企画に溢れていた。

一方、最近のSSのオーディオ評論はネットで調べれば直ぐわかるような、メーカーの経歴の紹介や機材のスペックの説明が長く、肝腎の音質のインプレッションを深く掘り下げて書かかない、腰の引けた薄暗い文章が多いように思う。

加えて、現在のSS誌の文章の行間から、聴いている評論家本人が表面的でなく本心から感動している素振りがあまり感じ取れない。この点も私には気になる。そうなってしまうのは、最近の機材の音質が本当はそれほど良くないと心の底では感じているからではないか。オーディオ評論がここまでマンネリズムに陥ったのは、編集者の方や評論家の方のセンスが古いせい、彼らが社交儀礼と忖度を重んじたせいだけとは考えにくい。むしろ評価対象である機材に問題がある。耳の肥えた評論家ともなれば、高価で高性能だが、どこか上滑りな音しかしない最新機器を試聴しても、多くの言葉を並べたくなるほど気分が盛り上がらず、情熱に火がつかないから、こんな萎縮した記事に終始してしまうのだと憶測する。

(でも果たしてそれは、プロとしてやっていいことか?)

こんな空疎なレビューばかりでは、何か月も発売日を待ち焦がれたSS誌を、いそいそと購入して読んでみても、機材の大きな写真の余白ばかりが目立って空しいだけだ。

SSの評論の稚拙なパロディをネット上に落書きしては悦に入っていると揶揄される私のような者にとっても、この落ちっぷりは悲しいとしか言いようがない。
季節的に新製品が少ない時期であるとか、企画案が出尽くしたとか、評論家の方たちの人数が減り、彼らもまた歳を取り、冒険ができなくなったというだけで、2017年夏号を覆う、この言い知れない寂しさを説明することはできない。なんとかならないのだろうか。


海外の新聞の電子版などを読んでいると、オーディオの世界のみならず、なんらかの分裂や乖離による空白は全世界の様々な分野でも現れているらしいと分かる。これは全地球的な社会現象のようである。

つまり現代とはそういう時代なのであろう。オーディオも、他の多くの人間活動と同じく、世界を映す鏡であり、世の中のトレンドと密接に関連しているということだろう。

それによって生じた空白を埋めるためには人間社会がこのままでは難しいのと同じく、オーディオが従来のままの姿ではいけないのかもしれない。

恐らくオーディオは変わらなくてはならない。より良い方向に。


あえて愚見を申し上げるなら、ここらへんでメーカーや代理店は、その存在の動機たるオーディオ文化のために、ある程度は私利私欲を捨てた方がいいと言いたい。特にスーパーハイエンドの製品についてはその価格も開発姿勢もスノッブな強欲に溢れすぎていて、見ようによってはみっともないと思うものさえある。空白を生むというだけでなく、一部の製品はそのセンスまで悪いのではないかと疑うほどだ。だから、消費する側はともかく、メーカー側としてはこのトレンドに一定のブレーキをかけてもいい気がする。ここらで普及価格帯の製品の開発に十分な力を注いで実績を築かないといけない。具体的にはCHORD DAVEのような革新的な製品が増えて欲しい。それはコンパクトで個性的にデザインされ、普通のハイエンドオーディオ機材の価格に収まっているが、その二倍の価格帯にある製品に比肩でき、そして多くのオーディオファイルにアピールするようなサウンドを持つ。このような将来の名機がもっと欲しい。

また、CHORDは決して大きなメーカーではないが、スーパーハイエンドに近い製品から、Hugoのような優れたポータブルオーディオ機器まで独自の開発を行っている。このような広い視野に立って、どのクラスのオーディオも差別せず、疎かにしない姿勢が必要だ。そうでないと自らが依って立つハイエンドオーディオという基盤自体がダメになってしまうことにメーカーは気付くべきだろう。


私は富豪の財力に頼ってオーディオを発展させることが全て悪いとは思わない。しかし、そこだけにいい音を出す機材が集中してしまうと、ハイエンドオーディオの真の良さを知る人間があまりにも少なくなってしまう。様々な価値観を持つ多くの人がハイエンドオーディオの良さを知ることは、そこに多様性を生むことになる。多様性は業界を活性化させるが、富豪相手のスーパーハイエンドオーディオが生む空白はその過程を阻害する。そもそも、お金持ちは気まぐれだし、彼らの一部は本当にオーディオに情熱があるわけではないことも私は知っている。カネが余っている、納税などの都合で使わなければならない、そういう“不純な”動機でそれほど良く知らないスーパーハイエンドオーディオを買い、まともに鳴らしている時間もないような忙しい富豪がいる。元来、オーディオを知ること・愛することと財力に関連はない。財力は普通でも、本当にオーディオを愛して散財する人間に機材が行き渡り、時間と愛情をかけて愉しまれ、評価される。そして、その経験がメーカーにフィードバックされて、より良い製品の開発につながる。これが本来の姿である。そういう愉快で実のある消費行動がもっと多くの普通のオーディオファイルによりなされるようにメーカーも代理店も仕向けるべきだろう。


シェア、サスティナブルは現代の重要なキーワードである。

分裂や乖離による空白という世界の悲劇的な傾向に対抗するのが、多くの人がシェアできる持続可能な世界(サスティナブルな世界)の実現であるという文脈で使われるのである。

多くの人が音楽をいい音で聴く感動をシェアできる、サスティナブルなオーディオ業界。いい音を少数のマニアや金持ちが独占するという、ハイエンドオーディオの従来のやり方とは異なるが、オーディオ界全体としてはそういう方向で生き残っていくしかなかろう。


オーディオの世界には生き物のような側面があると私は思う。

生き延びてゆくため、意図せず自ら変化する。まるで危険を察知したかのように。

実際はオーディオは自然物ではないから、それに関わる人間の集団意識のようなものが働くのだろうか?

例えば、私には進化するハイエンドヘッドホン・イヤホンが、先述の空白を埋めるべく登場したように見える。これらのジャンルには今後の持続的に成長する素地が出来ている。多くの若い人が関心を寄せているからだ。若者でごった返す週末の秋葉原eイヤホンに行けばそれは分かる。それ以外にも未来に向けた明るい徴候を豊富に観察できる。STAXのハイエンドアンプT8000が、60万円というヘッドホン用の機材としては高価な値付け、しかもかなり限られたヘッドホンにしか使えないものにも関わらず、驚くほど短期間に初回ロット50台を完売したというニュースはその一つだろう。多くの人が良いオーディオを求め、今より少し高級な機材で、より良い音を聞いて満足するという体験がシェアされてゆく過程が見える。

世界の経済バランスの変化に伴う、スーパーハイエンドオーディオの出現、それにより生じたオーディオ界の空白を埋める、ハイエンドヘッドホンオーディオという図式が正しいのかどうかは分からないが、いずれにせよ注目すべきことだ。


以前、蟲師という漫画を読んでいて面白いと思った話がある。

ある村に大きな木があり、御神木として崇められていたが、

村が経済的に困窮したため、窮余の策として、仕方なく御神木を切って売ろうという案が持ち上がる。するとその木が突然、季節外れの花を咲かせ始める。木が自分の寿命を知って、子孫を残そうとしたかのようであった。それを見た村人は「木が怒った」と恐れたのである。それに対して漫画の主人公の蟲師のギンコという男が、

「木は怒ったりしませんよ。でも危険を察知する能力はある。」と言って村人たちをたしなめるというストーリーである。


オーディオに携わる、あるいはオーディオを愛する人々の集団意識あるいは無意識が、周囲の状況の変化に対応するため、10年前まではありえなかった、ハイエンドヘッドホンというジャンルを発達させたのかもしれないと、ヘッドホンに関心がある私はなかばロマンチックに妄想する。しかしそれだけではY社のセカンドベストのサウンドと価格が突きつける、あまりにも残酷な格差の現実から我々を救う手だてとしては十分でないのは分かっている。しかもヘッドホンオーディオまでもが急激に高価格化しているという事情もあり、そこに過度に期待できない。言うまでもなく従来のスピーカーオーディオのメーカーたちが奮起して、新たに手ごろな価格帯の優れた製品を作ることが本流であるべきだし、急務なのだが、その動きだけに期待し依存するのではオーディオの復活は難しいということを言いたいだけである。


先端部が伸びて、高くそびえているが、その芯が朽ち始めている古い大木。その木に咲いた花に実った種子が地面に落ちて芽吹き、やがて小さな木となった。自然の成り行きとして、既に朽ちつつある古き大木より、この大きく枝を広げつつある若木に私は注目しているというだけのことなのである。


by pansakuu | 2017-06-05 22:09 | その他