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マス工房 Model406 ヘッドホンアンプの私的インプレッション:美しき矛盾

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あらゆる矛盾は一度極限まで行く
    ジョージ ソロス (投資家・投機家・政治運動家)



Introduction

ハイエンドヘッドホンの世界がどうなってゆくのかを見極める。

もう、これは私のライフワークのひとつになってきたのかもしれない

それは不遜な言葉だとは知っていても、

スピーカーオーディオに深い関心を失った今は

そう言うしかない状況でもあ

だから、面白そうなアンプやヘッドホン聞けるイベントがあれば、

できるかぎり出張って行って、それをき込む

とはいえなかなか無いもの

これ欲しいとか、これは凄いとか、

そういう気分にさせてくれるモノなど滅多に


ところが、2017年春のヘッドホン祭りの会場の片隅

ひっそりと展示されていたあるアンプが、

そういう私のフラストレーションを吹き飛ばしてくれた

今回はんな話をしよう

このアンプのサウンドは

GOLDMUNDRe Leaf等のハイエンドヘッドホンアンプに慣れ

倦怠気味のの感性を激しく揺さぶったのである



Exterior and feeling


2筐体を要するヘッドホンアンプ、

マス工房 Model406Model405は大規模な構成を取っているが、

その外観の印象はマス工房らしく実にシンプルである

この工房の製品は政府機関、あるいはNHKなどの放送局が採用するもので、

外観にも音にも飾り気は一切ないのが特徴。

最近某国の政府専用機向けの機材の製作の依頼が来たと聞いた

フロントパネルは厚さを確認したくなるほどに薄く、

ソリッドスチール製のクラムシェル型シャーシもシンプル。

100万円を超えるヘッドホン機材というのは、

超高級品であるから、どこか外装に分厚いアルミ材などを使って、

その格を示そうとするメーカーが多いが、

そういうポイントにこだわらないのが、ここのポリシーである。

その代わりに、

ここ数年、国内のハイエンドオーディオメーカーが使い始めている

ハンダの耐久性の低さに着眼、

別な経年劣化の少ないハンダを採用するなど、

見た目の高級感とは全く別の視点からの

高品質・高耐久性へのアプローチがあり、

オーディオファイルとして興味を惹かれる。


このヘッドホンアンプは、ボリュウム調節や入力セレクターを装備するバランスプリアンプModel 405と、スピーカーオーディオで言うパワーアンプにあたるヘッドホンを直接駆動するアンプModel 406の二つの構成要素からなるものであり、単なるヘッドホンアンプというよりはヘッドホンアンプシステムとも呼ぶべき大規模なものである。

プリアンプ部であるModel 405は、従来のヘッドホンアンプの音質劣化の原因の一つと考えられていながら、あまりに根本的なパーツであるがゆえに今まで排することがほとんどできていなかった、ボリュウムをアンプの外に出す、あるいは優秀なプリアンプをユーザーが自由に選択して接続するという発想から生まれたユニットである。このコンセプトはOjiのヘッドホンアンプでも見られたが、果たしてこの音質は、かつてのOjiのスペシャルモデルを超えているのだろうか。

また、このアンプの特徴はスロット式のリアパネルを採用したデザインにもあり、オーナーの求めに応じて、XLRRCAのバランス、アンバランスのライン入出力、デジタル入出力、フォノ入力などを自由に選択できる。全ての入出力モジュールがマス工房製であり、細かく仕様を指定可能である。また、キーパーツであるボリュウムは東京光音の選別品を用いる。なお様々な入力を必要としない場合は、ボリュウムのみを独立させたボリュウムボックスを特別に製作することもできる。

このヘッドホンアンプシステムは高価ではあるが、構成の巧みさにより、一台で様々な使い方が想定でき、将来にわたる発展性があるところに他社機を凌ぐアドバンテージを感じる。これほどのアンプともなれば、安易に高い買い物と言い切ることはできない。


一方、パワーアンプのような意味合いをもつModel406は左右別のヘッドホンアンプ用としては強力なスイッチング電源と、これまた左右別のA級アンプで構成されている。

増幅回路はFMアコーステックスやBoulderViolaのような、小さな四角い箱に単位ごとに封入されたモジュール形式をとり、筐体の中の二枚の基板に収まる。

一枚の基板に片チャンネル用の電源と増幅回路が載っており、LRチャンネル分で二枚の構成とし、これら二枚の基板を二階建ての形でワンシャーシに収める仕組みである。

Model 406の入力はXLR一系統だけだが、Model405との接続のみを意識しているのではない。リアパネルには左右別のゲイン調整スイッチがあり、これによりModel405以外の様々なプリアンプとのスムーズな接続を可能にしている。

ただ、試聴した私の予想ではマス工房が目指す音のトーンを得るにはModel406をペアとすることが必須のように思われた。それというのも、これほどカラーレーションの少ないプリアンプは他に想像がつかないからだ。

またデザインの統一感という意味でも、できればマス工房製で揃えたいところである。

さらにModel 406のフロントパネルにはヘッドホン向けの標準のフォーンジャックと4pin XLRバランス出力の他、LowMidHighとアンプの最終段の増幅率を変えるボタン式のスイッチもついているので、様々なタイプのヘッドホンに対応できる。なお、試聴での印象を先にいうと、このアンプには途轍もないドライブ力が秘められており、それは手持ちのGoldmund THA2を上回るレベルとも聞けた。このアンプでバランス駆動するかぎり、鳴らしにくいといわれるいくつかの平面駆動型のヘッドホンを含むあらゆるヘッドホンを、どのアンプよりも力強く的確にドライブできるのではないかと思われる。ちなみに試聴したHD800の場合はMidでもいいが、Highのポジションだとより御機嫌な音が出ていた。

なにしろ、32Ω負荷で片チャンネルあたり4Wを発生するというのだから、ヘッドホンアンプとしては異例の剛力である。これほどのパワーを秘めたA級アンプであるModel 406には発熱もそれなりにあり、細かい熱対策がなされる。例えば基盤には放熱フィンが林立する。またデモ機は急拵えの4つの薄いゴムフットで支えられていたが、これは放熱のために底面に空間を確保するため、もう少し厚いものに替える予定とのことだ。

それから、ここでのスイッチング電源の採用にも注目。他のハイエンドヘッドホンの多くが一般的なトランスを電源としていることを考えるとこれは異例なことだ。クリーンでカラーレスなマス工房のサウンドの秘密の一端がここにあるような気がする。


ところで、プリアンプModel 405のフロントパネルには、電源スイッチ、ボタン式の入力セレクターとボリュウムノブの他に「バランスエラー」と書かれた見慣れないランプがある。これはModel 406のフロントパネルにもあるものだが、要するに擬似バランス化された入力がされた場合に光るランプである。コネクターは3pin XLRでも、その内実は2pinのアンバランス伝送である場合がままあるが、このような細工をされた擬似バランス入力であることが一見でわかるランプなのだ。擬似バランス化された入力であることをわざわざ暴く必要はないと思うが、マス工房の方はそういう機材を敬遠しているのかもしれない。この辺の設計はやや個性的だと思う。


今回の試聴はAK380を送り出しとして、Model 405の端子に接続、そこから後段であるModel 406XLRケーブルを結線、そこに聞き慣れたSennheiser HD8004pin XLRでバランス接続した状態で聴く。ヘッドホンケーブルはSennheiser純正だが、その他のケーブルはどれも全く普通というか、とても安価なものであった。試聴時はModel405はボリュウムボックスの状態で、中身は未完成だったが、Model406についてはプロトタイプであっても、内容はほぼ確定であり、出音を変える予定はないとのお話を聞いた。そこで私は思い切ってインプレッションを書くことにした。なにより、「マス工房としてもこれ以上の音は出しようがない」というコメントにそそられたのだ。このメーカーがそこまで言うアンプの音を逃したくなかった。AK380はこれほどのシステムに対してはやや役不足な送り出しだが、試聴結果としてほとんど不満を抱かなかったことから、据え置きのハイエンドDACをつないだら、どこまで行けるのかについても、大変興味を持った。


なお、仮に製品版で大幅に音や仕様が変わるようなことがあれば、追加でそれについて書くことになるだろう。ただし、それはその製品版の音を十分に吟味した後に書くレポートとなる可能性が高い。これほどのアンプとなれば、ちょとした改変でも大きく音の印象は変わるだろう。これはあくまで現時点での音についてのレビューに過ぎないことは断っておきたい。

(写真はメーカー様のHPより拝借いたしました。ありがとうございました。)



The sound


一聴して、ごくごく普通の音である

特徴がないのが特徴のような。

しかし、常に上を見て感覚を磨いているヘッドフォニアならば

その背後に控えている膨大なパワーの存在に気付くはずだ

このサウンドの背景を見極めようとして感覚を開放した瞬間

今まで経験したことのない形で音楽のリアルが脳裏に拡がるの私は聞いた


このアンプの音を簡潔に言えば、究極に近いほど色付けの少ない音調に、有り余るパワーの裏付けがなされた余裕のサウンドということになる。こういう特徴を持つヘッドホンアンプは今までなかった。これほどカラーレスでありながら、これほど豊かな音は知らない。


これは確かに視覚的な音である。

ヘッドホンサウンドの常としての、拡大鏡で音楽を見つめるような微視のまなざしがまずある。だが、それでは木を見て森を見ない過ちに陥りやすいことをこのアンプは知っている。事実、多くのハイエンドヘッドホン、アンプの音はこの罠にはまっている。試聴を積み重ねれば分かることだが、ほとんどのヘッドホンアンプは、どうやってもそれ単体では、音楽全体を見ようにも、それを俯瞰する視点にまず立てない。なぜなら大概のヘッドホンアンプは全ての帯域にわたって音の伸びが足りず、音楽のスケールを小さくまとめてしまうからだ。


だが、このマス工房のアンプを聞いていて、私の脳裏に広がったのは、普段スピーカーで聞く音楽の大きな全体像にかなり近いものだった。有り余るパワーがそこまでの音の伸びを生むのである。これは珍しくも音楽の正しいスケール感が表現できるヘッドホンアンプなのだ。

音源との距離感や音源の大小の表現が非常に適正かつ絶妙に取れるアンプでもある。近い音と遠い音、大きい音と小さい音、それらの表現が大変精密かつ豊かだ。今まで聞いたアンプで遠近・大小の表現の幅がこれほど広いものは知らない。しかもその能力を必要のないときは決して見せない。必要な時に必要なだけ出す。

いくら聞いても、これ見よがしな低域のアピールを感じないのは、

そういう態度の現れだ。


どんなヘッドホンシステムにも、

それぞれ固有の音響空間の広さというものが存在する。

それが狭ければ狭い程、虫眼鏡的な音楽の聞き方に傾く。

ハイエンドスピーカーを使っていて、ヘッドホンに批判的な人の多くが、そういうヘッドホンサウンドしか聞いたことがなく、ヘッドホンというと「狭い」サウンドしかイメージしてくれない。結果的に細かい音ばかりが聞こえ、

音楽の全体像が見えないと彼らは非難る。

(そういう彼らも細かい音を視覚的に扱えるスピーカーを、いつも求めているのにも関わらず)

しかし、現代の優秀なヘッドホンシステムはもう、そのような音ではない。

もはやスピーカーに近いレベルで森を見ることができる。

このような進化はもちろんヘッドホンの高性能化があるが、

アンプの進化も見逃せない。

特にSNが高く、パワフルなアンプが増えていることが大きい。

そのような高い理想を掲げるヘッドホンアンプのなかでも、極めつけの性能を誇るこのModel406については、ヘッドホンさえ選べば、それが目の前の空間に現に拡散している音ではないという点だけは依然として異なっていても、上手くセッティングしたハイエンドスピーカーとほぼ変わらないスケールのサウンドイメージを脳裏に描けるはずである。


これだけ色付けがない音ということだから、

いわゆる音楽性というものはこのアンプには皆無である。

音の生々しさ、生命感は感じるが、そこに演出がない。

音に傾向のようなものはない。このアンプの色付けの少なさに慣れると、

かなり色付けの少ないと考えられるRNHPですら、うっすら色を感じるほどだ。

例えばハイエンドのアンプになるとSNが滅法良くなるために、

微かな余韻のたなびきもかなり長く持続する。

それにより、美しい女性のアイシャドーを眺めるような、

華やかな色付けを感じることもあるが、

そういう傾向はこのアンプの出音にない。

むしろ、余韻がどこで切れるのかを正確に聞かせようとする。

まるで入力された全ての音声が均一の明るい光の下で公平に明らかにされるようだ。


さらに、スタジオ用の機材を得意とするメーカーらしく、抜群に定位がいい。

いままで聞いてきたハイエンドヘッドホンアンプは

どれも定位はいいはずなのだが、これに比べるとやや劣る。

ここでは音像が動かないというより固定されたように感じる。

また、逆に音源が動くととても敏感に反応する。

視覚の心理学の世界では止まっていて見える風景以外に、動いて初めて見えるものもあるということが示されているが、音の世界も同じであることに気付く。

このような音の動的風景への気づきは音の生々しさを増幅することになるが、それは無いものを付加しているのではなく、有るものを掘り起こしているのである。楽器の置かれた位置からスタジオの壁面までの距離がくっきりと表現されるような、この生々しい感覚は、このシステムならではのものだ。


音像の解像度はすこぶる高いが、それはレンズに喩えるとライカやツァイスのようなアピールする解像度とは違う。イメージとしてはニコンの明るいレンズ、ノクトニッコールなで撮った写真のようだ。鮮鋭さは前面に出ておらず、至極真っ当な音の輪郭、質感、色彩感で見せる。これは積極的に自分をアピールしない音であり、蜷川美花風のカラフルな色彩感なんかを期待するとハズレだ。Re LeafGoldmundのアンプのようにすぐに分かるような音ではない。やはりこれは第三の音である。Re LeafGoldmundによる冒険の成功があったから、その良さを深く理解できる音なのだ。大器晩成と言ってもよいかもしれない。あとあとから分かる音の良さなのである。


Model406のような音の伸びしろ、ヘッドルームの高さを持つアンプは概してその能力の高さに溺れ、

リスナーを強烈な音で押しまくろうとする傾向があるものだが、

このアンプにはそれがない。

なぜか恐ろしく良くコントロールされた音を出す。

自分を出さない音。

一片の私情も感じないサウンド。

他方、現代のオーディオの大勢について考えると、

広告の宣伝文句にあるような

全く足し引きのないサウンドなどというもの

実際のリスニングでは感じ取れず、

それぞれが固有の音質を盛っている場合がほとんど

盛大にドーピングして見せるばかりか、

個性的な音楽表現を行うのが当然となっている。

そういうオーディオ的状況に置かれるうち、

私的には、多くの悟ったオーディオファイルと同じく、

入力された信号をただ忠実に出力するだけでは

音楽にならないと感じるようになったし、

そういうことがなければ、

オーディオをやっていることにもならないかもしれないと思ってきた。

そもそも、そういう完璧に色付けの無いオーディオは

厳密には不可能だと考えている自分がいる。

しかし、Model406ような無私の極致を指向する音を聞いていると、

少なくとも、その勘繰りの一部は過ちであったと認めざるをえない。


欠点もなくはない。ヘッドホンによっては背景に残るノイズが少しうるさく感じられることもある。セカンドベストの394の方がノイズ的には有利なのだが、406ほどのパワーやチャンネルセパレーションがない。また、このノイズはゲインを調整するスイッチを操作すれば随分と聴感上は改善されるようだ。個人的にはこのノイズがさらに小さかったなら、もっと印象は良かったと思う部分もなくはないが、正直、全体の音の良さを考えるとこれは些細なことかもしれない。とはいえModel394を二台買ってパラレル使いする方が面白いのではないかという考えが頭をかすめることもある。やはり、ここは悩みどころかもしれない。



この試聴では市販の無銘の電源ケーブル、例えば2m1000円ぐらいの動作確認用として機材に付属するような普及品のACケーブルが使われていたが、それでも納得できる音が出ていた。

これについて、ひとつ驚いたのはマス工房の主宰のM氏が、このアンプは電源ケーブルを、これより高級なものに替えても音は変わらないと言うのだ。しかもそれは、他のアンプは変わるかもしれないが、ウチのアンプは変わらないというニュアンスを含んだ発言のようだった。実際、ハイエンドケーブルを使って音質変化を確かめる実験もされたようである。すなわち、電源ケーブルで出音が変わりうることをある程度認めたうえで、自社のアンプではそういう現象は起こらないと主張するのだ。電源環境がいい方向に変化しようと悪くなろうと、そこに依存・影響されず一定のトーンで音を出し続けるように設計しているという。どんなアンプについても電源ケーブルで音は変わらないと主張する頑迷な方はいるが、出音を電源状況に関わりなく変えないテクノロジーを持っていると公言するオーディオメーカーはあまり記憶にない。このようなポリシーこそ真のプロフェッショナリズムではないか。


例えば、このアンプの音が持つ余裕に近いものがHP-V8の出音にもある。背景にあるゆとり、どんな音楽でも手のひらの上で転がしているような快感を伴う、凄く上からの目線である。しかしHP-V8Model406Model405に比べて音が緩い。真空管の音触は優美だが、失うものもあると知る。また低域の制動はこのアンプほど効かない。とても高い次元での比較になってしまうが、マス工房のModel406Model405は余裕があるのに緩さがなく、音の立ち上がり・立下りもごくごく自然、各パートの分離もかなり良い

T8000などを聞いても思うのだが、真空管をヘッドホンアンプで使うというのは難しいものだ。真空管を使う時は、少なくともそれを隠し味としてつかうのか、前面に押し出すのかはっきりすべきだが、T8000は真空管の生かし方が中途半端でSNを損なっており、HP-V8では300Bのトーンが前面に出過ぎていて音の好みや似合う音楽が分かれる。HP-V8は素晴らしいアンプだが、結局、優れたソリッドステートアンプと比較したときに、音の味わい以外の点で遅れをとりがちだ。やはり真空管を使ったアンプは、全てが出尽くし、飽きてしまった後のデザートとして位置づけるべきなのかもしれない。


Oji BDI-DC44Aとの比較は、今回の試聴の最後の関門であった。これについては二台並べての一対一での比較はできず、とても難しいが、正直に言えばOji BDI-DC44Aは若干だが不利だろう。あのアンプは設計者の思い入れが空回りしてしまった製品だったような気がする。むしろ通常のモデルの方が音のまとめ方が上手で洗練されていて好ましかったと覚えている。あのアンプが発表された頃はハイエンドヘッドホンの方向性が未だ定まらず、どれくらいのレベルのものが必要とされ、どれくらいの音の品位を目標としたらいいのかを探るための、試行錯誤が始まったばかりの時期だった。そこで先走った機材の完成度が必ずしも高くなかったのは仕方ない。当時の私はハイエンドのスピーカーオーディオを駆使する立場からジャッジして、この方式は音の洗練がまだ足らないなと思った。あの時感じたフラストレーションはずっと私の頭の中に残っていたが、Model406はそれを見事に消し去ってしまうほどの音で驚いた。具体的にはマス工房のアンプの方が音の変化に対する反応がより的確で自然であるように思われる。Ojiのスペシャルモデルは音の動きがわずかに鈍重だった印象がある。また、SNもマス工房のものに比べれば低かったようにも思う。

それから音とは関係ないが、とても自分のラックに置きたくないような大きさとデザインだったのもよく覚えている。ゲイン調節などのアジャスタブルな部分もなかった。BDI-DC44A本当にカスタムメイド品で、ユーザーの設定した条件に鋭く合わせ込むことで音質を上げようとしているようだった。これでは仮に同じレベルの音が出ていたとしても、使い勝手や拡張性など音以外の部分で不利だったと思う。現代の最新のアンプであるModel406Model405Re leafGOLDMUNDが築いたハイエンドヘッドホンアンプのスタンダードを意識して、そのどちらかを超えるべく設計されたものであり、それらの出現前に企画製造されたアンプでは、同じような音の方向性で勝ることは難しいかもしれない。



Summary


から域に至るまで

特定の周波数帯を強調したり弱めたりせず

一切の色付けを排しながら、入力された音を極めて忠実に出力

それがマス工房の機材に共通するサウンドトーンだ。

このフラットを極めた無個性なサウンドは

前のフラッグシップヘッドホンアンプである、

Model394で既に十二分に発揮されていた。

私はこれをしばらく手元で使っていたが、どこか物足りないといつも思っていた。

これほど高次元なサウンドのどこが不満なのか、自分で巧く説明できないもどかしさ。ずっと聞いていると、この先のサウンドがあるはずだと欲求不満になる。こういう説明不可能な不満はOjiの新鋭アンプやSTAXの新型機でも感じるストレスなのだが、なぜかRe LeafやチューニングされたGoldmund THA2では、それを感じない。

この二つのアンプの音の世界は私にとってストレスフリーなのである。

好みの違いと言ってしまえばそれまでだが、これは何処に違いがあるのか。


Re LeafGOLDMUNDのアンプに続く

第三のハイエンド・ヘッドホンサウンドとして

マス工房 Model406Model405を位置づけて、

初めて見えてきたことがある。

私の好むこれらのアンプは、私の耳で聞くと、

他の個体からはっきりと区別される、完全な個性を持っているということだ

この音の個性は、それ以上に分割ることのできない

完結した音の態度であり、これ以上の改良は蛇足にしかならないと

確信させる音の本性である。

何人にも疑念を抱かせないほど、

緻密に完成された個性を持つことが、私の使うアンプには必要だ。

同じクラスのアンプであっても、あえて評価しないモデルは、

その個性の完結度が低いと感じている。

まだこのメーカーのアンプは自分の音を出し尽くしていないと思っている。


ここで興味深いのは、マス工房 Model406Model405については前2者にも増して特殊な本性を持っているということ。それは、強烈な無個性はもはや個性そのものと言わざる得ないというパラドックスである。出音に関して限りなく無個性であり続けることが、むしろ孤高の立場を強め、無個性を他から独立した明らかな個性として昇華させている。これはとてもユニークだ。

このような奇蹟はヘッドホンの世界では起こったことはなく、伝統あるスピーカーオーディオの世界においてもBoulder2000シリーズなどに類似例を見るのみ。

誤解を恐れずに言えば、この態度と結果は恐らく矛盾である。

しかし、この矛盾は確かに美しい。

この矛盾の美に私は心を動かされたのだと思う。


求める音を得るために、持てるノウハウ、使える物量を全て注ぎ込み、一部の隙もなく組み上げていく能力が発揮されて初めて、この矛盾を超えてオーディオの美へと到達できる。計算通りか、あるいは偶然か、マス工房 Model406Model405は、ヘッドホンアンプの世界で、その境地にたどり着いた三番目のアンプとなった。様々なアンプの試聴を重ねるたびに感じていたフラストレーションが、ここで嘘のように消えた。

このアンプをどこに置くか、買ったらどこのDACと合わせようか、朝から晩まで思案に暮れている。

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そういえば、試聴が終わってからマス工房の主宰であるM氏と握手をして別れたのだが、その時の彼の手の印象も忘れがたいものであった。

これほど緻密で細かく調整された機材を作る人のものとは思えないほど、

力強くて大きな指、太い骨格を持つ手が、

私の苦労を知らない弱々しい手を暖かく包み込んだからである。

それは機械式時計のように精巧かつ繊細な電子機器を設計し

組み上げる技術者の手というよりは、

木こりやマグロ漁師や宮大工というような力仕事を連想させる手であった。

そう、その手は、この究極ともいえるアンプの出音に相似した、

美しい矛盾を孕む手だったのである。


by pansakuu | 2017-05-10 23:07 | オーディオ機器