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Grado SR225, SR325 octandre Dmaaの私的インプレッション:ヴィンテージと付き合う

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新しくして新しきもの、やがて滅ぶ

古くして古きもの、また滅ぶ

古くして新しきもの、永久に栄える

ドイツの格言


Introduction


古いものはいい。

そういう話を時々耳にする。

だが、一概にそうとも言えまい。

例えば、古くなったコーヒー豆は不味い。

古いコーヒーグラインダーも挽き目が一定しなくて、

美味いコーヒーがなかなかできないことが多いような気もする。

しかし、古いオーディオについては総じてマズいとは言い切れまい。

それどころかスピーカーオーディオには

ヴィンテージというジャンルが確固として存在する。


具体的にはウェスタンエレクトリックや古いタンノイやJBL、アルテック、マランツなどの機材を組んでシステムを作り、大昔のクラシックやJAZZを演奏するオーディオである。こういう流れに乗って、ヴィクトローラ グレデンザやジーメンス オイロダインなどを聞いていると現代のハイエンドオーディオとは隔絶した優雅で力強い世界があることが知れる。オーディオは、これらの機材が作られた頃、既に十分に完成されていたのだ。現代のハイエンドオーディオはその変奏曲に過ぎない。

だが、このヴィンテージオーディオの趣味というのは現代のソースへの対応力は弱く、個体差が大きく、故障も多く、広い部屋とありあまる時間に加えてオーナーの精神的な余裕を要求する。こういうヴィンテージオーディオは今の自分にはとても手に負えない代物であると、私は考えていた。


一方、ヘッドホンオーディオにもヴィンテージの流れが一応はある。希少で高価なSennheiserのオリジナル・オルフェウスまで行かなくとも、古いAKGSONYSTAXなどのヘッドホンを集めて修理しながら聞くコレクターが僅かながら世界中に居る。これらのヘッドホンのメカニカルな美や音の味わいに憑りつかれる方の気持ちを私は理解できるが、そこに一般的な意味での使いやすさ、音の良さを適用できた試しはない。

いつも条件付きで私はそれを受け入れ、現代のヘッドホンとは別個の価値として認めているのみである。


最近、ヘッドホンケーブル絡みでDmaaの方と話し合う機会があり、そこでの雑談の中で珍しいヘッドホンの改造を請け負ったという話を伺った。(Dmaaの方は音に詳しいだけでなく、演奏される音楽自体にも造詣が深く、自らはベースを弾かれるうえ、仕事では様々な機材の修理や取扱いに精通し、ビックリするような海外のビッグアーティストとも仕事をされているので、peripheralな話を伺うだけでも大変に勉強になる)

パリのポンピドゥーセンターに拠点を置く、とある現代音楽の演奏集団から数十台のヴィンテージのGrado SR225Dmaaで改造して欲しいとの依頼があったというのである。具体的にはSR225の出音を、ヤマハの小型モニタースピーカーをニアフィールド・大音量で聞くイメージで、勢いを保ちつつ、誇張なく正確に楽器の音を聞けるように改変してほしいという要望だった。Dmaaではとっくの昔にディスコンとなっているSR225の他、関連モデルであるSR325などのGRADOの実機を入手、時間をかけて材質や構造を分析したうえ、独自の視点から改造を考案・施工して納品、フランスのクライアントに好評を得たという。

また今回の依頼はSR225に関するものだったが、結果的にはSR325についても、同様の改造のレシピが適用できるとのこと。私はこの話を聞いて、なにかピンと来るものがあったので、それらのヘッドホンをぜひ試聴したいと頼んでおいた。ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして聞くための改造が成されている可能性を感じたからだ。

Dmaaはこの件に関してクライアントの了承は得ていたので、程なくして、これらのヘッドホンを私が試聴する手筈と、さらにこちらで現物を用意すれば、同じ改造をする準備もできるという連絡をよこして来た。



Exterior and feeling

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この改造のベースとなるGRADOSR225SR325は古い機材である。これらは後年に発売された改良型ではない。つまり型番の末尾にeisが付かない初代の機種であり、ハウジングの形状などが後継機とは異なる。例えばここで使う初代モデルのハウジングはシンプルな筒型で、eiisが付くモデルのように、辺縁部が広く斜めにカットされたベゼルのような形状にはなっていない。


これらのヘッドホンをヴィンテージと呼ぶかどうかは、ヴィンテージヘッドホンの定義がないのだから、なんとも言えない部分はある。だが実物のSR225SR325を手にして見ると、少なくとも最新のヘッドホンであるSONY MDR-Z1Rなどと比べ、明らかに古臭くてチープなヘッドホンとせざるを得ない。何しろSR225SR325とも1995年頃の発売であるし、実際の価格も必ずしも高価とは言えなかったはずだ。もちろんMade in USAだが、SR225のヘッドバンドなどはただのビニールである。これでは昔のモデルでプレミアがついているGrado HP1000のような高級感は期待できない。つまり、これは20年以上前に出回った、比較的安価な機材ということで、これもう私個人にしてみればヴィンテージヘッドホンの部類に入れたいものである。


さて今回、Dmaaで改変したヘッドホンの名称についてだが、元の形式名のSR225SR325にクライアントが演奏しているエドガー ヴァレーズの曲名にちなんでoctandreというコードネームをその型番の末尾に加えた。すなわち、ここではこれらのヘッドホンをGrado SR225 octandre DmaaあるいはGrado SR325 octandre Dmaaと呼ぶ。

octandreとは植物学の用語であり、8弁の雌雄両性花を指す。

実はヘッドホンの改造の際に、バッフルの特定の位置に、音圧を抜く穴を正確に開ける必要があるのだが、その穴の仕上がりは図らずも8弁の雌雄両性花の蕊(しべ)の位置関係を想起させる。この形態的な特徴も、このoctandreという名付けの由来になっているとDmaaから教わった。偶然の一致にしても随分と凝ったネーミングである。

さて、ここで改造の詳細を述べようかと考えて、Dmaaからお話をうかがったのだが、その概要を正確に書き出すのは難しいと分かった。きっちり同じ技術的な説明をここで繰り返したら、このブログ一回分に許される字数では足りないほど濃厚な内容なのである。

とはいえ、中身についてなにも書かないのも問題があるので、私が理解した範囲で簡潔にその概要を述べておく。

要は、ベースモデルであるSR225SR325の出音の位相乱れやピーク・ディップを起こしている要因を取り去ったうえで、よりワイドレンジで素直な音が出るようにチューニングし直したということだ。

まず元となるヘッドホンを検品して、無改造品として正常に装着できて、音が出ることを確かめる。

次にハウジングを分解し、その中で使われている接着剤を全て除去する。メッシュについている型番の丸いエンブレムも取り去る。これらがSR225SR325の出音の位相を乱す主な原因であると考えるためだ。

それが終わったらドライバーを点検、異常がなければドライバーを固定してあるバッフルに正確に穴を開ける。これが件(くだん)の音圧を抜くための穴であるが、この穴の直径や位置関係により音が変わるため、かなりの試行錯誤を要したらしい。さらに、この穴にDmaaの独自技術であるフィルターを挿入、その挿入の深さで調音を実施する。

さらに、この穴を使ったチューニングとは別に低音を伸ばす工夫もなされる。接着剤を取り去ったハウジングには全周に薄い隙間が生じるが、Dmaaではこの隙間を音道として利用し、低域の再現力を強化するというアイデアを考えついた。これはPMCのスピーカーで採用されているトランスミッションラインと類似した仕組みだ。ただこの工夫はスピーカーの世界でさえ、製造やチューニングが困難なこともあり、PMC以外ではあまり普及していない方式である。Dmaaでは試行錯誤の末、特注した幾つかのパーツを組み合わせることで、この仕組みを形にして、最終的に無改造品より深い低域再生を得たとのこと。本当にPMCFB1のようにGradoが鳴るのか?興味を惹かれるところである。

最後にバイノーラルステレオマイクになっているダミーヘッド(おそらくNeumann製)に装着したヘッドホンからテストトーンを出して計測しながら、左右がほぼ同一かつ理想的な波形になるまでフィルターの挿入の深さなどの調節を行う。いわゆるキャリブレーションという作業である。これは設備と経験が必要な作業であり、おそらくDmaaでしかできないことだと思われる。

こうしてざっと書いてみたが、おそらく不正確な言い回しも多々あろう。素人には解釈が難しい部分もあり、全部をフォローしきれた気がしない。

(この改造の全容を細かく知りたい奇特な方はDmaaに直接問い合わせてみるのが良かろう。)

なおフランスに納品したものについてはGradoのデフォルトのケーブルをそのまま利用しているが、今後発注が有る場合には、専用リケーブルのオプションを提示する予定もありとのこと。このGrado SR225, 325 octandre Dmaaのためのリケーブルについては仕様が確定しており、既にケーブルの製造も発注済みだそうだ。2017年の6月頃には選択可能となるらしい。


完成した試聴用のGrado SR225, 325 octandre Dmaaを手に取ると、やはりというか実に軽く出来ている。現代のヘッドホンは、GRADO製を除けば、大概はこれらに比べて重たく感じざるをえない。さらにこの改造されたGradoのヘッドホンにはシンプルビューティ、ヘッドホンの原点回帰が見て取れる。ヘッドホンに要求されるミニマルな形がこれだと思わせるのだ。例えばMDR-Z1Rにはデカくて現代的なデザインのヘッドホンをスッポリと頭に装着してバーチャルな音世界へダイブするという趣きがあるが、Grado SR225, 325 octandre Dmaaでは頭と耳にちょっとヘッドホンを乗せて気楽に音楽を楽しむという風情がいい。外に対して音響的にも視覚的にも開かれたイメージがある。確かに装着感はいいとは言えない。しかし、これじゃダメ?と言われると、これでいいよと笑って答えたくなる。眼鏡をかけていても使いやすいのもいい。サングラスをかけて大きなヨットの上でこれを聞いていたくなった。

なお、SR325については昔、新品を使った時に側圧が強いと感じたのを想い起すが、今回実物を使っていて、側圧のキツサが全く感じられなかったのは経時変化なのだろうか。なんにしろ、より装着しやすくなったのは喜ぶべきだろう。


貸出機を受領した夜には、Dmaaがこれらのヘッドホンを小さなDAPとポタアンにつないで、カフェでデモをしてくれた。グアテマラのコーヒーを飲みながら私はこれを愉しんだ。Dmaaでは、こういうイヤホンみたいな使い方も想定していたのである。この使い方は私にとって新鮮であることに加え、音自体かなりマニアックでもあり、とても面白く聞いた。実際は音漏れがかなりあるから、オープンなカフェでないと無理なのかもしれないが・・・・。

でもこういう、いわゆる“ガチ”で本格的な部分のあるサウンドをチープな外観で軽快に愉しむというのは、現代の高級イヤホンではむしろできない相談ではないか。あれらは高音質を追求するあまり、音も中身も価格も独特かつ重装備になりすぎていて、むしろ気軽に聞けるイメージがないし、純粋にモニター的な音の要素にしても薄い気がする。要するに、まだまだ発展途上のジャンルなのである。誰かがヴィンテージイヤホンなどというオーディオのジャンルを確立して、趣味としての幅の広さを示すつもりなら、また話は別だが。



The sound

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潔(きよ)い音とでも言おうか。

これらのヘッドホンを聞いていて、

音楽に命を与える、音の勢い・はずみ・推進力・活力、そんな言葉で表しうる、

なんらかの見えない力を感じない人はいないだろう。

このスカッと抜けてエネルギッシュで、臨場感のある音作りは

まぎれもなくGRADOの伝統に由来するものである。

個人的には初めてラモーンズの音楽を聞いた時に覚えたような、

あのキリの良い疾走感が甦ってきて懐かしかった。

これがヴィンテージヘッドホンの良さなのかもしれない。


しかし、GRADOの伝統そのままサウンドというのは、ともすれば気分を盛り上げる脚色、荒さが目立つ音でもあり、音楽を冷静にモニターするという立場からかけ離れていた。

また低音がやや少なかったし、高域は澄んではいるが、あるレベルを超えるとキリキリ言ってしまってやはり刺激的な色付けがあった。音は常に近めなだけで定位感に乏しく、位置関係はあまり整理されていなかった。これらの気になるポイントをDmaaは幾分か現実に引き戻し、音の分離感と音楽に対する客観的な眼差しを加えた音に作り変えている。以前よりずっと品行方正なサウンドに変化している。

だから当然、これではGRADOの音じゃないという意見も出るだろう。

そう、これは半ばGRADOではあるが、半ばDmaaである。

やはり純粋なGRADOのサウンドではない。

そこはヴィンテージヘッドホンをクリエイティブに扱ったことによる変化であり、私がこのヘッドホンを多いに気に入った理由でもある。


Nagra HD DACRe Leaf E1xでバランス駆動されるSR225, 325 octandre Dmaaの共通する印象は以下のとおりである。

まず全体に派手さが抑えられた落ち着いた音調に変わった。このサウンドには改造のベースがヴィンテージのGradoとは思えない部分が多々ある。

例えば改造前に感じたウキウキ感重視のやや浮ついた音調は鳴りを潜める。高域の質感として感じられた独特の煌めきは大幅に後退、全帯域にマットな音の感触に変わっている。音色で言えばモノクロームで地味な要素が多分に入り込んでいる。そのせいなのか、全帯域で音のテクスチャーをより冷静に表現できるようになった。代わりに派手でカラフルだった音色は多少控え目になったように聞こえる。


音の定位や位相についても以前と比べて大幅に正確な表現に修正された。かなり定位や分離が良いHD600GE DmaaHD650GE Dmaaと比べるとやや劣るが、ここではモニター用のヘッドホンとして十分に安定した音像定位が聴き取れる。

こうなると、無論、音色の鳴らし分けの巧さや、各パートの分離、変調の少なさに改造前とは差が出てくる。音楽に含まれる各音は整理され、あるべき位置関係をリスナーに提示しようとしている。


音のコントラスト、音の明暗の対比の落差の大きさは従来通りドラマチックな表現をする場面もあるが、音の強弱の階調性が随分きめ細かくなっていると感じる時もある。大きい音と小さい音の単なる差ではなく階調・濃淡が細かく分かるようになり、より音の印象が繊細になった反面、以前のワイルドな雰囲気は削がれた。

一方であまり変化していない部分もある。例えば、改造前と比べてサウンドステージの表現はあまり変わらない。これを単純に音場が狭いと言うか、物凄く音が近いというかは人それぞれだと思うが、音抜けが良いことと、音場が広いことを混同しないように注意すれば、このヘッドホンの音場は開放型としてはそれほど広い部類には属していない。ただ、本当に音場を広く感じるヘッドホンよりも、広い部屋の中で音楽が鳴っているような錯覚を覚えることはある。それはハウジングの構造やドライバーの素のままの音調が極めて開放的なものだからだろう。音が頭の周りの空間に放散される感覚が、広々とした空間性の認識につながっている。だがそれは、音楽が録音された空間の広さとは関連がない。

確かにこれは、小型のモニタースピーカーを使い、ニアフィールドかつ大音量でモニターしている感覚に近いかもしれない。


ダイナミックレンジも改造前とほとんど変わらない。もともと大きい音も小さい音も十分に識別可能なヘッドホンだった。ただしカバーする周波数帯域は低域方向に拡大しているように聞こえる。以前は50Hz以下の重低音などは明らかに不得手であったが、そういう低域も巧く処理している。GRADOらしい中高域に若干のアクセントはそのままに、低域の伸びが加わったように聞こえるのである。また低域の解像度も増しているが、量感は控えめのままである。

帯域のバランスとしては凄くフラットというものではないというのは相変わらずであり、中高域、そして低域にアクセントの強さは残る。だが、面と向かって“ドンシャリ”と揶揄されるほどの帯域バランスの悪さではなく、よりソースの音を正確に反映する方向に音が振られているのは間違いない。


このヘッドホンのドライバーは高い能率を誇り、スパーンと爽快に鳴るところが魅力であり、その部分に変化はない。そして改造後の音の立ち上がり・立下りのスピード感というのも従来通り素晴らしい。改造前は過剰に速く音が立ち上がる傾向があって、レスポンスの良さをひけらかすような品位の低さにつながっていたが、この過剰さが鳴りを潜めたというか、速くもなく遅くもない適正な音のスピードに修正された。結果的にいささか音は上品になったように感じる。


一般的な話としてDmaaがモディファイしたヘッドホンや製作するケーブルについてコンシュマーオーディオの立場から言うべきことがあるとすれば、やはりこれはスタジオでの仕事の道具としての面が強すぎて、時に素人のオーディオマニアとしてリスニングを楽しめない部分があるということかもしれない。だが、SR225, 325 octandre Dmaaは例外的にコンシュマーオーディオの側に振れた、面白みのある音が出ている。これはGRADOの伝統の気持ちの良い音作りの方針を潰し切っていないからである。これがDmaaの音の匠としての巧みな配慮であるなら、流石としか言い様は無い。


ところで、SR225 octandre DmaaSR325 octandre Dmaaの出音の違いについてだが、これはハウジングの材質の違いによるところが大きい。SR225は厚さ3mm程度のプラスチックのハウジングをかぶせる形で使うが、SR325ではここがそっくりアルミ製に代わっている。二つのヘッドホンの響きはまるで違っており、SR225は柔らかくて、軽く、暖かく明るい音調だが、SR325はややソリッドで、粒立ちが良く、やや冷たく陰影の強い音である。ボーカルの質感などに関して玄人好みと思うのがSR225であるが、あくまで素人であるヘッドフォニアは一聴して高域が少しキラキラしたSR325を選ぶ確率が高いかもしれない。現代のGRADOのサウンドと比較するとPS系はSR325であり、GS系がSR225に相似するというところだろうか。ここはいずれにしろ自分の好みで選ぶだけだ。


なお、これらのヘッドホンが私の愛するHD650 Golden era Dmaaと差別化できるのは有り難い。音楽をモニターしたいときはHD650 Golden era Dmaa、どちらかというと気楽に楽しみたいときはSR325 octandre Dmaaを選べばよいのである。

ヴィンテージヘッドホンを現代のヘッドホンとして甦らせるためにはどうしたらよいのか、その取るべき道筋を私はここに聞いた。Grado SR325 octandre Dmaaのサウンドは、いささか複雑な出自を持つ特別な音だが、最新のものから古いものまで、ヘッドホンもスピーカーも数多くこなしてきて、多少のことではもう驚かず、驚きたくもないオーディオファイルが落ち着くべき音のカフェのような存在であろう。


別言すれば、私のような者がオーディオの楽しさの原点にもう一度戻りたくなったとき、そしてそこからまた、新たな場所へ移って行きたくなったときに立つべき場所とも言える。ここには懐かしさと新しさが分かち難く解け合い、基本的にはよく見知っている内容でありながら、その見え方という意味では見知らぬ世界が開けているのである。



Summary


日本で最初となるようだが、

私はGrado SR325 octandre Dmaaをオーダーした。

オーダーの際、SR325をベースにするか、SR225をベースにするかは迷った。柔らかくて軽いSR225(プラスチックハウジング)のサウンドを取るか、解像感が高く音のキレがいいSR325(アルミハウジング)のサウンドを取るかだが、私はSR325をベースモデルとした。とはいえ、その結論に至るまで、長考したのは事実である。例えば少し昔のジャズやロックのボーカル、ビリーホリディやフランク シナトラ、ビートルズなどをそれらしく聴くなどという場合はSR225を選ぶというのは絶対にアリなのであった。告白してしまえば、良い状態のSR225すぐには手配できそうもないと判断、SR225の改造の依頼の方は断念したとった方がいいのかもしれない。今でもSR225でオーダーしたいという希望はもっている。


また、現時点でリケーブルは利用できないのでヘッドホンケーブルは仮のものを使うこととしたが、到着次第そちらに換装するつもりでいる。さしあたりRe Leaf E1xで使う予定なので、端子はXLR3pin×2仕様としたが、Nagra HD DACの内臓ヘッドホンアンプに直接挿すのも面白そうだし、RNHPでも使いたい。その部分は本物のリケーブルが来るまでさらに熟慮しよう。


私の場合はGradoの二台持ちというのは、かさばってどうもすっきりしないので手持ちのGS2000eは売り払ったうえで、ロンドンから状態の良さそうな無印のGrado SR325を取り寄せた。SR225SR325を既にお持ちの方なら、こんな苦労は必要ないだろう。

もちろんGS2000eは素晴らしいヘッドホンではあるが、その気になればいつでも買えるし、Grado好きなら誰でも持っている可能性がある。しかしSR325 octandre Dmaaについては、まだ世界で聞いた人間は数十人にも満たないかもしれないし、持って使っている人間はさらに少ないことだろう。これは世界でほとんど誰も知らない音なのである。簡単に言ってしまえば、そっちの方が面白そうなのだ。そんな子供じみた理由で、高価なオーディオの方針を定めていのかと思うこともあるが、これで間違いないのである。

音の良さの本質には言葉でしか迫れないというドグマを堅持する私であるが、このヘッドホンについては徒に言葉を費やすのは無意味かもしれないと感じている。

聞いてそれと分かるヘッドホンがGRADOだからだ。Dmaaで改造されたにしても、SR325 octandre Dmaaはその気質を色濃く残し、やはり言葉のいらないヘッドホンなのである。

聴けば分かる。

だが、その口調は改造前はっきり異なるものである。もともとのGRADOのサウンドはフリースタイルバトルのラッパーのような刺激的なイメージで魅せたが、少し過剰だったしやや下品だったかもしれない。ここではoctandre Dmaaという冠を得て、彼らは冷静さ、正確さ、そして上品さを身に付けた。今や饒舌でありながらも、言葉慎重に選んでいる作家のように、どこか醒めた語り口にシフトした。


オーディオにおけるヴィンテージ機材は、最新のオーディオ機器と比べれば、音にクセが多かったり、絶対的な性能が低い場合がある。それは意図したわけではないにしろ、独特の味わいを醸し出して、現代の機材の音にはない魅力をもつモノとして認知される。古いオーディオには確かにそういう不思議な音の良さがあるものの、それは現代のオーディオの視点から見れば、欠点の裏返しである場合もある。


このような矛盾を孕んだヴィンテージサウンドにあえて現代的な修正を加え、新たな価値を生み出そうという、Dmaaの試みはとても興味深い。

現代のヘッドホンオーディオ界のダイナミックな創造の動きの中で、この自然発生的な試みがどういう立ち位置になるのか、愚かな私に分かるはずもない。

しかし未来に向かって疾走するヘッドホンのカオス的状況が持続するかぎり、

ヴィンテージヘッドホンもそこに巻き込まれ、

否応なく変わってゆく存在であることを、

これらのヘッドホンに対するDmaaの仕事は予言しているようだ。

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by pansakuu | 2017-04-01 09:33 | オーディオ機器