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Audeze LCD-4の私的レビュー:男と女

Audeze LCD-4の私的レビュー:男と女_e0267928_2273997.jpg


男はどんな女とも楽しく過ごせる。その相手を愛していない限り。
By オスカー ワイルド



Introduction

今、聞いているヘッドホンは男か女か、
そんなことが、ふと気になることがある。

男声が力強いとか、女声が聞き易いとかそういう話ではない。
ヘッドホンとアンプの相性がかみあって、全体の歯車が勢いよく回り出したと感じられた時、それぞれのヘッドホン独自の音楽の解釈(いわば音楽性)や音色・音触が克明に浮き出てくる瞬間がある。
その刹那に、それらが醸し出す雰囲気に男を感じるか、女を感じるかという話だ。
新年早々、また本題と関係ない変なことを言い出したと思われるかもしれない。

だが今回レビューするLCD-4を聞いていると、
そういうことについてちょっと考えたくなる瞬間が多い。
なにか微妙なヒトとモノとの関係があって、私の感性をくすぐるのだ。
私にとってLCD-4は女性である。
Re leaf E1xを介した、このヘッドホンのリスニングの印象は、
美しい熟年のディーヴァ(歌姫)とのアフターステージの会話のようだ。
アダルトでクール、そして少しばかり不健全なのである。

今夜は私が彼女について知っていることを話そうと思う。

(なお、この文章はCassandra WilsonのアルバムGlamouredを聞きながら書いた。
また、このブログはバグがあるのか、文が途中までしか表示されない場合があります。文章が途中で切れた場合はもう一度検索してアクセスしなおすと最後まで読めることが多いです。)


Exterior and feeling

外見がどうこう語る前に、このヘッドホン、まずは頭に装着してみるのが筋だ。そこで、あ、コレは重くてダメだ、と思った方は大金を払ってまで、このギアを使うのはおやめになった方がいい。このLCD-4の660gという重さは、もうそれだけで人を選ぶ。まるでフルフェイスのヘルメットをかぶったような重圧感、開放型なのに密閉型ヘッドホンのような閉塞感である。
一方、こんな重さであっても、ま、音を聞いてみようかと思った貴方はまだ脈がある。この素晴らしいサウンドに感動できる道が開かれている。幸い、私的にはこのヘッドホンの装着感に異議はなかった。頭頂部をはじめとして痛い所はどこにもなかった。これはちょっとばかり疲れるヘッドホンだが、私が受け付けないようなものではない。

何にしても、この肩や腰にくるような重さは使う人を選ぶ。だが、この装着感、この重さがあってこそ、この音が得られていると思うので、それらは必要悪のようなものだと私は考えている。
Audeze LCD-4の私的レビュー:男と女_e0267928_2281864.jpg

LCDシリーズの全体のフォルムはほぼ一定であり、定番としての存在感を主張している。大きな平べったい円筒形のハウジングの形、木製のリム、厚みのあるイヤーパッドの取り合わせはほとんどトレードマークであり、ヘッドホン界に同じものはない。私はこのデザインに洗練を感じたことはないし、作りもやや雑だとは思うが、ここにある、無視しがたいモノとしての存在感はGRADOのヘッドホンのそれと同じく尊敬する。
最新作のLCD-4の外見も先代のLCD-3と大きく異なるところはない。大文字のAの形を連想させる、ハウジングの枠に嵌め込まれたグリルがシルバーの鏡面仕上げになっていること、黒檀をハウジングの枠(リム)に使っていること、ヘッドバンドがカーボン素材に変わったことぐらいしか明確な差を認めない。当然、内部は大幅に改良されているのだろうが、売りである1.5テスラのネオジウム磁石、FMT、Fazor Technologyも外から見えない。ただ黒檀とカーボンを素材に加えたことは、音に効いているのは間違いない。異素材を組み合わせることによる共振の分散、それは出音の制動と量感の絶妙なバランスを生むはずだ。この生体素材と人工素材の取り合わせ、複数種の金属と非金属の組み合わせという手法は上手い。思えばパイオニアのSE-Master1やFinalのSonorous Xにはこういう素朴で老獪な工夫が欠けていた。

いつもながらLCDシリーズのイヤーパッドには驚かされる。おそらく世界中探しても、こんなに厚々としたイヤーパッドを持つヘッドホンはないだろう。これが両側から適度な圧力で耳介の周囲を覆う。ラムスキンの表面の質感も皮膚に馴染んで微妙に張り付くようで密閉性が高い。この特異なクッション性はAudeze伝統の、重厚でありながらフカフカ・ピッタリとした装着感を生み出す。そして、このイヤーパッドのオーバーな容積や質感はこのヘッドホンのややソフトな音調に影響を与えている。このイヤーパッドを全く異なる材質、厚さ、構造で作ったなら、全く別なサウンドが得られるだろう。サードパーティ製のイヤーパッドの開発を期待する。

このLCD-4だけでなく、LCDシリーズ全体のメカニクスで弱いなと思うのはイヤーカップとヘッドバンドとを継ぐアーム・スライダーの部分だ。ここは各メーカー 苦心しているようだが、SennheiserやSony、オーテクやパイオニアのヘッドホンのように美しく処理することはできないのか。ここまで高価なヘッドホンで、この部分をロッド一本で済ませてしまうのは許されないように思う。価格が先代よりもグンと上がったのだから、この部分でも飛躍を見せて欲しかった。
また、このヘッドホンで外側に見えているネジは全て磁性体らしい。音響機器に磁性体のネジというのはあまり音には良くないという意見がある。例えば非磁性体で作られたネジを使ったら音はどうなるのか?あるいはチタンで作られたサイドグリルなどを使ったら?KimberからアナウンスされているAXIOSでリケーブルしたら、外観や音はどう変わるのか?興味は尽きない。
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余談だが、ヘッドホンケーブルと言えば、今回は珍しいことがあった。正規代理店のHPでは標準フォーンプラグのヘッドホンケーブルが付属と書いてあった。だが、私のところに届いた専用のキャリングケースの中に白手袋やギャランティとともに同梱されていたのは、4pin XLRの端子のついた水色のケーブルのみであった。私はたまたま別途にRe leaf E1x用の3pin XLRのケーブルを入手していたので、この同梱のケーブルをHP-V8での試聴時以外は使わなかったが、先行して入手された方々にはどのようなケーブルが届いたのだろうか。そして私の個体につくはずの標準のプラグはどうなったのか?未だに代理店様からの回答はない。


Exterior and feeling

Audeze LCD-4は、かつて聞いたことのないほど表現が多彩で、バランスのとれた音質を誇るヘッドホンである。
例えばHD600 DMaaではしっかりとした音像表現に傾いた音調となるし、Hifi man HE1000となれば明らかに空間表現に軸足を置いたサウンドになっている。しかしLCD-4では適切なヘッドホンアンプで駆動するかぎり、音像、音場そのどちらについても充実しており、偏りを感じない。そして、あらゆる音の質感、あらゆる音楽のスケール感、曲想に柔軟に対応するように聞こえる。先代はジャズ、クラシック向きとの評判があったが、私がテストしたかぎり、こちらはオールマイティのようである。

また平面駆動型全般に言える聴き味の良さはLCD-4ではさらに磨かれ、抜群に高いレベルであるが、そういう聞き易い音で失われがちな音の立体感・実在感もいい塩梅でついてきている。透明感のある、やや薄い音像ではなく、みっちりと身の詰まった、高密度で重みのある音像である。これが1.5テスラの威力なのか。

このヘッドホンはダイナミックレンジが広い。特に微小な音に強く、ごく小さな音をよく拾う。LCD-3もこの要素には強かったが、さらに強くなった印象だ。直接音につき従う微かな倍音成分のたなびきの表現も素晴らしい。リバーブは他のヘッドホンから聞こえるそれよりも、長く尾を曳いて音場に流れており、極上の心地よさを演出する。

帯域バランスについては至極真っ当で、いわゆるフラット。先代のLCD-3よりもずっと平らにならされ、突出して目立ったり、引っ込んだりする帯域がない。LCD-3までのAudezeには、それぞれのモデルで帯域バランスのどこかにクセっぽさがあったように私個人は記憶している。例えばLCD-3はどうも中低域にアクセントが感じられた。だがLCD-4では、そんなアンバランスはほぼ払拭され、エージングが最後まで進む前でも、文句のつけようのない綺麗な帯域バランスが実現しているようである。これは進歩だ。
帯域別に言えば高域はLCD-3より明らかに伸びている印象だし、あの分厚い、量感のある低域もその特徴を保ちつつ、解像感を増し、音程がとても聞き取りやすい。緩さが減った。しかも最低域のさらなる伸長が感じられる。この低域の迫力は、このタイプのヘッドホンでは随一と思われる。比較対象のHE1000ではこの低域が空振りするようなところがあり、好みを分けるが、LCD-4の充実した低域にはより多くのマニアが満足するのではないか。とにかく素晴らしく深いところまで伸びた低域の表現である。また中域の開放型らしくない密度の高さも健在であるが、そこには清々しい透明感も少し加わっていて、ここでもより多くのヘッドフォニアにアピールする内容となっている。

音の強弱の階調性は非常に豊かであり、そのグラデーションの変化はかなりキメが細かい。音の色彩感もはっきりと出して来て、華やかでカラフルな音から、沈んだモノクローム調の音まで幅広く対応する。音の明るさも変幻自在。ここでも曲想を選ばない万能性が感じられる。今はカサンドラ ウィルソンの声を聴きながら書いているのだが、彼女の極上のブラックコーヒーのような声、ビターでそしてかすかにスィート、酸いも甘いも知り尽くしたような深みのある声の色彩感が巧みに表現される。今までどんなスピーカーからも、ヘッドホンからも聞けなかった音が聞こえる。

音の解像度もすこぶる高い。しかし、その現れ方はさりげない。細かい音の粒立ちが際立って聞こえたとしても、キツさはなく、聞き易さをキープする。この点についてはHE1000とSR009の解像度の違いが想起される。SR009は振動板・ハウジングの材質と構造が影響しているのか、HE1000よりも音数が多いとの評価がある。しかしLCD-4はSR009に勝るとも劣らぬ解像度で、くまなく音像を描写する。踏み込んで言えば、SR009よりも音の細部を堂々と提示するとも言える。SR009よりも音が繊細に傾き過ぎない。また先代LCD-3との比較においても解像度とか音の分離感という意味で進化している。LCD-3を愛用されている方は特に楽器や声の各パートの分離の良さに驚くに違いない。

さらに過渡特性も優秀であり、自然な音の立下り・立ち上がりが音量の大小に関係なく、どの帯域でも得られる。ここも以前から抜かりはないが、さらに洗練されたようだ。平面駆動型のヘッドホンはこの音のスピード感が速すぎると感じることがあるが、LCD-4は丁度良い。

これらの周波数帯域や解像度、トランジェントの達成度については、ライバルとなるHE1000もほぼ互角の能力を持つと思われる。つまり価格や装着感を含めて考えればHE1000が勝っているかも知れず、優劣の判断が難しい。しかし音像の表現という部分ではLCD-4はHE1000に対し、価格差なりのアドバンテージがあると思う。平面駆動としては異例なほど音像がどっしりとしているのだ。他方、音場の空間表現についてはHE1000が流石に一歩先へ抜けて行く。とはいえLCD-4もHD800等の音場表現を得意とする過去のヘッドホン達以上の優れた音場を提示するので、音場が弱いなどとは到底言えない。基本的に音場の出方がHE1000より堂々としているので、私には広がりがわずかに狭くてもLCD-4の方が好ましい。

さらに音質評価で新参ながらHD800やHD800Sを凌駕するようにきこえるMrSpeakers ETHERとの比較も改めてやってみたが、これは(私の中では)多くの点でLCD-4やHE1000に僅かに及ばない。音場に拡がる空気感にさらなるきめ細かさが欲しいし、トランジェントもさらに自然であって欲しい。音場の広がりがもっとあっていい。ごく僅かな差だが。ETHERはなかなか良くできたヘッドホンであり、そのポテンシャルはもっと高いところにあると思う。なにしろ、これはまだ最初のモデルだからね。さらなる改良が望まれる。

蛇足的な感想を述べる前に、ここまでの私的な評価をひとまずまとめると、現時点での音質に関する総合的な見地からは、ETHER、SR009、HE1000の音質を超え、ハイエンドヘッドホンとして最も理想に近い音が聞けるのは、LCD-4だというのが私の意見だ。かなり高価だが、買って後悔していない。

いささか脱線するが、最近、Hifiman HE1000との比較で面白いことがあった。Fostex HP-V8にこれら2機のハイエンドヘッドホンを繋いで比較試聴した時のことだ。シングルエンドでHE1000をつなぐと、彼女の誇る空間表現にHP-V8の持つ懐の深さがプラスされ、なんとも心地よく音が伸びてきた。個人的にはHE1000のベストサウンドはHP-V8とのペアではないかと思ったほどだ。次にバランス端子に繋いだLCD-4に切り替えてみると、微妙にモタモタした音でいけ好かない。ヘッドホンの個性とアンプの個性がぶつかってしまったアノ残念な感じが滲んでいるように聞こえた。
しかし、その時に一緒に試聴した方は、HE1000+HP-V8はSR009+STAX純正アンプの出音に近いので、わざわざこのペアにする必要は感じない、むしろLCD-4とのペアの方が、音の輪郭や分離がシッカリ出ていいのではないかという意見を述べられた。こういう意見の相違は勉強になる。後日、私はSR009を聞き直し、その方の意見にも納得した。

ここで強いてLCD-4の音質上での欠点を挙げるとしたら、音の質感のリアリティについてだろうか。LCD-4では質感描写が常に若干ソフトであり、実物の手触りからごく僅かに遠のく印象がある。繊細過ぎないのだが、柔軟過ぎるかもしれないと思う時がある。ここらへんがLCD-4をして女性的と感じさせる部分か。手持ちのHD600 Golden era DMaaやHD650 Golden era DMaaの音の朴訥な素直さと比較すると、その差は露わである。これらの改造ゼンハイザー達のサウンドはリアリティという部分では比類ない。

これほどの隙の少ない、洗練された高性能機でありながら、結果的にLCD-4は独特の女性的な音楽性を随所にちりばめた音を出していると思う。
音楽の緊張と弛緩を過不足なく、まるでモニター用のヘッドホンのように正直に再現するように聞こえる時もあるが、そこには巧妙な演出・音楽性が紛れ込んでいる。その事実に気づいたとき、この女性的なヘッドホンが歌う音楽といつまで付き合えるのか、密かな葛藤が生じる。自身が最も違和感なく親しんできたHD600 Golden era DMaaやHD650 Golden era DMaaは、そのような手錬手管をほとんど用いないからだ。そういう素のままの音を今までそれを良しとしてきた私の聴覚は深いところで、この演出に抗う時がある。こういう心奥での音質のジャッジは実に難しい。

色々な音楽をLCD-4とRe Leafのペアで聞くうち、他のヘッドホンではキツく、too muchと感じるような音量でも聴き味の良さが保持されることを知った。調子に乗って音量を上げてみるとそこには異世界が拡がっていた。
(無論これは試聴機ではできない話であり、オーナーが自己責任でやることなのだが・・・)
つまり、ラージモニターに目一杯のパワーを放りこんで、超大音量でオーディオを愉しむ人がいるが、それに近いことがヘッドホンで出来て、しかも耳が痛くならないということに驚いたのである。(重いので肩や首は痛くなるかもしれないが・・・)
例えばスピーカーで耳から血が出るかと思うほどの超大音量で聞くと、小音量で聞く時よりも、強い音圧、大きな量感が得られるが、LCD-4を使えば、それに近い感覚がヘッドホンも得られる。ただし、これはスピーカーではなくあくまでヘッドホンだから、聞こえ方はやや箱庭的で独特である。沸き立つような細部の描写・ディテール感が、音圧・躍動感・量感に加わっているのだ。コンパクトなスポーツカーのアクセルを一杯に踏み込んだまま、夜中の一本道を疾走する快感と同時に、後へ送られてゆく、煌めく都市の風景の細部全てが立体的に際立って見えるという独特の感覚も並行するのである。それはヘッドホンでもスピーカーでも、体験したことの無いものだった。このリスニングでは聞き慣れた音楽から、多くの新たなニュアンンスが聞き取れ、驚きの連続である。まるで音楽に秘められた情報が、思わぬところから噴出してきたような意外性があった。
これは本当に生々しい音であり、音像の立ち方が凄い。音像が細密かつダイナミズムに溢れていて参ってしまう。全てを忘れて聞きなれた曲に聞き入ってしまう。同時にこういう音をヘッドホンに求めていたんだ、と納得させられる。
おそらくスピーカーからはこういう詳細に満ちた大音響はなかなか出てこないだろう。大概のスピーカーとリスニングルームの取り合わせでは、その音量だと音が飽和してしまい、精密な音の細部が潰れてしまうからだ。
LCD-4とE1xがあればスピーカーはなくてもいいなどと無責任に言い放ちたい衝動に駆られること、しばしばである。
平面型の特性だろうか、歪みの生じる直前のギリギリのところまで攻めても、まだ聴き味の良さを感じられるのが小気味良い。(念のために言っておくが、この実験は短時間で終わらせた。やはり故障は怖い。)このヘッドホンが重たく、構造的に制動が効いているということは大音量でも共振しない要素なのであろう。やはり重さは必要悪なのだ。
さらに、これほどのパワーをヘッドホンに流し込むことが出来るのはRe Leaf E1xのお蔭でもある。今更だが、他のアンプでこのようなリスニングが出来るかは保証の限りではないと言っておこう。私はLCD-4によるリスニングにおいて初めてE1xのフルパワー、余裕のない限界の音を耳にすることが出来たように思う。これもまた意外な収穫であった。
そういうわけで、感度100dBのLCD-4は駆動しやすく、ヘッドホンアンプを選ばないという噂は本当だが、ポテンシャルを発揮させたいなら金銭の許す限り高性能なヘッドホンアンプを選ぶべきという、月並みな結論に達した次第である。

このような大音量再生ともなると、スピーカーではオーディオにおける男性的な要素を強く意識させがちなのだが、このLCD-4ではむしろ逆に女性を感じるのが不思議だった。この細部に目の届くような細やかさに女性を意識させられるのか?このようなソフトでメロディーのつながりの良い音には益荒男を感じないのか?やはりこのヘッドホンの出音の中には女性、それも年増のディーヴァの持つ、艶のある老獪さのようなものが聞こえるようだ。


Summary

Audeze LCD-4は、メカニクスにも音作りにも熟成感・老獪さを感じるヘッドホンである。LCDシリーズは代を重ね、音質としてはここに完成を見たようだ。このヘッドホンは2010年代を代表する名機のひとつと呼ぶに相応しいサウンドを実現している。適切なヘッドホンアンプと組み合わせた場合は、音質だけならこれに勝るものを今のところ想像できない。
実は、これを買う前は、音質にあまり期待していなかった。LCD-3も買って使ったがレビューする気にならなかったくらいだったので、LCD-4も大差ないだろうと考えていた。しかし、そうではなかった。エージングが進んでくるとジワジワ良くなってきているようだ。こんなに凄いヘッドホンサウンドは初めてである。これは未踏の領域。私はこのサウンドの虜になりつつある。E1xと組みわせたサウンドを深夜に聞いたりしていると、本当にこれは実力では世界一の組み合わせなんじゃないかと興奮する。音質と関係ない部分にカネがかかっているゼンハイザーの富豪向けヘッドホン+真空管アンプは、これ以上の音になっているのだろうか。
とにかく、LCD-4が来てからスピーカーを全く聞いていない。聞く必要が全然感じられないからだ。いままで聞いた、どんなに優れたスピーカーだろうと、この世界を実現できないだろうと思える。スピーカーに戻るにはまだ時間がかかりそうだ。

ただ惜しいことに、この音質はヘッドホンの無茶な重量なしには得られない。音質は重量とトレードオフの関係にあるのだ。もし次期モデルLCD-5が100gも軽くなったら、音色は一変しているはずだ。このサウンドの優秀性は、万人向けとは言えないズシリと来る装着感と表裏一体なのである。だから金銭的な意味以外でもこのヘッドホンを全てのヘッドフォニアに推薦することはできそうにない。重さについては訊かないでくれ、そう言いたいほど。ただ究極のヘッドホンサウンドを目指す人、この先にはまだ何もないという音を肌で感じたいという、コアでエッジなヘッドホンマニアについては、これを実際に買って使いこなす体験を避けては通れないのではないだろうか。それほどの優れた音質を誇る一台である。

このヘッドホンのサウンドの底流にあるAudeze独自の雰囲気、どこか女性的な部分、香るようなコクのある柔軟な音調、そこから来る演出感にわずかに引っかかるものを感じながらも、私はLCD-4と洒落た会話を毎晩楽しんでいる。Re Leafというカフェがあって、そこでテーブルを挟んで差し向かい、ワイングラスを傾けながら年増の美女と他愛のない世間話に興じる男、そういう図式を想像してもらってもいい。反面、こうして表面では微笑んでいても、お互いずっと一緒に居られるとは思っていないとこに、大人の付き合いというか、切ない部分もある。それは内的な葛藤、心の深いところでの痴話喧嘩なのだが、これがさらに我々の会話の言葉ひとつひとつを深めてゆく感じもある。切っても切れない関係でありながら、いつか断ち切られることを互いに予見している間柄。この緊張感がまた心地良い。こういう微妙なモノとヒトの関係性はライカ モノクロームやヴィンテージのパテックフィリップでも体験したが、ヘッドホン関係の機材では初めてだ。私はオーディオ機材に一生モノなどないと知っているし、それを一人で独占してもこの世に何の益もないと思っている。だから、LCD-3もEdition5もGEM-1も、そしてSR009さえも手放す時になんの未練も感じなかった。だが、LCD-4に至ってはもう二度と会えない別れになりそうで、なかなか踏み切れない。それほどLCD-4のサウンドは私にとって素晴らしく魅力的だ。しばらくはこのまま、スリリングかつ冗長な関係を愉しみながら、二人だけの幾夜を過ごそうと思う。
Audeze LCD-4の私的レビュー:男と女_e0267928_227542.jpg

by pansakuu | 2016-01-24 19:07 | オーディオ機器