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珈琲を飲みながら:Audeze LCD-4が届いた聖夜に

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神は8日目にコーヒーを創造した
詠み人知らず



私はコーヒーは苦いモノだと思っていた。
そう思っているかぎりは、苦いコーヒー以外は認めない、
そういう立場に知らず知らずのうちになっているものだ。
だが、ある日突然に気付かされる。
コーヒーが苦くない方が自分にとっては美味しいらしいことに。

神田に行きつけになったGlitchというカフェがある。
本屋に用があった帰りは大概そこへ寄って、コーヒーかカフェオレを一杯飲んでゆく。
ここにコーヒーはまるでジュースのようにフルーティである。
苦くない。味にもその澄んだ色にも透明感がある。
焙煎法が普通と違う。豆を焦がさない。
もちろん淹(い)れ方もお湯の温度や十秒単位で決められた手順も独自のものらしいが。
あくまで結果のみにコミットする万策堂は、原料や加工法についての関心はあまりない。
できあがったコーヒーやカフェオレが美味いかどうか、
それしか気にしていない。
自分に合うかどうかしか考えていない。

そこを紹介されるまで、実はブラックコーヒーが苦手だった。
苦いのが苦手だった。
上京してから、立派な専門店で真っ黒いコーヒーを飲むたびに、
誰かに気を使っておいしいですねと言うのも苦痛だった。
連れてきてくれた方に対してか、
あるいは愛情をもって、
少し流動性の低いコーヒーを淹れてくれる店主に対してか、
礼を尽くして、お世辞を言う相手は時々で違ったかもしれない。
とにかく、コーヒーというものは苦い飲み物を大事そうに飲むのが
カッコ良いらしいと、
その作法を受け入れて過ごしてきた。
心の底では納得できなかったが。

ところが、その神田の店では
コーヒーはフルーツであると教えてくれた。
それでいいのだと。
苦くなくていいのだと。
コーヒー豆は実は果物なので、
そのエッセンスをそのまま素直に味わえばいいと言うのだ。
大事なのは、彼らが私にそういう講釈を垂れたわけではなく、
味覚そのもので、それを示したということである。
その流儀を押しつけたのではないところが良かった。

実際、あそこへ行くと、幾つかの焙煎したコーヒー豆のサンプルがあり、ラベルには産地の豆の品種、そのフレーバーが書かれている。フレーバーの文言にはストロベリーとかピーチとかラズベリーとか、果物の名前が並ぶ。手に取って香りを試すと、確かにそうだ。ワインもこんな感じで、その味や香りを表現することがあるが、コーヒーの味香についてこういう言い方をするのは初めて見た。
そうは言っても
当然、こういうコーヒーは薄くて好きじゃないという方がおられるはずである。
それはそれで、並行して在っていい考え方。
だが一方で私のような者も居るし、居てもいい。

淹れてもらったコーヒーをさらさらと飲みながら、
買ってきたマラルメの詩集に目を通す。
私は自分の指定した香りにつつまれながら、字面を追い、様々に考える。

もしかするとオーディオもコーヒーの味と同じじゃないのか。

そもそも質量はなくて、形もなく、目の前ではかなく消え去ってしまい、生存には必須ではない音楽というものをただ聴くために、大袈裟でカネのかかるオーディオシステムを維持・更新するのは苦痛じゃないのか?
別に今風でなくてもいいんだけど、
とにかく全然オシャレじゃない。
例えば、もっとアッサリとした見かけをしてるが、音楽の良さ、音の良さが十全に感じられて愉しめるスピーカーシステムは作れないものか?
実際、そんなものは、なかなかない。
でも翻(ひるがえ)って考えると、
そういうものが何故、出来てこないかはなんとなく分かる。
世界中でオーディオを創る、ほとんどの人々の頭の中身が古いからだ。
もちろん全員じゃない。
AK380なんかを企画してしまう韓国人もいるし、
Mojoなんかを作ってしまうイギリス人もいるから。
でも大半は昔のままのオーディオの観念なのだ。
そういう人間たちが作るモノから、
新しいカルチャーの息吹を感じ取ろうとしても無駄だろう。

昔は重厚長大で無駄にカネのかかるオーディオシステムでも良かった。
価格の絶対値が今ほど高くはなかったし、人々の心のゆとりも大きかった。
デカい音を出しても時に苦情が来るぐらいで、
役所に訴えられたりはしなかった。
今まで積み上がってきた
ハイエンドオーディオってこういうものだという
カタチや作法みたいなものがあるけど、
最近はなかなか、ついて行けない気がしている。
音質がそれほど良くならないのに、鰻昇りになっている価格のこともある。
大地震の時に電気が来なくなり、
こんなモノを持っていていいのかと真剣に考えた思い出にも影響されている。
(酷いことに、もう忘れそうになっているが)
しかし、そんなことだけじゃない。
そもそも今は時代精神が違う。
ハイエンドオーディオが出来た時代、
マークレビンソンがセンセーションを巻き起こした1970年代とは、
ドイツ語で言うZeitgeistが違う。
小さなスマートホン一つで、多くのことが何処に居ても済むような時代だ。
もちろん音楽だってコイツで十分聞ける。
ここで聞こえる音楽が、
MagicoのスピーカーとConstellationのフルシステムから聞こえる音楽より
劣っていると誰が断言できよう。
上手く表現できないが、
昔と同じ感覚でオーディオをするのは
もう苦(にが)いと思う者が居ても不思議はない。
もちろん、いままでの古色蒼然としたハイエンドオーディオがあってもいい。
許すも許さないも、その一部を今だって愛してるさ。
(深く深く愛してるぜ)
だけど、そればかりじゃ、つまらないのも自明。

私はコーヒーは苦いモノだと思っていた。
そう思っているかぎりは、苦いコーヒー以外は認めない、
そういう立場に知らず知らずのうちになっている者もいる。
だが、ある日、気付く者がいる。
コーヒーが苦くない方が、
自分にとっては美味しいということに。

そろそろ帰って、
またコーヒーでも飲みながら、
LCD-4とE1xでジャネット ジャクソンの新譜でも聞いてみようか。

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by pansakuu | 2015-12-25 23:47 | その他