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CHORD MUSIC XLRケーブルを巡る私的な迷想:オーディオの一本道で

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「天下無双とはただの言葉じゃ」
by柳生 石舟斎 (井上 雄彦 バガボンドより)



この東京という大都会の神経質な生活に疲れたら、
どこか外国の砂漠地帯へ出かけるのもいいさ。
10キロ四方に自分以外の人間は居ないような場所。
ただ真っ直ぐな一本のハイウェイがその一人きりの砂漠を貫いているだけなのさ。

そのハイウェイを半日、時速65マイルで走っても、一台の車ともすれ違わない、
そんな場所は、この世界にはいくらもある。
例えばアメリカの南西、ハイウェイ95が貫くモハーヴェ砂漠かな。
ネヴァダ、アリゾナ、カリフォルニア。
あれは砂漠というより荒野だよ。そっちが正しい。
広大無辺の荒れ地を抜けてゆく一本のアスファルトの道を古びたリンカーンで飛ばす。
65マイル?時速100キロくらいかねえ。
本当に半日以上、平均時速65マイルで走り抜けても、一台の車ともすれ違わない。

そういう乾いて爽快なイメージを俺に抱かせたインターコネクトケーブルがここに有る。
その名はCHORD MUSIC。
これを作っている英国のケーブル専業メーカーCHORDはハイエンドケーブルの世界ではやや新参者なんだが、こうね、どこか決まりきってきてさ、硬直してきたようなメジャーなハイエンドケーブルたちの出音に、いつも一石を投じてるような気がするんで、俺はCHORDのケーブルに以前から注目してきた。

今、手にしているCHORD MUSIC XLRバランスインターコネクトケーブルは、CHORDの他のケーブルと印象としてはあまり違いのないモノだ。写真はないので、勝手に想像してほしい。
純白の合成繊維製の被覆で覆われた、ややタイトな印象の線体は、あんまりしなやかではないけれど、取り回しに苦しむほどじゃない。XLR端子は、ゴムリングが嵌められていたり、付け根の部分がオリジナルの金属の削り出しのパーツに換装されてたりするけど、基本的にはノイトリックの端子だ。外から見て、その純白のCHORDカラー以外はそれほど目を引くところは無い。とはいえこれは1mワンペアで90万円の代物。中身にはそれなりの仕掛け、材質の工夫があるんだろう。
例えば同じ長さのRCAバージョンとの価格差が大きいことは注目すべきだ。すなわちグランドを一本加えるだけで大幅に高くなるということに、変な言い方だが“手応え”を感じる。CHORDの技術は当然、ホット、コールド、グランドそれぞれに適用されていることになる。

CHORDケーブルの開発者、ナイジェル フィンは日本製のエクリプスという卵型スピーカーを使ってケーブルの音決めをしていると聞く。フルレンジ一発のシンプルなスピーカーはケーブルの素性をマルチウェイのスピーカーよりも容赦なく、暴き出すんだろう。あのスピーカーは音圧とか音量は取りにくいが、ニアフィールドリスニングするときには精密な定位や音の解像力、正確なサウンドステージの広がり方なんかでは、凡百のブックシェルフスピーカーやトールボーイスピーカーを軽く引き離して、世界中にマニアックなファンがいる。だけど、このスピーカーでハイエンドオーディオケーブルの音決めをしているっていう話は初耳だ。CHORDの多くのケーブルが他のメーカーのケーブルとサウンドの点で一線を画している秘密が明らかになったような気がする。

で、いつものようにConstellationのPerseusとNo.32Lの間を、
この白くてちょっと硬めのケーブルで結線して聞き始めよう。
なるほど、このケーブルには速効性がある。聞き始めた直後、アッという間に音の姿態は変化して、システムの主導権が部分的にしろ、CHORD MUSICに移ったことが分かる。スピーカーの周囲の空気は急速に透徹して、やや冷たく広大な音のスカイラインが左右に広がり始める。濁りの全くない音がその向こう側から、こちらへと投げ込まれる速球のようにドンドン聞こえてくる。俺の頭の位置、耳の位置というとても狭いストライクゾーンに向かって正確に投げ込まれるストレートなサウンドだ。こういう真っ直ぐな音って今時のハイエンドケーブルにはほとんど無いんじゃない?
音と音間の沈黙の境目はとてもクッキリしているが、ボーカルに硬さはなくて、むしろ柔らかく滑らかになったようで音の流れがいい。ダイナミックレンジに大きな変化はなくて、
周波数帯域の広さ、バランスにもほぼ変わりなし。それから音を視覚的に捉えたときに発生する、音の解像度という概念、その単語を使うなら解像度はグッと高まり、明らかに鮮鋭感を増してくる。細部はクリアーに鋭く立ち上がり、鮮やかに眼前に展開。過渡特性もはっきりと良くなって、いわゆるハイスピードな応答に拍車がかかってくる。この応答の早さからか、CHORD MUSICはリズミカルな表現が恐ろしく巧い。また、この応答一つ一つに力が宿っているように思えて、聞いている方はグッと来る。
そして宣伝文句のとおりに、音楽のフレーズひとつひとつに付いているアクセントの位置情報がとても正確で、リズムやメロディに誇張がないのに強烈なインパクトが得られる。こうしてリスナーは非常にストレートで小気味良いインパクトと音場の見通しの良さに圧倒されちまう。
一般にこのレベルのハイエンドケーブルを使うと、様々な音色の鳴らし分けは実に巧妙になるもんで、何丁ものバイオリンがほぼ同時に鳴っていても、その製作者や製作年代の違いから来る音色の差異があるから、音は折り重なって層を成して聞こえる。でも、このケーブルではそこらへんの鳴らし分けはJormaやトランスペアレントの最高級グレードと比べるとちょっと弱い感じはするね。色々な音にキレイに分かれるところが、一本化されてシンプルに聞こえちまうことがある。これは言うなれば、このメーカーがまだ若いということなのか。ただ、音がバラバラになり過ぎるのも困るんだよな。このケーブルではハモりの美しさがむしろ出やすいのはいいことだしね。トランスペアレントやNordostの上級モデルは時に音がバラケすぎだと思うから。したがって各パートの分離感に関してCHORD MUSICではやり過ぎにならないのを、むしろ良しとする。とにかく多くの楽器が適切な一体感を持って鳴るんだ。
では音の強弱の階調はどうだろう。いつも気になる、大きい音と小さい音の階調・濃淡のグランデ―ションは全くの一続きのものと聞こえる。これは段階的な違いじゃない。実に細やかで緻密な差異の表現がなかなか凄まじい。
定位の良さ・位相の正確さ・タイミングの正確さについては、本当に得意分野だね。このケーブルほどそれらの点で徹底してアキュラシーを感じるケーブルは稀だ。何処からどのような音が、どのようなタイミングで現れ、何処へどういうスピードで飛んでゆくのか、常に正確な答えを用意している、それがCHORD MUSICのサウンドの真骨頂なんだよね。
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このケーブルは珍しくも英国製でさ、(DAC作ってる、あの英国のメーカーとは名前は同じだけど全く関係ないのでよろしく)普通のハイエンドケーブルというと米国製が多いけど、そこは出自が違うんだよね。さすれば英国伝統のいぶし銀の音を聞かせるのかと思いきや全くそうじゃない。そこもオモシロイ。これではネオクラシックとさえ言えないな。伝統のようなものとの関わりがほぼ全く感じられない新しい音さ。当然、スコットランドのLINNのサウンドに代表されるような音のまとめ方の巧さで聞かせるタイプでもない。かといって、いかにもハイエンドケーブルでございますっていう、これ見よがしの豪華な音とも少し遠いし。これはまさにCHORDの音としか言い様は無い。

当たり前だが、アンプやスピーカーの音はケーブルを通すことによってしか確かめられない。逆に言えばケーブルの音もアンプやスピーカーを通さないと分からない。だからケーブルの音を純粋に知るのは難しい。アンプやスピーカーのキャラが音に乗るから。でも、このクラスのケーブルともなりゃ、アンプやプレーヤーをまるでねじ伏せるように支配するモデルも稀じゃない。そういう場合はシステムがなんであれ、否応なくケーブルの色がよく分かる。
その観点から見れば、CHORD MUSICは自分の個性・色をアピールしつつ、あくまでシステム全体を生かそうとするケーブルだね。聴きようによっては容赦ないほど独自の色づけのある音でありながら、それが今聞いている音楽そのもののフィーリングや、システムコンポーネントそれぞれの音の傾向を殺しもしないっていう所がいい。自分の音も周りのコンポーネントの音も公平に出す。

そういえば、色づけのない音は音楽的な表現に直結しないと言う人が居たね。具体例を挙げるなら、進化したデジタルオーディオの音には色づけが少ないと感じることがあるけど、そういう音では音楽性が大きく削がれることがあるという経験則を言いたいのだろうか?デジタルオーディオの進化はさしあたり出音の生々しさ、臨場感にはつながるようだが、それはそれで一本槍な姿勢っていうか、ある方向性しか見ていない退屈な音でもあると俺は思うことがある。優秀で精密だけど、どうもぎこちないというか、嘘くさいというかね。例えば高価なクロックで武装したハイエンドDACのサウンドには音楽性がごっそり欠落している場合なくない? DSP-01やVivaldi、あるいはポータブルハイエンドDACとして名高いAK380の音を聞いている時には、音楽性という言葉が俺の頭に浮かんで来ないんだ。

じゃあ音楽性とは何なのか?
俺の場合、単なる音波の連なりでしかない何かを音楽足らしめているもの、音楽の背後にある作曲者や演奏者の意図、感情の起伏を指してそう言っている。あるいは別言をもってすれば、音楽を創った人間の意図がまるで言葉のように意味をもって聞こえてくる、あるいはイメージとして見えてきて、音楽が解釈できるようになること、とでも言うかな。
それは常にオーディオには宿っていなくちゃならないものなんだ。
少なくとも俺にとってはね。
確かに機材によっては、その音楽性を分かりやすくリスナーに示すことを得意とするものがある。そういう「音楽性のある」機材を使っていると、まるで無生物である機材になんらかの意志があって、音楽の内容をこちらに訴えかけて来るように感じるんだよね。誰かが言うように、ごく客観的にオーディオという「状況」を見ることができれば、おそらく、そこにはなんらかの心理的なファクターがあって、知らず知らずのうちに作用してるだけなんだろうけど。

とにかく、CHORD MUSICを通すことで音になにかが加わったのか、それとも元々あったもので、ケーブルを通す途中で失われていたものが、失われずに耳まで届くようになったのか判然とはしない。おそらくその両方だろうと勘繰るに過ぎない。
こうしたスーパーハイエンドケーブルについては、その宣伝文句にありがちな全く足し引きのないサウンド、音色までも透明にする傾向を実際には、あまり感じない。むしろ、それぞれが、どういう形にしろ音質を盛る・ドーピングして聞かせることがほとんどだ。いわば女たちの化粧のようなものさ。飛び切り上手い化粧。さらに言えば、いくつかのハイエンドケーブルはドーピングをさらに極めて、ケーブル固有の個性を強く聞かせる。こうなると化粧を超えて整形になってしまうかもしれない。それはなんだか可笑しな話なんだけど、もし、そういうドーピングが、さっき言った音楽性ってものにつながるなら、俺はそれはそれで良しとする。
なぜかって、入力された信号をただ忠実に出力するだけでは音楽にならないからさ。それだけじゃオーディオをやっていることにもならないし、そもそも、それは厳密には不可能だし。だから音楽性はどうしても必要なんだよ。

CHORDケーブルの開発者ナイジェル フィンの座右の銘はなんと、というか、やはりというか「Sound is sound, not music」なんだそうだ。こういう音の全てを色づけせずに出し切る正確なケーブルを目指す彼の姿勢は、ハイエンドケーブルの開発においては珍しい態度じゃない。でも私の知る限り、完全な正確さ、全くケーブルの介在が感じられなくなったと言い切れるようなサウンドは得られたことはない。(だいたいそれ、どうゆう音よ?)ハイエンドケーブルになればなるほど、必ずケーブルの個性・独自の音楽性が音に乗る。
もちろんCHORD MUSICだって例外じゃないんだ。
つまり「Sound is sound, not music」はただの言葉に過ぎない。

CHORD MUSICに限らず、ハイエンドなオーディオケーブルというものの中には、単なる電線でありながら、独自の音楽性を発揮することで、そういうオーディオの哲学的領域に立ち入るものがある。一本のケーブルに過ぎないにもかかわらず、音楽性が深まって哲学として認知される、あるいはその音楽性自体が哲学というべきものへ変容していくような気がすることがある。
ここでいう哲学というのは、世界の根本を捉え尽くしたいという衝動をもって、対象物がなんであるかを考え、それを記述し尽くす行為を指してるんだけど、ただの電線がこんな思考へと通じる抜け道になっていたなんて、それこそオーディオの不思議だし、隠された醍醐味なんだよね。
まさに、そういうレベルのケーブルともなれば、ただ単純に音質についての印象を言葉で並べたところで舌足らず、あるいは消化不良になるだけかもしれない。でもその手のケーブルのインプレッションというものは、上手くすれば“とどのつまり、オーディオとはなんなのか?”という大きな命題への答えを探す手掛かりにもなりうる。だから、それを敢えて書く意味はきっとある。

じゃあ結局、オーディオとはなにかって言えば、これは音楽の聞き方をトータルでデザインすることなんだと俺は思ってる、今のところはね。(なんだ簡単じゃねえか)
オーディオとは再生する楽曲の選択から始まり、その操作感、音質、そして機材が構成するシステムの外観全体に至るまでのスタイル全体をトータルでデザインするってことだ。
でも、それは音波として耳に聞こえ、光波として目に見えるものだけをデザインするんじゃない。

例えば、ある空間と時間が我々に与えられれば、そこにオーディオシステムを置くことで、音波の連なりの中に、サウンドステージの広がりや奥行、深みを作り出せるようになる。こうすれば耳に聞こえ、あるいは目に見えるような地平線や境界線を眼の前に張りめぐらせ、そこに千変万化する多くの音を置くことができる。こうして出来上がった景色・サウンドスケープは、ダイナミックに刻々と変化する音のインテリアのようなものさ。でも、俺の求めてるのはそれだけじゃない。音波として耳にも聞こえず、光波として目にも見えないけれど、ヒトの心に直接伝わる何かを求める。それが音楽性だ。どういう考え方・感興で楽曲、あるいはオーディオ機材が作られているのか?その問いに対するリスナー個人の主観的な答えがそれだ。音楽性は音質・音楽の背後にある、オーディオの哲学だ。この音楽性・オーディオの哲学までをトータルデザインして、初めてシステムは完結するんじゃないかと。

例えばCHORD MUSICを加えることによって生まれる、トータルシステムとしてのサウンドデザインの変化は極めて明快、全くストレートなものだった。そこはかとなく、ゆっくりと醸し出されるようなタイプのものじゃない。その速効性のある、はっきりとした変わりようは、そのケーブルの設計者のもつサウンドへの哲学の一部を示してるんじゃないか。
でも目の前のシステムから示してくれるオーディオの個性・哲学について、幾千、幾万の自分の言葉を大河のように連ねて表現しようとしたって、そこには無理がある。それは俺自身がいつも肌で感じることだ。むしろ掌に乗るような最も短い言葉、ゼロにも近いシンプルな単語が喚起するイメージの方がより似つかわしいような気がする時もある。
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一本の道。
オーディオの荒地に真っ直ぐに伸びる一本の白い道のイメージとしか、今夜の俺にはこのケーブルの哲学を表現する術がない。確かにこれもまた、ただの言葉だが「Sound is sound, not music」よりは現実のCHORD MUSICのサウンドを言い当てているはずだ。

そう言い放って、グラスに残ったワインをすっかり飲み干したら、
今宵は沈黙するとしよう。

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by pansakuu | 2015-08-18 22:35 | オーディオ機器