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Pioneer SE-Master1の私的レビュー:未完の大器

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「ディズニーランドは永遠に完成しない」
ウォルト ディズニー


Introduction

もう随分昔の話だが、一枚の絵を眺めるためだけに
ロンドンまで出かけたことがある。
きっかけは本郷のカフェでレオナルド・ダ・ヴィンチの画集のページを繰っていて、ふと目に留まった一枚の絵である。
それは有名な「岩窟の聖母」ではなく、「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」という絵で、見事な4人の人物像が紙に黒いチョークで描かれているだけの色彩のない下絵であった。私が面白いと思ったのはそれが明らかに下書きだったということだ。それはまだ完成されていないにも関わらず、ひとつの絵としてほぼ完璧な風格を保っていることに、とても興味を惹かれた。
そして無性に現物を見たくなった。
私は、その足で成田へ行き、飛行機のキャンセル待ちの列に入り、その列の中から電話でホテルの予約を依頼していた。あの頃はとても無謀だった。そして今よりはカネも時間も自由に使える独身だったので事の前後を顧みる必要もなかった。バブルの残滓というやつだろうか。パスポートは持ち歩いている鞄の中にいつも入っていた。
それから約30時間後、私はロンドンのナショナルギャラリーでレオナルドの未完の大作と対面していた。
今も時々無茶はやるけれど、もうあんな無茶まではできそうにない。
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あの日から20年以上の年月が過ぎた或る夜、私は発売直後に買い込んだPioneer SE-Master1を耳にあてていた。我が耳元で朗々と唄うチャールズロイドのサックスに身をまかせながら、私はあの日見た画面、イタリアの天才の描いた柔らかい線、流麗で精気にあふれたマリアの微笑の輪郭とタッチを思い浮かべていた。それはそのサウンドにイタリアルネサンスの芸術的な素養を感じ取ったからではない。まだ完成していないモノにも人を魅了する大きな力があるという、ほとんど忘れられた教訓が頭をよぎったからだ。そして、その教訓を手に入れたあの日の出来事、一枚の絵に至るまでの、ささやかな冒険の一部始終が脳裏に鮮明に甦ったからだ。
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やっと手に入れたRe Leaf E1x(E1の特殊仕様機)と最初に組み合わせるモノとして、私はMaster1をとりあえず選んだ。そして、そのサウンドの奥底に、期待した感動とは全く別の、忘れかけていた思い出を勝手に堀り起こし、一人で苦笑いした。


Exterior and feeling

Pioneer SE-Master1は典型的なオープンエアタイプ・ダイナミック型のヘッドホンである。
メッシュに覆われたハウジングの背面側の開口部はとても広いのが特徴的である。全体に大柄なヘッドホンであり、重さも460gと重い。ライバルとなるヘッドホンの代表、HD800の重さが370gであるが、90gの差は大きい。ただ装着感は悪くなく、長時間でなければ、殊更に首肩が疲れるようなこともない。公称インピーダンスは45Ωと低く、能率も94dBとやや低めである。比較となるHD800のインピーダンスは300Ωと高いが、能率も102dBと高い。このことを考えると、HD800よりもMaster1が必ずしも鳴らしやすいとは言えない。

その造りは一見だけでは、少々安っぽいと誤解されやすい。アルミやジェラルミンの板をパンチで抜いて整形して作ったチープな造りのようにも見える。しかし実際に手に取ってよく眺めれば、周到に計算されたカタチと材質、細心の仕上げと分かるし、斬新な機構も盛り込まれている。それに外観全体にメカニカルビューティが横溢している。他のヘッドホンと比べるとメタリックな質感が際立ってギラギラと目立つ。また当然ながら100点ほどもあるという部品の細部にバリや、取り付け不良などは一切認められない。Made in Japanらしいクオリティ・アキュラシーである。
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Master1を手に取って、先ず目が行くのは、頭上を通過する2本のヘッドバンドによるアーチである。一つは細長い板状に加工された超ジェラルミンが作るアーチで、これはエクセリーヌに制振材を張り込んだヘッドクッションを両端で固定している。このヘッドクッションの高さはボタンを押せば左右別にスライド式で調節できる仕組みだ。もう一つのアーチはテンションロッドで、これは側圧を好みに調節できる珍しい機構だ。つまりMaster1にはハリの異なる二種類のメッキされた針金・ロッドが付属しており、これをセットすることによって側圧を二段階に変えられるのだ。
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このロッドを両端で固定する銀色のボタンの付いた部品があるが、これは金属製(おそらくダイキャスト)であり、十分な強度を持たされている。他のメーカーだとこういう複雑な部分はプラスチック製であることが多いが、Master1は本気度が高いというか、よく作ったものだと思う。ただ全体にHD800に比べて金属製のパーツの比率が高く、またその点数も多いので重量増に結びつく。さらに言えば、これらを全て日本で調達し、日本で組み立てることでコスト高にも繋がる。
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イヤーパッドは分厚く、フカフカと柔らかい、感触の良いものである。その外側は人工皮革を立体縫製している。二種類の素材を使い分けてパッドを作っているHE1000ほど凝ってはいないが、やはり丁寧な造りである。
これらのパーツの組み合わせが創り出す装着感、その微調節の仕組みの出来は良い。実際Master1に触っているとヘッドホン全体に板バネのような張りが感じられ、装着してもその張りのお蔭でスッポリと頭にはまる。そして、この全体の張りの調節をテンションロッドの交換で行えるということは斬新。ちなみに私は側圧の高い方が好みだった。この方が音に緩みがなく、凛とした気迫が宿るように聞こえたからだ。
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ハウジングの開口部を覆うパンチングメタル・メッシュの奥には銀色の精悍なドライバーが見える。この新型ドライバーの口径は50mmと高級ヘッドホンとしては標準的であり、私が最近愛用しているSONYのMDR-Z7の70mmよりもずっと小さいし、ライバルと見られるHD800の56mmのリングドライバーよりも小さなものだ。3.5mm厚のアルミ合金に囲まれたハウジングの大きさ・ボリュウムを考えると、これはやや控え目な口径だろう。小さな振動板が大きな解放型の金属製のハウジングのエアボリュウムの中で動いているという格好である。

この新型ドライバーのメインの部品である振動板の特徴として、内部損失が大きい、つまり響きにくいということがある。例えば金属の板を指で叩くとカーンと響くのだが、この響きが出音に載ってしまうのは困る。ここでは特殊なセラミックコーティーングを施して、そういう材質固有の響きで音が濁らないようにしている。振動板は軽量で剛性が高く、適度な内部損失があるものを理想とするが、これらがバランス良く鼎立する振動板は得にくい。また常に外気に触れるものでもあり、温度湿度による変化や経年劣化にも強くなくてはならない。そういう厳しい要求に応える振動板を新たに開発することは大変な労力だが、Pioneerはそれを成し遂げた。

さらにバンドアーム~ハウジング接合部、バッフル面~ハウジング接合部にゴムのブッシュをかませて干渉を減らし、全体としてフローティング構造にしている点もユニークである。こうでもしないと金属製のパーツが多いので、盛大に鳴いてしまうだろう。だが、実際に聞いてみて、この施策が鳴きを十分制御できているかどうかはやや疑問であった。

そして合金製の大きな銀色のハウジングの下には着脱式のヘッドホンケーブルのためのMMCXの端子が見える。このインターフェイスは強度の面ではあまり歓迎されていないが、ウルトラゾーネのヘッドホンでも採用実績があり、あながち捨てたものではないのか。だが、もしMDR-Z7のようにロック機構がついていたなら、こんな文句は言われずに済んだはずだ。実際使ってみると案の定、ポロッととれてしまうことがあった。このコネクタは止めといた方が良かったと思う。また、MMCX~XLR3Pin両出しのリケーブルがあまり市場に多くないのは寂しい。私の場合、バランス接続のE1xと組むわけだし、Pioneer純正としてもU-05のバランス端子と接続(つな)ぐのだから、もっと選択枝があっていい。

そういうわけで、オプションのMMCXのXLR 3Pin両出しのリケーブルをPioneerが売り出している。今回は素直にこれを買って使っている。XLRの末端は普通のノイトリック端子で、MMCX側はシルバーのアルミのガワのついたちょっとオシャレな端子だ。ケーブルは途中で一本にまとめられ、しなやか、かつ十分に軽いもので、タッチノイズもなく、値段に恥じないケーブルと思う。


The sound 

ヘッドホンらしからぬ音である。
これは大きなスピーカーを眼の前で聞いている感じに近い。大きなエアボリュウムの中で朗々と音楽が鳴っている。大きなハウジング、大きな開口部が、優れたドライバーから出て来る音を行く抑制することなく、広い空間に開放することから生まれる、音の伸びやかさ。エアーをタップリと吸い込んだ音に含まれる、爽やかな香りのような音の雰囲気。これらをリスナーに深く堪能させるに足る、この鳴りっぷりの良さ。これら全てを手に入れるためには、現行の他のヘッドホンではなく、このMaster1を選ぶしかない。

目を閉じて聞いていると、サウンド全体にみずみずしい精気がみなぎっており、非常に活力を感じる。このサウンドを「元気な音」という表現をしている方がいて、我が意を得たりと思ったのだ。そもそも「元気」という言葉は天地の間にひろがり、万物生成の根本となる精気を指す、古き単語である。我々はオーディオの出音の表現に、わりと安易に元気という言葉を使いがちだが、その言葉をひとたび使えば、生命の根本に近づいた音というニュアンスで、そのサウンドを評価することになる。

さらに、これこそがPioneerのハイエンドオーディオブランドであるTADの音だと言われれば、納得できなくはない。TAD D600、C600、CE-1、M1等、私の注目してきたTADの製品に、この活力は共通するものだ。
とはいえ、今回は強力なドライビングパワーを持つE1xと組み合わせて聞いるので、こういう気力に溢れた躍動感のある鳴りが得られたという見方もできる。それは否定しない。でもこういう高価なヘッドホンを買うなら、アンプも奢ってほしいものである。機材のグレードについてのバランス感覚はしばしば重要である。

ところで、このMaster1は再生帯域全体にわたって、概ねフラットかつ正確なレスポンスが得られるヘッドホンだが、低域にWeak pointがあると思う。Master1の低域には他のヘッドホンではあまり聞かれないほど柔らかく、豊かな量感がある。だが、この部分は強力なヘッドホンアンプでなければ十分に制動しきれないので、ただのボワボワした甘い低域、音程がはっきりしない低域になってしまう可能性が高い。ここは難しいところで、実際、U-05のドライビングパワーでは制動が間に合わないようだった。少なくともLUXMANのP-700u以上の高い実力を持つヘッドホンアンプをあてがってやらないと、真価は聞けないのではないか。そのかわり、アンプを奢れば、今までのヘッドホンでは聞けなかったMassiveでよく伸びた低域が楽しめるだろう。例えば定番のAquaplusのPure、その5曲目、「永久に」の冒頭の太鼓の低域の重さは、このヘッドホンならではのものである。軽々としたエアーを十分に含んでいながら、腹にズンと来るような錯覚を呼び起こすヘヴィな低域。確かにこれはMaster1のハイライトなのだが、場合によっては扱いにくい難物と聞こえてしまうかもしれない。

見上げるように舞い上がる高域、スッキリとして見通しが良いうえ、どこか艶やかさも感じる中域、御し難いがハマると他では得難い量感のある低域。こうして全ての帯域を俯瞰してみると価格に見合う豪華な音ではある。ことに高域の輝きは強く、台風一過の満点の星空のようにきらめいて聞こえる。ただMaster1で聞かれる音像の聴感上の解像度や音の立ち上がり・立下りのスムーズさ、スピード感などはハイエンドヘッドホンとして至極普通なレベルで、そこに注目すると開放型の業界標準たるHD800と大きな差がない。25万円オーバーという価格を見て、そういう部分でも突き抜けた音を期待するが、なかなか難しい。

しかし、各楽器の分離の良さは賞賛されるべきだろう。E1xで聞いても、U-05で聞いても多くの楽器が弾かれ、多くの人が同時に歌う場面で、それらの前後関係、音色の違いがよく聞こえる。どういう場面でも音が混濁する印象が少ないクリアなヘッドホンサウンドである。これは内部損失の高い振動板を備えたドライバーらしい、高度な音の描写力によるのだろう。
一方で、こういう音の分離が進み過ぎない、分析的になり過ぎないところもまた気に入った。そういえば、あるオーケストラの指揮者が、自分は本来バラバラな音をかき混ぜて渾然一体にしようとして努力しているのに、オーディオはそれをまた分離しようとしていると不満を漏らしていた。この渾然一体という表現は、おそらくハーモニーを指すのだろうが、その生成をこのヘッドホンが妨げることはない。音楽全体が高揚し、全ての楽器が協奏する場面では、各パートが調和することで起こる化学反応、1+1の答えが2を超えるような現象が聞こえてくる。この感覚は大型スピーカーを思い切り駆動して、部屋全体を音の洪水で満たすような聞き方では得られやすいのだが、ヘッドホンは元来、音の分析に傾きやすい道具だから、こういう場所になかなか連れて行ってはくれない。だがMaster1は例外だ。このサウンドの持つ芳醇なハーモニーは音の分離を極める優秀さとは相反するのだが、それらを上手くまとめあげている。

ここでは倍音成分の質感はとても軽く、淡い感じで、やや色彩感のある直接音と比べると、ずっと透明で実在感は薄い。これは平面型のヘッドホンに聞かれやすい特徴だが、このようなヘッドホンはコントラストや輪郭のはっきりした電子音で構成されたアニソンを聞き易くしてくれる場合が多いような気もする。
しかし、アコーステック楽器の演奏を正確に再現するのに必要な、強音と弱音の間に生まれるグラデーションについては、きめ細かさがやや足りない気がする。これはドライバーの動きがまだこなれていないせいか、あるいは金属の振動板が使われているせいなのか分からないのだが、この価格であれば、そろそろ丁寧な描写が出てきていいはず。また、この部分は音の明瞭さを強く求めるウルトラゾーネのヘッドホンで感じる音の僅かな粗さ・荒さにも近い。それはバイオセルロースなどの非金属素材で作られた振動板から出る音との差として、私が時に感じる違和感である。

サウンドステージの広さもU-05との組み合わせでは若干狭く、不満が残る。しかしRe leaf E1xとの組み合わせでは左右の広がりはもとより、とても深い奥行きのある音場が得られたので安心した。特に音場の奥行の深度に関して、E1xとMaster1の組み合わせはHD800のそれに勝る。だが普通のアンプではこのヘッドホンサウンドの空間性はやや平凡なレベルに留まるだろう。そこでのサウンドステージの有り方はヘッドホン本体の価格に見合うものではない。ここは低域の質感と同じくアンプ頼みの項目だろう。

こうして見て行くと、やはり25万円オーバーという高めの価格設定は、日本国内で高品質な部品を調達し、ただ一人の専任技術者が組立てるという、いわゆるJapanクオリティの維持(というか意地?)のために支払われているものであり、音質に直接現れていない部分が大きいのかなと思う。そこから生まれるであろう、オーディオ機器としての信頼性はこれから何年か使い続けていくうちにジワジワと出てくるはずで、今のうちはまだ評価のしようもない。
逆に言えば、このサウンド自体は他の多くのヘッドホンと同じく、一分の隙もなく完成されたものとは言いにくい。Master1は現時点でもハイエンドヘッドホンとして十二分に通用するレベルを達成しているが、もっと音を煮詰めることはできなかったのだろうかと思われる節もある。

例えば、意味のない試行だろうが、このヘッドホンのハウジングの開口部を掌で押さえながら聞いてみると、低域の音程が一層明瞭となり、フォーカスが合ってくる印象がある。こうしてみると(素人考えだろうが)どうしてもこのヘッドホンの構造や素材には音を濁らせる要素が、まだ残っているように思えてならない。そりゃまあ、このヘッドホンでの金属パーツの多用は機械的強度などの点から考えれば悪くない。また、制振材や異種素材が既に多く組み合わされているのも聞いている。だが、実際に購入した製品を聞く限り、それがまだ十分に効果を発揮していないような気配がある。もっと異なる比重や分子構造を持つ素材の組み合わせを試し、金属固有の鳴きをコントロールすべきであったろうか。それとも、もっと全体の剛性を高めるべきだったか。異種素材の組み合わせやリジッドな構造は音に落ち着きを与えるが、このヘッドホンにはその落ち着きが足りない。
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Master1と比較する相手として、まずHD800がある。このヘッドホンレジェンドとも言えるモデルとMaster1との比較は日本人である私にゃ苦しい。価格差や HD800が既にかちえた信頼性、音の物差しとしての安定性を総合的に考えると、ドイツのヘッドホンHD800が日本のMaster1に勝ると思われるからだ。ただし、Master1の持つ低域の伸びや量感などはHD800にはなく、私のようにHD800を4回買い直し、そのサウンドと装着感にいいかげん飽きてしまった人間にはMaster1の登場は有り難い事件であった。
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次に、環境は違うが、同じオープンタイプとしてHi-Fi man HE1000との比較もできる。STAXのヘッドホンのような風合いを持つHE1000のサウンドは、Master1よりもさらに全帯域がフラット、低域も暴れなくよく伸びている。音の解像度としても非常に細かく、超高精細な画像を暗室で眺めるような素晴らしいディテールで魅せる。出音に関して総合的な見方をすればHE1000はMaster1に対して明らかに優位に立つ。ただし、極薄の振動板を使う平面型の宿命か、躍動感溢れる音楽がどうしても大人しく聞こえたり、場合によって厚く密度感のある音が薄く透明な音に聞こえたりして、その音楽が意図する表現に届かない場合があるのが惜しい。そういう濃厚で情念的な表現への対応力においても、Master1は開放型ヘッドホン群の中では最右翼の一つであり、HE1000にはできない芸当をやってのけるギアであることを私は忘れない。
なお、情報によるとHE1000は通常の市販のヘッドホンアンプでは明らかに音量不足になることがあるという。やはり専用アンプが望ましいか。とすれば私がこれを実際に買って試すことはなさそうだ。あのヘッドホンアンプは置くに堪えないデザインと大きさだから。


Summary

Master1は現代において第一級のヘッドホンサウンドを提供できるハイエンドギアである。そしてその出音には、普通はプロトタイプあるいは新進メーカーのファーストモデルでしか得られない音の勢いが感じられる。それは他では得難いものであり、外観の押し出しの良さ・カッコよさまで含めて考えると、それを手に入れるために25万円オーバーを支払うことに私個人は抵抗感がなかった。これはこれで良いものだ。だが、まだ先があるような気がするのも事実なのだ。

そういえば、かのナショナルギャラリーで見たダ・ヴィンチの絵も完成してはいなかった。照明を落とした部屋の中に一枚置かれたその絵の前には木製の椅子があり、そこに座ったまま小一時間、私は一人の天才の未完成をとくと眺め、没頭した。
この素晴らしい下絵が完成した様を見たくないと言えばそれは嘘になる。しかし、そうなれば同時に見た「岩窟の聖母」のような硬いタッチになってしまい、この下絵に残された天才的な線の柔らかさ、あるいはかすかな奔放さが失われるのが惜しい気もした。

あの日から20数年、すっかり所帯じみてしまった私は、夜明けの青い暗がりの中でキーボードを押さえる手を止め、過去の風景と現在の音景を重ね合わせる。
あの下絵の持つ柔らかく、豊かな量感はMaster1の御し難い未完の低域に連なるイメージ。そして、そのサウンド全体にみなぎる活力は、よく制御されつつも確かな勢いのあるダ・ヴィンチのデッサンの線へと通じてゆく。
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やはり、これはこれでよいのだ。
たった一枚の絵を眺めるためにだけにロンドンへ出かけた頃、
私の中にあった強い衝動がMaster1の中で今、密かに息づいているのが分かる。

あの絵を見たのはもう随分昔のことだが、
まるでつい昨日のことのような・・・・

by pansakuu | 2015-05-23 00:59 | オーディオ機器