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黄昏のハイエンドオーディオ:自滅と救済


「ところで、話は難しいのだけれど、ひとついいたいことがあるんですがいいかな」

これから書く話は面白い話ではない。
むしろ“難しい”話である。
不適切な表現、思い過ごしや嘘も含まれるだろう。
無駄な議論に加わらないようにするため、
定義をぼかした言葉をあえて使うかもしれない。
なにしろ“難しい”話なのである。

あるオーディオ雑誌の2013年 冬号に載った、評論家の方のコメントが、私の中にずっと突き刺さっている。

「最近のオーディオ機器は少々高すぎるところがあるように感じるんです。(中略)
やはり高い。普通の人たちが一生懸命に頑張れば買えるような製品に、いいものがもっと増えてくれないと、本当のオーディオ好きがついていけなくなってしまう」

確かに件(くだん)の評論家の方が、この発言に前後して650万円のアナログプレーヤーを購入したことを思う時、この発言内容に若干の違和感を覚えるのは私だけではないだろう。しかし、かく言う私もAir force Oneのほぼ半額に過ぎないが、350万円もする高価なフォノイコライザーを買ってしまっている。つまり生粋のオーディオファイルにはこのような側面がある。気に入ったオーディオ機器に関しては、価格を度外視し、音楽しか聞けない装置に支出できる限界を忘れることを志向し続ける。私のような人間はそうやって常識から離れ堕落していけばよい。だが、そういう少数の極道だけで、ハイエンドオーディオ界全体を支え続けることはできないと思うし、盛り上げるというレベルにいたっては不可能とさえ思える。

私がハイエンドオーディオの機器に高価なものが増えてきたという意識を明確に持つに至ったのは、GoldmundがTELOS5000というパワーアンプを開発し、2008年の東京インターナショナルオーディオショウで披露した時である。私はそのデモに立ち会った。詳しくは述べないが、一言で言えば大変に凄い音が出ていた。万人が良い音と感じるかどうかは別にして、驚異的な音であった。一方、値段を見るとやはりというか、富豪向きの価格であった。3990万円。モノラルパワーアンプ一組だけで、3990万円である。ローンで家を郊外に買ってカツカツで暮らしているような日本人サラリーマンにはまるで買えない金額である。もともとGoldmundのUlitimateラインは元来ケタ外れに高価なのだが、このTELOS5000は、その遥か上をゆく価格設定であった。
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私がこれについて思ったのは、良かれ悪しかれ、こういう音の世界を大勢のオーディオファイルが知っていて損はないだろうとか、そしてこういう音の片鱗を家庭で楽しめれば、幸せだろうとか、そんなことではなかった。問題は音ではない。この価格でも売れてしまったことだ。(日本でも売れた。)つまり音さえ圧倒的に良ければ、どんな値付けのものを作っても売れるということをメーカーに分からせてしまった、実績を作ってしまったということが問題のように思えた。こういう富豪向けのビジネスモデルが成功すると知れわたったのち、一部のメーカーがそういう方向性へ製品開発の舵を切ることは予想できた。案の定、いくつかのメーカーが、それまでの最高級ラインのさらに上のラインを新設しはじめていた。TELOS5000ほど高価ではないが、製品の基本構成は変えず、細部を高級化した機材も増えてきた。無論、こういう傾向はレトロスペクティブに見ればTELOS5000の発売以前からあった。世界中にグローバルに活動する富豪たち、超富裕層が散在し、その数を増やしてきたことに呼応する動きだったのである。
TELOS5000は、オーディオの世界で目立ち始めた富豪向けビジネスの一つに過ぎなかった。
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普通の人たちにオーディオ機器の値段の話をすると、それなら車が買えるね、と言われ奇異の目で見られることはオーディオを長くやっていると、誰しも一度は経験があろう。しかし、クルマと一口に言っても、何を指すのか。極端な話をすれば、現代には3億円でも買えない車がある。ランボルギーニのVenenoである。1億円オーバーの車ならば、マクラーレン、ブガッティ、ケーニグゼグ、アストンマーチン、フェラーリなど各社から発売されている。隆盛しつつある富豪向けのビジネス、それは他の世界のおとぎ話であると思っていたが、これほど目立つようになると、それに煽られる他業種のメーカーも、一般の消費者も実は少なくないかもしれない。

私の中での問題、それは富豪向けの価格帯の機器、普通のオーディオファイルにとって完全に絶望的な値付けの機材が増えて困るということではない。むしろ中途半端に高価なものが増えたということである。具体的には単体で400万、500万、600万円台という機材の増加である。これはスピーカーとパワーアンプにおいては10年ほど前から認められる傾向である。またケーブルに関してはワンペア100万円オーバーのスーパーハイエンドの製品が散見されるようになったのも、ここ10年くらいのことだと思う。PADのDOMINUSシリーズが先鞭をつけたものだ。これらは富豪向けの価格帯の機材の増加に煽られた製品開発によるもののようにも私には思える。

アンプやスピーカーについては、以前は500万円近辺の価格帯が事実上の最上位であり、セカンドベストとして300万円台という位置付けだったように思う。その上の価格帯の機器、すなわち800万円~1000万円台の機器は以前はかなり少なかったのに、最近、このレンジの機器が海外のオーディオショウなどで目立つようになったように思う。住宅事情等があり、日本にはあまり輸入されておらず、ステレオサウンドでも取り上げないのであまり知られていないかもしれないが、超弩級と呼ばれるアンプやスピーカーがその数を増やしているのではないか。海外のショウの写真を見ているとそう感じられる。そういう超高価な製品の増加の結果、相対的に500万円台がセカンドベストに下がってしまったような感じがある。そもそも単体で400~500万円というのは普通のオーディオマニアが頑張って買うか買わないかの境界である。ここを越えれば購入をかなり躊躇せざるをえないというか、実際、多少の貯金があってもあきらめる金額だと思う。こういう状況で、仮に頑張って400~500万円台の機材を導入しても、さらに上があると知っていれば、どこか落ち着かないだろう。500万円を払っても心の平安は訪れないかもしれないということである。300万円台でもかなり頑張っているつもりの人はなおさらかもしれない。高価なケーブルに関してはワンペア200万を超えるインターコネクトは完全に富豪向けビジネスに煽られているというか、富豪向けの商売そのものと言わざるを得ないが、500万のアンプよりも絶望的な価格ではないので、物好きというか、一点豪華主義で買う一般人もいるようだ。面白い。

なお、金額的にはそれほど高くないところなのだが、高級CDプレーヤー、SACDプレーヤー、DACの値段が、ここ10年で軒並み100万円、200万円以上アップしていることも見逃せない。10年前はdcsの最高級システムは400万円台であった。今は1000万円台である。海外の高級なシルバーディスクプレーヤーの価格の高騰はもしかするとアンプやスピーカーを上回るのかもしれない。それでいて過去の製品より、値上がりした全ての製品、より高価な最近の全ての製品の音質が良くなったと言い切れるか?
これ以上は言うまい。

では、実際、どうなのだろう。
試みに2003年のステレオサウンドベストバイと2012年のステレオサウンドベストバイに載った機種数とその価格を簡単に比較してみよう。(ざっくりやっているので細かい数字は間違いがあるかもしれない。あくまで傾向の把握のためにやっている)
例えば、160万円以上の価格帯のスピーカーシステムにおいて。
400万円オーバーのスピーカーは2003年には11機種、2012年は6増えて17機種取り上げられていた。やはり高価なものが増えた印象を受ける。
また、200万円以上の価格帯のパワーアンプにおいて、400万円オーバーのアンプは2003年は8機種、2012年は3増えて11機種取り上げられていた。
さらに、100万円以上の価格帯のデジタルディスクプレーヤーにおいては、200万円オーバーのプレーヤーは2003年は4機種、2012年は何と10増えて14機種取り上げられているのである。PCオーディオの普及によりデジタルプレーヤー離れが急速に進む中で、プレーヤーの価格は逆に著しく上昇している気配である。デジタルディスクプレーヤーについては中古買い取り価格も最近は驚くほど低く、したがって中古価格も安いので、これではますます新品は売れなくなるのではないかと思う。
加えて、フォノカートリッジ。30万円オーバーのものは2003年には5機種、2012年は6も増えて11機種が取り上げられている。カートはアナログに欠くことのできない要素だが、アナログオーディオも高騰している部分はあるということだろう。
もちろん、大変に大雑把で一面的な捉え方、調べ方なのだが、こういう結果を見ると、やはり約10年の間にオーディオ機器のいくつかの分野で価格が高騰しているらしいというイメージは湧く。
なおプリメインアンプやフォノイコライザー、アナログプレーヤーについては2003年のステレオサウンドベストバイと2012年のステレオサウンドベストバイの差はあまりなく、プリアンプに至っては、むしろ若干安い製品が増えているようである。どの分野もそうなっているとする根拠はないらしい。ただ、アナログプレーヤーについては海外に多数ある超弩級ターンテーブルが日本にほとんど輸入されていないことを考えると本当に据え置きになっているのか分からない。

そういう高価なモノの話をしていると誰かが諺(ことわざ)めいたセリフを吐くものだ。
「足るを知る」とは言うが、だいたい、足るを知っていたなら、オーディオなどという趣味に足を突っ込んだりしないだろう。いつも上を見て、前進するというのがハイエンドオーディオの宿命である。確かに500万円台の機材増えてきたのに、それが買えないからといって、やる気をなくすことはないだろうが、なにかハイエンドオーディオの滋味の真髄が自分の手の届かない場所へ離れてゆくような、どんどん遠くに行ってしまうような気がして、いたたまれないのは間違いない。

Air Force OneやVivaldiシステムが聴かせる音の隔絶した素晴らしさはハイエンドオーディオならではのものである。この音の快楽が世界からなくなって欲しくない以上に、あまりに遠いものになってほしくないという思いが私には強い。金持ちは不滅だから、ハイエンドオーディオも不滅かもしれないが、多くの機材が手の届かないほど遠い存在になってしまうことは問題である。だが、これはもう現実に起きている。10年前、20年前にはこれほど高価な機器が多いという印象はなかった。こういう価格設定の変化が影響してか、あるいは他の要素か、一般のオーディオファイルの活動が、もしかすると鈍らされているのではと疑う節もある。

インターネットを見渡すと、単体で200万円を超える機材について実際のユーザーから発信される情報は、リーマンショック以降から既に少なくなっており、政権が代わった最近になっても回復しないどころか、未だ寂しい状況と見える。単体500万円を超えるアンプなどのレビューとなると本当に少ない。また、原因は様々と思うが、有名なオーディオのブログもいくつかは閉鎖されたり、開店休業状態におちいったりしている。これもやはりここ数年のことのようである。一方で、その代替となるハイエンドオーディオに関する活発なレビュー活動や訪問試聴やオフ会を催す、新たなブログはほとんど現れていないように見える。ハイエンドオーディオとは関連が薄いヘッドホンに関するブログやレビューは一時、非常に活発で盛り上がっていたが、それらのブログさえ最近は明らかに更新の勢いが鈍っている。つまり全体に低いところで安定、沈静化している印象なのである。日本全国におけるオーディオのHPどうしのリンクもハイエンドオーディオのユーザーどうしの個人的つながりもほぼ固定化しつつあり、流動的な要素がやや減っているように思われる。さらに、SACDの長期的な凋落傾向が顕著な例であるが、オーディオをやる動機となる音楽自体が売れていないという世の中の傾向もオーディオをやろうという機運をさらに盛り下げる。ついでに言えば、オーディオファイルが使う音源の固定化も私には寂しい。本当にクラシックとJAZZだけ聞いていて面白いのか?私にはそうは思えない。そうは言っても、若い人に人気がある新しい音楽としての、アニソンやラップやJpopが、それらの古典的なオーディオファイルご用達の大人音楽の世界を侵食するような、音の良さを発揮していないのも寂しい。
さらに深い視点に立てば、私の周辺に感じられるオーディオの長期的な凋落傾向の深層には、バブル的な購買心理の消失よりも日本人の高齢化と人口減少が影を落としているように思える。これは日本のオーディオの凋落というより、日本の凋落というべきなのかもしれない。

ハイエンドオーディオというものは現在、黄昏(たそがれ)の時代に入りつつあるように私には思われてならない。少なくとも日本にいるとそう感じる。その要因のひとつにハイエンドオーディオ機器の価格の高騰というのが、やはりあると思う。しかし、これはハイエンドオーディオという趣味がマークレビンソンらの手によりアメリカで誕生し、趣味として確立された時から運命付けられていたことなのかもしれない。そもそもハイエンドオーディオの定義とは先述した評論家の方が言うように、音楽再生への「こころざしの高さ」を意味するものである。高価であることを意味するのではない。しかし、これは同時に高価であることを否定しない意味であることを忘れてはいけない。ここでは音楽再生への「こころざしの高さ」を実現するためなら、どのような対価も厭わない勢いが見え隠れする。この隠れた勢いによって、ハイエンドオーディオは必然的に高価となり、高価となるにつれて多くの人の手から離れた遠い存在に変わっていったように思われる。こう考えればハイエンドオーディオは成熟するにつれ、自滅する運命にあったと言えるのではないか。

オーディオの風景を形作るのは錚々たるスピーカーやアンプではない。あくまでそれを使いこなす人の姿である。無人の荒野、無人の峰々。オーディオの美を堪能する主体である人間がいない場所に、実はオーディオという趣味はなく、空洞が拡がっているだけである。このように空洞化してゆくハイエンドオーディオには未来はないかもしれない。退廃的な考えだが、ここでの問題は長い黄昏時にいかに美しい花を咲かせるか、いかに美しく滅びるかにかかっているのではないだろうか。富豪オーディオに奔(はし)る一部のメーカーも、その影響に煽られる他のメーカーもユーザーたちも、その耽美的な自滅への貢献として考えれば、腹も立たない。この黄昏状態が価格の高騰によるものだけではないということを思えば尚更、それに対して怒る気分にもならないのである。

オーディオという趣味を山に喩えてみる。
オーディオという山の成長は止まっていない。本物の山脈と同じく少しずつ高くなる。プレートテクトニクスという言葉はもう古いが、地形も実は変化し続けるものなのである。だから頂上も徐々に高くなる。こうしてハイエンドオーディオと呼ばれる頂上付近の領域、その周辺の空気は山が高くなるにつれ薄くなってゆき、そこに到達できる人の数は少なくなってゆく。

私個人は、いまだに山を登っているのだが、だんだん日が暮れてきて、周りに一緒に頂上を目指す人が少なくなってきたように思う。しかも、まだ上っている人はベテランの、というか高齢のお金持ちの人ばかりになってきていている。ベテランたちのなかにはいくつかのパーティを作って登る人も見受けられるが、そのパーティの数も増えていないようだ。
一方、自分よりも若い人が後から登ってくるのを見ることが少なくなった。彼らは下の方に留まって登ることを考えなくなったり、時には下山したりしている。またヘッドホン・イヤホン山というもっと低い山(というか丘)に上がって、頂上に大勢たむろしている様子も、ここからはよく見える。

山の中腹の売店では少しチャチなPCオーディオ機器やお馴染みのタイトルばかりのハイレゾ、DSDデータを売る者あり、裏道の登山道の途中でヴィンテージのウエスタンやクォードやJBLを並べて渋い商売をしている露店もあり、それなりに面白くはあるが、いくつかある頂上へ向かうルートが閑散としつつあるのは変わらない。

また、頂上付近では富豪と呼ばれる人が、ヘリコプターでてっぺんに舞い降り、悠々とお茶をしてから、また別の頂上目がけて飛び去ってゆくという荒業(あらわざ)も時に目にする。ベテランのオーディオファイルたちは無言で、それを軽蔑する。オーディオは過程を楽しむことも大事なんです、高価なオーディオが、必ずしもいい音とは限りませんよね、とかなんとか。とにかく、なにか言いたげに互いに目配せするのである。私は返事に困って、自分でも意味不明な微笑で返す。

そんなこんなで、まだまだ賑やかな山々ではあるが、確実に黄昏は忍び寄っている。人影は徐々に疎らになっている。登山者たちは老いてゆく。老兵は消え去るのみ、そして補充人員は稀だ。この状況を思わないのは鈍感か、あるいはそちらに目を向けないようにして登山しているかどちらかである。現実を受け入れるか、受け入れないか、これはたかが趣味であるからして、個人の勝手である。もしそうなら、どうせ自滅するなら、とことんまで美しく滅びたいと投げやりに言い放つのも勝手であるはず。誰が悪いわけでもない。以前からそういう流れだったのに気付かなかっただけだ。
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救済もないことはない。
まだハイエンドオーディオは売れないと決まったわけではない。CH precisionのD1というSACDプレーヤーはあれだけ高価であるにもかかわらず日本で売れている。この調子なら日本国内で100台近くが稼働することになるであろう。まだまだ、多くの人が最上級のサウンドを愉しみたいと欲し、相応の対価(?)を支払うのである。やはり、購買層は高齢者に偏っているが、逆に考えれば日本国内のD1の多くは、中古として今後10年のうちに日本中のセカンドオーナー、サードオーナーへと比較的手頃な価格で拡散してゆく運命にあるとも言える。この最高級単体プレーヤーのオーナー経験者が、時間をかけて倍々に増えていくことは日本のハイエンドオーディオのレベルの底上げに寄与するはず。この高価なプレーヤーがこれほどの台数売れたことに明るい救済の光をひとまず見出すし、ドライブメカが壊れず、ディスプレイも無傷のままに、多くの人のもとへ、この素晴らしいプレーヤーが届いて欲しいとも願う。
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そして例のDevialetである。ハイエンドオーディオはもうDevialetの時代だと言った人がいる。この極めて多機能でコンパクトでスタイリッシュ、しかしハイエンドオーディオとしてそれほど高価とは言えないDAC付のインテグレーテッドアンプD-Premierから出てくる音は、現代最高級のサウンドではないにしても、一般のオーディオファイルが苦労して行き着く水準はポン置きで軽々とクリアーしているように聞こえる。このようなオールインワンに近い優秀なオーディオ機材が、多数の重たい筐体を連ねて、やっとのことで音を出す、旧来の物量投入型のオーディオを駆逐するかもしれない兆しは、新たな時代の到来とも取れる。このDevialetのアンプは美しく小さく、コストパフォーマンスの高いオーディオを、シンプルなインテリアに組み込みたいという新たなオーディオファンを増やすにちがいないし、また重厚長大なオーディオに飽きたベテランのセカンドシテムとして強くアピールすることだろう。Wadiaからも類似した製品wadia intuition 01が出て来ていることもあり、これから盛り上がる分野かもしれないと期待は高まる。
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PCオーディオの隆盛も明るい材料と言えるのかもしれない。10年前のステレオサウンド誌が手元にあるがPCオーディオを思わせる話題は全く載っていない。これは新しい動きなのである。手持ちのPCとDACをUSBケーブルで接続すれば、高額なCDプレーヤーに勝る音質を気軽に実現できるというキャッチに煽られ、老若男女がこのPCオーディオに挑戦している。日本人は一般にネット上では懐疑の罵声を上げるのだが、結局は煽られやすい。確かに手軽に便利に、そこそこの高音質を与えてくれる安価な手段であり、コストパフォーマンスは高い。自作PCでゲームやアニソンを楽しんでいたオーディオに関心を持たない若い人たちと、オーディオを安く再開したいと願う定年後の団塊世代が、オーディオという趣味に走るきっかけとなった。ただ、このオーディオの様式にはオーディオについての知識以上にPCに関する知識を要求する側面があり、オーディオをやっているのかPCをいじっているだけなのか、分からなくなるところがあって困るが、とにかく多くのオーディオに無関心な層を、オーディオという趣味の内部へ引き込む役割をしたように見えることは特筆に値する功績である。
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特にPCオーディオに関しては明るい材料というだけでなく、従来のパッケージメディアに依存したオーディオ観を突き崩すかのような勢いを感じる。これは救済の名を借りた破壊なのかもしれない。アドルノは「誤謬に満ちた世界で未来像を描いたところで、それは曖昧な代物に過ぎない。建設に先立つ行為は現状では破壊の他にはない」と言ったが、PCオーディオが破壊する旧いオーディオの概念の残骸の上に何かが建設されるというのだろうか。黄昏の向こうにある夜を越えて我々が耳にするオーディオがあるとしたら、それはどのようなものだろう・・・。

こうして拾い上げた明るい欠片たちは、ハイエンドオーディオそのものから派生したものではないという点では共通している。外から来て、ハイエンドオーディオに影響を与えているモノたちである。残念ながらハイエンドオーディオ自体が内部から変わる兆しは感じない。こうなると、私としてはDevialetはむしろハイエンドの凄味みたいなものに染まらないで欲しいし、PCオーディオはオーディオオタクの趣味というよりパソコンオタクの余技のようなものであって欲しいと思う。ハイエンドオーディオの底なし沼に落ちたが最後、滅亡の道を辿りかねないからだ。
道連れは我々のみでよい。

こうして、いろいろと私的な御託を並べてみたが、永遠と見誤るほど長く甘美な黄昏を味わい続けることは至福そのものである、という私個人の立場、結論に変わりない。これは「ベニスに死す」というヴィスコンティの映画をスローで流している、そんなイメージに近い。昔、この映画をはじめて見たとき、ラストシーンがいつまでも続いて欲しいと願ったことが思い出される。これは醜悪が美を求め焦がれて自滅する映画である。

映画はいつか終わる。
だが、オーディオという趣味は映画ではない。
筋書きはなく、実はラストシーンもないのである。
この世界に富豪たちが増えてゆくかぎり、
ハイエンドオーディオの機器は
どんどん遠い存在となる宿命なのかもしれないが、
オーディオという趣味自体は終わらないはずだ。

これは確かに“難しい”話だが、
過度の心配はしないようにしている。
なにが起ころうとも、
オーディオファイルであることを捨てられない私は、
なにが起ころうとも、
ハイエンドオーディオの行方を追い続けることになるだろう。
ただ、ひたむきに追い続ける所存。
この耳が聞こえるかぎり、
黄昏の果てまでも。

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by pansakuu | 2013-08-24 22:08 | その他