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SONY MDR-Z1Rを鳴らし切る①:流砂の中で

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流砂は圧力がかかって崩壊するまでは、一見普通の地面のように見えている。
Wikipedia



眼の前に3つのヘッドホンが置かれている。
GRADO GS2000e、Focal Elear、そして SONY MDR-Z1R。
これらのヘッドホンの限界を実際の自分のリスニング環境で見極めることがさしあたりのオーディオのテーマと、私はなんとなく決めていた。
しかしそれ以外の、それにまつわる事々は多少混乱しているということだ。
これはそれぞれのフォンの限界を極めるという話だから、これらのヘッドホンを「鳴らし切る」と愚かにも宣言しているのに近い。しかし、その向こう見ずと高慢につかまって私は生きているのだから、やむをえない。
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とはいえ、GRADO GS2000eに関しては、なんの苦労もなくあっけらかんと美味しい音で鳴るのは確認できている。これは素のままでも実に鳴らしやすい。それに手持ちのRe Leaf E1xとの相性も抜群である。このアンプのノイズの少なさ、特性の素直さ、澄み切ってスピード感の高い音調が、そのまま軽々と出て来る。さらに私はGRADO社の方針に逆らって、XLR×2のバランス接続をリケーブルで実践しているが、シングルエンド接続に倍するほどの快感を得ている。GS2000eを客観的に見れば、造りの上でも計測値の上でも極端な高音質は望めぬように感じるのだが、実際に優れたアンプでドライブしたときのGS2000eの快音に虜にされない人は少なかろう。これは、不思議といい音を聞かせるヘッドホンシステムである。音響の専門家の意見とか、計測値とかの信頼性は、ここでは疑わしい。むろん、低域が軽いとか、多くの音が重なった時は分離が若干悪いとか、言いたいことはなくもないが、この軽快な装着感と優れたサウンドフィーリングは、そんな些末なことをすっぱりと忘れさせてくれる。老舗の貫録が音の軽みとして滲み出るという希有なるヘッドホン。このサウンドを押さえていれば、他の二機がどうなろうと、それほど困ることはないという保険のような側面もある。
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Focal Elearにしても特段なにもせずに整った音を出せるが、他の二機にあるフラッグシップとしての凄味はないかもしれないと思い始めている。このヘッドホンは音質の限界を追求するようなタイプではなく、スタンダードなクラシック音楽やJAZZを常に安定した高音質で流し聞きするのに適したヘッドホンである。上位のUTOPIAのように悩みながら、最適条件を手探りで求めて行くような難物ではないと思う。リファレンスクラスよりは気楽に使えるヘッドホンであり、他の二機のリスニングの間を縫って、こちらもこのまま使い続けようかと考えている。機会があれば飲む高級なブランディのように、少しづつ聞いている現状である。そういうことでこちらにも悩みを感じていない。

一転して問題はSONY MDR-Z1Rである。
試聴段階で、このヘッドホンの潜在能力は今あるヘッドホンの中でも抜きん出ていると感じた。だが、手元で鳴らしてみると、その限界はなかなか伺い知れなかった。
そこから混迷は始まった。
このヘッドホンにヘッドフォニアがシリアスに取り組む様子は、まるで砂漠の流砂地帯に迷い込んだ遭難者のようだ。
当初このMDR-Z1Rについては、叩き台となる基本構成も決められなかったほどだ。お店に持ち出して、様々なアンプにつないでみても、どうもとっかかりがないのである。確かにどのアンプでも十分にいい音で鳴る。だが、すぐに上を目指せる機材やセッテイングのアイデアが頭の中に湧き出てくる。急いでそのアイデアを試すと、即座に反応してさらに上の世界を見せてくれる。その時点でまた改良を考えついてしまう。まるで砂を掴むように、最適なシステム構成・設置条件がどこかに逃げてゆく感覚の繰り返しなのである。
ここ一か月の試行錯誤をここに書くつもりはないが、とにかくダラダラと寝不足が続いていた。
私の脳裏には流砂にはまるようにズブズブと、このヘッドホンにハマってゆく自分が見えていた。

購入前から、このフォンがどんなセッティングでもきちんと鳴るのは知っていた。私個人の印象ではMDR-Z1Rを鳴らす機材として、やや貧弱と思えたNW1Z単体ですら、あれだけのパフォーマンスが出せていた。だがMDR-Z1Rのポテンシャルは、あのサウンドより遠く高いところにあるのは経験を積んだヘッドフォニアならば誰しも直感的に分かったはずだ。
現在の状況として、私はGOLDMUNDのTHA2を用いて、Z1Rの可能性を探っている最中だが、THA2をまだ十分使い切れていないこともあり、この系統で完成型を得るのはまだ先の話のような気がする。THA2については追々、書いていくことになるが、さしあたり、旧系統であるRe Leaf E1xとのペアで私の聞き取れた範囲を中心に、所々でTHA2で得られた知見を交えつつ、このヘッドホンの音のあらましを簡潔に押さえておこう。
(なにしろ私自身が混乱しているので細かい部分で辻褄が合わないこともあるかもしれないが・・・・)
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どんな方法をとるにしても、MDR-Z1Rを鳴らし切る、などという企画の遂行は容易ではない。
そもそも現代の高性能ヘッドホンの一般論として、その実力を使い切っていると確信できるようなセッテイングを定めることは簡単ではない。現在、取りうるオプションの多様さを踏まえると、それらを検討して取捨選択し、残った手を試し尽くすのには相応の時間とカネ、そして労力、経験と勘を要するからだ。

MDR-Z1Rは、ふんだんに新技術を注ぎ込むことで密閉型ヘッドホンの新たな地平を目指したギアであり、ここまでTH900Mk2やEdition5あたりで止まっていた密閉型ヘッドホンの進化を次の段階に押し上げたプロジェクトである。
出来る限りの技術と物量を投入したうえで、デザインや仕上げの良さ、価格をも追求しつつ、マイナーだが切実なマニアのニーズに応えた製品というと、ここ数年のヘッドホンオーディオの盛り上がりの中においてさえ、ほとんど見いだせなかった。確かに色々と高性能・高価な製品が次々にオンステージしていたものの、いつも微かなコレジャナイ感が漂っていたのは否めなかった。それは、優れて革新的な密閉型ヘッドホンが、なかなか出て来なかったからである。名機Ultrasone Edition9が発売されてから10年。TH900とEdition5を除けば、私にとって目ぼしい密閉型ハイエンドヘッドホンの新製品はなかった。
(それにTH900にしろEdition5にしろ、熟成と洗練を感じたが、革新を感じるものではなかったのは不満だった。)
そして2016年後半、ワケ知りのヘッドフォニアが求めていた、ありそうでなかった製品MDR-Z1Rがやっと登場したのだが、このレベルの密閉型の新製品が乏しかった十年の間にヘッドホンアンプやリケーブルは進化し、多くの選択肢を抱えるようになった。この状況の変化は無視できない。さらにヘッドフォニアたちの耳も肥えて、知識も増えた。新たな密閉型ハイエンドヘッドホンを鳴らすための組み合わせ・使いこなしのバリエーションはEdition9が発売されたころに比べて飛躍的に増えている。

また、これだけ盛りだくさんの技術内容を持つヘッドホンだけに、このMDR-Z1Rには小さなDAPに内蔵されたアンプなどでは出し切れない、伸びしろが残されていると私は信じている。私の想像では恐らく開発者たちですらまだ知らない未知の能力がここに眠っているはずだ。このように多くのセッテイングの選択肢と知られざる能力を秘めたMDR-Z1Rを「鳴らし切り」、開花させることが私の当面の関心事となった。

例えば、現在の私の分類では、バランス接続とシングルエンド接続に関して顕著な差が出やすいヘッドホンと、あまりそこに音質の差を感じさせないもの、そしてもともとシングルエンド接続しかできないものの3種類に現代のヘッドホンは分かれると思う。
モガミのケーブルを用いた自作のリケーブルでの試聴だが、いくつかのアンプで試したかぎり、MDR-Z1Rは最初の種に属するものと思われるので、バランス駆動することを私は強く推奨する。実際にシングルエンド接続の場合はよほど優れたアンプでないかぎり、同格のアンプによるバランス駆動に劣ると思う。特に低域の解像度やサウンドステージの広がり、音楽の躍動感の表現の幅の広さに明らかなバランス駆動の優位性を認める。
このMDR-Z1Rは大きな振動板を持つせいか、ややふくよかな低域を持つという感想を持つ人が多い。この低域の量感の大きさは、駆動力のないアンプでは単なる音の緩さやダルさに直結してゆく。バランス駆動なら、アンプのグレードを多少下げても、満足ゆく結果が得やすい。

好みの問題もあるだろうが、私は最近のオーディオ界全体で低域を締め上げ過ぎていると思うので、こういう低域の量感を重視した音調も、そろそろアリだとは思う。これを低音過多とか、ボワボワした甘い音だとか言うのは自由だが、そう言う人のリスニング環境は、私にしてみれば不十分と思われることが多い。MDR-Z1Rが求める水準をクリアしたヘッドホンアンプにバランスでつないで聞いてから自分の意見を述べても遅くないと諌言したい。

MDR-Z1Rに関して、自分がひとつ最高の組み合わせと思うアンプとして、手前味噌と言われようとも、やはりRe LEAFのE1を推す。
(SONYの純正組み合わせと言えるTA-ZH1ESも悪くないが、これは値段なりのものだと思う。)
まずこのE1は基本的にSNがいい。これはMDR-Z1Rの出音の性質によく合う条件だ。このヘッドホンは密閉型の中でも背景の静粛性が強く前面に出る部類であり、ドライバーの軽さと相まって微弱な音がかなりよく聞こえる。残留ノイズが少しでも多ければ、リスニングにモロに影響してしまう。事実、このヘッドホンとE1をバランス接続したリスニングは神経質と表現したくなるほど、音楽の細部が見事に表出する。
E1はクリーンで強力な駆動力を持ち、バランス駆動が可能なものであり、癖も極端に少ない。私の知る限り、現時点では世界で最も優れたヘッドホンアンプである。このアンプでドライブするMDR-Z1Rの低域は豊かでありながら、見通しはとても良く、スピード感に溢れている。そして緩さは微塵も感じない。またヘッドホンの程好い重さ・装着感の良さ、音質の素直さの相乗効果で聞き疲れは皆無に等しく、ついつい朝まで聞いてしまうセットであることも書き添えておこう。このヘッドホンが来てから、音楽とヘッドホンオーディオに向き合う時間は確実に増えた。

さらに、これほどの出音の良さを説明するには、Re Leaf E1がその体内深くに隠し持つ過去のSONYの遺伝子が最新のSONYのヘッドホンと共鳴するという現象を思い起こすべきかもしれない。そんな物語めいたことが本当にあるのかと疑いわれても仕方ないが、経験上、それはありうる。現にMDR-Z1Rには、まるでRe Leaf のアンプをリファレンスとして開発されたかと疑うほど、E1との相性の良さがある。オーディオは単独の機材では基本的に完結しないので、つながる機材どうしの相性は重要なファクターである。
形態上もシンプルで突起や装飾の少ない、どこか無印良品的なアノニマスデザインであるのが共通している。白いMDR-Z1Rか、黒いE1があれば色彩感覚上も親和性が増すかもしれない。(ところで黒いNAGRA HD DACを最近見かけた。アレは欲しい。)
両者とも、かつてないほどピュアで正確な音を目指すというコンセプトをもち、両者とも日本で開発され、日本で製造されるものだ。このリスニングでは、メーカーは異なるけれど、SONY、そして日本という同じ根っこを持つ二つのマシーンの邂逅の果実がかぶりつきで味わえる。やや淡白で精妙だが驚くほど複雑多様な味わいが大脳皮質いっぱいにインパルスとして広がってゆく美味しい快感に浸る。

最近の私はE1のDACをバイパスし、純粋なアナログ入力のヘッドホンアンプとして使うことも多く、その場合は上流にNAGRA HD DACを据えている。この状態でのMDR-Z1Rの音の特徴を短くまとめるなら、出音が極度に精緻なこと、そして背景が真に黒く静かなことに尽きる。
この二点にかけてはMDR-Z1Rは今まで聞いたどのヘッドホンも敵わないのかもしれない。
このセットでのリスニングでは、澄みきって静まりかえった背景がまずある。ヘッドホンを正しく装着した瞬間から、そういう厳然とした音響空間にリスナーは立たされる。そしてプレイボタンをクリックした次の瞬間に、この奥深い暗黒の静寂から音像がスウッと立ち上がる光景を目の当たりにする。そして、ストレスレスかつ精妙な音楽の動きに耳を奪われる。整然としたデティールに満ちた正確で端正な音像が暗黒の空間の中に見事に定位した様子は、色彩感で言えば淡色、動きの要素について言えばややスタティックな趣きであり、極彩色でダイナミズムに溢れたGOLDMUND THA2でのリスニングとは対照的である。またNagra HD DACを使わず、E1に内蔵された電流駆動のDACを使った場合よりも、演奏の微妙なニュアンスが豊かになる。
ここでの背景の静けさは密閉型独特のものと思われるが、反面として、密閉型にありがちな音場の狭苦しさがほとんど感じられないのが珍しいし、素晴らしい。これほどサウンドステージが広く感じられる密閉型ヘッドホンは他に知らない。この特徴は非常に独創的な局面であり、TH900MK2やEdition9をさしおいて、このヘッドホンをあえて選ぶ意味があるところだ。また、実際に使うと外部への音漏れはとても少ないことも分かって嬉しくなる。密閉型のメリットは深夜のリスニングなどでの音漏れの少なさであり、デメリットはその反面での音場の狭さであった。この矛盾を今までにないレベルで解決したMDR-Z1Rの戦果は大きい。

Nagra HD DAC+Re Leaf E1x+SONY MDR-Z1R、Grado GS2000eは私のヘッドホンオーディオの集大成の一つとして位置づけられるセットである。ただオーディオは山脈のようなものであり、多くの異なる頂の集合体であることを考えると、ここで満足するわけにはいかない。ここからの眺めは、ここからのものに過ぎない。私は新たな頂を目指して、動き始めている。

また、このヘッドホンを、このセットで使っていて思うのは、他のヘッドホンよりもセッテイングの小さな改変に敏感に反応しやすいということ。例えば付属のヘッドホンケーブルを用いて据え置きアンプのシングルエンド接続で使う場合、標準フォーンプラグとミニプラグの変換アダプターをかませて使うことが考えられるが、この変換アダプターの材質や形状、メッキによって、これほど音の違いが出るのはあまり記憶にない。SONYの純正品はもちろん、フルテック、JVCなど、5種類ほど持っているが、Z1Rは全て音質の違いを明確に描き分けた。こうなるとリケーブルするときに、あわせて最適なプラグも探した方がいい。また、アンプを置いているボードや台の材質、アンプの足の材質、数までもはっきりとした違いとして聞こえてくる。もちろん電源のグレードの違いも他の多くのヘッドホンよりも聞こえるし、インターコネクトケーブルの音質差は勿論のこと、その這わせ方、ケーブルインシュレーターの有無なども小さいが克明な違いとして出音に反映される。
さらに、このヘッドホンほど録音機材や録音・編集の手法の違い、ハイレゾかDSDか、などのフォーマットの違いを聞き分けやすいヘッドホンは少ないと思う。特にハイレゾに関して基底の16bit 44.1kHzのデーターあるいは圧縮音源との音質の差がとても分かりやすくなったのが印象的だった。今まで、この部分であまり大きな音質差を感じないことが多かったが、それは認識不足、経験不足であったらしい。この格差はNagraを始点とするセットよりも、THA2とペアリングさせたMDR-Z1Rのサウンドで顕著であった。ただ、これはヘッドホンの力だけでなく、THA2が実装するジークフリートリンキッシュによるところも大きいような気がする。このリスニングの詳細については次稿で述べたい。

MDR-Z1Rをより良い音で聞きたいならリケーブルは必須である。付属するケーブルはしなやかで取り回しの良いものであり、音質的にも悪いところはどこにもないが、際立った高性能感は皆無である。プラグについてはミニプラグがデフォルトであることも私のような据え置き派には解せないところだ。MDR-Z1Rはその大きさからして明らかに据え置きアンプでのリスニングに適しており、AK380やNW1Zにつないで電車の中で聞くようなものではないはずだ。MDR-Z1RとNW1Zをリンクさせようとするメーカーの意図は大人の事情として理解できなくはないが、多少無茶振りであることは否めない。やはり据え置きアンプ用として標準のシングルエンドフォーンプラグがデフォルトでついたケーブルも付けるべきだろう。既述のように変換アダプターの違いがこれほど良く分かるフォンはないのである。音がその選択でコロコロ変わっていいはずがない。

私の求める条件を満たすリケーブルはMDR-Z7用として発売されているので、もちろん入手している。MUC-B30UM1である。これはKimberと共同開発したブレイド構造のリケーブルだが、THA2につないで聞いてみると、付属のヘッドホンケーブルと比べて、出音は相当に違うと感じる。リケーブルすると、もともと澄んでいた音場がさらに澄み、音は立体感を増す。音の粒立ちがグッと良くなってくる。若干あった高域のキツさがとれて、低域の押し出しが強くなり、中域の解像度が高まる。これはTHA2とシングルエンド接続している状態での変化であるが、既述のようにMDR-Z1Rはバランス接続にすると、シングルよりも音が良くなるので、E1用のバランスリケーブルもキンバーのAXIOSにすればさらに良くなると予想される。
こうして、さらに、さらにと上を目指して行きたくなるMDR-Z1Rであるが、逆に言えばどんどん流砂にハマっていくような怖い感じもなくはないギアである。

言い換えれば、これは真剣に取り組めば取り組むほど結果を出すヘッドホンであると言ってもいい。こいつに本気を出させようとするなら、その分、オーナーはセッテイングに疲れてしまうだろう。だから今は、むしろエイッとラフなセッティングに戻して、ギリギリに煮詰めることはあえてしていない。
特別なインシュレーターはなるべく外し、スパイク受けのウラに張るものの検討は中止、アンプの置き場所も試行錯誤はやめて、ケーブルは適当に這わせ、ウエイトはトップパネルから取り払い、電源ケーブルも普通に使っているものに戻し、アースも考えないことにする。

ケーブルやアクセサリーに凝れば凝るほど音は研ぎ澄まされていくのだが、それは結局、飽きに繋がっていくものだと経験で知っている。例えば私がケーブル道楽を止めて随分になるが、それはやはり精神的にも金銭的にも疲れたからだし、ケーブルは高級になればなるほど、腰かけ的な心構えで使うことが多くなり、高価であればあるほど、そして高性能であればあるほど、愛着が持てず、むしろ売り払いやすくなってしまうことに気付いたからでもある。つまり過度にセッティングにこだわることは飽きを早め、手がけているオーディオシステムの寿命を結局縮めるのだ。だから、今はザックリした着こなしのシステムに意識して戻している。

こうしてセッティングに夢中にならないように心掛けても、やはり気になる点は残る。リケーブルをまだ十分に試していない。リケーブルこそはヘッドホンリスニングでは音質への影響が大きいファクターである。こちらの情報が正しければKimber kableから上位の銀線のリケーブルが出るはずで、実はそれを横目で見ている。Siltechのリケーブルは値段のわりにいま一つだったし、PADのリケーブルは謎が多いので様子を見ているが、これらも候補から外していない。
つまりまだなにも決めていないのである。
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まだ流砂の中から脱出したわけではないのだ。動くのをいったん止めて、これ以上沈むのを避けているに過ぎない。MDR-Z1Rとのリアルな格闘が続く。

# by pansakuu | 2016-11-26 23:41 | オーディオ機器

Focal ELEARの私的インプレッション: フレンチヘッドホンのあけぼの

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偉大さのないフランスは、フランスではありえない。
by シャルル・ド・ゴール


Introduction

フランスには他国にはない一風変わったメカを作り出す土壌があると思う。
ハイドロニューマチックサスによる、究極の乗り心地を売りとするシトロエンの車。
個性派時計師F.P.ジュルヌはマルセイユの出身。
ルネ エルスの自転車。
プジョーのコーヒーミル。
エロアのコインナイフ。
どれも個性的である。優美である。
それらに共通するのはドイツ人のようにガツガツと高性能を追求しないこと。
その代りにフランス人特有の不思議なバランス感覚が横溢している。
日本人にとって、その感覚はエキゾチック以外のなにものでもない場合もあるが、
機能・性能のバランスを程好く上手くとるという面では、
日本のモノづくりと相通じるところはなくもない。

随分前のことになるが、私はJM LabのMicro UTOPIA BEというスピーカーを使っていた時期がある。その外観、音質ともに個性的なスピーカーだった。
御存知のようにJM LabはフランスのスピーカーメーカーFocalの中に高級なコンシュマー用のスピーカーを製造・販売するブランドとして立ち上がったもの。
つまりMicro UTOPIA BEはFocalのスピーカーということになる。
このMicro UTOPIA BEの最大の売りは極めて自然な高域を実現するベリリウムツィーターであった。
その頃はまだダイヤモンドツィーターはほとんど出てきていなかったので、ベリリウムツィーターは新素材で出来た最新鋭の高性能ユニットとして頻繁にオーディオファイルの話題に上っていた。私はこのベリリウムという素材の威力を突っ込んで聞いてみたかったので、これをしばらく使っていたのである。フランスのFocal社とベリリウムの関係は、この時に私の中に刷り込まれたものと考えていい。
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そのFocalがベリリウム振動板を持つヘッドホンを試作しているという噂は2013年頃から出ていた。その後、音沙汰なかったので頓座したのかと思いきや、2016年の春に見事なヘッドホンの形に仕上げて発表してきた。これは本格的なフランス製のハイエンドヘッドホンの始まりという意味も持つ出来事なのである。ドイツにほぼ独占されていたヨーロピアンハイエンドヘッドホンの世界に別なEU主要国から挑戦者が現れた。
当初、私の眼差しはベリリウム振動板を用いたトップモデルUTOPIAにのみ注がれていた。それは多少、以前の刷り込みによるところが大きかったと思う。マグネシウム・アルミニウムのハイブリッド振動板を持つセカンドモデルELEARはOUT of 眼中であった。

ところが先日、両者を計一時間ほど、とっかえひっかえ、幾つかの機材で聞いてみると意外な結果となった。セカンドベストのELEARは私の長年の刷り込みを解くほど、見事な音のバランスとまとまりを聞かせて、性能で勝るはずの上位機UTOPIAを出し抜いてみせたのである。
正直、こんなはずではなかったという思いはある。
もちろん私の直感から生まれた結論は、所詮、私のものでしかない。
貴方がこれを本気にする必要などどこにもない。
だが、少なくともその雑多ながら輝かしい印象の中身を、UTOPIAかELEARかと迷っている人々の参考にするため、ここに乱雑に散らかしておく価値はあるかもしれない。


Exterior and feeling
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オープン型ヘッドホンであるELEARを手に取って見ると、ハウジングのほぼ全面を覆う金属のメッシュが、少しザラッとした感触を伝えてくる。重さは450g。やはりこれは軽いとは思えない。メッシュで覆われたハウジングはやや大ぶりで中身のキャパシティが大きく、ドライバーはその真ん中に角度をつけて中空に浮いているような形に見える。
ガンメタルカラーのヨークは曲面で構成され、どこか艶めかしいが、剛性感も十分にある。
この艶めかしい輝きにフレンチエキゾチックを感じるべきなのかもしれない。
イヤーパッドはHE1000のような二種類の素材を組み合わせたもので、耳当たりは良い。側圧も丁度良く、MDR-Z1Rほどではないが、頭にフィットしやすい。これはHD800やTH900などの標準的なハイエンドヘッドホンの装着感と同等のレベルである。またMDR-Z1Rよりは薄いハウジングなので、装着時に左右にハウジングが張出し過ぎて不恰好になったりしない。Focalのロゴはヘッドバンドの辺縁部に、“そ”の字のFocalのシンボルマークはハウジングの中央に掲げて、ブランドをしっかりアピールしている。
ELEARはUTOPIAと同じく、リケーブル可能なヘッドホンであり、端子はソニーZ7のそれと同じものではないか?この端子はセルフロック式で簡単には抜けにくい。
パッと見た印象としては、例のごとく普通のハイエンドヘッドホンという印象を抱かせるが、触っていると全体に剛性が高いような印象を持った。微妙な差だが、HD800SやHE1000、Editionシリーズなどのライバルよりもガッチリつくられているのではないか。私の使ったデモ機に関しては全体の仕上げに荒さはなく、丁寧な造りであって、突っ込みどころはない。UTOPIAもELEARも、今のところ高級機らしくフランスの自社工場で生産されているという。
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上位モデルUTOPIAはカーボンのヨークをあしらったり、多数の気孔の開いたイヤーパッドを用いたり、複雑な形状のハウジングデザインを採用したりして、いかにも50万オーバーのスーパーハイエンドヘッドホンというリッチな雰囲気が出ている。造りはどこかマニアックでドイツっぽいが、多数の気孔の開いたイヤーパッドは水玉模様のようでオシャレな雰囲気もある。ケーブル端子はAKGなどでも採用のあるレモコネクターで、信頼性は高そうだ。ELEARより40g重いが、ライバルとなるであろうLCD-4よりもはるかに軽量であり、デザインも洗練されているので、音質でLCD-4と同等かそれ以上のものを出せればUTOPIAが優位に立つことは容易に想像できた。


The sound

Focal ELEARは一聴して、音作りおける優れたバランス感覚を感じたヘッドホンである。
音像と空間の広がり、音像の解像度と濃淡、音の温度感や触感、ダイナミックレンジ、各帯域のバランス、これら全てにおいて過不足ない中庸さ、必要十分なレベルの優秀さを聞かせる。さらに微かに音に艶を持たせているため、聞き味の良さも兼ね備えている。全体に、音調にピーキーな部分が全くないため、聞き疲れが非常に少ない。
このELEARは鋭くアピールする突出した特徴はないが、欠点もほぼない。こういうヘッドホンはなかなか得難いと思う。

FOCALは今回発売したUTOPIA、ELEARの2モデルをウルトラ・ニアフィールド・スピーカーと位置付ける。(私に言わせればウルトラ・ニアフィールド・フルレンジスピーカーだが・・・)スピーカーメーカーが本腰を入れて作ったヘッドホンであり、ゼンハイザーなどのドイツ勢のものとはそもそも出自が違うと言いたいらしい。
言葉のとおりにUTOPIAでもELEARでもスピーカーリスニングで感じられるような音場の広がりや朗々とした響きを目指した努力を聞くことができる。そして、当然のように、これらのFOCALが目指した要素についてはUTOPIAの方がより強いアピールを感じる。弟分のELEARの方がUTOPIAよりもややヘッドホンらしく、やや凝縮された音の印象である。しかし、ELEARはHD800並みの音場の広さ、T1やTH900に聞かれる音像・音程の正確さのレベルに既に達しおり、性能面で萎縮していないので、「よりヘッドホンらしい」とは言っても全く不満がない。ないどころか、ヘッドホンとしてそれらの音質的要素の過不足ないバランスの良さを秘めている。そして、このバランスの良さはUTOPIAにはあまり強く感じられない。UTOPIAはヘッドホンでありながら、ヘッドホンを超えようとする意気込みが強く、無難にまとまろうとはしていない。

ELEARは他と比較しなくてもニュートラルで高性能なヘッドホンであると直ぐに分かるものである。
例えばヘッドホンの世界には様々な材質の振動板が現存するが、金属系の振動板を使いながら、これほど中庸な音質、クセの少ないナチュラルな音をエージングが進む前から出せる例は稀だと思う。金属系の振動板はクッキリとした輪郭の音像は出やすいが、その分、音のエッジがきつく出てしまい、聞く人を選ぶ場合もあるし、長時間のリスニングは疲れる時もある。ELEARは解像度の高さ、音像のフォーカスの的確さがありながら、刺さるような音を一切出さないようだった。
また、広い音場を提示しつつ、曖昧さのない音像定位と鮮やかな鳴りの良さを聞かせて、音質的な偏りや破綻がない。音場と音像、音の解像度と躍動感、音の透明感と色彩感、音の陰影と明るさ、音の艶と荒々しさ。複雑に絡み合う多くの音質的要素が全て過不足なく盛り込まれたリッチなサウンドである。聞きこむとHD800やHD800sよりも音色が濃いのが印象的である。リズムのインパクトが強く、ズシリと来る。ストレートな表現で音が遠くで鳴っている気がしない。ウルトラゾーンの開放型に近いインパクトの強さを感じた時もあるが、とにかくあのヘッドホンよりもはるかにクセが少なく洗練されている。ウルトラゾーン危うしと言っておく。

私見ではELEARは20万円までのヘッドホンの中では最優秀機のひとつである。また私が個人的にハイエンドヘッドホンの名機と思っているHD800(s)、HD650(Golden era)、T1(2nd)、TH900(mk2)、Edition9、PS1000、HE1000、SR009、LCD-4そして、これからこの群に加わるであろうGS2000e, MDR-Z1Rなどと比較しても、総合的な評価で勝るとも劣らない位置につける。正直、音像、音場、解像度、ダイナミックレンジなど、一つ一つの音質的な各要素の優秀さに関して、最高得点を取るほどではないかもしれない。しかし、それら全てで一位にならないまでも二位には必ずつける感じである。陸上で言うと十種競技の金メダリストのようなヘッドホンなのである。全ての音質要素の高いレベルでのバランスの良さという点ではこのELEAR以上のヘッドホンを私は知らない。

格上であるUTOPIAは音の解像度の高さ、音の器の大きさ、つまり聞こえる音の量感の大きさといった点ではELEARに勝ると思う。だがそれらのメリットと引き換えにベリリウム振動板特有の高域の僅かなアバレや時にドライブ感の少ない寂しい出音などに違和感を感じることもなくはない。中でもUTOPIAについて私がやや不満なのは、つなぐヘッドホンアンプとの間に相性があるらしいということ。これはアンプの駆動力の問題ではなく、ベリリウム振動板のキャラクターに合ったヘッドホンアンプでなければならないという意味のようだ。例えばRe Leaf E1 classicでUTOPIAを駆動しても、伸びやかさの足りない詰まった音になってしまうことがあった。(これは当日、フランスから来たFocalの担当者もそういうニュアンスの話をしていたので、私だけの印象ではなかったようだ。)Luxmanのアンプでもどうもしっくりこない曲がある。朗々と鳴る感じがなく、高域に微妙だがはっきりとしたクセが残るような気がした瞬間も。これではどうやら、JM Labのスピーカーの出音から予想されたナチュラルな音に微妙に届いていない。何が邪魔しているのだろう?エージング前のウルトラゾーンのEditonシリーズのように、あれほどカンカンした響きが乗りやすいというわけでもないが・・・。やはりエージング不足か。
結局、CHORD DAVEのヘッドホンアウトに直に挿した時、最も本領が発揮された音になった。どうして本領と分かるか?それはもちろん自分が使っていたFocalのスピーカーMicro UTOPIAのツィーターの音を基準としているのである。ベリリウムツィーターはキャラクターが少なく、自然な風合いが特徴で、いかにも「高域が伸びています」的なアピールの少ない、質実剛健な音調である。音の質感に以前の新型ツィーターにありがちなザラついた感じも皆無で聞き易かったのも記憶に残っている。それでいて、それぞれの楽器や録音の時代の違いをバッチリ出してくる。一言で言えば、堅実でありながら極めて優秀という印象なのであった。ところがUTOPIAを他のアンプで聞いてもそういう印象がはっきりしなかった。CHORD DAVEのヘッドホンアウトでやっとスピーカーを彷彿とさせるスケール感を秘めた穏便な高域や、全帯域にわたる自然な質感を愉しむことができたものの、56万のヘッドホンとして購入に値するかどうか、よく検討しなおさなければならないと思った。それは主にLCD-4との比較でそういう結論になるのである。あのLCD-4の出音については一聴して完璧なレベルに達していて、他のヘッドホンと一線を画していた。私個人はUTOPIAに関しては未だにそのレベルの音は聞けていない。UTOPIAについてはもっとエイジングを進めたうえで、さらに多くのHPAで、多数のヘッドフォニアがテストしてその潜在能力を測ってみる必要があるのだろう。なぜDAVEのヘッドホンアウトという、ヘッドホンドライバーとしては比較的貧弱なものが適合したのかを含めて、UTOPIAとHPAの相性について深く知りたいところだ。

一方、ELEARでは上記のような問題がほとんど聞かれなかった。どんなアンプでもヘッドホンの実力が出せるようだし、アンプの良さも分かりやすい。例外的な電流駆動のE1 Classicでのリスニングはもう少し聞きこみたい気もしたが、DAVEダイレクトのリスニングは至極快調であり、各々のアンプの音調の違いも分かりやすかった。これはメタル振動版としてはクセがかなり少なく鳴らし易いからだと推測する。このようなクセの少なさは振動板がマグネシウムとアルミのハイブリッドであるからではないか。ハイブリッドすることでそれぞれのキャラクターを互いに抑えている可能性がある。冷静になって、音の解像度やスケール感でELEARが若干UTOPIAに劣ることからUTOPIAに軍配を挙げるというの人もおられるかもしれないが、私としては、この程度の弱点はリケーブルやHPAの性能を上げることで、どうにでもカバーできるのではないかと思ってしまう。とにかく私はUTOPIAについては単純に高価なアンプをあてれば、より良い音を出せるという確信が持てないので、これを使いこなすにはヘッドフォニアとしてのスキル・経験と覚悟が必要となるだろうと考える。誰かがこのヘッドホンを上手に歌わせるセッティングを調べて、突き止めてくれるまで、あるいはFocalがUTOPIA MK2を出すまで日和見しても損はない。


Summary

フランス製のELEARとUTOPIAの登場はドイツ・日本、中国、アメリカというハイエンドヘッドホンの4強独占状態に小さくない風穴を開けるはずだ。かくして世界のヘッドホンの国別の勢力地図は若干だが塗り替えられることになる。
ここまでのFocalの目論見として、軍団の中心たる旗印としてUTOPIAを置き、その周囲を固める実戦力としてELEARを配し、そして斥候あるいは露払いとしてSpirit ONEを先発させるという作戦・陣形を描いているはずだ。
その構図の中でセカンドベストモデルであるELEARは一見地味な存在にも見えるが、まぎれもなくフレンチヘッドホン軍団の主戦力・中核的存在である。それは各社のフラッグシップヘッドホンと対等以上に渡り合い、格上であるはずのUTOPIAさえ、総合力では凌駕しうる素晴らしきオーディオギアなのだ。その絶妙な音質バランスに、フランスのモノづくりの底力を見た思いである。
私見ではELEARは、その完成度の高さからみて、ヨーロピアンヘッドホンの一つの基準点、もしくは名機として位置づけられ、長く愛される可能性がある。
これほど完成されたヨーロッパのヘッドホンは数えるほどもないと思う。
熱心なヘッドフォニアがHD800やT1などの欧州製の名機を必ず通り過ぎなくてはならないのと同じく、我々はELEARを一度ならず体験しなくてはならなくなるだろう。
予定外ではあったが、私は確信をもってELEARの予約を入れた。

# by pansakuu | 2016-10-08 19:33 | オーディオ機器

SONY MDR-Z1R vs GRADO GS2000eの私的インプレッション:対バンライブで盛り上がれ

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対バン(たいバン)、および「対バン形式」とは、ミュージシャンやバンド(主にロックやポップ)やアイドルが、ライブを行う際に、単独名義ではなく、複数のグループと共演(競演)することをいう。
by Wikipedia



Introduction


今年は例の映画のテーマソングなどで絶賛売り出し中のRADWIMPSだが、去年は全国対バンツアーという企画をやってしのいでいた。
ファイナルはZepp東京で、この時の対バンは先輩格のMr.Children。その夜はお互いに相手のファンに疎外感を抱かせない工夫もあって、無事にステージは盛り上がっていたようだ。翌日、それに参加した知り合いからライブのあらましを聞いた私は大昔のことを思い出して、なぜか少々しんみりしてしまった。

あれはインディーズシーン全盛時代のことである。
まだ無名だったMr.Childrenは渋谷の某ライブハウスに出ていた。私は彼らのファンではなく、別なバンドのファンだったが、上京するたびに暇さえあればそこに来ていたので、彼らのライブも見た。また、その頃は同じく無名だった、あのスピッツも、多くのバンドの中のひとつとしてそこに出ていた。私は偶然、この二つのバンドが対バン形式で出たステージを見た覚えがある。
RADWIMPS の対バンライブの様子を聞くふりをしながら、私はMr.Childrenとスピッツが競うように演っていたあの夜の空気を、そして、それをフロアの片隅でなんとなく傍観者として見ていた自分を思い出そうとしていた。特にスピッツについては、あの頃は現在と全然違う音楽傾向だった。今となっては貴重な体験であるが、その当時は特別なものを見ているつもりはなかった。(だいたい当時は彼らのことをよく知らなかった。)あの二つのバンドはあの頃と比べれば遥かにBigになったけれど、歩む道も目指す音楽もまったく異なってしまった。
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ところで、
ここ数日は、SONY MDR-Z1RとGRADO GS2000eを数回に分け、それぞれ異なる環境で試聴している。その感想をまとめて言うなら、これほど異なる傾向を持つフラッグシップ機の組み合わせは思いつかないということ。全く違う雰囲気を持つ最上位の音質が、当たり前のように並存できるという、今のヘッドホン界の幅広さが如何なく発揮された試聴であった。
この試聴は形としては言わば対バン形式なので、私としては必然的に去年末のライブの話を意識しながらやっていた。そして、それを意識すればするほど、頭にずっと引っかかっていた思い出、Mr.Children vs スピッツの対バンの構図がSONY MDR-Z1R vs GRADO GS2000eの対立の構図にそっくりとあてはまるような気がした。また、そういう不思議な相似を意識しつつ音を聞くと、今のヘッドホン・イヤホン界の図式をすんなりと理解できるような気もした。
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Exterior and feeling

・大きさ、重さ、デザインについて
SONY MDR-Z1R:
やや大柄なヘッドホンで重さは385g。持ってみると重くは感じないが、軽くも感じない。HD800など標準的なハイエンドヘッドホンの重量感。デザインは表面的には今風のスティルス系。目立つ要素をあえて消すような素振りが見て取れる。例えば全体が黒いカラーで統一され、表からSONYのロゴや型番らしきものが、控えめにしか見えない。中央が異様に盛り上がった独特のハウジングがやや目立つ。現代最先端のデザインであり、SONYらしい洗練、ミニマル感・先取り感が満載である。
Grado GS2000e:
そこそこ大きなヘッドホンだが重さはたった260gである。実際持って見ると非常に軽い。ペーパークラフトの模型を持っているようだ。ヘッドホンの中では高級機の部類に入るGS2000eであるが、そのグループの中では断トツに軽い。この軽さは得難い。デザインは昔ながらのGRADOのそれであり、もはや伝統的と言うべき大雑把さ。色調として自然素材である木材や皮革のブラウンカラーが目立ち、ナチュラル・オーガニックな印象。スライダーなどは相変わらず簡素な造り。ヴィンテージの機材のような雰囲気もある。
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・筐体の構造・材質について
SONY MDR-Z1R:
密閉型ヘッドホンとのことだが、この特殊なハウジングには通気性があるので、そう言い切っていいのかどうか。TH900やEdition9のようにしっかりと閉じているわけではない。網目状の堅牢なハウジングプロテクターが最外層にあり、その内側にプラスチック製のフレームと音響レジスターというパルプでできた真のハウジングがあるということらしい。こういう特殊な構造を取る事で密閉型でも、ある程度の音ヌケの良さを確保し共鳴を排除しているという。
このヘッドホンを形作る材質は様々な特殊素材であり、それらを最適な形状に加工して国内で組み立てている。ヘッドバンドのβチタン、ハウジングの内側に張り込まれたカナダ産針葉樹のパルプでできた音響レジスター(和紙の製作技法で国内で製造されるパーツであり、それを漉(す)くための水質・水温まで検討されているとのこと)、ステンレスワイヤーを編み込みイオンプレーティングを表面に施したハウジングプロテクター、世界で最も薄く大口径な70mmのマグネシウムドーム振動板、高磁束密度を誇る大型ネオジウムマグネット、音の伝播を疎外しないフィボナッチパターングリル(この13世紀のイタリアの数学者の名前をここで聞くとは。フィボナッチ数はヒマワリのタネの配列や花びらの並び方に現れるが、確かにそれっぽく見えるね、このグリル)、アルマイト処理したアルミ合金製ハンガー、シリコンリングを組み込んでメカノイズを減らしたジョイント(ケーブルのタッチノイズにこだわるなら、ここにもこだわれってことか)、コルソン合金製ジャック、特殊な高純度無鉛ハンダの使用、国産のシープスキンと低反発ウレタンでできたイヤーパッド。
これほど盛りだくさんに特別な素材と部品で構成されたヘッドホンはかつてなく、小さなメーカーでは開発は無理だろう。もし中小メーカーが少量生産でこのヘッドホンを製造し売ることができたとしても、単価は50万円を大きく超えることになっただろう。やはり大メーカーが本気を出さなければできないことがある。
Grado GS2000e:
開放型ヘッドホン。コンパクトなドライバーを二種類の木材を組み合わせた小型のハウジングで包み込んでいる。外側をマホガニーと内側をメープルで、という組み合わせは新しい。普通はヘッドホンのハウジングは一種類の木材で作られるものだ。音漏れはかなり激しい部類。ドライバーは新型であるが、PS1000に搭載されていたものと大きく異なる印象はない。Z1Rに比して技術的なフューチャーは明らかに少ない。むしろシンプルであることで、多くの要素が干渉しあう複雑性を回避し、結果として加工感のないストレートな音、生々しいサウンドへとつながっていくことを目指しているのかもしれない。

・装着感について
SONY MDR-Z1R:
イヤーパッドは国産のラムスキンで低反発ウレタンを縫い包んで製作されている。形状は多数の人間の頭部の3Dスキャンデータを基にしてデザインされているとのことだが、実際の装着感もかなり良好。ピタリと側頭部、頭頂部にフィットして、頭を振ってもほとんど動かない。側圧は高くも低くもなく丁度良い。重さはそこそこ感じるので、長時間のリスニングで首や肩に疲れを感じる可能性はあるが、LCD-4などと比べればはるかに楽なので、心配はしていない。
Grado GS2000e:
極めて軽いので、長時間装着しても疲労感はない。ただし、スポンジのイヤーカップやヘッドバンドにヒトの頭部に沿うような形状の工夫がほとんど見られないため、装着感自体はそれほど良くない。頭にピタッとフィットする感じではない。側圧は緩め。
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・機材の技術的なハイライト・位置づけについて
SONY MDR-Z1R:
日本の大家電メーカーが本気を出して最先端のヘッドホンを作るとこうなる。ふんだんに新技術が投入され、音響家電の領域で薄くなりつつあるSONYの存在感を、スマートかつ贅沢な物量投入という手法で取り戻そうとしているかのようだ。具体的には高級感・装着感を徹底的に追求したうえで、密閉型でありながら開放型のような高音質を目指したというところか。
Grado GS2000e:
同社最高級シリーズであるステートメントの最新鋭機という位置づけであるが、最新という感じはなく、むしろ昔ながらの手法を踏襲しつつ発展させたという印象。二種類の木材をハイブリッドしたハウジング、新型のドライバーぐらいしか、真新しさがない。逆に言えば偉大なるマンネリズムにGRADOファンは安心すべきだろう。

・パッケージングについて
SONY MDR-Z1R:
シリアルナンバー入りの革張りの立派な箱に収まっている。今まで様々なヘッドホンの箱を見てきたが最上級のひとつである。この箱は普通に作れば一万円以上はするはずだ。ただしこの箱は皮革を用いたものなので、良い状態を維持したいなら定期的な手入れが必要となるかもしれない。
Grado GS2000e:
相変わらず、段ボール製の粗末な箱を使っている。一応、別売りでロゴ入りの立派な木箱もあるが・・・。二つのメーカーのモノに対する姿勢の違いはここにも表れている。


The sound 

・ダイナミックレンジの広さ:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e 。
MDR-Z1Rは微弱な音を良く拾うので、スピーカーではやや難しい、粗探し的な聞き方も簡単にできる。振動板が大きいわりに大音量でも歪みにくいようだが、今回の試聴では音量をかなり上げるとちょっと苦しそうな音も出していた。もっともこれは本当に駆動力のあるRe Leaf E1などのアンプでドライブしたわけではないので、手元に届いたらリケーブルして後日改めてテストしたい。GS2000eは小さな音も比較的よく聞こえるが、MDR-Z1Rほどではない。そういうディテールに入ってゆく聞き方をすべきヘッドホンではなく、音楽全体をリラックスして俯瞰するような音調だから、ないものねだりだろう。また、GS2000eは音量を上げすぎると音割れが起きやすいので注意すべき。

・周波数帯域の広さ、帯域のバランス:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rはカバーする帯域が広いうえ、各帯域の音はバランス良く、公平に耳に入る。優等生的な出音。高域の自然な伸びは印象的である。低域の音階の表現も正確。
GS2000eも中域にアクセントがやや強いけれども、概ねフラットな帯域バランスを持つ。だが予想どおりMDR-Z1Rほどのワイドレンジ感はなくて、その点ではごく普通のヘッドホンという印象。低域の解像度もやや甘い。ただ高域のヌケの良さはZ1Rを上回り、これが演出するカラッとした開放感はGS2000eの独壇場。

・音の解像度:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rは一聴してややフワッとした柔らかめの音調であるため、ソフトフォーカスのように焦点が若干合わない音に聞こえがちなのだが、適切なアンプでドライブして聞き込むと音に濁りがなく、透明感の高い音を持っていることが分かるはずだ。音の肌理がかなり細かく、高精細な動画を大画面で眺めるような雰囲気がサウンドに宿る。視覚的に音を聞くという立場から言えば、MDR-Z1Rの音の解像度は十分に高いと言える。ただEdition9などの解像度の高さを売りとするヘッドホンのような音像提示はしない。例えば(Z7もそうだったが)どうしても僅かに音像の輪郭が甘く感じられる時がある。Edition9は決してこのような甘い音は出さない。
別な言い方をすれば音像の輪郭の解像度を高くすることに固執したり、あらゆる細部を明確に暴き出すことに重きを置いたりするようなヘッドホンではない。そこにだけ頓着しているわけではなく、もっと音質全体にバランスの取れた優秀さを目指しているのだろう。
一方、GS2000eは音像の解像度を上げることにこだわりがない。音の細部よりも、メロディの流れやリズムの弾みがより分かりやすくなるような方向に音調を振っているので、音の枝葉末節に拘りたい方にはお薦めできない。

・過渡特性(トランジェント):
GRADO GS2000e > SONY MDR-Z1Rとなる。
GS2000eは音楽の動的な要素に対する追従性が高い。立ち上がり・立下りのスピードが速い。能率が高いせいか、ヘッドホンアンプを変えても、軽い振動板を強力なアンプで駆動しているイメージは保持される。軽々と速い音が出る。このフィーリングはヴィンテージの高能率スピーカー、フルレンジ一発を聞いているようだ。対するMDR-Z1Rは複雑なネットワークを背負った、能率の低いユニットを鳴らす現代のハイエンドスピーカーのようなサウンドである。Z1Rは新型のDAP、NW WM1Zに直挿しでデモされることが多い。あの状態でもスピード感はそこそこあるが、音に軽みまでは出てこないし、音がやや暗い。おそらく、これは強力なヘッドホンアンプを必要とするヘッドホンではないか。逆に言えば、真価を発揮できていないのに、あれだけの音が出てしまうのだからポテンシャルはかなり高い。

・音色・音触の鳴らし分け、各パートの分離、定位の良さ:
SONY MDR-Z1R =GRADO GS2000e
各パートの分離がいいのはMDR-Z1Rの方である。定位はどちらも同じくらい良い。様々な楽器の鳴らし分け、録音の年代の違いを細かく出すことについてもほぼ同等だが、GS2000eの表現の巧さが際立つ。GS2000eはJAZZの古い録音を聞くと、なにかうまくハマっていて、楽しい。当時風の雰囲気が出やすい。このような録音をMDR-Z1Rで聞くと綺麗聞こえ過ぎてつまらないと思う。録音の年代の違いを上手に鳴らし分けるというのは、昔の録音の悪さも伝えつつ、上手く楽しませることなのだ。

・音の強弱の階調性:
SONY MDR-Z1R >GRADO GS2000e
MDR-Z1Rは音の強弱のグラデーションがかなり細かく滑らかに出る。色彩感はGS2000eにやや劣るが、この階調の豊かさは今まで聞いたヘッドホンの中ではトップクラスだと思う。GS2000eに関してはこの音の強弱の表現がやや粗い。これは古いJAZZやヘヴィメタルの再生では迫力となって現れるが、多くの優秀録音では弱みでしかない。

・サウンドステージ:
GRADO GS2000e ≧ SONY MDR-Z1R
MDR-Z1Rは音のヌケは優秀な開放型ほど良くないのに、音場に自然な広がりが感じられる。密閉型と称するヘッドホンの中で最も音場が広く感じられる。耳が詰まったような感じがかなり少ない。またその音場の静けさは特筆すべきもの。この背景の静けさの深さと音場の広がりが、振動板の大きさから来る鳴りの良さをいっそう強く意識させる。
このヘッドホンの鳴り・音の響きの良さと正確さは多くのレビューでスピーカー的という評価を得ているが、私も賛成である。このスピーカーライクなサウンドはヘッドホンのブレークスルーであろう。
一方、典型的な開放型であるGRADO GS2000eでは当然のことながら、さらにオープンな音場展開となる。音が頭の周囲空間に大きく広がるような感覚で、窮屈さがまったくない。しかし音場の静けさについてはMDR-Z1Rほどではない。

・音楽性(感情的な表現の分かり易さ):
GRADO GS2000e > SONY MDR-Z1R
リズムの躍動感やメロディの流れの表現についてはGS2000eの方が分かりやすい。MDR-Z1Rの音の描写は分析的で冷静であり、良くも悪しくも日本的な真面目さを感じる。音楽を聞いていて、楽しかったり悲しかったりする感情の動き、曲想がGS2000eの方が把握しやすい。

・総合評価:
密閉型・開放型ヘッドホン全体を通して、最もメジャーな名機としてSennhiser HD800/HD800sが思い浮かぶが、使いようによっては、その盤石の地位をも危うくしかねないニューカーマーとしてMDR-Z1Rを推したい。もともと欠点が非常に少ないうえ、堂々とした音の響き、音場の静けさや広がり、解像度、カバーする帯域の広さ、過渡特性の優秀さなどに目を見張るものがある。ここに音像の輪郭の明瞭さが加わればさらなる高みを目指せるだろうが、そこはアンプやリケーブルで解決できる問題かもしれない。ブリスオーディオのリケーブルは魅力的だろう。また、新発売される各社のフラッグシップ機の多くが開放型を選択する中、高級な密閉型ヘッドホンの不足がささやかれていたが、そこに上手く付け込んできた点も見逃せない。(繰り返すが、本当にこれを密閉型と言い切ってよいのか疑念は残る)

GRADO GS2000eについては、個々の評価のポイントを取り出して別々に検討してみるとSONY MDR-Z1Rに劣っているように見えるが、その結論はトータルの印象を反映していない。GRADO GS2000eには量的に測れない独特のキャラクターがあり、それが唯一無二の魅力だからだ。全体の外観、触れてみた質感、音のまとめ方の巧さを見ていると、そういう思いは強くなる。このヘッドホンはそもそも追求しているものが、現代の多くのハイエンドヘッドホンとは違う。この軽さ、オーガニックな手触り、ヌケが良くカラッと乾いて屈託のないビッグサウンド、これらはアメリカンヘッドホンの良心としか言いようはないではないか。このような特別な気持ち良さ、あえて競争を避けているような呑気な姿勢は、私を微笑ませると同時にリラックスさせてくれる。
また、ヘッドホン本体の重さというごく単純な数値が、ヘッドホンの音質に大きな影響を与えていることを今回改めて感じた。GS2000eのサウンドは腰がやや高く、フットワークが俊敏、軽妙にして快活。低域の沈み込みがやや浅いものの、それを含めてトータルの音調は実に明るく清々しい。秋晴れの空のようなサウンド。例えばLCD-4はあれだけ軽い振動板を強力なパワーで駆動する力がありながら、このようなライトなキャラクターになっていない。これはヘッドホン全体が重いせいではないか。重いヘッドホンは音の重心が過度に下がって暗い音になりがちだが、現行のLCD-4はその罠にはまっているような気がする。

同じ価格帯にありながらこれらの二つのヘッドホンほど、対照的なモノもないだろう。かたや数値データをもとに理詰めで開発されたモノ、かたや聴感と伝統を大切にしながら大らかな気持ちで作られたモノ。外観もサウンドも重なり合う部分はほとんどない。これらが並存しうるほどヘッドホンの世界は広がってきた。


Summary

あのバンドブームの最中、日本中で多くのインディーズバンドが結成され、各地のライブハウスを盛り上げていた。そのころは既に大手プロダクションが育てたメジャーなタレント、歌謡曲や演歌、アイドル系の歌手がテレビを賑わしていたが、インディーズバンドはそのカウンターパートとして薄暗いライブハウスの中から勃興してきたのである。これは今、スピーカーオーディオというメジャーに対して、ハイエンドヘッドホンというジャンルが興ってきたこととイメージが重なる。
そういう時代の流れの中で結局、メジャーの世界に取り込まれ、そこで活躍の場を広げていった二つのバンド、Mr.Childrenとスピッツについて、ここで多くを語る気はないが、それぞれが辿った道が異なっているのは周知の通りだ。片方は大きなハコを好み、他のメジャーなアーティストとのコラボを求めたあげく、ますます大きな存在となって、一時はサザンの後を襲うかのような勢いさえあったが、今は一段落している。もう片方は幾分小さなハコを好み、アルバムもあえて多くを売らず、固い核を守ろうとするかのように小さくまとまる素振りだ。今でも両者はイエローモンキーのように開散もせず、シーンに居残っているわけだが・・・・。
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手をかえ品をかえて発表される野心的なヘッドホンたちの群像は、次々とデビューする新人バンドのように私の目には映る。今回の試聴というのは、そういう状況下で、もはや老舗となったSONYとGRADOが放つフラッグシップどうしの対バンが企画されたようなものだ。Mr.ChildrenがMDR-Z1Rであり、スピッツがGS2000eにあたると私は見ているのである。この二つのバンド=ヘッドホンの織りなすコントラストは時代を超え、趣味のジャンルを横断して、私の好奇心を未知の領域へトリップさせてくれる。

かく言う私がSONY MDR-Z1RとGRADO GS2000eを予約したのは自然な成り行きだった。まるでMr.Childrenとスピッツの対バンを行きつけのライブハウスで再び見るために高価なチケットを買ったような気分だ。少々値は張るが、この熱いヴェルサスを自分のヘッドホンアンプ、自分のDACで体験しない手はない。こいつらでロビンソンでも聞き比べるとするか。昨日貰ったRADWIMPSのCDを聞いてもいい。あとはこの散財が後悔しない買い物になることを祈るだけだ。

# by pansakuu | 2016-09-29 23:55 | オーディオ機器

Rupert Neve Designs RNHP ヘッドホンアンプの私的インプレッション:音の名前

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名前 それは燃えるいのち
ひとつの地球に ひとりづつひとつ
          ゴダイゴ Beutiful Nameより



Introduction

いったい誰が、こんな凄い音を作ったのだろう?

初聴の機材の出音に感動したとき、決まって浮かぶ疑問である。
音が良ければ良い程、機材の設計者の名前というのは特に気になるものである。

オーディオという趣味において、使われる機材の設計者やメーカーの名前は単なる記号ではない。オーディオを楽しむために不可欠な知識である。結局、誰がこの機材を設計したのか、誰がこの音で良いと承認したのかによって全てが決まるからだ。

また、オーディオの設計における個人の感性・知識の発露は音の署名、ソニックシグネチャーと呼ばれる音の特徴を生み、それはセッティング等では変えられないものである。もちろんそれを色付けとして排し、無色透明に近い音を目指した機材もあるが、実際に試聴の経験を積めば、オーディオには何百という異なる無色透明があり、それぞれが似て非なるものであることは容易に分かるはず。とどのつまり、無色透明もまた、ある種のソニックシグネチャーであると言える。まるで禅問答だが、これもまたオーディオの面白さである。

この音の署名は、どのようなものであれ、機材を設計した個人名・メーカー名と重ねあわされ一体化されてはじめて、リスナーにとって忘れがたい記憶となる。
オーディオは人間の感性・知識が作り出すもの。そして、その人間には必ず名前がある。この二つの事実の連結は、そのサウンドを永く記憶にとどめるための儀式のようなものかもしれない。

Rupert Neveというプロオーディオ界のレジェンドを戴くブランドRupert Neve Designsがプロ用のヘッドホンアンプRupert Neve Designs RNHPをひっそりと発売したのは、ごく最近のことである。
ニーヴの製品は1961年の創業以来、プロオーディオの世界で高い支持を持続的に受けており、多くの現場で愛用されている。ディスコンになったヴィンテージのニーヴのモジュールなども盛んに取引されている。純粋に音が良く、高性能なミキシングコンソールは、Neve(ニーヴ)の製品の中で特に有名であって、多くの優秀録音で使用実績がある。オーディオファイルはニーヴの機材を使って製作されたものとは知らずに様々なアルバムを楽しんでいる。
私はその名声を聞くたび、今のニーヴの音というのが、どのようなものなのか、その全貌を知りたい気持ちが増した。しかも、ありきたりにアルバムを通して聞くのではなく、機材からダイレクトに出た音を、オーディオファイルとして吟味したい気持ちが強くなった。例えばそれはニーヴのミキシングコンソールにじかにヘッドホンを挿して聞きたいという衝動となって現れた。別な言い方をすれば、私はNeveニーヴという名詞とニーヴの音とを頭の中で一つにして、オーディオの経験値を高めたかったということになる。だがそれはかなえられそうもない望みであった。私はニーヴのミキシングコンソールが聞ける現場に入ったことがない。そもそも、一般のオーディオファイルは録音現場に立ち会う機会がほぼないのである。(実を言えばクラシックなニーヴの音と現代のニーヴの音との違いにも興味はあるが、それはもっとマニアックで比較困難なものだろう)
そんな中、偶然、このヘッドホンアンプを代理店様から借りられるキャンペーンを知った。
私は即座に申し込んで首尾よくアンプを取り寄せることができた。


Exterior and feeling
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届いた機材Rupert Neve Designs RNHP ヘッドホンアンプは拍子抜けするほど、小さく軽いアンプであり、ガワの作りはいたってシンプルである。
165×116×48mm、約1kgと私がいままで取り上げた据え置きアンプの中で最もコンパクトでライトな部類である。これなら様々な場所に気軽に持ち運ぶことができるだろう。
筐体は二枚貝のように上下で組み合わされた薄い板金によって作られており、叩くとカンカンと音がする。サイドパネルが斜めにカットされ、フロントパネルの下縁が縁側のように出っ張っているのは、ヘッドホンプラグやボリュウムノブを下からなにかに引っ掛けて壊さないようにするためのガードらしい。足は薄いゴムの四足で全く音質的な工夫は感じないが、説明によるとこれも吟味されたパーツとのこと。また、Vesaマウントという薄型テレビなどをアームスタンドや壁に固定するための穴が底面にあけられている。これを活用すれば壁からアームで突きだすような形でアンプをセッティングすることも可能である。当方はプロではないから、このマウントを利用することはないだろうが、置き場所に困る時は、セッテングの選択枝が増えてよいかもしれない。フロントパネルには赤くアノダイズ加工されたボリュウムノブとグリーンに明るく光る入力セレクター、シングルエンドのイヤホンジャック一穴のみ。恐ろしくシンプルでラフな印象である。ノブの回し味は滑らかではあるが重く、感触を楽しませるものではない。正確に目当ての位置に合わせることを優先したのか。ギャングエラーはとても少ないが、この感触はコンシュマー向けの機材のそれではない。ボリュウムはアルプス製だが、アレはこんな感触だったかな。ただし、見やすいボリュウム目盛りがついているのはいいと思う。
ヘッドホン出力はインピーダンスを可能な限りゼロに近づけるように設計されているとのこと。この設計により出音のソースへの忠実性・正確さが得られるという考えらしい。
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リアには電源アダプターのジャック、電源スイッチ、RCA入力、プロらしくTRSフォンとのコンボになっているXLR入力、ステレオミニ入力のみ。ステレオミニ入力があるのはハイエンドDAPでの利用に道を拓く嬉しい計らいだ。だが、やはりXLR入力が推奨だろう。これはプロ用の機材である。
なお、USB入力などのデジタル入力がないが、これはポリシーとしてデジタルとの統合ヘッドホンアンプの形を否定して、アナログ入力専用アンプに特化したためである。
リアパネル自体も薄いアルミの板であり、オーディオファイルが喜びそうな物量投入が見えない。

このアンプの電源はアダプターにより供給されるが、このプラスチック製のアダプターも全くラフなもので音質的になにか配慮された形跡がない。世界中に輸出されるアイテムであるから、プラグは差し替え方式で世界各国の形式に素早く合わせられるようにできている。日本向けとしては平型2ピンのものが同梱されている。オーディオ機材で良く使われる平型2ピン+丸型ピンはない。正直言って録音現場で使うにしろ、家庭で使うにしろ、このアダプターはナイなと思う。機材によっては平型2ピン+丸型ピンのタップに平型2ピンのプラグを挿すとノイズが出たりすることもあるし、オーディオ用のタップは差し込み口が奥まっていて挿せないこともある。少なくとも、このアダプターに普通の電源ケーブル挿せるような形にしてほしい。無論、価格と音を変えずにという条件付きだが。

なお、今回の試聴ではNAGRA HD DACのバランスアウトからSaideraのXLRケーブルでダイレクトにニーヴのヘッドホンアンプにつないでいる。ヘッドホンは例によってSennheiser HD650 Golden era Meister Klasse dmaaである。 なおドライブ中に本体やアダプターが熱くなったり、ゲインが足りなくて困ったりするようなトラブルは全く起こらなかった。また、内部ゲインの切り替え可能かどうかについては情報がない。恐らくできないのだろう。説明では市場にあるどのようなヘッドホン(インピーダンス16~600Ω)でもドライブできるようなことを言っているが、どうなのだろう。NAGRA HD DACのハイゲイン出力とHD650を使った今回の試聴ではボリュウムポジションは1時を過ぎないと十分な音量は取れない曲が多かった。

全体に真の業務用ギアという外観のアンプであり、コンシュマー向けの気取ったデザインはほとんど見られない。オーディオファイルが考えるような、高音質を実現するための繊細な工夫も、少なくとも外観からはわからない。というかそういうことは、あえてやらないのがニーヴ流なのだろう。そういう小賢しい手口を否定した、胸のすくようなシンプリシティがここにある。

例によって中身の回路などについて、メーカー側から技術的に詳しい説明はほとんどない。しかし、あのニーヴが設計し、ニチコンのコンデンサー、アルプスのボリュウムなど比較的高価なパーツを使って、アメリカ国内で組み立てられるアンプであることはわかっている。とすれば粗悪なものとは考えにくい。限られた情報の中で特筆するとすれば、これはニーヴのコンパクトなミキシングコンソール5060センターピースにビルトインされているヘッドホンアンプを独立させたものであるということ。この5060センターピースはニーブの旗艦機である5088の中核部を抜き出したものだ。つまり、このアンプを聞けば、少なくとも形の上では素人はまず聞くことのできない、現代のニーヴの卓の音の片鱗を聞くことができるのではないか。
私はその可能性に賭けた。


The sound 

至極、率直な音である。
これはもう素晴らしい率直さだ。
率直でありながら、少しもぶっきらぼうに聞こえない。
率直なサウンドにありがちな乱暴さを感じない。むしろ丁寧で繊細である。
単刀直入なサウンドでありながら、品格にもあふれている。
プロサウンドによくある介在感のないダイレクトなサウンドだが、
正しいだけで無味乾燥なつまらない音ではない。
音に潤いがあり、生々しい活力が音に宿っている。
ただし、無駄な音は決して出さない。嘘のない音である。
このへんはいかにもプロ機という感じであり、やや厳格でもある。
スピーカーはごまかせても、ヘッドホンはごまかせないとはよく言ったものだ。
広い帯域にわたるきわめて高い音の解像度は、どのように小さな録音のミスも逃さない。
帯域バランスもとても優れていて、強調されたり、弱みを含んだ帯域がない。
逆に中低域が目立つ、高域の伸びが目立つなどの一人でカッコつけている帯域もない。
強いて言えば低域の解像度の高さ、ナチュラルな質感と量感は実に魅力的である。こんなにしっかりとした低域が出るアンプはなかなかない。

このヘッドホンアンプとHD650 Golden era dmaaのペアは音源を正確に、立体的に捉えるのに適している。音場の見通しが効いて、パートごとの音の分離もとてもよく、音の強弱と前後関係が明確で、音の輪郭がクッキリと聞こえる。あらゆる場所にフォーカスが合っている不思議な写真を眺めるようなマジカルな感覚がある。
そして定位がすこぶる良い。音像に揺らぎが微塵も感じられず、ピタリと止まっている。
これも優秀なプロ機らしいところである。定位が良すぎるとなにか堅苦しい感じも伴うものだが、RNHPではなぜか聞く方は自然体でいられる。聞き疲れが少ない出音だ。
SN感はかなり良く、背景の暗騒音の質感の違いがはっきり分かる。
これはオーバーオールに優れたサウンドであり、このアンプの価格が6万円ちょっととは到底信じられない。これは今まで聞いたヘッドホンアンプの中で最もコストパフォーマンスの高い製品と思われる。

本機についてのメーカー側の説明を読んでいるとヘッドルームの高さが喧伝されている。ボリュウムを上げて行って、最終的に音割れするまでの音量の余裕が大きいと言いたいのだろうが、確かにそうである。プロ機というのは、総じてある程度以上の大きな音量でないとその良さが分かりにくい。そこから先が問題で、突然大きな音が入っても、クリップせずに安定して取り扱うことを求められる。コンシュマーの普通の機材では、そこでもうプロの使用に耐えられない。このアンプは音量を上げたときに確かに本領を発揮する。大音量でも全然音が割れる気配がないというだけではない。音に生気がみなぎり、気持ちよくビートやメロディが刻まれ流れる。それでいて音源に対する忠実性・正確さが失われない。監視するような冷静なまなざしは常に保たれている。G ride audioのGEM-1のように音楽と一緒に羽目を外すことはない。

ここでは音の余裕、華やかさ、派手な音楽性などの、高級なコンシュマー機の出音に備わるプレミアムな要素はあえて排され、音源に対する忠実性を追求する姿勢が徹底されている。RNHPは、まるで音の猟犬のように音源を駆り立て、出来る限り接近してアタックし、確実に捕捉する。ライバルとも言えるマス工房の機材が完全な音の傍観者であり、音源と常に距離をおいているように聞こえるのとはやや対照的である。この音のダイレクト感はかなり強い。このたぐいの感覚は最近のコンシュマー機材では体験しにくいものである。

これほどまでに音に近づいて鷲掴みにできる機材はG ride audio GEM-1以来かもしれない。だが、このニーヴのアンプはあれほど個性的ではない。もっと無個性であるし、そうあろうと努力もしているように聞こえる。ソースにもともとないニュアンスを無意識に付加するような振る舞いを慎重に避けている。ただ、これでアニソンなどを聞くと粗がよく聞こえ過ぎるのではないかといつもの危惧を抱く。注意深く作られた音の良い録音を、注意深く選ぶことが、RNHPを通して素敵なアニソンを聞くための前提になりそうな気配がある。

このアンプの出音についてはRe leaf E1xと比較して、はじめて音の器の大きさの違いが意識される。E1xの音はやはり懐が深い。音数はさらに多く、豊かな音楽性に圧倒される。RNHPはE1xに比べるとどうしても少し寂しい音ではある。E1xを通すことでプラスされる音場の広がりや音のディテールの色彩感などは、スペシャルなコンシュマーオーディオの面目躍如たるところであって、RNHPにとってはないものねだりである。逆に考えれば、実にこのレベルの機材でなければRNHPを凌駕できないのは驚きである。

音の輪郭の雰囲気などは筐体のサイズや設計コンセプトも類似したJRsoundのCOLIS HPA-101のそれに近いが、値段の差なのか、単に技術的センスの差なのか、RNHPの方が明らかに格上の出音である。HPA-101ヘッドホンアンプよりも音の輪郭以外の様々な音楽の側面がさらに色濃く浮き出てくるようなサウンドだ。強いて言えばプリズムサウンドのインターフェイスのヘッドホンアウトの音が近いかもしれない。音数とその音の強弱・高低が音源のそれと正確に一致しており、リスナーの存在を意識した音の足し引きが一切ないというところがかなり似通っている。プリズムサウンドはコンシュマー向けにDACを発売するらしいが、相性はかなり良いのではないかと想像する。
RNHPは上流になにを合わせるにしても、その素性を容赦なく暴き出すヘッドホンアンプであることは言うまでもない。だからなるべく音の良いDACを使ったほうがいい。ヘッドルームの高さに対する考え方と相通じるのかもしれないが、このアンプが受け止められる情報量の大きさはヘッドホンアンプとしてはおそらく規格外のもので、どのような高級なDACを上流に置いても不都合を感じないだろう。
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いろいろ試してみて、有効だなと思った使いこなしのコツとしては、RNHPは音の寝起きが悪い方ではないが、電源は少なくとも半日以上入れっぱなしにしてから聞いた方がいいということ、本機のアダプターがプアでもそれを挿す電源タップはChikumaやリプラス、アコリバ等から出ている完全にオーディオグレードと考えられる製品を使うべきこと、ifi audioの電源ノイズフィルターは是非使うべきこと、筐体の鳴き止め用のトップパネルに乗せるウエイト(私はレコード用のTechDasのスタビライザーを使った)は有効であることくらいか。特にifi audioの電源ノイズフィルターDC iPurifierはこの機材に関しては有効であると大声で言いたい。SNがスッと良くなり、音場の見通しが一段と冴えわたる。フィルター本体だけが、アンプの電源スイッチを切っても熱くなってしまうのが気になるが、私が試用していた範囲ではトラブルはなかった。これを試す方は当然、自己責任でお願いしたいのだが、お薦めできるTipsである。

Summary

外観からはまるで想像できないが、ほとんど欠点のない、すこぶる優秀な音を出す傑作ヘッドホンアンプである。音に関しては100点満点中95点くらいあげたいほどだ。音場の広がりが若干狭い印象があり、5点引くだけ。あくまで私の個人的意見だが、20万円までのヘッドホンアンプで最も優秀な出音のアンプではないか。この機材について一番残念なのはヘッドフォニアの大部分がこのアンプにまるで気づいていないことである。
このサウンドがプロ畑で絶賛されるニーヴの音であり、意味のないことにはカネはかけないニーヴの流儀の現れなのだろう。アンプの作り、出音ともに無駄のないシンプリシティを貫いていて、感心した。オーディオのあるべき姿の一つを見た思いだ。
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Re Leaf E1xを持っていなければ、このアンプは必ず買って手元に置いたと思うし、Re Leaf E1xが使えなくなり、代わりが見つからない場合はこれを買うことになるだろう。この価格なら予備に買ってもいいかもしれない。こういうプロサウンドの方面で最も優秀な製品はマス工房のヘッドホンアンプだと思っていたが、これからはニーヴが作った本機を筆頭とせざるをえないだろう。特にHD650 Golden era dmaaとの相性の良さ、組んだときのシステムとしての完結性・完全性は忘れがたい。HD650のような飾り気はないが少し彫りの深い陰影を出せる実直なヘッドホンはニーヴのアンプに合うと思う。そのうちHD600、AKG K812などでテストしてみたいし、近いうちに入手するであろう、SONY MDR-Z1Rをつないでみたくもある。はたして、どんな音が聞けるのだろうか。またこれを2台買ってL/R別々にドライブするのも面白いかもしれない。完全なモノラル構成となるが小さいアンプなので難しくない。
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こうして聞いてみると、現代のニーヴのソニックシグネチュア―はやはり無色透明に近いものだった。繰り返すがオーディオには何百という無色透明があり、それぞれが異なるのである。だからニーヴの無色透明はニーヴの機材からしか感じ取れないものだと考えられる。この色のない色をどのように表現したらよいのか見当もつかないが、私はなにか音場の深さに特徴がある音のような気がした。大概のプロサウンドというものは音像をダイレクトに捉えることにのみ汲々としているので、音場の広がりや深さに関心を払わないように感じることが少なくない。しかしこのRupert Neve Designs RNHPには特に音の奥行の深さに関心があるように聞こえた。この深みの感覚とNeveというプロオーディオ界のビッグネームが私の中で結合され、ひとつになった喜び、それを今かみしめているところである。

オーディオにおいて、この先も間違いないこと。その一つは、オーディオの世界が移り変わっても、音の名前は依然として幅を効かせるであろうということ。いったい誰が、このサウンドを作り上げたのか?その作者・設計者の名前を我々はこれからも知りたがるに違いない。そして、伝え聞いた名前とそのサウンドが頭の中で結合した瞬間に、その署名は脳裏に走り書きされることになる・・・鮮やかにね。
幾度となく、音の名前が暴かれ、我が脳裏に焼き付く鮮烈なる瞬間を求めて、今日も明日も、そして遠い未来においても私はオーディオと向き合い、問い続けるはずだ。
この音の名は?と。

# by pansakuu | 2016-09-10 01:34 | オーディオ機器

アニソンとハイエンドオーディオの関係:“痛さ”の受容


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痛い:
非常識な様。本人は格好いいと思っているにもかかわらず、客観的にみると非常識であり、そのギャップが痛々しい様。・・・・・
byニコニコ大百科


ハイエンドオーディオの機材をズラッと揃えた試聴会に出席すると、時々フリータイムというものが設けられることがあります。出席者が持ってきたディスクをそこにある装置で自由にかけてみるというサービスの時間帯ですね。ここではディスクを差し出した本人以外は、その内容がなんであるかは事前には知らないわけで、なにがかかるのか楽しみである反面、ディスクを差し出した本人はそれが上手く鳴るだろうかと不安になっている場面でもあります。
演奏がひととおり終わると、試聴会に招かれていた評論家や代理店の方がいい演奏ですねとか、いい録音ですねとかコメントを述べることも多い。
そのコメントの瞬間にディスクを差し出した本人のオーディオのレベルが格付けされるような気分があるのも間違いない。だから試聴会のフリータイムで自分の愛聴盤を出すのはちょっと気が引けるという人もいます。

ハイエンドオーディオの概念がマークレビンソンらによって確立されはじめた頃、その対象となる音楽はクラシックかモダンジャズでした。それにややおくれてロックやポップスがハイエンドオーディオで鳴らす対象となり、試聴会でも頻繁にかけられるようになってきました。それらの中には有名な作曲家、演奏者、プロデューサー、録音技師の手になる多くのアルバムがあり、様々なタイプに分かれてはいますが、いずれも芸術性の高さは音楽評論などを通して折り紙のついたものでした。一方、それを演奏するハイエンドオーディオはすこぶる高価で、高い性能を誇る機材の集合体ですから、当然のようにそこから流れ出る音楽にはなんらかの権威により裏付けされた高い品格があったほうがよいという不文律があるように思えます。そう、ハイエンドオーディオというものは、ステータスのあるリッチな大人の趣味であって、姿も音も、どこに出しても恥ずかしくないほど格好良くなくてはならないのです。これは無言の圧力であり、試聴会のフリータイムという取るに足らない場面にすら、雰囲気として漂っているようです。その雰囲気は初心者がハイエンドオーディオに入って行きにくい心理的な敷居の高さをも演出しています。

5年ほど前からだと思いますが、私は、この試聴会のフリータイムで時折、アニメソングつまりアニソンを聞くようになりました。これは高級オーディオ専門誌では、あまりおおっぴらには語られていないようですが、デジタルファイルの普及と同じくらい大きな変化だったのではないでしょうか。
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なお、ここではアニソンの定義について、あえて細かく述べません。アニソンと一口にいってもかなり様々な傾向の音楽を含んでいて複雑だからです。私は話をできるだけ単純化したい。今回述べるアニソンとはアニメに関連した音楽一般を指しますが、もっと具体的には予備知識なしに聞いて、これはアニソンだと分かるような音楽を指していると思って欲しい。いわゆる萌えオタ向けのアニソンなどが、ここで取り上げる主なものであり、懐古的な昭和のアニソンなどはあまり眼中にないのです。

このアニソンの入ったCDをハイエンドオーディオシステムの前にまるで生贄のように差し出す人々は、大概はヤセ型か、あるいはかなり太った若いメガネ男子です。なにか堂々とディスクを出すというよりは、おずおずと恥ずかしそうに鞄の奥からディスクを出してきて、担当者にそっと渡すような仕草が共通しています。中身は若い女性の甲高い歌声の入ったアップテンポの明るい曲が多いのも共通項です。声優風の節回し、声のトーンもステロタイプ。演奏中は聞いている本人は大概ジッとしていて、足でリズムをとるわけでもない。傍で聞いている私は、それまでかかっていた音楽とあまりにも傾向の違う音調に面食らってみたり、自分の曲でもないのに、なぜか恥ずかしい気分になったりして、曲が終わるまでどうもいたたまれない。なぜなのか説明できないが、少なくとも数年前まではハイエンドオーディオシステムでアニソンをかけるのは、かなり強い違和感があったのです。
曲が終わると彼らはうやうやしく礼を述べ、腰を低くしてディスクを受け取る。これも常套的な態度です。彼らは礼儀正しい。
この礼儀正しさにも関わらず、アニソンの場合、最後の所で、参加している評論家や代理店の方が、その音楽や音質についてコメントを述べないことが多い気がします。場合によっては無言で次のディスクにかけ替えるのです。そこには、なにか異質なものがオーディオに入り込んだ偶然を、なかったことにしたいような空気が流れているのです。

こういう場面に何度も出くわすうちに馴れたのか、最近の試聴会でアニソンを聞いても、わけのわからない違和感、私が感じる必要のない羞恥心は幾分薄れてきました。ですが、それが完全になくなる気配は感じないんですね。
ロックやポップスがそうであったようにアニソンもハイエンドオーディオのソースとして自然に体制に組み込まれるものだと信じてきたが、なかなかそうはならない。
私はここ数年ずっと、この違和感に自分なりの決着をつけたいと考え続けてきました。

ところで、最近、ある有名なJポップのグループがアニメのテーマソングの製作を打診されたのに、断ったという話を聞きました。そういう音楽を作るバンドだというレッテルを貼られることを嫌がったのだと聞ましたが、本当でしょうか。音楽業界の今の苦しさから考えて、せっかく来た作曲の依頼を簡単に断るなどありえないと思うのですが、アニソンに関しては初めて聞く話でもない。こういう話があることからも、やはりアニソンという音楽は大人の男が聴くにはそぐわない音楽として見られている節があります。まだまだアニソンは日本の社会の中では“キワモノ”として捉えられています。これはアニメそのものが大人の鑑賞(み)るものとして認識されていないこととも関連がある。さらに進めて考えれば、それはアニメそれ自体だけでなく、アニメを社会人なっても楽しんでいる男女に向けられた偏見とも関連しそうです。

反面、クラシックよりもJAZZよりもロックよりも、アニソンを愛する若者たちを私は大勢知っています。彼らの多くは、知ってか知らずか、万策堂の知り合いであるからして、オーディオを愛してもいます。だから当然、アニソンをハイエンドなオーディオシステムで存分に楽しみたいという願いを抱いています。彼らは自室にこもり、アニソンを自慢のシステムで密かに鳴らすのです。スピーカーシステムであることもあれば高度なヘッドホンシステムであることもありますが、自分に出せるだけのカネを出して、知恵を振り絞って、いい音でアニソンを真面目に聞こうとしておられる。そこには嘘偽りのない純真なハイエンドオーディオ魂が見え隠れするのです。ぶっちゃけた話、若いアニソンマニアが今一番オーディオを勉強しているし、老人たちよりも大きな金額を使っている人もいます。
特にアニソンにはボーカルの美があり、それをより美しく聞くことに執心するアニソンマニアは途切れることはないのです。
だが、そういうダマシイの世界も一歩、自室の外に出れば冷たい偏見をもって迎えられる場合が少なくないようですね。
以前、私の周りに自分の職場ではアニソンについては決して語らないと言う若者がいました。それはカミングアウトするようなものだと彼は言いました。この趣味がバレるのが怖くて彼女ができないとまで言ったのです。そんな大袈裟な、と笑いながら振り返ったときに見た、彼の妙に真剣な眼差しが忘れられません。
いったい、誰が彼をそこまで迫害したのでしょうか。

とにかく、アニソンをハイエンドオーディオで聞くことは恥ずかしいことか、というのが今回の空論のテーマなのですが、まず、そんなことは考えるまでもなく、恥ずかしくないに決まっています。
だいたいオーディオシステムで何を聞こうと個人の趣味、アナタの勝手ではないか。
しかも、例を挙げる必要もなく、現代ハイエンドオーディオで頻繁に取り上げられている音楽が、最初から格調高い音楽として認識されていたわけではないことは周知のこと。全ては様々な形で後付けされた権威により、高い芸術性が担保され、安心して聞ける存在になっているに過ぎないのです。

しかし実際には、アニソンを敷居の高いハイエンドシステムで聞くことに恥ずかしさがつきまとうことは否定できない。このようなアニソンの恥ずかしさの源泉としてすぐに思い当たるのは、その宿主であるアニメ本体にまつわる恥ずかしさです。それを知るにはガルパンを見ている時に感じた、あの支持者たちの熱狂と冷たい世間の視線とのギャップについて想起すれば足りるでしょう。
しかし、これは不公平な状況ではないかと私は思います。例えばヨーロッパの文芸的な恋愛映画によくある、赤の他人だった男女が出会ってから一秒で恋に堕ち、数時間を待たずして行為に至るというようなシーン。(映画「そしてデブノーの森へ」や「ダメージ」などで見るシーンである)ここでは必ずと言ってよいほど、相手はかなりの美女です。(アナ ムグラリスが美人というのには異存ないと思うが・・・・ジュリエット ビノシュも十分に美人ということにしておいてほしい)こういうシーンは美しい異性への絶望的な願望から生まれた場面であり、通常はほぼありえないことでしょう。このような芸術映画のシュチュエーションのありえなさは、ガルパンの世界観のありえなさと基盤を同じくするものではないでしょうか。ここで片方が芸術作品と呼ばれ、もう片方はモテないオタク向けのサブカル映画として白眼視されるのは、とても不公平です。ああいうアニメが本当に恥ずかしいものなら、文芸的な恋愛映画の少なくとも一部は極めて恥ずかしいものと言えましょう。だが実際、世間ではそうは言われていない。こういう不公平な認識がまかり通っているのはおかしい。エヴァやハルヒ、けいおん、マギカ、ラブライブ!、ガルパンの大きなブームを経て、この手のアニメはネットを介して流行する重要なコンテンツとして定着し、日本の中では大きな文化の流れとなっているにも関わらず、実写とアニメの間にある不公平感はなくなっていないのです。
(エヴァ、ハルヒ、けいおん、マギカ、ラブライブ!、ガルパン全てに共通するのは少女がメインキャラクターであること。恐らくこの不公平は少女を偏愛する大人を危険視する社会の態度に由来するのでしょう。)

このようなアニメを取り巻く不公平な文化的状況はともかくとして、これだけアニソンについてハイエンドオーディオ界の受容が本格的に進まない背景には、その理由が一つではなく、数多くあって、なかなか減らないことがあると思います。
例えばハイエンドオーディオを実践しているのが圧倒的に老人が多くて、アニソンにまるで馴染みがないこと、アニソン自体にリッチな雰囲気がなくてリッチな趣味であるハイエンドオーディオに合わないこと、アニソンを高音質で聞きたいというリスナーがまだまだ少数であること、アニソンに音楽の権威による裏付けがなく文化的には格が低いサブカルな音楽と見なされていること、ステサンなどの高級オーディオ専門誌やオーディオ関係の大物ブロガーもアニソンをあまり取り上げないこと、アニソンのほとんどが音質的にハイエンドオーディオ機材で聞かれることを意識して製作されていないこと(Hi Fiで聞くとむしろ聴きづらくなってしまうものもある)、特定の時代のJAZZを得意とするオーディオシステムがあるようにアニソンになかば特化したようなシステムが登場しないこと、アニソン自体がアニメ作品なしに成り立たず、独立した音楽のジャンルとしてはまだ立場が弱いこと等々、様々な要因を挙げることができます。
アニソンには不備が多い。だから敵も多い。

でもここで、一番ディープな問題はそんなことではないと思いませんか。アニメやアニソンの本質にいわゆる“痛さ”が多かれ少なかれ、ほぼ必ず含まれることが最も根源的な問題なのではないでしょうか。
“痛さ”というものが中二病的な“恥ずかしさ”の発露であるとするなら、アニメやアニソンにまつわる行為の少なくとも一部は世間一般から見たら恥ずかしいことをあえてやることです。ハイエンドオーディオでアニソンを聞こうが、ローファイな機材で聞こうが、それは本質的に“恥ずかしさ=痛さ”を含んでいることが多い。そうでなくては恐らくアニソンはアニソンらしくならないのでしょう。“痛さ”を伴う音楽はアニメと関連がなくてもアニソンに聞こえるし、“痛さ”と決別したアニソンは、予備知識なしには最早アニソンに聞こえず、萌えない。
この法則を知らない、もしくは忘れていることが行き違いの始まりなのです。
アニソンという本質的に痛さを伴う音楽を、“痛さ=恥ずかしさ”を排除し、格好の良い音あるいは正しい音を出そうとしているハイエンドオーディオという趣味に持ち込む。その場面で我々が違和感や羞恥心を感じることは必然であるにも関わらず、ハイエンドオーディオは常に、それとは反対方向の音を求めている。この方向性の行き違いが違和感の元ではないかと。
つまり、アニソンを聞く時は、この“痛さ”を受容して楽しめるように、リスナーは頭を切り替えることが必要になるのです。この当たり前にすら見える、頭の切り替えの必要性がアニソンに不慣れなオーディオファイルに認識されていない、あるいは無視・拒否されているのが現状なのではないかと思います。

さらに、ここでハイエンドオーディオそのものを醒めた視線で見つめ直すのもいいかもしれないですね。
そもそもハイエンドオーディオファイルが“格好の良さ”や“正しさ”あるいは“原音再生”などというものにカネをかけること自体、一般人にとっては理解を超えたバカバカしさなのではないでしょうか。ウォールストリートジャーナルにマイ電柱を立てる日本のオーディオファイルの写真と記事が出ていましたが、オーディオに関心のない者から見れば、あれこそ中二病的な“恥かしさ”満載の行為と言えなくもない。これを見るとアニソンとハイエンドオーディオ、その根っこは案外と似たり寄ったりなのかもしれないと思うのです。だから彼らがアニソンに慣れることは可能であり、その“痛さ”を受容すべく頭を切り替えることも、不可能でないと私は信じています。

とかなんとか言いつつも、私は、いじめられる人間にもいじめられる理由が存在するという法則を忘れたくない。
偏見を持たれる人間には、その偏見に値するだけの理由があるのかもしれぬと考えるのがバランスの取れた見方というものでしょう。
確かにアニソンには先述した以外にも、至らぬ点があります。
私はアニソンのほとんどが音楽のプロが集結し、苦労して作りこんだ作品であると考えていますし、演奏や歌唱のレベルの高いものが少なくないと思っています。だがそれだけで、アニソンを尊敬してもらおうというのはおこがましいと思います。アニソンは音楽の内容が薄い。特に歌詞が弱いです。本当に自分の言いたいことを吐露しているように聞こえない。テレビで流すことを前提としているせいか、作品世界に制約されているのか、まるで自己規制をかけているかのように、上滑りな、言い足りない詞が圧倒的に多い。文学的なセンスやテクニックにも欠けています。まるで天才の登場を拒絶するかのような、無個性で平均化された音調も芸術性に欠けるような気がします。
さらに言えば、アニソンは、異性への願望に基づく妄想以外のテーマを作曲者、演奏者の持つ強い個性に載せてアピールしないかぎり、過去の偉大な音楽作品を超えて、ハイエンドオーデイオに馴染む資格は与えられないでしょう。この音楽に関わるアーティストには、今のアニソンの様式美の枠を壊す勢いが必要だと思うのです。

今の時代に新しい音楽を生み出す事が苦しいのは知っています。これほど膨大な過去の音楽遺産を背負い、その栄光と重みを否応なく意識しながら、新しい音楽を生み出すことに困難さがあります。最新の音楽を全く聴かなくても、過去の莫大な音楽遺産を少し掘り返すだけで、一生かかっても聴き終わらないほど多くの音楽に出会える時代です。中古レコード屋の片隅を掘削して得られる、日の目を見なかった秀曲を聞いた後、今のアニソンなりEDMなりを聞く時の手詰まり感といったら、時に息苦しい。美しい歌詞とメロディ、素晴らしくインパクトのあるビートを人類は既に使い尽くしてしまったのではないかと疑いたくなほど。そして過去の音楽を掘れば掘るほど、新しい音楽が陳腐な剽窃にしか聞こえなくなる現象が私の中に起こるのです。そういう現実はPerfumeを聞いてもBabymetalを聞いても払拭できるものではない。アニソンに限っても昭和のアニソンだけ聞いていて趣味として完結できなくはない。つまりハイエンドオーディオの存在とは関係なく、新しい音楽に過去の音楽を超える何かを求めることは難しい時代になっているのです。アニソンにかぎらず、この状況下で新しく生れ出る音楽に多くを求めることは酷かもしれない。

しかし、音楽については過去だけを見ていながら、機材については未来志向で揃えていくというのは、どうも矛盾してはいないでしょうか。
シンゴジラの後ろ三分の一を覆う希望的な雰囲気を象徴する、矢口 蘭堂の台詞「日本はまだまだやれる」ではないですが、「音楽はまだまだやれる」と私は前を向いてつぶやいてみたいものです。紆余曲折あっても前へと進もうとするハイエンドオーディオの良き伴侶として、優れた内容と音質を備えた前衛的なアニソンが生まれ、(それは見たこともない前衛的なアニメが生まれることと同意なのですが・・・)アニメファン以外の人々にも受け入れられる時代が来ることを願ってやみません。

# by pansakuu | 2016-09-02 23:23 | その他

Hailey1.2を眺めながら

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つくづく思うのだが、
私のような都会に住む忙しい人間には、
高価なスピーカーなんてものは無駄じゃないのか?
今、手元に置いて試用しているYGのHailey1.2を眺めていると
そういう思いが込み上げてくる。
ここのところ、ずっとそういうことを考え続けている。

最近の私は週日、朝早く出掛けて、夜遅く帰ってくる。
つまり、このスピーカーを存分に聞けるのは上手く行って日曜の昼間だけである。
フルに休みを使えても実質、週に10時間前後である。
しかも隣近所の迷惑があるので、そんなにデカイ音は出せない。
こいつは思い切り音量を上げた時にその真価を発揮するのだが・・・。
とはいえ、クレームが来やしないか、
ビクビクしながら音楽を聞くのは御免である。
事実として、一軒家を立てた後の方が、
マンション住まいだったときよりも騒音の苦情が増えたというオーディオファイルもいる。
防音室がないと安心はできない。

しかし、何度か述べてきたように私は防音室が苦手である。
窓のない部屋、窓の小さい部屋が元来苦手なのである。
あの閉塞感には馴れることはない。
ついでに重いドアも困る。単純に開け閉めが辛い。
だから防音室は建てない。
そんなに広くなくていいので、
家族の行き来するオープンなリビングで寛ぎながら音楽が聴きたいだけだ。

この状況で、
600万のスピーカーを買っても
宝の持ち腐れに近い気がするというのはこういうことだ。
時間当たりの音楽を聴くコストを私は考えるのである。
例えば、この調子でスピーカーオーディオをやっても
一年に400時間あまりしか聞けないことになるが、
一年でスピーカーに払った代金の元を取りたいなら、
600万を400時間で割るわけで、
一時間あたり一万円以上かけていることになる。
無論、スピーカーは少なくとも2年は使うわけだから、
まあ一時間当たり7000円くらいまでの使用料に下げられるかもしれないが、
それでも、音楽を聞く対価としてはどう考えても安くない。
それにこれはスピーカーについてだけの話で、
アンプも同様のことが言えるので、さらに金額は加算される。
また、一週間の大半はリビングに
大きなスピーカーが無意味に陣取ることになる。
これも我慢できない。
こいつは音を出していなければ、
ただの真っ黒くて重たいオブジェにしかならない、邪魔っけな道具である。
スピーカー本人にしても暇を持て余しているような気分だろう。
週末しか、お呼びがかからないのだから。
Hailey1.2は、これはこれで確かに音はいいから
300万くらいなら我慢する、許せるのだが、
(でも能率が低いのはかなり困るな。アンプの代金も半端ない。)
こいつは600万円を超える機材なのである。

とにかく、いろいろと考え始めると
高価なスピーカーというものは、自分に合わないような気がしてくる。
こうなるとヘッドホンの方がよほど気楽である。
家人が静かに勉強をしていても、お構いなしに聞けるし、
徹夜で聞き続けても誰もクレームしない。
したがって毎日のようにコンスタントに聞ける。
どんなに高価なヘッドホンシステムを組んでも、
一時間あたりの対価はスピーカーシステムよりもかなり小さくなる。
またスピーカーシステムに比べて圧倒的に小さく場所を取らない。
また幾つものシステムを並列して設置し愉しむことも容易であるなんてことは言うまでもない。

だが、ヘッドホンシステムは
最重要事項である音質について
最近まで、ずっとスピーカーシステムの後塵を拝してきた。
だから、どうしてもスピーカーは必要だった。
しかし、今やハイエンドヘッドホンシステムの性能は
スピーカーと比肩できるところまで上がって来たように思うと何度も唱えているし、
それに対して、最新スピーカーの能力は
頭打ちに近い状態であるということもたまに言っている。
確かに、新型スピーカーを聞くと、測定値に出るような表立った部分については、
昔のものよりも良くなっているのだが、
その分、以前のスピーカーが持っていた愛すべき個性、独特の味わいのようなもの、
あるいは絶妙なバランスの良さが失われているような気がしてならない。
これでは結局、差し引きゼロの状態ではないか。
何かを得たが、何かを失っている。
一方、ヘッドホンに関しては、いまところ、単純に得たものの方が大きい。
つまり伸び盛りのジャンルなのである。
黄昏のスピーカーオーディオと旭日のヘッドホン・イヤホンオーディオ。
このギャップはとても大きい気がする。

こういうギャップに若い人たちは敏感だし、直感が鋭い。
そして合理的である。
だからヘッドホン・イヤホンの方に集まってくる。
そっちの方が伸びているし、素直に面白いし、合理的だからだ。
この人気が金銭的な問題のみに起因するものでないのは明らかである。
今や本当にハイエンドなイヤホンシステムを揃えるほどの財力があれば、
大きくはないが、気の利いたスピーカーシステムを揃えることは可能であるのを、
彼らは承知している。
でも、それでは全然、気分が盛り上がらないから、
あるいはどんなシュチュエーションでも楽しめろわけじゃないから、
ヘッドホン・イヤホンに大きな投資をするのだろうか。
私はよく知らないが、結局そういうことになっている人もいるらしい。

そういう私は夜な夜な、
NAGRA HD DACとRe Leaf E1x、HD650 Golden era MKを召喚し、
音楽の迷宮への出入りを繰り返す。
そこで様々なシンガー、様々な音たちに出会い、奴らと火花を散らす。
そのデジタルファイル、LPに隠された滋味を味わいつくしたら、
そこを立ち去り、また次の音楽と出会う。
オーディオファイルとは音の機械獣の召喚者であり、
彼らを使役して音楽の女神を狩り、食らうハンターのような者たちだ。
その神聖な用途に、私のヘッドホンシステムは
いままで使ったどのスピーカーシステムよりも向いているような気がすることもある。
これはかなりコンパクトなシステムだが、
さらに高価なHE-1に勝るとも劣らない、魅惑的なサウンドをいつも奏でてくれるし、
どんな静かな夜でも私の気まぐれに付き合ってくれる道具なのだ。

世話してくれた方には申し訳ないのだが、
私は明日にも、このYGのスピーカーを流してしまうかもしれない。
次はまたピエガに戻るか、マジコに行くか。
もしかしてZellaton?
はたまた、
デザインが楽しいVividに行きたい気分もあるが、
あの横っちょウーファーはこの部屋で大丈夫だろうか。
様々な考えが頭の中に渦巻いていくのだが、
その背景には常に、
今、スピーカーでオーディオをやるって本当に面白いことなのか?
という倦怠感にも似た深い疑問が居座っている。
それは、ヘッドホンやイヤホンが発達した現代においては
ハイエンドスピーカーなんてものは
無意味に難儀で不自由なだけなんじゃないかという疑問と重なる。
そして、
その疑問の向こう側には、
手の込んだヘッドホンシステムがあれば十分ではないか、
という消極的な解答があるのではない。
ヘッドホンシステムに投資する方が明らかに面白いし、
恐らく今の自分にとっては険しいけれど新しい道なのだという確信がそこに生まれつつある。
それは私が望んでいないことだったかもしれない。
考えたくもないことなのかもしれない。
だが、砕け散ってもいいから、そっちに歩いて行きたい。
そういう強い誘惑がある。
スピーカーに未知の音を見つけられなくなってから久しいのだから、
当然といえば当然か。

では自分のヘッドホンシステムを私はどうすべきだろうか。
Sennheiser HE-1についてはアンプ部が明らかに役不足だ。
このシステム単体では600万の価値はまだないから、
強力なDACや電源ケーブルをかませたりして底上げしなくちゃならない。
こいつを候補から外したわけじゃないが、乗り気にまではなってない。
それに、未聴だが、MSB Select DACと
STAXヘッドホン向けのアンプユニットも魅力的ではある。
問題は流石に高価すぎること。1700万円はすぐには出ないし、
STAXにしか対応しないのもつまらん。
アレはとにかく試聴しないと、どうしようもないのだが、
代理店様がヘッドホンオーディオに関心が無さそうに見えるので、
もしかすると日本では聞けない機材になってしまうかもしれない。
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それにひきかえ、
ステンレス製のRe Leaf E1pの鏡面仕上げのコース、
Fostex HP-V8とBispokeのプリ、TA300Bを組ませるコース、
GOLDMUND THA2を電源ケーブルやインシュレーターで
ドーピングするコースなんかは
HE-1やSelect DACよりも、ずぅーっと安上がりだが、
多少は面白い結果が得られることだろう。
これらにFocal UtopiaやGrado GS2000eなど
最新のヘッドホンを合わせて愉しむのがよかろうか。
(GS2000eの方はそのうち手に入りそうだが・・・・。)
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黒光りするHailey1.2を眺めながら、
私はあえて、このスピーカーのレビューを書かないことに決めた。
このスピーカーの音質が悪いのではない。むしろ素晴らしい。
それなのにあえて書かないのだ。
スピーカーを飽きるほど聞いたとは到底思えないし、
そんな境地に達したと思いたくもないのに・・・・。
単なる一時の気まぐれなのかもしれないが、
それほどまでに私は、
スピーカーという、
どこか時代遅れにさえ見える難物に興味を失い、
ヘッドホンというガジェットにオーディオの新たな希望を見出している。

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# by pansakuu | 2016-08-09 23:15 | その他

ARAI Lab MT-1 昇圧トランスの私的インプレッション:悩ましきMade in Japan

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俺たちが売る一番大事なもの、それは、Made in Japanの誇りだ。
by小松万豊


Introduction

世界で最も優れたオーディオギアでありながら、日本でしか製造できないモノを、私はいくつか知っている。
例えばKan Sound LabのMEWONリボンツィーターやMy sonic, IKEDA, ZYX, MUTECなどの高級カートリッジ(世界のハイエンドオーディオファイルに出回る高級カートリッジの70%以上は実は日本製である)、EsotericのSACDドライブメカ、AccuphaseのAAVAボリュウム、Re Leafのヘッドホンアンプ、TechDASのアナログプレーヤーなどが該当するだろう。スピーカーやアンプというメインの機材で最高を求めると、どうしても海外製になってしまうが、特に細々したアクセサリー系の機材に関しては日本の技術が生きることは多い。
最近、そういう特別な機材の列に新たに加えるべきものを私は聞いてきた。
ARAI Lab製のMT-1という昇圧トランスである。
(写真は持っていないので、HPより拝借しました。申訳ありません。)

昇圧トランスというグッズは、以前のアナログオーディオの名残のようなものだと思う。昔、プリアンプにビルトインされていたフォノはMM型カートリッジ用に作られたものが多かったので、MC型のカートリッジを使いたい場合は、電圧を適合させるための昇圧トランスを別に買って途中にかませていたのである。この昇圧トランスの選択でかなり音が変わることはよく知られている事実である。

しかし最近のフォノイコライザーにはMCポジションがほぼ必ずあるものだし、その出音も優秀である。またMMよりはMCカートリッジが圧倒的に多い時代でもあり、フォノイコライザーのMMの端子はあまり使われない。現にMC専用のフォノイコライザーもいくつもある。それに、この状況でもあえて昇圧トランスをかませてレコードを聞く意味を感じさせてくれるようなトランスはほとんどないと私は承知している。(実はアナログシステムを選ぶ際に、いくつも聞いたのだが、ピンとくるものはなかったのである。)

現在、日本のオーディオの市場には50機種ほどの昇圧トランスが売られているが、その大半は受注生産品であり、マイナーな存在である。そして、それらの価格は、今まで最も高価なものでも50万円(テクニカルブレーン製のTMC Zero)ほどであった。今回試聴したMT-1は150万円とその3倍の価格である。ますますマイナーでマニアックな存在だ。確かに300万円オーバーの超高級フォノイコライザーが次々に登場する時代であるから、こういうのも出てきておかしくないのかもしれないが・・・。とにかく価格に見合う音の変化が現れるものなのか、現物に当たってみるほかはない。


Exterior and feeling

実物に接してみると、その造りからして、既に他の製品とは別格のものに見える。ジェラルミンの削り出しのツインタワーのようなケース、分厚い真鍮製のベースプレートと制振材であるfo.Qを敷いたアルミ製のフットがガッチリと組み合わされている。かなり重厚かつ精緻なつくりである。チープな感じは一切ない。それから昇圧トランスとしてはかなり大型であるのも特徴である。これは私が今までテストした10機種あまりの昇圧トランスの中では最大の製品である。

この昇圧トランスは、使用するカートリッジを指定して注文し、一点づつ特製するのが最大の特徴である。これがコストがかかる原因の一つである。
こんな面倒なことをするのは昇圧トランスのインピーダンスとカートリッジのインピーダンスを完全に一致させたいがためである。このため、インピーダンスによってコイルの巻き数が異なることになる。すると本体価格も当然、変動する。その変動幅は30万円ほどにもなる。つまり、かなり太くて高品質の線材をふんだんに用いているとも想像できる。またかなり大型のファインメットコアをダブルで使用しているらしい。
線材が巻かれたトランスはケースに入れたあと、振動を抑えるため特殊な充填剤をケース内に注入するのだが、空気が一切入らないように、真空チャンバーを使うという念の入れようである。これほど意を尽くして作られた昇圧トランスを私は知らない。

また、私がメインで使用するMy sonicのUltra eminentなどの1Ω前後の超低インピーダンスカートリッジに関しては、その性能を引き出す昇圧トランスがないという話がある。(My sonicで作っているものを除いてであるが・・・。)このような場合、オーダー形式の昇圧トランスが有利なことは間違いない。思い返せば以前、Audio Note製の銀線を巻いた昇圧トランスを試聴したことがある。あれは、かなりな美音を出せるものではあったが、私の使用するカートリッジにマッチしていたかは疑問であった。やはりインピーダンスが一致するに越したことはない。


The sound 

ある程度出来上がったアナログシステムの中に、使用するカートリッジとインピーダンスのマッチングを取った、この豪華な昇圧トランスを組み込む。それは聞き始めから絶句してしまうような忘れがたい体験であった。
なにしろ150万円のトランスなのだから、当たり前なのかもしれない。とはいえ、そういう鳴物入りの製品の大半は、価格に見合うようなものではないとこっちは知っているわけで、はじめから疑って試聴しているのである。
幸か不幸か、このMT-1は例外であった。
試聴はミドルクラスのターンテーブルとアームにMy sonicのEminentを合わせたアナログシステムを用いたものであり、当然、カートリッジとインピーダンスのマッチングを取っている。

一言で言えば、このトランスをかませると音の深みが大幅に増す。このような変化はシステムの構成要素の何を替えても得にくいのでは?大衆小説と純文学の情報量と質の違いというか。あるいは短編集と長編小説の読後感の違いというか。得られる感動の質とボリュウムが格段に多彩かつ多量となる。音楽の微妙なニュアンスの様々が、リスニングルームいっぱいにひろがってゆく感じである。
システムのトータルサウンドは、このトランスの有無によって相当に変わってしまう。

このMT-1ではなにかと引き換えになにかを失うということがないどころか、全てが揃って向上するという、ほぼありえない結果が得られる。こういうバランス感覚のある優秀さに日本製品の日本的な良さを認める。
実際、このMT-1による、低域の沈み込みや高域の伸びの良さ、中域の陰影感の増大とスピード感の向上は目覚ましい。音の輪郭は、より明瞭になっており、それに加えて柔軟さとしなやかさに満ちた音の流れ・躍動の表現も巧みである。
定位感に優れることも、特筆すべきだろう。音像がビシッと音場に固定されたような安心感がある。落ち着いて音楽に浸れる状態になる。
この音は鮮度感も低くない。確かに料理された音であり、トランスを介したらしく、ややコッテリした濃厚な味わいもついて回るのだが、音が縮まらず、スカッと伸びるのだ。音の切れもいい。鈍った音には全然聞こえない。
またとてもカラフルな音とも取れる。音色の描き分けが見事で、明暗や濃淡だけで音楽を語らない。様々な楽器や人の声の調子、質感を細部まで詳しく説明してくれる。音に色があるように感じられるのは、こういう詳細な音の触感を感じられる場合に限られる。

それになんといっても、ダイナミックレンジが狭まらず、むしろ広がったように感じられるのはありがたい。これがこのトランスを導入して一番嬉しくなる部分だろう。
通常、昇圧トランスを入れると、レンジはほぼ必ず狭くなる。のみならずレスポンスは遅めとなり、音像は丸みを帯びてくる。むしろそういうノスタルジックなセピア色の音を創るために、ヴィンテージの昇圧トランスを選ぶ方も多いのではないか。オーディオはノスタルジーと言外にアピールするヴィンテージオーディオマニアたちはこの鮮烈かつカラフルなMT-1のサウンドをどう聞くのか?個人的に興味がある。MT-1は過去のアナログオーディオの名残ではない。
例えば普通のトランスは、10~50kHzぐらいをカバーするものだが、このMT-1は1.5~140kHzまでフラットなレスポンスがあるという。またコイル自体の品質係数Qも通常の昇圧トランスの70倍であるという。Qはスピーカーを駆動する力、制動する力を反映する値であり、ARAI Labではパワーアンプを替えた位の効果を期待できると謳う。
おそらく、これはもう技術的に凡百のトランスとは別物なのである。こうなればインピーダンスのマッチングが仮になくても、かなり優れた音質が期待できる。

試しに、一旦、MT-1を外して、もとのフォノのMCポジションできいてみると、かなり寂しい音になってしまう。謳い文句の通りにスピーカーの駆動力も上がっていたようで、外すと躍動感が3割減ぐらいになってしまう感じだ。

マニアの間では知れたことだが、My sonicでも、手持ちのUltra Eminentに合わせた昇圧トランスを作っている。Stage1030(30万円)という製品である。かなり以前に、そのアンバランスバージョンを組み合わせて音を聞いたことがある。(バランスバージョンも最近加わったが、それは聞いたことはない)確かに、あれはあれで良いマッチングがあったのだが、おそらくMT-1の敵ではないだろうと回想する。Stage1030の印象はMT-1に普通の良いトランスでしかなかったからだ。MT-1のような特別な印象がない。つまり、かなり大きな音質差があるという予想が容易に立てられるほどMT-1を使った場合の音の出来は立派だった。


Summary

確かに、このトランスのサウンドは素晴らしい。でも悩ましい。

例えば、この価格にして、厳密には、たった一つのカートリッジにしか適応しないというのはどうなのか。それがこの製品の最大の特徴であり、原理であるとしても、どうにも納得できない気分が残る。
例えばそのカートリッジがくたびれてきてしまい、新品に交換しようにも、あるいは針だけを換えようとしても、既にメーカーが消滅してる場合は、そのカートリッジは再生できない。150万のトランスが宙に浮くことになりかねない。(ただ、このトランスは、インピーダンスが多少ズレたとしても、少なくとも他のトランスよりははるかに優れた音を出すことは、ほぼ間違いない。基本的な能力が桁違いなのである。)
それから、これだけのトランスを買うような個人は、既に多くのカートリッジを所有することが想像できるが、そのうちどれを選んで、このMT-1とマッチさせるのか?それも難しいところだと思う。価格のみならず、大きさも小さくないから、いくつも買いたくなるようなものではないと思うし。
このトランスは音がかなり良いだけに、そういうことを考えるとますます悩ましい。

ところで、最近はよく「日本のものづくり」とかいう言葉を全面に押し出して、日本人の意識を煽ろうとする言説に出くわす。これは震災以降に顕著になった傾向だが、私にはあれは悲しい叫びの裏返しのようにも見える。
日本の技術は確かに優れているが、それが必要とされる分野はとても狭い範囲にとどまる。(細々したオーディオアクセサリー系の機材に関して日本の技術が優れているというのが、それにあたる。)そして斬新な発想を軸にして、バラバラに散在する技術を有機的に結合し、一つの全く新しい製品に仕立てる企画能力にも欠けている。(i podやi phoneは日本発の製品ではない。)さらに人口減少が技術伝承者の減少につながっている。
一方、冷静に曇りのない目で外を見れば、韓国や中国の技術レベルは日本とほとんど同じかそれ以上になっていることに気付くはずだが、それを報じる向きも少ない。分野によっては、もうすでに追いつかれ追い抜かされている事実には目をそむけている。何にしろ日本人は綺麗事を好みすぎる。そして隣国人よりも徹底したリアリストではない。反省し、見習い、変わるべき点だろう。
いろいろな意味で日本の技術は行き詰まり、全体としては衰退していると見るべきである。現代における「日本のものづくり」への賛美は、衰えつつある日本の技術を惜しむ悲壮な叫びの裏返しでもあるのだ。

そもそも、職人的な技術を使って作られた製品を、高い対価を払って購入する消費者自体が日本に少なくなってきている。日本人は口では甘い称賛をするけれど、実際には自国の高価なモノを進んで買わない。自分の懐を進んで傷めようとはしないケチな人々だといわれば、そうかもしれない。(これだけ選択肢があるから仕方ないのか?)
これは日本の職人の仕事がコスト高であるためだけではない。職人ではない日本人全体に、素晴らしい技術と、それを持つ職人に対するリスペクトが実は欠けているのだと思う。特に若い人にその傾向が強いと私は見ている。それは主に彼らがスクリーンの向こう側の二次元の世界にあまりにも深く関わり過ぎて、実体物に親しまないためだろうか。彼らは幼少時から、様々な職人の手仕事の現物に触れて感動する機会が少なかったのか。全員がそうだとは思わないが、現物・実体物を軽視する傾向は強く感じる。残念なことだ。
また世の中全体の指向性として技術そのものよりも、それを利用する新奇なアイディアを尊ぶという傾向もあるかもしれない。事あるごとに世界の賢人として名前の挙がるスティーブ ジョブズは優れたアイディアの人であるが、優れた工芸の職人ではない。コツコツと精緻な手仕事をやり遂げる職人よりも、要領よく仕事を片付けるアイディアやネットを利用した新たな遊びのコンセプトを考えつく者を人々は賞賛する。
結果として日本の技術を駆使したマイナーな製品はコストが高く、多数は売れないので、普通人の手に届かないほど、高価なものになりつつある。150万円の昇圧トランスにもそれは現れている。日本で凄いモノを作ると凄い金額になってしまうのだ。(先進工業国ではどこでもそうだろうが)

日本の技術の行く末がどうなるのだろうと、時々考えてしまうが、結論は出ない。
日本の技術に他国にない良さがあることは言うまでもない。このMT-1を聞いていても、それは分かることだ。しかし、それに手に入れる気が起こらないほど高価なプライスタグが付くようなら、それらは溢れかえる他国の製品に埋もれて、いつか市場から消えてしまうということも自明だろう。いわゆる富裕層のほとんどが、このトランスを求めるほどのオーディオマニアではないということを、こういうマニアックな製品を作る側は理解しておく必要がある。

しかしながら、
そういう生臭い話のカウンターパートにオーディオの夢を追うという話もあっていい。
コスト度外視、売れる売れない考えないでオーディオの理想を求める純粋な遊び心がメーカー側にもあっていい。
だから私はMT-1を否定しない。
しないどころか、自分のWANTEDリストの筆頭に加えたことを告白するものである。
もちろん少々、悩ましそうに顔をしかめながらではあるが・・・・。

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# by pansakuu | 2016-07-17 01:17 | オーディオ機器

H&S EXACTフォノイコライザーの私的インプレッション:或るオーディオファイルへの手紙

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お元気ですか。
私は厳戒のパリでの仕事からやっと帰ってきて、これを書いています。
眠たいので、どうもまだ覚束ない書きぶりなんですが・・・。
ひどい時差ボケを直すために、ぐっすり寝るのは勿論ですけど、
なにか新しいオーディオのアイディアを試して気分を変えることも考えたいですね。
なにせオーディオが好きなもので。

半ば必要に迫られ、しかし半ば気まぐれでというところでしょうか。
私の部屋に昨日、小さなフォノイコライザーが届きました。
これは30年以上前に西独で製造されたヴィンテージの機材を借りたのです。
かなり昔の話ですが、あるオーディオ評論家の方と、こいつを聞かせてもらう約束をしたのですが、その後で御本人が急死してしまい、結局聞けず仕舞いになったという、いわくつきのフォノです。
H&S EXACTという、知る人のみぞ知る傑作フォノイコライザー。
30年ぶりの再会?いや、懐かしいのですが初対面です。

とっても小さなフォノでございます。
筐体は28×15×6cmしかない。重さは2.5kg。
電源部は内臓されており、別電源はありません。
実に軽快な機材。
フロントパネルは恐ろしくシンプル。
電源とMM、MCの切り替え表示の赤いランプのみです。
ここにスイッチ類は無し。
ブランドロゴにはデザインも無い。
なんだかアノニマスなデザインですな。
リアパネルにはMMとMCの切り替えのトグルスイッチと端子。このEXACTの端子は全てLEMOとなります。これは特殊なスイス製の端子で、とても細いがロックがついていて確実に接続できるし、不思議なことに着脱の際にノイズが出ない。そして何と言っても音がイイんですね。今はプリアンプの接続用としてはほぼ絶滅してますけど、この端子を使った機材のみが持つ妖しい繊細さがあるのは忘れてはならないと思ってます。それはオールドマークレビンソンの音世界が持つソニックシグネチュアなのですが、この素晴らしきサウンドについては、いつか語る機会もあるでしょう。
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入力インピーダンスはMCで100Ω, MMで47kΩというもの。
周波数特性は14~110kHz±3dB、20~20000Hz±0.1dB、チャンネルセパレーションは90dB。昔のフォノとしては良い数値ですかね。
ゲインは内部のスイッチで変化させられるもので、MCでは28,32,35dB、MMでは34,36,40dBと変わる。でも中をあけなきゃいけないので、ここを変えることはあまりなさそうです。

このシンプルなフォノと大柄なペルセウスを見比べていると、ここ数年は小さな機材ばかり物色している自分を意識してしまいます。ペルセウスにしても、すこぶる音がいいから手を出しただけで、この大きさに関しては全然満足していなかった。NAGRAのHD DACについては、その購入の決め手はコンパクトネスでした。
スモール、シンプル、プレミアム。そういうオーディオを志向しているのですが、トータルシステムとして揃えるとなると、なかなか果たせないものです。

とにかく、最近は聞きたい新製品がまるでなく、パリにいても、ニューヨークにいても、東京にいても至極退屈な日々でした。HD650 Golden Era Meister Klasseを聞きながら、夜の窓辺でぼんやりコーヒーを飲むのが日課でした。(エル ススピーロ拝受しました。美味しいコーヒー豆ですね。)
なんでもいいから、聞いたことも無いような、凄い音を出せる機材に出会いたいと、いつも願っているのですが、このところ、それらしいものが全然現れぬままに、時間が過ぎてゆく。
私がそういう空腹に耐えかねた頃合いで
眼前を、このH&S EXACTが、ふと横切ったわけです。

私はウェスタンエレクトリックやマランツ、マッキントッシュ、クォードなどのレガシーオーディオ系も一通りは聞いてはいますが、そのサウンドがいくら素晴らしくとも、それにハマった試しはありません。
いまのところ、自分の部屋に連れてきたいと思ったこともありません。
そういう私が、なぜこの機材を、ここに借りてきたのか。
気分を立て直す必要に迫られたとはいえ、
やはり、この機材のコンパクトネスに惚れたのかもしれませんね。

モノが到着したので早速、結線して電源を入れて、プレーヤーを回し始める。
まずはラルフ タウナーのライブのLPでもかけてみます。
H&S EXACTは遠い昔に作られた機材ですから、
懐かしいような、多少ぼやけて、カドの丸い音が出るのかと思っていましたが、
それは裏切られました。
このフォノは私の先入観を初撃で砕いたのです。

まずは、この弦の音のキレの良さ、ずば抜けているんじゃないですか。
このキレの中身は、ペルセウスのような柔らかさを伴ったキレの良さというわけではなく、しなやかだが、鋼の硬さを孕んだ切れの良さ。
音のエッジは際立ち、ボリュウムを上げると、巨大な音のカミソリのように空間を切り裂いてゆく。
また、男性的な音の太さが音楽を推進する原動力として常にあって、音楽がグッと前に突出してから拡がります。
若干引いた広い音場を形成するペルセウスとはまるで異なる音の出方。
ボリュウムを上げると音の壁が目の前に立っているような異様な存在感に包まれます。これは、眼前にそそり立つような感覚。
どこかしら暴力的なサウンドではありますが、こういう男っぽい音は昨今のチマチマしたデジタルオーディオを一蹴するようで、実に痛快であります。
ギターの弦の余韻のたなびきも気持ちいいですね。
ECM独特のクリスタルクリアーな空間にタウナーのつまびきが拡散してゆく。
それからSNは大したことないはずなのに、音が妙にクリアーに聞こえるのも面白い。
特にボリュウムを思い切り上げた時の弱音のクリアネス、そして音のダイナミクスの現れに絶句させられます。
筐体が小さく、信号の通る経路が短いせいか、このように小さな機材は鮮度の高い音を出すことが多い。その例に漏れずこのフォノのサウンドは瑞々しい。予想以上に。

音の流れはスムーズな感触でアナログらしいのですが、高域をわずかに持ち上げたようなややブライトなサウンドであり、その意味では僅かにデジタルっぽい癖もあるサウンドです。CHORDのDAVEもそうですが、こういう一聴してわかるようなソニックシグネチュアには、私はむしろ惹かれる。最近の特徴らしい特徴をあえて排除しようとする、ハイエンドオーディオの傾向を私は好かないのです。
確かにペルセウスのSNには僅かに届かない。
(ペルセウスがSNが良すぎるだけ。)
それからあれほどにフォーカスが鋭いわけでもない。
(ペルセウスの音の焦点が合いすぎるだけ。)
しかし、この音の明瞭さ、キレの良さ、豪快さが揃ったものは今まで聞いたことが無いです。王を一手で刺し殺す香車の勢いってやつがありますよね。
ゴール前に飛び込んできたリオネル メッシやクリスチアノ ロナウドのように止められない、圧倒的な躍動感。こういうダイナミックな演奏は上品なペルセウスには期待できない。
ジャズメンに喩えれば、あえてインタープレイをせず、素敵なアドリブを次々に繰り出して、他のメンバーを煽るプレーヤーのようです。求心力でグイグイと音楽を引っ張ってゆくようなところがある。小さい機材だけど、トータルの音を決定する者、システムの主役として機能する。
確かに、これはペルセウスの聞かせる、完全犯罪のような鮮やかなオーディオの手口ではない。西部劇の銀行強盗のように多少荒っぽい仕事ではありますが、これは間違いなく楽しいし、オーディオの真髄のひとつにしっかりと触れています。

このEXACTはE1xを通してヘッドホンで聞いても最高ですね。
ペルセウスで聞くのとそれほど変わらないほどノイズ感が少なく、ペルセウスを上回るダイナミズムが得られます。ニック ベルチェの前衛、ラルフ タウナーのリリシズム、ジョン アバクロンビーの哲学、キース ジャレットの孤独、エンリコ ラヴァのニヒリズム。これらのECM看板アーティストのレコードに秘められた音のニュアンスの深奥をヘッドホンで精査する面白さは、スピーカーでは得られないものです。ECMのレコードは西独製であるせいか、EXACTの恐ろしくマッチするサウンドを持っていますね。録音された音の隅々まで、しっかりと聴かせて、しかも全然、音楽的に退屈ではないというリスニング。これに比べるとスピーカーで聞くECM録音にはどこか曖昧さが残っています。
今はオーディオ全体の価格帯が吊り上った状態ですから、このクラスのサウンドをスピーカーで聞こうとすれば、トータルで2千万円以上の出費ですが、ヘッドホンを使えばその4分の1ほどの投資で済みます。もちろん、根本的にスピーカーオーディオとヘッドホンオーディオは異なるところがあるので、単純な比較は不可能ですが、ヘッドホンは一つのシステムに対する投資がトータルで300万を超えたあたりで、同価格のスピーカーオーディオでは得られない、独特な深みのある世界が見えてくるものです。
そこにアナログオーディオのエッセンスが加わる時に起こる化学反応の結果は、多くのオーディオファイルにとって未体験のものだと思います。

とにかく驚くのは、これが30年前に製造された機材の出す音であるということ。
様々な最新機材を聞いていますが、こんな音を出せるフォノはおろか、DAC、ネットワークプレーヤーも皆無でしょう。唯一無二のサウンドだと思います。30年間、オーディオはなにをしてきたのか。こういうヴィンテージの機材に出会うたびに、オーディオ技術の進歩というものに深い疑いを抱くわけです。測定できる特性の向上と聴感上での音質向上に、どれくらいの相関があるのか。科学的な検証は未だできていないことを忘れるべきではないでしょう。少なくとも私にとって、特性の良さというのは聴感上の音の良さを説明するための後付けに過ぎません。まず音響特性ありきというオーディオの見方は、ハイレゾが有名になるにつれて顕著ですが、全てのオーディオファイルがそれを全面的に信用するほど愚かではないはずです。測定して得られたグラフがいくら綺麗でも、自分の耳で聞いて、音が良いと思えなきゃ意味がない。オーディオは自分の耳で聞いてナンボですよね。
総じて頭デッカチなオーディオになっちゃってるんじゃないですか、作って売る側も買って聞く側も。もっとフィジカルな感覚を大事にしたらどうかなって思う。H&S EXACTのサウンドは本物の人間が肌をすりあわせて直接触れ合うような、赤裸々な生々しさに満ちています。有無を言わさないんですよね、そういうところは。これは今、自分が生きていて、血も涙も汗も体温もある存在であることを思い起こさせてくれる音だ。機械で測れる音響特性で、音の良し悪しを決めようなんて所詮甘いんだと気付かせてくれるサウンドですよ、これは。

別な見方をすれば、アナログオーディオ自体に無限の可能性があるということなんでしょう。例えば先日、MT-1という150万円もする昇圧トランスを聞いて来ましたが、これにも驚かされました。オーディオには終わりがない、なんて言いたくはないけど、アナログオーディオに関しては少なくともそういうセリフもありなんでしょうね。あれを聞くと150万円も納得せざるをえない。トランスというものに対して私が抱いていたイメージを完全に覆すようなサウンドが出てきましたから。
最近、オーディオが、かなり分かりかけてきたつもりでしたが、EXACTにしろMT-1にしろ、聞けばまだ未知の世界がありそうに思える。このような既視感の全くない世界が、ちっぽけな箱をシステムに組み込むだけで現れるという事実・・・・。オーディオってどこまで深いものなのでしょうか。
なおMT-1についてはまたレビューするつもりですから、暇だったら読んでみてください。

二、三日中には、NAGRAをE1xとセットで送ります。貴方のヘッドホンに対する先入観を吹き飛ばせることを祈っています。なお、このEXACTも聞きたい場合は、連絡して許可をもらってくれれば、NAGRAと一緒に送れます。アナログをヘッドホンで聞く面白さを極めてコンパクトなシステムで堪能できることを証明するセットと思います。どうせなら、ECMのレコードも貸しましょうか。物凄くマッチするレコードですよ。その気がおありなら見繕っておきます。

暑い日、雨の日が続きますが、健康と良い音の両方が貴方とともにあらんことを。

# by pansakuu | 2016-07-17 01:11 | オーディオ機器

四天王 : 4つのフォノイコライザーを聞く

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四天王とは、仏門の4人の守護神のことをいい、
また転じてある分野における実力者の4人組のことも指す。
ピクシヴ百科事典より


さて、
あなたにとって最も重要なオーディオコンポーネントはなにか?と訊かれたら、
私はフォノイコライザーと答えるだろう。

フォノイコライザーは簡単に言えばRIAA特性をフラットに戻す機能を持つ機材である。
逆に言えばそれしかできない。デジタルオーディオしかやっていない方には無縁だし、アナログオーディオにおいては、その他のファクターであるカートリッジやターンテーブルの選択も音にかなり響くことは間違いない。スピーカーやアンプの存在感についてもいわずもがなである。
しかし、それでもフォノイコライザーを一番に気にするのは、単純に私の経験からである。
最高のフォノイコライザーを使った場合に出て来る音、そこにあるオーディオ的な快楽の深まりは、他のどの機材にも替えがたいところがあるからである。例えば最も強いと思えるデジタルオーディオシステムもこれらのフォノを組み込んだシステムに比べれば、そのメリットは多少表面的である。音の深み、掘り下げが浅いと感じることが多い。ここで言う音の深みとはズバリ音楽性の深みだと思ってもらっていい。

現在、私が本当に手放しで実力があるなと思っているフォノイコライザーは4つある。
Constellation Audio Perseus、Boulder2008、Qualia MonoBlock phono、EMT JPA66である。これらフォノイコライザー四天王全てについて、ざっくりとインプレッションを書けるほど、十分に試聴するのに年単位で時間がかかってしまった。これらはデモがなかなかない機材なのである。結果として、全てを聞いて思うことは、これらの機材それぞれのサウンドが、現代オーディオの辿り着いた果てであるということだ。デジタルオーディオではMSB Select DACやNagra HD-DACなどを除けば、これらの機材の音楽性の絶対領域に達しているものはない。
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四天王の筆頭たるConstellation Audio Perseusのサウンドについては以前、詳しいreviewを書いたので、もうあまり書かない。
フォノイコライザーとしては、というエクスキューズを必要としないほどSNが良く、音の立ち上がりと立下りの速度の絶妙な軽快さ、音に漲る独特の緊張感と寛げる柔らかさ、雨雲の隙間から差し込む光の持つような、あの救いのような音の明るさ、アナログではありえないと思わせるワイドレンジ、主張しすぎないが確固とした音楽性の豊かさ。こいつの音楽性は爽やかで軽いが、恐ろしく心に沁む。
ナンなんだこれは。
この音に心底からノックアウトされつづけて数年が経つ。本当に良い音を持つ機材なのだが、そろそろ別な音に接したいと思うようになっているのも確かだ。なにしろ、このPerseusの浸透力、影響力は強く、これを使っているかぎりこの音から抜け出すことは出来ない。ヤク中の患者になったも同然である。オーディオに関しては別な角度から見れば廃人になりかねない。Constellation Audioでは、このフォノイコライザーの上に限定のORIONという富豪向けの機材があるが、これはPerseusのサウンドの良さを適度に拡張したような機材で、その値段とは釣り合わない。Perseusでいい。私はConstellation Audioの機材において、今のところ、このPerseusがベストの選択だと思う。Constellation Audioは一般に故障の多さが問題とされているが、きわどくいい音を出す機材は故障しやすいという法則に従っているのだろう。
もちろん、この機材も故障した。そこは不安ではあるが音が良いので全て許せてしまう。そもそも価格は高いが音を聞けば仕方がないとあきらめがつくところから、もうその許しが始まっているのだが。
また、このPerseusのサウンドは現代の最新のデジタルオーディオをも飛び越えるような、新味のあるサウンドなので、昔からアナログオーディオをやっている人には受け入れがたいものである。だが、私はリーモーガンやゲッツやコルトレーンの録音を、まるで昨日出たばかりの新譜の如き音質で聞きたいと願ってきたので、これでいいと思っている。
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次に出て来るBoulder2008は一見して重厚なフォノイコライザーである。Boulder独特の表面仕上げやスイッチのデザインと感触は音に通じるところもある。確かに筐体に重さもあり、別電源構成でもあるせいか、じっくりと厚みのあるサウンドだ。そして音のスケールもかなり大きい。これは筐体の大きさに通じるのだろうか。だが、このサウンドをさらに特徴づけるのはたとえようもない人肌の温度感とウェットな音の質感だろう。この音の触感が生む快楽は他のフォノイコライザーでは決して感じられない。さらに、この音触と音のスケール感がブレンドされた時に生まれるケミストリー!それは包み込むような寛容がオーディオに宿る瞬間である。そのサウンドに接したら、包み込まれ、身をゆだねるしかできない。ここでは響きがとても広範囲に拡がり、それが大きなスケール感を生むのだが、音が拡がったせいで薄味になることがない。これはBoulder独自の質実剛健さが発揮されたのだろうか。実際、これはPerseusが孕むやや病的とさえ言える繊細さとは対照的に、とても実直で健康なサウンドである。とかく、このレベルの機材の生み出すサウンドというものは多かれ少なかれ毒を隠し持つものだが、このあっけらかんとオープンな音にはそういう隠微さはない。複雑であるが、それを秘匿し、ふくむようなプレゼンテーションをせず、全てを白日のもとに素直に曝けして嫌味がない。あけっぴろげだ。このフォノイコライザーは裏表はなく、どんなときに彼の部屋を訪れても健やかで優しい微笑で迎えてくれる親友のような存在であろう。こいつの音楽性のコアは心の底からの寛容だ。SN感やセパレーションの良さなどの基本的な性能はハイエンドフォノとして恥じないものだが、そこではなく、上記のような幾つかの特徴ゆえに、この4機の中でも、その存在価値は大きい。このフォノは発売されてから随分と経つロングセラーだが、いまだにモデルチェンジはないのも頷ける。この方向性で、これ以上のサウンドを得ることは如何にBoulder3000シリーズでも困難だろう。最近、このフォノイコライザーの中古をどこかで見たが、Perseusの中古と比べても、かなりお買い得な価格だと思う。
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次に登場するQualia MonoBlock phonoについてはもちろん、その音のスケールが最大の武器である。Boulder2008を初めとして、ここに登場するフォノイコライザーは全て、他のフォノたちに比べて、かなり大きなサウンドステージを展開できる潜在能力を持つ。しかし、それらとは比べものにならないスケールの大きさがこのMonoBlock phonoにはある。もっとも、これは適切なプリアンプとモノラルパワーをあてて、初めて開花する能力であり、デモにおいては上手くプレゼンできていないケースもある。今回取り上げた4機の中では、一番強化された筐体を持つこと、最も調整の自由度がないことなど、恐ろしく尖った内容誇るフォノである。音像の出し方はやはり尖がっていて、強い輪郭があり、音像の存在感はこの4機の中で最も色濃い。この部分はコンバージェントオーディオテクノロジーのアンプなどの従来の音像タイプのサウンドを超えたところがあり、これ以上の存在感となるとウエスタンエレクトリックなんかの特別なオーディオ機材からしか聞けないと思う。こういう濃い音像が激しく躍動するところが、Qualia MonoBlock phonoのもう一つの真骨頂だろう。この音の過激さ、実にセクシーである。これはBolder2008のような聞き易い音ではない。疲労を伴うサウンドだ。全力疾走を飽くことなく繰り返すアスリートのような鋼の強さを隠し持つサウンドである。しかしそういうサウンドにありがちな音場感の不足を決して感じない。それどころか、音場はこの上なく広々としてリスナーを取り囲む。これは通常のオーディオにおいては矛盾以外の何ものでもないのだが、Qualia MonoBlock phonoの中では見事に調和している。確かにこれは危うい均衡かもしれない。どちらの要素も強いので、かけるLPによっては、バランスが片側に大きく傾くようなこともある。
このフォノをダブルウーファー、アクリルホーンで名高いJBL Project K2で聞くとどうなるだろう。あれは音に非常な厚みがあり、強力な音圧で音像を発射できるスピーカーだが、このコンビでは均衡はどちらに傾くのか?それはもちろんアンプにもターンテーブルにも依存するところだが、とにかくやってみたい。つまりそういうフォノなのだ。このシステムにこのフォノを取り入れた時にどういう音になるのか、予断を許さない、そういうスリルが常に付きまとうミステリアスな音楽性を孕むフォノなのである。設置も楽ではないし、SNも凄く高いわけでもない。接続する機材との相性もありそうだ。特にカートリッジは選ばなくては。しかし、どんなリスクをおかしてでも、リスニングルームに引きずり込んでみたくなる程の中毒性がこれにはある。これも欲しい。
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四天王の最後のひとりEMT JPA66はNAGRA HD DACを手にしてからは、WANTEDリストの筆頭に出てきた機材である。この4機の中で既に所有するPerseusに代わるとしたら、このフォノになる。代わりになるというのだから、Perseusに似ているのかというとそうではない。ほとんど似ていない。例えばカッコつけでしかない、使い勝手の悪いタッチパネルはJPA66にはついてない。対照的に、このフォノのフロントパネルには全てが一目瞭然に分かる親切なツマミが多数ついている。全ての設定をバックパネルに手をまわすことなく、フロントだけで簡単に行える。したがって、このフォノはかなり使いやすい。また、NAGRAではないが、やはり正面にメーターがついているのはとてもいい。これも暖かい色で黒い縁取りの独特のデザインのメーターは、ハンマートーン仕上げと相まって、このフォノのルックス極めて個性的なものとしている。それから、このEMT JPA66はプリアンプとして機能するので、プリアンプはなくていい。価格はかなり高いが、他の3機の単機能フォノと比べて安いと言える。私の嫌いな大型の電源部がついているが、この機材だけは例外的に好きである。
それというのも音が非常にいいからだ。これは上に述べた3機のフォノの良い点を合わせたようなサウンドである。
すなわち、Peruseusに聞かれる音の立ち上がりと立下りの速度の絶妙さ、音の柔らかさがあり、Bolder2008にある人肌の温度感とウェットな音の質感、Qualia MonoBlock phonoの音像の見事さとスケール感、それら全てがカオスのように混在してリスナーを圧倒する。これらのサウンドの要素の集合体が目前にひたひたと押し寄せ、知らず知らずのうちに耽溺してしまう。
また、このフォノが醸成する芳醇な雰囲気、音の香りを他の機材から感じたことはない。Peruseusのサウンドにも香りのようなものを感じるが、このフォノの音の香りは、ああいうスイートでスッキリした香りではなく、産地のオークションで競り落とされ、宝石のように扱われる極上のコーヒーを挽いたときの香り、あるいは森に寝転んで草笛を吹くときに吸い込んだ、あの下草の香り。例えにくいが何とも独特の、深呼吸したくなるような、いい香りのする音である。
また、このサウンドは、揺るぎなく強固な骨格を持ちながら、表面的には至極繊細である。人間的な曖昧さを音の表現の中に残しながら、全体に優れた機械的性能、音質要素のバランスを保つサウンドであり、音のスタビリティも高い。これは真空管を採用したフォノであるが、大規模な回路設計であり、強力な別電源を持つ。この設計規模と秘めたパワーが、こういう音の特徴を生むのだろう。
またPeruseusとは異なり、普通のアナログのタイム感というか、従来のアナログオーディオから逸脱しない温かみや滑らかさ、適度に良くない(?)SN感から来る懐かしさのようなものも横溢している。だから昔の録音が違和感なく、それらしく鳴る。それでいて新しい切り口にも事欠かないのがいい。昔の演奏でこういうことをしていたのか、あんなことをしてたんだと驚くような瞬間が重層的に訪れる。昔の録音ばかりいいのではない。現代的はECMのレコードをかけても、実にハマる。同じドイツのものだからなのか、相性は抜群である。最近のポップスも感動的に再生可能である。元EBTGのベン ワットのアルバムをこのJPA66で聞いた経験は忘れがたい。アルバム全編に流れるフェイドでカジュアルな空気感がリアルに表現されていた。これはSNに頼ってリアルなのではなく、フォノイコライザーが、自分の音の方向性を今かけている音楽にそろえてくるような仕草をするからなのである。音楽に素朴に従う、素朴に倣う。このような素朴さはこの4機のEMT JPA66にしか見られない特徴である。特に、これはQualia MonoBlock phonoとは対照的な点である。MonoBlock phonoは音楽に逆らってでも自分の音調を通そうとするところがある。その、抗う・争う様が聴きモノなのだが、JPA66はそんな激しいことはしない。しかしBolder2020ほどあっけらかんと素直な音でもない。音にはきちんと含むところがあり、陰影が十二分に濃い。ここでは鮮やかな音の陰影・コントラストがライトアップされた彫像のように音楽を立体的に描き出してくれるが、そこに音楽に含まれる感情の明暗までが暗示される。この深まりは生半可なデジタルオーディオでは到底味わえない。
このEMT JPA66については、いつかリスニングルームに迎え入れることになるかもしれない。その時にはまたさらに詳しいレビューを書けるといいのだが。それにJPA66については何度聞いても分かり切れない部分もある。これはコアの部分にまだ謎を残すフォノイコライザーなのだ。

これらの機材のサウンドこそが、現代オーディオの最果てであり、そこにはデジタルオーディオにはほとんど含まれない何かがあると言ったが、アナログに豊富にあって、デジタルに比較的少ないもの、それは音楽性だと思う。古いタイプのDACには音楽性は豊富に感じられたが、DAC自体の性能は現代のものより低かった。昔のDAC・CDプレーヤーの音は、例えば音数の多さに関しては今のDACと比べようがないほど寂しい音である。位相やタイミングの正確さもくらべものにならない。Sforzato DSP-01とLINN Sondeck CD12を比較すれば、同じデジタル機材とは思えないほど音は異なる。だが、どちらが好きかと訊かれれば、ドライブメカの修理が効きさえすればCD12と答える。それは私の場合、オーディオにおいては音楽性の有無をもっとも重視するからだ。音の数値上の特性そのものについてはDSP-01の圧倒的な優位は揺るがないけれど、CD12にはDSP-01よりも豊富な音楽性がある。この音楽性がなければ、ハイエンドオーディオの存在価値など、生演奏の前にはほとんどなくなってしまうと私個人は思っている。その音楽を単なる音の連なりではなく、意味を持つ物語として語る能力が音楽性なのである。なお、CD12よりも豊かな音楽性をもつデジタルプレイヤー、それは私の知るところでは現行品としてBurmester069、MSB Select DAC、Nagra HD DACであるが、これらもフォノと同じく試聴がなかなか難しい。だから私がこういう話を書いてもほとんど意味がないかもしれない。
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聞くところによれば、優れた競走馬は今日走るレースが有馬記念なのか菊花賞なのか知っていて、騎手が仕向けなくても、そのレースに適した走りをするという。
優れたオーディオ機材もそうで、今、自分が再生している音楽をどのように聞かせれば、それを聞いている自分の主人は一番感動するのか、それを知っているような鳴らし方をするものである。これが音楽性の豊かさというものだろうと思う。
今回挙げた四天王のフォノは音質傾向がそれぞれ全く違う、それはハイエンドアナログオーディオの幅の広さを物語る。しかし共通するのは音楽性が極めて豊かなこと。そしてもちろん、音楽性の方向性も当然4様に異なった向きを向いている。これはデジタルオーディオではごく少数の例外を除き、まだ実現していないことだ。音楽性の方向でデジタルプレイヤーを選ぶという話はあまり聞かない。むしろデジタルオーディオの選択は数値に囚われている。デジタルオーディオのマニアの多くは恐らく数値の囚人なのである。
そしてハイレゾに代表される、数値によってオーデイオの価値を判断するデジタルオーディオにありがちな手法からは、或るレベル以上に高度なオーディオは生まれないはずだ。ハイエンド オーディオデバイスが芸術作品として昇華するには、それを創る技術者に芸術家としての素質・センスがなくてはならない。デジタルオーデイオに関する知識と経験、芸術に対する深い造詣と表現者としての資質。これらが同居する人間は、この世には少ない。だから良いDACは少ない。
一方でアナログオーディオには何故か初めから音楽性が宿っている。不思議な音の芸術性がどんなにプアなアナログ機材からも感じ取れる。アナログオーディオに取り組むだけで、オーディオの深いところに、いとも簡単に触れることができるような気がする。それをさらに深めるのが、ここに挙げた四天王なのである。ただ高価で豪華なデジタルオーディオでは達成できない音楽性の境地がそこにはある。
いったい、なぜなのだろう。
それが分かれば、デジタルオーディオにもっと多くの生命力を注ぎ込むことができるだろう。逆に言えばHD-DACやSelect DACはデジタルオーディオの手法でその秘密に触れている、数少ない例外なのだろう。

これはオーディオで最後に勝負を決めるのは音楽性の深さだと勝手に決めつけているだけかもしれない。私は未だ愚かで何も知らないオーディオファイルなのかもしれない。
だが、四天王たちの音をひとつ、またひとつと征服してゆくにつれて、その確信がさらに深まってゆくのを感じたのは事実だ。
音質だけではない。高めるべきは音楽性そのものなのではないのか。

# by pansakuu | 2016-05-08 14:31 | オーディオ機器

Sennheiser HE-1の私的インプレッション:Higher Higher



その人の空想のレベルで決まるんですよ、オーディオは
By 某オーディオ評論家


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Introduction

何はともあれ、
私がHE-1プロトタイプの実機を眼前にして思ったのは、
よくもこういうブツを企画できたなということであった。
それはもう素直に敬意を表するしかないことだ。
600万円のヘッドホンシステムなどというもの、そんなもんをスピーカーオーディオ向けの機材を開発している人間は空想すらしないだろう。そしてそこから出て来るサウンドについて現物を前にしてさえイメージできまい。確かに過去にOrpheusシステムを開発し販売した実績があるにしても、これはそれを上回るスケールの製品企画である。日本の家電メーカーでは決して通らないぶっ飛んだ発想・企画だと思う。そもそも、これを作ったゼンハイザーは自分をふつうの家電メーカーとは、もはや考えていないはずだ。もしかすると富豪向けの製品のみを製作する部門を持つ、ライカやパテックフィリップ、フェラーリのような存在と自分を考えているのではないか。
プロトタイプではあるが実機にごくごく短時間であるが、触れて聞く機会があったので、その体験を覚書として残しておくことにしよう。


Exterior and feeling

眼の前のHE-1は、1990年代にコストを無視し、ひたすら最高のサウンドを求めて開発されたOrpheusシステム、つまりHE90静電型ヘッドホンとHEV90真空管式ヘッドホンアンプのペアの後継機として位置づけられている。確かに同じく静電型で専用のヘッドホンアンプを合わせたものであるが、その形態や大きさ、機構、価格から、先代よりもコンセプトや設計規模は一回り大きなものと取れる。ヘッドホン自体にアンプが内蔵されたり、DACが付加されたり、不要な?ギミックがついたりしている。第一印象としてヘッドホンを気軽に愉しむには大袈裟な機材であり、実際に入手しても、しっかりした台のある、広い場所が必要など、ハンドリングしにくそうな雰囲気である。

ヘッドホンアンプ部 HEV1060について:
透き通るように白いイタリア産大理石で作られたシャーシがまず目に入る。石の表面は鏡面のように磨かれていて冷たい。実に豪勢な筐体だ。くまなく触れてみると、このシャーシは複雑な形状である。材の厚さは最も厚いところで2cmほどもあり、シャーシの形状はヘッドホンの収納ボックスのところで緩やかに盛り上がる。寸法や重さは非公開。だが大理石を使っているのでかなり重いのは間違いない。フットの大きさ、材質、形状は決定していないという。

起動のためのスイッチを兼ねている引っ込んだボリュウムノブを軽くプッシュする。(電源スイッチは背面)すると左側にマウントされたヘッドホンの収納ボックス(冷たい感触の材料で出来ていて金属製のようだ)のガラス張りのリッドがゆっくりと開き、内部のクッションがせり上がってくる。この箱の中にヘッドホン本体だけでなくヘッドホンケーブルも巻いて入れるような形になっていて、ケーブルのためのスペースがある。同時に、右側にある石英ガラスで包まれた二列、計8本の真空管(ECC803sと思われる)がせり上がってくる。さらに正面のボリュウムつまみまで飛び出てくる。こういう動きのあるギミックを持つオーディオ機材はほとんど見たことが無い。とりあえず、こんなギミックはオーディオとして本当に必要なのだろうか。音質には良いことはあまり無さそうに私には見える。特に真空管は適切に固定されてないと音が濁るから、このモーターによる演出はオミットしたらどうか。
また真空管を空気の振動から保護するという考え方は先代を受け継いでおり、先代がスリットの入った金属製ケースを採用したのに対して、今回は石英ガラスの管でおおってある。音にどういう影響があるにしても、この保護ガラスで覆われた真空管の見せ方はHE-1の目をひく特徴であることは間違いない。
なお、今のところ、ヘッドホンを聞く場合は収納ボックスの蓋は開けっ放しになる。ジャックが収納ボックスの中にあるからだ。これは外見上、望ましくない。どうも安心してリスニングに没頭できない。開けたものは閉めなさいと教育されて育った日本人は、この態勢はどうにもいたたまれない。ケーブルを蓋とケースの間に作った隙間から外へ出せるようにすれば、蓋は閉めることができるはずなので、なんとかして欲しい。またこの蓋は現時点では手で閉めることはできないとのことだった。つまり、電動で開け閉めするしかないのである。逆に言えば、開いている状態で無理やり閉めようとする力が加わった場合、壊れる可能性がある。
入力は光、同軸、USB2.0のデジタルとXLRとRCAのアナログインがある。端子の形状は普通のもので特殊なパーツは使われていない。
出力はヘッドホンアウト専用端子一個だけではない。もう一つのヘッドホン出力端子とXLRとRCAのアナログアウトがある。つまり二つのヘッドホンを同時にドライブする、アナログプリ、あるいはDACプリとして使う、そのようなことも想定されているようだ。
なおこのヘッドホンの端子はかなり特殊で、全く独自、互換性のないもののようだった。

正面に見える、真鍮にシルバーのクロームメッキを施したノブ4個については、ボリュウムノブ(電源が入るとLEDが点灯)、インプットセレクター、アウトプットセレクター、クロスフィールド用(現時点では機能していない)となる。ボリュウムの感触は可もなく不可もないといったところで、エソテリックやアキュフェーズなどで使われる、回転の感触をよくするための仕掛けはなさそうだ。パーツもごく普通のものだろう。これでいいのか?600万だよ。もちろんリモコンはついていない。これも600万のものとしてどうなのか?
内部の写真では、これはDAC付きの真空管式ヘッドホンアンプである。Sforzatoなどの高性能DACで採用例の多いESS9018sや英国XMOSのチップが見える。このHPAの内部はデジタル部と左右チャンネルそれぞれ4本のECC803sを使用したアナログアンプ部に分けられる。アナログアンプ部は真空管とソリッドステートのハイブリッド構成であるとされているが、DAC部と同じく回路構成の詳細は非公開である。このシステムでは、ヘッドホン側にもHPAからの給電で動くアンプが内蔵されているのが新しい。どういう仕組みになっているのか?よく分からないが、二段構えで増幅を行い、最終増幅はダイアフラムの直近で行いたいということだろう。こういうヘッドホンシステムは初めてではないか。
DACについて見ていると、写真にクロックのパーツなども写っているが、使用部品はありふれたものである。この写真からすると、搭載されたDACについては600万円のクラスの機材としては貧弱なものではないか。こうなると、高級なDACやアナログプレーヤーシステムを繋いで、アナログ入力で楽しむのがこのアンプの使い方のメインということになりそうだ。
なお、今回はエソテリックの中級クラスのSACDプレーヤーのバランス出力をそのままHE-1につないだだけの試聴である。DAC部は使っていない。SACDは聞かなかったし、当然ハイレゾファイルなども試せていない。インタコも電源ケーブルも安価な市販品である。
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ヘッドホン HE1060について:
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これは素晴らしい形をした静電型ヘッドホンである。この楕円形というかオーバル型のシルバーハウジングとブラックのハチの巣グリルの対比が美しい。奥には金色の網目が見える。これは金を蒸着させたセラミック電極であり、そのさらに奥にはプラチナを蒸着させたダイアフラムがある。音を聞く前から惚れ込んでしまうほど美しいサウンドメカニクス。これはまるでオーバーテクノロジーで作られた未来の道具、オーパーツのようだ。やはりSennheiserはヘッドホンメーカーなんだ。これなら200万円とかで単売されても、ドライブできるアンプがあれば買ってしまいそうだ。ハウジングは複雑な楕円形のアルミ削り出しのものであり、SR009を軽く上回る美しい造作である。枠の後側に入ったヒートシンクのプリーツが美しい。
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この枠の中にアンプが内蔵されている。セミアクティブタイプとでも言おうか。ヘッドホンケーブルを介さず、ヘッドホン内部のアンプでダイアフラムを動かすという考えもまた素晴らしい。こうすればエネルギーロスは少ないだろう。アンプを内蔵しているため少し大きいし、やや重いのだが、LCD4に比べればずっと軽く、装着もしやすい。(重たさ、大きさも現時点で非公開)さすがに良くできている。
イヤーパッドはアレルギーレスを謳う特殊なベロアやマイクロファイバーが駆使されている。表面の感触はサラッとしていて、必要以上にフカフカしていない。ヘッドバンドは当然長さの調節ができ、頭頂にあたる部分
は大型のクッションがあり、力を分散するので、おそらく痛くはならない。
ヘッドホンケーブルはツイストしたやや太いもので、3mある。STAXのケーブルなどに比べてしなやかではない。ただ端子は8極ありそうなので、STAXのようなキシメンケーブルだと太くなりすぎるのかもしれない。これは銀メッキのOFCケーブルであるという。取り回しはすごく悪いわけでもないが、このケーブルが本当にいいのかは私には分からなかった。今回の祭りではブリスオーディオをはじめてとして、PAD、キンバーなどの各社から多くのリケーブルが出品されていて、驚きの連続だったが、これを別なケーブルに付け替えたらどうなるのか興味はある。例えばブリスのACケーブルはいい思い出がないが、ヘッドホンケーブルはどうなのか。HE1060ではヘッドホンから端子なしでケーブルは直出しされているので、リケーブルできるような仕様ではないにしても、替えて試してみたい。
ともあれ、これから先は、こういうヘッドホンが欲しい。このヘッドホンの造りはブレークスルーである。少なくともこの技術をフィードバックしたヘッドホンは必ず作ってほしい。


The sound 

虚ろになった貝に耳をあてると、海の波音が聞こえるというが、ヘッドホンオーディオにもそういう側面がある。ヘッドホンシステムの姿態とそこから聞こえる音に備わった物語が、イメージを喚起して、聞こえてくる音楽を美しくしてくれることがある。
HE-1の外見そのものは確かに美しい。特にヘッドホン部の、その優美な形は海辺で拾った貝のように、私のインスピレーションを呼び起こした。
しかし、その音はそういうロマンチックなイメージとは程遠いものだった。

このHE-1が静電型であることを考えれば、とりあえずSR009を純正の真空管式アンプでドライブした音を予想する方も多いかもしれない。
それは完全にハズレ。
これは、かなりしっかりとした輪郭をもつ明瞭なサウンドである。SR009よりもずっとくっきりしている。アンプがヘッドホン側にもあると、こういう音になるのか。再生帯域は8Hz~100kHzとかなり低いところまで対応すると謳っているが、実際に、かなりなワイドレンジ感があり、高域、中域、低域とも非常に高い解像度を持つ。すなわち音数はとても多く感じた。細かい音をつぶさに聞けるヘッドホンの利点が十二分に発揮される。ここらへんは十分にドライブされたLCD-4を上回るところだ。低域の伸びもLCD-4やSR009+SRM-007tAを軽く上回る。ただし量感はなくスレンダーな音だ。音の歪みは極度に少なく、ストレートかつピュアな音。THD0.01は伊達ではない。音抜けがとてもいいせいか、若干冷たく乾いた音であり、冷静に音楽を観察するような醒めたまなざしを感じる。例えばOJIのブースにBDI-DC24B G LimitedというHPA(実質的にOJIの集大成と言うべき傑作だ)があったが、あのように豊かな潤いや、音楽的な躍動を感じる音ではない。また、音圧レベルは100dBとされているが、比較的簡単に大きな音が取れるのは魅力的である。そして音量を上げても全くうるさくならない。なお、HE1060はオープン型の中のオープン型という感じで音量をおそらく大して上げなくとも、音漏れはかなりなものだ。周りが静かだったからだけではない。これなら、あの魅力的で個性的なKURADAのオープン型とあまり変わらない音漏れではないか。
このシステムの音は真空管を多用しているので、美音系ではないかと予測していたが、違っていた。もっとカチッとしてクール、折り目正しい真面目な音である。加えて言えば普通の佇まいを持つ音で、クオリティの高さはひけらかさない。

より詳しく突っ込んだメモを急いで取ってゆく。試聴時間は短い。
SR009で聞かれるような音の透明感はやや少ない。透き通った音場の見通しはかなり良いのだが、音像に透き通るような薄さはない。サウンドステージの左右の広がりはチャンネルセパレーションの良さを感じるにもかかわらず意外に狭かった。このような究極の開放型のシステムを目指すようなモノならもっと広くていいはずだと思う。実際、THA2で聞くHD800よりも狭く感じる。(HE-1の製品版はクロスフィールドを効かせることができるようなので、この辺は変わる可能性がある。)
そのかわり音場の透明感のようなものはかなりあるように感じた。音の見通しは凄くいいのである。音のヌケがいい。この部分は当たり前のようにLCD-4なんかを超えていて、いままで聞いたもので最高である。
一方、残留雑音(S/N)については不利に感じた。音場の透明感はあるのに、である。これはこのHE-1の音場の透明感が人工的なものであることを意味する。真空管を使ったせいなのだろうか、背景にかすかに静けさを汚すものの存在を感じた。手持ちのRe Leaf E1xの方が若干SNはいい。
また音の過渡特性(トランジェント)については、かなり正確ではないかと思った。実物の楽器やボーカルの音声の立ち上がり・立下りのスピード感にとても近い。自分のシステムで苦労して実現していることを、あっけなくやってのけている感じがある。同時にハモってほしいところ、音が溶け合ってほしいところできちんとハモることも確認した。
ただ、ここでの音のスピード感や分離感、ハーモニクスなどについては、他のハイエンドヘッドホンシステムでも苦労すれば実現可能なレベルだと思われた。つまりそこらへんはハイエンドヘッドホンの世界の中でも非凡だとまでは言えない。
実際、各パート、楽器の分離はもっとあってよいと思った瞬間もある。例えばHE-1はHD800sで聞くGOLDMUNDのTHA2(USB接続)には、音の分離では及ばない。(今回のムンドのデモで活躍していたBMCの特殊なUSBケーブル、カルロス カンダイアスの開発したpure USB 1のせいもあるか)
それにHE-1は大きい音と小さい音の階調・濃淡が細かく分かるシステムではあるが、その音のグラデーションはまだまだ単調である。さらに倍音成分の質感やその存在感と透明性の両立も今一つかもしれない。倍音成分がもっと綺麗に広がってほしい。これらもほぼ同時に聞いたTHA2+HD800sに負けるし、Re Leaf E1+HD800などにも劣る。これは主に送り出しやアンプの能力に問題があるのかもしれない。
対して、定位の良さ、位相の正確さ、タイミングの正確さなどについては現時点では世界トップクラスであろう。とりあえず正しい音がしっかりと止まって聞こえるというシステムであり、私の使っているものも含めて、ハイエンドヘッドホンシステムは少し脚色が強いと思える。今聞きながら書いている、私のシステムについて言えば、低域のインパクトや量感が多きすぎる、音が近すぎるのかもしれない。
なお、出音全体にわたるような音楽性の発露は今回はあまり感じなかった。音楽の内容に合わせて音の躍動感やスピード感を自動的にコントロールする能力はこのシステムにはないのだろう。私のNAGRA HD DAC+Re Leaf E1x+HD650 Golden era MeisterKlasse で聞かれる音楽性はここにはない。本当に真空管を使ったアンプなのかと疑いたくなるほどプラスαのない生真面目な音だ。思わずアキュの音を思い出したほどだ。Accuphaseのような中毒性が少ない健全な音である。確かによく聞くと真空管らしいふくらみやしなやかさ、温かみをある優しい音調をある程度は聴けるのだが、そこらへんは決して前面には出てこない。これは最終段がヘッドホンに内蔵されたソリッドステートアンプだからだろうか。それともなにか意図的にそういう方向に音を振ったのだろうか。

HE-1では音楽のジャンル、音楽の製作された時代ごとの向き・不向きはあまりないと思うが、このままの音作りで製品版まで行くとしたら、スペイシーな表現を必要とするアルバム、例えばRoxy musicのAVALONなどはつまらないだろう。
HE-1はつまらない音楽はつまらなく、録音の良い音は良く聞こえるという具合に、ソースへの忠実性の高いシステムであり、NordostのODINのように払った分だけの強烈なドーピング効果を期待する方にはお薦めできない。
音作りの傾向としては、ガチガチのプロサウンド(客観性重視、モニター的)ではないが、BGM的にすごくリラックスして聞ける呑気な音でもない。音に対してリスナーが集中することを求めているような気もするが、その求心力は緩やかなものである気がする。

この音の擬人化するとすれば、イケメンだが少々ゴツいドイツ人の執事のようなものか。基本的には主人に対して受け身の姿勢できっちりと仕事をする。それは、かなり高級な仕事ではある。しかし、あの黒執事のようなものとは違う。時には主人の予想を超える見事なパフォーマンスをしたり、ウィットに富んだ会話を促したり、時には主人を脅かすほどの魔を感じさせたりもする、スーパーハイエンドオーディオのレトリックにはまだ届いていない。

ディープな解釈をすると、このHE-1の今の音作りには一定以上の生々しさをあえて避けるというか、現実との間に絶妙な距離感を求めるという姿勢が見え隠れする。これはおそらく正しい音だが、正しい形に微妙に整えられ、生の姿とは違うのだ。それが如何に憧れているものであろうと、心の中にズカズカ上り込んでくることを望まないということだろうか。本当の現実ではなく、わずかにリアルが欠如したほうが、多くの人に受け入れやすいと思っているのだろうか。そうだとしたら、これはコアなヘッドフォニアが使うには向いていないのかもしれない。彼らは一線を超えて、オーディオの神髄、あるいは音のリアルに迫ることを常に求めている。もし私がこれを使うなら電源ケーブルや特注のリケーブル、送り出しの強化できっちり調教する。これでは600万のシステムとしては、無味乾燥じゃないか。優れたヘッドホンを生かし切ってないじゃないか。

また、オーディオというのは、数値的なクオリティの競争ではなく、クオリティ「感」の競争であると誰かが言っていたのも想い起こされる。確かにHE-1は外見の豪華さや個性的なギミックなど、気分を高めるカラクリが多く、クオリティ感は最高だ。肝心な音も、もちろんかなり高いレベルだ。しかし価格で600万、再生帯域は8Hz~100kHz、THD0.01、ダイアフラムをヘッドホン本体に仕込んだアンプでドライブしようという最強の静電型システムとしたら、聴感上のクォリティは正直もっと欲しい。例えば600万円の予算で、好きな送り出し、好きなアンプとヘッドホン、ケーブルを自由に選べれば、このシステムに近いサウンドを生み出すことが必ずしも不可能とは思えない。少なくとも違う方向性なら、同じグレードのものを作れるだろう。この試聴で注意すべき点があるとしたら、今回は上流にハイエンドDACを持ってきていないというところだ。MSB Select DACをこのシステムの上流にもってこようとしている外国のマニアは既に存在する。確かに、そこまでしないとHE-1の真価は分からないかもしれない。


Summary

ダメ出しはそこらへんにして、このHE-1のようなモノは未だかつて世界に存在したことがなかったことは認める。ヘッドホンの世界もここまできたのだな、という感慨がある。もう随分前の話だが、GEM-1が出た時、私は時代が変わるのを感じた。GEM-1の持つメカニカルな美学、その音のオーラから私は野心の匂いを感じ取った。時代を変えようとする野心である。そしてここにゼンハイザーから全世界に提示された美しい作品の内容にも、あれとはまた異なる次元の野心を感じた。まだまだ粗削りな野心ではあるが、それはリスペクトすべきものだ。その意気や良し。HE-1のステータスを高く吊り上げることで、ヘッドホンオーディオ全体の地位をも高めることを意図したか。あるいは自分の会社の価値自体をこの製品の開発を通して再定義することを狙ったか。

今やヘッドホン・イヤホンはオーディオの中に独立した勢力圏を築いている。その独特のメカニカルビューティや、スピーカーでは決して聞けないディテールに満ち満ちた音質、そして多くの音楽ソースが実際にはスピーカーではなく、圧倒的にイヤホンやヘッドホンで聞かれるという事実、ファッションとしてのイヤホン・ヘッドホンの隆盛などが合わさり、今、一つのカルチャーとしての存在感を示しつつある。

オーディオには本来、勝敗なんてものはないが、人の性としてそういう見方は常にしてしまうものだ。だが、この期に及んでは、スピーカーが良いとか、ヘッドホンの方が良いとか、そんな比較はナンセンスである。オーディオファイルは意味のないこだわりを捨て、自らが置かれたシュチュエーションと、その嗜好に従って最適なシステムを選ぶべきだ。スピーカーでも、ヘッドホンでもそれぞれにいい音で楽しめる時がきた。HE-1の登場によって時代は変わり、ハイエンドオーディオの選択肢をスピーカーオーディオが独占していた時代は過去のものとなった。

戦国時代に日本という国のまとまりを明確にイメージできていた人間はごく少数であったという記述をこの前、本で読んだ。現代では、日本がこういう国だというのは当たり前になっているが、群雄割拠していた、あの時代にそれがイメージできていたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの少数の大名とその部下のみだった。
一方、話は飛躍する(というか、随分スケールの小さい方へ飛ぶようだが)、
ヘッドホンの世界がこの先どうなっていくか、予言者のようにイメージできている人間などいるのだろうか?私はそんな人はいないと思う。ただ、未来がどうなっていくのかは知らないが、自分の願望としてどうなって行ってほしいかをイメージできている人間は居ると思う。このHE-1を作った人はそういう人の中で特にビッグなイメージを持つ人々なのだろう。彼らはその意味では戦国時代の英雄の一人のようなものなのかもしれない。
とにかく、このHE-1を聞き終わって思ったのは、製品を作る側のイメージのレベルが高ければ高いほど、優れて革新的な製品が出来上がる可能性が高いということだ。

とはいえ、私見では、今回のHE-1の音質は現時点では間違いなくトップクラス内ではあるが、これがトップではない。現代の最高のヘッドホン関連機材を駆使すれば、これよりいい音を聞くことは不可能ではない。これはOne of themである。それは会場をくまなく回って、真剣に音を聞くだけで分かることだ。つまりゼンハイザーの技術者よりも高いヘッドホンオーディオのイメージを持つ者がこの世界には居るということになる・・・・・・。

今、HE-1を単なる富裕層向けの豪華なだけのガジェットと直感的に断じても、それはあながち間違いではないと思う。ただ、それは正しいけれど一面的な見方でしかない。いろいろ言いたいことはあっても、このサウンドに接してみれば、やはりこのSennheiser HE-1の登場は、ヘッドホンというガジェットの概念・イメージを高く高く飛躍させるエポックメイキングな出来事であるとしか、私には思えないのだ。

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# by pansakuu | 2016-05-03 17:44 | オーディオ機器

NAGRA HD DACと暮らす:子供でありつづけるために

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子供と動物はずいぶんよく似ています。どちらも自然に近いのです。
プラトン


ようやくNAGRA HD DACと毎日を過ごす権利を得た。
もうかなり短くなってきたオーディオのWATEDリストの筆頭に長らく居座っていた機材だが、ついに射落とすことができた。

初めて買ったDACはWadiaの27ixだったと思う。あれから長い月日が流れたが、いったいどれくらいのDAC・デジタルプレーヤーを聞いたか、もう自分でも数えきれない。その中で最も音楽性で優れたDACが、このNAGRA HD DACであることに疑問はない。もちろん、絶対的な性能では、MSBのSelect DACが現代のデジタルオーディオに君臨する存在であるが、音を楽しく聞かせ、人を感動させる能力ならHD DACは彼に勝るとも劣らない力を持つ。

それにしても、この昔ながらのモデュロメーターの採用にはグッとくるものがある。音楽を聞きながら、音楽のリズムとメロディの動きに合わせ、細かくふれるメーターを眺める快感に酔いしれる。暖色系のライトアップも堪らない。こういう快感を与えてくれるDACは他にはない。これぞNAGRA。
こうして見ていると、音楽が生きていて、なんとかこうして今日を生き残った私がそれを聞いている、そういう情景が出来上がる気がする。その証が、このメーターの灯りの中でふれている針の動き、そのものであるような気分になる。
眺めて楽しいDACというのは珍しいが、これはそのひとつだろう。ずっと欲しかったものをプレゼントされた子供みたいに、有頂天になっている私がここにいる。
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数か月前に自宅で初めて聞いた夜に導入は決めていたが、悩みどころがあった。
パワーサプライをどうするか。
このDACはおそらく世界で唯一、デジタルセクションとアナログ出力回路の電源が全く別なのである。よくある内部で分かれているタイプではない。コンセントから別なのである。つまりNAGRA製品に共通する強化電源であるMPSを使用しない場合は、二本の電源ケーブルが必要になるDACだ。二つのアルミ製のアダプターが付属する。以前の試聴ではMPSを使った方が、音がよかったのであるが、その時、MPSの対照として二電源形式を取った場合に使った二本の電源ケーブルは全くの普及品で、オーディオ用ではなかった。一方のMPSにはJormaのAC LANDAを使ってしまったのである。これは比較の仕方が上手くなかった。
一方、NAGRA本体はMPSの使用を推奨しているが、あれは小さくはない。置く場所を作るのが面倒だ。
一応、ヘッドホンアンプとして他に持って行って聞く予定もあるので、小さな通常のパワーサプライも欲しい。また逆に本気で使うならデジタル部とアナログ部にそれぞれ別なMPSを使うのが最高かもしれない。それだとさらに置きづらいが。さらにMPSは半分バッテリー電源にするオプションも選べる。いったいどうしたらいいのか?目移りしてしまう。

結局、まずはMPSではなく、通常の電源を私は選択した。届いてみると、これはいい。MPSよりもコンパクトだ。持ち運びはこちらの方がやや有利かもしれない。デジタル部、アナログ部ごとに電源ケーブルを変えて、音質を調整することもできる。私の方ではAC LANDAのプラグのメッキを変えたバリエーションをいくつか用意できるので、好みの組み合わせを探れるかもしれない。ひとまず、この状態で遊んでみよう。MPSは後でもいい。

HD DACについては細かいインプレを既に書いたし、MSB Select DACに関するインプレの中で、単体DACのレビューはしばらく書かないとも言ったから、音質についてはあまり多くは語るべきでもないかもしれない。スピーカーで聞くHD DACのサウンドの凄さや、ヘッドホンアウトの音の良さについては、以前の内容を参照してもらえばいいと思う。
今、ここで述べるべきはRe leaf E1xと繋いだ時のヘッドホンサウンドについてだろう。
(以前、HD DACがここに来た時にはRe Leaf E1xは無かった。)
組み合わせるヘッドホンはLCD-4でも良かったのだが、あれは公平感を著しく欠く、特殊な音だ。いつも使っているHD650 Golden era meister klasseが評価基準としては良かろうと思う。

このセットで、まず感じるのは音楽性の高さだ。
NAGRA HD DACを通すと、何と言ったらよいのだろう、音楽が覚醒するのだ。生き生きした抑揚をつけて音楽が鳴ってくれる。これは感情的であり、感傷的な音と言ってもよい。書で言えば顔 真卿の祭姪文稿のようなものだ。人間の気持ちが露出するようなプレゼンの仕方なのだ。いわゆるフラットというか、平板で公平な鳴り方には全然ならない。音楽に込められた演奏者や作曲者の感興が、つぶさに感じ取れるようになっている。音楽の本当のコアの部分を曝け出すと言ってもよい。この音楽的な抑揚の振幅の広さと速さ、そして強さは、並みのヘッドホンアンプでは受け止めきれまい。だから一般的に、このDACはスピーカーリスニングに使うべきものだろう。例外的にE1クラスの機材まで行けば、このDACの音を受け止めることができるということに過ぎない。あくまでこの使い方は例外なのである。
もちろんHD DACに直にヘッドホンを挿して音楽を聞くこともできる。この方式でも、E1xの音さえ聞かなければ、十分過ぎるほどいい音であるし、実際、諸外国ではこのHD DAC直挿しのヘッドホンリスニングに賞賛の声があがっている。内部でゲインも変えられるので、様々なヘッドホンにも対応する。しかし、この接続だと、E1xを介した時に比べて、低域のニュアンスが弱かったり、全体に淡白な鳴り方をするように私は思う。
やはり、E1xほど優れたHPAがあるなら、それを使った方がいい。
これはE1Xと合わせて本当に、その内蔵のDACを超えると思えた初めての組み合わせである。
だが、この合計価格は・・・・・。インタコとMPSをそろえるとSennheiser HE-1と大差なくなってきた。
今度やる予定の、聞き比べが楽しみだ。

さらに感じるのは真空管を使ったアナログ出力回路の音の良さである。これは他のほとんどのDACで得られたことのない、独特の聞き味の良さ、力強さ、音のうねりを生むようだ。そして他のDACではありえないと思わせるほどの低域の量感の豊かさ、他のハイエンドDACの如く各パートを分離しすぎず、絶妙にブレンドして聞かせること、生々しいボーカリストの口唇の動きのニュアンス、奏者どうしのインタープレイの表現の見事さに驚く。妙にリアルな実在感はあるのに、どうも絵空事のような、よそよそしく、シュールな音が聞こえてくるDACもあるが、HD DACは、それとは正反対の態度を持つように聞こえる。これらはもちろんアンドレアス コッチの開発したコンパクトのDACモジュールの能力に負うところも大きいのかもしれないが、出力に真空管を一味加えることで初めて成し遂げられるもののような気がする。MPS-5ではこの音は出なかった。この音の良さは今まで聞いてきた多くの真空管アンプで感じてきたことに通じる部分が多いということもある。
惜しいことに、これから発売されるNagraのClassicシリーズのDACについてはボリュウムやヘッドホンアンプは省かれ、真空管を出力回路に用いないという。しかも電源は一つになる。コスト削減のためというが、それでも価格は200万近くになるらしい。それなら絶対にHDシリーズを買うべきだろうと思った。
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MacやPCをトランスポートにしてヘッドホンで音楽を聞いていると、一つのアルバムを通しで聞いたりすることはおろか、一曲を通しで聞くことすら、いつも必ずやるとは言えない。何故だろう、こういうデジタルシステムだと、どんどん曲を替えて聞きたくなるものだ。アナログレコードを聞いている時はそんなことがなく、少なくとも、片面を一度に聞き通すのが普通なのに。
しかし、NAGRA HD DACでは例外的にデジタルでも、アナログのような聞き方をしてしまう。曲を通しで聞き、アルバムを通しで聞いてしまう。そういう流れになってしまうのだ。またプレイリストを当然作るからアルバムをまたいで、シームレスに曲が連なって流れてゆくことになる。これはアナログでは決してできないことだ。どうしてもレコードをかけかえなくてはならない。
このDACの聞き味の良さ、オーディオとしての性能の高さ、音の生々しさ、音圧の力強さを呆然として聞いていると、時の経つのを忘れる。曲と曲は間の静寂を介して、途切れることなく繋がり、音楽が千変万化しながら、どこまでも続いていくような錯覚を生む。
夕飯の後にコーヒーを挽いてから聞き始めて、本を読んだり、文章を書いたりしながら、ずうーっとHD DACに聞き入っていると、いつのまにか次の日の朝の8時になっている。時間経過が全く感じられないリスニング。音楽を聴くことを全然やめられない。いつまでも聞いてしまう。だがPerseusと違って聞き疲れはある。音圧はあるし、低域の量感も豊かだから。だが、それは心地よい疲れだし、余韻に溢れるものでもある。
異性とベッドで過ごす濃密な時間と、その後の長い余韻のようだと誰かが言う。
これはセクシーなリスニングなのである。

とはいえNAGRA HD DACが来て、私が満足したというわけでもない。
Re Leaf E1、CHORD HD DAC、GOLDMUND THA2、Fostex HP-V8、Merging NADAC、OJI BDI-DC 24A、NAGRA HD DAC、マス工房 Model394、Hifiman Shangri La・・・そしてSennheiser HE-1。
此処へ来て、市場には高い音質を誇るアンプやDACなどがかなり出揃ってきている。
手持ちの機材と、それらとの組み合わせはどんな音なのか、興味は尽きない。
このようなハイエンドなヘッドホンアンプあるいはヘッドホンアウトのあるコンパクトなDACを並べ、適切な電源ケーブル・タップやインターコネクトケーブル、ボード・インシュレーターを用いて完璧にセットアップし、自分のヘッドホンで聞く機会なんぞは実際はほとんどない。
それは一つのメーカー、一つの代理店、販売店だけでは最高にドレスアップしたシステム一式をそろえることができないからだ。祭りで聞いても、音の良さの予感しか感じることができない場合が多い。メーカー、代理店ごとに取扱い製品のジャンルが限られているため、トータルシステムとしての提案ができていない。ヘッドホンシステムはあくまで多くの機材の集合体であるから、それではいい音が聴けない。そもそも、代理店の多くが、ヘッドホンが大好きで祭りに出展しているとは思えない。祭りにやって来る若者たちと、それを受け止める側との間に温度差を感じることは少なくない。そういう彼らに高度なセッテイングを求めても無理があると思う。

ところで、3月に秋葉原のオーディオ店で、最高峰の機材を集めてセッティングしたヘッドホンシステムを聞く会があったが、どうも借りてきた猫みたいな、つまらない音ばかりで辟易した覚えがある。あれは何故ダメだったのか?機材は良かったのに。電源や機材の接続方式、置き方などの細かい点に難があったのかもしれない。あそこにあったHP-V8にしてもTHA2ももっと良い音で鳴っているのを聞いたことがあるし。
やはり、その機材の取り扱いを熟知したオーナーが十分な時間をかけてセッテイングしないと、いいヘッドホンサウンドは聞けないのだろう。
そうは言っても上記の機材はほぼ全て持ち運び可能なのだから、これらを持ち寄ってオフ会をやってみたい誘惑は依然としてある。極論を言えばHP-V8だって移動は可能なのだから。ラックと椅子の組が3つぐらい置けるスペース。各々にコンセントが一つ、優れた4口タップをオーディオグレードの電源ケーブルで接続できる電源環境。人脈とやる気、そして数日間の暇。そんなものが万策堂にあるわけもない。
いずれにしろ、私は私以外の個人がどんなセッテイングでヘッドホンを聞いているのか、そしてそれらを同一の電源環境に置いて比較したら、どういう差が出るのかに、いつも興味がある。

余談だが、
この前、たまたま暇だったので、映画館に近頃話題のガールズパンツァーを見に行こうとしたら、小学生にキモいと言われてしまった。
昔のことだが、私個人は戦車自体にはかなり入れ込んでいたことがある。例えばホビージャパンに連載されていた黒騎士物語という漫画が好きでよく読んでいた。私の戦車観はあの漫画によるところが大きい。また以前、陸上自衛隊にいた人が職場にいて、毎日の昼休みに戦車やその他の兵器の話を二人でしていたこともある。
そういう私の知識の中での戦車というものは、極めて暴力的で残酷、非人間的な兵器なのだが、ガールズパンツァーという作品で注目すべきは、非力で可憐な少女だけで、この死と恐怖の機械を操るという思い切った設定である。
つまり、これは今の日本で流行る、独身男性向けのアイドル映画という側面がある。
その一方で、家族持ちの大人の男は、こういうアイドルに、しかも実際に存在しない二次元のアイドルにうつつを抜かさないものだという古い常識が、今の小学生にさえ浸透している。日本は面白い国だ。

もちろん、小学生にそうまで言われようとも、初志貫徹で私はこの映画を見に行った。
逆にこういうのを見に行かなくなったら、そこで好奇心が終わるんじゃないかとも思うので。
そこで私は、アニメの戦車の細かく行き届いた戦闘描写を眺め、エルンスト・フォン・バウアー大尉の不在を確認し、そして眼鏡をかけた若い男ばかりの観客の顔を眺めて、現代日本の栄光と悲惨、そして奇妙を肌で感じた。
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帰り道の渋谷のオンザコーナーでコーヒーを飲みつつ考えた。
見ようによっては、オーディオも、かなりキモい趣味だなと。いい年して、役にもたたない、女性にもモテない、スピーカーオーディオに比べてさえ、せせこましいヘッドホンオーディオに大金を払うなんてキモい。(そんなことを言ったら趣味は全部キモいか?)
「キモい」という言葉は、「気持ち悪い」と言うのがカドが立つので末尾を削っただけらしい。「イジる」が「イジメる」という言葉を短縮してマイルドにしたものであるのと同じだ。
例えば一般人は、ヘッドホン祭りなんて、所詮白い目で見ている。あくまで「気持ちが悪い」ものなのだ。しかし、私に言わせれば、これは「気持ちがイイ」趣味だ。キモいと言われようとも一向に平気である。気持ちがいいを短くして、キモいということだと解釈しているから。

つまり、こうして生きている限りは、自分の中から湧き出てくる自然な欲望に出来るだけ忠実でありたいということだろう。
家族に対してカッコ悪くても、コソコソしないで映画は見るし、逆に家族に隠れてコソコソとDACも買うし。こういう欲しいものが欲しいと思って実行してしまう、無邪気な自分を見るたびに、自分はまだ子供だなと知って安心する。もう私は否応なく、社会的には大人として扱われるような歳と立場になってしまったが、いつまでも子供でありたいと願いつづけている。それは変わらない。傍から見たら愚かなことに対して有頂天になって、周りが見えなくなってしまう人で俺はありたいんだ。ただ、そういう行為を、ある程度は意識的に強行しないと、子供になれないほどの歳になってしまったのが怖いが。

私は、子供であり続けるために、
NAGRA HD DACと暮らすことを選んだのかもしれない。



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# by pansakuu | 2016-04-15 11:54 | オーディオ機器

Dayz go by:オーディオに関する日記の断片


○月○日
LCD-4が修理されて戻ってきた。
随分と時間がかかった。オーディオ機器の故障には何度も遭ってきているが、こんなに戻ってくるのに時間がかかったのは初めて。LCD-4はドライバーの製作に時間がかかるのに、世界中から多くの注文があるため、全くそれを捌き切れていないと聞く。その影響なのだろうか。

修理されたと書いたが、正確には違うようだ。噂では1stロットのドライバーに振動板が破れる不具合が世界中で出たため、その辺が改良された2ndバージョンの新型ドライバーに交換されているとか。つまり違うドライバーが載ってるらしい。新型に移行したのだ。実際に聞いてまず感じたのは、2ndバージョンは1stに比べて能率が少し低くなったということ。振動板の強度を上げて耐久性を高めた結果、少し振動板が重くなったのだろうか。詳しいことは分からんが、確かに音は変わった。

こうなると1stロットのドライバーで聞いていた時と同じ音量を得るため、もっと遠くまでボリュウムノブを回す。それぞれのアンプのボリュウムにはスイートスポットというものがあり、そこに入ればいいんだが・・・。1stのLCD-4で、能率が高すぎてボリュウムが上げられなくて困っていたヤツが居たとしたら、今回の改良は喜ぶべきだろうね。まあ、お話にならないくらい1stのLCD4のタマ数が少ないから、そんな人はいるのか、いないのか。音質の全体の傾向はあまり変わらないが、軽やかに鳴る感じは目立たなくなって、逆に音の重さや厚さが増したかな。ボーカルの年齢が若干上がったような印象か。わずかに音が濃縮されたようなイメージもあるね。音質の格付けとしては未だに現代最高のヘッドホンサウンドのひとつだと思うけど、前のバージョンの音は捨てがたい。今更どうしようもないけど。
そうこうするうちに、キャンセル品が出たらしく、LCD-4の店頭在庫が出ている。待っていた人にはいい知らせだ。世の中には意外なことが起こるものだ。


○月○日
LCD-4を使う外国人の知り合いに、今のLCD-4について話したら、上手い方法があるから、ここにRe Leaf E1xもって来い、俺のを聞かせると言う返事がかえってきた。
私は早速、彼のマンションにE1xをもって出掛けた。

そこで撮った、彼のLCD-4の写真は消した。哀れなものだからだ。簡単に言えば彼の2ndバージョンのLCD-4はサイドの金属のグリル(Aの形に見える網目の入った板)とその下の薄いスポンジが外された状態で、配線とドライバーが露出した状態だった。ドライバー自体にもグリルが付いているので中身を壊す危険はあまりないが、美観が良くない。しかし、彼が言うには、こうすると、物凄く開放的な音になるのだという。グリルを付けているとドライバーの背面から出た音が、スポンジとグリルで跳ね返り、耳に聞こえるので音像が濁るのだとも言う。

とにかく聞いてみよということなので、Re Leaf E1xを繋いでみる。
なるほど、確かにこれは音が広い。音場が拡がり、音のヌケが一段良くなった。人の声がいっそう自然に聞こえる。1stロットのドライバーに聞かれた軽快さまではないが・・・これはなかなか良い。また、自分の欲しい音を得るためなら手段を選ばない、彼の根性にも感服した。
しかし、プラスドライバーでこのグリルを開けたりするのは自己責任だから、それはやりたくない。なにより美観に問題があるよ、○さん。
はじめて聞くRe Leaf E1xに有頂天になっている彼の背中を眺めながら、これは惜しいな、と思っていた。音が良ければなんでもいいというわけではないから。

○月○日
今、メインで使っているHD650や600のモディファイはLCD-4ほど豪華なサウンドではない。だが毎日、様々な音楽を様々な音量で聞いて、飽きが来ないし、疲れもしないという意味では勝っていると思う。デザインは極めてシンプルで軽く、コンパクトなので、また一つのギアとしてのまとまりも秀逸である。
LCD-4は2ndバージョンでも十分にTop of the worldと言い切れる音だが、こんな豪華なメシを毎日食わされるのもキツい。とにかくこの音ときたら、数時間でもうお腹いっぱいだ。E1xとかNAGRAとペアにしているせいだろうか?それに重さや大きさがあるので道具としての扱いづらさがある。これは少なくともスマートな道具じゃないし、エレガントじゃない。ただし音は良い。そこは間違いない。大したものだ。確かに1stロットの持っていた独特の繊細な音、軽妙なニュアンスが失われているが、これはドライバー自体の問題であり、ユーザーにどうこうできることじゃない。
好みによっては2ndバージョンの方がいいという意見もありそうだし、振動板の強度不足が解消されたということは喜ばしい。私が他人に薦めるなら1stより2ndということになるし、これから先は基本的には2ndしか手に入らないだろうし。考えても仕方のないことも多い。

○月○日
オーディオに関して迷いがあるとき、いつも思うのは、この趣味は単純ではないということ。音が良ければなんでもいいというわけじゃない。中国の方の協力を得て、ケーブル類を全てNordostのODINに換えて聞いたが、これこそtoo muchと言うべき音だった。大好きなConstellationのPerseusの存在感が消え去り、ODIN一色に塗りつぶされたサウンドは素晴らしくもあり、悲惨なものでもあった。ただ、これらを貸してくれた方は派手で強力なサウンドを好むので、これでいいと、ご満悦であった。大陸的な精神と島国のエスプリはやはり異なるのだろうか。

そもそもオーディオファイルという奴は、意識的にしろ無意識にしろ、出音に不満がある時に新たなケーブルやアクセサリーやルームアコースティツクを求めるものだ。だが基幹となる送り出し、アンプ、スピーカーが本当にしっかりと自分の好みにハマっていれば、そんな余計な苦労は必要ない。私にはPerseus もTTT-Compactも、E1xもある状態なのだから、今の所はケーブルに凝る必要はないのだと再確認した。
おそらくODINのような劇薬を欲する人は、ODIN単独のサウンドを本当に愛しているか、自分で自分の好みが分からなくなって迷っているかどちらかなのだろう。
だが、あまり出しゃばらないケーブルなら欲しい。例えばCHORDのMUSICとか。密かに狙っているところです。
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○月○日
プラタナスのカートリッジとグランツのアームMH124DLCのペアでアナログレコードを聞く機会があった。これはNordostのODINのテストと違って、なんとも言えず聞き易いのである。スッと音楽に入って行ける。グランツのアームはバージョンが変わるたびに試聴しているが、反応性や分解能が増してる。以前のバージョンは音の太さ、力強さが信条で、繊細さに欠けていたが、この最新バージョンは極めてハイスピードで、音の解像度も高いようだ。
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プラタナスのカートリッジは、おおらかだが、細かさもある。昔のカートリッジのように、音楽を俯瞰的に聞かせつつ、リスナーをリラックスさせるゆとりがある。それでいて音に大雑把な荒さがなく、現代のカートリッジらしい分解能の高さ、スピード感もあるようだ。値段も安い。いま使っているウルトラエミネントより20万円ほど安いが、普段使いならプラタナスの音の方がいいかもしれない。
アナログオーディオというのは、アナログレコードという形式自体に、もう既に人間を愉しませる音の要素が盛り込まれているので、選択さえ誤らなければ、そんなに高級な機材を使わなくても十分に楽しめる。例えばPerseusは圧倒的に音が良いフォノだが、これの20分の一くらいの価格のフォノでも、ほぼ同じレベルの感動を得ることができなくはない。ただ、そう断言するためには、どうしてもこの500万オーバーのフォノを手元に置いて使ったという経験を経る必要がある。そこがオーディオの難しいところだろうか。
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○月○日
そのつもりはなかったのだが、MergingのNADACを聞けた。スピーカーでしか聞けなかったが、これは本当に素の音を聞かせるDACで、飾り気がないものだと分かった。かなりスッキリとした音。高域は自然に伸びていて、中低域はやや薄いか。音数はとても多いが、それを前面に出さない、控えめな音。温度感はニュートラルで、音は軽めだが、結構、生々しい感じもある。とにかく全体のバランスがとても上手くまとまっていて、不満を感じなかったのが印象的。玄人好みというか、分かる人には分かるでしょという感じの音だ。中身を開けて見せてもらったのだが、かなりスカスカでこんなものに100万オーバー払うのはどうかと思ったが、音は悪くない。DAVEのようなパッと聞きのアピール、引きの強さはないのだが、NADACをあえて選ぶことのシブさはあるだろう。DAVEを買いたい誘惑に逆らった自分を褒めたいとは、オーナー様の弁である。このNADACのオーナーはDAVEはミーハーな音で嫌だったとも言っていた。確かにそうかもしれない。分かりやす過ぎるかもな、DAVEの良さは。実はこのNADAC、話題にはあまり登らないが、日本では地味に売れているらしい。車でいうとアウディみたいな、派手じゃないけど高性能という所が、日本人好みかも。逆に中国などでは、コイツはアピールしないと思うけど。

○月○日
近頃、スピーカーであまり音楽を聞いていない。
つまり、ヘッドホンだけで音楽を聞く生活に一時的にだが移行している。
アナログレコードもヘッドホンで聞いている。これで十分に堪能できる。
実は、かなり前から、いつかはこういう時期が来るだろうと思っていた。
振り返るとG ride audioのGEM-1というヘッドホンアンプとリケーブルされたHD600の組み合わせを聞いた時にそういう予測を立てたのが最初だった。(思えばあのHD600はGolden eraだった。GEM-1のプロデューサーの耳は鋭かったということか)
あの瞬間、ヘッドホンオーディオはハイエンドオーディオの一つのジャンルとしてきっと独立できる。少なくとも自分の中では、そういう確信が頭をかすめた。

細かくて口うるさい現代日本では、たとえ防音室をもっていたにしても、夜中にスピーカーを大音量に鳴らすのは憚られる場合もあるようだ。防音室を建てて10年以上たった今年の冬、ついに近所から苦情が来たというオーディオファイルに会った。防音室も劣化するのだろうか。防音室すら設けることのできない、都会のマンション住まいの私にはハイエンドヘッドホンはやはり必需品である。

勿論、このスピーカーオーディオの不在はかつてやっていた時計を集める趣味の中断や、ライカやハッセルへの入れ込みがなくなった時と同じく、永遠の別れではないだろう。実際、ドイツ魂を具現化した時計、モリッツグロスマンの出現はビンテージのパテックで時計趣味を終わらせたはずの私を覚醒させつつある。ライカモノクロームやアポズミクロン50mmの登場も私の心を掻き立てる。
スピーカーオーディオの中断も恐らく一時的なものだ。
とにかく現在(いま)はスピーカーの相手をしている時間がない、そして、真に気に入ったプリアンプとパワーアンプのペアが見つからないというだけなのだ。

○月○日
一番困るのは、欲しいオーディオ機材が少なくなったということだろう。
例えばアンプ。10年前のアンプと比べて音は若干よくなっているか、あるいは横這い状態だが、価格は二倍以上というケースに多く出くわす。高級機械式時計と似た状況だ。今は中古が狙い目の時代だと思う。虚心坦懐に聞けば、昔の機材はSNが若干落ちていたりするが、音のインパクトとしては現在の機材を超えているものも少なくない。過去のジェフやクレルのアンプのフラッグシップを聞くとその感が強い。
ファンの方には本当に申し訳ないが、B&Wの最新のスピーカー群も深く考えながら聴くと、もしかして改悪なのではないかと思うことがある。この音は一部のハイエンドなヘッドホンの音に近い。細かい音を完璧に聞かせることはスピーカー離れしているが、聞いていて音楽が音に聞こえることが多い。例えばセクシーな音楽を聞いても、少しもセクシーに聞こえない。ムラムラッと来ない。ビシッと締まった合理的な音だが息苦しい。音楽の中で音がどうなっているかが、とてもよく分かるけれど、真に俯瞰的に音楽を聞く視点がなく、逆に音楽の中に入り込むこともないうえ、スピーカーが悠々と歌っているような楽しさも感じたことがない。これは聞きようによっては強烈な個性かも。私は生物を命あるものとして扱わず、タンパク質の塊として扱うことに賛成はしかねる。同じように音楽を音波の時系列として扱う立場に私は馴染めない。それに、このスピーカーはよほど優れたアンプをあてないと、ポテンシャルを引き出せないだろう。特性上は極めて優秀なので、一聴、どんなアンプをあててもきちんと鳴っているように聞こえるはずだが、その音は実は精神的に空虚で無味乾燥なものだ。このスピーカーに魂を吹き込むにはかなりの金策が必要となるだろう。
あるお宅でJBLのパラゴンを聞いたとき、なにか古臭い音だが、物凄く人間の精神の真髄に触れている気がしたのを思い出す。昔のモノがなんでもいいなどと絶対に思わないが、最新のモノにも常に疑問を感じる。

このB&Wのシリーズは高価なためか、予想外に売れ行きは悪いという。確かに前のバージョンのように、中古のB&Wが大量に出回る現象はないようだ。悪くないというか、とにかく高性能なスピーカーだし、これを今年のメシのタネにしたいと語っていた関係者もいたが、どうなることやら。

○月○日
私はハイレゾとかいうものに興味はないわけではないが、
あれはあくまで音楽の録音と再生の一様式にすぎないんじゃないかと思う。
実際にそういう冠のついたデジタルファイルを買って聞いている消費者ではあるが、
それを殊更に意識して買ったことがないし。
とりあえず聞いてみようかくらいの軽い気持ちでダウンロードする。
ハイレゾかどうかよりは、まずは欲しい音楽の内容かどうか、もっと具体的には曲がいいのか、音作りが面白いか、歌詞がカッコいいかとかそういうことの方が気になる。
つまり、たまたま欲しい音楽がハイレゾで配信されていれば、試しに聞いてみるかというノリでダウンロードするぐらいだ。聞いてみてダメなら打ち捨てておくし、そうでもないなら聴き続ける。それだけのことである。
逆に言えばハイレゾに絶対的な音質的優位を感じたことはない。差がほとんど分からない例も多々ある。ブラインドでどっちがどっちと当てられる自信がないハイレゾファイルは数多い。これはSACDと異なる点である。SACDはモノによってはCDに比べ圧倒的な音質のアドバンテージがあった。それは一聴して分かった気がする。
単純に音質という意味では、ハイレゾは私の中ではあまり大きな役割を果たせていない。それでいてメモリーは食う。

年末にやっていた大会議では音楽を実際に創る側の不参加のせいか、音楽の内容についての言及があまりなかった。それは大きな視点の欠落を意味する。
私個人は聞こうとする音楽の音調、音作り、奏者やプロデューサー、オーディオファイルが思い描く音のイメージによって、その様式を使い分ければよいと考えている。
異論はあるだろうが、ビートルズの音楽をハイレゾなんかで聞いても特に楽しくない。
わたしはカセットテープで聞くのが好きだ、ビートルズは。
逆にアニソンはハイレゾで聞くのがいいんじゃないかと。
アメリカのラップなんかはMP3圧縮音源がいい。
新録音のライブものは、大概はDSDがいい。臨場感がある。

そんな感じで、なんでもハイファイがいいわけじゃない。いわゆる「正しく」作られたハイレゾファイルが必ずいいとも思えない。無論、アナログがいつもいいわけじゃないし、カセットテープがいつもいいのでもない。それぞれのフォーマットに音調、音の気分というものがあり、それが曲に合うかどうか、アルバムの雰囲気、音楽の創られた時代の空気にマッチするかどうかを気にしている。
だから、それぞれのフォーマットで曲やアルバムを聞いてみて、しっくり来るものを自分で選べればいい。そういう意味で選択枝が増えればいい。それが音楽のソースの側からできる本当の高音質への道ではないかと。
オーディオを通じて、音そのものではなく音楽の中身にアクセスしたいと望む私には、音楽の中身を無視した、測定できる音質だけに関するオーディオ談義なんかは、いくら長い時間を費やしても机上の空論にしか見えない。音楽の中身というのはそれを創る者が好むと好まざるとに関わらず、芸術や人間の精神という科学では捉えきれないものに深く関わっている。そのことを、音楽を容れる器を作る者たちも忘れてもらっちゃ困る。
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○月○日
それにしてもRe Leaf E1xは素晴らしい。特別なことをなにもしなくても、こんなにバランスがとれてクセが少なく、純粋でありながら押しつけがましくない音が聴ける。様々なヘッドホンアンプを聞いているが、これほど安定して凄い音を出せるものはありゃしない。完全無欠に限りなく近いHPAである。価格ははっきり言って安い。以前使っていたヘッドホンシステムは最高時で全部あわせて500万円もかかっていた。E1xのサウンドはその時聞いていたものよりも、ずっといい。Goldmund THA2もかなり良いが、バランス接続が試せないのが痛い。あるヘッドホンの能力を引き出そうとしたときに、できるならリケーブルまでしてバランス駆動したくなるのが人情である。THA2はそれができない。惜しいことだ。
また、リケーブルみたいなものだが、現在、面白いアイテムを使っている。Double helix Cableさんでつくってもらった変換アダプターだ。標準プラグを3pin XLR×2に変換するアダプター。こいつの特殊なのは、まずお目にかかれないXLRを使っていること。Bocchinoという手作りのコネクターである。接点は全て純銀、ボディは特殊なプラスチックの棒材から削り出したものだ。これを通すと音がギラッとする。音楽の勢いと輝きが増す。必要ないのに、あえてこれを通して音楽を聞いたりしている。こういう一見意味のない遊びこそ面白くてやめられない。

# by pansakuu | 2016-04-10 00:50 | オーディオ機器

HD600/650 Golden Era meisterklasse Dmaaの私的インプレッション:闇の中の光


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昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか
ニーチェ
光りあるうち光の中を歩め 
トルストイ



Introduction

散々な日々である。
手持ちのオーディオ機材の5割がほぼ同時に故障するなんて、
考えられる最悪の場合を超えている。
まさに想定外の事態である。
特に、導入して2週間ほどでLCD4の片チャンネルが沈黙したのは痛かった。
大人の蜜月というものは往々にして突然終わるものらしい。
投稿時点では、修理完了の目途は知らされていない。
もしかすると、AUDEZEの代理店がコロコロ変わる理由も
こんなところと関連があるのかもしれない。
とにかく僕は途方に暮れた。

それでも幸い、生きているシステムがあった。
それはRe Leaf E1xとHD600/650Golden era Dmaaのトリオである。スピーカーシステムも、メインのヘッドホンシステムもダウンする中、暗闇で光るランプのように彼らは僕のオーディオライフを照らし出した。それは薄暗くはあるが、細部にわたる正確な陰影に満ちた、シンプルに美しい音の世界だった。そういう世界に包まれながら僕は自分のオーディオについて改めて思い巡らした。
来るべきもの、去りゆくもの、そして結局、僕の中に残ったもの。
では、いったい僕はなんのためにオーディオをやるのか?
もう音質のため、などという単純な答で満足するレベルはとっくにクリアしている。
原音再生のためだって?
それはオーディオの本性を何も知らない者の答だ。
とにかく、あの永遠に思えたオーディオの道も半ばを過ぎたのだ。

悪いことばかり続くものじゃない。
そんな僕のもとに、ひとつの知らせが届いた。
ご用達のDelimour Modern audio acoustik(Dmaa)で
新しいHD600/650のモディファイを提供する企画を立てているという話だ。
プロジェクトネームはMeister Klasse(マイスタークラッセ)。
それはホーナーのハーモニカの最高級品の名前でもなく、音楽の名手による公開レッスンを意味するMeister Klasseのことでもない。このネーミングはDmaaが考える最高のヘッドホンチューニングを指すのだろう。(それにしても何故いつもドイツ語?)
なお、この新しいmeisterklasseモデルは2016春のヘッドホン祭りでデモをする予定というが、それまで待ってはいられない。無理を言って聞かせてもらおう。
なにしろ、退屈しているところである。


Exterior and feeling

いつものように市販のHD600、HD650と見かけの差はほぼない。
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ただ今回受け取ったMeister Klasseのベースとなっているヘッドホンは、いわゆるGolden Eraの個体であった。私が所有するDmaaのヘッドホンも、このHD600 Golden Era、HD650 Golden Eraがベースなのだが、以前述べたようにハウジングの材質が現在のモデルと異なる。よく見ると微妙にザラッとした表面の質感である。だから厳密に現在の市販モデル(DmaaではこれをCurrent Model、CMと呼ぶ)と同じ外観ではない。Dmaaで改造を施したヘッドホンに貼られるシールは一見して同じようだったが、よく見ると、右側のハウジング内のドライバー近くに貼られたシールのみ内容が異なっていた。
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メッシュ越しにMODIFIED HD650GE meisterklasseあるいはMODIFIED HD600GE meisterklasseと読める。これは見落としてしまいそうなほど僅かな違いだが重要な違いであろう。つまりHD600 Golden Era(略してGE)、HD650 GEにmeisterklasseのモディファイを施したものという意味なのだから。

改造の中身については、話を聞く限り、大幅に変わったのではない。
要点は二つ。ドライバーユニット背面のネオジウムマグネットの中央開口部を塞いでいるスポンジフィルターの大きさ・形状を変更したのである。これはおそらくユーザー側の費用負担も軽い、小さな変更のようだが、実際は意外に大きな音質の変化がある。
さらに、その取り付けの精度を上げるため、取り付け専用の特別な治具を設計、外部メーカーに特注した。この治具の使用により、従来のDmaaモディファイとは一線を画する、正確なスポンジの位置決めができるようになり、貼られた状態でのスポンジの形状のバラツキが小さくなった。このような品質管理の向上が音に及ぼす影響も無視できまい。

そもそもDmaaが、このmeisterklasseを新たに考案したのは、HD600や650がその生産年代によって材質や形状にばらつきがあるため、音が一定にならないことを憂いてのことだという。
例えば再三述べているHD650 Golden Eraと現行のHD650 Current Model(CM)は元から出音が違うし、それらが従来のDmaaのモデファイを受けても音の差は埋まらない。HD600、HD650ともに数種類のバージョンがあり、Dmaaではそれらの材質・構造と音質の違いを詳細に把握している。今回のmeisterklasseは、ヘッドホンの出音をDmaaが目指す方向へ改変するだけでなく、生産時期による出音の差を最小限に留める改造となる。Dmaaでは、その目的のため、スポンジフィルターの大きさ・形状について、ずっと試行錯誤してきたようだが、その努力がひとつの形になったのである。
確かにGolden Era(GEと略)のHD650GEはもちろん、特にHD600GEはかなり入手困難である。このモディファイを選択できるようになったことは、これらを求めてえられなかったコアなヘッドファニアには朗報かもしれない。

と、ここまではDmaaサイドからの説明から、僕が理解したことである。ここで、もう一つ、僕個人が蛇足するなら、(というか、今回のブログの眼目はここにあるのだが)ゼンハイザーヘッドホンの音質的ゴールの一つと考えられるHD600 GE Dmaa、HD650 GE Dmaaに対して、meisterklasseのモディファイをかけなおすと、その音質は確かに変わるということである。変更内容は小さいのに、音質の変化は決して小さくない。それはHD600GE,HD650GEのポテンシャルの高さゆえだろうか。
逆に言えば、ここでは現行のHD650CMをmeisterklasse化したものが、どこまでHD650 GE Dmaaに近づいたのかについては述べるつもりはない。それがDmaaサイドの主な狙いであるにも関わらす、それについて僕は知らないからだ。そう、これは相変らず片手落ちで自分勝手なレビューなのである。
とはいえ、その音質変化の中身の良し悪しは、僕が手持ちのHD600 GE Dmaa、HD650 GE Dmaa、2台のmeisterklasse化を試聴の当夜に決心したことからも分かるだろう。
今までのDmaaモディファイの音質に十分に満足していたのにもかかわらず、あっけない心変わりなのである。
少なくとも僕にとってはmeisterklasseモディファイは素晴らしいものだった。


The sound 

テストはいつものように JriverをインストールしたWindows10、Orpheus のKhole USBケーブル、Re leaf E1x、XLR3pin×2のDmaa純正Octaviaヘッドホンケーブルという組み合わせである。少し脱線するが、最近、テストしたAurender N10は音質的にかなり優れたトランスポートであり、同ジャンルの機材とは言えないが、類似した役目を担えるFidataやN1Zよりも良い音質的結果をもたらす。お金がある方にはこれが一番勧めやすい機材だ。しかし価格やスペースや電源のことを考えながら音を比較するとJriverをインストールしたWindows10のPCで十分だと僕には思える。それくらい、この力が抜け、親しみやすいJriverの音が好きだ。(なお僕はオーディオファイルとしてはやや変則的にJriverを常用する。この手のUSB経由のセッティングでよく採用されるAudirvanaを日常のリスニングでは使っていない。イベントにMacとE1xを持ち込むときだけだ。あれは音の雰囲気が僕の好みに合わない。)

僕の聞いたHD600/650GE meisterklasseは基本的には従来品と似たところも多い。HD800に近い広いダイナミックレンジ、全帯域にわたるフラットなエネルギーバランス、俊敏なレスポンス、澄んだ音場、中庸な温度感、客観的な立ち位置で音を冷静に観察する立場というのは同じである。ソースに入っている音を大きな網で、まさに一網打尽にするような感じも類似する。
はっきり異なるのは、まず音の鮮度感がさらに向上したということだ。クセの少なさはそのままに、音のアタックがよりストレートに鼓膜に届く。介在物が少なくなった印象なのだ。従来品を使っているかぎり、音を遮るものがあったとは思えないのだが、オーディオではよくあることで、新型を聴いて前モデルの性質を発見することがあるのだ。より生々しくなったとも言えるし、精度が高まったとも言える。
それから、音のアタックは強いが、それがよりキメが細かくなったというところが違う。従来品のように音が弾力のある平面として知覚されるのでなく、適度な柔らかさのある複雑な曲面として意識されるとも言える。特にHD600 GE Dmaaは、そのアタリに微かな苦味のような違和感を感じたことがあった。その部分は自分でも知らず知らずこのヘッドホンを使いこなすための修行としてとらえていたのかもしれない。

チューニングが変わってもGolden Eraのヘッドホンの特徴である、音像に焦点がピタリと合うような、定位の良さは変わらない。この定位の良さからくる音像の迫真性・生々しいインパクトは、今までの強さ一辺倒の少し押しつけがましいものから、より洗練された。楽器や演奏者に近づいて音楽を聞いているような印象は同じだが、その中でもアンビエンスの要素が増えたのである。少しだけ身を引いて音を見る姿勢が加わっている。
このヘッドホンは従来品でもエージングが進めば、時々ヘッドホンの存在が消え失せて、リアルに アーティストにかぶりつくように近づいて生音を直接聞いている錯覚に陥る。しかし、今回の meisterklasseでは音源の周囲への音の広がり、空間を認識する余裕が与えられたように聞こえる。直接音だけでなく、間接音の正確なモニタリングができるようになった。

おそらくこのチューニングは結果的に、HD600/650CMをHD600/650GEに近づけるのではなく、HD600/650GEを現行モデルの音調に近づけることになっているのではないか。簡単に言えばHD600/650CMの出音の特徴であるHD800に類似した音の空間性がHD600/650GEに付加された形になっている。とにかく僕個人はそう感じる。だから従来のHD600/650GE Dmaaの直接音中心の音作りを好む方は無理に meisterklasseにする必要はない。とはいえ、やってみて気に入らなければ戻せる話だ。とりあえず meisterklasseを味見してみる価値は誰にとってもあると言えるだろう。

HD600/650GE meisterklasseを用いた実際のリスニングは、何を聴いても楽しい。
例えば、デビッド ボウイの最新アルバムにして遺作となったBlackstarの中のLazarusという曲をこのHD600 GE meisterklasse(mk)で聞くと、マーク ジュリアナのドラミングの重さが鮮やかに脳裏に焼き付く。
https://www.youtube.com/watch?v=y-JqH1M4Ya8
低域の分解能が高い。細かく解像しており、音の立ち上がりがとても速い。そしてアタックが強い。でも痛くない。今までのHD600 GE Dmaaでは低域を含む全ての帯域で正確かつ立体的な楽音が得られていたが、それはポリゴンのようなやや粗い立体感であったことに気づく。鮮度感やキメの細かさを伴ったより精密で鋭敏な調子をもった立体感はmeisterklasseのチューニングの特徴だろう。

特にHD650GE mkで強く感じることだが、楽音が色濃く、カラフルに聞こえるうえ、音の流れが、滑らかでメロディの横のつながりがよくなった。また定位するいくつかの音源が単純にバラバラに聞こえず、ある程度のつながり、ハーモニクスを持って聞こえるように変わってもいる。以前のHD650 GE Dmaaでは音は単純に分離して聞こえ、それぞれの楽器の出音のみが分かりやすかったが、今回のモディファイでは分離とともに、音源が融合する様も聞き取れる。 meisterklasseは複雑な音の様相を単純化せずに出してくる。
またHD600/650 GE Dmaaでは、音に色を感じず、モノクロームの味わいがあると思っていたが、今回のチューニングで深みのあるカラーが備わったように聞こえるのもうれしい。
なんとなく、レンジが広がったように聞こえる。低域も広域も僅かに伸びているのではないか。ドライバー自体が変わっていないから、気のせいのだろうか。確かにより高く、より深いところまで、今まで耳が届かなかった領域へ踏み込む気配がある。

HD600/650 GE mkでも鋭い音は鋭く、鈍い音は鈍く、曖昧な音は曖昧に聞かせる、その正直な態度は以前と基本的に変わらない。つまり、音源、ヘッドホンアンプ、ヘッドホンケーブルの質を素直に出すことは変わらないと述べたが、むしろその側面は増幅されていると思う瞬間もある。HD600/650 GE Dmaaではヘッドホン自体に音を細かく分離・解像する強い能力を感じたが、今回はそういう能力の誇示はわずかに抑えられ、ヘッドホンアンプ・ケーブルの性能により素直に伝えるような気がする。出しゃばらず、とにかくピュアに音を伝える。ヘッドホンの介在をより小さくし、より黒き黒子に徹そうとしているようだ。確かに分離が異常に高まった音というのも、不自然なのかもしれない。

よくヘッドホンで寝落ちする話を聞くが、HD600 GE mkではそれは難しいかもしれない。HD600 GE Dmaaでもそうだったが、より鮮烈になった出音はリスナーの聴覚を刺激しつづけ、休息を許さない。やはりこれは本来は音楽制作の仕事に使うギアであり、日々のストレスの癒しのお供ではなく、音質マニアのマスターベーションの道具でもない。これは音楽のコアをつかむための純粋なギアである。その真価と進化を感じ取るには、それなりの音量で持続的に音楽を聴ける、強い聴覚器と健全な精神の持ち主でなくてはならない。(僕が適格者かどうかは別として)誰にでもお薦めはしない。従来のHD600/650 Dmaaを聞いて、他のヘッドホンにない良さを感じたなら、ここに進むのもいいだろうという程度だ。

もうずいぶん昔の曲だがSchool food punishmentのAir feel color swimからSky stepを聴く。
https://www.youtube.com/watch?v=MK9IaCuPRjo
内村の鋭く刺すような切ないボーカルが相応のインパクトをもって、鼓膜を襲う。この刺されても痛くない、むしろ快感になる声のシャープネスは今まで聞いたことのないものだ。飾り気のない、音質に対する配慮など微塵感じないこのアルバムの価値がHD600 GE mkの遠慮会釈のないサウンドによりはっきりしてきた。このアレンジ、この音作り、このリズムとメロディにより深く入り込むために、このシステム、HD600 GE mkをフューチャーする豪華なヘッドホンシステムは必要だった。

最近よく聞くアルバムでMetafiveのMaisie’s Avenue、このスタジオライブバージョンを聞いてみよう。https://www.youtube.com/watch?v=xkc5u9r5VF4
前モデルのHD600/650GE Dmaaでは出音に正確さを求めるあまり、抑えられていた間接音、リバーブの広がりと直接音とのクロスオーバが聞き取れる。以前は音がどこか硬かった。それが良さでもあったが。HD650GE mkではその硬さは面で感じられるのではなく、細かな粒子として知覚される。音は混沌としているが、それが本来の姿であり、それを細かい粒子で正確に表現すること目指す。
また同じアルバムの曲でDont MoveのスタジオライブバージョンにおけるLEO今井の異様なボーカルの雰囲気、あの断絶感も否応なく出してくる。オブラートにはくるまない。生々しい音だ。(LEO今井は現代にもこういう面白いミュージシャンがいるんだと安心させてくれる男だ。)
https://www.youtube.com/watch?v=7LBUEYGfisQ

Youtubeでよく再生しているブラッド メルドーとマーク ジュリアナのデュオライブの映像がある。
https://www.youtube.com/watch?v=tn6gjoMUEY4
この一連の演奏でマーク ジュリアナのファンになったのだが、特にHungry Ghostという曲でのメルドーのオルガンとジュリアナのドラムの煽り合いがすさまじい。この少しもスイングしないバトルをHD600 GE mkは激しく描く。これは音のカオスであり、リスナーにとってはその混乱のただ中へ飛び込んでゆくような体験なのだが、どんな大きく、高級なスピーカーで聞くよりも、このヘッドホンシステムで聞く方が胸に響くリスニングになる。過去の演奏をかぶりつきで聞く唯一の方法になりえるヘッドホンリスニングだが、このHD600 GE mkは音源にスピーカーよりも近づけるような気がする。

こうして聞いているHD600 GE mkとHD650 GE mkをどちらが好きかと聞かれると困る。実は以前のモディファイではHD600GE Dmaaの方が650より好きだった。モノクロームないぶし銀のサウンドであり、アナログレコードとも相性が良かった。
一方、今回のチュー二ングでは、音のつながりの自然さでHD650 GE mkは勝るが、音一つ一つの実在感や克明さはHD600 GE mkに軍配を上げたい。曲によって選ぶがいい都しか言えない。片方しか買えないなら迷わずHD650 GE mkをお薦めする。これは誰でも良さを多かれ少なかれ聞き取れる、普通の音という要素が強い。一方のHD600 GE mkは音がまだまだ強い。音像の陰影の掘り下げが深い。それだけにリスナーに経験と音質に対する貪欲さ、センスを求めるところがある。

ところで、最新のHD800Sについて思うところはいろいろあるが、少なくともあのサウンドにはまだHD600 GE mkに感じる深みや陰影がない。それに、手元で聞いていてわかったのだが、なにか間接音の位相が乱れているのか、背景に若干のザワザワした居心地の悪さがある。これなら以前のHD800の方がまとまりとしては良かったのでは?そんなHD800でも空間表現以外でHD600 GE mkが劣るとは思えないのだから、こんなところで800Sを持ち出すまでもないのかもしれない。
つまり、これがあれはHD800Sは要らない。そういう気分になる、僕と似た人が必ずいるはずだ。Dmaaの意図を離れて、プロフェッショナルでないオーディオファイルのヘッドホンとしてHD600/650 Golden Era meisterklasseは進化したのだ。これ以上多くは語るまい。


Summary

僕の散々な日々は続いているが、
聞けないから静かに思い巡らせる時間が増えたし、
その中で過去のメモを振り返ることも多いので、
かえってオーディオについての考えは進んだと思う。

僕は自分のオーディオを根本的に改変したい。
誤解を恐れずに言えば、今より音質を下げて、より音楽の近くに寄り添いたい。桁外れの高音質は、音楽そのものからリスナーを遠ざける場合がある。ハイエンドオーディオで言う高音質やその大げさなスタイルというものは時に格好悪いものだ。その格好というのはビジュアルというか、オーディオ機器の外観の話だけではない。オーディオに対する態度のことだ。
とにかく僕は次の段階へ登ろう。
今なら無邪気な向上心が作り出すリピートを断ち切り、新たな臨界へ登っていけるはずだ。

そのために、最近の黙考の結果としていくつかの機材が既に選ばれている。
だが、これら全てをすぐに手に入れるべきじゃない。
たとえ明日、世界が終わると知っていてもだ。
それらの新たな武器、強力な武器はおいおい到着するさ。
焦らなくていいから、焦らないのではない。
焦らない心でなくては、オーディオは成就しないからだ。

こんなに混沌とした暗闇の中で、すこぶる直観的に音楽に迫れる道具としてHD600/650GE mkを聴き、なんとタイムリーな、と思った。これは音のプロのためにチューンされた堅牢で信頼性の高い、オールマイティな道具である。志が高く、好奇心豊富なヘッドファニアには無視できない代物だろう。堅実な音質・音楽性、そして何より外観や使い勝手をひっくるめたセンスがいい。あえてこのギアを選ぶことの格好の良さがある。また、ドイツ製の名高い道具たちに共通する美学を感じる。Moritz Grossmanの時計のような精密さや、ライカのレンズを操るようなハードな快楽がある。地味だけど途轍もなくハイセンスな、こういうモノを僕はいつも探し求めてきた。
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そして、HD600/650GE mkを僕は発注した。

# by pansakuu | 2016-03-21 16:43

Audeze LCD-4の私的レビュー:男と女

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男はどんな女とも楽しく過ごせる。その相手を愛していない限り。
By オスカー ワイルド



Introduction

今、聞いているヘッドホンは男か女か、
そんなことが、ふと気になることがある。

男声が力強いとか、女声が聞き易いとかそういう話ではない。
ヘッドホンとアンプの相性がかみあって、全体の歯車が勢いよく回り出したと感じられた時、それぞれのヘッドホン独自の音楽の解釈(いわば音楽性)や音色・音触が克明に浮き出てくる瞬間がある。
その刹那に、それらが醸し出す雰囲気に男を感じるか、女を感じるかという話だ。
新年早々、また本題と関係ない変なことを言い出したと思われるかもしれない。

だが今回レビューするLCD-4を聞いていると、
そういうことについてちょっと考えたくなる瞬間が多い。
なにか微妙なヒトとモノとの関係があって、私の感性をくすぐるのだ。
私にとってLCD-4は女性である。
Re leaf E1xを介した、このヘッドホンのリスニングの印象は、
美しい熟年のディーヴァ(歌姫)とのアフターステージの会話のようだ。
アダルトでクール、そして少しばかり不健全なのである。

今夜は私が彼女について知っていることを話そうと思う。

(なお、この文章はCassandra WilsonのアルバムGlamouredを聞きながら書いた。
また、このブログはバグがあるのか、文が途中までしか表示されない場合があります。文章が途中で切れた場合はもう一度検索してアクセスしなおすと最後まで読めることが多いです。)


Exterior and feeling

外見がどうこう語る前に、このヘッドホン、まずは頭に装着してみるのが筋だ。そこで、あ、コレは重くてダメだ、と思った方は大金を払ってまで、このギアを使うのはおやめになった方がいい。このLCD-4の660gという重さは、もうそれだけで人を選ぶ。まるでフルフェイスのヘルメットをかぶったような重圧感、開放型なのに密閉型ヘッドホンのような閉塞感である。
一方、こんな重さであっても、ま、音を聞いてみようかと思った貴方はまだ脈がある。この素晴らしいサウンドに感動できる道が開かれている。幸い、私的にはこのヘッドホンの装着感に異議はなかった。頭頂部をはじめとして痛い所はどこにもなかった。これはちょっとばかり疲れるヘッドホンだが、私が受け付けないようなものではない。

何にしても、この肩や腰にくるような重さは使う人を選ぶ。だが、この装着感、この重さがあってこそ、この音が得られていると思うので、それらは必要悪のようなものだと私は考えている。
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LCDシリーズの全体のフォルムはほぼ一定であり、定番としての存在感を主張している。大きな平べったい円筒形のハウジングの形、木製のリム、厚みのあるイヤーパッドの取り合わせはほとんどトレードマークであり、ヘッドホン界に同じものはない。私はこのデザインに洗練を感じたことはないし、作りもやや雑だとは思うが、ここにある、無視しがたいモノとしての存在感はGRADOのヘッドホンのそれと同じく尊敬する。
最新作のLCD-4の外見も先代のLCD-3と大きく異なるところはない。大文字のAの形を連想させる、ハウジングの枠に嵌め込まれたグリルがシルバーの鏡面仕上げになっていること、黒檀をハウジングの枠(リム)に使っていること、ヘッドバンドがカーボン素材に変わったことぐらいしか明確な差を認めない。当然、内部は大幅に改良されているのだろうが、売りである1.5テスラのネオジウム磁石、FMT、Fazor Technologyも外から見えない。ただ黒檀とカーボンを素材に加えたことは、音に効いているのは間違いない。異素材を組み合わせることによる共振の分散、それは出音の制動と量感の絶妙なバランスを生むはずだ。この生体素材と人工素材の取り合わせ、複数種の金属と非金属の組み合わせという手法は上手い。思えばパイオニアのSE-Master1やFinalのSonorous Xにはこういう素朴で老獪な工夫が欠けていた。

いつもながらLCDシリーズのイヤーパッドには驚かされる。おそらく世界中探しても、こんなに厚々としたイヤーパッドを持つヘッドホンはないだろう。これが両側から適度な圧力で耳介の周囲を覆う。ラムスキンの表面の質感も皮膚に馴染んで微妙に張り付くようで密閉性が高い。この特異なクッション性はAudeze伝統の、重厚でありながらフカフカ・ピッタリとした装着感を生み出す。そして、このイヤーパッドのオーバーな容積や質感はこのヘッドホンのややソフトな音調に影響を与えている。このイヤーパッドを全く異なる材質、厚さ、構造で作ったなら、全く別なサウンドが得られるだろう。サードパーティ製のイヤーパッドの開発を期待する。

このLCD-4だけでなく、LCDシリーズ全体のメカニクスで弱いなと思うのはイヤーカップとヘッドバンドとを継ぐアーム・スライダーの部分だ。ここは各メーカー 苦心しているようだが、SennheiserやSony、オーテクやパイオニアのヘッドホンのように美しく処理することはできないのか。ここまで高価なヘッドホンで、この部分をロッド一本で済ませてしまうのは許されないように思う。価格が先代よりもグンと上がったのだから、この部分でも飛躍を見せて欲しかった。
また、このヘッドホンで外側に見えているネジは全て磁性体らしい。音響機器に磁性体のネジというのはあまり音には良くないという意見がある。例えば非磁性体で作られたネジを使ったら音はどうなるのか?あるいはチタンで作られたサイドグリルなどを使ったら?KimberからアナウンスされているAXIOSでリケーブルしたら、外観や音はどう変わるのか?興味は尽きない。
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余談だが、ヘッドホンケーブルと言えば、今回は珍しいことがあった。正規代理店のHPでは標準フォーンプラグのヘッドホンケーブルが付属と書いてあった。だが、私のところに届いた専用のキャリングケースの中に白手袋やギャランティとともに同梱されていたのは、4pin XLRの端子のついた水色のケーブルのみであった。私はたまたま別途にRe leaf E1x用の3pin XLRのケーブルを入手していたので、この同梱のケーブルをHP-V8での試聴時以外は使わなかったが、先行して入手された方々にはどのようなケーブルが届いたのだろうか。そして私の個体につくはずの標準のプラグはどうなったのか?未だに代理店様からの回答はない。


Exterior and feeling

Audeze LCD-4は、かつて聞いたことのないほど表現が多彩で、バランスのとれた音質を誇るヘッドホンである。
例えばHD600 DMaaではしっかりとした音像表現に傾いた音調となるし、Hifi man HE1000となれば明らかに空間表現に軸足を置いたサウンドになっている。しかしLCD-4では適切なヘッドホンアンプで駆動するかぎり、音像、音場そのどちらについても充実しており、偏りを感じない。そして、あらゆる音の質感、あらゆる音楽のスケール感、曲想に柔軟に対応するように聞こえる。先代はジャズ、クラシック向きとの評判があったが、私がテストしたかぎり、こちらはオールマイティのようである。

また平面駆動型全般に言える聴き味の良さはLCD-4ではさらに磨かれ、抜群に高いレベルであるが、そういう聞き易い音で失われがちな音の立体感・実在感もいい塩梅でついてきている。透明感のある、やや薄い音像ではなく、みっちりと身の詰まった、高密度で重みのある音像である。これが1.5テスラの威力なのか。

このヘッドホンはダイナミックレンジが広い。特に微小な音に強く、ごく小さな音をよく拾う。LCD-3もこの要素には強かったが、さらに強くなった印象だ。直接音につき従う微かな倍音成分のたなびきの表現も素晴らしい。リバーブは他のヘッドホンから聞こえるそれよりも、長く尾を曳いて音場に流れており、極上の心地よさを演出する。

帯域バランスについては至極真っ当で、いわゆるフラット。先代のLCD-3よりもずっと平らにならされ、突出して目立ったり、引っ込んだりする帯域がない。LCD-3までのAudezeには、それぞれのモデルで帯域バランスのどこかにクセっぽさがあったように私個人は記憶している。例えばLCD-3はどうも中低域にアクセントが感じられた。だがLCD-4では、そんなアンバランスはほぼ払拭され、エージングが最後まで進む前でも、文句のつけようのない綺麗な帯域バランスが実現しているようである。これは進歩だ。
帯域別に言えば高域はLCD-3より明らかに伸びている印象だし、あの分厚い、量感のある低域もその特徴を保ちつつ、解像感を増し、音程がとても聞き取りやすい。緩さが減った。しかも最低域のさらなる伸長が感じられる。この低域の迫力は、このタイプのヘッドホンでは随一と思われる。比較対象のHE1000ではこの低域が空振りするようなところがあり、好みを分けるが、LCD-4の充実した低域にはより多くのマニアが満足するのではないか。とにかく素晴らしく深いところまで伸びた低域の表現である。また中域の開放型らしくない密度の高さも健在であるが、そこには清々しい透明感も少し加わっていて、ここでもより多くのヘッドフォニアにアピールする内容となっている。

音の強弱の階調性は非常に豊かであり、そのグラデーションの変化はかなりキメが細かい。音の色彩感もはっきりと出して来て、華やかでカラフルな音から、沈んだモノクローム調の音まで幅広く対応する。音の明るさも変幻自在。ここでも曲想を選ばない万能性が感じられる。今はカサンドラ ウィルソンの声を聴きながら書いているのだが、彼女の極上のブラックコーヒーのような声、ビターでそしてかすかにスィート、酸いも甘いも知り尽くしたような深みのある声の色彩感が巧みに表現される。今までどんなスピーカーからも、ヘッドホンからも聞けなかった音が聞こえる。

音の解像度もすこぶる高い。しかし、その現れ方はさりげない。細かい音の粒立ちが際立って聞こえたとしても、キツさはなく、聞き易さをキープする。この点についてはHE1000とSR009の解像度の違いが想起される。SR009は振動板・ハウジングの材質と構造が影響しているのか、HE1000よりも音数が多いとの評価がある。しかしLCD-4はSR009に勝るとも劣らぬ解像度で、くまなく音像を描写する。踏み込んで言えば、SR009よりも音の細部を堂々と提示するとも言える。SR009よりも音が繊細に傾き過ぎない。また先代LCD-3との比較においても解像度とか音の分離感という意味で進化している。LCD-3を愛用されている方は特に楽器や声の各パートの分離の良さに驚くに違いない。

さらに過渡特性も優秀であり、自然な音の立下り・立ち上がりが音量の大小に関係なく、どの帯域でも得られる。ここも以前から抜かりはないが、さらに洗練されたようだ。平面駆動型のヘッドホンはこの音のスピード感が速すぎると感じることがあるが、LCD-4は丁度良い。

これらの周波数帯域や解像度、トランジェントの達成度については、ライバルとなるHE1000もほぼ互角の能力を持つと思われる。つまり価格や装着感を含めて考えればHE1000が勝っているかも知れず、優劣の判断が難しい。しかし音像の表現という部分ではLCD-4はHE1000に対し、価格差なりのアドバンテージがあると思う。平面駆動としては異例なほど音像がどっしりとしているのだ。他方、音場の空間表現についてはHE1000が流石に一歩先へ抜けて行く。とはいえLCD-4もHD800等の音場表現を得意とする過去のヘッドホン達以上の優れた音場を提示するので、音場が弱いなどとは到底言えない。基本的に音場の出方がHE1000より堂々としているので、私には広がりがわずかに狭くてもLCD-4の方が好ましい。

さらに音質評価で新参ながらHD800やHD800Sを凌駕するようにきこえるMrSpeakers ETHERとの比較も改めてやってみたが、これは(私の中では)多くの点でLCD-4やHE1000に僅かに及ばない。音場に拡がる空気感にさらなるきめ細かさが欲しいし、トランジェントもさらに自然であって欲しい。音場の広がりがもっとあっていい。ごく僅かな差だが。ETHERはなかなか良くできたヘッドホンであり、そのポテンシャルはもっと高いところにあると思う。なにしろ、これはまだ最初のモデルだからね。さらなる改良が望まれる。

蛇足的な感想を述べる前に、ここまでの私的な評価をひとまずまとめると、現時点での音質に関する総合的な見地からは、ETHER、SR009、HE1000の音質を超え、ハイエンドヘッドホンとして最も理想に近い音が聞けるのは、LCD-4だというのが私の意見だ。かなり高価だが、買って後悔していない。

いささか脱線するが、最近、Hifiman HE1000との比較で面白いことがあった。Fostex HP-V8にこれら2機のハイエンドヘッドホンを繋いで比較試聴した時のことだ。シングルエンドでHE1000をつなぐと、彼女の誇る空間表現にHP-V8の持つ懐の深さがプラスされ、なんとも心地よく音が伸びてきた。個人的にはHE1000のベストサウンドはHP-V8とのペアではないかと思ったほどだ。次にバランス端子に繋いだLCD-4に切り替えてみると、微妙にモタモタした音でいけ好かない。ヘッドホンの個性とアンプの個性がぶつかってしまったアノ残念な感じが滲んでいるように聞こえた。
しかし、その時に一緒に試聴した方は、HE1000+HP-V8はSR009+STAX純正アンプの出音に近いので、わざわざこのペアにする必要は感じない、むしろLCD-4とのペアの方が、音の輪郭や分離がシッカリ出ていいのではないかという意見を述べられた。こういう意見の相違は勉強になる。後日、私はSR009を聞き直し、その方の意見にも納得した。

ここで強いてLCD-4の音質上での欠点を挙げるとしたら、音の質感のリアリティについてだろうか。LCD-4では質感描写が常に若干ソフトであり、実物の手触りからごく僅かに遠のく印象がある。繊細過ぎないのだが、柔軟過ぎるかもしれないと思う時がある。ここらへんがLCD-4をして女性的と感じさせる部分か。手持ちのHD600 Golden era DMaaやHD650 Golden era DMaaの音の朴訥な素直さと比較すると、その差は露わである。これらの改造ゼンハイザー達のサウンドはリアリティという部分では比類ない。

これほどの隙の少ない、洗練された高性能機でありながら、結果的にLCD-4は独特の女性的な音楽性を随所にちりばめた音を出していると思う。
音楽の緊張と弛緩を過不足なく、まるでモニター用のヘッドホンのように正直に再現するように聞こえる時もあるが、そこには巧妙な演出・音楽性が紛れ込んでいる。その事実に気づいたとき、この女性的なヘッドホンが歌う音楽といつまで付き合えるのか、密かな葛藤が生じる。自身が最も違和感なく親しんできたHD600 Golden era DMaaやHD650 Golden era DMaaは、そのような手錬手管をほとんど用いないからだ。そういう素のままの音を今までそれを良しとしてきた私の聴覚は深いところで、この演出に抗う時がある。こういう心奥での音質のジャッジは実に難しい。

色々な音楽をLCD-4とRe Leafのペアで聞くうち、他のヘッドホンではキツく、too muchと感じるような音量でも聴き味の良さが保持されることを知った。調子に乗って音量を上げてみるとそこには異世界が拡がっていた。
(無論これは試聴機ではできない話であり、オーナーが自己責任でやることなのだが・・・)
つまり、ラージモニターに目一杯のパワーを放りこんで、超大音量でオーディオを愉しむ人がいるが、それに近いことがヘッドホンで出来て、しかも耳が痛くならないということに驚いたのである。(重いので肩や首は痛くなるかもしれないが・・・)
例えばスピーカーで耳から血が出るかと思うほどの超大音量で聞くと、小音量で聞く時よりも、強い音圧、大きな量感が得られるが、LCD-4を使えば、それに近い感覚がヘッドホンも得られる。ただし、これはスピーカーではなくあくまでヘッドホンだから、聞こえ方はやや箱庭的で独特である。沸き立つような細部の描写・ディテール感が、音圧・躍動感・量感に加わっているのだ。コンパクトなスポーツカーのアクセルを一杯に踏み込んだまま、夜中の一本道を疾走する快感と同時に、後へ送られてゆく、煌めく都市の風景の細部全てが立体的に際立って見えるという独特の感覚も並行するのである。それはヘッドホンでもスピーカーでも、体験したことの無いものだった。このリスニングでは聞き慣れた音楽から、多くの新たなニュアンンスが聞き取れ、驚きの連続である。まるで音楽に秘められた情報が、思わぬところから噴出してきたような意外性があった。
これは本当に生々しい音であり、音像の立ち方が凄い。音像が細密かつダイナミズムに溢れていて参ってしまう。全てを忘れて聞きなれた曲に聞き入ってしまう。同時にこういう音をヘッドホンに求めていたんだ、と納得させられる。
おそらくスピーカーからはこういう詳細に満ちた大音響はなかなか出てこないだろう。大概のスピーカーとリスニングルームの取り合わせでは、その音量だと音が飽和してしまい、精密な音の細部が潰れてしまうからだ。
LCD-4とE1xがあればスピーカーはなくてもいいなどと無責任に言い放ちたい衝動に駆られること、しばしばである。
平面型の特性だろうか、歪みの生じる直前のギリギリのところまで攻めても、まだ聴き味の良さを感じられるのが小気味良い。(念のために言っておくが、この実験は短時間で終わらせた。やはり故障は怖い。)このヘッドホンが重たく、構造的に制動が効いているということは大音量でも共振しない要素なのであろう。やはり重さは必要悪なのだ。
さらに、これほどのパワーをヘッドホンに流し込むことが出来るのはRe Leaf E1xのお蔭でもある。今更だが、他のアンプでこのようなリスニングが出来るかは保証の限りではないと言っておこう。私はLCD-4によるリスニングにおいて初めてE1xのフルパワー、余裕のない限界の音を耳にすることが出来たように思う。これもまた意外な収穫であった。
そういうわけで、感度100dBのLCD-4は駆動しやすく、ヘッドホンアンプを選ばないという噂は本当だが、ポテンシャルを発揮させたいなら金銭の許す限り高性能なヘッドホンアンプを選ぶべきという、月並みな結論に達した次第である。

このような大音量再生ともなると、スピーカーではオーディオにおける男性的な要素を強く意識させがちなのだが、このLCD-4ではむしろ逆に女性を感じるのが不思議だった。この細部に目の届くような細やかさに女性を意識させられるのか?このようなソフトでメロディーのつながりの良い音には益荒男を感じないのか?やはりこのヘッドホンの出音の中には女性、それも年増のディーヴァの持つ、艶のある老獪さのようなものが聞こえるようだ。


Summary

Audeze LCD-4は、メカニクスにも音作りにも熟成感・老獪さを感じるヘッドホンである。LCDシリーズは代を重ね、音質としてはここに完成を見たようだ。このヘッドホンは2010年代を代表する名機のひとつと呼ぶに相応しいサウンドを実現している。適切なヘッドホンアンプと組み合わせた場合は、音質だけならこれに勝るものを今のところ想像できない。
実は、これを買う前は、音質にあまり期待していなかった。LCD-3も買って使ったがレビューする気にならなかったくらいだったので、LCD-4も大差ないだろうと考えていた。しかし、そうではなかった。エージングが進んでくるとジワジワ良くなってきているようだ。こんなに凄いヘッドホンサウンドは初めてである。これは未踏の領域。私はこのサウンドの虜になりつつある。E1xと組みわせたサウンドを深夜に聞いたりしていると、本当にこれは実力では世界一の組み合わせなんじゃないかと興奮する。音質と関係ない部分にカネがかかっているゼンハイザーの富豪向けヘッドホン+真空管アンプは、これ以上の音になっているのだろうか。
とにかく、LCD-4が来てからスピーカーを全く聞いていない。聞く必要が全然感じられないからだ。いままで聞いた、どんなに優れたスピーカーだろうと、この世界を実現できないだろうと思える。スピーカーに戻るにはまだ時間がかかりそうだ。

ただ惜しいことに、この音質はヘッドホンの無茶な重量なしには得られない。音質は重量とトレードオフの関係にあるのだ。もし次期モデルLCD-5が100gも軽くなったら、音色は一変しているはずだ。このサウンドの優秀性は、万人向けとは言えないズシリと来る装着感と表裏一体なのである。だから金銭的な意味以外でもこのヘッドホンを全てのヘッドフォニアに推薦することはできそうにない。重さについては訊かないでくれ、そう言いたいほど。ただ究極のヘッドホンサウンドを目指す人、この先にはまだ何もないという音を肌で感じたいという、コアでエッジなヘッドホンマニアについては、これを実際に買って使いこなす体験を避けては通れないのではないだろうか。それほどの優れた音質を誇る一台である。

このヘッドホンのサウンドの底流にあるAudeze独自の雰囲気、どこか女性的な部分、香るようなコクのある柔軟な音調、そこから来る演出感にわずかに引っかかるものを感じながらも、私はLCD-4と洒落た会話を毎晩楽しんでいる。Re Leafというカフェがあって、そこでテーブルを挟んで差し向かい、ワイングラスを傾けながら年増の美女と他愛のない世間話に興じる男、そういう図式を想像してもらってもいい。反面、こうして表面では微笑んでいても、お互いずっと一緒に居られるとは思っていないとこに、大人の付き合いというか、切ない部分もある。それは内的な葛藤、心の深いところでの痴話喧嘩なのだが、これがさらに我々の会話の言葉ひとつひとつを深めてゆく感じもある。切っても切れない関係でありながら、いつか断ち切られることを互いに予見している間柄。この緊張感がまた心地良い。こういう微妙なモノとヒトの関係性はライカ モノクロームやヴィンテージのパテックフィリップでも体験したが、ヘッドホン関係の機材では初めてだ。私はオーディオ機材に一生モノなどないと知っているし、それを一人で独占してもこの世に何の益もないと思っている。だから、LCD-3もEdition5もGEM-1も、そしてSR009さえも手放す時になんの未練も感じなかった。だが、LCD-4に至ってはもう二度と会えない別れになりそうで、なかなか踏み切れない。それほどLCD-4のサウンドは私にとって素晴らしく魅力的だ。しばらくはこのまま、スリリングかつ冗長な関係を愉しみながら、二人だけの幾夜を過ごそうと思う。
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# by pansakuu | 2016-01-24 19:07 | オーディオ機器

珈琲を飲みながら:Audeze LCD-4が届いた聖夜に

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神は8日目にコーヒーを創造した
詠み人知らず



私はコーヒーは苦いモノだと思っていた。
そう思っているかぎりは、苦いコーヒー以外は認めない、
そういう立場に知らず知らずのうちになっているものだ。
だが、ある日突然に気付かされる。
コーヒーが苦くない方が自分にとっては美味しいらしいことに。

神田に行きつけになったGlitchというカフェがある。
本屋に用があった帰りは大概そこへ寄って、コーヒーかカフェオレを一杯飲んでゆく。
ここにコーヒーはまるでジュースのようにフルーティである。
苦くない。味にもその澄んだ色にも透明感がある。
焙煎法が普通と違う。豆を焦がさない。
もちろん淹(い)れ方もお湯の温度や十秒単位で決められた手順も独自のものらしいが。
あくまで結果のみにコミットする万策堂は、原料や加工法についての関心はあまりない。
できあがったコーヒーやカフェオレが美味いかどうか、
それしか気にしていない。
自分に合うかどうかしか考えていない。

そこを紹介されるまで、実はブラックコーヒーが苦手だった。
苦いのが苦手だった。
上京してから、立派な専門店で真っ黒いコーヒーを飲むたびに、
誰かに気を使っておいしいですねと言うのも苦痛だった。
連れてきてくれた方に対してか、
あるいは愛情をもって、
少し流動性の低いコーヒーを淹れてくれる店主に対してか、
礼を尽くして、お世辞を言う相手は時々で違ったかもしれない。
とにかく、コーヒーというものは苦い飲み物を大事そうに飲むのが
カッコ良いらしいと、
その作法を受け入れて過ごしてきた。
心の底では納得できなかったが。

ところが、その神田の店では
コーヒーはフルーツであると教えてくれた。
それでいいのだと。
苦くなくていいのだと。
コーヒー豆は実は果物なので、
そのエッセンスをそのまま素直に味わえばいいと言うのだ。
大事なのは、彼らが私にそういう講釈を垂れたわけではなく、
味覚そのもので、それを示したということである。
その流儀を押しつけたのではないところが良かった。

実際、あそこへ行くと、幾つかの焙煎したコーヒー豆のサンプルがあり、ラベルには産地の豆の品種、そのフレーバーが書かれている。フレーバーの文言にはストロベリーとかピーチとかラズベリーとか、果物の名前が並ぶ。手に取って香りを試すと、確かにそうだ。ワインもこんな感じで、その味や香りを表現することがあるが、コーヒーの味香についてこういう言い方をするのは初めて見た。
そうは言っても
当然、こういうコーヒーは薄くて好きじゃないという方がおられるはずである。
それはそれで、並行して在っていい考え方。
だが一方で私のような者も居るし、居てもいい。

淹れてもらったコーヒーをさらさらと飲みながら、
買ってきたマラルメの詩集に目を通す。
私は自分の指定した香りにつつまれながら、字面を追い、様々に考える。

もしかするとオーディオもコーヒーの味と同じじゃないのか。

そもそも質量はなくて、形もなく、目の前ではかなく消え去ってしまい、生存には必須ではない音楽というものをただ聴くために、大袈裟でカネのかかるオーディオシステムを維持・更新するのは苦痛じゃないのか?
別に今風でなくてもいいんだけど、
とにかく全然オシャレじゃない。
例えば、もっとアッサリとした見かけをしてるが、音楽の良さ、音の良さが十全に感じられて愉しめるスピーカーシステムは作れないものか?
実際、そんなものは、なかなかない。
でも翻(ひるがえ)って考えると、
そういうものが何故、出来てこないかはなんとなく分かる。
世界中でオーディオを創る、ほとんどの人々の頭の中身が古いからだ。
もちろん全員じゃない。
AK380なんかを企画してしまう韓国人もいるし、
Mojoなんかを作ってしまうイギリス人もいるから。
でも大半は昔のままのオーディオの観念なのだ。
そういう人間たちが作るモノから、
新しいカルチャーの息吹を感じ取ろうとしても無駄だろう。

昔は重厚長大で無駄にカネのかかるオーディオシステムでも良かった。
価格の絶対値が今ほど高くはなかったし、人々の心のゆとりも大きかった。
デカい音を出しても時に苦情が来るぐらいで、
役所に訴えられたりはしなかった。
今まで積み上がってきた
ハイエンドオーディオってこういうものだという
カタチや作法みたいなものがあるけど、
最近はなかなか、ついて行けない気がしている。
音質がそれほど良くならないのに、鰻昇りになっている価格のこともある。
大地震の時に電気が来なくなり、
こんなモノを持っていていいのかと真剣に考えた思い出にも影響されている。
(酷いことに、もう忘れそうになっているが)
しかし、そんなことだけじゃない。
そもそも今は時代精神が違う。
ハイエンドオーディオが出来た時代、
マークレビンソンがセンセーションを巻き起こした1970年代とは、
ドイツ語で言うZeitgeistが違う。
小さなスマートホン一つで、多くのことが何処に居ても済むような時代だ。
もちろん音楽だってコイツで十分聞ける。
ここで聞こえる音楽が、
MagicoのスピーカーとConstellationのフルシステムから聞こえる音楽より
劣っていると誰が断言できよう。
上手く表現できないが、
昔と同じ感覚でオーディオをするのは
もう苦(にが)いと思う者が居ても不思議はない。
もちろん、いままでの古色蒼然としたハイエンドオーディオがあってもいい。
許すも許さないも、その一部を今だって愛してるさ。
(深く深く愛してるぜ)
だけど、そればかりじゃ、つまらないのも自明。

私はコーヒーは苦いモノだと思っていた。
そう思っているかぎりは、苦いコーヒー以外は認めない、
そういう立場に知らず知らずのうちになっている者もいる。
だが、ある日、気付く者がいる。
コーヒーが苦くない方が、
自分にとっては美味しいということに。

そろそろ帰って、
またコーヒーでも飲みながら、
LCD-4とE1xでジャネット ジャクソンの新譜でも聞いてみようか。

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# by pansakuu | 2015-12-25 23:47 | その他

Audio Note Overture PM2 プリメインアンプの私的インプレッション: 天使は遅れて降りてくる

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お前が出会う災いはすべて、過去にお前がおろそかにした時間の報いだ
by ナポレオン ボナパルト



Introduction

音楽を聞くということと、
オーディオをやるということには隔たりがあるのではないか?
そういう疑問を持ったことは一度や二度ではありません。
最近、かなり高価になりますが、極上のサウンドを聞かせるDACに出会ってから、そればかり考えています。
つまり、音楽を聞くということに対して、自分にとって丁度良い価格と規模のオーディオの装置とはどれほどのものなのかと、常に自分に問いながらオーディオを押し進めるということでしょうか。とにかく闇雲に高級路線に走るべきじゃない。時にはダウングレードしたようにさえ見える、熟慮の末の方向転換もアリでしょうね。
なにしろ、これほど多くの選択肢がある時代です。システムの規模・グレードを気軽に音楽を聞くというイージーな気分から大きな隔たりを感じない程度に収めることは可能でしょう。もはや巨大なモンスターシステム多くには、私はエスプリを感じていない。あんなものは癒されるどころか、かえって心の負担かも。

では、オーディオの散財が全くなくなるのかと言うと、そうでもない。だから、私は今日もOverture PM2 プリメインアンプを聞きに、風雨を衝いて出掛けたのでしょう。
(写真は各種HPより拝借いたしました。ありがとうございました。)

Exterior and feeling

ついこの間のことですが、日本で初めて販売店を設けたAudio Note。もう海外では十年以上前からスーパーハイエンドの真空管アンプのメーカーとして安定した地位を得ていましたが、日本では2015年末、やっと普通に店頭試聴でき、普通に買えるアンプとなりました。それにしても、これほどの音質を持ちながら、日本でのデビューが遅かったことは残念ですね。

そのAudio Noteの“序曲”すなわちエントリーモデルである、Overture PM2プリメインアンプのやや大柄で地味な筐体を眼の前にしても、外観自体には特に感じるところはありません。デザインされた痕跡がほとんど感じられない、昭和的というか、とても昔風のシンプルな外観です。アルミのフロントパネルと黒い板金のシャーシの組み合わせには特別な仕掛けやディテールが無い。外見で前のモデルであるOvertureと違うのはメインスイッチがロータリーからプッシュボタンに変わったことくらいで、ほとんど変化はないようです。ボリュウムやセレクターのフィーリングにも特に感動はありません。
私はフロントパネルやシャーシにもっと立体的なアクセントをつけたり、表示のフォントのデザイン・レイアウトに凝ってみたりすることは、この価格帯のアンプとして、もっと必要だと思います。このクラスのコンシュマーオーディオ機材は音を出していない時にも美しい存在感をインテリアの中で醸し出す必要がありますので。

また、多機能性はこのアンプにはありません。例えばアキュフェーズのE600に見られるようなコンペンセーター、ヘッドホン端子、出力電源モニター、トーンコントロール、プリパワー分離機能等は全くついておりません。
そういう無駄(?)を省くことで音質を磨き、コストパフォーマンスを稼ぐ。そういう方針を感じさせます。これはあまり現代的な考え方ではないのですが、一つの見識だと思います。

このアンプは外見こそ素っ気ないのですが、中身には恐ろしいほどの拘りが発揮されています。内部の写真を眺めれば、現代の他のアンプたちとはかなり異なる様相に目を見張ることになります。
自社製のオリジナルパーツである銀箔コンデンサー、出力トランス、シルク巻きの銀線が目に飛び込んできます。これらは真鍮製のピンを立てた、他のメーカーではほとんど採用のない特別な基板にマウントされており、それらを結ぶ線材は、あらかじめ立体的に形を作り上げた後、回路に組み込まれるという凝りようです。出来上がった回路はまるで精緻な手工芸品のようであり、銅製のサブシャーシ、ゆとりある巧みなパーツのレイアウトと合わせて、オリジナリティ溢れる内容です。こうなると市販パーツを集めて作るアンプとは格段に出音が違ってくることは想像に難くないのです。
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使用する真空管の趣味もいい。5極管EL34はKT88の中低域にある若干の荒々しさ、300Bの低域の弱さを避けたいと願う私の感性にうってつけの球かもしれません。この管の持つちょうどいい音の匙加減は優秀なオリジナルパーツや巧みな回路設計によりさらに高められているようです。管球式としては発熱も小さい方ですし。3極管シングルを得意とするAudio NoteとしてはEL34の採用は例外的なのですが、パッと音を聞いても、このメーカーのセパレートアンプと同じソニック シグネチュアーが得られています。
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今回の試聴ではAudio Note純正の純銀製RCAケーブル、スピーカーケーブルを使用しました。これを単体で貸し出してもらって聞いた経験と合わせて考えますと、以下に述べるような素晴らしい音質を得るには、これらの純正ケーブルが必須と思います。造りこまれた、特殊なケーブルの存在が、このサウンドに占める割合は決して少なくないはずです。加えて、このメーカーの純銀ケーブルは、現在のハイエンドケーブルの価格に照らせば、それほど高価ではありませんし、銀のクセっぽさはほとんど感じられないことも推薦する理由となるでしょう。


The sound 

試聴を始めると、極めて清澄な音場が優しく、しかし着実に眼前に広がって、リスニングルームの空気はいつの間にか入れ換わり、Audio Noteの透明感に支配されていました。
ここには広さこそ高級プリメインとしては標準的なものの、他社のアンプのそれとは明らかに異なる、クリアーかつ十分な奥行きを備えた音場があります。それほど広いサウンドステージではないのに、なぜこのような気持ちの良い開放感が得られるのか?思わずそういう質問が口をついて出るような快感に包まれます。これもやはり銀の使いこなしと関連があるのかもしれません。

とにかく、とても聴き味の良い音です。
音楽の導入部のメロディラインは煌びやかに、そしてスムースに先へ先へと伸びるようで、このアンプの歌心を感じます。滑らかで、順風のように聞き易いサウンドです。
トランジェントは素早く、キレの良い音ですが、キツさとは無縁。
基本は大人しく真面目で、優秀な物理特性を目指した音作りと聞けますが、声の内部にヒューマンな温もりを確かに感じます。温度感は微かに冷たさを感じる程度、女性の人肌というところ。真空管らしい艶やかさは前面には出ていませんが、それも内に含みます。
出音の端々には、神経質にならない程度のデリケートな繊細さが常にあって、音に高貴な印象を加えています。このノーブルな雰囲気も他では得難い。
また、音の純度が高く、音楽が自ずと心の襞に沁みこむ感覚が心地良いです。
渇きを感じた喉が、お気に入りのミネラルウォーターを飲み干すような爽快さ。
これもまたOverture PM2独特のフィーリングかもしれません。

ダイナミックレンジの広さや、周波数帯域の広さは優秀な管球式アンプに望まれるレベルであり、驚きはありません。定位感は良好で、音場内に明確に屹立する繊細な音像に揺らぎはほとんど感じられず、安心して音楽に浸ることができます。上位機に認められる圧倒的なゆとりの感覚よりも、溌刺としたフットワークの良さ・躍動感を意識させるサウンドですが、大人びた安定感が基礎としてあるので、広いジャンルの音楽をハイグレードな音で気軽に楽しむという用途に適しているように聞こえます。

一聴して大人しい音ですが、必要な時には十分に音楽の躍動感を引き出すだけのパワーが備わったアンプだとも思います。全ての楽器が一斉に鳴り出した時に力感の高まりに不足はなく、Octaveのアンプほどワイルドではありませんが申し分なくパワフルです。
中高域には銀という素材を信号系に多用したことの効能と見られる、一種の生々しさがあり、これはこのアンプメーカーの音の特徴を表しています。
中域の重荷にならない程度の密度感、風のように吹き抜ける低域もチャームポイントでしょうか。特に低域には緩さがなく、プリメインにしては比較的深いところまで軽々と出てきます。この低域の振る舞いの小気味良さも他のプリメインアンプでは、あまり聞いたことのないものです。

数値ではなく実際に聞いたSN感として、管球式アンプとしてはとても高いものがあり、深い静寂感が得られています。このアンプで奏でられる音楽の背景に漂う、キメ細かく清潔な静けさの質感。これはきっちりと銀線を使いこなした証拠であると私は見なします。繊細な音像に雑味がないのと同様に、音場にも天使のような穢れ無さが宿るところが、このアンプの美点となっています。静寂にも質感があるとは・・・。俄かには信じがたいでしょうが、ハイエンドオーディオの世界ではありうることです。

このアンプの音に浸っていると、時々、音楽の内容とこのアンプの音の個性が上手く溶け合うような感覚が垣間見えます。別な言い方をすれば、どのような音楽をも受け入れる懐の深さ感じさせる音なのです。
アンプ自らの個性を保ちながら発揮される、このような音の懐柔性は驚くべきでしょう。様々な音楽の音作りに呼応して、柔軟に対応しつつ我を通しすぎない習慣があるのでしょうか。どんな曲に含まれる、どのようなイメージでも、あくまで素直に表現しようとする優れた音楽性を感じます。

総じて、尋常ならざる音の実力と個性を兼ね備えるプリメインアンプと聞きました。
前モデルであるOvertureと比べると音のグレードが明らかに一段上です。
音の透明感や躍動感、表現の深さで差があり、前のモデルを持っておられる方には買い替えを強くお薦めします。さらにAudio Noteの現行の上位モデルと聴き比べても、音のまとまりの良さ、音がディープになり過ぎない、濃すぎないという意味でOveruture PM2の方が優れていると感じる方もおられるでしょう。私もその一人です。


Summary

マーケット的な観点から見れば、かなりハイクラスの価格帯でのコストパフォーマンスがありつつ、音の個性もあり、他社の高級プリメインと十分に差別化を図れる戦略的なモデルだと思います。また、他社が同価格帯のセパレートアンプを組み合わせ、200万円でこのサウンドを出したいと思っても難しいと思います。例えばあのLuxmanのC900u+M900uに、音の個性では勝るとも劣らない音質が聴けたのは意外な収穫でした。
あとはこのルックス、機能の少なさ、インテグレーテッドアンプの宿命である発展性の弱さをどう考えるか、ということでしょう。ただ、このサウンドの心地よさにハマってしまえば、そういうことは気にならなくなるはずです。

特に音楽とハイエンドオーディオとの距離に隔たりがあると感じた時に、このアンプは大いに示唆的な存在に思えてきます。価格もシステムの規模も身動きがとれないほど肥大してしまったハイエンドオーディオの重苦しさから、このプリメインアンプは私達を救ってくれる数少ない天使なのです。音楽を気軽に、しかも極めて素敵な音で聴きたいという向きには、このようなアンプがどうしても必要です。

ところで、外国でパーティなどに招待されたら、時間きっかりに行くのは無粋だと聞いた覚えがあります。そしてやたらと目立つ派手な衣装も失笑モノだと言いますね。
Accuphase 、Luxman、Esoteric、TAD、Qualiaなど既に多くのハイエンドオーディオブランドを擁する日本に、遅れて回帰したAudio Noteの態度には何かプライドのようなものを感じます。そして、その音を聞いてしまえば、その地味なルックスに、むしろ優美さを感じることもあります。エレガンスとはうわべだけのものではないからです。内に含む美意識が何かの形で滲み出てさえおれば、その実直で飾り気ない清潔なスタイルさえ優美と呼んでさしつかえないかと思うからです。
つまりは、これほどエレガントでありながら、これほどのプライドと実力をも兼ね備えるアンプはなかなかないということです。

ですが、今回のAudio Noteという古くて新しいキャストの登場が、ややもすれば雰囲気の陰りがちなハイエンドオーディオ界に華をそえられるか、疑問の余地はあります。
管球王国やステレオサウンドでは一年近く前から、何度か話題に上っているのに、店頭に現物はなく、日本のショウにも正式には出品されず、一般のオーディオファイルの多くが、ほぼ目にも耳にもできなかった、いわば幻のアンプ、Overture PM2。日本におけるハイエンドオーディオの先行きが不透明になる中で、このアンプが少し特殊なデビューをしたことに私は期待とともに不安を感じないわけではありません。良いモノなら高価でも売れるというような、呑気なご時世かどうか、私にはなんとも言えません。そもそも、売れるモノには勢いがあるのですが、昨今のハイエンドオーディオ機材にはそれがありません。

毎度のことですが、こういう昔風のアンプが若い人に受け入れられるかは心配です。これは最近の一部のハイエンド機材のようにスーパーリッチだけをターゲットにした冗長な製品ではありませんが、日本で言えば昭和生まれの人間だけに分かるモノの価値というのを主眼としているように見受けられます。デザインはあくまで簡素で、機能は少なく、単体では決して小さくなく、しかも立派なセパレートアンプが買える値段です。これでは音質に対してのみ重きを置く立場になければ購入に至らないでしょう。このような態度は現代の若い人たちにはやや無理があると映るようです。それから、実際に聞かなくては真価が分からない機材に、ほとんど実際のデモがないというのも困ります。

他の多くのハイエンド機材にも言えることですが、このような開発の方向性は、団塊の世代が生存する、ここしばらくは通用するでしょうが、ゆくゆくはオーディオ市場に担う平成生まれの人々の目に魅力的とは映らず、いずれ行き詰まるかもしれない。このままだと、ハイレゾを高らかに謳っても価格を下げず、ライナーノートさえつけないハイレゾ デジタルファイルのダウンロード販売と同じ末路を辿りかねません。
つまり、それを買うメリットが音質だけというのは通用しない世の中になっている気がするのです。
オーディオというものを、もっと広い視野から見るべきでしょうか。
ハイエンドメーカーとしての矜持と個性を保ちつつも新たなコンセプト、新たなコラボレーションを模索する必要があるでしょう。
何はともあれ、この天使の如きサウンドが、Audio Noteの新たな展開への序曲にすぎないと思いたいものです。

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# by pansakuu | 2015-12-06 21:48 | オーディオ機器

MSB technology Select DACの私的インプレッション:放浪の理由

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希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。
スティーヴンソン



Introduction

例えば、
目の前に一機のDACがあるとしよう。
そして、こちら側、
すなわち私の心の中には
「本当に良い音とはどのようなものか?」
という問いがある。

そして、
その問いに対する神聖な答えを求め、私はPLAYボタンを押す。
そりゃもう
今まで様々な場所で様々なモノを試聴してきた。
だから?かどうかは分からないが
完璧に近い答えが返ってきたことは何度かある。
でも完璧と確信できる答えが返ってきたことは一度もなかった。

だが今宵、ついに完璧な答えを得た。
どうして完璧かと分かるか?
今まで、いつかは欲しいと思ってきた機材のほとんどが、
このDACの出す音を聞いた後には、本心から要らないと思えたから。
それら全てがほぼ無価値なものに思えてきたくらい。
多くのデジタルプレーヤー、DACとフォノ、アナログプレーヤーが
Newモデル、ヴィンテージを問わず
私のWANTEDリストから姿を消した。
もうこの音をきいてしまったからには、
これ以外の機材のサウンドは多かれ少なかれ聞くに堪えない部分が出て来そう。

これほど圧倒的な高音質がかつてあったか?
これこそは全ての真摯なオーディオファイルたちが目指してきた最後の晩餐ではないか?


Exterior and feeling

このMSB technology Select DACを眺めて、
まず思うのは一体どこに1400万円近い資力がかかっているのか分からないということ。
自社工場での削り出しという、角に丸みを帯びた薄型の筐体が二つ、直接重なっている。私が試聴したのは黒い筐体のモデルだが、表面の質感はマットブラックというだけで、さしたる高級感もない。フロントパネル全体を占めるディスプレイもノイズを生じないものをチョイスしたそうだが、それは珍しい話ではない。
正直、全然萌えない、冴えない外観。
その法外な値段を聞けば、コレ大丈夫かね、となる。
では中身が違うのか?
中身の写真を見るとモジュール化されているのが特徴だとすぐに分かる。
BurmesterのプリアンプやCH precisionのDACなどと一緒で、オーナーは、その好みにあわせて入出力をチョイスできる。ここで試聴する個体のリアパネルには特製のUSB入力モジュールもあったが、それはあえてパスし、CHPのD1からのネイティブなデジタル入力を選んだ。そちらの方が音が良いとメーカー側が言うのだ。そういえばTHA2でもそうだった。こうするとCDしかかからないので、処理されるデータの規格は16bit, 44.1kHzというレベルに過ぎない。つまりハイレゾでもDSDでもないのだが、音を聞くとそれがにわかには信じられないのである。社長のラリー氏はこのデータで十分だと言っているらしい。確かに十分過ぎるという感想を誰もが持つのではないかと思うほど、ケタ外れに音がいい。では、いったい、中でなにをやっているのだろうか?
内部のDAC本体はブラックボックス化され、回路は直接見ることはできない。噂ではオペアンプもデジタルフィルターも一切使われておらず、特製のラダー型マルチビットDACを16個積んで差動動作させ、見掛け上8個のDACが並んで稼働しているような形にしているとか聞くが・・・・。結局この音の秘密はよく分からない。なお、クロックは流行の外部筐体からの入力ではない。強力なクロックを内蔵する。別筐体にしないのは、おそらく最短距離で結線したいからだろう。そして今宵の機体は例のギャラクシークロックよりもさらに上のグレードのFemto33というクロックを積んでいるという。このクロックはオプションで、130万円ほどするらしい。本体が1200万円オーバーだから、しめて1400万円弱。 もちろん、これはクロックやトランスポートを組み合わせた価格ではない。DAC単体でこの価格とは、どう考えたものだろう。アンプやスピーカーでは、時々ある価格設定であるが、こういう価格の単体DACは初めて聴く。
足は四足で砲弾の先のような形をした尖ったゴムである。筐体をゆするとゆらゆらする。どこか磁気浮上式ボードに載せた時に似た雰囲気である。少し変わっている。
細長いフロントパネルは、ほぼ全面が荒いドットによるディスプレイで占められている。表示は大きくて遠くからでもよく見えるが、白黒で高級感は微塵もない。中央に向けて多少盛り上がった形のトップパネルにはクリックのあるボリュウムがついていて、プリアンプなしでも使えるようになっている。メーカー側は一応プリアンプなしでパワーアンプにダイレクトでつなぐことを推奨しているが、往々にしてこのようなケースでは、優れたプリアンプを繋いだ方が音に幅が出てよい。メーカーの忠告は無視してGrandioso C1につないで聞いた。
それから、ほぼ同じ大きさ・同じデザインの電源部がDAC本体の下にある。そこから左右別に給電されているが、特に驚くようなギミックはない。

総じて1400万円の機材には全く見えない、普通のハイエンドDACの外観である。500万円でも御免こうむりたくなるようなモノである。代金に見合うオーラが出ていない。
試聴を終え、音量を下げてから、静寂に戻ったリスニングルームで、
改めてしげしげとDACを眺めてみたが、こういう見てくれの箱が、あんな音をいきなり出すということに、どうしても納得が行かなかった。

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The sound 

MSB technology Select DACのサウンドはパーフェクトである。
これは今日まで誰も成しえなかった音だろう。
デジタル・アナログオーディオに
明確にあるいは漠然と意識されてきた音質上の問題はほぼ解消した。
逆に言えば、私がVivaldiやDSP-01、CH precision等の人気の高級機材たちに抱いていたぼんやりした不満は、Select DACのサウンドとの比較により明確となった。
それらの機材に対する、Select DACの優位性とは、
主に音源に対する忠実さ・音の正確さと音楽性の両立だろう。
しかも、それは未曽有の高いレベルで、
極めて安定したバランスを保ちながらの両立である。
今までのハイエンドDAC・デジタルプレーヤー、ハイエンドなアナログシステムでも、これらの両立が出来ているものは散見されたが、バランスが少し悪かったり、バランスが良くても二つの要素の達成度がやや低かったりして、私が求める究極の音に到達しなかった。
また、Select DACの実現した、矛盾する二つの要素の均衡は細かい音質評価項目にも反映されている。つまり巨視的にみても微視的に見ても完全な調和を保つ。

言う必要もないが、ダイナミックレンジや聞こえてくる帯域の広さ、各帯域のバランス、音の解像度、残留雑音、過渡特性(トランジェント、立ち上がり・立下りのスピード感)、そしてこれらを常に安定して聞かせる音質的なスタビリティ。少なくとも、これらについては今まで聞いたどのDAC、どのアナログシステムよりも優れているように聞こえる。
そういう表面的な音質評価の項目では、なんの問題もないどころか、文句なしに満点である。このDACについてはリスナーがどのような要素に注目して試聴しても、いささかのクレームも出せないかもしれない。どんなに意地の悪い聞き方をしても、意味がなさそうだ。
また、これらの要素の優秀さが強調される気配がないということも特徴。
そもそも超弩級機的な音調がどこにもない。
そして無理をして出しているように聞こえる音がどこにもない。

聞いていて色々なことに気付く。
例えば様々な楽器や録音状況の違いにより生じる、音触や音色の鳴らし分けが非常に巧みである。楽器の音が重なる、あるいは左手の旋律と右手のリズムが重なる、向こうが透けるような、透けないような重なり具合の妙。Modulationが非常に少なく、各パートの分離が良い。なのにハーモニーの見事さは聞いたことのないほどレベル。分離感の良さが、音が重なった時のブレンド感・ハーモニーのテクスチャーをむしろ生かすという奇跡的な瞬間が連続して聞ける。通常、分離感とハーモニーは普通は両立しないか、してもバランスが悪いものがほとんどだが、このDACでは両者が美しく並び立ち調和している。
そして基音のリアリティの確かさはもちろんだが、倍音成分の質感の漂いにも凄味がある。
その存在感と透明感の両立にも唸らされる。
さらに言えば、音の透明感と音の厚みが調和しているというのも稀有である。このように分離が良く、透明度の高い純粋な音では、どこか身の薄い音になりがちだが、そういうひろひらして頼りない印象は全然ない。みっちりと身が詰まった美味しいサウンドになっている。

ここでは複数の奏者の間でのインタープレイ、タイム感の微かなズレが眼前に聞こえ見える。何を、どう演っているのか、その全部が当たり前のように聞こえて見えてしまう。
これはバーチャルななにかではなく、オーディオという、もう一つの現実の現れである。
また、定位の良さにも打ちのめされる。微動だにしない楽器やパートの位置関係が、ソースを変えても、そしてなんとリスニングポイントを変えても、乱れることなく安定して提示され続ける。DACがこのような音を実現すること自体が信じがたい。
このように極めて高性能な音でありながら、血の通う温度感の程好さや、音楽の流れの滑らかさ、ビートの小気味良さが至極ヒューマンな要素として随所に現れる。機械的な音響美と人間的な暖かさという矛盾しやすいものが、ここでもまた巧く両立する。

そしてMSB technology Select DACの音は良い意味で無味無臭の音、
ソニックシグネチュアーがない音である。
このクラスの機材は必ずと言ってよいほど、なんらかの音の個性を持つ。GOLDMUNDしかり、Boulderしかり、dcs、CHprecisionしかり。それは音の署名のように、ブラインドで聞いても機材のブランドロゴのイメージを連想させてくれる。
しかし、このDACの出音はまるで無私なものに聞こえる。独自のサインを持たないのだ。
多くの超弩級機の試聴で、このソニックシグネチュアーこそが、オーディオにおける毒や魔を演出しているケースを体験したが、このDACにはそれがない。魔も宿さず、毒を含まぬ音。それでいて、これほどの感興の深まりを得る。ありえないことだ。
MSBのDACを聴くのは実に4回目である。そのうち2回は家で聞き、そのうち1回は自分で買って使ったものだ。(無論、このDACより随分安かったが)それらの経験からすると、MSBがこんな音を作れるとは信じられない。予想外。あの時も確かにソニックシグネチュアーがはっきりしなかったが、それはこのメーカーがそういう自分だけの音の香りを作り出せるレベルに達していないのからだろうと誤解していた。

それにしても、この脳髄に痺れを覚えるほどの恐るべき音の浸透力はなんであろう。ひたひたと音がこちらに押し寄せてきてやまない。季節外れの誰もいないビーチに佇んで南風を受けながら海原を眺めているような気がした瞬間もある。足元に寄せては返す波。目の前にひろがる青い空や蒼い海、遠くに臨む峨峨たる山々。音楽は、その風景の中にある風や水、土のように感じられた。ここには自然物特有の圧倒的な器の大きさのようなもの、あるいは存在の安定感のようなものがある。それらが背景の静寂の奥に明らかに知覚できる、真の意味でナチュラルなリスニングである。これは例えばTechDASのAirForce ONEでのレコード再生にて意識されるあのスタビリティ・包容力にも通じるところがあるが、さらに洗練されたものと聞こえる。

そういう壮大な印象を背景に漂わせるのにも関わらず、実際に聞こえるサウンドステージが必ずしも広大なわけでもないのは面白い。単純に壮大なサウンドステージなどというものこそ絵空事だと言わんばかりだ。このDACはソースごとに適切な空間の広げ方を選択するような仕草する。dcsのVivaldiのように何が何でも巨大な空間、圧倒的なエアボリュウムを引き出すような無理な仕事をしない。
常にその音楽に見合ったサイズのサウンドステージが現れ、その中を旋律が気流のように左右あるいは上下、そして前後に溢れて流れる。このような変化に富んだ音場感の設定は他の機材では体験したことがない。

例えばPlayボタンを押した途端にリスニングルームの空気が入れ替わり、録音現場あるいはコンサートホールにワープするという話はよくある。だがこのDACの音はそういうワンパターンで可愛らしいものではない。
過去がまるごと再現されるだけではなく、音楽的に巧くこなれた形で表現される。なにか美味しい響きが足されたようなところが確かにある。ただそれが、生々しい音の感触を決して邪魔しないのが斬新である。単純な美音には決してならない。そこは熟練の技なのだ。耳を澄ますことが、まるで目を凝らすことになる、そういう即物的な変換能力だけでなく、音楽を意識の流れとして感じられるようにする力、抽象的な変換能力をも十分に有する機材である。

私はオーディオにおけるデジタル技術の本質は、過去に封印され聞けなくなった実演を巧妙な数学的・電気的な誤魔化しで生々しく、さもそこに有るように聞かせる詐術の一種と思っている。だが、このサウンドはそういう姑息な技の領域を超えている。音楽が人間の生み出す芸術であるということへの敬意、つまり高度な音楽性が込められた音になっている。
実際、最近のオーディオは高価になればなるほど、この音楽性が低下するか、ともすれば全く欠けるのだが、このDACはそういう流れからは外れている。
謎かけめいた言い方をすればVivaldiやDSP-01に少なくて、MPS-5やNagra HD-DACに比較的多くあるものが、このSelect DACにはかつてなかったほど横溢しているということである。

さらにこの音を聞き進めると具体的なだけでなく、抽象的な発見にも次々と巡り会う。
リズムが実は絶え間なく緊張と弛緩を繰り返すメロディのようなものだと発見する。
そして、メロディが細かなリズムが滑らかに連なったものであることも発見する。
音の強弱の階調は単に細かくあるべきではなく、美しくなければならないとも知る。
事実、この音の濃淡のコントラストや階調感は私が知る中でも最も豊かで美しい。
音楽ってこんなに美しいんだ。当たり前だが忘れていた感動が胸に迫る。

ところで、ヴィンテージの機材を好んで使う人で、最新のデジタル機材の音をあまり評価しない方を散見するが、そういう方にもこのDACをぜひ聞いていただきたい。これは彼らが嫌う、性能ばかりひけらかして、ふくよかさや渋み、コクの足りない音ではない。これは全方向性に優れたサウンドなのである。どこか懐かしさを感じるような温かくしっとりとした気配成分やいぶし銀の鈍い音の輝きすらも盛り込まれている。試聴しなかったがクラシックのモノラル録音の質素な雰囲気や、突如として現れる荒削りな音像の力強さなども、今まで聞いたことの無いような生々しさと美しさで表現してくれるだろう。最新のデジタル機材の音にスイング感を求めるなら、これが最も確実な選択肢だ。実際、私はウェスタンエレクトリックのスピーカーと、このDACと手合せさせてみたいと心底思ったものだ。それくらいの音が出ている。

強いて、このSelect DACの欠点を挙げるとすれば、まず価格だろう。この価格は私にとっては救いのないものであり、そこを考えると、このDACを評価する気にはなれない。音楽をただ聞くためだけに単体1400万円弱のDACというのは・・・・。よほどカネが余っていなくては、これをスラッと買うという暴挙に至らないだろう。
さらに、このサウンドは完璧過ぎて、他のハイエンドオーディオ機材の存在をすっかりと忘れてしまうことも欠点だろうか。
これを買ったら、その人のオーディオは言葉の綾でなく、“とりあえず”でもなく、いわゆる“ガチ”で終局を迎える。オーディオに一生モノはないと思ってきたが、これは唯一の例外。未来にわたっても他の機材では、これほど優れたサウンドを聞けないかもしれない。


Summary

今夜以降、私はしばらく単体のDACに関するレビューを書けないだろう。
設計者の知識と理性と直感の全てが蕩尽されたとしか思えない、
MSB technology Select DACの
孤高にして普遍の音を堪能したのと引き換えに、
少なくともスピーカーから出て来るデジタルサウンドについて、
云々する意味を感じなくなってしまった。
興味を失った。
勝負はついたのだから、もうゴタゴタ語る必要はない。
全ての問題はこのSelect DACが解決するであろう。
同時に、
なぜ自分が20年以上もオーディオをやってきたのかについても、
よく分かったような気がする。
このSelect DACの音に出会うために、はるばるとやって来たらしい。
その意味では続けてきた甲斐はあったが・・・・・・。

万策堂はこのDACの音を二回聞いている。一回目はDACを意識していなかった。実は今年のオーディオショウで聞いていたのである。そのときはルーメンホワイトを鳴らしていたのだが、聴衆のほとんどの関心はこのスピーカーに向いており、私もそうだった。なんと優れた出音だろう、ルーメンホワイトは随分改良されたな、と思っていた。他の方のブログでもこのデモが良かったというコメントがあったが、アンプやスピーカーの良さにその理由を求めているものがほとんどで、重点的にDACについて語っているものは皆無であった。
二回目は個室でゆっくり聞いた。この時はソナスのリリウムを鳴らしたが、実はこんなに良く歌うスピーカーなんだなと感心した。それまでこのスピーカーの出音に価格なりの価値をあまり感じていなかったから。つまりDACの音があまりにも良いのでどんなスピーカーでも鳴らしてしまうのだろう。ここで、ショウのデモの音の良さの多くはスピーカーでもアンプでもなく、このSelect DACの存在によるところが大きかったと分かった。

私は物凄いサウンドを聞いた瞬間、
思わず笑ってしまうことがよくあった。
それは、今まで聞いていた音、あるいは事前に予想していた出音とあまりにも違って優れているので、それに感心したり、あるいはタカをくくったりしていた自分が阿呆らしくなって笑ってしまうらしい。
だが、MSB technology Select DACを聞いている間は笑うことさえ忘れていた。
今まで聞いてきた、数えきれないほどのサウンドたちが走馬灯のように脳裏を駆け抜けていくのだが、どの経験もこれほどの感動を呼び覚ませないことにすら、驚けない。
驚くことさえ忘れていたというところか。
私はしばらく、ただ呆けたように音楽を聞いていた。

これまでもこのDACと大差ないほど高価な機材を沢山聞いて来た。
また、高価でなくとも素晴らしい音を奏でる機材にも数多く出会った。
だが、これほど奇跡的なサウンドを私に聞かせたモノは今日まで一つもなかった。
これから先に開発され、私の耳に入る、
全てのハイエンドオーディオ機材はデジタル・アナログを問わず、
このサウンドを追いかけて疾走することになる。
それは開発者たちが、このサウンドを知る・知らないに関わらず、
私はそれを意識し、比較するから。
私には、自分がこの先聞くシステムに対して必然的に、
このサウンドに追いつき追い越すことを求めることしかできない。
その追跡が甲斐のあるものとなるのを祈るばかり。

こうして生まれた新たな状況は、私を予想外の不安に陥れた。
それは、先々に聞くであろう、
新出の機材の出音に心底から感動できないのではないかという、
随分とおかしな心配だ。
当面はこの不安、危機を乗り越えることが、
私のオーディオのメインテーマとなるのではないか、
そう覚悟している。
長い旅の途中、
ひょんなことから終着駅に突然たどりついてしまった旅人のような心境なのかもしれない。
次に目指す場所がとりあえず思いつかない。
そして、
なにか今までと根本的に違うオーディオのアプローチをとらなければ、
この周辺で堂々巡りを繰り返すだけだということもはっきり見えてきた。
なにか思い切ったことをしなけりゃいけない。

不幸中の幸いといえば、Select DACが圧倒的に高価なこと。
この値段では、おいそれとはリビングに迎え入れることはできまい。
もっとも、こいつが本当に来てしまえば、
私のオーディオは確実に終わってしまいそうだから、それでいいのだが。
出ない方がいい答えもあるということ。
解決せざるをもって解決とする方が良いこともある。

オーディオはやはり旅だ。
動き回らない、感覚と心の一人旅である。
安住の地を見つけ、さすらうことを止めた瞬間に
オーディオが終わってしまうなら
私がこの放浪を止めてしまうことはなさそうだ。
「旅立つ勇気があるなら、
そのための理由はどこにでも転がっているはず。」
80歳を過ぎてから、イギリスの客船に乗り込んで地球を一周した、
男勝りで旅好きの祖母の口癖を思い出した。

私は最果ての地の美しい風景の中に、
旅を終わらせないための動機、
新しい旅へのきっかけを追い求める。
かつてあった重要な出会いと同じく、
この苦くて甘い邂逅も、おそらくは運命。
だが、交わした覚えのない約束を果せと言われても、
そのために、この旅を終わらせるわけにはいかない。
失われた記憶のような心の空白はまだ埋まってはいない。
幸いにも。
今はまだ、それを埋める時ではない。

ここではないどこかへ。
私は白い息の中に、そう呟いて
霧にかすむ音の水平線に向かい、
静かの海を一人漕いでゆこうとしている。
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# by pansakuu | 2015-11-05 21:38 | オーディオ機器

Big Wave:2015年秋のヘッドホン祭りについての私的インプレッション:第二部


前回からの続き・・・・・・。

discussion
ここからは現在までのところ私が実物を聞いた全てのヘッドホンの中から、私が選んだ、いくつかの優れた製品について比較コメントしてみたい。(写真はいくつかのHPから拝借いたしました。どうもありがとうございます。)
なお、前置きで書くべきだったのかもしれないが、ここではイヤホンについては言及しない。イヤホンはコンパクトで持ち運びが簡単、ほぼどこでも音楽が聴けるし、最近の製品は種類も多く、音質も一昔前とは全く比較にならないほど向上し、話題性も人気もすこぶる高い。さらに言えば価格も高騰している。しかしまだ優れた据え置きアンプで鳴らす、リファレンスクラスのヘッドホンのサウンドのレベルには届いていない。音の絶対値が私が評価したいレベルにあるものがほとんどない。具体的にはスケール感や力強さ、音の深みが足りない。
逆に言えば、ヘッドホンとヘッドホンアンプは近年、長足の進歩を遂げており、適切なセッティングがあれば、スピーカーオーディオでは決して得られない独自の深みを持った小宇宙が展開する。これはスピーカーオーディオにのみ没頭するクラシカルなオーディオファイルには、まだほとんど知られていない世界だ。
そういうわけで、イヤホン・ヘッドホン界で誠実に高音質のみを求めるなら、イヤホンではなく、自然とハイエンドヘッドホンに落ち着くはずだ。それに、このジャンルには今、ビッグウエーブが来ているから、それに乗らない法もない。本当に旬の音がここにあり、根本的な変化のない退屈なスピーカーサウンドを私の中で駆逐しつつある。

まず密閉型か開放型かという問題であるが、一般的に言えば開放型の方が高音質が得やすいのはほぼ間違いないだろう。旗艦機は開放型、というメーカーが多数派であるのは偶然ではない。しかし、ヘッドホンを使う大きな目的の一つとして、ヘッドホン自体がまき散らす音、あるいは周囲の騒音を聞かせない・聞かないで済ませるということがあり、そのためには密閉型が理想。これはジレンマである。この矛盾は解決できていないが、優れた密閉型ヘッドホンを作る努力が少しずつ実りつつある。それがTH900やSonorousⅩ、Ether Cである。
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密閉型で優れたヘッドホンとして、これまでは密閉型のハイエンドスタンダードたるFostex TH900を筆頭にコンパクトで軽いが侮れない音質のEdition5、先鋭的な音を聞かせる唯一無二のEdition9、オークションで常に高値をつけるディスコンのSTAX4070などがあった。そこにSonorousⅩ・ⅧやEther Cが参入しTH900の独走態勢を崩すかに見える。だが、TH900の音の個性、音作りの巧さ、ひいては外観の美しさなど、総合的な視点からは、より高額な新規参入者をもなかなか寄せ付けない。SonorousⅩはTH900より威厳ある深い音を持つが、音の個性がやや強く、装着感も重すぎ、価格もTH900に比して高すぎる。SonorousⅧに至ってはTH900より高価だが、TH900ほどの品格のある音ではない。一方、Ether Cは音質の一部においてTH900より勝るかも。特に音場の拡大や定位の向上、高域の繊細な質感の向上などは密閉型としては斬新。だがTH900がサウンド全般で劣るとは思えない。またEther Cは音質はもちろん、装着感も含めてSTAX4070を明らかに超えるギアである。オークションで4070をプレミアをつけてまで争う必要はなくなるだろう。Edition5はポータブルなヘッドホンとしては音質・外観の美しさ・軽さなどを考慮すると間違いなく最高の製品だろうが、TH900、Ether Cほど音質の絶対値は高くない。
こうして見ると、このジャンルは定番のTH900と新参のEther Cが密閉型のトップモデルの両輪として、最前列を走ることになりそうだ。
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なお、今回、ローゼンクランツで改造したEdition9を聴く機会が偶然あった。都合により詳しくは述べられないが、この改造された密閉型ヘッドホンはEdition9特有のキツさがなく、これなら使ってみたいと思った。DMaaもそうだが、カスタム品の音の良さも気になる存在になってきている。そもそもリケーブルというのが、この改造にあたるのだから、この動きは今に始まったことではない。まだ、このようなカスタムを請け負う業者は少ないが、レアなヘッドホン、あるいは自分だけのカスタムサウンドが手に入ることは魅力的だ。ヘッドホン本体のカスタムも将来、ヘッドホンの楽しみ方の一つとして一般化してくるのかもしれない。

リファレンスヘッドホンの主戦場である、開放型ヘッドホンというジャンルについては、評価がなかなか難しい。音質のみを考えるとLCD-4が、今まで聞いた全てのヘッドホンの中で最優秀。音質については文句がつけにくい。この製品は平面駆動型・ダイナミック型の音の特徴を兼ね備えたうえ、正確さと音楽性までも両立させるという離れ業を成し遂げた。音質だけだと、このヘッドホンはエポックメイキングなものである。ただしあまりにも重たく、頭に装着するギアとして落第点に近い。だから悩む。LCD-4を聴くまでは開放型ヘッドホンの最高位は、先行して出ていたHE1000だと考えていた。こちらは音だけでなく装着感もいい。音場の広がりやヌケの良さは飛び抜けている。ただ、音の陰影感や密度、重たさが十分に出ないところに着目すれば、従来の平面駆動型の範疇を未だ出ていないし、駆動するアンプを厳しく選ぶという問題はある。それらの欠点はLCD-4では払拭されたが、トレードオフで重たくなったということである。
MrSpeakers Etherは価格を含めた全体を見渡してもLCD-4やHE1000のような、はっきりした問題がなく、価格上でもそれらに比べると安いことから総合的には最もお薦めできるモデルである。ただし最高の音質を得たいと思った場合には、まず明らかにサウンドで勝るLCD-4があるし、HE1000も十分にドライブできさえすればLCD-4に匹敵する可能性を残しているため、安易な導入に躊躇する。
HE1000とEtherの比較は大変難しい。これらは違うサウンドなのだが、どう違うか表現しにくい。ただ、適切なアンプをあてた場合の空間性の表現ではHE1000にアドバンテージがあるのは確かである。そこに判断のウェイトを置けば、どちらを買うかは自然と決まる。
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これら3つの開放型の新製品のうち特に、LCD-4とHE1000はユニコーンガンダムに出て来るニュータイプ専用のモビルスーツ(ユニコーンやバンシィ)のような、音以外の要素も含めた製品全体のバランスのどこかが悪いが、使い方さえ誤らなければ、圧倒的な音質を誇るモデルである。LCD-4などは音質一点突破主義というか、他のヘッドホンを瞬殺するようなところさえある。それらに比べると、装着感が良く、素直で聞き易い高音質だが、アンプを限る定番モデルのSR009、デザインはユニークだが、音はそこそこで装着感最悪のJPS labs Abyssなどは、同じ駆動方式でも注目を浴びなくなるだろう。今回の祭りの後では、T1やHD800、Edition10、SR009、そして最近出たMaster1も含め、それらは従来のハイエンドモデル、一世代前の製品という位置付けになってしまった。これはザクとかジムほど昔のものではないが、キュベレイとかギラ・ドーガ、Hi-νガンダムあたりの位置にある。もうそれらは最先端をゆくヘッドホンではなくなったのである。ここに挙げた3つの開放型の新製品はこれらのヘッドホンの音を研究して、それらを超えるために作られたのだろうから当然と言えば当然である。ヘッドホン界全体に世代交代の波が来ている。

他方、開放型、密閉型問わず、がむしゃらに最高・最先端の音質を求めるのではなく、音や装着感の安定感、安心感を求めるという向きもある。ロングセラー製品が持つ信頼感を尊重したいという人もいる。そういう方向性なら、もう一つのグループであるHD800s、beyerdynamic T1 2nd generationのマイナーチェンジ組に加えて、定番化しつつあるAKG K812あるいはHD650・HD600 (Golden era) Dmaaを求めると良い。これらはガンダムで言えばジェスタやリゼルのようなものだろう。またHD650・HD600 Golden era Dmaaついては(作品は違うが)スコープドックのターボカスタムのようなイメージが万策堂にはある。もっとプロの道具としての渋みが深く沁みついているからだ。いかんせんMrSpeakers Ether、LCD-4、HE1000は最新の製品だけに多くのユーザーの評価で揉まれていないことがあり、まだまだ信用がない。このようなまだ湯気が立つようなニューモデルは、自分のモノにしてから聴き込むと思いがけず、すぐ飽きてしまったりすることもあるから要注意だ。個人的にはそういう華々しさとは対照的なHD800sの、あえて地味だが着実・質実剛健な音の進化が気になる。
なお、Dharma D1000は最先端で独創的な技術から、どのようなソースも普通に処理する安心感が出てきたという珍しいモデルである。ここに挙げた二つのグループの中間的位置付けにあるヘッドホンであり、そういう見方をすれば今回聞けたものの中では、一番ユニークな製品かもしれない。また、こういうオーディオのインフレ時代にあっては価格もこなれているので、これもお薦めである。

今回の祭りは平面駆動型の活躍が目立っていた。ヘッドホンについては、静電型・平面駆動型とダイナミック型という区別が従来からあるが、今回の祭りを見ていると、これは意味を失いつつあるジャンル分けだろうと思ったりする。Dharma D1000はそれらのハイブリッドであるということもあるし、LCD-4は平面駆動型ながらダイナミック型に近い音を出せる。STAXのSR009が静電型・平面駆動型のサウンドの典型を決めたところがあり、このサウンドの延長上にHE1000があるのだが、すでに様々なヘッドホンサウンドの方向性は様々に分岐したり融合したりする傾向にある。発音方式で囲い込まず、まず出音を確かめる必要がある。

とにかく現代はヘッドホンの選択肢が、史上最も豊富な時代である。どういうポリシーをもって選んでも、一昔前とは隔絶した満足感が得られる。もちろん、それは後述するヘッドホンアンプに十分な投資をして初めて得られるものだ。
私のヘッドホン選びの視点は特別なことは何もない。まずは音質、その次に外観や装着感、そして製品全体としての信頼感である。それからヘッドホンアンプとのマッチングも重要な要素である。さらに他人がもっていないヘッドホンを使う喜びも無視できない。もっと言えば単純に高価で高性能なのではなく、速くて強い時代の潮流に押し流されないロングセラー・定番としての存在感も忘れたくない。
これら全部のファクターを総合して考えた結果、HD650・600 Golden Era DMaaに今の所は落ち着いているのだが、もう一つ敢えて買うなら、HD800sになるのかもしれない。またHP-V8を買ったらTH900 Mk2は必須だろう。それからTHA2がもし手元に来たらHE1000を合わせたいという気分もある。LCD-4は重さで却下か。いやいや、まだなにも決めていないが、色々と算段はしている。

Headphone AMP
次にこれらのヘッドホンと対を成すであろうヘッドホンアンプについても述べたい。このクラスのヘッドホンは全て適切なアンプ、多くは据え置き型のアンプで鳴らされる必要がある。十分なドライブ力がないとその音質は開花しないし、そもそもイヤホンに比べて大きくて重いので視覚的な釣り合いが取れない。この二日間で多くのヘッドホンアンプを聞いたが、OJI Special BDI-DC24A-R Extream、Re Leaf E1、GOLDMUND THA2、Fostex HP-V8、マス工房Model394あたりが今のところ最強の製品群と思う。
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なお、これらに匹敵するものは少ないだろうが、他にもRSAのDark star(個性的だが素晴らしい)、Questyle CMA800R(これも実はかなりいい)、G ride audio GEM-1(まだ入手が不可能になったわけではない)、Cavalli Liquid Goldは気になるし、Cembalo audio Spring1、 Viva audio Egoista、Crayon audio CHA-1、Bryston BHA-1など未聴のヘッドホンアンプはいくつもあるから、まだランキングを確定することはできない。これらを全て一度に聞いてみたいのは山々だが、問題が多い。例えばPSE法は高い壁である。
次に、音質以外の点も評価すべきだろう。例えばOJI BDI-DC24A-R Extream、Fostex HP-V8、マス工房Model394などは、別途DACなどの送り出しが必要となる。ということは新たなコンセント、高性能なインターコネクトケーブル、DACの置き場所も必要になるということである。それは大きな負担だし、音質を劣化させる要因を増やすことになる。
これに関連して、私が最近思うのはDACとヘッドホンアンプの間の伝送での音質の劣化はとても大きいということである。良質なDACとHPAをミリ単位の距離で結線すると新しい世界が見える。これはRe Leaf E1で教えられ、THA2でも確定した事実である。DACを内蔵した方が音質上は有利だし、そもそもコンパクトである。会場にRe Leaf E1を自前で持ち込んだ方が私以外にも居て驚いたが、OJIやFostexではそれは難しい。
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既述した最強アンプ群の奏でる音の中で今回私が最も感銘を受けたのはTHA2のサウンドであった。しかもそれはUSB入力のハイレゾデータでなく、CDトランスポートからの同軸入力、16bit, 44.1KHzのデジタル信号によるサウンドだった。Re Leaf E1にはこの入力がないため、試せていなかった。このデジタル入力の44.1KHzのデータによるサウンドは強烈な実体感と、ヘッドホンオーディオにおいては類例のないほど広大な空間性を兼ね備えるところが素晴らしい。ムンドらしさを排したフラットでクセのない、一聴してごく普通の音。だがなんという深遠な音だろうか。Re Leaf E1xを試聴して以来、久しぶりに新たなヘッドホンサウンドの深まりを感じた時間であった。これなら、そろそろ退屈になってきたスピーカーサウンドはしばらく休んでもいいだろうとさえ思った。欠点は硬すぎるボリュウムの感触ぐらいだろう。手持ちのアンプとの比較を言えば、Re Leaf E1xは音場が向こう側に深く展開するが、BINモードのTHA2は左右にかなり広く展開する。ムンドのアンプは音楽性が高いのに無味無臭で平明なサンドであり、頭内定位も極少である。非常にリアルな音像描写でやや乾いた触感。音像の精密さが際立つ。それにしてもムンドのソニック シグネチュアが全くフラッシュバックしないのは意外であった。ゴールドムンドのサウンドも変化しているのだ。
音場の深さや透明感、音像の持つ繊細な情緒、音と音との有機的なつながりはRe Leaf E1xが勝るが、音場の壮大な広がりと音の力強さ・余裕はTHA2である。
これらは甲乙つけがたく並び立つ、2つのトップ・オブ・ザ・トップのヘッドホン サウンドということになる。
THA2は標準ジャックしか出力がなく、バランス接続が試せないのは気になるが、HD800で聞くかぎり、あえてバランス接続にする必要は感じなかったのが進化だ。先代はそれが気になったモデルだった。HE1000やLCD-4が、このアンプによるドライブでどんな音を出すのか、とても興味がある。
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またHP-V8は上記の2製品と全く違った方向を志向していた。入ってくる音楽信号に忠実であらんとするだけでなく、より美しくして聞かせるアンプなのだ。音の滑らかさ、華やかさ、芳醇さに酔う。特にクラシックはロマンティックな響きがある。視覚的にはレンブラントの絵に出て来る黄金の兜やアクセサリーの描写を思う。闇の中に煌めく金色の輝きが音楽の中に見えるようだ。また録音現場の暗騒音やマスターテープのヒスノイズがよく聞こえるほどSNが良い。音のキレもよく、低域の伸び、解像度も高い。チャンネルセパレーションも製品版では改善され、広い音場が得られる。音楽の意味や演奏者の感興が、神経を決して逆撫でしない形でしっかりと伝わる。どんな音楽をかけても音が曲想に馴染んで、唐突さがない。これは真空管が醸し出す美酒のようなサウンドである。唯一無二。
ただHP-V8はその特異なサウンドから、純正であるTH900以外にマッチングが良い製品があるのかどうかが危ぶまれる。上手くいくか分からないが、Sonorous XやLCD-4を合わせたらどんなサウンドになるか、試してみたい気分はあるが・・・・・。

こうして、これらのマイナーで高価だが実力が極めて高い3つの新製品を前にすると、OJIやマス工房の製品はやはり一世代前の造作、サウンドに感じられる節はある。
HPAの出音についてはDACとHPAの間の情報の欠落に、かなり敏感なものと述べた。そこでの情報のロスが最小なうえ、コンパクトなTHA2やE1が発売されている状況で、アンプ選びはどうあるべきか?至極真っ当なアンプだが、DACに悩まなくてはならないこと、またHP-V8の斬新なサウンドに比べて、既に親しんでいる音であることなどを考えると、OJIやマス工房を私は敢えて選ばないかもしれない。
つまりDACつきのHPAはいろいろと有利な点が多いし、また真空管で奏でられる唯一無二のサウンドにも強く惹かれるということだ。
マス工房、OJIだけでなく、Dark StarあるいはLiquid Goldなんかを触って聴いても思うのだが、これらはやはり筐体デザイン・音質向上のための回路や電源のコンセプト全体がマンネリズムに陥っているところがある。やっていることの基本は、ずっと前からある手口、すなわちスピーカー用のハイエンドアンプに用いられた手法とほぼ同じであり、新味がない。近年、スピーカー用のアンプとしてはDevialetやLINNのトータルシステムが現れ、好き嫌いは別として、そのユニークなカタチとアイデアで存在感を出している。では、ヘッドホンアンプはどうか?
私がRe LeafやGoldmundの製品に着目するのは高価だからではないし、そのサウンドやハイエンド魂に動かされるからだけでもない。製品のコンセプト自体に新しい・エキゾティツクなチャレンジを感じるからなのである。
またReLeafやTHA2、HP-V8などのヘッドホン専用の高額機材を聞いた後では、NAGRA HD DACやCHORD DAVEのような、DACの能力はかなり優れていてもヘッドホンアンプ部が比較的弱いタイプの製品には、私個人は食指が動かなくなってしまった。やはりHD DACやDAVEはスピーカーで使うことも視野に入れて購入計画を練るのが基本だろうと考え方を修正する。


Postscript
最後に今回の祭りを回って気になった幾つかのポイントについてランダムにCommentする。
・NewOPTがポータブルDAPのUSB端子に挿して使う外部電源を参考出品していた。相変わらず美しい青パネルの綺麗な筐体を持つ電源で、つなぐと音が繊細かつダイナミックに変化する。AK240やAK380などに繋いで使うことを想定しているようだ。

・KORGが開発した世界初のデジタルフォノイコライザーDS-DAC-10R。主にDSD録音機能を謳っていたが、リアルタイムでプチプチノイズを消すなどの機能がついたら凄いことになりそうだ。デジタルフォノイコはありそうでなかった製品。アナログオーディオの世界の風景を大きく変える可能性を秘めたモノである。ただし、リアルタイム再生の出音などはどうもデジタルチックで即物的な感じがした。電源などまだまだ検討すべきことはあるだろう。だが、とりあえずこれを製品化したことの意義は大きい。正直、Hugoの後出しジャンケンのようなMojoなんかよりもインパクトが大きかった。(Hugo出す前にMojo出してくださいね。)

・会場に来るべきだったのに来ていなかった機材がいくつかある。Fostex HP-V8、Audio technica AT-HA5050H、IODATA Fidataあたりがそうである。Fostex HP-V8は二子玉川でヒマをしていたので、その隙を衝いて一時間ほど占有させていただいた。IODATA Fidataは音展で詳しく聞いた。SSDモデルはN1Zとほぼ同等の音質を誇り、それでいてかなり安い。明らかにお買い得である。これをヘッドホンシステムの送り出しとして使うのはアリだったと思うので残念だった。そして今回はヴァル・ヴァロのような役回りになってしまったAudio technica AT-HA5050H。E1やTHA2と轡(くつわ)を並べることは叶わなかった。ケリィ、遅れをとったな、というわけだが、冗談はともかく一体こいつはなぜ来なかったのか?海外のショウでは出ていたのに。テクニカのブースは目立った新製品がなかったこともあり、なぜあえてアレを出さないのかが実に不可解。 しかし、私はいつまでも待つぞ!とでも呟いておこう。

・多くのブースが、入場してきた試聴者がポータブルのデジタルオーディオプレイヤーを持って来ていることを半ば前提としたデモをしていた。そういうモノを持ち歩かないことをポリシーとしている少数派?の私はおおいに困惑させられた。わざわざ半年に一回の機会に出て来るのだから、送り出し、アンプ、イヤホン・ヘッドホンに適切な製品を選び、一通り完成したシステムセッテイングで出していただきたい。イヤホン・ヘッドホンとはいえ最適なトータルシステムで提案して欲しいのだ。いくつかのブースでは二日間、そのような試聴環境が十分に整わないままであった。
また自分が一体どれくらい贅沢な嗜好品を売ろうとしているのかを、買う側の立場に立って考えるべきだと思ったケースもある。例えばある高価で重いヘッドホンを紹介するブースではポータブルの小さなDAPでしかデモがなかった。これほどのヘッドホンを買う人は、まずそれなりに高級な据え置きのヘッドホンアンプを使うことだろう。こんな小さなDAPでも鳴らせるというデモはあってよいが、なぜ強力な駆動力のある据え置きアンプも用意しないのか?この高価なヘッドホンの本気モードがどれほどなのか、誰もが知りたかったにちがいないのに。これに似た不可解、いや無理解は、いくつかのブースで見られた。
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・開放型のヘッドホンは周囲の雑音に影響されやすいので、できれば椅子の両側に投票所で見られるような衝立が欲しい。まわりでやっている立ち話が聞こえにくくなっていい。その衝立が透明なら、会場の見通しも妨げないだろう。私は騒音の少ない二日目の夕方にも精力的に回って出音を確かめた。この時間帯は待たないし、穴場だ。機材のヒートアップやエージングが進んでいることもある。だがそんなことせずとも少しばかり工夫すれば、一日目の午前から、いい音で聞けたはずだ。また衝立があると次に順番を待っているのが誰なのか、傍から見て分かりやすいこともある。衝立に囲まれた空間のすぐ後ろに列ができるようになるだろうから。ヘッドホンが複数あると誰がどれを聞こうとしてブースの前にいるのかわかりにくくなる。

無意味な苦言はともかく、なにはともあれ、本当にヘッドホン・イヤホンオーディオのBig Waveが来ているのだから、このイベントをやり遂げるしかなかった。こうして祭りが終わって、真夜中の夜風にあたっていると、ヘッドフォニアとして思うところがある。今回のイベントは私的オーディオの大きな転換点となるだろう。とりあえず、自分の経験で養った直感を信じて、新しい方向へ万策堂は踏み出すつもりだ。耐え難くも甘い、新たな時代の始まりである。

# by pansakuu | 2015-11-01 12:52 | オーディオ機器

Big Wave:2015年秋のヘッドホン祭りについての私的インプレッション:第一部


十傑集がその気になれば・・・
by白昼の残月


Introduction

2015年・秋のヘッドホン祭りほど話題の多かった祭りは、かつてなかったような気がする。聞くべきものが今回はとても多かった。
いままでこれほど長く会場に居た記憶もない。二日間、合計で約12時間弱、会場をうろついていた。万策堂が実際に買うのはハイエンドヘッドホン関係の機材に限られるので、それだけ聞きに行けば良かったのだが、一回聞いて終わりというものは少なかったので、それらを全部聞き終えるだけでもかなりの時間を要した。今回は多くのヘッドホンメーカーあるいはアンプメーカーのフラッグシップ機がバタバタと更新され、それら全てを十分に試聴するのに大変骨が折れた。出品物はどれも力作揃いで、いつもの祭りの倍以上の時間をかけ、あるいは時間を分けて、ひとつひとつを詳しく聞いた。というか、聞かざるをえなかった。勿論、イヤホンについても目ぼしいものは聞いたので、さらに時間が伸びた。さらなる疲れの要因として、重要なヘッドホンアンプが何故か会場に来ず、という事態がある。例えば二子玉川なんぞに引っ込んでいたアンプもある。記憶が薄れないうち、ほぼ同時試聴して比較する意味で、会期中にそこにも出向いた。何故、中野まで運んで下さらなかったのか?そのせいで私はますます疲労困憊したのである。まるで台風の大波の中でサーフィンをしたような気分だった。とはいえ本当にヘッドホン・イヤホンオーディオのBig Waveが来ているのだから、やるしかなかった。

こうして私にとって大切で大変な祭りが終って、私がマークしたフラッグシップクラスのヘッドホンは計8機種であったが、間違いなく自分が買うだろうと言えるようなものは残念なことに1つもなかった。全ての機種のどこかに買わない理由がある。その中でも全ての点において最も上手くバランスが取れていたMrSpeakers Etherでさえ、買うかどうかはあやふやである。それはLCD-4があるからなのだが、理屈については後に詳しく述べたいと思う。

ここでは、まずこれらの旗艦格のヘッドホンについて簡潔に、独断と偏見に満ちたインプレッションを並べよう。次にジャンルごとに比較してテキトーに論じてみたうえ、対になる可能性のあるGOLDMUND THA2とRe Leaf E1、FostexHP-V8などのハイエンドヘッドホンアンプの比較インプレッションを簡単に述べよう。そして全体の感想を述べて締めくくるつもりだ。長くなるので二部構成になる。
(写真はいくつかのHPから拝借いたしました。どうもありがとうございます。)


Exterior , feeling and sound
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1.Sennheiser HD800s
外観:
一見するとHD800を黒く塗っただけの色違いバージョンにしか見えない。だが良く見ると、部品のエッジの立ち方が若干パリッとしているように見え、形は同じだが、新たな金型を使って部品が製作されているようである。精悍な印象であり、黒いヘッドホンアンプに合わせたくなる。内部構造は新規の部品によりダンピングが強化されて、特性が改善されているとのことだが、外観や重さに明らかな変化はないようだ。
装着感はHD800とほぼ同様であり、区別できない。ハイエンドヘッドホンの中では一、二を争う装着の良さである。音漏れは前モデルと同様で大きい。

音質:
一聴すると、HD800の特徴である聴空間の広さが僅かに失われ、音場が若干狭まったように感じられる。だが、HD800の音場の広さというのはHD800のハウジングの構造や材質、容量によって、演出されていたところがある。これは同じ音源を、優秀なヘッドホンアンプを用いて多くのヘッドホンで鳴らすと分かる。この演出の一部が巧妙なダンピングにより消えた、あるいは控え目になってより素の音に近くなったのだと思われる。結果的に音像の定位が良くなり、音のエッジはクッキリして全体を把握しやすくなった。高域がしっかりして厚みが出ており、中域・低域も音の密度が若干上がっている。どこかDMaaのチューニングを連想させる音。いわゆる空間型の出音からやや音像型にシフトした印象。もっとも型番を900にするほどの変化ではなく、マイナーチェンジであり、これで販売価格が大幅に高くなると購買意欲は失せる。
また、従来のHD800が不要になることはなく、音楽の音作りや曲想に合わせてHD800とHD800sを使い分けてもいいように思う。
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2.Audeze LCD-4
外観:
ミステリアスだ。ヘッドバンドはカーボン製になり、ハウジングは一部メッキがかかっている。また、ヒンジの部分にロゴが入っている。依然としてややモッサリして野暮ったいように見えるが、どこか只者でない鋭さも感じる。形全体には先代モデルたちと比べて大きな変更はないが、少しピカピカしてスペシャルモデルであることを演出しているようにも思う。
装着感については重すぎるとしか。カーボンパーツを使っていながら、この重量は何だい?イヤーパッドは分厚く、頭部のサポートも改善されているが、如何せん、こんなに重いと聞く前に落第点を付けたくなる。1.5テスラのネオジウム磁石を載せたせいなのか?側圧も、ちと強いが、この重さではそうでもしないと保持できないだろう。毎日、数時間連続してこれを使うと頭頚部の筋肉の疲労が大きく、整形外科的な問題が起こることは間違いない。sonorous Xについても言えることだが、ヘッドホンは服や帽子のように身に着けて使う道具なので、この部分が完備していないと、音がいくら良くてもダメだと思うことがある。

音質:
およそ今まで聞いたどのヘッドホンよりも充実した出音である。これは平面駆動型らしい繊細で透明感のある中高域にダイナミック型に類似した力強く緻密な中低域が合わさって、いままで聞いたことの無いような優れたサウンドが得られている。帯域バランスはほとんどフラットに近いか?若干、中低域にウエイトが乗っているか?こんなにたいそうなヘッドホンだが、意外にも小さなポータブルのデジタルオーディオプレーヤーで十分に駆動できる。折角なので、もう少し駆動力のある適切なアンプを充てるとさらに躍動感のある闊達なサウンドが得られた。1.5テスラのネオジウムマグネットの威力なのか、この方式ではありえない音の力強さがありながら、精彩感も横溢している。しかも音に濃密な味わいさえもプラスされている。平面駆動型のヘッドホンに常に足りないと思ってきたものがだいたい補完されている。ダイナミック型の高テスラを誇るドライバーを搭載するヘッドホンでもこれほど躍動的で濃密にはなかなかならないだろう。基本的に大変にリッチな音楽性のある音でありながら、解像度やダイナックレンジ、空間性などの基本的な音質の評価項目を高いレベルでバランス良く満たす。従来のLCDシリーズはどのモデルもどこかにクセがあった。高域が伸びない、中低域がファットだ、中域の密度がこのモデルだけ低いなど。しかしLCD-4はどちらかというとクセの少ないフラットな出音で、音を盛る傾向は少ない。今までハウジングの材質もコロコロ変わって、どれがいいのか分かってないようだった。今回は硬くて重い黒檀に落ち着いた。聞くところによれば、最近まで意外な人がAudezeのサウンドアドバイザーをやっていて、その人のアドバイスで音が良くなってきたという噂だが、どうなのか。とにかく極めて高価格だが、その価格が納得できる音。それだけに、この装着感は惜しい限りだ。他機との比較については後で述べるが、結論を言えばHE1000を焦って買わなくて良かった。
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3.HiFiMAN HE1000・EditionX
外観:
洗練された美しい局面で構成されたハウジングであり、ウッドとアルミのハイブリッドである。仕上げに日本製の高級品のような精密さがやや少ないが、全体のデザインやヘアライン仕上げは悪くない。
装着感は軽くもないが、重たいということはなく、合格点。長時間の使用に十分耐えるだろう。
例えば、このジャンルの先行製品の一つであるJPS Labs Abyssと比べるとはるかによく出来ている。
SR009と似た装着感である。

音質:
LCD-4がなければトップのサウンドであったはずだ。音質で比較して先行のAbyssやSR009よりも優れている。ヌケが良く空間性を強く感じる音であり、その広大な空間の中を音楽が爽やかな風のように吹き抜けてゆく。解像度は高いが軽い低域、明るく澄んだ中域、スッキリと伸びきるスマートな高域。全帯域はバランス良く分布して、強調される部分がない。総じて破綻のない美音だが、全体にやや明るく、音が軽すぎる。例えば悲壮感や憂いを伴う音楽、重いビートが連続する音楽に合わない。LCD-4はこのような曲に十分に対応する。それからEtherにもある程度言えるが、音圧感がこのヘッドホンでは全く分からない。音圧も音楽情報の一部なので、これが感じられないのは困る。またHE1000はドライブするアンプが限られる。正直、聞いている私の中では、どんなアンプをつないだにしても、こいつの実力は本当にこれだけなのか?という疑問がいつもある。最近MOON Neo 430HAで聞いてみたが、音量は十分に取れるものの、音量を上げると、音が硬くなってしまう。やはりTHA2につないで聞いてから評価を考えたいところはある。一方のLCD-4は恐らくアンプはそれほど選ばない。とにかくHE1000を十全に駆動する最適なゲイン、パワーをもつHPAが必要であることは、大きな欠点。

なお、同時に出ていたセカンドモデルのHiFiMAN EditionXの外観は黒いHE1000というところ。ピアノブラックのようなツヤありの仕上げが全面になされている。とてもエレガント。装着感はHE1000とほぼ同様だが、音質はジュニア機のそれで、僅かに音場が狭くなり、音像の描写もやや甘くなる。HE1000より駆動しやすいようで、同じアンプでもEditionXの方が音量が取りやすかった。これなら大抵のアンプできちんと聞けるだろう。音質を取るか、価格・駆動しやすさを取るかだが、音質で勝るLCD-4がある以上、音質を優先して駆動のしやすさ犠牲にしたHE1000より、むしろEdition Xの方がお得感があるかもしれない。
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4.MrSpeakers Ether
外観:
HD800sや後述のDharmaのように洗練されたデザインではない。やや武骨でカラーセンスが良くない。普通の金物屋にありそうな特殊な印象のない金網のようなもので覆われたハウジングの外側。サイドの簡潔な円筒形の形やレッドリムにも美しさまでは感じない。ツヤありの塗装がされてはいるが、質感は全体にやや雑にも感じた。ただしケーブルのコネクターはしっかりしていて好感が持てる。その部分はMaster1などとはかなりの違いだ。装着感も悪くない。軽くもなく重くもないが頭にかけた時のバランスは良い。デザインでなく音質で勝負、機械的な耐久性も高そうな実用本位のアメリカ製品なのだろう。

音質:
欠点が少ない。全ての音質要素がバランス良く配合された落ち着きのある音。見通しが良く繊細であり、低域を中心に音の輪郭がキッチリと描けていて、曖昧さはない。ハウジング内で音が散らず、音場はHE1000ほど広大でないが、自然な広がりを聞かせる。いくつかのアンプで聞いてみると各パートの分離が良く、音が決してダマにならないことにも気付いた。やや美音系に傾くがモニター用ヘッドホンのような正確さもなくはない。平面駆動型の長所である、音のアタックがキツくならない美点も強調されているが、音楽の躍動を過不足なく伝えてくれもするし。平面駆動型にありがちな単純にサラサラした気持ちのよい透明な音に終始しない。多彩な魅力を持つ。これはSR009を代表とする従来の平面駆動タイプのサウンドの最高位に位置する。だが、残念にもHE1000やLCD-4のように、その枠を完全に飛び超えるような音までにはなっていない。
ただし、その価格を考え、駆動のしやすさ、アンプを選ばないことまで考えると全体としては新参のHE1000やLCD-4、そして定番のSR009に勝るかもしれない。
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5.MrSpeakers Ether C:
外観:
複雑な形状のカーボン製のハウジングを持つヘッドホン。カーボンハウジングは高価で特殊なため、音に効くと考えられても、実現させたメーカーはほとんどない。それをやり遂げたことには拍手。だが、このハウジングは磨きがやや足りず、カーボン繊維の持つ美しさが十分に出ていなかった。どうせやるなら、もう少し高くなってもいいので、このカーボンハウジングをさらにブラッシュアップするべきだろう。(エルメスのカーボントランクやカーボン製のベアブリックなんかを見ると仕上げの良し悪しが分かるようになる。)
装着感はEtherとほぼ同様で問題ない。当然ながら音漏れはEtherよりもかなり少ない。

音質:
Etherを聞いた後に聞くと、当たり前だが、やや籠って聞こえる。音場はEtherより明らかに狭く感じられるが、密閉型のライバルであるTH900やEdition5と同等の以上の広さは確保している。一般にカーボンを使った製品には独特の音の個性が端々に聞かれると思う。すなわちカーボンを多用すると、音が整理され、背景の静けさが増す。サウンド全体がフラットで重厚になるが、躍動感が若干削がれ、音が跳ねなくなる。まさにEther CはEther の音に上記の修飾を加えたような音である。好みの問題ではあるが、私はこのサウンドをあまり面白いとは思わなかった。特に躍動感がEtherはもちろん、今までの密閉型のキングたるTH900に及ばないように思ったからだ。私が経験上、カーボン製の製品の音を好まない傾向があるにしてもTH900の方が音のまとめ方が少しだけ上手く行っているように思う。
EtherとEther C。
この二卵性双生児のようなヘッドホンを聴き比べると、密閉型で開放型を超えるような音質を得ることの難しさを思う。ハイエンドのヘッドホンは明らかに開放型が多いのだが、それは音場感の点で圧倒的に有利であり、ハウジングの影響が少ないため音もまとめやすく、また製造コストも開放型の方が材料費を低くできるからだろうか。何にしても、MrSpeakersはこの二機種をほぼ同価格で出したことは注目に値するし、STAXの密閉型4070亡き後、新たな平面駆動式の密閉型を渇望しているファンの要求に答えたことは敬意を表するべき。
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6.Final audio design SonorousⅩ
外観:
鏡面仕上げの金銀のコンビがデザインのハイライトだ。煌びやかなエクステリアであり、大変目立つ。部品のエッジが立っているように見えるが手を切るような雑な仕上げは皆無で流石の工作精度。やはり超高額機である。Finalの社長さんは高級時計のようなバリューのあるヘッドホンを作りたいと力説しておられたが、頷ける外観となっている。イヤパッドは普通以上に弾力があり、パツパツだが、その表面はしっとりして耳の周囲を密閉するかのように覆う。このパッドの内側には見えにくいがいくつか穴が開いており、音響特性をコントロールしているらしい。細かい技だが、この手法に関しては、例えばDMaaでも類似のアイデアを出していてFinalだけでやっているわけではない。全体に複雑なヒンジや調節機構などはなく、見掛けの豪華さにのわりに、ごく単純な構造である。蝶番のような部分を作ってもハウジングがあまりにも重たいので経年変化に耐えられそうもないからだろうか。
装着感はしっかりとしており、頭を多少振ってもブレがなく、頭頂部も痛くないようだが、なにせ重たいので長時間使うと首がおかしくなるのは覚悟しなくてはならない。経年変化で側圧が弱くなると、単純な構造だけに下を向いただけでズリ落ちそうで怖い。重たいので落とすと危ないし、鏡面仕上げに傷がつくかもしれない。

音質:
これはやや特殊なサウンドに聞こえる。その完成度は高いが、このサウンドを是とする嗜好の範囲が狭いのではないか。良い意味でも良くない意味でも、例えばG ride audioの製品に似て、“自分”を強く持っている。全金属製のハウジングだけでなく、オリジナルのドライバーであることも影響しているだろうか。音場は密閉型としては広く深い。が、なぜか見通しがあまり良くない。音像は極めて明瞭で、その解像度は申し分ないのだが、音像の周囲に霧のようなモヤモヤした雰囲気が漂っているような気がするからだ。何だろう?これは駆動力のないポータブルのDAPを使ったせいらしく、後日にFinalのショールームでQuestyle CMA800R(二階建てのモノラル使い)で、このヘッドホンをバランス駆動すると、このモヤッとした感じはなかった。この本来の音が出るセッティングでは音像についてはエッジがやや強く、色彩感が鮮やかで、内部に音の粒子がぎっしり詰まっているようで密度が高い。この音のエッジの硬さは高度な技術で製作されたドライバーを取り付けるアルミバッフルが効いているのだろう。やや重たくて陰影のコントラストの強い音でもあり、HE1000などの典型的な平面駆動型とは違う方向性である。奥に深い音場の中で、この独特の密度と彩度の高さのある音が流れる様は、油絵の名画を眺めるようで麗しい。このヘッドホンでしか聞けない音の現状がここにある。音の強弱の階調性は非常に細かく、定位も良い。だが、非力なアンプでドライブすると、なにか全体に音のレスポンスが若干鈍く感じられることがあり、ゆったりした横ノリのクラシックなどは合いそうだが、現代のポップスによくある、畳み掛けるような速いビートに似つかわしくないということになる。やはりパワフルな据え置きアンプが必須。低域はやや膨らんで量感があり、中域は濃密でややネットリした感じと明瞭さが同居する。高域は概ねナチュラルだが、金属的な響きが時に耳を刺したのが気になる。ハウジングの材質によるのか、あるいはエージング不足か。個人的には金属でない、生体素材でダンプをかけると、さらに音質が向上するはずだと思っている。
個々の音の要素のみについて着目すると出来・不出来があってバラバラな印象なのだが、それらが一つになった音を実際に聞くと、これはこれで悪くないと思わせる不思議なサウンドだ。やはり老舗の貫録というか、音のまとめ方・音作りが洗練されている。
前回の祭りでは、ここまで音がまとまっていなかったが、半年でかなり聞き易くブラッシュアップされた。しかし、音の本性はそのまま。いまだに音の重量感や陰影、色彩感に重心を置いた、威厳ある独特の音を出せるヘッドホンであることに変わりはない。
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同時に聞いたFinal audio design SonorousⅧついても少し。
外観:
Xで金属だった部分が一部は硬いプラスチックに換装されており、少し軽くなっている。このプラスチックは深いブラウンで表面は艶消しであり、鏡面仕上げの部分と美しいコントラストを成す。装着感はXよりも軽いので当然楽になっており、その点では下位モデルの方が優れている。
音質:
Xとはやや違う音質傾向である。適度な密度や重さ、しなやかさがある柔軟な音であり、基本的に明るく闊達な印象である。音場の広さはそこそこだが、密閉型として不満は感じない。音に重苦しさがなく、ビシビシとビートも決まる。だが、Xを聞いた後だと、どうも上滑りで軽い音に聞こえ、音楽の内容を掘り下げたり、音楽の骨格を大きく啓示したりする力に欠けるように思う。逆にXにはそのような抽象的な表現力が備わっているのが長所だろう。
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7.Enigma Acoustics Dharma D1000
外観:
前回の祭りに比べてかなりブラッシュアップされ、完成度が高まった。金網の部分に透かしでロゴが入ったり、金網のエッジを金属の枠で覆ったり、ヘッドホンケーブルの着脱の穴の周囲の仕上げがよくなっていたり。アームとヘッドバンドを連結するヒンジの部分もガタなくキチッと出来ているし、細部までデザインが行き届いている。例えばKuradaのヘッドホンのヒンジも良くできていたが、デザインまでは、手が回っていない。Dharmaにはそれがあるのだ。ブラックの艶消し塗装も綺麗で全体に精悍な印象を持たせる。Etherにもこれ位の作りの良さがあると良かった。
このヘッドホンはハイエンドヘッドホンとして標準的な重さであり、また、精密なヒンジのおかげでピタリと側頭部に馴染むので、装着感は良好である。

音質:
なんといっても唯一のハイブリッド型であり、外観や装着感も良いので、期待が高まるが、破綻のない普通の音という感じで、派手なアピールがない。少々肩透かしであった。すごく普遍的な音なのである。このヘッドホンはセルフバイアス静電ドライバーとダイナミックドライバーのハイブリッドとのことだが、この二つのユニットはシームレスにつながっており、全然つなぎ目がないように聞こえる。一つのドライバーで駆動しているようだ。伸びきった高域のシルキーな感触とレスポンスの良い中低域の適度な重さ。ワイドレンジなうえ、全帯域において高解像を確保している。だが、これだけ多くのフラッグシップモデルが一堂に会している中では、あまり存在感が出せていない。突出した音質的なメリットがない。それだけ純粋な平面駆動組の躍進が目立っているのだ。また目立ってない一因に純正アンプAthena A1が価格のわりにややショボいこともある。また、その上流のプレーヤーの音も弱かったと思う。前回の祭りだが、純正のヘッドホンアンプ以外でも聞いてみたことがある。その時の経験から言えば、純正のヘッドホンアンプにはこだわるべきではない。もっと高性能なヘッドホンアンプ、例えばNAGRA HD-DACのヘッドホンアウトで聞くと今までのはなんだったのか?と言いたくなるぐらいの良いサウンドであった。さらにワイドレンジ感が増して、伸び伸びとヘッドホンが歌っていた。
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8.beyerdynamic T1 2nd generation
外観:
前のモデルT1と比べて、ヘッドホンケーブルが着脱式になった以外はほとんど変化はない。ケーブル端子の着脱のロックはしっかりしており、Master1などのMMCXを使うモデルに比して信頼感がある。今回の祭りではリケーブルのしやすさを喜ぶ話が多かったが、T1 2nd genがその代表。装着感もほぼT1と同様。

音質:
若干音場が広くなり、よりクセの少ない音になった。だが、あまり大きな変化ではない。これからT1を買う人はこれを買うべきだが、リケーブルを指向しないなら、今までのT1を使い続けても問題ないと思われる。いままでのT1は若干、音が詰まったような、わずかにクセがある音だったが、十分に満足できるものだった。このような、音質的に大きな意味のない2nd generation化は、多く他社の新製品が出て来るので、埋没しないための対策ではないかとさえ勘繰る。

9.Fostex TH900 Mk2
このモデルは製品版としてはまだ出てきていないので、私の聞いた噂のみ。
beyerdynamic T1 2nd generationと同じく、ヘッドホンケーブルが着脱式になるのみで、それ以外に大きな変化はないらしい。つまり装着感も音質も大きな変化は無さそうなのである。
今回のMK2化は超弩級真空管アンプHP-V8の登場に合わせている部分が大きい。XLR4Pin端子へのリケーブルを容易にするための純正の改造作業、モディファイと言ってよいだろう。
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10.Sennheiser HD650 DMaa:
新しい情報として、HD650 DMaaの音の完成度を高めるイヤーパッドの改良・新規製造が検討されているようである。試作のイヤーパッドを装着したHD650 DMaaを聞いてみると密閉性を調節し音圧の逃がし方を最適にすることでより濁りが少なく、細部までさらに正確な音像を取得できるようになったようだ。DMaaは目指す方向、ベクトルが不変であり、真に正確で普遍的な音を追求している。コンシュマー向けとは言いにくい面があるが、こういう姿勢を貫く者は他にいない。しかも定番モデルの改造という極めてユニークな手法が面白い。このイヤーパッドの試作品を聞いて、私はDMaaの今後の展開への期待を益々強めた。これが製品化されたら、すぐに買ってしまいそうだ。

そして、第二部に続く。

# by pansakuu | 2015-11-01 12:35 | オーディオ機器

CHORD DAVE DACの私的インプレッション:成層圏からの使者

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常識を越えたところに真理がある。
谷川浩司 九段



Introduction

少年のころ、よく高い山に登った。
ある夏の朝、山に登り、頂上に辿り着いた。
そこから空を見上げると、雲一つない青い空が、
青ではなく、黒っぽく見えた。
それは夜空の暗黒を青空に透かして見るような青黒い色であった。
まだ少年だった私は、宇宙が近いんだと考えた。
夜にだけ見える星空の世界が、
頂上に登ったことで近くなったので、
こんな青黒い色に見えるのだと考えた。
それ以降も何度か山登りをしたが、あの空の色は二度と見なかった。

その後、図書館で借りた気象の本で
地球には成層圏という大気の層があることを知った。
成層圏は天候の変化が起こる対流圏の上にあり、
雲はほとんどなく、いつも晴れ渡っていて、天候は安定しているという。
ジェット旅客機が巡航しているのは、
巨大な天空の空洞のような成層圏の下層なのだ。
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あの時、自分が山の頂上から見た空の色は宇宙の色ではなく、
成層圏の空の色だったのではないか。
まだ少年だった私は、頭上に広がる空を見上げるたびに、
そのことを考えていた。

そして今年もTIASに出掛けて様々な機材の出す音を聞いた。
で、
どの音が最も印象的だったかというと、
それはCHORDのDAVEのサウンドであった。
無限に澄み切るかのような広大かつ深い空間に
カラフルで精密な音が狂おしく躍動する。
簡単に言えば、そういうサウンドなのだが、これがかなりお安く手に入る。
このような高度なサウンドは
今となっては300万クラスのDACになって、ようやく聞けるようなものである。
今回のTIASにて聞けたDAVEは
そのプロトタイプに過ぎないようだが、
そのサイズ、価格、デザイン、そしてサウンド、
それら全てをひとまとめとして真摯に吟味すれば、
私の知る限り、世界最高峰のDACとして位置付けることができる。
このサウンドは私のイマジネーションを激しく掻き立てた。
私は音を聞きながら、
果てしなく透徹して冷たい成層圏の空気の中で
激しくドッグファイトする2機の戦闘機を脳裏に描いたりした。
それは青空を見上げて夢想した少年の日々のように、
妙に切なく、短く感じられる時間でもあった。


Exterior and feeling
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とはいえ、このDAVEは正式にはDACではないらしい。
設計者はデジタルプリアンプと呼んでいるらしいのである。
つまり、設定によってオフが可能であるにしても、
ヘッドホンアウトを含めた全てのアナログ出力は
必ず高精度なデジタルボリュウムを通ってから出てくるし、
デジタル入力の数も種類もかなり多く、それらを切り替えて使うことが想定されている。
つまりデジタルプリアンプ機能を使うことを強く意識した製品なのだ。
これが第一の特徴である。
実機において、このボリュウムはトップパネルの右手にあるステンレス製の丸い突起を回して操作する。これには滑り止めがないので、少しばかり掴みづらいツマミだが、格好は悪くない。トルク感は可もなく不可もない。低い音量においても、いわゆるビット落ちのような音質低下もないようだった。また、この機材がデジタルプリアンプであることに関連し、2つのウルトラハイスピードBNC同軸デジタル出力を持つことは注意すべきだ。将来的に同社製のパワーアンプとの結合に特別な含みを残している。
正しくはデジタルプリアンプであるが、ここでは煩雑さを避けるためDAVEをデジタルプリアンプとは呼ばず、短くDACとだけ呼ばせてもらう。

第二の特徴は最新の高性能FPGA(field-programmable gate array)を用いたオリジナル設計のDACを内蔵していること。多くのオーディオメーカーのように既存のチップを持ってきて済ませたのではない。ここで採用されたFPGAは下位のHugoに使われているものの10倍の規模を誇る。これは大きなタップ数(いわば処理の細かさ)とオーバーサンプリングの向上に同時に耐えられることを意味する。DAVEの開発者たちは、この二つの要素を増やしていけば、聴感上で音質が向上することを確認しながら作業したという。ただ、無限のオーバーサンプリング、タップ数を実現することはできない。その代り、現代のデジタルオーディオの常識を越えた数値ならば実現できると彼らは踏んだ。結果としてDAVEにおいて得られた256倍オーバーサンプリング、164000タップという数字は、従来のDACのそれよりも遥かに大きい。このタップ数はFPGAの内部で166個ものDSPコアを同時に並列で駆動して初めて可能となるという。さらにノイズシェイパーは17次である。この処理も大規模であり、今回用いたFPGAなしには到底無理な相談だったはずだ。オーバースペックというより、これはもはや未来のオーバーテクノロジーを先取りした観がある。
256、164000、166、17。
少しばかり知識があれば狂気にさえ見えるこれらの数値の羅列に
試聴の裏付けがあると公言する彼ら。
イギリス人特有の猛烈なる明晰さを私は感じた。
具体的にはUSB入力でPCM 32bit/768KHz, DSD 1bit/11.2MHz(DOP)まで対応予定であるという。しかしながらプロトタイプである今回の試聴機は11.2MHzの対応はできていなかったようだ。まだプログラムは完成していない。こうしてプロトタイプに特有の些細な瑕疵があるにしても、この高度なスペックは試聴者にかなりの期待を抱かせる。タイムロードのブースのDAVEの机の前で、担当者への質問待ちをする人が、CHORDの技術は高度だ、などと言って、はしゃいでいて面白かったが、それはこの公開された技術内容から来る期待の表れと私は取った。

第三の特徴は最近のデジタルサウンドの潮流のひとつであるクロックに、過度に頼らない音質向上を目指ししていること。私は外部に究極の精度と低い位相ノイズを誇る、巨大で高価なクロックがなければ、素晴らしい音を聞けないという立場に常に疑問を呈して来たつもりだ。場合によっては、それは悪戯に筐体を増やし、無駄なカネをオーディオファイルに使わせようとするマーケッティングの一手法に過ぎないこともある。ここでのCHORDの態度は、買う側の心理にとして、その内外価格差の少ないプライスタグとともに、フェアなものと映る。
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第四の特徴はそのデザインの斬新さとサイズであろう。
DAVEを眺めたとき、まずは目に飛び込んでくるスラントした丸窓とその奥に光るカラー液晶ディスプレイは、インパクトがある。それらはDAVEが大胆なサウンドを奏でる事を予見させる。
このディスプレイには選択されたデジタル入力、デジタルボリュウムの値、サンプリングレート、高域フィルターのON/OFF、ディスプレイの背景色の選択などが表示される。
(プロトタイプでは表示を真っ暗にすることはできなかったが、これは製品版では可能になるとのこと。)
これらの設定はボリュウムの周囲にある4つのボタンにより操作できる。
このディスプレイがはめ込まれた伝統のアルミ削り出しの2ピースの筐体は、磨かれた銀色の鎧をまとう騎士を思わせる。ブラック仕上げが有るなら黒騎士か。だが、そんな剛の者にして、このコンパクトネスなのである。大きさで言えばフルサイズの他社DACの半分以下のボリュウムしかないように見える。目分量では33×14×7cm、3kgというところだろうか?このルックスの素敵なアンバランス・ミスマッチは、私の視覚を虜にするだけでなく、音が出る前からライバルたる多くのDACたちの心胆を寒からしめるものかもしれない。このDAVEの凝縮されたデザインには、聞く前から凄い音がしそうな雰囲気が漂うのだ。
またDAVEには専用の4つ足の台があり、それにDAVEをのせると、ますます見覚えのない姿となる。この個性的なカタチを眺めていると、オーナーの嬉しい困惑まで見えてくるようだ。
相変わらず、リアパネルには端子の案内表示もなく、足もゴムの半球を8つ並べただけの簡素さだが、そういう事に苦情を言っても、イギリス人は受け付けてくれないのかもしれない。
なお発熱は少なく、ドライブ中もほんのり温かい程度であり、その意味では取扱いは容易だろう。

第五の特徴は真っ当なヘッドホンアウトを持つこと。ジョン フランクスはヘッドホンを軽く見てはいないのだ。そして、右側に開いた標準プラグ用のジャックの奥から、緑色のLED光が密かに漏れているのを私が見逃すはずもない。さらに私がHD650DMaaを持ち込んでこのヘッドホンアウトをチョイ聞きすることを忘れるはずもない。この2日間は、タイムロードのブースの片隅に時々陣取って見張っていたが、私以外にも何人かの方がヘッドホンを持ち込んでいて、やはりHPAとしてこのDAVEを考えている人が少なくないのが分かって愉快だった。

その他に、このDAVEについては、BNCは4系統、光は2系統など極めて多くのデジタル入力端子を持つこと(例の“青い歯”は今回はオミットされたらしい)、特製のガルバニックアイソレーターによるUSBからのグランドノイズの遮断、CHORD伝統のスイッチング電源の採用など、見所がまだまだある。真に盛り沢山な技術内容を持つ機材である。


The sound 

このサウンドはキレている。
キレまくっている。
なのにDAVEは冷静だ。
そのサウンドはクールで広く、深く、鮮やかである。

無論、この高性能な機材の真価を記すという作業を、
これらの短い言葉で済ませて、
これ以上は聞いていただくしかないと黙りこくるのも一つのやり方だとは思う。
なにせこれは、言葉では到底届かないレベルの感動をもたらす機材だから。
とはいえ、この手のセリフは万策堂がそういう機材に出くわした時に放つ
弱音・決まり文句に過ぎないとも言える。
挑戦すること自体、彼は嫌いではない。

第一に音場の広がりと深さ、澄み切りが著しい。DAVEは鳴りはじめた瞬間、試聴室のエアーは一変し、厳しく清澄な雰囲気に満ちたワイドな空間が現出する。温度感は低く、サウンドステージの奥行は非常に深く展開する。ここでの音場の奥行方向の澄み方はCHORD独特のもので、一昔前のGOLDMUNDのそれに近いが、さらに凄絶であり、自然な感じとは言えない。これは素晴らしくオーディオ的な快楽を呼び起こす空間性であり、自然界を含めて、他では聞くことはできない。この空間の印象はかねてよりイメージしてきた成層圏のそれにぴったりする。晴れ渡り、上下左右さえぎるものがなにもない広大なエアの中にリスナーは放り込まれる。あたかも昭和生まれの少年が夢見た成層圏がここに現実化したようでもある。

第二に、音楽の躍動感の増加が著しい。下位モデルのHugo TTと比べると、もうこれは別物だと呟きたくなる。これほど音楽のエモーショナルな要素がビシビシと伝わってくるDACはほとんどない。聞いていてひどく昂揚させられてしまうサウンドである。演奏者の音楽への静かなる献身・没入と感傷の高まり・陰鬱が見事なコントラストで表現される。この明確な音楽的なメリハリの良さもCHORD独自のものとして私は認識している。ただこういう激しい調子は、かえって単調な印象を持たれやすいかもしれない。その点に着目するとNAGRA HD DACの持つ多彩な音楽性や、ヘッドホンアウトだがRe Leaf E1に聞かれる真面目でニュートラルな音調があった方がいいという人が居てもおかしくない。
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第三に音像の解像度の向上が実に目覚ましい。全ての音が一斉に立ち上がって眼前に現れ、場合によっては喧しいほど、様々な音が立体的に聞こえる。VivaldiやDSP-01のような、現実の生音においてあるべき秩序を持ってディテールが自然に表現されるのではなく、録音された音の細部全てが一挙に現れ、耳を集中的に襲うような聞こえ方である。それでいて音像が濃く、音の存在感も強い。これは高度なヘッドホンリスニングで聞こえるサウンドが、そのまま空間に解き放たれたようなものである。
また、つながっているスピーカーの能力にも関連するが、TIASのブースでは演奏する各セクションの定位は左右方向だけでなく上下・高低の位置関係をも表現できていた。各パートの分離感も秀逸で音の前後の重なりが見事に聞こえてくる。ただ、分離がかなり良いためハーモニーの表現は渾然一体ではなく、全てが並立したまま流れ込んでくる形となる。
特にこのハーモニーの部分はNAGRA HD DACの出音には及ばない。
そういうハイレベルな要求はさておくとすれば、このような二次元的でなく三次元的な定位感、そして分離感、生音に近い臨場感は、それこそVivaldiや、それなりのクロックを突っ込んだDSP-01でしか聞けなかった世界である。Vivaldiほど常軌を逸した空気感ではないし、DSP-01ほど生々しい臨場感ではないが、この価格でこの領域に立ち入るとは恐ろしいヤツである。
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第四に、音色はあたかも叫ぶかのように鮮やかで、生き生きとしている。そして若々しくもある。この若やいだ音調もキャラの一つだろう。老獪なまわりくどい表現はなく、至極ストレートでダイレクトな物言いをDAVEは好む。こういう饒舌で歯に衣着せぬような、キャラクターを感じる音ではありながら、ことさら音楽鑑賞を邪魔するような演出感がないのが、とても不思議だし感心もさせられる。結局、生音に近い雰囲気は過不足なく出てしまうのである。さらに、これほどビビットでエッジな音であるにも関わらず、音の流れは非常に滑らかであって、その矛盾にも感心させられる。この明瞭さ、このダイレクト感にして、このスムーズな音の流れは他のDACではなかなか味わえないものだ。

第五にDAVEは真に音のキレがいい。一聴してまずここに耳が行く方も多いのではないだろうか?DAVEの音のキャラクターとして最も目立つところだろう。特に高域のインパルスに耳を集中すると、鋭く素早く日本刀を操って空気を切り裂くようなシャープな音の残像が鼓膜に焼付く。このスピード感、トランジェントの良さは全帯域に一貫して聞かれるが、やはり高域において最も効果的に発揮される。
余談だがメタルギア ライジング リベンジェンスにおいて、雷電が高周波ムラサマブレード(ムラマサではない)を振り回し、舞踏家のように戦うシーンがある。あのブレードの旋回速度が、私の抱く、DAVEのスピード感、キレの良さのイメージである。これは分かる方にしか分からなくていい。とにかく、このDAVE特有のスピード感は金属的な重さを孕んだ武器のようなものだ。このフィーリングなくしてはDAVEがDAVEにならない。
私は音を聞きながら、成層圏で争う2機の戦闘機を脳裏に描いたとも言った。つまり私の解釈したDAVEのサウンドには、現代的な武器を想起させる雰囲気が常につきまとっているということになる。強力なテクノロジーで他のDACたちを打ち砕く、ややもすれば乱暴な力とスピードの残像が、滑らかなメロディの流れに乗って溢れ出て来て、止まらない。
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最後にダイナミックレンジの明らかな拡張についても言及せねばなるまい。これはHugo TTでも十分に満足できるものだったのだが、DAVEでは更に音の大小・強弱の表現が上手くなっている。ここでもやはり、音が大きい、あるいは小さいということについてのメリハリ・コントラストがはっきりついている。総じて誰が聞いても音の良さが分かりやすい、いわば店頭アピール度の高いサウンドである。
ただ、この音はどんな音楽でもジャンルの制約なく楽しめるようなものではない。昔のナローレンジな録音のクラシックなんかはそれらしく鳴らないだろう。現代の音楽ソースが似合う。またナローレンジな昔風のスピーカーを組み合わせるのはやめた方がいい。強力なドライブパワーとスピードを持つパワーアンプとワイドレンジを標榜する現代スピーカーが似合う。

言い忘れたが、今回の試聴はDela N1ZからダイレクトにUSBでDAVEに結線し、さらにDAVEからバランスでダイレクトに同社製パワーアンプに繋いだサウンドを標準としている。スピーカーはTAD CE-1である。これは最もDAVEの持ち味が発揮されるシステム構成の一つであろう。ただ、別途用意したプリアンプを介しても、DAVEのサウンドの感動が大きく削がれることはないと思う。むしろ、わずかに方向性が変わるだけ、プリアンプのキャラクターが加わるだけで、かえって面白い音が聞けるだろう。個人的には新型のパワーサプライを装備したJeff RowlandのChorusなどを組み合わせると出音に静的な落着きが加わって表現の幅が広がるのではないかと思って聞いていた。
さらにオールユニオンジャックのシステムでも聞いてみたいとも思った。すなわちDAVEをはじめとするCHORDのエレクトロニクスに、期待通りの進化を遂げたB&W 800D3シリーズを合わせる。それらを同名のケーブルメーカーCHORDの上級ケーブルで結線して、じっくり聞いてみたいのである。これらの機材が共通して持つクリアネスがどこまで深まり、高まるのか、そこが聞き所である。

ではヘッドホンアウトの音はどうか?
あの場で、なにかが分かるとは思いたくない。それを承知で、あえてコメントするならば、OktaviaでリケーブルしたHD650 Dmaaから聞こえた音は、DAVEにパワーアンプを直結しTAD CE1を鳴らした音のほぼ正確な相似形であったということだ。
比較すれば、音の分離感や音像の定位ではRe Leaf E1が勝り、音場の拡がりならTELOS Headphone Amplifierが勝るだろう。適切なDACと組み合わせるなら、トータルな安定感でやはりOJIのアンプが上を行くだろうし、フラットな音が欲しいならマス工房のバランスアンプにしくはない。聞き味で言うならHP-V8の持つ音の艶や独特のソノリティには敵わないかも。音楽性ならNagra HD DACのヘッドホンアウトが一枚上となる。やはりヘッドホンのみをターゲットにしたハイエンドヘッドホンアンプや、さらに高価なDACの力は侮れない。だが、音の鮮度やキレの良さならDAVEのヘッドホンアウトがほぼ全てに勝るだろう。これにかろうじて匹敵するキレの良さとなれば、QualiaのUSB DACからしか聞こえて来ないはず。それ以前に、まず価格で比較してみたまえ。相応のDACと組んでトータルで考えたら、ここで比較対象にあげた機材で150万で十分な音が出るものは皆無に近い。
いずれにせよ、DAVEを将来的にもヘッドホンを聞くためだけに買うのは少し勿体ない気もするが、そういう猛者がいても不思議ではないと思わせる音が聞かれたことは言及しておこう。

色々な席に座って、DAVEを聞いているうちに、疲れてウトウトしてしまったが不意に、戦槌(ウォーハンマー)を思い切り打ち込むような、鋭いバスドラムの打撃音が一閃し、飛び起きた。その瞬間、HugoもQBD76もかなり後ろに置いて行かれたことを如実に感じた。もうHugo TTなんかは振り返っても姿が見えない。あれらは単なる前哨だったようだ。なにしろジョン フランクスによればDAVEはCHORDが作ったプロダクト全体の中で最高傑作に位置づけられるとのことだ。
確かにDAVEは価格やデザイン、大きさも合わせて考えると、絶賛に値するサウンドである。もし、この音が300万円オーバーのDACから出て来るとしたら、私はNAGRAの HD DAC+MPSに軍配を上げただろう。だが、このDACの日本での価格はその半額以下の150万円に過ぎない。しかもプリアンプは要らないのである。HD DACのプリアンプ機能はオマケだが、DAVEのそれはオマケとは言い難い。むしろ積極的に使いたくなる機能だ。勝敗はそこでついてしまう。このDACはどう考えても安すぎる。対価格満足度が高すぎる。HUGOを聞いた時もそう思ったが、やはりCHORDは高いレベルでの価格破壊を得意とするようだ。そして、これこそが私がテクノロジー全般に求めることでもある。高音質でありながら、同じクラスの音を出す機材と比較して安価で、コンパクト。この困難な要求に完璧に応えた唯一のDACなのである。

仮に、Vivaldiのフルシステムや、しかるべきクロックを入れたDSP-01は楽音を地球の重力から解放して、異なる次元のサウンドを奏でるモノとしよう。それらはまるで無重力の世界・宇宙のような空間性をオーディオに与えるのである。
そのような文脈にそって考えを巡らせるとDAVEは透徹した大気が満たされた、莫大な空間の広がりの中で音を鳴らすモノだが、その音は未だ地球の大気圏内にあり、重力から解き放たれてはいない。そういう意味ではまだ成層圏にある音なのであろう。出音に音楽性という抽象的な重力が作用し、楽音の出方に一定の制約を与えているように聞こえるのだ。

クロックの能力に頼るサウンドは無私で無垢なもの、悪く言えばリアル一本槍で飾り気のないものだが、クロックに頼らないDAVEのサウンドにはメーカーの個性や自我が存分に残され、それが独自の音楽性として、常に出音につきまとう。DAVEから聞こえるのは紛うことなきCHORDのサウンドである。異論はあろうが、このようなソニックシグネチュアがないサウンドは私にとってはつまらない。DAVEは技術的に音を煮詰める過程で自然とこの個性的なサウンド・音楽性に行き着いているような気がするのが興味深い。


Summary

ここまで来て、不遜な意見をあえて言おう。
DAVEの登場はハイエンドオーディオが金持ちの老人たちにほぼ占有されている状況に楔を打ち込むチャンスだ。この事件は、従来のCHORDユーザーに限らず、いまだ若く財政力の限られたオーディオファイルたちにとっての大いなる福音となるはず。
150万はまだ高いって?
ことオーディオにおいては、背伸びしなければ、背は伸びない。今、頑張って手を伸ばすべきだ。
さしあたりプリもヘッドホンアンプもいらない。外部クロックも外部電源も心配する必要はない。
DAVE一台と最低限PC、ヘッドホンさえあれば、この凄まじいコストパフォーマンスが貴方の手に入ることをよく考えてほしい。
いささかパラドックスめいているが、まるでゼーレみたいな老人たちによるハイエンドオーディオの独占を崩せなければ、愛すべきハイエンドオーディオの世界に未来はない。
これは今、まさに老いてゆく私が言うのだから間違いはなかろう。
しかし、日本をはじめとする先進工業国のメーカーのほとんどは、
この点を理解しているとは到底思えない・・・・。
もうここらへんで毒を吐くのは止めておこう。

ところで、オーディオには“感動”と“癒し”という二つの側面がある。
感動は刺激的なものだ。急性の感情の波動のようなもので、聞き手に一目惚れの瞬間のように強い印象を与えるが、それが繰り返されると疲労となる。
一方、癒しはそういう疲労を軽減するが慢性的なものであり、ダラダラ続く音の習慣であり、ヌルい感覚である。これはマンネリズムにつながる。
この二つがバランスよく配合されるのが望ましい、というのがオーディオの常識だが、
DAVEはそういう常識を越えている。つまり“感動”の占める部分が“癒し”よりもずっと多いように思う。もしかするとDAVEのサウンドを好む方は、“感動”を“癒し”に変換する気分の回路を持っているのかもしれない。だが、仮にそんなものを心の中に持たなくともDAVEを求める人は居るはずだ。このサウンドは癒しを多く求めるリスナーの心理をも、短い時間で“調教”する力がある。現に私がそうだった。これは優れたオーディオマシーンに稀に見られる才能だが、久しぶりにそういう機材に出会った感がある。反対者(アンチ)も認めざるを得ないその音の力の本質が、そこにあると私は踏んでいる。

決して言い過ぎたくはない。
だが、今となっては私はこう打ち明けるしかない。
CHORD DAVEは、私の知る限り、世界で最も価値あるDACである。

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# by pansakuu | 2015-09-27 19:32 | オーディオ機器

Sennheiser HD 650/600 Golden Eraに捧げるフラグメンツ

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“Born 2 listen.”
by万策堂


その後、特別なHD650 DMaaをもう一機買い足した。

今まで多くのヘッドホンをとっかえひっかえ使ってきたが、同じメーカーの同じモデルを二つ以上、同時に並べて使っていたことはない。そもそも、そんなのは無駄じゃないか?そう考えてきた。
では何故そんな私が二つもHD650を買ったのか?それはSennheiser HD650は2003年から2015年現在まで続いている生産期間の中で、そのハウジングの金型や材質が、耳で聞いて分かる程度に変遷しているのを知ったためである。そう、実はHD650はその12年あまりの経歴の中で、素材や形状の違いがあって出音が何度か変わっていたのである。これを教えてくれたのはDELRIMOUR MODERN audio・acoustikのエンジニアの方である。おそらくこの方は、HD600とHD650については、ゼンハイザーの輸入元で持っている情報を超え、日本で最も詳しく正しい知識を蓄えているのだろう。

そして、ディープなマニアの間ですら、あまり知られていない話であるが、DELRIMOUR MODERN audio・acoustik(以降DMaa)のエンジニアの方がGolden Eraと呼ぶ時代、すなわちHD650のサウンドの黄金時代と呼ぶべき或る期間、その間だけ使われた音の良いハウジングの材質があるということを私は知った。もちろん、これは2014年後半以降の設計変更の話ではない。さらに以前にあった変化の話である。外観のみでは非常に小さな差なので分かりにくいものだ。だが、その時期のものと、それ以外を一対一で見比べると、なんとか分かる。表面の質感が微妙にザラザラしており、その他の時期よりも硬度が若干落ちているらしい。そして音の方は(DMaaで同様にカスタムしたものしか聞いたことはないが)一対一でなくとも、はっきり違うと分かる。簡単に言うと、この時代のHD650をヘッドホンケーブル含めてDMaa化したものは、その他の時代の製品よりも音がハウジングの中で散らない印象で、正確で重みのある音像を、よりはっきりと把握できる。制動の効いた音であり、モニター色が強いのだ。感覚的には、ソースに入っている音を大きな網で、まさに一網打尽にするような感じ、一種の根こそぎ感がある。ここでは一音一音が克明で、音の起伏はまるで行為の後のシーツのヒダのように意味深に感じられる。
別な言い方をするならば、DMaa化しても、その音に元々のHD650の特有のドイツ的な?音像の濃密さを強く残すのが特徴だ。既にDMaa化されているので、高域のモヤモヤしたヌケの悪さこそないが、私に言わせれば普通のHD650 DMaaより若干ノスタルジックな音なのである。DMaaのエンジニアの方は、このGolden Eraの音をオーガニックと表現した。オーガニックなヘッドホンサウンドとは面白い。人の生の声やアコーステイック楽器の生成りの音色を的確に表現するのに向いたヘッドホンということだろうか。そうだとしたら、おおいに頷ける言い回しだと思う。
このゼンハイザーのGolden Eraの詳細について、私はここで多くを語りたくはない。誰が聞いても良い音と思うはずだ、と断言できるヘッドホンはこの世にはない。しかし、E1xで聞く、このヘッドホンのサウンドは、万策堂が今まで聞いたことのないほど素晴らしいものであることは、断言しておきたかった。だから、この都市伝説のように断片的なテキストを編んだのである。
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このGolden Eraの秘密を知ったその日から、私はこの時代のHD650を(実はHD600もだが)シリアルナンバーなどをたよりに探し始めた。該当する機体は万の単位で生産されているはずなので、ないことはないと思っていたが、いざ探してみると確実なものは、なかなか見つからない。やはりそれらは世界中に広く拡散しているし、基本的に中古しかないので、シリアルナンバー自体がわかりにくい。元箱さえあれば大概分かるのだが、元箱がない中古が多いのだ。シリアルナンバーは分解しても調べられるが、買うか買わないか分からないものにそこまでできない。またクローズアップがあってもかなり微妙な質感の違いなのでハウジングの質感で区別しようとしても、よく分からないことが多い。数が多くても見つけやすくはないのだ。だが、海外のサイトを含め、あちこち捜索するうちに、やっと確実にGolden Eraと考えられる個体を見つけた。早速入手してDMaaでカスタムしてもらう。カスタムの作業は、他の時期に生産されたHD650(金型がかなり異なる2014年後半以降の製品を除く)とほぼ同一であるが、上記のごとく出音は違う。既にサンプルのGolden EraのヘッドホンをDMaaから借りて聞いていて、その実力の高さを認識してはいたが、改めて自分の持ち物として聞いて感慨もひとしおであった。明らかに今まで聞いてきたどのヘッドホンとも違った魅力がある。しかもそれは飽きのこない音の魅力なのである。官能的な音ではないのに官能を刺激されるサウンドだ。あくまで孤高を保つことによって、ヘッドホンの価格的なヒエラルキーを破壊する音でもある。
この特別なHD650 DMaaは私の新しい宝物となった。
(2機のHD650 DMaaの写真で、大きなLのレタリングシールがある方がGolden eraの機体である。レタリングシールがないと、外観では区別がつけにくい。なお、ここに出した写真で、これらのヘッドホンに見えるL・Rのサインは、暗い場所ではHD650の左右が分かりにくいので私が勝手に貼り付けたものであり、DMaaの改造とは関係ない。)
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そして、そのHD650 Golden Era DMaa tune(仮にそう名付けよう)が届いたその日と次の日に別々な条件でHiFiman HE1000を聞いたので、図らずも比較試聴になってしまったところがさらに面白かった。
HE1000は日本での売価が40万近いだけのことはあり、さすがに素晴らしいサウンドである。誰が聞いても良い音、と断言できるヘッドホンはこの世にはないと言ったが、これはその理想に近いヘッドホンである。また純正アンプ以外で鳴らすのは初めてであったが、P700uならこれをきちんと音量を取って鳴らせるということが分かったのは上出来だった。ただし、これで潜在能力の全てが発揮されていると考えるのは甘いだろう。もっとアンプとの相性を探らねばならない。そういう思いを抱かせる音だ。実際、このドライブするアンプを厳しく選ぶという点こそHE1000の最大の欠点なのだろうが・・・。
そうは言ってもHE1000は音の空間的な佇まいの自然さや開放感、SN感が圧倒的であり、音楽は妙に立体的かつ躍動的に聞こえる。気配感の描写も秀逸。これらの要素ではSR009をやや上回るように聞こえた。何といっても、このHE1000のリスニングは、その雰囲気全体が気持ちいい。まるで雨上がりの土曜の午前、オープンカーに飛び乗り、郊外のリゾートへ繰り出すような爽快な気分になる。

しかしだ。根本的に違う方向性の音であることを承知のうえでHD650 Golden Era DMaa tune(仮)に比べると、やはりHE1000はハウジングの内外で微妙に音が散って逃げているような感じで、変質し、聞こえにくくなっている音の要素があるような気はする。特に低域だ。重さや弾力が足りない。また自分のアンプと組み合わせたHD650 Golden Era DMaa tune(仮)を聞いた後では、音像全体がHE1000では透明すぎ、薄っぺらいように思えた。こういう音の厚みの無さはアンプの差によるところもあろうが、何にしろ明らかに感じる欠点である。確かにHE1000はありえないほど音ヌケがいい。それは長所だが、欠点にもなりえるということか。音が広すぎる空間に拡散して音像の輪郭を僅かに薄味にしてしまう。克明さが足りず、音の存在感が弱い。高級なワイングラスに、ガラスの厚さが1mm以下に薄く張られたタイプのものがある。そのグラスで飲むワインの口当たりには繊細さはあるが、口を付けただけで割れてしまいそうな脆弱さがある。HE1000の音像の精細な耳当たりは、それに似ている。また音調全体が明るすぎるとも感じる。陰影感の強い古いJAZZの録音などのリスニングに合わない。これらの不満は、ないものねだりというものだろうか。(マニアという奴はないものばかりねだるものだ。)

そんな文句を言いつつもHE1000の音に強く魅了されることについてブレはない。コンシュマー向けのヘッドホンとして、これは総合的には頂点の音質だろう。例えばSE-Master1とは値段の差も、方式の差もあるので比べにくいが、あれよりも総合的に遥か上の世界をHE1000は聞かせてくれる。しかし、それとは全くちがう方向性でHDシリーズのGolden Era DMaa tune(仮)が自分の姿勢を貫いていることにも強い驚きを覚えるのだ。ともすると私の感覚は、この二つの音の間で引き裂かれそうになる。ヘッドホンについて、これほど困惑し狼狽し、そして狂喜した比較試聴はかつてなかったかもしれぬ。
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ついでに言えば2014年後半頃からの最新の、よりシンプルで無駄のない金型で作られたHD650については、出音がHD800にやや近くなっている。音場の広がりが、それ以前のものより強く意識されるサウンドだ。材質は同じだが、ハウジング内部の形状はそれ以前のものと比較するとかなり違う。この最新版のHD650をDMaa化したものこそ、前前回にreviewした個体だが、こちらも依然として使っている。これはHD650 ver2014 DMaa tune(仮)とでも呼ぶのだろうか。(こちらはDMaaでの改造の方法に初期と後期、二つのバージョンがあるようで、私は比較して初期の方を選択した)このヘッドホンの一歩離れて音を見るようなやや俯瞰的な聴かせ方、深い部分で他人と馴染まないような冷静さがありながら、HD800ほど対象から離れすぎないという絶妙なスタンスも私は好きだ。こちらの方がHD650 Golden Era DMaa tuneよりもオールラウンダーと感じる人も居られるかもしれない。合成された電子音に満ちたクラブミュージックなんかもキツくならず、なかなか聞けるし、アニソンもその音質の悪さやアレンジや演奏のあざとさに気を取られず、普通の音楽としてサラッと聞ける。Golden Eraの機体をベースにしたものだと、これらの音楽に対しては意識が音像の内部に入り込み過ぎてむしろ楽しめない。万人向けかどうかは知らないが、DMaaが初めての人でも、一番無難に使えるのは最新のHD650をベースにした方ではないだろうか。
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さらに蛇足する。
先ほどもチラッと書いたが、実はHD600にも上記のようなGolden Eraの機体がある。HD650 Golden Eraと同時期に作られたHD600もハウジングの材質が違うのだ。こちらもDMaaでチューンしたものが手元にある。これはHD650 Golden Era DMaa tuneよりも、さらにしっかりと音像に焦点が合い、定位が凄まじく良い。微動だにしない音像の迫真性・生々しいインパクトはいままで聞いたどのヘッドホンをも上回るだろう。楽器や演奏者にすごく近づいて音楽を聞いているような印象で、音が直で鼓膜に来ている。逆に言えばアンビエンスの要素が少ない。これは強力なモニターサウンドであり、至近距離で生音を聞くイメージだ。このヘッドホンはエージングが進むと、時々ヘッドホンの存在が消え失せて、リアルにアーティストにかぶりつきで生音を聞いている錯覚に陥るほどになる。これは初めての体験であった。しかし、ヘッドホンの出音に、音源から離れて状況を俯瞰する視点、音の広がり、空間性の充実を求める人には向かないだろう。個人的には古い録音、もともと音場の情報が少ないような1950年代~60年代のJAZZやクラシックの録音、ソウルミュージックなんかを、これで聞くのが良いと思っていたが、現代の北欧JAZZやボサノバもこれで聞き始めている自分に気付く。また、これで現代のポップスのライブ録音などを聞くと驚くような発見をすることもある。極めて個人的な感覚だが、このヘッドホンとE1xの組み合わせは楽音を録音された当時の、いわば原初の状態に戻すことのできる唯一の組み合わせだとも言える。ある種のタイムマシンのようなものだ。
このヘッドホンは、名前としてはHD600 Golden Era DMaa tune(仮)ということになるが、このヘッドホンについても、あえて詳細には書かない。これらのヘッドホンについて、これ以上なにか知りたいなら、自分で年代別に中古のヘッドホンを買って分解して調べたりすべきかもしれない。それができないなら、しかるべき筋に問い合わせたりするがいい。これらは、そこまでやる意欲がない人には使う意味がない機材かもしれない。信じない者には信じる必要のないことだ。もし私が勝手に願うとすれば、こういう凄いヘッドホンは、常に心底から良い音を探求し続けて、大概のヘッドホンに飽きたマニアか、音楽製作の仕事をしていて、世界で一番仕事のしやすいヘッドホンを探しているという人だけに使って欲しい。なにせHD600 Golden Eraは中古しかないうえ、やや古いモデルなので、日本では650 Golden Eraよりもさらに見つけにくいものだ。
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このDMaaとRe Leaf にハマりまくる状況がいつまで続くのかは分からないが、ともかく現在の私は、これらの3機のゼンハイザーHDシリーズ・DMaa tuneをRe Leaf E1xにDMaaのリケーブルで結線し、ソースによって、あるいは気分によって使い分けている。(悔しいが私の試したかぎりDMaaのサウンドを十分に堪能したいならばケーブル込みで考えるしかない。)
HD600とHD650だけで、こんなに楽しめてしまうとは・・・・。E1xとの相性の良さも含めて、全くの予想外であった。こんな愉快なヘッドホンライフは今まで知らなかった。
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それにしても、これらのヘッドホンサウンドの持つ三者三様、微妙に異なる音の吸引力はどこから来るのだろうか。ヘッドホンハウジングの材質からリケーブルにまで至るDMaaの絶え間ないゼンハイザー研究の成果からか?それとも元々ゼンハイザーのロングセラーヘッドホンの持つポテンシャルなのか? おそらくその二つの要素のChemistryがこれらのサウンドを生み出したのだろう。
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そもそも、このHD600やHD650というヘッドホンは基本的にとても鳴らしやすい。特にT1やHD800やHE1000、Master1なんかと比べると遥かに鳴らしやすい。そのうえ音がしっかりしている。
毎日聞くヘッドホンというのは、鳴らしきれているかどうか自信の持てない高級で個性的なヘッドホンよりも、安価だが鳴らしやすく、欠点の少ないヘッドホンの方がいい。つまり、私はそういう結論に行き着いたことになる。
もちろん、たまに飲みたくなる清涼飲料水のような、時々ある特定の音楽を聞くために結線する、高級で個性的なヘッドホンもあってもいいとは思うが・・・。
(やはりヘッドホンは面白い。こういう色々と切り替えて聞く行為は、大掛かりなセッテイングの必要なスピーカーではまずできない。)
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そうこうするうち、Sennheiserから、あのOrpheusシステムの後継機と思われる、大理石で出来た管球式ヘッドホンアンプとヘッドホンのセットの発表があった。アンプと一体化したヘッドホンケースの天蓋が自動的に開く様子を、動画でご覧になった方も多いだろう。ブルメスターが回路設計を担当したという噂の、あのモデルはRe Leaf E1やTelos HPAを遥かに超える超高額機となろうが、買える買えないはともかくとして、またもやハイエンドヘッドホンシステムの選択肢が広がったのだ。さらにSTAXの新型の超弩級ヘッドホンアンプの発表が間近というリークもあるし、オーディオテクニカのDACつきの超弩級真空管HPAも欧州で発売になるという話もある。(テクニカのモノは現地価格で換算すると80万円クラスのアンプである)これらも買う買わないはともかくとして、エキサイティングな展開だ。
これらはまるでHE1000やFostex HP-V8の発表とシンクロしているようだが、偶然か?
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ところで、私はヘッドホンにハマる遥か以前から、ハイエンドオーディオの正統としてのスピーカーオーディオの世界にドップリと漬かって楽しんできた。しかしながら、ここ数年は作りや値段が凄いなと思うスピーカーはそこそこある反面、音そのものやコンセプト自体が心底新しいと思えるニューモデルは極端に少なくなってきたと思っている。その反動か、ヴィンテージのタンノイやJBLのスピーカーやモノラルのWEのホーンスピーカーに関心があるほどだ。はっきり言えば、スピーカーオーディオにはもう全く新しい試みを見出すことはできないのではないか?と疑うほど、今のハイエンドスピーカーに絶望している。

もちろん、私は今でもスピーカーは好きである。実際、昼間はよく聞いている。だがもはや、少なくとも大型・中型スピーカーについては様々な意味で不便で、能がないなと聞きながら思う。取り柄は少しばかり音が良いだけであり、他は現代の都市生活という視点から見れば、欠点だらけで、時代遅れであるとしか言いようがない。振り返れば、ハイエンド市場にはあまりに大きく重く、あまりに高価なスピーカーたちが未だ跋扈している。
もっと小さくて便利・安価だが、同じくらい音の良いものを作るのがテクノロジーというものではないか?そういうテクノロジーが向いている方向のひとつがイヤホン・ヘッドホンなのだろう。

なんといってもイヤホン・ヘッドホンオーディオの世界は、技術的にまだ伸びしろがかなりある。そして、多くの才能ある開発者と若いイヤホン・ヘッドホン愛好者がこの分野にどんどん集まってきている。なにしろ、イヤホン・ヘッドホンオーディオの世界には、まだ新しいことが起こる余地が技術的だけでなく人的にも残されているうえ、それらの新しいことは、まだ金銭的な意味においてほぼ私の手の届く範囲内で起こってくれるだろうという安心感がある。こうしてイヤホン・ヘッドホンオーディオにもドップリ漬かった私には、もうヘッドホンがスピーカーよりも音が悪いとは思えない。ここ数年はさらなる改良と成熟、バリエーションの豊かさが加わり、Re Leaf E1xやGoldmund Telos HPA、HE1000やDMaaで改良したヘッドホンを聞いていると、スピーカーは無くても困らないなと思う瞬間がある。つまり、この分野だけに専心しても十二分に楽しめるようになってきたのである。

かくして欲求不満の時代は終わりを告げた。
気付いている者は多くないのかもしれないが、
目に見えぬ大輪の華が目の前で花開こうとしている。
新たなハイエンドヘッドホンのカオス、
ハイエンドヘッドホンの新しき「Golden Era」が始まっているのは間違いない。

# by pansakuu | 2015-09-20 10:48 | オーディオ機器

CHORD MUSIC XLRケーブルを巡る私的な迷想:オーディオの一本道で

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「天下無双とはただの言葉じゃ」
by柳生 石舟斎 (井上 雄彦 バガボンドより)



この東京という大都会の神経質な生活に疲れたら、
どこか外国の砂漠地帯へ出かけるのもいいさ。
10キロ四方に自分以外の人間は居ないような場所。
ただ真っ直ぐな一本のハイウェイがその一人きりの砂漠を貫いているだけなのさ。

そのハイウェイを半日、時速65マイルで走っても、一台の車ともすれ違わない、
そんな場所は、この世界にはいくらもある。
例えばアメリカの南西、ハイウェイ95が貫くモハーヴェ砂漠かな。
ネヴァダ、アリゾナ、カリフォルニア。
あれは砂漠というより荒野だよ。そっちが正しい。
広大無辺の荒れ地を抜けてゆく一本のアスファルトの道を古びたリンカーンで飛ばす。
65マイル?時速100キロくらいかねえ。
本当に半日以上、平均時速65マイルで走り抜けても、一台の車ともすれ違わない。

そういう乾いて爽快なイメージを俺に抱かせたインターコネクトケーブルがここに有る。
その名はCHORD MUSIC。
これを作っている英国のケーブル専業メーカーCHORDはハイエンドケーブルの世界ではやや新参者なんだが、こうね、どこか決まりきってきてさ、硬直してきたようなメジャーなハイエンドケーブルたちの出音に、いつも一石を投じてるような気がするんで、俺はCHORDのケーブルに以前から注目してきた。

今、手にしているCHORD MUSIC XLRバランスインターコネクトケーブルは、CHORDの他のケーブルと印象としてはあまり違いのないモノだ。写真はないので、勝手に想像してほしい。
純白の合成繊維製の被覆で覆われた、ややタイトな印象の線体は、あんまりしなやかではないけれど、取り回しに苦しむほどじゃない。XLR端子は、ゴムリングが嵌められていたり、付け根の部分がオリジナルの金属の削り出しのパーツに換装されてたりするけど、基本的にはノイトリックの端子だ。外から見て、その純白のCHORDカラー以外はそれほど目を引くところは無い。とはいえこれは1mワンペアで90万円の代物。中身にはそれなりの仕掛け、材質の工夫があるんだろう。
例えば同じ長さのRCAバージョンとの価格差が大きいことは注目すべきだ。すなわちグランドを一本加えるだけで大幅に高くなるということに、変な言い方だが“手応え”を感じる。CHORDの技術は当然、ホット、コールド、グランドそれぞれに適用されていることになる。

CHORDケーブルの開発者、ナイジェル フィンは日本製のエクリプスという卵型スピーカーを使ってケーブルの音決めをしていると聞く。フルレンジ一発のシンプルなスピーカーはケーブルの素性をマルチウェイのスピーカーよりも容赦なく、暴き出すんだろう。あのスピーカーは音圧とか音量は取りにくいが、ニアフィールドリスニングするときには精密な定位や音の解像力、正確なサウンドステージの広がり方なんかでは、凡百のブックシェルフスピーカーやトールボーイスピーカーを軽く引き離して、世界中にマニアックなファンがいる。だけど、このスピーカーでハイエンドオーディオケーブルの音決めをしているっていう話は初耳だ。CHORDの多くのケーブルが他のメーカーのケーブルとサウンドの点で一線を画している秘密が明らかになったような気がする。

で、いつものようにConstellationのPerseusとNo.32Lの間を、
この白くてちょっと硬めのケーブルで結線して聞き始めよう。
なるほど、このケーブルには速効性がある。聞き始めた直後、アッという間に音の姿態は変化して、システムの主導権が部分的にしろ、CHORD MUSICに移ったことが分かる。スピーカーの周囲の空気は急速に透徹して、やや冷たく広大な音のスカイラインが左右に広がり始める。濁りの全くない音がその向こう側から、こちらへと投げ込まれる速球のようにドンドン聞こえてくる。俺の頭の位置、耳の位置というとても狭いストライクゾーンに向かって正確に投げ込まれるストレートなサウンドだ。こういう真っ直ぐな音って今時のハイエンドケーブルにはほとんど無いんじゃない?
音と音間の沈黙の境目はとてもクッキリしているが、ボーカルに硬さはなくて、むしろ柔らかく滑らかになったようで音の流れがいい。ダイナミックレンジに大きな変化はなくて、
周波数帯域の広さ、バランスにもほぼ変わりなし。それから音を視覚的に捉えたときに発生する、音の解像度という概念、その単語を使うなら解像度はグッと高まり、明らかに鮮鋭感を増してくる。細部はクリアーに鋭く立ち上がり、鮮やかに眼前に展開。過渡特性もはっきりと良くなって、いわゆるハイスピードな応答に拍車がかかってくる。この応答の早さからか、CHORD MUSICはリズミカルな表現が恐ろしく巧い。また、この応答一つ一つに力が宿っているように思えて、聞いている方はグッと来る。
そして宣伝文句のとおりに、音楽のフレーズひとつひとつに付いているアクセントの位置情報がとても正確で、リズムやメロディに誇張がないのに強烈なインパクトが得られる。こうしてリスナーは非常にストレートで小気味良いインパクトと音場の見通しの良さに圧倒されちまう。
一般にこのレベルのハイエンドケーブルを使うと、様々な音色の鳴らし分けは実に巧妙になるもんで、何丁ものバイオリンがほぼ同時に鳴っていても、その製作者や製作年代の違いから来る音色の差異があるから、音は折り重なって層を成して聞こえる。でも、このケーブルではそこらへんの鳴らし分けはJormaやトランスペアレントの最高級グレードと比べるとちょっと弱い感じはするね。色々な音にキレイに分かれるところが、一本化されてシンプルに聞こえちまうことがある。これは言うなれば、このメーカーがまだ若いということなのか。ただ、音がバラバラになり過ぎるのも困るんだよな。このケーブルではハモりの美しさがむしろ出やすいのはいいことだしね。トランスペアレントやNordostの上級モデルは時に音がバラケすぎだと思うから。したがって各パートの分離感に関してCHORD MUSICではやり過ぎにならないのを、むしろ良しとする。とにかく多くの楽器が適切な一体感を持って鳴るんだ。
では音の強弱の階調はどうだろう。いつも気になる、大きい音と小さい音の階調・濃淡のグランデ―ションは全くの一続きのものと聞こえる。これは段階的な違いじゃない。実に細やかで緻密な差異の表現がなかなか凄まじい。
定位の良さ・位相の正確さ・タイミングの正確さについては、本当に得意分野だね。このケーブルほどそれらの点で徹底してアキュラシーを感じるケーブルは稀だ。何処からどのような音が、どのようなタイミングで現れ、何処へどういうスピードで飛んでゆくのか、常に正確な答えを用意している、それがCHORD MUSICのサウンドの真骨頂なんだよね。
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このケーブルは珍しくも英国製でさ、(DAC作ってる、あの英国のメーカーとは名前は同じだけど全く関係ないのでよろしく)普通のハイエンドケーブルというと米国製が多いけど、そこは出自が違うんだよね。さすれば英国伝統のいぶし銀の音を聞かせるのかと思いきや全くそうじゃない。そこもオモシロイ。これではネオクラシックとさえ言えないな。伝統のようなものとの関わりがほぼ全く感じられない新しい音さ。当然、スコットランドのLINNのサウンドに代表されるような音のまとめ方の巧さで聞かせるタイプでもない。かといって、いかにもハイエンドケーブルでございますっていう、これ見よがしの豪華な音とも少し遠いし。これはまさにCHORDの音としか言い様は無い。

当たり前だが、アンプやスピーカーの音はケーブルを通すことによってしか確かめられない。逆に言えばケーブルの音もアンプやスピーカーを通さないと分からない。だからケーブルの音を純粋に知るのは難しい。アンプやスピーカーのキャラが音に乗るから。でも、このクラスのケーブルともなりゃ、アンプやプレーヤーをまるでねじ伏せるように支配するモデルも稀じゃない。そういう場合はシステムがなんであれ、否応なくケーブルの色がよく分かる。
その観点から見れば、CHORD MUSICは自分の個性・色をアピールしつつ、あくまでシステム全体を生かそうとするケーブルだね。聴きようによっては容赦ないほど独自の色づけのある音でありながら、それが今聞いている音楽そのもののフィーリングや、システムコンポーネントそれぞれの音の傾向を殺しもしないっていう所がいい。自分の音も周りのコンポーネントの音も公平に出す。

そういえば、色づけのない音は音楽的な表現に直結しないと言う人が居たね。具体例を挙げるなら、進化したデジタルオーディオの音には色づけが少ないと感じることがあるけど、そういう音では音楽性が大きく削がれることがあるという経験則を言いたいのだろうか?デジタルオーディオの進化はさしあたり出音の生々しさ、臨場感にはつながるようだが、それはそれで一本槍な姿勢っていうか、ある方向性しか見ていない退屈な音でもあると俺は思うことがある。優秀で精密だけど、どうもぎこちないというか、嘘くさいというかね。例えば高価なクロックで武装したハイエンドDACのサウンドには音楽性がごっそり欠落している場合なくない? DSP-01やVivaldi、あるいはポータブルハイエンドDACとして名高いAK380の音を聞いている時には、音楽性という言葉が俺の頭に浮かんで来ないんだ。

じゃあ音楽性とは何なのか?
俺の場合、単なる音波の連なりでしかない何かを音楽足らしめているもの、音楽の背後にある作曲者や演奏者の意図、感情の起伏を指してそう言っている。あるいは別言をもってすれば、音楽を創った人間の意図がまるで言葉のように意味をもって聞こえてくる、あるいはイメージとして見えてきて、音楽が解釈できるようになること、とでも言うかな。
それは常にオーディオには宿っていなくちゃならないものなんだ。
少なくとも俺にとってはね。
確かに機材によっては、その音楽性を分かりやすくリスナーに示すことを得意とするものがある。そういう「音楽性のある」機材を使っていると、まるで無生物である機材になんらかの意志があって、音楽の内容をこちらに訴えかけて来るように感じるんだよね。誰かが言うように、ごく客観的にオーディオという「状況」を見ることができれば、おそらく、そこにはなんらかの心理的なファクターがあって、知らず知らずのうちに作用してるだけなんだろうけど。

とにかく、CHORD MUSICを通すことで音になにかが加わったのか、それとも元々あったもので、ケーブルを通す途中で失われていたものが、失われずに耳まで届くようになったのか判然とはしない。おそらくその両方だろうと勘繰るに過ぎない。
こうしたスーパーハイエンドケーブルについては、その宣伝文句にありがちな全く足し引きのないサウンド、音色までも透明にする傾向を実際には、あまり感じない。むしろ、それぞれが、どういう形にしろ音質を盛る・ドーピングして聞かせることがほとんどだ。いわば女たちの化粧のようなものさ。飛び切り上手い化粧。さらに言えば、いくつかのハイエンドケーブルはドーピングをさらに極めて、ケーブル固有の個性を強く聞かせる。こうなると化粧を超えて整形になってしまうかもしれない。それはなんだか可笑しな話なんだけど、もし、そういうドーピングが、さっき言った音楽性ってものにつながるなら、俺はそれはそれで良しとする。
なぜかって、入力された信号をただ忠実に出力するだけでは音楽にならないからさ。それだけじゃオーディオをやっていることにもならないし、そもそも、それは厳密には不可能だし。だから音楽性はどうしても必要なんだよ。

CHORDケーブルの開発者ナイジェル フィンの座右の銘はなんと、というか、やはりというか「Sound is sound, not music」なんだそうだ。こういう音の全てを色づけせずに出し切る正確なケーブルを目指す彼の姿勢は、ハイエンドケーブルの開発においては珍しい態度じゃない。でも私の知る限り、完全な正確さ、全くケーブルの介在が感じられなくなったと言い切れるようなサウンドは得られたことはない。(だいたいそれ、どうゆう音よ?)ハイエンドケーブルになればなるほど、必ずケーブルの個性・独自の音楽性が音に乗る。
もちろんCHORD MUSICだって例外じゃないんだ。
つまり「Sound is sound, not music」はただの言葉に過ぎない。

CHORD MUSICに限らず、ハイエンドなオーディオケーブルというものの中には、単なる電線でありながら、独自の音楽性を発揮することで、そういうオーディオの哲学的領域に立ち入るものがある。一本のケーブルに過ぎないにもかかわらず、音楽性が深まって哲学として認知される、あるいはその音楽性自体が哲学というべきものへ変容していくような気がすることがある。
ここでいう哲学というのは、世界の根本を捉え尽くしたいという衝動をもって、対象物がなんであるかを考え、それを記述し尽くす行為を指してるんだけど、ただの電線がこんな思考へと通じる抜け道になっていたなんて、それこそオーディオの不思議だし、隠された醍醐味なんだよね。
まさに、そういうレベルのケーブルともなれば、ただ単純に音質についての印象を言葉で並べたところで舌足らず、あるいは消化不良になるだけかもしれない。でもその手のケーブルのインプレッションというものは、上手くすれば“とどのつまり、オーディオとはなんなのか?”という大きな命題への答えを探す手掛かりにもなりうる。だから、それを敢えて書く意味はきっとある。

じゃあ結局、オーディオとはなにかって言えば、これは音楽の聞き方をトータルでデザインすることなんだと俺は思ってる、今のところはね。(なんだ簡単じゃねえか)
オーディオとは再生する楽曲の選択から始まり、その操作感、音質、そして機材が構成するシステムの外観全体に至るまでのスタイル全体をトータルでデザインするってことだ。
でも、それは音波として耳に聞こえ、光波として目に見えるものだけをデザインするんじゃない。

例えば、ある空間と時間が我々に与えられれば、そこにオーディオシステムを置くことで、音波の連なりの中に、サウンドステージの広がりや奥行、深みを作り出せるようになる。こうすれば耳に聞こえ、あるいは目に見えるような地平線や境界線を眼の前に張りめぐらせ、そこに千変万化する多くの音を置くことができる。こうして出来上がった景色・サウンドスケープは、ダイナミックに刻々と変化する音のインテリアのようなものさ。でも、俺の求めてるのはそれだけじゃない。音波として耳にも聞こえず、光波として目にも見えないけれど、ヒトの心に直接伝わる何かを求める。それが音楽性だ。どういう考え方・感興で楽曲、あるいはオーディオ機材が作られているのか?その問いに対するリスナー個人の主観的な答えがそれだ。音楽性は音質・音楽の背後にある、オーディオの哲学だ。この音楽性・オーディオの哲学までをトータルデザインして、初めてシステムは完結するんじゃないかと。

例えばCHORD MUSICを加えることによって生まれる、トータルシステムとしてのサウンドデザインの変化は極めて明快、全くストレートなものだった。そこはかとなく、ゆっくりと醸し出されるようなタイプのものじゃない。その速効性のある、はっきりとした変わりようは、そのケーブルの設計者のもつサウンドへの哲学の一部を示してるんじゃないか。
でも目の前のシステムから示してくれるオーディオの個性・哲学について、幾千、幾万の自分の言葉を大河のように連ねて表現しようとしたって、そこには無理がある。それは俺自身がいつも肌で感じることだ。むしろ掌に乗るような最も短い言葉、ゼロにも近いシンプルな単語が喚起するイメージの方がより似つかわしいような気がする時もある。
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一本の道。
オーディオの荒地に真っ直ぐに伸びる一本の白い道のイメージとしか、今夜の俺にはこのケーブルの哲学を表現する術がない。確かにこれもまた、ただの言葉だが「Sound is sound, not music」よりは現実のCHORD MUSICのサウンドを言い当てているはずだ。

そう言い放って、グラスに残ったワインをすっかり飲み干したら、
今宵は沈黙するとしよう。

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# by pansakuu | 2015-08-18 22:35 | オーディオ機器

Fostex HP-V8 管球式ヘッドホンアンプの私的インプレッション:300Bはラグナレクの夢を見るか

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電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも
P・K・ディック


Introduction

私は時々、自分の持っている、あるいは今聞いている機材が生きているように感じることがある。
そして「彼」「彼ら」という表現を、私はしばしば無生物であるオーディオ機器を指して使う。
もちろん、機材やパーツは地上の動物のように蠢いたりすることはない。
植物のように静かに、だが確かに息づいているのみだ。
筐体の闇の中で密やかに光ったり発熱したりする、
金属や樹脂やガラス、その他諸々の無機質で出来た生命体の
言葉にならない問わず語りを私は出音から感じ取る。

オーディオデバイスの中で、出音に生命感を与える力が最も強いパーツ、それは真空管であろう。トランジスタが生まれる前から、多くのオーディオファイルの官能を揺さぶってきた、あの巨大なプランクトンのようなデバイス、その王として君臨し続ける300Bという直熱三極管が一本、私の手の中にある。これは学生の頃に芦屋の親戚の家で見つけたものだ。今日はこれを出力管に使用した素晴らしいヘッドホンアンプの試作品、とはいっても量産品にかなり近いという個体を試聴してきた。今回はそのFostex HP-V8というアンプに関するインプレッションをざっと書き留めておきたい。


Exterior and feeling

このヘッドホンアンプをなんの情報もなしに眺めたオーディオファイルの100人中99人までが、この機材はスピーカーをドライブするインテグレーテッドアンプか、パワーアンプに違いないと思うのではないか。それほど大きな存在感、いや威圧感さえある筐体である。
幅43cm、奥行は42cmほど、高さは23cmで、重さは30kgを超える。これは世界的に見てもヘッドホン専用機としては最大クラスである。ここまで来ると黒い武骨な筐体がとてもゴージャスのものに映る。ハイエンドオーディオを買うという行為は、多かれ少なかれ、なんらかの”夢”を買うという欲望を満たす側面があるものだが、このアンプはそういう側面をおおいに満たしてくれそうな気がしてならない。とはいえ、筐体もここまで来ると置き場所が大問題となる。音以外で難儀な部分はなきにしもあらずだ。しかしこのアンプの音の心地よさに気付いたヘッドフォニアは後先を考えず、このアンプをつい買い込んでしまう可能性がある。(私などは特に危ない。)
ついでに言えば出力値と消費電力の落差もかなりゴージャスだ。10オームで2wほどの出力にして、消費電力は190wにもなる。現代のアンプ、しかもヘッドホンアンプとしては、なんとも漢気(おとこぎ)溢れる仕様である。

マットブラックの無骨な筐体の正面にはガラス窓が大きく開いていて、出力管である2本の300Bがまず見える。そして真空管への供給電力を生成するB電源のリップル(電圧の高低差)によるノイズを抑制するための新回路、Stabilized Tube Contorolled power cirkitのドライバーであるKT88が2本、さらに見える。つまりKT88は出力管ではなく電源のドライバーとして裏方に回っている。このKT88の使い方は、音以前にまず意外性があって面白い。さらに増幅初段に使っている6DJ8という小さな真空管も2本見えている。これら計6本のオール三極管・セルフバイアス式真空管アンプがHP-V8なのである。日本で選別された、これらのロシアあるいはチェコ製の三極管たちはフルドライブでの発熱も筐体が触れられなくなるようなこともなく、密やかに鈍く輝く。窓は大きく開いて、球は良く見えるものの、HovlandやNAGRAのアンプほどの華やかなアピールはしない。だが、そこに球があり、深海の無脊椎動物のように光を放っていることに、いつも私の意識は向いていた。

窓の下にあるパネルにはプッシュ式の電源スイッチ、バランス4pinと6.3mmの標準ジャックから成るヘッドホン(出力セレクターでどちらか一方をセレクト)、インピーダンス/ゲイン調整ダイアル、赤色デジタル表示で数値が読めるボリュウムノブが並んでいる。
ここにあるバランス4pin端子についてはトランスの巻き線を2つ組にすることで出力を生成しており、通常の4つのアンプで駆動する方式ではない。このユニークな方式は手抜きでもなんでもなく、聴感上で良い結果を生むのみならず、ヘッドホンからの逆起電力をカットするという点でも有利であるという。なお、このアンプに使われる出力トランスは今はなき山水電気の流れをくむ橋本電気製。強力な振動対策とシールドが施された、このヘッドホンアンプのためだけの特注品である。
また特注品といえば、このアンプの回路に使われる高耐圧コンデンサーもそうである。これはこのアンプ独特の高電圧に合わせて日本ケミコンで新しく開発されたものという。
こうして、このアンプの内容を調べていくと、このヘッドホンアンプの開発の過程で様々な日本のパーツメーカーとの綿密なコラボレーションがあったことを知る。300Bというヘッドホンに向かない球を使いつつ、現代的かつリファレンスとしての格を備えたヘッドホンアンプを製品化するために、新旧の日本のテクノロジーを集約することは必須だったのだろう。

インピーダンス/ゲイン調整ダイアルは大きく分けて、ハイインピーダンスとローインピダンスの2ポジションがあり、それぞれがさらにハイゲイン・ローゲインに分かれるので計4ポジションとなる。エンジニアの方はこれで市場のほとんどのヘッドホンに対応可能であると言っていた。これをフロントで、音を聞きながら切り替えて調整できることはとても便利。では果たして、このアンプでHE1000が存分にドライブできるだろうか。ぜひ試してみたいところだ。

ボリュウムは新日本無線のMUSESを採用。ボリュウムの回転フィーリングは少し粘りのあるもので、ジェフローランドのものにかなり近く高級感に溢れる。またボリュウム位置が回転角によってではなく、数値で具体的に表示されるのは私が望むところでもある。

ところで、この表示に関しては、真空管のトラブル発生を常時監視するため、このアンプに組み込まれたマイコンとの関連もある。このマイコンはアクシデント発生時には安全装置として働くと同時に、この部分の赤い表示でエラーが起きたことをリスナーに警告する手筈になっている。もちろん、真空管の寿命についても考慮して設計されており、1日2時間の使用で5年以上は真空管の交換は不要とのこと。こういう音質以外の信頼性や安全性がガレージメーカーの製品などでは行き届きにくいが、このモデルに関しては完璧に近いケアが施されていると見た。

バックパネルにはフルテックの金メッキACインレットとRCA一系統の入力端子、メインスイッチとダイレクトモードスイッチが見える。この中ではダイレクトモードスイッチというのが特に面白い。このスイッチを入れるとアンプ内のボリュウムがバイパスされ、ヘッドホンをドライブする純粋なパワーアンプにHP-V8は変貌する。同時に先ほどのボリュウム横の表示も変化する。
これは既に高級なプリアンプ(例えばボリュウム自慢のAccuphase C3850など)を既に持っているユーザー、あるいはデジタルボリュウム付きのDACを持っているユーザーに向けての機能である。実際にこのモードを聞いてみると、上流にあるプリアンプのキャラクターが程よく加味されるのが分かる。自分の持っているスピーカー用のプリアンプをヘッドホンアンプとして使いたいというヘッドフォニアは少なくないが、その要望に対する実用的な解は今までほとんどなかった。HP-V8のダイレクトモードは、このマイナーな問題に対するささやかな、しかし完璧な回答なのかもしれない。

さらにこのアンプのシャーシもかなり凝っている。表から見てもほとんど目立たない、あるいは見えないが300Bからの振動を抑制する4N銅製のサブシャーシや、銅製のネジが奢られ、チューニングされている。フットは四足でゴムのような素材が使われているが、非常に肉厚な足である。この足の素材も振動を効率的に吸い取る特殊なものという。
真空管は見ての通りシャーシに格納されているが、ファンなどはついていない自然放熱式である。したがって筐体には多数の網目のようなスリットが設けられ、外部からの空気の流れを取り込む。また内部の真空管のメンテナンスあるいは差し替えが難しくないような構造の筐体であることも、よく見れば分かる。このシャーシの設計も元は山水電気に所属していたエンジニアの方が関わっているという。
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このシャーシであればTakatsukiのTA-300BやPSVANEの300B、オリジナルのWestern300B等に比較的簡単に差し替えて愉しむことも可能であろう。言うまでもなく、この行為の結果としての不具合は当然メーカー保証外となる。しかし、私の経験上、この差し替えは慎重にやればトラブルになる危険はさほどない。真空管アンプを手に入れたら差し替えて音質の違いを探る楽しみを放棄する手はない。
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まるでオープンカーのようにトップパネルを取り去らなければならないかもしれないが、私が一番試したいのはElrog ER300Bである。300Bがストレート管であってはならないと誰が決めたのか?そういう無意味なノスタルジアは、いつも私の敵である。

全体として、この機材の風格、存在感、威厳はヘッドホンアンプのそれとは思えないものである。写真でみるよりも本物はとても豪華で堂々とした雰囲気だ。世界中の多種多様なHPAを観察してきたが、これ以上に立派な構えを持つHPAは知らない。そして300Bを使っているヘッドホンアンプはWoo audioなどにもあるが、あれはヘッドホン専用機ではない。この球をあえてヘッドホン専用のアンプに使うことにはやはり大きな意味がある。加えて、日本発の優れたパーツを盛り沢山に使っていること、かつて日本を代表するオーディオメーカーのひとつであった山水電気の影が見え隠れすることなども興味を惹かれる要素である。

The sound 
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このHP-V8のサウンドの素晴らしさは、
途轍もない音の余裕、豊かさ、心地よさ。それに尽きる。
このアンプを聞くと本当にいい音とはなんのかを考え込んでしまうほどだ。
単純に特性を追って、シャープでハイスピードでワイドレンジな音、
全ての帯域にわたる解像度の高さばかりに
我らの耳は行っていたのではないか?
そういう音を出すヘッドホンアンプはいくらでもあるじゃないですか。
こういう別な音の生き方もあるんですよ。
そう語りかけてくるようなサウンドだ。
無論、このアンプの出音は真空管アンプのそれとは思えないほど、十分にノイズは低く、クリアでシャープであるし、当然のようにハイスピードでワイドレンジである。HP-V8は真空管アンプではあるが日本の最新のテクノロジーをふんだんに盛り込み、いささかのノスタルジーもなく開発されているから当然なのだ。だがそんなことは重要ではないと、呟きたくなるサウンドでもある。この気持のいい倍音の柔らかな広がり、全帯域に渡る爽やかな音の伸びは、一般的なヘッドホンサウンドからは遠い境地にリスナーを誘う。このほとんど生理的な聞き味の良さこそが、無理を承知で300Bを出力管にあえて使ったことの果実なのである。

よく聞けば、確かに、チャンネルセパレーションが今一つであるのか、音にもっと広がりと奥行があってもいいかもしれないと思う節はある。確かに各パートが重層する時の前後関係はやや曖昧な場合もある。低域の輪郭もやや甘く流れる。しかしそれは私のHPAと比べた場合であって、このアンプが与えてくれる、私のシステムには全く期待できない音の快感、神がかったような聞き味の良さの前には、それらの瑕疵も全く些細なことにしか思えない。やはりこのサウンドには300Bの面目躍如たるものがある。
(もっとも、このレベルの些細な問題は適切な上流機材と優れた電源ケーブルを投入すれば解決する可能性が高い。Jorma AC LANDA2あたりはこの問題に対する正答の候補である。)

今回の試聴ではヘッドホンアンプとしては、明らかに巨大な筐体に収められた、大きく重いトランスたちが醸し出す音、そのフルボディのワインのようにコクのある音を私は味わうことができた。試聴機であるバランスリケーブルしたTH900のハウジングの深紅が音のイメージと一致する。最初の口当たりは清水のようにスッキリして飲みやすいような気がして意外だが、ひとくち、ふたくちと飲み進むにつれて、じんわりとフルボディのコクの重みが口に残る。HP-V8の音を酒に譬えるなら、そういうワインの滋味だろうか。

とにかく、出音に余裕がある。これほど朗々と鳴るTH900は聞いたことがない。実際に出せる実力の10%くらいしか出さないで、他のアンプがフル回転して出す音を出してしまうとでも言えばいいのか。まあ、これは単純計算では消費電力の1%ほどしか実際に出力しないアンプである。この無駄が、この余裕のある出音につながっているのだろうか。よく分からないのだが、HP-V8で聞くバランスリケーブルしたTH900の音は直近に迫ってくるような感じはなく、いつも常に一歩離れて俯瞰しているような音である。どんなに激しい音の動きがあっても、それを手のひらで眺める釈迦のように落ち着いて聞いていられる場所にリスナーを座らせてくれるようだ。

SNについては大変に優秀である。(測定方法の詳細は分からないものの)通常の300Bを使用する真空管アンプに比べて、ノイズは遥かに低く抑えられているという。そうしなければヘッドホンではノイズが目立ち過ぎるのだとエンジニアの方は言うのだが、HP-V8の醸し出すクリーンな音響空間は300B を使用するアンプのブレークスルーと言ってよいだろう。こんなに静かな真空管アンプはなかなか聞かない。

HP-V8を聞くと、直接音がいかに数多く聞こえても、音楽は必ずしも豊かには聞こえないと知れる。ゆったりと長い滞空時間をもって流れる倍音が、出音を豊かに演出するのだと誰しも発見するはずだ。そのサスティーンが私の脳裏に描く見事な軌跡、その美しさに呆気にとられる。巷ではきっちりと整理整頓され漂白されたようなサウンド、解像感の高い音の輪郭ばかりが我が世を謳歌しているとしても、それは本当の豊かさからは遠いのだとHP-V8は言うのである。

現代風のアダルトなポップスやJAZZの女性ボーカル曲では、清潔な音響空間の中に美しく立ち上がり、優雅に定位する音像が聞こえる。そして流れが良くなったようにさえ聞こえる旋律、滑らかで、艶やかなメロディラインに魅了される。
適切な1曲が終わる頃には、リスナーはこのアンプの歌心の深さを、この女性ボーカルのボディ感と、いかなる歌い回しにも追随する落着きから聞き取ることになる。
クラシックの弦楽四重奏、オケの演奏では、スケール感をさりげなく提示しつつ、演奏のうねり、ダイナミックな盛り上がりを丁寧に描写してみせる。音の温度感はニュトーラルで、音触はシルキーで柔軟である。いつまでも聞いていたくなる、聞き疲れゼロのサウンドである。また弦楽器は一点から放射するような音の広がりが感じられる場合があり、これも興味深かった。また楽器ごとの分離はさほど良くない反面、適切なブレンド感・ハーモニーが良く出て好ましい。

さらにクラシック音楽については、少し古い時代の録音で、そこに含まれる芳醇な香りのようなものが横溢してむせかえるような満腹感が味わえる場合もあった。これはいままでヘッドホンオーディオでは体験できなかった感覚で新鮮に感じた。
またオーケストラの最近の録音では、プロデューサーが狙っていたと思われる、演奏に含まれる熱気のようなものや、臨場感の表現などが存分に出て来るソースもあった。HP-V8はパッと聞くと艶やかさや懐の深さに気を取られるところがある。やはり初聴の始まりのところでは雰囲気重視の懐かしい音なのかと思わせる。しかし、少しでも聴き込めば弦楽器の艶のような部分、流麗さだけでなく、ザラリとした生成りの質感、腰の据わった、太く力強い表現などにも対応して、リアリティも十分にある。これは結局、多様な録音の様態を鳴らし分けられるアンプだとわかる。
 
このアンプは、その出音にキツさは皆無なうえ、ゆったりした感じがあるので、アニソンなどで使われる素早いビートでまくしたてる若い日本女性の声などは苦手かもしれないと当初は思った。しかし実際に聞いてみるとむしろ聞き易くなったうえに、音楽全体が格調高く感じられるようになったので、アニソンも心に沁みる。コレはコレでアリだなと納得した次第。

これは300Bに特有なものだと思うが、音像に厚みや実体感がありながらも、微妙に透き通るような感覚を新しく感じるリスナーもいるかもしれない。濃厚な音像一辺倒でちょっと真空管はクドい、エグい音だと考えている人がいたとしたら、こういうバリエーションもあることを教えてあげたくなる。例えば今年の夏は妙に暑いのだが、それを彷彿とさせるような暑苦しい音をHP-V8は出さない。逆にどこかの古臭い小出力の真空管アンプのようにシナシナした清貧を装うようなアンプでもない。結局このアンプはどの真空管アンプにも似ていない。これは300B を使用しているが、過去の真空管アンプを踏まえて、その上に立とうとする2015年現在進行形のアンプなのである。
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もちろん、HP-V8の出音は上流・下流の機材の質に大きく左右される。下流は当然TH900がベストマッチであろう。異論はない。次に上流について私の忌憚なき意見を言えば、Luxman D-08uや以前レビューしたJRDGのAries DAC、NAGRA HD DAC+MPS、PlaybackのMPD5など、音楽性に溢れた艶のある音を出せるデジタルプレーヤーをあててみたい。上流の機器の奏法がHP-V8の奏法と溶け合うとするなら、そのポイントは音楽性の一致というところだろうから。特に現代のLUXMANの持つラックストーンに近い音楽性がこのアンプのサウンドには秘められている。だから個人的にはD-08uとのペアリングが生み出すサウンドに大きな期待をかけている。無論、アナログレコードシステムとつなぐという手もあるだろう。これも音楽性が強く出やすい送り出しだから、マッチングが悪いわけがない。HP-V8が我が家に来たら真っ先に試すのは、デジタルではなくそっちになることだろう。
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そういえば、こういう美音系のヘッドホンアンプの代表としてEARのHP4が記憶に残るものだ。しかしHP-V8を聞いてしまうと、あのサウンドでさえ簡単にメモリーから消去されてしまう。真空管の良さを前面に押し出しつつ、パラビッチーニ氏の趣向が随所に顔を出すあのEARのサウンドは私の心の奥に仕舞い込まれてしまった。具体的には音色の豊かさや、まったりとして悠々とした音の佇まいにおいて、HP-V8の器の大きさ・深さが勝っている。
最終的な価格は2015年8月現在で不明ながら、メーカー側の説明からすると、70万円と100万円の間におさまるのではないかという感触をもった。これだとEARのアンプよりはやや高価になる可能性があるのだから、上記の結果は当然であろうか。

私は、この圧倒的な聞き味の良さの奥に、はっきりと息づくもの、なにか言い知れない知性をもつ存在を微かに感じる。そうでなければこれほど私の官能が感応することはありえない。やはり300Bは生きていて、音楽の美しい夢を見ているのではないか。そう万策堂は夢想する。そして、このアンプにおいてはその夢はヘッドホンに関するイメージであって欲しい。300B生来の音の良さをヘッドホンの世界にこれほど深く持ち込めた例はかつてなかったのだから。このくだりは、あくまで取るに足らない、センチメンタルなファンタジーに過ぎない。だが300Bがヘッドホンの夢を歴史上初めて見ているのだと私は信じたくなる。この音をTH900で聞いているとね。

繰り返そう。このアンプのサウンドはまさにどこかが生きている音であり、今のヘッドホンサウンドを席巻する音質傾向、音の有機性や音楽性を捨てて、時間軸の整合性をはじめとする特性をどこまでも追いかける傾向へのアンチテーゼのようにも聞ける。この方向性にそろそろ飽き始めていた者、年老いて、もっと深みと陰影に満ちた訳知りのサウンドを求める者、とにかく真空管アンプで最上級のヘッドホンサウンドを楽しみたいと願う者、それら全ての人々に対する決定的な福音がここにある。


Summary

ハイエンドな密閉型ヘッドホンとして、リファレンスとしての地位を確立したTH900、このギアと組み合わせる理想のヘッドホンアンプとして、HP-V8は、HPAとしてはありえないほどの圧倒的な物量を投入し完成しつつある。
思えば2012年のTH900の登場以来、三年ほどの間、我々は待ち続けてきたのだった。
これでもない、あれでもない。
どれを聞いても決定版と言えるほどのTH900とのマッチングの良さは聞こえて来なかった。
そして、この素晴らしくゴージャスで、武骨、そしてエレガントなアンプの登場により、Fostexの考えるヘッドホンサウンドの頂点がやっと見えてきた。

他方で、私はHP-V8を聞き、オーディオデバイスの中で、音楽に生命感を与える力が最も強いモノ、それは真空管であると改めて確信した。
それはトランジスタが生まれる前から、多くのオーディオファイルの官能を揺さぶってきた、偉大なデバイスである。
時代が変わり続けても、求められるそのサウンドと透き通るその姿が、深化するハイエンドヘッドホンの世界に与える影響を今はまだ予想できない。しかし、このアンプの登場はハイエンドヘッドホンアンプの選択肢の幅を大きく広げることだけは確かだ。また若いヘッドフォニアを、真空管の奥深い森へ誘い込む効果もあるかもしれない。真空管の王と言われる300Bという直熱三極管を前面に押し出したHP-V8の放つインパクト、その生き生きした音の衝撃の広がりを我々はこれから先、目にし耳にもすることだろう。

それにしても、これは偶然だろうか。
Re Leaf E1といい、Telos HPAといい、HE1000といい、AK380といい、ここしばらく、本当に高い志をもったヘッドホン、イヤホン関係の機材の登場が相次いでいる。そこに今回のHP-V8である。
この状況は、ヘッドフォニアである私が夢見てやまなかったハイエンドヘッドホンの新たな時代の始まり、ひいてはスピーカーオーディオの黄昏の到来ではないのか。
私には胸騒ぎがする。

もちろん、この不思議な不安も私の感傷に過ぎないとは思う。
だが、そんな静心(しずごころ)なき私の眼で、うっすら光る300Bを眺めたとき、彼らがスピーカーオーディオのラグナレクの到来を告げるギャラルホルンの叫びを、今まさに夢見ているような気がしたのは事実なのである。

Postscript
その後、9月のTIASの開催に合わせて、価格が決定し、製品版と思しきHP-V8が東京国際フォーラムにきていたので聞いてみた。内部も若干ブラッシュアップされたとのことで、音場はより拡大し、その奥行もより深くなっていた。音質的に、その価格に十分見合うものが出来上がったようだ。また差し替える300Bについては私の希望したELrogの300Bは品質が安定せず、TAKTSUKIのTA-300Bが最もふさわしいという結論に達した。まだ他にも欲しい機材があるので、確定的ではないが、私はこのHP-V8を近いうちに導入する意志を持っていることだけは確かである。

最後に、こぼれ話をひとつだけ。TIASのFostexのブースをうろついていたら、背の高い白人男性がじっとHP-V8を見つめているシーンに遭遇した。その男性の横顔には見覚えがあった。ルーメンホワイト創業者Hartmut Roemer氏である。彼はペンを取り出すと、真っ白い名刺の裏にHP-V8とメモ書きして、再び熱い視線をHP-V8に送ったあと、静かに立ち去った。この人にまで注目されるとは。このアンプはやはり特別なものなのかもしれない。

# by pansakuu | 2015-08-09 21:00 | オーディオ機器

羽化するRe Leaf E1:Dela N1A、N1Z、Aurender S10を試す

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悠々として急げ
by開高 健


今年の梅雨時は居間でヤゴを飼っていた。
それまで自分でヤゴを育てたことはなかったので、当初いろいろと苦労はしたものの、
先日の朝方、無事にトンボに変身し、梅雨の晴れ間へ飛んでいった。

以前に蝉の羽化を見た時も少なからず興奮したが、
ヤゴが羽化してトンボになる様はもっと驚きであった。
そもそもヤゴというのは小指に乗るほどの小さな虫に過ぎない。
それが、或る夜、水辺の枝につかまって、突然に水から上がり、
その枝の天辺でトンボに変化する。
なんといっても驚かされるのは、大幅に形と大きさが変わること。
あの小さなヤゴのどこにあれほど長い胴体と翅が格納されていたのだろうか?
蝉よりも変容の振れ幅が随分と大きい気がする。
さっきまで水の底をはい回ることしかできなかった生き物に、
長い胴体が伸び、透明な羽が生えて飛び回るようになるのである。
なんというギャップであろう。

ところで、オーディオを始めた頃から時折感じてきたある感覚がある。
オーディオシステムにも羽化する時があるように思うのである。
稀にしか訪れないセンスなのだが、
そういう変容(メタモルフォーゼ)する多幸感に包まれる瞬間が確かにある。
具体的には多くの機材の集合体であるシステムを部分的に入れ替え、入れ替えしてゆくと、突然グーンと音質が伸びて、出音が安定する局面にぶつかるということだ。この時を私は「システムの羽化」と呼んでいる。羽が生えて飛べるようになった、成体になり成熟した状態というイメージがこめられている。最近、Constellation audio Perseusというフォノをセッティングし終えたときにも、こういう以前の音との良い意味での大きなギャップを感じた。

そうこうするうちに、
私のRe Leaf E1x(E1のXLR入力仕様)のセッティングは定まってきた。
ヘッドホンはDMaaでカスタムされたHD650、電源ケーブルはJorma AC Landa、タップはORB Kamakura、USBケーブルはとりあえずAIM Shieldio UA3(そのうちOrpheusのKholeにしたい)、 再生ソフトは常用としてはKorg Audio Gateとしている。
こうして見ると今までになくシンプルかつ安価な構成となりつつある。

万策堂のオーディオインプレッションでは、ここしばらくはE1xとその周辺機材について連投してきたが、そのシステム構築もほぼ完成に近づいているので、今回でひとまずこのシリーズは最終章としよう。

ところで、このシステムを使っていて改めて思うのは、
E1(E1x)には音以外に良い部分が多いということ。

それはまず大きさである。E1は置き場所を取らない。小さなトランクにいれて持ち運べるほど、小さく薄い。このクラスの実力を持つ機材、例えばOJIのヘッドホンアンプとDACの組み合わせなどを考えると、どちらも単体で既にE1よりも大きいし、厚い。そして重い。性能が同じならば、小さくて軽い方を選ぶ、これはオーディオの鉄則ではないだろうか。
それから縦置きができるというのもいい。置ける場所が狭い場合に大変助かる。これも他のHPAにはない側面である。そういうセッテイングにしても音は平置きとあまり変わらないのが、さらにいい。

それからE1は、その筐体の全体の質感が素晴らしい。何と言っても表面の仕上げが感動的である。非常に細かく滑らかな梨地のような触感で、銀色に鈍く輝くサーフェイス。今日まで様々な機材に触れてきたが、これに匹敵する感触はCHprecisionの機材の表面くらいしか記憶にない。光を吸い込むようなCHPの質感とは全く違うE1の表面仕上げだが、両者とも金属加工技術の粋を集めた仕上げだ。夜な夜な、E1xのトップパネルを素手で撫でてみるのだが、なんとも言えずいい触り心地である。生き物で言えばベーレンパイソンの鱗を想起させるような肌触りだ。

E1が他のヘッドホンアンプと大きく異なるのは、外観がいままでのヘッドホンアンプにないほど贅沢を極めていることである。好き嫌いはあるだろうが、このアンプは実際にインテリア雑誌のグラビアに載るほど洗練された美を持つ機材であり、その美はある種の宝飾品や家具調度品に備わるエレガンスに通じるものがある。もちろんそれは今までの家電にはなかった感覚で、クラシカルなテイストではないし、非常に未来的な感性に由来するものである。また西洋的なものではなく、東洋的なデザイン、余分を排した、簡素で余白を愉しませるような日本独特の意匠を連想させるような形なのである。とはいえE1はデザインという観点から見てもあまりにも先進的であり、常にひとつ先ばかり見ている高感度人たちにとっても容易に受け入れがたい部分がある。だがひとたび、その本質が理解できれば、あまりに高価に見えた価格にも納得でき、そのサウンドが形と表裏一体となって感じられるようにもなる。
やはりヘッドホンの世界にこういう高級感を持ち込んだことはひとつの革新である。E1を作った方々の話の端々に出て来る「家電の方程式を壊す」という言葉が、このような革新として具現化しているのである。

話は少し変わるが、インターフェイスに関して、E1はヘッドホンとの接続としてシングルエンドもバランスも選べるので、どちらの接続が組み合わせるヘッドホンをドライブするのに適切かを、つなぎ変えて試すことが出来る。これはこのクラスのHPAでは重要なことである。このようなマニアックなHPAを買う人間は、多くのヘッドホンをとっかえひっかえして、それら全てを鳴らし切りたいと願うはずである。このように接続が選べるとヘッドホンのポテンシャルを引き出すのに有利だし、少なくともバランス接続だったらどんな音で聞こえるのかを確認できる。ライバルであるGOLDMUND TELOS Headphone amplifier(TELOS HPA)にはそれができない。シングルエンドしか選択できないのである。そのうえTELOS HPAはアナログ入力までシングルエンドしか選べない。接続の柔軟性に欠ける。E1はRCA、XLRどちらのアナログ入力も選べるのである。

さらにTELOS HPAに対するアドバンテージを言うなら、本来はヘッドホンごとに必要なゲイン設定がE1では多くの場合で必要ないことも便利だ。TELOS HPAに限らず、市場にあるほとんどのHPAはこのゲインの問題を抱えている。例えば内部スイッチでしかゲインを変えられないTELOS HPAやNAGRA HD DACは多くのヘッドホンを適正な音量で試すのにあまり向いていない。出音は素晴らしいのに、このようなユーザーフレンドリーの少なさは惜しまれる。

ではRe Leaf E1の音質的長所に話を移そう。
E1の音の良さとして語るべきは多々あるのだが、まず演奏の裏側がよく見えるということは繰り返して言うべき長所だと思う。例えばボーカルがサビの部分を歌って盛り上がっている時だ。普通のヘッドホンアンプで聞くとバックで伴奏している様々な楽器の動きが前面に出ているボーカルにマスクされて聞こえないことが多い。ところが、E1ではそれがまるでバックステージから演奏を覗いているかのようによく聞こえる。ベースが何を演っているのか、コーラスはそれぞれどんな感じで歌っているのか。そういうことが実によく分かって楽しい。こういう愉しみは他のアンプではほぼ得られぬ。音楽の前面に出ていない部分、メインボーカルの背後に隠された旋律やリズムが浮き彫りになる快感はかけがえのないものだ。

E1は左右のチャンネル間のクロストークが他のアンプに比べてとても少ないように感じる。構造的に非常にクロストークが少ないはずのG ride audio GEM-1にさえ勝るとも劣らない。こうなるとステレオイメージが非常に綺麗に出て、定位や各楽器の分離感が安定して出て来る。それにしてもチャンネル間のクロストークは音質上は問題視されるのに、音楽そのものについて言えばクロストークは重要だというのは面白い。同時に演奏している様々な楽器の微妙な掛け合い、駆け引き、煽り合い、すなわちインタープレイは、各パートの間でのクロストークのようなものだからだ。
つまりE1が音質上のクロストークを減らせば、音楽上のクロストークはグッと増えて聞こえる。GONTITIというギターデュオの演奏をE1で聞くと、他のHPAでは決して聞けない二人の微妙な掛け合い、駆け引き、煽り合いが圧倒的な精密さで表現される。これは本当に電源や部屋を含めて数千万クラスのスピーカーシステムでなければ味わえない見事な感覚だ。

それから全ての帯域において、ヘッドホンの振動板に対する働きかけの強さ、ドライブ力の高さが満喫できる。これも他のアンプではなかなか聞けない。例えばSTAXのSR009を中核とする真空管ヘッドホンアンプシステムの音質は総合的に非常に優れているが、こういう点で物足りない。あの音には力強さが足りない。E1にはそういう不満がない。
E1は特に低域を的確にドライブする能力が高く、低域のパワーリニアリティに関してほぼ比類がない。この部分については、今まで最強と考えていたG ride audio GEM-1の能力に匹敵するものがある。それでいてあれほど扱いづらいクセはないのは褒めたい。とにかく、音質の全ての側面でクセみたいなものはほとんど感じない。また中域、高域に関しても音の通りがとても良く、十分な躍動感も得られる。この長所は電源ケーブルを良質なものに変えると、さらに伸びる。
このようなE1を用いたリスニングでは音量をかなり上げても、音は煩くならず、むしろ強いサウンドインパクトに心打たれる事となる。大音量で聞いても疲れそうで疲れず、爽快感が勝って、むしろもっと聞きたくなる。こういう不思議な聞き疲れの少なさはE1のサウンドが私の脳神経回路によく適合するからなのかもしれないが、何にしても驚かされる一面ではある。

このヘッドホンは通常、USBでPCにつないで聞くものだが、PC関係のオーディオの弱点である、実体感の薄さや音のインパクトの弱さがほとんど感じられないのもポイントが高い。聴きようによっては高密度で濃厚な音だが、適度にヌケも良く、温度感もニュートラルで、演出的、作為的な感じもしない。長く付き合えるHPAであろうことが短時間の試聴でも予想できるような音の方向性である。

さらに音像に密度感がありながら、音場としてはとても開放的であり、俯瞰的な聞き方ができるのも面白い。また逆に音の細部にどんどん入り込みたければ、そういう聞き方にも応えてくれる。つまり、どういう聞き方に対しても柔軟に対応し、クラシック、JAZZ、レゲエ、ラップ、ブルース、演歌、クラブミュージック、アニソン・・・どのような種類の音楽に対してもその良さを引き出し、リスナーにくっきりと提示する。様々な意味で死角のないヘッドホンアンプなのである。

ここでハイエンドなヘッドホンシステムとしては、コストパフォーマンスの高いものであることも述べておきたい。このE1のサウンドは経験上は50万円以上の価格の単体のヘッドホンアンプと100万円以上の価格帯のDACを組み合わせてもまず出てこない音であると思う。この音を出すにはインターコネクトや電源ケーブルにも少なくとも50万円以上の投資が必要である。それはコンポーネントの合計だけで200万円以上のシステムとなるが、それでも同等の音が出て来る保証はできかねる。しかもその場合、間違いなくシステムの大きさはE1を中核とした場合の数倍の規模となり、置き場所の面積も必要なコンセントの数も倍増するので相応の電源タップやラック・ボードが必要になり、さらに出費はかさむ。
私の場合、KLIMAX DSとG ride audio GEM-1、そしてインターコネクトにJormaのPRIME、電源ケーブルにJorma AC Landa3本を使い、種々のリケーブルでカスタムしたHD800とかTH900という陣容でヘッドホンサウンドを愉しんでいた時期がある。あの時の機材の総額よりも、今のシステムの方が200万円以上安上がりであるが、現在のシステムの方が明らかに音は良い。GEM-1はかなり個性的だが大変優秀でもあったし、DSのややフラットな出音のつまらなさをよく補って余りあるものだったから、システムの主幹であるGEM-1が劣悪だったという指摘はあたらない。やはりこれは高いレベルでの競争である。この観点からはただE1が優れているとしか言いようがない。

或る人は言った。理屈で押して筋が通り、音を聞いて素晴らしく、それが見事な意匠に包まれている、それが名機というものだと。すなわちE1は名機なのである。

上流の機材に関して言えば、これはUSBの出力がありSSDを使うPCであれば恐らくどれでも同じくいい音が出て来ると予想される。WindowsでもMacでもOK。出音の差はとても少ない。私はWindows7で主にAudio Gate、MacではAudirvanaを使って聞いているが、そのほかfoober2000やAmarra、JRiverなども音がいいと思った。もちろんPCのセッテイングに少し凝ってもみたが、今のところは、そこに凝っても労多くして報われていない。ホントに少ししか音が変わらないのだ。それよりもUSBケーブルに凝ったりしたほうが、まだ報われるのではないかと思い、以前書いたようにUSBケーブルの集中テストまでやったほどだ。

その次に、どうせやるならとデジタルファイル再生に特化したDELA N1A、N1ZのUSB接続、あるいはUSBトランスポートにほぼ特化したAurender S10あたりまで試したくなってきた。そしてついに各方面のご厚意により、それらをE1でほぼ同時に比較できるというワガママな試聴が実現した。

今回聞いたDELA N1A、N1Zは当初はネットワークオーディオ専用の超高級NASとしてデビューしたものだが、2014年末ごろから、もう一つの機能、すなわちUSB-DACとの接続ができるように中身が整ってきた。この機能に関するレビューはネット上には未だ少ない。また同時に聞いたAurenderのS10はUSBを中心としたデジタル出力に特化したトランスポートとしてデビューし、海外での評価は高い。だがN1Z以上に、日本ではレビューがとても少ない。上位機のW20はS10より音が良いが対費用効果は低く、クロックを入れるつもりがないならS10の方を取るべきだろうと考え、あえてミドルレンジのS10を試聴した。
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まず実際にN1AとRe leaf E1をUSB接続してみると、動作は完璧で安定している。ただし、不満がなくはない。これはiPadに入れた専用ソフトウエアでネットワークを介して操作するのだが、残念にも洗練された汎用のUpnp/DLNA準拠ソフトウエアではない。そのせいか表示のレイアウトや階層、つまり画面のデザインが見やすいものではない。そもそもDELAのN1シリーズは本来はNASであって、USBトランスポート機能はオマケ的な能力であることを思い知らされることになった。
そして音質。なんとN1AのUSB出力での出音は普通のPCのそれとほとんど変わらなかった。再生ソフトを選べば、N1Aの音質を超えることも不可能に聞こえない。
次にN1ZのUSB出力を試すと、これは流石に静寂感が高く、音の目鼻立ちもクッキリしてくる。なかなか好印象である。しかしこの音は、例えばPCにインストールしたJriverでの再生音と比べて大幅に上と言い切れるか?さらにN1Zの値段を考えるとどうか?冷静になって思い巡らせてみると、なかなか難しいと思う。ヘッドホンで聞くと、スピーカーで聞くよりもずっと機材の素顔が良く見えることがあるが、こうして聞くN1Zはどこか無機質な音でもある。音楽を徹底的に音として扱う態度が垣間見える。非常に真面目でスクエアなサウンドであり、極めて高音質だが音楽性が欠落して聞こえる。やはり音の面でもDELAのN1シリーズはNASとして使うのが本来なのかもしれない。
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最後に、Aurender S10をE1に接続して聞いてみた。
まず、iPadにインストールした専用ソフトウェアだが、操作性は良好である。反応は十分に速く、またリストの表示も見やすい。ただこうなると、こういう使いやすいソフトウェアがいつまで使えるのかが気になってくる。例えばiPadにも寿命がある。電池は3年持つと聞くが、その頃に電池を専門業者で入れ替えてもらうべきか、それとも新しいiPadを買うべきか?そしてその新しいiPadにAurender S10を操作するソフトウェアはインストールできるのか?またS10のHDDやSSDはいつまで持つのか?壊れた時に既に同じ規格のHDDやSSDは時代遅れになり、入手しにくい可能性もある。全ては、その時点になってみなくては分からない。さらにS10やW20にはそれ自体にその機能すべてを操作できるボタンはついていない(一部の操作は可能)ので、iPadがなんらかの形で利用できなくなれば、ジャンクにしかならなくなってしまう。さらに、短いサイクルでのモデルチェンジもありうる。つまり、この分野の製品は先の見通しが立てにくい。それを承知で100万円近い代金をこの機材に支払っていいのかどうか。

とはいえ、その音には期待以上の凄味があった。録音された場の空気感の出方がにわかには信じられないほど生々しい。これはDSP-01から出て来る音に近い。これはDSP-01を使わず、あのリアルサウンドに肉薄することができる一つの方法だろう。それから音場の広さ、その音の余裕度が半端なく大きく感じる。このサウンドの凄味は一体なんなのだろう。やはりこれは電源がしっかりしているからこそ出てくるニュアンスなのだろうか。だが必ずしもE1との相性がいいとは思わない。E1はPCとの組み合わせで音決めされており、N1ZやS10との接続は開発時には想定されていなかった。そのせいか音が場合によっては鋭利すぎ、キレすぎて疲れる場合もあった。E1の良さがS10の過剰な生々しさによって削られたような節がある。正直、このユニークな音には思わず聞き入ってしまうのだが、一方でこういう音楽性の少ないサウンド、凄味一辺倒の音のセンスにつきあい切れないという人が居てもおかしくない。

いろいろな見方はできるが、ごく客観的な視点からはS10とE1のコンビネーションの音は、私が今のところE1から聞いた中では、ベストなサウンドだろう。もう、これほどの音質となれば、スピーカーオーディオと比較してさえ、コストパフォーマンスは高い。
先日、私はTELOS HPAの音をある人と一緒に聞いた。
彼はヘッドホンを外すと、この音をオープンな空間に放り出せるスピーカーシステムを部屋含めて揃えようとすれば少なくとも1000万円以上はかかるだろうと言って溜息をついたのが印象に残っている。
それと同じことが巧くセッテイングされたRe leaf E1にも言えると思う。実際、300万円のヘッドホンシステムを揃えるなら小規模ながら充実したスピーカーシステムを揃えた方がいいという意見はよくある。私もTELOS HPA、E1の登場前まではその意見に賛成であった。しかしこれらの極めてハイエンド志向のヘッドホン専用機材の登場により、スピーカーオーディオの音質上の優位性は絶対的なものではなくなった。

ただ、N1ZやS10等の前段機器を使うと、音以外の点で、私がヘッドホンオーディオに設けた枠から、音質以外の点でハミ出すところがあるのは事実だ。今回、私がE1を導入したのは、そのコンパクトでさりげない佇まいを評価したからである。N1ZやS10、あるいはさらに進んでAurender W20にSforzatoやAbendrotのクロックを繋いだセットをE1に組み合わせることは音質には間違いなく効くだろう。しかし、小規模で、いざとなればパッと持ち出せるような、小さい据え置きヘッドホンシステムを求めた当初の精神は大きく損なわれる。そもそもPCオーディオの始まりは安価でコンパクト、シンプルだが、重厚長大型のオーディオシステムに匹敵する音質というところだったはず。高音質を求めるあまり、その初心を忘れたような機材がハイエンドオーディオ市場に多く有る。今回の企画にしても、大きさの制約がないなら、初めからOJIのヘッドホンアンプとSforzato DSP-01で良かったのではないか。我々は自分が思っている以上に欲張りな存在であり、音が良ければ全て良いと言い切れるほどオーディオは単純ではない。
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他方で、そういうUSBトランスポートに凝る事とは別な方向性もある。
それはPCの再生ソフトに凝るという方法だ。
先述したがAudio Gate、Audirvana、foober2000、Amarra、JRiverなどで聞いているとそれぞれ随分と音の印象が違う。特にクリアでHiFiな音という意味ではJriverなどは群を抜いて優れている。これを使うと、上記のN1ZやS10で得られる音質と全く同等ではないにしろ、ほぼ遜色ない音が出て来る。価格差を考えると大変にお得である。ただし私個人はどうもJriverのサウンドが気に入らない節もある。綺麗過ぎてどこか嘘の匂いがする。私個人は、もっと地味で、もっとカチッとした音のするAudio Gateが何故か好きだ。DSDが使えればいいというものではないし、音質はただ優秀であればいいというものでもない。音全体の印象が自分の好みに合うかどうかも大事だ。
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ともあれ、こうして試行錯誤しながらセッティングを詰めてゆくとE1のサウンドは予想以上に精緻であり、絶賛するしかできないことが明らかになってくる。
今や私のE1xはその全貌を露わにし、完全態に近づいて来たのではないだろうか。

オーディオファイルというものは手持ちのシステムにおいて、メイン機材を入れ替えると、そのセッティングを決めるのにとても熱心になる場合が多い。急いては事を仕損じるというから、私に場合、まずは悠々と時間をかけて音質の変化を確認しながらセッテイングを煮詰めてゆく。しかし、それが遅々として進まないと機材の音の旬を逃してしまう気もしてくる。気分が盛り上がっている時に聞く、新しい機材の青臭い音というのはまた格別で、エージングどーのこーの言う以前にスリリングな音の冒険なのだ。やるときはドンドンと機材を取り換えて、急いでやることも楽しい。別な視点から見れば人生はそれほど長いとも言い切れない。明日のことは分からないというのが真実だ。今は工面出来ているカネも明日からは続かないかもしれない。
だから今を大事にする。
これが彼の人の言う、悠々として急げ、というやつなのだろう。
このような、どこか矛盾した試行錯誤の果てに
E1xを中核とする私のサブシステムは羽化しつつあると言えそうだ。

# by pansakuu | 2015-07-11 08:42 | オーディオ機器

Sennheiser HD650 Delrimour Modernの私的レビュー:欠片を探して

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装飾は犯罪
By アドルフ・ロース(建築家)



Introduction

今使っているRe leaf E1x(E1)というヘッドホンアンプは
或る意味、手強いモノである。
E1は、市場に現存するほとんどのヘッドホンの素性を露わにし、
その潜在能力のほぼ全てを開花させることは出来る。それは確かだ。
しかし、逆に自分自身の潜在能力がどれほどなのかを、なかなか明かしたがらない。
つまり、E1のポテンシャルの全貌を露出させるようなヘッドホンが、なかなか見つからぬということになる。
この探索はまるでパズルの欠けた部分をピッタリと埋めるピース(欠片)を探す行為に似ている。それが見つかりさえすれば、パズル全体がどのようなデザインなのか、その全貌を把握できるのだが、それが簡単に見つからない。

とにかく、八方手を尽くし、貸し出してもらったり、自腹で買ってみたりして、このアンプで使えそうなもので、気になっていたヘッドホンは、ほぼ全て試してみたところである。
沢山のヘッドホンを試す過程で分かってきたのは、なるべく無個性なヘッドホン、例えばプロフェッショナルモニターがE1には合っているということであった。今のところ、素直なE1の音を知るという意味で最高のマッチングだったのは、ここでレビューするSennheiser HD650 Delrimour Modernである。これは聞こえてくる音楽そのものは勿論、下流の機材の素性をもつぶさに聞き取ることができるという意味では最高のギアの一つであり、いわゆる最も色付けの少ないヘッドホンの部類に入る。私はこのヘッドホンのお蔭で、E1xがどのような音楽を奏でたいのか、そして音楽の素顔そのものを、やっと理解できた気がする。
ここで聞ける音というのは、まあ見ようによってはサウンドモニタリングの果てのような辺鄙な場所、客観の極致のような所ではある。意外だが、E1は、そういうところにまで連れて行ってくれるアンプなのだ。それでいて、マス工房のアンプのように限りなくフラットで楽しめないガチのモニターサウンドというわけでもない。どうにも不思議なアンプだ。


Exterior and feeling
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Sennheiser HD650 Delrimour Modern(デルリモア・モデルン)と読む。
このヘッドホンはDelrimour Modern audio acoustik(以降DMaa)という、東京にあるオーディオ工房を主宰する日本人エンジニアがモディファイしたHD650である。
もともと定評のあるHD650だが、ややヌケが悪いとか、音場が狭いとか、音の厚みはあるが、音の分離がHD800など比べて良くないとする意見があった。日本だけでなく諸外国でもこれは密かに言われていて、そこでは個々のユーザーが勝手にHD650を分解して改造を加え、改良した好みの音で聞いているという話をきいたことがある。DMaaはそうした改造を請け負ってくれる工房ということになる。
ここに出してきたヘッドホンHD650 Delrimour Modern (以降HD650 DMaa)について、この日本の工房で、どのような改造を行ったかについてはWeb上に丁寧に記載されているので、例の如く詳しく書かない。
ごくシンプルに言えば、Piezonという業務用の制振材(実際はところはfoQらしい)をヘッドホン内部の適切なパーツに貼り付けること、バッフル表面とイヤーパッドの間とドライバーユニットの中央開口部を塞ぐフィルターを別な材質のものに交換することの二つの作業に集約されると私は理解している。これらの作業によりヘッドホンの音に対する反応性を整え、バッフル面・ハウジング内外の空気の流れを最適化し、ダイアフラムの振動を調整するという話だ。(写真はアンブレラカンパニー様のHPから拝借いたしました。いつも有用な情報を有難うございます。)

実際の作業はHD650のパーツがモデュラー化されているため、ネジ留めやハンダ付けなしで行えるという。したがって材料が入手でき工程さえ決まっていれば、比較的容易な仕事なのかもしれない。実際にヘッドホンを送ってから納品されるまで1日ほどしかかからなかったし、費用もかなり安価であった。
なお、細かい話をすれば、HD650は2014年より新しい金型を用いて生産されており、それ以前のロットとは中身が若干異なる。このため、新しいHD650は改造の工程が旧型とは若干異なるようである。この場合でもDMaaで対応してくれる。

具体的な注文法としてはヤフオクに「SENNHEISER チューンナップ・サービス HD580 HD600 HD650 etc」として出品されていることがあるので、これをまず落札。支払を済ませたら、手持ちのHD650を指定された場所に送ると改造されて送り返されてくるという手順だ。もちろんHD580 HD600も同様に改造を請け負ってくれる。

さらに私はDMaaにXLR3pin×2のリケーブルも同時に別注したが、これがなかなか他で見ないような珍しいモノだった。アコリバに特注されたコネクター(内部のみ無メッキの仕様)とSTAXのヘッドホンで使われるタイプの平らなヘッドホンケーブル、ノイトリックのXLR端子を組み合わせたものである。事実、このケーブルの線体はSTAXで使われているものを製造している工場で作られているらしい。これはヘッドホンケーブルとしては最上のモノの一つであるがマイナーなケーブルだ。あえてこれを選ぶとはDMaaにはSTAXのヘッドホンに対するシンパシーがあるのかもしれない。とにかく、こういう組み合わせのリケーブルは世界中見回してもほとんどない。またリケーブルの実物の作りは全く粗のないもので、コネクターの接続も確実、線体はかなりしなやかでタッチノイズは少なく、最高に使いやすい。なおDMaa ではXLR4pin仕様や標準プラグ仕様も用意しているので、幅広いHPAに対応可能である。

外観全体としては、HD650 DMaaというヘッドホンは地味で峻厳なプロフェッショナルツールという印象である。現在、HD650自体がドイツで生産されているかどうかは知らない。しかしこれはドイツ製の高級機材に共通する雰囲気、例えば最近まで使っていたブラックペイントのライカMP等のドイツの高級カメラを想起させる外観を持つモノである。遊びも気取ったところもまるでないプロ機材だ。ここではDMaaの黒い小さなシールがハウジングのメッシュ越しに見えたり、コネクターにさりげなく貼付されたりしているのが、いかにも渋い。服選びの趣味の一つとして、服についているタグに注目するというのがあるが、まさにそんな感じの格好の良いシールデザインにちょっと痺れてしまう。(なお、モノクロ写真にあるLRマークは筆者の私物である)


The sound 
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HD650 DMaaは、全ての音の要素にわたってクセらしいもの、誇張感がほとんどないヘッドホンである。

もともとHD650は中音域の密度感のある濃厚な表現に魅力があり、HD800がその深い味わいを広大な音響空間に散らしてやや薄めてしまったような音になっているのと、好対照を成していたと思う。HD650の音には厚みと僅かに高めの温度感があり、間接音に比しての直接音の存在感もHD800より大きい。またサウンド全体に腰がやや低く、低域に重みと量感がある。よって、ウッドベースのボディ感が正確に出るところなど、超ロングランの古いモデルではあるが、一目置かれる理由となっていた。
ただ聴感上はダイナミックレンジが若干狭く感じられるし、スピード感がなくゆったりしている感じもある。また全体に音のクリアネスに欠け、音場の見通しが若干悪く感じる。それらの意味では若干クセがあるヘッドホンであったかもしれない。クラシカルなゼンハイザーの音とはこんな感じか、そう思いながら聞いていたものだ。それはまさにHD600とHD800の中間にあるサウンドである。

ところがモディファイされ、バランス駆動されるHD650 DMaaでは、
ダイナミックレンジはHD800とほぼ同じレベルにまで拡がり、
全ての帯域でさらにフラットにエネルギーバランスが整い、
音の立ち上がりや立下りのスピード感が増して、
音のエネルギーの変化に対するレスポンスは一層俊敏となった。
音の鋭角的な立ち上がりが巧く自然に描写されるようになった。
音場が澄み、無音の空間が清々しく透見できるようになった。
これらはモディファイの効果としてすぐに実感できるところだ。
変わらないのは、全体として着飾らない生成りの音というところであり、
刺激感が少ないのもそのまま。温かみはあるが、メロゥにまではならず、シャープだがギスギスはせずというところがいい。低域の太さやグリップの良さは変わらず、HD800のようにはっきりとはヌケてこない。空間の広さは適切。HD800が広すぎるという方はお試しあれ。
ピアニッシモとフォルテッシモの落差は明確であり、コントラストは厳しく表現されるが、聞き疲れが少ないのも同じ。これは出音が基本的に落ち着いていて、過激な音の変化のある音楽に対してもピーキーな音を出さないからだろう。
このノーマルのHD650特有の音の落ち着きと厚みにして、過不足ない音ヌケのよさ、分離感をも獲得できたことが素晴らしい。これはD600とHD800の中間にあるサウンドよいうよりは、開放型と密閉型の中間的な出音というべきであり、そのどちらを嗜好するヘッドフォニアにもアピールするだろう。

E1xとのコンビネーションならではなのか、背景のコーラスやリズム隊の発音の描写が実にスムースかつリアルに聞こえて驚く。また、オーケストラを操る指揮者の意図が透けて見えるような全体を俯瞰する音の余裕も感じられるようになった。これは名機HD650の潜在的な能力なのだろうか。ノーマルのHD650では前面に出てこなかったことだ。これはどのような音楽を聞いてもミスマッチにならない懐の深さとしても現れている。

アーティキュレーションという言葉は、声に関しては滑舌のことを指す場合が多いが、楽器の奏法について使われる場合は、そのように、はっきりと音を区切ることに限らず、むしろ区切りなくシームレスに繋がる音の変化をも指していると私は勝手に考えている。このアーティキュレーションの正しさはHD650 DMaaにおいては際立って優れている。HD650 DMaaを聞いてしまうと、この部分の表現の仕方は多くの他のヘッドホンでは若干カッチリし過ぎるか、逆に若干流れ過ぎるかどちらかに偏っていて、それがヘッドホンの個性の一つとして認知されることになる。HD650 DMaaを使えば、どちらにも傾かず非情なほど中立な立場、ごく客観的な立ち位置で音を冷静に観察することが可能になる。
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改造前後の音の細部の表現の違いについて喩えをするならば、ノーマルのHD650には精密なデューラーの銅版画を見ているような趣きがあり、HD650 DMaaでは最新のライカモノクロームType246で撮影したモノクロ画像をモニター上で観察しているような雰囲気がある。
つまり、HD600番台に共通する特徴として音の彩度がやや低く、モノクロームのような落ち着いた音なのは変わりがない。しかしHD650 DMaaまで行くとディテールの表現はどこまでも神経が行き届いて、そこで聞かれる音はもはや絵画的なものでは全くない。この音の冴えは、最新のライカモノクロームで撮った写真の質感、まさに銀塩写真の上等なモノクロプリントを遥かに超える精彩感に通じるところである。
どこかグレイなサウンド。
このモノクロームなサウンドの低域の黒みは重く、高域のハイライトは飛ばないで落ち着いた階調を醸し出す。こうして音の全体として、さりげないシャープさがあり実に渋い音に仕上がる。言わばビターサウンドだ。
このように派手さはないが、やるべきことは完璧にやり遂げるHD650 DMaaの能力は、目の前でE1xの覚醒の過程を詳しくモニターするに値するものであった。
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E1xを使っていて思うのは、このアンプを開発する際に音決めに使っていたと考えられるHD800以外のヘッドホンで聞くのが面白いということである。E1xの設計・製作サイドが聞いたこともないような音を自分だけが聞けるという意味で大変面白い。
例えば最新のPioneer SE-master1のバランス接続でのアトラクティブなサウンドは恐らく誰も聞いたことのないものだろう。低域の解像度さえもっと得られていたなら、Master1は常駐ヘッドホンの地位を射止めていたに違いない。
それに対してHD650DMaaとの接続で出てきたサウンドには、聞くものを殊更に楽しませる要素はないが、E1xの示す音楽の定義を細部までシビアに検分できる達成感がある。一聴して地味なのだが、深く充実した出音に感嘆する。
こういう音ならHE1000を手持ちのアンプで巧く鳴らし切れたとしても、方向性がまるきり違うのでバッテイングしないだろう。HE1000を採用しても、あえてHD650DMaaを残すという選択枝もありそうだ。私はおそらくHE1000を買わないのでそういうことはできないが。
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正直、これは渋い音である。
この地味さゆえ、誰にでも受け入れられるものではないかもしれない。
だが、誤解を恐れずに言えば正しい音だ。そして深い音だ。
多くのヘッドホン、イヤホンを体験してきた耳ならば、必ずやその真価に気付き、
眼下に広がる意外な音の深みを見付けて、震撼とするに違いない。


Summary

とりあえずヘッドホンはコイツを使っていれば間違いがない。
そう言い切れる数少ない逸品、
それがDMaaでリケーブルしたHD650 Delrimour Modernであろう。
これほど正しい普通さ、渋みのある普遍性は、とても貴重なのである。
あらゆるヘッドホンが争って他を押しのけて売れようとしている時に、
そういう喧騒から独り離れ、正しい道を歩もうとしているかのようだ。
それはヘッドホンの地平に長く伸びる孤影である。

Sennheiser HD650 Delrimour Modernは、フラットなモニターサウンドを求めるプロ、そしてアマチュアだが、最高にコアなヘッドホン求道者に似つかわしいドイツと日本の英知が融合したヘッドホンである。
今使っているRe leaf E1x(E1)というヘッドホンアンプは確かに手強い代物だが、DMaaでチューンされたHD650はつかず離れず、この銀色の羊の皮を被った怪物を御し、その強さを、その最深部まで引き出してくれる。
我がヘッドホンシステムに欠けていたピースが、とりあえず一つ見つかったようだ。

# by pansakuu | 2015-07-05 13:33 | オーディオ機器

AIM SHIELDIO UA3 USBケーブルの私的レビュー: 下剋上、そして賢者の選択

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電線にスズメとまって音変わり
詠み人知らず


Introduction

そもそも、USBケーブルを変えるだけで、デジタルサウンドを良くすることは出来るのか?
これは初めてPCオーディオシステムを構築しようというときに、パソコンとDACを結ぶUSBケーブルを選択するという段階になれば必ず出て来る疑問でしょう。

それは出来ない、そう考えているオーディオファイルは相当数居るようです。少なくとも私の感じでは日本のオーディオファイルの半分以上がこれについては半信半疑なのではないかと思います。もっとも、これは初めからUSBケーブルを使う必要がないので関心がないとか、あるいはそういうところに凝って、お金を使いたくないという意図から、高級なUSBケーブルを否定し都市伝説化する動きになっている部分もありましょう。自ら多くのUSBケーブルを試したうえで、否定している人はとても少ないのではないでしょうか。確かに、それは無駄が多く報われない作業であるということを私は知っています。

では、そう言う私はオーディオ向けのUSBケーブルをどう考えているのか。
それは、音は確かに変わるが良い方向に大きく変わることはほとんどない、最近まではそういう認識なんですね。つまり、USBケーブルを高級なものに変えると、まあ多少はレンジが拡張したような印象があったり、解像感が高まったような気がしたりという、ライトな感動はあるものです。でも、市販の一番安い普通のUSBケーブルと比べて劇的な変化ではないし、音が軽くなったり、音のエッジがキツくて聞きづらくなってしまったり、逆に元気がなく平明な感じに変わってしまったりと、副作用もありうる。長さや取り回しの自由度も場合によっては低くなる。さらに、オーディオ用のUSBケーブルは比較的高価なものも少なくない。オーディオ用でない製品の価格と比べればコストパフォーマンスはとても悪いものだと白い目で見ていました。

とはいえ、私は折角入手したRe leaf E1xのセッティングを詰めたい。
そしてE1xはUSB入力で威力を発揮するヘッドホンアンプです。
とすれば、この機材に適したUSBケーブルが必要です。
私はそう考える手前、ここ一月ほど多くのUSBケーブルを買ったり借りたりしているわけです。

実は過去にもこれに似た試行をしたことはありました。その時は、今はメーカー自体がなくなってしまったLocus designのCynosure(実売40万円前後)なんかまでテストしたりして、随分と熱心でした。しかし最終的な結果は既述したような残念なものでして、高いUSBケーブルにはあまり深い意味はないという結論に達して終わってしまいました。それ以降、EsotericとAcoustic ReviveのUSBケーブルを手元に残して、必要があれば出してきて使うのみ。それは音を良くするためというより、少なくとも悪くはしていないという確信があり、確実なコネクションができるケーブルを使いたかっただけです。はっきり言えば、最近まで私はオーディオ用のUSBケーブルというものを見捨てていたわけです。

ところが、今回新たにテスト用に買った何本かのUSBケーブルの中に目覚ましい製品が混ざっていました。
それらのUSBケーブルは、今まで自分の試した60種類以上の様々なジャンルのケーブルたちの中でも、良い方向への音の変化を最も如実に感じたグループに入ります。しかも驚くべきことに、そのグループのどのケーブルよりもはるかに安かったのです。10分の1から50分の1くらいの値段しかしない。しかもUSBケーブルという、電源ケーブルなどに比べれば、ずっと音の変化を感じにくいと考えてきた種類のケーブルなのに、そこからとても良いケーブルが出てきたのです。私はこのコストパフォーマンスと意外性に素直に驚嘆したのです。(写真等は各社HP等から借用させていただきました)


Exterior and feeling

さて今回、総合的に最も音の優れたUSBケーブルと私が認定した、このAIMのSHIELDIO UA3-R010を手に取ってみましょうか。
全くなんてことはない普通のUSBケーブルですね。
まず1mという凡庸な長さ。まあUSBケーブルなんてものは1m以上は伸ばさない方がいい。あらゆるケーブルの中で長さによる音質劣化は最も甚だしいものですから。
そういえば以前、長さ3cmのUSBケーブルというのを試しましたね。これはストレートに音が良かった。ただ事実上、短すぎて機材が極度に繋ぎにくく、使い物にはならなかったのですが。
そして、このUA3、パッと見て、変わったところがあるとすればAコネクターとBコネクターの上に金色のバッジのようなものが付いているところでしょうか。これはフラッグシップケーブルであることを外見上で分からせるための装飾らしく、音質的には意味はなさそう。コネクター自体はなにか特別な設計をしているようにも見えません。端子は金メッキされていますが、これも珍しくはない。PCやDACの端子への挿入感はやや硬く、しっかりとかみ合って緩みはありません。線体は細く黒い艶のないゴムのような感触のもので、やや硬くてハリがあるが取り回しに不自由はない。断面は円形ではなく、角の丸い長方形に近い形であり、外から見て2本の電線が通っているような気配です。
とにかく外見は至極に普通です。

ではメーカー発表の資料を眺めてみましょう。
まず、このケーブルの断面から想像していた導体配置は、フラット構造とメーカーが呼んでいるもので、信号ラインと電源ラインを分けたうえで、それらの位置関係がケーブルを曲げても変化しないようにしていると書いてあります。そう言われると大したことのようにも思いますが、こういう設計はアコリバの製品に代表される、高級オーディオ用USBケーブルでは常識なので、詳しく調べているオーディオファイルにとっては、ウリにはなりにくいでしょうね。
では導体はというと、信号ラインに高純度銀を単線で用いていると書いてある。銀線使用という話は時々耳にしますが、単線となると他の製品での採用例はあまり聞きませんな。導電性が金、銅よりも優れた銀は、高級なオーディオケーブルの素材としては定番ですが、USBケーブルでの使用は多くはない。単線となるとさらに少ない。しかも採用された場合、製品の売価はとても高くなりがち。だがUA3は銀線ケーブルにしては十分に安価であると思われます。
また、ケーブルのシースはパルシャットという新素材、ケーブルシールドはアルミ箔と銅の編組を合わせているとか。パルシャットですか。一般にオーディオ用ケーブルでは導体を巻く絶縁・シールド素材に工夫を凝らしますが、USBケーブルも同じです。パルシャットは旭化成が開発した新素材で、薄型・軽量ながらも広帯域で高いノイズ抑制効果があるというもの。非磁性、高絶縁で柔軟性も高いとのこと。
コネクターも、外見は大したことはないのですが、実は全方位からのノイズの飛び込みを防ぐシールド構造になっているらしい。どこが?っていうくらい普通のシンプルなコネクターなんですけどね。多くのUSBケーブルが市販されているが、そこらへんをウリにしているものは実はほとんどない。特別なコネクターを自製するのは、大きなコストがかかるものだからでしょう。


The sound 

いきなり、大きな情報量のアップです。
これには、いささか衝撃を受けました。
新品をつないで聞き始めてから30分くらいでみるみる音が良くなってくる。
気付かぬうちに曇っていた目がクリアになり、
明るい視野が大きく拡大してゆくような感覚が生まれてきます。
このあからさま覚醒感は鮮烈な印象を私に残しました。
この音をヘッドホンで聞いていて、一人で大笑いしてしまったほどです。
今までのUSBケーブルの音は一体なんだったんだ、一体。
これなら誰が聞いても違いは分かるだろう。
一人で大笑いしながら、独り言を呟いている私を見て、家族は怪訝な顔をしていました。
そういえば人は不意打ちを食った時、笑うという話を聞いたことがあります。
この音はまさに高価格に胡坐をかいているハイエンドケーブルどもを刺し殺す、
不意の奇襲のようでもありました。

SHIELDIO UA3はオーディオケーブルの下剋上か。

そんな妙なコメントを彦麻呂さんのようにshoutしたくなったほど、
ケーブルというものに対して、久しぶりに、
そして極めて安易に心奪われてしまったのです。

とはいえ一時の感情にまかせてインプレを書くのもアレですからね。
数日、鳴らしっぱなしにして音も気分も落ち着いてきたところで、改めての音質について書いてみましょう。

まず、全帯域にわたり、このクラスのケーブルでは例のないほどの音響情報で溢れ返っています。その意味でこのケーブルのサウンドは大変に豊かなものです。音像の解像度の高さのみならず、その空間に漂う空気の温度感、透明度の描写もかなりきめ細かい。また、音がほぐれているというのか、ボーカルや楽器どうしの距離感や位置関係が浮かび上がってくるような感覚もあります。このケーブルを通すと、音楽は大変に生々しく、臨場感たっぷりに聞こえるようになります。
例えばボーカルの歌い出しの瞬間、その僅か前に吸い込まれる息。その息を吸う口唇の形が一瞬見えます。他のケーブルでこれが見えるような気がしたのはGe3銀蛇Au USBだけです。
また、音楽の終わりのところの最後の一滴というか、音量を絞って絞って最後の音がどのように消えるのか、その様が実に詳しく浮彫りにされます。
こういう音楽の周辺にある微かな情報は、音楽の本質とは関わりはないのですが、それがさりげなくも確かに聞こえてくるという事実は、オーディオをやる上では大きな喜びとなりえます。こういう音楽の中に潜むディテールの描写の充実こそUA3の真骨頂ではないでしょうか。

それから、このケーブル独自の音の色づけはほぼ皆無でしょう。銀線を使っているので、いわゆる銀らしい、柔らかでありかつシャープでもある独特の音触を想像される方もおられるかもしれませんが、そういうクセのような感触はほとんどないといって良いでしょう。ライバルのひとつであるGe3の銀蛇の音にあるようなシルバーの微かなクセも感じない。とてもニュートラルで、中立性の高い音調です。各帯域のエネルギーバランスもほぼ完璧に揃っていて、大変にフラットな印象です。音楽の抑揚を演出するような傾向もなく、音楽性の強いDH Labのケーブルとはまるで異なる音調です。

またSHIELDIO UA3に変えると、ダイナミックレンジが明らかに拡張し、システムが対応できる音楽表現の幅が大きく広がります。室内楽を聞くのに向いていたシステムが、オーケストラの音の大きさ、スケール感に対応できるようになるような感じでしょうか。
さらにトランジェント、すなわち立ち上がり・立下りのスピード感はよりナチュラルなものに改善され、聞き易さも増してきます。こうなれば当然の如く様々な楽器の音色の鳴らし分けも、他のケーブルを引き離し優秀なものとなってきます。録音された時代、マイクの立て方なんかも分かりやすいと言うより、正確に把握できるようになるのです。
大きい音と小さい音の落差のコントラストは強くなり、滑らかに音の大きさが変わる時でも階調・濃淡は実に細かくなります。

SHIELDIO UA3の良さのひとつとして直接音の全てが明瞭になり、しっかり・クッキリとした音の輪郭が現れてくる点も聞きモノでしょう。音の実在感はとても高くなってきます。
一方、倍音成分の質感は正確であり、その透明に近い存在感は直接音を邪魔しない程度に抑えられています。倍音の滞空時間が他のケーブルよりも長く聞こえるのも面白い。全体に弱くなってゆく音の描写に長ける印象です。
また音場全体に見通しがよくなり、サウンドステージとして見渡せる範囲も広がったような印象です。

簡単に言えば、他のケーブルに比べて、より多くの音がより正確に聞こえるようになる製品です。市販の価格を考え、また効果に伴う副作用がほとんど無いことも勘案するとこのケーブルのパフォーマンスは賞賛に値します。そして、この色付けの少なさは嗜好する音楽ジャンルを選ばず、下流の機材の種類を選びません。

では試みに、ここで以前やったテストを含め、今まで聞いてきた中で、これは悪くないなとか、あるいはUA3並みに良いなと思ったUSBケーブルをざっと挙げて比較してみましょう。もちろん同時にテストできていないケーブルもありますから、過去に取ったメモを参照しつつ、ということになりますが。
Wire world Platinum Starlight USB
Locus design Cynosure
Audio quest USB Diamond
Acoustic revive USB1.0SPSおよびPLS
Crystal cable Crystal USB Diamond
Chord Sarum tuned aray USB
Ge3銀蛇Au USB
Esoteric 8N Reference USB
DH Labs Mirage USB
Orpheus Khole USB2.0
こんなところでしょうか。

まず、これら11本の中で際立って個性派なのはGe3銀蛇Au USBとLocus design Cynosureです。
Ge3銀蛇Au は、まずは音がほぐれる。ほぐれまくる。そして異様なほど楽器どうしの分離が良く、音場は広い。また刺激感がなく、聞き疲れ皆無のソフトでクリーミーなサウンドでもあります。そこは銀ケーブルの良さが出ているのかも。さらにダイナミックな音楽性が添えられて耳を楽しませてもくれます。また、このケーブルが伝えるトータルの情報量はかなり大きく、UA3を上回る時すらあります。そこまで言うと、いいことづくめのようにも思われますが、音がほぐれ過ぎ、各パートの分離が良すぎて、他のUSBケーブルで聞いた場合と全く違う録音のように聞こえる場合があるのが悩みです。広い意味でこれはクセとも取れる振る舞いでしょう。曲を録音したり、マスタリングしたエンジニアはこういう出音を想定していないのではないかと心配するほど、サウンド全体が他に比べて変わってしまうことさえあります。はっきり言えば、オーディオ的にやり過ぎ感のあるケーブルです。わざとこういう音作りにしないと、こうはならないでしょう。確かに、これが気に入ればこれしかないのですが・・・・・。とにかく秀逸だが唯一無二の個性的な音のするケーブルとして、手元に残しておきたいところですね。
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他方、Cynosureについては USBケーブルとは思えないほど太いのに、妙に軽いケーブルで、なにか際立った音質的特徴を予感させるアイテムです。こちらもほぐれた音で分離がよく、スピードも極めて速く、音場は広々してエアーをタップリ含んだ独特のもの。USBケーブルとして超高価だが一度聞いておく価値はありましょう。(もう入手困難ですけど)こういう音のするUSBケーブルも他にない。ただ音質の方向性がはっきりありすぎるので、飽きるのも早そうです。そしてやはり価格が高すぎるかな。UA3はこれらのケーブルほど突出した個性はありませんが、性能では肩を並べるでしょう。
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使い勝手という面で、一番使いづらいと思ったのは勿論Acoustic revive USB1.0SPS。これらのケーブルたち中でも音質ではそれなりに上位に食い込むものの、USB端子を2つ占有するのはつらい。他の機材がPCに接続できなくなるし、USB端子が片側に1つしかないパソコンに対しては、なにか工夫をしなくては結線ができなくなってしまいます。こんな難儀なケーブルを万策堂は2度と使わないでしょう。USBケーブルの音質にそれほど拘らないならPLSで十分。
もちろん音質上でもSPS よりUA3の方が一枚以上も上手ですが、使い勝手にこれだけ差があると、それ以前に比較にならない。
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他方、意外ではありますが、これだけ評価の高いケーブルメーカーのトップエンドUSBばかりを集めても、見かけと値段のわりに案外普通の音だなと思うものは多いのです。この案外と普通なグループにはAudio quest USB Diamond、Crystal cable Crystal USB Diamond、Wire world Platinum Starlight USB、Chord Sarum tuned aray USBなど10万以上の価格帯のケーブルが入ります。これらはそれぞれ出音は違いますが、音質の各項目をよく比較検討すれば、総合的に大きな差はなく、音質は安定して優秀とはいえ、抜きん出た好ましい個性がない。他社の普及クラスの製品と比べて相対的に高価なわりに、インターコネクトや電源ケーブルなどの分野で特別に高価なスーパーハイエンド製品(NordostのORDIN等)の持つ凄味のようなものもない。正直、総合的にはAcoustic revive USB1.0PLSとほぼ同等のレベルの音質であり、価格を考えるとアコリバでいいのではないかと思えます。結局、こういうケーブルは凝り過ぎてつまらない音になってしまったパターンではないでしょうか。私はこれらのケーブルの音にUA3を上回る特徴は見出せませんでした。
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一方、Esoteric 8N Reference USBとなると、そこそこ豊かな情報量、鮮やかな色彩感、低域の量感とソリッドネスが出てきて、さすがはエソのハイエンドケーブルという気分になります。これもなかなかいいケーブルですが、音の輪郭がキツくて聞いていてやや疲れるうえ、音がどうもほぐれない。さらにケーブルがちょっと硬くて、シナリが強く、やや取り回しが悪い。そこらへんは好きになれません。UA3はこのケーブルの持つ長所は全て持ったうえで、さらに解像度の高さ、情報量が多く、音は適度にほぐれて、キツさがなく、取り回しもしやすいものです。
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そして、DH Labs Mirage USBでありますが、これは一部で評価が高いだけあり、流石の音質と聞けました。フラットでほぼクセはないが、ソースに入っている情報を過不足なく聞かせる。さらに特筆すべきは音の流れの良さ、ソノリティの良さ。どのジャンルの音楽でもとても聞き易く自然であり、長時間のリスニングでも疲労が少ない。音楽的なケーブルでもあり、音楽の抑揚や躍動をかなり巧く表現します。これは非常に手の込んだ音作りのされたケーブルであり素晴らしいものです。UA3にはこのケーブルの持つ音楽性はまでは備わっていない。ただ、Mirageは森を見て木を見ないようなところがあり、音のディテールの表現に弱さを感じます。これはAIM UA3 USBの音質の特徴と比較するとはっきりする弱点です。ヘッドホンでの使用が前提の私の場合は解像度が優先するUA3の音の方がしっくりくる。しかし、スピーカーで聞くなら、むしろこちらのほうがいいかもしれないな。ゆったりと高尚な音楽に身を任せるというような聞き方までリスナーを連れて行ってくれるからです。
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最後にスイスのOrpheusから出ているKhole USB2.0ケーブルについて述べておきましょう。このケーブルは線体が細くて大変しなやかなうえ、端子はオリジナルのアルミの削り出しでなかなか美しいもの。全体の色調や質感が私のE1とマッチングがよく、外観だけで好感が持てます。いささか高価ですが、その価格に見合って音の方はさらに好感度が高い。Ge3の銀蛇とAIMのUA3を足して2で割ったような音と言えばいいのか、その二本のいいとこ取りをしたような音です。Ge3の銀蛇のように、ゆったりとほぐれて、広々と音が拡がりながらも、AIMのUA3のような精密でカチッとした音像が屹立しており、音間の静寂が深い。音全体にかなり高度な再現力が備わっていて感心させられます。だが、Kholeはこれら三本(今回のテストでのトップ3、UA3,銀蛇,Khole)の中では一番価格が高い。UA3の安さを考えると総合的にはKholeが一押しではないです。だが予算が取れれば、これが一番いい。テストした中ではこれが一番に音が良いかもしれない。ただしやや高価だということでベストバイには押しにくい。

Summary

ケーブルで音質をいい方向へと変えていこうという情熱と、そんな厚化粧にカネをかけるくらいなら、新しいアンプを買うとか、いい音のソフトを買うとか、やることが他にあるだろうという冷静のあいだで、私はずっと揺れ動いてきました。

そして、今やっている試行錯誤、つまり、なかばデジタルシステムであるE1xのセッティングの過程では、ケーブルの選択を詰める必要が出て来ます。それというのも、アナログを堪能した後では、デジタルには、なにか圧倒的に足りない部分があるように聞こえ、そこをなんらかの形で補う必要が生じるからです。ですが実際に検討を始めると、昨今のスーパーハイエンドケーブルの価格は絶望的に高いところにある場合もしばしば。しかも次々に出てきて、とどまるところを知らないようです。
これらのうち、目ぼしいものだけを買って吟味するだけでも、金銭的にだけでなく、時間的にも人生を使い果たしてしまうのではないかと私は恐れます。ケーブル肯定にも限界があるでしょう。
だから、私はケーブルに関してはそこそこに凝る。
自分で設けた節度の中でケーブルの限界を探るわけです。

とはいえ、金銭的、時間的に制限された私のUSBケーブル探索も無駄ではなかった。
なにせUA3は今まで聞いた全てのケーブルの中でベストな対費用効果がありましたから。
価格を含めて考えた時、これほど総合的に優れたケーブルを私はほぼ聴いたことがありません。

ところで、私の知る限り、ケーブル否定派には、十分にいろいろなケーブルを試したことがないから、そういう否定を決め込んで安心している方が多い。そして、その背景には、誰にでも分かるほど音が良い方向に変わるケーブルというものの多くが、普通のオーディオファイルにしてみれば目を背けたくなるほど高価であるということがある。オーディオにコストがかかり過ぎて破産してしまうという恐怖を催すほどハイプライスだが、信じがたいほど音に効くケーブルが確かにあります。

一方、あまり言いたくないことですが、近頃、いくら高く開発費や原価を見積もっても、ありえないプライスタグのついたケーブルも目につく。それらのいくつかは音質としても価格に見合うとは思えないものだと聞きますし、実際につまらない音しかしない欠陥ケーブルが皆無でないことを私自身、細々と確認しています。それでもなお、まるでオーディオファイルの競争心を煽るようにゼロの数を増やしていくメーカーが後を絶たない。この種のケーブルは本数が出ないので、なおさら高くなってゆく悪循環なのでしょうが、こんなケーブル狂騒曲のような状況を見るにつけても、ケーブル否定派が増えるのは仕方ないと思う次第です。

やはり、これらスーパーハイエンドケーブルに匹敵する、あるいはそれ以上に充実した音質ながら、安価なケーブル、すなわち下剋上のケーブルを増やすべきでしょう。
そうでないとケーブルによって音が良くなるという事実から目を背ける人が増えてしまう。
こういう少数の富豪だけを相手にするハイエンドオーディオは、価格の高騰をもたらす悪循環により市場を緩やかに縮小させ、いつのまにかオーディオの未来を奪い去ってしまうかもしれない。

オーディオケーブルについて深く知れば知るほど、ケーブルで音質をいい方向へと変えていこうという情熱と、そんな化粧にそんな大金をかけるくらいなら、新しいスピーカーを買うとか、音の勉強のためにライブに通うとか、やることが他にいくらでもあるだろうという冷静、そのどちらの立場も深く理解できるようになります。でもたとえ、その両方をやる財力があったとしても、身はひとつですから、結局それらを完全に両立させるだけの十分な時間を割くことは難しい。その逆のシュチュエーション、時間はあるがカネはないというのもありでしょうけど。

その状況を分かったうえで言えることは、オーディオファイルは冷静になるのでも情熱的になるのでもなく、ここは賢くならなければいけないということです。オーディオの賢者なら、どちらかを巧みに省略できるはず。そういう賢い手段のひとつが、巧みなケーブル選びだったりするのではないでしょうか。オーディオはなにも財力と情熱だけで成り立つのではない。星の数ほどあるオーディオ機材の中に隠れている下剋上を、最小の手間で選び出すという賢い選択こそ、今という時代を生き抜くオーディオファイルが進むべき道だろうと私は思うのです。

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# by pansakuu | 2015-06-19 23:41 | オーディオ機器

Pioneer SE-Master1の私的レビュー:未完の大器

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「ディズニーランドは永遠に完成しない」
ウォルト ディズニー


Introduction

もう随分昔の話だが、一枚の絵を眺めるためだけに
ロンドンまで出かけたことがある。
きっかけは本郷のカフェでレオナルド・ダ・ヴィンチの画集のページを繰っていて、ふと目に留まった一枚の絵である。
それは有名な「岩窟の聖母」ではなく、「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」という絵で、見事な4人の人物像が紙に黒いチョークで描かれているだけの色彩のない下絵であった。私が面白いと思ったのはそれが明らかに下書きだったということだ。それはまだ完成されていないにも関わらず、ひとつの絵としてほぼ完璧な風格を保っていることに、とても興味を惹かれた。
そして無性に現物を見たくなった。
私は、その足で成田へ行き、飛行機のキャンセル待ちの列に入り、その列の中から電話でホテルの予約を依頼していた。あの頃はとても無謀だった。そして今よりはカネも時間も自由に使える独身だったので事の前後を顧みる必要もなかった。バブルの残滓というやつだろうか。パスポートは持ち歩いている鞄の中にいつも入っていた。
それから約30時間後、私はロンドンのナショナルギャラリーでレオナルドの未完の大作と対面していた。
今も時々無茶はやるけれど、もうあんな無茶まではできそうにない。
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あの日から20年以上の年月が過ぎた或る夜、私は発売直後に買い込んだPioneer SE-Master1を耳にあてていた。我が耳元で朗々と唄うチャールズロイドのサックスに身をまかせながら、私はあの日見た画面、イタリアの天才の描いた柔らかい線、流麗で精気にあふれたマリアの微笑の輪郭とタッチを思い浮かべていた。それはそのサウンドにイタリアルネサンスの芸術的な素養を感じ取ったからではない。まだ完成していないモノにも人を魅了する大きな力があるという、ほとんど忘れられた教訓が頭をよぎったからだ。そして、その教訓を手に入れたあの日の出来事、一枚の絵に至るまでの、ささやかな冒険の一部始終が脳裏に鮮明に甦ったからだ。
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やっと手に入れたRe Leaf E1x(E1の特殊仕様機)と最初に組み合わせるモノとして、私はMaster1をとりあえず選んだ。そして、そのサウンドの奥底に、期待した感動とは全く別の、忘れかけていた思い出を勝手に堀り起こし、一人で苦笑いした。


Exterior and feeling

Pioneer SE-Master1は典型的なオープンエアタイプ・ダイナミック型のヘッドホンである。
メッシュに覆われたハウジングの背面側の開口部はとても広いのが特徴的である。全体に大柄なヘッドホンであり、重さも460gと重い。ライバルとなるヘッドホンの代表、HD800の重さが370gであるが、90gの差は大きい。ただ装着感は悪くなく、長時間でなければ、殊更に首肩が疲れるようなこともない。公称インピーダンスは45Ωと低く、能率も94dBとやや低めである。比較となるHD800のインピーダンスは300Ωと高いが、能率も102dBと高い。このことを考えると、HD800よりもMaster1が必ずしも鳴らしやすいとは言えない。

その造りは一見だけでは、少々安っぽいと誤解されやすい。アルミやジェラルミンの板をパンチで抜いて整形して作ったチープな造りのようにも見える。しかし実際に手に取ってよく眺めれば、周到に計算されたカタチと材質、細心の仕上げと分かるし、斬新な機構も盛り込まれている。それに外観全体にメカニカルビューティが横溢している。他のヘッドホンと比べるとメタリックな質感が際立ってギラギラと目立つ。また当然ながら100点ほどもあるという部品の細部にバリや、取り付け不良などは一切認められない。Made in Japanらしいクオリティ・アキュラシーである。
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Master1を手に取って、先ず目が行くのは、頭上を通過する2本のヘッドバンドによるアーチである。一つは細長い板状に加工された超ジェラルミンが作るアーチで、これはエクセリーヌに制振材を張り込んだヘッドクッションを両端で固定している。このヘッドクッションの高さはボタンを押せば左右別にスライド式で調節できる仕組みだ。もう一つのアーチはテンションロッドで、これは側圧を好みに調節できる珍しい機構だ。つまりMaster1にはハリの異なる二種類のメッキされた針金・ロッドが付属しており、これをセットすることによって側圧を二段階に変えられるのだ。
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このロッドを両端で固定する銀色のボタンの付いた部品があるが、これは金属製(おそらくダイキャスト)であり、十分な強度を持たされている。他のメーカーだとこういう複雑な部分はプラスチック製であることが多いが、Master1は本気度が高いというか、よく作ったものだと思う。ただ全体にHD800に比べて金属製のパーツの比率が高く、またその点数も多いので重量増に結びつく。さらに言えば、これらを全て日本で調達し、日本で組み立てることでコスト高にも繋がる。
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イヤーパッドは分厚く、フカフカと柔らかい、感触の良いものである。その外側は人工皮革を立体縫製している。二種類の素材を使い分けてパッドを作っているHE1000ほど凝ってはいないが、やはり丁寧な造りである。
これらのパーツの組み合わせが創り出す装着感、その微調節の仕組みの出来は良い。実際Master1に触っているとヘッドホン全体に板バネのような張りが感じられ、装着してもその張りのお蔭でスッポリと頭にはまる。そして、この全体の張りの調節をテンションロッドの交換で行えるということは斬新。ちなみに私は側圧の高い方が好みだった。この方が音に緩みがなく、凛とした気迫が宿るように聞こえたからだ。
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ハウジングの開口部を覆うパンチングメタル・メッシュの奥には銀色の精悍なドライバーが見える。この新型ドライバーの口径は50mmと高級ヘッドホンとしては標準的であり、私が最近愛用しているSONYのMDR-Z7の70mmよりもずっと小さいし、ライバルと見られるHD800の56mmのリングドライバーよりも小さなものだ。3.5mm厚のアルミ合金に囲まれたハウジングの大きさ・ボリュウムを考えると、これはやや控え目な口径だろう。小さな振動板が大きな解放型の金属製のハウジングのエアボリュウムの中で動いているという格好である。

この新型ドライバーのメインの部品である振動板の特徴として、内部損失が大きい、つまり響きにくいということがある。例えば金属の板を指で叩くとカーンと響くのだが、この響きが出音に載ってしまうのは困る。ここでは特殊なセラミックコーティーングを施して、そういう材質固有の響きで音が濁らないようにしている。振動板は軽量で剛性が高く、適度な内部損失があるものを理想とするが、これらがバランス良く鼎立する振動板は得にくい。また常に外気に触れるものでもあり、温度湿度による変化や経年劣化にも強くなくてはならない。そういう厳しい要求に応える振動板を新たに開発することは大変な労力だが、Pioneerはそれを成し遂げた。

さらにバンドアーム~ハウジング接合部、バッフル面~ハウジング接合部にゴムのブッシュをかませて干渉を減らし、全体としてフローティング構造にしている点もユニークである。こうでもしないと金属製のパーツが多いので、盛大に鳴いてしまうだろう。だが、実際に聞いてみて、この施策が鳴きを十分制御できているかどうかはやや疑問であった。

そして合金製の大きな銀色のハウジングの下には着脱式のヘッドホンケーブルのためのMMCXの端子が見える。このインターフェイスは強度の面ではあまり歓迎されていないが、ウルトラゾーネのヘッドホンでも採用実績があり、あながち捨てたものではないのか。だが、もしMDR-Z7のようにロック機構がついていたなら、こんな文句は言われずに済んだはずだ。実際使ってみると案の定、ポロッととれてしまうことがあった。このコネクタは止めといた方が良かったと思う。また、MMCX~XLR3Pin両出しのリケーブルがあまり市場に多くないのは寂しい。私の場合、バランス接続のE1xと組むわけだし、Pioneer純正としてもU-05のバランス端子と接続(つな)ぐのだから、もっと選択枝があっていい。

そういうわけで、オプションのMMCXのXLR 3Pin両出しのリケーブルをPioneerが売り出している。今回は素直にこれを買って使っている。XLRの末端は普通のノイトリック端子で、MMCX側はシルバーのアルミのガワのついたちょっとオシャレな端子だ。ケーブルは途中で一本にまとめられ、しなやか、かつ十分に軽いもので、タッチノイズもなく、値段に恥じないケーブルと思う。


The sound 

ヘッドホンらしからぬ音である。
これは大きなスピーカーを眼の前で聞いている感じに近い。大きなエアボリュウムの中で朗々と音楽が鳴っている。大きなハウジング、大きな開口部が、優れたドライバーから出て来る音を行く抑制することなく、広い空間に開放することから生まれる、音の伸びやかさ。エアーをタップリと吸い込んだ音に含まれる、爽やかな香りのような音の雰囲気。これらをリスナーに深く堪能させるに足る、この鳴りっぷりの良さ。これら全てを手に入れるためには、現行の他のヘッドホンではなく、このMaster1を選ぶしかない。

目を閉じて聞いていると、サウンド全体にみずみずしい精気がみなぎっており、非常に活力を感じる。このサウンドを「元気な音」という表現をしている方がいて、我が意を得たりと思ったのだ。そもそも「元気」という言葉は天地の間にひろがり、万物生成の根本となる精気を指す、古き単語である。我々はオーディオの出音の表現に、わりと安易に元気という言葉を使いがちだが、その言葉をひとたび使えば、生命の根本に近づいた音というニュアンスで、そのサウンドを評価することになる。

さらに、これこそがPioneerのハイエンドオーディオブランドであるTADの音だと言われれば、納得できなくはない。TAD D600、C600、CE-1、M1等、私の注目してきたTADの製品に、この活力は共通するものだ。
とはいえ、今回は強力なドライビングパワーを持つE1xと組み合わせて聞いるので、こういう気力に溢れた躍動感のある鳴りが得られたという見方もできる。それは否定しない。でもこういう高価なヘッドホンを買うなら、アンプも奢ってほしいものである。機材のグレードについてのバランス感覚はしばしば重要である。

ところで、このMaster1は再生帯域全体にわたって、概ねフラットかつ正確なレスポンスが得られるヘッドホンだが、低域にWeak pointがあると思う。Master1の低域には他のヘッドホンではあまり聞かれないほど柔らかく、豊かな量感がある。だが、この部分は強力なヘッドホンアンプでなければ十分に制動しきれないので、ただのボワボワした甘い低域、音程がはっきりしない低域になってしまう可能性が高い。ここは難しいところで、実際、U-05のドライビングパワーでは制動が間に合わないようだった。少なくともLUXMANのP-700u以上の高い実力を持つヘッドホンアンプをあてがってやらないと、真価は聞けないのではないか。そのかわり、アンプを奢れば、今までのヘッドホンでは聞けなかったMassiveでよく伸びた低域が楽しめるだろう。例えば定番のAquaplusのPure、その5曲目、「永久に」の冒頭の太鼓の低域の重さは、このヘッドホンならではのものである。軽々としたエアーを十分に含んでいながら、腹にズンと来るような錯覚を呼び起こすヘヴィな低域。確かにこれはMaster1のハイライトなのだが、場合によっては扱いにくい難物と聞こえてしまうかもしれない。

見上げるように舞い上がる高域、スッキリとして見通しが良いうえ、どこか艶やかさも感じる中域、御し難いがハマると他では得難い量感のある低域。こうして全ての帯域を俯瞰してみると価格に見合う豪華な音ではある。ことに高域の輝きは強く、台風一過の満点の星空のようにきらめいて聞こえる。ただMaster1で聞かれる音像の聴感上の解像度や音の立ち上がり・立下りのスムーズさ、スピード感などはハイエンドヘッドホンとして至極普通なレベルで、そこに注目すると開放型の業界標準たるHD800と大きな差がない。25万円オーバーという価格を見て、そういう部分でも突き抜けた音を期待するが、なかなか難しい。

しかし、各楽器の分離の良さは賞賛されるべきだろう。E1xで聞いても、U-05で聞いても多くの楽器が弾かれ、多くの人が同時に歌う場面で、それらの前後関係、音色の違いがよく聞こえる。どういう場面でも音が混濁する印象が少ないクリアなヘッドホンサウンドである。これは内部損失の高い振動板を備えたドライバーらしい、高度な音の描写力によるのだろう。
一方で、こういう音の分離が進み過ぎない、分析的になり過ぎないところもまた気に入った。そういえば、あるオーケストラの指揮者が、自分は本来バラバラな音をかき混ぜて渾然一体にしようとして努力しているのに、オーディオはそれをまた分離しようとしていると不満を漏らしていた。この渾然一体という表現は、おそらくハーモニーを指すのだろうが、その生成をこのヘッドホンが妨げることはない。音楽全体が高揚し、全ての楽器が協奏する場面では、各パートが調和することで起こる化学反応、1+1の答えが2を超えるような現象が聞こえてくる。この感覚は大型スピーカーを思い切り駆動して、部屋全体を音の洪水で満たすような聞き方では得られやすいのだが、ヘッドホンは元来、音の分析に傾きやすい道具だから、こういう場所になかなか連れて行ってはくれない。だがMaster1は例外だ。このサウンドの持つ芳醇なハーモニーは音の分離を極める優秀さとは相反するのだが、それらを上手くまとめあげている。

ここでは倍音成分の質感はとても軽く、淡い感じで、やや色彩感のある直接音と比べると、ずっと透明で実在感は薄い。これは平面型のヘッドホンに聞かれやすい特徴だが、このようなヘッドホンはコントラストや輪郭のはっきりした電子音で構成されたアニソンを聞き易くしてくれる場合が多いような気もする。
しかし、アコーステック楽器の演奏を正確に再現するのに必要な、強音と弱音の間に生まれるグラデーションについては、きめ細かさがやや足りない気がする。これはドライバーの動きがまだこなれていないせいか、あるいは金属の振動板が使われているせいなのか分からないのだが、この価格であれば、そろそろ丁寧な描写が出てきていいはず。また、この部分は音の明瞭さを強く求めるウルトラゾーネのヘッドホンで感じる音の僅かな粗さ・荒さにも近い。それはバイオセルロースなどの非金属素材で作られた振動板から出る音との差として、私が時に感じる違和感である。

サウンドステージの広さもU-05との組み合わせでは若干狭く、不満が残る。しかしRe leaf E1xとの組み合わせでは左右の広がりはもとより、とても深い奥行きのある音場が得られたので安心した。特に音場の奥行の深度に関して、E1xとMaster1の組み合わせはHD800のそれに勝る。だが普通のアンプではこのヘッドホンサウンドの空間性はやや平凡なレベルに留まるだろう。そこでのサウンドステージの有り方はヘッドホン本体の価格に見合うものではない。ここは低域の質感と同じくアンプ頼みの項目だろう。

こうして見て行くと、やはり25万円オーバーという高めの価格設定は、日本国内で高品質な部品を調達し、ただ一人の専任技術者が組立てるという、いわゆるJapanクオリティの維持(というか意地?)のために支払われているものであり、音質に直接現れていない部分が大きいのかなと思う。そこから生まれるであろう、オーディオ機器としての信頼性はこれから何年か使い続けていくうちにジワジワと出てくるはずで、今のうちはまだ評価のしようもない。
逆に言えば、このサウンド自体は他の多くのヘッドホンと同じく、一分の隙もなく完成されたものとは言いにくい。Master1は現時点でもハイエンドヘッドホンとして十二分に通用するレベルを達成しているが、もっと音を煮詰めることはできなかったのだろうかと思われる節もある。

例えば、意味のない試行だろうが、このヘッドホンのハウジングの開口部を掌で押さえながら聞いてみると、低域の音程が一層明瞭となり、フォーカスが合ってくる印象がある。こうしてみると(素人考えだろうが)どうしてもこのヘッドホンの構造や素材には音を濁らせる要素が、まだ残っているように思えてならない。そりゃまあ、このヘッドホンでの金属パーツの多用は機械的強度などの点から考えれば悪くない。また、制振材や異種素材が既に多く組み合わされているのも聞いている。だが、実際に購入した製品を聞く限り、それがまだ十分に効果を発揮していないような気配がある。もっと異なる比重や分子構造を持つ素材の組み合わせを試し、金属固有の鳴きをコントロールすべきであったろうか。それとも、もっと全体の剛性を高めるべきだったか。異種素材の組み合わせやリジッドな構造は音に落ち着きを与えるが、このヘッドホンにはその落ち着きが足りない。
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Master1と比較する相手として、まずHD800がある。このヘッドホンレジェンドとも言えるモデルとMaster1との比較は日本人である私にゃ苦しい。価格差や HD800が既にかちえた信頼性、音の物差しとしての安定性を総合的に考えると、ドイツのヘッドホンHD800が日本のMaster1に勝ると思われるからだ。ただし、Master1の持つ低域の伸びや量感などはHD800にはなく、私のようにHD800を4回買い直し、そのサウンドと装着感にいいかげん飽きてしまった人間にはMaster1の登場は有り難い事件であった。
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次に、環境は違うが、同じオープンタイプとしてHi-Fi man HE1000との比較もできる。STAXのヘッドホンのような風合いを持つHE1000のサウンドは、Master1よりもさらに全帯域がフラット、低域も暴れなくよく伸びている。音の解像度としても非常に細かく、超高精細な画像を暗室で眺めるような素晴らしいディテールで魅せる。出音に関して総合的な見方をすればHE1000はMaster1に対して明らかに優位に立つ。ただし、極薄の振動板を使う平面型の宿命か、躍動感溢れる音楽がどうしても大人しく聞こえたり、場合によって厚く密度感のある音が薄く透明な音に聞こえたりして、その音楽が意図する表現に届かない場合があるのが惜しい。そういう濃厚で情念的な表現への対応力においても、Master1は開放型ヘッドホン群の中では最右翼の一つであり、HE1000にはできない芸当をやってのけるギアであることを私は忘れない。
なお、情報によるとHE1000は通常の市販のヘッドホンアンプでは明らかに音量不足になることがあるという。やはり専用アンプが望ましいか。とすれば私がこれを実際に買って試すことはなさそうだ。あのヘッドホンアンプは置くに堪えないデザインと大きさだから。


Summary

Master1は現代において第一級のヘッドホンサウンドを提供できるハイエンドギアである。そしてその出音には、普通はプロトタイプあるいは新進メーカーのファーストモデルでしか得られない音の勢いが感じられる。それは他では得難いものであり、外観の押し出しの良さ・カッコよさまで含めて考えると、それを手に入れるために25万円オーバーを支払うことに私個人は抵抗感がなかった。これはこれで良いものだ。だが、まだ先があるような気がするのも事実なのだ。

そういえば、かのナショナルギャラリーで見たダ・ヴィンチの絵も完成してはいなかった。照明を落とした部屋の中に一枚置かれたその絵の前には木製の椅子があり、そこに座ったまま小一時間、私は一人の天才の未完成をとくと眺め、没頭した。
この素晴らしい下絵が完成した様を見たくないと言えばそれは嘘になる。しかし、そうなれば同時に見た「岩窟の聖母」のような硬いタッチになってしまい、この下絵に残された天才的な線の柔らかさ、あるいはかすかな奔放さが失われるのが惜しい気もした。

あの日から20数年、すっかり所帯じみてしまった私は、夜明けの青い暗がりの中でキーボードを押さえる手を止め、過去の風景と現在の音景を重ね合わせる。
あの下絵の持つ柔らかく、豊かな量感はMaster1の御し難い未完の低域に連なるイメージ。そして、そのサウンド全体にみなぎる活力は、よく制御されつつも確かな勢いのあるダ・ヴィンチのデッサンの線へと通じてゆく。
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やはり、これはこれでよいのだ。
たった一枚の絵を眺めるためにだけにロンドンへ出かけた頃、
私の中にあった強い衝動がMaster1の中で今、密かに息づいているのが分かる。

あの絵を見たのはもう随分昔のことだが、
まるでつい昨日のことのような・・・・

# by pansakuu | 2015-05-23 00:59 | オーディオ機器

Sforzato DSP-01 ネットワークプレーヤーの私的インプレッション:最終兵器

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「僕達はいつも限界で闘っている。マシンも人間もだ。」
アイルトン セナ


Introduction


日本製のデジタルプレーヤーの最終兵器、Sforzato DSP-01は2015年春、正式にオンステージする。
この機材についてはプロトタイプから試聴してきて、いろいろと考えるところがあった。どうにも納得いかない点もあれば、深く感心した点もある。私の複雑な思いが、今もこのプレーヤーには絡まっている。

そういうワケのわからない複雑さを横に置けば、ここに日本発のデジタルオーディオプレーヤーとして世界に誇るべき音質が完成したことは間違いない。デジタルサウンドを極めようとするオーディオファイルなら、どんなに苦しいローンを組んでも、これを買う価値はあると思うし、少なくとも日本のオーディオファイル全てがこれを聞くべきだろう。こんなことを言うのは海外製の最高峰デジタル機材と互角以上に渡り合える、ほとんど唯一の日本製のデジタルファイル再生システムと私は確信しているからだ。私の中ではLUMINやLINN、Weiss、Request audio等の機材の音でさえ、DSP-01には音質上では敵わない部分が多い。つまり、これはネットワークプレイヤーのトップ・オブ・トップの音質である。

だが、客観的に見て、音が良ければそれでよいのだろうか?
そもそもデジタルオーディオの将来のカタチとはどうあってほしいものなのか?
これほどの音質を実現した機材には、そういう半ば哲学的な命題まで課されることも忘れてはなるまい。
(写真等は各社HP、twitterから借用させていただきました)

Exterior and feeling
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案外とその大きさは小さくコンパクトな印象だが、そのデザインのディテールとなると、やや素っ気ないものである。(上の写真はプロトタイプ)最近、下に載せたMSBの最高級DACの写真を見て、随分面白い形だなあと思ったが、DSP-01を眺めてもそういう感興が全然湧いて来ない。これは禁欲的な形である。その音に似て、真面目な日本人が作った機械という印象だ。
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正面に四角いディスプレイのついたDAC回路が収められたアルミ削り出しの2ピースの筐体と、これまた削り出しのケースに収められた大きな電源部で構成される。バックパネルと底面以外はネジの頭は見えない。そして、この二つの筐体の間を左右別のパワーケーブルが結んでいる。この2本はエソテリックやTADに見られるものに作りが類似している。
化粧らしいものとしては回路の入っている削り出し筐体の天板と電源部のパネルにsfzのロゴが大きく彫刻されているぐらいだ。回路部天板のロゴについては透かし彫りになっていて、金属のネットを介して中を覗き見ることもできる。回路部はドライブ中、ほんのり熱くなるので、放熱のためロゴの透かし彫りを含め、天板には穴がいくつか開けられている。天吊りで回路基板を取り付けていて、こういう穴があるのは珍しい。
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回路部のフロントには曲目などを表示する四角いディプレイと左右の位相反転ボタン、ディスプレイ消灯ボタン(消すと静けさがやや増す)が見える。一方、回路部のリアパネルにはRCAとXLR(標準は2ホット)の出力やLAN端子、クロック入力のBNC端子が見える。メーカー側では回路構成や音質上の理由でXLR出力を推奨している。

回路部の筐体の裏を眺めると、電源部と同じく三つ足であることが分かる。TAOC製のフットを使っているとのこと。内部配線がアコリバ製ということも含め、パーツの純国産度が高いのも特徴かもしれない。また、LINNのDSと同じくらい底板が厚く、また立体的に切削されているのに感心する。それから面白いことに底面にも放熱穴が開けられている。

電源部は、かなり強力な陣容を誇る。まずアルミ削り出しの筐体は電源部の作りとしては立派。内部には250VAのメインの電源トランス左右二個をはじめとする数個のトランスが収められており、DSP-03の約10倍の規模の電源部のようだ。その重さは23kgに達する。回路部にも13㎏の重量があることを考えると、このプレーヤーがいかに物量投入型の思想で作られているかが伺い知れよう。こうなると、パワーアンプほどではないにしても、消費電力は大きいはずで、ネットワーククプレイヤーとして世界最大であろうと推測する。なお、よく見ていないのだがDSP-03と同様、このDSP-01でも電源スイッチがオミットされているようであった。つまりコンセントを差し込むだけで電源が入るらしいのである。これは消費電力を考えないなら、音質のため、普段は電源を投入したままの状態で置いておくことを推奨する態度ではないか。

さて、このDSP-01の構成の最大の特徴は内蔵クロックを持たないことである。クロックは必ず外から入力しなくてはならない。では外部クロックに何を選ぶか?クロックは添付のものを使用するのが、私的にはお奨めである。なぜかというと、まずこれで十二分に高音質だからだ。また最強のクロックであるPMC-01BVAやAbendrot Stute等を考えるとき、クロックに300万オーバーは高すぎると思うからだ。第一、そこまでやれば、大きなオーディオのロマンはえられるが、全然エレガントなオーディオじゃなくなってしまうと思うし。
ただ確かに別売り別筐体の高価な純正外部クロックPMC-01BVA(下の写真)を接続するのが本来の使い方だろうという考えはあるのは認める。実際に体験すると、その豪華なペアの出音には恐ろしいほど広大な空間情報がたっぷりと含まれ、まさに現実と仮想空間の境目をとっぱらったような規格外の音質が得られる。だが、このサウンドには望みもしないのに無重力の四次元空間に突然ほうりだされ、宇宙酔いになってしまったような、唐突なやり過ぎ感があって、私は愛せなかった。
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付属のクロックはアルミの押し出し材の少し安っぽい小さな筐体に収められたもので、これまたチープなアダプターの電源で駆動される。ただし、中身は例えばTADのD600に積まれているものと比べても、それほど遜色ないほどのクロックが積まれているという。音を聞いても、それは本当だろうと納得できる出来であった。

こうして最終的にDSP-01の稼動のために、全部で3筐体、コンセントは二つ必要になる。
実際、これは私のやや苦手なパターンである。良い音を得るため、筐体が増え、コンセントが増え、重さが増すというやつ。これは時代の有り方とは逆行する方向性である。音が良くなるにしたがって小さくまとまってゆく、少なくとも大きさや筐体数は変わらないのが理想だ。技術革新とは、なにかと引き換えになにかを失うものであってはならない。そもそもデジタルオーディオ自体が手間や大きさを小さくできる技術として、発想され開発されてきた経緯があるはずなので、こういうコンセプトのデジタル機材を見ていると、どこか滑稽にすら思えてくる。

断っておくが、この筐体の内部に収められた回路やデバイスの技術的な特徴やソフトウェアの内容については、ここでいちいち述べない。技術内容はsfzさんのHPを見て頂ければかいつまんで記してあるので、それを繰り返すことにしかならないからだ。私にとっては最終的にはPCM 384kHz/32bit、DSD 11.2MHzに対応し、MP3などの不可逆圧縮音源・インターネットラジオ・Air play等のストリーミングには対応しないこと、そして、いまのところは6月のアップデートでMedia link playerの他、Bubble DS、Kinsky(これはデジタルボリュウム機能を含むのでパワーアンプ直結も可能)、そして、恐らくLUMINのアプリなどのコントロールソフトウェアで操作できるようになることぐらいが実際に使ううえで重要なことである。。

私に言わせれば、このプレイヤーの中身に真新しいことは3つしかない。ピュアなネットワークオーディオプレイヤーとして、世界最大と思われるパワーと重さ、そして唯一クロックを内蔵しないモノということだ。その他の側面については全く聞いたことのないような話はどこにもない。むしろ、このプレーヤーには奇を衒(てら)ったところが、外から見ても中身を見てもクロックの扱い以外はないというのが特徴だろうと思う。よく言えば、とても質実剛健な代物なのである。そのかわり、今まで様々なデジタル機材で試されて有効だった手法はほぼ余すところなく盛り込まれている。逆に言えば、これ以上のことをしようとすれば、全く別な発想でプレイヤーを作らなければならないはずだ。つまり、このDSP-01は従来のハイエンドオーディオの手法で作られるデジタルオーディオの限界を聞かせる機材なのかもしれない。


The sound 
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そうは言っても、DSP-01の音質は圧倒的に素晴らしい。
私の見つけたこの機材の特徴のひとつに、その音の素晴らしさはとても分かりやすいものであるということがある。オーディオを趣味としない人々すら感化されるであろう。これじゃ台所からチラ聞きしている奥様に、なにか変えたでしょう言われかねない。そこらへんは不利な面かもしれない。
(上の写真もプロトタイプ)

では、どこが分かりやすく素晴らしいのか。それはまず、今までPC関連の送り出し機材の出音として聞いたことのないシッカリとした出音、そして音全体の伸びがある。これは電源部の充実によるものだろう。音源がそういう積極的な音調である場合、音量を少し上げるだけで手前にスピーカーが張り出してきたかのように音像が前に出て来る。録音によっては、有り得ないと思わせるほどリアルな質感を保ったまま、音像が眼前というか、顔の前に迫ってくることがあった。デジタルファイル再生にありがちな常に一歩引いた音にはならない。こういう音の出方は優秀な録音のCDリッピング音源とかDSD・一部のハイレゾ音源においては顕著であった。さらに音としてかなりガッチリして、ストレートなものであり、弱さを微塵も感じさせない音であることも印象深い。ここにはデジタルファイルオーディオ特有のひらひらした音の薄さがない。また音楽の躍動感の表出も甚だしい。PCに関連するオーディオはどうしても静かな音になりがちだが、その傾向が完全に払拭され、ソースの音調にあわせて変幻自在にプレゼンテーションの仕方を変えてゆくようだ。これらは合わせていたアンプの影響だけでは説明できない。DSP-01の超弩級電源部が下流にあるシステム全体を潤し、自在に操るから、こういう音になる。DSP-01にはシステムの主(あるじ)となる資格がある。

アピールはそれだけではない。ダイナミックレンジが広い。弱音と強音の落差があまり聞いたことがないほど大きい。その間を楽音が一気に滑り下りたり、駆け上がったりする様はまことに壮観で感動的である。
そして、その場面での音の強弱の階調性に関して言えば、これも今まで聞いた中でトップクラスの細かさである。いつも気にしている、大きい音と小さい音の差が、単なる違いではなく階調・濃淡をもってきめ細かく分かるかどうかという評価項目について、さすがと思わせる、価格帯に見合った繊細な音のグラデーションが聞き取れた。強音と弱音が本当にシームレスにつながり、溶け合う。他方、音楽が要求するなら、その激しい断絶を表現するのになんの苦もない。

音の解像度は録音さえ良ければ、言い方が変だが、ほぼ生音そのものである。現物がここで演奏している、あるいは現物がここで演奏しているものをマイクで拾って出しているかのような音になっており、写真の概念を借用した音の解像度という概念自体に意味がないような感じである。また鮮度がデジタルプレイヤーとしてはあまり記憶にないほど高いように感じられる。KLIMAX DS/2も生々しいと言ったが、あれよりもさらに進んで生々しい。高級なクロックを使えば使うほど、ここらへんは顕著になる。ここでは無音の空気を切り取ってきてそれを注視するような聞き方ができるほど、音の細部に入っていけるようなイメージがある。音場の雰囲気にも風合いがあり、温度があるという、現実世界では当たり前のことを、オーディオで再生することは難しいが、DSP-01はその解像度の高さゆえ簡単にそれを成し遂げる。
その出音の温度感について言えば、どのソフトをかけても、そのソフトの要求する温度感を正確に出してくるということになる。例えばビル エバンスの演奏とマーカスミラーの演奏ではプレイの温度感がまるで異なるわけだが、そこらへんをキチッと出してくる。音楽の持つ様々なニュアンスの表出の仕方が正確かつ柔軟である。また解像度の項目ともダブるかもしれないが、楽器ごとの音色あるいは音触の鳴らし分けは得意中の得意とするところだろう。ギターの弦の材質の違い、アンプの違い、楽器の新しさや古さの違い等々を縦横に描き分ける。

無論、S/Nについてもかなり高い。どのデジタルファイルを聞いても、その意味で問題がないと思わせるだけの配慮がなされた機材である。残留雑音らしき音の存在を試聴中に意識できないのである。少なくとも送り出しそのものに起因するとみられるノイズ感のようなものが2回の試聴中、一度も検知できなかった。解像度と同じくだが高級なクロックを使えば使うほど、ここらへんは顕著になるようだ。

また、このプレイヤーの奏でる音の立ち上がりのスピードは適正なものである。速くも遅くもなく、あるべきように音が立ちあがり、あるべきように消えてゆく。ここでも、その有り様は本当に生音そのもののように錯覚される。自然な音、ナチュラルな音を求める立場からは言う事がない。
直接音と倍音成分の表現のバランスは巧く取れていてこれも好ましい。
どちらが勝るかはまさに録音とその後の加工の状況によるのみである。

さらに各パートの分離あるいは変調modulationの少なさについても特筆すべき優秀さがあった。オーケストラの演奏を大音量再生しても、各パートが混濁しないままに、整然と音楽が進んでいくことに感心する。これは他のネットワークプレイヤーにはなかなか望めないことの一つだ。合唱曲では本当に一人一人がどこを向いて歌唱しているのか、見えるような錯覚に陥った。そこまで細かく音が分離しているように聞こえるのだ。またイーグルスのライブ盤をかけたときに、演奏と観客の歓声の分離があまりにも絶妙で驚いた記憶がある。イーグルスが観客からどれくらい離れ、どれくらい高い位置にいて、これを録ったマイクが俯瞰して、それらとどういう位置関係にあるのかが分かるような音がした。これは分離だけではなく、定位などの要素も絡む話だが、録音さえ良ければ、かなり位置関係だけで楽しめる。さらに、これほどの音の分離の良さがあっても、それがハーモニーの形成を決して邪魔しないことにも驚く。音の分離と重なりと溶け合いが三つ一体となって、リスナーの前に差し出される。

定位の良さや、位相あるいは音の出るタイミングの正確さについても、当然のように文句は出ない。録音さえ良ければ定位のふらつきは聞こえてこないし、感覚的にそれが見えるような気配もない。揺らがない音であり、落着き払っている。
電源や回路が左右独立していることからだろう、チャンネルセパレーションも良好。録音によってはサウンドステージの左右の端が切れないで見渡しても見渡しきれないような感じになる。場合によってはどこを聞いたらいいのか分からないほど上下左右いっぱいに音が広がる。

こういう死角の少ない音を出すDSP-01だが、敢えて言えば試聴中、気になったのはこのレベルの音にしては横ノリ、メロディの流れの滑らかさが若干の足りないことだろうか。個人的な印象に過ぎないが、音の粒立ちが良すぎて、それが横に流れて行かないようなイメージがあった。そういう意味では、これは私個人が和める音とは違うかもしれない。やはり真剣勝負系なのである。
ついでに言えばDSP-01の出音の周波数帯域の広さ、バランス等について述べるには問題がある。といってもそれはDSP-01自体の問題ではない。私が参加したどの試聴でもDSP-01のもつ周波数帯域の広さを十分に使い切れるアンプやスピーカーが用いられてなかったように思うからだ。ワイドバンドで強力なパワーを持つアンプが、DSP-01の電源部でもってドライブされ、そこに低域をきちんと出せるスピーカーが加われば、フラットで上手くバランスのとれた高域、中域、低域が現れるはずだ。ただしそのためのアンプ・スピーカーへの投資は最低限に抑えたところで、安くはないだろう。とにかく周波数帯域ごとの忠実性についてはデモ機材との釣り合いが気になったということだ。

DSP-01のサウンドにおける音楽性、ここでは演奏内の感情的な表現を分かり易くする抑揚表現の確かさのようなものを指すが、これは控えめである。音にあざとさは皆無で、自分の才覚で音を作るような傾向は全くなく、常に素直、常にピュアな立場を貫く。したがって一部の機材に見られるような躍動感を少し盛ったり、寂寥感を演出したりすることはない。音楽が持つものをそのまま足し引きなく我々に届けることを使命として生まれてきたようなところがある。おそらく、これ以上電源を強化すれば大袈裟となり、弱ければなにかが引かれてしまうだろう。

音楽のジャンル・音楽の製作された時代ごとの向き・不向きは例によってほぼない。音源に素直な態度を常に取るプレイヤーなのでその点は間違いない。
ただし駄作、駄録音も、その大いなる欠点をつつみ隠さず聞かせてくれちゃうのである。かなり真面目で正直な音なので困るが、これはある領域に達した全ての機材に言えることでもある。いちいち言及するほどのことではないが、多くのアニソンはこれに当てはまるのではないだろうかと危惧する。

話は変わるが、例えばある試聴会ではサーバーとしてN1Zを使用し、そのうえPSaudioの電源装置を使用していたので、それらはそれらで様々な側面で音に効いていたのは間違いない。それは、いわゆるドーピングになるわけだが、これほどのネットワークプレイヤーなのだから、こういう高度な機材をあてるのは当然とも思う。実は個人的な意見として、DSP-01に見合うアンプやスピーカーが組み合わされたデモはまだ行われていないかもしれないと思う。私はSoulutionの700シリーズやMagio Qシリーズ、YGのスピーカーあたりのスーパーハイエンドクラスの機材がDSP-01のポテンシャルを聞くには必要だと考えている。ただ誤解しないで欲しいのだが、このプレイヤーの良さを知るだけなら、どんなアンプでもスピーカーでも問題ない。良さは分かりやすいのである。しかし一方で、その限界を知るにはかなり大きな対価を払わなければならない。これはその点でかなりの難物で、心してかかるべき相手だろう。

いろいろと言ってきたが、やはりDSP-01の音の土台にはクロックの音があると思う。この送り出しにはクロックの音を聞かせているようなところがある。それは設計者の狙いどおりなのだが、この演奏空間の空気をたっぷりと吸い込んだ音は、その背景にあるクロックの存在を常に意識させる。

こういう褒め言葉しか思い浮かばない機材と他の機材との比較について、多くを語る必要はないはずだ。まあ、dcsのVivaldiのフルシステムやCH precisionの最高級オプションあたりが数少ない比較対象となる、とぐらい言っておけば十分。これらは300万円の数倍の投資を必要とするものたちだから、この比較ではコストパフォーマンスはすこぶる良い。そして言うまでもないがLINNやLUMINのネットワークプレイヤーたちはもちろん、ほとんどのハイエンドUSB-DACたちでさえDSP-01のサウンドになかなか近づけない。また申し訳ないが下位モデルSforzato DSP-03とは比較にならない。設計者の方の言を借りれば同メーカー製でありながら「別モノ」と言うべきだ。ここにはハイエンドオーディオ業界の感覚に照らせば価格差以上の大差があると見てよい。こうなると、あとは固有の魅力的な音色や機能、デザインやサイズなどで総合的な立場で音質差を補う以外に、対等の立場に立つ手段はない。

DSP-01は王道を征(ゆ)くモノであると言っていた方がいた。確かにもう、この価格帯として、これ以上はほとんど望めないかもしれぬと思わせるほどの音だ。この愚直とさえ言える大規模な設計、物量投入の果てに出てきた音に、私はロマンの匂いをかぐ。これは現代風のスマートな発想から生まれたモノではなく、どこか古臭い夢の産物ではあるが、そのサウンドはDSP-01を新たに聴く全ての人の心を深く揺り動かす。


Summary

今の時点で日本に輸入されていないものを除けば、現在の日本で試聴可能な、目ぼしいデジタルプレイヤーの多くを私は聞いたはずである。例えば評論家の方々の評価がすこぶる高いのに、どこで聞いても、その評価が納得できないようなE社製のDACもあったし、この素晴らしいDACの音について、どうして誰も語らないのか不思議になるe社の製品なんかもあった。そういういろいろな製品の中で音質だけを考えれば、このDSP-01は世界のハイエンドデジタルプレイヤーのトップテン圏内に躍り出たと私は思っている。意図的ではなさそうだが、この機材の音は現代のデジタルオーディオのあるべき姿を全てのオーディオファイルに提案した形になっているのは間違いない。ただ、ストリーミングが主流になりそうな気配の中で、このネットワークプレイヤーというコンセプトが将来にわたっても意味のあるものなのか、クロックなどを別筐体で用意したりする大規模な設計の方向性が果たしてスマートなのか、そして、こういうシステムの規模や価格の設定がデジタルファイルを聞く普通のオーディオファイルにとってすんなりと受け入れられるものなのか、確信がもてないまま聞いていた。

つまり、私は現在のデジタルオーディオの在り方全体を疑っている。そしてDSP-01の音以外の側面は、その疑問を吹き飛ばしてくれるような革新的なものではなかったのである。これは見ようによっては筐体や電源を増やし、既存のDACチップを多数装備し、既存のソフトウェアを使えるように仕向けただけの機材である。しかも下流の機材への要求度も実はかなり高い。その態度は私には保守的と見えた。

実のところ、この疑いはハイエンドオーディオ全般に対する変わらぬ疑いでもある。高価で大規模になってゆくのに、音質の伸びはそれほど大きくない。明らかに価格差に比例していない。昔はそれでもよかったが、今は世の中のコストに対する考え方がシビアなのだ。ああいう保守的な態度・お決まりの習慣の持続によってハイエンドオーディオは頭打ちになっている。こういう緩やかな停滞が元でハイエンドオーディオが事実上滅び去ってしまうという杞憂を私は抱き続けている。

この難題については、ここで多くは語らない方がいいと誰かが言う。とにかく、出音についてはとても良いのだからと。確かにまだまだ良い時代なのである。いろいろあっても、この音ならば許すことができるという、金銭と心の余裕が今の我々にはある。

そのうえで心配症の私が恐れるのは将来のことだ。これ以上の音質を実現しようとしたら、筐体数も価格もどうなってしまうのか?ありうることだが、これを買った人は数年を経ずして、そわそわしだすに違いない。もっと良い音は出ないものかと。ハイエンドオーディオファイルの欲望にはきりがないのである。だいたい、そういう欲望がない人は高級なクロックを含めて600万円という対価を払ってこれを買わないだろう。この次に来る欲望を、同じ方向を向いた開発で満たすことができるのだろうか? 既にもう価格も機材の規模も許容範囲を超えそうになっているのに。
おそらく、もう次は無い。ここらへんが限界である。
そういう意味でも、これは限界線上に置かれた最終兵器なのである。
デジタルオーディオにおいては、さらなる高音質を得るための、全く異なるコンセプトでの開発が今こそ求められている。

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# by pansakuu | 2015-04-27 17:47 | オーディオ機器

LINN KLIMAX DS/2に関する私的なメモ

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「俺は現状に甘んじる人間は好きじゃない。常に前進し、変化を求める人間が好きだ」
マイルス デイビス



Introduction

LINN KLIMAX DS/2ネットワークプレーヤーは、KLIMAX DSシリーズの最新版です。ほぼ4年ごとに行われるDSのバージョンアップの行き着いた場所がここです。

私は以前、もうKLIMAX DSの時代は終わったかもしれないと、遠い目でふりかえったことがあります。しかし、そんな邪推にお構いなく、シリーズはまだ続いていたことが、ここに証明されました。駄眠を貪るかに見えるハイエンドオーディオ界を尻目にLINNは前進し続け、変化を求め続けていたようですね。
もちろん、万策堂は新しいDSに会いに行きましたとも。そして試聴後の感想をまとめながら、意外にも、その体験をレビューやインプレッションとして書くことに、あまり意味がないことを悟ったのです(理由は後ほど述べます)。ですが今後、自分で使うデジタルプレーヤーの選考のこともあるので、この経験を覚え書きとして、一応まとめておきました。その後、或る人からの要望があり、こんな眉唾でもよろしければということで、ネットの上に置いておくことにしたわけです。


Exterior and Interior, Method:

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LINN KLIMAX DS/2は先代と見かけはほとんど変わらないモノです。正面から、あるいは上下から見て筐体の細部もロゴも初代のKLIMAX DSからの違いを指摘できない。ですが、後ろから見ると、リアパネルのRS232のポートがEXAKT Linkの端子に変わったのが分かります。このリアパネルはアルミの削り出しパーツなので、バージョンアップの際、これをそっくり差し替えることになるようです。

内部を見るとDACの載る真ん中の基盤が一新されています。具体的なバージョンアップはこのメイン基盤をまるごと入れ替えるのがメインの作業。この基盤はウェハースのように絶縁体とパターンを積み重ねた8層基板でして、DSでは今回初めて採用。これにより前モデルよりも、はるかに高密度な部品の実装に成功しています。この基板の採用は信号経路の大幅な短縮化に寄与するでしょう。またクロックの自体は先代と同じパーツで出来ていますが、そこから出る信号が通るロジックゲートをなくし、新たな回路構成としたことで、よりピュアなクロック波形をDACに供給することができます。さらに電源供給回路の構成も見直し、他のセクションへの給電状況の変化に事実上、全く影響を受けない、盤石なDACへの電源供給を実現したとか。

しかし、DACチップそのもの、出力回路や外部からの信号を受ける部分、また別区画にあるスイッチング電源部自体は変化していないようです。今回のバージョンアップは、あくまでメイン基板のみであり、電源部はいじらないのね。なお、KLIMAX DSが初めて発売された2008年時の状況のまま、一度もバージョンアップされていない個体に関しても適応されます。逆に言えば、旧電源部をダイナミック電源にバージョンアップしてくれるものではないのです。そのつもりのある方は、ご注意を。

大事なことは、今回の改良によって対応するデジタルファイルの種類は変わらないということ。つまり192kHz/24bit までの、ほとんどの形式のPCMデータに対応しますが、話題のDSDには一切対応しない。SongcastによるYoutudeなどのストリーミングの高音質再生、専用設計されたオーディオルームでも取り除き難い80Hz以下の定在波を消し去るというスペースオプティマイゼーション、さらにLINN独自EXAKTシステムを手持ちのスピーカーに対応させるEXAKT BOXなど、ライバルと考えられるLUMINやSforzatoにはない斬新なギミックをLINNは次々と実現しながら、なぜかDSDには対応しない。不思議ですね!次回の2019年のKLIMAX DS/3ではDSDを聞けるようになるのでしょうか?

バージョンアップサービスの具体的な方法はこうです。オーナーが自分のDSを購入した店舗にバージョンアップしたい旨を連絡し、その際にシリアルナンバーを知らせる。そのナンバーは店舗、リンジャパンを経由しスコットランドのLINNの本社に伝わり、その個体の状況や待ち時間などの確認がなされる。その後、バージョンアップの準備が整うと、再びオーナーに連絡が行き、DSはオーナーの元からイギリスへ旅立つ。そして出発から一か月程度でDSはオーナーの手元に作業を終えて帰還するという手順です。このような方式はオーナーの待ち時間を最短かつ一定にするために採られています。なお並行輸入品のバージョンアップの取り扱いについては不明です。

なお今回の刷新はAKURATE、KLIMAX DSM、RENEW DSにも適応されます。KLIMAX系の更新料は60万円、AKURATEは40万円、RENEWは30万円。元値を思えばAKURATEに関しては、かなり割高。それから、初代のKLIMAX DSからの累積のバージョンアップ代を思うと、新品のKLIMAX DS/2の240万円という価格は魅力的ですね。主な部品が変化してないなら、はじめからこれを出してくれたら良かった。でもLUMIN S1と比較すると、まだかなり高いです。
またMAJIK DSもMAJIK DS/2になります。MAJIKに関してはバージョンアップサービスはなく、ニューモデルとしてリリースされます。こちらは35万円。KLIMAX DS/2の音質変化を考えると、こちらもかなり音が良くなっているはず。実はMAJIK DS/2は総合的に最も優れたネットワークプレーヤーになるんじゃないかと、ちょっと期待しています。


The sound 

KLIMAX DS/2を実際に試聴してみると、音質は前のモデルから明らかに変化していました。
一言で言えば、より生々しい音となったということでしょう。

まず音の解像度が上がっています。奏者の細かな動きの速度と強度が一段と見えやすくなっています。非常に細かい音が拾えているのが分かります。特に気配成分やホールの空気の対流音、暗騒音のような小さな音の質感がよく捉えられていました。また、過渡特性、すなわち音の立ち上がり・立下り、スピード感はより適切に表現されるようにもなりました。前モデルでも、ここは問題なかったのですが、本モデルではさらに微調整されたようで、かなり自然な感じ、生で聞く感じにより近くなっています。さらに音の強弱の段階がより細かくなり、最弱音から最強音までスムーズに一気に駆け上がる様が見事。
こういう状況では、楽器の音色の鳴らし分けも巧みに聞こえ、またそれぞれの音楽の録音状況の違い、すなわち、場所の広さ・インテリアやマイクの立て方、機材の性能までその違いが露わになるので、ちょっと怖いんですけどね。
しかし、ダイナミックレンジの広さや、周波数帯域の広さ、バランスには変化はないし、またS/Nが良くなり、より静かになったという印象はなかったです。ほとんど変わらない部分も残っているのです。

倍音成分の表現は若干控えめで直接音を優先するような印象。これは音の実在を強く出す結果となり、PCオーディオ風の音数で勝負するような音、透明感の高い音ではないです。
なお定位の良さ、位相の正確さについてはKLIMAX DS/Kと同じく相変わらず良いのですが、ボリュウムを上げると若干定位があいまいになってしまいます。これもKLIMAX DS/Kと同じですね。もっとも、これはアンプやスピーカーや部屋の設計などにも責任があるのでしょうが。
サウンドステージは明らかに奥行方向に深くなったように聞こえました。チャンネルセパレーション自体は良くなってはいないかもしれない。左右に音が広がった感じはあまりなかったですね。このサウンドステージの変化は音像の描写力の向上とあいまって、出音全体に余裕を与えているようでした。

今回の試聴では、KLIMAX DS/2では、従前のKLIMAX DS/Kに比べて、音楽に内在する感情的な表現が、より聞き手に伝わりやすくなったと感じました。これは音が単に前に出て来るのではなく、演奏の状況をより詳しく説明するような方向性を向いた改良だと思います。
DSにはどうしても音に傍観者的な冷静さがあり、それが熱い演奏を再現する際にネックとなる可能性が残っていました。LINNらしく音を小さくまとめてしまう傾向もあったと思います。でも今回は音に対する客観性をより強くすることで、音を解放したように聞こえました。若干まとまりのない音作りや演奏が出てきても、従来の如く、それをLINNの音の枠の中にまとめこんでしまわず、枠からはみ出るようなら、それはそのままで、という鷹揚な態度を感じました。人間で言えば度量が広くなったようです。感覚的かつ抽象的な言い回しながら、先代よりも器量が大きくなったとも言えましょう。

繰り返しになりますが、先代のKLIMAX DS/Kと比べると、やはりより生々しい音と感じるところが多かったです。録音時に現場に漂っていた空気がそのまま運ばれてくるような音。ここがKLIMAX DS/2の出音のハイライトでしょうか。今回の試聴ではPCMデータがDSDのように聞こえたことが何度もあったのです。DSDには現場の空気の表現の巧さ、もっと言えば音の輪郭と周囲の静寂との関連がより生音に近いところがあると思うのですが、そういう印象がKLIMAX DS/2のPCMデータファイルの再生には感じられます。これはハイレゾデータを聞くとさらに顕著なようで、PCMがよりDSDに近い印象になります。LINNがDSDに手を出さない理由、それはPCMとDSDの音に、自社の機材では差を感じないからなのではないでしょうか?

ただ、楽曲によっては先代と比べて大きな差がない場合もありました。やはり先代も良く出来ていたのですね。ですが、これだけライバル機が増えると辛い。そこでDS/2の開発となった部分はあるのでしょう。
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ネットワークプレイヤーとしてのLINN KLIMAX DS/2の実質的なライバルとしてはLUMIN A1とS1、そしてSforzato DSP-03あるいはDSP-01ということになります。
ハッキリ言いましょう。音質だけの比較ならLUMIN A1やクロック入力なしのDSP-03はKLIMAX DS/2にほとんどの面で劣ります。もうこれは音だけでは相手になりにくい。クロック入力を試す、あるいは音以外の点、価格面やデジタル出力も有すること、もしかしたらKINSKYよりも若干使い勝手がよさそうなソフトウェアなどにA1やDSP-03は勝機を見出すか。そんなところです。
でも、LUMIN S1のサウンドと比べればKLIMAX DS/2のサウンドはやや難しくなる。私にはS1とKLIMAX DS/2は音のクオリティ自体はほぼ同等と思われるからです。ただS1のサウンドには、KLIMAX DS/2の音の持つ、あの生々しいインパクトはない。空気のみを隔てて演奏者と対峙するような緊張感が欠けています。このフィーリングはクロック周りを改良したうえで、シグナルパスを十分に短くしたことにより得られたものでしょう。これはシグナルパスを意識したコンパクトな構成のシステムでないと出せない部分のある音です。またこのDS/2の音の良さは、外部クロックを使って得られる、あの取り澄ましたような優秀さの果てとしての、疑似的な生々しさとは違うことも言っておきたい。もっと積極的な生々しさです。これはなかなか得難いものでして、聞く人によっては、高価な外部クロックで得られる音より強いリアリティと認識するでしょう。
しかしS1は、その弱音の解像力や音数の多さ、音の品位の高さ、背景の静けさなどでKLIMAX DS/2にわずかに勝るかもしれない。そうだとすると単純にどっちがいいとは言い難いのです。そのうえで、総合的に価格等の他の面も合わせて比較されるとLUMIN S1の方がKLIMAX DS/2よりも魅力的と思う人がいても可笑しくはないと思います。
やはりバージョンを上げてもKLIMAXのネットワークプレイヤーとしての地位は安泰ではないですね。現在KLIMAX DS/Kのオーナーになっている方にはバージョンアップをお薦めできますが、新規に買うことを考えている方に、これを薦めるのは、価格的になかなか厳しいかも。KLIMAXのデザインと音が好きか、あるいは既にLINNでシステムを統一しようとしているとか、そういう動機がありませんとね。
こうしてみると、LUMINは価格面、機能面、音質面でDSの長所と欠点を徹底的に研究し、それを進化させたと考えて間違いなさそうです。LUMIN S1は、少なくとも部分的には、もう一つのKLIMAX DS/2のようなものなのでしょう。
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ところでSforzato DSP-01のサウンドとの比較はどうでしょうか?それは、そのうち別なレビューの中に記すことになるかもしれません。


Summary

KLIMAX DS/2の音は先代よりも確かに良くなりました。これは進化です。しかし、対抗馬のLUMIN S1も悪くない。それにネットワークプレイヤーだけでなく、単体のDACにもいいモノがある。例えばMPD5やVivaldi、emm labs dac2xなど。私が個人的に大好きなNAGRA HD DACだってあります。これらの高級DACにはKLIMAX DS/2を含めたハイエンドネットワークプレーヤーを凌ぐような、音質的な特色やデザインが備わっているのです。一方、ネットワークプレーヤーであり続けることが、KLIMAX DS/2にどこまで音質上でのアドバンテージを与えているのか?また使い勝手の点でどこまでメリットがあるのか?LUMINにしてもそうですが、それがよく分からないままです。
これらのUSB接続に対応した単体DACとLINNやLUMINのネットワークプレーヤーを単純に比べてみると、今、ネットワークプレーヤーにこだわる意味はほとんどないように思えてきます。

最近の傾向として、高音質なデジタルオーディオ機材はとても高価になりがちです。そして良い音を求めると次第に大規模になり、複雑化していく場合が多い。一方で、これに対抗する形で存在感を出すシステムがあります。例えばDevialetのように一見して安価になり、シンプルに小さくなっているように見えるものがある。ただし、あれはまだカウンターパートにある大規模なシステムの出音を超えていないでしょうね。またLINNのEXAKTシステムのような一つのメーカーの機材だけでシステムの大半を構成して、混成部隊では出来ない音の統一感と高機能を達成するものもある。これは独創的で素晴らしい手法であり、喝采すべきでしょう。しかし、このやり方には、異なるメーカーの機材を組み合わせ、自分の音を作り出すという別なオーディオの楽しみを奪っている恨みがあります。全てをLINNの色で染め上げ、オーディオの心配はせず、音楽に没頭するってのもいいですが、少なくとも私個人はそういう趣向にない。あれでは同じシステム構成なら、ほとんど同じような音がどの家庭でも出てしまうはずです。もっと色々なオーディオが欲しくなるし、自分だけの音も欲しい。あれもまだ、私にとっては完全ではないのです。
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思えば、今回の試聴ではKLIMAX DS/2以降はLINN以外のメーカーの機材を使っています。しかし、この機材のリアパネルにあるEXAKT Linkの四角い穴の奥を見つめていると、KLIMAX DS/2をEXAKTシステムの中核として位置付けたい意図が見えるようで。確かに他社の様々な機材との接続は自在だし、相性もかなり良い。ですが、KLIMAX DS/2の音作りに、同社のEXAKTシステムが使われていないはずはないでしょう。やはりLINNの心としては、このKLIMAX DS/2はそれ単体としてだけではなく、これを源泉とし、LINNで統一されたEXAKTシステムのトータルサウンドを評価してほしい部分がありましょう。私のオーディオの趣向とは関係なく、そういう視点から機材を見るなら、LINNの如き独特な発展性を持たず、単体でしか評価できないLUMINやSforzatoの機材をDS/2と比べるのは間違いです。巨視的に見れば、LINNがネットワークプレイヤーにこだわるのも、より大きなシステムネットワークの一部としてDSを考えるというLINNの姿勢と関連があるのでしょう。

LINNという企業は、そこから生み出される機材の持つ、形と音、そして機能のトータルデザインの見事さで、オーディオ界では最も先進的かつ危険な存在ですよね。
KLIMAX DS/2を聞いていると、現状に甘んじることのないLINNの姿勢は常に独自のオーディオ的“状況”を創り出す方向へと向いているように私には思われます。
かつて私はKLIMAX DSの時代は終わったかもしれないと言いましたが、それはある意味で間違いでした。もはやKLIMAX DS/2だけを聞いて、それが新時代のデジタル機材かどうか、云々すること自体がナンセンスだ、時代遅れなのだとLINNは言いたいのかもしれないからです。

LINNのトータルシステムと、それが生み出すオーディオの状況。それらは、この世界では未だ孤立してマイナーな存在です。でも、それらには漂流するハイエンドオーディオが打ち込むべき碇(いかり)のような重みがあり、聴き込んでいくと、私達に本当に良いオーディオとはなにかを問いかけてくるかのようです。なかなかに面白きモノですね、これは。

# by pansakuu | 2015-04-20 21:54 | オーディオ機器

PIEGA Classic 80.2の私的インプレッション:相棒を選ぶ

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「女と、一緒さ・・・。相性ってやつがあるんだ。
俺もこいつから離れられないし、こいつも俺から離れられない。
それに女と違って裏切らないからな。」
次元 大介



Introduction

PIEGAというスピーカーとは長い付き合いである。

私が初めてPIEGAのスピーカーに会ったとき、まだ彼らは、あの銀色に輝くアルミのエンクロージャーを使ってはいなかった。スイスで製造されたというMDFで出来た箱型のエンクロージャーはピアノブラックの仕上げであったし、リボンツィーターも現在のものとは形が違っていたように思う。あれは1990年代のことだ。その当時はスイスでは、こんなスピーカーを作ってるのかぐらいに思っただけだった。

その出会いから数年して、列車の車体部品を製造する会社で造られたという、大きなアルミの引き抜き材を使用した、斬新で美しいスピーカーを彼らは発表し始めた。全面にヘアライン仕上げが施され、カーヴした側面を持つアルミエンクロージャー、洗練された同軸リボンツィーターに小型の反応性の良いウーファーを組み合わせるという彼らのマニエラ(手法)はこの前後に確立したものだ。何度かその姿を眺め、音を聞いているうち、私はこのスピーカーに自分と内的に通じ合うなにかを感じた。それはモノに例えれば、人と機械を繋ぐ見えざる糸のようなものだったのかもしれない。私はPIEGAに惹かれて行った。

そして、10年ほど前、眼の前にあるCL90Xをリビングに迎え入れた。その当時はこれがPIEGAの事実上のフラッグシップという位置付けであったが、このスピーカーは欧米でヒットし、PIEGAはさらに上位のモデルの開発へと向かって行った。CL90XはPIEGAのスピーカー開発のターニングポイントであったのかもしれない。とにかく私はこのスピーカーが好きだったし、今でも聞くたびに新鮮な共感を覚える。
このスピーカーを導入して以来、数えきれないほどの別なスピーカーたちに出会い、手合せしてきたのだが、このスピーカーを入れ替える必要を感じなかった。
第三者的な視点から見れば、このスピーカーよりも優れた音質を持つスピーカーはいくつもあったし、今もある。しかし私の感性に、これほどピタリと合うスピーカーは無かったし、今もないということなのだろう。
実は私という者は、オーディオ機材の入れ替えについては冷酷な人間で、これは自分に合わないと感じ、そこに、より自分に合うものが見つかれば、見切りは早い。ヘッドホンアンプなどはその良い例で今度新しく買うとすれば9台目になる(E1を買って、もう終わりにしたい)。デジタルプレーヤーもそれに近い数を買い替えてきている(こちらはしばらく買わないだろう。私にとってはどのデジタルプレーヤーも最先端のアナログには、まだ及ばない。流行のハイレゾファイルなどヘッドホンで十分だ、というかハイレゾファイルの良さとはスピーカーよりもヘッドホンの方が分かり易い)。ケーブルや電源タップなんかはもっと替えているだろう。だがメインスピーカーとプリアンプは長年不動である。この実績からして、やはりCL90XとNo.32Lは私の感性にピタリとマッチしているということになる。

例えば、次元大介よりも優れたガンマンは、この地球上には何人かはいるのかもしれない。(“次元大介の墓標”を見よ)しかしルパンⅢ世は彼をいつも相棒に選んでいる。私も同じような理由で、このCL90Xを選んでいるような気がする。それは自分の身の丈、自分との相性を大切にしている、そしてめぐり合わせを大事にしているということだ。

では、CL90Xのどこが好きなのかというと、
まず、このシンプルで美しい、コンパクトなフォルムがいい。そしてこの同軸リボンツィーターの個性的な音が私には愛おしい。所詮、個人的な好みに過ぎないのだが、なにを聞いてもシックリくる。

もちろんCL90X以降もPIEGAの新作に当たってはいるが、上記の如く買い替えの必要を感じない。確かに音は変わっている。中には明らかにブラッシュアップされていると感じるモデルもある。だが帰って自分のPIEGAを聞くと、他のスピーカーのことは大概、忘れてしまう。そんな調子でCL90Xの次のスピーカーのことをあまり考えたことはないけれど、そのスピーカーはおそらくPIEGAになるだろう。そういう予感はある。

さて、PIEGAの2015年の目玉は新たなライン、Classicシリーズである。これは原点回帰でMDFのエンクロージャーをあえて採用したスピーカーたちである。
私はその最上級モデルであるClassic80.2を試聴する機会が2回あった。PIEGAの20年を超えるスピーカーづくりの歴史を振り返り、ここで彼らはなにを思い、なにを目指すのだろうか。じっくりと見聞させていただこう。


Exterior and feeling
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写真で見るより、ずっと大柄な堂々たるスピーカーである。これはかなり大型のトールボーイスピーカーとなる。142×39×51cmの箱。片チャンネルで72kgある。エンクロージャーのマスは今までのPIEGAの作品の中ではMaster line sourceを除けば最大ではないか。この箱をMDF材で組んで鳴らすのだから、低域の豊かさと引き換えに、そのフォーカスは甘くならざるをえないだろう。鳴き止めのイディケルが内側にタップリ使われているにしても。しかし、後述するが、そこにこそ、PIEGAの新たな音作りへの挑戦、秘訣があるのだ。

頂部は大胆に斜めにカットされ、ウィルソン・ベネシュのスピーカーのような印象だ。尖った頂点から真っ直ぐ降りてゆく滝のようなライン取りは悪くない。カット面にはシボのある皮革が張り込んである。この素材使いはソナスのスピーカーなどに見られるナチュラルな質感そして高級なハンドバッグのようなラグジャリーを見る者に連想させる。この部分は外見を美しくまとめるだけでなく、音にも効いているはず。それもまたフランコ先生に教わったことだが。

このエンクロージャーの断面は一般にリュート型と言われるもので、後にゆくに従い緩やかにカーヴしつつ、すぼまって行く形である。スピーカーの後ろに回り込む音を効果的に打ち消す形だという。
そのためにスピーカーの後面に形成される見事な局面は、今回の試聴機では美しい木目の突板で覆われている。これはインドネシアのマカッサルで採れる世界最高級と言われる黒檀の板だ。磨き上げられたカーヴの輝きにそっと触れてみれば、木材のもつ微かな温かみとピアノ仕上げの硬度が混じりあって伝わってくる。
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正面には一番上にPIEGA独自の正方形の大型同軸リボンツィーターがあり、その下に径26cmのウーファーが二発、そして丸いフロントバスレフポートがさらにその下に開いている。これらは全て別々のパンチングメタル製のカバー・ネットで覆われ、保護されている。このパンチングメタルのネットはリビングでの不意の物の飛び込みなどからユニットたちを守ってくれる。PIEGAのスピーカーには、ほぼ例外なくこの保護ネットがついているようだが、私はこれに何度救われたか知れない。ことにデリケートな同軸リボンユニットについては、これは必須であろう。ウーファーのエッジの劣化させるであろう日光もこのネットでかなり遮られるはずだ。また、音作り自体も、このカバー込みでなされているあたりも嬉しい。

正方形の大型同軸リボンツィーターについては、下位モデルに搭載される、それより小さいユニットより、当然、大きなエネルギーを放射し、音の届く範囲も広いものだ。しかし部屋がよほど広大でない限りは、私は不要なものと思っている。つまり半分近くの広さしかない、小さな同軸リボンツィーターでも日本の一般的なリビングでは十分すぎるほど魅惑的な音を奏でるからだ。私が思うに、この大型同軸リボンツィーターの採用はエンクロージャーの大きさに釣り合わせるため、ひいてはそれによるファットな低域を御する役割を果たすためであり、下位モデルの小さな同軸リボンツィーターが不十分だからではない。

このスピーカーの外観で、個人的に嬉しいのは断面積の増加、特に奥行方向の寸法増加により、地震などのアクシデントでスピーカーが前に倒れる可能性が少なくなったことだ。2011年の春のような酷い目には二度と遭いたくない。あの時、多くのスピーカーが倒れた。もし私のPIEGAにパンチングメタルのカバーがなかったら・・・・。想像はしたくない。

ワイヤリングはバイワイヤであり、スピーカーの底部には分厚い金属板と平たい四足。これはPIEGAの多くのトールボーイと同じつくりである。中身にも大きな改変を施したという話は聞いていない。クロスオーバーについても同社のアルミエンクロージャーラインの中核であるCoax90.2と同値に設定されているようだ。だが聞こえる音はそれとはまるで異なっている。

外見の全体の印象はいつもの金属製エンクロージャーのPIEGAと比べると少しウォームな感じである。高級感は十二分だが、あの凛とした感じではない。清涼感よりは静かな温もりのようなものを感じる。果たして音も外観の印象のように変化しているのだろうか。


The sound 

こういう斬新で見事な音作りはあまり聞いた記憶がない。
ここ十年ほどの流れである、解像度至上主義を標榜するサウンド、特に低域の解像度の向上を狙った強固な内部構造を持つ、重量級の金属製スピーカーから聞かれる音とは明らかに一線を画する。
しかし、断じて昔懐かしい音などではない。

まず、この低域の豊かさに心奪われる。
柔らかくフワリと広がって暖かくリスナーを包む低域の量感が素晴らしい。長い間、ハイエンドオーディオというものは低域の解像度を出すために大金を支払うものだと思っていた。このClassic80.2の明らかに“緩い”低域は、その正反対の方向性である。こういうあえて締りのない低域に今まで価値を見出してこなかったが、この心地よさはなんだ?
こういうソフトフォーカスな低域は大概、音にスピードがなく、鈍くて重い音になりがちなのだが、ここには軽くて素早い感じもある。だから、パルシブなドラムが入っても、何故か音の立ち上がり立下りは遅くならず、意外とボンつかない。時々聞く、古典的な家具のように立派な外見を備えたタンノイのCanterburyという偉大なスピーカーなどは箱鳴りが結構あり、低域は遅いが、あれとは全く違う感じの音である。組み合わせたアンプがdartzeelとかOCTAVEのセパレートということもあるだろうが、それだけでは、このサウンドを説明できないと思う。MEWONの外付けのツィーター等を使ったときに聞かれる、低域の質感の変化があるはずだ。強力な同軸リボンツィーターが低域の質感に影響し、低音のテクスチャーを好ましいものに変えているように思われる。確かにこの斬新な低域は、緩いのに、どんよりとした感じがない。そよ風が吹き渡るように優しく、しかも素早くリスニングルームに低音が満ちてくる。倍音成分の響き方も気持ちがいい。解像度が高いとは言えないので、例えばMagicoのQシリーズのように細大漏らさず音が見えるような感じではない。そういう、音をどこまでも細かく見て取れるという愉しみはないのだが、そのかわり、この低域の豊潤さにいつまでも浸っていたいという多幸感が湧き上がる。

また、このスピーカーでは当然ながら中高域の質感も素晴らしく感じる。同軸リボンツィーターには二発のウーファーに負けない力強さもあり、中域と高域は綺麗に伸びる。非常に繊細なだけでなく、音の階調の変化のバリエーションが多く、非常に微妙な音の質感の違いを的確に描きだしてくれる。また過渡特性が優れることも忘れてはならない。中高域の反応の鋭さはリボン特有のものである。実際、この同軸リボンツィーターならではのスピード感に、それと比べて鈍重なウーファーのレスポンスをいかにマッチさせるかが、PIEGAの長年の課題であったと思う。ここではあえて動きの速い小口径ウーファーではなく、豊かな低域を放射する大口径ユニットを持ってきた。同じ反応速度を得ることにこだわるのではなく、むしろウーファーとリボンツィーターの音色が調和し、美しいハーモニーを成すことを狙った音作りのように私には思えた。

さらに大型スピーカーだけあってダイナミックレンジの広さは、ブックシェルフや小型のトールボーイなどとは比較にならないものだと思う。このレンジの広さはサウンドステージの見晴しの良さとあいまって、とても雄大な感覚をリスナーに与えているようだ。こういう雄大さは、PIEGAの最高級スピーカーであるMaster ONE Line sourceのサウンドとも通じるところがあるが、あれよりも音にまとまりがあり、安心して聞けるところがある。大音量で朗々とスピーカーを歌わせる快感には、このようなエンクロージャーでなくては到達しえない。

また、金属製のスピーカーのように余計な音を完全にそぎ落とし、高いS/Nを演出するようなことはしていないが、背景の静けさ・黒さは十分である。ダンピングの悪いスピーカーにありがちな、ざわざわした背景の雰囲気がない。そうは言っても演奏が行われているホールの暗騒音や空気の対流音を肌で感じるようなサウンドには至っていないのは認める。だが、そういう緊張を強いるサウンドにありがちな敏感で神経質な気分ではなく、もっとリラックスして、高音質を愉しむ気分へと自然にいざなってくれる優しい音だ。

定位については、中高域が同軸ユニットで駆動されているためか、かなり明確な定位感が得られる。確かに、MagicoやYGのスピーカーで聞かれる、まるで彫像のように音場内に定位するあの感覚はここにはない。しかし、明るい光の束のようなものが広大なサウンドステージに望まれる正確さをもって点在し、やはりギスギスしない、和やかな雰囲気を醸し出しているようだ。
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ほぼ同時期に、このシリーズの下位モデル60.2の方も聞いてみたが、スケール感や音の豊かさ、量感、全体の音作りの斬新さで差がある。価格の違いが案外小さいので、価格差以上の性能の差を感じる方もいるかもしれない。それくらい80.2の音はいいのである。買うなら80.2だろう。また昨今のオーディオの凄まじいインフレ度からすれば、80.2はお買い得に感じるスピーカーでもある。設置スペースさえ許せば、この最高級モデルに行ったほうがいい。ただ、このスピーカーを飼い慣らしたいなら少なくとも15畳以上の部屋は欲しいところなので、スペースの足りない方はClassic 60.2へ行くことになるだろう。

Classic80.2の良く合う音楽のジャンルとしては、やはりクラシック音楽だろう。それも音場感がタップリ入った現代の録音が良かろう。オーケストラが奏でる音、倍音成分がホールに美しく響く様が、さらに柔らかく部屋いっぱいに広がるようで、耳が喜ぶ。また、ECMなどの現代のヨーロピアンJAZZは、このスピーカーで聞くと、ゴージャスだが俗物的にならないセンスの良さも感じる演奏として聞こえる。正確な音ではなく、いわゆる音楽的な音なので、スピーカーにトランスデューサーとしての側面を強く求める方にはお薦めしかねるが、音楽に癒されたい、スピーカーに癒されたいと願う向きには一聴をお薦めする。


Summary

Classic80.2のサウンドは解像度至上主義に代表される、視覚的な音作りという現代オーディオのセントラルドグマから少し離れたところにある。これは音の量感の豊饒を前面に出して、そこに音の触感の良さ、反応性の速さを加味した、ちょっと新しい音である。80.2はオーディオの実験室のようなマニアのタコ部屋ではなく、ゆったりとしたリビングで大きなソファーに埋もれながら聞かれるべきスピーカーである。集中を解いて、何気ない会話を愉しむようなカジュアルな雰囲気を保ちつつ、音質のレベルだけは落としたくないという贅沢な使い方にマッチするスピーカーだ。そして、ブラインドテストでもしっかりとスピーカーのモデル名を言い当てられるような、ハッキリした個性をスピーカーに求める方に薦められるスピーカーでもある。

こういう一聴して他と区別できる音に出会うと、あるブログでネットワークプレイヤーやNASのブラインドでの音の差の聞き分けという企画をやっていたのが思い出される。
この試聴会にはプレーヤーの設計者を含む業界人やハイエンダーが何人も参加していたようだ。そこでNASやネットワークプレーヤーの音の違いを参加者がどれくらい聞き分けられたか?その平均点は百点満点で30点前後だったとのことである。普通の試験であれば確実に落第であるが、実際、ネットワークオーディオという分野は、それくらいに機材の音の差が少ない世界なのである。これは私個人が以前より問題視していたことでもある。PC関係のオーディオという分野全般にそうだと思うし、現在はオーディオ全体としても音が平均化されて個性の輝きの少ない状況と思うことがある。そういう中で、他とはっきり差が分かる、PIEGA Classic80.2のサウンドは、私の脳裏にとても面白く響き、色々な事を私に考えさせる。
たとえばデジタルオーディオでのクロック等の差で分かる音の差異、これは取りも直さず性能の差であり、お金さえ出せば埋められるものである。しかし、音の個性の差はカネの多寡とは直接の関連がない。それは出会いである。自分とシックリと合う音の個性との出会いはカネでは買えないものだ。

折にふれ、
なんのためにオーディオをやっているんだい?とオーディオに全く関心のない人に尋ねられることがある。私は、もう後戻りできなくなったからさ、などと素人に分かりにくい返答はせず、結局は音に癒されたいからじゃないですかねえと、はぐらかし気味に答えることにしている。
人肌の温度感を感じさせる柔和な女声の囁きにどっぷりと浸ること、これは無論、癒しのためだろう。だが心地良い疲れを感じるほどの熱くマッシブな音の塊を求めて、強烈な音量でオーディオをやっている人にしても同じなのではないか。なにもかも忘れられるほどエキサイトするリスニング、そして、その爽やかな聴後感に、やはり別な形での癒しを求めているのだろうと思う。
癒される音、癒されるシュチュエーションというのは、人それぞれに違ってよいはずだ。

そう言う私にとって、最も癒されるのはPIEGAの調べなのである。地中海の神話に記されたオルフェウスの竪琴を想起させる高域の細かな震え。そのデリカシー。物理特性という即物的なものを超え、どこか神がかったような音を出す、この特別なリボンツィーターに、幾度となく日々の暗い憂さを晴らしてもらってきた。そしておそらく、これからもそうしてもらうことだろう。

このClassic80.2のリボンツィーター・ウーファー・エンクロージャーのハーモニーが聞かせる個性的な音楽の切り口は、単なる爽快感とか艶などという表現では足りない。もうこれは憂さ晴らしの向こう側の、麻薬的な世界、耽溺の世界に近いのかもしれない。あの低域の豊かさと高域の小気味良く細かい鋭さが両立した不思議な響きとの出会い。私の心は80.2に盗まれた。

試聴を終えると、私は寄り道せずに自分のリビングに舞い戻り、メジャーを取り出して部屋のあちこちの長さを測った。そして、溜息をついた。案の定、広さが足りぬ。リビングの広さが、ではない。私のスピーカーのセッティングに使える範囲がClassic80.2を置くには狭すぎるような気がする。
つまりメジャーの目盛りは、まだ相棒を取り換えるなと言うのである。
幸か不幸か、私は思いとどまった。

とはいえ、耳に残るあの響きは、そう簡単に消えそうにもない。
実は、そろそろ終わりにさしかかる、この浅ましい問わず語りも
存分に書いて心の中から吐き出して忘れることで、
眠れぬ春の夜を終わらせようという趣向なのである。

オーディオを見て、聞き、感じ、書く。そしてとりあえず忘れる。
そしてまたオーディオに魅せられてしまう。性懲りもなく。
この無限に続くかに見えるループの中で、
私の個性的な相棒も、もしかしたら入れ変わってゆくのかもしれない。

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# by pansakuu | 2015-04-03 22:06 | オーディオ機器